ドリーム小説
Day.4----ホラス・スラグホーン
この数日というもの、ハリーは目覚めている時間は一瞬も休まず、
ダンブルドアが迎えに来てくれますようにと必死に願い続けていた。
にもかかわらず、一緒にプリペット通りを歩き始めると、ハリーはとても気詰まりな思いがした。
これまで、ホグワーツの外で校長と会話らしい会話をしたことがなかった。
いつも机を挟んで話をしていたからだ。
その上、最後に面と向って話し合った時の記憶が甦り、気まずい思いをいやが上にも強めていた。
あの時ハリーは、散々怒鳴ったばかりか、ダンブルドアの大切にしていた物をいくつか、力任せに打ち砕いた。
しかし、ダンブルドアの方は、全くゆったりしたものだった。
「ハリー、、杖を準備しておくのじゃ」
ダンブルドアは朗らかに言った。
「でも、先生、僕は、学校の外で魔法を使ってはいけないのではありませんか?」
「襲われた場合は」
ダンブルドアが言った。
「わしが許可する きみの思いついた反対呪文や呪い返しを何なりと使ってよいぞ
しかし、今夜は襲われることを心配しなくともよかろうぞ」
「どうしてですか、先生?」
「わしと一緒じゃからのう」
ダンブルドアはサラリと言った。
「2人とも、この辺りでよかろう」
プリペット通りの端で、ダンブルドアが急に立ち止まった。
「ハリー、きみはまだ当然、『姿現わし』テストに合格しておらんの?」
「はい」
ハリーが言った。
「17歳にならないとだめなのではないですか?」
「そのとおりじゃ それでは、わしの腕にしっかり掴まらなければならぬ
左腕にしてくれるかの─────気付いおろうが、わしの杖腕はいま多少脆くなっておるのでな」
ハリーは、ダンブルドアが差し出した左腕をしっかり掴んだ。
「それでよい 、君は『姿現わし』ができるね?」
「当然だ」
が言った。
「場所は、バドリー・ババートンじゃ」
ダンブルドアが最後まで言い終わらないうちに、ハリーの前からが消えた。
「さて、参ろう」
ハリーは、ダンブルドアの腕が捻れて抜けていくような感じがして、ますます固く握り締めた。
気がつくと、全てが闇の中だった。
四方八方からぎゅうぎゅう押さえつけられている。
息が出来ない、鉄のベルトで胸を締め付けられているようだ。
目の玉が顔の奥に押し付けられ、鼓膜が頭蓋骨深く押し込められていくようだった。
そして─────
ハリーは冷たい夜気を胸いっぱい吸い込んで、涙目になった目を開けた。
たったいま細いゴム管の中を無理やり通り抜けてきたような感じだった。
しばらくしてやっと、プリペット通りが消えている事に気付いた。
今は、ダンブルドアと2人で、どこやら寂れた村の小さな広場に立っていた。
広場の真ん中に古ぼけた戦争記念碑が建ち、ベンチがいくつか置かれている。
遅ればせながら、理解が感覚に追いついてきた。
ハリーはたったいま、生まれて初めて「姿現わし」したのだ。
「大丈夫かな?」
ダンブルドアが気遣わしげにハリーを見下ろした。
「大丈夫です」
ハリーは耳を擦った。
何だか耳が、プリペット通りを離れるのをかなり渋ったような感覚だった。
「でも、僕は箒の方がいいような気がします」
ダンブルドアは微笑んで、旅行用マントの襟元をしっかり合わせ直した。
ちょっと離れたところからが歩み寄って来るのが見えた。
が傍まで来ると、ダンブルドアは「こっちじゃ」と言った。
ダンブルドアはきびきびした歩調で、空っぽの旅籠や何軒かの家を通り過ぎた。
近くの教会の時計を見ると、ほとんど真夜中だった。
「ところで、ハリー」
ダンブルドアが言った。
「君の傷痕じゃが・・・・近頃痛むかな?」
ハリーは思わず額に手を上げて、稲妻形の傷痕をさすった。
「いいえ」
ハリーが答えた。
「でも、それがおかしいと思っていたんです ヴォルデモートが
またとても強力になったのだから、しょっちゅう焼けるように痛むだろうと思っていました」
ハリーがチラリと見ると、ダンブルドアは満足げな表情をしていた。
「わしはむしろその逆を考えておった」
ダンブルドアが言った。
すると、が笑った。
「お前はこれまで、父さんの考えや感情に接近する経験をしてきただろう?
