ドリーム小説






Day.3----夜の騎士バス






トランクを引きずり、息を弾ませながら、ハリーはいくつかの通りを歩き、
マグノリア・クレセント通りまで来ると、低い石垣にガックリと腰を下ろした。
じっと座っていると、まだ収まらない怒りが体中を駆け巡り、心臓が狂ったように鼓動するのが聞こえた。
しかし、暗い通りに十分ほど独りぼっちで座っていると、別な感情がハリーを襲った。

パニックだ。

最悪の八方塞がりだ。
真っ暗闇のマグルの世界で、全く何処に行く当てもなく、たった一人で取り残されている。
もっと悪い事に、たった今、本当に魔法を使ってしまった。
つまり、ほとんど間違いなく、ホグワーツ校から追放される。
「未成年魔法使いの制限事項令」をこれだけ真正面から破れば、
今この場に魔法省の役人が現れて大捕り物になってもおかしくない。
ハリーは身震いし、マグノリア・クレセント通りを端から端まで見回した。

いったいどうなるんだろう?

逮捕されるのかそれとも魔法界の爪弾き者になるのだろうか?
ハリーはロンととハーマイオニーのことを思った。
そしてますます落ち込んだ。
罪人であろうとなかろうと、三人ならきっと今のハリーを助けたいと思うに違いない。
でも、いま三人とも外国にいる。
ヘドウィグも何処かへ行ってしまって、三人とは連絡の術もない。
それに、ハリーはマグルのお金を全く持っていなかった。
トランクの奥に入れた財布に、わずかばかり魔法界の金貨があるが、
両親が残してくれた遺産はロンドンのグリンゴッツ魔法銀行の金庫に預けられている。
このトランクを引きずって延々ロンドンまで行くのはとても無理だ。

ただし・・・・。

ハリーはしっかり手に握ったままになっている杖を見た。
どうせもう追放されたのなら(胸の鼓動が痛いほどに速くなっていた)もう少し魔法を使ったって同じことじゃないか。
ハリーには父親が残してくれた「透明マント」がある─────
トランクに魔法をかけて羽のように軽くし、箒にくくりつけ、「透明マントを」すっぽり被ってロンドンまで飛んでいったら?
そうすれば金庫に預けてある残りの遺産を取り出せる、そして・・・・無法者としての人生を歩み出す。

考えるだけでゾッとした。

しかし、いつまでも石垣に腰掛けているわけにはいかない。
このままではマグルの警察に見咎められ、トランク一杯の呪文の教科書やら箒やらを持って
この真夜中に何をしているのか、説明するのに苦労する羽目になる。

ハリーはまたトランクを開け、「透明マント」を探すのに中身を脇に避け始めた。
─────が、まだ見つからないうちに、突然起こった眩しい光に眉を寄せて身を起こした。
車が一台、近寄ってきた。
眩しすぎるヘッドライトに目を細め、ハリーはその場に立ち尽くした。

すると車はハリーの横で止まった。




ハリー?


窓から女の子が顔を覗かせた。




?」


ハリーは素っ頓狂な声を上げた。




「君、ど、どうしてここに?」
「いましがた、あなたの家に向っている最中だったのですが・・・・」


は車を下りてハリーに近寄った。
車のヘッドライトに照らされたは、前にあった時よりももっと奇麗になっていた。
しかし見惚れていられたのも数秒で、車はが下りると勝手に走り去って行ってしまった。
ヘッドライトがなくなったマグノリア・クレセント通りは再び暗闇に包まれ、ハリーはの顔がぼんやしりか見えなくなった。




「僕、ダーズリーの家を飛び出してきたんだ」


ハリーが力なく言った。




「僕、魔法を使った きっと、ホグワーツを追い出される」


言って、気持ちがズシンと落ち込んだ。
はどう思うだろう?
軽はずみに魔法を使ってしまったハリーを怒るだろうか?
それとも、ホグワーツを退校になるハリーを同情するだろうか?

