ドリーム小説
Day.2----消えたガラスと蛇の女性
ダーズリー夫妻が目を覚まし、戸口の石段に赤ん坊がいるのを見つけてから10年近くがたった。
プリペット通りは少しも変わっていない。
太陽は昔と同じ小奇麗な庭の向こうから昇り、ダーズリー家の玄関の真鍮の「4」の数字を照らした。
その光が、はらうように居間に射し込んでゆく。
ダーズリー氏があの運命的なふくろうのニュースを聞いた夜から、居間は全く変わっていなかった。
ただ暖炉の上の写真だけが、長い時間の経った事を知らせている。
10年前はポンポン飾りのついた色とりどりの帽子を被り、ピンクのビーチボールのような顔をした赤ん坊の写真が沢山あった。
・・・・ダドリー・ダーズリーは赤ん坊ではない、写真には金髪の大きな男の子が写っている。
初めて自転車に乗った姿、お祭りの回転木馬の上、パパとコンピュータ・ゲーム、ママに抱き締められてキスされる姿。
この部屋の何処にも、少年がもう一人この家に住んでいる気配は無い。
しかし、ハリー・ポッターはそこにいた。
今はまだ眠っているが、もう、そう長くは寝ていられないだろ。
ペチュニアおばさんが目を覚ました。
そしておばさんの甲高い声で一日の騒音が始まるのだ。
「さあ、起きて! 早く!」
ハリーは驚いて目を覚ました。
おばさんが部屋の戸をドンドン叩いている。
「起きるんだよ!」
おばさんがキッチンの方に歩いていく音、それからフライパンをコンロにかける音がした。
仰向けになったままで、ハリーは今まで見ていた夢を思い出そうとしていた。
良い夢だったのに・・・・空飛ぶオートバイが出てきたっけ。
そして最後には必ずあの大きな猫・・・・本で見た事しかないような、見事なジャガーが現れるのだ。
ジャガーは必ずハリーの傍で身を伏せ、ハリーが寝そべるためのクッションになってくれた。
「まだ起きないのかい?」
おばさんが戸の向こうに戻って来てきつい声を出した。
「もうすぐだよ」
「さあ、支度をおし ベーコンの具合を見ておくれ 焦がしたら承知しないよ
今日はダドリーちゃんのお誕生日なんだから、間違いのないようにしなくちゃ」
ハリーは呻いた。
「何か言った?」
「なんにも言わないよ なんにも・・・・」
ダドリーの誕生日──────何で忘れられようか。
ハリーはのろのろと起き上がり、靴下を探した。
そしてベッドの下で見つけた靴下の片方に張り付いていた蜘蛛を引き剥がしてから靴下を履いた。
蜘蛛にはもう慣れっこだった。
何しろ階段下の物置は蜘蛛だらけだったし、そこがハリーの部屋だったのだから。
服を着ると、ハリーは廊下に出てキッチンに向かった。
食卓はダドリーの誕生部のプレゼントの山に埋もれてほとんど見えなかった。
欲しがっていた新しいコンピュータもあるようだし、2台目のテレビやレース用自転車ももちろんあった。
ダドリーが何故レース用自転車を欲しがるのかハリーにとっては全くの謎だった。
太って運動嫌いなのに──────誰かにパンチを食らわせる運動だけは別だが・・・・。
ダドリーはハリーをお気に入りのサンドバッグにしていたが、よく空振りした。
一見そうは見えなくても、ハリーはとてもすばしっこかったのだ。
暗い物置に住んでいるせいか、ハリーは年の割には小柄で痩せていた。
その上、着るものはハリーの4倍も大きいダドリーのお古ばかりだったので、ますます痩せて小さく見えた。
ハリーは膝小僧が目立つような細い脚で、細面の顔に真っ黒な髪、明るい緑色の目をしていた。
丸いメガネをかけていたが、ダドリーの顔面パンチがしょっちゅう飛んで来るのでセロテープであちこち貼り付けてあった。
自分の顔でたった一つ気に入っていたのは、額に薄っすらと見える稲妻の傷だ。
物心ついた時から傷があり、ハリーの記憶ではペチュニアおばさんに真っ先に聞いた質問は「どうして傷があるの」だった。
「おまえの両親が自動車事故で死んだ時の傷だよ 質問は許さないよ」
