ドリーム小説
Day.1----アンブレラ
アサム・ウィークリー紙(1998年6月2日付)
ラクーンシティ猟奇連続殺人事件!
ラクーンシティ─────昨日遅く、アンナ・ミタキ(42歳)の損傷死体が発見された。
現場は、ラクーンシティ北西部の被害者宅からほど遠くない廃棄された駐車場。
今回発見された被害者によって、先月、ヴィクトリー湖地区内、
もしくは近辺で発生した、噂の「人喰い殺人鬼」の犠牲者は4人となった。
他の最近の犠牲者に関する検視官の報告に見られる通り、
ミタキの死骸は部分的に食べられており、歯形は明らかに人間のものである。
昨晩の九時前後にジョギングをしていた2人にミス・ミタキが発見されてからすぐに、アイアンズ署長は簡単な声明を出した。
それによれば、ラクーン市警本部は、
「このような凶悪犯罪の加害者逮捕に向けて鋭意捜査中」
であり、目下、ラクーン市民のためのより徹底した治安の方策について市の職員と相談をしているとのことである。
人喰い殺人鬼の血みどろの乱痴気騒ぎに加えて、他にも3人の被害者が出ている。
こちらは、この数週間にわたって、ラクーン森林地帯において獣に襲撃されたものと思われるが、
結果的には7人の市民が不可解な死をとげたことになる・・・・。
ラクーン・タイムズ紙(1998年6月22日付)
ラクーンの恐怖! さらなる死の犠牲者
ラクーンシティ─────ラクーンシティ日曜日の早朝、ヴィクトリー公園にて2人の若者の死体が発見された。
今年の5月中旬から街中を震撼させている暴力専制時代における8番目と9番目の犠牲者は、
ディーン・ラッシュとクリストファー・スミスと判明。
2人とも19歳で、土曜日の晩に心配した両親から捜索願が提出されていたが、
午前2時前後にヴィクトリー湖西側の堤防で警察官に発見された。
警察当局による公式発表はないものの、発見者の目撃談によれば、
2人の若者は、これまでの犠牲者に見られたのと同様の損傷を覆っている。
襲撃者が人間と動物のいずれであったのかは、今のところ公表されていない。
2人組の若者の友人によると、2人は、最近、草木が密生化した公園で目撃されている噂の
「野犬」を追跡して捕らえようと相談しており、夜行性のバケモノと言われているものを見るために、
市にあまねく布告されている夜間外出禁止令を破ったものらしい。
ハリス市長は、本日の午後、記者会見を予定しており、昨夜の危機に関して表明を行い、
厳重な夜間禁止令を呼びかけるものと思われる・・・・。
シティサイド紙(1998年7月21日付)
S.T.A.R.S.─────特殊戦術及び救助部隊、ラクーンシティ救難に乗り出す。
ラクーンシティ─────今週初めに発生したラクーン森林地帯における3人のハイカーの失踪届けを受けて、
ついに市の職員は、アークレイ山地麓の田舎道ルート6にバリケードの設置を要請した。
昨日、警察署長ブライアン・アイアンズは、S.T.A.R.S.が行方不明のハイカーたちの捜索活動にフルタイムで参加する事、
また、我々の共同体意識を破壊する殺人と失踪事件に終止符が打たれるまで警察本部と密接な関係を保って行動する事を発表した。
アイアンズ署長自身、元S.T.A.R.S.のメンバーだったが、本日、
彼の述べたところによれば(シティサイド紙の独占電話インタビューによる)
「市の安全保障に対して、特殊訓練を受けた男女の専門家を採用する潮時である 当地で我々は、
この2ヶ月以内に惨忍非道な殺人による9人の犠牲者と、少なくとも5人の行方不明者を出している
─────そして、これら全ての事件は、ラクーン森林地帯付近で起こっている
従って、一連の事件の実行犯は、ヴィクトリー湖地区のどこかに潜伏しているものと思われるが、
S.T.A.R.S.は、我々が犯人を見つけ出すのに必要な経験を積んでいる」
のである。
なぜ、S.T.A.R.S.は今までこの事件を担当しなかったのかという質問に対して、アイアンズ署長は、ただこう答えている。
S.T.A.R.S.は、はなからラクーン市警本部の活動を補佐していたのであり、
目下、一連の殺人事件をフルタイムで追っている特別捜査班にとって「ありがたい増員」となるだろうと。
1967年にニューヨークで設立された民間のS.T.A.R.S.組織は、本来は増加の一途を辿る都市型テロリズム対策として、
退職した軍当局者及びCIAとFBI双方における元現場諜報員のグループで結成された。
前NSAD(国家安全保障と防衛庁)長官マルコ・バルミエリの指揮下、
団体はすぐに事業を人質交渉から暗号解読や暴動の制圧までの全てを引き受けるまでに拡大された。
地元の警察機関と連携することで、S.T.A.R.S.の各支局は、
それぞれ完全に独立した団体として機能するように考案されている。
S.T.A.R.S.は、1972年に数件の地元企業の資金援助を得てラクーンシティ支局を設立し、
現在のところ、半年足らず前に現職に赴任したアルバート・ウェスカー隊長によって統率されている・・・・。
傘って知ってるかい?
そう─────冷たい、大粒の雨から身を守ってくれる傘だ。
でも、僕が話そうとしている傘は、身を守ってくれる傘じゃない。
巨大で不可視の「アンブレラ」の話だ。
たとえばの話だけどね。
ある国はならず者国家やテロ支援国家と名づけられ、経済的にも軍事的にも危機的状況に追いやられ、
ある国は援助の必要な開発途上国として様々な支援を受けているんだ。
その差が、明確な善悪によって分かれていて、だからこそ正義の国の力によって悪い国は裁かれる。
なんて単純に思える人間は少なくないだろう?
