逆転ニュルンベルグ裁判
〜ユダヤの嘘を暴いてドイツの無罪を勝ち取れ〜


Subject6: 
アウシュヴィッツ収容所のガス殺についてその1 クレーマー日記

 

 「まずアウシュヴィッツについての状況説明をしよう。

ポーランド国内にあるアウシュヴィッツ収容所はアウシュヴィッツT、ビルケナウ(アウシュヴィッツU)、モノヴィツ(アウシュヴィッツV)の三つの収容所から成り立っている。

アウシュヴィッツT収容所は、Stammlager (中央収容所)とも呼ばれ、アウシュヴィッツの町の周辺に位置しているが、その建物は、もともとは、オーストリア・ハンガリー帝国の兵舎の一部であり、1939年9月にドイツがポーランドに侵攻したのち、強制収容所に改造された。

ビルケナウの町の周辺にある収容所U(アウシュヴィッツ・ビルケナウとして知られている)は、ロシア戦役の開始後に、公式には、ロシア軍捕虜を受け入れるための武装SS捕虜収容所として作りかえられた。

独ソ戦が長引くと、アウシュヴィッツは次第に、ヨーロッパのドイツ占領地区から移送されるユダヤ人を収容するようになっていった。

3つのアウシュヴィッツ収容所のうち、絶滅計画の舞台になったのはアウシュヴィッツT、ビルケナウの2つの収容所のガス室だ。

アウシュヴィッツにあるガス室は6つ。

アウシュヴィッツTの焼却棟Tの地下室T(クレマ1)、

ビルケナウの焼却棟U〜Xの地下室T(クレマU〜クレマX)、

ビルケナウのブンカー(=貯蔵庫・待避壕・防空壕といった意味)と呼ばれる農家を改造したガス室。

このうち、クレマTはほぼ完全な形で残っており、クレマU、Vは半壊しているが調査は可能。

クレマW、Xは全壊してしまって調査は不可能。

ブンカーに関しては建物跡はおろか、どこにあったのかわかっていない」

 「待ってよ。どこにあったのかわからないってどーいうことなの?」

 「ブンカーは、あったかどうかすらもわからないんだ。

なんせ跡地もないし、設計図もないし、収容所の記録にも残ってないし、何より毒ガスで殺された死体が一体もない」

 「何それ。UFOと同じじゃない。

「ここにはUFOがありました。だけど、宇宙人が乗っていってしまったので今はありません」ってのとどこが違うの?」

 「同レベルだよ。

ある程度わかっていても場所が特定できない点ではアーサー王のアヴァロンや、その他の神話とも大して変わらん。

ナチスの絶滅用ガス室に比べれば、ギルガメッシュ の方がまだ実在した可能性が高いぜ」

 

 

 

・アヴァロン
 聖剣エクスカリバーを操る騎士王アーサーが死後、あるいは大怪我をして治療のため、運ばれた幻想的な土地。ブリテン島あるいはアイルランドの西にあるとされるが、詳細な場所は不明。

・エル・ドラド
 南米アンデスのどこかに眠ると伝えられる黄金の都。そこでは人々は皆黄金で身を包み、街には金銀財宝が満ちあふれ、湖には金が満ちていると言われる。詳細な場所は不明。

・シャンバラ
 チベットの奥地に存在するという地下都市。 シャンバラには、アトランティスやムーに住んでいた人々が暮らしており、不死の薬や死者が復活する薬がある。またシャンバラの中心には、ヒラニプラという黄金都市があるらしい。
ナチスがシャンバラを探索したときにUFOの技術を手に入れたと言われている。元ネタは7世紀頃の『チベット大蔵経』。こちらも詳細な場所は不明。 

・アトランティス
 東と西2つの大洋にそれぞれあったと言われる2つの大陸の、西の方。東はムー大陸。優れた文明を持っていたが大地震と洪水で一夜にして崩壊したとされる。元ネタはギリシアの哲学者プラトンの著書『ティマイオス』と『クリティアス』であり、アトランティスはプラトンの創作、もしくはプラトンが聞いた伝承であると思われる。ナチズムの大哲学者ローゼンベルグの700ページにおよぶ大作「二十世紀の神話」ではギリシャの南にあるはずのアトランティスが北極とか書かれている。ヒトラーが「二十世紀の神話」を「ものをおそろしく複雑に考える額の狭いバルト人が書いた、だれにもわからないしろもの」と一口で片付けたのは無理は無い。ヒトラーは「どうしてこんな本が売れたのか」とあきれていたそうである。お約束通り、詳細な場所は不明。

・ムー大陸
 東と西2つの大洋にそれぞれあったと言われる2つの大陸の、東の方。西はアトランティス。5000万年以上前に人類が誕生した場所。7万年前には世界中を植民地にしたと言われる。元ネタはイギリスのジェームズ・チャーチワード大佐が会ったインドの老僧の持っていた粘土板。古代文字が書かれた大佐がその文字を解読したところ、そこにははるか昔太平洋に存在した大陸のことが書かれていた。しかし粘土板が存在することと、その粘土板の内容が事実かどうかはまったく別問題である。毎度のことながら、詳細な場所は不明。

・ギルガメッシュ
 英雄王。紀元前2600年ごろのメソポタミア文明、シュメール王朝の都市国家ウルクを治めていた実在の王とされる。その根拠は初期楔形文字で書かれたシュメール王名表に記載されているからである。「ギルガメッシュ叙事詩」は実在したウルトの王ギルガメッシュを物語にした神々と不老不死の物語。ギルガメッシュの神話は欧州・中東に大きな影響を与え、ギリシャ神話・ローマ神話・ユダヤ神話の原型とも言われる。シュメールは現在のイラク南部バビロニアの地域に当たる。2004年現在、陸上自衛隊の駐屯するイラク・サマワ近郊にギルガメッシュが治めたウルクの遺跡がある。

 

 

 「そもそもだな。

密閉性ゼロの農家を殺人用ガス室に改造した」という話からして胡散臭いことこの上ない。

なんでこんな話が事実にされてんだ?」

 「そうよねぇ。

設計図もない、死体もない、場所もはっきりしないんじゃ、根拠があるとはとても言えないわ」

 「ちゃんと根拠はあるさ。

確かにブンカーの図面は、戦後になって被収容者だったシュロモ・ドラゴンが記憶によって描いたものしかない。

しかしブンカーのガス殺は事実だ。

それはSS医師のヨハン・パウル・クレーマー[Johann Paul Kremer]がつけていた日記が根拠になっている。

戦時中、ヨハン・パウル・クレマーはミュンスター大学医学部教授だった。

1942年8月30日から1942年11月18日まで、クレーマーは病気になった他の医者の代わりにアウシュヴィッツに滞在し、被収容者を材料にした人体実験を行なうとともに、アウシュヴィッツの医師たちに義務づけられていた処刑への立ち会いをも経験している。

