ソフィア先生の逆転裁判2
〜ユダヤの嘘を暴いてドイツの無罪を勝ち取れ〜

Subject18: ナチスは欧州を徹底的に略奪したか?

 「ドイツが欧州最大のオタク王国であることは前回でよくわかったことかと思います。

しかし、コスプレする自由はあってもホロコーストを見直す自由はないというのはあまりに異常な状況だと言わざるを得ません。

ホロコーストを否定するどころか、ナチス式敬礼を犬に仕込むことすら犯罪というのでは、もはや民主主義国家とすら言えないでしょう」

 

 参考資料: CNN_co_jp - こぼれ話 2003.10.16 
Web posted at: 17:22 JST REUTERS/CNN Historical News Letterより
 ベルリン――ドイツの首都ベルリンで、ジャーマン・シェパードの雑種「アドルフ」に、ナチス時代にはやった右前足を少し上げ、右手を斜め上に挙げる敬礼を教え込んだ飼い主の男(54)が、反ナチス法違反容疑で逮捕、起訴された。公判は16日の予定。 男は独紙ビルトに対し、「何が問題なのか理解出来ない」などとコメント。「父は軍隊出身で、そういう環境の中で育ってきた」と説明している。ドイツではナチスを称賛する言動などが、法律で禁止されている。 地元警察は、男が飼い犬に向かって「アドルフ、お座り!敬礼!」などと命じているのを目撃した住民からの複数の通報を受け、調べを開始。男は警察の取り調べを受けた際にも、警察官に敬礼するよう犬に命令していたという。男はこのほか、市内の至る所でナチス指導者だったアドルフ・ヒトラーの写真が描かれたTシャツを着て「ハイル・ヒトラー!(ヒトラー万歳)」などと叫んでいたのも判明しており、罪名に加えられた。地元メディアによると、男は元銀行員の年金生活者で、近所の住民などから、ネオナチとみなされていた。ヒトラーのような口ひげも生やしているという。

 

 「敗戦国ゆえある程度の自虐史観は仕方ないかもしれませんが、これはあまりに酷すぎる状況です。

連合国に依って提示されたニュルンベルグ史観は、世界に文字があって以来どの国の書物にも書かれたことのない、人間の持っている極度の復讐心と、極度の貪欲心と、極度の虐殺思想とをさらけ出したものだと思います。

敵を愛せよという基督(キリスト)教の思想は何処(どこ)へ行ったか。

仏蘭西(フランス)の自由、平等、博愛の三大思想は何処へ行ったか。

英国流の紳士的道徳と米国流の人道思想とは何処へ行ったか。

もしホロコーストが歴史の一部として強制されるならば、ドイツ国民ばかりでなく、如何なる戦敗国民も現代の文化から落伍して戦勝国民の奴隷となり、次第に死滅する外はなかろうと考えます。

この事はドイツ人の事として考えてはなりません。

まったく人間の問題です。

敗戦国ゆえ課せられた冤罪に苦んでいるのに、それを見直すことすらできない。

これは日本も同じ状況に立たされています。

朝鮮人強制連行、朝鮮植民地化、従軍慰安婦、南京大虐殺、真珠湾奇襲攻撃、731部隊…エトセトラエトセトラ…

これら日本軍の戦争犯罪のことごとくは冤罪であり、それらを証明するソースはインターネットで簡単に手に入ります」

 

 参考資料: 『【KanonSS】コリアンジェノサイダーnayuki 5』より

 「731部隊は?」

 「こちらはもっと説得力が無いわよ」

731部隊のことは日本の某新聞に連載された小説で有名になったものである。しかし731部隊が正式には防疫給水部隊だということまで認識している人は多くはないであろう。
 防疫給水部隊とは、飲み水の管理が主な任務で、軍隊で不衛生な満州の水質を使用する際に病原菌を検査したりするのである。河川や井戸に中国やソ連の細菌兵器が混入されている可能性を考慮して、日本も細菌や化学兵器のことを研究していたのだ。
 その途中で捕虜に対する人体実験があったかも知れないことは否定しないが……

 「判るはずがないのよ」

 「どういうこと?」

 「731部隊の資料は、満州のハルビンに居た731部隊の施設と研究員と資料はソ連が、日本国内にあった資料は戦後に占領中のアメリカ軍が全て持ち去っているの。だから当事国である中国や日本でも謎のままで、ロシアやアメリカが公開しない限りは誰にも判らないのよ」

※ コリアンジェノサイダーnayukiは優れた日韓歴史入門書である。是非ともお勧めしたい。

 

 参考資料:共同通信の週刊「チャイナ・ウオッチ」 2002/12/21
■30万人殺害は長江デルタ=南京大虐殺で英記者電報
【ロンドン21日共同】1937年12月中旬に始まった旧日本軍による南京大虐殺から65年。当時、「長江(揚子江)デルタで市民30万人以上が虐殺された」と上海から打電しようとし、日本人検閲官に差し止められた英紙記者の電報記事コピーを21日までに共同通信が入手した。犠牲者数について、中国側の公式見解は南京だけで30万人とするが、日本では数千人−20万人など諸説ある。電報では、犠牲者「30万人以上」は、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字として記されていることが確認された。電報は38年1月16日付。書いたのは英マンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)紙の中国特派員ハロルド・ティンパリー記者(54年死去)。電報のコピーは同記者の他の電報記事や、検閲を英上海総領事に通報した1月21日付書簡のコピーなどとともに英中部マンチェスター大学のジョン・ライランズ図書館書庫に保管されていた。「30万人以上虐殺」情報の出所は「有能な外国人観察者の調査」と記されている。今年10月4日付のガーディアン紙が電報の一部を報道。当時、日本当局が国際非難に備えるよう警告するため、在外公館にティンパリー記者の電報内容を伝えた際に「長江デルタで」の部分が脱落、以後誤って引用され続けた、との見方を示していた。同記者は38年夏、ロンドンで「戦争とはなにか」を出版。同書の邦訳「外国人の見た日本軍の暴行」(評伝社)では、この電報を下敷きにしたとみられる記述で、長江デルタで「戦闘によって少なくとも30万人の中国人が犠牲となった」と書かれている。
◎英紙記者電報の要旨
【ロンドン21日共同】英紙マンチェスター・ガーディアンのティンパリー記者が書いた1938年1月16日付の電報記事の要旨は次の通り。▽日本軍が南京などで犯した残虐行為について、信頼できる目撃者の証言、信頼性に疑いのない人々からの手紙など説得力ある証拠の裏付けがある。▽有能な外国人観察者の調査によると、長江(揚子江)デルタで市民30万人以上が虐殺された。▽上海でも逆上した日本軍兵士が続けざまに事件を起こすため、善良な日本人たちは深く恥じ入っている。16日付のノースチャイナ・デーリーニュース紙(上海英字紙)は、女性と酒にありつけなかった日本人兵士が60歳以上の中国人女性3人を射殺し、数人を負傷させたと報じた。

