ソフィア先生の逆転裁判2
〜ユダヤの嘘を暴いてドイツの無罪を勝ち取れ〜

Subject21: 本物のアンネ・フランクの筆跡はどれか?

 「こんにちわ、はじめまして、お久しぶり。

皆さんのアイドル テレサ・テスタロッサSS大佐です。

でも毎回”SS大佐”では芸がありませんね。

今日はドイツ風に名乗ってみましょう。

武装SS大佐(連隊指揮官)は、ドイツ語で「シュタンダルテンフューラー」と言います。

綴りを書くとこうです」

 

Standartenführer

 「単語の活用の変化が複雑極まりないドイツ語の良いところの一つは、綴(つづ)りと発音がほとんど一致していることです。

ですからドイツ人がイギリスに行くと綴りと発音が違うのでファビョることがあるそうです。

ソースは前回出てきた「ドイツ人の真っ赤なホント」ですが、いくら完璧主義のドイツ人でもそこまでアホではないでしょう。

ですからこれはドイツ流のジョークだと思います。

さて、なぜ上の単語が「シュタンダルテンフューラー」と発音するのかを説明しますね」

 

@ 語頭の「st」は「シュト」

A 「u」のうえに点点がついた「ü」は「ユー」

B 「a,e,o」の後の「h」は母音を伸ばす

C 「er」は「エア」もしくは「アー」

 

 「以上の4点に気をつければ後はローマ字読みです。

「フューラー」というと「総統」と訳したくなりますが、この「フューラー」という単語は英語の「リーダー(leader)」に当たる単語なので、実際は「指揮官」とかいう意味なんですね。

ドイツ軍では「〜大佐」とかいう場合には、先に階級が来ます。

これらを考慮して上で名前を名乗ってみましょう」

Standartenführer von Testarossa
[シュタンダルテンフューラー・フォン・テスタロッサ]

 「くぅ〜! 滅茶苦茶カッコいいじゃないですかッ!

ドイツ語の響きは声に出してこそその美しさがわかるというもの。

小声で構いませんからちょっとだけ言ってましょうね。

「フォン(von)」があるのはカッコいいからです。

細かいことは気にしてはいけません

テスタロッサという単語はイタリア語の赤い頭(頭testa+赤rossa)という意味のイタリア語だそうですが、そんなこともカッコいいからという理由の前ならばさして問題ではありません。

 

ちなみにソフィアSS大尉  は、

Hauptsturmführer

Sohia von Pantherburg
[ハオプトシュトゥルムフューラー・
ソフィア・フォン・パンタブルグ]

 

 「となります。

「au」 は「アオ」 

ドイツ語には「th」の発音がないので普通に「t」の発音

ということに気をつけてくださいね。

「ソフィア(Sohia)」という言葉はギリシャ語で「知識」という意味だそうで、ドイツ語でもソフィアは「Sohia」と書くそうですね。」

 「はい、そこっ!ソフィアさんの新しいアイコンを見て

ア○クェイドじゃん とか言わないで下さい。

絵心のない作者が頑張って描いたのに、そんな酷い突っ込みをされてしまったら凹んでしまいます。

再起不能(リタイヤ)してしまったらどうするのですか…?」

 「アル○ェイドじゃん

 「なんですかあなたは。

ここは出番の少ないわたしの貴重な見せ場――――」

 「うふふふ。

そうはいきませんよ大佐殿。

ここから先は「人類皆兄弟、ラブ&ピース、頑固に平和、世界同時革命」をスローガンとする『共産主義者同盟赤軍派赤軍中央軍』が仕切らせていただきます」

 「またマイナーなテロ組織を…スローガンもいい加減だし…」

 「無駄な抵抗はやめて「絶対運命黙示録、紳士革命!!紳士に革命する力を」をスローガンとする『京浜・中京安保共闘人民革命軍』の指示にしたがっていただきましょうか。

そうすれば危害を加えることはしません」

 「さっきと名前が違うし…」

 「うふふ、過去を捏造するのはやめてくださいね。

北一輝の意志を受け継ぎ、人民に真の自由と開放を与えるため我々「連合赤軍」は日夜活動しているのです」

 「…これは暴動(レボルト)ですか?」

 「暴動(レボルト)ではありません閣下、これは革命(レボリューション)でございます」

 「・・・お寒いねぇ

 「我慢してくださいね。長野の冬は冷えますから」

 「そうじゃなくて、わたしが寒いって言ったのは、あなたたちの間抜けぶりのことですよ」

 「単独でこれだけの出番を与えてもらっておいて大した言い草ですね。

前回に続いて今回も出番を与えてくれた我々「アラブ赤軍」に感謝の言葉の一つも――――」

 「やれやれ・・・。あんた、うるさいな」

PAN!PAN!PAN!