しばらく沈黙が続いたが、やがてが口を開いた。




「どういう事情があるのかは分かりかねませんが、とにかく、このままここにいるわけにはいきません」


が言った。




「『漏れ鍋』に行きましょう 今は、それが最善策です」
「でも、ロンドンまでは遠い 、君、マグルのお金持ってる?」


そう言った途端、ハリーは周りをキョロキョロと見回した。
首筋がチクチクする。
誰かに見つめられているような気がする。
しかし、通りには人っ子一人いない。
大きな四角い家々のどこからも、一条の明かりさえ漏れていない。




「振り向かないで下さい」


が言った。
は杖を握って厳しい目付きをしていた。
物音がしたわけでもない。
むしろ、は気配を感じ取っていた。
ハリーの背後の垣根とガレージの間の狭い隙間に、何者かが、何かが立っている。




「何者です」


がよどみない声で言った。




「姿を現わしなさい さもなくば、容赦は致しません」


ハリーは振り返って真っ黒な路地を、目を凝らして見つめた。
動いてくれさえすれば分かるのに。
野良猫なのか、それとも─────何か別のものなのか。

は脅しのつもりで、杖先に光をためた。
「2番街」と書かれた小石混じりの壁が照らし出され、ガレージの戸が幽かに光った。
その間にハリーがくっきりと見たものは、大きな目をギラつかせた、得体の知れない、何か図体の大きいものの輪郭だった。

ハリーは後ずさりした。

トランクにぶつかり、ハリーは足を取られ、道路脇の排水溝にドサッと落ち込んだ。
直後、耳をつんざくようなバーンという音がしたかと思うと、急に目の眩むような灯りに照らされ、ハリーは目を覆った。
危機一髪、ハリーは叫び声を上げて転がり、車道から歩道へと戻った。
次の瞬間、たった今ハリーが倒れていた丁度その場所に、巨大なタイヤが一対、ヘッドライトと共にキキーッと停まった。
顔を上げると、その上に三階建ての派手な紫色のバスが見えた。
どこから現れたのやら、フロントガラスの上に金文字で「夜の騎士バス」と書かれている。

一瞬、ハリーは打ち所が悪くておかしくなったのかと思った。
すると紫の制服を着た車掌がバスから飛び降り、闇に向って大声で呼びかけた。




「『ナイト・バス』がお迎えに来ました 迷子の魔法使い、魔女たちの緊急お助けバスです
 杖腕を差し出せば参じます、ご乗車下さい そうすればどこなりとお望みの場所までお連れします
 わたしはスタン・シャンパイク、車掌として、今夜─────」


車掌が突然黙った。
地面に座り込んだままのハリーを見つけたのだ。
は杖をしまい、ハリーに手を差し出して助け起こした。
近寄ってよく見ると、スタン・シャンパイクはハリーとあまり年の違わない、精々18・9歳。
大きな耳が突き出し、ニキビだらけだった。




「そんなとこですっころがって、いってぇなにしてた?」


スタンは職業口調を忘れていた。




「転んじゃって」
「なんで転んじまった?」
「わざと転んだわけじゃないよ」


ハリーは気を悪くした。
ジーンズの片膝が破れ、体を支えようと伸ばした方の手から血が出ていた。
突然ハリーは、何で転んだのかを思い出した。
そして慌てて振り返り、ガレージと石垣の間の路地を見つめた。
「ナイト・バス」のヘッドライトがその辺りを煌々と照らしていたが、もぬけの殻だった。




「いってぇ、なに見てる?」


スタンが聞いた。




「何か黒い大きなものがいたんだ」


ハリーは何となく隙間のあたりを指した。




「犬のような・・・・でも、小山のように・・・・」


ハリーはスタンの方に顔を向けた。
スタンは口を半開きにしていた。
そして、スタンの目がハリーの額の傷の方に移っていくのを見て、ハリーは困ったなと思った。




「おでこ、それなんでぇ?」


出し抜けにスタンが聞いた。




「なんでもない」


ハリーは慌ててそう答え、額を覆う前髪をしっかり撫で付けた。
魔法省がハリーを探しているかもしれないが、そう容易く見つかるつもりは無かった。




「名めえは?」


スタンがしつこく聞いた。




「ネビル・ロングボトム」


ハリーは一番最初に思い浮かんだ名前を言った。




「あんさんは?」


スタンはを見た。





「そうかい」
「ロンドンまで、おいくらですか?」


が聞いた。




「11シックル 13出しゃぁ熱いココアがつくし、15なら湯たんぽと好きな色の歯ブラシがついてくらぁ」


は上着のポケットからガリオン金貨をスタンの手に渡した。
それからヘドウィグの籠を拾い上げ、呆然と立ち尽くすハリーに言った。




「ここにいたいのですか?」


その言葉に、ハリーは慌ててトランクを持ち上げ、バスに引っ張り上げた。
中には座席が無く、代わりに、カーテンの掛かった窓際に真鍮製の寝台が6個並んでいた。
寝台脇の腕木に蝋燭が灯り、板張り壁を照らしている。
奥の方に寝ている、ナイトキャップを被った小っちゃい魔法使いが寝言を言いながら寝返りを打った。