今や小学生でもそれが利害と力関係によって恣意的に決められたものであるって知ってる。
この世は降り続く冷たい有害な雨に常に曝されている。
だから傘を差し掛けられることで、ようやく生き延びていられるんだ。
頭上に傘があれば援助を受け、傘を外されるとテロ支援国家と呼ばれる。
それがこの世の仕組みなんだ。
傘を差しかけるのが善意であるなら、よき者は傘の庇護を受け、
悪しき者は雨に打たれ滅びるのなら、僕たちは傘を差し伸べる者に感謝するだろう。
その自愛の心に頭を下げるだろう。
でも、この世界に降る有毒の雨もまた、傘を差し向ける者によってもたらされた災厄であったとしたら?
アンブレラ社は世界的な巨大複合企業だ。
薬品を初めとする医療関連製品の開発などによって世界平和に貢献していると言われている。
まさに自愛の傘─────アンブレラ。
しかし巨大な企業は、その力が大きければ大きいほど、その裏の顔を噂されるものだ。
それはアンブレラ社にしても例外じゃない。
いや、アンブレラ社はあまりにも巨大であり、その存在そのものが、一つの伝説なんだ。
僕を生み出したように
全ての元凶となった場所で、2人の男が椅子に腰を下ろし、話をしていた。
一人は金髪のオールバックに長身のサングラスの男、
もう一人は白衣にだらしなくネクタイを緩めた、どこか病的な印象を与える男。
そしてその後ろ、サングラスの男に付き従うように立っているのは、まだ成人していないだろう、若い青年だった。
否─────華奢な体つきや、丸みを帯びた肩、膨らんだ胸元を見ると、少女のようだ。
短いアッシュブラックの髪は暗闇に溶け込み、切れ長の赤い眼だけが不気味に光っていた。
3人の目の前にはいくつものモニターが置かれていた。
「忌々しい事に、世界とは糞どもの巣なんだよ」
白衣の男が唇を歪めて言った。
「歩く糞、笑う糞、媚びる糞、逆らう糞、とにかく何をしようと糞は糞なんだ」
「なるほど」
さほど感心した様子もなく、サングラスの男が頷いた。
「私たちの開発した技術は、せめてその糞どもを有効に使う方法だよ そう思うだろ、ウェスカー?」
ウェスカーは返事をしなかった。
サングラスに隠れた顔からは表情も読み取れない。
その後ろの女もまた、全くの無反応でモニターを見つめていた。
それに些かイラついたのか、白衣の男─────ウィリアム・バーキンはさらに声を大きくした。
「どんな糞でも、堆肥に変えれば作物を育てる大事な飼料となる
私のした事は、ただの糞を、堆肥に変えるための作業だ そのための技術だ そのための科学だ!」
喋っている間に興奮して来て、バーキン博士は立ち上がった。
「糞どもで満ち溢れたこの世界を、素晴らしい緑を育てるために役立てる これこそ私の使命なのだよ」
パチパチとウェスカーが気のない拍手をした。
「バカにしてるのか?」
「君は天才だ」
明らかな世辞に、しかしバーキン博士は嬉しそうだった。
「しかし天才にありがちな問題を抱えている」
「なんだ?」
「現実の判断力不足」
「私だって良く現実を認識しているぞ」
バーキン博士は子供のように唇を尖らせた。
「ならば」
ウェスカーはモニターを指差した。
「これが現状だ」
モニターに映し出されているのは何処かの研究施設だろうか。
いずれにしても、そこに生きている人間は一人もいそうに無い。
ウロウロと目的もなくそこをウロついているのは、人ではないからだ。
その証拠に、捻じ切れそうになった腕を引きずったり、関節が無いところから曲がった脚をギクシャク動かしていたり、
陥没した頭から灰色の脳髄を露出させていたり、のんびりと散歩するには相応しくない状態のものばかりだ。
そう、これは全て死体だ。
生きている屍体。
それが施設の中を、所在無く歩き回っている。
その足下を這っているのは、ネズミではない。
サイズこそ大振りのドブネズミ並だが、それは哺乳類ですらない。
ヒルだ。
巨大なヒルが、床や壁や天井を這い回っている。
まるで動く汚泥だ。
「どう思う、バーキン博士」
「酷い、酷い有様だが・・・・」
「どうするつもりだ」
「他人事のように何を言っているんだ 君にだってこうなった責任はあるんだ
いいや、それどころじゃない 責任の大半は君にある」
「だから?」
「だから・・・・君は責任を取ってどうにかすべきなんだ」
「それは考えてある で、君はどうするつもりなんだ」
「・・・・わからないよ そんなことはわからないよ」
バーキン博士は頭を抱えて座り込んだ。
モニターの向こうでは、静かな地獄の映像が流れていた。
「マーカスの亡霊だ」
バーキン博士は暗い顔で呟いた。
「奴らはきっと私たちに復讐に来る」
「だから?」
ウェスカーの返事は素っ気無かった。
「怖ろしくないのか、君は」
「何が怖ろしい あれはただのバケモノだ」
「しかし・・・・」
バーキン博士は口ごもった。
「それは、罪悪感か」
「・・・・かもしれん」
「糞を潰しただけなんだろ」
「マーカスは・・・・単なる糞じゃなかった」
「同情か」
ウェスカーの口元が笑みを含んだ。
「尊敬だよ マーカスは始祖ウィルスを発見した一人であり、我々が手に入れたT−ウィルスの開発者でもある
それなりの敬意は持っている 『』を造る事ができたのも、彼の協力があってこそじゃないか」
バーキン博士は、ウェスカーの後ろに立っている少女を見た。
その鋭い眼光は、相変わらずモニターを見つめていた。
ウェスカーと同様、何を考えているのか、その無表情からは読み取れなかった。
この華奢な外見で、実は怖ろしい力を秘めていると思うとゾッとする。
「しかし君は彼を殺した」
ウェスカーが言った。
「殺したのはあんただ」
「君も立派な共犯者だ」
「そうだな・・・・だから私は」
「怯えている」
頷き、バーキン博士は頭を抱えた。
「実に下らん」
ウェスカーが吐き捨てるように言った。
「何が下らないと言うんだ」
バーキン博士はまたふくれっ面になった。
「マーカスは我々にとって一番の障害だった だからそれを消し去った 叩くべき相手は、徹底して叩き潰す
