Daily Masando は、私の活動記を日記イメージにて適時掲載しています。
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■ 市議会議員改選 |
Date: 2010-11-07 (Sun) |
明日、正確には今日から1週間、桑名市議会議員の改選選挙が始まる。
例によって、選挙運動に時間を割けずに政治活動をしてきた僕の4年間が桑名市民によって総括されるのだ。
民の決定には従わなければならない。それこそが鯨岡翁が僕に授けてくれた孔子の言葉だからだ。
「この世で1番偉いのは人民だ。政治家はその次なのだ。」と。
それにしても、共産党とその走狗である星野某は意地汚い。
女の腐ったという罵倒語は、彼に投げつけるためにあるようなものだ。
グラクソ社から賄賂でも貰ったのかと疑いたくなるような、子宮頸がんワクチンの接種圧力。
僕の後援会冊子を、こともあろうに檀家寺から盗み出して老僧から一喝される体たらく。
それは真に民のために働かずに、党のため、自己のためにだけ動く、化石のような体質が、ガラパゴスならぬシーラカンスのような存在に過ぎないと言うことを曝け出している。
目指すものは議会改革、それは桑名に真の地方自治を実現させるために避けては通れない道だからである。
■ 子宮頸がんワクチン講演会 |
Date: 2010-10-31 (Sun) |
市役所5階中会議室で、中山尚夫先生による「愛と性の尊厳〜子宮頸がんワクチンの真実」と題した講演会を行いました。
市議会選挙を直前に控えて、なぜこんな専門的な講演会を開催したのかといぶかしがる方が多いのではないかと思います。
しかし、15年前も市議選の直前に「長良川円卓会議」に出席してパネリストとして意見を述べていましたし、8年前の選挙では選挙戦の最中に、新田均教授を招いてジェンダーフリー講演会をしました。何も不思議はありません。
選挙活動だと疑問視するほうがおかしいのです。
20人くらいかなと思っていた、聴衆も50人を超えて、質問も尽きずに大変有意義で実り多い講演会だったと思います。
幸運にも議席を確保できたら、次の4年間のメーンテーマはこれになるだろうということが予感できたシンポでした。
中山先生と武田先生を結ぶ接着剤になりたいと考えています。
■ 民主党推薦辞退 |
Date: 2010-10-27 (Wed) |
10月22日付けで民主党岡田事務所に、僕の桑名市議会議員改選の民主党推薦を辞退する通告をしたことを、桑名記者クラブに通知しました。
なぜならば、新聞の候補者一覧に成田正人(民主推薦)と載ったら、虚偽になってしまうからです。
伊藤恵一議員が民主党推薦を申請して受諾されたと聞いたときから、推薦書の中の誓約に「当選の暁には、同じ推薦議員と統一会派を組む」という部分に釈然としないものがありましたが、今回の毎年伊藤恵一議員が海外観光パック旅行を政務調査費で行っていたことが判った後も、彼を除籍できない民主党三重県連に、釈然としないものを感じていました。
今回、きっぱりと自分の推薦を辞退することによって、胸につかえていたものが下りました。
これは、このちっぽけな出来事だけではない、政権交代後ダッチロールを続ける民主党政権そのものに対する、抗議と叱咤でもあります。
我こそが民主党であると自負していた若い自分が懐かしい。
それは、20年前金丸、小沢のいる自民党から離党を進言した僕に、「我こそが自民党なり!出て行くのは彼らのほうだ!!」と言った故鯨岡兵輔大老を僕に思い起こさせました。
先生から授かった座右の銘「民を尊しと成す、社稷それに次ぐ。」を今一度胸に叩き込みます。
■ 事務所開き |
Date: 2010-10-23 (Sat) |
今日、僕の後援会事務所を開設しました。当然我が家の隣、旧魚に呉服店跡です。
思いもかけない、大勢の人々、特に年配の方々が出席して下さいました。ありがとうございます。
僕の市議会議員としての日常は、ほぼ政治活動と市民活動に独占されています。一般の議員のようにいわゆる24時間選挙活動なるものをしてきた記憶は15年間ではありません。
噂のいなべ市長のように、市民すべての葬儀に自ら公務をほったらかして(彼にとってはそれが「公務」なのかもしれませが、、。)出席するなんてことは考えられないのです。
しかし、僕のことを親身になって心配してくださる人はその点を戒めてくれます。
今日のご出席者は、僕の6回の選挙の中では一番か二番目の数でしたが、桑名市議会選挙の常識からすれば少ないのでしょうね。
でもそれが真の常識ならば、2年前の市長選挙では現職はダブルスオアで圧勝していなければならなかったし、名古屋市長選挙にいたっては、河村事務所には2人の旭丘高校の同級生しか常駐しておらず、それも僕が県外の桑名から応援に駆けつけても、「いらっしゃい」の挨拶もなしに、イデオロギー論争を止めないという有様でした。
見せ金や、サクラ動員のような陳腐化された選挙から、桑名市が卒業できるのは何時になるのでしょうか?
