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[22225] 【ネタ】恋姫†夢想 とんでも外史
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:64fa16e3
Date: 2010/09/29 17:17
※諸注意
この作品は、シリアスが続く未公開作品に息抜きを求めて、頭がおかしくなった作品です。
ギャグ物ですので、見る時は鼻くそを穿りながらご覧下さい。
なお、鼻くそを穿る時はティッシュを使う事をお勧め致します。


恋姫†夢想 とんでも外史 ~北郷 一刀 意識郡~



     ■ そして外史は始まるのだ


???「流れ星……? 不吉ね」

朝の陽光に紛れて空を切り裂く彗星を見上げて、美しい金色の髪をまとめた少女はそう言った。
揶揄でもなんでもなく、そう思った。
そしてそれが正しく、大陸に落ちた不幸だとは、流石に神ならぬ彼女は知り得ぬ事だったのである。


     ■ 荒野に立つポリエステル

目覚めた時、彼の視界に広がったのは見渡す限りの荒野と地平線。
先に見えるちょっとした山岳のようなものが、中国を連想させるが
どうにも此処に自分が居る経緯が把握できなかった。

だが、思ったほど、彼には動揺は少なかった。
それは、祖父が口を酸っぱくして教えてくれた『冷静を保つ』という事を思い出していたからかもしれない。
とはいえ、如何に冷静であろうとも、現実として荒野に放り出されてしまうと
ぼやきの一つが出てしまうのは仕方が無いだろう。

「どこだ、ここ……っ!?」

胸中をため息と共に吐き出すと、途轍もない頭痛。
一瞬にして、見たことも無い景色、人、世界が脳裏にフラッシュバックしていく。
余りに突然で、不可解な出来事の連続に、北郷一刀はついにその膝を折って蹲った。

「ぐぅっ! こ、これは……?」

脳裏には今も、間断なく様々な情報の断片が送られてくる。

『華琳!』『春蘭!』『秋蘭!』

心なしか、幻聴まで聞こえてくる。

『桃香!』『愛紗!』『鈴々!』

いや……とても幻聴とは思えない。
頭の奥底から、ガンガンと響くように訳の分からない名前のようなものを叫ばれて
一刀をその場で頭を抱えてしまう。

『雪蓮!』『蓮華!』『冥琳!』

叫びは止まず、むしろ大きくなり頭痛は治まる気配が無い。
全身に酷い汗を掻き、空いた手で胸を掻き毟る。
自分の身体に、何か途轍もない変化が起きたことだけは分かるが、それ以外は何も分からない。

『麗羽!』『美羽!』『月!』『恋!』『白蓮!』『貂蝉!』『美以!』『翠!』

そして、良く分からない危機を感じて頭がフットーしそうな一刀は、荒野の真ん中で
獣のように咆哮した。

「あ"あ"あ"あああ"ああ"ああ"ぁぁ"ぁ"ぁあ"あ"ぁぁあ"あぁ"ああ"あ"ああ"あ"あ!!!!!!」


     ■ アニキ達の幸運


誰も居ないと思えるような荒野の片隅で、三人の男が咆哮を聞き汗を流していた。

「あ、アニキ! 本当にあいつを襲撃するんですかい!?」

「な、なんか身の危険を、か、感じるんだな」

自分の隣に居る二人の舎弟の言葉に、アニキは心の中で頷いた。
ハッキリ言って、目を付けた男は近づくに連れて異常な様子なのが分かったのである。
いきなり蹲ったと思ったら、頭を掻き毟るわ胸をまさぐり始めるわ
挙句の果てに虎のような声量で咆哮を上げて
今では地面をゴロゴロと無様に転がって移動しているのだ。

ぶっちゃけ、アニキ的には既に関わりたくない相手になったのだが
曲りなりにもアニキは舎弟を二人持つ、一人の男でありリーダーであった。
ここでイモ引いちゃ格好がつかない、と思いながらも
今は地面に向かって頭突きを繰り返して唸り声を上げる男に向かうのは
なんというかこう、嫌だった。

「アニキ!」

「あ、アニキ!」

「うう……い、行く、いや……」

人知れず、一人の男を危地に追いやりながらも、一刀の奇行はしばらくの間続いた。
結局、アニキは意地やプライドよりも、保身に走ることになる。

これがこの上なく正答であったのは、彼らが知る由も無いだろうが。
アニキ達にとって、この選択は確かに幸運といえたのでは無いだろうか。


     ■ 北郷 一刀は静かに暮らしたい


「ハッ……ハッ……!」

荒い息を吐いて、大の字で寝そべる一刀。
永遠に続くかと思われた頭痛は、しかしあっさりと引いた。
いや、正確にはめちゃくちゃ苦しんで時間の感覚がおかしくなり、死を覚悟するほどの苦悶を味わったが
それでも、今では全然という訳ではないが引いている。

しかし、一刀にとって本当の戦いはこれからだった。
頭痛が引いたのは良い、ディモールト良い!
しかし、もう一つの謎の声達は止むことが無かったのである。

『もう一度、俺は帰ってこれたのか! また華琳に会えるのか!』

『やりなおせるのか、雪蓮! 今度は君を……必ず守る!』

『桃香! 愛紗! そんな……せっかく皆と頑張ってきたのに、戻ってしまったのか……っ!』

歓喜の声を上げる者、新たな決意を抱く者、良く分からないが、嘆いている者。
他にも『ああ、麗羽のやつ、大丈夫かな、心配だ……』など心配する声を上げる者や
『この辺は蜂蜜あるかな……』などと暢気な声を上げる者や
『貂蝉……くそ、お前が居ないと俺は……』と、悲観している者が
頭の中で大合唱を始めたのである。

たまらないのは、頭痛に喘いで物理的干渉を受けた一刀である。
押し寄せる幻聴が留まることを知らずに、むしろ天井のぼりだ。
ふと、声が止む。
一刀はようやく幻聴が止んだのかと、深く息を吐いた。

「なんだよ、なんなんだこr『うおおおお! 自分の意思で動けないっ!?』

『なにぃ!?』

『マジだ! 俺の身体なのに俺がうごかねぇ!?』

『どういうことだ! 俺じゃないのか!?』

『それよりも、さっきから聞こえる幻聴はなんだ!?』

一斉に喚きだした幻聴たちが、再び一刀の頭の中で騒ぎ立てる。
この時点で、温厚で優しいと言われる男、北郷一刀は久しぶりにブチ切れた。

「うるせぇぇぇよぉぉぉぉ! なんなんだよ、この声はよぉぉぉ!
 超いらつくぜぇ~~~! クソックソッ!」

もう頭のほうから聞こえてくる幻聴は、母なる地球へのヘッドバンディングでさえ退けたので
彼は怒りに任せてそのまま地面に、しこたま足を振り下ろした。
地団駄を踏むことくらいしか、今の彼に出来る抵抗は無かったのである。


     ■ 星風凛、ぶらり旅継続


「なぁ、あれは何をやっているのだろうな?」

「さぁ~? まともな神経では無い狂人かも知れませんね~」

「酷く興奮をしていますね、こんな何も無いところで……何をやっているのでしょうか」

「それは最初に私が聞いたのだが……ふむ、まぁいい、我等は先を急ぐとしようか」

「そうですね~、特に放っておいても問題は無いでしょうし、先を急ぎましょうか~」

「そうですね」

一刀を遠方からチラチラと見ながら、3人の少女達は旅の続きへと戻っていく。
ほんの少しだけ、彼が何をあんなに憤っていたのか気になりつつも
基本的に面倒は避けたほうが、旅を続けやすいことに聡明な彼女たちは気付いていたからである。

仮に、彼に構っている間に最近にあったと噂される陳留の刺士の物取りに巻き込まれては溜まった物ではない。
そう判断され、哀れ一刀は荒野に放置されることになった。


     ■ 呼称、北郷一刀意識郡


「つまり、俺は俺で、お前たちは一度、俺の前にこの世界を経験した俺って事か?」

自分で言っていて頭がおかしくなりそうだった。
ようやく冷静さを取り戻した一刀と、脳裏に突然住み着いた大勢の俺の脳内 in 俺。
脳内の俺たちも、当初から比べて随分と落ち着いていた。

暫し話し合って分かったことを纏めると、脳内に居る声達は全員が
『『『『『『『『『俺は北郷一刀、字は無いから好きに呼んでくれて構わないよ』』』』』』』』』』
と、合唱した。

誰一人として一字一句、タイミングすら狂わずに会わせてきた。
リアルサラウンドというレベルじゃなかった。
とにかく、彼らはこの荒野に突然降り立った自分と同じ名前を名乗った。

しかも、さっきから騒いでいた原因は、前にも同じ事を経験をしているからだと話してくれた。
そして、この荒野が広がる場所は、遥か昔の三国志と呼ばれる舞台であり
その有名武将たちと、脳内の北郷一刀は共に過ごし、乱世を過ごしたという。

脳内のある俺は天下を取った、ある俺は天下二分計をその手に掴みとり大陸に平和を導いた……
とにかく、脳内に居る俺の分だけ物語の数があり、活躍があり、そして結末があった。

それは、話を聞くうちに、とても作り話や嘘を言っているのでは無いと分かってしまう。
つまり、自分が極度の精神病に陥ってなければ、脳内の彼らの話は真実という事になるのだ。

「……はは、何言ってるんだよ、お前ら、正気なのかよ……」

『俺は冗談でこんな事は言えないよ』

『俺も……それに、君だってもう、疑ってなんかいないんだろ?』

脳内の彼らは、実に北郷一刀という人間を分かっていた。
そりゃあ同一人物なのだから、分かっていて当然なのかもしれないが
正直言って、自分には黄色い救急車が必要だと言ってくれたほうが安心できた。
こんなこと、とてもじゃないが受け入れられる筈が無い。

「……どうすりゃ良いんだよ、俺に、何をしろっていうんだよ」

『そうだな……とりあえず、魏、いや今は陳留の刺士をしているだろう曹操に会いに行こう』

『おい、待て、魏の。 ここは呉に行くべきだ。 曹操の傍は彼にはきっと辛い』

『いや、幽州に向かおう。 桃香なら絶対に受け入れてくれるからさ』

『なんだと、この野郎、呉も蜀も魏に負ける。 それに華琳の傍は辛くなんか無いって、自分を成長させてくれる最高の女の子だよ』

『あ? どう考えても魏の方が死亡フラグたってるだろ、それに呉だって、冥琳や祭達のおかげで成長は出来るよ』

『おい、二人とも争うなよ、魏も呉も、少し血の気が多すぎるよ』

『じゃあ俺の居た麗羽……袁紹のところにしたらどうだい?』

『『『『『それは無い』』』』』

『なっ、お前らな、麗羽だってやる時はやるんだぞ……ちょっと、馬鹿だけど、可愛いんだぞ』

『月の所にしよう、それがいい』

『ああ、月か、可愛いよな、守ってあげたくなるっていうか』

『『『『そうだな! 特にあのメイド姿が!』』』』

『じゃあ月のところに……』

『俺としては、もう一度白蓮を助けてあげたいな……』

『え、お前、白蓮の陣営だったのか?』

『ああ、白蓮……一所懸命でさ、支えてあげたくて、頑張って大陸の半分は取ったけど
 最後の決戦で俺は死んだから、どうなったのか分からないけど、な』

『『すげぇ! 詰みの状態で良く大陸の半分を……』』

『……今の俺なら、きっとその位は』

『呉は寝とけ、夢でなら勝てるかも知れないから』

『売ったなこの野郎、買ったぜ魏の!』

『やめろよ! 見苦しいぞお前ら!』

『蜀の、お前はちょっといい子過ぎるだろ!』

『なぁ……皆、南蛮は』

『『『『『『あそこは暑いからな、嫌だよ』』』』』』

……シリアスに悩む一刀(本体)を他所に、わいのわいのやり始める脳内俺達。
この会話で気付いたが、魏と呉の仲がすげぇ悪い。
いや、気にするのはそこではなくて。

「あのな、一言いっとくけど、曹操とかなら分かるけど真名……?だっけ。
 それで話されても俺には全然わからないぞ」

『そうだったな、俺達はこっちで慣れてるから……』

『それに、俺は呼んでも良いって言われた子以外の真名は呼んでないからな、一応』

『『『『『『まぁ、基本だよな』』』』』』 

「ぜってーお前らこの時代に染まってるよ!?」

『……へへ』

「照れるなっ! 別に褒めてねぇし!?」

なんだか悩むこと自体が無駄に思えてきた一刀(本体)である。
良くも悪くも、脳内に住み着いた俺達のおかげで、寂しく無かったというのもある。
そこまで考えて、一刀(本体)は現実に帰れたら、医者にかかる必要があるのではないかと本気で心配したのだが。

『それより、ここに何時まで居たってしょうがないよな』

『そうだな……それで、俺を動かせる俺は、何処へ向かうんだ?』

「俺は……そうだな」

脳内の俺達の会話を聞いていて、一つ疑問に思ったことがある。
魏や呉、蜀を初めとして、大きな勢力の名前は一通り上がった。
けれど、今現在のこの国の名を挙げる人物は一人としていなかった。

「なぁ、一つ聞いていいか?」

『『『『『『『『『ああ』』』』』』』』』

「三国志ってことは、帝って……いや、漢王朝はあるんだよな?」


      ■ 曹操、荒野で将星を見る


既に時刻は夕刻を過ぎ、夜の帳が落ちようとしていた。
結構な数の兵も動員したというのに、結局犯人はおろか、手がかりすら掴めなかった。
完全に見失ってしまったのである。

知らず、彼女は唇を噛み締めて握る拳は震えた。
それは、珍しく彼女の失態であったからだ。

「華琳様」

「春蘭、戻るわよ」

「……御意」

それだけ言うと、華琳は馬へと跨り、荒野を駆けた。
過去は戻らないのだ。
この失態は必ず取り戻す。
気持ちを切り替えるように、手綱を握る手がふいに緩まる。

「華琳様、どうされました?」

「……秋蘭、あれは何かしら?」

「は……」

尋ねられた秋欄と呼ばれた女性は、華琳の視線の先に顔を向ける。
少し小高い丘の上で、一人の青年が岩場に腰掛けて夜空を見上げていた。

黒い髪に、見たことも無いような白い服をその身で包み、ともすれば何処かの良い所の貴族のようにも見える。
やや、泥に塗れた格好ではあったが、それがワイルドな雰囲気を醸し出していた。
その横顔は、少し憂いを帯びており、こう言っては珍しいと言われてしまうだろうが、少し格好いいとも思った。
暫し秋蘭と呼ばれた少女は男を見やっていたが、華琳に尋ねられて居た事を思い出すと、簡潔に言った。

「男のようです」

「……ふふ、少し鬱憤を晴らす機会が訪れたかしら、行って見ましょう」

「あっ、お待ちください華琳様! 一人では危険です!」

ああ、また悪い癖が出たのだろうか、と秋蘭は思いながらも
前を駆ける華琳と自身の姉、春蘭に追いつくために、一つ手綱を引き絞るのであった。 


     ■ 証明式:種馬*n=xxx


その頃、北郷一刀の意識郡は、洛陽へ行く道すがら、小高い丘で休憩を取っていた。
そして、脳内で花を咲かせていたのである。

『な、だから俺はその時にゴマ団子を持って行ったんだよ』

『へぇ』

『それで、どうなったんだ?』

『はは、俺の浅はかな考えに甚く嬉しがってくれて、いい雰囲気になったよ』

『押し倒したのか?』

『『『『『『え、合意も無しに押し倒すとか、駄目だろ』』』』』』

『なんだそれ、話聞く限り、雰囲気的に押し倒せるよ、その位の勢いがないと』

『しかし無の、俺としては押し倒すよりも押し倒される方が、その、萌える』

『俺も俺も』

『だよな』

『でも、押し倒すのも楽しいかもな』

『あー、そういえば麗羽は押し倒されたい願望が地味にあったなぁ』

『『『『mjk』』』』

『まぁ、むこうの麗羽はね、此処ではどうだか分からないけど……』

「なぁ、童貞の俺に、そういう話をするの、無遠慮だと思わない?」

本体が身体全体に影を作りながら力なく呟いた。

『『『『『『『『『大丈夫だよ、俺達がついている』』』』』』』』』

「納得していいのか疑問だ……」

『……よし! やっぱ帝なんて良いから魏に行こう!』

『今の話で盛りやがったな、魏の』

『うるせぇ! どうせお前ら全員そうなんだろ!』

『『『『『『『『ふっ、まぁな』』』』』』』』』

童貞(本体)は、このハモリに本日二度目の怒りを爆発させた。

「うぜぇええええええ! リア充共爆発しろっ!
 俺だって、俺だってやってやる! ヤッテヤルぞ!」


      ■ 華琳様の正しい直観力


「っ!?」

突然立ち上がり、丘の上で咆哮する男。
その余りの剣幕に、華琳は一瞬とはいえ身体を硬直させた。
そして、硬直が解けた瞬間に気付く。

何か、嫌な汗が吹き出るのが止まらない。
全身に寒気が走り、絶対的な本能から警告が発せられ華琳の身体に命令し、彼女はその場で反転した。
走る勢いを殺さずに、しかして馬に負担もかけずに反転した様は流石に見事であった。

「えっ!? 華琳様!?」

「なっ! 華琳様!?」

これに驚き、慌てて馬首を返す羽目になったのは華琳の背中を追っていた春蘭と秋蘭である。
一目散に、まるで一騎当千の猛将に追われる総大将の如く、背を向けて馬を走らせる華琳。

ようやく追いついた春蘭がその顔を覗き込むと、なぜか頬を染めつつ顔面を真っ青にし、唇を震わしているという
器用な表情をした華琳を見ることになった。
その敬愛の精神から、春蘭は主の様子に不安を募らせて声を上げる。

「どうしたのですか! 華琳様! ご気分が優れないのですか?」

「やばいのよ、春蘭……あそこに居たら、何かヤバイという直感があるわ!
 頭から爪先まで食われる自分が脳裏に過ぎって消えない!
 に、逃げなくちゃ! 逃げなきゃ食われるわっ!」

「な、速っ!? 華琳様! 華琳様ぁぁぁぁぁーーーー!」

後に、華琳こと、曹操は語った。
占いも何も信じないけれど、あの場に居た北郷は何か得体の知れない化け物に見えた、と。
そして、彼女の感覚はおそらく、正しかったことだろう。

■ 外史終了 ■


今回の種馬 ⇒ ★★★~種馬*N=XXXの計算式は成立すると強く思うよ編~★★★

以下検閲 ⇒  ☆☆☆~桂花の大罵倒祭が全部逆の意味に聞こえてくるよ編~☆☆☆

         ☆☆☆~音々音の膝裏から足首にかけて白蟻が行進するよ編~☆☆☆

         ☆☆☆~本体が我慢の限界を迎えて詠ちゃん、チャンプル編~☆☆☆

         ☆☆☆~桃香の素敵双子丘にデルタフォースが谷間から候編~☆☆☆

         ☆☆☆~董の子の宮は群がるおたまじゃくしが大胆包囲網編~☆☆☆

         ☆☆☆~愛紗の美髪が棒をこすって活火山が鳴動したよ編~☆☆☆




―――――――――――――
☆☆☆~10秒で考えた僕の一刀意識郡の詳細だよ編~☆☆☆

[本体] 今外史の主人。   種馬予定。
[魏の] 魏ルート一刀。    種馬経験。
[呉の] 呉ルート一刀。    種馬経験。
[蜀の] 蜀ルート一刀。    種馬経験。
[無の] 無印一刀。      種馬経験。
[仲の] 袁術ルート一刀。  種馬経験。
[袁の] 袁紹ルート一刀。  種馬経験。
[董の] 董卓ルート一刀。  種馬経験。
[肉の] 貂蝉ルート一刀。  貂蝉経験・卑弥呼経験。
[南の] 南蛮ルート一刀。  種馬経験。
[馬の] 馬家ルート一刀。  種馬経験。
[白の] 白馬ルート一刀。  種馬経験。


これは、12人の北郷一刀が合わさって最強になった、妖刀『黒光り』で外史を制する物語である。

「神は言っている……一発ネタで終われと……」


※  続ける気はありません。
※  桂花タン愛してる。

※  華琳様の真名を間違えるという重大なミスが……
    これで桂花タンに罵られると思うと……下品な話ですが、フフ……
    勃起……しちゃいましてね……
    訳:(修正しました)



[22225] 桂花の大罵倒祭が最終的に逆の意味に聞こえてきたよ編
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:64fa16e3
Date: 2010/09/29 17:17
【ネタ】恋姫†夢想 とんでも外史
  

clear!!     ~種馬*N=XXXの計算式は成立すると強く思うよ編~

今回の種馬 ⇒  ★★★~桂花の大罵倒祭が最終的に逆の意味に聞こえてきたよ編~★★★



 
      ■ 己を知れば


今、陽光にきらめく白い服を身に纏い、ようやく街道と呼べる位に
整備されたっぽい道を、北郷 一刀は歩いていた。
何日かを荒野で過ごし、慣れない野宿でやや憔悴した感はあるものの
足取りはしっかりとしており、案外と動けている。

しかし、考えてみてほしい。
普通に現代社会で暮らしていた高校生が、野ざらしの荒野で夜を明かして
それが数日に続いても、まともで居られるだろうか。

少なくとも、足取りはしっかりした物にはならないだろうし
下手をすれば水や食料を確保できずに死に至るといった可能性だってあっただろう。

そんな一刀が、今でも元気に動ける理由は
ここへ来てからずっと、彼を悩まし続ける脳内の声のおかげなのであった。

『しかし、良かったよ。 “南の”がサバイバルスキルを持っていて』

『本当だね、まさか荒野でこのまま野垂れ死ぬかも知れないだなんて、思ってなかった』

『俺の時は、すぐに袁紹達が来たから……』

『俺の時も、すぐに桃香達が……そういえば、あの時は賊に襲われたんだよなぁ』

『俺の場合は、気がついたら軟禁されてたよ。 美羽がお馬鹿で助かったけど……』

『へぇ……』

そう、本体の一刀は、脳内に居る一刀達の助けを借りて荒野を踏破したのだ。
脳内に居る一刀達は、本体の一刀と比べて、乱世を一度駆け抜けただけの経験を持っている。
本体には出来ないだろう、漢文古語の文字だって読めるし書けるし理解できるのだ。

その辺のチンピラくらいなら一蹴できる位の実力だって身についている。
ただ、この実力は脳内での一刀の話なので、現状は邪気眼に目覚めたといったところだろう。
現代で剣を習っただけでは決して身につかない、本当の命を賭けた戦いという物も知っている。

まぁ、そんな頼りになる“自分”の手助けを借りながら
色々と知恵を拝借しながら頑張っている本体である。

「で、俺は、俺達が頭の中に入ったところからスタートか……」

『『『『……』』』』

「俺も、女の子に保護されたかったな……はは、まぁ今更だけど」

『『『『本体……』』』』

「なんだろう、この自演臭。 なんか涙が……」

この時、本体は脳内の自分たちに哀れみの感情を抱かれたと思っていた。
だが、実際には違った。
何気なく本体が言った事だが、“俺達が頭の中に入った”という言葉に動揺したのである。
それは、脳内の一刀達が出来る限り考えないようにしていた事だったのである。

なぜならば、それは本体に限らず、全員が思っていたことなのだ。
何故、俺は北郷 一刀の意識体の一つになっているのだろう、と。


      ■ 第一回 北郷 一刀 リアル脳内会議


脳内の一刀達は、本体が眠るとゆっくりと口を開いた。
この会議を知らないのは、本体だけである。

『とりあえず、仕切らせてもらうよ。 進行役が居ないと、やりづらいだろうからね』

『『『『『『『『『『分かった、任せる』』』』』』』』』』

『とりあえず、本体を覗いて11個の意識があることは、何となく分かる。
 俺の予想だと、それぞれ陣営が違うみたいだけど、自己紹介からしようか
 そうだな……とりあえず、俺は魏の曹操達が居る所に落ちた、“天の御使い”だ』

『呉、孫策のところからだ』

『俺は蜀。 落ちたところは、幽州だったけれどね』

『俺は馬家のところ……西涼からだよ』

それぞれの出身を、短く答えていく。
実際に顔があるわけでもないので、誰がどの意識体なのかは分からないのだが。
“無の”紹介の時に、蜀から二人も? という疑問が上がったが
どうやら、辿った道は随分と違うらしい。

驚くことに、“無の”は“蜀の”と違い、自らが御旗、総大将となって
数多の勢力を打倒し、大陸を統一に導いたという。
しかも、劉備が居ない三国志だというのだから驚きだ。

この本体が来た世界も、もしかしたら“無の”世界と同じように
誰かが欠けているのかもしれない、と脳内の一刀達は不安を募らせた。

『まぁ、とにかく、あなたが最後だ』

『うん、みんな、不安になるのも分かるけど、先に自己紹介の方からすませよう』

『で、あんたは何処の陣営だったんだ? いや“無の”みたいに違う世界から?』

『俺は……強いて言うなら、漢かな?』

『漢? まさか……漢王朝か?』

誰もが一瞬、言葉につまり、最初に立ち直った“白の”が驚きつつもそう尋ねた。

『いや……なんていうのか、噎せ返る漢臭っていうか』

『……おい、ちょっと待て、俺は今、意識だけの存在なのに猛烈な寒気に襲われてるぞ』

『“無の”、大丈夫か?』

『なんだか要領を得ないな、というか漢臭ってなんだ』

『うーん……イメージが伝えられれば楽なんだけど、やってみるか』

『待て! やめろ! 馬鹿! 早くもこの意識郡は終了ですね』

“無の”の懇願にも似た叫び声も空しく、“漢の”から発せられるイメージが
脳内の一刀達に流れてゆく。
そのイメージを掴んだものから、意味不明な寄生を上げながら闇へと帰っていった。

イメージを具体的に言えば、XXX、XXXXXXどころか、もはやXXXXXXXXだった。
更にそのXXXがXXXに宛がわれ、XXXXXXXXXXX、常人ならば正気を疑いそうなXXX。

これが、記念すべき第一回 北郷一刀 リアル脳内会議の顛末である。
結局、この会議ではただの自己紹介だけで終わってしまった。

後日、“漢の”から溢れ出る、地獄極楽落としのようなイメージ映像に耐え切った“無の”は
『『『『『流石に大陸を完全に統一した男だ、胆力が違うぜ……』』』』』』
と、自画自賛し、逆に“漢の”に対して
『『『『『お前は“漢の”じゃなくて“肉の”にするべき』』』』』
と、最大の自己嫌悪を送ったのであった。


      ■ 木陰に見つけた王佐の才


『なぁ、“白の”。 お前ならこの立地だと、どう戦う?』

『そうだな……見えてる限りだと、西に陣を敷きたくは無いな』

『どうして?』

『“袁の”、俺の場合は白蓮の所だったからな。 西は騎馬隊が動くには少し狭い』

『あ、そうか』

『歩兵が主部隊なら西は悪くない。 敵の騎馬を誘い込めれば、擬似的な死地を作れると思う』

『俺なら南の丘で出来る死角を利用するな。 あそこに罠を仕掛けられれば効果が大きいと思う』

『“呉の”、それはちょっと条件が都合よすぎないか?』

『答えがあるなら聞こう』

『あ、じゃあ俺だったら―――』

『『『『『『『『『『ちょっと“肉の”は黙っててくれ』』』』』』』』』』』

『ひでぇよお前らっ!?』

何時もどおりの脳内会話をBGMに、本体はただ只管に街道を西に向かって歩いていた。
道中、何度か人に出会ったのだが、いずれも馬上で移動しており
声をかける暇も無く過ぎ去って行ってしまった。

唯一、良い事があったと思える事があるとすれば、ポケットの中に収まっている
この世界のお金である“古銭らしきもの”を道端で拾えたことだろう。

脳内が、騎馬300、歩兵600、弓200の条件で想定したこの場所での戦闘シミュ戦をお題に
良い感じに議論をヒートアップさせていた頃。
本体はやや小高い丘に佇む、大木の木陰で休む人影を捉えた。

遠目から見ても、その体は小柄だと思える。
猫のような耳のついた帽子を頭から被り、背負った荷物を脇に置いて
懐から水筒のような物を取り出して喉を潤わせていた。

とても賊には見えない。
もしかしたら、この世界で自分以外の存在と初めて会話出来るかも。
そんな淡い期待を抱きつつ、本体は近づいてみることにした。

『やっぱ南に罠をかけるのは賛成だな、俺なら……ん? 本体、あの子は』

「あ、気がついた? いや、人を見つけて『桂花っ!』……ハ?」

『うおおおお! 桂花だ! あの猫耳頭巾! 首もとの黒いリボン! 間違いねぇよ!
 アハハハハ! 桂花だぁぁぁぁぁぁ!』

「ちょ、え……おぉぉぉぉい!? 何だ! 何したお前っ!?」

ここで、本体は異変に気付く。
自分の身体が、勝手に動くのだ。
これはどういう現象か。
歩いて近づこうとしていた北郷 一刀の肉体は、“魏の”興奮に引っ張られるかのように
少女の元へと向かって加速していく。

速い。
まるでカール・ルイスの全盛期のようだ! 
意思に引っ張られて、両足が悲鳴を上げながら高速で回転していく。

自分の意思で動かない、自分の体に本体の一刀は顔を強張らせた。
完全に引きつった顔が、風に煽られて、それはもう一部女子の間でイケメンと噂された一刀の顔が
クリーチャーのような表情に変わっていく。

そんな中、最後の丘を越えて、本体の一刀は桂花と呼ばれた腰を浮かし
警戒態勢にある猫耳頭巾少女と、目が合った。


      ■ 上唇、揺れて


どこか、遠い所から駆けるような音が聞こえてきて、彼女は辺りを見回した。

ダッダッダッダッダッダッダッダダダダダダダダダダddddddddddd

最初は馬の蹄が鳴らす音かと思ったが、どうにも音の種類が違う。
辺りを見回しても馬を走らせる者などは居なかった。
若干、不安を感じて彼女は腰を浮かせて、いつでも移動できるように荷物に手を置いた。

その、瞬間だった。

唇が風圧でブルンブルンと揺れて、目から歓喜の涙を流し、勢いに負けて上半身を反らした
北郷一刀が突然に現れたのである。

「あぶぁっ、あ、あぶぶぶぶ」
「き、きゃああああ!」

『あ、やば、こんな近いなんてっ!?』

気が付いた時には、少女はもう顔を背けて来るべき衝撃に備える事しか出来なかったのである。


      ■ フェミニストな奴ら


タイミング、角度、両者の距離……激突は、確実かと思われた。
荀彧という(見た目)可愛らしい花を傷つけることを良しとしない、全ての北郷一刀が瞬間的に意思を統一したのである。

“荀彧-桂花-少女”にぶつかる訳には行かない。
北郷、避けろー!! と、怒声の如く脳内で自分を叱咤する大合唱が起こり
この時だけは全北郷が一致団結したのである。

かくして奇跡は起きる。
完全に直撃のコースだったが、まず胴体が軟体動物のようにグニャリと右に逸れた。
更に、足を限界まで伸ばすことによって、胴体部、脚部は完全に桂花の横を通り過ぎるコースに変わったのだ。

だが、しかし。
顔。
そう、顔だけがどうしても言う事をきかない。
余りの速度に仰け反らせていた分だけ、顔だけは挙動に一手、遅れを取ったのだ。

「いっ……!」

少女の声が、真下から響く。
動かなかったのが顔だったのが幸いした。
そう、少女が僅かに腰を下げたことで、顔だけが元のコースでも激突しない唯一の場所になった。

奇跡。
安っぽい奇跡と言えば、そうかもしれない。
彼女を巻き込んで、怪我をさせるという事態にならなくて本当に良かった。

“魏の”以外の一刀は、その事実に安堵したのである。
こうして北郷は、少女と激突せずにすれ違う事に成功した。


      ■ 主観が呼び名の決まり手なのだ


本体は、ようやく自分の意思で体を動かせるようになったのを自覚する。
だが、少女の方に振り返ろうとして腰砕けした様によろけてしまう。
やはり、あの走る速度は異常だったのか、10分間の間に100Mダッシュを
30本くらいこなした後のような、とてつもない筋肉疲労に襲われていた。

とにかく、体は動かないが、なんとか今の出来事を弁明しようと一刀は口を開き

「ファー……ブルスコー……ファー……」

としか、声に出すことが出来なかった。
ついでに、限界を迎えて蹲り

「モルスァー……ファー……」

口から漏れ出る奇声が、自分の物と気付いて、一先ず息を整える事を優先する一刀。

「ひぃぃぃぃぃぃ!?」

その一挙手一投足に身体を強張らせて、後ずさる少女。
情けないことに、彼女は腰が抜けて立てない状態であったので
即逃げるという行動が取れなかったのである。

「あ……何なのよ、あ、人……!? しかも男……わ、私、私をどうしようって言うの―――」

相手が人間であることを、ようやく把握した少女はそこまで言いかけて
見てしまった。

何とか気合で振り返った、一刀の口元に光る、茶色い糸のような物を。
それは、ちょうど良く陽光に反射して、キラキラと光っていた。
糸は一本ではない。
それを見て、無意識下の中、少女は自分の頭部に手を当てる。

ヌチャァ

「なっ……ななな、な、な、何よこれぇー!?」

少女が自分の頭部に手を当てると、何か液体のような物がベットリと張り付いていた。
手を目の前に持ってきて、その不審な液体を本能からか、嗅いでみたりした。

唾液である。

その事実に気がつき、悲鳴を上げようと少女が息を吸い込んだ時と同時。
ようやく、息が整って動くことが出来るようになった北郷一刀が、少女に一歩近づいた。

「ハァ……ハァ……け、怪我は……ハァ、ハァ、無かったかい?」
『大丈夫か、桂花! すまん!』

自分の頭部をすれ違い様に舐め(桂花視点)
口に咥えて髪を貪り千切り(桂花視点)
荒い息を吐き出しながら近づいてくる男(桂花視点)

しかも、所々で筋肉らしき肌がビクンビクンと鳴動している。
それは彼女にとって、変態としか言えなかった。
男 + 変態性 + 血管ビクンビクン = 全身精液野獣男。
証明完了、脳内で弾き出した言葉を吐き出すのに問題は無い。

オールグリーン、発声OK! GO! GO! GO! GO!
少女が限界まで吸い込んだ肺の空気が、爆発的な勢いで外界に飛び出した。

「いやああっぁぁぁぁ、全身精液野獣お下劣男に犯されるぅぅぅぅぅぅ!」

『ああ……本当に桂花だ……、こんなに嬉しいことはないよ』

とんでもない声量で周囲を響かせる少女の悲鳴が轟く中で
場違いな感想を抱いた脳内の一刀。
本体の一刀は、今日初めて、肉体の無い意識体を力の限り殴りたくなったのだった。


      ■ 男に流す涙


「これが大丈夫に見えるの!? ちょっと、こっちを見ないでよ! 変態!」
「最低……っ! ほんっっと最低っ!」
「全部あんたのせいよ! 死になさいよ! 馬鹿っ! 低脳っ!」

彼女が悲鳴を挙げた理由は、すれ違った時にたまたま口の中に含んでしまった
彼女の髪の毛のせいだった。
違和感を感じて吐き出した時に一刀は少女の髪を貪っていた事実に気が付いた。
突然現れて息を荒げて彼女の髪の毛を口に銜えながら近づく男。

少女が叫ぶように、変態である。
どう頑張っても変態という言葉を否定できる要素が無かった。
だからこそ、本体一刀は彼女のあらん限りの罵声をその身に受け止めているのだが。

「ちょっと! 人の話を聞いているの!?」

「あ、ああ、聞いてる」

「こっちを見るな! 視線で犯すつもりなのは知っているんだからっ!」

「いや……」

「しゃべるな! 息するなっ! 汚らわしいのがうつるっ!」

「……」

もはや取り付く島も無かった。
これは、彼女の怒りのほとぼりが冷めるまで、待つしか無さそうだった。

『はは……この時から全然変わらないな、桂花』

(なぁ、彼女は一体何者なんだ? 知り合いってことは武将?)

『ああ、彼女は荀彧だよ。 王佐の才と言われ、曹操に重用された軍師、その筆頭だ』

(うおっ、有名人だ! そうか……これがあの荀彧……)

「何よ、いきなりこっちをジロジロと……ハッ! あんた、まさかっ!」

しまった、と思ったときにはもう遅かった。
再び烈火の如く吐き出される罵倒のマシンガンに、本体一刀は流石に辟易した。
当然、そんな態度も荀彧に認知されて、罵倒の時間が長引くのだが。

『いや、本体、これでも彼女は素直になれない毒吐きでもあるんだよ、きっと、多分』

一方で、“魏の”は感動もそのまま、桂花の懐かしささえ覚える罵倒に酔いしれていた。
別に“魏の”がドMな訳ではない。
桂花も、華琳と同じように特別な感情を抱いている愛しい人の一人なのだ。

こうして出会えて、嬉しくない訳が無かった。
たとえ、再会であるそれが罵倒の嵐であっても。
自分はただの意識体で、本体である一刀を隔てての再会であったとしても、だ。

むしろ、その罵倒の意味が、“魏の”にとって微笑ましく思えてくるのだ。
時に、桂花の行き過ぎる罵倒は人を不快にさせてしまう。
だが、それは彼女の本心を隠す為の隠れ蓑であるとも、“魏の”は前の世界で消える直前に考えた事がある。

もしかしたら、それは“魏の”の勘違いかもしれない。
桂花本人に直接聞いたところで、まともな答えなど返ってこないだろう。
だから、この感情は“魏の”にとって自己満足に近い物なのかもしれない。

そんな想いが胸を(無いけど)満たしていたからか、気がつけば“魏の”は自然に口が動いてしまった。
最悪なことに、本体がそれを素直に反映してしまった。

「桂花……」

「っ! な、あんた……私の、真名を……っ!」

『馬鹿野労! 何やってんだ“魏の”!』

『え……俺、今喋って……どうして本体の口が!?』

「許さない……許さないわっ、襲われるだけでも万死に値するっていうのに……
 何処で知ったのか分からないけど、わ、わ、わ、私の真名まで呼ぶなんてっ!」

『おい! 何とかしろよ、“魏の”!』

『幾らなんでもこれはやばいよ! 今の荀彧は、“北郷一刀”なんて知らないんだぞ!?』

『どうするんだよ!』

騒ぐ脳内一刀の喧騒を聞きながら、本体である一刀は荀彧を真っ直ぐ見つめていた。
純粋な怒りを込めて見返してくる、その目。
その彼女の目から、確かに一粒の涙が毀れたのを、一刀は見た。
本体一刀はその時、本当に真名という物の意味を知った。

「殺してやるっ! 荀文若の誇りにかけて、必ず殺してやるからっ!」

『「待ってくれ!」』

踵を返して駆け出そうとする荀彧の腕を彼は掴んだ。
このまま喧嘩別れをしてしまうだなんて、悲しすぎる。
しかも原因は、自分ではなく脳内の自分なのだ。
せっかく出会えた、この世界で最初の人と本体一刀は仲良くしたかった。
だからこそ、“待ってほしい”と願った。

一方で“魏の”も、ここで桂花と別れることなど許容できなかった。
彼女の罵倒する姿が、自分の知る桂花とまったく一緒で、感極まってしまったからとはいえ
今、この世界に居る“一刀”は荀彧すら知らないのだ。
それを分かっているのに、迂闊に真名を呼ぶなど、愚か過ぎて死にたくなる。

このまま放っておく事など無責任に過ぎるし、何より桂花に嫌われたく無かった。
ちょっと、手遅れかも知れないなどと思いもしたが、それでも諦めずに
“待ってほしい”と願った。

「触らないでっ! 放しなさいよ!」

「俺が悪かったよ、だから待って……落ち付いてくれ!」

『頑張れ本体! フレーッフレーッ、HO・N・TA・I!』

(やかましいっ! 黙っててくれ!)

「あんたなんかと、一秒だって居たくなんかないのよ! いやっ、やめて、やめてよ……!」

『桂花っ……!』

一刀を振り払おうと、暴れる桂花は恐怖からか、それとも悔しさからか
僅かとはいえ涙を零し頬を濡らしていた。

ああ、何と馬鹿な事をしでかしたのだろう。
自分の浅はかさが招いた事とはいえ、こんな結末は酷いのではないか。
俺の、俺のこの想いが少しでも良いから桂花に伝われば!

こんなにも、“魏の”一刀は桂花を想っているのに!


      ■ 男に流す涙 2


気がつけば、全身精液ケダモノ男は桂花の腰に手を回して引き寄せた。
流れる景色が、荒野だけを映して、桂花は諦観する。
なんだ、こんなところで世界一気持ち悪い男に
無遠慮に真名を汚した最低男に、犯されてしまうのだ、と。

男の胸に沈み込む。
その感覚に寒気と吐き気を覚えて、桂花は身体を震わせた。

「桂花―――」

そうして、もう一度、男によって真名を汚され聞かされた瞬間。
世界は彩を失って、桂花は白昼夢のような浮遊感に身を包まされた。
そして、何かが桂花に流れてくる。

それは、洪水にも似た怒涛の奔流で、押し寄せてくる物が何であるかも桂花は把握できない。
訳の分からない感情が爆発しそうで、頭が真っ白になってしまう。

気がつけば、桂花はいつの間にか男の拘束から逃れて
案山子の様に突っ立って居たのである。

「ちょ、ちょっと……何、したの?」

「……何も、ていうかその、ごめん」

まるで仙人が使うと言われる、幻術か何かのようであった。
何かとても大切で、尊い出来事を体感したような気がするのに
それが何なのかはまったく理解できなかった。

理解が出来なかったのに、瞳は潤み、頬を伝って滴が零れる。

男の腕に抱かれた、とか、真名を呼ばれた、とかよりも先に
桂花は尋ねた。

「あんたって、何者なのよ……」

「それは、なんというか……」

得体の知れない物を見るように、桂花は一刀を見た。

見た事も無い男だ。 それは間違いない。
いくら男に対して、九割以上がジャガイモにしか見えない桂花でも
こんな目立つ白い服を着ていれば、記憶の片隅に残っていておかしくない。

そんな初対面のはずの非常識極まりない男は、先ほどの不可思議な体験を境に
桂花にとって、それほど側に居て不快な存在ではなく、むしろ目の前の男の事が
もっと知りたいと言う欲求に変わっていった。

そう、この男は殺したいほど桂花を穢したにも関わらず、それを置いても男を知りたいと―――男を、知りたい……

「って、そんな訳ないでしょっ!」

「うわっ、ど、どうしたんだいきなり!?」

「なんでもないわよ! とにかく、質問してるんだから答えなさいよ!」

(こんなイレギュラーばっかり、俺にどうしろってんだよっ!)

一刀は、勢いで荀彧を抱いた“魏の”に呪詛のような愚痴を心の中で呟いてから
この場を切り抜ける為に口を開いた。
荀彧がそれほど暴れずに案外と冷静だったのが、せめてもの救いだった。

「えっと~その、だな、あ~」

「……」

「俺は、北郷 一刀! 天からの御使いだ!」

やや、ヤケクソ気味に語気を強めて言い放った一刀。
それを聞いた桂花の眉根が、ぐにょん、と危ない角度に曲がる。

「何よそれ、馬鹿にしているの?」

「本当だ! えっと管輅? の占いだよ、有名だ……よな?」

だんだんと自信がなくなって来た本体一刀の言葉は、途中で力を無くしていく。

「管輅……? 誰よそれ、聞いたことも無いわ」

(おい、有名な占い師で天の御使いを予言したんじゃなかったのかよっ!?)

『いや、予言したのは間違いないし、俺たちの世界では有名だった』

『ここは、どうやら前の世界と相違点があるらしいな』

脳内で傍観に徹している一刀達が補足をしてくれる。
彼らの居た世界と、この世界は若干のズレが生じているらしい。

「……天の御使い、ね」

「はは、納得した――」
「しないわよ、ええ、全然これっぽちも出来ないわよ!」
「うわっ、ごめんっ!」

「いいわよ、気勢も削がれたし、あなたがもう何もしないなら
 今日の事は無かったことにする。 私も忘れる。 貴方も忘れる。
 今日という日は存在しなかった、分かった?」

「……分かったよ、本当はこんなつもりじゃ無かったんだけど」

言いながらも、一刀はほぅ、と安堵の息を吐いた。
改めて思い返しても、荀彧には在り得ない事の連続を“魏の”馬鹿がやってしまった。

ざっと思い返すだけでも
走って激突しかける、髪を食う、鼻息荒く迫る、真名を呼ぶ、抱く。
これだけの事を僅かな時間、高密度で次々と繰り出したのだ。

……え? 
何でこれで許してくれるんだ?
おかしくないか?
などと自問自答している間に、荷物を背負って、荀彧は歩き始めていた。

遠くなる背中を見えなくなるまで、一刀達は見守っていた。

『おい、本体、“馬鹿魏の”、もう終わった事だ、俺達も行こう』

「……ああ」

『桂花……また、会ったら、その時はちゃんと話せるといいな』

『全部自分のミスだろ。 本体が可愛そうだ』

『……ごめん、気持ちが逸って、どうしようもなかった……すまなかった』

『……いいよ、もし最初に俺が麗羽に会ったら、似たようなミスをしてたかもしれないし』

『俺は、そんなミスはしない……』

『“呉の”、それが孫策でもか?』

『……“魏の”奴よりは、マシだよ』

「なぁ、どうして俺、真名を呼んだのに許されたんだ?」

『分からない。 気紛れ……ってことはないか。 “魏の”が何かしたのかもしれん』

『俺には好機とばかりに、抱きついたようにしか見えなかったけど』

『『『『『『『俺もだよ』』』』』』』

「……そういえば……柔らかかったな」

『『『『『『『『『『ああ……柔らかかった』』』』』』』』』』

『コホンッ……じゃあ、天の御使い説を信じたっていうのは』

『あの魏の軍師、荀文若がか? ないだろ』

『……俺の想いが伝わったとか』

『おーい、“肉の”。 “魏の”がイメージを受信したいらしいぞ』

『よし、任せろ』

『うわなにをするやめろ』

「行くか」

短く呟いて、本体一刀は歩き出した。
そして、自分の体が“魏の”意識体に引っ張られて動いた事実に不安を募らせつつ
それを考えないように、ひたすら足を前に動かし街道を西に進んでいくのだった。


      ■ 二人の距離、まだ5歩以上


前を、一人の少女が歩いている。
いや、回りくどく言うのは止めよう。
今、本体一刀の前に、先日出会った荀彧こと猫耳フードが頭を揺らして歩いている。

どうも、選んだ道が重なったようで、彼女も一刀達と同じ場所に向かっているようだ。
黙々と前を見据えて歩いていた一刀と荀彧であったが
ふいに荀彧が立ち止まり、鬼の形相で振り返って一刀を睨んだ。

「……」

「や、やぁ……偶然だね」

「~~~!」

再び顔を前に向け、先ほどよりもやや早足で歩き出す荀彧。
別段、急ぐ必要も無いのでゆっくりと街道を進む一刀。
しばらく進むと、丘の影に隠れて荀彧の姿は見えなくなる。

『いいのか? “魏の”』

『今日は一日、“魏の”は反応が無いんだ』

『え、そうなのか?』

「いいよ、きっと昨日のことでも反省してるんじゃないかな
 そっとしておこうよ」

『ああ、鮮明なイメージを断続的に渡したからね。 解像度7200dpi 位で。
 反省してると思うよ』

『『『『『『『もしかしたら、“魏の”は死んだかもしれないな……』』』』』』』』

当然のことながら、昨日の夜“魏の”は意識不明の昏倒状態であった。
下手に怒られるよりも効いただろう。
まぁぶっちゃけるとその位の罰は必要だったと思うし、何よりだ。

脳内俺と話し合っていると、前に猫耳帽子が揺れていた。
どうやら立ち止まっているようで、地面を見つめている。
肩も大きく揺れていた。

「はぁ……はぁ……」

隣まで来ると、どうやら急ぎすぎて疲れてしまったようだ。
まぁ、後ろに許可なく真名を呼んだ変態だと思っている男が歩いて居れば、その反応も分かるのだが。
それが自分のことを指されているとなると、悲しくなる。
彼ら風の言葉を借りれば、“本体”の仕業じゃ無いんだが。

「大丈夫か?」

「……フッ、フッ」

「おい、平気か? 喋れないほど疲れたなら、座って休んだ方がいいんじゃないか?」

「……ハ」

「ええと、かの有名な軍師である荀彧殿は休憩をなされた方がよう御座いますと思われますが」

「…ッ!」

「荀イ―――」

「うるさぁぁぁぁい! 私の名前を連呼しないでよっ!
 それにどうして、私が軍師志望だってことを知ってるのよ!
 まさか、ずっと今日みたいに私の後ろを付け回していたんじゃないでしょーねっ!?」

「はは、まぁまぁ。 言っただろ、俺って天の御使いだって」

半ばヤケクソの言い訳は、続ける事にした。
少なくとも、脳内に11人の天の御使い経験者が居るのだ。
別にきっと、多分おそらく嘘は言っていないだろう。

「ああっ、もうっ! 私の近くで喋らないで! 近寄らないで! 五歩以上、間合いを広げて! 
 もうっ、何で陳留に向かうだけでこんな思いしなくちゃならないのよ!」

「あ、ここって陳留って場所の近くなんだ?」

「ハァ? もしかして、此処が何処なのか分かっていないの!?」

「あ、うん。 見ての通り荷物も無いし、ここが何処だか分からないし
 ちょっと不安になってたんだ。
 陳留って街までどの位でつくのか、大体でいいから教えてもらえないかな?」

「……なんで私があんたみたいな他人の真名をさらっと穢す鬼畜変態非常識男に
 情報を与えなくちゃならないのよ、そのまま野垂れ死ねば?」

「えーっと、何の話かな……」

「なぅ! あんた私の真名を勝手に呼んでおいてっ―――!」

「ごめん、でも昨日の事は、俺覚えてなくて」

「~~~っ! ああっ、もうっ、分かったわよ! こいつっ、本当にむかつくわね……」

「良かった、じゃあ陳留までの道を―――」

「嫌、それよりもっと離れて、気持ち悪いから」

バッサリ切られた一刀だったが、罵声の部分を無視して言われた通り数歩、荀彧から後ずさった。
しばらく待ってみたが、荀彧は進む様子も見せず、何かを話すつもりも無いらしい。
顔を背けて、完全黙秘の態勢であった。
二度、頭を掻いて埒が明かないと考えた一刀は、彼女を追い越して先に進んだ。
歩き始めた矢先、後ろから声が飛んでくる。

「街道を千里も進めば、あるんじゃない? まぁ、あなたが陳留に気付くかどうかは、別だけど。 
 来た道を戻れば小さな邑があるから、そっちに向かったら?」

「見逃さないように、頑張って歩いてみるよ、教えてくれてありがとう」

「くっ、三千里って言った方が良かったかしら……」

後ろでボソボソと一刀と別れて旅する為の言葉を、明晰な頭脳で練り上げようとする
荀彧を背に、一刀は街道を歩み始めた。

“魏の”が言う、彼女の『素直に言えない毒吐き』という説には
まだちょっと首を傾げてしまうが
その素直さというのは、毒に比してちょっと、本当に僅かなちょっぴりだけ存在する
彼女の優しさを指しているのかもしれないと一刀は思った。


      ■ 外史終了 ■


clear!!     ~種馬*N=XXXの計算式は成立すると強く思うよ編~

clear!? ⇒    ★★★~桂花の大罵倒祭が最終的に逆の意味に聞こえてきたよ編~★★★

         ☆☆☆~音々音の膝裏から足首にかけて白蟻が行進するよ編~☆☆☆

         ☆☆☆~都・名族・袁と仲、桃の割れ目でお稲荷が揺れるよ編~☆☆☆

         ☆☆☆~神速の張文遠の肢体が夕焼けに混ざって溶けあうよ編~☆☆☆

         ☆☆☆~蒲公英なら俺の横で黄金翠と一緒に寝ているよ編~☆☆☆



※桂花タン愛してる

「話をしよう」

続いてしまったが大丈夫か?
降りてきたネタ衝動は堪え切れない物ですね。

これの続きも書くかも知れませんが、息抜きで書き始めたネタ作品で
疲れてしまって、今書いている物が滞っては本末転倒ですので
頭がおかしくなった時だけ書いていこうと思います。

こんなチラシに感想を下さった皆様、ありがとうございました。



[22225] 音々音の膝裏から足首にかけて白蟻が行進するよ編
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:64fa16e3
Date: 2010/10/15 12:42
clear!!     ~種馬*N=XXXの計算式は成立すると強く思うよ編~

clear!!     ~桂花の大罵倒祭が最終的に逆の意味に聞こえてきたよ編~

今回の種馬 ⇒  ★★★~音々音の膝裏から足首にかけて白蟻が行進するよ編~★★★





      ■ 嵌められて枷


「どうしてこうなった」

北郷一刀は、陳留に辿りついて10分経たずに、暗くて狭くて寒い個室に案内された。
端的に言えば、牢屋である。
牢屋と言っても、地下にあるわけでもなく鉄格子があるわけでもない。

ちょっと街中で“おいた”をしてしまった者や、一時的に尋問などで使われるような
尋問室、および反省を促すように設置された反省部屋のようなところだ。
罪人が拘束されて入る場所という意味では、牢屋と言っても差し支えは無いだろう。

先ほど一刀はどうしてこんな事になったのかと呟いたが、言ってしまえば簡単だ。
一行で説明できる。

荀彧に嵌められ手枷がついた。

それだけである。


      ■ どうしてこうなったか


一刀、そして荀彧は出会ってから約4日間の時をかけて陳留へと到着した。
街へ到着して、人間の生活を営んでいる景色、街のざわめき。
何よりも、これからあるだろう人との交流に期待を膨らませ胸を高鳴らせる一刀は
喜びに震えていた。

「ここが陳留か……すごいなぁ」

『陳留は、曹操の根拠地であるせいか大陸でも活発な街の一つだ。
 でも、盛況さで言うなら建業や寿春、鄴も負けていない』

『でも、俺が初めて見たときと、少し違う所が結構あるな。
 もしかしたらこの世界は、俺達が落ちた時よりも、もっと昔なのかもしれない』

『なるほど、それなら管輅の占いが流行っていないことも説明がつくな』

『確認するためにも、少し歩いてみたいな』

「分かった、どちらにしろ当ても無いし、構わないよ」

脳内の自分の要求に素直に頷く本体。
改めて辺りを見回すと、自分の後方を歩いていた荀彧もすぐ隣に居るのに気付いた。

「ありがとう、荀彧。 おかげさまで陳留に辿りつけたよ」

本体は、素直な気持ちを彼女に告げた。
食料は、脳内の“南の”のおかげで、少ないながらも何とか自給自足は出来たのだが
如何せん水だけは確保に難があったのだ。

我慢の限界まで喉の渇きを誤魔化していた一刀であったが、人には通せる無理と通せない無理がある。
そして大地と星が齎す恵みの一つである水は、無いと生きていけない物である。

ある日、一刀は罵声を覚悟の上で水を貰う為に、荀彧へと近づいた。
此処最近、稀に見る困難を極めたミッションではあったが
荀彧は一刀に水を少量ではあるが、無事に分け与えてくれたのである。

「すぅぅぅぅぅ……」

そんな理由から礼を告げた北郷一刀であったが、それに答えずに、荀彧は何故か大きく息を吸い始めた。
肺が膨れ上がり、胸囲が増す。
本体は思わず、彼女の行動そのものを疑問に思うよりも先に、視線が胸元へ吸い込まれた。

「きゃあああああああああああああああああああああ!!」

「うわっ!? ご、なんだ!?」

瞬間、荀彧から発せられる鼓膜を破らん限りの悲鳴が陳留の街の入り口に響く。
自分が彼女の胸を無遠慮に見ていたのがバレたのかと思ったが
それを言うと更に悲鳴が加速しそうだったので、自分の視線を棚に上げて
周囲を見回していた一刀であったが、続く純幾の言葉に一刀は絶句した。

「犯されるぅぅぅぅぅぅ!!」

彼女の視線は明らかに一刀に向いている。
ついでに怯えた少女のように身を縮こませ萎縮し、震える。
ご丁寧に目元は潤っていた。

「ちょっ! いきなりなんだー!?」

思わず一刀は、荀彧の暴挙を止めるために慌てて口を塞ごうと動いてしまう。
それは、冤罪を被った被害者として、本能に忠実な行動だった。
しかし、それが失策であったと気付くのに時間は要らなかった。

少女の悲鳴が、いや少女でなくても悲鳴が轟けば誰もが振り返る。
その悲鳴の内容が具体的であればなおさらだ。
一刀が荀彧に触れるのと殆ど同時。
入り口近くにある城壁の中に居た、武装した憲兵が藁わらと出てくるのは、ごく自然な現象であった。

そんな憲兵隊が目撃したのは、白い服を煌かせ、少女の口を塞ぎ言い寄る男の姿である。

「おい! 昼間の街の入り口で強姦に及ぶとは何て奴だ!」
「しかもこんな小柄な少女を!」
「口を押さえてどうするつもりだった! まさか強制XXXではないだろうな!」
「許せぬ! そこになおれぇい!」
「なんて酷いことを!」 
「うほっ! 俺を使えばいいものを!」

「ちょっと待て! これには深くない事情が!」

後ろに回りこみ、荀彧の口を塞ぎ、憲兵隊と対峙する本体は
誰がどう見ても少女を盾に弁を立てる犯罪者のそれであった。
一刀は、手の感触から荀彧が笑っているのに気付く。

「こらー! 人に冤罪を着させてほくそ笑むなぁー!」

「むー! むー、むー!」

口を押さえると、巧妙に顔を紅潮させつつ意味の無い言葉を連ねる荀彧。
そのもがき様は、男の魔手から必死に逃れようとする可憐な少女のそれにしか見えなかった。
余りの演技の上手さに、一刀は引きつった笑みを隠せなかった。

そんな一刀の堅い表情は、追い詰められた犯人そのものである。

「おのれぇぇ、少女を盾に取るとは卑劣な!」
「貴様には人としての誇りが無いのか!」
「牢獄にぶちこんでやる!」
「俺の如意棒もぶちこんでやる!」
「地獄に堕ちろ、悪鬼め!」
「絶望した」

「好き勝手言うな! そもそも俺は―――」

理不尽な状況に、本体も熱くなって抗弁しようと口を開くが
一瞬の隙を突かれて荀彧に話す余地を与えてしまう。

「いやああああ! 固いものがお尻に当たってるぅぅぅぅぅ!」

「当たってねぇし硬くもなってねぇよ!」

「硬いもの……だと……」 「なん……だと……!?」
「こんな昼間から……」 「ケダモノの匂いがするぜぇ」
「13cmや」 「13cm……棒が熱くなるな……」

「ちょっと待って! ほんと待って!」

ジリジリと間合いを詰め、一刀に近寄る憲兵隊。
荀彧を盾に、徐々に後ずさる北郷一刀。
計画通り、と歪に笑いほくそ笑む荀彧。

「「「「問答無用!」」」

「あ、アッーーーー!」

一斉に飛び掛られ、一刀は成すすべなく御用となったのである。
その時、執拗に尻を触る奴が居たのはきっと気のせいだった。

「ふふ、見たかっ、この荀文若自らを囮にする最大最強最高で乾坤一擲渾身の、私の雪辱と屈辱と恥辱を晴らす策をっ!」

「言った! 今、“策”って言った! みなさーん! あの人演技ですよー! 最低下策軍師ですよー!?」

一刀の必死の叫びは、奇跡的に憲兵達に届いた。
憲兵が顔を上げて荀彧の顔を見れば、その目には涙。
両手で口元を覆い隠して震えていた。

本体は確信した。 あれは顔で泣いて心で笑っていると。

「「「「「「なるほど、お前が悪い」」」」」」

「このっ、ふざけんな荀彧ーっ!」
「ふふふっ、ははは、負け犬が吼えてるわ! あーもう、最っ高!」
「笑うんじゃねー! このツルペタ貧弱猫耳軍師ー!」

「あ、憲兵さん。 真名も汚された上に身体も汚されたので、百叩きを……」
「うそです! すいません! 俺が悪かったです天才軍師ステキ猫耳荀文若様っ! 慈悲を……あぶぶぶ」

憲兵隊に制圧され、人並みに埋もれる一刀は最後まで言葉を告げることは叶わなかった。
人の圧力で潰されて、薄れていく意識の中で荀彧の捨て台詞を聞いた気がした。

「ふふん、これに懲りたら二度と私の前に現れないでよねっ!」

こうして、こうなったのである。


      ■ 拘束時間の有効利用で得たあれ


「いいかい、これに懲りたらもう二度と他人の真名を無闇に呼んだり
 昼間から怒張させたり、のっぴきならない棍棒を少女に押し付けたり、
 分身を昇天させてやわ肌を濡らしたりするんじゃないぞ」

「はい……」

なんだか罪状の数が増えている気がしたが、敢えて一刀は突っ込まなかった。
下手に藪を突いて蛇を出しては馬鹿らしい。

結局、反省部屋のような牢屋のような場所に送られて、この陳留の町に着いてから3日後に
北郷 一刀は解放された。

名前や犯行に及んだ経緯、チンコのサイズや曲がり具合、その他諸々を細々と尋問され
100 叩きの所を、たったの 5 叩きに負けて尻を叩かれたりと、陳留に訪れた彼のスタートは
中々に最悪に近い滑り出しだった。

考えてみれば、最初から荀彧はこれで手打ちにするつもりだったのかも知れない。
真名を呼んでこれだけで済むのならば、むしろ万々歳だろう。
一応、食事も出して貰ったし、ある意味で良かった部分もある。

僅かなお金しか持っていない事を話したら、お金も少しもらえたし
仕事の紹介状のような物も手に渡してもらえた。

憲兵隊の彼らは実に親切だった。
荷物も無しに旅をしていたことから、余計な裏を勘ぐったのか
深く事情を聞かれることなく、荀彧の申しつけた期間だけ拘束したらすぐに釈放するとも約束してくれた。

まぁ、強姦魔と思われてしまった事は非常に遺憾ではあるのだが。

「はぁ……まぁとにかく、先立つ物は必要だよな……」

牢屋の中はとにかく暇であったので、本体は脳内の自分達と今後の事を話していた。
それで分かった事も、多くある。

まず、脳内の意識郡は本体一刀を動かすことができる。
これを聞いたとき、本体は脳内の自分に身体を乗っ取られてしまうのではないかと恐怖したが
意識郡が確認を取ったところ、本体を動かせる時間は長くても10秒が限度だという。

更に、本体の意識がハッキリしていると秒数は少し短くなり、7秒が限度だそうだ。
例外として、本体と意識郡の感情が怒りであれ、懇願であれ、一致すると
20秒以上身体を動かす事が可能であった。

ただし、意識郡は一度、本体を動かすと約一分間ほど意識を落としてしまう。
また、本体を動かす時に、意識同士が競合すると、意識を落とす。

そこまで聞いて、本体は尋ねた。
「大切な人達が、この世界には居るんだよな?」、と。

意識郡は“肉の”を覗いて本体の疑問に是を返したが、身体を勝手に使うような事はしないと約束した。
『自重できるか、あまり自信もないけど』と、控えめにだが。
荀彧の時のように、勝手に真名を呼んだり抱きついたりしなければ、本体も咎めるつもりはない。
いやまぁ、抱きつくのは気持ちよかったのは気持ちよかったが。
なんにせよ、意識郡の本体を動かす事については、一応の決着を見せた。



話はそれだけでは終わらなかった。

今後の本体の動向をどうするか、というのも話し合ったのである。
そも、本体の脳内に渦巻く意識郡は、それぞれ目指したい場所が違う。

その目指したい場所というのは、当然かつて荒野に放り出された自分を保護してくれた陣営である。
皆がそれぞれ、大切な自分の場所を持っていて、大切な人が居るのだ。
それぞれの主張は、始まってからすぐに激化した。

恐らく真名であろう。
華琳、雪蓮、蓮華、桃香、愛紗、麗羽、美羽、月、翠、白蓮、美以、貂蝉。
何故か、貂蝉だけ真名でないし、それを脳内の自分たちに尋ねた直後、意識郡が2~3分黙ってしまったが。
とにかく、各々が言うには彼女たちに会いたいと言う事だった。

それを聞きながら、本体は考えていた。
自分は、この世界で一人ぼっちなんだなぁ、と。

荀彧を見つけた時、本体はこの世界で初めて出会った人と仲良くなりたいと思った。
出会った人が荀彧でなくても、そう思っただろう。
本当、ただ世間話をしてこの世界の情報に触れたかったし、人に触れたかっただけである。
しかし、意識郡は違った。
この世界で大切な人を見つけて、はちきれんばかりの感情が身体を動かした。

結果はまぁ、散々になってしまったのだが。
本体は、意識郡と違ってそんな想いを抱く人物など、当然ながらこの世界には居ない。
居るとすればそれは自分の世界である両親や祖父、友人たちに妹だ。

脳内の彼らのように、誰かの下で一旗上げて、などとも考えられない。
恐らくだが、脳内の自分も最初は生きるために必要だったから、諸陣営についていったのだ。
そして、そこで何物にも代え難い人を、場所を見つけた。
この考え方は間違っていないだろう、と本体は思う。

じゃあ自分は何故この世界に居るのだろうかという疑問が沸いてくる。
まだ彼らの属していない陣営へ訪れて、乱世を駆け巡る為なのか、と最初は思ったが
よくよく振り返ってみると、彼らとはスタートからして違っている。

少なくとも、脳内に自分の分身が数多に存在する所からスタートした奴なんていない。
何処の陣営に付こうか、なんてゲームのような考え方など、脳内の自分達はその余地を与えられなかったはずだ。
そう考えると、自分がこの世界に来た理由は、脳内の自分達が大きな鍵を握っているのではないかと思える。

どちらにしろ、今は答えは分からない。
自身の益体も無い考えに区切りをつけて決着のつかない議論を繰り返す脳内に語りかけた。

「もう、全員に会いに行けばいいんじゃない?」

これには皆が納得。
この世界での本体の動き方は、決まった。
最後に、“肉の”が注釈をつけて。

『方針はそれでいいけど、俺たち意識体は本体の邪魔をしないようにしよう。
 俺達は確かに、北郷一刀だけれど、この世界の北郷一刀は本体なんだから』

これを聞いて、本体は思う。
なんだか意識体の皆に嫌われていそうな“肉の”が、一番、自分のことを考えてくれているなぁ、と。
まぁ、その、なんだ。
全員、北郷一刀ではある訳なのだが。


      ■ 難曰く 「来ることよりも去る方が難しい」


紹介状を片手に、見慣れぬ陳留の街を“魏の”の案内で進む本体。
これを名付けるとしたら、『自分ナビ』、もしくは『自演ナビ』、だろうか。
見知らぬ土地でも、一人で地理が把握できるのは有り難い物である。

順調に街の中を歩く一刀は、しかしその歩みを途中で止めることを余儀なくされた。
原因はやや大通りに接した路地の傍ら。
十数人の青年と、一人の少女だろう口論を目撃したからである。
見るからに険悪そうな雰囲気で、特に青年達の激昂具合は凄まじい。
数十メートルは距離があるだろうに、真っ赤な顔が伺えるのだ。

見た目からして、複数の男たちが少女一人を囲んでいるのは宜しくない。
ここからでは少女の姿が確認できないが、遠からず仲裁に入ったほうが無難に思えた。

が、本体はここで躊躇する。
それは青年達が腰にぶら下げている刀剣のせいだ。
遠目からでも分かる。
人を傷つける、或いは息の根を止める為に拵えた武器だ。

『本体、いかないのか?』
「そりゃ、行きたいけど……あいつら武器を持ってるんだ。 真剣だ」
『ここは三国志の時代だ、武器は基本的には全部真剣だ』
「いや、分かってるけど……」

言われなくても、見れば一目瞭然である。
これで持っているのが木刀や警棒であれば、少しは違ったのかもしれないが
あれだけ刃渡りの大きい真剣を見てしまうと、どうしても身が竦んでしまった。

「ふざけんなっ!」

本体が悩んでいる間に、青年達の中の一人が怒声を上げて剣を引き抜く。
同時に、少女が誰かに突き飛ばされたのか、青年達の輪から飛び出して
勢いよく尻餅をついていた。

その光景が飛び込んだ瞬間、自分でも驚くほど簡単に真剣へ向かう事の躊躇を投げ捨てていた。


      ■ 虎が見ていた


それはたまたま、という表現がぴったり当てはまる。
もともと、一泊の宿を取るためだけに逗留した街であった。
漢王朝から名指しで呼びつけられ、益の無い軍議に見切りをつけて故郷へと戻る最中であった。
だから、この見世物を見物できたのは偶然であり、たまたまだ。

正直、つい先ほどまで無駄に費やした時間と金に憤っていた物が
今になって還元された気さえしてくる。

先ほど飛び込んだ白い服を身に纏った、一見何処にでも居るようで、ひ弱そうな青年が
少女に暴力を奮った集団に突然、無手で殴りこんだのだ。
自分のすぐ脇を、疾風のように駆け抜けて。

一番手前の男の顔面を、飛び掛って殴る白い男。
動きは素人そのもの。
当然、青年達は白い男に敵意を向け、すぐに白い男は倒れるだろうと。
その時、自分は死なれても寝覚めが悪いし、助けてやるかと喧騒の中心に向かって歩き出した。

が、その歩みはすぐに止まることになる。

素人丸出しの大振りな一撃を与えた直後に、白い男の動きは変化した。

奥で倒れこんでいる少女の目の前まで駆け抜けると、守るようにして青年達の視界から遮る。
青年の一人が、剣を抜いて白い男に斬りかかったと思った瞬間
最小限の動きだけで斬撃を避けて、顎に掌打で一撃。
それだけで、襲い掛かった青年は昏倒した。

身内をやられたせいで、青年達の堪忍袋は切れたのだろう。
それぞれ自分の獲物を掴むと、我先にと白い青年へと殺到する。
それを見たからか、白い青年の動きは再び変わる。

獣のように飛び跳ねて、常人では追えない速度で青年の背後を取り頭蓋へ肘を打ち下ろした。
かと思えば、青年の腕に持つ武器を無力化してから腕を抱き込み、叩き折るという、暴徒鎮圧の見本のように押さえ込み
それが本来の型であるかのように、巧みな足技を用いて側頭部を強打し昏倒させる。

