ソフィア先生の逆転裁判2
〜ユダヤの嘘を暴いてドイツの無罪を勝ち取れ〜

Subject 19: 「600万人は本当に死んだか?」のアンネの日記に関する間違った記述&オーストラリアのイタリア兵は勇敢だったか?

 参考資料: 『Did Six Million Really Die? Books on-line』 著Richard E Harwood

The truth about the Anne Frank Diary was first revealed in 1959 by the Swedish journal Fria Ord.
It established that the Jewish novelist Meyer Levin had written the dialogue of the "diary" and was demanding payment for his work in a court action against Otto Frank.

A condensation of the Swedish articles appeared in the American Economic Council Letter, April 15th, 1959, as follows: "History has many examples of myths that live a longer and richer life than truth, and may become more effective than truth. "The Western World has for some years been made aware of a Jewish girl through the medium of what purports to be her personally written story, Anne Frank's Diary. Any informed literary inspection of this book would have shown it to have been impossible as the work of a teenager. "A noteworthy decision of the New York Supreme Court confirms this point of view, in that the well known American Jewish writer, Meyer Levin, has been awarded $50,000 to be paid him by the father of Anne Frank as an honorarium for Levin's work on the Anne Frank Diary. "Mr. Frank, in Switzerland, has promised to pay to his race kin, Meyer Levin, not less than $50,0OO because he had used the dialogue of Author Levin just as it was and "implanted" it in the diary as being his daughter's intellectual work." Further inquiries brought a reply on May 7th, 1962 from a firm of New York lawyers, which stated: "I was the attorney for Meyer Levin in his action against Otto Frank, and others. It is true that a jury awarded Mr. Levin $50,000 in damages, as indicated in your letter. That award was later set aside by the trial justice, Hon. Samuel C. Coleman, on the ground that the damages had not been proved in the manner required by law. The action was subsequently settled while an appeal from Judge Coleman's decision was pending. "I am afraid that the case itself is not officially reported, so far as the trial itself, or even Judge Coleman's decision, is concerned. Certain procedural matters were reported in 141 New York Supplement, Second Series 170, and in 5 Second Series 181. The correct file number in the New York County Clerk's office is 2241 -- 1956 and the file is probably a large and full one . . ." Here, then, is just one more fraud in a whole series of frauds perpetrated in support of the "Holocaust" legend and the saga of the Six Million. Of course, the court case bearing directly on the authenticity of the Anne Frank Diary was "not officially reported". A brief reference may also be made to another "diary", published not long after that of Anne Frank and entitled: Notes from the Warsaw Ghetto: the Journal of Emmanuel Ringelblum (New York, 1958).
(中略)
20... only seven years after its initial publication, a New York Supreme Court case established that the book was a hoax. . . It established that the Jewish novelist Meyer Levin had written the dialogue of the "diary" and was demanding payment for his work in a court action against Otto Frank. (p.21)
This was not true; in fact Levin had sued for payment for writing a play based on the diary itself. Faurisson and Irving testified that other proof existed, however, that the diary's authenticity was suspect. Expert examinations of the original diary by graphologists and West German criminal laboratories showed that one person had written the diary and part of it was written in ball-point pen ink, which only came into use in the 1950s. Faurisson believed the diary was written by Otto Frank, the father of Anne Frank.

 

 「リチャード・ハーウッドが最初に出版した『600万人は本当に死んだのか?』は、アンネパパことオットー・フランクはメイヤー・レビンに”アンネの日記の会話部分を執筆した”礼金を支払ったと書いてあります。

この記述はツンデル裁判で間違いであると立証されました。

事実は、メイヤー・レビンは日記そのものを執筆したです」

 「あれ?テッサちゃん。その訳はおかしいよ」

 「え? ど、どこがですか?」

 「だってさ。

上の「600万人は本当に死んだか?」のフォーリソンさんの書いた注釈の部分だけど

This was not true; in fact Levin had sued for payment for writing a play based on the diary itself.