クレーマーはその間、日記をつけてた。

この日記の項目のうち、いくつかがアウシュヴィッツで大量絶滅が行なわれた証拠としてたびたび利用されてきた。

クレマー自身も1947年のクラクフでのアウシュヴィッツ裁判、1964年のフランクフルトでのアウシュヴィッツ裁判でそのように証言してきた。

ブンカーについての記述は1942年10月12日の部分だ。

またクレーマーは戦後の回顧で「ガス殺が行われた」と書いている」

 

 

 参考資料:クレーマー日記 1942年10月12日
(アドレス:ttp://www.nizkor.org/ftp.cgi/people/k/kremer.johann/ftp.py?people/k/kremer.johann//kremer-diary)
 Second inoculation against typhus, later on in the evening severe generalized reaction (fever). Despite this in the night attended a further Sonderaktion from Holland (1,600 persons). Ghastly scenes in front of the last bunker! That was the 10th Sonderaktion.
(アドレス:ttp://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/Points2/Bunker.html)
「第二回のチフス予防注射。そのあと夕方に強い全身反応(熱)。にもかかわらず、夜になお、オランダからの[人々への]特別行動(1600人)に立ち会う。最新のブンカーのまえ(vor dem letzten Bunker)での戦慄すべき光景(ヘスラー)! これは一〇回目の特別行動だった。」(p.220.)

 参考資料: クレーマーのガス殺についての回顧録 "The Good Old Days" p. 258より
(アドレス:ttp://www.holocaust-history.org/auschwitz/19420901-kremer/)
Particularly unpleasant was the gassing of the emaciated women from the women's camp, who were generally known as 'Muslims'. I remember I once took part in the gassing of one of these groups of women. I cannot say how big the group was. When I got close to the bunker [I saw] them sitting on the ground. They were still clothed. As they were wearing worn-out camp clothing they were not left in the undressing hut but made to undress in the open air. I concluded from the behaviour of these women that they had no doubt what fate awaited them, as they begged and pleaded to the SS men to spare them their lives. However, they were herded into the gas chambers and gassed. As an anatomist I have seen a lot of terrible things: I had had a lot of experience with dead bodies, and yet what I saw that day was like nothing I had ever seen before. Still completely shocked by what I had seen I wrote in my diary on 5 September 1942: 'The most dreadful of horrors. Hauptscharfuhrer Thilo was right when he said to me today that this is the anus mundi', the anal orifice of the world. I used this image because I could not imagine anything more disgusting and horrific.
SS-Doctor Kremer at a hearing on 18 July 1947 in Cracow
「とりわけひどかったのは、女性収容所からの衰弱しきった女性たち、通常『回教徒』と呼ばれる人々のガス殺であった。思い出すが、私はある日一度、そうした女性グループのガス殺に加わったことがある。グループがどれほどの数だったかは、覚えていない。ブンカー近くに来てみると、彼女たちは着衣のまま地面に座り込んでいた。ぼろぼろの囚人服を着ていたので、脱衣バラックに入ることを許されず、戸外で服を脱がなければならなかった。これらの女性の態度から、どんな運命が自分たちを待ち受けているかを、彼女たちがはっきり判っていると、私は判断した。というのも、彼女たちは親衛隊員に命を助けてくれと懇願し泣き叫んでいたからだ。とはいえ、全員がガス室に追い込まれガス殺された。解剖学者として私は、多くの恐ろしいことを見たし、死体を扱ったこともしばしばである。しかしながら、そのときに見たことは、なにものとも比べることができない。そのとき経験した印象を、私は42年9月5日の日記に『恐怖の絶頂。軍医のティロ親衛隊曹長が本日私に、私たちは世界の肛門(anus mundi)にいるのだと語ったが、それは正しい。』と書いた。こうした表現を私が使ったのは、それよりすさまじく恐ろしいものを、私は思いつけないからだ。」

 

 「クレーマーは戦後、連合軍に捕らえられ、日記は連合軍によって提出された。

クレーマーが連合軍に捉えられている間に、加筆修正された可能性は十分にある。

特に1947年の回顧録は司法取引などで事実を書いてない可能性がある」

 「可能性の話だ。

弁護人の言ってることに根拠はない」

 「特別行動って何?」

 「言うまでもない。ガス殺のことだ」

 「さて、それはどうかな?」

 「何?」

 「「特別行動」をガス殺と見なすのは難しい。

なぜならクレーマー日記1942年9月2日の記述によれば「特別行動」は外部で行われたからだ。

ガス室でガス殺が行われたのならば内部で行われるはず。

さらにチクロンBの用途の説明は1942年9月1日に書かれているが、はっきりと「ブロックの燻蒸(vergasungs eines Blockes)」と書かれている。

どこにもチクロンBがガス殺に使われたとは書いてないぜ」

 

 

クレーマー日記 1942年9月1日〜1942年9月5日
↑ (アドレス:ttp://www.holocaust-history.org/auschwitz/19420901-kremer/)
写真はThe reproduction of this page was taken from Death Books From Auschwitz: Remnants,
Vol. I, Appendix, 1995, p. 185. より引用

[クレーマー日記1942年9月1日の転写] 
 Von Berlin schriftlich Führermütze, Koppel und Hosenträger angefordert. Nachmittags bei der Vergasung eines Blocks mit Zyclon B gegen die Läuse.
[英訳] 
Wrote off to Berlin for officers' cap, belt, suspenders. In afternoon attended block gassing with Zyklon B against lice.
※ クレーマー日記で、チクロンBの用途について語っているのは1942年9月1日の「ブロックの燻蒸(vergasungs eines Blockes)」だけである。上の写真で確認してもらえばわかるが、クレーマー日記の原文には「Zyklon B(チクロンB)」の単語に下線がついている。これがクレーマーによるものなのか、それとも文書管理者によるものなのかは不明である。

[クレーマー日記1942年92日の転写]
Zum 1. Male draussen um 3 Uhr früh bei einer Sonderaktion zugegen. Im Vergleich hierzu erscheint mir das Dante'sche Inferno fast wie eine Komödie. Umsonst wird Auschwitz nicht das Lager der Vernichtung genannt!
[英訳]
For the first time, at 3:00 A.M. outside, attended a special action. Dante's Inferno seems to me almost a comedy compared to this. They don't call Auschwitz the camp of annihilation for nothing!
※ 「Sonderaktion(特別行動)」が具体的に何を表しているのかはわからない。わかるのは「クレーマーは「特別行動」に”外部”で参加した」ということである。ガス殺はガス室で行われたそうなので、「特別行動」が「ガス殺」を意味しているとは考えにくい。

