ドリーム小説
Day.3----知らない人からの手紙
ブラジル産大蛇の逃亡事件のおかげで、ハリーは今までで一番長いお仕置きを受けた。
やっとお許しが出て物置から出してもらった時には、もう夏休みが始まっていた。
ダドリーは買ってもらったばかりの8ミリカメラをとっくに壊し、
ラジコン飛行機も墜落させ、おまけにレース用自転車に初めて乗ったその日に、
プリペット通りを松葉杖で横切っていたフィッグばあさんにぶつかって転倒させてしまうという事件も終っていた。
休みが始まっていたのは嬉しかったが、ハリーは毎日のように遊びにやって来るダドリーの悪友から逃れる事は出来なかった。
ピアーズ、デニス、マルコム、ゴードン、みんな揃いもそろってデカくてウスノロばかりだったが、
中でもとびきりデカでウスノロなのがダドリーだったので、軍団のリーダーはダドリーだった。
あとの4人はダドリーのお気に入りのスポーツ、「ハリー狩り」に参加できるだけで大満足だった。
そういうわけで、ハリーはなるべく家の外でブラブラして過ごす事にした。
夏休みさえ終れば、とハリーは思った。
それだけが僅かな希望の光だった。
9月になれば7年制の中等学校に入る。
そうすれば生まれて初めてダドリーから離れられる。
ダドリーはバーノンおじさんの母校、「名門」私立スメルティングズ男子校に行く事になっていた。
ピアーズ・ポルキスもそこに入学するが、ハリーは地元の普通の公立ストーンウォール校へ行く事になっていた。
ダドリーにはこれが愉快でたまらないようだった。
「ストーンウォールじゃ、最初の登校日に新入生の頭をトイレに突っ込むらしいぜ 2階に行って練習しようか?」
「遠慮しとくよ トイレだって君の頭みたいに気味の悪い物を流した事は無いよ
突っ込まれた方こそいい迷惑だ・・・・トイレの方が吐き気がするだろうさ」
そう言うが早いか、ハリーは素早く駆け出した。
ダドリーはハリーの言ったことの意味をまだ考えていた。
「様・・・・いつまでこのような事をなされるおつもりですか?」
プリペット通りを駆け抜けて行くハリーを茂みの中から見ていた何かが低い声で言った。
あのジャガーと蛇の奇妙なコンビだった。
「まさか、入学までずっと見張っているおつもりですか?」
「・・・・・。」
「ここ何年も、こうしてハリー・ポッターの様子を監視していますが、意味があるようには私には思えません」
「・・・・・。」
「先日などは、ハリー・ポッターを追いかけて動物園にまで行かれますし・・・・」
「・・・・・。」
「あそこは動物たちにとって監獄です マグルの連中め・・・・何と卑劣な真似を・・・・恐ろしい場所です」
ジャガーは何も答えず、アフッと大きな欠伸を一つして、交差させた前足に顎を乗せて目を閉じた。
7月に入り、ペチュニアおばさんはダドリーを連れてロンドンまでスメルティングス校の制服を買いに出かけた。
ハリーはフィッグばあさんに預けられはしたが、いつもよりましだった。
飼い猫の一匹につまずいて脚を骨折してからというもの、フィッグばあさんは前ほど猫が好きではなくなったらしい。
ハリーはテレビを見る事を許されたばかりか、チョコレート・ケーキを一切れ貰った。
何年も仕舞いこんであったような味がした。
その夜、ダドリーはピカピカの制服を着て居間を行進してみせた。
スメルティングズ男子校では、んな茶色のモーニングにオレンジ色のニッカーボッカーをはき、平たい麦わらのカンカン帽を被る。