たった一人の筈なのに、武の形は流れるように変わっていく。
驚嘆すべきは、最後の一撃であった。
突然、白い青年の肉体が変化したのだ。

恐らく、あれは気によって肉体の筋力を爆発的に盛り上げたのだろう。
全身が膨らむように膨張し、服の合間から厳つい筋肉が存在を主張していた。
それを見て完全に萎縮した最後の一人が、簡単に間合いを詰められていた。
胸倉を掴み、容易に青年を持ち上げる白い男。
そして白い男は笑顔で止めの一撃を叩きこみつつ言ったのである。

「大丈夫だよ、手加減はするからねん? や・さ・し・く・してあげぶるぅぁぁぁぁ!」

筋肉で膨れ上がった右腕が、誇大な表現でなく男の顔面に突き刺さり
そのまま水平に吹っ飛びながら、私の足元まで転がってくる。

震えた。
ここ最近の中で一番刺激的な一幕であった。
私は、無意識に両手を叩いて賞賛していた。


      ■ 虎に見られていた


気が付けば、全てが終わっていた。
脳内の俺達が、全員が揃って言い放った。

『本体、行くぞ!』

少女を、大の大人が大人数で囲んで突き飛ばす様を見て、本体は自然に走り出していた。
何となく、脳内の自分に意識を引っ張られているのかとも思ったが
倫理的に認められない出来事を看過できる性格でないことも、本体は自認していたので
これは確かに、北郷 一刀の持つ正義感からの行動であろう。

青年達が誰も気付いていないのを良い事に、本体は手近な男をとりあえずぶん殴ってみた。
これが、本体である一刀が実行した最初で最後の行動だった。
少女の元まで駆け寄って、後ろを振り向けば刀剣を振りかざす憤怒に彩られた顔、顔、顔。
自分一人での対処は不可能だと、早々に身体の所有権を放棄したのは正解であった。
事前に聞いていたからこそ、萎縮してしまいそうな心に渇を入れて、本体は呟いた。

「俺の身体を、皆に貸すぞ!」
『『『『『『『『『『 任せろ 』』』』』』』』』』』

借り物の力でもいい。
今は、この少女を助けたい。
本体の思いは、意識郡に強く伝わり、それを否定する北郷一刀は何処にも居なかった。
自分の意識を無視して動く身体に、恐怖は無かった。

全てが終わった途端、周囲からは割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こる。
別に英雄を気取りたい訳でもないし、借り物の力で事なきを得た本体にとって
その賞賛はただの雑音にしか過ぎず、居心地の悪い物であった。

倒れ伏す少女の元まで近づくと、一刀は蹲って容態を確認した。
どうやら突き飛ばされた際に頭を打ったようで、意識は無いが命に別状は無さそうである。

「良かった……」
『ねねじゃないか!』
『本当だ、ねねだ!』
『何でこんな所に?』

「素晴らしい武であった! とても良い物を見せてもらったぞ」

安堵と共に吐き出したため息は、先ほどの雑音などと打って変わって、凛とした響きを持って
一刀の耳朶に響かせた。
声の方向に、一刀は首を回す。

鮮やかなピンク色の長い髪を下ろした女性が力強い笑みを称えて一刀を見ていた。
腰にぶら下げているのは宝剣の類か、煌びやかな意匠を拵えて存在感を示していた。
目鼻立ちがくっきりとしており、誰が見ても美女だと言うことだろう。
何より目を引くのは、前述した全てが霞んでしまう程の乳とボディライン、そして尻。
露出の目立つ服で、下乳は完全に剥き出しだ。

えろい人、それが北郷一刀の最初の感想であった。

「義憤に満ちた武、見ていてとても心地よかった。
 何よりも完成されたその気の扱い方。 正直言って見惚れたよ」

「それはどうも……貴方は?」

「うん? そういえば名乗っていなかったな。
 我が名は孫堅! 字を文台! 世間では江東の虎などと呼ばれている」

孫堅文台。
孫家の礎を作り、各地で火がついた反乱を悉く力尽くで摘み取り
民衆の人望も篤く、武将としても超一流である。
根拠地である江東で、孫堅の名を知らぬ者はおらず、その圧倒的な孫堅軍の威容は
江東一帯のみならず、漢全土と言っても良いくらいに響き渡っている。

それが本体の持つ孫堅という者の知識であった。

「そうですか、貴方が孫文台殿。 出会えて光栄です」

「ふふ、そう畏まるな。 今の私は良き演舞を見せてもらった一観客であり
 舞踏の主役であるお主が縮こまる必要はあるまい」

「……」

この孫堅との会話に、本体は僅かに嫌悪を示した。
それは、脳内の一刀達と違い、まだ本体が現代人としての意識が濃い事が原因であった。
人を上から見ること。
人が傷つく様を目の当たりにして、見世物を見ているような話し方。

この世界では目上の人間が普通に取る態度であるのだが
それらが本体一刀にとって、余りにも酷い見方なのではないかと思ったのだ。

そんな一瞬の一刀の表情の変化を孫堅は見逃さなかった。
そして微笑む。

「ふふ、心は青いか」

「はぁ……」

「ところで、私に名乗らせておいて君は名乗ってくれないのか?」

「ああ、これは失礼しました。 私は北郷 一刀です」

「ふむ、奇妙な名前だな? 偽名か?」

「いえ、本名ですけど……性が北郷、名を一刀と言います」

言いながら、一刀は少女をお姫様抱っこで抱えあげた。
地べたにずっと寝そべらせて置くのは可哀想だし、孫堅殿から逃げる口実にしたかったのである。
だが、一刀は少女を抱えあげて、そして気付く。

「……う、動けん」
『なんでだ?』
「た、多分お前らが暴れたからだ……」
『ああ、身体に負担がかかってるのか?』
『そういや、俺達は自分の体のように動かしてるけど、本体は鍛えてないもんな……』
『あれが、雪蓮達の……』
『一歩も動けないのか?』
「抱えてるだけで精一杯だ、歩くと倒れる自信しか無い」

「何をぶつくさと呟いている?」

「いえ、持病でして……」

「……そ、そうなの?」

『おい、雪蓮や蓮華の親御さんにあまり変な事を言うな!』
「しょうがないだろ!?」
『なんとかしろっ! 叫ぶな!』

「何がしょうがないのだ?」

「何でもないですっ!」

「ふっ、読めん男だな……面白い」

そう言った孫堅殿の笑顔は、獲物を狙うような獣の目をしていた。
その顔を見て、江東の虎と渾名を名付けた者は生きていたのかな、と本体はふと思ってしまう。

「北郷と言ったな、我らが呉に、将として仕え身を立てようという気はないか?」

『っ……!』
「すみませんが、無いです。 それに今は、彼女を休ませたい」
『“呉の”、耐えろ。 肉は見たくないだろ』
『分かってる! くそっ!』

暫し一刀の回答を聞いても、本意を定めるかのように視線を突き刺していた孫堅であったが
やがてその表情は一変し、柔らかい笑みに一転する。

「ふ……残念だ。 それに、確かにお主の言うように、少女を休ませるのを優先すべきだったよ
 邪魔をしたな、北郷」

そう言って踵を返す孫堅。
将として誘いをかけたにしては、偉くあっさりと引いてくれたようだ。
一刀は、ふと思い出したように口を開いた。
それは、“呉の”意識を感じたが、敢えて自らの口で言葉にしたものであった。

「……孫堅さん、岩の罠に気をつけて」

「うん? 岩? はっはっは、肝に銘じておこう。 それではな」

「……」
『……本体』
「……何?」
『行かないのか? ここはねね……ちん、少女を早く休ませる為に移動するのが自然なのだが』
「……俺も、そうしたい」
『まだ動けないのか?』
「……」

脳内の言葉に、少女を抱え上げたまま、ただただ頷くことしか出来ない本体。
そんな本体に向けて、脳内の一刀達は合唱した。

『『『『『『『『落ち着いたら、体力作りからだな』』』』』』』』
「精進するよ……」

結局、一刀は恥を忍んで近くに居た叔父さんに少女を運んでもらうのであった。

それら全てが終わった後、一人の女性が今の喧騒に興味を持ち詳細を尋ねていた。
その女性は、街の人々から夏候淵様と呼ばれていた。


      ■ その手に得た信頼と


目が覚めたとき、少女は自身の足元に違和感を感じた。
寝ぼけた眼を擦って、違和感の正体を見る。
其処には、白い服を着た男性が彼女の膝裏から足首にかけて頭を埋めていた。

多少びっくりはしたものの、彼女は特にそれを振り払う素振りは見せなかった。
気を失う前の前後はしっかりと、彼女の脳裏に焼きついていたからである。
確かに、彼女は気を失ってしまう直前に、誰かが口論をしていた相手に割り込んで来たのを見たのだ。
その人は、白い服を着ていたはずだった。

言うなれば、彼は恩人である。

『本体、起きろ! 音々音が起きた!』
『おい、これ涎ついちゃってるけど大丈夫かな?』
『まさか陳宮キックはこないよな?』
『分からん、一応覚悟しておこう』
『食らうのは本体だから、本体が覚悟しないと意味がないんじゃあ……』

「……」

少女は首を巡らして、部屋を見回した。
空いた窓から差し込む陽は、橙に染まっているところであった。
気を失った時間が昼を過ぎた直後であったことから、夕刻まで意識がなかったようである。
その間、彼はずっと介抱してくれていたのだろうか。

溢れ出す感謝の念が、彼女の胸に押し寄せた時。
膝裏に感じる人肌が、ビクリと震えた。

『本体ー! 起きろー!』
『朝ー! 朝だよー! 朝ご飯食べて学校行くよー!』
『おいやめろばか! 早くもこの三国志は泣きゲ化ですね』
『それほどでもない』
『お前ら大丈夫か?』

「あ……」

「う……あ、ああ、寝ちゃったのか、俺」

「あの」

『本体、涎! ねねの足についてる!』
『気をつけろ! 陳宮キックに備えるんだ!』
『本体! シャキっとするんだ!』

「うおおっ、起きた? って、うわご免! 足に涎がっ!」

「いえ、いいのですぞ! こんなのは拭けば問題は無いのです!
 それよりも、助けて頂いて……本当にありがとうなのです!」

『『『何ぃ!? ねねがこんなにも素直かつ敬語だとっ!?』』』
『“董の”“蜀の”“白の”、ちょっと五月蝿い』
『だってお前、これが音々音なのか!?』
『そ、そうだ、これはねねじゃない……いや、恋が居ないからか?』
『『それだっ!』』

一刀の脳の中が軽い混乱を起こしている中、寝起きで比較的冷静であった本体は
脳内を意図的に完全スルーして少女との会話に勤しんだ。

「いや、いいんだ、気にしないでくれ。 ある意味、君のおかげで俺の方も脳的に考えて助かったというか」

「……? 良く分かりませぬが、とにかく、ありがとうございましたなのです。
 お名前を聞かせて頂いて宜しいでしょうか」

「ああ、もちろん……俺は北郷 一刀。 性が北郷が名が一刀。 真名も字も無いから、好きに呼んでくれ」

それを聞いて、少女は布団の上で膝を付き、頭を垂れる。
突然の出来事に、本体は驚き固まった。

「は、私は性を陳、名を宮、字を公台、真名は音々音です!
 私のことは音々音、もしくはねね、と呼んでください!」

『『『え!?』』』

「え!? いや、でもそれって真名だろ? 俺が呼んだらまずいんじゃ」

「そんなことは! 北郷殿はねねの命の恩人です。 大恩ある方に真名を預けない方が
 人としてどうかと思うのですぞ!」

「でも……本当に良いのかい?」

「勿論です! 是非呼んでくだされ!」

「うーん……最後に聞くけど、良いの?」

「はい、ねねと呼んでくだされ!」

一刀は、突然に陳宮から真名を呼んで良いと許しを得たことと
いきなり頭を下げられて命の恩人だと感謝されたことに戸惑った。
ついでに、荀彧のことが頭をよぎってしまい、真名を呼ぶことにちょっとした恐れを抱いていた。
そのせいで、本体はくどいくらいに確認をしたのである。

「えっと……ねね、真名を預けてくれてありがとう」

それは本体にとって、初めて受け取った他人からの信頼であった。
交わした言葉は少ない、過ごした時間も短い。
恩人であるから、真名を預けてもらったと一刀は気付いていたが
それでも嬉しいものは嬉しかった。

「……北郷殿、お願いがあります」

「いいよ、何でも言ってくれ、できることなら何でもきくよ」

『おい、なんか嫌な予感しないか?』
『『『するな』』』
『だよな?』
『うん、恋がこの場に居ない、っていうのが凄い嫌な予感がする』

この時、本体は初めて真名を預けられた事に感動して、テンションが上がっていた。
故に、脳内の感じた嫌な予感というものも、完全に聞き逃していた。
そして、本体はこの時、音々音のお願いを安請け合いしたことに後悔することになる。

「このねねを、北郷殿の家臣にしてくだされ!」

「ああ、別にいい……とも……え?」

「ありがとうございます! ねねはまだ、未熟者ではありますが、北郷殿の為に
 粉骨砕身、文字通り身を粉にして支えていきますぞ!」

『『『やっぱり、こう来たか!』』』

「って、ちょっと待ってくれ! ねね、俺は将軍でも城主でもないんだぞ!?」

「では、その身なりからすると……豪族か名家のお方でございますか?」

「違う、一般市民だ! 市民でもないけど、一般人だよ!」

「うむむ……しかし、是のお答えを貰った以上、私は北郷殿以外に仕えるつもりはありませぬ!
 非才の身ながら、役に立つよう頑張りますぞー!」

「ああ、なんてこった、後世にその名を轟かせ歴史に残る軍師が
 斜め195℃錐揉み42回転半ひねりジャンプして得点圏外の場所に着地してしまった……」

先ほどまで気を失っていたとは思えないほど、元気よく音々音は腕を挙げて宣言していた。
この熱意を折ることなど、一刀には出来なかった。

「……とりあえず、頭部を打って気を失っていたんだから、大人しく寝ててくれるかい?」

「はっ、分かりました! ……そ、それと……あの」

布団に入りながら、音々音は恐る恐るといった様子で一刀の顔色を伺った。
それは、先ほどのお願いの時の様な顔で、一刀は何を言われるのかと、身構えたが
先ほどのぶっ飛んだお願いに比べると、実に容易いことであった。

「これからは、ねねも一刀殿と呼んでもよろしいでしょうか……?」

無意識であろう、上目使いでお願いをされて一刀は軽いダメージを負った。
陳宮という美少女の、懇願する眼に、思わず見惚れそうになるのを
意識して、慌てて一刀は頷いた。

「あ、ああ……うん、いいよ。 好きに呼んでくれ」

「ありがとうございますぞ、一刀殿」

「じゃあ、ゆっくり休んでね。 身体に変調があったら、すぐに誰かを呼ぶんだよ」

「わかったのです、では一刀殿、ねねはもう少し眠らせて頂きます」

「ああ、おやすみ」

布団の中で、眼を瞑った陳宮を確認してから、北郷は部屋の扉を開けて退室した。
そのまま立ち竦み、今起こった出来事をまとめる。

助けた少女から真名である音々音という名を受け取った。
その音々音が、北郷 一刀の家臣となった。
音々音は、三国志でも有名な武将として名高い、陳宮である。

今起こった出来事だ。
特に纏めずとも、一瞬でそれは理解できていた。

「俺って、方針としてお前たちの大切な人に出会う事が目的になったよな?」

『『『『『『『『『『そうだね』』』』』』』』』』』

「この場合、陳宮という有能軍師を連れ歩く意味は無いよね?」

『『『『『『『『『『そうだね』』』』』』』』』』』

「……だよね」

『というか、もう家臣として受け入れてしまったし、言質を取られた以上開き直るしか無いと思う』
『ていうか、どうしてあんなにあっさり頷いたんだ、馬鹿』
『恋……呂布はどうなるんだろ?』
『うわっ、すげぇ心配だ! ねねのおかげであらゆる魔手から逃れていたって可能性が高い!』
『うおっ、確かに!』
『どうするんだ!? 天下無双が良い様に操られる様しか思い浮かばないぞ!』

「……もしかして、かなり不味い事した? 俺」

『『『たぶん』』』
『いや、でも早計に過ぎないか? 呂布だってまったくの馬鹿って訳じゃないだろ?』
『けど、あの子は素直で良い子なんだよ!
 ほいほい甘い言葉に釣られて人を殺す様が幻視できるほどね』
『敵対していた俺には絶望的な武神にしか思えなかったがな……』
『“仲の”、仲良くなると恋の可愛さは確かに抗えぬという意味で絶望的だ』

『落ち着けよ、お前ら。 冷静にならないと出来る判断も出来なくなるぞ』
『“肉の”の意見に賛成だ』
『“魏の”に冷静になれとか言われると腹立つな、なんか』

方針を定めた直後に連続して起きたイレギュラーは
外面は静かでも、その内面に大きな波紋を呼んでいた。

かくして、陳宮こと音々音という恋姫は、目出度く北郷一刀の家臣とあいなったのである。


      ■ 贈り物作戦


「一刀殿~! ありましたぞ! 一刀殿の手持ちで購入できる箱が~」

「本当か、ねね! でかしたっ!」

「ああ、もっと褒めてくだされ~!」

結局、細かいことはとりあえず無視して、今在る現状をあるがまま受け止める事にした一刀達。
考えることを放棄したとも、問題を先送りにしたとも言える。
まぁ、乱世を駆け巡った数多の一刀達でも出なかった答えだったので
そうするしか選択肢が無かった訳だが。

現在、音々音は一刀に仕えて概ね満足のいく日々を過ごしていた。
元々、陳留には曹操へ仕官をしようと故郷から飛び出したらしい。
が、陳留に辿りついて見れば、文官の募集は締め切られてしまっており
仕方がなしに陳宮は日々を無為に過ごしていたという。

ちなみに、荀彧も募集の期間に間に合わなかったそうだが
曹操を一目見た荀彧は、何か感じ入る物があったのか
とてつもない熱意で城の者と交渉し、話し合い、仕官を受け入れさせたらしい。
凄いバイタリティである、と一刀は頻りに感心したものだ。

話を戻すが、無為に日々が続いても、陳宮は腐らずに己の研鑽に努めていた。
軍略、知略を独学で学び、政治や国の行く末を案じていた。

次に曹操が文官を募集するまで、ひたすら知識を溜めこみ
その間は自分に出来ることから始めようと、町の人達と協力して土工事の測量を手伝ったり
収入と徴税の帳簿を作ってみたりと精力的に動いていたそうだ。

そんな中、彼女は世を嘆くだけで碌に働かずに、自分を棚に上げ、お上が悪いとわめき散らす
青年の集団の話を聞いた。
若い男出が、働かないで居るなど正に無駄以外の何物でもない。
陳宮は、彼らを諭す為に自ら志望して、若者たちを説こうとしたのである。

そんな経緯から、一刀が叩きのめした青年達と陳宮は言い争いをしていたのだそうだ。

「元々、曹操に仕えるつもりだったのだろう? 俺なんかに仕えてしまって良かったのか?」

「一刀殿、確かに曹操殿は王の器を持っておられます。
 しかし、ねねはイマイチ自信が無かったのです。
 彼女の進む覇道に、ねねが共に突き進む事が出来るのかどうか」

その話を聞いて、一刀は陳宮という人物がどのように三国志で描かれていたのかを思い出していた。
陳宮は、曹操に確かに仕えていた時期がある。
だが、やがて曹操の思う道を外れ、共に歩めないと感じた陳宮は
呂布を主に抱いて、曹操へと反乱を企てたはずであった。

「まぁ……ねねが良いのならば良いんだけどさ。
 でも、どうして俺にいきなり仕えようと思ったんだ?」

「それは……ですね。 ちょっと、言うのは恥ずかしいのですが」

「うん?」

「一刀殿にも仕えるに足る太器を感じたのと、それと、傍にいると優しい気持ちになるのです」

「優しい気持ちに?」

陳宮が言った事は事実であった。
一刀と触れ合うと、彼女は何か、とても尊い物を彼の中に感じたのである。
それが何であるのか、この胸に去来する感情は何なのか、それは陳宮にも分からなかったが
何度も一刀と触れ合うと一つだけ気がついた事があった。

とても、とても優しい気持ちになれるのである。
だから、音々音は一刀が自分の主であることに不満も隔意も無い。
むしろ、一刀に仕える事こそが、陳宮という人間の天命であるかのように思えるのだ。

「ねねのその研鑽を積んで聡明になった頭脳は、俺なんかの為に使うのはもったいないと思うんだけどなぁ……」

「そんなことは無いのですぞ!」

「うん、ねねがそう言うなら、もう何も言わないよ」

「一刀殿……ん、それにしても一刀殿、こんな箱を買ってどうなさるのですか?」

喉に引っかかる物を感じた音々音であったが、それは敢えて無視した。
主が話は終わりだ、という雰囲気を出しているのに、突っかかるなど愚者の極みであるからだ。
そこで、手近にある話題の種を振ってみると、一刀は乗るようにして食いついた。

「この町に来る前に出会った、荀彧って人に贈り物をしようと思ってね」

と、いうわけで、北郷一刀は出来ることから生活を始めている。
音々音にはそれなりのお金があり、仕事についていない一刀は現状一言で表すと
見事に紐状態だったりするのだが
今この時は仕方ないと開き直っていたりもする。

で、何故にそんな状態であるのに荀彧へのプレゼントという暴挙に出たのか。
それは、憲兵隊からの親切心のおかげであった。

意図せず、他人の真名を呼んでしまった場合、誠意を持って謝るのは勿論のこと
お詫びとして、贈り物をするのが普通なのだそうだ。
それで許してもらえるのかどうかは、当人次第ということらしいのだが
何も送らずに適当に謝るだけというのは、外道という奴に堕ちるらしい。

そんな理由から、なけなしの金を投げ打って、半分ほど音々音に支援して貰いながら
用意したこのプレゼント。
後は箱を用意するだけであったのだが、それも今、音々音のおかげで
ギリギリ貧相には見えない箱を用意できた。

「……許してくれるといいなぁ」

「荀彧という方ですか……女性なのですか?」

「ん? ああ、そうだよ。 今は曹操に仕官していると思うよ。
 さってと、後は包装して……うん、オッケーだな!」

「では、ねねがお城の方までお届けいたしますぞ!」

「え、でも贈り物だからなぁ……自分から荀彧に渡した方がいいんじゃないかな?」

「仕えたる主に雑事をさせることは出来ませぬ。
 ねねが居るのですから、一刀殿はねねに任せてくれれば良いのですぞ」

「そういうもんか……分かった、じゃあお願いするよ、ねね」

真名という、未だに余り慣れない習わしに、一刀は音々音の言を聞き入れた方が懸命だと判断して
後事をすべて音々音に丸投げした。
実際は、一刀の言うように、当人同士が会ってお詫びの品を渡すのである。

元気良く外に飛び出した音々音を見送って、一刀は肩の荷が下りた気分であった。
これで荀彧とも仲良くなれれば、と淡い……実に淡い夢を抱きつつ
日銭を稼げる仕事は無いかと家を出たのである。

「……一刀殿からの贈り物……まだねねも貰った事がないのに」

そして、的外れなヤッカミをしている少女が一人。
彼女の頭脳は聡明だ。
しかし、まだ本人が言うように、未完の大器であるのも事実だった。

そんな天に愛された才能を持つ少女も、人間であり、一人の少女である。
主の向いている方向が、自分で無く荀彧と呼ばれる少女に向いているのが良く分かった。
先ほどの会話から、自らが見出して全力を捧げることを誓った主人が
余り自分が仕えるという事にも積極的でないのは明らかだ。
増して、音々音はそんな主人の懸想していると思われる女性に贈るプレゼントの為に
少なくない金額を供出している。

何となく、悔しくて、口惜しくて、陳宮は悪いことと知りながらも行動してしまった。
この行動についての不幸は、荀彧への贈り物である贈り物が、愛情や親愛を込めた物ではなく
一刀が不用意に真名を呼んでしまったが故に渡す詫び品であったことを
音々音が知らなかった事にあるだろう。

故に。


      ■ 贈られたプレゼント


陳留の城、玉座の間にて三人の少女が険しい顔を寄せて話し合っていた。
美しい金髪に小柄な体躯。
完成された顔を持ち、その容姿含めて全身から溢れ出る覇気は余人の及びのつかない威圧感を醸し出していた。
後の魏王、曹操その人である。

その隣に控えるのは、陳留に来るまで一刀と旅を共にし、計略に嵌めて一刀の尊厳を奪った
大陸でも稀有の頭脳を持つ、王佐の才、荀彧が。

曹操の目の前で、淡々と冷静に報告を行うのは曹操の元に仕えて長い、古参の夏候淵だ。
青みがかった頭髪に、怜悧な雰囲気を纏う釣りあがった眼は全てを見抜きそうなほど澄んでいる。
スラッとした体躯は、まるでモデルのようで、こちらもとんでもない美女であった。

「そう、孫堅……江東の虎と呼ばれるほどの者が、その白衣の男を陣営に誘ったのね?」

「はい……その男、聞かれる噂によれば、あの丘で見た男と容姿が相似していたようです」

「……なるほど、桂花?」

「はい、情報から推察するに、認めたくはありませんが。
 ほぼ間違いなくその男は北郷 一刀と思われます。
 短い間ではありますが、私も共に旅を致しました」

「そう……一瞬とは言え、私を怯ませる程の気を放ち、武器を持った多勢の男に
 無手で傷一つ無く勝利を収める……北郷 一刀、か」

唇に手を寄せて、歌うように曹操は呟いた。
次第に、その顔には笑みが浮かび始める。
伺うようにして様子を眺めていた夏候淵が、半ば答えを予想しつつも曹操に尋ねた。

「陣営に誘ってみますか? 報告によれば青年の中には高覧という中々に名の通った男が居たとか。
 それも一撃の元、昏倒させたようです」

「か、華琳様、私は反対です。 その者の実力は分かりませんが、常識というものが抜け落ちてます。
 陣営に加えてしまえば、華琳様の品格まで傷つくことにも成りかねません!」

「……そうね」

即座に入った、つい先日に曹操の元へ士官した荀彧と、夏候淵の真逆の意見を聞きながら曹操は考える。
見た限り、聞いた限りでは有能な人物ではありそうだ。
これで知の方まで優れていれば、男であることを差し引いても十分に心惹かれる話である。
荀彧が言う、品性が云々というのも彼女の男嫌いを加味すると疑わしくなってしまう。

ただ、曹操自身も遠目からではあるが、北郷一刀は見たことがある。
あの時に感じた奇妙な感覚。
まるで狩人と獲物のような、漠然とした焦燥感。
腹立たしいのは、曹操の立場が獲物であると自認できてしまったあの日。

あれが一体何だったのか。
その答えを得る為にも、もう一度接触を試みたいという思いは曹操の胸のうちにあったのである。

実際に会ってみてから考えようか。

そんな思いが華琳の胸のうちで鎌を擡げるまで、そう時間は要さなかった。
が、それを伝えようと口を開こうとした時、物々しい音が響いて部屋に入るものが現れた。

「桂花! おお、ここにいたか! 探したぞまったく」
「ちょっと春蘭! いちいち全力で扉を開かないで頂戴! あんたの馬鹿力で壊れるでしょ!?」
「馬鹿だと!? 馬鹿とは何だ馬鹿とは!」
「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いのよっ!」
「姉者……桂花も。 華琳様の御前だぞ」

「ふふ、相変わらずね。 それで、何か用?」
「はっ、華琳様。 桂花に、北郷という男からの贈り物を届けに来ました!」

「北郷?」
「ほう……」
「うげっ……」

三者三様の反応を見せて、春蘭こと夏候惇は首を傾げた。
夏候惇のアホ毛が、にわかに揺れる。

「そう、丁度良いし、興味深いわね。 空けてみなさいな、桂花」
「は、はぁ……華琳様がそう仰るならば……」

春蘭から、とても質が良いとは言えない綺麗に包みが張られた箱を受け取って
桂花はそれを眺めた。
嫌そうに。

「……精液のついた手とかで、触っていないでしょうね……ああ、気持ち悪いぃぃ」
「早く開けろ、まったく、それにしても男から贈り物とはな、物好きな奴も居たものだ」
「五月蝿いわね、貴方と違って良い女に男は群がるのよ。 いやっ! そんなの嫌よっ!? 妊娠しちゃうっ」

春蘭の茶々に、桂花が即座に反応するが、それで自爆をしていた。
クスリと華琳と秋蘭が薄く笑う。

「はいはい、漫才はいいから早くしなさい」
「は、すみません、華琳様」
「も、申し訳御座いません……くっ、なんで私ま……で……え?」

そうしてようやく箱を開けた桂花であったが、箱の中には何も入っていなかった。
しばし呆然とする桂花。
よくよく見ると、箱の奥には何やら文字が書かれている紙が張り付いているではないか。

覗き込んで確認する。
そこにはこう書かれていた。

   魏の王を支える王佐の才へ

ただ、それだけが書かれていた。

「なんだこれは? 意味が分からんな」
「どういうことでしょう、華琳様」
「魏……なるほど、天の御使いか。 あながちハッタリでも無さそうね」

箱の中身を覗き見た状態で動かない荀彧の腕から箱をもぎ取って
夏候惇が中身を改め、その謎の文章に頭を捻っていた。
夏候淵も腕を組んで考えに耽るが、結局分からずに曹操へと尋ねたが
その曹操は曹操で、納得するかのように頷くばかりであった。

そんな中、固まっていた荀彧がビクリと動いたかと思えば、唐突に笑い出した。

「ふ、ふふふ、ふふふふふふふふ、あの男……ど・う・し・て・くれようかしらっ!
 仕返しにしては、随分と手の込んだ事をしてくれるじゃないっ!」

「な、なんだ!? 桂花、落ち着け! 顔が凄いことになっているぞ!?」
「むぅ……凄い殺気だな」
「桂花?」

「北郷一刀ぉぉぉ……呪う! 全身全霊をかけて、呪ってやるわよ! うがあああああ!」


音々音の幼稚染みた嫉妬によって中身を抜かれた荀彧への贈り物は、意図せず空箱となって届いた。 
しかも、その空箱の底には激烈な皮肉つきとなって、である。

もしも一刀が自分で届けていれば、この喜劇は起こらなかったに違いない。
一刀は荀彧と、懇意になりたく、その為の一歩である詫びに贈った物は、それなりに値が張ったものであるのだ。
音々音の協力が無ければ、買うことなど到底出来ない、高価なプレゼント。
それを見ていれば、もしかしたら仲良くなりたいという一刀のささやかな願いは
荀彧の胸に届いたかもしれなかった。

だが、それはもう叶わぬ願いとなった。

もはや、天の御使い、北郷一刀という胡散臭い男は、荀彧にとっての不倶戴天の敵に成り果てたのである。

ちなみに、その日の桂花の態度を見て、華琳は一刀と桂花を頭の中で天秤にかけ
北郷一刀を自身の陣営に引き込むという考えを諦め
ついでに、桂花に空箱を贈るのは絶対に止めようと心の中で誓ったのだそうだ。


   ■ 外史終了 ■


※桂花タン愛してる。



嫁の出番が一旦、終わってしまって深い悲しみに包まれた。



[22225] 都・名族・袁と仲、割れ目の中で四股が捩れるよ編
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:64fa16e3
Date: 2010/10/15 12:48
clear!!     ~桂花の大罵倒祭が最終的に逆の意味に聞こえてきたよ編~

clear!!      ~音々音の膝裏から足首にかけて白蟻が行進するよ編~

今回の種馬 ⇒  ★★★~都・名族・袁と仲、割れ目の中で四股が捩れるよ編~★★★





「堅殿、さっきから何をニヤニヤとしておるのだ」

「祭、とってもいい子が居たのよ。 腕っ節も良いし女子供に優しかったわ。
 雪蓮とまぐわせて子供でも作らせようと思ったんだけど断られちゃった」

「お一人で誘ったのでは、断られるでしょうな。
 交渉の顔ではないですぞ、堅殿の笑顔は」

「なにそれ、ぶーぶー。
 まぁ、でも我が呉に来て欲しかったのは本当よ。
 彼、実力だけなら祭でも難しい相手かも知れないから」

「ほう、それはそれは一度手合わせ願いたいものですな」

孫堅の言葉に、祭と呼ばれた女性は面白いことを聞いたと言う様にニヤリと笑った。
祭と呼ばれた女性も孫堅も、お互いがお互いを認めるほどに武才に恵まれている。
ゆえに、こと武に関して孫堅が認めたのならば、話題に登っている青年は確かな実力を備えているのだろう。

「いつか、手を合わせることになるかも知れないわよ。
 さぁ、とにかく江東へ戻りましょう。 私の可愛いお姫様達が待っているわ」

「御意」

手を合わせることになる、ということは何処か戦場でぶつかることになると予想しているのか
はたまた、それがただの勘であるのか、祭と呼ばれた女性は一瞬考えたが
益の無いことだと、すぐに考えを放棄して前を行く主を追いかけた。


      ■ 外史を知る奴


本体である北郷一刀を宿主として日々を過ごしている意識達は
ただただ無為に、本体と日常を謳歌していた訳ではない。
意識だけの状態で出来ることは、考える事だけだった。

何故、このような状態であるのか。
どうして本体だけが、複数の自分の意識を抱えてこの世界に降りたのか。
この世界は何なのか。

時に意見を出し合って、時に自分の考えを主張している中で
分かったことも分からない事も多くあった。

そんな中、一刀達は“外史”という物を知る。
この世界は、“無の”と“肉の”が言ったように、『外史』という世界であることは
自身の経験を踏まえて考えても疑いようが無かった。
そして外史とは、それぞれの意識が歩んだ分だけは確実に存在する無数の世界を指す。
今の現状は、彼らの情報が正しい事が前提ではあるが
数多の外史の中で北郷 一刀という存在が現代から軟着陸しているという証左であった。

この情報が齎されてから、誰からとも無く、意識郡は自身の最後を語った。
いつか“白の”が言ったように、公孫瓚に拾われた一刀は最後の決戦を魏国と行い
その最中に命を落とし、本体の意識郡の一つとなった。

他の意識郡も大差ない。
例えば“仲の”は袁紹軍と結託し、徐州で劉備軍との激突を征し、孫呉を牽制しつつ魏国とぶつかった。
戦局は優勢に運べたが、結託したはずの袁紹軍に裏切りを受け、その奇襲時に受けた矢傷で怪我が悪化。
治療の甲斐なく、“仲の”一刀は倒れたという。

それぞれの経緯を語った意識郡は、一つの共通点を其処に見つけ出した。

『俺達死んでしまった後に、此処へ来たってことなのか……?』

『まぁ、そうなる、よな』

『待てよ、“無の”は銅鏡から飛ばされたんじゃ?』

『“魏の”が言う最後も、死んだとは確定できないな』

『しかし、管輅から身の破滅とハッキリ言われた事を考慮すると、死んだとするのが
 妥当なんじゃないか?』

『それは……どうだろうな。 自分じゃよく分からない。
 華琳の前から消えて、気がつけばもう、本体の中だったから』

『まぁ、確かな事は俺達の多くが志半ばで倒れたってことだな』

『くそっ』

『“白の”?』

『こんなことになるなんて、こんな醜く生きながらえるなら、消えた方がマシだった』

それは心の片隅で、全員がどこか引っかかっていたものであった。
それまで途切れずに続いていた会話が、“白の”の愚痴のような言葉を境に
ぷっつりと無くなっていった。
重い沈黙を切り裂いたのは、“南の”であった。

『“魏の”、聞きたいんだけど、その……曹操と会うのか?』

話を振られた“魏の”は、一瞬当たり前のことを何で聞くのだろうかと考えて
即座に返答した。
それは、殆ど無意識の領域であった。

『え? そりゃ会いたいけれど、なんで?』

『会ってどうするんだ?』

『会ったら……そりゃ……』

尋ねられて、“魏の”は二の句を告げられなかった。
会って出来ることなど、何も無いことに気がついたのである。
この問答を聞いていた意識郡は、みな一様に気がついた。

会う。
それは良いのだが、会っても何も話せないし何も出来ない。
本体は、意識郡を思って会わせて上げると言ってくれたが、会ってもどうしようもなかった。
主導権が本体である以上、華琳と出会うのは“本体”であり“魏の”ではないのだ。
本体と感情が同調すれば、数十秒は一緒に居られるかもしれないが
それだけの時間で何を伝えようというのか。

まして、この“外史”の彼女たちは北郷一刀の脳内に住む超存在を知らないのだ。

“魏の”の意識が完全にどこかへ行ってしまったのを見て、“南の”は息を吐き出した(って感じの意識)
気まずさが更に加速した空気の中で、声を挙げたのは“馬の”であった。

『……そういえば、この“外史”でも天の御使いって予言されるのかな』

『どうだろうな』

『時代は黄巾の乱、俺達が呼び出された時代の少し手前だ。 これから予言されてもおかしくない』

一瞬の沈黙。
そしてほぼ同時に声が上がる。

『『『『ああ、なぁ、ふと思ったんだが』』』』

何人かの意識が重なった。
流石に全員が北郷 一刀なだけはある。
同時に同じような事に全員が気がついたようだ。

『『『『俺たちを知ってるのは、外史を知る連中を除いて』』』』
『『『『管輅以外には居ない』』』』
『いや……一人例外が居るが……』
『“無の”、誰だ?』
『……筋肉達磨のあいつが『よし、話は決まった、本体に頼んで管輅を探して貰うか』
『そうだな……むしろ雪蓮達に合っても何も出来ない分、管輅を先に探して貰った方がいい』

『本体が賛成してくれれば、って条件だよな?』

『俺達の意見は伝えて、後は本体に任せる形しかないな』

意識郡は意識郡で、この異常な“外史”を調べる努力を続けていた。
彼らの疑問が答えとなって努力が報われるかどうかは、本体の得る情報と行動次第なのだが。
そんな本体は、今。


      ■ 人材コレクター


「お邪魔するわ」

部屋で朝食を取っていた本体と音々音は突然の来客に驚き戸惑った。
同時に本体は頭を抑えて呻いた。

『ふおおおおお! 華琳! 華琳! ふぉおおおおおお!』
(痛ってぇ! 頭痛ぇ! やめろおい!)
『五月蝿ぇ!』
『“肉の”!』
『ふぅぅぅぅぅかr……n…』
『……よし』

「何の御用でしょう、曹操殿」

箸を置いて玄関に見えた曹操を出迎えながら、音々音が尋ねた。
まぁ、曹操が三国志屈指の人材コレクターであることを考えれば話は見える。
きっと仕官を陳宮に求めに来たのだ。

「あなたが陳宮殿?」

「は、いかにも。 性は陳、名を宮。 字を公台と申します」

「単刀直入に伺うわ。 陳宮殿、私に力を貸してもらえないかしら。
 我が陣営でその卓越なる知を奮って欲しい」

「……私を」

「ええ、最近街で独自で検地を行っている知名の士が居ると噂があるの。
 その噂に上るのは決まってあなたの名前が挙がるわ」

知らなかった? とでも言いたげに首を傾げて肩をすくめた曹操。
一方で、音々音は突然の曹操の訪問に少しだけ冷静さを欠いていた。
元々はその強烈な覇気に惹かれて、仕官をしようと思っていたその人が
自分の実力が必要であると曹操が判断して招きに来てくれたのだ。

陳留という街で大きな権力を持つ曹操は、有能なる人を愛する、という噂を
当然ながら音々音は聞き齧っていた。
ようするに、その事実が単純に嬉しい。
しかし。

「どうかしら?」

「突然の出来事に、聊か戸惑ってしまいました。
 覇気溢れ、確かな人物眼を持ち、王なる器であると思っている曹操殿のお誘いは
 この陳公台、望外の喜びでございます」

そこで音々音は言葉を切る。
曹操はニヤリと笑って、続きを促した。
そこで飛び出した音々音の言葉は、本体が驚くことになる。

「しかし、我が身は既に主を頂く身でございます。
 曹操殿にはわざわざのご足労申し訳ありませんが、この話はお断りさせて頂きますぞ」

きっぱりハッキリ言った。
本体が居るから曹操には仕えない、とこれ以上に無いくらいくっきり言い放った。

「そう……」

呟くように言うと、曹操はゆっくりと本体に向かって視線を向けた。
今まで蚊帳の外……というよりも、一刀の事を完全無視という勢いで話していた彼女だが
そこで始めて一刀に視線を投げて、何かを探るような目に押されて本体はうっと呻いた。

「あーっと……」

「見たところ職も無いような男に見えるけれど、これが貴女の仕える主ということ?」

「む、一刀殿は確かに職はありませぬが、それは“今は”というだけで器の大きさでは曹操殿に
 負けていないとねねは見ているのです」

職が無い、という言葉に一刀は更に大きなダメージを受けつつ
曹操という歴史の英雄にガン見されてめちゃくちゃ居心地が悪くなっていく。
というより、変な汗が出てきたのを自覚していた。

『ああ、あの目はきついんだよなぁ』
『なんか気がついたら従いそうになるほどの威圧感だからなぁ』
『さすが曹操だ、何度相対しても慣れないな』

「あなた、北郷 一刀ね」

「……俺を知ってるのか?」

「最近仕官してくれた私の可愛い軍師が教えてくれたのよ。
 ふむ、ならばこうしましょう」

何か思いついたかのように曹操が一つ頷く。
何を言われるのか、と精神ファイアーウォールを築き上げようと身構えていた本体だが
それは即突破される脆弱性を持っていた。

「私は陳宮殿が欲しい。 貴方は職が欲しい。
 利害は一致してるのだし、北郷殿も私の元に来ないかしら?」

「え!?」
「なんですと!?」

「何か可笑しい事を言ったかしら?
 私には分からないけれど、陳宮殿はあなたに主の資質を見たのだから
 今は無職のあなたが何を仕出かすのか、少し興味が沸いたわ
 まぁ、北郷殿が来ると苦労しそうなこともあるけれど」

そういう考え方か、と一刀は納得した。
ある意味で実に合理的である。
欲しい人材が目の前に居るが、その人は既に主が居た。
それならば主ごと、ご招待して取り込んでしまえば音々音も手に入れることができるということだ。

正直言うと魅力的な提案だった。
曹操の元に仕官すれば、少なくとも職にありつける。
将来、戦争することになることを考えると二の足を踏んでしまうが
音々音を見ると、歴史的に正しい流れに戻るのではないかとも思うし。

とはいえ、やはり本体からすれば戦争とか、三国志とか、殺し合いなんていうのは
日常からかけ離れ、物語の中での出来事でしか触れた事が無い異常な物だ。
おいそれと参加する気にはなれず、天秤は拒否の色合いも濃い。

どうするの? というように見つめてくる視線に、本体は思わず頷きそうになるのを堪えながら
とりあえず脳内の俺たちに意見を求めることにした。

『『『『『『『反対』』』』』』』
『『『『本体の好きにすればいいと思うよ』』』』
『賛成!賛成!賛成!』

脳内俺会議、賛成3……じゃなくて1、反対8、丸投げ4。
どうやら脳内の俺達は、基本的に反対であるようだ。

しかし、よくよく考えれば、彼らが賛成することは無いのではないだろうか。
それぞれの俺達に、それぞれの大切な人が居て。
曹操の陣営に付くという事は他の陣営で過ごした誰かの思いを裏切ってしまうようで心苦しい。
基本的に、本体一刀の考えを尊重してくれるという事なので
ここで本体が頷いても、彼らはしぶしぶと受け入れるだろうし、受け入れざるを得ないのだろう。

音々音はどうだろうか。
ここで頷いても、多分付いてくると思う。
乱世が始まって、曹操と仲違いしてしまう可能性はあるけれど、少なくとも現時点では
一刀が頷けば、彼女も頷くことだろう。
さっき、満更でもなさそうな顔だったし。

最後は自分の気持ちだ。

たっぷりと腕を組んで数分間悩み抜いている間、曹操も音々音も一言も発さずに
本体の答えを待っていた。
そして、顔を上げて曹操の顔を見ると、本体は口を開いた。

「お誘いは嬉しい。 正直迷ったけれど、俺にはやることがあるから、ごめん」

「そう、脈ありかと思ったけれど、残念ね」

「ごめんなねね、もし行きたかったら曹操と一緒に行ってもいいんだぞ」

「一刀殿、そんなことは。 ねねは一刀殿と共に居られればそれでよいのです」

「そうそう北郷殿、一つ聞いてもいいかしら?」

「何ですか?」

「貴方は未来を知っているのかしら」

「え? それは……」

本体は迂闊にも、そこで黙ってしまった。
突然に予想しない言葉を聞いて、そのまま無意識に答えを弾き出そうとしてしまったのだ。
しまった、と思った時には既に遅かった。
曹操はしばし本体を見つめて

「そう……朝から悪かったわね、邪魔をしたわ」

「あ……」

何か言い訳を考える前に、それだけ呟くように残して曹操は踵を返した。
最悪だ。
未来を知っているのか? と問われて それは…… で言葉を切る。
あからさまに 『未来は知ってるけど、それは言えないんだよねミ☆』という風に捉えられるだろう。

ばれただろうな、と思うと同時に脳内も同意したように頷く。
一人で頭を抱えて唸っていると、覗き込むようにしてねねが一刀の顔を見上げていた。

「一刀殿、未来を知っておられるのですか?」

「……いやその……知っているというよりは、何となく知らされてる、って感じなのかなぁ」

『未来どころか、武将として素晴らしい人材を全員知ってるとかいったら』
『曹操のことだ……知識全部吐き出すまで本体は拷問だな、きっと』

「なるほど、一刀殿がねねに余所余所しい態度に、なんだか納得がいきましたぞ」

「うっ……」

「でも、ねねはそんなのどうでもいいのです」

「え?」

そう言うなり、音々音は一刀の頭の後ろに手を回して、コツンとおでこを合わせる。
やや屈んでいるとはいえ、一刀の身長と音々音の身長では、彼女の足が浮く。
少女とはいえ、首に少女の体重を支えることになったのと
いきなり急接近してきた音々音の顔に、一刀は驚きと共に後ずさった。

「これが証拠なのですぞ! 一刀殿は特に気にしなくても良いと思うのです。
 未来とは未知。 一刀殿が未来を自然に知らされるといっても
 ねねが次にする行動は分からないのです」

「まぁ、それはね」

「だから、ねねは気にしませぬ。 むしろ、未知を朧気にでも見通す慧眼を持つ主が居てくれて心強いのです」

「……ねね」

「なんですか、一刀殿」

「ありがとう」

「うっ! ね、ね、ねねは思った事をそのまま言っただけなのです!
 とととと、特に礼を言う必要など無いのです、一刀殿に笑顔でそう言われるのは嬉しく誉なのですが
 そう、そういう事の為に言った訳ではないので、これは違うのですぞ!」

「ははは、照れなくていいって、本当にそう思ったんだ」

「うう、あ、ど、どういたしましてなのです」

微笑ましい一幕を演じていた本体と音々音であったが、その後の行動は素早かった。
曹操の元を去るならば、早いほうがいい。
それは本体も、脳内も、そして音々音も意見を同じにするところであったからだ。


      ■ 大魚2尾


「北郷一刀を迎え入れる」
「ブバッ」

朝議で開口一番にそう言ったのは、陳留で飛翔の時を待つ龍。
曹操その人である。
その隣で盛大に噴出したのは曹操を支える知の柱、王佐の才荀彧その人だった。

「ぶっ、アハハハハ、桂花! 鼻水が出てるぞ、はしたないな貴様は」
「ちょ、ズズッ、ちょっとお待ちを華琳様、今なんと仰ったのですか」
「北郷一刀を迎え入れる、と言ったわ。 ちなみにこれは覆らないわよ。
 意味は分かるわね、桂花」
「なっ……は、はい」

春蘭の茶々を一切無視して、桂花は尋ねたが華琳から返って来た返答は有無を言わさぬ物であった。
突然の事態に思考が止まった桂花と、それを馬鹿にしたいが華琳の雰囲気から動けない春蘭の間を縫うように
夏候淵こと秋蘭が口を開いた。

「華琳様。 昨日は陳宮という者を誘ったという話を聞きましたが
 どうして北郷一刀に変わったのでしょうか」
「理由は今から説明するわ。
 あれはこの先、他の誰よりも私にとって大きな壁に成り得る可能性を秘めている」

この言葉に驚いたのは、誰よりも華琳が優秀であると認めている桂花と春蘭であった。

「そんなっ、華琳様よりも大きな壁になる者などおりませぬ!」
「その通りです! 仮に壁があったとしても、この私が砕いて華琳様の道を拓いて見せます!」

「ふふ、ありがとう二人とも。 その言葉は疑わないし信じてもいる。
 けれども、自らが天の御使いと名乗る北郷の存在は危険よ」

そして華琳は説明を始めた。
荀彧に当てた空箱の底に眠っていた手紙に記されている“魏”という文字。
これは曹操が、国を興せる段階で考えていた国号の一つである。

更に、荀彧へ王佐の才と記されている。
荀彧の、桂花の知略は曹操も舌を巻くものであるレベルだ。
実際、仕官してから短い時間しか過ごしていないというのに、夏候惇、夏候淵という古参の将を相手に
一歩も引かない能力を見せ、認めさせているのだ。
齎される献策は、曹操をして三国一の傑物と認める者であった。
今後、乱世が来ると予想される現状で、桂花を手放すことなど考えられないのだ。

そして、北郷一刀の恐ろしい所は未来を知っているということだ。
実際にそう言われた訳ではないが、雰囲気や顔、態度から確信に近い。
それがどの程度先を見越しているのかは分からないが、少なくとも“魏”が成るまでは知っている。
これがどれほどの異常であり、脅威であるのかは言わなくても分かる。
夏候惇は首を捻っていたが、後で妹に諭され理解するだろう。

「それが本当なのだとしたら、早急に手を打つべきです」

「ええ、そのつもりよ。 北郷 一刀を陣営に招けば大魚が労せず二尾転がってくるわ。
 もしも無理ならその時は……秋蘭」

「はっ」

「獲れぬ大魚は無用よ。 射りなさい」

「……御意」


       ■ 奇遇が重なる


本体は、音々音を伴って陳留を飛び出し、洛陽へと向かっていた。
音々音の提案で、馬を一頭購入して二人乗りで向かっていた。
当然、二人で乗ってるので走る訳でもなく、徒歩なのだが。
それでも、人間の徒歩と馬の徒歩では、まったく違ってくることを一刀は理解した。

人の足で大陸の荒野を行く辛さは、この世界に来て身に染みている。
懐が寒くなるのは仕方が無いとして、音々音の提案に一刀は素早く頷いた。

洛陽を目指す理由は幾つかある。
まぁ、曹操に未来を知っているような知らないような、という本体の秘密を知られたのが一番だが
特に疚しいことをした訳でもないので結構普通に街を出た。
それ以外にも洛陽を目指す理由ある。
本体は、この世界へ降り立った当初、ヤケクソさを胸に 「帝っているのかなー」 と言った。
三国志なのだから、居るんじゃないだろうかと思って衝いて出た言葉は
本体の中での一つの指標となっていたのである。

何故ならばこの世界に降り立った彼は、脳内の自分から曹操や孫策などの有名武将を口々に聞いたが
帝に一切触れていなかったことに気がついた。
戦乱を駆け抜けた自分達が知らない「帝」という存在を知りたくなったというのも在るし
多くの武将が女性となっているこの世界で、あの「帝」の性別はどちらなのかも気になった。

そんな訳で、何となく本体は「帝を見てみたい」という野次馬的思想から洛陽へ向かう事は目的の一つになっていた。

他にもある。
後漢時代といえば、朝廷の腐敗から乱世へと突入していく動乱の時代であることは
三国志に少しでも触れた人間ならば説明する必要も無いことだ。
とはいえ、朝廷の権力は形骸化の兆しを見せていても、見えぬ力となって諸侯へ与えた影響は大きいものであった。
朝廷の権威は動乱の時代を迎えても同様に、かなり後まで尾ひれを引いている。

農民の蜂起から始まる黄巾の乱も始まっていない今の時代ならば、死に体でありながらも
なお漢王朝は巨大な龍であるのだ。
その超凄い漢王朝の首都である洛陽。
少なくとも、朝廷のお膝元で暴れるような奴もそうは居ないだろうという打算。

これが二つ目の理由。
本体としては、特に音々音と行動を共にすることになってしまったという事実が付随したことによって
黄巾の乱が激化する前に、出来るだけ安全な場所へ行きたいという思いがあったのだ。

でもまぁ、色々言ってもこれらの理由は最大の理由ではない。
洛陽へ向かうと決定したのは、もっと即物的で、能動的で、半ばヤケクソ気味だったのだ。
すなわち。

「陳留の曹操様が怖いから逃げた訳ではない。 仕事が見つからないのが悪いのだ」

「一刀殿、あまり気を落とさなくてもいいのですよ。
 洛陽ならば働き口は陳留よりも多いですし、きっとすぐに見つかるのです!」

「ねね……ありがとな。 お前が居てくれて良かったよ」

「か、一刀殿、あまり真顔でそんなことは言わないで欲しいのです」

「……? 何か変なこと言ったかな……まぁいいか」

本体はこの小さな旅のお供である少女に、多くの勇気と活力を貰っていた。
一人で居たならば、余りにも見つからない働き口にいじけていた事だろう。
現代で高校生をやっていた手前、就職の厳しさを耳にして聞いてはいたが
実際に社会人(世界は違うとはいえ)として働き口を探してみれば、掠りもせずに面接後に落とされる。

と、思えば断られた自分のすぐ後ろに居た人を雇っていたりするのを目撃したりしていたので
俺はいらない人間なのではないだろうか、と欝になってしまいそうにもなった。

実は裏で曹操陣営が手を回していたことを、一刀は知らない。

そんなこんなで、音々音に養ってもらっていた陳留での日々が次第に精神的に辛くなっていき
曹操殿のこともありますし、そろそろ陳留を出ませんか?
という音々音の提案は、本体にとって渡りの船であった。
その提案が、音々音が自分の現状を察して言ってくれた物だと気付いてしまうと
いっそう惨めな気分に陥ったりもしたのだが。



      ■ 一を十にする奸雄


「ちっ、既に陳留を出ているとはね」

舌打ち一つ。
北郷一刀、そしてそれに仕える陳宮を陣営に誘おうと
陳宮の住む家屋に訪れた曹操が見た物は、綺麗に引き払い家具一つ無い部屋であった。

「申し訳御座いません。 見張りは蜜にしていたのですが……」
「前日まで、同じように男は職を探しに、女は検地に行き何一つ行動が変わらなかったので
 油断してしまいました」
「真昼間に堂々と出て行くとは思わず……」

見張りをしていたものの言い訳を聞き流しつつ、曹操は思案した。
これだけ鮮やかに見張りの目を掻い潜った二人だ。
よほどの能天気でなければ馬を用意して走らせることだろう。
そうなれば、追いつくのは至難の業だ。

「華琳様!」

「春蘭、どうしたの?」

「はっ、この者が北郷とやらを見たそうです」

「話を聞きましょう」

曹操は北郷と音々音らしき人物が、二人で馬一頭に乗り洛陽方面へ向かった事を知った。
それを聞いてもう一度考えることになる。
馬を使うのは予想通りだったが、二人乗りならば十分に追いつける。
しかし、向かった場所がよりによって洛陽とは。
洛陽はまずい。

現在、洛陽では最近の賊の横行について、大規模な軍議が開かれている。
そこには数多の諸侯が集まっているのだ。
未来を知る北郷一刀は、言わば乱世のジョーカー。
孫堅の陣営と、自分の陣営は蹴られても、他の諸侯に掻っ攫われるくらいならば
本当に消えてもらった方が安心できる。

「……出来れば、私の元に来て欲しかったけれど」

「華琳様」

逡巡した曹操に夏候淵は短く名を告げた。
一度目を瞑り、次に開いた時に決意は固まった。

「……秋蘭、お願いするわ」

「はっ、お任せください」

夏候淵は即座に踵を返すと、共を2~3人連れて走り去っていく。
それをしばし見送って、曹操は前から駆けて来る荀彧を見つける。
それをぼんやりと見ながら、ふと思う。

「……そういえば、どうして私はこんなに焦っているのかしら」

孫堅が誘った。 王佐の才と見抜いた。 
その桂花が推薦した陳宮という玉を従えた。
曹操の中でしか存在しないはずの“魏”を知っている。
そして、未来を知る天からの御使いを自称した男。

こうして纏めてみると恐ろしいほど胡散臭く、そして気味の悪い存在である。
しかし、もしも。
もしも天からの御使いというのが真実であるのならば
天は曹操も、孫堅も選ばなかったということになる。

「ふっ、そうよ。 私ならばそれを楽しむことこそすれ、恐れることなど……」
「華琳様?」

ようやく隣に追いついてきた桂花が、華琳から漏れた呟きに首を傾げる。

「桂花、未来とは何かしら?」

「え? はっ、未来とは……すなわち未知でございます。
 未知とは知らぬ事。 知る術は今を流れる時が満ちるまで、方法はありません」

「そうよね、もし未来を知っているのならば私が訪ねた時も平然としていなければおかしい。
 未来を知るのは事実。 しかしそれは虫に食われた葉のように断片的。
 そう、なるほど……桂花」

「はい」

「秋蘭に伝令を。 大魚は逃すとだけ伝えなさい
 必ず間に合わせるのよ、いいわね」

その言葉に桂花は一瞬だけ動揺を見せたが、すぐに華琳の言うとおり行動に移した。
遠のく桂花を見ながら、華琳は呟く。

「例えその器に満たされたのが天であろうと、私は飲み干して見せるわよ、北郷」


      ■ 天の御使い


この時代、将の視力はおかしい。
悪いわけではない、逆だ。
おかしいくらいに目がいいのだ。

それは武将でも知将でも変わらないようで、もしも音々音が居なかったら
この突然の黄砂の中、本体が屋敷を見つけることなど不可能だっただろう。

ついでに、一刀を追いかけていた夏候淵も、一刀と音々音を視界におさめていたというのに
突然の天候変化で身動きが取れなくなったりもしたが、それは本体はまったく知らない。

とにかく、一刀と音々音は見かけた家屋にこれ幸いと転がり込んだ。

「助かったなぁ、運よく屋敷があって」
「どうやら近くに邑があるようですね。 このお屋敷は邑の外れに建てられた物のようなのです」

屋敷の軒先を借りて、衣服や肌に張り付いた砂を落としながら会話を交わしていると
ふいに立付けられた戸がコトコトと震えた。

「おや?」

「あ、すみません。 突然の砂嵐で軒先をお借りしております」
「よろしければ、今しばし休ませて欲しいのです」

「はっは、なるほど、構いませんよ。 こんな屋敷でよければどうぞお上がり下さい」

軒下どころか、思いがけない招待に一刀達は喜んだ。

この屋敷の主、名を荀倹。 荀彧の叔父に当たる人間で荀家縁の者であった。
もっとも、荀彧は男嫌いで更に仕事柄あまり主家に戻らない彼は彼女が才女であることは知っていても
関わりは薄かったらしい。

なんたる偶然か。
旅をすれば荀家に当たる、などと適当な迷言を言い放ちつつ
本体は一人、『人の縁』というものに考えさせられたのである。


一方、何処かの屋敷に入られて手を出せずに砂嵐に晒されていた夏候淵は
とりあえず体力の消耗が無いようにと即席に身を隠せる場所で身体を休めていた。
屋敷に偵察を出し、それが荀彧に縁ある者が所有していることが分かると
夏候淵は舌を巻いた。
これも、逃亡の為の一手か、と。

流石に夏候淵も、屋敷に侵入して暗殺することは出来ないと判断して
北郷一刀と陳宮が屋敷を出てくるのを待つ選択した。

ようやく一時的な黄砂が身を潜めて、月夜が中空で大地を柔らかに照らし出し
そろそろ狙い打ち出来る場所へ、と動き出そうとした時になって曹操からの伝令が夏候淵に届いた。

「なに? そうか……分かった、すぐに戻る」

射程に捉える前に起きた、突然の天候の変化。
転がり込んだ屋敷は我が陣営にとって掛け替えの無い将の親戚の物。
まるでタイミングを計るかのように鳴りを潜めたと思えば、主君からの命令取り消し。
肩にかけていた弓を担ぎなおして、屋敷の奥にしばし目をやる。
戸が開き、馬に二人で乗り込む姿が夏候淵の目に映る。

「ふっ、天の御使いか。 あながち嘘ではないかもしれん」

この後、夏候淵が戻って曹操へと報告している時に
王佐の才が 「取り壊すわ! あの家屋は今、呪われた! 空気妊娠する家なんて最低よっ!」 と
やや取り乱していたとか、いないとか。



      ■ 意識のズレ


「う~、仕事仕事……」

無事に洛陽へ到着した一刀は、一時的に音々音と別れて職を探していた。
思ったよりも街は平穏が保たれており、餓死者満載だとか、肉の腐った匂いとかはしなかった。
ていうか、むしろ元気な奴が多かった。

もしかして、これって黄巾の乱は起こらないんじゃないだろうか? とさえ思うほど
平和な感じなのである。
無論、まだ洛陽へ入って数時間。
大通り(だと思われる)場所しか歩いていないから、こんな感想が出るのかもしれないが。
少なくとも、活気がまったく無いという訳では無い。

都だけあって、広さも陳留とは比べ物にならない。
中央に大きな広場が。
そこから東西南北に分かれて大通りが広がっており、川側に面して王宮が立っている。
その雄大さは本体一刀に少なからず感動を与えていた。

『それにしても、洛陽がこんなに栄えてるとは』
『俺が見たのは反董卓連合が終わってからだから、違和感があるなぁ』
『俺も俺も』
『なぁ、本体。 井戸見てみないか?』
『井戸?』
『ああ、玉璽か?』
『この時期は朝廷にあるんじゃないのか?』
『いやほら、もしかしたらって思ってさ』
『ていうか、玉璽手に入れてどうするんだよ』
『厄介ごとが増えるだけだぞ』
「おお、そうか。 玉璽があるかもしれないのか、見に行こう」

脳内での会話に続くように、本体が流れるように賛同した。

『え? マジで行くのか?』
『職探しはどうした』
「まぁまぁ、俺もせっかくの異世界だし、観光くらいさせてくれよ」
『……観光、か』
『俺らと本体じゃ、この世界に対する感覚がかなりズレてるな』
「そりゃそうだろ。 俺も乱世を一回駆け抜けたら、お前らと同じように思うかもだけど
 正直、今の俺はとっとと現代に戻って学生に戻りたいよ」

これは本体の本心であった。
訳が分からず異世界に飛ばされて、そこが戦争が起こるかもしれない場所で
真名などという不思議な習慣があり、生きるためには誰かの助けを得ないといけない。

音々音には感謝の気持ちも、慕ってくれて嬉しい気持ちも当然ある。
何より、この世界ではもっとも親しい人だ。
自分を主として献身的に世話をしてくれるのは、くすぐったくもあり情けなくもあり。

『ねねが居るのにか?』
「うん、一人と元の世界、天秤にかければ現代の方が重いに決まってる」

そう。
仮に元の世界に戻れるならばすぐにでも戻りたいのだ。
刺激的な事は少ないかもしれない。
もしかしたら、この世界で自立を目指した方が充実した日々を送れるのかもしれない。

脳内の自分たちが、本体と違って身体を鍛えて強くなっているというのは分かる。
それはきっと、この世界を生き抜いていくのに必要で、必須だったのだろう。
乱世を一度駆け巡ってるのだから、精神的にだって強くなっているはずだ。
チンピラが剣を持って歩いているだけで、本体は怖いと思うのに
脳内の彼らは、まるで素手の相手をしているように振る舞い、声を出す。

自分を逞しく出来る場所といえば、確かにそうかもしれない。
それでも、本体からすれば突然降って沸いたような出来事なだけに
受け入れることが出来なかった。

ただ、受け入れられないからといって駄々を捏ねて自棄になるほど子供でもない。
妥協だと思われても、現状は流されるしかないのかも知れないと思っても居る。
元の世界に戻れなければ、嫌だと拒否する以前に此処で生活の目処を立てるしかないのだ。

ただ、一つだけ言えることは、北郷 一刀という人間は生きているのだ。
この一点があるだけで、本体はなんとかなりそうな気がしていた。

「まぁ、だからとりあえずは、目の前で出来ることを、だよ」
『つまり、玉璽探しか』
『そこは職探しってことにしとこう』
『うん、玉璽はあくまでもついでだな、ついで』


      ■ 玉璽が……勝手に……


「あったよ」
『『『『『『『『『『『あったよ』』』』』』』』』』』

玉璽があった。
井戸の中ではなく、井戸の外に玉璽があった。
もう一度言う。
井戸の中ではなく、井戸の外に玉璽が乱雑に放置されていた。

「え、マジで普通に在ったんだけど、これどうすればいいの? 何のイベント?」
『……いや、そう言われても』
『井戸の中に放り込んでおけば?』
『何言ってんの!? 朝廷に届けるべきなんじゃ』
『馬鹿、腐敗してるかもしれない朝廷に玉璽なんて餌を放り投げてみろ』
『……普通に皇帝の元に行くんじゃないか?』
『行くかな……? 十常侍あたりに利用されちまうんじゃないか?』
『肉屋とか』
『肉屋って……ああ、何進か』
『それは嫌だね……』
『月達に負担が掛かるのは嫌だなぁ』
『連合がどう転ぶか分からないもんな、正直扱いに困る』
『俺達の知ってる流れと変わる可能性もあるし、どうすんだよ』
「じゃあこのまま持ってるとか?」
『持ってるの?』

脳内の自分に言われて、本体は身を震わせた。
これは、騒乱の種になりかねない代物だ。
しかも、三国志の中では話のキーアイテムとして度々出ている。

孫策が発起する為の起爆剤。
偽帝、袁術の誕生。
漢中王、劉備の爆誕。

まぁ、劉備に関しては孔明がでっちあげて、王になる決意を促したパチモンとか
実際は袁術死後に曹操へ献上されたとか、色々と説があるのだが
とにかく重要アイテムなのである。

「とりあえず……これは孫堅に渡るように井戸に放り投げておくべきだろうか」
『孫堅さん、まだ生きてたしね』
『あれはエロイ格好だった』
『『『『『同意』』』』』
『というか、孫堅殿は何時ごろ死んだのだ?』
『わかんねぇ』
『“呉の”?』
『すまん、わからん。 俺が降りた時には既に亡くなっていた』
「え、じゃあ孫堅さん死ぬの?」
『それも分からん。 この世界ではどうだろうな……』
『難しい問題になってきたな』

ここで下手に扱うと、歴史がめちゃくちゃ歪みそうである。
ただ、脳内の自分が既に歴史は歪んでいるだろ、と突っ込みを入れてくれた。
考えてみれば確かにそうだ。
しかし、本体はこんな怖い物を所持するつもりはまったく無かった。

「一刀殿~~~!」
「ねねっ!?」

突然の呼びかけに、思わず玉璽をポケットに突っ込んで声のした方へと振り向く。
満面の笑顔でねねがこちらに駆け出していた。

「一刀殿、馬を売りさばいて暫くの生活費は確保できたのです!
 一刀殿の職は見つかりましたか?」

職は見つからなかったけど、帝印は見つかりました、とは言えない。
とりあえず苦笑して誤魔化しながら、ポケットに突っ込んでいる右手に思いっきり
玉璽の感触が伝わって、どうしようか悩む。

音々音の前で玉璽を井戸に投げ捨てるとか、ちょっと怖い。
どういうわけか、本体に尽くしてくれ主と敬ってくれる音々音だが
流石に玉璽を音々音の前で投げ捨てたら『死ねよ偽帝チンコ』とか言われるかもしれない。
今までの音々音からして、そんな反応は無いとも思うが、可能性はある。
そのくらい玉璽とは、漢民族、漢王朝にとって重要なアイテムなのだ。

本体としては、この世界で唯一といっていい、北郷 一刀を認めてくれている人間に対して
そんなリスクは取れるはずもなかった。

「では一緒に歩いて職を探しましょう!
 ついでにお昼ご飯も済ませていくという策を、ねねは提案するのです!」
「う、うん、ソウダネー、いいさくだ、ソウシヨッカー」
「任せろなのですよ! では出発なのですぞー!」

そして俺の懐には、玉璽が収まっていた。



      ■ 考える人


一刀と音々音は職を探しながら、肉まんやシュウマイを買って食べ歩き観光をしていた。
音々音は一度来たことがあるらしく、色々と案内までかってくれたのである。
ほんと、マジでいい子すぎて一瞬泣きそうになる一刀。

そうして一刀が働いてみようかな? と思える場所が3箇所に絞れた。
幸い、先に打診したところ雇ってやるとの返答は貰っている。
後はこの3つから選ぶだけとなったのである。
洛陽最強すぎる。 
陳留は難易度がウルトラベリーハードとかになってたに違いない。

一つ目の候補は飲食店である。
それも、数ある飲食店の中でも割と活気がある場所で、人が多かった。
人が多いということは、必然的に仲の良い友人を作りやすくなるということだ。
勿論、逆に人が集まる場所なのだから諍いや喧嘩もあるかもしれない。

二つ目の候補は本屋だ。
流石に首都・洛陽なわけで、品ぞろいは抜群であった。
音々音も見たことの無い本の数々に、目まぐるしく視線をさまよわせていた。
今までの苦労をかけた分、ここで働いて興味のある本を譲ってもらう事で
音々音の恩返しになればいいかもしれない、と思い候補に残したのだ。
自分も文字を読む練習、書く練習が出来るかもしれないという利益もある。
デメリットを挙げれば拘束時間が長かったことだろうか。

三箇所目は少々特殊で、卸業を行っている商家であった。
なんでも王宮へも品を運ぶらしく、扱う商品はそれこそ多岐に及んだ。
勿論、高い物だけでなく、庶民に卸す品物も多い。
ここの利点は何といっても、この世界の経済について詳しくなれる事だろう。
適正価格や流通具合を見れるというのは、今後の生活の上で大きな武器になってくれるはずだ。
心配なのは、今のこの時期に王宮へ出入りすることになることだ。
見方に寄っては、有名人を見ることが出来るチャンスとも見れるかもしれないが。

「さて、どうしようか」

本体は悩む。
脳内の答えも様々だった。
“魏の”“袁の”“仲の”“南の”は飲食店を薦めた。
食を通じて人と仲良くなることは珍しくなく、人の繋がりを実感できると。
特に“袁の”は袁紹が食事に拘っていたせいか、飲食関係には熱意を見せていた。

“呉の”“白の”“董の”“肉の”は本屋を薦めた。
知識はその人物の支えとなるもの、知識失くして世は渡れない、と諭してくれた。
音々音の事も考えて欲しい、とは“董の”の言。

