空中キャンプ

2010-11-15

なんだかよくわからないパワーポイント資料の作成

わたしの働いている会社では持ちまわりのそうじ当番があって、当番になったときには二時間近くかけてじっくりとそうじをすることにしている。そうじが好きなわけではないし、そもそもそんなにていねいに清掃する必要はまったくないのだが、当番のさいはしばらく仕事を忘れて逃避しつつ、ひたすらそうじすることにしている。作業に目に見えて結果がでるところがたのしいし、周囲の役に立っている感じもいい。というのも、ここ最近会社におけるわたしの中心作業は「なんだかよくわからないパワーポイント資料の作成」であり、これがどうにも無意味におもえてならず、ひたすらやっているとなんだか自分がだめ人間になっていくような気がするのだった。あんなパワポ資料を作るより、床をぞうきんがけした方がよっぽど世のためになるのではないか。

海外にある本社へ報告する「なんだかよくわからないパワーポイントの資料」では、日本支社がどのような目標を持って業務に取り組んでいるかが示されなくてはならない。しかし、この資料で後先を考えずに威勢のいいこと(例:年内に新規顧客○○件獲得)を約束してしまうと、その後自分たちの首を絞めることにもなりかねない。具体的な目標や数値をこちらから提示してしまっては、逆に達成へのプレッシャーがきつくなりまずいというわけだ。そこでわたしに課せられるのは「いっけんやる気と目標にあふれ、業績を伸ばす前向きな意欲をじゅうぶんに感じさせながら、実はなんの具体的な達成や数値をも確約せず、きわめて抽象的な文言のみを、いっさいなんの言質も取られない表現であいまいに述べるにとどめる」パワポ資料を作るという作業である。この資料はなにごとも明言してはならない、というのはずいぶん難解な指示である。

虚しい。迫りくる虚無感にどうにか抵抗しながら「なにかを述べているようで、実はなにも述べていない文章」をタイプしていると、しだいに自分がひどくくだらない人間におもえてくる。でもまあ、サラリーマンっておおむねこんな感じじゃないのかしら。えらい人の指示だもの。ピース。いや、ピースじゃないよ。自分をどうにか納得させようとするが、迫りくる虚しさをふりはらうことはやはりむずかしい。さらには、似たような内容での報告やコピーペーストの使いまわしを厳禁する外国人上司の意向に沿うため、そのたびに新しいテキストをゼロから起こす必要があり、いままでにない目標やアイデアを示さなくてはならない。そんなに毎回新しい目標とかおもいつかないよといいたくなるが、どうにかこじつけでページ数をかせぎ、カラフルな目標を立案する。むろん、それらの目標からはいかなる具体性も注意深く取り除かれていることが求められる。読み手はなにかを読んだ気になるのだが、実はなにも書かれてはいないというトリッキーささえも加味しなくてはならないのだ。

そんな資料がなんの役に立つのだ。これではまるでソルジェニーツィンの『収容所群島』ではないか。無意味さここに極まれりという珍妙なパワポ資料。この文章を必要としている人がこの世の中にはいるのだろうかと考えると、おそらくいないわけで、誰にも必要とされない文章を書くのはしんどいものだと頭が痛くなってくる。そして「なにかを述べよ、しかになにも述べてはならない」という撞着した命題へと果敢に挑むわたしは、さらに虚無感をつよめていき、なんだか悲しくなって駅の駐輪場でこっそり泣くのだった。もっとそうじさせてください。