※ 支那人の数字ほどいい加減なものはない。この連中に対抗できる捏造民族は世界広しといえども朝鮮人だけである。

 

 「日本では「補習授業シリーズ」や「コリアンジェノサイダーnayuki」のようなプロパガンダ小説をネットで公開することも可能ですが、ドイツでは自国の冤罪を晴らそうとする行為は犯罪になります。

その法律が憲法によって与えられた言論の自由を蔑ろにしている悪法なのに、それは現実にまかり通っています。

ドイツのような状況が、いつ日本に飛び火してくるかもわかりません。

日本もドイツのように、歴史の見直しを禁止する法律を作ろうとする支那・南北朝鮮・反日左翼が日々工作活動をしているからです。

ナチス・ドイツが悪ければ悪いほど、ドイツと同盟を組んだ日本までも悪者にされてしまいます。

「日本はホロコーストをやってない」などいう正論が大陸や売国奴どもに通用するわけありません。

アカどもがどんなに酷い情報操作をしているかは今更説明する必要もないでしょう。

アカどもにとって、日本を叩く理由は「日本はドイツの同盟国だった」という事実だけで十分だからです。

向こうからのプロパガンダに騙されてはいけません。

彼らの狙いは日本人に罪悪感を持たせて条約で解決済みの賠償金をさらに分捕ることです。

いくら謝罪しても、いくら賠償金を払っても、そんなことにはまったく意味がありません。

条約ですべて解決済みといっても、そんな正論が通用するような相手なら誰も苦労しません。

言いがかりをつけられたからといって簡単に賠償金を払ってしまえば、相手は図に乗って次々に要求をエスカレートさせていきます。

奴らはその賠償金で軍備を増強し、いつかは日本そのものを征服しようとしているのです。

戦争犯罪の冤罪を晴らし、向こうからの言いがかりを跳ね返すことこそ、一般人ができる国防政策の一つではないかと考えます。

さて、欧州最大のオタク祭り「ANIMAGIC」は先ほどの毒電波発生装置を製造しているアニマニア社によって開催されました。

アニマニア社は、ライン川を挟んでコブレンツの反対側、ヴェスターヴェルトと呼ばれる田園地帯にあります。

欧州最大のオタク祭りが、なぜライン下り観光の終点ではあっても大都市ではないコブレンツで開催されるのか、という疑問に対する答えは、単にアニマニア社から近いし、会場借料も安かったということらしいです。

会場のライン・モーゼル・ハレの収納能力の都合上、このイベントはチケット制でした。

入場券はイベントの数ヶ月前に販売されましたが、あっという間に完売。

増刷しても全部売れてしまい、コネがなければまず手に入らないような状況にあります。

日本のコミケは行ったことがないので詳しいことはわかりませんが――――

はいそこ、嘘をつくなという顔をしないでください。

行ってないと言ったら行ってないんです。

事実がどうであれ、公式発表は「行ったことはない」ということになっているんです。

事実の真偽はさほど重要ではありません。

公式発表がどうなっているのかが重要なのです。

ごほん、日本のコミケ会場は一日に何万人もの人が来るため、ものすごい暑いです。

ドイツのコミケ会場もクーラーが全然効いておらず、人の熱で会場内はむっとする暑さです。

ところが、この程度の暑さなど障害ではないのはドイツも同じだったりします。

さすがは、灼熱の北アフリカ戦線で戦ったロンメル軍団の子孫だけあります。

だいたい、販売したらすぐに売れ切れてしまうようなチケットをゲットした猛者どもが、たかが人ごみ程度で弱音を吐くわけがないのですね。

ドイツ人のこういった生真面目さというか、思い込んだら一直線なところは戦前とまったく変わっていないようです」

 

↑ 1938年 フランス開催 第3回ワールドカップ ドイツVSスイス
(問題:どっちがドイツでしょう?)

 

↑ 鍛え抜かれし鋼鉄の肉体を持つSSの皆様方
ライン上に並んだ大胸筋を見よ!
健康な身体にこそ健全な精神(?)は宿るのである。
なお、世界最高のボディビルダーの一人であり、ハリウッドスター兼カルフォルニア州知事の
アーノルド・シュワルツェネッガーの親父殿はSA(突撃隊)に所属していた。

 

 参考資料: 西日本新聞 The Nishinippon WEB2003/10/04
【ロサンゼルス2日共同】米ABCテレビは二日、アーノルド・シュワルツェネッガー氏(56)が旧ナチスのヒトラーを称賛したインタビュー記録の複写を入手したと報じた。それによると、インタビューは映画「アーノルド・シュ
ワルツェネッガーの鋼鉄の男」の製作中の一九七五年に行われ、英雄について尋ねられた同氏はヒトラーの名を挙げ称賛。「ヒトラーはすごい演説者だ。その能力を使って権力の座まで上り詰めたことをたたえる」と語ったという。シュワルツェネッガー氏はABCテレビに対し「何も覚えていない」と述べ、報道内容を否定した。同氏はオーストリア出身で、父親はナチス党員でテロ機関として恐れられた突撃隊(SA)隊員だったことが分かっている。カリフォルニア州には約百五万人のユダヤ系住民が生活しているため、同氏のヒトラー称賛の記録はユダヤ系有権者の支持離れを招きそうだ。