これがおばさんの答えだった。
質問は許さない──────ダーズリー家で平穏無事に暮らすための第一の規則だった。
ハリーがベーコンを裏返していると、バーノンおじさんがキッチンに入って来た。
「髪をとかせ!」
朝の挨拶代わりにおじさんは一喝した。
だいたい週に一度、おじさんは新聞越しにハリーを上目遣いに見ながら髪を短く切れと大声を出すのだった。
同級生の男の子を全部束にしても敵わないほど頻繁にハリーは散髪させられたが、全く無駄だった。
切っても切ってもすぐ元通りに伸びるのだ、しかもありとあらゆる方向に。
ハリーが卵を焼いていると、ダドリーが母親に連れられてキッチンに入って来た。
父親そっくりだ。
大きなピンクの顔で首はほとんどなく、薄い水色の小さな目をして
たっぷりとしたブロンドの髪が縦にも横にも大きい頭の上に載っかっている。
おばさんはダドリーの事をよく天使のようだわ、と言ったが、ハリーは豚がカツラをつけたみたいだといつも思っていた。
ハリーは食卓の上にベーコンと卵の皿を並べた。
プレゼントのせいでほとんど隙間が無いのでそう簡単には置けない。
ダドリーの方はプレゼントの数を数えていたが、突然顔色を変えてパパとママを見上げた。
「36個だ 去年より2つ少ないや」
「坊や、マージおばさんの分を数えなかったでしょう? パパとママからの大きな包みの下にありますよ」
「わかったよ でも37個だ」
ダドリーの顔に血が上ってきた。
ハリーはダドリーの癇癪球が大爆発寸前なのを感じて、
いつテーブルが引っくり返されてもいいように大急ぎでベーコンに食らいついた。
おばさんも明らかに危険に気付いたらしく、慌てて付け加えた。
「今日お出かけした時、あと2つ買ってあげましょう どう? かわいこちゃん あと2個もよ それでいい?」
ダドリーはちょっと考え込んだ。
かなり難しい計算らしかったが、やがてノロノロと言った。
「そうすると、僕、30・・・・30・・・・」
「39よ、可愛い坊や」
「そうか、そんならいいや」
ダドリーはドカッと座り込み、一番手近にあった包みを鷲掴みにした。
「やんちゃ君はパパと同じで、絶対損したくないってわけだ 何て凄い子だ! ダドリーや」
バーノンおじさんはダドリーの髪をクシャクシャと撫でた。
すると電話が鳴り、おばさんがキッチンを出て行った。
おじさんもハリーもダドリーが包みを解くのを眺めていた。
レース用自転車、8ミリカメラ、ラジコン飛行機、新しいコンピュータ・ゲーム16本、ビデオ・レコーダー・・・・。
おばさんが戻って来た時は、金の腕時計の包みをビリビリ破っているところだった。
しかしどうしたのか、おばさんは怒ったような困ったような顔で現れた。
「バーノン、大変だわ フィッグさんが脚を骨折しちゃって、この子を預かれないって」
おばさんはハリーの方を顎でしゃくった。
ダドリーはショックで口をあんぐり開けたが、ハリーの心は躍った。
毎年誕生日になると、ダドリーは友達と2人でおじさんとおばさんに連れられ、
アドベンチャー・パークやハンバーガー屋、映画などに出かける事になっていた。
ハリーはいつも置いてけぼりで、ふた筋向こうに住んでいる変わり者のフィッグばあさんに預けられていた。
ハリーはそこが大嫌いだった。
家中キャベツの匂いがするし、おまけにばあさんが今まで飼った猫の写真を全部無理やり見せるからだ。
「どうします?」
ペチュニアおばさんはハリーが仕組んだと言わんばかりに恐ろしい顔でハリーを睨んだ。
ハリーは骨折したばあさんに同情すべきだと思ったが、あと1年間はティブルスやらスノーイー、
ミスター・ポーズ、タフティーなどの猫の写真を見ないですむと思うと、同情しろと言う方が無理だった。
「マージに電話したらどうかね」
おじさんが提案した。
「バカな事言わないで マージはこの子を嫌ってるのよ」
ダーズリー夫妻はよくこんな風に、ハリーの目の前で本人をまるで無視して話をした。
