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引退した第11徳用丸=13日、本部町の渡久地港
航海日誌を前に「悔いはない」と話す具志堅用権船長=13日、本部町の具志堅鮮魚店
【本部】本部町最後のカツオ漁船「第11徳用丸」が餌不足や具志堅用権船長(81)の高齢などを理由に引退した。15歳からカツオを追い続けてきた具志堅さんは、66年の漁師人生に幕を下ろした。「やることはやってきたので悔いはない」。引退を決めたのは今月8日。具志堅さんはきれいな字で書き込まれた航海日誌をめくりながら、漁にささげた日々を振り返った。
本部のカツオ漁が始まったのは1904年。初代徳用丸は祖父の用松さんが船長だった。具志堅さんは尋常小学校高等部を卒業後、家族に言われて祖父の船で働き始めた。だが、沖縄戦で徳用丸を含む多くの漁船が破壊されてしまう。具志堅さんらは戦後、米軍の上陸用舟艇を改造した船で漁を再開した。
現在の徳用丸は1978年、具志堅さんが船長に就任する際に造った。「こんなにいい船で漁ができるのか」。初めて自分の船に乗った時、「何とも言えないいとおしさ」を感じた。一時は転職を考えた漁師の仕事が、いつの間にか好きになっていた。
「カツオの大群が船を取り巻き、息をつく間もないくらい次々に釣り上げる。『入れ食い』の豪快さが一本釣りの魅力だ」。具志堅さんは力を込める。しかし、カツオの大群は5年ほど前から全く見かけなくなった。
餌のミジュン(イワシ)も激減し、例年100回近く出る漁もことしは50回しか出られなかった。ミジュンが減った原因は不明だが、具志堅さんは「生活排水で海が汚れたことが原因では」と推測する。船の引退に伴い、13人いた乗組員は解散した。徳用丸は遊漁船をしている息子の勝文さんが引き取る予定だ。
「引退は寂しいが、本部からカツオ漁がなくなることはない。若者が知恵を出し合って長く伝えてほしい」。カツオ漁の未来を次の世代に託した。
本部漁協や町、海洋博覧会記念公園管理財団は、伝統のカツオ漁を絶やさぬよう新たな船の配備を検討している。
(伊佐尚記)
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