2010-11-12 12月5日「ど真ん中デモ」決定!/自分の文章/「釣魚台・尖閣」問題
■[戦争やめろ!][連載「Will you?」]12月5日「ど真ん中デモ」決定!/自分の文章/「釣魚台・尖閣」問題の重要なブログたち
沖縄への米軍基地押し付けに反対する「新宿ど真ん中デモ」、第6段は12月5日(日)14時新宿アルタ前広場出発に決めました! ぜひご参加ください、そしてこれからの準備やデモ当日の協力、大歓迎です。ぜひご連絡ください。 政府は11月28日沖縄県知事選の後に基地押しつけを狙っている、「これ以上沖縄の民意を踏みにじるな!」と声を上げ続けましょう。そして「本土」で高まる「中国脅威論」と「だから沖縄には基地の抑止力が必要だ」という身勝手でひどい主張にも「NO!」を。ぜひ一緒に歩きましょう。
★団体賛同を募集します。no.base.okinawa@gmail.com に団体名をお送りください。
★☆★☆★☆★☆★☆★転送・転載大歓迎★☆★☆★☆★☆★☆★
〜「中国が攻めてくる」なんてありえないよ〜
12月5日(日)13時:トーク&アピール 14時:デモ出発 ともに新宿東口アルタ前広場にて
(デモをお手伝いしてくれる方を募集します、12時半にアルタ前に集合して下さい。デモコースはブログに掲載します。)
主催:沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会
詳細は http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/20101205
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沖縄から戻ってすぐに、こんな文章を書きました。
★「殺される」者が「殺し」始めるのを止めろ――「新宿ど真ん中デモ」の今とこれから
園良太(沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会)
「パパパパッ パパパパッ」
沖縄・辺野古の米軍キャンプシュワブで海兵隊の実弾射撃の音が一日中鳴り響いている。10月末に辺野古浜の音楽祭へ訪れ、その準備作業中に聞いた音だ。基地受け入れと引き換えの振興策等で起きた地域間の対立を乗り越えるべく頑張る沖縄の同世代に出会えたが(それにはとても感動した)、基地の本質があくまで殺人機械であることが露呈した瞬間だった。
私は仲間とともに2010年4月に緊急アクションを立ち上げ、5回の「新宿ど真ん中デモ」を行っている。鳩山前政権が「5月末決着」で県内移設を押し付ける事が予想されてきたが、大きな街頭行動が少なく、自分たちで反対デモを呼び掛けた。
当初の課題は「本土」側の無関心と「自分たちが沖縄に基地を押し付けてきた」という当事者意識の無さで、自分たちも例外ではなかった。そうした沖縄への差別的な態度が政権の非道を許してきたと思うからだ。
6月以降のマスコミ報道の激減や7月の参院選での争点外しも同様で、その度に私たちは後退を防ぐためのデモを行った。多くの人に呼び掛けるために大繁華街の新宿アルタ前広場を集合・出発・ゴール場所に選び、デモコースを工夫した。そして長い街頭宣伝・ライブ・ゲストトークで広場を多くの人が集まれる解放区にすることを目指してきた。
その後は中国や北朝鮮の脅威を煽って基地を正当化する「抑止力論」が日々強まっている。私たちは8月と10月のデモ告知文で
“「米軍の抑止力が必要だから仕方ない」。私たちはそう思っていないだろうか。でもどこかで気付いているはずだ。米軍海兵隊の正体は、イラクやアフガニスタンで侵略戦争をする部隊であることを。自衛隊と米軍は「合同演習」を強化し、中国や北朝鮮を軍事威嚇していることを。”
“私たちが安全なテレビやパソコンの前で「隣国の脅威」をあおられる一方で、琉球諸島の人びとは、基地化によって日常が危険に変えられようとしている。時代錯誤の軍拡競争を、まず自分たちからやめようとしなければ、沖縄差別も「東アジアの緊張」もなくならないだろう。”と呼びかけ、デモの先導車から海兵隊がジャングルでの戦闘訓練をしている映像を流した。
しかし今、領土問題で日本中が中国バッシングを展開する中で「抑止力」論は想像以上に強化されているかもしれない。東京・六本木の反中国デモは3000人近くに拡大し、右翼運動に関わりのなかった一般市民が多数来ていた。「在特会」の在日朝鮮人への攻撃も記憶に新しい。
それは日本が侵略戦争の責任を回避し誤った歴史認識を広めてきた事に加えて、現代社会に不満を鬱積させた人間が増加している事が影響している。自分が経済的に没落し、日本国家や社会から見放される恐怖を「他国からの防衛」に転化し、他者への人権侵害や侵略行為にエスカレートしているのではないか。
それは米軍基地によって自立経済の発展を阻まれてきた沖縄がさらなる基地=殺人機械と振興策を引き換えにされることに似ている。財会と防衛省が武器輸出三原則の緩和・撤廃を不況を理由にすれば受け入れさせられるとばかりに急速に進めることに似ている。
いわば貧困等で「殺されていく」者たちが他者を「殺し」始めることで打開しようとしているのだ。
