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【広義の】ホロコーストとは何ぞや?【ホロコースト】


 「諸君は日本軍による強制連行というものを知っているだろうか?

日本軍が朝鮮人を無理やり日本に連行して強制労働させたり、あるいは強制売春させたりしたというアレだ。

実際には徴用・挺身隊・自発的な超高級取りの売春婦(内閣総理大臣以上の給料!)であることがはっきりしているが、それが明らかになると広義の強要性と論点をスライドさせるバカサヨクがいる。

「反論できない空気だった」とか言ってあくまで強制されたと言い張るのだ。

アホすぎるが、これと同じことがホロコースト論争でも起きている。

どういうことだろうか?

修正主義者は言う。

「我々はホロコースト否定論者ではなく、修正主義者だ」と。

わたしは最初「?」と思った。

「ガス室」を否定し、「ユダヤ人をユダヤ人というだけで殺した」という話を否定したのであれば、それはホロコースト否定論ではないのか?

特に「ガス室」を否定したら、それはホロコーストの否定そのものではないか?

わたしはそう思うのだ。

だが、修正主義者あえて「ホロコースト否定論」という言葉は使わない。

このことについては後述する。

さて、ホロコースト利権については詳細な説明はいらないだろう。

ホロコーストはイスラエルの傍若無人の免罪符となっている。

世界のメディアはイスラエルの行動を批判したくても反ユダヤ主義者というレッテル貼りが怖くて何も言えない。

またホロコースト生存者には莫大な補償金がもらえることとなっている。

ホロコーストによる恩恵は計り知れないものがある。

サヨクに関して言えば、ドイツがどうこうよりも「歴史の見直し」という点が気に入らないのだろう。

日本も同じような冤罪で恐喝されている状況にあるからな。

何がなんでもホロコーストがあったと言いたいわけだ。

逆転裁判でも証明したように、従来の「ホロコースト正史」は嘘と誇張と捏造と歪曲が酷く、事実を捻じ曲げてある種の神話になっていた。

これだけ「物的証拠による裏づけのある歴史」が「ホロコースト正史」とかけ離れた状態ではホロコーストなど否定されるのが当然だとわたしは思うのだ。

しかし、そこでホロコースト肯定派は「広義のホロコーストならばホロコーストはあった」という手法を用いる。

ホロコーストとはニュルンベルグ裁判のような公式の場で決定された言葉ではないため、元々定まった定義など存在しない。

戦後20年以上が経ち、1978年米国TVドラマ「ホロコースト」で広まった言葉だ。

この曖昧さこそホロコースト肯定派の最後のよりどころなのだ。

ドイツの偉大なる勇者にして囚人である修正主義者ゲルマル・ルドルフは言う」

 

 

 

「(ホロコースト肯定派は)たとえ犠牲者が一人であってもそれは犯罪なのだと主張し始める」

 

 

 「ルドルフはホロコースト肯定派を完全にバカにしているが、わたしもまったく同意見だ。

ホロコースト信者は「ホロコーストがあった」という大前提が先にあり、これは揺るがない。

それに合わせてホロコーストの定義を曖昧にする。

だから修正主義者はホロコースト信者の言葉遊びに付き合わない。

ホロコースト否定論という言葉もあえて使わないのだ。

さて、曖昧とは言ったが、ネットでぐぐればホロコーストの定義がいくつか出てくる。

ネットで拾ったものをいくつか列挙してみよう」

 

 参考資料:「ホロコースト」Wikiより 
(アドレス:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88)
ホロコーストとは、狭義にはナチ党政権下のドイツおよび、その占領地域においてユダヤ人やシンティ・ロマ人、エホバの証人などに対して組織的に行われたとされる絶滅計画を指す。 広義には虐殺一般をホロコーストと称することもある(が、元々ホロコーストという単語自体に虐殺などの意味は無い)。英語にては前者を定冠詞付き固有名詞の(The Holocaust)とし、後者を普通名詞の(holocaust)として区別される。

 参考資料:「ホロコースト」 ホロコースト百科事典より 
(アドレス:http://www.urban.ne.jp/home/hecjpn/what.html)
 ギリシャ語にその語源を持ち、「全焼のいけにえ」を意味していましたが、時代と共に、大規模な破壊、殺人をあらわすことばとして用いられました。第2次世界大戦後、ナチス・ドイツによるユダヤ人や他民族への破壊、大量殺人を意味することばとして用いられ、今日では、主にユダヤ人(600万人)への大量虐殺を表現することばとして、一般化しています。

 参考資料:「ホロコースト」 マイクロソフト・エンカルタ百科事典
(アドレス:http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/HolocaustTeigi050816.htm)
ホロコースト Holocaust ギリシャ語で「全部」を意味するholo-と、「焼かれた」を意味するcaustosとの合成語。
もとは、いけにえを丸焼きにしてそなえた宗教儀式をさした。
現代の用語法では、人の災害にももちいられる。
 頭文字を大文字にすると、
ナチス・ドイツ(→ ナチズム)がヨーロッパのユダヤ人を絶滅しようとしておこなった殺戮(さつりく)行動をさ
す。

 参考資料:「ホロコースト」 はてなダイアリーより
(アドレス:http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DB%A5%ED%A5%B3%A1%BC%A5%B9%A5%C8)
[holocaust]大虐殺。
特にナチスによるユダヤ人に対する大虐殺をさすことが多い。

 参考資料:「ホロコースト」NPO法人ホロコースト教育資料センターより
(アドレス:http://www.ne.jp/asahi/holocaust/tokyo/)
ロコーストは、第二次世界大戦時にヨーロッパでおきたユダヤ人虐殺を表す言葉として広く使われています。殺されたユダヤ人は600万人に及び、そのうち150万人が子どもでした。これは、20世紀、科学技術や医学が発達した近代国家のもと、計画的・組織的に行われた虐殺でした。他にも反体制者、身体障害者、ロマ(ジプシー)らが犠牲となりました。

 

 「ホロコーストの説明は同じようで微妙に異なっていることがわかる。

これを分析すると、だいたい次のうちのどれかに当てはまるだろう」

 

 

