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[11810] ミルク多めのブラックコーヒー(似非中世ファンタジー・ハーレム系)
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/11/21 06:17
チラシの裏から移転してきました。
世界観は、中世ファンタジー(っぽい)雰囲気。
いわゆる剣と魔法と冒険者のお話です。

迷宮探索がストーリーの中心の割に、みんな広いところが好きなのか、あまり潜りません。
むしろこの作品は、ヒロインらといちゃいちゃするのがメインの話です。
陵辱、NTRっぽいのはまずないのでご安心下さいというかそういうのは、他の書き手さんにお任せします。
死人もあまり出ない、ぬるくてゆるい仕様となってます。

基本、平日深夜更新、一話の文章量は大体5kb前後となっております。
各エピソードは後日、ある程度まとめますので、一話の文章量が物足りないと思われる方は、一週間毎に確認などの方向でよろしくお願いします。


それでは、よろしくお願いします。
//――――――――――――――――――――――――――――――


 幌付き馬車の荷台に揺られながら、どうにもやりづらいなとシルバ・ロックールは思っていた。
 原因は、荷台の反対側に座る先月から入ったパーティーメンバーの少女にあった。
「それでぇ、昨日は楽しみでほとんど眠れなかったの。それでノワ寝坊しちゃって……二人とも、ごめんね?」
 すまなそうに目を伏せ、悪戯っぽく舌を出す少女、ノワに、金髪の軽薄盗賊と眼鏡の学者風魔術師が慌てて首を振る。
「いーっていーって、気にしないで。ちゃんと時間には間に合ったんだからさ」
「そうですよ。問題ありませんでした。結果オーライです」
「…………」
 何だかなーと思う。
 二人はああいうけど、間にあったのはたまたま、護衛すべき{商隊/キャラバン}の雇い主が、ノワと同じく寝坊しただけに過ぎない。
 それに、口ではああいうモノの、彼女があまり反省していない風なのが明らかなのも妙に引っ掛かる。
 が、それをわざわざ口に出すのも大人げないな、とも思うシルバだった。
 しかしその自分の呆れた様子が表情に出たのだろう、盗賊テーストと魔術師バサンズに愛想を振りまいていたノワと、バッチリ目が合ってしまった。
 一瞬だけ、ノワは鋭い目を、シルバに向けた。
 しかしすぐに表情を和らげ、テーストとバサンズにニコニコと微笑みかける。
「……昨日、寝不足で、ノワちょっと眠いかも」
 ノワのアクビに、テーストは素早く荷袋を取り出した。
「だったら、オレのこれ貸してやるよ。ほら、枕代わりに使って」
「じゃ、じゃあ、僕はこの寝袋を」
 同じくバサンズが、荷台に寝袋を敷き始める。
「二人とも、ありがとー」
 嬉しそうなノワに、男二人は蕩けそうな表情になった。
 うん、傍から見ていると、大変気持ちが悪い。
「さすがにそれはないんじゃないか、バサンズ」
 荷台の中でただ一人冷めていたシルバは、寝袋の準備を終えた魔術師をたしなめた。
「何がですか?」
「仕事中だろ。仮眠するぐらいならともかく、本格的に寝るのはどうかと思う」
 シルバの言葉に、テーストは小さく舌打ちした。
「ったく、小言多いな-、シルバ」
 同じく、バサンズも不満そうだ。
「そうですよ。それに問題があればすぐに僕が起こします。外はリーダー達が見張っているんですから、敵の襲来があればすぐに分かるでしょう。第一、眠いままじゃ仕事になりませんよ」
「……寝ちゃ、駄目なの?」
 そしてノワは、ぺたんと尻餅をついたまま、拗ねた上目遣いの表情でシルバを見た。
「……普通、駄目だろ」
 心底苦手だ、この子とシルバは思う。
 大体風紀の取り締まりみたいな真似は、自分のキャラクターではない。もっと緩いのが、本来の自分の性格なのだ。
 しょうがないので、シルバは小さく印を切り、呪文を唱えた。
 即座に青い聖光が、ノワを包んだ。
「あ……」
「何、どうしたノワちゃん」
「彼が何かしたんですか?」
 詰め寄る盗賊と魔術師に、ノワは目を瞬かせた。
「眠気……取れちゃった」
「{覚醒/ウェイカ}の呪文。悪いけど、寝るのは休憩か仕事が終わってからにしてくれ。あとそこの男二人。そんな不満そうな顔するなよ」
「……空気読めよなー」
「……そうですよ、まったく」
 ブツブツと、テーストとバサンズはぼやいた。
「ありがとー、シルバ君」
 へにゃっと笑うノワの様子に、テーストとバサンズがシルバに向ける視線が一層きつくなった。
「……どういたしまして」
 頬が引きつるのを自覚しながら、シルバは何とか返事をした。
 お前目が笑ってねーよ、コエーよ。

 その時、馬車が停止した。
 一番素早かったのは、さすがというべきか盗賊であるテースト。
「敵か」
「だろうな」
 次にシルバだった。
 馬車から飛び出ると、森の緑の臭いが鼻を突いた。
 木々の間から漏れる日差しが強い。
 リーダーである聖騎士イスハータと無骨な雰囲気の戦士ロッシェは騎乗したまま既に武器を抜いていた。
「テースト!」
 イスハータの声に、テーストはすぐさま気配の探知を開始した。
「敵の種類は人間、おそらく山賊団だ! 包囲網はまだ完成してねー! 敵の包囲網が完成するより早く、叩いた方がいいぜリーダー!」
「だな! 蹴散らすぞ、テースト! ロッシェは皆と一緒に、商隊のみんなを守れ!」
「らじゃ!」
「了解!」
 白金の聖騎士と革鎧の盗賊が駆け去っていく。
 長剣を抜いたロッシェは手綱を操りながら、次第に包囲を狭めてくる山賊達を目で射竦めていた。

「あわわわわ……」
 雇い主である商隊の主は、先頭の馬車の御者席ですっかり腰を抜かしていた。
 頬のすぐ脇を、一本の矢が突き刺さっている。
「{沈静/アンティ}」
 シルバが印を切り、呪文を唱えると、主の震えがようやく鎮まった。
「……は」
 主は目を瞬かせる。
「冷静になる呪文を唱えました。今、動くとヤバイですよ。大丈夫ですか?」
 商売用の口調で問うと、主はコクコクと頷いた。
「な、何とか。わ、我々はどうすれば……」
 主と話している間にも、既にシルバは作戦を立て終えていた。
「心配要りません。ウチのリーダーが正面を崩します。私が合図をしたら、馬車を走らせて下さい。護衛はリーダーが務めます」
「わ、分かりました」

 シルバは武器を持たない。
 その技能を磨くぐらいなら、少しでも司祭としての力を付けた方がいいと判断した為だ。
 だが、その分後方支援の能力は、他の聖職者よりもそれなりにあるつもりだ。
 そのシルバが最初に取った技能は、精神共有。
 ある程度離れた相手とでも、会話無しで情報の伝達が可能になる。
 リーダーであるイスとは、笛や発光弾などの必要なく連携が可能になるのだ。
 シルバは精神念波で、作戦をパーティー全員に伝達する。

「テースト、弓手が邪魔だ。排除してくれ」
「あいさ!」
 イスハータは正面の山賊達に疾駆しながら、テーストに指示を送っていた。

 ――テーストの索敵能力は一級品。どうやら、飛び道具の心配はないようだ。
 そう、シルバは結論づけた。
 無理に殲滅する必要はない。
 リーダーが敵を倒すまで、馬車を守りきればいい。それも、そう時間は掛からないだろう。
「今回はスピード勝負か。次のターン、持ちこたえれば決着だな」
 そう判断して、シルバは幌の上に飛び乗った。
 馬車の周囲では、パーティーのメンバー以外にも、商隊の若い連中が盾を持って山賊達から馬車を守っている。
 少し離れた所で、ノワが斧で敵の剣を弾き飛ばしていた。
「たやっ!!」
 返す刀で相手を吹っ飛ばす。
「実力はあるんだよなぁ……」
 本職は商人のはずだが、戦士としても充分な力量だと思う。
 そのノワの後ろに従うように駆けていたバサンズが、何やら呪文を唱えようとして。
「っ……!」
 突然、喉を押さえた。
「どうした、バサンズ!」
「……っ! ……っ……っ!」
 苦しそうに、無言でバサンズがシルバを訴える。
 精神共有のお陰で、バサンズの状態は声に出せなくても分かった。どうやら、呪文で声を封じられたようだ。
 つまり。
「敵の魔術師――! ロッシェ!」
 最も見晴らしのいい場所に立つシルバには、魔術師の居場所はすぐに分かった。
 シルバの認識と同時に、戦士であるロッシェは馬を走らせていた。
「承知!」
「薬は……治療は、俺の方が早いけど、ここは……」
 ノワは商人であると同時に薬剤師でもある。
(バサンズの治療を頼む、ノワ)
 通信念波を飛ばしながら、シルバは次の手を打った。
「{加速/スパーダ}!!」
 印を切る。
 直後、ロッシェや遠くのイスハータの動きが一気に速まった。
「おおおおおっ!!」
 魔法を発動しようとしていた敵の魔術師が、ロッシェの剣で斬り伏せられる。
 後は、ノワがバサンズの治療を終わらせれば、敵を一掃できる。
「……って、いないっ!?」
「とおっ!!」
 喉を押さえて苦しむバサンズを無視して、ノワは逃げ惑う山賊達を切り倒すのに夢中になっていた。
「バサンズの治療してやれよ……ったく! {発声/ヤッフル}!」
 幌の上から、シルバは呪文を飛ばした。
「あ……」
 バサンズの唇から、声が漏れる。
「いけるか、バサンズ!?」
「はい、ありがとうございます! ――{疾風/フザン}!!」
 魔術師バサンズが、杖を青空に掲げる。
 その途端、巨大な渦が発生する。
 強烈な魔力の突風に、山賊達が空高くへ吹き飛ばされていく。
 どうやら、これで終わりらしい。
 シルバが念のため温存しておくつもりだった魔力も、今の{発声/ヤッフル}で底を突いてしまった。後はもう、足手まといにならないように防御に専念するしかない。

 一方、リーダーであるイスハータも、山賊の集団を蹴散らし終えていた。
「終わったぞ、シルバ!」
 刃の血を振り払いながら、イスハータは叫んだ。

 もちろん、声に出さなくてもシルバには伝わっている。
「今です! 馬車を進めて下さい!」
 シルバの指示に、商隊の主が急いで、部下達の声を掛けた。
「わ、分かった! おい、行くぞ、みんな!」
「撤収! バサンズとノワも乗り遅れるなよ」
 ガクン、と馬車が動き始める。
 しかし、バサンズとノワが追ってこない。
「おい!?」
 見ると、ノワが倒した山賊達の財布の回収をしており、バサンズもそれを手伝っているようだった。
「……アイツら」
 あの二人は放っておいても大丈夫だろうが、馬車の方が心配だ。
 結局、シルバが馬車の殿を最後まで見張り続ける事になった。


 目的地である首都に着き、その夜の酒場にパーティーの面々は集まった。
 酒場の薄暗い隅で料理を突きながら、リーダーのイスハータが大きな金袋をテーブルに置いた。
「という訳で、みんなお疲れ。コレが今回の報酬だ。それじゃ分配を……」
 戦闘時とは違う、柔らかな口調で袋の紐を解こうとする。
「ちょーっと待って」
「ノワ、何か?」
 少女の言葉に、イスハータは動きを中断した。
 彼女は赤ワインを飲みながら、言う。
「前から思ってたけどぉ、何かこれって公平じゃないと思うの」
「と言うと?」
「いっぱい頑張った人と、働いてない人が同じ報酬をもらうのは間違ってると思う」
「……みんな、頑張ったと思うけど?」
 イスハータは、頬から一筋汗を流した。
 ノワが何を言っているのか分からないようだ。
「そうかなぁ。一人も敵を倒していない人がいるんだけど」
 彼女は白魚のソテーを切り分けつつ、可愛らしく小首を傾げた。
 その言葉に、全員の視線が一点に集中した。
「いや、ちょっと待てよ。俺の事?」
 米酒をチビチビと飲みながら、シルバは渋い顔をした。
 しかし、ノワは朗らかな笑みを崩さない。
「うん。ノワ、三人倒したよ? バサンズ君、何人?」
「え。あの……ご、五人ですけど」
 突然話を振られた魔術師が、眼鏡を直しながら答えた。
「うわ、すごいね! さすが魔術師!」
 わざとらしく拍手をするノワに、骨付き肉を咥えたまま、テーストが身を乗り出した。
「お、オレだって四人倒したって!」
「リーダーとロッシェさんは戦士さんだから、もっと多いよね」
 ダラダラと流れる汗をひたすら拭うイスハータと、無言でスープにパンを浸すロッシェ。
 ロッシェが何も言わないので、イスハータがシルバを庇うしかない。
「ま、まあ、そりゃ……しかしだね、ノワ。戦いっていうのは、敵を倒すのがすべてという訳じゃないんだ。シルバは、やるべき事はやっている」
「でも今回、シルバさん、全然馬車から動かなかったよね。バサンズ君みたいに、呪文で敵をやっつけてもいないし」
 ふむ、とシルバは杯をテーブルに置いた。幾分乱暴な音が鳴ったのは、酔いのせいだけではないはずだ。
「……なるほど。見る人が見ると、そう見える訳か」
 シルバは軽く息を吐くと、意地悪そうな視線をイスハータに向けた。
「んで、どうするんだ、イス。リーダーとしての意見を聞きたい」
 その言葉に、グッとイスハータは詰まった。
「お、お前はどうなんだ、シルバ?」
「わざわざ口にしなきゃ分からんほどアホなのか、お前は?」
 心底呆れたシルバだった。
 確かに今回の作戦、シルバは一人も敵を倒していない。
 精神共有を常時使っているとはいえ、傍目から見れば幌の上から『加速』と『発声』の二つの呪文を放って指揮しているだけにしか見えないかもしれない。
 だが、それが自分の仕事だという誇りがシルバにはあった。
 しかし。
「……ちょっと待ってくれ」
「…………」
 どうやら、そう思っていたのは、シルバだけのようだった。
 いや、違う。
 ちょっと前までなら、悩む事自体ナンセンスな話だったはずだ。
「ぶー」
 元凶であるノワは、頬を膨らませて不満そうにイスハータを見ていた。
 シルバがイスハータを促そうとした時だった。
「な、なあタンマだ。リーダー、シルバ、少し話がある」
 腰を上げたのは、テーストだ。
「うん?」
「あ?」

 テーブルを少し離れて、シルバはテーストの提案を聞いた。
「……何だって?」
 思わず、耳の穴の掃除をしたくなったシルバだった。
「それで我慢してくれよ、シルバ。それで丸く収まるんだって」
 パン、と手を合わせるテースト。

 テーストの話は単純だった。
 つまり、一旦ノワの言い分を聞いて、彼女の言う『分配』を行う。
 そして彼女がいなくなってから、テーストやイスハータの取り分から改めて、本来のシルバの取り分を渡すという事にしたいらしい。

「……アホか」
 シルバとしてはそう言うしかない。
 賭けてもいいが、この話は今回一回だけに留まらない。
 今後の仕事では、そのやり方が罷り通ってしまうだろう。
 少しでも考えれば分かる話だった。
 ところが。
「いや、しかし、彼女の言い分にも一理……」
 イスハータが真剣な表情で検討を開始したので、シルバは思わず彼をぶん殴りそうになった。
「一理もねーよこのスカタン! 前衛職と後方支援を同列で語ってる時点で、どー考えたっておかしいだろ!?」
 少し離れたテーブルを指差し、シルバは叫んだ。
「しっ、声がでかい! と、とにかくさ、今の話でひとまず我慢してくれよ。な?」
 何とかシルバをなだめようとするイスハータ。その行為そのモノが、さらにシルバを苛立たせる。
 ロッシェとバサンズも、いつの間にか相談の輪に加わっていた。ノワは一人、退屈そうに晩餐を味わっているようだ。
「シルバ……」
「ぼ、僕も賛成です。ナイスなアイデアじゃないですか」
 バサンズが弱々しく両拳を握りしめ、テーストがその勢いに乗る。
「だろ? お前もそう思うだろ?」
「僕達だって、回復の重要性は分かっている。ここは堪えてくれ、シルバ。報酬自体は実質、変わらないんだ」
 眉を八の字にしながら、イスハータはシルバの肩に手を置いた。
 続いて、ロッシェもボソリと呟いた。
「……俺もそう思う」
「……ロッシェ。お前もか」
「…………」
 シルバの問いに、ロッシェは気まずそうに目を逸らした。
「ねー! もういい? ノワ、早くお風呂入って眠りたーい!」
 足をバタバタさせながら、テーブルに一人残っていたノワが声を掛けてきた。
「じゃ、じゃあ、そういう事で……」
 シルバが返事もしない内に、イスハータの中では結論が出たらしい。いや、シルバ以外の全員か。
 シルバは、心の底から失望した。
「そういう事もへったくれもあるか、このド阿呆ども」
 吐き捨てるように言うと、シルバは仲間達が止める間もなく早足でテーブルに戻った。そして乱暴にテーブルを叩いた。
「俺は今日でこのパーティーを抜ける。それで満足か?」
「え?」
 目を瞬かせる、ノワ。
 しかし驚いた振りなのは、あからさまだった。
 シルバは、ノワから、背後のリーダー達に視線を移した。
「俺の分の報酬は手切れ金代わりにくれてやる。……お前らは仲良しパーティー続けてろ。じゃあな」
 そして、テーブルに背を向けて、自分の部屋へ戻る事にした。
「やってられるか」
 その背に、ノワの声が掛けられた。
「シルバ君」
「あ?」
「ばいばーい」
 ノワが無邪気に勝ち誇り、シルバにヒラヒラと手を振った。


 その夜の内に、シルバはパーティーの泊まる宿をチェックアウトした。
 そして友人が用心棒をする別の酒場で、やけ酒をあおっていた。
「心っ底ムカつくっつーの、あの{女/アマ}!」
 ダン、とカウンターに空のジョッキが叩き付けられる。
「災難であったなぁ」
 隣に座るシルバの友人、キキョウ・ナツメはうんうんと頷いた。
 黒髪に着物という、この国では珍しい凛々しい風貌の剣士だ。極東の島国、ジェントからここ、辺境の都市国家アーミゼストを訪れたのだという。

 この世界に魔王が復活して数十年。
 十何度目かの討伐軍の派遣と共に、古代の失われた技術で作られた武器や防具の発掘も進められてきた。
 ここアーミゼストは、多くの遺跡が眠る{遺物/アーティファクト}・ラッシュの真っ直中にある。
 キキョウも何やら目的があって、この地にいるようだが、詳しい事はシルバも知らないでいた。

「ふーっ!」
 というか怒りのせいで、今のシルバは赤ら顔のまま飲む事にしか集中出来ないでいる。
「どうどう。落ち着くがよい、シルバ殿。今日は{某/それがし}のおごりだ。金は気にせず、心ゆくまで飲め」
「……すまん」
「何の。短いとはいえ、それなりの付き合いではないか」
 パタパタとふさふさの尻尾を振るキキョウ。頭の狐耳もピコピコと揺れていた。
 キキョウは人間ではなく、一般に亜人と呼ばれる種族だ。アーミゼストや周辺国では、その中でも獣人という種族がキキョウに近いが、本人の談によると厳密には違うらしい。
 冒険者稼業においても、種族の違いから人間は人間、亜人は亜人とパーティーを組む事が多いが、シルバはあまり気にしていない。
 キキョウは獣人でもいい奴だし、ノワは人間でも気に入らない。
 まあ、そういう事だ。
「あーもー、腹立つ! マスター、もう一杯!」
「しかし、今後どうするのだ、シルバ殿? その、働き口のアテはあるのか? も、もしよければ……」
 ドン、とシルバの前に麦酒の注がれたジョッキが置かれた。
 それを煽りながら、シルバはヒラヒラと手を振った。
「あー、そりゃ多分問題ない。回復役は、この稼業にゃ必須だからな。その気になれば、何とでもなると思う」
「そ、そうか。それは何より」
 何だか残念そうな、キキョウだった。
「まー、我ながら短気だとは思うよ。けどよー……何か違うだろアレはー……」
 ジョッキの半分ほどになった中身をチビチビ飲みながら、シルバはぼやく。
「うむうむ。何というか、長くないなそのパーティーは」
「だろー? 次に入るパーティーはこー……アレだな。女いらねー。やだよもー、あんなの」
「はは、それはそれで極端ではあるなぁ。にしても、よほどの美女だったと見えるな、そのノワという少女は」
「んー、まあそだなー。外見は悪くないぞ、確かに。アイツらがコロッと落ちるのも分かる」
「しかし、シルバ殿は落ちなかったではないか」
「んんー……別にそれ、俺が人格者だったからとか、そんなじゃねーぞ」
「というと?」
「ウチの実家な、上に三人、下に四人」
「……何が?」
「姉と妹」
「……な、なるほど。ならば、女の本性を見抜けるのも道理かも知れんな」
「まーさー、同じパーティーに異性が混ざると、多かれ少なかれ、そういう問題ってのは発生するよな」
「む、む……まあ、それは確かに。某も心当たりがないでもない」
 キキョウの凛々しい外見は人目を引く。特に若い女性ともなれば、言い寄ってくる者は数多いのだ。
「だろー? お前、格好いいしー」
「むぅ……格好いいか」
 どことなく、不満そうなキキョウだったが、酔ったシルバはそれには気付かない。
「男女の仲を否定はしねーよ。それでいい関係になる事だってあるだろうし、悪い事だけじゃねー。けど、俺は嫌。少なくとも、当分は勘弁。そーゆーの抜きで仕事させてくれ」
「な、ならばだ」
 パン、と両手を打つキキョウ。
「うん?」
「シルバ殿自身がパーティーを作ればよいのではないか? 女人禁制のパーティーだ」
「お、そりゃ名案だな」
「そ、某も及ばずながら助力しよう。事情を知っている人間の方が、シルバ殿も何かと動きやすかろう」
 何故か、キキョウは強く握り拳を作りながら言う。
「んんー……でもよ、キキョウ。お前さん、誰とも組まないって有名だったんじゃなかったっけ。それに、今の用心棒業はどうすんのさ」
 シルバの問いに、キキョウは肩を竦め、唇を尖らせた。
「べ、別に誰とも組まない訳ではない。ただ単に、これまでその気がなかっただけだ。獣人というのは、奇異の目で見られるしな」
「そっかー? ウチの故郷じゃ珍しくなかったから、よく分からねーけど……」
「それに、用心棒業も、今週で契約が満了する。これも問題はない」
 腕組みをしながら、キキョウは真っ赤な顔で俯いた。
「な、何より某は剣客故、役割的に後方支援が必要なのは言うまでもない。某は、回復術など使えぬからな。シルバ殿と手を組めるならば、その、互いにとって益があると言うモノ」
「そっかー、助かるなぁ」
「では、よろしいか!?」
 キキョウは勢いよく身を乗り出した。
「いやいや、こっちこそよろしくなー」
「うむ! うむうむ!」
 スゴイ勢いで尻尾を揺らすキキョウだった。
 そこに。
「その話、ボクらも乗っていい?」
 キキョウの背後から、幼い声がした。
「む? ――ぬおっ!?」
 振り返ったキキョウは、思わず椅子からずり落ちそうになった。
 巨大な壁のような存在が、キキョウを見下ろしていた。
 いや、壁ではない。銀色の全身甲冑に身を包んだ、重装戦士だ。
「失礼。驚かせてしまいましたか」
 ただ、声は今の幼い声とは違っていた。どちらかといえば性別の分からないエコーがかった声だ。
「い、いや、こちらが勝手にビックリしただけだ。こちらこそ、すまぬ」
「デカいよねー」
 今度は、最初にキキョウ達に声を掛けてきた、あの幼い声だった。
 重装戦士を見上げていたので気付かなかったが、小柄な少年がその手前にいたのだ。
 背中に大きな骨剣を背負った、中性的な雰囲気の少年だ。
 栗色の髪の中から二本角が現れているのは、{鬼/オーガ}族と呼ばれる種族の特徴である。
「ボクも初めて見た時は、超驚いたけど。あ、ボクはヒイロ。見ての通りの鬼族」
 人懐っこい笑みを浮かべるヒイロに、キキョウはふむ、と頷き返した。
「そのようであるな。某はキキョウ・ナツメ。狐獣人の剣客だ。こちらで酔い潰れる寸前なのが、シルバ・ロックール殿だ」
 カウンターに突っ伏したシルバを、ヒイロは視線をやる。
「ほうほう。で、鬼でも入れるかな、その新しく作るパーティーって?」
「んー? お前、男か? 女は禁止だぞー」
 酔った目で、シルバはヒイロを見た。
「見ての通りだよ?」
 ブレストアーマーに短いズボン。
 男にも見えるし、活動的な女の子にも見えない事はない。
 がまあ、男だって言うのならいいか、とシルバは回らない頭で考えた。
「……んじゃ、おっけ。……そっちのおっきいのも?」
「は、はい。タイラン・ハーベスタと申します。私も、よければその、パーティーに加えさせて頂けると助かるのですが」
 大きな身体に似合わず、どこか遠慮がちに甲冑の戦士――タイランは言った。
「……男?」
「み、見ての通りです」
 ヒイロに倣って、微妙な言い回しをするタイランだった。
「……じゃあ、よし」
 シルバの許可に、小柄なヒイロと超大柄なタイランが両手でタッチを決める。
「やった! よかったね、タイラン」
「はい」
 喜ぶ二人とは対照的に、何とも言えない表情になっていたのはキキョウだった。
「む、むう……」
 唸るキキョウに、ヒイロが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの、キキョウさん。難しい顔して?」
「い、いや、何でもない。うむ、これでよいのだ」
 自分を納得させるように何度も頷き、キキョウは自分の酒を少し口に含んだ。
「……微妙に残念ではあるが、それではシルバ殿への裏切りになるしな、うむ。これでよかったのだ」
 そう呟くキキョウの言葉は、誰にも届く事はなかった。



[11810] 初心者訓練場の戦い1
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/10/16 08:45
 という訳で何か、続きを書く事にしました。
 えーと、何かちょっと大きくなったので、途中で区切ります。
 続きは近いうちにという事でー。
 まあ、初回との間ほど、空かないと思いますので、はい。
 それではよろしくお願いします。


 辺境都市アーミゼストは、いわば冒険者達の拠点であり、様々な施設が存在する。戦士達の為の道場、魔術師の為の学習院、様々な宗教施設にその仲介的な場所であるセルビィ多元領域等々。
 そして冒険者用の訓練場は、辺境だけあって数と広さだけはやたらある。
 その中の一つ、初心者用訓練場で、ささやかな事件が発生していた。

 青空に、高らかに戦士が舞った。
「おっしゃあっ! これで十九連勝!」
 大柄な戦士の高らかな勝名乗りと共に、敗者が草原にどう、と倒れ落ちる。
「くっ……」
 顔を青ざめさせ、唇の端から血を流しながら、パーティー『アンクルファーム』のリーダー、カルビン・オラガソンは呻き声を上げた。
 それをダブッとした魔術師の法衣に身を包んだ、小柄な少年――ネイサン・プリングルスは見下ろした。
 陽光に、眼鏡がキラリと反射する。
「まあ、レベルが違うからね。残念無念。リベンジしたければ、もうちょっと強くなってからおいで」
 言って、ネイサンは身を翻した。
 それに、大柄な戦士――ネイサンの弟であるポール・プリングルスを含めた五人の仲間が続く。
「ま、待て……」
 カルビンが呻き声を上げたが、全身に回った毒が起き上がる事すら許さない。
 振り返ったネイサンはカルビンを見下ろし、せせら笑った。
「待つ理由がないよ。君達はもう用済み。ま、せいぜい頑張って傷を癒すんだね」
 ヒラヒラと手を振り、丘を下る。
 この辺りはなだらかな勾配がある、草原地帯だ。
「おい兄貴。アレがラストだよな」
 ポールの指差した先を、ネイサンは追った。
 そこでは一組のパーティーが、訓練を積んでいた。
「ああ、本命だ」
「しかし……それほど強くも見えねーけどな」
「うん、確かに」

 青空に、高らかに司祭――シルバ・ロックールが舞った。
 そのままどう、と草原に倒れ落ちる。
「……すごいな、リーダー」
「……わ、私も驚きました」
 倒れたシルバを見下ろしたのは、昨日新しくパーティーを組んだばかりの面子二人だった。
 呆れた声を出したのは、鬼族の戦士・ヒイロ。
 心配そうにしているのが、巨大な甲冑の重装兵・タイランだ。
 彼らは口を揃えて言った。
「「まさか、こんなに弱いなんて」」
 その言葉に、シルバはたまらず起き上がった。
「だから俺は戦闘力皆無だっつっただろーが!!」
 とはいえ、ダメージはまだ抜け切れていない。
 その気になれば回復術で一気に復帰する事も出来るが、殴り飛ばされるのも五回目ともなると、いい加減精神的に起き上がるのも億劫になると言うモノだ。
 収まりの悪い髪を掻きながら、シルバは胡座を掻いた。
 その正面に、ヒイロはしゃがみ込む。
「いやまー確かにそうは言ってたけど、先輩司祭様ですよね。教会って護身術とか教えてませんでしたっけ? ほら、格闘とかメイスとか」
 無邪気な瞳と目が合い、シルバは気恥ずかしさに顔を逸らした。あと、短パンから覗く白い太股がやたら眩しいのも、理由の一つだったりする。
「……教えてるけど、俺は教わってねーの」
「……先輩、よくこれまで生き残って来られましたね?」
「心底哀れむような目で言うなよ! 落ち込むだろ!」
 そこに、着物姿の青年が口を挟んだ。
「ハッハッハ。冒険は何も一人でするモノとは限らないだろう」
「キキョウさん」
 ヒイロが振り返る。
「シルバは確かに弱い。だが、とても頼りになるのだ。それは某が保証しよう」
「はぁ。まあ、キキョウさんの言う事なら」
 ヒイロが立ち上がり、つられるようにシルバも腰を上げた。
「……ふむ、シルバ殿、ちょっとよいか」
「何だよ」
 手招きされ、シルバはキキョウに近付いた。
 ヒイロは待つのが苦手なのか、タイランと打ち合いを開始する。
 キキョウはそのヒイロ達に気付かれないように、シルバに囁いた。
「どうもヒイロの奴、某と貴殿とで態度が違うような気がするのだが……」
「いや、見りゃ分かるだろうが、そんなの」
「むぅ……」
 キキョウは納得がいかないようだ。

 名前すらまだ定まっていないパーティーが結成されたのは昨日の事。
 今日は、新参であるヒイロとタイランの実力を見る為、この初心者用訓練所を訪れたのだった。
 二人は、このアーミゼストに訪れてまだ三日、レベルすらなく冒険者ギルドに登録したてのランク10からのスタートである。
 アーミゼストの階級は、評価が上がる事にこのランクが上がっていく。
 そしてランク1になると、次はレベル1からのスタートとなる。中々にややこしい。
 最高レベルは10だが、これはアーミゼストでも現在、二人しかいない。大抵の冒険者はレベル1で一人前、熟練者でレベル3、道場などの師範や達人級が5以上、という基準と見ていい。レベルはギルドでの試験を経てアップするシステムだ。
 ちなみにシルバとキキョウはそれぞれ、諸事情によりレベル3とレベル1である。

「ま、今んトコ、いいトコ見せてないからな、俺。しょうがないだろ」
 実際、シルバがやった事と言えば、ヒイロとタイランに殴られては自前で回復しているだけだ。
 これでは評価が低くても無理はない。
「ではすぐに、そのいい所を発揮させようではないか」
 握り拳を作って力説する、キキョウだった。
「いや、お前が張り切ってどうするんだよ」
「某は、シルバ殿の評価はもっと高くてもいいと思うのだ。謙虚は美徳ではあるが、過ぎると不当な扱いを受けることになる」
 うんうん、とキキョウは一人頷く。
「まー、それはつい先日、思い知ったがな」
 お陰で、前のパーティーを抜ける羽目になった、シルバだ。
「う、むう……しかし、それがなければ、シルバ殿とパーティーもいつまでも組めず……むむぅ、難しい所だ……」
「つーかね、俺の力ってのは、単独だとあんまり意味ないんだよ。団体戦じゃないとな」
「それは、確かに」
 シルバの力は、後方支援特化型。
 誰かと組んで初めて発揮されるのだ。
 次は二対二に分かれて、模擬戦でもやるかなと考えるシルバだった。
 それから、打ち合っている二人(といっても、明らかにヒイロが優勢で、タイランは防戦一方)を眺めた。
「あの二人、キキョウはどう見る?」
 シルバの問いに、うむとキキョウは頷いた。
「よい戦士だと思う。ただ、どちらもバランスが偏ってはいるように見えるが」
「具体的には」
「ヒイロの攻撃力は、随一であろう。あの剛剣、まともに受ければ某でもタダではすまぬ」
 ヒイロの武器は、小柄な体躯に似合わぬ巨大な骨剣だ。切るよりもむしろ叩き付けるイメージの、鈍器に近い武器である。
「まあ、お前がまともに受ければな」
「然り」
 にやり、とキキョウは笑った。
 それから、不意に真顔になった。
「しかし、いささか攻撃に傾倒しすぎる。体力にモノを言わせての突進は大したモノだが、消耗が激しい。いわゆる狂戦士タイプだ」
「俺の見立てでは、魔術抵抗にも若干の不安を覚えるかな。まあ、鬼っていう種族的な特性もあるんだろうけど」
「ふむ」
 鬼族は近接戦闘には、圧倒的な力を誇る。
 その反面、やや単純な性格も災いして、魔術や精神攻撃には少々弱いという短所もあるのだ。
「それでも、パーティーの攻撃の要は……彼になる」
「であるな」
 うむ、と頷くキキョウ。
 だがシルバは、朗らかに笑いながら大剣を振るう仲間を『彼』と呼ぶ事に、少々違和感を憶えていた。
 いや、つーか……本当に男か? と、首を傾げざるを得ない。
 とはいえ、この都市では男装している人物相手に、性別を聞くのはマナー違反とされる。冒険者には荒くれ者が多く、自衛の為に男の格好をする女性は多いのがその理由だ。
 だから、仮にヒイロがグレーだとしても、シルバとしては聞く訳にはいかない。
 シルバが作ったこのパーティーは、前回女性絡みで脱退した反省から原則女人禁制としているが、実はシルバにとって一番重要なのは性別ではない。
 えらそうな言い方をすると、プロ意識があるならばそれでいい。突き詰めるとそれだけであり、それすら見失っていたからこそ前のパーティーを抜けたのだ。
 それはともかくとして、新しく入ったヒイロの攻撃はすさまじく、重装兵であるタイランが斧槍で受け止める度に派手に火花が散っていた。
 頬を引きつらせながら、シルバはそれを眺める。
「……つーか、あの攻撃を受けまくって、よく生きてたな俺」
「う、うむ。さすがに某も、気が気ではなかったぞ。どんな手品を使ったのだ」
「手品じゃねーよ。戦う前に待ってもらって『再生』と『鉄壁』を掛けといたんだ。いや、それでも一撃喰らう度に、体力ギリギリだったんだけどな。結局最後倒れたし」
 なお、『再生』はダメージを受ける度に即座に回復する術、『鉄壁』は防御力を高める呪文である。
 キキョウは眉を八の字に下げた。
「……あまり無茶をしないでくれ。まだ、パーティーの名前すら決まらないうちに、リーダーにくたばられては、困る」
「はは……それじゃもう一人、タイランの方はどうだ」
「防御力特化型だな。ヒイロとは好対照な戦士だ。あの重厚な鎧を貫ける者はそうはいないだろう」
「お前ならどうだ」
「やはりまともにやれば、難しいといった所だな。シルバ殿が手伝ってくれると、かなり楽になるが」
 キキョウがチラッと横目で、シルバを見た。
 キキョウの攻撃はスピード重視だ。
 多勢相手の攻めは得意中の得意だが、一撃の重さではヒイロが勝ると見ていい。
 ただし、それもキキョウとヒイロの一対一ならばだ。威力が足りないならば、足せばいいのである。
「おだてても、何も出ねーぞ」
「はっは、本音なのだがな」
 笑うキキョウ。
 シルバはそれを見てから、たどたどしくヒイロの猛攻を受け止めるタイランの動きを観察した。
「あんまり、慣れてなさそうだよなー」
「うむ。それは某も感じた。貴殿でも分かるか」
「これでも、それなりの腕を持ったパーティーに参加してたんでね」
 シルバは肩を竦め、キキョウも頷いた。
「故に、若干攻撃と防御の切り替えに不安がある。まず、致命的なのは、その動きの鈍さだろう。アレでは、敵に攻撃を当てるのが難く、逆は易い」
「だが、だからこそ、あの二人は組み合わせれば強いと思う」
「うむ」
 攻めのヒイロに、受けのタイラン。
 タイランの動きがもう少し速ければ、ツートップでいけるだろう。不安があるとすれば、ヒイロがどこまでも突撃しそうな感じがする点だろうか。
「ま、大体の連携はイメージ出来たかな」
 うん、と頷くシルバに、何故かキキョウが焦った。
「待て、シルバ殿」
 裾を引っ張り、シルバを睨む。
「な、何だよ」
「そ、某の評価が済んでおらぬ」
「いや、何を今更」
「今更も皿屋敷もない。ふ、二人だけ見て、某を論じぬのはズルイではないか」
「そ、そうか?」
「そうだ! シルバ殿の中での、某の位置づけがどの辺りにあるか、大いに気になる!」
 何故か、顔を赤らめながら力説するキキョウだった。
「んー、つーか参ったな」
 どうしたモノかなーと思いながら、結局シルバは思ったままの事を言う事にした。
「キキョウはスピード重視だろ。相手を引っ掻き回すのが多分メインの仕事になると思う」
「ふむ。それでそれで」
「もちろん、そのまま敵を倒してもいいけど、一番の役所は敵を引きつけること。そうすれば、ヒイロが威力のある一撃を放てる」
「某が転がし、ヒイロが叩く。回復はシルバ殿。ふむ、カマイタチだな」
「……何だ、それ」
 聞いた事もない単語だった。
「うむ。某の国に伝わる、風の精霊の一種だ」
「けどそれ、タイランが抜けてるんだけど」
 カマイタチには、入れないのだろうか。仲間はずれも可哀想だと思う、シルバだった。
「……彼は、強いて言えばヌリカベだな」
 これもまた、聞いた事のない単語だった。
「……何か、えらく鈍くさそうな名前じゃないか、それ」
「う、うむ」
「んじゃま、ちょっと飲み物買ってくる。キキョウは二人の相手をしといてくれ。俺が戻ったら休憩して、それから2対2の模擬戦にしよう」
「うん、心得た」

 シルバの背を見送り、キキョウはヒイロとタイランに近付いた。
「さて、二人とも。某が直接、貴公らの腕を見よう」
「はい――な!?」
「あ、あの……この魔力は、その、一体……」
 すらりと刀を抜くキキョウの、尋常ならざる気配に二人が後ずさる。
「魔力? ああ、微妙に違うな。これは妖力だ。何、遠慮は要らぬ。全力で掛かってくるがいい。どうせ、一撃も当たらぬからな」
「あ! そういう事言う!?」
 キキョウの軽い挑発に、好戦的なヒイロはあっさりと乗った。
「だったら手加減無用だね」
 ぶん、と大骨剣を振りかぶる。
「最初に言っただろう。遠慮は要らぬと」
 キキョウはニコニコと笑顔のまま、何かスゴイ迫力をヒイロに叩き付けていた。
「……貴公らの、シルバ殿を軽んじるような発言、某は見過ごさぬ」
 笑っていたが、目が据わっていた。
 タイランは、控えめに鉄の手を挙げた。
「……わ、私は、お、お手柔らかにお願いします」
「全力で掛かってこいとも言った」
「ひいっ!?」

 売店は、訓練場の入り口にあり、シルバ達の稽古場所からはやや遠い。
 ノンビリ歩きながら、シルバはパーティーの動きを頭で組み立てていた。
「全員前衛なのが、悩みどころだな……盗賊がいないんじゃ、遺跡に潜ってもなー……」「ああ、いたいた。ちょっと君」
「ん?」
 声を掛けられ、振り返った。
 そこには、小柄な魔術師とその仲間らしき屈強な戦士達がいた。
「さっきの練習見てたよ。よければ僕達と模擬戦をしようよ」
 友好的な微笑みと共に、魔術師の少年が言う。
 しかし、シルバは首を振った。
「いや、悪いな。残念だけど遠慮しとくよ」
「え、どうしてさ?」
「そっちは六人、こっちのパーティーは四人しかいないんだ。バランスが取れないだろ?」
「あらら、それじゃ困るんだ」
「困る?」
 笑顔を崩さないまま、少年は言った。
「ポール、やっちゃえ」
「おう」
 ひときわ大柄な戦士が前に進むと、拳を振りかぶった。
「え?」
 何が何だか分からないうちにシルバはぶん殴られ、五メルトほど吹っ飛ばされた。



[11810] 初心者訓練場の戦い2
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/10/28 01:07
「――ぐはっ!?」
 草原に背中から叩きつけられ、シルバはたまらず息を詰まらせた。
 ヌルリとした感触に唇を舐めると、とたんに鉄臭い味が口内に広がった。鼻血だ。
 それを拭うシルバに、のんびりと六人のならず者達は近づいてきた。
「よう、やる気になったか、司祭さん?」
 シルバを殴った大男が、好戦的な笑みを浮かべる。
「……どういうつもりだ、こりゃ?」
 地面に腰を落としたまま、シルバは尋ねた。
 小柄な少年が肩を竦める。
「だから、試合さ。何、タダって訳じゃない。そっちが勝てば5000カッド。新米パーティーには悪くない額だろう?」
「お前らが勝ったら?」
「お前らじゃなくて、ネイサンだよ。ネイサン・プリングルス。こっちは弟のポール」
 少年、ネイサンが顎をしゃくると、大男がゴキリゴキリと拳を鳴らした。
「それで、僕達が勝った場合だっけか。そうだね、一人250カッドの1000カッドでどうだい」
「俺はともかく、仲間達はそんな金、持ってない」
「だったら君が全額払えばいいじゃない。パーティーは一蓮托生。そうでしょう?」
 もちろん、シルバはそんな言葉に頷いたりしなかった。
「おい、返事はどうした?」
 黙っていると、ポールの蹴りが腹に入った。
「がはっ!」
 たまらず腹を押さえ、シルバは胃液を吐き出す――振りをした。
 ようやく間にあった。
 効果を発揮した祝福の術『再生』のお陰で鼻血は止まり、防御力を高める『鉄壁』の力で見かけほどダメージは受けていない。せいぜい枕を投げつけられた程度の威力にまで、落ちている。
「ん? なんか変な感触だな」
「よすんだポール。これ以上は必要ない」
 怪訝な顔をする弟を、ネイサンは制した。
「今はだろ、兄貴」
「うん、今は」
 模擬戦闘で好きなように、と暗にほのめかす兄弟だった。
「へへ……よかったな」
「それで、返事は?」
 もちろんシルバは即答した。
「断るに決まってるだろ。アホかお前ら」
「ポール、やっていいよ」
「へへ、了解」
 今度の蹴りは、顔面にきた。
「がっ……!」
 いくら術で防御力を高めていても、鼻を蹴られてはたまらない。シルバが形成した魔力障壁に阻まれスポンジのような感触なのは変わらないが、それでも痛い事に違いはないし、少々息が詰まるのは無理もない。
 何より『再生』の祝福は常時発動の為、やたら魔力を食うのである。
 それに、この連中に術を使っている事を悟られるのも面倒だ。なるべく痛みに苦しむ演技を心がけるシルバだった。
「強情だなぁ。どうして駄目なのかな」
 ため息をつくネイサンに、シルバは途切れ途切れに言葉を吐き出す。
「……交渉が下手くそすぎる。まず、暴力は最後の手段だ。次に……条件が悪い。素性の知れない相手と……けほっ……そんな賭けには乗れない」
 一回咳き込み。
「じょ、条件がいいって事は……それだけ自信があるって事だからな。それに……俺一人で判断していい問題じゃない。仲間の了承が必要だ……」
「ああ、そう。そういう事なら、交渉は成功だ」
 ネイサンはシルバの背後を見て、笑った。
「……そのようだな」
 鼻を押さえながら、シルバはすっくと立ち上がった。
 想像以上にシルバの元気な様子に、ポールが目を丸くする。
「断る必要は、何もないぞシルバ殿。むしろ、受けて立つ」
 追いつき、間に割って入ってきたのは、黒髪の剣士・キキョウだった。どうやらトップスピードで駆けてきたらしい。振り返ると、ヒイロとタイランはまだ遙か後方だ。

 シルバから、精神念波による救援要請を受け、キキョウを含む三人は即座に動いた。
 が、その『即座』の速さが圧倒的だったのが、キキョウだった。ヒイロとタイランが事態を把握するより早く、キキョウは発信源であるシルバの元へと駆け出していた。
「っていうか、鬼速いよキキョウさん! 何あのスピード!?」
「うぅ……私、もう限界かも知れません……」

 そのキキョウを、ネイサンは見上げた。
「へえ、リーダーさんの登場か。キキョウ・ナツメ。名前は聞いてるよ」
「リーダーは……」
 ――そのままでいい。
 振り返ろうとするキキョウに、シルバは念波を飛ばす。
「ああ、某だ。話ならまず、某を通してもらおう」
「条件は聞いてた?」
「某達が勝てば、5000カッドもらえるとか」
「そう」
 シルバは再び、キキョウに念波を飛ばした。
 キキョウの頬が一瞬引きつったが、すぐに冷めた表情を作る。
「安いな」
「何」
「こちらは10000カッド出す」
「何だと!?」
「こっちが十倍出す。だからお前達も十倍で勝負してもらう。50000カッドだ」
「そ、そんな額……あ、兄貴」
「いや、別に構わぬぞ。某達が10000カッド、そちらは5000カッドでも」
「いいでしょう。50000カッドで勝負といきましょう」
「兄貴!?」
 不敵な兄の言葉に、ポールは目を剥いた。
 その額は、ネイサン達のパーティーの全資産に近い。ポールが焦るのも無理はなかった。
「問題ない。タダのハッタリだ。こっちに勝算がある。確かに前衛の、彼は大したモノだった。他二人も手強そうだ」
「なら……」
「でも、後衛はあれ一人。僕の『アレ』をどうにか出来ると思うか? 出来るとしてもお前のスピードがあれば」
 ポールはニヤリと笑った。
「……何とかする前に、潰せる。なるほど、さすが兄貴」
 話は決まった。
 ネイサンは、パンと両手を合わせた。
「そういう事さ。――いいでしょう、その条件で勝負といきましょう。では早速」
 キキョウは、鼻を押さえるシルバを親指で指し示した。
「という訳にもいかぬだろう。まずは、ウチの後衛の手当が先決だ。何より大金が掛かっている故、それなりの準備が必要」
「おいおい」
「二時間の猶予をもらおうか」
「一時間」
「分かった。ではそれで」

 ネイサン達の後ろ姿を見送りながら、キキョウが呟いた。
「しかし、無茶な条件だぞシルバ殿。そんなお金、どこにあるのだ」
「俺の蓄え全部漁れば、それぐらいあるさ。もし負けても、その点は問題ない」
 実際、前パーティーの時に、そこそこ稼いでいるので貯金はあるのだ。
 だが、キキョウが反応したのはそこではなかった。
「負けてもだと? 勝算はないのか?」
「まさか。なきゃ、やらないよ。まあ、絶対とは言えないけどな」
「それでは困るな」
「相手もこちらを倒しに来てるんだ。絶対安全な戦いなんて、存在しない。だろ?」
「む、むぅ……」
「ただ、向こうはそう思ってないようだけどな。……まあ、どこか休める所で話をしよう」
 ようやく、ヒイロとタイランが追いついた。

 術の効果で、シルバの傷は癒えている。
 だから、手当の時間というのは嘘っぱちだし、提示した時間も『予定通り』一時間得る事が出来たので、たっぷりミーティングする事が出来る。
 念のために、四人はネイサン達から見えない場所に移動する事にした。
「まず、向こうはチンピラと思ってよし。頭はそれほどよくない」
 歩きながら、シルバはそう三人に説明した。
「っていうと?」
 ヒイロが首を傾げる。
「腕力に訴えてきた。アイツらにも言ったけど、それは最後の手段。下手すりゃ憲兵が来て、大事になるしな」
「それに、某をリーダーと勘違いした」
「多分、さっきの練習を見てたんだろうな。俺達の事を良く知らないって事だ。良くは知らないけど、与しやすい相手と見て、勝負を吹っかけてきた。さて問題。ここから導き出される、敵の得意とする攻撃は? ヒイロ」
「ボク達より、強い攻撃? 前衛がボク達よりも強いとか」
「まあまあかな」
「えー、まあまあ?」
 シルバの採点に、ヒイロは不満そうな声を上げた。
「理由を出せただけ、いい解答だよ。さて、タイランは?」
「え、えっと……私達の練習は見られていたんですよね?」
「うん、おそらくね」
「っていう事は、遠距離からの攻撃か……魔術を用いた攻撃、でしょうか。私達の攻撃は近接攻撃主体ですから、相性を考えると……それがよいかと」
「うん、だと思う」
 満足げに、シルバは頷いた。
「向こうの前衛の要は、あのでかいの。ポールって言ったっけ。それなりに強い」
 強い、という言葉にピクッとヒイロが反応した。
「ボクより強い?」
「装備に依る所が大きいみたいだけど、多分な。後衛は、あのネイサンって言う小さい兄貴の方。こっちがくせ者っぽいな。ただ、情報が足りない」
 そこが悩みどころだ。
 ネイサンが、あのパーティーの要である事は、ほぼ間違いない。
 自分達のように念波で裏会話をしている可能性ももちろん考えられるが、弟のポールは表情が出やすかったし、それもないと見ていいだろう。
 重要なのは、ネイサンが何をしてくるかだ。
「ど、どうすればいいんでしょう」
 大きな身体をガチャガチャと震わせながら、タイランが問う。
 少し考え、シルバはその問いに答えた。
「分からないなら、誰かに聞けばいいんだよ」
 キキョウが、ポンと手を打った。
「なるほど、情報屋か」
「いや、今から街に戻るには、ちょっと辛いな。それより実際に手合わせした人達に聞く方がいいだろう」
 何よりタダだし、と付け加えるとキキョウ達は小さく笑った。
「手合わせした人達とは?」
「うん、連中、俺に喧嘩を売る前に、二、三戦はしてたと思う。ポールって奴の鎧やブーツに真新しい血の跡が付いてた」
「ならば、結局治療室か」
 初心者訓練場には出入り口に、小さな受付所がある。
 あるとすれば、そこぐらいだろう。他には、草原に点在する東屋ぐらいしか建物はない。
 だが、シルバはいや、と首を振った。
「残念だけど、この訓練場には治療室はない。適当に寝っ転がったり、辻聖職者が回復したりしてる。という訳で、ちょっと怪我人を探そう。時間もないし、急いで」

 やや大きな丘を回り込んだ先で、四人は足を止めた。
「……二、三戦どころではなかったな」
 キキョウの呟きに、タイランは身体を震わせた。
「酷い……」
 草原には何十人もの怪我人が、苦悶の声を上げながらシートに寝そべっていた。
 まだ元気な辻聖職者達や医師達が駆けずり回っているが、とても手が足りているようには見えなかった。
 シルバは近付くと、十代前半の助祭の一人が気付いたようだ。どうやらシルバと同じ、ゴドー聖教に属する少女らしい。
「よかった! お仲間ですよね。治療を手伝ってもらえますか?」
「そりゃ当然。結構な数だな」
「百人以上います」
 シルバが顔をしかめ、その後ろでキキョウ達は目を剥いていた。
「ひゃ、百人……!?」
「ひぇー……」
「ど、どうしてこんな事に……」
 髪を後ろで一括りにした助祭の少女は、名をチシャといった。
「パーティーの回復係自身が負傷しているので……私達だけでは、とても手が追いつかないんです。何よりその……」
 シルバは、怪我人の一人にしゃがみ込んだ。顔色が悪い……いや、悪いどころではない。紫色だ。
「この症状は、毒だな」
「そ、そうなんです。このままでは、私達の魔力も尽きてしまいそうで……」
 チシャが目に涙を浮かべる。
 なるほど……とシルバは納得した。
 ここは、初心者訓練所だ。
 そもそもまだレベル持ちにすら達していないランカー達では、『解毒』の術を習得していない者も多いだろう。
「やったのは、小さい魔術師とやたら大きい戦士のいるパーティー?」
「そ、そうです」
「街に連絡は?」
「し、しました。けど、遠いですから……」
「だよなぁ……」
 ボリボリと、シルバは頭を掻いた。その右手首から覗く、黒い鎖にチシャも気付いたらしい。ギルドから支給された、レベル所有者の証『ブラック・ブレスレット』だ。
「あ、あの、そのブレスレットは……」
「ああ、レベル持ち。心配しなくても、{解毒/カイドゥ}は使えるよ」
「よ、よかった。ありがとうございます」
 チシャがホッとした笑みを浮かべた。
「了解した。じゃあ、まずはみんなをなるべく密集させて」
「はい?」
「一気にやった方が、効率がいい。キキョウ、手伝ってくれ」
「承知。ヒイロ、タイラン始めよう」
「な、何するの?」
「貴公が頼りないと言った、シルバ殿の力が少し見られるぞ」

 チシャやキキョウ達の手で、苦しむ声を上げている冒険者達が、一塊に集められた。
「こ、これでいいんでしょうか」
「上等上等」
 シルバは小高い丘を登り、彼らを見下ろす位置に立っていた。
「それじゃ、行きますよー。まずは――{解毒/カイドゥ}!」
 高らかに空に掲げていた右手の指を鳴らすと、冒険者達の身体から紫色の禍々しい光が天へと昇って消失していく。
 顔色のよくなった彼らに、シルバの二の術が発動する。
「続いて{回復/ヒルグン}」
 彼らに向けて左手の指を鳴らすと、冒険者達を青白い聖光が包み込む。
「は、範囲回復……!?」
 チシャが集められた冒険者達を見ると、傷と体力が回復した彼らが一斉に快哉を叫んだ。
 それを無視して、シルバは丘からのんびりと下りた。
「本当なら全快使うんだけど、みんなそれほど体力高い訳じゃないから節約させてもらった。治ってない人がいたら、フォローはそっちで頼む」
「は、はい。あの、今の回復術……もしかして、高位の方なのですか? 実は司教様とか……」
 聖職者のレベル持ちといっても、シルバの属するゴドー聖教の階級にはピンからキリまである。大雑把に分けると司教、司祭、助祭の階級が存在し、シルバは司祭に該当する。
 だから、シルバは首を振った。
「いや、見た目通り、司祭。前の魔王討伐軍にちょっとだけ参加してた事はあるんだ。そのせいで、経験だけは歳よりちょっと積んでる次第で」
「ああ、道理で……」
 魔王討伐軍をまとめるのは、世界中に広がるゴドー聖教の力が大きい。
 故に、教会関係者も多く参加する事が多く、また生き残った参加者の多くは、戦いから多くの経験を学んでいる。
 ……もっとも、その討伐軍に関しては、シルバ自身が望んで参加した訳ではないのだが。
「経験も、微々たるモノだったけど……いや、それよりも聞きたい事があるんだ。各パーティーのリーダーを集めてくれないか」

 集まったのは十九組あるパーティーのリーダー達だった。
 シルバも彼らも、草原に座り込む。
 その中の一人、二十になるかどうかという、革鎧に身を包んだ青年が頭を下げた。
「まずは、命を助けてもらった礼を言う」
「礼はいいよ。その借りは今、返してもらうから」
「というと?」
「欲しいのはアンタらをやった連中の情報だ」
「承知した。そういう事なら、オレ達は全面的に協力しよう。オレの名前はカルビン。何でも聞いてくれ」
「それじゃカルビン。アンタらに毒を与えたのは、小さいのと大きいののコンビだって聞いたんだけど、間違いないか?」
 シルバの問いに、カルビンは悔しそうに歯ぎしりした。
「ああ……最初は紳士的に、接してきたんだ。それでこっちも油断した。そのまま模擬戦を行う羽目になり……いきなり本性を現わしてな……」
「全員、再起不能に追いやられたと」
 要約すると、そういう事らしい。
「うむ」
 他のリーダー達も一斉に声を上げる。
「アイツら、卑怯なんだ!」
「そうだそうだ! 何であんな高レベルの奴らが、こんな初心者用訓練場にいるんだよ!」
 どうやら納得がいかないらしい。
 しかし、そこはこの訓練場の規則にもあるのだ。
「パーティーの誰が一人でもレベル外なら、この訓練場には入れるんだよ。ここは、そういう規則になってる」
 実際、シルバもレベル持ちだが、ヒイロとタイランがランク10の為、普通に出入りしている訳だし。
「それじゃ、そいつらの戦闘パターンを教えて欲しい。連携とかなかったか」
「それなら、俺達の憶えている範囲でいいなら……まず最初に前衛の防御力を下げられた」
 他の面々もカルビンに同意する。
「あ、それ俺達も」
「ウチもだ」
 防御力低下ね、とシルバは内心納得した。
 確かにそりゃ、初心者にはキツイ。防ぐ術がまずないからだ。
 体力を付けて地力を上げればいいが、そういう連中は大抵、既にこの訓練場を卒業している。これは、聖職者達の補助法術にしても同様となる。
 もう一つの方法は装備を調える事だが、これも当然金が要る。金を稼ぐ為には多くの依頼をこなさなきゃならない訳で、その時点で『初心者』ではなくなるのだ。
 ジレンマである。
「なるほど。他には?」
 シルバが促すと、カルビンは唸った。
「それから連中の前衛が恐ろしく速くてな。向こうの攻撃は当たるのに、こっちの攻撃はほとんど当たらない」
「アイツら、鎧着てたよな」
「ああ。だから、不自然なんだ。鉄の鎧を着て、あの速さはおかしい」
 確かにあの筋肉ダルマが機敏に動く姿は、想像してなかなか不自然だ。というか気持ち悪い。
 シルバの見立てでは、前衛は戦士が三人。屈強なポールがエースで他二人は、その劣化版といった所だった。
「魔術師か聖職者が、加速する術を使ったのか?」
「いや、違う……と思う。初速から尋常じゃなかった。けど、素の動きでもない」
「……となると、魔術付与された装備の類かな。攻撃は一度も当たらなかったのか?」
 メモを取りながら、シルバは疑問を口にする。
 すると、他のパーティーから手が上がった。
「俺んトコは当てた」
「ウチもー」
 話を聞くと、だが当ててもまるで効いていないようだったという。
 だが、ダメージがゼロという訳でもないようだ。
「つまり、当たってもほとんどダメージが通らない……鎧も相当いいのを使ってるのな。その前衛連中に、魔術攻撃は?」
 すると、魔術師をやっている一人が首を振った。
「効果が低い。ウチは火炎を使ったけど、威力が半減されたっぽい」
 補助系の防御力を下げる法術は使える者が一人いたが、それも弾かれたという。
「魔術抵抗アリ……また厄介だな」
 シルバは整理してみた。
 敵前衛はまず、おそろしく素早い。よって当て難く、当たり易い。
 鎧自体が固く、生半可な攻撃ではダメージが通らない。そのくせ{魔術師/ネイサン}が防御力を下げるせいで、相手の攻撃は相当に痛い。
 おまけに魔術も半減。補助系は弾かれる。
 ……初心者相手にこれはチートだよなぁ。
「後衛は?」
「あの小さい魔術師は、毒の術を使う。ウチは、それでやられた」
 卑怯とは思わない。むしろ、うまいな、とシルバは正直思った。
 毒は持続性があり、ジワジワと体力を削っていく。
 それともう一つ、心理的に付随する大きな効果があるのだ。本来支援すべき後衛が、これでやられてしまう。
「前衛の連中は防御力を下げてから機動力重視で叩き、後衛は{猛毒/ポイゼン}でジワジワ弱らせるか……まったく初心者殺しだな」
 大体、相手の情報が掴めた。
 顔を上げると、カルビン達が縋るような目で、シルバを見つめていた。
「頼む。アンタら次、アイツらをやるんだろう? 俺達じゃアイツらに勝てない。仇を討ってくれ」
「そうだそうだ!」
「頼むぞ!」
 ふむ、とシルバは腕を組んだ、首を傾げた。
「いや、それは断るよ」
「え」
 シルバは手を振りながら立ち上がった。
「俺は俺の事情で戦うんだ。アンタらの仇は取らない」
 呆気にとられるカルビン達を、シルバは見下ろした。
 どういう話をしているのか気になったのだろう、周りには初心者パーティーの残りの面々や、キキョウ達も集まっていた。
 が、構わずシルバは言葉を続けた。
「というか、何でみんなこの訓練場にいるんだよ。強くなる為だろ。冒険者になる為だろ。金目当ても奴もいれば、ここで一旗上げようって奴だっているだろう。この土地に眠るっていう封印された古代王の剣をガチで探している奴もいるだろうし、何かしらの使命を持ってる奴だっているはずだ。ただ、ここにいる連中に共通してるのは、まだ始まったばかりだって事だ。強い敵がいるからって諦めるには早すぎるぞ、おい。困難苦難は努力して乗り越えるんだよ。ここからみんな、始まるんだ。強くなって、それから外に出てもっと強くなって、アイツらを自分達の手で直接倒せよ。その方がスッとするだろ。俺達に頼むなんて、情けない事言うな」
 辺り一帯が、しんと静まり返る。
 だが、どこからか小さな拍手が聞こえてきた。
 見ると、チシャだった。
 やがて、拍手は周囲全体に広まった。
 困ったのは、シルバである。別に拍手されるような事を言ったつもりはない。単に、本音を喋ったに過ぎないのだ。
「確かに、アンタの言う通りだ」
 しかも、何かカルビン達が尊敬の目でシルバを見ながら立ち上がってきてるし。
「ま、まあ、まずは俺は俺の落とし前を付けるけどな」
 若干腰が引け気味になりながら、シルバは言う。
「勝てるのか」
「勝負に絶対はないよ。でもま、アンタらのお陰で、大分勝算は高くなったがね。見たかったら、勝手に観客やってくれ。俺は知らん」



[11810] 初心者訓練場の戦い3(完結)
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/11/19 02:30
 という訳で後編です。
 戦闘中、会話と時間の流れがやたらゆったり感じられるようでしたら、それはいわゆる不思議時間が流れてますので、スルーの方向でお願いします。


 時間を確かめると、約束の時間まであと十五分だった。
 シルバのパーティーメンバーは、車座になって相談を開始した。
「まあ、大体のパターンは掴めた訳だ」
 シルバは、ネイサン一行にやられた連中の情報を、みんなに伝えた。
「他にはないの?」
 ヒイロの質問に対し、シルバは首を振った。
「あるかも知れないけど、その前にケリをつける。それにこれが連中の必勝パターンだってのなら、そう簡単に崩しやしないさ」
「相手が素早いってのが厄介だね」
 ヒイロがむむむ、と唸る。
 それに対し挙手したのは、パーティーの中で最もスピードのあるキキョウだった。
「それならば、某が何とかしよう」
「いや、それは俺が対処出来る」
 シルバが言うと、キキョウは頷きながらも不安そうな表情を作った。
「しかし、相手には補助系の術も効きにくいという話だが? 何か手はあるのか?」
 それは、シルバを除く三人共通の懸念でもあった。
 こちらが{加速/スパーダ}を使って対抗するという手が一番確実だが、それでもスピードは互角かも知れない。
 そういう意味では、相手の足を止めるのがいい。もしくは幻影の呪文で相手を惑わせるか。
 しかし、相手に魔術抵抗がある以上、それも絶対確実とは言えないのだ。
 その不安に対して、シルバは一応対策を持っていた。
「実はな……」
 念のため、シルバはそれを小声で説明した。
 実に初歩的な方法なのだが、案外に知られていないし、使う人間もいない。
 聞いた三人は、何とも微妙な表情をした。
「それ、アリ?」
 呆れた顔をするヒイロに、シルバは頷いた。
「神様はアリって言ってる」
「ひ、酷い方法ですね……」
「褒め言葉だな」
「何より、この方法は、初めてではないからな」
 キキョウの言葉に、タイランは驚いた。
「そ、そうなんですか……?」
「うむ。某も酒場での{用心棒/しごと}で何度かシルバ殿には世話になってな。アレであろう?」
「ま、そういう事」
「それならばシルバ殿、某達は攻撃に専念するまで」
「当然。それが俺の仕事さね。……でまあ、相手の狙いはほぼ俺だと思う」
「ふむ、その根拠は」
「回復役がいなけりゃ、後は持久戦で勝てるからさ。よほどのアホでなければ、そこを突く。だから、隙あらばこちらの前衛を抜いてくるだろうな」
 もう一つ理由があるのだが、それは今は関係ないので喋らない事にした。語るには裏付けが必要だし、目の前の戦いに集中すべき今、その必要はない。
「けど……先輩、弱いよね?」
「ヒイロ」
 キキョウがたしなめると、ヒイロは怯んだ。
「う……だ、だって本当の事でしょう?」
「確かにその通り。だから、まあ」
 否定せず、シルバはタイランの胴を拳で軽く叩いた。
「そこはアテにしてるから、タイラン」
「わ、私ですか!?」
「まあ、それはともかく、そろそろ時間だ。始めるとしよう」
 シルバが手を叩き、四人は一斉に立ち上がった。

 後ろ10メルトの距離にそれぞれのメンバーを控え、シルバとネイサンは中央で向き合った。
「勝利条件は、相手のパーティーの全滅。それでオッケー?」
 ネイサンの提案に、シルバは頷く。
「問題ない」
「こっちが勝てば10000カッド。君達が勝てば50000カッド。約束は守れよ」
「そっちこそ」
「ところで……」
 ネイサンは、チラッと横を見た。
 丘を背に、100人以上の人間が座り込んでいた。全員が、この模擬戦に注目しているようだ。
「……アレは、何?」
「見覚えがないか? アンタらが狩った、パーティーの面々だよ。何だ、結局全員観客に来たみたいだな」
「…………」
 19組のパーティーの敵意に満ちた視線を受け、ネイサンはさすがに少々居心地が悪いようだった。
「まあ、話を聞くと辻聖職者のみんなが相当頑張ったみたいなようで。ずいぶんと酷い事をしたようじゃないか」
「勝つ為に全力を尽くす。それが勝負の掟だろ」
「ごもっとも。この戦いもそうありたいね」
「全く同感だね。……この観客も、その一環って訳か。じゃあ、そろそろ始めよう」

 互いの前衛が一斉に構え、後衛が支援の準備を開始する。
 ネイサンは、敵前衛の背後にいるシルバを見据えたまま、パーティーに説明した。
「要注意なのは、あの司祭だ。その鎧なら、滅多な事で防御力や速度の低下はないから、心配ないとは思うけど、念には念だ。まず奴を叩け」
「おうよ!」
 ネイサンパーティーの前衛は、前衛が全員対魔コーティングを施してある特別製だ。更にブーツには『加速』の魔術が付与されている。武器だって安いモノではなく、ポール達の筋力と相まって相当に高い攻撃力を誇る。
 ある意味、正統派の強さを高めてきたパーティーなのだ。
 唯一の不安は後衛の盗賊が、この初心者訓練所に入る為ランク10を引っ張ってきた点だが、元々盗賊は戦闘において強く重要視されるモノではないのでそれは大した問題はない(ちなみに本来のネイサンパーティーの盗賊は、宿で惰眠を貪っている)。
 ともあれ、戦闘開始だ。
 呪文を唱え終わり、ネイサンは敵前衛に向けて相手の防御力を弱める魔術を解き放った。
「いくぞ、{崩壁/シルダン}!!」
 ガラスの割れるような音と共に、キキョウ達の身体がわずかに硬直する。
「おおお、行くぜ行くぜ行くぜぇっ!!」
 ポール達前衛が、突進を開始した。
 重そうな装備とは裏腹に、その動きは機敏に過ぎる。風を切りながら、彼らは着物姿の麗人達との距離を詰め始めた。

 雄叫びを上げながら駆け寄ってくる戦士達を見て、キキョウは溜め息をついた。
「……馬鹿っぽいな」
 身体に力が入りにくいのは、相手の放った防御力低下の魔術のせいだろう。
 一方、ヒイロは既に巨大な骨剣を抜き、正面に構えを取っていた。
「だけど、速い」
「ですね――シルバさん!」
 ガチャリ、と重装鎧を鳴らしながら、タイランが叫ぶ。
 そして。
「{崩壁/シルダン}」
 シルバは、指を鳴らした。

 術の発動は、ポールも気がついた。
「馬っ鹿、効かないっての!」
 だが、構わず直進する。
 実際、対魔コーティングされた鎧のお陰で、シルバの魔術が効いた様子はない。弾かれたのだ。このままいける! そう確信した。
 直後、足下が崩れた。
「ぬあっ!?」
 ポールはたまらずつんのめった。
「何っ!?」
 見ると、地面が膝近くまで埋没していた。ポール以外の二人の前衛も同様だ。

「ふざけるな……っ」
 何が起こったのか、真っ先に悟ったのは、さすがに魔術師のネイサンだった。
 聖職者でも、魔術は習得出来る。そこまではまだいい。
 だが、『地面』の防御力を下げるなんて術、聞いた事がない……! あれではポールの周囲の地面は相当柔らかくなっており、相当な力を込めても脱する事が困難になる。

「しっかしまあ、よくこんな事思いつくなぁ……」
 その呟きは、念波としてシルバにも届いていた。
「前の討伐軍遠征後、戦災復興支援に参加してた時にちょっとな。荒れた農地を耕す方法を考えていた時に、思いついたんだよ。……ま、とにかく」
 次の術の印を切りながら、シルバは正面を指差した。
「機動力は下げた! 速攻で叩け、キキョウ、ヒイロ!」
「心得た!」
「らじゃっ!」
 キキョウとヒイロが、地面に埋まりもがく敵前衛目がけて駆け出した。
 そして、タイランだけはその場に待機する。

「兄貴!」
 両腕で何とか脱出を試みながら、ポールが背後を振り返った。
「問題ない! そこに踏み込んだら、そいつらだって機動力が落ちる!」
 もちろん、ネイサンがそう考える事は、シルバにも予想していた事だ。
 そこで、次の術が発動する。
「ところがどっこい――{飛翔/フライン}」
 シルバの指の音と共に、前衛二人の足が地面をふわりと離れる。
「う、わっ」
 空を浮く経験は初めてなのか、ヒイロが慌てた声を上げた。
「落ち着け、ヒイロ。シルバ殿の術だ。害はない」
「う、うん」
 焦ったのはほんの一瞬、ヒイロは不可視の床を蹴り、キキョウと共に加速した。

 シルバの術とほぼ同時に、ネイサンの魔術も完成していた。
「くっ、ならば{猛毒/ポイゼン}!!」
 ネイサンの叫びに呼応するかのように、シルバのパーティーを禍々しい紫色の煙が包み込んだ。
 シルバ自身も軽い吐き気を憶えながら、敢えて念波ではなく大声で前衛二人に指示を送る。
「無視してよし!」
「何だと!」
 ネイサンが目を見開き、シルバは観戦している初心者パーティー達の方を向いた。
「毒の効果は、大きく二つ! 一つは相手そのモノを弱らせる事! そしてもう一つは、こちらの手数を減らす事にある!」
 シルバの説明に、観客からも歓声が上がる。
「ふ、ふざけるな!」
 ネイサンが叫ぶが、それを無視してシルバは講義を続ける。
「経験を積んでいないパーティーは焦り、解毒に手間取られて本来の回復や支援が追いつかなくなる事が多いんだ。アンタらの大半はこれにやられたんだと思う」
 シルバの言葉に、観客達の多くが頷いた。
「が、一回の戦闘程度で、毒で倒れる事なんて滅多にない! 体力がヤバイ奴には回復の優先を推奨する!」
 {観客/ギャラリー}の一人が立ち上がる。カルビンだ。
「しかし、オレ達はアンタらほど体力がない! 結局はジリ貧だ! そういう時はどうすりゃいいんだ!」
 そんなの決まってる、とシルバは腕組みをして、鼻を鳴らした。
「勝ち目がないなら逃げりゃいいんだよ! 尻尾巻いて一目散にな! 逃げは負けじゃない! 死ななきゃリベンジのチャンスも生まれる! 一番重要なのは、生き残る事だ!」 シルバは腕組みを解いて、笑った。
「まあ、俺達は勝つけどな。二人とも、やる事やったら俺が解毒するから構わず突っ込め!」
 前線では、ポール目がけてキキョウが抜刀していた。

「だが、それでもお前達に勝ち目はないのさ」
 膝を地面に埋めたままポールは不敵に笑い、キキョウの刃の軌道に大きな腕をかざした。甲高い金属音が鳴り響き、キキョウがわずかに退く。
「へへ……」
 ポールは若干腕の震えを自覚しながらも、ダメージが通っていない事を確かめる。
「――ほう、よい鎧だ」
 宙に浮いたまま、キキョウは腰を落とした抜刀術の構えを解かないでいた。
「テメエの攻撃なんて、効きゃしねえんだよ! 死ねや!」
 ポールは足に踏ん張りを込め、半ば跳躍しながらロングソードを振るった。
「物騒だな。だが、機動力を殺すというのはこちらの攻撃を当てるのと同時に――」
 キキョウはわずかに身体を傾け、巨大な剣風を回避する。
「くっ……!?」
 ズブリ、と再びポールの足下が地面に沈んだ。
「――お主らの攻撃が当たらぬという事。どれだけ某達の守りが衰えようと、当たらなければ問題はない」
 冷たい視線で、キキョウはポールを見下ろした。
「生意気な!」
 もう一人、前衛の戦士が乱暴な足取りでキキョウに迫ってきた。
 しかしキキョウはそれに慌てず、対応する。
「そして某の攻撃は通じぬようだが……{彼/ヒイロ}ならばどうかな?」
「え……」
 ポールと同じようにロングソードを抜き、戦士は大上段から振り下ろそうとしていた。
 だが、キキョウの背後で、大きく振りかぶっている{鬼/ヒイロ}の姿が彼には見えた。一瞬、キキョウから目が逸れたのが彼の運の尽きでもあった。
「よっ」
 彼のロングソードとキキョウの刃が交錯する。その直後、どういう手品か細身の刃が剣を絡め取り、そのまま戦士の身体が地面から引っこ抜かれた。
「うおっ!?」
「合気術という。憶えておけ。この後、命があれば、だが……」
 宙を舞う彼の耳に、キキョウのそんな声が聞こえた。
 そして、放物線を描いた彼の行く末には、限界まで引き絞られた弓の弦のように身体を捻ったヒイロがいた。
「らっしゃい――」
 ヒイロは、一息に自身の骨剣を振り抜いた。
「――よっと!!」
 まるで大岩にハンマーを振り下ろすような鈍い音が響き、戦士はより高みへと吹き飛ばされた。
 前線の頭上を越え、さらにネイサン達後衛も追い越し、五十メルトほど彼方にキリモミしながら着地して、二、三度回転してから動かなくなった。
 わずかに痙攣しているので、死んではいないようだ。
 しん、と模擬戦闘の場が静まり返る。観客達も絶句していた。
「まずは一人!」
 グッ、とヒイロはガッツポーズを作った。
「うむ、では次行くぞ」
 特に驚く事なく、キキョウは刀を収めた。

「ちょ、ちょっと待て、なんだその攻撃力!?」
 我に返ったネイサンが絶叫した。
 少なくとも、敵の前衛二人に攻撃力が上がる術が使われた気配はなかったはずだ。つまり、今のは鬼の素の攻撃力という事になる。
「鬼の筋力舐めちゃ駄目っしょ。ま、素早い相手にゃ本来当てるまでが一苦労な訳だけど」
 にひひ、と笑うヒイロと、冷笑するキキョウ。
「そっちは某がサポートするという訳だ」

「くっ、やってられるか!」
 半ば転がるようにして、ポールが底なし沼のような地面をやっとの事で脱出した。
「ぬ!?」
 キキョウが刃を放つが、両腕を交差してガードする。
「にゃろ!」
 ヒイロが骨剣を横薙ぎに振り抜いたが、本来の速度を取り戻したポールにその攻撃は通用しない。彼は、決して背が高いとは言えないヒイロの頭上を飛び越した。
「でかした、ポール!」
 キキョウとヒイロの二人を相手にせず、ポールの視線はシルバに固定されていた。
 わずかに焦った顔をする前衛二人に、シルバはまだ地面の中でもがいている最後の前衛戦士を指差した。
「いいからソイツをやれ! ……こっちは、大丈夫だからさ」
 ガチャリ、と金属質な音を鳴らし、ポールとシルバの間に重装兵タイランが立ちふさがった。
「お、おおおっ!!」
 ポールのロングソードを、タイランは斧槍の束でガードする。
「くうっ!!」
 わずかに後ずさりながらも、かろうじてタイランはその一撃を受けきった。
 ポールは皮肉っぽい笑みを浮かべ、剣を構え直した。
「はっ、どうやらお前は飛翔の術もなし、どノーマルみたいじゃねえか。俺の攻撃を、どれだけ受けきれるかな!」
 連べ打ちのような、ポールの一方的な攻めが開始される。
 タイランは攻める隙を見出せず、防戦一方だ。
 そのタイランの背後で袖から薬瓶を引き抜きながら、シルバが言った。
「っていうかアホだろお前」
「何だと!?」
 攻撃の手を休めないまま、ポールが歯を剥き出した。
 だがその殺気に気圧されることなく、シルバは彼の背後を指差した。
「後ろの前衛が抜かれたらお前、後衛丸裸になるんだぞ」
「……っ!?」
 当たり前と言えば当たり前の指摘だが、ほんの一瞬、ポールの手が止まった。
 その隙を突いて、シルバは手に持っていた薬を彼に投げつけた。割れた中身がポールに降り注がれる。
「――な」
「これだけ近ければ、どれだけノーコンでもまあ、当たるよな。いや、割とコントロールには、自信あるんだけど」
 紫色の煙が、ポールを包み込む。
「う……ま、まさかこれは……」
 わずかな吐き気を感じ、彼は顔をしかめた。
「うん、毒。言っておくけど、対魔コーティングされた鎧でも、薬はちゃんと効くぞ。これ豆知識な」
「し、司祭! 治療してくれ!」
 抗魔コーティングされているとはいえ、味方の司祭は効果のある音律を知っている。解毒だって可能なはずだ。
 だが、それより早く、シルバの術が発動していた。
 虹色の膜のような魔力が、ポールを包み込む。そして司祭の{解毒/カイドゥ}は弾かれた。
 呆気にとられるポールに、シルバは教えてやった。
「『{魔鏡/マジカン}。反射系の魔術な。これで、アンタに掛かる魔法は全部跳ね返される。親切だろ」
「テメエーっ!?」
 激怒するポールに、背後から兄の声が掛けられた。
「落ち着けポール! ソイツさえ倒せば、問題ない! こっちは魔術師と盗賊の弓で多少は持つ!」
 確かにその指摘通りであり、ポールが強引に突破してきた狙いもそれだったはずだ。
 だが、シルバにおちょくられ、目の前にいる{敵/タイラン}に集中しきれない彼の攻撃に、本来の精彩はない。
 だから、シルバも安心して前衛の様子を見る事が出来た。
 前衛のもう一人も『キキョウ投げヒイロ打ち』という連携に吹き飛ばされ、残るは後衛のみ。懸命に司祭がメイスで踏ん張っているが、キキョウの居合の前では倒されるのも時間の問題だ。
 初心者である盗賊の矢はキキョウには当たらず、ヒイロが骨剣を振りかざして接近しつつある。二本ほど矢が刺さっているが、これはネイサンが最初に掛けた{崩壁/シルダン}の効果だろう。
 しかし、ヒイロから届く精神念波は、それが大したダメージではない事をシルバに教えていた。
「まあ、万が一本当にやばくても、俺が片っ端から回復する訳だが」
 呟き、シルバは{回復/ヒルタン}を唱えた。
 ヒイロの身体を青白い聖光が包み込み、矢が抜け落ちる。傷はあっという間に塞がってしまう。
 こうなってくると、ネイサンとしてはいよいよまずい。
「ポ、ポール! そのデカイのにも{崩壁/シルダン}は、効いているはずだ! 早く終わらせろ!」
 こうなってくると、ネイサン自身も攻撃に参加せざるを得なくなった。{火槍/エンヤ}の準備を整え始める。
「け、けど兄貴! コイツやたら固ぇ!!」
 弟も苦労している。まるで、攻撃が通る気配がないのだ。
「うん、まあそりゃそうだ。{崩壁/シルダン}効いてないからな」
「な」
 シルバの言葉に、ポールは言葉を失った。
「……あ、あの、言ってませんけど、私の鎧、魔術無効の効果があるんです」
 言われて気がつく。
 目の前の重装兵の鎧に、うっすらと浮かび上がっている複雑な文様。
 抗魔コーティングどころか、絶魔コーティング。そして左胸に削られたような跡があるのは、本来紋章と認識番号があったのではないだろうか。
 そして紋章こそ無くなりこそすれ、その跡からわずかに判断できる所属軍は――。
「魔王討伐軍っ!?」
 もしそれが、軍の正式採用品ならば、魔王軍の猛攻に耐えうる恐ろしく高性能な代物だ。もっとも、味方の魔法すら弾いてしまうと言う問題点があるのだが。
「……す、すみません」
 謝りながら、タイランは斧槍でポールの攻撃を捌き続ける。
 その動きも、大分様になってきていた。
「んで初期、待機している間に、攻撃力を上げる増強薬と、スピード上げる加速薬飲んでもらっているからな。ちゃんとついて行けてるだろ、タイラン」
「は、はい、何とか」
 グルン、と斧槍を振り回しながら、タイランは頷く。
「防御専念! 隙があったら攻めていいぞ。いい練習相手だ!」
「は、はいっ!」
 専念、と言いながらタイランはむしろ大胆に前に踏み込み始めた。
「こ、この野郎ぉ……!!」
 斧槍の威力にロングソードを弾かれ、ポールは歯がみした。

「ポ、ポール! 早く!」
 ネイサンの手から、勢いよく炎が迸った。
 しかし、魔法の炎をキキョウとヒイロは避けようとすらしなかった。既にネイサン側の盗賊と司祭は倒れている。
「手遅れであるな」
「うん」
「{大盾/ラシルド}」
 シルバが指を鳴らすと、炎は不可視の障壁に阻まれ霧散した。
「助かるぞ、シルバ殿」
「これが俺の仕事だから――もう一本だ、タイラン」
 空いたもう一方の手で、袖から出した秘薬瓶をタイランに投げた。瓶が割れると同時に、一気にタイランの攻撃力が増した。
「ぬうっ!?」
 タイランに押され、ポールが軽く退く。
「タイラン、いけるな」
「はいっ!」
 シルバは前線に意識を向けた。
「なら残るはそっちだ――キキョウは魔術師の攻撃を迎撃。ヒイロは待機しながらその護衛で! {豪拳/コングル}!」
「うすっ」
 ぐん、と骨剣を構えるヒイロの肉体に力が漲る。
「ちょ、ちょっと待て」
 魔法を放ちながらも、それらをことごとくキキョウに見切られるネイサン。
 そして、再びシルバの指が鳴る。
「待たない。もう一回、{豪拳/コングル}」
 ズズン、とヒイロの腕が軽くなる。筋力が高められすぎ、骨剣の重さすら感じられなくなったのだ。
「うわ、ちょっといいの、先輩!?」
 慌てるヒイロに、シルバは頷いた。
「いいさ。俺がさっやられた分、思いっきりやってくれ」
「うん。じゃ、いくよー」
 キキョウが退き、ネイサンとヒイロが相対する。
「待っ――」
「飛んでけーっ!!」
 ヒイロの明るい声と共に、ネイサンは高らかに青空に舞った。

「あ、兄貴ーっ!?」
 豆粒のようになったネイサンを、ポールは思わず見上げた。
「あ、よそ見した。チャンスだぞ、タイラン。やっちゃえ!」
「は、はい!」
 タイランは斧槍を振り切り、その柄でポールの土手っ腹を横殴りにした。
「があっ!?」
 息を詰まらせながら、ポールは五メルトほどの距離を吹き飛ばされる。
 そのまま仰向けに倒れ、動かなくなった。
「はい、俺達の勝ち」

 初心者パーティーに囲まれる中、ネイサン一味は傷だらけパンツ一丁の姿で正座させられていた。
 武器や鎧は、全部シルバ達が没収した。道具類から有り金まで、全部である。
「……じゃあ足りない分はこれで、勘弁してやるという方向で。タイラン、持てる?」
「重かったらボクも手伝うよ?」
「い、いえ、大丈夫です」
 さすがに大きな鎧三つともなると結構な重量なはずだが、タイランはさして辛そうな様子もない。
 ちなみに当然、戦闘が終わると同時に、全員の解毒は済ませてあった。
「してシルバ殿、彼らの処遇はこれでよいのか? どうも、何やら彼らの方に不満があるようだが……」
 ふてくされる彼らを見下ろしていたキキョウが問うが、シルバは頷いた。
「まあ、そっちの不満はどうでもいい」
 彼らがやった事と言えば、それこそ有り金全部巻き上げた程度だ。装備品を全部売り払っても50000カッドにはならないだろうが、その半額ぐらいには余裕で届くだろう。
 元々は5000カッドの予定だったし充分だと、シルバは思う。
「くっ……」
 ネイサンは悔しそうに、シルバを見上げた。
「それでさ」
 正座する彼の前に、シルバはしゃがみ込んで目を合わせた。

「アンタら、誰に頼まれた?」

 ぐ……と詰まるネイサン。
 シルバは残りのメンバーを見渡したが、皆顔を背けた。
「……まあ、大体の察しは付いてるんだけどさ」
 シルバは立ち上がり、息を吐き出した。
「どういう事だ、シルバ殿」
 キキョウは眉根を寄せた。
「言葉通りの意味さ。この連中は、とある筋に頼まれて、俺達を襲ったんだ。最初、出会った時、コイツ『ああいたいた』って言ったしね。俺を捜してたって事だ」
「ふむ、なるほど」
「それに、その後の勧誘も妙にしつこかった。俺達に固執する理由なんてないんだよ。初心者狩りたかったら、カモなんてそこらじゅうにいるんだ。俺に因縁をつける必要なんて無い。実際、他の連中には紳士的に接して、いざ勝負って時になってやっと本性出したらしいだろ。なのに俺の時だけ断ると、いきなり暴力に訴えてきた。だからさ、要はとにかく俺が痛い目を見れば、目的は達せられたって事じゃないのかな」
 閃くモノがあったのか、キキョウがシルバを見た。
「……すると、彼女か」
「まあ、多分。昨日の今日でもある訳だし」
 再び、シルバはしゃがみ込んだ。
「で、どうなんだ? 大方『生意気な新米パーティーがいるから叩きつぶしてくれない♪』みたいなノリで、お金積まれたと思うんだが。やたら愛想のいいノワっていう商人の娘さんに」
 仏頂面のまま、ネイサンが口を開いた。
「……依頼人の素性を話すと思うか」
「……ま、金積んで吐かせるのもアホらしいしな。いいよ、別に」
 リーダーであるネイサンはともかく、ノワという名前を聞いた他の連中の挙動不審ぷりから、シルバは彼女で間違いないという確証を得た。
「ただ、こちらのリーダーが誰かぐらい、調べといた方がいいな。お陰で、ウチのパーティーの個々人の性能を全然知らないのが、丸わかりだぞ。大方新米パーティーって聞いて甘く見たんだろうけど、いくら何でも油断しすぎだろ」
 好き放題に言われて、さすがにネイサンも悔しそうだ。
 だが、それを堪えて立ち上がろうとする。
「じゃあ、僕達はもう用済みだな?」
「うん、俺達はな」
「俺達?」
 シルバは立ち上がり、大きく手を叩いた。
 そして高らかに、腕を突き上げた。
「さ! 装備一切なくなったパーティーがここにいる訳だが――このチャンスに、誰か模擬戦申し込む人ーっ!」

「おーっ!!」
 シルバの声に応え、周囲のパーティーが一斉に腕を突き上げた。

 四方からの好戦的な雄叫びに、パンツ一丁の六人が慌てふためく。
「ま、待て! ちょっと待ってよ!?」
 困惑するネイサンの両肩を、笑顔のシルバが元気よく叩いた。
「俺に言うなよ。頼むなら、あの連中だろ? お前らがさっき倒した新米パーティー連中」
「ぼ、僕達は負傷しているんだぞ!」
「なら、回復してやるよ。心配しなくてもまだ、魔力に余裕はある」
「いえ、司祭様にお手を煩わせる訳にはいきません。ここから先は私達にお任せ下さい」
 名乗り出たのは、助祭のチシャだった。
「ああ、助かる。それじゃ、ローテ組んで回復と解毒をやってくれ」
「はい」
 ネイサン達は絶叫と共に、初心者パーティーの中に埋もれていった。

「んでまー、俺達だけど。ん、キキョウどうした?」
「シルバ殿。アレだけで本当によかったのか?」
「アイツらはあれ以上喋らないよ。けど、連中の根城にしている酒場は分かったし、調べればノワの目撃情報ぐらいは掴めるかも知れない。つってもそれも情況証拠だしなぁ……もしかしたらまたみんなに、迷惑掛けるかもしれない」
「某は別に構わぬが……二人はどうだ?」
「んー、ボクは、難しい事はよく分からないや。トラブルが来たなら、迎え撃てばいいんじゃない?」
 ヒイロは首を傾げ、タイランはおずおずと手を挙げた。
「わ、私も別に……素性の知れない私を拾っていただけただけで、御の字ですので……」
「ま、我ながら甘いと思うけど、なるべく早く尻尾を掴んで、決着をつけたい所だな」
 面倒くさいし、と付け加えながらシルバは肩を竦めた。
「じゃ、この件はひとまず決着の方向で。本来の訓練の続きだな。まずはヒイロは複数人から攻撃された時のパターンをまだ見てないから、それやってみようか」
 シルバの提案に、何故かヒイロは姿勢を正して頷いた。
「う、うん!」
「……どうした? 妙にかしこまって」
「いえ! そんな事はないです!」
 まるで鬼教官を前にした、新米兵士のようだ。いや、鬼なのはヒイロなのだが。
「変な奴……ま、いいや。誰か手伝ってくれる人ー」
 周りに誘いを掛けてみると、パーティーの一つが進み出てきた。
「なら、我々が手伝おう」
「お、カルビン、助かる。っていうかみんなもすまないな。どうやら、俺の私事に巻き込んだみたいなんだけど……」
 頭を下げようとするシルバに、カルビンは首を振った。
「加害者は彼らで、貴方達も被害者だ。気にするな」
「や、そう言ってもらえると助かる」
「しかし、どういう事情かは、少々気になるな。どういう恨みを買った?」
「あー……」
 シルバは困り、キキョウを見た。
「言いにくい事情だな」
 キキョウも苦笑する。
「難しい問題なのか」
 真剣な顔をするカルビンに、キキョウはヒラヒラと手を振った。
「いや、真面目に語ると、相手に対する悪口みたいになってしまうので、説明が厄介なのだ」
「それはこちらで片付ける問題として……それじゃタイランも防御の稽古付けてもらおうか」
「は、はい。承知しました、シルバ様」
 ヒイロと同じく姿勢を正す、タイランだった。
「……何で様付け。呼び捨てでいーって」
「そ、そういう訳には……」

 ヒイロとタイランが、カルビンらに付き合ってもらうのを眺め、キキョウはシルバに声を掛けた。
「ではシルバ殿には、某に付き合ってもらうと……」
 しかし、それを最後まで言う事は出来なかった。
「キキョウ・ナツメ様ですよね!」
「うおっ!?」
 押し寄せてきた女性冒険者達に、たまらずキキョウは後ずさった。
「これまで誰ともパーティーを組まなかったのに、どうして司祭様と組む事になったのですか?」
「や、そ、それはその、シルバ殿の人徳と言うか……シ、シルバ殿! 助けて下され!」
 手を振ってシルバに助けを求めたが、人の波に押されてずいぶん離されてしまった。
 シルバとしても相手は女性であり、手荒に押しのける訳にもいかないようだ。
 困惑するキキョウに構わず、女の子達は頬を赤らめながら、主張を強めていく。
「せっかくですから、アタシ達にも稽古を付けて下さい!」
「あ、ズルイ! わたしもーっ!」
「よろしいですよね、司祭様!」
 全員の視線が、一斉にシルバに集中した。
 超怖い。
「え、あー、ちょっとキキョウが困ってるから、落ち着けみんな」
「順番ですね!? みんな、クジを作るわよ! 恨みっこ無しだからね!」
 妙に殺気だったクジ引き大会が開催される。
「……こ、これだから、某は自分でパーティーを組みたくなかったのだ」
 メンバーを募集すればあっさり人は集まるだろうが、困るのはキキョウ自身なのは目に見えていたからである。

「やれやれ……」
 すっかり蚊帳の外に置かれたシルバだった。
「司祭様……」
「ん?」
 近付いてきたのは、何組かのパーティーだった。
 彼らはシルバの前でゴドー聖教の印を切り、頭を垂れた。
「有り難い冒険者の心得、痛み入りました。よければ、違う説法も頂ければと思うのですが……」
「い、いやいや、別にそんな大した話はしてないし!」
 ドン引くシルバだった。

 数時間後、某酒場。
 ドン、と勢いよくカウンターにジョッキが叩き付けられた。
「はぁ!? 何で、そんな事になってんの!?」
 商人の美少女は、情報屋から入手した話に声を荒げていた。
「信者増やして、新米パーティー十九組と協定結んで、しかもその{団体/グループ}の相談役……? 訳分かんないわ……何それ?」



 ちなみに、書いた本人が一番驚いてます。
 何でこんな事になってるんだか、主人公。



[11810] 魔法使いカナリー見参1
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/09/29 05:55
実に説得力のある感想を頂いたので、このまえがき文章だけへろっと修正。
また違う回でネタバレ臭いのをやっちゃうかもしれませんが、今回は調整自重。
タイトル通り、魔法使い登場の話です。
……表題考えてたら、何か魔法少女モノの第一話みたいな見出しになったので、少しだけ悩んだという裏話があります。
あと、短め分割で進めますんで、前中後編ではなく番号振りでいきます。


 多くの学生や魔法使いが通う、都立アーミゼスト学習院。
 時刻は夕刻にも関わらず学生食堂は、帰宅前の生徒らや徹夜予定の研究員でそれなりに混んでいた。
 そしてその食堂の一隅は、ある意味非常に目立っていた。
「……なるほど、よく分かった」
 長い金髪、紅眼の美しい青年が、香茶に口付ける。
 純白の貴族衣装に、赤金の刺繍が入った同色のマント。
 恐ろしく派手であり、椅子まで何故か学食のモノではなく、豪華な造りになっている。左右に赤と青のドレスを着た美女を侍らせながら、彼は目の前の少女の話を聞き終え、目を鋭くさせた。
「つまり、そのシルバ・ロックールという男が、女の敵という事だな。断じて許せん」
 カップを皿に戻すと、青年は勢いよく立ち上がった。
「え、あ、あの……」
「任せておけ。このカナリー・ホルスティンは、常に女性の味方だ。すぐにそのロックールという男を探し出し、始末を付けてこよう」
 自信満々に言うと、マントを翻して美女達と共に食堂を出て行くカナリーであった。


 学習院付属の図書館で予約してた資料を借りたシルバ・ロックールは一人、キャンパスを歩いていた。
 白い軽装法衣を羽織った、収まりの悪い髪の少年だ。
 初心者訓練場での戦いから三日、冒険者ギルドで後衛候補を募ったり、何だか出来てしまった19ある初心者パーティーで構成された{団体/グループ}をまとめたり、教会への報告でなかなか{学習院/ここ}に来る機会がなかった。
 まあ、予約期限が切れて、資料が流れなかっただけ御の字としよう。
 そう思う、シルバであった。
「……ま、読むのは晩飯食ってからかな」
 書物の入った革袋を軽く叩き、のんびりと宿の方角を目指す。
 ふと、正面に夕日を背に誰かが立っているのに気がついた。
「シルバ・ロックールだな」
 逆光になって見えないその人物が、問う。
「は?」
 ひょい、と相手は手に持っていた長物を投げた。
 抜き身のサーベルが弧を描き、シルバの足下に突き刺さった。
「なぁ……っ!?」
 危うく自分自身に刺さりそうになったのを、かろうじて退いて避けられホッとする。
 その彼を、白いマントをはためかせた青年は赤い目で見据え、指差した。
「僕の名前はカナリー・ホルスティン。由緒あるホルスティン家の正当継承者だ。君に決闘を申し込む」
「……は、い?」
「君に弄ばれたエーヴィ・ブラントという少女の名を忘れたとは言わせない。彼女の名誉の為、成敗を下す」
 聞き覚えのない名前だった。
 誰? と混乱するシルバに、青年――カナリーは自身もサーベルを抜いた。
 相手はやる気満々のようだが、シルバとしてはいきなりそんな喧嘩を売られても困る。今日はもう宿に戻って、晩飯食ったら読書に勤しむ予定なのだ。
 切った張ったをするつもりはないし、それは前衛の仕事である。
 何より、身に覚えのない因縁だ。
「い、いや、忘れたというか……聞き覚えがないんだけど。え、海老……何? 誰?」
「とぼけるというのか!」
 メチャクチャ叱られた。
「いや! 本当に覚えがないんだって! 本当に、どこの誰だよ!」
 激昂したカナリーは、シルバの足下に刺さるサーベルを指した。
「ならば、その身に教えてやる! まずは{剣/サーベル}を取れ!」
 問答無用であった。
「ちょっと待てーっ!?」
「どうした! 臆したか!」
「臆すも何も、意味が分からねーっつーの! 理由も分からず戦えるか! 第一、学校の中だぞ?」
 見ると、ちらほらと学生や研究員が自分達に注目していた。
 しかし、カナリーは空気を読まない人間のようだった。
「理由ならばこちらにはある! 戦いなど知らぬ少女に代わり、僕が剣を取ったまで! そして戦いとは決断した時に、場所など選んでおけない!」
「そこは選ぼうよ!? 退学になったらどうするんだ! それにもう一回言うけど、その海老なんとかに心当たりがないんだって!」
「そうか……どうしても、武器を取らないのだな」
「大体、俺は剣なんて使えねーし……」
 シルバの術は、基本補助と回復に限っている。
 白兵戦はもっての他、戦闘用の呪文すら――一部の例外を除いて――持っていない。
「だが、それはそちらの都合! 大人しく刃の錆となれ!」
「っておいーっ!?」
 サーベルを水平に振るい、カナリーは滑るような素早い動きでシルバに迫ってくる。
 術を唱えようとしたが、それよりも懐に入られる速度の方が圧倒的だ。まるで猫のような機敏な動作に、シルバはとにかく無我夢中で仰け反り――
「くっ!?」
 ――カナリーのサーベルが空振った。
「……あれ?」
 驚いたのはむしろ、シルバの方だった。今のはほぼ確実に命中する距離だったのに、何故外れたのか。
 わずかにたたらを踏んだカナリーだったが、すぐに体制を整え剣を構え直す。
「逃げるな!」
「っと……」
 刃が風を切る音が、耳元で響く。
 今度は落ち着いて避ける事が出来た。
「くぅっ、はっ、このっ!」
 カナリーは勢いよくサーベルを振るうが、その動作はどれも直線的で、シルバですら回避は用意だった。
「ちょ、ちょっと待て。もしかしてお前……」
「はぁ……はぁ……」
「メチャクチャ弱い?」
 さすがに連続して空振りを続けるのは疲れるのか、息を荒げるカナリーに、シルバは核心を突いた。
「そ、そんな事はない! 元々僕は剣など使わないのだ!」
 何か、メチャクチャ動揺していた。
「じゃあ、使うなよ!?」
「決闘と言えば剣だろうが! それとも銃が望みだったか!」
 なら出すぞ、と懐のホルスターからフリントロック式の拳銃を取り出そうとする。
「どっちもやだよ!? っていうか戦う事前提で話進めるのやめろよ!? まずは、落ち着いて話を」
 シルバの台詞を遮り、カナリーは再びサーベルを握りしめた。
「問答無用っ!!」
 腰だめに構えて突進してくる。
「必要だろっ!」
 単純な攻撃だが、恐ろしく速度がある。
 迫る刃を前に、シルバはどうする事も出来ず、
「シルバ殿に何をする」
 キキョウに助けられた。
 細身の鋭利な刀がサーベルの刃を難なく受け止めていた。



[11810] 魔法使いカナリー見参2
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/11/14 04:34
「むぅっ……!」
 キキョウの力量を見て取ったのか、カナリーは後方に回転しながら間合いを取る。
「キ、キキョウ」
「……シルバ殿の危難の声が聞こえたのでな。来てみれば、何だコレは」
「いや待て。お前、どういう耳をしているんだ?」
 ちなみにシルバが使う情報伝達用{精神共有/テレパシー}の有効距離は、キキョウの宿には届いていないはずだ。
「ふ……些細な事を気にするな」
 気になるけどなーと思うシルバだった。
 しかし状況はそれを聞いている場合ではない。
「邪魔をするのか! 名を名乗れ!」
 カナリーの凛とした声が、キャンパスに響く。
 美形二人の対決に、もう生徒数も大分減ったはずの広場に観客が集まってくる。何というか、シルバは自分がとてつもなく場違いな場所に放り込まれているような気分になってきた。
 キキョウとカナリーの間の緊張感は、途切れる様子がない。
「キキョウ・ナツメ。遠き地ジェントより参った流浪人だ。シルバ殿に覚悟の猶予も与えぬこの戦、決闘とは言い難い。義理あって助太刀いたす」
 刃を納め、キキョウは抜刀術の構えを取る。
「そうか。ならば、僕も本気を出さざるを得ないようだな……」
 一方、カナリーもサーベルを鞘に納めた。
「キ、キキョウ」
「シルバ殿、ここは某が。彼が何者かは知らぬが、貴殿には指一本触れさせぬ」
 カナリーを見据えたまま言うキキョウの前に、シルバが回り込もうとする。
「いや、そういう訳にはいかないだろ。何かよく分からないが、こりゃ俺のトラブルみたいだし」
「水くさいぞ……パーティーリーダーの危機は某の危機でもある」
「2対1か。時間もよい具合だ。僕も本気を出すとしよう」
 カナリーは、腰に差したサーベルを地面に棄てた。
 紅い瞳が輝きを増し、唐突に魔力が膨れあがる。
「……待て、まさかお前」
 夕日はとうに沈み、徐々に酷なる夜の闇に外灯が淡い光を放ち始める。
 空には無数の星と大きな月。
 それらを背に、カナリーは形のいい唇を笑みの形に歪めた。
 舞台の主人公のように両手に広げた手から、紫の放電が生じる。
「言っていなかったが僕の本職は魔法使い。月の魔力、とくと味わうといい」
 ふわり、とカナリーの身体が、宙に浮き上がった。
「やべえ……」
 シルバの全身が総毛立った。
(全力で避けろ、キキョウ!)
 口にする余裕もなく一気に念波をキキョウに送り込みながら、シルバは横っ飛びに回避運動をとった。
「ぬ!?」
 キキョウも返答せず、言われるまま後方に跳躍した。
「――{紫電/エレクト}!」
 直後、二条の放電、いや落雷が、シルバ達の立っていた位置に突き刺さった。
「コイツ、吸血鬼だーーーーーっ!?」
 衝撃に吹き飛ばされながら、シルバは叫んだ。
 地面を転がり、態勢を整える。
 {不死族/アンデッド}、吸血鬼。夜と月の眷属。知性のある鬼。日の沈んだ今、相手の力はさっきまでとは比べモノにならなくなっているはずだ。
 ふと、視線の先に赤と青のヒールが目に入った。思考を停止して見上げると、絶世の美女二人がシルバを見下ろしていた。
「お、お仲間さんですか……?」
 引きつった笑みを浮かべるシルバの問いに答えず、二人の美女はマネキン人形のような笑みを崩さないまま、拳を振り下ろした。
「行け、ヴァーミィ、セルシア!」
「ちょ、2対3じゃねーかっ!」
 シルバが指を鳴らした。
 ほんの一瞬二人の動きが硬直し、その直後、煉瓦敷きの地面が派手に粉砕される。
「へえ、アレを避けるとは、かなりやるな」
 長い金髪とマントをはためかせ、優雅に宙を舞いながら、カナリーはシルバを見下ろした。
「あ、危なかった……」
 ドッと噴き出た汗を拭う。{鈍化/ノルマン}の術が咄嗟に間に合わなければ、今頃骨折で済めば運のいい方だっただろう。
 この攻撃力は、明らかに人間技ではない。機械のような反応と言い、目の前の二人はおそらくカナリーの従者なのだろう。
「――よそ見をしている場合か、吸血鬼」
 いつの間にか高く跳躍していたキキョウが、カナリーの正面に迫っていた。鞘から放たれた超高速の刃が彼を襲い、
「無駄だ」
 すり抜けた。
 吸血鬼の特性の一つ、霧化だ。
「ぬうっ……!?」
 手応えのなさに、キキョウが唸る。
 それどころか、キキョウの身体ごと、カナリーの肉体を通り抜けていた。後はもう、自由落下しかない。
「昼間ならともかく、夜の吸血鬼を相手に加減をしたままで勝ち目があると思うのか? ――{雷閃/エレダン}!」
 手で鉄砲を作ったカナリーの指先に、紫電が収束する。
「キキョウ、やばい――くそ、{小盾/リシルド}っ!」
 {飛翔/フライン}は詠唱が間に合わない――そう判断したシルバは一音節で構成される術と共に、指を鳴らした。
「ぬ!?」
 直後、キキョウの足下に円形の魔力障壁が生じた。キキョウはそれを足場に疾走、跳躍を連続で行い、雷撃のビームを回避する。
 直後、その障壁をカナリーの放った電撃のビームが貫通した。収束した分、相当に威力が高いらしい。
「へえ、面白い術を使うな、ロックール!」
「シルバ殿、すまぬ!」
 シルバのすぐ傍に着地したキキョウは、そのまま二人の従者への対応にスイッチした。
「こっちこそ!」
 背中をキキョウに預け、シルバは夜空に浮かぶ吸血鬼を見上げた。
「ふふ……さあ、どうする」
「ずいぶんと余裕のようだが……っ、貴公も某の愛刀をタダの刀と思われても困るな!」
 従者二体を相手取りながら、キキョウが笑う。
 振るう刀身には、ほんのわずかだが血の跡が残っていた。
「む……魔剣の類っ!?」
 カナリーはようやく気づき、頬に手をやった。赤い一本の線が、頬に浮かび上がっていた。
「否、これは魔剣にあらず。妖刀と呼ぶのだ」
「……よくも僕の顔に傷を付けてくれたな! ――{雷雨/エレイン}!!」
 これまでにない巨大な紫電が、雨あられとシルバとキキョウを襲う。まさしく雷の豪雨だ。
 見物していた学習院の生徒らも、慌てて逃げ惑う。
「ぬうっ!」
 シルバもギリギリ致命傷は避けているが、決して無傷というわけではない。全身に擦り傷が生じているし、何より雷属性の厄介な点は直撃していなくても毒のように徐々に肉体を蝕んでいく所にある。いわゆる感電という奴だ。
「いい加減にしろよ、ったく……!」
 カナリーの詠唱は早く、シルバも後手に回らざるをえない。
 しかし、勝算がない訳ではない。ただ、勝つ為には少しだけ、時間が必要だった。
 口の中で、術の詠唱を開始する。そのまま念波をキキョウに送った。
(……キキョウ。一つ頼みがある)
(何なりと)
「よし!」
 キキョウに短い指示を送ると、シルバは駆け出した。
「何!?」
「シ、シルバ殿!?」
 空に浮かぶカナリーはもとより、キキョウにまで背を向けて、キャンパスから脱しようとする。
 無様に逃げるシルバに、一瞬呆気にとられたカナリーは直後、激怒した。
「この……卑怯者めっ!」
 指鉄砲の先に、紫電が収束する。カナリーの雷撃魔法の中で、もっとも威力が高く速い、{雷閃/エレダン}の発動だ。もとより目標は彼一人。この術が一番確実だ。
「せっかちだなぁ、おい!」
 その時にはもう、シルバは目的の場所に到達していた。
「くれて――」
 地面に突き刺さったままの『それ』を引き抜き、
「――やんよ!」
 カナリー目がけて投げつけた。
「しまった……!!」
 失敗を悟ったカナリーだったが、発動した{雷閃/エレダン}はもはや{中断/キャンセル}出来ない。彼目がけて飛んでくる『それ』――サーベルに直撃する。
 そしてようやく唱え終えた術を、シルバは解き放つ。
「行くぜ……{回復/ヒルグン}っ!」
 発動したシルバの祝福が、広場全体を青い聖光で照らす。その光は自分達の回復が目的ではない。
「がぁ……っ!?」
 {不死族/アンデッド}であるカナリーは聖なる光を浴び、想像以上にダメージを受けていた。それこそまるで、全身に電撃を食らったかのようなショックを味わい、蚊とんぼのように墜落する。
 キキョウが相手取っていた従者達も同様で、糸が切れた人形のように二体の貴婦人はその場に倒れ伏した。
「今だ!」
 落下するカナリーにトドメを刺すため、キキョウは身を翻して駆け出そうとする。
「ストップ、キキョウ!」
 慌ててシルバが手で制した。
「シルバ殿!?」
 予想外だったのか、キキョウは足に急ブレーキをかける。
「話し合いだ、キキョウ。……それにホルスティン。事情も分からないまま戦うのは、反対なんだよ」
 カナリーが地面に激突する直前、シルバが放った{大盾/ラシルド}がそのショックを和らげた。
「……何よりほら、俺聖職者な訳だし」
 困ったように、髪を掻くシルバだった。

 学習院広場に、静けさが戻る。
 様子を伺っていた生徒達がちらほらと、校舎からシルバ達を覗き見ていた。
 早く逃げた方がいいかもしれないな、と思うシルバにキキョウが近づいてきた。
「すまぬ、シルバ殿。助けに入って、逆に余計な手間を増やしてしまったような気がする」
「いや、正直助かった。俺一人じゃ、どうなってたか」
「そう言われると、救われるが」
「ともあれ、うまい支援助かったよ」
「む?」
 キキョウは、何を言われているのか分からないようだった。
 シルバが付け加える。
「最後の演技」
「ああ、あれか。シルバ殿も無茶を言う。人形二人を相手取りながら、『驚く振り』などそうは出来ぬぞ」
「悪い」
「何の。互いに無事で何よりだ」
「だな」
 拳と拳を打ち合う二人。
 作戦は単純だった。
 敢えて背を見せ、シルバが単独になる。
 そうすれば、必ずカナリーはシルバ単体を狙う。そう睨んでの行動だった。
 後は逃げた振りをして、避雷針の役割を果たしてくれるサーベルまで間に合えば、勝機は見える。そう踏んだシルバであった。
「……さて」
「……くっ」
 カナリーはまだ回復が効いているらしく、地面に突っ伏したまま動けないでいるようだった。
「ほれ」
 シルバはしゃがみ込み、手を差し出した。
「な、何を……」
「寝転がったまま、話は出来ないだろ。かと言って、回復も{不死族/アンデッド}には逆効果だし、{生命力/ライフエナジー}を吸えば、多少は癒せるはずだ」
「シルバ殿!?」
「大丈夫だって。一応正々堂々と名乗ったわけだし悪い奴じゃないと思うんだ。吸いすぎないならいいさ」
「……やり過ぎるようなら、即座に斬って捨てるぞ」
 刀の柄に手をやり、キキョウは警戒したままだった。
「敵に情けをかけるか……」
 カナリーは、悔しそうにシルバの手を睨んでいた。
「敗者は敗者らしく言う事聞けよ。こっちはそっちが何もしないなら、戦うつもりはないんだし」
「くそ……っ」
 震える手で、シルバの手を握る。
「くっ……」
 全身を襲う気怠い感覚に、シルバは少しだけ目眩を覚えた。
「シルバ殿、大丈夫か」
 心配そうに見つめるキキョウに、シルバはヒラヒラと手を振った。
「……大丈夫。それはいいから、とにかくまずは逃げよう。キキョウ、そこに転がってる革袋とサーベルを回収」
「む?」
「教授達が来るのも時間の問題。事情聴取で、余計な手間取りたくないだろ」
「た、確かに……!」
「まあ、後でお説教は受けるとして、まずはこっちの話を片付けないとな。一体どういう事か聞かせてもらうぞ、カナリー・ホルスティン」
「……わ、分かった」
 なんだかやけに華奢なカナリーに肩を貸し、立ち上がる。
 赤と青の従者は、カナリーが術を解いたのだろう。いつの間にか消えていた。
 とりあえず学習院から脱出しよう……と思ったシルバ達の前に、一人の女性が立っていた。
「どうしてですか!」
「うん?」
 外灯の下に立っているのは、二十歳前ぐらいだろうか、ブルネットの髪の大人しそうな女性だった。
 彼女は、険しい顔をシルバ……ではなく、カナリーに向けていた。
「何で、こんな事になってるんですか、ホルスティン先輩!」
「……誰?」
 シルバは小声でカナリーに尋ねてみた。
「あれが、件のエーヴィ・ブラント嬢だ」
「あれが!?」
「本当に、覚えがないのか、シルバ・ロックール。彼女の話では、君は彼女を無理矢理襲い、その後もそれをネタに何度も関係を強要したという話だぞ」
「そんな地獄に堕ちるような真似するか! 教会から破門されるわ! ……ん? いや、でも、ちょっと待て。……確かに彼女はどこかで……んん?」
「やはり、覚えがあるんじゃないか!」
「だ、だからちょっと待てって! 考える時間をくれよ!?」
 弄んだ、というカナリーの糾弾には覚えがない。
 しかし、彼女の事は、何だか見覚えがあるのだ。だが、それがどこかが思い出せない。カナリーが言うほど酷い事なら、記憶にあるに違いないのに。
 すると、二人の間にキキョウが割って入った。
「いや、見覚えがあって当然だ、シルバ殿」
「キキョウ?」
「彼女は、某が用心棒を務めていた酒場のウェイトレスだ」
「「何ぃ!?」」
 シルバとカナリーが同時に叫ぶ。
 同時にシルバも納得もした。道理で見覚えがあるはずだ。常連というほどではないが、シルバもよくキキョウが働いていた酒場には出入りしていた。
 女性――エーヴィ・ブラントは、キキョウを見て心配そうな表情をした。
「ナツメさん、大丈夫ですか? そんなに傷だらけになって……」
「……ブラント嬢、詳しく話を聞かせていただきたい」
 厳しい表情で、キキョウはエーヴィを見据えた。



[11810] 魔法使いカナリー見参3
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/10/27 00:58
 最初に作ってたプロットから後半大きく変更した為、更新の時間が遅れました。
 本来がどういう話だったかは、本文途中のシルバ・キキョウによる精神共有コントから察して下さい。
 今回はまた賛否両論あるだろなーと思いますが、どうぞよろしくお願いします。


 学習院からかなり離れた、割と大きめの酒場。
 冒険者達で混雑する、そんな店に四人は入った。
 学習院の理事に叔父がいるというカナリーが、使いの者に騒動後始末の手紙を託し、戻ってきた。
 何故か、カナリーは壁に引っ付く形で造られた長椅子に腰掛ける、シルバの左隣に座った。
「……何だ、この席の並び?」
 ちなみに右隣はメニューを眺めているキキョウだ。
 四人席であるにも関わらず、3対1という構図になっていた。
「仕方がないだろう。敵と味方がよく分からないんだから」
 小声で、カナリーが囁く。 さすがに彼も、もはやエーヴィが見た目通りの大人しい女性とは、思わないらしかった。
「某はシルバ殿の味方だぞ?」
 メニューから目を離さないまま、同じようにキキョウも呟く。
 すると、正面のエーヴィがキッとシルバをにらみ付けた。
「ロックールさん、ナツメさんから離れてください!」
「いや、どう見ても今身を寄せたの、キキョウの方だよね!?」
 しかし彼女はシルバの抗議を無視して、今度はカナリーの方を向いた。
「それで……一体、何故、ナツメさんがこんなボロボロになっているのか、説明してもらえますよね、ホルスティン先輩」
「え? や、やっぱり、僕が説明するのか?」
 カナリーが戸惑うように、シルバ達を見た。
「俺達としては、サッパリ話が見えないんだが。まず、俺が襲われた理由を知る為にも、二人のどちらかには話してもらいたいな」
「まったくだ。ところでシルバ殿。このバナナチョコクレープパフェというのを注文してもよいかな?」
 キキョウは真剣な顔をシルバに向けると、メニューの一点を指差した。
「キキョウ、お前も空気読め」
「うむ。では、某はこれにしよう。あとイチゴセーキだ」
「俺は香茶とフライ定食」
 とりあえず、シルバも注文する事にした。ウェイトレスを呼ぶ為、軽く手を挙げる。
「ロックール。君も空気を読め」
 苦い顔をするカナリーに、シルバはジト目を向けた。
「腹減ってるんだよ。余計な運動したから」

 注文を終え、カナリーの説明が始まった。
 それほど難しい話でもない。
 呼び方からも分かる通り、カナリーとエーヴィは先輩後輩の仲なのだという。
 特に親しい間柄、というほどではないが、基本的にカナリーは面倒見がいい性格らしく、沈んだ様子をしていたエーヴィに相談に乗って欲しいと言われ、授業が終わってから時間を作った。
 そして、食堂の隅でエーヴィの話を聞いてみると、これが実に由々しき事態だった。
 卑劣な男に脅迫され、無理矢理肉体関係をもたされている、などという話を聞かされ、カナリーは黙っていられる性格ではない。
 即刻その男を締め上げようとした所、相手は同じ学習院に所属しており、運良くキャンパスで見つけたという次第だった。
 つまりその男というのが、シルバである。

 もちろん、シルバには一切、身に覚えのない話だった。
 しかも、キキョウが話に入る余地がまったくない。何故、彼女が怒っているのか、今の話ではまるで分からない。
 いや、何となく予想は出来るのだが……。
 微かに頭痛を憶えながら、シルバはテーブルを指で叩いた。
「ちょっと話を整理してみよう。ホルスティンは、ブラントさんから俺が鬼畜だという話を聞き、成敗しに来た」
「うん。悩みがあると言うから聞いてみたら、そんな内容だった」
 ずいぶん短気な奴だな、とシルバは思った。
「しかし、俺にはまったく身に覚えがない」
「それを証明出来るか」
「むしろ、彼女の告発以外に、明確な証拠はないのか? 何回も関係を強要したと言うが、その具体的な時期を教えてくれ。俺はその時のアリバイを証明しよう」
「……という事だが、ブラント君?」
 カナリーが、エーヴィに尋ねた。
「そんな事は、もうどうでもいいんです」
「何!?」
 アレだけの騒動を起こしておいて、余りと言えばあまりな言い分だった。
 さすがに、カナリーも絶句したようだった。
「それよりも、ナツメさんが怪我をした事が、わたしにとっては重要なんです!」
 エーヴィは、キキョウの方を向くと、一転して心配そうな表情をした。
「大丈夫でしたか、ナツメさん」
「う、うむ。シルバ殿に治療してもらったし、大したダメージはない」
 シルバは彼女から目を離さず、カナリーの脇腹を肘で小突いた。
「……おい、ホルスティン」
「……ああ、ロックール。多分、同じ事を考えている。だが、動機は何だ?」
 ヒソヒソと、話し合う。
「そりゃ俺が排除されて、彼女に得があるんだろ? そしてキキョウが傷を負った事で、彼女は怒っている。まあ、学習院の時点で薄々気付いていたけど、彼女の真の目的は俺じゃない」
 シルバとカナリーの視線が、同時にキキョウに向けられた。
「某か!?」
「貴方さえいなければ、ナツメさんは解放されるんです。早くパーティーを解消して下さい」
 エーヴィの糾弾が、シルバの推測を裏付けていた。
 が、もちろんそんな事で、納得するシルバではなかった。
「……いや、キキョウの意志はどうなるんだ?」
「そんなのわたしと同じに決まってます。パーティーが解消されれば、一緒にいる時間が増えるんですから、嬉しいに決まっているじゃないですか」
 エーヴィは断言した。
 そんな彼女の様子に、不意にシルバは背筋に寒気が走った。
 大人しそうな外見に騙されてはいけない。
 目の前の女性は、下手なモンスターよりもよっぽど厄介な存在だ、と本能が告げていた。
「……キキョウ、ホルスティン。俺は今、この場から猛烈に逃げたい気分なんだが」
 自分一人なら、即刻席を立っている所である。
「奇遇であるな。某も同じだ」
「全く同感だ。こんな茶番に付き合ってはいられない」
 しかし、ここでケリをつけないと、いつまでもしつこく付きまとわれそうでもある。
 逃げ腰になる自分の心を奮い立たせ、シルバは何だか妙にどんよりとした瞳をした、エーヴィを見据えた。
「そもそも、ブラントさんはキキョウの何な訳?」
「決まっているじゃないですか。彼女です」
「違っ……!?」
 キキョウは涙目でシルバの袖を掴み、必死に首を振った。尻尾がピンと立ち、総毛立ってもいた。
 カナリーも動揺で、身を乗り出していた。
「つ、付き合ってたのか!?」
「そうです。一緒に買い物にしたりしましたし」
 そうなのか? とシルバが尋ねると、キキョウはシルバの腕にしがみついたまま、彼女に尋ねた。
「そ、それは、酒場の買い出しの事ではないのか?」
「よくお話もしますし」
「そ、それは、同僚だから当然であろう……?」
「一緒に帰った事だってあります」
「帰りを送った事は一度もなかったはずだが……す、すまぬが、それに関しては全く身に覚えがないぞ?」
「やだな、わたしのじゃありません。ナツメさんの帰りですよ。早朝の。ちょっと距離おいてますけど」
 あまりにも二人の間の認識に齟齬があるなと感想を抱き、思わずシルバは口を挟んでいた。
「距離ってどれぐらい?」
「たいした距離じゃないですよ。私とナツメさんは、心と心が通じ合っているんですから、50メルト程度、問題じゃありません」
 突然、カナリーが立ち上がった。
「ロックール、悪いが僕はこれで失礼させてもらう。詫びは後日、改めてと言うことでよろしく頼む」
 ポケットから取り出したハンカチで汗を拭う彼の腕をつかみ、シルバはカナリーの逃走を封じた。
「待て。お前も当事者だ。ここで逃げるなんて許さん」
 そういうシルバ自身も、背中から嫌な汗が流れているのを自覚していた。
 下手をすれば、カナリーの{生命力吸収/エナジードレイン}を喰らいかねないが、むしろ望む所だった。いっそ、気絶したいぐらいである。
「離してくれ。こんなサイコサスペンスに僕を付き合わせるな」
「断る。こういうのを死なばもろともって言うんだ。旅は道連れともな」
「とにかく、ホルスティン先輩は、ナツメさんを傷つけた事を謝って下さい! それからロックールさんはさっさとパーティーを解散させてくれないと、わたし達、困るんです」
 一括りにされてしまい、さすがにキキョウも黙っている訳にはいかないようだった。
「……いや、困るのは、ブラント嬢だけであろう。某はパーティーを抜ける気はない」
「ナツメさんは騙されているんですよ!」
「騙されていない! そもそも、ブラント嬢は単なる同僚以外の何者でもないではないか!」
「……ナツメさん、可哀想。すっかり洗脳されちゃってるんですね」
 哀れむように、エーヴィはキキョウを見た。
「シルバ殿……助けてくれ」
 キキョウは途方に暮れたような声を上げた。
「……むしろそりゃ、こっちの台詞だ」
 何と言う事、一番の当事者はシルバなどではなく、キキョウだったのだ。
 その時、ちょうど注文の料理が届いたので、話は中断となった。
(何とも厄介な話だよなぁ、キキョウ)
 シルバは香茶を飲みながら、精神共有を使ってキキョウにぼやいた。
(……すまぬ)
 キキョウが悄然と項垂れる。
 しかし、そのままパフェを食べる手は休めないのだから、器用な話だ。
(別にお前のせいでもないだろ。こんな酷い話、初めてだし……まあ、手がない訳でもないんだけど)
(本当か!?)
(うん。まず、根本的な問題ってのが分かりやすい。つまり、彼女は自分がキキョウと付き合っているという妄想の中にいる。だから、その妄想をぶち壊せばいい)
 ちぎったパンをスープに浸しながら、シルバは心の中で答える。
(……例えば、某が誰かと付き合っていると嘘をつく、とか?)
(その通り)
(だがシルバ殿、今度は某の相手役になる娘に災難が降り掛かるだけではないか)
(いや? そうでもないぞ。相手は別に女である必要はない。例えば相手を男にすれば、もしかしたらブラントさんはお前を嫌ってくれるかも知れない。まあ、この場合は俺かカナリーが適当だが)
(――それで行こう、シルバ殿。是非それで頼む)
 決断早っ!?
(問題点がないでもないんだ。つまり今後、俺とキキョウが周囲から、そういう好奇の目で見られるっていう……)
(某は一行に構わぬ。むしろ望む所)
(うぉいっ!?)
「……さっきから、何故、黙っているんですか?」
 訝しげな視線を、シルバとキキョウに向ける、エーヴィ。
(……さっきの案は、それなりにリスクがある。という訳で、もう一つの方法で片を付けようと思う)
(うう……こういう事には某、とことん無力ですまぬ。よろしく頼む、シルバ殿)
(おっけー。任せろ)
 シルバは精神共有を打ち切ると、大きく息を吐いた。
 腹は、一応満たされた。
 左隣を見ると、カナリーがまずそうに、赤ワインを舐めている。
 萎えかけていた精神を奮い立たせ、姿勢を正した。
「ブラントさん」
 カップを皿に戻し、シルバはテーブルに乗せた手を組んだ。
「何ですか?」
「まず、貴方はホルスティンに詫びるべきだ。彼がキキョウを傷つけたと主張しているが、そもそも種を巻いたのは貴方自身でしょう? 本来無関係の人間である彼を巻き込んだ非は、貴方にあります」
「それは……」
「第一、そんな卑劣な手段を使う人間を、キキョウは好みません」
「そうなんですか!?」
 驚くエーヴィに、当たり前だろうとシルバは思ったが、表情には出さなかった。
「う、うむ。それは、当然だろう」
 同じ思いらしく、キキョウも頷いた。
「……分かりました。その点については、謝ります。ホルスティン先輩、すみませんでした」
 あっさりと、頭を下げるエーヴィだった。
「う、うん。分かってもらえればいい」
 とはいえ、反省はしてないよなーと思う、シルバだった。
 しかし、順序というのは大切で、一つずつ段階を踏んでいかなければならない。
 ここからが、厄介な所だ。
「そして次に、君はキキョウとは付き合っていない」
「貴方が決めないで下さい!」
 案の定、エーヴィはきつい目でシルバを睨んできた。
「……ブラント嬢にも決める資格があるとは思えぬがなぁ」
 キキョウの疲れたようなぼやきは、彼女の耳に届かないようだ。
「色恋沙汰を他人が判断するのは難しいけど、聞いた限りではお二人が交際関係にあるとは到底思えません。そう思いませんか、ホルスティン」
 突然話を振られ、カナリーはちょっと驚いた。
「ん? あ、ああ、そうだな。それは僕も同意しよう」
「何なら、学習院の友人達に聞いてみるといい。勤め先である酒場のマスターや常連客でも構わない。貴方のやっている事はただの付き纏いに過ぎません」
「違います! わたしはナツメさんと恋愛関係にあるんです!」
 エーヴィが主張し、シルバはキキョウの脇腹を突いた。
 一瞬驚いたキキョウだったが、すぐに頷いた。
「ブラント嬢、もう一度言うが某は貴方を同僚以上の存在と思った事はない」
「……っ!」
 わずかに怯んだエーヴィは、次に標的をシルバに絞った。
「貴方が……! 貴方が余計な事を、ナツメさんに吹き込んでいるんです! そうに違いありません! どうしてわたし達の恋路を邪魔するんですか!」
「そりゃ当然だろう」
 口調を戻し、シルバはエーヴィの目をジッと見た。
「キキョウは、ウチのパーティーの一員なんだから、守るのが俺の務め。こっちだって、アンタの身勝手な行動に迷惑してるんだ」
「っ……!」
「で、最後にもう一回尋ねるけど、どうしてもキキョウを諦める気はないんですね?」
「と、当然よ!」
 エーヴィの肯定に、キキョウが心底うんざりした表情になった。
「キキョウの方は、付き合ってないと主張する。いいよな」
「もちろんだ」
「ではま」
 テーブルの上の空になった皿を重ね、空いた場所に革袋を置く。
 学習院の図書館で借りた書物だ。
「今度教会で、司教様の仕事の手伝いをちょっとする事になってさ。その勉強の為に借りたんだが……」
「と、突然、何ですか……」
 怯むエーヴィに構わず、シルバは袋の中から分厚い本を取り出した。
「エーヴィ・ブラントさん。この都市の法廷が、どこにあるか知ってる?」
 シルバは、革張りの『法律書』に手を叩き付けた。
「……今度から、喧嘩を売るなら相手を選んだ方がいい」


 あと一回続きます。



[11810] 魔法使いカナリー見参4(完結)
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/10/16 08:47
「罪状は傷害教唆。それから誹謗中傷による名誉毀損で、貴方には教会に来てもらう事になります」
 改めた口調で、シルバは言った。
「キョウサ?」
 聞き慣れない単語に、エーヴィは眉をひそめた。法律用語など、一般市民には縁が遠いのだ。
「ホルスティンに嘘ついたでしょう? 俺が貴方と無理矢理関係を結んだとか」
 指差すと、カナリーは頷いた。
「言われたな」
「でも実際に襲ったのは、ホルスティン先輩じゃないですか」
 エーヴィの弁解に、カナリーの表情が不快に染まる。
「誰のせいだと思っている」
 一方、シルバの無表情は変わらない。
「そっちはそっちで、俺自身が片を付けるから、貴方には関係ありません。ここで重要なのは、貴方の嘘が事件を引き起こしたって事ですよ。その時のやり取りに関しては、教会の警吏が調べる事になります。何にしても、キキョウへの接触は禁止させてもらいますが」
 接触禁止の言葉が地雷になったらしく、エーヴィはテーブルを拳で叩いた。
「ひ、卑怯じゃないですか! そんな、組織を頼るなんて!」
 シルバは心底不思議そうな顔をした。
「え? 自分の手を汚さず、ホルスティンに俺を襲わせたのは卑怯じゃないんですか?」
「そんな事をして捕まったら、ナツメさんに会えなくなるじゃないですか!」
「あ、そこの所は理解出来てるんですね。そうなります」
 ニッコリ笑うと、エーヴィは顔を真っ赤にした。
「……っ!!」
 その顔を見て、シルバは再び無表情に戻った。
「刑務所か、よくて遠方の修道院でしょう。そちらは司教様の判断になりますが」
「そんな事……っ!」
 エーヴィは食器籠に手を突っ込むと、ナイフを取り出した。
「させ――」
 銀色に光る凶器が、正面のシルバの顔面に迫り。
「な、い……」
 キキョウの細い二本の指に挟まれ、停止した。
 真剣白刃取りである。
「……こういうのは、某の得意とする所。シルバ殿には指一本触れさせぬ」
 素早くエーヴィの手からナイフを奪い、テーブルに置く。
「キキョウご苦労」
「何の」
「ブラントさん、暴行罪もカウント入りましたね」
 いや、殺人未遂かな、とシルバは考える。
 エーヴィは、新しいナイフを籠から手に取ろうとしたが、いつの間にか籠自体がなくなっていた。
「くっ……一体、どこに!」
「悪いけど、僕が回収させてもらった」
 そう言うカナリーの手元にはなるほど、いつの間にか食器籠が引き寄せられていた。
 驚くエーヴィの瞼が、不意に重くなったように、シルバには見えた。
「ぁ……」
 小さく呻くと、エーヴィはそのまま、テーブルに突っ伏した。
「{睡眠/ドリムン}の魔法。悪いけど少し眠ってもらったよ」
 ふぅ、とカナリーは、小さく息を吐いた。
「ホルスティンも、助かった」
「この程度。大した事はしていないさ」
「じゃ、ウェイトレスさん」
 シルバは、興味深くこちらの様子を伺っていたウェイトレスに指を鳴らした。
「ひゃいっ!?」
 驚き跳びはねる彼女に、声を掛ける。
「悪いけどちょっと教会に行って警吏呼んでもらえる?」
「か、かしこまりましたー!」
 ウェイトレスが、早足で退散する。
 その様子を眺めながら、キキョウは微かに笑った。
「召喚の術も使えるとは知らなかったぞ、シルバ殿」