“蜀の”“馬の”“無の”は卸店だ。
この三人に共通したのは、今の朝廷がどのような状態なのかを理解するべきだとのこと。
更に経済や品物の流通具合は確認したいとの事だ。
この意見は本体も同様に思っていたことなので、素直に賛同できた。

いよいよ迷ってしまう本体である。
脳内でも割れてしまった意見に、何処を足がかりにするのか必死に考えた。
人の和を作るか、この世界の知識を蓄えるか、経済や実情を確認するか。
どれも行えれば良いのだが、あいにくと意識は複数あっても身体は一つだ。

「困った困った……」

ポケットに突っ込んだ玉璽の存在も、非常に困った。
タイミングを逃したせいか、どうにも捨てられない。
下手な場所に置けば騒ぎになるし、どうしろと。

ぼうっとしながらも頭は色々と考えている。
中央広場の階段に腰掛けて、何かの店の人間と会話を交わしている音々音を見ながら
本体は煮詰まりつつあるのを自覚して、目頭に手を当て揉み解す。

ふいに、一刀の頭上から降ってくる声。

「――――ですのっ!」
「――なのじゃ~!」
「きぃぃぃ、許しませんわよ美羽さんっ!」
「ぎゃあああ、七乃~~! 麗羽がいじめるのじゃ~!」
「お待ちなさい! っあ!」
「ぴぅっ!?」

「うん……? なんだか騒がしいな―――ってうおっ!」

階段の丁度中央あたりに位置した一刀に、影が覆いかぶさったと思った瞬間。
彼は怒涛の流れに巻き込まれて、階下でひしゃげた。

「姫~~~!?」
「美羽様~~!?」


      ■ 構造上不稼動部分


「いててて、なんだなんだ?」

なすすべなく、何かに押されて階段から突き落とされた本体一刀。
頭を抱え、顔を顰めつつ原因を探ると、どうやら人に振ってこられたようだった。
視界に収めると同時に脳内が合唱。

『麗羽っ!』
『美羽っ!』

「いたたた……なんてことなさいますの、美羽さんっ!
 球のお肌に傷がついたらどう責任を取るというのですかっ」

「わらわのせいではないのじゃ!
 麗羽が猪みたいに突進しなければ、こんなことにはならなかったのじゃ~~!」

「ぬぁっっっんですってぇー!?」

「ぴぃぃぃ! いきなり凄むのは卑怯なのじゃぁ~」

一刀を無視して、口論を始める二人の美少女。
どちらも金髪。
年上と思われる少女は、とてつもない金髪ドリルであった。
曹操なんて目じゃない。
言うなればボールとビグザムくらいの質量の差である。
キッと吊り上げた眉は細く長い。
整った顔立ちなだけ、その分怒った顔は迫力を増していると言えた。

対して押されながらも必死に口論を続ける少女。
こちらは愛くるしい衣装に身を纏い、くりくりとした瞳が幼さを引き立てている。
顔は若干柔和で騒乱などは苦手な部類のような感じがした。

この二人、姉妹だろうか。
そんなことを思っていた本体に、脳内が声をかけてきた。

『なぁ本体、少しだけ体を貸してくれ』
『出来れば俺も借りたい』

『おい、“袁の”“仲の”、何をするっていうんだ』

『何も出来ないかもしれない……ていうか、多分出来ないよ。 それでも……』
『理屈じゃないんだ、頼む! 声だけでも、自分でかけたいんだ!』

『分かった、貸してあげてくれないか、“本体”』
『おい、“魏の”』
『分かるんだよ、俺。 華琳と出会って、何も出来ないからってあの場では無茶しなかった。
 けど……けどやっぱ、俺も。
 何も出来なくてもいい、意味のある会話もできなくていい。
 真名じゃなくてもいいから、華琳を呼びたい。
 ちょっと後悔してるんだ……だから、二人の気持ちが分かるんだよ』

『……』

脳内の言葉を聞いて、本体は頷いた。
もとより、この世界で自分が決めた目的の中の一つに、彼らの想い人と会わせてあげるという物があるのだ。
こうして出会えたのも運命と言える。
断る理由なんて、今の本体には無かった。

「うん、分かった。 貸すよ、俺の身体」
『ありがとう』
『感謝する』

異口同音に礼を聞き、本体は二人の間に割って入った。
口論に夢中になっていた二人の少女は、突然現れた(かのように見えた)男に視線を移す。
そして、一刀の身体は動いた。

『げっ!』
『おいっ!』
『馬鹿っ!』

そこで本体の意識は途切れた。
意識の俺が何かを叫んだのと、身体の芯からボキリという生々しい音を最後に。


      ■ トラップ発動


それは、不幸な事故なのだろう。
“袁の”も“仲の”も悪気があったわけじゃない。
ただ二人が身体を乗っ取ったのが同時で、本体を操ろうとした瞬間に
“袁の”も“仲の”も意識が堕ちただけだ。
ある意味、本体がお膳立てした位置が最悪だったとも言える。

簡単に本体の動きを説明すると、袁紹と袁術の間に入ると突然身体が動いた。
まず上半身が袁紹へ真正面に向いた。
殆ど同時に袁術の方へ下半身が真正面に向く。
上半身と下半身が、まるで別々の動きを織り成して、そして崩れ行く男の身体。

「ぎゃ、ぎゃああああああ! 化け物なのじゃあああああ!」
「あっ、美羽様~~、待って下さい~~!」

確かに、これは人間には不可能な動きであった。
少なくとも、一人の人間の意志でこの動きを体現するのは不可能だ。
それは例え超一流の武人でも……そう、呂布でも不可能だろう。

「な、な、な、な……」

壊れたレコーダーのように、二の句を告げない袁紹。
倒れ伏した奇怪な態勢の男に驚いて、一目散に逃げ出した袁術と違い
まるで蛇に睨まれた蛙のように動くことが出来なかった。

「姫! 大丈夫ですか!?」
「姫~、こいつなんなんです?」

従者の二人の声で、袁紹は夢から覚めたかのようにハッと顔を向ける。
見慣れた従者の顔を見て、ようやく袁紹の脳は再起動した。

「猪々子さん、斗詩さん、私ちょちょちょっと、驚ろきききましたわ」
「……えっと、姫、とりあえず怪我はないんですよね?」
「ええ、ええ大丈夫ですわ、私は袁本初ですわよ!? おーっほっほっほっほっほほふっげふっ!」
「うわぁ~、姫が高笑い失敗するなんて初めてじゃないかー? 斗詩ぃ」
「うん、そうかも」
「っというか、いきなり何なんですの、この男はっ!」

咳き込んで恥ずかしかったのか、やや顔を紅くしながら八つ当たり気味に
物言わぬ肉塊と化している一刀に蹴りを入れる袁紹。
その拍子に、一刀の懐からポロリと何かが出てくるのを斗詩と呼ばれる少女が見つけた。

「うわー、姫。 既に事切れている民に向かって容赦ないですねー」
「だ、だって本当に驚きましたのよ……仕方ないですわ」
「ええっ!? これってっ!?」
「どうしたー?」
「斗詩さん、どうしましたの?」


「これって玉璽!? でもこんな人が……いや、でもこれは間違いなく本物……」
「え!?」
「何ですの?」

驚く猪々子と斗詩。
何が起こってるのかまったく分かっていない袁紹。
斗詩は懐にサッと玉璽を隠すと、猪々子に目で合図して歩き始めた。

「あら? どうしましたの斗詩さん? ん、ちょっと猪々子さん。
 どうして私の手を引っ張って、っちょ、ちょっとお待ちなさい!
 引っ張らないでも歩けますわよ!?」

抗議を他所に、ズンドコ進んでいくく猪々子と斗詩に引きずられながら
洛陽の中央には、一刀の死体だけが残された。
いや、死んではいないのだが。

ようやく一刀の異変に気がついた音々音が本体を救出したのは
袁紹が去ってから3分後の出来事であった。

「ぎゃあああ、一刀殿~~~!? 医者ぁ、医者を呼ぶのですーーー!?」

洛陽に、音々音の叫び声が響いた。


      ■ 森の中

その頃。

「んっ!? 今、確かに俺を呼ぶ少女の声がしたが……よし、待っていろ! 今すぐ行って治してやるぞ!
 うおおおぉぉぉぉぉ、ごっどぶぇいどぅぅぅおおおおおぉうぅぅぅ!」

洛陽郊外の森の中、凄まじい気を放ちつつライフルで撃たれた弾丸のように走る男の姿が、各所で目撃されたという。

      ■ 外史終了 ■


この外史は戦争しますん。



※桂花たん愛してる



[22225] 都・洛陽・入念な旗立てであの子の湿地帯がヌッチョレするよ編
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:64fa16e3
Date: 2010/10/19 13:24
clear!!       ~音々音の膝裏から足首にかけて白蟻が行進するよ編~

clear!!      ~都・名族・袁と仲、割れ目の中で四股が捩れるよ編~

今回の種馬 ⇒ ★★★~都・洛陽・入念な旗立てであの子の湿地帯がヌッチョレするよ編~★★★



      ■ 無意識下の幻


少女は儚げに湖面の周囲を見つめていた。
湖面の周りには多くの兵士と思われる者が、そこかしこで炊き出しの準備をしている。
煙揺る紫煙が何本も空へと溶けていき、何かを炊き込んだ甘い匂いが鼻腔を衝く。
そんな様子を忘れぬようにと、少女は眼に映る風景を眺め続けていた。

「月、こんなところに居たのか」
「……あ、ご主人様」
「天幕に戻らなくていいのか? 水辺に居たら冷えるだろうし詠も心配するよ」

一刀に気がついた月は、彼の言葉に頷く。
しかし、肯定を示しながらも彼女は動かなかった。
首を再び湖面にめぐらす。
そんな月に、一刀は頬をかきつつ彼女の隣に腰を落とした。

しばし二人で景色を眺めていた。
陽が紅く染まって地平から隠れようかという頃。
月が俯きながら一刀に尋ねた。

「これから、どうなるんでしょう……」
「……」

一刀は答えない。
もう、彼が知る流れは完全に逸脱してしまった。
月が呟いた不安は、そのまま一刀の不安でもあるのだ。

「この先、どうすればいいのか分からないんです。
 ただ流されて、流されてここまで来てしまった。
 こうして私がここに居ることが、本当に皆の為になっているのかも……」

そこで元々消え入りそうなほど声量を抑えた彼女の言葉は途切れた。
俯く月とは対照的に、一刀は星がちらつき始めた空を見上げていた。

「それを言ったら俺だってそうだよ。
 でも、正しいと思うことをしてきたって思いはある。
 だってそうだろう。 月は何も悪くなかったんだ」

「……」

「反董卓連合を打ち破ったことで、乱世で頭一つ飛びぬけた俺達は
 もう殆ど取れる選択肢は少ないよ。
 だからこそ月は悩んでるんだろうけど……」

そう、彼らの選べる道は殆ど無い。
持ってしまった権力が、時の時勢が、なにより今駆け抜けている時代が許してくれないのだ。

「ねぇ空を見てごらん、今日は満月みたいだよ」

「……ご主人様」

「これから先、俺達は長い夜の中を駆け回ることになると思う。
 詠も恋も霞も華雄も……俺達だけじゃない、曹操や劉備、袁紹達だってそうだ。
 この大陸が、今まで以上に深い闇の中を駈けずり回ることになる。
 ……将兵だけじゃなく、商人も、兵士も、平民も、全員が闇の中だ」

何かを伝えようとしているのを感じたのか。
月は天空を見つめる一刀を、見上げるようにして視線を向けた。
彼の視線の先には、既に宙空へ上った丸い月がポッカリと浮かんでいる。
夕焼けと闇宵の狭間で浮かび上がる月は、ある種の幻想的な雰囲気があった。

「闇の中を歩くのに必要なのは光だ。
 月は闇を優しく照らして、道を示してくれる。
 そして……いつか夜が明けて陽が差すんだ」

一刀が言わんとしていることに気がついて、月は慌てたように俯いた。
流石に、月にとって彼の言っている事は過大な表現すぎたのだろう。
一方で一刀の方も、言葉にしてから何が言いたかったのか訳が分からなくなり始めて
とりあえず月に向かって真正面に回ってみた。

「そんなこと……」

「……ちょっと大げさかもしれないけれど。
 月はそうやって悩んでいても良いって言いたかったんだ。
 つまりまぁ……闇の中に居る人間は勝手に光を目指すから、あんまり気にしないで気楽にしてよって事だよ」

「へぅ……無理ですよ……」

「無理じゃないよ、月が光っていられるように、俺も頑張るよ。
 先の事に不安になるのも分かるけど、結局人間って出来る事を一つずつやっていくしか
 出来ないんだからさ」

「じゃあ……ご主人様……夜が明けて大陸を照らす陽になるのは、
 天の御使いであるご主人様ですね」

「はは、そう、だね。 ……闇の中は君が照らしてあげて」

「……ご主人様」

「月……」

そして二人の影は重なり……

「こらぁあああ! 変態ちんこぉぉぉ!」

出来つつある影を引き裂くようにして突然の怒声と衝撃が一刀に走った。
もんどりを打って倒れ、その拍子に湖まで転げ落ちて、盛大な水音を響かせてしまう。
顔を上げた一刀が、肩を震わせながら襲撃者―――董卓軍の最大の頭脳である詠に憤慨しながら詰め寄った。

「いってぇ……何するんだよ、いきなりっ!」

「ちんこ、あんたね、慰めるならもう少し上手く慰めなさいよ!
 訳の分からない詩に酔って月に負担かけるようなことばっか言うんじゃないわよ!」

「うぐ……わ、悪かったよ、でもなんかこう、上手くいえなかったんだよ。
 ていうか、人を指差してちんこを連呼するなっ!」

「うっさい、あんたなんて、のっぴきならないちんこで十分なのよ!
 ったく、任せてみようと思って見守ってれば意味不明の戯言を呟く上に月を混乱させて襲うなんて!
 やっぱりあんたは油断ならないわっ!」

ビシリと再び指を指されて一刀はうろたえた。
別にそんなつもりは無かったとはいえ、思わず良い雰囲気になったのは一刀も認めるところだったのだ。
とりあえず助けを求めるように月を見上げた。
助けとなるはずの月は、何やら頬を紅くして両手で押さえ「へぅ……」とか言いながら慌てている。
どうやら詠の抑止力として今は期待出来なさそうだ。
水の音を聞きつけたのか、気がつけば周囲には恋や霞がこの場に駆けつけていた。

「なんやー一刀、狼さんになってたんか」
「……狼さん?」

「ちょっと待て、俺は別にそんなことは「ちんきゅ~~~~~~~」 ハッ!?」
「キーーーーック!」
「ぐはぁっ!?」

「強姦魔が居ると聞いて飛んできたのですぞ! 悪は滅びたっ、なのです!」

側頭部に見事な蹴りを入れられ、何か叫んでる音々音の声を聞きながら
もう一度水の中に落とされる一刀。
顔から突っ込んだ水の奔流が、一刀の視界を覆う。


視界は暗転した。


次に顔を上げれば、そこは雄大な大地が広がった荒野。
隣に馬を合わせるのは長い髪をポニーテールで結い上げた美少女であった。

「今度の戦いは大きな物になるな、軍師殿としてはどう見てるのかな」

「軍師殿って、別に俺は軍師を名乗れるほど頭は良くないんだけどなぁ」

「何言ってんだ。 瞬く間に中原を食い荒らしたじゃないか。
 謙遜も度が過ぎると厭味になるんだからな」

「はは、確かにそれは事実だけど……でも食い荒らしたのは俺じゃなくて翠だろ」

翠と呼ばれた少女は、褒められているのに慣れていないのか
馬鹿を言うなと言いながらも頬をにやけさせていた。
今度の戦は大きな物になる。
華北を制した曹操との決着をつける為の戦だ。

「場所は、やっぱり官渡あたりになりそうなのか?」

「ああ、そうなると思う」

「そうか……厳しいものになるかな、やっぱ」

深いため息を吐いて翠は馬上で呟いた。
一刀も同意するように頷く。

官渡の戦いでは、どうしたって水軍が必要になってくるだろう。
西涼を拠点とする馬騰軍は、騎馬の扱いには長けていても水の上ではその実力は発揮できない。

一方で、袁紹を水上決戦で打ち破った曹操軍は水戦を一度、二度は経験していた。
この差はでかい。

「母さんも、あんまり体調が良くないみたいだし、出来れば今回は戦いたくないんだけど」

「そうだね……」

翠の母親である馬騰は、今体調を崩していた。
そして恐らく、曹操軍はそれを見越していた。
攻めてきて欲しくない時期に、どんぴしゃで合わして来たのだから、そこは疑いようが無い。

もちろん、馬騰軍も準備は怠っていない。
曹操の取る、このタイミングでの侵攻は予測の範囲の中であった。
一刀は考える。
こうした情勢の中で翠は弱気になっていた。
改めてこうして二人で顔を合わせて、それは確信に変わり。

そして、彼女を励ます為に出てきた言葉は、結局当たり障りの無い言葉になってしまった。

「翠、頑張ろうな」
「なんだよ、突然」

「例え何があっても、(気兼ねなく戦えるように)俺がお前を支えるよ」
「へ? はぁ!?」

短くそう告げて一刀は逃げるように馬を走らせる。
一瞬、頭が真っ白になってしまった翠はしばし呆然と遠ざかる一刀を見ていたが
何かに気がついたかのように自分を取り戻すと、頬を染め手を胸に当てたり顔に当てたりと
わたわたし始めたのである。

「おいこら一刀、今のって……お前……こ、こ、告白……?」
「聞い~ちゃった、聞いちゃった!」
「うわっ、蒲公英っ!? 一体何処から!?」

「くふふふ~、良かったねお姉さま、これでお母さんも安心するでしょ」

「何言ってんだ!? 今のは、あれだ! きっと私が暴れるための舞台を整えてくれるとか
 そういった意味で言ったんだ、多分!」 ←正解

「何言ってるの? 話の流れから考えて一刀がお姉さまを欲しいって意味に決まってるじゃん」 ←不正解

「う……やっぱ、そうなのかな……」

「うんうん、たんぽぽも一刀とお姉さまの事を応援してた甲斐があるってものだよ」

「蒲公英……」

自分を落ち着かせる為だろうか。
翠が胸に手を当てて大きく深呼吸を繰り返す。
そんな自身が姉と慕う翠を見て、蒲公英こと馬岱は柔和に微笑んだ。

「さぁ、お姉さま! 一刀と祝言を挙げるためにも、まずは邪魔者の曹操をぶっちめにいこうよっ!」
「あ、ああ、そ、そうだな! よぉーし、見てろ曹操! あたしの正義の槍の餌にしてやるっ!」

翠は乗せられるようにして気炎を上げると、馬首を巡らして一刀の後を追いかけるように駆け出した。
それを見送りつつ、自分も馬に乗ると蒲公英は小悪魔のようにニヤリと笑う。

「作戦成功~、一刀にお願いした甲斐があったね」

戦の前、弱気になる姉を励ましてくれとお願いした蒲公英だったが
面白い方向に話が転がったので、非常に満足げに頷いていたのであった。


翠から一里ほど離れた場所で馬を走らせていた一刀は、気がつけば深い密林の中に居た。

「兄ぃ、これが蜀の奴らから貰った手紙にゃ」
「ありがとう」

一刀は手紙を受け取ると、その中をその場で開く。
挑発とも受け取れる文面を最後まで読むと、苦笑しながら書を戻した。

「何て書いてあったのにゃ?」

「こちらを誘い出す為の招待状だったよ。 蜀としては周囲の足固めとして
 南蛮……この辺の地理は無視できないだろうからね。
 急激に纏まりを見せている俺達を取り込めないかと考えているんだろうな」

挑発した理由は、これで怒って手を出してくれれば良し。
手を出さず招待に応じれば、蜀との国力差を考え萎縮した、と考えることだろう。
どちらにしても、南蛮を手に入れる為の足がかりになると思っている。

書を出した人の名前は諸葛亮孔明とある。
三国志を知る人間ならば、いや、三国志を詳しく知らない人でも知っているだろう。
超有名な三国一の天才からの手紙。

狙いは深く考えなくても、南蛮を征して蜀の力を伸ばそうというものだろう。
南蛮を征することによって交易による国力の増加や、単純に周囲に対しての威嚇、蜀という国の存在感を
知らしめる意味も含んでいるかもしれない。

「美以、こっちも蜀に対して手紙を出そう」

「兄ぃが言うならそうするにゃ。 でもなんて書けばいいのか分からないのにゃ」

「大丈夫、俺が言うとおりに書いてくれればいいから」

蜀の狙いであろう物を頭の中で纏めて、それら全てを文面に興した。
この時の一刀の狙いは幾つかあった。
美以達はこの南蛮を治めているが、一刀が把握している限りで見れば事情は良くない。
自分達の暮らす場所を守りたいだけの美以達に、蜀の介入という余計な物を背負わせたくは無かった。
それを牽制したかったのである。

勿論、三国志に出てくる諸葛亮孔明という天才に、自分の浅知恵が通用するなどとは思っていない。
ようは孔明という天才の“彼”の思惑を、少し外して対応に迷わせる時間を作ればいい。
そう、時間稼ぎが出来れば上出来だった。

「諸葛亮孔明が史実や演義のように聡明ならば、手紙の内容には驚くだろうし、こちらを警戒して出足は鈍るはず。
 蜀が警戒している間に、南蛮の勢力を纏め上げることが出来れば、蜀も手を出すのに多くの躊躇いが生じると思うんだ。
 その時に交渉の場を求めれば、話は悪くない方向に転がるはずだ。
 いっそ、呉へと密使を立てて同盟を組み蜀を警戒させてもいい。 うん、案外といい案かもしれないぞ」

「良く分からないのにゃ」

「はは、美以はそれでいいよ。 さぁ、食事にしようか。
 今日はミケ達がお酒を持ってきてくれたよ」

シャムに手紙を預けて、一刀達は食事を始めた。
この手紙の行く末がどうなるのかを、考えながら……


「元気になぁぁぁぁれぇぇぇぇぇ!!!」


衝撃と共に場面は変わる。


そこは月夜の森の中。
一刀は、背を向けて肩を震わしている金髪ミニドリルの少女に向かって優しく微笑んでいた。
彼女は慟哭を思わせる声色で、願った。

「逝かないで」

胸を打つ。
それでも一刀にはどうしようもなかった。
声を震わせ背を向けて涙を流している彼女に、最後の時まで声をかけることしか出来ないだろう。

「ごめん……でも、もう無理かな」

「一刀……!」


「いかん、気が乱れている。 一度安定したはずなのに……!
 負けるものか……こうなったら、もう一度打ち込むまでだ!
 うぉぉぉぉぉおおお! 気よ高まれぇぇぇ!」


ブラウン管の砂嵐のような視界に覆われ、場面が変わる。


「五湖の連中が攻めてきた!?」

「数は?」

驚くように振り返った先で、星が冷静に伝令から詳細を聞いていた。
険しい面持ちで、朱里と雛里も耳を傾けている。
五湖は数多の部族が集結しており、その数は50万を優に越えているという。
とんでもない大軍であった。

「ようやく、これで民の皆も安心して暮らせる世が作れたと思ったのに……」

「桃香様……」

「桃香……」

「……ご主人様! 戦いましょう! こんな事で我々の夢を崩させる訳にはいきません」

力強い愛紗の目を受けて、一刀はしばし黙考してから頷いた。
どちらにしろ、放っておく訳にもいかない。
相手の狙いは、間違いなくこの大陸を横から浚うことなのだから。

「分かった、桃香や愛紗、朱里達が築き上げたものを、横から奪うような奴らは―――」


変わる。


「麗羽様! 左翼、崩れました!」

「ちょっと一刀さん!? どういうことですの! 早くなんとかしなさいな!」

「大丈夫だよ、麗羽。 左翼はむしろ崩して欲しかったんだ。
 味方に崩れて欲しいって思うのは、ちょっと気分が悪いけれどね……
 あそこに、左翼に居るのは獅子身中の虫、いわば排除したかった連中が居るんだ。
 田豊さん、予定通りでいいよね」

「はい、一刀様。 後曲を動かし、これからはそれを左翼と扱います。
 兵数から考えても問題はないかと」

「どういうことですの?」

「これから相手を優雅に倒すってことだよ、麗羽」

「あらそうでしたの? なら、そういたして下さいな」

余裕のある顔に戻り、取り繕うような形で扇をはためかせ始めた麗羽を見て
一刀は苦笑しながらも微笑んだ。
 

変わる。


「雪蓮……誇り高き王……君の意志を継ぐ子はここにいる。
 ここに居るよ……」

「な、一刀……こらっ、離せバカッ……」

「蓮華……」

「皆、見てるぞ北郷」

「……ごめん、蓮華、冥琳。 つい、感極まって」

「やれやれ―――


「はぁぁぁ!! 一鍼同体! 全力全快!!」



変わる。


「いよいよだな、一刀」

一糸纏わぬ姿ではにかみながら微笑む白蓮。
その横で柔らかに笑みを浮かべて彼女の髪を梳いている一刀。

「ようやく、ようやく最後だ。
 全部終わらせる時が、来たんだな」

「違うよ白蓮、ようやく始まるんだよ。
 終わった後の方が、俺達にとって厳しい戦いになるんだ」

「そうか……そうだったな」

「ああ、きっと、ね」


「必察必治癒!!!」


変わる。


「俺は! 俺はこんなところじゃ死ねない……死にたくない……■■■っ!」


「元気になぁぁあああれぇぇええぇ!」

黄金の光が、視界に広がったような気がした。


      ■ 医者王との出会い


最初に眼に映ったのは、何処かの部屋の天井だった。
重い頭を振り切るように、ゆっくりと左右に首を巡らし、周囲を確認する。
何時だったか、自分がしていたように足元で身体を沈める小柄な身体が視界に映る。

「ねね……」

「ん、起きたか……経過4日目で眼が覚めるとは」

一刀が声の方向に振り向くと、赤毛の青年が水桶を持ちながら見ていた。
凛々しい顔立ちに、白いマントのような物を羽織り、黒い布地の服を着ている。
張るような筋肉は、彼の身体を大きく見せていた。
まだ若い。
殆ど一刀と歳は変わらないだろう。

「えっと、貴方は……」

「俺は華蛇。 ゴットヴェイドーを広める為に大陸を歩く流れ医師だ。
 陳宮殿に一刀殿の治療を頼まれて伺ったんだ」

「そうだったのですか、すみません」

「気にしないでくれ、人の病を治すのがゴットヴェイドー、俺の使命だ」

深く頭を下げた一刀に、華蛇は苦笑しながら頭を上げるように体で伝えた。
口を開けて寝ている音々音を見て、自身の状態を確認すると一刀は自嘲した。
迷惑ばかりを、この小さな少女にかけてしまっている。

「起こさないでやってくれ。 死ぬほど疲れてる。
 陳宮殿は一刀殿を必死に看病していた。
 寝るときもこの部屋から離れないくらいでな、逆に彼女を心配するくらいだったんだ」

「そうでしたか。 華蛇殿、重ねてお礼を」

「なに、気にしなくていい。 それより体の具合はどうだ?」

「もう大丈夫ですよ。 すこし体と頭が重いですけど」

立ち上がろうとした一刀であったが、それは華蛇に止められた。
なんでも華蛇が最初に一刀を見たときは、手遅れかもしれないと思った程だそうだ。
こうして体が快方に向かっているのは、ある意味奇跡だったとも言っていた。

それを聞いて本体は体を震わせた。
脳内の一刀達が自分の身体をどう動かしたのか。
というか、瀕死になるってどういうことだよ、と。

「あれ?」

「どうした?」

そこで気がつく。
本体は脳内で何時も何かしら話している自分達が沈黙していることに。
自分の脳内に自分達が住み着いてから約3週間。
それまで常に自分を励まして、時にイラつかせ、騒がしかった彼らがみな一様に沈黙していた。

「いや、なんでも……」

「そうか? 身体になにか異常があれば言ってくれ」

「ええ、ありがとうございます、華蛇さん」

「それじゃあ、俺は行くから。 今日一日はゆっくりと床についていることだ」

「あの、華蛇さん、一つ聞いていいですか?」

「なんだ?」

「俺って、どんな状態になってたんですか?」

その言葉に、華蛇は眉をすぼめて難しい顔をした。
言おうか言うまいか、少し悩んでから何かに頷くと、教えてくれた。

「君は上半身と下半身が真逆を向いていて口からは泡が、鼻と眼からは血が吹き出ており
 背骨は砕け、腰が捩れ、筋が断裂し、一目見て8箇所から骨が皮膚を突き破るのが確認できて、内の臓が―――」

「分かった、ありがとう。 もういいや」

「そうか……いや、実際あれは目の当たりにすると、本当に生きて話せるのが不思議なことに思える。
 生命力が強いんだな、一刀殿は」

感心するように褒められたが、一刀は全然嬉しくなかった。
むしろそれほどの重症であった状態をマッハで治した華蛇が異常に思えた。
何の補正だよ、と思わず心の中で突っ込んだほどだ。

その後、華蛇は今日一日は絶対に何処にも行かずに床の上で安静にすること。
暫くの間、経過の観察をしたいので華蛇がこの家に通うこと。
それらを一刀と約束し、他の病人の元へと華蛇は出かけていった。

「……皆?」

華蛇が出て行ったのを確認してから、本体は脳内の自分達に声をかけてみた。
ところが、やはり自分の脳内から答えが返ってくることはなかった。
この世界に来てから、確かに居た存在が消えた。
一刀は首を捻ったが、ある意味正常に戻ったとも言える。
もしかしたら、華蛇は脳内の治療まで行ったのかもしれない。

「いや、そんなまさか。 脳内くちゅくちゅされたとかないない」

この現象やゴットヴェイドーについて深く考えるのはやめて
華蛇の持ってきた治療食に手をつけると、忘れるようにしてもう一度床についた。


      ■ 駄目だ


一刀は華蛇の診察を受け、意識を取り戻してから3日後。
ようやく外出の許可が下りた。
一刀としては身体に異常らしき異常も無く、自由に動けていたので
床についているのは苦行でしかなかったのだが
実際に治療を受けるよう懇願する華蛇と、そして何より音々音を無碍にするわけにもいかず
大人しくしていたのである。

3日間、暇な日々を過ごしていたが、2日目辺りから脳内の彼らが一人、一人と本体に戻ってきていた。
おかげさまで最後の一日は彼らの議論をBGMに出来たので、そこまで暇ではなかった。

本体が知らぬところで、華蛇が眉を顰めていたのに本体は気がつかなかった。

とにかく久しぶりの外だ、と一刀は早速家を出ることにした。
後ろから音々音がついてくる。

「そういえば一刀殿。 お礼のことなのですが、相談したいのです」

「お礼? ああ、そうだよなぁ。 華蛇にもお礼をしなくちゃ……」

「華蛇殿もそうですけど、この家に運んでくれた方にもお礼を言うべきですぞ」

「華蛇が運んでくれたんじゃないのか?」

話を聞くと、音々音が一刀の死体らしき物を見かけて泣き喚いていた時に
一刀を安静に出来る場所へ運んでくれた候が居るとのことだ。

「あの時は、恥ずかしながらねねも気が動転しておりまして、名を伺うのを怠ってしまいました。
 一刀殿が寝ている間に調べて、ようやく分かったのです」

そう言って音々音は懐から書を取り出した。
書と言っても、大層な物ではなく、どちらかと言えばメモ帳のように乱雑に情報が書かれている物だった。
そして、音々音の口から飛び出した名前には本体も、脳内の一刀達にも驚いた。

「そのお方の名は公孫瓚伯珪殿です」

「公孫瓚!」
『『『白蓮!?』』』
『ああ……あの子か、あの普通の』
『おい、普通とか言うなこら』
『実際、騎馬の扱いは普通なんてレベルじゃないけどな』
『“馬の”が言うと説得力があるな、なんか』
『一度ぶつかったんだよ、その時公孫瓚は曹操のところに居たんだけど』
『興味深いが、その話はとりあえず後だ、後』
『っと、すまん』

「一刀殿は知っておられたのですか?」

「いや、名前くらいはね。 そうか……でも何でそんな地位の人が」

「そうなのです。 問題はそこなのですよ」

ため息を尽きながら音々音は肩を落としたように言い捨てた。
何でも、礼を言うべきだと進言したのはいいが、は公孫瓚は幽州遼西郡の太守である。
現在、洛陽では賊の横行に対する軍議が開かれており、当然ながら公孫瓚も出席していた。
そして、軍議は宮内で行われている。

一般人である一刀も音々音も、宮内にはおいそれと入ることなど出来ないのだ。

「ついでに言えば、一刀殿を襲った不届き者も諸侯の……しかも手を出すことなど不可能な程の大物だったのです」

音々音が調べたところ、一刀を襲ったのは袁紹と袁術であることが分かっている。
実際には彼らに襲われたのではなく、ただの意識群の暴走で自滅しただけだったのだが
憤慨する音々音に、なんとなく本体は真実を告げることが出来なかった。

「そうか、それじゃあお礼を言うのは難しいね」

「しかし、ねねとしては世話になった方に何も言えないのはもどかしいのです。
 なんとか会う方法があれば良いのですが」

「うーん、そうだなぁ……」

本体は顎に手を当てて唸った。
本体が音々音と一緒に過ごして分かった彼女のことだが
責任感が強く、礼儀を重んじる。

一刀を主君と仰いでいるため、臣下の分を越えるようなことは絶対にしない。
しかし、かといって一刀を甘やかすだけではなく、異世界に慣れていない一刀の間違いを見かければ
やんわりと諭して、行動の是非を教えてくれたりもするのだ。

音々音の気質は、実直で素直。
弁では正論を振りかざす音々音は、見る人が見れば頑固者で頭が固いというかもしれない。
柔軟な発想をする人間からすれば、音々音の正論が時に疎ましく思うことだろう。
彼女を一刀が助けた時が、良い例ではないだろうか。

そんな彼女だからこそ、礼を言えないことは心の内にわだかまりが残るのだと一刀は思う。
一刀は、感謝してもしきれない彼女に報える事があれば、それをしてあげたいと思っている。

とりあえず頭を捻って考え出したことは、宮内に身一つで入れないのならば
入っても良い人についていこうと言う物だった。

「よし、じゃあ宮内に入れそうな卸店に就職しよう」

「一刀殿、しかしそれは……」

こういった結論に辿りついた音々音はしかし、顔を顰めてしまった。
一刀の答えを聞くまで、彼女の頭にすら思い浮かばなかったのだが
音々音が言ったことにより、一刀の選択を誘導してしまったのではないかと気付いたからだ。

一刀が悩んだ選択肢に、助言をするのはいい。
しかし、今回は一刀がそういう選択をするように導くような発言を先手で打ったように思ってしまったのである。

「良いんだ、どっちにしろ働く場所で悩んでたら事故にあったんだし。
 それに、卸店で働くことで今の世の実情と経済観念が身につく。
 俺としては、候補にあった就職先のどれを選んでもメリット……良い点しかないんだから、ねねが気にする事はないよ」

「そう言われるのでしたら、良いのですが」

「うん、それじゃあ就職しにいこう」

こうして意気揚々と一刀と音々音は卸店に向かい、店主に話をして
店主から次のお言葉を頂戴したのである。

「駄目だ」

「え? どうして、この前は雇ってくれると……」

「いやな、こっちも人手が欲しかったからよ。
 四日も顔を出さなかったから、こりゃあ他の場所で同業の働き口を見つけたかなと思って
 別の人間を何人か雇っちまったんだよ」

「そ、そうだったのですか……」

「つーことで悪いが駄目だ。 また縁があったら、その時には頼むわ」

仕方なくその場を後にし、別のお店で取り合えず足がかりにしましょうと諭され
飲食店と本屋にも足を運んだが、どちらも似たような理由で却下されてしまった。

肩を落として膝を抱え込み、広場の中央で地面にのの字を書き始めて絶望に覆いつくされた一刀に
音々音は肉まんやら饅頭やらを差し出しては必死に慰めた。


      ■ “気”がそぞろ


洛陽へ訪れてから2週間が経った。
職は未だに見つかっていない。
丁度、一刀たちが洛陽へ訪れた時分が一番、人工の掻き入れ時だったようで
一刀が働いてみようと思える場所は片っ端から断られてしまった。

いよいよ選り好みをする時ではないな、と思いつつ、今日も街の広場でブラブラしている。

変わったことと言えば、診察という名の雑談を華蛇がしてくれることだろうか。
むしろ華蛇の元で働いてみようかな、と、ある日一刀は思いつく。
現代でも医学に特別興味があったわけではないので、医者としては働けないだろうが
医学の発展した現代から、一刀はやってきているのだ。
助手、いやそれも難しいかも知れないが、栄養食くらいはギリギリ行けそうな気がする。

「華蛇、俺をゴットヴェイドーの助手にしてくれ」

「いきなりだな……ふむ、助手か、俺も考えたことがあるんだが」

どうも反応が芳しくない、せっかくの友人に倦厭されるのも嫌なので
スパっと諦めた。

「分かった、すまん、忘れてくれ」

「いや、こちらこそすまない。 人を雇うとなると、お金が必要だろう?
 俺は余り裕福ではないからな……人を雇う責任というものを果たせないかもしれないから」

そうだった、と一刀は頷いた。
華蛇はあまり客から金を貰わない。
これはちょっと、驚いたことなのだが、基本的にゴットヴェイドーの医者は儲からないそうだ。
なんでも、医者が人の命を救ったり病魔を払ったりするのは当然のことで
人を助けるのに余分な金銭を分捕ったり、医術を私腹に肥やすために使うのは家畜にも劣る所業だと
言われているらしい。

ゴットヴェイドー。 
考えてみるとドMの人でないと務まらない、と一刀が思うほど過酷な職業だった。

「悪いな、華蛇。 俺、断られて良かったかもしれない」

「そうか? まぁ一刀はどちらかというと、助手というよりも患者だからな」

「何を言ってるんだ、もう治ったんだから患者じゃないだろ?」

「……それ、なんだがな」

突然、声を落として華蛇は言いにくそうに腕を組む。
ちょっと困ったような顔をしながら、華蛇は口を開いた。

「一刀の治療が終わって、起きてから数日は、確かに完治した。
 俺もそれは疑っていない」

「なんだよ、俺どこか悪いのか?」

「身体が悪いというわけじゃない、身体の中に在る気が安定していないんだ」

「気……? ゴットヴェイドーで言うところの、気が?」

「ああ」

「そうなのか……」
『気が安定してないだって?』
『どうなんだ、“肉の”』
『うーん、俺が本体の身体で気を練った時は、違和感無かったけれど』
『“馬の”と“白の”はどうだ? 気を使えたんだろ?』
『まぁ、少しはね。 でも俺も違和感は無かったよ』
『俺も無かった。 自然に気を扱えたけどなぁ』
『華蛇が間違ってるとか?』
『華蛇は名医だ。 それは俺も保障する。 間違ってるとは思えないな』
『じゃあなんで気が安定してないなんて事になるんだよ』
『『『知らんがな』』』

脳内の動揺に耳を傾けつつ、一刀は華蛇を仕草で促した。

「治療をしていて気がついた。 一刀は……そう、気が特殊だ」

「人とは違うってことか?」

華蛇は頷いた。
その表情は、茶化しているともふざけているとも思えない程真剣だ。
一刀は知らず喉を鳴らした。

「普通、人が持つ気は安定しており、無闇に動いたり騒いだりしない。
 けど、一刀の中に眠る気は少なくても7つ。
 多ければ10を超える気を抱えているんだ。
 一刀が強い生命力に溢れているのも、この事が原因になっているのかもしれないな」

『おい、これ俺達のことじゃないか?』
『あー』
『意識を気として捉えてるってことなのか?』
『ありえない、普通は気は一人に一つの気質しか持ち得ないし意識に宿るなんてことも無い筈だ』
『いや、状況から見ても、これは俺達の事だろう』
『本当かよ、“肉の”』
『ああ、“魏の”が言ったように気というものは原則、一人一つの気質だが、
 実際気質は同一人物でも変化することがある。
 俺達が本体の中に入って気質が変わり、それが幾つもの気として感じることは在り得る話だ』
「原因はお前らかよ、ていうかお前ら病気かよ」

「病気だって? 何の話だ? この辺りに病を患ってる人が居るのか?」

「いや、なんでもないよ。 でも、華蛇の心配事が分かったというか……」

まさか目の前の頭の中が病気扱いだったんですよ、などと言えない。
それって、目の前の人の頭の中がおかしいんです=俺って頭おかしいんです。
という公式になりかねない。
華蛇、ゴットヴェイドーのことだ、きっと頭に針を刺して来るはずだ。
頭クチュクチュは嫌だ。

「まぁ……とにかく、正直言ってゴトヴェィドーを学んできた俺でもこれは初めての病状でな。
 気を幾つも内包する一刀は、何時その身に異変が起こるのか分からないんだ。
 現状は回復の促進や、たまに漏れる覇気のような気を纏っているから害は無く、むしろ有益なんだが。
 しかし、危険性があることには違いないからな、だから毎日一刀に会いに来ているんだ」

その言葉は本体にとってちょっとショックであった。
友人として会いに来てくれてるのかと思っていたので、何時発症するか分からない患者として
会いに来てくれていたとは思わなかったからである。
まぁ、本体がこう思ってしまうのは仕方ないのだが、どちらかというと
気になる患者だからと心配して毎日見に来てくれる医者が友達ではないという結論にはならないのだが。
ともかく、一刀としてはもっとこう、なんかこう
何時の間に呼び捨てにされてたりしたし、アレだったのである。

とはいえ、知らなかった事実がここで一つ分かったのは嬉しかった。
脳内に居る自分が、自分の身体に良い方向での副作用が働いていることに気がつけた。
デメリットは、頭の中が騒がしいことだろうか。
それにしたって、助言を貰っていたりもするので頭の中から消えてしまえ、と思ったりはしない。
邪魔なことも、多々あるのだが彼らもその辺は理解を示してくれているせいか
許容できる範囲であった。

「そうだ、一刀。 俺も君の目的という物に同行していいだろうか」

「え?」

「俺も根無し草の旅をしている。 患者を求めて。
 一刀も旅の目的は聞いていないが、色々と大陸を回る予定なんだろう?
 別々に行動したら、一刀の中にある気の様子が気になってしまうと思うんだ」

それは、華蛇の偽りない内心であった。
気を複数もち、気質が騒いだり揺れたりするのを目の当たりにすると
一刀自身の容態も気に掛かってしまう。
更に一刀の病状は、華蛇の短くないゴトヴェイドー暮らしの中で初めて見るものであったのだ。
言い方は悪いが、興味が沸いてしまうのは仕方が無いことだろう。

「まぁ……俺は構わないよ」

「そうか、ありがとう……改めてよろしく、一刀」

「ああ、よろしく、華蛇」

お互いに握手を交わすと、華蛇は患者の下に行ってくると言い残し立ち去った。
素晴らしい医者である。
病魔と真正面から向き合い、自らの気を用いて苦しむ人々を無償(に近い)金額で救うのだ。
なんという出来た青年だろうか。

「一方、俺は未だに無職であった」

口に出してみれば、陰鬱な気分が少しは和らぐかと思ったが
別にそんなことは全然なく、むしろ深いため息となって一刀の心は更に沈んでしまった。
余り考えるとよくない方向に行きそうなので、一刀は現状の自分の立場を
首を振って無理やり振り払うと思考を切り替えた。

経緯はともかく、これからは華蛇も共に旅をしてくれるというのだ。
気になる患者という立場ではあるが、良き友人にもいずれはなれると思う。
実際、華蛇はいい奴だと本体は思っている。
“魏の”や“呉の”、“肉の”も同意してくれていた。

洛陽で、自身の怪我が発端とはいえ、一刀は音々音以外に気の許せる友人が増えたことに
素直に喜ぼうと思ったのであった。


      ■ 脱ニート一刀


華蛇と知り合ってから2週間が経過した。
無職である一刀は肩身狭い思いをしながらも、ひたむきに職を探し求めて歩き
ついに運搬業へと就職することができた。
落陽へ訪れて、実に1カ月後の出来事だった。

どうしてこんなに仕事にありつくのに遅れたか、という疑問に答えてくれたのは
意外な事に就職先の店主であった。

一刀としては、働けるなら何処でもいい、働きたい、ねねの脛をかじって暮らしていくのは嫌だ。
せめて音々音に負担をかけなくらいには、自立がしたい。
そんな思いで必死に探しまわっていたのだが
経営者側から見ると、あちらこちらに声を掛けている一刀は
特定の職にこだわらず、働き始めてもすぐに別の職種に目移りしてしまうんじゃないか、と映ったらしい。

実際に、店同士の経営者達にとって、最近の一刀の行動は話題の種の一つとなっており
似たような会話を交わしていたらしい。
同業の店で必死になるのならば自然であり、話題になるようなことは無かったろうが
一刀のようにあっちにふらふら、こっちにふらふらと情熱を振りまく人間はかなり特殊だった。

「そういうわけで、お前をパッと雇って見るのに尻ごみしていた。
 せっかく仕事を仕込んでも、すぐに職を変えるような奴に自分の技を教えたくはないからな」

『『『『なるほど』』』』
「って、お前らも知らなかったのかよ!」
『すまん、俺達は基本的にすぐ、宮仕えに……諸侯に仕える事になったようなもんだから』
『一応、市井の流れとか市場の規模とか、そういうことは考えていたけど』
『俺の時は本体みたいにトラブルなんか無かったし、一発採用だったから……』
『俺もその日の内に働き始めたから、知らなかった』
『まぁ店というよりは自給自足しか出来なかった』

口々に理由を説明されて、本体は呻いた。

「とにかく、雇い入れたからにはしっかりとこなして貰うぞ。
 一ヶ月間、仕事を探し続けたお前さんの根性を見せてくれ」

「はい、一所懸命、頑張らせていただきます」

「おう」

運搬業とは、勿論品物を運搬する仕事だ。
食品、衣服、雑貨や工具、あらゆるものが集積され、出荷されていく。
一刀の仕事は、集積された様々な物品を、指定された箇所に運搬する業務だ。

本格的に仕事が始まり、毎日汗を流す中で、運搬業につけたのは一刀にとっても実のある仕事だと実感し始めた。
この時代、道具を運ぶのは基本的に馬車か馬を使う。
しかし、どちらも無ければ人の手で運ばなくてはならない。
基礎体力、筋力は当然メキメキとついた。
働き始めてから数週間は死ぬほど疲れて、仕事が終われば即睡眠の生活であった。

扱う品物は多岐に渡った。
当然、それらを届ける場所は個人から商店まで幅広かった。
中には、手紙を渡す郵便のような事もしたりもした。
この運搬業務を何度も扱う商店も存在し、そこへ毎日顔を出す一刀の顔は覚えられ
何人かの知り合いや友人を作ることに成功している。

また、商品を運ぶという形態上、一刀はこの世界で扱う道具に詳しくなった。
それは日常品から刀剣などの武器、或いは防具、装飾品や壷などの著好品。
子供のおもちゃから大人のおもちゃまで、ありとあらゆる品物に自らの手で触れることになった。
運搬業の店長から、それらの扱い方、値段、所縁なども聞き出せて
一刀にこの世界の基礎知識を現在進行形で学ばせてくれている。

勿論、人気商品や余り売れない商品もチェックした。
一時はどうなるかと肝を冷やした一刀であったが、総じて結果は満足行く職種に付けたと思えた。

そうして日々を、汗水垂らして過ごす一刀は
ある日の夕方に本屋へ訪れていた。



      ■ アレがアレになってやばいよアレが



「こんばんは、おやっさん」

「おう、北郷じゃねぇか。 どうした」

「どうしたって、ここは本屋でしょ。 本を買いに来たんですよ」

「本を? そっか、意外だな、本を読めるのか北郷は」

「ああ、俺が読むんじゃないんです。 日頃の感謝をこめて、プレゼント……贈り物を上げようと考えて」

「なるほど、あの小っこい嬢ちゃんだな。
 北郷と違って利発そうな子だし、納得だ」

「ちょ、ひでぇ、おやっさん!」

「あっはっはっは、わりぃ、今は客だったな! こりゃ失礼」

この本屋には、運送業の中で何度も足を運んでいる。
店主とは顔見知りだし、一刀が知っている本屋の中では一番質がよく、広い店だった。
そして、店主が言うように、一刀は音々音に日頃の感謝を込めてプレゼントをしてあげようと思ったのだ。
最初の給料から、音々音に贈り物をすることは半ば一刀の中での決定事項だったのである。

「おやっさん、何か良い物は無いですかね?」

「そうだな、あの子頭が良いだろう?」

「ええ、政治や経済、軍学にも精通してます。
 でも、あまり軍学書や経済書は持っていないそうなんで」

「へぇ? そうだったのか?」

この世界の本の価値は、結構微妙な値段であった。
宮仕えならば、それほど苦もなく手に入れることが出来るし
商人ならば、購入するにはちょっと高いという認識であった。
ところが庶民が買おうとすると、ちょっと迂闊には手を出せない値段なのだ。

音々音の所持する本が少ない原因はここだ。
彼女も決して、裕福というわけでは無かった。
基本的に質素な生活であり倹約できる性格と、無駄使いをしない性質のおかげで
音々音も幾つかの本を購入することが出来た。

しかし、何冊も買える程貯蓄があったわけでもなく、また生活を捨ててまで
本を買い求めるような、猪突な性格でもない。
何故か一刀の事になると熱くなってしまい、一刀が驚いてしまうほど反応を示したりするが。

それはともかく、音々音は基本的に公共で読めるように手配された本などで勉強し、暗記して帰ってくるのだ。
彼女が書士達と交友を深めようとするのも、ここが大きな要因の一つとなっている。

「ってわけでさ」

「そっか、関心するなぁ」

「だから、最近入荷したもので、何か良いのは無いかい?」

「そうだな、ちょっと待ってろ」

そう言うと店主は店の奥、本を積み重ねてる部屋へと歩いていく。
一刀は待っている間、手持ち無沙汰を誤魔化すように、カウンターに置かれた本を何気なくめくった。

途端に視界に映る、男女のまぐわい。
丁寧に図解入りで、様々な体位が描き出されて陰とか陽とか、恥部とか剛とか書かれてた。
正直言って、現代で写真に見慣れてる一刀にとってはインパクトこそあったものの
その本の内容はお粗末な出来栄えに見えた。

全然関係ないが、本郷 一刀は高校男児である。
この世界に落とされてから、一度もアレはしていない。
自分とはいえ、自分とは違う意識の自分が何人も居るのだから
そんな全編公開状態、びっくりするほどユートピアな感じでアレとか出来ない。

つまり、異世界3ヶ月目にして飛び込んできた、突然のアレを実感できる物質を脳が処理した時
一刀のアレはアレになった。

「うぉ……やべぇ、こんなところで」
『おいおい、本体、アレがアレになってるじゃないか』
『いくらなんでもこれでアレになるのは悲しいね』
「五月蝿ぇよ」
『いや、しかし気持ちは分かる。 俺も三ヶ月目くらいのときはアレだった』
『ああ……“董の”、お前もか』
『うんうん、一日中アレになってたもんなぁ』
『辛いよな、アレは、何よりアレになると周囲の視線が困るし』
「よし、お前ら、俺の身体を今だけ乗っ取っていい。 こんなアレになって苦しいのは久しぶりで辛い」
『すまん、辞退する』
『『『『俺も』』』』
『アレになるのは一回だけでいいよ、もう』
『ははは、皆やっぱ懲りてるんだな、実際目の前に美少女が勢ぞろいしてるのに堪えるのは
 アレだったもんな』
『本体、諦めた方が良いよ。 それに乗っ取ってもどうせ7秒くらいだけだし』

「ブフォ!」

「わっ、なんだおやっさん!?」

店の奥で、隠れるようにしながら(尻だけは見えている)店主の身体は震えていた。
しばらく咳き込むような笑い声を上げた後、ひょっこりと顔だけだしたおやっさんは
物凄く苦しそうな表情でニンマリと満面な笑顔をしていた。

「……おやっさん」

「ああ、なんだ、ブフッ、すまんすまん。 しょうがないなまったく」

口元に手を寄せて、それでも押さえきれないように息を漏らしながらニヤニヤと微笑みつつ
一冊の本を手に持って一刀の近くへと店主が近づいた。

「何処から見てました?」

「うぉ、やべぇこんなところで、からだな……」

一刀はくだんの艶本を広げた体勢のまま、アレがアレになっている状態で固まっていた。
そんな固まったまま話しかけてくる一刀に、店主は視線を持ってきた本と何度か巡らせる。
そして、ちょっと言いづらそうに聞いてきた。

「こっちにするか?」

「……おやっさん」

「何だ」

「そっちをくれ」

「分かった……なんか、すまん」

こうして一刀は音々音のプレゼントを手に入れた。
当然、艶本ではなく店主の持ってきてくれたお勧めの本である。
その本の表題には、青い文字でこう描かれていた。

“孟徳新書”と。


      ■ 忠誠には報いるところがなんたらかんたら


「か、一刀殿~、申し訳ございませぬ、遅れまし……たぁ」

慌てた様子で音々音が家に飛び込んだが、彼女が部屋を見たときには一刀の姿は既に無かった。

一刀が贈り物を買った日、音々音は書士の知り合い達と酒家で飲み明かして
朝帰りになってしまった。
ぶっちゃけ、途中からペースが上がってしまい酔いつぶれたのである。
気がつけば朝。
既に日が昇り始めており、毎朝一刀の朝食を用意していた音々音は慌てて戻ってきたところであった。

ところが、部屋には誰も居ない。

「うむむぅ、昨日は夕方から一刀殿の顔を見ていないのです。
 居ないというのなら、おそらくは仕事に出かけたのしょうが……」

一刀が運送業について仕事を始めてから、音々音と共に居る時間は格段に減った。
主が精力的に働くのを見て嬉しくはあるのだが、会える時間が少なくなってしまったのは
彼女的にちょっと寂しかったりした。

「ううう、なんたる失態。 ねねは自分を許せそうにないですぞ」

そんな貴重になりつつある主君との会話の時間を、自らの失態で逃した音々音は悔やんだ。
だって、好きなのだ。
一刀と一緒に話す時間が、あの穏やかで心地良い時間が好きになっていたのだ。
日々の活力の糧になりつつあると言っても過言ではない。
こんな気持ちになってしまうのは初めての事で、音々音は戸惑ったのだが
そんな気持ちも一刀と共に過ごしているとどうでも良くなるくらい好きになっていた。

肩を落として、とりあえず自分の朝食を取ろうとダイニングらしき部屋へと向かう音々音。
そして見つける。
引き千切ったようなメモ紙(一刀がメモと呼んでから音々音もそう言っている)が置かれ
そのメモ紙の下に置かれた小奇麗な小包が。

手にとってメモを眺める。
それは、音々音ならば見間違えようも無い。
まだ漢文に慣れていない一刀の、たどたどしい文字の後であった。


『ねねへ。 何時もありがとう。 直接渡したかったけど、仕事の時間になってしまった。
 日頃の感謝を込めて、この本を贈ります。 北郷 一刀』


そのメモを何度か読み直してから、音々音は震える手で小包を手に取った。
中には新品の本が入っている。

それは、今、巷で若い書士を中心に評判になっている兵法書であった。
陳留を収める曹操が、兵書“孫子”を編纂した言う話題の書。
ぶっちゃけ、かなりの高額で、飛ぶように売れている為に入手困難な一品でもあった。
庶民の市場に出回っているのは、稀である。
孟徳新書は孫子を習って13篇に編集されていると噂されており、これはその中の第4篇に当たるようだった。

一刀の贈り物、という一文で、既に音々音の感情は昂ぶっていたが
その内容物は音々音にとって喉から手が出るほど欲しいと思っていた一品が飛び出したのだ。
更に、その贈り主が仕える主、北郷 一刀からの物であると気が付けば
胸に熱い物がこみ上げてくるのを、感情のまま込み上げてくる涙を
音々音は止めることが出来なかった。

「一刀殿……」

自身の瞳から流れる涙で濡れぬよう、音々音は孟徳新書を胸にかき抱き
しばし心を落ち着かせるまで時間を要した。

「きょ、今日は書生との討論はお休みにするのです。
 今日一日は、この本の全てを吸収するために使うべきだと、ねねは思うのです。
 賛成1! 反対0! 可決しましたので決定なのです!」

テンション高めで朝食を掻きこみ、部屋の奥にある書斎へ駆け込むと
音々音は音読しながら孟徳新書を読み始めたのであった。


洛陽での日々は、紆余曲折を交えながら、概ね軌道に乗った一刀と音々音であった。


      ■ 外史終了 ■




[22225] 都・洛陽・巨龍が種馬のテクい愛撫で鳴動してるよ編
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:64fa16e3
Date: 2010/10/22 12:49


clear!!      ~都・名族・袁と仲、割れ目の中で四股が捩れるよ編~


clear!!      ~都・洛陽・入念な旗立てであの子の湿地帯がヌッチョレするよ編~


今回の種馬 ⇒   ☆☆☆~都・洛陽・巨龍が種馬のテクい愛撫で鳴動してるよ編~☆☆☆




      ■


その一事、大陸に確かに激震が走った。
別に地震があったわけではない。
単純に、王朝を揺るがすほどの事件が起きたというだけの話だ。

霊帝が倒れたという。

情報の統制はされていた筈だが、どういうわけか霊帝が倒れたという情報は市井にまで流れていた。
明らかに、何物かが意図的に伝えたのだろう。
噂は一日あれば千里を走る。
この激震ともいえる報で確実に大陸は揺れ動き始めたのだ。

漢という国を400年支え続けた巨龍は、腸から不満という名の臓物が飛び散り
亡き崩れようとしていた。
そんな大変な事態、大きく歴史の流れが変化を迎えようとしていた日。
われらが種馬こと北郷 一刀といえば……


      ■ 慣れ始めた日々


霊帝が倒れた、という事件が朝廷を揺るがそうとしていた前日。
一刀は今日も朝早くから軽快な足取りで荷物を持ち、目的地を目指してひたすら走っていた。
洛陽へ訪れてはや4ヶ月。
この世界にも随分馴染んできたな、と自分でも思う。

「おう、今日も元気いいな北郷さん!」

「おはよっ、周おばちゃん!」

「君! ちょっと道を尋ねたいのだが」

「はいはい、何処に用事があるの?」

運搬業を今も続けているのは、自分を拾ってくれた店主への恩を誠意で示すため。
なにより、この仕事は洛陽の道を表通りから裏通りまで完全に把握できる仕事でもあった。
今の会話からも分かるように、街の人たちは随分と自分の顔と名前を覚えてくれたし
職業柄、道案内も大抵の場所ならば案内できるようになった。

とりあえず自立をすることは出来たといえるだろう。

今の本体の目的は幾つかある。
帝を一目見てみること。
ついでに、脳内の自分達の大切な人に出会ってあげること。
最後に管輅という占い師を探すことだ。
この三つが一刀の中での目的となっている。
仕事をこなしながら、毎日とはいかないが少しずつ周辺の地理を調べたり
街の人たちに聞き込みをしながら過ごしていた。

後数ヶ月、一刀はこの洛陽で生活をすることに決めている。
この世界の情勢がどう転ぶのか分からないので、お金があるに越した事はない。
タダで動く物は、人の心と大地だけなのだ。
それ以外で、何が人を動かせるかといえば利とお金である。

旅をするに当たって、路銀は多めに持っていくことに越した事はない。
何か予想外な事故、予想外の事態があっても金があれば大抵解決する、多分。
音々音と華蛇との旅になるのだし、二人に迷惑をかけたくもない。

何事も備えあれば憂いなし、なのだ。

まぁ、洛陽宮内に入れれば、脳内一刀の大切な人が一杯いそうなので
入れる方法を探すのが近道なのかな、とも思うのだが一般人が中に入る機会などはそうそう無い。

「今日はここで最後、か」

「北郷! おせぇぞ馬鹿!」

「おやっさん、こんにちは、急いで来たんだよこれでも」

最後にこの本屋へ寄るのは一刀の中での決め事であった。
音々音の為に贈ったプレゼントは非常に喜ばれた。
その喜びようは、微笑ましく、思わず頬が緩んでしまいそうな程であったのだ。

そんな素晴らしい本を選んでくれたおやっさんには、感謝している一刀である。
“董の”や“蜀の”も概ね同意であった。
そして、そんなおやっさんとゆっくり話せるようにと全て仕事が片付いた後に残しているのである。

「まぁいい、ほらこっちに来いよ。 茶と饅頭を用意してあるから」

「何時もご馳走様です」

日常の一コマとなっている、おやっさんとの談笑を楽しんでいると
家のヘリから顔だけ出して、華蛇が声をかけてきた。

「ああ、一刀」

「おう、華蛇」

「すまん、ちょっと急患が入ってな。 遅れそうなんだ。
 ちょっと先に行って食べててくれ」

「そうなのか、分かったよ」

一刀は華蛇の言葉に一つ頷くと、席を立ち上がった。

「おう、なんだ、もう行くのか?」
「悪い、おやっさん。 今日は皆で外で食事を取ろうって話しててさ」
「そっか……外か、残念だな」

実は、音々音や華蛇と時間が合った時に一緒に食事した時。
おやっさんの家を借りて食事会を開いたことがあった。
音々音も華蛇も、おやっさんとは面識があるので特に問題らしい問題も無く。
結構楽しかったのだが、毎度おやっさんの家を借りるのも悪いだろうと言われて
今回は外で食べるという形にしたのである。

まぁ、他にも理由はあったりするのだが。

「さて、と。 音々音へのお礼、第三弾はあそこだったな」

給料が手に入るたびに、一刀は音々音に何かしら贈り物をしていたのだが
今度は食事に一緒に行くだけでいいのです、と言われてしまったので
洛陽でも庶民が行くところでは高級で美味しい場所を選定しておいた。
おやっさんの家で皆で騒ぐのも考えたけど、それは前述の通り華蛇に止められている。

値段的にホイホイ入れる場所でもないので下見もしていない。
どんな店か一刀自身も分かっていないので、多少の不安と期待を胸に抱き
ねね達が気に入ってくれるといいなと思いつつ、一刀は書士で使っている平屋から飛び出した音々音を視界に収め
手を振って答えた。


      ■ シュウマイエロイ


「はうぅ、美味しいのです~」

両手で頬を押さえて舌鼓を打つ音々音。
この日の為に、ピンポイントで音々音の好物を調べてきた甲斐があったというものである。
……まぁ、後で脳内の自分に聞けば良い事に気がついて
一人で悩んでいたのが馬鹿みたいだと思ってしまったけれども。
結局、散々悩んで“無の”が提案したこの店に決定したわけだ。

そんな彼女の好物、その名もシュウマイ。
この店のメニュー表に限って言えば、“金の二重奏”

『やっぱりこの世界の音々音も好きな物は変わらないんだな』

『まぁ、喜んでもらえるなら良かったじゃないか、本体』

「ああ」

「ん? あ、一刀殿も食べてみますか? 頬が落ちそうなほどおいしいですぞ」

「いいよ、音々音が全部食べて。 俺はこっちが残ってるからね」

「そ、それでは遠慮無く全部頂くのです」

それにしても、と本体は思う。
この店のシュウマイはちょっと大きすぎるのではないだろうか。
一刀でも、とても一口では食べきれないサイズである。
しかも、蒸しているはずなのに皮が茶色い。

“金の二重奏”というよりは、茶色い球二つと言った感じだ。
シュウマイだけに包皮の皺が寄っており、男の視点で見るとゴールデンボールを連想させるような形状だった。

ぶっちゃけると、音々音が頬張ってる物がふぐりっぽいのだ。
毛のようなものが生えていたら、店を出て行くレベルである。

(なぁ、この絵面は回避できなかったのか?)
『確かに……ちょっと、なんというかな』
『美味しそうに食べている本人がまったく気がついていないってのが、なんとも』
『おいおい、皆同意したじゃないか。 こうなるってこと分かってただろ』
『いや、シュウマイの形なんて普通気を配ってなんかいないし……』
『おい、“無の”。 一つ聞くが、もしかしてお前……』
『見て楽しめるならいいじゃないか』
(な、お前わざとかっ!?)
『この前のアレがアレになった本体の為にささやかなアレの為の用意をだな
 まぁ、こうなったのは偶然なんだけど』
(余計なお世話だっ!)