■ 英雄堕つ |
Date: 2010-10-07 (Thu) |
数日前から釣りに出かけていて、その先が不明と伝えられていた、徳島の姫野君が、今日遺体で発見されたという報が水郷水都メーリングで送られて来ました。
今年3月、彼から前原国土交通大臣に面接して、大臣から直接吉野川第十堰の稼動堰化は絶対に無いという言質を取った報告を聞いたばかりでした。
さっそくオメデトウという祝辞と、彼が20年前たった一人で来桑して、水郷水都緊急大会桑名に参加したこと、僕のつたないアドバイスから孤独な彼の戦いが始まったこと。
それが徳島の偉大な勝利にまで結びついたことなどを思い出していたのを、今更ながら最後の遣り取りだったと感じています。
年齢順に、僕のライフワークの中で重要な人たちが無くなっていきました。敢えて年上の彼を姫野君と呼ぶのも、あの気さくで一徹な風貌を少しでも親しく表現したいからです。
さようなら、ありがとう偉大な同志にして先達、姫野君安らかに眠れ。
■ 民主党代表選挙 |
Date: 2010-09-14 (Tue) |
今日、菅直人が次期民主党代表すなわち首相続投が決まった。
小沢候補と、菅さんの最後の演説はどちらとも聞き応えのある、
自民党時代とは全く違った、米国大統領選挙にも匹敵する迫真の演説だった。
小沢氏の「最後の挑戦」という言葉もリアルだったが、菅さんの「民主党の原点」という言葉で、彼に投票しなかった旧民主党国会議員は、辞めるべきだと感じた。
それはとりもなおさず、民主党結党の原点、さきがけの志のことを指している。
そして、それは僕の政治への原点でもある。
今日、桑名市内全新聞広告に、月刊民主号外地方版を入れた。
この選挙がどういう結果になろうとも、僕と菅さんの「さきがけの志」は変わることは無いという宣言だった。
全国の、党員サポーターの皆さん、6割の地方議員の諸君ありがとう。日本の民主主義はこれで守ることが出来る。
■ 議会報告と、高山氏講演 |
Date: 2010-09-10 (Fri) |
偏差値の低い、受験凡才だらけの部課長だ。
何を聞かれているのかが、聞き取りをして、一部の部長には質問文まで事前に渡してあるのに、ピンボケばかり。
1、は大山田の開発前と開発後の面積を5分かかって答えた。
そんなことは聞いてない。合併前の桑名全市の緑地面積の変化を数字で表せと聞いただけである。
分かりませんと言う。後で調べてこの日の最後に報告してきた。
議場でも5秒で答えられる内容だ。桑高入学は難しかろう。
2、の教育長はサボタージュと言い訳の名人だと言うことだけが分かった。幕末史の概要にも疎い。教師の出身だという事だが、彼から習った生徒の不運に同情する。
3、4の理事にはちと重すぎる、質問だったようだ。本来医師が答えなければならない内容なので、市民病院を市直営から独法化した弊害が早くも見えた質疑だった。
5の経済部長は、チャンと情報収集はしている。この中では一番聡明だが、鉄道会社が指図に従わないのは、軽く見られているのだろう。
今日の5時から長島ホテルハナミズキで、週刊新潮にコラムを書いている高山帝京大教授の講演会があった。
右派のジャーナリストで、正確な(過激な)論調が気持ち良い。
子宮頸がんワクチン公費助成について質問したが、的を得た答えが返ってきた。
性病に公費助成は日本の福祉行政の破綻を招くという諮詢に満ちた答えだったが、会場のどれだけが理解できただろう。
数人の市議会議員がいたが、皆ぽかんとしてたそうだ。
■ 9月議会登壇日 |
Date: 2010-09-06 (Mon) |
今期最後の9月議会が始まりました。
無所属になった私の登壇日は一般質問の8番目。
おそらく第3日の9月9日になりそうです。
項目は次の通りです。
@なぜ住み良さ日本一をめざしたはずの桑名が暑さ日本一になってしまったのか?