 「ふぅ……

何という世の中でしょう。狂人が恥を知れと叫ばねばならないとは。

戦争をしていては世界が生きていけないように、革命ばかりやっていては、国民の生存は不可能なのです。

ドイツには、これまでの時代に、革命はめったにありませんでした。

十九世紀という神経時代は、われわれの手によって息の根をとめられたのです。

つぎの千年間に、もう二度と、ドイツに革命は起こることはないでしょう。

さて、Part18ではアンネの日記についてのソースが間違っていたということで大変落見苦しいところを見せてしまいましたね。

というわけで今回はリベンジです。

読めばもちろん、読まなくてもわかるのですが、アンネの日記自体にはホロコーストの証拠能力はありません。

アンネ自身はガス室を見たわけではないからです。

とはいえ、この日記が偽造であることを証明しなければすっきりしません。

あの日記の内容に明らかに矛盾した部分があることは読めばわかるのですが、それでは単なる状況証拠にすぎません。

多くの人を納得させるには、もっと決定的な証拠が必要です。

そんなわけでアメリカのWebサイトからソースを拾ってきました。

著名なフランス人歴史修正主義者のフォーリソン教授はアンネの日記が偽物であると言ってます。

その根拠は彼女の2年半の筆跡の変化です。

素人目にもはっきりその違いがわかるほど、アンネの筆跡はサンプルによって著しく違います。

アンネ・フランクは1929年に生まれ、1942年のときは13歳でした。

日記の筆跡はとても13歳の少女が書いたとは思えませんが、ときより13歳の少女であると思える筆跡もあるのです。

論より証拠、これを見てください」

 

パットン「ライン川でションベンしようぜ!」

↑ ライン川で小便するパットン将軍

 「左は1942年6月12日のアンネの…って、間違えました。

これは突撃大好き二丁拳銃大好き戦争大好きの不良中年米軍のパットン将軍の写真ですね。

ちなみにパットン将軍は自分の回想録の中で、ドイツの医師は脳を肉体から切り離したまま、生かすことができたという説をまじめに受け取っている困ったちゃんだったりします。

しかしナチス・ドイツは、ジェット機、ロケット機、巡航ミサイル、誘導ミサイルなどの新兵器を実際に開発してきたため、ナチスの科学力に不可能はないと思ってしまったのはパットンだけではなく、連合国全体がそんな感じだったのです」

 

参考資料:「シャーロック・ホームズのガス室 ホロコーストのガス処刑説の文芸学的分析の試み」
著サミュエル・クロウェル 歴史的修正主義研究会試訳
Samuel Crowell,The Gas Chamber of Sherlock Holmes, An Attempt at a Literary Analysis of the Holocaust Gassing Claim
 焼却は、リサイクルやさまざまな悪意のある動機付けと結びついていただけではない。この手順についての一部の諸説は、大戦中や終戦直後に登場したドイツの技術的革新ひいては医学的革新に関する空想的な諸説と容易に結びついてしまった。たとえば、ソ連はニュルンベルク裁判で、ドイツの医師は注射を使って癌を移植する技術を完成させたと主張しており[374]、パットン将軍は、自分の回想録の中で、ドイツの医師は脳を肉体から切り離したまま、生かすことができたという説をまじめに受け取っている[375]。ドイツの宇宙ステーション計画が発見されたとき、それは、ドイツの宇宙計画の中でのみ意味を持つはずなのであるが、アメリカのマスコミでは、太陽光線を凝縮して地上にはねかえす巨大な鏡を使って、都市を焼き尽くし、「海の一部」を沸騰させる計画として報道された[376]。ドイツがいわゆる「太陽光線銃」を開発していたのではないかという憶測は、連合軍パイロットのヒステリーと符合していた。1944年秋から連合軍パイロットは、ドイツ上空で自分たちの飛行機の後を追う小さなボールのようなものを報告し始めていた。これらの「Foo Fighters」や「ドイツ野郎のボール」は、セント・エルモの火程度のものであったかもしれないにもかかわらず、ドイツが連合軍飛行機の電気システムを妨害するために発射した遠隔操作の飛行物体という話となった。
[374] The Soviet Special Commission on Auschwitz, USSR-8
[375] Patton, George S. Jr., War As I Knew It, Bantam, NY:1980, p. 284

※ 太陽光線銃→ソーラレイ? 遠隔操作の飛行物体→ファンネル? …なかなか夢のある話である(笑)

参考資料:「シャーロック・ホームズのガス室 ホロコーストのガス処刑説の文芸学的分析の試み」
著サミュエル・クロウェル 歴史的修正主義研究会試訳
Samuel Crowell,The Gas Chamber of Sherlock Holmes, An Attempt at a Literary Analysis of the Holocaust Gassing Claim
 連合国がドイツの技術的進歩について誇張された考え方を抱くようになったことには、ドイツの指導部にもかなりの責任がある。驚異的な兵器が戦争の流れを変えるであろうと語り続けることで、銃後の士気を維持することができたからである。一方、ドイツ兵器技術は、ジェット機、ロケット機、巡航ミサイル、誘導ミサイルなどを実際に開発してきた。このために、連合国は、『ファシストの技術の最後の言葉』[383]にはまったく限りがないと信じるようになり、どのような主張でもありうることと考えられるようになった。たとえば、自然の法則を無視することができる焼却棟、すなわち「ガス炉」などである[384]。