  1. ナチス・ドイツによる絶滅計画(ガス室+ユダヤ人狩り)によるユダヤ人600万名+その他の民族を含めた犠牲者
  2. ナチス・ドイツによる絶滅計画(ガス室+ユダヤ人狩り)によるユダヤ人+その他の民族を含めた犠牲者(数字問わず)
  3. ナチス・ドイツによる絶滅計画(ガス室+ユダヤ人狩り)によるユダヤ人600万名の犠牲者(ユダヤ人限定)
  4. ナチス・ドイツによる絶滅計画(ガス室+ユダヤ人狩り)によるユダヤ人の犠牲者(ユダヤ人限定+数字問わず)
  5. ナチス・ドイツによる絶滅計画(ガス室)によるユダヤ人600万名の犠牲者+その他の民族を含めた犠牲者
  6. ナチス・ドイツによる絶滅計画(ガス室)によるユダヤ人600万名の犠牲者(ユダヤ人限定)
  7. ナチス・ドイツによる絶滅計画(ユダヤ人狩り)によるユダヤ人600万名の犠牲者(ガス室否定)
  8. ナチス・ドイツによる国家規模のジェノサイド(虐殺+その他)のユダヤ人600万名の犠牲者=ポグロム(絶滅計画否定+ガス室否定+ユダヤ人標的)
  9. ナチス・ドイツによる国家規模のジェノサイド(虐殺+その他)の犠牲者=ポグロム(絶滅計画否定+ガス室否定+ユダヤ人標的+数字問わず)
  10. ナチス・ドイツによる国家規模のジェノサイド(虐殺なし)の犠牲者(ユダヤ人標的+ガス室否定+数字問わず)
  11. ナチス・ドイツによる国家規模のジェノサイド(虐殺+その他)の犠牲者(人種問わず+数字問わず)
  12. ナチス・ドイツによる戦争の犠牲者(戦争に巻き込まれただけ)
  13. ナチス・ドイツによる国家規模のユダヤ迫害(殺害は問わない)
  14. ナチス・ドイツによる国家規模のユダヤ逮捕(逮捕の理由は問わない)
  15. 第二次大戦における戦争によるユダヤ人の悲劇(戦争による悲劇ならばOK)
  16. 第二次大戦におけるユダヤ人の悲劇(戦時中における悲劇ならばOK)
  17. 第二次大戦における戦争による伝染病の拡大によるユダヤ人の大量死(ドイツの過失)
  18. 第二次大戦における戦争による伝染病の拡大によるユダヤ人の大量死(連合軍の過失)

 

 参考資料:ジェノサイド Wikiより
元はナチス・ドイツのユダヤ人虐殺に対して使われたため、一般には計画的大虐殺の意味で使われるが、国外強制退去による国内の民族浄化、あるいは異民族、異文化・異宗教に対する強制的な同化政策による文化抹消、また国家が不要あるいは望ましくないと見なした集団に対する断種手術の強要あるいは隔離行為など、あくまでも特定の集団の抹消行為を指し、その手段が必ずしも殺戮である必要はない。

 

 「適当に列挙してみたが、たいていはこのどれかに当てはまると思われる。

例えばWikiの「ホロコースト」は「絶滅計画があった。数字は問わない」ということで(2)となる。

ホロコースト百科事典では「600万の大虐殺。手段は問わない」ということで(8)となる。

だが、この中でホロコーストと呼べるものは果たして何番までだろうか?

せいぜい(9)までではないだろうか。

(10)は国外追放・強制収容・移送などによって”結果として死亡した”ということであって、虐殺したわけではないという説だ。

これをホロコーストと呼ぶのは無理があるだろう。

(11)以降も同じことが言える。

ホロコーストとは比類なき大虐殺であって、ただの虐殺とは一線を引いているからこそホロコーストなのだ。

ホロコーストには比類するものがあってはならない。

それでは「ホロコースト」という固有名詞の意味がないからな。

そして、逆転裁判では(1)〜(9)までをすべて否定する証拠を列挙してきた

 

・600万人の数字には根拠がない

・絶滅計画の命令書がない

・収容所の死亡率を下げろという命令書はある

・虐待命令はない

・治療記録はある

・ガス室は偽者

・死体安置室の設計図はある

・毒ガス死体はゼロ

・病気と栄養失調の死体は多数ある。

・ユダヤ人をユダヤ人という理由で殺害した命令はない

・ゲットーには働けない子供や老人のユダヤ人が大勢生きていた

 

 

 

 「(10)以降はあった。

これには異論はない。

ジェノサイドには大虐殺という意味以外にも、「迫害」や「強制収容」という意味もあるからだ。

実際、ナチスによる差別や迫害はあったし、強制収容が残酷で人権を無視した行為であることは確かだ。

ユダヤ団体が宣戦布告したとはいえ、その国際ボイコット運動にはまったく関わってなかった人たちが、ある日突然家と財産を没収されて収容所にぶこまれた。こんなことをされれば誰だって恨むだろう。

(11)は戦争だから当たり前にあった。

パルチザン狩りの煽りで無実の人間が多数殺害されたこともあっただろう。

その中には女・子供や赤ん坊までもいただろう。

ドイツ軍はパルチザンの報復に民間人の人質を殺害する命令を出した。

また共産主義者の同調者を殺す「人民委員命令」も出している。この人民委員命令は1942年初頭には却下されたが。

だから民間人が戦争の犠牲になったことは事実だ。

しかしそれは「戦争ではよくあること」に過ぎない。

伝染病で大量のユダヤ人は死んだことは大きな悲劇である。

だが、これもそれだけの話だ。

「東方」計画にしたがったソ連住民(まず、ユダヤ人と共産党員)の殺害命令は存在する。

負傷者に病院のベッドを空けるために、瀕死の病人を殺害する命令も存在する。

精神病院に収容されている患者の殺害、撃墜されたアメリカ軍飛行士の殺害、占領地域での人質の射殺命令も、署名、部局印、部数入りのものまで、お望みどおりに存在する。

しかし、当時は戦争中だったことを考慮すれば、こういったことがあったのは当然なのだ。

ドイツ軍の資料を押収して調べても、そのような戦争犯罪が一つとして存在しなかったとすればまさしく神の軍隊になってしまう」

 

 ロシア修正主義者の声(1)著:イ・カツマン
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/katsman_01.htm)
さらに、グラーフによると、ヒトラー一派による現存の命令書の中には、ガス室によるヨーロッパ・ユダヤ人の大量絶滅に言及している文書は一つもない。「東方」計画にしたがったソ連住民(まず、ユダヤ人と共産党員)の殺害命令は存在する。負傷者に病院のベッドを空けるために、瀕死の病人を殺害する命令も存在する。精神病院に収容されている患者の殺害、撃墜されたアメリカ軍飛行士の殺害、占領地域での人質の射殺命令も、署名、部局印、部数入りのものまで、お望みどおりに存在する。しかし、ガス室について何らかのかたちで言及している資料は、一つたりとも発見できなかったのである。数百万の大量埋葬地もやはり一つたりとも発見できなかった。すべてが焼却されたとしても、焼却された骨からの数千万の歯を、跡形もなく、消し去ることはできないであろう。

 

 「逆転裁判で説明したように、ドイツ軍の戦争犯罪は連合国に比べてかなり少なかった。

しかし、ゼロではなかった。

戦争犯罪はあった。

だが、それらをホロコーストと呼ぶのは無理があるだろう。

これらをすべてホロコーストと呼んでしまったら、比類なき悲劇という点は否定される。

そしてこれらだけでホロコーストと呼べるなら、わざわざガス室の話をでっち上げる意味がない。

相手が大きな戦争犯罪を犯していたならば、わざわざ捏造しなくてもその事実をアピールするだけで効果は十分だ。

たとえばカチンの森事件に代表されるソ連の粛清のようにな。

ドイツ軍は欧州の若者をソ連との戦いに狩り出そうとして、ソ連の戦争犯罪を暴きアピールしてきたが、戦争犯罪を捏造はしなかった。

ソ連の戦争犯罪は簡単に証明でき、その規模もかなり大規模に行われていたために捏造する必要が無かったからだ。

また(9)までとは言ったものの、果たして(7)〜(9)もホロコーストと呼べるだろうかは疑問だ。

ガス室のないホロコーストは果たして成り立つだろうか?