「水と緑と歴史が育む快適交流文化都市」の虚像を暴きます。
A育んだはずの歴史で、なぜNHK竜馬伝の蛤御門の変に桑名藩が登場しないのか?教育委員会は何をサボってきたのか?
B自前で高度医療を行う市民病院を設立し、黒字経営できるはずが無い。なぜ四日市、海南などの市外、県外病院とのナットワークの構築を怠るのか?
Cインチキ臭い「子宮頸がんワクチン」の小中学生集団接種は正しいのか?新型インフルエンザワクチンを売り逃げしていった、外国製薬会社は詐欺行為ではないのか?
D北勢線の10年目以降はどうするのか?
こんな流れです。
■ 桑名の地域医療とシティーリージョン |
Date: 2010-08-29 (Sun) |
「都市間競争から都市間連携へ。」
交流文化都市を目指しているという桑名市が、誰もなぜこんな簡単ことに気づかないのだろう。
ルコルビジェの誤りを、ジェーンジェイコブスとの対比で説く、阪大大学院の矢作ひろし先生が、東欧では国境を越えて異国間でもシティーリージョンを行っていると講演されたのが、もう3年前になる。
桑名市になんとしても2次医療完結型の急性期病院を病床400で経営しようという念仏に似た硬直した発想が、医師会を含む医療界全体に固まっていた、昨日の講演会だった。
父が脳血管障害の発作で倒れた昭和50年代は、桑名市の救急車は市境を越えて患者を運ぶことは無かった。
私が議員になって最初に試みたことの一つが、急患の市外搬送だった。
今日、四日市はもとより、県外の海南病院まで桑名市民の受け入れをしてくれている。
四日市と桑名は相互乗り入れの状態で、より困難な3次医療を四日市に頼っているため桑名からの搬送数より四日市からの2次医療受け入れ数のほうが多い。
愛知県から何人の急患が桑名市へ搬送されているのかは、はっきりとは分からないが大方100名程度だろう。
大幅な「輸出超過」状態である。これを平等に是正して、医療交流圏を形成すべきであるという私の発想は、医師の世界では異端であるらしい。
■ 議会改革と反問権 |
Date: 2010-08-07 (Sat) |
誰かに書いてもらった質問書をやっこらこいで読んで、当局が用意した答弁を読み返してハイおしまい、という議会の様子が、TVなどで揶揄されています。
桑名市議会がそうだという訳ではありませんが、質問回数が3回に決まっていると、最後の質問に対してトンチンカンな答弁でも逃げ切れます。私の当選以後そんな光景が多く生じました。
そこで、3年前から時間制限だけで、何度も質問と回答を行える1問1答方式が取り入れられました。
しかしこれには、議員が質問するだけではなく、市長以下がその質問に対して反論できる「反問権」というものが、実態として付随してくるのです。
そのことを、新しい議会基本条例の中に成文化しようというのが議会改革検討会の主題でした。
それに対して伊藤恵一議員は「、、、検討の価値は無い。」と1字1句そのまま発言したのではないと抗議を受けました。
大意は同じで、反問権は認めないという意味の発言をしたというだけのことです。
認めるも認めないも無く、1問1答方式には既にこのことは不可分に入っていますから、下関市の市長さんは断りがなくても自由に反論して、生半可なオツムの議員をやり込めているそうです。
また恵一議員は、議長選挙の投票は無記名であるから、さも確実なことのように開票結果の投票者名を特定するのはやめて欲しいとも言われました。
なるほど、それはその通りですから、100%ではなく99,999%という風に改めることを約束して、その抗議に応えます。
■ 環境福祉委員会視察報告 |
Date: 2010-07-17 (Sat) |
7月14日〜15日にかけて、千葉県佐倉市と静岡県藤枝市に、地域自主防災組織を市行政が自治会単位で構築させている現場を視察した。それはその試みが現在進行形の現状を知る結果となった。