 それから一時間後、三人は教会を出て宿へ帰ろうと大通りを歩いていた。
 酒場で警吏にエーヴィを引き渡した後、近くの教会で簡単な調書を取らされたのだ。
 幸い、シルバ直属の司教がまだ起きていて、詳しい話は明日という話になったので、予想以上に早く帰る事が出来たのだった。
「これから彼女はどうなるのだ?」
 並んで歩くキキョウの問いに、シルバが答える。
「ま、警吏の調査の後、司教様に判断してもらう事になるだろうけど、よくて遠方の修道院。最悪、刑務所じゃないかな。どっちにしろ、もうキキョウには害は及ばないと思う」
 それを聞いて、キキョウはホッと表情を緩めた。
「そうか。手間を掛けた」
「いや、つーか今回の一番の被害者って、実際俺達のどっちなんだ?」
「それはもう、完全にとばっちりを食ったシルバ殿ではないのか?」
「けど、元々のターゲットって意味だと、キキョウだろ」
「では、痛み分けという所で如何か」
「うん、それと」
 シルバは、反対側を向いた。
「一応、巻き込まれたって意味だとアンタもそうだよな、ホルスティン」
「ああ、迷惑を掛けた。罰なら、甘んじて受けよう」
 今更反省しているのか、カナリーは少し凹んでいるように見えた。
 それを見て、シルバはちょっと意地悪してみたくなった。
「……うーん、すごいのが一つあるぞ」
「何?」
 怪訝そうな顔をするカナリーに、シルバは後ろの教会を指差した。
「ウチの司教様は説法長くてさ。多分、ブラントさんは司教様必殺の一週間連続説法とか受ける事になると思うんだけど、一緒にやってみるか? 死ねるぞ?」
 にやっと笑って見せると、カナリーは色白の顔をサッと青ざめさせた。
「ぅ……いや、それで君が納得するというのなら、今からでも教会に向かおう」
 踵を返そうとするカナリーを、シルバは慌てて留めた。
「いやいや、待て待て。冗談だ。教会で吸血鬼が説法食らうなんて、笑い話にもならない」
「ははっ、それはシルバ殿の言う通りであるな」
 シルバは話を真面目な方向に戻す事にする。
「ま、慰謝料ならブラントさんの方からもらうし。そっちは学食で奢るぐらいでいいさ。今度から早とちりに気ぃ付ける事と、あとは例の俺の悪い噂が流れてたらその訂正かな」
「分かった。その点は任せてくれ。学習院での、僕の全権力を用いて、阻止してみせよう」
「いや、そこまで大袈裟にするなよ!?」
 どうも、紫電の魔法といい、派手なのが好きなようだ。
 市庁舎の前を通り掛かり、シルバは名物でもある大時計を確かめた。
「つーかもう、今日の夜の予定が狂いまくりだし……」
 ちょっとうんざりする。
「む、シルバ殿、何かあったのか」
「飯食ったらその後、この本読もうと思ったけど……こりゃ、このまま就寝コースだな。明日もここに来なくちゃならないし」
 冒険者ギルドは、市庁舎の中に存在する。この都市は冒険者が集まる事で発展し、また為政者や役人の多くも元冒険者が多い。
 ここ数日、シルバはその冒険者ギルドに出入りを繰り返している。
「そっちは、某が行ってもよいぞ」
「いいって。前みたいな事になったら困るし」
 キキョウの申し出に、シルバは手をヒラヒラと振った。
 それに対し、カナリーが首を傾げる。
「何だ、前って? そもそもギルドに何をしに行くんだ、ロックール」
 シルバは肩を竦めた。
「まだ面子が足りないんでね。パーティーメンバー募集中。ただ、キキョウが行くと、余所のパーティーからスカウトが集まってくんのよ。特に女の子の」
 それはもう、売れっ子の吟遊詩人と同じかそれ以上に寄ってくる。
「そ、某に非はないぞ!」
「うんうん、キキョウに非はない。けど、受付に行くまで一苦労だろ、お前」
「うぅー……」
 全くの事実なので、キキョウとしては唸るしかない。
「君もか、ナツメ……」
 呆然とした声に、キキョウは顔を上げた。
「うん?」
「まさか、同じ悩みを持つ同志に会えるとは思わなかったぞ、心の友よ。ああ、あれは実に厄介な代物だ」
 カナリーは力強く頷いた。
「む、わ、分かってくれるか!」
「ああ! 僕達は冒険がしたいんであって、逆ナンパされたい訳じゃないんだ。ああいうのは困るよな」
「うむ! うむうむ! まさしくその通り! 容姿を否定する訳ではないが、明らかに外見だけで判断されるのは、困る」
「だよな!」
 何だか、ガッチリ握手を交わす二人であった。
「……俺には分からない悩みだ」
 完全に傍観者視点で呟くシルバに、キキョウがキュピーンと目を光らせる。
「いや! 某ならシルバ殿を真っ先にスカウトするぞ!」
「そんな物好き、お前ぐらいのモンだ」
 断言しておく。
「……まあ君は、お世辞にも実力があるようには見えないのは確かだがな」
 どうやら、カナリーも同意見のようだった。
「ホ、ホルスティン、シルバ殿を侮辱するか!?」
「カナリーでいいぞ。僕もキキョウと呼ばせてもらう。侮辱じゃない。実力は先刻確かめさせてもらったからな。人は見かけで判断出来ないという事を言いたかったのだ」
「な、ならばよいのだ」
 尻尾を揺らしながら、キキョウは何度も頷いた。
「何でお前が照れてるんだよ、おい」
 突っ込むシルバを、カナリーは上から下まで眺めた。
「もう少し派手なら、人目も引けるだろうに。髪を虹色に染めるとか、その服を金ラメのするとかどうだ」
「ライオンのたてがみやクジャクの羽じゃあるまいし、そんな威嚇作ってどうする!? 正気で言ってるなら、美的センスを疑うぞ!?」
「残念だ……いいアイデアだと思うんだがなぁ」
「……お前の服が派手な理由が、何となく分かった気がする」
 頬を引きつらせるシルバに、カナリーは自分の白地に赤金の刺繍が入ったマントをつまんでみせた。
「これでも、抑えているんだが?」
「それで!?」
 一方、紫の着物姿のキキョウは、小さく手を挙げて提案してみる。
「そ、某としては、シルバ殿に着物というのも悪くないと思うのだがどうか。男用の巫女装束とか、どうだろう」
「だから目立つ方向に持って行くなっ!」
「とまれ、ロックール、いやシルバ。話を聞くと、君のパーティーにまだ空きはあるのだな」
「ああ、魔法使いと盗賊がな」
 大体、話の流れが読めてきたシルバだった。
「ならば恩返しが出来そうだ。僕でよければ、力を貸そう」
 予想通りの言葉に、シルバはにやっと笑って見せた。
「実力は先刻確かめたし?」
「眼鏡に適ったかな? 後は種族的な問題だが……二人の組み合わせから見ると、混在と見ていいんだな?」
 シルバはキキョウと顔を見合わせた。
「その点は問題ないなぁ、シルバ殿」
「確かに。鬼に{動く鎧/リビングメイル}もいる事だし。人間俺だけっていうのも、改めて考えると、何かすごいパーティーだな」
 ううむ、と思わず唸ってしまう。
「念のため確認しておきたいのだが、パーティーを作るという事は当然{墜落殿/フォーリウム}を目指すと解釈していいんだな」
 カナリーの問いに、二人は同時に頷いた。
「当然」
「うむ」
「なら、残る二人とやらの面談か」
 そもそもこの都市・アーミゼストは、太古の時代に逆さまに落下したと言われる天空都市の探索の為、集まった冒険者達によって作られた。
 魔王を倒す事の出来ると言われる、古代王の剣を回収し、前線に届ける事がその目的なのだ。……もちろん副次的に生じる利益や、己の腕試しの為といった違う目的の者もいる。
 が、それでも主役は、{墜落殿/フォーリウム}と言ってもいい。魔物達が跳梁跋扈する危険な迷宮に踏み込むには、戦力の足りないシルバ達はまだ、そこに足を踏み入れる事すら、難しい状況にある。
「あ、カナリーよ。二つ気になってた事があるんだけど」
 ふと、シルバは思い出した。
「何だ?」
「いや、お前さん、吸血鬼だよな? 昼の性能はどうなんだ?」
「……それか。うん、そこは僕にとっても悩み所だな」
 吸血鬼には二種類存在する。
 先天的な吸血鬼と、それらに噛まれる事によって生まれる後天的な吸血鬼だ。
 吸血鬼は太陽に弱く、格の低い者ならば、その光を浴びただけで消滅する。
 昼間でも歩けるというカナリーは、その格からおそらく生粋の吸血鬼なのは間違いないだろうが、それでも昼間に弱いのは間違いない。
 少なくとも、剣の腕は素人もいい所だった。
「いわゆるへっぽこか」
 キキョウの言葉に、カナリーは顔を真っ赤にした。
「し、失礼な! ちょっとうっかりするぐらいだ。体力も魔力もガクンと下がるし、う、運動神経だってよろしくはないが……」
 どんどん声がしぼんでいく。
「ないが?」
「やる気はある!」
 断言した。
 その点は異存のないシルバだ。
「ちなみに冒険者としてのレベルは?」
「……ランク1だ。実技と筆記はどうにでもなるが、実績が足りなくてな。レベルが取れないんだ」
 気まずそうに俯き、カナリーはシルバを見た。
「駄目か?」
 それにはまだ答えず、キキョウに尋ねてみる。
「キキョウはどう思う?」
「某は、よいのではないかと思う。昼はともかく、夜のあの力は捨てがたい。それに迷宮というのは基本屋内であろう? ならば、太陽の下よりはマシなのではないだろうか」
 キキョウの答えは、シルバが考えているのと似たようなモノだった。
「あ、ああ、それはもちろんだ」
 なら問題ないかなと思う、シルバだった。
「某は賛成でいい。あとは、シルバ殿とヒイロ、タイランの判断だ」
「ま、確かにあの攻撃力は捨て難い。俺も賛成で。ま-、あの二人なら大丈夫だと思うけどな」
「うむ」
「気になるもう一つは何だ」
 大した事じゃないけどな、とシルバは答えた。
「赤と青の美女二人。ありゃ、カナリーの使い魔か」
「ああ、彼女達か。うん、そんな所だな。人形族だ」
「人形族? 何だ、それは?」
 キキョウは知らないようなので、シルバが説明する。
「古代の魔法使いに作られた、{土人形/ゴーレム}の一種と考えるといい」
 それに、カナリーが補足した。
「普段は僕の影の中に潜んでいる。赤がヴァーミィ、青がセルシアという。昼間の僕の護衛兼、人よけだ」
 カナリーは、明後日の方角を向いた。
「……あれぐらいの『格』がないと、馴れ馴れしく近付いてくる鬱陶しい輩が多くてね」
「……分かる。分かるぞ、カナリー」
 美形というのはこれはこれで、苦労があるらしかった。
「彼女達は昼間は影に出し入れが出来ない。だから、朝になる前に出しとかないと、その日は大変な事になる」
「そうか。なら、今出してくれ」
 シルバがいうと、カナリーは少し驚いた。
「まだ、僕の実力を測るのか?」
「そうじゃない。後ろ」
 言って、シルバは背後を指差した。
「後ろ……うわっ!?」
 いつの間にか集まりつつある美女・美少女の群れに、カナリーが目を剥いた。もう夜も遅いのに、どこから出てきたのか、大通り狭しと広がっている。冒険者、夜商売の一般市民と区別はないが、その規模はちょっとした軍団だ。
「こ、これは……」
 動揺する二人を見切るように、シルバは早足になった。
「お前ら二人が並んで歩くと、ちょっと洒落にならん」
 というか、エーヴィの時と似たような視線が、やたら背中に感じられるシルバである。
「うわっ、ま、待ってくれシルバ殿っ!」
「そ、そうだ、薄情だぞ、シルバ! 仲間を見捨てるのか!?」
 急いで駆け寄ってこようとするキキョウとカナリー。
 それを、逃げようとしていると勘違いしたのか、女性達の集団が追いかけてこようとする。
「これに関しては、俺まで巻き込むんじゃないっ!」
 いよいよ早足から駆け足に速度を変えながら、シルバは少し憂鬱になった。
「……つーか、早急に盗賊決めないと、マズイ事になりそうだな」
 二人を目当てに、頼んでもないのに女性の参加希望者が殺到してきそうな予感がするのだった。



[11810] とあるパーティーの憂鬱
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/11/21 06:33
 大陸の辺境にある巨大遺跡・{墜落殿/フォーリウム}。
 古代建築物の通路は幅15メルト程、その真新しさはおそらく魔法による効果なのだろう、とても大昔のモノとは思えない。
 壁自体が明るさを放っており、視界も悪くない。
 だが、それでもここは危険な迷宮だ。
 通路の奥には数多の魔物が潜み、かつては警備装置だったのだろう様々な罠が待ち構えている。
 その第三層で、アーミゼストでも中堅所と言われているパーティー『プラチナ・クロス』は、探索途中に遭遇したモンスターの一群と戦闘を開始していた。

 二本の角と鉄のように硬質の毛を持った巨大な雄牛、アイアンオックスが高らかな雄叫びを上げる。二本の後ろ足を踏み込み、一気に突進してくる。
 その速さと勢いは正に黒い弾丸。
 リーダーであるイスハータと二人がかりで、黒尽めの騎兵デーモンナイトを相手取っていた戦士ロッシェはそちらに気づき、とっさに大盾でガードを取った。
 直後、盾から強烈な衝撃が伝わり、ロッシェの屈強な肉体が半メルトほど後退する。
「かは……っ!」
 たまらず息を吐き出すが、何とか耐え抜いた。
 押し切れなかったのが不満なのか、アイアンオックスは再び、凶暴な咆哮を上げながら、地面を蹴り始める。
「ウルツ、ロッシェがやばい! 回復を頼む!」
「は、はい! {回復/ヒルタン}!」
 金髪の盗賊、テーストの声に、既に印を切っていた針金のように細い体躯の青年司祭、ウルツ・シャンソンは、ロッシェに回復の祝福を与えた。
「こっちもだ!」
 デーモンナイトの魔力を帯びた大剣を受け流しつつ、イスハータもウルツに叫んだ。
「ちょっ……だ、だったらもう少し距離を……」
 イスハータが後退し、ロッシェと詰めていてくれたら、二人同時に{回復/ヒルグン}が出来たのに……!
 ウルツは悔やむが、今更だ。
 とにかく、もう一度神に祈るしかない。だが、事態はウルツの都合に構わず、悪い方へと動き続ける。
「やばい、ウルツ! 敵に前衛を抜かれた! 防御呪文急げ!」
 テーストの絶叫に、ウルツは嫌な予感がした。
 この迷宮に入って、もう何度目になるだろう。今回も、そうだった。
 案の定、弱っていたアイアンオックスを相手にしていた商人の少女、ノワは、倒した敵の口から吐き出された宝石(鉱物が好物なのだ)の回収に急いでいた。
 そのせいで、デーモンナイトと再び突進してきたアイアンオックスの二体を相手にする羽目になったロッシェが吹き飛ばされ、獰猛な雄牛がこちらに首を向けつつあった。
「な……っ!? ノワさん、何やってるんですか!? 戦利品の回収なんて後にして下さい!」
 その声にようやく気がついたノワは、ツインテールを揺らしながら愛らしい顔を上げてこちらを見た。
 それから小首を傾げて少し迷い、イスハータ達の方に参戦する。
 今なら、こちらに意識を向けているアイアンオックスを、後ろから襲えるでしょうに……! いや、それでなくてもせめて、前衛に意識を向けさせてもらえれば……!
 ウルツは思ったが、術の展開を急いでいる今、声に出す余裕もない。精神共有でも習得していれば話は別だが、あれは習得する為の瞑想時間が掛かりすぎるので、聖職者の中でもほとんど習う者などいない。
 そして今は、無い物ねだりをしている場合ではないのだ。
「ウルツ君!」
 アイアンオックスの次の狙いは、どうやら学者風の眼鏡魔術師、バサンズにあるようだった。
 彼がやられると、後方のメイン火力である風の魔法が使えなくなってしまう。
「くぅっ……術が間に合わない!」
 とっさに、ウルツはバサンズの前に出た。
 重い大盾を地面に突き立て、防御態勢を取る。
 ズンッ……と重い衝撃を食らうが、すぐ後ろにいたバサンズも両手で背中を支えてくれたので、かろうじて持ちこたえる事が出来た。
 しかし、これで回復の呪文はキャンセルだ。もう一度、唱え直さなければならない。
「きゃーっ!?」
 その時、甲高い悲鳴が聞こえた。
 凶暴なアイアンオックスの猛突に、ノワが弾き飛ばされたのだ。
「ノワちゃん!?」
 それに反応したのが、盗賊のテーストだった。
「テーストさん、何やってるんですか!」
 たまらず、ウルツは叫んだが手遅れだった。
「え……」
 一度退いたアイアンオックスの角が、テーストの脇を貫いたのだ。
「が……っ!?」
 血反吐を吐きながら、テーストが壁に叩き付けられる。幸いまだ息はあるのか、倒れ伏したテーストの身体は痙攣を繰り返す。しかしこのままだと、長くはないだろう。フロアにも、徐々に血の池が広がり始めていた。
 血の臭いと敵を仕留めた手応えに、雄牛は甲高い咆哮をあげた。
「やばい、テーストがやられた!」
「ウルツくーん、回復してー」
「ウルツ、勝手に動くな! 仕事に専念しろ!」
「ウルツ君、テーストさんが――!!」
 一瞬、呆然と立ち尽くしたウルツだったが、すぐに我を取り戻した。
 まずは、テーストの回復が最優先だ。
 しかし、呪文を唱えている間も、他のメンバーからの文句は止まらない。
「くそっ……! 何なんだこれ! 何だ、このパーティー!」
 毒づきながら、今手を抜けば今度は自分が死ぬ。
 ウルツはひたすら、自分の仕事をこなすしかなかった。


『プラチナ・クロス』の面々が地上に出られたのは、それから六時間後の事だった。
 青天に日が昇り始めたばかりで、心地よい涼風が汗と血にまみれたパーティーを和ませる。
「し、死ぬかと思いました……」
 眼鏡にひびの入ったバサンズが石畳にへたり込み、胴体に包帯を巻いたテーストも重い吐息を漏らした。
「……まったくだ。マジに、お花畑が見えたぜ……」
「今日はここらが潮時だな」
 ボソリとロッシェが呟き、リーダーであるイスハータも同意する。
「ああ。荷物を整えたら、街に戻ろう。すまなかったな、ウルツ」
 ポン、と彼が肩を叩いたが、ウルツは浮かない表情のままだった。
「いえ……」
 そこに、空気を読まない明るい声が響いた。
「もー、しっかりしてくれなきゃ、ウルツ君」
 ぷんすか、と頬を膨らませていたのは、一人元気なノワだった。怒っている顔もまた可愛らしいが、状況が状況だ。
「ちょ、ちょっと、ノワちゃん……て、あいたたた」
 さすがに、テーストがたしなめる。頑張って動いたせいで、脇腹が痛みをぶり返し、その場に突っ伏しそうになる。
 せっかく制止しようとした彼に構わず、ノワは聖職者に先輩として説教を続ける。
「駄目だよ、こういう時はビシッと言わなきゃ。危うくテースト君、死んじゃう所だったんだよ? ウルツ君は回復の要なんだから、ちゃんとみんなを守って上げなきゃ」
「そうですね……」
 ウルツは、ノワの言葉に無表情に応じていた。
 しかし、彼女はウルツの様子には気付かない。
「前線はすごく大変なんだし、比較的安全な場所にいるウルツ君が後ろの心配をしないと」
「ちょ、ちょっとノワ……それ以上は……」
 テーストに代わってイスハータが、何とか穏便に済ませようと、ノワを止めようと試みる。
 だが、遅かった。
「ね? もっと頑張ろ、ウルツ君。これぐらい、前のメンバーなら普通にやれてたよ? ウルツ君にも出来る出来る♪」
 テーストが、天を仰いだ。
 ウルツは無言で、バトルメイスを石畳に叩き付けた。このパーティーに入った時、その契約の一部としてもらったモノだ。
 重い一撃に、遺跡の床に大きな亀裂が生じる。
「きゃっ!?」
 弾き飛ばされた石片に、ノワはたまらず顔を覆った。
「だったら……」
 無表情な顔を上げ、ウルツはメイスを放り投げた。
「……だったら、その、前のメンバーを呼び戻せばいいじゃないですか。その人が、どれだけ出来た後方支援だったか知りませんけど、僕には無理です。ええ、こんな仕事、とてもやってられません」
 今回の探索で得た成果をリュックの中から取りだし、床にぶちまける。
 自分の分だけになった荷物を背負い、ウルツは街に向かって歩き始めた。
「お、おい、ウルツ……」
 その背に向かって、イスハータが声を掛けてみた。
「一人で帰れますから、お気になさらず!」
 ウルツの姿が小さくなっていくのを眺めながら、力なくロッシェが呟いた。
「……これで、三人目か」
「だな」
 テーストが同意し、イスハータは青い空を見上げた。
「また、新しい回復役を、探さないとなぁ……」
「毎回新しい人入れるのって、大変なんですよね、連携とか……」
 バサンズも、疲れたような声を漏らす。
「ったくもー、うまく仕事が出来なかったからって逆ギレなんて、どうかと思う! プロ意識がなさ過ぎるよ!」
 腰に両手を挙げて怒りをぶちまけているのは、ノワ一人だけだった。
「そう思うよね、みんな!」
 同意を求めて振り返る。
「あ、ああ……」
 駄目だコイツ、早くどうにかしないと……。
 四人の視線が交錯し、その心の中は見事に一致していた。

 そしてその夜、四人は大きな酒場の一隅に集まっていた。
「……どう思うよ、現状」
 不景気な顔で麦酒をあおりながら、まずテーストが切り出した。ちなみにノワは部屋で寝ると言って、今回の集まりに参加しなかった。
「……ジリ貧、ですね。悪い方悪い方へと進んで行っているような気がします」
 バサンズの言葉に、ロッシェは重々しく首を振った。
「気がするのではなく、現実だ」
「リーダーはどう思うよ」
「…………」
 イスハータはアゴの下で手を組んだまま、動かない。
 しばらく四人は酒を飲んだり、料理をついばんだりしていたが、その間一人も口を開かなかった。
 何を言っていいのか分からないのだ。
 やがて、空になったジョッキをテーブルに置いたバサンズが呟いた。
「……やっぱり、シルバさんに戻ってもらうしか」
「それは無理だ」
 相変わらず不動のまま、イスハータが否定する。
 それをテーストが補足した。
「あ、ああ……バサンズ、お前はまだ知らなかったかもしれないけど、もうシルバは自分達のパーティー作っちゃってるんだよ。今更、そんな頼み出来っこない」
「どの面下げて、という所だな」
「ロッシェの言う通りだ」
 イスハータが頷き、テーストは椅子の背に大きく身を預けた。
「となると、オレ達が選べる道は、限られてる、か……。つーかいくらか高めの聖職者をまた雇っても、また同じ事の繰り返しだよなぁ……」
 ぐい、と背を仰け反らせる。
 それを眺めながら、バサンズはウェイトレスに新しい酒を注文する。
「彼らにもプライドがありますからね……いちいち前任者と比較されるのも……」
 イスハータがようやくフォークを握り、ソーセージを突き始めた。
「ってなると、アイツ以上に優秀な聖職者を探すしかないんだけど……それもちょっとやばくなってきてる」
「悪評が広まりつつある」
 ロッシェとイスハータは同時に、ソーセージを囓った。
「うん。クレリック殺しとか、嫌な渾名が付き始めてるしな、ウチのパーティー」
「うへぁ……たまらねーなー」
 天井を見上げたまま、テーストは力なく笑った。
「じゃあ、やっぱり地道に新しい聖職者を育てるしかないですか」
 バサンズの提案に、テーストはそのままの態勢で茶々を入れる。
「それまで、ノワちゃんのいびりに耐えられたらな」
「よせ、テースト」
 ロッシェが制したが、テーストは勢いよく身体をテーブルに戻した。
 そしてジョッキを握って立ち上がり、一気に中身を煽った。
「っつーか、明らかに最大の問題はそこっしょーっ! 無理無理無理。ありゃー無理。俺が聖職者なら、ストレスで死ぬ。ウルツ、すげーよ超頑張ったよ! 結局潰れたけど!」
 ダンッと空になったジョッキを、テーブルに叩き付ける。
 ノワは可愛い。それは、全員が認める。そんじょそこいらの歌姫よりも、ずっと愛らしいと言ってもよい。よほどの物好きでなければ、大抵の男は皆、同じ意見だろう。彼女が、このパーティーに入ったのは、幸運だと皆が思った。
 そしてそれにのぼせ上がり、ねだられるまま彼らは欲求に答えてきた。
 その結果がこれだ。
「気付かぬ間に、俺達は破格の回復役を失っていたという事か」
 ボソリとロッシェが呟き、イスハータは弱々しく首を振った。
「ああ……手遅れだ」
 何やら考え込んでいた風のバサンズが、不意にテーストに顔を向けた。
「……テーストさん、今のシルバさんのパーティーって、どんななんですか?」
「あ? お前そんな事聞いてどうするんだよ」
「い、いえ……」
 バサンズは何だか妙に気まずそうな雰囲気だったが、やや酔いの回りつつあるテーストはそれに気付かなかった。
 アルコールの勢いに任せて、喋り始める。
「オレが知ってる話だと、何かすごいぞ。極東から流れてきた狐獣人の剣客に、鬼族の豪剣使い。あと、絶魔コーティングされた軍用鎧で出来た{動く鎧/リビングメイル}」
「その、魔法使いは? まだ決まっていないんですか?」
「んー、最近、吸血鬼族の美形魔法使いが入ったらしいな。学習院に権限持ってるホルスティン家って知ってるか? 何かも-、ウチとは大違いのアゲ調子だよなーったくもー。ねーちゃん、おかわり!」
 テーストが手に持ったジョッキを、通り掛かったウェイトレスに突き出した。
 一方、バサンズは驚きに思わず、立ち上がっていた。
 冒険しない時の多くの時間を学習院で過ごす彼には、馴染みのありすぎる名前だったのだ。
「あの、ホルスティン家ですか!? っていうか、何で司祭が天敵の吸血鬼と手を組んでるんですか!? あり得ないでしょう、普通!?」
「ああ、その辺はシルバは全然気にしない主義だったからな」
 イスハータも少し酔いながら、思ったままの事を口にしていた。
「リーダー、何か知ってるんですか?」
 んー、と額を掻き、イスハータはバサンズの問いに答えた。
「アイツの出身はドラマリン森林領と言って、元々亜人の多い地域だ。むしろ人間と亜人を分けて考えてる方が何か不自然だと、いつかの折に聞いた覚えがある。それにホルスティン家もあそこに領地を持っていたはずだし、何か繋がりがあってもおかしくないんじゃないか?」
「……なるほど」
「つーかそんなの聞いて、どうする訳よ。今はそれよりオレ達の今後の事だろ。誰か、いい案ねーの? 何もないなら、オレ、新しい注文するよ! おねーちゃん、バナナチョコクレープパフェ一つよろしく!」
 テーストはウェイトレスが持ってきたジョッキを受け取り、一気に煽った。
 そんな彼の様子を、イスハータは見上げる。
「そういうお前はどうなんだ、テースト」
「ぷはぁっ……! あるよ、一応。この中の誰かが、聖職者ギルドで修業すんのさ。ある意味、一番確実っしょ」
「だが、そうなると本来の職の修練が疎かになる」
「なるねー」
「一番、そう言うのに向いているのは……」
 三人の視線が、魔法使いに集中した。
 バサンズは、慌てて首を振った。
「ちょ、ちょっと待って下さい。僕にだって、新しい魔法の習得が必須です。それよりは、リーダーがもっと神官として位を高める方がいいと思います」
 だが、イスハータにも、それが出来ない言い分がある。
「前衛としては、可能な限り攻撃に専念したい。祝福はあくまで補助に過ぎないんだ。オレやロッシェが学んでもいいが、そうなると誰かが代わりに前衛に立たざるを得なくなる」
 そして、力ない笑いを三人に見せた。
「それじゃ、本末転倒もいい所だ。結局攻撃力が下がって、探索も効率が落ちる。……いや、もう既にその段階まで来ている、か……」
「じゃあ、どうするってのさ、リーダー」
「それが分かれば苦労しないさ」
 特に答えを期待していた訳でもなかったらしく、それを聞いたテーストはテーブルに残っていたフライドチキンをもそもそと不景気な顔で齧り付いた。
「……原因は、ハッキリしているのだがな」
「言うな、ロッシェ」
 暗い声を、イスハータは制した。
 問題も原因もハッキリしてる。分かってはいるけれど、それを果たして誰が言うのか……それが重要だ。
 長々と話した挙句、実は最初からそれが四人の共通した見解だった。
 ただ、とこの場にいる全員が思う。

 分かっちゃいるけど、それを誰が言うんだ。

 誰だって、ババを引きたくないのは同じである。
 彼女に涙目になられるのが辛い。嫌われるのが怖い。
 進んで嫌な思いなど、したくはないのだ。
 だから、分かりきっている答えを誰も口に出さないまま、不景気極まりない飲み会は続くのだった。

「……ま、オレは一応アテはあるけどね」
 それは口に出さず、金髪の盗賊は据わった目で麦酒の残りをぐいと煽った。
 魔法使いの枠はもう塞がったらしいが、まだ盗賊の枠は残っているらしいし……。



[11810] 学習院の白い先生
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/12/06 02:00
 最近のシルバのパーティーは、{朝務亭/あさむてい}という食堂が集合場所となっていた。
 朝食のトマトジュースを飲み終えたカナリーが、真っ先に立ち上がる。後ろに控えていた赤と青のドレスを纏った美女、ヴァーミィとセルシアが彼の両隣に自然に侍る。
「シルバ、行こう」
 香茶を飲み干したシルバがそれに続く。
 二人はこの日、学習院に行く用事があったのだ。
「ああ。みんなもしっかりな」
 二人を見送ったキキョウ、ヒイロ、タイランは顔を見合わせた。
「……さて」
「さてさて♪」
「……い、いいんでしょうか」
 一人、タイランだけは何だか後ろめたそうだったが、キキョウはそちらに鋭い視線を向ける。
「何を言う、タイラン。お主は気にならんか、あの二人が」
「そうだよ、タイラン! あの二人が学習院でどんな事をしているか。これは是非とも調べなきゃ!」
 勢いに同調するヒイロに、タイランはそれでもおずおずと、提案してみる事にした。
「あのー、そ、それなら直接本人に聞けばいいんじゃ……その、ないでしょうか? わざわざ尾行なんて……」
「分かってないね、タイラン」
 ふ……とヒイロは笑って断言する。
「それじゃ面白くないじゃないか!」
「そんな、目を戦闘色に頬を赤らめながら光らせてまで主張しなくても!?」
 コホン、とキキョウは咳払いをする。
「そ、某的にはそれでもよいのだが、こう、タイミング的になかなか聞けなくてな……」「とゆー訳で、尾行なんだよ。おっとそろそろ行かないと、見失うよ二人とも」
 今にも飛び出しそうな勢いで、ヒイロがキキョウ達を急かす。
「う、うむ、そうだな」
「……うう、最悪、私がヒイロの暴走を止める事になりそうです」
 三人も立ち上がり、シルバ達を追いかける始めた。

 それから十分後のアーミゼスト学習院、一般教棟廊下。
 深々と、シルバは溜め息をついた。
「というか、あっさりバレる訳だが。タイラン、お前まで何やってんだ」
「す、すみません……」
 大きな肩身を狭めるタイランだった。
「大体、ヒイロはともかくお前の身体で尾行は無理だろ、常識で考えて。まあ、それでも……」
 シルバは振り返った。
 そこでは、十数人の女学生に囲まれたキキョウが悲鳴を上げていた。
「シ、シルバ殿! たすっ、助けてくれ! いや、某は入学希望ではなくて、いや! 案内ならば間にあっているのだ!」
 何か、女の子の頭上から、手首より先しか見えない。
「……キキョウはもう少し、スマートなあしらい方を覚えるべきだな」
 冷静にカナリーが批評する。
「同感」
 今回に関しては、特に同情もしないシルバだった。
「そもそも、これまでどうして来たんだ、アイツは」
 素朴なカナリーの疑問に、シルバは答えた。
「基本、これまで夜の酒場の用心棒だったからな。昼間はあまり出歩かないんだよ。その度にこれだし、確かにもうちょっと慣れるべきだよな」
「なるほど」
「あれ?」
 ふと思い出し、シルバは周囲を見渡した。
「ど、どうかしましたか?」
 タイランの問いに、むしろシルバが尋ねたかった。
「ヒイロは?」
「……あれ?」

 少し悩み、全員が同じ結論に達した。
 シルバ達が学生食堂に入ると、てんこ盛りの料理を前にしたヒイロがぶんぶんと手を振った。
「やっほ、みんな。久しぶりー」
「案の定、ここだったか」
 カナリーが首を振る。
「……久しぶりも何も、ついさっき食堂で別れたばかりだろうが。というかお前の胃袋は一体どうなってやがるんだ」
 朝っぱらからハンバーグステーキなんて注文するヒイロに、シルバは呆れるしかない。
「お肉は別腹」
「朝食も肉だっただろうが!?」

 ヒイロがあっさり料理を平らげ、五人は廊下を歩く。
 学習院の一階通路は右が吹き抜け、左が教室となっている。
 やたら目立つ集団の為、すれ違う人達は例外なく振り返っていた。
 ……が、今更そんな事を気にしてもしょうがない。
「つーか見学したいんなら、最初からそう言えばよかったのに」
「まったくだな。それじゃ僕はこの辺で」
 カナリーは一人、廊下を曲がっていった。
「おー、しっかりな」
「シルバもね」
 手を振って別れ、シルバはそのまま真っ直ぐ進む。
「カナリーとは別行動なのか」
 代わりに並んで歩き始めたキキョウの問いに、シルバは頷いた。
「ああ、学ぶ講義が違うからな。そもそも、そんなに接点があったら、初対面の時にあんなにこじれやしなかっただろ?」
「まあ、それは確かに……」
 キキョウも、カナリーとの邂逅を思い出す。
 出会いと言うよりは、遭遇戦と呼ぶのがふさわしい記憶だった。
「学習院は相当に広いし、まったく接点のない奴がいる。カナリーは攻撃系の魔法を中心に習得だし、俺は補助系だしな」
「先輩先輩! 運動もするの!?」
 ヒイロが目を輝かせながら、グラウンドを指差した。
 広大なグラウンドのあちこちで、柔軟体操やジョギングをしている生徒達の姿が見て取れた。
「そりゃするさ。詠唱はつまり声の発生。戦士ほどじゃなくても、それなりの体力は必要になってくる……って、もう行っちまったか」
 シルバの説明を聞くより早く、ヒイロはグラウンドに飛び出していってしまった。元々勉強より身体を動かす方が好きなヒイロだ。大人しくしている方が無理というモノだろう。
「ど、どうしましょう……私、ヒイロを見ていた方がいいんでしょうか……?」
 心配そうにするタイランに、シルバはヒラヒラと手を振った。
「あー、大丈夫だと思う。余所のギルドならちょっとやばいかもしれないけど、ここは魔法使いギルドだ」
「……は? え、ええ、そうですけど……」
「つまり……」
 シルバは仏頂面で、小さくなっていくヒイロを指差した。

 いつの間にかヒイロは白衣を着た三人の眼鏡老人に囲まれていた。
「おおっ、鬼じゃ鬼じゃ珍しいのう」
 眼鏡をキランと輝かせながら、遠慮無くヒイロの頭の先から足先まで眺める。
「え? な、何お爺ちゃん達……」
「鬼と言えば、魔法抵抗の極端な低さが特徴だったはずじゃ。どれ、いっちょ調べさせてくれんか」
「や、え、ちょ、ちょっと待って!? なあっ、痴漢ーっ!?」
 戸惑うヒイロに構わず、別の老人が滑らかな二の腕を撫で上げる。
「おーおー、この骨剣も随分な年代物じゃなぁ。ちょいと調べさせてくれんかの」
 また別の老人が、ヒイロの愛剣をベタベタと触れ回っていた。
 学習院の古老、シッフル三兄弟である。
 研究者としては、相当に高い位置にいるが、むしろ揃って奇行の方が目立つ三人であった。
「せ、先輩ーーーーーーっ!!」
 手荒に扱う訳にもいかず、ヒイロは先刻のキキョウに似た悲鳴を上げた。

 遠くのヒイロに、シルバが大声を掛けた。
「ま、基本的にあの爺様らに害はないから、大丈夫だろ。ヒイロ、しばらく遊んでてもらえー!」
「えぇーっ!?」
 泣きそうな返事が返ってきた。
「い、いいんでしょうか……」
 タイランはまだ不安だったが、シルバは特に危機感を持っていないようだ。
「こ、ここは、シルバ殿の言葉を信じよう……ここでは、シルバ殿の経験の方が長い」
「で、ですね……」
 いよいよヒイロが老人達の包囲から脱し、猛ダッシュで逃走を開始した。

「子供も、結構いるんですね……」
 その子供達は、ガションガションと足音を鳴らすタイランを見上げると、ポカンと口を開けるか目を輝かせるかのリアクションしかない。
「何か聞いた話だと、この都市の初代市長の要望らしい。この辺は一般学問の校舎で、金さえ払えば、誰だって学べるんだって」
 歩みを止めないまま、シルバが言う。
「この辺は、某も馴染みがある。しばらく通っていたのでな」
「そうなんですか……?」
 キキョウが学習院に出入りしていた事は、タイランにとって意外だった。
「極東のジェントの方とこっちじゃ、全然言葉が違うからな。言葉や読み書きを習うまで、結構苦労してるんだ」
「左様。右も左も分からぬ某を導いてくれたのが、シルバ殿であったのだ」
「へえ……シルバさん、ジェント語分かるんですね」
 それもまた、意外だった。
「タイラン」
 ふと、シルバはタイランを見上げた。
「は、はい……?」
 シルバは自分のこめかみに指を当てた。
「精神共有」
「あ」
 言われて、タイランは納得した。
「……なるほど」
「言葉は分からなくても意志は伝わるからな。種族によってはモンスターでも意思疎通出来るんだから、余所の国の言葉ぐらい何とかなる」
「も、ものすごく便利なんですね」
「ああ。ただ、習得するのにえらい修業の時間が掛かるから、ほとんど取る人がいないのが難点なんだけど」
 ホント、便利なんだけどなぁとシルバはぼやいた。
「シルバ殿、ずいぶんとのんびりしておられるが講義はよいのか?」
 特に慌てる様子もないシルバに、逆にキキョウが心配になってきているようだった。
「ああ、今日は、講義は午後から。研究室の方に用事があるんだよ」
「研究室?」
 シルバはタイランでも楽々入れそうな大きな扉の前で足を止めた。
 そしてその扉をノックをする。タイランはキキョウと一緒に扉の横にある金属プレートを確認すると、そこにはストア・カプリスという名前が刻まれていた。おそらくそれが、この部屋の主の名前なのだろう。
「つまり、俺の魔法の師匠。……返事がない」
「留守か?」
 しかしその問いに答えず、シルバは頭を掻いた。
「教会の方か?」
「え……?」
 眉を寄せたまま、シルバはノブに手を掛けた。
「って、鍵開いてるし。不用心な」
 あっさり回ったノブを引き、重い扉を開いた。

 本来は相当に広いと思われる部屋の中は、雑然と積み重ねられた書物で満たされていた。
「おぉ……」
 黴臭い臭いよりも、むしろその量にキキョウは圧倒された。
「……す、すごいお部屋ですね」
 タイランも、ため息を漏らす。
「普通普通」
 平然と言いながら、書物と書物の間に出来た通路を進むシルバ。
 キキョウは、タイランを見上げた。
「……普通か?」
「い、いえ……違うと思いますけど……」
 聞こえていなかったのか、シルバは振り返ってタイランを指差した。
「タイラン気をつけろよ。どっかぶつかると、キキョウが生き埋めになる」
 確かに、タイランの体格では書物の通路はギリギリの幅のようだ。
「は、入るの、やめましょうか私……」
「は、入るなとは言われていないし、大丈夫だろう。気をつけさせすれば……」
 おっかなびっくり、二人も部屋の奥に進む。
 どうやら通路の先は応接間となっているらしく、ソファやテーブルがあった。
 そしてそのソファに、真っ白い法衣の人物がこちらに背を向けて寝そべっていた。
「あー、やっぱりいたいた。ったく、研究室で寝ないで下さい、先生」
 しょうがない、という風にシルバがその人物を揺り起こす。
「あ……おはようございます、ロッ君」
 長い白髪を掻きながら、彼女は身体を起こした。
「おはようございます。もうほとんど昼ですけど」
 かなりぞんざいに、シルバは挨拶した。
 そしてキキョウは衝撃を受けていた。
「……女性っ!?」
 髪も白なら法衣も白。強いて言えば目は金色だが、やはりイメージは白ずくめな女性だ。二十代半ばぐらいだろうか、おっとりした感じの美人だった。亜人の血を引いているらしく、耳が長く伸びているのと、山羊のような丸い角、先端が槍のような細い尻尾まで白かった。
 彼女が、ネームプレートにあったストア・カプリスなのだろう。
「ふわぁ……あら、お客様ですか……? おはようございます」
 ややずれた挨拶をするストアだった。
「ウチのパーティーの面子で、学習院の見学です。いいからさっさと着替えて顔洗って下さい。こっちは勝手にやってます。食堂の場所は覚えてますね?」
「ええ」
 頷き、ストアはいきなり法衣をたくし上げた。真っ白い腹部と下着に包まれた下乳が露わになる。
「って、ここで脱ぐなーっ!?」
 すかさずシルバが顔を赤らめ突っ込んだ。
「ですけど、ロッ君、着替えろって」
「更衣室!」
 ビシッと部屋の外を指差す。
「あら……そういえば、そんなモノもありましたね。それじゃ、しばらくよろしくお願いします」
「……頼むから、男子用と間違えないで下さいよ?」
「ちょっと自信ないですね、それ……」
「あと、仮にも女性一人で居残り研究なら、せめて戸締まりぐらいする!」
「盗まれる金目のモノなんて、ここにはありませんよ?」
「台詞の前半聞いてました!?」
 相当、呑気な人物らしい。
 ふと、ストアはいい事を思い出したと言った表情で、両手を合わせた。
「あ、ご飯ですけど机の上に、夜食の残りが」
「いいから食ってこーいっ!!」
 ほとんど追い出すような勢いで、シルバは叫んだ。
「はぁい。それでは、しばらくお待ち下さい」
 おっとりと言い、ストアは二人の脇をすり抜けていった。
 息を整え、シルバが振り返る。
「……すまん、あんな先生で」
「い、いや、というか、シルバ殿のツッコミが激しすぎて、どこから驚いていいやら……」
「そ、そうですね……」
 シルバの、意外な一面を見たような気がする、二人だった。
「まあ、先生が戻ってくるまでしばらく時間もある事だし、ちょっとヒイロを回収しとくか」

 ちなみにヒイロは、食堂でその食いっぷりと消化具合をシッフル爺達に観察されていた。
「先輩のはくじょうもの! れいけつかん! あっきらせつ!」
 連れ戻したヒイロは、スゴイ勢いでシルバを糾弾した。
 しかし、慣れない単語があまりに舌っ足らずなので、まるで迫力に欠けていた。
「お前知ってる単語、とりあえず言ってるだけだろ」
「ぬうー、怖かったんだから!」
 頬を膨らませる。
 なお、キキョウとタイランは暇をもてあましたのか、シルバが許可を出した範囲の書物を適当にめくっていた。
「食堂でめっちゃ食ってたじゃねーか、お前……」
 しかも、手には購買パンの袋までお土産に持っていた。
「あれはお爺ちゃん達が、鬼の胃袋の研究したいって言うから、協力して上げてただけ!」
「と言う名目で、食い放題だったとさ」
 などと遊んでいると、換気の為空きっぱなしにしていた部屋の扉を誰かがノックした。
「シルバ、いるかい?」
 顔を覗かせたのは、金髪の美青年、カナリーだった。
「あれ、カナリー。どうした?」
「敷地内で迷子になってたお前の所の先生連れてきた」
 部屋に入ってきたカナリーと従者である赤青美女の後ろから、にこやかな表情のストアが付いてきた。
「…………」
 シルバは、白い目を師匠に向けた。
「お手間を取らせました」
 ストアは、カナリーに頭を下げる。
「いえ。しかし、カプリス先生も、この学習院に来てそれなりになると聞きますが……まだ、迷いますか」
「角が三つ以上ある道は、苦手なんです」
「……最悪、スタート地点に戻りますね」
「よくやります」
 頭の悪い会話に、頭痛を堪えるシルバだった。
「すまん、カナリー。こんな先生で」
「気にするな。しかし、正直危ない所だったぞ。校内放送で君、迎えの要請をされる所だったし」
「せーんーせーいーっ!?」
 シルバは危うく、師匠の胸ぐらを掴みそうになった。
 しかし、ストアは相も変わらず呑気な笑顔のままだった。
「まあ、万事オッケーだったからいいじゃないですか。どうも、お待たせしました。ロッ君のお友達……あら、一人増えました?」
 ヒイロの存在に気付き、目を瞬かせる。
「増えました!」
 ヒイロも、元気に手を上げる。
「まあ、いいお返事ですね。それで……ロッ君の彼女はどなたですか?」

 何気ないストアの発言に、部屋の空気が凍った。

 沈黙が支配する部屋で、まず動いたのはシルバだった。
 ストアの長い両耳をつまみ、左右に引き延ばす。
「ロッ君、痛いです」
「先生、ここにいるのは全員男ですよね?」
 シルバは、静かな口調でストアに問うた。
「私、女ですよ?」
「先生はカウントされてません」
「……ロッ君、私だけ仲間はずれにするんですね? 私、悲しいです」
 目を伏せるストア。
「盛大に話が脱線してるから話戻すけど、空気読め」
「では、そういう事で」
 ようやく、部屋の空気が弛緩する。
 さっきのストアの発言は、全員が忘れる事にした。
「でもこれだけ綺麗どころだとあれですね」
「何ですか」
 上司の言葉に、また変な事を言わなきゃいいけどと危惧を抱きながら、シルバは聞いてみた。
「私、お婿さん欲しいかもしれません。どうでしょう、そこの鎧の方」
 ストアが見上げたのは、タイランだった。
「って、よりにもよってタイランかよ!?」
「わ、わわ、私ですか……?」
 本人も意外だったのか、慌て始める。
「ロッ君、人を外見で判断しちゃ駄目ですよ。大切なのは中身です」
「立派な台詞ですけど、会ってからこれまでコイツと一度もまともに話してませんでしたよね、先生!?」

 漫才のような二人のやり取りに、パーティーのメンバーはとても入って行けそうになかった。
「な、何かスゴイ先生だね……」
 普段人懐っこいヒイロですら、これである。
「うん……シルバから話には聞いてたけど、聞きしに勝る大ボケぶりだ」
 腕を組んだまま、シルバとストアの掛け合いを眺めるカナリー。
「カナリーは戻らないの?」
「面白そうだから、もうちょっといよう。新しい知識は勉強のいい刺激になるからね」

 改めて、それぞれの自己紹介を終え、上座の椅子にストア、左右のソファにシルバ達が腰掛ける。カナリーの従者達は、壁沿いに控えていた。
「先程は、失礼しました」
 ほんわかとした口調で、ストアは頭を小さく下げた。
「しかし、想像していたのと少し違うな……某はてっきり一般の講義と同じように、大きな教室で学ぶモノかと思っていたが」
 キキョウが部屋を見回す。
 確かに部屋自体は大きいが、講義用という感じではない。
「いえいえ、もちろんそういう講義が主ですよ。実技の大半は、体育館で行われますし。ロッ君の勉強の大半は、補助系の魔法ですよね。ただ、こうした研究室は、それとは別に専門的な魔法の理論を学ぶ所なんです」
「つまり、あまり冒険に役立つ魔法じゃないって事さ」
 ストアの答えに、カナリーが肩を竦めながら補足する。
「実践的な魔法の習得でないとは、シルバ殿にしては珍しいな」
 これもちょっと意外に思う、キキョウだった。
「無趣味なロッ君にも趣味は必要ですから」
「いや先生、自分の学問を趣味とか言わない!?」
「楽しんで学ぶのが、学力向上のコツですよ。実際、半分は道楽みたいなモノですけどね」
 のんびりしたストアの言い分に、シルバは天を仰いだ。
「下手すりゃ自分の命に関わるかも知れない勉強を、道楽とか言うなよー……ったくもー」
 あまりに小さいボヤキだった為、シルバのその声は誰にも聞こえなかった。

「そもそもシルバ殿は、どういう研究を学んでいるのですか」
 キキョウが好奇心のまま聞いてみた。
 ストアはにこにこと微笑んだまま、答える。
「そうですねえ。いわゆるエネルギーに関する内容ですね。今、この世界では主に魔力が大きな力として利用されていますして……あら、ハーベスタさん、興味がおありですか?」
 笑顔を、タイランに向ける。
「い、いえ、そういう訳では……」
 それまで微動だにしていなかった、タイランが慌てて首を振った。
 しかしストアはそれには構わず、ふと首を傾げた。
「そういえば、精霊機関の第一人者、コラン・ハーベスタ氏と同じ名字ですけど、親類だったりします?」
「そ、そそ、そんな事は、ありません」
「ですよね。私の気のせいです。以前一度お会いしましたけど、天涯孤独と聞きましたし。……あら? いえ、娘のようなモノがいるとか、聞いたような……すみません。忘れて下さい」
「いえ……」
 一瞬身を乗り出しかけたタイランだったが、結局、ソファに腰掛け直した。
 ストアは、軽く掌を合わせる。
「お話を戻しますと、つまりその魔力の代替となるエネルギーの研究です。魔力を利用した動力では、パル帝国の魔高炉工業地帯が有名ですよね。あんな感じです」
「パル帝国の魔高炉……そのイメージですと、あそこの機械重装兵のような軍事利用もされる訳ですね」
 パル帝国は、大陸の北にある強大な軍事大国だ。兵器の開発ではどの国よりも進み、魔王討伐軍には絶魔コーティングを施された機械兵、黒色重装兵団を派遣させている。
 なお、タイランの甲冑もカラーリングこそ違えど、そのパル帝国の重装鎧である。
 そのキキョウの懸念を、ストアは否定しない。
「はい、その将来性ももちろんあります。けれど、力をどう使うかは人次第ですよね。件の魔高炉を例に取るなら、それこそ軍隊に使われ、一方では医療にも利用されています。ですけどそもそも、私の研究はおそらくこの学習院、いえ、各国の中でも群を抜いて可能性の低いモノですから、ほとんど杞憂に終わると思いますけどね」
 後半は、少し困ったように眉を下げるストアだった。
 ふむ、とキキョウは知的好奇心を刺激される。
「それは、具体的に聞いてもいいモノなのですか?」
 んー、を難しい顔で唸ったのは、シルバだった。
「聞いても理解出来るかどうか。いや、キキョウの知性の問題じゃなくて、何つーか……」
「宗教的な概念だからな」
 一応ストアの研究を知っているカナリーが、言葉を引き継いだ。
「そう、それ」
「宗教的、とは?」
 再び、ストアの話が再開される。
「もうちょっとだけ、話が逸れますけど、今言った通り、私達は魔力以外のエネルギーの研究を進めています。ホルスティンさんが所属する研究室は確か、生命力でしたよね」
 カナリーは力強く頷いた。
「突き詰めるならば、魂です。あらゆる生命の源であり、とてつもないエネルギーの奔流。これを探求し、利用出来るようならホルスティン家はより大きな力を付ける事が出来ますから」
 それを習うのは、彼が不死族である吸血鬼の一族である事も理由の一つだ。生命力に関してなら、他の種族よりも相当に長けている。
 また、他のエネルギーとして、とストアが言う。
「今の所、一番現実的なモノとして、精霊機関が挙げられます。名前の通り、精霊の力を用いた動力ですね。ただ実用化の大きな問題として、精霊の安定化が懸念されている訳ですが」
「余所の研究に詳しいですね、先生」
「これでも、学者ですから」
 カナリーのツッコミに、ストアはにこにこと応じた。
「……こうして仕事の話をしていると、騙されるんだよなぁ、みんな」
 ボソリと呟くシルバだった。
「生活なんて、衣食住が満たされれば、大きな不満なんて起こりませんよ?」
「それにしても先生は、ズボラ過ぎますから!」
「話を戻しますね。もう一つの候補はスターフォース。すなわち星の力です。この星自体が生成するエネルギーの利用ですが、こちらは数年前、抽出されたばかりの新しいエネルギーですね。気体でも液体でも固体でもない、何だか幽霊のような物質だとか」
「……先生、そろそろついて行けなくなってるぞ」
 ヒイロはとっくにタイランにもたれかかりながら、眠っていた。
「あらあら、つい熱心になってしまいましたね。どうしましょう。この辺で終わりますか?」
「いやいや、先生。まだここの話を聞いていません」
 慌ててキキョウが手を振った。
 実際、ここでどういう研究をしているのか見えていない。
「どうしましょう、ロッ君」
 今更、話していいのかシルバに尋ねるストアだった。
「いざとなったら、嘘の研究をでっち上げて語りますけど」
「いや、本人達を前にそれ言っちゃ駄目でしょ!? それに、カナリーは知ってますし! 付いてこれるかどうかはともかく、ゴドー聖教の信者はいないから、大丈夫です!」
 何だか不穏な発言に、キキョウとタイランは顔を見合わせた。一方、カナリーは平然と、茶を啜っている。
「分かりました。なら、お話ししますね」
 ストアは一拍おいて、言った。
「私達の研究は宇宙の意思と呼ばれるモノです」
「……はい?」
 キキョウの目が点になる。
「つまりですね、この宇宙はそもそも誰かの意思ではないかという思想がありまして。その意思の制御、そうでなくても何らかの接触が試みられれば、無限の可能性があるのではないかという、そういう研究な訳です。私やナツメさん、いやこの世界そのモノがすべて、その意思によって生じているならば、それを制するという事は万能の力を手に入れられるという事と同意義なんです。もし魔力が枯れても、これが実用化されれば魔力の復活も可能でしょうし、そもそも万能の力ですからこれまで以上に便利な世界となるでしょう」
 キキョウは、ストアの台詞を反芻し、何とか理解しようとする。
 そして、つまり宇宙の意思という名の万能の力を追求している、と解釈した。それも、いつか魔力の絶えた世界になる事を前提として話をしている。
「先生の発言はとてつもなく似非宗教家っぽい台詞だが、ようするにそういう研究だ」
「いや、しかし……んん? 確か、世界の意思というのはゴドー聖教における、確か神の力……だったのではないか?」
 ハンパな知識に、キキョウは首を傾げる。
 この世界を見守る神こそゴドーであり、彼は常にこの世界を見守っている。彼に祈りを捧げる事により、神の奇跡とも言われる祝福の術が使えるようになる……はずだ。
 しかし、ストアの言い分は違うらしい。
「ここの研究では、主神ゴドーもまた、世界の意思の一端、という捉え方をしています。矛盾するようですが、『世界の意思』自体に己の意志はないのです。ただあるだけ。ゴドーの奇跡はすなわち、祈りによりその意志が自分を神と『勘違い』する事によって、この世界にリアクションが訪れるのではと解釈しています」
「待て! ちょっと待ってくれ、先生。それは、その研究は、とてつもなく不遜というか……ゴドー聖教そのモノに喧嘩を売っているのでは、ないか?」
 さすがにキキョウは焦った。
 自分はゴドーの信者ではないが、要するにこの人は「お前達の信じている神なんて、単なる勘違いだぞ」と言っているのだ。
 それも、何故か司祭であるシルバも、それを否定していない。
 キキョウの混乱を余所に、ストアは笑顔を崩さず更にぶちまける。
「いえ、ゴドー聖教に限らず、この世界の神様すべてに喧嘩を売っていますね」
「シ、シルバ殿……!? だ、大丈夫なのか!? もし、こんな研究をしている事が教会にバレたら、破門は必至ではないのか!?」
 若干震える指でストアを指差しながら、キキョウはシルバを見た。
「いや……その心配はないというか……」
 シルバは、何故かキキョウから目を逸らした。
「大丈夫ですよ」
 代わりにストアが答える。
「何故!?」
 ストアは懐から、首飾りを取り出した。
「私、ゴドー聖教の司教も兼任してますから。ほら、これが聖印です」
「なーーーーーっ!?」
 キキョウは絶叫した。
「ど、どど、どういう事ですか、先生!?」
「ですから、最悪の可能性に備えての研究ですよ」
「魔力が、なくなるという、アレですか」
「はい。それに学会では笑われるんですけど、不思議と何故、なくならないのかを完全に説明できる人はいないんですよね。そして精霊機関やスターフォースの研究は進んでますけど、可能性は多い方がいいじゃないですか」
「相当に荒唐無稽ですけどね……」
 弟子であるシルバが自嘲するが、構わずストアは言葉を続けた。
「でも、誰かがやっておいた方がいい仕事です。おそらくは、徒労に終わります。それでも、可能性のことごとくが叩きつぶされてどうしようもなくなった時、もしかしたらこの研究が役に立つかもしれません。冒険者の皆さん的なイメージで言えばそうですね。もしこれが実になれば、全滅寸前だったパーティーが完全復活し、かつ味方の力を限界まで強化し、敵を極限まで弱体化させるチートな魔法な訳ですよ。使用対象は世界。ただし、習得はおそらく不可能で、それもおそらく絶望的状況でやっと間に合うような代物ですけどね」
「ああ、それは……そこは本当にシルバ殿らしい……」
 変な所で納得してしまう、キキョウだった。
 代わりに尋ねたのは、それまで沈黙していたタイランだ。
「で、でも、さっきキキョウさんがおっしゃってた通り、本当に大丈夫なんですか? いくら司教様とはいえ、教会が黙っていないんじゃ……その、ないでしょうか……」
 その心配は、もっともだ。
 そんな神がいないのではなどという研究を、教会が許すはずがない。
「はい。ですから私達の研究は教会では、そんな宇宙の意思なんてモノがない事を証明する、という事になっています」
「無い事を証明する……そ、それって……」
「……悪魔の証明では?」
 洒落が利いているでしょう、とストアはニコッと笑った。


 シルバとカナリーは新たな魔法の習得の為学習院に残り、三人は外に出た。
 昼食も学食で取って、今は昼下がり。
 大通りを歩きながら、キキョウは研究室での話を思い返す。
 あまりにもデタラメな話だったが、あのストア・カプリスという白い女性は、この世界が魔力が絶えるという意味で、滅びる事を不思議と確信しているように感じられた。
 キキョウの直感だ。
 一応、最後にそれも聞いてみた。
「今、話しても、絶対信じませんよ。証拠と根拠は……ちょっと出せたモノじゃありませんし、教皇猊下ですら一笑に付すような与太ですから」
 ですから、と付け加え。
「いずれ、その時が来た時に、また」
 そう、ストアはたおやかに微笑みながら、言ったのだった。
 それに関してはシルバも師匠と同意見らしく、沈黙を守った。話してくれないのは残念だったが、シルバが黙っているのならそうする理由があるのだろう、とキキョウは信じる事にした。
「……ひとまず、シルバ殿がとても難解な学問を学んでいる事だけはよく分かった」
「うんうん、全然理解出来なかったけどね」
「私はその……半分程度なら、何とか……」
 半分も理解したというタイランを、キキョウとヒイロは、ちょっと尊敬の目で見た。
「そういえばタイランは、ヤケに気に入られていたな。いっそ魔法戦士を目指してみるか」
「い、いえ、私はその……使えませんから」
「あー。その鎧じゃしょうがないよねー」
 絶魔コーティングされた鎧の装着者は、魔法攻撃に絶対の防御力を誇るが、同時に自身も魔法を使えなくなってしまうのだ。
「それにしても……」
 単に、シルバとカナリーの様子を探ろうと追ったのが、とんだ深い話になってしまった。
 それと同時に、癇癪を起こすシルバを相手にあらあらと微笑み続ける白い貴婦人がキキョウの脳裏から離れない。
「……ううむ、別の心配が出来てしまった」
 ふぅ……、と重い溜め息をつくキキョウであった。


※あとがき。
 プロット時点では、キキョウらが学習院で何か色々遊ぶっていうへろっと短い話だったのが、何でこんな事に。
 設定厨全開っぽい話になってすみません。書ききれるかどうかすら怪しい癖に。
 長々と書きましたが、要するに、

・この世界は魔法使ってるけどなくなるかもしれないよ
・何故か先生は知ってるっぽいし、シルバもなんかそれに備えてる
・魔力以外のエネルギーは精霊さんとプラズマっぽい星のパワーとライフエナジー。そしてシルバはいざって時の第四ルート

 そういう話です。本来は本文で理解してもらうのが正道なのですが、作者の力量不足で伝え切れてない可能性もあるので念のため。
 せっかく書いたので、投下しときます。結局月曜から始める分のプロット進んでないし。(汗

 あと、ちょろちょろと伏線張りました。特にタイラン。

 この作者が書きたいのは、要するに中盤の先生との容赦ないやり取りです。これはこれでシルバの性格の一面です。

 ちなみに先生は、パーティーには含まれません。男装じゃないですから。

 以上、長々とした言い訳終わりです。
 ではまた。



[11810] 精霊事件1
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/11/05 09:25
 雨だった。
 大降りと言うほどではないが、かといって傘が不要と言うほど弱くもない。
 しかしそれでもシルバ・ロックールが外出したのは、何となく小腹が空き、行きつけの肉屋『十八番』の揚げ物を食べたくなったからに他ならなかった。
 そのシルバが、袋を抱えたままコロッケを囓った手を止め、固まっていた。
 仲間達の集まる食堂『朝務亭』への、帰り道の途中の事だった。
「むむむ……」
 道の端に積み重ねられた木箱の中を覗き、シルバは唸る。
 木箱の中には、薄汚れた仔猫が一匹、横たわっていた。
 弱々しい鳴き声を聞き咎め、誘われるように確認してみたら、入っていた。
「に……」
「これは、見捨てるのは無理だなぁ……」
 コロッケを頬張りながら、シルバはぼやいた。
 その仔猫と目が合う。碧色の目が、鋭くシルバを睨んでいた。しゃー、と鋭い二本の牙をむき出しにされる。
「超警戒されてるし。いや、まあいいんだけど……」
 正直な所、全然怖くない。
 近付くと、仔猫はビクッと身を竦ませ、箱の端に逃れる。
「んー」
 構わずシルバは指を伸ばした。
 逃げようのない仔猫はしばらく身をよじっていたが、頭やアゴの下を撫でると眼を細め始めた。
 そして、指を噛んだ。
「痛ぇ……いや、痛くないか」
 かぷかぷと遠慮はないが、せいぜい甘噛みといった所だ。
 やがて飽きた仔猫は、不意に指から興味を失い、顔を上げた。
 視線を追うと、シルバが懐に抱えた肉屋の袋があった。
「……欲しいの?」
「…………に」
 仔猫が腹を減らしているのは、明らかだ。
「最後の一つだったんだけどなぁ……」
 シルバは楽しみにとって置いたフィッシュフライを半分に割り、箱の中に置いた。
 仔猫はそれを貪り始めた。


 三十分後、食堂『朝務亭』。
 まだ夕餉には早い店内は、比較的空いていた。
「それで、懐かれたと」
 事情を聞いたカナリー・ホルスティンは、ワイングラスを揺らしながら読んでいた本から顔を上げた。
「そう見えるか?」
「いや、指を食われているように見えるな」
「だよな」
 肉屋の袋の代わりに懐に抱えた仔猫は、シルバの指を囓ったまま離そうとする様子がまるでなかった。
 特にダメージもないので、シルバもされるに任せている。
 冒険者の出入りする食堂や酒場は、魔法使いの使い魔や動物使いの契約モンスターもよく出入りする為、この程度の小動物はフリーパスだ。もちろん粗相をすれば、その始末は飼い主に降りかかる事にはなるが。
「それもあるけど、どうするんだい? 飼うの?」
 カナリーの質問は、シルバにとって目下一番の悩み所だった。
「そこなんだよなぁ。ウチのアパートも一応ペットオッケーだけど、留守の間の世話がなぁ……って、どうした、キキョウ?」
 それまで黙っていたキキョウの様子に、シルバもようやく気がついた。
 よく見ると、頬が紅潮し、尻尾がパタパタと左右に揺れていた。
「……かわゆい」
「え、これ?」
 シルバはまだ自分の指を囓り続ける懐の仔猫を見た。
「そ、そ、某も、触ってもよいか?」
「いや、俺は構わないけど、コイツの機嫌次第じゃないか?」
「そ、そうであるな。ぬぬ……」
 キキョウが近付こうとすると、仔猫は警戒を強めたのかシルバの指に囓りついたまま、その毛を逆立てる。
「カナリーはどうする?」
「そ、そういうのは、ストレスが溜まるだろう。僕はいいよ」
 再び読書に戻ったカナリーは、本から目を離さないまま手を振った。
「……お前んトコの召使いが寄ってきてるんだが」
 赤と青の美女はいつの間にか、気配もなくシルバの懐を覗き込んでいた。その様子に、カナリーは慌てて立ち上がった。そのせいでワイングラスが倒れ、本を濡らしてしまう。
「あ、こ、こら、ヴァーミィ、セルシア!? 余計なちょっかいを掛けるんじゃない!  あ、本が!? ワインが!?」
「カ、カナリー、あまり大声を出してはこの子が驚く! ……いやしかしシルバ殿。実際、カナリーの言う通り、どうするつもりか。飼うつもりなら某も協力するにやぶさかでないが」
「んんー……正直な所、里親探すのが現実的だよなぁ。今はまだ暇だから良いけど、冒険に出るようになったら、何日も留守になるだろうし」
「さすがに連れて行けぬよな。あとカナリー。触りたければ素直にそう言うがいい。誰も笑わぬから」
「そ、そそ、そんな事はない! 僕は気にしなくていいから、君達で愛でていればいいじゃないか!」
 カナリーは、ワインのこぼれたテーブルを拭くので手一杯のようだ。
「かわゆいなぁ……」
 立ったまま仔猫を抱いたシルバを、キキョウ、ヴァーミィ、セルシアが取り囲む。大人気である。
 ヒイロとタイランが修練場で稽古中だったのが、せめてもの救いだったかも知れないと、シルバは思った。
「……懐いてくれると、もっとかわゆいのだが」
 へにゃり、とキキョウの耳も悲しそうに垂れ下がる。
 確かに、仔猫はかろうじて大人しいモノの、キキョウや従者達に懐く様子はない。
「結構ハードな人生……いや、猫生歩んでたのかもな。あと、いい加減お前、俺の指から口離せ」
「ソーセージか何かと勘違いしてるんじゃないか?」
 ようやくテーブルを拭き終えたカナリーが、改めて椅子に座り直す。
「……まあ、全然痛くないからいいけどな」
「あと、身体も洗った方が良いな。毛が荒れているように見える」
「うん。……やっぱ気になってんじゃん、カナリー」
「そ、そそ、そんな事はない! 見たままを指摘しているだけだ!」
「ほれ」
 指を仔猫の口から抜き、両手で抱えたシルバはそれをカナリーに突き出した。
「に」
「……っ!?」
 小さな鳴き声に、カナリーは椅子から転げ落ちた。
 その反応に、シルバは察する。
「アレ、もしかしてお前……」
「ち、ちち、近づけるな」
「ひょっとして、遠慮してたんじゃなくて、猫、怖い?」
「そ、そそ、そんな事はないぞ!? 昔、初めて蝙蝠変化に成功した時、猫に食べられかけたとか、そんな過去は一切無い! ぜぜ、全然平気だとも!」
 シルバは、赤と青の従者を見た。
「……お前らの主人って、苦労してるんだな」
 二人は微笑のまま表情を変えないが、それが今は、どこか苦笑のようにシルバには見えた。
「んじゃまー……どうすっかなぁ。やっぱりコイツの身体は洗ってやりたいし、ここは一つ風呂にでも行くかな」
「む」
 ピクン、とそれまで垂れていたキキョウの耳が立ち上がった。
「え、キキョウ付いてくんの? 珍しいな」
 かなり意外だった。
 これまで、こと風呂に関しては何故か一度も同行した事がないのだ。大抵、用事があったり、既にもう入ったなど、間が悪い事が多い。
「う……い、いや、いい。某はもう少しここで飲んでからにする。某に構わず、行ってくれ」
「ぼ、僕も遠慮しておくよ。もう少し飲んでいたいんだ」
 キキョウとカナリーは、同時に首を振った。
 しょうがないか、と思いながらシルバは腕の中の仔猫に声を掛けた。
「そっか。じゃあ、行くかリフ」
「に?」
「ん、シルバ殿、その子の名前か?」
「まー、一応、名前がないと不便だしなー……あー、いかん。本当に飼う事前提になってきてるかも」
 大家さん猫好きだったよなぁ、確か……ちょっと相談してみよう。
 そう考えるシルバに、カナリーが声を掛ける。
「その名前は何か由来があるのか」
「いや、昔実家で飼ってた子の名前。別にいいよなー」
「に」
 言葉が分かるのか、いいタイミングで仔猫――リフは返事をする。
 二人は、風呂に向かう事にした。
 都市の北部に温泉の水脈があり、温泉街となっているのだ。

 シルバを見送り、キキョウはふと、店の掲示板に目をやった。依頼や街の事件などが、何枚も貼り付けられている。
「時にカナリー」
「何だい、キキョウ」
 ワインに濡れ、へばりついたページを嫌そうにめくりながら、カナリーは答える。
「依頼に、面白い調査事件があるんだが。何だか大型の猫型生物が夜な夜な、街中を徘徊しているのだとか。その正体探り、やってみないか」
「あからさまに嫌がらせだな、それは!?」
「はっはっは」
 これで割と仲のいい二人だった。


 アーミゼスト北部、グラスポート温泉街。
 何十かある公衆浴場の中でも、ペット可の男湯にシルバとリフはやってきた。
 タオルを腰、桶を脇に湯煙漂う岩作りの温泉に入場する。
「そして温泉な訳だが!」
「に!」
 元気よく桶に入ったリフも返事をする。
「風呂が好きか、リフ」
「に!」
「お前はそれでも猫か! もうちょっと嫌がるモノだぞ!」
「に!」
「……まー、暴れられて、手が爪痕だらけになるよりは、よっぽどマシか」
 ボヤキながら、まずは身体を洗う事にした。
 岩に腰掛けると、リフが尻尾をゆらゆら揺らしながら、自分を見上げているのに気付いた。その視線を追うと、自分の左胸にある大きな傷痕に辿り着く。
「ん、何だ気になるか、これ」
「に」
「昔、死んだ事があってなー。その時の名残だー」
 ざばーっとお湯を浴びながら気楽に言う。
「に!?」
 リフの毛が逆立った。
 ちなみに、完全に貫通している為、背中にまで到達している。
「まあ、今は全然平気だから、問題ないって。それよりお前も洗うから大人しくしろよー」
「にー」
 自分の身体と一緒に、リフの毛もワシャワシャと泡立てていく。
 薄汚れた毛皮がどんどん白くなっていき、黒いトラ柄も現れてくる。
「つーか目は瞑ってろよ。泡が目に入ると、ちょっとシャレにならん」
「に」
 リフは四本足で行儀よく立ったまま、短く返事を返した。
 ゆっくりと湯を掛けると、泡が流され真っ白い仔猫の姿が現れる。
「うっし、出来上がり。……うわ、何だこの美人さん」
「に」
 思わずシルバはリフを抱え上げた。
「つーか雄? 雌? あ、やっぱり雌か」
「にー!」
 リフの蹴りが、シルバの顔面を捕らえた。
「ぐはあ、猫キックっ!?」
 それから二人は風呂で小一時間ほど過ごした。
 脱衣所で着替えを終え、フロントに出る。
 温かい風呂場から出ると、少し肌寒い気もするが、それもまた今のシルバ達には心地いい。
「んー、いい湯だったー」
「に」
「風呂と言えば上がった後の冷たい牛乳!」
 シルバは、売店で買った瓶牛乳を高く掲げた。
「に!」
「……お前はぬるいのな。腹下すと困るから」
「にぃ……」
 ちょっと残念そうな、リフだった。


 公衆浴場を出た所で、バッタリと見知った顔と遭遇した。
「あれ、先輩?」
 首からタオルを引っさげた鬼っ子、ヒイロだった。相変わらず、小柄な身体に見合わない大きな骨剣を背負っている。
「おや、ヒイロ」
 ヒイロは、シルバの懐を指差した。
「その子、新しい仲間?」
「……俺が言うのもなんだけど、どこまで種族にフリーダムなんだ、お前は。いくら何でもこんな仔猫が、新しいパーティーメンバーな訳あるかい」
「に?」
 よく分からない、とリフは首を傾げる。
「うーん、肉球は魅力的だけど、やっぱり解錠技術とかに不安がありそうだよね。そして先輩、その子をボクに」
 大きく両手を広げた。
「パスだ! 撫でたい!」
「にぃ……」
 あまりにテンションの高いヒイロに、リフはシルバの懐深くに隠れた。
 それを落ち着かせるように、シルバはリフの頭を撫でる。
「お前、言っとくけどコイツ、食い物じゃないからな。食うなよ。絶対食うなよ。パスは無しだ。撫でるだけなら構わん」
「大丈夫だってー。いくらボクが肉食だからって、そんな可愛い子、食べる訳ないじゃん」
「に……」
 ようやく落ち着いたのか、ひょこっと再びシルバの懐から仔猫は頭を覗かせる。
「大丈夫だぞー。コイツも俺の仲間だから」
「に」
「……おおー。心と心が通じ合ってる? もしかして先輩、この子と精神共有の契約結んじゃってたり?」
「ないない。出来るっちゃー出来るけど、動物との契約は手間掛かるしな。それよりお前も風呂?」
「あ、うん。修練終わったから」
 ヒイロは、背後の大きな個室風呂浴場を指差した。
「タイランは? あ、でも道場違うか」
「いや、途中までは一緒だったんだけどね。ただ、タイランはお風呂じゃなくて……」
 ヒイロは、向こうを指差した。
 シルバとリフが指の先を追うと、小さな鍛冶屋に辿り着く。
 ちょうど、そこから大きな鎧がのそり、と出てきた所だった。
 タイランは、ノンビリした足取りでこちらにやってくる。
「も、戻りましたー……って、シルバさん?」
 タイランの甲冑は、妙に光沢が増していた。
「……な、なるほど。確かにタイランは、風呂入る訳にはいかないよな」


 三人と一匹は、一緒に帰る事になった。
 リフも横着せず、シルバと並ぶように自分で歩く。
「あ、大体この辺で拾ったんだよな、コイツ」
 シルバは木箱の積まれた場所で足を止める。
「酷い飼い主もいたもんだね」
 帰り道、リフを拾った経緯を聞いていたヒイロは憤慨する。
 しかし、タイランは首を傾げていた。
「……そ、そうでしょうか? どうも、何か違うような気がしますけど……」
「ん? どゆ事、タイラン?」
「いえ……いくら、薄情な飼い主と言っても、その、一匹だけおざなりにこんな所に捨てるでしょうか。あ、いえ、絶対にないとは言い切れませんけど……! その……だったら、拾って下さいみたいな一言とか、毛布とか……」
「いや、それはどうかな。世の中世知辛いから、タイランみたいに優しい人ばかりとは限らんだろう」
「い、いえ、そうじゃなくて……この子一匹だけ、っていうのもどうも気になるというか……まあ、私が気にしても、しょうがないんですけど……」
「兄弟の可能性か」
 確かに言われてみれば、シルバもちょっと気にならないではなかった。
「お前、兄弟とかいるの?」
「にぃ……」
 リフは元気なさげに鳴くばかりだ。
 その時、背後から声が掛けられた。
「き、君達、ちょっといいかな」
 振り返ると、眼鏡を掛けた気弱そうな青年が立っていた。
 ローブを着ている所を見ると、どこかの魔法使いだろうか。
「ん? あー、タイランのナイスバディに見惚れるのは分かるけど、この子、男の子だよ?」
「は!? あ……えっ……ナ、ナンパなんですか!?」
 ヒイロの言葉に、タイランがたまらず後ずさる。
「……瞬間的にそう言う発想出てくる所、ホントスゴイよなお前」
 呆れるより、本気で感心するシルバだった。
 しかし、どうやら青年の用はタイランではなかったようだ。
「ち、違う! いや、違います。我々が訊ねたいのは、その子の事です」
「コイツ?」
 リフは、シルバの足の裏に隠れていた。
「はい!」
「に……」
 元気のいい青年の声に、リフはますますシルバの後ろに隠れてしまう。
 リフが喋れるはずもなく、シルバが代わりに訊ねる。
「どういう事でしょう。この子の飼い主なんですか?」
「えー」
 ヒイロは眉を寄せた。
「そ、そうなんです! ああ、ホントどこに逃げたのかと思ったら……本当によかった」
 彼は、心底安堵している様子だった。
 が、シルバは逆に警戒していた。
 明らかにリフは怯えているようだ。
 それに、青年の手首に冒険者の証であるブレスレットはない。にも関わらず、懐が不自然に膨らんでいるのだ。
 ……銃を持ってる?
 それを、二人にも精神念話で伝えてみた。
(……まあ、自衛の為に武器を持ってる人だってそりゃいるだろうけど、なぁ……どう思うよ、二人とも)
(怪しい)
 ヒイロは断言した。
(根拠は)
(ない。強いて言えば、ずっと目が笑ってない点、かな)
(あの……ちょっといいですか? 初めて会った時からずっと気になってたんですけど……)
(何だ、タイラン?)
(……その子、猫じゃないです)
「「うん?」」
 たまらず、ヒイロと一緒にシルバはタイランを見上げていた。
(……その子、霊獣です。リフちゃんの話ですと、彼らは自分を捕まえに来たそうです)

 霊獣。
 霊山や森の奥深くに住む、半精霊の獣だ。
 知性は相当に高く、中には人語を話すモノもいるという。
 精霊を信仰するモノ達にとっては、半分神のような尊い存在として崇められてもいる。
 希少種であり、みだりに人が触れていい存在ではない。
 もちろん、飼うなどもっての他だ。下手をすれば、子を掠われた事に気付いた親が里に下りてきて、大暴れしてしまうだろう。

 ただ、疑問は残る。
 何故、それがタイランに分かるのか、だ。
(その話は後でしますので……それに、相手も焦っているようにも、見えますし……)
 確かによく観察してみると、しきりに目を泳がせて周囲を気にしているようだし、ソワソワしている。
 一度そう考えてしまうと、何だか目の前の青年がより一層、胡散臭く感じられてきた。
 シルバはリフを拾い上げると、彼女は慌てて懐に飛び込んだ。
「あの……?」
 青年は、怪訝そうな表情をした。
 突然、ヒイロは背後を振り返って、骨剣を抜いた。
「何かいる!」
 その叫びに、少し離れた場所で様子を伺っていたローブ姿の男が二人、動揺した。
 しかも一人は懐に手をやっている。
 チラッと覗いた柄は、やはり拳銃のモノだった。
「こんな街中で、銃を抜く気か!!」
 シルバが大声で叫ぶと、一瞬彼らは躊躇した。
「逃げよう!」
「あいさ!」
「し、殿は私が……っ!」
 三人は、すぐ脇の路地に飛び込んだ。
「待て!」
「その台詞で待った事のある奴って、今までいるのかなぁ……」
 背後からの声に、真ん中を駆けていたヒイロが思わず感想を漏らした。
 拳銃の音が響くが、タイランの甲冑がすべて弾き、カキンカキンと金属質な音を鳴らした。
「あああ……せっかく、磨いてもらったばかりなのにぃ……」
 タイランは泣きそうな声を上げていた。
 先頭を駆けるシルバは振り返る余裕などなく、ひたすら路地を駆け抜ける。
 もう少しで、通りに抜ける。
 その時、路地全体に大きな声が響いた。

「それは儂のじゃあっ!」

 唐突に地面が揺れ、盛り上がった。
「足下ーっ!?」
 大地を貫き路地狭しと出現したのは、五メルトはあろうかというタイランを圧倒的に上回る巨大な甲冑だった。


 地面の下から現れた甲冑は、指示を与える事で動く機械式の鎧、いわゆる自動鎧と呼ばれる兵器だろう。
 イメージ的には寸胴鍋に逆さまにして丸い目を描いたバケツを乗っけて、太い手足を付けたような外観だ。
 その背中から白衣を着た鷲鼻の老人が降り、背後に回る。爆発したような白髪が印象的だ。
 どうやら、路地を突破するには、目の前の自動鎧を何とかするしかなさそうだった。
「ヒイロは正面の鎧、タイランは後ろのローブ連中で対応! 連中の目的は、リフにある。絶対死守な!」
「うん!」
「りょ、了解です……!」
 ヒイロが骨剣を構え、自動鎧に相対する。
 次に懐にリフを入れたシルバ。
 タイランも足を止め、後方のローブ連中に向き直った。
 正面、自動鎧の股の間から、老人が不敵な笑みを浮かべる。
「……ほう、儂に刃向かうというのか。じゃが! ソイツは苦労して手に入れたんじゃ! 貴様らには絶対やらん! やれ、モンブラン四号!」
「ガ……!」
 自動鎧、モンブラン四号が短い唸り声を上げる。
「っしゃあっ!」
 その横っ面を、跳躍したヒイロの骨剣が張り倒した。
「ガガ……ッ!?」
「ま、待てこの礼儀知らずが! 名乗りぐらい挙げさせんか!」
 さすがに、老人が慌てる。
 しかし、ヒイロのペースは崩れない。
「勝負の世界にそんなモン、無用無用無用!」
 二撃、三撃と骨剣による重い攻撃を繰り出していく。モンブラン四号はかろうじて、それを腕であしらっているが、劣勢なのは明らかだ。
「くっ……何という非常識な! これじゃからガキは嫌いなんじゃ! もうよい! まずは其奴を始末し、霊獣を手に入れるのじゃ! 貴様らも気張るのじゃぞ!」
 ビシッとタイランと向き合っている、ローブの男達に老人は叫んだ。
「せ、先生! その事はあまり大声で言わないで下さい!」
 銃を構えながら、彼らはフードを被った。
「やかまっしゃい! 無駄口叩いてる暇があったら――」
「――戦えっつー話だよね!」
 老人の言葉を、ヒイロが引き継いだ。
 そのまま、モンブラン四号の腕を弾き上げ、足下にダメージを与えていく。
「ガガッ……!」
「おお、意外にやる……」
 こっちは大丈夫そうだなと判断し、シルバはタイランに振り返った。
「タイラン、大丈夫か? 自分の身体優先。一人ずつやっていけば、大丈夫だから」
「は、はい……いきます」
 斧槍を構え、タイランはのそりと踏み出す。
「来るぞ、撃て!」
 眼鏡の青年の指示で、三人の男が一斉に引き金を引くが、タイランの鎧はあっさりと銃弾を弾いていた。
 しかも銃は単発式で、新たな装填に時間が掛かる。
 相手をするのは、タイラン一人でもそれほど難しくなさそうだ。
「つーかやっぱりここはまあ、{豪拳/コングル}!」
 背後にいるヒイロに、シルバは攻撃力を強化させた。
「ういっし!」
「ガガ、ガ……ガ……!」
 モンブラン四号はかろうじて踏ん張ってはいるモノの、いよいよヒイロの猛攻を捌ききれなくなってくる。胴体や手足に何度も打撃を受け、足が下がっていく。
 しかし、それでもヒイロも決定打には到らない。外見に相応しく、相当重い上、頑丈に出来ているようだ。
「出来れば、掩護射撃が欲しい所だけど……」
 欲を言えばキリがない。
 シルバ自身は、火力がないのだ。そしてもう一つの戦力たるタイランは今、別の敵を相手にしている。
 ここはもう一つ、ヒイロに{豪拳/コングル}を重ねるか……シルバがそう考えていると。
「に……」
 懐でリフが鳴き、シルバを見上げていた。
「ん?」
「……っ!」
 リフがモンブラン四号に向き、小さく口を開いた。
 口元から緑色の光が生じたかと思うと、その塊が自動鎧を直撃した。
「ガ……?」
「ぬおぅっ!?」
 副次的に生じた爆風に、たまらずシルバやヒイロも顔を覆う。
 驚いていないのはリフ本人と、タイランだけだった。
「精霊砲です! リフちゃん、お願いします!」
「に!」
 二発目の精霊砲が、モンブラン四号の胴体にぶち込まれる。
「おぉー……やるな、お前」
「にぃ」
「こっちももういっちょ!」
 鈍い音と共に、ヒイロも勢いよく振りかぶった骨剣を、自動鎧にぶち込んでいく。
「ガガ……ガ……ガ……」
「カカ……さすがの儂も少しビックリしたが、残念じゃったな」
 明らかに不利だというのに、老人は笑っていた。
 三発目の精霊砲がモンブラン四号に当たった辺りで、ようやくシルバも気がついた。確かにリフの砲撃は直撃している。しかし、まるでダメージを受けた様子がないのだ。
 四号も、ヒイロへの対応にのみ集中している。
「無傷!? ……絶魔コーティングか!」
「その通り! 儂のモンブラン四号に隙はなしじゃ!」
「にぃ……」
 自分の効かないのが残念なのか、リフは両耳を倒してしまう。
 だが、シルバはそのリフの頭を撫でた。
「いや、いい。そのままお前はヒイロを支援」
「……に?」
「無駄じゃと言っておる」
「そうか? もう一発だ、リフ!」
「にぃっ!」
 新たな砲撃が、モンブラン四号にぶち込まれる。
 攻撃が効かない為、それ自体には構っていないが、動きは明らかに鈍くなっていた。
「ど、どうした、四号!? 調子が悪いのか!?」
 そして、ようやく気がついた。
「……そうか、目眩まし!」
 砲撃に合わせて、ヒイロの骨剣が確実にモンブラン四号に叩き込まれていく。
「その、通り! 火力攻撃だけが、支援じゃねーよ!」
「にぃっ!」
 言いながら、シルバはヒイロに念波で指示を送った。
(まずは、リフを守るのが最優先。ヒイロは、タイランが後ろの連中を倒しきるまで、気張ってくれ)
(そりゃもちろんそーするけど……)
 大きく踏み込みフルスイングした骨剣が、自動鎧の膝をへこませる。
「別に倒しても、問題ないよね!」
「ガ……!」
 たまらず、モンブラン四号は跪いた。
「な、何をやっている、モンブラン四号! しっかりせんか!」
「ガ!」
 立ち上がった四号は、勢いよく拳を突き出した。攻撃途中だったヒイロは崩した体勢のまま、とっさに回避に移る。
 それが幸いした。
 拳が、飛んできた。
「うひゃあっ!?」
 間に合わず、骨剣を盾に防御する。
 巨大な拳がヒイロを直撃し、そのまま真後ろにいたシルバとリフも巻き込んだ。
「ぬおわっ!?」
「にぃっ!?」
 そして、そのまま二人と一匹は、タイランの背中にぶち当たった。
「ひぁっ!?」
 いいタイミングで体格のいいローブの男の一人が、石の突き刺さった鉄骨をハンマー代わりにし、タイランに襲ってきた。
「うあ……っ!?」
 頭を強打され、タイランはたまらずたたらを踏んだが、それでも何とか持ちこたえる。
「くっ、惜しい……! 今のはよかったぞ、四号!」
「ガ!」
 飛んだ拳はどうやら腕部とワイヤーで繋がっているらしく、勢いよく引き戻された。
「あ、危なー……ビックリしたぁ」
 シルバをクッション代わりにしていた為、ヒイロのダメージはほとんどない。
「ビ、ビックリしたのはこっちだっつーの! いきなり受けんな!」
「にぃっ!」
「や、悪い悪い。それよりタイランのサポートよろしく」
 よっと立ち上がり、ヒイロは改めて自動鎧に突撃していった。
 一方、背後の方が問題だった。
「今だ! 態勢を崩している隙に、畳み掛けろ!」
 どうやら増援が来たらしく、四、五人の男達が鈍器を手に、タイランに迫る。
「わ、や、ち、近付かないで下さい!」
 さすがにこの人数を、タイラン一人で捌くのは骨だ。
「タイラン、加速薬追加する!!」
 シルバが袖から瓶を一本引き下ろし、タイランの頭に振りかけた。
 その液の浸透と共に、敵の動きが鈍くなったように、タイランには思えた。
 正面の男の武器を払い、次の男に蹴りを入れて吹き飛ばす。
「ぐ……っ!」
「うあっ!?」
 二人の男が同時に崩れ落ちる。
「れ、練習通り、出来ました……」
 しかし。
「{爆砲/バンドー}っ!」
 詠唱を終えた眼鏡の青年が、魔法を放った。
「シルバさん!」
「そのまま受けろ、タイラン! 防御の必要なしで、次の相手だ!」
「は、はい!」
 とっさに魔法を防御しそうになるタイランだったが、シルバの言葉に反応して一番近くの敵に狙いを定める。
「……何だと!?」
 爆撃がタイランを直撃する寸前、巨大鎧を覆う絶魔コーティングがそれらを無効化してしまっていた。そのまま突き出した斧槍が、新たに一人、ローブの男を倒していた。
「落ち着けよ、タイラン。さっきも言った通り、順番にやれば大丈夫。お前の防御力なら、大抵の敵は大丈夫」
 背中からの言葉が、タイランには心強かった。
「た、助かります……!」
「いや、これが、俺の仕事だから。にしてもトンデモないな、コイツら。――街中なのに、何考えてやがる爺さん!」
「まったくじゃ!」
 シルバの糾弾に、何故か老人も同調していた。
「……あ、あれ?」
「馬鹿者共が! 霊獣が死んだらどうするのじゃ!」
 あ、その心配ね、とシルバは納得した。
「し、しかしこのままでは時間が……」
「よい、それはこちらで何とかする! 当てれば、儂の方が強い! ならば我がモンブラン四号の本領発揮じゃい! ゆくぞ、無敵モード!」
「ガ!」
 老人の宣言と共に、モンブラン四号の身体から見えない何かが放たれた。
「うん……?」
 不可視の力場を感じ取り、シルバはわずかに顔をしかめた。
 しかしそれがどういう効果を持つのか分からない。
 いや、すぐに分かった。
「うわっ!?」
 それまで攻撃一辺倒だったヒイロが、おぼつかない足取りで後退してきた。
「どうした、ヒイロ!?」
 何せヒイロは防御をほとんどしないので、既に打撲跡でいっぱいだ。シルバが回復の祝福を与えると外見の傷はあっという間に治ってしまうが、心の動揺までは癒せない。
「な、何かゴムみたいな見えない壁に邪魔された!」
 無敵モードの宣言と同時に、突然ヒイロの攻撃が弾かれてしまったのだ。
 その衝撃に、ヒイロの手は小刻みに震えていた。
 まるで、分厚いゴムのような感触だった。
「おっとノンビリしとる場合か?」
「え」
 老人の言葉と同時に、ヒイロの身体を濃い影が包み込む。
 そして真上から、四号の鋼の拳が大槌のように勢いよく振り下ろされた。
「……っ!?」
 直後、ヒイロの身体が粉砕された地面に埋没した。


 モンブラン四号の背後で、老人は勝ち誇った。
「カカカ! よし、残るは司祭だけじゃ! さっさと終わらせて撤収するぞい!」
「ガ!」
 四号の目が、シルバに標準を合わせる。
 しかし、シルバは焦らなかった。
「ソイツはどうかな」
「だはぁっ!」
 大きな息を吐く声と共に、地面にめり込んだモンブラン四号の巨大な拳が持ち上がった。
「何ぃ!?」
「今のはちょっと痛かったぞ、コンチクショーモー」
 骨剣を杖にしながら、穴から這い上がってきたのは土まみれになったヒイロだった。相当頭に来ているのか、額の二本角が伸び、全身が赤銅色に変化していた。
「馬鹿な……我が四号の攻撃を食らって無事なはずが……ハッ!? 小僧、貴様の仕業か!?」
 シルバは否定しなかった。実際、ヒイロが潰される直前に放った{大盾/ラシルド}が、どうやら間一髪間にあってくれたらしい。
 ……今のヒイロの土まみれからは、ちょっと分からないかもしれないが。
「それが俺の仕事だからな! {崩壁/シルダン}!!」
 指を鳴らし、正面の自動鎧に呪文を放った。
「ぬう……っ!?」
 四号から、ガラスの割れるような音が響き渡る。
「手応えあり! いけ、ヒイロ!」
「あいさーっ!!」
 骨剣を大きく振るい、一直線に突撃する。
「じゃが、甘い」
 モンブラン四号を中心に放たれる、不可視の力場は健在。それが、ヒイロの骨剣を弾き――
「ぬうぅっ!!」
 ――飛ばされるのを力尽くで押さえ込み、半ば足を地面に埋めた状態でヒイロはなおも前に進む。
「くっ……」
 しかしそれも長く持たず、結局、再びヒイロの攻撃は見えない盾に防がれてしまった。たまらず後退し、ヒイロのすぐ傍に待機する。
「……攻撃完全無効化?」
 回復の祝福をヒイロに与えながら、シルバが眉根を寄せる。
「完全、じゃないよ、先輩」
 ズン、とヒイロは骨剣を正面の地面に振り下ろした。
「ちょっとだけ、効いてる」
「おー」
 なるほど、言われてみれば確かに、今ヒイロが攻撃を仕掛けた四号の膝が、わずかに火花を上げていた。
「何ぃっ!? 儂の無敵モードに傷を負わせたじゃと!? 貴様まさか……」
 老人は動揺したが、慌てて口をつぐんだ。
「と、とにかく小僧、貴様の攻撃はまず効かん! 我がモンブラン四号の無敵モード思う存分味わうがよい! 今度はコチラの反撃じゃあ!」
「ガ!」
 モンブラン四号が、ジャキンと拳を構える。
 轟、と巨大な拳が飛んできた。
「二回も同じ手は通じないよ!」
 ヒイロは防御せず、両手で持つ骨剣の力を引き絞りながら突進する。
 シルバの{大盾/ラシルド}が敵の拳を弾き、突進の威力をやや弱めながらもヒイロは突き進む。
 しかしそれでも、老人は余裕の笑みを崩さなかった。
「まったく同感じゃい!」
 四号のもう一方の手に、見覚えのある眩い光が収束しつつあった。
「二回攻撃!?」
 シルバは自分の失敗を悟った。
 敵の精霊砲だ。
 {大盾/ラシルド}は間に合わない。かといって{小盾/リシルド}では足りない。
「に!」
 リフの鳴き声に、シルバは動いていた。
「ちいっ!」
 急ブレーキを掛けた、ヒイロの前に回り込む。
「先輩!?」
「何じゃとぉ!? 貴様、霊獣がどうなってもよいのか!」
「やれ、リフ!」
「に!」
 シルバの懐から、リフの精霊砲が放たれる。
 二つの光の束がぶつかり合い、その威力に溜まらずシルバは吹き飛ばされた。当然後ろのヒイロも巻き込まれる。
 何か、スゴイ重い音がした。
「ぐっ……」
「にぃ」
 シルバ自身はかろうじて、受け身を取れた。リフもノーダメージだ。
 ただし、ヒイロが目を回していた。
「ふやぁ……」
 ……どうやらさっきの鈍い音は、地面に後頭部を打ち付けた音だったようだ。
「シルバさん、大丈夫ですか?」
 まだ敵と戦闘継続状態にある、タイランが斧槍を振り回しながら訊ねてきた。
「ああ、何とか。……ヒイロは魔法系攻撃にゃ極端に弱いからな。俺が盾になった方がマシなぐらいだし。リフも相殺助かった」
「に」
 ヒイロが目を回しているだけで済んでるのが、御の字だ。
 リフの鳴き声がなければ、シルバだってこんな無茶はしなかっただろう。
「じゃが、これで霊獣を守る盾はなくなった。これで詰みじゃな。ソイツを倒してトドメじゃ、四号!」
「ガ!」
 力場を解除したのだろう、四号から感じられる圧力が消失する。
 重い足取りと共に、自動鎧が近付いてくる。
 確かに、こちらの最大火力が現在、絶賛不能中だ。それでもシルバは余裕を崩さなかった。
「そいつはどうかな?」
「何?」
 指を鳴らす。
「……{豪拳/コングル}」
「ほう、貴様がやるというのか」
「いや……」
 ヒイロの襟首を掴みながら、自分はタイランの鋼の襟元を半ばぶら下がる形に掴んだ。
「……タイラン、頼む。ちょっと重いけど、強行突破だ!」
「あ……! はい!」
 ローブの男は残り二人。
 タイランはシルバの意図を察し、真っ直ぐ駆け出した。
「な……っ!?」
 突然の相手の突進に、ローブの男達がバランスを崩す。
 そんな彼らにタックルを食らわせながら、タイランは路地の出口を目指した。
「うわぁっ!?」
「ぐはぁっ!? くっ、ま、待て!」
 何とか銃を向けようとする敵に、リフの鳴き声が響く。
「に!」
 路地に生えた短い雑草が突然シュルシュルと伸び、ローブの男達の足に絡みついた。
「な……何だ……雑草が!?」
「何をやっておる! 小さいといえども霊獣じゃぞ! それぐらいお前達も知っておるじゃろが! しっかり足止めせんかっ!」
「は、はい……!」
 彼らは懸命に振り払おうとするが、雑草は予想以上の強靱さで、その動きを阻む。
 業を煮やした老人は、最も頼りになる部下に声を上げた。
「くっ、頼りにならん連中じゃ! 四号追え!」
「ガ……! ガ……ガガ……ッ」
 だが、四号も限界だった。
 身体を小刻みに揺らし、活動限界が近い事を訴える。
「くそっ、こっちはこっちで、やはり精霊石では出力が足りぬか……! おのれ……」
 老人は地団駄を踏んだ。
「先生、警吏が来ます!」
 雑草に足をからまれたまま、眼鏡の青年が叫んだ。
「ええい、撤収じゃ撤収! 皆、そんなモノはさっさと焼き切って、逃げるぞ!」
「はい!」

 通りを駆けていたタイランの足がようやく緩む。
 シルバも{豪拳/コングル}の効果がなくなり、一気に腕にヒイロ一人分の負荷が掛かってくる。
「……まあ、勝負には負けたけど、任務は達したって所かな」
 地面に着地しながら、シルバは大きく息を吐いた。
 せっかく風呂に入ったのに、もう泥だらけの傷だらけだ。
「お、お疲れ様でした」
「タイランも」
 シルバがタイランの背中を拳で叩くと、リフが懐から見上げていた。
「に……」
「あと、リフもな。……ヒイロは起きてからでいいか。とにかく一端、食堂に戻ろう。タイランのいう霊獣の話も聞きたいし」
「……はい」
「……にぃ」
 まだ気絶しているヒイロをタイランが背負い、三人と一匹は仲間の待つ食堂に向かった。


 食堂『朝務亭』に戻ったシルバ達は、衣服の汚れもそのまま、風呂帰りの騒動をキキョウとカナリーに説明した。
 既に司教であり学習院の先生でもあるストア・カプリスには同じ内容を話し終えている。雑事を全部預かってくれた彼女は今頃、教会所属の警吏らを引き連れて路地に向かっているはずだ。
 時刻は既に日も沈みつつある夕刻。
 空腹だったシルバらは、そのまま夕餉に移行していた。
「――という事がありましたとさ。おーい、キキョウ大丈夫か?」
 海老フライを囓りながら、シルバは何だか妙に凹んでいるキキョウを見た。尻尾も元気なく、へにゃりと垂れ下がっている。
「ぬうぅ……シルバ殿が危難に遭っていたというのに、某は呑気に飯を食っていたとは……何という不覚」
「んな事言ったって、助けを求めようにも精神念話の距離にだって限界があるんだし、しょうがないだろ。終わった事言っても始まらないって。まあ、それよりもうちょい飯欲しいかな」
 パンが切れ、シルバはウェイトレスを呼んだ。
 その足下で蒸し魚を食べ終えたリフも、顔を上げた。
「に」
「おっ、お前もおかわりか。食う子と寝る子はよく育つぞ。しっかり食え」
 サラダから小エビを幾つか取ると、リフの皿に置く。
「にぃ」
 一声鳴くと、ゆらゆらと尻尾を揺らしながら白い仔猫は小エビを食べ始めた。
 トマト煮込みのパスタを食べていたカナリーが、タイランの方を向く。
「それで、タイラン。君の話ではこの子は霊獣だという話だけど……」
「は、はい……」
 タイランがストローから口を離す。口と言っても空気口だが。
 水の入ったジョッキをテーブルに置くタイランを、シルバが制した。
「あ、ちょっと話、待ってくれ。こういうのは、本人から聞いた方がいいだろう?」
「そ、そうしてもらえると、助かります……私、口下手で……」
「む、どうする気だ、シルバ殿」
 ボソボソと焼き魚をほぐしていたキキョウも、ようやく復活してきたようだ。
「リフと、精神共有の契約をする。つーか動物相手はちょっと印が複雑でなー」
 食事を中断し、指でやや長い印を切る。
 指先に灯る青い光芒が軌跡を描き、契約の紋章が完成した。
「よし、出来た。リフ、ちょっとその皿から顔上げろ」
「に?」
 指先をリフの額に当て、精神共有の紋章を浸透させる。
 視線を合わせる事で、互いの精神が繋がるのをシルバは感じていた。
 そして、リフと皿をテーブルの端に上げた。
「――はい、契約完了。全員チャンネルオープンにするから、普通に話していいぞ」
 さっきからひたすら骨付き肉を食べ続けていたヒイロが、首を傾げた。今ので八本目だ。
「はに? 喋らなくても、念話でいけるんじゃないの?」
「……そりゃ出来るけど、そうなると、えらい殺伐としたテーブルになるぞ、ここ。全員黙って仔猫を凝視してるテーブルを、ちょっと想像してみろよ」
「た、確かに、ちょっと怪しいかも」
「いいからお前は飯に専念してろ。相当頑張ったし、疲れたろ?」
「疲れたってより、やっぱり運動した分、お腹が空いてしょうがないかなぁ。んじゃ、お言葉に甘えさせてもらうねー」
「そうしててくれ。で、リフ、事情を話してもらえるか?」
「…………」
 しかし、リフはシルバの顔を見上げたまま、無言だった。
「ん?」
「失敗かい、シルバ?」
 カナリーの問いに、シルバは自信なく首を振った。
「いや……そんなはずは……」
 不意に、頭に舌足らずな声が響いた。
(……話していい?)
 どうやらこれが、リフの意識の声らしい。
「いいぞ。事情の説明、始めてくれ」
(ん)
 それからリフは沈黙した。どうやら、頭の中でまとめているらしい。

 シルバは待ちながら、タイランに確かめてみる事にした。
(なあ、タイラン。もしかして、コイツ)
(……はい、元々無口っぽいんです、この子)
(……やっぱり)

 そして、リフは語り始めた。
(注:鳴き声が台詞となります)
「に。リフは、山からきた」
「待った。いきなり話の腰を折って悪いけど、お前、その名前でいいのか? 本当の名前は?」
「リフでいい。リフは、気に入ってる」
「そ、そうか。ならいいんだけど。続きを頼む」
「母上はもう精霊王の元に帰ったと、父上に聞いてる。だから、リフは兄弟達と父上に育てられた」
 最後の骨付き肉を頬張っていたヒイロが、シルバの袖を引っ張った。
「モグ……ねえねえ、せいれーおーのもとに帰ったって、どういう意味?」
「もう、亡くなってるって意味だ。飯はもういいのか?」
「まだまだっ。もー、いくらでも入るね。ウェイトレスさーん、お肉もう十本追加ー」
「十本て」
「リフも、おかわり。おさかなふらい」
「はいはい。水もな」
「に」
 食事をしながらの、話は続く。
「けど、ずっと山にいるのも飽きて、父上の言いつけを破ってみんなで麓の森に下りた。楽しかったけど、捕まった」
「その、捕まったってのが、さっきの連中か」
「うん」
 しょぼん、とリフの耳が項垂れる。
「……兄弟、まだみんな捕まったまま。リフだけ逃げられた」
「どうするつもりだったんだ?」
「……山に戻って、父上に謝る。それからみんなを、取り返してもらうつもりだった」
「冷静だな」
「連中つよい。リフ一人じゃ、たぶんむり……悔しいけど、また捕まるの、ぜったいだめ。リフは残ったみんなの希望だから」
「なるほどね……」
 皿の肉を全部食べ終え、暇になったヒイロが唸った。
「んー……そうなると、アレだよね。ボクとしてはリベンジしたかったんだけど、この子を山に送り返す方がいい?」
 コイツの腹は一体どうなっているんだろうとか思いながら、シルバは同意する。全然膨れたように見えない。
「そりゃ、そうだ。親が来たら、えらい事だぞ。どのぐらいの格の霊獣かにもよるけど、下手な相手だと、この都市が半壊する」
「そんなすごいんだ」
「一年ほど前、クスノハ遺跡に現れたという怪物も、霊獣という噂らしいな」
 ワイングラスを傾けるカナリーの言葉に、「ぶ……っ!」とキキョウが水を噴き出した。だ、大丈夫か、と心配するシルバを余所に、ヒイロが興味を持った。
「何それ、カナリー? どこの話?」
「この都市からだと、そうは離れていないな。せいぜい歩いて二時間と言った所にある遺跡に突然現れ、遺跡を根こそぎ粉砕して消え去ったという巨大な獣の噂さ。もっとも、僕も伝聞でしかないがね。僕が訪れた現場は、もはや獣の痕跡もない、単なる廃墟だったし」
「霊獣っていうのは、半分精霊状態にある、知性の高い獣でな」
 前述の通り、霊獣にも格が存在し、それほど位の高くない霊獣なら、ちょっとした山の奥深くで見つける事が出来る。
 もっともそれでもかなり、遭遇には困難が伴うのだが。
 霊獣はその角や肉に高い薬の効果があるとされ、また希少種故、生きたままでも好事家達のペットとしても、高値で取引される。
 その一方で、霊獣と呼ばれるからには精霊としての力は相当高く、弱い霊獣でも小型の自然現象、強力な霊獣が激怒したならそれは自然災害を一つ丸ごと相手にするようなモノである。
 そして、リフの父親は、その強力な方に該当するらしい。
「父上強い。怒るとすごくこわい」
「と、取りなしは頼む。悪いのはお前を捕まえた奴らであって、一般人を巻き込むのはちょっと……」
「言ってはみる」
「助かるよ」
 卑屈を自覚しながらも、なりふり構っていられないシルバであった。
 カナリーがワイングラスをテーブルに置いた。
「ちょっと待ってくれ、シルバ。ちょっと気になる事がある」
 立ち上がり、掲示板を目指す。
「奇遇だな、カナリー。某も同じ事を言おうとした」
「な、何だよ?」
「これ」
 カナリーは掲示板から張り紙を一枚はがし、それをシルバに投げた。
 飛来するそれを受け取り、シルバはそれを見た。興味があるのか、リフもその手元を覗き込もうとする。
「……大型の猫型生物現る……」
 少し考え、シルバは首を振った。
「いや。確かにタイミング的にピッタリだけど、これがリフのお父さんとは限らないだろ? リフは、どう思う?」
「うん、分からない」
 リフは頷き、しょぼんとする。
「山下りちゃ駄目って、父上言った。言いつけ守らなかったリフ達、こんなトコ連れてこられた。だから、父上は来ないと思う」
「……いや、それはどうだろう。お前のお父さんの事はまだ全然知らないけど、親なら来るよ」
「そうなの?」
「うん、多分。というかもう来ているかもしれない」
 リフの頭を撫でながら、シルバは考える。ちなみにキキョウが何だか羨ましそうにしていたが、シルバは全然気付く様子がなかった。
「これと接触してみるのが一番だけど、もし全然違う件だったら時間の無駄だ。例えば、どっかの金持ちが趣味で飼ってた大型獣の脱走とか、あり得ない話じゃない」
「可能性はそれなりに高いけど……」
 カナリーの言葉も、考えを口にしただけだろう。シルバは頷きながらも、肯定はしなかった。
「確定じゃない。何より、霊獣に礼儀を示すなら、コイツを山まで送り返すのが一番いい」
「……うん、それについては僕も同感だな」
「リフもそう思う」
「連中に、背を向けるのはシャクだけどねー」
 湯気を立てる新しく来た骨付き肉を手に取りながら、ヒイロがぼやく。
「我慢しろヒイロ。まずは、この子の身の安全が第一だ」
「うん、分かってる。それにもしかしたら、連中が追いかけてくるかも知れないしね」
 それをちょっと期待している風なヒイロだった。
「だな。それでリフ。お前の住んでた山の名前って分かるか?」
「ヒトはみんな、モースって呼んでた」
 ひく、と表情を引きつらせたのは、シルバとカナリーだった。
「……モースって」
「東にある、あの、モース霊山かい、リフ?」
「うん」
 リフの頷きに、二人はテーブルに突っ伏した。
「ど、どうした、シルバ殿、カナリー! 急に頭を抱えて!?」
「……あの、さ、リフ。もしかしてお前のお父さん、名前、フィリオって言うんじゃないか?」
 出来ればそうあっては欲しくない、という願いを込めながら、シルバは呻くように訊ねた。
「? うん」
 その返事に、シルバは唯一心境を共有できる、カナリーに弱々しい笑いを向けた。
「マジか? おい、マジか?」
「……あああああ。白い獣……山……草木を操る……何で僕は気付かなかったんだ、この無能……」
 一方カナリーは、ガンガンと額をテーブルに打ち付けていた。
「よ、よく分からないが、何か問題でもあるのか、二人とも?」
 他の者には、何が問題なのか分からない。
「要するに」
 シルバは、リフの顎下を撫でた。リフは気持ちよさそうに眼を細める。
「この子はすっげええらい霊獣の娘です」
「ああ。霊獣と言っても色々格がある訳だけど、その中でも相当に有名なね」
 眼を細めていたリフが、小首を傾げた。
「よく、分からない。リフはリフ」

 剣士であるキキョウが知らないのも無理はない。
 モース霊山はむしろ魔法使いの間で有名な霊力の高い土地であり、未知の生態系、薄靄に包まれた麓の深い森と高い山はいまだ秘境とされている。
 亜神と呼ばれる半精霊体を志す修行者達にとっては聖地の一つでもあり、その山の守護者として崇められているのが巨大な白き剣牙虎フィリオ。
 つまり、リフのいう父親がそれであり……要するにとてもおっかない獣なのだ。

 その子供達を掠ったというのだから、あの老人達にも恐れ入る。
 モース霊山は、密猟者達にとっても、宝の山である。一攫千金を狙って、霊獣を掠う輩がいても、おかしくはない。
「問題はさ、カナリー。それを理解した上であの爺さん連中がリフ達を掠ったのかどうかだよな」
「もし知っててやったんなら、神をも恐れん所行だよ。吸血鬼である僕が神を語るのも、おかしな話だけどね」
「つまりシルバ殿、リフは姫君のような立場にあると解釈して、よいのか?」
「ついでにまだ掠われたままの兄弟は、王子王女になるな」
 シルバは顔をしかめ、こめかみを揉んだ。
「何てモノ掠いやがる。こりゃ、一刻の猶予もないぞ。すぐにでも出発しないと」
「だな」
 事の重大さが分かっているカナリーも、準備の為立ち上がった。
 もしも霊獣フィリオがリフ達を取り戻しに来たら……都市半壊どころでは済まない。地図上から消滅する可能性もある。
 すると、今までほとんど発言していなかったタイランが、手を挙げた。
「あ、あの……っ」
 いつもなら、オドオドと小さく挙げる手が、今回ばかりは勢いよかった。何かよほど言いたい事があるのだろう。
「どうした、タイラン?」
「何故、リフちゃんは掠われたんでしょうか」
「そりゃ……普通、金目当てじゃないか?」
「……ああ。希少種である霊獣は、相当高値で売れるしね。いや、本人を前にする話じゃないなこれは。失礼した」
 カナリーの謝罪に、リフは首を振った。
「いい。気にしてない」
「つまり、シルバ殿は常識的に考えるなら密輸の線が一番可能性が高いと?」
「そういう事だけど……」
 しかし、タイランは違う見解を持っているようだった。
「あの老人、見覚えがあるんです……ウチで……名前がもうちょっとで……」
 唸るタイランの方を、リフが向いた。
「クロップ」
「え」
 タイランが、リフを見る。
「他の人達、そう呼んでた」
「クロップ! 思い出しました! あ、あの人です! 父の知り合いの!」
 珍しくよほど興奮しているのか、タイランは両手を合わせて立ち上がった。
「お、落ち着けよ、タイラン。誰だ、そのクロップって?」
 シルバも知らない名前だったが、カナリーが考え込む風な表情で呟いた。
「クロップ……精霊砲を使った兵器……とすると、精霊機関の権威、錬金術師のテュポン・クロップかい、タイラン?」
「はい、その、クロップ氏です」
「有名なのかよ、カナリー」
「ああ。僕もそれほど詳しい事は知らないけど、サフォイア連合国出身で、相当な変わり者だったと聞く。数年前の話になるけど、確か所属してた錬金術師ギルドの保管してた一山ほどもある精霊石、全部自分の精霊機関にぶち込んだんだっけ?」
 充分知っているカナリーだった。
「は、はい……その、自分の精霊機関の優秀さを実証する為に。確かに優れた機関で、無謀とも思える石の投入にも耐えましたが……その代わり本人はギルドどころかサフォイア連合国そのモノから追放されたそうです……何せ、ありったけの精霊石を、自分の研究の為だけに使い切っちゃいましたから……」
 なるほど、自動鎧で地面ぶち抜いて、襲いかかってきただけの事はある。
「……また、とんでもない爺様だったんだな。確か精霊石って一つで相当な高値だったはずだろ?」
「ですから、もし研究を続けていたとしても、どこかの組織に属する事は出来ず、細々とやっているはずだったんですが……」
「この、アーミゼストに現れた」
「はい」
 タイランの肯定に、シルバの頭の中でも繋がってくる。
「精霊機関の研究者、それにリスクを冒してでも手に入れた霊獣……つまり、タイランが心配しているのは、そういう事か?」
「……はい」
 カナリーも気付いたようだ。
 キキョウは眉を寄せているが、ヒイロは明らかに分かっていないようだった。
「どゆ事?」
「俺はてっきり、密輸とかの心配をしてたんだが、状況はもっと悪いって話。爺さんが研究を進めていた精霊機関の核ってのは、つまり精霊そのモノなんだよ。だけど、精霊ってのはなかなか安定しないのが欠点でな。だから、通常は精霊石っていう結晶化されたモノが使われる。確か、人工的な精霊石の開発も進められているほどだ」
 シルバは一拍おいて、水を飲んだ。緊張のあまり、喉が渇いてしょうがない。
「だけど、それよりも効率のいい核があるとしたら? 今の爺様のエピソードを思い出したら、半精霊であるリフ達を掠った目的は何か、お前でも何となく想像が付くだろう?」
「待ってよ! じゃあ……」
 ヒイロが手に持っていた骨付き肉の骨をへし折る。
 キキョウの目も細まった。
 ここにいる全員が理解した。
 つまり、こういう事だ。
 老人達、テュポン・クロップの一味がリフ達を掠った目的は、自身の開発している精霊機関の核にする為なのだろう。
「リフは、みんなを助けに行く」
 皿を舌できれいにし終えたリフが、テーブルから飛び下りる。
「ちょ、ちょい待ち」
 シルバはその真下に手を滑り込ませ、捕まえるのに何とか間に合った。
「にぃ……はなして。いそがないと」
「そ、そりゃそうなんだけど、みんなの意見も聞かないと」
「に?」
 リフを膝の上に載せ、シルバはパーティーのメンバーを見渡した。そして、手を挙げる。
「それじゃ、リフの兄弟を助けに行くのに参加する人ー」
 全員が一斉に手を挙げた。
「……いいの?」
 見上げてくるリフに、シルバは肩を竦めた。
「いや、お前だって言ってたじゃん。一匹じゃ無理だって」
「だね」
 うんうんと、ヒイロも笑う。
「困ってるんだろ? ウチの連中が放っておくなんてそれこそ、無理無理」
「にぃ……」
「ま、僕としては、そのクロップ氏の精霊機関がどんなモノかも興味あるしね。もしかしたら、何らかの研究の足しになるかも知れない」
「ボクとしては、リベンジ出来る訳だし、望む所だよ。あ、もうちょっと待ってね。ご飯食べ終わるから」
「某はシルバ殿に付いていくまで。何より、このまま見捨てては寝覚めが悪くなる故」
「……わ、私としても、知らない人じゃありませんし、その……言い出しっぺみたいなモノですから……」
 それぞれが、好き勝手なり理由を口にする。
「という訳で。アジトの場所まで案内頼む」
「にぃ……ありがとみんな」
「そうと決まればみんな、作戦会議だ。爺さん達、アレでなかなか厄介だからな」
 テーブルを囲む全員が、一斉に頷いた。


「アジトは、西南のいせきの地下」
「ってそれ、クスノハ遺跡ー! ……いや、そうか、だからこそ誰も今更調べない。うまい手かもしれないな」
「ってゆーかアイツ、攻撃効かないのずっこいってー!」
「ヒイロ、それについては何となく見当が付いてる。キキョウ、ヒイロの武器ってさ……」
「ああ、充分に有り得る話だ。ちょっと見せてくれ」
「……あと、遺跡という事は迷宮ですよね? わ、罠の心配とかないんでしょうか……?」
「夜のこの時間なら、僕の霧化で割と何とかなると思うけどね」
「お{兄/にぃ}、植物のタネほしい。リフもたたかう」
「花屋か……まだ開いてるかな? って、兄って何ーっ!?」
「ず、ずるいぞ、リフ! 大体、リフには本当の兄弟がいるはずでは!」
「みんな、渾名でよんでる。お兄はシルバにぃだけ」
「ずっ、ずるすぎる!」
「……落ち着きたまえ、キキョウ。というか何がずるいのかね」
「う、そ、それは……うう、妹キャラ……何という強力な……っ!」
「ふふふふふ……りっべーんじ! 待ってろ、四号ーっ!」
「あ、あの、シルバさん……私、いいんでしょうか」
「何が」
「どうして精霊の言葉が分かったのかとか……き、気になりませんか……?」
「そりゃなるけど、今の優先順位は低いだろ。この件が終わって、タイランが話してもいいって思ったら、話してくれよ」
「……僕が言うのも何だが、シルバ、君はもうちょっと仲間の素性に気を払うべきだと思うぞ。あと、その手の台詞は死亡フラグと呼ばれる類の一歩手前だ。気をつけたまえ」

 騒々しい小一時間の相談(?)の後、準備を整えた一行は都市を出たのだった。


 夜空には満天の星。
 辺境都市アーミゼスト北部、グラスポート温泉街の細い通りを、酒瓶を片手に酔っ払いがノンビリと歩いていた。
「くく~はろくのだん、どぶろくさんじゅうろっく……うぃっく! いー、天気だなぁ、ったくよぅ」
 風呂上がりの酔っ払いは、笑いながら酒をラッパ飲みにする。
「ひっく」
 やがて彼は通りを抜け、小さな噴水広場に出た。
 時間は相当に遅く、人気はまるでない。
「よっこいせ……っとぉ」
 千鳥足で歩き疲れた酔っ払いは、噴水に背を預け尻餅をついた。
 そして再び、酒をあおる。
 今でこそ上機嫌だが、小一時間もしたらこのまま眠ってしまうだろう。気候もそれほど冷えてはいないし、風邪の心配はなさそうだが。
「うーい…………ん?」
 酒臭い息を吐く彼を、大きな黒い影が覆った。雲で月が隠れたかなと、酔っぱらいは思った。
「……おい、小僧」
 頭上から声が掛けられた。
「ああ?」
「貴様のことだ、小僧」
「誰が小僧だ! 俺ぁ、こう見えて、よんじゅ……う……」
 顔を上げると、真正面に巨大な白い剣牙虎の顔があった。
「そうか。我は齢300を少し超えたばかりだ」
「…………」
 図体は五メルトを優に超えるだろう。体長ではない。背丈でだ。
 深い知性をたたえた瞳が、酔っ払いを凝視していた。
「子供を捜している。我を小さくしたような、可愛い盛りの仔ら、四頭。見覚えはないか」
「…………」
「聞いているのだが」
「な、ない。ないでふ」
 ろれつの回らない口調で、酔っぱらいは首をブルブル振った。
「そうか。失礼したな。この事、あまり他言はするな」
 くるりと身を翻すと白虎は跳躍し、建物の屋上へと飛び移っていった。
 酔っ払いは小便を漏らして、気絶した。


 建物から建物へと跳躍し、彼は都市中央部にある大聖堂の屋上で足を止めた。
「……ここにも、おらぬか」
 彼、白虎の名前をフィリオという。
 モースという霊山の長だ。本来ならば俗世に興味はないが、言いつけを守らなかった子供達が麓におり、そして人の手に落ちてしまったらしい。
 今はそれを探している。
 もしも見つけたら、子供達を捉えた者達を八つ裂きに……。
「ぬ、いかん。……落ち着け我。憤りは行動を妨げる」
 軽く頭を振る。
 妻は子供達を産んでしばらくして死んだ。よってフィリオは父親として一頭で、子供達を育ててきたのだ。心配にもなる。
 臭いを追ってこの都市まで辿り着いたのはいいが、ここは余計な臭いが多すぎる。
 自然、捜索の効率が落ちるのは、無理もないことだった。
 ……などと考えていると、背後にいつの間にか人の気配がある事に、フィリオは気付いた。
「誰だ……!?」
「あ、こんばんは」
 白い女が、のんびりした声をあげた。
 フィリオとは少し距離が離れていたので近付こうとして、
「あいたっ」
 こけた。
 立ち上がり、服の汚れを払う。
「……ストア・カプリスと言います。この大聖堂の主で、司教をしてます」
 何事もなかったように言う、女だった。
「……冗談、だろう?」
「いえ、本当ですよ。聖印もここにあります」
 座りますね、と彼女は屋上の縁に腰を下ろした。
 フィリオには信じられなかった。
 女には山羊のような角があるし、耳も尖っているし、尻尾まである。
 今はゆったりとした服の下だろうが、背中には羽もあるはずだ。
「ありえん。世俗に疎い我でも知っているぞ。ゴドー聖教は『人間の神』を崇める宗教だ。角や尻尾のある貴様のような輩が司教など、正気の沙汰ではあり得ない。何より貴様は――」
「ですが、ちゃんと、許可は教皇猊下から直々に頂きましたよ?」
 おっとりとした笑顔で、彼女は言う。
 どうにも、ペースが狂うフィリオだった。
「……魔女め。何の用だ」
「ちょっと忠告に参りました。モース霊山の長。あまり人前に出られると、困るんです。市民が怯えますから。ウチの教会にも相談に来る人がいますし、もしかしたら冒険者の討伐隊が組まれてしまうかも知れません」
「ほう……我に挑むというのか」
 争うのはあまり好きではない。
 しかし、フィリオとて暴れたい気分になる事はあり、今がまさにその時だった。
「挑むのは別にとめませんけど、出来れば都市の外でお願いしたいですね。無関係の人まで巻き込まれますから」
「ふん……最初に手を出したのは、人間の方ではないか。知ったことか」
「フィリオさんらしくもないですね。怒りで心に澱みが生じていますよ」
「怒りもする。まだ名前すら付いていない子供が掠われ、憤らぬ親がいるか。何かあれば、タダではすまさん。この都市まるごと消し去ってくれる」
「それはちょっと、困りますね」
「例え貴様が相手でもだ、魔女」
「落ち着きましょう。私を相手に怒るのは八つ当たりです、よね?」
「むぅ……」
 諫められ、反省する。
 指摘通り、彼女は関係ない。
「……確かにそうだ」
「子供達は禁忌を破って山を下りました。ですから、然るべき報いを受けました」
「何故、知っている……貴様、我が仔を知っているな!」
 フィリオは牙を剥き出しにした。
 しかし彼女の方は落ち着いたモノだ。
「はい」
「どこにいる」
「今はちょっと、お話しできません」
「何故だ」
「あの子は、自分で決着をつけようとしていますからね。その覚悟を無下には出来ません。実に貴方の子供らしいですし」
「ぬぅ……し、しかし……」
 子供の勇ましさを褒められ、フィリオが怯む。
「親として心配するのは分かりますけど、ここはギリギリまで見守りませんか? もちろん、子供達を掠った方達には然るべき報いを。しかしそれを為すのは、まずあの子達にお任せしてもらえますでしょうか」
「よかろう。その覚悟、見届けよう」
 しかし、とフィリオは付け加える。
「……ただし、倅達に何かあれば、生かしてはおかんぞ」
「はい。でも大丈夫ですよ。リフちゃんには、強い味方がついてますから」
「…………」
「どうかしましたか」
「今、名前が出なかったか?」
「あ」
 彼女は、「やっちゃいました」と口元を抑えた。
 しかしここは聞いておかなければならない。子供の将来に関わることだ。
「リフとは何だ? 『ちゃん』という事は娘だな? 誰かが名前を授けたのか。娘が受け入れたのかどうなのか。名付けたのは男か女か。女ならばまだ許す。だが男ならばタダではおかん。事と次第によっては七回殺して崖から突き落としてくれる」
「ところで、その身体では、すごく目立つんですけどどうにかなりませんか」
「あいにくと、人に化けるような術は持ち合わせておらぬ! あからさまに話を変えようとするなーっ!!」


 夜空の下、騒ぐ一人と一匹。
 そんなやり取りがあるなど露知らず、五人と一匹のパーティーはそのすぐ足下の通りを駆け抜けていったのだった。



[11810] 精霊事件2
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/11/05 09:26
 遺跡には、都市で馬車を借り、数十分で到着した。
 テュポン・クロップ一味もやはり馬車を使ったらしく、真新しく深い轍の跡が地面にクッキリと残っていた。
「ここがクスノハ遺跡かー」
 ヒイロは、その遺跡のど真ん中に、ポッカリと空いた大きな穴を覗き込んだ。穴の直径は20メルトほどだろうか。遠くに台付の小振りなクレーンがあるのは、おそらく馬車やモンブラン四号の出し入れの為と思われる。
 噂では一年ほど前、この穴から巨大な獣が出現したという。
 古代の魔法の研究施設だったと言われるそこに封印されていた魔獣を、誰かが解放してしまったのではないかなどという噂もある。
 底の方は夜の闇でまるで見えないが、シルバの見立てでは、おそらく補修されているはずだ。
「今回の件だけど、不用意に踏み込もうとするなよ、ヒイロ。十中八九、トラップがあるはずだし」
 シルバは、地図を広げながらヒイロに注意した。
「爺さん達、自分達も住んでるのに?」
 シルバはクレーンを指差した。
「連中は、あれを使うから問題ないんだよ」
「うわ、ずっこいなぁ。ボクらは使っちゃダメなの?」
「そうしたらすごく楽なんだろうが、まず間違いなく気付かれるな。リフの兄弟を人質に取られても困る」
「……難しいモンだねぇ」
「ああ、面倒くさいモンだ」
「むー」
 こういう焦れったい行動は、ヒイロには苦手なのだろう。
 それが分かるだけに、シルバは苦笑してしまう。
「ま、まあまあヒイロ。私達の出番は、後ですから……」
 タイランもフォローに入った。
「そういう事。それまで力溜めとけ。その代わり」
 憮然とするヒイロの頭に、シルバは手を置いた。
「アイツが出たら、思いっきり暴れてよし。お前の仕事は、そこにある」
「うん、我慢する」
「うし、それじゃ見取り図はこんな具合だ。リフは他の部屋は回ってないんだよな」
「に。……出るのでせいっぱいだった」
 今回の作戦の主役は、一度ここを脱出した経験のあるリフだ。
 それと、勘の鋭さではリフに劣らないと思われるキキョウ。
「リフよ。来た道は覚えているのか?」
「に。まかせて」
「……とすると、他の部屋は回らなくて良さそうだな。何より今回の仕事は、お前の兄弟の救出が目的な訳だし。捕らえられてたっていう部屋を目指すのが最優先だ」
「にぃ」
 シルバが手を差し伸べると、その腕を伝ってリフは胸元に飛び込んだ。
 地図もしまい、シルバ達は大穴から少し離れた場所にあった、地下への入り口に足を踏み入れる。
 ここから先は精神共有を使い、念話で話す事をシルバは全員に伝えた。
「それにしてもシルバ詳しいね。来たことがあるのかい」
 たいまつに火を付けるシルバの後ろから、カナリーが訊ねてきた。タイランは足音が鳴らないように歩くのに苦労しているようだった。
「まあ……大分前にちょっと、な」
「…………」
 先頭のキキョウの耳がピクピクッと揺れる。その肩に、リフが乗った。
 階段を下りきると、通路は真っ直ぐだった。
 左右にも扉があったがそれらは今回は無視して、突き当たりの扉の前に一行は立った。
 扉はどうやら鍵が掛かっているようだった。
「しかし、扉の鍵なんてどうするんだ? 君は大丈夫と言っていたが」
 強行突破しようと思えば出来ない事はないが、そうしたら相手に気付かれてしまう。
 カナリーの問いに、リフが振り返った。
「に。お兄、まめ」
「コイツか?」
 シルバは出発前、閉店間際の花屋に寄って購入した袋を取り出した。
 袋の中身は豆だ。
「にぃ……」
 手の中の豆をリフの前肢がつつくと、豆は淡い光を放ち始めた。
 豆は小さく蠢いたかと思うと、シュルシュルと蔓が伸び始める。蔓の先が鍵穴に入り込み、「カチリ」と音が鳴ってロックが解除された。
「ほう。まるで妖術の類のようだな」
 キキョウが感心する。
「ちがう。これは精霊のちから。その子たちの生命力にかんしゃ」
「……で、コイツはどうすればいいんだ? 埋める場所がないんだが」
 手の中でうねうねと元気に蠢く蔓の処置に困るシルバだった。
「あとでいい。扉、まだある」
「まあな」
「食べてもいい」
「………」
 シルバは蔓をポケットに突っ込んだ。
 扉を開け、奥へと進むと、通路は先で右に折れ曲がっている。
 人の気配は相変わらず無いが。
「に」
「む……」
 リフが声を上げ、少し遅れてキキョウも足を止めた。
「トラップか」
 シルバの目には、何の異常もないように見えるが、二人の表情は厳しいままだ。
「うん」
「そのようだ。切って構わぬ類のようだな」
「ん、いい」
 キキョウの刀が一閃し、装置に繋がっていたワイヤーがまとめて切断される。
「それにしてもホント面倒くさいよね。住んでる人が罠に掛かったら、どうするのかな」
 ヒイロが精神を通して、ぼやく。
 確かにこの辺りまで入ると、普通に人も行き来しているだろう。
「罠の作動をオンオフするスイッチがあるはずなんだがな。さすがに作った本人にしか分からないようにしてるだろ。あの爺さん、そういうの得意そうだし」
 二人が感知し、時には豆の蔓でトラップを解除し、時にはスルーする。
 さすがに一度ここを潜り抜けたリフの方が、こうした感覚には優れているようだった。
 シルバは迷宮を見渡し、印象を漏らした。
「ただ、罠自体は雑だな。本職の人間が作るともっといやらしい」
「に?」
 よく分からない、とリフが振り返る。
「魔法系のトラップがないし、連動もないって事。何より、以前遺跡にあったトラップの再利用がほとんどだし、割と素直なダンジョンなんだよ、ここは」
「に、あしもと。端歩かないと落ちる」
「おう」
 案の定、落とし穴もあった。
「今回のような侵入系じゃない場合、ヒイロに防御を強化して特攻させるって手もあるんだけど、これが怖いんだよなぁ」
「むうぅ、ボクトラップ嫌いっ」
 落とし穴程度なら浮遊の魔法で何とかなるが、対処にだって限度がある。
 専門家ともなれば、様々な趣向で侵入者を罠に嵌める。いちいち魔法を使っていては、キリがない。
「だからこそ、盗賊が必要なんだよ。今回はリフがいるけど、今まで迷宮探索しなかったのは、そういう理由。最悪一撃必殺デストラップもあるしな」
「おっかないなぁ」
 そんなやり取りをしている内に、目的の部屋の前に到着した。
 扉こそ無かったモノの、中にはローブを着た男達がいた。
 その数四人。全員が剣や槍で武装していた。
 天井の高い部屋の奥には、大小様々な檻が積み重ねられている。
「にぃ……」
「こりゃ、リフ一人じゃどうにもならないな」
「やっちゃう?」
 どことなく楽しそうなヒイロだったが、カナリーがそれを留めた。
「まあ、待てヒイロ。こういうのは僕の仕事だ。任せたまえ」
 呪文を呟き、指先を部屋の中に向ける。
「{強眠/オヤスマ}」
 強烈な睡魔を催す魔法が部屋の男達に一斉に襲い掛かり、全員が床に倒れ込んだ。
「さすが」
 感心するシルバだったが、カナリーは苦笑した。
「……そう言いながら君、一応印は切ってたね。キキョウはキキョウで、出る準備をしていたようだし」
「し、信用はしてたさ。でも、念には念を入れるのが、俺の主義でね」
 ちなみにシルバが用意をしていたのは、沈黙の魔法だ。最悪音さえ鳴らさなければ、いい訳で。
 それを説明すらせずに汲んでいたのが、キキョウだった。
「万が一に備えるのは、基本であろう」
 もっとも、どちらも出番はなかったのだが。
「まあいいさ。とにかく行こう。リフ、罠はないね」
「に!」
 特にカナリーは気を悪くした様子もなく、豪奢なマントをはためかせた。
 一行は部屋の奥に進んだが、檻の中はすべて空だった。
「……どこにも、いない」
「にぃ……」
 最悪の想像が、シルバの頭をよぎる。
 その時だった。
「一手遅かったぞい、小僧ども」
 どこからともなく声が響いた。
 それに続く、異様に重い音。足音だ。だがどこから響いてくるのか。
 シルバは頭の中で、見取り図を思い出す。
 この遺跡は、古代の魔法の実験場だというのが事実なのは、シルバは知っていた。
 そして、この部屋のすぐ隣が、巨大な実験室だったはずだ。
 足音はそっちから近付いてきている。止まる気配はない。
 つまり。
「に! みんなよけて!」
 リフが声を上げた。
 直後壁を突き破り、巨大な拳がパーティーを襲ってきた。
「マジかよ!?」
 全員が、一斉に回避する。
「カカカカカ! コヤツの作動実験に付き合ってくれるのはお前達じゃな! よいぞ、儂の子の強さ、思い知らせてくれる!」
 ワイヤーで繋がった拳が勢いよく引き戻り、巨大な自動鎧が壁の向こうから姿を現わした。
 だが、四号ではない。
 その背後には、白衣を着た鷲鼻の老人、テュポン・クロップが得意満面に笑っていた。それに、ローブの男が更に五人。
「ゆくぞい、モンブラン八号! 奴らを残らずやっつけるのじゃ!」
「ガ!」
「待て!? 数時間前のが四号だったのに、何でソイツが八号なんだよ!? 間の三機はどうなってる!?」
 シルバとしては突っ込まざるを得ない。
「カカ! 当然じゃ! 何故ならば、コヤツは四号の倍は強い! よって八号! 文句があるなら倒してから聞いてやるわい! もちろん、無理な話じゃがな!」
 轟、と両腕をあげたモンブラン八号からパワーが迸る。
「カカカ、霊獣四匹分のエネルギーじゃ! これまでの比ではないぞい……! この力とくと……ん? 何じゃい貴様ら。怖い顔しおって」


「……言いたい事はそれだけか?」
 シルバの感情を押し殺した問いに、クロップ老は胸を張った。
「いや、まだある! このモンブラン八号はすごいぞ! 精霊炉をフル回転させることにより、全体の動きが滑らかとなり、足の裏に装着した無限軌道により機動性の大幅アップ! パワーも増し、装甲を厚くしても四号を上回る攻撃力と防御力を両立させたのじゃ! 手数も増え、どれほど多勢であろうとお前達に勝ち目はない! どうだ、恐れ入ったか!」