父さんは、それが危険だということにようやく気づいたんだろ お前に対して『閉心術』を使っているんだよ」
「なら、僕は文句ないや」
心を掻き乱される夢を見なくなったことも、ヴォルデモートの心を覗き見て
ギクリとするような場面がなくなったことも、ハリーは惜しいとは思わなかった。
3人は角を曲がり、電話ボックスとバス停を通り過ぎた。
はダンブルドアを見た。
「ダンブルドア」
「なんじゃね?」
「ここへは何のために寄ったんだ?」
「おう、そうじゃ、きみたちにまだ話してなかったのう」
ダンブルドアが言った。
「さて、近年何度これと同じ事を言うたか、数え切れぬほどじゃが、またしても、先生が一人足りない
ここに来たのは、わしの古い同僚を引退生活から引っ張り出し、ホグワーツに戻るよう説得するためじゃ」
「先生、僕はどんな役に立つんですか?」
ハリーが聞いた。
「きみがどう役に立つかは、今にわかるじゃろう」
ダンブルドアは曖昧な言い方をした。
「ここを左じゃよ、ハリー、」
3人は両側に家の立ち並んだ狭い急な坂を登った。
窓という窓は全部暗かった。
ここ2週間、プリペット通りを覆っていた奇妙な冷気が、この村にも流れていた。
吸魂鬼のことを考え、ハリーは振り返りながら、ポケットの中の杖を再確認するように握り締めた。
「ダンブルドアは、どうしてその古い同僚の家に、直接『姿現わし』しないんだろう?」
ハリーがに言った。
「理由は単純 玄関の戸を蹴破ると同じくらい無礼だからだ」
が言った。
「入室を拒む機会を与えるのが、俺たち魔法使いの間では礼儀だ いずれにしろ、
魔法界の建物は大抵 好ましからざる『姿現わし』に対して魔法で護られているしな」
「へぇ、ちょっと意外だな が礼儀を知ってるなんて」
「お前、俺を何だと思ってたんだ?」
が片方の眉をちょっと吊り上げた。
「言っておくが、俺の家はブラック家よりもデカイぞ」
「そんなに?」
ハリーは驚いた。
グリモールド・プレイス12番地でも十分大きかった。
「当然だ」
はフフンと鼻を鳴らした。
「名門家、アッシュフォード家だぞ 本館から宿舎、中庭から繋がる迷路のような地下坑道、
隠された研究所 庭も総面積は約5180平方キロ、総資産は・・・・数えたことがないな」
「それじゃあ、は上流階級の人なんだ」
ハリーが言った。
「と言っても、俺が稼いだ金じゃないけどな」
「いつか・・・・遊びに行ってみたいな」
ハリーは何気ない調子で言った。
の家、つまり、アッシュフォード家の館に行けば、そこにがいる。
と最後に会ったのは、あの三校対校試合の後だったから、もう一度ちゃんと会って話がしたかった。
「来るのはいいが、お前は館に着く前に『死の森』で干からびそうだな」
「『死の森』?」
ハリーが聞いた。
「別名、『呪いの黒い森』俺は『死の森』と呼んでいるがな 陽の光が一切射さない、影に覆われた黒い森だ
アッシュフォード家はその中心に建っている 一歩森に踏み込めば、二度と再び陽の当たる世界に戻れはしない
光を失い、足は萎え、全ての希望を奪われて闇に閉ざされて果てるんだ たまに人間が転がっているのを見るな」
「それ、君たちは大丈夫なの?」
「アッシュフォード家の血筋ならな いつか案内してやるよ」
が言った。
「また左折じゃ」
ダンブルドアが言った。
3人の背後で、教会の時計が12時を打った。
昔の同僚を、こんな遅い時間に訪問するのは失礼にならないのだろうかと、ハリーはダンブルドアの考えを訝しく思った。
「ダンブルドア」
が言った。
「『日刊予言者』でファッジがクビになったという記事を見たんだが」
「そうじゃ」
ダンブルドアは、今度は急な脇道を登っていた。
「後任者は、きみも読んだ事と思うが、闇祓い局の局長だった人物で、ルーファス・スクリムジョールじゃ」
「適任だと思うか?」
が聞いた。
「おもしろい質問じゃ たしかに能力はある コーネリウスよりは意思のハッキリした、強い個性を持っておる
ルーファスは行動派の人間で、人生の大半を闇の魔法使いと戦ってきたのじゃから、ヴォルデモート卿を過小評価してはおらぬ」
ハリーは続きを待ったが、ダンブルドアは「日刊予言者新聞」に書かれていた
スクリムジョールとの意見の食い違いについて何も言わなかった。
ハリーも、その話題を追及する勇気がなかったので、話題を変えた。
「先生・・・・マダム・ボーンズのことを読みました」
「そうじゃ」
ダンブルドアが静かに言った。
「手痛い損失じゃ 偉大な魔女じゃった この奥じゃ たぶん─────ァツッ」
ダンブルドアは怪我した手で指差していた。
「先生、その手はどう─────?」
「いまは説明している時間が無い スリル満点の話じゃから、それに相応しく語りたいでのう」
ダンブルドアはハリーに笑いかけた。
すげなく拒絶されたわけではなく、質問を続けてよいという意味だと、ハリーはそう思った。
「先生─────ふくろうが魔法省のパンフレットを届けてきました
死喰い人に対して我々がどういう安全措置を取るべきかについての・・・・」
「そうじゃ、わしも一通受け取った」
ダンブルドアは微笑んだまま言った。
「役に立つと思ったかの?」
「あんまり」
「そうじゃろうと思うた たとえばじゃが、きみはまだ、わしのジャムの好みを聞いておらんのう
わしが本当にダンブルドア先生で、騙り者ではないことを確かめるために」