 参考資料:デイリースポーツonline 2003/10/5
シュワ氏は「ナチ嫌い」
国営オーストリア放送は四日、カリフォルニア州知事選の有力候補である人気俳優アーノルド・シュワルツェネッガー氏(56)が故郷オーストリア・グラーツでの青年時代には「ナチス嫌い」で、反ネオナチ運動に協力していたとの知人の証言を伝えた。シュワルツェネッガー氏は、過去の映画のインタビューでヒトラーを称賛していたとの報道が最近あった。証言したのはシュワルツェネッガー氏の青年時代にボディービルの指導をしたマルヌル氏。反ネオナチ運動家のマルヌル氏は当時シュワルツェネッガー氏がナチスの犯した残虐行為に憤慨し「ヒトラーを、むかむかする悪漢と呼んでいた」と述べた。ネオナチの集会を解散させる活動に参加していたことも明らかにした。ただ、ナチス党員で突撃隊(SA)隊員だった父親については「家では触れないようにしている」と話していたという。

※ シュワちゃんの本音はどっちかな(・∀・)ニヤニヤ

 

 「ナチスが作った無敵の殺人ロボットをシュワちゃんが演じる映画とか見たいものです。

はいそこ、ターミネーターじゃんとか言わないでください。

そんなことはわかってますよ。

それはともかく、アニマニア社は欧州大陸全土をおたく色に染め上げることを、自らの使命と考えているフシがあります。

オタクによる世界征服でもする気でしょうか?

恐ろしいことです。

さらに恐ろしいことにアニマニアの行動を誰も止めようとしないのです。

マンガを征するものは世界を制するという言葉は決して嘘ではありません。

日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識。

まだまだ世界は狂気に満ちているのですね。

まぁ、所詮おたくはおたくですから、別に止めなくても全然問題ないのですが、世界征服する気ならとりあえずイタ公抜きでやりたいものです。

以上のことから、親日派ドイツ人≒アニオタ・軍オタ・ネオナチのどれかである可能性は非常に高いと思われます」

 「テッサちゃん!」

 「はい?」

 「脱線しちゃうとダメだって言ってるでしょ。

読者の中には飛ばし読みしちゃう人もいるんだし。

散々放置しておいて今更だけどさ、真面目にやろうよ。ね?」

 「…そうでしたね。

すみませんでした。

あともう少しですから、飛ばし読みしないでお付き合いください」

 「手遅れかもしれないけどね」

 「ごほん、第二次大戦においてドイツ軍は欧州各地の美術品を略奪したと言われています。

それは事実です。

もっとも、戦争において火事場泥棒をしない軍隊など存在しませんけどね。

ドイツ軍が略奪を働いたのは事実ですが、ドイツ軍のやったことなどソ連軍に比べれば可愛いものでしょう。

ドイツ国内の鉄道レールの3分の1を持って帰ったソ連に、ドイツを非難する資格はないと思います」

 

 

 参考資料: 冷戦に憑かれた亡者たち ナチとアメリカ情報機関 著クリストファー・シンプソン著/松尾弌之

P,66
45年から48年までは、東西関係が不安定な平和状態から熾烈な政略戦へと移行していった時期である。この時期に、ゲーレン機関の情報と分析がもたらした悪影響の一例を見ることができる。冷戦初期、ヨーロッパ情勢を解釈する際にアメリカが最も重視していたのは、ソ連軍への評価であった。ソ連軍については、すでに述べたとおり、ゲーレンが専門としていた。
46年の半ば頃、アメリカ陸軍情報機関はソ連軍の実態を正確に報告している。当時のソ連軍(ほぼ東欧全域に駐留していた)は装備も十分でなく、規模も不必要に拡大し、そのうえ戦争で疲弊していた。また、中・東欧に駐留するソ連軍部隊は約208個師団と見られていたが、ほとんどの部隊がソ連占領地域の行政・警察・復興作業に駆り出されていた。したがって、ソ連軍が西欧に対して攻撃してくるのは、補給の問題だけとってみても、少なくともあと10年はかかるだろう。陸軍はこう結論したのである。
興味をそそられるのは、東ドイツの鉄道に関する46年のアメリカ陸軍報告である。よく知られているように、ソ連軍は、西側のような自動車輸送手段を持っていなかった。そこで、部隊を前線に送ったり軍需物資を輸送する際にはもっぱら鉄道を使っていた。ソ連がその占領地域を閉ざす以前、ソ連占領地域にいた大使館付武官や東欧のアメリカ戦略爆撃調査団などの現地報告が明らかにした情報によれば、ソ連はドイツの鉄道を解体し、戦利品として自国に持ち帰っていた。ベルリン−ライプツィヒ間、ベルリン−フランクフルト間といった戦略路線をはじめ、操車場、転轍機、数千マイルもの軌道など、ドイツの鉄道施設の実に3分の1を根こそぎ持って行ったのである。かくして産業を発達させたソ連のやり方が、ドイツの電撃戦を再現しようとする国家のものではないことは明らかである。
*50年代頃まで、ソ連地上軍は、輸送手段の半分までを馬に頼っていた。厳寒のソ連北部においては、馬は確かに便利だった。戦車やトラックが凍りついたり吹きだまりにはまりこんでしまうのに対して、馬にはその心配がなかったからである。しかし、西欧は馬が必要とされるような場所ではなかった。

 

 

 「ソ連を擁護するわけではありませんが、ソ連が輸送手段に馬を使っていたのは別に珍しい話ではありません。

実はWWUで歩兵の自動車化に成功したのは米軍だけで、戦車部隊のイメージが強いドイツ軍でさえ、歩兵の移動は馬や徒歩が主流でした。

第二次大戦の全期間を通じて、ドイツ国防軍の大半が徒歩行軍の歩兵と馬匹牽引の砲兵と輸送隊から形成されていたため、戦車部隊の無謀な前進のために、輸送隊が追いつくまで先鋒部隊が停止を余儀なくされることもしばしばありました。

バルバロッサ作戦時のドイツでは、独ソ国境を越えて侵入したドイツ軍の総兵力は146個師団300万名、装甲戦闘車輌3580輌、輸送車輌60万輌、7184門の各種火砲、航空機1800機、馬匹75万頭でした。