てっぺんにこぶ状の握りのある杖を持つ事になっていて、これはもっぱら先生が見ていない隙を狙って、
生徒が互いに殴り合うために使われる・・・・卒業後の人生に役立つ訓練らしい。
真新しいニッカーボッカー姿のダドリーを見て、バーノンおじさんは人生で最も誇らしい瞬間だと声を詰らせた。
ペチュニアおばさんはこんなに大きくなって、こんなにハンサムな子が、
私のちっちゃなダッダー坊やだなんて信じられないと嬉し泣きした。
ハリーはとても何か言うどころではなく、笑いを堪えるのに必死で、肋骨が2本折れたかと思うほど苦しかった。
翌朝、朝食を食べにハリーがキッチンに入ると酷い悪臭が漂っていた。
洗い場に置かれた大きなタライから匂って来る。
近づいて覗くと、灰色の液体に汚らしいボロ布がプカプカ浮いていた。
「これ、何?」
してはいけないのにハリーは質問した。
そういう時、ペチュニアおばさんは必ず唇をキュッと結ぶ。
「お前の新しい制服だよ」
「そう こんなにビショビショじゃないといけないなんて知らなかったな」
「お黙り! ダドリーのお古をわざわざお前の為に灰色に染めてあげてるんだ 仕上がればちゃーんとした制服になるよ」
到底そうは思えなかった。
でもハリーは何も言わない方が良いと思った。
食卓について、ストーンウォール入学の第1日目の自分の姿を想像した。
・・・・多分年取った象の皮を着たみたいに見えるだろうな・・・・でもそれは考えない事にした。
やがてダドリーとバーノンおじさんが入って来て、匂いに顔を顰めた。
バーノンおじさんはいつものように朝刊を広げ、ダドリーは片時も手放さないスメルティングズ校の杖で食卓をバンと叩いた。
その時、郵便受けが開き、郵便が玄関マットの上に落ちる音がした。
「ダドリーや 郵便を取っておいで」
新聞の陰からバーノンおじさんが言った。
「ハリーに取らせとよ」
「ハリー、取って来い」
「ダドリーに取らせてよ」
「ダドリー、スメルティングズの杖でつついてやれ」
ハリーはスメルティングズ杖をかわして郵便を取りに行った。
マットの上に3通落ちている。
マイト島でバケーションを過ごしているバーノンおじさんの姉、マージからの絵葉書。
請求書らしい茶封筒、それに・・・・ハリー宛の手紙。
ハリーは手紙を拾い上げてまじまじと見つめた。
心臓は巨大なゴム紐のようにビュンビュンと高鳴った。
これまでの人生で、ただの一度もハリーに手紙をくれた人はいないし、くれるはずの人もいない。
友達も親戚もいない・・・・図書館に登録もしていないので、「すぐ返本せよ」などという無礼な手紙でさえもらった事は無い。
それなのに手紙が来た、正真正銘ハリー宛だ。
サレー州 リトル・ウインジング
プリペット通り4番地 階段下の物置内
ハリー・ポッター様
何やら分厚い、重い、黄色みが掛かった羊皮紙の封筒に入っている。
宛名はエメラルド色のインクで書かれ、切手は貼ってない。
震える手で封筒を裏返してみると、紋章入りの紫色の蝋で封印がしてあった。
真ん中に大きく「H」と書かれ、その周りをライオン、鷲、穴熊、蛇が取り囲んでいる。
「小僧、早くせんか!」
キッチンからバーノンおじさんの怒鳴り声がする。
「何をやっとるんだ 手紙爆弾の検査でもしとるのか?」
自分のジョークでおじさんはケラケラ笑った。
ハリーは手紙を見つめたままでキッチンに戻った。
そしてバーノンおじさんに請求書と絵葉書を渡し、椅子に座ってゆっくりと黄色の封筒を開き始めた。
