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紙屋研究所


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2010-11-14 「休日くらいはゆっくりさせろ」とぼやくパパへの非難の件

「休日くらいはゆっくりさせろ」とぼやくパパへの非難の件

 下記の元記事を読んで、乳幼児期の育児の大変さについて共感していたのだが、

「休日くらいはゆっくりさせろ」とぼやく、KYな世の中のパパさん達へ 「休日くらいはゆっくりさせろ」とぼやく、KYな世の中のパパさん達へ 「休日くらいはゆっくりさせろ」とぼやく、KYな世の中のパパさん達へ このエントリーをはてなブックマークに追加

元記事のコメント欄はてブのコメントが荒れていて驚く。とくに前者の攻撃性に仰天する。

 「自分は子育てをしているがそんなことはない」というタイプのコメントはあるけども少ない。否定的なコメントの大半は、元記事で批判されている「『休日くらいはゆっくりさせろ』とぼやく、KYな世の中のパパさん達」、もしくは「『休日くらいはゆっくりさせろ』とぼやく」独身者だと推測できる。

 元記事のブロガー(かん吉)が射落とそうとした標的そのものにタマが当たって、手負いになった標的がものすごい勢いで狙撃手の尻へ噛み付いている構図である。

 ブコメで何人かが指摘しているのは、かん吉の「伝え方のまずさ」である。代表的なのは「ココロ社」だろう。

本気で人を説得したいのであれば、相手の立場を認めつつ、ソフトに反証していくのがいいんだけど、これだと、新人に「学生気分が抜けてない!社会はもっと厳しいんだ!」と喝を入れてるオッサンと大差ない。

id:kokorosha

 この見地にてらすと、元記事のタイトルの攻撃性は目を覆わしむるほどである。「『休日くらいはゆっくりさせろ』とぼやく」という、あまりに具体的で、ある意味鋭すぎる角度で対象を指定しまい(「ビッ!」て指差す音が聞こえてきそうだ)、なおかつ「KYな世の中のパパさん達」などと言い訳不能なほど攻撃的に正面から発砲。しかも冒頭には、

「仕事から帰ってきて疲れているんだから、ゆっくりさせろ」と、育児中のママにアピールする世の中のパパさん。

かなり恥ずかしいので、すぐにやめてください。

「飲み屋で、バッティング理論についてイチローに説教する」くらい、恥ずかしいです。

http://www.wakatta-blog.com/post_468.html

と、これまた連続狙撃の様子。

 記事のラストに、


この記事を読んだパパさん達には、育児をもっとしてほしいと思います。

と殊勝顔で言ってみても、「正面から銃ぶっ放した奴が今さら何を」スメルが隠しようもないほどに漂っている。満員エレベータで放った屁のように。



 育児(とくに新生児から3歳くらいまで)がいかに大変か、という告白は、さまざまなところでなされている。

 前にも紹介したが、連載を数本かかえ多忙極まる人気漫画家東村アキコは、育児とマンガ執筆を比較して、


子育てに比べれば(仕事の方が)千倍は楽、というのが正直な感想だ

とのべている(日経新聞08年11月25日付夕刊、強調は引用者)。東村は同インタビューで次のようにのべる。


▼……母親にとって子育ては喜び、と無条件に考える風潮には体験とともに反論する。

「赤ちゃんにきれいな服を着せ、ベビーカーで外出……などと美しく、楽しいシーンばかりを想像しがちだけれど、現実は違う。親は子の命を守るという役割を果たさなければならないのだから、きれいごとでは済まない。一時は食べ散らかした食事の片づけとおむつ換え、お風呂などで一日が終わっていたように思う。ギャグではないけれど、本当に子どもは王様で私はお付きの者か奴隷のよう。泣き叫んだら王様の欲しがっているものはなにかと、あれこれ考えなければならない」(同前)

 ここでは、攻撃対象はおらず、あくまで自分自身が育児をナメていた的な体験の告白として吐露されている。かん吉の元記事よりはるかに受け入れやすい体裁をもっていることがわかる。

 こうした「育児の大変さ」を哄笑のなかで啓蒙しようとした洒脱さでいえば、ブログ「なんでかフラメンコ」の「誰でもわかる育児ストレスガイド」(09年10月29日投稿)の右に出る者はいない。*1


* 死にやすい

乳幼児は隙あらば死にます。死のうとします。コンセントの差込口に指を突っ込む、ストーブに座る、10円玉を飲む等、ありとあらゆる斬新な方法で死のうとするので、うっかり目を離すことができません。よって、子供が小さいうちはゆっくりウンコをすることすらできないという状況に陥ります。


* 空気を読まない

朝5時に散歩に誘う、揚げ物の最中に絵本を読ませようとする、久しぶりにヤろうと思った時に限って起きる等、とにかく空気を読みません。すべて自分の都合で動きます。


* すぐ泣く

意見が通らないとすぐに泣きます。とにかく泣けばいいと思っている節があります。そして、屈せず要求を飲まなければ、上目遣いで情に訴えかけてきます。ヤリ口が汚い。そのうちこちらが悪いような気になってくるので、やってられない。


