■新国立劇場関連
いよいよバレエも新シーズンの幕が開いた新国立劇場だが、一つ二つ新しい試みがある。
その一つはチラシ。最近になってまき始めた新シーズンの演目チラシのうち、『火の鳥』と『ラ・バヤデール』は、出演しないダンサーの写真を大々的に使っている。『火の鳥』の方は、ビル・クーパーの素晴らしい写真(ここからも見られる。オリジナルはこっち)なのだが、映っているのは佐久間奈緒とイアン・マッケイ。マッケイは出演するが、佐久間は来ない。一方『ラ・バヤデール』の方はザハロワを大きくフィーチャーしている。なるほど、ザハロワ降板前に作ったチラシなのかな、と思うじゃないですか。ところが裏を返すとキャストはもう小林ひかるになっている。つまりザハロワが出ないことはわかった上で、ただの客寄せとして写真だけ使っているのである。これを見て、ザハロワが出ると誤解してチケットを買った人がいたら、払い戻すのだろうか。隅っこに小さく「2008年の公演より」と書いてあり、過去の公演写真だから使ってもいいじゃないかという理屈らしいが、だからって、出ないってわかりきっている世界的ダンサーのシングルショットを使いますか? 景品表示法に定める「優良誤認表示の禁止」に抵触するではないか。新国は抵触しないと思っているのだろうが、いずれにしろ国立の劇場みたいな公的機関が、よくもそう違法スレスレのところを狙いますなー。恥を知らないって素敵なことね。
もう一つはシーズンガイドの廃止。これは快挙! いつから始まったのか覚えていないが、ここ数年、ダンサーの一覧を毎年毎年1,000円も出して別個に買わなきゃいけなくて、しかも別冊だもんだから、公演のたびに家に忘れてきて不便この上なかった。今回から民間の公演と同じく、ダンサーのプロフィールなどは公演プログラムの後ろに載るようになった。コリフェ以上は大きめの写真、それも素顔のわかるレッスン時の写真で、初めて目にするものも多い。各ダンサーの素の魅力を捉えたいい写真だ。カメラマンは鹿摩隆司さん(一部Shikama Talashiと書かれているが、わざと?)。
■貞松さんからメールを頂きました
先ごろ載せた『創作リサイタル』の記事について、「うちは芸術祭大賞は2006年に既に取っているよ」というご指摘。お付き合いのない当事者から誤りを教えて貰うことは意外になかなかなく、ありがたいことです。出そうと思えば誰にでもすぐメールを出せるIT社会のいいところだ。
ご指摘の点は、実は私も気づいていたのだけれど、一度貰ったからってもう大賞はいらないというものでもないだろうから論旨に大きな変更はないなと思い、直さなかったのである。商業原稿なら事前に極力確認するし、誤ったら訂正するのが当然だ(「大したことないから」と訂正記事を載せて貰えないこともあるが)。だが個人ブログでそこまでする気はない。
それならそれで、誤りをそのまま残しておくのも重要な情報だろうと思う。つまり、誤りが残っていることによって、どの程度信用できるか(信用ならないか)読んだ人が判断できるわけ。もちろん、恥ずかしい誤りならこっそり直すこともあるが、それほど恥ずかしくなければそのまま残しておこうと思う。
一般の出版物でも誤りがあることは決して珍しくないというか、ほとんどの場合誤りを含んでいる。だがそんなのいちいち問題にしてられない。誤りが多い本についてはそういうものとして読む。それでいい。
■文化庁芸術祭について
言うまでもないが、前掲記事において、貞松・浜田バレエ団が文化庁芸術祭の大賞を取るために裏で工作をしているなんて一言も書いてない。審査委員の方だって、たかだか文化庁芸術祭の賞くらいで裏工作を受け入れるような危ない橋など渡るわけがない。
しかし一方では、芸術祭大賞をどこが取るかは最初から決まっている(こともある)という話も聞く。以前にも、芸術祭が始まる前から「××が取る」と聞いていたところが、そのまま大賞を取ったことが実際にあった。
裏工作をしないのにこういうことがあるのは不思議なことだが、まあ要するに、関係者がメチャクチャ空気を読むというか、業界内事情に関する暗黙の合意が形成されやすいということだろう。特にお役所が絡む場合、役人というのは空気を一定方向に持っていくプロだし、委員にとっても“お役所御用達”の肩書きは重いので、どうしてもそうならざるを得ないのではないか。
だからこの手の賞では具体的な裏工作など逆効果で、それよりなんらかのムードが醸成されるのを待つのが一番だ。それに、役所の賞の場合、先例を重視するとかいろいろあるので、傾向と対策が立てやすいようだ。先例を研究して、賞を取りやすいいろんな条件を満たしておき、「ここは××だし、××だし、××だから、もうここしかないね」という空気になるのを待つ(ある情報筋によれば、今年の関西の芸術祭大賞をどこが取るかも、その伝でもうわかっているそうだ)。もちろんムードを盛り上げるには、マスコミや各メディアを使うという手もある。役人は世論に特に弱い。そのほかにも、ある公演について審査委員の間にいいイメージがなんとな〜く醸成されることはある。その場合、誰かが意図的にやっているのかどうかというのは、非常に微妙な話になってくる。