バーノンおじさんは請求書の封筒をビリビリと開け、不機嫌にフンと鼻を鳴らし、次に絵葉書の裏を返して読んだ。
「マージが病気だよ 腐りかけた貝を食ったらしい・・・・」
そうペチュニアおばさんに伝えたその時、ダドリーが突然叫んだ。
「パパ! ねえ! ハリーが何か持ってるよ」
ハリーは封筒と同じ厚手の羊皮紙に書かれた手紙をまさに広げようとしていた。
が、バーノンおじさんがそれをひったくった。
「それ、僕のだよ!」
ハリーは奪い返そうとした。
「お前に手紙なんぞ書く奴がいるか?」
と、バーノンおじさんはせせら笑い、片手でパラッと手紙を開いてチラリと目をやった。
途端におじさんの顔が交差点の信号より素早く赤から青に変わった。
それだけではない、数秒後には腐りかけたお粥のような白っぽい灰色になった。
「ペ、ペ、ペチュニア!」
おじさんは喘ぎながら言った。
ダドリーが手紙を奪って読もうとしたが、おじさんは手が届かないように高々と掲げていた。
するとペチュニアおばさんは訝しげに手紙を取り、最初の一行を読んだ。
途端に喉に手をやり、窒息しそうな声を上げた。
一瞬、気を失うかのように見えた。
「バーノン、どうしましょう・・・・あなた!」
2人は顔を見合わせ、ハリーやダドリーがそこにいることなど忘れたかのようだった。
ダドリーは無視されることに慣れていない。
スメルティングズ杖で父親の頭をコツンと叩いた。
「僕、読みたい」
ダドリーが喚いた。
「僕に読ませて それ、僕のだよ」
ハリーは怒った。
「あっちへ行け! 2人ともだ!」
バーノンおじさんは手紙を封筒に押し戻しながら掠れた声でそう言った。
「僕の手紙を返して!」
ハリーはその場を動かなかった。
「僕が見るんだ!」
ダドリーも迫った。
「行けといったら行け!」
そう怒鳴るや否や、バーノンおじさんは2人の襟首を掴んで部屋の外に放り出し、ピシャリとキッチンのドアを閉めてしまった。
どちらが鍵穴に耳をつけられるか、ハリーとダドリーの無言の激しい争奪戦はダドリーの勝ちに終った。
仕方が無いのでハリーは争いでずり落ちた眼鏡を片耳からぶら下げたまま床に這い蹲り、
ドアと床の隙間から漏れてくる声を聞こうとした。
「バーノン、住所をごらんなさい・・・・どうしてあの子の寝ている場所がわかったのかしら
まさかこの家を見張っているんじゃないでしょうね?」
「見張っている・・・・スパイだ・・・・後をつけられているのかもしれん」
バーノンおじさんの興奮した呟き声が聞こえた。
「あなた、どうしましょう 返事を書く? お断りです・・・・そう書いてよ」
ハリーの目に、キッチンを行ったり来たりするおじさんのピカピカに磨いた黒い靴が見えた。
「いいや、ほっておこう 返事がなけりゃ・・・・そうだ、それが一番だ・・・・何もせん・・・・」
「でも・・・・」
「ペチュニア! 我が家にはああいう連中はお断りだ
ハリーを拾ってやった時誓ったろう? ああいう危険なナンセンスは絶対叩き出してやるって」
その夜、仕事から帰ったおじさんは、今までただの一度もしなかったことをした。
ハリーの物置にやって来たのだ。
「僕の手紙は何処?」
バーノンおじさんの大きな図体が狭いドアから入って来た時、ハリーは真っ先に聞いた。
「誰からの手紙なの?」
「知らない人からだ 間違えてお前に宛てたんだ 焼いてしまったよ」
おじさんはぶっきらぼうに答えた。