「それは、でも・・・・」
ハリーは叱られているのかどうか、よく分からないまま答え始めた。
「きみの後学のために言うておくが、ハリー、ラズベリーじゃよ・・・・
もっとも、わしが死喰い人なら、わしに扮する前に、必ずジャムの好みを調べておくがのう」
「あ・・・・はい あの、パンフレットに『亡者』とか書いてありました
いったい、どういうものですか? パンフレットでははっきりしませんでした」
「屍だ」
が冷静に言った。
「死喰い人の命令通りの事をするよう、魔法をかけられた死人のことだ
昔、父さんは死人で軍団が出来るほど多くの魔法使いを殺した 亡者は痛みを感じない 敵にすると面倒だぞ」
が言った。
「ハリー、、ここじゃよ ここ・・・・」
3人は、小奇麗な石造りの、庭付きの小さな家に来ていた。
門に向っていたダンブルドアが急に立ち止まった。
しかしハリーは、「亡者」という恐ろしい考えを咀嚼するのに忙しく、
他の事に気付く余裕もなかったので、ダンブルドアにぶつかってしまった。
「なんと、なんと、なんと」
ダンブルドアの視線を辿ったハリーは、きちんと手入れされた庭の小道の先を見て愕然とした。
玄関のドアの蝶番が外れてぶら下がっていた。
は通りの端から端まで目を走らせた。
全く人の気配が無い。
「ハリー、杖を出して、わしについてくるのじゃ」
ダンブルドアが低い声で言った。
ダンブルドアは門を開け、ハリーとをすぐ後ろに従えて、素早く、音もなく小道を進んだ。
そして杖を掲げて構え、玄関のドアをゆっくり開けた。
「ルーモス! 光よ!」
ダンブルドアの杖先に明かりが灯り、狭い玄関ホールが照らし出された。
左側のドアが開けっ放しだった。
杖灯りを掲げ、ダンブルドアは居間に入って行った。
ハリーとはすぐ後ろについていた。
乱暴狼藉の跡が目に飛び込んできた。
バラバラになった床置時計が足下に散らばり、文字盤は割れ、
振り子は打ち棄てられた剣のように、少し離れたところに横たわっている。
ピアノが横倒しになって、鍵盤が床の上にばら撒かれ、その傍には落下したシャンデリアの残骸が光っている。
クッションは潰れて脇の裂け目から羽毛が飛び出しているし、
グラスや陶器の欠片が、そこいら中に粉を撒いたように飛び散っていた。
ダンブルドアは杖をさらに高く掲げ、光が壁を照らすようにした。
壁紙にどす黒いベットリとした何かが飛び散っている。
ハリーが小さく息を呑んだので、ダンブルドアが振り返った。
「気持のよいものではないのう」
ダンブルドアが重い声で言った。
「そう、何か恐ろしいことが起こったのじゃ」
ダンブルドアは注意深く部屋の真ん中まで進み、足元の残骸をつぶさに調べた。
ハリーともあとに従い、ピアノの残骸や引っ繰り返ったソファの陰に死体が見えはしないかと、
半分ビクビクしながら辺りを見回したが、そんな気配はなかった。
「争いがあったのかな─────その人が連れ去られたって可能性は─────」
壁の中ほどまで飛び散る血痕を残すようなら、どんなに酷く傷ついていることかと、
つい想像してしまうのを打ち消しながら、ハリーが言った。
「それはないな」
は、横倒しになっている分厚すぎる肱掛椅子の裏側をじっと見ながら静かに言った。
「どうしてそう言いきれるの?」
「本当に死喰い人が来たのなら、家の上に闇の印が出ているはずだからだ」
が言った。
ダンブルドアは突然さっと身を翻し、膨れすぎた肱掛椅子のクッションに杖の先を突っ込んだ。
すると椅子が叫んだ。
「痛い!」
「こんばんは、ホラス」
ダンブルドアは体を起こしながら挨拶した。
ハリーはアングリ口を開けた。
いまのいままで肱掛椅子があったところに、堂々と太った禿の老人が蹲り、
下っ腹を擦りながら、涙目で恨みがましくダンブルドアを見上げていた。
「そんなに強く杖で突く必要はなかろう」
男はよいしょと立ち上がりながら声を荒げた。
「痛かったぞ」
飛び出した目と、堂々たる銀色のセイウチ髭、ライラック色の絹のパジャマ。
その上に羽織った栗色のビロードの上着についているピカピカのボタンと、つるつる頭のてっぺんに、杖灯りが反射した。
頭のてっぺんはダンブルドアの顎にも届かないくらいだ。
「なんでバレた?」
まだ下っ腹を擦りながらヨロヨロ立ち上がった男が、呻くように言った。
肱掛椅子のふりをしていたのを見破られたばかりにしては、見事なほど恥じ入る様子が無い。
「親愛なるホラスよ」
ダンブルドアは面白がっているように見えた。
「本当に死喰い人が訪ねて来ていたのなら、家の上に闇の印が出ていたはずじゃ」
と同じ事を、ダンブルドアが言った。
男はずんぐりした手で、禿げ上がった広い額をピシャリと叩いた。
「闇の印か」
男が呟いた。
「何か足りないと思っていた・・・・まあ、よいわ いずれにせよ、そんな暇はなかっただろう
君が部屋に入って来た時には、腹のクッションの膨らみを仕上げたばかりだし」
男は大きな溜息をつき、その息で口髭の端がヒラヒラはためいた。
「片付けの手伝いをしましょうかの?」
ダンブルドアが礼儀正しく聞いた。
「頼む」
男が言った。
背の高い痩身の魔法使いと背の低い丸い魔法使いが、2人背中合わせに立ち、
2人とも同じ動きで杖をスイーッと掃くように振った。
家具が飛んで元の位置に戻り、飾り物は空中で元の形になったし、