むしろハリーは言葉の通じない汚らわしいナメクジのように無視された。
「それなら、ほれ、なんていう名前だったか、おまえの友達の──────イボンヌ、どうかね」
「バケーションでマジョルカ島よ」
「僕をここに置いて行ったら」
そうなる事を期待しながらハリーが口を挟んだ。
もしかしたらいつもと違うテレビ番組を自分で選んで見る事が出来るかもしれないし、
ひょっとするとダドリーのコンピュータを弄ったりできるかもしれない。
しかしおばさんはレモンを丸ごと飲み込んだような顔をした。
「それで、帰って来たら家がバラバラになってるってわけ?」
「僕、家を爆破したりしないよ」
誰もハリーの言う事を聞いていなかった。
「動物園まで連れて行ったらどうかしら・・・・それで、車の中に残しておいたら・・・・」
おばさんが気乗りしない様子で言った。
「しかし新車だ ハリーを一人で中に残しておくわけにはいかん・・・・」
すると突然、ダドリーがワンワン泣き出した。
嘘泣きだ。
ここ何年も本当に泣いた事なんて無いが、顔を歪めてメソメソすれば、母親が欲しい物は何でもくれる事を知っているのだ。
「ダッドちゃん、ダドリーちゃん、泣かないで ママがついてるわ
お前の特別な日を、あいつなんかに台無しにさせたりしやしないから!」
「僕・・・・嫌だ・・・・あいつが・・・・く、く、来るなんて!」
しゃくり上げるふりをしながらダドリーが喚いた。
「いつだって、あいつが、めちゃめちゃにするんだ!」
抱き締めている母親の腕の隙間から、ダドリーはハリーに向って意地悪くニヤリと笑った。
すると丁度その時玄関のベルが鳴った。
「ああ、何てことでしょう みんなが来てしまったわ!」
おばさんは大慌てだった。
やがてダドリーの一の子分、ピアーズ・ポルキスが母親に連れられて部屋に入って来た。
ねずみ顔のガリガリに痩せた子で、ダドリーが誰かを殴る時に腕を後ろにねじ上げる役をするのは大抵この子だ。
するとダドリーはたちまち嘘鳴きを止めた。
3分後、ハリーはダーズリー一家の車の後部座席にピアーズ、ダドリーと一緒に座り、生まれて初めて動物園に向っていた。
信じられないような幸運だった、おじさんもおばさんも、結局ハリーをどうして良いか他に思いつかなかった。
ただし、出発前にバーノンおじさんはハリーを傍に呼んでこう忠告した。
「言っておくがな・・・・」
おじさんは大きな赤ら顔をハリーの目の前に突きつけた。
「小僧、変なことをしてみろ ちょっとでもだ、そしたらクリスマスまでずっと物置に閉じ込めてやる」
「僕、何もしないよ ほんとだよ・・・・」
しかしおじさんは信じていなかった。
ハリーの言う事を今まで誰も信じてくれなかった。
困った事に、ハリーの周りでよく不思議な事が起きたし、自分がやったんじゃないとダーズリー夫妻にいくら話しても無駄だった。
ある時、床屋から帰って来たハリーが散髪する前と同じように髪が伸びているのを見て
業を煮やしたペチュニアおばさんが、キッチンバサミでクリクリに刈り上げた事があった。
「醜い傷を隠すため」と前髪だけは残してくれたが、あとはほとんど丸坊主になった。
ダドリーはハリーを見て馬鹿笑いしたし、ハリーは翌日の学校の事を思うと眠れなかった。
ただでさえ、ダブダブの服を着てセロテープだらけのメガネを掛けたハリーは物笑いの種だった。
しかし、翌朝起きてみると、髪は刈り上げられる前と全く変わらなかった。
おかげでハリーは一週間物置に閉じ込められた。
どうしてこんなに早く髪が伸びたのか分からないと、ハリーがいくら言っても駄目だった。
またある時は、おばさんがダドリーのお古の吐き気がするようなセーター(茶色でオレンジ色の毛玉が浮き上がっていた)
を無理にハリーに着せようとしたが、ハリーの頭からかぶせようと、おばさんが躍起になればなるほど服はどんどん小さくなった。
そしてとうとう指人形ならいざ知らず、ハリーには到底着られないほどに縮んでしまった。