※ ホロコースト物語は「ドイツの科学力は世界一ィィイイイイイイ!」であったがゆえに連合軍に納得されたのである。これがもしも日本だったならば「黄色人種にホロコーストを行える技術力があるわけがない。ホロコーストは捏造だ」と一蹴されていただろう(藁)

 「見せたいのはこっちの写真と資料です」

 

↑ アンネの日記
Webサイト「Dagboek Anne Frank Huis」より
(アドレス:www.annefrank.nl/eng/diary/textdagboek/textDB3_1.html)

1942年 6月12日のアンネの筆跡 1942年10月10日のアンネの筆跡

↑ 左:1942年 6月12日のアンネの筆跡
   右:1942年10月10日のアンネの筆跡

「The Saga of Robert Boatman:How One U.S. Executive Stood Up to the Anne Frank cult」
著Historical Review Pressより

 

 参考資料: 「HISTORICAL NEWS AND COMMENT Anne Frank's Handwriting」
著ROBERT FAURISSON(Institute for Historical Review)

One reason for skepticism about the famous diary attributed to Anne Frank is the existence of strikingly different samples of handwriting supposedly written by her within a two and a half year period.My first work about the Anne Frank diary was published in French in 1980. A translation of it appeared in the Summer 1982 issue of The Journalof Historical Review under the title "Is the Diary of Anne Frank Genuine?" (pp. 147-209).A facsimile reprint of this article was published as a booklet by the Institute for Historical Review in 1985. Two samples of handwriting attributed to Anne Frank appeared on the front cover and on page 209. Each was written when she was about 13 years old, but strangely enough, the earlier one (dated 12 June 1942) looks much more mature and "adult-like" than the sample which was supposedly written four months later (dated 10 October 1942).In response to growing skepticism about the authenticity of the famous diary, the State Institute for War Documentation in Amsterdam (Rijksinstituut voor Orloogsdocumentatie or RIOD) published a book in 1986 which includes a facsimile of a letter supposedly written by Anne dated 30 July 1941.
The discovery in the USA of some more samples of Anne's handwriting was announced in July 1988. This includes two letters dated 27 and 29 April 1940 and a postcard that was sent with one of the letters, all written to an ll-year-old penpal in Danville, Iowa.These letters create a new problem for the State Institute for War Documentation because the handwriting on them is quite different than the "adult" handwriting of her letter of 30 July 1941 as well as most of the purported diary manuscript.

Sample 1: 29 April 1940: Anne was almost 11. Source: New York Times, 22 July 1988, p. A1.

Sample 2: 30 July 1941: Anne was a little more than 12. Source: De Dagboeken van Anne Frank, Amsterdam; RIOD, 1986, p. 126.

Sample 3: 12 June 1942: Anne was exactly 13. Source: Journal de Anne Frank, Calmann-Levy, 1950.

These discoveries strengthen my belief that the "adult handwriting attributed to Anne is, in reality, very likely the handwriting of one of the persons who officially "helped" Otto Frank prepare the diary for publication just after the war.
Reproduced here are four samples of handwriting attributed to Anne Frank (who was born on 12 June 1929) with their dates.

Sample 4: 10 Oct 1942: Anne was a little more than 13. Source: Journal de Anne Frank, Livre de Poche, 1975.

 

 「上はアンネの日記の写真。

ホントはもっと拡大された画像が好ましかったのですが、残念ながらこれが精一杯でした。

とりあえず13歳の少女とは思えないほどの達筆であることはこの写真からでもわかります。

問題はその下の二つの画像です。

左は1942年6月12日のアンネの筆跡。

そして右は1942年10月10日のアンネの筆跡。

両方とも文の最後に筆記体で「Anne Frank」と書かれています。

これらの筆跡はフォーリソン教授の論文にある、アンネ・フランクのものとされているサンプル4つのうちの2つです。

本当は残りのサンプルの画像も探したかったのですが、残念ながら現在は捜索中です。

さて、どうでしょう?

この2つは筆跡鑑定の門外漢からみても別人の筆跡だと思います。

もしも片方が本物で片方が偽物だとしたならば、どちらが13歳の少女の筆跡だと思いますか?

はいそこ、右の筆跡が13歳の少女の字っぽいと思いましたね?

おめでとうございます。

あなたは共産主義者から見事にネオナチ認定されました。

上の2つの筆跡のサンプルが同一人物によって書かれたものだと思えない人は問答無用でネオナチなのです。

酷い話です。

どうせレッテルを張るならナオナチよりもネオジオンのレッテルを張って欲しいものです。

ネオナチもネオジオンも似たようなものですし。

とまぁ、今回はここまでです。

まだまだ十分ではないと思いますが、また新しいネタが見つかったら追加しますね」

 「では皆さん、また今度お会いしましょう。

Auf Wiedersehen [アオフ ヴィーダァゼーエン] 」

 

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