羽根はクッションに吸い込まれ、破れた本はひとりでに元通りになりながら本棚に収まった。
石油ランプは脇机まで飛んで戻り、また火が灯った。
夥しい数の銀の写真立ては、破片が部屋中をキラキラと飛んで、そっくり元に戻り、曇り一つなく机の上に降り立った。
裂け目も割れ目も穴も、そこら中で閉じられ、壁もひとりでに奇麗に拭き取られた。
「ところで、あれは何の血だったのかな?」
再生した床置時計のチャイムの音に掻き消されないように声を張り上げて、ダンブルドアが聞いた。
「ああ、あの壁か? ドラゴンだ」
ホラスと呼ばれた魔法使いが、シャンデリアがひとりでに天井に捻じ込まれるガリガリ、
チャリンチャリンというやかましい音に混じって叫んだ。
最後にピアノがポロンと鳴り、ようやく静寂が訪れた。
「ああ、ドラゴンだ」
ホラスが気軽な口調で繰り返した。
「わたしの最後の1本だが、このごろ値段は天井知らずでね いや、まだ使えるかもしれん」
ホラスはドスドスと食器棚の上に置かれたクリスタルの小瓶に近付き、瓶を明かりに翳して中のドロリとした液体を調べた。
「フム、ちょっと埃っぽいな」
ホラスは瓶を戸棚の上に戻し、溜息をついた。
ハリーに視線が行ったのはその時だった。
「ほっほう」
丸い大きな目がハリーの額に、そしてそこに刻まれた稲妻形の傷に飛んだ。
「ほっほう!」
「こちらは」
ダンブルドアが紹介をするために進み出た。
「ハリー・ポッターと、じゃ ハリー、、こちらが、わしの古い友人で同僚のホラス・スラグホーンじゃ」
スラグホーンは、抜け目無い表情でダンブルドアに食って掛かった。
「それじゃあ、その手でわたしを説得しようと考えたわけだな? いや、答えはノーだよ、アルバス」
スラグホーンは決然と顔を背けたまま、誘惑に抵抗する雰囲気を漂わせて、ハリーとの間を通り抜けた。
「一緒に一杯飲むぐらいのことはしてもよかろう?」
ダンブルドアが問いかけた。
「昔のよしみで?」
スラグホーンは躊躇った。
「よかろう、一杯だけだ」
スラグホーンは無愛想に言った。
ダンブルドアはハリーとに微笑みかけ、つい先ほどまで
スラグホーンが化けていた椅子とそう違わない椅子を指して、座るように促した。
その椅子は、火の気の戻ったばかりの暖炉と、明るく輝く石油ランプのすぐ脇にあった。
ハリーは、ダンブルドアが自分を何故かできるだけ目立たせたがっているとハッキリ感じながら、椅子に腰掛けた。
確かに、デカンターとグラスの準備に追われていたスラグホーンが、再び部屋を振り返った時、真っ先にハリーに目がいった。
「フン」
まるで目が傷付くのを恐れるかのように、スラグホーンは急いで目を逸らした。
「ほら─────」
スラグホーンは、勝手に腰掛けていたダンブルドアに飲み物を渡し、ハリーとに盆をグイと突き出してから、
元通りになったソファにとっぷりと腰を下ろし、不機嫌に黙り込んだ。
脚が短すぎて、床に届いていない。
「さて、元気だったかね、ホラス」
ダンブルドアが尋ねた。
「あまりパッとしない」
スラグホーンが即座に答えた。
「胸が弱い ゼイゼイする リュウマチもある 昔のようには動けん まあ、そんなもんだろう 歳だ 疲労だ」
「それでも、即座にあれだけの歓迎の準備をするには、相当素早く動いたに相違なかろう 警告はせいぜい3分前だったじゃろう?」
スラグホーンは半ばイライラ、半ば誇らしげに言った。
「1分だ 『侵入者避け』が鳴るのが聞こえなんだ 風呂に入っていたのでね しかし」
再び我に返ったように、スラグホーンは厳しい口調で言った。
「アルバス、わたしが老人である事実は変わらん 静かな生活と多少の快楽を勝ち得た、疲れた年寄りだ」
ハリーは部屋を見回しながら、確かにそういうものを勝ち得ていると思った。
ごちゃごちゃした息が詰るような部屋ではあったが、快適でないとは誰も言わないだろう。
ふかふかの椅子や足載せ台、飲み物や本、チョコレートの箱やふっくらしたクッション。
誰が住んでいるかを知らなかったら、ハリーはきっと、
金持ちの小うるさい一人者の老婦人が住んでいると思ったことだろう。
「ホラス、きみはまだわしほどの歳ではない」
「まあ、君自身もそろそろ引退を考えるべきだろう」
スラグホーンはぶっきらぼうに言った。
淡いスグリ色の目は、既にダンブルドアの傷付いた手を捕らえていた。
「昔のような反射神経ではないらしいな」
「まさにそのとおりじゃ」
ダンブルドアは落ち着いてそう言いながら、袖を振るようにして黒く焦げた指の先を顕にした。
一目見て、ハリーは首の後ろがゾクッとした。
「たしかにわしは昔より遅くなった しかしまた一方・・・・」
ダンブルドアは肩を竦め、年の功はこうあるものだというふうに、両手を広げた。
すると、傷付いていない左手に、以前には見たことがない指輪が嵌められているのにハリーは気付いた。
金細工と思われる、かなり不器用に作られた大振りの指輪で、真ん中に亀裂の入った黒いどっしりした石が嵌め込んである。
スラグホーンもしばらく指輪に目を止めたが、僅かに顔を顰めて、禿げ上がった額に一瞬皺が寄るのを、ハリーは見た。
「ところで、ホラス、侵入者避けのこれだけの予防線は・・・・死喰い人のためかね? それともわしのためかね?」
「わたしみたいな哀れなよれよれの老いぼれに、死喰い人が何の用がある?」