それだけだ そして我々はそれに成功した 今、ここにいるのは、あのマーカスではない あれはただのバケモノだ
我々が叩き潰す必要すらない いずれ自滅する 彼の大事なペットたちと共にな それとも─────」
ウェスカーは俯いたバーキン博士を見下ろした。
サングラスで表情は読めないが、凍てつくような侮蔑を感じる。
「君はあれが、超自然的な何か─────たとえば霊だと、本当に思っているのか」
バーキン博士は俯いたまま答えなかった。
「それは下らない妄想だ」
「しかし、しかし、あの時確実に我々は彼を・・・・その」
「殺した」
ウェスカーが言った。
「それは間違いない の弾丸がやつの頭を撃ち抜いた 頭を撃ち抜かれて、生きている人間はいない」
「だから、それならあれは亡霊じゃないか」
ウェスカーは苦笑した。
「覚えているか? 頭を撃ち抜かれた彼が倒した、その横に何があったか」
「テーブルだ 彼の実験用の・・・・」
「思い出したかね あの時、テーブルの上には始祖ウィルスのDNAを組み込んだヒルが入ったガラスケースがあった」
「確かに・・・・なるほど・・・・」
「もうわかるだろう?」
「しかし、そんなことが─────」
バーキン博士は絶句した。
「死ぬ間際、彼はテーブルの上にある物を腕で薙ぎ倒した ガラスケースが割れて、遺伝子操作したヒルが外に出た
そして死の直前、ヒルはマーカスへと落下した 熟れた果実のように避けた彼の頭蓋へとね」
その情報を思い出したのか、バーキン博士は「うえっ」と喉を鳴らした。
「じゃあ、彼はゾンビ─────」
「単なるゾンビではない まず一つ、あれには高度な知性があった そんなゾンビはいない そしてもう一つ 彼が甦るまでに
10年あまりの歳月が掛かっている ゾンビ化するのにそれ程の年月は必要としない おそらく始祖ウィルスの作用で、
ヒルは彼自身の脳の機能を取り込み、失われた部分を再生しつつ、長時間かけて新しい肉体へとへんしつさせていった
だからあれはマーカスの記憶を持ってはいるが、完全に別物だ 我々の邪魔となる男、マーカスはもういない」
「面白い 実に興味深い」
バーキン博士が顔を上げた。
その目が新しい玩具を得た子供の目になっている。
「そうだ、そうだ まさしくそうだ 私は心が弱かった 反省するよ さてと、マーカス どこに行った おーい、マーカス」
バーキン博士は忙しなくキーを打ち、モニターの映像を次々に切り替えていった。
ウェスカーは隣の椅子に腰を下ろし、モニターにも、マーカスを探してはしゃぐバーキン博士にも興味が無さそうだった。
「どこにもいないぞ さては逃げたな」
モニターはここ、幹部養成所のそこかしこを、次から次へと映し出していた。
怪物たちの跋扈する、このお化け屋敷を。
バーキン博士はすぐにモニターを切り替えると、目まぐるしくキーボードを操作し始めた。
そして時折、バーキン博士は窺うようにビリオンをチラチラ振り返った。
はアンブレラの飼い犬だ。
とてもとても可愛がられている愛玩犬。
否、戦闘犬だ。
彼女が右耳に付けているインカムは常にアンブレラ上層部とコンタクトが取れるよう、繋がっている。
そこからアンブレラから彼女へ指令が送られ、はその通りに行動していた。
「これからどうするつもりだ」
しばらくして、ウェスカーが聞いた。
バーキン博士はモニターを見ていた。
しかし、その焦点はモニターではなく、脳内の思考に合わせられていた。
バーキン博士は大きく頷き、こう言った。
「T−ウィルスはほぼ完成している これで下らない糞どもを全て堆肥に変える事が出来るだろうね
しかし、しかしだ 私はもっと上を見ているのだよ もっともっと強力なウィルスを作る事が私には可能なはずだ
いやいや、理論上ならもう完成しているのだよ 後は実験によってそれを確かめるだけなのだ」
「だから?」
ウェスカーが促した。
「研究を続ける」
「ここでか?」
「そのつもりだが」
「既に汚染されているこんなところで、どうやって実験を続ける? 自分自身を実験材料にする気か?」
「・・・・まあ、それでも構わないさ 糞どもを一掃できるのなら」
「養成所の再利用計画は失敗だ」
ウェスカーが言った。
すると、バーキン博士はにべも無く言った。
「それがどうした?」
「ウィルス漏洩の責任もある」
「あれはマーカスのせいだ 私のせいじゃない」
「アンブレラはもう終わる」
ウェスカーはよどみなく言った。
「・・・・何を言っているのだ?」
バーキン博士には、この世が終わるといわれたようなものだった。
スペンサーの庇護下でずっと働いてきた。
それだけがバーキン博士の住む世界だった。
その外は、ろくでもない糞だらけの世界なのだ、出て行くつもりなど欠片も無かった。
「まさか、ここを去るつもりか?」
ウェスカーは答えずに立ち上がった。
「行くぞ、」
ウェスカーが促すと、もモニターに背を向け、ウェスカーの後を追って歩き始めた。
「おい、待てよ そんな・・・・お前たち、本気か? 研究はどうするんだ えっ? どうするつもりなんだ」
立ち止まり、しかし振り返る事無くウェスカーは言った。
「研究は続ける T−ウィルス兵器はほぼ完成だ 後は実戦のデータを集めればいい
S.T.A.R.S.はそのために組織された 私が上手く洋館に誘い込む 君は好きなようにここで研究を続けろ」
ウェスカーとは部屋を出て行った。
「これをやる」
部屋を出て行く間際、ウェスカーは小さな何かを投げた。
バーキン博士がそれを手にした。
アンブレラ社のマークが彫られた鍵だった。
「糞! ヤツも糞だ 出世至上主義の糞野郎だ!」
バーキン博士はギリギリと歯を食い縛った。
それからしばらく、赤く血が滲んだ己の拳を眺めていた。
そして、誰に言うともなく掠れた声で話を始めた。
「そうだ、わかっているとも ここは終わりだ それぐらいは分かっている 分かってるんだ
何もかもこれで・・・・だからつまりあれだ 面倒が起こる前にここは消しておかねばならないということだ」
バーキン博士はコントロールパネルの、自爆装置と書かれた蓋を撥ね上げた。
