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●週刊文春2006年1月5・12日号
激震スクープ 小泉首相、麻生外相も知らない「国家機密漏洩事件」 中国情報機関の脅迫に「国を売ることはできない」と 首を吊った上海総領事館領事 2004年5月6日、自ら命を絶ったのは公電を担当する電信官。彼は“女性問題”を材料に中国当局から暗号解読システムを教えるように迫られていたのだ。外務省は調査に乗り出すが、この事件は官邸に報告されることなく、葬り去られてしまった……。 2004年5月6日午前4時。後に反日デモの群衆が投げつけた卵やペンキで汚されることになるその窓を開けると、まだ明け切らない上海の街から、冷気が入り込んできた。彼は大きくそれを吸い込むと、用意していた紐を、外の鉄柵に通し、両端をきつく結わえ、自らの首にかけたのだ……。 遺族の心情に配慮して、現時点では彼の名前を仮に「A」としておこう。 在上海総領事館のA領事(当時46歳)が領事館の宿直室で、変わり果てた姿で見つかったのは、それから約6時間後、午前10時のことだった。A領事自殺の一報を受けた杉本信行・総領事(当時)は、領事館に駆けつけると、亡骸を自ら抱きかかえて降ろしたという。 2日後の8日、彼の遺体は現地の斎場で、杉本総領事、領事館員、そして日本から駆けつけた遺族が見守る中、荼毘に付され、その翌日には無言の帰国をした。 だが、彼の自殺の真相は、それから1年余にわたって外務省の“奥の院”で固く封印されたのだった――。 生前のA領事を知る外務省関係者が重い口を開く。 「Aさんは北海道出身で、以前は旧国鉄に勤めていたのですが、分割民営化に伴い、各省が旧国鉄職員を採用した際、外務省に来たときいています。アンカレッジやロシアで勤務した後、本省を経て、02年の3月に上海総領事館に単身赴任した。非常に真面目かつ誠実な人で、唯一の趣味が釣り。上海時代も休暇を取って、アンカレッジに釣りに出かけるほど好きだった」 そんなA領事がなぜ、自ら命を絶つに至ったのか。 「そもそも上海総領事館で自殺があったこと自体、省内でも知っている人はごく一部に過ぎない。さらにそのほとんどが今でも、自殺の原因を『仕事の悩み』か『人間関係の悩み』と思っている。確かに上海は総領事館といっても、小さな国の大使館並の激務で、時期によってはほとんど休みが取れないこともあり、Aさんがかなり疲れていたという話はあった。私自身もてっきりそれらが原因だと思っていたのです。彼の遺書を読むまでは……」(同前) 実はA領事は自殺直前、身近な人々に5通の遺書を残していた。外務省関係者が続ける。 「1通は奥さん宛、もう1通は杉本総領事宛、残りは他の館員らに宛てられたもの。奥さん宛の遺書は『こんな事になって……本当に申し訳ない……』と改悛の気持ちが綴られた悲痛なもので、それを読んだ杉本総領事は号泣したそうです。 杉本総領事宛の遺書が最も長く、自殺に至るまでの経緯が記され、さらに、こう書かれていたのです。 『これ以上のことをすると、国を売らなければならない……自分はどうしても国を売ることはできない……』」 A領事が親しく付き合っていた同僚宛の遺書には、くだけた感じで、こんなことが綴られていたという。 『やっぱりあいつにやられちゃいましたよ……参りました……』 そして杉本総領事は、Aさんが亡くなった翌日、館員全員を集めて、涙ながらにこう語ったというのだ。 「A君は卑劣な脅迫によって、死に追い込まれた……」 A領事の遺書の意味するものは、そして杉本総領事が語った「卑劣な脅迫」とは何なのか……。外務省関係者は最後にこう語った。 「Aさんは、中国情報機関による度重なる脅迫と、執拗な恫喝で死に追い込まれたのです。