スラグホーンが問いただした。
「連中は、きみの多大なる才能を、恐喝、拷問、殺人に振り向けたいと欲するのではないかのう
連中がまだ勧誘しに来ておらんというのは、本当かね?」
スラグホーンは一瞬ダンブルドアを邪悪な目付きで見ながら、呟いた。
「やつらにそういう機会を与えなかった 1年間、居場所を替え続けていたんだ 同じ場所に、1週間以上留まったためしがない
マグルの家を転々とした─────この家の主は休暇でカナリア諸島でね とても居心地が良かったから去るのは残念だ
やり方を一度飲み込めば至極簡単だよ マグルが『かくれん防止器』代わりに使っているちゃっちな防犯ブザーに、
単純な『凍結呪文』をかけること、ピアノを運び込む時近所の者に絶対見つからないようにすること、これだけでいい」
「巧みなものじゃ しかし、静かな生活を求めるよれよれの老いぼれにしては、
たいそう疲れる生き方に聞こえるがのう さて、ホグワーツに戻れば─────」
「あの厄介な学校にいれば、わたしの生活はもっと平和になるとでも言い聞かせるつもりなら、
アルバス、言うだけムダだ! たとえ隠れ住んでいても、ドローレス・アンブリッジが去ってから、
おかしな噂がわたしのところにいくつか届いているぞ! 君がこのごろ教師にそういう仕打ちをしているなら─────」
「アンブリッジ先生は、ケンタウルスの群れと面倒を起こしたのじゃ」
ダンブルドアが言った。
「君なら、ホラス、間違っても禁じられた森にズカズカ踏み入って、
怒ったケンタウルスたちを『汚らわしい半獣』呼ばわりするようなことはあるまい」
「そんなことをしたのか? あの女は? 愚かしい女め もともとあいつは好かん」
ハリーがクスクス笑った。
ダンブルドアもスラグホーンも、ハリーの方を振り向いた。
「すみません」
ハリーが慌てて言った。
「ただ─────僕もあの人が嫌いでした」
ダンブルドアが突然立ち上がった。
「帰るのか?」
間髪を入れず、スラグホーンが期待顔で言った。
「いや、手水場を拝借したいが」
「ああ」
スラグホーンは明らかに失望した声で言った。
「廊下の左手2番目」
ダンブルドアは部屋を横切って出て行った。
すると、突然も席を立ち上がって、ダンブルドアの後を追うように部屋から出て行った。
ドアが閉まると、沈黙が訪れた。
しばらくして、スラグホーンが立ち上がったが、どうしてよいか分からない様子だった。
チラリとハリーを見るなり、肩をそびやかして暖炉まで歩き、暖炉を背にしてどでかい尻を温めた。
「彼がなぜ君を連れて来たか、わからんわけではないぞ」
スラグホーンが唐突に言った。
ハリーはただスラグホーンを見た。
スラグホーンの潤んだ目が、今度はハリーの傷痕の上を滑るように見ただけでなく、ハリーの顔全体も眺めた。
「君は父親にそっくりだ」
「ええ、みんながそう言います」
ハリーが言った。
「目だけが違う 君の目は─────」
「ええ、母の目です」
何度も聞かされて、ハリーは少しうんざりしていた。
「フン うん、いや、教師として、もちろんえこ贔屓すべきではないが、
彼女はわたしの気に入りの1人だった 君の母親の事だよ」
ハリーの物問いたげな顔に応えて、スラグホーンが説明を付け加えた。
「リリー・エバンズ 教え子の中でも、なかなかの1人だった そう、生き生きとしていた 魅力的な子だった
私の寮に来るべきだったと、彼女に良くそう言ったものだが、いつも悪戯っぽく言い返されたものだった」
「どの寮だったのですか?」
「わたしはスリザリンの寮監だった」
スラグホーンが答えた。
「それ、それ」
ハリーの表情を見て、ずんぐりした人差し指をハリーに向って振りながら、スラグホーンが急いで言葉を続けた。
「そのことでわたしを責めるな! 君は彼女と同じくグリフィンドールなのだろうな?
そう、普通は家系で決まる 必ずしもそうではないが シリウス・ブラックの名を聞いたことがあるか?
聞いたはずだ─────この数年、新聞に出ていた─────数週間前に死んだな─────」
見えない手が、ハリーの内臓をギュッと掴んで捻ったかのようだった。
「まあ、とにかく、シリウスは学校でハリー、君の父親の大親友だった ブラック家は全員わたしの寮だったが、
シリウスはグリフィンドールに決まった 残念だ─────能力ある子だったのに
弟のレギュラスが入学して来た時は獲得したが、できれば一揃いほしかった」
オークションで競り負けた熱狂的な蒐集家のような言い方だった。
ただ思い出に耽っているらしく、スラグホーンはその場でのろのろと体を回し、
熱が尻全体に均等に行き渡るようにしながら、反対側の壁を見つめた。
「言うまでもなく、君の母親はマグル生まれだった
そうと知った時には信じられなかったね 絶対純血だと思った それほど優秀だった」
「僕の友達にもマグル生まれが1人います」
ハリーが言った。
「しかも学年で2番の女性です」
「ときどきそういうことが起こるのは不思議だ そうだろう?」
「別に」
ハリーが冷たく言った。
スラグホーンは驚いて、ハリーを見下ろした。
「わたしが偏見を持っているなどと、思ってはいかんぞ!」
スラグホーンが言った。
「いや、いや、いーや! 君の母親は、今まで出一番気に入った生徒の1人だったと、たったいま言ったはずだが?