「絶対に間違いなんかじゃない 封筒に物置って書いてあったよ」
ハリーは怒った。
「だまらっしゃい!」
おじさんの大声で天井から蜘蛛が数匹落ちてきた。
それからおじさんは2・3回深呼吸して無理に笑顔を取り繕ったが、相当苦しい笑顔だった。
「エー、ところで、ハリーや・・・・この物置だがね おばさんとも話したんだが・・・・
お前もここに住むにはちょいと大きくなりすぎたことだし・・・・ダドリーの2つ目の部屋に移ったら良いと思うんだがね」
「どうして?」
「質問しちゃいかん! さっさと荷物をまとめて、すぐ2階へ行くんだ」
おじさんはまた怒鳴った。
ダーズリー家には寝室が4つある。
バーノンおじさんとペチュニアおばさんの部屋、来客用(おじさんの姉のマージが泊まることが多い)
ダドリーの寝る部屋、そこに入りきらないオモチャやその他色々な物が、ダドリーの2つ目の部屋に置かれている。
けれど物置から全財産を2階の寝室に移すのに、ハリーはたった1回階段を上がればよかった。
それからベッドに腰かけて周りを見回すと、ガラクタばかりが置いてあった。
買ってからまだ一ヶ月も経っていないのに8ミリカメラは小型戦車の上に転がされていた。
ダドリーがその戦車に乗って隣の犬を轢いてしまった事がある。
隅に置かれたダドリーの一台目のテレビは、お気に入りの番組が中止になったと言って蹴りつけて大穴をあけてしまった。
大きな鳥籠にはオウムが入っていたこともあったが、ダドリーが学校で本物の空気銃と交換した。
その銃はダドリーが尻に敷いて銃身を酷く曲げてしまい、今は棚の上にほったらかしになっている。
他の棚は本でいっぱいだが、これだけは手を触れた様子がない。
すると下からダドリーが母親に向って喚いている声が聞こえた。
「あいつをあの部屋に入れるのは嫌だ・・・・あの部屋は僕が使うんだ・・・・あいつを追い出してよ・・・・」
ハリーはフッと溜息をつき、ベッドに体を横たえた。
昨日までだったら、2階に住めるなら他には何もいらないと思っていた。
しかし今日のハリーは手紙無しでこの部屋にいるより、手紙さえあれば物置にいても良いと思った。
するとハリーは立ち上がり、窓際に移動して窓越しに外の景色を眺めた。
暗い路地は街灯の明かりでボンヤリと薄明るく光っている。
ハリーは4番地の、ダーズリー家の真正面の道路に何かがいるのを見た。
何か・・・・大きな動物のシルエットだ・・・・犬? 否・・・・。
ハリーは良く目を凝らして身を乗り出し、窓の向こうを見つめた。
大きな猫だ──────オレンジ色の毛皮に黒いブチブチの斑点──────
咄嗟にハリーはダドリーが一度として開いた事が無いであろう本に手を伸ばし、動物図鑑をパラパラと捲った。
やがてハリーは図鑑の写真と窓の外に見える猫の一致する写真を見つけ、下の文を読み上げた。
学名:Panthera onca arizonensis
和名:アリゾナジャガー
英名:Arizona jaguar
体長2.5メートル、体重150キロ程度と、ジャガーの中ではかなり大型。
ネコ科の動物としてはライオン、トラに次ぐ大きさを誇り、南北アメリカでは最大級。
また体格に比べ頭骨が大きく噛む力が非常に強いのが特徴。
体色は黄色で背面には黒い斑紋に囲まれたオレンジ色の斑紋(梅花紋)が入る。
ヒョウと似ているが輪の中に黒点があること、ジャガーの方が体格が頑丈で頭骨が大きく足が短いことなどにおいて異なる。
