我斎五樹は王である。
それは、彼が何処に存在していても決して変わることは無い。
才覚。能力。性格。意識。
我斎五樹という人物が持つ、個としての性質そのものが、其れ即ち王たる者の持つべき素質。
覇を唱える。世を制す。
我斎五樹が目指すものこそが、其れ即ち王が欲し、求めるべきもの。
彼は生来より、王たる者の素質を有し、王たる者と同じくを目指していた。
故に、彼は王である。
それは最早、宿命と言っても何ら差し支えのない事実。
実際、彼は元の世界では王であった。
現代、高倉市という新都市の闇に君臨する皇帝、カエサル。
数多くの臣下を従え、自身にも強大な力を宿し、腐り果てた世界の破壊を心に決めた、一人の覇王。
曰く、『千の敵を持つ王』。その仇名は、彼の持つ、巨大な王の化身の異名でもあった。
高倉という異質な戦場にて、数多くの敵を屠り、力を蓄えた千の敵を持つ王。王の雄姿に魅了され、王に付き従うことを決めた軍勢、カエサルレギオン。
それらの強大な力、それを手足の如く操る皇帝の前には、誰もが屈服せざるを得ない。
彼の存在はそれほどまでに大きく、そして計り知れないものであった。
だが、しかし。
我斎五樹は敗れた。
多大なる軍勢と並み外れた力を持ちながら、彼は唯一つの要因によって、地に落とされることとなった。
黒き竜を駆る、たった五人の蛮勇によって。
異形の黒き竜、名をバビロン。
バビロンのコミュニティ、竹川紅緒、柚花真雪、春日部春、伊沢萩。
そして、コミュニティを率いる『道化』、我斎五樹の対極であり、我斎五樹の意思を決して認めようとしなかった男、瑞和暁人。
彼ら『バビロンコミュ』の行動により、皇帝の玉座は陥落したのだった。
要因は多々ある。だが、敗北の一番の理由は、我斎五樹の慢心であった。
自身の驕り高さ故に敗北する。王の死に様としては典型的とも言える。
しかしながら、我斎五樹は後悔などしていなかった。
敗走し、惨めに逃げ落ち、混乱の最中に狂気を帯びた敵勢に無残に叩き殺される、という運命となっても、彼は決して自身の行動を悔やむことはしなかった。
なぜならば、彼は生粋の王であったから。
自身の覇道を貫いた。他人の意見に道を変えること無く、唯見据えた先を前進した。
故の敗北。なればこそ、彼に後悔など生まれるはずもなかった。
唯一つ、彼に未練があるとするならば。
それは、彼が彼自身の望む王になれなかったこと。
彼は、彼の軍勢を、彼の臣下を支配することはできた。
しかしながら、彼は高倉市に潜む巨大な闇を御するには至れなかった。
そう、彼は彼の望む目的、『革命』を成功させるには至らなかったのだ。
それが、彼にとっての唯一の、生きることへの未練。
覇王として、世を制することを欲す。
一度死した彼の、今更叶うはずもないその願いは、肉片と化したその体の腐敗とともに消え行く筈であった。
しかし、男の未練は摂理に反し、より明確な形を成して行くことになる。
それは、新たなる外史の起点。
王足り得る素質を持ちながら、終ぞ王として全てを統べることが出来なかった一人の男。
戦乱の世を恨むも、自らの力無き故に民を救えぬ歯がゆさを噛み締め、自らを導く主足り得る存在を探す三人の少女。
彼と彼女達が邂逅を果たす時、新たな外史が幕を開く。
始まりは、彼の死。そして、転生。
摂理に反し、死から生へと転じた彼の、新たなる覇道は一体何処へと向かうのか。
それは未だ、誰にも分からない。
「ほらぁ~、二人とも早く早く~!」
そう言って、後ろに続く少女二人を呼ぶ、一人の少女。
桃色の長髪が美しい彼女は、あどけなさの残る表情を浮かべてはいるが、その体付きは成熟した女性のそれに近い。
少女は、その可憐な容姿と煌びやかな服装に反し、豪奢な装飾の施された一振りの剣を腰に携えていた。
「お待ちください、桃香様。お一人で先行されるのは危険です」
続いて声を発したのは、先へと行く少女――桃香を諌める少女。
