Subject:37
ナチ・ドイツによるジプシー50万人殺害


 「流浪の民ジプシーは11世紀頃に、民族発祥の地とされるインド北西部から旅立ち、トルコ、エジプト、アラブからギリシャを経てヨーロッパに入ってきた人たちのことだ。

彼らがヨーロッパに史料上の存在として確認できるようになるのは15世紀に入ってからとなる。

ジプシーという呼び名は、「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音消失したものと言われる。

だが、実際はインド系なのでこれは誤解だということで現在は「ロマ」と名乗っている。

このため、NHK全国学校音楽コンクールで演奏された「ジプシー」という言葉を含んだ曲が、差別表現として放送中止になったことがある。

・・・朝鮮人化が激しいな。

ジプシーは流浪の民であり、その文化は移動生活だった。

流浪の民といえば聞こえはいいが、実際はただの不法移民だな。

移動型生活のジプシー職業は、伝統的に鍛冶屋、金属加工、工芸品、旅芸人、占い師、薬草販売等となる。

情熱的な「フラメンコ」のダンスもジプシーのダンスだ。

だが、誰もがモンバーラの姉妹   のようなスターになれるわけがない。

中世ならまだしも、近代産業革命以降の高度な工場生産が主流となってくれば、手製の物作り(スプーンやチーズなど)では食っていけないだろう。

薬草販売も、化学に基づいた薬局の処方箋に比べれば効果が低いと言わざるを得ない。

移動生活では学校にも行けないから、文字が読めない。

現在でもジプシーの中高年の多くは非識字者だ。

そもそも定住してないのでは役所に住民登録もできない。

したがってまともな職業にもつけない。

どこの誰か、どこに住んでるのか、連絡が取れるかどうかもわからないような人間を雇う企業がそうそうあるわけない。

必然的に犯罪者が増えるわけだ。

ジプシーが犯罪者の巣窟というのは偏見だというが、こんな生活をしていたら犯罪者と見られても仕方ないぞ。

現在でも日本の旅行ガイドブックには「ジプシーの子どもたちには気をつけるように」と書かれていることがある。

これはジプシーの文化として、他人の物をそっと取ってきて自分のために使うことを罪悪と考えていないというのがあるそうだ。

「彼らにとっては、他人の畑のブドウをちょうだいするのも道端の木イチゴを摘むのも旅行者のカバンからお金を抜くのもひっくるめて「収穫」であり「神様からのさずかりもの」」ということらしい。

親が子供にスリをさせるのも文化の一つというわけか。

……これでは差別されて当然だ。

むしろこーいう連中と仲良くやっていける方がどうかしている。

歴代のヨーロッパ人がジプシーを追放したり、強制定住させたりしたのはジプシーに対する偏見もあるだろうが、ジプシーの文化自体にも問題があると言わざるを得ないな。

窃盗を正当化するような文化に問題がないとは言わせないぞ。

さて、開戦前のドイツ占領下となるヨーロッパには100万人のジプシーがいた。

定説によれば、ナチスによってヨーロッパの50万人のジプシーが虐殺されたとされている。

だが、この50万人という数字にはまったく根拠がない

この数字は1972年の「ジプシーの運命」という本でいきなり登場した。

その本の数字は当時の文書資料に基づいていない個別的な見積もりにすぎないので、きわめて不正確なのだ」

 

 

 参考資料:第三帝国におけるジプシー:誇張、伝説、事実 著:オトヴァルト・ミューラー博士
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/mueller_01.htm)
1. 記念碑であふれる首都
1999年8月7日、ドイツのメディアは、ドイツ出版局dpaからのニュースを報道した[1]。
「ドイツ・シンティ・ロマ中央会議は、民族社会主義者によって殺されたシンティとロマの記念碑をベルリンに建設することをふたたび要求した。
…中央会議は、50万のシンティとロマのホロコーストの犠牲者の記念碑はすでに1994年に、ベルリン市、国会、連邦政府によって承認されているので、建設されるべきであると述べた。しかし、ベルリン市役所スポークスマンは、ベルリンがこのような記念碑を建てることを約束したことを否定した。」
 [50万人]という数をめぐる論争が再開された。記念碑の建設が正当かどうかという問題と同じように、この数字も検証されなくてはならない。
50万人の犠牲者という物的証拠はまったく存在していない。この数字に関して、信頼できる文書資料もないし、学問的調査も行なわれてこなかった。もしも、そうでないとすれば、このような文書資料や調査が記載されている記事の著者、タイトル、出版社、出版年、ISBN番号などを提出していただきたい。私は、もう20年も、この問題についての信頼すべき調査情報を求め続けてきた。

