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トップエッセイ(リスト)第168回:「空港とクルマ」つれづれ話 すべての乗り物に命あり!? (10.11.13)
エッセイ

マッキナ、アラモーダ!
ルフトハンザ・ドイツ航空のディファコ社製電動カート。ミュンヘン空港で。
ルフトハンザ電動カートの運転席。
 思い出の連接バス
まずは空港バスの話から。
ボクが自動車雑誌『SUPER CG』の編集記者になって、海外出張にようやく行かせてもらえるようになった1990年代初めのことだ。日本橋・箱崎にある東京シティエアターミナルと成田空港間を、不思議なバスが走っていた。「連接バス」である。ご記憶の方もいると思うが、それはボルボ製シャシーに富士重工業製ボディを組み合わせたもので、筑波科学万博で使われていたシャトルバスのお下がりだった。

その連接バスについて、当時ボクの上司であった高島鎮雄編集長から、不思議なことに「あれには乗らないほうがよい」と注意があった。
しかし、ある日ボクは禁を破って、成田から乗ってみた。実際乗り込んでみると、いわゆる高床式の「ハイデッカー」ではないので、荷物があっても乗り降りしやすい。いいじゃないか。それに、カブれていたボクゆえ、フロントに貼り付けられた「ボルボ」のマークに引かれた。
ところが走り始めてまもなく、ボクは上司が忠告した理由を知ることになった。

ひとつは、もともと高速道路走行向けに造られていないので、乗り心地や遮音性があまりよくない。変速機が都市向けのギアレシオなのだろう、スピードが上げるとエンジンがやかましかった。
さらに最大の弱点があった。通常、成田から都心に向かう空港バスは、首都高が渋滞してくると、一般道に降りる。しかしこの連接バスは、一般道に降りる。しかしこの連接バスは、いくら渋滞しても一般道にけっして降りなかった。これは、日本には連接バスに関する法規が整備されていなかったためだ。成田と東京シティエアターミナルの高速上を、いわば特例で走らせていたのだ。いやはや、上司の忠告には、耳を貸したほうがいいと反省した。
ちなみに現在パリで、パリ交通営団(RATP)がシャルル・ドゴール空港やオルリー空港と市内を結ぶのにルノーやイリスビュス製の連接バスを使っているが、ボルボ−富士重工業製と大なり小なり似たような乗り心地である。エールフランスが運行しているハイデッカーのほうが数倍いい。

「上司と空港バス」といえば、同じく編集記者時代、自動車雑誌『CAR GRAPHIC』の初代編集長・小林彰太郎氏のお供でドイツに出張したときのことも思い出す。
空港で、ターミナルと飛行機を結ぶバスに乗ったときだ。小林氏がバス車内に貼られたメーカー名プレートを指して、「なんだか知ってるか?」とボクに問うた。
「Gräf und Stift」と書かれていた。
第一次世界大戦の引き金となった1914年のサラエボ事件は、オーストリア−ハンガリー帝国の大公が車上で暗殺されたものだった。そのとき大公が乗っていたのが、オーストリアのメーカー「Gräf und Stift(グレーフ・ウント・シュティフト)のオープンモデルだったことを小林氏は教えてくれた。

そういえば、高校の歴史教科書には、狙撃シーンの挿し絵に(少々ヘタクソだったものの)クルマも描かれていたっけ。あの教科書と今乗っているバスが歴史の糸でつながっていることに、当時のボクはえらく感激したものだった。



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大矢アキオ
コラムニスト。国立音楽大学卒。二玄社SUPER CG編集記者を経て、96年からイタリア 在住。現在、雑誌Webのほか、ラジオ・テレビでも活躍中。とくにNHK『ラジオ深夜 便』における、0時過ぎの公共放送に相応しくない賑やかな語り口は、ここ数年ヘ ビーリスナーの間で話題となっている。主な著書に『Hotするイタリア』(二玄社)、 『イタリア式クルマ生活術』、訳書に『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(いずれも光人社)がある。




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