阪神淡路大震災以来、自主防災意識の高揚は全国に広まっているかのように思われたが、住民の意識向上は一時的なブームに終わっているのが現況である。
兵庫県南部地震における神戸市下町の被害の特徴は、地域の町内会、自治会などのネットワークが平常から活きている地区においては、人的被害(救出)及びその後の避難生活の統制や秩序で、そうでない地区との大きな差がみられた事から「地域自主防災」の重要さが認識されたのではあった。
そこで、佐倉、藤枝両市ともいわゆる生存弱者といわれる高齢者、障害者、乳幼児、妊産婦、外国人等に優先順をつけて、その存在情報の収集から手をつけている。
問題は個人のプライバシーの領域である、年齢、性別、障害、病歴、人種、国籍などの申告と守秘義務である。
左から右に向かって、優先順は大きくなる。
障害の中でも、外見では見分けにくい視覚、聴覚障害や、聾者、知的、精神障害の順にカミングアウトは拒否される。
外国人に至っては日本語の理解度が弱者たる理由だから、在日韓国朝鮮人と日系外国人2,3世とでは、その扱いに大きな断層が生じる。その点で佐倉市の人口統計中の外国人登録数表示は無意味であった。
その行政中央に集めた要援護者情報を平時にどうやって守秘しながら保管し、有事の際にはその情報を自主防災組織の末端まで瞬時に届け、しかも速やかに活用するのはシュミレーションとしても不可能に近い。
この速やかな活用は、平時に末端の組織の長と側近に人的情報を持たせておけば、それが可能になるが、その場合個人情報保護問題と180度の角度で対抗しなくてはならなくなる。
この現象は、軍事ノウハウの無い国家が、外敵ならぬ地震台風といった「自然災害」という巨大な敵から自国民を如何に守るか?という壮大な戦略と行動の実現を、最前線たる市町のその先の任意団体である町内会に背負わせてしまう、在郷義勇軍の哀れな姿に思えてくる。
前戦争中の町内防火団のようなもので、B29の焼夷弾にバケツリレーで対抗できるとした自衛組織にその姿が重なってみえる。
国の貧困な防災戦略の皺寄せを最前線の町内会に押し付け、個人情報の守秘義務を訴訟への恐怖と引き換えに何の役得も無く引き受けさせられる自治会長さんが、その任を拒否することも当然ありうる。
佐倉市では、このような地域防災システムに最適な情報を既に網羅して所持しているのは、民間デベロッパーで日本唯一の独占団地開発を実現している且R万のユーカリが丘においてのみ可能なことを、皮肉にも指摘せざるを得ない、今回の視察であった。
全方面に対する機動力をもったアメリカ海兵隊のような防災専門自衛隊の創設なくして。日本国民の安全はまっとうできないというのが結論である。
■ 議会改革 |
Date: 2010-07-03 (Sat) |
昨年議長選挙に出馬したとき、議会改革のために議会基本条例を創らねばならないと訴えました。
落選したものの、当選者の竹石議員もこの条例を創るといったので、これは棄権者1名(「共産党か?)以外は全議員が認めたということになり、昨日まで4回の検討会が開かれました。
各派の代表者が検討して、議員からの一方的な質問ではなく答弁側からの反問権を明示するかどうかを検討する昨日の第5回に、川口元議長たちの会派の代理出席者伊藤恵一議員が、これまでの検討会を否定して、「反問権など検討の価値は無い」と発言したため、座長の伊藤研司委員は、検討会自体の存在理由が否定されたとして、この検討会に流会処置をとりました。
このルール無視の言動を毎回とる恵一議員を最初に甘やかした付けがいまだに議会を混乱させています。
名古屋の河村市長は市会議員は半分で良いとしています。桑名でも、議員定数を34人から30人、28人に減らす議論が起こったとき、私は26人を唱えました。
愚かな途中辞職して、市長選に出馬し、市議会2議席の大いなる無駄を生んだ津坂、岡村の元議長の議会費に対する罪は重いと思います。
市民、とりわけ特定の議員の支持者は、その議員がどんな言動をしているのか、知っているのでしょうか?