「これは本当ではない。レビンは(日記そのものをもとにした戯曲 a play based on the diary itself  )を書いたことに対する支払いを求めて訴えを起こした、というのが事実である」

って訳すべきでしょ。

itselfがあるから日記自身とか訳したんだろうけど、これは違うと思うよ」

英文を読み間違えた単なるポカミスだね、これは」

 「と…いうことは…?」

 「うーん、これは『アンネの日記の作者=メイヤー・レビン』説のソースにならないってことかな。

英語の辞書を片手にせっかく訳したのに残念でした」

 「そんな…」

 「でもアンネの日記に歴史史料の価値はないんだし、そんなに気にすることはないんじゃないかな」

 「そ、そうですよね!

細かいことは気にしないで次に行きましょう

 「少しは気にしたほうがいいと思うんだけど…」

 「この程度で落ち込んでたら世の中やっていけませんて。

くじけず明るくレッツ・トライ!」

とまぁ、なんだかんだで様々なソースを生んでくれたツンデル裁判は「ホロコースト論争のスターリングラード戦」と呼ばれています。

誰が呼んだかというと、胡散臭さではヒルバーグに勝るとも劣らないエルンスト・ツンデルさんです。

スターリングラード攻防戦は独ソ戦の転換期であり、これ以降、ドイツ軍は負け戦が続くようになりました。

ツンデル裁判をスターリングラード攻防戦にたとえているのは一種の皮肉ですね。

そしてツンデル裁判から10数年。

ホロコースト論争は第3次ハリコフ戦に突入しました」

 

 参考資料: Deutsche Welle 31_10_2003
German Parliamentarian Calls Jews "Race of Perpetrators"
 The head of Germany's Jewish community has called Martin Hohmann's comments "disgusting anti-Semitism."
Nearly four weeks after making a speech in which he described Jews as a "race of perpetrators," a German member of parliament faces charges of anti-Semitism from the Jewish community.
Martin Hohmann of the opposition Christian Democrat Union has come under fire from party leadership and the country’s Jewish community for anti-Semitic comments he reportedly made during a speech on the 13th anniversary of German reunification.
On Oct. 3 the parliamentarian from the state of Hesse referred to the Jews as a "
race of perpetrators" and compared the Russian revolution with the Holocaust.
Hohmann said that primarily Jewish Bolsheviks were responsible for crimes committed against civilians during the Russian revolution. He then went on to compare what he claimed was bloodshed orchestrated by Jews in Russia in the early 1900s with the murder of Europe’s Jews by the Nazis in the Third Reich.
"Jews were active in great numbers in the leadership as well as in the Soviet secret police firing squads," Hohmann told constituents in his hometown of Neuhof. "Thus one could describe Jews with some justification as a Tatervolk [roughly translated as race of perpetrators]."
Although he admitted in his speech that such a comparison "may sound horrible," Hohmann said it followed the "same logic with which one describes the Germans as a race of perpetrators."

 

 「ヨーロッパ大陸金融の中心地フランクフルトを擁するヘッセン州(州都:ヴィースバーデン)は、ドイツ連邦共和国を構成する16州の一つで、人口およそ600 万人、面積21,000ku、ヨーロッパ市場の中央に位置し、土地の42%が森ですが、ヨーロッパでは最強の経済力を誇る地域の一つです。

2003年10月3日、東西ドイツ統合13年記念のスピーチで、ヘッセン州のマーティン・ホーマン(Martin Hohmann)議員  がユダヤ人を加害者民族と呼び、ロシア革命とホロコーストを比較しました。