艶のある長い黒髪を一つに纏めている彼女は、姿こそ若く華奢な女性ではある。
しかし、その身に纏う鋭い空気と手に持った青龍偃月刀が、その少女が只の非力な女性ではない、ということを雄弁に物語っていた。
「そうなのだ。こんなお日様一杯のお昼に、流星が落ちてくるなんて、どう考えてもおかしいのだ」
黒髪の少女の隣、未だ幼さの残る赤髪の少女が、桃香の判断に疑問を投げる。
どう見ても子供にしか見えない彼女だが、凄まじく長大な蛇矛を軽々と担いでいることから、並みの子供では断じてない、ということが目に見えて分かる。
「鈴々の言う通りです。もしかすると妖の類かもしれません。慎重に近付くべきです」
赤い髪の子供――鈴々の意見に同調する黒髪の少女。
彼女達二人にとって、桃香という人物は、自分たちの身を犠牲にしてでも守らなければならない大切な存在。故に、軽率な行動は諌めなければならない。
彼女の命を守るために。そして、桃香に仕える者として、彼女を正しき道へと導くために。
「そうかなぁ~? ……関雲長と張翼徳っていう、すっごい女の子たちがそういうなら、そうなのかもだけど……」
「お姉ちゃん、鈴々たちを信じるのだ」
「そうです。劉玄徳ともあろうお方が、真っ昼間から妖の類に襲われたとあっては、名折れと言うだけではすみません」
必死に自分たちの主を危険から遠ざけようとする鈴々と黒髪の少女。しかし。
「うーん……じゃあさ、みんなで一緒に行けば怖くないでしょ? だから早く行こ♪」
それに構わず、桃香は率先して危険へと歩いていく。
それもそのはず。劉玄徳という人物は、自身の好奇心を抑えることが出来ない類の人物であった。
「はぁ~~~、分かってないのだぁ~~~」
「全く。……鈴々、急ぐぞ」
「了解なのだ」
続く二人は呆れつつも、主の我が侭には逆らえないのだった。
「流星が落ちたのって、この辺りだよね?」
幽州啄群、五台山山麓の荒野。流星の軌跡を追って、桃香達はその場所に辿り着いた。
しかし、周囲には何もない。荒野には、何かが落ちた後どころか、粉塵一つ舞ってはいなかった。
「うーん……なーんにもないねぇ」
周囲を見渡した後、後から来た二人の方に向きなおる桃香。期待したものが何も無く、その顔には落胆した表情が浮かんでいる。
だが、後に来た二人の表情は、明らかに桃香のそれとは違っていた。
彼女たち二人の目に宿っているのは、警戒の色。
「桃香様、御気をつけ下さい。……誰か来ます」
「はぇ?」
「お姉ちゃんの後ろから、こっちに向かってくるのだ」
「後ろ? ……あ、ホントだ」
振り返った先で桃香の目に入ったのは、白い服を着た長身の男。
少しばかり遠くに居るが、その男は一直線に桃香達の方へ歩いて来ていた。
「よくわかったねぇ、愛紗ちゃんも鈴々ちゃんも。私全然気付かなかったよ~」
その感心の言葉に、鈴々と黒髪の少女――愛紗は、何も返せなかった。
関雲長、張翼徳。彼女たちほどの武人ともなれば確かに、気配で人の居場所を察知することも難しくは無い。しかしながら、ここは荒野のど真中。障害物が無く見通しが良い場所なので、人が居ることに気付くのはむしろ当然のこと。
本来ならば、この状況で不審な男の接近に気付かない桃香の不注意を責めるべき、なのだが。
今回の場合は違った。彼女たちは、自発的に男に気付いたわけではなかった。
気付かされたのだ。
その濃密な存在感と、圧倒的な気配によって。
男は、ただ歩いているだけだ。まだ距離も随分と開いている。
にも拘らず、彼女たちの肌は男の存在を強く感じ取っていた。
――何なんだ、あの男は。
愛紗は、男を想像する。
これは武によって培われた気配ではない。むしろ、傲慢な為政者の空気に近いものだ。自信と驕りと、そして野心の塊。あの男は確実にそれを持っている。
が、只の為政者にしてはおかしい。気配の密度が違い過ぎる。