沖縄は米軍基地を拒否する事でそうした仕組みをも拒否し始めた。だが米軍基地も中国・北朝鮮へのバッシング行動も日本中に広がっている。次は私たちの番だ。ぜひ、一緒に。
★第6回「新宿ど真ん中デモ」:12月5日(日)14時 新宿東口アルタ前広場出発★
詳細は http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/
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「釣魚台/尖閣諸島」もんだいの基本知識と重要なブログたち(もはやファシズム前夜)
まずは基本知識について、ぼくも勉強しています。 他にはほとんどない、歴史的な解明。
http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html
>これは大変だ、と私は思った。「尖閣列島」−−正しくは釣魚諸島あるいは釣魚列島とでもよぶべき島々(その根拠は本文で明らかにする)−−は、日清戦争で日本が中国から奪ったものではないか。そうだとすれば、それは、第二次大戦で、日本が中国をふくむ連合国の対日ポツダム宣言を無条件に受諾して降伏した瞬間から、同宣言の領土条項にもとづいて、自動的に中国に返還されていなければならない。それをいままた日本領にしようというのは、それこそ日本帝国主義の再起そのものではないか。
領土問題はいたく国民感情をしげきする。古来、反動的支配者は、領土問題をでっちあげることによって、人民をにせ愛国主義の熱狂にかりたててきた。再起した日本帝国主義も、「尖閣列島」の「領有」を強引におし通すことによって、日本人民を軍国主義の大渦の中に巻きこもうとしている。
>閣議決定とそれによる内務省から沖縄県への指令(一月二十一日)は、日清講和条約の成立(九五年四月十七日調印、五月八日批准書交換)以前のことである。したがって、いま政府がいうように、その閣議決定によって釣魚諸島の日本領編入が決定されたとすれば−−閣議で領有すると決定しただけでは、現実に領有がなされたということにはならないが、かりにいま政府のいう通りだとすれば、それらの島は、日清講和条約第二条の清国領土割譲の条項によって日本が清国から割き取ったものには入らない。しかし、講和条約の成立以前に奪いとることにきめたとしても、これらの島々が歴史的に中国領であったことは、すでに十分に考証した通りである。その中国領の島を日本領とすることには、一八八五年の政府は、清国の抗議をおそれて、あえてふみきれなかったが、九五年の政府は、清国との戦争に大勝した勢いに乗じて、これを取ることにきめた。
すなわち、釣魚諸島は、台湾のように講和条約によって公然と清国から強奪したものではないが、戦勝に乗じて、いかなる条約にも交渉にもよらず、窃かに清国から盗み取ることにしたものである。
>彼らが、二言めにはもち出す「国際法上の無主地先占の法理」なるものについて、駁撃しておかねばならない。
彼らは、一八八五年に釣魚諸島を奪いとろうとした天皇制軍国主義の最も熱烈な推進者、最大の指導者、陸軍中将、内務卿山県有朋と同じく、いくら明・清の中国人が釣魚諸島の存在を知り、それに中国語の名をつけ、記録していても、ここに当時の中国の政権の、「支配が及んでいる痕跡がない」、つまり、いわゆる国際法の領土先占の要件としての実効的支配が及んでいない、だからここは無主地であった、などという。
……「他国に対して自国の行動を正当づける」ために、もち出された「法理」が、「国際法」になるというのは、つまり強国につごうのよい論理がまかり通るということである。無主地先占論はその典型で、スペイン人、ポルトガル人が、アメリカやアジア、アフリカの大陸、太平洋の島々を、次から次へと自国領土=植民地化しているうちは、「発見優先」の原則が通用していた。それに対してオランダやイギリスが、競争者として立ちあらわれ、しだいにスペイン、ポルトガルに優越していくとともに、オランダの法学者グロチウスが、「先占の法理」をとなえだしたのである。それはオランダやイギリスにつごうのよい理論であって、やがてそれが「国際法」になった。
先占の「法理」なるものが、いかに欧米植民地主義・帝国主義の利益にのみ奉仕するものであるかは、「無主地」の定義のしかたにも端的に出ている。田畑教授より先輩の国際法学者、東京大学名誉教授横田喜三郎の『国際法?』(有斐閣『法律学全集』)によれば、無主地の「最も明白なものは無人の土地である」が、「国際法の無主地は無人の土地だけにかぎるのではない。すでに人が住んでいても、その土地がどの国にも属していなければ無主の土地である。ヨーロッパ諸国によって先占される前のアフリカはそのよい例である。そこには未開の土人が住んでいたが、これらの土人は国際法上の国家を構成していなかった。その土地は無主の土地にほかならなかった」(九八ぺージ)。これはまたなんと、近世ヨーロッパのいわゆる主権国家の勝手きままな定義ではないか。こういう「法理」で彼らは世界中を侵略し、諸民族を抑圧してはばからなかった。
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その2:★今の言論状況への批判、「media debugger」!