 

[クレーマー日記1942年9月3日の転写]
Zum 1. Male an der hier im Lager jeden befallenden Durchfällen mit Erbrechen und kolikartigen anfallsweisen Schmerz erkrankt. Da ich keinen Tropfen Wasser getrunken, kann es hieran nicht liegen. Auch das Brot kann so nicht schuld sein, da auch solche erkranken, die nur Weißbrot (Diät) zu sich genommen haben. Höchstwahrscheinlich liegt's an dem ungesunden kontinentalen und sehr trockenen Tropenklima mit seinen Staub- und Ungeziefermassen (Fliegen).
[英訳]
For the first time, came down with the diarrhea with vomiting and colic-type attacks of pain which have hit everyone here in the camp. It cannot be the water as I have not drunk a drop. Also the bread cannot be responsible, as those who have eaten only white bread (special diets) have also come down with it. Most probably the reason is the unhealthy continental and very dry tropical climate with its dust and masses of vermin (flies).
※ アウシュヴィッツの下痢の原因は水ではなく、食事のパンであり、害虫がそれを引き起こしている。

[クレーマー日記1942年9月4日の転写]
Gegen die Durchfälle: 1 Tag Schleimsuppe und Pfefferminztee, dann Diät für eine Woche. Zwischendurch Kohle und Tannalbin. Schon erhebliche Besserung.
[
英訳]
To combat the diarrhea: 1 day of gruel and peppermint tea, followed by a week's special diet. Charcoal and Tannalbin at intervals. Already considerably better.
※ 下痢との戦い。

 

[クレーマー日記1942年9月5日の転写]
 Heute nachmittag bei einer Sonderaktion aus dem F.K.L. (Muselmänner): das Schrecklichste der Schrecken. Hschf. Thilo (Truppenarzt) hat Recht, wenn er mir heute sagte, wir befänden uns hier am anus mundi. Abends gegen 8 Uhr wieder bei einer Sonderaktion aus Holland. Wegen der dabei abfallenden Sonderverpflegung, bestehend aus einem fünftel Liter Schnaps, 5 Zigaretten, 100 g Wurst und Brot, drängen sich die Männer zu solchen Aktionen. Heute und morgen (Sonntag) Dienst.
[英訳]
 In the morning attended a special action from the women's concentration camp (Muslims); the most dreadful of horrors. Master-Sergeant Thilo (troop doctor) was right when he said to me that this is the anus mundi. In the evening towards 8:00 attended another special action from Holland. Because of the special rations they get a fifth of a liter of schnapps, 5 cigarettes, 100 g salami and bread, the men all clamor to take part in such actions. Today and tomorrow (Sunday) work.
[日本語訳]
「1942年9月5日、女性強制収容所(ムスリム)からの特別行動に参加。もっともおそらしい恐怖。軍医ティロは、世界の肛門であると私に話してくれたが、それは正しい。夕方8時ごろ、オランダからのもう一つの特別行動に参加。1/5リットルの酒、5本のタバコ、100グラムのサラミとパンが特別配給されるので、みんながこの行動に参加したがっている。」

※ 「特別行動」についての説明が追加された。9月2日の記述によると外部で行われ、9月5日の記述によると「特別行動」に参加することで「特別配給」がもらえるため、みんなが参加したがっている。しかし、ここの記述だけでは「特別行動」がガス殺を示していると読み取ることはできない。また9月1日の日記と同じく「特別行動」「世界の肛門」に下線部が引かれていることはとても不自然である。

 

 

 「『世界の肛門』という表現は絶滅収容所ではなく、チフス・赤痢・マラリアによる下痢のことを意味しているのだろう。

この疫病によって数千の犠牲者が出たことを考えると、クレマーがアウシュヴィッツを指して「絶滅の収容所」という単語を選んだ理由も説明できる。

たしかに伝染病が猛威をふるって毎日大勢の囚人が死ぬ収容所は現場の人間からすれば「絶滅の収容所」のようだろう。

しかし、ここは絶滅計画が実行された収容所ではない。

絶滅の手段とされる「ガス処理」という表現を使っているのは日記の中で一回だけで、それも、囚人バラックの燻蒸との関連で使っているだけだ。

 

 参考資料:ホロコースト講義 ゲルマル・ルドルフ
(アドレス:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/lectures/453.htm)
クレマーの日記だけではなく、さまざまな資料によると、この当時、チフス、マラリア、赤痢が破局的に蔓延していました。ひどい衰弱(このために、「Muselmen」という表現)と止めることのできない下痢(このために「世界の肛門」という表現)は、チフスと赤痢の症状であり、これだけで、アウシュヴィッツに「世界の肛門」というあだ名を与えるには十分でした。この疫病によって数千の犠牲者が出たことを考えると、クレマーがアウシュヴィッツを指して「絶滅の収容所」という単語を選んだ点も明らかです。ただし、クレマーが「ガス処理」という表現を使っているのは一回だけで、それも、囚人バラックの燻蒸との関連で使っているだけです。

 

 「クレーマー日記を絶滅計画のソースにするのは無理がある。

とどのつまり、クレーマー日記は所詮は日記。

これだけでは証拠にはならない。

日記の内容を裏付ける一次資料がゼロなんだからな」

 「阿呆がッ! 日記が一次史料だ! 何をほざく!」

 「だからその日記に書かれている仕事の命令書、そして命令を実行したという報告書がないと言っているんだよ。

クレーマーの私生活な内容だけだったらともかく、これは領収書社会と呼ばれたほど徹底した官僚国家ナチス・ドイツの「仕事」だぞ。

事はクレーマー本人だけでは済まない。

クレーマーが行った仕事に必要な器材の製造・搬入・運搬・その他の手続き。

あらゆる面からクレーマー以外の人間が書いた書類が存在したはずだ。

イギリス政府はドイツ軍のウルトラ暗号を解読して第二次大戦に勝利した。

そしてアウシュヴィッツなどの秘密収容所の無線交信があることもわかっているが、その中にガス処刑に関する記録はまったくない」

 

 参考資料:「シャーロック・ホームズのガス室」 著サミュエル・クロウェル
Samuel Crowell,The Gas Chamber of Sherlock Holmes, An Attempt at a Literary Analysis of the Holocaust Gassing Claim
(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/crowell_01.htm)
大量ガス処刑説の最大の問題点は、それはわずかな証拠の上に組み立てられている、あるいはまったく証拠がなくて組み立てられているということではない。むしろ、この説を立証するような証拠が、50年間もまったく提出されていないということである。過去数年間に多くの文書が研究用に公開されてきた。イギリス政府は、ウルトラ暗号の多くや、秘密に記録されたドイツ人囚人のあいだでの会話の記録を、研究用に公開してきた。こうしたテープや暗号によると、大量射殺は1941年夏には知られていたこと、これに参加したSS将校の自白があること、アウシュヴィッツなどの秘密収容所の無線交信があることが明らかになっている。しかし、ガス処刑に関する記録はまったくないのである。