そんな風に一人で漫才をしながら、外面では努めて平静を装いつつ
回鍋肉をつつき、口に運んでいるとある人影が一刀達の食卓へと近づいて来るのに気付いた。

「悪い、遅くなったな」
「華蛇、お疲れ」
「お疲れ様なのですぞ」

もう一刀と音々音の食事は終わっている。
急いできたのだろうか、華蛇の額にはうっすらと汗が滲んでいた。
上着を脱いで椅子にひっかけると、そのまま滑り込むようにドカっと座る。

「華蛇殿の分も分けて取っておいたのです」

「ああ、悪い」

さっそく上蓋を開けて、食事を始めようとした華蛇は動きが止まった。
それに気がつかず、一刀と音々音は談笑に耽っている。
少し冷めてしまっているとはいえ、良い匂いが漂っており食欲をそそるソレは
しかし、見た目によって余り食べたく無い物になっていた。

水気を十分に吸い込んでしなびている。
ちょっと萎れた茶色いシュウマイが華蛇の眼に飛び込んできていた。

「一刀」
「ん、どうした華蛇」
「これはなんだ」
「……シュウマイだ」
「……シュウマイか」
「お二人ともどうしたのですか? 美味しいシュウマイでしたぞ」

結局、華蛇は俺と同じ回鍋肉を給仕に頼んでいた。
仕事柄見慣れているとはいえ、食事で見せられて食べれる程ではなかったようだ。
それとなく尋ねてみると、見た目で避けた訳ではないらしい。
一刀の耳まで顔を近づけると、こっそりと呟く。

「音々音の前で食べるのは宜しく無い様な気がして」

さすが医者なだけはある。
まともに連想できるシュウマイを食べるのはいいけど、ねねに遠慮をしていたという事実は
一刀を驚かせた。
男であれば、あのシュウマイを食べることなど出来ない。 少なくとも躊躇うはずである。
恥ずかしながら、一刀にはその配慮は出来なかった。
僕にはとてもできない、などと思いながらシュウマイの話は忘れることにした一刀だった。


      ■ 天は変わらない


宴もたけなわ、というには些か盛り上がりに欠けていたが
仕事が終わってからの食事と酒、そして心許せる友人との会話は素晴らしい物だ。
現代に居た頃ならば、友人との関わりもそこそこに、自分の時間を満喫していただろうが
この世界では娯楽が少ないこともあって、人との触れ合いはとても楽しいものであった。

店を出た頃にはもう、どっぷりと日が暮れて
現代では見られないような星の雨が空を彩っていた。

「はー、食べたなぁー」

「一刀殿、今日はご馳走様でしたなのです!
 今度は音々音の案内でまた皆で食べに行くのです!」

「はっはっは、音々音はここのシュウマイの方が良いんじゃないのか?」

「ここは美味しいですけど、ちょっと高いのです」

「ああ、確かに。 一刀、懐の方は大丈夫なのか?」

「ははは、まぁまた明日から頑張るから良いんだ」

「そうか、なんだか悪いな」

「気にするなよ、華蛇」

「音々音の後は華蛇が奢るなの番なのですぞ。 しっかり貯金をするように」

「そうなのか? 初耳だが」

「さっき音々音と話した時に、順番でって決めたんだ」

「何時の間に……」

「華蛇殿がシュウマイを眺めていた時ですぞ」

もう大通りも人はまばらだ。
夜に灯す蝋燭の類は、勿体無いからと点けもせずにとっとと眠る人が多い。
実際、夜中に起きてすることなんて特にあるわけでもない。
お酒を親しい人と楽しんだり、熱心な勉強家などが蝋燭を使うくらいだ。

ただ、洛陽は都だけあって、街灯の役割を担うように道の端に火が灯っている。
それでも暗い夜道には違いない。
こんな時間に外に出る人は、犯罪に気をつけなくてはいけない時間帯なのだ。
一刀も、一度荷物をくすねられて犯人を追いかける羽目に陥ったりもしていた。

「少し飲みすぎたかな? 身体が熱い」

「大丈夫ですか、一刀殿」

「少し休憩するか、急ぐ必要もないしな」

一刀達3人は、同じ家で住んでいる。
一刀と音々音は言うに及ばず、華蛇も洛陽に家など持って居ない。
音々音の借りた6畳間の部屋二つ分くらいの広さの平屋でお金の節約を兼ねて住んでいるのだ。

ほろ酔いであるからか、妙に気持ちがふわふわとして気持ちが良かった。
いいところに酒が回っているようだ。
街道の脇に設置された長椅子に腰掛けるとヒンヤリとしていて気持ちがいい。

「そういえば、音々音はあんまり酔っていなさそうだな」

「ねねはペースを押さえていましたからね。 二度とあんな失態は……」

「何だって?」

「何でもないのです」

二人の会話を耳だけで聞きつつ、一刀は今一度、星降る空を見上げた。
荒野に突然放り出されて、ずっと流されるまま生きる為だけに駆け抜けてきたが
こんな時間が流れるのならば、この世界も悪い物じゃない。

欲を言えば、音々音も華蛇も、この世界の人間でなく現代の人間であり
そしてここが、1,800年前の大陸で無ければなお良かった。

「あー、空は変わらんなー」

「……一刀殿?」
「一刀? どうした?」

仕方の無いことだが、本体はふいに思い出してしまった。
それは今はもう遠くなってしまったような気がする故郷。
夜になればネオンが町を照らして、昼も夜も変わらずに光に溢れ。
自動車やトラックの駆動音が響き、此処では聞けないようなテクノ、ポップな音楽が道を歩けば嫌でも耳に飛び込んで。
そんな本体の強烈な郷愁の感情は、意識を通じて脳の彼らにも響いていた。

「二人とも、俺が天からの御使いだって言ったらどうするー?」
『おいおい、完全に酔っ払ってトリップしてるぞ、本体』
『『『人のことはいえないなー、俺』』』
『俺もこの時期だったかなー……こっちの生活に慣れてきた頃にふっと思い出すんだよね』
『『『あるある』』』
『……俺らも、このまま、なのかな』
『あー……どうなるんだろうねー』
『俺はもう、なんか何とかなるだろって感じで開き直ってるけど』
『おー、そんな感じだよね』
「あっはっは、お前らも苦労してんなー」
『本当になー、何でこんな事になってるんだろうなぁ』
『意識一個に身体が10個とかなら大歓迎なんだけどなー』
『いいなそれ』
『身体が一杯あったら便利だよな、マジで』
『感覚共有とかだったら困るけど』
『アレが出たら全員出るとかな』
『『『『『ハハハハハ、マジ受ける、それ』』』』』
『『『笑えねーだろ、それ』』』
「あっはっはっはっは、でもこれよりはマシじゃん」
『『『ははは、違いない』』』

「音々音、一刀はだいぶ酔ってるみたいだ。
 しょうがないからこのまま運んでいこうか」

「一刀殿ー? な……」

とととっ、と声をかけながら駆け寄った音々音は一刀の顔を覗き込むと
彼は星空を見上げ笑顔で泣いていた。
二の句が続かずに、何度か躊躇いながらも音々音は一刀の袖を握った。
服を引っ張られる感触に、一刀は音々音に顔を向ける。

「ん、ねね?」

「……」

「あれ、あらら、泣いてたんだ俺」

「一刀殿、ねねは信じておりますぞ」

言いながら差しだした布を受け取り、一刀ははにかみながら頬を拭く。
少し恥ずかしさを感じつつ礼を言った。

「ああ、うん、ありがとう、ねね」

「俺も信じるぞ。 天から降りてきた人間なら、あの謎の回復力も気が大量にあるのも納得できる」

「はは、それは喜んでもいいのかな……てか、謎の治癒力を発揮する華蛇に言われるとなんだかなぁ」

「ははは、それがゴットヴェイドーだからな。
 よし、一刀、音々音、そろそろ家に帰ろうか……それとも、二人は後で戻るか?」

「どういう意味?」
「華蛇殿、一緒に帰ればいいのです」

音々音が唇をすぼめて言った言葉に頷く一刀。
苦笑を漏らして華蛇は片手をあげつつ言った。

「はは、それで良いならいいけど」

三人で並んで帰路につこうとした時、大通りの向かい側から一人の中年の男性が駆け寄ってくる。
それが誰かに気がつくと、一刀は驚いたように声をあげた。

「店主?」

「おお、一刀、ここに居たか! すまん、頼みがある!」


      ■ 兆し


運送業の店主と一刀の話は長引きそうであった。
その為、一刀は音々音と華蛇に先に帰ってもらうようにして、落ち着ける場所へと移動していく。
見送り、残されるは二つの影。
華蛇は音々音から顔を背けて、虚空を見つめながら呟いた。

「残念だったな」

「……別に残念じゃないのです、一刀殿のお仕事の事ですし」

「いやまぁ、言うのも野暮じゃないか」

「弱ちんきゅーキックッ!」

「うおっ、危ないないきなり、何をするんだ」

「避けるなです! 分かってて茶化すなって言ってるのです!」

「肉体言語はやめてくれよ、これでも身体が資本なんだぞ医者は」

「問答無用です!」

二人が通りの真ん中でじゃれあってると、風上から妙な匂いが鼻腔をついた。
その事に気がついたのは華蛇であった。
突然、じゃれあいを止めると周囲に首を巡らして鼻をひくつかせる。

「華蛇殿?」

「音々音、ちょっと待っててくれ。
 あ、いや先に帰っててもいい。 この匂いは……あっちか」

それだけを言い残すと、音々音に背を向けて歩き出した華蛇。
漂ってくる匂いを辿るように、しきりに周囲を確認しながら歩いていく。

「ちょ、ねねを置いていくなです!」

「別にそういうつもりじゃないんだ、あそこに居る三人組だ、見てくれ」

指で指されて華蛇の要領の得ない言葉に疑問を抱きつつ、音々音は指し示された方向へ視線を向けた。
そこには確かに三人組の男が、店の前で酒らしき飲み物を酌み交わしつつ談笑していた。
別段、おかしなところは無い。
華蛇が何を気にしているのかまったく分からなかった。

「この匂いだけどな、料理の匂いとは別に鼻にツンと来るのが混ざっているだろう?」
「むむ……あ、言われてみればするのです」
「この匂いには嗅ぎ覚えがある」
「まさか、あれだけ食べたのにお腹が減ったですか?」

あきれの混じった声色に、両手を挙げて音々音は尋ねた。
華蛇は横目だけで彼女を見るとゆっくりと首を振る。

「俺の考えが正しければ、毒だ」
「毒!?」
「しっ、声が大きいぞ音々音」
「っ……」

慌てて自分の手で自分の口を塞ぐ。
目だけで三人組を追うと、相変わらず何か話しながらも華蛇が毒だと言い切った料理を貪っていた。
もし、本当の話ならば即座に食事を中断させるべきである。

「と、止めなくても良いのですか?」
「ああ、ちょっと考えがある。
 あの三人組、最近ゴロツキに多い黄色い布を巻いているだろ」
「確かに、巻いてますけど……」
「心配しなくても、勿論助ける。
 ただ、この毒に使われる原材料は、特別な調合をしない限りは毒性にならない。
 彼らを意図的に殺そうとしている可能性がある」

音々音はそこまで聞いて絶句した。
改めて黄布の三人組を見れば、どうってことのない、何処にでも居そうな男だ。
三人を見ての特徴と言えば中肉中背、チビ、デクと体型三種を揃えていることくらいだろうか。

要人にも名家にも、ましてや宮仕えなどしている人間には到底見えない。
どう高く見積もっても街の土木作業員が精々で、普通に考えても賊っぽい。

そんな彼らを殺そうと毒を盛る人間が居るならば、それは怨恨である可能性が高い。

「と、ねねは思うのですが」
「ああ、俺もそう思ってる。 けどそうなると疑問が残る」
「これ以上何の疑問があるのですか……」
「この毒、高価なんだ。 まず原材料からして高価だからな。
 竹の花も、その材料に含まれると言ったら納得するか?」

竹の花。
開花周期が半世紀以上もかかるという、一生の内に見れれば幸運というくらい普段は見かけない。
それだけ見かけない花だから、多くの人間が咲いていても竹の花だとは気がつかない。
当然、希少価値が高ければそれだけ値段は跳ね上がる。

「そんなもの、手に入れられる人間なんて少数だ。
 怨恨の線が強いが、もしかしたらもっと重大な何かが関わっているかも知れない……」
「うう、目が怖いのですよ、華蛇殿」
「……うん、音々音は戻っていた方がいい」
「し、しかし……」
「大丈夫、俺は医者だ。 通りすがりの医者が道端で出会った患者を治しても不自然じゃない」

それまで三人の若者に注視していた華蛇の視線が、そこで初めて音々音に向いた。
その眼は強く、帰ったほうがいいと訴えている。
音々音は二度、三度と三人組の様子と華蛇を見比べてからゆっくりと頷き
そして徐々に華蛇から離れるようにして家へと足を向けた。

先ほどまであった、食後のほんわかとした気持ちは完全に消えうせ酔いもすっかりさめてしまった。

家へと足を向けている間、彼女の心中を占めていたのは
自分の主と、洛陽で出会った医者の無事であった。


      ■ 玉無し訪れ


家に戻った音々音であったが、その中に入ることは出来なかった。
暮らしている平屋の前。
そこに一人の男が居たせいである。
それが隣近所の青年やおっさんであれば、音々音だって躊躇うことなく家の中に入る。
しかし、明らかに自分の家の前で陣取っているのが地位の高い人間だと判別できるならば話は別だ。

しかし、何時までも外に居る訳にもいかない。
音々音は意を決して一歩一歩、確かめるような足取りで家へ向かうと
段々と男の相貌が見えてくる。
黒い髪は長く、髪で髪を縛るという器用な結い方で腰まで伸びている。
歳相応といえばいいのか、顔や手は随分と皺がよっており、少なく見積もっても年齢は50を越えているか。
髭は左右に伸び、髪を含めてそれらは白みを帯び始めている。

「我が家の前で何の用でしょう」
「お待ちしておりました、陳宮殿でございますか」
「は、確かに我が名は陳宮と申します」

ゆっくりと頷く、貴人であろう男性。
そして、音々音へと顔をいきなり寄せて、彼女が咄嗟に距離を取ろうとする前に
口が開いて言葉が耳に飛び込んでくる。

「我が名は段珪。 中常侍の官職を貰い宦官をしております」

それを聞き、眼を見開いて固まる音々音。
出来れば音々音は、そのまま固まってしまって、時も止まればいいのにと心の中で嘆いた。

宦官の段珪。
初老に届こうかという男性はそう自らを名乗った。
宦官とは、簡単に言ってしまうと今日の夕飯で食べたシュウマイのようなアレを捨てた男のことである。
基本的にこの時代の宦官は、権勢を誇っていた。

その理由は、今の漢王朝の腐敗にも直結している。
宦官は自らが大きな権力を掴むと、皇帝を国政から遠ざけるように動き始めたのである。
擁立する帝は幼い事が殆どで、実際に国政を左右するのは宦官であった。
その事実を、現時点で音々音は知る由も無いが、きな臭い動きをしていることは
洛陽の一市民でも噂されていることであった。

さらに、宦官は朝廷でも最高権力者である帝、またはその直系である帝室所縁の家族などに仕える。
ようするに、王様のメイドという訳ではないが、王に仕える執事が大量に居ると考えてもいいだろう。
言ってみれば、宦官とは庶民が官僚になるための手っ取り早い一手であった。

もともと、宦官が権力を持つ理由は、時の権力の頂点である帝に権力を集中させないためであったり
女の性による色欲を遠ざけ、帝が欲に溺れ国政を疎かにしてしまうことを防ぐ役割がある。
宦官が無く、すべての権力が帝に集中してしまえば、帝位の簒奪を目論む輩が後を絶たないというのも大きな理由の一つだ。
絶対の権力は頂点に置きつつ、権力の分散化を図ったのだろう。

とにかく、何が言いたいかと音々音のような一書生が構われることなどまずは無い
滅茶苦茶偉い玉無しのおっさんが、アポイトメント無くして訪れたことになるのだ。

音々音からすれば、その現実は恐怖以外の何物でもなかった。

「い、一体、段珪殿はねね……私に何の―――」
「それはここではお話できませぬ。 ……陳宮殿、よろしければ家をお借りしても?」

視線で自分の家を指され、音々音は頷く以外に選択肢が無かったのである。
今日はおかしい。
夢ならば覚めてくれればいいのに、と心の中で嘆きながら、彼女は宦官・段珪を家へと招いた。


      ■ 壷の陰から人違い


「えっと……ここを通るのか」

店主から貰った地図と睨めっこしながら一刀は王宮の城壁沿いに移動している。
洛陽の街では殆どの場所を仕事柄、把握できていたと思っていたがいやはや。
まだまだ知らぬ場所はあるものだと、ある意味で感心しながら一刀は夜の洛陽を歩いていた。

人が入りそうな程の大き目の壷、良く分からない桐の箱数点。
他にも大小さまざまな荷物が乱雑に台車に置かれ、それを引き歩く。
これらは、もともとは予定に無かった仕事だった。

飛び入りで頼まれ、通常の5倍ほどの金額を支払われ、更に城には既に話が通っているとなれば
店主に断る術は持ち得なかったらしい。
きな臭さがあるので、断るのならばそれでも構わないとも言ってくれた。
ただ、飛び入りで入ってきただけに店主も役員の皆様も、別の商家との会談が予定されており
運ぶ物はあっても運べる人間が居なかった。

急遽、店主の頭によぎったのが、まだ仕事を始めて間もない一刀だったというわけだ。
一刀としては、自分に職をくれ熱心に仕事を説明してくれる店主の頼みを
断るには忍びなく、最終的には首を縦に振ったのである。

表通りの城門とは違い、随分と小ぢんまりとした門の前で、兵士に物を届けに来た旨を伝える。
門兵は何度か頷いて、仕草で先を促し、それに従って門を潜った。
話が通っているという話は真のようだ。

本体、脳内共に、店主に話を貰ったときは余り気が進まなかった。
店主がきな臭い、と言ってたことからも原因は言わなくても分かるだろう。

『もしかしたら、何かの陰謀かと思ったけど話は一応とはいえ、ちゃんと通ってるみたいだな』
『考え過ぎだったかな』
『“無の”と“白の”は疑り深いな』
『当たり前の用心かと思うのだけど』
『まぁな……こんな時代だし』
『警戒だけはしておいた方が良い』
『“肉の”もそう思ってるのか、店主の人柄を考えれば余計な心配だと俺は思うんだけど』
『夜中、飛び込みの依頼、この時期の洛陽の城の中に物を運ぶって条件だけで疑うには十分だろ』
『“袁の”“仲の”なんかはほら、宮内に想い人が居るから』

とはいえ、ある意味で一刀にとっては好機であったのも事実だ。
今までは王城の中に入れる隙間すら無かったし入ろうとも思わなかった。
もしもこの城の中で知人が出来れば、それを伝手に今後の王城内の事情を窺い知れるかもしれない。
諸候の動きや、帝の動きを知ることができるかも知れない。
更に、その伝手が脳内の一刀達にとって大切な人であるのならば言う事はない。

『今、城の中に居るのって誰がいるんだ?』
『この前馬騰さんが洛陽を出たよね』
『公孫瓚も』
(公孫瓚が居れば、礼を言えたかも知れないんだけどなぁ)
『多分異民族絡みで帰ったんだろうな』
『ああ、白蓮のところは隣接してるし』
『馬騰さんところ似たような理由かな、“馬の”』
『たぶんね』
『えーっと、居るのは劉表、麗羽、美羽あたりかな?』
『孫堅さんまたこっちに戻ってきてたでしょ、確か』
『そうなの?』
『そういえば、この前酒家でそんな話してた人が居たね』
『昼間なら良かったのになー』
『期待してるぞ本体』
「期待されてもなぁ……物を届けるだけだし」

と、まぁこういうわけだ。
可能性は無いわけではないが、諸侯の誰かに会えるのはかなり難しいとも思う。 夜中だし。
それでも、こうして王城に出向く機会を貰えれば期待してしまうのも仕方が無かった。

地図は、宮内ではなく城内の敷地のある蔵を指し示していた。
屋内に入ると、運んできた物と同じような壷が並んでおり、雑多に道具が置かれていた。
この辺に降ろしておけばいいのだろう。

「こっちの扉は、何に通じてるんだろ」
『あー多分、本宮に向かう渡り廊下のような場所だったような』
『えーっと、確かそうだったかな』
「ふーん……」

脳の自分と他愛の無い雑談をしていると、ちょうど荷降ろしをしている一刀の横合いからぬぅっと人影が伸びた。
誰も居ないと思っていた一刀は、驚き飛ぶようにして咄嗟に間合いを取る。
そこには一人の男が淀んだ眼を向けて一刀を見ていた。

「ふん、随分と遅かったな」
「は……え?」
「まぁいい、例の物は持ってきたのだろうな?
 天和ちゃんの使用済み生下着は」

一刀は固まった。


      ■ 俺が……俺が……


いい年こいたおっさんが誰かの―――女性の生下着を求めてきたのは物凄いインパクトであった。
それも一刀が固まった理由の一つではあるのだが、一刀にしてみれば突然と現れた男性。
明らかに高い地位を持つ者であることが見て分かる。

この城の中に居る者は、大抵、肉体労働に従事している一般庶民よりは地位が高いが
それでも彼の地位の高さは着ている服を含めて考えて、かなりの物ではないかと思う。
何より、最初に眼を引く淀んだ眼光が、剣呑な物を感じさせて固まってしまったのである。

そんな一刀を無視して、男は話を進める。

「いや、私が使うという訳ではなく、私の息子がな。
 まったく嘆かわしい世だ。 生下着などただの布じゃろうて」

顔を背けながらその顔にある髭をこねくり回して語る地位の高そうな人。
ぶっちゃけ、言い訳にしか聞こえなかった。

『あ、本体、呆けてるところ悪いが、こいつが誰なのか聞いた方がいんじゃないか』
『あ、ああ、そうだな、それがいい』
『さすが洛陽の中央だな、初っ端から思考停止させる話術を繰り出してくるなんて』

本体が再起動したのは、脳内の彼らが騒ぎ始めてからだった。
とりあえず、この人は盛大な人違いをしていることは想像がついた。

「えーっと、貴方は?」
「ん……? なんだ貴様、私を疑っているのか? 案外と用心深いな。
 我が名は徐奉。 小帝の宦官をしているものだ」
「徐奉殿……宦官……息子?」
「息子は養子だ。 これで私が誰かは分かっただろう」

一刀はとりあえず頭の中で必死に情報を検索しながら頷いておいた。
宦官なのに息子が居る、ということに一瞬頭の容量を割いたが、脳内の大部分は“宦官の徐奉”という
情報の検索を行っている。
が、一向にピンと来ない。
そもそも、あんまり宦官の名を覚えていない一刀である。
せいぜい知っていて曹操の祖父である曹騰、十常侍筆頭として名のある張譲くらいのものだ。

『うさん臭い展開になってきたな』
『……宦官か』
『あまり係りたくないね』

「まだ疑うというのならば内々に応じた者を書にしたためてある。
 それを譲ってやっても良いが、物々交換に頷いたのは貴様だろう?」

黙ったまま突っ立っている一刀に顎鬚を弄りつつ、何処か芝居かかった声色で
つまらなそうにそう言った徐奉。
そこで一刀はようやくピンと来た。
内々に応じた者という言葉を聞いて、心当たりのある逸話を思い出したのだ。

(これって、もしかして黄巾の乱のきっかけの一つになった逸話じゃないか?)
『なんだ、それ、俺は知らない』
『そうなのか?』
『心当たりが無いな……』
(俺の勘違いかな……)
『少なくとも、俺達が経験した黄巾の乱は賊が横行している時分に
 アイドル達の“歌で大陸を取る”発言を勘違いした暴徒が暴れるというのが原因だったんだ』
(なんだそれ、ありえん)
『うん、そうなんだけど、事実なんだよな』
『うんうん』
『けど、良く考えてみれば張角や張宝達の歌だけが原因っておかしいね』
『確かに、こういう裏で手を回していた奴も居たのかもな……』
『そう、かもな……』

「……まさか、物を持ってきて無いのではないだろうな?」

徐奉の言葉のトーンが急激に落ちる。
何も言わない一刀に業を煮やしたのか、或いは様子が可笑しい事に気がついたのか。
その眼はやはり淀んで暗く、睨みつけるように一刀を眺めている。

「いや、俺は……」

「私が取り次がなければ、貴様のような賊が蜂起する手立てはないぞ?
 なんならば、私が密告して貴様らの企みを暴露してやってもいい。
 そうなれば、馬元義。 お前の死は免れぬだろうな」

ゴトリ、と一刀の運んできた壷が揺れたような気がした。
そんなことにはまったく気がつかない一刀と、脅しをかけている徐奉。
突然、人違いで生死に関わる勘違いをされそうである一刀はテンパッた。
嫌な汗が、背中を伝っていく。

ただ一つだけ、ベラベラと勝手に喋ってくれたおかげで確信出来た事実がある。
本体の知識で“馬元義”という存在は知っている。
馬元義という男は黄巾の乱の一斉蜂起の時、内と外で洛陽を攻めようとした
張角の腹心、という立場だったはずだ。
そんな男の名を呼んだ、目の前の宦官は恐らく、馬元義と内通している。
本体は脳のどこかで、警鐘が鳴り響くのを聞いた気がした。

「いや、俺は―――」

「うん……? まさかお前は馬元義ではないのか?
 そうであればどちらにしろ死は免れぬが……どうなのだ、何か言ってみたらどうだ」

一歩、一歩と歩き近づいてくる徐奉の後ろに、黒いオーラのようなものを幻視した一刀は
押されるようにして後ずさりした。
いえ、人違いですよ、で危機を乗り越えようとした一刀は、先にその手を封じられて窮した。

窮した一刀はただ、自身の命を守るために咄嗟に口に出た。
出てしまった。

「いや、俺は……俺が馬元義だ!」
『『『『『『『『ブハッ』』』』』』』』』

北郷一刀=馬元義が誕生した瞬間であった。
壷がガタリと、揺れた気がした。


      ■ 俺俺! 俺だよ、馬元義だよ、馬元義


「ほう、それにしては随分と動揺していた気がするがな」

「……俺は人見知りで口下手なんだ」

「そんな話は聞いていなかったが……まぁいい」

「悪かった、徐奉殿。 荷物はここに乗っていた物で全部だよ」

馬元義を勢いで騙った一刀は、もうどうにでもなれという勢いで会話を連ねた。
この中に“天和ちゃんの使用済み生下着”があるのかどうかなど知らないが、とりあえず調べてくれれば時間を稼げる。
その間にとっととトンズラして、何も知らなかった事にしよう、と考えていた。
脳内も同意した。

この場所を離れてしまえば、徐奉が密会の類であるこの事実を吹聴することなど無いだろう。
つまり、この場さえ切り抜ければ身の安全は完全とは言えないまでも保障されると思われた。
後は、問題が起こる前に洛陽をできるだけ早く出て行けばいい。

「そうか、この中か。 それを早く言え」

一転、剣呑な雰囲気など最初から無かったと言わんばかりに嬉々として一刀の横にある荷物を物色し始める徐奉。
やっぱり息子云々は言い訳なのだろう。
探し物をする徐奉の顔は真剣でありながらもにやけたものであった。

(今のうちに逃げれないかな)
『奴が背を向けた時に、左側にある壷を隠れ蓑にして移動することを提案する』
『『『概ね賛成』』』
『奥の板間を過ぎたら、走って逃げるのがいいかも』

そろり、そろりと忍び足で離れる一刀。
壷の中身を改めようと手を伸ばした徐奉が、ついに背を向けた。

『今だっ』
「よしっ」

「なっ! おい、これは如何いう事か!?」

小声で応じて、一刀が去ろうとその瞬間、徐奉の鋭い声が響いた。
一刀は額から汗を伝わせながら、徐奉へと振り向く。

「貴様は誰だ、答えよ!」
「俺は……俺は馬元義」

一刀が持ってきた壷の中を覗きながら徐奉の問いに答えたのは、一刀とは別の野太い声であった。
ぬるりと壷から身体を出した、三人目の人物は頭に黄色い布をバンダナのように巻いた細身の男であった。
歳は若い、一刀とそうは変わらないだろう。
しかし、その顔は目つき鋭く、あさ黒い肌は野蛮なイメージを抱かせている。

「俺が馬元義だ。 そいつは違う」
「な、なんだと……?」

驚きつつ一刀の方へゆっくりと振り向く徐奉。
馬元義と名乗った男は、鋭い目を一刀に向けていた。

『あれって、壷の中に人間が入ってたのに驚いたのか、それとも馬元義が二人居ることに驚いたのか、どっちだと思う?』
『“南の”、今そんな場合じゃないと思う』
『本体、ここは押し切るしかない。 下手に及び腰になったら逆効果だ!』
『いざって時は、俺達がなんとかしてやる』

逃げるタイミングを逸した一刀は、脳内の自分の声援に頷いた。
動揺を隠すようにして意を決して口を開く。

「ちょっと待て、お前は何時から壷の中に居たんだ、何処まで俺達の話を知っている」
「なんだと……俺の名を騙るだけでは飽き足らず、謀るか貴様!」
「どういうことだ、貴様ら、どっちが本物の馬元義だ!?」
「俺が馬元義だ!」
「ふざけるな! 俺が馬元義だ!」
「さ、叫ぶな! あまり大きな声では外に漏れてしまうではないか、馬鹿どもが!」
「徐奉殿、俺がここへ荷物を運んできた。 俺が馬元義であることは疑いようが無いだろう、この男は何時の間にか壺へ入っていたのだ」
「奴はただの運送屋だ。 大事にあたり、慎重になって無関係の人間を経由して王宮に乗り込むのは当然だ。
 徐奉殿が勘違いしてその男と話始めるものだから、出るに出れなかった。
 この事実こそが、俺が馬元義であることの証左だ」
「むむむ……どちらも筋が通る話に聞こえるが」
「「何がむむむだ、俺が馬元義だ!」」

どちらの馬元義も、一歩も引かなかった。
一刀は自分の命がかかっている。 
ここで徐奉に密告されれば運送屋で真実を知りませんでした、なんて言い訳が通じるとは思えない。
何故ならば、この密会は黄巾の乱勃発に直結することを知識として知っているからだ。
もはや此処までくれば、後には引けなかった。
馬元義と名乗ったことですら、かなりのリスクを背負っているのだが。

一方で馬元義(本物)も引かない。
引く理由がないのだから当然だ。
もともと、ここには乱を起こすときに朝廷内部と繋がり、内と外で一斉に蜂起する段取りを組むために
今回の密会を仕掛けたのである。
それこそ、裏からあの手この手でようやく成った密会である。
こんなふざけた出来事で全てを不意にすることなどできはしない。

徐奉は二人の馬元義を名乗る者達に混乱していた。
どちらも言い分には納得できる部分があり、事が事だけに信じられないからと言って両方を処断するわけにも行かない。
口では一刀を脅していた徐奉であったが、黄巾党と通じる事を決意した時に
既に退く道は無いと覚悟しきっていたのだ。
今の漢王朝に背くのだ、覚悟無しでこうした内応など、いくら金を積まれたといっても早々できようはずが無かった。
だからこそ困る。
どちらかが馬元義であることは間違いないだろうが、この事を知らない誰かに知られたという事実が困るのだ。

ただ、三人に共通していることは、自分の命に直結することで
ややこしい問題になってしまったという現実であった。


      ■ 馬元義が・・(てんてん)


徐奉は思いついた。
馬元義ならば“天和ちゃんの使用済み生下着”を持っているはずである。
自分がこの密会に是を返す決め手となった徐奉にとっての超重要アイテムだ。

「……とりあえず、取引を進めてしまおう。
 生下着を渡してもらおうか」

この徐奉の声にいち早く意図を見破り反応したのは“董の”一刀だ。
言外に含まれた意味を察したのである。

『本体、奴の狙いは下着を持っているのが馬元義だ、と特定することだ』
『あ、そうか。 俺も“董の”の意見はあっていると思う』
『よし、うやむやにしてしまえっ!』

脳内に急かされた一刀は馬元義(本物)が余計なことを言う前に咄嗟に口を開いた。

「その荷物の中に入っている」
「ほう」
「……ちっ!」

馬元義から舌打ちが聞こえてくる。
半分、賭けのようなものであったのだが功を奏したようであった。
綱渡りすぎて、本体は自棄になって叫びそうになるのを必死で堪え、冷静さを保とうとしていた。
息が詰まって、呼吸が荒ぶる。

「……この桐の箱だ」
「おおっ……これが……」

先手を打たれた馬元義は苦々しくそう言った。
大切そうに桐の箱を抱えて、徐奉は中身を確認すると頷いた。
内心では、どっちが本物の馬元義か分からん、と毒つきながら。
まぁ、目的の物を手に入れて嬉しいことは嬉しい徐奉であった。

「この蜂起、手伝ってくれると見ていいのだろうな」

馬元義が言った。
彼の狙いは、何も知らない一刀ならば、自身の計画した乱の詳細は知らないだろうという狙いだ。
これでボロが出れば問題ない、即座に殺して血祭りにあげるだけだ。
第一、黄巾党の幹部くらいしか知らないはずなのだから出るはずだ、という思惑を乗せて。
徐奉に向けて言ったその言葉には、それだけの含みを乗せていたのだ。
しかし、息の詰まるような展開に流されている本体一刀はともかく
脳内の彼らはすぐに気が付いた。

『分かった、馬元義は俺達が黄巾の乱を知らないと思ってる』
『ああ、それで本体がボロを出すのを期待してるんだな』
『本体、こう言ってやれ、いいか―――』
(そうか、よし……)

二度、三度、頭の中で言うべきことを纏めると、徐奉が馬元義に頷いてるところに言葉をかぶせる。

「お、俺達、黄巾党は内外で一斉に蜂起する手はずだ。 大陸全土で発生する蜂起にあわせて洛陽も襲撃する。
 特に、ここ洛陽を制圧することは大事だ。 徐奉殿の手にかかってる」

「言われなくとも分かっておるわ。 ここに内応に応じる官を書してある。 持って行くといい」

そう言い捨てて徐奉は一刀に密書を手渡した。
徐奉はもう、多分両方とも同じ黄巾の賊であり、陣営がちょっと違うだけだろうと思いこんだ。
判断がつかないのだから、仕方のないことではあるのだが。

密書を受け取った一刀がチラっと覗くと、馬元義が歯をギリギリと噛みつつ一刀を睨んでいた。
何故、徐奉は俺の方に密書を渡すんだよ、などと考えながらも
とりあえず場の雰囲気に合わせて一刀は密書を懐へしまいこんだ。

「う……うわあああぁぁぁ!」

密書を手にして、馬元義が口を開こうとした刹那。
響く悲鳴のような声と物音、走り去るような地を駆ける音が響いた。
後姿から、まだ幼い少年の背と思われた。
外に飛び出した三人が、一瞬、建物の影に隠れた少年を視界に移す。

「見られていたのか!」
「いかん、事が漏れた! 追いかけるぞ!」
「余計な手間を! 馬元義と……ええぃ、もう両方とも馬元義でいいわ! どうせ同じ黄巾の賊だろう!?
 おぬしら二人は外から追え! 私は言いふらされぬよう中に戻る!」

漏れた秘密を抹消するために駆け出す馬元義と一刀。
一刀にとっても、自分が黄巾党と誤解されるのは嫌だし、防がなくてはならい。
そそくさと宮廷に続く扉を開け放ち中へと戻る徐奉。
駆け出した馬元義が、徐奉の姿が消えるのと殆ど同時に一刀へと腕を奮った。
きらめく銀の光。
瞬時に上体を反らして凶刃をかわす。

『そうくると思った!』
『“馬の”ナイス!』
「っ、あぶねぇ!?」
「ちぃ!」

『やっぱこうなるよな』
『手っ取り早くいこうぜ、“肉の”」
「頼んだ、みんな!」

「何をブツブツと言ってやがる、運送屋風情が大事を乱しやがって、死ねぇっ!」
「悪いけど、殺されるつもりはない、俺も、俺達も」

身体の主導権を“肉の”に譲り、馬元義と一刀は交差する。
激昂と共に馬元義が奮ったナイフのような刃は、一刀に届くことは無かった。
それどころか、人差し指と薬指で馬元義の思い切り振りかぶった刀を受け止めていたのである。
目を剥いて驚愕する馬元義。

「な、なんだとっ!?」
「おいたは駄目よんっ!」
「ガハッ!?」

膨れ上がった一刀の右腕が、深々と馬元義の助へめりこんで短い悲鳴と共に吹き飛んだ。
二回、三回、四回とぶざまに地を転げてようやく止まる。

本体は、ただのボディーブローが初めて人を吹き飛ばす威力を秘めれる事実に気が付いた。
動かなくなった馬元義を見て、“肉の”の意思が離れ、戻ってきた身体の感覚に本体が思わず自分の手を眺める。
右腕に残る肉厚を叩き骨を砕いた感触が、酷い違和感を伝えていた。

『行こう、本体。 暫くは気絶してる』
『今の内に彼に追いついて、事情を説明しないと』
「あ、ああ、分かってる」

「ま……て……」

走り出した一刀の背を、馬元義は混濁した意識の中でその目に映していた。


      ■ 道枝は数多、場に滞り難し


結果から言うと、一刀は逃げた少年を捕まえることは出来なかった。
何処からか、賊が侵入したという声だけが飛んでくるのを探している中で耳にしていた。
適当な柱の陰で身を潜めつつ、一刀は脳内会議を開いていた。

「……どうしよう、どうすればいいかな」
『なにかあるか?』
『とりあえず、一つ確実なことは、このまま逃げ出しても洛陽にはもう居られないってことだ』

その通りだ。
自分で招いた種とはいえ仕方ない、で片付く問題では無くなってしまった。
目の前の死を避ける為に黄巾の人間、幹部の名を騙ってしまったのだ。
このまま家に戻っても、音々音や華蛇に迷惑しかかけない。
逃げる、という選択をするのなら彼らとは別れなくてはいけないだろう。

『あ、思いついた』
『“呉の”、なにかあるのか?』
「今よりマシになるのなら、もう何でもいいよ」

投げやりな本体を尻目に、“呉の”は今後のプランを提案した。
まず、取れる選択肢は少なかった。
一つは先ほどの通り、今すぐ家に帰って私物をまとめ、旅の準備をして
誰にも何も言わずに一人旅に戻ること。
しかし、逃げることを選んだ場合、この先ずっと犯罪者―――黄巾の乱を煽った人間というレッテルを貼られるリスクを伴った。

二つ目は黄巾の乱で、本当に朝廷を奪う事だ。
大陸はともかく、洛陽だけならば本気で奪える可能性はある。
内と外で混乱を助長させ、帝を保護して政治腐敗の直接の原因である宦官を主導で排除。
その後、時期を見計らって黄巾の中枢から離脱してしまえば、後追いは困難になるだろうし
諸候も簒奪された朝廷に目を奪われて、個人のマークは薄くなるだろう。

しかし、現実問題、この方法を選ぶには多くの難があるし
本体含めて脳内も、諸候を敵に回すことなどしたくはなかった。
自ら率先して、人を殺そうという考えなのだ。
何より、この場合は音々音まで後ろにくっ付いてきそうで怖い。
これはあくまで、一刀が巻き込まれた問題なのだ。
彼女を巻き込むなんて選択肢が出てはいけない。

というわけでこれは相談するまでもなく却下となった。

三つ目は、諸候でもいい、誰でもいいから権力のある人間に事実を話して
一刀が此処に居たことを忘れるまで、或いは居なくなるまで匿ってくれる人を探すことであった。
華蛇や音々音にも全てを話し、しばらく黙ってもらうよう口裏を合わせて貰えれば
この危地を乗り越えることは不可能ではないと言えた。
が、ここにも問題は残る。
諸候が自ら好んで爆弾を抱え込もうとするか、という話である。

彼らに自分を匿うことで利となる確固たる物を諭さなければ、その身を売られて終わりだろう。
一番手っ取り早いのは、明らかに武将としても戦えそうな“肉の”で武を示すことだ。
脳内の一刀達も“肉の”の実力は有名武将と比べて遜色ないように映っていた。
そして、それは事実だった。

『どうする?』
『……』

幾つかの道を提示された本体は、段々と騒ぎが大きくなっている声から逃げるように
こそこそと草葉の陰に隠れて移動していた。
現代で言えばもう、10時を超える時刻。
この世界では深夜といって差し支えない時間であった。
洛陽の宮中で、意図せず大きな選択を迫られることになった一刀は
不安を胸に抱え、月を見上げた。

そして、一刀は数分後、とある宮中のある一室に飛び込んだ。
一刀はそこで、突然の来訪に目を瞬かせて驚き、振り返す一人の少女を視界に映した。



この世界に訪れた北郷 一刀にとって、忘れられぬ一夜の始まりであった。




    ■ 外史終了 ■


※さっき作品見返してたらゴトヴェイドーになってた。
 ゴトって……おいおい、とんだヤブ医者じゃないかい、まったく。
 修正は後日しておきます。



[22225] 都・洛陽・先走り汁を抑えきれずに黄色いのが飛び出たよ編
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:64fa16e3
Date: 2010/10/25 13:18
clear!!         ~都・洛陽・入念な旗立てであの子の湿地帯がヌッチョレするよ編~


clear!!         ~都・洛陽・巨龍が種馬のテクい愛撫で鳴動してるよ編~


今回の種馬 ⇒   ☆☆☆~都・洛陽・先走り汁を抑えきれずに黄色いのが飛び出たよ編~☆☆☆




      ■ 王の血との出会い



一刀は部屋に飛び込んだ瞬間、振り返った少女と眼が合った。
一人でその部屋に居た少女は、突然の来訪者に驚いたのか、後ずさり一刀から距離を取る。

「だ、誰です!?」

「あ、すみません、突然」

とりあえず謝ってみる日本人的思考を経て、一刀は改めて少女を見た。
整えられた前髪が揺れて、耳からたらりと垂らした長い髪が胸元まで伸びていた。
結っている為に分からないが、髪はだいぶ長いと思われる。
形容しがたい帽子を被っており、帽子の先には数珠のような物がヒラヒラと繋がれていた。
よく見れば、それは宝石にも見える。

顔立ちはまだ幼さを残して、やや釣りあがった眼をこちらに向けていた。
出会い頭だったせいか、会った瞬間は成人かと思ったが、全体像を改めてみると
自分よりも3~4は年下の少女だと気がついた。

地位は高そうだ。

「夜分にいきなりで申し訳ない。 俺は北郷 一刀。
 やむを得ない事情により、この部屋の中に入れさせてもらいました」

「偽名ですか、北郷 一刀などという名は珍しいを通り越して胡散臭く聞こえます。 
 真実の名を名乗りなさい」

「えっと……ごめん、そう言われても本当にこの名しか持っていません」

「……それで、何をしにこの部屋へ入りましたか」

彼女の声は毅然とした中ではっきりと分かるほど震えていた。
ふと見れば、両手を胸に当てて震える声を出した少女は眼に確かな不安をたたえていた。
見知らぬ人間が、いきなり部屋に入ってくれば驚きもするだろうし
少女なのだから男が入ってくれば恐れるのも無理はないだろう。
無害をアピールしつつ、一刀は少女の問いに答える前に、確認しなければいけないことがあった。

彼女の名だ。

一刀は自分の身を保護してもらわなくてはならない。
その為に、彼女が誰なのかというのを知らなければならなかった。
脳内の自分が騒がなかったところから、恐らくは諸侯でも余り名の通ってない人間だろうと思いながら。
彼の理想としては、この時期でも発言力が強く、軍事力、国力が高い候であることだった。

「それをお話する前に、お名前を聞かせてもらっても宜しいでしょうか」

一刀が尋ねると、少女は何度かためらったようだが、やがて短く名を告げた。

「劉協」

「……今、なんと?」

「我が名は劉協だと言った」

劉協。
後漢で最後の皇帝となった者で、献帝と呼ばれたその人の一生は傀儡の人生であったと言えよう。
幼い頃は宦官による権力抗争の道具に、時の帝である霊帝が無くなれば小帝と帝位を争う種に使われ、後に董卓に保護され擁立されるものの
実権は董卓が握り締めており、傀儡のままであった。
それが終われば曹操に拾われて、同じように政治的な道具となって良いように使われ
そのまま物語的にはフェードアウトしてしまう存在。
それが劉協という者の人生だった。

一刀は彼女の正体を知るや、慌てて頭を下げ膝をつく。
知らなかったとはいえ、冷や汗が出てしまうのを止められなかった。
時の皇帝の直系を相手に、無断で部屋へ入り込むとは。
地位的には申し分ないが、守ってもらうにはちょっと困る人に当たってしまったと一刀は一人ごちた。
それにしても皇帝に繋がる血統が、こんな場所に居るとは俄かに信じられない。
いや、まぁここは洛陽で、その宮内で、王城の中な訳なのだが。

「えっと、マジで劉協様? あの霊帝様のむすこ……じゃなくて娘さん?」

「そうだ。 それで北郷はどうやって此処まで来たのだ
 此処は宮内でも離宮にあたるし禁裏でもあるのだぞ」

「は、はい、それはちょっとややこしい話なのですが……」

確かに一刀は騒ぎの中心から離れるように移動していたが、まさか此処が離宮で
禁裏の場所であるとは思いもしなかった。
そんな事実を知ると、ますます変な緊張が増していく。

一方、頭を垂れたことに少女は安心したのか、やや語気に勢いを増して
改めて一刀へ向かう。
どこから説明したものか、と考えた一刀であったが懐に感じた違和感にハッとする。
徐奉が手渡してくれた、この懐にある密書こそ一刀が掴んだ黄巾党と朝廷の決定的な癒着の証拠である。

「劉協様、誰にも口外しないことを約束してください」

「なに?」

「そうでなければ、この話は出来ません」

「……」

自分でも言ってて何を偉そうに、と思う一刀であったが
この密書は言わば、自分の抱え込んだ爆弾だ。
更に言えば一刀よりも幼い少女である劉協に、大人の汚い部分を呈してもいいのかという自己偽善的な考えも頭に過った。
ここで首を横に振るのならばいい、すぐにでもこの部屋に入った事を詫びて出ていく方が
一刀にとっても、劉協にとっても良いだろう。
自分の中でそう折り合いをつけると、一刀は劉協と名乗った少女と目を合わせた。
僅かに瞑目して静かに問う。

「……それは、先ほどから宮内が騒がしいことと関係があるものなのですね?」

「はい」

確認するように尋ねられ、一刀が是を返すと彼女はゆっくりと頷いて
はっきりと、逡巡すら見せずにこう言った。

「聞きましょう」

その姿は幼くとも、確かに人の上に立つ気概を持った者であった。
突然現れた異性の不審者を追いだすでもなく、叫ぶでもなく
しっかりと相手の言葉の意図を察そうとして、その内容に耳を傾けようとすることは
普通の一般市民の少女では出来ないことだろう。

まぁ、もしかしたら危機感が欠如しているのかもしれないが。

ともかく、彼にとって何よりも優先されるのは、既に賊として勘違いされている一刀の立場を
庇護してくれるほど権力のあるお方に潜り込むこと。
一刀は密書を取り出して、徐奉と馬元義の密会が会った事を劉協へ説明した。

一刀が自分の保身の為に、多くの人間を生贄に捧げたことに気が付いたのは
彼女へ全てを説明し終えた後であった。


      ■ 場違いな再会


事情を話し終えた一刀は、劉協に勧められて座った高級そうな椅子に腰かけて
彼女の裁定を待っていた。
机に置かれた密書が、一刀の話を裏付けるように鎮座している。

そこに書かれた内容は、蜂起する日時、蜂起にあたって内応する人間の名が多く連ねてある。
この密書、漢王朝への直接の反乱を如実に示す物でありながらも、裏を読めば
漢王朝に対して、決起すべきだと不満を抱えている者達の証書とも言えた。

一刀は自分の命が秤にかけられていることから、必死に劉協へと自身の説明をしていたが
彼女はそんな一刀の言葉を聞きながらも、別の事を考えていた。
すなわち、これだけの人間が内応しようとするほどに、漢王朝に不信と不満が募っているのだと、危機感を抱いたのだ。

「この密書に書かれている者が、全員そうなのですか?」

「それは分かりません。 受け取ったのはこれだけです。
 まだあるのかも知れませんが、それは徐奉殿に聞かなければ分からないでしょう」

「そうですか」

対面に座った劉協の手が、硬く握られ、もう一方の手で押さえるように包みこんでいた。
険しい顔をして黙りこむ劉協。
一刀は不安げな様子で彼女の顔色を伺っていた。

「――してきたことは、無駄であったと言うのでしょうか……」
「え?」

細く小さい声で呟いたそれは、一刀の耳には殆ど届かなかった。
それきり俯いて黙ってしまった劉協に、一刀も踏み込んで聞いてもいいものかと悩んで
室内はしばし沈黙がおりた。
それを切り裂いたのは、何かを振り切るようにして首を振って口を開いた劉協であった。

「分かりました。 この事は父様に私から直接お話いたします。
 貴方の安全は私が保証いたしましょう」

「は、ありがとうございます。 劉協様」

「事前に反乱の大事を見破ったことになるのです。
 感謝こそすれ、礼を言われる必要はありません、北郷」

「はい、しかし私としては命が助かったと同じ事に変わりはありません」

「では、その礼は受け取っておきましょう」

丁度話の区切りがついた時、室内に響く木の乾いた音が二度鳴った。
ノックをしてから扉を開いて現れたのは、髪の長い初老の男性と
一刀も良く知る少女の姿であった。

「ねね!?」
「か、一刀殿!?」

思いがけない場所で思いもよらない知人と出会った二人だった。


      ■ 段珪という男


一刀と音々音が出会った直後、驚き目を丸くする二人を尻目に劉協と段珪の間で視線が交わった。
どういうことかを問うような視線に、段珪は短く首を振った。
二人のやり取りに気付かないまま、一刀と音々音の会話が続く。

「ど、どうしてねねが此処に? 家に戻ったんじゃなかったのか?」

「一刀殿こそ、どうして此処に? 仕事があったのでは無いのですか?」

恐らく素であろう二人の反応に、劉協は一刀が虚偽を述べていた訳でないことを確信する。


「どうやら知己の者であるようだな、北郷」

「貴方は陳宮殿と共に暮らしている北郷殿でございますね」

「あ、はい。 えーっと、その通りです」

「申し遅れました。 我が名は段珪。 劉協様の宦官として働かせてもらっております」

「あ、宜しくお願いします」

「りゅ、劉協様……?」

段珪は一刀の事を知っているようであった。
と、いうのも、音々音がこの場所に召されたのには劉協の意向が大きな理由の一つになっているからだった。 


お互いが簡単に自己紹介を交わし、目の前に居るのが献帝である劉協と知ると
音々音は一刀と同様に慌てて頭を垂れてしどろもどろになりながら
拝謁賜り光栄のキワミだとかなんだとか口にしていた。


一方で、段珪は此処に一刀が居るということに疑問を抱いていたようだ。
劉協と引き合わせるために彼女の周辺を調べていた彼は、同じ家に住む北郷 一刀と華佗の二人の事を知っていた。
目的となる人物ではないため、そこまで詳細には調べてはいない。
華佗が最近市井で名高い医者であることには多少の興味を抱いたものの
一刀は一般人以外の何物でもなく、彼の中では特に重要な存在でなかったのだ。
何故、彼がここに居るのかは彼も分からない。

それを尋ねた段珪に答えたのは、劉協であった。

「段珪、これを見よ」

「……これは、なんでしょうか?」

「最近、世で噂されている賊との内応を示す書だそうだ。
 内応の密会に偶然居合わせてしまった北郷がこれを手に入れて私の部屋へと転がり込んできた」

「それは……なんとも」

おおよその事情をそれで把握したのだろう。
段珪はなんともいえないような顔で眉を顰めて書を眺めると、その後に軽いため息を吐き出して
一刀の方へと身体を向けた。

「災難でしたな」

「は、はぁ……そうですね」

「おおよその事情は分かりました。 まずはそれを置いておき、陳宮殿とお話を進めさせてもらおうかと思います。
 こちらから夜分に呼び出したのです。 礼を失する訳にはいきませぬ」

「あ、いえ、どうぞお構いなくなのです……」

「それは、俺も一緒に聞いてもいいものですか?」

居づらそうに小さくなっている音々音を見て、一刀は劉協へと尋ねた。
劉協は少し考えてから頷いた。

「はい、構いません。 段珪、よろしいですね?」

「は。 此処に生きて彼が居るということは、そういうことなのでしょう」

「ええ、そういうことです」

二人の短いやり取りの後、劉協は語った。
音々音を此処へと呼び出した理由。
そして、そこに至った経緯を。


      ■  彼女の事情


簡単に纏めると、劉協という少女は聡明で確固たる芯が通った少女であった。
生まれながらに人として上に立つ者として教えられ、またそれを実践するに足る能力もあるのだろう。
時代が時代ならば、名君として君臨したかもしれない。

まぁ、その時代が大問題だったわけだが。

彼女の父は、霊帝である。
霊帝は、二十歳になる前に皇帝へと即位すると、国政には殆ど携わらなかった。
周囲の意見に頷いたり、たまに自分の考えを述べてもやんわりと断られて仕方ないと諦めたりしてしまっていた。
政治というものから作為的に遠ざけられていたのだ。

理由は当然、宦官が実権を握り続ける為である。

こうした、宦官が皇帝を傀儡として扱ってきたのは霊帝の時代から始まった訳ではない。
それこそ、霊帝が生まれてくるよりももっと前の時代から腐敗はゆっくりと始まっていた。

だからこそ、霊帝は今の自分が暗愚であると自覚できない。
生まれた時から、これでいい、それが当然だ、と教え込まれてきたのだ。
霊帝が何かを考え伝える度に、不利になりそうな事は宦官達が握りつぶしてきたのだ。
それこそ仕方が無いと言えるのではないのだろうか。

そして劉協には兄も居る。
自分よりも、2~3年上であり、次代の皇帝は彼であると言われている。
今でこそ女性の権力者は増えてきていたが、代々皇帝として君臨するのは男だと取り決められており
少女である劉協が皇帝として成る道は最初から無い。
そんな次期皇帝で劉協の兄の名を弁小帝といった。

「弁兄様も、父様と同じようにして育てられていると聞いています。
 恐らくは今の世がどういう状況であるのかすら分かっていないでしょう。
 私はこの悪循環を何とか出来ない物かと、日々考えて暮らしておりました」


彼女の身の上話が続いた後、ようやく本題と思われる話にさしかかった。
実際、劉協は自分たち朝廷の考えと、民草の願う想いが余りに掛け離れてる事を知ってから
父である霊帝や兄である弁小帝にそうした会話を多く投げかけ関心を呼ぼうと苦心したり
宦官の十常侍の中でも権威を誇る張譲や趙忠を筆頭に、個別に会う時間を取って
国政についての考えを聞いたり、意見を交わしてきた。

短くない時間を割いて行ったそれらの努力は、しかし報われることはなかった。
終いには小賢しくうろついている彼女を倦厭するような空気が出来上がってしまい
宦官の間での不和の遠因となっている、との言に霊帝が頷いてしまったのである。


そして彼女は離宮であり禁裏であるこの場所に爪弾きされるかのように部屋を移されたという。

やがて、劉協は漢王朝に不満を抱く賊が世に横行し始めたことを知る事になる。
国民の不満がダイレクトに反映されていることに気がついて、劉協は焦りを感じた。
『帝』として人を導く存在である彼女達が為さねばならない事。
それを放棄し続けた結果が、最悪の形となって現れようとしているのだ。


劉協は強く思った。
帝を利用し、私欲に走る官を排除しなければ漢王朝に未来は来ないだろう、と。
どれだけの言葉を尽くしても、改善する兆しが無いのならば排するしか無い、と。
しかし、今の劉協の立場は、皇帝に直接繋がる血を持ちながらも
宮内で振るえる力は何も持ちえていなかった。

「……それは、力を持つということですか」


話の隙間に、一刀は思わず言葉を漏らした。
劉協の話したことは、ある意味で危険な言葉であった。
今の帝、朝廷は役に立たない、次期皇帝にも期待できない、私が力で持って正そうと思う。
そう言っているに等しいのだ。

身内であろうと、こんな発言は危険すぎて口に出して言うことなんて普通は出来ないだろう。
今、霊帝が倒れれば、彼女はこのまま権力争いの渦中に自ら飛び込んでいきそうでもある。

「そうだ、私は父様も兄様も愛しているし、勿論私を生んでくれた母様も育ててくれた乳母様も好きだ。
 そして、私がこうして生きていられる血を作ってくれる民草は何より大事だと思っている。
 それらを本当に守るためには、力が必要なのだということを知ったのだ」

「それが音々音を呼んだ理由なのだとしたら、もしかして劉協様は」

「智を持つ者が欲しい。 今の私の現状を変えられる程の智を持つ者だ。
 宮内で信用できる人間は、残念ながら居ない。
 諸侯を頼るのは、弱さを見せている漢室が良いように利用されてしまうのではないかという危惧がある。
 民草で智に秀でる者を選ぶしかなかった」


劉協の言葉に、隣で黙って話を聞いていた段珪も頷いた。
確かに、陳宮といえば三国志でも智者として名高い。
段珪の人物眼は間違っては居ないのだろう。


「そ、そんな……ね、ねねはまだ未熟も未熟です
 劉協様のお役に立てられるような自信はまったく無いです……」


顔面蒼白と言った様子で言葉を連ねる音々音。
そこに一刀も口を出した。


「ねねは確かに頭が良いですし、そこら辺の書士と比べれば一つ飛びぬけて居ます。
 しかし、如何にねねが優秀だからといっても、一人だけじゃ何も出来ませんよ。
 そもそも、失礼かも知れませんが劉協様の立場を考えるに目的を果たすのは難しいです」


「そんな事は言われずとも分かっています。
 だからと言って諦めてしまえば漢王朝はそう遠くない内に滅んでしまう。
 漢が倒れたその後に待っているのは、恐らく権力を争う為に大陸全土を巻き込む未曾有の乱。
 それに気付いているのに、何もせず甘んじていることなど、私には出来ない」


「それは……」


うぅむと唸る一刀。
彼女の立場と現状を考えても、その思考は納得できるが選んだ道は無謀でもある。
劉協が立つには、些か遅かったのだ。
それは皮肉にも、黄巾の一斉蜂起が間近い証左となった密書が
三国志を知っている一刀に物証となって教えてくれているのだった。


「陳宮、貴女の智を漢王朝を正す為に使ってほしい」

「ね、ねねは……」

「……今の世、そして今後に訪れる世の中を考えて答えて欲しいのです」


それを聞いて、音々音は一刀の顔を見た。
彼は音々音の方を見ずに、深刻な顔をして腕を組んでいる。
まるで、何かを考えるかのように。

正直言えば、音々音の脳の中でも劉協が動くには遅いと判断していたのだ。
それに加えて、状況が悪いなんてどころではない。
本来味方でなくてはいけないはずの宮内の人間が信用できないという時点で相当まずい。

一刀とは違い、三国志の未来など分かる訳でもない音々音だが
それでも彼女の考えていることが、そしてその目的を達するのが如何に難しいのかを
利発な彼女の脳みそは冷静に判断していた。


だからこそ、困る。


音々音は漢王朝に仕える国民で、漢王朝でも帝室の流れを汲む劉協が自ら音々音への協力を求めているのだ。
これに断ることは、すなわち漢王朝に対しての不義理であり、してはならない事でもある。
漢王朝に住む一人の人間として、力を貸してくれ、と頼まれているのだ。
一刀を主に戴いているから、という理由などまったくもって意味をなさない程の出来事。
それは、漢王朝というものがどれだけの権威と勢威誇っていたのかを裏付けていると言えよう。

一刀と漢王朝。
比べるべくも無い筈のその選択に、音々音は板ばさみにあって答えに窮してしまったのである。

いつの間にか室内は、空気の詰まるような沈黙に包まれていた。


      ■ 第13回 北郷 一刀 リアル脳内会議


そこまでの話を聞いて、脳内が騒ぎ始めた事に一刀は気がついた。
劉協と音々音の話を耳だけで聞きながら、彼は自分の助けを借りようと
脳内一刀達の話に意識を割いた。

『道は無い』
『どういうことだ? “呉の”』
『そのまんまの意味だ。 俺達が選べる道は、実質劉協に付いて行くことだけしか出来ない』
『確かに、そうだな』
(どうしてだ)
『ああ、そっか……俺もわかった。 確かに“呉の”が言うとおりだ』
『説明するよ。 まず細かいところを省いて纏めてしまえば
 本体も、ねねも……特にねねは、今この場においては劉協の話に頷くしかない。
 何故ならば、劉協がこの話をした時点で、俺達は知ってはいけない物を知ってしまったからだ』

“白の”の言葉に“呉の”が続く。

『ついでに言えば、段珪という宦官の男も聞いている。
 下手に断れば、本体は黄巾党の一員として内応の冤罪を被せられ、殺される可能性が高い』

『なるほど……けどさ、劉協様についていくとして、彼女の話は実現できるのか?』
(俺の知っている三国志の通りに進むのなら、まず無理だと思う)
『無理だろうな……本体が言う歴史通りになるとは限らないが
 蜂起の切欠となった朝廷と黄巾党の癒着が決定的になった時点で
 漢王朝を立て直すなんてことは難しい』
『そっか……それでも劉協様は諦めないんだろうね』
『だろうな……』


彼女の言葉には熱が篭っている。
最初に語りだした時と、最後の方では天と地ほど言葉に込められた感情に差があった。
困難であることなど、利発な彼女は気付いているだろう。
それでも、その決意は固い。


『えーっとさ、ちょっといいかな』
『“袁の”、遠慮することないよ。 今は知恵を絞る時だしね』
『うん、どうせ劉協さんところで世話になるんだったら、いっそのこと先を考えようよ』
『どういうことだ?』
『俺って麗羽に仕えてたから良く分かるんだけど、権力者に気に入られるってことは
 生きる上で物凄い助けになるんだって事を知ってるんだ。
 宦官は頼れない、劉協に力は無い。 それなら他の力のある人に頼るしかないでしょ?』
『諸侯に漢王朝を立て直してくれと頼むのか?』
『それは劉協様の言う通り、ちょっと利用されそうで怖くない?
 トカゲの尻尾切りみたいな形でさ』
『月……董卓なんかは逆に利用されて尻尾切りされちゃってたけど』
『うん、だから諸侯じゃなくて、帝にね』
『『『『『霊帝?』』』』』
『そうそう、だって漢王朝で一番権力があるのって、形骸化しているとはいえ霊帝でしょ?
 宦官のやっていることを真似しろって訳じゃないけどさ』
『そうか、霊帝なら信用さえ得られれば大きな助けになるかもね』
『それで上手く劉協や音々音を危険から遠ざけるように動ければ文句は無いな』
(けど……それもやっぱり危険はあるよね……)
『本体、もう事が此処に至れば危険しか無いと思ったほうがいい』
『そうだ、天の御使い名乗れないかな』
『玉璽を無くしてなければ、上手い具合に帝に近付く第一歩になったのにね』
『無い袖触れないんだから、そこは忘れようよ』


“袁の”の一言を切欠に次々と話が進み、脳内一刀達が下した結論は
劉協を足がかりにして、霊帝に近づき気に入られよう、という物になった。


ただ、頼まれた品物を届けに城へ入っただけなのに、意図しない方向へ
ゴロゴロと、まるで坂を転げ始めた雪玉が、雪だるまを作るが如く転がった展開に
本体は深いため息を吐き出しながらも、脳内の一刀達の意見に従うことにした。


どうかこれ以上、ややこしい方向に話が進まないようにと切に願った本体であった。


      ■ 遠回りな本音


結局、一刀と音々音は劉協の協力してくれとのお誘いに是を返した。
夜も更けにふけて、現代で言えば深夜2時とか3時とか、そのくらいの時間なんじゃないだろうかと
一刀は一人、窓から覗ける空を見つめて嘆息した。

協力を申し出た一刀達は、劉協が今どのような現状であるのかを細部まで確認するために
話を聞いているところなのである。

休憩の意を伝えて、一刀が飛び込んだ部屋の奥にある劉協の寝室らしき場所を借りて
脳内の一刀達とも相談をしつつ、休んでいるところであった。
そこに、乾いた木の音が響いて、ややあって扉を開き段珪が中へと入ってきた。

「段珪さんも休憩ですか」

「はい、劉協様の寝室に入る訳にはと断ったのですが無理やり取らされてしまいました」

「はは、でも長い話になってますからね、休憩は取ったほうがいいですよ」

「同じことを言われてしまいましたよ」

一刀は窓際から離れて、段珪がテーブルへついた対面に、椅子を引き寄せて座った。
この段珪という宦官は、厭味なところも何も無く、ただただ劉協に仕えているという印象である。
際どい劉協の話に参加させて貰っているのだ。
それなりに有能で彼女の信頼も厚いのだろう。

「北郷殿には、振って沸いたような災難になってしまいましたね」

段珪が口を開いて、言ったその言葉に一刀は頭を捻った。
災難、と呼んだのだ。
確かに、黄巾の内応の現場に居合わせたことは災難であったが
その後の劉協の話が災難であると言われたとするならば、それは段珪がこの話は良くない物と感じている事になる。

「ええ、しかし災難とは。 劉協様のお考えは漢王朝の現状を憂う立派な物と思いますが」

「そうですね……北郷殿は、この話をどのように考えておりますか。
 率直な意見をお聞かせください」

「率直な意見、ですか」

初老に達したと思われる段珪が目を細めて一刀を観察していた。
果たして、これは一体なんなのだろうか。
一刀は、もしかして試されてるのかな、とも思ったが、率直な意見を言えと言われたのだ。
素直に思ったことを言おうと考え、口にした。

「志はともかくとして、無謀だと思いました。
 こう言っては不敬になるかもしれませんが、劉協様の望みは恐らく果たされないだろうと考えます」

「なるほど、私と同じ考えで安心致しました」

「安心ですか……」

「はい、ああ、勘違いしないでください。
 別に劉協様に反意があるわけでも、何か妙な考えを起こしている訳でもございません。
 ただ、後事を託すに足る者なのかを知りたかったのです」


これまた妙な話に転がりそうな段珪の物言いに、流石の一刀も顔に嫌な物を浮かべてしまう。
ただでさえ異常な一夜であるというのに、これ以上事件が起きたら
脳内の自分達に願って窓から飛び出して脱走してしまう自信があった。


「北郷殿には、劉協様を支えてあげて欲しいと思っているのです。
 劉協様のお傍に仕える宦官は今や私一人。 幼い頃から傍務めをしている者も一人、また一人と離れていく始末。
 ずっと成長を見守ってきた劉協様は私に取って、言わば我が子とも言える存在でございます」

「そうだったのですか……それならば、なおさら此度の件は心配でしょう」

「はい。 何度か考え直すようにも進言したのですが、漢王朝に関わる物なので
 こればかりはどうにも諭すことが出来ませんでした」

これは何を期待されているのだろう、と一刀は頷きながら思っていた。
言っている事は実によく理解できるのだが、つい数時間前までただの一般人であった一刀に
この様な彼の内事を話すのは些か不自然に思えた。

だから、一刀は段珪の腹に含んだものをこの際聞いてしまおうと考えた。
これから先、劉協を支える言わば仲間内の一人になるのだ。
変に警戒したり、されたりしていても気持ちが良いことではないだろう。

「それで、結局何が言いたいのでしょう。
 突然、そのようなことを話されても、俺にはなんとも……」

「そうですか、思ったよりもやはり聡い。 では、包み隠さずに教えましょう。 
 北郷一刀殿。 私の変わりに劉協殿を支えてやって下さいませんか」

「代わり、とは? 勿論、劉協様の話を聞いて、それに頷いた訳ですから協力はします。
 しかし、まるでその言い方では段珪殿は支えないと言ってるように聞こえるのですが」

「はい、その通りです。 私はこの話に関して今後は傍観を決め込むつもりでございます。
 明らかに私の分水領をはみだしておりますので」

「そんな……」

突然の宣言に、一刀は驚愕した。
今まで、段珪が支えていた劉協を、先ほど自らが彼女を指して我が子のようと言った彼が
この話については一切協力をしないと断言したのである。

理由は察せる。
彼女の無謀に付き合って、身の破滅に結びつきたくはないのだろう。

「劉協様にも既に話を通しております。 だから、これから劉協様を支える
 一刀殿には話をしておこうと思い、こちらへ参りました」

「段珪さん、それは俺や音々音に厄介ごとを押し付けていると思ってもいいんですね」

「はい。 私の代わりが見つかるまでは劉協様を支えるとの約束でした。
 今回の件は、私にとっても渡りの船でしたからな」

頬を擦りながらそう言った段珪は、淡々としており感情は読めなかった。
一刀はそんな彼の言葉をしっかりと理解すると同時に、怒りの念情が湧き上がってくる。
これだけ堂々と厄介ごとを押し付けました、と言えるのもある意味で潔いのかも知れないが
子供の頃から面倒を見ていた劉協を簡単に切るという行動にも薄情な物を感じてしまう。

「俺も音々音も、断れないことが分かったからって事ですね」

「付け加えますと、劉協様を支えるに足る智も持ち合わしていると分かったからですな」

「保身の為に、簡単に一緒に居続けた人を捨てれるんですね、貴方は」

やはり、感情を乱すことなく頷く段珪を見て、ついに一刀は嫌悪を隠さずに言い捨てた。
それは痛烈な皮肉となって、一刀に返って来ることになった。


「はい、北郷殿と同じく命が大切でございます。
 その為には連ねた縁を切ることも出来ますし、誰かに取り入る事も出来ます。
 しかし、私も人であり畜生では無いと思っております。
 劉協様の考えが誰かに漏れる事は私からは無いと約束いたしましょう」


「……」


一刀は段珪の言葉に言い返す事が出来なかった。
少し前の話になるが、一刀は徐奉と馬元義の死を知ることになった。
詳細は分からないが、あの会話を聞いていたと思われる少年の話から内応していたのがバレてそうなったのだろう。
そして、一刀は劉協に事情を説明し、爆弾である彼を受け入れてくれた彼女に守られてこうして生きている。
恐らく、今後もあの密書に名が挙がった人物は処されるであろう。
状況が許さなかったとはいえ、一刀も多くの人を贄として捧げ、生きる為の庇護を得たのである。


「北郷殿。 貴方の怒りは正しい物です。 それを私は受け入れましょう。
 劉協様には生きて欲しいですし、影ながら応援もしております。
 私は全てを知ってなお、貴方を捧げて利用します」


「そうですか、分かりました……」

「ご納得いただけて嬉しゅうございます」

「一つ聞かせてください。 どうして劉協様を切ってまで生きようとするのですか」

そこで初めて、段珪はやんわりと微笑を称えた。
その笑顔には温かみがあり、一転して人情を思わせる確かな表情であった。

「私は宦官に上がる前に、息子を一人、天より授かっております。
 今は私の郷里に住んでおり、私も近いうちに居をそちらへ構えようと思っているんです」

「ああ……そう、ですか」


子と共に暮らすため、大方そんな理由なのかも知れない。
一刀はなんとも言えないモヤモヤとした気持ちを押さえ込んで
段珪から逃げるように寝室を飛び出した。

しばらく、微笑みながら一刀が飛び出した扉を見つめていた段珪は
深いため息を吐いて、テーブルに載る茶をカップに注ぐと、それを飲み干した。


      ■ ペロ……これは、青酸カリ!


結局、徹夜になってしまった。
今はもう陽が上り、洛陽の雄大な城の輪郭を徐々に映し出し始めている。
街の人々も、夜明け前からチラホラと通りを行き来し始めて、朝を迎えて街が息づくのが
離宮であるここからでもしっかりと眺めることが出来た。

劉協は昨夜、あれだけの熱弁を奮い続けて疲れてしまったのか、今は寝室で眠っている。
部屋に居るのは、音々音と一刀だけであった。

段珪のはからいで、朝食を手配して持ってきたものを二人で頂こうとしている所だ。
流石に宮内で奮われる料理なだけに、普段は食べられないような高級な物がずらりと並んでいたが
一刀も音々音も、不思議と食欲は沸かなかった。

普段は他愛の無いことを話して雑談に耽る一刀たちであったが今日の朝食は特に静かだった。
いざ食事を始めようとした時に、その沈黙は破られた。

「一刀殿」

「ねね、どうした?」

「華佗殿が居ない朝食は、久しぶりすぎて変な感じなのです」

「……そうだね」


それだけ言って、一刀はふと気付く。
自分のことだけで精一杯だったのですっかり忘れていたのだが
華佗はどうしているのだろう、と。

それを尋ねようと口を開く前に、食器を置いてその手元を見つめ続ける音々音に気がつく。
一刀も同じようにスープを掬ったレンゲを戻した。

「どうしたの?」

「一刀殿……ねねは、断れなかったのです」

「うん、それは俺もだよ」

「ねねは一刀殿を主に戴いたのに……」

「余り気にしなくてもいいよ。 これはねねのせいじゃないんだから」


むしろ、音々音の実力を知っていた一刀にも、原因があるのではないかと思うのだ。
この洛陽という場所では、滞在期間が4ヶ月にも及んでいる。
陳宮という者が持つ優秀な頭脳は、見る人が見れば4ヶ月といわずに数日で理解できるだろう。

有能な者を見れば、誘いたくなるというのが上に立つ者の性だ。
実際、彼女は自分のところで働かないかと誘われているところを何度も一刀は見ている。
あの人材に貪欲な曹操も動くほどの逸材なのだから、段珪が音々音に目を付けるのも
ある意味で当然の流れであったかも知れなかった。


「これからどうなるか分からないけど、とりあえず一緒に劉協様を支えてみよう。
 きっと、俺は音々音に頼る事が多くなるだろうけど、フォロー……補佐してくれれば嬉しい」

「そ、それは当然なのです」

「うん、俺も音々音が困ってる時に手伝える事があれば支えるからさ」

「は……はい、あの、その時はよろしくなのです」

「うん、こちらこそ、よろしく」

そこでようやく、沈んだ顔を上げて音々音は薄く笑った。
釣られて一刀も微笑んだ。
昨日の夜から、笑い方を忘れてしまったかのように感じていた一刀だったが
こうして親しい人と笑いあえる内は、まだ大丈夫だ、と一人、自分を励ましていた。


食事をしようと料理に目を向ける。
先ほどまで余り美味しそうに見えなかったご馳走が打って変わって美味しそうに見えた。

(気の持ちよう、ってことなのかな、何事も)
「あっ……一刀殿!」

レンゲを皿に突っ込んで、口を開いた直後に自分を呼ぶ声が耳朶を撃ち
何故か音々音が物凄い勢いでタックルを、いやむしろ飛び蹴りのような物が視界に映る。
一瞬のことで咄嗟には反応できず、一刀は音々音のいきなりの凶行に為すすべなく蹴り倒された。

派手にぶっ倒れた一刀は、料理そのものも床にぶちまけてしまう。
けたたましい音が響いて、鶏がらスープを頭から被った一刀は流石に怒った。

「いきなり何をするんだ、ねね!」

「一刀殿、この料理を食べてはいけないのです! これは、毒です!」

「何をっ……え、ど、毒ぅ!?」

「そうです、昨日、華佗殿が帰り際に見つけた毒の匂いと同じなのですぞ。
 下手に食べない方が良いです!」

一刀は床に散らばった料理の一つに近づいて鼻をヒクヒクと動かす。
確かにツンと来る匂いは独特の物であったが、気にしなければ全然気付かないレベルであった。
何かの香辛料だと言われれば納得できるくらいだ。

『“南の”、どうなんだ?』
『うーん……ごめん、本体。 ちょっといい?』
(あ、うん、分かった)

本体と入れ替わり、数秒間、鼻を引くつかせてから床に落ちていた肉を一口のサイズに千切った。
突然、毒だと注意したはずの料理を一刀がペロペロと舐めた上、口に含んで音々音は狼狽した。

「一刀殿、何をしているのですかぁ~!?」
「ご、ごめん、ちょっと調べてて」
「それで死んでしまったらどうするのです! すぐに華佗殿を呼ばなければぁ」

背中をバッシバッシと叩かれて、肉が口から転げ落ちると同時に
本体に身体の感覚が戻ってきた。
約一分半ほど、“南の”は本体を操った反動で意識を落としていたが
戻ってくると開口一番に口を開いた。


『あー、頭無いけど頭重い……えーっと、分かったよ、確かに毒だね。 分かりにくいけど、舌先が僅かに痺れた
 大量に摂取するとヤバイ類の物だね。 料理に入ってたらちょっと分からないよコレは』

(マジかよ……俺殺されるところだったの?)
『いや、本体を狙った訳でも音々音を狙った訳でもないと思う』
『まだ此処に来て劉協様に協力することを決めたのは数時間前の話だよ。
 たった数時間でこれだけ段取り良く殺そうとするなんて性急に過ぎる』
『そうだな、普通に考えれば劉協様を殺そうとしたとか?』
『在り得るけど、ちょっと弱いかな……あの子はまだ具体的な事を何も起こしていないし
 昨日の話を聞いていたのは俺達と段珪だけだ』
(じゃあ……料理を手配した段珪さんが?)