実はこれこそホロコースト肯定派が「あーあー、聞こえないニダ」と叫びたくなる嫌〜な質問だったりする。

ホロコースト肯定派は旗色が悪くなると「ホロコーストはなんぞや?」という攻撃をしてくる。

定義・定説・俗説。ホロコーストは裁判などで公的に定義されたものではないからいくらでも逃げられる。

しかし定義・定説・俗説すべてに共通することは「ガス室を否定したらホロコーストは成り立たない」ということだ。

ガス室の評価を下げる説は存在する。

「ガス室はメインではなかった。しかしホロコーストはあった」という説はホロコースト肯定派の中でもちょくちょく見られる。

ガス室に関する文書資料がゼロだから、ガス室はあくまで副次的なものと考えたいのだ。

だが、この場合でも、ガス室の犠牲者の数はどんどん減少しているものの、ガス室そのものがあったという主張には変わりない。

いろいろ調べたが、「ガス室否定でもホロコーストは成り立つ」と主張している著名なホロコースト肯定派は一人もいなかった。

そんなことを言うのはホロコースト否定禁止法で有罪を逃れようする法廷対策の場合だけだからだ。

IHR(歴史見直し研究所)が「ガス室否定しているがホロコーストは否定してない」というのは法廷対策以外の何者でもないだろう。

IHRの本部はアメリカだが、アメリカではホロコースト否定禁止法はないもののホロコーストを否定したら社会的地位を失う国だし、ヨーロッパにはホロコースト否定禁止法があるからこれは当然だろう」

 「『ホロコーストがなかった』と言えないこんな世の中じゃ ポイズン♪

 

 参考資料:TBS−NEWS 2007/2/28
(アドレス:http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news3503786.html
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1172590044/)
 第2次世界大戦中、ナチスに迫害されたユダヤ人少女が書いた作品、「アンネの日記」を焼き捨てたネオナチのメンバーに対し、刑事責任を求める裁判がドイツで始まりました。  26日、ドイツ東部の町、シェーネベックの裁判所に出廷したのは、クラカウ被告(28)ら20代のネオナチのメンバー7人です。  彼らが問われている罪は、「民衆扇動罪」。ヒトラーが率いたナチスによる支配を賞賛し、 ユダヤ人への迫害を否定したというものです。  事件は去年の夏、この広場で起こりました。クラカウ被告らは、蹴ってぼろぼろにした 「アンネの日記」を、大勢の人たちに向けてかざした後、火の中に投げ入れたといいます。  ドイツでは、第2次大戦の反省から、ナチスを讃える行為について法律で厳しく禁止しています。 検察庁は、60以上の言語に翻訳され世界中でベストセラーとなった「アンネの日記」への攻撃が、 「ホロコースト=ユダヤ人の大量虐殺」の否定につながっていると判断、5年以下の懲役に問える 「民衆扇動罪」を適用しました。  今回の事件は、戦後、反省してきたはずのドイツ社会に強い衝撃を与えたと専門家は指摘します。  「本を焼く(焚書)という行為は、ナチ党の最初のアクションでした。これ(今回の事件)は ホロコーストを再現する象徴といえます」(アンネ・フランクセンター、ヘッペネル所長)  初公判でメンバーらは、「アンネの日記」を焼き捨てたことは認めたものの、ホロコーストを 否定するつもりはなく、すべて誤解だと主張しました。その一方、弁護団には、極右主義者の 有力弁護士らも加わって法廷での戦略を綿密に練るなど、問題の根深さと深刻さを感じさせています。

 

 「そして「ガス室を否定したらホロコーストは成り立たない」と主張してる著名なホロコースト肯定派を何名かソース付きで発見した。

彼らは人間石鹸や変てこな処刑道具の発明品は否定しても問題ないが、ガス室だけは譲れない。

ガス室否定は全面降伏だと考えている連中だ。

デボラ・リップシュタットに関しては「修正主義そのもの」がホロコースト否定論だと敵視しているので、彼女はガス室否定はホロコースト否定と考えていると判断していいだろう」

 

▼「ガス室否定でホロコーストは成り立たない」とする著名なホロコースト肯定派

●ダニエル・ジョナ・ゴールドハーゲン
 (ハーバード大学の政治学者)
●ピエール・ヴィダル-ナケ
 (ユダヤ系フランス人の歴史家でフランス国立社会科学高等研究院教授)
●クロード・ランズマン
 (ユダヤ系フランス人。映画「ショアー」の監督)
●ロベルト・レデカー
 (フランス人。ピエール・ポール・リケ大学の哲学教授)
●デボラ・リップシュタット
 (アトランタのエモリー大学近代ユダヤ・ホロコースト研究助教授)

 参考資料:ホロコースト広義 著:ゲルマル・ルドルフ
L:ゴールドハーゲンの説と似ていますね。
R:そのとおりです。ゴールドハーゲンは、ドイツ人は本質的に大量虐殺を志向する反ユダヤ主義者であると述べた本の中で、同じような見解を披瀝し、ガス室には副次的な意味しか与えていません[15]。
ゴールドハーゲンはウィーンの雑誌とのインタビューの中で、こう述べています[16]。
「私にとって、ユダヤ人の工業的絶滅はホロコーストの定義の核心ではありません。
…ガス室は象徴です。しかし、ホロコーストがガス室無しで起こったと考えるのもナンセンスです。

 参考資料:ホロコースト広義 著:ゲルマル・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/2994.htm)
 もちろん、こうした見解は、ロベルト・レデカーRobert Redekerやランズマンのようなガス室の高僧の考え方とはマッチしていません。彼らは、ガス室の非神話化が破局をもたらすと考えているからです[17]。ランズマンはホロコースト・ロビーのもっとも行動的な活動家ですが、その彼でさえも、敗北主義的な見解を披瀝しています。映画『ショアー』[18]の中でハード・エビデンス(文書、物的証拠)をまったく提示せずに、目撃者とのインタビューに終始した理由を尋ねられて、彼はこう述べています[19]。
「『ショアー』では、文書資料にはまったく時間が割かれていません。そのような思考方法、作業方法は私の方法ではないからです。それに、そのような資料も存在しません。…もしも、SSが撮影した秘密のフィルム――そのような撮影は禁止されていたのですが――を発見し、その中で3000名のユダヤ人男女・子供がアウシュヴィッツの焼却棟2のガス室の中で一緒に死んでいく場面が写されていたとしても、私はそれを公開しませんし、むしろ破棄してしまうでしょう。その理由を説明することはできません。」
L:でも、それはクレージーですね。
R:3年後、ランズマンはこう付け加えています[20]。
「理解しないことが私の鉄則なのです。」