「ムニャ・・・・ありがとう、いまはいらない ムニャ・・・・ナメクジの酢漬けを作っているところだから」
「ここがおめえさんたちのだ」


トランクをベッド下に押し込みながら、スタンが低い声で言った。
運転席のすぐ後ろのベッドだ。
運転手は肘掛け椅子に座ってハンドルを握っていた。




「こいつぁ運転手のアーニー・プラングだ アーン、こっちはネビルとだ」


アーニー・プラングは分厚いメガネをかけた年配の魔法使いで、二人に向ってコックリ挨拶した。
ハリーは神経質にまた前髪を撫でつけ、ベッドに腰掛けた。




「アーン、バス出しな」


スタンがアーニーの隣の肘掛椅子にかけながら言った。
するともう一度バーンという物凄い音がして、次の瞬間、ハリーとは反動でベッドに放り出された。




「キャッ!」
「うわ!」


がハリーの上に倒れてきた。
ほんの数センチのところにの顔があって、ハリーは心臓が鼓動を止めたのかと思った。
凄くいい匂いがする、柔らかくて、サラサラの髪が頬をくすぐってこそばゆかった。
そしての腰に両手を回していた事に気付き、ハリーは慌てて手を放した。




「ご、ごめんっ!」


声が上ずった。




「いえ、ありがとうございます」


も少し顔を赤くしながら言った。
起き上がって暗い窓から外を見ると、全くさっきと違った通りを転がるように走っていた。




「このバスの音、どうしてマグルには聞こえないんだろう?」
「きちんと聞いていないからですよ それに見てもいない だから彼らは何一つ気がつかないのです」


も窓の外を覗いて言った。




「スタン、マダム・マーシーを起こした方がいいぞ まもなくアバーガブニーに着く」


アーニーが言った。
スタンはハリーのベッドの脇を通り、狭い木の階段を上って姿が見えなくなった。
ハリーとはまだ窓の外を見ていた。
アーニーのハンドルさばきはどう見ても上手いとは思えない。
「夜の騎士バス」はしょっちゅう歩道に乗り上げた。
それなのに絶対衝突しない。
街灯、郵便ポスト、ゴミ箱、みんなバスが近づくと飛び退いて道を開け、通り過ぎるとまた元の位置に戻るのだった。
スタンが戻って来た。
その後ろに旅行用マントに包まった魔女が緑色の顔を青くしてついて来た。




「マダム・マーシ、ほれ、着いたぜ」


スタンが嬉しそうに言った途端、アーンがブレーキを踏みつけ、ベッドというベッドは30センチほど前につんのめった。
マダム・マーシはしっかり握り締めたハンカチを口元に当て、危なっかしげな足取りでバスを降りて行った。
するとスタンがその後から荷物を投げ降ろし、バシャンとドアを閉めた。
もう一度バーンがあって、バスは狭い田舎路をガンガン突き進んだ。
行く手の立ち木が飛び退いた。

ハリーは眠れなかった。

バスがバーンバーンとしょっちゅう大きな音を立てなくても、
一度に100キロも200キロも飛び跳ねなくても、眠れなかっただろう。
一体どうなるのだろう、ダーズリー家ではマージおばさんを天井から下ろすことができたんだろうか、
という思いが戻って来ると、胃袋が引っ繰り返るようだった。




・・・・」


ハリーが弱々しく言った。




「僕、これからどうなるんだろう・・・・」
「ダーズリー家ならば、心配は要りません」


はベッドに横になったまま答えた。




「恐らくあと数時間で、魔法省から『魔法事故巻き戻し局』が派遣されるはずです」


スタンが「日刊予言者新聞」を広げ、歯の間から舌先をちょっと突き出して読み始めた。
一面記事に大きな写真があり、もつれた長い髪の頬のこけた男が、ハリーを見てゆっくりと瞬きした。
何だか妙に見覚えのある人のような気がした。