 参考資料:Webサイト 「11月3日 エニグマの真実」
(アドレス:ttp://members.at.infoseek.co.jp/kokusenken/enigmatop.html)
ノルマンディー上陸作戦とエニグマ
 エニグマとはドイツ軍が軍事情報をやりとりする際に用いた暗号のことである。この暗号を解読できる確率は、実に150000000000000000000分の1であった。そのため、まさか解読されるはずがないという油断から、ドイツ軍はいかなる重要な情報もエニグマを用いて送受信したのである。ナチスドイツは、ヨーロッパのほぼ全土を制圧し、いよいよイギリスに迫ろうとしていた。しかし、多くの有能な暗号解読員たちの活躍によって、エニグマ暗号は奇跡的に解読されたのである。かくして、ドイツ軍の情報はイギリス側に筒抜けとなった。ノルマンディー上陸作戦(写真)の史上稀に見る大成功は、ひとえに効率的な暗号解読の賜物である。エニグマを解読・分析して得られた有効な情報(インテリジェンス)は、「ウルトラ」と呼ばれた。この「ウルトラ」は、ドイツの指揮系統を完璧に把握していた。そのためドイツ軍の欺瞞戦術はことごとく通用しなかった。さらに、連合軍の上陸する場所はどこか、ヒトラーは最後まで掴むことができなかったのである。

 

 

 「クレーマーが人体実験に携わっていたと言っても、実際に何をやっていたのかの詳細なデータまではわからない。

旧日本軍の731部隊と同じで、人体実験のデータは連合軍が全て押収して自分たちの軍事技術に応用してやがるからな。

ホントに”科学的根拠を持たない殺戮だけの人体実験”だったらデータを公開すればいい。

『人間の体から何リットルの血液が取れるのか?』とか『囚人の目の色を変えていた』とかはよく言われる非人道的な人体実験だ。

だが、その手の人体実験のデータは公開されてない」

 「でも人体実験はあったんでしょ?」

 「たしかに人体実験そのものはあったさ。

例えば1941年末にドイツ軍は、ソ連軍の青酸毒ガス作戦の書類を手に入れた。

その対策として家畜や死刑囚を使って対策を研究し始めている。

これを裏付ける証拠として、実験用のガス室が残っている。

ともあれ当時の医師たちもガス室や人体実験の存在そのものは認めている。

そしてそのデータを米英軍が日本軍との戦争で役立てたことからも、人体実験は有益なものだったことは明白だ」

 

 参考資料:「シャーロック・ホームズのガス室 ホロコーストのガス処刑説の文芸学的分析の試み」
著サミュエル・クロウェル 歴史的修正主義研究会試訳
Samuel Crowell,The Gas Chamber of Sherlock Holmes, An Attempt at a Literary Analysis of the
Holocaust Gassing Claim
ロシア侵攻直後、ドイツ国防軍は、赤軍が低空飛行機からシアン・ガスをドイツ軍部隊に散布する計画を持っていることを示す資料を入手した。このために、1942年1月、ドイツ軍はこのガスを使って家畜実験を行ない、致命的な結果が生じることを発見した。そして、シアンガスから身を守るFE42ガスマスク・フィルターが開発された。しかし、ドイツ軍は機密保持のために、これらの作業を秘密にした[81]。したがって、1942年初頭に、青酸ガスを使った秘密実験が行なわれ、これを防ぐ器具が作られたことになるが、この事件はドイツが人間に対してガス実験をしているという噂が登場する以前か、ほぼ同時期である。しかし、青酸ガスとの結びつきが登場してくるのは、この物質が東ヨーロッパの諸共同体を害虫駆除する作業で使われるようになったこととの関連である。だから、回り道ではあるけれども、ドイツの害虫駆除手順を検討しておかなくてはならない。
[81] Gellermann, Gunther W., Der Krieg, der nicht stattfand, Bernard & Graefe Verlag,
Munchen:1986, p. 186f

 

 「ようするに、人体実験の存在そのものを否定するヤツはいない。

歴史修正主義者(リビジョニスト)たちが否定しているのは、”科学的根拠を持たない殺戮だけの人体実験”というドイツに対する言いがかりだ。

ニュルンベルグ軍事裁判(NMT Nuernberg Military Tribune))の第一法廷で被告になったドイツ軍の医師のドイツ人弁護団は米国人検察団の訴追に対してこう主張した」

 

1. 戦争と国家の危機という状況下では、人体実験によって得られる知見によって軍および市民の生存を図ることは必要である。極端な状況は極端な行動を要求するものである。
2. 囚人を被験者として用いることは世界中で行われている。米国の刑務所で行われている人体実験もある。
3.
人体実験に利用された囚人はすでに死刑が宣告されていた。したがって、実験に用いられ処刑を免れたことは囚人の利益になっている。
4. 被験者は軍の指導者または囚人自身によって選ばれているのだから、個々の医師たちは選別の責任を負えない。
5. 戦時には国民は戦争に協力しなければならない。これは軍関係者でも、市民でも、囚人でも同じである。
6. 人体実験を行ったドイツ人医師たちはドイツの法律だけに従う(したがって米国法では裁けない)。
7. 研究の倫理に関する普遍的な基準は存在しない。基準は時と場所によって異なる。倫理的に問題のある人体実験は世界中で行われており、科学の進歩のためという理由で正当化されている。
8. 医師たちは人体実験を行わなければ生命の危険にさらされたり殺されたりしたかもしれない。さらに、彼らが実験を行わなければ、医師以外のずっと技術の劣った者が実験を行って、もっと大きな危害を被験者に加えていたかもしれない。
9. 人体実験が必要だと決定したのは国家であり、医師たちは命令に従っただけである。
10. より大きな善を生み出したり多くの生命を救ったりするためには、少々の悪や誰かを殺すことが、しばしば必要となる。
米国や英国はナチスの人体実験の成果を日本に対する戦いにおいて利用しており、実験が有用であったことは明らかである。
11. 囚人たちは人体実験に参加することに暗黙の了解を与えていた。被験者の不同意を記した文書はないのだから、有効な同意があったとみなすべきである。
12.
人体実験なしには、科学と医学の進歩はありえない。
(参考:ttp://www.lit.osaka-cu.ac.jp/~tsuchiya/vuniv99/exp-lec3.html より)