こういうのは嫌ですよね。審査委員が本気で審査するのならどんな結果でもかまわないが、実は誰かの手のひらの上で踊らされているだけなのではないかなどという想像の余地があっては、賞の権威も審査委員の信用も傷つけるし、参加団体にも気の毒すぎる。だから、どこかで何らかのムードが醸成されそうな雰囲気になったら、誰かが「それって実は作られた雰囲気なのかも」と警鐘を鳴らさなければならない。
もちろん私は役所の委員などやったこともなく、上記はただの妄想にすぎないわけだが、そうであっても、ムードをぶちこわして透明で信頼性の高い審査を奨励することになんらの弊害もないことは明らかだ。
しかし、そもそも芸術祭って誰のためになっているだろうか。芸術祭に参加しても、支度金や助成金をもらえるわけではない。「芸術祭参加公演だから見に行こう」なんて人もいないから、観客増にも結びつかない。
役に立つとしたら、小さな団体やマイナーな分野の団体が賞を取って、「うちは芸術祭の賞も取ったまともな団体ですから見に来てください」と、それ以後の広報に生かす場合くらい。だが実際には、芸術祭は「芸術の秋」ということで、10月11月の観劇超繁忙期にさらに公演本数を増やす形で開催されるため、小さな公演やマイナーな公演は、かえって完全に埋没してしまう。以前には、芸術祭に参加しているのに、委員が一人も見に行かない公演すらあったくらいである。
また、賞を取れば助成金申請に有利になるから、将来への投資として参加するということもあるだろう。だが、助成金審査の参考程度のことなら、民間にいくつも賞があるのだから、それを利用すればよい。
結局、現今の芸術祭は、役人のメンツと仕事を守るためのものでしかない。参加する方も、参加したくて参加していると言うより、役人の顔を立てて参加しているくらいのものだ。文化庁芸術祭と国民体育大会はもう歴史的使命を終えた。さっさと仕分けすべきである。
■日本版アーツカウンシルにおけるアーティスト評価について
日本版アーツカウンシルにおけるアーティスト評価についてfringeの荻野さんが話題にしている。荻野さんはポスドクにやらせろという平田オリザ案と、アーティストやプロデューサーにやらせるべきという衛紀生案を紹介して、衛紀生案を支持している(http://fringe.jp/blog/archives/2010/10/19112446.html)。
非常に単純化したもの言いをするので語弊は勘弁してほしいが、要するに、評価される立場である創造の現場(役者、演出家、劇作家、劇場関係者、プロデューサーなど)からすると、「若くて現実を知らず理論一辺倒の若手研究者なんて信用できるか!」というわけだ(*)。
その点で平田オリザ案が反感を買うのは仕方ないとは思う。だが、その代案がアーティストやプロデューサーっていうのはどうなのかな。ポスドクでは創造現場は納得しない、現場を知っている人が評価するのなら納得する、と衛紀生案は主張しているが、創造現場を納得させることがアーツカウンシル制度の目的ではないでしょう? 納税者からは「またぞろ身内同士でお手盛り評価やってやがる」と見られるのが関の山である。
結局、身分や職業で決めるのがおかしいのである。見る目のある人が見ていると誰もが納得すればいい。もちろん誰もが納得するなんて実際には不可能なわけだが、とりあえず、数を見ている人という基準ではだめなのか。たとえば、小劇場演劇、商業演劇、ミュージカルといった小さな括りなら年間60本、演劇全般といった大きな括りなら年間120本見ている人という条件ではどうだろうか。劇場芸術全般を年間180本、といったさらに大きな括りを加えてもいいだろう。それくらい見ている人に評価されるのなら、それがポスドクだろうが評論家だろうが劇作家だろうが会社員だろうが、仕方ないと諦めもつくのではないか。本数については、上記はかなりゆるい条件だが、まあ一例ということで。
実務を知っている人が加わらないと金の使い方に関する評価が非現実的になる、というのも一理あるので、制作関係者を2割とか、あらかじめ枠を作ってもいいだろう。だが結局、公費を舞台芸術に投下するのは見る人のためなんだから、ちゃんと見ている人の意見を聞くのがいいと思う。
(*) ダンスなんかもっとひどくて、大御所まで含む研究者という存在自体が舞踊家から信用されていない。それも見識とかよりむしろ人間性が疑われていることが多い。「舞踊の将来のため」とか「お互いのメリット」とか言うけれど、実際に組んで仕事をしてみると、研究者は見事に自分のキャリアや業績のことしか頭になく、呆れるほど好き勝手な要求を突きつけてくる、そんな印象を受ける舞踊家が多いようだ。
2010年10月28日
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