「この人!」


一瞬、ハリーは自分の悩みを忘れた。




「マグルのニュースで見たよ!」


スタンは一面記事を見てクスクス笑った。




「シリウス・ブラックだ」


スタンが頷きながら言った。




「あたぼうよ こいつぁマグルのニュースになってらぁ ネビル、どっか遠いとこでも行ってたか?」


ハリーが呆気に取られているのを見て、スタンは何となく得意げなクスクス笑いをしながら、新聞の一面をハリーに渡した。




「ネビル、もっと新聞を読まねぇといけねぇよ」


ハリーは新聞を蝋燭の明かりに掲げて読み始めた。





ブラックいまだ逃走中

魔法省が今日発表したところによれば、アズカバンの要塞監獄囚人中、
最も凶悪といわれるシリウス・ブラックは、今だ追跡の手を逃れ逃亡中である。
コーネリウス・ファッジ魔法大臣は、今朝「我々はブラックの再逮捕に全力であたっている」と語り、
魔法界に対し、平静を保つよう呼びかけた。
ファッジ大臣は、この危機をマグルの首相に知らせた事で、国際魔法戦士連盟の一部から批判されている。
大臣は「まあ、はっきり言って、こうするしかなかった おわかりいただけませんかな」と苛つき気味である。
さらに「ブラックは狂っているのですぞ 魔法使いだろうとマグルだろうと、ブラックに逆らった者は誰でも危険にさらされる
私は、首相閣下から、ブラックの正体は一言たりとも誰にも明かさないという確約を頂いております
それに、なんです─────たとえ、口外したとしても、誰が信じるというのです?」と語った。
マグルにはブラックが銃(マグルが殺し合いをするための、金属製の杖のようなもの)を持っていると伝えてあるが、
魔法界は、ブラックがたった一度の呪いで13人も殺した、あの12年前の様な大虐殺が起きるのではと恐れている。





ハリーはシリウス・ブラックの暗い影のような目を覗き込んだ。
落ち窪んだ顔の中でただ一ヶ所、目だけが生きているようだった。
ハリーは吸血鬼に出会ったことはなかったが、「闇の魔術に対する防衛術」のクラスでその絵を見た事があった。
蝋のように蒼白なブラックの顔はまさに吸血鬼そのものだった。




「オッソロシイ顔じゃねーか?」


ハリーが読むのを見ていたスタンが言った。




「この人、13人も殺したの?」


新聞をスタンに返しながらハリーが聞いた。




たった一つの呪文で?
「あいな 目撃者なんてぇのもいるし、真昼間だ てーした騒ぎだったしなぁ、アーン?」
「あぁ」


アーンが暗い声で答えた。
スタンはクルリと後ろ向きに座り、椅子の背に手を置いた。
その方がハリーもも良く見える。




「ブラックは『例のあのしと』の子分だった」
「え? ヴォルデモートの?」


ハリーは何気なく言った。
しかしそのせいで、スタンはニキビまで真っ青になった。
しかもアーンがいきなりハンドルを切ったので、バスを避けるのに農家が一軒まるまる飛び退いた。




「気は確かか?」


スタンの声が上ずっていた。




「なんであのしとの名めえを呼んだりした?」
「ごめん」


ハリーが慌てて言った。




「ごめん ぼ、僕─────忘れてた─────」
「忘れてたって!」


スタンが力なく言った。




「肝が冷えるぜ、まーだ心臓がドキドキしてやがら・・・・」
「それで─────それでブラックは『例のあの人』の支持者だったんだね?」


ハリーは謝りながらも答えを促した。




「それよ」


スタンはまだ胸を撫でさすっていた。




「そう、その通りよ 『例のあのしと』にどえらく近かったってぇ男だ・・・・とにかく、
 ちいせえ『アリー・ポッター』が『例のあのしと』にしっぺ返ししたときにゃ」


ハリーは慌ててまた前髪を撫でつけた。




「あのしとの手下は一網打尽だった アーン、そうだったな? おおかたは『例のあのしと』がいなくなりゃ、
 おしめぇだと観念して大人しく捕まっちまった だーがシリウス・ブラックは違ったな 
 聞いた話だが、『例のあのしと』が支配するようになりゃ、ブラックは自分がナンバー・スリーになると思ってたってぇこった
 とにかくだ、ブラックはマグルで混み合ってる道のど真ん中で追い詰められちまって、そいでブラックが杖を取り出して、
 そいで道の半分ほどぶっ飛ばしちまった 巻き添え食ったのは魔法使い一人と、
 丁度そこに居合わせたマグル12人てぇわけよ しでえ話しじゃねえか? そんでもってブラックが何したと思う?」


