次第に深くなる山里の緑の中をひた走り、南へと下る。芦ノ牧温泉を過ぎる頃には、今度は渓流に削られた崖谷の際を走り抜ける。高所恐怖症気味の私にとってキビシイ道だ。依然として道路は空いており、ついつい速度が出る。時折スーッと抜けていくような慣性力に背筋が寒くなってくる。
湯野上温泉の少し手前、「道通」の交差点までくると、目的地の那須とは逆方向であるが、一転西へと針路をとる。大内宿に行くのである。
近年、交通の隔絶等により外界の変化から取り残されてきた集落が、観光資源として評価されている。
大内宿もその典型であり、昭和50年代から伝統的建造物群保存地区に指定されている。集落入口の駐車場(料金200円)から先、全ての車を進入禁止としており、昔ながらの集落風景を守っているのだ。
集落の奥へと歩いていくと、500mほどの目抜き道の左右に約40軒の茅葺家屋が並び立っている。そのほとんどが土産屋であり、食事処であり、民宿である。う〜ん、ここの住民はどのように日常生活を送っているのだろうか。
そして当然ながら、カルチャー系ジジババ軍団を中心とした観光客がワッと群れている。これが昔ながらの集落風景?・・・などと憎まれ口を叩きたくなる光景ではある。しかし、実はもっとチャラい雰囲気を想像していたので、それはそれでホッとした。
ちょうど昼時なので食事をとることにする。
大内宿で有名なのは「三澤屋」という蕎麦屋で、丸一本の葱で蕎麦をすくって食べる「高遠そば」が人気なのだが、ガイドブックを見てきたオバハン軍団が群がっていて、とても近寄れなかった。
そこで、集落の奥の方に位置する「玉屋」なる蕎麦屋で昼食をとる。数百年20代の歴史を誇る伝統家で、重厚な雰囲気の板間に上がって蕎麦を食べる。
高遠そば900円は、三澤屋と違って大根おろし汁をツユに加えたタイプで、一般的にはおろし蕎麦といったもの。いったい「高遠そば」の定義とは何ぞや!とも思うが、味自体は上々なので気にしないことにする。ざる盛りになった手打蕎麦は引き締まった田舎風で、味もコシもなかなか。大根の辛みが加わったクッキリとした味のツユと良くマッチしている。
満足して玉屋を出る。再び三澤屋の前を通るが、相変わらずの行列だ。玉屋だって十分美味しかったと思うのだが、それほど違うものだろうか。ガイドブックに載っているかどうかの問題のような気もする。
三澤屋は手広く商売をしており、同じ敷地内で酒屋とパン屋を営んでいる。酒屋の方で、「大内宿ビール」なる地ビールを購入。店員のだれも6本用箱の値段が分からずに右往左往している。まるで商売っ気がない。なお、会津若松市内で製造している「大内宿ビール」は、コクが強く甘めの味。個人的には好みではなかった。
パン屋の方は、ちょっとお洒落っぽい店構え。東京の青山あたりでも違和感が無さそうな雰囲気だ。販売だけかと思ったら、2階に上がってイートイン可能ということなので、コーヒーを飲みがてら寄ることにする。・・・というのも、気になるメニューがあったからだ。岩魚サンド500円である。
これが美味い。カラリと揚がった岩魚のフライが、粉の香りも高いパンに挟んである。タルタル風ソースがかかり、野菜も一緒に挟んである。少し、フィレオ・フィッシュみたいな感じだ。しかし、はるかに野趣に富み、端正なコクがある。素晴らしい逸品であった。
大内宿に別れを告げ、再び湯野上温泉方面まで戻って、奇岩景勝「塔のへつり」に立ち寄る。私は以前に来たことがあって、少しも面白くなかったのだが、今回は初心者(?)の妻のために仕方なくお付き合いである。
林の中の公共無料駐車場に車をとめて、大川の渓流に向かって進むと、いくばくかの土産物屋があり、それを抜けると吊り橋のかかった断崖絶壁に出る。その周辺一帯が「塔のへつり」である。「へつり」とは何ぞやと誰もが思うであろうが、こういう断崖にそった山道のことをいうらしい。
まあ、奇岩といえば奇岩だし、渓流の薄緑色が独特といえば独特。しかしまあ、何とも中途半端なのである。
また、断崖が怖いというよりも、その断崖から溢れそうになっている、足元不安定な老人軍団の方がはるかに怖い。当の本人達は全く怖いもの知らずなのだが、周囲の人間は上方から老人が転落してくる可能性に怯えなければならない。いやはや。
早々に塔のへつりを退散し、次の目的地である那須へと向かう。
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