第一に、ユダヤ人はロシア革命でロシアの民間人を殺したことに責任を持つこと。

続けて、流血は、1900年代初頭のロシア革命におけるユダヤ人と、ナチ時代の欧州のユダヤ人の殺人者によって組織化されたものだと主張しました。

そしてここが一番のポイントですが、ホーマンは「ユダヤ人はソ連の秘密警察と同じくらい積極的に活動した」と言っています。

ホーマン議員はネオナチではなく、キリスト教民主党連合(Christian Democrat Union)に所属してます。

彼は演説の中で、自分の発言がユダヤ人の一部を見てユダヤ人全体が加害者とも受け取れる内容だったことを認めています。

そして同じことがドイツ人にも言えるとも言ってます。

ホーマン議員はナチスのホロコーストそのものについて否定はしてません。

ですがこの記事を見る限り、ホーマン議員はホロコーストは無かったことを知っていると思います。

なぜならホロコーストを肯定するような人間は、ユダヤ人がソ連の手先だったことなど知らないからです。

根拠は希薄ですが、世の中なんてそんなものです。

裁判では使えませんが、状況証拠にはなります。

なにより、ホロコーストを否定していないとはいえ、「ユダヤ人は加害者民族」という発言はネオナチぎりぎりの発言です。

この先、彼の行動はチェックする必要がありますね。

もっともホーマン議員は、この4週間後にユダヤ系団体から事実を言うな、事実をと、ボコボコに叩かれてしましたけど。

ちなみにこの記事は日本でも朝日(ちょうにち)新聞が掲載しましたが、ユダヤ人がソ連の手先であるということは書かれてません。

朝日新聞にとってはナチスが悪党であればあるほど、同盟していた日本も悪党であると言いたいのでしょう。

あのような反日売国奴を量産する新聞社はさっさと潰してしまうべきだと思います」

 

 参考資料:asahi_com 国際 2003/11/5
「ユダヤ人は民族として加害者」 独議員発言に波紋
 ドイツの最大野党で保守系のキリスト教民主同盟(CDU)に所属するマルティン・ホーマン連邦議会議員(55)が先月、「ユダヤ人は民族として加害者だ」と発言し、波紋を広げている。独連邦軍の司令官が「よく言ってくれた」と絶賛したことも4日明らかになり、戦後半世紀以上経た今もドイツ社会に反ユダヤ主義が根強いことを示した。ドイツは被害者に謝罪や補償をすることで、ナチスによる大量虐殺の過去を克服しようとしてきたが、その努力への信頼が大きく揺れている。ホーマン議員の発言は、ユダヤ人をロシア革命などで多数の人々を殺した「加害民族」と位置づけ、ドイツ人はそれと同じ論理で第2次大戦の「加害者」とされたとする。両民族を同列に置き、ドイツ人だけが加害者ではないという印象を与える内容だ。10月3日のドイツ統一記念日に地元選挙区の講演で語った。発言が報じられた後、独連邦軍特殊部隊のギュンツェル准将が「我が国民の多くが心から思っていることだ。左翼の非難に負けず、その精神を貫いてほしい」と同議員に激励の書簡を送っていたことも、公共テレビの報道でわかった。シュトルック国防相は、即座に准将の解任を発表したが、発言したホーマン議員については、CDUが「戒告」とし、所属する内政委員会を除名しただけ。独ユダヤ人中央評議会は、処分が甘いとし、民衆扇動などの疑いで告発する準備を進めている。同評議会のシュピーゲル会長は「ホーマン議員の講演を聞いた約250人から反論が何もなかったということだけでもスキャンダルだ」と批判した。ドイツがナチスの犯罪の過去を克服するために続けてきた「民主的な努力と信頼が損なわれる」と語っている。 (11/05 16:33)