「いらない」

 大きく振りかぶったヒイロの轟剣が、唸りを上げてモンブラン八号の横っ面をぶん殴った。
「ガ……!?」
 モンブラン八号の、鉄の頭がクルクルと勢いよく回転する。
 問答無用なヒイロの攻撃に、クロップ老は顔を真っ赤にして飛び上がった。
「おのれ! またお前か小僧!? じゃから人が話している時に攻撃するでないわ!」
 八号が肩に乗ったヒイロを捕まえようとするが、ヒイロの巨大な骨剣がその手を払い除ける。
 そのままヒイロは、クロップ老を見下ろした。
「ご託はいーよ、爺ちゃん。爺ちゃんはやっちゃいけない事やったんだ。悪いけど今からコイツぶちのめしして、爺ちゃんもぶっ飛ばす。いいよね。答えは聞いてないけど」
「おのれおのれおのれ! やれ、八号! お前達も何をぼさっとしておる! さっさと霊獣を回収せい!」
「は、はい!」
 戦闘が始まった。
 最前線でモンブラン八号とぶつかり合うのは当然、ヒイロ。
 そのサポートに、キキョウが回る。
 タイランは前と同じく、ローブの男達の相手を務める事となった。
 後方では、カナリーが影の中から赤と青の貴婦人を出現させる。赤の美女・ヴァーミィが滑るような動きでローブ姿の男達に迫り、手刀と蹴りの舞踏を展開し始めた。
「……君が止める間もなく始まっちゃったな、シルバ」
「いいさ。ウチの代表として先制攻撃って事で。それに事前に言ってたとしても、誰も止めなかったろ」
「まあね。じゃあま、こっちはこっちで仕事を始めるとしよう――{紫電/エレクト}!」
「リフも支援よろしく」
「に!」
 シルバの懐に収まったリフが、精霊砲でタイラン・ヴァーミィ組への掩護射撃を開始する。
 シルバはシルバで、回復術は元より、攻撃力を高める{轟拳/コングル}や防御力を高める{鉄壁/ウオウル}の展開で忙しくなってくる。
 そんな中、タイランが動きを休める。
「……っ! やっぱり!」
 ローブの男の槍を払い退け、確信の声を上げた。
「れ、霊獣の仔達、まだ生きてます! 大分弱ってますけど……中にちゃんと反応、四つ、感じます!」
「確かか!?」
「間違いありません、シルバさん! で、でも、時間が経てば経つほどエネルギーを消費しますから……早く助け出さないと……!」
「ならやる事は決まってる! 全員速攻!!」
 応、とシルバのパーティーの攻めが勢いを増す。
 その分、防御がおざなりになるが、その分の回復は、シルバが一手に引き受ける。

 ――その合間を縫って、シルバは繰り返し同じ呪文を唱え続けていた。

「ヒイロ、スイッチだ!」
「うんっ!」
 それまでモンブラン八号と真っ向から打撃戦を繰り広げていたヒイロに代わり、キキョウが前に出る。
 それまで、攻撃を受けては反撃を繰り返していた八号の攻撃が、途端に当たらなくなった。
 スピードが圧倒的に違うのだ。
「ぬうっ!? こ、小癪な!」
「確かに、その大きな身体でその機動力は大したモノだ。だが、それでもなお遅い!」
 八号の拳をギリギリで回避し、キキョウはそのまま懐に飛び込んだ。
「舐めるな、小童! そのような細い剣で八号の重圧な装甲を貫けることなど、無理! 無駄! 無謀!」
「生憎と、某達には優秀な参謀がついていてな――」
 突然、巨大な自動鎧がガクリと跪いた。
「は、八号、どうしたのじゃ!?」
「――どれほど装甲が厚かろうと、関節の強化には限界がある。まずは足!」
 キキョウの鋭い刃が三つ閃き、八号の膝裏と腱に当たる部分から火花が飛び散った。
「ガ、ガガァ……!?」
 たまらず、両手を床につくモンブラン八号。
「は、八号ーっ!? し、しっかりするのじゃ!」
 クロップ老が悲痛な声を上げる。
 だが、形勢の不利は、彼らだけではなかった。
 ローブ姿の部下達も、既に何人かが戦闘不能に陥っていた。
「せ、先生! 敵の火力が強すぎます!」
「しっかりせんか! 八号の余った絶魔コーティング装甲で、魔法は防げるはずじゃろうが!」
「ま、魔法は何とか防げるんですが、この女達が……!」
 赤い美女ヴァーミィの変幻自在の蹴りに、ローブの男達は対応しきれない。
 かと思えば、八号ほどではないにしても充分巨体のタイランが、力任せの突進で、彼らの体勢を崩してくる。
 そして盾にしていた装甲を落とせば、後方でカナリーが髪を掻き分けながら笑うのだ。
「ふふ、いいぞヴァーミィ。そのまま敵を翻弄しろ。盾を奪えば、僕とリフの出番となる」
「……にぃ!」
 紫電と精霊砲が飛び、クロップ老の部下達はみるみるうちにその数が減っていく。
 しかしその程度で諦める老人ではなかった。
「八号、スピン攻撃じゃあ!! 全員弾き飛ばせ!」
「ガ!」
 何とか起き上がったモンブラン八号は足を踏ん張り、その場で大きくその身体を回転させた。極太の腕が暴風となって、キキョウやタイランを後退させる。
「ぬっ!?」
「……つぅっ!?」
 力任せながら、敵を怯ませることに成功し、クロップ老は激しく手を叩いた。
「よぉしよしよし! 落ち着いて戦えば、お前に負けはないぞ八号! 仕切り直しと行こう! まずは厄介な後ろの連中じゃ! 飛ばせロケットナックル!」
「ガオン!」
 八号が構えた腕から拳だけが飛び、後方のシルバ達を襲う。
 しかしそれが彼らの届く前に、青い風が軌道を逸らした。
「何ぃっ!?」
 シルバ達の前に、優雅に着地したのは青の美女・セルシアだった。スカートの両端をつまみ、一礼する。
「よくやった、セルシア。しっかり僕達の護衛を頼むぞ」
「ならばこれでどうじゃ!」
 拳を引き戻した、八号の両手が眩い光が収束していく。
「ツイン・エレメンタル・キャノン!」
 老人の声と共に、八号の両手から光の束が迸った。
 それを、シルバとリフが迎え撃つ。
「{大盾/ラシルド}!」
「にぃっ!」
 魔法障壁とシルバ側の精霊砲が、モンブラン八号必殺の攻撃をほぼ完全に相殺した。
 一方、タイランとヴァーミィはほぼ、自分達の仕事を終えていた。
「こ、こっちの制圧入ります!」
 残ったローブ集団を、タイランの斧槍とヴァーミィの蹴りが潰していく。
「任せた、タイラン。キキョウ、もう一本の足も頼む」
「承知!」
 キキョウは疾風の速度で、真上から落ちてくる八号の拳を回避。無防備になった手首にも刃を撃ち込み、何とか敵の背後に回り込もうとする。
「させるか、馬鹿モン!! もう我慢ならん! 今こそ、超! 無敵モード発動の時じゃい!」
「ガ!」
 鈍い唸り音と共に、不可視の力場がモンブラン八号を中心に発生する。
「むぅ……!?」
 突然斬れ味の鈍くなった刃にキキョウは唸り、即座に後退した。
 部下の数こそ減ったモノの、形勢の逆転にクロップ老は得意げに含み笑いを漏らす。
「ククク……よくも今まで、舐めた真似をしてくれたな、小僧ども! これまでの無敵モードはフィールド発生時に、移動できないという欠点があったが、八号は違うぞ! 霊獣から得た圧倒的なエネルギーにモノを言わせ、フィールドを展開したままの活動が可能なのじゃ!」
「そ、その力……出来れば、もっと早く出して欲しかったです……先生……」
 床に倒れ伏したローブの青年が、呻き声を漏らした。
「ええい、やかましいわ! 切り札は、最後まで取っておくモンじゃろうが」
 老人は、部下の愚痴など意に介さなかった。


「……って事は、その無敵モードさえ何とかすれば、もう手はないって事だな?」
 シルバの特に焦った様子もない問いに、クロップ老は眉根を寄せた。
「ふん……! 虚勢を張れるのも今の内じゃ! ゆくぞ、超☆無敵モード・モンブラン八号!!」
「ガオン!」
 唸り声を上げ、モンブラン八号はクラウチングスタートの構えを取った。
「よし、体当たり攻撃じゃモンブラン八号! 全員、ミンチにしてくれようぞ!」
「ガ!」
 八号の巨大な足の踏み込みに、床板が破砕する。
 五メルトを優に越す鋼の弾丸が、凄まじい勢いでシルバ達に迫り――

「{雷閃/エレダン}」

 ――カナリーの魔法の一撃に貫かれた。
「ガガ!?」
 全身から火花を飛び散らせ、モンブラン八号の巨体が反対方向へと弾け飛ぶ。かろうじて倒れこそしなかったモノの、身体の関節部はガクガクと痙攣を繰り返していた。
 八号を操っていたクロップ老も仰天する。
「な、何と!?」
「へぇ……シルバの言う通り、あの無敵モードって、魔法は素通りなんだね」
 指先から小さく紫電を発しながら、カナリーが口元だけ微笑む。
「ああ。あのフィールド、多分自分の絶魔コーティングも拒絶しちゃってるんだよ。結果、効果を打ち消し合って、魔法にはめっぽう弱いっていう欠点が出来ちゃったってトコだと思う」
「な、な、何故、この無敵モード最大の弱点を、貴様が知っている!」
 ダラダラと汗を流すクロップ老に、シルバは即答した。
「一回見たから」
「何じゃと!?」
「冒険者に二度同じ攻撃が通じると思うな。いや、実際はそういう訳にもいかないんだけど……今回は、当てはまったみたいだな」
 一度目の、路地裏でのモンブラン四号戦。
 シルバは、完全な無敵モードなんてモノはないと信じていた。もしそんなモノがあったら、魔王討伐の遠征軍は解体されているはずだ。
 何かしらの穴がある。
 そう考えてモンブラン四号にまず放ったのが、防御力を下げる{崩壁/シルダン}だった。本来は魔法攻撃が使えれば一番よかったのだが、シルバはその手の術は一つも習得していない。だがともあれ、呪文は絶魔コーティングを施したはずの敵に確かに効果があった。
 次に、ヒイロの骨剣。
 前パーティーに所属していた時、酒の席で戦士であるロッシェから、数多の生き物を斬り、潰してきた武器には微弱ながら魔力が宿ると聞いた事があったのだ。
 つまり、古く使い込まれた武器は、魔剣の類となる。
 ヒイロの武器はまだまだその域には程遠いが、食堂で会議をしていた時、キキョウとカナリーに確認してもらうと、なるほどわずかながら骨剣は魔力を帯びていた。
 だからこそ、路地での戦いで、ほんのわずかながら無敵モードのモンブラン四号に、ダメージを与えることが出来たのだ。
 つまり。
 無敵モードは、物理攻撃にはこれ以上無いほど有効だが、その反面些細な魔力ですら通すほど魔法攻撃には弱い。
「だから、もう、無敵モードは通じないぞ、爺さん」
 シルバの言葉に、クロップ老の決断は早かった。
「構っわん!!」
「何……!?」
「エネルギーフル出力! 一気に回復じゃあ!」
「ガァッ!」
 モンブラン八号の雄叫びと共に、金属製であるはずの胴体や四肢が光を放ち、見る見るうちに修復されていく。
「た、体力にモノを言わせてごり押しする気かよ……」
 何つー酷い作戦だ。
 だが、有効な手である事も確かだ。どれほど魔法に弱かろうと、最後まで立っていれば勝ちである。そして、この強引な回復にはもう一つ問題があった。
 タイランが、悲痛な声を上げる。
「……まずい、です……! 中の子達が……悲鳴を上げています!」
「よし、まだ搾り取れるぞ! さすが霊獣! 秘められたエネルギーは純度も量も桁違いじゃ! ではゆくぞ、生意気な小僧! まずは貴様からじゃ!」
 クロップ老の狙いは、シルバのようだ。
 それはいい。
 しかし、戦闘中盤からずっと攻撃を控え、ひたすら己の中で破壊衝動を練り続けていた鬼がいる事に、老人は気付かなかった。
「ヒイロ、準備はいいか」
「……うん、充分」
 シルバがこまめに掛け続けた攻撃力を増強する祝福・{豪拳/コングル}の効果も重なり、極限まで力を絞るヒイロの肉体からは、赤黒い瘴気のようなモノが立ち込めていた。
「{豪拳/コングル}五回掛け。そしてこちらは」
 {豪拳/コングル}の効果を与えられているもう一人、カナリーも頷く。
「三回分。いいさ。自前のチャージもタップリ溜まってる」
 カナリーは、華奢な身体の全身から静かに紫電を迸らせていた。
「ゆ、ゆけ八号! これさえ凌げば、儂らの勝ちじゃ!」
「ガオン!」
 クロップ老の声に応え、改めて轟音と共に突進を開始するモンブラン八号。
 どれほどの攻撃を受けようが、そのままこちらを圧死させる覚悟のようだ。
 しかし、シルバ達は動じなかった。
「ないよ、そんな勝ち。無敵モードのままなら、カナリーの魔法が。無敵モードを解いたらヒイロの剣が八号を破壊する。どっちにしても勝ち目はないって」
 凄まじい勢いで迫る八号を、キキョウやタイランが回避する。
 シルバの隣で、スッとカナリーは腕を高らかに持ち上げた。
「フルパワー全開――」
 激しい紫電光が、掌に収束する。
「――{雷槌/トルハン}!!」
 カナリーが腕を振り下ろすと同時に、モンブラン八号を紫色の雷柱が包み込んだ。
「ガ、ガ、ガガガ……!!」
 ビクンッと背を仰け反らせ、八号は全身から煙を吹き出した。
 しかし、それでも足下の無限軌道は死なず、タックルを継続する。
「気張れ、八号! そんな静電気に負けるでないぞ!」
「ガハァ……!」
 巨大な手を突き出し、シルバを捕らえようとする八号。
 シルバはその場から動かない。
「言ってくれるね爺様……」
 不意に、不可視の圧力が消失する。
「ガォッ……!?」
「な……超無敵フィールドが……」
 カナリーの魔法攻撃の効果か、無敵モードの領域生成装置が破壊されたのだろう。
 そして、シルバは指を鳴らした。
「{豪拳/コングル}――六回目」
「お……」
 ヒイロが、骨剣を振りかぶる。ゆらりとしたその動きに、大きな部屋の空気が根こそぎ揺れ動いた。
 モンブラン八号がシルバを捕まえるより、ほんのわずかだけ、ヒイロの踏み込みが速かった。その足が、床に深々とめり込む!
「おおおおおおおおおおりゃああああああっ!!!!」
 ドボン、と。
 とても金属とは思えない音と共に、骨剣の必撃を横殴りに喰らったモンブラン八号は天高く舞い上がった。高い天井をそのまま貫き、瓦礫が落下して生まれた大穴からは星の瞬く夜空が覗いていた。
「は、八号おおおぉぉぉぉぉーーーーーっ!?」
 クロップ老が悲鳴を上げる。
 しばらくして、クロップ老の背後から、凄まじい轟音が響いてきた。
 天井に、新たな穴が開く。
 広い屋内実験場(今は天井が無くなりそうになっているが)の端っこに、どうやらモンブラン八号が落下したようだ。よほど天井の補強が厚かったのか、思ったよりも飛距離は伸びなかったようだ。
「ふぅ……スッキリした」
 スカッと爽やかな笑顔で、ヒイロは汗を拭った。
 しかし、シルバはそれどころではなく、ヒイロの後頭部を軽くはたいた。自分の術も原因の一つとはいえ、やり過ぎだ。
「いや、スッキリしたのはいいけど、中の子らの事もちょっとは考えろよ!? 中心は避けろっつっただろ!?」
「あ」
「ったく……ま、まあ、本当に外が頑丈だったのが救いだけどさ」
「ともあれ、さすがに行動は不能だろうね、あれは」
「あの一撃受けちゃ、どう考えても無理だろ。それよりも……」
 クロップ老は遠くで半壊した八号に向かって駆け出しながら、その巨体に叫び続けていた。
「立て! 立つんじゃ八号! お前の力はそんなモノではないはずじゃあ! 儂の造った精霊炉の優秀さを、示せ八号!!」
「とりあえず、あの爺様を黙らせよう」
「だね」
 全員頷き、老人を追う。
 もはや、老人に戦力は残っていないはずだ。
「ガ……」
 鈍い唸り声に、シルバ達は足を止めた。
「何……っ!?」
 胴体のあちこちから中身を覗かせながら、ヨロヨロとおぼつかない足取りでモンブラン八号は立ち上がった。
 黒煙を噴き出し、所々から火花が生じている。
 それでも、モンブラン八号は健在だった。
「おおっ! 八号! 八号さすがじゃ! よく立った!」
 クロップ老が、自分が最強と信じている存在に駆け寄ろうとする。
 だが、八号の様子がおかしかった。
「ガ……ガ……ガガガ……」
「……?」
「ガガガ……ガ……ガガガガガガガガ!!」
 八号は全身をブルブルと痙攣させ、その唸り声はもはや雑音だった。
「は、八号どうしたのじゃ! しっかりしろ!」
「ガーガーガー……ガーガー……ガーガー……ガー……」
 生みの親の呼びかけにも応えず、ひたすら八号は身体を震わせ、
「……………」
 やがて停止した。
 呆然とするクロップ老。
 シルバ達は顔を見合わせ、一歩踏み出した直後。

「ガベラッ!!」

 八号の上半身が爆発と共に弾け飛び、中から何かが生じた。
 青と緑に発光する気体と液体の中間のような存在が、クロップ老を容赦なく呑み込もうとするが、ギリギリの所で老人の回避が間に合った。
 不定形のそれはズルリと床をのたうったかと思うと、重力を感じさせない動きで空へと駆け上がる。
 遺跡のあちこちから突然、植物が生じ、一気に成長した。石造りのそれは、あっという間に緑色の草木に染まってしまう。
 さらに近くに水源があったのか、遺跡の隙間から少しずつ水が湧き始める。
 屋内実験場の天井はもはや完全に崩壊し、真上には星空があった。
 そして不定形の『それ』はやがて、ある形を取り始めた。
「……おいおい、ありゃあまさか……」
 穴の底からそれを見上げるシルバの頬を、一筋の汗が流れる。
 かろうじて声を振り絞った彼に応えたのは、タイランだった。
「暴走し、荒れ狂う……霊獣、です……」
「にぃ……」

 月を背に、全身に鱗を生やした三本の頭を持つ剣牙虎が、猛然と空を舞い始める。

「……まるでどっかの誰かさんの再来みたいだ」
 ボソッと呟くその声は、一人だけにしか届かなかった。
「……ちょっ、シルバ殿」


 夜空を泳ぐように舞う三本首の霊獣の大きさは、5メルトを優に超えていたモンブラン八号を上回っているように、シルバ達には見えた。
 ひとしきり、空の遊泳を楽しんだのか、霊獣の動きはやがて緩慢になり、その目が地上を捉えた。
 正確には、遺跡の奈落から見上げるシルバ達の存在を思い出した。
 狭い場所に封じられ、無理矢理力を吸い上げられ続けた霊獣は、怒りに燃えていた。

「……目が合ったな」
「……うむ」
 緑が生い茂り、滾々と湧き水を吐き出し続ける遺跡の底で、シルバが呟き、キキョウが応えた。

 霊獣の三つの口に、緑光が収束し始める。
「にぃっ、れいれいほう!」
「全員伏せろ!」
 肩に乗ったリフの言葉に、シルバは懐からアイテムを取り出した。
 逃げる余裕なんて無い。
 シルバとリフを除く全員が、全身水浸しになるのにも構わず指示に従った。

 直後、遺跡全体を緑光の柱が包み込み、轟音と共に、遺跡に開いた大穴の外周部が十数メルト広がった。

 光が晴れ、大穴の底で――全員が健在だった。

「た、助かった……?
 一番最初に、いつの間にか回復していた眼鏡を掛けたローブの青年が顔を上げる。
 頭上を見上げると、黄金の魔力障壁が展開されていた。
「……ぜはー……ちょっとこりゃ洒落にならないぞ、おい」
 その術師、シルバは指で印を作ったまま、溜め息を吐いた。
「{極盾/ゼシルド}、ギリギリセーフ」
 魔力障壁は長くは持たず、そのままフッ……と消滅する。
「せ、先輩!? それ何!?」
 同じく顔を上げたヒイロが、シルバの顔を見て仰天した。
 それもそうだろう、とシルバは思う。
 シルバは、狐面を被っていた。
「ま、これに関しては、後回しで。それよりも……」
「ぜ、全員、無事か?」
 ガバリ、とキキョウが跳ね起きた。
 それからふと自分の胸元に気付き、何故か両腕で覆いながら周囲を見回した。
「な、何とか……い、生きてます……」
「ヴァーミィとセルシアは引っ込めさせてもらったぞ。あんなの相手じゃどうにもならないし、僕の体力優先だ」
「にぃ……」
「やれやれ、何という凶暴な力じゃ」
 白髪の老人がボヤいた。
「って、何で貴様まで生きている!」
 すかさず、キキョウがツッコミを入れた。
「最初から死んでおらんわ! そもそも伏せろと言うから伏せたんじゃ! あんな場所に立ってたら、それこそ死んでしまうじゃろうが!?」
「誰が原因だと思っているのだ!」
「実に素晴らしいパワーじゃ! あれこそ、儂が追い求めている力! 精霊炉の未来があそこにある!」
「シルバ殿! このド阿呆、斬って捨てて構わぬか!?」
「まあ待て。今は、そんなしょうもない事に付き合ってる場合じゃない。おー、よかったよかった。部下の連中も無事だぞ、爺さん」
 ローブ姿の連中も、ノロノロと起き上がる。

 攻撃が効いていない。
 その事に気付いた天空の霊獣は、今度は身体を反転させ、直に攻撃を開始した。
 三つの頭が大きく開き、六本の長い剣牙が凶暴に輝いた。

「……お主、何故、儂を助けた」
「アンタの為じゃないっつーの」
 シルバは再び印を切り、極盾を展開し――直後、衝撃が来た。
 暴走した霊獣の牙が、魔力障壁を食い破ろうとする。だが、シルバの使える最硬度の盾は、霊獣四匹分の力を持ってしても、破壊する事は出来ないでいた。
「訳も分からないうちに人殺しになっちゃ、アイツらもたまらないだろ」
「にぃ……」
 肩に乗っていたリフが、頭上の兄弟(だった存在)を悲しげに見上げる。
「つーかリフ。お前アレ、どうにか出来ないか?」
「待て、シルバ。それより君に聞きたい事がある。いや、そんな状況じゃないのは分かるが一つだけ……その狐の仮面は何だ」
「俺の切り札。以前、封じた霊獣の力が込められてる。コイツなら、まあ何とかなると思う」
「む?」
 シルバがそれだけ言って指を鳴らすと、黄金色の盾が破裂し、その衝撃に霊獣も軽く弾き飛ばされる。
 得体の知れない力に警戒したのか、霊獣は一旦、空に退避した。
「悪いけど、この戦いが終わったら俺、使い物にならなくなるから、誰か運搬頼むぞ」
「に」
「いや、お前は無理だから。無茶しなくていいから」
 シルバは、リフを懐に押し込めた。
 そして腰に力を込めて、跳躍する。
「……つーか、俺に白兵戦させんなよなっ!」
 天高く舞い上がったシルバは、そのまま霊獣の頭の一つに蹴りを叩き込んだ。
 だが、霊獣も黙っていない。シルバを噛み裂こうと、無事な二つの頭が大きく口を開けて迫ってくる。おまけに鱗の隙間から、無数の蔓が発生して、シルバを絡め取ろうとする。
 シルバの尾から一本の尾が発生し、バランスを取りながらそれらのすべてを猛スピードで回避した。
 空中戦が始まった。


 遺跡の最底では、キキョウが指揮を執っていた。
「シルバ殿が霊獣の相手をしている内に、皆は撤退だ。直接攻撃を食らわなくても、下手をしたら遺跡に生き埋めになってしまうぞ」
 時折、霊獣の精霊砲が地上に落ち、巻き上がった土煙が穴の中にまで侵入してくる。
 仲間達と共に、ローブの連中も急いで出口に向かっていた。今は敵味方を言っている場合ではなかった。
 最後に残ったのはキキョウと。
「おおおおお……霊獣がもう一匹。それも成獣じゃと! 欲しい! 欲しいぞ!」
 握り拳を作って、夜空の戦いに目を輝かせている老人だった。
「お主もだ!」
 キキョウは老人の首根っこを乱暴に掴むと、遺跡の出口目指して駆け出した。


 精霊砲や牙を回避しながら、シルバは懐のリフに言う。
「いいか、リフ。やる事はシンプルだ」
「に?」
「俺がコイツを精神共有出来るレベルまで大人しくさせる。共有繋いだら、お前が兄弟と交信、説得。オーケー?」
「に、おけ!」
 圧倒的に小さいシルバに攻撃が当たらず、霊獣は苛立っているようだった。
 シルバは霊獣の爪を、両手でいなした。
 素早く懐に飛び込み、がら空きになった胴に手刀を叩き付ける。
 霊獣の咆哮が、夜空に響いた。


 クスノハ遺跡はもはや、『遺跡だったモノ』になり果てていた。
「全員出たか?」
 キキョウはへたり込んでいる人の数を数えた。
「か、完了です!」
 何故か答えたのは、眼鏡を掛けたローブの青年だった。
 ヒイロはといえば、老人と同じように空の戦いに見惚れていた。
「すげー……」
「ヒ、ヒイロ、危ないですよ……?」
「でもあの身のこなし……キキョウさんそっくりだ」
 なるほど、言われてみればスピードを活かした体術は、無手のキキョウの動きによく似ていた。
「どういう事か聞きたいんだが、キキョウ」
 空を飛べる自分がシルバを援護すべきか迷いながら、カナリーは訊ねた。だが、あの激しい戦いに混じっても、足手まといにしかならないのは見て分かった。
 ドン、と精霊砲が一撃、地上を灼き、巨大な土柱が巻き起こる。
「今は安全圏まで逃れる方が先だ、カナリー。違うか?」
「まったくその通りだよ。しかしねキキョウ、どこまで逃げれば、安全なんだろうか」
 そこに、シルバからの念波が飛んできた。
「見えないぐらい遠く、かな。けど、爺さん逃がすなよ」
 キキョウは改めて、クロップ老の襟首を掴んだ。
「シルバ殿、こっちの心配はいい! 某達は自力で何とかするから、自分の身だけを案じてくれ! その力も、人の身では長くは持たない!」

「知ってる!」
 地上から巻き上がった水の竜巻がシルバを直撃する。
 弾き飛ばされたシルバは、空中で大きく回転して態勢を整えた。
 とっさに身体を庇った右腕が骨折したが、『再生』の術がすぐにその負傷を癒してしまう。
 新たな水竜巻が幾つも、地上から発生し始める。
「にぃ……お兄、何者?」


 精霊砲による爆撃は休むことなく続き、おそらく夜明けには微妙に地形まで変わっているのではないかと思われる。
 遺跡から遠ざかりながら、一人低く空を舞うカナリーは、シルバと霊獣の戦いを振り返った。
「というかだね、ああいうのはむしろ、ヒイロの方が向いてたんじゃないかい?」
「駄目だ」
 クロップ老を片手に掴んだまま、キキョウは即答する。
「何故」
「仮面は鍵に過ぎぬ。シルバ殿とあの『力』の契約なのだ。他の誰も、あの力は使いこなせないし、仮面を被っても役に立たないのだ」
「……そして、その契約とやらをした本人も使いこなせない、と。時間制限アリって言ってたよね、確か」
「そうだ。人の身に余る巨大な力なのだ、アレは」
 キキョウに引っ張られながら、クロップ老が苦しげに挙手する。
「な、ならば、儂に……」
「「黙ってろ」」


「こういうのは大の苦手なんだが……」
 何十もの蔓を手刀で切断したシルバは霊獣の背中に回り込み、中央の首に乗った。
 身体から生える蔓に加え、左右にも首がある為、完全な死角とは言い難いが、それでも多少は時間が稼げる。リフの精霊砲が、襲い来る蔓を灼いていく。
「に。お兄優勢! もうちょい!」
「おうともさっ!」
 霊獣も相当に力を使った分弱ってきている。
 貫手を固い鱗に覆われた首筋に叩き込むと、霊獣は空中でガクリとバランスを崩した。
「よし、いまだ! 契約を……」
 シルバは精神共有の印を切った。
 だが。
「に! お兄だめ!」
 不意に、足下の体重が軽くなった。
 霊獣が、三匹に別れたのだ。右の一匹がシルバを襲ってくる。
「なっ、ぶ、分裂……ヤバイ!?」
 そして左の一匹だった霊獣はシルバを無視して、空を駆けた。
 彼の狙いは明らかだ。
「そっちに行ったぞ、みんな!」
 キキョウ達を追う霊獣の霊力が高まるのを、シルバは感じていた。
「にぃっ、せいれいほう!」
「{極盾/ゼシルド}が……間に合わない……っ!」
 シルバは交信を中断し、味方に迫る霊獣を第一に倒そうと考え――
「……大丈夫です」
 ――その声に遮られた。

 精霊砲が味方に直撃し、新たな土煙が巻き上がった。
「こ、ここは、私が何とかします……シルバさんは足止め、お願いします」
 煙が晴れた殿に立っていたのは、2メルトを超える重装兵、タイランだった。
 霊獣もタイランを難敵と判断したのか、水を操り、津波で押し流そうとする。
「あと、み、短い間でしたが……今まで、楽しかったです。これまでありがとうございました……」
 タイランが手を突き出すと、津波が大きく真っ二つに裂けた。
 甲冑全体の継ぎ目が、微かに綻んでいる事に気付く者は、この中にはいなかった。

「って言うかなんだその死亡フラグっぽい台詞!?」
「に、しぼうふらぐって何?」
 二頭の霊獣を相手取りながら、シルバは戸惑った。

「いきます」
 ガコン、とタイランの甲冑が、内側から重い音を鳴らす。
「外部重装甲、および内部軽装甲展開」
 継ぎ目が完全に開き、蒸気が噴き上がる。
「第一第二第三安全装置、解除」
 淡い青光が鎧の隙間から漏れ始める。
 異様な気配を感じたのか、霊獣が咆哮と共にタイラン目がけて突進した。
「最終封印、確認――精霊炉、解放完了」

 霊獣の剣牙が、重装兵の直前で停止する。
 遮ったのは、忌々しい魔力障壁ではない。
 かといって、彼を超える腕力でもない。
 華奢な手から漏れる、青白い精霊光。単純に、自分よりも精霊としての格が上回ったに過ぎないそれが、霊獣の牙を阻んでいた。

「……終わらせますね」

 年の頃は十六ぐらいだろうか。
 背中まで伸びた髪と同色の、淡く青い光を放つしなやかな肢体は気体なのか液体なのか固体なのか曖昧で、下半身はまだ甲冑の中に収まったままだ。
 可憐という表現が相応しい乙女は甲冑から大きく身を乗り出し、憂いの表情のまま、凶暴な怒りの衝動を秘めた霊獣の鼻面に手を置いた。
 その途端、霊獣から獰猛な気配は消え、巨大な身体そのモノが消失した。
 後には、リフによく似た仔猫が地面に横たわるだけ。

 背後のキキョウ達も、シルバも、残った霊獣も全員が彼女――タイラン・ハーベスタの真の姿に目を奪われていた。


 いや、一人だけ。
「おおおおお、すごい! 強い! 可憐な精霊じゃあ! 儂の精霊炉の素材にならんか娘!」
 爺さん、空気読め。


「すみませんが……」
 大きな甲冑から身を乗り出した、精霊の乙女が不可視の力を放つ。
 そのままタイランは、重さを感じない動きで夜空に飛翔する。
 精霊の力にそれほど敏感という訳でもない、キキョウやヒイロ、カナリーも、その力の余波を受けて、小さくたたらを踏んだ。
「……大人しくして下さい。これ以上、争いたくないんです」
 緩やかな飛翔で、タイランはシルバ達と距離を詰めていく。

「おっ……」
 青白い光を放つ仲間が近付くにつれ、シルバは自身の中から沸き上がる膨大なエネルギーが次第に鎮まっていくのを感じていた。
 見ると、唸り声を上げながらも大人しくなった霊獣たちも徐々に高度を下げ始めていた。
「にぃ……お兄、急いで下りる。力抜けてきてる……」
 懐のリフの言葉に、シルバはぼやいた。
「中和能力か。どっかの誰かさんじゃあるまいし……」
「に?」
「いや、こっちの話。とにかく忠告に従って下りるとする。どうせもう、限界だしな……時間切れだ」
 荒野に着陸すると、シルバは大の字に倒れた。その衝撃に、狐面が外れる。
「に……!?」

「シルバ殿!」
 その光景を目にし、真っ先にキキョウが動いた。
「速っ……!? 今まで見た中で、一番速いんじゃない、キキョウさん!?」
「素晴らしい脚力だな」
 巻き起こった風に髪を抑えながら、カナリーは感心した。
 そして、シルバ達から少し離れた場所に、タイランが二頭の剣牙虎を従えて着地する。あれほど荒れていたのに、今ではすっかり大人しくなっていた。
「もう、貴方達を害するつもりはありませんから、どうかお鎮まり下さい」
 わずかに地面から足を浮かせたまま、タイランは霊獣達の鼻面に手を当てた。
「…………」
「…………」
 霊獣はそのまま、眠るように倒れるとやがて淡い光を発して緩やかに消滅した。
 地面に残ったのは、小さな仔猫が二匹と、一抱えほどもある龍魚と呼ばれる甲冑のような鱗に身を包んだ魚系の霊獣だった。
 龍魚は本来は水棲だが、空中を泳ぐ事も出来る不思議な霊獣だ。
 もっとも三匹とも揃いも揃って、見事に気絶していたが。
 カナリーは皮肉っぽく笑い、ヒイロはしゃがみ込んで興味深げに魚をつついた。
「ふん、本体は可愛らしいモノだな。そう思わないか、ヒイロ」
「うん。けど、全部で四匹になってるね。リフは三匹って言ってなかったっけ」
 うはあ、猫可愛いーと呟きながら、もふもふの肉の塊をヒイロは撫でた。
 カナリーは、タイランが戻した霊獣の一匹をいつの間にか回収し、腕の中に納めていた。こちらも気を失っているらしく、カナリーに抱かれたまま大人しくしていた。
「それ自体は別に驚く事じゃない。老人も言っていただろう? モンブラン八号に使ったのは、霊獣四匹分のエネルギーだって。まあ、どこのどなたさんなのか訊ねるのは、シルバに任せるとしよう」
「あ!」
 不意に何かを思い出したように、ヒイロは顔を上げた。
「……今度は何だい、ヒイロ?」
「爺さんいなくなってる!」
「っ!? に、逃げられた!?」
 あれだけ騒いでいた老人が、確かにローブの男達と一緒にいつの間にか消えていた。


 クスノハ遺跡から1ケルトほど離れた場所で、逃走に成功したクロップ老一味は、荒れ狂う精霊の災害から逃れる事が出来た、自分達の幌馬車を発見していた。
 その荷台で、クロップ老は地団駄を踏んでいた。
 その視線は先程から、遺跡の方角に向きっぱなしだ。
「くうううう……! 欲しい欲しい欲しいぞあの二体。霊獣ではないな。男の方は力の源はあの仮面。あの仮面に、何かの秘密があると見た。女、そうタイランと言うたか。アレは明らかにタダの精霊ではない。中和能力など並の精霊は持ち合わせておらぬ。今すぐにでも欲しいが……」
「こ、ここは自重して下さい、先生」
 腹心の部下である眼鏡の青年が、未練たらたらな老人をたしなめた。
「今の儂らに、奴らを手に入れる手段はない事ぐらい、分かっておるわ! まずはまた『奴』から霊獣を買い入れ、新たなモンブランを造り上げる! うむ、もしかしたらあの二人を手に入れるのも奴らなら出来るかもしれんな。儂らが苦労する理由はない。ならば、早速金策と交渉の準備じゃな!」
 思いついたら即行動が、クロップ老のモットーだった。
 しかし、その前に馬車が急停車し、危うく老人は転ぶ所だった。
「ぬ……どうした? 何故、止まる?」
 前の方に回り込み、御者の部下に尋ねる。
「わ、分かりません……急に馬が怯えて……」
「何じゃと?」
 見ると、確かに二頭の馬が震えていた。
 まるで、正面に何か化物でもいるかのように、必至に後ずさろうと努力する。
 いや、馬だけではない。
「うっ……!?」
 まずは御者。
「う、うあ……!?」
 そして荷台に待機していたい部下達も、次々と顔色を青ざめさせていた。
「むむっ、どうしたお前達!? まだそんなに寒くないはずじゃが……」
 何だかやたら鈍感な、クロップ老だけは気付かなかった。

 冷徹な殺意を持った視線が、幌馬車を射竦めていた。
 もはやその気配を隠そうともせず、ゆっくりと近付いていく。

「せ、せせ、先生には分からないのですか!? な、何かが近付いて来て……ひいっ!?」
 地面が揺れる。
「む、お……」
 ようやく、クロップ老も『それ』に気がついた。
 正面の夜の闇から、一対の碧色の目が輝いたかと思うと、白い巨大な剣牙虎が姿を現わした。
「おお……っ!?」
 幌馬車の、馬も御者も、荷台に乗っていた者達も、誰も動かなかった。
 いや、動けなかった。
 彼らを見下ろす、圧倒的な存在に射竦められ、ようやく彼らは自分達が、とんでもないモノを敵に回した事を自覚した。
 ……その自覚は、いささか遅すぎたが。
『――我が仔らを掠ったのは、お前達だな? 返答は不要だ。我は既に、すべてを知っている』
 そして霊獣フィリオは、スッと眼を細めた。
『――これ以上、言葉はいらぬな?』
 剣牙虎は一度身を竦めると、大きく跳躍して幌馬車に飛びかかった。


「にぃ……にぃ……」
 リフがシルバの頬を懸命に舐めるが、目を覚ます気配はなかった。
 もっとも、同じ事を過去にも経験しているキキョウは慌てない。
「心配はいらぬぞ、リフ。シルバ殿は、気絶しただけだ。この力を使うと必ずこうなるのだ」
「に……」
「とにかく一旦態勢を立て直そう。奴らを逃がしたのは惜しいが、一番の目的は達せられたのだ。まずは街に戻り、それから山にお主らを戻す。よいな」
「……にぃ」
 返事は、鳴き声でしか帰ってこなかった。
 精神共有の基地でもあるシルバが気を失っているのだから、当然と言えば当然だ。
「むむ、やはりシルバ殿がおらぬと、意思疎通が難しい……ここは、タイランに頼むしかないな」
 キキョウは振り返る。
 興味深げに、霊獣を保護するカナリーとヒイロから少し離れた場所で、いつの間にか甲冑に戻ったタイランは、所在なげに立ち尽くしていた。
「あっちはあっちで問題があるが……」
 色々とフォローが大変そうだな、とキキョウは短く息を吐いた。
「に!」
 唐突に、リフが顔を上げた。
 その尻尾がピンと立ったかと思うと、全身の毛を逆立てる。
「ぬ、どうした、リフ」
「に! に!」
 尻尾が大きく左右に振れる。
 そして、キキョウも気がついた。
「……っ!? な、何だこの気配は……!?」
 何か途方もないエネルギーを持った何かが近付いてくる。
 敵意がないのは、せめてもの救いだった。
 カナリーやヒイロも、どうやらその存在に気付いたようだ。
 やがて、巨大な剣牙虎は彼らの前に姿を現わした。
『……無事だったようだな、姫』
 静かな知性を宿した霊獣フィリオが、少年の上にチョコンと座る小さな愛娘を見下ろした。
 ピキッと父親の額に血管が浮いたように見えたのは、多分キキョウの気のせいだ。


 フィリオは、キキョウらを眺め回した。
『大儀であった。礼を言うぞ、人間。……いや、揃いも揃って、人ではないか』
「……も、もも、もしかして、リフのお、お父上か?」
 キキョウは、気絶したままのシルバとフィリオの間に割って入った。
『……小娘、貴様が……』
 それからふと考え込み、フィリオは改めてパーティーの面子を一人ずつ確かめた。
『ふむ……消去法で、シルバという男は、貴様が背に庇っている其奴か。其奴だな?』
 何か恨みでもあるのか、ぶわっ……! とフィリオの全身から、緑色の烈気が迸る。
 その気に当てられ、キキョウの尻尾がピンと立った。
「し、し、しるばどのに、てだしはさせぬぞ……ぜったい、だめだ!」
 炎のように噴き上がっていたフィリオの気が、不意に鎮まった。
『ふん……心配するな。例えどこの馬の骨であろうと、恩人である事に変わりはない』
「シルバ殿は馬の骨ではないぞ! 骨も肉も人間だ!」
 問題は、そこではないのだが。
『……どうでもよい。ああ、どれほど憎たらしかろうと、我は恩を忘れるような下種ではない。ぬぬぬ……』
 でも、やっぱり悔しそうなフィリオだった。
 大きく息を吐き、キキョウの背後に倒れるシルバを見下ろす。
『とにかく、仔らを連れ帰る前に一言ぐらい、挨拶はあっても良いだろう』
「だ、だが、今、シルバ殿は……」
『知っている。面白い力を使う男だ』
 フィリオの目が、碧色に輝いた。
 直後、シルバの口から呻き声が漏れた。
「う……」
「シルバ殿、気がついたか!」
「に! お兄、よかった!」


 シルバ・ロックールは意識を取り戻した。
「あー……何とか」
 その頭に、強烈な怒りに満ちた意識が流れ込んで来る。
 精神念話だ。
『ぬうううう……!? お、お兄だとっ!? 我はパパと呼んでくれないのに、其奴はお兄なのか、姫!』

 そのやり取りを少し離れた場所で眺めていたヒイロは、呆れた様子でカナリーのマントを引っ張った。
「……ねえ、カナリー。あのでかい猫、とってもすごい霊獣……なんだよね?」
「……そのはずなんだ。うん、ちょっと僕も、自信なくなりかけてる」
 むむ、と額に指を当て、カナリーが唸る。
 ヒイロは後ろで沈黙を守っていたタイランに振り返った。手招きする。
「あと、いつまでも沈んでないでさ、タイランも、行こ」
「は、はい……」
「だいじょぶだいじょぶ。先輩なら悪いようにはしないって」
「…………」
 それでも、タイランは黙ったままだった。

 気絶から目覚めた直後、目の前に現れたのが巨大な剣牙虎で、シルバは驚いた。
「う、うお……!? 何だ、このでっかいの!? って、身体動かないし!」
 シルバの身体はまるで、鉛の塊にでも変わったかのように、恐ろしく重かった。
『……無茶な身体の使い方をしたからだ。あの力は、並の人間の身に収まる力ではない。それでなくても脆弱な身であるというのに』
 フィリオの言葉に、シルバの胸の上に座るリフが、少し不満そうな声を上げた。
「にぃ……お兄、リフ達の恩人……」
『むぅ……ゴホン。その身は術の類での治癒はむしろ毒となる。自然の回復に任せるか、霊泉の類に浸かるが良かろう。とにかくだ、礼を言うぞ人間。よくぞ、我が仔らを助けてくれた』
「……こんな格好で失礼だけど、どう致しまして。あ、そうだ、キキョウ。連中は?」
「ぬ、そ、それなのだが……」
 すぐ傍まで近付いていたヒイロが、両手を合わせた。
「ごめん、逃げられちゃった」
 騒動のドサクサに紛れて、クロップ老一行は消えていたという。
 シルバも動けないし、今はどうしようもないだろう。
「あー……でもまあ、みんな無事だしよしとするか。とにかく、娘さんらをお返しする。俺の名はシルバ・ロックール。ゴドー聖教の司祭です。こんな姿勢のままで失礼ですが」
 大の字状態のシルバに、フィリオは頷き返した。
『……存じている。名乗り遅れたが、我が名はフィリオ。モース霊山の長を務めている。それと、仇を逃したというがその件は問題ない。我の方で片付けた』
「……え?」
 目を瞬かせるシルバ。
 リフは、首を傾げた。
「……父上、たべた?」
『否、呑んだ』
 フィリオの言葉に、リフ以外の全員がどよめく。
「の、呑んだ?」
『奴らは我が腹の中に収まっている。そこで精気を死なぬ程度に吸い上げている。約一名元気なモノもいるようだが……』
「……誰の事だか、大体の見当はつきますよ」
 フィリオの引きつった笑みに、キキョウもうんざりと首を振った。
「あの爺様も、本望であろう」
『此奴等はしばらく我が腹の中で飼い殺す。人の作った炉とやらで、我が仔らを苦しめた奴らには相応しい報いを。……飽きたら精霊砲をぶちかました後に返すから、牢獄は開けておけ』
「……本当はそういうの駄目なんですがね。ウチの上の人が、法に明るいから話を投げときます」
 いつもならここで困ったように髪を掻くのだが、今のシルバにはそれも叶わない。
『それとこれだが……何かの手掛かりになるかも知れん』
 フィリオは、プッと口の中から小さな硬貨を吐き出した。
 リフがシルバの胸元から飛び下り、それを咥えて再び元の位置に戻った。
 ヒクッとフィリオの頬が引きつったが、それに気付いた者はいなかった。
 シルバは、コインの表面に刻まれた、開かれた書物のレリーフに見覚えがあった。
「……『トゥスケル』のコインですか」
『知っているのか?』
 頷くシルバには、何となく納得できるモノが有った。
「貴方の子供を掠った実行犯は、多分このコインを持つ連中ですよ。リフ一人満足に捕まえられない爺さん達の一味が、五匹もの霊獣を捕らえられるはずがないでしょう。気をつけた方がいい。あの連中は、可能かどうかはともかく、興味を持った事に掛けてはとことん執念深い」
 それから、シルバは深い溜め息をついた。
「『奴ら』がお子さんらを掠った理由はきっと、おそろしくつまらないですよ。『霊獣を捕らえられるかどうか、試したかった。だから試した』とか、そんなトコです。爺さん達から金はもらったでしょうけど、それは二の次です」
 シルバの言葉に、フィリオは苛立たしげに喉を鳴らす。
『……そんなつまらぬ理由に、我らは振り回されたというのか。何者だ、其奴らは』
「俺だって詳しい話はそれほど知りません。当人達曰く『知的好奇心の集団』だそうですが……」
 彼らの目的は多岐にわたり、時には組織内での対立も珍しくない。
 そして、シルバの知るトゥスケルの人間の目的はあまりにナンセンスなので、彼は言うのを躊躇った。
『……分かった。心に留めておこう』


 フィリオは背後を振り返った。
 すると、ノロノロと幌馬車がこちらに近づいてきた。
『奴らが足に使った馬車を回収しておいた。街への帰りに使うとよい。少々汚れてしまったがな……』
 確かに、幌や荷台の側面が血で汚れていた。
「うへぇ……」
 それを見て、ヒイロが顔をしかめる。
 フィリオはそれに構わず、シルバに向き直った。
『……正直、長々と話すのは、あまり好きではない。残りの用を片付けよう。礼をしたいが、あいにく山から身体一つで飛び出て何も準備しておらぬ』
「いや、別にいいですって。せっかく知り合った友達が困ってたから、助けただけだし。……なぁ?」
 シルバは目だけで、仲間を見渡した。
「うむ。義を見てせざるは勇無きなりだ」
「だよねー。リフの兄弟が無事でよかったよ。ちゃんとリベンジは出来たし」
「僕としては、予想以上の収穫があったので、満足している。この遺跡にはまた何度か訪れる事になりそうだ」
「……と、ともあれ、無事で良かったです……」
 一歩引いた位置で遠慮がちに言うタイランに、シルバは視線を止めた。
「あ、タイランには後で、話があるから」
「……っ! は、はい……」
「……いや、そんな緊張しなくても、大丈夫だって」
 シルバが苦笑し、それに釣られたかフィリオもタイランを見た。
『お前は普通の精霊とは違うようだな。それに何やら訳ありの様子。よければ、我が山に入るか』
「……え?」
『善き精霊ならば歓迎する。……何、今すぐに決めずとも良い。お前にも事情があろう。まずは我の用事を片付けよう』
 再び、フィリオの瞳が輝いた。
 その途端、三匹の仔猫……もとい、小さな霊獣達が飛び起きた。
「っ!?」
「にぅっ!?」
「なぁっ!」
 動転する子供達を、フィリオは見下ろした。
『起きたか、我が仔ら』

 カナリーの腕の中でも、霊獣が一匹ぶるぶると震えていた。
「ヒイロ」
「ん?」
「パスだ」
 霊獣の首根っこをつかみ、そのまま隣にいたヒイロに提供する。
「う、わっ!? きゅ、急に何!?」
「良い猫は、動かない猫だけだからね、うん。……ああビックリした」
 言葉とは裏腹に、大して驚いた風もなくカナリーは胸をなで下ろした。
「ビ、ビックリしたのは、こっちだよ」
 手のひらに収まる霊獣を、ヒイロは落とさないように気をつける。
『……説教は後回しとする』
 親霊獣の声と共に、ヒイロの手の中にいた霊獣がふわりと浮いた。
「ありゃ……?」
 残る二頭も同じくで、三匹の霊獣はフィリオから10メルトほど離れた位置で、一塊にされてしまう。
 そしてフィリオは大きく口を開けた。
『この馬鹿者ども』
 霊獣の口内で光が収束したかと思うと、それは光の束となって解き放たれた。
 巨大な霊獣にふさわしい、強烈な一撃に、小さな仔霊獣達はまとめて上方に吹き飛ばされた。

「「「にゃぁー!?」」」

「ちょっ……!?」
 余波を受けて、シルバ達の髪も大きくなびく。
『ひとまずは、これで済ませてやる。以後、慎むように』
 とさとさとさ、と霊獣達が、地面に転がり落ちた。
「「「に、にぃ……」」」
 呻き声を漏らしながらも、どうやら無事でいるようだった。
「……というか、リフはいいんですか?」
 シルバの問いに、ふん、とフィリオは鼻を鳴らした。
『……姫の事だ。どうせ、倅どもを止めきれず、山を下りた口だろう。充分痛い目に遭った事だし、不問とする』
「……にぃ」
 精神共有を使わなくても、霊獣の仔らが「ずるい」と訴えているのが、メンバー全員に分かった。
 しかし、子供達の不満を完全に黙殺し、フィリオの瞳は今度は未だ動かない、龍魚に向けられた。
『……そちらの霊獣は、街に連れてゆけ。捜索依頼が出されているはずだ。冒険者ギルドに連れて行けば、恩となるだろう』
「りょ、了解です……つか、水に浸けなくてもいいのかな……」
 シルバは迷った。霊獣に人の常識はなかなか通じないとはいえ、仮にも魚の形をとっている霊獣である。
 フィリオは、タイランに首を向けた。
『おい、鎧の娘。名前を何と言ったか』
「タ、タイラン……ですけど……」
『お前なら水の精も何とか出来るだろう。力を使え』
「は、はい……」
 甲冑の胸甲がガシャリと重い音を共に上に開き、淡く青白い光を放つ華奢な手が覗く。
 その手がわずかに瞬くと、意識を取り戻した龍魚は青い燐光に包まれ、やがて弱々しく宙を泳ぎ始めた。
 安心するのか、そのままタイランの周囲を緩やかに舞い続ける。
『残る問題は一つ』
 ギラリ、とフィリオの眼光が心なしか強まったように、シルバには見えた。
 その視線が、シルバを見据える。
 少し間を置いて、フィリオは口を開いた。
『……娘に名を付けた責任、これをどう取るつもりだ?』
「え?」
 何の事か、シルバはすぐには分からなかった。
『名は存在を示す重要な要素だ。故に我らは親子であってもあだ名で呼び合う。リフという名を与え、それを姫は認めたという事はつまり、お前は我が姫を真名で縛ったという事だ』
 一気にまくし立てられても困る。
 その困惑が霊獣にも伝わったのか、彼は小さく咳払いをした。
『また、話が長くなったな。同性同士の場合ならば義兄弟の契りとなるのだが、今回は異性。これは人間の世界で言えば、一番近いのはプロポーズに当たる』
「はいっ!?」
 シルバは、思わず間抜けな声を上げてしまった。
 ちなみに、キキョウの耳と尻尾も大きく逆立ったのだが、それに気付く者はほとんどいなかった。
『しかも姫は受け入れているのだが、どうするつもりだ、シルバ・ロックール?』
 ずずい、と獰猛な雰囲気を漂わせたフィリオが、巨大な鼻面を迫らせてくる。
 さすがにシルバも言葉に詰まる。
「え、ええっと……?」
 どう応えればいいのだろう。何となく「じゃあ受けます」とか言っちゃうと、そのまま噛まれてしまいそうな気がするのだ。
 かと言って断っても噛まれそうな気がする。
「にぃ……父上、お兄がこまってる」
 困惑するシルバに、リフから助け船が出た。
 さすがに娘には弱いのか、フィリオはわずかに顔を引いた。
『む……だがな、姫』
「お兄はそこまで深く考えてなかった。みとめたのはリフだけど、責任おしつけるはダメ」
『む、むぅ……! 我としては、その名の破棄を推奨するぞ、姫。そうすれば、この契約は無効となり……』
「だめ」
 父親の譲歩案は、あっさり娘に却下された。
『何故だ!?』
「リフ、この名前気に入った」
『ならば、此奴と夫婦になるのか』
「父上」
『む……?』
「これいじょうお兄を困らせると……」
『こ、困らせると?』
「父上、きらいになりそう」
『よかろう、シルバ・ロックール。お前にこの契約について考える猶予を与える。そうだな、百年ぐらい!』
「……そ、そりゃどうも。また急にえらいアバウトになったな……」
 多分、俺死んでます、とシルバは心の中で呟いた。
『不満か。ならば、我が姫と契りを交わすか』
「い、いや、ない。文句ないです、はい!」
 父親を見上げていたリフが、振り返る。
「お兄。リフは一旦、山に帰る」
「そ、そうか。さすがにプロポーズがどうとかいうのは困るけど、そうじゃないなら、いつでも来ていいからな」
「に。また来る。盗賊おぼえる。まってて」
 尻尾を立てて宣言する娘に、動揺したのは父親だった。
『な……! だ、駄目だ、姫! そんな事は許可できん。下界は危険だと、今回の件で分かったはずではないのか!』
「に……いい人もいっぱいいるって覚えた。それにリフはお兄の嫁」
「ちょっ!? それ無しのはずだろ、お前!?」
 今度慌てたのは、シルバだった。
「に。もんだいなし。これはリフの自称」
 どことなく得意そうに言う、リフだった。
「……いや、俺はどっちかっていうとお前のお義父さんが怖いっつーか」
『グギギギギ……人間、貴様ぁ……』
 フィリオの歯ぎしりの音が、あからさまに響いていた。
 それを無視して、リフは父親の鼻面に向かって跳躍する。
 そのまま頭の上に乗る。
「父上、かえろう」
『わ、我は認めないからな! 帰るぞ、倅ども』
 ほとんど負け惜しみのような言葉と共に、フィリオは踵を返した。その尻尾は、鞭のように大きく揺れていた。
「にぃ……!」
 巨大な父親の後を、三匹の息子達が追いかける。
 だがふと何かを思い出したのか、フィリオは振り返った。
『そうだ。言い忘れていたが、お前の今の覚醒は仮の物。我の力が途切れれば、再び眠りに就く事になる。およそ一週間。大人しくしているがいい』
 言って、今度こそ剣牙虎の霊獣達は、山の方角へと帰っていった。
 ……嵐が去ったような心境に、残った一同は一斉に溜め息をつく。
「いい人だ。人じゃなかったけど……じゃあま、後はしばらく任せた、キキョウ」
「承知」
「あ、あと、そうだ、もう一つ。……タイランを呼んでくれ」
 急激に訪れつつある睡魔と戦いながら、シルバは言った。
 しばらくすると、遠慮がちな重い足音が響いてきた。
 ぼやけ始めた意識の中、シルバは正面にタイランがいるのをかろうじて確認した。
「あー……タイラン」
「は、はい」
「動けないんで、馬車まで運搬頼む。こういうのは、お前が一番向いてるから」
「……! は、はい」
 沈んでいた声が、微かながら元気になった。
「という訳で、あとよろしく」
 ふぅ……と息を吐き出し、シルバは再び意識を失った。



[11810] 精霊事件3(完結)
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2010/04/08 20:47
 クスノハ遺跡の事件から、明けて一日。
 昏睡状態にあるシルバは、教会付属の治療院の一室に置かれる事となった。
 昼前のこの時間、世話役の助祭がいなくなり、部屋にいるのは眠っているシルバを除くとキキョウとタイランだけとなった。
 ベッドからやや離れた位置で、二人は真剣な検討を開始した。
「や、やはり着替えも持ってくるべきなのだろうか」
 キキョウが緊張気味に切り出す。
 シルバの今の服装は、治療院の患者用服である。
 タイランもそれを見て、首を振った。
「あ、あの……基本的に寝たきりですし、その類は教会の方で、用意してくれるかと思います……」
「で、では、身の回り品も!?」
「は、はい。何より、シルバさん自身、教会の人間ですし……大抵のモノはそちらで、何とかなっちゃうのではないかと……」
「……何と言う事だ」
 シルバの部屋に入る機会を失い、ショックを受けるキキョウだった。
「……おまけに意識がない状態故、食事の世話も出来ぬし」
 つまるところ、パッと思いつく身の回りの世話はほとんど出来ないのが、キキョウとしては痛い所であった。
「は、はい。あとは、その……下の世話とか」
「ぬ、ぬうっ……それは……っ!?」
 遠慮がちに言うタイランに、キキョウは赤面する。
「それに、お風呂でしょうか。……リフちゃんのお父さんも、霊泉の類はいいって言ってましたし」
「む、それなら某達にも、何とかなるか?」
 キキョウの声が明るくなる。
 風呂に入れるのは難しいかも知れないが、身体を拭く事ぐらいは出来そうだ。
「そ、そちらは私が何とか出来ると思います。ほら、水の精霊にお願いするのは得意ですし……魔法と言うほどではありませんから、清潔に保てます……もちろん、教会の許可は必要ですけど……」
 確かに、その素性が精霊である事を晒したタイランは、そういう方面にはうってつけだ。いや、むしろキキョウが手を出すと邪魔になる可能性すらある。
「そ、某は無力だ……!」
 ガクリと跪き、両手を床に付けるキキョウだった。慌てたのはタイランだった。
「い、いえ、待って下さい、キキョウさん! ま、まだ、結論を出すのは早いです! そ、そう! 身体! 身体です!」
「からだ……?」
「は、はい。一週間も寝っぱなしだと、どうしても身体が衰えてしまいます。それをどうにかしないと……」
「マ、マッサージとか……?」
「でも、構いませんし、もしくは私達の知らない、もっと効率のいい方法とか、その、ご存じないですか?」
「…………」
 少し考え、キキョウは顔を上げた。
「……ある」


 そして午後、キキョウが訪れたのは、アーミゼストの北部、グラスポート温泉街にほど近い所にある、小さな整体兼鍼灸院だった。
「で、ウチに来た訳か」
 キキョウから事情を聞いた黒髪白衣の女医は、足を組んだままタバコを吹かした。
 名前をセーラ・ムワンという。極東ジェントの出身で、キキョウがこの地に居着いてから知り合った女性である。
「うむ。よろしく頼む」
 キキョウは頭を下げた。
「いいだろう。他ならないキキョウの頼みだ。私もやぶさかではない」
「では」
「うん」
「某に按摩を教えてくれるのか」
「按摩舐めんな」
 セーラはキキョウにスリッパを投げつけた。


「……というわけで、私の知人でマッサージ師のセーラ・ムワンだ」
 顔にスリッパの後を付けたまま、キキョウはタイランに女医を紹介した。
「よろしく。針と灸と按摩、それに整体が仕事でね。力になれると思う」
 セーラはタイランのごつい鋼製の手を握った。
「よ、よろしくお願いします……あの、ここは禁煙で」
「心配いらんよ。ほら、火は点いていない」
「あ……し、失礼しました」
 気にしてない、とセーラは首を振った。
 教会の方には既に話を通してある。
 彼女としてはシルバに針を用いるつもりでいた。肉体の衰弱を防ぐツボには、心得があるのだ。
「それからキキョウ」
 診察道具を広げながら、セーラは言う。
「む?」
 セーラの親指が、眠りっぱなしのシルバを指した。
「お前は普通にコイツを見守っていればいい。無理に何かをするだけが看病ではないぞ」
「う、うむ」
「……起きるまで徹夜をする必要もないからな」
「ぬう……何故それをっ!?」
 そんな感じで、一週間の世話は始まった。


 一方、カナリーは都市を出て、再びクスノハ遺跡を訪れていた。
 オレンジ色の太陽が地平線に沈んでいくのを確かめ、穴の縁に停車した馬車の中で居眠りをしていたカナリーは、大きく腕を伸ばして起き上がった。
「さて……やっと本調子が出てきたかな。ヴァーミィ、セルシア。始めよう」
 カナリーは二人を引き連れて、クレーンに据えられた広い足場に乗った。
「まずはモンブランシリーズの回収。何か設計図があるといいんだけど」
 重い作動音と共に、足場は巨大な穴へと下がっていく。
 いざ、探索の開始だ。

 霊獣が大暴れした事もあり、天井が崩れた実験場は瓦礫の山に半ば埋もれていた。
 無事な床を歩きながら、カナリーはガラクタの山を漁っていく。
 吸血鬼であるカナリーには、夜の闇などないに等しい。
「ふん、四号の精霊炉か。もしかしたら、タイランのパワーアップに使えるかも知れない。いいね。ま、さすがに八号のは完全に破壊されているのはしょうがないか……」
 セルシアに合図を送る。
 彼女は頷き、一抱えほどもある炉を持ち上げ、クレーンの方に運搬していった。
 それを見送り、カナリーは都市の方角に視線をやる。
「……こういう事には、ウチの連中はまったく無頓着だからな。僕が働くしかないね」
 苦笑するカナリーに、今度は大きな巻物を抱えたヴァーミィが近付いてきた。
 彼女に手伝わせながら、カナリーはそれを広げた。
「ふむ、炉の設計図か。ご苦労、ヴァーミィ。続けてくれ」
 設計図を巻き直し、それもクレーンへと運んでいく。
「……ふん、あの老人、性格は問題だらけだったが、紛れもない天才だったようだね。実に興味深い」
 運搬を済ませた従者達に、カナリーは勢いよく手を叩いた。
「さあ、あの老人の研究成果を洗いざらい回収するんだ、二人とも。置き去りにされた試作機の数々。霊獣を封じた檻。絶魔コーティングの残骸。まだまだたくさんあるぞ。それに、この遺跡そのモノにも興味が出てきているんだ。やるべき事は、結構あるぞ」
 カナリーの遺跡探索は、夜通し行われる事になった。


 早朝。
 ヒイロはいつものように狩りの為、郊外の森にいた。
「ボクはもっと、強くならなきゃいけない!」
 拳を突き上げ宣言するヒイロに、この狩り場で友人となった少女が笑みを浮かべながら拍手した。
 クロエ・シュテルン。長い黒髪を後ろに束ね、黒のジャケットに黒のズボンと全身黒尽めの麗人だ。正直、目が覚めるような美少女である。とても狩りをするとは思えない格好だが、罠や弓の腕は確かなのを、ヒイロは知っていた。
 本業は、都市内で何でも屋をやっているらしい。
「おー、それは立派な決心ですね。しかし具体的にはどうするつもりです?」
「うん、何よりこの魔法に対する弱さを何とかしたいと思う。ここは、魔法を食らいまくって食らいまくって、そこから回復するっていう超回復で、パワーアップしようと思うんだよ」
「あはは、主張はとても立派ですが、ヒイロ君はお馬鹿さんですね。超回復というのは、そういうモノじゃないんですよ?」
 笑みを浮かべたまま罵倒するクロエに、ヒイロは本気で驚いた。
「違うの!?」
「違います」
「うわーっ! 駄目じゃん、ボク!」
「しかし、そこで私に頼ったのは間違いではありません。何とかするのはヒイロ君自身ですが、アドバイスぐらいは出来ますよ」
「ホント!?」
「はい。……まあ、シルバの考える事ならある程度トレースも出来ますしね」
 ヒイロも仲良くなってから知った事だが、クロエはシルバやキキョウと交流があるのだという。
 そのクロエが、ピッと指を立てた。
「最初に考えたのは絶魔コーティング鎧なんですが。ただし、恐ろしくお金が掛かりますよね」
「んー、それにアレでしょ。先輩の魔法の効果、なくなっちゃうんでしょ。それはちょっとねー」
「何より、ヒイロ君に鎧が似合いません」
「ははーっ。そりゃごもっとも」
 動きにくい服装は苦手なヒイロであった。本来はそういう好き嫌いは戦士として問題なのだが、シルバはまるで構った様子がない。
「一番良いのは、魔法を避ける事なんですけど」
「……うーん、それなんだよね。ボク、飛び道具って何故か当たりに行っちゃう癖があって」
「何て嫌な癖なんでしょう」
 クロエは苦笑するが、ヒイロにとっては割と深刻な悩みだった。
「どうやったら避けられるのかなぁ」
「避けなきゃいいんですよ」
「うん?」
「もっと体力つけて、魔法食らっても倒れなきゃいいんです。そのまま魔法使いぶっ飛ばせば、ヒイロ君の勝ちですよね」
 綺麗な顔して、えらく乱暴な話をするクロエだった。
「そ、それは、アリなの?」
「人間なら、提案しないんですけどね。ヒイロ君の耐久力と回復力を見込んでの話ですよ。これの重要な点は、決してよろめいたり仰け反ったりしない事ですね。そして突進力。退かないというのは、敵にとってはそれだけで脅威です。もっとも、無駄にダメージを受け続ける必要はありません。避けなくても、受ければいいんです」
「……同じ事、言ってない?」
 魔法を食らいまくる、というのは最初のヒイロの主張である。
「直接受ける必要はないと言っているんですよ。その大きな骨剣は、小柄なヒイロ君には充分な盾になります。微弱ながら魔力も帯びているんでしょう? それを活かさない手はありませんよ」
「あ」
 傍らの大木に立てかけてある骨剣に、ヒイロは視線をやる。
 なるほど、いつも武器として使ってきたが、盾として使うというのは考えた事がなかった。
「剣であり盾、というのはつまり切り替えが素早く楽ですよね。それともう一つあるんですけど……これはまあ、お財布と相談になります。ヒイロ君一人ではどうにもならないと思います。まずはより一層の足腰の鍛錬ですね」
「うん」
 やるべき事は決まった。
 方向性はあくまで『ひとまず』だが、反対する理由はない。何より戦士にとって足腰の鍛錬は益にこそなれ、決して不利益にはならない。
「それにしても、シルバの看病はいいんですか? 今、昏睡状態なんでしょう?」
 骨剣を手に取るヒイロに、弓の準備を整えながらクロエは訊ねた。
「見舞いには昨日行ったよ。だけど、医術の心得もないボクがいたって、あんまり意味ないでしょ?」
 言って、ヒイロはボリボリと頭を掻いた。
「……いやまあ、そりゃ先輩の容態は気になるけどさ、それはキキョウさんやタイランがいるし」
 そして握った骨剣をぶん、と振った。
「ボクはパーティーの中で一番弱いし、今やらなきゃならないのは、少しでも強くなる事だと思うんだ」
 この日、ヒイロは訓練を兼ねた狩りで三倍の距離を駆け回った。


 霊道というモノがこの世には存在する。
 それは大地に木の根のように広がっていたり、風の通り道となっており、精霊のみが使える高速の移動路だ。
 霊道を使って山の長であるフィリオと息子である三匹、そして娘のリフがモース霊山へと帰還したのは、遺跡の事件から三日が経過していた。一般には、馬車で三週間ほど掛かる距離である。
 高原を歩みながら、剣牙虎の霊獣王フィリオは愛娘を心配そうに見下ろした。
「考え直せ、姫。俗世はお前にはまだ、早すぎる」
「にぃ……うけた恩はかえす。霊獣の決まりでも神聖なもの。リフはお兄たちに恩がえししたい」
「それは品でどうにかする。我に任せるのだ」
「駄目。リフの気がすまない」
「ぬうぅ……あ、あの若造めぇ……!」
 フィリオは唸り、遙か彼方にある辺境都市アーミゼストの方を睨んだ。
「決意は固いようですねぇ」
「そこが娘の長所であり同時に厄介な点で……って何で貴様がいるのだ魔女!?」
 声の方を振り向くと、岩場に山羊の角と槍のような尻尾を生やした白髪の女性が腰掛けていた。
 登山者らしい荷物も何もない、恐ろしいぐらいの軽装だ。
 シルバの師、ストア・カプリスである。
「はい、お届け物に来ました。他の人では、ここまで何週間も掛かってしまいますから」
 ストアはシレッと答えた。
「だ、だが、どうやってここまで。いくら貴様に羽があると言っても、限度があるだろう!?」
 フィリオの問いに、ストアはたおやかに微笑む。
「まだ、この世界には生きている古代の転送装置があるんですよ。ウチの都市のすぐ傍にも」
 ですからここの麓まではあっという間でした、と言いながらストアは小さくウインクした。
「内緒ですよ?」
「に……確か、お兄のせんせえ」
 リフも、話した事はないが、面識はあった。
「はい。ストア・カプリスって言います。アーミゼストでは、司教を勤めてますよ」
「しってる」
「……人間の神がアバウトである、生きた証拠だ。よりにもよって貴様が神の僕だなど、ありえんだろう。どんな冗談だ」
 フィリオは、獰猛な唸り声を上げた。
 ストアは彼をスルーして、袖からポーションの瓶を取り出した。
「それはともかく、はい、リフちゃんにプレゼントです」
「にぃ……?」
「魔女、貴様!」
 その薬の正体を悟り、フィリオは焦った。
 だがストアはやはり構わず、もう一本、同じ瓶を取り出した。
「お父さんの分もありますよ?」
「何……!?」
「それと、この山の素材を使わせてもらえると、もうちょっと面白いモノが作れそうなんですけど、駄目でしょうか?」
 ストアが、霊山で秘薬の材料やとあるアイテムを作成し、大量のお土産と共に都市に帰還したのは、シルバが目覚める前日となる。


「ん……」
 薄ぼんやりとした視界に、木製の天井が見えた。それに消毒液の臭い。
 シルバは、自分が教会が運営している治療院の病室で眠っていた事に気付いた。
 どうやらあれから無事、運ばれたらしい。
 上半身を起こしてみる。
 時刻は昼下がりのようだ。
「……お、おはようございます」
 ベッドの傍らの頑丈そうな鉄椅子に、巨大な甲冑が腰掛けていた。
「あー、タイラン……」
 どうやら、看病してくれていたらしい。
 更にその背後には、山と積まれた木箱の数々。
「って、何だこりゃっ!?」
「あ、こ、これは……その、お見舞いの品というか……カプリス先生が、モース霊山から帰るついでに、リフちゃんのお父様から渡されたそうで……」
 お見舞いにしては、味も素っ気も無い木箱の山である。
「その……シルバさん宛の宅配便で、カプリス先生が、この部屋に指定されたそうです。先生曰く……と、とっても重いから、だったとかで……中身は、山の珍味とかそんなので……魔法で保存してあるから、せ、鮮度は大丈夫だとかおっしゃってました……」
「あーのー、先生はっ、たくーっ!」
 せめて自宅に送ってくれよと思う、シルバだった。
「つか、何で先生がモース霊山に行ってたんだ……? タイミング的にも、出来すぎだろう?」
「さ、さあ……? 何だか野暮用とか言っていましたけど……」
 その辺はタイランも知らないらしい。
 それからふと、シルバは大事な事を思い出した。
「っと、そうだ。アレから何日経った?」
「あ……リフちゃんのお父様が言っていた通り、ちょうど一週間です」
「そうか」
 シルバは頭を振り、意識を失う前の、遺跡でのやり取りを思い出した。

「あと、み、短い間でしたが……今まで、楽しかったです。これまでありがとうございました……」

 あの台詞の真意を問いたださないとならない。
「んじゃ、まずはタイランの話だな。一週間、待たせて悪かった。俺の体内時計だとほとんど一瞬なんだけど」
「い、いえ……でも……」
 タイランの口調は、躊躇いがちだ。
「やっぱり理由はアレか。このパーティーの、女人禁制ルール」
 タイランはあの時、鎧の中からその正体を晒した。
 {動く鎧/リビングメイル}というのも嘘だったわけだが、中身がああなっていたからなのだろう。
 だからこそ、その正体が知られてしまい、パーティーから抜けるような事を言った。
 そう、シルバは解釈していたが。
「そ、それも一つなんですけど……」
「ん? 違うのか?」
「い、いえ、それも重要です……!」
 気になる発言だったが、シルバはひとまずパーティーの規則について話す事にした。
「あれはお前、前のパーティーみたいな事になるのが嫌だからって、そういう事情は知ってるだろ?」
「は、はい」
 タイランが頷く。
 シルバは、頭をガリガリと掻いた。
「なら、タイランは大丈夫だよ。確かに短い付き合いだけど、あんな自己中心的な事して、パーティーの人間関係をガタガタにしたりはしないだろ。それぐらいは分かる」
「で、でも、ルールは……」
「タイランさ、一週間あったわけだけど、その間に、ヒイロ達の意見は聞いたか?」
「は、はい……一応は。あとは、シルバさん待ちでした……」
「みんな、大丈夫だって言ってなかったか」
「……言ってました」
「だろうな。なら、そういう事だ。あの件を知ってるのは、俺達パーティーのメンバーと爺達、それに霊獣だけ。爺様達は事実上いない訳だし、問題なし」
 シルバは両手を合わせ、顔をしかめた。
「何より、ここでお前、俺が駄目だって言ってみろ。パーティーから叩き出されるのは、間違いなく俺の方だぞ。この薄情者めって」
 言わないけどな、と付け加える。
「あの時、お前が何とかしてくれなかったら、地上の連中はみんな危なかった。自分の正体晒してみんなの命を助けた恩人を追い出すなんて、人として出来る訳がないだろ」
 そこまで言って、シルバはさっきのタイランの言葉を思い出した。
 女人禁制ルールは、理由の一つ。
 つまり。
「……別の問題があるみたいだな」
「は、はい……」
「もしかして、お前の正体に関わる事か?」
「そう、です……」
 タイランの本体は、精霊だ。
 しかもアレが、ただの精霊でなかった事は、シルバにも分かる。
 一般的な水の精霊は霊獣クラスでもない限り空を飛んだりしないし、荒れ狂う霊獣を鎮めたり、その力を中和したりは出来たりしない。
「よかったら聞くぞ。これでも聖職者だ。秘密は守る事に掛けては、自信がある」
「…………」
 タイランはしばらく躊躇った後、頷いた。
「……お話しします」
「うん」
「私の生まれは、サフォイア連合国です」
「あの爺さんと同じか。その割には名前がちょっと違うような感じだな」
 タイラン、という名前は、シルバの印象ではもうちょっと東寄りのような気がするのだ。
「父が、東方のサフィーン出身なんです。名前はコラン・ハーベスタ。精霊の個人研究をしている錬金術師でした」
 聞き覚えのある名前だった。確か、シルバの師、ストア・カプリスが一度、その名を呼んだ事があった。
「……そういえばあの爺さん、お前の父親の知人だって言ってたっけ。タイランの父さんも、やっぱり炉の研究をしてたのか?」
「はい。……ただ父の研究は、炉の器の方ではなく中身でした。いわゆる精霊石などエネルギーの素になる部分です。基本的に精霊炉は精霊石を動力源にしているんですけど……その、代替になるような精霊物質の精製が、父の行っていた事なんです」
 自分の得意分野なのか、タイランの台詞はいつもより滑らかだ。
「……その過程で、生まれたのが人工精霊です」
 しかし、その流暢な発言も、トーンがダウンしてしまう。
 話の流れから、シルバも察した。
「この人工精霊には自我があって……つまり、それが私です」
 やっぱりな、とシルバは思った。
「人の造った精霊か……」
 人間が、精霊を生み出す。
 そんな話は、これまで聞いた事がなかった。
 しかもそれは自我を持っている。
 言っちゃ何だが、これは大変な『発明』だ。しかもその性能は、子供とはいえ霊獣を相手にも引けを取らないと来ている。
「父は、私を隠しました。知人の女性の助言……だったそうですけど」
 ふと、シルバの脳裏に閃くのは、白い上司だった。
「半年ぐらい前の話か……」
「え……ど、どうして、知っているんですか……?」
「いや? ただ『偶然』、先生が出張に行ってたのがその時期だったってだけの話」
 前に研究室で話していたのは、その時の事なのだろう。
「ま、今は、そっちの話を進めようか」
「は、はい……サフォイアは、エネルギー関係の研究で最も進んでいる国です。もしも私の存在がバレたら、私は実験材料として、軍に引き渡される事になっていただろうと、父は言っていました。それで、私は自宅の地下で、ひっそりと父から色んな事を、教えてもらいました。言葉とか……音楽とか、お話とか……」
 思い出しているのか、タイランは次第に涙声になってきていた。
「いい父親だったみたいだな」
「……はい。ですが、ある日、軍が踏み込んできて……」
「何でバレた。秘密にしてたんだろ?」
「父の助手が……私の存在に気付いて、売ったんです」
 シルバは、眉をしかめた。
「……父は万が一の事を考えていてくれたんでしょう。パル帝国の重装鎧を改造した機械の身体を用意してくれていました。……それが、この身体です。動力は私自身、身体に負担の掛かりにくい小出力の炉の使用、魔法での探知を防ぐ為の何重もの封印と、絶魔コーティングが施されています」
 タイランは一度言葉を句切ると、再び語り始める。
「……そして私と父は、バラバラに国から逃げました。父の行方は分かりません。この都市に入ったのは父の薦めで、比較的異種族が多いという話だったからです。まだ発展途上の都市でもあるし、サフォイアも情報が入手しにくいらしいですし……」
 タイランの視線が、窓の外に向けられた。
「父がどこにいるか分からない以上、自分は待つしかありません」
 そして、タイランは改めて、シルバを見た。
「……つまり、その、私は追われる身なんです。しかも……いつ追っ手が来るかも分かりません。本当に今更なんですが、みんなに迷惑が掛かるかも知れません。ですから……これ以上、一緒にいる訳にはいかない、と……」
 タイランが、言葉を切った。
 シルバは、深く考え込んでいた。
「あの……シ、シルバさん?」
「あ? ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「え……そんな……」
 聞いてなかったのかと、タイランの声に失望が混じる。
 だがシルバは頭を振って、
「いや、どうやったらお前と親父さん売った奴、殴れるかなってな。国一つ相手ってのは、なかなかなぁ……」
 そんなトンデモナイ事を言った。
「……え?」
「やっぱり、もっと強くならないと駄目だな。いざって時、弱いままじゃ困る」
「何を言って……」
 絶句するタイランを、シルバは見据えた。
「話聞いてみたら何だ、お前は何も悪くないじゃないか、タイラン。ウチにいる事には、何も問題ない」
「で、でもご迷惑じゃ……」
 この期に及んでまだ遠慮するタイランに、シルバは一笑した。
「は! タイラン、分かってないな!」
 そして、胸を張って断言した。
「仲間なんてのは、迷惑掛け合ってナンボのモンだ!」
「い、言い切りますか……!?」
「そして助け合ってこそだろ。ま、ノワみたいなのは絶対勘弁願いたいけどな……でもそれでもだ。ウチの他の連中にも同じ話してみろよ。多分、俺と同じ感想抱くはずだ。そんな事情で脱退なんて却下だ却下!」
 そこまで言って、シルバは腕組みした。
「……いやまあ、何だ。タイランがどうしても、このパーティーが嫌だっつーなら、そりゃ、本人の意思尊重するしかないけどさ」
 唸るように言うシルバに、タイランはぶるぶると何度も首を振った。
「……そ、そんな事、ありません。皆さんよくして頂いてて……そりゃ、別れたくないです……けど……」
 それでも不安なのか、タイランの語尾はどんどんと、か細くなっていく。
「じゃあま、ひとまず、みんなの意見聞いてみないか? まず、大丈夫だと思うけど……」
 そこで、シルバはドアがわずかに開いているのに気付いた。その向こうには、何やら気配が三つ。
「ああ、いや、必要なくなった」
「え?」
「んじゃまタイラン。ヒイロが来ないうちに、先生の土産物全部食べちまおーか」

 わざとらしく言うと、病室のドアが大きく開いた。
「だめー!」
 飛び込んできたのは、ヒイロだった。
「わ、こら、ヒイロ! 飛び込むんじゃない!」
 続いて、それを制止しようとするキキョウ。
「先輩が起きるまで、おみやげ食べるの待ってたんだから!」
 ヒイロはそのままモース霊山産、大量の食材の詰まった木箱にしがみつく。
「……ふわぁ……あふ」
 昼間と言う事もあり、非常に眠そうなカナリーは、のんびりと二人の後についてきた。
「み、皆さん……」
 どうやら、全員ドアの向こうで聞いていたらしい。
「盗み聞きとは趣味が悪いぞ、お前ら」
 白い目を向けると、キキョウは尻尾をへにゃりと垂れながら小さくなった。
「や、す、すまぬ、シルバ殿。つい、入り辛くて……」
「でもま、とにかく聞いてたんなら、話は早い。今の事情を聞いた上で、タイランの脱退申請について皆さんは――」

「「「却下っ!!」」」
 三人は一斉に答えた。

「……ノリいいな、お前ら」
 期待通りに答えではあったが、ちょっと呆れるシルバだった。
「ふ……だがシルバ殿は、それを期待していたのだろう?」
「まあな。……とまあ、こういう訳だ。諦めろ、タイラン」
 肩をすくめるシルバに、ホッとした、どこか湿っぽい声で、タイランは頷きを返した。
「……そ、その、では改めて……お、お世話になります」

 ちなみにさっきの三人の返事だが、その大声に慌てて駆けつけてきたシスターからこっぴどく叱られたのは言うまでもない。


 朝の面会時間。
「シルバ殿……うわぁっ!?」
 シルバの部屋を訪れたキキョウは、ひっくり返りそうになった。
 ベッドの上には、狐面の男がいたのだ。
「よう」
 仮面を外したその下には、シルバの顔があった。
「ビ、ビビ、ビックリした……シルバ殿が妖怪になったかと思ったぞ」
「……いや、つーかこの仮面なら、散々見てきただろうに」
「見てきても、病室で被られると普通は驚くに決まっているだろう! 一体、何をしていたのだ!」
「んー、いやぁ、単に被ってみただけだ。コイツにも世話になったしな」
「う、うむ」
 キキョウの後ろから、ヒイロとカナリーが入ってきた。
「先輩先輩、その仮面、ボクが被ってもいい?」
「いいよ。ほら」
 シルバは狐面をヒイロに渡した。
「わ、あんがと」
 ヒイロは仮面を手に取り眺めると、自分の顔にはめた。
 眠たげなカナリーはそれを眺め、シルバの方を向いた。
「……シルバ、ちょっと借りて僕が研究するのは駄目なのかい?」
「それはさすがに……っていうか、なあ?」
「う、うむ……あまり意味はないぞ、カナリー」
 シルバにキキョウも同意する。
「何故だい? あんなスゴイ力を発する仮面なら、さぞや研究のし甲斐がありそうなモノじゃないか」
「その力なんだけどな、封印する事にした」
 シルバの言葉に、カナリーは目を剥いた。
「何ぃ!?」
「ど、どうかしましたか……?」
 花瓶の水の取り替えから戻ってきたタイランが、カナリーの大声に驚いた。

 ベッドのシルバを取り囲むように、全員が椅子に座った。
「これに関しては、キキョウとも話し合ったんだ」
「うむ」
「僕とは話し合ってないぞ?」
 足を組んだカナリーは不満そうだ。
「といっても元々、キキョウの力だしな。本来の権利はコイツにある」
「ほう」
「……その、好奇心に輝く目はやめてくれぬか、カナリー」
「ま、とにかくさ、あの力は今の俺の手には余る。という訳で封印って事なんだよ」
 シルバが肩を竦め、外の風景を眺める。
「経緯を話してもいいけど、無茶苦茶長くなりそうでなぁ……どう整理したらいいモノやら」
「それは、ものすごく興味があるのだが……」
 シルバは少し考え、
「よし、まとまった」
 小さく頷いた。
 そして、話し始める。
「要するに、キキョウは以前、恐ろしく強力な魔物を倒す為に、分不相応な力を発揮したんだよ。ただ、自分でも制御出来ないぐらいどうしようもない力でな。そのままだと死にそうだったんで、狐面に力だけを封じた。それがコレって訳だ」
 シルバは、ヒイロが被る狐面を指差した。
「へぇー」
「……というか要約しすぎじゃないかい、シルバ。酷くはぐらかされた気分なんだが」
 カナリーは、納得してないようだった。
 シルバは困る。
「そんな事言ったって、まともに話すと本当に長くなりそうなんだよ。今はそこが本筋じゃないから勘弁してくれ」
「……ま、それは道理だ。いいだろう。その話はいずれ聞かせてもらうが」
「あの時は、本当にシルバ殿にご迷惑おかけした」
 深々と頭を下げるキキョウに、シルバは軽く手を振った。
「だからそれはもういいって」
 当時何があったのか分からないみんなを、キキョウは眺め回した。
「その際、シルバ殿には命まで救ってもらったのだ。右も左も分からぬ異国で、何から何まで世話になったという次第。特にシルバ殿には、感謝しても仕切れぬ恩があるのだよ」
「ふむ……」
 カナリーが唸る。
 構わず、シルバは話を補足した。
「で、この仮面に力を封じるのに、俺の魂代償にしちゃってるんで、ひとまず力は俺預かりになってる」
「待て、シルバ。今さらっと、とんでもない事を言わなかったか?」
「その時は非常事態で、しょうがなかったんだよ。他に手がなかったの。とにかくさ、その狐面に秘められた力は今のキキョウでも扱いきれない。俺だってこの有様だし」
「すごいのになぁ……」
 ヒイロは狐面を外すと、改めて眺め回した。
 それをチラッと見てから、カナリーはシルバに問い返す。
「すごいが、それでも封じると。やっぱりシルバ、君にデメリットが大きすぎるからかい?」
「それもあるけど……その、何というか、他にもいくつか理由があるかな」
 んー、とシルバは腕を組んで、唸り声を上げた。
「やっぱり一番大きいのは、この狐面があるって事で、パーティーが弱くなるって点だな」
「……うん?」
 カナリーには意味がよく分からなかったようだ。
 シルバは言葉を継ぎ足した。
「いざとなれば、この狐面の力がある。その保証は、安心と同時に依存と慢心にも繋がる。使いこなせない力に頼るのはちょっとどうかと思うんだ。俺達は、冒険者としてもっと強くならなきゃいけない。それは危険に対する感性も含まれる。だから、仮面の力をアテにしちゃいけない。それで、使わなきゃいい、じゃなくて封じようって思ったんだ」
「最後の最後で、一か八かは無しって事かい」
「ああ、そうなる前に勝負を付けるのが理想だろ。でなきゃ、尻尾を巻いて逃げ延びるかだ。生きてさえいれば、次があるからな。分不相応な戦いは、もっと強いパーティーに任せればいい」
 ふん、とカナリーは鼻を鳴らした。
「それ以前に、実力に見合わない危険に踏み込まないのが、一番だね」
 うん、とシルバは頷いた。
「それに何より、目指すなら上だし」
「上?」
「や、最終的には、その仮面の力に勝てるぐらいのパーティーになりたいかなと」
「ちょっ……」
 シルバのとんでもない発言に、タイランが絶句する。霊獣を鎮めた時点で、今のパーティーの中で最もその位置に自分が近いという事には、まるで気付いていない彼女だった。
 一方で「いいねそれ」と笑ったのはヒイロだ。
 シルバは、黙って話を聞いていたキキョウを見た。
「少なくとも、キキョウはあの高みに登り詰められるはずなんだ。本来は、キキョウ自身の力なんだし許容量があるのは間違いない」
「……うむ、精進しよう」
「他に理由は?」
 カナリーの問いに、シルバはヒイロの持つ狐面を再び指差した。
「さっきの話と矛盾するようだけど、やっぱりこの仮面は切り札なんだ。強力な力が秘められている。いざという時のために取っておいて損はない」
「……んんー? 何だかよく分からないよ先輩」
「つまりシルバは、武器じゃなくてアイテムとして、何かの時に使いたいって言いたいんだよ。……もっとも、それがいつの事になるかは分からないけど」
 首を傾げるヒイロに、カナリーが説明した。
「そういう事。だから、仮面の力は無駄遣いしたくない。――最後に、これは個人的な理由なんだけど」
 一呼吸置いて、
「やっぱ、ああいう使い方は、俺らしくないと思うんだ」
 シルバは言った。
「俺の仕事は、みんなを回復したり戦いの補助したりするのが本分だ。アレは何か違う」
 シルバは言葉を選びながら、ガシガシと頭を掻いた。
「だからまあ、あの仮面の力を俺が完全に制御出来るぐらいになって、その上でいつものやり方が出来るようになれば……結構いい具合なんじゃないかと思うんだよ」
「某は面白いと思った。故に賛成したという次第だ。皆はどうだ?」
 ふーむ、とカナリーは唸り、シルバに訊ねる事にした。
「その封印は、硬いのかい? いや、僕が言いたいのは、その仮面の力は今、漏れている分だけでも、その気になれば様々な効果を作り出す事が出来るという事なんだが……」
「その事も、キキョウと話したよ。未練は人を弱くする。だから一度封印をしたら、次に解くまではこれは単なる仮面になる。中に強力な力を秘めてはいるけどな」
「んじゃ、ボクは賛成」
 ヒイロが大きく手を挙げた。
「仮面がみんなを弱くするっていう点に納得かな。つい頼りたくなりそうだし、ボクはそういうのはやだなぁ。ボクはもっと強くなりたいしね」
 次に、タイランもおずおずと挙手する。
「わ、私は……シルバさんに無茶して欲しくありませんし……」
「僕も賛成でいい。効率の面から考えても、仮面を使うより僕達全体の実力の底上げが望ましいと思う」
 最後に、カナリーも賛意を示した。
「じゃ、そういう事で決まりだな」
「うむ」
「んじゃま、ヒイロ仮面返して」
「うん」
 仮面を取り戻したシルバは、それをベッドの上に置いた。
「でまあ、キキョウは俺の手に自分の手を乗せて」
「ぬ、ぬうっ!?」
 真っ赤になって動揺するキキョウだった。しかし、その動作とは裏腹に何故か、尻尾はバッサバッサと揺れていた。
 それに構わず、シルバは話を進める。
「いや、そうしないと封印出来ないから。お前の力でもあるんだし」
「そ、そそ、そうだな。で、では、失礼する」
「……いや、そんな緊張しなくても」
「き、きき、緊張などしておらぬ」
 二つの手が仮面に重なり、二重の詠唱が病室に響き渡る。

 ――かくして狐面は、完全な封印を完了した。


 シルバの退院は思った以上に早かった。
 医師の診断で、数日後にはシルバは荷物をまとめて、外に出る事になった。
「……つーか、鍼と按摩すげえ」
 ほとんど鈍っていない自分の身体の具合に、シルバは驚きを禁じ得ない。
「言っておくが、アレが一般だとは思わない事だぞ、シルバ殿。ムワン先生は、特殊なタイプだ」
「ああ、そう思っとく。あんなのがゴロゴロしてたら、こっちは商売あがったりだよ」
 キキョウの言葉に、シルバは頷く。
 その裾を、ヒイロが引っ張った。
「それよりも先輩、ご飯ご飯!」
 何故か病室に運び込まれていたモース霊山産の食材の数々は、シルバが手配して別の場所に送っておいた。
 もっか、ヒイロの興味はそれら山の幸である。
 時刻は昼下がり。ヒイロの胃袋の昼食はとっくに消化済みだ。
「はいはい。他にもやる事いっぱいあるの、分かってるか、ヒイロ」
「むむ?」
「俺の方は、まず教会にちゃんとした報告が必要だし、例の龍魚を祀ってるっていう一派んトコから何か招待されてるんだろ? あそこにも行かなきゃならない。それに、武器や防具も新調したいしな」
「……ご飯はお預け?」
 ヒイロの顔が、分かりやすいぐらい暗くなる。
 その頭に、シルバは手を置いた。
「そうすると、お前のテンションがものすごく下がるの分かってるから、まずは酒場だな」
「やた!」
 ヒイロが両手を大きく挙げた。
 一方、キキョウはふむ、と首を傾げる。
「酒場という事は、いつもの食堂『朝務亭』ではないのか、シルバ殿?」
「あそこの系列で『{弥勒亭/みろくてい}』ってのがあるんだよ。両方のマスターとも話がついてて、今度からあそこを使おうと思うんだ」
「それはまた、何故」
「弥勒亭には、個室があるんだよ」
「……なるほど、密会に使えると言う事か」
 ニヤリと笑いながら、カナリーが肩に掛かった金髪を払い上げた。
「いや、違うって、カナリー。タイランが、鎧から出られるだろ」
 シルバの背後に控えるように歩いていたタイランが、身動ぎする。
「わ、私ですか?」
「そ。飯、本当はいけるんだろ?」
「は、はい……陽光や水とエネルギー効率は大差ないんですけど……」
 鋼鉄製の両指をモジモジと組み合わせながら、タイランは頷く。
「サラダとか」
「は、はい……えと、どうして……?」
「調べた」
 ボリボリと頭を掻くシルバ。そしてヒイロはタイランを振り返り、親指を立てた。
「ご飯は、みんなで食った方がいいよね、やっぱり!」
「あ、は、はい」
「ふっ……シルバにしては気が利いている。ところで、その店のトマトジュースは美味しいんだろうね?」
 カナリーの問いに、シルバは首を傾げた。
「あ、それは調べてなかった」
「な、何!? それが一番肝心な所じゃないか! 君はまるで分かってないな!」
 詰め寄るカナリーとシルバの間に、キキョウが割って入った。
「まあまあ、カナリー。こういうのは自分で確かめるのも、よいものだぞ?」
「だなー。俺も詳しいメニューは……っと?」
 大通りから角を曲がり、やや狭い通りに入る。
 とはいっても、人通りはそれなりに多い。
 シルバ達の一行の前に、金髪の男が立ちふさがった。
 シルバが以前所属していたパーティー『プラチナ・クロス』の盗賊、テーストだった。
「よう、シルバ」
「よう、テースト。どうした、一体?」
 シルバも足を止めた。
「いや、ちょっとした頼みがあってさ、話をしに来たんだよ」
「借金の申し込みは、勘弁してくれよ。アレは人間関係を破綻させる」
「言えてるな」
 互いに気安く、軽く笑う。
 シルバの裾を、ヒイロが再び引っ張った。
「ねえねえ先輩……誰?」
「あー、前パーティーのメンバーで盗賊のテースト」
 シルバの答えに、ヒイロがポンと拳を打った。
「あーっ! あの先輩が嫌気がさして抜けたパーティーの!」
「ちょっ、ヒイロ声でかいって!」
 シルバが慌てて、ヒイロの口を手でふさぐ。
 遠慮のないヒイロの言葉に、テーストの笑みは引きつっていた。
「は、はは……」
「つーか、こんな所で立ち話って言うのもなぁ……俺、休んでた分やる事多いし、別の機会じゃ駄目か?」
「いや、すぐ済む用事なんだ。まあつまりなんだ……見た所、お前のパーティー、盗賊いないだろ?」
「あ、ああ、まあな」
「そこにオレ、入れてくれね?」
「……は?」
 意外、ではなかったが、やや呆れの混じった声がシルバの口から漏れた。
 しかし構わず、テーストは言葉を続けた。
「ちょっとなー、あのパーティーはもう見切りを付けた。アレはもう駄目だ。お前の言う通りだったよ、シルバ」
「それで……ウチに?」
「ああ。腕の方は知ってるだろ? それに互いの呼吸も分かってるし、何か特殊なルール……何だっけ、女人禁制? アレだって問題ない。オレにはちゃんと付いてる」
「なるほど」
「で、駄目か?」
「悪いな。駄目だ」
 シルバは即答した。
「何で!?」
「盗賊のポジションは既に予約済みなんだよ。いつになるか分からないけど、アイツが来た時のために開けとかないと。な?」
 シルバは、パーティーのメンバーに同意を求めた。
「うむ」
 キキョウ以下、全員が頷いた。
 リフを仲間に入れる事は、パーティーの中ではもう既定の方針となっていた。
 もちろん、そんな事をテーストが知るはずもない。
「い、いや、でもさ、それまでどうするんだよ。盗賊抜きって事は護衛や運搬の仕事で、いつまで待つ気か? お前、{墜落殿/フォーリウム}探索する為に、パーティー組んだんだろ?」
 確かにその通りであり、その為の準備もこれからシルバが行う仕事の一つに含まれる。リフが来るまでどうするか……となると。
「うーん、クロエにでも埋めてもらおうかなと思ってたんだが」
 助っ人要員である美少女の名前を、シルバは挙げた。
「アイツは女だろうが!?」
「あ、そうだった。どうもアイツは女って気がしなくて、忘れそうになるなぁ」
「……お、お前、あの美人を相手に、その評価はどうなんだ?」
「某も、クロエ殿ならば問題はないと思うがな。彼女はとてもいい人だ……何より、安全そうだし」
 ボソッと呟くキキョウの言葉の後半は、誰の耳にも届かなかった。
「というかさテースト。お前こそ前パーティーどうなんだよ」
「どうって?」
「俺、まだお前がプラチナ・クロスやめたとは聞いてないぞ。まさか、話ついてないままこんな交渉してる……とか、ないよな?」
 すると、テーストは心外な、と大きく手を広げた。
「まさか。ちゃんと抜けたって。だからもう行く場所ないんだよ。シルバ頼む、この通りだ! 臨時でいいからさ!」
 パン、と両手を合わせ、テーストがシルバを拝む。
「んー……」
 シルバは困った。
 入れる入れないの問題ではなく、どう断るかで悩んでいたのだが。

「お兄、いた」

 そんな声が、上から聞こえた。
「……え?」
 見上げると、大きな帽子に腕まくりをしたコートの小柄な人影が、建物の屋上に立っていた。帽子とズボンに穴が開いているらしく、その人物が猫獣人の一種である事が分かる。
「今いく」
 ひょい、と『彼』は建物から飛び下りた。
「ちょっ……!?」
 通りを歩いていた人達が一斉に悲鳴を上げる。
 しかし『彼』は、重さを感じさせない身のこなしで地面に着地し、とてとてとシルバに近付いた。
 テーストをガン無視で、シルバの腰にしがみつく。
「リフ、きた。約束どおり、盗賊、する」
「リ、リフ!?」
「に」
 年の頃は八歳ぐらいだろうか。
 大きな帽子とカーキ色のコートはちょっと見、性別不明だが、つりめがちな大きな瞳が印象的な端整な顔立ちは、かなりの美形である事が分かる。ピンと立った尻尾がその背後で、ゆらゆらと揺れていた。
「その姿は一体……」
「せんせえに、人間にしてもらった。お兄達の力になれる」
 また、あの人か……っ!
 そう思ったが、師匠であるストア・カプリスを問い詰めるのは後回しだ。
「そ、そうか……いや、しかし驚いた」
 てっきり、仔猫状態のまま来ると思ったのだ。
 まさか、獣人状態で来るとは思わなかった。皆も同様のようで、かろうじて最初に声を出せたのはタイランだった。
「……お、お帰りなさい、リフちゃん」
「に。ただいま、タイラン。みんなも、ただいま」
「お、おう、おかえり」
 顔を上げると、置き去りにされっぱなしだったテーストと目が合った。
「お、おい、シルバ……」
「悪い、テースト。たった今、全部無しになった」
 それがどういう意味か、あっさりと察してくれたようだ。リフ本人も、言っていた事でもある。
「え? いやちょっと待てよ。そいつが、お前の言ってた盗賊?」
「そいつとはご挨拶だな。ちゃんとリフっていう……あー、名前がある」
「……シルバ殿が名付けた、な」
「うぅ……」
 皮肉っぽくキキョウに言われ、シルバとしては唸るしかない。
「に」
 リフは嬉しそうに、シルバに頭を擦りつける。
「ま、まだ、全然ガキじゃねーか!?」
「ああ、それが?」
「いやいやいや、さすがにないだろこれは」
「にぃ?」
 リフには、よく分からない。
「……それに、女の子じゃねーか」
「に。リフは男の子。かんちがい、ダメ」
 おそらくストアに言い含められていたのだろう、リフは空気を読んで否定した。
「……と、本人もこう主張している」
「それに、リフの実力は折紙付だよ? ボクらみんな、知ってるもん。ね?」
 ヒイロの言葉に、皆は一斉に同意した。
「うむ、先程の飛び降りと着地は見事だった」
「で、でも……ああいうのは危ないですよ、リフちゃん」
「にぃ……驚かせてごめんなさい」
「……リフ、君、精霊砲とかその状態で、大丈夫なのかい?」
「に、それは問題ない」
「という訳で――」
 ヒイロは、パンと手を叩いて、快活に笑った。
「――納得いかないなら、勝負してみれば?」
「こ、こんな小さな子と?」
 さすがに怯む、テーストだった。
 これでも、それなりに修羅場を潜っている。だが、目の前の少年(?)のような子供を相手にする事など、まずなかった。
「だから、それが不満なんでしょ?」
 しかしヒイロにこう言われると、今更引くわけにもいかない。
 テーストとしても、必死なのだ。
「お、おう、いいとも。ここで、問題ないならすぐにでも始めるけど」
 テーストは頷き、後ろに大きく跳躍する――
「に」
 ――はずだったが、両足にいつの間にか無数の雑草が巻き付いていた。石畳の隙間から生えていた草が、いつの間にか異様に成長していたそれが、彼の足を縛っていた。
「ぬわっ!?」
 バランスを崩し、たまらず尻餅をつく。
 かろうじて受け身を取ったお陰で後頭部を打たずに済んだが、何とか立ち上がろうとする彼の目の前に、鋭い刃が突きつけられていた。
「……これで、いいの?」
 リフは両腕から生えた刃をテーストに突きつけたまま、シルバに振り返った。
「……まあ、いいんじゃないか? それよりその腕は一体」
「に。リフの牙。父上はもっとすごい」
「あー」
 リフの父、フィリオの長く立派な二本の剣牙を思い出し、シルバは頷いた。
 一方納得いっていないのは、テーストだった。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待て! い、今のはないだろ!? まだ勝負始まってすらなかったじゃねーか!?」

「……なら、我が相手になるが?」

「へ?」
 リフが下がる。
 直後、空から降ってきた二メルトを超える偉丈夫が、テーストの目の前に現れた。
 丈の長い緑色の貫頭衣を着た、顎髭を蓄えた壮年の男だ。眼鏡のレンズの向こうにある瞳は深い知性を感じさせるが、テーストに向けられるその視線はどこまでも冷たかった。
「姫のやり方に文句があるのだろう。よかろう。我が代わりに聞こう……姫に何か、問題があったか?」
「ア、アンタ、一体何? あの子の従者か何か? それに姫って」
「……何だ?」
 ジャキン、と男の腕からリフの刃など比べモノにならないほど長大で見事な刃が出現した。
 死ぬ、とテーストは思った。
「い、いや、何でもないです……!」
「ならば引っ込んでいろ。我は、奴らに用がある」
 刃を納め、男はシルバを振り返った。
 もはやシルバ達は周囲からも注目の的になっていた……が、今更どうする事も出来ない。
「……話の流れからすると、リフ、お前のお父さんか?」
 リフの頭を撫でながら、シルバは長身の男から目が離せない。
「に。父上」
「久しいな、シルバ・ロックール」
 にこりともせずに、男――フィリオは言った。
「え、ええ……それにしても、そ、その姿は一体……? いや、そもそも何でリフは耳と尻尾あるのに、フィリオさんは完全人間体……?」
「我も、しばらくこの都市で過ごす事にした」
 後半の質問は、完全に無視された。
「いや、山はどうするんですか」
「下の者に預けておいた。些細な事だ」
 ……相当に大事だと思うのだが、下手に突っつくのはやめる事にした。
「で、でもどうして」
 シルバが言うと、フィリオはずい、と難しい顔をシルバに近づけた。怖い。
「……姫の寝泊まりをどうするつもりだ? 一人にしておく訳にもいくまい」
「に。リフは別に、お兄と一緒でいいのに」
「「却下だ!!」」
 何故か、二つの声が響いた。
「何も、キキョウまで……」
「う、うう、うら若い乙女がシルバ殿と一緒の部屋など、そんなうらやま、違う、何かの間違いがあってはならない! そ、それはよろしくないぞ、リフ」
「うむ! 万が一があっては取り返しがつかぬ! 我がちゃんと部屋を用意してやるから、安心するがよい!」
 何故か、見事に息のあった二人であった。
「……さすがに、間違いはないと思うけどなー」
 見た目幼女の欲情するほど、堕ちているつもりはないシルバだった。
 しかし、おずおずとタイランまで、手を挙げ始める。
「あ、あの……一応風紀的に、私も、その、反対しときます」
「ここは一つ、ボクも一緒の部屋に住むというのはどうかな?」
「……ヒイロ、君、何も考えずに言ってるだろう?」
 ヒイロの言葉に、カナリーが髪を掻き上げながら呆れる。
 そうこうしている間にも、このやたら目立つ面々を見に、どんどんと野次馬達が集まってきている。
 シルバは焦り、逃げる事にした。
「とにかくテースト、悪い! そういう事なんで、ウチのパーティーはこれで決まりなんだ。ごめん!」
 リフの手を引いて、急いでまだ尻餅をついたままでいるテーストの脇を抜ける。
 そのまま並走するフィリオに訊ねた。
「しかしフィリオさん、仕事はどうするんですか」
「伝手で学習院の講師の職を得た。精霊学の造詣にはそれなりに詳しいのでな」
 歩幅が圧倒的に違うせいか、フィリオの歩みはゆったりしたものだ。
「……く、詳しいというか。いいんでしょうか」
 学問も何も、相手は精霊そのモノである。
「俗な世界もたまには悪くない。そういえばロックール、貴様、退院したばかりだと聞く。龍魚の所に行くのなら我もゆくぞ」
「リフ、盗賊ギルドにいかないと……」
 親娘の要求に、後ろをノンビリと歩いていたカナリーが、溜め息をつきながら首を振っていた。
「あと、冒険者ギルドに、正式に登録も必要になるね。やれやれ、本当に忙しい事だ」


「ちぇー……」
 遠ざかっていく一団を見送り、テーストはナイフを取り出した。
「やっぱダメだったか。ま、しゃーねーな」
 足に絡む雑草を切断し、尻を叩きながら立ち上がる。
 駄目で元々だったので、それほど失望はしていない。
 人混みを掻き分け、テーストは早足でその場を去った。

 そのままテーストは、プラチナ・クロスの集まる酒場に飛び込んだ。
「ちーっす、ただいまー」
 シルバと接触していた事など、微塵も感じさせぬ鷹揚さで、パーティーのメンバーに手を上げる。
 しかし、彼らはテーストに反応する事なく、重い雰囲気を醸し出していた。
「……っと?」
「テースト、そこに座れ」
 パーティーのリーダーである聖騎士、イスハータが空いている席を指差した。
 ふとテーブルに視線を巡らせると、厳しい表情のイスハータ、いつもと変わらず無言のロッシェ、居心地悪そうにテーストの様子を伺うノワ(それが演技である事も分かった)、魔法使いであるバサンズはテーストと目が合うと、サッと顔を背けた。
「……どうやら、すっかりご存じのようで」
 は、とテーストは口元に皮肉っぽい笑みを浮かべた。
 オレも鈍ったな。魔法使いの{透化/スケルト}に気付かないとはね……。
 テーストは反省し、頭の中で言い訳を組み立て始めた。

 ――その日、プラチナ・クロスのテーブルは荒れに荒れ、五時間に渡る喧嘩じみた議論の末、パーティーは完全に瓦解した。

 頭を抱えて落ち込む者、新たな仲間を求めて荷物をまとめる者、途方に暮れて部屋に帰る者、やけ酒をあおって酒場を出て行く者など、反応は様々だがメンバーは散り散りとなった。
 その内の一人、ノワはさして酔った風もないしっかりした足取りで酒場を出ると巡回馬車に乗り、かなり離れた場所にある大きな酒場に入った。
「まったくみんな、勝手すぎるよもー。あんなパーティー、二度とゴメンかな」
 柔らかすぎるソファに身体を埋め、ノワは悲しげに溜め息をついた。
 その両脇には、二人の男が控えていた。
「ノワさんへの忠誠心が足りなかったんですね。大丈夫ですよ。僕達は決して貴方を裏切りません」
「その通り。俺達は死ぬまで、いえ、死んでも貴方についていきますからご安心下さい」
 柔和で知的な印象の眼鏡青年と、対照的にしっかりした印象を受ける黒い短髪の青年だ。
 二人に、ノワはふわっとした笑みを浮かべながら、グラスを掲げた。
「ありがとう、二人とも。でもレアアイテムはちゃんと全部確保したし。明日からは気分も新たに、再出発だね」
「はいっ」
「はっ」
「まず当座の目標は――」
 三人のグラスが合わさり、カチンと硬質な音が鳴り響いた。
「「「{墜落殿/フォーリウム}、第三層の突破」」」


 同時刻、酒場『弥勒亭』奥の個室。
 シルバのパーティーは、遅い晩飯を食べながら今後の相談を行っていた。フィリオはストアが無理矢理ねじ込んだ学習院との契約手続きが残っているとかで、泣く泣く席を外している。
「現状、墜落殿は全十層のウチ、第五層まで探索は進んでる」
 骨付き肉を囓りながら、ヒイロが手を挙げた。
「先輩先輩、前から疑問に思ってたんだけど、どうしてこの迷宮、まだ一番奥まで進んでないのに、全部で十層だって分かってるの?」
「墜落殿はその名の通り、古代オルドグラム王朝時代にあったとされる天空都市が落下して、出来た迷宮とされている。でまあ、これが上下逆さまになった街と考えてくれ」
「うん」
「街には案内図があったんだよ」
 ヒイロは何とも言えない表情になった。
「……親切なんだ」
「ま、こー、逆さまに落下したせいで中身とか構造とかはグチャグチャっぽいんだけど、基本的に全部で十層ってのは分かってる」
「もしかしたら、それ以下の可能性もあるけどね」
 いつものように皮肉っぽくカナリーは笑い、トマトジュースを煽った。
「うん、上層部が潰れてたらそれも有り得るけど、まだ誰も確認してないから、それは何とも言えない。ただ、第十層には宮殿があるらしくて、そこにある古代の武器防具類の回収が、基本的な目的だ。元々、このアーミゼストは魔王討伐の為の遺物探しの為に、造られたようなモンだし。なくなってるならなくなってるってのを確認するまで、探索は続くって訳だ」
「……あの、私達の実力は、どれぐらいのモノなんでしょう」
 鎧から出たタイランが、サラダを食べながらおずおずと訊ねてくる。
「前のパーティーの時は、第三層って所だったかな。そこまでは、今のこのパーティーでも大丈夫だと思う。ただそこから先は、俺も未知の領域。下層へのルートは複数あるっぽいし」
「じゃあ、その三層とっぱ?」
 魚のソテーをつついていたリフが、首を傾げた。
「それが目標でいいと思う」
「先は長いね、シルバ」
「だな」
 肩をすくめるカナリーに、シルバは同意した。
 すい、とキキョウが米酒の杯を掲げた。
「ではまずは、第三層突破を目指すとして、シルバ殿何か抱負を頼む」
「んー」
 つられて、シルバも水の入ったグラスを掲げた。
「ま、みんな、死なない程度に頑張ろう」
「何とも締まらないね、まったく」
 苦笑するカナリーもグラスを口から離し。
「でも、いのち、大事」
 リフもミルクの入ったコップを両手で持ち上げる。
 ヒイロとタイランも顔を見合わせ、グラスを手に取った。
「それじゃ、今後ともっ」
「よ、よろしくお願いします」
 六つの器が合わさり、カチンと硬質な音が鳴り響いた。



[11810] セルビィ多元領域
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/11/21 06:34
 風を感じて、シルバは目を覚ました。
 空はまだ暗く、眠気が頭を薄ぼんやりとさせていた。体内時計が、普段起きる時間より早い事を示している証拠だ。
 そして、そのシルバを見下ろす、猫耳猫目の幼女。帽子は取られ、白金髪は後ろで束ねられている。
「にぃ」
「…………」
 さて、どう突っ込もう。
 そう考えていると、壮年の男が反対方向からシルバの顔を覗き込んだ。
「姫が起こしに来たのだ。起きろ、シルバ・ロックール」
「ぬおうっ!?」
 たまらずシルバはベッドから転がり落ちた。
「にぃ……お兄、父上の声で起きた」
 猫耳幼女――リフは無表情だが、どこか残念そうだった。
「おのれ……貴様」
 そして拳を握りしめる壮年の男は、リフの父親、フィリオだ。精霊砲を放つ気なのか、手の平をシルバに向けようとする。
 朝っぱらから、命の危機だった。
「ち、違う……! そういう意味で起きたんじゃない!」
 別に、フィリオの声に応えた訳ではなく、単に驚いただけだという事を、シルバは懸命にリフに説明した。

 落ち着き、シルバは椅子に座った。
「というか、どこから入ってきたんだ、二人とも」
 ちなみにアパートのこの部屋は、三階である。
「「窓」」
 モース霊山の親娘は声を揃え、開けっ放しになった窓を指差した。
 鍵の部分に何やら細い蔓が巻き付いている。おそらくそれが、親娘の不法侵入を許した原因なのだろう。
「……うん、盗賊らしくて素敵だけど、この社会では基本的に扉が出入り口なんだ。覚えておこう」
「に、おぼえた」
「つまりだ、姫。コイツは更なる解錠技術を覚えろと言っているのだ」
「に、がんばる」
 ぐ、と拳を握りしめるリフであった。
「……言ってないから。それに、いくら何でも早起き過ぎるから」
「にぃ……今度から、もっと遅い方がいい?」
「んんー……そうだなぁ、起こしに来てくれるなら、あと一時間欲しいかも」
「に。ならお兄、もう少し寝る」
 リフは乱れたベッドの毛布を整え始める。
「いやいや、いいって。せっかく起きたんだし、出掛ける準備するよ」
「に」
「そうか」
 しかし、リフとフィリオはその場から動こうとしなかった。
 …………。
「あの、着替えたいんですが」
 おずおずと切り出すと、フィリオは怪訝な顔をした。
「着替えればよいだろう。何故、躊躇っている」
「着替えを見られたくないんですよ!?」

 寝室から親娘を追い出し、司祭服に着替えを済ませる。
 書物だらけのリビングに出ると、リフは興味深げに部屋を見渡し、フィリオは椅子に腰掛けて分厚い書物を開いていた。
「何読んでるんですか?」
 ふん、とフィリオは応えた。
「精霊に関してだ。人間も、なかなかよく勉強しているようだな」
 ああ、それかとシルバは思い当たった。
 教会で昏睡から目覚めて、図書館から取り寄せた本だ。
「タイランの好物とかも、それで調べたんですけど」
「まあ、間違いではないな。水の気が強い精霊は、水そのモノや植物を好む。味つけは無しかあっても薄味。料理人にとってはあまり、腕が振えない相手だ」
「……普通の料理人はあんまり精霊相手に料理振るったりしませんよね」
「うむ。ともあれ、この本は悪くない。目を通しておいて損はないぞ」
「……著者も霊獣から褒められたと知ったら、狂喜乱舞してたでしょうね。もう死んでますけど」
「ふん、人の寿命は儚いモノだ。それで今日の、神殿に行くという約束だが」
 そもそも、フィリオ達が朝駆けで訪れたのは、それが理由だった。
 前の事件で、シルバ達は龍魚の霊獣を助ける事となった。
 その龍魚を崇める精霊信仰の一団が、一言礼を言いたいという事で招待を受けていたのだ。
 パーティーのリーダーであるシルバが昏睡状態に合った為、保留になっていたがようやく、という話になっていた。
 とはいえ、なるべくシルバも普段の生活ペースを崩したくない。
「まずは、教会のお務めを済ませてからですね」
 朝食を食べて、それからみんなと向かうつもりだった。
「しかし……」
 むぅ、とフィリオは唸った。
「何でしょう?」
「お前は教会の人間だろう。余所の神殿に赴いてよいのか?」
 なるほど、それはもっともな疑問だった。
「その為の折り合いを付ける為の施設がこの都市にはありますからね」
 シルバは説明した。
 この世界には、シルバ達が信仰する一大宗派・ゴドー聖教の他にも、死生観を重んじるウメ教や、東方に多い精霊宗教のムゼン信仰、その他数多の民間信仰が存在する。
 国によって、重んじられる宗教は違うのだが、ここ辺境都市アーミゼストでは、種族と同様に宗教も混然としている。
 特にゴドー聖教のような一神教は、他の神を受け入れがたい部分もある。
 そこで、セルビィという宗教家がこの地に作ったのが、セルビィ多元領域、通称セルビィ神殿である。
 この領域は、神の作ったこの世界と別の世界が重複しており、つまり『どんな神もいる領域』というお題目が成立している。
 よって、この神殿ではゴドー聖教やその他神々の存在が、すべて許されているのだ。よって、異教同士の交渉の場として重宝され、また様々な宗教の信者が出入りするこの施設は、聖職者ギルドとしても機能している。
「……何ともデタラメな施設だな」
 自身崇められる対象である山の霊獣フィリオとしては、呆れるしかないと言った所だろう。
 しかし、シルバは多元領域がそれほど嫌いではない。
「いいんじゃないですか? 宗教同士で喧嘩するより、ずっとマシです」
「人間とはまったく、妙な事を考える」
 構ってもらえないのが寂しいのかいつの間にか、リフがシルバの裾を掴んでいた。
「ところでリフ」
「に?」
「気になってたんだけど、変わったベルトしてるよな」
 頭を撫でながら、聞いてみた。
 何だかやたらバックルが大きいベルトだった。
「に、せんせえにもらった」
「…………」
 シルバは微妙な表情で、フィリオを見た。
「事実だ」
 仕方ないという風に、フィリオは頷いた。
 何となく二人とも、こと相手がストア・カプリスとなると心が通じ合っている部分があった。
「変な呪いとか、なかったですよね?」
「君はもう少し、師匠に敬意を払うべきだな。かなり難しいと思うが。第一、姫にそのような事をされたら、さすがに我も黙っておらん」
「ま、そりゃそうですね」
 危険はないだろう、とシルバも判断した。
「で、先生が作ったって事は普通のベルトじゃないよな、それ」
「に、すごいの」
 ちょっと得意げに、リフは言った。
「具体的には?」
「へんしん出来る」
「……へんしん?」
「に」
 リフは少し後ろに下がると、ポーズを取った。
「へんしん」
 言うと同時に、リフの体は光に包まれた。
「な……!? リ、リフ!?」
 パサ、とリフは服を残して消失した。
「にぃ……」
 服の中から、鳴き声が漏れる。
 モソモソと蠢き、中から出てきたのは白い仔猫だった。
「こ、仔猫になった……!?」
 にぃ、と鳴くリフを、シルバは持ち上げた。
「シルバ・ロックール。仮にも剣牙虎の姫を、猫呼ばわりするな」
「に、リフはかまわない。小さいから、あちこち侵入できる。盗賊、そういうのだってせんせえ言ってた」
 精神共有のお陰で、会話に支障はない。
「な、なるほど……」
 ただ一番の動機は、面白がっただけのような気がするシルバだった。
「そういえば、フィリオさん」
 リフを見て、ふとシルバは思い出した。
「何だ?」
「リフのお兄さん達って、どうしたんですか? 山に置き去り?」
 手の中で、リフを撫でながら、シルバは訊ねた。
 フィリオはうむ、と頷く。
「言い方が悪いが、そういう事になるな。正確には、我に無断で山を下りた罰として、100日ほど強制修練の刑に処している。我を崇める森妖精達の監視付きだ。今度はそうは簡単に、逃げられん」
「に。たまには会いに行く」
「……うむ」
 その後どうするかは明言しなかったが、おそらく一緒に暮らすのだろう。
「なるほど。で、リフはその姿から元に戻れるのか?」
 手の平に乗せたリフに、シルバが聞いてみると、フィリオがすかさず突っ込んだ。
「元という意味では、その姿が本来の姿なのだが」
 確かにその通りである。
「獣人系という意味で」
「もんだいない」
「……そういえば、ふと疑問に思ったのですが、何でリフは獣人で、フィリオさんは人間なんですか?」
「お前の師匠である白い魔女の話では、盗賊ならば感性や敏捷性を重視して、そちらの方が良いという話なのだ。その点は、我にも異存はない」
「はー」
 一応考えてはいるんだな、と思うシルバだった。
「もっとも、一番の理由はむしろ、我がこの状態で耳や尻尾があっても気持ちが悪いからだ。ドン引きだ」
「……た、確かに」
 想像してみた。
 街を歩いていたら、確実に警吏に職務質問されそうだ。
「じゃあ、そろそろリフ。元の格好に戻ってくれるか?」
 手の上のリフが、申し訳なさそうに身動ぎした。
「にぃ……それが、このへんしんの悩み所。リフ一人じゃ無理。ベルト、も一回巻かないと」
「ベルトって……」
 リフは、自分の服を振り返った。
「その服の中」
「我が取る」
 フィリオが疾風の勢いで椅子から立ち上がり、リフの服の中からベルトを取りだした。
 それを預かり、床に置いたリフの小さな胴に巻き付けた。かなり帯が余るが、これはこれで問題ないらしい。
「これでいいのか?」
「に。も一回、へんしん」
 一瞬光が迸り、リフは元の獣人の姿に戻った。
 一糸まとわぬスレンダーな肢体が露わな姿――すなわち全裸で。
「なっ……!?」
 一瞬身体が強張る、シルバ。
「見るな、ロックール!」
「ちょっ!?」
 フィリオが手を突き出すのを見て、とっさにシルバは身を屈めた。
 直後、上半身のあった部分を強烈な精霊砲が貫いた。
 精霊砲はそのまま窓を突き破り、夜空へと消えていく。
「姫、早く服を着ろ!」
 フィリオは慌てて、リフにコートを羽織らせた。
「に?」
 リフはまるで分かっていなかった。
「あ、あんた、俺の着替えの時と言ってる事が全然違うじゃないか!?」
「当たり前だ!」
 尻餅をついたまま抗議するシルバを、フィリオは怒鳴りつけた。
 直後、ノックの音が響き、合鍵を使ってキキョウが入ってきた。
「シルバ殿、今日は神殿に赴くという事で起こしに……」

 全裸のリフ。
 何とかコートを着せようとするフィリオ。
 そして尻餅をつくシルバ。

 ――一瞬、部屋の空気が硬直し、キキョウの悲鳴が早朝のアパートに響き渡った。


 セルヴィ多元領域。
 無数の世界が重なり合っている領域……とされている巨大な神殿は、聖職者ギルドを兼ねている。
 神殿自体は、どこの宗教にも重ならないように、一切の浮き彫りが禁じられている。造りも飾り気がほとんど無い。
 ただ、行き来する人間の服装が、多彩な宗教衣装なのが、特徴的だ。
 そんな建物をフィリオを加えたシルバ達一行は、訪れていた。
 龍魚の霊獣を助けた一件で、その礼をしたいと霊獣を崇める団体からお呼ばれされたのだ。精霊宗教として大きいムゼン信仰の一派だという。

「はー、神殿ってこんな風になってるんだ……」
 物珍しげに、ヒイロは神殿を眺め回していた。
 石造りの通路は数十メルトほどの幅があり、天井は呆れるほど高い。
「……ここは一般的な神殿じゃないから、あんまり参考にはならないぞ」
「どの宗教にも当たらない宗教施設っていうのも、珍しいですよね……」
 タイランが、そんな感想を漏らす。
「カナリーも来ればよかったのに……」
 ヒイロは少し残念そうだった。

「宗教チャンポンといえど、神の住む場所だろう? 特に害はないと思うけど、気分的にあまり入りたくないね」

 という理由で、カナリーだけは、今回の招待に参加しなかった。
「……ま、こればっかりはしょうがないだろ。キキョウ、龍魚の団体って、どの部屋か分かるか」
 シルバは肩を竦め、キキョウに訪ねた。
「うむ、以前訪ねた時と、同じ部屋だ」
 キキョウの足取りに迷いはない。
 以前も同じ用で呼ばれたのだが、パーティーのリーダーであるシルバが昏睡状態に合った為、これまで保留にしてもらっていたのだ。
「に、おさかな」
 何となく嬉しそうなリフの頭に、シルバは手を置いた。
「……変な方向に興味持っちゃダメ」
「にぃ」
 まあ、食べないとは思うが、それでもちょっと心配なシルバだった。

 シルバ達は、大きな部屋に入った。
 龍魚を信奉する一派達の、神殿だ。
 どこからか陽光が入り込んでおり、側面と奥の壁からは緩やかに水が流れ、周囲の壕をたたえている。
 何となく、晴れた日の川をイメージさせる部屋だった。
 彼ら本来の神殿はこの建物とは別の場所にあるはずだが、ここも充分に立派と言っていい規模だろう。
 神殿には、二人の若い巫女がいた。左右に五人ほどの信者が、正座で控えている。
「お待ちしておりました」
「主様がお待ちかねです」
 二人は口を揃えた。
「「我が主、龍魚の霊獣、リンド様です」」
 奥の壕に魚影が浮かび、やがて緩やかに甲冑のような鱗に包まれた魚が出現した。
 大きさは一抱えほど。
 その瞳は、シルバ達の知る魚類とは異なり、知性の輝きを宿していた。
 緩やかに空中を泳ぎ、龍魚リンドはシルバ達の前で滞空する。
「パーティー『守護神』のリーダー。ゴドー聖教の司祭、シルバです」
 リンドは無言。
 どうやら、巫女二人が精神共有で、リンドの言葉を代弁するらしい。
「ねえねえ、喋れないの?」
 シルバの背後に控えていたヒイロが、タイランの鎧を軽く叩いた。
「はい?」
「霊獣って、喋れるモノだと思ってたんだけど」
 その視線が、フィリオに向けられていた。
 フィリオは正面を向いたまま、ヒイロに応える。
「霊獣も様々でな。彼女はまだ若い。もう少し年を経れば、全体念話が使えるようになるが、まだ足りん」
 言って、袖から手を出した。
「我が手を貸してやろう」
 フィリオの掲げた手が輝き、シルバ達の頭に直接声が響き渡る。
『あ……え……?』
 戸惑ったような声は、龍魚リンドのモノだ。
「これで代弁者の必要はないだろう」
 フィリオは表情を変えないまま、そう呟いた。
 だが、収まらないのは、リンドの信奉者達だった。

「わ、我が主に何と不遜な!」
「礼儀を弁えぬ奴!」

 彼らが崇める存在に、問答無用で怪しげな術を掛けられたのだ。憤るに決まっている。
 二人の巫女が声を上げ、周囲の信者達が槍を手にシルバ達を取り囲んだ。

 フィリオは、リンドを見据えた。
「……何とか言ってやれ、娘」
「よいのです。お下がりなさい、ティー、ヘレン。皆も同様です」
 落ち着いた声で、リンドは命じた。
「……リンド様!?」
 ティーとヘレンと呼ばれた二人の巫女が、動揺する。
 しかし、龍魚は微動だにしないまま、彼女の信奉者達に説き続ける。
「その方は私などより遙かに徳を積まれている方です。決して手出しはなりません」
「は、はい……」
 ティーが手を上げるとフィリオ達を囲んでいた槍の穂先は引っ込み、信者達も元の場所に戻っていった。
「すまんな」
 申し訳ないなど欠片も思ってない風情で、フィリオが言う。
「いえ……お初にお目にかかります。水龍ミサクの娘、リンドと申します」
「フィリオ・モース。今は、そう名乗っている」
 ざわ……と、周囲の空気が騒然となった。
「フィリオ……」
「モースって……」
 ティーとヘレンも顔を見合わせる。
 だが。
「探るな」
 フィリオの一言で、部屋は即座に沈黙した。
「そして語るな」
「「は、はい!!」」
 二人の巫女は直立不動で、返事をした。
「それに我は今回の主役ではない。構わず話を進めよ」
「はい。ありがとうございます」
 リンドは、シルバを見た。
「この度の件、皆さんには大変お世話になりました」
「いや……その、それは単なる偶然だったんですけどね。別の目的で動いていて、たまたまだっただけで」
 その辺の事情は既に、リンドを巫女達に返す際、キキョウが説明を済ませていた。
「くすっ……それでも、助けていただいた事には変わりありません。何かお礼がしたいのですが……」
「それですけど、先程の理由もあって特に何もないんですよ」
 それについては、他のメンバーとも相談を済ませていた。
 そもそも、どういう事が彼らの出来るのかも分からない以上、お金をせびるのも何だか下品な気がする。という訳で「ま、いいんじゃない?」というえらくアバウトな結論が、シルバ達の出した答えだった。
「では、こちらで用意させていただいたモノでよろしいでしょうか」
 龍魚が促し、ヘレンが平たい箱を持ってきた。どことなく顔が強張っているのは、シルバ達の後ろにいる『フィリオ・モース』の存在が大きいのだろう。
「これは……」
 シルバが声を上げる。
 開かれた箱の中には、一塊の透明な石が置かれていた。
「精霊石ですね」
 タイランは一目で見抜いた。フィリオも感心したようだ。
「……ほう、中々よいモノだな。娘、お前が精製したモノか」
「恐縮です」
「手に取ってみても、いいんですか?」
 シルバの問いに、リンドは軽く尾を振った。
「どうぞ。それは貴方達のモノです」
 シルバは精霊石を手に取ると、陽に透かしてみた。
「きれー」
 ヒイロが感心したような声を上げる。
「……何か、動いてるのが見えるけど」
 シルバは石を通して、何やら細くうっすらとした筋のようなモノが、何本も揺らめいているのを確認した。
 フィリオはシルバと石を交互に見、ふむと頷いた。
「大気の精霊だな。純度の高い精霊石ならば、それぐらい透けて見えて当然だ」
「……仮面をつけてた時も、そういえば見えていたような気がする」
「ああ、例の仮面も精霊の力があるのならば、同じ力が備わっているのも道理。もっともあの力は強力すぎて、精霊の存在自体が『当然』過ぎるだろうが」
 よく分からなかった。
 シルバの表情が読めたのか、フィリオが補足する。
「……つまり今、お前は人の目を通して精霊を認識しているが、我や姫のように当たり前のように精霊を認識しているのとは違うという事だ」
 それから唸り、
「例えるなら、異国の地にいきなり踏み込むようなモノだ。我らは精霊など珍しくもないが、お前達はあらゆるモノが新鮮であろう。そのような認識でよい」
 かなり大雑把に説明を結論づけるフィリオだった。
「……まあ、こういうのはカナリーの分野だな」
 さすがに、くれた人(?)を前に、どう扱うかを相談出来るほど、シルバの神経は太くなかった。
「ありがとうございます」
 素直に礼を言う。
「いえ……当然の礼ですから。他に何か私達に出来る事はありますか?」
 少し考え、シルバは頷いた。
「そうですね……じゃあせっかくなので、伺いたい事があります」
「何でしょう」
「貴方を掠った連中について、聞きたいかなと……」
 フィリオは懐からコインを取り出した。トゥスケルという『知的好奇心の集団』の証だ。
「なるほど……しかし、私もよく憶えていないのですが……」
 どことなく申し訳なさそうに、龍魚は頭を項垂れた。
「憶えている範囲で結構ですので」
「分かりました。この状態で話すよりも、文書でまとめた方がよいかと思います。それでよろしいですか?」
「助かります」
 それから控えめに、巫女の一人、ティーが割って入った。
「リンド様、そろそろ……お体に触りますから」
「はい。それでは皆さん、ごきげんよう……」
 こうして、龍魚リンドとの面会は終了した。

 龍魚の神殿を出て、フィリオはヒイロがジッと、自分を見上げているのに気付いた。
「……何だ、娘?」
「いや、うん、すごくえらい人だったんだなーって、改めて思っただけ」
「……お前はもう少し、霊獣について勉強するべきだ」
「リフちゃんの相手をしてる時と、全然違うし」
「ぬう……」
 唸るフィリオ。
 二人の会話は、他のみんなには聞こえていなかったようだ。

 なお、もらった精霊石をフィリオに加工してもらい、シルバがあるアイテムを得るのだが、それはまた別のお話。



[11810] メンバー強化
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2010/01/09 12:37
メンバー強化:ヒイロ編

 墜落殿第一階層は、石造りの迷宮だ。
 壁は苔が繁殖し、どことなく湿っぽいのは、おそらく古代のこの場所が、地下水路だったと想定されているせいだろう。
 全員が妖精族、そしてレベル1で統一されているパーティー『フェアリーズ』は、探索を始めて一時間、ようやく初めての敵を倒し終えた所だった。
 飢犬と呼ばれる痩せた狂犬は、予想以上に俊敏で、手こずる相手だった。
「はぁ……はぁ……」
 パーティーのリーダー、カカ・ボラジは何とか最後の一頭を殴り倒し、大きく息をついた。立派な髭とずんぐりとした体躯が特徴的な、山妖精という種族の格闘家である。
 その彼に、不意に声が掛かる。
「あ、危ない!」
 顔を上げると、身体をくの字に折り曲げた飢犬がカカ目がけて飛んでくる所だった。
「ぬおお、危ねえっ!?」
 咄嗟の回避が間に合った。
 飢犬は壁に叩き付けられ、そのまま動かなくなる。もはや、半分肉塊状態だ。
「ごめんごめん。大丈夫だった?」
「お、おう」
 駆け寄ってきたのは、身体よりも大きそうな骨剣を担いだ、オーガ族の少年だった。
 ブレストアーマーと、やたらごついブーツ以外は、特に防具らしい防具も着けていない。健康的な腕も足もほとんどむき出しだ。
 名前をヒイロと言い、本来はもう少しレベルの高いパーティーに属している。今回はとある目的の為に、カカ達に同行していた。
「あんまり素早くて鬱陶しかったんで、力任せに殴ったら派手に飛んじゃった♪」
 あははーと、ヒイロは陽気に笑う。
「今度からは気を付けるだよ」
「うん」
 元気よく頷き、ヒイロは周囲を見渡した。
「とりあえず、ここにはもう敵はいないね」
「ん、んだ。しっかし、やっぱすげえだなあ、アンタ」
「ん? 何が?」
「や……オラ達が五人がかりで三匹に手こずってる内に、もー、十匹も倒しちまって。オラ達、まだまだだなぁ」
 ボリボリと頭を掻くカカ。
 しかし、ヒイロは首を振った。
「いやぁ、これは慣れの問題だと思うよ。ボクはしょっちゅう狩りもしてるしね。もーちょっと相手の癖が分かると効率いいんだけど」
「……あれで、効率悪いだか」
 少し離れた所に無造作に散らばった、モンスターの死体を見て、カカは少し途方に暮れたりする。
「うん。モンスターの動きってのが分かるのと分からないのとでは大違いだよ。それが経験ってもんだ……ってのが、先輩、あ、ウチのリーダーの事ね。の、台詞な訳で。それにしても、なかなか出ないね」
「何がだ?」
「魔法使い系の敵。この辺に頻繁に出て来るって聞いたんだけど……ボクの目当てはそれなんだけど」
「はて? だがしかし、確か、オーガ族は魔法に弱いんだったんでなかっただか?」
 苦手な敵が目当てとはどういう事だろうとカカは思う。
「うん。だから、カカさんらに同行させてもらってるんだけどね。妖精族はほら、ボクらと違って魔法に強いし」
「オラ達としては、ヒイロさんに付いてきてもらって超心強いけど、ほんなれば、シルバさんらと一緒が一番いいんでないだか?」
「そりゃまあ、そうなんだけどさ……」
 うーん、とヒイロは腕組みして唸った。
「うん?」
「……この階層の相手だと、ボクが倒すより先にキキョウさんがあっという間に全滅させちゃうんだよ。ボクとタイランの出番がほとんどなくて」
「……贅沢すぎる悩みだべ」
 この階層でひーはー言っている自分達としては、そんな感想しか出ない。
「かと言って、第三層にいきなり踏み込むのもきついしね。訓練の成果がどれほどのモノか、ちょっと実感してみる為にもこの階層で慣らしてみるって訳だよ」