そこには鍵穴が2つあった。
バーキン博士はさっき受け取った鍵を差し込み回した。
そして首から提げた自分の鍵を、その鍵を捻ると、パネル中央の小さな扉が開き、中から赤いスイッチが現れた。
「これで・・・・終わりか」
バーキン博士はそれまでの狼狽ぶりが嘘のように、静かにそう呟いた。
「列車が横倒しになっている」
が言った。
レベッカたちが乗ってきた列車─────横道特急だ。
先頭車輌を破壊され、脱線したらしい。
まだ煙が上がっていた。
その煙に炙られながら、顔色一つ変えない男が2人、の前に立っていた。
2メートル近い長身、分厚い胸、長いコートで全身を隠しているが、どちらも人並み外れた体格の持ち主だった。
先頭に立った男は、奇妙な両刃のナイフを持っている。
古代インドで使われていた投げナイフが、放射状に非対称の3本の刃が伸びた複雑な形状をしている。
それに似ていなくもないな、とは思った。
地下通路を通ってここまでやって来たウェスカーとビリオンは、その2人を一瞥しただけで通り過ぎようとした。
「何処へ行く気だ、アルバート・ウェスカー同志」
ウェスカーは立ち止まった。
「次のミッションへと向う セルゲイ・ウラジミール大佐」
そちらを見ようともせずに答えた。
セルゲイと呼ばれた男は、粘着質の笑みを浮かべた。
何か人として大切な部分が壊れてしまった笑顔だ。
「養成所再利用計画はあなたが発案し任された計画だ にも関わらずこの失態 何か言いたいことがあるんじゃないのかね」
できのいいジョークでも言っているかのように、セルゲイはニヤニヤ笑っていた。
後ろに立つ男は、それとは対照的に無表情だ。
凍ったように顔が動かない。
精巧な仮面なのだといわれれば納得するだろう。
いや、それを仮面だと言うのなら、セルゲイもまた不気味な笑い仮面を被っているようだった。
いずれにしても、2人ともかなり人間離れした存在であることに間違いは無い。
だが、ウェスカーにしても彼らと大差ない。
語りかけるセルゲイを無視して、ウェスカーは立ち去ろうとした。
も後に続こうとした。
「責任も取らずにここを去る気でいるのかね」
「T−ウィルスが漏れている・・・・養成所は爆破し捨てることになる」
ウェスカーが言った。
「爆破し捨てる、か 同志よ 勘違いは良くないぞ 我々はスペンサー卿のもとに結束した同胞なのだよ
勝手な判断は許されない─────それに、いい加減、を返してもらおうか?
はアンブレラが所有する生体兵器だ 君個人が私用で使っていい存在ではないのだよ
君がの使用権利を取って、もう3ヶ月だ 契約の2ヶ月を1ヶ月も過ぎている」
抜き身のナイフを弄びながらセルゲイが言った。
言ってから、そのギラギラと輝く刃先をウェスカーの顔へと向けた。
楽しくてたまらないような笑顔だ。
だが、ウェスカーも慌てなかった。
黙ってセルゲイの顔を見返していた。
「お前は支配されたい人間だ」
ウェスカーが言った。
セルゲイは不思議そうな顔でウェスカーを見た。
「お前のような愚昧の民は、いつも誰かに支配されることを望んでいる 何故なら自分では何一つ決断できないからだ
お前はスペンサー卿に仕えているのではない 支配する者に従っているだけだ 衆愚は変化を求めない
変化が無ければ、上に立つ者の姿が変わっても平気だ それどころか、気が付きもしないだろう」
「いったい何を言っている」
「いずれ、お前は私に使われるようになるだろう」
それを聞いて、セルゲイはいかにも愉快そうに笑い出した。
「まったく、君は噂通りの馬鹿者だよ 私は君のような思い上がった尊大な人間が大好きだね
どんな人間も、肉体的な痛みには簡単に屈するのだよ 君のような人間もそれは例外ではない 実に楽しみだよ
目を潰され爪を剥がされ、全ての歯を失った君が地面に這い蹲り、血の涙を流して命乞いをするのを見るのがね」
セルゲイはニッ、と笑うと、舌を長く伸ばした。
その舌に、ナイフの刃を押し付けた。
そしてニヤニヤと笑いながら、刃を引いた。
舌に縦の線が生じた。
そこから深紅の血が、ほつほつと湧き出て滴った。
「苦痛とは神の御使いである 痛みこそが、我々人と神を繋ぐ絆 君にも与えてあげようじゃないか
神からのギフトである傷みを、ね イワンよ 彼に苦痛の痛みを教えてやれ」
後ろで立っていた男がふわりと飛んだ。
大きな男が、まるで風船のように体重を感じられない。
男はウェスカーの前に着地した。
同時にウェスカーが銃を撃った。
人を撃つことに全く躊躇など無かった。
そして相手も、単なる(人)ではなかった。
ロシア製の自動小銃で近距離から連射されたにも関わらず、
イワンは、わずかばかりの血肉を吹き飛ばされて後退っただけだった。
だが、ウェスカーもそれぐらいで驚きはしなかった。
イワンのすぐ後ろ、ほとんど瞬間的に移動したがイワンの首目掛けて蹴り上げた。
普通の人間だったなら間違いなく首の骨が折れていたであろう、その痛恨の蹴りにイワンはものともしなかった。
だが、もウェスカー同様、それぐらいで驚きはしなかった。
むしろそれを予測していたかのように、は振り上げていた脚をイワンの首に引っ掛け、
体を回転させてイワンの真上を取ると、自分より何倍も重い大の大人の体を地面に叩きつけた。
すかさずはイワンの首に跨ったまま銃を抜き取り、至近距離で顔面目掛けて銃弾の嵐を撃ち込んだ。
至近距離からの弾丸の雨霰にさすがのイワンも仰け反った。
次の瞬間、丸太のような腕がの顔に飛んで来た。
危ういところでは後転で避けた。
その後をイワンが追う。
速い─────並の速さではない。
イワンはたちまち追いつき、の肩を掴んだ。
続けて拳が顔面へと打ち下ろされた。
が、やはりの方が何倍も反射能力が速い。
は顔を反らし、片手でその拳を受け止め、逆にイワンに強烈な掌打を打ち込んだ。
避け切れなかったイワンは背後の車を何台も薙ぎ倒しながら4メートルも吹っ飛び、
地下水路の入口に背筋を強打してようやく止まった。
「」
ウェスカーが名を呼んだ。
「了解」
が駆け出した。