自分で言ってて一刀は彼がそんなことをするだろうか、と首を捻った。
自分や音々音が邪魔だというのならば、こんな回りくどい事をしなくても殺せた筈だ。
何より、傍観するとハッキリ一刀に言っているのだ。
彼が犯人だとは考え辛い。

「これはやはり劉協様を狙った者なのでしょうか」

「いや、可能性はあるけど違うかも知れない。
 決め付けるのは早計だけど……そういえば、ねねは良く毒だと分かったね」

「本当に僅かな差で気がつきましたぞ。
 昨日、華佗殿に教えてもらわなければ絶対にねねも料理を口にしておりました」

「そうなんだ……」

『おい、もしかして街中にも出回ってるのか、この毒』
『無差別テロみたいな? いやまさかそんな』

脳内の自分達が言う無差別テロは、案外ありえるんじゃないか、と本体が考えていると
入り口の扉が勢い良く開き、顔を青くして汗だくになった段珪が飛び込んできた。

「おお、二人とも、無事であったか、劉協様はどちらか!」

「段珪さん! 劉協様は、今眠っておられます……」

「これはどういうことなのですか、場合によっては話を考えさせて貰うのです!」

「すまぬ、これは完全に王宮の料理人の失敗だ。
 いや、しかし良くぞ気付いてくれた。 寝ているとは、そうだ良かった、最悪の事態だけは防げたようだぞ」


何時に無く早口で、感情だけが先走っているのか
言葉遣いが普段とは比べ物にならないくらい変わっていたし、その繋がりも不自然な物になっていた。
これだけ動揺しているのだ。 彼が犯人である線は、消えたと言って良いだろう。
音々音も段珪の様子には気付いたようで、強張った声色で彼に尋ねた。


「段珪殿がここへ急いで来たということは、既に何処かしらに被害を被ったのですね?」

「その通りだ。 宦官から門兵に至るまで、結構な数が倒れてしまった。
 噂では街にまで毒が出回っておるようなのだ」

「街にまで!」

「帝も倒れられた……非常に危険な状態であると、医師が判断しておる」

「「霊帝が!?」」

「そうだ、劉協様を起こさねば……」

「分かったのです、ねねが起こしてくるのです!」

音々音が寝室に飛び込んだのと同時、脳内に強く言葉が響く。
その余りの言葉の響き、一刀は頭を押さえてよろけた。

(痛って……いきなりどうしたんだ)
『本体、華佗だ!』
(華佗がどうしたって!?)
『霊帝を治してもらうんだよ、そこで霊帝とのパイプを上手く繋げる事が出来れば
 今後の見通しが明るくなるだろ?』
『そうか、それが一番早いかも知れない!』
(……なんか、病気の人を打算で救うってのもなぁ)
『選り好みしてる時じゃないと思うけどな、俺は』


確かに本体としても、生きる為に選んだ選択肢であり
細部は違うとはいえ、この世界を駆け抜けた事がある脳内の自分達が
生き抜くために提示してくれる物は正しい道であるように感じる。
どっちにしろ、本体は今のような状況で機転を利かせる事が出来ないのは
昨日の密会に立ち会った時に散々自覚したばかりだ。
無理やり胸の内に燻るモヤモヤを押さえて、本体は告げた。


「段珪さん、俺は華佗を呼んできます。
 彼ならば、きっと沢山の人を……帝も救えます」

「ああ、そういえば君と陳宮殿が一緒に住んでいたのは医者であったな。
 よし、これを持っていきなさい、城への入場許可となる手形だ。
 劉協様の印が掘ってある。 これならば何処でも自由に行き来できるぞ」

「はい、ありがとうございます」


手形を受け取って、一刀は駆けた。

自分でこの選択をして納得できるかどうか、それは自信が無かった。
しかし、余りに急転する事態が続いても、こうして自分が動けるのは脳内の彼らが道を示してくれるからである事も事実だ。

どうせ流されるだけならば、少なくとも同じ北郷 一刀である自分の声を信じて動いたほうがきっと後悔は少ない。
そんなことを思いながら、一刀は城内を駆け抜けて門を出ると、華佗を探し始めたのである。


      ■ 華佗の一夜


三人の男を救った華佗は、その後に続出した中毒者の手当てに奔走していた。
寝ずに洛陽の街を駈けずり回り、既に名医だという噂が流れていた華佗の元には
多くの人が駆けつけて治療を願ったのである。

中毒患者が余りにも多い為、華佗は手持ちの医療薬が絶対的に足りない事に気がついていた。
自身が気を練り上げ、救った病毒の気を消し飛ばすにしても
これだけ人数が膨れ上がると、自分の気を使い果たしてそう遠く無い内倒れてしまうだろう。

そこで華佗は、駄目元で薬の材料を調達してくれる人を募集した。
命の危険がある重病者には直接自分が気を打ち込み、薬を与え
比較的症状が軽い人間には薬のみの治療を施すことを決めたのである。

この時、華佗に協力してくれた人の多くは、一刀の人脈から来る人たちであった。

「おい、華佗殿、運んできたぞ!」

「ああ、そっちに置いておいてくれ! おやっさん、あんたはコレを擂鉢で砕いてくれ!」

「分かった、任せろ!」

「おう! 一刀のところの名医じゃないか! 何が必要か言ってくれりゃ
 俺がコイツで運んできてやるよ!」

「分かった! 文字は読めるか? そこに材料が書いてあるから、それを持っていってくれ!」

「あたし、文字読めます!」

「よし、じゃああんたは俺について来てくれ!」

とまぁ、このように街の住民が互いに助け合って、毒に犯された者は華陀の手により即座に治療された。
また、拡大を防ぐために、鼻の奥を突くような匂いのする物は
全て焼却するかゴミとして捨てるように、と集まった人々に指示を出した。

一夜をそのようにして駆け抜けた華佗は、かなりの人数に気を送り込み
流石に疲労が大きくなっていた。
殆ど休憩もせずに動いていた彼は、ようやく人心地ついたように水を一気に飲み干す。
そんな時、聞きなれた声が響くのを華佗はしっかりと捉えた。

「華佗!」

「一刀か! ここだ!」

「ここに居たか、家に帰ってるかと思ったけど」

一刀は思ったよりも簡単に華佗が見つかって、安堵の息を吐いた。
宮内を駆け抜けた彼は、霊帝が倒れて混乱に陥っている様子をしっかりと見てしまったのだ。
普段、城の中で見るはずの無い庶民の一刀が通っても
無視してあちらへ、こちらへと足を動かす事に集中する者ばかりであったのだ。

「街中に中毒者が蔓延しててな、帰るに帰れなかった」
「そっか……それよりも」

流石にここで迂闊に 「霊帝が倒れたお」 とは言えなかったので
華佗の耳元に口を寄せると、小さく事実を呟いた。
宮内も、中毒者が多い、と。

「そうか……幸い薬は余るほど大量に作ったから。
 症状の軽い者なら、この薬を煎じて飲んで数日療養すれば完治するだろう」

「重い者は?」

「直接針から気を送らなければ難しい。 しかし城か。 
 勝手に入れないから、強行突破するしかないか?」

「大丈夫だ、通行手形は俺が預かってる。 すぐに来れそうか?」

「俺は医者だ、病魔に犯され苦しんでいる人が居るのならば、何処にでも行く!」

「よし! じゃあ行こう!」

一刀と華佗で薬の入った壷を分けて持ち、二人は城へと向けて踵を返した。
途中、一刀が余りの壷の重さに足が鈍ったため、緊急措置として
脳内一刀達がローテーションを駆使して身体を操り
華陀に遅れることなく王城まで駆けることが出来た。


      ■ 黄天當に立つべし


「みんな大好きー!」
「天和ちゃ~~ん!」

ほわぁあああっ、ほわぁああぁぁああああああああ
ほわあああわあああああほわぁぁほわあぁぁぁぁあ
ほわあぁぁああホわあわほわほわああああああああ

「みんなの妹!」
「地和ちゃ~~~ん!」

ほわあああわあああああほわぁぁほわあぁぁぁぁあ

「とっても可愛い」
「人和ちゃぁ~~~ん!」

ほわああああァほわあわほわほわああああああああ

「今日はありがとう! また私達の歌を聴きに来てね~!」


とてつもない盛り上がりを見せて、彼女達の3時間にも及んだ公演は終了となった。
その盛り上がりの一端に、桃色の髪を腰まで降ろした少女の服が捲くれて
瑞々しい肢体を一瞬とはいえ、覗かせたことが最大の要因であることは間違いなかった。

そんなハプニングを興した当の本人は、失敗失敗、なんて言いながら
舌先をチロっと出して普通に流してしまったりしたのだが。

異様な盛り上がりと奇声が入り混じるこの空間。
ここは許昌に程近い、打ち捨てられた砦に手を加えて公演会場とした場所であった。
なぜ、コレほどの人気を誇る彼女達が都市部で歌わないかというと
最近ちょっと彼女達の思惑とは違う頭の痛い問題が発生してたからである。

「あー、もうちぃ疲れちゃったー。
 どうして夜逃げみたいな感じでこんな街外れまで歌いにいかなきゃならないのよ」

「でも、皆喜んでくれてたよ~、私あんな大勢の人の前で歌うのって初めてー」

「喜んでたのは天和姉さんが脱ぐからでしょっ!
 一番歓声が凄かったもん」

「あれは事故だもん~、勝手に捲れちゃって困っちゃった~」

「さすが天和姉さん。 自然に観客達を魅了してるわね」

「よぉーし、次はちぃも脱ぐ!」

大胆な発言が地和から飛び出して、天和はビックリしたように目を丸くし
人和は深いため息をついて首を振った。

「でも、あまり興奮させすぎるのも考え物でしょ?
 最近、私達のファンが興奮して暴徒化してしまう事があったから……それにちぃ姉さんのじゃ
 天和姉さんみたいに良く見えないかもしれない」

「んなっ、失礼ねれんほー!
 それに興奮した人だって、私達が悪いことしてる訳でもないのに
 こそこそと公演するのなんて納得いかないわよ」

地和は唇を尖らせて、ブーブーと不満垂れていた。
それを宥めるように天和と呼ばれた少女が彼女の頭を抱え込む。

「ぶわっ、ちょっと止めてよ天和姉さん! 髪型が崩れちゃ……うぶぶ、息が……」

「もー、あんまり言ってるとほらぁ、れんほーちゃんも困ってるよ?」

「天和姉さん、あんまりやると息ができなくなるから程ほどにね」

「だいじょうぶだよぉ~、そんな失敗しないもん」

「あぶぶぶ、あぶぶぶうぶ」

「……だといいけれど」

そんな漫才のような会話を繰り広げている彼女達の元に、一人の男が近づいてきた。
黄巾を右肩に巻きつけ、胡散臭い笑みを貼り付けながら。
それに気がついた天和と人和の動きが止まる。

三人が気がつけば、この辺一体の彼女達に熱狂する人達をまとめている男であった。
殆ど突然と言っていいほど、いきなり現れて彼女達の追っかけを纏め上げた男。
その男は波才と呼ばれていた。

「張角様」

短く名を告げて、彼は桃色の髪をした少女を張角と呼んだ。

「張宝様、張梁様」

続けて、先ほどまで天和の胸に顔を埋め、あわば窒息死かという所まで追い詰められた少女。
波才が現れてから、眉を顰めて睨むような視線を向けている少女。
それぞれを張宝、張梁と呼び彼は頭を垂れた。

「何か用ですかー?」

張角が気の抜けたような声をあげると、波才は頭を上げてコクリと頷いた。

「陳留で、次の公演を希望する者がおります。
 もしお暇がありましたら、そちらに向かって下さるとありがたいのですが」

「うーん、陳留かー」
「あっちの方は、まだ公演を開いた事が無かったわよね」

三人の娘はそれぞれ頭の中に場所を思い浮かべて、人和はまだ公演をしたことの無い場所ということに気がついた。
ここ最近は移動に移動を重ねて歌っているので、暫くゆっくりしたい気分でもある。

「はい、陳留での公演が終われば、暫くは希望している者も居ませんので」

波才のその言葉に、三人は顔を見合わせて頷いた。
後一度だけだというのならば、自分達の歌を待ってくれている人の為にも行って歌ってあげたい。
そうした地道な活動を重ねて、ようやく彼女達は今の人気を手に入れたのだ。
その後の話は特に早く決まった。

「じゃあもう一息頑張ろっか?」

「そうね、今度こそお姉ちゃんよりもちぃに歓声を向けさせてあげるんだから!」

「服は脱がないでね」

「むー、私も負けないわよー!」

「私だって!」

「……脱ぐって話じゃないよね、姉さん達」

「……では、失礼します」


翌日。

張角、張宝、張梁の三人娘は、意気揚々と陳留へと向かった。
彼女達の熱狂的な追っかけは、不思議なことに三人の後ろには誰一人としてついていかなかった。

一応、彼女達の護衛と小間使いにという意味で、何人かの人間に“黄巾”を身につけさせずに当ててはいるのだが。
もしも、彼女達がこの事実に気がついていれば、違った未来もあったのかも知れない。

「よし、全員揃っているな!」

打ち捨てられた砦には、昨日の公演の時と殆ど変わらぬ人に溢れていた。
そこに居る者たちは、殆どが農民であり、今の世に不満を多く持っている青年が多かった。


「先ごろ、我々の同志である馬元義が洛陽への工作を終えた!
 今や洛陽は、城の中も、そしてその街も、流行り病によって力を失いつつある!
 皆も聞いていただろう、天和様の予言通りだ!
 これから我々は、内から同志の馬元義と共に洛陽を攻め、天和様の仰った
 “大陸を取る”為の一歩とする!」


ほわああほわあああああああああ

大歓声が響き渡る。
それはもう、完全なる漢王朝への反逆の意志であった。
ここまで気炎が上がったのは、世の不条理、漢王朝への不満もそうであったが
何よりも自分の愛する天和や地和、そして人和達が望んだ大いなる未来の為という名目があるからだ。

今の世の中を、断片的に捉えた歌詞の内容もさることながら
彼女達の透き通るような声色に、新たな導き手を求めた多くの青年達は心を打たれて
漢王朝への決起を決意したのである。

その数、この砦に居る人数だけでも実に4万人を超える数に及んでいた。


「明日、我等はこの地を出て朝廷の正規軍と当たる!
 恐れるな、我等の天はすでに天和様を示すのように、黄天である!
 腐った蒼い天は最早死に、我らが黄巾で突き破らなくては世の中は変わらない!
 我らの手で、黄天の世の礎を築こうぞ!」


波才の叫ぶような声は、後に大歓声と人のうねりにより地を奮わせる音となって響いた。
満足気に波才は笑うと、奥の天幕へと姿を消した。


「……波才殿、しかし何故、馬元義殿は毒を今使ったのでしょう?」

「それは分からない……それに毒というのはよせ。
 洛陽に蔓延したのは“流行り病”だ」

「そうでした……しかし病が流行するのは、予定では、歳は甲子に在り、との筈でしたが」

「ああ、何か予期せぬ出来事があって止むを得ない状況だったのかも知れん。
 どちらにしろ、流行り病により混乱して機能を失ったはずの洛陽を、今攻めずして何時攻めるか」

波才は、この計画を馬元義と共に練った時に、どんな状況であれ
馬元義が仕込んだ“流行り病”が洛陽へ回れば、攻め取るということを取り決めていた。
如何に数が居れども、所詮は農民達の決起だ。
軍として事に当たるには、相手の混乱を誘わなければ勝ち目が無い。
それが首都である洛陽ならば、尚更であった。


本来ならば、この決起は歳は甲子に在り、とある様に、一斉に各地で反乱を行う予定であった。
それだけ、今、洛陽付近に居る黄巾党だけが決起することは
洛陽攻略に時間をかけてしまうと、諸侯が援軍として駆けつけてしまう可能性が高い。
だからこそ、このタイミングで“流行り病”が回った事に波才は僅かながらも躊躇したのだ。

「馬元義はもしかしたら、死んでしまったかもしれん。
 しかし、奴が死んだという話はまだ来ていない。
 最悪は俺達だけで攻めるとしても、今ならば洛陽を落とす事が出来るはずだ」

「は、私は波才殿を、黄天の世を信じます」

「ありがとう、では後事よろしく頼む」

波才はそれだけ言うと奥に設置された寝台に飛び込んで寝転んだ。
彼もまた、漢王朝に不満を抱き、激烈な決意を持って黄天を望んでいる男の一人であったのだ。


張角や張宝といった人を集める才を持つ少女達を、漢王朝と戦う為に利用していることは多少の罪悪感があったが
こうして黄巾党が立つ為にはどうしても必要な存在であることも、波才は理解していた。
 
せめて、この戦が黄巾の勝利で終わった暁には、全てを話して新たな帝の后にしてあげようと考えた。
負けても、自分達が全ての責任を取り、彼女達は変わらずに旅芸人を続けていればいい。
何も知らぬ少女達の事を考えながら、波才はまどろみ、やがて眠った。


      ■ 一刀 きごう 華佗


霊帝は、極めて重態であった。
もはや意識は無く、吹き出る汗、下痢が止まらずに吐きだす呼吸は荒かった。
一刀と華佗は宦官の段珪、そして献帝である劉協を先頭にして、その後ろを傍付きのようにして歩いていた。
そして、霊帝の寝室で病態を見たとき、一番に駆け出したのは華佗であった。

「なんだ、貴様は!」
「何処から来たのだ、何者であるか答えよ」

「俺は医者だ。 名前は華佗。
 悪いが霊帝様を診た医者は何処か教えてくれ」

「は、私でございます」

華佗は即座に、宦官であろう周りの人間を遠ざけて、診察した医師から話を聞き始めた。
初期症状から現在に至るまで、患者にどういう反応があったか。
意識は何時から無いのかを聞き出して、やがて頷きながら針を取り出す。
額には、多くの汗が吹き出て、それを腕で拭いながら霊帝へと近づいていく。

「華佗……最近巷で噂の医者か」
「余計な真似をしおって、誰だ、呼んだのは」

「これはこれは、献帝様。 華佗を呼んだのは献帝様でしたか」

「呼んだのは、私の傍仕えとなった一刀だ。
 それよりも、どうして父様が倒れたのに私へ話を通さなかったのです」

「申し訳御座いません、すぐに知らせようと思ったのですが
 何分、我々も霊帝様が倒れて混乱しておりまして、報告が遅れてしまいました」

「……そうか」

そんな周囲のやり取りを見ていた一刀は、周囲の視線が自分に突き刺さっている事に気がついた。
本体は何故、視線が向けられているのか分からずに頬を掻く。

『宦官の皆さんは、どうやらあまり霊帝様を助けたくなかったみたいだな』
『そろそろ、小帝へと帝位を移そうと考えていたのかもしれないね』
『……こんな物を知ったんじゃ、そりゃあ華琳は怒るだろうな』
『諸侯が立つことになったのは、それだけの理由があったって事だろうな』
『なんか……嫌な感じだね』
『同感だ』

そんな脳内の声を聞いて、一刀は胸が苦しくなった。
どうして同じ人間を、こうも簡単に権力の道具にすることができるのだろうか。
彼らの思考は、きっともう本体には理解の出来ない場所にあるのかも知れない。

「うぉぉぉおおおお!」

華佗の声が響く。 自分の瀕死の身体を治療した華佗だ。
霊帝が復活することに、確信染みた感情が浮かんで一刀は周囲の宦官相手に
ざまあみろ、と言った感情がふつふつと湧き出た。
それは、脳内の彼らの意識にも引っ張られていたかもしれない。

「はぁぁぁ!! 一鍼同体! 全力全快!! 必察必治癒!!!
 元気になぁぁあああれぇええぇぇぇ!!!」

華佗の内に眠る、病魔を払う黄金の光が室内を包み―――そして即座に消えた。
彼の突き刺した針は、確かに霊帝の腹部へと突き刺さっていた。
しかし、華佗はその場で崩れ落ちるようにして膝をついてしまう。

「華佗!?」

「おお……名医と呼ばれる華佗殿でも不可能なのか」

「なんということだ……」

「このまま、霊帝様が崩御してしまうのか……」

胡散臭そうな声が室内に木霊する。
その言葉は芝居がかっているようにも聞こえた。

「華佗、父様は救えぬのか? それほどの重体であるのか?」

周囲の声に不安を後押しされたのだろう。
劉協が眉を八の字にして華佗へと駆け寄る。


霊帝は、確かに暗愚だ。
客観視してしまえば、国政を放棄してしまい、やるべきことをやらずに税を取り立て
能力ある民よりも、血を作ってくれる農民よりも、官位にあるものを重用し権力を与えて
漢王朝の腐敗を進めてしまった国の王だ。


だが、劉協からすれば霊帝は王である前に優しい父であった。
死んで欲しいなどと思った事は一度も無い。
いつか、父も兄も、そして母とも一緒に笑って食事を取りたいとも思っていた。
こんなにも突然失うことなど、考えたこともないのだ。

そんな彼女を安心させるかのように、華佗は劉協へと笑いかける。
しかし、彼は誰がどう見ても、疲労の極地にあることは間違いなかった。

「大丈夫だ……ゴットヴェイドーはこの程度でっ病魔に屈したりはしないっ!」

「華佗……すまん、頼む、父様を助けてくれ!」

「勿論だ! 俺は医者、病魔を払う為に学んできた知識を、技を、ここで腐らせてたまるものか!」

『無理ね……』
『え?』
『“肉の”!?」
(無理って……華佗にも治せないのかよ!?)
『違うよ、きっと華佗は夜の間もずっと、ああして針を奮ってきたんだよ。
 もう、彼は病魔の気を打ち砕ける程の気力は残っていない。
 酷く不安定で、ぶれているし、下手をすれば華佗の命も危ないかもしれない』
『なんだって!?』
『それじゃあ、駄目なのか?』
『……本体、ごめんね。 みんなも』
(……なんだよ、急に)
『『『『『『『“肉の”……!?』』』』』』』』
『先に謝っておくわん』


言うなり、一刀は唐突に身体が華佗の方へと駆け寄る。
ついでに、意志に引っ張られて口が勝手に動いた。


「天の御使い、北郷 一刀が、これより華佗へ天の力を分け与える!
 我が気と精を与えることにより、帝は意識を取り戻すであろう!」
『はぁっ!?』
『な、なんだ! “肉の”、何をする気だ!?』
『勝手に何やってんだよっ!』


長ったらしい口上を、周囲に大声でぶちまけつつ、なおかつ脳内の文句をそよ風のように受け流し
本体の身体は真っ直ぐに華佗へと向かっていた。
突然の大声と、一刀の奇行に、全員の視線があつまりそして目を剥いた。

「一刀!? 何を―――!」
「華佗ちゃん、いただきますー! むっちうぅぅぅぅ」
「ぶむっ!?」

なんと、一刀は華佗の頭を両手でガッチリとホールド。
そのままの倒れこむような勢いで、華佗の唇を鮮やかに奪うと強く強く、唇を合わせて呼吸を合わせた。

抵抗する暇すら無い、流れるようなそれは最早連続技と言っても良いだろう程洗練された動きであった。
更に、一刀は華佗の口内をねぶるようにして、舌を突き入れ追撃に余念がない。


華佗の身体が、一瞬、陸に打ち上げられた魚のように跳ねる。


劉協は一番近くに居たために、その行為の様子を間近で目撃。
頬を真っ赤に染めて叫び声を挙げそうになるのを必死の思いで我慢した。

周囲の宦官や侍女は、気が触れた狂人を見るかのような蔑んだ目で彼らの行為を眺めていた。


「う……一刀……これは……」

肉体の主導権が戻った本体は、華佗との熱い接吻に目が眩んでいた。
もはや、何が起こったのか信じられないレベルであった。
茫然自失した、と言っても良いだろう。

そんな一刀に唇を思う存分と舐られた華佗は、身体に湧き上がる気力に驚愕した。
そして、興奮したかのように立ち上がり、声を荒げる。
先ほどまで疲労に膝を屈していたとは思えないほど、元気になっていた。

「いける! これなら行けるぞ! 一刀、お前って奴は俺は何時も驚かしてくれる!」

「……あ、華佗殿! 父様を救えるのですか!」


劉協は今の出来事全て忘れることにして、テイク2に望むようであった。
なかなかに懸命な判断であると言える。
周囲の宦官が、馬鹿な、ただ男と接吻しただけで疲労が回復したり治療の技術が上がるわけが……などと囁きあっていた。


「ハアアァァァ、今度こそ完全に病魔を消し去ってやる!
 唸れぇぇぇ、我が気よ! 弾けろぉぉぉ! 病魔よ!
 一鍼同体! 全力全快!! 必察必治癒!!!
 元気になぁぁあああれぇええぇぇぇ!!!」
 

今度こそ、黄金の光は消えることなく霊帝の身体を貫き
室内は黄金色の光に、長く、長く包まれたのであった。
本体が気がついた時には、治療が終わっており意識を取り戻した霊帝に感謝されていた。

後に、音々音の工作による“天の御使いが降りて霊帝を死の淵から救った”という流言が民草に広まり
爆発的な勢いで、それらは大陸全土に流布したという。


      ■ 


漢という国を400年支え続けた巨龍は、腸から不満という名の臓物が飛び散り
亡き崩れようとしていた。
しかし、それを寸での所で阻止した二人の男が現れた。

大きく歴史の流れが変化を迎えようとしていた日。
われらが種馬こと北郷 一刀といえば……様々な人の思惑を乗せられて
漢王朝に天の御使いとして、医者の華陀を伴い降臨したのである。

霊帝は、自身の命を救ってくれ、朝廷に刃向かう乱の内応を暴いた一刀と華陀を絶賛した。
霊帝を救う為に、天から使わした御使いであるのかと一刀は彼に尋ねられて、是と返す。
この返答に気を良くした彼は、自らを天と名乗った北郷 一刀を、正式に漢王朝に降りた天の御使いと認めた上で
今回の騒動の原因となった大陸に跋扈する賊の討伐を一刀に願ったのであった。

一刀はこれに、音々音を自身の参謀に据えることを条件に承諾。
ねねの実力を認めさせ安全の為に一刀の傍に置くことで権威を高めさせる。
そして、劉協が権勢を握る為の一助となるための条件であり、布石であった。

一刀と音々音は朝廷の官軍だけで防ぐことは出来ないと考え
まずは洛陽で滞在している諸候へ軍議を行うことを知らせ、参加するよう呼びかけた。
軍議に参内した者は、それまで官軍を取りまとめていた皇甫嵩を筆頭にして
袁紹、何進、孫堅、袁術、劉表、そして董卓であった。



歴史の中で、“黄巾の乱”と呼ばれる物が始まろうとしていた……




      ■ 千里走った


「朱里ちゃん、すごいよ……見て」
「なに? 雛里ちゃん……あわわ、こ、これって」
「ね……すごいよね」
「う、うん……すごい、その、想像が膨らむね、雛里ちゃん」
「うん、膨らむよ……」

風の噂で天の御使い、北郷一刀と霊帝を死の淵から救った天医、華佗の名が広まり
霊帝を治癒する天の力を与えるため、北郷一刀が華佗と“まぐわった”という話が伝わった。
荊州北部を中心に、二人を題材にした図解入りの八百一なる本が高い評価を受けることになった、らしい。

      ■ 外史終了 ■



[22225] 頭で撮る記念写真の数々、決めポーズを記憶に残すよ編
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:bbc9a752
Date: 2010/11/12 22:08
      ■ 第24回 リアル脳内会議

『なぁ……ふと気がついたんだが』
『なんだ、“仲の”』

それはある日の事。
本体が運び屋で精を出して働き始めたばかりの頃である。
突然、“仲の”が意識体に声をかけたのだ。

『俺達ってさ、ローテーションで本体の体を動かすときってタッチって言うじゃん?』
『ああ、そうだね』
『それがどうかしたか?』
『いやさ、ほら、公孫瓚って真名が白蓮じゃん』
『『『『『……』』』』』

言われて気がついた。
そうだ。
自分達は“魏の”タッチ、とか“呉の”タッチとか言っていた。
つまり、そう。

『ようするに“白の”の『の』を意図的に無視するとさぁ』
『おい、やめろこら』
『パイ……タッチ……』
『『『『パイ……タッチ……!?』』』』
『中学生かお前ら!』
『まぁ落ち着けよ、“白の”』
『落ち着けるか“呉の”』
『俺だって、のが抜けたら誤タッチだ』
『『『『……』』』』
『誤……タッチ……だと!?』
『誤タッチ……一体何処を……』
『じゃあ俺は偽タッチか……』
『ぷっ、だせぇ』
『おいぃ!?』
『タッチ制廃止にする?』
『『『『悩みどころだな……』』』』

(阿呆か、俺は……阿呆なのか、俺は)

脳内の会話を聞きながら仕事に従事していた本体が、何故か凹んでいたという。


      ■ 第25回 リアル脳内会議

それはある日のこと。
少しずつとはいえ、一刀が運び屋の仕事に慣れた時であった。
洛陽の道もだんだんと慣れてきて、この町に住み慣れた頃である。
相変わらず、本体は日々の生活の為に仕事に汗水垂らして働いていた。

『なぁ“肉の”』
『なんだい?』
『お前、どうやってイメージ映像送ってるの?』
『え?』
『そうだな、どうやるんだ?』
『簡単だよ、念じればいいんだ、こんな風に―――』
『おいやめろ! 暴発させんなっ!』
『あ、ごめん、つい』
『じゃあちょっとやってみようよ皆で』
『そうだな』
『そうだな』
『そうだな』

『ふぉぉぉぉ……桃香桃香桃香桃香桃香』
『こぉぉぉ……月月月月月月』
『はぁぁぁ……美以美以美以美以美以』
『むぅぅぅ……翠翠翠翠翠』

(やめろっ! なんだその呪詛は!)

突然、人の真名らしき言葉を言い放ちまくる脳内。
荷物を運ぶ為に力んでいた本体は、思わず手を滑らせて落としそうになる。

「こらぁー! 一刀、客の荷物を落とすんじゃねーぞ!」
「すみません! 店長!」

大声をあげて謝る本体は、全力で脳内を無視する事に決めた。
他人から見れば、気をそぞろにして仕事をミスする男に見えるだけである。
これが肉体労働であまり頭を使わないで処理できる仕事なのが幸いであった。
こんな声を聞きながら頭を使った仕事など集中できる筈が無い。

『全然、出ない訳だが』
『仕方ない、一度やってもらうのが理解への第一歩になる』
『おい、“馬の”正気か!?』
『俺は、たとえイメージの中だけでも翠に会いたいんだ!』
『っ!』
『……“馬の”お前は漢だぜ』
『君の勇気に、僕は敬意を表する!』
『さぁ来い! “肉の”! お前のイメージを送る様子を見せてくれ!』
『『『覚悟は出来た! 俺達も受け手立つぞ!』
『分かったよ皆! “馬の”! 行くぞ! むぉぉぉぉぉん!』
『『『『グハッ!』』』』

一秒たりとも耐え切れなかった“肉の”のイメージ映像に、一刀たちは1時間以上昏倒することになった。

(阿呆か、俺は……阿呆なのか、俺は)

脳内の会話を聞きながら仕事に従事していた本体が
静かになって仕事に集中できるようになったのに、何故か凹んでいたという。


       ■ 頭で撮る記念写真


それはある日のこと。
一刀は久しぶりに完全な休日を貰って洛陽の街を歩いていた。
こうして骨を休めるのは何時以来だろうか。
貴重な休日に、今日は何をしようかと考えていたところに音々音と会う。

「ねね」
「あ、一刀殿。 おはようなのです」
「今から書生さん達の場所へ行くのか?」
「はいなのです。 そういえば一刀殿はどちらへ?」

特に行くあてなど無かったので、素直にそう言った。
すると、音々音は何かを考え込むように二、三ぶつぶつと呟くとポムと手を重ねて一刀を見た。
何故か顔が赤くなっている。
何度か口をぱくりぱくりと開けては閉じ、不審に思いつつも何かを言いたそうな音々音に
一刀は黙って見守った。
そして、音々音は言った。
微妙に、一刀の顔から視線を逸らして。

「で、では、今日はねねと一緒に行楽にでも出かけますか?」
「ええ、でも書生さんと会うのはいいのかい?」
「もちろんですぞ。 書生の皆さんには事情を説明して納得してもらうのです。
 そうと決まれば、すぐに話をしてきますので暫しお待ちをっ!」

ダダダダッと駆けて音々音は一刀の元から去っていく。

「いいのかなぁ」
『本体、来たぞ』
「え?」
『“蜀の”どうした』
『今のが分からないのか? 俺でも気がついたぞ』
『ああ、今のは……間違いなくOKサインだ』
『OKサイン……!?』
『知ってるのか北郷!』
『OKサインは、古来より女性が男性に対して発信してきた、謎の電波。
 察知することが出来れば、その者は天国の階段を上るという……』
『おい、お前ら馬鹿やってんな、本体が呆れてるぞ』
『……』
(いや、うん……まぁ暇つぶしにはなるよ、こういう話)

“白の”の突っ込みに全員が文字通り白けた様で、脳内は突然静寂に包まれた。
あまりの静寂さに、本体は一応、フォローを入れておくことにしたのである。

ほどなくして、音々音がパタパタと戻ってきたので
一刀と音々音は二人で洛陽の街を出て広大な草原を二人で歩いていた。
天気は快晴、風は穏やか、気温は体感でもポカポカとして気持ちがいい。
空は抜けたような青い空。
雲はぽつんぽつんと青いキャンパスに白地を生やしているだけだった。

「気持ちいいなぁー」
「ですなぁー」

どちらともなしに、一刀と音々音は両手を広げて空を見上げた。
矢のように過ぎ去っていく毎日の中、こうしたゆとりのある日は実に心を躍らせてくれる。
深く吸い込む空気は、今までに経験したことも無いほどにおいしい。

「これだけでも、来て良かったって思えるね!」
「一刀殿ー! あちらは草が少なくて寝転ぶのに丁度良さそうなのですー!」
「よし! 行こう!」

思わず駆け足。
先を行く音々音に追いつくと、テンションが高いまま彼女の腰に腕を回してそのまま抱き上げる。
抱き上げられた音々音は、あまりに突然の行動に頬を染めて慌てていた。

「んっ、か、一刀殿!」
「うわっっと!」

バランスを崩して、しかし音々音だけはしっかりと支えて二人は草原に転がった。
そのまま立ち上がらずに、二人は透き通る青い空と天に輝く太陽を見て目を細めた。
柔らかな風が吹く。
ここが、1800年前の中国であることもまるで些細な事の様に感じられた。

大の字に寝転ぶ一刀は、益体の無いことを考えながら
ふと、隣で同じように大の字に寝転ぶ音々音の方へと顔を向けた。
体が逆側、そして寝転んでいるので、逆さまにしたような音々音の横顔しか見えない。
太陽の日差しに目を細めているその横顔が、なんだか普段見ている音々音の顔とは別の顔に見えた。

「……一刀殿」

しばし眺めていた一刀であったが、もう一度自分も空へと視線を向けると
音々音の声が聞こえてくる。

「なに?」

「……こういうのが、幸せというものなのかも知れないのです」

「……そうかもね」

同意を返して、そして思う。
この先は戦乱が待ち構えている。
それは、歴史が明確にその事実を突きつけていた。
今、こうして洛陽の街で生活を営み、音々音と共に寝転んでいると信じ難いことなのだが。
それでも、きっとこうして過ごせる日々は少ない。
戦乱の世が訪れてしまえば、どうなってしまうのだろう。
自分は、その中でどうしているんだろう。

でも、そうだ。
こうして不安を抱え込んでいることもきっと遠い過去の話になる。
その時、一緒に笑い合える人が居ればいい。
それが音々音であれば、この日を振り返ることもあるのだろう。

(写真が欲しいな……)

暖かい日差しが差す中、一刀はそう思いながらもいつの間にか意識を落とした。
柔らかな陽のぬくさに、睡魔に負けて瞳を閉じたのである。



ふと気がつけば、目の前には少女の顔が。
自分が眠っていたことに気がつくと共に、音々音の膝を枕にしていたことに気がついた。

「ねね……ごめん、重かっただろ?」

「別に全然平気なのです」

くすりと微笑む音々音に、一刀は照れた。
少女の膝を枕にしていたこともそうだが、音々音の笑顔がまぶしく映ったのだ。
それを覆い隠すように一刀は立ち上がると、風を吹いて髪の毛を揺らす。
少し風が出てきたようだ。
眠っていたのは1時間か2時間か。
太陽の位置はそれほど変わっていないので、あまり長時間寝ていたわけでも無さそうだ。
やや早まった鼓動が落ち着くのを待って声をかけた。

「そろそろ戻ろうか」

こくりと頷いた音々音、それを見てふと気付く。
脳内で唸る自分達に。

(どうしたの?)
『いや、とりあえずこれを感じてくれ』
『いくよ?」
(ええ?)

本体は困惑した。
先ほど、見たばかりの音々音の膝枕から見上げた画。
そして、彼女の眩しいばかりの笑顔に顔を逸らした、その場面。
草原を映す一刀の目の中、音々音の画が浮かび上がっている。

あまりの違和感に、一刀は思わず瞳を閉じた。
そして飛んでくる脳からの声。

『どうだ、イメージ映像が見えたか?』
(見えた……っていうか、なんだよこれ?)

ようやく収まったはずの鼓動がぶり返して
一人勝手に頬を染めつつ本体は尋ねた。

『『『『『『俺達にも見えるんだ』』』』』』
『ああ、つまり、本体の見た画を俺達はイメージ映像として共有、投影することができるってことだな』
『……新発見だな』
『ああ』
『まぁ、また俺達に新たな謎が追加されたとも言えるが』

(す、凄いなお前ら……)

本体は純粋に驚いた。
苔の一念とでも言うのだろうか。
こんな事を実現させるなんて、なんという俺。
この前まで阿呆だと思っていた自分が阿呆なのではないか。
これはそう、なんというか瞬間記憶能力みたいな物ではないだろうか。
後に検証の必要はあるが、これからの生活に大きな助けとなることもあるかもしれなかった。

『『『良し、コツは掴めた!』』』
『ああ、いこうぜ!』
『『『『俺達の、俺達のためのイメージを!』』』』

突然盛り上がった脳内に、本体は顔を顰める。
そして始まったのだ。
脳内大合唱が。

『オォォォォ……華琳華琳華琳華琳華琳!』
『ハァァァァ……雪蓮雪蓮雪蓮雪蓮雪蓮!』
『ヌゥゥゥゥ……白蓮白蓮白蓮白蓮白蓮!』
『見えろ見えろ見えろ、翠翠翠翠翠!』
『麗羽ぁーーー! 俺だー! 馬鹿っぽいところを見せてくれー!』
『くそっ、何故でない! 負けるな俺の意識!』
(……)

本体はとりあえず無視して、一向に立ち上がってこない音々音に視線を向けた。
彼女は目の幅涙、ピクピクとその場を動こうとしてモジモジとしていた。

「ねね、行こうよ」

「うぅぅ……足が痺れて動けないのです、一刀殿~~」

情けない声を上げて涙する音々音を見て、一刀は苦笑した。
そして音々音の元に近づいて、スッと腰を下げて背中を向けたのである。

「いこう」
「うぅ、ゆっくりお願いするのです」
「うん、なるべく振動は与えないからさ」

一刀はねねをゆっくりおぶさると、洛陽への町へと足を向けた。
脳内で気張る呪詛のような誰かの真名の連呼を聞き続けて。

結局、彼らは自分達の持つイメージを具現化することには失敗したようである。
後にこの瞬間記憶能力は、女性武将のみに効果を発揮することに脳内一刀達は気付いて絶望していた。


てれてれてってってー

かずと は ねねねのCG を てにいれた!



[22225] 都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編1
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:bbc9a752
Date: 2010/10/31 20:59
clear!!         ~都・洛陽・巨龍が種馬のテクい愛撫で鳴動してるよ編~


clear!!         ~都・洛陽・先走り汁を抑えきれずに黄色いのが飛び出たよ編~


今回の種馬 ⇒    ☆☆☆~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編1~☆☆☆




      ■ お礼参りに来たからよ ビキッ !?


北郷一刀、そして華佗の二人は帝の命を救ったことから
離宮の使っていない部屋を与えられて、そこで住む事をこわれていた。
それまで生活をしていた街の平屋から引っ越すことになったのである。

一刀、音々音、華佗の三人はそれぞれの私物を纏め
使わなくなった家具を売り払い、あるていどの金額と換金して部屋を引き払った。
そんな慌しく、時間が矢のように過ぎ去っていく中で
新調する部屋の照明や、これから使う機会が増えるだろう墨などの日用品を買い込んでいる時だった。

華佗が街中で最初に“毒”に気がついたという、料理を取っていた三人組の男が
一刀達の前に現れたのだ。

「あ、あんた、この前は助かった! 本当にありがとう!」
「命の恩人だ、本当にもう駄目かと思ってたんですぜ!」
「か、感謝なんだな」

なんとも個性的な三人組であった。
リーダーらしき中肉中背の男、一刀や華佗の胸元くらいまでの身長しかない男。
そして、とても大きい身体を揺らす男の三人だ。
特に最後の彼は、この時代どれだけ食べればこれほどの巨躯になれるのかと疑う程であった。

彼らは快方してからずっと華佗のことを探していたらしい。
ところが洛陽の街のどこを探しても見つからず
半ば諦めていたところに丁度、一刀達が通りかかったという。

「気にしないでくれ。 病魔に苦しんでいる人を救うのは医者の役目だ」

「それでもだ、俺達はお上に言えない様な事もやるチンピラだが
 命を救ってくれた恩人に礼をしないほどの畜生でもない」
「あ、アニキの言う通りですぜ」

小さい人の言葉に頷くように、巨漢は大げさに頷いた。

「一刀殿、先に行きますか」
「うん、そうだね。 華佗、先に行ってるから、後から追ってきてくれ」

「か、華佗? まさか貴方様が天医と呼ばれている華佗殿なんで?」
「それじゃあ隣のお方は、まさか天の御使い……」
「す、凄い……」

まだ帝が倒れられてから一日しか経っていないというのに、噂は爆発的に広まっていた。
メディアというものが発達しておらず、新聞もテレビも無いこの時代であるのに
天の御使いという通り名はあり得ないほど民草に浸透していた事に、一刀はここで初めて気がついた。

街の中央広場で看板のような読み札が掲げられていたのは一刀も知っている。
と、いうのも、正式に“天の御使い”が王室に降りたことを劉協が広める事を提案し
帝がこれを認めたからである。
何よりも帝は、命を救われた事に対して一刀と華佗には特に厚遇するように自ら話していたので
劉協が何もしなくても、近い内に同じ様なことが起きただろう、とは脳内 in 俺の言だ。
が、この予想以上に民草に話が広まった事実は、ある種の皮肉を孕んでいたと言える。

そもそも、帝が天であるという認識が無ければいけないのに、帝を蔑ろにするように胡散臭い男が名乗った
“天の御使い”というものが許容されたばかりか、突然現れた正体不明の青年を根拠も無く
期待を抱いたり、歓迎するように受け入れたりする者が現れたのだ。
つまり、民の反応から帝は既に“天”では無いと言っているように捉えることが出来た。
これを言ったのは音々音で、劉協に仕えている現状、彼女はこの事実に良い顔をしていなかった。

それはともかく。
まるで釣堀に投げ入れた餌に食いついてくるが如くの勢いで興奮した三人の男に
一刀達は思わず押されて足が止まる。

「す、すげぇ……握手してください!」
「チビ、てめぇ汚ぇぞ。 俺からお願いします!」

「ちょ、待ってくれ、何処の有名人だ俺は!」

「確かに、今や一刀殿は有名人ですけど……」

「ああ、いやそうなんだけど、そうじゃなくてさ」

「三人とも、一刀も困ってるしその位にしておいてくれ」

「あ、そうでした、元々は華佗様に礼を言うためだったんでした」
「わ、忘れてたとは不覚なんだな、アニキ」
「馬鹿っ、デクッ、そういうことは思ってても口に出すんじゃねぇっ!」

アニキと呼ばれた男がデクの尻を思い切り蹴飛ばすが、彼は少し揺れただけで
大したダメージを受けた様子は無さそうであった。
一刀はデクと呼ばれた男の事を、自分の抱く武将のイメージと照らし合わせて、許緒ではないだろうかと予想した。

『よし本体、表でろ』
『『『落ち着けよ』』』
(う、ごめん……)

怨念めいた誰かの声が頭に響いてきた。
どうやら途轍もない間違いだったらしい。
経験を踏まえると、この世界での許緒はどうやら女性のようである。

「アニキ……せっかく天の御使い様が居るんでさぁ、アレ、話しておきやせんか?」
「そうか、そうだなぁ……」
「ア、アニキ、いい方法も思いつかないし、い、言った方が良いと思うんだな」

「なんだ? 一刀に話があるのか?」

華佗に尋ねられて、アニキと呼ばれた男は僅かに悩むそぶりを見せたが
腹が決まったのか、周囲に視線を巡らせて華佗の耳元へと口を寄せた。

「ここじゃちょっと……人気の無い場所に移動できませんかね?」


      ■ まどろみの中へ


アニキから話されたことは、三人に強い衝撃を与えるととも、貴重な情報となった。
それは、馬元義の行動の詳細を知ることが出来たのである。
もともと、彼らも馬元義と同じく、蜂起に加担していた黄巾の賊であったという。
馬元義から頼まれた工作を終えて、黄天の世が近いことを祝して開いた宴会の最中
毒に侵されて華佗に救われたというのだ。

ここで重要なのは、彼らが馬元義の蜂起を行うための工作に関わっていたことである。

元々、馬元義とは面識があったわけでもなく、黄巾という繋がりから
宮内工作の手伝いを頼まれたそうだ。
この事実から、馬元義はアニキ達を利用してそのまま切り捨てる予定であったことがハッキリと分かる。
アニキ達も、祝宴の最中に毒が体内を巡ってからその事実に気がついたという。

「それで、この毒なんですが……こんなに早く街中に広めるつもりは無かったと思うんすよ」

「あいつ、言ったんですよ。 蜂起の時まではまだしばらくかかるって。
 俺達も、下っ端とはいえ黄巾の人間、黄天を仰いだ者ですからね。
 殺すつもりでも、俺達に不審に思われないよう、教えてくれたんでしょうが……
 とにかく、毒を仕込むまで時間を置きたかったんじゃないかって、話してたんですよ」

多分にアニキ達の推測を含んだ話であったが、分かる話でもあった。
確かに此度の、毒が蔓延した事件は街に広がり、住民が倒れ、帝までもが倒れるという大事にまで発展し
大変な混乱を巻き起こしている。
もしも蜂起の日と同時に起こったとすれば、各地に比べて官軍が集まり、充実した戦力が揃っている洛陽でも
大きな危機が訪れていたことだろう。

「この話、他の人には?」

「いえ、まだ御使い様達にしか……俺たちの立場を考えるとおいそれと喋れないっす」

「そっか、貴方達は黄巾の人だったね」

「もともとはただの追っかけなんですけどね、まぁ盗みも殺しもしやした。
 賊ってのは否定できないんですが……」

彼らの話を聞き終えると、一刀と音々音は顔を見合わせて頷いた。
アニキ達の齎した情報から、黄巾党の動きがすぐにでも激化する可能性があることに気がついたからだ。
一刀は脳内の自分の言葉で。
音々音は自己の持つ智謀ゆえに。

「分かった、とりあえずこの話は預かっておくよ」

「アニキ達は、この話を他の方にしないようお願いするのです」

「あ、ああ、分かりました」

「それと……できればこのまましばらく洛陽の街に居て欲しいのですが」

「え、何でなんだな?」

「今度会うときに、お願いしたいことがあるかもしれないからですぞ」

そこで華佗も合いの手を入れて、アニキ達は洛陽へ滞在することに頷いた。
本来の目的である華佗への礼を是非したい、と食事に誘われたものの
一刀と音々音は遠慮して、先に王宮へと戻ることにした。
二人には、一刻も早く為さねばならぬことがあったのだ。

考えることは山ほどあった。
山ほどあるのだが、現状で手をつけてもすぐに限界を迎えることは目に見えている。
二人は新たな居となる部屋へ辿りつくと、室内をぐるり見回し、邪魔にならない場所に荷物を纏めて
早足で寝室へと向かった。

とりあえず布団と枕があることを確認すると、吸い込まれるように飛び込んで睡眠に及んだ。
それこそ、泥のように眠るという表現がぴったりだ。
一刀も音々音も、昨日から一睡もせずにずーっと起きていたのだから当然だろう。
窓から差し込む陽の暖かさからか、驚くほどの速さで二人の意識は落ちていった。

後に、華佗が戻ってきて寝室を覗いた後、ポツリと呟いた。

「やれやれ、仲が良いな」

彼もずーっと起きてはいるのだが、一刀……“肉の”に気を注入されたせいか
それとも注入されてしまった気が“肉の”だからか、眠気などまったくせずに
そのまま引越しの荷解きをはじめて全て一人で終わらせてしまった。
それでも元気があり余っていた為、部屋から飛び出して患者が居ないか辺りをうろつき回ったという。


      ■ 寝起きの迷走


目が覚めた時、辺りは真っ暗で何も見えなかった。
随分と長時間の睡眠に及んでいたのだろう。
頭が重く、瞼を開くのにも気力が必要なほどであった。

二度三度、目頭を腕でこすって意識がだんだと戻ってくると
ようやく闇に慣れてきたのか、音々音の視界がはっきりしてくる。
と、同時に彼女は固まった。
ついでに自分がどういう状況であるのかを頭が理解するごとに、体中の血液が頭に集まってくるようであった。

どうしてこんな事になっているのか、との疑問に
彼女の明晰な頭脳は、寝ている間にこうなったのだ、と答えを返してくる。
しっかりと答えが出ているのに、音々音の脳はどうしてこうなったという言葉ばかりが浮かび上がるのだ。

まず一刀が横に居る。
これは音々音もギリギリ寝る前に確認していたことなので横で一緒に寝ているのは良い。
むしろ大歓迎だ、問題などない、バッチコーンだ。
何がまずいって、言うまでも無くそれは体勢である。
どうすれば一刀の顔を胸元に抱え込み、音々音が彼の耳を甘噛みしているかのような体勢になれるのか。

身体を離してしまえばそれで済む話なのだが、音々音は何故かそのまま一刀の頭を掴んで動かない。
普段は見上げなければ見えない彼の顔。
覗き込むように、おでこの上から見るとまた違った、音々音の知らない一刀の貌を知った気がした。
規則的に繰り返される呼吸が、確かな温かみを伴って音々音の胸を打っていた。

毎日、それこそ何度も見ている顔が、今は別の何かであると思うほど違う物に見えた。
鼓動が早くなるのを押さえることが出来なかった。

「一刀殿……」

ぼんやりと一刀を見つめて、名を呼ぶ。
穏やかに眠る彼からやや離れて、音々音は誰も居ない室内をぐるり見回す。
ゆさゆさと頭を揺すってみるが、起きる気配は無かった。

飲み込んだ唾液が喉を伝い、ゴクリと息を呑む音が室内の静寂切り裂いて響く。
そこは確かにただの寝室であるのに、異様な空間に居るように思えた。

「か、かずと……」

震える唇が、想う人の名を呟く。
敬称を初めて除いて口に出しただけで、音々音は妙に沸騰していく自分を自覚する。
何をしているのか。
何をしようとしているのか。
どこか冷静である部分がそう呟いているのだが、それも視界に一刀の唇を捕らえるまでだった。

まるで何かに引き摺られているかのように、いろんな事を考えていた頭の中が吹っ飛んで真っ白になった。
最早、思考は消えてソレ以外の事がまさしく目に入らなくなってしまう。

そして彼女は一刀の顔にゆっくりと近づいていき、二人の唇が確かに触れ合った。

それは優しい、ただ触れるだけの物だったが
音々音の心を驚くほど充足させたのである。

心の中で一刀の名を呼んで、彼女は夢のような一時であると感じていた。


      ■ まどろみの中


「かかかか、華佗殿! ねねは何をしていたですかっ!?」
「いや、何をと言われても、別に変なことはしていなかったと思うが」
「うあぁ~、誰かねねを消してくだされ~! そ、そうだ、身投げをするのです」
「ま、マテマテ落ち着け、良く分からないが一刀と唇を合わせていたことに何か問題があったのか?」
「語るに落ちたのです! っと、いうかこれではねねも自滅なのです!」
「身投げされて困るのは俺だぞ、いいじゃないか接吻くらい―――」
「言うなー!」
「うわっっと、元気だな! でも蹴撃を加えるのはやめてくれって!」

時間の感覚が気薄になり、ふと目を覚ませば隣の部屋で卓を囲んで話す華佗と音々音の姿が
僅かに開かれた扉の隙間から映る。
しばらく大きな声で言い合い、内密に……だとか約束だ、とかそんな声をかけあって
じゃれあいをしていた様だが華佗のある声を切欠に二人の声のトーンが下がった。

「……より、帝のことなんだが……だ、俺が診たか……だろう」
「むむむ、話を……まぁ、では2年……もしかしたら……ということなのですか」
「そうだ、俺の……判断したが、実際……」
「ねねの聞いた……短い……」
「こればかりは、俺も……」

二人の声が一刀の耳を打って、それはとても心地よくも懐かしくも感じられた。
それらの声は、まどろみに中に居る一刀にとって何一つとして
意味のある言葉として聞こえてこなかったし
話の内容も理解していなかったが、二人の声は彼を安心させた。
それはただの既視感であったが、それだけで一刀の心は落ち着き
そのまま起き上がる事なく目を瞑ると、再び眠りの中に身を投じた。

そして映るは荒唐無稽の情報と景色、人々と想いの断片。
これは夢だ。
たった今、既視感といったものと似たような場所、似たような会話、似たような景色。
場面、立場、居場所を換えては類似した状況が羅列されていく。

決まって最後は自分が起こされる場面だ。
そして、きっとこれもそうだ。
視界に映すのは人肌の、筋張って硬い筋肉と顔に重なる黒い闇。
世界崩壊の序曲のような言葉が一刀の耳になだれ込んでくる。

「あらん、ご主人様起きたのねぇん
 お・は・よ・うんむぅぅぅぅ」
「おお、貂蝉! ぬけがけは許さぬぞ!
 どれ、わしも一つ、むちゅううぅぅぅぅ」

「うわあああぁぁぁあああ!」

飛び起きた時、一刀の身体は寝汗で気持ち悪いくらい下着が張り付いていた。
最後に何かを見た気がしたが、思い出せなかった。
禍々しい物が近づいてきた気がしたのだが。
恐らく脳が強制的にシャットダウンしたのだろうと判断すると同時に、隣の部屋から音々音が顔を出した。

「一刀殿、うなされていたようですが大丈夫ですか?」
「うあ……え……肉? ねね? ああ、大丈夫……妙な夢を見ていたみたいだ」
「……肉? 顔が青ざめているのです、もう少し眠っておくですか?」
「いや、なんでもない、気にしないで」

目を手で押さえて擦りながら、寝ぼけている頭を振って答える。
音々音はその様子を見てから一度部屋を出て、水を持って戻ってきた。

「ああ、ごめん、ありがとう」

「寝汗も随分かいたようなのです。 替えの下着を用意しておくですよ」

「悪いね」

「えーっと、おっけい、なのですぞ」

音々音の話によれば、一刀は丸二日も眠っていたそうだ。
あの事件から、息つく暇も無く起こった連続的な出来事に
心身ともに疲労が濃いとの事だった。

『心……というか意識だけの俺達でも物凄い負荷がかかったからな……』
『ああ……』

どこか憔悴したような脳内の声に、本体は苦笑した。
実際、本体もこうして寝て起きて、ようやく心の整理が出来ている。
正直、整理が終わっているとは言えないが、あまり考えないようにして無理やり納得していた。

『「終わった事だ、ポジティブにいこう」』

確かにアレはとてつもない衝撃であったが、“肉の”が動かなければ
帝が崩御していたかもしれない。
“天の御使い”を名乗れる機会が訪れなかったかも知れないのだ。
それに、マウスtoマウスは素人でも出来る人命救助であり
今回の件は人工呼吸の間接的応用みたいなものだ、多分。

全・北郷一刀はこの様な結論に至って、心の平静を保ったようである。


      ■ 内心どうなのよ


「華佗殿ですか? 帝の容態を診るために呼び出されておりましたぞ」

「そっか、あいつも大変だね」

「華佗殿は、まさしく医の道に全てを捧げておられる者です。
 正直言ってしまえば、医療馬鹿なのです
 ついでに出歯亀やろーなのですぞ」

「ははは、でもそれは素晴らしい馬鹿だね……出歯亀?」

「な、なんでもないのです」

「……うーん? まぁいいか」

やや釈然としないものを感じた一刀であったが料理を受け取り終わった音々音は平然としていたので
別に大した話ではないだろうと判断して流した。
給仕から運ばれた物を音々音が皿を一枚取っては一口食べて、食卓に並べていく。
水瓶で顔を洗っていた一刀はその様子に気がつくと首を傾げた。

「ねね、何してるの?」

「毒見なのです」

あっけらかんと言い放った音々音に一刀は最初、何を言われたのか理解が出来なかった。
確かに、事件があったばかりであるから、料理に対して不信感を持つのは分かるのだが
毒見をされるとは思わなかったのである。

『そういえば、俺も地位が高くなったときは毒見されたっけ……』
『俺もそうだったなぁ』
(でも、毒見って……そんなの言われたら、しなくてもいいって思っちゃうよ)
『俺もそうだったけど、やめろって言っても断られるだけだぞ』
『うん、こういうのって何故か断られるんだよなぁ』
『俺達も、みんなが大切だから止めて欲しいんだって言っても駄目なんだよなぁ』
『うんうん、こういう所は頑固な娘達だった』
(そっか、体験済みなんだ……)
『『『『『うん』』』』』

音々音は全てを食卓に並べると、満足げに頷いた。
どうやら、良く分からないが彼女的に満足の行く内容であったらしい。
毒見に対して突っ込みたかった本体であったが、無理やり納得すると音々音の対面に椅子を引き腰を降ろす。

「一刀殿、朝食の準備が出来たのですぞ」

「うん、頂くよ」

一刀が食事を取り始めたのを確認してから、音々音は一刀が眠っていた時に起きたことを教えてくれた。

まず帝との関係だが、特筆することは余り無い。
“天の御使い”として漢王朝に認められたこと。
書状で“天代”なる身分を与えられたということ。
この役職は言わば、社長と相談役、みたいな関係となることを望まれているということだ。
諸侯でいうところの客将のような扱いと考えていいらしい。

帝は一刀の事をいたく気に入った。
そんな彼を拾った劉協も同じく帝に心象が良かったらしく、帝は劉協本人に

「まさしく天から恵まれた我が宝に命を救われた。 
 協には天の加護が授けられているようだ」

と言したという。
帝との疎遠な関係が続いていた劉協も、この言葉には嬉しさの余り、笑みを零して瞳を濡らしたそうだ。
その日、劉協は久しく家族と共に食事を楽しんだという。

「そっか、良かったね劉協様」

「ですが、やはりというか劉協様には敵が多いようですぞ」

これに面白くない感情を抱いている宦官が、少なからず居るようだとは段珪の証言である。
ようやく劉協を遠ざけたと思ったら、如何わしい“天の御使い”を連れて戻ってきたのだ。
しかも、帝の命を救うという大事を為して。

現状、劉協や一刀に対して何かをしようという動きは無いみたいだが
ある少年の証言から妙な噂が広まっているという。

“天の御使い”は、巷に跋扈する黄天からの御使いなのではないか、と。

根も歯も無い噂だと一笑に付したいところだが、一刀には心当たりがあった。
少年という時点で想像は付く。
一刀はあの時あの場では、自分の命を優先して黄巾の馬元義であると名乗りを上げたのだ。
当の馬元義本人を否定して騙ったのだ。
あの場面に目撃者が遭遇していたのだとしたら、黄巾の人間だと疑うのは自然であった。

「なるほど、一刀殿の事情は経緯は端折って聞いておりましたが
 それは初めて聞いたのです」

「やっぱ迂闊だったよなぁ……上手く言い訳を出来ればよかったんだけど」

「話を聞く限りでは状況が許さなかったのです、一刀殿の判断は間違っていないとねねは思うのですぞ。
 それに、過ぎたことは気にしすぎても戻らないのですから」

「うん、そうだね……けれども、何か考えておかないと誰かに追求されたときにまずいかな」

開き直ることが出来れば楽なのだが、少年に一刀の顔を見られていないという保証は無い。
むしろ見られて居ないと考えるのは楽観的に過ぎるだろう。
“天の御使い”という名を得たからといって、それがそのまま諸侯への信頼にはならない。
いくら迷信深い時代であるからといって、受け入れてくれるとは思えないのだ。
むしろ、何処の馬の骨なのかと猜疑の目を向ける方が自然である。

そう考えると、街中でアニキ達、元黄巾である三人と話をしたのもまずかったのかも知れない。
人通りの少ない場所に移動していたとはいえ、少なからずの人には見られているのだ。
その時の彼らの姿に黄巾は纏っていなかったが、それでも彼らが黄巾の賊として活動していた事実はある。
通りがかった人間が誰も知らないとは言えないし、何処かで見られていることもあり得ただろう。
それが発覚してしまえば、いっそう疑惑は深まるだろう。

そして、アニキ達と言えば

「毒の件、ねねはどう思う?」

「情報が断片的で推測の域を出ませんが、それでも彼らの推測は正しいものだと思うのです。
 馬元義なる男は洛陽を一時的にでも機能不全にさせる役割を担っていたと考えます。
 その日に合わせて一斉蜂起の合図を、何らかの手段で送るつもりだったのかと」

『そうだな、アニキ達に“毒”を仕込む理由もそこだろう。
 計画を完璧に期す為に、事を知り得る者は問答無用で排除しようとしたんだ』
『“呉の”、でもそれだけじゃ説明できないこともあるよ』
『街に毒が出回ったことだな?』
『そうそう』
『宮内に毒が蔓延したのは、本体が運んだ荷物の中に混ざっていたんだと思うけど』
『そこは俺もわからない……“白の”や“馬の”は分かるか?』
『『うーん……』』

「街に蔓延した毒ですが、宮内で使われた毒と完全に一致してると華佗殿が証明してくれました。
 これはねねの予想ですが、事が一刀殿に漏れた内応者が目を他に向けさせるために
 ばら撒いたものかと思うのです」

『『『なるほど』』』

「そっか……」

本体は複雑な気持ちを抱いた。
毒を宮内、街中へばら撒いたのは追い詰められた徐奉であったのだろう。
彼は騒ぎを拡大するのを阻止するために宮内に戻ったはずだ。
少年から広まった噂を抑えきることが出来ずに、苦肉として毒を市街にばら撒いたのかも知れない。

結局のところ、あの蔵であった出来事が全ての事件に直結しているのだ。
もしあそこで馬元義を騙らずに助かる道を見つけることが出来ていたのならば
今の中毒者が大量に出た事件を防げたかもしれないと考えてしまうのは自惚れだろうか。

「それで、一刀殿は帝に跋扈する黄巾の賊の討伐を頼まれたのですよね?」

「うん、でもまぁ、賊を討伐しに行かなくても……」

「はいです。 “毒”の蔓延が蜂起の合図であるのならば、恐らく勝手に相手から突っ込んでくるです」

「だよな」

一刀と音々音は現状を整理すると共に、今後の確認をしあうように話し込んだ。
その時に気がついたことがある。
本体が持つ三国志の知識は、脳内の一刀の物よりも正確であることが殆どであった。
そして脳内の一刀達は、一度乱世を駆け抜けて身についた確かな経験と世界の知識があった。
この二つが、一刀がこの世界の誰にも持ち得ない大きな力であることに
音々音との会話の中で強く思ったのである。
 
本体は三国志のこれからの事象を覚えている限りで脳内会議に送り込み
それらの情報と、現状、今居るこの世界の情勢を鑑みて脳内の一刀達が議論を交わし
それを元にした対黄巾の戦略を聞かされた音々音が噛み砕いて細部を詰めていく。
時に音々音は興奮したように一刀との会話に熱を上げたが
大体の今後の目処が立つと、茶を一口含んでから音々音は一刀を見上げた。
何かを話そうと口を開いた直後、扉が開き室内に華佗が入って来る。

「あ、華佗、お疲れ様」

「おかえりなのです。 帝の様子はどうでしたか」

「ああ、ただいま。 まだ暫くは床に伏せて居て貰わなければならないが
 随分と体調は安定し始めたよ」

一刀と音々音の囲んでいる卓の真ん中に椅子を引き座ると
卓の中央に並べられた竹簡に目を落とす。
それらの内の一枚を手に取って眺めると、諸候の名前や官軍の資料などが書かれていた。
それを見ながら華佗は口を開いた。

「帝のことだか、今回は問題なく治る。
 だが、かなり奥深くまで病魔がこびりついていてな……1年か2年。
 とにかく近い内に、体調を崩してしまうだろう」

「そうなのか?」

「昨日ねねにも話してくれたことですね」

華佗は頷いた。
今言ったように毒の侵は深く、華佗でも完全な治療は難しいとのことだ。
次に体調を壊したときは、死の危険も高いという。

帝の生死は一刀達にとっても、他人事では済まされなくなっていた。
一刀も音々音も、今は劉協に仕えているのだ。
話を変えるように、華佗は手に持った竹簡に目を落として

「賊の討伐を頼まれたって奴の書か。 戦になってしまうのか?」

「おそらくね。 こっちがしたくなくても、向こうから蜂起してくると思う」

「そうか……多くの怪我人が出てしまうな」

「そうだな……」

「一刀はいいのか?」

華佗は僅かに顔を顰めてそれだけを呟いた。
彼の立場は医者であり、それ以外の何物でもないのだ。
大陸の趨勢に全く興味が無いわけではないが、興味があるのは乱がどう決着を迎えるかとか
今後の天下の行く末がどう転がるのかとか、そんなものはどうでも良かった。
華佗からすれば、怪我人がどれだけの規模で増えて、どれだけの人が助かるか。
そちらの方が大きく関心を呼ぶ。

こうした生き方が、ある意味で単純であり楽であるのを華佗は知っていた。
ゴットヴェイドーの道、それは人の命を救う事が至上であり
逆にいえばそれ以外のことは特に考える必要も無いということになる。
ゆえに、華佗は大陸を回って徹底的に人の命、動物の命、それらを救う事だけを命題として今まで旅を続けてきたし
それを今後、覆すつもりは絶対に無かった。
幾ら金を積まれようとも、どれだけの権力が約束されようとも、だ。

だからこそ、華佗には若干の遠慮があった。
一刀があの場で天の御使いを名乗ったことは、帝の治療に必要なことだったと華佗は考えている。
自分が疲労で気を練れなくなり、一刀は“天の御使い”としての技を使わなくてはならなかったのだ。
それが切っ掛けで、彼は帝に頼まれた賊の討伐を請け負うことになってしまった。

友人である一刀が、自分の至らなさ故に乱へと首を突っ込むハメになったのだ。
少なくとも、華佗だけはその様に捉えていた。

「……まぁ、正直言って怖いよ。
 俺は一般人だからね……急に権力を与えられてもさ」

「ねねもその辺は同じように戸惑っているのですよ。
 諸侯からの反感も、多かれ少なかれ出ると思うのです」

「そうか、なんだかすまないな」

「華佗が謝るようなことじゃないって……」

何となく会話に沈黙が降りる。
手持ち無沙汰からか、音々音は筆を墨につけつつ無意味に振っていたり
一刀も一刀で水を飲んでみたり、肩を動かしてみたりしていた。

二人とも、今回の事に不安はあるのだ。
そんな様子を見ていた華佗は、明るい声を出して一刀へと声をかけた。

「そうだ、一刀。 目が覚めたら言おうと思っていたんだが
 あれだけの気を送ったんだ……爆睡していたこともあるし……
 俺の診察を受けてくれないか?」

「あ、それならねねは今の話を劉協様にお伝えする為に行って来るのです」

「そっか……うん、じゃあ華佗、お願いできるかな」


      ■ 続・誤り


随分と深刻な顔をさせてしまった、と一刀は思った。
診察をされてから数分、華佗は顔を思い切り顰めて腕を組んで黙ってしまったのだ。
どこか悪い病気なのかと心配したが、どうやらそうではないらしい。

服を脱いだ状態でそのまま放置されて、華佗は一人でなにやら呟いていた。
まさか、とか、こんな事は、とか。
どんなことだよ、と問い詰める雰囲気にもなれないので、仕方なく呆っとしていたのだが
答えは華佗の口からではなく、脳内の一刀達から返って来た。

『本体、話がある』
(どうしたの?)
『“肉の”の意識が戻らないんだ』
『今さっき、点呼してみたんだけどな。 “肉の”が何処にも居ない』
(えっと、一人消えちゃったってこと?)
『消えたのかどうかは分からないけど……』
『華佗って俺たちの事を、気で判断していただろう?
 それで悩んでいるんじゃないか?』
『一人の気が消えたからだね……』
(もしかして、皆も消えることってあるのか?)