現存するネコ科ではジャガーが最もサーベルタイガーの体型に近いと言われる。
また、ジャガー(Jaguar)という名前は南アメリカインディアンの
“yaguara”という言葉から来ており、これは「一跳びで獲物を殺す獣」という意である。
彼等は密生した熱帯雨林からまばらな林、草原や沼地に至るまで様々な環境に生息し、主として夜行性で単独生活をしている。
木登りと泳ぎを得意とし、哺乳類(アルマジロやカピバラ等の齧歯類、ペッカリー、バクなど)を襲う他、
強靭な顎を駆使してカメやワニやアナコンダをも捕食し、
時にはある種のクマのように浅瀬の魚類を前脚で叩き殺して捕食する事もある上、ごく稀だが家畜や人も襲う事がある。
窓の向こうに、このダーズリー家の真ん前に佇んでジッと道路に座っているのは豹ではなく「ジャガー」だ。
しかもジャガーはこちらを見ているようで、ハリーはゾッとして窓から離れてベッドに腰かけた。
そして数時間がしてもう一度窓の外を覗いてみたが、既にそこにはジャガーの姿はなかった・・・・。
次の朝、みんな黙って朝食を食べた。
ダドリーはショック状態だった。
喚いたり、父親をスメルティングズ杖で叩いたり、わざと気分が悪くなってみせたり、
母親を蹴飛ばしたり、温室の屋根を打ち破って亀を放り投げたり、それでも部屋は取り戻せなかったからだ。
ハリーは昨日の今頃の事を考え、玄関で手紙を開けてしまえばよかったと後悔していた。
おじさんとおばさんは暗い表情で始終顔を見合わせていた。
朝の郵便が届いた。
バーノンおじさんは務めてハリーに優しくしようとしているらしく、ダドリーに郵便を取りに行かせた。
スメルティングズ杖でそこらじゅうを叩きまくりながらダドリーは玄関に行ったが、やがてダドリーの大声がした。
「また来たよ! プリペット通り4番地 一番小さい寝室 ハリー・ポッター様──────」
バーノンおじさんは首を絞められたような叫び声を上げて椅子から跳び上がり、廊下を駆け出した。
続いてハリー─────バーノンおじさんはダドリーを組み伏せて手紙を奪い取ったが、
ハリーが後ろからおじさんの首を掴んだので三つ巴となった。
取っ組み合いの大混戦がしばらく続き、みんなが嫌というほどスメルティングズ杖を食らって、
やがて息も絶え絶えに立ち上がったのはバーノンおじさんだった。
ハリーへの手紙を鷲掴みにしている。
「物置に・・・・じゃない、自分の部屋に行け」
おじさんはゼイゼイしながら命令した。
「ダドリー、お前も行け・・・・とにかく行け」
ハリーは移って来たばかりの自分の部屋の中をグルグル回った。
物置から引っ越した事を誰かが知っている。
最初の手紙を受け取らなかった事を知っている。
だったら差出人は必ずもう一度出すのでは?
今度こそ失敗しないようにするぞ。
ハリーには名案があった。
壊れた時計を直しておいたので、目覚ましは翌朝6時に鳴った。
ハリーは目覚ましを急いで止め、こっそり服を着た。
ダーズリー一家を起こさないように、電気も付けず、ひっそりと階段を降りた。
プリペット通りの角のところで郵便配達を待てばよい、4番地宛ての手紙を受け取るんだ。
そう忍び足で暗い廊下を渡り、玄関へと向うハリーの心臓は早鐘のように鳴った・・・・。
「ウワーワワァァァァ!」
ハリーは空中に飛び上がった──────玄関マットの上で、何か大きくてグニャッとしたものを踏んだ。
・・・・何だ? 生き物だ!