伊藤恵一議員が、創価学会公明党の議長誕生に賛成したことが、私には理解できないことでした。
■ 亡国思想 |
Date: 2010-06-22 (Tue) |
しばらく鳴りを潜めていたフェミニズムサヨク集団が、動き始めている。
伊勢市が、愚かにも子宮頸がんのワクチン投与を市税で実施すると報じられている。
副作用が懸念されている未熟な薬。エイズ非加熱製剤もサリドマイド睡眠薬も、当事の厚生省によって認可された薬ではあった。
桑名市でも共産党と公明党がこのワクチン投与に熱心である。
昨日の福祉委員会で、新日本夫人の会(共産系)から出されていたこのワクチン投与を国費で賄えという請願を、反対の論陣を張って阻止した。
ユダヤ教徒と尼さんには発生しない病気、子宮頸がん。
つまり、生殖器が未発達な10歳代前半に、不特定多数の相手と不潔な性交を反復することによって、感染、発症する、別名「娼婦の病気」をなぜ僕らが納めた税金で薬事予防しなけりゃならないのか?
自分の娘の行状に不安を感じた親なら自前でそれを打って貰うのがスジである。
予防には未成年者にゆめゆめ軽はずみな性交渉をしないように、正しい性教育をすることこそが重要だと思うのだが、、、、。
■ 桑名市議会 |
Date: 2010-06-14 (Mon) |
国会はあと数日で終わりますが、桑名市議会6月本会議は明日から質疑、一般質問が始まります。
3月議会で当初予算案に反対したため会派から除名されたので、無所属で質問をします。
予想では18日金曜日登壇です。
質問内容は、
1、桑名市の歴史認識と教育、観光について、
戊辰戦争における桑名藩の史実に関して教育委員会の不作為を責めます。
2、北勢線の補助金が切れる10年目以降に関して、他の富山ライトレール、和歌山電鉄たま駅長効果などと比較しながら問います。
現在上映中の、RAILWAYS(49歳で電車の運転手になった男の物語)を例に北勢線と比較します。
3、このところ連続している市職員の不祥事を、見逃した役職者の責任を追及します。特に2市2町の公金横領に通帳残高を確認せずにメクラ判を押した、監査役の東員町長の犯罪を糾弾します。
4、多発している、議会の承認を得ないで市長が専決している、事故事件の実態について、システムの不備を問います。
■ 菅 新政権 |
Date: 2010-06-09 (Wed) |
今まで書きたかった衝動を抑えて、今日まで待ちました。
待ちに待った、菅直人の新民主党政権の船出です。
まだ副大臣、特に国土交通副大臣が決まっていませんが、まず考えられるベストの陣容による、最後の切り札的な閣僚の顔です。
私の予想とは、幹事長と官房長官が逆だっただけです。
15年前、請われて新党さきがけの公認市議会議員として地方政治のスタートを切った私の目の前に、颯爽と登場したのが菅兄貴でした。
自民党を割って出てきた若き代議士達が、さきがけの所帯の小ささに怯えの色を隠せなかった第1回目の会合で、菅さんは「こんな大きな政党に属したことは初めてだ。これで自分のやりたかったことが実現できる。」と一人ニコニコしていたことが忘れられません。
それから15年、昨年名古屋で内輪の夕食会に招かれて、伸子夫人ともども親しい時間をもてたのが最後となりました。
これからは、総理辞任までおいそれとは会う事は出来ないでしょう。
しかし、その再会の日が遅ければ遅いほど、日本のためには良い事であると信じて、私は一地方政治家として、菅さんを支えていきます。
■ LRTサミット |