この本体の問いは、今となっては切実な物になってしまった。
旅をしていた頃や、洛陽で仕事をしていた時ならば、むしろ居ないほうがアレも出来るし
特に生活が大変な時期は過ぎていたので大した問題でもなかっただろう。

だが、今となっては居なくては困る存在だ。
帝に賊の討伐を依頼され、それを受諾した時から。
いや、それ以前に徐奉と馬元義との邂逅から、本体は脳内の自分が居なければ
生きていられないと思っているからだ。

彼らの力なくして、今の本体は無かったのだろう。
脳内の自分達が消えてしまうのに一番の恐怖を覚えたのは本体であった。

「一刀、少しそこの寝台に寝てくれないか?」

「もしかして、気が変?」

「ああ……一応いっておくと、気が触れているという意味じゃないぞ」

「はは、分かってるって。 仰向けでいいかい?」

軽い冗談に苦笑を漏らして、華佗が頷いたのを確認すると、言われたとおりに寝台で横になる。
上着を脱いで椅子を引き寄せ、華佗は一刀の丹田の辺りを手で押さえた。

「一刀の身体なんだが、異常は何処にもなかった。
 ただ一つ、一刀の中にあって騒いでいた気が抜け落ちているんだ。
 人から気が抜け落ちるときは、すなわち死ぬときだ」

「えっ!?」
『『『『“肉の”が死んだ?』』』』
『待てよ、決め付けるのは早計だろ』
『けどさ……』
『俺達だって何で意識だけになっているのかは謎だ。
 いろんな事が考えられるだろ』
『……』

「一刀の気は、幾つもあるから一つくらい気が抜け落ちても身体に異常は無いかもしれない。
 それに、沢山の気があるから俺が見えないだけで気は存在するかも知れない。
 今から、俺は一刀の内に眠る気を集中して探る為の診察を行おうと思っている
 少し痛いのだが……」

「あ、ああ。 別にいいよ、頼むよ」

一刀が不安げに了承を返したのを確認して、華佗は自らも寝台へと登って袖をまくった。
右手に握られるは20cmはあろうかという太い針を持ち、左手には謎の液体が。
馬乗りになるように一刀の足を臀部で押さえつけて華佗は右腕を大きく振りかぶった。

「うおぉぉぉぉおお!」

「おぉぉおぉい! 待て! ちょっと待てっ!」

既に了承は取ってある。
華佗に、躊躇う要素は無かった。
何故ならば、これは治療の為の診察なのだ。

「内に眠る気よ! 我が気に答えてその姿を教えよ!
 一鍼同体! 全力全快!! 必察滴注!
 全てを曝せえぇぇぇえええ!」

「ぐっ!?」

華佗の針が、一刀の関元中へと一直線へ振り下ろされて
黄金の気が体内に沈むと、一刀の身体は呻き声を挙げつつ跳ねた。
じわり、じわりと身体の中に広がる何かが一刀の腹部から伝わってくる。
同時に、抗いがたい痛みを伴って広がっていった。

華佗は苦悶に呻く一刀を無視して、手元に糸を引き寄せると
素早く患部を縫合、治療。
もちろん左手で持っていた消毒液をぶちまけることは忘れなかった。
処置が終われば、今度は一刀に送り込んだ気に、華佗の持つ気を同調させるべく
身体を引きつらせて脂汗を垂れ流す一刀を押さえ込みながら覆い被さった。

「ぐぅぅ……こ、こんな方法しか無かったのか、華佗っ」
「すまん、これしかない。 俺の気は、じきに霧散する。
 それと同時に痛みも引くはずだ、悪いが耐えてくれ」
「や、優しく無いんだな、気を調べるってっ」
「すぐ終わるっ、頼むから動かないでくれ、調べにくい」
「そんなこと言っても……いっっつ」

二人の会話は実に真剣な物だった。
一刀にとっては頼りにしている脳内の、言わば自分の生死に関わることだ。
一方で、華佗も一刀の身体に眠る気は、医者として大いなる謎の宝庫である。
今回、この方法を取ったことは華佗にとっても大きな冒険であったのだ。

ただ、二人の声は防音処理の施されている部屋ではない。
外に居る人間には聞こえてしまう。
中途半端に。

「ぐぅ……こんな方法……華佗っ」
「すまん……俺の気は……同時にっ……耐えて」
「や、優しく……気を……」
「すぐ終わるっ……動かないで……」
「そんな……いっっ……」

こんな具合に。

話は変わるが、この部屋に入れる人間というのは限られている。
まずは一刀を“天代”と認め、華佗を“天医”と賞賛した帝。
そしてその娘、劉協……彼女に仕えている宦官の段珪。
この部屋で暮らしを営むことになった一刀と華佗、そして音々音。
他にも給仕や、離宮に居を構えている人間も居るが
現状では今挙げた人物が、部屋に入る事が許されているといって良いだろう。

そして、つい先ほどから劉協が音々音を連れ立ってこの部屋に入室したばかりであった。

「は、はぅっ……」

「りゅ、劉協様っ!?」

頭を押さえて、大仰によろめく劉協。
それを慌てて支える音々音。
本気で倒れそうになる身体を、ねねに支えられながらも何とか持ち直し
妙に動揺して扉の前でウロウロとし始める。

逆に音々音はというと、今すぐ扉をぶち破り事の真実を確かめに行きたかった。
仕える主が目の前に居て入ろうとしない為に控えてはいるが、それも何処まで持つかという感じだ。

「劉協様、とりあえず中に入ってみるのです」
「し、しかし、ああっ、ねね。 私はこの中に入る勇気がありません」
「ねねもそうですけど、真実は中に入るまでは判明しませぬ」

思いのほか落ち着いていた音々音に、劉協はやや自分を取り戻して深呼吸を行った。
隣の部屋から、ううっ、とかああっ、とか妙な喘ぎのような声が聞こえてくるし
自身の父を治療する前に行われた、一刀と華佗の濃厚なアレを見ているだけに
落ち着いて深呼吸は出来なかったが、それでも少しだけは冷静になれたのである。

「でも、ですが、もし、殿方の、その、一物を見ることに……それもズッポリと小ケツに入っていたらと考えると私ではとても……」
「だから、それを確かめに……いや、二人がそんな事をするはずがないのですっ!
 さぁ、早く入ってしまいましょう! 虎穴にいらずんば虎子を得ずなのです!
 こういうことは勇を持って何事も突撃、突撃なのですぞ、劉協様!」
「こ、こけつにいらずんば……ねね、ここは一度退散をしたほうが……」
「何を弱気なことを! 劉協様はねねが支えますからすぐに突撃を!」

猪全開の発言をかまして、音々音は彼女を急かした。
落ち着いてるようにみえて、しっかりと動揺している。
結局、似たようなやり取りを数十秒続け、彼女達は意を決して中へ踏み込むことにした。
そこで見た光景は。

一刀は荒く呼吸をしながら脱力したように寝台に寝そべっていた。
華佗は呼吸こそ荒くは無かったが、やや疲れたような満足そうな顔をして一刀の上から離れたところだった。
服もおおいに乱れており、特に一刀は半裸であったが一応着衣の状態でもある。
シーツは濡れているかのように独特の染みがあり、何故か血液のような赤い点が。
どちらも喋らず、それはそう、何と言うかこう、薔薇の花が咲いた後みたいな。

良く見れば、寝台の近くには針と容器などの治療具が目に入っただろうが
彼女達が余裕でそれらの道具を見過ごしてしまったのは、衝撃故だろう。

「ここここ、これは失礼致しました! 一刀殿、華佗殿、私が訪れたことは忘れてください!」
「ぅぅぅ、か、一刀殿ぉ、これは一体~~!」

この声が室内に響いて、初めて二人は劉協と音々音が部屋へ訪れていたことに気がついた。
何故か劉協は平謝りをして、本来頭を下げる立場の華佗と一刀は眉を寄せて不審がった。
何があったのかと音々音の方に首を向ければ、彼女は彼女でしきりに二人を視線で交互に追っており混乱していた。

「一体何をしていたのですか、寝室で」

「何って、診てたんだ。 分かるだろう?」

「見ていません! 見たのはその、状況証拠というかなんというか……」

「何を言ってるんだ? ちゃんと診たぞ、なあ」

「そうだよ、二人が何に混乱しているのか分からないけど、診て貰っただけだよ?」

「ね、ねねは一刀殿が普通であると信じているのです!」

「ねね? まぁ、俺は普通だと思うけど……一体二人ともどうしたの?」

「お二人こそ、どうしてそんな事を……それに見たか、見ていないかなど、女性に聞くものではありませんっ!」

「話が見えないな……ただ、俺は医者だ。 ああして診るのは普通だと思う。
 そこに性差なんてない」

「華佗殿は医療と称してその、男と関係を持つような方なのですか!?」

「先ほど言ったとおりだ。 男女で差別はしない」

「はうっ」

華佗の信念の篭った目で見つめられ、劉協は短く声をあげると左へフラフラとよろめく。
これは、決意した者の目だ。
誰にも止められない、確かな覚悟が力強い瞳となって如実に劉協へと説明していた。
目は口ほどに物を言う、という話が真のことであったのを劉協はこの時に理解した。

なんだかんだと華佗は一刀の内に眠る気を完全にとは言わないが
おおよそ把握することが出来た。
結果的には“肉の”の気は、途轍もなく弱ってはいるものの存在はしているとのことだ。
基本的に、気というのは病魔や寿命でなければ自然に回復していくとのことで
本体と脳内の一刀達は安堵の息を吐きながら、ため息も一緒に吐くという高等技術を披露していた。

ため息の理由は言うまでもなく、ようやく話が繋がった4人の会話で
音々音の誤解は無事に解けたものの、付き合いの浅い劉協とは
結局勘違いされたままであることだった。

今のところ劉協は、一刀と華佗の関係をキゴウがあるものとして見ており、盛大に見誤っていた。


      ■ 勝利の栄光を君に


劉協が訪れたのは、軍議が開かれる日時が決まったことを伝える為だったそうだ。
本来ならばこの様な雑事は、劉協ほどの身分を持つ者が言伝のために一刀の元へと訪れたりはしない。
身分もそうだが、立場的にも賊討伐を任された男の元に伝言をする皇帝の娘は普通居ないのだ。

つまり普通じゃない訪問をする理由があった。

それは、今後の彼女の身の振り方にも関わってくるものだ。
“天の御使い”として現れた一刀は、帝から“天代”の役職を貰っている。
その“天代”が勤めている場所は劉協の元なのだ。
形式上は帝の客将ということになっているが、実質的には劉協の下でということになっている。

それは離宮に居を構えたことや、一刀が接している人を考えれば分かることだ。
この場所に一刀が居を構えた事は、ある意味で正解であったと言えるだろう。
本人は知らぬ事だが、劉協の元には“天の御使い”に宛てられた大量の贈り物が届けられているのだ。
どんな経緯であれ、今は時の権力者である帝・劉宏に気に入られ厚遇している一刀に
自分を気に入られようと画策する者は沢山居た。

全て劉協の膝元でそれらの贈り物は処分されているわけだが
露骨に金銭を混ぜていた物もあり、それを見かけるたびに彼女は段珪へと愚痴を零したものだった。
彼女がこの場に来たのは北郷 一刀という人間が“天の御使い”という名声を得たからである。

彼女の持つ力は小さい。
一刀と音々音を除けば、自分の身の回りを世話する者だけだ。
段珪からは、既にこの話には関わるつもりが無いことを聞いている。
この部屋に居る者が、彼女の持つ力なのだ。

天の御使い、北郷 一刀。
そんな一刀について回る小さな智者、音々音。
残念ながら、華佗は誰かに仕えるつもりは無いとキッパリ断られている。
よって部屋に居るのは劉協を含めた三人だけだ。

「一刀。 この賊の討伐は成功いたしますか。
 包み隠さずにお話してください」

「まだ何も動いていないのに気が早いような気がしますが。
 勝てるか勝てないかってことですけど、分かりませんとしか言えないです」

「……」

期待していた答えが貰えずに劉協は眉を顰めた。
ここで言葉を濁したのは、一刀も音々音も官軍の質が分からない事にあった。
いくら諸侯の軍を集めるつもりだと言っても、実際に戦場で立つ兵士達は
圧倒的に官軍の数が多い。
洛陽に留まっている諸侯は全員参加するとの旨を事前に貰っているが
それら全てを合わせても、数的に官軍よりも少ないのだ。

黄巾党はその殆どが農民や圧制に苦しむ民であり、当然彼らの使う装備は貧弱だ。
軍での行動というものを知っている人間が一体どれほど居ようか。
その点だけ見れば官軍は負ける要素など無い。
そう、無い筈なのだが。

「この乱は世の中を憂い、今の王朝に不満を抱いた若者達の暴走なのです。
 戦いが長引けば別でしょうが、始まったばかりは気炎を上げて
 決壊した河川の如く、怒涛の勢いで洛陽へ向かってくると思われるのです」

音々音の言葉に続くように、一刀が補足する。

「それに当たって踏ん張ることの出来る精兵が、今の官軍に在るのかどうか、ということです」

偉そうに言っている一刀だが、ぶっちゃけ脳内の受け売りだったりする。
本体は軍略など知っている訳も無く、知識から引っ張り出して官軍の士気を憂いているのだ。

「官軍とて柔ではないと聞いております。 賊の討伐も今回が初めての訳じゃない。
 実力は信用できるのではないのか?」

「今までは、相手の数が少なすぎるのです。
 しかし、今回の乱は内応した者の数を考えても大きな規模になると予想できるのです。
 賊の討伐といっても、公表されているものでも万の規模には届きませぬ」

「そ、それでは此度の乱はそれを越えると?」

「ねねはそう予想するのです。
 ただの推測になってしまうですし、余り言いたくは無いのですが
 官軍を超える規模もあり得ると」

劉協は音々音の予測を聞いて絶句した。
少し大きい戦になるだろうとは彼女も考えていたが、それは今までのような討伐行の規模よりも
やや多いくらいだと勝手に思い、納得していたのだ。

今まで官軍が相手をした中、一番大きな勢力でも規模が一万を超えた物はそうそう無いのである。
あっても、昔といって差し支えないほど前の事である。
それはつまり、官軍は今まで兵法としての前提。
戦う相手よりも数に勝り、戦をしてきたということだ。

「それでも悲観する要素は少ないはずなのです。
 たとえ同規模の数が揃おうとも、我々のほうが軍という物について良く知っていますし
 装備も錬度も賊に比べれば当然、上ではあるのですから。
 短期決戦を許さなければ、負ける事はまず無く、勝てるとねねは思うです」

「そうですか……きっと父様も軽い気持ちで一刀に討伐を頼んだのですね」

『だろうなぁ』
『学級委員にプリントのコピーを頼むような軽さだったからね』
『仕方が無いさ。 あんな宦官が回りに居るんじゃな……』
『そこに疑問を持って欲しいものだけど』
『それが出来ないから、つまり、そう言われるってことだろ』
『うん……だよね』
(悪い人じゃ無いんだけどね……)

しみじみと脳内と会話を交わしていた一刀であったが
深刻な顔をして自分の重ねた両手を見つめている劉協に気がつくと
少し励ましてあげようと考えた。

「えーっと、そうですね。 まぁ官軍だって遊んで暮らしていた訳でもないんでしょうから
 きっと大丈夫ですよ。 なぁねね」

「調練を見てみない事にはなんとも言えないのですが、恐らくは」

「……一刀、貴方は元々は運送業の従業していた市井の者。
 もし無理であるというのならば、無理に参戦しなくても良いのですよ」

「お気遣いありがとう御座います。 でも、やるだけやってみますよ」

「そうですか……いえ、今のは忘れてください」

「ええ、きっと大丈夫ですよ、それに……」

この心遣いは、一刀にも嬉しいものであった。
自分を“天の御使い”という大層な肩書きではなく、一人の一般人として見て心配をしてくれているのが
ハッキリと分かったからである。
事情を知る劉協だから、と言ってしまえばその通りなのだが
変に持ち上げられてしまった感がある一刀にとって、そんな普通の気遣いが嬉しかったのだ。

実際、持ち上げられたというか自分から壇上に上がっただけなのだが
それはそれ、である。

言葉を途中で区切った彼は、音々音に首だけ巡らした。

「心強い仲間が隣に居ますから」

「か、一刀殿」

「くすっ、そうでしたね……では一刀、ねね。
 連絡があって、あと数刻で軍議を行うとの話でした。
 二人とも、それに遅れないよう参加してください」

「はい」
「はっ」

「漢を、よろしくお願いします」

「やってみます……精一杯。 行こうか、ねね」

「はいです! 失礼するのです、劉協様」

二人の声には答えず、劉協は頭を下げ続けた。
この戦の如何によっては“漢王朝”が倒れることになる。
負けることは論外。
劣勢であってもいけない。
それは漢王朝に降りた“天代”が指揮するデメリット。
漢の先を照らす“天”が、失われることを意味するからだ。
民から見える天が、蒼から黄へ移ってしまうからだ。

勝たねばならない。
それも、出来れば圧倒的な勝利を。
そうすれば、漢王朝は未だ健在だと示すと共に、彼女の元に転がり込んだ“天”が新たな龍となって
劉協を、漢をまた支えてくれるはずなのだ。

一刀と音々音の出て行った扉をじっと見つめ、自身の手が固く握られ汗ばんで居たことに気がついたのは
二人が立ち去ってから随分と後の事であった。


      ■ ぼそり


軍議が開かれる事を知った一刀は、この場を開くに当たっての様々な雑事がある音々音と別れて
一足先にと大きな会議室のような場所まで来ていた。
床も壁も綺麗に清掃されており、資料のような物が机の上に置かれており
予想以上に清潔感が溢れていた。

部屋を畳と障子に模様替えをして、家紋などをぶら下げたりすれば
一刀のイメージにある将軍と大名が話し合う物と、そう大差が無いように思えてくる。

さて、何処に座ろうかとうろうろしていると、面識の無い人に御使い様はこちらです、と案内されて
ホイホイと着いていけば一番立派な椅子と机が用意されており、地味に引いていた。
早く来すぎたせいなのか、まだ諸侯も誰も来ていないのは良かったと一刀は思った。
全員が集まっており、視線が集中する中でこんな上座にドカっと座る姿など想像できなかった。

一人で座っていても落ち着かないものではあるのだが。

座っているだけで待つだけの一刀は、ふと机に置かれた竹簡を手に取る。
どうやら軍議に参加する諸侯の名が連ねてあるようだ。

「皇甫嵩、何進……袁紹、袁術……ふむぅ」

流石に帝の命とも言える“天代”の声で集まった者達だ。
一刀にも分かる有名な方々が随分と書き連ねてあった。
ただ名前が書いてあるだけの物であるはずなのに、それを見ているだけで一刀はテンションが上がって来た。

『随分と楽しそうだな、本体』
「はは、だって有名人に会えるような物だからね」
『軽いなぁ。 分かってるとは思うけど、“天代”は本体なんだよ?』
『でも、何進さんとは俺も初めて会うから少し楽しみと言えば楽しみだな』
『孫堅様の名もあった。 もう一度会えると思うと確かに嬉しい』
『董卓も……月も来るのかな』
『どうだろうね、詠だけかもしれないけど』
『まぁ、誰が来ても俺たちは会えないようなもんだけど……』
『言うなよ、皆言うの我慢してたのに何で言うんだよ馬鹿』
『ばーか、ばーか』
『うわっ、いきなりレベル低くなった!?』

「そういえば、袁紹や袁術とは結局全然話せないで終わっちゃったもんね」
『うっ、あの時はすまなかった、本体』
『ごめんよ……』
『まぁ、本体も居る場所が悪かったよな、真ん中だったから……』
「次に二人以上乗っ取られる時は俺、絶対に今度は背後に壁を背負ことにするから」
『そのほうがいいね』
『ははは』
『ああ、そういえばさ、玉璽って二人のどっちかが持っていったんだっけ』
『状況を考えれば、ね』
「ああ、そっか……普通に忘れてたなぁ、玉璽」

そう呟くが早いか、入り口の扉が開いて印象的な金色の鎧を見に包んだ袁紹が入ってくる。
その後ろに3人の共を引き連れて、堂々と自分の席を探し、そこにドッカリと座る。
おずおずと座る一刀とはまるで正反対。
むしろ、何故自分が上座に座れないのかと案に言われているくらいに堂々とした入室であった。

本人的には隠れてやっているのだろうが、チラリチラリと一刀の方を見ながら隣に居る女性とボソボソと会話を交わしていた。
一刀の方も、ジロジロと見るわけには行かないので顔はそのまま、目線だけを動かして確認していたのだが。
ただ、気になったのは袁紹と話している女性と共に居る二人の武将らしき人たちが
何でか顔を青くして落ち着きの無い様子で手をさすったり、閉じたり開いたりしていたことであった。

(袁紹さん以外の人、知ってる?)
『ああ、今、彼女と話し合ってるのが田豊さんだよ。
 洛陽で知り合ったってことは知ってたけど、この時から仕え始めてたんだなぁ』
『後は、俺達も知ってる。 黒髪の子が顔良、活発そうな子が文醜だ』
(ま、また凄い有名人の名前が並んだなぁ)

一人で感心して唸って、彼女達の様子を改めて見やっていると
今度は部屋の奥にある扉が開いてこれまた見覚えのある顔が現れたのである。
袁紹と共に見かけた小柄な体躯、小動物を思わせるような動きをしつつふんぞり返って
自分の席を部下に案内させて、やはり堂々とどっかり座った。

何となくそれらの行動全てを目で追っていた一刀と袁術の視線が交差する。
瞬間、彼女の顔は恐怖に染まったかのように青ざめ、隣の少女にビシっと身体をくっつけた。

「な、七乃ぉ~、こんな場所に化け物がおるのじゃ~」
「み、美羽様、落ち着いてくださいね~、あれは化け物じゃなくて人間みたいですよ~、一応」

「一応って……」

「ちょっと美羽さん。 少し黙っていなさいな、見苦しいですわ」
「む……むむぅ」

袁紹に言われて頬を膨らませながら、袁術は一刀の方をゆっくり見やった。
相変わらず顔は青い。
そこで初めて、袁術は一刀の全身をじっくりと見た。
凄い見た、もう上から下までじっくりと。
ガン見である。

「本当なのじゃ、これは人間なのじゃ」
「そうですよ~、多分きっと恐らく同じ顔した別人なんですねー
 上と下が別々に動く、からくりみたいな変態人間がそうそう居るわけないじゃないですかー」
「うんうん、七乃の言う通りなのじゃ! はぁー、良かったぁ、前の化け物じゃったらどうしようかと思っていたのじゃ」
「そうですそうですっ、簡単に嘘っぽい事を信じられる美羽様さすがっ! 大陸一の器量です!」
「わははは、もっと褒めてたもっ!」

一刀は一連の流れに呆気に取られていたが、脳内の一刀達は、なんとなく苦笑めいたものを浮かべただけであった。
本体がハッと気がついたのは、袁紹が机の上を人差し指でトントンと苛ついたかのように
往復させた音が響いたときであった。

「まったく、くだらない漫才を見せ付けないでくれないかしら」
「あたい達も、あんまり変わらない時あるけどなー、なぁ斗詩」
「う、うん……そうかもね」
「何か言いまして?」
「「いえぇ、別になにもー」」

「……なんか、想像していたよりも随分軽い雰囲気なんだな」
『いやまぁ、その、なんだ』
『否定できないのが困るところだ。 別に不真面目って訳じゃないんだぞ』
「う、ううむ……そっか」

そう言われても、見た限りとても信用できない言葉であった。
今ここに集まっている全員が、一刀を除いて男が居ないからというのもあるかもしれない。
まぁ恐らく、軍議が正式に始まれば、このような事もないのだろうと本体はとりあえず納得した。

『それより、この二人が先に来てくれたのはある意味でよかったな』
『そうだね、本体、それとなく玉璽をどちらが持っていったのか調べてみれば?』

脳内の自分に言われて、一刀は少し考えてから頷いた。
ぶっちゃけると玉璽の存在は、無いならないでその方が良いのではないかとも思う。
本体の知識から考えれば、玉璽なんて物は無いほうが余計な混乱を起こすだけの物なのだ。
しかし、今は黄巾の乱もまだ始まっている訳でもなく
玉璽が収まる場所は漢王朝であるのに間違いなかった。

現状を踏まえるに、現時点で一刀が玉璽を帝に返上しても特に怪しまれない。
むしろ、上手く扱えば有利になる可能性も秘めている。
まぁ、帝が持っていなければならない筈の玉璽が、何故井戸の前に放り投げられていたのかは謎であるが。

わざとらしく咳払いをしつつ、袁紹や袁術がこちらを見始めたタイミングを見計らって
一刀は芝居かかった様子で

「へっくしょん、ぎょくじ」

とだけさり気無く自然にボソリと呟いた、つもりである。

何を言ってるのだという風に首を傾げる袁紹と袁術。
ピクリと肩を震わせて固まる顔良と文醜。
特に先ほどまでと様子が変わらない田豊と張勲。
失礼ながら、本体は名家の二人がピッタリと息のあった首を傾げる仕草に微笑ましい物を感じていた。
重要なのはそこではない、と考え直して一刀は思う。

『『『『『袁紹だね』』』』』
半分の自分が確信してそう言って
『『『『『袁紹だな』』』』』
もう半分が同意を返した。

様子から察するに、袁紹本人は玉璽を持っていることを知らない可能性がある。
後で個人的に顔良や文醜達と話に行くべきかなと考えて、袁紹達の座る席に目を向けると
田豊がこちらをじぃーっと見つめているのに気がついた。
頬をかいて一刀は視線を外した。

結局、その後は音々音も戻ってきて、続々と諸侯が入室し始めたため
彼女が見続けた訳を知る事は出来なくなってしまったが。
全員が揃ったのは一刀が部屋に入ってから、約20分後。
錚々たるメンバーを揃えての軍議がついに始まった。


      ■ 外史終了 ■



[22225] 都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編2
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:6396809a
Date: 2010/11/07 22:57
clear!!         ~都・洛陽・先走り汁を抑えきれずに黄色いのが飛び出たよ編~


clear!!         ~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編1~



今回の種馬 ⇒      ☆☆☆~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編2~☆☆☆



     ■ 虎がニヤついている


「ではこれより軍議を始めるのです」

“天の御使い”の隣に居る女性、陳宮という者の声から始まった軍議だが、
思ったよりも積極的な意見は出ずにそろそろと始まった。
題目は、近頃といっても既に半年が経過している賊の横行についてだ。
4ヶ月以上も前から諸侯が集まり件の軍議を幾度も開いてきており話し合って来たのだ。
彼女がこの軍議に参加し始めたのは片手で数えられる程度であるが
雰囲気や諸侯の様子は普段と別段変わりない。
違うのは“天の御使い”である男が居ることだけだ。

話し合いは続くが、特に目新しい対策が出るわけでもなく、かといって良い意見があるわけでもない。
一刀や音々音にとっては重大であると感じているこの軍議。
諸侯にとってはそれほど重要な物である感じていなく、むしろ面倒だという空気が出来上がってしまっていたのだ。
今回、こうして一人の欠席も無く諸侯が全員揃ったのは、“天の御使い”であり“天代”である北郷一刀という人間を
一目見てみようかという野次馬的な物が多分に含まれているからに他ならない。
そうでなければ、何時ものように集まっても実のある意見が交わされる訳でもなく
そのまま軍議は終わったことだろう。

「ふっ……」

「ん、どうした、堅殿」

「いや、面白い展開になったと思ってさ」

「うん? わしにも分かるように説明して下さらぬか」

「……私には、前の軍議と変わらないように思えますが」

孫堅は祭の言葉に肩をすくめながら、真面目な顔をして鋭い視線を向ける周瑜に薄く笑った。

性を周、名を瑜、字を公瑾。
誰が見ても美しいと言えるその美貌は、美周朗と称えられて久しい。
朗とはどういうことか、とか、余り持ち上げられるのも、とか本人は思っているのだが。
今日は長い髪をまとめて、掻き揚げており孫堅と黄蓋と共に軍議に参加させてもらっている立場だ。
並ならぬ知を持つ者と幼少の頃から評価されて、今もまだその能力は伸び盛りであるという。
吸収できそうなものは全て吸収しようと釣りあがるくらいに上がった目を見ていると
本人には失礼かもしれないが、孫堅にとって微笑ましい物を感じずには居られなかった。

それに、周瑜の言うことは実に正しいのだ。
何もなければ、これは何時も無為に時間だけが消耗される実のない軍議だ。
だが、常と違う点が一つだけある。
上座に座る人間が、大将軍として何進が座っているのではなく“天代”という謎の役職を貰った北郷 一刀なのだ。

「変わるかどうかは、天代様次第。 面白いじゃない? こういうの」

「うぅむ……わしの目にはただの儒子にしか見えませんがのぅ」

「同感です、“天の御使い”という名声も眉唾物です」

「ふふ、私は期待しているわよ、彼に」

「はぁ……」

特に根拠も無いだろうに、何故そんな自信満々に期待できるのかと周瑜は思った。
自分の仕えている主、孫堅が“天の御使い”という名声に踊らされることなどは無い。
どんな偉い肩書きを持っているからといって、その人の人となりまで保証する物ではないということは知っているはずだ。
孫堅がそんな物に振り回される人間ではない事は共に生活していく中ではっきりと分かっている。

「けど、彼に期待しているのが私だけってのも何か釈然としないわね……」

そう呟いた孫堅の顔を見て、黄蓋も周瑜もぎょっとする。
そして二人は同時に孫堅の口を押さえようとして、失敗した。

この笑顔は、良い事を思いついたという様な表情であり、彼女の危険信号なのだ。
面白そうな事と見れば場を引っ掻き回す事に躊躇いの無い、それは孫堅の悪癖といっていい。
口を塞ぐのに失敗した二人は、孫堅の口から飛び出す言葉がせめてまともであるようにと願った。

「皆よ、今まで同じような眠たい話を繰り返していても仕様があるまい。
 此度は天代殿も参加されておるのだ」

諸侯の視線が孫堅へと集まった。
何人かは顔を顰めて彼女へと怪訝な視線を突き刺していたが
臆することもなく、周囲をぐるりと見回してから孫堅は一刀の方に視線を向ける。

「さて、言い出しっぺであることだし、私から一つ訊かせて戴こう。
 天代殿、軍議の内容が今までの物とは違い、明確に討伐という文字が追加してあるが
 これは如何いうことなのか」

この言葉が飛び出して、諸侯には僅かなどよめきが広がり、黄蓋と周瑜は顔を顰めたり頭を抱えたりしてしまった。
孫堅の尋ねた事は、殆どの諸侯が気がついていた事である。
そして、討伐の二文字が踊っている以上は、この軍議が後の軍事行動に繋がる事が確定しているのは間違いなかった。

どこの陣営も、自らこの“討伐”という物に突っ込んでこなかったのは
下手に手を出して余計な苦労や責任を取りたくは無い、という思いがあるからに他ならない。
先に言して追求してしまえば、言い出しっぺである者が率先してやればよかろう。
そう言われてしまうのは目に見えていたからだ。

「今まで軍議に消極的であった孫堅殿が、いやに積極的ではないか」

孫堅の丁度隣で座っていた齢30を超えたかという感じの男がそう呟いた。
彼――劉表はこの時分は、何進の部下であったはずなのだが
どういう訳か既に荊州刺史として着任している。
彼を見た一刀は、イメージとはやや合わない程ワイルドな風貌だと思ったが
実際はこんなものなのか、と上座で一人、納得もしていた。

「おや? 別に消極的だったわけではない。
 今までの軍議は諸侯が揃って欠伸が出そうな世間話で終始しておったではないか。
 それに、言いたくない事を私が率先して言ってやったのだ。
 感謝される覚えはあるが、厭味を言われるとは思わなかったな」

「む……」

孫堅の挑発的な物言いに、劉表はやや顔を顰めたが、それだけで何も言い返さなかった。
話の腰を折られたからか、それとも別の理由かは分からないが
孫堅はやや不機嫌になりながらも、もう一度尋ねた。

「天代殿、討伐とあるからには戦になるのでしょうな?」

「はい、なります」

「一体何を根拠にそう言っておられるのですか」
「本拠地も分からぬ賊を討伐しに行くというのか」
「まさか捜しながらとは言うまいな、時間と労力の無駄でありますぞ」
「賊の活動は大陸の全土と言っても良い、それを根絶やしにするとでも?」
「今までのように諸侯がそれぞれの賊を押さえつければ良いではないか」

などなど。
短く答えた一刀を切欠にして、一斉に周囲から声が上がる。
一刀と音々音は、事件の当事者であるのだから襲ってくる事は疑いようのない話なのだが
帝が倒れられた真相を知らない諸侯にとっては仕方のない事だろう。
世に横行する賊が、各地で一斉に蜂起して漢王朝を打倒しようなどとは考えてもいないのである。

この辺りは事前に話し合っていたので一刀は冷静に音々音へ続きを促した。

「根拠はあるのです。 これをご覧下さい」

音々音が提示したものは密書を写植で移した物である。
一通り、諸侯が目を通したのを確認してから一刀は口を開いた。

「これは賊……ここでは黄巾党と呼びますが、彼らと宮内に居る宦官との内応の証です」

彼の言葉に、周囲がざわめいた。
それが本当ならば由々しき事態であるからだ。
宦官の腐敗が進み、賄賂などの悪行が蔓延しているとの噂を耳にしていたがよりによって賊と通じるとは信じ難い話であった。
ざわめきが収まらぬ中、それに負けないような大きな声が飛んでくる。

「この情報は確かな物なの?」

凛々しい声が、董卓の傍に居た少女から聞こえてくる。
彼女は賈駆という。
人によればキツイとも取れる眼を、ことさら上げて一刀に鋭い視線を投げている。

「当然、確かな物でなければこの場所に挙げることなど出来ません」

「……そう」

「今回、討伐と銘打ったのはこの為なのです。
 ご納得いただけましたか、孫堅殿……うっ!?」

音々音に言われた孫堅は、実に満足そうな笑みを浮かべて頷いていた。
その顔は、酷く獰猛である。
猛禽類に似た視線を受けて、音々音は思わず顔を引きつらせた。

「まったく、地位ある者として情けないですわ。
 賄賂を受け取ったことでさえお馬鹿の極みだというのに」

「まったくじゃ。 小金で喜ぶ神経が分からぬのじゃ」

「まぁ、袁家ならば小金と言えるでしょうがね」

「子供のお小遣いにも満たないですわね」
「うむうむ、これについては不本意じゃが麗羽と同意見なのじゃ」

さも当然と言う様に頷く袁紹。
何故かふんぞり返る袁術。
諸侯の反応は、概ね微妙な目を二人に向けていた。
一部……いや、何人かはそんな二人を更に煽てていたりしたのだが。

「コホン、とにかく今までと違い消極的対策ではなく討伐することが加えられた理由は以上なのです」

「良く分かった。 これだけの大事、見逃すわけにはいかん。
 この情報が何処から来たのか聞くのは無粋かな?」

孫堅の言葉に、一刀は首を振った。
言って特に困る事ではない。

「俺が現場を押さえました。 内密に出会っていたところを偶然通りかかったんです」

「やはり面白いな、天代殿は」

「へ?」

関連性の無いことを言われて、一刀は思わず間の抜けた返事を返した。
そんな二人の様子を気にせずに、袁術の隣に座りそれまで静観していた皇甫嵩が
密書の写しを眺めながら短く告げる。

「写しではなく、実物を見たいのだが」

細身である彼だが、その体躯は意外とガッシリしており見た目以上に大きく見えるその容姿は
威のある人物であると言えた。
一刀は頷いて、音々音へと視線を投げる。
彼女も頷いて、箱に入れられた密書を取り出すと時計回りに諸侯へと手渡すよう話してから
皇甫嵩へと密書が渡る。

手渡した写しではない密書が諸侯へ渡るたびに、彼らは近くに居る部下、或いは諸侯同士でひそひそと会話が繰り広げられた。

「……内応した者の名の下に血判、ついでに字の癖が皆違う、確定じゃな」
「確かに、間違いなく本物の様です」

祭と周瑜がこそりと後ろで話しているのに満足そうに頷いた孫堅は劉表へと密書を手渡し
後ろに振り返ると面白そうに顔をゆがめて言った。

「ほら、面白い子でしょ?」
「堅殿、楽しそうですな……」
「だってほら、天代様を胡乱な眼で見てた諸侯が一様に驚きに眼を剥いてるのよ。
 たった一枚の紙で、面白いじゃないの」
「不謹慎です、孫堅様」
「相変わらず頭固いわね冥琳は……」

全ての諸侯の確認が済み、音々音の元まで密書が戻ると彼女は一刀に目線で問う。
頷いたのを確認してから密書をしまって口を開いた。

「討伐の名目がついた理由は分かってもらえたかと思うのです。 つきましては―――」

「あいや待たれよ。 その前に確認したことがあるのだが……」

それまで発言らしい発言をしなかった何進が手を挙げて話を遮った。
隣に座る何進の部下も、同じように手を挙げている。
どうやら、洛陽で官軍を取りまとめる、大将軍に任命されていた男から待ったが入ったようである。

「一つ不穏な噂を聞いておりまして、それの事実確認を天代にしていただきたい」

「不穏な動きとは何なのですか?」

「失礼だが、陳宮殿は黙っていて下され」

「なっ!」

何進の声に、音々音は声を荒げそうになった。
皇甫嵩はそんな何進を見て顔を顰めたが、彼は気がつかずに待ったをかけた皇甫嵩より前に出て
身振りを交えて口にした。

「天代は、その、黄巾党でしたか。 その幹部であるという噂があるのですが、どうなのですか」

「何進殿の言は私も思っていたところです。
 流れている噂だけならば天代である貴方を疑うことのない話でありますが、実際に目撃者がおります
 本物の密書を持っていることで、いっそう疑いは深まりましたな」

「そうだ、皇甫嵩殿の所に居る儒子が見ておったのだ! これはどういうことか説明して頂こう!」

(来たか……)
『『『『来たな』』』』

皇甫嵩と何進の言葉に、室内の空気が下がった気がした一刀であった。


      ■ ちょっと待って、今、北郷が何か言った


此度の軍議にあたり、一刀も何も考えずに参加した訳ではない。
むしろ、“天代”などという帝の代わりのような、良く分からない役職を与えられてしまった一刀は
これまでに無いくらい、この軍議に参加するに当たって頭を捻ってきた。

何進の言を信用すればだが、現場を目撃した少年は皇甫嵩に近しい人間だという。
やはり、あの逃げた少年は細部まで彼らに告げ口したのだろう。
実際に密書があることで疑いを深めたという皇甫嵩から信頼を得るのは難しいかもしれない。
一番、数の多い官軍を取り纏める何進や皇甫嵩から信を得られないのは厳しい。
“天代”にとって正念場である急所だということは分かっていた。

故に、彼は脳内に住む自分とも相談してどう対応するかを決めていた。

(うん、決めてる……後は俺が頑張れるかどうかだ)

「さぁ、答えて戴こうか。 納得出来るものであれば良いですが」

問い詰める何進を一瞥してから、一刀は諸侯を見回した。
一刀の答えに期待している者、疑いの眼差しを向ける者、興味だけで目を向ける者。
実に様々な反応を示していたが、誰もがこの答えに注目している。

一刀は一つ深呼吸すると、考え込むように顎に手をやってから口を開いた。

「良いですね、それ。 採用しましょう」

「はぁ?」

「その噂があるのは、何進殿や皇甫嵩殿の言う通り事実なのでしょう。
 それなら、俺は黄巾の幹部ということで行きます」

「認めるのか!?」
「何だと、天代殿は何を言っておられるのか分かっているのか!」

この言葉に諸侯はおろか、話を通していない音々音までもが目を剥いて驚いていた。
帝に信用され、帝の代わりとして置かれた“天代”が黄巾党と繋がっていますと宣言したに等しいのだ。
室内は驚愕に染まり、一刀以外の全てが思考停止に陥ろうとしていた。

混乱覚めやらぬ中、それに構わず一刀は続けた。

「俺は今から密会に赴いた馬元義という男の名を騙ります。 この噂が広まれば黄巾党は動き出します」

「ば、何を馬鹿なことを! 今すぐコイツを捕らえて処刑すべきだ!」
「何進殿、落ち着いて」
「天代様……貴方はその、黄巾党では無いということを否定していないわ」

何進の怒声が響いた。
そうだ、一刀は黄巾党であることを否定していない。
それは勿論、誰もがわかっている。

「わかってます、賈駆さん。 俺は黄巾党ではありませんし、噂が間違っていると言い切ります。
 ただ密会の現場に偶然居合わせたことも事実だし、皇甫嵩殿の儒子に見られたことも事実。
 命惜しさにあの場では黄巾党の幹部を名乗ったことも事実です。
 ならば、この事実のような嘘を戦略に組み込んでしまおうと考えました」

これが、本体、脳内共に話し合って決まった事である。
身の潔白を示す方法はある。
簡単だ、劉協に願ってこの軍議に参加して証言してもらえばいい。
それだけで一刀は疑われていようとも、ある程度の信頼をこの場に居る全員から得られる筈だった。
劉協の言葉を賜れば、疑っていても手の出しようが無くなる。
一刀の安全面でも、彼女が出張れば完全にとは行かないまでも解決する事だろう。

だが、一刀は劉協に出張ってもらう事は止めてもらった。
何も知らない人間が一刀に下す評価は、帝の命を救って権力を得た得体の知れない男である。
誰に聞いても何者なのか知らない、“天の御使い”などと不遜な事を自称している変人。
民草ならばともかく、諸侯ともなれば簡単に“天の御使い”を信じることなど出来ないのだ。
その考え方が間違っていないのを一刀はこの場の空気で確信している。

そんな男が劉協を使って言い訳をしてしまえば、劉協という帝の娘はそんな男を妄信する愚者に見えてしまう。
それは、今後自分の力を伸ばして漢という国を正そうとする志を持った劉協にとっては不利だ。
宮内の人間に味方の居ない彼女が、外の……つまりは諸侯に悪印象を持たれる事は避けなければならない。
劉協が味方にしなければならないのは、ここに集まる諸侯しか居ないのだから。

そして、一刀が諸侯に自分の存在を納得させるには、最早この道を選ぶしかなかったのである。

ようやく動揺が収まったのか、何進の席から声が上がった。

「戦略に組み込むと言うが、そんな必要はあるのか。
 討伐の為の軍をすぐに結成して、賊を叩き潰しに行けばそれで終わる話だろう」

それを契機に次々と諸侯の反応が立ち上がる。

「そうだ。 それに大陸の至る所に存在する賊に対して、天代殿が賊の幹部を名乗る事が
 どうして戦略になるのかをご説明していただきたい!」
「効果はあるかも知れないわ。 黄巾党が一つの組織として成っているとなればだけど。
 幹部が朝廷軍に紛れ込んでいることを知れば何かしらの反応は出るわ」
「仮定の話で戦略を練っても意味がなかろう」
「いや、しかしこの仮定はかなり真実に近いと私は思う」
「この反乱の話は、漢王朝に対する不満が原因だろう!
 組織として纏まっていることなどあるものか! 各地でそうした不満が爆発しているに過ぎん」
「断定するのは如何なものか。
 ここまで朝廷に食い込んだ、あまつさえ洛陽の官に内応の約束までさせる規模だぞ。
 組織で纏まっていなければ不可能ではないか」
「何なのじゃ! 何をいきなり盛り上がってるのか訳が分からないのじゃ、七乃、わらわにも分かるよう教えるのじゃ」
「はいはい~、今は他の方に頑張らせておけばいいんですよ~美羽様~、蜂蜜水でも飲みますかー?」
「まてまて、まず現実として天代殿が黄巾党であることを否定できなければ、我々は賊に踊らされるだけだぞ!」
「確かにその通りだ!」
「天代殿は今言ったとおり、戦略に組み込み賊の動きをこちら側から制御しようと言っておられるではないか
 一応、黄巾であることは否定していたが」
「内を疑いながら外と戦うのはご免だと言っておるのだ!」
「天代殿は帝に認められた者だ、そんなお方が黄巾党に繋がっているとは思えん」
「怪しいのは間違いなかろう」

「ああ、もう……子犬のようにキャンキャン吠えないで下さらないかしら?
 頭が痛くて叶いませんわ」

紛糾する言葉の応酬の切れ目、絶妙な間を縫って特徴のある声が室内に響いた。
まさしく、此処しかないと言った発言のタイミングである。
その声の主は袁紹であった。

「天代さんが黄巾党であるのかどうかなど、現時点で証明する方法を我々は持ち得ませんわ。
 そうではなくて? 誰か証明できるというのなら証明しなさいな。
 とりあえず天代さんに従ってみて、その動き方で賊かどうかは判断すればいい話ですわ」

「む……」
「手遅れになってからでは遅いのだぞ」

「ならば、手遅れにならないよう監視すればいいんですわ。 勿論、認めてくださいますわね、天代さん?」

袁紹が一刀へと振り向いて微笑みながら尋ねる。
それは現在進行形で信用を疑われている一刀にとって、断る術を持たない提案であった。
じっとりと手に汗を掻いていた一刀は、ゆっくりと頷いた。

(さすが、三国志でも存在感がある袁紹だ……ここは頷く事しかできない)
『『『『馬鹿な、あの袁紹が普通に会話している……だと……!?』』』』
『『監視か……』』
『あ、皆、これ多分……』

「これでよろしいですの? 田豊さん」
「はい、ご苦労様です麗羽様。 ご覧下さい、麗羽様の今しているご確認が微妙過ぎて誰も何もいえないようです」
「おー、姫さすがー」
「わー、さすがですれいはさまー」
「おーっほっほっほっほ、当然ですわっ、この袁本初のこの場における発言力は―――」
「確認を取らなければ完璧でした、麗羽様」
「あら、何か言いました田豊さん?」
「いえ、もう手遅れですので、だいたい完璧でしたので問題ありません」
「そう? 良く分かりませんが問題は無いんですわね」

(……えーっと、今のは田豊さんの差し金だったのか)
『『『『なんか安堵した』』』』
『『『俺も』』』
『……相変わらず可愛いなぁ、麗羽』
『ええー……』

今の一連のやり取りを、呆然と見送っていた諸侯であったが、いち早く復帰した皇甫嵩が
コホン、とわざとらしい咳払いをして周囲に響かせ彼に注目を集める。
皇甫嵩は全員の視線が自身に向いたのを確認してから口を開いた。

「ここで言い争っても天代殿の言を証明できないのは袁紹殿の言う通りだし、真実を追究するのも時間の無駄だ。
 密書が本物であるのならばなお更のこと、この様な事で時間を潰すわけには行くまい。
 監視を受け入れるというのならば、とりあえずは天代殿を信用することにしよう」

「馬鹿な、内に火種を残したまま進むというのか……」

劉表の言葉に数人の人が頷いていた。
微妙な雰囲気が室内に流れ始めていた。

「天代として皆様を統括する立場になった以上、裏切る事はありません。
 今はそれを信じてください。
 それから、今後は黄巾党の幹部が朝廷の官軍に潜りこんだという噂を流すようにお願いします」
(今後、諸侯の信用を得るのは大変だろうなぁ……)

そう言って無理やりとも、強引とも取れるように話を打ち切ってから
誰にも気付かれないよう短いため息を吐き出した。
諸侯の不安は、自分が黄巾党と相対した時、全てに勝たなければならないだろう。
負けて良い戦がある筈ないが、必ず勝たねばならない立場は精神的に負担が大きい。
一刀は、この時代に胃薬があることを本気で願った。


      ■ 話しているのは一刀“達”


室外から怒鳴るような声が聞こえると同時に、扉を開いて一人の兵士が飛び込んできた。

「何事か! 今は大切な軍議の最中であるぞ」

「申し訳ありません! 火急な報告がありましたので失礼致します!
 許昌の方面から多数の粉塵を確認しております。
 関所を突破して、物凄い勢いで洛陽へと近づいているようです!」

「何だと!」
「まさか、黄巾党か!?」

この言葉に誰よりも青ざめたのは一刀である。
同時に得体の知れない寒気が背中を走っていた。
確かに、音々音の言うように黄巾党の洛陽襲撃の可能性が早まるかも知れないという話は聞いていたが
幾らなんでも行動が早すぎた。
此処に居るすべての人間の眉間に皺がよった。

「規模はどの位なのですか」

音々音が尋ねると、おおよそ4万だと答えが返って来た。
その数字に、殆どの人間は絶句した。

「そ、そんなに居るのか? 見間違いではないのか?」
「報告では少なくても3万の規模だということです。
 途中ある関所も鎧袖一触で打ち破られたとか……」
「仕方なかろう、関所に配備していた官軍の数は少ない」
「むぅ……」
「すぐに、軍備を整えて対応しなければ……しかし4万とは」

立ち上がり、口々に話し合うのを尻目にして、一刀は音々音へとこっそり近寄って耳打ちした。

「ねね、どうする?」
「そうですな……考えるまでも無く、兵士を集めて官軍に当てるしかないのです。
 ただ、ねねの予想の通り、黄巾党の勢いは怒涛のようなのです」
「勢いを削ぐ事が第一か。 けれども兵数で負けてるよね?」
「負けてるのです」

そうなのだ。
今、すぐにでも出陣することが出来る兵士は少ないだろう。
報告によれば3万ないし4万はあるだろう敵軍。
しかも、士気は高いだろうと予測される。

こちらが無防備であるところに万を越える敵の奇襲に当たるようなものだ。
とてもじゃないが、普通に野戦を挑んで勝てるとは思えなかった。

『軍備が整った順に出陣するとか、そういう風に下手に戦力を投入しても逆効果だ。 専守防衛できる拠点は無いか?』
『そうだな。 手っ取り早く数の差を埋めるなら関所のような場所で篭るしかない』
「そうだね……何処かに篭れる場所は?」
「残念ながら、小規模な関しかありませぬ。 一番適している場所は長社の辺りですが
 其処まで向かうには距離と時間の関係で難しいのです。
 他の場所では、黄巾数万の賊を押さえきれる場所は無いですぞ」
『ないなら作るしかないな……』
『馬鹿、砦なんかを作るのに何ヶ月かかると思ってるんだ』
『陣でいい、絶対に避けて通れない場所に陣を立てればいいんだ』
『普通に陣を迂回しちゃうんじゃないか? ちょっと洛陽周辺は平地が多すぎて逆効果だ』
『そうだ……周囲を使えないかな?』
『! なるほど、良い考えだ“魏の” 本体、ちょっとねねに確認してくれ―――』

こうした会話を繰り広げている間も、時間は進む。
やがて、我慢の限界を迎えたかのように、何進が言った。

「とにかく、このまま黙って見ている訳にもいかんのだ。
 出陣の用意が整い次第、迎撃に当たらねばならん」

「……では私の部隊だけでも先行しましょう。
 何進殿が預かる兵は、今洛陽を出て演習を行っているのでしょうし」

皇甫嵩がそう告げて、部下の朱儁に声をかけて部屋を飛び出そうとした。
音々音と対策を話していた一刀が、彼に気がついたのは偶然だ。
慌てた様子で彼は皇甫嵩へと声をかけた。

「待ってください、皇甫嵩さん!」

「む……天代殿、なにか?」

「今動かせる官軍の数は?」

「……」

振り向きながら答えた皇甫嵩は、僅かに逡巡して、黙った。
彼も……いや、むしろ彼が何進と同じくらい、北郷 一刀という存在を疑っていると言ってもいい。
兵数を聞きだそうとするのは、上に立つ者として当然のことなのだろうが
その当然の事が、皇甫嵩をして教えるのを躊躇わせたのだ。

「教えてください、皇甫嵩殿が黙する理由は無いのです」

「皇甫嵩殿、貴方が先ほど信じると言ったのは嘘だったのかな?」

「むぅ……今すぐ出陣できるのは六千ほどだ。 四千は休息を取っている」

音々音と孫堅に言われ、短く呻くと皇甫嵩は数を告げた。
それを聞いた一刀の反応は、やはりこの場に居る全ての人間を驚愕させた。
皇甫嵩に対して、頭を下げたのである。

「なっ……一体何を……」

「すみません、少しで良いのです。 俺の話を聞いてもらえませんか」

正直言って、一刀の立場はこの軍議の中で一番高い位にある。
そんな男が頭を下げたのだ。
皇甫嵩は否を言えるはずが無かった。

ゆっくりと頷いた皇甫嵩は、一刀の元へと歩み寄り
一刀もまた皇甫嵩へと近づいて耳元に囁いた。

「洛陽から最短の道で100里ほどのところに兵五千を用いて防衛陣地を築いてください。
 敵と当たるのは騎馬兵のみ、千だけでお願いします」

「……っ、馬鹿な事を。 四万の賊を千で相手にしろと!?」
 
「要はゲリラ……えーっと……遊撃戦、かな。
 足止めや警戒以外では下手に手を出さないで下さい。
 中途半端でも何でも、足止めの防衛ができるくらいの兵数の確保と陣地の構築を最優先で取り組んでください」

「っ、分かった。 天代殿の言う通りにしよう」

飲み下すように、皇甫嵩は大きく息を吐き出して一刀の提案に頷いた。
資材の準備や援軍の話を一通り終えると、足早で軍議の場を離れていく。
その話を隣で聞いていた董卓軍の軍師、賈駆が疑わし気な様子で聞いた。

「平野部の多い洛土地で陣地を構築? 
 洛陽が狙いだというのに、相手に迂回されないとでも思っているの天代様」

「迂回はしないのです。 黄巾党の目的は洛陽の陥落。
 最短距離で一直線にこちらへ向かってくるはずなのです」

「ですが陳宮殿。 築かれつつある陣を見れば、迂回の選択肢は馬鹿にだって出来るわよ」 

「そうはならないのです」

やけに自信のある回答に、賈駆は激しくその中身を聞いてみたい衝動に駆られた。
性格から、彼女は自分からそれをするのに躊躇っていると
自身の隣にいつの間にか来ていた袁紹の田豊と名乗る女性が声を挙げていた。

「“天の御使い”、そしてそれに仕える陳宮殿の打ち出した策を聞かせて欲しいですね」

渡りに船とばかりに賈駆も頷いた。
孫堅の席の奥に座す、周瑜も耳をひくつかせている。

「そ、そうね。 聞かせて欲しいわ」

「問題ないのです。 これから共に黄巾党へと当たるのですから、全てお話するのです」

「ねね、話し合いはもう少し後で。 とりあえず皆さんは自分の席に戻ってください」
「―――っ、分かったわ、後で必ず聞かせて貰うわよ」
「はいなのです」

賈駆に限らず、殆どの人間が何かを尋ねたそうな顔をしながら自分の席へと戻っていく。
その様子は、さながら国会中継で見た委員長へ詰め寄る議員を連想させた。
全員が席に着き、喧騒が止んだのを確認してから一刀は口を開いた。

「今から俺と音々音が考えた洛陽へ向かう賊への対応を話すので聞いてください。
 質疑応答は話し終わってからお願いします」

この一連の出来事の最中、地味に“蜀の”や“無の”、“呉の”などと交代していた本体は
突く言葉を淀みなく口にした。


      ■ 夕が射す廊下


軍議が終わり、様々な事が取り決められた。
皇甫嵩への援軍は何進と袁紹、袁術から軍を出すことになった。
これは単純に、数字の上で多い順であった。
この援軍が辿りついても官軍は2万強にしかならず、それで黄巾党の猛進を止めなければならなかった。

資材の運搬は劉表と孫堅が対応することになっている。
陣地構築の為に、取り急ぎ軍を纏めて皇甫嵩の造る陣の場所まで物資を運ばなくてはいけない。
劉表に物資を運んでもらい、孫堅軍でその護衛を頼んでいる。
兵糧なども此処で一気に運んでしまうことになっているので兵站を担当することになる。
とても重要な役回りであった。

一刀としては、孫堅と劉表を一緒に行動させるのは嫌だったのだが
今はそれほど不仲でもないのか、協力して事に当たるのに反対するような素振りは見えなかった。
あの二人は、史実で争っているため出来れば別行動をさせたかったのだが。

物資が届いて、陣地を構築している間に黄巾党はどれだけ距離を詰めて来るだろうか。
何進将軍の援軍が間に合わなければ、皇甫嵩は数的不利により為すすべなく討ち取られてしまうだろう。
援軍が合流に間に合っても、数の差が覆る訳じゃない。
諸侯の出陣の準備が終わり、本隊が辿りつくまでにどれほどの損害が出るか。

二階建ての渡り廊下から落ちる夕日を眺めながら、一刀は苦笑した。
半年前は部活の準備はとか、明日はテストだ、とか悩んでいた自分が
今では人の命を預かる問題で頭を悩ましているのだ。
歴史的な人物を相手取って、陳宮という智者と持論を展開し、それを今から実行しようとしている。

兵士が軍議に乗り込んで黄巾党が襲ってきたという話を聞いた時。
背筋に走った悪寒と、何とも言えない感情は“恐怖”であることに今更気がついた。
命を奪う、或いは奪われるという行為が眼と鼻の先にまで来ているという実感。
それに理解が至った瞬間、何もかも放り出して逃げ出したかった。
そも、自分は何のためにこの場に居るのか問われれば、全ては生きて帰るためだったはずなのだ。
どうして此処に居るのか。
生きる為に歩いた道は、酷く場違いな場所に辿りついてしまっていたのだ。
時代がそうさせたのか、それとも自身が時代に関わりすぎたのか。

「考えるほどの頭なんて持ち合わせていないってのに」

「悩み事ですか、天代様」

「いや……まぁ悩みといえばそうなんだけどね
 それと、公の場では天代様じゃなく、北郷とか一刀とかで呼んでいいよ」

後ろからかかる声、その主は顔良であった。
黒い髪に柔和な顔立ちをしており、動作の節々から女性らしさを感じる。
礼儀も正しいので、一刀は彼女が監視につくことには安堵していた。
厳つい筋肉ムキムキの男が傍に居るよりも、彼女のような暖かい印象を与えてくれる人のほうが心に優しい。
いや、彼女も彼女で見た目がこれでも大仰な武器を振り回す怪力少女な訳なのだが。
今のところ武器を振り回す顔良を見たことが無いので、可愛らしい女性と一緒に居るというのは
まぁその、純粋に嬉しかったりする部分もある。

顔良は“天代”の見張り役に選ばれてこの場に居る。
ようするに、一刀の監視役になったという訳だ。
単純に、他の陣営が武将を回す余裕がないので、袁紹軍が派遣したのだ。

「あ、そういえばさ。 玉璽のことなんだけど」

「ぎっくぅ……」

「……」
『分かりやすい子だね』
『うんうん』
『声に出して言う子は初めて見た』
『素直なんだよ』

「あの……御免なさい。 ちゃんと返します……」

「それよりも、すぐに使う事になるかも知れないから準備してて欲しいんだけど」

「え!?」

驚きをそのまま、怪訝な視線に変えて顔良は一刀を見つめた。
その顔にはどうしてなのか、とありありと描かれている。
一刀は微妙に自信の無さそうな顔をして答えた。

「さっきの軍議でも話したけど、今洛陽に居る戦力だけでは心許ないから。
 ここに来ていない諸侯にも援軍を呼びかけようと思っててね。
 この策が今回の戦の要になるだろうから、多分、恐らく」

「それは……えっと、つまり玉璽を使って?」

「そう。 勅令として二人に動いてもらおうと思っているんだ」

顔良は聞いて絶句した。
つまり、玉璽を使って二人を援軍として呼び出そうというのだ。
距離的に、確かに微妙ではあるが黄巾本隊とぶつかる時に曹操や丁原が援軍に来るには間に合う、だろう。
どちらも私軍を持っており、それなりに大きな規模を保有していることも顔良は知っていた。
援軍が間に合えば、数の差を埋めるという大きな助けになることは間違いない。

「し、しかしそれは職権の濫用になるのでは。
 帝の許可無しに玉璽を押すなど……」

『その帝が、俺達に丸投げしてるんだからなぁ』
『まぁ顔良さんが躊躇うのは無理ないよ』
「……まぁ、そこは“天代”であることを利用させて貰おうと思ってるから」
『ってことだな』

「うわぁ……あ、でもじゃあ、やっぱり玉璽は返して置いたほうが良いですよね?」

「いや、別に持ってても良いよ。 ていうか、俺が持ってるよりも
 顔良さんが持ってた方が盗まれなくていいんじゃない?」

張り付いた笑みを浮かべていた顔良の笑顔が引きつった物に変わった。
恐らく、彼女も玉璽を持ち歩くのは心身に負担をかけたのだろう。
というか、諸侯に見つかればどう言い訳していいのか分からないに違いない。
本心ではきっと、持ち去ってしまった事に引け目を感じていたのだろう。
街中で捨てるに捨てられず持ち歩いていた一刀には良く分かる話だ。

実際、一刀の監視の名目で一緒に居るのならば、考えようによっては顔良は一刀の護衛みたいなもんだ。
だって、自分よりも余裕で強い筈なのだ。
諸侯から猜疑の目を向けられているし、史実で宦官とも繋がっている何進も居る。
一刀がこの洛陽で襲われる可能性はゼロではない。
ならば、玉璽を持ち歩く事は一刀にとっても新たな火種になりかねないのだ。

つまり、一刀は顔良に玉璽を丸投げした。
ただでさえ黄巾党の乱に深く関わる事になってしまった一刀は
これ以上余計な負担を背負うのは嫌であったのだ。

「今も持っているのは、それを利用したいからじゃないの?」

「ち、違います……多分」

問われた顔良は慌てて首を振った。
彼女としては玉璽とは早く手を切りたかったのだ。
一刀から玉璽を持ち去ったのは、単純に在るべき所へ返そうと思ったからに過ぎない。
仮に玉璽を悪用しようと考えれば、彼女は自分の主である袁紹に隠していたりはしないだろう。
では何故、今もまだ彼女が持ち歩いているかと言えば、それは袁紹軍の軍師、田豊の言葉にあった。

「何かに使えるかもしれないから誰にも言わずに持っておきましょうなんて言うから~」

「そう……なんだ。 なんていうか、あの人も黒いね」

「黒いって……でも、そうなのかなぁ」

「じゃなきゃ帝に即刻返すべき物を返さないでおこうなんて言わないさ。
 まぁ有名な軍師だし、きっと先を見据えてたんだろうな……」

「有名な軍師? 確かに袁紹様はある意味で有名ですけど……彼女が有名って?」

「あ、いや、忘れてくれ―――っと」

「あっ」

前を見ずに歩いていた一刀は、ちょっとした段差で躓き転びそうになった。
傍に居た顔良が彼を支えて、転倒することは防がれた。
腕を掴まれて体勢を立て直すと、一刀は礼を言おうとして

「ごめん、ありが……とう」

言葉尻が萎んで言った。

「いえ……あれ?」

何故か顔良が泣いていた。
自分では気付いていなかったのか、一刀の様子を見てからハッとしたように
手で目元を拭っていく。

「ど、どうしたの突然、もしかして玉璽のこと?
 泣くほど嫌なら、俺が持ってるけど……」

「い、いえ違うんです、おかしいな、別に悲しくもないのに」

「えーっと……」

「あはは、変ですね。 なんか急に気分が盛り上がっちゃって、何だろうこれ」

『……』
『なんか、あったな、前もこういうの』
『最初は桂花の時だったよね』
『なぁ……もしかして、俺達のこと』
『馬鹿いうな、そんなこと現実であるかよ』
『でも、だって他に説明できないじゃんか』
『普通に考えてないだろ……彼女達本人だって分かってないんだ』
『う、うん……』

泣き止むまで律儀に待つと、顔良は落ち着いたのか恥ずかしそうにはにかんだ。
頬を掻きながら舌をだして、てへへと笑いつつ言った。

「人前で泣いたのって久しぶりです」

「そう、すっきりした?」

「はい、あの……なんだか北郷さんとは初めて会った気がしないですね、何でだろう」

「俺も、顔良さんとは話がしやすいよ」

「……なんか」

「え?」

「あの、北郷さんは黄巾党の人間じゃないんですよね」

やや首を傾げて尋ねる顔良に、一刀は苦笑した。
証明する方法は無いのだ。

「黄巾党じゃないよ。 今は物証が何もないから、俺をが言うことを信じてもらうしかないけどね」

「分かりました、私は北郷さんを信じます」

「ええ? いきなりどうして?」

「それは、なんででしょう……」

「えー……」

人差し指を顎にあてて眉を顰めて考え始める顔良に一刀は気のない返事を返してしまった。
OK,お前の話は信じるぜ、自分でも良く分からないけどな。
こんな感じで言われても、何がなんだか分からないのが本音である。
いや、信じてもらえることは嬉しいのだが。

そんな一刀の微妙な反応に気がついたのか、顔良は慌てて口を開いた。

「あ、なんというかその、信じられるかなって。 北郷さんは嘘をつくような人に見えないというか
 賊の幹部になるほどの悪意が見えないというか……うーん、言葉にすると難しいんですけど」

「無理に信じなくてもいいさ。
 信じてもらえるまで、誠実にやっていくしか無いからね」

「じゃあ、私の真名、北郷さんに預けます」

「ええ!? そんな理由で真名を預けていいのかい?」

「私が信じると言っても、北郷さんは確信できないと思うんです。
 自分自身でも、良く分からない理由で北郷さんを認めてしまったのに……
 だから、私の真名……斗詩って言うんですけど、それを預けることで信頼の交換をしようかなと」 

「……君がそれで良いと言うなら、分かった、受け取るよ」

その言葉にコクリと頷く顔良……いや、斗詩に一刀は短く返事を返して彼女の真名を受け取った。
同じように、一刀も下の名前で呼んでいいと言ったのだが、それは遠慮されてしまった。
一刀にも、公の場で真名を呼ぶのは控えてもらうようにと釘を刺される。
諸侯の居る前で親しげに名を呼び合うのは、自分の主である袁紹に不利になるかも知れないからと。

「それもそっか。 俺って皆から疑われてるしね」

「ごめんなさい。 真名を預けておいて公で言うななんて、変ですけど……」

「立場があるからね。 仕方が無いよ」

それから、袁紹の事や田豊の事。
顔良の親友である文醜のことを一刀は聞きながら、時に質問を交えながら
世間話をしていた。
親しげに話す様子を見つけた虎が、凄い笑顔で近づいていたのにまったく気がついていない二人であった。


      ■ 家の娘をファックしていいぞ

「うぐっ―――!?」

バシっと肩が抜けるほど勢いよく叩かれて、一刀は声にならない悲鳴を挙げた。
叩かれた場所を空いている手で押さえて振り向いた。
虎が居た。

「久しぶりだな、北郷殿! 覚えているか?」

「そ、孫堅さん、覚えてますよ、いきなり肩を叩かないで下さい!」

「なんだ、普通に叩いただけだというのに」

「……普通? 滅茶苦茶痛かったんですが」

覚えているかと尋ねられたが、そもそも覚えているに決まっている。
さっきまで軍議で諸侯と共に話し合っていたのだ。
その強烈とも言える彼女の弁は、良くも悪くも印象に残る。
忘れているとしたら、それは余程の馬鹿か軍議にまともに参加していないかのどちらかだ。

「それで、何か用ですか?」

「なんだ、急に不機嫌になって……ううん? ははぁーん」

「うっ、何でしょうか孫堅殿っ」

「言っておきますけど、彼女とは世間話をしていただけですよ」

呆気に取られている顔良を視線で追った孫堅に、ようやく肩の痛みが引いた一刀は先手を打った。
言いながら、一刀は孫堅に視線を合わせると、目線が自然に下へと向かっていく。
なんというエロさだ。
胸を覆う面積が、最早上だけという露出度である。

「……それで、何ですか孫堅さん」

「人の胸を見て話を進めようというのか、北郷殿は」

「あ、いや……その、それは私服で?」

「そうだが、何処か変か?」

「変じゃ……」

否定しようとして言うことが正しいのかどうか不安だった。
だって変だ。
少なくとも、現代日本で下乳丸出し、下腹部まで露出している薄地の服など無い。
あるかも知れないが、少なくとも一刀は知らない。
ぶっちゃけると、微妙に肌も透けているのでじっと見ていると活火山が活動を始めてしまいそうになる。
ついでに言えば、きっと背中はおっぴろげされているに違いない確信がある。

「別に変じゃないですよ、北郷さん。 というか鼻の下が伸びてます」

何故か突っ込んでくる顔良に苦笑を返して、一刀は改めて孫堅へと向かい合った。
斗詩が変じゃないというのだ。
きっと変じゃないのだ。 此処では間違っているのは自分の方なのだ。
そんな事を言い聞かせながら一刀は真面目な顔で孫堅の顔を見ると
今度は彼女も、茶化すような真似はせずに真剣な顔つきになる。

「で、なんでしょう」

「実は北郷殿に頼みがある」

「それは一体?」

一刀は劉表と何かあったかと勘繰った。
一応、軍議の場では争いのような物は見えなかったが、終わってから何かあったのかもしれない。
やはり史実の事を考えると二人の仲には不安があったのだが
孫堅の口から飛び出したのはまったく別の事であった。

「私の陣営に、周瑜という者が居るのだ。
 その娘に経験を積ませる意味を含めて、陳宮殿や賈駆殿との会話に参加させてあげたい」

「なるほど……周瑜、ですか。 もしかしてあの髪の長い女性ですか?」

「そうだ。 なんだ、良く見ておるな。 凄く可愛い子だろ?」

「そうですね」

「そうですか」

「あの、と……顔良さん、何か目が据わってるんですけど、何ででしょう」

「いえ、ちょっと女性関係にだらしないのかなって。 そう思っただけですので」

「誤解だって……」

「ははは、なるほど、手が早いのか北郷殿は。
 伯符や公瑾にはその辺を言い含めておいた方がよさそうだな」

「勘弁して下さいよ」
「ち、違いますよ、私は北郷さんに呆れてるだけですって」

何故か孫堅はクスクスと笑い出して、非常に気まずい思いをした一刀である。
周瑜の参加は、現状マイナスになるような事でもなく
軍師の間でも良い刺激になるだろうと、一も二もなく一刀は許可した。
だって、“孫堅”が加えて欲しいと言ったのは、恐らくあの周瑜である。
赤壁の戦いで超有名な呉の大督、周公瑾だ。
その事実を知る一刀は、この話を断ることなど愚の骨頂であった。

陳宮を筆頭軍師として、賈駆、田豊などの主だった諸侯の軍師が参加して
そこに周瑜という三国屈指の智者が加わったこの官軍。
そう考えると、負ける要素が無いのではないかと一刀は思ってしまうくらいだ。
勝たねばならない戦だが、一刀が何もしなくても何とか勝ってしまいそうな面子でもある。
武将として見れば、顔良・文醜の袁家二枚看板に加えて董卓陣営から華雄などが参加し
孫堅や黄蓋がおり、主だった有名武将だけでこれだけ名前が挙がるくらいだ。
某光栄的な三国志ならばゴリゴリ領地を増やせそうな布陣である。

ここが三国志の世界であり、この世界に降りてから現実が甘い物ではないことを
散々味わってる一刀ではあるが、こうした考えが浮かぶと何となく安堵してしまう。
なんとかなるんでは無いか、と。
少なくとも、先ほどまで張り詰めていた一刀の心は顔良との会話と孫堅の提案で
気持ちは幾分か楽になったと言ってもいいだろう。