 それが、ヒイロの目的だった。
 元々は、シルバ達は自分達のパーティー内で二人一組で分かれ、第一層を探索するつもりだったのだ。
 しかし、ちょうど以前関わりを持った、初心者のパーティーの面々が、第一層の探索をするというので、なら手を組もうという話になった。
 基本的に迷宮探索のスタンダードは、迷宮の横幅や報酬の分担効率から考えても、六人一組が理想とされている。
 とはいえ、少数精鋭をモットーにしていたり、単純に仲間が集められなかったという理由で、人数が少ないパーティーも存在する。
 そうしたパーティーに、今回ヒイロ達はそれぞれ一人ずつ、参加していた。
 新米パーティーとしては、強力な護衛が付く事になるし、ヒイロ達にしてみても適当に腕を試しながら回復や後方支援の世話になる事が出来る。どちらにとっても損のない話なので、あっという間に臨時のパーティーは完成した。
 墜落殿はあちこちに出入り口があり、今頃は他のみんなも、合流地点目指して行動しているはずである。

「まあ、第一層はそれほど強い魔法を使うもんすたはいねえらしいし、そういう意味ではちょうどいいべな」
「そういう事」
 カカとヒイロは頷き合った。
「んだらば、もうちょっと先に進んでみるべか。合流の時間までは、まだ余裕があるでよ」
「そだね」

 再び一時間ほど歩き、ようやくヒイロの目当てのモンスター群が現れた。
 ミニ魔道と呼ばれる、フードを目深に被った小柄な魔法使いの集団だ。杖を持った彼らは全部で五匹いる。
「出ただよ、ヒイロさん!」
「うっし! じゃあ、ここはボクに任せて!」
 ヒイロはモンスター目がけて飛び出した。
「うす! サポートは任せるだ!」
 カカ達フェアリーズの五人はその場で待機する。
 ただし、いつでも飛び出せるように準備をするのは、最低限の用心だ。
「ありがと! でも魔法ダメージ減らす類のはいらないから! 回復だけよろしく!」
「い、いいだか!?」
「それが、ボクの課題!」

 言って、ヒイロは更に加速する。
 しかしそれでもミニ魔道達の呪文の方が早い。
 モンスター達は次々と火の玉を出現させると、それをヒイロ目がけて飛ばしてきた。
 ヒイロは骨剣をグルンと逆手に持つと、それを自分の前に立てて突き進む。
「おおおおおっ!!」

「す、すげえ……被弾したまま、突進してるだ」
「違うわ、リーダー。あれは全部受けきってるのよ……! 武器を盾にしてるの!」
 フェアリーズの紅一点、森妖精の魔法使いミナスが興奮に耳をピコピコ揺らす。
「マジだか、ミナス!? 全然止まらないだ!」

 ヒイロは間合いに入ると、骨剣を横殴りに振るった。
「はあっ!!」
 その一撃で、三匹のモンスターが派手に吹っ飛ばされる。
 しかし残った二匹が、新たな火の玉でヒイロを攻撃する。
「食らわないよ!」
 ヒイロは骨剣を器用に操り、腹や柄で二つの火の玉を弾いた。

「あの動きは、剣と言うより棍に近いだな……」
 カカは感心したように、そんな感想を漏らした。

「ふぅっ……」
 大きく息を吐き、残る二匹を相手取るヒイロ。
 通路の向こうから、新たなプチ魔道が三匹、出現する。

「……新手っ!」
 フェアリーズの僧侶、土妖精のハルティが杖を握りしめた。
「ここは、ヒイロさんに任せるだ。でもハルティは、念のため回復を用意しとくだよ」
「はい!」
 ちょっと見、子供のような土妖精は、険しい表情で頷いた。
 森妖精のミナスも表情を強張らせる。
「バックを取られた! 防御が間に合わないわ!」
 敵は全部で五体。
 ウチの一匹が素早くヒイロの背後に回り、火の玉の準備を始めていた。
「やばい、ヒイロさん!」

 五匹のプチ魔道が一斉に火の玉を放った。
「だいじょう……ぶっ!」
 ヒイロは大きく骨剣を振るった。
 火の玉ごと正面二匹のプチ魔道を殴り倒し、その勢いのまま後ろ蹴りを放つ。
 背後から飛んできた火の玉が、その蹴りで弾き返された。
 自分の火の玉を喰らい、プチ魔道が炎に包まれる。

「魔法蹴ったーーーーーっ!?」
 フェアリーズの全員が突っ込んだ。
「抗魔……いや、反魔コーティング!?」
 さすが魔法使いらしく、ミナスは興奮を抑えきれないまま分析する。
 抗魔コーティングという技術が存在する。
 これは魔法の効果を半減させる技術で、主に防具に使用される。
 その上位版として絶魔コーティングがあり、これは完全に魔法をシャットダウンさせてしまう。
 そして、魔法を跳ね返す技術として存在するのが、反魔コーティングだ。

「正解、反魔コーティングブーツ! 足だけだから、ちゃんと回復魔法も受け付けられるよ!」

「んだども、必要なさそうだな、こら……」
 カカの言葉に、いつでも回復魔法を出せるよう準備をしていたハルティは頷いた。
「ええ……そうみたいですね」
 その前に、敵が全滅してしまいそうだ。

「とりゃっ!」
 カモシカのような脚の重い一撃が、プチ魔道をもう一匹倒す。
 最後の一匹の魔法攻撃も器用に足で弾き、そのまま大上段から骨剣の一撃を振り下ろした。
「ていやっ!」
 石畳と一緒に、プチ魔道も叩きつぶされ、消滅した。
 黒い霧状になった残りが散り、後には七つのローブの残骸と杖が残された。

「しかし言っちゃ何だが……」
「下品な足技よね」
「……同感です」
 フェアリーズの面々は、一斉に頷いた。

「勝ったー!!」
 ヒイロは大きく両腕を上げた。

 戦闘が終わり、ヒイロの傷の具合を確認する。
「……はー、あれだけの敵を相手に、ほとんどダメージなしだか」
 カカが呆れた声を上げた。
「ま、多少は負傷したけどね。うん、このブーツもいい感じっぽい。さすが、カナリーのコーディネート」
「高かったんでねえか?」
「あはは……当分、貧乏生活」
 反魔コーティングはとても高額なのだ。

 ヒイロを加えた六人は、再び迷宮を歩き始める。
「基本は骨剣を盾にして突進と殴打、緊急回避で脚が基本になりそうかな」
 何となく自分の基本戦術を掴んだヒイロだった。
「うす。しかしここから先はオラ達に任せて欲しいだ」
「えー、まだ暴れ足りないよう」
 まだまだヒイロは元気が有り余っていた。
 しかし、カカ達にも事情があるのだ。
「ヒイロさんがいてくれて、オラ達すげえ助かるけど一つだけ、大きな問題があるだよ」「え? 何? ボク、何か悪い事してた!?」
 自分の気付かないうちに、何か失礼な事をしたのではないか。
 不安になるヒイロに、残る五人は揃って苦笑するしかなかった。
「ヒイロさんに任せてたら、オラ達、ほとんど何もしないまま合流地点に着いちゃうだよ。敵を倒した数、オラ達まだたった三匹だ。すげえ困るだよ」
 そう笑いながら、カカはグローブの紐を締め直すのだった。


メンバー強化:タイラン編

「とめてとめてとめてひああぁぁ~~~~~っ!?」
 墜落殿第一層迷宮に、地鳴りにも似た疾走音と悲鳴が木霊する。
 声の主、重装兵タイラン・ハーベスタは足を動かしていない。……にも関わらず、走っていた。
 やがて、迷宮が振動するほど派手な激突音が鳴り響いた。
 タイランは突き当たりの壁に正面衝突して、ようやく停止していた。
「……タ、タイランさん、大丈夫?」
 心配そうに追いかけてきたのは、新米パーティー『フィフス・フラワーズ』のリーダー、カトレアだった。両手剣使いの女性……といってもまだ十代後半の女の子だ。
「うう、な、何とか……すみません……まだ、慣れていなくって」
 鼻面を押さえながら、タイランはヨロヨロと振り返った。


 休息兼ミーティングを取る事となった。
 この辺りはそれほど強い敵も存在しないらしく、ブルーゼリーや雑鬼の集団を幾つか相手にしているだけで、カトレア達もそれほど消耗していない。
 同行させてもらっているタイランも、ほとんど無傷だった。
 だからこそ、様々なテストも出来るのだが……。
「無限軌道とわ……また、すごい履き物考えたわね」
 カトレアは呆れながら、自身のポニーテールをいじる。
「も、元々は、戦った相手が使っていたモノなんですけど……カナリーさんが、是非って用意してくれて……断れませんでした」
 縮こまるタイランに勢いよく身を乗り出したのは、パーティー1小柄な少女、モモだった。
「カナリー様が!?」
「こ、こら、モモっち」
 カトレアがたしなめるが、モモは聞いちゃいなかった。
「だ、だってだって、つまりそれってタイランさんの鎧には、カナリー様の手が入っているって事でしょう!? 錬金術師でも鍛冶屋でもないのに、すごいすごい! 他に何か手を入れられたりしたんですか?」
 目を輝かせるモモに、基本的に控えめな性格のタイランは怯んでしまう。
「あ、いえ……その、精霊砲も搭載しようって話もあったんですけど、諸事情で……」
「ふんふん」
 モモは、興味津々という様子だった。


 タイランの強化は主に、鎧への細工にあった。
 無限軌道を始めとした多くの装備は、精霊事件で戦った相手、モンブランシリーズから流用されている。
 精霊炉の改良も検討されていたが、クロップ老のそれは強力な反面『底なし』らしく、あまりにもタイランの消耗が激しいのだという。タイランの人工精霊としての体力がもっとないと、使いこなす事が出来ないらしい。よって、これまでよりも若干だけ大きい精霊炉の搭載で、動力改造は終了している。
 精霊砲の搭載を見送ったのは、タイランが高出力のそれを放つと、サフォイア連合国にタイラン独特の気配を感づかれる可能性があるのを懸念しての事だというのが、カナリーの話だった。


 タイランに熱心に構うモモとは別に、冷めているパーティーのメンバーもいた。
 その筆頭は戦士のディジーと、助祭のシランの二人。
「まあ、実際の所、外れよねアタシら」
「……何でキキョウ様じゃなくて、鉄の塊なのよ」
 三角座りをして、溜め息をつく二人であった。
 そういう意味では、モモにしたって残念なはずなのだが、もとよりパーティーのムードメイカー兼基本的に楽天的な性格なので、非常に前向きだ。
 タイランの相手をモモに任せて、カトレアは暗い雰囲気をまとう二人をたしなめに近付いた。
「こら、ディジーにシラン。貴方達ね、そういう所がシルバさんに外された理由だって、いい加減理解しなさいよ」
 シオシオと元気のなくなる、二人である。
 ……まあ、仕事はちゃんとこなすのは長い付き合いから知っているからしつこく言う気はないが、とにかくこの二人は気が多いのが泣き所だ。
「だってさー」
「……この際、カナリー様でもよかったのに」
 それまでタイランと話していたモモの目が、ギラーンと輝いた。タイランは、思わずびびっていた。
「あー! その発言は、カナリー・ホルスティンファンクラブ会員二桁台の、このモモに対する挑戦と見たよ二人とも!」
 カナリーの美貌と知力と財力と権力について、モモが説教を開始する。


 再びタイランの元に戻ったカトレアは、深く溜め息をついた。
「……ごめん。ホント駄目なパーティーでごめん」
「い、いえ……平気ですから。けど、全員女性のパーティーって珍しいですね」
「同じ孤児院出身なのよ。普通なら何人か、男装してるんだけどねー」
 冒険者の中には荒くれ者も多い。女性の冒険者は、そうした変装による自衛がセオリーだ。
 だが元から一つのパーティーを結成しているカトレア達には、当てはまらないらしい。
「……リーダー」
 それまで一人、見張りに徹していた女性が口を開いた。
 魔法使いのユーリだ。
 パーティーの中でも際だった美人だが、幽鬼のような沈んだ雰囲気がそれを台無しにしている。
「ん? どうしたの、ユーリ」
「……敵」
 ユーリの言葉に、全員が立ち上がった。
 一見やる気の感じられなかった、ディジーやシランにしても、真剣な表情に切り替わっている。
 なるほど、ユーリの言う通り、廊下の先には何体か、背の低い獣系のモンスターの姿が見えていた。
「じゃ、じゃあ、また同じように……」
 タイランが、一歩前に踏み出す。
「タイランさん、よろしく。でも、あんまり無茶しないでね?」
「は、はい……でも、少しだけ、コツは掴めてきましたから」
 彼女の仕事は、最前線で出来るだけ、敵の足止めをする事だ。
「……要は、最初から全開だから、まずいんですよね。低速から開始して」
 無限軌道を軌道して、徐々に加速していく。
 敵は四体、カッパーオックスと呼ばれる雄牛系のモンスターだ。この第一層では、やや強めの実力がある。
「ぶるる……!」
 カッパーオックスも、タイランに突進してきた。
 内三匹は体当たりと斧槍で防ぐ事が出来た。しかし残り一匹がタイランの脇をかい潜り、背後のパーティーに迫る。
「ぐっ……! 一匹行きますよ!」
「任せて!」
 カトレアは、両手剣を構えた。
 さすがに一匹程度、自分達で処理できなければ、格好が付かない。


 カッパーオックスの攻撃はひたすら突進のみという、単調なモノだ。
 しかし、二撃、三撃と重い突進が繰り返し続くと、さすがにタイランも緊張してきた。
「ふぅ……!」
 無限軌道で敵の攻撃を回避し、斧槍で敵を迎撃する。
 新たな一匹が横から高速で迫ってくる――のが、突然、爆発の一撃で吹き飛んだ。
「……援護」
 遠方から魔法を放ったのは、ユーリだった。その横で、モモもボウガンを構えている。
「あ、ありがとうございます。私は絶魔コーティングされてますから、気にせず撃って下さい」
「……うん」
「あいさー!」


「ってアンタ達、こっちの手伝いは!?」
 盾で防御の構えを取りながら慌てるディジーの後頭部を、カトレアははたいた。
「何言ってるのよ!? わたし達、一匹相手に三人で相手してるのよ!? こっちこそしっかりしなきゃ……!」
 いくらカッパーオックスが、ブルーゼリーなどに比べて強いと言っても、たかが知れている。本来、三人でも充分な相手なのだ。
 むしろ、それを三体、一人で相手しているタイランの援護を優先するのは当然とも言える。
「そりゃごもっともねー。助祭の私までこっちだし……にしても、丈夫な奴ねコイツっ!!」
 シランが苛立たしげに、メイスを振るった。
「ブルッ!」
 苛立ったカッパーオックスが頭を振るう。
「ひゃっ!?」
「きゃあっ!?」
 二本の角が、ディジーの盾を吹き飛ばし、シランを壁に叩き付ける。
「ディジー、シラン!?」


 それには、タイランも気がついた。
 タイラン自身は、鎧の防御力でダメージはほとんどない。カッパーオックスを引きつけていれば問題ないのだ。
「いけない! ユ、ユーリさん、こっちはいいからカトレアさん達のサポートに回って下さい……!」
「承知……でも、間に合うか自信がない……」
 二人を倒したカッパーオックスは距離を取ると、後ろ足を蹴り始めた。
 カトレアが戦慄する。
「チャージに入った……! 二人とも、早く立って!」
「そ、そんな事言われても足が……」
 苦しげな声を上げるディジー。
「じゃあ、せめてシランが大盾でって気絶してるーっ!?」
「……きゅー」
 シランは気絶していた。
「にゃあ! 装填ギリギリー!」
「……詠唱もギリギリ」
「じゃあ、わたし一人!?」
 何気に絶体絶命だった。


「み、みなさん……!」
 タイランは既に、カッパーオックスを二体、倒していた。
 何しろ突進してくるだけなので、動きを見切ってカウンターを当てれば、倒すのはそれほど難しくない。……もちろん、ある程度の修羅場を踏んだり、キキョウのような超高速で動く人間と修練を積んでいるタイランだからこそ、その域に達しているのだが。
「こっちはいいから! そりゃ助けて欲しいけど、飛び道具でもなきゃ、この距離じゃどうにもならないわ!」
 カトレアが叫ぶ。いくら無限軌道のスピードでも、さすがに間に合わない。
「なら、どうにかします……!」
 言って、タイランは自分に迫る最後のカッパーオックスを蹴っ飛ばした。
 そして右腕を構える。
「ロケットアーム!」
 タイランの腕が爆音と共に飛んだ。
「えー!?」
 仰天するカトレアをよそに、タイランの巨大な手はカッパーオックスの首根っこをしっかりと掴んでいた。
「ぶるがっ!?」
「つ、つかみました……!」
 タイランの二の腕からはワイヤーが伸び、それが分離した腕に繋がっている。
 そのワイヤーを引き戻しに掛かる。
 が。
「あうっ!?」
 背中から、残っていたカッパーオックスがタックルを仕掛けてきた。
「……みんな、タイランさんの援護」
 ボソッと呟くユーリに、カトレアは剣を構え直した。
「わ、分かってるわよ!」
 首根っこをタイランに掴まれ、ぶもぶもと慌てる敵に襲いかかる。
 ――完全に勝負が着いたのは、それから五分後の事だった。


 ゴールである合流地点まではもう少しなので、タイランは気絶しているシランを背負っていた。
「やっぱ、ウチは火力不足ねー……」
 はー、と横に並んで歩きながら、カトレアは深く息を吐いた。
「い、いえ、充分強いと思いますよ?」
 タイランのフォローに、殿のユーリがボソリと言う。
「……決定打が足りない」
「だよねー。あ、シーちゃん気がついたよ?」
「ん……?」
 シランが、ゆっくりと目を開けた。
「え……!? あ……っ」
 自分がどういう状況にあるか把握し、少し慌てる。
「し、しばらくは、安静にしていて下さいね……? まだ、先は長いですから……特に回復役は、体力と魔力を温存しておかないと……」
「え、ええ……」
 タイランが背負っているシランに声を掛けると、何故か彼女は頬を赤らめた。
 鋭く見咎めたのは、ディジーだ。
「ちょ、ちょっとちょっと、シラン、何赤くなってるのよ」
「……いや、鉄の塊も悪くないかも」
 おそろしく広い背中に身体を預けながら、シランが呟く。
「こ、この浮気者! 貴方はカナリー様への愛を貫きなさいよ!?」
「ちょっと待って……『貴方は』? そういうアンタはどうなのよ?」
 微妙に眉をひそめながら、シランはディジーを見下ろした。
 何故かディジーは耳まで真っ赤にしながら、そっぽを向いた。
「そ、そんなの、どうだっていいじゃない! ただ、ちょっと頼りになるなって所を評価してるだけだし」
 はーっ、とカトレアはこれでもう、何度目になるか分からない溜め息をついた。
「……タイランさん、もうホントねわたし、ごめんなさいって言うしかないの。これさえなけりゃ、いい子達なのに……」
「……ごめんなさい」
「めんごー」
「……お、お気になさらずに」
 謝る三人に、控えめに言うタイランだった。


メンバー強化:カナリー編

 墜落殿第一層の中でもそこは、特に強いモンスターが多いフロアだった。
 だがしかし、そんな事は一向に構わず突き進むパーティーがあった。
 新参パーティー『アンクル・ファーム』は戦士二名、助祭、魔法使い、盗賊各一の五人で成立している。本来はもう一人戦士がいたのだが、家庭の事情で抜けてしまった。
 よって、現在は五人。
 それに加わった一人を加えて、六人。しかもその最後の一人には従者が二人いた為、八人の大所帯となっていた。

 最前線ではリーダーのカルビン・オラガソンとエースであるアポロが、モンスターの群れと死闘を繰り広げ、助祭と、この場には不釣り合いな赤と青のドレスを着た美女二人がそのサポートに回っている。
 カルビンがカッパーオックスを、力任せにハンマーで殴り倒す。
 アポロの豪剣がリザードファイターのロングソードと火花を散らす。
 さらに残っているモンスターを助祭のキーノ・コノヤマがメイスで相手取り、時折リーダーとエースに回復の法術を与えている。
 赤の従者ヴァーミィの蹴りと青の従者セルシアの手刀が、次々と現れる妖蟲を払い飛ばした。
 体力をまるで無視した特攻のような戦闘だ。
 更に後方からは絶えず光の矢と紫電と石礫が飛び、モンスター達の体力を削っていく。 助祭の祝福は淡い光と共に、最前線の戦士達を癒す。
「進め進め!」
「突き進め!」
 前衛の二人とも浅い傷は数知れず、それでも高いテンションを維持したまま前に進み続ける。

「……最初は三体目を作ろうと思ったんだけどねぇ」
 後方から雷を飛ばしながら、眠たそうに金髪紅眼の美貌を持つ青年貴族、カナリーはぼやいた。
 外の時刻は昼間であり、日が差さない迷宮といえども、吸血鬼である彼はまだあまり本調子ではない。 青天の下でないだけまだマシだが、テンションが低いのはしょうがないといった所だ。
 ちなみに三体目、というのは彼の従者の話である。
「それは……手が付けられなくなりますね」
 並んで魔法を飛ばしていた半森妖精の魔法使い、タキナ・コノサトが困った笑顔で相槌を打った。
 アクビを噛み殺しつつ、カナリーは指を鳴らした。
 新たな紫電が、カッパー・オックスを一撃で丸焦げにする。
「僕が楽出来るのはいいんだけどねー……こういう場所だと数が多いと、かえって邪魔だし。通路の幅から考えても、パーティーの理想は大体前衛三人、後衛三人の六人がセオリーだ……ま、頑張って八人になってる訳だけど」
「す、すごく強いですよね、ヴァーミィさんとセルシアさん」
 正直美人従者の二人の力は、タキナの目には『アンクル・ファーム』の前衛より強く見える。
「そりゃ、僕の従者だからね……当然さ」
 さして得意という様子もなく、カナリーは頷いた。
 そんな風に二人で話していると、メイスを手に持ち鎖帷子を着込んだ少年助祭が生傷だらけで前線から戻ってきた。
「っておいおいおい、タキナ! 雑談してないで、手伝えよ!?」
「何言ってるのよ!? ちゃんとやってるじゃない!?」
 助祭、キーノ・コノヤマのキツイ物言いに、タキナも張り合う。
 にらみ合う二人の間に、カナリーは割って入った。
「……まーまー、二人とも喧嘩しちゃ駄目だ。……いや、いいのか? 君達はあれだな。仲がいいほど喧嘩するという奴か。はたまた、犬も食わない何とやらか」
 カナリーが頬に指を当て首を傾げると、二人は真っ赤になった。
「な……」
「こ、この状況で、何を言ってるんだ、アンタも!?」
「ああ、そうだね。まずは、彼らをやっつけてしまおう。タキナ君は次、今使える一番強烈な魔法用意」
「え……で、でも」
 これ以上魔法を使うと、使える魔力が尽きてしまう。
 そう言おうとするタキナの唇を、カナリーの細い人差し指が制した。
「問題ない。キーノ君も同様さ。最初に言ったろう。今回はかなり無茶をしていいって。魔力の回復は全部、僕に任せてくれて構わないんだから」
「い、言った責任は取れよ?」
「……任せたまえ。君んところのリーダーとエースなんて、もう完全に開き直ってるじゃないか。今更、君だけ踊らないのはもったいないよ?」
 言って、カナリーは正面を指差した。


「アポロ次くるぞ、いけ!」
「ういっす!!」
 どごーん、と鈍い音がして、リザードファイターが二体、吹き飛んでいた。
 もう、最前線はノリノリだった。
 キーノも急いで前線に駆け戻った。
「お、俺もやります!」
「おう、キーノしっかり働け!」
 一方タキナの呪文も完成し、高威力の魔法の矢で妖蟲をバラバラに弾き飛ばしていた。
 それを至近距離で見ていた、アポロが快活に笑う。
「おー、タキナも頑張るなー! やるじゃん」


 ガクッとタキナがその場に跪いた。魔力切れだ。
「はぁ……はぁ……カ、カナリーさん、撃ちました……でも、もう……!」
「はいはい。それじゃ魔力供給いくよ」
 カナリーの指先が、タキナの首筋に当てられる。
「ふぁっ……!?」
 タキナは思わず声を上げていた。熱いエネルギーの様なモノが、カナリーの触れた部分からものすごい勢いで流れ込んできていた。
 気がつくと、根こそぎなくなっていた魔力が回復していた。
「僕の生命力を魔力に転化して分け与えた。まだまだ、いけるね」
「は、はい……でも、カナリーさんは大丈夫なんですか? ……生命力って」
「……もちろん、無尽蔵じゃない。だから、供給してる」
 カナリーは、前線で踊るように戦い続けている、自分の従者を指差した。
「彼女達がモンスターを倒す際、その生命力を吸収している……そして、その生命力は、僕に送られてきているという訳さ……」
 平然とそんな事を言い、カナリーはそれまでカチンコチンに固まってスリングを振るい続けていた盗賊の方を向いた。
「君は、大丈夫そうだね、メルティちゃん」
「は、はははは、はい! ぜ、全然平気です!」
 カナリーの声を掛けられ、少女は思いっきりかしこまった。
「そう、いい子だ。それじゃ僕もちょっと、前に行って来るよ」
「お、お気を付けて!」
 おっとりとした足取りで、カナリーは壮絶な戦場に向かった。


 さすがに疲弊してきた戦士、アポロの背中にカナリーは手を当て、自身の生命力を送った。
「お、おおおっ!? み、漲ってきたぁ!」
「……なら、まだ、行けるね? よろしくー……」
 さっさと、カナリーは後方に引き下がる。
 魔法使いである自分がここにいては、足手まといになるだけだ。
「リーダー、もういっちょ行こうぜ!」
「お、おお!」
 一方、リーダーのカルビンは、司祭のキーノから祝福を受けて、回復していた。
 ただし、キーノは今の回復で、力を使い果たしてしまっていたようだ。
「はぁ……はぁ……」
 メイスを杖代わりにして、その場にへたり込みそうなキーノに、カナリーは声を掛けた。
「大丈夫かい、キーノ君」
「だ、大丈夫じゃねえ……戦って……回復して……マジきついっつーの……」
「……それじゃ、両方とも回復しようかな?」
 カナリーは白い自分の手を、傷だらけになっているキーノの手の甲に置いた。
「うあっ……あ……あぁ……は、あぁ?」
 手の甲から強烈なエネルギーを送り込まれ、キーノの体力と魔力が全快する。傷も、完全に治っていた。
「元気、出たかい?」
「あ、ああ……」
「……教会の人間が、こういう術の世話になるのは業腹だろうけど、我慢してくれたまえ。さ、続きだ。もう一回修羅場に突っ込んで、張り切って敵を全滅させてこようか、そら」
 パンパン、とカナリーは軽く手を叩いた。
「ったく、分かったよ!」
 メイスを握りしめ、再びキーノは前線に突入していく。
「ふわぁ……んん……さて、タキナ君。また、魔力が減ってきているんじゃないかな……?」
 大きなアクビをしながら、カナリーは後衛に戻った。


 修羅場が終わり、一旦休憩となった。
 キャンプの背後の通路には、無数のモンスターが倒れている。
「色々考えたんだけどねぇ……さっきも話した三体目とか……」
 尊敬の眼差しで見る盗賊少女、メルティを相手にカナリーは話をしていた。
 手にはワイングラス、中身はトマトジュースだ。
 瓶はヴァーミィが抱えており、他のメンバーにはセルシアがジュースを注いでいた。
「……移動系の魔法の習得っていうのも面白そうだったんだけど……うん、そっちはシルバに任せた」
 足を組みながら、カナリーは独り言のように言う。
 一方、セルシアからジュースを注がれ、メルティはひたすらに恐縮していた。
「ウチのパーティーには、シルバの回復が使えないのが二人いてね……つまり、僕とタイランな訳だけど……」
 ピン、とグラスを指先で弾く。
「……薬で何とか出来るけど、手数は多い方がいい。何より攻撃イコール回復というのは、実に楽でね……」
 面倒くさがりな自分にはピッタリなのさ、とカナリーは言った。
「この階層のモンスター程度なら、どれだけやられても、君達が負ける事はないから、安心したまえ。強いて言えば、キーノ君の抵抗感が難と言えば難だが……まあ、職業柄しょうがないねぇ?」
「ま、まあな」
 カナリーに苦笑され、キーノはそっぽを向いた。
 それを鋭く見咎めたのは、魔法使いのタキナだった。
「ちょ、ちょっとキーノ、どうして顔赤らめてるのよ!?」
「う、うっせえな!? 関係ないだろ!?」
「えぇ、ないわよ! アンタが誰にデレデレしようと、あたしには関係ないわよ! 相手が男の人でもね!」
「な……! お、お前だって、何かモジモジしてたじゃねーか」
 なし崩し的に口喧嘩を始めた二人を眺め、カナリーは眠たげな目をリーダーであるカルビンに向けた。
「……一応聞くけど、このパーティーは、大丈夫なのかい? 主に内部分裂の可能性的な意味で」
「ま、まあ、あの二人はいつもの事だ」
 曖昧に頷くカルビンに、アポロとメルティが補足する。
「今回は、何故かいつもより激しいけどな」
「あ、あの二人は幼馴染みなんですよ」
 ふむ、とカナリーは唸った。
「……何ともまあベタな。まあ、みんなが言うなら心配はいらないか。さて、体力回復が必要な人はいるかい? キーノ君はあれで仕事してるみたいだから、大丈夫だと思うけど」
 ワイングラスを傾けながら、カナリーは微笑んだ。
「……出来れば、合流地点には一着で辿り着きたいモノだね」


メンバー強化:キキョウ編

 墜落殿第一層某所。
 通路を抜けた先にあった広間は、モンスターの巣と化していた。
 無数のブルーゼリーが床の上で身体を震わせ、雑鬼や妖蟲がひしめいている。
 勢いよく広間の扉が開いたかと思うと、紫色の影が飛び込んできた。
 影が駆け抜け、大ミミズの身体がスパッと二分される。周囲のモンスターも数体、同じ切れ味を残して床に伏せた。
 モンスターを斬り捨てた人影は、部屋の中央で停止する。モンスター達は突然の闖入者の正体を見極めようと、周囲を取り囲んだ。
「ふむ、数は五十といった所か……」
 人影――狐耳と尻尾を持つ剣士、キキョウはのんびりと呟いた。
 キキョウの存在にようやく気付いたモンスター達が、咆哮を上げて円を狭めて襲いかかる。
「{詠静流/えいせいりゅう}――」
 刀を納めて、キキョウは一歩を踏み出した。
「――『{朧/おぼろ}』」
 次の瞬間、モンスター達は、キキョウの姿を見失っていた。
 瞬間移動、ではない。
 高速の歩法でモンスター達の間を潜り抜け、包囲を脱したのだ。
 キキョウの手が、自身の刀の柄に掛かる。
「『月光』」
 直後、キキョウの手元が一閃し、手近にいたモンスターが五体、まとめて斬り伏せられた。
 しかし敵の数は圧倒的であり、上下左右から新たなモンスターが殺到つつある。
 モンスター達の攻撃の有効範囲に、キキョウの身体が迫る――
「『孤月』」
 ――金属質な音が鳴り響き、キキョウを中心とした二メルトの円内にいたモンスターは、身体を二分して床に倒れる事になった。
 その場で跳躍、頂点に達すると尻尾を振って、キキョウは空中をもう一度蹴った。
 人では到達できない高みに到ったキキョウは、天井を這い回っていた妖蟲を両断する。

 その様子を、新米パーティー『プラス・ロウ』の面々が、蹴破られた扉の影から伺っていた。
「……すげえ。キキョウ無双だぜい」
 錬金術師兼盗賊であるボンドが、広間を駆け回るキキョウの高速移動と斬撃に、半ば呆れた声を上げる。
「感心している場合ではありません。私達も戦いますよ」
『プラス・ロウ』のリーダーである女聖騎士、ルルー・フーキンは既に臨戦態勢に入っていた。前衛である斧使いの戦士と魔法剣士も同様だ。
「あー、はいはい。チシャ、リーダーの支援頼むぜい。あの人、すぐ突進しちゃうから」
「は、はい」
 ボンドの言葉に、助祭であるチシャは頷く。
 かつて一度、彼女の猪突猛進ぶりを突かれ、初心者訓練場で手痛い目に遭った事もあるのだ。
「ま、さすがにそうそう、やられはしないと思うけどなー」
 ボンドが呟いた時には、既にルルーら前衛は広間に飛び込んでいた。
 最前衛に、男の戦士二人を従え、ルルーは自身の剣を掲げた。
「フーキン家代々に伝わる聖なる剣の力、思い知りなさい!」
 刀身が光り輝き、聖光を浴びた周囲のモンスター達を灼いていく。

「ほう……{烈光/ホライト}の効果とはな」
 あらかじめ、チシャからルルーの剣について聞いていたキキョウは、盾にしたモンスターの影からその様子を伺っていた。
 光が収まると、再び移動を開始して、敵をまた三体ほど斬っていく。

 ルルー達の周囲のモンスターが全滅し、ポッカリと空白地帯が出来ていた。
「で、ですけど、油断は禁物ですよ、ルルーさん!」
 遅れて広間に飛び込んだチシャが、前衛に向かって叫ぶ。
「もちろんです。かつての轍は、二度と踏みません」
 正面から襲ってきた雑鬼を、ルルーは聖剣で叩き切った。
 直後、横から軽い衝撃を感じ、彼女は驚いた。
「!?」
 見ると、忍び寄っていたブルーゼリーがしゅうしゅうと音を立てながら溶けようとしている所だった。
「……そう言いながら正面しか見ないのは悪い癖だぜい、リーダー」
 モンスターに爆薬を投げつけた姿勢のまま、ボンドは苦笑した。


 十分後、広間のモンスターは一掃され、彼らは休憩を取る事にした。
「それにしても、敵が多いですね」
 腰を下ろし、回復薬を飲みながら、ルルーは自慢の金髪を掻き上げた。
「そ、そりゃあ、そうですよ。この辺りは、そういう事で有名ですから」
 チシャの言葉に、彼女は首を傾げた。
「聞いてませんよ?」
「言ってましたよ?」
「……言ってたぜい?」
 ルルーが見渡すと、全員が頷いた。
 この辺りは、モンスター自体の強さはさほどではないが、数だけはやたらに多い。
 この広間にしても実は迂回が可能なのだが、それでは訓練にならないという事で、突入したのだ。
「ルルーは、もう少し、落ち着くべきではないかと思う」
「キ、キキョウ様まで……」
 ガクリ、と落ち込むルルーだった。
「……いや、そりゃ普通言うぜい」
 基本的にいい奴なんだけどなー。話を聞かないのととにかく突っ込む癖は直した方がいいよなーと思う、ボンドであった。そのまま、爆薬の精製に取りかかる。
 一方チシャは、刀の手入れをしているキキョウに話を向けていた。
「そ、それにしてもすごいですね、キキョウさん。前に見た時よりずっと速くなっています」
「うむ。ヒイロが攻撃力を強化しているようなので、某は手数を増やす事にしたのだ。下の層ではいちいち、一体ずつを相手取れる訳ではないしな。ダメージの蓄積も重要だ」

「……ダメージの蓄積も何も、一撃で皆、倒してたぜい?」
 というか、一回の振り抜きで複数のモンスターが倒れていた。
 しかし、キキョウは首を振った。
「この階層の相手では弱すぎる。ゴーレムだの重装兵だの、あの辺りになるとまだまだ某の剣の及ばぬ所だ」
「キキョウさんでもですか!?」
 うむ、とキキョウは頷いた。
「倒せない訳ではないが、まだ時間が掛かるな。最終的には、一撃で倒せるようになるのが理想だが、まだまだ詠静流を極める道は遠く険しい」
「ご立派です、キキョウ様」
 ルルーが尊敬の目を向ける。自分を律する類の人間が好きな、彼女であった。
「何の。もっと精進せねば、シルバ殿の助けにはならぬ」
 刀身の汚れを拭い納得いったキキョウは、刀を鞘に納めた。
「幻術を鍛えるという方向性もあるのだがなぁ……某は不器用故、二つの事を同時にするような器用な真似は出来ぬのだ。せいぜいが、跳躍を二段に増やした程度だ」
 元々は以前、シルバの支援で成立させてもらった、変速多段ジャンプが元になっている。
「……あの、それでも、充分すごいと思うんですけど」
「……うす、普通の人間には出来ないぜい?」
「まあ、この辺は妖狐である某の強みであるな」
 特に得意という風もなく、キキョウは言う。
「……本来なら、天を駆ける事すら容易いのだが、その高みにはまだ到れぬ」
 ボソッと呟くその言葉は、本人以外には届かなかった。
「今、どの辺にいるんでしょうね、シルバ様」
 誰にともなく言ったチシャの台詞に、キキョウは首を振った。
「分からぬ。精神共有で繋がっているとはいえ、今回はある種の競争となっている。互いの位置は、伏せられているのでな……」
「心配ですか?」
「む、むぅ……」
 キキョウの耳が元気なく垂れ下がる。
「大丈夫ですよ。シルバ様ですから」
「そ、そうなのだがな」
 シルバが心配と言うより、シルバがいないのが不安なキキョウだったりする。
「でも、早く合流したいですね」
「う、うむ。うむ」
 それは間違いないので、キキョウは何度も頷いた。
 一方、もう一人張り切っている人物もいた。
「確かに、一番最後だったなどという恥辱だけは、避けねばなりませんね」
 勢いよく立ち上がるルルーだった。
「某はもうゆけるが」
「私もです。他の皆は?」
「だ、大丈夫です」
「問題ないぜい」
 全員が立ち上がり、チシャは地図を確認した。
「ルートはどうします? 迂回ルートと直進ルートがありますけど」
 直進ルートの方が敵の数は多い造りになっている。
「無論、決まっている」
「ですね」
 キキョウの言葉に、ルルーも頷く。
『プラス・ロウ』の面々とキキョウは、最短のルートで他パーティーとの合流地点を目指すのだった。


メンバー強化:リフ編

 ブルーゼリーは起き上がり、仲間になりたそうに、こちらを見ている!

 モンスターの様子に、リフは申し訳なさそうに耳を伏せた。
「にぃ……困る。リフのパーティー、もういっぱい」
 そんなリフの帽子を、大きな手がワシワシと撫でた。
「あっはっはー、リフ君モテモテやなぁ」
「人徳やねぇ」
 新米パーティー『ツーカ雑貨商隊』のリーダー夫婦、ゲン・ツーカとクローネ・ツーカだ。
「……でも、困る。連れていけない」
 期待するようにぷるぷる震えられても、リフは困るのだ。
 二十代後半、いかにも働き盛りといった風情のゲンは、自分の顎髭を撫でた。
「あー、ほんならしゃーないやろ。またゴメンなさい言うて、お引き取り願うしかないわ」
 おっとりした風な妻であるクローネも同意する。ゲンと同じ歳だとリフは聞いていたが、四、五歳年若く見える美人の奥さんだ。
「もしもの時に頼る事あるかもしれへんけどー、ちゅーてコネ作っとくのもありやねぇ」
「にぃ……リフ、人間とお話するために、このパーティー入ったのに」
 ちょっと予想外の事態だった。

 この辺りは、墜落殿第一層の中でも第二層への入り口が近い事もあり、最もメジャーな区画と言ってもいい。
 出現するモンスターも弱いモノが多く、商人家族で構成された異色のパーティーでもさほど苦なく進めていた。
 リフの課題は基本的な盗賊スキルの向上だ。
「まだ先の話だけど、深い場所になると魔法が使えないフロアとかがあるっていう話も聞いてる。だから、一応な」
 とシルバは言う。
 罠の解除の多くは豆の蔓に頼っているリフとしては、それが使えないとなると少々困る。憶えておいて損はないし、今回の探索ではリフは豆の蔓を一切使っていない。
 扉も宝箱も、現在の所解除に失敗はない。
 それに、盗賊ギルドにリフ一人で行けるようになる為、という目標もある。やや人見知りするリフに、このパーティーの家族は最初から親しく(馴れ馴れしいとも言う)、強引ながらも次第に打ち解けつつある。
 それはいい。
 それはいいのだが、戦ったモンスターのことごとくが、自分の仲間になりたがるのには、リフもほとほと弱っていた。
 まだ幼いとはいえ霊獣としての格が、力を認めた低級モンスターを惹き付けているのだろうね、とこの場にカナリーがいれば分析していただろう。

「はっはー。構へん構へん。人間以外の繋がりもあって損あれへんて。むしろ、人間にしてみたらそっちの方がお宝やで」
「に?」
 ゲンの言葉に、リフは首を傾げた。
 言葉の足りない夫を、妻のクローネが補足する。
「せやねえ。こんだけモンスターと仲良う出来る子も珍しいで? その力、大事にせな」
「つーかアレやな。いざとなったら盗賊やめてビーストマスターでもやってけるで、リフ君」
「……に? びーすと……?」
「ビーストマスターちゅーのはな、モンスター使役する職業の事や」
「……ゆーろの、お仲間?」
 リフは前衛の長男ウォンが手を引く、自分と同じ歳ぐらいの少年の背を見た。魔法使いのローブと杖を持ち、ヨタヨタと歩いている。
 ユーロウ・ツーカ。若干八歳の召喚師である。このパーティーの影のエースだ。
「あー、ウチのユー坊はちょっとちゃう。召喚師ちゅーのはモンスターと契約して、必要な時に出てもらうんよ。うまい事言えんけど、微妙にちゃう」
 パタパタとゲンは手を振った。
「それもあの子の場合は、戦闘用ちゅうより主に道具管理用やからねぇ」
「せやせや」
 すると、前衛に立っていた二人が振り返った。
「おとんおかんー、その言い方やとまるでゆー坊が戦闘ん時役立たへんみたいやでー」
「せやなぁ。ウチの主力やねんから、怒らせるとあかんのとちゃうかー?」
 双子の姉弟、レアルとウォンだ。おっとりとした次男、ユーロウも振り返ったがこちらはよく意味が分かっていないっぽい。
「うぉっ、そ、そんなつもりで言うたんちゃうで!? ゆー坊、勘違いしたらあかんで」
「……にぃ、父親のいげん」
 呟くリフの帽子を、今度はクローネが撫でた。
「ウチはあれでえーんよ、リフ君。いざっちゅー時頼りになれば」
「そのいざって時が、あんまあれへんけどなー」
「あかんて、ウォン。あんまりホンマの事言うたら、また落ち込むで」
「もう手遅れやっちゅーねん! お前らようそんだけ好き勝手言うな!?」
 息子と娘に言われ、ゲンは涙目だ。
「……言うても、ホンマの事やし」
「なあ?」
「……父親のいげん」
「大丈夫や」
 母親、クローネの笑みは崩れない。


 広間に入った所で、一行は部屋の隅に店を開いた。
 さすがに第二層の入り口が近いだけあって、そこそこ人通りがある。
 パーティー『守護神』のメンバーは、それぞれで合流地点に向けて競争しているが、決して強制という訳ではない。
『ツーカ雑貨商隊』の商隊という性格もあるし、リフも自分の人見知りを少しでも緩和する為にいるという自覚があるので異存はない。
 もっとも、その辺も配慮した上で、このパーティーの通過ルートは他パーティーよりもかなり短かいように設定されていたりするのだが。
「い、いらっしゃい……ませ」
 双子と次男が店の設営をしている中、リフはツーカ夫妻と挨拶の練習を行っていた。
「んー、やっぱりもうちょっと愛想欲しいなぁ」
「にぃ……ごめん」
 苦笑するゲンに、リフは生真面目に落ち込んだ。
「ええんよ、リフ君。ウチの子より美男子なんやし、おとんは僻んどるだけやから」
「な……!? お、おかん、オレは思た事をそのままやな――」
 ゲンが怯む。
 さりげなく、長男も罵倒していたクローネであったが、幸いな事に彼は弟が召喚したモンスターの持つテントを組み立てたり、アイテムを陳列するので忙しかった。
「クローネ、ここはワイが一番最初に提案した、リフ君女装化計画をやっぱり実行に移すべきやと思うねん」
「それ以上言うたら、股間のモンこの棍棒で破壊するで?」
 笑顔のまま、クローネは手に持つ棍棒を掲げた。
 商人であり司祭である母親の膂力は、前衛ほどではないが割とハンパない。
「うう……ウチのおかんは美人やけど超おっかない……」
 一方ゲンは盗賊も兼ねる為、手先は器用なのだがその分腕力では、次男に次いで弱かったりする。
「それ承知で結婚したんやから、今更ゴチャゴチャ言うたらあかんよ、おとん。まあ、美人言うた点で、お仕置きはなしにしとくけど」
「に……おとん、ふぁいと」
 リフは、ゲンの背中をポンポンと叩いた。
「……うう、すまんのう。ウチん中やと、ワイが一番弱いねん」
 などと話していると、臨時の雑貨屋に誰かが近付いてきた。
 設営はほぼ完了しており、小さいながらもカウンター付きの立派な店が出来上がっていた。双子とユーロウは、店の裏で必要なアイテムを用意する荷物番となっている。
「すっみませーん☆」
 可愛らしい女の子の声に、金庫番のクローネはパンパンと手を叩いた。
「ほら、おとんお客やで。リフ君もお仕事お仕事。表に回って」
「へいへい。らっしゃい!」
「に」
 カウンターにゲンとリフは立った。
「買い取り、お願い出来ますかぁ?」
 声に違わぬ、ツインテールの可愛らしい少女冒険者だ。職業は……商人だろうか。後ろに背の高い青年を二人従えていた。
「あいよ。何引き取りやしょ」
「第三層で手に入れた剣と防具です。ロン君、お願い」
「ああ」
 彼女の後ろに控えていた短い黒髪の青年が、荷物を下ろした。鍛えられた肉体と黒を基調とした軽装から判断すると、戦士兼盗賊だろうか。
 第三層と言えば、リフ達も目指す深い層だ。たった三人ながら、彼らはかなりの手練れらしい。
「ほな精算するから、ちょっと待ってやー」
 ゲンは荷物を受け取ると、数を改めてから奥に引っ込んだ。
 そうなると、残りはリフ一人だ。奥に引っ込む前に、ゲンはリフにグッと親指を立てた。
 ……リフ一人で、応対しろという事らしい。
「それと、糸巻き車を三つと、あと聖水ありますかー?」
「い、いらっしゃい……ませ」
 緊張しながら言うと、女の子は顔をほころばせた。
「わぁ、可愛い店員さん。二人もそう思わない?」
「いいえ、貴方の美しさには敵いませんよ、ノワさん」
 豪奢なマントを羽織った、金髪紅眼の眼鏡青年が柔和な笑みを浮かべる。
 リフには彼が、吸血鬼である事が分かった。
 一方ロンと呼ばれていた黒髪の青年も頷いていた。
 こちらも人間ではない、とリフは直感で感じた。見かけは人間だけど、ちょっと違う。
「ああ、まったくクロスに同感だ。すまないな、店員さん。君は確かに愛らしいが、俺達のリーダーは君を一枚上回る」
「ありがとう、二人とも。でもロン君、一枚なんだ」
 女の子が拗ねるように言うと、黒髪の青年は表情を変えず、
「軽い冗句です。本当は千枚ほど」
 そんな事を言った。
「ありがとー、ロン君♪」
「……にぃ、リフ、おとこのこ」
 糸巻き車と聖水を用意しながら、一応そこは律儀に修正しておくリフだった。
「え!? やだ、ごめんなさい。ノワ、勘違いしちゃった☆」
 少女、ノワは小さく舌を出し、コツンと自分の頭を小突いた。
 それからふと、考え込んだ。
「リフ、君……?」
「に……?」
「……んー……どっかで聞いたような名前のような気がするんだけど……どっかで会ったこと、あったっけ?」
「……にぃ、リフはしらない」
 ノワの顔に、覚えのないリフだった。
 ちょうどその時、ゲンが裏から戻ってきた。
「はいよ、おまちどうさん。お嬢ちゃんもどうやら同業者みたいやけど、証明書はあるかい?」
「はーい、ちゃんと割引してね、お兄さん」
 ノワは懐から商人ギルドの証明書を取り出した。
「お、お兄さんかぁ。そう呼ばれるんも久しぶりやなぁ。おし本来は三割の所を、サービスで四割な! まいど!」
 買い取り額から糸巻き車三つと聖水の分を引いたお金を、ゲンはリフに手渡した。
「わぁ、ありがとう、お兄さん! また寄らせてもらうね?」
「あいよまいどぉ」
「もー、駄目だよクロス君。今度からちゃんと糸引き車は補充しとく事。帰るの大変なんだから」
「……申し訳ございません、ノワさん」
「ロン君、荷物持つのお願いね」
「ああ」
 話の内容から判断すると、もう一度、第三階層に潜るらしい。
 そんなやり取りをする三人組をゲンと一緒に見送っていると、後ろから妙に笑顔の怖いクローネが現れた。
 そのクローネは、ポンとゲンの肩を叩いた。
「……おとん、一割引いた分はおとんのお小遣いから引くかんね?」
「うはぁっ!? か、勘弁してえな」
「あきません」
 やはり笑顔のままのクローネだった。
「にぃ……変なパーティー」
 リフは少しだけ、気になった。
 シルバの話だと、大抵のパーティーは同じ種族で固まることが多く、自分達みたいな多種族パーティーというのは珍しいらしい。
 三人とも、違う種族というのはやはり珍しいと思うリフだった。


 そこそこ客も入り、パーティーは二時間ほどで店を畳んで、再び合流地点に向かって進み始めた。
 今回の出店は思ったよりも儲かった『ツーカ雑貨商隊』だ。
「そろそろ人にも慣れてきたかー、リフ君」
「にぃ……よく分からない……」
 ゲンの質問に、リフは少々自信がない。
 すると、前を歩いていた双子の姉、レアルが振り返った。
「ま、最初の頃よりは大分マシやと思うね、ウチは。この調子で、盗賊ギルドの方でも友達増やし?」
「に……お兄のためにも、がんばる」
「……あと、リフ君」
「に?」
 レアルは後ろ歩きをしたまま、背後を指差した。
「モンスターと仲良うなるんはええけど、ほどほどにな。いや、店片付けんのとか手伝ってもろて、すごい助かったけど」
「すごい数やねぇ」
 クローネもニコニコ笑顔のまま、頬に手を当てる。
 男衆は表情を強張らせていた。
『ツーカ雑貨商隊』の後ろには、何十匹ものモンスター達が、付き従っていた。
 襲ってくる気がないのは、雰囲気で分かる。
 が。
「にぃ……ついてきちゃダメ」
 リフはやっぱり困った顔で、耳を伏せるのだった。


メンバー強化:シルバ編

「困った」
 墜落殿第一層某所。
 新米パーティー『ハーフ・フーリガン』に同行していた司祭、シルバ・ロックールは唸っていた。
「……する事がない」
 彼の正面では、ブルーゼリーを相手に前衛三人がてんやわんやの大騒ぎだった。
 モヒカンのリーダー、ぺペロのロングソードが『また』外れた。
 ぺペロは焦った表情で、額の汗を拭う。
「し、ししょー、当たらねー! 敵マジで厳しいぜ!」
 ぺペロだけではない。他の二人の攻撃も、やたらと空ぶっていた。
 シルバから見れば、彼らの腰が引けているのが原因なのは明らかだ。
「みんな、ちゃんと敵の動きをよく見ろよ。落ち着いて戦えば、ちゃんと当たるから」
「お、おう!」
 前衛達は、へっぴり腰でブルーゼリーに相対する。
「真っ当に戦う分には、まずダメージは受けないから、とにかく当てることだけ考えろ」
「ら、らじゃ!」
 おっかなびっくりといった調子で、彼らは再びぷるぷる震えるゼリーを突っつき始めた。
 今のぺペロ達は、シルバが施した祝福『鉄壁』の効果で、仮に攻撃を食らったとしても軽いパンチ程度のダメージしか食らわないはずだ。
 だから、本来はもっと大胆に攻めてもいい。
 ……だけど、無鉄砲に突っ込むよりはいいか、とシルバは納得する事にした。そういうのはもうちょっと、モンスターに慣れてからの話だ。


「しっかしまあ、すごいモンすねー、{鉄壁/ウオウル}って。前衛の連中、全然敵の攻撃食らってないじゃないすか」
 髪を尖らせたサングラスの魔法使い、ボンゴレがシルバの隣で感心したような声を上げる。
 同じく後衛の盗賊ネーロは鞭で前衛を援護しているが、魔力を使用するボンゴレやシルバは毎回湯水のように魔法を使える訳ではない。
 現在は様子を見ながらの待機状態にあった。
「うん、まあそれがあの術の効果だからな。第一層の敵レベルなら、まー、よほどの事がない限り、直接攻撃は食らわないはず」
 言って、シルバは軽く落ち込んだ。
「そして、俺は他の補助や回復すら必要がないという……」
「ゆ、有能な証拠じゃないッスか!」
 一応、シルバの課題は地力の強化であり、特に{鉄壁/ウオウル}の強さを高めた意義は充分にあったのは間違いないと、自分でも思う。
 新米パーティーの中で、最も弱いと言われているこのパーティーに参加したのも、その為だ。
 ……ただ、考えてみれば鉄壁の強度を確かめるのは敵も、ある程度の強さがないと駄目なのだ。壁の厚さは、全力で叩かないと分からない。
 もう一つ強化した回復系にしても、ダメージを受けなければどれだけ回復出来るのか確認のしようがない。
「いや、褒めてくれるのは嬉しいんだけど、こー、もうちょっと危機感がないと……俺の仕事はほら、みんなを死なさない事な訳で」
「完全に安全な状況だと、存在意義が薄い、と」
 ボンゴレの言葉に、シルバはうん、と頷いた。
「いや、油断はしないつもりだけどな。{鉄壁/ウオウル}にしたって、魔法攻撃には通じないし……」
 ところがどっこい、敵はブルーゼリーである。
 単純な物理攻撃しかしてこない。
「かといって、この辺りじゃ毒みたいな状態異常持った敵もほとんどいなくてなぁ……」
 シルバのパーティーは目下、他の新米パーティーに組み込まれて行動している。
 彼らのルートを優先した結果、もっともぬるいルートだけが残ってしまったのだ。他にも幾つかルートはあったのだが、それらは設定している合流地点には少々遠すぎる。
 そうした所にこそ、ポイズンフロッグなどの毒を持った敵がいたのだが。
「ちょ、そんな所に送り込まれたら、俺達死ぬッスよ!?」
 ボンゴレが、焦った声を上げた。
「死なないよ」
 シルバが断言する。
「俺達、グループん中で一番弱いッスよ!? 無理ですって!?」
「だから、死なないって」
「何でそう言い切れるんすか」
「俺が死なせないからだよ」
「……時々、ものすごい自信発揮するッスね、せんせー」
 前衛は少し慣れてきたのか、次第にブルーゼリーを押し始めていた。
 時々殴られ返されているが、ちゃんと鉄壁が効いているのか、かすかに怯むだけで再び反撃に転じていた。
 その様子を眺めながら、シルバは回復は必要なし、と判断した。
「うん、それぐらいの覚悟がなきゃ、この仕事やってられないからな。しかし……せっかく武器を用意したのに、それすら使う余地がないとはなぁ……」
 言って、シルバは右の袖から手の中に、細長い針を落とした。
 ちょっとした短剣程度の長さだ。
「いやいやいや、いくらウチのパーティーがボンクラっつっても、さすがにブルーゼリー相手に後衛にまで攻めてこられませんて。あ、もしくはせんせーが、前衛に行くってのはどうッスか? あの程度の敵なら、せんせーもダメージ受けないんでしょう?」
 針を眺めるシルバに、ボンゴレが提案する。
「んんー。それはちょっとどうかと思う。前衛がマジに戦ってるのに、ちょっと失礼っつって参加するのはよろしくない」
 彼らは彼らで懸命なのだ。
 シルバはそう談じて、手の中で針をクルッと回した。
「そもそも最後の最後、自衛用の武器だしな。やっぱり、俺が直接、近接攻撃を受けるようにならないように立ち回るのがベストだよ」
 そして改めて、針を見つめる。
「まあ、だから技術のいらない突き一点の針な訳だが……」
 うーん、と渋い顔になってしまう。
「回復にも使えると思ったんだけどなぁ……」
「回復?」
 よく分からない風のボンゴレに、シルバは説明してやる事にした。
「東方では、針を身体に刺して治療する技術ってのがあるんだよ」
「また物騒ッスね」
「うん。ウチには祝福での回復が通用しないのが二人いるから、有用かなと思ったんだけど」
 言うまでもなく、カナリーとタイランの事だ。
「いい考えじゃないですか」
「二つ問題に気がついたんだ」
「うん?」
「一つ、鍼の技術の習得にはそれなりに時間が掛かる」
「そりゃそうッスね」
 実際シルバは、入院した時世話になったセーラ・ムワンという鍼灸の先生に教えを請うてはいるモノの、一朝一夕で上手くいくはずがない。
「二つ、これが肝心なんだが普通に、針で刺されたがる奴はまずいない。俺だってやだもん。ボンゴレ、ちょっと回復の練習台になってくれないか?」
 シルバが針を持ったまま、ボンゴレを見た。
「い、いやッスよ!?」
 案の定、後ずさるボンゴレだった。
「ほら、な? ……実用化には、まだまだ遠いんだよ、これ」
 大体、カナリーならともかくタイランの鎧に通じるかなーとか、今更のようにも思ったりする。
 一方前衛は、あまりに手際が悪かったせいか、新たに雑鬼が現れていた。
 ブルーゼリーよりは幾分すばしっこい敵に、ぺペロ達は再び戸惑い始めている。
 もっとも攻撃力はブルーゼリーと大差はない。
 ダメージがない事に安心し、前衛は攻勢に出ていた。
 それに合わせて後衛全体で前進しながら、シルバは懐から丸い眼鏡を取り出した。
「その眼鏡は? せんせー、視力弱かったでしたっけ?」
「いや……度は入ってないんだが……」
 シルバは眼鏡を装着する。
「?」
「精霊が見える」
 レンズの向こうでは、通路を光の筋にも似たモノがゆるりと漂っていた。フィリオの話では、大気の精霊だという。
 また、壁や床天井にもうっすらと筋が走っているがこれは土の精霊だろう。
 所々に、光の溜まり場が形成されており、そこに精霊達は出入りを繰り返している。
「……危ない人みたいッスね、せんせー」
 ボンゴレの指摘に、シルバは地味に傷ついた。
「いやだって、マジなんだもん。レンズが精霊石製でな、こー、漂ってる精霊とか、霊気の流れみたいなモノが見えるんだよ。ほら、嘘だと思うなら着けてみろよ」
 シルバは眼鏡を外し、ボンゴレに渡した。
 ボンゴレはサングラスを外すと、代わりに眼鏡を装着した。
「おぉー!? なんだこれ面白ぇー」
 虚空を見つめるボンゴレの顔は、何か変なトリップでもしているみたいで、自分もこんな危ない人間に見えているのかとシルバは不安になった。
「この、所々にある穴みたいなの何すかね、せんせー?」
「リフの話だと、パワースポット……霊脈っつーモノらしい。見ての通り、精霊の収束点だな。精霊が集まっていく穴は力が溜まり、逆に出て行く穴は放出される」
 後半の説明は、リフではなくその父親であるフィリオの説明だ。
 霊獣や精霊使いはこのパワースポットを使いこなし、様々な術を行うのだという。精霊砲もその一つだ。
「で、これ、どう役に立つんすか?」
 シルバはボンゴレから眼鏡を返してもらい、自分に掛け直した。
「いや、それが……実は、まだ考えてない」
「ダメじゃないッスか!?」
 シルバは霊獣でも精霊使いでもないので、単に精霊が見えるだけだ。触れようとしても、透り抜けてしまう。
「何かの役に立つんじゃないかなーと思って作ったんだよ。ほら、ウチには精霊の見えるのが三に……」
 タイランが人工精霊なのは秘密なので、シルバは言葉の途中で訂正する。
「……いや、二人いるし、同じ視点があると何かの足しになるかもというか」
「せんせー、意外に思い付きで行動するッスね」
「……悪かったな。おっと……」
 通路の奥から、フードを目深に被った小柄な魔法使いが現れたのに、シルバは気がついた。
「みんな気をつけろよ! ミニ魔道だ!」
 鉄壁は物理攻撃には強い防御力を誇るが、魔法には今一つだ。
「せんせー、お願いします!」
「言われなくてもやるともさ!」
 用心棒か俺は、とシルバは内心毒づいた。
 そして、対魔法用の防御呪文を用意しようとした時だった。
「!?」
 ミニ魔道の杖の先から、前衛のぺペロに向かってうっすらと赤い光の束――精霊がアーチを描いていた。
「ぺペロ、標的はお前だぞ!」
「え、俺!?」
「――そうだよ! {大盾/ラシルド}!」
 シルバが指を鳴らす。
 魔力の障壁が現れ、少し遅れてミニ魔道が放った火の玉が直撃する。
「ひゃあっ!?」
 ぺペロは尻餅をついた。
「……いや、先に言ったんだから、避けろよぺペロ」
「……さすがに、おいらも同感ッス。けどそれでも律儀に呪文用意するッスね、せんせー」
「……そりゃ、命に関わるからな。言っただろう、俺の仕事はお前ら死なせない事だって」
 ぺペロ以外の前衛二人が、ミニ魔道を追いかける。
 敵は一体だけだし、呪文を再び唱える暇もなさそうだ。
「にしても、誰が標的か、よく分かったッスね?」
「いや、うん……見えたから」
 おそらくあのアーチが、魔法の通り道。色が赤かったのは、火精の魔法だったからじゃないかと、シルバは思う。
 しかし見えていなかったボンゴレには、シルバが何を知っているかピンと来なかったようだ。
「はい?」
「やっぱり実戦ってのはやってみるもんだな。使ってみないと分からないモノもある……ボンゴレ、ちょっと攻撃魔法用意してくれるか」
「へ? あ、はい。いいッスけど……」
 ボンゴレが杖を構え、呪文を用意し始める。
 標的はまだ残っている雑鬼の一匹。
 杖の先に炎が灯った。
 シルバの眼には、炎の中心に存在する霊脈に赤い精霊が収束していっているのが見えていた。
 そこに、シルバは軽く魔力を纏わせた針を突き刺した。
「よし、撃て!」
「は、はい……う、うわっ!?」
 シルバが霊脈から針を引いた途端、ごう、と杖の先から強大な炎が噴き上がった。
 ボンゴレの実力では、明らかに発揮されるはずのない規模の炎の柱だ。
「びびるな! みんなデカイのいくけど避けろよ!」
 シルバに言われるまでもなく、それまでミニ魔道を追いかけていた二人も、尻餅をついていたぺペロも大急ぎで壁際に退避した。
「え、え、{火槍/エンヤ}!!」
 半ば絶叫にも似た宣言と共に、極太の炎の槍が雑鬼目がけて殺到する。
 否、通路全体を炎の蛇が舐め尽くしたといってもいい。
「……槍って言うより、もう杭だったなアレは」
 炎が消えた後には、モンスターは一匹も残っていなかった。
 壁にへばりついていた前衛達が、ズルズルと床に崩れ落ちる。
「っていうか、せ、せんせー、一体何したんスか!? アレ、何ッスか!?」
「いや……うん、一言では説明しにくいんだけど……うん、この眼鏡、結構掘り出し物だったっつー話」
 何とも言えない表情で、シルバは眼鏡を掛け直した。
「魔力の節約……攻撃増幅に遮断。……もしかするとこれ、防御系にも使えるのか? 精霊だけじゃなく、魔力の流れも見えるなら……」
 ……まだまだ検討の余地はありそうだな、と思うシルバだった。



[11810] カナリーの問題
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/11/21 06:31
 合流地点となる広い十字路は、冒険者で溢れかえっていた。
 シルバはその中に、自分のパーティーの面々が揃っている事を確かめた。
「やれやれ、どうやら俺達が一番最後だったみたいだな」
 ノンビリと歩きながら、そんな事を呟くと、前を歩いていた新米パーティー『ハーフ・フーリガン』の面々が振り返った。
「ま、しょうがねーんじゃねえッスかね。せんせー、色々実験し過ぎッスよ」
「そうそう」
 モヒカンやら髪を尖らせたのや、外見はチンピラっぽいが気のいい面々だ。
「いやぁ、新しい装備の意外な効果につい」
 遅れた主な原因である、シルバは弁明した。
 精霊を見極められる眼鏡と、魔力針の効果はまだまだ未知数だ。
 それなりに研究が必要だろう。
 そしてもう一つ。
「あとアルフレードは、言った事忘れないように。回復と防御の出し所さえ間違えなければ、滅多に死ぬ事はないんだから」
 ヘロヘロになっている、ハーフ・フーリガンの回復役に、シルバは告げた。
「うう、先生は鬼教官です」
 ポーションを口にくわえたまま、スキンヘッドのアルフレードは泣き言を呟いた。今回の探索で、一番シルバの叱咤を受けたのは彼である。
「本当の鬼なら、魔力ポーション渡したりしないと思う」
「五臓六腑に染み渡るッス~」
 はふぅ……と息を漏らすアルフレード。
 ちなみに今回の探索で彼は、やや威力は弱いものの『鉄壁』を身につける事が出来た。
 ゴールに辿り着くと、ハーフ・フーリガンの面々は他のパーティーから拍手で迎えられた。


「それで結局順位は?」
 各パーティーが交流する中、シルバは待っていたキキョウに訊ねた。
「一位がカナリーの『アンクル・ファーム』。二位が某の『プラス・ロウ』。三位がヒイロの『フェアリーズ』。四位タイランの『フィフス・フラワーズ』。五位がリフの『ツーカ雑貨商隊』となった。シルバ殿の『ハーフ・フーリガン』は残念ながら、最後だな」
「ま、それはしょうがない。カナリーとキキョウは僅差だったって?」
「うむ。互いに最短距離を突き進んだが、回復する時間の差で、某達は後れを取ったようだ」
「どっちも特攻タイプだったからなぁ」
 パーティーを選別したのは、シルバだ。
 どちらも似たパーティーだったが、魔力消耗の大きい方を、回復を今回の強化テーマにしたカナリーに振ったのだ。
「最後はアンクル・ファームのアポロと某がタッチの差であった。実に惜しかった……」
 無念、とキキョウは肩をすくめる。
 とはいえ、それほど落ち込んでいないのは、尻尾を見れば大体分かるのである。
 何より、最大の危機は脱したのだから、お互いホッとしていると言ってもいい。
「……ほら、ヒイロの一位を阻止出来たからよしとしようや」
「……であるな。何せ、某達のパーティーの一位は、今晩の夕飯が他面子の奢りであるからして」
 つまり今晩誰がタダ飯を食うかという、実におそろしい、賭けだったのだ。
 そしてこうした食欲が関わるイベントとなると、最大の敵はヒイロだった。幸い、今回はカナリーが一位を取ってくれたので、それはなくなったが。
「ま、カナリーなら、それなりに自重してくれるだろう」
 高い料理ばかり注文する可能性も考えたが、カナリーの事だ。タダだからと言って、無茶な注文をするような真似はしないだろうと、高をくくっている。
「……って、そういえばずいぶんと大人しいけど、どうしたんだアイツ?」
「む、それがだな」
 キキョウの向いた方に、シルバの視線をやった。
「ふはぁ……うぃ~……ひっく」
 木箱を並べた簡易ベッドに、カナリーは横たわっていた。傍に控えて見守っているのはタイランだ。
 赤らんだ頬に、時折漏れるしゃっくり。
 まるっきり、酔っ払いの体であった。
「……赤ワインの飲み過ぎか?」
「否。冒険の途中で酒に酔うほど、間抜けではないはずなのだが……」
 シルバは、カナリーに近付いた。
「大丈夫か、カナリー」
「……何だと」
 カナリーはシルバを見上げ、訝しげに眉をひそめた。
「あ?」
「……シルバ。君はいつの間に幻術を使えるようになった。そうか、キキョウに教わったのだな。で、どれが本物なんだい?」
「分身の術を使った憶えはないぞ。それはお前の目の錯覚だ。っつーかどうしたんだよ、カナリー?」
「あー……うん。タイラン、お水を頼むよ」
「は、はい」
 カナリーは身を起こすと、タイランからグラスを受け取った。
 水を軽く口に含み、木箱に腰掛ける。
「ふぅ……まあ、つまり新しく身につけた生命吸収なんだがね」
「うん」
「これはすなわち……吸血鬼の特性を強めたモノだ。吸精の類はね、基本的に与える方も受ける方も快楽が伴う。それはそうだ。基本的にそれは甘美なモノなのだから。吸血鬼個々人によって、それは性的快楽の場合もある」
「性……っ!?」
 ぼんっ、とキキョウの顔が赤くなった。
 しかし、カナリーはそれには構わない。
「僕の吸精は……さて、どうやら、酩酊効果があったらしい」
「つまり、アルコール摂取みたいなもんか」
「うん。自覚するまでちょっと時間が掛かったがねぇ……そして気付いた時には手遅れだった。ところでリフに枝豆を用意してもらえるように言ってもらないだろうか」
 そのリフはというと何か買うつもりなのか、ツーカ雑貨商隊の商品をヒイロと一緒に眺めている真っ最中だ。
「却下だ却下。つー事は、お前が考えてた強化案は、使い物にならないって事か?」
 シルバの問いに、カナリーは首を振った。
「いやぁ、量次第って所かな。言っただろう、酒と一緒だって。使いすぎなければ大丈夫」
「使いすぎたら?」
「ふむ……まずろれつが回らなくなるから、詠唱の長い呪文から使えなくなる。集中力が乱れるので、命中率が落ちる。精神面での乱れが大きいので威力も下がるか」
「おいおいおいおいおい」
「だからやり過ぎればの話を言っているのさ。消耗した時に適度に利用する程度なら問題はない……ただ、無茶をすると」
「倒れるか」
「……まあ、そうなるな。シルバ、鍼の技術を身につけるなら酔い冷ましのツボを憶えてくれないか」
「……真っ先に憶えとくよ。おい、立っても大丈夫なのか?」
「ずっと座ってもいられないだろう」
 言ってカナリーは立ち上がるが、足取りはかなりおぼつかない。
「おっとっと」
「お、おい……」
 たたらを踏んだカナリーを、シルバは慌てて支えた。

 むにゅ。

「……うん?」
 手の平に、何だか妙に柔らかい感触が伝わった。
「こりゃ失礼」
 だが、カナリー自身はそれには気付かなかったようだ。
 まだ頬を赤らめたまま、軽く頭を振ってカナリーはシルバから離れる。
「というか、歩けるかカナリー。タイランに運んでもらった方がよいのではないか?」
 心配そうなキキョウの忠告に、カナリーは頷いた。
「そうみたいだね。タイラン、頼むよ」
「あ、は、はい」
 ふわふわと浮いたカナリーが、タイランの背中に乗った。
 一方シルバは、自分の手をワキワキさせていた。
 その様子に、キキョウが目を瞬かせていた。
「どうした、シルバ殿?」
「……えっと、いや」
 シルバとしては、何とも答えようがない。
「むにゅ、って……おい」
 手に伝わった感触はまだ、シルバの手の中に残ったままだった。


 合同演習終了後、シルバ達は揃って大きな酒場に入った。
 新米パーティー達がいつも集まる酒場の名前を『ジュークボックス』という。
 そしてどういう話の流れからか「やっぱりビリのパーティーにも何かペナルティが欲しい」という事になり……。


 熱気の漂う厨房。
 エプロンを着けたシルバは、深いフライパンで何人前ものピラフを強火で掻き回していた。
「『ツーカ雑貨商隊』で焼き鳥盛り合わせと枝豆を二つずつ、シーフードサラダ一つ、麦酒一つに麦茶一つ。『フィフス・フェアリーズ』でピーチサワーとグレープフルーツジュース。『アンクル・ファーム』が焼き肉三人前。んで『守護神』が同じく焼き肉と野菜炒めをそれぞれ五人前――って食い過ぎだろヒイロ!?」
 手を休めないまま、精神共有で各パーティー単位での注文を読み上げていく。
「あ、あとアイアンオックスのステーキも五枚と赤ワインのいいとこ二本も追加」
 これは、カナリーの注文だ。
 酒場の広さに比例して、この厨房もかなり巨大だ。
 そして料理人やウェイトレスもひっきりなしに行き来を繰り返す。
「……便利なモンねー、精神共有って」
『ジュークボックス』の店主にして、休日限定パーティー『魔食倶楽部』のメンバーでもあるタキ・ヨロノが感心した声を上げる。
 二十代前半の、頭にバンダナを巻いた女性だ。
 料理人も兼ねていて、シルバと同じエプロンを腰に巻いている。
「どういたしまして。あいよ、餡かけ卵包みシーフードピラフ出来ました。持ってって!」
 汗だくになったシルバが、大きな皿に盛った料理をでん、とカウンターに置く。
「っさー、せんせー!」
「ってきやっす!」
 モヒカンやら頭の尖ったウェイター達が、料理を手に各テーブルへと渡っていった。
 額の汗を腕で拭い、振り返る。
「に。ふらいどぽてと、出来た」
 蝶ネクタイを着けたリフが、ポテトを持った皿を掲げていた。
「ってリフは別に食べてていいんだけど?」
「に……お兄のおてつだい、する。食べるのいっしょ」
 タキは苦笑し、シルバに向かって肩を竦めて見せた。
「まあ、そろそろ落ち着いてきたからいいんじゃない? あ、でもリフちゃん、枝豆だけ追加頼める?」
「にぃ……まかせて」


 肉料理と野菜炒めをトレイに載せ、シルバとリフは自分達のテーブルに向かう。
 リフは、自分が持つ大根サラダに、手をかざしていた。
「おいしくなあれ」
「……効くのか、それ?」
「すごく、きく」
 リフはサラダをシルバに突き出した。
「食べてみると、わかる」
 シルバは、大根スティックを一本つまんでみた。
 一口囓り、軽く目を見開く。
「……霊獣すげえ」


 テーブルの主役は案の定、ヒイロだった。
 肉の盛られた鉄板の左右には、相当枚数の鉄板が積まれている。
「先輩、リフっちおかえりー」
「うーす。つかお前の注文が一番多かったぞヒイロ」
「そりゃもう運動したからねー。うん、ソースもおいしー♪」
 パンで鉄板のソースを拭い、口に放り込む。
「シューズの具合はどうよ。カナリーは重さ気にしてたみたいだけど」
 シルバの質問に、ヒイロはひょいとブーツを脱いだ素足を持ち上げた。
「ボクにしてみれば、それほど気になる重量じゃないし、問題ないない。それに重さがあるって事は、威力もあるって事だしねぇ」
 どうやら心配はないらしい。
 ウェイトレスが空いた皿を回収し、やや空白の出来たテーブルにシルバとリフは新たな料理を載せた。
「リフの方も、無事に済んだようで何より」
「にぃ……お給料もらった」
『ツーカ雑貨商隊』は、探索の報酬山分けとは別に、給与の支給もあったらしい。
「大事に使えよ」
「に」
 もちろん、とリフは頷いた。
 席に座ると、横には憮然としたキキョウが座っていた。
「……シルバ殿。某も、仕事を手伝わせてくれてもよかったのではないか」
 リフだけずるい、と暗に言っているキキョウであった。
「だからそれじゃ罰ゲームにならないっつーの。大体お前が注文取りに行ってみろ。伝票が束になっても足りなくなるぞ」
「むぅ……難儀な話だ。あ、この料理はシルバ殿の分だ」
 キキョウが差し出した鉄板とスープの皿を受け取る。
「悪い」
 水を口に含み、背もたれに身体を預けると、ドッと疲れが押し寄せてくる。
 キキョウは、リフにも丸皿を差し出す。
「リフの分もあるぞ」
 薄い魚のスライスが、花弁のように並べられていた。
「生魚……?」
「刺身だ。これをつけて食べるがよい」
「にぃ」
 勧められるまま、リフは魚を一切れ黒いソースをつけて食べてみる。
 ピン、とリフの尻尾が立った。
「……おいしい」
 そこからはもう止まらなかった。
 そんなリフの様子を尻目に、席の中央にいるヒイロの隣に視線を向ける。
 大人しいタイランは、樽ジョッキの中身をストローで啜っていた。
「タイラン飲んでるか?」
「あ、は、はい。水蜜水、美味しいです……それよりも……」
 さらにその隣、一番端で黙々と、カナリーは肉料理と赤ワインを口に運んでいた。
 動き自体は優雅だが、その量はヒイロに匹敵していた。
「……その量は大丈夫なのか、カナリー?」
「うん? ああ、問題ない。ワインなんてのは元々水も同然でね。強烈に酔う事はあまりないんだ」
「そっちもだけど、飯の方。どんだけ肉食うんだ、お前は」
 熱を放つステーキは、ナイフで切ると中から肉汁と血が滴っていた。
「……うん、今日の僕はいくらでも入るね」
「つまり、ボクと勝負って事かな☆」
「張り合うな、ヒイロ。お前らは、パーティーの財産を破産させる気か」
 ふ、とカナリーは小さく笑った。
「心配しなくても、自重はするよ。いくらタダとはいえ、食欲のまま進めると、実際洒落にならない事になりそうだし」
「実際、酔いの方はどうなんだ? 吸精の副作用の方だけど」
「そっちは収まった。ある程度時間をおけば、何とかなるみたいだ」
「そうか」
 シルバはパンを食べ、空になった手を見た。
 そして、カナリーを見る。
 聞くべきかどうするか。
 さすがに状況的に、今は厳しいだろうが……。
「何だい、シルバ。人の顔をジッと見て」
「……いや、何でもない」
 ま、本人が言わないなら別にそれでもいいか、と思うシルバだった。
「……むむ?」
 そんなシルバの様子に、キキョウは何となく尻尾を揺らしていた。


 宴が終わり、シルバは自分の部屋に戻った。
 ベッドに横になると、疲れのせいか、そのまますぐに睡魔が押し寄せてきた。
 ……だから、何となく目が醒めたのが何時頃なのかはよく分からない。
 ただ、確実に閉めたはずの窓が開き、風が入ってきていた。
「…………」
 はて、前にもこんな事があったような気がする。
 そんな風に考えながら目を開くと、月を背に窓枠に腰掛ける金髪の吸血鬼が一人。
「やあ、シルバ。こんばんは」
 カナリーの瞳がやたら、紅く輝いていた。


「……深夜に吸血鬼の来訪とはまた、定番だな、おい」
 ベッドに横たわったまま、シルバはカナリーを見上げた。
「ただし、この場合絵になるのは、俺の立ち位置が美女じゃないと様にならないんだが」「それは的確じゃないな。吸血鬼が女性の場合は、相手は美青年さ」
「……それなら尚更、俺じゃ役者不足なんじゃないか?」
「残念な事に、他に役者がいない」
「出演依頼を受けた記憶もないんだが……あと、この金縛りを説いてもらえると、大変助かる」
 おそらく、カナリーの瞳を見てしまったせいだろう。シルバは、指一本も動けないでいた。
「でも、この金縛りを解いたら君、逃げるだろ?」
「うん、逃げるなぁ」
「じゃあ駄目だね」
 カナリーは足を組んだまま、妖艶に笑った。
「せめて、理由の説明を」
 嫌な汗が流れるのを自覚しながら、シルバはカナリーに要求する。回復の術を使って撃退……もこの状況では無理そうだ。
「いいとも。吸精の副作用その2さ。吸血行為の根源を探れば、これは渇望に到る。つまり吸精っていう吸血鬼の特性を利用する事により、渇きの衝動に襲われるんだ」
 言われてみれば……と、シルバは酒場でのカナリーを思い出す。
 ワインの量も然る事ながら、食事の量も相当なモノだった。アレは食欲ではなく、むしろ……肉から滴る動物の血液が目的だったのではないか。
 シルバの心を見抜いたように、カナリーは頷いた。
「そう。水、トマトジュース、赤ワイン、動物の血……そういったモノで、ある程度の渇きを満たす事は出来る」
「……が、今回は足りなかった、と」
「そういう事だね」
 さて、とカナリーはふわりと身体を浮かせ、重力を感じさせない動きで、シルバのベッドの脇に回り込んだ。
「……もう一つ」
 シルバは視線だけ動かし、カナリーを見る。
「時間稼ぎなら無駄だよ。精神共有で、キキョウ辺りに助けを求めようとしても、さすがに遠い。初めて会った時のように、都合よく登場という訳にはいかないだろうね」
「……だったら質問タイム延長でも問題はないだろ。えーとつまりあれだ。お前に噛まれたら、俺はどうなるんだっけ? 吸血鬼に噛まれたモノは、その眷属になる……というか、下僕になるんでよかったか?」
「さすが、聖職者。それで合ってるよ」
「……普段のお前なら、絶対そんな事しないよな」
「そうだね。しかし今の私は正気じゃない。例えキキョウやリフを敵に回しても……君の血が欲しい。君を僕の下僕に堕としたい。その衝動の方が上回っている」
 早口で、カナリーが言う。
 シルバとしては、予想通り、といった所だ。
 微笑んでこそいるモノの、カナリーの余裕は実はあまりない。
 何故なら、これはカナリーの本意ではないからだ。
 ただ、血への渇望に突き動かされ、こうした暴挙に出ているのだろう。
「その後どうする」
「知った事か。きっと後悔するだろうが、それでも今の私は……もういいだろう? せめて逃げる時間は確保したいんだ」
 カナリーの細い指が、シルバの寝間着をはだけ、首筋をむき出しにする。
 その状態のまま、シルバはカナリーを見据えた。
「……心配しなくても、キキョウは呼んでない」
「他の仲間かい」
「いいや、今日はみんな疲れてるんで、ゆっくり休んでもらいたいんだ。それに、お前をどうにかするのぐらい、俺一人で充分だしな」
「身体も動かせず、何をするって言うんだ、シルバ」
「は……っ」
 シルバは小さく笑った。
「俺と目を合わせたのは失敗だったな、カナリー……っ!」
 精神共有のバリエーション――精神同調。
 本来は、対象の五感に同調して、感覚を共有する術だ。
 シルバはその術を用いて、自分の意識そのモノをカナリーの意識に思いっきり叩き付けた。
「くぁっ……!?」
 意識そのモノにダメージを食らい、カナリーの身体が大きく仰け反った。
 視界が、自分のモノとカナリーの視界を交互の行き来し、悪酔いに似た感覚を引き起こす。
 血に飢えた吸血鬼の意識に抑圧されていた、本来のカナリーの意識が浮上するのを感じ、シルバはようやく精神同調を解いた。
「……正気に返ったか、カナリー?」
 金縛りは既に解けていたが、頭がクラクラする。
 一方、カナリーもその場にへたり込んだまま、頭を振っていた。
「す、すまない、シルバ……助かった……」
「……まあ、お前自身が抵抗してたから、何とか間に合ったって所だけどな。完全に衝動に負けてたら、俺は寝てる最中に、もう噛まれてただろうし」
 ようやく頭痛も治まり、シルバは軽く息を吐いた。
 身体を起こし、ベッドサイドスタンドの明かりを付ける。
 部屋が明るくなった。
「つーか……何で、俺。他にも男なら、幾らでもいるだろうに」
「あの状況を覆せる人間の心当たりが他にいなかった。何より……」
 カナリーは手近にあった丸椅子を引き寄せると、おぼつかない足取りで立ち上がり、それに腰掛けた。
 そして、重い溜め息をつく。
「……同性のメンバーの血を吸う嗜好は、持ち合わせていないんでね」
「……敢えて追求しないぞ、その発言の真意」
 何となく察してはいる、シルバであった。
「それと、これからどうするかだな。何しろ一時的に正気に戻ったとはいえ、渇望自体はまだあるんだろう?」
「ああ」
 つまり現状は、改善されたとは言い難い。いつまた、カナリーの中にいる吸血鬼の本性がもたげてくるか、分からないのだ。
「赤ワイン程度では、足りないと」
「足りてたら、こんな夜這いみたいなはしたない真似、するものか……すまない、反省している」
「かと言って噛まれると、俺までお前の眷属になっちまう。そして俺は、お前の下僕になるつもりはない」
「当然だな。少なくとも僕もそれは望んでいない」
「ならどうするかってーと……」
 シルバは少し考えたが、手は一つしかなかった。
「やっぱこれしかないか」
 そして、自分の親指の皮を噛み切った。
「……!? お、おい、シルバ……」
 動揺するカナリーに、シルバは血の滴る指先を突き出した。
「吸えよ。それで、飢えは癒されるんだろ」
「し、しかし」
「……吸われるだけなら、吸血鬼にはならない。これでも聖職者の端くれで、対吸血鬼の知識ぐらい多少はある。噛まれなきゃ大丈夫……のはずだよな?」
「そ、そうだけど……」
「今のお前なら、噛まないように吸えるだろ?」
 手首を切って、コップに血を満たすという手も考えたのだが、おそらくそれだと血としての効果が『薄い』。
 この場合、血とは生命力を意味し、ダイレクトに吸わなければ意味がないのだ。
「あと、もう一つだけ、回避方法があるのも知ってるけど、常識で考えてアレは駄目だろ」
 逆に、シルバがカナリーの血を吸う、という方法だ。
 こちらは、噛む必要はない。
 ただし、吸血鬼が人間に血を吸わせるという行為は、吸血鬼の魂そのモノを吸わせた人間に服従させる事を意味していた。また、吸血貴族の間では、屈辱的な行為とも見なされている。
 カナリーは、真っ赤になって首を振った。
「……っ! た、確かに……アレは。しかし、本当に、い、いいのか? もらうぞ、お前の血……?」
「何を今更。いいからさっさと吸え、ほら」
「あ、ああ」
 おそるおそるカナリーは指先に顔を寄せ、舌先で軽く血を舐め取った。
 その途端、口元を手で押さえ、どことなく恍惚とした風情で身を震わせた。
「……何という」
「うん?」
 まだ、シルバの指先からは血が流れている。当然、少し舐めた程度でカナリーの衝動が収まるとも思ってなかったので、そのまま待つ事にした。
「……と、時にシルバ、先に謝っておく。やり過ぎたらすまない」
 やや興奮気味に、カナリーが言う。
「お、おそろしい事言うなよ、おい……!?」
「何しろ……その……人間の男の血を吸うのは、初めてなのでね……加減する自信が少々、心もとないというか……」
 軽く息を荒げつつ、カナリーはシルバの指先を口に含んだ。
「お、お前このギリギリになってそんな爆弾発言するなー……っ!?」
 指の先から緩やかに精気を吸い上げられる心地よい感覚を覚えながら、シルバは絶叫した。
 ちなみに、一般的な吸血鬼が成人となる通過儀礼が人間の血を吸う事だという事も、シルバは知っていたりする。
 カナリーの背後の影から現れた赤と青の従者二人が、無表情のまま、パチパチと拍手をしていた。


 液体を舐め啜る音が寝室に奏でられ始めて数十分……。
「……カ、カナリー……そろそろ、ストップ……」
 さすがに、シルバにも精神に限界が来た。
「ん、ふぁ……?」
 初めての血液を蕩けるような表情で啜り続けていたカナリーが、ようやく唇を指先から離す。
 そのお陰で、ようやくシルバも、まともな思考が戻りつつあった。
 カナリーの舌使いはおそろしく絶妙で、舌が這い回る度に何とも得体の知れない快感が、シルバを何度も虜にしかけていたのだ。自分の指で、カナリーの口内を隅々まで犯したい衝動を堪えるのに、シルバは精神力のことごとくを使い果たしていた。
「さ、さすがに……三十分は……ちょっと……」
 ベッドに腰掛けてはいたモノの、シルバはすっかり腰砕けになっていた。
 後ろに倒れ、ベッドに大の字になる。
「だ、大丈夫、シルバ!? しまったやり過ぎた。こ、ここは、エナジーを……」
「……ってそれやったら本末転倒だろうが。少ししたら回復するから、待て……」


 それから五分後。
「あーもー……」
 ようやく、シルバも起き上がり、落ち着いて話をする事が出来るようになった。
「ご、ごめん。初めてなモノで、加減が分からなくて……」
「ずいぶんとしおらしいじゃないか。え、カナリー・ホルスティン?」
 敢えて意地悪な口調で言うと、カナリーは真っ赤になって俯いた。
「か、からかうな」
「ふぅ……大分楽になった。ったく、あんまり気持ちよすぎて、危うく押し倒す所だったじゃないか」
「……僕としては、そうされても文句の言えないことをしている訳だから、そういう事になったら受け入れるしかないな」
 髪を弄りながら、カナリーはとんでもない事を言う。
「こらこら。そうなる前に、お前が止めろ」
 冗談めかして言ったが、かなり危ない所だったのだ。
 大きく息を吐き、話題を転じる事にする。
「……事のついでだし、何で男装してるのかも聞いておこうか」
「そうだね、シルバには聞く権利があると思う」
 どうやら、カナリーもホッとしたようだ。
「といっても家に関わる人間以外から見れば、大した話じゃない。ホルスティンの家督の問題さ」
「跡継ぎが、お前しかいないってか」
「いや、いる。ただ、弟は幼すぎるんだ。ウチは男子直系でね。アレが大きくなるまでは、僕が男の跡継ぎとして、頑張らなくちゃいけない」
「何だ、悪い叔父とかが乗っ取ろうとか企んでるのか?」
「近いね。強いて言えば、父の愛人とその息子かな。コイツがまた、女好きのろくでなしだし……まあ、他にも候補はいるんだけど、酷いモンだ。学生の間はまだ、しばらく好きな時間がもらえているって所だけど……そんな訳で、性別は隠す必要があったのさ」
「なるほどな……」
「みんなには、話すかい?」
 カナリーに問われ、シルバは頭を掻いた。
「んー、それも含むんだけど、吸血の件もなー」
「うん」
「カナリー。お前はどう思う?」
 シルバが逆に問い返すと、カナリーは両手の指を何度も組み直しながら答えた。
「……そりゃ……まあ……話した方がいいな。バレた時の信頼にも関わるし、キキョウ達なら多分、その、大丈夫だと思うし」
「うーん」
 カナリーの様子を見て、シルバは決めた。
「俺は黙ってようと思う」
「え?」
 カナリーには、意外だったらしい。
「お前の言ってる事は正論だけど、やっぱり不安だろ? みんなはお前が吸血鬼だって知ってるけど、直に血を吸ってる所を見た訳じゃない。それを見られた時のリアクションは、想像に頼るしかない」
 そして、とシルバは天井を見上げた。
「あまりいい想像は出来ないってトコだ」
「そ、そりゃまあ」
「物事にはタイミングってモンがあるし、俺にバレたからって他のメンバーにも即話すってのは拙速ってモンだろ。俺が話さなきゃ、今晩の事はバレてない」
「で、でも……みんなに秘密というのは……」
 カナリーが弱気に躊躇う。
 何だかキャラが違うなーとシルバは思ったが、これはこれでカナリーの一面なのか。
 か弱い風のカナリーに、シルバは再び意地悪な笑みを浮かべた。
「ん? なーに、言ってんだ今更。性別ずっと隠してたくせに」
「う……そ、それはそうだけど……ここで黙るっていう事は、シルバ、君も巻き込むという事だぞ。もしバレたら、それこそみんなの信用が……」
「みんなの信用も大事だけど、お前の事も大事なんだって」
「え……」
 反射的にシルバは答えたのだが、カナリーの白磁のような顔が見る見るうちに真っ赤になった。
「うん?」
 自分の発言を反芻し、シルバは慌てて両手を振った。
「い、いや、ちょっと待て。勘違いするなよ? 仲間としてだぞ!? 後ろの従者二人、拍手するんじゃないっ!?」
 シルバは、カナリーに頼んで、赤と青の二人を影の中に引っ込めさせた。
 二人揃って落ち着いてから話を再開する。
「そ、そもそもバレるバレないは、俺は大丈夫だと踏んでるんだよ。その時は、黙ってた理由まで正直にみんなに話すまでだ。多分、それで済む。だけど、それまでは、俺は沈黙を守ろうと思うって話だよ」
 シルバは指を組み、カナリーの紅い瞳を見据えた。
「言い方を変えよう。正直この件、みんなに話したいと思うか?」
「……話さなきゃいけない事だと思う」
 カナリーの目は、不安に揺れていた。
「でも……本音を言えば、まだ、覚悟は中途半端だね。黙っていてくれるのなら、助かる」
「じゃあ、そういう事で」
 結論は出た、とシルバは両手をパンと叩いた。
「……しかし、心底意外だ。君の性格から考えると、絶対仲間に隠し事はよくないって言うと思った」
「そりゃもっともだけど、俺の仕事は仲間を守る事。お前個人だって、例外じゃないんだぞ」
 さっきの勘違されかけた発言を、シルバはもう一度言い直した。
 そして、拳を突き出す。
「それに俺は司祭だ。守秘義務があるし。ま、しばらくは共犯者って事で一つよろしく」
「……分かった。こちらこそよろしく頼む」
 カナリーは軽く微笑むと、シルバの拳に自分の拳をコツンとぶつけた。
 その手を開くと、シルバの拳を包み込み、俯いた。
「時々……その、また血の世話になると思う」
 耳まで真っ赤にしながら言うカナリーに、シルバは何となく明後日の方向を向いた。
「やり過ぎんなよ」


 それからシルバは教会での朝の務めもあり、カナリーと一緒にアパートを出た。
「あれ、二人揃って朝帰り?」
「「なぁ……っ!?」」
 いきなり、狩りに出掛けるヒイロと出くわし、絶句する二人であった。
 数時間後、キキョウの詰問に追い詰められるのはまた、別のお話。



[11810] 共食いの第三層
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2009/11/25 05:21
 {墜落殿/フォーリウム}第三層。
 冒険者達の探索は現在第五層まで進んでいるが、それよりも浅い層が完全に調べ尽くされたという訳ではない。
 隠し扉の先や闇通路の奥など、まだまだ、未調査の部分は存在する。
 ここは、そんな隠された部屋の一つ。
 埃っぽく大きな広間では、探索途中で仲間割れを起こした複数のパーティーが争いあっていた。既に、何人もの冒険者が床に伏している。
 そんな様子を、部屋の隅でのんきに観察している、三人の冒険者がいた。
 ……もっとも、必死に戦っている冒険者達には、彼らの一人、錬金術師兼魔法使いでもある{半吸血鬼/ヴァンピール}、クロス・フェリーが使用したアイテム『隠形の皮膜』のお陰でまるで見えないのだが。


「ロン君、残りパーティーの数は?」
 壁にもたれかかった少女商人ノワの問いに、黒髪黒装束の青年ロン・タルボルトは片膝突いた状態で、魔法で吹き飛ばされる冒険者達を数えた。
「……5といった所です。どうしますか」
「3になったら動こうかなーって思ってたけど……ロン君、減らしてくれる?」
「承知」
 ロンは立ち上がったかと思うと、その場から消失した。


 剣を振り上げようとしていた戦士の一人は、突然目の前に現れた黒髪の青年に仰天した。
「な……」
「黙れ」
 青年の手元が瞬いたかと思うと、戦士のフルフェイスメットが八つ裂きにされた。
 次の一撃で、彼は真横に吹っ飛ばされる。
「がっ!?」
 冒険者の何人かが黒髪の青年に気付いたが、その時にはもう、彼はその場にはいない。
「お、おい、何だ!? 何かいるぞ!」
 弓手が、慌てて左右を見渡す。
 だが当の青年は、その背後に回っていた。
 爪の斬撃が瞬き、どう、と弓手が血を迸らせながら倒れる。
 第三層に到れるほどの冒険者達にも関わらず、彼らは黒髪の青年にはまるで歯が立たないでいた。
 相手をまだ、相手を人間と思っているその油断が、彼らの感覚を狂わせていた。
 その隙を逃さず、青年、ロン・タルボルトは乱戦の中を駆け抜け、次々と冒険者達を手に掛けていった。
「くそ、くそ、当たらねえ! 速すぎる!」
「どこから現れやがった!? さっきまでいなかったぞコイツ!」
 ロンの鋭い爪は血に濡れ、血と戦の昂りによって肌が次第に毛深さを増していく。
「はああぁぁ……」
 慌てふためく冒険者達が、ロンが次第に狼に近付いていっている事に気付くには、今少しの時間が必要だった。


「元気ですね、彼」
 パーティーのメンバーである{狼男/ライカンスロープ}、ロン・タルボルトの活躍を、クロスとノワは相変わらず呑気に眺めていた。
「うん、ロン君は戦ってる時が一番輝いてるねー☆」
 ロンの爪が閃く度に、冒険者が一人、また一人と、倒れていく。
 ふと、ノワはクロスを見上げた。
「あ、そだ。クロス君も、チャージしとく?」
 ノワの提案に、クロスは銀縁眼鏡をくい、と持ち上げた。
「頂きましょう」
「その分、ちゃんと働いてね」
 ノワは自分の指先を、斧の刃で浅く切った。
「もちろんですとも」
 血の滲んだノワの指先に、しゃがみ込んだ金髪紅顔の半吸血鬼は口付ける。


 狼男は、自分を取り囲む冒険者達を数えた。
「……残り3パーティー」
 どうやら彼らは一時手を組み直し、自分を倒す事に決めたようだ。
「て、手こずらせやがって……いいか、テメエら、一斉にやるぞ?」
 全員が頷く。
 しかし、ロンは動じなかった。
「いいのか?」
「何?」
「俺に集中してるという事は、他が見えていないという事だ」
 ロンの言葉と同時に、包囲網の一角が不意に崩れ始めた。
「うっ……」
「あぁっ……な、何だ……力が……」
 冒険者達が、三人ほどまとめて跪く。
「ど、どうした、おい?」
 活力を奪われた冒険者達の背中を踏みつけ、豪奢なマントを羽織った眼鏡の青年が柔和な笑みを浮かべた。
「やあ、どうも」
「テメエ!? コイツの仲間か?」
「おやおや、よそ見をしていると――」
 円の中心にいたロンは既に動き出し、新たに冒険者を血の海に鎮め始めていた。
「回復ですよ、ロン君」
 ふわりと重力を感じさせない動きで包囲網に飛び込んだ金髪の青年クロスは、高速移動を繰り返すロンにすれ違いざま、わずかに触れた。
 生命力を与えられ、狼男の身体についた幾つもの浅い傷が、次第に癒えていく。
「さて」
 パン、とクロスは手を叩き、軽く宙に浮いた。
 そして、手を高らかに掲げ、宣言する。
「――{雷雨/エレイン}」
 掲げられた手の平から膨大な紫電が生じ、冒険者達に襲いかかった。
「がはぁっ!?」


 息も絶え絶えな冒険者達の装備を、ノワは一つずつ検分していく。
「んー……あんまりいい装備の人、いないなぁ」
 そこそこ高そうな装備のモノからは、身の代を剥いで、広間の隅に集めていく。
 とはいえ、一人でそれらを行うのは一苦労だ。
「下僕達にお手伝いさせましょうか?」
 雷の魔法で、狼男のロンと共に冒険者を倒しながら、クロスが提案する。
「うん、よろしくー♪ ノワ一人じゃ、ちょっと辛いよ」
「はい」
 クロスが頷くと、倒れていた何人かの女冒険者達が、ゆらりと立ち上がった。
 首筋には二穴の噛まれた跡があり、それは彼女達が吸血鬼の奴隷に堕ちた事を示している。


「お、お前ら……一体……」
 最後まで粘っていた冒険者のリーダーが、ロンの凶爪に掛かってついに倒れた。
 俯せに倒れ伏した彼の前に見知らぬ少女商人が立ち、血生臭い現場とは到底かけ離れた朗らかな笑みを浮かべた。
「ノワ達の為に、ご苦労様でした☆ お宝は、頂いていくね?」
 彼女の背後には、冒険者達から奪った装備の数々が積まれていた。下僕と化した女冒険者達も、虚ろな瞳でその傍らに立っている。
 そして広間の奥には、まだ手つかずの状態にある、古代遺跡の施設があった。
「よいしょー……」
 それらを全部横からかっさらった少女は、武器であるトマホークを大きく後ろに振り上げる。
 あの真新しいトマホークがスイングされた場合、自分の頭は絶妙な位置にある事を、リーダーは悟った。
「よ、よせ……やめろ……やめてくれ……!!」
「却下☆」
 ぶぅん、と無慈悲に振るわれたトマホークが、リーダーを派手に吹っ飛ばした。


 広間の冒険者達を全滅させ、ノワ達は奥の施設を調べる事にした。
「ねーねー、クロス君ロン君、これ何かな?」
「……何かの工房でしょうか?」
 肉体労働担当のロンにはよく分からない。血と戦いの衝動が収まった彼は、既に人間の姿に戻っていた。
 一方、頭脳労働担当であるクロスは感心したように、遺跡を眺め回していた。
「ふむ、魔法使いの研究室によく似ていますね。古代の魔法などあると、高く売れるのですが……おや」
 さらに奥に踏み込んだロンは、そこで足を止めた。
「うん? 何か見つかった?」
 ノワが近付くと、そこには寝床に横たわる逞しい銀髪の青年の姿があった。
 腰に布を巻いている以外は、全裸だ。
「人形、ですね。いや、人形族とは違う……うん、今の技術とは異なるタイプの人形ですか。精霊の理に乗っ取った造り……人造人間、という奴でしょうか」
「格好いいねー」
 彫像のような青年に、ノワは感心したような溜め息を漏らした。
「はは、ノワさんは本当に面食いですね」
「うん。男は顔と背丈があって幾らだもん。あとは財力があればゆー事なし?」
 クロスとロンの前では、猫を被る必要はなく、実に正直なノワだった。
「……生きているのか、コイツ?」
 ピクリとも動かない青年に、ロンは訝しげな視線を向ける。
 彼の動物的感覚からしても、生物的な反応は感じられないでいた。
「ふむ。……古代文字は専門じゃないんですけどね……読める所だけ……」
 クロスは、寝床の横にあった石板に目を通した。
 読み拾える単語から、かろうじて意味を把握する。
「おお! これは素晴らしい」
「ん? どしたの?」
「どうやら、古の時代の奴隷人形のようですね。契約によって彼は、絶対服従の下僕となるみたいです」
「ノワ専用?」
 クロスの説明に、ノワは目を輝かせた。
「そうなりますね。ちょっと妬けますが」
「うん」
 苦笑するクロスに、ロンも頷く。
 定期的に異性の血を吸いたくなる{半吸血鬼/ヴァンピール}、獣性の制御が出来ない{狼男/ライカンスロープ}といった彼らは、パーティーを組む事すら難しい。
 そんな二人を拾ってくれたノワに、二人は恩義を感じていた。
 もっともノワの理由は「格好良くてとても性能がいいから」という即物的なモノだったが、それすら問題ではなかった。
 故に、彼らはノワが喜ぶなら何でもする。
「絶対起こしてよ、クロス君」
「はい。やってみますね」


 数時間後、クロスの努力の末、青年は目を覚ました。
 石板にノワの血で名前を記し、彼との契約は完了していた。
「…………」
 無表情な視線が、己の主であるノワを見つめる。
「この子、名前は?」
「ありません。飼い主が決めるようですね」
 クロスが言うと、ノワは両手をパンと合わせた。
「じゃあ、ヴィクターにしよ。今日の戦勝記念♪ お前の名前はヴィクターだよ?」
「……う゛ぃくた-」
 青年――ヴィクターは、たどたどしい言葉遣いで、己の名前を反芻した。
「そう。君はノワの下僕なんだからね。絶対服従だよ。分かった?」
「げぼく……ぜったい、ふくじゅう……」
 ふむ、とクロスはヴィクターの屈強な肉体を眺め回した。
「頑丈そうですし、盾には使えるかも知れませんね。装備は戦士系でしょうか」
 冒険者達から強奪した装備の中に、サイズの合うモノが有ればいいのですが、とクロスは考える。
「…………」
 ヴィクターはクロスを見、次にロンを見た。
 分厚い手が、クロス、ロンと順に触れる。
 その途端、二人は、自分の中に活力が送られてきているのを感じた。
「む……」
「へえ、回復も使えるのですか。それも、祝福とは異なる……これはよい拾い物をしましたね、ノワさん」
「うん☆ じゃ、補給タンクも出来たし、もうちょっとこの層で頑張ってみよっか?」
 かくして四人に増えたノワのパーティーは、さらに第三層の探索を進めるのだった。


※という訳でノワのパーティー編。
 こちらも亜種族パーティーです。
 次からはシルバパーティーに戻ります。第三層スタートになります。



[11810] リタイヤPT救出行
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2010/01/10 21:02
リタイヤPT救出行
 酒場『弥勒亭』の個室は熱気に包まれていた。
 いつものように集まったパーティーに、シルバの知人の冒険者にして何でも屋、クロエ・シュテルンが依頼を持ってきた。
 黒髪黒衣の麗人である。
「戦闘不能になったパーティーの救出?」
「はい」
 場所は第三層。
 何でも、多数のパーティーが隠されていた古代の遺跡を巡って仲間割れを起こしたらしく、たまたま全滅した彼らを発見した冒険者達が、救援を求めてきたのだという。
 必要なのは、ある程度の回復要員。
 となると、元々第三層に潜る予定だったシルバ達には、渡りに船の依頼でもあった。
「私達だけではさすがに心許ないので、お手伝いお願い出来ますか」
「俺は別に構わないけど……」
 シルバは、大きな海鮮鍋をつつく仲間達に視線をやった。
「人助けならば、某に反対する理由はないな」
 米酒の杯を傾けながら、キキョウ。
「ボク達は力仕事になりそうだねー。んんー、お魚ないよー」
「そ、そうですね……むしろ大変なのは、後衛の人達かと……」
 鍋の底をお玉で掬うヒイロに、だし汁をストローで飲むタイラン。
「に、やる」
 リフはひたすら、器の中の魚が冷めるのを待っていた。
「……ま、たまにはそういう仕事もいいんじゃないかな」
 カナリーも、赤ワインを手酌で飲みながら反対する様子はない。
 という事で。
「反対者無しで可決になった」
「相変わらず、シルバのパーティーは仲がいいですね」
 そろそろ材料の少なくなってきた鍋に野菜を放り込みながら、クロエは微笑んだ。
「んー、まあ、喧嘩はあんまりないけどな。というか、このパーティーがそんな事になったら、えらい事になるぞ」
 一方、シルバは魚を投入する。すぐにでもそれを鍋の中から奪おうとするヒイロを、キキョウが牽制していた。
「確かに。このお店程度なら、軽く潰れますねぇ」
「いや、そんなに軽く言われても、困るのだが」
 自分のスプーンを駆使し、ヒイロのスプーンを凄まじい勢いで迎撃しながら、キキョウが弱った顔をした。
 シルバはその隙に、自分のスプーンで鍋を漁る。
「で、シルバ」
「何だよ、クロエ」
「誰が本命なんですか?」
 シルバのスプーンが鍋の底の魚を砕いた。
 キキョウとヒイロのスプーンが砕け散る。
 タイランとカナリーは小さく飲み物をむせた。
 リフは、キョトンと首を傾げていた。
「……クロエ」
「はい」
「ウチのパーティーは、一応全員男なんだが……それも前に一度、説明したはずなんだが」
「ああ、そうでしたね。ついうっかり忘れてしまいます」
「あと、一部からすげえ視線が痛いのは、何でだ?」
「いや、何でもないぞ、シルバ殿」
「心配しなくても追求する気はないから、安心していいよシルバ」
 キキョウとカナリーの視線がぶつかり合う。
「む」
「何だい、キキョウ?」
 何だか無言の緊張感が生じていた。
 朝帰りの一件から、少々この二人の間には微妙な空気が流れている。
「にぃ……おさかなおいしい」
 そして、リフは相変わらずのんきに、ようやく冷めた魚を食べていた。
「それよりもクロエよ」
 シルバはリフの器の端に野菜を投入しながら、話題の転換を図った。
「何でしょうか」
「そこでへこんでるちっこいのに見覚えがあるんだが、一体何があったんだ?」
 シルバは、机に突っ伏す金髪の少年をアゴでしゃくった。
 年齢はリフと同じぐらいだろうか。
「ああ、彼ですか」

 少年の本名はテーストという。
 シルバが前に組んでいたパーティーで盗賊をしていた青年だ。
 ただ彼は、同じパーティーのメンバーだった商人の少女ノワに入れ込んでしまい、結構な額の借金をしてしまったのだという。
 色香から目が醒めた時には後の祭。
 パーティー自体が空中分解してしまい、いよいよ自転車操業で利子を返すだけでも必死だったテーストを拾ったのが、クロエだった。
 クロエはひょんな事から貸しのある借金取りからテーストの債権をもらう事となり、以来、テーストは彼女の仕事をほぼ、ただ働きに近い形で手伝っているのだという。
 ちなみに身体が縮んでいるのは、クロエに雇われる前、借金帳消しの為に錬金術師の作った試薬の投与を複数行った副作用なのだという。どの薬の効果か、相乗作用なのか、原因はまだ掴めていないらしい。

「……馬鹿だねー、お前」
 波瀾万丈な、悪友の数奇な人生を、シルバは一言で片付けた。
「……お前にオレの気持ちが分かってたまるかーちくしょー」
 テーブルに突っ伏したまま、幼い声でテーストは愚痴る。
「うん、絶対理解出来ないから。つーかアレに借金してまで貢いで、そんな身体になるなんて、どんだけクォリティ高いんだお前は」
「うるせーよ!?」
 いやぁ面白いと、シルバとしてはもはや笑うしかない。
「まあでも? これはこれで需要はあると思うんですよ。子供に見られるっていうのは、迷宮ならともかく街中でしたらそれなりに有用ですからね」
 クロエの説明に、なるほどなあと、シルバは思った。
 ただし当然。
「正体知られてない事前提だよな」
「一応、偽名は使ってるさ」
 テーストは今は、カートンと名乗っているらしい。似ているようで全然似ていない偽名だと、シルバは思った。
「ではまあ、依頼の方は受けてもらえて助かりました。こういうのは、馴染みの人間の方が楽ですからね。詳細は追って伝えますので、よろしくお願いします」
「ああ」

 食事を終え、シルバはクロエ達と酒場の前で別れる。
「またな、シルバ」
 小さい手を振るテースト、いやカートンにシルバも手を振り返した。
「今度、ゆっくり酒でも飲もうカートン」
「皮肉かそりゃ!?」
「はっはー」


 シルバ達は雑談しながら、帰りの夜道を歩いていた。
「ふむ……今回はクロエ殿と一緒か。楽が出来そうだな」
「同感だねぇ」
 キキョウの言葉に、ヒイロが頷く。
 そういえば、ヒイロは実益を兼ねた趣味の狩猟で、よくクロエと一緒だと言ってたっけかとシルバは思い出した。
 重量のある足音が響き、シルバの横にタイランが並ぶ。
「あ、あのー……よく、分からないんですけど、そんなにすごいんですか、クロエさんって?」
「タイランはクロエについてどれだけ、知ってるんだ?」
「はぁ……シルバさんの知人で、何度か組んだことがあって……後は、演奏が上手い人、でしょうか。酒場の演奏のお仕事で、時々ご一緒することがありますから……」
 なるほどなーと、これもシルバは納得する。
 とにかくやたら特技の守備範囲が広いのが、クロエなのだ。
 案の定、他の面々も口を挟んできた。
「に……? リフも、クロエしってた。盗賊ギルドで、手続き手伝ってもらったことがある」
「というか彼女、学習院にも出入りしていたが魔術師ではないのかい、シルバ?」
 ううむ、とシルバは唸った。
「……どう説明したものやら」
 強いて言うなら、クロエの職業は盗賊なのだが。
「多分、普通に言っても信じてもらえぬと思うぞ、シルバ殿」
「だよなぁ……」
 口で説明するよりも、実戦を見てもらった方が説得力があると思うシルバだった。


「今回の作戦は?」
 {墜落殿/フォーリウム}の入り口の一つで、シルバ達は最終の打ち合わせを始めた。
 メンバーはシルバ達六人に加え、クロエとカートンの八人だ。カナリーの従者二人は、影の中に引っ込んでいる(血を飲んで以来、昼間でも影に潜めることが出来るようになったらしい)。
「目的が救出なので、後方の人達の力は温存。可能な限り負担を減らす方向でいきたいですね」
 クロエの提案に、シルバは頷いた。
「うん、異論はないな。となると、キキョウ達に頑張ってもらう事になるけど、回復は必須だろ」
「それは当然。しかしそれも極力、節約したいので……」
 クロエは少し考え、それから結論を出した。


「――という訳で、ウチの後衛は出来るだけ動かない。その分、クロエ達に頑張ってもらう事になった。基本、こちらは前衛の三人。クロエ達はテースト……カートンとの二人が後衛として働く」
 そういう事になった。
 クロエは今回、双剣を使うつもりらしく、ワイヤーの手入れに余念のないカートンと一緒に少し離れた場所で準備している。
「あ、あのー……」
 遠慮がちに大きな鋼鉄の手を上げたのは、タイランだ。
「どうした、タイラン」
「クロエさんとカートンさんって、どれぐらい強いんでしょうか……? 私、ちょっとよく分かっていなくって……」
 そういえば、とシルバは思い出す。
 キキョウやヒイロはクロエの実戦を知っているが、タイランは知らないのだ。
 タイランの中では、酒場の演奏に時々参加する美人さん、という印象なのではないだろうか。
 ……演奏が上手いのは、呪歌をメインに使うならともかく、この際戦闘とはあまり関係ない。
「んー。強いというか……器用なんだよ、アイツは」
 シルバとしてはこう言うしかない。
「はぁ」
「ま、やってみれば分かるさ」
 口で言うより、実際、戦闘になった時の方が分かるというモノである。


 数時間後――{墜落殿/フォーリウム}第三層。
 ヒイロの目の前で、獰猛な巨大雄牛、アイアンオックスが後ろ足を蹴っていた。突進の前触れだ。
「ヒイロ君、後ろ脚の蹴り上げが三回目になったら左右に回避して下さい」
「うん!」
 三回目、と同時にヒイロは身を翻らせる。
 鋭い二本の角を持った黒い弾丸が、ヒイロのすぐ脇を駆け抜けていく。
 そして後方で、重い音が鳴り響いた。
 振り返ると、アイアンオックスの頭が壁にめり込んでいた。どうやら角が壁に突き刺さり、抜く事が出来ないでいるようだ。
「壁に激突したら、しばらくはお尻を向けた隙だらけになりますから、そこを確実に仕留めて下さい」
「らじゃっ」
 ヒイロは自分の骨剣を大きく振りかぶり、アイアンオックスの背中目がけて襲いかかった。


 一方、タイランは黒尽めの騎兵、デーモンナイトを相手取っていた。
 馬代わりの悪魔の動きも相当にはしっこいが、タイランも足の裏の無限軌道のお陰でかろうじてついていけている。
 何度目になるか分からない、重量級の衝突が生じた。
「タイランさん、大丈夫ですか」
「な、何とか……しのいでいます」
 デーモンナイトの大剣を斧槍で捌きながら、クロエの声に応える。どうやらヒイロの支援は終わったようだ。
「じゃ、回復薬投げますね」
 直後タイランの背で瓶が割れ、隙間から活力が流れ込んできた。
「た、助かります」
「タイランさんは、ひたすら防御に専念して下さい」


 魔導師を片付けていたキキョウに、クロエが声を掛けてきた。
「キキョウさん、{豪拳/コングル}掛けますから、デーモンナイトの攻撃担当お願いします」
「あ、ああ」
 呪文が効果を発揮し、キキョウの全身に力が満ちてくる。
 今なら鉄でも斬れそうだ。
 馬ならぬ悪魔上の騎士に向けて跳躍を仕掛け、キキョウは気付いた。
 遠くで後ろ足を蹴り始めている、三匹の雄牛がいた。
「まずい! またアイアンオックスが――」
 だが、彼らは突進と同時に派手に転倒した。
「――え?」
 キキョウは、とっさにクロエを見た。
 そのクロエは、戦場の隙間を駆け抜ける仲間に手を挙げた。
「トラップの仕込み、お疲れ様です、カートンさん。その調子でお願いします」
「あいよう」
 また新たな罠を仕掛けるつもりなのか、カートンはワイヤーを引っ張り出しながら、倒れた敵の影に潜り込む。
 一方クロエは足を止め、二本の指で印を切った。
「さて――{爆砲/バンドー}」
 指先から放たれた爆風が、カートンの罠で転倒させられたアイアンオックス達を直撃する。死にこそしなかったモノの、彼らは軽く通路を吹っ飛ばされた。
「全滅とまではいかないまでも、多少は削っておくと楽になりますからね。カートンさん、私はキキョウさんのお手伝いに行ってきます。しばらくよろしくお願いします」
「りょーかい」
 双剣を抜きながら駆け出すクロエに、モンスターの陰から声が響いた。
「っつーか、前ん時より人数少ないのに、圧倒的に楽ってどうなんだよ実際……」
 クロエには届かない声量で、カートンはボヤいていた。


 クロエはキキョウと共に、デーモンナイトに攻撃を仕掛け始めた。
 その様子を少し離れた位置で、シルバ達後衛の三人が見守っていた。
 危ないようならすぐにでも出られるように準備はしていたが、どうやらその心配は杞憂のようだ。
「ふむ……今のは居合だな。聖職者や魔法使いに加え、サムライスキルまで持っているのか……」
 カナリーは顎に手を当て、クロエの華麗な剣捌きに唸っていた。
 リフも同様のようだ。
「にぃ……速い。無駄ない」
「うん、盗賊や狩猟者スキルも持ってるからな。リフも参考にするといい」
「に。ためになる」
 シルバが帽子の上から頭を撫でるが、リフは目の前の戦闘に集中しているようだ。
 ふーむ、とカナリーは息を漏らした。
「なるほど、シルバが器用だという訳だ。しかし……問題がない訳じゃないな」
「というと?」
 ぴ、とカナリーの細い指先が、クロエの爆風魔法を食らいながらもヨロヨロと起き始めたアイアンオックスを捉えた。
「どれも、決め手に欠ける。攻撃ではヒイロに劣り、魔法もそれなりに範囲攻撃が使えるが一掃という訳にはいっていない」
「うん」
 まったくその通り。
 シルバが頷き、カナリーは肩を竦めた。
「……にも関わらず、戦闘はこちらに有利に進んでいるっていうのが、不思議だね」
「まあ、前提として、一回の戦闘で全力を注いでたら身体が持たないので、クロエがある程度、力を温存している部分もあるんだけど」
「うん、それは分かる」
「そもそも全部、クロエがやったら、ヒイロやタイランが経験積めないしな。クロエの今回の務めはメインアタッカーじゃなくて、前衛三人の{支援/サポート}だからああいうスタイルな訳だ。これが逆で、クロエが前衛だった場合は近接戦で無双状態になる。もちろん、後衛から豪拳や鉄壁の支援は受けてな」
「なるほど……器用な人だ」
 カナリーは少し迷った。
 このままだと、アイアンオックスが復活する。
 しかしシルバは動かないし、どうするつもりかと思ったら、急に敵の周囲に白い煙が吹き出し始めた。
 クロエはキキョウと共にデーモンナイトを相手取りながら、壁にめり込んだアイアンオックスを仕留めたヒイロに声を掛ける。
「カートンさんの仕掛けた煙幕です。アイアンオックスの足並みが乱れている内に、ヒイロ君」
「おうさー!」
 ヒイロは大きく骨剣を持った腕を掲げると、煙の中に突進していった。
 戦闘が終わったのは、それから五分後のことだった。


 休憩を取ることになった。
「さて、お疲れ様でした。回復掛けますね」
 クロエが印を切り、淡い青光がキキョウとヒイロを包み込む。
「本当に何でも出来るな、クロエ殿は」
「いえいえ、どれもこれも中途半端ですよ。広く浅くが私のモットーでして。まあ、シルバとはまるで逆ですね」
「確かに」
 唸るキキョウの隣で、ヒイロとタイランも頷き合っていた。
「不思議な感じだよねー。結構戦ってるのに、あんまり疲れた気になんないの」
「そう、ですね……シルバさんとは全然スタイルが違いますけど、自分の仕事に専念できるというか」
 少し離れた場所で地図を確認していたシルバに、クロエは近付いていく。
「評判は上々のようだな」
 地図から目を離さないままシルバが言う。
「私はいつも通りやってるだけですけどね。それに、後衛の人達は、現場に着いてからが本番ですよ」
「もうそろそろか」
「そうですね。ま、少し休憩してからもう一踏ん張りって所でしょう」


 大きな広間は、中央に天幕が設置され、さながら野戦病院のようだった。
 床に敷かれたシートの上に、十数人の怪我人達が横たわっている。
 聖職者や治療師達が、せわしなくその間の行き来を繰り返し、屈み込んでは傷の手当てを行っている。

「さすがに回復一発で終了って訳にはいかないな……」
 シルバも範囲回復術である{回復/ヒルグン}を唱え終え、呟いた。
 青白い聖光に包まれ、怪我人達の表情は幾分和らいだが、起き上がれる者はごく少数だ。
「そりゃ、それだけで済むなら、こんな大人数の救助隊にはなりませんよ。何しろ揃いも揃って、まともに歩けないほどの重傷ばかりですしね」
 クロエの指摘通り、中にはミイラ男じゃないのかと言わんばかりに包帯まみれの男もいた。
「うん、ま、ここまで温存させてもらったことだし、仕事するとしよう」
「ええ、よろしくお願いします」
 シルバは、呻き声を上げる重傷者に近付いた。
 動けない状態にある戦闘不能者の意識と活力を引き上げる『{復活/ヤリナス}』は、基本的に一人ずつにしか使えないのだ。


『復活』で魔力を使い切ったシルバは、部屋の壁にもたれかかって座り、一人マジックポーションを飲んでいた。
 そこに、布の鞄を持ったカナリーが近付いてきた。
「シルバ。こっちの方が効率がいいよ」
 言って鞄から取り出した薬瓶の中身は、市販のモノとやや色が異なっていた。
「お前の手製か」
「うん、精製してみた。これから、本部に渡しに行くところだったから、丁度よかった」
「ありがたくもらっとく」
 シルバはカナリーから、マジックポーションを受け取った。
「念のため、あと二本ほど持っとくといい。復活は魔力の消耗が激しいだろ」
「だな。正直助かる」


「さて……」
 回復したシルバは、部屋の隅に向かった。
 その一帯の石畳は強引に剥がされ、土がむき出しになっていた。
 そしてその土には、緑色の薬草や穀物の穂が所々生えていた。
「……えらい事になってるな、ここは」
「お兄」
 土いじりをしていた猫獣人ならぬリフが立ち上がり、とてとてとシルバに駆け寄る。
 そのまま、ぼふ、とシルバの腰にしがみついた。
「いや、言ったのは俺だけどさ。ここだけ農園状態だから面白いよなって話」
「にぃ。おくすり出来るまで、もうちょっと」
 頭を撫でられくすぐったそうにするリフの言う通り、土に生えている草や穂は、少しずつ成長していっていた。
 少し、といっても普通の草や穂に比べれば、遙かに成長が早い。
「毒消しに麻痺の除去、粥用の穀物……うん、種が無駄にならなくてよかったな」
「に」
 さすがに目立つ為、聖職者達が何事かと足を止めては、臨時農園を見ていた。
 シルバは小さな農園の横にしゃがみ込んで休憩している、タイランに視線を向けた。
「タイランも、石畳引っぺがしたりの力仕事、ご苦労さん」
「い、いえ……この状態だと、これぐらいしかお手伝い出来ませんから」
「に……そんなことない。リフ、助かった」
「『中』の力を使えば、もうちょっと効率がよかったんですけど……」
 タイランの『中』、すなわち人工精霊の力だ。
「ま、それはもうしょうがないってレベルだろ。わざわざお前の正体を晒すリスクをおかす事はないよ。その分は、こっちが頑張ってるし」
「に。タイランの分もがんばる」
「それにタイランは、ここまで戦ってきたんだし、むしろ少し休んどいてくれていいと思う」
「は、はい」


 怪我人の治療に戻ったシルバは、冒険者の折れた足を診察していた。
「これは{回復/ヒルタン}かな」
 回復は基本の術だけに、多くの聖職者が使えるが、{復活/ヤリナス}となるとそんなにはいない。
 という訳で、復活の術が使えるシルバは、こういう場合は他の聖職者に任せて、自分の魔力を温存するように言われていた。
「……治るか? 痛ちちち……」
「治りますけど、担当が来るまでもうちょっと待って下さいね。それまでの痛み止めに、ちょっとこれ使いますよ」
 シルバは眼鏡を掛けると、袖から小さく細い針を取り出した。
「……針なんて、どうするつもりだ?」
 冒険者は不安そうだ。
「痛みを抑えるポイントがありまして。そこを突けば、今より楽になるんですよ。東方の医術です」
「だ、大丈夫なのか、それ?」
「ええ。ほら、こんな具合に」
 シルバは、自分の指に針を突き刺した。
 痛覚のないポイントだし、血が流れないように刺したので、冒険者も安心したようだ。
「……分かった。やってくれ」
「ええ」
 人間の肉体は地水火風の四つから成り、シルバの掛けている精霊眼鏡はそれを見抜くことが出来る。実戦でとっさに刺す事はまだまだ難しいが、こうして落ち着いた状態でなら、霊穴のポイントを刺激することぐらいは可能なのだ。


 どうやら、怪我人の数も大分落ち着いてきたらしい。
 シートの周囲をノンビリ歩いていると、何だか見覚えのある小柄な鬼っ子が早足で動いているのを見つけた。
「……つーか、お前は休んどけって言ったような気がするんだが、ヒイロ」
 粥の器の載ったお盆を運んでいるヒイロを、シルバは呼び止めた。
「だってさー、みんな働いてるのに、自分達だけ休憩って何だか落ち着かないんだもん」「ま、働きたいんなら助かるけどな」
 言って、シルバはヒイロの髪をガシガシと掻き混ぜた。
「うん。あははくすぐったい」
「ほんじゃま、しっかり仕事してこい」
「うん!」
 軽く背を叩くと、ヒイロは駆け出した。
 ……こけたりしないだろうな、とシルバはちょっと心配になる。
 そんなヒイロの背中を見送っていると、不意に後ろに気配を感じた。振り返ると、キキョウが少し弱った顔で立っていた。
「シルバ殿。某にも何か出来ることはないだろうか」
 不安そうに、尻尾をゆらゆら揺らしながら訊ねてくる。
「お前もか、キキョウ」
「うむ。実際、もう疲れもなくなっていてな。退屈だからと眠る訳にもいくまい」
「それはさすがにな……」
 シルバはキキョウに出来そうな仕事を考えた。
 それからふと、前にキキョウが言っていたことを思いだした。
「ちょっと思いついたんだけど、キキョウは確か、幻術って使えたよな」
「む? うむ、目眩ましのようなごく簡単なモノだがな」
「じゃあさ、痛みだけ誤魔化したりとか、出来ないか?」
 シルバの問いに、キキョウはその意を汲んだ。
「……ああ、なるほど、麻酔代わりという訳か」
「うん。で、どうだ? 回復要員が回るまでの短時間だと思うけど」
「その程度なら、おそらく可能だと思う。やってみよう」
「そうか、助かる」
 しかし、キキョウはその場を動かなかった。
「うん?」
「や、シルバ殿。その、某の頭も撫でてもらえると、さらにやる気が出るのだが……」
 赤い顔をして言うキキョウに、シルバは唸った。
 ……どうやら、ヒイロにしていたのを見ていたらしい。
「……ちょっとだけだぞ」
「う、うむ」
 キキョウと一緒に広間の隅に移動する。
「じゃあ、頑張って仕事行ってきてくれ」
「う、うむ」
 嬉しそうに耳と尻尾を揺らす、キキョウだった。
「……何やってるんだい、君達は」
「わひゃうっ!?」
 いつの間にか近付いていたカナリーが呆れたように言い、キキョウは文字通り跳びはねた。


「大体終わったな」
「ええ、お疲れ様でした」
 広間の騒ぎも大分落ち着き、シルバはクロエと一緒にシートの外側を歩いていた。
「……にしても、妙に不自然な話だと思わないか? 今回の全滅の原因」
「そうですね。取り分を巡っての仲間割れ……らしいんですけどねぇ。どうも、その時の状況が酷く曖昧というか……」
「うん。一応はハッキリしてるんだけど、妙に不自然な感じがするんだよなぁ」
 冒険者達の話に、おかしな所はない。
 何かを隠している様子もない。
 ……が、どこか引っ掛かるモノをシルバは感じていた。
 んー、とシルバは唸った。
「女性冒険者達の失踪については?」
「おそらく無事だった女性達がパーティーを組んで、一足先に脱出したんじゃないかと」
「でも、それだと普通、ギルドに連絡が行くよな」
 シルバは、クロエの推測に一応、反論してみた。
「生きて脱出できていればの話ですけどね?」
「そりゃもっともだ」
 死んでたら、連絡もへったくれもない。
 冒険者なのだから、その可能性は当然ある。
「もしくは、人さらいが女性だけさらっていった線」
「それもありえるなぁ。何か聞いた話だとみんな美人だったらしいし」
「どんな美人か気になってます?」
「当然」
 シルバは正直に頷いた。
 男としては、美人と聞けば興味を抱くのは、そりゃ当たり前だ。
 というか、仲間割れを起こした冒険者のリーダーと一応、もし見かけたら……という名目で精神共有の契約は既に成立している。
 そして、記憶の一部を少々見せてもらった。
 実際、彼の記憶にある、いなくなった女性冒険者達は皆、そこそこの美人だった。
 ……まあ、タイランやカナリーには負けるけど。
「自分のパーティーで、あまりそういう事言っちゃ駄目ですよ、シルバ」
 笑顔のままのクロエの指摘に、ちょっとギクリとした。
「だーからー、一応ウチのパーティーは全員男だと」
「シルバがどう言おうと、不機嫌になる人がいるのは確かですからね」
「……う、うん?」
 何となく思いつく奴がいるにはいるが、深く考えるのはやめる事にした。
「……とぼけているのか、素で分かっていないのか微妙な所ですがさて。仲間割れを起こした彼ら、彼らを発見した冒険者、そして私達」
 クロエは一旦言葉を句切った。
「人さらいはありえます。つまり、救援を呼んだ冒険者が訪れる前に、誰かがこの広間に入り、取れるだけのモノを取っていった可能性」
「っていうか、高価な装備やアイテムが奪われている点からも、妥当だよな、それは」
「うん。自業自得ですけどね」
「確かに、取っていった連中の倫理観もどうかと思うけど、あまり同情は出来ないよなぁ……これ、被害届って出るの?」
「出ないでしょう。冒険は自己責任ですからね。彼らが犯人捜しに誰かを雇う線はあるかもしれませんが、それも含めて装備やアイテムの奪還は、自分達で落とし前を付けるはずです。今後の為にもね」
「だよなぁ……他の冒険者達に舐められるもんな」
 そういう意味では、積極的な犯人捜しなんて大きなお世話だろうし、そもそもシルバ達がそこまでしてやる義理もない。
 奪われたモノは、自力で取り戻す。
 でなければ、冒険者などやっていけない。
「――でも、俺達でも、その連中の目星は付けておいた方がいいと思う。あまり感心できる連中じゃないしな」
「しかし、どうやって? 装備やら何やら奪われてた時、彼らみんな気絶してたみたいですよ」
 そう言われると、頭を抱えてしまう。
「それなんだよなぁ……もし装備類を盗んだ連中を見つけたら連絡しますよって、あの冒険者連中のリーダーとは、精神共有の契約をしておいたんだけど」
「はい」
 地味に理由を変えたシルバだったが、特にクロエは何とも思わなかったようだ。
「……確かにその時の記憶はえらい曖昧で、よく分からん」
 美人冒険者の記憶と一緒に、仲間割れの時の記憶ももらってしまったのだが……。
「ちょっと私にも見せてもらえますか?」
「おけ」
 シルバは、クロエに情報を送り込む。
 諍いを起こす冒険者達。
 次々と倒れていく彼らを、斬り伏せていく剣士の一人。
 魔法使いの一人が紫電の魔法を放ち、さらにメンバーは減っていく。
「……うーん。何でしょう、このモヤモヤ感」
「だろ?」
 ちなみに手練れの剣士も雷撃使いの魔法使いも、ちゃんと冒険者達の仲には存在している。
 強いて言えば、妙にこの時の争いの時の、みんなの顔が薄ぼんやりと曖昧なのだ。この記憶はリーダーの主観であり、それも珍しくはない。
 だから、二人揃ってしっくりと来ないのだ。
 などと眉をしかめ合っていると、カートンが近付いてきていた。
「つーか、二人して何の話してるのさ」
「おう」
「えらく、そっちの剣士が気にしてたみたいだぞ」
 カートンは少し後ろで様子を伺っていた、キキョウを指差した。
 聞こえていたのか、ピンと尻尾を立てて、駆け寄ってくる。
「そ、そそそ、某はそんなつもりはなくてだな。ただ、二人して難しい顔をしていたから、何の相談をしているのかと……」
「それを、気にしてるって言うんじゃねーか」
 シルバは言い合う二人に、事情を説明した。
 すると何事かと、他の面子まで集まってきた。
「そういう事なら、オレとかこっちの子にも見せろよ。盗賊が三人もいたら、何か手掛かりが分かるかも知れない」
「に」
「そういう事なら、僕らも一緒させてもらうかな。ねえ、ヒイロ、タイラン」
「だねー。何も分からないかもしれないけど、もしかしたらって事もあるし」
「は、はい……何かお力になれるかもしれませんから……」
「んじゃまあ……」
 シルバは、全員と記憶を共有してもらう。
 基本的に精神共有は、人数と距離で送受信の情報量に違いが出て来る。
 とはいえ円陣が作れるほどの距離なら、七人程度なら特に過不足なく情報を共有する事は出来た。
 ……ただ、ほぼ結局全員が、同じように難しい顔になっただけに過ぎないが。
「……これ、認識偽装か?」
 ボソリ、とカナリーが呟いた。
「え?」
 シルバが訊ねると、カナリーは軽く首を振って苦笑した。
「いや、単なる思い付きなんだ。古い吸血鬼のお話なんだけど、合意じゃない吸血を同じ相手に行う時に、毎回記憶を奪っていたっていうのがよくあるんだよ。でないと、家の人間に警戒されるからね」
「夜這いみたいですね」
「夜這いそのモノだよ」
 クロエの言葉に、カナリーは即答した。
「そうか夜這いか」
「……夜這いだね」
 シルバがしみじみ言い、カナリーは白い頬をわずかに赤らめた。
 ジトーっとしたキキョウの視線をスルーし、小さく咳払いをする。
「でまあ、それがばれて、ハンターを呼ばれてしまう。ハンター対吸血鬼の戦い、と」
「それもまた、古典だねぇ……ただ、話の中心はそれじゃなくて認識偽装。僕ら吸血鬼や淫魔、夢魔のような魔族なら、よくやる手なんだ」
「彼らもそれを受けていると?」
「何か、そんな臭いを感じたんだけど……同族でもない限り、ちょっと分からない感覚だと思う。シルバ、ちょっといいかい」
「あ、ああ」
 シルバの額に、カナリーの指が当てられた。
「うん、この方がやりやすい。認識偽装にカウンターを当ててみる」
「何それ?」
「認識偽装は一瞬の催眠術だからね。それを解くって事。シルバ、僕の目を見て」
「りょ、了解」
 シルバは、カナリーと目を合わせた。
 ……やはり、相手が女性だと分かっていると、これは妙に緊張してしまう。
「何だか妖しい雰囲気ですねぇ」
「うぅー」
 ニコニコしながら言うクロエに、握り拳を作るキキョウ。
 次第に、記憶を共有していた全員の脳裏に、ある映像が浮かび上がってきた。
 自分を見下ろす、青年の姿だ。
「ん、誰か出てきた?」
「ちょっとボンヤリしてて、分からねーな」
 見下ろされているのは、冒険者のリーダーが床に這いつくばっているせいだろう。
 部屋が薄暗いせいか、顔も服装もやはり薄ぼんやりとしか分からない。
 柔和そうな……眼鏡を掛けているのだろうか。貴族的な身なりの青年……のようだ。
「にー……?」
「どうした、リフ」
「に……この人見覚え、ある、かも」
「え?」
「前、お仕事のとき、見た……と、思う」
「……ちょっと、それ、思い出してくれるか? 全員また、共有してもらうぞ」
 それは、リフが新米パーティー『ツーカ雑貨商隊』の手伝いをしていた時の記憶だった。店先でのやり取りだ。