 参考資料:ホロコースト広義 著:ゲルマル・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/2994.htm)
L:メイヤーはガス室問題から後退しているように見えますが。
R:ピエール・ヴィダル-ナケは修正主義に強く反対していますが、すでに1984年にこうした姿勢のことを警告しています。
ガス室を放棄することは「全面降伏」であるというのです[8]。しかし、このようなことは何回も試みられてきたのです。例えば、二人のユダヤ系の教師による編集者宛の手紙を紹介しておきましょう。彼らは、民族社会主義者が戦後に虚偽の自白を行なってガス室の話をしたのは、「ユダヤ人に対する時限爆弾を作り出すためであった」という説を1987年に唱えています[9]。

 参考資料:ホロコースト広義 著:ゲルマル・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/297.htm)
プレサックの意義に関しては、修正主義の執念深い敵Robert Redekerを引用しておきましょう。彼は、フランスの哲学的月刊誌Les Temps Modernesでこう述べています[18]。
「修正主義は、その他の理論のような理論ではない。それは破局なのである。…破局とは時代の転換である。…修正主義とは神話の終焉を意味する。…われわれの神話の終焉を意味する。」
「プレサックの本『アウシュヴィッツの焼却棟:大量殺戮の技術』は、修正主義者の敗北を意味するどころか、その逆説的な勝利を意味している。(恐ろしい規模での犯罪の存在を肯定する)明白な勝利者たちが敗北し、(修正主義者とそれに同伴する否定派という)明白な敗者が舞台の前面に登場している。彼らの勝利は目に見えないものであるが、確固としたものである。…修正主義者が議論の中心に立ち、方法を決定し、自分たちの覇権を強固なものとしているのである。」[19]

 『ホロコーストの否定(邦訳:ホロコーストの真実)』(リップシュタット)を批判する
著:The Journal of Historical Review
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lipstadt_01.htm)
否定派の話にいちいち答えるのは、時間の無駄である。証拠をねじ曲げ、記録や発言を文脈から切り離して部分的に引用し、自説とは矛盾する証拠の山を切り捨てる。こうした方法を駆使する人々の議論に対処するには果てしのない努力が必要である。対処しなくてはならないのは、修正主義者の議論自体ではなく、議論のやり方である。私が明らかにしておきたいのは、彼らが物事を混同せしめ、歪曲するやり方である。とくに、彼らの過激な見解を隠蔽している理性的な調査という幻想を暴露することが重要である。」(p. 28、邦訳上88頁)
(中略)
彼女は高潔な動機を表明しているが、その背後に深刻な問題がひそんでいることが、最初から明らかである。まず、彼女は
真理を探究するといいながらも、否定派との論争を拒んでいることである。確かに、彼女は「かつては、否定派を無視することを熱心に唱えていた」(p. 221)という。しかし今は、彼らの考え方に対処するが、論争はしないというのである。論争してくれとの要請をたびたび拒んだことを繰り返し強調している(もっとも、修正主義者のフォーリソンに会ってインタビューしているが)。

 「『ホロコーストはあった。ただしガス室は嘘』という説は成り立たないこと異論のある著名な肯定論者はいない。

ガス室を否定したらホロコーストが成り立つわけが無い。

当たり前の話だ。

ホロコースト肯定派が「広義のホロコースト」という言葉遊びや詭弁を使って誤魔化しを繰り返そうとも、ガス室を否定したらホロコーストが成り立つわけが無いのは誰の目にも明らかなのだ。

とどのつまり、ホロコーストの有無はガス室にかかっていると言っても過言ではないだろう。

ガス室を否定した時点でホロコーストは否定されたことになる。

そして我が「逆転ニュルンベルグ裁判」ではアウシュヴィッツのガス室を否定してきた。

だからわたしは断言できるのだ。

ホロコーストはなかったと。

「ガス室はなくても、ユダヤ人をユダヤ人という理由で殺害したからホロコースト」という主張はホロコーストを肯定することには決してならない。

そんなことを言ったら背後の肯定派に後ろから攻撃されるだろうな。

百歩ゆずってその主張をホロコーストとした場合も、それは簡単に否定することができる。

アドルフ・ヒトラーがユダヤ人だからという理由で殺害命令を出したことは一度も無いからだ。

総統はそのような物理的絶滅というボリシェヴィキ的な方法はドイツにふさわしくないという意見に賛成していたのだから」

 

 参考資料:修正主義の勝利 著:R・フォーリソン
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/faurisson_10.htm)
戦争という大量殺戮現場の中で、人々は苦しみます。近代戦においては、交戦国の民間人が、兵士ほどではないとしても、かなりの苦難を経験することがあります。ヨーロッパ・ユダヤ人は、1933年から1945年までのドイツ人との紛争の中で、非常な苦難を経験してきましたが、それは、彼らがあつかましくも主張しているような程度ではありませんでした。たしかに、ドイツ人はユダヤ人を敵対少数民族もしくは危険な少数民族として扱い、戦争が始まると、そのために、第三帝国当局は、ユダヤ人に対して強制的政策、軍事的保安措置をとらざるをえなくなりました。この措置が、拘留収容所への収容、ひいては強制収容所・強制労働収容所への移送というかたちをとったこともあります。サボタージュ、スパイ行為、テロ活動、とくにロシア戦線での連合国支援のゲリラ活動の咎で処刑されたユダヤ人もいましたが、それは、彼らがユダヤ人であるという理由からだけではありませんでした。ヒトラーが、人種的理由、宗教的理由で殺害を命令・許可したことは一度もありません。600万人のユダヤ人死者という数字については、イェルサレムのヤド・ヴァシェム研究所が努力してきたにもかかわらず、まったく根拠が明らかにされていない捏造数字です。

 参考資料:ホロコースト講義 著:ゲルマル・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/410.htm#_edn8)
バウアー自身が、ヒトラーが殺戮の意図を抱いていたという説に証拠をあげて反駁しています。その証拠とは、開戦後の1940年5月の文書資料なのですが、その中で、ヒムラーは、「民族の物理的絶滅というボリシェヴィキ的な方法をドイツにはふさわしくない方法として」しりぞけているのですが、ヒトラーは、この文書の端に、「まったく正しい」とコメントしているのです。

 参考資料:1940年5月 ヒムラーからヒトラーへのメモ
(アドレス:)
May 1940 memo to Hitler:
"I hope to see the complete elimination of theconcept of the Jew through the possibility of a large-scale emigration ofall Jews to Africa or otherwise in a colony;" "out of inner conviction"the idea of "physical elimination of a people [must be rejected] as un-Germanic and impossible."
[note]Himmler memo to Hitler, May 1940. NO-1880. NMT, vol. 13, pp. 147-150.;Vierteljahrshefte fuer Zeitgeschichte, No. 5, 1957, p. 197.