参考資料:Kyoto Shimbun 2003.11.05 News
反ユダヤの軍司令官解任
独で議員発言に賛同
【ベルリン5日共同】ドイツのシュトルック国防相は5日までに、「ユダヤ人は加害民族」と発言した野党議員に賛同の書簡を送っていた連邦軍特殊部隊のギュンツェル司令官(59)を4日付で解任したことを明らかにした。戦後半世紀以上過ぎてなお反ユダヤ主義が根強いことを露呈した形で、ドイツ国内で思わぬ波紋を広げている。ドイツの最大保守野党キリスト教民主同盟(CDU)のホーマン議員が10月初旬の講演で、ユダヤ人が参加したロシア革命により多数の人々が死亡したことを指摘した上で「ユダヤ人を加害民族ということができる」と発言。これに対し、司令官は「わが国ではめったに聞くことができない素晴らしい発言」との書簡を同議員に送っていた。

※ ドイツにおける反ユダヤがタブーの状況は、日本における反支那・反南北朝鮮がタブーの状況に似ている。
しかしよくよく見てみると実際は似ているのではなく、支那と南北朝鮮がユダヤのやり方をパクっているだけだったりする。
「謝罪と賠償を請求する!」という嫌がらせはユダヤのパクリであった。

 参考資料:原書房発行「民間防衛 スイス政府編」
混乱と敗北主義の挑発者どもは逮捕すべきであり、 敵側の宣伝のために身を売った新聞は発行を差し止めるべきである。侵略者のために有利になることを行なった者は、その程度のいかんを問わず、 裏切者として、裁判にかけなければならない。

※ 日本は東洋のスイスたれ!byマッカーサー

 

 「ふふふ、それにしてもなかなか面白くなってきたではありませんか。

わずかづつですが、確実にドイツは自虐史観から立ち直りつつあります。

インターネットの普及によって、歴史修正主義(リビジョニズム)は飛躍的なはやさで広まっています。

10年以内にD−dayを開始できる可能性すら出てきました。

ノルマンディーの次はカーン。

カーンの次はサン・ロー。

サン・ローの次はシェルプール。

シェルプールの次はパリ。

パリの次はベルリン。

それでめでたく凱旋です。

ベルリンが陥落すれば、第101空挺師団所属の二等兵を探せなんて無謀極まりない命令も帳消しになるでしょう。

さて、まだまだ余った資料はたくさんありますが、そのうち公開することになるでしょう。

イスラエルを建国したいと願うユダヤ人の若者のためにナチスのアドルフ・アイヒマンは研究所を作り、そこでユダヤ人たちは建国に必要な技術や勉学を自由に研究できたとか、

ナチスはユダヤ・ボリシェビキとは戦争状態にあったものの、ユダヤ・シオニストとは同盟関係にあったため、パレスチナへ向かう船をナチス・ドイツの海軍が護衛していたとか、

ナチスとシオニストの間には協定が結ばれ、ナチスが没収したユダヤ人の財産はイスラエル建国のインフラ設備に使われたとか、

オーストラリアの収容所でもイタ公は腰抜けだったとか」

 

 参考資料: 『Voyage From Shame』P,75 ハリー・ゴードン著
(オーストラリアの)捕虜収容所での生活態度も、イタリア兵と日本兵とでは大きな違いが見られました。日本兵は、捕虜となった恥辱から逃れたい、機会を捉えて脱走してもう一度、国に忠義を尽くしたい、立派な死に場所を得たいという気持ちが強く、収容所の指示・命令には従わずに、常に反抗的な態度を見せました。イタリア兵は全く違います。同じ白人同士ですからカウラの地域社会にすぐにとけこんで、近在の農家に手伝いに出かけ、男手不足になやむ農家を助けました。地元での評判もいいことから、監視もゆるやかで、行動もかなり自由でした。自ら作ったワインを楽しみ、ギターにあわせて自慢ののどを披露しました。
このような生活態度を全く理解できなかった日本兵が、君たちはどうやって捕虜にされたのか、と尋ねたときに、「ただ降参しただけさ。敵の数が味方より多いときは、戦わないほうがいいよ。生きてさえいれば、イタリじゃ捕虜になったって進級するんだから」という答えが返ってきました。
「それは恥ではないのか。日本では『生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ』と教えられているんだ」と追求すると、イタリア兵は笑い出して「死ぬよりは生きるほうがいいに決まってる。ここでは食うものはたくさんあるし、歌を歌って畑で働いていればいいんだよ、そのうちに戦争も終わるだろう。
女がいないのは残念だがね」と相手にされませんでした。