「尖閣=釣魚島をめぐる諸言説批判」
http://mdebugger.blog88.fc2.com/
>「領土問題」に対する傍観者的態度、日本の侵略責任を問うアジアの「反日」を、日本の排外主義と同様に、解体するべき「ナショナリズム」として名指すような思想、そして「オール・ジャパン」現象への同乗は、いずれも尖閣=釣魚島をめぐる歴史的経緯を無化する左派の典型的な反応であると言えるだろう。
ところで、ここで無視できないのは、左派の「オール・ジャパン」現象への併呑が、沖縄への「連帯」と同時進行的に起こっている、ということである(ただし、この問題については次回に持ち越す)。もう一点述べると、アジアの「反日」と向き合えない左派は、(過去の事例を見る限り)ほぼ確実に「転向」してくだろう、と私は思う。
>結論を先取りして言えば、尖閣=釣魚島(Diaoyu Dao)をめぐる「オール・ジャパン」現象の最大の特徴は、沖縄が侵略国の「国民の正史」を積極的に担うことを、右派が絶賛し、左派も歓迎することで、文字通り挙国一致の排外主義が貫徹されている点にある、と私は思う。つまり、佐藤優の提唱する「国民戦線」が、<佐藤優現象>に反対している(いた)はずの左派を重要な構成要素として、ほぼ完全に実現しているのである。
>左派にとって沖縄の言説を批判することが一種のタブーになっている(と私には思える)のも、左派の沖縄への「連帯」が多分に心情主義に基づいていることの証左であると言えないだろうか(「普遍的」な基準を通じた連帯であれば、批判がタブー視されることはあまりないように思うが、どうだろう)。
>日本国民としての歴史的責任を(沖縄よりも相対的に重く)負っている本土の日本人が、「オール・ジャパン」現象を(より)積極的に批判しなければならないことは当然であり、その際の判断軸は、「沖縄の人々に寄り添う」といった心情主義にではなく(▼8)、反侵略・反民族差別といった「普遍的」な基準に置かなければならないことも、また道理ではないだろうか。何よりこうした「普遍的」な基準に立って初めて、アジアへの敵対性を克服しながら、(アジアの一部でもある)沖縄と真に連帯する道を模索することもできるのではないか(▼9)。
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そして現代。どうとらえ、どう行動していくべきか? 切り開いてていくために、「反中」巨大デモに2人で座り込んだ「ヘイトスピーチに反対する会」!