おばさんはきっと洗濯で縮んだのだと決め付け、この時ばかりはハリーはお仕置きを受けずに済んでホッとした。
反対に酷い目に遭ったのが、学校の屋根裏事件だ。
いつものようにダドリー軍団に追いかけられ、気がついたらハリーは食堂の屋根の上の煙突の上に腰かけていた。
これには誰よりもハリー自身が驚いた。
ダーズリー家には女校長先生から、ハリーが学校の建物によじ登った、と大層ご立腹の手紙が届いた。
しかしハリーがやった事といえば(物置に閉じ込められた時、外にいるバーノンおじさんにも大声でそう言ったのだが)
食堂の外にあった大きな容器の陰に飛び込もうとしただけだったのだ。
ハリーはジャンプした拍子に風にさらわれたに違いないと思った。
しかし、今日は絶対おかしな事があってはならない。
学校でも、物置でも、キャベツ臭いフィッグばあさんの居間でもないところで一日を過ごせるのだから、
ダドリーやピアーズと一緒だって文句は言えない。
一方、おじさんは運転しながらおばさんを相手にブツブツ不平を言った。
何しろ不平を言うのが好きなのだ。
会社の人間のこと、ハリーのこと、市議会のこと、ハリーのこと、
銀行のこと、ハリーのこと、ざっとこんなところがお気に入りのネタだった。
今朝はオートバイがやり玉に上がった。
「・・・・ムチャクチャな音を出して走りおって チンピラどもが」
オートバイに追い抜かれた時におじさんが言った。
「僕、オートバイの夢を見た」
ハリーは急に思い出した。
「空を飛んでたよ」
バーノンおじさんは途端に前の車にぶつかりそうになった。
そして運転席からグルッと振り向きざま、彼は口髭を生やした巨大な赤カブのような顔でハリーを怒鳴りつけた。
「オートバイは空を飛ばん!」
ダドリーとピアーズがクスクス笑った。
「飛ばない事は分かってる ただの夢だよ」
ハリーは何も言わなきゃよかったと思った。
ダーズリー夫妻はハリーが質問するのも嫌ったが、もっと嫌ったのは、
夢だろうが漫画だろうが、何かがまともではない行動をする話だった。
ハリーがそんな話をすると、まるで危険な事を考えているとでも思っているようだった。
その日はお天気もよく、土曜日で動物園は家族連れで混み合っていた。
ダーズリー夫妻は入り口でダドリーとピアーズに大きなチョコレート・アイスクリームを買い与えた。
そしてハリーを急いでアイス・スタンドから遠ざけようとしたが間に合わず、
愛想の良い売り子のおばさんが、坊やは何が良いの?と聞いたので仕方無しにハリーにも安いレモン・アイスを買い与えた。
これだって結構イケる、とアイスを舐めながらハリーはみんなと一緒にゴリラの檻を眺めた。
──────ゴリラが頭を掻いている姿がダドリーそっくりだ・・・・あれで金髪だったらな・・・・。
こんなに素晴らしい朝を過ごしたのは、ハリーにとって久しぶりだった。
昼近くになるとダドリーもピアーズも動物園に飽きてきたので、
代わりにお気に入りのハリー殴りを始めるかもしれないと思い、ハリーは慎重に2人から離れて歩くようにした。
園内のレストランでお昼を食べたが、ダドリーはチョコレート・パフェが小さいと癇癪を起こし、
おじさんがもう一つ買ってやる羽目になり、ハリーはパフェのお下がりを食べる事を許された。
後になって思えば、こんないいことばかりが続くはずがなかった。
昼食の後で爬虫類館を見た。
館内はヒヤッとして暗く、壁に沿ってガラスケースが並び、中には証明がついていた。
ガラスの向こうには色々なトカゲや蛇がいて、材木や石の上をスルスルと這い回っていた。
ダドリーとピアーズは巨大な毒蛇コブラと、人間でも絞め殺しそうな太いニシキヘビを見たがった。
そしてダドリーはすぐに館内で一番大きな蛇を見つけた。
バーノンおじさんの車をニ巻きにして砕いてくずかごに放り込みそうな大蛇だ。
ただし、今はそういうムードではないらしい・・・・それどころかぐっすり眠っている。