私が知り得る事実はここまでですが、奴らがAさんを“殺した”のは間違いありません」 「助けて」と懇願したホステス この外務省関係者の証言と、内部文書を手がかりに、小誌取材班が上海、北京、東京で約40人に及ぶ当時の上海総領事館員、中国政府関係者、日本政府関係者を取材したところ、日中関係を根底から揺るがしかねない衝撃の事実が明らかになったのだ――。 多くの日系企業が集まる上海市西部の虹橋地区。上海総領事館も位置する同地区の大通り「古北路」には、日本人駐在員ら目当てのレストランや、「KTV」と呼ばれるカラオケクラブが軒を連ねる。 その中の一つ、カラオケクラブ「かぐや姫」をA領事が初めて訪れたのは、着任数カ月後のことだった。 中国人にとって「カラオケ」とは、「女性による接待付の店」を意味する。「かぐや姫」もその例に漏れず“ホステス”が常駐し、客のほとんどが日本人で、ホステスやスタッフは一様に、片言の日本語が喋れるように教育されている。薄暗い廊下を通り、個室に案内されると、店長が10人以上のホステスを連れてきて、客は気に入った女性を選ぶ仕組みになっている。 初めは同僚に連れられこの店を訪れたA領事は、ある日、一人のホステスと親しくなった。中国内陸部出身のそのホステスは、「劉」と名乗り、それ以来、A領事はこの店に足繁く通うようになる。そして03年6月、劉はA領事に悲痛な表情でこう懇願したという。 「私を助けて。私を助けると思って、私の“友人”に会って……」 劉の必死の願いに、ただならぬものを感じたA領事はその後、1人の女と複数の男に会う。女は20代で「陸」と、そして男のうちの1人は「唐」と名乗った。 「この『唐』と名乗った40代の男こそが、中国情報機関のエージェントだった。『陸』という女は通訳役。 彼らは劉を売春で摘発した際、『客の名前を言え。でなければ辺境に送って強制労働させる』と恫喝。劉からAさんの存在と、領事であることを聞き出した瞬間、Aさんに狙いを定めた。そしてAさんを“獲得”するため、劉を使ったのです」(当時の上海総領事館員) A領事はその後約一年にわたって、彼らと付き合うことになった。 「ただ唐らのAさんに対する態度は、極めて紳士的なものだったそうです。最初はおそらく『領事館内や、上海日本人社会での杉本総領事の評判を教えてくれ』とか、『領事館の要員表が手に入らないだろうか』とか当り障りのない情報を求めてきたんだと思います。というのも上海総領事館の現地スタッフは皆、外交人員服務処という中国政府関係機関から派遣されており、その程度の情報なら当局に筒抜けで、あえてAさんに聞かなくてもいい。 結局、最初は当り障りのない情報から流させておいて、徐々に機密性の高い情報を聞き出していこうとするのが、彼らの常套手段なのです」(同前) しかし、唐らはある日を境に、態度を豹変させる。 「04年春当時、領事館が多忙を極め、Aさんが心身ともに疲れていたのは事実です。それらが原因で、Aさんが館内の人間関係に悩んでいた面も確かにありました。それに唐たちとこれ以上深い付き合いをするのもまずいと思ったのでしょう。 Aさんは4月に本省人事課に転属願いを出し、それが認められて、亡くなる1週間前の4月末には、(ロシア・サハリン州の)在ユジノサハリンスク総領事館に異動が決まったんです。 『これでゆっくりイトウ釣りが楽しめる』と喜んでいたんですが、異動が決まった話をつい劉にしゃべってしまったのです」(同前) 「我々は一生の“友人”だからな」 劉からA領事の異動を聞いた唐らは、掌を返したように、A領事を責め立てた。 「お前のことはいろいろ気を使ってやったのに、どうして異動することを教えなかった? 一カ月前には申請していたらしいじゃないか。どういうことだ?」 唐らは数日間にわたってA領事を「我々に協力しなければ、劉との関係を領事館だけでなく、本国にバラす」、「お前と劉との関係は我が国の犯罪に該当する」などと脅迫し続けた。 彼らの恫喝は周到かつ徹底したものだった。