(「釣魚台/尖閣をめぐる日本の国ぐるみの排外主義に抗議します・後編(現状編)」
http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-64.html
>他方、一見してよりラディカルな主張もあります。釣魚台/尖閣を日中(or日中台)両属にしようとか、南極のように領土主権化されない領域にしようといった議論です。主唱者は、中国研究者の天児慧(早稲田大)や加々美光行(愛知大)ですが(天児「中国漁船拿捕 「脱国家主権」の新発想を」、9月25日東京新聞・加々美インタビューなど)、左派市民運動よりのブロガーや革新派の地方議員なども、こうした議論を肯定的にとりあげています(じょんのびblog「隔ての島から結びの島へ! 「無主」「両属」としての尖閣諸島(釣魚島)の構想を!」、漢人明子・小金井市議の10月4日づけ「意見書」など)。
>まず前提として、こうした「両属」論や「脱領土化」論は、ある土地をある国家が排他的に支配することをやめようという一般論のレベルにおいてならば、「最終的には」正しいということに同意できます。釣魚台/尖閣の近海で漁をいとなむ人びとのくらしを、領土国家の論理でふみにじるべきでないのはたしかなことです。ただしそうだとしても、この「最終的には」という留保はやはりはずせません。現状では日本の釣魚台/尖閣への侵略(いわゆる「実効支配」)がつづいているからです。この侵略行為も改め(させ)ることなしに、日本(政府であれ民衆であれ)が中国や台湾にたいして、釣魚台/尖閣を「共有物にしようよ」とか「脱領土化しようよ」とかもちかけるのは、なんともおかしな話ではないでしょうか。この釣魚台/尖閣問題について、日本と中国とは「どっちもどっち」の主体ではありえないのです。
>たしかに中国政府もまた、主権国家間のパワーゲームの論理にのっとって行動しています。しかしその主権国家間のパワーゲームは、ヨーロッパが世界に広め、そして東アジアにおいては日本が強力に貫徹させた(させている)ものです。もし中国の国家主義を批判し改めさせたいなら、なによりまず日本の国家主義、侵略主義、植民地主義を徹底的に批判すべきでしょう」。
(別の記事から)「また釣魚台/尖閣についても、ことの本質は、領有権がどちらの国民国家にあると正当化されるかということではなく、どの国が先に近代世界における力ずくの領土拡張(帝国主義、植民地主義)をはじめたのかこそが、この件にかんしてもっとも重要なのです」
>さて、こうした視野をもつことによって、在日中国人への迫害を扇動する排外主義者への正しい批判も可能となります。
一例として「頑張れ日本! 全国行動委員会」(田母神俊雄や「チャンネル桜」の水島総などを中心に組織された新興の保守団体)発行の「月刊国民新聞」とやらを見てみましょう。この新聞を「頑張れなんたら」はビラとして渋谷の街頭で配っていたのですが、大筋では、中国共産党がこの釣魚台/尖閣問題を機に、民間人をあやつって、あるいは民間に政府の特殊部隊をまぎれこませて、いっきょに日本を侵略しようとしている、といったことが書いてあります。しかしだからといって、またウヨはとんでもない被害妄想をまきちらしているなと、笑ってもいられません。そのなかには、中国本土からの「侵略」にあわせて、在日中国人が「戦闘」を開始し、原発が破壊され、飲み水には毒が混入され、放火や略奪がおこるなどという、とんでもない流言がふくまれています。90年前の関東大震災において、こうした悪質な流言をつうじて朝鮮人虐殺が煽り立てられたことを、つよく連想させられます。そして、前編(歴史編)でとりあげたように、いまだ虐殺ではないにせよ、在日中国人への実際の迫害は実際に起きているのです。
こういうあからさまな排外主義の扇動者はごく一部にすぎない、まともにとりあうよりも放っておいたほうがいい、という人もいるでしょう。たしかに、こうした極右議員、言論人や在特会のような排外主義市民は、活発化したとはいえ、まだ右派の本流ではありません。しかしながら、こうした排外主義極右を日本においてのさばらせるのは、いったいなにでしょうか。それは警察や政治家だけでしょうか。むしろ、前述の2のような論調を作っている人びとこそ、こうした排外主義の土壌づくりのあきらかな共犯者であるし、またそれを3のような立場において容認あるいは軽視する人がいるとすれば、それもまた排外主義への共犯性を免れられないのではないでしょうか。
したがって、わたしたちは、釣魚台/尖閣をめぐるこの国ぐるみの排外主義に対抗するための立場を以下の明確にするとともに、より多くの人びとが以下のような見地から日本の政府やメディアを批判することを呼びかけます。
1. 日本による釣魚台/尖閣の実効支配は、明治期に日本がはじめた東アジア侵略の延長線上にある。よって、日本政府はまずこの実効支配をやめ、海上保安庁を釣魚台/尖閣近海からひきあげさせるとともに、釣魚台/尖閣を清国からうやむやのうちに奪った事実を認めよ。釣魚台/尖閣の帰属の問題について日本の側からものをいうのは、その後のことである。
2. 2010年9月の中国漁船と海保の「衝突」を機に高まった日本の排外主義は、1の見地から全面的に批判されねばならない。「日本も中国もどっちもどっち」などの見地からあいまいな態度をとることなく、在日中国人への実際の迫害にたいして断固とした反対の立場を表明すべきである。
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★最後に、これらを利用した沖縄への基地押しつけと日本の軍事強化に反対していくために書いてみました。
「沖縄を踏みにじるな!」――緊急アクション実行委員会による歴史年表とQ&A」
http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/20101028
>Q8: それでもやはり中国や北朝鮮が脅威だ、抑止力は必要だ!