ダドリーはガラスに鼻を押し付けて、艶々と光る茶色のとぐろを見つめた。
「動かしてよ」
ダドリーは父親にせがんだ。
おじさんはガラスをトントンと叩いたが、蛇は身じろぎさえしなかった。
「もう一回やって」
ダドリーが命令した。
おじさんは今度は拳でドンドンとガラスを叩いたが、蛇は眠り続けている。
「つまんないや」
ダドリーはブーブー言いながら行ってしまった。
ハリーはガラスの前に来てジッと蛇を見つめた。
蛇の方こそ退屈のあまり死んでしまっても不思議は無い。
一日中ガラスを叩いてチョッカイを出す馬鹿な人間ども以外に友達もいない・・・・物置で寝起きする方がまだましだ。
ドアをドンドンやられるのはペチュニアおばさんが朝起こしに来る時だけだし、少なくともハリーは家の中を歩き回れる。
するとカッ、というブーツの音がしてハリーの隣に誰かが並んだ。
顔を横に向けると、絶対にバーノンおじさんが好きになれそうにない人がいた。
その人物は全身をスッポリと覆う真っ黒なローブを着ており、顔はコートについているフードを深く被って鼻先まで隠していた。
唯一見えるのは薄っすらと笑みを浮かべたような赤い口元と、微かに見える白い肌。
ほっそりした体とおうとつのある体躯を見れば女性だということは辛うじて分かる。
しかし何だかその場所だけが他の場所と空間が全く違うように思えるのは気のせいだろうか・・・・?
すると、ハリーはフードに隠れた女性の唇が微かに動いたのを見た。
──────声は、出ていない。
代わりに聞こえるのは、シューシューという空気の抜けるような音だった。
すると突然、ガラスの中の蛇はビーズのような目を開け、ゆっくりと、
とてもゆっくりと鎌首をもたげて女性の目線と同じ高さまで持ち上げた。
それから信じられない事に、蛇は女性に対して深々と頭を下げ、ユラユラと揺れながら舌をチロチロさせた。
「凄い・・・・」
ハリーは蛇に釘付けだった。
「蛇を見るのは初めてですか?」
突然、隣の黒ずくめの女性が声を掛けてきたのでハリーは驚いた。
奇麗な声だった・・・・。
「あ、うん・・・・というか、動物を見るのは初めてなんだ」
「初めて?」
女性が聞いた。
「家から出してもらえなくて でも、今日は特別だったんだ 僕を預かるはずだったおばさんが、脚を骨折しちゃって」
女性はニッコリと微笑み、そしてまた顔をガラスの向こうの蛇に向けた。
「この蛇、どこから来たんだろう?」
ハリーが呟くと、蛇はガラスケースの横にある掲示板を尾でツンツンとつついた。
「ブラジル産ボア・コンストリクター 大ニシキヘビ」と書かれてある。
「今の見た!? この蛇、僕の言う事が分かるみたいだ」
「ええ」
「ね、ブラジルって良いところなの?」
ニシキヘビはもう一度尾で掲示板をつついた。
「この蛇は動物園で生まれました」と書かれてある。
「そうなの・・・・じゃ、ブラジルに行った事が無いんだね?」
蛇が頷いた途端、ハリーの後ろで耳を劈くような大声がして、ハリーも蛇も飛び上がりそうになった。
「ダドリー! ダーズリーおじさん! 早く来て蛇を見て 信じられないような事やってるよ」
ダドリーがドタドタと、それなりに全速力でやって来た。
「どけよ、オイ!」
ダドリーがハリーの肋骨にパンチを食らわせた。
不意を食らってハリーはコンクリートの床に引っ繰り返った。
次の瞬間の出来事はあっという間だったので、どんな風に起こったのか誰にも分からなかった。
最初、ダドリーとピアーズがガラスに寄りかかった。
次の瞬間、2人は恐怖の叫びを上げて飛び退いた。
ハリーは起き上がり、息を呑んだ。
ニシキヘビケースのガラスが消えていた。
すると大蛇は素早くとぐろを解き、ズルズルと外に這い出した。
館内にいた客たちは叫び声を上げて出口に向って一斉に駆け出した。
蛇がスルスルとハリーの傍を通り過ぎた時、誓っても良い、ハリーは確かに低い、シューシューという声を聞いたのだ。