 

 「ホロコーストの定義とは事実上『ガス室』であることを説明してきたが、実際にはこんなことではホロコースト肯定派は首を縦に振らない。

連中は「ガス室を否定したらホロコーストは成り立たない」ことにはっきりとコメントを出さない。

ガス室否定は許されないから自動的に賛成するしかないわけだが、その時点でガス室論争突入、それでボコボコにされるのが目に見えている。

だからガス室論争からは逃げまくるわけだ。。

しかしそのような状況下でなお「ホロコーストはあった」と言い張る。

この連中はというものを知らないから困るな。

ホロコーストの定義をめぐる細かい論争は実に不毛で意味が無い。

それは実際の論争をROMっていればわかるだろう。

ホロコースト肯定派の間でも定義が一致してないから事実上の否定はできても、完全な否定はできない。

広義のホロコーストはホロコースト正史とは別物になってしまっているが、それでもホロコーストはあったと言う信者がいる。

もうね。アホかと。バカかと。

付き合っても時間の無駄だからこの問題は置いておくとしよう。

さて、いろいろホロコーストについての定義を見てきたが、本家イスラエルの国立ホロコースト博物館ではどのように定義されているのだろうか?

見てみよう」

 

 

 参考資料:ホロコースト ホロコースト博物館より
(アドレス:http://www1.yadvashem.org/Odot/prog/index_before_change_table.asp?gate=0-2)
The Holocaust, as presented in this resource center, is defined as the sum total of all anti-Jewish actions carried out by the Nazi regime between 1933 and 1945: from stripping the German Jews of their legal and economic status in the 1930s, to segregating and starving Jews in the various occupied countries, to the murder of close to six million Jews in Europe. The Holocaust is part of a broader aggregate of acts of oppression and murder of various ethnic and political groups in Europe by the Nazis. Nevertheless, it has special significance due to the exceptional attitude with which its perpetrators - the Nazis - regarded their Jewish victims. In the Nazi terminology the Jews were referred to as 努orld Jewry,・a term unparalleled with respect to any other ethnic, ideological, or social group. The Nazis・proclaimed goal was the eradication of European Jewry.

(機械翻訳:このリソースセンターに提示されるホロコーストは1933年から1945のナチ政権によって実行されたすべての反ユダヤ人の動作の総和と定義されます: 様々な占領下の国でユダヤ人を隔離して、飢えさせるヨーロッパでのおよそ600万人のユダヤ人の殺人への1930年代にドイツ人のユダヤ人から彼らの法的で経済の身分を奪い取るのから。 ホロコーストは、圧迫の行為の、より広い集合の一部とナチスによるヨーロッパの様々な民族の、そして、政治上のグループの殺人です。 それにもかかわらず、それには、特別な意味が例外的な態度の加害者(ナチス)が彼らのユダヤ人の犠牲者を見なしたためあります。 ナチ用語で、ユダヤ人は努・ orld Jewry、いかなる他の民族的、または、イデオロギー的、または、社会的なグループに関しても並ぶものがない用語と呼ばれました。 ナチス・ 目標であると宣言されているのは、ヨーロッパのJewryの根絶でした。)

 

 「ユダヤ人600万名殺害+絶滅というわけだ。

ホロコースト博物館はガス室は否定してないので、上の定義からすると(3)だろう。

さすがに本家イスラエルのホロコースト博物館だけあって典型的なホロコーストの定義というわけだ。

ロマやジプシーは無視しているところは実にユダヤらしい。

さて、このホロコースト博物館には犠牲者の名簿が載っている」

 

  参考資料:ホロコーストの犠牲者名簿
(アドレス:http://www.stormfront.org/solargeneral/library/www.fpp.co.uk/online/05/04/Holocaust_victims.html

Name   Town   District   Region   Country   Bday   Source  
 

Friedemann Adolf

 

Berlin 

 

Berlin 

 

Berlin 

 

Germany 

 

1879 

 

list of victims from Germany 

 

Friedemann Adolf

 

Berlin 

 

Berlin 

 

Berlin 

 

Germany 

 

1879 

 

list of deportation from Berlin 

 

Friedemann Adolf

 

Berlin 

 

Berlin 

 

Berlin 

 

Germany 

 

1905 

 

list of deportation from Berlin 

 

 「…ちょっと待て。

ホロコースト犠牲者のソースは移送リストではないか。

このリストに載っている連中は必ずしも収容所で死んだわけではないと注意書きが書かれている。

つまり、ホロコースト=逮捕か?

ナチの収容所は殺人犯のテロリストや共産主義者も収容された。

そーいう連中はドイツの法律に違反したから収容されたわけだが、それらを全部ひっくるめてホロコーストの犠牲者と呼ぶのはインチキもいいところだ。

これは詐欺以外の何者でもないぞ。

人種差別で逮捕されガス室で殺された、あるいは殺される寸前で奇跡的に助かったというならばホロコーストの犠牲者と言えるだろう。

またユダヤ人というだけで殺された、あるいは奇跡的に助かったというのも良しとしよう。

だが、これのどこがホロコーストの犠牲者だ?

こんなものをホロコーストと言っても、ほとんどの人は納得しないぞ。

当然わたしも納得しない。

あれか?

広義のホロコーストか?

しかし、どれほど言い訳しようと、ソースが移送リストではホロコースト犠牲者の名簿はインチキだと言わざるを得ないな」

 「だってお金が欲しいんですもの。

ホロコースト生存者の数が多ければ、補償額も多くなりますし」

 「まったく・・・。

しかし事実はもっと馬鹿馬鹿しい。

この名簿をホロコースト犠牲者と呼ぶのはインチキであるが、実際に金がからむともっと酷いペテンが行われている

 

 参考資料:ホロコースト広義 著:ゲルマル・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/170.htm
 イスラエルには、ホロコースト生存者の世話をする公式団体Amchaが存在します。その資料によると、1997年の時点で、世界各地には834000名から960000名のあいだのホロコースト生存者がいました。Amchaはホロコースト生存者を次のように定義しています[3]。

ホロコースト生存者とは、ナチ体制下にあった国、ナチ占領下にあった国、ナチ協力者の体制下にあった国で暮らしていたすべてのユダヤ人、および、この体制と占領から逃亡したユダヤ人と定義される。

L:かなり大雑把な定義ですね。この定義にしたがえば、1933年から1941年の大量移送の開始までに時期にドイツから移住したユダヤ人もホロコースト生存者となってしまいますし、ドイツ軍の侵攻以前に東方に逃亡したユダヤ人も生存者となってしまいます。R:そのとおりです。このようにして、生存者の数を肥大化させることができます。とくに、彼らに対する補償を請求するにあたっては、この方が儲かるのです。

 

 「この定義による「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ一家がもしもユダヤ人だったらホロコーストの犠牲者になるわけですか?」