歩兵141個師団中108個(76%)が「非」自動車化部隊で、当時の写真を見ると馬だけではなく、自転車による移動をしていた部隊もあったようです。

ちなみに自動車化歩兵とは、移動を自動車で行う歩兵のことで、現在の各国の歩兵はたいていが自動車化歩兵ですね。

要するに、米軍以外なら、どこの軍も移動手段は日本軍とほとんど大差なかったのです。

それにしても相変わらずロシアの本能は略奪ですね。

アングロサクソンの先祖はバイキングであり、米英は海賊立国なのですが、ここまで徹底的に略奪するとは恐るべしはロシア人。

独ソ戦時、ロシアの鉄道はドイツより広軌だったので、独軍はロシアに進撃するにつれて占領した鉄道を自国の軌道に変換しなければなりませんでした。(ロシアが5フィート、ドイツは485フィート。なお1フィートは30.48センチ)

鉄道輸送とトラック輸送1939年の輸送力比較は複線鉄道1本の輸送能力と同じだけトラックで輸送 しようとすると1600台も必要になり、コスト計算(燃料、予備部品、など)をすると200マイル以上の距離では鉄道のほうが有利でした。

侵攻当時のドイツ軍の燃料備蓄量はガソリン3ヶ月、ディーゼル1ヶ月

ソ連軍から燃料を分捕っても、ドイツ戦車はガソリンエンジンで燃料は揮発油(ガソリン)、ソ連戦車はディーゼルエンジンで燃料が軽油と、両者は異なる燃料を使用していたため、そのままでは使い物になりませんでした。

またドイツ軍のガソリンに比べてソ連軍のガソリンはオクタン価が低いため、やはりそのままでは使い物にならなかったのです。

ガソリンと軽油の違いは発火温度、オクタン価が違うというのはガソリンスタンドで売っているレギュラーとハイオクが違うのと同じ意味です」

 

 参考資料:科学物語25講 芝哲夫著

P,88
原油は炭化水素類の混合物で、分留によって表2の成分にわけられる。炭化水素とは炭素と水素のみからできている有機物化合物で、たとえば炭素5個の分子であれば、次のような構造で示される。

分留成分 炭素数 沸点(℃) 用途
揮発油(ガソリン) 約4〜12 30〜200 自動車・航空機用燃料・工業用洗剤
灯油 約10〜18 150〜200 石油ストーブ燃料
軽油 約18〜23 220〜350 ディーゼルエンジン用燃料
重油 約18〜 350〜 工業用ボイラー燃料,火力,発電用燃料

CH3CH2CH2CH2CH → 5O2 + 6H2O

したがって、この炭化水素が燃焼すると二酸化炭素CO2と水H2Oだけになって、後に何も残らないことがわかる。しかし,原油には平均1.4%の硫黄が含まれているので,その燃焼により硫酸H2SO4が生じ、酸性雨の原因になる。そこで,この硫黄分を揮発油や原油からできるだけ除去することが試みられている。この操作を脱硫という。H2Sとして次に酸化し、最後に硫黄Sあるいは石膏(せっこう)すなわち硫酸カルシウムCaSO4として回収する。

※ 硫酸カルシウムCaSO4に水を加えた硫酸カルシウム水和物CaSO4・2H2Oはドイツ語でGipsであり、医療に使われるギプスはこの石膏である。石膏を焼くと、一部の結晶水が飛んで焼石膏CaSO4・1/2H2Oとなる。これにふたたび水を加えると、ただちにもとのCaSO4・2H2Oにもどって固まる。ギプス包帯は焼石膏の粉末を包帯に含ませたものである。彫刻の材料に石膏を用いるのも同じ原理にもとづいている。

P,89
ガソリンのオクタン価といわれるものは、エンジンのノッキング(異常燃焼)に対する抵抗性を示す指数
である。ガソリン成分の一種でおるイソオクタンは、ノッキングに対する対抗性、すなわちアンチノック性が高いが、その価を100とし、一方アンチノック性の低いn-ヘプタンを0として決めた指数をガソリンのオクタン価という。このオクタン価を高めるために四エチル鉛が添加されていたが、この鉛化合物は猛毒として人体に吸収されることがわかったので、最近ではその使用量は減ってきている。

※ 高いオクタン価のガソリン使用を想定すれば高圧縮比のハイパワーエンジンが作れる。
ただし、想定してないエンジンに高オクタン価のガソリンを使うとエンジンがぶっ壊れる可能性がある。
よって、原付にハイオクを入れるようなことは絶対にしてはいけない。
オクタン価は計測方法によって数値が変わるため、日本工業規格(JIS)によってリサーチオクタン価(RON)とモーターオクタン価(MON)の2種類が定義されており、ガソリンスタンドではRON表示である。
現在の日本のレギュラーのオクタン価は85〜92程度、ハイオクは98〜100程度。

 

P,29
自動車などの燃焼機関のシリンダー内で、燃料が早く発火しすぎたり異常爆発を起こしたりすると、金づちでたたくような音がする。この現象をノッキングという。そして、これを防ぐためにガソリンに添加する薬剤をアンチノック剤と呼ぶ。これは燃焼の連鎖反応を抑える効果をもっている。アンチノック剤としては四エチル鉛にまさる薬剤はない。

※ 大戦後半の日本の航空機用ガソリンには、オクタン価を確保するために四(テトラ)エチル鉛が大量に添加された。4エチル鉛は猛毒で、搭乗員よりも製造者の事故の方が多かった。
日本のガソリンが無鉛になったのはそんなに昔ではなく1970代初めまでは有鉛が一般的で、欧州では今でもガソリンスタンドで有鉛を売っている。

 

 

 「石原慎太郎東京都知事がディーゼル車の規制をしたのはT−34対策ではないかと思う今日この頃。

極東三馬鹿国家からは『日本版ヒトラー』と称される都知事ですが、相手はスターリンの劣化コピーですし、独ソ戦ぽくてとてもいいと思います。

日本も言い返せばいいのに、なぜ日本はいつも黙っているのでしょうか?

『北京(ペキン)・漢城(ソウル)・平壌(ピョンヤン)の上空で、質量をエネルギーに転換する実験をやりたい』とか言い返してやればなかなか面白いのですが、そーいうことは思っていても言わないのが日本人の美徳なのですね。

現在の日本では中国人・韓国人による犯罪が深刻で、不良三国人どもを収容所にぶち込んで日本から追放したいな、とか思ったりすることもしばしばです。

法律を守らない外国人は外国人ではなくただの犯罪者なのだから、容赦する必要はないと思うのですが、どうも日本のマスコミは売国奴が多くて困りますね。

日本の刑務所は暖房が効いているし、テレビも見れるし、本国に強制送還する費用も日本人の税金から出てるし、何より人を殺しても数年経てば釈放だし。

せめて強制送還の費用は自分で稼がせればいいでしょうに、なぜ日本のマスコミは日本人のために働かないのでしょうか?