※ 1947年8月20日に下された判決で、4人の裁判官たちは、訴追第1点の「共同謀議」に関しては、独立した犯罪とすることはできないとして退けたが、第2点「戦争犯罪」と第3点「人道に反する罪」に関しては全面的に有罪とした。第4点「犯罪組織への所属」については、親衛隊に所属した形跡がない者、選択の余地なく所属した者、および戦争が始まった1939年9月1日以前に脱退した者を除いて、有罪と宣告した。
 その結果、絞首刑が7人の被告(うち医師が4人)に、終身刑が5人に、禁固20年が2人に、15年と10年の刑が1人ずつに、それぞれ言い渡された。7人の被告が無罪になった。絞首刑は1948年6月2日にランツベルク刑務所で執行された。終身刑および禁固刑を言い渡された被告はのちに20年から10年程度に減刑された。

 

 「連合軍の人体実験は国防や医学の発達のためという理由で黙認されている。

だが、同じことをしているのになぜかドイツと日本だけが叩かれる。

特にナチスの人体実験は悪逆非道として知られているのは周知の通りだ。

だが、関係書類は全て連合軍が没収してしまったから、公開されない限り、何をやっていたかは誰にもわからない。

本当にそんなことをしていたとしても、関係書類は全て連合軍が没収してしまったから、それが事実かどうかを立証することはできないんだ」

 「そーなの?

それじゃナチスの非道な人体実験って―――――」

 「悪質なプロパガンダだろうよ。

関係書類が非公開なのに、何をやってたかなんてわかるわけがない。

本当に無意味で狂信的な悪魔の実験をやってたらそこだけ公表すればいいだろ?

だがそれをしない。

これは、ナチスの人体実験は国防や医学の発展のために行われたってことを事実上証明してしまっているのさ。

アウシュヴィッツの「死の天使」ジョゼフ・メンゲレの悪魔の研究は、研究室はダイナマイトで木っ端微塵、個人的研究の関係書類は全部燃やされたそうだしな。

メンゲレが人体実験に使った子供の数さえわからないのに、何が悪魔の研究だ。

本当に研究が立証できるなら人体実験に使った子供の数がわからないはずがない。

わからないのは、そんなものが存在してないからだ」

 

 参考資料:悪魔についての追憶−ナチスに協力した科学者の責任
「シュピーゲル」誌6月11日号
(アドレス:ttp://village.infoweb.ne.jp/~shinikyo/akumanotuioku.html)
 医学博士、哲学博士のナチス親衛隊突撃中隊長で、1941年から1943年までアウシュヴィツ強制収容所の医官だったヨーゼフ・メンゲレは、高い教育を受けて科学に関心を持っていた。彼はこの絶滅収容所の車寄せで、新しい来所者たちを選別していた。新来者の90%がただちにガス室に送られた。
(略)
ドイツの医師メンゲレがそのひそかな人種研究のために何百人の子どもを殺したかは明らかにされていない。ソ連軍は1945年1月27日にアウシュヴィツ強制収容所を解放した時、ここにはまだ約200人の双子の子どもが生きていたことを知った。これらの子どものうちの約80人は今も四つの大陸の十カ国で暮らしている。そのうちの8人は先週末ベルリンを訪れた。この第二次世界大戦終了後56年目の訪問に対して、かつてはカイゼル・ヴィルヘルム協会だったマックス・プランク協会は、これらの犠牲者たちに謝罪を申し込んだ。
(略)
メンゲレとフェヤシューアーは明らかに、彼らに不利な証拠を手回しよく隠滅していた。メンゲレはガス室には直接関わっていなかったにもかかわらず、アウシュヴィツのガス室を爆破させた。フェヤシューアー教授は1946年にあるオランダの同学者に、「私たちが後に残したすべての恐ろしいことについて語ることを私に求めないで下さい」と書いていた。フェヤシューアーはまた彼の「潔白証明」を書いてくれた人びとに心から感謝していた。ナチス時代に罪を犯したのは有名研究所の医師たちだけではなかった。殺人や暴行致死に、そしてその正当化や完遂には、カイゼル・ヴイルヘルム協会の法律家たち、政治思想家たち(東方研究者たち)、そしてもちろん、そのほとんどが喜んで兵器開発に従事していた化学者たち、物理学者たち、冶金学者たちも加わっていたのである。
(略)
マルクルはベルリン・ダーレムのマックス・プランク協会フリッツ・ハーバー研究所でこの謝罪をした。
フリッツ・ハーバーはノーベル賞を受けた科学者で、カイゼル・ヴィルヘルム協会の会長も務めた人物なのであるが、1914年にドイツで初めて毒ガスを開発し、そして1915年4月22日に西部戦線でのその最初の実線使用を自ら指揮した。この毒ガス攻撃では何千人もフランスとイギリスの将兵が命を失った。ハーバーはこのことに非常に満足していた。彼はこの邪悪な発明を戦後にも悔やむことなく、「殺戮のより高度の形態」と呼んだのであった(ハンス・ハルター Hans Halter 訳=中村美治)

 

 

 

 「でもナチスは安楽死を奨励してたじゃない。

障害者は切り捨てるなんて政策は酷いわ」

 「非人道的な行為の代名詞で知られる安楽死は、国内法に基づいた合法的なものだ。

国内問題に諸外国から何かを言われる筋合いなど無い。

何より、当時の世界状況を無視した意見などナンセンスだ。

国が崩壊寸前まで追い込まれた状況で福祉などできるわけがない。

第一、安楽死はナチスの専売特許ではない。

どこの国でもやっていたことだ」

 

 

 

 参考資料: 1997・8・27 朝日新聞「六万人に不妊手術強制」
スウエーデンの歴代政権が、より優秀なスウェーデン人をつくりだすためとして、一九三五年〜七六年にかけ、ひそかに六万人の男女に強制的な不妊手術を行っていたことが明らかになり、国民に衝撃を与えている。(中略)手術の根拠となった断種法は『劣った人』や『多産の独身女性』『異常者』『ジプシー』などを社会から一掃する目的で、不妊手術を受けさせるべきかどうかの決定権を医師または裁判所に与えていた。同法は七六年に廃止された」

 参考資料:ヘブライの館
(アドレス:http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc550.html)