スタンはヒソヒソ芝居がかった声で話を続けた。




「何したの?」
高笑いしやがった その場に突っ立って、笑ったのよ 魔法省からの応援が駆けつけた時にゃ、
 ヤツはやけに大人しくしょっ引かれてった 大笑いしたまんまよ ったく狂ってる なぁ、アーン? ヤツは狂ってるなぁ?」
「アズカバンに入れられたとき狂ってなかったとしても、今は狂ってるだろうな」


アーンが持ち前のゆっくりした口調で言った。




「あんなとこに足を踏み入れるぐれぇなら、俺なら自爆する方がましだ 
 ただし、ヤツにはいい見せしめというもんだ・・・・あんなことしたんだし・・・・」
「あとの隠蔽工作がてぇへんだったよなぁ、アーン? なんせ通りが吹っ飛ばされちまって、
 マグルがみんな死んじまってよ ほれ、アーン、何が起こったって事にしたんだっけ?」
「ガス爆発だ」
「そこで、こんだぁ、ヤツが逃げた」


スタンは頬の削げ落ちたブラックの顔写真をしげしげと見た。




「アズカバンから逃げたなんてぇ話は聞いたことがねぇ アーン、あるか? どうやったか見当もつかぇ オッソロシイ、なぁ?
 どっこい、あの連中、ほれ、アズカバンの守衛のよ、あいつらにかかっちゃ、勝ち目はねぇ なぁ、アーン?」


アーニーが突然身震いした。




「スタン、なんか違う事話せ 頼むからよ あの連中、アズカバンの看守の話で、俺は腹下しを起こしそうだよ」


スタンは渋々新聞を置いた。
ハリーはバスの窓に寄りかかり、前よりもっと気分が悪くなっていた。
スタンが数日後に「ナイト・バス」の乗客に何を話しているかつい想像してしまう。




「『アリー・ポッター』のこと、きーたか? おばさんをふくらましちまってよ!
 この『ナイト・バス』に乗せたんだぜ、そうだなぁ、アーン? 逃げよーって算段だったな・・・・」


ハリーもシリウス・ブラックと同じく、魔法界の法律を犯してしまった。
マージおばさんを膨らませたのは、アズカバンに引っ張られるほど悪い事だろうか?
魔法界の監獄の事は、ハリーは何も知らなかったが、他の人が口にするのを耳にした限りでは、
10人が10人、恐ろしそうにその話をした。
森番のハグリッドはつい一年前、二ヶ月をアズカバンで過ごした。
どこに連行されるか言い渡された時、ハグリッドの見せた恐怖の表情を、ハリーはそう簡単に忘れることができなかった。
しかも、ハグリッドはハリーが知る限り、最も勇敢な人の一人なのだ。




「ねえスタン、さっき、シリウス・ブラックがナンバー・スリーになれるって、そう言ってたよね? ナンバー・ツーって、誰?」


スタンは顔を強張らせた。
そして、ゆっくりとその名を発音した。




・アッシュフォードだ」


ハリーは、どこかでその名を聞いたことがあるようなきがした。




「『例のあのしと』の右腕で、側近だってぇ話だ・・・・絶世の美女で、ヴィーラも嫉妬しちまう容姿だ
 そんでも、おっそろしいことに変わりはねぇ なあ、アーン? 闇の魔術に長けた、天才ってぇこった」


ハリーは思い出した。
去年、ギルデロイ・ロックハートがその名を口にしていた。




「正直、『例のあの人』の右腕だった、・アッシュフォードを倒した者がいれば、もっと良かったのですがね
 そう巧くはいかない 聞くところによると、彼女はヴィーラすらも凌駕する程の絶世の美女だというではないですか?
 もし私と出逢っていれば、恋に落ち、己の悪行を悔い改め、改心していたかもしれないのに 実に勿体無い」


ヴィーラが何なのかハリーには分からなかったが、とにかく、そうとうの美人らしいことだけは分かった。

「ナイト・バス」は暗闇の中を、周りの物を蹴散らすように突き進んだ。
─────木の茂み、道路の杭、電話ボックス、立ち木─────
そしてハリーは、不安と惨めさでまんじりともせず、羽布団のベッドに横になっていた。
隣からスースーというの寝息が聞こえてくる・・・・眠ったのだろう。
しばらくして、がココアの代金を払った事を思い出したスタンがやって来たが、
バスがアングルシーからアバーディーンに突然飛んだ時に、ココアをハリーの枕一杯にぶちまけてしまった。
そして一人、また一人と、魔法使いや魔女が寝巻きにガウンを羽織り、スリッパで上のデッキから下りてきて、バスを降りて行った。
みんなバスを降りるのが嬉しそうだった。

ついにハリーとが最後の乗客になった。




「ほいきた、ネビル、


スタンがパンと手を叩きながら言った。




「ロンドンのどのあたりだい?」
「ダイアゴン横丁」
「合点、承知 しっかりつかまってな・・・・」


バーン!