いや、ほとんど瞬間移動したと言った方が正しい。
ウェスカーの前にいたは、一瞬で、座り込んでいるイワンの前に移動していた。
イワンはビリオンを見上げた。
赤い冷たい眼だけが自分を見下ろしていた。
慈悲の欠片もない、命令に忠実に動く兵器の眼。
その時だった。
轟音と共に地面がユラユラと揺れた。
そして凄まじい爆風がイワンたちを襲った。
養成所が爆発したのだ。
このためには時間を稼いでいたのだ、その気になればイワンなど瞬殺できたのに。
全てが収まったとき、ウェスカーの姿もの姿も消えていた。
それを知り、セルゲイは楽しそうに笑った。
「面白い 実に面白い そう思わないか、同志イワン」
イワンは答えない。
まだそこに敵がいるかのように、消えたの後を見つめていた。
「どうだね、イワン? タイラントT−003型の戦闘能力は?」
イワンは何も答えなかった。
相変わらずを探していた。
は全く本気で戦っていなかった。
わざと手を抜いていた・・・・。
その事実がイワンを苛立たせていた。
「さあ、茶番は終わりだ 我々はテイロス素体の回収に向う 全てはアンブレラのために」
養成所爆発から数日後─────
はひとり、灯りもつけず暗がりの中資料室にいた。
デスクの上には束になった猟奇殺人事件のファイルが山積みになり、
空いたスペースの中で、ビリオンはカタカタとノートパソコンのキーを打ち込んでいた。
6週間前、ヴィクトリー湖へピクニックに向ったマッギー家族の中、2人の少女が死体となって発見された。
現在、町を戦慄させ孤立させているサイコバスの最初の犠牲者だ。
ビリオンのパソコンの画面には、そんな2人の無残な死体の写真が表示されていた。
どんより濁った目で天を凝視しながら仰向けに横たわり、腹部にはポッカリと大きな穴がギザギザの口を開けているプリシラ。
その傍らでもう一人の少女、恐らく姉だろう・・・・年齢からして9歳辺りの女の子、名をベッキー。
彼女は両腕を広げて大の字に寝そべっているが、大量の肉片が細い四肢から獰猛に引き千切られていた。
双方共に内臓を抉り出されていて、出血死に至る前に、とてつもない外傷によるショックで息絶えていた。
たとえ悲鳴を上げたとしても、誰も聞いていなかっただろう・・・・。
は顔を上げ、壁に掛けてある時計に目を向けた。
もうじき、S.T.A.R.S.が今回の事件を引き受ける事になってから最初の会議が始まる。
はパソコンの電源を落とすと、プリントアウトした書類をフォルダーに閉じて廊下へと出た。
そして片脇に数冊のファイルとノートパソコンを挟み、ギシギシと軋む階段を登った。
ジージー唸っている天井の蛍光灯は、狭い廊下を煌々と照らす夜間照明としては、過度に明るいような気がした。
ラクーン市警本部は古い建物で、今では規格外の建築物の断片や、多くの象嵌模様のタイルと
重建築材とで構築されていたが、太陽光を採り入れるためにデザインされた窓が異様に多い。
昔はこの建物はラクーン市庁舎だった。
その後、一昔前の人口増加に伴って図書館として修復されたのだ。
そして4年前に警察署に衣替えさせられた。
今でも絶えず何か改築工事がされているようだ。
「よう、!」
は数メートル先の角から姿を見せた、2人の男性に目を向けた。
一人はフォレスト・スパイヤー。
日焼けした少年のような顔を笑みでいっぱいにしながら、人気の無い廊下をこちらに向かって大股で歩いてきた。
もう一人は、クリス・レッドフィールド。
強い正義感を強靭な肉体に宿しており、観察力と洞察力を併せ持つチームのエースだ。
射撃の腕もチーム随一で、数々の大会で優勝していた。
フォレストは、より何歳も年上だが、見た目は反抗期の少年のようだ。
長髪で、飾り鋲を打ったジーンズのジャケットを着て、左肩にはタバコを吸っているドクロの刺青がある。
パッと見た感じ、落ち着きのあるビリオンと比べると、の方が精神年齢が高そうだった。
しかし、彼はこれでも優秀なメカニックであり、ほどまではいかずとも、最良の狙撃手だった。
逆に、クリスは真っ直ぐな性格で、上官との意見対立を理由に空軍を退官した後、S.T.A.R.S.にスカウトされていた。
「また資料室に引き篭もってたのか?」
フォレストが言った。
は顔色一つ変えず、フォレストに一瞥を向けた。
そしてチラリと自分の腕時計に目を向けた。
会議までにはまだ数分ある。
フォレストとクリスが目の前で立ち止まった時、はフォレストの持っている装備に目を向けた。
「アーマーベスト、ユーティリティ・ベルト、ショルダーパック・・・・遠出かい?」
が聞いた。
「ウェスカーがマリーニに捜査開始を認可したんだ、ブラヴォーチームが任務に着手する」
興奮していても、フォレストのアラバマ特有の鼻に掛かる調子は、言葉をのんびりとしたものに変えてしまう。
フォレストは相変わらずニタニタしながら、抱えていた装備一式を来客訪問用の椅子の一つにドサッと落とした。
「いつ出るんだ?」
「今さ エドワードがコプターを飛び立つ状態にしたらすぐに出発だ」
フォレストは喋りながら、ケヴラー製のアーマーベストをTシャツの上に着た。
「お前らアルファーチームが座ってメモってる間に、俺たちはどっかの喰人鬼のケツを蹴っ飛ばしてるぜ!」
自分に自信がなかったら、とてもやっていられない。
俺たちS.T.A.R.S.は。
そう言いたそうにクリスは顔を顰めた。
「ああ、まあ・・・・自分のケツに気をつけろよ、いいか? それでも思うに、森の中でウロチョロしている
ニ・三の泣きたくなるような下らない任務より、ここでの仕事の方がもっとうんざりだぞ」
クリスが言った。
「そんなこと、わかりきってるでしょうが」
フォレストは髪を後ろに撫で上げると、ユーティリティ・ベルトを掴んだ。
明らかに、既に彼は特別任務に精神を集中している。
クリスはさらに何か言おうと思ったが、止めにした。
こちらがいかに虚勢を張って見せたところで、フォレストはプロなのだ。
気をつけろなんて言ってもらう必要はない。
本当にそう思っているのか、クリス?