 

 「つくづくやる気のない軍隊ですね。

ここまで徹底してやる気が無いと、なんかムッソリーニさんが可哀想になってきます。

この黒シャツ大好きのおじ様は末期になるとドイツより日本を信用していたようです。

もしかしたら共同作戦をしなかったことがお互いの高潔なイメージを崩さなかったことに役立ったのかもしれませんね」

 

 参考資料: ムッソリーニ 1943年7月24日 最後のファッショ大評議会にての発言
「イタリア軍がもっと強く抵抗するものと期待していた……」

 参考資料:アドルフ・ヒトラー 戦略編 独機甲師団と欧州戦線 学研著
P,147
戦後に明らかにされたところによると、大戦末期にイタリアを占領したドイツ軍は、ムッソリーニに内密で連合軍への降伏を交渉しており、それを知ったムッソリーニは「ドイツは最後まで余をだましおった!」と激怒したという。そういうムッソリーニだけに日本には最後まで強い信頼感を寄せ、時の日本大使に個人的な重要書類を委託し、これはいまもスイスの銀行に保管されているとのことである。また日本の潜水艦で日本に渡航する計画も日本側から出されたが、ムッソリーニは「好意は有難いが、余はイタリアで最後を迎えたい」と断ったともいわれる。享年61歳であった。そのムッソリーニは、ヒトラーが全人格的に否定されているのに反し、その人間らしさから死後も信奉者がおり、現在「国民同盟」という支持政党がある。戦後の各総選挙で6ないし8パーセントの得票率をあげ、数十人の上下両議院を持っている。94年には政権与党の座も占めた。最近はさらに高い支持票を集める傾向にある。孫娘のアレッサンドラさんはナポリ選出の下院議員となっている。

※ ローマ帝国の英雄ジュリアス・シーザーの頃のイタリアならば同盟を組んでもいいと思う。
問題はシーザーの時代とWWUのイタリアでは人種自体がまったく違うことである。
結論、ラテン系は軍事パートナーにすべきではない。

 

 「イタリア人というと、燃え上がるような危険の恋をしているようなイメージがありますが、それはすでに過去の話になりつつあるようです」

 

 参考資料: gooニュース 2003年09月26日(金)より
【ローマ】「ラテン・ラバー」といえば、女性を口説くのが上手で性の能力も十分のイタリアの男性の代名詞になっていたが、イタリア男は実際にはセックスがからきしダメだという報告が最近のイタリアの学会で発表され、男性たちの名声が深刻な打撃を受けている。イタリアの一般開業医協会の会議で公表された男女600人を対象にした調査によると、イタリア人女性10人のうち6人がセックスで満足が得られないと告白した。
男性はジゴロ(色男)やカサノバ気取りでも、あっちの方は役立たずの者が多く、3分の2以上がバイアグラの広告に出てくる種類の問題を抱えていることを白状した。ローマのサピエンツァ病院のセックス学者キアラ・シモネリ氏によれば、30−40代の多くの女性が、真のロマンスに出会えないだろうと絶望して独身生活を選択しているという。 開業医協会のクラウディオ・クリチェリ会長は、セックスの不満が憂鬱症、神経症、精神的緊張につながっており、イタリアの出生率が欧州で最も低い部類に入るのも不思議でないと指摘した。〔AFP=時事〕

 

 

 「イタリアの中の人も大変ですね。

 「というわけで、

次にやるときはイタ公抜きで

という結論に落ち着くのでした。

ちゃんちゃん♪」

次回へ続く