Date: 2010-05-24 (Mon) |
今月は、視察報告が集中しています。
今回は富山市で開催された第10回全国路面電車サミット2010富山大会の報告です。
北勢線が近鉄から廃線通告された2001年に、熊本市で第5回大会が開催されたのに、当事の市議会会派フォーラム新世紀と公明党市議団の合同で参加したのが、この大会との出会いでした。
卓越したリーダーとしての森市長を擁く富山市が颯爽と政府のコンパクトシティー構想第1号に認定され、富山ライトレールを運行したことで、講演会やシンポジウムは富山市長が全国に出向くか、富山市で開催されるかのいずれかに集中しています。
私も、森市長の講演は、東京と松江で聞いていますが、根拠地の富山市で、富山ライトレールと市内循環線の2路線を体験しながら拝聴するのは初めてでした。
ただし、地元のテレビ局が実質の実行組織だったためか、盛りだくさん過ぎて、複数の女性パネリストや講演者を登壇させたのが余分でした。
「勇将の下に弱卒なし」とはよく言ったもので、富山ライトレール(旧JR富山港線)の終点岩瀬浜で酒造会社を経営されている桝田隆一郎氏もパネリストとして最上級の企業人でした。
残念ながら、北勢線には彼等の様なリーダーがいないのが身に沁みました。この二人の話をもっと聞きたいと思ったのは会場にいた全員だったでしょう。
■ 地方自治研究学会 |
Date: 2010-05-15 (Sat) |
東京で地方自治研究学会の大会が13日14日と開かれたので、昨年に続いて参加してきました。
あの、賢知事だった片山善博慶大教授を会長に擁く団体で、毎回豪華なゲストが講演をします。
今回も片山氏本人をはじめ、山口二郎、福岡政行、河村たかし、枝野幸雄、河野太郎、といった第一線級の論客から、一地方の女性市議会議員まで多種多様なシンポジストが登場しました。
しかし、私のメガネから判定しますと、片山教授の賢さと河村市長の行動力が群を抜いていましたね。
河野代議士の言からは、自民党の末路がはっきりしましたし、評論家の2枚舌も垣間見れました。
佐賀県伊万里市の市議会議員ですから知らないのは当たり前でしたが、盛 泰子という女性も傑物でした。桑名市議会の女性議員とは大分差があります。当然ながら女性という立場的な甘えは全然ありませんでした。
逆にどうしょうもなかったのが小宮英美というNHKのプロデューサーで、おバカチャン丸出しのしつけの悪いおんなでした。
やはり見た目は大切で、壇上のパネリスト席で、頬杖をして、肘を机に乗せ、机の下では大根足が曲がって股を開き、育ちの悪さが滲み出ていました。
そして、べらべらと後にひかえるパネリストにお構い無しにしゃべり続け、会場のひんしゅくを買っていました。
日本女性の名誉のために、また私が女性差別論者ではないことをしめすために、このバカ女の前後で話された服部真理子立教大教授と作家の沖藤典子女史は、礼儀正しい知的な女性だったことをお伝えしておきます。
■ 庄内 寒河江調査 |
Date: 2010-05-10 (Mon) |
8日から9日の週末、山形県の鶴岡市と寒河江市に、幕末北越戊辰戦争での桑名藩の戦跡を辿り、戦死者を弔う視察調査をしてきました。
4年前に、由良の佐藤孫七船長の墓参に行った帰路という形で鶴岡から寒河江を抜けるルートを下ったことがありましたが、いわゆる庄内平野は通過しただけになっていたので、今回そちらをメインに位置づけました。