日本を分裂に導くマルクス主義を絶滅しなければなりません。

国家の力を弱めることを欲するものだけが階級闘争を望むことができるのです。

それにしても神様は意地悪です。

日本の隣国をキチガイ国家ばかりにしてしました。

ロシア、中国、韓国、北朝鮮、アメリカ…

日本の隣国でまともな国は台湾だけです。

唯一のまともな隣国である台湾は大事にしなければなりません。

台湾の独立戦争時には義によって助太刀すべきだと思います」

 

 参考資料: 朝鮮日報 2003.10.29(水) 20:22
日本の石原慎太郎・東京都知事が再び、「韓日併合は彼ら(朝鮮人)の総意で日本を選んだ。植民地主義といっても、もっとも進んでいて人間的だった」との妄言を行った。彼の発言を、ただ「口さえ開けば日本の侵略の歴史を美化し、韓国をはじめとする隣国とその国民を冒涜する大衆煽動術で人気を集めてきた極右政治家の間抜けな発言」と片付けてしまえばそれまでかもしれない。しかしここまで来ると、われわれは日本の国民に真剣に問わざるを得ない。「石原都知事の妄言を日本国民の発言として受け止めてもいいのか」と。彼が妄言を吐けば吐くほど人気が上昇する奇怪な現象を、韓国国民は到底理解できないためだ。石原都知事は、韓国人をはじめとする外国人不法滞在者が東京を無法地帯に仕立て上げ、有事の際は暴動を起こしかねないとか、中国人の凶悪犯罪は民族的DNAによるもので、中国を懲らしめるべき、などの極言を何のためらいもなく叫んできた。にもかかわらず、彼の政治生命は終止符を打つどころか、今年4月、任期4年の東京都知事選挙で圧倒的支持を得て再選に成功した。その上、彼の人気は日本の政治家の中でも常にトップクラスで、直接選挙制で日本の首相を選ぶ場合、すでに彼は当選しているというのが世論調査の結果だ。日本版のヒットラーと呼ぶに値する政治家が最高の人気を集めている国は、世界のどこを探しても日本だけだろう。日本国民は石原都知事を通し、一体どんなメッセージをアジア諸国に伝えようというのか。過去の侵略の歴史を消し去ることで、新たな侵略の可能性を開拓したい欲求を、石原都知事が代弁していると受け止めてもいいというのか。そうでなければ、日本国民はもう「石原シンドローム」を整理しなければならない。日本は、石原都知事のような政治家が幅を利かすよう放置しておく限り、アジア国家との和合は諦めざるを得ず、世界の指導国はおろか、「異質国家」として空回りするほかないだろう。

 参考資料: JIJI PRESS NEWS 2003/10/29-20:54
台湾が中距離ミサイル初試射か=上海も射程内、結果は失敗
【台北29日時事】香港系台湾紙の蘋果日報は29日、台湾が初めて中距離ミサイルの発射実験を行ったと報じた。結果は失敗だったというが、中国・上海が射程内に入る性能を備えていると伝えられており、事実なら中国政府を刺激しそうだ。中台緊張を避けたい米国はこれまで、一貫して台湾の中距離ミサイル開発に反対の立場を取ってきた。

 

 

 「というわけで、ドイツ軍は独ソ戦の物資の輸送に鉄道を用いたわけですが、「1941年戦役」」の際、補給のために、前戦まで鉄道を使用する場合、ドイツ側は、とりあえず獲得したロシア軌幅の車両と取り替える必要に迫られたのです。

終戦後、ドイツのレールをそのまま持ってくればドイツ軍が整えた鉄道設備がそのまま使用できるので、戦後の略奪は多いにソ連の経済発展に貢献したでしょう。

なにせロシアの鉄道はいいかげんな作りで、大型機関車を走らせることができませんでしたから。

もっとも、1941年の段階ではドイツ軍の機関車も欠陥だらけでした。

どのへんが欠陥かというと、ロシアの冬を舐めていたところです。

ドイツ製機関車はソ連の冬将軍に耐えられるように作られておらず、(ほとんどは軽い旧式機関車)給水パイプの7、80%が凍結して破裂してしまいました。

そのため1941年11月初めから1ヶ月近く一両も到着せず モスクワ攻撃部隊は筆舌に尽くしがたいほど重大な物資不足になり、これがモスクワ攻略失敗の原因の一つにもなったのです。

………

つくづく思うのですが、何であんなところに人が住んでいるのでしょうか?

シベリアなんてマイナス70℃という冗談のような気温ですし。

ああ、そうか。

人間じゃないから平気なんですね。

それは冗談ですが、きっとあんな寒いところに住んでるから理性と人格がぶっ飛んでレイプ魔が大量生産されるのでしょう。

世界最凶の強姦民族の称号を得ることは、普通の環境では到底不可能です。

もっとも、強姦民族の称号は最近韓国に奪われてしまいそうですが」

 「また安直な嫌韓ネタにはしる・・・」

 「ぅぅ、すみません、すみません。

まじめにやりますから許してください。

 

えーと、読者の皆さんもおそらくご存知だと思いますが、2003年3月のイラク戦争でも自称解放軍による略奪はありました。

Sankei Web(産経新聞社)2003年4月14日 23:17には、イラク・バグダッドで金色のドイツ製MP―5サブマシンガンを調べる米兵らが掲載されていました」

 

 参考資料: Sankei Web(産経新聞社) 04/14 23:17より
金色に輝く銃にアタッシェケース型の機関銃。バグダッド駐留米軍は14日までに、イラク軍の武器庫などから多数の武器・弾薬類を押収、共和国宮殿近くのガレージに集めた。「あらゆるタイプの武器がそろっている」と驚く米兵。倉庫に置かれた武器・弾薬は車のガレージ10軒分にも相当、武器のデパートのようだ。とりわけ目を引いたのは、ドイツ製の金色の銃。米軍によると、市内の武器保管庫で発見された。新品同様で、誰がどのような目的で持っていたかは分からないという。アタッシェケース型機関銃は一見、黒いケースにしか見えないが、取っ手部分に引き金が付いている。特殊機関で使われていたのだろうか、20丁ほどが押収された。銃やロケット砲などの弾薬類は、ほとんどが箱やビニールに包まれたまま。旧ソ連製が多いが、「ヨルダン軍」の記載がある弾薬箱も見られた。(共同)