「わぁ、可愛い店員さん。二人もそう思わない?」
「いいえ、貴方の美しさには敵いませんよ、**さん」
 豪奢なマントを羽織った、金髪紅眼の眼鏡青年が柔和な笑みを浮かべる。
 リフには彼が、吸血鬼である事が分かった。
 一方**と呼ばれていた黒髪の青年も頷いていた。
 こちらも人間ではない、とリフは直感で感じた。見かけは人間だけど、ちょっと違う。
 登場人物は三人。
 リフの記憶が解けると、シルバとカートンは何か見覚えのある奴がいた事に、顔を見合わせた。
 カナリーは、苦虫を噛み締めたような顔になっていた。
「……クロスだ」
「クロス?」
「僕の腹違いの弟で{半吸血鬼/ヴァンピール}だ……なるほど。なるほど、女性の失踪……アイツならすごく、ありえる話だ」
 カナリーは、パーティーのメンバーに語り始めた。
「クロス・フェリーは、僕の父と人間の母親との間に生まれた子供だ。{半吸血鬼/ヴァンピール}という生まれだけに、家督を継ぐ事は難しいだろう。しかし、正直僕よりもよほど吸血鬼らしい」
「どういう意味で?」
 シルバの問いに、カナリーは軽く肩を竦めて自嘲した。
「悪い意味で。古い時代の吸血鬼タイプというか、大抵の人間を餌としか見ない点とかね……今の時代の吸血鬼は、人間の血を妄りに吸う事は許されないんだ。好き放題にしておくと、人間滅びるしね。吸血鬼には吸血鬼のルールが存在するんだ。最低でも相手の同意が必要だし……」
 シルバと目が合うと、カナリーは慌てて目を逸らした。
「……眷属にするならそれこそ、無責任な真似は許されない。使い捨てで人間の血を吸う事なんて、許されないんだ。そうした吸血鬼には、それなりの制裁が待っている」
「という事は」
「うん。知ってしまったからには、僕も本家の人間として報告せざるを得ない。流れとしては、本家から捕縛の為、誰かが派遣される」
 ふぅ……と、カナリーは重く息を吐き出した。
「もしくは、僕に捕縛命令が下される。むしろ、こっちの方が濃厚だね」
 話が終わると、シルバはカートンと顔を見合わせた。
「……そのクロスってのを捕まえるのは手伝うとして」
「……ノワちゃんが絡んでるのかぁ。何て因縁なんだか」 
 は、とカートンは今の子供の姿には相応しくない、力ない笑みを浮かべた。
「手伝うか、カートン」
「冗談。あの子と会ってからオレの運、ガタ落ちなんだぜ。もー、関わるのはゴメンだね」
「ま、こっちはそういう訳にはいかなさそうだけどな」
 当然、シルバはカナリーを手伝う気でいた。
 しかし、それを遮ったのはカナリー自身だった。
「いや、シルバ。これは僕の家の個人的な問題だ」
「お前とクロスって奴はな」
 シルバの言葉に、ヒイロが同調する。
「だよねー。一対一ならともかく、向こうにも仲間がいるんでしょ。こういう時は、助け合ってナンボだよ」
「いや、しかし……」
 カナリーは何か言いたげに、シルバに視線を送ってきた。
 どうやら、個人とかパーティーとか、そういう事とは別に何か、問題があるようだ。
 精神念波で話をしてもよかったが、何となく厄介そうな雰囲気をシルバは感じた。
「ま、その話は戻ってからにしよう。とにかくあちらのリーダーさんにも報告する必要はある」


 自分達に掛けられていた認識偽装を解かれ、襲撃されたグループのリーダーは、悔しそうに頭を掻きむしった。
「……ああ、そうだ畜生。どうして今まで、思い出せなかったんだ」
「ウチの仲間に言わせると、吸血鬼の催眠は相当強力らしいですからね。弱っている時にやられると、たまらんそうです」
 カナリーは、他のメンバーに掛けられていた暗示を一つずつ解いていっている。
「……とにかく、礼を言うぜ」
 シルバとリーダーは力強い握手をした。


 手加減抜きで握られた手を振りながら、シルバは壁際に移動した。
「礼より、出来れば現金とかの方がよかったんだが」
「超俗物な発言ですね、シルバ」
 溜め息をつくシルバに、クロエは苦笑いを浮かべた。
「お前の見立てではどうなると思う? 俺ならギルドに報告してそっちに任せるけど」
「あの様子だと、むしろ私刑になりそうですね。……ギルドに言っても、何せ現状、証言だけですから、すっとぼけられるかも知れません」
「ま、吸血鬼のしきたりってのもあって、こっちはこっちの事情で動くって事だけは念のため、伝えておいたけどな」
 どちらが解決してもいいけど、かち合うのだけは避けたいなと思うシルバだった。


 それから、回復したグループの連中と一緒に、シルバ達は奥の施設の探索を行う事となった。
「見えないところよりも見えるところに気をつけろ。そういうところは警戒が薄れるから、むしろあからさまに罠が張ってあっても気付かなかったりするんだ」
「に」
 小さい金髪少年のアドバイスに、小さい獣人の子供は熱心に頷きながら、罠の確認を済ませていく。
「ま、遺跡ん中はほとんど空っぽいけどなー」
 トラップのチェックに余念のないリフを眺める金髪少年、カートンはボリボリと頭を掻いた。
「根こそぎか」
「いんや、シルバ。そもそも金になりそうなモノが少なそうな臭いっつーか……重要なモノは。数点。その数点がなくなったって感じ? ま、勘だが」
「お前の勘はこういう時、洒落にならないからなー。何かの工房か……」
 シルバは、石造りの施設を眺め回した。
 相当に広い……はずなのだが、今はもう『死』んでいる石製の実験装置の数々がとにかく雑然としていてどこか手狭な印象を受ける。
「シ、シルバ殿。そろそろ某達は動いてもよろしいか」
 後ろで待っていたキキョウが、遠慮がちに声を掛けてきた。
「ん、ああ、悪い。問題ない」
「お金になりそうなモノはホント、なさそうだなー。まああっても、あっちのリーダーが持っていっちゃうんだけど」
「にぃ……」
 ひょいひょい、とカートンとリフは軽い足取りで施設の奥へ奥へと進んでいく。
 その後ろをシルバ達はついていった。

 やがて、シルバ達は、何だか手術室をイメージさせる場所についた。
 石製の寝台に、照明だったとおぼしき装置群。
 傍らには文字の刻まれた大きな石板が設置されていた。
「……うん、何かの説明書か?」
「読めるのか、シルバ殿」
「魔法の師匠だった人が、古代の魔法使ってて、その関係で少しだけな。んー……」
 眉をしかめるシルバに、タイランも横から石板を覗き込んできた。
「……ちょっとまずいモノかもしれませんね、シルバさん」
「お。タイランも読めるのか」
「は、はい……父の研究にはそういうモノも含まれていましたから……」
「それで、まずいとは?」
 キキョウの問いに、シルバは難しい顔で頷いた。
「うん。人造人間の工房だったみたいだけど……その、何だ。問題があって、起動見合わせてるとかかんとか……駄目だな。こういうのは、素人が中途半端に解読しても、ロクな事にならない。学習院で古代語専門の人に解読してもらった方がいい」
「先輩。メモ取るより、直接持って行った方がいいんじゃない?」
 石板は、何かに固定されていた訳ではなかったらしく、あっさりとヒイロが持ち上げた。
「っておいヒイロ。お、重くないか?」
「へーきへーき」
 {鬼/オーガ}族の膂力では、ラージシールドほどある石板も、それほど大した重量には感じられないらしい。
 ただ、シルバとしては、割れないようには気をつけて欲しいなと思う。
「ま、持って帰れるかどうかは、リーダーさんの許可次第だな」
 一見するとそれほど価値もなさそうだし、大丈夫だろうと踏むシルバの背後で、何やら唸り声がしていた。
「むうぅ……」
 振り返ると、キキョウが腕を組みながら何か考え込んでいた。
「どうした、キキョウ」
「某の役に立てる仕事がない……」
 シルバが問うと、へにゃり、と耳と尻尾が垂れ下がった。
「いや、ここに来るまでで充分役に立ってるし、帰りもあるし」
「…………」
 シルバのフォローにも、納得がいっていないのか。やはりキキョウは元気がなかった。
 ……地上に戻ったら、ちょっとフォローがいるかな、とシルバは考えた。


 地上への帰還は、それほど難しくなかった。
 半日ほどで{墜落殿/フォーリウム}を出たシルバ達一行は、救助したグループの面々とも別れ、自分達の集会場所『弥勒亭』に戻った。
「報酬は微々たるモノですが……」
 クロエから、金袋をもらう。
 仕事が一段落し、既に部屋の中は宴会ムードだ。
「ま、あの石板次第だな」
 喧噪の中、シルバは自分のすぐ後ろの壁に立てかけられてある石板に視線を向けた。
「アレに、それほど価値があるようには思えませんけど」
「どうだろうな。案外、モノになるかもしれないぞ」
 コン、とシルバは石板を叩いた。
 その音は、鉱物に詳しい山妖精が聞けば「ほう」と頷くいい音がしていた。


※とりあえずリタイヤPT編終了。
 次は久しぶりに学習院で、先生の出番です。
 あと、何人かのフォローとか。
 ……三日も間隔が開くと、ずいぶん久しぶりという感じですね。



[11810] ノワ達を追え!
Name: かおらて◆6028f421 ID:7cac5459
Date: 2010/01/10 21:03
ノワ達を追え!
 その日、シルバとキキョウは学習院を訪れた。
「ようこそ、我が研究室へ」
 古代語を専攻する学者ブルースは、浅黒の肌を持つ二枚目の中年男だ。
 彼は大仰に両手を広げて、二人を出迎えてくれた。
 数日前に、迷宮から持ち帰った石板の解読を依頼し、これが二度目の訪問となる。
「今日は二人だけかな?」
「ええ。訓練とか色々予定がありまして」
 カナリーは、本家の人間と話があると別行動を取り、新米組の三人はそれぞれ訓練に精を出していた。
 その話を聞くと、ブルースはガクリと肩を落とした。
「そうか。あのヒイロ君にはなかなか興味があったのだが……待て待て。ドン引くな。最後まで話を聞きたまえ。俺が興味があるのは鬼の言語だ。決してやましい意味があって言ったんじゃない」
 実際、シルバとキキョウは、ブルースからやや距離を置いていた。
「そ、そうですか。あー、ビックリした」
「そ、某もだ。言っては何だが、本当に大丈夫なのだろうな」
「はは。彼や、あのリフという子がもしも女の子だったら、俺もやばかったかもしれないがね」
 笑って言うブルース。
 対照的に、シルバ達には緊張が走る……!
「キキョウ。この研究室に、決してヒイロとリフを近づけるな……!」
「承知……!」
「というか、この人に女っ気がない理由が、ちょっとだけ理解出来たような気がする」
 言いながら、シルバは勧められるまま、ソファーに座った。
 その隣にキキョウも座る。
「まあ、あの二人が来れないのは残念だが、いいだろう。例の石板の文字だが、解読出来たぞ」
 茶を出しながら、ブルースが言う。
「助かります」
「気にしなくていい。他ならないカプリス先生の頼みでもあるしな。そしてあの石板に書かれていたのは、君らの推測通り、施設にあったと思われる人造人間に関する説明書だ」
「人造人間っていうと、錬金術師の管轄ですね」
「ああ。大昔の錬金術師の工房だったのだろうね。量産体制に入る前の、試作品だったようだな。ただし、起動は見合わせられていた。危険という理由でね」
 茶を飲もうとしていた、キキョウの手がピタリと止まった。
「……危険ですと?」
「……すごく嫌な予感がするぞ」
 同じように、シルバも固まっていた。
「その前にあの人造人間が造られた目的から話そう。オルドグラム王朝があった頃は、労働力の多くは、所有者に絶対服従する、人造人間の奴隷でね。これもその一つだったと思われる」
 香茶を一口啜り、ブルースは頷く。
「同時に人造人間は娯楽でもある。闘技場で戦わせたり、夜の供にされるケースも少なくなかったという」
「よ、夜の供……」
 その単語に、キキョウは顔を赤らめた。
「報告では、寝台は大きかったそうだな。……実に……実に残念だ」
 本気で落胆するブルースに、シルバはこめかみを揉みながら話を促す。
「先生の性的嗜好はどうでもいいんで、話を続けて下さい」
「解読した限りでは、そこにあった人造人間は日常の世話係兼、娯楽用だったようだ。さっき話した、闘技場で戦わせる為のね」
「つまり、戦闘用でもある訳ですね」
「ああ。それで問題点なんだがまず一つ目」
「一つ目?」
 聞き咎めるシルバに、ブルースは指を三本立てた。
「出血大サービスで、何と三つもある」
「……あまりいい話じゃ、なさそうですね」
「そりゃ、問題点だからな」
「……人造人間を持ち出した連中の心当たりはあるんで、先生の方から伝えてもらえませんか?」
「ギルドの方には伝えてもいいさ。危険だからな。けど、お前達にも聞いてもらうぞ。ここに持ってきたのはお前らだからな」
「……分かりました。お願いします」
 まあ、聞かなければ、それはそれで後で後悔しそうな気もするので、シルバは頷かざるを得ない。
「一つ目はパワー面の制御の問題。色々とやり過ぎてしまうらしい。しかも、この人造人間のパワーは相当にあるようだ。おまけにタフで壊れにくい」
「モノを壊しやすい?」
「そういう面もあるだろうな」
 そして、とブルースは言う。
「二つ目に、闘技場用の戦闘モード。普段は日常モードだが、一度戦闘スイッチが入ったら、戻らない」
「おいおい」
「問題どころか、欠点ではないですか」
 さすがに二人は突っ込んだ。
「ああ。だから、普段に使う分には問題はないんだ。その状態で戦う事だって一応は可能だしな。しかし、戦う為だけに特化した闘争本能にスイッチの入った戦闘モード。これになると、もう戻る事が出来ない。エネルギーが切れるまで、動くモノを破壊し続ける暴走状態だ」
「……それ、迷宮から持ち出した連中が、把握してると思います?」
「分からんよ。だから、ギルドには報告するけど、君らも動けって話さ。キーワードは『バトロン』。うっかり契約者が使ったら最後、もう止まらんぞ」
「……聞かなきゃよかったです」
 ブルースの話によると、契約者以外が言った所で、効果は発揮しないらしい。
「諦めろ。最後に三つ目。これが一番厄介だ」
「……二番目以上に厄介なんですか?」
 もうお腹いっぱいなんだけどなぁと思うシルバだった。
 しかし、ブルースは非情にも三つ目の問題とやらを説明し始める。
「その人造人間、精霊炉が試作品らしくてな。長時間駆動させると、中に宿る炎の精霊が熱暴走を起こすらしい。おや、どうした二人とも? 遠い目をして」
「……いえ、何というか酷い既視感を覚えておりまして」
「……シルバ殿。仮面は封印してしまったぞ」
 特に精霊炉、という辺りが何とも言えず懐かしい。
「これも、身の回りの世話レベルならば、大した問題じゃない。しかし何だ。戦いに参加したりすると、日常モードでも動力炉の負担も大きくなる。騙し騙し使えば問題はないだろうが……最終的に炉が限界を迎えると、広範囲の大爆発を引き起こす」
「ば、爆発!?」
「ああ。だから、さっさと起動停止の忠告をした方がいい。本来は、眠ったままなのが一番いいんだが……ま、悪い方に考えておいた方がいいだろうな」
 実際、人造人間は持ち出されているのだ。
 楽観的に考えるのは、さすがに脳天気にすぎるだろう、というのがブルースの意見だった。
「ま、その三つさえ解決すれば、実に契約を結んだ相手に絶対服従する素晴らしい人造人間が出来あがるだろう、という話さ」
「一つ目はまだともかくとして、他二つがやばすぎないか」
 キキョウの問いに、ブルースは頷き、解読済みのレポートを開いた。
「だから、開発者も起動を自重したんだろう。うん、最後にその開発者の名前が記されてある」
「一応聞いときましょう。そんな大昔の人間の名前を聞いても、何の参考にもならないと思いますが」
 とりあえずこの香茶を飲んだら、すぐに動かないといけないな、と思うシルバだった。
 隣を見ると、同じようにキキョウも考えているらしい。
「ああ、ここだ。錬金術師ナクリー・クロップがここに記すとある」
「「ぶぅーっ!?」」
 シルバとキキョウは同時に香茶を吹き出した。


 シルバの上司であるストア・カプリスに軽く挨拶だけ済ませて、シルバとキキョウは早足で学習院を出た。
「それでどうするのだ、シルバ殿。この{辺境都市/アーミゼスト}一つとっても広いぞ。それに加え、{墜落殿/フォーリウム}も範囲に入る」
 大通りを歩きながら、キキョウが尋ねてくる。
 シルバは頷きながら、キキョウの意見を補足した。
「さらに加えるなら、他の小さな遺跡の探索の為、他の街や村に移動しているかも知れない」
「うむ、その通りだ」
「もしそうだとしても、墜落殿の探索者がそのまま余所に行くって事はあまり考えにくい。成果を捌かないとならないしな。何にしろ必要なのは情報だ」
「となると……盗賊ギルドか?」
 キキョウは、横の通りに目を向けた。
 盗賊ギルドは、この先にある。距離は少々遠いが……。
 しかし、シルバはその通りをやり過ごした。
「普通ならな。けど、状況が状況だしもうちょっと効率よく行こうと思う。実は、ノワの居場所は、ある程度なら分かる」
「何……!?」
「だって俺、前のパーティーの連中と、精神共有切ってないからな」
「あ……」
 広場に入ったシルバは、屋台に足を向けた。
 そういえば、まだ昼食も食べていない事を、キキョウも思い出したようだ。
「いや、実は最初は、人海戦術で行こうと思ったんだわ。この都市と、{墜落殿/フォーリウム}を探索している精神共有の契約中の連中と、一斉に接触する形でな。――すみません、チーズドッグのセット二つ」
「あいよ!」
 注文を受けた、屋台の親父が威勢のいい声と共にホットドッグを焼き始める。
「一斉に接触とは……なにやら聞いただけで死にそうな話なのだが」
「うん。精神強化する薬飲んでやっとって方法だから、その前にノワと繋がったままなのを、思い出してよかった。直接、精神接触しないで、居所だけを感覚で探査する。ちょっと試しに、リフでやってみるぞ」
「チーズドッグセット二つお待ち! 10カッドだよ!」
「あいよ」
 シルバは懐から財布を出して、小銭を親父に渡した。
「あいや、シルバ殿。ここは割り勘にするべきだ」
「これぐらいいいって。とにかく席に座って話を続けよう」
 シルバはトレイを持って、さっさと空いているテーブルに向かった。
 チーズドッグを頬張りながら、シルバは自分の額に指を当てた。
 リフの意識に同調するよう、精神を集中させる。
「うん。今、リフが盗賊ギルドでカートンから講義を受けてるな。それに何かすぐ傍で、リフのお父さんが見守ってる。……ま、この辺の感覚は俺一人よりキキョウも直接感じた方が早いな。手繋げば共有しやすい」
 目をつぶったまま、シルバは手を前に出した。
「て、手か!?」
 キキョウは何だかわたわたしているようだった。
「……足でも構わないけど、歩けなくなるぞ?」
「こ、心得た」
 ひんやりとした手が、シルバの手を握り返してくる。
 その手目掛けて、シルバは自分が感じているリフの位置を、送り込んでいく。
「……おおう」
 シルバは目を開いた。
 シルバの意識と同調したキキョウは、衝撃に目を見張っているようだった。
「ま、普通はやらない。プライバシーの侵害になるしな。けどこれなら、ノワの居場所ぐらいなら」
 さっきと同じ要領で、シルバは覚えているノワの意識の感覚を探り出す。
 自分を中心に精神の幅を広げ、都市全域に自意識を浸透させる――引っかかった。
 シルバとキキョウは、同時にその方角を向いた。
 ノワの意識らしきモノが引っかかった場所の大体の位置は分かった……が。
「厄介な場所だな」
 ずず……とジュースをストローで吸い込みながら、キキョウは唸った。
「うん。荒っぽい連中の多そうな酒場だ。盗品を捌いてたのかもひれはひ」
 チーズドッグの残りを一気に口に放り込み、シルバも頷く。
 そして、精神共有を終わらせる。
 キキョウとも、手を離した。
「もう、通信を切るのか?」
「うん。あまり続けてると、向こうに悟られる。それにこれ、監視されてるみたいで、やられる方もたまらんだろ?」
「む、むう……そうだな。まあ、シルバ殿なら、必要な時以外はやらないと某は信じているが」
「んな立てられると困るって。聖職者っつっても、俺は俗な方なんだし」
 残ったジュースを飲みきると、シルバは立ち上がった。
「とにかく、精神念話で連絡はするけど、ウチの面子をここで集めてる暇はないだろ。連中が所有していると思われる、人造人間。アレの危険性を認識しているかどうかだけでも、すぐにでも聞かないとやばい」
「うむ」
 キキョウも席を立つ。
 トレイは、今度はキキョウが持った。屋台の方に返しに向かう。
「ところがどっこい、俺は喧嘩が弱い」
「……それは……某も認めざるを得ないな」
 トレイを返却し、二人は再び早足で歩き始める。
「うん。そんな訳でキキョウ。用心棒頼む」
「……ふ、任されよ。シルバ殿は、某の命に代えても守ってみせる」
「いや、命失うぐらいなら、二人で尻尾巻いて逃げようよ。お前に死なれちゃ困るし」
「む、むう……心得た。しかし、可能な限り、お守りいたす」
「うん。まあ、すごいアテにしてるから、近道で行こう。多分、絡まれると思うから、その相手は頼む」
「承知」
 久しぶりに、キキョウの尻尾が元気よく揺れ始めていた。


 薄暗く細い路地。
 シルバ達の行く手を、柄の悪い男達が五人ほど遮った。
「へっへっへ、兄ちゃん達――」
「すまないが、急いでいるんだ。通してもらうぞ」
 キキョウは、声を掛けてきた男の手を握ると軽く振った。
「――ぎゃっ!?」
 勢いよく男はその場で回転すると、周りの仲間達を巻き込んで倒れた。
「キキョウ、素手でも結構いけるんだなぁ」
「うむ――シルバ殿、後ろ!」
「この――」
 大柄なスキンヘッドの男が、シルバを捕まえようとする。
「うわっ!」
 とっさにシルバは、袖から針を滑り出させた。
 そのまま、相手の手に無造作に突き刺す。
 スキンヘッドの大男は怒りに顔を赤くしながら、大きな手を引っ込めた。
「あ痛ぁっ!? て、テメエこの糞ガキが……!!」
「――シルバ殿に何という口を利く」
 跳躍したキキョウのドロップキックが、スキンヘッドの大男を吹っ飛ばした。
「シルバ殿、無事か?」
 着地したキキョウは、へたり込んだシルバに手を差し出した。
 その手を握り、シルバも尻を叩きながら立ち上がる。
「ああ、何とか。ありがとな」
「れ、礼には及ばぬよ。当然の事をしているまでだ」
 ぴこぴこばっさばっさと耳と尻尾を揺らしながら、頬を赤くしたキキョウは路地の先を見据えた。
「そうか? おっと、目的の酒場は目の前だし、{回復/ヒルタン}掛けとくぞ」
 シルバが指を鳴らすと、青白い聖光がキキョウを包み込む。
「うむ。こちらこそ感謝だ」
 活力が満ちるのを感じ、キキョウは頷いた。
「んじゃ、急ごうか、キキョウ」
「うむうむ!」
 路地を抜けたシルバとキキョウは、酒場目掛けて駆け出した。
 その直後、破壊音と共に、酒場の扉が内側から破壊された。
 大柄な戦士が宙を舞い、二人の頭上を通り過ぎ、無様に地面に転げ落ちた。
「すごーい☆ ヴィクターって、すごく力持ちなんだね!」
 薄暗い店の向こうに屈強そうな銀髪の青年と、懐かしい商人の娘の姿を認め、シルバは頬を引きつらせた。
 目が合うと、商人の娘・ノワは軽く微笑み、青年の陰に隠れてべーっと舌を出した。
「……んにゃろうめ」
 久しぶりに会う知人に、小さく呟くシルバであった。


 シルバは、迷宮で全滅したパーティー達からノワ達の情報は得ていた。
 消去法から、武僧のような巻布衣装をまとった銀髪の青年――ヴィクターが、件の人造人間なのだろう。
「先に言っておく。俺は別にお前と喧嘩しにきた訳じゃない。用事が終わったら、すぐに帰る。過去の確執はなしだ。それでいいか」
 シルバはその場から動かず、ヴィクターの後ろに隠れるノワに言った。
 すると、ヴィクターは、後ろのノワに声を掛けた。
「あれも、やっつけるか」
「うんやっちゃって、ヴィクター☆」
「わかった」
 ヴィクターという銀髪の巨漢は、右手を突き出した。
「シルバ殿!」
「って、人の話を聞けよ、おい!?」
 シルバはキキョウのタックルを食らいながら、地面に倒れた。
 直後、シルバがさっきまで立っていた場所を、ヴィクターの放った精霊砲の光が貫いていた。
 シルバは起き上がりながら、銀縁眼鏡を取り出す。
「よくも、シルバ殿を……」
 既に立ち上がっていたキキョウは腰を落とし、臨戦態勢に入っている。
「よせ、キキョウ。さっきも言った通り、俺は話し合いに来たんだ」
「しかし!」
「……あのでかいのを戦わせないのが、第一の目的。それ以外は全部我慢だ」
「……心得た」
 渋々、といった感じに、キキョウは柄から手を離した。
 もっとも、収まっていないのが、攻撃を仕掛けてきたノワの方だ。
「さっきから二人で何ブツブツ話してんのよ! 第一、会うなりお前呼ばわりなんて超生意気で失礼じゃない! そう思うよね、みんな?」
 すると、ヴィクターの左右に、貴族風のマントを羽織った青年と、黒尽めの精悍な男が並んだ。
「確かに、ノワさんの言う通りですね。これは粛正が必要かと思います」
「俺も同意だ。少々痛い目にあってもらう。だが安心しろ。殺しはしない」
「……やっつける」
 ノワを守るように立ちふさがる三人のやる気は、充分シルバにも伝わっていた。
「ちょっ……何でそんなに血の気が多いんだよ、アンタらは。しかもなんか全員イケメンだし」
「いや! シルバ殿も負けておらぬ」
「「「「いや、それはない」」」」
 キキョウの断言は、言われた本人にまで突っ込まれていた。

「待てよ。俺達を忘れてもらっちゃ困るぜ」

 間に割って入ったのは、頭に二本の角を生やした小柄な鬼だった。丸いゴーグルにローブ姿。
「……{鬼/オーガ}族の魔法使いとは珍しいな」
 思わず、シルバはそんな感想を抱いていた。
 彼は、ヴィクターにも負けない屈強な肉体を持つ骨剣を携えた一本角の大鬼と、髪をポニーテールにした同じく一本角の細身の鬼女を引き連れていた。
 ふと思い出し、シルバは後ろを見た。
 先程吹き飛ばされた戦士も、額に角が生えていた。どうやら彼らの仲間らしい。
「物事には優先順位ってモンがある。俺達が先に見つけたんだから、コイツらを捕まえる権利は、俺達にある。そうだろう?」
 その台詞に、シルバはピンと来た。
「あ、もしかしてアンタ達、例の全滅させられたグループから雇われた……」
「何だ、知ってんじゃねえか。アンタらもその口だろう? 言っちゃ何だが、アンタら二人じゃコイツらをどうにかする事なんて出来ねえぜ?」
「そっちだって、やられたの合わせて四人じゃん」
「四人じゃなくて六人な。いいんだよ。ソイツらは力を見る為の駒だから」
 ……なるほど、言われてみれば店の端に倒れているのが二人いるのが見えた。
 しかし、倒れている彼らと比べても、鬼パーティーの三人はまず雰囲気や装備からして、違う。
 歴戦の強者といった雰囲気が感じられていた。
「シルバ殿……」
「……ああ、相当やる感じだ」
 キキョウに、シルバは頷き返した。
「あ、まだいたんだ」
 そして、ノワは相変わらず空気を読んでいなかった。
「ああ。ここからが本番だぜ?」
 小鬼の魔法使いが、杖を構える。
「あれもやっつけるのか、のわさま」
「オッケー♪ やっちゃって、ヴィクター。あ、クロス君とロン君もそっちが先ね」
「……いいのか?」
「ロン。ノワさんの意思が最優先ですよ」
「ああ」
 そして、シルバ達が止める間もなく戦いは始まった。
 ノワのパーティーはヴィクターが最前に立ち、鬼の巨大な骨剣や二刀を、その屈強な肉体で受け止める。
 ヴィクターの身体から血が噴き出すが、動ずる気配はまるでない。
「何だと……!?」
 予想外だった鬼達を、そのまま捕まえようと腕を伸ばしてくる。
 そんなヴィクターの様子に鬼達がわずかに怯んだところを、後ろから飛び出した吸血鬼達が逆に襲いかかった。
「食らいなさい……!」
 クロスが、鬼女と視線を合わせる。
 その途端、鬼の女は頬を赤らめ、クタクタとその場に跪いてしまった。
「イブキ、どうした!?」
「しまった、魅了の術……!」
 ロンの相手をしていた大鬼の戦士が驚き、魔法使いの小鬼が叫んだ。
「いまだよ、ヴィクター。やっちゃえ!」
「わかりました」
 ヴィクターがロンと組んで大鬼に襲いかかる。
 ノワはよほど自分のパーティーに自信があるらしく、戦う気はないらしい。


 一方、問答無用で始まった戦闘に、完全に蚊帳の外に置かれてしまったのが、シルバとキキョウだ。
「シルバ殿、どうする?」
「どうするも何も……」
 シルバはキキョウと顔を見合わせ、戦いのただ中にある酒場へと飛び込んだ。
 そして。
「喧嘩すんなっつってんだろうがーーーーーっ!!」
 建物が揺らぐほどの大音量で怒鳴りつけた。
 さすがにこれにはたまらず、キキョウも含めたほぼ全員が耳を押さえた。
 キョトンとしているのは、ヴィクターだけだ。
「……聖歌隊の肺活量を舐めんなよったくもー」


 戦いは中断されたが、状況は好転した訳ではなかった。
 むしろ、一触即発といった雰囲気だ。
 臨戦態勢もそのまま、大鬼はヴィクターとロンと向き合ったままだし、小鬼は風の術が発動し掛けている杖を構えたままだ。
「……お前、そいつらの仲間か」
 小鬼は名前を、アクミカベと名乗った。
「仲間……? コイツらの?」
 シルバは唖然とした。
「違うのか?」
「いや、失礼な事言うなよ?」
「ノワ、傷ついたかもー」
「そうか、よかったな」
 ノワの非難を、シルバはスルーする。
「……俺はどっちの味方でもないし、争うつもりもない。しかし、これ以上揉めるって言うんなら、俺にも考えがある」
 酒場のど真ん中にキキョウと立ち、シルバは言った。
「両方、敵に回す気か?」
「へえ、それも面白いかも♪」
 そんな言葉が、両パーティーのリーダーから聞こえてきた。
「おっけ、分かった。このままじゃ話し合いにならないって事はよく分かった。キキョウ、頼むぞ」
「承知」
 言って、シルバは腕を高らかに掲げた。
「{崩壁/シルダン}」
「うおおっ!?」
 指が鳴ると同時に、防御力の下がった床板がノワ達の体重で崩壊した。
 術を使ったシルバは、術の発動と同時に跳躍したキキョウに抱えられ、天井の梁にしがみついていた。
「昔はよくやった手であるが、ずいぶんと久しぶりであるな」
「修理が大変なんだよなぁ、これ」


「高みから失礼」
 梁の上から、シルバは二つのパーティーを見下ろした。
 ちなみに今更だが、酒場には彼ら以外に人はいない。マスターもどこかに逃げてしまっているようだ。
 精霊眼鏡越しに、シルバは二種類の光が明滅している事に気がついた。
 ……雷と風の魔法だ。
 シルバは、クロスと呼ばれていた青年と、アクミカベという小鬼に視線をやる。
「おっと、そこの二人、攻撃魔法は使うなよ。悪いけど、発動よりウチのキキョウが短刀を投げる方が早い」
 何故分かったのかと呪文を待機させていた二人がギョッとする。そしてそのシルバの傍らでは、既にキキョウは二本の短刀を懐から抜いていた。
「何より、今当てるとこの梁が落ちる。そうなるとお前らも、巻き込まれるぞ?」
 ようやく大人しくなった面々を眺め回し、シルバは梁に腰を下ろした。
「という訳で用件だけ話す。それが済んだら退散する。あとは、好きにしてくれ」


 下の面々に言いながら、シルバは精神念話でキキョウとこっそり話をしていた。
(……よいのか、シルバ殿? あのような者達をのさばらせておいて)
(もっともな意見だけど、他の人間に出来る仕事ならそっちに任せた方がいい。……何というかあの連中は、関わると碌な事にならない気がする)
(根拠は)
(かつての俺。アンド前のパーティーの面子。おまけで、リフの実戦に付き合ってくれたツーカ雑貨商隊の親父)
(……なるほど)

「……で、その用件って何」
 ほとんど頭まで床に埋まったノワが、シルバを見上げていた。
「ずいぶんと機嫌が悪いな」
「乙女にこんな屈辱を味わわせておいてその台詞はないと思う!」
「その通りです! 女性に対してなんというデリカシーのない技ですか! 君は恥を知るべきです!」
「……別の手段を考えるべきだった」
「…………」
 ノワのパーティーの面々からは、非難囂々だった。
(……殴りてえ。すげえ殴りてえ)
「お、落ち着け、シルバ殿! 某が悪かった。ああ、彼らに関わっていると、それだけで胃が痛くなる気持ち、痛いほどよく分かった!」
 荒む心がキキョウに伝わっていたらしい。
 シルバは我慢を重ね、本題に入る事にした。
 こんなお節介は、さっさと終わらせるに限る。
「とにかくだ。そこの人造人間……だよな? そいつはやばいんだ――」
 そしてシルバは、学習院でのブルース先生の話を、彼らに伝えた。


「――という訳なんだ」
 すべてを話し終えると、酒場は静まり返った。
 幸いな事に、鬼達はずっとシルバの話を黙って聞いてくれていた。
 そしてノワ達はというと。
「罠だね」
「罠ですね」
「罠だ」
「……はんだんふのう」
「お前らを罠に掛ける理由なんて、どこにもねーだろが!? こっちはホント、お前らなんかに関わりたくないんだよ!? 知っちゃったから伝えに来ただけだ!」
 予想通りだったとはいえ、突っ込まざるを得ないシルバであった。
「どうしてそんな事するのよ。放っておけばいいじゃない」
 憮然としてたノワが、ハッと何かに気がついたらしい。
「あっ……も、もしかして、シルバ君、ノワの事!?」
 何やらすごい勘違いを始めたようだ。
「ダ、ダメだよー? 気持ちは嬉しいけど……敵同士だし」
 赤らんだ頬に両手を当て、ノワは恥ずかしそうに首を振った。上目遣いの笑顔は、例えそれが演技だとしても、並の男ならコロッといきそうなほど可憐なモノだった。
「シ、シルバ殿!?」
 そして、ぶわっと尻尾の毛を立てて焦るキキョウ。
 シルバは、おそろしく長い溜め息をついた。
「お前も落ち着け、キキョウ。……ノワよ、言っとくけど、ホントそういうのじゃ全然ないから。常識で考えてありえねーから。こりゃ別に親切でも何でもなくて、単に俺の知らないところで大爆発起こったりして死人が出たら寝覚めが悪いだろ。それだけだ」
 頭痛を堪えながら、シルバはノワを見据えた。
「お前の笑顔が、どんな男にでも通じると思うなよ」
「……! ま、まさかシルバ君……男の方が」
 ショックを受けたようなノワの視線が、シルバの隣のキキョウに向けられる。
「違うわっ! どうしてそう、いちいち俺の想像の斜め上をいくんだテメエ!?」


 ちなみに後日、シルバがこの話を酒場でカートンに話してみたところ、
「でもお前、それに関しちゃ自分トコのパーティー顧みてみろよ。ノワちゃんじゃなくても、誤解受ける要素充分すぎるぜ?」
 とオムライスをもしゃもしゃ食べながら、言われたという。


 閑話休題。
「理由は単純だ。世界は広くてお前よりずっと美人が存在する。んで俺はそれを知ってるっつーだけの話だ」
「だ、誰の事!?」
「教えると迷惑掛かる……か? いや、姉ちゃんいるしそれはないか。どっちにしろ遠いしお前とは一生縁のない相手だから、その点は安心しろ。あとキキョウ、何か怖え」
「……某には、後で教えるように」
「お、おおう……了解」
 予想外からの敵意に、ちょっとシルバは動揺した。
「あと、お前らが俺の話を信じないのは想定済みなんでね。そこのインテリ眼鏡」
「うん?」
 浮遊の術で一人、床から脱出し始めていたクロスに、シルバは懐から取り出した手紙を投げた。
 飛来するそれを、クロスは二本の指で受け止めた。
「さっきの俺の言葉の裏付け。学習院で古代語を専攻するブルース先生に、例の遺跡の文字を翻訳してもらったモノだ。そこに全部書いてある」
「クロス君?」
 ノワにふわふわと近付きながら、クロスは手紙をひっくり返した。
「……なるほど、この封蝋は紛れもなく学習院のモノ。本物のようですね」
「悪いが、内容が内容だからな。冒険者ギルドの方にも既にこの件は通達済みだ。彼を連れ回すのは、やめるんだ」
「そんなのひどいよ!」
 突然、ノワが叫んだ。
「あ?」
 目を瞬かせるシルバに、ノワはさらに言葉を重ねる。
「せっかく起きたこの子を、また眠らせるって事でしょ!? そんなの残酷すぎるよ! シルバ君はそれでも、人の心を持ってるの!?」
「……そうですね。ええ、確かに、シルバ氏の言葉には一理あると思います。しかし、ノワさんの言う通り、情けというモノに欠けますね」
「……非情」
「ヴィクターもやだよね!?」
「おれ、のわさまにしたがう」
「ほら、みんなこう言ってるよ!」
 シルバはチラッとアクミカベ達、鬼パーティーの方を見た。
 ……なんか心底同情に満ちた視線を向けられていた。荒っぽい外見とは異なり、幸い常識的な感性の連中のようだ。
「……いや、お前らが勝手に目覚めさせたんじゃん」
 もうやだコイツら。
 そのシルバの肩を、キキョウがポンと叩いた。
「……シルバ殿が関わりたくないと言った気持ち、某も充分痛感した。なるほど、実害がなくてもこれは関わりたくない人種だ」


「どうする、シルバ殿?」
 キキョウは、騒ぎ立てるノワ達にうんざりしているようだった。
 もっともそれはシルバも同じだが、キキョウと違うのは一応次の手を打ってあるという点だった。
「……そこんトコも、一応考えてやってる」
「……ホント、お人好しだなぁ、シルバ殿」
 感心すると言うより、むしろ呆れたような声だった。
「いや、大体想定内の反応だし、ついでにな」
 もう何度目になるか分からない溜め息をつきながら、シルバはノワ達を見下ろした。
「確実じゃないけど、停止させないで済むかもしれない方法がある」
「え?」
 それまで騒いでいたノワ達が、ピタリと黙った。
 もっとも、シルバの方法だってそれほど奇抜なモノではない。
「人造人間なら錬金術師の管轄だし、学習院に預ければソイツに興味を持つ学者だって沢山いるだろう。何せ、古代文明の生きた遺産なんだからな」
 シルバは、黙って自分を見上げる人造人間――ヴィクターを見た。
「実験動物にしろって言うの!?」
 ノワが叫ぶ。
「人聞きが悪いな。学者の連中、錬金術に医師、そういった連中ならもしかしたら、ソイツが抱えている問題点を調整、解決出来るかも知れないっていう提案をしてるんだよ」
「……理には適っているな」
「むぅ」
 穴に埋まったままロンが呟き、ノワが唸る。
「ただし、大きな問題が一つありますね」
「大きいか?」
 余計な事をとシルバは思った。どうやらノワのパーティーの頭脳であるクロス、彼が一番難物のようだ。
 一方、ノワは興味を持ったようだ。
「何なの、クロス君」
「当然、今の提案に乗るには、僕たちが彼をどのようにして手に入れたか、経緯を話す必要があります。……ここまでの流れから、当然貴方たちはそれをご存知と見ていいんでしょうね」
「まあな」
「……クロス君、つまり?」
 クロスは肩を竦めた。
「ヴィクターの身代と引き替えに、僕たちに捕まれって言っているんですよ、彼は」
「ひどい! シルバ君、そんなにノワ達を陥れたいんだ!」
「陥れるも何も自業自得っつーんだよ、これは! 真っ当な入手方法なら、追われる訳ねーじゃねーか!? 自分たちが何やったか分かってんのか!?」
「あんなの、お宝を手に入れるのは早い者勝ちじゃない!」
 ノワの断言に、ロンも同意した。
「……あれに関しては、隙だらけの連中が悪いと俺も思う」
「そういう正当性は、俺の前で話してもしょうがないだろ。然るべき場所で訴えてくれ。とにかく伝えるだけ伝えたからな」
 用事は済んだ。
 シルバはキキョウと共に、梁伝いに破壊された出口に向かう。
「ちょっと待ってください、シルバ君とやら」
「何だよ」
 足を止めて振り返る。
「ここの一文だけ、抹消されているのはどうしてですか?」
 クロスは、翻訳された古代文書の一点を指差していた。
 シルバにも、それがどこの事かは見当がついている。
「……お前はそんなに、人造人間を暴走させたいのか? 戦闘モードのキーワードなんて、知った所で、何一つ益にはならないだろうが」
「確かにその通りですね」
「…………」
 あまりにあっさり引き下がるクロスに、シルバは逆に不安を覚えた。
「何ですか?」
 特に敵意も見せない、紳士的な笑顔を向けるクロス。
 だからこそ、むしろシルバは警戒した。
「……まさか、そこんトコは解読してるとかいう事はないよな?」
「まさか。あの部分の解読は、出来ませんでした」
「それからついでだ。俺の方からも一つ。クロスとか言ったな、{半吸血鬼/ヴァンピール}」
「そうですが、何か」
「女冒険者達の失踪に関わってる疑いで、近い内にホルスティン本家から使者と召喚状が届くはずだ。下手に逃げるより、ネグラで大人しくしておいた方がいい」
「そうですか。誰が使者になるか、分かりますか?」
「心当たりはあるけど、教えない。アンタ、何か性格悪そうだし闇討ちされたら敵わない」
「ふふ、それはお互い様でしょう」


「そろそろいいか、坊主」
 鬼達が、床の底から這い上がる。
 シルバの掛けた{崩壁/シルダン}も、そろそろ効果が切れてきたらしい。
 シルバとキキョウも、梁の上から飛び下り、無事な床に着地する。
「……坊主ね。ああ、悪かった。けど、話の通りこっちも一刻を争う事態だったんで。そこんトコは理解してもらえると助かります」
 言って、シルバは小鬼の魔術師アクミカベに頭を下げた。
「おうよ。だがここから先は、俺達の仕事だ。いいな」
 言葉は大人しいが、要するに邪魔をするな、という事だろう。
 もちろん、シルバにも異存はない。
「了解。用事も済んだし、大人しく退散するよ。……後ろからバサッとかなければの話だけどね」
 一応、アクミカベ達がノワから目を離していないから大丈夫だとは思うが、用心はしているシルバだった。
「違いない」
 アクミカベが苦笑する。
 その横に鬼女が並ぶ。大鬼の戦士は、まだ穴からよじ登るのに難儀しているようだった。
 ノワはともかくクロスの一件は、おそらくカナリーが絡んでくる。出来ればここで彼だけは連れて行きたいが、目の前の鬼のパーティー達と揉めるのも得策ではない。
 彼らがギルドに連行していってくれれば、それが一番いいが……最悪の場合、またノワの位置を探る方法で追跡する必要がある。
 もっともそれも、カナリーが正式に、クロスの追跡を任命された場合だ。そうでなければ極力、ノワの件は冒険者ギルドの追っ手や賞金稼ぎに任せたい。
 ……などと考えていると、仲間達からの精神念話がシルバとキキョウに飛んできた。

(にぃ……お兄どこ?)
(こっちは今、タイランと一緒にスラムに入ったところー)
(ご、ご無事ですか……シルバさん、キキョウさん?)
(すまない。悪いが、僕はもうしばらく掛かる。本当にもう、本家とのこういう話し合いは時間が掛かってしょうがない……ふあぁぁぁ)

 シルバとキキョウは顔を見合わせた。
 どうやら、それなりに近くまで来ているようだ。
「……キキョウ、ひとまずはみんなと合流だな」
「うむ」
 方針の固まった、シルバ達だった。


 一方、ノワ達も相談しあっていた。
「どう思う、クロス君」
 無防備に見えるシルバの背中を見ながら、ノワはクロスに訊ねた。
 自分の考えはあるが、この参謀の言葉はかなりアテになる。
「……今はやめておくべきです」
「同意見。敵が二人増えると厄介だもんね」
「それもありますが……今、この場にいる人間の中で、僕が一番用心しないといけないのは彼だと思うんです」
 クロスの紅い眼は、シルバから外れない。
 ただ、そこはちょっとノワには分からなかった。
「何で? そこそこやる……のは分かるけど、普通の司祭だよ、シルバ君」
 ある程度の評価はする。
 確かに、彼がいなければ、前のパーティー『プラチナ・クロス』は回らなかった。
 だが、戦闘はからきしなのも分かっている。おそらく殴り合いの喧嘩をすれば、ノワだって勝てるだろう。
「ええ、それはそうでしょう」
 クロスはノワの意見に賛成する。
「だからこそ、注意するべきなんです。ノワさんが言うような聖職者なら普通、乱戦状態のこの酒場に飛び込んだりしませんよ。飛び込んでも何も出来なかったはずなんです。にも関わらず、結果ここにいた全員が、彼に見下ろされる羽目になった。自分に何が出来て何が出来ないか知っている冒険者というのは、とても厄介です。そういう意味では彼は筋金入りの冒険者だ。遠ざけてから動く事にしましょう」
「うん。ヴィクターの問題は、逃げてから考えよ。ノワ達が捕まらずに、解決出来る方法がきっとあるよ」
 明るく言うが、それはつまり全員が逃亡者の道を選択する事を意味していた。
「はい。いくつか気になる点もありますしね……」
 反対するモノはいなかったが、クロスの表情は硬かった。
「だからロン君、もうちょっと抑えてね。……牙を出すのはもう少し後」
「……分かった」
「ヴィクターはいつも通りね。さっきの話だとあんまり無茶しちゃ駄目だよー」
「りょうかいした」


 シルバ達が半壊した酒場から出て、仲間達と合流。
 ほぼ同時刻、酒場は周囲の建物を巻き込んで完全に壊滅し、アクミカベ達はかろうじて健在だったが、ノワ達はクロスの所有するアイテム『隠形の皮膜』を使って逃走した……。


 カナリーが、クロス・フェリーの件の調査を、本家から正式に任命されるのはこれから三日後だった。


※何かまあ、ダラダラ続きましたが、一区切り。
 あとがきもダラダラいきます。
 まとめて読んでみると、要するに用事伝えて帰りました、というだけの話になってしまいました。いやもう本当にすみません。(汗
 ネタ的には、このままシルバ達もいやおうなく参戦、キキョウが魅了の術掛けられて失踪……というストーリーもあるにはあったのですが、長さが精霊事件の比ではなくなるので没りました。出来るだけ短い話の積み重ねでいきたいので……。
 ……クロスの件を調査するのはいいとして、なんかどんどん墜落殿に潜る時間が減ってるような気がします。まあ、元々こんな感じですが。
 ノワ達の件は別に引き延ばす意図は全然ないのですが、何か長くなってしまいこれもまた申し訳ありません。
 ただ流れで、ヴィクターの戦力を書ききれなかったので、もうちょっと何とかしたいところです。鬼との戦闘を番外編で書くとか……?



[11810] ご飯を食べに行こう1
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2010/01/10 21:08
 間欠泉のような巨大な土煙が上がった。
 怒濤のような足音と共に、大地が揺れる。
 辺境都市アーミゼストから、南西に馬車で半日ほど離れた位置にあるブリネル山。
 その麓にある広大な森の中で、とある大きな敵と村人達は戦っていた。
 青空の下、剣を持った村人・アブが、大きく腕を振るった。
「撤退! 撤退だ!」
 同じように弓を持った村人・メナが、後ろを振り返る。
「軽傷の者は、重傷者を抱えて後退! 無事な連中は、それまでこの場で踏ん張れ!」
「そりゃいいですけどっ! 俺達だけじゃ……!」
 頭から血を流した幼馴染みの男を肩に担いだ若い衆が、弱音を吐いた。
 アブは、剣を構え正面を向いたまま、背後の仲間達に語りかける。
「戦えとは言わん……せめて、みんなが無事避難するまで――やりすごす!」
「うわー、自警団長、地味に後ろ向きだー!」
 怪我を負った若い衆が、情けない顔をする。
「じゃあお前、アイツと正面切って戦えるか?」
 弓を構えたメナが冷静に言うと、怪我人の青年は素直に頭を下げた。
「ごめんなさい、無理デス」
「っかし、どうすりゃいいんだあんなの……!」
 アブは迫り来る土煙を睨みながら、額の汗を拭った。


 日の暮れた辺境都市アーミゼスト、酒場『弥勒亭』の個室ルーム。
 大きなテーブルにはいつものように料理と――一角にはいつもと違って幾つか書類が積まれていた。
「カナリーのお仕事ってさー」
 ヒイロは手羽先をもふもふ頬張りながら、眼鏡を掛けて書類に羽ペンを走らせるカナリーを見た。
「うん、何だいヒイロ?」
 カナリーは目を書類から離さないまま、尋ね返す。
 本来ならこの手の仕事はとっくに自宅で終わっていたのだが、飛び込みで新しい報告書が飛び込んできたのだ。
 内容は、相手の合意なしに吸血行為に及ぶという、同族内では大問題となる事態を引き起こしたクロス・フェリーという半吸血鬼に関するモノである。
 クロスは愛人の子とはいえホルスティン家の者でありその問題の解決に、ホルスティン本家からカナリーが任命されているのだった。
「ボク達手伝わなくていいの?」
「ふむ……」
 ヒイロの質問に、カナリーはペンを動かす手を止めた。
「手伝ってもらいたいのは山々だけど、今は本家から派遣されてきた連中が動いている最中だからね。僕らが動くとかえって邪魔になる。しばらくは、大人しく事務仕事だよ。もちろん家宅捜索などの時は、僕も直接現場に乗り込むけど。パーティーのみんなに出番があるとすれば、そこからだね」
「ふーん」
 ヒイロは手羽先の骨をばりばりと食べ終えると、尻の下から雑誌を取り出した。
 情報発信基地として名高い、シトラン共和国の支部が発行している情報誌だ。
「何かあるのかな?」
「や、特に何もないなら、ちょっと行ってみたい所があるんだよねー。ここなんだけど」
 ヒイロが広げる雑誌を、それまでトマトパスタを食べていたシルバも覗き込んだ。
「何だ?」
「ブリネル山麓にあるエトビ村」
 聞いた事のない村だった。
「に」
 焼き魚を拙くフォークで食べていたリフが、顔を上げる。
「知っているのか、リフ?」
「ごはんおいしい所。あとおふろ」
「……あー」
 それは確かにリフも反応するな、とシルバは思った。
「しかし、某も聞いた事がないな。そこは、それほど有名ではないのか?」
 首を傾げるキキョウに、ヒイロは頷いた。
「うん、あんまり知られてないね。でもほらアーミゼストからそれほど離れてないし、馬車で半日ぐらい?」
 なるほど、記事にある地図を見てもそれほど遠くはないようだ。日帰りはちょっと厳しいが、一泊ならいい旅かも知れない。
「しかし、{墜落殿/フォーリウム}の探索がなぁ……」
 キキョウが唸るが、シルバはこれに関しては首を振った。
「いや、それはいいんじゃないかと思う。探索はみんな結構頑張ってくれてて、それなりに進んでる。たまには暗い地下より、青空の下を歩く方が、気分の転換にはなるだろ」
 身も蓋もない言い方をするとたまには休んだ方が効率が上がる、という事を、シルバはオブラートに包んで説明した。
 実際、迷宮に潜っていない日は、街の道場やら神殿やらでみんな修業やお務めだし、こういうのはありかと思う。
「先輩の意見に全面的に賛成ー!」
「にー」
 すかさず両手を挙げる年少組の二人。
 一方。
「ただ僕の方は残念ながら。本家の仕事さえなければね……」
 苦笑するしかないのがカナリーだった。
「あー……だよなぁ」
 さすがに、その仕事を放棄しろとは言えないシルバだった。事件自体も表だってはいないが、相当に大きな問題なのだ。
 下手をすれば、吸血鬼という種族そのモノが弾圧されかねない事態である。
「むむー」
「にぃ……」
 さすがにそれは分かっているのか、ヒイロとリフも勢いが弱まる。
 その二人が、ふとある一点を向いた。
 鎧から半身を出し、野菜スティックを水と一緒にポリポリ食べている、青い燐光を瞬かせる人造精霊のタイランだ。さすがに全裸、という訳にはいかず、水の衣で身体を覆っている。
「な、何でしょうか?」
 少し怯えたような表情で、タイランが首を傾げる。
「タイランの意見を聞いてない」
「に」
「そ、そうですねぇ……私も興味はありますけど……カナリーさんの件もありますし、どうするかは、お任せします」
 特に自己主張のない、タイランであった。
「なるほど。……ちなみに今の話をまとめると、行きたい派がヒイロとリフ。それにタイラン。仕事で難しそうなのがカナリー」
 んー、とシルバは頭の中でまとめて、どうすればいいか考えた。
「……カナリーの方で、ウチのパーティーに要請があった時の事を考えると、キキョウに責任者になってもらって、俺は居残りか」
「むぅっ!?」
「えー……それはちょっとやだなー」
「にぃ……なら、リフもがまんする……」
「そうですね。近場にも狩り場はありますし、お風呂でしたらグラスポートも……」
「ありゃりゃ」
 シルバの出した結論は、割と不評だった。
「気持ちは嬉しいけど、さすがにそれはちょっとどうかと思うよ、シルバ」
 カナリーにまで、苦笑混じりにだめ出しを食らってしまった。
 その時、扉をノックする音が響いた。
「よろしいですか、若様」
 若い女性の声に、カナリーが返事をする。
「ちょっと待って。タイラン」
「あ、はい」
 タイランが急いで、鎧の中に収まる。
「いいよ。どうした?」
 カナリーが許可をすると、書類を抱えたメイドの少女が入ってきた。吸血鬼だ。
「食事中の所申し訳ございません。追加の報告書の提出に参りました」
「そうか、ご苦労様。何か分かった事はあるかな?」
 書類を新たにテーブルに積み、カナリーが訊ねる。
「特には……フェリー氏はあちこちに別宅を所有しており、それらを確認するだけでも大変でして……」
「そんなに? 家なんて近場に沢山持ってても、管理するのが大変だろうに」
 怪訝そうな顔をするカナリーに、メイドの少女は言いにくそうに顔を赤らめた。
「あ、いえ……それは……その……主に女性のお宅で……」
「あー……」
「それを除いても、空き家や廃屋もあるのですけど……」
「ふーん。アーミゼスト以外にも、そこそこ……」
 新たに増えた書類に目を通したカナリーの手が止まる。
「…………」
「若様?」
 カナリーは、書類の一点を指差した。
「この、周辺の村は調べたのかい? 例えば、エトビ村の離れにある洋館とか」
「あ、いえ、まだ……も、申し訳ございません!」
「いや、いいんだ。なら、ちょうどよかったってだけの話だから」
 軽く笑いながら髪を掻き上げるカナリーに、シルバは麦酒を飲みながら、ジト目を向けた。
「……公私混同だな、カナリー」
「それぐらい、許してよ、シルバ。それにちゃんと仕事もこなすんだから。連絡の方は、ウチの伝達係とシルバ、精神共有よろしく」
「……了解」
「ど、どういう事でしょう……?」
 よく分かっていないメイドの少女だけが、オロオロとカナリーとシルバを交互に見ていた。


 昼下がりのエトビ村。
 比較的大きな木造の宿『月見荘』の前には、馬車が横付けされていた。
「えええぇぇーーーーーっ!?」
 その宿のカウンターから、ヒイロの絶叫が轟いた。
「本当にすみません」
 頭に包帯を巻いた宿の主人、メナが大きく頭を下げる。
 しかし、それで収まるヒイロではない。
「ヒイロ落ち着け」
 眉を八の字にして涙目のヒイロを、シルバが羽交い締めにした。もっとも本気でヒイロが暴れたら、そのまま投げ飛ばされてしまうのだが。
「でも! 何で狩りが出来ないの!? ここのメインなのに!」
「それが……少々厄介な事情があるんです――」
 メナは、重たい溜息を漏らした。


 このエトビ村の大きな収入源は、温泉目当ての観光客にある。
 そしてもう一つ、すぐ傍にあるブリネル山の森は広い上に野生の動物が多く、狩猟が名物にもなっている。
 {案内人/ガイド}付きで狩った獣は、その日の内に宿の料理人が調理し、晩飯のメインディッシュになるのだ。
 しかし、ここ最近、危険なモンスターが出現しており、迂闊に森に入れなくなっていた。
 相手は巨大な猪だ。それも並大抵の大きさではないらしい。
 キャノンボアと呼ばれるそれが大ボスとなり、バレットボアという部下を従えて、森を暴れている。時には里まで下りてきて、農作物を荒らしたりもする。
 どうにも手のつけようがなく、先日自警団が武器を手に討伐隊を編成したが、結局どうにも相手にならず、ほうほうの体で帰ってくるのが精一杯だったという。


「――という訳なんです」
 メナ自身もその自警団に参加しており、頭の包帯はそれが原因だったらしい。
「ははぁ、なるほど」
「それでもう、我々だけではもうどうしようもなく、これはもういっそ冒険者でも雇おうかという話にもなっている状況なんです。狩猟自体ある程度のリスクが伴うのは当然ですが、さすがにこれは、そんなレベルではありません。もしも万が一があった場合を考えると」
 メナの話を聞き終えたシルバは、難しい顔をした。
「分かります。しかし何というか……それは好都合と思ってる奴が約一名いましてですね」
「……はい?」
 目を輝かせたヒイロが、元気いっぱいに手を挙げた。
「はい! はいはいはい! ここに冒険者がいます! 雇いましょう! 格安ですよ!」
 そんなやりとりをしている後ろで、巨大な甲冑――タイランが、カナリーの従者であるヴァーミィ・セルシアと共に『武器』を含めた荷物を抱え、ホールを見渡していた。
「あ、あのー……シルバさん、お荷物はとりあえず、そこに固めておいていいですか?」
「え?」
 武器を見たメナは、シルバとヒイロに視線を戻した。
「という訳で、アーミゼストの冒険者パーティー『守護神』の一行です。一応二泊三日の予定だったんですが。仲間達と話し合って、その話に乗るか決めたいんですけど……よろしいでしょうか?」


「……まあ、そういう話になってるんだけど」
 荷物を適当に置いたシルバ達は、ホールの一角にあったテーブルに集まった。
 そして、カウンターでのやりとりを説明した。
「要するに、狩りをすると言う事だな、シルバ殿」
 キキョウの問いに、シルバは頷く。
「うん、元々の予定ではあったし、ヒイロがものすごく乗り気だしな」
「猪系かぁ……強いって事は美味しいんだろうなぁ」
「しかも、既に食い気モードに突入しているね」
 涎を垂らすヒイロに、やれやれとカナリーが肩を竦めた。
「ああ、もはや誰にも止められない。ま、成功すればここの宿代は食費も含めて全部タダだ。悪くないんじゃないか?」
「にぃ……お風呂は?」
 コートの後ろから尻尾を揺らしながら、リフが心配そうにシルバを見上げていた。
「そっちは普通に大丈夫だと」
 温泉は、森から離れていて、モンスターとは関係がないらしい。
「に」
「よ、よかったですね、リフちゃん」
 リフとタイランが、大きさの異なる手を軽く叩き合う。
「にぃ。どうくつ温泉」
「わ、私も楽しみです」
「に」
「僕の方は洋館の調査か……」
 一方カナリーは、仕事の方も忘れていなかった。
「ま、そっちももちろん同行するつもりだけどな」
「だね」
 みんな、それぞれにやりたい事があるみたいだ。
 シルバはシルバで、ちょっとばかり考えている事があった。もっともそれは、今回の小旅行そのものとは、あまり関係がない。
 しかしそんなシルバの様子に、リフは気付いたようだ。
「……お兄、何か気になってる?」
 司祭の服を引っ張り、尋ねてくる。
「んー……まあな。ほら、出発前にお前が教えてくれた、霊道って奴。あれ、何とか使えないかなーとか、まあちょっと色々調べてみたいかも」
 シルバは、精霊眼鏡を取り出した。
 霊道というのは、精霊にしか使えない特殊なトンネルのようなモノで、普通の空間よりも圧倒的に速い移動が可能な通路だ。使えない理由は単純で、精霊にしか見えないからだ。ちゃんと認識していないと、入る事は出来ない。
 たまに人間が神隠しに遭うのも、うっかりこれに入り込んでしまうのが原因ではないかとされている。
「幸い、都市よりも精霊は多いみたいだし」
「にぃ……霊道も多い」
 何をどうするかというのは、特に決めていないが、何かの成果が出せればなぁと思うシルバだった。
「シルバ殿は、真面目であるなぁ」
「もうほとんど、趣味の領域になってるね。実用的でいい趣味だとは思うけど」
 キキョウとカナリーが顔を見合わせ苦笑する。
「某も久しぶりに、滝修行をしてみるかな……」


「そして残る問題は一つ」
 メンバーの間に、小さく緊張が走った。
「……うむ」
「……そうだね」
「部屋割りだ」
 テーブルに広げられた用紙には、二人部屋が三つ、書かれていた。
 つまり、誰と誰が一緒になるか。
 とても、重要な事だった。
「あ、あのー……それですけど」
 大きな手を挙げたのは、タイランだ。
「珍しいな。タイランが一番の意見なんて」
「あ、は、はい。私は……ヒイロと一緒でいいです。付き合い長いですし……」
 遠慮がちにいうタイランに、あっさりとヒイロは賛意を示した。
「あ、そだね! じゃ、ボクはタイランと相部屋でー!」
「……まあ、妥当な所ではあるか」
 キキョウが軽く息をつく。
「に」
 次に手を挙げたのは、リフだった。
「はい、リフ」
「リフはお兄といっしょがいい」
「ぬぅっ!?」
「こ、これはストレートな……!?」
 リフの発言に、キキョウの尻尾が逆立ち、カナリーの尖った耳が激しく上下した。
「し、しかしリフ。さすがにそれはどうかと思うのだ。もし何らかの間違いが起こったら、君のお父上が都市を丸ごと一つ焼きかねない」
「に……」
 ちなみに、この旅行の前、保護者としてリフに同行すると強行に主張していたフィリオであった。学習院の講義がなければ、絶対に参加していただろう。
「でもこのままだと……」
 リフは、キキョウとカナリーを交互に見て。
「お兄より、二人がこまる」
 ズバリ、核心を突いた。
「ぬ……!?」
「…………」
 動揺するキキョウに対し、カナリーはしばし考え。
「……なるほど、心遣い痛み入るよ、リフ。君はいい子だ」
 頷き、リフの頭を撫でた。
「にぃ……」


 カナリーは考える。
 三人の誰もが、シルバと同じ部屋になる可能性があった。
 しかし、カナリーは自分が女性である事を、シルバに知られている。淑女としてそうした事態は避けたい所だった。
 かといってキキョウ。こちらも何となくカナリーには察しがついているが、やはりシルバと同室では困る事情が存在する。何がややこしいといって、キキョウの場合は同室になって喜ぶのはいいが、その直後にうろたえてしまうのが容易に想像がついてしまうのだ。
 だから、シルバに妹分として見られているという自覚のあるリフが立候補したのだろう。
 カナリーはリフの行動をそう察した。
 ……それは、いち早く一歩引いたタイランも、似たようなモノだ。
 まったく興味深いな、とカナリーは思う。
「まあ、そういう訳でよろしく頼むよ、キキョウ。相部屋とはいえ僕はプライベートな空間を尊重する主義だ。なるべく君の行動を妨げるような真似はしないつもりだし、安心していいと思う」
「む、むぅ……」
 案の定、尻尾を弱々しく振っているキキョウに、カナリーは手を差し出した。
「……いや、うむ。カナリー、こちらこそよろしく頼む」
 その手をキキョウは握り返し、それからへにゃりと尻尾を垂らした。
「……残念やら、ホッとするやら、微妙な気分だ」


 自分達の部屋に荷物を置くと、シルバは宿常備の軽い布の服に着替えた。前をボタンで留めるタイプの簡単な服装だ。
「という訳で風呂だ」
「に!」
 そしてリフは、真っ白い仔猫の姿になっていた。
 会話自体は精神念話で行えるので、リフが宿の人間と話す事でもない限りは支障はない。
「うん、そっちの姿だと俺も助かるぞ、リフ」
 ……さすがに、シルバとしても小さな女の子と一緒に風呂に入る訳にはいかない。
「に。リフは元々こっちがホントの姿」
 尻尾を軽く揺らしながら、リフにも不満はなさそうだ。
「動物入浴ありらしいのは助かったな。そうじゃなかったらちょっと厄介だった」
「にぃ」
 シルバは自分のベッドの上に胡坐をかくと、エトビ村の地図を広げた。リフもそのベッドに飛び乗る。
 もちろんそれは、翌日に控えるモンスター退治の為……ではなく。
「……結構温泉多いな」
「に……全部はむずかしい」
 温泉巡りの為だが、一人と一匹の表情は真剣だった。
「しかし、洞窟温泉は外せない、と」
「に。山の中だから、いい霊力あるはず」
「けどちょっと距離あるし、これは回復も兼ねて明日の仕事が終わってからだな。とりあえず今日の所はこの宿の露天風呂にしとこう」
「に」
 リフのも異存はないらしく、二人は露天風呂に向かう事にした。


 脱衣所で服を脱ぎ、シルバは腰にタオルを巻いた。
 脱衣所には人気が全くない。
「……やっぱり、ちょっと人が少ないな。元々が隠れ里ってのと、あとは例の猪連中が原因か」
「にぃ……」
 頭の上で、リフも鳴く。
「ポジティブに考えると、貸し切り状態だが」
「に。およぎほうだい」
「それはマナー違反」
 などと言い合いながら、シルバ達は露天風呂に踏み込んだ。
「うお、でけー」
「にぃ、でけー」
 やや日の傾きつつある露天風呂。
 うっすらと白い湯煙の立つそこは、左右の仕切りを見た限りでは大きなホールほどの広さだろうか。
 しかし、正面は。
「……湯煙で先が見えねえ」
 どれだけ広いのか、ちょっと見当もつかなかった。
「に。探検」
 シルバの頭の上で、リフがきりりと言う。
「……ポジティブだな、リフ」
「ちがう。あくてぃぶ」
「……地形効果・温泉か。ま、いいや。とりあえずは身体洗ってから、奥の探索と行こう」
「にぃ」


 身体を洗い終えた二人は、ジャバジャバと腰近くの深さの湯船を奥に向かって歩く。
「……ま、この辺でいいか」
「にぃ」
 適当な所で腰を下ろし、シルバ達は湯船に浸かった。
 リフはそのままでは溺れてしまうので、シルバが湯桶に溜めたお湯に入る。
「なかなか……いい湯だな」
「にー……」
 熱さも程々で、二人揃って和んでいると、遠くにうっすらと人影らしき者が見えた。
 別の客だろうか、不思議と湯を掻き分ける足の音が聞こえない。
 と思っていたら。
「……シ、シルバさん?」
 淡く青い光をまとった人工精霊のタイランだった。長い髪を頭の後ろでひとまとめにし、身体にはおそらく水で作ったと思われる薄衣をまとっていた。
「……混浴じゃなかったよな、リフ?」
「に、男湯と女湯が繋がっているのはよくある事」
「確かに」
 他の男客がいなくてよかったと思うシルバだった。
 もしいたら、ちょっとこの美人さんの注目具合は、大変な事になっていたかも知れない。
「って冷静ですね二人とも!?」
「今更だろ。それにお前が素っ裸ならともかく、もう服着てるじゃないか」
「せ、正確には服じゃないですけど……」
 確かにタイランは、タオルよりもこちらの薄衣の方が楽だろう。
 何だか、おとぎ話に出て来る泉の女神のような服装だなと、シルバは思う。
「……ま、あんまりジロジロみるのも失礼だよな」
 恥ずかしそうなタイランから、シルバは目を逸らした。
「に、お兄だめ」
「はっはー」
「……あの、シルバさん、その胸の傷は一体」
 タイランも湯船に浸かりながら、シルバに訊ねてきた。薄衣も水製のようなので、そのまま入っても問題はないらしい。
 言われ、シルバは自分の心臓を貫く、大きな傷痕に手を当てた。
「ん? 昔の傷痕。まあ気にするな」
「にぃ。お兄、一回死んだ事があって、その時のだって」
「……あっ、そ、そうですか」
 気楽に言うシルバにリフが言い足すと、何だかタイランは触れちゃいけない話題だったかのように思ったらしい。
「その、ヒ、ヒイロは何か遠くまで泳ぎに行きましたよ?」
「……そいつはよかった」
 ちょっと安心。
「にぃ、マナーいはん」
「お前が言うな。それより誰かに鎧から出る所を見られたって事はないよな?」
「へ、部屋からこの姿ですから多分、大丈夫です」
「なるほど」
「……キ、キキョウさん達はどうしたんでしょう」
「あ、キキョウは何か、滝の下見に行くって。カナリーも村はずれにあるっていう洋館見に行くらしいから、途中まで二人一緒じゃないかな」
 のへーとリラックスしながら、シルバが言う。
 普通の男なら、美人と二人(正確には三人だが仔猫状態なのでノーカウント)ならそれなりに緊張もするのだろうが、子供の頃から姉や妹と一緒に風呂に入っていたシルバには、その辺の感覚はかなり麻痺していたりする。
「モンスター退治のお話ですけど……どういう感じになるんでしょうか?」
「んー、うん、そりゃみんなが集まってから話すつもりだったけど、まあいいか。あくまで予定だしな」
 頭の中で作っている予定を、シルバはそのまま口にする。
「仕事自体は早朝からスタートだな。だから今日は夜更かし厳禁」


 村に被害を与えているキャノンボアというモンスターに関しては、宿の主人メナから大体の事を聞いている。
 まさしく猪突猛進な相手のようだが、そのキャノンボアよりもむしろ、周囲のバレットボアが厄介そうだとシルバは判断している。
 手下と言っても、やはり通常の猪より相当に大きいらしい。
 明らかにパワーと破壊力が必要そうな相手なので、キャノンボアを相手にするメインアタッカーはヒイロとタイラン。
 それを邪魔されないようにバレットボアを相手取るサポートが、動きの素早いキキョウとリフ。
 カナリーはシルバと一緒に後方支援、こちらの火力も主にキャノンボアに集中させる……。


「――と、こんな感じ。持ってきた装備以外の準備は、風呂上がってから整えよう」
「は、はい」
「それにしても、ヒイロは一体どこまで行ったんだ? ……遭遇しても困るんだけど」
 後半を小さく呟き、シルバはまだ戻ってくる気配のない鬼っ子の事を考えた。
「に……」
 不意に、リフが頭を上げた。
 何だか緊張しているようだ。
「ん?」
「悲鳴、きこえた」
「覗きか!」
「多分、ちがう」


 そろそろ夕方に差し掛かろうという、露天風呂の裏手に広がる農園。
 突然だが、農園で働く青年アッシュルは命の危機に瀕していた。
「ブルルルル……」
 どうやら、迷い込んできたバレットボアの一頭らしい。
 食べ物を求めてこの農園に潜り込んできた彼と、アッシュルは見事に鉢合わせしてしまったのだ。
「ひ、ひぃ……っ! だ、誰か……っ!」
 尻餅をついたまま、アッシュルはかすれた声を上げる。
 その声がまずかったらしい。
「ブルッ……!」
 刺激になったのか、バレットボアは後ろ足を蹴ると、アッシュル目がけて猛然と突進を掛けてきた。
「うわあああっ!!」
 たまらず、アッシュルは目の前を両手で覆った。
「うおりゃあっ!!」
 元気のいい声が響き、その直後、鈍い打撃音が響き渡った。
「ブルゥ!?」
 猪の悲鳴と……しばらくして、遠くに重い物が倒れる音。
 アッシュルが顔を上げると、夕日を逆光に、自分の大きな上着を身に纏った、短髪を濡らした少女が立っていた。
 やたら滑らかな素足が片方持ち上がっているのは、おそらく蹴りを放ったせいだろう。アッシュルは直接、その蹴りを見ていた訳ではないので、推測するしかないが。
「お、{鬼/オーガ}!?」
「味方味方」
 ひらひらと、彼女は笑いながら手を振った。


「あ、あんたは?」
「通りすがりの入浴客だよ! 悪いね、兄ちゃん。ちょっと上着借りる。大きくて助かった」
 青年に背中越しに答えながら、ヒイロは前のボタンを留める。
 野良作業に邪魔だったのだろう、小ぶりの岩に預けられていたそこそこ長身な青年の上着の裾は、ヒイロの身体を膝上近くまで隠していた。
 腕の丈も相当あるようなので、手首までめくり上げる。
 濡れた身体に布がくっつくのが少々気持ち悪かったが、その程度は許容範囲だ。
「……人間社会じゃ、パンツ一丁でも大問題だもんねー。さて」
 吹き飛ばされたバレットボアが、ゆっくりと立ち上がる。
「ブルル……」
 ヒイロの蹴りもそれなりに効いているようだが、戦闘意欲は落ちていないようだ。
 上等上等、とヒイロは嬉しくなった。
「やっぱり今の一撃じゃ致命傷にはならなかったか。兄ちゃん、武器貸して!」
「ぶ、ぶき?」
 へたり込んだまま、青年が尋ねてくる。
 チラッとヒイロは、あれ? と青年が持つ鍬を見た。
「その手に持ってるのは飾り?」
「た、頼む!」
 ようやくその存在に気がついたのか、青年は鍬をヒイロに放り投げた。
「あいさ! ボクが引きつけとくから、その間に兄ちゃんは逃げて人呼んで」
 受け取った鍬の柄をキリキリと回転させながら、ヒイロは突進してくるバレットボアを迎え撃つ。
「そ、それが」
「ん?」
「腰が抜けて」
 動けないらしい。ちなみに、バレットボア、ヒイロ、青年の位置関係はほぼ一直線である。
「ええっ!? ちょ――」
「ブルゥ……!!」
 バレットボアの頭突きが、ヒイロの目前に迫る!
「嬢ちゃん!?」
 強烈な衝撃が、ヒイロの全身に伝わってきた。
「……んー……」
 だが、足は地面についたまま。
 ヒイロはバレットボアを、正面から受け止めていた。
 正確には、両足は土の中に深く埋まっていた。それでかろうじて、バレットボアのチャージを受け止めたのだろう。
 その代わり、ヒイロの持っていた鍬は見事に砕けていた。
「ぶ、無事……なのか!?」
 青年は尻餅をついたまま、後ずさる。
「やっぱ、こんな細っこい武器じゃ今一つだね。あと、一応嬢ちゃんじゃないって事になってるんで一つよろしく――よっと」
 無造作に引き抜いたヒイロの片膝が、バレットボアの顎に強烈にヒットした。
「がふ……っ!?」
 真下からの電撃的な攻撃に、バレットボアの身体が軽く浮く。
 もちろんそれを見過ごすヒイロではない。
「へ?」
「ちょいさっ」
 呆気にとられる青年を無視して、力任せに両手で相手を押し切る。
「ブルっ!?」
 踏ん張りの利かなくなったバレットボアが、土煙を上げながら10メルトほど弾き飛ばされる。
「うし」
 ヒイロはそのまま振り返ると、青年の襟首を掴んだ。
「兄ちゃん名前は?」
「ア、アッシェル」
「ボクはヒイロ。足腰立ったら、そのまま逃げてね」
 言って、ヒイロはアッシュルを無造作に放り投げた。
「うわああああああ」
 温泉の仕切りの向こうに放り投げられ、直後、派手な水音が響き渡る。
「よいしょ」
 ヒイロは、畑を出て近くにあった岩を掴んだ。
 一抱えほどもあるそれを持ち上げて、改めてバレットボアに向き直った。思ったより地面に埋まっていたらしく、直径1メルト半はあるだろうか。
 正直、ヒイロ本人より大きい。
「ブルァ!?」
 立ち直ったバレットボアも、さすがに腰が引けたようだ。
「食らえ!」
「ブルゥ……!!」
 飛んできた岩を、バレットボアはとっさに回避した。
 しかしその正面に、既にヒイロは回り込んでいた。
「本番前の腕試しだ。ちょっとパワーの程を確かめさせてもらうよ?」
 身体を捻りながら、土まみれになったヒイロはニカッと笑った。
「正面からのどつきあいで!」
 ヒイロはバレットボアに見事な『回し蹴り』を食らわせた。
「ブホァ……!?」

 ――そんな一人と一頭の死闘も、遠目から見ればじゃれ合っているようにしか見えない。
 やや遠く離れた岩場の上から、恐ろしく巨大な猪・キャノンボアと、その手下であるバレットボア達が戦いを見下ろしていた。
 群れの規律を乱し、勝手に行動した手下を連れ戻そうとしていたのだが……。
 その必要はなさそうだと判断したのか、キャノンボアは楽しそうに戦うヒイロを見て眼を細めた。
 ……引き返す。
 手下達もゾロゾロとそれを追い、やがて岩場には誰もいなくなった。


 ――少し時間は戻る。
 諸事情により入浴時間の調整を検討せざるを得ないキキョウと従者を連れたカナリーは、宿を出た。
 そして、村外れにあるというクロス・フェリーの隠れ家の一つである洋館と滝の下見に向かった。
 洋館は無人である事を確かめて引き上げ、今度はキキョウの目当てである滝に向かう。
 そこで、二人は意外な人物に出会った。

 瀑布から少し離れた所で経営していた小さな茶店で、キキョウとカナリーは彼らと向き合った。
「そうか、シルバは相変わらずのようだな。テーストは訳の分からん事になっているが、まあ奴らしいといえばらしいか」
 革の上着にシャツ、ズボンという軽装で、元『プラチナ・クロス』のリーダー、イスハータは苦笑し、温かい香茶を口に含んだ。
 隣に控える戦士・ロッシェも似たような格好で、こちらは串焼きにされた魚を食べている。
 二人の顔を知っていたキキョウがカナリーに紹介し、近況を語った所だ。
「イスハータさん。貴方方は今、何をしてらっしゃる」
 カナリーと二人分の皿からフライドポテトをつまみつつ、キキョウは尋ねた。
「パーティーを解散した後、ロッシェと組んで武者修行といった所さ。一から出直しだよ」
「うむ」
 口数の少ないロッシェが短く頷く。
 イスハータ達は、ここから少し離れた小さな集落で、依頼を受けているのだという。
「あと、ノワの件は聞いているが……バサンズだけは解散してから行方が分からない。生きているかどうかだけでも、シルバに確認してもらえると助かるかな。精神共有切ってなければの話だけど」
「分かった。伝えておこう。今、某達はエトビ村に滞在している。シルバ殿には会っては行かぬか」
 キキョウの勧めに、イスハータは軽く笑って首を振った。
「そうしたい所だけど、今回はやめておくよ。どうもテーストみたいに図々しくなれなくてね。まだ顔向けが出来ない。もう少し修練を積んでからにさせてもらいたい」
「そうか」
「それに、俺もロッシェも一応まだ繋がってるから、その気になればコンタクトは可能だしな」
 精神共有の事を言っているのだろう、彼は自分のこめかみを軽く指で叩いた。
「貴方達がいると、猪狩りも楽が出来そうだったんだけどね」
 赤と青の従者を背後に控えさせたカナリーは、ホットワインのカップを口元で傾けた。
「猪狩り?」
 どうやら、イスハータ達は、エトビ村の問題を知らないらしい。
「ああ。僕達は身体を休めにこの土地にやってきたんだけど、ちょっと問題があってね」
 カナリーは事情を説明した。
「そうか。そういう事ならこっちの手が空いていれば手伝いたかったが……」
 しかし、イスハータ達にも、仕事があるというのはさっきも聞いた話だ。
「そちらにも都合があるだろう。しかし、二人で大丈夫なのか。それとも……」
 キキョウはもう一皿、フライドポテトを頼むべきか迷ったが、夕飯も近いので諦めた。
「いや、本当に俺達二人だけだが、相手は雑鬼連中ばかりらしいし、何とかなるさ」
「ああ」
 相棒の言葉に、ロッシェは静かに同意する。
 雑鬼とは、{鬼/オーガ}とやや似ているが、より貧弱な種族だ。その代わり、繁殖率が高く、悪知恵も回る。
 それでも知能も人間ほど高くないので、ビギナーの冒険者達の討伐依頼では割とお馴染みの連中だ。
 一般的な評価は弱くて卑怯な雑魚モンスター、である。
 イスハータはそれから、得心がいったように頷いた。
「むしろどこから沸いてきたかが気になっていたんだが……なるほど、おそらくそっちの事件とリンクしていたんだな」
「む?」
 眉を寄せるキキョウに、カナリーが説明した。
「つまり、雑鬼連中は元々はこちらの森の奥に住んでいたのではないかという事さ。しかし、キャノンボア達が暴れ回っているせいで、雑鬼連中は追い出され、余所の集落に迷惑を掛けているという訳さ」
「なるほど……」
 イスハータは苦々しく、顔をしかめた。
「放っておくと棲み着いて家建てて、どんどん我が物顔に振る舞う連中だからな。次に畑に忍び込んでくる時間は深夜だって分かっているから、それまでは準備期間中なのさ」
「締めの滝浴びという事か」
 キキョウに頷き、イスハータは窓から見える大きな滝に視線をやった。
「そういう事。あ、結構効くから、シルバにも勧めておいた方がいい。迷宮探索を頑張っているのなら、尚更だ」
「う、うむ……そ、そうだな」
「?」
 何故か口ごもるキキョウを、イスハータは不思議そうに見た。
「ふふふ、気にしないでくれ。複雑な事情があるのだよ」
 笑うカナリーのカップの中身も、ちょうど空になった。ポットを持ったヴァーミィを、首を振って制する。
「そうか。それじゃそろそろ俺達は行くよ。日が暮れる前には、{郷/さと}の方に戻りたい」
「ああ」
 イスハータ達と一緒にキキョウ達も、席を立つ。
「ああ。気をつけて」
「ご武運を祈っている」

 ちなみに、キキョウがフライドポテトのおかわりを諦めたのが大正解だったと知るのは、晩飯にでかい猪が出されてからの事となる。


『月見荘』の食堂。
 ヒイロの狩ったバレットボアを使った豪華な夕食が終わり、シルバは壁の時計を確かめた。
 本来なら、寝るにはまだ早い時間だろうが、パーティーのメンバーを見渡した。
「明日は早いから、今日は早寝な」
 そして、夜行性の種族であるカナリーと、目を合わせる。
「……って訳で、悪いなカナリー。『昼更かし』になりそうだ」
「いいよ。その分、存分に『夜寝』させてもらうから。じゃあ今日はこれで解散かな」
「そうだな。後は風呂入って……あ、タイランは一時間後にホールに来てくれ」
 シルバに言われ、重甲冑の前面を閉じようとしていたタイランは、首を傾げた。
「は、はい……? 何かあるんですか?」
「んー、俺の実験。そんなに時間は掛からないから手伝ってもらえると助かるかなと。リフだけでもいいんだけど、精霊のバリエーションは多い方がいいからな」
「? は、はぁ……」
「シ、シ、シルバ殿?」
 何故か慌てたように尻尾を揺らしまくったキキョウが、シルバの裾を掴んだ。
「ん? どうした、キキョウ」
「そ、某も一応、半分ほど精霊なのだが……」
 そう言われてみればそうだった事を思い出したシルバは、ポンと手を打った。
「ああ! じゃあ、キキョウも手伝ってくれるか?」
「む、無論」
 すると、今度はカナリーが大仰に肩をすくめる番だった。
「ちょっと待った、シルバ。精霊系の実験なんて面白そうなモノを放って、僕に寝ろというのか? それはあんまりじゃないかな」
「い、いや、でもお前は寝ないと」
「時間は掛からないって君は今、言っただろう?」
「じゃ、じゃあ、カナリーも? いや、いいけど、多分『見えない』人には退屈だぞ?」
「構いやしないよ。分析は自分でさせてもらうしね」
「じゃあ、ボクもー」
 満腹で眠たそうなヒイロも、立候補する。
「……結局全員かよ」


 見上げると大きな月と広い夜空が広がっている。
 風呂も上がり、パーティーの面々は『月見荘』のすぐ近くにある小さな空き地に集まった。
「もう一回言っとくけど、そっちの二人はえらい退屈だからな」
「はーい」
「構わないさ」
 大きな切り株に腰掛けた二人は、軽くシルバに手を振った。すぐ傍らには、タイランの甲冑も置かれている。
「ところでタイラン、身体の調子はどうだ」
「あ、は、はい……かなりいい感じです」
 今のタイランは甲冑を脱ぎ、水の衣を羽織った肢体を淡い青光が包んでいる状態にある。
 タイランは、故郷であるサフォイア連合国では、義理の父、コラン・ハーベスタと共に追われる身だ。その正体を悟られないようにする為、精霊としての力を普段は巨大な甲冑に封じている。
 霊獣の長であるフィリオの話によると、タイランは人工精霊という特殊な存在の為、魔法探知を使えばその波長さえ知っていれば、追跡するのは容易なのだという。
 本来は精霊炉用の核として生み出されたタイランは本来、地水火風という四大属性をすべてに対応出来る混成属性として作られたのではないかというのが、フィリオの分析だ。
 そんな目立つ精霊なら、どれだけ遠くにいても分かる。
 逆に言えば、一つの属性に固定してしまえば、分かりにくくなる。
 ただし、強い力を使うとまずい。何故なら疲労すると、固定していた属性が解け、本来の混成属性に戻ってしまうのだ。
 属性を固定するなら外に出ても構わないが、運動は軽いモノでも駄目。人間で言えば、ジョギング程度でも、集中力が切れかねないらしい。
 という訳で、今のタイランは最も安定する水の属性で固定していた。
「やっぱり外の方がいいか」
「あ、あちらはあちらで、安心できます……もう、家みたいなモノですし」
「それで、精霊の属性なんだけど……あれの切り替えは、お前の負担になるのか?」
 シルバの問いに、タイランは首を振った。
「い、いえ、切り替えだけでしたら、まったく……。ただ、力の使用は極力避けるようにと、フィリオさんはおっしゃってました……疲れると、本来の混成属性に戻ってしまうみたいなので……」
「なるほど、了解」


「でまあ、実験な訳だけど霊道に関して」
 精霊眼鏡を掛けたシルバは、空き地の中央に立った。
「高速で移動出来る、精霊の通り道だったかな」
 切り株に腰掛けたまま、カナリーがシルバの背後で首を傾げる。
「ああ。人間でもたまに使える人はいるらしいんだけど」
「にぃ……普通は駄目。子供なら割と入れるけど、大きくなるとほとんど無理」
 リフが首を振る。風呂を上がってからは、リフはずっと獣人形態でいた。
「って事らしい。俺も弾かれた」
 シルバも霊道に入る事は出来ず、苦笑する。
 さらに、キキョウが腕を組んだまま唸った。
「それに、入るのにも少々手間が掛かる」
「そうなのかい?」
 カナリーの問いに、リフが頷いた。
「にぃ……霊圧がすごいから、五分ぐらいじゅんびいる」
「わ、私はそうでもないですけど」
「タイランみたいな純粋な精霊種はべつ。霊道とおなじモノだから」
「……なかなか制約が多いね」
 利用しようにも、問題は山積みのようだ。
「おまけに、どこにでも出られるって訳でもない……んだったか、リフ」
「に。あちこちに出口はあるけど、途中では出られない。枝分かれするトンネルみたいなモノ」
 やれやれ、とカナリーは溜め息をついた。
「……シルバ。言っちゃ何だが、とても厄介な代物じゃないかこれは? 君は一体、これをどうしたいんだい?」
「どうしたいというか、どうしたかったのかっていうと、パーティー全員の迷宮からの脱出と、途中からの再開だったんだ」
 霊道が利用出来るなら、行きも帰りも大幅に時間の短縮になる。
 それが、シルバの目論見だった。
「ああ、なるほど、それは便利だ。ただ、現状だと、君と僕とヒイロが置き去りになってしまうけどね。ああ、あとタイランの甲冑もだ」
「……えー?」
 かなり眠たそうにしながら、ヒイロがカナリーにもたれかかったまま、残念そうな声を上げる。
「そうなんだよなぁ。入り口の発生まではクリアしたんだけど」
 あっさりというシルバに、キキョウが仰天した。
「な、なんと?」
「だから、さっき言ってた、入るまでに時間が掛かるっていう話な。それはまあ、何とかなった。例えばこの空き地の霊道はここと――」
 淡い白光で出来た人が通れるほどのトンネルを、シルバは指差す。普通の人間には見えないが、精霊眼鏡を通したシルバにはそれが認識できた。
 そして、その出口を指が追いかける。
「――あそこが繋がっている」
「うむ」
「こうすれば、通れる」
 シルバは、用意していた針で霊道を刺した。
「ぬお……っ!?」
 突風が生じ、キキョウが後ずさる。
「……僕には何が起こってるのかサッパリだよ」
「……同じくー」
 不満そうなカナリーと、眠たそうなヒイロからはブーイングが上がった。
「じゃあま、キキョウ実践」
「う、うむ」
 苦笑いを浮かべながらシルバが促すと、キキョウは霊道に踏み込んだ。
 その直後、キキョウの姿は空き地の端に移動していた。
「……へえ」
 カナリーは軽く目を見開き、切り株から腰を浮かせた。
「も、戻ってもよろしいかー?」
「いいよー」
 離れた場所で手を振るキキョウを、シルバは手招きした。
「ほ、本当に通れたが、戻りは徒歩なのだな」
 霊道の出口を振り返り、キキョウは残念そうな顔をした。
「一方通行でね。向こうに俺がいたら、また開けるんだけど」
「うむむ、任意の場所に出られるなら、恐ろしく便利なのだが……」
「なかなかそこまで話はうまくない。リフの精霊砲を使って、あらぬ方角からの奇襲攻撃……ってのも考えたけど、滅多に出来るもんじゃないな」
「にぃ……相手の近くに霊道ないと……」
 しょぼんとするリフに、キキョウも改めて唸る。
「しかし、戦闘に限定した話になるが、奇襲にはかなり有効な手段ではないだろうか。こう、某とリフが相手の後ろを取るという方向で……」
「悪くはない。悪くはないんだが……」
「霊道の場所が限られているのが痛い、か」
 カナリーが的確に問題点を指摘した。
「そういう事。移動手段として活用できれば、探索に関してものすごいアドバンテージになると思うんだけど、まだまだ考えなきゃならないみたいだ」
「交通費も浮きますしね……」
 タイランの言葉に、シルバは深く頷いた。
「それはかなり大きいな」
「移動時間の大幅な短縮にもなるし、そうなると行動範囲も広がる」
 カナリーの言っている事が、まさしくシルバの目指すモノであった。
「うん、ただ夢は大きいけど、実用化に到るまでがなぁ」


「実験って言うのはこれでおしまいかい?」
 カナリーの問いに、シルバは首を振った。
「いや、もう一つ。むしろこっちがリフやタイランに通用するか、確かめて欲しかったんだけど」
 シルバは新たな針を取り出して、空き地を見渡した。
 幾つもの光の穴とそれらを繋ぐ無数の線、それらが精霊眼鏡を通して見て取れる。
「霊脈には、二種類の力の{穴/スポット}がある事が分かった。収束と解放だ。カナリーの雷撃……だと、近所の人に騒がれるな。タイラン、風属性になってもらえるか」
「は、はい……」
 タイランを包む青い燐光が、白い光へと変化した。タイランを中心に、大気が緩やかに渦を描き始める。
「さいくろん」
 何か、リフが呟いた。
「でまあ、収束するスポットに楔を打ち込むと――」
 シルバは針を、風の精霊が収束している霊脈の一つに突き刺した。
 その途端、針を中心に巨大な突風が発生した。
「瞬間的に風が強まる」
「おお」
「……実に興味深いな」
 キキョウとカナリーが、感心したように頷いた。
 風はすぐに収まった。
「そしてもう一つ、解放の方に楔を打ち込んで……タイラン、ちょっとでいいんで、風をあそこへ」
「は、はい」
 シルバが新たに針を打ち込んだ地点に、タイランが緩やかに風を放つ。
 すると、そこに緩やかな竜巻が生じた。しかしその竜巻が消失する気配はない。
「風がしばらく留まるようになる。俺が打ち込んだ針の仕事は、力の維持だな」
「面白い……が、厳しい事を言えば、正直あまり意味がないな」
 カナリーは残念そうに首を振った。
 まったくその通りなので、シルバも気まずそうに頭を掻くしかない。
「うん。これも、簡単なトラップとしては有効だけどなぁ。でまあ、そのバリエーションの一つなんだけど――{回復/ヒルタン}」
 シルバは新たな霊脈に針を打ち込み、指を鳴らした。
 地面の一角が青い光を放ち始める。
「そうだな、キキョウ。その針を回収してくれないか」
「? う、うむ……」
 キキョウは言われるままに、青い光を放出する霊脈に近付いた。
 柔らかい光に包まれたその箇所は、ほんわかと温かい。
「……何と!?」
 その光が生じる癒しの効果は、前衛職であるキキョウには馴染みのあるモノだった。
「回復にも使えるらしい」
 ふー、とシルバは重い息を吐いた。
「って事は分かったんだけどな。正直カナリーの言う通り、あまり意味がない。だってそうだろ。これだと二度手間だ。俺が唱えた方が早いじゃん」
「シルバ。それはちょっと違う」
 先刻否定したばかりのカナリーが首を振った。
「うん? だってお前……」
「精霊による攻撃と{回復/それ}では、まったく意味が異なるよ。リフ、君もキキョウの所に行くといい」
「に」
 カナリーに促され、リフはキキョウに駆け寄った。
「にぃ……?」
 すると、リフの身体も淡い青光に包まれる。
「僕だとダメージを食らってしまうのでね。君が言ったのだよ、シルバ。ある程度、力の維持が出来ると」
 カナリーは、青い光の真上に立つキキョウとリフを指差した。
「という事はだね、あそこを前衛の拠点としておけば、その分シルバの手数が増えるという事じゃないか、これは? 常時回復出来る拠点防衛というのは、大きいと思うよ僕は」
「……さすが。お前、連れてきて正解だったな」
 思いつかなかったシルバは感心したように、カナリーを見た。
「か、感謝するといい」
 カナリーは頬を赤らめ、そっぽを向いた。
「あと、お兄」
 リフは足下の針を見つめていた。
「ん?」
「針のある収束スポットにリフ達立つと、ちょっとつよくなるみたい」
「ですね……精霊の力の収束点ですから」
「前衛ならば某、後衛ならばリフの力が増すという事か。タイランは今の状態ならばよいが……」
「普段の甲冑ですと、難しいですね……」
 それはまあ、しょうがないだろう、とシルバは肩を竦めるしかなかった。


「うん……ひとまず今の所はこんなモンか。霊道を使うアイデアが、もうちょっとでモノになりそうな気がするんだけどなぁ……」
 シルバは今日分かった事をメモに取ると、顔を上げた。
「それじゃそろそろ帰るか」
 メモをポケットにしまって促すが、何故かカナリーが立ち上がらなかった。
「うん。それはいいけどシルバ」
「どした?」
 カナリーは、自分にもたれかかるヒイロを指差した。
「……くー……すー……」
「……寝てるな」
「寝てるね」
 道理で、静かだと思った。
 かと言ってこんな所に放っておく訳にもいかない。
「ったくしょうがないな。ヒイロ、起きろ」
 軽く揺さぶってみる。
「んむ……おかわり……」
「……何てベタな夢をみてやがる」
「やれやれ。ヴァーミィ」
 カナリーがしょうがない、という風に指を鳴らすと、影の中から赤いドレスの美女が出現した。
 しかし、こんな事で彼女を煩わせる必要はないとシルバは判断した。
「いや、これぐらい俺が運ぶって。どうせすぐ近くだし」
 言って、シルバはだらんと力のないヒイロの身体を、背中に担いだ。
「……馬鹿」
「うん?」
 残念そうに頭を振るカナリーの意味が、シルバには分からなかった。
 ……分かったのは、ヒイロの身体が背中に密着してからだ、
「…………」
 ダラダラと汗を流しながらカナリーを見ると、「それみたことか」といった表情をしていた。
「ど、どうした、シルバ殿」
「いや、まあ、その……」
「……当たってるんですね」
「……い、一応」


※いつもの倍の量でお届けしますが、何とも設定話っぽい内容でございますよ。
 霊道に関しては、もうちょっと研究が必要というか以前シルバ自身が言ってましたが、実戦で使ってナンボです。
 ひとまずこれで、ヒイロようやく公式バレの方向で。
「ジョーカー!」と「あててるんだよ」は自制しました。



[11810] ご飯を食べに行こう2
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2010/01/10 21:11
 カーテンの向こうはまだ、日も昇っていないようだ。
「んん……」
 シルバの朝は、聖職者としての務めが習慣となっており、とても早い。
 この日も自然に目覚めた……が、やけに、胸の上に重量があった。
 あー、リフが潜り込んだかと、寝ぼけた頭でもある程度予想していたのでシーツをめくってみた。
「くー……」
 猫耳の少女が、自分にしがみついてすやすやと眠っていた。
「っ!?」
 仔猫タイプだと思っていたシルバには、完全に不意打ちだった。
 その動揺が伝わったのか、リフも目を覚まし、寝惚け眼をこすった。
「……に……お兄、おはよ」
「お、お、おう、おはよ。ね、寝床に潜るのはまだいいとして、せめて猫形態で頼む」
「に……わすれてた……ごめん……今度から気をつける……ぬくぬく」
 まだ眠いのか、シルバに抱きついたまま、リフは眠りに落ちていきそうになる。
「……ちょっと待て、今度とか今の聞き捨てならないんだが」
 とにかく起きないと、と考えていると、扉がノックされた。
 扉の向こうから、朝っぱらにも関わらず、割と遠慮のない話し声が聞こえてきた。

「……まだ寝てるのかなー。ねー、タイラン、中、確かめてくれない?」
「ヒ、ヒイロ。寝てるのなら、その……勝手に侵入するのはどうかと思いますよ?」
「鍵、掛かってるみたいだねー」
「ちょ、ヒ、ヒイロ、だ、駄目ですよ……!? 何かノブが軋み上げてますから、そ、それ以上は……!」

「……朝から騒がしいな、おい」
 上半身を起こした状態で、シルバは呟いた。
「にぃ……」
 一緒の寝床に入ったまま、半分眠っているリフも同意する。
「……あと、この状況はそろそろ目撃されたら洒落にならないから、悪いけど離れてくれると助かる」
「にー……」


 ……そろそろ東の空が明るくなろうしている。
 ブリネル山麓の森に入ったシルバ達一行は、落とし穴や吊し罠といったトラップの作成に余念がなかった。
「嘘ついて、ごめんなさいでした」
 自分が女の子である事がバレたヒイロは、地図を広げるシルバに大きく頭を下げた。
「……まー、いいけどさ。大体の理由は分かるし」
「うん。あの時も、結構パーティー断られてたからねー」
 ヒイロが頭を上げる。
 困ったように笑いながら、頭を掻いた。
「鬼にしては小さいのと、何故か鎧を脱ごうとしない素性の知れないの。……まあ、なかなか組んでもらうのは難しいだろうな」
 ヒイロの後ろについてきた重装甲冑のタイランも、申し訳なさそうに頭を下げた。
「す、すみません……私の人見知りも……その、ありまして……」
「いいよいいよ。気にするな」
 軽く手を振るシルバ。
 そこに空から、やはり地図を持っていたカナリーが、逆さまになって降りてきた。空を飛べるカナリーの仕事は、森の形の把握だ。
「……しかし、余所にバレるとややこしい事態になる。性別に関しては、変わらず伏せておいた方がいいね」
「うん、わかった!」
 ヒイロは快活に返事をした。
 それを聞いた三人の気持ちはこの時、一つになっていた。
「……不安だ」
「不安だね」
「……ふ、不安です」

 一方、縄を編みながら何だか一人苦悩の中にあるキキョウの裾を、誰かが引っ張った。
 振り返ると、リフだった。小さな手にはドングリぐらいの茸がいくつかあった。
「……に、キキョウ、これあげる」
「む、むぅ……リフ、これは何だ」
「元気の出るきのこ。この森、いい野草とか、いっぱいある」
「……す、すまぬな」
 モース霊山に住む霊獣の娘の薦めならば、安心だろう。
 そう考え、キキョウは素直に茸の一つを口に入れた。
 すると、何だか胃の辺りが熱くなってくる。確かに効きそうだ。
「うぅ、しかしこうなるといよいよタイミングが……」
 どうしたものか……と、キキョウは唸った。元気とはちょっと別問題の悩み事なのだ。
 すると、ヒイロとの話が済んだらしいシルバが、キキョウに近付いてきた。
「大丈夫か、キキョウ? これから実戦なんだけど……」
「う、うむ、シルバ殿。その点は問題ない。――本番までには立て直す」
 キキョウは頭の中の悩みを強引に隅っこに押しのけ、自身を戦闘モードに切り替える。
 凛とした雰囲気に変わったキキョウに、シルバも安心したようだ。
「分かった。頼むぜ」
「うむ!」
 緩やかに尻尾を振り、キキョウはシルバと拳を打ち合った。

「お兄」
 作業に戻ろうとするシルバに、リフもついてきた。
「ん?」
「ちょっとだけ、試させて」
 リフがシルバの手を両手で握った。握手とは違う、まるで手を粘土細工か何かのように確かめてくる。
「ちょ、な、何だリフ? どした?」
「おくすりより効くみたいだから、じっけん」


 朝食のサンドウィッチを食べながら、話し合う。
「……頭がいいとは聞いてますけど、ど、どれぐらいなんでしょう」
 鎧から出て近くに川から組んできた清水を飲むタイランの問いに、カツサンドをもぐつきながらヒイロは少しずつ青さを増してくる空を見上げた。
「んー、そうだねえ。ボクの知ってる獣だと、勘のいいのは毒入りの餌とかもまず通じないかな」
「に……色々いる。でも、人間よりずるがしこいのはいないと思う」
「手厳しいなぁ」
 もしゃもしゃ野菜サンドを食べるリフのコメントに、木の株に腰掛けたシルバは苦笑するしかない。
「にぃ……人間のわな、すごい。父上でも、ほんのたまにだけどだまされる」
「そう言われると、人間すげえ」
 タマゴサンドを食べつつ、シルバは人間の可能性に呆れていた。
「まあ、とにかくさっさと片付けてしまおう。こういう泥臭い仕事は、どうも僕には向かない」
 高い位置にある木の枝に腰掛けながら、カナリーは温かいトマトスープを飲んでいる。干しぶどうを口に含みながら、キキョウはその枝を見上げた。
「というか、カナリーは一度も土をいじっておらぬではないか」
 カナリーは、パーティーのメンバーが休憩中、黙々と給仕に徹する赤と青の従者を指差した。人形族の二人も罠の作成を手伝っている。
「従者達は僕と一心同体。それに、僕だってちゃんと仕事はしているしね……というか、完全に日が昇る前にある程度地理を把握しないと、困る。昼間は僕は飛べないし、タイランは僕以上に、こういう作業はまだ慣れていない」
「す、すみません……」
「何、いいさ。僕だって得意って訳じゃないからね」
 カナリーは肩を竦めた。
 だが、その分タイランは、その巨体を活かして力作業で頑張っているのだ。非難する事など何もない。
「そういうのが得意なのは」
 シルバの促しに、
「はーい」
「に」
 ヒイロとリフが手を挙げた。
「山となると、独壇場だなこの二人は」

 干しぶどうを食べ終えたキキョウが、何気なく皆に背を向けた。
「…………」
「どうした、キキョウ」
(すまぬ、シルバ殿。……カナリー)
 刀の柄に手を当て、わずかに腰を落とす。
 それに気付いたのは、シルバと偵察を再開しようと空に浮こうとしていたカナリーだけだ。
(わざわざ念話を使うなんて、一体どうしたんだい?)
(某が動いたら、その先に向けて大きな魔法を頼む。出来れば生け捕りにしたい。相談している余裕は――なさそうだっ!)
 強烈な踏み込みに、地面が陥没する。
 木々の狭間を駆け抜け、キキョウは前のめりになって徐々に加速する。

 青みがかった空に、カナリーは高々と手を掲げた。
「{雷雨/エレイン}!!」
 勢いよく振り下ろされた手の平から生じた紫色の雷光が、森の一角に直撃する。
 唐突なカナリーの攻撃魔法に、呑気にご飯を食べていたヒイロ達は大いに慌てた。
「うわっ!? ど、どうしたの、カナリー!?」
「キキョウに聞いてくれ! 僕にも分からない!」

 濛々と立ち込める白煙と火花が晴れていく。
 ……カナリーなりに気遣ったのだろう、燃えた木は少ないようだ。これは後で、タイランに頼んで消火してもらえば問題はないだろう。
 そして、小さく開けた場所では、二頭の比較的小柄なバレットボアがカナリーを警戒していた。
「偵察とはな……どうやら本当に頭がいいようだ」
 まだ抜いていない刀の柄に手をかけ、キキョウはモンスターに向き合う。
「ブル……」
 二頭も、後ろ足で土を蹴り始める。
「リフならばおそらく言葉も通じるはず。悪いが生け捕りにさせてもらう!」
 一人と二頭は同時に動いた。
 一直線に突っ込んできた猪達が、バッと二手に分かれる。
「ブルゥ……!!」
「挟撃か。しかしその程度の速さで――」
 左手のバレットボアを斬ろうと白刃を瞬かせ、
「――!?」
 足下の違和感に、キキョウは驚愕した。
 何の変哲もなかった地面が突然崩壊し、真っ黒い大きな穴が生じたのだ。
「古い、落とし穴だと……っ!?」
 尻尾を振るい、空中に生じた架空の足場を大きく踏み込む。二段ジャンプでかろうじて穴の縁に着地する。
「ブルルッ……!!」
 バレットボアは、キキョウに目もくれず、森の中へと消えていった。


 シルバ達が追いついたのは、それからすぐの事だった。
「キキョウ、大丈夫か?」
 キキョウは頭を振った。
「ああ、某自体には何ら問題はない。しかし相手は相当やるようだ。斥候まで用意するとは、ただの猪だと思って舐めてかかると、とんでもない目にあうかもしれぬ」
「……斥候? 猪が?」
「おまけに、既に捨てられた古い罠まで活かし、逃げに徹したあの行動は見事だ。……ああまでされては追いつけぬ。あの動きは、獣というよりむしろ人の野伏や盗賊に近かった」
「それにしても、よく気がついたなぁ」
 感心したように言うと、照れたように頭を掻くキキョウの耳と尻尾が小さく揺れた。
「うむ、某もこれでも獣なので、山や森ならば多少の勘は働く。某はこういった事でしか役に立てぬ故、気を張っていただけだ。あとわずかでも近付けば、リフ達でも気付いていただろう」
「いや、そこは威張っていいぞ。そのわずかの差が、結構でかいんだから」
 言って、シルバは腕を組んだ。
 唸った。
「……それにしても……その連中の動き、頭がいいとかいうレベルか?」


 森の中を進む。
 長い年月を掛けて踏み固められた道は、大体馬車一台分が通れそうな幅がある。
「……何か、地面が揺れるな」
 シルバは地面に目を向けた。
 足の裏の振動は、休む事がない。いや、むしろ徐々に強くなってきているような気までする。
「普通の揺れじゃない。これは威嚇だね。敵が近いんだよ」
 振り返るヒイロはタイランと並んで、前を歩いていた。特に緊張した感じはなく、いつも通りの雰囲気に見える……が、わずかに殺気だっているのが、シルバには分かった。
「……地面揺らすほどの敵って、どれだけでかいんだ?」
「やりがいがあるねー……っと」
 左の茂みが小さく揺れる。パーティーの面々は一瞬緊張したが、直後に出てきたのは鹿や小鳥といった小さな動物たちだった。
 一同がホッとしていると、
「に」
 リフが茂みに向かって緑色の光を放った。
「ちょ、リフ何でいきなり精霊砲!?」
 驚くシルバだったが、すぐに理由が分かった。
「ブモォ!?」
 茂みの奥から、鈍い悲鳴が聞こえてきたからだ。
「奇襲。あの子たち、おびえてた」
 リフは必死に逃げている鹿達を振り返った。
「…………」
 やはり森の中だといつもより頼りになるなぁと思うシルバだった。
 一方、戦いはまだ続いていた。
「こっちもお客さんだよ!」
 今度は右から、バレットボアが現れた。
 それを正面から、重装鎧のタイランが受け止める。
「む、う……っ!」
「タイランナイス!」
 足止めされたモンスターを、ヒイロの骨剣が殴り飛ばした。
「ぶもっ!?」
「ど、どういたしまして……!」
 ふぅ……とタイランは吐息を漏らす。
「二段仕込みだと……? ええい、どうなっているのだここのモンスター達は……」
 左右の敵を仲間に任せ、キキョウは敵の気配を唸りながら探っていた。
 その耳に、何やら珍しい音が届いた。
 何か、というより、どこから、でキキョウはそれが何か気付いた。
「……飛来音?」
 空を見上げると、三つほどの茶色い塊がこちらに向かって飛んできている所だった。
 それは高速回転しながら急降下してくる、バレットボア達だった。
 その時、既にシルバは行動を開始していた。
「ちぃっ! みんな隠れろ」
 眼鏡越しに見える土の精霊穴を刺激し、地面を盛り上げ巨大な壁状にする。しかしこれだけでは、ただの土の壁だ。
 まだ足りない。
「――{鉄壁/ウオウル}!!」
 即席の防壁の硬さを強化した直後、激突音が三つ響いた。
 壁は大きく揺れたが、倒れる事はなかった。
「で、出ます!」
 タイラン達前衛が壁を回り込む。
「ああ!」
 シルバ達後衛も、その後を追った。
 どうやら、飛んできたバレットボア達は気絶しなかったらしく、前衛三人との戦いを繰り広げていた。
「ていやあっ!」
「詠静流――月光!!」
 ヒイロの骨剣が唸りを上げて振るわれ、キキョウの剣閃がモンスターの一匹を貫く。
 しかし、そのバレットボア達ですらまだ先兵にすぎなかったらしい。
 新たな猪モンスターがさらに二頭、茂みの中から突進してきた。
「何てデタラメなんだ――{紫電/エレクト}! ヴァーミィ、セルシア、手伝うんだ!」
 後衛に迫る敵を、カナリーの雷魔法と赤と青の従者が迎撃する。


 波のように押し寄せてくる猪達を迎撃している内に、シルバ達のパーティーはいつしか開けた場所に出ていた。
 相当に広い。
 まるで闘技場のようだな、とシルバは天然の円形広場を眺めて思った。
「に……」
 シルバの傍らで、リフが緊張した。
「リフ?」
「来るよ本命!」
 不意に、シルバ達を巨大な影が包み込んだ。
 生存本能が、考えるより早くシルバ達の身体を動かしていた。
「うわあっ!?」
 影から逃れるように、シルバ達は跳躍した。
 直後、これまでのバレットボアとは比べモノにならない大きさの大猪が、シルバ達がついさっきまでいた位置に落下してきた。
 大きく揺れる地面、巻き起こる土煙。
 尻餅をつくシルバ達どころか、何体かのバレットボアもひっくり返っていた。


 のそり、と緩慢な動きで起き上がり、相手はシルバ達をにらみつける。
 見上げなければ全身の見えないその巨体は、リフの父親フィリオほどもあろうか。
 そして彼の周囲に、バレットボア達が集まる。バレットボア一体も、相当な大きさのはずなのだが、それでも中央のボスと比較すると小柄に見えてしまうのが不思議だ。
 キャノンボアの登場だった。


 ひとまず、シルバ達はキャノンボア達とジリジリと距離を取った。
 このまま乱戦になると、シルバ達後衛が危険だからだ。この辺はいつもの戦闘と変わらない。
 幸い、大猪達も動く様子がないので、数十メルトの間合いを取るのは容易だった。
「……んぅ?」
 そのキャノンボアを見上げていたヒイロが眉をひそめているのに、シルバは気付いた。
「どうした、ヒイロ?」
「や……何か……いや、いいや。難しいこと考えるのは後回し! まずはやっつけちゃおう!」
 少し悩んでいた風なヒイロだったが、首を振った。
「だな……だけど、コイツは一筋縄じゃいかなさそうだぞ」
「それはここまでの相手の攻撃を見れば、大体分かるが……」
 少なくとも、普通の獣の攻め方じゃないのは確かだと、キキョウも同意見のようだ。
「どう考えても、まともじゃないね、彼らは。山の奥に知恵の実でも生い茂っているのかな」
 カナリーが肩を竦めていると、リフが小さく首を振った。
「……にぃ。この土質だと多分生えない」
「冗談だよ、リフ」
「あ、相手は、30数体といった所ですか」
 猪達の数を数えていたタイランの言葉に、ふとカナリーの動きが止まった。
「30?」
「は、はい。カナリーさん、それが何か……?」
「いや……」
 何だか妙に覚えのある数字なんだけど……とカナリーは思い出そうとする。
 しかしそれより早く、シルバが叫んだ。
「……! 前衛動け!」
「ど、どうしたシルバ殿!」
 疑問を口にするが、それでも誰よりも速く、キキョウは駆け出していた。タイランも足裏の無限軌道を起動させ、それを追う。ヒイロはそのタイランの腕にしがみつき、移動は横着する。
 バレットボアの何頭かは、キキョウ達の動きにビクッと反応を示したが、全体としてはほとんど微動だにしない。
 それが獣としては不自然であり、最もシルバを警戒させていた。だが、実際シルバの考えを説明している余裕はなかった。
「話は後だ! あっちに態勢を整えさせるな! 特にヒイロ油断するな!」
「よく分からないけど了解!」
「タイラン、ヒイロのサポートを頼む! 俺も術で援護するから!」
「は、はい!」
「カナリー」
 キキョウ達前衛の背中を睨みながら、シルバが言う。
「う、うん?」
「ヴァーミィとセルシアも使わせてくれ。全力でいかないとまずい」
「ど、どうしたんだ、シルバ。そんなに焦って」
 カナリーは従者二人も前衛に向かわせつつ、疑問を口にする。
 シルバは焦っていた。
 自分の指示は、推測とも言えない。根拠と呼べるほどのモノもないので、これは予測にすぎない。
 しかし、もし自分の考えが当たっているならば、このまま手をこまねいていたら、このパーティーは確実に全滅する……!
「……昨日、飯食ってるときにイス達の話してくれたろ? それもあって思い出した。以前、『プラチナ・クロス』にいた頃に今と似たような目に遭った事がある」
「モンスターによる待ち伏せ?」
「違う。これは――」
「に! お兄大変!」
 リフの声に、シルバは絶句した。
 バレットボア達を、青白い魔法光が包み込んだのだ。
 もちろん猪達は呪文を唱えられない。
 だが、それでも魔法を使う方法はあるのだ。
 例えば、魔力を秘めたアイテムの使用。
 例えば、指の印を徹底的に突き詰めて、詠唱の代用とする方法。
 例えば、石に刻んだ記号から魔方陣のような大がかりなモノまで含めた、文様による発動。
「じ、『陣形』による魔法効果だって……!?」
 カナリーが頭を抱えた。
「{豪拳/コングル}! それに{飛翔/フライン}!」
 相手の魔法が、シルバには正確に分かった。自分自身がよく使う支援魔法だからだ。
「シルバ殿、コイツら硬い!」
 バレットボアに斬りかかったキキョウが、たまらず声を上げる。
「遅かったか……陣形を整えられた! タイランと同じだ。アイツらは頑丈な壁役。そして本命は……っ!!」
「ブモオオオオオオオオオオオ!!」
 これまでとは比べモノにならない大猪の雄叫びが上がった。
 轟、と大地が揺れ、わずかに地面を宙に浮かせた超巨大な猪が突撃を開始する。
 目標は――タイランとヒイロ。
「ひうあああっ!?」
「うわああああっ!? あ、危なーーーーーっ!?」
 咄嗟に二人は二手に分かれた。
 唸りと突風を撒き散らしながら、キャノンボアが彼方へと飛んでいく。森の木々を押し倒しながら、遠くで地響きが鳴った。
「ああ、さすがのヒイロでも受けきれないか」
 シルバ達後衛は、既に真後ろから斜め後ろに移動していた。何となく、嫌な予感はしていたのだ。
「いくら何でも死んじゃうよ!? 飛んでるんだよ、アレ!?」
 メキメキ……と気の軋む音を鳴らしながら、再びキャノンボアが姿を現わす。
 ヒイロは慌てて、骨剣を構えた。
「ボクだって毎回突っ込んでる訳じゃないんだから。格下じゃないなら、避けて隙を見つけるの。それが狩りの基本でしょ」
「普段でもそれをやってくれれば、生傷がもう少し減るだろうに……」
「ま、ま、まあ細かい事は言いっこ無しで。っていうか、言ってる暇もなさそうだし!」
「ブモオオオオォォォッ!!」
 巨大な牙二つを突き上げ、キャノンボアが再び雄叫びを上げる。
「よっしゃこい!!」
 正面からの殴り合いと判断したのか、ヒイロはキャノンボア目がけて突撃していった。
「ヒイロ」
「何、先輩!?」
「ソイツは任せられるか?」
「予定通りでしょ? タイランも」
「は、はい!」
 タイランは、ヒイロの後を追っていた。
「――手伝ってくれるしね!」
「ブモオオオッ!」
「お、お、おっかないですけどね……!」


 大物はヒイロとタイランに任せておく事にした。
 もちろん支援や回復等、油断は出来ないが、基本的にあちらの戦いは{単純/シンプル}だ。
 要は強い方が勝つ。
 しかし、バレットボアの群れの方が、シルバにとっては厄介な存在だった。
「リフ」
 シルバの意を汲んでくれていたのか、リフは既に猪達の生態を読んでいた。
「にぃ……分かってる。みんな、ちゃんと『猪』。『普通』のバレットボアとキャノンボア」
 つまり、そういう意味では遠慮は要らない訳だ、とシルバはホッとした。特に昨日の晩ご飯の事を考えると、それが大きい不安でもあったのだ。
「あ、あの規格外のがかい?」
 カナリーが疑わしげにリフを見る。こちらはまだ少し勘違いしているようだ。
「おおきさの話じゃない」
「ああ」

 一方前衛では、バレットボア達がスクラムを組み、また蠢き始めていた。
 キキョウやカナリーの従者達も攻めているのだが、盾役と突撃役の二種類のバレットボアの攻めに難儀していて、他の猪達の動きを制する事が出来ない。
 後方からの雷撃魔法や精霊砲も、何体かのバレットボアが身体ごと盾になって防いでしまう。
「シ、シルバ殿、また何やら始めたぞ」
「……俺には分からん。あの文様は何だ、カナリー」
 キキョウ達に回復の祝福を与えつつ、シルバはカナリーに尋ねる。
「いや、僕にも分からない。魔法にはない文様だ」
 カナリーは器用なモノで、彼らの動きから文様を推測していた。
 切った指から垂れた血が、地面にその文様を描き出す。
 しかし、それはシルバもキキョウも知らない文様だった。
「……契約精霊のしょうかん」
 答えたのは、リフだった。
「リ、リフ、今なんて?」
「ぞくせいは火。対象は……じぶんたち自身!」
 ぼうっ……!
 とバレットボア達が、火に包まれる。
 後衛三人の顔が引きつった。
「……猪が、火を纏った」
「……自分から、焼き豚になったね、シルバ」
「にぃ……あまり、おいしそうじゃない」
「これはまさか……!」
 キキョウは、彼らの狙いを察したようだ。
 が。
「キキョウは目の前の戦いに徹しろ! こっちはこっちで何とかする!」
 言って、シルバとカナリーは後ろに下がった。
 残ったのは帽子と大きなコートに身を包んだ、リフ一人。
「リフ、悪いな。サポートはするから」
「にぃ。これもおしごと」
 リフのコートをまくり上げた両腕から、鋭い刃が出現する。
 剣牙虎の霊獣の強力な武器、二本の牙だ。
「豚が……飛んだ」
 予想通り、飛翔の魔法で何頭かのバレットボアが、キキョウ達前衛の頭上を突破した。
 炎の尾を作りながら、放物線を描くバレットボア達の姿は、相当にシュールなモノだった。
「……ウチの救いは後衛の攻撃力が高いのがいる点だ。でなきゃ本気でまずかった。迎撃するぞ、二人とも!」
「当然!」
「にぃ!」
 シルバは豪拳をカナリーに唱えつつ、リフの足下の霊脈に針を突き刺した。


 前衛1、後衛2で炎のバレットボアを倒していく。
 リフの近接攻撃とカナリーのグループ用雷魔法のお陰で何とかなってはいるが、シルバとしてはヒイロ達やキキョウ達も見なければならない。
 相当に忙しかったが、まずここさえ乗り切れば何とかなると、シルバは踏んでいた。
「シルバ、連中回復まで使い始めたぞ! 君にはこれにも心当たりがあるのか?」
「何の話だよ!?」
 カナリーの怒鳴り声に近い問いに、シルバもやや乱暴に尋ね返した。
「さっき言っただろう!? 前のパーティーの時に似たような目に遭った事があるって! こんな酷い目に遭った事があるのかい!?」
「そうじゃない。俺もようやく気がついたんだが……コイツらが、ただの猪モンスターじゃないとしたら?」
「ただの猪が魔法を使う訳ないだろう、シルバ!?」
 リフの刃とカナリーの雷撃が、ようやく自分達を襲った炎に包まれたバレットボアの最後の一体を倒した。
 一息つく。
 このままだと、また新たなバレットボア達が飛んでくる。
 そうなる前に、自分達も前衛と距離を詰めるしかない。そちらの方がまだ、楽なはずだ。
 そう考えながら、シルバはカナリーの疑問に答えてやる事にした。
 確かに『ただの猪モンスター』が魔法を使う事はない。ボア系のモンスターが、そんな事をするなんて聞いた事もない。
 だが。
「そうじゃなくて。考え方が根本から違うんだよ。コイツらの戦い方は明らかに、動物離れしてる。でも俺達はこういう戦い方を知っている。俺達自身がいつもやっている事だ。敵を調べ、隙を伺い、機会があれば襲い、陣形を整え、各々の役割をこなす」
「シルバ……つまり君が言いたいのは」
「ああ」
 シルバの言葉に、ようやくキキョウも気付いたようだ。
 これはもはや、狩りじゃない。むしろ狩られているのは自分達の方であり……。
「――コイツら、間違いなく冒険者だ」


 キャノンボアが口から放った青い息吹が、タイランの巨体を青空高くに舞い上げた。
「ヒ、ヒイロ……! 不思議な事があるんですけど……」
「ブモォ……!!」
 キャノンボアは口から大量に吐き出した呼気を整える為、深く息を吸い込む。
 そして脇から急襲してきたヒイロに気づくと、頭をふるってその牙で退けようとした。
「何!?」
 何とか巨大な牙の一撃を、ヒイロは骨剣で何とか受け止められた。
 しかし完全に衝撃は殺しきれなかったらしく、軽量級のヒイロは結局、弾き飛ばされてしまう。
「ど、どうして、絶魔コーティングされてる私が、精霊砲で吹き飛ばされているんでしょう……?」
 ドガチャッと無様に地面に落下したタイランとほぼ同時に、ヒイロは二本の足で着地した。しかしダメージはあったのか、ガクッと膝をついてしまう。
 それでもヒイロは目の前のキャノンボアからは、目を離さなかった。
「多分、気合い」
「気合い!?」
 キャノンボアは再び突進を開始する気なのだろう、後ろ足で大量の土を削り始める。
 ヒイロも骨剣を構え直す。
「じゃなきゃ、威力と一緒についてきた風圧の方じゃないかな」
 タイランですら吹き飛ばされるとなると、反魔コーティングされたブーツは使えない。逆にバランスを崩した所をぶっ飛ばされるのがオチだ。
「ま、まだそっちの方が、納得がいきます……というか精霊砲を使う猪なんて初めて見ました……」
 タイランも、よろよろと起き上がった。
 ヒイロもタイランも生傷だらけでボロボロだ。
「さっきのは精霊砲じゃないよ。似てるけどちょっと違う」
「? ど、どういう事でしょう」
「多分気合い」
「だから気合いって何ですか!?」
 そんな二人のやりとりを無視して、キャノンボアが巨大な土埃を上げながら突進してきた。わずかに浮いた身体が強烈な回転を開始し、巨大な砲弾と化していく。
「喋ってる暇が……ないっ!」
「ですね!」
 二人は同時に左右に別れた。だが、キャノンボアの通り過ぎた後も強烈な衝撃波が生じ、大量の土の塊がヒイロとタイランの身体に叩きつけられる。
 もっとも、あの突進が直撃するよりはマシですね、というのがタイランの見解だ。
 背後で爆発にも似た衝撃音が響き、どうやらキャノンボアが森の奥で停止したらしい。……もっともすぐ復活して、こちらに現れるのだろうが。
 キャノンボアが通り過ぎた跡の地面が、大きく抉れているのを見て、タイランはぞっとした。
「……というか、す、すごくおっかないんですけど。いやあの、ヒイロ? な、何をしているんですか……?」
「こうやって……こうで……」
 ヒイロはというと、骨剣を槍のように構えては突き出すという奇妙な動作を繰り返していた。わずかに剣風が巻き起こるが、とてもキャノンボアの精霊砲とは比べものにならない。
「あ、うん。あれ、ボクも出せないかなって思って」
「あ、あれって精霊砲ですか!? 無茶言わないでくださいよ!? そんな思いつきでポンポン技が出せたら、キキョウさんなんてとっくに剣聖級ですよ!?」
「や、思いつきじゃないんだけど」
「ど、どういう……うはぁっ!?」
 威力よりも速さを重視したのだろう。
 森の中から出現した、キャノンボアの巨体がタイランを直撃した。
 再び、タイランの身体が宙を舞う。
「タイラン!?」
 鈍い金属音を立て、タイランの身体は地面に叩きつけられた。
「だ、大丈夫です……! 頑丈さだけが取り柄ですから……!」
「ちなみに今の技はこう――」
 まだ身体を反転し切れていないキャノンボア目掛けて、ヒイロはダッシュした。
 槍のように構えた骨剣がヒイロの手の中で回転し、螺旋状の気を生じていく。ドリルのようになった骨剣を、ヒイロはキャノンボアの後ろ足に叩きつけた。
「ブモオオオォォォ!!」
 キャノンボアが、たまらず悲鳴を上げる。
「よし、これはいける……!」
 一矢報いたヒイロは、高らかに跳躍した。狙いは反転しつつあるキャノンボアの脳天だ。
「ヒ、ヒイロ、不用意にジャンプしたらまた……!」
 ギラリ、とキャノンボアの目が凶暴に光った。
 血の流れる後ろ足を踏ん張り、キャノンボアも身体を回転させながら跳躍する。
「うはぁっ!?」
 あっさり迎撃され、ヒイロは墜落してしまう。
「ヒ、ヒイロ!」
「平気!」
 悲鳴を上げるタイランの予想に反して、あっさりヒイロは立ち上がった。
 ……全身を重い甲冑に身を包んでいるタイランと、タフさではほぼ互角のようだ。
「技を盗むにはまず、身体で覚える! ウチの里だとそれが常識だからね!」
「そんな常識、身体が持ちませんよ!?」
 そもそも、モンスターから技を学んでどうするのか。
 これは、狩猟だったのではないのか。
 しかし、そんな細かい事は、ヒイロはすっかり忘れているようだった。
「うん、うんうんうん、よし。大分覚えた」
 唇の端についた血を拭うと、むしろ嬉しそうに、ぶるんぶるんと骨剣を振り回す。
「お、覚えるのはいいですけど、傷だらけですよヒイロ……」
「いやあ、昔を思い出すね」
「……本当ですよ、もう」
 シルバ達とパーティーを組むまでは、短い期間ではあったが共にコンビを組んでいた二人である。
 キャノンボアは足が痛むのか、さっきよりはやや動きが鈍い。
 それでも、並の獣とは比べものにならない速さと強さを兼ね備えている。
 ドドド……と地響きを上げながら、今度はまっすぐにヒイロとタイランに襲いかかってきた。
「それにしても……これ絶対に、ただの猪モンスターじゃないですよね!?」
 足裏の無限軌道をフル駆使し、何とかキャノンボアの頭突きを受け止める。その動きが止まった隙をついて、ヒイロの骨剣がキャノンボアの脳天をかち割った。
「うん。間違いなくスオウ姉ちゃんだ」
「…………」
 頭を大きく振る敵から、二人は距離を取った。
「……ヒイロ、今、何と?」
「だから、ボクの――」
「ブルアァァァァア!!」
 頭から血を流しながらも、キャノンボアが鋭い牙を突き上げる。突き刺さればタダではすまないそれを、ヒイロは必死に回避した。
「――くっ、機動力は何とか落としたものの、やっぱりこの牙が厄介だね。タイラン、次は牙を狙おうか!?」
「そ、それはいいんですけど……! いいんですけど、さっき、聞き捨てならない事を言いませんでしたか、ヒイロ!?」
「何だっけ?」
 ずお……っと不意にキャノンボアの身体が浮いた。
「あ、あれがヒイロのお姉さんとか……きゃああああ!?」
 恐ろしい重量の落下攻撃に、タイランはたまらず悲鳴を上げた。タイランはロケットアームを使って遠くの木を掴まえると、牽引力で緊急回避を試みる。
 重い地響きを上がる……が間一髪、キャノンボア脅威のプレス攻撃は不発に終わった。
「あ、それ。先輩からの念話だと、化けて出た訳じゃなさそうだけどね。でも強さといい技といい、まず間違いないね」
 もちろん敵の隙を見過ごすヒイロではなく、起き上がろうとするキャノンボアに二撃、三撃を加えていく。
 しかし硬い毛皮と鍛え上げられた筋肉に守られたキャノンボアの肉体には、なかなかダメージが蓄積しにくい。それでも、少しずつ傷は増えつつあった。
 森の端に避難していたタイランも、無限軌道を使って急いで戻って来る。
「しゃ、喋った訳でもないのにどうして確信出来るんですか……?」
「鬼族は言葉より、拳の方が通じ合う事が出来るんだよ」
 復帰したキャノンボアも、度重なる負傷に、身体のあちこちから血が流れ始めている。
 それを見て、やはり同じように傷だらけになっているヒイロも、好戦的に笑いながら武器を構えた。
「どうしてこんな事になったのか知らないけど、面白い」
 その笑いに、何となくタイランは鬼という種族の本質を見たような気がした。
「い、いえ、そこは普通躊躇う所じゃないんでしょうか……身内……ですよね?」
「どうして? ボクは一度もスオウ姉ちゃんに勝てた事がないんだよ。それがまああんな姿になって……ますます強くなっていてくれた」
 足に力を込め、ヒイロは何度目になるか分からない突撃を開始する。
「戦う動機には十分すぎる!」
「ブモォ!!」
 ヒイロの骨剣とキャノンボアの牙がぶつかり合い、周囲に衝撃波が走る。
「は、入り込む余地がなくなってきています……」
 タイランは鎧のスロットから回復薬を取り出した。ここはもう、回復役に徹するべきかも知れないと判断した為だ。
「うん、ごめんタイラン。コレはボク一人に仕留めさせて」
 弾き飛ばされ戻ってきたヒイロに、タイランは回復薬の中身を頭からぶっかけた。
「……止めても無駄なのは、経験上知ってます。しかしどうするんですか? 彼……いえ、彼女には隙がありません。特にあの三つの技が厄介です」
「ないなら……作ればいいよ!」
 腰を落とし、ヒイロは再び骨剣を真っ直ぐに構えた。
「って、そ、その構え! また突進じゃないですか!」
「鬼同士の戦いは常に真っ向勝負」
 キャノンボアは猛烈に息を吸い込み始めた。
「……向こうも、同じつもりでいてくれるみたいだしね。スオウ姉ちゃん一番の得意技、『烈風剣』……いや、『烈風波』になるのかな、これは」
「お、鬼族の誇り……という奴ですか?」
「そんな大層なモンじゃないよ。ま……習慣だねっ!!」
 ヒイロが駆け出した。
「精霊砲の反応、来ます!!」
「だから精霊砲じゃなくて、アレは気合いだって」
「ど、どっちでもいいですよ……ああ、本当に真正面から! そんな事したら……え?」
 ヒイロは剣を逆手に持ち、左手で峰をサポート。
 巨大な骨剣を盾にして、キャノンボアの猛烈な呼気を左右に割り、そのまま突き進む。
「気合いには、気合いで勝負……っ!」
「ブルゥ……!!」
 キャノンボアの呼気が尽きた時、ヒイロは既に間合いに入っていた。
「取った!」
「いえ……遅いです!」
 間髪入れず突き上げられた牙が、ヒイロの腹に突き刺さった。
「ヒイロ……!」
 腹を刺され、高らかに宙に浮いたまま、ヒイロは笑った。
「れ……」
 口元から血を吐きながら、手の中にある骨剣にヒイロの気合いが集中する。
 風を纏う骨剣を両手で握りしめ、渾身の力を込めて振り下ろした。
「烈風剣っ!!」
 どごん!!
 と、巨大な鉄槌で肉を叩くような音が響き、キャノンボアの額が陥没した。
「ブモァ……!?」
 短い悲鳴を上げ、キャノンボアの身体がビクリッと電流を流したかのように痙攣する。
 ……直後、全身が脱力し、巨大な猪モンスターは、大地に崩れ落ちた。
「ふぃ……死ぬかと思った……痛ちち」
 ヒイロは自分に突き刺さったままの牙を、後ずさりしながら引き抜いていく。
「む、無茶しすぎですよぉ、ヒイロ……急所は外しているんでしょうね?」
「多分ね。ま、とにかくこっちは終わったし、次は向こうに合流しよう。この傷も、先輩に治してもらわないと」
 ようやく牙が抜けた傷跡からは、当然ながらドクドクと血が流れ出していた。
「う、動いちゃ駄目です……! 私が運びますから!」
 慌ててタイランは回復薬の残りをヒイロにぶっかけ、その身体を背負った。
「へへー、勝った勝った。やっと勝てたー」
「はいはい……もう、背中ではしゃがないでくださいね……?」


 ようやく後衛への攻めが一段落したお陰で、説得の時間が出来た。
 リフとカナリーが見守る中、シルバは大真面目な顔でタイランを見上げる。
「タイラン、頼む! お前にしか頼めない事なんだ!」
「は、はい……な、何でしょう? 私で出来る事でしたら……」
「俺と……一つになってくれ!」
「は、はい……え? は? えええぇぇーーーーー!?」


 ――などという事態になった理由を語るには、五分ほど前に遡る。
 状況は極めて厳しかった。
「とにかく炎が厄介だ」
「に」
 回転しながら猛烈な勢いで飛来してくる炎のバレットボアを迎撃しつつ、シルバが言う。精神共有もオープンにしているものの、この距離だと直接離した方が手っ取り早い。
「前衛も攻め難く、後衛はお前やカナリーが頑張ってくれてるけど」
「にぃ……熱いの苦手」
「木属性だからね、無理もない。下手をすると燃えてしまうかも知れない。僕の雷撃魔法も炎とはあまり相性がよくない」
 おまけにバレットボアは一度に二、三頭で攻めてくる。
 一頭を相手にするのと複数を相手にするのでは、労力が段違いだ。今でこそ何とかなってはいるものの、このままでは押し切られてしまう。
「そして次に連中の陣形。特にあの肉の壁状態を何とかしないとどうにもならない」
 残っている炎のバレットボア達は仕切りに蠢き、新たな陣形を描いて魔法を展開する。何がキツイといって{鉄壁/ウオウル}に加え、{大盾/ラシルド}まで使うという点だ。
 ……シルバにとってはまるで鏡を見ているような相手の戦い振りだが、いざ自分が相手をするとなると、面倒な事この上ない。
 こちらが{崩壁/シルダン}を使った所で、すぐにまた向こうが{鉄壁/ウオウル}を張り直すのは目に見えているので、手が出せないのだ。
 キキョウやカナリーの従者達が奮闘してくれているけれど、攻めあぐねているのは明らかだった。
「アレを突破したとしてその先は?」
 カナリーの問いに、シルバは考えを進める。
「俺の見た所、連中は獣だが明らかに戦い方は冒険者、もしくは軍のそれだ。となると必ず指揮官がいる。おそらく精霊使いのな。そいつを倒せばいい。だが、前提としてやはりあの壁は崩さないと駄目だ。それにあの壁も決して弱点がない訳じゃない」
「というと?」
「ブモオオ!!」
 カナリーに向かって猛突進してきたバレットボアを、リフの腕から飛び出ている刃の一閃が仕留める。
 軽く息を切らせるリフを、シルバの{回復/ヒルタン}の青白い聖光が包み込んだ。
「今回の戦いで分かった事がある。俺達のパーティーのメンバーに、敵が執着している奴が二人いる」
 シルバはカナリーと、遠くにいるキキョウを指差した。
「お前とキキョウだ」
(某か!?)
 前衛に立ち、炎の猪達を相手取っていたキキョウが驚愕したのが、念話越しに伝わってきた。
「……猪に恨まれる覚えはないんだけどね」
 カナリーもぼやく。
「説明は後でするけど、そこは二人に何とかしてもらう。後は、キキョウが抜けてから正面突破が可能な戦力が整えば……」
 いくら炎がなくなり陣形が崩れた所で、バレットボア達はただ単独でも脅威だ。強い攻撃力が必要だ。
 その時、やや離れた場所からヒイロの念話が飛んできた。
(こっち終わったー! 今から合流するよー)
「ジャスト・タイミング」
 これで、作戦に必要な駒は揃った。


 熱と戦いの疲労で汗だくになっていたキキョウとバレットボアの間に、小柄な鬼が割り込んできた。
「どっかーん!!」
 勢いよく、炎の猪を骨剣で殴りつけたのはヒイロだ。
「ヒイロ、連戦ご苦労!」
「キキョウさんこそ大丈夫? ずいぶん服焦げてるみたいだけど」
「ああ、それが厄介でな! まずはこの炎をシルバ殿に消してもらう。話はそれからだ!」
「了解! じゃ、せいぜいヤケドしないように頑張るとしましょーか!」
「うむ……!」
 バレットボア達が、ヒイロに敵意の視線を向ける。
「むぅ……?」
 その目つきに、キキョウは何だか妙に見覚えがあるような気がしていた。


 そして時間は戻る。
 タイランは後衛のポジションに戻されていた。
「ど、どういう事なのでしょうか……?」
「時間がないから簡潔に説明するぞ。炎には水で対抗だ。これは単純で俺が何が言いたいかは分かってもらえると思う」
「……わ、私が出ていいんでしょうか……?」
 タイランは諸事情で、現在の重甲冑から出る事が出来ない。それはパーティーのみんなも分かっている事だ。
「いいんだ。その方法も考えた」
 シルバは地面に木の枝で書いた文様を示した。
「この文様は?」
「敵が使ってた炎の精霊との契約文様の応用。正式なモノじゃなくて、俺とカナリーが自分達なりにアレンジして作った非常にヤバイモノだけど、リフのオーケーが出たから大丈夫なはずだ。あとはお前の了承があれば簡易ながら契約は成立する」
 タイランは、炎に包まれ突進を繰り返す、前衛のバレットボア達を見た。
 改めて、シルバを見直す。
「……つ、つまり、私とシルバさんが一つにって、そういう意味ですか?」
「ああ。ちょうどアイツらと同じような感じになる」
 タイランの問題は力を使うと不安定になり、混成属性になるという点にある。これが察知されると困った事情になるのだ。
 それを解決するのがこの手段、つまりシルバの身体に憑依していれば、水の精霊として安定するというのがリフの話だった。
 基本的にタイランはシルバに憑依する以外何もしない。水の精霊としての力を行使するのは、シルバの限界までだ。
「……なるほど、理には適いますけど……シルバさんのお身体は大丈夫なんですか? そんなぶっつけ本番の実験みたいな真似」
「俺だからいいんだよ」
 シルバは懐から、狐の面を覗かせた。
「何せ俺は一回やってる」
「……分かりました。じゃあ、よろしくお願いします」
「ああ。んじゃいくぞ」
「は、はい……」
 タイランは重装甲の前面を展開し、青い燐光を放つ精霊としての本体を出現させた。
 地面に描いた文様を挟んで、二人は呪文を紡ぎ始める。
「水の精霊よ。我が肉体に宿り、悪しき元素に立ち向かう力を与えたまえ……!」
「我が名タイラン・ハーベスタの真名をもて、この者に望む力を与えます。その力を一つに……融け合わせましょう」
 二人の手の平が重なり合う。
 眩い青光が発せられたかと思うと、タイラン本体の姿は消えていた。
「…………」
 シルバはと言えば、青白い燐光に包まれていた。
 肌や瞳の白目部分も青みがかり、どことなく耳も尖っている。
(せ、成功ですか……?)
「ああ、うまくいった」
(ですけど……まだ問題は残っています。この距離からだと、全力でもちょっと火を消すには……それにシルバさんの魔力量も……)
「その点も考えてある」
 シルバは、ほぅと感心しているカナリーと、前衛に精霊砲を飛ばしているリフに声を掛けた。
「それじゃ、合図をしたら作戦開始だ」
「了解。しっかりね、シルラン」
 酷いカナリーの言いようだった。
「混ぜるなっての」
 作戦開始だ。


「じゃあ、行くぞ」
 シルバは懐から針を出し、霊道の入り口に刺した。
(あ……)
「気がついたか、タイラン。そういう事だ」
 それからふと思い出し、シルバは自分の掛けていた精霊眼鏡を、カナリーに渡した。
「貸しとく。今の俺には必要なさそうだし」
「うん? そうかい。せっかくだし、お言葉に甘えよう」
 カナリーは眼鏡を受け取った。
「にぃ……」
 なんだか、リフは羨ましそうだったので、カナリーは苦笑した。
「あとでリフにも貸してあげるよ。もっとも、君には本来必要ない物なんだけどね」
 気がつくと、シルバは消えていた。


 霊道を使って、シルバは敵の真上に立った。
「ブモッ!?」
 気がついたバレットボア達の目が、驚愕に見開かれる。
 シルバはタイランの精霊の力を駆使して、空中での位置を保持。
 そのまま、高らかに片手を青空に掲げた。
「天候の女神ムカナタよ! 汝の巫女サリカ・ウィンディンの名を知りし我が祈りを捧げます! 大地を灼く炎の群れの鎮めを助け給えっ!!」
 サリカ・ウィンディンという名前が出た途端、それまでの晴れた空が一転、雷の火花を覗かせる黒雲に包まれた。
 名前を借りただけではあくまでこれが限界だ。
 だが、それで充分だった。
「全力で行くぞ、タイラン!!」
(は、はい……せーの!!)