それにダーク・クレスウェルもいるな 彼女の下の学年だった─────今では小鬼連絡室の室長だ─────これも
マグル生まれで、非常に才能のある学生だった 今でも、グリンゴッツの出来事に関して、素晴らしい内部情報をよこす!」
スラグホーンは弾むように体を上下に揺すりながら、
満足げな笑みを浮かべてドレッサーの上にズラリと並んだ輝く写真立てを指差した。
それぞれの額の中で小さな写真の主が動いている。
「全部昔の生徒だ サイン入り バーナバス・カッフに気付いていただろうが、『日刊予言者新聞』の編集長で、
毎日のニュースに関するわたしの解釈に常に感心を持っている それにアンブロシウス・フルーム
ハニーデュークスの─────誕生日のたびに一箱よこす それも全て、わたしがシセロン・ハーキスに紹介してやったお陰で、
彼が最初の仕事に就けたからだ! 後ろの列─────首を伸ばせば見えるはずだが─────あれがグウェノグ・ジョーンズ
言うまでもなく女性だけのチームのホリヘッド・ハーピーズのキャプテンだ・・・・わたしとハーピーズの選手たちとは、
姓名の名の方で気軽に呼び合う仲だと聞くと、みんな必ず驚く それに欲しければいつでも、ただの切符が手に入る!」
スラグホーンは、この話をしているうちに、大いに愉快になった様子だった。
「それじゃ、この人たちはみんなあなたの居場所を知っていて、色々な物を送ってくるのですか?」
ハリーは、菓子の箱やクィディッチの切符が届き、助言や意見を熱心に求める訪問者たちが、
スラグホーンの居場所を突き止められるのなら、死喰い人だけがまだ探し当てていないのは可笑しいと思った。
壁から血糊が消えるのと同じぐらいあっという間に、スラグホーンの顔から笑いが拭い去られた。
「無論違う」
スラグホーンは、ハリーを見下ろしながら言った。
「1年間誰とも連絡を取っていない」
ハリーには、スラグホーンが自分自身の言った事にショックを受けているように思えた。
スラグホーンは一瞬、相当動揺した様子だった。
それから肩を竦めた。
「しかし・・・・賢明な魔法使いは、こういう時には大人しくしているものだ ダンブルドアが何を話そうと勝手だが、
いまこの時にホグワーツに職を得るのは、公に『不死鳥の騎士団』への忠誠を表明するに等しい
騎士団はみな、間違いなく天晴れで勇敢で、立派な者たちだろうが、わたし個人としてはあの死亡率はいただけない─────」
「ホグワーツで教えても、『騎士団』に入る必要はありません」
ハリーは嘲るような口調を隠し切ることができなかった。
シリウスが洞窟に蹲って、ネズミを食べて生きていた姿を思い出すと、
スラグホーンの甘やかされた生き方に同情する気には、到底なれなかった。
「大勢の教師が団員ではありませんし、それに誰も殺されていません─────
でも、クィレルは別です あんなふうにヴォルデモートと手を組んで仕事をしていたのですから、当然の報いを受けたんです」
スラグホーンも、ヴォルデモートの名前を聞くのが耐えられない魔法使いの一人だという確信があった。
ハリーの期待は裏切られなかった。
スラグホーンは身震いして、ガーガーと抗議の声を上げたが、ハリーは無視した。
「ダンブルドアが校長でいる限り、教職員は他の大多数の人より安全だと思います
ダンブルドアは、ヴォルデモートが恐れたただ一人の魔法使いのはずです そうでしょう?」
ハリーはかまわず続けた。
スラグホーンは一呼吸、二呼吸、空を見つめた。
ハリーの言った事を噛み締めているようだった。
「まあ、そうだ たしかに、『名前を言ってはいけないあの人』はダンブルドアとは決して戦おうとはしなかった」
スラグホーンは渋々呟いた。
「それに、わたしが死喰い人に加わらなかった以上、『名前を呼んではいけないあの人』がわたしを友とみなすとは到底思えない、
とも言える・・・・その場合は、わたしはアルバスともう少し近しい方が安全かもしれん・・・・アメリア・ボーンズの死が、
わたしを動揺させなかったとは言えない・・・・あれだけ魔法省に人脈があって保護されていたのに、その彼女が・・・・」
ダンブルドアとが部屋に戻って来た。
スラグホーンはまるでダンブルドアが家にいることを忘れていたかのように飛び上がった。
「ああ、いたのか、アルバス ずいぶん長かったな 腹でもこわしたか?」
「いや、マグルの雑誌を読んでいただけじゃ」
ダンブルドアが言った。
「編み物のパターンが大好きでな さて、ハリー、ホラスのご好意にだいぶ長々と甘えさせてもらった 暇する時間じゃ」
ハリーは全く躊躇せずに従い、すぐに立ち上がった。
スラグホーンは狼狽した様子だった。
「行くのか?」
「いかにも 勝算がないものは、見ればそうとわかるものじゃ」
「勝算がない・・・・?」
スラグホーンは、気持が揺れているようだった。
ダンブルドアが旅行用のマントの紐を結び、ハリーが上着のジッパーを閉めるのを見つめながら、
ずんぐりした親指同士をクルクル回してソワソワしていた。
「さて、ホラス、きみが教職を望まんのは残念じゃ」
ダンブルドアは傷ついていない方の手を挙げて別れの挨拶をした。
「ホグワーツは、きみが再び戻れば喜んだであろうがのう 我々の安全対策は大いに増強されてはおるが、
きみの訪問ならいつでも歓迎しましょうぞ きみがそう望むならじゃが」
「ああ・・・・まあ・・・・ご親切に・・・・どうも・・・・」
「では、さらばじゃ」
「さようなら」
ハリーが言った。
は、さよならも言わなかった。
3人が玄関口まで行った時に、後ろから叫ぶ声がした。
「わかった、わかった 引き受ける!」
ダンブルドアが振り返ると、スラグホーンは居間の出口に息を切らせて立っていた。
「引退生活から出てくるのかね?」
「そうだ、そうだ」
スラグホーンは急き込んで言った。
「バカなことに違いない しかしそうだ」
「すばらしいことじゃ」
ダンブルドアがニッコリした。