A: すでに述べた通り、沖縄の米軍はイラク・アフガンでの侵略部隊であり、そもそも米軍は世界最大最強の軍隊です。それが沖縄や日本各地に存在し続けていれば、他国の人々は自分たちに銃口が向けられていると思っても、おかしくないのではないでしょうか。
さらに日本はことあるごとに、中国や北朝鮮に対して、アメリカと連携して圧力や制裁などの強硬な態度をとってきています。そして今、日本海での米軍と韓国軍の軍事演習に自衛官を派遣し、韓国海域で日韓の軍事演習を行っています。政府は中国や北朝鮮を睨んでの行動だと常に示唆しています。自衛隊側(しかも米韓と組んだ強大な軍事連合)の包囲行動の実際はあまり報道されず、私たちへの説明すら行われていない。しかし中国や北朝鮮で少しでも軍事的な動きがあれば、それは日本で大々的に報道され、さらに軍事強化の必要性が叫ばれます。「脅威」はこちらから火をつけている面も大きいのではないでしょうか? 沖縄に基地を押し付け、日米安保を維持するための道具として、そういう「脅威」が持ち出されているのではないでしょうか?
多くの人は「北朝鮮や中国が東アジアの緊張の種だ」という思考に慣らされすぎています。そうではなく、米軍とそれに追従し続ける日本こそが、東アジアにおける緊張を作り出してきたのであって、そのせいで日本は孤立を深めています。確かに中国は軍事力を急速に強化しています。しかしそれは近年の話であり、東アジアで先に強大な軍事力を保持してきたのは、1952年に始まった日米安保体制による、世界最強の米軍と、やはりアジア有数の軍事力をもつ自衛隊とのタッグです。それが目の前にいるために、彼らも軍事拡大をしなければ自分たちが危ないと思い張り合っているのではないでしょうか。軍拡競争はまず自分たちからやめようとしなければ終わりませんし、沖縄への基地押しつけをやめることはその大きな第1歩にもなるでしょう。
(略)
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Q9: じゃあ、自衛隊が自主防衛をするなら良いのでは?
A: これは今後の話ではなく、既に日本政府は「日米共同声明」に盛り込まれた「基地の共同使用」の文言に付けこみ、宮古島、石垣島、与那国島に自衛隊を配備しようとしています。年表の96年に挙げた「米軍の後方支援を通した軍備強化」は、今や自衛隊が単独で東アジアを睨んだ展開をする所まで来てしまいました。今の自衛隊は米軍と多数の共同訓練を重ね、米軍と一体になって動いています。つまり、「抑止力」と称して軍事拡大や他国への威嚇を行っているのは、自衛隊も同様だということです。米軍か自衛隊(日本軍)か、ではなく、ますます一体化していく米軍と自衛隊(日本軍)こそが問題なのです。
だから、米軍同様に、自衛隊にもそうすることは許されません。もちろん現地からの反対もあります。与那国島では、自衛隊もまた地域社会をさらに不安定に変えてしまうので、地元の人々が駐留に反対の声をあげています。
今の「本土」の人々は、自衛隊をまるで人助けの部隊のように思っている人が多いですが、しかし戦前の沖縄戦で日本軍に深く虐げられた経験のある沖縄にとって、それはあくまで、勝手な戦争をする軍隊です。「本土」の私たちは、自衛隊の進出を許せば、沖縄へのより直接的な加害者になります。だから、米軍だけではなく、自衛隊の進出にも反対しなければならないのです。
そして自衛隊が東アジアで銃口を向けようとしている中国と朝鮮半島は、先の戦争で日本が侵略や植民地支配をした所です。そこで人々が日本の軍事主義の復活と再侵略を警戒するのは当然ではないでしょうか。それでも日本政府と私たちが過去を忘れ現在の軍拡を許しているからこそ、東アジアの人々は怒っているのではないでしょうか。武力は緊張を生み出すことにしかなりません。沖縄の基地の痛みへの無自覚と、「抑止力」が東アジアに与える脅威への無自覚は、根元でつながっています。
沖縄と南西諸島は古くから東アジアに対して開かれた場所にあり、それを「本土」が囲い込むことはできません。「本土」の人々がやるべき事は、「日米政府は沖縄に基地を押し付けるな!東アジアへの敵対政策をやめろ!」と声を上げ、沖縄への無関心や差別構造を終わらせ、多様な行動を作り出していく事です。それを通して沖縄や東アジアの市民との連携を広げていくことができます。自分たちの力を信じましょう、世界を変革していけるのは一人ひとりなのですから。