「({急雨/スコウル})!!」

 シルバの腕が下がると同時に、豪雨が降り注いだ。
「ブ、ブモオオオオオ……!?」
 眼下のバレットボア達が動揺する。
 木桶をひっくり返したような雨量が相手では、さすがに火の精霊も敵わない。
 必死に陣形を整えては見たものの、火の精霊の再出はなかった。
「よし、上手くいった……!」
 ずぶ濡れになりながら、空中でガッツポーズを作るシルバ。
(あ、あの……シルバさん)
 不意に自分の中から、タイランの声が響いてきた。
「何だ、タイラン」
(サリカ・ウィンディンさんってどなたなんでしょう……?)
「まあ、それはおいおい」
 それより今は戦いに集中するときだ。


「火が消えた!」
 シルバと同じく、ヒイロやキキョウもずぶ濡れになっていた。
「では、後は任せたぞヒイロ」
「あ、うん。キキョウさんもしっかりね」
 キキョウは髪の雫を手で払うと、大急ぎで右手へと駆け出した。
 うっかりするとぬかるんだ地面で転びそうになるが、さすがにそんなヘマをするキキョウではない。
「本当に上手くいくのだろうな、これは……!」
 振り返ると、自分とは真逆、左手へカナリーが飛翔していた。
 昼間のカナリーは吸血鬼としての性能がかなり落ちているはずなので、おそらくは頭上にいるシルバの支援だろう。使ったのは、{飛翔/フライン}と{加速/スパーダ}といったところか。
 そのカナリーから念話が飛んできた。
(別も僕の事は信じなくてもいいよ。でも、シルバの頼みでもあるんだ)
「……な、ならば、全力で応えるのみだ」


 自分とは正反対の方向に駆けていくキキョウを眺め、カナリーは苦笑した。
「扱いやすいねえどうも……ま」
 それから真面目な表情に戻った。
「……私も逆の立場なら同じ穴の貉だから、人の事は言えないけど」
 照れた顔で金色の髪を弄りながら、バレットボアの群れから充分な距離を取れたのを見計らい、彼女は叫んだ。
「「敵はこっちだぞ、猪達!!」」
 キキョウと声が重なりその途端、バレットボアの陣形が何故か一気に崩壊した。
 猪達の多くが左右に分かれ、カナリーとキキョウを猛烈な勢いで追い始めたのだ。
「すごい! ホントにひらいた!」
 ヒイロの快哉がカナリーの耳に届く。
 もっともカナリーはこれからひたすら逃走だ。十頭近いバレットボアの群れを相手にするほど、カナリーは無謀ではない。シルバの支援と集団用の魔法があると言っても、追いつかれたらアウトなのだ。
 その一方で、猪達の目つきにようやくカナリーは得心がいった。
「……なるほどね、そういう事か」
 てっきりこれまで、何らかの恨みで猪達が自分を狙っているのだと思っていたが、とんだ勘違いだ。
 道理で覚えのある目つきだと思った。アレはいつも街中や学習院で女性達から受ける視線とそっくりなのだ。
 ――彼ら、いや、『彼女達』が自分に向けているのは、好意の視線だ。


 黒雲は既に下がり、徐々に再び青空を見せ始めている。
「うし、それじゃ正面突破!!」
 左右にばらけるバレットボアとほぼ同時に、ヒイロは動き出していた。
 バレットボアの陣形は完全に崩れていた。
 そのすぐ脇を、カナリーの従者であるヴァーミィとセルシアが並走する。
 頭上からは弓なりに、リフの精霊砲が掩護射撃に入ってくれていた。
「ありがと、リフちゃん!」
「に!」
 彼女達の頭上からシルバの声が響く。
「ヒイロ、リフ、そのまままっすぐ! 正面の相手を倒したその先にボスがいる!」
「らじゃ!」
「に!」
 ヒイロは目の前のバレットボア目がけて、勢いよく骨剣を振り下ろした。


「ブ、ブルルルル……」
 仲間のバレットボアに囲まれていた一頭は、唸りながら蹄で地面を引っ掻いていた。
 やがて地面に不格好な文様が刻み終わると、たった一頭だけその猪は火の精霊に包まれる。
 しかしその直後。
「ブモッ!?」
 真上から大量の水をぶっかけられ、火の精霊は散ってしまった。
「させるかよ」
 青白い燐光に包まれた司祭服の少年が、自分を見下ろしていた。
 彼はバレットボアから視線を外し、彼方を見た。
「ヒイロ! 最後の{豪拳/コングル}だ!」
「あいさーっ!!」
 直後、彼、いや『彼女』を守っていたバレットボア達が、遠くからの精霊砲の砲撃で倒され、赤と青のドレスの女に蹴り上げられ、おまけに巨大な骨剣を抱えた小柄な鬼が突っ込んできた。
 強烈な風が吹いたかと思うと、とてつもない衝撃が『彼女』の身体を吹っ飛ばしていた。
「ブモオオオオオオォォォ……!?」


 戦いが終わり、シルバはようやく着陸した。
 その場に尻餅をつく。
 完全に魔力切れだ。特に空中には浮遊を維持するので精一杯だった。
 ボスがいなくなると、残っていたバレットボア達も次々と意識を失い、倒れていったようだ。
「これにて、決着」
「めでたしめでたし」
 ヒイロは、追いついてきたリフとハイタッチを決めていた。赤と青の従者はどこか笑みに似た無表情で、そんな二人に拍手を送る。
 一方、左右を見渡すと、シルバと同じように、カナリーとキキョウもへたり込んでいた。
「し、死ぬかと思った……いや、むしろ怖かった」
「……う、うむ、同感」


 タイランと分かれると、改めて疲労がドッと来た。
 地面は濡れているので、適当な大岩にみんなで腰掛けた。
「身体は大丈夫か、シルバ殿」
 泥だらけの着物のあちこちに焦げ目を付けながら、キキョウが心配そうにシルバを見ていた。
「あ、へーきへーき。前みたいな無茶はしてないし。ただ、ちょっと魔力は完全に尽きてるから、ポーションは欲しいかな……っと」
 すると、首筋に何やら冷たい感触が触れたかと思うと、妙に性感を刺激されるエネルギーが流れ込んできた。
「こっちの方が手っ取り早い。奪い取れる相手ならそこいらにいるしね」
 言って、首筋から魔力を流し込んでいるのは、カナリーだった。
 一方タイランは、再び重装甲冑の中に戻っていた。
「そ、それで彼らの正体は一体何だったのでしょう」
「猪達は、本来は野生のモノだった……らしい。それに何かが取り憑いてたって感じみたいだな。リフの話だと」
「に」
 シルバの言葉に、リフが頷く。
「死霊使いが似たような技を使うし、陣形魔法や精霊と一体化するなんて高等技術を使ってた所から考えると、多分精霊使いの軍人かそれに近い者がボスだったんじゃないかと思う。本来の群れのボスはキャノンボアだったんだろうけどな」
「しかし……この数はさすがに食べきれないだろう」
 キキョウは呆れたように広場を眺め回した。
 まさしく死屍累累といった感じで、バレットボア達が倒れている。幾つか焼けているのは、炎に包まれたまま倒されたモノだろう。
 水に濡らしたのはもったいなかったかも知れないと、シルバは思った。
「だったらボクが全部――」
 ヒイロが何が言いたいのか、最後まで聞くまでもなかった。
「お前なら出来るかも知れないけど、食物連鎖ってのもあるんだよ。やり過ぎはよくない。ま、仕留めた分だけは回収して後は放置でいいと思う。徒党を組んでたから脅威なんだし、今まで通りに戻るなら村の人達も納得してくれるだろ」
「に……お兄、奥にまだ何かありそう」
「黒幕かね」
「にぃ……たぶん」
「じゃ、ちょっと休憩してから行ってみるか」
 シルバの言葉に、全員が頷いた。


※という訳で戦闘パート終了。
 普段の倍増でお送りしました(それでも量は大した事ありませんが)。いや、切れる所がなくて……。
 次回からは通常更新にしたいところ。
 前回不評だったので今回はちょっと気をつけて書いてみました……まあ、あんまり変わらないかも知れませんが。
「サリカ・ウィンディンって誰?」って方は、番外編の『補給部隊がいく』をご覧下さい。



[11810] ご飯を食べに行こう3
Name: かおらて◆6028f421 ID:656fb580
Date: 2010/05/20 12:08
 森の奥に続く道は、猪達が通っていたからだろう。かなり広かった。
 踏み固められたその道をしばらく進むと、やがて小さな村落が見えた。
 ずいぶんと昔に捨てられた村なのか、かなり古い感じがする。……しかし、矛盾するようだが、そのくせ人の住んでいるような雰囲気がある、不思議な村だった。
 その入り口前で、シルバは足を止める。
 すぐ後ろに続いていたカナリーも止まり、手で残りの皆を制した。
「ストップ」
「どうした、カナリー?」
 軽く驚くキキョウに、カナリーは金色の髪を掻き上げた。
「万が一の可能性もある。ここからは僕達が行くよ。ヴァーミィ、セルシア」
 赤と青、二人の従者が無言でカナリーに従う。
「いや、しかし」
「いいんだ、キキョウ」
 シルバはキキョウを制して、リフの背中を軽く押した。
「リフもいいか?」
「に……ごえい」
 いくらカナリーと言っても今は昼間であり、さっきの戦闘も考えると力はかなり落ちている。
 気配を探るのが得意なリフは一緒の方がいいだろう。
 カナリーは、小柄な盗賊を見下ろし微笑んだ。
「心強いね。じゃあ行こうか」
「に」
 従者を含めた四人が、村に向かう。
 それをシルバ達は見送った。


「万が一とはどういう事だ、シルバ殿」
 村の入り口で待ちながら、キキョウが尋ねてきた。
「いや、どういう事だも何も……あ、そうか言ってなかったっけ」
 そういえば、前衛には話が通ってなかった事を思い出す。
「女の冒険者。それも数十人。アーミゼストから半日の距離ってのは、遠からず近からずだ。そしてバレットボア達の暴れ始めたのは最近。イス達がやってるっていう雑鬼の退治ってのももしかすると、ここから追い出された雑鬼が流れた可能性もある」
 シルバのヒントに、真っ先に反応したのはタイランだった。
「あ、あの……それってもしかして……」
 どうやら気付いたらしい。
「……いやまあ、要するに当たりだったかもって話だな」
「んん? よく分からないよ、先輩」
 ヒイロもある意味、予想通りの反応だった。
 タイランが、シルバに代わってヒイロに説明をする。
「つ、つまり、カナリーさんのお仕事と繋がったかも知れないという、お話ですよ」
「うん?」
 ……遠回しな言い方は、やっぱりまずかったかなとシルバは今更ながら思った。
「つまりシルバ殿……もしや例の半吸血鬼の被害にあった女性達が、この先にいるかもしれないという事か?」
 さすがにキキョウも気付いたのか、核心を突いてきた。
 シルバは頷く。そう、クロス・フェリーの被害者達は、ここに潜んでいたのだ。おそらくは、元々は村外れにあった洋館に潜んでいたのだろうが、発覚した事で捜索されると踏み、森の奥にあったこの廃村に逃れていたのだろう。
「クロス・フェリーの事件の発覚と今回の件、タイミングはかなり合ってるんだ。この先には、もし噛まれたらえらい事になりかねない相手がいるって話さ。最悪もう一戦やり合う羽目になるかも知れない」
 だからこそ、先にカナリーを行かせたのだ。彼女なら、もし噛まれても元々吸血鬼なので問題はない。
「……心得た」
 もう一戦と聞き、キキョウも刀の柄を握って気を引き締める。
 しかし。
「ま、多分そんな事にはならないと思うけどな」
 お気楽に否定し、キキョウの雰囲気を台無しにしてしまうシルバだった。
 キキョウもたまらず、つんのめりそうになる。
「ぬ、ぬぅ、シルバ殿! いきなり気の抜ける発言をしないでくれ!?」
「いやだって、推測通りの相手なら昼間に戦うなんてまずないだろ。だからこそ、キャノンボア達が出てきたって考え方も出来るし」
「……そ、そうですね」
 タイランも納得したのか、臨戦態勢にあった斧槍を下ろした。
「とまあ、楽観的な事を言ってるけど、油断はしない方がいいのは確かだな。や、キキョウすまん」
「む、むぅ……気を引き締めていいのか、緩めていいのか分からなくなってきたではないか」
 ともあれ、カナリー一行が戻るまで、シルバ達は待つしかなかった。


 小一時間ほどして、カナリー達は戻ってきた。
 全員無事のようだ。
「ただいま」
「に」
「どうだった?」
 シルバの問いに、カナリーは肩を竦めた。
「問題ない。皮肉な話だけど、吸血鬼になってしまった彼女達が集まっていたのは、打ち捨てられていた教会だったよ。向こうには話し合う準備も出来ているようだ」
 カナリーの言葉に、リフがコクコクと頷く。
「推測通り、集まっていた彼女達の精神だけが、猪達に憑依していたようだ。大半はまだ、さっきの戦いのダメージで気絶しているようだったよ」
「……大丈夫か?」
 大半はまだ気絶しているという事は、少数は起きているという事だ。
 話し合う準備が出来ている、というのは、その起きている彼女達なのだろう。
 だがそれも皆、吸血鬼となっている者達だ。襲われては敵わない。
「そっちの心配はないと思う。……ただ、ある意味では、大丈夫じゃないかもしれない」
「……うん?」
 シルバはよく分からない。
 カナリーは、うんざりと、自分とキキョウを交互に指さした。
「ああ、そういう意味か」
 二人はかなり美形であり、アーミゼストでもかなりファンが多い。そのおかげでさっきの戦闘は勝てた部分もあるので、悪い事ばかりではないのだが。
「……分かってもらえて嬉しいよ。キキョウも気をつけろ」
「……なるほど、了解した。しかしむしろ、一番危険なのは前例のある、シルバ殿だと思うぞカナリー」
 言われてみれば、その通りだった。以前、シルバはキキョウのストーカーにその仲を嫉妬され、陥れられそうになった事があるのだ。
「じゃあ、シルバの護衛の仕事は、前と同じくキキョウに任せようか」
 その謀略に嵌められそうになったもう一人、カナリーの発言に、キキョウの尻尾が大きく揺れた。
「む!?」
「おや、うちの二人の方が適当かな?」
 カナリーが笑い、赤と青の従者が近づいてくる。
「い、いや! 問題ない! 某がシルバ殿をしっかりお守りしよう!」
「ま、全員気をつければ問題ないと思うけどな。それじゃ行こう」
 シルバ達一行は、村に足を踏み入れた。


 聖印すら傾き落ちている教会だったが、中は思ったよりきれいだった。
 おそらくは、こうした集まりに使う為に手入れしたのだろう。
 礼拝堂に並べられた木製の長椅子には、麻で出来た平服の女性達が何人も突っ伏していた。人間が大半だが、中には亜人種も混じっている。年齢は見たところ、上は三十代から下は十代前半まで様々だ。
 共通しているのは皆、顔がやけに色白な点か。
「ある意味、壮観だな。治療してやりたい所だけど……あれ? {覚醒/ウェイカ}っていけるんじゃないか?」
 シルバが聞くと、カナリーは少し首を傾げながら頷いた。
「それは……うん、確か大丈夫だったと思う。ただ、気をつけてくれ。いきなり皆に起き上がられると困る」
「むしろそれは向こうのリーダーに……」
 そこまで言って、シルバはふと思い出した。
「ところで、リーダーはどこだ? さっきの話しぶりだと、起きているっぽいけど」
 礼拝堂を見渡しても、起きている者はいないように見える。
 ヒイロもキョロキョロと、部屋を見渡していた。
「あ、そういえば、スオウ姉ちゃんもいないね?」
「この中で分かるのか?」
 シルバの問いに、ヒイロは大きく頷いた。
「分かるよ。目立つもん」
「目立つって……もしかして大きかったりとか?」
「うん。ボクよりずっと大きいよ」
「…………」
 見たいような見たくないような。
 すると、部屋の右奥の扉が開き、長身の美女が姿を現した。
 長い栗色の髪を後ろに束ね、温和な表情の上にある額からは二本の角が突き出ている。何より相当にスタイルがいいのが、布越しにでも分かった。
 彼女がヒイロの姉、スオウなのだろう。なるほど、二人を比べてみると確かに血の繋がりを感じさせられる。……むしろ姉の方が女らしい分、ヒイロが一層弟っぽく見えてしまうのが難点だが。
「すみません。こちらも準備が整いました」
「あ! 姉ちゃん!」
 ヒイロは喜び――跳躍した。
「久しぶり!」
 勢いよく振り下ろされた骨剣を美女――スオウは笑顔のまま、拳で弾き返した。
「ええ、お久しぶりね、ヒイロ」
 カウンターを受けたヒイロは器用に、近くにあった長椅子の背中に着地した。
 二人が構え合う。
「ちょっ、何いきなり殴りあってんだよ二人とも」
「あいさつ!」
「鬼族の挨拶です」
 仰天するシルバに、二人の鬼は笑顔で答えた。
 カナリーが進み出て、スオウに尋ねた。
「しかし準備が出来ていると言うけど……そういえばさっきここを訪ねた時も、リーダーは出てこなかったようだけど?」
「火の精霊を返されたので、代償に服が破れてしまっていたんです。それで今、着替えを済ませていた所なんです。ウチのリーダーの服は用意するのが大変なので、ちょっと手間取っていました」
「ああ、なるほど」
 カナリーは納得したようだ。
 シルバも、精霊を扱うのは難しいという事は知っていた。扱いに失敗すれば、そういう事もあるのだろう。むしろ、重度の火傷などではなく服程度で済んで、よかったのではないだろうか。
 ただ、服を用意するのが大変というのはどういう意味なのだろうか。
 ……やがて、半開きになった扉から声が響いた。
「待たせたわね」
 声はすれども、姿は見えず。
 シルバは扉が開くのを待ったが、一向に相手は姿を見せなかった。
「…………」
 ふと、扉の下を見ると、小さな少女が立っていた。
 年齢は十代半ばぐらいだろうか、ポニーテールの勝ち気そうな少女だ。服装もスオウ達と同じく、麻製の平服だ。
 しかし、そのサイズだけが違っていた。
 小さすぎる。というか手のひらに乗るんじゃないかと思われる、ミニチュアサイズだった。
「小さいからって驚いたみたいね」
「あ、いや、そんなつもりは」
 少女の問いにシルバは慌てて否定しようとし、嘘はよくないと思い返した。
「悪い。ちょっとあった」
「まあいいわ。正直に言った点は評価してあげる。あたしは小人族のユファ。職業は精霊使いよ。貴方達が破った、ね」
 皮肉っぽく言われ、シルバとしては苦笑を堪えるしかなかった。
「今はこの、吸血鬼にされた子達の集まりの、リーダーを務めさせてもらっているわ。……年功序列で」
「…………」
 シルバは口を開きかけ、何とかそれを我慢した。
「レディに歳を聞かないのは褒めてあげるわ」
 ふふん、とユファはシルバの心を読んだように笑い、さらに爆弾を投下する。
「ちなみに今年めでたく百五十歳」
「えぇっ!?」
 さすがに、シルバ達一行は、声を上げざるを得なかった。


「さて、何から話そうかしら」
 礼拝堂の奥の部屋には、立派な食事の用意がされた八人掛けのテーブルがあった。
 メインの肉料理の他、前菜やスープ、パンも揃っている。
 部屋の鎧戸が閉じきり、燭台の明かり以外は夜のように薄暗い点を除けば、シルバ達に不満点はなかった。
 席に着いた途端、早速食べようとするヒイロを、スオウが片手で制する。タイランも、既に中の正体を知られているようなので、重甲冑から出て精霊体で席に座った。
 ヴァーミィとセルシアは例によって壁際に控え、ユファとスオウも着席する。
 さすがに小柄なユファは普通の椅子に座る訳にはいかず、テーブルの上にある小さな椅子に座った。テーブル代わりの台座と、やはり小さな料理が彼女の食事だ。椅子や食器も誰か手先の器用な娘が作ったらしい、木彫りの品々が使われていた。
「この肉は……」
「む、むぅ……まさかとは思うが……」
 シルバとキキョウは、メインディッシュらしき肉料理を見て、複雑な表情を浮かべてしまう。さすがに、さっき戦ったばかりの相手……の中身が目の前にいるのだ。少々食べづらい。
 ユファは、シルバ達の躊躇を察したのか、苦笑を浮かべた。
「ああ、心配しなくてもいいわよ。{猪肉/ボア}じゃなくて、彼らが狩った野兎や鹿の肉だから」
 シルバ達は安心し、食事が始まった。
 よほどお腹が減っていたらしいヒイロは、一口で肉料理の皿を空にする。
 スオウが笑みを浮かべたまま自分の皿をヒイロに渡し、背後のヴァーミィが素早く動いて新しい肉料理の皿をスオウの前に追加した。
 一方シルバも、料理の味に唸っていた。
「この味は……血のソースか」
 生臭さは感じなかったが、血の濃厚な味はしっかりと口に広がっていく。
「こっちのプリンはスオウ姉ちゃんの料理だね」
 コースの段取りなど無関係とばかりに、ヒイロはデザートを食べていた。
「あ、赤いプリンなんて珍しいですね……?」
 ぶどうジュースを飲みながら、タイランが首を傾げる。
「血のプリンだからねー」
「血!?」
 ユファが、トマトサラダを食べながらヒイロの言葉を補足する。
「鬼族は、肉と血を使った料理が得意なのよ。おかげで、あたし達も助かってるわ」
「恐縮です」
 スオウは微笑み、ソースをパンの欠片に塗って頬張った。
「こっちはチイチゴのじゅーす」
 ぶどうジュースと違う色のグラスの中身をリフが言い当て、カナリーもワインを一口飲んだ。
「それに、赤ワインか……いい味だ。この辺は血の代用品としては定番だね。本題だけど、僕が進めていいのかな、シルバ」
「ああ、お前の件だからな。そして俺は飯を食う」
「うまうま」
 上機嫌に肉料理を食べまくるヒイロの隣で、シルバは静かにスープを啜った。
 もちろん、話はちゃんと聞いているが、進行はカナリーに託す事にする。
 カナリーは苦笑し、ユファの方を向いた。
「……やれやれ。まずは状況を整理しましょうか。ここにいる人達は、半吸血鬼であるクロス・フェリーの魔眼に魅了されて、拐かされた女性達だ。そうですよね」
「ええ。そしてつい先日までは、エトビ村の外れにあった洋館の地下に潜んでいたわ」
「どうやって生活を? もしも誰か村人が襲われたなら、さすがに事件になっていたはずですが」
 吸血鬼は血を吸う種族だ。それは吸血鬼に血を吸われた者も同じである。
「あたしやスオウを見ても分かる通り、吸血鬼としての深度は、まだそれほど深くないの。だから、血への『渇望』は代用品で補えているわ……まだね」
「なるほど」
 代用品……血のソーセージを切り分けつつ、カナリーは頷いた。
 しかしユファは少し顔を俯けた。
「もっとも、何人かまずいのがいてね……『渇望』の限界が超えた子達には眠ってもらっているわ」
「眠る?」
 首を傾げるヒイロに、カナリーは説明する。
「この場合は、仮死状態を意味するんだよ、ヒイロ。僕の見た所、この村で動けている人間は軽度から中度レベルのなりかけ吸血鬼だ」
 一定量の血が吸われる事で、一般の人間は吸血鬼になる。逆に言えば、何度かに分ける事で、段階を踏んで吸血鬼になってしまうのだ。
 礼拝堂にいた女性の人数から考えても、クロス・フェリーは複数の女性の血を味わう為、小分けにして吸っていたようだ。完全な吸血鬼になった女性はまだ、いないというのがカナリーの見立てだった。もちろん、『眠っている』女性達はまだ見ていないので完全な結論はまだ出せていないが……かなりまずい段階の女性もいるらしい。
「クロス・フェリーは、村を訪れたりはしていたのですか?」
「ええ、当然。たまに新しい女の子達を連れてね。何人かの血を吸って、また出て行ってたわ」
「ん?」
 今まで黙って話を聞いていたシルバのナイフとフォークが、思わず止まった。
「何よ?」
「吸っていっただけ?」
 シルバの問いに、ユファは頷く。
「そうよ?」
 聞いていたカナリーは、シルバが何を言いたいのか理解したようだ。
「ああ、その心配か」
「あー」
 遅れてユファも、得心がいったらしく声を上げる。二人揃ってニヤニヤ笑い始める。
「い、いや、その、だな……」
 つまり、性的な行為の強要がなかったのかという事なのだが……。
 ヒイロやリフがキョトンとしているので、シルバとしてもさすがに明言しづらい内容だった。
「まず、吸血行為は快楽を伴うというのは、シルバも知っている……あー、はずだ」
 最初はからかうように笑っていたカナリーだったが、途中から自分も何度か冒険のたびにシルバの血を吸わせてもらっている事を思い出したのか、頬を赤らめ目が泳いだ。
「そ、そうだな」
 同じように、シルバも目を明後日の方向に背ける。
「に?」
「……むうぅ?」
 よく分かっていないリフと、疑いの眼差しでゆらゆらと尻尾を揺らすキキョウ。
 赤ワインを口に含んで気を取り直し、カナリーは小さく笑った。
「満腹になるまで吸えば、そりゃ性欲も上回るさ」
「でもさ……」
 それではちょっとシルバは納得しづらい。
 何せ、内容は男の生理現象である。自分がクロスの立場になって考えると、それは今一つイメージが沸きにくい。
 ……血を吸ったからって、性欲は減るのか?
「うん、それと性欲は別だって言いたいんだろう? 確かにその通りではあるけどね、クロス・フェリーは半吸血鬼でありながら、吸血鬼の矜持も高い。やってる事はロクでもないけどね」
「矜持?」
 ふん、とカナリーは鼻で笑った。普段のカナリーを知らなければ、いけすかない美青年そのものな笑い方だった。
「吸血鬼は血を吸う怪物だって事さ。彼の行っている行為はね、おそらく人の血を吸う事を法によって制限している本家に対する抵抗なんだよ。だから、むしろ彼は僕達以上により吸血鬼であろうとする。分かるんだよ。そういう奴はね、性的行為を強要なんてしたりしないのさ。相手から求めてこない限りはね」
「い、いやしかしカナリー。彼女達は、奴に魅了されているのだろう?」
 戸惑うキキョウが口を挟むが、カナリーはキョトンとしていた。
「魅了は合意とは言わないだろう、キキョウ?」
「そ、そういうモノなのか?」
 キキョウとシルバは顔を見合わせた。
 自分達には理解しづらいが、吸血鬼とは、そういうモノらしい。
「ああ、他の種族には分からないかもしれないけど、それは、相手を落としたとは言わないのさ。まあ、それだけじゃ根拠は薄いだろうからもう一つ根拠を示すとだ」
 カナリーは形のいい鼻を小さく鳴らした。
「ここにいる者達は、大半が{処女/おとめ}の臭いをしていた」
 キキョウはぶわっと尻尾の毛を逆立て、顔を真っ赤にした。
「おと……!? わ、分かるのか、そういうのが……!?」
「分かるんだよ。何、そんなに驚く事はないだろう、キキョウ」
 ニヤニヤと意地悪く笑うカナリーに、キキョウは言葉に詰まる。
 やがて、ごにょごにょと小さく呟いた。
「……カ、カナリー……後で話がある」
「うん、後でね」
 カナリーは表情を引き締め、改めてユファを見た。
「つまり、クロス・フェリーの嗜好はまず第一に美女、もしくは美少女である事。かつ、相手が処女であれば言う事はなし……って所でしょうか」
「そうね。……だからって許される事じゃないわ。中には、待ってる恋人や婚約者がいる子だっているんだから」
 彼女は悔しそうに、食器を握りしめた。
「何より、アレに魅了されたって事自体が、あたしには許せない。屈辱よ」
「お察しします」
 大真面目に、カナリーは目を伏せた。
「男のあんたに……」
 ユファはカナリーをにらみ付け……戸惑った。
「う、うん? 貴方、もしかして……」
「話を戻しましょう」
 小さくウインクをして、カナリーはユファの言葉を制した。
「あ、あの……私、疑問があるんですけど……よろしいでしょうか?」
 それまで静かに話を聞いていたタイランが、遠慮がちに手を挙げた。
「いいわよ。何かしら?」
「見た所……その……もう魅了は解けているようですけど、どうして皆さん、逃げないんでしょうか?」
 その質問に、ユファは苦い笑いを浮かべた。
「ああ、その事。あの半吸血鬼の{強制/ギアス}があるからよ。だから、あたし達はここから動けないのよ」


「{強制/ギアス}って?」
 首を傾げるヒイロに、カナリーが説明する。
「そのままの意味だよ、ヒイロ。呪いの力で相手の行動を制限するのさ。つまり○○しろって命令を出されたら、逆らえないんだ」
「そう。あたし達はクロス・フェリーにいくつかの{強制/ギアス}を受けているの。一つは、クロス・フェリーとその仲間達を攻撃してはならないね。それに、この村に来てからは――」
 ユファは、ほとんど芸術品のような超小型のティーカップを口元で傾けた。
 誰もこの村に、近づけてはならない。
 自分達は、人里に下りてはならない。
「――と、こういう二つの{強制/ギアス}が追加されたのよ。この場合の誰も近づけてはならない、っていうのはもちろん力尽くの意味ね」
 しかし、ヒイロはキョトンとしたままだ。その上で骨付き肉を齧る口と運ぶ手が休まらないのはある意味、天晴とも言える。
「でもボク達こうやってご飯食べてるよね?」
「ええ、狙い通りね」
「?」
 やっぱりヒイロにはよく分からないようだ。
 カナリーもワイングラスを傾けながら、ニヤリと笑う。
「{強制/ギアス}の効果が落ちるほど、弱らせられたって事だよ。そもそもこの廃村で、誰も近づけるな、しかし自分達は人里に下りてはならないじゃ、いくら吸血鬼でも衰弱して死ぬよ。だから――考えましたね。{強制/ギアス}の穴を」
「ええ」
 同じように戸惑っているキキョウやタイランに説明するように、ユファはテーブルを見渡した。
「つまりね、あたし達は人里には下りられない。けれどこのままじゃ、飢え死にしちゃう、だからクロスにはこう提案したの。猪達を使って、自分達で食料を調達するって」
「例の憑依術ですか。それにしてもあの規模の数をよくまとめましたね」
 シルバは素直に感心した。
「吸血鬼のなりかけって言うのも、デメリットばかりじゃないのよ。魔力量がこれまでとは桁違いっていうのもあるし。憑依術の方は、あたしの精霊術と仲間の何人かの魔法使いで協力して、安定化させたわ。意識はあたし達とボア達半分こずつって事でね」
 バレットボア達は動物使いの娘がいたので、その子が交渉したのだという。知恵を持ったボア達は効率的な狩りを行え、それはそれで感謝されていたらしい。
「それに精神共有で群れをひとまとめにするのは難しくない、と」
「あら」
 シルバの言葉に、ユファは興味を覚えたようだ。
 構わずシルバは続けた。あれは実に参考になる動きだった。
「あの陣形魔法も、その応用ですよね」
「貴方ももしかして……ああ、そうなんだ。あの戦いぶりはそういう事だったのね」
 互いに、納得がいったようだ。
 精神共有による意志統合もまた、あのバレットボアの軍団をまとめるのに一役買っていたのは間違いないようだ。
 見つめ合い、不敵に笑う好敵手同士の空気を破るように、カナリーは手を叩いた。何だか慌てているようにも見える。
「は、話を戻しましょう。とにかくバレットボア達に憑依して、貴方達はこの山で暴れた」
 それに続くように、やはり慌てた様子のキキョウも口を挟んだ。
「し、しかし、村の農作物を荒らすのは少々やり過ぎではなかったのだろうか?」
 ユファは残念そうに、顔を俯けた。
「アレは素直に反省。動物に憑依すると、いくらか向こうの本能にも引っ張られるのよ。言い訳にもならないけどね」
 カラン、と音が鳴った。
 鬼女スオウが、食べ終えた骨付き肉の骨を皿に置いた音だ。
 よく見ると、ヒイロとほぼ同じぐらいの量の骨が山積みになっていた。いつの間に……という顔をしているのはシルバだけでなく、カナリーやキキョウも同じだった。
「そういえば、コモエに襲われた青年は大丈夫だったかしら?」
「コモエ?」
 シルバには、覚えのない名前だった。
「昨日、ヒイロが倒したバレットボアに憑依していた子よ。本職は盗賊なんだけど」
 つまりそれは、昨日の晩餐になったバレットボアであり。
 ……襲われた青年というのは、あれだ。
 農夫をやっていると言っていた、アッシュル青年の事なのだろう。
 悲鳴を聞いて動き出したシルバ達の目の前に、突然空から降ってきてみんなで驚いたものだ。
 その時の事を思い出し、何とも言えない表情になるシルバ、タイラン、リフだった。
「にぃ……。だ、大丈夫……のはず」
「タイランが悲鳴を上げたんで、リフが精霊砲でちょっと攻撃を……いや、うん、心配ない」
 ちょっと派手に吹き飛んで湯船で気絶しただけだし、問題ないと宿の主人であるメナも言っていた……思い返すと、本当に大丈夫か、ちょっと不安かも知れない。
「す、すみません……」
 騒いだタイランも、恥ずかしそうに俯いた。
 気を取り直すように、カナリーが咳払いをした。
「派手に暴れる事で、自警団を森に呼び込み、さらに冒険者を雇わせる。もし彼らが負ければさらに強い冒険者が現れ、いずれ自分達は敗北する。そして彼らはここを訪れてくれる。それを見込んだ訳ですね」
 猪に憑依した状態で助けを求めれば……ともシルバは思ったが、それは誰もこの村に近づけてはならないという{強制/ギアス}に反するのだろう。
「ええ。思った以上に早く、来てくれたけどね。……自警団の人達、かなり派手にやっちゃったみたいだけど無事だったかしら」
 案じるような表情のユファに、シルバはふと思い出した。
「ああ、そういえば、宿の主人も頭に包帯巻いてたっけ」
「やややり過ぎの感もあるようだが、それも、やはりバレットボア達の本能なのでしょうか?」
 キキョウの問いに、ユファは微妙な表情を作った。
「そっちは誰も近づけてはならないっていう{強制/ギアス}もあったわね。かなりここに近付いていたから……言い訳にもならないけど」
 一方ヒイロは姉であるスオウに尋ねていた。
「っていうか、スオウ姉ちゃんボクとの勝負、本気だったよね?」
「あら、それは礼儀でしょう。憑依していた彼も、本望だったみたいよ」
「まあね」
 シルバ達の視線が、ユファに集中する。
 確かに{強制/ギアス}の効果にしては、やけにバレットボア達の戦い振りは積極的だったような気がする。
「……え、えーと、好敵手と渡り合うっていうのも、冒険者の楽しみというか」
 気まずそうな愛想笑いを浮かべるユファだった。……ユファ本人としても、戦闘に刺激される部分があったのだろう。
「ともあれ、そういう事情ならあまりノンビリとはしてられないな」
 シルバが手を合わせ、ピクッとキキョウが反応する。
「む?」
「{強制/ギアス}が弱まっているのは、今の間だけだ。これ以上、現状のままでいると今度は生身のこの人達と争う羽目になる」
「ど、どうすればよいのだ、シルバ殿」
「{強制/ギアス}を解く」
 当然の事だ。
 この見えない鎖を何とかしない事には、ユファ達に自由はない。このままでは、この村を出る事すら出来ないのだ。
 しかし、ユファは難しい顔で首を振った。
「無理よ。こっちにだって聖職者は結構いたけど、誰も{解呪/デカース}出来なかったわ。相当に強力なのよ」
 カナリーも彼女に同意見らしい。
「僕も厳しいと思う。吸血鬼の{強制/ギアス}は、さすがに荷が重いよ。下手に触れるとシルバにまで害が及ぶかも知れない」
 心配そうな顔を向けられ、あっさりシルバは頷いた。
「うん、俺じゃ無理だ」
 その答えに、カナリーは眉根を寄せた。
「……もしかして、僕の上書きを狙っているのか?」
「う、上書き?」
 キキョウの問いに、カナリーは答える。
「今、彼女達はクロス・フェリーの精神的支配下にある。だが別の吸血鬼が噛む事によって、{強制/ギアス}はキャンセルする事が出来るんだ。……ただしそれは、今度は僕が彼女達を支配する事を意味する」
「……それはちょっとどうかと思うぞ、シルバ殿?」
 キキョウだけではなく、ほぼ全員から非難の目で見られても、シルバは動じなかった。
 小さく唸りながら、額を掻く。
「いや、俺が考えてるのはちょっと違うって言うか……出来るかどうか、ちょっとカナリー、検証を頼めるか?」
「……うん?」
 シルバはそれを、カナリーに話した。
 聞いたカナリーの顔は、呆れと困惑が混じり、ますます難しくなった。
「……本気かい、シルバ?」
「出来るかどうかが、問題なんだけど」
「いや、出来る事は出来ると思うし……ある意味では現状ベストな選択かも知れないが、しかし……君ね」
 カナリーは、大きく息を吐き出した。
「その考え方は、聖職者のそれじゃないよ絶対?」


 礼拝堂で眠っていた女性達を{覚醒/ウェイカ}で起こすと、カナリーやキキョウを見た彼女達で一悶着があったがそれはそれとして。
 長椅子を壁に寄せて中央に大きくスペースを取り、30人以上いる女性達はユファやスオウも含め、輪になって木の床に座っていた。
 中心に立つのは、シルバ、カナリー、キキョウの三人だ。
 カナリーは、ユファから預かった女性冒険者達のリストと座っている彼女達の顔を確認していた。
 今回の{強制/ギアス}解除は、ある程度、人間関係にも気を配る必要がある。仲の悪い者同士を隣にするのは、望ましくない。
「つまり、エーフィスからシヴァ、シヴァからファラジカ、ファラジカからヨヨ、ヨヨからシンジュ……」
 名前を読み上げるカナリーに、シルバとキキョウは同時に振り返った。
「「シンジュ!?」」
「あ、はーい」
 のんきに手を挙げたのは、ボーイッシュな軽装の盗賊娘だった。
「やっ、シルバとキキョウ。お久ー」
 シルバ達は明るく笑う少女、シンジュ・フヤノに駆け寄った。
「お久しぶりじゃないだろ馬鹿!?」
「何でお主がここにいる!?」
「え? やぁ、みんなと同じ、探索中に色々あって拐われちった」
 ペロッとシンジュは舌を出した。
「てへ♪」
「『てへ♪』じゃねー!」
「シルバ殿の言う通りだ! 親父殿は心配していたぞ!? 急いで連絡を取るのだ!」
「やー、だから連絡取れなかったんだって。事情ならもう知ってるでしょ?」
「……そういえば、そうだった」
 突っ伏すキキョウだった。
「あ、そう言えばシンジュだったわね」
 少し離れた場所から、小人族のユフィが声を上げた。
「何が?」
「君達のパーティーは闇討ち不意討ち騙し討ち上等で、手加減要らないから大丈夫だって言ってたの」
「うぉい!?」
 シルバはシンジュの胸倉をつかんだ。
 しかし、シンジュは一向に堪えた様子はなかった。
「あははー。でも実際生きてるじゃん。無問題無問題」
「問題大有りだ、この馬鹿者!」
 キキョウもシンジュを怒鳴りづける。
「ど、どういう関係なんだ、シルバ、キキョウ」
 後ろから声を掛けてきたカナリーに、シルバは説明してやる事にした。
「……クロエんとこの何でも屋の仲間。本業は金融業者の取り立て屋……っていうか、裏ギルドの大物の娘でな。取り立て屋は、実家の手伝いな訳だ」
「つまり金融業というのは……」
「うん、闇金融。他に賭博場とか表裏両方幾つも経営してる。フヤノ一家って聞いた事ないか?」
 貴族だけに名士は一通り覚えているのだろう、カナリーは頷いた。
「……ある。そこの娘か」
「一人娘だ」
 そこが肝である。
 父親であるカブキーノの娘の溺愛っぷりは、リフの父親フィリオにも劣らない。
「そうそう、テーストしばらく会ってないけど、元気してた? 死んでないよね。あれ? そういえばシルバってプラチナ・クロスどうしたのさ?」
 失踪してから数ヶ月、シルバと悪友の奇異な人生も、シンジュは知らないようだった。
「……テーストなら元気にしてるよ。名前は変わるし、身体は縮んだし」
「縮んだ?」
 シルバは自分の近況と合わせて、テースト……現カートンの状況もシンジュに伝えた。特に薬品の人体実験を複数繰り返す事によって若返ってしまった事に、彼女は興味を覚えたようだ。
「へー……そういう事になってるんだ」
 シンジュは考え込み。
「……やっぱ、五つも紹介したのはまずかったか」
「お前が元凶かよ!?」
「だって、借金返してもらわないと駄目でしょ?」
「……お、鬼かお前」
「借りたお金は返さない方が悪い!」
 放っておくといつまでも続きそうな会話を、カナリーが強引に割り込む事で終わらせようとする。
「と、とにかくシルバ、作戦を進めるよ。ここにいる吸血鬼になりかけの人間が、それぞれ隣の人間の血を吸う。スタートは最初に指定した通り、エーフィスからシヴァへ」
「う、うす。分かっただよ」
「心得た」
 山妖精の戦士娘エーフィス・ビルと、犬獣人の吟遊詩人シヴァ・エイトが頷く。
 シルバはこの場をカナリーとキキョウに任せて、出口近くに引っ込んだ。ここから先は二人に任せた方がいいだろう。
 カナリーの説明は続く。
「そのシヴァは隣のファラジカの血を吸い……順番に吸っていく。こうする事で、クロス・フェリーの{強制/ギアス}は、吸った人間の{強制/ギアス}で上書きされていく」
「よろしいでしょうか、カナリー様」
 手を挙げたのは、二十代前半の眼鏡を掛けた理知的な女性だった。
「はい、どうぞ。それと様はいらない。ええと、ヨヨさんだっけ?」
 カナリーはリストを確かめた。
 名前はヨヨ・G・ゼミナル。職業は魔法使いだ。
「はい。そうなると、私は私を吸ったファラジカさんに逆らえなくなる……という事になりますよね? 他の皆も相手は違えど同じですが」
 ヨヨは、隣に座る巫女風の服装の少女ファラジカ・メージングを見た。
 ファラジカは、やや困惑した表情だが、カナリーは構わずヨヨを見た。
「うん。そこが今回の作戦の肝でね。自分を起点に、吸う者と吸われる者を追ってみて欲しい」
 カナリーはヨヨから順番に、指を時計回りに滑らせていく。
「……そして、ユファがスオウの血を吸い、スオウがエーフィスの血を吸う。エーフィス、シヴァ、ファラジカときて……」
 ぐるっと一周したカナリーの指は、やがて再びヨヨに戻った。
「そう、君だ。という事は遡ると、君の上位にいる人間は回り回って……」
 今度は反時計回りに滑ったカナリーの指が、もう一度ヨヨを指す。
「あ……」
「君に戻る訳だ」
 ようやくヨヨは意味を悟ったようだ。
 しかし魔法使いでない何人かは、理解していないようなので、カナリーは改めて周囲に説明した。
「このように円環状の連なりを作る事で、{強制/ギアス}を上書きし、かつ吸血による主従関係を崩壊させる。自分の血を吸った上位者は、つまり巡り巡れば自分が血を吸う相手のずっと下位の存在になる訳だからね。だが、もちろんまったくリスクがない訳じゃない。結果的に一度血を吸う訳だから、君達は一段階、吸血鬼に近づいてしまう。その点は納得して欲しい」
「某からも、頼む」
「はーい!」
 カナリーとキキョウが頭を下げると、ほとんどの女性達から元気な声が返ってきた。消極的なその他数人も、不安そうにしながらも頷いた。
「それじゃ、始めようか。まずはエーフィスから」
「う、うす!」
 吸血は別に首筋にする決まりはない。
 彼女達は腕をまくり、それぞれ手首近くを吸い、吸われる事にしていた。
 そして、円環の強制解呪はスタートする。


 壁の飾りみたいになっていた重甲冑のタイランが、壁にもたれかかるシルバに声を掛けてきた。
「あの……シルバさん、本当にいいんですか……?」
「何が?」
「全部カナリーさんが考えた事にしちゃいましたよね? どうしてですか?」
「何だ、その件か。確かにあの方法を考えたのは俺だけど、ありゃ別に謙虚にした訳じゃないぞ。俺が考えたって言ったって、何の得にもならないだろ。それよりは、カナリーがあの子達に恩を売った方が得だって判断したからさ。何人か有力者の娘もいるみたいだし、ホルスティン家と繋がりが出来るのは悪い事じゃない」
 それに、とシルバは指を二本立てた。
「もう一つ理由があって、彼女達をより吸血鬼に近づけるこんなやり方、教会に知られたらほぼ間違いなく俺は破門食らうしな。出世しようにも、その足しにもならないだろ?」
「は、はぁ……」
 我ながら腹黒いなあと思うシルバだった。
「それよりもお前の方も、気をつけろよ」
「え?」
 シルバは腕を撫でながら順番を待つ、大人しそうな巫女の少女を指さした。
「……ファラジカ・メージング。メージングって言えばサフォイア連合国の一つ、コランダムの姫巫女の出だ。多分、修行中の身なんだろうな。お前の身元を考えると、万が一って事もある」
「あ……」
 タイランは、故郷であるサフォイア連合国から追われる身だ。
 もしも彼女がタイランの事を故郷に伝えればどうなるか……それを考え、タイランも言葉に詰まったようだ。
「今更だけど、偽名って手もあるが……」
「……それは……ちょっと……」
 実際、身元を詐称するのが一番なのだが、シルバもタイランの躊躇いは分かるので、強制はしなかった。そうするぐらいなら、国一つ相手に喧嘩を売る方を選ぶシルバは、苦笑いを浮かべた。
「親父さんからもらった数少ない物だしな。……じゃあ、むしろ逆に仲良くなって、親父さんの現状とか、こっそり情報を教えてもらうってのも手だぞ」
 その提案に、タイランはギョッとする。
「く、黒いですね、シルバさん」
「うん、我ながら結構悪辣だと思う。そういえばヒイロはずいぶん大人しいな」
 シルバは身体を傾け、タイランの身体に隠れるように座っていたヒイロに視線を向けた。
 ヒイロは腕組みをし胡座を掻いていたが、やがて頭を振って壁に立てかけていた自分の骨剣を手に取った。
「んー……そだね。やっぱイメージトレーニングじゃ駄目だ。ちょっと外で剣振ってくる」
「おう」
 大きく息を吐き出し、ヒイロは礼拝堂を出て行った。
 シルバはその背をタイランと一緒に見送った。
「お姉さんの件ですね……」
 この集まりが始まる前、スオウがクロスに噛まれた理由をヒイロに話したのだ。

「私はクロス・フェリーに魅了されたんじゃないんですよ。ライカンスロープのロン・タルボルト。正面から戦い、彼に負けたんです」

 姉の言葉を聞いてから、ヒイロはずっと唸るようになったのだ。
 これまでの情報で、シルバもロン・タルボルトの戦い方も、ある程度把握していた。普段は人間状態だが、本気になると狼獣人形態となり、牙と爪で超高速の攻撃を開始する。パワーも相当にあるらしい。
「スピード勝負となると、相性から考えると、一番いいのはキキョウなんだけどなぁ」
「お姉さんの分の敵討ち、ですからねぇ……」
 二人は視線を人の輪に戻した。
 順番に行われる吸血行為も、そろそろ終わりに近づいているようだ。
「……残るは、吸血鬼化の治療か」
「方法はあるんですか?」
「そうだな……」
 シルバが話そうと口を開いた時、そっと扉が開かれた。
 ヒイロかと思ったら、猫耳の突き出た目深にかぶった帽子と尻尾の出ているコート――リフだった。
「に。ただいま、お兄、タイラン」
「おかえり、リフ」
「お、おかえりなさい、リフちゃん」
 リフはシルバの前に立つと、背中を向けてそのまま両足にもたれかかった。
「どうだった?」
 とりあえず拒否せず、シルバはリフにこっそり頼んでいた事の首尾を尋ねてみた。
「深いけど、いけると思う」
「な、何の話ですか……?」
 タイランは、遠慮がちに尋ねてくる。
 これはまだ、シルバとリフしか知らない情報なので、無理もない。
「それはまあ、もうちょっと後の話として話を戻そう。吸血鬼化の治療だ。これには大雑把に分けて二つある。解呪系の儀式なんかを使って長い時間を掛けて地道に人間に戻るか、自分を吸血鬼にした相手を倒すかだ」
「……わ、私達が行うのは、個人的には後者かと思いますけど」
 タイランの答えに、ニヤニヤとシルバは笑った。
「ずいぶんと血の気が多いなあ、タイランは」
「に」
 リフにまで無表情なまま同意され、タイランは慌てた。
「あ、で、でも、その……私、地道な治療の方法なんて分かりませんし……」
「地道な方法の方だけど。手順としてはまず、冒険者ギルドとホルスティン家に連絡。これは必ずやらないといけない。公表されるかどうかは別問題としてだ。大切なのはこの後でね」
 シルバは指を一本立てた。
「一番常識的な方法は、教会に預けるって手だ。ただ、あんまりお勧めは出来ないな」
 教会関係者であるシルバは、深く鼻息を上げた。
「規則正しい生活といえば聞こえはいいけど、相当に行動を制限されるからね。アーミゼストじゃ先生が頑張ってくれると思うけど、それでも吸血鬼関係には教会は厳しい」
「そ、そりゃそうですよね……」
「何より、解呪儀式は延々何時間も続いて、しかもその間、動いちゃいけないって言うんだ。かなりしんどいんだよ」
 シルバは、二本目の指を立てた。
「もう一つの方法は、ホルスティン家預かりにする。こっちは解呪の儀式じゃなくて主に投薬らしい。周りが吸血鬼ばかりっていう環境さえ我慢出来るなら、こっちもありだけど、やっぱり行動に制限が掛けられるのは変わらないな。一族の秘伝らしいから、外出とかも出来ないだろうし」
「どっちもどっちですね……」
 頷くタイランに、シルバは三本目の指を立ててみせた。
「でまあ、もう一つの方法っていうのが、吸血鬼本体を倒すってのと連動する訳だけど……」
「にぃ」
 リフの耳がピコピコと揺れた。
「吸血鬼の進行は、カナリーの話だと霊泉でも食い止められるんだって。小難しく言えば、大地の生命力を吸精する事で、渇望を抑制する……っていう事らしい」
「あ、それでリフちゃんが……」
「にぃ」
 タイランに任せてもよかったのだが、出来るだけ彼女には力は抑えさせておきたかったので、リフに頼んだのだ。
 シルバはこれからの事を考え、指を折り始めた。
「……村の人間、ギルドマスターに先生と、ホルスティン家の連中……ちょっとまあ、色々忙しくなりそうだ、と」


 ここ数日の、エトビ村の忙しなさは尋常ではなかった。
 キッカケはどこかとなると、例の猪の群れを、たまたまここ『月見荘』に宿泊する事となった冒険者達が倒してくれた事になるのだろう。
 そこから派生した、森の奥に隠れ潜んでいた吸血鬼化された女性達の保護。
 彼女達をどう扱うかの話し合いの場が、そのままこのエトビ村になってしまったのだ。事件の大きさから、オフレコの内容となる。
 冒険者達の縁もあって、ギルドマスターや吸血鬼の貴族達といった本来ならまず訪れそうにない重要人物達が、この宿で会議を開く事になった。
 基本的にお忍びと言う事もあり、酒場部分を貸し切っての話し合いだったが、失礼がないようにと村民が一体となって準備に取りかかったが、その苦労は並大抵のモノではなかった。
 てんやわんやの大騒ぎが、遠い昔に思える自警団団長であり村長代理でもある、アブである。
 幸い、今日は晴天に恵まれ、会議も多少のドタバタはあったものの、何とか乗り切る事が出来た。。
 ちなみに客人達の多くは、自分の実家である村長家や、他の宿に逗留している。
 この宿はそこそこ大きいとはいえ、秘書官だの護衛官だの使いの者だのといった、数にしてみれば五十を超える(しかもこれでも少なくしたという!)人間は収容が不可能だった為だ。


「終わったー」
 会議の後片付けを終え、アブはカウンター裏の椅子に崩れ落ちた。
 赤毛の、精悍な印象を受ける青年だ。
 見かけ通り力仕事は得意だが、その分馬鹿である。
 その代わり不思議と愛嬌があり、村長の孫という事もあって若い者の中でも頼りにされている。
 彼の頭脳分をフォローするのは、もっぱらこの『月見荘』の若主人、メナである。
 黒髪をショートカットにし、ゆったりとした平服を着込んでいる。
 アブもメナも、宿泊客であるシルバが施してくれた治癒により、ボア達との戦いで生じた怪我はすっかり治っていた。
 なお両親は宿をメナに託すとさっさと隠居して、アブの両親と共に現在、世界のどこかを旅行中だ。最新の便りでは、しばらくはルベラント聖王国辺りにいるらしい。
「お疲れ。ほれ」
 メナはアブに背を向けたまま、後ろのアブに陶器を差し出してきた。
 中身はレイムの蜂蜜漬けだ。
「美味いな、これ」
「そうか」
 メナが後ろを向いているのは別に愛想が悪い訳ではない。単に仕事中だからに過ぎないし、アブもその辺は気にしない。
「いやもう、マジ疲れたって。ないだろ、あれは。何だってこんな村にあんな偉いさんが集まるんだよ……」
 今更な事を言うアブであった。
「こんな村とか言うな、村長代理」
「あんの糞爺……! 都合のいい時だけ、腰痛になりやがって……! 何が湯治だコンチクショー!」
「寿命が縮んだか」
「ああ、三十年ぐらいな」
「……余命数年か。葬式の方は任せろ。ウチの宿を選んでくれたんだ。今なら金は結構ある」
「そうか、頼んだ。化けて出てやるよ」
 実際プレッシャーは相当だったアブである。
 モシャモシャと、レイムを口に放り入れていく。レイム自体の酸っぱさと蜂蜜の甘さが相まって、いくらでも入りそうだ。
「しかし、アブ。本当にうちでよかったのかね。他にもデカイ宿なら結構あったのに」
「別にここがボロいって訳でもないだろうし、いいんじゃないか? もしくは今回の報酬で、全面的に改装するとか。まあ、しないだろうけどな」
「当たり前だ。こう見えても老舗の宿だからな」
 ふん、とメナは胸を張ったその時だ。
「ふぉっふぉっふぉ。そうそう、今のまま是非続けて欲しいもんじゃの」
 そんな声が、カウンターの向こうから響いてきた。
「や、こ、これは、ギ、ギルドマスター!」
「し、失礼しました」
 アブが慌てて立ち上がり、メナも接客用の口調で深く頭を下げる。
 背丈はアブ達の股下ぐらいまでしかない、鷲鼻が特徴的な小柄な老人だ。今は仕事用の紫の衣ではなく、老人用の平服に着替えている。
 ギルドマスター、ポメル・キングジム。
 この辺境周辺で、最もえらい人物である。
 あまりに小さかったので、カウンター前にいたメナですら気付かなかったらしい。……いや、おそらくこっそりと近づいてきたのだろうと、会議の時の老人を知っているアブは思った。
 この老人、かなり悪戯好きらしい。
「よいよい。それに今はお忍び故、その呼び名は控えておくれ。そうじゃの、ご隠居とかその辺でよいわ」
「は、はい!」
 メナはビシッとかしこまる。
「して、紙とインクが欲しいのじゃが。出来れば水ににじまぬものをな」
「はい?」
「何、洞窟温泉の自作マップ作りでもしてみようかと思っての。偉うなると、迷宮探索もしにくくなっての。せめてもの手慰みじゃて。あ、インクはこっちに入れておくれ」
 言って、ポメルは首にぶら下げていた小さな瓶をカウンターに置いた。
「わ、分かりました」


 老人が去り、メナは小さく息を吐いた。
「あ、あれがギルドマスターか。緊張はしたが……思ったよりは、気さくな爺さんなんだな。もうちょっと偉そうだと思ってた」
「……失礼な事言うなよ。いや、そう思うのも無理ないけど」
 そういえば、メナがポメルと話したのは、今のが初めてだったなとアブは思い出した。
 お出迎えの挨拶はとても会話とは言えないし、ほとんどのやりとりは秘書官を通していたのだ。
「会議の内容ってどうだったんだ?」
 アブに背中を向けたまま、メナが尋ねる。
「お前、それ、俺が話すと思うか?」
「話せる範囲なら話すだろ」
 アブな少し考え、確かにその通りだと納得した。
「……まあ、どうせいずれ広まる話ならいいか。まず吸血鬼にされたっていう娘さん達だが、ひとまずあの森の奥にあった廃村・マルテンス村に残留。というかその辺の権利関係で俺が……っていうか、ジジイが会議に呼ばれたんだが。元々は炭鉱掘る為に作った村だったが、地下深くから上質の温泉が出るらしくてな」
「へえ、確かな話なのか?」
「精霊使いとやらが複数言ってるんだから、疑う理由はないだろ。出なかったとしても俺達の責任じゃない。とにかく、温泉って言うのは治療にも効くらしくてな。そういう話になった。ただな……」
 そこで、アブは口をつぐんだ。
 新たな客が、カウンターに近づいてきたからだ。


「聞きたい事がある」
 メナの声を掛けたのは、年齢は二十代の半ばほどだろうか、身なりからして貴族と分かる銀髪紅瞳の誠実そうな青年だった。
 名前はネリー・ハイランド。
 アブの記憶では、会議に参加していた吸血貴族、カナリー・ホルスティンの関係者だったはずだ。本家から派遣されてきた使者であり、今回の事件の担当補佐だという紹介……だったが、正直人数が多すぎて、アブはあまり覚えていなかった。
「何でしょうか、ハイランド様」
 メナの応対に、ネリーは戸惑ったように周囲を見渡していた。
「カナリー様が見あたらないんだ。すまないが、心当たりはないだろうか?」
「カナリー……ホルスティン様ならナツメ様、つまり狐獣人の方と一緒に温泉に行くと言ってましたよ。ですが……」
「そうか。すまない、感謝する」
 彼は頭を下げると、特に急ぐ様子もないのにすごい速度で露天風呂の方に向かっていった。
 アブとメナは呆然と、彼を見送るしかなかった。
「……どこの温泉か、聞かずに言っちゃったな、あの人。ここの温泉とは限らないのに」
 アブの感想に、メナも頷いた。
「ああ、ずいぶんと早とちりな人だな。吸血鬼というのはもう少し、優美なモノだと思っていた」
「俺もだ。ああ、それでさっきの話の続きだけどな。マルテンス村の件。うちの村の連中集めて、こっちでも会議開かなきゃならない。マルテンス村の吸血治療には、ゴドー聖教の司祭らと、吸血鬼の一族もしばらく付き合うらしいからな」
 このエトビ村は温泉が主な観光資源だ。
 すぐ近くで新たな温泉が出るというのなら当然その相談は必要だし、何より異種族が住み着くというのなら、村人達の不安もある。
 村民達での話し合いの設定も、当然の措置だった。
「教会と吸血鬼の共同治療とは……また、聞いただけで仲が悪そうだな、それ。どうするんだ?」
 背中越しなのでメナの表情は分からない。だが、苦笑しているのは明らかだ。
 アブも同感だが、首を振るしかない。
「分からん。どうにかするんだろう。俺としては、こっちに迷惑が掛からないなら別にいいけど、村全体の意志は別モンだろ。教会の人達はともかく、もう一方は魔族だからな。杞憂に終わるとは思うけど、話し合いはやっぱりしとかないと」
 はぁ……と、アブは深く溜息をついた。
 その様子が分かったのか、くっくっくとメナの肩が揺れた。
「……気が重いのはそっちじゃないだろう? 酒弱いもんな、お前」
「おう。どうせ後半はグダグダの飲み会になるんだよ、畜生……」
 精悍な見かけによらず、アブは酒が苦手なのだ。決して飲めない訳ではないが、それでもせいぜい一杯が限界だ。それ以降は記憶を失う。
 下戸にとって、田舎の会議(と言う名目の酒盛り)は、正直重荷以外の何物でもないのだ。
「勧められても断れよ。酔った挙句、介抱してやろうとした女を無理矢理手込めにするのは一度で充分だろう」
「あははははー」
 ちくしょーと半泣きで笑うしかないアブであった。
 責任を取る為に、今は遠方にいる相手の両親に手紙を送ったが、さすがに外国宛では届くのも時間が掛かるらしく、返事は戻ってきていない。一応金細工師に、指輪は作ってもらったが、まだ渡すタイミングに困っている最中でもあった。
 幸いな事に、メナはその話を深く追求する気はなかったらしい。
「しかしまあ、炭鉱跡の奥にすごい財宝が眠っていたとはね」
 あっさり話を変えてくれ、アブはホッとした。
「ん、ああ、それか。今、賞金首にされてる連中の隠し財産らしくて、相当な額らしい。換金してない魔法アイテムもかなりあるとかかんとか、『ご隠居さん』がおっしゃってた」
 半吸血鬼、クロス・フェリーとその仲間達はため込んでいた財産も、女性達と一緒にマルテンス村の奥にあった炭坑跡に隠していた。
 それらは一旦、冒険者ギルドが預かり、彼らの被害に遭ったという申請の分は返却という扱いになっている。
 それ以外に、マルテンス村の再建などの計画もあるのだが、とにかく確実に言えるのは、そのクロス某らの成果は、基本的にギルドが事実上の没収という事になった。
 その賞金首連中も長くはないだろうな、というのは、素人であるアブにも分かった。金がなければ困るのは、冒険者だろうが村人だろうが同じである。
「残ってる資産はほとんど、裏ギルドが運営してる金融業者に預けてたらしいが、こっちはこっちで、吸血鬼にされた令嬢の一人が裏ギルドの重鎮の一人娘だったらしくてな」
 その時、ホールの方が騒々しくなった。


 騒ぎの主は、着替えを持ったボーイッシュな少女と、それを早足で追う太った髭面中年男だった。
「だーかーらー、付いてこないでってばー! 今からお風呂なんだから!」
 少女、シンジュ・フヤノの抗議に、裏ギルドの大物にして彼女の父親であるカブキーノ・フヤノは大仰に両腕を広げた。
「おお、ハニー。せっかくの再会なのになんてつれない言葉を吐くんだい。パパがどれだけお前の事を心配したか……」
「だ・か・ら、それは分かったからついて来んなー!」
 キュッと足を鳴らして立ち止まりそのまま反転、サマーソルトキックがカブキーノの顎に炸裂した。
「うごぁっ!?」
 そして一目散に、シンジュは逃げ出した。
 しかし、カブキーノもめげない。
「待つんだハニー!」
「やだよもー!」


 嵐が過ぎ去り、メナが口を開いた。
「あれか」
「あれだ」
「娘の方は言っちゃなんだけど、令嬢といった感じじゃなかったな」
「俺もそう思う」
 しかも吸血鬼になりかけているというのに、昼間からずいぶんと元気なようだった。


 などと二人が話していると、新たな客がやってきた。
 旅行鞄を手に持った、丈の長い緑色の貫頭衣を着た壮年の男だ。
 眼鏡を掛けた冷厳な目つきと顎髭から、アブはどことなく学者を連想した。
 ただ、背が高いせいですごい迫力だった。
「宿は空いているか」
「い、いらっしゃいませ……お一人様でしょうか」
 メナが尋ねると、男は頷いた。
「……一人だ。それと、リフ・モースというむす……いや、少年が泊まっているのもここだと聞いたが確かか」
「は、はい。シルバ・ロックール様とご一緒の部屋で」
「ご一緒!?」
 男の叫びと共に、比喩ではなく突風が吹いた。
「ひやぁっ!?」
 たまらずたたらを踏むメナの背中を、アブが立ち上がって支えた。
 メナを自分が座っていた椅子に急いで預け、代わりにアブがカウンターに立った。
「ど、どど、どちら様でしょう!?」
「父親だっっっ!!」
 怒鳴りつけられながらも、アブは宿泊名簿を出した。
 殴り書きでも達筆なその名前は、フィリオ・モースとあった。
「おのれ小僧……生かしては帰さんぞ……っ!」
 男は鍵を受け取り、ドスドスと足を鳴らしながら自分の部屋に向かっていった。


「ち、父親って……お前もああなるのかね?」
 椅子に腰掛けたメナは、まだ動悸が収まらないのか自分の胸を押さえていた。
「そんな先の話なんか知らん。大丈夫だったか?」
「ああ。ただ、庇うならもう少し優しくしてくれ。体に障る」
「?」
 何故か腹を撫でるメナが、アブにはよく分からない。


「すみません」
 その声にアブが振り返ると、右手の出入り口から全身真っ白の女性がカウンターに近づいてきていた。
 年齢は二十代半ばほど、ほんわかした印象だ。亜人の血が入っているのか、耳が長く伸び、山羊のような丸い角と先端が槍のような細い尻尾を生やしている。
 ストア・カプリス。アーミゼストの司教を務めている女性だ。
「あ、はい。カプリス様。どうかなさいましたか?」
「なさいました」
 のんびりとした口調のちょっとずれた返答に、一瞬アブは言葉に詰まった。
「……は、はぁ。どういったご用でしょうか?」
「その、露天風呂に行こうと思ったんですけど、ちょっと道に迷ってしまいまして」
 頬に手を当て戸惑うストアに、アブは右手の出入り口を指さした。
「……今、カプリス様がやって来た方向を、まっすぐ突き当たりとなります」
「まあ」
 深々とお辞儀をするストア。
「これはありがとうございます」
 そして彼女は『左手』に向かった。
「どういたしまして。――方向が逆です、カプリス様」
「あらあら」
 微笑みを絶やさないまま、ストアは反転し、右手に消えていった。


「……あれが、ゴドー聖教の司教様なんだよなぁ」
 カウンターから身を乗り出してそれを見送り、アブは息をついた。
「頼りないか?」
「いや、これがなかなか。例の吸血鬼の一件でも、何だかんだで教会側として引かなかったしな。そもそも教会と吸血鬼が手を組んで人を助けようなんて、普通考えはしても実行に移すまでは中々難しいだろ」
「確かにな。……そうか、心配はいらなさそうだな」
 何だか含みのある物言いをするメナに、アブは振り返った。
 大分楽になったのか、メナは椅子に座ってくつろぎ、残っていたレイムの蜂蜜漬けを食べている。
「何の話だ? 俺の葬式の話か」
「惜しい。黒じゃなくて白い話だ」
 意味がよく分からない。
 黒というのは葬式の事だろうが……。
「……さっきから、今一つ、話が見えないぞ?」
「責任の問題さ。それと、あと何ヶ月かしたら私は働けなくなるからな。それまでに仕事を覚えておいてくれ、『お父さん』」
 言って、『彼女』は差出人が父親の手紙を懐から取り出した。


※という訳で、一応今回で温泉編は終わり。
 といっても、シルバ達が何やってたかとかは書いてないので、これから単発でちょこちょこ書いていきます。
 戦闘少なめになりそうですがー。
追記:途中の描写の件ですが、この二人は半ば合意なのでそういう解釈でお願いします。
酒が関わる度に、アブがしょっちゅうネタにされてるような感じです。
……って本来本編の中で書かなきゃいけない事なのですが、ひとまずここに。
やあ、感想で言われて、確かにそういう風に読まれますよねと。(汗



[11810] 神様は修行中
Name: かおらて◆6028f421 ID:7cac5459
Date: 2010/01/10 21:04
「……いじょうぶか?」
 暗闇の奥から、声が聞こえた。
 身体が揺すぶられる感覚……しかし、全身の痛みが強すぎて、自力で動く事も出来ない。
 かろうじて浮かび上がった意識が、まだ自分が死んでいない事を自覚する。
「うぁ……」
 薄靄に包まれた、曇り空が目に入る。
 ……コラン・ハーヴェスタは、口から水を吐き出した。
「お、生きてて何より。もうすぐ冬だっていうこんな時期に水泳なんて無謀過ぎるぜ、オッサン」
 自分の顔を覗き込んでいるのは、目元まで髪が伸びた青年だ。骨格から考えて、かなりの長身のようだ。
 状況を把握する。
 どうやら、追ってから逃げ延びる事は出来たようだが、川に落ちた所から意識がない。
 四十代も半ば、運動不足で痩せた壮年の学者に、全力疾走後の水泳は無理が過ぎたらしい。
 川を流れたという事は……いや、煉瓦造りの立派な建物群が見えるという事は、ここはまだシトラン共和国から出ていない。外れにある港なのだろう。
 長髪普段着の青年が竿を持っている点から察すると、おそらく朝釣りをしていた所を、自分は拾われたのではないだろうか。
 青年は、コランの都合に構わず喋り続ける。
「多分事件なんだろうけど、警察ならあっちな。いや、そもそも動けそうにねーな」
 街の方を指さし、ようやくコランの全身に作られた切り傷に気付いたようだ。
「よし、祈れ」
 青年が、奇妙な事を言い、コランは戸惑った。
「……祈れ?」
「ああ」
「……僕は……ウメ教徒なのですが」
 今更神頼み……いや、ウメ様を頼るというのも、どうかとコランは思う。
 ウメ教はナグルという聖者によって広められた、死生観を主に伝えられる東方の宗教だ。西方に広まるゴドー聖教ほど圧倒的ではないが、それでも信者の数は相当に多い。
 ちなみにウメとは悟りを開いた者を指し、祈る事で御利益を授かる事が出来る。
 ……が、ここではまだ医者を呼んでくれた方がいい。
 コランも確かにそれなりのウメ信者だが、こういう点では現実主義者だ。
 ふむ、と青年は唸った。
「余所の神様、というかウメ様か。いやまあいいや。とりあえず今、アンタの信仰してる宗教の主役は寝過ごしてるみたいだから、俺を祈れ」
「……え?」
「だから、祈るんだよ。俺を。口聞くのもキツイみたいだから、ほれ拝め」
 青年はコランの両手を合わせ、強引に指同士を絡めた。
「……こ、こうですか」
 戸惑いながら、コランは目を瞑り、名も知らぬ青年に祈りを捧げた。
 どうか、助けて下さい。
「はい、おっけ」
 その言葉と同時に、不意に身体が軽くなった。
「あ……な、治った」
 ガバッと身体を起こす。
 全身の傷どころか、これまでの逃走での疲労すら消えていた。
 白髪交じりの髪も、口ひげも、コートもとにかく全身水浸しなのは気持ちが悪いが、活力だけは充分な睡眠を取った翌日の朝のように、満たされている。
「そりゃ治るさ。そういうモンだ」
「あ、貴方は一体……」
 祈りの形式は、ゴドー聖教のモノだった。
 かつて弟子だった者が、敬虔なゴドー聖教信者だったので、それは知っている。
 しかし、こんな治癒方法はコランは知らない。……いや、自分が無知なだけかもしれないが。
 青年は、パタパタと手を振った。そして一緒に流れていたらしい自分の鞄を、コランに押しつける。
「通りすがりの釣り人だ。忘れていいぜ。それよりさっさと行った行った。オレは揉め事嫌いなんだよ」
「す、すみません……ありがとうございました。このお礼は必ず……」
「名前も知らない。どこの誰かも知らない。そういう相手にその台詞は不誠実だぜ。大体くっちゃべってる暇があるのか? 何だか追われているんだろう?」
「そ、そうでした……! す、すみませんが、僕はこれで」
「はいはい」
 ペコペコと頭を下げるずぶ濡れ学者と、釣り竿を持った長身長髪の青年はそこで別れようとした。
「そうはいきませんよ」
 港に響くその声に、二人の動きは止まった。
「!?」
 声の方に振り向くと、そこには二十代半ばの、コートを羽織った青年が立っていた。
 コランがかつてサフォイア連合国に属していた頃に第一助手だった、リュウ・リッチーという青年だ。
 そしてその背後には、四人の人型をした精霊が控えていた。
 赤、青、黄、緑の燐光に包まれている――コランの見たところ、それぞれ、火、水、土、風の精霊だ。
 昨夜、自分を襲った緑が風の精霊だった事も、それを裏付けている。その瞳に、感情の色は一切ない。
 リュウのただでさえ細い目が、すうっと糸目に変わった。口元をニヤニヤと半月状にして、話し始める。
「手間を掛けさせないでください、先生。見苦しいですよ? 貴方もサフォイアの国民、そしてサフィーンの民であるのなら、潔く捕まるべきです。自分の研究で人の命を奪う。それは確かに心苦しいでしょう。しかし、精霊の意志一つと何百何千の兵士の命を天秤に掛けるなら、どちらを取るかなんて自明の理でしょう」
「……はー、これはまたベラベラとよく喋る奴だなー」
 呆れたように呟いたのは、長髪の青年だ。
「先生とか呼ばれるって事は、アンタ教師か何かか?」
 ボリボリと頭を掻きながら、コランに尋ねてくる。
「え、ええ、まあ」
「言っちゃ何だけど、育て方が悪いとしか思えねーぞ、ありゃ」
「僕の人を見る目がなかったって事ですね」
 その点は本当に残念なコランであった。
「猫かぶってたのかも知れないけど、それでも節穴って言わざるを得ないな」
 青年のコメントは辛辣だが、思い返せば図星以外の何物でもないので、コランは反論のしようがなかった。
 その間もリュウの言葉は長々と続いていた。
「正直先生には失望しています。せっかく私が、より高い地位に就けるようにと尽力してあげたというのに、逆恨みも甚だしいですよ。はぁ……やれやれ。これ以上私に先生を軽蔑させないようにするには選択肢は三つしかありませんよ? 『彼女』の行方を教えるか、先生がサフォイアに戻るか、研究資料を全部私に渡して下さい。そうすれば、最低でも先生の研究を引き継ぐ事が出来ますからね」
「お断りしますよ、リュウ君。僕は君のように娘を売るつもりはないし、その研究をこのまま、これ以上続けるつもりはありません」
 コランは、リュウの後ろに控える精霊を指さした。
「そうですか……はぁ……しょうがないですね。先生の我が侭に付き合うだけ、時間が無駄に過ぎていくんですよ。こうなったら、力尽くで拘束させていただきます」
 溜息をつきながら、リュウが片手を上げた。
 滑るような動きで四色の精霊達が飛翔し、コランに襲いかかる。
 その時、ひょいと青年が一歩進み出て、無造作に拳を突き出した。
「よっと」
 黄金の拳骨状をしたエネルギー塊が、空中を舞う精霊達に迫る。
「っ!?」
 コランが仰天する中、精霊達はギリギリその攻撃を回避した。
 未知の敵を相手に、リュウにどうするべきかの判断を仰ぐ為か、空中で停滞する。
「……へえ、あのガキ、またちょっと力をつけたな」
 青年は自分の拳を見つめ、感心したように呟いた。
 目を細めたまま、リュウは青年をにらんだ。
「どちら様ですか? 安っぽい正義感で動いているようですが、私と先生、どちらが正しいか、理解出来ていないでしょう? これは先生と私の問題です。部外者は口を挟まないでくれますか?」
「あ、危ないです! アレは……おそらく量産型とはいえ、ただの精霊じゃないんです。早く逃げて下さい!」
 いくらここがシトラン共和国――世界中の情報の集約地点であり、最も近代的、精霊の力の弱い国であっても、それでもリュウの率いる人工精霊達は破格の性能を誇る。
 それは、かつて自分が作ったモノだからこそ、分かる事だ。
 しかし青年は構わず、二人の間に割って入ったまま動かなかった。
「いや、うん、オレはアンタらの事情は理解してない。そりゃ確かだ。けど、どっちが気にくわないかはよく分かっているつもりだぜ」
「今の術……{神拳/パニシャ}ですね」
「ああ、昔知り合ったガキから奪った攻撃力でね。まあオレ、祝福系はこういうのしか取り柄がないんだけど」
 他の術は封印してるし、この辺信者少ないしねー、とよく分からない事を言う。
「……ゴドー聖教の信徒ですね。しかし、あの程度の攻撃で、私の研究を倒せると思っているなら、浅はかとしか言いようがありませんよ? 軽挙妄動は慎むべきですね」
 リュウは顎をしゃくった。
「先生は逃げられないように、ほどほどに痛めつけてしまいなさい。もう一人は邪魔なので『排除』しましょう」
「――了解」
 精霊達が同時に応え、リュウは自信に満ちた表情で、手を高らかに挙げた。
「{豪拳/コングル}、それに{加速/スパーダ}」
 味方を強化する青い聖光が四体の精霊を包み込み――不意にその光が消失した。
「!?」
 初めて、リュウの目が見開かれた。
 それはコランも同様で、青年の肩がクックッと笑いに震えていた。
「……何を、したんですか。{封声/チャック}ではなさそうですが……」
「教える義理があるのかい? ったく、ウチの信者のくせに、ロクでもないな。言っておくけど……んん……ああ、うん」
 青年は空を見上げたかと思うと、まるで何か啓示でも受けているかのように、何度か頷きを繰り返した。
 そして、改めてリュウを見た。
「リュウ・リッチー。サフォイア連合の精霊学者。寄付もそれなりに、ゴドー聖教の敬虔な信者ではあるみたいだが、世話になった師匠を売った動機は、嫉妬と強欲。それから生来から傲慢と、こうこられるとオレも黙っていられねー。お前の祈りはここから全部キャンセルな」
「意味の分からない事を、言わないでもらえますか? トリックを弄して全能の神を気取るなんて、それこそ神に対する傲慢ですよ」
「当たらずといえど遠からず、だな。コラン・ハーヴェスタ先生よ」
「は、はい!?」
 突然、足下が頼りなくなる。
「う、わ……」
 見ると、自分の足が地面からわずかに離れていた。
 犯人は――目の前の青年だ。同じように、彼も足下が軽く宙に浮いていた。
「せっかくだしアイツら、新しい魔法の練習相手にさせてもらうぜ。先生も、胸の部分にある核だけ気をつければ、死なないから安心していい。『あたり判定』はそれだ。ただ、地面や壁に当たるなよ。そっちの方がやばいから」
「貴方は一体何者ですか!」
「聞けば全部教えてもらえると思うなら、世間を舐めてるとしか思えねーな。まあいいや。名前はシルバ・ロックール。職業は――魔法使いだ」


 四体の人工精霊達は自律型ではなく、基本的にリュウの指示によって動く。
 絶対的な命令遵守はある意味、彼女達の姉に当たる試作型人工精霊タイランの『感情』という弱みがないという長所となる。
 しかも各精霊の火力は一体ずつでも相当に強力であり、人間一人どころかこの都市の一区画でもほんの数秒もあれば壊滅する事が可能だ。
 しかし、問題点がない訳ではない。
 一つはまさしくその自律型でないという点。彼女達はリュウの指示に従う分、コランの娘である人工精霊タイランのような『自分での判断』が難しい。
 代案としてリュウがもしも精神共有が使える司祭ならば、かなりの脅威となっていただろう。だが、彼は精神共有が使えなかったし、もしも習得していても長髪の青年が言った通り、現在何故か使用は不可能であった。
 二つ目として、彼女達は属性が明らかであるという点。これでは精霊にわずかでも詳しい者ならば、彼女達一体一体の攻撃方法と弱点が自ずと読めてしまう。しかもウチの一体は地属性であり、宙に浮いている青年やコランには、有効な攻撃が限られてしまっていた。
 ましてや、シルバは『魔法』によって、ただですら空戦のエキスパートと化している。いくら精霊達が空を飛べると言っても、それらはあくまで空『も』飛べる程度であって、空『を』駆け抜ける青年との性能さは明らかであった。
 だが、シルバは一切容赦しなかった。
 速度を二段階上げて更に機動力を高め、指先から放たれた波動は彼女達の身体をまとめて貫通し、幻影が四体出現し本体と同じ攻撃を模倣した挙句、正面からの攻撃は魔力障壁によって完全に防御する。ついでに地上のリュウにも魔力弾で爆撃するという徹底ぶりであり。

 ――要するにフルボッコであった。

 ちなみにリュウ達はまとめて、川に叩き落とされた為、捨て台詞の一つも吐けないまま、下流へと流されていった。
「火の精霊の娘が死なない事を祈る」
 ナムアミダブツ、と世界観と宗教を完璧に無視した祈りを捧げるシルバであった。
 それを見守っていたコランの身体が、フッと重くなった。
 緩やかに地面に着陸する。どうやら『魔法』が解けたようだ。
「あ、ありがとうございました」
 コランは、何十歳も年下の青年に、頭を下げた。
「いいさ、別に。オレもアイツが気にくわなかったからな。ところで先生、この国で美味い飯屋知らね?」
 シルバの妙な質問に、コランは戸惑った。
「ご、ご飯ですか?」
「うん、ウチの信者少ないから修業には打ってつけだし、何より情報に関しては最先端なんだが、とにかく飯がまずくてなー」
 シルバは腕を組み、唸った。
「……何でレシピの数は世界一なのに、あんなにまずく飯が作れるんだここの連中。グルメ雑誌なんてモンもあったけど、記者の舌がこの国基準なモンだから、ロクでもねえ。いっそ、自分で作った方がマシだっつーの」
「……ああ、ちょっと分かります。それで釣りをしてたんですね」
 シルバの釣り竿に、納得のいったコランであった。
 何かお礼になる情報を……と考え、コランは思いついた。
「それでしたら昨日飛び込んだ、『{門懲庵/もんごりあん}』という酒場は悪くありませんでしたよ。羊の焼き肉が名物なのですが」
「旨いモノなら何でもいい。よし、感謝だ。礼に何かして欲しい事はあるか?」
「い、いえ、助けてもらっただけで、僕は充分なんですが……」
 むしろ、アレだけの事をしてくれた礼が、飯屋の情報一つでは、コランの方が申し訳ない気分になっていた。
「遠慮する事ねえのに」
 そう言われると……コランとしては、気になる事を聞いてみる事にした。
「じゃ、じゃあ一つ……シルバさんが使ったような魔法、見た事も聞いた事がないんですが、どこで学んだんですか?」
 一応、コランは錬金術師であり、魔法に関しても一通りの知識はある。
 だが、シルバの使う『魔法』は明らかに、従来の魔法とは異なる未知のモノだ。学者としての知的好奇心が刺激されるのも、仕方がない。
 その問いに、シルバは苦笑した。
「知識を求めるか。学者らしいな。まあいいや。学んだのは、強いて言えば我流。見た事も聞いた事もないのは、そりゃ本物の『魔法』だからな」
「その言い方だと、まるでこの世界にある魔法が偽物みたいですが」
「あ、違う違う。この世界で一般に使われてる魔法はあくまで、この世界の法則で成立してて、使いやすいように体系づけられてるけど、オレが学んでるのは別の世界の『法則』そのモノを引っ張ってきてるって事。得体の知れない『魔』の『法』則。そういう意味での『魔法』。さっきの『魔法』は見た通り、空を飛ぶ事に特化してる……というか、飛んでるのが当たり前の世界の法則を引っ張ってきたんだ。あそこの世界の住人はほとんど誰でも飛び道具を撃てる。モノによっては時間を緩やかに変えたり、何故かマッチョになれたりもするらしい」
「きょ、興味深いですね……」
 シルバは他にもコランに『魔法』の話をしてくれた。
 白兵戦に特化した『魔法』は、多数の敵を強制的に一対一の状況に持って行ってしまう。敵の大将を標的に使うと効果は絶大。ただし、相手と二度勝負しなければならないのが傷という、使いづらい『魔法』だ。シルバは以前この『魔法』を応用して、一人の少年の生命を救った事がある。
 他にも飢え死にしかけたところを助けてくれた、青年の血縁者である少女に一生飢えないで済む『パックマ』という『魔法』を施した事もある。ただ、生物以外の触れたモノがすべて食べ物になる『魔法』なので、現在本人は難儀しているという。
 その『魔法』を解く方法を考えるのも、シルバの修業の大きな課題であるらしい。
 シルバ本人としては、戦闘以外の『魔法』を多く習得したいらしいが、なかなか難しいようだ。
「熱心なのはいいけど、あんまり長話はしてられないだろ? あんにゃろ、じきに援軍を呼んでくるだろうし」
 熱心にメモを取っていたコランだったが、確かにシルバの言う通りだった。
「そ、そうですね。あ、いやしかし、貴方はどうするんですか?」
「オレがやられると思うか?」
「……思えません」
 国の軍隊一つ持ってきても怪しいモノだった。
「だろ? 逃げるなら、ルベラントに行きな。あそこにはオレの知人がいる」
「知人?」
「手下みたいなモンかな。オレほどじゃないけど、ま、余所の国の学者程度なら退けられるだろ。これ、そいつんちの地図な」
 シルバは懐から折り曲げたメモを取り出した。
 コランがそれを広げると、どうやらルベラントの首都の地図らしい。中央の建物に赤い印があった。
「……国のど真ん中で、しかも、ものすごく広いんですけど」
「ああ、うん、大聖堂に住んでるだからな」
「教皇猊下じゃないですかそれ!?」
 ルベラント聖王国の、実質トップの人である。
 目の前の青年は、その人を手下だという。
「細かい事気にするなよ。連絡はオレの方からしとく。ちゃんと守ってくれるから安心しろ。それとこれも、護身用に持って行きな」
 言って、シルバが差し出したのは、火打ち式ではない変わった形の銃だった。
 受け取り眺めてみると、中央に蓮根のような機巧が施された、短い銃だ。それほど重くもない。
「な、何から何まで……」
「困ってる人間がいたら助ける。これ、ゴドー聖教の教義だ」
 ん、とシルバは自分で言って、首を傾げた。
「というか、人として当たり前だよな、これ?」
「そ、そうかもしれませんが……いや、しかし僕は、銃を撃った事なんて……」
「ないんなら、練習しろよ。男なら、自分の身ぐらい自分で守れるようになれ。その銃なら弾なも心配いらねー。自分に視界の外で引き金を引けば、何度でもリロード出来るからな」
「あ、も、もしかしてこれも『魔法』の……!?」
 そう思うと、コランは手の中の銃が恐ろしく貴重なモノに思えてきた。
「ああ。ただし、吟遊詩人の語る物語みたいに、後ろの敵を撃ったりは出来ないから気を付けろ。単にリロードされるだけだ。撃てるのはあくまで視界内の相手だけだ」
「……そんな、見えないところの敵を撃つなんて冗談みたいな真似、やろうと思っても出来ませんよ」
「そうでもないさ。例えば土壇場で、精神共有経由で仲間の視界を借りて背後の敵を撃とうなんて思いつきそうな阿呆なら一人、心当たりがある」
 それから二人ははたと、我に返った。
 長話が過ぎた。
「ま、とにかく今度こそお別れだ。達者でな先生」
「え、ええ。シルバさんもお元気で」
 握手をし、鞄を持った壮年の学者と、釣り人の青年は逆方向に踵を返した。
「あ」
 数歩歩いて、コランは振り返った。
 その声に、シルバも首だけ斜め後ろに向ける。
「何だよ」
「どうして、『魔法』を学んでいるのか聞くのを忘れてました」
「そんなモン……世界を守る為に決まってるだろ。今んトコ、こっちの可能性を伸ばせるのは、この世界でオレぐらいのモンだからな。詳しい話は、ウチの教団にいるストアって白い女に聞いてみな」
 その名前を覚え、今度こそコランは歩き出した。
 次第に早足になり、港から煉瓦造りの街中へと駆け出す。
 いくら、ルベラントに安全な場所を用意してくれたとはいえ、そこまでは自分で道を切り拓かなければならない。
 今はどこにいるかも分からない娘・タイランと再会する為にも、コランは生き延びなければならないのだ。


「……釣りをする気分じゃなくなったな」
 コラン・ハーヴェスタと別れた青年、シルバ・ロックールはノンビリ歩きながら呟いた。
 ちなみにこの名前は偽名であり、本当の名前はちゃんとある。
 がしかし、その名は神と同名であり、名乗れば大抵笑われるので、人と交わる時はいつも、違う名前を使う事にしているのだ。
 今回は、リュウ・リッチーがゴドー聖教の信者だったので、たまたま頭に浮かんだ子供の名前を使わせてもらったに過ぎない。
 しかし、うっかり使ってしまった名前が、マズイ事に彼は気付いていた。
「うっし、じゃあ教皇にナシつけて、ついでに{本物/シルバ}にも伝えておいてやろう。……ひょっとしたら、とばっちりが行くかも知れないからな」
 ルベラント連合国から、現在シルバが司教であるストア・カプリスと一緒にいる辺境都市アーミゼストまでは遠い。
 まず大丈夫だとは思うが、万が一という事もある。
 何よりリュウ・リッチーという青年は、執念深そうだった。
 幸い、このシトラン共和国は、情報の発信方法には困らない。
 ゴドー聖教の教会に行って、精神共有伝達を使うもよし、精霊便に手紙を託すもよし、水晶通信を使うもよしだ。
 あとはシルバ自身の身の振り方だ。
 この国に留まっていると、また例のリュウ・リッチー、いや、背後にサフォイア連合国がいる事を考えると、下手をすると大事になってしまう。
 別の土地に移動するのがいいだろう。
 荷物と言えば、宿の置いてある{革袋/リュック}程度だ。
 飯を食ったら、出るとしよう。
 どこに向かおうか……。
「今度は東方にでもいくかね……久しぶりに、ナグルの面も拝みたいし」


※何だかやりたい放題な話になってしまいましたが、今回はここまで。
 次回は温泉の方に移りたいと思います。
 キキョウとカナリーの件を、何とかせにゃー。
 この人の『魔法』は要するに、余所のジャンル(法則)をこのRPG風味な世界に強引に引っ張ってくるという酷いモノです。
 ……本物のシルバ達が使うと、迷宮探索の話が確実に崩壊するのでまず無理です。例えば『ディグダ』『ドリラン』の『魔法』というのがありまして以下略。



[11810] 守護神達の休み時間
Name: かおらて◆6028f421 ID:7cac5459
Date: 2010/01/10 21:05
 バレットボア達の討伐を終え、シルバ達は{強制/ギアス}を解かれた少女達と共にエトビ村『月見荘』に戻ってきた。
 夜更けになったのは、言うまでもなく吸血鬼化した少女達が太陽に弱いからだ。
 眠たそうな村長にも軽く事情を説明し、リフには霊道を使ってアーミゼストにいるシルバの師匠、ストア・カプリス司教へと伝言を頼んだ。
 シルバはカナリーと取った、犠牲になった少女達の調書をギルドや教会に提出する為にまとめ……終わる頃には、夜明けどころか、昼過ぎになっていた。
 ギルドや教会の返事を持ってリフがエトビ村に戻ってきたのは、シルバの仕事が終わった直後だった。
 睡眠不足のまま、シルバは宿のホールにパーティーの面子を集めた。
「……えー、ひとまずえらい人達が来るまでは、俺達も待機という事になった……」
 気の抜けたようなシルバの報告に、元気いっぱいなヒイロは目をパチクリさせた。
「えらい人達って?」
「……リフの話だと、何かギルドマスターとか先生まで直々に来る事になるらしい」
 しかも秘密裏にだ。
 ……秘書官や護衛等、来る人数考えるとお忍びにもなってないんじゃないかとシルバは思うのだが、今は眠気が勝り、頭が回らない。
 一方、ヒイロも首を傾げていた。
「ん? ギルドマスターって人がえらいのは分かるけど、先生って先輩の師匠の白い人だよね?」
「……えらそうに見えないけど、アレは一応アーミゼストの司教だ」
「えらいの?」
「かなりえらい」
 そこで、大きな篭手……タイランの手が上がった。
「……それまで、私達は、待機……ですが、何をしていいのでしょうか」
「砕いた言い方をすると自由時間だな……。温泉入るもよし、修行するもよし、ヒイロは狩りだっけか……?」
「いいの!? じゃあスオウ姉ちゃん誘って行ってくる!」
 言って、あっという間にヒイロは階段を駆け上がって行ってしまった。おそらく、スオウの部屋に向かうのだろう。
 あまりにも素早い行動に、シルバ達も止める暇がなかった。
「って、まだ話が……あー、まあいいか。いくら何でも三日間、山にこもりっぱなしって訳でもないだろ」
「……三日後、ですか」
 うん、とシルバはタイランに頷いた。
「えらい人達は、色々スケジュールがあるんだろ。カナリーんトコのネリーさんだっけ? あの人は雑用を片付けたらすぐ来るってさ」
 ホルスティン家本家からの使いであるネリー・ハイランドは、吸血事件を追っている。その本命がこの村ならば、よほどの事がない限り、すぐに馬車を飛ばしてくるだろう。
「……そうか。もうちょっと街の方でゆっくりしていてもいいのに」
 若干過保護気味な親戚に、憂鬱になるカナリーだった。
 ふぅ……と溜息をついて、頭を振る。
「それじゃ、僕はアイツが来るまでに、洋館の方を調べてくる。考えてみれば、中はほとんど手つかずだった。ま、特に何もないだろうけどね」
 肩を竦めるカナリーに、それまで黙っていたキキョウも手を挙げた。
「ならば、某も同行しよう」
「了解」
 何か互いに含みでもあるのか、妙に視線をぶつけ合いながら、カナリーとキキョウは頷きあった。
 シルバは少し考え……もう一人いた方がいい事を思い出した。どうにも、頭がボーッとしていて、カナリー達のやりとりは今一つ、ピンと来ない。
「……ユファとか、連れて行かなくていいのか?」
「ああ、それはそうだね。彼女はいた方がよさそうだ。それよりシルバ、大丈夫かい? えらく眠そうだけど」
「……書類整理が、さっき終わった所でな。それを言うなら、お前はどうなんだよカナリー」
「{面倒な仕事/デスクワーク}は、従者に任せる事にしてるのさ」
 カナリーの後ろで、赤と青の美女二人が、軽く頭を下げた。
「……うらやましいな、おい」
 ギルドや教会に提出する書類と、カナリーが本家に伝える書類では性質が違うので、丸写しという訳にもいかなかったのだ。
「それじゃシルバの為にも、話は早く終わらせよう。他にはもうないかい?」
「……ないな。それじゃ、ひとまず解散」
 シルバとしても、さっさと眠りたかった。
 カナリー達がいなくなり、ホールに残ったのはタイランとリフだけとなった。
「わ、私は……村の温泉の案内地図をもらいましたし、ちょっと行ってみようと思います。……リフちゃんはどうします?」
「に、行く」
 リフは、『えらい人』達を待っている間、それなりに睡眠は取っていたらしい。
 二人がシルバを見る。
 が、シルバは首を振った。
「んー、俺は後で。……吸血事件の被害者の調書をまとめたら、えらく眠くてね」
「にぃ……お兄、お疲れ」
「お前こそ、ご苦労さんだったな。それじゃタイラン、リフを頼む」
 リフの頭をガシガシと撫でながら、シルバはリフをタイランに預けた。
「はい。シルバさんも、ごゆっくり」


 ……目が覚めると、窓の外には月が出ていた。
「うお」
 眠気はすっかり取れ、シルバは驚いた。
 ベッドには、仔猫状態のリフが一緒に眠っていたが、シルバの声で目が覚めたようだ。
「に……おはよ、お兄」
 精神念話を通じて、リフが返事をする。
「もう真っ暗じゃないか。今、何時ぐらいなんだ?」
「晩ご飯も終わって……ひい、ふう……もうすぐ日がかわる?」
 どうやらついさっき、床に潜り込んだらしい。
 何にしろ夜中である。
「……ものすごく寝てたんだな、俺」
「に。お兄のごはん、そこ」
 促され、そちらを見ると、小さな丸テーブルの上には三角に切られたパンがいくつかと、牛乳があった。
「サンドウィッチか。助かる」
「に」
 ベッドに腰掛け、テーブルを引き寄せる。
 サンドウィッチを手に取ると、ふとリフの視線が気になった。
「……?」
 何かやたら真剣な目つきだったが、今のシルバは何より腹を満たすのが最優先だった。
 ツナサンドにかぶりつく。
「うん、うまい。やっぱ相当腹減ってたみたいだな」
「に」
 傍らに寝そべるリフの尻尾が、ピコピコと嬉しそうに揺れた。
 サンドウィッチはもう一種類あり、そちらはキュウリとトマトが挟まれていた。
「こっちの野菜サンドも悪くないな」
「そっちはタイランの力作」
 牛乳と一緒に食べていると、少しずつシルバの思考力も戻ってきた。
「つまりこっちは、リフが作ったと」
「にぃ」
 サンドウィッチを平らげ、シルバはベッドから降りた。
「……んじゃま、風呂に行くかな」
「にぃ……リフも」
 ついてきたそうだったが、リフのまぶたが沈みかけなのは明らかだ。
「もう遅いし、眠そうじゃないか。いいよ。一人で行ってくる」
「にー……」
 シルバは着替えやタオルを袋に詰めると、部屋を出た。


 夜道をランタンで照らしながら歩く。
 一応月も出ているので夜道も明るいが、いつ曇るか分からない。
「ま、たまには一人も悪くないな」
 のんびりと歩きながら、シルバは目当ての温泉を目指した。
 その温泉は、疲労回復に効果があるという。宿の主人であるメナの話では、やや奥まった所にある為、人気も少ないマイナーな温泉らしい。
 山に近い森……というよりは林の中、砂利道を進むと次第に湯気が濃くなってくる。
「ん……?」
 何だか小さな岩に一人、誰かが足を組んで腰掛けていた。
 遠目にも目立つ金髪に、豪奢なマント。
 カナリーだった。
「よう、カナリー」
 シルバの登場は予想していなかったのか、カナリーは軽く目を見張った。
「シルバ、どうしてここに?」
「いや、変な時間に目が覚めて、適当に良さそうな風呂を探してたら、こんな所まで来ちまった。つか、お前は何やってんの?」
「僕はその……」
 カナリーは口ごもった。
 が、すぐに何かを思いついたのか、ニッと笑った。
「そうだ、シルバ。ここもかなりいい湯らしいし、入っていけばどうだい?」
「……途中からお前が乱入してくるとかいう展開じゃないだろうな」
 こういう顔の時のカナリーは、大抵何かを企んでいるので、シルバは大いに警戒した。
 が。
「……!?」
 シルバの指摘は的外れだったのか、予想に反してカナリーは驚きながら頬を真っ赤にさせた。
「え、ど、どういう事だ?」
 シルバも予想が外れて、慌ててしまう。
「ち、ちち、違う。そうじゃなくて、その何だ」
 深く悩み、カナリーは俯いたまま、チラッとシルバを見た。
「み、見たいのなら、一緒に入ってもいいけど……」
 が、すぐに首を振って、自分の中で決断を下したのか、一人頷いた。
「いや、うん。ここは我慢して、本来の目的を達しよう」
「目的?」
 シルバには、何が何だかよく分からない。
 やたら不吉な予感を覚えたが、カナリーはもう決めてしまったのか、シルバの背をグイグイと押し始めた、
「ま、とにかく入った入った」
「お、おう。何なんだ一体」


 その泉のような温泉は岩場に囲まれており、脱衣所などなかった。
 適当な場所で服を脱いで、シルバは湯に浸かった。
「ふぃー……」
 身体の中の疲れが、湯に溶けていくような気がする。
 このまま眠りそうになるのに気をつけながら、シルバはアーミゼストよりも星の多い夜空を見上げた。
 その時だった。
「だ、誰かいるのか?」
 湯煙の向こうに、誰かの気配があった。
「……?」
 ザバリ、と立ち上がる気配に、シルバはそちらに視線をやった。動物のような耳と尻尾、それに声色でシルバは大体の察しを付けた。
「ありゃ……この声は、もしかしてキキョウか……?」
 ……その割に、いつもよりちょっと野太いような気がしたが、間違ってはいなかったらしい。
「シルバ殿!? ちょ、カナリーは一体何をしていたのだ!?」
「い、いや、カナリーなら普通に通してくれたから、てっきり誰もいないモノかと」
 これはまずいな、とシルバも思う。
 キキョウが慌てる理由も大体見当がついているので、自分は下手に動かない方が良さそうだ。
 一方キキョウは事情を掴めたのか、しきりに頷いていた。
「そ、そうか……おのれ、カナリー……謀ったな!」
 何やら勘違いしているようではあるけれど。
「と、とにかく某はこれで! シルバ殿はゆっくり湯に浸かっていくといい」
「お、おう」
 キキョウは大急ぎで、シルバから遠ざかろうとする。向こうの方に、キキョウの着替えがあるのだろう。
 その時、風が吹いた。
「あ」
「え?」
 それほど強い風ではなかったが、それは湯煙を軽く吹き飛ばす程度の威力はあったらしい。
 シルバの眼前に、キキョウの裸体が晒される。
 やや細身ながら、全身は引き締まっている。
 逞しい胸板に、鍛えられた腹筋。
 そして更にその下には。
「……男?」
 かなり、立派であった。
 キキョウは真っ赤になりながら、ザブンと湯船に沈んだ。


 遡る事数時間前、キキョウはカナリーと従者の二人、小人族のユファと共に、エトビ村の外れにあるクロス・フェリーの洋館を再訪していた。
 スペアの鍵は預かっていた村長からカナリーが受け取っており、あっさりと中に入る事が出来た。
 魔力を使用しているのだろう、室内は自然と明るくなった。
 使われなくなってもそれほど時間が経っていないせいか、多少の埃はあるものの、内装は綺麗なものだ。
「てっきり罠が、あると思ったのだが……」
 キキョウは臨戦態勢で、大きなホールの周囲を伺っている。
 一方、肩にユファを乗せたカナリーは従者達を連れて、リラックスした風情でスタスタとホールを歩いていた。
「ああ、あるね。魔力で反応するタイプのが」
「そ、それでは危ないではないか!?」
 キキョウは、慌ててカナリーの後を追う。
「ちょっと落ち着いて考えてみようよ、キキョウ。屋敷は少なくとも表向きは普通に、別荘として使われていたんだろう?」
「む……確かにそう聞いているな」
「いちいち罠を警戒しながら、寛げると思うかい? もしかしたら仲間も一緒だったかも知れないのに」
「それは……確かにないな」
 キキョウが唸り、カナリーの肩に乗っていたユファも頷いた。
「つまり屋敷の鍵自体が、解除キーの役割も果たしていたのね」
「そういう事さ。それに、クロスの立場になって考えれば、侵入した人間が傷つくようなトラップがあると、逆に困るんだ。それじゃ、いかにもここに何かありますよって言っているようなものじゃないか。仮に何かに引っかかったとしても、大きなアラームが鳴るとか、その程度のモノさ」
「な、なるほど」
「とはいえ……面白みも何もないな」
 カナリーはつまらなそうな表情をしながら、カーブを描いた階段の手前で立ち止まる。そのまま振り返ると、煌めくシャンデリアを見上げた。
「そうか? 某には結構、豪華に見えるが……」
「{本家/ウチ}の模倣だよ。それに無駄な部分に金を掛けているのがよく分かる……あまり上品とは言い難いね」
「……点数辛口ね」
「某もそう思う」
 ボソッと呟くユファに、キキョウも同意した。


 カナリーが先導して、一階、二階と調べていく。
 しかし、特に目新しいものはなかった。
「やはり地上部分には、何もないね。後は地下だけだ」
 だが、地下に通じる階段は、少なくとも一階の部屋のどこにも見あたらなかった。
「しまった。リフも連れてくるべきであったか?」
 キキョウが悩んでいると、カナリーは無言で応接室に入った。
「…………」
 部屋を見渡し、絵の裏を見、本棚の本を取り出し、暖炉の裏に手をやった所でスイッチの入る音がした。
 部屋の隅のカーペットが割れ、四角い地下への入り口が姿を現す。
「何と」
「つくづく、古典趣味だねえ」
 は、とカナリーは短く嘲笑した。


 キキョウの予想を裏切り、地下室は監禁や拘束といった単語とは無縁の造りとなっていた。
「……少なくともクロスという男、女性を雑に扱う性格ではなかったようだな」
「やってる事は、道を外しているけどね」
 カナリーの意見は辛辣だ。
 そこは、柔らかい照明に包まれた広いサロンのようだった。
 十幾つものソファにガラスのテーブル。
 壁には絵画が掛けられ、 部屋の隅にはバーカウンターとグランドピアノまで置いてあった。
 通路の先はおそらく、捕らわれた女の子達の部屋となっているのだろう。
 捕らわれているという閉塞感さえ我慢すれば、暮らしには充分な広さだった。もしかしたら、地上の洋館よりも広いかも知れない。
「ここも懐かしいわね」
 ユファも、サロンを眺め回す。
 自分で調べるのが億劫になってきたのか、カナリーは赤と青の従者に命じて、部屋を一つずつ、確認させていった。
 カナリー本人はというと、バーの棚にあった赤ワインを勝手に取り出し、ソファに腰掛けてワイングラスに手酌し始める。
 従者達と精神的に通じているカナリーは、彼女達が何か見つけたらしく薄く笑った。
「マネキンで作った執事とメイドの人形達に、錬金術による氷室には食料と冷凍血液。土属性の精霊炉によるエネルギー変換。なるほどね、これは興味深い。初めてクロスの成果を見られた気がするよ」
「カ、カナリー、悪い顔になっているぞ?」
 ……勝手に使っていいモノなのだろうかと心配になりながら、キキョウはこれでも仕事中、という事で水だけもらう事にした。


 洋館を出たのは、それから小一時間ほどしてからだった。
「思ったよりあっさり終わったな」
 キキョウが天を仰ぐと、まだ日は大分高かった。
 戻っても、時間をもてあましてしまいそうだ。
「見るべきモノが少なかったからね」
 カナリーは少し考え、森の方を向いた。
「……ついでに炭坑跡にあった隠し財産の検品も、しておこうかな。キキョウはいいかい?」
「某は異存ない」
 炭坑跡は一度訪れた事があるが、その時はギルドや教会への報告が最優先となっていた。財宝の目利きは、貴族であるカナリーが任されているというのもある。
 村への道程は、以前はバレットボア達との戦いがあったが、それがなければそれほど遠くもないのだ。
「あたしもせっかくだし、残してきた子達の様子を見たいわね」
 ユファも賛成し、キキョウ達はかつての廃村、マルテンス村に向かう事にした。


 村に残っていた娘達の黄色い声と応対に辟易しながら、カナリーとキキョウは急いで炭坑跡の調査に移った。
 娘達は残念そうだったが、いちいち相手をしていると、ここで一夜を過ごす事になりかねない。
 洞窟の奥は100平方メルトほどだろうか、そこそこ広がっており、壁には木の棚が並べられていた。未分類の財宝は、壁に立てかけられていたり、床に無造作に積まれている。
 妙に生活臭がするのは、かつて一度訪れた時、シルバが雑鬼が住んでた痕跡があると言っていたから、それが原因だろう。
「相変わらず埃っぽいな」
 キキョウは尻尾を緩く揺らしながら鼻を嗅いだ。
「炭坑跡だからね。見てるのはいいけど、迂闊に触っちゃ駄目だよ」
 カナリーは絶魔コーティングの施された手袋をして、棚の品々を一つずつ検品していく。赤と青の従者達が筆記を担当していた。
「む、う……ここいらの刀剣類もか」
 大小様々な武器類が、棚に置かれている。
 鞘に収められているのは当然だが、刀身を拝めないのがキキョウには残念でならない。
「キキョウはアヤカシだから多少はこういうのに耐性あるだろうけど、それでも変なモノに憑依される可能性がある」
「むむぅ……」
 カナリーの言い分はもっともだ。しかし……。
「と、シルバも確か言ってたよね」
「よし、我慢しよう」
 キキョウはあっさり諦めた。
「……ホント、扱いやすいね君は」
 何だかカナリーが呆れたような目で見てきたが、キキョウは気にしない事にした。
「実際、シルバがいるとこの手の仕事は楽なんだけどね。吸血鬼の{強制/ギアス}みたいなのは別格だけど、司祭だから解呪は専門だろうし」
 そこでふと、キキョウは思い出した。
 尋ねておかなければならない事があったのだ。
「そ、それよりもカナリー、話がある」
「ああ、血の臭いの件だね」
「な、何故それを!?」
 まさしく、その件だった。
 吸血鬼は{処女/おとめ}を臭いだけで判断する事が出来ると、以前カナリーは言った事がある。
 だとするなら、キキョウにとっては甚だまずい事になる。
「ずっと気になってたみたいだから先回してみただけさ」
「そ、そうか。ならば話が早い。という事はつまり、某の性別は……」
 言葉を濁すキキョウに、カナリーは肩を竦めて微笑んだ。
「うん。分かってるけど、別にシルバに言うつもりはないから安心していいよ。実際、今まで黙ってたでしょ?」
「よ、よろしく頼むっ! シルバ殿には黙っていてくれ!」
 キキョウは深々と頭を下げた。
 その拍子に後ろで何か、ゴツンと音がした。
「あ」
 カナリーが声を上げ、キキョウも素早く反応した。
「ぬ!?」
 どうやら腰に差した刀の鞘の先端が、棚にぶつかってしまったらしい。
 スローモーションのように傾き、落下しようとしていた木製の像を、キキョウはキャッチした。
 ふぅ……と一息つき、キキョウはそれを棚に戻した。
 牛に横乗りになった女性の像だった。
 大丈夫、どこも壊れてはいない。
「だ、大丈夫かい、キキョウ? そこら辺はまだ手つかずな場所だったはずだ。変なモノに触れていないだろうね?」
「いや、ただの偶像で、某にはどこも異常は――」
 言葉が途切れる。
 まず気付いた異常は声だった。
 さっきまでより、やや太くなった気がする。
 ……それに、胸が妙にスカスカだ。
 触ってみると。
「――ない!」
 更に股間に違和感が。
「ある!」


「……という訳で、埃も被ってしまった事もあるし、人目の少なさそうなこの岩場の温泉に、身体を洗いに来たのだ」
 湯に顎まで浸かったまま、キキョウは説明を終えた。
「ははぁ……」
 現状、その偶像の正体が分からないと解呪は出来ないが、牛に乗っている女性像という点から、何となくシルバにはその正体が掴めていた。
 ちなみにキキョウとシルバとの距離は、湯気が相当に立ちこめているにも関わらず、かなり離れている。かろうじて、湯にのぼせつつあるのかキキョウの真っ赤になった顔の判別が出来る程度だ。
「後はしばらく誤魔化して、カナリーに解呪の専門家を呼んでもらい、こっそり治してもらおうという計画だったのだが」
 ところがどっこい、カナリーは温泉の見張りの役にはまるで使い物にならず、シルバを通してしまったという訳だ。
「なるほど。話は分かった」
「そ、そうか」
「ところでキキョウ」
「な、何だろうか、シルバ殿?」
「お前、自分が実は女だって事、今の話で全部バラしちまってるぞ?」
「し、しまった!?」
 バシャアッと、キキョウは派手に水音を立てた。
「……今ので隠しているつもりだったのが、俺には驚きだよ。まあ、俺も結構前からそうじゃないかなーって思ってたけどな」
「何と!?」
 動揺しまくるキキョウであった。


 湯煙の中、風呂に浸かったままシルバとキキョウの会話は続く。
「というか、男の方は都合よくないか?」
 慌てるキキョウが面白く、シルバはついつい意地悪なことを言ってみたくなった。
 案の定、キキョウは焦り始めていた。
「な、な、何故にそう思うのだ、シルバ殿」
「いやだってここ温泉だし、もしウッカリ吸血鬼化した女の子と出くわしたりしたらさ。それに見たところ、ちょっと声が変わって程度だし、違和感はないぞ?」
 これは嘘ではない。よく見ると喉仏に気付く程度で、それを除けばこれまでのキキョウと、ほとんど大差はない。
「い、いや、それは困る」
「隠してる方が困るだろ。色々とー」
 どんどん楽しくなってきているシルバだったが、その表情は湯気に隠され、キキョウに伝わっていないようだった。
「ぬう……っ」
 白い湯煙の向こうで、キキョウは唸っていた。
 ぶくぶくと顔の半分を湯に浸けていたが、やがて頭を上げた。
「……シ、シルバ殿は、某が男の方がよいのか?」
 どことなくしおらしく、キキョウが尋ねてくる。
「いやー、そりゃ可愛い女の子の方が正直嬉しいけどな」
「な、なら某は……」
 キキョウに最後まで言わせず、シルバは言葉を重ねた。
「しかし、女人禁制って言ったのはキキョウだったよなー」
「うああ……そうであった」
 普段のキキョウなら、シルバの台詞がからかい半分なのをあっさりと看破出来ただろう。
 だが、自分が男に変わってしまった事。
 おまけに距離をとっているとはいえ、二人きりで全裸で向き合って湯に入っている事が、キキョウの混乱に拍車をかけていた。
 その事にシルバも気付き、少しだけ真面目に返事をする事にした。
「何てな。俺がそういうのを利用した公私混同が嫌いなんだってのは、分かってるだろ。それに、ウチの連中は今更……なぁ?」
「となると、残ってる男はシルバ殿とカナリーだけか」
「え、いや? カナリーも女だぞ?」
 サラッと言ってしまい、あ、言ってよかったっけとシルバは考えた。
 どうやら湯の効果で、シルバの気も緩んでしまっているようだった。
「ななな何と!? いや、そもそもシルバ殿が何故、それを存じているのだ!?」
「あー……」
 さて、どう説明したものかなと悩んでいると、頭上から声が響いてきた。
「やれやれ、勝手にバラさないで欲しいな」
 振り返ると、月を背に、カナリーが形のいい足を組んで岩場に座っていた。
 ただしその服装は、いつもの白地のマントに貴族服ではない。
 身体のラインがピッタリと映る、漆黒のワンピース水着だった。当然ながら、豊満な二つの胸も強調されている。
 長い金髪も、頭の後ろでアップにしていた。
「ちょっ、カ、カナリー!? 何だ、その格好は!?」
 ザバッとキキョウが立ち上がるが、シルバはちょっとそれどころではなかった。
 それに気付かず、カナリーとキキョウのやりとりは続く。
「見ての通り、風呂用の服さ。影を織って作ってみた。南方では水着というらしいね」
「そ、そ、その胸は何だ!?」
 キキョウの指摘に、カナリーは自分の胸元を見た。ただそれだけの動きで、大きな二つの胸がぶるんと揺れる。
「うん? いや、これが普通だよ。普段はマントの固定認識偽装に、収縮機能付きの魔法下着で隠してるけどね」
「そ、それに、何故シルバ殿を入れた! 見張りの役に立っていないじゃないか」
「はは。こうでもしないと、キキョウはずっと黙ったままじゃないか。他の者なら入れなかったけど、シルバだったし、ちょうどいいかなと思ってね」
 二人の視線が、シルバに向く。
 さっきから二人の会話は聞こえてはいたが、頭には入っていなかった。
 というか。
「でけー……」
 カナリーの揺れ乳は、タイランの裸身を見ても動じなかったシルバを以てしても、驚異的な破壊力であった。
「……っ!?」
 赤面したカナリーは、今更ながら自分の胸を押さえた。
 もっとも腕全体を使っても、全然隠しきれてはいないが。
「シルバ殿!?」
 詰め寄ろうとしたキキョウは、自分がどういう状態にあるのか気付き、慌てて湯の中に身体を隠す。
「あ、あんまり見るなよ、シルバ? ……そりゃ、見せるための衣装ではあるけど、これでも恥ずかしいんだからね」
 カナリーに見下ろされ、シルバは湯を指差した。
「だったら、そんなところに立ってないで入ったらどうだ?」
「た、確かにね」
 さすがに夜だけあって、吸血鬼のカナリーの魔力は高い。
 ふわ……と浮遊しながら、カナリーも泉の湯に身を浸した。
 ちょうど三人が三角の形位置になっているのは、何かの偶然か。
「……いざ着替えてはみたもモノの、見られていると思うと、やはり恥ずかしいなこれは」
 先刻のキキョウと同じように、カナリーも顔の半分ほどをお湯の中に沈める。
「そ、それより酷いぞカナリー! 某をずっと{謀/たばか}っていたのか!?」
「何のことだい?」
「その胸を含めた性別全般だ!」
 キキョウは、カナリーの胸を指さした。
 カナリーは気にせず息を吐くと、背後の岩に身体を預けた。丸い胸の半分ほどが、風船のように湯に浮かんでいるように見えた。
 どうやら開き直ったらしい。
「ああ、その件か。だって僕がバラしていたら、多分キキョウはやりにくかったと思うよ? 表面上、シルバと君だけが男って事になると……例えば今回の旅なんて君、有無を言わさずシルバと同じ部屋になってただろうし」
「……なっ!?」
 動揺したキキョウは、シルバを見た。
 実際その点はカナリーの言う通りだが、カナリーがさっきのシルバと同じく、キキョウの反応で楽しんでいるのは明らかだった。
「ああ、いや、困らないならいいけどさ。あくまで今のは一例だ。しかし実際、ストレスが溜まったと思うよ。シルバの周りに、四人も可愛い女の子がいて、自分は何も出来ないなんて、ねえ?」
 カナリーは、シルバに向かって小首を傾げた。
「……お前、そこで俺に同意を求めるか。しかもさりげなく自分を可愛い女の子に分類しやがって」
「む、僕は可愛くないと」
 シルバは頷いた。
「お前は可愛いってのとはちょっと違う。どっちかっていうと綺麗っつー表現の方が合ってる」
 バシャリとカナリーは周りの湯が跳ねた。
「き、君はそういう台詞を時々不意打ちで言うな」
 顔も茹で蛸のように真っ赤になっていた。
「うん?」
 だいぶのぼせてきたのか、シルバもどこがおかしい発言だったのか気が付かなかった。
「シルバ殿!」
 一方キキョウはもはや我慢ならぬと、シルバの間近に迫っていた。
「おう!?」
「某の呪いの解呪、是非お願いする!」
 シルバの手を取り、懇願する。
「カナリーばかりズルすぎる!」
 本音が出て、カナリーが高らかに笑った。
「あっはっはー」
「……あと、カナリーには是非、以前の夜這いの件を今度もう一度、深く追求させてもらう」
「は……」
 シルバに頭を下げたままキキョウが言い、カナリーの笑みは固まった。


 湯に浸かったまま、シルバはキキョウの呪いの源となった、女性の像について聞く事にした。
「牛に乗った女性像ね……それ、胸大きかった?」
「シールーバーどーのー!」
 キキョウはほとんど涙目になっていた。
 だが、シルバはからかう風もなく、首を振った。
「いや、真面目な話なんだって。呪いを説く為には、対象のルーツってのは割と重要な要素なんだよ。どこの誰だか確定してたら、解呪も楽なんだから」
「胸は僕と同じぐらいだったね」
 カナリーが自身の金髪をいじりながら思い出す。
 二人からの話をまとめ、シルバは確信に至った。
「長い巻き毛で……まあ、アレだ。キキョウが触れたのはおそらく、牧神マーニュの像だろう」
「マーニュとは?」
「ゴドー聖教の主神ゴドーの妻の一人でな、こういうエピソードがあるんだーー」

 かつて神々が地上にいた頃の話。
 旅をしていたゴドーとマーニュはとある牧場で、一夜の宿を借りた。
 牧場主が困っていたので話を聞いてみると、ここ数年、何故か牛が牡しか生まなくなってしまった。
 この牧場は牛乳を売ることを生業としており、このままでは牧場を閉じなければならない。
 そこでマーニュは一夜の宿の恩に、牧場の牛の半分を牝に変えてしまった。
 こうして牧場は再び、牛乳を売るが出来るようになったという。
 ちなみに牡牛ばかり生まれた原因は、近くにあった別の牧場の主が、異神に祈った結果だったらしい。

「牧神マーニュには性別を変える力がある……と、こういう言い伝えがあってな。マーニュと牛の像って事は、そのエピソードに由来しているんだろう。もちろんよほど出来のいい像じゃなきゃ、そんな現象起こりっこないんだが」
「……つまり、よほど出来がよかったんだね」
 カナリーがため息をつく。
「そういう事。本来ならルベラント聖王国の宝物庫か美術館に納められるような代物だ。いい金になるだろうな。しかしこんなモノ、よく手に入れられたもんだ」
「迷宮で手に入れたのかな」
「まあ、多分な。ブラックマーケットで手に入れたって線もあるけど、ノワの性格を考えると、この手のアイテムは買うモノじゃなくて、売るためのモノだし」
「ーー自分が使う為、もしくは使った為だって線は?」
 カナリーの言葉に、シルバは一瞬、呆気にとられた。
 だが、すぐに首を振った。
「……面白い仮定だなぁ」
 ノワが実は元は男だったかもしれないと、カナリーは言っているのだ。
「僕も、そう思うよ。もっとも僕はまだその彼女に会った事がないんだけれど」
「でも、だとするなら、もっと女神像の管理を厳重にしてると思う。他の品と同じように、普通に棚に置いたりなんてしない。実際、危うくキキョウが落としそうだったんだろう?」
「言われてみると、確かにあの辺りは値打ち品が多かったと思う。効果はともかく、値段的な並びではほぼ同じレベルだったかもしれない。しかし……神の力を秘めたアイテムか……まったく、古代の遺産は興味深いね」
「神様の力なんて、あまり頼るもんじゃないぞ。時々、神様自身、事を成した後に、さてこれからどうしようなんていう事、あったりするんだから」
 妙に実感を込めて、シルバが言った。
 それまで黙って話を聞いていたキキョウだったが、耐えきれなくなったのか二人の間に割り込んできた。
「そ、それでシルバ殿、この呪いは解く事が出来るのか?」
「ああ、ゴドー聖教の説話は大体押さえているし。それじゃ、解くぞ」
「え?」
 反射的にか、思わずキキョウが立ち上がったのと、シルバが印を切ったのはほぼ同時だった。
 軽い風が吹き、次の瞬間、キキョウの逞しい胸板は慎ましい乳房に、腰回りもくびれ……。
「……い、いや、立たなくても大丈夫だったんだけど」
「ひやぁっ!?」
 ぶわっとキキョウの尻尾の毛が逆立った。
 ザブン、と派手に水飛沫をあげながら、全身を湯に沈める。
 一方カナリーは真剣に焦っていた。
「シ、シルバ。呪いを解きすぎだ。胸まで削ってしまってどうする」
「これは元々だ!!」
 叫び、キキョウは恨めしそうに、自分のすべてを見てしまったシルバを涙を浮かべながらにらんだ。
「ううううう~~~~~」
 カナリーを見ると「どうにかしろ」と視線が語っていた。散々けしかけておいてそれはないだろうと思わないでもなかったが、確かにフォローは必要だ。
「キキョウ」
「うぅ……シルバ殿……」
 弱々しく応えるキキョウに、シルバはグッと拳を作った。
 そして断言する。
「大きいおっぱいも、小さいおっぱいも、おっぱいだ。大丈夫! 俺はどっちも好きだし!」
 カナリーが盛大にずっこけた。
 解れかけた金髪を押さえながら、カナリーは湯の中から身体を起こす。
「……シ、シルバ、今のはフォローになってないと思うんだけど?」
「いや、でも、キキョウは何か救われたっぽいぞ?」
 何かキキョウは小さくガッツポーズを作っていた。
「シ、シルバ殿が大丈夫なら、某は問題ない……うむ、頑張れ某……!」