ビリーは十分気をつけていたと思うが?
内心密かに溜息をつきながら、クリスはフォレストの肩を軽く叩き、
2階待合室の戸口を通り、作戦会議室に出席するために廊下を進んだ。
「しかし、ウェスカーがチームを別々に派遣することには驚かされたな」
後ろを歩いている
に振り向きながら、クリスが言った。
から返答は無かった。
いや、元々期待はしていなかった。
は必要以上の事は話さないからだ。
「経験の少ない方のS.T.A.R.S.が最初に予備調査を行なうのは通例のことだとしても、これは正確には通常の作戦じゃない
既に出ている死者の数だけでも、もっと積極的な攻撃力を声高に要求するに十分値すると思わないか?」
クリスは話し続けた。
「殺人鬼に対して編成部隊が組まれたという事実は、今回の事件が第一級の状況に当たるということだ なのに、ウェスカーは
ちょっとした訓練運転のようなつもりでいる・・・・結局、誰も分かっちゃいないんだ ビリーがどうなったかなんて・・・・」
「ビリーって誰だい?」
クリスは驚いて立ち止まった。
から話しかけてくるなんて滅多に無い。
しかも、直接任務と関わりのない、クリスの友人の事を聞きたそうにしている。
クリスは先週の深夜、子供時代の友人からもらった電話の事を語りだした。
「ビリーとはしばらく連絡を取っていなかったが、彼がアンブレラの研究員の職場にいる事は知っていた」
「アンブレラ・・・・」
が呟いた。
「ラクーンシティの経済的繁栄に唯一、多大な貢献をしている製薬会社だ」
クリスが言った。
「知ってる」
は素っ気無く言った。
「30年ほど前に誘致した工場だ」
クリスが「その通りだ」と言うように頷いた。
「ビリーは、決して影に怯えるようなタイプじゃなかった だが、あの時のビリーは、自分の命が危険に晒されていること、
誰もが危険に晒されているとベラベラ喋りまくり、町外れで夕食を取りがてら俺と会って欲しいと懇願してきた
─────そのあげく、ビリーは約束の場所に現れなかった それ以来、ビリーの消息を知ってる者はいなくなった」
「・・・・。」
「俺はビリーの失踪以来、その件はラクーンを襲っている今回の事件とは無関係だと自分を納得させようとした
何度も何度も繰り返し考えて、眠れぬ夜を何度も過ごしたさ・・・・にも拘らず、今、俺たちが目にした以上の事が
実際には起こっている、ビリーはそれが何であるかを知っていたんだと、日増しに強くなっていく思いを振り払えないんだ」
クリスは溜息を付いた。
何でこんな話をにしているのか分からなくなっていた。
こんな話、今まで誰にもしたことはなかった。
話したところで、それは杞憂だと言われるのがオチだと分かっていたからだ。
だが、はその話を聞いて、笑いもしなかったし、考えすぎだとも言わなかった。
「警察はビリーのアパートを捜索したんだろう? 犯罪を匂わすものは何も発見されなかったのかい?」
「ああ・・・・、俺の直感は、友人は死んでおり、しかも、口封じのために何者かに殺されたんだと語っている」
「だけど、そう思ってるのは君だけのようだ」
が言った。
「アイアンズ署長は、そんなこと微塵も思っちゃいないよ
チームのみんなも、君が旧友を失ったことで悲しみに暮れているんだと思ってるだろうね」
「ああ だけど、はそう思っちゃいないんだろ?」
クリスはニッと笑って見せた。
すると、はジロッとクリス睨み上げた。
「どうでも良いけど、そろそろ頭を空にしておいたら? 会議に備えて頭の中を整理しておくんだね」
S.T.A.R.S.のオフィスに近付くと、が言った。
の言う通り、ここ数日、クリスはビリーの失踪理由を見つけ出すために、自分は何をしたらいいのか考えていた。
精神を統一し、ひたすら意識を問題に集中させた─────が、疲れ果てていた。
ビリーの電話があってから、ほとんど途切れることの無い不安と睡眠不足に蝕まれていた。
まっとうな視野を失いつつある・・・・最近の出来事のせいで客観性を鈍らされているのかも・・・・。
S.T.A.R.S.のオフィスのドアは開けっ放しになっており、男たちのしわがれ声が廊下に微かに漏れていた。
一瞬、ビリオンは躊躇した。
複数の声の中にアイアンズ署長の声を聞き取ったからだ。
ブライアン・アイアンズは、警察官の仮面を被った身勝手で私利私欲に溺れている政治家で、
地元関連の少なからぬ出来事に干渉しているのは公然の秘密だ。
94年に遡ること、彼はサイダー地域の不動産詐欺に関係していた。
そのことは法廷で一切証明されなかったものの、署長の事を個人的によく知る者たちは、間違いなく彼の事を黒だと思っている。
これで、彼がかつてはS.T.A.R.S.を指揮していたとは信じがたい、たとえお役所仕事としてでさえでもだ。
さらに信じがたいことかも知れないが、恐らく彼はいつの日かラクーン市長にまで成り上がるだろう。
少なくとも、アイアンズは全くの能無しではない。
かつては、なにがしかの軍事訓練を受けている。
ビリオンはS.T.A.R.S.のファイリングキャビネットおよび、
作戦本部として使用されている、狭くて乱雑なオフィスへと足を踏み入れた。
バリーとジョセフがデスクの向こう側で、箱に入ったファイルを調べながら、静かに話し合っていた。
アスファチームのパイロット、ブラッド・ヴィッカーズは、
コーヒーを飲みながら、少し離れたメインコンピューターの画面を見つめている。
穏やかな顔立ちに不機嫌そうな表情を浮かべていた。
部屋の向こう側では、ウェスカー隊長が椅子に背を預け、両手を頭の後ろで組み、
何やらアイアンズ署長の言っていることに虚ろな表情で笑みを返していた。
アイアンズはウェスカーのデスクに身体を乗り出しており、
喋るたびに念入りに手入れされた口髭を肉付きのいい手で撫でていた。
「で、私は言ったね、『君は、私が印刷しろといった事を印刷する事になるんだ