バスはチャリング・クロス通りをバンバン飛ばしていた。
ハリーは起き上がって、行く手のビルやベンチが身を捩ってバスに道を譲るのを眺めた。

空が白みかけてきた。

数時間は潜んでいよう。
そしてグリンゴッツ銀行が開いたらすぐ行こう。
それから出発だ─────何処へ行くのか、それはわからないが。

アーンが思いっきりブレーキを踏みつけ、「ナイト・バス」は急停車した。
小さな、みすぼらしいパブ、「漏れ鍋」の前だった。
その裏にダイアゴン横丁への魔法の入り口がある。




「ありがとう」


ハリーがアーンに言った。
そしてハリーはを揺すって起こし、二人でバスを降りて、
スタンがハリーのトランクとヘドウィグの籠を歩道に下ろすのを手伝った。




「それじゃ、さよなら!」


ハリーが言った。
しかし、スタンは聞いてもいなかった。
バスの乗り口に立ったまま、「漏れ鍋」の薄暗い入り口をジロジロ見ている。




「ハリー、やっと見つけた」


声がした。
ハリーが振り返る間もなく、肩に手が置かれた。
と同時に、スタンが大声を上げた。




「おったまげた アーン、来いよ こっち来て、見ろよ!」


ハリーは肩に置かれた手の主を見上げた。
バケツ一杯の氷が胃袋にザザーッと流れ込んだかと思った。
─────コーネリウス・ファッジ、まさに魔法省大臣その人の手中に飛び込んでしまった。
スタンがバスから二人のわきの歩道に飛び降りた。




「大臣、ネビルの事をなーんて呼びなすった?」


スタンは興奮していた。
ファッジは小柄なでっぷりとした体に細縞の長いマントをまとい、寒そうに疲れた様子で立っていた。




「ネビル?」


ファッジが眉を潜めながら繰り返した。




「ハリー・ポッターだが」
「ちげぇねぇ!」


スタンは大喜びだった。




「アーン! アーン! ネビルが誰か当ててみな! アーン! このしと、アリー・ポッターだ! したいの傷が見えるぜ!」
「そうだ」


ファッジが煩わしそうに言った。




「まあ、『ナイト・バス』がハリーを拾ってくれて大いに嬉しい だが、私はもうハリーと『漏れ鍋』に入らねば・・・・」


ハリーの肩に掛かったファッジの手に力が加わり、ハリーは否応無しにパブに入って行った。
カウンターの後ろのドアから誰かがランプを手に、腰を屈めて現れた。
皺くちゃの、歯の抜けたパブの亭主、トムだ。




「大臣、捕まえなすったかね!」


トムが声を掛けた。




「何かお飲み物は? ビール? ブランデー?」
「紅茶をポットでもらおうか」


ファッジはまだハリーを放してくれない。
すると二人の後ろから何か引きずるような大きな音と、ハーハー、ゼーゼーが聞こえ、
スタンがハリーのトランクを持ち、がヘドウィグの籠を持って現れた。




「なーんで本名を教えてくれねぇんだ え? ネビルさんよ」


スタンがハリーに向って笑いかけた。




「それと、トム、個室を頼む」


ファッジが殊更はっきり言った。
トムはカウンターから続く廊下へとファッジを誘った。




「じゃあね」


ハリーは惨めな気持ちでスタンに挨拶した。




「じゃあな、ネビルさん!」


スタンが答えた。




「じゃあな、さん!」


スタンが陽気にに言った。




?」


ファッジは疑るような目でに振り返った。
小さな目が怪しげに頭のてっぺんから爪先まで、少なくとも2往復はした。




「君の名かね?」


ファッジが聞いた。




・ヴァレンズです」
「ヴァレンズ? あぁ・・・・そうか・・・・うむ、まあ─────そうだろうな」


するとファッジは落ち着きが無さそうに顎を撫で、それから二人について来るように言った。
トムのランプを先頭に、狭い通路をファッジがハリーとを追い立てるように進み、やがて小部屋に辿り着いた。
トムが指をパチンと鳴らすと、暖炉の火が一気に燃え上がった。
それからトムは恭しく頭を下げたまま部屋から出て行った。