「ブラジルへ、俺は行く──────シュシュシュ、ありがとよ アミーゴ」
爬虫類館の飼育係はショック状態だった。
「でもガラスは、ガラスは一体何処に?」
そう言い続けていた。
園長は自らペチュニアおばさんに濃い甘い紅茶を入れ、ペコペコと謝った。
ピアーズとダドリーは訳の分からない事を口走るばかりだった。
ハリーが見ていた限りでは、蛇は通りがかりざまに2人のかかとに噛み付くふりをしただけなのに、
バーノンおじさんの車に全員が戻った時には、ダドリーは「蛇に脚を食いちぎられそうになった」と言い、
ピアーズは「嘘じゃない、蛇が絞め殺そうとした」と言った。
しかしハリーにとって最悪だったのは、だんだん落ち着いてきたピアーズが言った言葉だった。
「ハリーは蛇と話してた ハリー、そうだろ?」
バーノンおじさんはまずピアーズを無事家から送り出すまで怒鳴るのを我慢し、それからハリーの処分に取り掛かった。
怒りのあまり、おじさんは声も出なかった。
そしてやっとの事で、「行け──────物置──────出るな──────食事抜き」と言うと、椅子に倒れこんでしまった。
おばさんは急いでおじさんに飲ませるブランデーの大瓶を取りに行った。
ハリーが暗い物置に入ってから大分時間が経った。
時計が欲しいと思った、どのぐらい時間が経ったのか分からないし、ダーズリー一家が眠ってしまったかどうかも分からない。
みんなが寝静まるまではキッチンでこっそり盗み食いをする事もできない。
──────結局、あの後黒ずくめの女性はいつの間にか消えていた。
あの女性は一体何者だったのだろう?
普通の人がまず着ないであろう格好をしていたし、何より影のある存在感が何処となく不気味で印象に残る女性だった。
ダーズリー一家と暮らしてほぼ10年が・・・・思い出す限り惨めな10年が過ぎた。
赤ん坊の時から、両親が自動車事故で死んでからずっとだ。
両親が死んだ時、自分が車の中にいたかどうかさえ思い出せない。
時々、物置の中で長い時間を過ごしながら一生懸命思い出をたぐっていると、不思議な光景が見えてくる事があった。
目の眩むような緑の閃光と焼け付くような額の痛みだ。
緑の閃光が何処から出ているのかは想像つかなかったが、ハリーはきっと、これが自動車事故なんだと思った。
しかし両親の事は全く思い出せなかった・・・・おじさんもおばさんも一度も話してくれないし、勿論質問は禁じられていた。
それにこの家の何処にも両親の写真は無かった。
小さかった頃、ハリーは誰か見知らぬ親戚が自分を迎えにやって来ることを何度も夢見た。
しかしそんな事は一度も起こらず、ダーズリー一家しか家族は無かった。
それなのに、時々街で見知らぬ人がハリーの事を知っているのではないかと思う事があった。
見知らぬばかりか、実に奇妙な人たちだった。
一度は、おばさんやダドリーと一緒に買い物に出た時、店の中でスミレ色の三角帽子を被った小さな男の人がハリーにお辞儀をした。
おばさんは知っている人なのかと激しくハリーを問い詰め、結局何も買わずに2人を連れて店を飛び出した。
またある時は、バスの中で緑ずくめのとっぴな格好をしたおばあさんがハリーに向って嬉しそうに手を振った。
つい先日も、酷く長い紫のマントを着たハゲ頭の男が、街中でハリーとしっかり握手までしてそのまま一言も言わずに立ち去った。
一番奇妙なのは、ハリーがもう一度良く見ようとした途端、こうした人たちが消えてしまうことだった。
今思えば、「黒ずくめの蛇のお姉さん」も、その人たちの仲間だったのだろうか?
いずれにせよ、学校でもハリーは一人ぼっちだった。
ダブダブの服に壊れたメガネを掛けた可笑しなハリー・ポッターが、
ダドリー軍団に憎まれている事をみんな知っていたし、誰一人ダドリー軍団に逆らおうとはしなかったのだ。
フィッグ婆さんの脚を折ったのは彼女です。その後、忘却術で記憶を修復したというわけです。