「が」
 でんでんででん、とテーブルの上に五本の牛乳瓶が並べられる。もちろん、中身は入っている。
 泉の湯での騒ぎから、明けての『月見荘』。
 その酒場部分での事である。
「大は小を兼ねるとも言うし、やはり大きいに越した事はないと思うのだ」
 ごっきゅごっきゅごっきゅと、キキョウは一本目の牛乳を飲み干していく。
 その様子を、大きな甲冑ーータイランが、心配そうに見つめていた。
「お、お腹壊しますよ、キキョウさん……?」
「ボクも飲むー♪」
 狩りから戻ってきていたヒイロも、キキョウを真似て牛乳を飲み始める。
 ちなみに、キキョウとカナリーまで女性だった事は、つい先程シルバが話したばかりだ。
 ヒイロとタイランは素直に驚き、リフはいつから気付いていたのか、特に動じる様子もなくそれを受け入れていた。
 もっとも、唯一の男性であるシルバの態度がこれまでと大して変わらない以上、他の面々も劇的な変化など特になかったりするのだが。
 ……二本目の牛乳に手を着ける二人を頬杖をついて眺めながら、カナリーはパンにせっせとチイチゴのジャムを塗るリフに尋ねた。
「リフは飲まないのかい?」
「に……自然がいちばん」
 一方ある意味主犯とも言えるシルバは、のんびりとミルク入り豆茶を啜っていた。
「大きさは、バリエーションがある方がいいと思うんだけどなぁ」
「……君は君で、僕にどういうコメントを求めているんだい?」
 あまりにも俗っぽい司祭の言葉に、呆れるカナリーであった。


※ちょっと慣れない環境で文章を書いたため、いつもとノリが違うかもしれません。
 シルバとカナリーは、何というかSっぽいというか、単にキキョウがいじられ易いキャラというべきか。
 ちなみに牧神マーニュの名の由来は、魔乳です。



[11810] 洞窟温泉探索行
Name: かおらて◆6028f421 ID:c6c823b5
Date: 2010/01/10 21:05
洞窟温泉探索行


 ギルドマスターや司教が訪れるという事で、エトビ村はにわかに活気づいていた。
 事務的な用事をほぼ済ませ終えたシルバは、自警団団長兼村長代理であるアブから、『月見荘』の酒場フロアで話を聞いていた。
「変な影?」
「ああ」
 目を瞬かせるシルバに、アブは頷いた。
 屈強そうな肉体の青年だ。
 彼の話によると、このエトビ村の名物『洞窟温泉』で、小さな人影っぽいモノが出現し始めているのだという。
「最近になって、入浴客にチラホラと目撃されているんだ。多分、猿か何かだとは思うんだが……」
「実害は?」
「現状、持ち込んだ酒や肴と言ったところか。後は木桶とかタオルとか……」
「……それってつまり、目に付いたモノは手あたり次第って事ですよね」
「うん、まあそうとも言う。けが人とかは出てないんだけど……その、何だ。こういう依頼でも、冒険者ってのは受けたりするのかい?」
 アブとしては、偉い人が来る前に片づけておきたい問題なのだろう。もしギルドマスターや誰かが、洞窟温泉に入りたい、などと言ったりしたら大変だ。
 ふむ、とシルバは考えた。
 聞いた限りでは、それほど危険度は高そうには思えない。
 自分達が受けなかった場合は、アブ達自警団が自分達で調査をするつもりだろう。
「パーティーの性質や都合によるんじゃないでしょうか。ウチは全員と相談してから受けるかどうかを決めたいですけど、そういうのなら全然問題ないと思いますよ。困っている人を助けるのも、俺達の仕事の一つですし。や、そりゃ報酬はもらいますけど」
「た、高いのか?」
 確かにそこが、村長代理としては一番心配な点だろう。
 シルバは考え、少し離れた席で話を聞いていたリフと目が合った。
「……例えば洞窟温泉とは別に、この村で一番大きな温泉を、一晩貸し切りとかでも、いい?」


 数時間後。
「「ふろー!!」」
 洞窟温泉に入ってすぐの所にある、広いホール上の空間に、シルバとリフの叫びが響きわたった。
 さすがに音響効果は最高だ。
「……君達二人は、風呂のたびに叫ばなくちゃ気がすまないタイプなのかい?」
 呆れたように言いながら、髪を頭の後ろにまとめたカナリーが、風呂用タオルを身体に巻いたまま肩まで湯に浸かる。
 一方シルバとリフは仁王立ちのまま、力強く頷いた。
「そりゃ風呂だからな、リフ!」
「に!」
 洞窟温泉はその名の通り、洞窟全体が湯船という変わった風呂だ。いくつもの{部屋/ホール}を通路が繋げているその様は、膝上まで湯が満たしていなければ、迷宮そのものと言ってもいい。
 ちなみに、リフは今回は人間形態である。
「そ、某も合わせるべきだっただろうか?」
 いつもとノリの違う、シルバとリフに、キキョウは戸惑っているようだ。
 そんなキキョウに、カナリーが首を振る。
「必要ないから。あと、シルバにボケられると、僕しかツッコミ役がいないんで、そろそろ戻ってきてくれ」
 確かにこのままでは、話が進まない。
 シルバはリフと一緒に湯に浸かると、明後日の方向を向いた。
 周囲は若い女の子が五人であり、シルバ自身が構わなくても、本人的にそれどころでないのが、何人かいるのである。
「ツッコミ役か……タイランはどうだ?」
「わ、私……そ、そういうのは無理ですから……」
 青い燐光を放つ精霊状態のタイランが首を振る。彼女だけは、他のメンバーと異なり、タオルを身体に巻いていないし、身体も水面上に浮いている。さながら湯の精霊だ。
 一方、完璧に無視された鬼っ娘ヒイロは頬を膨らませた。
「ぶぶー。ボクが最初から数に入ってません。不当差別として抗議させてもらいますー」
「いや、君はどう考えたって、ボケの方だろ」
 ヒイロに突っ込むのはカナリーに任せて、シルバは気を取り直した。
「さて、仕事の話だ」
「……いささか緊張に欠けるミーティングだけどね」
 カナリーが肩をすくめ、タイランは恥ずかしそうに顔を俯けながら、ゆっくりと身体を半分まで湯に沈めていく。
「べ、別の意味で緊張しますけど……」
「ん?」
 シルバが振り向くと、タイランは慌てて首を振った。
「や、そ、その、何でもないです」
「そうか」
 シルバが深く追求せず、タイランはホッとしたようだ。
「ま、依頼内容はシンプルだ。洞窟温泉内で、最近出没するようになった黒い影を見極める。いわゆる調査任務だな」
「倒さなくていいの?」
 ヒイロの意見に、シルバが答える。
「武器がない」
「倒しても、いいの?」
 微妙に、ニュアンスが変わった。
「……まあ、お前なら心配ないか。ただし、無茶はしない事。いいな?」
「らじゃっ」
 ヒイロは上機嫌で、シルバに敬礼した。
「もちろん相手が危険と判断した場合は引き返し、装備を調えてから依頼は退治に切り替わる。まあ、今まで実害もそれほど大した事はなかったって聞いてるし、のんびりやろう」
「う、うむ」
 キキョウを始め、全員が頷く。
「……で、どの辺の湯が、肩凝りとかに効能があるかな」
 シルバの問いに、リフがいくつかある通路の一つを指さした。
「に、リサーチはかんぺき」
「うん、それでこそ盗賊。よくやった」
「にぃ……」
 ガシガシと頭を撫でられ、リフは嬉しそうだ。
「僕としては、美容によさそうな湯の場所なら特にこだわらないけどね」
「充分こだわっているではないか」
 カナリーの要求に、キキョウがすかさずツッコミを入れる。
「わ、私は奥にあるっていう霊泉の方に……」
 遠慮がちに、タイランも主張し始める。
「……みんな、バラバラだなぁ」
 苦笑するシルバに、ヒイロは首を傾げた。
「やっぱり固まってる方がいいの?」
「戦闘前提ならそうだけど、今回は……ま、手分けした方が相手も油断するだろうし、効率がいいか。この洞窟程度なら、精神共有である程度のカバーも出来るし」
「じゃ、出発出発。こんな入り口でずっと相談してたら風邪引いちゃうよ」
「はいはい」


「……という訳で分かれた訳だが」
 いつの間にか、全員バラけてしまい、シルバは一人、通路を歩いていた。
 膝上まである湯は、歩くとかなり体力を使うので、至る所に休憩用のベンチも用意されている。
 通路を伝うパイプは、救難用の伝声管だろう。
(シ、シルバ殿、今、どこにいるのか?)
 精神共有を通じてキキョウが念話を飛ばしてきたので、シルバは壁に視線を向けた。
 ペンキで塗られた階層案内は、地下の第一層を指している。
「複数の層になってるとはねぇ……んー、案内によると、地下層っぽいぞ」
(何と……おそろしく離れているではないか!?)
 キキョウはどうやら地上第三層付近にいるらしい。
(今生の別れじゃないんだから、落ち着こうよ、キキョウ……)
(ぬぅっ、おそろしくくつろいだ声!)
 どうやら口を挟んできたのはカナリーのようだ。
(そりゃ、温泉に浸かってるからね。たまにはこうやってのんびりするのもいいモノだよ……眠っちゃいそうだけど)
「水没するなよー」
 言い、シルバは通路の先を進んだ。

 その部屋には、多くの動物がいた。
「お」
 そういう風呂か、と思い、シルバも動物達を刺激しないように、ゆっくりと湯に身体を沈めた。
「や、先輩!」
 すぐ隣から人間の言葉が聞こえて、シルバはちょっと驚いた。
 声の主は、栗色の髪を持つ鬼の娘だったからだ。
 要するにヒイロである。
「……動物の中に混じってても、何一つ違和感ないな、お前は」
「ほめ言葉?」
「好きに受け取ってくれ。動物達から情報収集でもしてたのか?」
「リフちゃんじゃあるまいし、ボクにはそんな特殊な力はないですよーだ。でも、全然見ないよ黒い影。ホントにいるのかな?」
 二人肩を並べて湯に浸かり、受け答えを続ける。
「実際に遭遇した人がいるらしいし、そこん所は確かだろ……さすがに一日ここを借りて、単にいい湯でしたじゃ依頼主に叱られる」
「だねー」
「しかしまあ、色々な動物がいるな」
 シルバは広い{部屋/ホール}を見渡した。
 三十匹近くいるのではないだろうか。どの動物達も、動物の中でのルールでもあるのか、この風呂では皆、大人しいようだ。
「うん、多分森のどこかに他の入り口があるんだろうね。熊にウサギに……」
「猿に猪……」
「……狼に雑鬼に狸さん」
「ええーとあと狐と……ってちょっと待て、ヒイロ」
 シルバはふと、気がついた。
「ふに?」
「今、何か変なの混じってなかったか?」
 二人の視線が、醜い小鬼に向いた。
「「モンスター!?」」
「キィッ!」
 その声に反応して飛び上がったのは、シルバ達が見ていた雑鬼だけではない。
 ハッとヒイロが振り返ると、『黒い影』が陶製の瓶を抱えて逃げ出そうとしていた。
「あぁー! ボクのホットジュース、返せーっ!」
 部屋の端にあるわずかな岩場部分を駆けていく、雑鬼。
 それほど素早くないのがせめてもの救いか。ヒイロがお湯をかき分けて追いかけるのと、ほぼ同じぐらいの速度だ。
 シルバとしては、全速力のヒイロを追いかけるので精一杯だ。さすがに足が半分以上、湯の中にあると抵抗力が半端ではない。
「っておい待て、ヒイロ! 深追いするなって!」
 ヒイロ先行で、シルバ達は動物風呂を抜け、どんどんと通路を奥へと進んでいく。
「二匹程度なら、何とかなるよ!」
「そりゃ、二匹程度ならな!」
「え、それっとどういう……わぷっ!?」
 いきなり、ヒイロの身体が消えた。
「ヒイロ!?」
 いや違う、とシルバは気がつき、湯の中に潜った。
 通路の先は深くなっており、ヒイロはそこに沈んでしまったのだ。見ると、底は穴になっており、どこかに通じているようだった。
 ……シルバもヒイロを追って、その穴に潜った。


 滝のように天井の穴からお湯が溢れ出ていた。
 しかし通路に湯は張られておらず、案内のペンキも塗られていない。
 どうやらここは、洞窟温泉の中でも知られていない、地下層のどこからしかった。
 壁にもたれ掛かり、シルバとヒイロはヘタリ込んでいた。
 シルバは息が切れる寸前だったし、ヒイロはお湯をたらふく飲んでいた。
「……雑鬼は力は弱いが狡猾で、大抵集団で行動する。それほど知能も高くないけど、たまにこうやって罠を仕掛けてくる事もある訳だ」
「……勉強になりましたー」
 敵がいないのが、せめてもの救いであった。
 装備も道具もなし。
 さてどうするかなとシルバは悩んだ。


 幸い、通路にはヒカリゴケが生えており、薄暗くはあったが視界が利かない訳ではなかった。
 {墜落殿/フォーリウム}という迷宮を探索してるシルバ達には、慣れた世界でもある。


 身体を巻いているタオルは無事だったヒイロは、小さな岩に腰掛けて右足を前に突き出した。
 屈み込んだシルバが、具合を確かめる。
「いちちちち……」
 シルバが足首を撫でると、ヒイロの足がピクッと反応した。
「痛むか?」
「ちょっと」
 やはり、捻挫しているようだった。
「調子に乗るからだ。この馬鹿」
「あはは……ごめんなさい」
 笑ってこそいるものの、いつもの元気さはややなりを潜めている。
 さすがに、ヒイロも反省しているようだった。
 一方シルバは、足の診断に集中する。
 一歩間違えれば非常に際どい部分が見える角度なのだが、そんな事に構うシルバではなかった。
「やっぱり駄目だな。捻挫は回復と相性が悪い。痛みを和らげることは出来るけど、今は無理な動きは控えるべきだ。ここは温泉地だし、療養には……」
「…………」
 返事がないので、シルバは顔を上げた。
「ん? どうした、ボンヤリして」
 何故か頬を赤くしたっぽいヒイロが、ぶるぶるぶると勢いよく首を振った。
「あ、や、うん! 切り傷とかだとあっと言う間なのに、おかしいよねぇ」
「んー、難しい説明は俺も苦手なんだけど、通常の傷は、肉体が傷つけられたって認識になるだろ。でも、捻挫や脱臼は言ってみれば筋肉痛と同じ、関節の異常でな。身体が無理をしているっていう、信号そのものでもあるんだよ。そういう信号は治しづらい。筋肉痛が{回復/ヒルタン}で治ると思うか?」
「あぁー、よく分からないけど、納得は出来たかも」
「うん、まあそんな所だ。で、どっちがいい」
 言って、シルバは立ち上がった。
 ヒイロはきょとんとした顔で、シルバを見上げる。
「どっちって?」
「お姫様だっことおんぶ」
「か、か、肩を貸すって選択肢はないの!?」
「いや、俺はそれほど大柄じゃないけど、それでも身長差はあるだろ?」
 何しろヒイロである。
 まさか恥ずかしがってる訳じゃないよなと思う、シルバだった。
 しかし、何故かたっぷり100ほど数える時間を要して、ヒイロは決断した。
「うぅ……じゃあ、おんぶで」
「よし。うん、まあ一回担いだこともあるし、こっちの方が楽だな」
 妙に遠慮がちに、ヒイロはシルバの背中に身体を預けた。
「……意外に筋肉あるよね、先輩」
 ちょっと感心したような声を上げる、ヒイロだった。
「教会のお務めは、力仕事も多いんでね」


 小柄なヒイロは、それほど重くもない。
 ただ、やはり前回と同じく若干『当たっている』件に関して、シルバは意識から外すのに苦労していた。
 何だかんだで、こう、色々とすべすべしているし柔らかいのである。
「ここ、どこなのかな先輩」
「ち、地下なのは間違いないな」
 洞窟だけあって、声がよく響く。
 それに、上の洞窟温泉よりも、遙かに静かだった。岩で足を切らないように気をつけながら、ゆっくりと前に進む。
 シルバは敵の気配を探ってみたが、どうやら近くにはいなさそうだ。
「それに、洞窟温泉の案内にもない場所だ。でも、雑鬼連中が出入りしてるって事は、どこかに出口はあるだろ。それに、ヒイロの身体に傷がなかったのも、不幸中の幸いだ」
「身体の傷は、戦士の誇りだよ?」
 後ろからちょっと不思議そうな声が響いてくる。
「穴に落ちて負った傷なんて、誇りとは言わないの」
「うっ」
 背中越しにヒイロが動揺するのが、伝わってくる。
「それに、いくら戦士でもお前は女の子なんだから、無闇に傷が増えていいもんじゃないだろ」
「……先輩、そういう台詞をサラッと言うと、勘違いするから気をつけた方がいいよ?」
「そうか?」
「そうです」
 何故、敬語。
 シルバは心の中で突っ込んだ。
「俺みたいにでかい傷が出来たら、それはそれで困ると思うけどなー」
 胸にある大きな傷に関しては、簡単にメンバーに説明を終えている。
「ボク的にはありなんだけど、それ」
「ヒイロ、そういう台詞をサラッというとだな」
「さすがにそれで勘違いはしないと思う」
「うん」
 頷くシルバに、ヒイロは小さく身じろぎした。
「でも、敵が来たら下ろしてよ? 雑鬼とはいえ、攻撃力がほとんどない先輩じゃ、まず敵わないんだから」
 ヒイロがいつもの快活なからかい口調でない分、ものすごく心配されているような気になるシルバだった。
 だが、その心配はむしろ無用である。
「おっと見くびられたぜー。舐めるなよ、ヒイロ。狩猟なら、お前はほとんど物心ついた時からやってるかもしれないけど、冒険者としては俺の方がキャリアは上なんだぞ」
「キャリアが上でも、剣も使えない先輩がどうやって勝つの?」
「それは、その時が来た時のお楽しみだ」
 一応シルバにも、勝算はある。
「……ちなみに一目散に逃げるってのは、鬼族の常識では戦うことにならないからね?」
「…………」
 ヒイロに突っ込まれ、シルバは沈黙した。
「……先輩、まさか」
「はっはっは、冗談だ。……ま、実際、みんなと合流出来るのが一番なんだけどな」
「精神共有は?」
 それはさきほど、シルバも試してみた。
 ただ、残る四人の声が妙に混ざりあっていて、どうもシルバの思念が上にまで繋がらないようだった。
「通じにくくなってるな。たぶんこの辺りの通路には水晶が多いんだろう」
「水晶が多いと、駄目なの?」
「使い方次第って所だな。うまく利用すれば精神共有の増幅にも使えるんだけど、今はむしろ利きすぎて反響しまくってる」
 ひとまずここは、二人で乗り切るしかなさそうだった。
「うまくいかないもんだねー」
「ああ、それに」
 前方がやや明るく、広がっていた。
 どうやらこの先は広い{部屋/ホール}のようだ。
 二人は気配を殺し、こっそりと中の様子を伺った。
 ドーム状の部屋の広さは、幅も奥行きもざっと20メルト四方といった所か。
 中では、雑鬼達が食べ物や酒を財宝らしきものと共に中央に積み、宴会を行っていた。財宝は銀貨や銅貨の他、何故か赤ん坊用のガラガラや可愛らしいぬいぐるみだのも混じっている。
 ……どこかから略奪してきたのに、間違いはなさそうだ。
 財宝の山の頂点では、やたらと羽根飾りをつけ、杖を持った派手な雑鬼が大きな杯で酒を呷っている。
 あれがボスだろう、とシルバは判断した。他の雑鬼よりもやや知性は高そうだ。
 魔法も使いそうだな……と、考える。
「……ホント、うまくいかないね。やっぱり先輩下ろしてよ。この数はちょっと先輩には厳しいよ」
 声を潜め、ヒイロが言う。
「下ろすことは下ろす。でも、ここは俺一人で何とかするよ」
 シルバはさっきヒイロが腰掛けていたのと同じような小さな岩を見つけ、そこに彼女を下ろした。
 そして、ひっひっひっとわざとらしく卑しい声で笑った。
「せっかく女の子の前で、格好付けるチャンスなんでね」
「せ、先輩、女の子扱いは却下だよ……っ!」
「……はっはー」
 女の子扱いされると、ヒイロの調子がおかしくなる事に、シルバはようやく気づいた。
「ヒイロの弱点、発見。あと、あまり大声出すな。響いてバレる」
「う」
 自分の両手で口をふさぐヒイロ。
 しかし、不安そうな表情はまだ消えない。
「ほ、本当に先輩一人で? 大丈夫なの? どうやるの?」
「ヒイロのそういう反応は、ちょっと新鮮かもしれないな」
「ま、真面目にしないと、怒るよ? もし、先輩が怪我でもしたら、キキョウさんに多分滅茶苦茶叱られるし……」
「心配いらないって」
 信用されてないわけじゃなくて、純粋に心配してくれているのだろう。
 それをちょっと嬉しく思いながら、シルバは呪文の準備を開始した。
「じゃあま、いっちょ片づけますか」
 シルバは手の平を喉に当てた。
「{豪拳/コングル}」
「喉……?」
 ヒイロは不思議そうにシルバを見た。
 この術は、対象の攻撃力を上げる力を持つ。
 シルバの信仰する神はこれから行われる『それ』を攻撃と認識した。
 本来の使用法でない為あくまで心持ちだが、それでも普段より声量が強まっているのを、シルバは感じていた。
 {部屋/ホール}の入り口にシルバが立つと、何匹かの雑鬼がこちらに気付いた。
 財宝の頂点に座っていた色彩豊かな雑鬼も、シルバを指差した。攻撃するように命じたのだろう。
 各々、武器を取ってシルバに迫る。
 だがそれよりも早く。
「すぅ……」
 シルバは大きく息を吸った。
 肺を一杯に満たした空気を、一気に解放する――!!
「喝っ!!!!」
 直後、{部屋/ホール}全体が震え上がった。
 シルバに間近にまで迫っていた雑鬼達は、まとめて吹き飛ばされ、地面に横たわって痙攣する。
 天井からは鍾乳石が何本も落下し、石筍が崩壊した。
 ザラザラザラ……と財宝の山が崩れ、派手な雑鬼も目を回して気絶していた。
 その懐から、半透明の柔らかい素材で出来た{札/カード}が覗いている。
 シルバは慎重にボス雑鬼の様子を確かめ、カードを手に取った。
 カードには、杖を持ちローブを着た長い髭の老人が描かれている。
「『魔術師』のカード……なるほどね」
 シルバはそれを知っていた。
 時たま、迷宮から発掘されるというカードの一種で、所持する事で様々な効果を得る事が出来る。
 『太陽』のカードなら明かりには困らないし、『世界』のカードはその層のマップを認識する事も可能となる。複数所有する事で、効果を上げる事も可能だ。
 これを用いる事で、雑鬼達は知恵を得て、おそらくボスは魔法を使えるようになったのだろう。
 そういえば、この周辺の村を、雑鬼達が騒いでいるという話も、聞いた覚えがある。
 初心者を脱した冒険者ならともかく、武器も持った事もない村人達には、かなりの脅威だったはずだ。
 ……期せずして、そちらの仕事も間接的に解決してしまったらしい。
 雑鬼達や財宝をどうするかちょっと考えたが、今の自分達の手には余るとシルバは判断した。
「よし、それじゃ今の内に……」
 ひとまずここを抜けて、みんなと合流するのが先決だ。
 と思って岩場に戻ると、何故かヒイロが目を回していた。
「ふゃあ……」
「……何で、お前まで気絶してるんだ。耳塞いどけって言っただろ?」
「ふ、塞いだけど……こんな大きい声だなんて、思わなかったんだよぉ……」
 油断したらしい。
 思わず呆れるシルバだった。


 気絶した雑鬼達の間を早足で駆け抜け、ヒイロを背負ったシルバは先の通路を進む。
「それにしても先輩、すごい技持ってるんだね。あれなら、普段でも戦う時に使えるんじゃないの?」
 どうやらヒイロの耳も元に戻ったようだ。
「いや、あれは普通、せいぜい相手を驚かせる程度の威嚇用だし、気絶させる程の効果はないんだ。洞窟っていう音が響く地形の効果と{豪拳/コングル}で喉と肺を強化してやっとって所。{豪拳/コングル}の力は、お前が一番よく知ってるだろ?」
「あぁー……」
 何しろ一番シルバが{豪拳/コングル}を使うのはヒイロである。
 心当たりはあるのだろう。
「本来は、音響を操作する魔法を使うんだけど、あんなのは師匠ぐらいしか無理だし」
「ボクでもさっきの技、使えるかな」
「お前、ホント色んな技覚えるの好きだな」
 つい先日、骨剣を盾にしての突進や、足技を覚えたかと思ったら、ぶっつけ本番で気を放ったりもした。
 しかしそれでもなお、ヒイロには足りないらしい。
 と思っていたら、何だかヒイロの声のトーンが沈んだ。
「だってボクは鬼族の中でも特に力弱い方だし……」
「……あれで弱いんだ」
 どんな高みだ、鬼の世界。
「うん。ウチの集落だと一番弱いかなぁ……毎年秋にお祭りがあってね、そこで子供から年寄りまで全員参加の相撲大会やるんだよ。ボクは参加出来るようになってから、一回も勝てた事がないんだ」
「き、厳しい世界だな」
 ヒイロの村での相撲、というのは基本素手。
 相手が気絶するか、リング上から叩き落とすかのどちらかで勝ちという、単純なモノらしい。
 何だか、シルバの首に絡むヒイロの腕の力が、強まったような気がした。
「先輩さー」
「うん」
「クジで当たった幼馴染みに、陰で『やった。二回戦確定』って言われた気分って分かるかな?」
「…………」
「ま、それがボクが村を出た理由な訳ですよ」
 たはは、とヒイロは笑った。
 シルバは笑わず、自分の頭を掻いた。
「……さっきの技を教えるのはいいけどな」
「うん」
「使えるのはせいぜい最初の一回だけだと思う。大会って事は、みんなが見てるんだろ。次からは間違いなく警戒される」
「それでもいいよ。手札は多い方がいいし」
「まあ、警戒してるのを逆手に取るって手はあるな、うん。あと、俺は戦士じゃないから、それほど教えられる事はない」
「うん」
「だけど、他の面での助言ならちょっとは出来る。食事の量とか質とか」
「食べ方で変わるの?」
 シルバの背で、ヒイロが不思議そうに首を傾げた。
「マナーの話じゃないぞ。野菜とか魚も食えって話だ。体力が付く。免疫力も上がる。バランスを保て。それだけでも、肉ばっかり食ってる連中とは違う伸び方になるはずだ」
「ボク、強くなれるかな」
 ヒイロの問いに、シルバは即答した。
「なれるよ。お前は頑張ってる」
「せめて一回でも勝ちたいからね」
「おいおい、いつものヒイロはどこに行ったんだ? どうせやるなら優勝だろ」
「うん」
 何だかヒイロは嬉しそうだった。


「さて」
 シルバ達は行き止まりに来た。
 正確には、目の前にはうっすらと湯気の上がる小さな温泉がある。
 ……湯の奥に、人が一人は入れそうな穴があるのを、シルバは見つけた。
 その時だ。
(シルバ殿ー!!)
 精神共有を通じて、絶叫が響いてきた。
「キキョウさんだね」
「ああ。騒々しいなお前は」
 どうやら、精神共有を妨げる水晶の通路も抜けられたらしい。
 これなら最低限、連絡だけは取る事が出来そうだ。
(シルバ殿!? どこにいるのだ!?)
 シルバは、キキョウの声の強さから大体の位置を察した。
 それほど高くもない、天井を見上げる。
「多分、お前の足下だよ。しばらくしたらヒイロと一緒に合流するから待ってろ」
(ヒ、ヒイロと一緒!?)
「心配しなくても、二人とも無事だよ」
「ちょっと足挫いて、背負われちゃってるけど」
(なーーーーーっ!?)
 何故か、キキョウの動転した声が響いた。


 三十分後。
 湯の底を抜けてキキョウらと合流したシルバ達は、そのまま洞窟温泉を出て、村長の家に向かった。
 村長代理であるアブに頼んで周辺の村に連絡を入れ、残っている冒険者達で雑鬼の掃討と財宝の回収を手伝ってもらう。
 すべてが終わると、もう晩飯の時間になっていた。
 という訳で『月見荘』の酒場部分で、シルバは皆に改めて今回の事件を説明した。
 黒い影というのは要するに、雑鬼であった事。
 そのボスが何やら知恵を付けていたが、その原因も明らかになった事。
「……つまり、雑鬼の連中は炭鉱跡から何やら頭のよくなるアイテムを手に入れていたと」
 キキョウの問いに、シルバは頷く。
「ま、そういう事」
「ちえの実?」
 リフが首を傾げる。
「じゃあ、ないな。それにしても女神像といい今回のカードといい、ノワの守備範囲も中々に広い」
「とにかく今回の一件が片付いた事で、周辺の村を襲っていた雑鬼達の退治も、終わったって事だね」
「よ、よかったです……」
 カナリーが赤ワインを傾け、タイランも分厚い篭手を合わせてホッとする。
「それはともかくシルバ殿」
 猪肉のステーキにナイフを入れながら、キキョウがシルバを見据えた。
 正確には、シルバのすぐ隣だ。
「……うん?」
「やたらヒイロが懐いているようだが、何があったのだ?」
 シルバの隣の席には、ヒイロが座っていた。彼女の前には、山盛りの肉……と、大量の野菜といっぱいの魚料理が並んでいる。
 キキョウは、シルバとヒイロの席が、他の席より近い事が何だか気になっているようだった。
「いや、俺は特に何もしてないぞ……してないはずだ」
「先輩先輩」
 ヒイロがシルバの袖を引いた。
「何だよ、ヒイロ」
「あの時の件は、もうちょっと内緒ね。恥ずかしいから」
 恥ずかしそうに笑いながらヒイロが言う。
 おそらく、村で一番弱いという事や、村を出た理由の事だろう。
「あ、うん」
 シルバは思わず頷いた。
 しかし。
「「!?」」
 聞く者が聞けば、誤解を与える発言だった。
 特に反応したのは、ぶわっと尻尾の毛を逆立てたキキョウと目の紅みを増したカナリーだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て、ヒイロ、シルバ殿! 何があったか詳しく聞かせるのだ!」
「シ、シルバ! まさか君、彼女が足を挫いているのをいい事に、何やら不埒な事をしたんじゃないだろうね!?」
「俺を何だと思ってるんだお前らは!?」


「にぃ……お魚あげる」
 一方リフは、シルバの身体を挟んで反対側にいるヒイロに、焼き魚料理を提供していた。
「うん、あんがとね、リフちゃん」
 反対側からは、一番ヒイロと長い付き合いになるタイランが、心配そうにプチ修羅場なシルバ達とヒイロを交互に見やる。
「……あ、あの、駄目ですよ、ヒイロ? ああいう言い方だと、揉めるんですから」
「はーい」


「見てないで助けろよ、ヒイロ!?」
 たまらずシルバは叫んだ。
「え、いいの?」
「……やっぱいい。余計揉める」
 諦めるシルバであった。


※ちなみにヒイロの幼馴染みは男です。




[11810] 魔術師バサンズの試練
Name: かおらて◆6028f421 ID:7cac5459
Date: 2010/09/24 21:50
 薄い色素の髪はヘッドギアに包まれ、収まりきらない分は後ろで一括りにされて尻尾のように出ている。
 小柄な身体は、男性用戦士用の装備に包まれており、丈が少々合わないのか袖がややだぶついているようだった。
 武器は腰に差した短剣一本。
 両手に一杯の日用雑貨を抱えている。
 昼下がり、辺境都市アーミゼストの人通りの多い大通りを歩く彼の姿は、ちょっと見、新米の少年冒険者の買い出しのようにも見えた。
 しかし、見る者が見れば分かる。
 彼は『彼』ではなく『彼女』なのだと。


 その『少年』は、角を曲がり少し細い通りを歩いていく。
 そして彼の後ろ、十数メルト離れた距離を一人の青年が追っていた。
 眼鏡を掛けた、線の細い学者風の魔術師の名を、バサンズ・セントという。
 彼は確信していた。
 絵の具の買い付けの帰りにたまたま見かけたあの『少年』が、バサンズがずっと気にかけていた少女なのだと。
 すぐに声をかけようと思ったが、内気な彼にはなかなか勇気のいる事だった。
 そこでタイミングを見計らい、彼女を追っていたのだが……。
 彼女が角を曲がり、慌ててバサンズはその後を追った。
 直後、バサンズは腕を強引に引っ張られたかと思うとそのまま押し倒され、首筋に冷たいモノが押し当てられた。


「あれ? バサンズ君?」
 細い路地に彼を押し倒した張本人は、自分を追っていた者が誰か、すぐに分かったらしい。
 バサンズは、『彼女』を見上げる。
 変装しているが、やはり間違いない。
 前のパーティーで一緒だった商人の少女、ノワ・ヘイゼルだった。
「ど、どうも……お久しぶりです、ノワさん。あの、その短剣を引っ込めてくれると嬉しいんですけど……」
「どうして、{尾行/つけ}てたの?」
 少年……に変装していたノワは、厳しい目でバサンズを見下ろした。
「あ、いや、それは……」
 バサンズは口ごもる。
 しかしその沈黙を、ノワは悪い方に取ったようだ。
「バサンズ君も賞金目当てなんだ……ノワ、悲しいなぁ」
 バサンズは慌てて否定した。
 ノワは今、とある事件に関わり賞金を掛けられているという。
 バサンズが自力で集めた情報では、何でもこの都市を管理する冒険者ギルドだけではなく、違法な裏の商売を行っている者にまで喧嘩を売るような事になっており、表を歩けない身になっているらしい。
 もちろんそれを狙い、追われた事も多いだろう。
 彼女が変装しているのも、それが理由と思われる。
「ち、違います! 僕はそんなつもりで追っていた訳じゃ……」
「じゃあ、どうして?」
「あ、あの……それは、ノワさんが心配で……」
 バサンズは正直に話した。
「ホントに?」
 ノワは疑わしそうだ。
「ほ、本当です」
「どうやって、それを証明する?」
 確かに、それは難しい。
 バサンズはかろうじていう事を利く手を動かし宣言した。
「ゴ、ゴドー神に誓います」
「ふーん……」
 ノワは、バサンズの上に乗ったまま、緊張を解いた。
 といっても、相変わらず短剣はバサンズの首筋に当てられたままだ。
 そしてニコッと微笑んだ。
「本当に、ノワを売る気じゃないんだね?」
 その途端、バサンズは自分の中で言いようのない感情が昂ぶるのを感じた。
 彼女に嫌われる訳にはいかない!
「滅相もない! そんな事、絶対にするはずないじゃないですか! 僕はただ、心配だっただけです! 何だかノワさんの新しいパーティー、妙な事になっているみたいですし……」
 バサンズの必死の弁明に、ノワはクスリと笑った。
「んー、バサンズ君、その名前、あまり大声で呼んじゃ駄目だよ。注目されると困るし」
「あ、そ、そうでした……すみません……」
 ノワは短剣をバサンズの首筋から離し、彼の上からどいた。
「いいよいいよ。それでバサンズ君は今、どうしてるの? 新しいパーティー組んで、頑張ってるのかな?」
 立つよう促され、バサンズはローブの埃を払いながら、身体を起こした。
「あ、いえ、今は少し休んで、自分の研究を進めています。ちょっと郊外の屋敷を借りて……」
 地面に落ちた絵の具を拾いながら、バサンズが言う。
 その為、キラーン☆ とノワの両目が輝いたのを、彼は見落とした。
「魔術師の研究は危険が多いもんね。そっか、バサンズ君も元気でやってるんだ」
「は、はい」
 絵の具を袋に詰め直し、バサンズが立ち上がる。取りこぼしはないようだ。
「それじゃ、ここでいつまでも立ち話も何だし、ノワはここで失礼するね。バサンズ君を巻き込むと悪いし」
 微笑みながら言い、ノワは身を翻す。
「あ……」
 一歩踏み出すも、バサンズは躊躇してしまう。
 ノワの唇の両端がつり上がる。
 が。
「うん?」
 バサンズに振り返った時には、可憐な笑顔になっていた。
 それを見て、バサンズは頬を紅潮させる。
 そしてありったけの勇気を振り絞って、誘ってみた。
「よ、よければ、ウチでお茶でも飲んでいきませんか? ちょ、ちょっと離れてますけど、いい所ですよ?」
「え、いいの?」
 脈があると見て、バサンズは勢いづいた。
「も、もちろんですよ!」
「そっか、じゃあご馳走になるね。あ……でも、仲間のみんなが心配するかも……」
 どうしようかな……というノワの素振りに、バサンズはなりふり構ってはいられなくなった。
「じゃ、じゃあ、仲間の皆さんも呼んでいいですよ?」
 ノワの仲間という事はつまり、現在賞金を掛けられている犯罪者一味を家に招き入れるという事になるのだが、今のバサンズには目の前の彼女を家に誘うことしか考えられなくなっていた。
「ホント!? じゃあ早速行こ!」
 ただ、ノワが喜ぶのが純粋に、バサンズにとっても嬉しかった。
 バサンズはノワの荷物も自分で持ち、二人は小道に出た。
「れ、連絡はいいんですか?」
「あ、うん、大丈夫大丈夫。じゃじゃーん」
 ノワは細い左腕の袖を捲り上げた。
 そこには、複雑な文様の施された腕輪があった。中央部に透明な宝石が埋め込まれている。
「そ、その指輪……まさか、水晶通信!?」
「うん」
 頷き、ノワは仲間に連絡を入れる。
「……あ、クロス君、古い友達と会ったから今からお茶してくるよ。それとみんなも来ていいってさ」


 水晶のペンダントから伝わるノワの声に、半吸血鬼クロス・フェリーはニヤリと笑った。
「そうですか。では、現地で合流という事で」
 貧民窟の廃屋。
 そこが、今の彼らのアジトだった。
 まだ日差しも明るい窓枠には漆黒の盗賊、ロン・タルボルトが腰掛け、部屋の隅では巨漢のヴィクターが睡眠モードに入っている。
 水晶通信を切り、クロスは彼らに声を掛けた。
「新しいねぐらが見つかったみたいですよ、皆さん」


 気まぐれな貴族の別荘だったというバサンズ邸は広く、ノワ達が住むのに何の不便もなかった。
 もっとも、屋敷の主は現在留守であり、故に夜も明かりを点ける訳にはいかないのが、やや不満点ではあったが。
 何せノワとバサンズは以前同じパーティーを組んでいただけに、鼻の利くどこかの賞金稼ぎが郊外にあるここまで、様子を見に来ないとも限らないのだ。
 ただ、その点さえ除けば、調理や風呂焚きはクロスの魔法で何とかなるし、すこぶる快適である。
 が。


「納得いかないー!」
 昼下がりの薄暗い屋敷の中で、ノワ・ヘイゼルは不機嫌であった。
 深いソファに身を沈め、手足をばたつかせる。
「あらら、どないしはったんですかノワはん。えろお不機嫌な顔して」
 奇妙な方言で応えたのは、丸い黒眼鏡を掛けた糸目の青年だ。
 ゆったりとした狐色の上下を羽織り、傍らには大きなリュックと丸い笠が置かれている。
 ノワが取引している旅の商人で、名前をキムリック・ウェルズという。
 家主であるバサンズの許可を得て、ノワと商談中であった。
 そのキムリックに、ノワはぶーたれる。
「ちゃんとバサンズ君には効いたー。ノワのスマイル」
 そして再び手足をばたつかせた。
「なのに、何でアイツには効かないのよー」
 そのアイツ、にキムリックは心当たりがあった。
「あー、言うてはった神官はんですな」
「そ! ムカつくの!」
 ぷんすか、とノワは頬を膨らませる。
「ノワはんの微笑みは、ほら」
 キムリックは自分のリュックを漁り、心当たりの巻物を取り出した。
 広げると、そこにはどこかノワに似た、微笑を浮かべる一人の女性が描かれていた。
「こちらの商業神イツミはんにそっくりですから、男の人と仲良うなれる効果があるんは、前にも話した通りどす。素の顔でも充分ですけど、イツミはんの絵や偶像は皆、笑顔どすからなぁ」
 以前、ノワが{墜落殿/フォーリウム}で手に入れたという触れたモノの性別を変えてしまう不思議な像、『牛と女神像』もこれに当たる。
 神に似たモノ、似せたモノには、それなりの神性が宿るのだ。
 キムリックが聞いた話では、ノワは自分の笑顔にどこか不思議な魅力がある事に、子供の頃からうすうすと感じていたという。
 彼女が微笑むと、男達は皆喜んで、自分を助けてくれるのだ。
 もっとも、それにも個人差があったり、時間を置きすぎると駄目なようだが……とにかくシルバのように、あそこまで徹底的に無力化されたのは、初めてらしい。
 となると……と、キムリックの考察は続く。
「せやから考えられるんは、より上位の存在。例えば三女神の加護とか、その辺受けとるちゅー可能性が考えられますな。前に、討伐軍におったっちゅー事は……さいですなあ。何か、どこぞの補給部隊には、生き神様がおられるとか聞いた事ありますし、その辺かもしれませんなぁ」
「むうぅ、シルバ君のくせに生意気ーっ!」
 ノワは手近にあったクッションを、天井高く放り投げた。バサンズの私物である。
 ちなみに別の考察も、キムリックにはあった。
「もしくは、実はそのシルバはんが、女の子やとか」
「え」
 何故か、ノワは固まった。
「冗談どす」
「あ、あはは……ノ、ノワ、すごくビックリしたかも」
「まあまあ、とにかくそんなケースはごく稀やないですか。吸血鬼やライカンスロープとすら仲良うなれるノワはんやねんから、もっと大局的にモノを見なあきまへん」
「その、シルバ君に、ノワの財産、ほとんど没収されたんだよう!」
 だからこそ、憎らしいのだという。
「それは大問題どすなぁ」
 同情の目を向けるキムリック。
 とはいえ、所詮は他人の金であるのだが。
 しかし、商売の取り引き上、もっとノワ達には儲けてもらわないと困るのだ。
「うん! あのお金がないと、ノワ達の目標に届かないもん」
 ……いや、もっとも現在は、キムリック側でもちょっとしたトラブルがあり、すぐに資金を用意されても困る事情があるのだが。
 それを教える義理は、彼にはなかった。
「そうですね。より強い装備を整えて第五層を突破すれば、莫大な賞金が手に入ります。しかも、これまでの僕達の行動も、免罪されますし」
 クッションを手に、いつの間にかノワの座るソファの背後には、半吸血鬼であるクロス・フェリーが控えていた。
「それもこれも、シルバ君がぶち壊しーっ!」
 ぎゃいのぎゃいのと、ノワは騒々しい。
「ほらほらノワさん、豆茶でも飲んで、落ち着いて下さい」
 にこやかなクロスに促され、牛乳を多めに注がれた豆乳茶のカップを両手で包むノワ。
 涙目で、ぬるめの豆乳茶をすする。
「うー、『龍卵』の購入資金がまた遠ざかっちゃうし……」
「さいですなぁ」
「キムさん、なんか目が泳いでない?」
 黒眼鏡を掛けているのに、どうして分かるのだろう。
 この辺が、ノワの油断ならない所だ。
「あはは、気のせいどすよ。時にこの屋敷の主はんは、今いずこへ?」
 バサンズは、キムリックにノワとの面談の許可を与えると、そのまま旅支度をしてどこかに出かけてしまったのだ。
「あ、うん。ロン君とエトビ村に偵察に行ってもらってるの」
「はぁ。パーティーに組み込むんどすか」
 確か、魔術師という話だったが、わざわざ賞金首になっているパーティーに入りたがるとは物好きな、とキムリックは思う。
 甘いものを飲み、少しずつノワの機嫌も戻ってきたようだ。
「というか、採用試験かな。ノワ達お尋ね者だしね。一緒に賞金首になる覚悟がないと駄目だし、このままだと運が良くても牢獄入りでしょ? それでもいいっていうから、ちょっとシルバ君達を、見に行ってもらってるんだよ」
「細かいところでは、日用品の買い出しも、ノワさん一人では大変でしたしね」
 ねー、とノワとクロスは頷き合った。
 しかし、とキムリックは心配になる。
「……偵察に行くと見せかけて、そのシルバはん達に売られる可能性とか、考えてまへんのですか?」
「だから、念のためロン君が一緒なんだよ」
「なるほど」
 裏切ったら、バッサリという訳か。
 もちろんキムリックの心配は、彼自身にも言える疑いではある。もっとも、商人が取引相手を売るなどあってはならない。
 少なくともまだ、ノワ達とは有効な関係を結んでいる以上、キムリックが彼女達を裏切る事はないのだ。
「まあ、心配ないとは思いますけどね……彼、ノワさんにぞっこんみたいですし」
 クロスは銀縁眼鏡を指でくい、と直しながら、皮肉っぽく笑った。
 その時、調理場の方からエプロン姿の巨漢が現れた。
「のわさま、ごはん、できました」
「わーい。ヴィクターのご飯おいしいから好きー☆」
 ノワはソファから飛び降りて、遅い昼食に食堂へと向かおうとする。
 キムリックも立ち上がり、ノワの背に声を掛けた。
「適度に運動した方がええですよ、ノワはん。スタイルが変わると、ノワはんの女神の力は落ちてまいますから」
「はいはーい」


「のどかそうな、いい所ですね」
「ああ」
 バサンズ・セントとロン・タルボルトを乗せた馬車がエトビ村に到着したのは、日も傾きオレンジ色に染まりつつある頃だった。
 フードを目深に被った魔法使いのような格好をしたロンが、バサンズに囁く。
「仕事は分かっているな」
 抑揚のないその声に、バサンズは自然、緊張してしまう。
「え、ええ。シルバさん達のパーティーの偵察、ですよね」
「そうだ。お前は以前、シルバ・ロックールと同じパーティーにいた。偶然を装って接近するのは難しくないだろう」
 ロンに、バサンズは頷き返した。
「研究疲れをリフレッシュする為に、この温泉郷にやってきた、と……そういう話にしておきます」
「そこは任せる。名前は覚えているか」
「はい。リーダーは司祭であるシルバ・ロックール。副リーダーがサムライのキキョウ・ナツメ。他に戦士で登録しているヒイロとタイラン・ハーヴェスタ。魔法使いのカナリー・ホルスティン。そして盗賊のリフ・モース。この六人です。冒険者ギルドで確認してます」
 バサンズの強みは、ノワ達のようにお尋ね者になっていないという点だ。
 冒険者ギルドにも自由に出入り出来るし、他のパーティーの事を調べるのも、難しい事ではなかった。
「道具は」
「ここに、ちゃんと」
 ロンの問いに、バサンズは自分の鞄を叩いた。中には旅支度と一緒に、絵画道具が入っている。
 ノワ達は、シルバ達のパーティーをよく知らない。
 絵心のあるバサンズは、シルバ達の実力と一緒に姿を描き写すのも仕事に含まれていた。
「よし。動け」
 軽くバサンズの背中を叩き、不意にロンの姿が消失した。
「……消えた!?」
(姿を隠しただけだ)
「……!?」
 声はすれども姿は見えず。
 隠行というスキルの一つだ。
 さすが、第四層や第五層の探索もする賞金稼ぎ達と渡り合っているだけの事はある。
 修羅場を乗り越えてきたロンの身体能力は、以前とは比べものにならないほど、高いモノになっている。
(……妙な事をしたらどうなるかは、分かっているはずだ)
「は、はい……!」
 もちろん、バサンズはノワを裏切るつもりはない。
 それでもやはり、緊張はしてしまう。


 バサンズが選んだのは、この村で比較的大きな宿で『月見荘』という。
 さて、宿に荷物を置いたらシルバさんを探さなければなりませんね、と思っていたら。
「シルバ・ロックール!! この宿帳はどういう事か、どういう事か説明しろ!」
 ロビーに、そんな大きな声が響いた。
 振り返るとそこには、学者風の巨漢に追い回されているかつての仲間、司祭・シルバ・ロックールの姿があった。
 思わず、眼鏡がずり落ちそうになるバサンズだった。
「だ、だったら、説明させて下さいよ!?」
 ロビーを横切りながら、シルバは背後に迫る壮年の巨漢に言う。
 だが相手の男は、聞く耳を持ってないようだった。
「問答無用!」
 手からどういう術か、緑色の光の柱が放たれる。
「言ってる事が無茶苦茶です! リ、リフ、迎撃しろ!」
 必死のステップで、砲撃を回避しながら、シルバは胸元に抱える白い仔猫に声を掛けた。
「にぃ」
 仔猫がシルバの肩に乗り、男の砲撃を同色の攻撃で迎撃する。
 だが、それは壮年の男を更に逆上させているようだった。
「こ、小僧、貴様ぁ……!」
 宿の受付係が身を乗り出して、シルバに言う。
「あ、シルバさん、今日も元気ですね。施設を壊さないようにして下さいよ」
「ご、ご迷惑おかけしてます……! あと、そういう話は後ろの人に……!」
 言って、シルバは宿の左手に消えていった。
 その後を、激怒する壮年の男も追っていく。
「…………」
 しばらくバサンズは呆然としていたが、ハッと我に返った。
「……身体能力は、以前より格段に上がってるな」
 やや混乱しながらも、バサンズはシルバの分析を行う。
 祝福系の術がどの程度増えたかは分からないが、シルバもまた以前とは違う。
 しっかり力を付けたようだ。
「それにしても、あの猫は一体……」
 シルバの使い魔だろうか。
 壮年の男も気になるが、アレは冒険者ではなさそうだった。
 シルバはバサンズには気付かなかったようだし、もう少し遠目に観察するべきかと迷う。
 だが、彼は首を振った。
「いや、今がチャンスか。せっかくだし、ここで接点を作っておこう……」
 再び、左手から駆け戻ってきたシルバと、大柄な壮年の男との間に、バサンズは割り込んだ。
 彼の目の前に、恐ろしいプレッシャーを放つ大男がそびえ立つ。
 正直怖いが、これもノワのパーティーに入る為だ。多少の勇気なら、無理矢理にでも絞り出せる。
「ど、どこのどなたか存じませんが、宿で騒ぐのはマナー違反ですよ?」
 声を足を震わせながら、バサンズは言った。
「何者だ、小僧」
 眼鏡を掛け、顎髭を蓄えた男だ。
 恐ろしく威厳があった。
「こ、この宿の宿泊客です。正確にはこれから、客になる予定の人間ですが」
「バサンズ?」
 後ろからシルバの声が掛かる。
 そのお陰か、巨漢の視線がバサンズからシルバに逸れた。
 正直、助かったと思うバサンズだった。
「や、やあ、お久しぶりです、シルバさん。偶然ですね」
「あ、ああ。そっちも休養?」
「ええ、まあそんな所です。そちらの方は……あれ?」
 バサンズが思い返してみると、大男は何だかどこかで見たような顔だった。
「フィリオ・モース。学習院の客員講師だ。精霊関連の授業を受け持っている。魔法使いのようだが、見ない顔だな」
 そうだ、とバサンズは思い出した。
 学習院で、一度受講した事があったのだ。
 モース霊山という有名な山と同じ名前で、珍しいなと思った記憶がある。
 おそらくフィリオというのは、その山に住む霊獣の長・剣牙虎フィリオから名付けられたのだろう。
「あ、ぼ、僕は基本的には自宅で研究してますから……学習院は、最近はちょっと休み気味で……」
「そうか。小僧、知り合いか」
 フィリオに振られ、シルバは頷いた。
「え、ええ、まあ以前のパーティーの仲間なんですけど」
「シルバ殿ー、大丈夫か?」
 声と共に、シルバの背後から、着物を着た黒髪の剣士が現れた。
 バサンズは、シルバのパーティー構成を思い出す。
 狐獣人のキキョウ・ナツメだ。
 これで二人目、順調だなとバサンズは思った。
「ああ、キキョウ。心配ない。今のところは無事だ」
「にぃ」
 白い仔猫が、シルバの頭に乗っかる。
 キキョウは厳しい視線を、フィリオに向けた。
「フィリオ殿も無茶をなさるな。シルバ殿に何かあれば、貴方であっても容赦はせぬぞ」
「面白い。我に勝つつもりか」
 フィリオはにぃ、と牙を剥く。
 知性の中に底知れない獰猛さを見出し、バサンズは身震いする。
 しかし、キキョウが怯む様子はなかった。
「勝ち目がなくても戦わねばならぬ時があるのです」
「……ふん。心配せずとも、この辺りの泉はよい水だ。多少やり過ぎるぐらいに痛めつけた所で、回復はそれほど難しくはない」
「いや、その前にやり過ぎないようにしてもらいたいのだ!」
 フィリオとキキョウがやり合う一方、シルバはポリポリと頭を掻いた。
「しかしまあ……何だ。同窓会か何かか?」
「え?」
「いや、たまたま近くの村にイスやロッシェもいるらしいんだよ」
 シルバの予想外の言葉に、バサンズは慌てた。
「な、何でですか? 何故、彼らがここに!?」
「や、向こうは向こうで、何か依頼を受けてたらしいぜ。あ、そうだ、せっかくだし呼んでみようか? バサンズも、久しぶりだろ? それに向こうは戦士二人だけみたいだし、もしバサンズがまだ、どこともパーティー組んでないんなら……」
 バサンズは慌てて首を振った。
「あ、い、いや、僕はその! 今はまだ自分の研究に専念してまして! 当分はまだ、一人でやっていきたいと思ってるんです!」
 というか、そんな提案は大きなお世話だった。
 何せバサンズが今ここにいるのは、新しいパーティーに入る為のテストでもあるのだから。
「それに、少々会い辛いですし」
 大荒れに近い雰囲気で、『プラチナ・クロス』は解散したのだ。
 これは紛れもない本音だった。
「そうかー……そういや俺、解散の原因とか深く聞いてなかったもんな」
 シルバは無神経だったかな、と少しションボリしたようだ。
「お、お気遣いなく。シルバさんはここ、長いんですか?」
「そういえば、結構長く逗留してるなぁ……まあ、ちょっと色々面倒ごとが増えたけど、そろそろ、街に戻るつもりだよ。墜落殿探索も再開しないとな」
「そ、そうですか……」
 これはノワさんに知らせないといけないな、とバサンズは記憶に留めた。
 そんな事はつゆ知らず、シルバは軽く笑っていた。
「ここは色んな温泉が多くていいぞ。まあ、ゆっくりしていくといいや。別に俺のモノじゃないけどな」
「あ、あはは……」


 一方、宿の梁に潜んでいたロンはそれどころではなかった。
「……あの男、出来る!」
 フィリオ・モースという男がキキョウとやり合いながら、不意にこちらに目を合わせてきたのだ。
 ロンの中にある獣の血が、圧倒的上位の存在を本能的に感じ、全身からダラダラと冷や汗が溢れ出す。
 だが、フィリオはニヤリと笑うとすぐに目を逸らし、キキョウとのやりとりに戻った。どういうつもりか、お尋ね者である自分にも興味がないらしく、放置してくれるらしい。
 正直助かったと思い、ロンは胸を撫で下ろした。
 それにしたも何者だ、あの男。


 妙に身体が暖かい。
「ここは……」
 バサンズは目を覚ました。
 ズキズキする頭を振り、目を開くとそこにはバスタオル一枚を身体に巻いた、長身の美女がいた。
「気がつきました?」
「うわっ……!?」
 足が滑り、バサンズは再び後頭部を頭にぶつけた。
「~~~~~!?」
 自分が気絶した原因はこれか、と納得した。
 しかし、まだどういう状況か分からない。
「あらあら、大丈夫? 岩場なんだから気をつけないと、駄目ですよ?」
 そういう女性は栗色の髪の間から、二本の角が出ている。
 鬼族の女性だ。
 周囲は岩だらけ、というか洞窟で、比較的広いホールのようになっている。
 そして足下は湯。
 湯気の向こうには、他にも何人か人がいるようだ。シルエットからしてみんな女性。
 だが、眼鏡がないのが不幸なのか幸いなのか、皆の姿はバサンズには、ぼんやりとしか分からなかった。
「こ、こ、ここは一体……」
「洞窟温泉よ。憶えてない?」
「あ……」
 その単語で思い出した。
 荷物を部屋に置き、シルバの他の仲間を調べる為、彼の後を尾行したのだ。
 そうしたら、そのままこの温泉に入ってしまったので、バサンズも追った。
 だがいつの間にかはぐれ、気がついたらこの広間に辿り着いたのだ。
 裸の女性ばかりで驚いた拍子に足を滑らせ、さっきのように頭をぶつけて、気絶した……。
「うあ……」
 記憶が甦ると同時に、バサンズの鼻から血が流れた。
 慌てて鼻の下を押さえる。
 鬼の女性は特に非難もせず、バサンズの首筋をトントンと叩いた。
「あらあら。上向いて、鼻を押さえといて」
「は、はぁ……すみません」
 優しい人だなと思う、バサンズだった。
 亜人種なんて、あのクロスのように得体が知れない連中ばかりだと思っていたが、少し価値観が変わりそうだ。
「この時間は、女の子が多いから気をつけた方がいいですよ。でないと、うっかり足を滑らせて気絶して、そのまま溺れ死にそうになりますから」
「す、すみません……」
 まさしくそうなりかけたバサンズは、ひたすら恐縮するしかない。
 そして当面の目的を思い出した。
「でも、ここにシルバさんも入っていきましたよね? ……ご存じですか?」
「ああ、はい、存じてますよ。恩人ですから。それに女の子が多いと言っても、男がゼロって訳じゃないですしね。ギルドマスターもさっき、お見かけしましたし」
「ギ……」
 サラッと大物の名前が出て、バサンズは仰天した。
「あら、そんなに不思議? 今、この村に滞在しているのは、知っているでしょう?」
「そ、そうですけど……」
 基本的に小市民なバサンズである。
 都市を治める最高権力者、なんてもしも出会ったらどう接していいか分からない。
 混乱するバサンズに、鬼の女性は微笑んだ。
「どうものぼせちゃってるみたいですね。これは、外に出た方がいいかしら」
 言うと、ひょいとバサンズの身体を肩に担ぎ上げた。
「うわっ……」
 そのまま湯船の中をザブザブと渡り始める。
「はいはい、失礼しますねー」
 にこやかに言う彼女と、担がれる細身の成年に、女性達はかしましい笑い声を上げる。
「や、あ、あの一人で歩けますから!」
 真っ赤になりながらバサンズは足をばたつかせた。
 しかし、鬼の膂力は尋常ではない。一向に腕がほどける様子はなかった。
「気にしない気にしない」
「僕が気にするんですよ!」
「役得だと思って」
「どちらかといえば、屈辱ですよ!?」


 ……洞窟か出た時にはもう、バサンズはグッタリしていた。
 スオウと名乗る鬼の女性は、洞窟脇にある売店で、茶色い液体の入った瓶を二本購入した。
「やー、風呂上がりにはやっぱり豆茶牛乳ですねー。はい、バサンズ君の分」
「ど、どうも」
 スオウは腰に手を当てると、そのまま一気に豆茶牛乳を飲み干した。
 そして、チビチビと同じモノを飲むバサンズを見下ろした。
「これから、夜のトレーニングだけど装備は持ってきてます?」
 危うく、瓶を落っことしそうになったバサンズだった。
「ちょっと待って下さい!? 付き合うの確定ですか!?」
「裸を見せ合った仲じゃないですか」
「誤解が生じる言い方です。僕は見せたくて見せた訳じゃないですし」
 それに今のように眼鏡をつけていた訳でもないので、ハッキリとも見れなかったし。
「まあ、ほら君あれでしょ。どう見ても戦士の身体つきじゃないし、魔法使いですよね?」
「はぁ、まあそうですけど……」
「うん、最近戦士系の人ばかり相手してたから、ちょうどいいですね。カナリーさんは忙しいみたいですし」
「はぁ……」
 何だか、自分の話を聞かず、ものすごい勢いで自分のペースに巻き込もうとしてないかこの人……。
 と思ったが、ふとバサンズは気がついた。
 最近戦士系の人ばかり相手してたから……という事は。
「もしかして、他にもトレーニングする人、いるんですか?」
「あら、二人きりの方がよかったですか」
「誰もそんな事は言ってません!」


 バサンズが連れてこられたのは、森に少し入ったところにあった広場だった。
 おそらく山妖精が造ったのだろう、何本もの岩灯籠が明かりを放ち、何だか祭の舞台のような雰囲気を保っていた。
 そして広場では、十数人の冒険者が剣を振るい、魔法のトレーニングに勤しんでいた。その大半が女性だ。
「こんな時間なのに、ずいぶんいるんですね……」
「こんな時間だから、多いんですけどね。みんな、夜型だから」
「…………」
 理由はバサンズも知っている。
 彼女達はクロス・フェリーによって吸血鬼にされており、その治療の為にこの郷に滞在しているのだ。
 彼女達の治療の為、現在、冒険者ギルドやクロス・フェリーの本家に当たるホルスティン家など、多くの人がこの郷を訪れている。
 その事に思いをはせているバサンズ目がけて、巨大な甲冑が『飛んで』きた。
「ひあぁっ!?」
「うわぁっ!?」
「おっと、危ないですよ、タイランさん」
 尻餅をついたバサンズの頭上で、スオウがその甲冑を片手で受け止めていた。
 全身甲冑で相当な重量があるはずのそれを、特に苦にする様子もなく、スオウは地面に下ろした。
「す、すみません……」
 恐縮するタイランのすぐ背後から、新たにもう一人小さい人物が飛んできた。
「わあぁっ!?」
「はい、ヒイロも気をつけて」
 こっちははたき落とすスオウだった。
 ヒイロと呼ばれた少年は、特に痛みを訴える様子もなく、すっくと立ち上がった。
 直後、背後から凛とした怒声が響き渡った。
「二人とも、ボサッとしないで早く戻ってくる!」
「「は、はい」」
 直立不動したタイランとヒイロは、駆け足で着物姿の青年の元に戻り、まるで魔法のように再び投げ飛ばされた。
「相変わらず、キキョウさんはすごいですね」
 うん、とスオウは頷いた。
 眼鏡を直しながら、バサンズは立ち上がった。
 タイランとヒイロ。名前は、ノワから聞いている。
 あの二人も、シルバの仲間だ。
 二人の姿を脳裏に焼き付け……何となく、隣の女性に後ろめたい気持ちを覚えるバサンズだった。
 中央にいるキキョウと舞うような組み手を行っているのは、タイラン達だけではない。
 赤と青のドレスの女性達も、手刀と蹴りを駆使してキキョウを襲う。
「あの二人は?」
「ヴァーミィさんとセルシアさんですか? カナリーさんの使い魔ですね。彼女達の体術もなかなか侮れません。それはともかく、こちらも稽古を始めましょう」
 スオウの武器は、巨大な骨剣だ。
 彼女はそれを担ぐと、バサンズから10メルトほど距離を取った。
「と言われても何をすれば言いのか……」
「何でもいいから魔法を撃ってください。私の方は基本受け、もしくは回避します。魔力ポーションは結構用意してあるので、遠慮なくどうぞ」
 指差した先には灯籠があり、その脇に棚が用意されていた。
 そこには数十本の瓶が用意されていた。
 回復ポーションに、魔力ポーションだ。
「な、なんでこんなに大量に……」
 金額に換算すると、かなりの額になる。
「戦線復帰希望の娘は結構多いんですよ。ギルドのバックアップで、頂きました。さ、どうぞ」
「は、はい」
 とはいえ、勝手の分からないバサンズだ。
 とりあえず、加減して風系の魔法、{疾風/フザン}を唱え、杖を空にかざす。
 魔力の風が周囲に渦を巻き――それが、スオウの唸りを上げる骨剣の一振りで掻き消された。
「…………」
 バサンズの髪やローブも大きく、剣風に煽られた。
 呆気にとられるバサンズに、さして力を振るった風もなく、スオウは再び骨剣を肩に担いだ。
「最初から、全力でお願いしますね?」
「……はい」
 全力でやらないと、僕の方が死ぬ、とバサンズは思った。


 たとえ魔力ポーションがあると言っても、休憩するまでに使える魔法は有限だ。
 頭の中で、自分の使える魔法をまとめ、魔力の消費量や威力を計算して、最も効率のいい敵の倒し方を構築していく。
「なかなか、やりますね!」
 複数の風の矢を骨剣の腹で器用に受け止め、スオウは逆に衝撃波を放った。
「こう見えても、それなりの階層には進んでましたから!」
 それをバサンズの用意した大気の渦が絡め取る。
 次の瞬間、衝撃波は数倍の威力になって、スオウに返ってきた。
「バサンズさんは、探索には戻らないんですか!?」
 骨剣でそれを叩き潰しながら、スオウは尋ねてくる。
「う……」
 バサンズは一瞬答えに詰まった。
 頭の中で組み立てていた魔法の用意も、吹っ飛んでしまう。
 正に、その為に自分はここにいる事を、不意に思い出してしまったのだ。
「どうしました?」
「い、いえ、その……何でもありません」
「そうですか。私のパーティーは、もう新しいメンバーを補充してしまい、私も別のパーティーを組むか、自分で設立するしか無いんですよね。バサンズさん、空いていません?」
「え?」
 スオウの勧誘に、バサンズはポカンとした。
 冒険者としての誘いだというのは分かっている。
 が、女性から必要とされた経験など、ノワを除くとまず皆無なバサンズだった。
「まあ、魔術師以外にも、聖職者の方や盗賊も必要ですけど」
「あ、や、そ、その……」
 自分の中が想像以上に混乱しているのを自覚しながら、かろうじてバサンズは声を振り絞った。
「……考えさせてください」


 宿に戻ったのは夜も遅くだった。
 魔力はポーションで回復している。
 だが、それを抜きにしても、充実したトレーニングだった。
「……疲れた」
 そのままベッドに横たわるバサンズ。
 短時間でこれほど魔法を唱えた経験など、皆無だった。
 しかし、天井からは非情な声が響く。
「寝るなら、仕事を終わらせてからにしろ」
「……ええ」
 ロンの言葉に現実に戻ったバサンズは、荷物の中から画材を取りだした。
 木炭で、今日出会ったシルバの仲間達を描いていく。その過程で気がついた動きの特徴や、武器も描き加える。
 さすが絵で食べているだけあって、上手いモノだった。


 一方ロンは天井の梁で身体を休めながら、さっきまでバサンズが付き合っていた夜のトレーニングを思い返していた。
「……血が滾りそうになるな、まったく」
 特にキキョウの気合いとスオウの烈気に当てられ、参戦したくなる欲望を抑えこむのに苦労したロンであった。
 ……夜更けには、バサンズには出来ない仕事が待っている。
 バサンズが眠るまで、しばらく休憩だ。


 深夜の森を駆け抜け、ロンは開けた場所に出た。
 その先にあるのは、小綺麗な村落だ。
 村の名前はマルテンス村といい、以前ロン達が訪れた時には、もっとずっと寂れていた。
 いや、正直、単なる廃村だったはずだ。
 だがこの村は今や、吸血鬼化した女冒険者達の療養地として、冒険者ギルドと吸血貴族であるホルスティン家が協力して再興しようとしている最中にあるらしい。
 そしてその資金の出所は、ノワ達の隠していた財産だという。
 ……やはり、クロスの推測は間違っていたのか?
 だが、それにしてはいくら何でも、短期間で家が建ちすぎていやしないか?
 不安と疑問を感じながら、ロンは気配を消しながら暗闇を選んで村に駆け近付く。
 そして、建物の裏に回ると、彼の仲間の考えがやはり間違っていなかった事を確信した。


 村の裏側には、何もなかった。
 正確には、廃村の建物の正面に大きな板を貼り付けた、いわゆる『ハリボテ』なのだ。
 ロンは無表情のまま、一人頷いた。
 これで任務の一つは終了した。
 残るは自分達の財産の無事の確認だが、これが難しい。
 一応、クロスからは『隠形の皮膜』を借りては来てはいるモノの、果たして侵入が可能かどうか。
 だが、やるしかない……と思っていると、こんな夜遅くにもかかわらず、誰かが歩いてきた。
 相手は四人。
 その程度の人数なら、ライカンスロープ(獣化病)の罹患者であるロンなら何とかなる。
 普段なら難しいかも知れないが、今は月が出ている。
 ライカンスロープは、月夜の晩に力が増すからだ。
 ……脅して情報を聞き出すか、と迷うロンだったが、首を振り夜空を見上げた。
 煌めく星と、大きな月。
 ライカンスロープに与えられる月の効果は何も、利点だけではない。
 興奮しやすくもなるのだ。
 ……どうやら、自分の血の気が多くなっているらしい。
 まずいな、と思い頭を冷やす。
 今回の仕事は、絶対に自分の存在を知られてはならない。あの、フィリオとかいう学者風の壮年には驚かされたが、それ以外は完璧だったと自分では思う。
 確かに、この村の住人から今情報を聞くのは容易いが、この村を再訪する事になった場合、間違いなくやりづらくなる。
 気配を絶ち、耳を澄ませる。
 月の輝きは、血の気だけではない。
 ライカンスロープとしての感度も高まり、通り掛かる四人の会話も鋭い聴覚は的確に捉えていた。


「ネリー、状況はどうだい」
「はい、万事滞りなく進んでおります。幸い彼女達の活動時間も、我々と同じく夜となってますから、隠蔽工作には打ってつけですし」
「うん、ならいいんだ」

 会話しながら歩いているのは、金髪の麗人と銀髪の美青年だ。
 ロンは、自分の判断に静かに安堵した。
 長い金髪の方は、吸血貴族ホルスティン家の後継者、カナリー・ホルスティン。
 付き従う銀髪は、ホルスティン家の血族……宿で調べた名前は、確かネリー・ハイランドといったか。
 話しているのは主にこの二人。後ろに控えている赤と青のドレスの美女達は、カナリーの従者だという話だし、無視してもいいだろう。
 月夜の夜の吸血鬼二人に、その従者二名。
 さすがに、襲うには相手が悪すぎる。
 ノンビリと歩くカナリー達から離れないように、ハリボテの建物に隠れてロンは並走する。


「今日の鑑定は?」
「はい。七列目の三段からとなります」
「……ようやく終わりが見えてきたね」
「はい」
 カナリーは深く溜め息をついた。
 ノワ達の溜めていた財産は相当あり、その中でも魔法アイテムはかなり多かった。
 冒険者ギルドの方でも、鑑定士は連れられてきたが、さすがに都市内のように多くの専門家を呼ぶ事は出来ず、先に調査をしていたカナリーは引き続き、鑑定の手伝いをしていたのだ。
 うーん、と両腕を大きく上げて、伸びをする。
「お陰でやっと、探索に戻れるよ。こっちの都合で足止めを食らわせて、シルバには申し訳ないと思っていたんだ」
「申し訳ございません。しかしカナリー様は、ホルスティン家の当主名代としてこの場において必要な方です。どうか今しばらくは……」
 深く頭を下げるネリーに、カナリーはパタパタと手を振った。
 この部下は誠実なのはいいが万事がこの調子なので、時々、うんざりさせられるのだ。
「いいよ。君はやるべき事をやっている。ただ、こっちの仕事をさっさと終わらせたいだけさ。第三層にあった隠し部屋にも、まだ興味があるし」
「しかし、カナリー様もずいぶんと変わられた」
「何が」
「以前屋敷にいた頃には、土臭い探索など冗談じゃないなどとおっしゃられていた記憶がございます」
 ヒクッとカナリーの頬が引きつった。
 うん、確かに言った覚えがある。その時は間違いなく本音だったし、今でも若干、その思いがないでもない。
 が。
「あ、あー……いや、うん、遺跡探索で興った都市でもあるし、歴史を実践で学ぶ貴重なチャンスだった訳で。それにシルバ達と組む前だって、いくつかの仕事はこなしてたよ?」
 誤魔化すカナリーに、いつの間にかネリーは何やら巻物を広げていた。
「主に街中での仕事のようですね。遺跡内や洞窟と言った類はほとんど……」
「ちょっ、何で僕のミッションログを君が持っているんだ!?」
「ギルドマスターから、お預かりいたしました」
 平然というネリー。
 元は魔法使い兼マッパー(地図作製者)だったというギルドマスターの使う古代魔法は非常に単純で、それはつまり自分の記憶にあるモノを、紙とインクさえあれば即座に転写出来るというモノである。
 その記憶力も相当で、ギルドに登録している冒険者の記録など、その転写は赤子の手を捻るようなモノなのだろう。
 ……ネリーの回想は続く。
「ああ、それと確かアーミゼストの学習院を選ばれたのも、単に帝国大学を嫌がっただけだったような」
「見張られてるみたいで嫌なんだよ! とにかくそれは返せ」
 カナリーは、白い手を突き出した。
 しかしネリーは、巻物をクルクルと巻き上げると、それを懐にしまってしまった。
「当主様の命により、これは死守させて頂きます。本家でも、カナリー様の安否はずいぶんと心配の種になっております故」
「……嘘つけ。あの放蕩親父が」
「例え女好きで博打好きで酒好きな当主様でも、カナリー様の事は案じておりますよ」
 どうだか、とカナリーは吐き捨てた。
 それからふと、仲間の父親が頭に浮かんだ。
「ま、リフんとこよりはマシだけどさ……」
「……ああ、あれは確かにすごいですね」
 うん、と頷き合う二人だった。その後ろで、赤と青の従者まで深く頷いていた。
 カナリーは、足を止めるとすぐ近くの家屋に近付いた。


 気付かれたか……?
 カナリーとの距離は、ハリボテを挟んで半メルトしかない。
 ロンは、手の先に気を集中させ、爪を伸ばしていく。
 最悪、ここで連中との戦闘となるが……。


 うん、とカナリーはハリボテに手をやって、その家を見上げた。
 こうして近付いてみると明らかだが、ちょっと遠目にはずいぶんと綺麗な村になったように見えるだろう。
「突貫作業にしては、悪くないね」
「被害者の中にいた草妖精の娘の図面が見事でして。それに皆、冒険者だけあって力仕事は得意と見えます」
「せっかく造ったのに、壊されるのは惜しいね」
「とはいえ元々、それを想定してのモノですからね。最低限の居住は確保されてはいるモノの、本格的に吸血鬼化の療養場所となるには、今回の問題が完全に片付けないと……という事でしたよね?」


 ロンは緊張した。
 今回の問題――間違いなくクロスの、ひいてはノワ達一向の問題だ。
 ここは重要な事だ。
 聞き逃してはならない。


「うん。ヴィクターっていう人造人間が最大のネックでねえ……」
 言って、カナリーは再び歩き出した。
 目的地まであともう少しだ。
「確か長時間の使用には耐えきれず、爆発の恐れがあるという?」
 ネリーの問いに、カナリーは頷く。
「そ。この離れた村なら万が一爆発しても、被害はそれほど大きくならない。迷宮内だと厄介だからね。他にいけそうな頑丈な場所なんて、第三層の隠し部屋兼実験施設、ヴィクターの発見された辺りぐらいしかない。ノワ達の財産はまだここの炭坑跡に保管されているから、餌はバッチリだ。時間が経てば経つほど、この村の再興資金として消費される訳だし、ノワ達としては焦る。何とかして取り返そうとする」
 この辺りの話は、シルバの考えでもある。
「実際は、まだ全然使われてませんが、と」
 ノワ達の被害にあった冒険者への補填はまた別問題だとしても、この村の再興という意味ではノワの財産はほぼ、手つかずだ。
 立派な建物を造ったとしても、もしヴィクターが爆発したら費やした金は無駄になってしまう。
 だから今は温存しているのだ。
「そ。もっともギルド派遣の警備態勢は厳重だし、既にノワ達の事を嗅ぎつけている賞金稼ぎも、エトビ村の方に泊まり始めてるのが見かけられる。まともにやっても手は出せないだろう。おまけにギルドマスター直々の封印術だ。言っちゃ何だけど、そこいらの冒険者じゃ手は出せないよ。炭坑跡に入れる人間も今じゃ限られているしね」
「はい」
 現状、炭坑跡に出入りが出来る鍵を持っているのは、ギルドマスター、ゴドー聖教の司教、ホルスティン家の当主の三名となっている。
 ネリーも出入りする時は、今回のようにカナリーに随行するか、他二人の許可を得るかしかない。
「本当なら、都市の方に持って帰って大金庫にでも入れておくのが一番なんだけどね」
「それは仕方ありません。魔法アイテム関係はまだ多く、その辺は迂闊に手出しが出来ませんから」
「……うん、つい先日、それでちょっと愉快な目に遭ったしね。僕じゃないけど。っていうかこの鍵、僕が持ったままでいいのかな」
 自分が留守の間は、使者であるネリーに預けるのも筋かなとは思うのだが……。
 もっともそうすると、今後の計画にも支障が出て来るので、実際は預ける事は出来ない。
 分かってはいたが、ネリーは首を振った。
「当然です。カナリー様はホルスティン家の名代なのですから」
「探索に戻ったら、必要なくなるんだけどなぁ」
「責任者の務めというモノでございます」
「はいはい」


 ノワ達の財産は無事。
 だが、出入りは厳重な上、冒険者達の待ち伏せがある可能性も高い。
 ……そしてこれが一番重要な事だが、クロスの見立て通り、シルバのパーティーにはギルドのセキュリティも一部甘い部分がある。
 ならばやはり、この村への直接襲撃ではなく、第二の計画となる。
 おそらくこれすらも罠の可能性があるが、そこを考えるのは、参謀であるクロスの務めだ。自分はただ、調べ聞いた事を、ノワ達に報告するだけだ。
 ロンは気配も音もなく、その場を立ち去った。


「やれやれ」
 カナリーは金髪を掻き上げ、来た道を振り返った。
「上手く、仕事が片付けばいいんだけどね」


 バサンズ邸地下。
 ノワが唯一入らないよう、バサンズから頭を下げられた場所は、扉の鍵がハリガネで開けられていた。
 元々は貯蔵庫だったらしいそこは、小さなアトリエに改造されていた。
 薄暗い部屋には、何十枚もの絵画。棚に、画材が積まれている。
「こ、これは……」
 座り込み、額縁に入れられているそれを見て、ノワは青ざめた。
 いつも笑ったような顔のクロス・フェリーも珍しく、厳しい表情で部屋を眺め回していた。
「……ノワさん、ここはまずい。すぐに脱出しましょう」
「う、うん……」
 ノワは、フラフラと立ち上がった。
 クロスは、バサンズへの言伝をメモしながら、天井に視線をやった。
「そろそろ、ロン君とバサンズさんが戻ってくる時間です。バサンズさんの報告は、ここ以外の場所で。護身用の武器もお忘れなく」
「わ、分かった」
 ノワは、コクコクと頷くばかりだ。
 一人で大丈夫かとクロスは少し心配になったが、いざという時のノワの胆力は相当に強い。信じる事にした。
「では、ご武運を。行きましょう、ヴィクター。キムリックさんはどうしますか」
 クロスは興味深そうに絵を眺めているキムリックに視線をやった。
 黒眼鏡の青年は、クロスを見ずヒラヒラと手を振った。
「あ、おかまいなく。ウチはウチで何とかしますよって」
「分かりました。戸締まりはよろしくお願いします」
 鍵を開けた青年に言い、クロスはノワと共に地下室を出た。


 二時間後。
 アーミゼスト大通りに面した、とある喫茶店のオープンテラスで一組の冒険者が向かいあっていた。
 昼下がりの通りは、市民であふれかえっている。
 学者風の魔術師、バサンズは周囲を落ちつかなげに見渡した。ついさきほど、温泉村から戻ってきたばかりだ。
「あの、ノワさん、大丈夫なんでしょうか? こんな人目の多い場所で……」
 一方、ノワは男装の新米冒険者風に変装している。
 バサンズに比べて、落ち着いたモノだ。
「大丈夫大丈夫。むしろ、これだけ人が多いと、人一人に気を配る方が難しいって」
「はぁ」
「……というか、バサンズ君の家の周囲にも、何人か偵察がいてね」
「……っ!?」
 ノワの言葉に、バサンズは目を剥いた。
「あ、バサンズ君が裏切ったとはノワ思ってないよ。ノワとバサンズ君、同じパーティーだったじゃない。そういう意味だとマークはされて当然だもん」
「そ、そうですね。あ、これ描いてきました」
 バサンズが鞄から取り出した巻かれた紙を、ノワは受け取った。
 広げると、重ねられた六枚の用紙に一人ずつ、冒険者の姿が描かれていた。
 シルバ・ロックールのパーティーのメンバーだ。
 仔猫を頭に乗せたシルバ。
 訓練中のキキョウ、同じくタイランとヒイロ。
 朝食の席だろうか、優雅に香茶を飲んでいるカナリー。
 フィッシュサンドをもしゃもしゃ食べているリフ。
「さすがバサンズ君。大したモノだね」
「あ、あはは……数少ない取り柄ですから」
 ノワの微笑みに、バサンズはすぐに真っ赤になってしまう。
 一方ノワは、絵に再び視線を落とした。
「ああ、やっぱりこの子だったんだ」
 朝食を食べている盗賊の絵に、頷く。
「え?」
「リフ君。ノワ達、一度会った事があるんだよ。可愛い子だったから憶えてるの」
 そう、以前墜落殿の第一層で、行商人の手伝いをしていた子だ。
 印象深い容姿だから、ノワも記憶していたのだ。
「はぁ。お、男の子、ですよね?」
「……そのはずだけどね。あ、こっちの子もかわいー」
 ノワが次に手を止めたのは、シルバの絵だった。
「はい?」
 正確には、ノワが興味を持ったのはシルバではない。その頭上に乗る白い仔猫だ。
「シルバ君と一緒に描かれてる猫ちゃん! すごく可愛い! この子欲しい!」
「ノ、ノワさん、あまり大きな声はちょっと」
 周囲の客が注目する。
 そう言いたげなバサンズに、ノワは我に返った。
 だが、もうノワはすっかり、仔猫に夢中だ。
「とと、そうだった……むー、いいなぁ欲しいなぁ」
「あの……」
 何か言いたげなバサンズに、ノワは本来の目的をようやく思い出した。
 ここからはちょっと慎重にならなければならない。
「あ、そうだった。バサンズ君の採用ね」
「はい」
 軽い笑みを浮かべたまま、ノワは眉を八の字に下げた。
「ごめん、ちょっと無理」
「え……」
「だってほら」
 ノワは、喫茶店の壁に貼られているお尋ね者の張り紙を指差した。
 そこには、ノワ達の似顔絵が貼られていた。
 クロスやロンは最低限の特徴は捉えているモノのそれほど似ていなかったが、ノワの絵は実によく出来ていた。
 ちなみに張り紙の大量印刷はシトラン共和国からの印刷機によるモノで、都市中に張られている。
「賞金首の似顔絵の絵って、バサンズ君、見覚えない?」
「あ……えぇっ!?」
 眼鏡を直しながら凝視し、バサンズは腰を浮かせかけた。
「うん、バサンズ君の絵だよね、あれ」
「そ、そうですけど、どうしてこんな所に!? いや、僕はそんなつもりで売った事なんて……」
 慌てるバサンズに嘘はない、とノワは思った。
 しかしそれとこれとは別だ。
「うん、多分、バサンズ君から絵を買った人がノワだって気付いて、冒険者ギルドに転売したんじゃないかなーって思うんだけどね。ただそれでも、同じ事に気付いたクロス君とヴィクターが疑問を抱いてるの」
 ノワの言葉に、ガックリとバサンズは項垂れる。
「……そ、そうですか」
 ノワは両手を合わせて、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ノワもバサンズ君は無実だって言ったんだけど、やっぱり駄目だって言われちゃって……だから、ごめんねバサンズ君」
「そ、そういう事なら……分かりました。本当に残念ですけど、諦めます」
「それに、やっぱりバサンズ君は巻き込めないよ。わざわざノワ達と一緒に、裏の世界に回る事ないって。ね?」
 ふわっと笑ってみせると、バサンズは顔を真っ赤にして頭を下げた。
「はい。でも、何かあったら言って下さい。力になれる事があったら、お手伝いしますから」
 ノワはバサンズとほぼ同時に席を立った。
「うん、ありがと。バサンズ君も元気でね」
「はい」


 バサンズが去ったあとも、ノワはその場を去らなかった。
「ノワはんも、悪どすなぁ」
 後ろからの声に、振り返る。
 そこでは、キムリック・ウェルズがチョコレートパフェをつついていた。
「むぅ? キム君人聞きが悪いよ。巻き込みたくないのは本音だもん」
「さいかもしれまへんけど、似顔絵の件なんかほとんど因縁やあれへんですか。クロスはんはまだ分かりますけど、ヴィクターはんが疑問抱くとかあらしまへんよ。後ろで笑い堪えるんで、必死でしたわ」
「話に説得力を持たせる為に、ちょろっと誇張しただけだよ。さすがにちょっとバサンズ君はねー」
 言いながらノワはキムリックの席に回り込み、向い側に座った。
「ま、さいですな。正体知ってまうとしゃあないどすか」
「うん」
 地下室のアレを見てしまうと、さすがにノワとしてもこれまでと同じように、バサンズと接し続ける自信がなかった。
「それにしても、よう出来てますなぁこの似顔絵」
 いつの間にか、キムリックはバサンズの描いた六枚の似顔絵をテーブルに広げていた。
 さすが商人、手が早い。
「ねー。それも美少年美青年ばっかりでうらやましー。シルバ君は大した事ないけど」
「さいどすなぁ。キキョウ・ナツメはんに、カナリー・ホルスティンはんどすか。冒険者ギルドの中でも、ビジュアル面でかなり有名なお二人どす」
「だよねー。これだけ格好いいもんねー。この二人も欲しいなぁ……」
「お」
 キムリックが、一枚の絵に動きをとめる。
「どしたの、キムさん」
「や、この仔猫はん……」
 キムリックが指差したのは、シルバの似顔絵だった。
 正確にはその頭上にいる仔猫である。
「可愛いよね! キムさん、動物の餌とか安く仕入れてたりしない?」
「安いのはあらしまへんけど……」
 にやり、と黒眼鏡の商人は笑みを浮かべた。
「少々お高くなる、ええ餌を取り扱ってますよ?」
「えー、高いのー?」
 ぶーたれるノワに、キムリックは声を潜めた。
「ここだけの話になりますがね、ノワはん。この子、霊獣どす」
「れーじゅー?」
 真面目な顔で、キムリックは頷く。
「はいな。高位の精霊に近い獣でして、この剣牙虎の種はモース霊山産どす」
「高いの?」
「ものごっつ高値どす。以前買われはった錬金術師はんとは、ええ勉強させて頂きました」
「むむぅ……」
 ノワは悩む。
 ますます欲しくなってきた。
「それより何よりどすな。例の『龍卵』の件、ありまっしゃろ?」
「うん。ちゃんと用意しといてよ?」
 突然話が変わった事に、ノワはちょっと驚いた。
「いやいや、ええ、それはもちろんですが、例のブツに必要なんは『質のええ魂』どすえ?」
「あっ」
 ノワも気がついたのが分かったらしく、キムリックは眼鏡をくいと直した。
「さいです。この子で代用出来ます。三人分の召喚には充分のはずですわ」
「む、うー、可愛いのになー」
 今度は別の意味で悩み始めるノワだった。
 彼女の前に、キムリックは袖から出した、小さな袋を出した。
 紐を解くと、中から小さな植物の実が三粒転がり出た。
「こちら、マタツアという商品となります。これを使えばこの種の霊獣には覿面どす。効果の方は以前、四匹ほどまとめて成果を上げた折紙付ですわ」
「でも、高いんでしょー?」
「はいな。それにこちらもご用意さして頂いております」
 さらにキムリックが自分のリュックから出したのは、一枚のカードだった。
 王冠を被り、玉座に座った女性の絵が描かれている。
「むむー」
「商品としては、お二つ合わせても『龍卵』よりはお安うなっとります。ノワはんの手持ちの資金なら、まあギリギリ言う所でしょうか。まあ、お返事はすぐにとは言いまへんよ。じっくり、お仲間とも相談して下さいな」
 にっこりと笑うキムリックだった。


 ほぼ同時刻。
 以前使っていた貧民窟の廃屋で、クロス・フェリーはロン・タルボルトから、エトビ村での偵察の報告を受けていた。
「なるほど、お疲れ様でした」
「寝ていいか」
 さして眠くもなさそうに、ロンが尋ねる。
「はい。報告はお任せ下さい。あ、でもそのバサンズさんとスオウさんの件は伏せさせて頂きますね。ご了承下さい」
 ボロっちいベッドに向かおうとしたロンは、足を止めた。
「何故だ」
「……ロン君はご存じないですが、ノワさんも僕も彼を仲間に入れるのは、反対なんですよ。彼はヤバイ」
「根拠は」
「彼の家の地下室に少々。とにかくですね、この件を話すとノワさんがまた、悪い癖をもたげてしまいます。ややこしい事になるのは目に見えていますよ」
 だからそこの部分は省略する事に、クロスは決めた。
 これはノワの為でもある。
 一時の迷いで不確定要素を入れると、あとで後悔する羽目になるからだ。
「なるほど。分かった、そこはお前に任せる。俺は強い奴と戦えるなら、それでいい」
 今度こそ眠ろうと、ロンはベッドに身体を横たえた。
「ありがとうございます。何だか楽しそうですね」
 目を瞑ったまま、ロンはクロスを指差した。
「キキョウ・ナツメ。アレは俺の獲物だ。手を出すな」
「了解しました」


「はぁ……」
 溜め息をつきながら、バサンズは自分の屋敷に戻った。
 ノワのパーティーに入れなかったのは残念だ。
 だからこそ、溜め息が出る。
 しかし、思ったよりもダメージが少ない事に、バサンズは安堵と共に自分に違和感を覚えていた。
 何故だろうと考えながら荷物を下ろしていると、屋敷の呼び鈴が鳴った。
「……!?」
 この家には手伝いの人間などいない。
 バサンズは自分で、訪問者を出迎えた。
 覗き窓から見えたのは、黒眼鏡の商人だった。
「バサンズはん、いらっしゃいますか?」
「あ、は、はい。貴方は確かノワさんと一緒にいた……」
「はいな。キムリック・ウェルズ。流れの商人をさせてもらっとります」
「はあ」
 とりあえず、バサンズは扉を開き、キムリックを中に入れた。
 そのまま玄関で話を続ける。
「何でも聞いた話によると、このノワはんの似顔絵、バサンズはんが描きはったらしいどすな」
「え、ええ」
「やあ、ウチえらい感銘受けてまいまして。実に素晴らしい絵どす。よければ、ウチにも一枚譲って頂けまへんかな思いまして。つまり、商いの話に来たんどす」
「そ、そういう事ですか。でしたら、何枚か持ってきますんで、しばらく応接間の方でお待ち頂けますか?」
「はいな。勝手は分かっとりますんで、お気遣いなく」
 頭を下げながら、キムリックは応接間に向かう。
 それを見送り、バサンズは地下に向かった。


 地下室の鍵を開け、魔法で明かりを灯す。
 地下のアトリエには、何十枚もの絵画があるが、そのテーマはすべて同じだった。
 プラチナ・クロスを解散してからこれまで、絵と言えば彼女しか描いていない。
 部屋の絵はすべて、ノワ・ヘイゼルの肖像画だった。
 様々な角度から描かれたノワの絵はどれも精巧で、一種の執念すら感じられる。
 ただ、とバサンズは思った。
 何となく、これまでのような絵を描く事は難しいような気がする。いや、もう描けないだろう。
 正直、ノワにはいまだに未練がある。
 しかし、執着がなくなりつつあるのだ。
 しばらく落ち着いたら、またエトビ村に向かおうと思う。
 鬼の戦士スオウに限らず、女性というモノをもっと知りたいと思い始めていた、バサンズだった。


 応接間に戻ったバサンズは、数枚の絵をテーブルに並べた。
「何枚か、用意しましたけど……どうでしょう」
 キムリックは、ニコニコと絵を眺め回した。
 しかし、その下にある糸目は笑っていなかった。
「さいですなぁ。出来れば、笑顔の素敵なんがええどすなぁ。なんぞ、魔力でも秘めてそうな感じのが……」
 キムリックの商品に、魅了の効果を持つ不思議な絵画『女神の微笑』が入荷されるのは、それからしばらくしての事になる。



[11810] VSノワ戦 1
Name: かおらて◆6028f421 ID:7cac5459
Date: 2010/05/25 16:36
 ストン、と的のど真ん中に、ダーツは突き刺さった。
 眼鏡をかけ、右手に篭手を着けたシルバ・ロックールはニヤリと笑った。
「おし」
 背後で立ち上がり沢山手を叩いたのは、鬼族の戦士・ヒイロだ。
「おおぉー! 先輩すごい!」
「に」
 小さい拍手は獣人(という事になっている)の盗賊・リフのモノである。
「悪くないな」
 シルバは眼鏡と篭手を外した。
 魔力の込められた篭手には、遠方の的に向けて正確に投擲物を当てる力が宿っている。さらに精霊眼鏡にも、視力と集中力を高める石を埋め込んで、命中率を高めていた。


 ここは鍛冶工房『ビッグベア』の待合室。
 壁一枚隔てた作業場では、鉄を叩く音がひっきりなしに続き、熱気がこちらの部屋にまで伝わってきていた。
 アーミゼストに戻ってきたシルバ達は、迷宮探索再開の準備に、この鍛冶工房を訪れていた。
 ちなみにキキョウは作業場に、カナリーとタイランは別件で、余所に向かっている。


「ほっほっほ。よい性能じゃのう」
 小柄な図体に赤い前掛けを着け、口にパイプをくわえた白髪の山妖精が大きく笑った。
 この工房の主人、ジングーだ。
 発注した篭手の制作者でもある。
 ジングーと握手をしていると、後ろでヒイロが大きく手を振った。
「先輩、ボクも! ボクもダーツやる!」
 どう見ても、単純に遊んでみたいだけのように見えるヒイロだった。
「……いいけど、的壊すなよ?」
「うん!」
 シルバの許可を得たヒイロは、的に駆け寄るとダーツを抜き始める。
 一方、もう一人いた小さいの、リフは眼鏡をかけ目を回していた。
「にぃ……目がクラクラする……」
 ふらふらしながら、シルバにぶつかってくる。
 それを受け止め、シルバはリフの頭に手を置いた。
「慣れれば、かなりいい感じになるさ。もっともお前にはいらないと思うけど。欲しいのか、眼鏡?」
 眼鏡をかけたまま、リフはシルバを見上げた。
「に。眼鏡っこのじゅよう」
「ぶ……」
 突っ伏しそうになる。
「カートンが言ってた。お兄かんらく」
「……あ、あの馬鹿は、お前に一体何を教えてるんだ」
「『しょた』がどーとか、むずかしい事言ってた」
 意味が分からなかったらしい。
 正確には『ロリ』だが、まあ、そこはリフが男装しているのだから、無理もない。
 とりあえず、シルバはフォローを入れる事にした。
「オーケー。今度、こっちに戻ったら、お前のお父さんにカートンから教わった事全部、話してやれ」
「? に、分かった」
 よく分かっていないながら、リフは頷くのだった。


 しばらくすると、作業場の方からキキョウが戻ってきた。
 手には、研ぎ直したばかりの刀がある。
 スラリと抜かれた刃の輝きは、シルバの目にも、これまでより冷たく鋭いモノにも見えた。
「むぅ……見事だ、ジングー殿。素晴らしい」
「ほっほっほ。納得頂けたかな」
 パイプを吹かせながら、ジングーは笑う。
 刃を鞘に納め、キキョウは頷く。尻尾も心なし、ゆっくりと揺れていた。
「無論。主人、試し切りは出来るか」
「ウチの野菜でよければ、裏の家内に言ってくれれば、いくらでもよいぞ。薪でも構わんが」
「うむ。ではシルバ殿、また後で」
「ああ」
 颯爽と、野菜を斬りに向かうキキョウをシルバは見送った。
「むむっ」
 背後でヒイロの唸り声が聞こえた。
 振り返ると、何やら緊張した面持ちをしている。
「どうした、ヒイロ。真面目な顔をして」
「食べ物の匂いが、する……!」
 変わらねえなあコイツ……と思うシルバだった。
「ほほっ、そろそろ、移動屋台の串焼き屋が来る頃じゃ。その匂いじゃろう」
「……お前の嗅覚って、すごいよな」
 一種の尊敬すら込めて、シルバはヒイロに言う。リフも同感のようだ。
「にぃ……食べ物は、リフよりびんかんかも」
「じゃあ、先輩」
 ビシッとダーツの矢を突きつけ、ヒイロは挑戦の構えを取る。
 何が言いたいのかは、よく分かったので、シルバとしては肩を竦めるしかない。
「はいはい、賭けね。言っとくけど俺はインチキ使うぞ」
「えー」
「篭手と眼鏡のテストの為に来てるんだから、当然じゃん」
「に。リフもする」


 工房を出て、三人は通りの串焼き屋台で昼食を取る事となった。
 勝負は当然ながらシルバの勝ちだったが、元々負けるはずのない勝負だったので、ドリンク一本で手を打つ事にした。
「第五層は相変わらず手こずってるみたいだな」
 シルバは熱い焼き鳥をはふはふと頬張りながら、ギルド発行の情報ペーパーを眺める。
「にぃ……?」
 興味があるのか、リフが魚介焼きを食べつつ、長椅子の左隣から覗き込んできた。
「現状、第六層の直前を植物系のモンスターが阻んでいるんだと。霊樹? とかいう類らしいけど……まあ、亜神や霊獣の植物バージョンっぽいな。霊樹と言っても、あまりよくない類らしいけど」
 最後の台詞は、右でタレ付きの串焼き肉に集中しているヒイロへの説明だ。
「に」
 きりり、とリフが顔を引き締める。
「うん、リフなら頼りになりそうだな」
「に!」
 リフの霊獣としての属性は主に木だ。植物を扱うのに長けている。
 もっとも、その前に第三層と第四層を突破しなければならないので、先はまだまだ長いし、それまでに第五層も攻略される可能性はあるのだが。
 リフがやる気になっているようだし、そこには敢えて触れない、シルバだった。
「先輩先輩、火で燃やしちゃうのは駄目なの?」
「それは当然、攻略中のパーティーも考えたさ。けど、そうすると今度は煙がモンスター化したらしい。物理攻撃の効かない、な」
「うへぇ」
 基本、物理攻撃メインのヒイロとしては、顔をしかめていた。
「んでまあ、対策練る為に苗を持って、上に戻る計画があったらしいんだけど、それも何か第四層だか第三層だかで、行方不明になってるらしくてな」
 まさか、関わったりしないだろな……と、ちょっとシルバは不安を覚えた。


「美味そうなモノを食べているね」
 響きのいい声に顔を向けると、タイランを伴ったカナリーがこちらに向かってきていた。
「ん、カナリーも食うか」
 シルバは、食べかけの自分の串を突き出した。
 もちろんそれを食べさせる訳ではないのだが。
「腹拵えという訳だね」
 足を組み、カナリーは長椅子に座るリフの隣に座った。
 一方タイランは、軽く頭を下げながらヒイロの隣に座る。
 シルバは屋台の親父に声をかけた。
「串焼き肉一本追加、焼き加減はレアでお願いしますー。あと水一本もらいますねー」
「あいよー」
 親父の返事を聞き、シルバはカナリーに尋ねた。
「それで成果は?」
「バッチリさ。ね、タイラン」
 反対側で、シルバから水を受け取ったタイランは遠慮がちに頷いた。
「あ、は、はい。お陰様で……何とかなりそうです。ちょっと怖かったですけど」
 やれやれ、とカナリーは肩を竦める。
「別に牢獄に直接入った訳じゃないんだから、そんなに怖がる事もないと思うけどね。単なる面会だったんだし。あ、これギルドからの許可証」
 マントの中に手を入れ、カナリーは冒険者ギルドでもらった書状を出した。
「うん」
 シルバはそれを受け取る。
 今回の作戦は、本来探索者のルールから外れた手段を取る事になる。
 マナー違反となるので、事前申請でその許可を得る必要があったのだ。一応、村の方でギルドマスターから言質はもらっておいたので大丈夫だとは分かっていたが、やはりこうやって実際に許可証を得ると、ホッとしてしまう。
 カナリーは続けて、小さな瓶を取り出した。
「それと凍結剤。強化の力もあるけど、基本的に効果は短時間。三十秒ぐらいしか持たないと思ってくれ。それから副作用としておそらくしばらくは、タイランが使い物にならなくなる」
「そりゃむしろ、俺よりタイランだな。いいか、タイラン」
 シルバは瓶を、自分の荷物袋に入れながら、タイランに尋ねた。
「……は、はい。一度試してみましたけど、麻痺に近い感じですね。死ぬ訳じゃありませんから……でも……」
 それでも、動けなくなるのは不安だろう。
 それも、間違いなく戦闘の最中と言う事になる。
「出来るなら、使いたくはないな。それは俺も同じだけど、こればっかりは向こう次第だからなぁ」
「そうならないように、願いたいね」
 確かに、とシルバは頷き、さっきから延々と続く、咀嚼音に視線を向けた。
「あとそこ! あまり食べ過ぎない! 動けなくなるぞ!」
 もちろん、ひたすら肉を食べるヒイロが、その音の源だ。
「へーきへーき。これぐらいなら、全然大丈夫!」
 どれだけ腹に入るんだ、とちょっとした山になりつつある串の束に、シルバは呆れてしまう。
「シルバ殿。こちらも出来たようだ」
 工房の方から、キキョウと何やら大きな板を担いだジングーが姿を現わしたので、シルバは先に注文しておいた焼き鳥を渡した。
「ん、ご苦労さん。ほい、お前の分」
「ぬ、すまぬ」
 丸椅子を借りて、キキョウは受け取った焼き鳥とドリンクを手にシルバの正面に座る。
 すると何故か、左側から不満の唸り声が聞こえてきた。
 見ると、カナリーが小さく膨れていた。
「むぅ……シルバ。僕達の分は取っておいてくれてなかったよね?」
 いやいや、とシルバは軽く焦りながら、手を振った。
「いつ戻ってくるか、分からなかったんだからしょうがないだろ、んなの。キキョウは店の裏だったから、すぐ戻ってくるって踏んでたんだよ」
「ほっほっほ、ところでこっちはこんなモンでよいのかの」
 ジングーがシルバに見せたのは、ケーキが1ホール入りそうな箱だった。
 箱に彫られた装飾は、女神の姿だろうか。
 箱そのモノは立派だが、むぅ、とシルバは唸ってしまう。
「……いやオッチャン、壊れるの前提なんだし、外装にこんな凝らなくても」
「ほっほ、そこは職人魂よ。壊れるという意味なら、武器や鎧だってそうじゃろ?」
「ま……そうかもしれないけどさ」
 もったいないなあと思う。
 もっとも、これもまた使わないで済むならそれに越した事はない類のアイテムだ。借り物でもあるし。
「盾も出来たそうだ。例の石板を加工したモノだが」
 キキョウが言い、ジングーは担いでいた板……ではなく、盾を立てた。
 これまた、正面に鮮やかに菱形の文様が刻まれた、大盾だった。
「ほっほっほ、こっちは苦労したぞ。そっちの甲冑の君ぐらいしか、ちょっと持つのは厳しいかものう」
「お、お預かりします」
 シルバも、自分が預かった箱をタイランに手渡した。
 おそらくあの箱を使う事になるとすれば、ヒイロだ。前衛であるタイランの方が、いざという時の為に持っていた方がいい。
 一方、そのヒイロにキキョウが話しかけていた。
「ヒイロ」
「うん?」
「おさらいだ。右は?」
「駄目」
「左は」
「よし」
 何となく二人のやり取りを聞いていたジングーが、首を傾げながらシルバを見た。
 どういう事か、という表情だ。
 シルバは苦笑しながら、首を振った。
 大した事ではない。単なる暗号だ。暗号だからこそ、他者には教えたりも出来ない。
 一方キキョウはそんなシルバとジングーのやり取りには気付かず、ヒイロに頷いて見せていた。
「いいだろう。お前が要なのだから、本番では聞き逃したり、間違えたりしないように」
「はい!」

 食事を終え、シルバ達は立ち上がった。
「ひとまず準備はこれで一通り、整ったかね」
「うむ」
 キキョウを始めに、全員が頷く。
「それじゃまあ、行きますか」
 シルバは手に持っていた木の串をポケットに突っ込み、墜落殿に向かう事にした。


 {墜落殿/フォーリウム}第三層。
 迷宮に入ってから、十何度目かのモンスター達の襲撃を何とか退け、シルバの一行は奥へと進んでいた。
「……ぁう」
 妙に情けない声と共に、前を歩いていたタイランが重い音を立てて倒れた。
 負傷などではなく、単につまづいただけなのは、見れば分かる。
「タイラン、大丈夫?」
 ヒイロがしゃがみ込むと、タイランは膝をついた状態で頭を振った。
「あ、は、はい……ちょっといつもと勝手が違うので……」
 不調の原因は、シルバにも分かっていた。
「カナリー」
「うん。いつもより大容量の炉を積んでるからね。無理もないよ」
 以前戦った、錬金術師であるクロップ老が自動鎧に使っていた精霊炉に、カナリーが調整を加えたモノだ。
 今回の探索入りの前に、それがタイランの中に積み込まれている。
 慣れない心臓が、タイランの不調の原因なのだ。
「と言っても、普段より少し、程度ですから、まあ何とか……それに、錬金術の工房でも調整しましたし、大分慣れてきましたから」
「そうか」
 ここまでそこそこ戦ってきたから、疲労がたまってきたかな、とシルバは考えた。
 ここで一旦休憩を取るべきか。
 そう考えていると。
「おいおい、そんな調子で大丈夫なのかい?」
 そんな軽い調子の男の声が、前の方から響いてきた。
 パーティーに、緊張が走る。
「誰だ?」
 シルバの呼びかけに、曲がり角から姿を現わしたのは、軽装の戦士だった。
「おっと、敵じゃない。一応先に、断りを入れようと思ってね。俺はアル・バート。賞金稼ぎさ」
 両手を上げながらも、隙がない。
 相当に出来るようだ。
 いや、それよりも賞金稼ぎという事は……目当てはノワなのだろう。
「横取りしようって言うのか?」
「人聞きの悪い言い方をすればね。悪いが、割と早い頃からアンタらを張らせてもらっていたよ。あの村に現れたバサンズとかいう魔術師もね。案の定、第三層の僻地で待ち伏せだ。こういうのは早い者勝ちだから悪く思わないでくれ。それに、ノワ・ヘイゼル一党を捕らえるのが、アンタ達じゃなきゃ絶対駄目だっていうルールはどこにもないだろう」
 確かにその通りではある。
 自分達を餌にしているとはいえ、アルの言う通り、すべてを自分達でこなす必要はない。
 しかし、それでもシルバは言わざるを得ない。他の連中よりシルバがリードしている点があるとすれば、自分はノワと組んだ事があり、また、生の彼女を知っているという点にある。
「まともにやりあうとまずい相手だぞ? アイツの性格から考えても、絶対何か仕掛けてる」
「そんなモノ、使う暇もなく倒せばいいだけの話だろ。未知のモンスター相手にぶっつけ本番でやり合うなんて、この世界じゃ珍しい事じゃない」
「……大抵攻略ってのは、そうして倒された先人達の上に成り立ってるんだけどな」
「俺達もそうなると?」
 特に気を悪くした風もなく、アルはニヤニヤと笑っている。よほど自信があるようだ。
「いや、そうならない事を、心底祈ってる。犠牲者が出るのは嫌だし、何より治療が面倒だ」
「はっ……とにかく、ウチは三十人からなるグループだし、皆、実力は折紙付だ。アンタらの出番はないさ」
「どうもスッキリとはしないけど……」
 少なくとも自分で実力は折紙付なんて言う時点で慢心じゃないかなぁと、シルバは思う。
 すると不意にアルが、懐に手をやった。
「おっと、待ってくれ。仲間から連絡だ」
 懐から取り出したのは、青白い宝石の付いた首飾りだった。
 それに、シルバは見覚えがあった。
「水晶通信……」
 一塊の水晶を砕き、それらの破片の共鳴を利用する通信手段である。
「言っただろ。折紙付だって」
 アルはニヤリと笑い、微声を発する水晶に応える。
 少なくとも、第三層ではほとんどお目に掛かれない代物だ。なるほど、自信があるのも頷ける。アルは第四層、あるいは第五層の住人らしい。
「あぁ!?」
「うおっ!?」
 それまで余裕のあったアルの表情が突然険しいモノになり、シルバは驚いた。
「ちょ、ちょっと待て。どういう事だ、そりゃ!? あ……」
 慌てふためくアルが、目を丸くしているシルバ達の視線に気付いた。
 コホン、と小さく咳払いをし、再び水晶に語りかける。
「と、とにかく俺達が戻るまで待機だ。いいな。絶対に動くな」
「…………」
 シルバが黙ってみていると、アルは額の汗を拭い、首飾りを懐に戻した。
「悪いが、急がなきゃならなくなった。追いかけてくるなら、また現地で会おう」
 軽く手を上げると、あっという間にアルは曲がり角に消えていった。
 追いかけ角を曲がると、もうそこにはアルはいない。
 が。
「……キキョウ、リフ、聞こえたか?」
 振り返ると、耳のいい二人が頷いた。
「ああ。どうやら偵察が消えたらしい」
「に。待ってた仲間も何人かいなくなってる」
 水晶通信の微かな声も、キキョウとリフには充分な音量だったようだ。
「女性かな」
 しかし、シルバの疑問にキキョウとリフは首を振った。
「いや」
「男のひともだって」
「……男の人もいなくなった、という報告を出すという事は、クロスの魅了は当然、研究済みか」
 カナリーが唸る。
 クロス・フェリーの魅了の瞳は、もっとも警戒すべき能力の一つだ。
 もっとも、それも直視しなければ問題はない。カナリーによれば、声も注意の対象らしいが、精神力が強ければさほどの効果はないのだという。
 そういう意味では、精神攻撃にもっとも弱い鬼族のヒイロが、一番注意の対象だ。
 とはいえ、それもクロスが相手を女性と認識すればの話だが、というのが同じ吸血鬼であるカナリーの話だ。
 とにかく、ノワ達の事をよく知らないパーティーが最も危険なのは、女性冒険者が魅了される点にある。
 クロスではなさそうだとすると、次に高い可能性は、とシルバが続く。
「一番有り得るのは、ロン・タルボルトに音もなくやられたって線だけど、情報が足りないな」
「にぃ……」
 この辺りは、ここに来るまでに散々話し合っている。
 気配を消したロンの襲撃など、こちらは注意するしかない。カナリーの従者、ヴァーミィとセルシアも、貴重な戦力であるにもかかわらず戦闘に参加させず、警戒に専念させているぐらいだ。
 シルバ達は、やれる事をやるしかない。
「それじゃ、俺達は当初の予定通り、ここから二手に別れよう。こっちは人数こそ上回ってるけど、向こうは修羅場の数と質の分、実力が高い。反撃する暇も与えず倒すって言うコンセプトは、皮肉な事にさっきのアルってのと同じだけど、第五層とかの知り合いなんていないこっちは別の助けを使う事になる」
 そしてシルバは、パーティーを二つに分けた。
 シルバ、カナリー、ヒイロ。それにカナリーの従者である赤と青の美女二名。
 もう一つはキキョウ、タイラン、リフの三名だ。
「という訳で、キキョウ、よろしく頼む。前もってカートン達に調べてもらっていた仕掛けのポイントは、頭に入ってるよな。一方通行だから退路はない。部屋に入ったらそのまま、ノワ達なんかには目もくれず、指定の『排出口』に落ちろ」
「うむ、心得ている」
「あ、穴って……私、入れる大きさですよね……?」
「に。リフは小さいから平気」
 シルバはリュックから、用意していた瓶を取り出した。
「こっちは俺とカナリーがいるから何とかなるけど、そっちは途中からさらに個別行動になるから、回復には気を付けるように。ほい、回復ポーション三つずつ」
 そして、ここでシルバ達は一旦、全員揃った状態での最後の休憩を取る事にした。


「カナリー、シルバ殿を頼むぞ」
 キキョウの言葉に、カナリーは余裕の微笑を浮かべる。
「言われなくても」
「……頑張りすぎて、シルバ殿の血に頼ったりしないように」
 ジト目でキキョウは、カナリーを見た。
 カナリーの吸精の副作用は、既にシルバから聞いているのだ。
「ふふふ、どうしようかなぁ」
「むぐぐ……い、今からでも交代は遅くはないぞ、カナリー」
「残念ながら、僕はそれほど足は速くないんだ。悪いね」
「うー、別の意味で心配だ……」
 頭を抱えるキキョウだった。


 一方タイランとヒイロ。
「……黒眼鏡、死ぬほど似合いませんね、ヒイロ」
「そっかなー。格好良くない? はーどぼいるどって感じで」
 クロスの魅了対策として用意されたモノだが、確かに似合っていなかった。
「いえ、その……すごく失礼ですけど……こう、子供が背伸びをしているようにしか……」
「それは本当に失礼だよ、タイラン!?」


 そんな仲間達を、壁に背を預け胡座をかいた状態で、シルバは眺めていた。
「緊張感ないなぁ、アイツら」
「に」
 何となく自分の手が隣にいるリフの髪の毛を撫でていたが、まあいいかとシルバはそのままにしておいた。
 鋭くそれを捉えたのは、キキョウだった。
 膝をついたまま、シルバに詰め寄ってくる。
「ぬぅ、シルバ殿はシルバ殿で、何をしているのか」
「いやだってコイツの頭、撫で心地いいんだもん」
「にぃ。リフも気持ちいい」
「そ、某の尻尾もふさふさだ!」
 狐耳ともふもふの尻尾を揺らしながら、キキョウが強く主張した。
「そこで張り合うのか!?」


 揉める三人に、カナリーは肩を竦めた。
「……やれやれ、緊張感がないのはお互い様だと思うけどね」
「た、確かにそうですね……」
 タイランが頷き、ヒイロは立ち上がった。
「ねー、そろそろ始めようよ-、先輩」
「はいはい」
 シルバも立ち上がり、それぞれの準備に取りかかる。
 全員の準備が終わったところで、シルバは口を開いた。
「それじゃま、ギルドマスターからの了承も出ている事だし。『列車作戦』スタートと行こうか」


 ぬおりゃ、とヒイロが自分を中心に骨剣をぶん回す。
「旋っ、風剣――っ!!」
 気を纏った骨剣が、周囲を囲む重量級のアイアンオックスを派手に弾き飛ばす。
 直後、彼らに紫色の電撃が襲いかかる。
「よし、{紫電/エレクト}成功。ヴァーミィ、セルシア、残っているのを片付けるんだ」
 カナリーは、帯電する指先に息を吹きかけながら、従者達に指示を送った。
 余裕充分に戦局を見極め、微笑む。
「……もっとも、残っていたらの話だけどね」
 ピクピクと痙攣するアイアンオックス達が起きる気配は、なさそうだ。
 一方ヒイロは、最後に残った黒尽めの騎兵、デーモンナイトに迫っていた。
「よ――」
 デーモンナイトの剣撃を骨剣で受け止め跳躍。
 その首に足を絡め、身体のバネを使って半回転した。
「――いしょっとっ!!」
 そのままヒイロごと馬上から引きずり下ろされた騎兵は、脳天から床に落下した。
「っ!?」
 硬い床に亀裂が走り、デーモンナイトの身体は一度大きく痙攣してから倒れ伏した。
「はい、おしまい」
 ヒイロは立ち上がり、身体の埃をパンパンと払った。
 動けるモンスターはもう、この周辺にはいないようだ。
「お疲れ、ヒイロ。{回復/ヒルタン}だ」
 ヒイロの身体に刻まれた生傷が、シルバの回復魔法で癒されていく。
「あんがと、先輩。後どれぐらい?」
 シルバは地図を広げた。
「やや遠回りだけど、敵の少ないルート選んでるから、もう半分って所だな。ペース的には悪くない。時間的には余裕取ってあるけど、早いに越した事はないしな」
「しかしそう考えると、あのアルという戦士はずいぶんと優秀なようだね」
 カナリーの言葉に、シルバは頷いた。
「確かになぁ。この付近には麻痺毒を使うモンスターが少ないとはいえ、単独で第三層を動き回れるぐらいだから」
 さて、移動しようかと歩き始めようとした時、カナリーが眉根を寄せた。
「……うん?」
「どうした、カナリー」
「人の気配がする」
「こんな僻地でか?」
「敵かな?」
 前衛のヒイロも少し警戒する。
 だが、カナリーは首を振った。
「いや、どちらかといえば……うん、まずいねこれは。命が尽きかけてる」
 サラッと言うカナリーに、シルバは慌てた。
「ちょっ……!? ど、どこだ!?」
 カナリーは、通路の少し先にある扉に指を向けた。
「そっちの部屋だね。ちょうど通り道だ」


 なるほど、薄暗い小さな部屋の隅に五人の冒険者が倒れていた。
 どうやらモンスターにやられ、全滅寸前だったようだ。
 こちらに反応する余力すらないように見える。
 しゃがみ込んだシルバは彼らに、回復魔法をかけた。
「大丈夫か?」
 シルバが声を掛けると、一番近くにいた屈強な中年のサムライが顔を上げた。着物の上から、黒光りする甲冑を身につけている。
「え、ええ……助かったわ。いきなり襲われて……」
 ヒクッとシルバは頬を引きつらせながら、状況を考えた。
 タイミング的に考えて、彼らを襲った可能性が一番高いのは……。
「……髪をこんな風に二つにまとめた女の子の商人がいたりする?」
「ううん、違うの。靄のようなモンスターだった」
 髭面の男は、目を潤ませ首を振った。
 とりあえず、シルバとカナリーは顔を見合わせた。
「ミスト系?」
「幽鬼の類かも」
 だが、違うようだ。
「いや、そんなんじゃなかった……見た事もない術を使われて、アタシ達は……」
 サムライはハッと唐突に顔を上げて、シルバに迫った。
「い、いや、それどころじゃない! もっと大変なのよ! 苗が! 苗が奪われて……」
「苗?」
 カナリーは中年男の肩を軽く押し、シルバと引き離した。
 立ち上がったシルバはふと、迷宮突入前に読んだ、情報ペーパーの事を思い出した。
 そこにも確か、苗がどうとか書いてあったはずだ。
「……もしかして、アンタ達、第五層の霊樹討伐関係者か?」
「そうよ。アレを失ったら、これまでに倒れた仲間達に申し訳が立たないわ……」
 女言葉で、彼は落ち込んだ。
「つっても、さすがにすぐに動くのは無理だろ。今は安静にしてないと、駄目だ」
「何とかしたいところだけど、こっちも都合があるしね」
 シルバはカナリーと顔を見合わせ、頷き合った。
 第五層突破は、現在のアーミゼストの中でも最重要な任務と位置づけられている。
 だが、手伝うなら自分達の仕事が終わってからだ。
 どうやら、それはサムライの男も察したらしい。
「さっきの話だと、貴方達、ノワ・ヘイゼル関係の仕事ね」
「ああ」
「この先に進むのなら気をつけた方がいいわ。あの靄は危険よ。人を惑わすの……」
「混乱系の術かい?」
 カナリーが尋ねる。
 しかし、中年男は自分の身体を抱きながら、ブルブルと震えた。
「違うわ。そうじゃない。もっと恐ろしいの……アタシ達の推測が正しければ……アレは……いや、言っても信じてもらえるか」
「聞いてから判断するよ。それに、モンスターの性質は知っておいて損はない」
 もしかすると、この先で遭遇するかも知れないしな、とシルバは考える。
 その時、相手に対する知識があるかどうかで、生死が決まる場合だってあるのだ。
 サムライは、シルバ達を見上げた。
「そもそもアレがモンスターかどうか、アタシには自信がないわ。アタシの姿、どう見える?」
 シルバはカナリーを見た。
 どう見るも何もない、とカナリーは肩を竦める。
「どう見えるって……いや、その……俺のパーティーにもジェントのサムライなら一人いるけど」
 違うのか、と聞くと、中年男は自嘲した。
「……鏡があったら多分卒倒してるわね。名乗り遅れたけど、アタシの名前はティム・ノートル。レベル5の聖職者よ」
「聖職者!? その格好で!?」
 どう見ても前衛、戦士タイプの姿だ。
「そして、性別は女」
「女ぁ!?」
 シルバとカナリーは仰天した。


 ティムは、事情を話し始めた。
「今は、『付いて』るみたいだけどね。アタシはまだこれで済んでるけど、他のみんなはもっと酷いわ」
 彼……いや、彼女は後ろを振り返った。
 ティムと同じようにへたり込んだ少女が、両手に小さな鳥を乗せている。
「獣使いのラナは相棒の隼が小鳥にされちゃってる」
 その横では、坊主頭の吟遊詩人が必死の形相で座禅を組んでいる。
 唱えているのはウメ教の念仏だ。
「武僧のバレットは、姿どころかこれまでの修業そのモノがなかった事にされたみたいで、神の声が聞こえなくなったわ」
 ティムは部屋の一番隅で、天井を見上げながら呆然としている魔法使いを指差す。
「あそこで、呆けているのが魔術師のリスト。憶えていたはずの魔法が部分欠落して、その一方で習った覚えのない魔法が頭に刻まれてるの」
 シルバ達に視線を戻すと、彼女は頭を振った。
「最悪一歩手前なのは、ここにいないシノビのゲッコウね。身体が完全に透過しちゃってるの。相手の攻撃が当たらない代わりに、自分の攻撃も一切無効化されちゃってる。壁すら透り抜けられるみたいだけど……アタシの予想が当たってるなら、多分階段を上れないわ」
「……な、何だい、それは。そんな術、聞いた事がないよ……?」
 カナリーが、表情を引きつらせる。
「マズイのは、ウチのアタッカーだった戦士のグース。アイツ、大人しい奴だったのにいきなり魔人になっちゃって……」
 この場にいない、という事は、おそらく迷宮のどこかを彷徨っているのだろう。
 それも、かなり危険な状態でだ。
「おいおいおい……」
「シルバ……何だか、すごく大ごとみたいなんだけど……」
 シルバも、そんな人を変容させるような魔法は知らない。
 ――魔法は知らないが、心当たりは一つだけあった。
「なあ、もしかすると、アンタ達、道に迷わなかったか?」
「どうして、それを!?」
 中年男の姿をした女性の驚愕に、やっぱり、とシルバは舌打ちした。
「カナリー。混乱系、とかそういうレベルの話じゃない。この先やばいぞ。最悪、迷宮の構造そのモノが、造り変えられている可能性がある。マップが役立たないかもしれない」
「何だ? シルバ、君、一体何を知っている?」
 カナリーが問い詰めるが、シルバの頭の中にまずあったのは、この場にいない仲間の安否だった。
「この状況で偶然か……? いや、とにかくまずいな。霊樹の苗の奪われたって事は、やっぱり狙いは『高位の魂』……それもあるけど、確実なのはむしろ……」
 シルバの頭に、白い仔猫が浮かんだ。
 剣牙虎の霊獣、リフだ。
「アイツが一番やばいな。タイランも可能性はあるけど、甲冑で密閉されている分には気付かれていないだろうし……」
 シルバは精神共有で、リフ、タイラン、キキョウに現在の状況を伝えた。
 もっとも彼女達は彼女達で、『列車作戦』の真っ最中、今更止める訳にもいかず、作戦は続行と指示を送る。
「シルバ。どういう事か説明してくれ」
 不審な表情のカナリーに、シルバは頷き返した。
「うん、歩きながら言う。この先のルートが変わってる可能性があるから急がないと」
 そしてシルバは、ティムに向き直った。
「とにかくティムさん。苗は多分、こっちで相手をする事になる。回収できるならするよ。そっちは回復したら地上へ向かってくれ。でも靄は見かけたら全力で逃げろ。絶対勝てないし、最悪、自分の存在そのモノが抹消される。地上に出たら、教会の司教に今の話をしてくれ。何とかしてもらえるはずだから」
「信じてもらえるのか?」
 シルバは力強く頷いた。
「絶対信じる。神に誓って俺が保証する」
 そして、自分達が入ってきたのとは別の扉に視線を向けた。
 あの先に、ノワ達が待ち受けているはずだ。
 とはいえ、残り半分、ティムの話通りだと、手間取る可能性も出てきている。
「急ごう、二人とも。……あー、ヒイロ。そろそろ起きろ」
 シルバが軽く肩を揺すると、立ったまま居眠りしていたヒイロが目を覚ました。
「んあ、終わった?」
 寝惚け眼のヒイロは、口元の涎を手の甲で拭った。
「終わった。……ったくもう、ありとあらゆる事が上手く行かないって事を、痛感してるよまったく」
 シルバは苛立たしく、ボリボリと頭を掻いた。
「で、シルバいい加減説明してもらおうか」
 うん、とシルバは二人と共に扉に向かう。
「手っ取り早く言うとだ、世界の危機で神様の敵がこの迷宮に現れてる」
 偶然……じゃないよなぁ、やっぱり、とシルバは思う。
 これはノワ達が何かをした、もしくは何かをしようとしている予兆なのだ。
 根拠はない。が、七割から八割方、間違っていないはずだ。
 以前、シルバが魔王討伐軍に参加していた時にも、ティムの話した靄とは一度遭遇した事がある。
 正直、勝ち目はない。
 相手は文字通り、別次元の存在なのだ。
 シルバは、自分の心臓の辺りを手で押さえた。
「連中を襲ったのは、悪魔だよ。比喩表現抜きのな。人間側とも魔王側とも違う、第三勢力って所か……ああ、もう厄介な!」



[11810] VSノワ戦 2
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/05/25 16:20
 ……二時間半ほど掛けて、シルバ達は隠し部屋の前に辿り着いた。
 傍目には、ごく普通のT字路の突き当たりのようにしか見えない。
 だが、ここには、研究所へと繋がる扉が隠されているのだ。
「……本当に地図の間違いじゃなかったんだろうね」
 カナリーが、疑り深そうにシルバの手元を覗き込んだ。
「くどいな。信じられないのは分かるけど、実際に見ただろう? 迷宮の構造自体が変えられてたんだよ」
 実際、ティムの言っていた通り、シルバ達の進む先は地図とはやや異なった造りとなっていた。
「もっとも、それほど大した事なかったのは、不幸中の幸いだけど。遅れもほとんどなかったし」
 何回かの戦闘を経て、シルバ達はここまで来れた訳だ。
「じゃあ先輩、これからみんなが来るまで、待機?」
 ヒイロの問いに、シルバは首を振った。
「いや、連中が奥に潜んでたら作戦に意味がない。タイミングを計る為にも、もしノワ達が隠れているようなら、誘き寄せる役が俺達の仕事だ」
「こういう時、盗賊の貴重さが分かるね」
 やれやれ、とカナリーは天を仰いだ。
「リフの足は今回の作戦には絶対必要だったからな。無いモノはしょうがない。俺が見てくるよ」
 ヒイロはこういう作業に向かないだろうし、カナリーはそもそもやった事がないらしい。ヴァーミィとセルシアはどうかと思ったが、やはりここは人間の方がいいだろうとシルバは判断した。
 ゆっくりと壁に近付き、ごくわずかに開かれていたそこから、中を覗き込む。
 広い部屋の奥に、玉座のような席があり、そこにノワが腰掛けていた。
 後ろに控えているのは黒髪黒衣の戦士、ロン・タルボルトと、大柄な人造人間、ヴィクターだ。
 クロスの姿は何故か、見受けられない。
 そして彼女の前には赤絨毯が敷かれ、両脇には虚ろな顔の三十人の冒険者達がずらりと一列に並んでいた。
 内の一人はシルバも知っている、アル・バートだ。
「うへぇ……」
 悪趣味極まりないな、とシルバは思った。
 吟遊詩人の詠う魔王様じゃあるまいし。
 そんな感想を抱きながら、二人と二体の元に戻る。
 シルバの様子に、ヒイロがどこか心配そうな顔で、見上げてくる。
「どうだったの? 何かすごくうんざりした顔になってるよ、先輩」
「……うんざりしてるんだよ」
 そう、シルバが返事を返した時だった。

「よーこそ、シルバ君。他の二人も中へおいでませ♪」

 部屋の中からの明るい声に、シルバの身体が硬直した。
「っ!?」
 緊張、ではない。
 抗えない見えない力に、シルバの身体が拘束されていた。
「シ、シルバ!?」
「せ、先輩、どうしたの!? 待ってよ! このまま入っちゃうの!?」
 シルバの様子に気付いたのか、カナリーとヒイロが身体を揺さぶる。
「ぐ……」
 だが、それでもシルバの身体はいう事を聞かず、そのまま隠し部屋の方に向かってしまう。
「ふむ……君達にノワさんの命令が効かないという事はどういう事かな」
 マント状の皮膜を脱ぎ、姿を現わしたのは銀髪紅眼の優男、クロス・フェリーだった。
 もう一方の手には、通信用の水晶が握られていた。


「クロス!」
 カナリーはクロスをにらみ付けたが、それより早く、クロスの鋭い爪を持った指先が、シルバの首筋に当てられていた。
「こんばんは、カナリー様。なるほど、そういう訳でしたか」
 ニコリと微笑みながらも、クロスの目だけは笑っていなかった。
「まさか、貴方が女性だったとはね」
「何の話だ」
「またまた、とぼけなくても結構ですよ」
 クロスの紅い目が光る。
 しかし、カナリーは不機嫌な表情で、鼻を鳴らした。
「……馬鹿か君は。純潔の吸血鬼である僕に、君の魅了が効くはずがないだろう」
「ふむ、それももっとも。しかし……」
 ひょい、と素早くクロスの手が翻ったかと思うと、その手には黒眼鏡があった。
「あっ……」
 ヒイロが、自分の顔を覆っていた。
 掛けていたはずの黒眼鏡がない。
「ヒイロ!?」
 そして、その瞳から次第に光が失われていく。
「う、あ……」
 虚ろな表情で、ヒイロはクロスの魅了に堕ちてしまっていた。
「こちらの娘には、ちゃんと効くようですね。何よりです」
 クロスが手招きすると、ヒイロはだらりとした動きで、彼の手元まで寄ってくる。
 そのクロスの片手はいまだに、シルバの喉元を狙っている。
 カナリーは、完全に孤立していた。
「くっ、シ、シルバ、僕の目を見るんだ!」
 言って、苦しそうな表情をするシルバとカナリーは視線を合わせた。
「が……」
 シルバは目を見開き、苦しげな声を上げる。
 ノワの強制力と、カナリーの魅了がせめぎ合い、精神が混乱しているのだ。
「うが……あ、あぁっ……!?」
 これにはさすがのクロスも、慌ててしまう。
「ちょ、ちょっとちょっとやめておいた方がいいですよ、カナリー様。精神に干渉する力を二重掛けなんて、普通の人間には耐えられません。最悪、精神が破壊されてしまいます」
 クロスの忠告に従ったのか、カナリーは瞳の力を解いた。
 虚ろな瞳に光が戻ったシルバは、頭を振り声を振り絞った。
「うぅっ……カナリー……」
「馬鹿な……」
 クロスは絶句した。
 ノワの強制力を、カナリーの魅了が凌駕したというのか。
 だが。
「シルバ君!」
 響くノワの声に、シルバの身体がビクンと硬直する。
「うあっ!?」
「その子はノワの敵だから、ちゃんと倒して!」
 ノワが命じると、シルバは袖から針を滑り落とした。
 それを握り、動けないでいるカナリーに迫る。
「シルバ……」
「カナリー……!」
 ドス、とカナリーの胸の中央に、シルバの針が突き刺さる。
「シ、シルバ……」
 赤い血を胸元から滲ませながら、カナリーはその場に崩れ落ちた。
 そのまま、床に倒れ伏してしまう。
 後ろに控えていた赤と青の従者も、まさしく糸の切れた人形のように崩れ落ち、そのままズブズブと影の中に沈んでしまった。
 荒い息を上げるカナリーを見下ろし、クロスは銀縁眼鏡を直しながら嘲笑した。
「おやおや、もしかして、彼に惚れていたんですか? ホルスティン家の跡取りもこうなると他愛もないですね」
「……っ!」
 怒りに満ちた表情のシルバの腕が翻り、クロスはもう少しで刺されるところだった。
「おっと、危ないですね。ノワさん、指示をお願いします」
「大人しくしてね、シルバ君。仲間を失ったのは悲しいかも知れないけど、ノワ達がいるから大丈夫だよ」
 ノワの声に、再びシルバの身体は強張っていた。
「何が大丈夫だ、この野郎……!」
 声を振り絞り、シルバが抗議する。
 だが、その台詞にノワは少し、気を悪くしたようだった。
「シルバ君、ノワ女の子だよ……? そういう事言うんならちょっとお仕置きが必要かなぁ」
「シルバ君の武器は針のようですよ」
 クロスが言い添えると、サラッとノワは酷い事を言った。
「じゃー、ちょっと太股刺してみよっか」
 シルバは持っていた針で、自分の太股を突き刺した。
「ぐあっ……!?」
「はい、抜いてー。回復は出来るよね? 大丈夫大丈夫。ノワ優しいから、痛いのそのまま残したりしないよ。それじゃそろそろこっちに姿を現わしてもらおっか?」
 痛みに顔を真っ赤にしたシルバが、回復魔法を使うのを見届け、クロスは身体を震わせるカナリーを再び見下ろした。
「おっと、こちらの令嬢は、僕の影に入っていてもらいましょうか」
 カナリーの身体が、クロスの影に沈んでいく。
 そして、シルバとヒイロは、クロスに付き従い、隠し部屋の中へと招かれた。