「二人とも、掛けたまえ」


ファッジが暖炉の傍の椅子を示した。
暖炉の温もりがあるのに、ハリーは腕に鳥肌の立つ思いで腰掛けた。
ファッジは細縞のマントを脱ぎ、脇にポンと放り投げ、
深緑色の背広のズボンをズリ上げ、二人と顔を合わせるように向い側に腰を下ろした。




「私はコーネリウス・ファッジ、魔法大臣だ」


ハリーもも、もちろん知っていた。
一度見た事がある。
ただ、その時は父の形見の「透明マント」に隠れていたので、ファッジはその事を知るはずも無い。
すると亭主のトムがシャツ襟の寝巻きの上にエプロンをつけ、紅茶とクランペット菓子を盆に載せて再び現れた。
トムは、二人とファッジの間にあるテーブルに盆を置くと、ドアを閉めて部屋を出て行った。




「さて、ハリー」


ファッジは紅茶を注いだ。




「遠慮なく言うが、君のおかげで大変な騒ぎになった あんな風におじさん、おばさんの所から逃げ出すとは!
 私はもしもの事がと・・・・だが、君が無事で、いや、なによりだった」


ファッジはクランペットを一つ取り、バターを塗り、残りを皿ごとハリーとの方に押して寄越した。 




「食べなさい、ハリー 座ったまま死んでるような顔だよ さーてと・・・・安心したまえ
 ミス・マジョリー・ダーズリーの不幸な風船事件は、我々の手で処理済みだ
 数時間前、『魔法事故巻き戻し局』から二名をプリペット通りに派遣した ミス・ダーズリーはパンクして元通り
 記憶は修正された 事故の事は全く覚えていない それで一件落着、実害無しだ」


ファッジはティー・カップを傾け、その縁越しにハリーに笑いかけた。
お気に入りの甥をじっくり眺めるおじさんという雰囲気だ。
ハリーは俄かには信じられず、何か喋ろうと口を開けてみたものの、言葉が見つからず、また口を閉じた。




「あぁ、君はおじさん、おばさんの反応が心配なんだね? それは、ハリー、非常に怒っていたことは否定しない
 しかし、君がクリスマスとイースターの休暇をホグワーツで過ごすなら、来年の夏には君をまた迎える用意がある」


ハリーは詰った喉をこじ開けた。




「僕、いつだってクリスマスとイースターはホグワーツに残っています それに、プリペット通りには二度と戻りたくはありません」
「まあ、まあ、落ち着けば考えも変わるはずだ」


ファッジは困ったような声を出した。




「何と言っても、君の家族だ それに、君たちはお互いに愛しく思っている─────ア〜─────心の深いところでだがね」


ハリーは間違いを正す気にもならなかった。
それに、一体自分がどうなるのかをまだ聞いていない。




「そこで、残る問題は─────」


ファッジは二つ目のクランペットにバターを塗りながら言った。




「夏休みの残りの二週間を君が何処で過ごすか、だ 私はこの『漏れ鍋』に部屋を取るとよいと思うが、そして─────」
「待ってください」


が口を開いたので、ファッジは少し驚いたような顔をした。




「ハリーの処罰はどうなるのですか?」


ファッジは目をパチクリさせた。




「処罰?」
「『未成年魔法使いの制限事項令』です」
「君、君、当省はあんなちっぽけなことでハリーを罰したりはせん!」


ファッジはせっかちにクランペットを振りながら叫んだ。




「あれは事故だった! おばさんを膨らました廉でアズカバン送りにするなんて事は無い!」


これでは、ハリーがこれまで経験した魔法省の措置とは辻褄が合わない。




「去年、屋敷しもべ妖精がおじさんの家でデザートを投げつけたというだけで、僕は公式警告を受けました!」


ハリーは腑に落ちない顔をした。




「そのとき魔法省は、僕があそこでまた魔法を使ったら、ホグワーツを退学させられるだろうと言いました」


ハリーの目に狂いがないなら、ファッジは突然うろたえたようだった。




「ハリー、状況は変わるものだ・・・・我々が考慮すべきは・・・・
 現状において・・・・当然、君は退学になりたいわけではなかろう?」
「勿論、嫌です」
「それなら、何をつべこべ言うのかね?」