強大すぎるのだ。少なくとも、並みの人間が放つ気配ではない。だとすれば、彼は何なのか。
覇王。
愛紗の頭にふと浮かんだのは、そんな言葉だった。
――わけわかんないのだ。
鈴々は、男に疑問を抱く。
あの男は、自分より遥かに弱い。その評を下したのは、武人としての直感と、ここに至るまでに繰り返してきた戦いの経験だ。
男の身から放たれる気は強いが、武人のそれとは別種のもの。男の持つ武の質自体は然程ではない。あの程度では、自分を倒せないのは間違いない。
でも、自分はあの男を恐れている。
一合あれば倒せる。それは事実だ。だが、何故か。自分の攻撃はあの男に届き様がないものなのだと、そう考えていた。
あの男には勝てない。
自身のたどり着いた結論に、鈴々は首を傾げざるを得なかった。
徐々に自分達へと近付いて来るその男に、愛紗と鈴々は警戒を強めていった。
「? どうしたの、二人とも? 何か顔が怖いよ?」
そんなこととは露知らず、表情の硬い二人に首を傾げる桃香。未だその脅威に気付いていない彼女の相手をする余裕など、二人には欠片も残ってはいなかった。
「下がって下さい、桃香様」
「危ないのだ、お姉ちゃん」
「――ほぇ? ひゃぁあ!?」
二人は、有無を言わさず桃香の両の腕を掴み、彼女を背後に引き下げる。
――あの男は、危ない。
得体の知れない危機を感じ取った二人は、各々が持つ武器――青龍偃月刀と蛇矛を前方へと構えた。
男はしかし、それに怯んだ様子は無く、ゆっくりと、しかし確実に、彼女たちへと近付いていく。
決して男は焦らない。ただ、見据えた目標に向けて、着実に、大きく、歩を進めていく。
「あ、あの……二人とも? 何だか怖い、よ……?」
男を凝視しつつ、武器を構えたまま動かない二人の少女に、桃香は当惑する。二人が突然臨戦態勢に入ったその理由を、彼女は理解できていなかった。
――あの男の人に、何かあるのかな?
前方から近づいて来る男を、桃香は改めて視界の真中に収め、凝視する。
そして、それと同時に、桃香は驚愕した。
――何、あの人……。
見た目が普通ではないことは分かっていた。男が身に纏っているのは、見たこともない意匠の白い服。その服は何故か、陽の光を弾いて輝いている。あんなものが市に出回っているのを見たことが無い。珍しい品であることは間違いないだろう。
が、服装よりも何よりも、彼の歩く姿、それそのものに、完全に目を奪われた。
均整のとれたその端正な顔立ちには、人を引き付ける力と、人を畏れさせる力が溢れていた。そして、その黒い瞳からは、強く気高い意志の力を感じることが出来た。
そう。男は、傍目から見て分かるほどの、凄まじい密度の『力』を持っていたのだ。
――すごい。
一瞬にして、魅了された。
感嘆するしかない。今の自分では決して持ち得ないその『力』を、今の自分が必要としているその『力』を、男は当然のように持っている。
根幹から既に違う。目的のためにその『力』を欲している自分とは、完全に別の存在。恐らく彼は、その『力』を行使する立場になるために生まれてきたような人間だ。
そんな人間が、自分の目の前に居る。
これは、好機なのではないだろうか。
いや、むしろ天佑、というべきことだ。
今の自分に足りないものを、いずれは自分も手にしたいものを、彼は持っている。
だとすれば、やることなんて決まっている。
――よし!
そして、桃香は一人心の内に、ある覚悟を決めるのだった。
沈黙が長く続いた。
少女たち三人は各々の思考により口を噤み、男は元よりただ歩いているのみ。
先程から周囲に響いているのは、砂を踏む一対の足音のみ。
そして今。
その音が、不意に止んだ。
完全に音が消え、周囲が静寂に満たされる中、四人は遂に対面する。
数瞬の睨みあいの後、初めに口を開いたのは、歩みを止めた男。
覇王、我斎五樹であった。
「到着早々この扱いか。また豪く物騒な場所だな、地獄というのは」