 

 

 「黄金のMP5はフセインさんの趣味だとは思いますね。

おそらく国連査察の目的はこのようなお宝を調査することだったのでしょう。

とにかく戦争に略奪は付きものであり、それをあーだこーだと言える国など存在しないと思います。

たとえばフランスの陸軍博物館には、幕末に長州藩(山口県)とドンパチしたときに略奪した戦利品の大砲が飾られてますから、フランスがナチスの略奪を批難するなら、まず幕末のときに分捕った戦利品を返してから言うべきでしょう。

イギリスの大英博物館、フランスのルーブル美術館が略奪によって成り立っていることは誰の目にも明らかです。

しかし、わたしはそれを批難するつもりはありません。

略奪は勝者の特権であり、ドイツ軍も当然略奪をしたからです。

ただ、ドイツはたしかに略奪をしましたが、果たして連合軍が言うほど徹底していたのでしょうか?

ナチスの悪事はとにかく敗戦国ゆえのでっち上げが多いことは言うまでもありません。

事実を事実のまま明らかにする考え方のことを「ランケ主義」と呼びますが、近代史はこのランケ主義が無視されている場合が非常に多いのです。

だから「事実はどうなのか?」ということを自分の手で調べなければなりません。

『ドイツ軍は欧州を徹底的に略奪していた』というのはよく聞く話ですが、それはソ連軍のことだと思います。

第二次大戦において、ドイツ軍は連合軍に比べれば遥かにマシな軍隊でした。

この資料を見てください」

 

 

↑ 1943年1月5日 オランダでドイツによって買われたアンティークの署名書
『Welcome to Julius Streiker's Webside』 著Heil og sael(=ノルウェー人)より

 

 「これはオランダで行われた美術品の取引の記録です。

もしもドイツ軍がオランダの美術品を略奪したのなら、なぜこんなものが残っているのでしょうか?

略奪するなら証拠など残すわけがありません。

文句を言う職員がいれば撃ち殺し、金目のものは根こそぎ持っていく。

それが略奪です。

実際、ソ連軍がドイツや満州で略奪したときはそのように行われました」

 

 

 参考資料:「シベリア捕虜収容所 ソ連人と日本人 上」 若槻泰雄著(玉川大学教授)
P,13
ソ連軍は終戦と同時に関東軍の所蔵していた食糧、被服、薬品はもとより、満州にあった日銀券、朝鮮銀行券、社債、株券、3705カラットのダイヤモンド・2千キログラムの金塊、それから工場にあった製品、半製品、原料、それに工場の施設自体を撤去してソ連領内にもち去った。このことは後に、当時はソ連と友好条約で結ばれていた国民政府との間に重大な外交問題をひきおこしたのだが、この撤去により満州にあった諸施設の4割が搬出され、4割は破壊され、残ったのは2割だけで、直接的損害だけでも8億5千万ドルに上ったといわれる。

P,15
ソ連軍は満州に侵攻してくると、国家として計画的に満州の資材物資をソ連領内にもち去ったことはすでに述べたが、”撤去”は機械や資材だけでなく、たんぼの稲から事務所の椅子、机、そしてドアの取手、ガラス、なべ、かま、日本人住宅のふすまにまでおよんだ。他方、個人としてのソ連兵も、日本人の住宅を白昼から堂々と襲い、あるいは道路上で日本人をつかまえて、略奪をほしいままにした。

P,16
略奪は見境なく中国人にまでおよび、中国農民の唯一の財産ともいうべき山羊や豚が、毎日毎日西部劇でよく見られるように、護送兵によってソ連領に追いたてられていった。中国人は「老(ラオ)毛子」といってソ連兵を恐れたのである。強奪は日本兵捕虜に対しても同様であった。満州内の集結地で、護送途中の列車で、そしてソ連領内で、個人的にあるいは集団で、ソ連兵は自動小銃をつきつけては目ぼしいものを奪った。はいていた長靴を彼らに要求され、それを拒否したために撃ち殺されたといった例もまれではない。強奪に加わるのは下士官や兵隊に限らず、将校とて変わりはなかった。「略奪しないソ連兵がいたら不思議なくらいだ」と書いている捕虜体験記も少なくない。昆明のアメリカ総領事が国務省にあてた報告によると、奉天から脱出してきたアメリカ人は次のように語っている。「将校にしても兵士にしても、公共物、あるいは個人財産を略奪することは、ソビエト占領軍のきわだった特徴である。ソ連軍は、松花江と鴨緑江にかかっている日本人の建設した大ダムの発電機をふくむすべての近代工場の機械を撤去し、他方、将校、兵士は、気に入った個人財産は何でも略奪しつつある。日本人あるいは中国人が、街頭でホールド・アップさせられて、彼らに自動車、セーター、オーバー、その他を脱がされているのをみるのは常のことである」
そのアメリカ人自身でさえ、ソ連軍兵士が彼の家に押し入り、家人がいるにもかかわらず、寝室にはいってハンドバックから現金を奪われている。「婦人をさがしに家のなかにはいっていくのもソ連占領軍のまた常であり、たとえば、アメリカ総領事館の向かいにあるフランスの修道院にも押し入った」と報告書は綴(つづ)っている。最近、元ソ連陸軍少佐レフ・コペレフの、ソ連占領軍によってドイツで演じられた虐殺、強姦、略奪を描いた『永久保存』という著書が、ソ連および西欧で大きな論争をまきおこしているが、満州などにおいても、同じことが行われたのであった。ソ連兵により強姦された捕虜の手記の一例をあげておこう。