「ありがとうございます、なんだか行けそうな気がしますよ」

「あれはまだ表舞台にさえ出ていない雛だがな。
 そう言われれば、こちらも提案した甲斐があったというものだ」

「母さん!」
「孫堅様!」

丁度その時であった、やや高い声が響いて一刀と孫堅が首を回すと
孫堅に良く似た格好をした女性と、先ほど話題にあがっていた周瑜が居た。

『雪蓮……!』
(……もしかして、孫策?)
『ああ、そうだよ、孫策だ。 ……真名だよ、雪蓮っていうのは』
『“呉の”』
『分かってるよ……二人きりだったら良かったんだけどな……』
(仲良くなれるように頑張るよ)

「二人とも遅いぞ。 何処で油を売っておったのだ」

「申し訳ありません孫堅様。 雪蓮が駄々をこねて……」
「ちょっと冥琳、速攻で親友を売らないでくれる、冷たいわよ」
「事実を捻じ曲げて報告するつもりはないぞ、特に孫堅様の前ではな」
「頭固いんだからも~、ってわけで遅れちゃった、ごめんね母様」

「ふ、まぁいいさ。 北郷殿」

「へ? 何?」

「それで、どっちが良い? どちらも味は良いだろうから好きな方でいいが。
 ああ、ちなみにこっちの馬鹿そうなのは私の娘で孫策という」

「は、はぁ……」

「馬鹿って酷いー、ぶーぶー……で、ねぇ冥琳、これ誰? 何の話?」
「立場は私達よりも遥か上のお方だ。 天の御使いである北郷一刀様だ。
 ちなみに何の話は分からんから私に聞くな」
「げっ、これが天の御使い!?」

「あの、聞こえてるんですけど……」

流石に『これ』呼ばわりされるのはご免であった一刀である。
思わずそこに突っ込んだのは、孫堅の言ったどちらを選ぶという不穏な言葉を忘れたかったからかも知れない。
当然、彼女は見逃してはくれなかった。

「ちゃんと答えを返してくれないと私も困るではないか、天代殿。
 それとも、二人ともにするか?」

「あの、孫堅さん。 えーっと余り聞きたくないんですけど、何の話でしょう」

「だから、どちらとまぐわうのか聞いておるのだ」

「「「はぁ!?」」」

「あの、そろそろ私帰った方がいいですか?」

一刀、孫策、周瑜の声がはもって間抜けな声を挙げて
それまで静観していた顔良が笑顔でそう一刀に尋ねてきた。
こめかみに青筋まで立てている。
一刀は経緯はどうあれ真名を預かった、彼にとって二人目の女性にいきなり嫌悪されそうになって焦った。
が、とにかく彼女の事よりは、まず目の前に居る孫堅相手に断りを入れねばならなかった。
そもそも、一体何がどう繋がれば孫策や周瑜とアレしろという話になるのか。
理解不能であった。

「あの、何でいきなりその、行為をしろと?」

「当然だ、我が陣営に天の御使いの血を入れようというだけの話でな。
 まぁ私の希望としては娘の伯符だが、別に公瑾でもいい」

「いや、だから何故……こういうことって本人達の希望もあるでしょうに
 それに、言っちゃなんですが、俺って黄巾の回し者っていう疑いがまだ晴れてないんですよ?」

「安心しろ、北郷殿。 私は北郷殿を気に入っている。
 もしも賊であるというのなら、苦しまぬよう殺してやるさ」

「……」

堂々と、そしてハッキリと悪びれも無くそう言われて一刀は絶句した。
何なのだろう、この人は、今何と宣言したのだろう。
本人に対して、賊だと分かったら殺してあげるなどと言うだろうか普通。
心で思っても、本人にそんな事言うものじゃない筈だ。
少なくとも、一刀の価値観ではそうであった。

「と、とにかく、本人達の心を無視して、その話は出来ませんよ」

「そうなのか?」

孫堅が怪訝な顔をして孫策と周瑜を見ると、彼女達は頬を染めつつ頷いていた。
ガクガクと頭を縦に振りまくっている。
何処かのロックバンドのライブに参加したかのようだ。
髪が振り乱れて大変な事になっていたが、あえて一刀は其処には気にしないようにした。

「まぁ、こいつらの事は別にいいさ、私が決めたんだから問題ない。
 北郷殿が胤を注ぎ込みたい方を選んでくれればいい」

「そ、そ、孫堅様、本気なのですか」
「ちょっと待ってよ、いきなり呼び出されてこんな事言われる身になってよ母様」

「何という殿様状態」
『しゅ、雪蓮から孫堅は滅茶苦茶だと聞いていたが、本当にその通りだな……』
『“呉の”は種馬扱いだったという話だが』
『いや、だってお前、雪蓮はまだ相手の心に配慮してたもん、これは強引すぎるじゃないか』
(本当だよ……)

珍しく本体が愚痴を一発。
心の中で呟いてから口を開いた。

「悪いけど、その話は断らせて貰いますよ。
 嫌がる人に欲情のまま無理やり組み敷くような人間でもないし」

「そうか……残念だな……」

凄くがっくりした、と身体全体を落としながら呟く孫堅。
どうやらこの話、本気も本気、マジであったようである。
違う意味で一刀の体は震え上がっていた。

「まぁ、いいか。 そうだ雪蓮。 お前はこのまま御使い様と共に過ごせ。
 冥琳は軍師会議に参加の許可を貰ったからそれに出ろ」

「え、本当ですか、孫堅様!」
「えー、なんで私がこんな男と一緒に居なくちゃならないのよ」

「礼なら天代殿にするのだな、冥琳」
「は、はい、ありがとうございます! 天代様」
「ちょっと、無視しないでくれる!?」

眼を輝かせる周瑜とは対照的に、孫策は頬を膨らませていた。
子供のように顔を膨らませ、やさぐれる彼女は容姿に比べて随分と年幼い印象を抱かせた。
まぁ、年甲斐も無く目を輝かせる周瑜にも似た印象は抱いたのだが。

「何故か天代は黄巾党だという疑いがかかってな。
 それの監視が名目になる。 一緒に過ごして隙を見て一気に襲って食え」

「本人の前で言わないで下さい、孫堅さん」

「なに、知らなかろうと知っていようと襲うのは決定事項だ。
 正々堂々と行こうじゃないか」

「決定事項なんだ、そうなのか……」

彼女にとって、これは最早一騎打ちの類の話になっているのだろうか。
だとすれば、彼女を止める役目が必要である。
一刀は真剣に孫堅という豪快な女性の対策を考えようとしていた。

「それでは失礼する、劉表殿の護衛をさぼる訳にもいかんからな。
 ああ、そうだ」

一度言葉を区切った彼女に、かなり身構えていた一刀であったが
今回は真面目な話だったようである。

「皇甫嵩殿が、追放された党人らが黄巾に流れないよう党錮の禁を解してほしいとのことだ。
 自分から言う暇が無い為に、取り急ぎ伝えてくれとのことだ」

「党錮の禁、か」

「確かに伝えたぞ、ではな!」

散々、場を騒がせた孫堅が力強い言葉と共に早足に遠ざかっていく。
一刀は皇甫嵩からの伝言に頭を巡らした。
党錮の禁、これは宦官の圧力で排除された集団の事を指している。
詳しい話は省くが、朝廷……というよりも宦官に排除された党人達は、かなりの不満を宦官達に抱いていた。
黄巾の乱に彼らが黄巾へ味方をする可能性は確かにある。
この事は完全に知識から抜け落ちていたため、皇甫嵩の助言はすぐさま実行しようと考えた。
敵を増やす必要は無いし、現状でそんな余裕もある訳が無い。
とりあえず其処まで考えて、所在無さげに突っ立っている孫策に顔を向けた。

「で、えーっと孫策さんはどうするの? 襲ってこないよね?」

「襲わないわよ、気にしないでいいわ、ちょっと母様って頭がおかしい所があるの」

「……えっと、ついては来るの?」

「ついていくしかないわよ。 あの状態の母様に逆らったら鼻責めされるかもしれないし
 もう、やんなっちゃうわ」

「……」

詳しいことを聞くに聞けない一刀は、最終的にはこの件については全てを忘れ自然体に任せることにした。
顔良、そして孫策と共に一刀は軍議をしていた屋を離れて、まずは劉協へ事の顛末を話す為に
離宮へと足を向けた。

脳内で一人、“呉の”がニヤついてはいたが特に影響は無いので放っておくことにしたようだ。


      ■ 小さな背中


夜。
既に皇甫嵩は6千の兵を率いて出陣した。
今は夜を徹して陣地構築の為に進軍していることだろう。
もしかしたら、兵を割いて夜襲を仕掛けるために別働隊を作って、早速黄巾党と当たっているかもしれない。
一刀は布団からムクリと起き上がった。

眠れない。
これから先、今日のように非常に慌しい日々が過ぎるはずなのだ。
寝なくてはいけないと思うのに、いざ横になってしまえば様々な考えが頭を過ぎってしまい寝るに寝れない。
それは根拠の無い漠然とした不安だった。

「……水が欲しい」

緊張することなどない。
自分は担ぎ上げられて何故か諸侯を率いる立場に居るが、歴史上は黄巾党に滅ぼされた事実など無いのだ。
戦術的に負けることはあっても、戦略的に負けることは在り得ない。

この世界が、一刀の知る三国志と同じ歴史を歩むのならば。

形や経緯はどうあれ、脳内の自分達も黄巾党に負けた経験は無いと言っている。
そうだ、負けるはずが無いのだ。
どんな形であれ、黄巾の乱の後も漢王朝は残るはず。
この一戦で潰えることなどは、無い。

「それを一番疑ってかかっているのは、俺か……」

「眠れないのか?」

隣で眠っていた華佗が、顔だけ向けて一刀へと尋ねた。
彼は苦笑して、水を飲んでくるとだけ言い残した。

歴史の通りに勝てる。
本当にそう思っているのならば、眠れるはずだ。
一人自嘲して、立ち上がると水を飲むために寝室から出た。
桶に溜まっている水を、柄杓のような物で掬い上げて口に含もうとした時にふと気がつく。
隣の部屋の扉の隙間から、僅かな光が漏れ出ているのを。

一頻り水で喉の渇きを癒した一刀は、覗くようにして部屋を垣間見た。
そこでは音々音が机に向かって、何かを考えるように腕を組んだ姿が視界に映る。
一度戻ってから茶の葉を取り出して、容器に注ぐ。
二つのコップを持って、一刀は静かに音々音の部屋へと入り込んだ。

背中を向けて机に向かっている音々音は彼が入室したことに気がついた様子を見せなかった。
こうして改めてみれば、随分とその体躯は小さい。
今日一日、精力的に動いてきた彼女が起き続けているのは何故か。
きっと、彼女も一刀と同じように不安があるのだろう。
だから、こうして夜も更けているのに机に向かっているのだ。
勝手な推測ではあったが、一刀はごく自然にそう思っていた。
時折肩を揺らして首が落ちるのはご愛嬌だろう。

「……うなぁー、駄目駄目なのですっ!」

「はは、お疲れ様ねね。 少し休んだら?」

集中力が途切れたのか、音々音は頭を抱えて机に突っ伏したのを見て
一刀は後ろから声をかけた。

「か、一刀殿!? い、何時の間に……」

「少し前からね。 なんだか集中していたみたいだから、声は掛けなかったんだけど」

「別に全然良かったのです。 文面は一行も進んでいなかったのですから」

肩を落として俯く彼女は、ただでさえ小柄な体躯が随分と小さく見えてしまう。

「賈駆殿も、田豊殿も、周瑜殿も、皆素晴らしい知を持っているのです。
 三国一だなどというつもりは無くても、多少なりともあった誇りが少し傷ついたです」

「刺激にはなったでしょ? 軍師の顔してる時のねねは楽しそうだもん」

「それは……まぁ、一刀殿の言う通りなのです」

恥ずかしそうにはにかんだ音々音に入れた茶を手渡しつつ一刀は書面に視線を落とす。
そこには大まかな戦場のような図解が描かれていた。
一口、茶を口に含みつつ書を手にとって尋ねた。

「これは?」

「我々が候補に挙げた陣地設営の場所なのです。
 皇甫嵩殿には既に手渡されていますので、それは防衛図を書いたものでもあるのですぞ」

「そっか……寝なくても平気なのかい?」

「……眠れないのです」

筆を銜えて唇を尖らせる陳宮に、一刀は微笑んだ。

「俺もそうなんだ」
「ん……一刀殿もですか」
「分かってはいるんだけどね、寝なくちゃいけないって」
「ねねも同じなのです。 なんというか、余計な事ばかり考えてしまって」
「そうだよな、ねねもこうして軍の手綱を握るのは初めてなんだろ?」
「うう、情けないのです……周瑜殿も、手綱を握る経験が無いというのに
 あんなにも堂々としていて。
 ねねはどうしても消極的に見える意見しか出せなかったのです」

そう言った音々音の体は震えていた。
それは他の陣営の軍師に劣っていたという悔しさからではないだろう。
勿論、それも含まれているだろうが、言葉の内容とは裏腹に音々音の声に険は含まれて居ない。
それは、同じ境遇に身を置いた一刀だからこそすぐに分かった。

恐怖だ。

意味の分からない恐怖感が、胸を突き上げてざわめくのだ。
それは、余計な事を考えさせて、安静を保たせない。
彼女の背中を見ていた一刀は思った。

この小さな背中に大きな物を背負ってしまった音々音。
そんな彼女の震える体を止めてあげたいな、と。

自分の体ですら言うことを聞かないというのに、何を思っているのかと思ったが
それでもこれはどうやら、自分の本心だったようだ。
なるほど、黄巾党と戦う理由は、なんだかんだと言っても、今この自分の目に映る人であったのか。

この世界で初めて自分に真名を預けてくれた人。
しばらくの生活は音々音に頼りきりだった。
何も知らないこの世界の常識を教えてくれて間違えば、諭してくれた。
この世界に訪れた自分が苦しいとき、常に傍に居て支えてくれたのはこの小さな背中であったのだ。
一緒に旅をして、嫌なことも楽しいこともたった半年といえども共有し一緒に過ごした
この世界で間違いなく自分にとって大切だと言える人。
命の恩人であるから一刀と共に居ると彼女は言うが、一刀からすれば音々音こそが命の恩人だ。

「なんだ、居たじゃないか」

「ん、何か言いましたか、一刀殿」

「……ううん、なんでもないさ」

そうだ。
ありきたりで古臭いと言えばそうかも知れない。
そんな映画や漫画でありふれた言葉が、今ではとても尊い物に聞こえる。

“身近な人を守る為”

それならば、今の境遇にも、今の立場にも、不満は抱いても納得はいく。
この漠然とした不安感にも、負けないくらいの勇が沸く。
何処にでも転がっていそうな理由が、一刀にとっては一番身近に在った。
それだけの話だ。

「ねね」

「なんですか?」

「黄巾なんかに負けたりしないさ」

「……? 勿論勝つつもりですぞ」

「ああ、勝とう。 俺は寝るから、ねねも早く寝なよ」

「そうですね……なんだか煮詰まってしまいましたし、今日はもう終わりにするのです」

ようやく机から離れて、音々音は凝りをほぐすように左右に首を振って肩を回した。
ふぅっ、と息を吹きかけて蝋燭を消してしまえば、月明かりだけが室内を照らす光となった。

「ああ、今日は満月だったんだな」

「あ、ほんとなのです」

「はは、それも分からないほど根をつめる事もないよな」

「ん、そうなのかも知れないですな」

お互いに視線を交わして、二人は笑いあった。
部屋に戻ることを告げて、一刀は音々音の部屋を後にした。

「寝れそうか?」

「華佗、まだ起きてたのか?」

「実際、あまり睡眠は必要じゃない。 一刀に貰った気が充満しているからな」

「……そうなんだ」

一刀は、どれだけ自分の意識体の一人が気を注ぎ込んだのかを思い出そうとして止めた。
何か不穏な映像が呼び起こりそうで怖かったのだ。
この恐怖感は黄巾の様には拭えそうになかった。

「それにしても、良い顔になった気がする」

「え?」

「眼が変わった。 何かあったのか?」

「……ああ、あったさ」

それだけ会話を交わして、一刀は布団の中へ潜り込んだ。
何があったのかなどと、無粋な事は聞かない。
華佗は暫く布団に潜り込んだ一刀を眺めてから、自分も同じように布団に包まった。

しばらく、二人の寝息だけが聞こえていたが、ふいに華佗の耳を一刀の声が打った。

「見つけただけだよ、守りたいものが」

(そうか……)

心の中で華佗は呟き、一刀は先ほどまで眠れなかったのが嘘のように
ストンと睡魔に身を委ねることが出来た。


この翌日の早朝から、一刀は皇甫嵩から送られて来た報告を受けて慌しく動くことになる。


      ■ 外史終了 ■




[22225] 都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編3
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:6396809a
Date: 2010/11/07 23:02
clear!!         ~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編1~



clear!!         ~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編2~



今回の種馬 ⇒     ☆☆☆~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編3~☆☆☆





「それで、これを、最優先で届けて欲しいんですよ」
「分かった、料金も随分多いしな、馬を潰してでも最速で届けてやる」
「お願いします」

一刀は勤め先であったの運び屋の店主の下へと訪れていた。
つまらなそうに店の中をうろうろと物色している孫策と
一刀の後ろに黙って付き従っている顔良を伴って。

「しかしまぁ、ちっと見ない内に随分出世しちまったな、一刀」
「はは、まぁ、自分でもなんだか良く分からない内にこうなっちゃいました」
「しかも、こんな綺麗どころを共に連れちゃってよぉ」
「ははは」

乾いた笑いを返して、幾つかのやり取りを終えると、一刀は頭を下げ店主と別れて店を出る。
綺麗どころ、それは否定しない。
顔良も孫策も、街中で出会えば振り返ってしまうほどの美女だ。
だが、どちらも一刀からすれば手を出すような勇気などあるわけが無い。

孫策は言わずもがな。
正直言って、一刀は孫堅に対して性格的に勝てないと思っていた。
実は殆どの人間が、孫堅を相手にしてまともで居ることは難しいのだが、それは一刀の知らない事である。
とにかく、一刀にとって孫策に手を出すということは
自ら蜘蛛の巣に突貫する蝶のようなものである。

まぁ、孫堅という人間を嫌っているわけではないのだが。
むしろ、余り天の御使いと敬わない姿勢は一刀を安心させてくれても居る。
上の立場に立つことに、まだ一刀は慣れていないのである。

顔良に関しても、袁紹という巨大な名家と深いつながりを持つ女性であるだけで
なかなかに対応が難しかったりもする。
一刀は劉協に仕えているような物なので、彼女に悪い印象をもたれると
袁紹を敵に回してしまいかねない。
顔良本人とは、それなりに良好な関係を築けていると思っているので
そこまで神経質になる必要はないとは思うのだが。

「ねぇ、御使い様。 どうして書を渡すのに民草の運び屋にまでわざわざ?」

「そっちの方が足が速いからだよ」

「ふーん……でもそれ、援軍要請なんでしょ?」

「そうだけど、良く分かったね」

「別に確信があった訳じゃないわよ。 ただの勘」

「もしかして、引っ掛けられた?」
『雪蓮は異常なんだ、勘が鋭いというレベルを超えてる勘を持っているんだよ』
『あー、分かる。 それ』
『戦場で嫌なところにしか出てこなかったのは、これが原因か』
『そうそう、一番嫌な時に嫌な場所で出てくるんだよなぁ』
『俺だけじゃなくて、お前らも涙目だったんだな……』

「そんなつもりじゃないわよ。 でも、それが何なのか聞いても良いかしら?」

「別に隠すような事じゃないから、構わないよ。
 ていうか、何となく目星はついてるんじゃないの? 孫策さんは」

「まぁ、多少はね」

肩を竦めて孫策は首を縦に振った。
本来、援軍の要請は然るべき手順を踏んでから、官史を派遣して請うのが通例だ。
いくら足が速いからといっても、諸侯との面会が出来ねば、どれだけ早く辿りついたとしても意味が無い。
民草のたかが一商人に会う暇など、基本的に偉い方には無いのだから。

その辺は一刀も勿論分かっている。
だが、彼はこの書は必ず届くと確信していた。
送る相手は曹操。
曹操の元には、荀彧も居る。
彼女には残念ながら嫌われてしまっているのだが、むしろそれが良い。
自分の名で差し出したとなれば放ってはおかないだろう。

「陳留に居る曹操へ、援軍をして貰うように頼んだんだ」

「わざわざ手紙を同封したのは何故なんです? 友人でもいらっしゃるのですか?」

顔良が横から顔を出して尋ねてきた。
そう、孫策が聞いたのもこの事だ。

「あれは、まぁ読んでもらう為の保険かな」

正式な援軍の要請書に挟むように、一刀の直筆で書かれた手紙を入れている。
どちらも玉璽で印を押してあり、天の御使いが北郷一刀であることをハッキリと示してある。
曹操も荀彧も、どちらも著しい興味を抱く確信がある。
要請書の方には曹操を、手紙の方には荀彧にと名を宛てている。
両方とも、一目見て分かるように玉璽の印が押されているのだから、彼女達には必ず届くはずであった。

そんな事を話しながら城門を潜り抜けると、三人の下に走って近づいてくる少女の姿が。
あれは董卓の元で知を奮う、賈駆という少女であった。
息を切らせて一刀の元まで走ってくると、一つ深呼吸してから声を挙げた。

「ちょっと、こんな時に何で町をほっつき歩いていやがるんですか、天代様」

「どうしても外せない用事があったんだ、ごめん……あ、そうだ、丁度いいや」

賈駆が一刀に会いに来てくれたのはある意味で渡りに船だった。
董卓と直接会いたかったので、彼女に取り次いでもらおうと思っていたのだ。
しかし、その事を一刀は口にすることが出来なかった。
先を制して放たれた、賈駆の言葉で。

「さっき皇甫嵩殿からの報告があったわ。 
 黄巾党への奇襲を行った朱儁将軍が―――」


      ■ 龍と鳳、波に揺られる


朝廷での軍議が喧喧諤諤としていた頃。
二つの小さな影が宛と許昌の間道をひた歩いていた。

紅いベレー帽の様な物を被り、短くまとめられたクリーム色の髪を左右に振る。
大きなリボンが荒野に良く目立っていた。
背中にはリュックを背負い、その荷物の両は小柄な体躯を隠すほどである。
そんな彼女は諸葛孔明と呼ばれている。
言わずと知れた三国志を代表する人物として名を知られ後世に名を轟かせる人である。

一方で、その隣をひたひたと歩くのはまるで西洋の魔女のような帽子を目深に被り
青い髪を二つにまとめて垂れ下げた少女だ。
同じく背嚢を背負っているが、こちらはそれほど目立つほどの大きさではない。
最近は司馬徽という人物から絶賛されて荊州で評判になっているそうだ。
名を鳳統、字を士元と言った。

二人は智者として名高い。
特に荊州では、司馬徽という者から絶賛されたという噂が広まっており、姿は知らずとも名は知れ渡るという具合であり
そしてそれは、かの人物評の通り疑いようの無い事実であった。
今の世に漫然と漂う王朝の腐敗、それが原因とする暴徒や賊の横行。
正直に言ってしまえば、二人の智者が出した結論として今の王朝は最早死に体であった。
そんな二人が広大で危険が満載の大陸を歩いている理由。
それは、崩れ去った龍の元に今更舞い降りた“天の御使い”と出会う為である。

一体どうすれば今の漢王朝を相手にそんな肩書きを名乗れるのか。
確かに、政治の内部を知らない二人の視点では見えないこともあるのかもしれないが
外から見てハッキリと駄目だと分かる部分が大陸の至る所で見て取れるのだ。
この国を、正常の形にするのは一度壊して直すよりも、遥かに困難である。
“天の御使い”が降りたのは何故だ、どうしてだ、まだやり直せるとでもいうのか。
華佗という天医との噂も、なんというかその、割と個人的なアレとはいえ。
一度気になってしまったら、もう駄目だった。

瞬く間に準備を整え終わると、二人は荊州を出て洛陽へと向かっていた。
示し合わせた訳でもないのに、孔明も士元も似たような思惑の元、自然に旅立ちの日を迎えて
そのまま飛び出してきたのである。

「でも、徒歩だと何日かかるか分からないね雛里ちゃん」
「やっぱり馬は手放さない方が良かったね」
「うん、でも路銀が無いんじゃそもそも向かうことも出来なかったからね」
「うん……」
「と、突然だったからね」
「うん……そうだよね」

そう。
あまりに性急に決めた出立であったので、彼女達は十分な路銀を用意出来なかったのである。
理由の半分が、書物による浪費だというのだから笑えなかった。
勿論、それは天の御使いに会おう! という出立を考える前に購入したものであるのだが。

結果、宛近くまでは馬での移動が出来たのだが
路銀が尽きてにっちもさっちも行かなくなった為に馬を売却。
それで得たお金でとある邑まで出ていた商隊に乗り合わせ、2日前から徒歩で移動している。
後悔が無いと言えば嘘になるだろう。
些か考えが足りなかったというのも否めない。
しかし。

「後もう少しで邑があるから、そこで商人さんが居れば乗り合わせよう?」
「そうだね、私達の足じゃ洛陽まで何時までかかるか分からないもんね」
「うん……でも、楽しいね」
「え? そうかな……」
「雛里ちゃんは楽しくない? こうやって歩いていると行楽に来てるみたいだよ?」
「うん、考えてみればそうかも、朱里ちゃん」
「だよね、きっと何でも気の持ちようなんだよ」
「あわわ、朱里ちゃんが大人っぽいこと言ってる」
「はわ、べ、別にそんなつもりで言ったんじゃないよ?」
「わ、分かってるよぅ」

本人達はそれなりに楽しそうではあった。
それも、すぐに終わりを迎えることになる。
邑も目で視認できるかという場所に近づいた頃だった。
二人は思わずそれまで咲いていた会話を、どちらともなく打ち切って邑の異変に視線を傾けたのである。

「……黄巾が翻ってる」

それはどちらが言ったのか。
孔明も士元も、どちらも自分の言葉だったのか、相手の言葉だったのか分からなかった。
ただ、目の前に迫る騎馬の集団が、こちらに近づいてきているのを眺めていただけだった。

逃げるには遅すぎた。
そもそも、逃げても逃げ切れるような体力は持ち合わせていない。
人と馬という、決定的な機動力の差もある。
逃げれば追われ、そして捕まる。

勿論、このままこの場に留まろうとも拿捕されるのは間違いない。
ただ我が身の安全性が高い方は、間違いなく後者だった。

「黄巾、最近噂になってる賊の目印だよね」
「うん……間違いないよ」
「……朱里ちゃん」
「……雛里ちゃん」

結局、賊と思わしき者が近づくまでに二人に出来たことは、互いの名を呼び合うことだけであった。


一見すれば普段の姿と何も変わらぬ姿。
特に争いも無く、特に喧騒も無く。
普段と変わらない平和の邑を映し出していた場所だ。
数多の黄巾が風にはためいて、小高い丘に元の住民と思われる死体が詰まれて居なければだが。

その邑は、ただ許昌近くの黄巾拠点から洛陽へと向かう道を直線状で結んだ場所に存在していた小さな邑だった。
この事実だけが、これ以上ないほど不幸であっただけに過ぎない。
瞬く間に黄巾に飲み込まれ、邑に住む人々は犠牲になった。
一夜を、この場所で過ごすというだけの話でだ。
勿論、万に及ぶ黄巾党全てを収容することは不可能だ。
この邑に居るのは黄巾党の中でも幹部、或いはそれに近しい将軍だけであった。

結果。

「波才様、不審な人物を連れてきました」
「不審な人物?」

「……」
「……」

「なんだこのチンチクリン共は」

余りな言いようにムっと来る朱里であったが、ここで余計な事を言って立場を悪くすれば
自分の命、隣に居る親友の命まで危険な事になる。
少し頬が膨れてしまったが、なんとか周囲にバレずには済んだようだ。

「それがですね、こいつら荊州から来た奴なんですが名が諸葛孔明と鳳士元なんですよ」
「諸葛亮、鳳統の名は荊州じゃちょっと有名でして」

そう報告を続ける黄巾を頭に巻いた男は、荊州の出身であった。
つまらなそうに二人の少女を眺める波才は、報告の続きを仕草で促した。

「波才様は司馬徽という人物をご存知で?」
「ああ、噂には聞いたことがある。 人物鑑定が正確で有名な書生だな」
「その司馬徽が、この二人の知を絶賛したという噂が荊州で広がっているのです」
「ほう?」

そこで初めて、波才は興味深げに孔明と士元を見つめた。
遠慮の無い視線に晒されて、孔明と士元は波才から顔をそらした。
まるで、その視線から逃げるかのように。

「お前ら、とても槍を持てるようには見えないが」

自身の脇に合った槍を掴み、波才は孔明へと近づいて無理やり手渡した。
当然ながら、このような重い武器を彼女は持てない。
下から掬い上げているにも関わらず、武器の重みに体は泳ぎ取りこぼしてしまう。

「あっ……うぅ」

ガランガランと、けたたましい金属音が部屋に響いた。
その様子を見て、波才は口角を吊り上げた。
武才を持たぬ者が絶賛される理由。
それは果たしてどのような者であろうか。
波才に報告した男の言葉が、やにわに真実味を帯びてきたのを実感する。

「そうか、なるほど……おい、お前」
「はっ」
「良くやった、そこの布袋を持っていけ。 金が入っている」
「おお、ありがとうございます!」

金の入った袋を引っつかむと、報告に来た男は嬉々として外へと飛び出して行った。
出て行くのを確認してから、改めて波才は二人へと振り返った。
その顔には先ほどまで見せていた厳つい雰囲気は無く、柔和な笑みが浮かんでいた。

「ようこそ、我が黄天の世を支える智者よ。 我等は二人を歓迎しよう」

「―――なっ!」
「わ、私達は―――」

「……盃でも交わすか? そんな面倒なことは良いだろう?
 血判状を押してもらうだけでいい。
 なに、我が黄巾には勇奮う者は数多く居ても知を奮う者は少なくてな
 今日という日に孔明殿と士元殿に出会えた事は実に喜ばしいことだ」

嬉しそうに微笑む彼とは対照的に真っ青になって、二人の少女は波才を見た。

黄天の世。
この単語だけで神算鬼謀の頭脳を持つ二人は気がついてしまった。
冗談でも何でもなく、この男は天、すなわち帝位を簒奪する、或いはそれに近しい大事を為す気であることを。
或いは誰か別の人間を仰ぐつもりなのかもしれないが、それは現時点では大した問題ではない。

何時の日か、それも自身が生きている内に不満から起こる内乱。
そして其処から続く血みどろの群雄割拠の日が訪れるだろうと予測していた二人であったが
この場で不満が爆発する現場に居合わせる事など予想だにしなかった事であった。

それは、先日首都・洛陽を存分に騒がせて瞬く間に広まった噂。
“流行病”が蔓延しているという話も、関係している可能性があることに気がついてしまう。
自然に発生したのではなく、目の前の男に、或いはこの黄巾党によって恣意的に起きた事件であることに。

果たして、それらを知ってしまった孔明と士元は
波才が此処から無事に逃がしてくれるなど到底あり得ない事にも察しがついてしまった。
だからこそ、彼は持ちかけたのだ。
死を選ばす、今の天を捨てて彼らが言う“黄天”を仰げと。

逃げ場など無かった。
鳳統は帽子を目深に被り、俯いてその小柄な体を震わせていた。
孔明も、同じような物だ。
実力で突破できるだけの武もない。
今この時を切り抜けるにはより良い将来のためにと研鑽を積んできた知も役に立たない。

孔明も、士元も志は同じである。
将来、国を立て直すほどの器がある人を主君に仰ぎ、積み重ねてきた知を主の下で奮うこと。
それが彼女達が出来る、世直しであると確信している。
決して、目の前に居る男に利用される為に来る日も来る日も勉学に励んでいた訳ではないのだ。

しかし。

「……分かりました、血判状を押します」
「しゅ、朱里ちゃん!?」
「ただし、雛里ちゃんの血判は取らないで下さい!」

それはもう、覚悟の上での言葉であった。
経緯はどうあれ、この黄巾の賊と血判状を取るということは彼らとの関係を示す揺るぎない証拠となり
朝廷の軍とぶつかって敗れた場合、処刑は免れないことになるだろう。
波才と呼ばれたこの男に、決定的な弱みを握られて骨の髄まで自身の頭脳を利用されることも必至だ。
最早、彼女は朝廷軍を自分の知で持って完膚なき勝利を目指す決意を今、この場でしたのである。
勝算は殆ど無い。
如何に腐敗が進む官軍が相手とはいえ、黄巾党は賊である。
装備、糧食、立場、風評、全てにおいて不利だと言える。
孔明の持つ頭脳を持ってして、勝てれば奇跡という答えしか出なかった。

現状をそこまで把握している訳ではないが、官軍がそこまで脆弱とは考えていないからこその答えである。

だからこそ、孔明は選んだ。
諸葛孔明という自分を贄として、鳳士元という鳳を生かすことを。

勿論、鳳統はそんな諸葛亮の思いを即座に見破った。

「待ってくだしゃい! け、血判状は私が―――」

「両方押せ」

にべもない返事が返ってくる。
しかし、ここは二人にとっても譲れないところであった。

「もし、二人共に血判を取ると言うのでしたら死を選びます」
「う、うん、朱里ちゃんの言う通りです。
 どちらも利用されるくらいなら―――」
「じゃあ死ぬしかないな……残念だが」

言い募る雛里の口は、波才の腰から引き抜かれた刀によって断たれた。
首筋に刃を当てられ、雛里の薄皮を一枚剥いで波才は孔明を見た。

「共に黄天を仰がないか、孔明殿」

唇を噛み締める。
その口の端には僅かに血が滲み、拳を作って震わせた。
交差する視線は、やがて逃げるように地面に落ちる。

「最後に聞くぞ、志を共にしないか」

警告するように促す波才に、しかし彼女は地を見つめるだけで答えなかった。
下手に答えてしまえば、胸に秘めた真の志が何処かに消えてしまいそうであった。
返答しない彼女に業を煮やしたか、波才はついにその腕を何も言わずに大きく奮った。
雛里の刃を見つめ動かぬ瞳、揺らぎの無い淀んだ波才の瞳、ゆっくり、ゆっくりとスローに迫る銀の光。
情景はやけに長い刻をかけ流れ―――瞬間、孔明の決死の覚悟はあっさりと崩壊した。

「分かりました! 二人共押します、押すから雛里ちゃんを殺さないでっ!」
「朱里ちゃんっ……」

我が身の命は捨てることが出来ても、親友という絆を切れなかったのだ。
それを分かって利用されている。
判るからこそ、悔しかった。

「……良し、ならば我等は同志だ。 存分に活躍してくれ」

首元に数センチまで迫った刃を引いて、波才は身を引く。
ペタリと腰を落として尻餅を付く雛里に、そっと近づいてその震える肩を支える朱里。
不安げな瞳を見つめて、朱里は首を振った。

その様子を一瞥しながら質の悪い分厚い紙を一枚引き抜くと、それを机の上まで持って行き名前を書く。
自身の親指を切り裂いて自分の名前の上にグッと押さえつけた。

視線で促されて、孔明と士元は、それぞれの名を書き血判を紙に押し付けた。
紅い判紋がしっかりと紙に滲み、ここに確かな三人の血判状が完成した。
それをしっかり確認してから、波才は紙を丁寧に丸め懐に収めてから
にこやかに笑って言った。

「さて、新たな同志に今の我々の状況と目的を話そうか。
 二人の助言に期待させてもらおう」

この世界で始めて龍と鳳凰を手に入れたのは、劉備ではなく波才であった。
二人にとって突然現れた黄色い黄昏は、闇夜の始まりであったのである。


      ■ 騎馬400


邑から10里ほど離れた森の中。
月夜に照らされて、鎧と戟、そして数多の馬と人が犇めき合っているのが見えた。
一際、大柄な男が腕を組んで俯き、忙しなく膝を揺すっていた。
男の名は朱儁。
大柄な体躯に似合う、大きく四角い顔に口ひげが顎からもみ上げまで繋がっており
見る人によっては体の大きさも相まって厳つさが目立つ物の、その顔立ちは柔和であり
そのギャップが溜まらないという人も居る程であった。

それはともかく、皇甫嵩将軍の信頼厚く、賊の鎮圧時には協力しあって官軍の中でも多く実戦を潜り抜けてきた
所謂ベテランの将軍だった。
しかし、そんな数多の戦を渡り歩いた朱儁も、今は落ち着かない様子を見せていた。
彼の元に息を堰切らした兵士が何人か近づいてきて、ようやく朱儁は顔を上げた。

「来たか」
「報告します」
「うむ」
「賊はおおよそ4万ほどで、邑を一つ占拠して一夜を過ごすようです」
「様子はどうであったか」
「は、特に警戒している様子はありませんでした。
 このまま夜襲を仕掛けても大丈夫なほど弛緩しております……」

朱儁は報告を聞いて顔を顰め、そして頷いた。
村の者は? とは聞かなかった。
そんなこと、聞くまでも無く殺されたに決まっているからだ。

皇甫嵩が足止めの部隊として選抜したのは朱儁将軍を筆頭にした精鋭騎馬400。
“天代”からの指令として出ていた最大数は1000であったが、皇甫嵩は防衛拠点の構築に重きを置いた事。
それに加えて、精細を欠く騎馬兵を除いて集めた数が400でしかなかった。

兵数の差は約100倍。
足止めにすらならない数字の差である。

「しかし……朱儁将軍、言わせて貰いますが、いくら夜間の奇襲、それも成功の可能性が高いとは言っても
 この兵数差は絶望的でございます」
「そんなことは分かっている。
 しかし、ここで敵が居ることを奴らに判らせなければ陣を構築する時間が稼げない」
「し、しかし……」
「戦いにならんというのなら、馬で駆け抜けるしかあるまい。
 それで何処まで相手が警戒してくれるかは判らんがな」

ため息を吐いて、朱儁は馬に跨った。
これはもう、生き残るだけの戦だった。
400の騎馬で持って、一気果敢に賊軍の合間を駆け抜ける。
ただそれだけが命がけになるだろう。

果たして、この中の何人が生還できるか。

一つ瞑目した朱儁は、次に目を見開いた時には先ほどまでとは打って変わって
精悍な顔付きとなった。

「乗馬!」

「「「「「「「「ハッ!」」」」」」」」

「「「「乗馬!」」」」

「「「「乗馬せよ!」」」」

低く、しかし周囲に完全に伝わったその声は力強く響き、伝播していく。
やがて、乗馬の掛け声が止み、全騎兵の準備が整ったことを隣の副官を横目で見て確認する。
それを受けて、朱儁は自身の腰にぶら下げた刀剣を引き抜いた。
同時に手綱を引き、一度振り上げると剣を進行方向に指し示して叫んだ。

「賊の鼻っ柱に当てて駆け抜けよ! 怯んだ敵を相手にはせず、ただただ前に突き進めぇい!
 全騎突撃ぃぃぃぃ!!」

オオオオオオォォォォォオオオッォォオオォォォオ!

大地を震わす、400の騎馬が目標に向かって突き進む。
この世界で始めて、大規模な戦の先端を切ったのは間違いなく朱儁率いる騎馬400であった。


      ■ 一兵でも


「しかし、あの有名な二人の娘っ子……胸が無かったな」
「子供に何言ってるんだ、まぁ胸が無いのは同意だが」
「世の中には巨乳な子供も居るらしいからな……」
「まぁ、小さい胸とか、笑えるくらいに価値がないけどな」
「おいてめぇ、地和様を出威素ってんのか」
「巨乳は母性、そして真理だろ、常識で考えれば」
「死ね母愛症候群」
「やんのかコラァ!」
「おい止めろよ、この前の公演で天和様の事件があっただろ。
 あれで巨乳派の声は大きくなってるんだから」
「くっそ、なんで地和様のあのあどけない胸部の魅力に気がつかないんだ、世の中狂ってる」
「やめろよお前ら、みっともない」
「そうだそうだ、俺のように全てを愛でれる男になれよ」

オォォォォオォォォォオォオオオオォオォ
何かが唸っているような声が聞こえた。
会話を交わしていた全員が同じように気がついたのか。
仕切りに周囲を見回して、しかしそれは何が原因で起こっていることなのか理解できなかった。

「な、なんだ……」
「お、おい。 波才様が仰ってたことって、もしかして此れの事か?」
「そ、そうに違いない!」
「不思議な事が起きたら、すぐに報告しろって言ってたな」
「よ、よし、俺が行って来る!」
「俺も行くぜ!」
「頼むぞ!」

彼らが慌しく会話を交わす間も、音は強く、激しくドンドン近づいてくる。
何人かが縺れるようにして足を動かし、その場を離れて行く。
そして、遂にそれらは闇を切り裂いて彼らの前に現れた。

「て、敵襲だぁあああ」

悲鳴のような声が響いて、周囲を揺るがした。
喧騒は波紋のように広がり、やがって大きな混乱を巻き起こす。

「道を開けよ叛徒共! この朱儁の前に現れれば即刻命を落とす物と思え!」
「駆け抜けろ! 賊を相手取る必要は無いぞ!」
「行けっ! 行けぇっ! このまま賊の巣を突き破って駆けぬけろぉ!」

「武器を取れ! 応戦するのだ!」
「うわあああ、止めてくれぇ!」
「敵は大群だぞ……っ!」
「き、騎馬兵だ! 逃げろぉぉ!」

混乱は加速した。
たかが400の数を大群だと勘違いし、殆どの者は圧倒的な馬による突撃に戦意を失い逃げ惑った。
乾坤一擲、駆け抜けることだけに集中した騎馬隊は、まるで人など居ないかのように黄巾の間を
矢のように駆け抜けていた。
運悪く進路に重なった者は、無残にも馬の圧力に吹き飛ばされて命を散らした。
その勢いは留まる事を知らず、奥地、奥地へと突き進んでいく。

「頃合だ! 火矢を番えろ!」
「火矢準備!」
「火矢準備ぃっ!」

「射てぇぇ!」

朱儁の号令が響き、次々に黄巾党の作った天幕へと突き刺さり
周囲に火が燃え広がった。
それらは黄巾党の恐怖を煽り、混乱を拡大させ、心身を強硬させた。

「行けるぞ!」

興奮をそのままに朱儁は叫んだ。
可能であればこのまま逃げ出したかったが、生憎と突撃している400騎もの馬の進行方向を変える事は容易ではない。
後はこの混乱が長引き、このまま徐々に進路を変えて駆け抜けることが出来れば良い。
先頭を走って兵を率先していた朱儁は僅かに緩んだのだろう。
邑の入り口付近を駆け抜けた瞬間に、彼は背筋に震えるものを感じた。

「こ、これはっ!」

開けている。
明らかに此処だけ、人の波が途切れ、不自然に空間が造られていた。
混乱によって自然に開けた場所ではない。
確実に人の手が入っている、意図的に作り出されたスペース。

「今だ! 奴らはわざわざ苦労して自分達から死地に入ったぞ!
 死にに来た馬鹿を歓迎してやれっ!」

一際高い建物の上で、一人の男が叫んだ。
思わず朱儁はその声に顔を上げる。
若い男であった。
少なくとも、朱儁よりかは10歳以上離れているかもしれない容姿だ。
夜の為、ハッキリとした顔は見えないが、あの男が賊徒を率いているに違いなかった。
その背後には、小柄な少女らしき人影がいた。
両者共、俯いている為に顔を見ることは出来ない。
果たしてあの少女達は何者か。
だが、それよりも、何よりもまず、今しなければならないこと。

「蒼天已死!」
「黄天當立!」
「蒼天已死!」
「黄天當立!」
「蒼天已死!」
「黄天當立!」
「蒼天已死!」
「黄天當立!」

前方より、居なかったはずの賊徒の群れが、地中から続々と現れたのだ。
恐らく、土を掘って潜っていたに違いない。
この夜襲は、初めから見抜かれていたのだ。

罠。
そうとしか思えなかった。
故にこの場は男の言ったとおり、既に死地。
留まる事は死を意味する。
そしてそれは、官軍の敗北となるのだ。
それは防がなくてはならなかった。
今しなくてはならぬこと、それは何としても、ただの一兵でも構わない。
この死地から生きて抜け出すことだけだった。

「ぬぅ! 全騎反転だ!」
「反転ですか!?」
「迷ってる暇は無い! 開いてきた道を戻るしか―――でぇぇい邪魔だぁぁああ!」

「く、くっく、見ろ、無様に狭い場所で踊るだけであるぞ、腐った王朝の犬が! ハァーハッハッハッハッハ!」

会話の最中に襲い掛かってくる男を相手に、朱儁は必至に戟を水平に振り、打ち払う。
黄巾と同じように、僅かに開いた邑の入り口で無様に反転し
駆け戻ろうとする朱儁を見て、波才は腹の底から笑いが込み上げてくるのを押さえきれなかった。
自分達に苦しみだけを与えてきた朝廷。
それが今、苦しめられていた自分達が逆に、富を溜め私腹を肥やしていた連中を苦しめている。
これを笑わずして何を笑おうというのか。

「死ねっ! 死ねぇぇ!」
「蒼天已死!」
「黄天當立!」
「ぬぅぅ、朱儁将軍だけでも抜けさせるのだ! 皆よ命を張れぇ!」
「朱儁将軍を守れ! 道を開けぇい! ぐうぅ!?」
「一人も逃すな! 俺達を苦しめてきた奴らの血で埋めろぉぉぉ!」
「殺せぇ! 一人も逃す―――ガッ!?」
「転倒した馬は盾にしろ! 朱儁様を中心に方円陣を組っ、がはっ!」 
「蒼天已死!」
「黄天當立!」

次々と騎馬を反転する合間に、賊徒の槍が、戟が馬に突き入れられ転倒し
その上から必死の一撃が官軍に降りかかる。
腕を貫かれ、目を貫かれ、腸を吐き出させた。
後ろから来る騎馬に押されて、そのまま転倒する者も少なくない。
先ほどまで黄巾党が上げていた闇夜に響いた悲鳴は、今度は官軍のみの悲鳴となって空気を振動させていた。
我を失ったかのように叫びを上げて襲い掛かる黄巾の兵士達。
それらは一人残らず、官軍を震え上がらせていた。

「……無理です、抜けられません」
「戻っても、同じなんです……」

狂ったように笑う波才の隣で、二人の少女が悲痛な声でそう呟いていた。
もしも、彼女達が波才に目を付けられる前にこの夜襲が行われていれば、結果は変わっただろう。

この死地を作り出したのは他でもない。
朱儁が目にした二人の幼い二人の手による物であったのだ。
自らが、この死地を作り出し、朝廷と完全に敵対したことを示す悲鳴が二人の耳朶を打つ。
最早、引けぬ場所へ来た。
お互いに、無念を抱えながらも、自らが引き起こした惨事を胸裏に刻み込むように
最後まで、最後までその光景を眺めていたという。


      ■ 手は打てるだけ


「そう……」

一頻り、報告を聞いた一刀は頷いて淹れられた高級な茶を一口含んだ。
足止めの為に割いた別働隊は、ほぼ全滅という憂き目にあったようだ。
数に大きな差があるのだ、敗走することは予想していたがほぼ全滅とは。
夜襲を予期されて朱儁が敗走したという事実に、しかし一刀は思いのほか冷静であった。
ただ、此処では見えないが確かに命を散らした人々が居る。
それだけが言い知れぬ恐怖を一刀の心にこびりつけていた。

『本体の言う通りだな、だいたい合ってる』
『やっぱり細部は違うみたいだけどね』
『そうだな』

そう、本体の一刀はこの事実を知っていた。
この報告は予定通りといえば予定通りだ。

「やけに冷静ね、もっと慌てると思ったのだけど……」

隣に座していた賈駆が眉を顰めて一刀を見た。
この緒戦、相手の足を鈍らせる為にも、また今後の戦の展開の為にも落としたくは無かった所である。
結果だけみれば、容易に官軍の先手を追い払った賊軍は気炎を上げることだろう。

「大丈夫だよ」

「……」

ため息を吐き出して、一刀は自分に言い聞かせるようにそれだけを口にした。
何の根拠も示さず、ただ大丈夫だとそう呟いた彼に賈駆は鋭い視線を向けた。
この男、自分が黄巾の幹部として疑われているのを忘れているのだろうか。
今の状況で官軍が負けて笑っていられるなど、普通は出来ないのではないか。
不信感を募らせる賈駆であったが、それは何かの間違いだと思いたかった。
この場に居る者は、みな黄巾党と戦う為に集まったのだと、そう信じたかったのである。
一刀はそんな複雑な思いの篭った賈駆の視線を必死に受け流して、たった今したためた書を彼女へと手渡した。

「それより、董卓さんにその手紙を必ず渡してくださいね、出来るだけ早く」

「……分かった、頼まれたわ」

直接会いにいければ話は早かったのだが、目の前の少女にやんわりと、しかし思いっきり暗に
董卓本人とは絶対に会わせるかチンコが、と言われてしまったので
まだるっこしいがこうした形を取ることになったのである。

「ねー、天代様、うろうろしてるだけじゃつまらないわよ」
「そ、孫策さん」

部屋の壁によりかかって座していた孫策が、不満を垂らした。
今日一日、朝を起きてからずっと行動を共にしているが、一刀は確かに傍から見ればうろうろしているだけだった。
朝食後に町をうろつき、柄の悪い三人組に書状を渡して、援軍の要請だという書を運び屋に渡して
そして今度は董卓と接触するために賈駆に与えられた部屋へと乗り込んだだけである。

監視の名目で一緒にくっ付いてきている孫策にはただの散歩と同じことだろう。
一刀が今回の戦の為に精力的に動いている事で、必要に駆られてうろついてるのは承知の上だろう。

「ごめんね、今のうちにやっておかなくちゃならない事が多すぎてさ」

一刀が孫策へ言葉をかけると彼女は肩を竦めた。
理解はしているので、これはただの愚痴であることも知っているのだろう。

「分かってるけど、与えられた仕事が暇すぎるっていうのも苦痛だと思わない?」
「あんた、孫策だっけ? 天代様の疑いを早く晴らしてあげれば?
 そうしてくれれば、私も安心するんだけど?」
「べっつにー、私にはあんまり関係ないことじゃない」
「私は、もう特に疑ってないんですけどね……」
「根拠はあるの?」
「えっと、それは無いんですけど……」
「「駄目じゃん」」

三人でわいわいやり始めたのを一瞥して、一刀は腕を組んで椅子の背もたれに寄りかかった。
董卓がこの書の通りに動いてくれれば、黄巾党が陣を迂回することなど出来なくなるだろう、多分。
脳内の自分達と、音々音と共に頭を捻って出した策。
まぁ、策というには随分と運の要素が絡んでくるし、本体と脳内自分の持つ知識を前提として描いた物ではあるのだが。

「あーでも、チンピラ相手に何かを渡してたのは疑わしいっちゃ疑わしいわよね」
「草のような物だって言ってましたけど」
「何それ?」
「さっき天代様が此処に来る前に町をうろついてたでしょ? その時にね……あ、このお菓子美味しいわね」
「そうなの? このお菓子は最近洛陽で生まれたものよ。 江東では珍しいでしょうね」
「私も食べたことありますよ、お茶に合うんですよね」
「お茶淹れましょうか?」
「おー、いいわね、お願いね賈駆ちゃん」
「ちゃ、ちゃん!? ちょっと止めてよ」
「あはは、じゃあ私が淹れてきますよ」

『ぬぅ』
『どうした』
『いや、一緒に居るのに蛇の生殺し状態だな、とな』
『『俺もだよ、“呉の”』』
『“袁の”……“董の”もか』
『まぁそりゃそうだろうな』
『目の前で見れるだけでも良いよ、俺は何時会えるんだろう』
『南蛮は遠いもんな』
『あの会話に参加したい、あー、本体、俺と代わってくれよ』
(俺的には盛り上がってる女子の会話に入り込むのは凄い勇気が居るんだけど……)
『ええぃ、役に立たない』
『それ、自分自身の事だからブーメランだぞ』
『確かにちょっと尻込みしてるな、俺も』
『実を言うと、割って入るのって結構勇気いるよね』
『『『うん』』』

なんだかそのまま世間話に移行してしまった孫策達と脳内達を置いて、本体は立ち上がって
窓から覗く景色を眺めた。
しばらく意味も無く、辺りを見回していた一刀だったが、ふと気がつくと見覚えのある顔が
誰かを伴って歩いているのが見えた。

「あれ? 孫堅さんだ」

「え?」
「母様が居るの?」

「隣に居るのは誰?」

「華雄じゃない、どうしたのかしら」

ふと呟いた一刀の声に、三人とも反応して窓から覗く。
どうやら、孫堅の隣に居るのは董卓軍の猛将と呼ばれる華雄将軍のようであった。
華雄将軍は董卓軍の将であった覚えがある。
なにやら話あっていた二人であったが、やがて話がついたのか、お互いにある建物の中へと入って行き
その姿は見えなくなった。

「あれは何の建物?」

一刀が尋ねると、顔良が顎に手をやって答えた。

「えーっと、確か練兵場だったような気がするけど」

「おお、面白そうじゃない! ねぇ天代様、行ってみない?」
「あの馬鹿は一体何をやってるのよ……」

結局、一刀達も様子を見に練兵場へと向かう事になった。
孫策に押し切られる形になったが、何をしようとしているのか気にならないと言えば嘘になる。
まぁ、普通に合同で兵士の練兵を行おうという話なのかも知れないが。

「じゃあ賈駆さん、董卓さんに渡しておいてね」
「承ったわ。 華雄のことよろしく」
「ああ」

それだけをお互いに言い合って、一刀は練兵場へと足を向けた。


      ■ 恥ずかしい穴を一日中おっぴろげて


「ハアアァァッ!」

裂帛の気合と共に振り下ろされる戦斧。
常人では受け止めることさえ困難な、激しい一撃が脳天に迫る。
引き抜いた宝剣を斜に構えて、その激烈な一撃を交わすと共に刃を滑らせて喉元へ迫る。
一瞬の間で繰り広げられ、その身に危険を感じた華雄は無理な体勢で斧を勝ち上げて
柄の部分で切っ先をそらした。

安堵するには早い。
瞬時に距離を詰めて奮われる腹部への拳を、空いた左手で弾こうと手を振るが
それは空を切ることになる。
完全に体勢を崩された華雄は、続く攻めから逃れる為にも自らの身を投げ出すように横へ飛んだ。

「痺れるな! 華雄将軍!」
「ぐっ、馬鹿にするなこの程度!」

お互いに奮う剣戟は激しさを増し、徐々にだが孫堅に有利に働いていた。
それを自身も理解しているから、鋭く切り込もうとして荒い剣閃になっているのに華雄は気付かなかった。

「大振りが過ぎるぞ!」
「ぬあぅ、しまった!」

肘を激しく打ち据えられ、獲物である戦斧を取りこぼしてしまう。
目の前に孫堅の宝剣が迫る。
戦斧を拾う暇は無く、もはや後退するしか道は無かった。
それが、決定的となる。

この剣は言わば、本命を叩き込む為の布石。
後方へ身を引いた華雄を追いかけて、完全にバランスの崩れているところに武器を持っていない拳を振り上げる。
防御を行おうと両手を構えた華雄はしかし、孫堅の脇から現れた自身の戦斧が飛び込んでくるのを確認する。
拳が迫る。 斧も唸りを上げて飛んでくる。
華雄はダメージの少ない方、拳の一撃を受けることを覚悟して戦斧を手で叩き落した。
顔面を思い切り打ち抜かれ、華雄は自分の跳躍した力も加わって大きく吹き飛ばされる。

丁度、その瞬間に一刀は扉を開けて入ってきた。
真横を通り過ぎる華雄が一瞬だけ目に入って、続いて壁に打ち据えられて響く鈍い音。
ようやく一刀は反応して、その場を咄嗟に離れて事態を確認する。
頬を押さえて呻く華雄将軍と、手を振り上げ宝剣を掲げて喜ぶ孫堅をそこで初めて見た。

「ぐぅっ……」
「私の勝ちだな、華雄将軍!」

「あー、もぅ、もたもたするから終わっちゃったじゃない」

「いい拳撃が思い切り入ってましたねー」

「ええ……いや、ちょっと待った、何でそんな普通なの?」

華雄将軍の傍らの床に突き刺さっている戦斧を見て、一刀はドン引きした。
確かに、将軍同士で組み手のような物をすることもあるだろう。
真剣勝負であるのならば、こんな時代だ。
刃を潰していない本物の武器で戦うことだってあるだろう。
だが、今は戦を目前に控えているのだ。
練習試合で怪我して本番で戦えませんでしたとなれば洒落にならない。
というか、刃を潰してても骨くらいは折れるし。

「いくら何でも熱くなりすぎじゃあ……」
「おう、天代殿。 どうしたこんな所に」
「それはこっちの台詞ですって、戦の前にこんな危険な試合をするなんて」
「待て、孫堅殿を責めてくれるな」

意外な事に、咎める様な口調でそう言ったのは吹き飛ばされた本人である華雄であった。
殴られた頬を隠しもせずに立ち上がった彼女は、床に突き刺さった戦斧を担ぎ上げ

「私から頼んだのだ。 孫堅殿の武勇は各地に響いている。
 私も武人だ、自らの力がどれほど通じるのか、孫堅殿と手を合わせて知りたかったのだ」

「そ、そうですか……」
「気持ちは分かるかなー、私も武人だし。 顔良もそうでしょ?」
「どうでしょう、あんまり強い人とは戦いたくないかなぁ」
「そうなの? 結構強そうだけど」
「あはは、一応これでも、袁紹様を守る為に鍛えましたから」

「ふふ、まぁ武を修める者は大抵根っこの部分は同じなのだ。
 それに、華雄殿の武は悪くなかった。
 経験しだいでこれからもグングンと伸びることだろう」

「我侭を聞いていただき嬉しかった、孫堅殿」

宝剣を鞘に収めた孫堅が華雄の礼に答えるように伸ばした腕を掴んで握手する。
その光景を見て何となく綺麗な話に終わったなぁと思った一刀であったが
重要な事を思い出してハッとする。

別に武将同士の親交を深めるのは一向に構わないし、それに関しては何も言わないが
戦の前にガチの勝負をすること事態、非常識なのだ。
そうだ、それを忘れていた。

「えっと、まぁ事情は分かりましたが真剣を使うのは事故にも繋がりますし
 せめて刃を潰した物を使って―――」
「さて、では華雄殿」
「分かっている、約束は守る」
「うむ、それは重畳。 ではこれを着けてもらおうか」
「なっ、これは―――!?」

一刀の説教は1秒たりとも聞いてもらえず、孫堅と華雄は話を進めていた。
そんな二人の会話に、顔を引きつらせる孫策。
それを見て不思議そうな顔をする顔良が、孫堅の取り出した何かを見て慄いた。

完全無視の事実を、なんとか心の中で噛み砕いてから一刀もそれを見た。

「は、鼻フック?」

「こ、これを身に着けろというのか」

「そうだ、これは孫家の決まり事でな。 勝負事に負けた者はこれを着用し
 負けたという事実を胸裏に刻み込むのだ」

そりゃあ胸裏に刻み込まれるだろう。
羞恥を煽る器具でしかないこんな物を、公衆の面前で身に着ける神経は普通もてない。
孫家とか言ってたから、恐らく孫策も何か忘れ去りたい過去があるのだろう。
黒歴史という物だろうか?

「まさか董卓軍の将軍である華雄将軍に二言はあるまい」

「くっ、分かった、着けよう」

「ああ、ついでにそれは一日中着ける事になっているからな」

「ダニィ!?」

恐ろしい事実が聞かされ、怒鳴る華雄。
一刀は思わず孫策を見た。 隣の顔良も丁度視線を向けたようだ。
ふいっと顔を逸らす孫策。
どうやら真実の事らしい。

「本当はこの服もセットで着るのだが、流石に宮内だしな。 これは勘弁しておこう」

「ぐっ、こんな恥を受けるのは初めてだ……」

鼻フックを完全に装着した華雄は、鼻をおっぴろげて吐き捨てる。
言ってる事は憐憫を誘うのに、その姿は滑稽であった。
ちなみに、服のことは精神安定的な意味で見なかったことにした一刀である。

「で、では失礼するっ!」

「うむ、明日のこの時間まで外すなよ、華雄将軍」

「分かっているわぁっ!」

恥ずかしいからか、それとも単純に怒っているからか。
彼女は声を荒げて練兵場から早足で立ち去ってしまった。

「明日まで華雄将軍を見る事は出来ないかもしれませんね……」
『華雄が孫家に持つ因縁って、もしかしてこれか?』
『なるほど、これだったのか……』

しみじみと言った顔良の言葉に思わず頷いていた脳内。
本体は一連の出来事を忘れようとした。
董卓軍と孫堅軍を同じ場所に配置しないようにしようと心に留めて。


      ■ 吉報<凶報


朱儁敗走を受けてから4日後。
早急な造りではあるものの、手元にある兵数をほぼ全て動員したおかげか
陣としてはかなり強固な者に出来上がりつつあった。
陳宮や賈駆、周瑜と言った知者からの助言もあって、仮に4万もの軍が一斉に襲い掛かったとしても
この陣を抜く事は容易では無い物になりつつある。

それも周囲が平原で無ければの話だが。

「こんなただっ広い場所に陣を構築して、果たして効果があるのかどうか……」
「既に洛陽から、何進将軍率いる援軍2万2千が援軍としてもうすぐ辿りつくとの事ですが」

皇甫嵩の呟くような声に、部下の一人が難しい顔をしてそれに続いた。
こんなにも開けた場所に陣を築いて、迂回しようとしない馬鹿は居ない。
いかに迂回しにくいようにと左右に簡易な柵を作って、今も伸ばしているとはいえ、だ。
草を放って黄巾党の動向はつぶさに監視しているので、洛陽へ一直線に……そう
構築しているこの陣と別の方向へ向かっているような事は無いようだが。

「相手だって馬鹿じゃなければ草を放つ。 遅かれ早かれ気付かれれば
 それでこの陣は無駄になる」

「そうですな……」

「天代殿の言う事は分かる。 数的不利を覆すには盾を用意するしかなかろう。
 しかし、この陣を迂回されれば我々はただの馬鹿だな」

「まったく」

それでも命令は命令なのだ。
今できることは早急にこの陣を構築し終えること。
それだけだった。

皇甫嵩は自身の天幕に戻ると、コップに水を注いで一気に煽る。
黄巾党の出足を潰す作戦は、こちらの思惑を利用されるようにあっさりと潰された。
精鋭400で当たった騎馬隊は、朱儁将軍本人を除いて誰も戻ってこなかった。
将軍自身の怪我も酷い。
聞けば相当に絶望的な状況からの脱出となったようである。
もう此度の戦で朱儁将軍を戦力に数えることは難しいだろう。

「報告!」

「どうした」

「はっ、黄巾の旗を多数確認、ここから約30里の所で留まっているそうです!」

「来たか! よし、すぐに外へ向かう。 下がれ」

「はっ!」

「皇甫嵩将軍! 火急の報告でございます!」

鎧を着込んでいた皇甫嵩は、入れ替わるようにして入ってきた男達に顔を向けた。
誰もが汗をたっぷりと掻いている。
どうやら随分と長い距離を踏破してきたようだ。

「楽にしていい。 それで何だ、一人ずつ報告せよ」

「はっ、黄巾に援軍あり。 長安から潼関を抜けて数多の黄巾が立ち上がったようです」

眉間に険が寄るのを、皇甫嵩は自制できなかった。
ここにこの報告が上がったということは、洛陽の方でも届いていることだろう。
何進将軍率いる援軍だけがこちらに向かう理由。
そう、天代率いる本隊がこちらに向かえないのは、これが原因だろうかと皇甫嵩は予測した。
そこまで考えた彼は、とりあえずそれを横に置いておき、目線を投げかけ報告を控えている男を促す。

「宛城が黄巾の者に奪われたとのことです。 これによって、賊の援軍が出る可能性があると」

「なんだとっ! あ、待てよ、黄巾の連中は既に目と鼻の先に居るとのことだったな。
 そうか、奴ら、援軍を受けて更に数を増やそうというのだな」

一人納得して、皇甫嵩は報告を下がらせると、うろうろと室内を歩き回り始めた。
今手元にある情報で考えると、かなりの劣勢である。
洛陽に居る本隊は恐らく動けない。
長安、しかも潼関を抜けているということは殆どその道に障害が無いことを意味する。
どれだけの規模かは不明だが、今から自分が相対するだろう黄巾党の数を考えると少なく見積もるのは危険だ。

宛城占拠ということは、許昌から来た賊と宛城を奪った賊、両方を皇甫嵩が戦わねばならないことになる。
何進将軍の援軍が辿りついても官軍は総勢3万に届かない。
対して相手は許昌から登ってくる軍勢だけで4万を越えている。

「用兵に差があれば、勝つことも出来るだろうが……」

そう、敵は軍人ではなく、殆どがこの世に不満を持つ者。
戦のいろはを知らない民草ばかりだ。
戦術というものを使わず、火の玉になって攻めかかってくるだけだろう。
それでも、数の差は脅威ではあるが。

「……良し、決めたぞ!」

皇甫嵩は天幕を出ると、すぐ傍に居る部下に自分の考えを告げた。
そして、陣地を構築している兵士を一兵残らず休息を取るように言ったのである。
更に、備蓄している食糧の一部を開放し、満足行く食事と酒を振舞った。

これは賭けだった。
報告を受け取った皇甫嵩は、今、30里先に居る黄巾党4万が宛城から送られてくる援軍と合流する。
それまでは動かないと判断したのである。
もしも、この判断が間違えば、皇甫嵩の持つ5500の兵は鎧袖一色に吹き飛ばされてしまうことだろう。

しかし、陣の構築を急かしたせいか、皇甫嵩率いる部隊は疲労が色濃かった。
この状態で敵とぶつかれば、いかに防衛に適した陣を構えているとはいえ
士気の差で瞬く間に敗れてしまう可能性も高かった。

「……何進将軍、急いでくれよ」

皇甫嵩は構築されつつある陣を睥睨する場所で一人、呟いていた。


      ■ 一枚目の矢

それは朝議のことであった。
ここ近頃活発になった黄色い布を纏った賊の対応に右へ左へと忙しなく動いていた者が居るため
この場に参内できなかった者も多かったが。
今、この場に居ないのは夏候淵と許緒、楽進に于禁であった。

「全員集まったわね」

「朝議を行うわ、それぞれ順番を守って報告をするように。
 みだりに質問を挟まないで全て聞いてから口を出すこと、いいわね」

荀彧の言葉に、全員が頷くと彼女は曹操へと目線を向けた。
それに頷いて、朝議が始まった。
殆どの人間からは、黄巾党に対する報告が相次いでいた。
普段は金銭の管理などを行う文官も、同じように黄巾党の話をするのだから
ここ陳留でも被害は目に見えて出ていると言っていいだろう。

それら全てに的確な対処を曹操が、或いは荀彧が答えてそれぞれが納得していく。
ある程度の指標を宣言して、今日の朝議は終わりとなった。

次々に自分の役目を全うする為、朝議の場を離れていく者を尻目にして
残ったのは後の魏の重鎮である荀彧と夏候惇だけとなる。

「それで、桂花。 貴女のところにも手紙が来たって言ってたわね」

「は、華琳様。 こちらになります」

一刀の送った援軍の要請書は、複雑な経緯を辿って最終的には荀彧の手元に収まったようだ。
勿論、彼女は差出人の名前を見て条件反射でゴミ箱へ投入したのだが
投入する直前に目にした玉璽印を見て、慌てて引き上げたのは言うまでもない。
ところどころ、書の端っこが折れて曲がっているのは投げ捨てた時に受けたダメージだろう。
握りつぶされていないだけ、マシであった。
その手紙を受け取った曹操は、裏表をマジマジと眺めてから言った。

「なるほど、桂花に宛てた個人的な手紙にも玉璽印か。
 北郷一刀が天の御使いというのは、どうやら本当のようね」

「はっ、どんな妖術を使ったのか分かりませんが、噂にある天の御使いは北郷一刀のようです。
 援軍の書にも玉璽が用いられていますから、真実の物でしょう」

「と、いうことはこれは官軍からの援軍要請ということになるわね」

「はい、断る術はありません」

「手紙には何て書かれていたんだ?」

「……個人的な物を話すつもりは無いわよ、春蘭」

「む、そうか。 ならば仕方が無いな」

天の御使いという噂は、ここ陳留でも既に広がっていた。
曹操も荀彧も、殆ど疑ってかかっていたが、その天の御使いの肩書きを持つ男が
北郷一刀であるというのならば話は別だ。

陳留、数ヶ月前この場所で泳いでいた大魚は、どうやら龍であったらしい。
曹操は内心で僅かに笑った。
自身の目を付けた陳宮という少女が仰いだ主、彼女の人物評がやにわに現実味を帯びてきた。
ついちょっと前までは職を探しているだけの一人の民草に過ぎなかった。
それが今では自分を駒として動かそうというくらいにまで出世しているのだ。

あの、平和そうな顔をした青年が。

面白いではないか。
未来をおぼろげにとは言え知る男が描く戦場。
何時か、覇を争う相手になりえるかも知れない。
その姿は龍か、それとも。

「春蘭、今用意できる兵数は?」

「先ごろ徴兵した新兵ばかりが五千程です。
 しかし、はっきり言って訓練をし始めて間もないので、精鋭とはとても言えません」

もしも、この援軍の話が無ければ十分だったろう数は途端に少なく感じた。
夏候淵や楽進を呼び戻せば援軍として立派な精鋭を率いることができるだろうが
それでは陳留の安全が疎かになってしまう。
とはいえ、新兵ばかりの軍を派遣しても諸侯の笑い者になってしまうだろう。

「我が領内でも黄巾の賊の動きが活発です。
 これ以上の徴兵を行えば、民草の不満が随所に現れることでしょう」

官軍の援軍を断ることは出来ない。
現状では、漢王朝はまだ死んでは居ないのだ。
この黄巾の乱を切欠に、ゆっくりと漢王朝は滅んで行くことになってしまうだろうが
それでも現状で敵対することなど愚の骨頂である。

「華琳様、秋蘭を呼び戻して兵の再編を行いましょう」

桂花が提案した。
それは確かに現実的な案だ。
新兵と元から仕えていた精鋭を混成して部隊を作ろうというのだろう。
だが、それを行うには時間がなかった。

「駄目ね、一刻も早い援軍を、とここには記されてあるわ。
 暢気に部隊を再編していれば、何を言われるか分かったものではないわよ」

「しかし……」

「この書が変な経緯を辿ってここに辿りついたのも、全ては拙速を求めたからでしょう。
 本来踏まねばならない面倒な手続きは全て省かれているのだから
 即座に出立しなくてはならないということよ」