2階の電気が点き、ハリーは度肝を抜かれた。
大きくてグニャッとしたものは、なんとバーノンおじさんの顔だった。
おじさんはまさにハリーのしようとした事を阻止するために、寝袋に包まって玄関のドアの前で横になっていたのだ。
それから30分、おじさんは延々とハリーを怒鳴りつけ、最後に紅茶を入れて来いと命令した。
仕方なくハリーはすごすごとキッチンに向い、そこから玄関に戻って来た丁度その時
バーノンおじさんの膝の上に郵便が投げ込まれた。
緑色で宛名が書かれた手紙が3通見えた。
「僕の・・・・」
と言い終わらないうちに、おじさんはハリーの目の前で手紙をビリビリと破り捨てた。
バーノンおじさんはその日会社を休み、家の郵便受けを釘づけにした。
口一杯釘をくわえたまま、おじさんはペチュニアおばさんに理由を説明した。
「いいか、配達さえさせなけりゃ連中も諦めるさ」
「でもあなた、そんなことで上手くいくかしら」
「ああ、連中の考える事ときたらお前、まともじゃない わしらとは人種が違う」
バーノンおじさんは、今しがたおばさんが持って来たフルーツケーキで釘を打とうとしていた。
金曜には12通もの手紙が届いた。
郵便受けに入らないのでドアの下から押し込まれたり、
横の隙間に差し込まれたり、1階のトイレの小窓から捻じ込まれたものも数通あった。
バーノンおじさんはまた会社を休んだ。
手紙を全部焼き捨て、釘と金槌を取り出すと、玄関と裏口のドアの隙間という隙間に板を打ちつけ誰一人外に出られないようにした。
そして釘を打ちながら「チューリップ畑を忍び足」のせかせかした曲を鼻歌で歌い、ちょっとした物音にも跳び上がった。
土曜日、もう手が付けられなくなった。
24通のハリー宛の手紙が家の中に忍び込んできた。
牛乳配達が、一体何事だろうという顔付きで卵を2ダース居間の窓からペチュニアおばさんに手渡したが、
その卵一個一個に丸めた手紙が隠してあったのだ。
バーノンおじさんは誰かに文句を言わなければ気が済まず、郵便局と牛乳店に怒りの電話を掛けた。
ペチュニアおばさんはミキサーで手紙を粉々にした。
「おまえなんかにこんなにメチャメチャに話したがっているのは一体誰なんだ?」
ダドリーも驚いてハリーに聞いた。
日曜の朝、バーノンおじさんは疲れたやや青い顔で、しかし嬉しそうに朝食の席に着いた。
「日曜は郵便は休みだ」
新聞にママレードを塗りたくりながらおじさんは嬉々としてみんなに言った。
「今日は忌々しい手紙なんぞ──────」
そう言い終わらないうちに、何かがキッチンの煙突を伝ってヒューッと落ちてきて、おじさんの後頭部にコツンとぶつかった。
次の瞬間、30枚も40枚も手紙が暖炉から雨あられと降って来た。
ダーズリーたちはみんな身をかわしたが、ハリーは飛びついて手紙を捕まえようとした。
「出て行け 出て行くんだ!」
バーノンおじさんはハリーの腰の辺りを捕まえて廊下に放り出した。
ペチュニアおばさんとダドリーは頭を腕で庇いながら部屋から逃げ出した。
バーノンおじさんがドアをピシャリと閉めた後も、
手紙が部屋の中に洪水のように溢れ出て壁やら床やらで跳ね返る音が聞こえてきた。
「これで決まりだ」
バーノンおじさんは平静に話そうとしてはいたが、同時に口髭をしこたま引き抜いていた。
「みんな、出発の準備をして5分後にここ集合だ 家を離れることにする 着替えだけ持ってきなさい、問答無用だ!」
口髭を半分も引き抜いてしまったおじさんの形相は凄まじく、誰も問答する気になれなかった。
──────10分後、板をガンガン打ち付けたドアをこじ開け、一行は車に乗り込み、高速道路を目指して突っ走っていた。
ダドリーは後ろの席でグスグス泣いていた(今度は嘘泣きじゃない)
テレビやビデオやコンピュータをスポーツバッグに詰め込もうとしてみんなを待たせたので、
父親からガツンと頭に一発食らったのだ。
そして一行を乗せて車は走った。
どこまでも走った─────ペチュニアおばさんさえ、何処に行くのかと質問も出来ない。
バーノンおじさんは時々急カーブを切り、進行方向と反対の方向に車を走らせたりした。
「振り払うんだ・・・・振り切るんだ」
その度におじさんはブツブツ言った。
一行は一日中飲まず食わずで走りに走った。
暗くなる頃にはダドリーが泣き喚いていた。
腹ペコで、お気に入りのテレビ番組は5本も見逃したし、こんな長時間、
コンピュータ・ゲームでエイリアンを一人もやっつけられなかったなんて、ダドリーの人生最悪の一日だった。
するとバーノンおじさんは、何処か大きな町外れの陰気臭いホテルの前でやっと車を止めた。
ダドリーとハリーはツイン・ベッドの部屋に泊まった。
湿っぽい、カビ臭いシーツだった。
ダドリーは高いイビキだったが、ハリーは眠れないままに窓辺に腰掛け、
下を通り過ぎる車のライトを眺めながら物思いに沈んでいた・・・・。
そして目をギョッとさせた。
窓の外に、向い側の歩道のところにあいつがいる。
ジャガーだ!