(中略)
最初の疑問点は、50万人の犠牲者という説の根拠に関してである。この数の起源は?
 1972年、Donald KenrichとGrattan Puxonは『ヨーロッパ・ジプシーの運命(The Destiny of Europe's Gypsies)』と題する著作を上梓した。それはロンドンで出版され、「西方少数集団とみなされてきた古代民族に関する、最初の学術的歴史」とか「歴史学的・社会学的に重要な研究書」という高い評価を得ている。1981年、ゲッチンゲンの「危険にさらされている諸民族協会」のTilman Zulchがドイツ語版を出版した。この翻訳では、事実に即そうとする客観的なタイトルが、「シンティとロマ――ナチス国家におけるある民族の絶滅」というように翻訳されていた。ドイツ語では「Schicksal(運命)」を意味する英語の単語「destiny(運命)」が、絶滅を意味する「Vernichtung」に変えられている[2][3]。誰が、学術研究を宣伝目的の翻訳にしてしまったのだろうか!
 KenrichとPuxonは、219700名のシンティとロマが殺されたと確証しようとしている[4]。これは、今日よりも利用可能な文書資料が少なかった1972年時点の数字である。今では、この数字は多すぎるといえよう。合計の数字の見積もりはさまざまであるが、当時の文書資料にもとづいていない個別的な見積もりにすぎないので、きわめて不正確である[5][6]。

 参考資料:ホロコースト講義 著:ゲルマル・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/392.htm)
:ドイツ連邦政府は、500000人のジプシーが殺されたと公式に声明していますが[2]、ルドルフさんとは正反対ですね。
R:ドイツ政府とは正反対の見解を抱くことは、不躾なことなのでしょうか。ドイツの良き伝統にしたがって、ドイツ政府が私たちに語っていることすべてを福音書の真理として無批判的に受け入れなくてはならないのでしょうか?ドイツ政府はジプシーの全面的絶滅についての自分の声明を支持していないというのが事実です。
立証されていることは、開戦前のヨーロッパでは、約100万のジプシーが、ドイツ占領下の地域で生活していたことです。世界でもっとも影響力のあるジプシー団体国際ジプシー連合のデータにもとづいて、『ニューヨーク・タイムズ』は1992年9月27日、1990年代初頭には、同じ地域に1000万以上のジプシーが生活していると述べています[3]。だとすると、ジプシーは絶滅されたのでしょうか?ごく少ない生存者のあいだから、40年間で1000万以上の人々を生み出すことができるでしょうか?ドイツの左翼急進派の新聞『フランクフルター・ルンドシャウ』から引用しておきます[4]。

 

 「ジプシーが逮捕されて収容所に入れられたのは人種差別ではない。

それはジプシーが当時のドイツの法律に違反していたからだ。

現在の日本でも浮浪生活は厳密には犯罪(軽犯罪法)である。

ただ、現実問題として乞食やホームレスを逮捕するとそれだけで役場や刑務所があふれてしまうから放置しているだけだ。

戦時中に、住民登録もパスポートがないのではスパイと思われても仕方ないぞ。

また徴兵制のある国において浮浪者が嫌われるのは徴兵拒否という点も上げられる。

住所不定となれば召集令状の送付先がなくなるからだ。

これはベトナム戦争のときに米国の若者が自らの意志でホームレスとなった理由にもなっていた。

役所から手紙が来ないということは税金も払ってないことになるだろう。

税務署は住所が無いから提訴もできん。

その他、風呂にも入らず病院に行く金もないのでは不潔で伝染病の温床ともなる。

20世紀前半は発疹チフスなどの伝染病が蔓延して多くの死者が出たから、政府としてはジプシーを放置するわけにはいかないのは当然だ。

その他、同性愛者などの

結論から言おう。

第三帝国はジプシーの組織的大量虐殺などしていない。

その証拠となる文書資料は一切存在しない。

法律違反のジプシーは逮捕されて収容所で病気と栄養失調で死んだのだ。

他には戦争中だったからその巻き添えで死んだかもしれんが、ドイツがジプシーを絶滅させようとしたという事実は無い。

現在、世界には数多くの民族がいるが、インディアンや黒人はアメリカ白人に虐殺の記念碑を作れとは言わない。

アフリカの黒人もヨーロッパ人に虐殺の記念碑を作れとは言わない。

存在しなかった大量虐殺事件の記念碑を作れと言っているのは世界でもシナ・ニダ・ユダ、そしてジプシーの4つだけである。

今回は以上だ」


戻る