そして恐らく、そうせねばならない事情が官軍にはある。
それが何かは分からないが、何かしらの事情があるからこの書が今自分の手元にあるのだ。
曹操はそこまでこの援軍要請の書が手元に来た時点で読み取っていた。
荀彧も分かっているのだろう。
敢えて、それを無視した逆の意見を曹操に述べているのだ。
それは軍師として当然のことである。

「華琳様、ならば私に提案があります」

胸を逸らして言った夏候惇に胡乱な目を向ける荀彧。
曹操は面白そうに微笑み、夏候惇へ続きを促した。

「新兵5000、鍛えながら行軍し、援軍へ参りましょう!」

「ちょ、馬鹿じゃないのあんた! そんなことすれば辿りつく頃には
 兵はヘロヘロ、馬はボロボロで戦どころじゃ無くなるわよ!」

「ふん! そんな惰弱、我が曹操軍にいらぬわ!」

「いいわね、それ。 採用しましょう」

「か、華琳様!?」
「はっはっは、そら見ろ!」

狼狽する荀彧に腰に手を当てて勝ち誇る夏候惇。
曹操はその様子を満足げに眺めて、宣言した。

「私と春蘭で援軍に当たる! 桂花、陳留を任せたわ
 それと、天の御使いへ援軍に向かうとの胸の書状を送りなさい。
 これは最優先よ!」

「は、はい、お任せください」

「春蘭、すぐに出陣の準備をしなさい! 兵五千を率いて官軍の援軍に向かうわ!
 一直線に最短で、間にある手続きもすっ飛ばしなさい。
 兵糧も片道だけで結構。 官軍に請求してしまいましょう。
 強行軍について来れぬ者は捨て置くと、全兵に伝えておきなさい!」

「はっ! 承知しました!」

「たとえ1千の兵しか残らずとも、それが精鋭に化けるのならば良し。
 ……ふふ、相見えるのが楽しみね、北郷」

こうして陳留から曹操率いる五千の兵が出立した。
片道だけの兵糧。 つまり、脱落すれば飢えて死ぬ可能性すらある過酷な物であった。
必死に食らい付く兵に容赦情けなく曹操は前へ前へと進んで行き
それは多くの脱落者を伴う、凄まじい強行軍であったという。


      ■ 二枚目の矢


綺麗に枝葉が切り取られ、小さな池には幾つかの水葉が浮かんでいる。
平時であれば、景色を眺めて楽しめたであろう。
しかし、今は自分の持つこの書を届けなければならない。

特徴的な紫色の目、小柄な顔に小柄な体躯。
儚ささえ感じるだろうその少女は、非常に高価で動きづらそうな服の裾を上げながら
とてとてと早足に歩いていた。
額にある、目立たない宝石が陽光に反射してきらめいている。

彼女の名は董卓。
天の御使いである北郷一刀からの願いで、荊州刺史である丁原が居るという館へ訪れていた。

「火急の用事ゆえ失礼致します」

「ああ、董卓様でございますね。 お話は伺っております」

「……伺って?」

「はい、先日洛陽の方から」

連絡もいれず、真っ直ぐにこの屋敷へ馬を走らせた董卓である。
一体どこの誰が、自分よりも早くこの場に参じて自分が来ることを伝えたのだろうかと首を捻った。
そんな事を考えていると、入り口が開けられて初老の男性が姿を見せる。

「これは、董卓殿。 お話は賈駆殿から伺っております」
「あ、詠ちゃんだったんだ……」
「うん? 何か?」
「いえ……その、この書を至急届けていただきたいと」
「ふむ、しかし董卓殿を伝令に走らせるとは。
 天の御使い殿も自分の地位が突然上がってしまい混乱しているのでしょうかな?」

確かに、たかが書を渡すのに候である彼女を使うのは如何な物かと思われて仕方が無い。
しかし、月にとってはどちらかと言えば戦となる場所から遠ざけられていると感じてしまっていた。
それは半分正解だった。
賈駆と、そして“董の”、“蜀の”の提案を受けて、丁原へ渡す役目を董卓に預けたのは間違いではない。

勿論、それだけが理由ではなく、この二人が面識ある者だからというのも含まれている。
だからこそ、董卓を行かせることに賈駆が頷いたというものもあるのだ。

「これです」

「ふむ……なるほど。 天の御使いというのも伊達ではないという事ですか」

「あ、内容は見ていないので、私は分からないのですが……」

「では見てください、ご納得戴けるかと」

促されて、董卓は丁原に宛てた書を見た。
そこには援軍の要請と、玉璽印。
そして、呂布の事について書かれていた。

「呂布さん……ですか?」

「呂布という者、私が囲っているのは事実ですが今までそれを世間に知らせた覚えはありませぬ。
 それを知って書いているということは、呂布に援軍を率いてもらおうと言う事でしょう」

「はぁ……」

「誰も知らぬ呂布の才を見抜く、そこに感心して私は天の御使いが伊達ではないと言ったのです」

そうであった。
丁原は、呂布という少女と出会った時、電撃にも似た衝撃を受けた。
詳しい事は省くが、ただ日銭を稼ぐために人を殺していた少女の不遇にも然ることながら
その驚異的な武威は、正に天下の無双であると確信を抱いていたのである。

武にかけてならば、何処の誰であろうが今生負けることは無いだろう、と。

だからこそ、その天下の力を無駄に奮わせない為にも丁原は彼女に金を与え
大切にしている家族を養い、自分の護衛として雇って囲ったのだ。
それこそ、何処の誰に知らせることも無く。

「……これも時代だろうか」

玉璽印がある事から、援軍の要請を受けた丁原が出陣しない訳にはいかないだろう。
そして、この書にある賊の数字が真実ならば、呂布の力を借りずに退けられないことも
丁原は確信していた。

「董卓殿、漢王朝の危機、良くぞ知らしめてくれました。
 お休み戴きたいところですが、すぐにでも出立しなければなりません」

「はい、大丈夫です。 分かっておりますから」

「それでは出陣の準備中、出立してからも呂布を董卓殿の護衛に宛てさせて貰います」

「お心遣い、ありがとうございます」

礼を言う董卓に、丁原は大きく頷くと、慌しい様子で部屋へ戻っていった。
丁原が兵8千を揃えて援軍へと向かうために出立するまでに、約2時間がかかった。
こうして一刀の用意した二本の矢は放たれたのである。


      ■ 総大将 北郷一刀


「一刀殿、曹操から書が届きましたぞ!」

何故か袁術から、天代様へ着て欲しいとの事で用意された鎧をしげしげと見つめ
金色に塗装された鎧は、いくら何でもちょっと恥ずかしくないかと脳内会議を開いていた。
だって、とてつもない派手な鎧だ。
多分、これで戦場に赴いたら「あの金ぴかが総大将だ、間違いないぜ!」ってくらいに目立つ筈だ。
もうこれは、なんというか嫌がらせの類なのではないだろうか。
きっと、あの張勲という調子の良さそうな可愛い子が思いついたに違いない。
そんな下らないことを考えていた一刀だったが
慌てた様子で飛び込んできた音々音が開口一番に言った言葉にすぐさま反応した。

「ねね、見せて」

金ぴか鎧についての考察を途中で放り出して、一刀は一も二も無くその書を引っつかんだ。
すぐさま封をあけて、文面を目で追う。
それは荀彧の字で援軍の了承と、既に出立した事を告げる物であった。

「……来たか」
「一刀殿?」

『来たな……』
『ああ、黄巾党と激突する時が』
『本体、初陣だな』
『俺達がついてる、頑張ろう』
『あれだけ策を練ったんだ、成功するさ』
『そうだね』
(ああ……守る為に)
『大切な人を』
『ああ』

「……ねね」

一刀はそこで音々音を一つ見て、柔らかに微笑んだ。
顔を真っ赤にして思わず後ずさる音々音。
そう、大切な人を守る為に。
全てはこの時に勝つために、一刀はここまで慣れない環境に全力を尽くしてきた。

「……諸侯に出陣の準備を。 皇甫嵩さんの援軍に行く」

「ええ? いや、確かに曹操殿の書が届いてから援軍に行くことは話しておりましたが
 今は状況が変わったのですぞ?
 長安で立った黄巾党が潼関を抜けて―――」

「それは、きっと来ないよ」
『そう、そこには何よりも大きな物理的な壁が存在するからな』
『ああ、最強の武将がね』

「では、迂回されるのを防ぐには……」

「大丈夫、陳留の方面から迂回すれば曹操さんの軍が。
 逆をついても丁原さんの軍が塞いでいる。
 ここから皇甫嵩さんの陣までどっちに進んでも距離は短い、絶対に挟撃できることになるからね、多分」

「うぅむ……なるほどなのです、しかし一刀殿、絶対の後に多分は無いのです」

「ははは、そうだね。
 ……出陣の準備を。 洛陽に在る全兵力で持って許昌と宛から攻めてくる黄巾党を打ち倒そう」

「分かりました、すぐに準備をさせるのです!」


かくして、きっかり一時間後に集まった洛陽の総勢1万8千の兵を目の前に
“白の”が覇気のある口上を7秒間演説、“袁の”が皆頑張ろうー的なことをぶちまけて
兵の気炎を上げさせ、意気揚々と洛陽を出陣した。

総大将、北郷一刀を筆頭にして董卓軍の猛将、華雄が先頭に立ち
物資を運び終えた孫堅、劉表の軍も本隊に加わっている。


かくして、金ぴかの鎧に身を包んみ、キラキラと(鎧が)輝く目立つ総大将、天の御使いは
夜間の内に賭けに打ち勝って防衛に徹していた皇甫嵩や袁紹達と合流して中央、右翼、左翼を編成し
黄巾党本隊とぶつかることになったのである……


      ■ 外史終了 ■



官軍
   総大将   北郷一刀
   大将参謀  陳宮
   中央・本陣 皇甫嵩 何進 孫堅 黄蓋           兵数:約1万5千
   右翼    劉表 袁術 張勲 華雄 賈駆         兵数:約8千
   左翼    袁紹 顔良 文醜 田豊 孫策 周瑜     兵数:約1万
   後詰    朱儁                         兵数:約2千

官軍援軍
将軍    曹操 夏候惇                      兵数:約5千5百
将軍    丁原 呂布                        兵数:約7千

                              総兵数:約4万7千5百

黄巾党
   総大将   波才
   大将参謀  諸葛亮 鳳統                兵数:約5万6千




[22225] 都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編4
Name: ジャミゴンズ◆c2cc66e9 ID:bbc9a752
Date: 2010/11/13 01:49
clear!!         ~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編2~



clear!!         ~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編3~



今回の種馬 ⇒     ☆☆☆~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編4~☆☆☆



 


       ■ 決戦の火蓋は……


官軍が30里先に陣を敷いている報告を受けて、波才は一度軍勢を停止した。
規模はどうやら小さいようだが、陣を敷いているとなると打ち抜くのに時間がかかる。
洛陽へ到着するまでに、大きな損失をしたくは無い。
数で勝っている黄巾党だが、波才とて官軍全てが無能だとは思っていない。

宛城を味方が占拠したという報告は受けてはいる。
このまま勢いに任せて相手を貫くか、陣を迂回して確実に洛陽へと歩を進めるか。
それとも援軍を受けて万全の体制を整え、官軍と相対するか。
その選択に波才は頭を悩ましていた。

「おい、孔明殿と士元殿を呼んで来い。
 二人の意見を聞きたい」

「はっ!」

近くに居る黄巾兵に指示を出すと、波才は自身の天幕に戻ってどっかりと椅子に座った。
手を組んで両手の親指をマジマジとすり合わせる。
いよいよ、決戦の時が近づいてきたせいかじんわりと手に汗が滲んできた。

馬元義が宮内へと進入し、洛陽で上げた狼煙が届いて波才は此処に居る。
二人で夜を徹して話し合った、新たな世を作るための志を実現するために。
今の朝廷は腐っている。
疑いようも無い紛れもないその事実を看過して見過ごすことは出来ない。
それは波才のような民草達が一番の被害を受けてしまう事に繋がるのだ。
黄巾党として立ち上がった数を見れば、多くの者がその事実を直感していることが分かる。

「お呼びですか」
「……」

孔明と鳳統が、二人揃って波才の天幕を潜ってきた。
孔明は真っ直ぐに波才を見て、鳳統は目深に帽子を被り、対照的に。

「……今から約30里の場所に官軍が陣を敷いて布陣しておる。
 兵数は1万に満たない規模だ。
 宛城からの援軍も、もうすぐ来る。
 我々がどう動くべきか、意見を聞きたい」

手元にある情報を言葉短く全て晒して波才は尋ねた。
それを聞いて二人の少女は顔を見合わせた。
官軍が陣を敷いて待ち構えている、洛陽の平原で。
二人は短く言葉をボソボソ交わすと、やがて孔明が一歩前に出て波才へ言った。

「洛陽の平野分で陣を敷く、いかにも迂回してくださいという様子です。
 これは罠であると考えます」
「う、迂回先には官軍とは別に諸侯の軍が待ち構えている可能性があります。
 もしもそうであれば、陣から飛び出した官軍に後輩を突かれる形になり挟撃を受けるでしょう」

「そうか、確かにそうだ。 迂回は危険か」

洛陽へ向かう前に陣を構築した官軍とぶつかるのは、気分的に倦厭していたのである。
こうして他人の口から説明されると、浮き上がりつつあった心も冷静になってくれる。


「しかし、陣を構えている官軍は本隊ではなかろうか」

「勿論、陣をすぐに打ち抜かれては罠にならないでしょうから、相当数が配備されているでしょう。
 波才様の言うように本隊が待ち構えているかも知れません」
「このまま陣を貫いてしまうのが上策と思います」
「このままか? 援軍を持って数で圧せばいいではないか」
「それは反対します。 官軍が陣を敷いているということは、我々の動きを把握しているという事です。
 それでなお、一万の数を揃えることが出来ない理由は一つしかありません」
「……時間がなかった。 そうでなければ中途半端な数だけで陣の構築を急いだ理由がないからです」

もっともに聞こえる事を言われて、波才はここでも迷ってしまった。
僅かな時間とはいえ、共に過ごした時間からもハッキリ判断できる。
明らかに頭の良い二人、自分よりも軍略に優れていそうな二人が揃ってこのまま突き進む事を良しとした。
確かに二人の言葉に変なところは見当たらない。

が、逆に波才からすれば、蜂起に立った数日の間でここまで用意周到に罠を用意した官軍に
策も無しに突き進むことに躊躇いを覚えていた。
なによりも、波才自身はまだ孔明や士元を信用しきった訳ではない。
彼女達を利用しているのは自覚しているのだ。
今は自分に従ってくれているとはいえ、刃をちらつかせて協力させた人間が
どれだけ真の事を自分に話してくれるのか。

その事実に思い当たると、確実に信頼できる黄巾の兵の数を増した方が安全なような気がしてきた。
今でも4万という大きな数を持っているが、援軍がたどり着けば5万にも6万にもなるだろう。
それだけの兵が居れば、5千強しか居ない陣など吹き飛ぶように貫けるに違いない。
たとえ後ろに官軍本隊が待ち構えていようとも、今の朝廷にどれだけ軍を揃えることが出来ようか。

これほどの大事だ。
中途半端にぶつかるよりも、万全な体勢を整えて突撃した方が利になるではないだろうか。

「いや、やはりこのまま突撃するのは拙速に過ぎる。
 陣が罠だというのならなお更だ。 貫いた先に官軍本隊や諸侯の包囲を受けたくない。
 宛城からの援軍を待って陣を打ち破ろう」

拳を作って波才は椅子の肘掛を一つ叩くと、そう結論した。
その答えに、孔明も士元も反論はしなかった。
波才の言い分も決して間違いではないからだ。

兵数や士気、これらは黄巾が官軍に勝る数少ない要素だ。
援軍がどれだけの規模になるのかは分からないが、許昌で立った黄巾の数だけで4万になる。
兵数を揃えることは、どんな策よりも最善手であり強力なものなのだ。
だから、自身の考えと波才の結論の食い違いも納得できる範囲にある。

天幕を出て、孔明と士元はそれぞれ兵に引っ張られて別れた。
此処に来てから、孔明は一人で居る時間の方が多い。
波才の指示で、二人が逃げないようにだろう、士元と行動を共にすることを意図的に防がれているのだ。
そうだ。
波才は鳳統という素晴らしい知を持つ者と自分を利用するために、お互いを分けて従軍させている。
自分が……そして親友が生きる道は官軍を打ち破ることのみ。
もしも敗れれば、鳳統は殺されて、自分も死ぬ。
それが官軍の手によるものか、波才の手によるものかは分からぬが。

負ける為の策を提案すれば、自分ではなく親友が死ぬ。
お互いがお互いに、波才の利になるように助言を行うしかない。
そして、官軍に勝ち、初めて二人の安全は保証される可能性が出てくるのだ。
その為には情報が必要だ。
官軍の情報だけではなく、諸侯の状況、天候の予測、決戦の地の細部。
自分に出来る手足は封じられて、不明瞭な戦場へ向かっている事実に言い知れぬ不安が心に渦巻く。

「雛里ちゃん……」

兵に連れられて歩く孔明は、視界に広がる草原を眺めて、ポツリと呟いた。


3日後、宛城から来た増援1万7千を加えて波才は官軍の待ち構える陣へ突き進んだ。
そしてまみえる。
決戦の布陣を完全に引いた官軍3万5千と、波才の率いる6万7千の黄巾党。
官軍との数差はおおよそ二倍強。
防衛に適している形とはいえ、急造の為か形は酷く醜かった。
抜ける。
波才は、自分の選択が間違っていないと確信し、口角を上げて官軍を睨んだ。


      ■ 切られた


天幕の外で、皆が慌しく動いている中で資材に腰掛けながら月を見上げていた。
その背を見つけて、周瑜は声をかけた。

「雪蓮、どうしたこんな場所で」

「んー、なんか落ち着かないのよ」

一瞬、周瑜の声に反応して姿を確認すると、もう一度空を見上げる。
手元にある酒を注いで、盃を掲げるように持ち上げると
水に揺らいで月夜が反射していた。

「初陣って、こんな気分なのね」
「不安か?」
「どうかしら、楽しみの方が強いかも」

子供の頃から母の背中を追ってきた。
その時分は江東が荒れていた頃である。
隠れるように海賊が溢れ、宗教勢力も、中途半端に威を振る豪族も多かった。
その江東をまるで障害が存在していないかのように駆け抜けて
各地の乱を平定していく、そんな母の背中を彼女は最も近くで見てきたのだ。

母は畏怖を、或いは敬意を込められて江東の虎と呼ばれるまでに至った。
この大陸で、確かな力を持つ諸侯として認められて。
そんな偉業を難なく果たしてきた孫堅は、偉大な人であるのに間違いは無い。

「ずっと願っていたわ、ようやく、母様の隣に立てる時が来たわ」
「ああ、雛で居られるのは今日までだ」
「お互い、ね」
「うむ、お互いな」

クッと盃を仰いで一気に喉に流し込む。
流れるように、もう一度酒を注ぐと、今度は周瑜の方へと差し出した。

「やけに風情があるな、これも気分か雪蓮」
「いいじゃない、たまには」
「ふ、そうかもな」

盃を受け取って、周瑜も孫策と同じように盃を仰いだ。
度数が強いのか、カーッと喉を中心にして熱が広がるようである。
大事な軍議の前に、酒を飲むなどとも冷静な部分が囁いていたが
だが、これはこれで大事であるとも思った。

「っ、やれやれ、これでは先輩方に怒られてしまうな」
「ふふ、今日は冥琳も悪い子ね」
「雪蓮……駆け上がるぞ」
「ええ、江東の虎の娘なんて、もう誰にも呼ばせないわ
 冥琳も負けるんじゃないわよ」

お互いに拳を一瞬だけつき合わせて、孫策は腰掛けていた資材から飛び降りる。
月見酒の時間は終わりだ。
余計な感傷はもういらない。
偉大な母に支えられて歩く事は、今日から止める。
それこそ、自分が母を支えるくらいになるまで突き進む気概を孫策は持っていた。

「行くわよ、冥琳! 私の初陣を勝利で飾る為にね!」

勢い込んで走っていき、ある天幕へと入った孫策に、周瑜は一つ苦笑を零した。
子供の頃から孫堅を見て育ったのは、彼女とて同じだ。
たかが数を揃えただけの賊などに負ける筈が無い。
何故ならば、そう。

「初陣で泥に塗れるつもりは、私にないぞ雪蓮」

孫堅とは対照的に、燻る情熱を胸に宿したまま彼女もまた天幕を潜ったのである。



そして、その天幕の中では。
天代の到着を受けて、諸将が一斉に集まっていた。
金ぴかの鎧を上半分だけ身に着けた一刀は最後に入ってきた周瑜を確認して一つ頷いた。

「ねぇ、冥琳。 あの趣味の悪いキラキラの鎧はなんなのかしら?
 いくら何でも目立ち過ぎじゃない?」
「そ、そうだな……」

室内は照明を灯しているとはいえ、薄暗い。
一刀以外の諸侯は袁紹を除いて鎧の色など地味な者ばかりである。
この場では、一刀と袁紹だけは何処に居ようとも即座に居場所が分かるであろう。
それくらい、金ぴか鎧は目立っていた。

「天代殿の鎧の趣味は、実に素晴らしいですわね、なかなか優雅ですわ」
「え……あ、うん、ありがとうございます、袁紹さん?」
「まぁもう少し本人に華麗さがあれば良かったですが
 こればかりは如何にもなりませんものねぇ」

「天代様の趣味は悪いのね」
「ほんとですよねー、私も冗談で送ったんですけど、まさか実戦で着用するなんて
 思いもよりませんでしたー、ふふふっ」

ぼそぼそと孫策が周瑜に声をかけていたのを聞いていたのか。
袁術の隣に座っていた張勲が呆れたような口調で、しかし楽しそうに笑いながら同意していた。
ちなみに、周瑜は失礼になるだろうことを鑑みて完全無視の状態である。

「……」

勿論、この声は普通に話している声なので思いっきり一刀には聞こえている。
どうも孫家の皆様は人の心を抉るのが上手いようだ。
孫堅や孫策と下手に舌戦とかしたら泣いてしまうに違いない。
そもそも、鎧がこれしか無いので着ているにすぎないのに、その辺を考えてくれても良いんではないだろうか。

そうは思ったが、大人の対応でスルーすることにした一刀は、とりあえず全てを忘れて軍議を始めることにした。
ちなみに、他の皆様も大人の対応をしてくれていたので一刀は人知れず安堵していた。
軍議が始まる前に諸侯から金ぴかフルボッコとか御免である。

「諸将が揃ったので軍議を始めますが……その前に。
 皇甫嵩さん、俺の言う通りに動いてくれてありがとうございます」

開口一番に一刀は皇甫嵩へと再び頭を下げて、諸侯をどよめかせた。
慌てて皇甫嵩は一刀に頭を上げるように言った。

「私は自分のできることをしたに過ぎません」

「それでも、こうして陣を敷いて事に当たれるのは大きい。 感謝します。
 朱儁将軍も……ありがとうございます」

「私も皇甫嵩殿と同じく、自分の責務を果たしただけです。
 礼を言われることはございません」

怪我を押して出席している朱儁もそうは言ったが、内心で喜んでいた。
自分の怪我、そしてこの陣を構える時間を稼ぐ為に散っていった兵の死。
それらが今の行為で報われたようであった。
実際には、朱儁の行った作戦は失敗に終わり時間稼ぎの目的は果たせなかった。

しかし、運があった。
敵軍は、宛城からの援軍を受けることを優先して、陣の構築を終えるだけの時間が稼げた。
何進将軍が皇甫嵩の元に辿りついて、2万に膨れ上がると、陣は瞬く間に完成した。
相手の数が増えてしまったのは痛いが、目的は達せたのだ。

一刀は顔をあげて、改めて集まった諸侯を見回す。
そして音々音へと首を巡らすと、彼女は得心したかのように頷いた。
今、皆が不安に思っている懸案を潰す為に、彼女は口を開いた。

「長安の援軍は丁原殿の軍が抑えております。
 陳留からは曹操殿の援軍が向かっているとの書を戴きました」

「なんと!」
「おお、それは心強い!」
「数は大きいのですか」

「丁原軍は7千、曹操軍は5500の兵数で出立したとの報告が来ていますぞ
 仮に黄巾党がこの陣を迂回しても、曹操殿か丁原殿か。 どちらかの軍勢とかち合うことでしょう」
 しかし、相手も援軍を受けたということは―――」
「この陣を貫く選択をしたと考えていいわね。
 数を頼りに、我々を打ち抜く事を決めたのよ」

音々音の言葉尻を引き継いで、賈駆がそう言った。
その隣で周瑜、田豊も頷いている。
官軍にとって一番の急所だったのは、陣の構築を終えるまでの時間だった。
ここを抜けられてしまうと洛陽までは直線状に結んで100里の距離。
一日で駆け抜けれる距離だ。
ともすれば、洛陽を包囲されていてもおかしくなかったのである。
そうなってしまう可能性があった事を考えると、ここで援軍を受けた黄巾党には感謝しても良いくらいであった。

「報告では、明日にでも賊軍は攻め寄せてくるでしょう。
 今夜の内に布陣を終えてしまいたいと思います」

一刀はそう言ってから一枚の腰から竹簡を取り出した。
読み上げようとしたところに、手を上げた一人の男を見つけて一刀はそちらに首を向けた。

「天代殿、お願いがあります」
「なんでしょう、劉表さん」
「兵数に差が出てしまうかも知れないが、諸侯の率いている軍をなるべく混ぜないで戴きたいのです」
「それはどういう事だ」

この言葉に、何進が眉を顰めて問い詰めた。

「ここには官軍と共に、諸侯の私軍が集まっている。
 混ぜっ返してしまうと兵の動きがおかしくなってしまうかもしれん」
「国家の大事に、そのような事が……それに敵との数の差は二倍にもなっているのだぞ
 下手に分けてしまえば、大軍に晒されて蹴散らされる恐れがある」
「大将軍、兵卒では大将軍のような気概を持つ者は稀です。
 何進殿の言葉も正しいですが、劉表殿の話も頷けます」
「む……むぅ、それは分かってはいるがな黄蓋殿」
「承知の上で劉表殿も仰っているのでしょう」

何進の不安も分かる話なのだ。
要はバランスの問題だ。
どこかを抜けられては、数の差で不利な官軍は一気に崩壊する恐れがある。
些事に気を取られて数差を突かれ、そして敗北することになれば笑い話にもならない。

とはいえ、劉表の話にも説得力がある。
命令を受け取って、即座に行動に移す。
それが出来なければ兵数で負けている官軍がまともに黄巾党と戦う事は出来ないだろう。
兵が普段どおりの力を出せないというのは、現状で考えると致命になりえる。

どちらの不安も分かるし、それらを考えて組み込んだ布陣は一刀の手元にある。

「とにかく、布陣を発表します。
 意見があれば、それを聞き終わってからで」

「分かり申した、手間を取らせてすまない、天代殿」
「……お願いしよう」

劉表と何進が頷いて一刀へと視線を向けたのを確認して、改めて一刀は竹簡に目を落とした。

「中央には何進大将軍を中心に、皇甫嵩将軍が詰めてください」

「ハッ!」

声を上げる皇甫嵩に黙って頷く何進。
それらを一瞥して、一刀は続きを読み上げた。
誰に交代しなくてもいい、これは音々音を中心にした三国志を代表する軍師が作り上げた布陣なのだ。
本体でも、読み上げることに不安は無かった。

「孫堅さんと黄蓋さんも此処です。 お二人には官軍を率いて貰う事になりますが……
 慣れない兵を率いることになりますが、戦場での経験のあるお二方なら上手くやれると思います」

「任せてもらおう」
「承知した」

「右翼は袁術さんと劉表さんが詰めてください。
 勇猛な華雄将軍を先頭におきます。 兵数差が一番厳しいところになりますので
 無闇に攻勢に出ず、軍師の賈駆さんの言葉に良く従ってください」

「七乃ー?」
「はい、とりあえずふんぞり返って無問題と言っておけばいいですよー」
「承知」
「分かった、賊など我が戦斧でなぎ払ってくれる」

勇猛、というフレーズが気に入ったのか、華雄は満足げに頷いて力強く宣言する。
音々音の隣に居た賈駆が、僅かにメガネを手で上げて口角を吊り上げた。
やる気は満々のようである。

「任せて頂戴」

短く、しかし力強くそう言った賈駆の言葉を聞いて、一刀は袁紹へと視線を巡らした。

「左翼は袁紹さんが中心になります。
 兵数は万に届いておりますが、数で劣勢なのは間違いないです。
 田豊さんと周瑜さんの二人の意見を尊重して袁紹さんを補佐してあげてください
 きっと華麗な勝利を収めることが出来ます」

袁紹軍は諸侯の中でも飛び抜けて兵数を保有していた。
孫堅の連れてきた兵を合わせずとも、8千5百という数字だ。
本拠地である南皮にも兵を残してきている筈なので、個人で2万の軍勢を保持していることを意味する。
袁紹の力である人員、その一端がここでも垣間見れたといえよう。
その隙間埋めるのは、孫策と周瑜、そして孫堅が率いて連れてきた千と5百の兵である。

「おーほっほっほっほっほ、私に任せておけば万事上手くいきますわよ!」
「頑張ります!」
「お、珍しく斗詩がやる気だしてんなー、よし、あたいも頑張るぜ!」
「……周瑜さん、よろしく、本当に宜しくお願いしますねぇ」
「あ、ああ、精一杯補佐させてもらおう」
「母様に負けないように名を上げさせて貰うとするわ」

「ふ、不安になって来たのです」
「大丈夫だよねね。 皆やる気があるだけさ」
「だと言いのですが」

「天代殿、すぐに準備に取り掛かっても宜しいか」

孫堅から声が飛んできて、一刀は頷いた。
夜の内に布陣を終えて、明日には黄巾とぶつからねばならない。

「今すぐにでも準備をお願いします、皆さん、必ずこの戦を勝ちましょう!」

「「「「ハッ!」」」」

諸侯の声が響いて、次々に一刀の天幕から離れていく。
慌しく動く音と声を残して。

「ねね、水は運んできているよね?」
「当然なのです。 動く必要の無い皇甫嵩殿と何進殿に手伝って貰いましょう」

「なんのことですかな?」

「いえ、ちょっと夜の内にやっておきたい事があるんです……」
「小細工に過ぎませんが、やらないよりはマシなのです」

一刀と音々音は皇甫嵩と何進へと近づいて、ひそひそと考えを伝えた。


そして。

時は来た。



波才は腰にぶら下げた刀剣を引き抜いて、全兵に見えるように掲げた。
刀剣が陽光に反射する光は、黄巾党だけでなく官軍の陣にも煌いていた。

「敵は我らに比べて小勢! あつかましくも陣を敷いて我らの天道を塞ぐ愚か者どもを
 一気に駆逐する! 旗を揚げよ! 胎から声を出せ!
 官軍の犬どもに、我々の怒りを全てぶつけよ!
 我らの苦しみ、張角様の大望、そして黄天の世を築くために叫べ! 叫べ! 叫べぇ!」

「「「「「おおオォォォォオオォォオォォォオォオォォォ」」」」」」」

「全軍、敵を見据えて前に進めぃ!」

「「「「「おおオォォォォオオォォオォォォオォオォォォ」」」」」」」

その轟音とも呼べる相手の気勢に負けぬよう、馬に跨る何進は先頭にまで走らせ
同じように刀剣を引き抜くとあらぬ限りで叫んだ。
その何進の叫びはとてつもない声量で、確かに黄巾の怒号が強く響く中を切り裂いて
官軍全てに轟いたのである。

「来たぞ! 卑しくも良人の財産を漁り、自らの欲望だけをぶつける猛獣が!
 守るべきものを忘れ、敬う事を忘れた奴らは最早、理性を持つ汚らしい悪鬼よ!
 ただ暴れる獣と化した物は躾けなければならん! 
 槍を構えよ! 剣を引き抜け! 正義は我らにあり! 天は―――我らにあるぞ!」

「「「「「うおオォォオォォォォオオォォオォォオォオオオオォオォ!!!」」」」

洛陽の戦いが、今始まった。


      ■ 洛陽の戦い・初日


真っ先にぶつかったのは、袁紹率いる右翼と、孔明率いる左翼であった。
小高い丘を駆け下りるように、怒涛の勢いで黄巾党の騎馬隊が突撃してくる。

「おーほっほっほっほっほ! まるで蝗のようですわね!
 さぁ、文醜さん、顔良さん、やっておしまいなさい!」
「おーし! 面白くなってきたぜー!」

「うーんと……ここは素直にぶつかるべきでしょうかねー?」
「相手の士気が高い内にぶつかるのは得策ではないですが……」
「止まりそうもないですからねぇ」
「はい、野戦を挑んだ以上、仕方が無いかもしれません」

のほほんと困ったように頬に手を当てて田豊が尋ね、周瑜が冷静に返す。
やる気になっている将軍の士気を挫くのも、最初から及び腰で相手に調子付かれるのも困る。
しかし、歩兵で騎馬を食い止めるのは難しい。
そこの対処だけはしなくてはならない。

「御使い様も、水をこちらに下されば良かったのに」
「文句を言っても始まらないでしょう。 賈駆殿が居る右翼の方が兵数が少ないのですから」
「そうですね、気持ちを切り替えましょうか……斗詩さーん!」

「顔良殿、弓隊を!」

「分かりました!」

田豊と周瑜の声に頷いて、顔良は今にも突撃しそうな文醜と袁紹の前に自分の隊を出す。
もう既に、敵の騎馬は目の前だ。
何処に射っても何かに当たるだろう。

「弓隊構え! 敵の騎馬隊の勢いを削ぎます!
 番えぇぇぇーーーー!」

「顔良将軍の弓で騎馬の足を止める! 勢いを失ったら槍で引き摺り落としてしまえ!」
「冥琳、ちょっと私も前に出てくるわ」
「おい、雪蓮!」
「だいじょーぶ、無理はしないわよ……初陣で死ぬなんてかっこ悪い事できないしね
 行くわよ! 江東の勇ある兵よ!」

「射てぇええ!」

顔良の掛け声が響いて、空気を切り裂いて数多の矢が天空を埋め尽くす。
何処を見ても黄巾の布がはためいている。
一枚の旗を貫いて、先頭の騎馬を駆る黄巾党に目を貫き落馬し、乗り手を失った馬は嘶いて転倒した。
それを契機に、何百と居るか判らない黄巾党が悲鳴を上げて倒れていく。

「今ですよ、袁紹様。 華麗に優雅に突撃する時は」

短く声を上げた田豊に袁紹は首だけで了承を返すと
高笑いをかましつつ、文醜を先頭にして混乱する黄巾党の渦中へ飛び込んで行った。
いや、飛び込んでいったのは文醜とそれに付き従う兵だけだ。
袁紹はその場で高笑いを続けていた。

「おーっほっほっほっほっほ! おぉーほっほっほっほっほっほっほ!
 今ですわぁ、文醜さん! ほら、あそこにも雑魚が居ますわよ!
 蹴散らすのですわ! おーほっほっほっほっほっほ!」

「田、田豊殿、あの高笑いは何とかならないのか」
「なりませんよ。 それにある意味、色々と嫌な効果がありますしねぇ」

確かに、相手にしてみれば苦しんでいるところにあの高笑いと罵声だ。
逆上して冷静さを失うかもしれない。
味方の将兵にも、袁紹が健在していることを即座に知らしめるだろうし
何よりも敵からすれば必死に戦っている横で高笑いを響かせる存在その物がうざいことこの上ないだろう。
自分が同じ目に合っているすれば、間違いなく袁紹を目の敵にする。
これはある意味での心理戦のような物か。
よくよく考えて、止める必要が無いような気がしてきた周瑜である。

「なるほど、勉強になる」
「いえ、冗談ですけどね。 私もあれは嫌いなんですよ」
「……」

しれっと言った田豊に呆れた目を向けていると、戦況に変化があった。
顔良の驚きの声が響く。

「黄巾党の後ろから砂煙を確認!?」
「何!?」
「うーん……やられましたね」

文醜と共にくっついて暴れていた孫策も、戦場の渦中で気がついた。

「騎馬隊の第二波ですって!? 弓隊は?」

常の彼女であらば、尋常ならざる勘が働いてこの第二波に気がついて控えて居たかもしれない。
だが、彼女はこの洛陽での戦が初陣であった。
それは当然、周瑜もそうなのだが。
とにかく、二人共に初陣ということもあり些か頭に血が上って冷静さを欠いていたのは事実だ。
つまり、貴重な戦力をホイホイと目の前の餌に釣られて出してしまった訳である。

「い、いかん! 今は黄巾党の第一波の渦中に突撃してしまっている。
 この乱戦の最中、騎馬に蹂躙されてはたまらん!」
「斗詩さーん」
「分かってます、同じように弓隊で援護を―――!」

周瑜の焦れた声を耳だけで聞き流して、田豊は腕を上げた。
合図一つ、顔良は自身の隊を率いて賊軍の側面から弓で打ち込む為に移動を開始した。
乱戦になっている場所を迂回し、死角になった丘を乗り越えたところでであった。

「居たぞ! 官軍の弓隊だ!」
「奴らをぶち殺すのが俺達の仕事だ!」
「潰せぇ! 敵が居たぞ!」

賊の歩兵であった。
距離にして約1里。 数こそ少ないものの―――それでも2千は越える規模だが
即座に対応していなすには難しい数。
とても弓の援護による一斉射撃は、この敵を相手にしていては出来ない。

「槍に持ち替えて目の前の敵の前に突き出して! 
 流形から三段陣に! 急いで!」
「はっ! 槍に持ち替えよ!」
「三段陣だ! 隣の者と組め!」
「機先を制します! 陣形が組み終わり次第、私の後に続いてください!
 それと一人伝令を、弓隊は足止めされたと!」
「ハッ!」

矢継ぎ早に顔良は指示して、自身は相棒でもある金光鉄槌を取り出して歩兵隊の前に構えた。
チラリと横目で見れば、敵の騎馬隊は何の障害も無く乱戦の場へと向かっている。
敵を駆逐し、騎馬の足を止める援護は間に合いそうもなかった。

「伝令です! 顔良将軍、敵歩兵部隊と接敵!
 弓による援護は難しいそうです!」

「分かりました、下がってくださいー」
「田豊殿、案がある」
「ここにある兵で鶴翼の組んで相手を反包囲するつもりですか?」
「うむ、その通りです」
「でも、私弱いんですよね、護衛が欲しいです」

腕を組んで瞑目しつつそう言った田豊に周瑜は困った顔をした。
周瑜自身も孫堅に鍛えられて武芸を嗜んでいるので、彼女が嘘を言っている訳でないのが分かってしまった。
だからこそ、困った。
今、この場で兵を率いる将は自分と田豊しかいない。
基本的に、将は兵に守られているので、早々危機が及ぶ事はないのだが
状況によっては距離をつめられて槍を手に戦うこともあるだろう。
その護衛が欲しいと彼女は言ってるのだ。
うーむ、と唸っていた田豊であったがふいに顔を上げて周瑜を見上げると突然尋ねた。

「周瑜さんは賢いので分かってると思うのですが、この兵数で鶴翼を敷けば薄くなりますよ?
 各個撃破にはどう対応を取りますか」
「そう動かれたら挟撃するしかないかと思います。
 一応、中央には雪蓮や文醜殿がいらっしゃるから、そう安々とは相手も自由に動けないはずです」
「不安ですねぇー……しかし、敵騎馬の第二派は目の前、動くには今しかない、となると仕方ないですかね?」

何故か最後に疑問符をつけられた。
良し、と自分の手のひらに自分の拳を当てて、田豊は頷き周瑜の案を採用することを告げる。
即座に兵を二つに分けて、二人はそれぞれ右翼、左翼の役割を持って別れていく。

「さて、こちらの手札をいきなり使い切ってしまったのですが
 あちらさん、まさか第3波は用意してないですよね?
 斗詩さんもすぐに戻ってくれればいいんですけど、うーん、不安です」

歩兵300に囲まれた中央で、悩ましげに首を左右に振る田豊が
独り言をぶつぶつと呟いて、やがて2人の兵へと伝を預けて左翼へと回っていった。

その伝令を持った兵の後ろを、赤い鎧に身を包んだ孫家の兵が後を追うのを彼女は見た。
どうやら周瑜も、自分と同じ不安に思い当たったようであった。



「そろそろ最後の方達は乗馬してください。
 恐らく、乱戦を受け入れて相手は反包囲していることでしょう」

「良し、乗馬だ! 乗れぇい!」
「乗馬だ!」
「はっ!」

「第3波の騎馬に続くように歩兵の皆さんは追いかけてください。
 殿の方は接敵後、報告を私に送るように。
 もしも第3波で反包囲が敷かれて居なければ、最後の騎馬隊である第4波をつぎ込んで威圧します」

羽扇でもってキビキビと黄巾の右翼で指示を出しているのは紅いベレー帽を被った一人の少女。
諸葛孔明その人であった。
彼女が悩み、出した結論は官軍を打倒すること。

別に波才の言った黄天の世を支えたい訳ではない。
そう、いわばこれは私戦。
ただ親友の命を繋ぐ為だけに、数多の命を秤にかけて選んだ、自分の為の戦だ。
最低な、そして選ばなければならない選択肢を突きつけられて、その中で自らが選んだ道。

孔明とて、戦場で羽扇を振るのは初めてなのだ。
盤上の中でしか経験を積んだことの無い、いわば遊戯でしか戦を知らない。
それでも雛里以外を相手にして無敗であった。
羽扇を握り締める拳を強くして、彼女は声を上げる。
自らの親友を、そして自分を守る戦に勝つために。

「第4波で揺れれば、このまま本隊を突撃させます!
 皆さん、準備をして報告を待っていてくだしゃい!」

孔明の決まらなかった声に、周囲が気炎を上げて叫んだ。
そして彼女は首を向ける。 彼女の指揮を振るっているだろう場所へ。
雛里ちゃんは……雛里ちゃんは、どうするの?
そんな思いが孔明の胸の内を走っていた。

―――

「よぉぉし! 死地に乗り込んだ敵に弓矢で歓迎してやれぃ!」
「はぁーい、皆さん、今から一斉にお馬鹿な賊さんを殺しちゃいましょー、番えー!」

劉表の掠れた声と、間の抜けたような張勲の声が同時に響いた。
左翼でも同じように、黄巾党の騎馬が火の玉になって突っ込んできていたのだが
敵は弓による一撃を受けるまでも無く、転倒し、土にまみれて混乱していた。
当然、何もしていない訳ではない。
地面に大量の水を含ませて、ドロドロのヘドロ状態にしただけである。
田豊と周瑜の話の中にもあった水のことだ。

乾いていた大地を蹴っていた馬の殆どは、突然の地面のぬかるみにはまり込んでバランスを崩した。
一馬でも倒れれば後は雪崩だ。
倒れた馬に躓き、その馬にまた躓いて、瞬く間に地は赤く染まり自ら命を散らしていった。
そこに、今言った二人の死の宣告が実行される。

「ありったけの矢をくれてやれ! 射てぇ!」
「バーッっとやっちゃいましょー!」

風を切り裂いた甲高い音が響いて賊の顔を、肩を、胸を、足を抉っていく。
今の一斉射だけで、一体どれだけの人命が失われたのか。
運よく、急所を外した者も人と馬、そして意図的に作られたぬかるみに足を取られて動くもままならない。
そして、それは地獄の最中での儚い足掻きにしか過ぎなかったのだ。

「あのぬかるみに嵌った者共を生かして返すなよ、もう一度斉射の準備だ!」
「あらほらさっさー」

「良し、まずは天代様の作戦が図に当たったわね!
 華雄、この騎馬隊は数が少ないわ。
 ボクの予想だと敵は第二波、或いは第三波まで騎馬隊を分けているかもしれない。
 それを逆に利用して相手を作った沼地に誘い込むのよ、できるわね?」
「ふん、愚問だな、できるに決まっている!
 早くこんなくだらん戦を終えて、私は孫堅殿に再戦を申し込まねばならんのだ!」
「上等、さっさと終わらせるためにも作戦通り動くのよ」
「承知した!」

「……さて、後は袁術に一つ頼みたいんだけど、うーん」

賈駆は一人、黄巾党の騎馬隊に違和感を覚えていた。
敵騎馬隊を死地に誘引するのは華雄に任せてある。
間隔が短ければ、誘引は失敗してしまうだろうが、この騎馬隊を分けて突撃させるという作戦には
どうしても時間の間隔が必要であるのだ。

短ければ、それは乱戦になる前に相手が気付いて引いてしまう。
遅ければ、わざわざ分けた騎馬隊を有効に使えない。

そして、騎馬隊と騎馬隊の間には、必ずその隙を補うように歩兵が配置される筈だ。
そうでなければ、弓隊の攻撃を受けて突撃力を失ってしまうからだ。
その歩兵にぶつける駒が必要になる。
それがこの場では袁術なのだが……

「なんじゃ? 人の顔をジロジロと見て失礼じゃのう……」

「不安だわ……ほんっとに」
「ふ、任せてみようじゃないか詠。 袁術殿とて、一人の諸侯なのだ」
「適当な事言わないでよ、華雄……ていうか、あんたはとっとと配置につきなさいっ!」
「っ! ちょっとくらい良いじゃないか!」

華雄の尻を蹴り上げて、凶暴性を発揮した詠は
ふと真顔になると戦場に蔓延る黄巾を見据えた。

姿は見えない。
しかし、賈駆には確実に見えた。
この数多の黄巾を操る、知を奮う者が黄の道の先に居ることが。

「……獣が知恵を手に入れたってわけね。
 でも残念、ボクが居る限り、この場を抜く事は出来ないわよ!」

手を前に突き出し、ずれそうになるメガネを片手で抑えて賈駆は叫んだ。
呆けた目でそれを見て、袁術はポソリと呟き、後に不満を爆発させた。

「変な奴なのじゃ……七乃ー、わらわは退屈じゃぞー!」

「はいはーい、劉表さん、しばらくここお願いしますね?」
「おい、待て待て待て、張勲殿! 張勲ど……ぬえい! まてまて、相手はあの袁家だ、落ち着くのだ、偶数を数えるのだ。
 偶数は割り切れる素直な数字、心を―――」



――――


「て、て、敵は陣の前に沼地を意図的に作り出して、我らの足を封じた模様。
 瞬く間に先陣が潰されたとのことです!」

「あ、あわわ、分かりました、下がって、下がってくひゃい」

(噛んだ……)
(ああ、噛んだな……)
(くっ、静まれ……俺の人和ちゃんへの愛はこんなことで……)

周囲の喧騒がまるで耳に入らぬかのように、鳳統は頭の中で考えを纏め始めた。
戦場が、彼女の脳の中で盤をとなり、そして部隊が駒と替わる。
普段どおりとまでは行かないが、こうなると彼女の思考は現実から切り離されたかのように
目まぐるしく展開していった。

相手は沼地を用意した。
それも、一つの騎馬隊を丸ごと屠れる程だ。
恐らく、敵の狙いは騎馬の排除。
何故ならば騎馬は、この戦場において最強の駒であるからだ。

幾つかの条件さえクリアできれば、騎馬隊に叶う部隊など存在しない。
つまり、敵はこちらの最大の脅威を最優先で排除することを目的としている。
そう、この場合問題となるのは沼地だ。

ここ最近、雨は降ったか。
答えは否、そろそろ降りそうな空模様ではあるが、昼夜問わず最近ここいらで雨が降った事実は無い。
それではどうやってこの場所に沼地を作り出したか。
水であることは間違いないし、それを陣に持ち込んで夜の内に作り出したのだろう。
ぬかるみが存在する、そしてその規模も中々に大きい。
騎馬隊を分けて運用する事は、相手の誘引の計に嵌れば最強の牙をむざむざと欠いてしまう。
自分が相手ならばどうする?
裏をかかれれば、数の差から劣勢に追い込まれることは予測できるはず。
それ相応に、裏をかかれた場合の対処も考えていることだろう。
ならば、どちらに転んでもその思惑を突き破れるほどの兵数で圧するのが最善か。

殆ど時間をかけずに、鳳統は答えを導き出して俯いていた顔をあげた。
彼女が波才に迫られて一人で出した結論。
それは孔明と同じ物であった。

「あ、相手の作戦は読めました。
 恐らく、騎馬隊を誘引する部隊と、歩兵を足止めする部隊に分けられています。
 わざわざ少ない数を敵の方から分けてるから、かきゅ、各個撃破できましゅ」

(噛んだな……)
(ああ、噛んだ……)
(くっ、皆、俺から離れろ! ぼ、暴走する……っ!?)

「歩兵部隊を呼び戻して、数差で押し潰しましゅ。
 騎馬隊は、部隊をまとめて歩兵から距離を取りつつ、敵を視認したら歩兵を盾にして側面を取って突撃してください」

恐持ての男達……微妙に表情が変であったが、それらに囲まれて所々を噛みながらも
鳳統は作戦を告げた。
波才から、鳳統の指示に従うようにといわれているので、男達はすぐさま彼女の指示に従った。
噛んだとかああ、噛んだとか頷きあったり右手を押さえつけてぶんぶん振ったりしながら。

そして、その話を聞いて動かぬ者が一人。
頭に黄巾を巻いて、やや凛々しくなった顔、そして顎と鼻の下にチョビ髭を誂えている
中肉中背の男が鳳統の前から動かずにその姿を見つめていた。

(……やべぇんじゃねぇか、御使い様)
「あの、何か……」

震える声を出し、帽子を目深に被って視線を逸らした雛里。
すこし遠慮なく視線を向けすぎたようだ。

「いえ、えーっと、一つ聞きたいんですが、あー、名前がわかんねぇが……つまりその、この戦をどうお考えで?」
「え? あ、あわわ、どう、とは……」

(奥の手って言ってたからな……勝手に言っちまって、御使い様の作戦をバラす訳にもいかねぇし……)

むぅぅぅ、と深く唸る黄巾の男。
何か上手い言い方は無いものか。
例えば、そう、なんというか、その、なんだ、こう、凄い感じの。
意味の無い言葉だけがグルングルンと男の脳内を駆け巡り、結局何が聞き出したかったのかも
だんだんと分からなくなってくる。

というか、そう、無謀なのだ。
こんな頭の良い娘っ子を御使い様の為に自分が内応の手を引いてやろうなど、無理だ。
現状、どう足掻いても彼女は黄巾の幹部……馬元義と仲の良かったという波才の味方なのだ。

(仲間にするより、もしかして殺した方が手っ取り早いか?)

男は自分の腰にぶら下げた刀剣をひそかに垣間見た。
そうだ、天の御使いに勝利を齎すためには、黄巾の味方をする頭の良い少女など居ない方が良いではないか。
なるべく目立つ行動は避けるようにとも言われていたが
この女が居るせいで官軍が勝てないとなれば、意味は無い。
ここで排除した方が確実だ、そうだ、それはきっと間違いない。
震え、潤み、恐れている少女は、自分でも容易に切り殺す事が出来るだろう。
人を殺すことなど、既に数えるのを止めた程こなしてきた。
今更少女を一人殺すことなど。
そう、容易い。
そう判断するが早いか、彼の口と体は驚くほど滑らかに動いた。

「軍師殿……ちょっと俺の用事に付き合って貰いたいんですがねぇ?」

男はスラリと腰から刀剣を引き抜いた。
それを見て、雛里は数歩、自然に後ずさった。
雛里は混乱していた。
自分は黄巾党に勝利を齎すために、親友である孔明の命を繋ぐ為に最善の努力をしてきた筈だ。
なのに、これは何だ。
どうして、目の前の黄巾党の男は自分の傍で刀剣を引き抜く?
何かを言わねば、命を失う。
それだけは分かっていたが、雛里の口から突いて出たのは人を疑ったものだけであった。

「しゅ、朱里ちゃん、まさか……?」

「恨みはないんだがな……世の為に―――」

「おい! そこで何をしているんだ!」

「―――っちっ」

別の男から声が飛んできて、舌打ちをかまして男は刀を引いた。
その顔には、明らかな怒気を孕んでいる。
疑いようが無い、この目の前の男は雛里に確実な殺意を抱いていたのだ。

「いえね、先ほど自分の剣が折れちまったんで、ちょっと新しいのを受け取ってただけですよ」

呼び止めた男は、雛里と剣を持つ男を見比べてやがて納得したようだ。
そして、男に名を聞いた。

「俺か? 俺はアニキって言われてるぜ、名前と真名は捨てちまったから、そう呼んでくれや」
「そうか、アニキは歩兵の部隊に加わってくれ、部隊の人手が心もとないのだ」
「おう、分かったぜ、黄天の……そして天和ちゃんの為にも命を張ってくるわ」
「ああ、俺の地和様の分も忘れるんじゃねーぞ」
「へへ、あんたは地和様派か、親友のデクってのが同じ趣味してるぜ」
「そうか、今度紹介してくれよ!」
「生きてたらな!」
「馬鹿野朗、縁起でもない事言うな、またほわぁあああぁぁしようぜ!」
「おう!」

「……っと、鳳統様に報告だったんだ、鳳統様……あれ? どうしました?」

(おうとう様、か)

微妙に名前を勘違いして、アニキは立ち去った。
呆然とそれらを見つめていた士元は、報告に来た男に胡乱な目を向けるだけであった。
そして小さく呟いたのだ。
それは、目の前に居る報告をしに来た男にさえ届かない、小さなものであった。

「そうだよね……普通は、親友よりもそっちを選ぶんだよね、朱里ちゃん……私は」

ここで意気地を張ることが、酷く愚かしい事に思えた雛里だった。
だって、意味が無い。
確かに、普通は数多の人を、漢王朝を生贄に一人の親友を選ぶことは愚かである。
逆もまた、然りでもあるのだが。
それでも、大勢で見て殆どの人にとって正しい道なのは前者の方だろう。
後者を選んだ自分は、あまりに愚かで醜く見えた。

「う……わ、私……あ、あぅ……うぅ、わたしぃ……」

「ほ、鳳統様!? あ、えーっと、ほ、ほ、ほわあ、ほわあぁぁああぁぁぁぁあぁ!」

突然に両の目の端から涙を零した雛里に、報告に来た男はテンパって
慰めようとしているのか笑わせようとしているのか分からない不思議な踊りをしつつ
意味の無い叫びを言い始めていた。

他の者がこの光景に気がついたのは、僅か数分後。
報告に来た男は、鳳統に嫌がらせをして泣かせているとして、軽い鞭打ちの刑に処された。





「報告! 田豊殿から至急とのことです!
 敵の時間差による騎馬隊の突撃に乱戦に持ち込まれ、反包囲をこれから敷く予定。
 しかし、相手の騎馬隊は第三、第四の突撃が来る可能性を否めないとのこと!
 対策を本陣の方で願いたいと仰ってます!」

「報告です! 周瑜殿から、騎馬隊の第3波の可能性が指摘されました!
 左翼では対策が難しいとのことで、本陣に援軍の要請が届いています!」

「賈駆殿より敵騎馬隊を沼地に引き摺り込む作戦が成功したとのことです。
 これより複数隊に分けた敵騎馬隊を各個で誘引すると仰ってます」

「報告いたします! 敵本陣に動きあり、我が方の左翼側に進路を取りつつ
 大群の歩兵を率いて前進を始めた模様です!」

戦が始まって、既に1時間か、2時間か。
事態は次々に動き出して、目まぐるしくその状況を変えていた。
しかも、これらの情報は最新の物ではないのだ。
一刀は音々音へとそっと近づいた。

「敵本陣が左翼に動いたってことは、賈駆さん達が劣勢?」
「そう見せかけて、右翼に援軍を送らせないようにしている可能性もあるです」
「報告を聞いた限りでは、賈駆の方は優勢のようだけど……」

ひそひそと話を交わしていると、細身の男が一刀の元に勢い込んで走りこんできた。
汗を大量にかいている。
気温は暑い訳でも、寒い訳でもない。
一度、戦場に出て指揮を執っていたのだろう。

「天代殿!」
「なんですか、皇甫嵩さん」
「朱儁将軍の報告で、黄巾党を率いる者の近くに少女らしき影があったという話を覚えてますか」
「ええ、それが何か?」
「もしかしたら、彼女達は黄巾共の軍師かもしれませんぞ!」
『やっぱり、俺もそうだと思うよ』
『この動きは獣の動きじゃない、荒すぎるが、統率は取れてるしな』
『黄巾党はもっと、合図の銅鑼が響いたら敵襲と勘違いして突撃するような奴らだったよ』

軍師。
そうかもしれない。
騎馬隊を分ける、などという戦術を黄巾党が使った事実は脳内の自分達に確認しても無かった。
一級の軍師でなくても、二級、三級の軍師でも黄巾にとっては十分な力になる。
それはひとえに、官軍との数の差があるからに他ならない。
こちらは少ない兵でやりくりしなければならないのに、奴らは倍の数を同じ戦術でも投入することが出来る。
ただ兵数差があるだけでも陣を構えねば相手取れない程の物量差なのに
そこに軍略の才を持つ人が居るとなれば、かなり厳しい戦いになってしまう。

たとえ、官軍に有能な者が多くても、裏を掛かれないという保証は無い。
まして数的不利という物が今の官軍にとって重く圧し掛かっている。
盤上のゲームや演習、遊びじゃないのだ。
偽報一つで戦線を崩して敗走してしまうことさえあり得る。

それが分かっても、今この場で具体的な対策は取れない。
ただ、取る選択は慎重にならねばいけないだろう。

「皇甫嵩殿は、どう見ますか?」

「私としては、目に見えて劣勢に追い込まれた袁紹殿の援軍に赴くべきだと思います。
 本陣は何進将軍に預けて、自分が援護に向かおうと進言しに来たのです」

「うむむむぅ……そうだ、一刀殿、皇甫嵩将軍に3000の兵を預けましょう。
 左翼はこれで持たせてもらい、右翼に2000の兵で黄蓋殿を後詰めに置くのです」

この言葉を受けて、一刀の脳内は一斉に騒ぎ出した。
それまでじっとしていたのは、考えに没頭していたからだろう。
それは本体も同じことであり、本体と脳内一刀は音々音の言葉に神妙になりながら考え始めた。

『本体、賈駆が裏をかかれたら各個撃破の的になる。
 音々音の言うように黄蓋という武将を派遣するのは賛成だ』
『左翼には皇甫嵩将軍と、もう一人武将が欲しいね』
『孫堅さんに頼むか?』
『そうすると中央が薄くならないか?』
『相手の本陣も左翼に傾いているんだ。 こっちの本隊も少し移動すればいい、様子を見ながら決定すれば』
『陣を一瞬とは言え空ける事になるぞ、それは危険だろ』
『そうだ、この陣は生命線だぞ、相手も抜くことを第一に考えてるはずだ』
『孫堅さんを送るのが手堅い、あの人なら、早々負けたりしない筈だよ』
『ちょっと待った、朱儁将軍に預けてある本陣の後詰めの数はどの位だっけ?』
『まってくれ、孫堅さんは右翼に送れないか? 前線で武を奮えるのが華雄だけなのは……』
『そうか、武将の層が薄いかも……』
『裏を掛かれると、武将の指揮次第だからな、武を見せ付けて混乱を抑えられる人が居るのは大きいよ』
『確かに』
『話を遮ってごめん、それで朱儁将軍の後詰めの数は?』
『2000弱だったかな』
『2000位だったな』
『その兵を本陣に入れて……ああ、でも後詰めは必要だよね』
『後ろを抜かれれば今度こそ何も無い平原だけだ。
 どうしたって後ろに兵を置いていかないと洛陽に突撃されてしまうよ』
『陣の傍まで、朱儁将軍を呼べば良い。 それだけで後詰めでありながらも陣に居るような物になる』
『『『それだ!』』』
『なら、朱儁将軍に預ける兵は3000くらい足そう。 
 彼も酷い怪我もしてるし、陣の防衛にこれくらいは割かないと数的にまずいよ』
『朱儁さんには悪いけど、怪我を押して頑張ってもらうしかないか……』
『だな、何進将軍には一度部隊を引いてもらって左翼側に傾いてもらおう。
 左翼に直接応援に行くのは提案通り皇甫嵩さんに任せて、孫堅さんと黄蓋さんで右翼の支援に回ってもらうか』
(それが一番か……な……?)
『現状では、多分』

結論が出て、一刀は口を開いた。
と、同時に陣の中に二人の兵が慌てた様子で転がり込んでくる。
あれは董卓軍、そして袁紹軍の鎧であった。
嫌な予感が駆け巡り、そしてそれは―――

「ほ、報告いたします! 右翼の袁術様、張勲様が黄巾党に包囲されました!
 華雄将軍は敵の騎馬隊に足止めされ、劉表様が援護に出陣しましたが
 数の差で攻められて包囲の突破が難しいそうです!
 至急の増援を請われています!」

「報告です! 敵の騎馬兵、第3波の突破を許したそうです!
 次いで、騎馬隊の第4波と右翼本隊だろう歩兵の大群を確認!
 このままでは左翼は壊滅の憂き目にあってしまいます!
 増援を願います!」

現実となっていた。

『(くそっ! 後手に回った!)』
『落ち着け、本体、“蜀の” 俺達が取り乱したら兵に伝播するぞ』
『そうそう、まずは象のようにおおらかに……』
『『『なれねーよ』』』
『突っ込み早いよ……っと、まぁそれはともかく』
(ハハ……お前ら変わらなくて羨ましいな畜生)
『そうだな、だから普通にしてろ』

一刀はその場で伝令に頷くと、動揺をひた隠して再び腕を組んでその場で空を見上げる。
皇甫嵩と音々音が、じっと彼を見るのも気付かずに。

(分かってる……それで、どうする?)
『……右翼も左翼もだいぶ崩されている。
 丸裸になった本隊の何進さんが包囲されるかも知れない』

焦れたような声。
恐らく、危機に陥っている将兵の案否を思っているのだろう。

『多分“袁の”が言ったそれが狙いだね』
『何か、敵の狙いを覆せそうな物はあるかな?』
『……あ』
『なんだ、“呉の”』
『いやいや、ちょっと待て、でもこれは在り得ない』
『なんだよ、言ってみろよ』
『そうだよ、何か気付いたんでしょ?』
『……本体、前線に出る勇気ある?』
『『『あっ!』』』
『『げ、総大将を囮にするのか?』』
『『『ありえんだろ』』』
(え……俺ぇ?)

音々音の方は、時たま一刀がこうなることを知っていたので
黙って見守っていることにしたようだが
脳内会話が盛り上がり、黙っている一刀についに焦れた皇甫嵩が声を上げた。

「天代殿! すぐに対処をせねば、戦線が崩壊いたしますぞ!」

「ちょ、ちょっと待って、すぐ終わるから」

思わず地が出て、思い切り敬語を忘れて言い放ってしまったが
皇甫嵩も焦っているのか、そこを指摘されることは無かった。
逆に、終わるという単語に興味を抱いたようだ。

「すぐ終わる? どういうことでしょう?」

「皇甫嵩殿、とりあえずお茶でも飲んで落ち着くのです。
 一刀殿がこうなったときは、大抵驚くことを言ってくれるのです」

「むむぅ、急いでくれねば困るのだが……」

『時間がない、こうなったらもー“呉の”の提案でいこう』
(ま、待て、俺、だって戦の前線なんて―――ていうかいきなり投げやりになってないか!?)
『『基本、馬に跨ってるだけだ、大丈夫だ!』』
『『『『雑兵くらいなら、俺達でも十分戦えるぞ』』』』
『おいおい、総大将前に出すってことは、一斉に群がってくるってことだろ?
 お前らは良くても俺はお前、死ぬかも』
『でも、敵の目は必ずこちらを向くはずだよ。
 そうだ、“呉の”、一度本隊を突出させる振りをして中央に敵を纏められないか?』
『危険だな……援軍に兵を割いてしまうからどうしても中央が薄くなるぞ』
『連携が取れれば、それも可能かもしれないけど』
『やっぱそうか……しょうがないね』

暫くの間、本体は大きな葛藤と戦い脳内と議論を交わして結論を下した。
口を開いて、その一刀の決断を聞いた皇甫嵩はまず、含んだ茶を盛大に噴出した。
続いて顎が外れるのではないかと思うほどあんぐりと口を開けたのである。
音々音も同じく、口を開けて目を剥いた。
なんせ、その口から出た言葉は、一刀と何進大将軍が率いる本隊が戦場で突出することであったからだ。
一刀は、目を剥いて固まった二人に素早く説明し、伝令を送る用意をさせた。

ただ、出した結論は先ほどの議論よりはやや消極的な物であった。

総大将を囮にするのは決まった。
これ以上の餌は確かにこの場に存在しないし、本来ならば在り得ない。
一刀が本隊の前線に出る事は非常に危険だ。
前線にホイホイと出て行って討ち取られましたなんて事になったら洒落にならない。
総大将を討ち取ったとなれば、敵の士気はもりもり回復し青天井になるだろう。
逆に、こちらは天代=つまり帝の代わりとなるものを失ったことになるのだ。
そうなれば、求心力を失った官軍の兵は黄巾党との戦に勝てない。

その辺は盛り上がっていた脳内達も自重して賛同を返したのである。

陣を空にすることも出来ない。
帰る家を失くすなど、それこそ馬鹿も笑うという物だ。
よって、先ほどの会話の通り、朱儁将軍には5000の兵で持って陣の直後5里ほどの場所に待機してもらう。
目下、苦戦の最中である右翼と左翼には予定通り、3000の兵で皇甫嵩を左翼に。
孫堅と黄蓋を2000の兵で右翼へと派遣。
これ以上、兵を本隊から割くのは不可能だった。
帰り道を確保するために兵を置くことを考えれば、少なくとも2000は欲しい。
何進とすぐにでも合流できれば、もう少し融通が聞くかも知れないが
現状、どう戦況が動くのか予想が難しいので、将兵の判断によって状況は枝分かれすることだろう。
ある程度柔軟性のある対応を心がけるしかなかった。

袁術、張勲の部隊は包囲を脱出したら早急に纏め一目散に本隊と合流するようにと伝えた。
袁紹率いる右翼も、余力が無いようなら本隊へ合流するようにと伝令を走らせる。
余力があるのならば、そのまま敵軍左翼を圧してもらえばいい。
黄巾党が突出した官軍本隊に釣られて食いつけば、方円陣を敷いて徐々に後退することで
戦線の崩壊を防ぐとともに、体勢を立て直すことも出来るだろう。
その後も黄巾党が陣に追ってくるようであれば陣を盾にして篭城するしかない。

袁術、袁紹が本隊に加わっても、援軍に送る5千の兵と後詰めに預ける3千。
合計で8千の兵の分だけ本隊は薄くなる。
本隊に残る兵の数は何進将軍が黄巾党とぶつかっている場所から皇甫嵩が3千の兵を引っ張っていくので
官軍本隊に残る数はおおよそ7千。
黄巾の数はやや削れただろうが、それでも4万は越えているのは間違いない。
一斉に中央へ群がってくるだろう黄巾党とまともに野戦でぶつかれば
平原であるこの場所ではとても耐え切れない。
罠を作るような余裕も、勿論無かった。

敵が篭城することに気がついて陣を迂回しようとすれば
朱儁将軍の5000の兵をぶつけ足止めし、挟撃するしかないだろう。
それで破られたらこちらの負け。
耐えれば再編した部隊を陣から出してもらって押し返すことも出来よう。

「方針は陣への篭城! 敵が本隊に食いついた所を狙って戦略的撤退だ!」
「仕方ありませぬな! それでは、至急兵を整えて援軍に向かいます!」
「一刀殿、右翼、左翼ともに伝令を走らせましたのです!」
「良し……そうだ、ねねは朱儁将軍へ3000の兵を纏めて事態の伝令を行うと共にそのまま後詰めについて」
「か、一刀殿、しかしねねは……」
「頼む、ちゃんと戻ってくるから」

音々音は気がついた。
一刀の腕がやにわに震えているのに。
一瞬の逡巡の後、音々音はしかし頷いたのである。

「武運を祈るのです、一刀殿!」

「ああ、ねねも、しっかり頼むよ」

駆け出した音々音の姿を一瞥して、一刀は踵を返した。
自分のやるべきことは決まった。
精々目だって、諸侯が陣へ戻るまでの時間稼ぎをしようじゃないか。
それくらいしか、今の一刀にはできないのも事実だ。
金ぴかの鎧を身に着けて、腰に一刀でも扱えそうな剣を二本選んで差し込む。

「……やっぱこの鎧、目立つよなぁ」
『今、この状況なら望むところじゃないか』
『キラキラの餌は目立つね』
「まったく。 袁術ちゃんは先見の明があるよ」
『張勲さんじゃないの?』
『ふふん……』
『“仲の”がえばる所じゃないだろ、それ』
『まぁね……』
『うぜぇ』
「ははは、良し、頑張ってみるか!」

金の鎧を煌かせ、全ての準備を整えた報告を受けてから天幕を出る。
一刀は自らの馬に跨ると揃った兵を見回した。
これから、自分の命を預ける兵である。
馬上で失礼だとは思ったが、一刀はそこで一礼した。

一刀に視線を集中させていた者は皆一様に驚いてどよめいた。
“天の御使い”であり“天代”である総大将、北郷一刀が頭を下げたのである。
ただの、雑兵、一兵卒相手にだ。
これは彼らにとって、驚天動地の出来事に等しかった。
帝が、一兵に頭を下げるなど無いのだから。

「みんな、すまないけど、俺と一緒に戦ってくれ」

数は千かそこら。
今まで、其処に居た者達は劣勢であることを知っている。
そして、それは確かに恐れとなって心身を蝕み始めていた。
しかし、どうしたことか。
ただ、頭を下げて短く言葉を連ねただけだ。
自分達の総大将が行ったのはそれだけのはずなのだ。
なのに、自身の心は今までに無いくらいの活力に満ち溢れていた。
正義は確かに、官軍にあるのだ。
だから自分は此処に居るのではないか。
だから、賊と戦う為に武器を拵え、鎧を着込み、この場に参じたのではないか。
天は、漢王朝はまだ、目の前に居る天の御使いと共に生きているのだ。

官軍の陣で、今まで以上に無いほどの気迫が叫びとなり
天を衝いた瞬間であった。


      ■ 外史終了 ■


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