「では、ホラス、9月1日にお会いしましょうぞ」
「ああ、そういうことになる」
スラグホーンが唸った。
3人が庭の小道に出た時、スラグホーンの声が追いかけて来た。
「ダンブルドア、給料は上げてくれるだろうな!」
ダンブルドアはクスクス笑った。
門の扉が3人の背後でバタンと閉まり、暗闇と渦巻く霧の中、3人は元来た坂道を下った。
「よくやった、ハリー」
ダンブルドアが言った。
「僕、何もしてません」
「いいや、したとも ホグワーツに戻ればどんなに得るところが大きいかを、
きみはまさに自分の身をもってホラスに示したのじゃ ホラスのことは気に入ったかね?」
「あ・・・・」
ハリーはスラグホーンが好きかどうかわからなかった。
あの人はあの人なりに良い人なのだろうと思ったが、同時に虚栄心が強いように見えた。
それに、言葉とは裏腹に、マグル生まれの者が優秀な魔女であることに、異常なほど驚いていた。
「ホラスは」
ダンブルドアが話を切り出し、ハリーは、何か答えなければならないという重圧から解放された。
「快適さが好きなのじゃ それに、有名で、成功した力のある者と一緒にいることも好きでのう
そういう者たちに自分が影響を与えていると感じることが楽しいのじゃ 決して自分が王座に着きたいとは望まず、
むしろ後方の席が好みじゃ─────それ、ゆったりと体を伸ばせる場所がのう ホグワーツでもお気に入りを自ら選んだ
時には野心や頭脳により、時には魅力や才能によって、さまざまな分野でやがては抜きん出るであろう者を選び出すという、
不思議な才能を持っておった ホラスはお気に入りを集めて、自分を取り巻くクラブのようなものを作った
そのメンバー間で人を紹介したり、有用な人脈を固めたりして、その見返りに常に何かを得ていた
好物の砂糖漬けパイナップルの箱詰めだとか、小鬼連絡室の次の室長補佐を推薦する機会だとか」
突然、ハリーの頭の中に、膨れ上がった大蜘蛛が周囲に糸を紡ぎ出し、
あちらこちらに糸を引っ掛け、大きくて美味しそうなハエを手元に手繰り寄せる姿が、生々しく浮かんだ。
「こういうことをきみたちに聞かせるのは」
ダンブルドアが言葉を続けた。
「ホラスに対して─────これからスラグホーン先生とお呼びしなければならんのう─────悪感情を持たせるためではなく、
きみたちに用心させるためじゃ 間違いなくあの男は、きみを蒐集しようとする きみは蒐集物の中の宝石になるじゃろう
『生き残った男の子』・・・・または、この頃では『選ばれし者』と呼ばれておるのじゃからのう」
その言葉で、周りの霧とは何の関係もない冷気がハリーを襲った。
数週間前に聞いた言葉を思い出したのだ。
恐ろしい、ハリーにとって特別な意味のある言葉を。
「一方が生きる限り、他方は生きられぬ・・・・」
ダンブルドアは、さっき通った教会のところまで来ると歩を止めた。
「このあたりでいいじゃろう、ハリー わしの腕につかまるがよい」
今度は覚悟が出来ていたので、ハリーは「姿現わし」する態勢になっていたが、それでも快適ではなかった。
締め付ける力が消えて、再び息が出来るようになった時、ハリーは田舎道でダンブルドアの脇に立っていた。
目の前に、世界で2番目に好きな建物のクネクネした影が見えた─────「隠れ穴」だ。
たったいま体中に走った恐怖にもかかわらず、その建物を見ると自然に気持が昂ぶった。
あそこにロンがいる・・・・ハリーが知っている誰よりも料理上手なウィーズリーおばさんも・・・・。
「ハリー、ちょっとよいかな」
門を通り過ぎながらダンブルドアが言った。
「別れる前に、少し君と話がしたい 2人きりで 、少しいいかね?」
は頷くと、先に「隠れ穴」の玄関へと向って歩いた。
ダンブルドアはウィーズリー家の箒がしまってある、崩れかかった石の小屋を指差した。
何だろうと思いながら、ハリーはダンブルドアに続いて、
キーキー鳴る戸をくぐり、普通の戸棚より少し小さい位の小屋の中に入った。
ダンブルドアは杖先に明かりを灯し、松明のように光らせて、ハリーに微笑みかけた。
「このことを口にするのを許してほしいのじゃが、ハリー、魔法省で色々あったにもかかわらず、よう堪えておると、
わしはうれしくもあり、きみを少し誇らしく思うておる シリウスもきみを誇りに思ったじゃろう そう言わせてほしい」
ハリーはグッと唾を飲んだ。
声が何処かへ行ってしまったようだった。
シリウスの話をするのは堪えられないと思った。
バーノン叔父さんが「名付け親が死んだと?」と言うのを聞いただけでハリーは胸が痛んだし、
シリウスの名前がスラグホーンの口から気軽に出てくるのを聞くのはなお辛かった。
「残酷なことじゃ」
ダンブルドアが静かに言った。
「きみとシリウスが共に過ごした時間はあまりにも短かった 長く幸せな関係になるはずだったものを、無惨な終わり方をした」
ダンブルドアの帽子を登りはじめたばかりの蜘蛛から目を離すまいとしながら、ハリーは頷いた。
ハリーにはわかった。
ダンブルドアは理解してくれているのだ。
そして多分見抜いているのかもしれない。
が遊びに来てくれるまでは、ダーズリーの家で、
ハリーが食事も摂らずほとんどベッドで横たわりきりで、霧深い窓を見つめていたことを。
そして吸魂鬼が傍にいる時のように、冷たく虚しい気持に沈んでいたことをも。
「信じられないんです」
ハリーはやっと低い声で言った。
「あの人がもう僕に手紙をくれないなんて」
突然目頭が熱くなり、ハリーは瞬きした。
あまりにも些細なことなのかもしれないが、ホグワーツの外に、まるで両親のように
ハリーの身の上を心配してくれる人がいるということこそ、名付け親がいるとわかった大きな喜びだった・・・・。
もう二度と、郵便配達ふくろうがその喜びを運んでくることはない・・・・。
「シリウスは、それまできみが知らなかった多くのものを体現しておった」
ダンブルドアは優しく言った。