 「そうなるな。

1933年1月30日にヒトラー政権が発足し、それが嫌でその日のうちにさっさと国外退去したユダヤ人もホロコーストの犠牲者となるし、15万人のユダヤ系ドイツ兵もこの定義からすればホロコーストの犠牲者になるのだろう。

この定義からすれば、ホロコースト=ユダヤ人が1933〜1945年にドイツ支配地域で暮らしていたことということになるぞ。

インチキとか詐欺とかってレベルじゃないな。

もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気分だ」

 「実に素晴らしい。

この定義ならば生存者はぐーーーんと増えますし、補償額もぐーーーーんとアップします。

働いたら負けです。楽して稼ぐ金は本当にすばらしい

 「…こんなことばかりしてれば、そりゃ嫌われるだろ。

ユダヤ人が好かれる要素はフィクションの中にしかない。

さて、本家イスラエルのホロコースト博物館や公式のホロコースト支援団体で、このような詐欺的用法が使われていることからもわかるように、ホロコーストがあったと言い張るには曖昧な定義、広義のホロコーストに論点をスライドせざるを得ないのが現実のホロコースト肯定派なのだ。

そして曖昧にすれば比類なきホロコーストという点は否定される。

ホロコースト肯定派は、このジレンマを説明することはできない。

だからできることと言えば、法律でホロコーストの存在に疑問を持つことを禁止することだけなのだ。

…と言いつつ、さらに反則技を使おうとしている連中もいる。

これは人間石鹸が嘘だとばれたときに使った前例がある手だ」

 

 参考資料:ホロコースト講義 著:ゲルマル・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/2995.htm)
L:メイヤーはガス室問題から後退しているように見えますが。
R:ピエール・ヴィダル-ナケは修正主義に強く反対していますが、すでに1984年にこうした姿勢のことを警告しています。ガス室を放棄することは「全面降伏」であるというのです[8]。しかし、このようなことは何回も試みられてきたのです。例えば、二人のユダヤ系の教師による編集者宛の手紙を紹介しておきましょう。彼らは、民族社会主義者が戦後に虚偽の自白を行なってガス室の話をしたのは、「
ユダヤ人に対する時限爆弾を作り出すためであった」という説を1987年に唱えています[9]。

