──企画発表のときに、「ほとんどの資金は私個人が負担」と言っていました。
角川:最初は、大和をミニチュアで作ろうという話をしていて。それを聞いて「俺がミニチュアでやったら角川春樹じゃねえじゃねえ。金は出すよ」と言ったんです。でも、資金集めは大変でしたね。株を売却したりして、その金で映画を作れることになり。それから、テレビ朝日に行ったりと、いろいろなところと話をしました。
──キャスティングでも苦労はあった?
角川:ほとんど、ありませんでしたね。中村獅童は私が後援会長をしていたこともあって決めたし、反町隆史は刑務所で見ていた番組がNHKの『利家とまつ』であったことや、出所後に見たNHKのテレビドラマで軍人役を演じていて、それらを見て決めました。とにかく、反町と中村、この2人でぜひ行きたいと。
ただ、監督を(佐藤)純彌さんにお願いしたことで、「なんで?」と言われたこともありました。でも、お願いした理由は明白で、例え戦地に行っていなくても戦争を体験していることが、リアルな作品を作るためには必要だと考えたから。純彌さんとも方向性を話し合って、お互いに納得しての仕事でした。
残念だったのは、企画発表会見を開く、ちょうどその日に、自分の母が亡くなったこと。友人からは「春樹さんドラマチックだよね、記者会見の日にお母さんが亡くなるなんて」と言われましたが、実は純彌さんの奥さんも撮影中に亡くなっているんです。「この映画は大事な人を失ってできた映画だよね」と純彌さんにも言われましたが、そういう意味でも、非常に思い入れの深い作品になりました。
150万人動員できなければ、映画から撤退
──角川さんから見て、今の映画界、とりわけ、邦画はどのように見えます?
角川:大人の鑑賞に堪える映画が少ないのが、まず1つ。作品数は多いけど、成功している映画も多くない。しかも、成功しているのはテレビドラマの映画化ばかり。ドラマを映画化するのでは、毒にも薬にもならないと思う。『笑う警官』も一応、話をテレビ局に持ち込んみましたが、1社からは「テレビ局としては警察を敵に回せない」と本音を言われました。つまり、テレビ局は、毒にも薬にもならない番組を作り、その中から視聴率を取れる番組を映画化しているわけで。だからこそ映画は、テレビにはできないことをやらなくちゃならないし、自分自身、毒にも薬にもならないような映画を作るつもりはありません。