ベルトルーチ、そして、君はそれを気に入る さもなければ君は、
このオフィスから二度と私の所信表明を得る事はできんのだよ!』するとやつが言うにはS.T.A.R.S.」
「クリス!」
ウェスカーは署長の言葉を遮りながら、身体を前に起こした。
「よかった、来たか これでムダ話しを止められる」
アイアンズが苦りきった顔をして睨みつけてきたが、クリスはポーカーフェイスを決め込んだ。
ウェスカーもまた、アイアンズの事など気にかけなかったし、もはや丁重な物腰で接しようと無理する事も止めていた。
その目に宿った煌きから察するところ、そのことを相手に知られようと構わないと思っている事もまた明白だ。
はオフィスに入り、ブラヴォーチームの新人、レベッカ・チェンバースと共有している自分のデスク脇に立った。
通常、チームは交代制で勤務しているのだから、大部屋は必要ではない。
は小脇に抱えていたノートパソコンを使い古しのデスクの上に置き、ウェスカーを見つめた。
「ブラヴォーチームを派遣したのかい?」
が言った。
隊長は平然と視線を返し、腕組をした。
「規定どおりの処置だ、」
「だけど、先週話し合った時は─────」
アイアンズが口を挟んだ。
「私が命令を出したのだよ、─────レッドフィールド、この場所に密偵のような者が徘徊していると、
君が思っている事は知っているが、この私には規定を外れるべき理由が見当たらんのだ」
聖人ぶったクソ野郎・・・・。
は内心、そう思った。
クリスは無視して微笑んだ。
そうすればアイアンズを苛立たせると分かっていたからだ。
「もちろんです、サー 私の言動に対して、あなたはご自身の解釈をする必要はありません」
一瞬、アイアンズはクリスを睨み付けたが、そのブタのような眼は瞬きをしてから、
明らかに視線を下げることに決めたようだった。
アイアンズはウェスカーに向き直った。
「ブラヴォーチームが戻ったら、結果報告をしてくれよ さてと、私はお先に失礼してもいいようなら、隊長・・・・」
ウェスカーは頷いた。
「署長、ではまた」
アイアンズは、ゆっくりと大股でとクリスの脇を通り過ぎ、部屋から出て行った。
彼が退場して一分もしないうちに、バリーが大声を張り上げ始めた。
「署長のヤツ、今日はクソを垂れ流すのをぐっと我慢してたと思わないか?
俺たちみんな。クリスマスには小銭を出し合わんといかんかもよ、やつに下剤をプレゼントするためにな!」
ジョセフとブラッドは笑ったが、とクリスは笑わなかった。
アイアンズの事は冗談で笑って済ませられるが、彼の今回の捜査処置に対する不手際は、全く笑えない。
S.T.A.R.S.はラクーン市警のバックアップとして行動するのではなく、はなから救援を求められてしかるべきなのだ。
クリスはウェスカーを振り返って見た。
その常に変わらぬ冷静沈着な表情は判読しがたかった。
ウェスカーがS.T.A.R.S.の指揮を引き継いだのは、僅か数ヶ月前のこと。
ニューヨークの本部から、部下のを伴って赴任してきたのだ。
したがって、クリスはまだ彼の本当の性格を掴み切れていなかった。
しかし、新任の隊長は評判通りの男のように思えた。
すなわち、落ち着いていて、プロフェッショナルで、冷静だ。
だが、彼には一種の隔たりがあった。
時折、情報を遠く離れた場所から眺めているような感じが・・・・。
ウェスカーは溜息を付いて立ち上がった。
「すまん、クリス 君が事態を違うようにしたいと望んでいたことは分かっている
しかし、アイアンズは、たいして重視しなかったのだ 君のその・・・・懸念を」
クリスは頷いた。
ウェスカーは提案をすることができただろうが、アイアンズは任務活動の現状をグレードアップできる唯一の人物だ。
「あなたのせいではりません」
バリーが大きな拳で短い赤髪をかきながら、こちらに近づいて来た。
バリー・バートンは身長が6フィートしかないが、トラックのように頑丈な体つきだった。
家族と武器の蒐集を別とすれば、彼が情熱を捧げているのはウエイトリフティングであり、その成果を誇示することだ。
「気にすんなって、クリス マリーニが問題を嗅ぎつけてすぐに、
俺たちに救援要請してくる アイアンズはただお前を苛立たせたいだけさ」
クリスは再び頷いたものの、気に食わなかった。
ブラヴォーチーム内で唯一の経験ある兵士は、エンリコ・マリーニとフォレスト・スパイヤーだけだ。
ケネス・サリバンは優秀な偵察者で頭脳明晰な科学者だが、S.T.A.R.S.での訓練にも関わらず、どでかい納屋さえ狙いを外す。
リチャード・エイケンはトップレベルの通信のエキスパートだが、かれもまた、実地体験がない。
ドン尻に控えしはレベッカ・チェンバースで、彼女はまだS.T.A.R.S.に入隊して3週間しか経っていない。
医療薬物関係に頭ぬけているらしい。
クリスはレベッカに何度か会った事がある。
かなり機転の利く女性だが、まだほんの小娘だ。
小娘といえば、アルファチームにもいる。
このだ。
正確な年齢は分からないが、大体、レベッカと同年の18歳と見て間違いないだろう。
しかし、はレベッカとは天と地とも違っていた。
どこで経験してきたのか、実戦経験豊富で、射撃の腕も大会で準優勝を収めている。
もちろん得意なのは射撃だけじゃない。
華奢な身体を利用した素早い動きの体術、優れた洞察能力、冷静に物事を判断する頭。
レベッカと違い、は決して明るい性格ではないが、アルファチームにとっては妹のような存在だった。
つまるところ、ブラヴォーチームは十分ではないと言うことだ。
否、俺たち全員が束になっても、十分じゃないかもしれない。
クリスは手にしていた缶ソーダを開けたが、少しも口をつけず、S.T.A.R.S.の対戦相手の事を考えるどころか、
ビリーの嘆願する絶望に彩られた言葉が再び頭の中で木霊しているのを感じた。
「やつらに殺される、クリス! あの事を知っているやつはみんな殺されるんだ!