藤色の両眼をした、間違いなくあの時と同じジャガーだ。
しかもこちらを・・・・ハリーのいる部屋の窓をジッと見上げている。
まさか追いかけて来たのだろうか?
でも車のスピードを一体どうやって?
もうプリペット通りから何十キロも離れている。
どうしても気になったハリーは、イビキをかいているダドリーを起こさないよう、慎重に部屋を出て外に出た。
だがジャガーの姿はもうそこにはなかった。
忽然と消え、窓から見たのが幻のようにさえ思えた。
翌朝、カビ臭いコーンフレークと缶詰の冷たいトマトを載せたトーストの朝食を取った。
そして丁度食べ終わった時、ホテルの女主人がやって来た。
「ごめんなさいまっし ハリー・ポッターという人はいなさるかね?
今しがた、フロントにこれとおんなじもんがざっと百ほど届いたがね」
女主人は、みんなが宛名を読めるように手紙を翳して見せた。
緑のインクだ。
コークワース州
レールヴューホテル 17号室
ハリー・ポッター様
ハリーは手紙を掴もうとしたが、バーノンおじさんがその手を払いのけた。
女主人は目を丸くした。
「わしが引き取る」
バーノンおじさんは素早く立ち上がり、女主人について食堂を出て行った。
「ねえ、家に帰った方がいいんじゃないかしら?」
ペチュニアおばさんが恐る恐るそう言ったのはそれから数時間後だったが、
車を走らせるバーノンおじさんにはまるで聞こえていない。
一体おじさんが何を探そうとしているのか、誰にも皆目分からなかった。
ある時は森の奥深くまで入り、おじさんは降りて辺りを見回し、頭を振り、また車に戻り、また走り──────
ある時は耕された畑のど真ん中で、またある時は吊橋の真ん中で、
そしてまたある時は立体駐車場の屋上で、おじさんは同じ事を繰り返した。
「パパ、気が変になったんじゃない?」
夕方近くになって、ダドリーがぐったりして母親に問いかけた。
バーノンおじさんは海岸近くで車を止め、みんなを車に閉じ込めて鍵を掛けて姿を消した。
雨が降ってきた。
大粒の雨が車のルーフを打った。
「今日は月曜だ」
ダドリーは母親に向って哀れっぽい声を出した。
「今夜は『グレート・ハンベルト』があるんだ テレビのある所に泊まりたいよう」
月曜だ。
ハリーは何か思い出しかけていた。
もし月曜なら(曜日に関してはダドリーの言う事は信用できる・・・・テレビのお陰で)
もし本当にそうなら、明日は火曜日、そしてハリーの11歳の誕生日だ。
だが誕生日が楽しかったことは一度もない・・・・。
去年のダーズリー一家からのプレゼントは、コートを掛けるハンガーとおじさんのお古の靴下だった。
それでも11歳の誕生日は一緒に一度しかこない。
するとバーノンおじさんはニンマリしながら戻って来た。
長い、細い包みを抱えている。
何を買ってきたのかとおばさんが聞いても答えなかった。
「申し分のない場所を見つけたぞ 来るんだ みんな降りろ!」
外はとても寒かった。
バーノンおじさんは海の彼方に見える何やら大きな岩を指差している。
その岩のてっぺんに、途方もなくみすぼらしい小屋がちょこんと乗っていた。
テレビが無い事だけは保証できる。
「今夜は嵐が来るぞ!」
バーノンおじさんは上機嫌で手を叩きながら言った。