P,17
「いつのまにか路の両側のソ連兵がわれわれの列を物色しはじめた。混乱が起こる!赤い髪、青い目の野猿みたいな奴らが列中にとび込んで来てポケットを探る。時計を奪う、そして締めているバンドまでズルズルと引き抜く、畜生!と振り払うと背のうをナイフで切り裂く奴もいる。警戒のソ連兵は見て見ぬふり、奴ら自身もそれらをやりたくて、うずうずしているのだ。日本兵たちはなるべく目をつけられまいとして列の中へ中へと割り込み、ひしめき合いつつ進む、まるで狼の群れに囲まれた羊の群だ。ソ連軍陣地を抜けると、今度は満人たちが鎌などをもって路傍に潜み、送り狼のように落伍者を狙っている」
ソ連兵が一番ほしがったのは時計、万年筆、それに日本の将校のもっていたトランクだった。当初、ソ連平で時計をもっている者はほとんどいなかったが、しまいには一個や二個ではなく、四個も五個も、なかにはひじの近くまで日本兵からとりあげた腕時計をはめ、得意になっている者もいた。日本兵の大部分は腕時計をしていたが、シベリアにはいった後には時計をもっている者は一人もいなかったから、腕時計だけでも数十万個がソ連に”無料輸入”されたわけである。前述したように、日本兵は帰国するとばかり考えて、持てるだけ多くのものを持って宿営地を出発することを少しもとがめなかったが、それも理由のあったことで、ソ連領内にはいると、これらはほとんどすべて”没収”されてしまったのである。強姦が完全に公認されていたわけでもないようである。まれな例だが、日本兵から時計を略奪しようとする現場を保安警察に発見され、その場で射殺されたソ連兵を見たという例外的事件もないではない。ドイツ軍と4ヶ年にわたり文字通り死闘をくり返したソ連は、戦勝国とはいえ疲弊しつくしていた。ソ連の損害は都市の損壊したもの1700、村は7万、破壊された家屋は600万戸、物的損害の総見積額は1850億ドルに達するともいわれる。もともとソ連は革命後の内戦、経済5ヶ年計画以来、軍需工業建設に重点においてきたので民衆の生活は著しく低かったわけだが、第二次大戦直後にはそれは極限に達していたのである。

P,18
入ソした日本兵の捕虜たちの目にも、ソ連民衆の窮乏ぶりは強く印象づけられたようである。日本兵が入ソすると、貨物列車の周辺には何十人ものソ連の女性が、大きなかごや布袋に黒パンをつめこみ、これを高くかかげながら日本人のもっている石鹸、タオル、シャツ、靴下などとの交換を求めるのが常だった。彼女たちはボロボロの衣服をまとい、男の背広や、日本軍の軍服は、若い娘も子供たちもよく着ていた。もう雪の降りそうな気候の頃でも、子供たちははだしだったし、大人も満足に靴と呼べるようなものをはいている者は少なく、皮の屑片をボロ布で足に結びつけているような者もよく見かけた。「”乞食の国”に来たような感じがした」と、ある体験記には書いてある。女性たちはバザールで売っている歯磨粉を頬にぬり、色鉛筆で唇をかいていた。これらはソ連軍が満州から略奪してきたものだ。ソ連兵が血まなこになって日本軍のもちものをねらったのも理由のあることであった。こうして入ソした日本兵はシベリア(47万2千)をはじめとして、外蒙古(1万3千)、中央アジア(6万5千)、ヨーロッパ・ロシア(2万5千)などにある捕虜収容所約千二百ヶ所、監獄その他特殊収容所約百ヶ所に分散収容された。後に述べるように、捕虜の移動が多く、一定地にとどまっていないので明確なことは断言しにくいが、その地域は、東はカムチャッカ、ベーリング海に面する東経160度の地方から、西はドニエプル川の流域東経40度まで、北は北緯70度の北極海に近い極北の地から、南は世界の屋根パミール高原の西麓、北緯40度までの広大な面積に広がる。昭和21年頃の日本兵捕虜の配置は、先に掲げた分布図のようになる。大部分の日本兵はそれぞれの地域で、内務人民委員部管轄の一般強制労働収容所(ラーゲリ)で労働に従事させられることになったわけだが、一部は国防人民委員部系統に属する軍関係の労働大(中)隊に収容された者もあり、また戦犯容疑者および受刑者などは特別の囚人収容所、監獄にいれられた。こうして約60万に達する日本兵の数ヵ年におよび抑留生活は始まったのである(この数字は結果的に判明したもので、当初日本政府は70万余と考えていた。)

 

 

 「上記のように、取引の記録なんてまったく残らないのが略奪です。

当たり前のことですね。

しかし、ドイツの場合、取引の記録が存在するということから出る答えはただ一つ。

ドイツ軍が欧州各国で略奪しまくったという話が連合軍の偽情報ということです。

ドイツ軍や親衛隊は規則が非常に厳しく、また強制収容所の規則も徹底していました。

ゲシュタポの方針も、逮捕した容疑者が証拠不十分なら無罪放免でしたし、むしろ民衆が頭を抱えていたのは連合軍の爆撃や共産主義者のテロリストでした。

こんな状況だったのだから、欧州の一般人に暴力を振るい、市民の財産を略奪しまくったという話は明らかにムジュンしています。

ドイツ軍は欧州の人々を味方につけるため、民間人への配慮を徹底しました。

だからこそナチスの反共主義に賛同した占領国の国民が武装SSへ志願したのです。

上の取引の記録は、「ドイツは美術品を略奪ではなく売買で得ていた」という証拠です。

しかし、欧州の各政府はこのような取引の存在を数十年間に渡って隠蔽していました。

理由はすべての戦争責任をドイツに押し付けるためでしょう。

連合軍は敵対するものにはまったく容赦しませんから、下手にドイツを庇えばたちまち親ナチ派として戦犯にされてしまいます。

こうして連合軍は関係者を黙らせ、自分たちがやった犯罪までドイツに押し付けていました。

ドイツに着せられた濡れ衣にはこのようなものもあります」

 

ノルウェー 参考資料: 1999年11月10日のノルウェーの新聞(Aftenposten)の記事とその説明
『Welcome to Julius Streiker's Webside』 著Heil og sael(=ノルウェー人)より

Let me first draw your attention to the allegation that Hitler stole gold from the Czechoslovak state in March 1939. I refer to an article I wrote in 2002, Germany Looted Gold During WW2.
In that article you will find a notice from a Norwegian newspaper, Aftenposten, from November 10, 1999. The article says Russian soldiers stole 396 kilogram of gold from Jews in 1948. Is it not remarkable how Jews could have laid their hands on 396 kilograms of gold between 1945 and 1948 in a communist governed Czechoslovakia???? Especially remarkable since Hitler stole all gold belonging to the Czechoslovak state on March 1939. One explanation could be that Hitler did not steal any gold belonging to Jews living in Czechoslovakia during WW2.
Since the Jews claimed Germany stole gold from the Czechoslovak state in 1939, they, the Jews, must be able to show proof of such theft. One could not move gold from a national bank without signing for it. Not even Hitler could do so.