エミーの店で会ってくれ 全てを打ち明けるから・・・・」
ほとほと疲れ果て、クリスは遠くを見るでもなく見つめた。
一連の残虐な殺しは、単なる氷山の一角に過ぎないということを知っているのは、自分ひとりだと思いながら。
バリーはもっと何か他の事を言おうとして、クリスのデスク脇に立っていたが、当のクリスは会話に応じる気分ではなった。
バリーはそっと肩をすくめると、がファイルを調べているところへやって来た。
クリスは良いやつだが、時折物事をマジに捕らえすぎる。
まあ、俺たちの出陣となれば、すぐに機嫌を直すだろう。
「ったく、それにしても暑いな!」
バリーが言った。
汗が玉となってとめどなく背骨を伝い落ちていくようで、Tシャツが広い背中にベッタリと貼り付いている。
エアコンは例によって故障中だ。
ドアは開けっ放しになっているが、窮屈なS.T.A.R.S.のオフィスは不快なほど蒸していた。
「何とかしてくれよ、」
「死ねば冷たくなるだろ」
はファイルの山を調べながら素っ気無く言った。
バリーは溜息を付き、ほんの一握りのファイルをすくい取った。
「それはともかく、あんたらふたり、何を探してるんだ?」
ブラッドが聞いた。
バリーとは揃って振り返った。
その当人は、相変わらずヘッドセットを装着してコンピュータの前に座っている。
ブラヴォーチームが森林地帯上空をヘリで飛行しているのをモニターしているのだが、
今のところ何も変化が無いので死ぬほど退屈しているようだ。
「スペンサー家の地所の見取り図を探してるんだ 洋館が建てられた時に、一般公開された建築設計図のようなものさ」
が言った。
ブラッドは眉を吊り上げた。
「スペンサー一族の洋館か? なんでそれが雑誌に載ってるんだ?」
「ジョージ・トレヴァーを知ってるかい?」
が言った。
「一流の建築家だよ スペンサー家の洋館は、ジョージ・トレヴァーが失踪する前に設計した唯一の館なんだ
スペンサーが館を閉鎖したのは、トレヴァーの失踪が理由かもしれないっていう噂もある
館の建築中にトレヴァーは狂いだして、完成した時には完全にキてたらしいよ 餓死するまでホール中を彷徨ってたんだってさ」
ブラッドは一笑に付したが、突然、不安そうな表情をした。
「所詮噂さ」
はにべも無く言った。
「いや、本当さ 今では苦痛に責めさいなまれ、痩せ衰え青白い顔をした幽霊が夜な夜なその地所を徘徊しているんだ」
話を聞いていたジョセフが、ブラッドを脅すように言った。
「で、俺の聞いた話では、時折幽霊がこう叫んでいるらしいぞ
『ブラッド・ヴィッカーズ・・・・連れて来い、ブラッド・ヴィッカーズを』ってな」
ブラッドは僅かに頬を紅潮させた。
「なるほどね、ハ、ハ あんた、本当にコメディアンだな、ジョセフ」
は呆れたようにブラッドを一瞥した。
一体どうやって、ブラッドはアルファチームの一員になれたのだろうと不思議に思った。
彼は確かに、S.T.A.R.S.にとっての最高のハッカーだし、結構優れたパイロットだ。
しかし、プレッシャーに弱い。
ジョセフは陰でブラッドの事を「弱虫ヴィッカーズ」と呼んでいた。
概してS.T.A.R.S.の連中は助け合いの精神に充ちているのだが、ジョセフのブラッド評価に関しては誰も異を唱えなかった。
「で、ビリオン、スペンサーが洋館を封鎖したのは、そのことが理由なのか?」
ブラッドはまだ頬を紅潮させながら、に話しかけた。
は肩をすくめた。
「どうだろうね・・・・館はアンブレラのトップクラス幹部役員のための一種の保養所になってるらしいし、
トレヴァーは館の落成式の正に当日に失踪したから・・・・でもスペンサーは変わり者だったみたいだよ
彼はアンブレラ本社をヨーロッパに移転する事に決めてね、館を単に板囲いしただけで放置したんだ」
ジョセフが冷ややかな笑みを浮かべた。
「その通り 多分、アンブレラが肩代わりしたんだろうよ」
確かに、スペンサーは狂っていたのかもしれないが、金は腐るほど持っていたし、ビジネスの手腕があって適正な人材を雇っていた。
アンブレラはこの地球上で最大規模の医療研究所及び製薬会社だ。
30年前でさえ、数百万ドルの損失は、多分痛くも痒くもないだろう。
「とにかく」
が続けた。
「アンブレラの人間がアイアンズに言ったんだ、自分たちは、
洋館に人をやってそこの警備が保たれていて、進入されていない事をチェックしたってね」
「なら、どうして設計図を探しているのさ?」
ブラッドが聞いた。
「警察官が、これまで森の中で捜索していない唯一の場所だからさ
しかも、事実上、犯行現場の中心地点だ それに、人の言う事を常に信用してもいいとは限らないだろ?」
ブラッドは眉根に皺を寄せた。
「でも、アンブレラが人をやって調べたのなら・・・・」
その言葉に対してが言おうとしていたことは、室内前方から聞こえてきたウェスカーの穏やかな声に遮られた。
「よろしい、諸君 ミス・バレンタインは参加する気が無いようだから、そろそろ会議を始めるとするか?」