* やめられない

生んだら最後、24時間365日親であり続けなければならないという地獄。恋愛、結婚、会社、学校などは「辞める」という選択がありますが、育児は途中キャンセルができません。


* まとめ

幼児期の育児とは、気に入らないことがあればすぐに泣き、仕事中に何度も電話をかけてきては「死にたい」を繰り返す人間と絶対に別れられない状況、のようなものである。


 ここでは「『休日くらいはゆっくりさせろ』とぼやく、KYな世の中のパパさん達」は攻撃対象とならず、笑いのなかでゆっくりと読み手は啓蒙されることになっている。どんな人であっても「乳幼児の育児って意外と大変なんだね」と。

 ブコメで、元記事のアプローチのまずさを指摘している人たちは、この種の説得こそが大事だと考えているのだろう。

 ぼくも、まずポリティカル・コレクトネスの立場からいわせてもらえば、日付が変わるころに平日帰宅しているようなお父さんたちに対して、なんでお前ら育児しないの、育児よりラクな仕事に逃げてんじゃねーよ、俺もキツい仕事やってきたけどさあ、と言ってみることはきわめて不味い。不味すぎる。

 働かせ方・働かされ方を不問にして、個人の心構えを責めているのだから、怒り出す人がいるのも無理はない。

 だけどだね。

 「忙しいパパ」のなかには、仕事が忙しいとか忙しくないとかにかかわりなく、育児なんてことはやりたくない、もしくは美味しいところだけ、所詮「仕事>>>>育児」、と心のなかで(あるいは公然と)思っている人は少なからずいるだろう。

 そういう人にたいして、エレガントに説得、なんていう手法じゃなくて、耳元で怒鳴る的なやり口をやってみたくなるのはわからなくもない。

 「仕事は忙しい」という看板の陰に隠れてホンネを沈黙させていた人を引きずり出す、という期待があるからだ。ほら、あれですよ。赤木智弘が「もう希望は戦争しかないって思えてくるような状況だよね」「どうせキレイごといって、本当は非正規のことなんか何も考えてないんでしょ?」といったら、みんなゾロゾロ出て来て「いや違うぞそれは」と言いだしたみたいな。

 こういうイヤないい方をされたあとは、たしかに華麗に説得はされず反発される。けど不快に感じて反発した人々のなかで、心の中に澱のようにたまって、あるいは刺さった小骨のように小さな不快感をいつまでも残し、結局のちのちは行動を変えさせてしまう、何かの折についつい思い出させてしまう、というようなことが期待できるかもしれない。

 ココロ社のたとえでいえば、「学生気分が抜けてない!社会はもっと厳しいんだ!」と喝を入れてるオッサンがくり返し小言をいううちに、なんかものすごくストレスに感じつつも、そういう喝を心に刻んでしまうみたいな。

 いや、やっぱり反発して心を閉ざしてしまう人ばかりだろうか。どっちだろ。

*1:このブログブログ自体が現在削除されている。

メール(非公開)メール(非公開) 2010/11/15 01:33 「オッサンの説教」が心に刻まれる場合があるとすれば
そのオッサンが簡単に辞めるわけにはいかない会社の上司、というケースです。
本人の意思を無視した逃げられない環境で繰り返し聞かされる、洗脳とかと一緒ですね。


「不特定多数のモチベーションやインセンティブを操作しよう」というのは
思い上がった人間が判で押した様に必ず好む発想ですが
ほとんどの場合は能力が足りないので頓挫します。

人を扇動操作したいと願いながら
それを実現する能力のなく挫折した人間が何をはじめるかと言うと
フラストレーションが手段と結びついて対象を攻撃し始めます。
そして「対象に不快な気分を与えることで操作できるんだ」という妄想を抱き始めます。
誰でも低能な教師や指導者や政治運動家にこの兆候を見た事があると思います。
威圧と体罰が指導手段の先生だとか、
自国民への怨念と皮肉癖が膨らみきったリベラル活動家だとか。
(本来抑圧や押し付けを最も憎むはずのリベラルや左派の人間がこれを取ってしまうあたり
 人間がいかにこの妄想の魅力に抗い難いのかがわかります)

そういうやり方で人のインセンティブが操作出来るなら誰も悩みません。
そのやり口が一時的に擬成功するのは、対象と強い力関係があり、
対象を逃がさない手段がある場合に限ります。

人間は不快を感じて反発すると
それが心の中に澱のようにたまって、
あるいは刺さった小骨のように小さな不快感をいつまでも残し、
結局のちのちは行動を変えさせてしまいます。
不快感を与えた者とその思想への強い反発をモチベーションに持ち、
復讐を果たすためなら自分が損をしてもいいと考える。

そんな自分がやられる側に立てばわかることを考えずに
誰かに不快感を与えながらその人が自分の願い通りに動くようになってくれると妄想する、
そんな思い上がったマヌケは今日も世界のどこかで怨恨と対立の種をまいてます。

更に言えば、最初からそのつもりで人を叩き始めるのではなく
フラストレーションに任せて叩いてしまってから「これは手段だ」と言い訳し
自分でもそれを信じ込んで常習化する、と言うのがパターンです。

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