ファッジはサラリと言った。




「さあ、ハリー、、二人ともクランペットを食べて
 私はちょっと、トムに部屋の空きがあるかどうか聞いてこよう 、君も『漏れ鍋』に泊まるのかな?」
「ええ・・・・」
「それじゃあ、部屋を二つ取ってこよう」


ファッジは大股に部屋を出て行き、ハリーとはその後姿をまじまじと見つめた。
何かが決定的におかしい。
ファッジが、ハリーのしでかした事を罰するために待ち受けていたのでなければ、
一体なんで「漏れ鍋」でハリーを待っていたのか?
それに、よくよく考えてみれば、たかが未成年魔法使用事件に、魔法大臣じきじきのお出ましは普通ではない。

ファッジが亭主のトムを従えて戻って来た。




「ハリー、11号室が空いている 、君はその隣の10号室だ 快適に過ごせると思うよ
 ただ一つだけ、わかってくれるとは思うが、マグルのロンドンへはふらふら出て行かないで欲しい
 いいかい? ダイアゴン横丁だけにしてくれたまえ それと、毎日、暗くなる前にここに戻る事
 君たちなら分かってくれるね? トムが私に代わって君たちを監視してるよ」
「わかりました」


ハリーはゆっくり答えた。




「でも、何故?─────」
「また行方不明になると困るよ そうだろう?」


ファッジは屈託のない笑い方をした。




「いや、いや・・・・君たちが何処にいるのか分かってる方がいいのだ・・・・つまり・・・・」


ファッジは大きな咳払いをすると、細縞のマントを取り上げた。




「さて、もう行かんと やることが山ほどあるんでね」
「大臣、シリウス・ブラックの件、未だ良い知らせはないのですか?」


が聞いた。
ファッジの指が、マントの銀の留め金の上をズルッと滑った。




「何の事かね? あぁ、耳に入ったのか─────いや、ない まだだ しかし、時間の問題だ
 アズカバンの看守は未だかつて失敗を知らない・・・・それに、連中がこんなに怒ったのを見た事が無い」


ファッジはブルッと身震いした。




「そうですか」
「それではお別れしよう」


ファッジが手を差し出し、ハリーがそれを握った。
ふとハリーはある事を思いついた。




「あのー、大臣? お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「いいとも」


ファッジが微笑んだ。




「あの、ホグワーツの3年生はホグズミード訪問が許されるんです
 でも僕のおじさんもおばさんも許可証にサインしてくれなかったんです 大臣がサインして下さいませんか?」


ファッジは困ったような顔をした。




「あー、いや、ハリー、気の毒だが、ダメだ わたしは君の親でも保護者でもないので─────」
「でも魔法大臣です 大臣が許可を下されば─────」
「いや、ハリー、気の毒だが、規則は規則なんでね」


ファッジはにべもなく言った。




「来年にはホグズミードに行けるかもしれないよ 実際、君は行かない方が良いと思うが・・・・
 そう・・・・さて、私は行くとしよう ハリー、、ゆっくりしたまえ」


最後にもう一度ニッコリし、ハリーと握手して、ファッジは部屋を出て行った。
今度はトムがニコニコしながら近寄って来た。




「ポッター様、ヴァレンズ様 どうぞこちらへ お荷物の方は、もうお部屋に上げてございます・・・・」


ハリーとはトムの後について洒落た木の階段を上り、10と書かれた真鍮の表示のある部屋の前に来た。
トムが鍵を開け、ドアを開けてを促した。
部屋には寝心地の良さそうなベッドと、磨き上げられたオークの家具が置かれ、暖炉の火が元気良く爆ぜていた。




「こちらがヴァレンズ様のお部屋になります ポッター様はその隣、こちらになります」


それからトムはハリーを促して、の視界から消えた。




「それじゃ、お休み
「お休みなさい ハリー」


ドアを閉めたは部屋の中央に移動し、空の色が見る見る変わるさまを窓越しに見つめた。
深いビロードのような青から鋼のような灰色、そしてゆっくりと黄金色の光を帯びた薄紅色へと変わる空を。
すると、バサッと音を立てて、窓に真っ黒いカラスが止まった。




「まったく・・・・」


は安堵の息をついた。




「ハリーが魔法を使用なされた時は、一体どうなることかと思いましたが」


はムニンの喉元を指の腹で擦った。
するとムニンは気持ち良さそうに、カーと鳴いた。
























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