 参考資料:ユダヤ石鹸 著:マーク・ウィーバー
ホロコースト物語の中でも,最もどぎつく悪質な物語の一つとして,ドイツ人が犠牲者の身体から石鹸を製造したという物語がある。第一次世界大戦後にも,ドイツ人に同じような嫌疑がかけられたが,この時はすぐに嘘であると判明した。しかし第二次世界大戦中,この嫌疑は再び持ち出され,より広く信じられるようになった。さらに重要なことに,この嫌疑は1945〜46年のニュルンベルク裁判で「立証」され,その後多くの歴史家によって事実として伝えられた。ところが近年,絶滅物語の最も奇妙な部分が否定されるにつれて,ホロコースト歴史家たちもしぶしぶながら,人間石鹸物語が戦時プロパガンダによる嘘だったことを認め始めている。しかし,認めはするものの,彼らは石鹸物語について,戦時の単なる「噂」でしかないと言うだけである。この馬鹿げた物語を作り出し,広めたのが国際ユダヤ組織,そして連合国政府であったことを彼らは決して認めはしない。 ドイツ人がユダヤ人を殺し,その身体から石鹸を製造しているという戦時の噂は,部分的には,ドイツ政府がユダヤ人ゲットーおよび収容所に配布した石鹸に由来している。そこには「RIF」と刻まれており,読みようによっては「純粋ユダヤ脂肪」と読めるからである (「純粋ユダヤ脂肪」と読むためには「RIF」ではなく「RJF」でなければならないのだが,それは問題とはならなかったらしい。) この噂は1941〜42年,ポーランド,スロヴァキアに広がり,ドイツ政府はその影響について公式に懸念を表明したほどである。 例えばアメリカの軍事諜報機関は,ポーランドからの情報として,ドイツ人が1941年,ポーランドのトゥレクで「人間石鹸工場」を稼働させていたと報告している。「ドイツ人は何千人ものポーランド人教師,牧師,ユダヤ人を連れていき,血液を抜き,その後彼らを大きな鍋に放り込み,グリースを作り,そこから石鹸を製造している。」 この非人間的な「人間石鹸」のジョークは,ゲットーや収容所での話題となった。そしてゲットーや収容所の外にいる人々も,しだいにその物語を信じるようになった。ユダヤ人を載せた列車がつかの間,駅に停車するような時,ポーランド人たちは嬉しそうに「石鹸になるユダヤ人!」と叫んでいたそうである。1944年にアウシュヴィッツに移送されたイギリス人の囚人も戦後,「ガス室で殺されたユダヤ人が石鹸にされるという噂を聞いた。」と証言した。 この石鹸物語はもともと信じられないほど馬鹿げているのだが,しかしユダヤ人,そして連合国にとっては重要な戦争プロパガンダであった。ラビ 〔ユダヤ教の牧師・訳注〕 であるステフェン・S・ワイズは戦時中,世界ユダヤ会議,そしてアメリカユダヤ会議の議長であった。彼は1942年11月にこう述べている。「ドイツ人は,ユダヤ人の死体を石鹸・油脂・肥料といった戦時重要物資へと変えている。死体の利用価値が高いため,ドイツ人はわざわざ死体を掘り出し,それぞれの死体に50マルク支給しているほどである。」 1942年の終わり,米ユダヤ会議が発行している『議会ウィークリー』誌は次のような記事を掲載した。「ドイツ人はユダヤ人を殺し,科学的方法を使って肥料・石鹸・接着剤へと変えている。フランス・オランダから移送されたユダヤ人は,ドイツに少なくとも二つある特別工場で,石鹸・接着剤・列車燃料となっている。」アメリカの他の雑誌もこれに同調し,有力な〈ニュー・パブリック〉誌も1943年初頭,「ドイツ人がシドルツェにある工場でユダヤ人犠牲者の死体を石鹸・肥料に変えている」と記している。 1943年6〜7月,ソ連に本部を置く「ユダヤ反ファシスト委員会」の二人の代表団が,全米を訪問した。彼らは大規模な集会を何度も開き,それによってソ連の戦争資金として200万ドル以上を集めた。こうした集会で,ソ連のユダヤ人指導者ソロモン・ミコエルは人々に石鹸を見せ,「これはユダヤ人の死体から作られたものです」と言った。 戦後,石鹸物語はニュルンベルク裁判でも重要なテーマとなった。ソ連法務大臣L・N・スミルノフは裁判で次のように述べた。 「SSの技術者はガス室や殺人トラックを作り出す技術を持っていました.その同じ技術を使って,彼らは人間の身体を完全に消滅させる方法を考案したのです.それは彼らの犯罪を隠すためもでもありましたが,それだけでなく,ある製品を製造するためでもありました.ダンツィヒの解剖研究所では,半ば産業用の実験が行われ,それによって人間の身体から石鹸が製造されました.石鹸だけでなく,産業製品用に人間の皮膚をなめす実験も行われたのです.」スミルノフはジークムント・マズールの自白を長々と引用した.マズールはダンツィヒ研究所の研究員であった.この自白は,ニュルンベルク裁判でソ連側証拠197として提出された.この自白によれば,ダンツィヒ研究所の所長,ルドルフ・シュパーナー博士が1943年,死体から石鹸を製造することを命じた.シュパーナー博士の計画は,ドイツ政府の首脳によって決定された計画であった.教育大臣ベルンハルト・ルスト,厚生大臣レオンハルト・コンティ博士,そして医学研究所に勤務する他の教授たちも,シュパーナーの計画について証言した.マズールは彼自身,自分の身体を洗い,衣類を洗濯するために「人間石鹸」を使ったとも言った. シュパーナー博士によって考案された人間石鹸の「製造法」(ソ連側文書196)もまた,ニュルンベルク裁判で公表された.最終的には「人間石鹸」の標本と思われるものがソ連側証拠393として提出された. イギリス検事団長ハートレー・ショークロスは裁判の最終弁論で,ソ連側の主張に同調した.「時折,犠牲者の身体すら,戦時中の石鹸不足を補うために使われた.」最終判決においても,裁判官は「石鹸の商業製造のために,犠牲者の身体の脂肪を利用する試みがあった」との判断を下した. ここで強調しておかねばならないが,この馬鹿げた石鹸物語の「証拠」としてニュルンベルク裁判に提出されたものは,「ガス室」大量殺戮の証拠よりはましだったことである.なぜなら石鹸物語の場合,少なくとも実際の石鹸が証拠として提出されたからである.
戦後,ユダヤ墓地では,言わゆるホロコーストの犠牲者たちが石鹸の形で,荘厳に埋葬された.例えばイスラエルのハイファ墓地では1948年,葬儀かたびらで包まれた四本の石鹸が,ユダヤ宗教儀式に従って埋葬された.「ユダヤ石鹸」は他の場所でも,ホロコーストの忌まわしい遺物として陳列されている.例えばワルシャワのユダヤ歴史研究所,ダンツィヒ (ポーランド名はグダンスク) のシュトゥットホーフ博物館,ニューヨークのイーボ研究所,フィラデルフィアのホロコースト博物館,メルボルン (オーストラリア) のユダヤ・ホロコースト・センター,そしてイスラエルのさまざまな場所にそうした石鹸は並べられている. 戦時中,ドイツのゲットー,収容所で生活した多くのユダヤ人たちも,戦後,石鹸物語の普及に貢献した.例えばベン・エーデルバウムは1980年,ホロコーストの記憶として次のように記している.
「ドイツ人はしばしば,ゲットーに『RJF』というイニシャルの石鹸を配っていた.この石鹸は『RIF石鹸』として知られている.私たちは戦争が終わるまで,この石鹸のぞっとするような真実について知らなかった.もし私たちがゲットーでその真実に気づいていたら,全ての『RIF石鹸』に対して,マリシン墓地でユダヤの聖なる葬儀を行っていただろう.しかし実際は,私たちは真実を全く知らず,愛すべき同胞の骨や肉で身体を洗っていたのである.」
ネッセ・ゴディンは1944年,リトアニアのゲットーからシュトゥットホーフの強制収容所に移送された.彼女も1983年のインタビューで収容所到着の模様について,次のように回想している.
「到着した日,ドイツ人は私たちに石鹸を渡し,シャワーを浴びるように言いました.戦後,私たちはその石鹸がユダヤ人純粋脂肪で製造されていたことを知りました.それは石鹸に書かれていたイニシャルで分かります.私もその石鹸で身体を洗いました.私は自分が使った石鹸に,私の父の脂肪も少しは含まれていたのだという
ことを知っています.それについて考える時,私がどんな気持ちになるとお思いですか?」
メル・マーメルシュタインはアウシュヴィッツの生存者で,1991年4月のセンセーショナルなケーブルテレビ番組『忘れてはならない』で特集された人物である (ちなみに彼は歴史見直し研究所,その他3人の被告人に1100万ドルの訴訟を起こしている.) その彼は1981年の証言で,「私や他の囚人たちは人間脂肪で製造された石鹸を使いました」と述べた.彼はまた「私が使った石鹸が,ユダヤ人の身体から製造されていたことは明白な事実です」とも付け加えた. 有名な「ナチ・ハンター」サイモン・ヴィーゼンタールも1946年,石鹸物語を繰り返している.以下に引用するのは,墺ユダヤ教団で版されている雑誌『新しい道』に彼が掲載した記事である.この記事の最初で彼はこう述べている.