「このご親切な方が、船を貸してくださる事になった」
歯のすっかり抜けた老人がヨボヨボと近づいて来て、
なにやら気味の悪い笑みを浮かべながら、鉛色の波打ち際に木の葉のように浮かぶボロ船を指差した。
「食料は手に入れた 一同、乗船!」
バーノンおじさんが号令を掛けた。
船の中は凍えそうな寒さだった。
氷のような波しぶきと雨が首筋を伝わり、刺すような風が顔を打った。
何時間も経ったかと思われる頃、船は岩場に辿り着き、
バーノンおじさんは先頭を切って滑ったり転んだりしながらオンボロ小屋へと向った。
小屋の中は酷かった。
海草の匂いがツンと鼻を刺し、板壁の隙間からヒューヒューと風が吹き込んでいた。
おまけに火の気のない暖炉は湿っていた・・・・部屋は2つしかなかった。
バーノンおじさんの用意した食料は、ポテトチップ一人一袋、バナナ4本しかなかった。
それから暖炉に火を入れようと、おじさんはポテトチップの空き袋に火をつけたが、くすぶってチリチリと縮んだだけだった。
「今ならあの手紙が役立つかもしれんな え?」
おじさんは楽しそうに言い、上機嫌だった。
こんな嵐の中、まさかここまで郵便を届けに来る奴はいまいと思っているに違いない。
ハリーもおじさんと同意見だったが、とても上機嫌にはなれなかった。
夜になると、予報どおり嵐が吹き荒れた。
波は高く、しぶきがピシャピシャと小屋の壁を打ち、風は猛り汚れた窓をガタガタ言わせた。
ペチュニアおばさんは奥の部屋からカビ臭い毛布を2・3枚見つけてきて、
ダドリーのために虫食いだらけのソファの上にベッドをこしらえた。
おじさんとおばさんは、奥の部屋のデコボコしたベッドに収まった。
ハリーは床の柔らかそうなところを探して、一番薄い、一番ボロの毛布に包まって体を丸くした。
夜がふけるにつれて嵐はますます激しさを増した。
ハリーは眠れなかった。
ガタガタ震えながら、何とか楽な姿勢になろうと何度も寝返りを打った。
空腹でお腹が鳴る・・・・ダドリーのイビキも、真夜中近くに始まった雷のゴロゴロという低い音に掻き消されていった。
ソファからはみ出してブラブラしているダドリーの太った手首に、蛍光文字盤つきの腕時計があった。
あと10分でハリーは11歳になる。
横になったまま、ハリーは自分の誕生日が刻一刻と近づくのを見ていた。
おじさんやおばさんは覚えているだろうか?
手紙をくれた人は今何処にいるのだろう?
──────あと5分。
ハリーは外で何かが軋むのを聞いた。
屋根が落ちてきませんように。
いや、落ちた方が温かいかもしれない。
──────あと4分。
プリペット通りの家は手紙で溢れているかもしれない。
帰ったら一つぐらいは何とか抜き取れる事が出来るかもしれない。
──────あと3分。
あんなに強く岩を打つのは荒海なのか?
それに──────あと2分──────
あの奇妙なガリガリという音は何なのだろう?
岩が崩れて海に落ちる音か?
──────11歳まで、あと1分。
・・・・30秒・・・・20秒・・・・10・・・・9・・・・嫌がらせにダドリーを起こしてやろうか。
・・・・3・・・・2・・・・1・・・・。
ドーン!
小屋中が震えた。
ハリーはビクッと飛び起きてドアを見つめた。
誰か外にいる。
ドアをノックしている。