「それを失うことは、当然、大きな痛手じゃ・・・・」
「でも、ダーズリーのところにいる間に」
ハリーが口を挟んだ。
声がだんだん力強くなっていた。
「僕、わかったんです 閉じこもっていてはダメだって─────神経が参っちゃいけないって
シリウスはそんな事を望まなかったはずです それに、どっちみち人生は短いんだ・・・・
マダム・ボーンズも、エメリーン・バンスも・・・・次は僕かもしれない そうでしょう? でも、もしそうなら」
ハリーは、今度こそ真っ直ぐに、杖灯りに輝くダンブルドアの青い目を見つめながら、激しい口調で言った。
「僕は必ず、できるだけ多くの死喰い人を道連れにします それに、僕の力が及ぶならヴォルデモートも」
「父君、母君の息子らしい言葉じゃ そして、真にシリウスの名付け子じゃ!」
ダンブルドアは満足げにハリーの背中を叩いた。
「きみに脱帽じゃ─────蜘蛛を浴びせかけることにならなければ、本当に帽子を脱ぐところじゃが
さて、ハリーよ、密接に関連する問題なのじゃが・・・・きみはこの2週間、『日刊予言者新聞』を取っておったと思うが?」
「はい」
ハリーの心臓の鼓動が少し早くなった。
「されば、『予言の間』でのきみの冒険については、情報漏れどころか情報洪水だったことがわかるじゃろう?」
「はい」
ハリーは同じ返事を繰り返した。
「ですから、いまではみんなが知っています 僕がその─────」
「いや、世間は知らぬことじゃ」
ダンブルドアが遮った。
「きみとヴォルデモートに関してなされた予言の全容を知っているのは、世界中でたった2人だけじゃ
そしてその2人とも、この臭い、蜘蛛だらけの箒小屋に立っておるのじゃ
しかし、多くの者が、ヴォルデモートが死喰い人に予言を盗ませようとしたこと、
そしてその予言がきみに関することだという推量をしたし、それが正しい推量であることは確かじゃ
そこで、わしの考えに間違いは無いと思うが、きみは予言の内容を誰にも話しておらんじゃろうな?」
「はい」
「それはおおむね賢明な判断じゃ ただし、きみの友人に関しては、緩めるべきじゃろう
そう、ミスター・ロナルド・ウィーズリーとミス・ハーマイオニー・グレンジャーのことじゃ」
ハリーが驚いた顔をすると、ダンブルドアは言葉を続けた。
「この2人は知っておくべきじゃと思う これほど大切なことを2人に打ち明けぬというのは、2人にとってかえって仇になる」
「僕が打ち明けないのは─────」
「─────2人を心配させたり怖がらせたりしたくないと?」
ダンブルドアは半月メガネの上からハリーをじっと見ながら言った。
「もしくは、きみ自身が心配したり怖がったりしていると打ち明けたくないということかな?
ハリー、きみにはあの2人の友人が必要じゃ きみがいみじくも言ったように、
シリウスはきみが閉じこもることを望まなかったはずじゃ─────そして、何より大切なのは─────」
ダンブルドアは、小屋の窓から「隠れ穴」の玄関を覗いた。
が壁に背を持たれかけさせて、腕を組みながら立っていた。
頭や肩に沢山の鳥がとまって、ピーチクパーチク囀っている。
「にこのことを知らせるかどうかは、きみ次第じゃ
しかし、これだけは伝えておこう は、きみの事を本当に親友だと思っておる」
「僕もそう思っています」
ハリーは、が鳥たちを鬱陶しそうに手で払うのを見ながら言った。
「は必ずや、きみの力になってくれるじゃろう その力を大切のするのじゃ」
「はい」
「話は変わるが、関連のあることじゃ 今学年、きみとに、わしの個人教授を受けてほしい」
「個人─────先生と?」
黙って考え込んでいたハリーは、驚いて聞いた。
「そうじゃ きみとの教育に、わしがより大きく関わる時が来たと思う」
「先生、何を教えてくださるのですか?」
「ああ、あっちをちょこちょこ、こっちをちょこちょこじゃ」
ダンブルドアは気楽そうに言った。
ハリーは期待して待ったが、ダンブルドアは詳しく説明しなかったので、ずっと気になっていた別のことを尋ねた。
「先生の授業を受けるのでしたら、スネイプとの『閉心術』の授業は受けなくて良いですね?」
「スネイプ先生じゃよ、ハリー─────そうじゃ、受けない事になる」
「よかった」
ハリーはホッとした。
「だって、あれは─────」
ハリーは本当の気持ちを言わないようにしようと、言葉を切った。
「ピッタリ当てはまる言葉は『大しくじり』じゃろう」
ダンブルドアが頷いた。
ハリーは笑い出した。
「それじゃ、これからはスネイプ先生とあまりお会いしないことになりますね」
ハリーが言った。
「だって、O.W.L.テストで『優』を取らないと、あの先生は『魔法薬』を続けさせてくれないですし、
僕はそんな成績は取れていないことが分かっています」
「取らぬふくろうの羽根算用はせぬことじゃ」
ダンブルドアは重々しく言った。
「そう言えば、成績は今日中に、もう少しあとで配達されるはずじゃ
さて、ハリー、別れる前にあと2件ある まず最初に、これからはずっと、
常に『透明マント』を携帯してほしい ホグワーツの中でもじゃ 万一のためじゃよ よいかな?」
ハリーは頷いた。
「そして最後に、きみたちがここに滞在する間、『隠れ穴』には魔法省による最大級の安全対策が施されている
これらの措置のせいで、アーサーとモリーには既にある程度のご不便をおかけしておる─────たとえばじゃが、
郵便は、届けられる前に全部、魔法省に検査されておる 2人は全く気にしておらぬ きみの安全を一番心配しておるからじゃ
しかし、きみ自身が危険に身を晒すような真似をすれば、2人の恩を仇で返すことになるじゃろう」
「わかりました」
ハリーはすぐさま答えた。
「それならよろしい」
そう言うと、ダンブルドアは箒小屋の戸を押し開けて庭に進み出た。
「台所に明かりが見えるようじゃ きみの痩せ細りようをモリーが嘆く機会を、これ以上先延ばしにしてはなるまいのう」