1930年までに、国際的な優生学運動の推進役として、合衆国とドイツはイギリスを遥かにしのぐ力を持っていた。
〈中略〉
合衆国の優生学者たちは、ナチスの人種政策をもっとも強力に支持した外国人だった。たとえばイギリスのように、合衆国以外の国の優生学運動はどちらかといえばナチス・ドイツに批判的だった。ナチスの人種政策に対する諸外国の姿勢の中心的監視者だったドイツの『人種政策外信』は、合衆国内の優生学活動について11の報告を掲載しているが、そのうちの4つはアメリカの優生学運動がナチスの政策を支持していることについての報告である。ナチスのプロパガンダで、合衆国ほど目立った役割を演じた国は他にはなかった。
〈中略〉
ナチスの人種衛生学者たちは、アメリカの移民政策が優生学と民族選別を結合させたその方法に特に強い感銘を受けた。アメリカの優生学者たちは、自分たちがナチス・ドイツの断種法制定に影響を与えたことを自覚していたし、誇りを感じてもいた。彼らはドイツの「遺伝病の子孫の出生を予防するための法律」がカリフォルニア州の断種法の影響を受けており、1922年にハリー・ローリンが考案した「優生学的断種のモデル法」にならって立案されたものであることを知っていた。
〈中略〉
ナチスが政権の座についてからわずか6カ月のうちにドイツで断種法を可決させることができた理由のひとつとして、合衆国の断種の法的・医学的側面に関する情報を握っていたことがあげられる。
〈中略〉
ナチスは合衆国における断種の実際的・法的経験に学んだだけではなく、1870年代以降に合衆国で行なわれてきた研究も参考にしていた。
〈中略〉
1920年代から30年代初頭にかけてのアメリカの優生学的運動はまた、「消極的優生学」を直接的に実行する制度を生み出すことになった。
アメリカは連邦レベルでは「断種法」を成立させたことはないものの、約30の州が、精神疾患や精神遅滞の人々を対象にする強制的な断種法を制定した。1907〜60年までの間に少なくとも6万人がそれらの法律の適用を受けて不妊にさせられた。この政策の全盛期にあたる1930年代に断種された人の数は平均して毎年約5000人に達した。
(中略)
いくつかの国もアメリカの例にならった。カナダのアルバータ州は、1928〜60年まで同様の積極的計画を採用し、その法律に従って数千人が不妊化されることになった。
(中略)
ヨーロッパで最初に「断種法」を成立させたのは1929年のデンマークであり、ついで1933年にドイツが法案を成立させ、1934年にはノルウェー、1935年にスウェーデンとフィンランド、1936年にエストニア、さらに1937年にはアイスランドが続いた。同様の法案は第一次世界大戦前にイギリスやオランダ、ハンガリー、チェコスロバキア、ポーランドなどでも審議されたものの、成立はしなかった。

 

 

 

 「ドイツ以外に、アメリカ、デンマーク、ノルウェー、スェーデン、フィンランド、エストニア、アイスランド…

いっぱいあるわね」

 「そうだ。

極度の精神病者、極度の身体障害者を一生介護することは重労働だ。

福祉国家は福祉という名の重労働によって財政が圧迫されてしまうことが多い。

だから一生働けない人間を養うとすれば、生活保護で莫大な費用がかかってしまう。

戦前の帝国主義時代、賠償金と世界恐慌が重なった状況を無視し、ドイツだけを悪者にするのは連合国の歴史観で、そんなものに付き合う必要などない。

断種法はナチスの専売特許ではない。

当時は多くの国が採用してたし、それはこの考え方が古代から存在して特に目新しいものではなかったらだ。

ローマ人は、著しい奇形や不治の病をもって生まれた赤ん坊をローマ広場の近くにある切り立ったタルペイア岩から投げ落とした。

スパルタ人にも同様の慣習があった。

多くの原始的な社会でも同じ理由から子殺しが行なわれていた。

中世ヨーロッパもまた同様だ。

そして日本でも姥捨て山というものがあった。

断種法はただの民族浄化という面だけから見るべきではない。

もしも非難するならば、当時この手の法案を採用していたすべての国に言うべきだ。

国家が生き残るための止むを得ない手段でもあるのだ。

国家が破綻して福祉が崩壊すれば、赤ん坊が産まれてもどうせすぐに死んでしまうのだからな。

まさに現在の中国・ロシア・アフリカがそんな状態ではないか。

現在の日本も年金・介護問題で頭を痛めているし、現在のドイツもまた介護問題で頭を痛めている。

韓国ではそもそも「福祉」などという概念が存在するかどうかも怪しい」

 「

 「障害をもった子供を物乞いの”プロ”として育て、子供が大きくなって使えなくなったら商品として外国に売り払う・・・

このような人身売買と安楽死ではどっちが残酷なのだ…?

家畜以下の生活のまま、ただ「死」を待つだけの人生を強制することは残酷ではないというのか…?

安楽死を実行せず、外国に商品として売り払えば人道的だというのか…?」

バン!(机を叩く音)

 「このように見れば、ナチスの安楽死計画を一方的に批難することは、勝者の特権に過ぎないのだ!」

 

 

 参考資料:「シャーロック・ホームズのガス室 ホロコーストのガス処刑説の文芸学的分析の試み」
著サミュエル・クロウェル(アメリカ人作家のペンネーム。コロンビア大学で6年間教授を務めたことがある) 歴史的修正主義研究会試訳
Samuel Crowell,The Gas Chamber of Sherlock Holmes, An Attempt at a Literary Analysis of the Holocaust Gassing Claim
1939年秋に始まる安楽死キャンペーンが存在したことには疑問の余地はない[336]。この計画はおおやけに議論されたものではなかったが、狂人、重症の精神病患者、重症の身体障害者、あるいは不治の病におかされた人を慈悲で殺害することを意味していた。また、この計画には、極度の障害を抱えた子供を安楽死させることも含まれていた[337]。犠牲者が重症の精神病患者あるいは重症の身体障害者に限られていたことに留意しておいていただきたい。安楽死シナリオは1946年秋に登場してくるからである[338]。
安楽死計画は多くの噂を広め、ドイツ国民のあいだにも強い反対があったことを示している。1941年12月、トーマス・マンはBBC放送で、すでに1万人が安楽死計画にしたがって毒ガスで殺されたと論じた[339]。それ以前にも、1941年に噂が広まっており、カトリックの僧侶が計画に強く反対するコメントを出した。このなかでもっとも有名なものは、1941年8月3日のミュンスター枢機卿フォン・ガレンの説教で、精神病患者が死に追いやられているという説にふれて、それを強く非難していた[340]。どのような方法によってかということはふれられていなかったが、死者はすべて焼却されたという事実が人々の心に刻まれた。そして、これだけでも疑惑を生んだのである[341]。

※ ナチスの宣伝大臣ゲッベルスは片足に障害を持った障害者だった。4歳に患った小児麻痺の影響で左足に障害が残り、第一次世界大戦での徴兵検査で失格となっている。しかし、ナチス・ドイツでは障害者だろうが裕福な家柄でなかろうが、才能と実力さえあれば大臣にだってなれたのであった。

