2010年9月27日

〈焦点〉 日中関係が戦争的緊張へ

週刊『前進』06頁(2457号5面2)(2010/09/27)

〈焦点〉 日中関係が戦争的緊張へ
釣魚台侵略居直る菅政権

 9月7日に中国領・釣魚台(ちょうぎょだい、「尖閣列島」)付近で発生した中国漁船と海上保安庁の巡視船との「衝突事件」で、日本政府・海保側が船長の逮捕に踏み切り、漁船と乗組員を石垣島に連行した事件は、日帝・菅政権の新たなアジア侵略政策とそれを支える軍事外交政策上の重大なエスカレートだ。この問題は今や日中の重大な外交問題に転化、「閣僚級以上の交流停止」に始まる「外交戦」となり、ついに中国政府は温家宝首相が「船長の即時無条件釈放」を公開の場で要求する事態となった。
 これに対し日帝・外務相の前原は「尖閣諸島に領土問題は存在しない」と強弁し、「日米同盟の深化」をめざす姿勢を強調、海保と自衛隊による現場海域の軍事的制圧度を高め、逮捕した船長の起訴すら射程に入れている。この菅政権の"対中強硬姿勢"が、極右勢力の民族排外主義を増長させていることも重大だ。東京都知事の石原は「中国はやくざと同じ」「領海を侵されて日本はなぜ(軍事行動を)やらないのか」と言い放った。こうした動きを階級的怒りで弾劾しなければならない。
 そもそも釣魚台は、日本帝国主義が1894〜95年に強行した中国侵略戦争=日清戦争で武力によって強奪したものだ。明治政府の「閣議決定」と勅令(天皇命令)で、釣魚台が「日本領土」に「指定」されたのは1895年1月だが、それは黄海海戦(94年9月)で日本海軍が清の北洋艦隊に壊滅的な打撃を与え、黄海と東中国海の制海権を握ったことではじめて可能となった。日本政府は、この日清戦争以前に釣魚台を占有したことは一度もない。まさに侵略戦争で強奪した領土なのだ。
 さらに、第2次大戦での日帝の敗戦とサンフランシスコ講和条約(1951年)で、釣魚台は「沖縄の一部」としてアメリカの施政下に一方的に指定され、72年のペテン的沖縄「返還」で釣魚台の施政権も日本に移ったというのが、日米帝国主義者の立場だ。ちなみに釣魚台列島の一角に存在する無人島、赤尾嶼(しょ)と黄尾嶼は、島全体が米軍の射爆場(現在は未使用状態)になっている。
 日本政府やマスコミが「日本は尖閣列島を実効支配している」と宣伝するのは、この侵略戦争の歴史を抹殺し開き直るものだ。そこには「領土問題」で排外主義をあおり、新たなアジア侵略政策である「新成長戦略」のために、日米同盟の軍事的飛躍に踏み込む菅政権の反動的意志がある。しかも菅政権は「尖閣」をもテコに、沖縄県民の怒りで立ち往生する辺野古新基地建設強行を狙っている。
 この問題で米帝が「尖閣諸島は日本の施政下にある。日米同盟は尖閣諸島に適用される」(クローリー国務次官補)と表明したことも重大だ。北朝鮮情勢の緊迫下で、韓国哨戒艦「沈没事件」に対抗する大規模な米韓軍事演習が黄海で準備され、中国スターリン主義が同じ黄海の青島沖軍事演習で対抗する事態は、かつての日清戦争前夜と酷似している。
 菅政権の排外主義扇動は、日中の労働者人民の階級的利益と根本的に対立する、新たな帝国主義的な侵略政策そのものだ。日帝の釣魚台侵略を阻止せよ!