現地の公安当局ともパイプを持つといわれる杉本総領事が、ゴールデンウィーク休みで帰国していた時期を見計らって一気に攻勢をかけてきたのだ。唐らは最後にこう凄んだという。 「まぁ、いい。お前がユジノサハリンスクに行っても付き合おう。 我々もロシアについては色々知りたい。我々は一生の“友人”だからな」 前出の上海総領事館員がこう語る。 「彼らに精神的に追い詰められたAさんには、自ら死を選ぶしか選択肢がなかったのでしょう。真面目すぎるくらい真面目で、物事を思い詰めるタイプの人でしたたから。奥様に対しても、劉に対しても、『ほんの出来心』と片付けられるような人ではなかったんです」 “女”を使って、敵国の要人を落とし、「協力者」として獲得するという手法は、中国や旧ソ連など共産圏の情報機関の常套手段とはいえ、今回の中国情報機関のやり口は卑劣極まりない。 A領事の遺書にある『国を売らなければならない』ほどの、彼らの要求とは一体、何だったのか。 「当時、上海総領事館にはAさんを含め9人の領事が勤務していたのですが、Aさんは邦人保護などを担当する他の領事とは違い、領事館と本省との通信を担当する『電信官』だったのです」(上海総領事館関係者) 「電信官」とは、外務省大臣官房情報通信課に所属し、大使館・総領事館・領事館・政府代表部などの世界各国189カ所にある在外公館と、本省間の情報伝達などを担う職員で、外交行嚢(パウチ)や外交伝書史(クーリエ)などの文書通信と、公電などの電気通信を担当している。 「その電信官の業務の中で、最も重要とされているのが、本省―在外公館間でやり取りする『秘』、『厳秘』の公電にかける暗号の組立てと解除。上海総領事館でそれを担当していたのがAさんで、彼は入省以来10年以上、電信に携わってきた暗号電文のプロだったのです。 つまりAさんは、杉本総領事を除いてただ一人、領事館と本省がやり取りする情報の全てを知り得るだけでなく、時には『国家機密』に相当する情報を扱う立場にあったのです」(同前) では、中国情報機関はA領事から一体、何を引き出そうとしていたのか。別の外務省関係者が語る。 「杉本総領事の電文の内容です。当時、杉本総領事は、江沢民(当時中国共産党中央軍事委主席)を頂点とし、胡錦濤政権下でいまだに影響力を持つ『上海閥』に太いパイプを築いており、それに連なる上海市政府や共産党の幹部から、極めて確度の高い情報を取っていたといわれています。 これに神経を尖らせていた中国情報機関は、何とか杉本総領事の暗号電文の内容を掴み、その内容から、日本側に情報を漏らしている“獅子身中の虫”を焙り出したいと、Aさんに工作を仕掛けたのです」 また小誌取材班が、零下10度という極寒(ママ)の北京で接触した中国政府関係者はこう明かした。 「杉本総領事の動きに、情報当局が敏感になっていたことは事実。というのも、日本政府が上海総領事館を拠点に、浙江省と江蘇省の情報を掴んでいた。実はこの二つの省には、中国海軍の潜水艦の基地があり、上海軍区の要所となっている。 このため情報当局は、杉本総領事の動きを常時ウォッチするとともに、彼が何のために、誰の指示で、沿岸部の軍情報を収集しているのかを調べるため、杉本総領事が本国や北京に送る電文の内容が知りたかった」 だが、実は中国情報機関の本当の狙いは、単なる「情報」のレベルの話ではなかった。彼らがA領事から引き出そうとしたのは、「日本の暗号システム」そのものだったというのだ。前出の領事館関係者が語る。 「唐らは『暗号システム』さえ入手すれば、北京をはじめとする7在中公館と本省だけでなく、世界中の在外公館と本省間で送受信される暗号電文を全て解読することができると考えた。 だからAさんが異動すると聞いた彼らは焦り、執拗に脅迫した。彼らの本当の狙いが『システム』だったからこそ、Aさんは『国を売ることになる』と自ら命を絶ったのです」 │<< 前へ │次へ >> │一覧 │ 一番上に戻る │ |