 

 参考資料:読売新聞 2003年6月23日20時34分更新
【ベルリン=宮明敬】「75歳以上の老人には、人工透析や心臓の手術は無用」――自治体財政や健康保険会計の破綻が進むドイツで、社会学者らが、医療費抑制のため、高齢者に対する治療を痛みの緩和程度にとどめ、延命治療はやめるべきだとの提言を公表、波紋が広がっている。ドイツではナチス時代、心身障害者らを「安楽死」の名目で大量殺害したり、強制収容所では労働力としての価値を失った者から抹殺するなど、有用か否かで人間の生死を決めていた。それだけに、高齢者の生存権を否定するような今回の提案に、ナチス時代の選別思想の復活を指摘する声もある。この提言は、連邦経済省の諮問委員を務める社会経済学者のフリードリヒ・ブロイヤー教授と、ドイツ社会倫理学会長のヨアヒム・ビーマイヤー教授が、今月初旬に放映された公共テレビの番組で訴えたものだ。「平均寿命に近い年月を生きた75歳以上の人が延命治療や高額治療を望むなら、全額自己負担にせよ」というのが骨子。背景には、「75歳以上の人に手術を施しても、(社会経済的に)元が取れない」(ブロイヤー教授)との功利主義的な考え方がある。ビーマイヤー教授は「年齢による医療制限というテーマは、政治の世界ではまだタブーかも知れないが、学者や専門家の間では市民権を得ている」と語り、高齢者“切り捨て”論に共鳴者が少なくないことを示唆した。これに対して、連邦医師会のホッペ会長は「高齢者のそれまでの社会貢献も、人間の尊厳も無視した議論で、ナチス時代の安楽死を連想させる」と非難。旧東独共産党系の民主社会党も「節約ヒステリーのなれの果て。年齢や出自、障害の有無で人間を選別することは絶対許せない」との声明を出した。シュミット保健相は「医療行為の年齢制限など考えられない」と沈静化を図っている。だが、今回の提言は、シュレーダー政権が進める「痛みを伴う社会改革」の中で出てきただけに、改革に対する国民の不満に火をつけかねない。

 参考資料:朝鮮日報 2004/02/04 19:49
(アドレス:ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/02/04/20040204000084.html)
障害学生の入学と希望の投資
ソウル大学・法学部が視力を失った障害学生 チェ・ミンソクさんを合格させたのは、
あらゆる面で障害者の生活環境が劣悪な韓国社会に反省と関心を呼び起こす有意義な決定だ。
(略)
外国人が韓国に来て驚くことのひとつは、街で障害者をあまり見かけないことだ。交通施設や建物の至るところにきめこまかく障害者に配慮している先進国に比べ、
韓国は障害者の便宜施設があまりにも脆弱なため、障害者は家の中に閉じ込められて生活しているからだ。

 参考資料:民族時報 第849号(98_4_11)
(アドレス:ttp://www.korea-htr.com/jp/841850/jp84907ns.html)
 末世的な「幼児売買」の実態を見る
未婚女性や極貧者が出産した赤ん坊が、産婦人科や助産婦、両親などを通してガム売りなどの「同情請い」組織に売られている。東亜日報(三月二十七日付)によれば、「同情請い」の組織員らは、
買ってきた幼児を彼らの戸籍に実子のように載せたあと、成長してこれ以上は「同情請い」ができなくなるまで働きに出させる。金で買った赤ん坊を「同情請い」に育てて、物請いを強要する事例は次のとおりだ。
 @極貧者の夫婦から三百万ウォンで買った生後一年十か月の幼児を「同情請い」に出す(地下鉄の乗客の同情心を引くために、六歳の子どもに誕生をすぎたばかりの幼児を背負わせてガムを売らせる。どちらも買ってきた子ども)。
 A地下鉄終電の午前零時までガムを売らせ、全部売るまで寝させない。地下鉄の連絡通路には、子どもの脱走を監視する屈強な男を配置する。子どもが登校するときにも、逃げ出さないように学校まで組織員がついてきて監視する。脱走して捕まると気絶するまで殴られる。
 BソウルのN産婦人科は、未婚女性が生んだ赤ん坊を一人当たり百万―三百万ウォンで「同情請い」組織に売った。妊娠八、九か月になる未婚女性が中絶手術にくると、赤ん坊を産ませた後に保育器で一か月ほど育て、(「同情請い」組織などの)赤ん坊をほしがる人に売る。
 C「同情請い」組織員らは、病院などで買った赤ん坊を同じ組織員らに一日三万―五万ウォンで貸し出す。
 D数億の豪邸を持っている「同情請い」組織員らが、ガム売り児童の一人一人から一日の売り上げの五十万ウォンを奪い取る。
このような実態を政府は知らなかったのか。歴代大統領はだれもが「社会正義」を守ると主張してきた。しかし歴代政権が行ってきたのは、「海外養子縁組」という名の組織的な幼児輸出を放置してきたことだ。文民大統領を自認した金泳三氏も、就任辞で「正義が大河のように流れる社会をつくる」と語ったが、やはり放置してきたのだ。この結果、金泳三政権が世界一流国家への仲間入りだと大騒ぎして加盟した経済協力開発機構(OECD)の国のなかで、
わが国は「世界第一位の幼児輸出国」として、児童人権侵害国家のらく印を押されている。ひと言で言って末世だ。どうして儒教の国の韓国がこんな状況になってしまったのか。ソウルの都心で、堂々と幼児を売り買いする「人間市場」が開かれるほどに堕落したのか。金のためならば何をしても良いという、拝金主義がのさばる社会に未来があるのか。人間生命の番人である病院が、幼い生命を売り買いする「奴隷商人」に化ける背理。自分の子どものような幼児をガム売りに育てた後に、成長すれば廃棄処分する背理が日常化する社会は終末を早めるだけだ。キーセン観光を助長してでも外貨を稼がなければならないと騒いだ朴正煕ファッショ政権以後、価値観の転倒現象が甚だしくなった。政治指導者が国家権力を利用し、女性を外国の観光客に売り渡しても「キーセン観光が愛国行為」だと言い放った社会雰囲気のもとで、人身売買―幼児売買の芽が育ったのだ。そして全斗煥自身が民衆虐殺の国事犯であるにもかかわらず、社会を浄化させると言いながら「三清教育隊」を作り、何のかかわりもない前科者だけをいじめることによって、「犯罪に対する不感症」が増幅された。「政治やくざ」の全斗煥が路地裏のやくざをムチ打つ有様になっては、道徳不感症が深まらざるをえなかった。キーセンを横に抱いて酒宴をしていた朴正煕が腹心の銃で殺され、全斗煥・盧泰愚が巨額の秘密資金を作った罪で投獄された状況で、国民の価値観がしっかりと確立されるはずがない。「一二・一二クーデター」の主犯の盧泰愚は「犯罪との戦争」を繰り広げると言いながら、実際には公安政局を作って在野人士を弾圧した。このように指導層が進んで法を破り、金で権力を買う(不正選挙)風土のなかで、「未婚女性の幼児売買・搾取」という非人間的な犯罪が生まれたのだ。指導層が金力と権力を動員して政治的犯罪を起こしても許されるために、社会的な犯罪に対する道徳的審判の正当性が消えていく。国会議員が議事堂の中で博打(ばくち)をやっているために、博打犯罪がなくならない。このような意味で、「未婚女性の幼児」犯罪の間接的な責任は、政治家にもあるということができる。道徳政治を打ち出した新政権にとって、政治改革に劣らず重要なことは社会改革である。未婚女性が捨てた赤ん坊を売り買いし、虐待する犯罪の温床地帯をなくす運動が、必ず必要である。世紀末的な人身売買、中世紀のような児童搾取を放置して、二十一世紀を迎えることはできない。 (全東秀記者)