 

 

 「連合軍の発表によると、1939年3月、ナチスはチェコから金塊を盗んだということになっています。

ですが、これは連合軍お得意の偽情報です。

偽情報の根拠は「証拠がない」の一言に尽きます。

しかしユダヤ人が金塊を盗まれたことは事実です。

では真犯人は誰なのでしょうか?

長年の謎を解く鍵は1999年11月10日のノルウェーの新聞「Aftenposten」の記事にありました。

それによると、1948年、ユダヤ人の396キロの金塊がロシア兵によって盗まれたとあります。

つまり、鉄のカーテンの向こう側でソ連はやりたい放題でしたが、その罪をドイツに押し付けたのが事の真相なのですね。

いつものことと言ってしまえばいつものことですけど。

これだけは納得ができないという人もたくさんいるでしょう。

ですが、もしも銀行の資産をナチスが移動させたならば、その記録があるはずです。

しかし、ナチスがチェコの銀行から資産を移動したという記録はありません。

「ナチスは悪党だから略奪したに違いない」と連合国が言っているだけで確たる証拠は何も無いのです。

戦後、ユダヤ人がナチスの研究を法的に禁止してしまったのは当然といえば当然の話です。

嘘がばれると謝罪と賠償が請求できなくなるのですから。

それどころかナチスに全ての罪をかぶせてやりたい放題だったことがばれたら国家の存続すら危うくなる国もあるのです。

ところでなぜナチスはチェコから略奪しなかったのでしょうか?

実は、これは考えてみれば当たり前のことだったりします。

ヒトラー総統にとってチェコは祖国ドイツの一部だったからです。

かつてオーストリア・ハンガリー帝国の主人公であったドイツ人たちは、大戦後はチェコ人に主人公を取って代わられ、一変して被支配階級へと落とされる危機に直面していました。

建国後の主人公が自分たちであることを示そうとするチェコ人との間で、衝突事件が絶え間なく続いてしまいます。

このような状況を見て、ヒトラー総統は悲しみ、そして1938年、議会演説でこう述べています」

 

 「同胞が異国で苦しんでいる。

我々は断じて手をこまねいているわけにはいかない。

民族自決を行使しなければならない。

一民族、一国家・・・

 

 「どこぞの半島の糞どもと違い、ヒトラー総統は異国の同胞を本気で助けたいと思っていたのです。

1938年10月、ナチス・ドイツがチェコのズデーデン地方を併合した時、そこに住んでいたドイツ人たちは、パレードするヒトラー総統を紙吹雪と喚起の声で向かえました。

当時の記録ファイルには、感激にむせび泣く婦人たちや、ドイツ軍兵士と肩を抱き合って喜びを分かち合うドイツ市民たちの姿を、画面至る所に写っているのが確認されています。

SSの悪行は冤罪が非常に多いのですが、それは国防軍にも同じ事が言えます」

 

 参考資料:「戦争プロパガンダ10の法則」アンヌ・モレリ(ブリュッセル自由大学歴史批評学教授)著より 

『手を切断されたベルギー人の子供』
神様、わたしにはもう手がありません。いじわるなドイツの兵隊に切られたのです。
ドイツの兵隊は、ベルギーやフランスの子供には手は必要ないと言いました。ドイツの子供だけが手を持てるというのです。私の手は切り落とされてしまいました。とても痛かったです。でも、ドイツの兵隊は笑っていました。ドイツの子供でない限り、痛みを感じるはずが無いというのです。神様、それ以来ママは気が変になってしまいました。パパもドイツ兵につれて行かれてしまいました。パパからは手紙も来ません。きっと銃で撃たれて殺されてしまったのでしょう……。
このエピソードが発表されるやいなや、アメリカの中立主義は揺らぎはじめ、欧州戦争介入に向けて世論が動き始めていく。戦後アメリカの大富豪がこの不幸な子供にあって話をしたいと、使者をベルギーに派遣した。 ところが、誰一人として実際の被害者を見つけることが出来なかった。それはフランスのプロパガンダだったのである。 かつてサンデータイムスの記者であったF・W・ウィルソンは次のように語っている。 「ロンドンにあるディリーメール紙の特派員として、私ウィルソンは戦争当時ブリュッセルにいた。本社から敵の残忍さを語る記事を送れと電報が届いたが、当時そういった事件は起こっていなかった。それならば難民についての記事を送れと再度電報が来た。これなら取材に出なくて済みそうだ。 ブリュッセルの近郊に、今時珍しく美味しい夕食を取れる街がある。ここにドイツ兵が来たと話に聞いた。きっと街には赤ん坊くらいいるだろう。そこで私は感動的な話を書き上げた。家が焼かれ、ドイツ兵の手に掛かる寸前に助け出された赤ん坊の話だ。掲載の翌日、ロンドン本社からその赤ん坊を連れてこいと電報が来た。その子を養子にしたいという手紙が五千通も届いたというのだ。翌々日、本社には赤ん坊用の服がどっさり届いた。いまさらそんな赤ん坊は存在しないと本社に電報を打つことは出来なかった」

 

 

 「プロパガンダは戦争には付き物。

情報戦も一つの戦い方ですし、勝つために手段を選ばないのは当然のこと。

だから善悪の区別をはっきりとつけることはとても難しいです。

ただ、はっきり言えることは、教科書が教える歴史は間違いだらけであるということです。

そんな歴史、修正してやる!という歴史修正主義者(リビジョニスト)の活躍が著しいのは、それだけ元の歴史がいい加減だからです。

この補習授業シリーズは間違いだらけですが、他の人も間違いだらけなので、バランスが取れて丁度いいと思います」

 「バランスはともかくファイルが重いから次回へ続くね」

 

次回へ続く