「三月下旬,ルーマニア報道機関が奇妙な報道を行った.ルーマニアの小さな街,フォルティセンティでは,20箱の石鹸が大きな儀式と共にユダヤ墓地に埋葬された.この石鹸はドイツ軍の元貯蔵庫で発見された.この箱にはRIFというイニシャルが書かれており,『純粋ユダヤ脂肪』という意味であった.これらの箱はSS部隊向けのものであった.この皮肉なイニシャルからは,この石鹸がユダヤ人の身体から作られたものであることが一目で分かる.だがさすがにドイツ人も,石鹸成分が子供・少女・男性・老人のどれであるかについては記載していなかった.
1942年以降,ポーランド政府はRIF石鹸が何を意味するかについて,充分に知っていた.文明世界の人々は,ナチスやその女性たちが,どれほど嬉しそうにこの石鹸を使ったかについて想像できないだろう.それぞれの石鹸には,第二のフロイト,エーリヒ,アインシュタインになったであろうユダヤ人たちが,魔法のように詰め込まれていたのである.」
ヴィーゼンタールは別の記事でも次のような言葉を残している.
「人間脂肪から石鹸を製造するという話は,あまりに信じ難いものであり,強制収容所の中にいた人々ですら,なかなか理解できないほどであった.」
戦後何年も,多くの有名な歴史家は石鹸物語を繰り返した.例えばユダヤ人歴史家ウィリアム・L・シャイラーは,ベストセラー『第三帝国の興亡』の中で,やはり石鹸物語を持ち出している. ソ連の戦争プロパガンダを率先して担当したイリヤ・エレンブルクは,戦後の回想記でこう記している.「私の手元には一個の石鹸がある.この石鹸には,今では伝説となっている『純粋ユダヤ脂肪』と刻まれている.つまりこれは,殺された人々の死体から作られた石鹸なのである.しかしこれ以上は言うまい.これについては何千もの本が書かれているのだから.」
カナダの中学校で使われている標準的な歴史教科書『カナダ: 20世紀』は,「ドイツ人は『石鹸を製造するために』ユダヤ人犠牲者の死体を『ゆでた』」と記している.ブナイ・ブリス 〔ユダヤ人フリーメーソンの組織: 訳注〕 のシオニストが結成している「ADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)」は「ナチズム解剖学」というパンフレットを発行し,配布している.そこには次のような言葉がある.「残忍さは,ただ大量殺戮だけにとどまらなかった.それは殺された人々の死体から大量の石鹸を製造することにまで及んだのである.」
1981年には『ヒトラーの絶滅収容所』という詳しい本が出版された.ここでも石鹸物語が,どぎつい詳しさで繰り返されている.著者のコニライン・ファイグは,「学者の中には,ナチスが人間脂肪から石鹸を製造したというのは単なる不吉な噂と主張している人もいる」と認めながらも,石鹸物語を認めている.その理由として,彼女は次のように述べている.「東ヨーロッパの収容所を研究している学者のほとんどは,石鹸の話を認めている.なおかつ人間から製造された石鹸は東ヨーロッパに陳列されている.私はこれまでそれをいくつも見てきた.」
ニューヨークのラビ,アーサー・シュナイヤーは,大きなホロコースト会議の開会式で,やはり石鹸物語を持ち出した.この会議は1983年4月,ワシントンで開かれ,「アメリカ人のホロコースト生存者」が集まった.この席でシュナイヤーは厳かに言った.「私たちは石鹸に書かれてあるイニシャルが,純粋ユダヤ脂肪であると知っています.これは愛すべき同胞の身体から製造された石鹸なのです.」
しかしこうした一見もっともらしい全ての証拠にもかかわらず,ドイツ人が人間石鹸を製造したという嫌疑は誤りである.それは今やホロコースト歴史家たちが遅ればせながら,認めていることである.「純粋ユダヤ脂肪」と勘違いされているイニシャルは,実は「帝国・産業脂肪供給センター」のイニシャルにすぎない.このセンターは戦時,石鹸・洗剤の製造・配給を取り仕切っていたドイツ官庁である.またRIF石鹸は質の悪い代用品で,実は人間脂肪どころか,いかなる脂肪も含まれてはいなかったのである. 戦後しばらく経って,ドイツのフレンスブルク公共検事局は,ルドルフ・シュパーナー博士に法手続きを開始した.それは,彼がダンツィヒ研究所で人間石鹸を作ったかどうかという嫌疑である.しかし調査後,この手続きは人知れず取り下げられた.公共検事局は1968年1月の書簡で,「調査の結果,人間の死体からの石鹸製造はダンツィヒ研究所では行われていなかった」という調査結果を出した. より最近では,ユダヤ人歴史家ウォルター・ラカーは,1980年の本『残酷な秘密』の中で,出回っている歴史を「否定」した.彼はこの中で,人間石鹸物語は現実性がないと認めたのである.同じくユダヤ人歴史家ギッタ・セレニーも,『あの暗闇の中へ』の中でこう記している.
「死体が石鹸・肥料を製造するために使われたという話は,最終的には否定された.ナチ犯罪を調査している『ルートヴィヒスブルク中央局』は広く信頼の置ける機関であるが,この機関がそれを否定したのである.」
近代ユダヤ史を研究しているデボラ・リプシュタット教授も1981年,同じように歴史の「書き換え」に同意している.彼女は書いてイスラエル・ヘブライ大学のイェフーダ・バウアー教授は,ヤド・ヴァシェム・ホロコースト記念館の館長シュムエル・クラコウスキーと同じく,第一線のホロコースト歴史家と見做されている.
このバウアー教授も1990年4月,人間石鹸物語は真実ではないことを認めた.「囚人はドイツ人について,どんな恐ろしい物語でも信じ込んでしまう状況だった」と彼は記している.しかし彼は厚かましくも,その後で噂の責任をナチスに押し付けている. 実際,石鹸物語に対する非難は,ジーモン・ヴィーゼンタールやステフェン・ワイズ,あるいは世界ユダヤ会議や連合国側に浴びせるべきものである.しかし彼らの誰一人として,悪質な虚偽を流したことについて謝罪表明を行ってはいない. しかしなぜバウアーやクラコウフキーは現在,石鹸物語を公に否定すべき時期だと判断したのだろうか? それについてはクラコウスキーが暗示している.つまり現在,ホロコースト物語は沈みつつある.これを救うためには,あまりにも明白すぎる嘘は捨て去った方がいいという「戦略的退却」なのである.現在,見直し論者からの反論は大きくなりつつあり,石鹸物語のような,あまりに馬鹿げた嘘を繰り返せば,それはホロコースト伝説全体への疑いを生起させかねないのである.クラコウスキーは言う.「歴史家たちは,石鹸が人間脂肪から製造されることはなかったと言っている.現在,ホロコーストそのものを否定したい人々が多くいる.なぜそうした人々に,わざわざ攻撃材料を与える必要があろうか?」
真実に対する彼らの譲歩は,計算された,遅ればせのものである.しかしこの譲歩ですら,彼らが行いたくなかったことは,「石鹸物語がニュルンベルク裁判で『立証』されたこと」を彼らが全く言い落としている点からも明らかである.石鹸物語の撤回からは,ニュルンベルク裁判自体の信憑性への疑問が出てくるのだが,それについて彼らは口にしない.あるいはホロコースト物語の他の基本的側面についても疑問が出てくるのだが,それも彼らは口にしようとしない. 第一次世界大戦中にイギリスが行った悪質な「人間石鹸物語」は戦後,イギリス政府によってすぐに否定された.しかし第二次世界大戦では,同じく根拠のないプロパガンダであるにもかかわらず,それが連合国によって立証され,戦後も長い間,権威づけられた.この違いを見れば,西洋の歴史家が誠実さを失いつつあることだけでなく,今世紀,西洋の倫理基準が広く低下したことがはっきりと分かるのである. 「人間石鹸物語」は,戦時の噂が,どれほど馬鹿げていようと,一旦作り出されたなら巨大なインパクトを持ち得ることを改めて示した例である.特にその噂が有力な個人や組織によって広められる場合はなおさらである.これほど多くの知識人,あるいは他の場面でなら思慮深い人々が,こぞって「ドイツ人が石鹸を配り,そのラベルにはユダヤ人の死体から製造されたというイニシャルが輝いていた」という物語を信じたのである.この現象からは,どんなに馬鹿げたホロコースト物語もやすやすと「事実」になってしまうことが見て取れるのである.

▲ 偽者の人間石鹸(現在は行方不明)

 「ガス室はナチスがユダヤ人をはめるために流した嘘だった。

あくまでも悪いのはナチスでユダヤ人は犠牲者である。

・・・と、ガス室が嘘だとばれたときの保険を仕掛けている連中がいるのだ。

だが、こんな言い訳が本気で通用すると思っているのか?

ガス室否定でホロコーストは成り立たない。

ガス室を否定した時点でホロコースト神話は破局する。

ホロコースト神話は永遠に続くものではない。

いつかはその神話も終わるだろう。いつかな。

今回は以上だ」

祇園精舎の鐘の音、

諸行無常の響きあり、

沙羅双樹の花の色、

盛者必衰の理を表す、

おごれる者は久しからず、

ただ春の夢の如し


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