 

 「ソフィアさん」

 「なんだ?」

 「なんだか良くわからないけどここにティッシュ置いておきますね♪」

 「いらんわッ!」

 「え?垂れ流す気ですか?そんなことしたらパソコンの前がイカ臭くなってしまいますよ?」

 「ば、馬鹿!いきなり何を言い出す!?意味不明なことを言うんじゃない!」

 「どうしてそんなに怒るんですか?

わたしはただソフィアさんがアイナブリッチで少佐に昇進して欲しいと思っただけなのに・・・!」

 「…さりげなく凄いこと言ってるな…」

 「何がアイナブリッチだ。どいつもこいつも人を変態扱いしおって!」

 「だってドイツは変態さんの国じゃないですか!

わたしは読者の皆さんに正しい知識を持って欲しいだけなのに・・・!」

 

 

参考資料:「ドイツ人の女子学生が大学の補助金を支払わないことに対してポルノ映画を作って抗議するという記事」 Ananova 2004年1月15日より
(アドレス:ttp://www.ananova.com/news/story/sm_855910.html)
Students turn to porn to pay course fees German students are making a porn movie as a protest against underfunding.The money raised by the film will be used to help subsidise the fees of those who can't otherwise finance a university education.It comes after Chancellor Gerhard Schroeder recently challenged students to "use their initiative" to pay their education fees.Ethics student Mara Schneider, 22 from Leipzig, plays Chantal in the film she made with her 27-year-old boyfriend Rene.She says it is a "passionate demonstration" against education reforms and will go on sale in Leipzig next week.Students have led month-long protests, including naked demonstrations and office sit-ins, against the Chancellor's new reforms which include the introduction of tuition fees, the creation of elite universities and budget cuts.
Story filed: 10:52 Thursday 15th January 2004

 参考資料:CNN.co.jp 2004.02.21
(アドレス:ttp://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200402210002.html)
ベルリン(ロイター) ドイツ西部の都市アーヘンで19日、
「緊縛(きんばく)」を好む性癖を持つ男性が、自分自身を鎖や手錠できつく縛り過ぎてしまって身動きが取れず、警察に助けを求める騒ぎがあった。 警官が駆け付けた際の男性の様子について、地元署は「わずかに羽を突き出し、ヨタヨタと歩くペンギンをほうふつさせた」と声明で描写した。男性は警官の手錠の鍵で、無事に救出された。 調べによると、通報を受けた警察官が男性の自宅に到着。呼び鈴を鳴らしても、ドアをたたいても応答はなかったが、しばらくして、男性が窓際に姿を現し、頭部を大きく振って、口にくわえた家の鍵を窓の外に放り投げたという。 警察が家の中に入ると、体中に何本もの鎖を巻き付けた男性が、体を折り曲げ、ひざまずいて、近寄ってきた。警官は「初めは冗談かと思ったが、巻いたチェーンを手錠でさらにきつく固定しており、頭部以外は身動きがとれない状態だった」と振り返っている。 男性は光沢のある黒い皮の衣服と白い靴下を身に付けていたという。男性がどのようにして自身をそこまできつく縛り上げたかは、不明。警察は男性に対し「お金はかかるかもしれないが、絶対安全」な方法として、今後は自宅ではなく、「専門の施設」を利用するよう忠告した。

 

 「・・・」

 「ふふふ、知ってるんですよ。

ソフィアさんはジクルドさんと付き合ってた頃、徹底的に調教―――――」

 「プ、プライベートなことだ!それにそーいうことをこーいうところで平然と言うな!」

 「っていうかアイナブリッチって何?」

 「アイナブリッチっていうのはね。ようするにオナ――――」

 「言うな!」

 「そうですよ。ここは変化球で卍ズ―――――」

 「うがぁあああ――――――!」

 「…さっきから何を言ってるかしら?」

 「そこまでだ。

無知な人間を悪質なプロパガンダで洗脳するのはやめろ。

感情に訴えるやり方は、その効果を知っている人間が使うと恐ろしい武器となる。

だいたい韓国を引き合いに出すのは反則だ。

あれと比べればどこの国だって普通に見えてしまうだろう。

まったく卑怯にもほどがある」

 「さりげなく凄いこと言ってるな」

 「まったくだ。韓国を何だと思っている」

 「それはアンタもでしょうが」

 「でもナチスは「ユダヤ人やジプシーの断種」を行っていたじゃない。

他の国はそんなことしてないわよ」

 「いやいや、ナチスは「特定民族の断種」などしていないぞ。

していたのはドイツの国内法に基づく「犯罪者・障害者の断種」であって、「特定民族の断種」ではない。

この根拠は、ドイツ軍が占領した地域のゲットー(ユダヤ人居住区)や強制収容所ではユダヤ人の赤ん坊が存在したことだ。

特定民族の断種が実行されていたなら、なぜ赤ん坊が生まれる。それも強制収容所やゲットーで。

おかしいではないか」

 「あれ?」

 「わたしが調べたところ、「特定民族の断種」のソースは見つからなかった。

「犯罪者・障害者の断種」はアメリカなど他の国もやっている。

しかし、「特定民族の断種」を行ったのはナチスだけ、とドイツ叩きのプロパガンダじゃないのか?

この当たりも調べねばならないだろうな」

 「そこまで。

もはやクレーマー日記の話題とは関係ない話になってますよ。

とりあえず長くなったので次回へ続きます」


次回へ続く