柏崎の鯨波から長岡の朝日山の戦い、会津領内での防衛戦を経て、寒河江で最後の遭遇戦を戦った桑名藩士達は、唯一残った同盟軍の庄内藩と庄内領に落ち延びますが、そこで頼みの庄内藩の降伏を受けて、共に停戦降伏したのでした。
最後の寒河江の戦が、桑名藩としては最初で最後の負け戦と言える損害を出しました。戦死18名、その中には立見鑑三郎の次弟である町田鎌五郎も含まれています。
今回、この明治にすすんで初代桑名町長になった町田老之丞を長男に抱く町田三兄弟(鑑三郎は立見家の養子)のご子孫にあたる小林先生の奥様から鎌五郎の霊前にお供えをお預かりして、彼らが眠る寒河江の陽春院に持参するのも目的の一つでした。
庄内では、収容後戦傷がもとで亡くなった藩士の墓や石碑が朽ち果てる寸前になっていたり、その所在も不明になりかけていたのが、偶然の出会いによって発見できたことが間々あった事は、彷徨える若き藩士達の魂が、私を導いたとしか考えられない不思議な現象でした。
■ 臨時議会 |
Date: 2010-04-30 (Fri) |
今月28日に臨時市議会が召集された。
前3月本会議で市長が予告していた、2件の不祥事に対するけじめとしての市3役減給条例案の提出である。
其々、市長20%、山下副市長10%、山本副市長5%、を月額から減給し期間は3ヶ月という。絵に描いたようなお茶を濁す、県内他市との相場処分である。
つまり四日市市での逮捕者を出した中部国際空港海上交通路の不正暴露で10%の減給だったので、1人の逮捕者(懲戒免職者)に対して10%だったから2人で20%という小学生低学年クラスの出来相場である。
当然のことながら、この条例案には否認の立場をとった。
河村名古屋市長は自分の報酬を3分の1(800万円年棒)に下げている。
議員の報酬も半分の800万円(厳密には816万円)に下げろと言うのには説得力がある。算定根拠などというものは不要である。
その年額の数字こそが妥当なのだから。
三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎は、自分の生命線である日本郵船の前身の船会社が、英国P&O社との船賃ダンピング合戦に倒産の危機の時、重役達が自分達の給料を返上して会社を救おうという申し出を断り、自らの報酬だけを半減して、危機を乗り切ったという。
この話を披露して自分ひとりでけじめをつけろと迫ったのだが、副市長二人を道連れにした。部長は戒告処分、つまり幼稚園児に先生がメっと言うだけに留めたのである。
■ 桑名市民会議室 |
Date: 2010-04-14 (Wed) |
桑名市民会議室桑名掲示板にO女史とおぼしき方から投稿があったと聞いたので、さっそく見てみました。
長島でのゴミ袋氏名表記は、この4月から廃止になりました。
当然のことですが、書き込みによると「長島の住民は笑っている」とだけ意味不明な表現で書かれていました。
鈴鹿市でも氏名表記をしていると書いてあるので調べてみますと、鈴鹿でも氏名表記をしている田舎の自治会はあるそうですが、「市が表記を指示していることは絶対にありません。」との担当部署の返事でした。これも当たり前のことです。
法律に違反している行為だからです。公務員にはコンプライアンスが厳しく求められています。
鈴鹿市のことをもうひとつ付け加えますと、鈴鹿市内の中小企業支援のために、桑名市には無い補助メニューがあります。
それが中小企業退職金共済事業団(略して中退共)の企業掛け金助成です。従業員の退職金積み立てをしている中小企業に従業員1人あたり2000円を助成しています。