「おーいでーませー♪」
 大きな椅子に両足をぶらつかせ、ノワはシルバ達を出迎えた。
「ノワ……お前……」
 シルバは、目の前のノワを憎々しげに見つめていた。
 思わずノワは、ぶーと膨れてしまう。
「違うよー。ここはほら、お前じゃなくて、ノワちゃんとかノワ様とか呼んでくれないと。それに、シルバ君はもうノワの下僕なんだから、ちゃんと臣下の礼を取ってくれないと困るよ。ほら、そっちの子も……」
 ふと、ノワは首を傾げた。
「えーと、名前なんだっけ?」
「君、自分で名前を名乗りなさい?」
 クロスが促すと、虚ろな表情でヒイロは口を開いた。
「……ヒイロ」
「じゃー、ヒイロちゃんもちゃんと、シルバ君と一緒に臣下の礼ね?」
「……はい」
 シルバとヒイロは、ノワの前に跪かされてしまう。
「ぐ、う……や、やめろ、ヒイロ」
 頭が強制的に下がるのに抗いながら、シルバがヒイロに言う。
「だーめ。ほら、頭を下げる」
 そのシルバの後頭部を、ノワの足が踏んづけた。
「うぅっ……!」
 シルバの額が、赤絨毯に押しつけられる。
「くふふ、やっと溜飲が下がったって気分? これなら、上手く行きそうだね、クロス君」
 シルバの後頭部で足踏みをしながら、ノワは微笑んだ。
「そうですね。ただ、彼もカナリー様も精神が強そうですから、調整には時間が掛かりそうです。念入りにする必要がありますね。何せ彼らには、ギルド監視の中、財産を奪還してもらわなきゃなりませんから」
「だねー」


「ヴィクター、魔力ポーション」
「はい、のわさま」
 グラスに注がれた魔力ポーションを呷りながら、大きな椅子に座ったノワはシルバを見下ろした。
「ところでさ、シルバ君」
「……何だよ」
「だーからー、その反抗的な目はよくないってばー」
 シルバのにらみ付ける目つきが気に入らず、ノワの靴の踵が脳天に突き刺さる。
「つっ……! か、踵……!」
 苦悶の声を上げながら、シルバの頭が再び下がる。
「ま、いっか。このままだと埒が明かないモンね。それでお話なんだけど、もしかして他の三人も、女の子だったりする?」
「…………」
 シルバは下を向いたまま答えない。
「質問に、答えて」
「そうだ」
「むぅっ、何かムカツク」
 端的な答えに、ノワは足を伸ばし、今度は背中を踵で蹴った。
「がっ……!」
 思ったより体重が乗ったらしく、シルバの身体全体が沈んでしまう。
 ふと、ノワの気が変わった。
 さっきまでは、クロスの忠告に従い、赤絨毯の左右に並ぶ冒険者達と同じような、木偶人形にしようとしていたのだが、それでは面白くない。
「クロス君、予定変更ー。シルバ君は精神調整ナシの方向で」
 魔力ポーションを飲み干し、グラスをヴィクターに預けながら、ノワは言った。
「いいんですか?」
「うん。そっちの計画は、あのカナリーって人が使えれば充分でしょ? それに、そっちの方が、シルバ君には良さそうだもん」
 にぱ、と笑っていると、シルバがまた反抗的な目で見上げてきた。
「お、お前……」
 ノワは微笑んだまま、シルバの顎を爪先で持ち上げた。
「お前じゃなくて、ノワ様ね♪」
「……っ! ノワ……様に聞きたい事がある」
「うん、何? 受け付けないけど」
「この……!」
「逆質問ね。シルバ君が飼ってる白猫ちゃん、どうしたの?」
「……知らない」
 シルバは悔しげな顔のまま、そう答えた。
「正直に話してよー。シルバ君、ノワの下僕でしょ?」
「……分からない」
 シルバの答えに、ノワは違和感を覚えた。
 今のノワの力は、魔力の続く限り、男性相手には絶対だ。
 そして魔力はつい今し方、補給したばかりであり、嘘はつけないはずである。
 困惑したノワは、クロスを見た。
「……クロス君?」
 銀髪の参謀は頭を振った。
「嘘はついていません。どうやら、本当に分からない様子ですね」
「そっか。カード、壊れたのかと思ったよ。でも、何で?」
 ノワは、自分の胸に手を当てながら、ホッとする。
 自分の飼っているペットの事を、知らないはずはない。
 いや、そもそも質問の内容を間違えたのか? あの仔猫は、シルバのペットではないとか……。
「心当たりはありますか、シルバ君」
「…………」
 クロスの問いに、シルバは無言を貫く。
 ノワの力が絶対とはいえ、その仲間の問いにまで答えなければならない理由はない。
「シルバ君、答えて」
 渋々、シルバは口を開いた。
「……多分、カナリーの、認識偽装だ。仲間がいる……ってのは憶えているが、そいつらがどういう奴らで、今何をしているのかは、俺は憶えていない」
 クロスは思い出したようだ。


「くっ、シ、シルバ、僕の目を見るんだ!」
 言って、苦しそうな表情をするシルバとカナリーは視線を合わせた。
「が……」
 シルバは目を見開き、苦しげな声を上げる。
 ノワの強制力と、カナリーの魅了がせめぎ合い、精神が混乱しているのだ。
「うが……あ、あぁっ……!?」


「あの時の……!」
 クロスは、思わず唸り、ノワを見た。
「しかし困りましたね、ノワさん。あの霊獣の『高位の魂』が僕達には必要です」
「俺の仲間、に……何をする気だ」
 苦しげな声を上げながら自分を睨むシルバを、楽しそうにノワは見下ろした。
「教えて欲しい?」
「ああ……」
 べー、と小さな舌を突き出すノワ。
「やだよーだ。教えなーい」
「ふふふ、ノワさん意地悪が過ぎますよ。残念ですけどシルバ君、これは教えて上げる事が出来ませんね」
「クロス君だって意地悪じゃない!」
 微笑を浮かべたままのクロスに、ノワは突っ込んだ。
「僕のは意地悪じゃなくて、仕事の上での機密事項なんですよ」
「悪魔の召喚……か」
 シルバの呟きに、ノワ達はさすがに驚いた。
「……おや」
「何で知ってるの!?」
 ただ一つ『高位の魂』だけで、そこまで到達する事なんて出来るはずがない。
 ノワ達の知らない何かを、シルバは知っているというのか。
「この迷宮でさっき……兆候を見た。偶然じゃないとすれば……呼んだのは、お前達だと……思った。アレには、ずっと昔……会った事がある。前の魔王討伐軍で……アレはお前達の望みなんて叶えない。ロクでもないモノだから、やめておけ……」
 最後の言葉が、ノワの癇に障った。
「むぅっ!」
 ごん、とシルバの頭に踵が突き刺さる。
「いだっ!?」
 ゴツッと鈍い音がしたのは、シルバの額が床にぶつかったせいだろう。
「そんな事言ったって今更引っ込みつく訳ないでしょ! ノワ達がどれだけ苦労してお金集めたと思ってるの? 野望までもうちょっとなんだから、そんな風に脅かしたって駄目なんだから!」
 ごん、ごんと何度もシルバの頭に、踵を入れるノワ。
 ここまでノワは頑張ってきたのだ。
 それを簡単にやめておけなんて言うシルバに、腹が立ってしょうがない。
 それにもし、多少危険なモノ――悪魔と呼ばれるぐらいなのだからそうだろう――だとしても、自分の望みは多少の代償に見合うモノだと思っている。
「待って下さい、ノワさん。もうちょっと詳しい話を――」
 その時、大きな音がした。
「何!?」
 ノワ達が顔を上げると、部屋の左右に突然『なかったはずの扉』が出現し、大きく開かれた。


 そして現れたのは、右から狐耳のサムライ――キキョウと。
「シルバ殿、お待たせしたっ!!」
 左からは、足の裏の無限軌道をフル活動させて疾走する、重甲冑――タイランだった。
「こ、怖っ……は、早く落とし穴へ……!!」
 扉の奥から、巨大な津波のような音が響いてきた。


 二人の姿を認めた直後、ノワの勘が、背筋にぶわっと冷たい汗を噴き出させていた。
 何か、まずい。
 足下にうずくまる男は一体、何を仕掛けたのか。
「来たか……!」
 一方、クロスはシルバの呟きに目を見張っていた。
「認識偽装が解けた――!?」
 条件指定での、偽装解除。精神操作系の高等技術だ。
 本家の純血種に嫉妬を憶えながらも、クロスはそれどころではない事を悟る。


 ほぼ間を置かず、どぉっ! と二つの扉から大量のモンスターが出現した。
 キキョウの飛び出てきた扉からは、戦士系、騎兵、魔導師などの人型モンスターが数十体。武器や杖を手に持った彼らが咆哮を上げながら、殺到してくる。
 一方タイランの飛び出た扉からは、幽鬼、亡者、悪霊といった精霊系のモンスターがやはり同じく数十体。苦悶の声を上げながら、ゆらりゆらりと迫ってくる。


 ――この間、ほんの数秒。


「みんなノワを守って!!」
 ノワの叫びに、三十人の冒険者達は各々武器を、盾を構え、モンスター達に立ち向かう。
 しかし、いくら第四、第五層クラスの冒険者達といえども、木偶と化している状態では真価を発揮する事は困難だ。
 怒号と地響きが部屋を満たしていく。


 そして五分後。
 生き残ったモンスター達は隠し部屋の扉から出て行き、部屋は沈黙した。
 濛々と埃の舞う部屋の中には、何十人もの冒険者達とそれを上回る数のモンスターが倒れ、武器や血飛沫が床を汚し、壁のあちこちに亀裂が生じていた。
 赤絨毯はボロボロで、椅子も完全に粉砕されている。
 パカッと床の一部が二つ開き、そこからキキョウとタイランが顔を出した。
 タイランは落とし穴から身体を乗り出し、部屋の惨状を見渡した。
「お、終わりましたか……?」
「ああ、おそらくな。それにしても酷い有様だ」
 キキョウも同じく落とし穴から飛び出し、小さく息を吐いた。
 落とし穴の中に罠はなく、ただひたすら身を潜める為の機能しかない。そもそも排気口やダストシュートの類だったのではないかというのが、この部屋を調べていたクロエの報告だった。
 蓋の調達や、複数の出入り口の存在も、シルバ達が村に滞在していた間に、クロエやカートンがこなしていた仕事である。
 本来、モンスターを大量に引きつけ、連ねる行為は冒険者ギルドからもマナー違反として禁止されている。
 とはいえ、今回の仕事は、ノワ達を誘き寄せる為にも、シルバ達だけで行わなければならなかった。
 実力差を埋める為、というよりむしろ問答無用で捕える為、ギルドマスターから許可証をもらってまで行ったのがこの『列車作戦』だ。
 もっとも、イレギュラーというのはやはりあり、キキョウ達にとってはこの数十人の冒険者達が、それに該当していた。
「こ、この人達は一体……」
 タイランが怯え、キキョウは首を振った。
「分からぬ。だが数から考えると、おそらくあのアル・バートという男の仲間達であろう」
「まさか、シルバさんやカナリーさん、ヒイロもこの中に……」
「ふ、不吉な事を言うな、タイラン!」
 ちょっと心配ではあったが、シルバ達の避難方法も事前に聞いている。
「予定通りなのだから、シルバ殿も例の針で……あれか!?」
 部屋の奥に、ドーム状になった土の盛り上がりがあった。
 シルバが土の精霊の力を針で喚起し、地面を持ち上げ、防御したのだろう。
 それは、シルバの計画通りだ。
 まるで土で出来たかまくらのようだな、とそれを見て、キキョウは思った。
 やがて、そのかまくらがゆっくりと崩れ落ちていく。
 中から、少女の声が響いた。
「ふぅ……助かったよ、シルバ君」


 ノワの姿を見た二人は、絶句しているようだった。
「な……」
「シ、シルバさん……それにヒイロも……どうして!?」
 シルバは、ノワの命令を忠実に守った。
 本来、ヒイロやカナリーを守るはずだったその手段は、敵を守る為に使われていたのだ。
 お陰でノワ達は完全に無傷の状態で、シルバのパーティーの残りと相対する事が出来る事となった。
「に、逃げろ、二人とも……」
 床に倒れ伏したシルバの背に、ノワは腰掛けていた。
「ねえ、シルバ君。あの大きいのも、中、女の子なんだ」
「……そうだ」
「ふーん……」
 ノワは、シルバの背中に乗ったまま少し考え、ポンと手を打った。
「そうだ! じゃ、あの二人の相手はシルバ君達にやってもらおう!」
 明るい声で言うノワに、シルバは怒りの形相で振り返る。
「お前!?」
「ぶー! お前じゃなくてノワだもん! ヴィクター、魔力ポーション!」
「はい、のわさま」
 さすがにもうグラスはなく、ヴィクターも普通に瓶状態で出すしかない。
「いい案かもしれませんね。僕達は消耗しないで済みますし」
 クスクスと、クロスは笑った。
 そのすぐ隣には、呆けた表情で棒立ちするヒイロがいる。
 さ、とノワは魔力ポーションを飲み干すとシルバの背中から下り、彼も立ち上がらせた。
「本気でやらないと、ノワ怒るからね。また、太股を針で刺したくないでしょ?」
 その言葉に最も反応したのは、シルバではなかった。
「……!!」
 顔を真っ赤にし、キキョウは刀の柄に手をやっていた。
 それをタイランが必死に制する。
「キ、キキョウさん……落ち着いて下さい!」
 それを見ながら、クロスが優しくヒイロの背中を押す。
「ヒイロさん、でしたっけ? 君も僕の為に、しっかり働くんですよ?」
「……うん」
 骨剣を引きずり、ヒイロが前に出る。
 クロスの脇からもう一つ、黒い影が進み出た。
「俺も出る」
「ロン君?」
 ノワの問いに、ロンは無表情で振り返った。
 そしてキキョウを指差す。
「……あっちのサムライは俺の獲物だ」
 どうやら譲る気はないらしい。
 クロスを見ると、やれやれ、と彼は首を振っていた。
「ま、そうですね。半分遊びとはいえ油断は禁物です。前衛二人を相手は、相手に迷いがあるようでも、さすがにヒイロさん一人ではきついでしょう」
 確かにその通りではあるので、ノワも反対はしない事にした。
 クロスは、ふむ、とシルバを見た。
「ただし人数が増える分、シルバ君にはよく仕事をしてもらわないといけませんけど。念のためにヴィクターも、すぐに出られるよう控えていて下さい」
「わかった」


 進み出る、仲間であったはずの鬼の娘と、漆黒の戦士。
 その後ろには、彼女達のリーダーであったはずの、司祭が控えている。
 キキョウは緊張を高めながら、隣にいるタイランに問いかける。
「タイラン、やれるか? 某の相手はまだ、敵なので救いがあるが……お主の相手は……」
「わ、分かりません……分かりませんけど――今は、や、やるしかないですね!」
 ガシャン、と金属質な音を鳴らし、タイランは斧槍を構えた。


 パン、と楽しそうにノワは両手を叩いた。
「それじゃ、仲間同士の対戦、スタート♪」
 そして戦いは始まった。


「シルバ殿……」
 漆黒の盗賊戦士、ロン・タルボルトの背後に控える司祭を、キキョウは耳と尻尾を垂らして見つめていた。
 そのあからさまな隙を見逃す、ロンではなかった。
 床を踏み込み、高速移動で呆然とするサムライ娘へと迫る。
 腰の後ろに差した鞘から、二本の短剣を抜いたその時だった。
「馬鹿、目の前の敵に集中しろ、キキョウ!! ――{加速/スパーダ}!!」
 切羽詰まった声と共に、ロンの身体が軽くなる。
 シルバの祝福魔法が効果を発揮したのだ。
 だがハッと我に返るキキョウに、二本の刃を振るいながらも、ロンの無表情には微かに苛立ちが混じっていた。
「余計な事を……」


 刃と刃の打ち合う音が響く。
 ロンとキキョウの戦いが高速で展開され始めても、まだヒイロとタイランの戦いは始まっていなかった。
 ……もっともこれは、ロンが戦いの火蓋を切るのが速すぎた、というのも理由の一つなのだが。
 ともあれ、シルバの魔法二つ目の声が、部屋に響き渡る。
「{豪拳/コングル}!」
 轟、とヒイロの身体から、熱風のような気が放たれる。
 骨剣を大きく振るい、ヒイロは大きく振りかぶる構えを取った。
 その破壊力を充分に知っているタイランは、大きな盾を構えながら、身震いしているようだった。
「う、うわ……お、お手柔らかにして下さいね、ヒイロ……」
「……いくよ」
 床石が割れるほどの踏み込みと共に、ヒイロが突進する。
 防御を端から捨てた攻撃一辺倒の一撃は、だからこそ、恐るべき威力を誇る。
 暴風のようなスイングが、タイランの突き出した盾に激突した。あまりの衝撃に、タイランの足が、後ろに引きずられてしまう。
「さ、最初から全力全開ですか……!」
 親友の手加減抜きの攻撃に、タイランは悲しむ余裕すらなく、次の一撃に備えざるを得ない。


「なかなか強力な盾のようですね。もっとも攻撃しないのでは、勝敗は決まったようなモノですが」
 クロスが、ロンとタイランの戦いを眺め、批評する。
 防御はなるほど見事なモノだが、言ってみれば首と手足を引っ込めた亀を相手にするようなモノだ。
 盾を鳴らす、骨剣のぶつかる音こそ派手なモノの、これでは埒が明かない。
 チラッとノワを見ると、案の定、退屈そうだった。
「もぉー、シルバ君。さっきロン君に掛けた魔法、ヒイロちゃんにも掛けてあげてー。ほら、スピード早くなる奴」
「人の魔力だと思って、好き放題言ってくれる……{加速/スパーダ}!!」
 ノワの声を背中にかけられ、シルバは速度を速める魔法を、ヒイロに掛けてしまう。
 さすがに単純に骨剣を振るうだけではダメージを与えられないとヒイロも悟ったのか、その攻撃が横殴りや打ち下ろしから突きへと変わる。
 豪雨のように降り注ぐ大量の突きが、タイランの盾を叩く。
「わ、わわ……っ!? 避けきれな……ひあっ!?」
 盾に隠しきれない肩や太股を突かれ、タイランがバランスを失う。
「こ、こんなのどうすれば……」
 そしてその体勢が崩れたところに、ヒイロ本命のフルスイングが急襲する。
「ぐぅ……っ」
 呻き声を上げながら、大きくタイランは弾き飛ばされた。


「だらしないよー、鎧ちゃん! もっとしっかり戦わなきゃー!」
 そうヤジを飛ばしながらも、派手にダメージの分かる方が好みなノワは上機嫌だ。
「思いっきりやってもいいんだよ。これからヒイロちゃん、防御も固めるから。ほらシルバ君、防御魔法掛けてあげてー」
 魔力ポーションを飲みながら、ノワはシルバに指示を送る。
「……{鉄壁/ウオウル}」
 攻撃を繰り返すヒイロの身体を青白い聖光が纏い、その周辺の空気が凝縮する。
「ついでに、相手の防御力も下げてくれるかな」
「シ、{崩壁/シルダン}……」
 苦悶の声を上げながら、シルバは新たな呪文を唱えた。
 その魔法はタイランの近くまで来ていたキキョウには効果を発し、ガラスの割れるような音と共に、防御力が下がったことを伝えていた。
 しかし当のタイラン本人は、それが効いた様子がなかった。魔法が弾かれたのだ。
「き、効きません……!」
 そのままタイランは盾を突き出し時には振るい、ヒイロの攻めを止めるよう、積極的な防御という変わった戦法を取り始める。
 ヒイロにはダメージが与えられないが、戦いそのモノは長引く。それはつまり、この戦いの最中に、戦局が変化するのを期待しての耐えの戦術だ。
 腰の引けた様子ながら、彼女は勝利そのモノを諦めた訳ではないらしい。
 それよりもクロスが興味を引いたのは、タイランの身体そのモノだった。
「ほう、絶魔コーティング鎧ですか。やりますね」
 銀縁眼鏡を整えながら、感心した声を上げる。
「ノワさん、あの鎧は高く売れますよ」
 クロスの忠告に、ノワは大いに慌てた。
「え!? じゃ、じゃあ困るかも! ヒイロちゃん、あんまり傷つけちゃ駄目だよ! 値段下がっちゃう! 中の娘だけ、引っ張り出して!」
「……うん」
 武器での攻撃が通じにくいと見たヒイロは、骨剣を捨てて素手での取っ組み合いに持って行こうとする。
 タイランは今度は、そのヒイロを振り払うのに難儀しようとしていた。


 一方、ロンの攻撃を完全に避けきれず、キキョウの傷も致命傷こそ無いものの、少しずつ増えつつあった。
「くっ……」
 ロンは現在、シルバの数々の支援魔法によって強化されている。
 速さはもとより、攻撃力や防御力も高められ、逆にキキョウはそれらを低下させられている。
「やるな……この速度についてこれる者はそうはいないはずだ」
 そう呟き刃を振るいながらも、ロンは退屈だった。
 正直、魔法で強化された分だけ、本気の加減が減っている。それでも充分に、今のロンならばキキョウは追い詰められるのだ。
 それでもかろうじて急所だけは守っているのだから、キキョウも大したモノだとロンは思う。
「お前とは、正々堂々小細工なしでやり合いたかった。業腹だが、目的の為だ。このまま倒れてもらおう」
「お、お主らの目的とは一体……」
「それぞれで違う」
 ロンの手が翻り、二の腕に赤い線が一本走ったかと思うと派手に血が噴き出した。
「うあぁ……っ!?」
 しかしキキョウは歯を食いしばり、汗だくになりながら刃を振るう。
「ぬう……っ!」
 振り下ろしからの胴薙ぎ、そして刃を戻さないままの必殺の突き。
 しかしそれも当たらなければ意味がない。
 ロンは軽やかなステップで、それらの攻めをすべて回避した。
「俺に同じ攻撃は通じない。なのに、三度もお前は同じ事を繰り返している。……その三連撃のパターンは読み切った。もう、無駄だ」
 ロンの右の刃が真っ直ぐと、キキョウの胸を狙う。
「そうだな――!!」
 しかしロンのそれも読んでいたのか、わずかに笑いながら、キキョウは再び攻勢に転じる。
 だが、それもやはり基本は同じ攻撃だ。
 足払いから刃が足下から跳ね上がり――刃を戻さないままの疾風の突きがロンを襲う。
「四度目。これ以上、俺を失望させるな」
 ロンは苛立ちを瞳に秘め、手に持っていた短剣に力を込めた。
「確かに大した鋭さだ。だが、最後の攻撃が同じなら、読むのは容易い。これで――」
 キキョウが空振ったのとタイミングを合わせ、ロンの右の短剣が走る。
「――終わりだ」
 だが、その刃がキキョウの胸に突き刺さる前に、硬い感触がそれを遮った。
「む」
 ヒイロと戦っていたタイランが、いつの間にか近くまで寄っていた。
 そしてキキョウを弾き飛ばし、タイランの重装鎧がロンを阻んだのだ。


「あん、もう邪魔しちゃ駄目ー!」
 せっかくのいいところだったのを妨害され、ノワは悔しそうに拳を振り回した。
 そして唇を尖らせながら、荒い息を吐きながらまだ闘志の衰えていない様子のキキョウを睨み付ける。
「……あの子には前に、酒場で見下されてるからね。ちゃんとやっつけてもらわないと」
 なるほど、とクロスは頷き、前に進み出た。
 どうやらなかなか倒れないタイランの方には、(甲冑の価値はともかく)執着はないらしい。そろそろ決着をつけた方がいいだろう。
「では、鎧の方は僕達も手伝いますか。いきましょう、ヴィクター」
「わかった」
 ノワも、それに異論はないようだ。
「もっとも、ほとんど必要ないと思いますけどね。どういう事情か知りませんが、調子も悪いようですし」
 クロスの眼鏡が光を反射し、肩を竦めた。
 ドスドスドスと、ヴィクターがタイランへと突進しながら拳を振りかぶる。
 同じようにヒイロも拳を固める。
「……とどめ、いくよ」
「ぬうっ」
 二つの豪腕が唸りを上げて、タイランの胸部を打ち貫いた。
「あう……っ!?」
 強烈な打撃に耐えきれず、タイランは吹き飛ばされて壁に叩き付けられた。
 そのまま、ズルズルと地面に崩れ落ちる。
 しかしそれでも、ノワには不満だったようだ。
「あーもー、クロス君!?」
「大丈夫ですよ。戦闘不能にしましたから、これ以上はもう、ほとんど動けないはずです。あとは中身を引きずり出すだけです。そちらはもらっていいですよね?」
 言って、クロスはヴィクターを従え、タイランにのんびりと近付いていく。
「うん。そっちは興味ないから好きにしていいよー」


 そしてロンの方も大詰めだった。
 戦況はほぼ決まったも同然で、さっきからロンの両剣が攻める一方だった。
 だが肩で息をしながらも、キキョウはそれらをギリギリで受けと回避でやり過ごし、おまけに目もまだ死んでいない。
 刻一刻と傷が増える中、ロンの左の剣を弾く。
「詠静流奥義――」
 ……と同時に、キキョウの最後の技が発動していた。
「!?」
 右の短剣もキキョウの柄尻が払い飛ばし、これまでで一番速い突きがロンの顔面を急襲する。
「――『彗星』!!」
 だが、その刃の先端が、ロンに届くことはなかった。
「{大盾/ラシルド}……っ!!」
 衰弱したシルバの放った魔力障壁が、それを阻んだのだ。
「シルバ殿……」
「まったく残念だ」
 目を見張るキキョウの胸に、右の短剣が突き刺さった。
「がぁっ……!!」
 血反吐を吐きながら、後ろへと倒れるキキョウ。
 真後ろは丁度、『列車作戦』で彼女自身が用いた避難用の落とし穴だった。
 そのまま暗闇に、キキョウは落下していく。
 それを見送り、ロンは表情を変えず呟いた。
「お前とは、もっと別の形で出会いたかった」


「ぐ、う……」
 シルバは、その場に跪いた。
 顔は青ざめ、身体もふらついている。
「あれれー、どうしたのシルバ君? 調子悪そうだけど?」
 ノワは、分かっていながらシルバの背に声を掛ける。
 クロスはタイランの前にしゃがみ込みながら、振り返った。
「無理もありませんよ。この短時間に、魔法を乱発しましたからね。気絶しないだけマシというモノです。ほぼ魔力も、底を尽きているんじゃないですか?」
「そっかぁ。シルバ君、ここに魔力ポーションあるけど飲む?」
 ノワは道具袋から、液体の入った瓶を取り出した。
 シルバは、疲弊しきった顔でノワを睨む。
「なんて、上げないけどねっ! これはノワの分だもん♪ あっはっは、後残り一人? この調子なら楽勝だね!」
 瓶のコルクを抜き、ノワは嬉しそうに魔力ポーションを飲んだ。
「そうですね。後は彼らを洗脳して、ギルドから僕達の財産を取り戻してもらう。ああ、霊獣の子だけは、生贄に必要ですから別だとして……む、どこが開閉用の留め具なんでしょう」
 クロスはタイランの身体を見回しながら、小さく唸っていた。
「シルバ君はそのままだってばー」
 ノワの抗議に分かっていますよ、とクロスは返した。
「それでも四人。中でも、ホルスティン家の後継者を手に入れられたのは大きいですね。女性だったというのは驚きですが、むしろ僥倖です」
「お、お前、何を考えている……」
 シルバの問いに、クロスは微笑みで返した。
「大体、想像通りですよ。彼女の良人となれば、ホルスティン家を手に入れたも同然。これまで半端者と蔑んできた彼らを、今度は僕が見返す番です」
「……ずいぶん俗な動機なんだな。第一、カナリーを手に入れても、お前が半吸血鬼である事には、変わりはないだろうが」
「そうですね。今のままなら、ですが。だからこそ、霊獣の『高位の魂』が必要なのですよ」
「テメエ……!」
 シルバは、ガクガクと足を震えさせながらも立ち上がった。
「はい、シルバ君ストップ。動いちゃ駄目」
「ぐ……っ」
 直後、シルバの身体が硬直する。
「もー、クロス君喋りすぎ。気を抜いちゃ駄目だよ?」
 二本目の魔力ポーションのコルクを抜き、ノワはクロスに「めっ」と叱った。
「やあ、これはすみません。つい」
「ま、気持ちは分かるけどねー。あはは、ねえシルバ君、今どんな気持ち? 悔しい? ねえ、悔しい?」
 ノワが煽ると、シルバは肩を震わせていた。
「…………」
「ん? もしかしてシルバ君、泣いちゃってる? ボロボロ涙流しちゃってるの? 男の子なのに」
 だが、その割にはシルバを正面から見えるクロスの反応がおかしかった。
 クロスは、何だか怪訝な顔をしていた。
「あ、いえ……ノワさん」
「ん?」
「笑って……ますよ、彼?」
 そう、シルバが肩を震わせていたのは、笑いを堪えていたからだった。
 だが、我慢しきれなかったのか、その口から笑い声が漏れる。
「……はは」
「う、うん?」
 気が違ったのかな、とノワはちょっと後ずさった。
「ははははは……! 愉快だよ。この上なく愉快な気分だよ」
 シルバはギギギ……と、首だけをノワに向け、獰猛な笑みを浮かべた。
「……もうすぐ、お前らをぶちのめせると思うと、楽しみでしょうがない」


 シルバは首を戻すと、叫んだ。
「タイラン、やれ!」
「……はい!」
 タイランの手が動き、何か箱のようなモノが放物線を描いて、ノワに投げつけられる。
 クロスの背に、ゾッと悪寒が走った。
「しまった……爆発物!?」
 自分の雷撃、もしくはヴィクターの精霊砲。
 いや、アレが本当に爆発物なら、下手をしたら誘爆する。
 同じようにノワも考えたのだろう、とっさにクロス達を見て即座に決断した。
「シルバ君、ノワの盾になって!!」
「何!?」
 命じられ、シルバがふらふらになりながらもノワの正面に立たされる。
 なるほど、上手い手だったとクロスは思った。
 自分やヴィクター、ロンをノワから引き離し、リーダーを潰す作戦だったか。
 だが、それも失敗に終わる。
 タイランが投げ放った物体はそのままシルバに向かって落下し――。
「どかん!!」


 大きな音――いや、声だった? ――に、ノワは一瞬目を瞑った。
「――なんてな」
 やけに可愛い声がした。
 直後、胸ポケットから何かが引き抜かれた。
「あ? え?」
 ノワが目を開けると、そこには見知らぬ少女が立っていた。
「なるほど、『女帝』のカード。これが男達の動きを縛っていたモノの正体か」
 そう、目の前の彼女の言う通りだ。
 シルバに『女神の微笑』が通用しないという事で、より強力な対男性用のアイテムとして、キムリックに用意してもらったのが、『女帝』のカードだ。
 本来は迷宮探索時に手に入れた『魔術師』のカードと引き換えに手に入れるはずだったアイテムなのだが、マルテンス村の財産がギルドに封鎖されてしまい、高い金を払って買う羽目になってしまった。
 女性が使うことで、男性には圧倒的な強制力を課す事の出来るカード。
 ただし、女性相手にはまったく通用せず、かつ発動時に膨大な魔力、使用継続時にも常時魔力を消費し続けるという問題点はある。
 それでも、買う価値はあった。
 何せこちらには、女性相手に強力な『魅了』を有する半吸血鬼、クロスがいるのだから。
 ……もっともシルバのパーティーが、シルバを除いて全員女性だったというのは、まったくの計算外だった訳だが。
 それはともかく、目の前の女の子は一体……。
「誰」
 やや癖のある髪は、肩ほどまである。
 少し身体に合わない大きさの白い軽装法衣を身に纏った、気の強そうな美少女だ。
「おいおいおい、人を盾にしておいて、そういう事を言うのかい」
「シルバ……君?」
 『彼女』――シルバは、呆然としているノワからバックステップで距離を取った。
「今は『君』じゃなくて『ちゃん』、なのかね――本来は万が一の魅了対策として、ヒイロに使う為のアイテムだったんだが」
 ノワの足下には何やら外装らしき板が落ち、シルバの手にはいつの間にか木製の像があった。
 タイランが投げたのは、爆発物ではなかったのだ。
「あぁっ!? それ、ノワが手に入れた……」
「今はギルドの管理物だけどな」
 それは牧神の偶像である『牛と女神像』。
 効果は性別転換。
 これで、シルバは女性化し、ノワの『女帝』を無効化したのだ。
 もっとも、今のシルバには回復の手段はない。装備は全部、クロスが奪って他の冒険者達の分と合わせて部屋の隅にまとめてある。
 取り戻すのは容易なはずだ。
 ノワは、腰の後ろの斧に手をやった。
 だが、自由になった『彼女』は、胸元から聖印を引き出し繋具から離した。
 そこでノワは思い出した。
 聖職者の聖印は、いざという時の命綱、ポーションの容器にもなっている。
 中身を一気に煽ると、シルバは手を高らかに上げ、指を鳴らした。
「{回復/ヒルグン}!!」
 魔力ポーションで回復したシルバの青白い聖光が、彼女の後方を包み込む。
 ロン、ヴィクター、ヒイロの傷が癒され――クロスが血反吐を吐きながら身体をくの字に折った。
「くっ、ヴィクター、ロン君、ヒイロさん、行きますよ! 敵は一人です」
 クロスは口元の血を拭い、仲間達に命じる。
「おう」
「分かった」
「……うん」
 後方から四人動き、正面からはノワが斧を手に取り迫ってくる。
「だね。恐れることはないよ。シルバ君には攻撃力皆無だもん!」
「おいおい、ちょっと待てよ。少し話をさせてくれ。何、時間稼ぎじゃないんだ」
 シルバはポケットに手を入れ、立ち尽くす。
 何か策があるのか、まるで余裕の様子だ。
 しかし、ノワ達の方が早い。
「問答むよー!」
 この振りかぶった斧がシルバに届けば、ノワの勝利だ。
「やれやれ、現状を把握させてやろうと思ったのに……」
 それらは、ほぼ同時に起こった。


 シルバの背を捉えようとしたクロスとヴィクターに、紫色の落雷が直撃した。
「がああぁぁっ!?」
 衝撃に、クロスが膝を屈する。ヴィクターも、見えない敵の存在を探ろうと足を止め、左右を見渡す。
「……っ!? こ、この雷撃は……ま、まさか」
 身体の痺れを堪えながら、クロスは自分の影に振り返った。
 そこには、礼服から突き出た白い手があった。
 突き出された人差し指からは、紫の火花が生じている。
 ふと、クロスは思い出す。
 そうだ、シルバ・ロックールには大した攻撃力はない。それは調査済みだ。
 だが、それが真ならば。
 ゆるり、と影の中から、金髪紅眼の吸血鬼が出現する。
「……もう、我慢しなくて、いいんだよね、シルバ」
 胸元の小さな血の跡に手を当てる。
 シルバがカナリーを刺した傷も、さしたるダメージがなかったという事か。
「正確には、重要な臓器や血管を避けたのは、僕自身な訳だけどね。痛かったことには変わりはないし」
 やれやれ、とカナリーは指先から雷撃を迸らせた。
 それは正確に、クロス・フェリーとヴィクターを貫いた。
「ぐううぁぁ……っ!?」
「ぬぅ……」
「シルバを縛っていた強制力の正体と出所を掴むのには苦労したよ、まったく……ま、あれだけバンバン使われれば、どんなヘボ魔術師だって分かるってモンだけどね」
 にこやかに、だが目が笑っていない真面目な表情のまま、カナリーは自分の金髪を掻き上げた。
 その背後には、幾つもの雷球が弾けそうな音を立てながら控えている。
「さあ、光と音のオンパレードだ。楽しんでくれ給え」


「ぬ!?」
 背後からの怜悧な殺気に、ロンは足を止め短剣を振るった。
「シルバ殿に、手出しはさせぬ!!」
 黒い穴から飛び出した、キキョウの刃がロンの短剣とぶつかり火花を飛ばす。
「……そうか」
 ロンは把握した。
 さっきの{回復/ヒルグン}は、クロスへの攻撃だけじゃなかったのだ。
 おそらく穴の中で倒れていた、キキョウの体力回復。
 それも狙いの一つだったという訳か。
「……穴の中に置いておいたポーション分も含めて、完調とは言い難いがな。半分ほどは回復した。さあ、二回戦といこうか、ロン・タルボルト」
 床に着地したキキョウは、刀を構えた。
 服はボロボロ、身体の切り傷もまだ癒えていない部分がある。
 だがそれでも、キキョウは不敵に微笑んだ。
「迷いのない某は、少々手強いぞ?」


 そしてシルバは呪文を唱えた。
「――{覚醒/ウェイカ}」
「あ……」
 背後から迫っていたヒイロがクロスに掛けられていた魅了から我に返り、足を止める。
 これで、後ろからの攻撃はなくなった。
「だけど今のシルバ君は完全にフリー! 守ってくれる前衛もいないんじゃ、どうしようもないでしょ!」
 それでも、シルバはその場を動かなかった。
「やれやれ……二人、忘れてるぞ、ノワ」
「え……」
 攻撃圏内に入ったノワの斧が、シルバの首筋目がけて振り下ろされる。
「ヴァーミィ、セルシア!!」
 シルバの足下の影から、勢いよく赤と青の従者が出現した。
「主と俺の分、全力でぶっ飛ばせ!!」
 赤いドレスの美女・ヴァーミィが、シルバに届く直前だったノワの斧を鋭い蹴りで止める。ほぼ同時に、青いドレスの美女・セルシアの強烈な手刀がノワの腹に放たれた。
「がふぅっ!?」
 およそ女の子らしくない呻き声を上げながら、ノワが大きく後ろに吹き飛ばされる。
「{豪拳/コングル}。そして{加速/スパーダ}。安心しろ、ノワ」
 ヴァーミィとセルシアの身体が、赤いオーラを纏う。
 力と速さを上乗せされた美女達はシルバを守るように前に立ち、拳法の構えを取った。
「前衛ならちゃんといる。それも二人もな」


 乱戦が始まった。
 ノワの相手は二人の従者。
 カナリーがクロスとヴィクターを雷撃魔法で迎え撃ち、キキョウとロンの高速戦闘が再び火花を散らす。


「タ、タイラン、大丈夫……? ご、ごめんね……ボク、ずっと見てたのに、何も出来なくて……」
 そんな中、我に返ったヒイロは、壁にもたれて倒れ込むタイランに駆け寄り、その身体を涙目で揺すっていた。
 シルバの{回復/ヒルグン}は、絶魔コーティングされているタイランの装甲には通じなかったのだ。
「ヒイロ!」
 その背中に、シルバは厳しく声を叩き付ける。
「っ……!」
 ヒイロの身体がビクッと震え、こちらに振り返る。
 シルバは、カナリーが相手をしている相手の一人、巨漢のヴィクターを指差した。
「お前の相手はヴィクターだ。タイランに謝るのは、後にしろ。でなきゃ、俺の頭貸してやる」
「精神共有……! 君はまさか……」
 カナリーの{雷閃/エレダン}をかろうじて回避したクロスが、悔しげにシルバを見る。
 どうやら彼は気付いたらしい。
「さすが魔術師、察しがいい」


 すべては、クロス達に見えないところで謀られていたのだ。
 ノワの前に屈し、頭を踏みにじられながら。
 影の中に捕らえられ、味方だった者の支援で強化された敵と戦わされ、友とぶつかる事を強要されながら。
 彼らは、ずっと相談していたのだ。
 この状況を打破するタイミングを……!
 こんな事なら、さっさとシルバを洗脳しておけばよかったのだ。身体の自由を奪った程度で、満足したのがまずかった。
 明らかな慢心だ。
 思えば、あのタイランという甲冑が投げた女神像。
 あれが秀逸だった。
 タイランはヒイロと戦いながらもひたすら盾の防御で粘り、クロスやヴィクターをノワから引き離した。おまけに、ロンの攻撃の妨害までして。
 そして、フリーになったノワへの、得体の知れない『箱』の投擲。
 下手に魔法で迎撃することは出来ない。だがノワの傍に味方はいない。
 こうなると、ノワを守れるのはシルバしかいない。
 そう、最初から狙いはノワではなかった。
 あれは、ノワがシルバを盾にするだろうと踏んだ、彼らの策だったのだ。そんなノワの性格まで読み切ったのは、おそらく彼女とかつてパーティーを組んだことのあるシルバ・ロックール。
 彼(今は彼女)は仲間と言葉を交わすことなく水面下で、この機を狙っていたのだ。
 魅了で虜にする事もクロスは考えたが、今は無理だ。それに警戒されている上に聖職者でもある『彼女』に、簡単に効くとも思えない。
「ところで、考えたり、余所見している暇はあるのかな、クロス」
「ぐはぁっ!?」
 新たに放たれた、カナリーの雷撃がクロスに突き刺さる。
 反撃する暇すらない。
 否、カナリーは呪文すら唱えていないではないか。
 度重なる雷術の直撃に、クロスは再び膝を折った。
「……影の中ではずいぶんと退屈してたからね。君をぶち殺すのに充分な量の術が練り込むことが出来ている。そのまま跪いていろ、クロス・フェリー。さっき、シルバに強要したように」
 柔らかく微笑んだまま、カナリーはクロスを見下ろす。
「我が名はカナリー・ホルスティン。我が仲間達の受けた苦痛と屈辱を晴らす為に。弄ばれた女性冒険者達の魂の安らぎの為に」
 指を銃口のように突きつけながら宣言する。
「覚悟はいいか、この半端者。光栄に思え。この僕が、ホルスティン家の次期当主が直々に、全身全霊をもって君をぶちのめそう」
「っ……は、半端者だと……!」
 身体を煤まみれにしながら、クロスの足が後ずさる。


 シルバに掛けられた声に、ヒイロは立ち上がっていた。
 涙を手の甲で拭い、骨剣を握りしめる。
「ヒイロ……」
 甲冑の中から響く振り絞るような声に、ヒイロはタイランの肩を掴んだ。
「タイラン!?」
「まずは、敵を倒さないと……よろしく、お願いします……」
「……うん!」
 そのヒイロの身体を、赤いオーラが包み込む。
 何度も慣れ親しんだその感覚は、シルバの{豪拳/コングル}だった。
 立て続けに、{加速/スパーダ}、{鉄壁/ウオウル}も上乗せされる。
「カナリーさん遅れてゴメン!! 一人、ボクが相手する」
「よろしく頼むよ、ヒイロ」
「うん、任せて!!」
 ヒイロは駆け出すと、振り返ろうとするヴィクターの脳天目がけて、骨剣を大きく振りかぶった。


「やっぱり、支援魔法は味方に掛ける方が気持ちいいや」
 はっはぁ、とシルバは笑った。
「ま、それはともかくいい加減胸が邪魔だな、この姿」
 そして印を切ると、自分に掛けられた呪いを解呪する。
 やや長くなっていた髪が落ち、シルバは少年の姿に戻った。
 そして、まだ支援魔法を受けていないキキョウに、詠唱した{加速/スパーダ}を与える。
「シルバ殿、助かる!」
 ロンの短剣をかい潜り、疾風の動きで迫るキキョウの刃が彼の腹を切りつけた。
「ぐぅ……!」
 魔法を雨あられと降り注ぐカナリーに苦戦しながら、クロスは信じられないという風にシルバを見ていた。
「馬鹿な……聖印に入れられる魔力ポーションの量なんてたかが知れているはず……! なのに何故、そんなに連発出来るんですか……!」
 シルバは、鎖に繋ぎ直した聖印を掲げた。
「ああ、マリン社の高濃度魔力ポーションだからな。そりゃこれだけの量があれば、回復には充分だろ」
「最高級品じゃない!?」
 その言葉に反応したのは、ヴァーミィ、セルシアを相手取っているノワだった。二人相手にも、何とか互角にやり合っているのは彼女もそれなりに腕を上げているからだろう。
「で、でも、そんなの買うお金、シルバ君が持ってるはず……!」
 斧でヴァーミィの蹴りを弾きながらノワが呻く。
 シルバクラスのパーティーなら、一本買うだけでもう二ランクは上の装備を調えられるはずだ。
「いや、俺達の金じゃなくて、カンパ。おいおい、引き合わせてくれたのはお前だぞ、ノワ」
「え……」
「ずいぶん以前、プリングルス兄弟っていうチンピラ冒険者達に襲われた事があってだな。その時に知り合った連中がさ」
 シルバはノワに、速度低下の効果がある{鈍化/ノルマン}を詠唱する。
「『俺達の分もやっつけてくれ』ってくれたんだ! その想いには応えなくちゃなぁっ!!」
 身体の動きが鈍くなったノワに、ヴァーミィの蹴りとセルシアの手刀が同時に叩き込まれた。
 シルバはキキョウに振り向くと、印を切った。
「キキョウ、回復行くぞ!」
「有り難い!」
 青白い聖光がキキョウを包み、傷を癒す。
 その分だけキレのよくなった彼女の動きを、ロンは相手にする羽目になる。
「余計な真似を……」
 無表情なロンの眉が、わずかに寄った。
「どうもお主は勘違いしているようだな。これは某とお主の勝負ではない」
 ロンの滝のような攻撃をすべて弾き返し、キキョウは攻勢に打って出る。
「某達とお主らの勝負だ!」
 強烈な胴薙ぎは、ロンが両の剣で受け止めなければならないほど凄まじいモノだ。


「皆さん、落ち着いて下さい。地力ではこちらの方が上です」
 正面に魔力障壁を張って、クロス・フェリーはようやく人心地ついた。
 だがその盾も、そうは長くは続かないだろう。
 紫電がぶつかる度に、障壁は軋みを上げる。それほどまでに、カナリーの雷撃の勢いは壮絶だった。
「冷静になれば勝機は生まれます。ノワさんも僕のようにまずは回避に専念して」
 いずれ魔力は尽きる。
 否、それまでにカナリーは別の手を打って出るだろう。
 自分の脇を抜ける、紫の電光を眺めながら、クロスは次の手を考えようとする。
 直後、頭に強い衝撃が駆け抜けた。
「がっ!?」
 後ろからだ。
 振り返ると、そこにはいつの間にかシルバが立っていた。
 虹色の膜状をした魔力障壁を纏い――いや、違う。
「{魔鏡/マジカン}」
 あれは魔法の反射シールド。
 やり過ごしたカナリーの雷撃魔法を跳ね返し、クロスの背後から攻撃を仕掛けたのだ。
「正面からだけと思ったら大間違い」
「こ、この……」
 クロスは紫電を纏う指先を、シルバに突きつける。
 まずはあの虹色の膜を、解除しなければならない。
 そう考えていると、再び背後から攻撃が来た。
「うあっ!?」
 全身に電流の痺れが走る。
 それを呆れたように見ているのは、新たな雷術を放ったカナリーだった。
「僕を前に余所見とはいい度胸だな」


 シルバは次にヒイロに視線を向けた。
「さてヒイロの方は、やっぱりタイランがいないのが痛いな!」
「……ちょっとね!」
 攻めは圧倒的にヒイロの方が上回る。
 だが、ヴィクターの硬い身体は、容易にダメージを与えないようだ。
 大きな動きの割に、防御が恐ろしく上手い上、弱い打撃はすぐに回復してしまう。
「構わないから、そのまま一気に押し切れ!」
「らじゃっ!」
 シルバの指示に『従わず』、ヒイロは一瞬その場で足を止めた。
「ぬうっ……?」
 前に出て来ると踏んだヴィクターの拳が、勢いよく空を切る。
「なんてね!」
 大きくバランスを崩したヴィクターの横っ面を、ヒイロの骨剣が思いっきり引っ叩いた。
 そのままヴィクターは、斜めにいたクロスにぶつかった。
「くっ、また精神共有ですか。厄介な技を。ヴィクター! 言葉は聞いちゃいけません! 彼らの作戦はすべて精神共有で行われています」
「おう」
 体勢を立て直しながらクロスが顔をしかめ、再びヴィクターはヒイロに立ち向かってくる。
 なら、とシルバは考える。
「このまま畳み掛けろ、ヒイロ!」
「うん!」
 防御を固めて機を伺うヴィクターの足を、ヒイロの骨剣は集中的に狙う。
 どれだけ頑丈であっても、同じ場所ばかり狙われては敵わない。ヴィクターの膝がガクリと落ちる。
「ぬう……くろす、こいつとまらない」


「……虚と思えば今度は実ですか!」
 地力がこちらの方が上という、クロスの考えは間違っていない。
 これだけ圧倒的に攻められながらまだ、誰も落ちていないのがその証拠だ。
 だがしかし、反撃の機会すら与えられないのは、やはり一番厄介な男がフリーでいるせいだろう。
 ノワはかろうじて、ヴァーミィとセルシアの二人を相手に互角の勝負を繰り広げているが、身動きは取れそうにない。
 ロンは救援しようにも、隙あらばとキキョウが倒す機会を伺っている。
 自分はカナリーに足止めされ、背後から襲ってくるシルバの魔法反射にまで気を配らなければならない始末。
 ヴィクターは言葉に惑わされ、攻めあぐねている。
 セルシアの身体を斧で弾き飛ばしながら、ノワが叫んだ。
「誰か、シルバ君を止めて! ヴィクター、もっとしっかり!」
「おう」
 振り返るヴィクターの後頭部に、勢いよく骨剣が振り下ろされた。
 鈍い音がして、ヴィクターの頭から血が流れる。
「先輩を相手にするなら、ボクをやっつけてからだよ!」
 振り返ろうとするヴィクターの腰に、深く骨剣が食い込んだ。
 ロンはそもそも振り返ろうとすらしない。
 いや、出来なかった。
 自分の顔を狙ってきた刀の切っ先を左の短剣で払い、右の短剣を突き出す。
「お主もだぞ?」
 肩口の着物を斬りつけられながらも、キキョウは一歩も退く気配がない。
「……ああ、お前を倒してからだ」
 最後が突きと分かっているからまだやりようがあるが、ロンにも他のことをする余裕はないのだ。
 だがそれでも、キキョウにダメージを与えているだけ、まだクロスやヴィクターよりはマシだろう。


「何、恐れることはないぞ、ノワ・ヘイゼル」
 ロンと刃同士の火花を飛ばしながら、キキョウは笑う。
「な、何よぉ」
 一旦はヴァーミィのみで優勢に立ったノワだったが、すぐにシルバが回復させたセルシアが復活してきて、動きをとめられてしまう。
 赤と青の従者は、息のあった連係攻撃がノワを戸惑わせるのだ。
「シルバ殿はおそらくこの中の誰も倒さぬし、ほとんど動かぬ。呪文で相手をやっつけもせぬ。お主の理屈では、働いていない男だ。そうであろう? かつてそう言って、シルバ殿をパーティーから追い出したそうではないか」
 確かにその通りだ。
 しかし、この戦場で、ノワ達にとってこの場で一番鬱陶しいのは、間違いなく中心にいるそのシルバ・ロックールでもあった。
 ノワのパーティーは、その全員が1対1ではなく、シルバを含めた2対1、もしくは3対1で戦わされる羽目になっていた。
「ま、前とは違うもん! こんな戦い方、しなかったし!」
「いや、俺がやってる事は前のパーティーの時と変わってない」
 ノワの抗弁に、シルバは首を振りながら、キキョウに{回復/ヒルタン}を与えた。
「敵から仲間を守る。それが俺の仕事だ」
「ううううう~~~~~!」
 ノワが歯ぎしりする。
 とはいえ、とシルバは誰にも聞こえないように、小さく呟いた。
「正直、あんまり時間は掛けたくないんだがな……」
 壁にもたれたまま動いていないタイランに視線をやり、念話を飛ばした。
(もうしばらく辛抱していてくれ、タイラン)
(りょ、了解です……でも、何だか申し訳がないような……)
(にぃ……こっちももうすぐ、とうちゃく)
(リフは、走りっぱなしで体力大丈夫だったか)
 リフからの割り込みに、シルバは返事を返した。
(に……そっちはへーき。けど怖いのが追っかけてきてるから、もう造りかえられた通路をグルグル回るのきつい。やっつけないと)
(怖いのって……靄か)
(もやは遅い。でも、魔人と木の根が――追いかけてきたからそっちにしゅうちゅう)
 魔人は分かるけど、木の根?
 だが、シルバがその疑問を尋ねるより先に、リフからの通信が切れる。
 どうやら念話を飛ばす余裕もなくなってきたらしい。
(……タイランはタイミングを見計らって、穴に落ちる。仕切り直しだ)
(わ、分かりました……)
(みんなもよろしく。俺は自分のアイテム回収する)
(らじゃっ!)
(承知した。シルバ殿気を付けて)
(背後からやられないようにね、シルバ)
 縁起でもないこと言うなよカナリー、とボヤキながらシルバは連絡を終え、自分の荷物が無造作に置かれている部屋の隅に駆け出した。
「むー! ノワ達の野望の邪魔はさせないんだからぁ!」
 中段蹴りを放ってきたヴァーミィを強引に振り払い、ノワがシルバを追ってくる。
 だが、その背中にセルシアのドロップキックが突き刺さった。
「ひゃあっ!?」
 倒れ込むノワと、その拍子に荷物袋からいくつものアイテム類が転がり出る。
 シルバは振り返り、すかさず従者達に指示を与えた。
「ヴァーミィ、セルシアも、魔力ポーションの回収だ!」
「だ、駄目ぇ!」
 何とか立ち上がろうとするノワよりも、ヴァーミィの方が早い。
 いくつかの瓶を拾い、シルバは近くに転がってきたアイテムを拾った。
 手の平に乗るぐらいの大きさの、金色の台座だ。
 卵のような形をした、小さなガラスのような器が載っているが、中身は空っぽになっている。
「コイツは……」
「それを手放しちゃ駄目だ、シルバ!」
 叫んだのは、カナリーだ。
「なるほど、シルバ。君はここに来る前に悪魔がどうとか言っていたね。なら、そのアイテムがそれだよ。パル帝国の国立博物館から盗まれたはずの禁具『魂の座』。ノワ、君は一体、どこでそれを手に入れた」


「盗品!?」
 一番驚いたのはノワだった。
 やれやれ、とカナリーは頭を振った。
「その様子だと知らなかったようだね――って、人が話をしている最中に邪魔をするんじゃない」
 ノワを見据えながらカナリーが手を振ると、後方に控えていた雷球が飛び、隙を伺っていたクロスをぶっ飛ばした。無視する訳にはいかないのが辛い所だ。
「もっとも知っていようがいるまいが、禁具の類は所有しているだけで重罪だ。かつこの場にあるという事はコレクションではなく実際に扱おうとしているという事。はい、シルバの専門だ」
 シルバも頷いた。
「悪魔召喚は当然、重罪だ。大陸中のゴドー教徒を敵に回す事になる。国外逃亡するにしても、出来る範囲が三分の一程度に狭まったな。いや、そんな事は正直後回しだ。現状を把握しているか、ノワ」
「ノワ達がピンチだって事?」
 ノワは従者達に取り囲まれており、残りの三人も、それぞれシルバのパーティーのメンバーを相手にしている。
 だが、そんな次元の話ではないのだ。
「ある意味で俺達全員だっつーの。あー、くそ、本当に封印が解かれてる……」
 シルバは『魂の座』から漏れる強い魔力に、頭を掻きむしった。
「君がいう靄の出現は、それが原因か」
「ほぼ間違いなく、だカナリー。そして、俺じゃ封印無理。先生クラスじゃないとどうにもならない。そしてそれすらもう手遅れで、タイムアップだ。始めるぞ」
「分かった」
 カナリーは残っていた雷球をすべてクロスに放った。
「な――!?」
 数よりもまず眩しさに、クロスは顔をしかめる。
 それに構わずカナリーは、滑るような動きでシルバの元へ低空飛行する。ついでに影の中に、赤と青の従者も回収していく。
「ぬ! カナリーずるいぞ!」
 ロンの刃を弾き、キキョウは後方に飛んだ。
 ちょうど真後ろは、自分が二度落ちた落とし穴だ。
「元々の予定通りじゃないか」
 肩をすくめるカナリー。
 シルバの足下は剥き出しの地面になっており、つい先刻失敗した『列車作戦』でも自分はこの位置に立っていた。
 地面に針を刺すと、その地面が徐々に盛り上がっていく。
 離れた場所でヴィクターを相手にしていたヒイロも、彼を放って後ろへ駆け出した。
「うお?」
 攻撃を空振り、ヒイロの後ろ姿に驚くヴィクター。
 だがヒイロはそれに構わず、タイランの元へ駆け寄り、彼女の重甲冑を押すようにしながら、自分も穴に飛び込む。
「タイラン相席よろしくー」
「は、はい……!」
 そのすぐ頭上を、ヴィクターの放った精霊砲が薙いでいくが、間一髪でそれがヒイロ達に当たることはなかった。
 突然のシルバ達の行動に、ノワは戸惑った。
「な、何よ一体!?」
「紹介しよう」
 土のドームに包まれながら、シルバは壁の一点を指差した。
「ウチのパーティー六人目、リフ・モースだ」
「に!」
 どん! と壁が開き、深く帽子を被ったコートの獣人少女が突入してきた。
 そしてそれに続くように長い長い木の根、さらに大量のモンスターが殺到し、部屋を埋め尽くそうとする。
 リフが自分用の落とし穴に潜って、その蓋が閉じたのを確認すると同時に、シルバ達のドームも完全に閉まった。
 地震のような震動と、モンスター達の咆哮が、ドームの壁越しにも伝わってきていた。

 一緒にドームに入ったカナリーが、光球を作り出す。
「さて、現状の把握といこうか」
 外ではいまだにモンスター達が大騒ぎだ。
 シルバはその場に胡座をかき、精神共有に集中する。
 まず真っ先に頭に響いたのは、キキョウの恨めしそうな『声』だった。
(カナリー……)
「ああもう、キキョウもしつこいね。大体あの黒戦士を相手にしながら、こっちまで来られなかっただろうに」
 シルバの向かいに女の子座りをしながら、カナリーはパタパタと手を振った。
 それからにんまりと笑う。
「それにしてもドキドキするねぇ、シルバ。こんな狭い場所で二人っきりなんて」
(ちょっ! カナリー! 今からそっちに行くから待っていろ!?)
「はいはい、カナリーも冗談はその辺にして。リフ、無事か」
 カナリーとキキョウのやり取りを流し、シルバは点呼を取る。
(にぃ)
「ヒイロ、タイラン」
(あいさー)
(わ、私はあまり無事とは言い難いのですが……)
(ごめんねごめんね! タイランごめんね!)
(ヒ、ヒイロのせいではありませんから……)
 よし、全員いるな、とシルバは安心した。
(シ、シルバ殿。某の無事は……)
 何か、尻尾がだらんとしおれていそうな声だった。
「別に忘れてた訳じゃない。あれだけ喋れるなら、元気なのは分かるって。けど、ロンとの戦いで消耗してるだろうから、回復は必要だな」
(う、うむ……)
 ちょっとホッとした風なキキョウの声だった。
 さて、とシルバは場の空気を調える。
「厄介なのは、魔人に変えられた冒険者と、えーと……木の根?」
(に。つかまると厄介)
 リフの言葉に、カナリーが唸る。
「おそらくそれは、第五層から運んでいたっていう苗だろうね。しかしリフの話を聞いた感じ、相当な成長を遂げているようだ。こんな短期間で成長するモノなのかい?」
「おそらくそれは、靄の仕業だろう。アレは俺達の常識から外れている。苗を大きくする事なんて、それほど難しい事じゃない」
(シルバ殿。その靄……悪魔というのがよく分からないのだが)
 これまでは、ノワ達との戦いに集中していたので、ヒイロやカナリーも含めて『悪魔』に関しての説明は最低限の事しかしていなかったのだ。
 シルバは手に持つアイテム『魂の座』を撫でた。
「要約するとだ。ノワ達がアイテム『魂の座』を使って、悪魔を呼び出そうとその封印を解いたんだ。つまりこれが起動状態になった――」
 そして起動状態になった『魂の座』は、近くにある悪魔の素となる物質を引き寄せる性質を持っている。
「その物質ってのが、件の靄なんだな」
(不定形か……斬るのは難しそうだな)
「いや、キキョウじゃなくても誰が相手になってもアレには勝てない。絶対に相手にするな。触れた途端、別のモノに書き換えられちまうからな。先生や……一部のヒトは{情報/データ}って呼んでるけど」
 ヒトだけでなく、モンスターや迷宮そのモノすら書き換える危険な相手だ。
 武器も触れた途端、大根とかゴボウに変えられかねない。
 ノワが盗品であること、そして危険な存在が近付きつつある現状を把握していないことから考えて、誰か第三者が彼女をけしかけたのだろう。
「なかなか興味深いな。とにかく現状では倒す手段はないという事は把握したよ」
 うんざりと頭を振りながらも、カナリーが取り乱した様子がないのは、シルバが落ち着いているからだろう。
(で、でもそれじゃ打つ手がないんじゃないですか……?)
 タイランの問いを、シルバは否定する。
「そうでもない。悪魔がこの世界に顕現すれば、その肉体ごと消滅させることが出来る。もしくは悪魔自身が自分で帰るかだ」
「その靄が受肉する為のアイテムが『魂の座』という訳か……」
「ああ。ただし、顕現には代償が必要になる。それが『高位の魂』」
 シルバは『魂の座』を眺め見た。
 台座の上にある透明な卵形の器。ここに、『高位の魂』が入る事により悪魔の召喚は完了する。
 しかし、それはまだ入っていない。
 現地調達するつもりだったのだろう。
「……ウチでいえば、リフの魂って事になる。多分、ノワ達はそれも狙いの一つだったんだろうな」
(にぃ……)
 シルバの言葉に、キキョウとタイランが激昂する。
(断じて許せぬ!)
(は、はい! ぜ、絶対駄目です……!)
 一方、カナリーはクールだった。
「しかし、受肉しなければ靄は倒せない、と」
 ただ、とシルバは考える。
 普通、リフを見て霊獣だとは分からないはずだ。ちょっと見、白い仔猫と思うのが関の山だろう。
 ノワのパーティーの中に霊獣に詳しい者がいるか(だとすればクロスだろう)、さもなきゃ『魂の座』を売った人物ではないかとシルバは踏んでいる。
 そこで口を挟んだのは、それまで黙っていたヒイロだった。
(ねーねー奪われたっていう苗は? アレって確か、霊樹……とかいう奴の小さいのだよね?)
「ありゃイレギュラーもいい所だ。ノワ達がそっちを最初から狙ってたなら、普通に襲撃受けてるはずだしな」
 だが、第五層の冒険者達を襲ったのは靄だった。
 靄には、『高位の魂』に引きつけられる、動くモノを見ると襲うという二つの習性がある。
 本来なら苗を持って、そのまま『魂の座』に向かえばいい所を、苗を成長させてリフを追い回したのも、その習性にあるのだろう。
 話を戻し、ノワ達の目的だ。
 シルバ達を倒し、リフを手に入れる。それが彼女達の目的だとして。
「俺達を倒してからゆっくりと、『魂の座』を使ってこの世に顕わす気だったんだろう。けど、望みは出てきた。その件の苗の魂。それを使って受肉させれば、靄は消える」
「悪魔も相手にしなきゃいけないのかい? 身体が持つかな」
「……あー」
 どうみんなに説明するべきかシルバは迷った。
「多分、だけど、そっちは大丈夫だと思う」
「何故?」
「俺の知っている通りの奴なら、話せば分かる相手だからだ。かなり面倒くさい相手だが……とにかく、この世に顕現させた方がマシなのは確かだよ。靄には本能しかないからな」
 すると、カナリーがジトーっとした目でシルバを見た。
「シルバ、君、薄々気付いてたけど悪魔にあったことがあるね?」
(もしや、温泉で話していた、以前死んだというのはそれが関わっているのか、シルバ殿!?)
「いや、直接的には違うんだけど」
(それは、間接的には関わっていると言っているようなモノではないか!?)
(あ、あの……今はシルバさんと悪魔の関わりはそれほど重要じゃないと思います……)
(む……タ、タイランの言う通りではあるな……シルバ殿、続けてくれ。そもそも『高位の魂』とはどうやって手に入れるモノなのだ。その……リフの手前、聞くのは抵抗があるが……命を奪ったりするのか?)
 シルバは台座の縁に刻まれた、文字を見た。
 古代語の下に、おそらくノワ達が翻訳したのだろう、現代の言葉が書かれている。
 シルバは台座から、卵形の器を外した。
「台座に刻まれている言葉をキーワードにし、器を触れさせれば魂が吸収される。もっとも、魂をある程度安定させる必要はある」
(つまり、リフを追っていた木の根の元を一度は大人しくさせねばならぬ、という事か……)
「つまり、倒さなきゃいけない訳だ」
 カナリーが嘆く。
「……攻撃無効化する奴相手にするよりはずっとマシだろ」
 そろそろ外の音や振動も大人しくなりつつある。
 このまま閉じこもっている訳にもいかない。自分達は安全でも、リフはまだ靄に追われているのだ。アレには壁も意味を成さない。
 足が遅いのが、救いといえば救いだ。
「とにかく、まずは苗だった奴を叩く。冒険者が変えられたっていう、魔人は倒せればいいけど、基本は牽制。こっちはキキョウとカナリーにやってもらう」
(……植物の苗というのはつまり、第五層を守る霊樹であろう? 四人だけで大丈夫なのか? いや、タイランは甲冑がまだ回復していないから三人か)
 キキョウの問いに、シルバはいや、と反論した。
「むしろ、魔人を二人だけに任せるってのも、大概なんだ。魔人っていうのは大抵、ハンパないからな」
 キキョウがメインのアタッカーなのは当然として、カナリーをそちらにしたのは雷は延焼する可能性があるからだ。
「それに正確には二人じゃない」
(ヴァーミィとセルシアか)
「いや……」
 首を振り、シルバはそれまで、思念を一方的にカットしていた相手に意識を向けた。
「とりあえず話は全部聞こえたな、ノワ? 落とし前は付けてもらうぞ?」
(ノワは悪くないもん!)
 どうやって生き延びたのか、無事だったノワ・ヘイゼルはまったく反省していないようだった。
 だが今回の一件、原因は彼女達にある。
「……おいおい、逃げ切れると思ってんのか? 手伝わなきゃ、全滅するだけだぞ」
 シルバは、ノワ達を巻き込む気満々だった。いや、むしろ巻き込まれたのは自分達の方かも知れない。
 そして、カナリーが軽く耳を揺らした。
「外が静かになったようだよ、シルバ」


 シルバは駆け引きの材料を考えていた。
 ノワ達の目的が悪魔の召喚(正確には召喚し、自分の願望を叶えてもらう事)にあるのは明白なので、禁具『魂の座』がそれになるはずだった。
 だが、悪魔を復活させるには結局それを使用せざるを得ず、実は交渉の材料にはなり得ない。
 もう一つの懸念材料があるとすれば、霊樹の苗と共に『高位の魂』を有する仲間であるリフの存在だ。
 自分自身や仲間の背中、特にリフには注意を払わなければならない。


 ノワはいかにシルバを出し抜くかを考えていた。
 シルバが『魂の座』を共闘の交渉材料に持ってくるのは明白だったが、結局の所『靄』というのを何とかするには『魂の座』は必要不可欠。結局の所、悪魔は召喚されるのだ。
 むしろ姿の見えない霊獣・剣牙虎の仔の存在を探る事こそ重要だ。
 運がよければ願い事が二つに増やせるかも知れないからだ。


 もっとも、そんな二人の思惑など、それぞれの『壁』から出た時点できれいさっぱり吹っ飛んでいた。


 シルバは土のドームを解き、外に出た。
 黴臭いがそれでもわずかに新鮮な空気の中に、緑と血の臭いが混じる。
「何だ、こりゃあ……」
 思わず呟いてしまう。
 一瞬呆然とした後、状況を把握する。
 中央には恐ろしく太い柱のように、樹木が生えていた。天井いっぱいに葉が生い茂っている。
 まさか、上を貫いていないだろうな、とちょっと心配になった。
 そして床はひび割れ、おそらく完全に根付いているモノと思われる。床から飛び出た何本もの根の先端は尖り、何匹ものモンスターを貫いていた。それらが萎れているのはおそらく生命力を吸収したのではないか、とシルバは推測した。
 おそらくこれが、ここに来るまでに靄に襲われた冒険者、ティム達が奪われたという苗の成れの果てでであり、リフを追いかけていたという木の根の本体なのだろう。
 第五層の奥に陣取る霊樹の子だ。
 リフが引き連れてきたモンスター達の大半は、もう既に外に流れてしまったのだろう。床には何体ものモンスターが倒れている。ノワが支配していた冒険者達も同様だが、その生死を確かめる余裕は今のシルバにはない。
 樹木の左側、幸いこちらには気付いていないが、山羊のような角を生やし、二メルトを超える鍛え上げられた肉体と、翼と尻尾を生やした二足歩行の魔物――魔人が徘徊していた。あれが、ティム達の仲間だったグースという冒険者なのだろう。
 そして右側には、三匹の魔獣。
 これはシルバも知っている。
 第三層の中でも強敵のモンスター、ウインドイタチ。常に三匹で行動し、素早い動きで転倒と斬撃、回復というそれぞれの役割分担をこなす、頭のいい連中だ。
 どうやらこちらに気がついたらしい。
 そして霊樹の向う側で、何やら争う音が聞こえるのは、おそらくまだ残っていたモンスター達が共食いをしているのだろう。
 シルバと魔人のちょうど中間ぐらいの床が開き、リフが出現。
 ウインドイタチのほぼ真後ろの床からは、ヒイロがどっこいしょと現れ、モンスターを挟むように開いた穴からキキョウが躍り出る。
 右手壁の端に肉のドーム……いや、牙や爪の跡で血まみれになった背を丸めていたヴィクターが動き、その中から屈み込んでいたノワと尻餅をついて窮屈そうに頭を振るクロスが姿を現わした。


 シルバやノワを新たな贄と判断したのか、霊樹の根が蠢き彼らを同時に襲う。
 魔人がこちらを振り返る。
 リフが二本の腕から出現させた刃で、襲いかかってきた木の根を切断する。
 ウインドイタチの一匹目が、キキョウに飛びかかる。


 それらがほぼ同時に行われた。
「カナリー、リフを!」
「クロス君、早く!」
 精霊眼鏡を装備したシルバの放つ太い針が、襲来する根の動きを固めてしまう。
 カナリーが飛ばした雷撃はリフの頭上を越え、魔人の顔面を捉えていた。が、魔力障壁によってダメージが半減される。対魔属性か、とシルバは舌打ちする。
 ノワは自分の斧で根を両断し、構えを取った。彼女の目の前で、切断された根が樹液を撒き散らして、悶絶する。
 その隙に、ようやくクロスが立ち上がった。


「に!」
 リフは木の根を切断した直後、シルバの元に駆け寄ってきた。
 倒れていたモンスターの何体かが起き上がり、リフの後を追う。
 シルバとカナリーは緊張に顔を強張らせた。
「大丈夫、死んだふりしてた味方」
 両手のハサミをシャキンシャキンと鳴らしながら横移動するのはカニ系の赤いモンスター、サムライクラブ。
 栗の頭と、頭から背中までを茶色いトゲ状の髪で覆われた二頭身のモンスター、イガグリ小僧。
 遅れてズルズルと地面を這ってきたのは、濃い泥状のモンスター、リビングマッド。


 キキョウはウインドイタチを抜いた刃で迎撃。
「く……っ!?」
 続くもう一匹の尾が作る鋭い刃で二の腕を傷つけられるが、傷は浅いようだ。
「キキョウさん!」
 そのウインドイタチの背後を突く形で、ヒイロが残る一匹に骨剣を振りかぶる。横殴りの一撃にウインドイタチは吹っ飛ぶが、壁をしっかりと四肢で受け止め、ダメージを和らげる。


 壁を壊してからここまで、ほんの数秒にも満たなかった。
 シルバとノワは距離を取ったまま、顔を見合わせる。
 一瞬で決断し、二人は同時に動き始めていた。


「ま、ほんのしばらくだけどね!」
「ええ!」
 ノワの脳が即座に弾き出したのは、この場に倒れているモンスター達から得られる成果。そして出口が遠いこと。ヴィクターが眠っていた研究室への扉は、シルバの背後にあるのでこれも無理。
 となると、やはり戦うしかない。
 ノワは霊樹に向かい、クロスは雷球を四つ生み出してからキキョウの支援に空を駆る。
「……おれも、やる」
 重い足音を鳴らし、ヴィクターもノワを追う。


 シルバ達も動いていた。
「いきなり計算が狂いやがるし……対魔コーティングとは厄介なモン持ってるな」
 シルバは霊樹に、カナリーとリフは魔人に向かって駆け出す。
「だったら、直接攻撃だね。ヴァーミィ、セルシア! リフと一緒にまずあの魔人を一気に叩く!」
 低く空を駆るカナリーの足下から、二体の人形族が出現した。
「にぃ……!」
 横から何本も襲ってくる霊樹の根を腕の刃で切断しながら、リフは大きく息を吸い込む魔人目指して先頭を突っ走る。
「厄介な奴が来る前に、片をつけるぞ」
 すべては事が終わった後だ。
 その前に相手を出し抜く、という思考すら今は許されない。
 最優先事項は、まず自分達が生き残ることであり、選択肢は戦うか逃げるかの二択しかない。
 シルバには、元より逃げるという選択肢はなかった。


(ひとまず俺はいつも通り、みんなの支援に回る。霊樹は任せた)
 シルバはノワに念波を飛ばしながら、周囲を見渡した。
 左手に魔人、中央に霊樹、右手にウインドイタチ。中央がノワとヴィクターだけなので心許ないので、これを手伝うのは当然として、さて、右と左のどちらを兼任するか。
 即座に決断し、シルバは右に走り出す。
(ちょっと!? ノワとヴィクターの二人だけで、これ相手にしろっていうの!?)
 走るシルバの頭に、霊樹に向かって斧を振るうノワから返事が返ってきた。
 口で話すよりも遙かに意思伝達が早いのが、精神共有の利点でもある。少なくとも音よりは早い。
(それがきついから、先に周りのを倒すんだよ。かといって誰も霊樹を相手にしなかったら、好き勝手に暴れるだろ)
(……それって、ノワ達が囮って事じゃない?)
(そうとも言うな)
 床から何本も突き出てきた木の根に襲われるノワの姿は、まさしく囮のそれであった。
「何、すぐに援軍を呼ぶからしばらくの辛抱だ。ほれ」
 言って、シルバは荷物袋から瓶を放り投げた。
 ノワは木の根と、胴体から伸びてきた枝をやり過ごしながら、それをキャッチする。
 その中身を確かめ、ノワは怪訝な顔をした。
「……魔力ポーション?」
「お前だって技の一つや二つ持ってるだろ。だったら必要なはずだ。何、礼なんていらねーぞ」
「こ、これ、元々ノワのじゃない!」
 そう、それはカナリーの従者が回収した、ノワの所有していた魔力ポーションだった。
「だから、礼はいらないっつったの。とにかく最初から全力で倒しにいってくれ!」
 シルバは、ノワ達霊樹組と、クロス達ウインドイタチ組のちょうど真ん中に陣取った。
 一方、シルバに山のように文句が言いたくてしょうがないが、さすがにそれどころではないという風に、ノワは霊樹の根本に近付く。
「あーもー、しょうがないわね! いくよ、ヴィクター!」
「おう」
 ノワはその場で足を止め、大きく斧を振りかぶる。
 軽い衝撃が身体に伝わるのは、彼女を串刺しにしようとする木の根を、シルバの放った祝福魔法『{大盾/ラシルド}』がちゃんと防いでいる証拠だ。
 これなら、技に集中出来る。
「ださいから嫌いなんだけどね……この際贅沢は言ってられないし――」
 気合いを上乗せした斧が唸りを上げる。
「キコリ撃ち!!」
 植物系のモンスター相手に有効な、斧技の一つだ。
 大きな刃が、深々と木の幹に突き刺さり、どこに声帯があるのか霊樹が苦悶の悲鳴を上げる。
 その隣で、踏み込んだヴィクターによって、地面が揺れる。
「ぬうん、たつまきけん」
 巨大なコークスクリュー・ブロウが同じく木の幹を叩き、霊樹が大きく揺れる。
 再び悲鳴が響き、空からは緑色の葉が落ちてくる。
 それを確かめ、シルバは印を切った。
「ノワ、ヴィクター、魔法飛ばすぞ」
 二人の身体を、魔力障壁が取り囲む。
「ぬう。なんだこれ」
 少し戸惑った声を上げるヴィクターに、シルバが背後から声を掛けた。
「{鉄壁/ウオウル}。回復は任せるけど、基本は攻撃専念。防御は俺が担当する」
「のわさま、いいのか」
「あー、いいよいいよ、ヴィクター。こういう時のシルバ君は馬鹿正直に律儀だから、言う事聞いてあげて」
 再び斧を振りかぶりながら、少し不機嫌な様子でノワが言う。
 霊樹は攻め方を変え、身体から蔓を放ってくる。
 その蔓がヴィクターの首や腕にまとわりついた。絞め殺す気だ。
 しかし、この程度の太さの蔓で、ヴィクターをどうこうする事は出来ない。
「わかった。おれ、こうげきする――もういっかい、たつまきけん」
 蔓を引きちぎりながら、二発目の拳が霊樹に軋みを上げさせた。
「……おっとろしいな、おい」
 それを眺めながら、シルバはあれが後で敵に回るのかと、ちょっとゾッとした。
(……ううう、私の身体、無事で済むのでしょうか)
 おそらく落とし穴から様子を伺っているタイランからの声に、シルバは意識を向ける。通常会話の数倍の速度で、意思のやり取りを開始した。
(最悪、全部オーバーホールの必要があるかもな。……そして、またカナリーが、新しいギミックを組み込むと)
(お、お手柔らかにお願いします……何だかその内原型を留めなくなりそうで……)
(とにかくお前の出番はもうちょい後だ。力の性質上、今、戦う訳にもいかない。今は身体を休めておいてくれ)
(は、はい……)
 シルバは印を切りながら、次にカナリーに意識を向けた。
 カナリー、リフも既に魔人との戦闘に入っているらしく、霊樹の向こうから激しい争いの音が届いてきていた。
(カナリー、そっちは任せる)
(ああ、振られちゃったか。僕よりキキョウへの愛を取るんだね。実に残念だ)
 カナリーが肩をすくめる様子まで、ありありと頭に浮かぶシルバだった。
(お前な。そっちは時間が掛かりそうだし、先に終わりそうな方を片付けるって言ってるんだ。気を付けろよ)
(心得ているとも。シルバこそ気を付けて)
「合点承知」
 そしてシルバは、ウインドイタチを相手に雷魔法を飛ばすクロスに振り返った。
「やれやれ、彼女にどうにか言ってくれませんかね。さすがにこの状況で、寝首は掻きませんって」
 彼らの目の前では、キキョウが三匹のウインドイタチを相手に、高速戦闘を繰り広げていた。
 本人達は否定するだろうが、クロスの肩を竦める様子はカナリーとそっくりだった。
「背中を預けざるを得ない……けど、集中しきれないのもまた確かって所か」
 状況はよろしくない。
 キキョウの動きが無意識なのは、シルバにも分かる。無意識に背後のクロスを警戒しているのだ。
 そしてクロスの指先から飛ぶ雷撃も、敵に当たっていない。本気を出していない訳ではない。ただ、相手の動きが速すぎて、届く前に避けられてしまうのだ。
「ええ。狙いをつけて放っても、その気配を察しています」
「{加速/スパーダ}を……」
「僕にもカナリーさんにも、既に施していますよ」
「…………」
 キキョウはかろうじて前衛二匹の動きについていけているようだが、それでもウインドイタチの数は三匹。彼女だけでは分が悪い。どれだけ二匹を傷つけても、三匹目が仲間の傷を癒してしまうのだ。
 かといって、あの中に問答無用でクロスが雷撃をぶち込む訳にもいかない、そうしたら、キキョウまで巻き込んでしまう。それ自体は後々のことを考えると悪い事ではないだろうが、その前にフリーになったクロスが彼らに狙われるのは明白だ。
 ともかくまずシルバは、キキョウに向けて{回復/ヒルタン}を飛ばした。
 それでようやくキキョウも、振り返る余裕が出来たようだ。
「シルバ殿! よかった、これで攻め方を変えられる!」
 その言葉通り、キキョウの動きがさらに加速する。
 めまぐるしく、ウインドイタチ二匹の刃の尾を相手に立ち回る。後ろを気にする必要がなくなったせいだろう、次第にウインドイタチが押され始める。
「クロスは、わずかに動きが遅い三匹目を狙ってくれ」
「当然でしょうね」
 ふ……と笑うクロスの指先から紫電が迸り、ウインドイタチの一匹が短い悲鳴を上げる。
「悪くない……だが」
 その雷の攻撃も、敵は回復の術を使って癒してしまう。
 今の組み合わせなら、時間を掛ければ確実に勝てる。キキョウは押しているし、敵の回復魔法だって無限という訳じゃないだろう。魔力ポーションを持っている分、こちらが有利だ。
 しかしそれでは足りない。
 靄が現れる前に、可能な限り戦力は削っておきたい。
 一番いいのは、キキョウの命中率を上げることだ。ウインドイタチの勘は相当に鋭く、紙一重での回避がやたらと多い。
 考え、シルバはキキョウに念話を飛ばした。
(キキョウ、アレは使えないのか?)
(いや、可能だが……二本で一分、三本で三十秒が限界であろう。その後は回復術でも間に合わぬ。霊樹やその後の事を考えると……)
(温存せざるを得ないか……)
 そこでふと、シルバは思い出し、クロスを見る。
「そうだ。アンタ、確か俺達がここに入る前、何かアイテムで姿を消していたよな」
「はい?」
「とぼけなくてもいい。ちゃんと見てた。あのアイテムを貸してくれ」
 クロスも、シルバの狙いを察したようだ。
 だが、それでも彼は渋い顔をした。
「『隠形の皮膜』は確かに姿を消すことが出来ますよ? しかし、それは足が止まっている時のみです。動けば、ただの大きな布です。キキョウさんの姿を消そうって言うのなら、失敗ですよ」
「姿を消すのは、キキョウじゃない。いいから早く」
「……やれやれ。では御手並拝見といきましょうか」
 言って、クロスは自分のマントの中から『隠形の皮膜』を取り出した。
 それを預かると、シルバはキキョウに放り投げた。
「キキョウ! そいつを『刀に』巻け!」
「はい!?」
 シルバの命令に、クロスは目を剥いた。
「刀身は別に歩かないだろ」
 平然というシルバの前で、キキョウが『隠形の皮膜』を刀身に巻く。
 すぅ……っと刃が透過し、ウインドイタチ達は一瞬、戸惑ったような短い声を上げた。
 確かにあれならば、間合いが掴みにくくなる。
 もっとも、問題がない訳ではない。
「しかしあれでは切れ味が……」
 クロスの指摘はもっともだ。
 だが、キキョウは不敵に笑った。
「ふ……刀は斬るばかりが能ではない」
 飛びかかってくるウインドイタチの尾の刃が、キキョウの顔面に迫る。
 だがそれよりも、
「突く事も出来る」
 キキョウの刃の切っ先が、敵の胴を貫く方が速かった。
 跳躍し、一瞬呆然としていたもう一匹に頭上から迫る。
「今だ、クロス」
「は、はい!」
 残っていた一匹向けて、クロスは指を鳴らした。
 紫電が走り、回復役のウインドイタチを直撃する。
 二匹目も仕留め終えたキキョウが、大きく息を吐き、刀から『隠形の皮膜』を解いた。
「助かった。返すぞ」
 丸めた布を、クロスに放り投げる。
「……どうも」
 いくら突きにしか使わなかったとはいえ、刃に巻いていたのである。
 ボロボロになったアイテムを見て、クロスは複雑な表情を浮かべていた。
「お疲れ、キキョウ。連戦で悪いが――」
 回復を掛けながらシルバが言うと、刀を納めたキキョウは頷いた。
「うむ、心得ている。霊樹を倒す手伝いをすればよいのだろう」
「ああ。ところでヒイロは?」
 アイツが背後からウインドイタチを攻めていれば、もっと楽が出来たはずだったのに……と思っていたら。
「こっちーっ!!」
 霊樹の陰から吹っ飛んできたヒイロが、そのまま壁に叩き付けられた。
「そ、そうだった! ヒイロ、大丈夫か!」
 キキョウが慌てて、ヒイロに駆け寄ろうとする。
 一体何が……とシルバが思っていると、二足歩行の狼がゆっくりと姿を現わした。
 目は煌々と金色に輝き、上半身は黒い毛に覆われた全裸。手の爪が鋭く尖っている。そのモンスターは、見覚えのある黒いズボンを履いていた。
 そう、ロン・タルボルトの履いていたズボンだ。
「……おい、半吸血鬼。お前んとこの仲間が暴走してるぞ」
 シルバが突っ込むと、クロスも深く溜め息をつきながら、頭を振った。
「……言い訳させてもらうと、彼の分の避難も本当は間に合っていたんですよ。余っていた落とし穴に入る事だって出来ました。それを拒んで……厄介な。理性のなくなった彼は、相当に危険です」
 見りゃ分かるよ、そんなモノ、とシルバは内心ぼやいた。


「オオオオオォォォォォン!!」
 その咆哮は、正に野獣のモノであった。
 半狼と化したロン・タルボルトの周囲には、無数のモンスターが倒れている。彼の身体を濡らしているのは、その大半が返り血だ。
 生々しい傷痕は、モノの数秒で自然治癒してしまう。驚異的な回復力だ。
 立ち尽くす彼を敵と見做したらしく、霊樹は自身の木の蔓を何本も鞭のようにうねらせ、風を切って襲いかかる。同時に地面が割れ、そこからも太い木の根が数本出現する。
「ガァッ!!」
 そのすべてを、ロンの鉤爪は一瞬で切り裂いた。


「……否、五回攻撃だ」
 ただ一人、キキョウだけがその動体視力で見抜いていた。
「キキョウ……」
 シルバはキキョウの背中を追ったが、彼女はその場で立ち止まり、振り返らないまま手でシルバを制した。
(シルバ殿、近付いては駄目だ。声も上げてはならぬ)
(……どういう、事だ?)
 キキョウの目は、ロンから離れない。
(今のあれは獣そのモノ。動き、音を立てるモノならば何にでも襲いかかる)


 ロンは次々と襲ってくる霊樹の触手を爪の連撃と牙、そして尾での打撃攻撃で振り払う。
 二本の短剣は、床に落ちていた。狼化した時に捨てたのだろう。
 なるほどあの鋭い爪があれば、短剣は必要なさそうだ。
 本体を叩かなければならないと判断したらしく、床を割るほどの踏み込みで跳躍し、霊樹の巨体目がけて飛びかかる。
 凄まじい拳の一振りが霊樹を大きく揺らし、天井から葉を落としていく。
「ちょっ!? ロン君、やりすぎー!?」
 反対側から攻撃を加えているノワが、抗議の声を上げる。
「おれもがんばる」
 ロンに対抗するように、ヴィクターの拳が逆方向から叩き付けられた。


「うー……」
 壁に叩き付けられ、目を回していたヒイロがフラフラと起き上がる。
 身体のあちこちに爪の跡が残り、ブレストアーマーもズボンもボロボロだ。
「……っ!!」
 自分の獲物だった相手が無事だった事に気付いたのか、それまで霊樹に体当たりと爪撃を繰り返していたロンの光る目が、ヒイロを見据える。
 木の幹に蹴りを食らわせ、そのままそこを足場に、ヒイロに飛びかかってきた。
「うはぁっ!?」
 ヒイロは骨剣を盾に、とっさにショルダータックルを防ぐ。


「ヒイロ、駄目だ!」
 キキョウが叫ぶが、ロンは目の前の敵であるヒイロに集中しているのか、こちらを見る様子がまるでない。
「彼女では勝ち目は薄そうだね」
 ふ……と笑いながら、クロスは足を軽く宙に浮かせる。
 どうやらノワのサポートに回るつもりらしい。元からシルバもそれを頼もうと思っていたので不満はない。
 だが、それよりも、ヒイロが気がかりだった。
「確かなのか、キキョウ」
 シルバの念押しに、キキョウは頷く。
「うむ……何度もぶつかったから分かる。確かだ」
 そういう事なら、とシルバはクロスの方を向いた。
「おい、クロス・フェリー」
「何かな、シルバ・ロックール君」
「さっきのノワと言いアンタと言い、仲間がああなっているってのに、ずいぶんと落ち着いているじゃないか。って事は、こういう事はこれまでにも何度かあったって事だろ」
 そして、ノワ達には、理性を失っているロンを相手に無事でいられる理由があるはずだ。
 しかし、クロスは軽く微笑んだまま、肩を竦めるだけだった。
「さあ、それはどうでしょう。意外に内心、焦っているのかも知れませんよ」
「まあいいさ。だけど、ウチの仲間がああなってるんだ。やっちまうけど、いいだろうな」
 反撃しなければ、ヒイロがやられてしまう。
 少なくとも共闘の体裁を取っている今の段階ではまだ、言質を取る必要があった。
「やれるものなら、どうぞ。確か理性を失った狼男も、強い衝撃を受ければ元に戻れるはずです。ノワさんも、それでいいですよね?」
 声を掛けられたノワは、霊樹の幹に斧を突き立てながら、返事をする。
「状況が状況だからね。でも、ロン君は強いよ。あの子で勝てるとは思えないけど……ねっ!」
 ノワの斧の刃が、巨木の幹に食い込む。
 しかし、倒れ落ちるにはまだまだ先は遠そうだ。
 ふぃーと大きく息を吐き、ノワは手を休めた。
「ヴィクター、回復ー」
「わかった、のわさま」
 その身体に、ヴィクターが治癒の光を当てる。
「それよりクロス君手伝ってよもー。ノワ、腕疲れて来ちゃったよう」
「はいはい。それにしてもずいぶんと頑丈な樹ですね」
 支援系の魔法はそんなに多く使えないんですけどねぇとボヤキながら、クロスはノワ達の後方に向かった。


「ヒイロ!」
 シルバは印を切ると、回復魔法を防戦一方のヒイロに飛ばした。
「先輩ありがと!」
 ヒイロの身体から、傷が癒えていく。
 しかし、その肌にもすぐにロンの放つ新たな爪撃の跡が刻まれてしまう。
「強いなあ、ホントもー!」
 ヒイロの骨剣は威力は絶大だが、その分、速度が遅い。
 反撃に転じるのは、なかなか難しいようだった。
 それでも何とか壁から脱し、広い空間にでることは出来た。
 それを確かめ、キキョウは踵を返した。
「シルバ殿は、ヒイロを見守っていて下され。某も、霊樹の方に回る。蔓や幹を相手に打撃の攻撃は今一つ弱いのだ。斬撃系の攻撃が、ノワ・ヘイゼル一人ではどうにも心許ない」
「いいのか?」
「うむ」
 シルバも、ヒイロとロンの因縁はちゃんと憶えている。
 彼女の姉は、ロンに敗れているのだ。
 おそらく、あの半狼状態にある、今のロンにだ。
 シルバは事前に二人には確認してあった。
 こだわりは分かるが、パーティーのリーダーとしてはそれに固執されても困る。勝ち目がないなら、全員で畳み掛けると。
 だが、キキョウの見立てでは、勝機はあるらしい。その糸口は、シルバも分かってはいるのだが……。
「某の仕込みはもう済んでいる故、あとはヒイロの勝利を信じるのみ。手を出すのは無粋というモノ。――では、参る!」
 キキョウは柄に手をかけ、霊樹に立ち向かう。床を突き破って出現した複数の木の根が、まるで大根でも切るかのように、あっさりと両断されてしまう。
「前衛らしい考え方だなぁ」
 ロンとヒイロの戦闘と、キキョウの両方を見守れる位置に立ちながら、シルバはボヤいた。
「後衛としては、魔人の方に向いて欲しかったんだが」
 幹のほぼ裏側で、火を吹き鉤爪を振り下ろす巨大な魔人を相手に、リフと仲間のモンスター達が戦っていた。
 そのカナリーとリフから、精神共有経由で念話が届く。
(こっちはこっちでもうすぐ片付くから、自力で何とかなるよ)
(に。ともだちいっぱい)
 カニが防御し、イガグリがトゲだらけの身体で魔人にタックルする。
 動く泥が足下にへばりつき、周囲を炎の蜂が高速で飛び回る。腕をがっちりを制止するのは石巨人だ。
 後方から飛ぶ紫電は、ここからでは見えないが、カナリーのモノで間違いないだろう。
「…………」
 ふと、シルバは首を傾げた。
(なあ、リフ)
(に?)
(……お友達の数、増えてないか? いや、心強いけどさ)


 振り下ろし、大旋風、突きのヒイロ必殺の三連撃は回避され、一気に間合いを詰めてきたロンの右の爪が、彼女の二の腕を抉った。
「くぅ……っ!」
 痛みに顔をしかめながらも、ヒイロの跳ね上がった蹴りがロンの顎を捉える――より早く、後転で相手は距離を取った。
 シルバから『豪拳/コングル』、『鉄壁/ウオウル』、『加速/スパーダ』の支援魔法を受け、ヒイロの肉体は大幅に強化されていた。
 だが……ヒイロの腕から流れた血は手の甲を伝い、床へと滴り落ちる。
「……それでも向こうが上なんだよねー」
 数メルト離れた場所で、ロン・タルボルトはヒイロの様子を伺っている。
 そしてヒイロは身体中に無数の爪痕を刻まれ、骨剣を杖に何とか立っていられるのがせいぜいだ。
 ふらつきながらも闘志の衰えないヒイロに、斜め向こうに立っていたシルバは印を切る。
「ヒイロ、今呪文を……」
 だが、ヒイロはそれを手で制した。
「おっと先輩、これ以上の支援は無用だよ」
 ニッと笑う。
「補助してくれただけで充分感謝」
 その笑みを余裕と見たのか、ロンは再び床を踏み抜き突進してきた。
「あっちも回復魔法は使ってないしね!」
 ヒイロは骨剣を握り、槍のような正面突きでロンを迎撃する。
 そのロンの身体の傷は、既にライカンスロープ特有の急速な治癒能力によって塞がっていた。
「ってアイツの回復力、シャレになってねーぞ!?」
「とにかく!」
 単純な突きがあっさりとロンにかわされるのは、予想通りだ。
 左に逃げたロンを追うように、横薙ぎの一撃。
 ロンは骨剣に足を掛け、そのまま跳躍。宙に浮いた相手を追うように、人間なら確実に身体が泳ぐところをヒイロは力業で骨剣を跳ね上げ、大上段から振り下ろそうとした。
 本来ならそれは届くはずだった。
 天井がなければ。
「がぁ……っ!」
 ロンは天井に両足を付き、そのままヒイロに向かって跳躍した。
 ヒイロは骨剣の柄を持ち上げ、剣の根本で凶暴な爪を防御する。だがロンはその爪で骨剣を握ると、片手で身体を回転させ、脇腹に蹴りを放った。
「けほ……っ」
 違う、とこんな時にヒイロは思った。
 床に落ちている二本の短剣は、ロン・タルボルトの主力ではない。無手での攻撃、それも達人の域に達している拳法が、この男本来の攻撃方法なのだ。
 横っ飛びに身体を弾かれながらも、何とかヒイロは足を踏ん張る。
「効か……ないねぇっ!」
 それでも、とヒイロは考える。
 狼の野生が、その拳法の理合いを弱めている。
 それでもダメージは相当だが、そうとでも考えないと、とてもじゃないけどまともにやってられないヒイロだった。
 蹴りを放ち、身体を浮かせたまま遠ざかっていくロンに、ヒイロは気合いを溜めた。
「烈――」
 歯を食いしばり、気を纏った骨剣を宙に浮いたままのロン・タルボルトに放った。
「――風剣っ!!」
 解放された気が、一直線にロンに向かう。
 だがロンは、近くに生えていた木の枝を握るとそれを回避し、気の塊とすれ違うように再び、ヒイロに突撃した。
「やば――」
 骨剣を引くより速く、狼の鋭い爪がヒイロの肩の肉を抉り取った。
「痛うぅ……!」
 だがロンの攻撃はまだ終わらない。
 後方宙返りしながらの蹴り、尾での殴打、肘打ち、そして再びの突進――合わせての五連撃が、ヒイロを打ちのめす。
「……がはっ!」
 たまらず、血反吐を吐くヒイロ。
 再び距離を取り、ロン・タルボルトはヒイロの様子を伺った。その瞳は、獲物を確実に仕留める為の、狩猟者のそれだ。
 ヒイロは顔を上げると、その瞳を見据えた。
「……?」
 ヒイロの様子がまだ元気なのに、ロンは疑念を抱いているようだ。
 彼女が唯一、ロンに勝っている点があるとすれば、それは鬼族の持つ並外れた体力だった。
 プッと、ヒイロは口の中の血を吐いた。
「……余裕、見せてるよね」
 そして石床にドン、と骨剣を打ち付けた。
 先端が石を割る。
「この程度で終わり?」
 ヒイロは、わざとロンを鼻で笑ってみせた。
「……っ!!」
 プライドを傷つけられたのか、間髪入れずにロンが床を蹴った。
「来たね……読み通りっ!」
 真っ直ぐに突き進んでくる狼男に、ヒイロは持ち上げた骨剣を振り下ろす。
 それはさっきと同じパターンだ。
 ロンはわずかに左に逃れ、それを追うようにヒイロの骨剣は横薙ぎに振るわれる。
 キキョウ相手に相当な修練を積んできただけに、この連撃にだけはヒイロは自信があった。実際、他の技に比べて格段に速かった。
 しかし、この技はあまりに大振り過ぎ、身体を地面スレスレにまで沈めたロンはそのまま、ヒイロと距離を詰める。
 次の突きも間に合わない。
 まったく同じパターンだ。
 そのまま、ロンは右の腕に力を込め。
 直後、血で滑ったヒイロの手から、骨剣が離れてしまっていた。
 ガラン、という大きな音が立ち、ほんの一瞬だけロンの瞳と獣の耳が揺れた。狼の本能が、その音を無視する事が出来なかったようだ。
 それでも、充分すぎるほどにロンの右の爪は速い。
 が、それが来るのさえ分かっていたならば。
「それを――」
 ヒイロは素早く身体を沈め、ロンの毛むくじゃらな手首を左手で掴み、右の腕を相手の脇に入れる。
「――待ってたよ!」
 ロンの身体を担ぎ上げるようにして、ヒイロは残っていた力のすべてを足腰に込めた。
「よいしょおっ!!」
 自分の突進の力も加わり勢いよく回転したロンの身体は、そのまま石床に叩きつけられた。固い床に亀裂が走り、ロン・タルボルトは一瞬にして肺の空気と意識を失った。
 その光景に、シルバも、まだ戦っていた魔人やリフ達も、ノワ達を支援しながら様子を伺っていたクロス、霊樹ですら、言葉を失っていた。
 ……ヒイロがロンを見下ろしていると、狼男は目を開いた。
 その瞳には理性が戻り、徐々に全身の毛が抜け始める。獣の顔も、黒髪の青年のモノへと戻っていった。
「まさか、な……」
 カハッと血を吐きながら、ロンはヒイロを見上げていた。
「……最初から、これが狙い……だったのか」
 言って、彼は自嘲気味に笑った。
 一つの戦いが決着を見せ、ヒイロは深く息を吐いた。そして小さく笑った。
「うん、アンタとは相性が悪すぎるからね。最初から攻撃が当たらない事だろうなって思ってたし、一回や二回当たっても倒れそうにないのもスオウ姉ちゃんの話から分かってた」
 いつもの骨剣の攻撃では、勝てない。
「……だから、ボクの力にアンタの力。プラス地面の力。一撃必倒のこの投げ技に賭けた」
 投げと言うより、落とし技だったが。
「っていうか正直、三連続攻撃のコンビネーション一つと、左右の一本背負いしか習ってないんだけどね」
 元々それほど器用ではないヒイロでは、短期間で学べる技などまずない。絞り込んだのだ。
 そしてヒイロがロンと戦うケースは、万が一キキョウが彼に敗れたときの為の用意だった。狼男と化したロンの主力が爪である事は、スオウから聞いて分かっていた。
 後は右と左、どちらになるかが要だった。
「お前とあの狐の……執拗な、あの、三連撃は……そういう、事か……」
 ロンは納得したようだった。
 同じパターンの突きを回避した後の攻撃。
 ロン自身も、同じ右の爪攻撃にいつの間にか誘導されていたのだ。
 キキョウとヒイロは、シルバの精神共有だと間に合わない場合も考え、暗号を用意していた。
 『駄目』なら『右』、『よし』なら『左』。
 キキョウの助言は、ちゃんとヒイロの耳に届いていたのだ。
「……夜の村で、お前と鎧があの狐に投げられるのを、俺は見ていた」
 ロンは呻くように言う。
「……眩く強いカードにしか目がいかなかったのが、俺の最大の失敗だったという事だな」
 そして力尽きたのか、ロンはそのまま気を失った。
 それと同時に、ヒイロの身体からも力が抜ける。
 どうやら、血が失われすぎたらしい。
「あ……」
 フラッと倒れそうになる身体を、後ろから誰かが支えていた。
 見上げると、シルバだった。
「お疲れ、ヒイロ」
 印を切り、呪文を唱える。
 すると、少しずつヒイロの身体から、痛みが薄れてきていた。
「あー、うん。疲れた……って先輩、血付くよ」
「ああ、そうみたいだな。それで?」
「…………」
 不思議そうな顔をするシルバに、ヒイロは何となく頬が熱くなり、見上げていた頭を戻した。
「ま、けど、休んでる暇もなさそうだね」
 よいしょ、ともたれていたシルバから身体を離す。
「悪いな」
「いいよ。あ、この人も治しといて」
 言って、ヒイロは床に大の字に倒れるロンを指差した。
「いいのか?」
「うん、大丈夫だと思う。根拠はないけど」
「ったく……ま、今は一人でも戦力が欲しいところだし、いいけどな」
 言って、再びシルバは印を切った。
 少し離れた場所で、大きな地響きが発生する。
「向こうも終わったか」
 見ると、部屋の角では魔人が目を回していた。
 その身体に、カニやイガグリのモンスター達が勝ち鬨を上げている。
 こちらに駆け寄ってくるのは、リフとカナリーだ。
「に! おわった」
「やれやれ……酷く骨が折れたけど、これが終わりじゃないって言うのが辛いね」
 どすん! と霊樹が大きく揺らぐ。
 原因は反対側にあるようだ。


「うおおおお!」
 霊樹の反対側では、ヴィクターが霊樹の幹に凄まじい勢いで拳を叩き込んでいた。
「ヴィ、ヴィクター、大丈夫!?」
 あまりの勢いに、ノワも手出しが出来ない。
「へいきだ、のわさま。おれ、ちょうしがいい」
 襲いかかる蔓や木の根を難なく引きちぎり、休むことなくヴィクターの猛攻は続く。
 汗で濡れた背中からは大量の湯気が上がり、目が尋常ではない光を放ち始める。
「おれ、のわさままもる。れいじゅ、たおす。たましいで、のぞみかなえる」
 力任せの休みない攻撃に、霊樹は次第に軋みを上げ、根本が持ち上がり始めていた。
 しかしその頼もしさとは別の心配で、ノワは助けを求めるようにクロスを見た。
「ど、どうしよう、クロス君」
「ええ、どうしたものですかね、これは……」
 クロスはチラッと出口を見ながら、悩んだ。
 時間はあまりない。


 落とし穴のフタを開くと、そこから青い燐光を纏った精霊がゆらりと現れる。
「し、シルバさん……何だかまずい事になってるみたいですね……」
 その精霊、タイランの姿をノワ達に見せないように隠しながら、屈み込んだシルバは彼女と話を続ける。
「何、予定は大幅に狂ったけど、あれは織り込み済みだ。回復出来たか、タイラン」
「は、はい。それはもうバッチリですけど……」
 これまで、タイランは穴の中でずっと休息を取っていた。
 自身の甲冑に用意していた回復薬も飲んだし、万全と言ってもいいだろう。
 ……もっとも、予定通りなら、すぐにまたリタイヤする事になってしまうのだが。
「悪いな、タイラン」
「い、いえ……私にしか、出来ないお仕事ですから……頑張ります」
 シルバは頷き、ヒイロとリフを呼んだ。
「よし。ヒイロは俺と、甲冑の引き上げを頼む。リフは靄の偵察を」
「らじゃ」
「に」
 カナリーは既に動き出し、自身の従者達やリフから預かった仲間のモンスターの指揮を執っていた。
「さて、そろそろ大詰めだな」
 シルバは立ち上がった。


 サムライクラブの鋭い斬撃を、魔人は足で受け止める。
 そのまま、足にまとわりついていたリビングマッドと共に、蹴り上げた。
 フレイムホーネットが炎の尾を作りながら周囲を舞うが、その分厚い筋肉には針を打ち込める部分を見出せないでいた。
 体当たりを食らわせるイガグリ小僧のトゲも、同様だ。
 かろうじて体格で互角の石巨人が背後から腰を掴むが、魔人は力任せにふりほどいた。
 すべての攻撃をやり過ごした魔人は、口から炎を吐いて、イガグリ小僧とリビングマッドを焼く。
 さらに握りしめた拳が、サムライクラブの固い甲羅を叩き、軽くヒビを入れる。
 炎の中から飛び出したカナリーの従者、ヴァーミィとセルシアの蹴りを、獰猛な笑みを浮かべながら受け止めた。
 正直、苦戦であった。


 リフはといえば、横や足下から襲いかかってくる霊樹の蔓や木の根の相手をするので手一杯でいた。
 腕から生やした刃で切断しながら、仲間になったモンスターの紹介をカナリーにする。
「サムライクラブがヘイケン。イガグリ小僧がマーロン。石巨人はウッズ。フレイムホーネットはトエント。リビングマッドがダン」
「……悪い、リフ。いっぺんには憶えられない」
 指で印を作りながら、カナリーは眉をしかめる。
「にぃ……」
「ま、とにかくだ」
 カナリーの指先が光り、一条の紫電が迸った。
 しかしその光は魔人に届く直前に勢いを失ってしまう。
 顔を直撃しながらも、魔人は顔をしかめるのみだった。
 そして魔法を放った相手が誰かに気付くと、カナリーに向けて大きな口を開いた。その喉奥には、赤い炎が覗いている。
 チッとカナリーは顔をしかめ、足を浮かせる。
「あの対魔フィールドが、魔法使い的にはちょっと厄介だね。精霊砲も同様だったろう?」
「に」
 カナリーとリフは左右に散った。
 直後、魔人の吐き出した炎が、二人の立っていた位置を焼く。
 背後から姿を覗かせていた木の根の一部も焼け、煙が立ち込める。
 その煙は、若い女性の姿に変化し、細い腕をカナリーに伸ばそうとする。
 煙のモンスター、スモークレディだ。
 物理的なダメージこそないが、顔を塞がれると呼吸困難に陥るいやらしい攻撃だ。
「あの火も、や」
 着地し、リフが眉を八の字にする。
「またスモークレディか。本当に嫌になる……ねっ!」
 マントを翻しながら、カナリーはスモークレディに雷撃を放つと、モンスターはあっさりと霧散した。
 体力が低いのが、せめてもの救いかもしれない。
 一方霊樹に近付く羽目になったリフを、何十もの蔓が襲っていた。
「にゃあ!」
 リフが吠えると、その勢いがわずかに弱まる。
 その隙を突いて、リフは蔓を腕の刃で断ち切り、距離を取った。
「大したモノだ。さすが木を治める霊獣の仔だけの事はある」
 自分の傍に着地したリフに、カナリーは軽く拍手をした。
「に。父上は、もっとすごい。ちゃんと退けられる」
「だろね。ま、霊獣の長と比較するのもどうかと思うけど」
「……魔人ずるい。あっちだけ煙におそわれない」
「はは、もっともな意見だ」
 さすがに、全然攻撃が通じない魔人相手に、リフも焦れているようだった。
 微笑むカナリーだったが、すぐに真顔に戻った。
 魔人を相手に、前衛はまだ猛攻を続けている。しかしその効果もなかなか芳しいとは言えなかった。
「しかし、どうしたモノかな。近接攻撃でも、{防御/ディフェンス}が上手くてダメージがいまいち通りづらい。さすが元が第五層の戦士だけの事はある」
「支援は?」
「……一応僕も、{鈍化/ノルマン}とかやってみたけどね」
 溜め息をつきながら、カナリーは呪文を唱えた。
 すると効果は覿面、魔人の動きは見る間に鈍くなった。
 その隙を見逃さず、モンスター達が魔神達に襲いかかる。
 それを睨みながら、魔人は両手を広げて、大きく咆哮を上げた。
 突風のような波動が生じたかと思うと、再び、魔人は動きを取り戻し、自分に攻撃を仕掛けようとしたモンスター達をまとめて薙ぎ払ってしまう。
「にぃ!」
 リフが心配げな声を上げる。
「この見えない波動が厄介なんだよ。全部キャンセルされちゃうから」
 近接攻撃は今一つ、魔法もなかなか通じない。
 カナリーの吸精で皆の回復は出来るが、あまりやり過ぎるとカナリー自身が酩酊してしまい、戦闘不能に陥ってしまう。
 そして靄は刻一刻とこちらに近付いているという。
 それを考えると、余計な敵を残しておきたくはない。
「……お兄ならどうする」
「……多分また、妙な案を出すだろうねぇ」
「に」
 苦笑するカナリーに、リフは律儀に頷いた。
 そして、カナリーは決断した。
「一体一体ぶつかってたんじゃ、駄目だ。間髪入れず、すべての攻撃を一気に叩き込む」
「に。連携こうげき」
 カナリーは、リフに微笑みながら指を向けた。
「ヤ。その為には確実に攻撃を通す事。モンスター達にそれを頼むのは酷だから、僕達がやる」
「に」
「まずは、僕の後ろで豆を育ててくれ。発射台を作る」
「はっしゃだい?」
 懐から豆を取り出しながら、リフは不思議そうに首を傾げた。
「うん。あの蜂が使えそうだけど、バレるとまずいな。やっぱり僕の魔法でやるか」


 背後からは、蔓の燃える臭いと共に、わずかに熱が伝わってきていた。
 いくら燃えればそこから煙のモンスターが生じると言っても、敢えてたき火に飛び込むような事は霊樹はしない。
 チラッと左を見る。
 木の幹が邪魔をして、ヒイロ達の姿は見えない。ならば好都合、とカナリーは考える。
 魔人に相対したまま、カナリーはリフに尋ねた。
「全員にタイミングは伝えた?」
「に」
「それじゃ、作戦スタートと行こうか!」
 カナリーは、魔人の目線の高さまで宙に浮いた。
 一瞬、魔人がキョトンとする。
 それに微笑みながら、カナリーは両手をかざした。
「――最大出力・{照光/ライタン}}!」
 手の平から強烈な閃光が生じ、魔人の目を灼いた。
 魔人がたまらず、両目を覆う。
「今だ、ヘイケン!」
 咆哮を上げながら身悶える魔人の足の腱を、サムライクラブのハサミが切断する。踵の上に一本の線が生じたかと思うと、そこから勢いよく血が噴き出す。
「リフ! 続いてマーロン!」
「に!」
 リフが魔人に向けて投擲した豆は即座に発芽し、全身に巻き付いた。
 そして、カナリーの背後にあったたき火が爆発し、足の下を火の玉が通り過ぎる。
 焼けたイガグリが股間を直撃し、魔人の口から悲鳴が上がる。
「大きく口が開いた、畳み掛けろトエント!」
 魔人の周囲を飛んでいたフレイムホーネットが口の中に飛び込み、無防備な舌に太い針を突き刺す。口から吐き出される炎も、火属性のモンスターにはほとんど効果がない。
 全身にまとわりつく蔓を引きちぎりながら、視界を失った魔人がヨロヨロと足をふらつかせる。
 その足の裏にリビングマッドが滑り込み、大きく転倒させた。
 地響きを上げて、そのまま仰向けに倒れる。
「よし、よくやったダン――最後、ウッズ、ヴァーミィ、セルシアやれ!」
 作戦開始と同時に距離を取っていたヴァーミィとセルシアが、助走をつける。
 ウッズは大きく跳躍すると、魔人の胴体目がけてボディプレスを叩き込んだ。
 重量級の攻撃を胴体に叩き込まれ、魔人は肺の中の空気を強制的に吐き出させられる。
 その直後、天井近くにまでジャンプをしていた従者二人のダブルキックが顔面に炸裂した。
 ……魔人は大きく身体を震わせたかと思うと、そのままガクンと力尽きる。
「やったか……?」
 床に着地し、カナリーは呟く。
 その途端、ガバッと魔人は石巨人を押しのけて上半身を起こし、その巨大な手をカナリーに伸ばしてきた。
「にぃ!?」
「大人しく――」
 軽く跳んで、大きな手を回避したカナリーは、そのまま魔人の顔を手で掴んだ。
「――していろ!」
 一瞬にして、魔人の髪が白髪になり、顔面が皺だらけのミイラと化す。
 カナリーの吸血鬼としての能力、吸精だ。
 再び、後ろへと倒れようとする魔人。
 しかしその開かれた口の奥が、赤く揺らめいているのに、カナリーは気付いた。
「リフ、上だ!」
 轟、と口から放たれた炎が天井の蔓を焼こうとする。このままだと、再びスモークレディが出現する。
「にぃあ!」
 しかし、炎が届くより前に、リフの咆哮を受けた木の蔓達は、不自然な素早い動きで退いていった。
 天井を黒焦げにしながらも、霊樹の蔓はただの一本も焼かれる事はなかった。
 今度こそ力を失った魔人は、仰向けに倒れて気絶した。
「あ、危なかったね、リフ。やれば出来るじゃないか」
「にぃ……二回はたぶん無理」
 リフがへたり込む。必死だったらしい。
「向こうもおわった」
 リフの視線を追うと、ロンが倒れていた。
 血だらけのヒイロがそれを見下ろし、シルバが印を切っている。
 ホッと一安心すると、カナリーは足下をふらつかせた。
 酩酊感に、頭を振る。
「おっと……うん、やり過ぎた。これ以上はまずいね。酔っぱらいそうだ」
 吸精の副作用だ。
「に。みんな、おつかれ」
 リフが言うと、モンスター達は魔人の周囲を取り囲み、勝ち鬨を上げた。
 それを眺めながら、カナリーは大きく息を吐いた。
「それじゃ、報告といこうかな」
 モンスター達に魔人の見張りを頼み、カナリーはリフと共にシルバの下に向かった。
「……酔った振りをして、シルバにもたれかかるっていう手もあるなぁ」


「ぬううぅぅん!!」
 身体が赤銅色に変化しつつあるヴィクターの拳が、霊樹の太い幹に叩き込まれる。
「おれのじゃまを、するな……っ!」
 身体中に纏わり付く蔓や木の根を引きちぎり、ヴィクターの連打が続く。
 霊樹は軋みを上げ、次第に傾き始めていた。
 今やヴィクターは、霊樹にとって最大の敵と認定され、その攻撃を一身に受けている。
 しかしそれでも、彼は止まる気配はない。
「ヴィ、ヴィクター、もういいからそろそろ止まって!」
 主であるノワの声にも、ヴィクターは攻撃の手を緩める様子はなかった。
 赤銅色の肌は、さらに赤みを増してくる。
 それがどういう事かは、この場にいる者全員に明らかだった。
 人造人間である彼の身体に搭載されている精霊炉は遙か古代の試作品であり、長時間戦闘に使用すると熱暴走を引き起こすのだ。
 そして最終的には、爆発する。
 その規模がどれほどのモノかは分からない。
 しかし、ヴィクターを中心に放たれている熱量は、少なくともこの部屋にいる者全員を吹き飛ばせる事は、想像に難くない。
「のわさま。もうすこしで、たおしおわる!」
「そ、そんなの、シルバ君達に任せればいいからぁ!」
「おい、さりげなく人任せにするなよ!?」
 落とし穴を覗き込んでいたシルバは、慌てて振り返った。
「何よ! ヴィクターが爆発してもいいっていうの!? そうしたらみんな、やられちゃうんだよ!?」
 うんざりしながら、シルバは自分の頭を掻いた。
「あのなぁ……聞きたい事があるんだが」
「何よぉ! こっちが今、大変なのは見れば分かるでしょ!?」
 確かに、ノワのすぐ傍で、彼女の下僕であるヴィクターは臨界点に達しようとしている。
 爆発まで、もう幾分の猶予もないだろう。
 けれど、シルバはそれに構わなかった。
「その大変な件だ。お前ら、俺とキキョウが以前、伝えた事ちゃんと理解してたのか? 長時間の戦闘は危険だって、言っただろう? 何の対策も打ってなかったのか?」
「だって、ヴィクター強いもん! 戦闘が長引いた事なんてなかったし、いつか何とかしようと思ってたの!」
 ノワの答えに、シルバは深々と溜め息をついた。
「……つまり、お前らにヴィクターを止める術は何一つないんだな」
「仕方がなかった部分もあるんですよ。僕達には、頼れる場所も、彼の身体を調べる伝手もなかったんです」
 困ったような、しかし全然反省していない笑みを浮かべながら、部屋の隅にいたクロス・フェリーが肩を竦めた。
「それってつまり、ヴィクターの事より、自分達の保身が第一だったって事だろ」
「傷つきますねえ。まるで僕達が薄情者みたいじゃないですか」
 そう言ってるんだよ、とシルバは内心毒づいた。
(嘘をついている可能性もあるのではないだろうか、シルバ殿?)
 精神共有を介して、キキョウが尋ねてくる。
(……かもしれない。けど、チキンレースに付き合ってる余裕はないだろ、キキョウ。こっちには、アイツを止める術がある。なら、ここで使うべきだ)
(確かに)
 シルバの目の前で、ヴィクターは霊樹の幹にしがみついた。
「おおおぉぉ……っ!!」
 そのまま、足を踏ん張り、霊樹を持ち上げていく。
 周囲の床が崩れ、太い木の根も吐き出されていく。
 霊樹は明らかにもう、限界だ。
 しかしそれと同等、いや、それ以上にヴィクターが危険だった。その身体の色はもう、真っ赤になっており、シルバの身体にも蒸し暑いぐらいの熱気が伝わってきている。
「爆発ももう、時間の問題だな」
「シ、シルバさん……」
 背後の落とし穴から、青白い燐光を纏う水の精霊、タイランが浮き上がってくる。
「怖いか、タイラン」
「い、いえ」
 慌てて首を振り、すぐにしゅんと俯いた。
「……すみません、ちょっと怖いです」
「そうか。ちょっとなんてすごいな、タイラン。あんなおっかないの、俺はすげえ怖いぞ」
 シルバの言葉は、半ばはタイランを落ち着かせる為だったが、残り半分は本音だった。
「あ、あはは……」
 そのタイランの背後。
 ガシャリ、と重い金属質な音をさせながら、銀色の重甲冑が落とし穴から持ち上げられ、床に置かれた。
「よいしょ、と」
 それに続いて、ヒイロが姿を現わした。
「先輩、はいこれ」
 そして手に持っていた小さな瓶を、シルバに渡す。
「おう、ありがと」
 受け取った瓶は、凍結剤だ。
「……三十秒で決着をつけるぞ、タイラン」
「……は、はい」
 地響きと共に、霊樹が乱暴に横倒しにされる。
 ヴィクターが、投げ捨てたのだ。
 シルバの視界の端で、キキョウが刀の柄に手を掛ける。
「これより、ヴィクターを止める! 全員、シルバ殿のサポートに回ってもらう」
「え?」
 キキョウの言葉に、ノワがキョトンとする。
「他人事のような顔をされては困るぞ。全員というのはお主らも含む! よいな!」
「ヴィ、ヴィクター、倒しちゃうの!?」
「止めるだけだ。では――参る!」
 キキョウが駆け出し、ヴィクターの注意がそちらを向く。
 シルバはノワとクロスを見た。
 彼らも、ヴィクターに気を向けている。ロンはまだ動けないのか、部屋の端に倒れたままだ。
 やるなら今だった。
「水の精霊よ。我が肉体に宿り、悪しき元素に立ち向かう力を与えたまえ……!」
 シルバの言葉に続き、タイランが彼にだけ聞こえるぐらい小さな声で呟く。
「我が名タイラン・ハーベスタの真名をもて……」
 シルバが後ろに伸ばした手に、タイランの手の平が重なる。
「この者に望む力を与えます。その力を一つに……融け合わせましょう」
 眩い青光が発せられ、シルバはタイランと融合した。
 青白い燐光に包まれ、全身もどこか青みがかる。耳もわずかに尖っていた。
「それじゃ行こうか、タイラン」
 自分と重なったタイランに声を掛ける。
(は、はい……)
 小瓶の中身を飲み干すと、シルバの纏う光が青から銀へと変化する。水属性から氷属性への変化だ。
 その光に反応し、ヴィクターはシルバ達の方を向いた。
「さすが、お目が高いな」
 呟き、シルバはヴィクター目がけて駆け出す。凍結剤の効果はわずか三十秒。時間的な余裕はほとんどない。
「某は無視か、ヴィクター!」
 シルバから視線を外さないヴィクターのこめかみを、跳躍したキキョウの刀が横殴りに襲いかかる。だが、ヴィクターはまるで効いた様子がない。
「硬いな……打撃の方が効くか」
 距離を取って着地するキキョウを完全に無視し、ヴィクターが左手を振りかぶる。
「ぬうう……!」
 その手には、禍々しい赤い光が宿っている。
 精霊砲を放つ気だ。
「けど、そうはさせないんだよ……ねっ!」
 大きく振りかぶったヒイロの骨剣が、ヴィクターの手首を叩いた。
 放たれた精霊砲は大きくそれ、赤い光が天井の一部を崩してしまう。
「つーか、いきなり動いて大丈夫か、ヒイロ。さっき結構無理しただろうに」
 走りながら、シルバが尋ねる。
「だいじょぶだいじょぶ」
 ヒイロを追おうとするヴィクターの後頭部を、紫電が直撃する。
「それに数が多いからね。一人の負担はそれほどでもないさ」
 背後から彼を襲ったのは、カナリーだ。
(あ、ありがとうございます)
 タイランが、精神共有を介して礼を言う。
 シルバの視界の隅で、ノワとクロスは動く気配がない。
「手伝う気はゼロか。まあ、いいさ。でも、邪魔だけはするなよ」
 再びこちらを向いたヴィクターの右拳が、シルバに振り下ろされる。
「てき、たおす!」
 シルバは手をかざし、指を鳴らした。
「{大盾/ラシルド}!!」
 本来のシルバの{大盾/ラシルド}なら、あっさりとヴィクターの拳に突き破られていただろう。
 しかし凍結剤に含まれた強化の効果が普段よりも数倍強い魔力障壁を展開し、ヴィクターの攻撃速度が大きく減退させる。
「ぬう!?」
 その時にはもう、シルバはヴィクターの懐に入っていた。
「よし、いくぞ」
 シルバは、手刀をヴィクターの胸板に突き刺した。
 その途端、ビクンッとヴィクターの身体が痙攣する。
「が……がが……」
「ヴィ、ヴィクター!? やっぱり壊す気じゃない!」
「……落ち着けって。今、大人しくさせてるんだから」
 シルバはノワに言い、手を探る。
 指先に硬いモノを感じ、肉の中で印を切った。
「{沈静/アンティ}」
 術が発動し、真っ赤だったヴィクターの全身が、次第に本来の肌の色に戻っていく。
「ヴィクターが……鎮まっている……?」
 ノワが目を瞬かせる。
「ヴィクターの精霊炉は、大昔に作られた試作品。中で燃焼する炎の精霊の制御が不完全な結果、長時間の運動が出来ず、こんな感じに暴走を起こす」
 シルバは、ヴィクターの身体の中にある精霊炉に手を当てながら言う。
 同じ口から、氷の精霊の力を炉に注ぎ込むタイランの言葉が続く。
「だ、だから、その炎の精霊の熱を安定させます……! 必要な熱量を憶えさせる事で、二度と暴走は起こらなくなります」
「……っていう説明も、クロップの爺様の話なんだがな。いけるか、タイラン」
「は、はい……何とか」
 ヴィクターの中に搭載されているのが精霊炉と聞き、ここに来る前にシルバ達は今は牢獄にいる精霊炉の権威、テュポン・クロップに意見を求めていた。
 以前、敵としてシルバ達の前に立ちふさがった老人である。
 石板の内容をすべて説明すると、牢獄の中にいながら老人は嬉々として、祖先が造った人造人間・ヴィクターの鎮め方を教えてくれたのだった。
 もちろん、ただではない。それなりの代償が必要だったが……。
「お、おお……」
 少しずつ、ヴィクターから熱が引いていく。
 ヴィクターの目から狂気が薄れ、やがてガクンと跪いた。
「……おう?」
「と、止まった……?」
 ノワがヴィクターに近付く。
「止めたんだよ。タイランが」
 シルバはヴィクターの胸から手を引き抜き、後ずさった。
 精霊の力を使い切ったシルバの身体も、いつの間にか元に戻っていた。
(あ、あの、シルバさん……)
 凍結剤の副作用で、タイランはすっかり力を失っていた。
 喋る事はかろうじて出来るようだが、身動きはもうまったく取れないでいるのがシルバには分かった。
「すまなかったな、タイラン。しばらく休んで……って、そうか、鎧の方は使えないんだっけ」
 シルバは、落とし穴の傍らに置かれている、空になった重甲冑を振り返った。
「……後の為に」
 呟く言葉は、中にいるタイランにしか聞こえないほど小さい。
(は、はい)
「んじゃま、しばらく俺と一緒にいてくれ」
(は、はい!?)
 シルバの中で、タイランの気が跳びはねるような動きを見せる。力を失った割に結構元気っぽいなとシルバは思った。
「いや、多分外にいるより、それが一番安全だから」
(シ、シルバさんがよろしいのなら、それで……)
 シルバの意識と共存しながら、タイランはコクコクと頷いた。
「なら、遠慮はいらないね」
 そんな声が響き、ヴィクターが立ち上がる。
「ヴィクター、やっちゃえ!」
「おう」
 ヴィクターの巨大な拳が、シルバに襲いかかってきた。
「本当に恩知らずだな、テメエ!?」
 転がるように回避しながら、シルバが絶叫する。
「最初から、その予定だったでしょ? さ、みんな、『魂の座』取り返そう!」
「ですね」
 ゆらり……とクロスが動き、シルバに指を向けた。
「共闘終了、か……」
 シルバは呟いた。


「つっても、それほど危機感はない訳で」
 シルバの背後の壁が開き、猫耳帽子に大きなコートの獣人が飛び込んできた。
「に」
 リフはシルバの頭上を跳躍しながら、ノワ目がけて精霊砲を放つ。
「おう?」
 もっとも、その攻撃はノワの前にいたヴィクターに難なく阻まれてしまう。
 だが、リフはそれに構わず両腕から鋭い刃が出現させ、着地と同時にクロスとの間に割り込む。
「む……」
 クロスの紅い瞳が強く輝く。
 魅了の眼光だ――が、リフにはまったく通じる気配がない。
「お兄」
 クロスから視線を離さず、ジリ……とすり足を動かす。
 その一方で、ヴィクターにも油断なく、注意を放っていた。
「待て。牽制で充分だ」
「に。もうすぐ。もやもすぐ来る」
「うん。偵察ご苦労」
 リフの頭に手をやると、シルバは後ずさった。
 リフもその後をついて来る。
「あ、ちょ、ちょっと逃げちゃ駄目だよ、シルバ君!」
「お前らも靄もヤバイから、距離を取るだけだっつーの! 今更逃げるか馬鹿!」
 叫びながら、シルバ達はキキョウやヒイロと合流する。
「ノワ、馬鹿じゃないもん!」
「いやぁ……充分すぎるほどの馬鹿であろう」
「ボクとどっちが頭悪いかなぁ」
 ノワに呆れつつ、キキョウとヒイロはシルバを守るように前に立った。
「固められてしまいましたね」
 部屋の隅で、クロスが肩を竦める。
「おっと、怖い怖い。僕らを仲間はずれにしないで欲しいね、シルバ」
 部屋の隅に固まっていた、リフの仲間のモンスターを引き連れ、カナリーもシルバ達と合流した。
 シルバは荷物袋から『魂の座』を取り出すと、卵形の器を横倒しになった霊樹に放り投げた。
 霊樹の真上で器は静止したかと思うと、輝く碧色の煙のようなモノが滲み始める。
(あ、あれが『高位の魂』ですか……?)
「まあな」
 シルバは自分の中にいるタイランに意識下で応えた。
 チラッと入り口近くの壁にもたれかかる、ロンに視線をやる。
 意識もあるし、回復魔法も掛けた。とはいえ、全身を床に叩きつけられたのだ。筋肉や骨がまだ、言う事を利かないのか、ロンは動く気配はない。
 それ以上に殺気がないのでさほど心配はしていないが、一応注意はしておく必要があった。
「カナリー、後ろのロンの監視を頼む」
「了解」
「来るぞ」
 シルバやノワ達が取り囲む中、リフが現れた壁の隠し扉が音もなく崩れて、乳白色の靄が出現する。
 靄に触れてしまった効果だろう、壊れた扉が煌びやかな無数の宝石となって、床に転がり落ちていく。


「宝石!?」
「ノワさん、気持ちはすごく分かりますが危険です。ヴィクター」
「おう」
 クロスの指示は早く、ヴィクターもまた素早かった。
 振り返り、突っ走ろうとするノワを正面から受け止めた。
 そのまま、抱え上げる。
「やー! 離して、ヴィクター!」
 足をジタバタと揺らす主に、ヴィクターは首を振った。
「だめ。のわさま、あぶない。あんぜんだいいち」
 言って、ヴィクターは靄から距離を取るように横に移動し、クロスと合流する。


「シルバ殿……」
 キキョウは靄から視線を離さず、刀の柄に手を掛ける。
 シルバは台座も、器の傍に放り投げた。
 霊樹にぶつかり、そのまま無造作に転がる。
「心配しなくても、大丈夫だ。台座の呪文を唱え終わったから、靄と魂が融合して、後は顕現するだけ。もう、ほぼ無害のはずだ」
 それを鋭く聞き咎め、ノワがヴィクターを見上げた。
「じゃ、じゃあヴィクター! 宝石回収しよ!?」
「おう?」
 ヴィクターが、ノワを脇から離す。
「触れない限りはな」
 一旦下ろしたノワを、再びヴィクターは担ぎ上げた。
「やっぱりだめだ、のわさま」
「やー! もー!」
 そのまま、ノワはシルバを指差した。
「だ、大体、最初から悪魔を召喚させるつもりだったなら、何でノワ達と戦ってたのよ!」
「…………」
 シルバはノワのあまりな言い分に目を見開くと、額に手をやりながら深々と溜め息をついた。
「……本当に馬鹿だなぁ、お前」
 うんざりと頭を振る。
「また馬鹿って言った!」
「言うわい! 最初から最後まで、先制攻撃を仕掛けてきたのは全部お前だろうが! 土下座強要されたり、斧で襲われたりしながら、話し合おうなんて言えるか馬鹿!? 言って聞いたか自分に問いかけてみろよ!?」
「その程度、我慢して説得する根性見せてよ!」
 即座に切り返すノワに、リフの耳がピクッと揺れた。
「……に。今、そのていどって言った」
「お、おお、リフ、ちょっと怖いぞ?」
「ど、どうどうリフちゃん。落ち着こー」
 瞳孔が縦に細まるのを見て、前衛の二人が慌てて、リフのフォローに回る。


 靄は緩慢な動きで卵形の容器に近付くと、吸い込まれるように碧色の煙と混ざり合った。
 転がっていた台座が自動的に起き上がり、卵形の容器がゆっくりと動いてその台座に鎮座する。
 シルバと、ノワから目を離さないリフ以外の全員が、その様子に注意を奪われていた。


 シルバは大きく息を吐き出した。
 そして、ノワ達に言う。
「悪魔が現れるまで、まだ少しだけ猶予がある。だから忠告するぞ。願い事なんて、やめておけ」
 その言葉に、クロス・フェリーは苦笑しながら、首を振った。
「あのねえ、シルバ君。ここまでしておいて、僕達が今更退くと思いますか」
「思わないよ。けど、それでも俺は言っておきたいんだよ。司祭っていう立場もあるし……」
「以前、立ち会った事もありますし?」
「まあな」
「出来れば、詳しくお話を伺いたいのですが」
 べ、とシルバは舌を出した。
「やだね。お前らは仲間じゃないし、教会の上の許可がないと話せない内容だ。とにかく俺は言ったからな。やめとけ。絶対後悔する。みんなもだぞ」
 シルバは、周りの仲間に視線をやった。
 全員が頷く……かと思ったら。
「願い事……むぅ、嫁というのは悪魔に叶えてもらうモノではないな……」
 むむ、とキキョウが腕組みしながら、真剣に悩んでいた。
「おおいキキョウ!?」
「は!? だ、大丈夫だ、シルバ殿! 某の望みは悪魔に同行してもらうモノではないぞ」
「……し、心配だ」
 いや、うん、キキョウを信じよう、とシルバは自分に言い聞かせた。
 その時、ふわっと自分の胸元から水色の気塊が現れたかと思うと、小さな人型に変化した。
 ミニサイズのタイランだった。
「……シ、シルバさん、そろそろ現れます」
「おー、タイラン可愛いな」
「は!? え、あ、そ、その、ずっと意識下で話すのもあれなので、あ、現れてみただけなんですけど……」
 手の平を差し出すと、ちょこんとタイランはその上に座り込む。
「あ、ありがとうございます」
 ペコペコと頭を下げるタイラン。
「……この男は、平然とこの手の台詞を吐くから油断ならないんだよなぁ」
 シルバの隣で、ボソッとカナリーがぼやく。うむうむと、キキョウが全力で同意していた。
「に。タイラン、こんぱくと」
「あー、いや、みんな和んでいる場合じゃないんだけど」
 ヒイロが、『魂の座』を指差した。


 大量の煙が噴き上がるとか、眩い閃光が部屋を包み込むといった劇的な演出は何一つない。
 ただ、いつの間にか『魂の座』の中身は空になり、そこには一人のスマートな青年が佇んでいた。……いや、女性なのか? どちらとも言い難い、中性的な魅力を持つ人物だ。
 黒い詰め襟の上下で、上着の前はいくつか大きめの金色のボタンで留められている。
 おそらく霊樹の魂を使用したせいだろう、後ろで一つに束ねられた長い髪は緑色の葉で出来ていた。
 肌は茶色く、木の幹を連想させる。
 彼は髪と同じ緑色の瞳で部屋を見回すと、シルバの姿を認め、無表情な口元をわずかに綻ばせた。


「やあ、久しぶりだね、シルバ・ロックール」
 涼しげな鈴の音色のような声だった。
「……悪魔ってのは不特定多数いるって先生から聞いてるんだが。何でまた、お前なんだよ、ネイト」



[11810] VSノワ戦 3
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/05/25 16:26
「シルバ、憶えておいた方がいいぞ。名前というのは特別な意味を持つ」
「に!」
 悪魔、ネイト・メイヤーの言葉に、リフがコクコクと頷いた。
 ネイトはそれを見て、軽く微笑む。
「うん、同意が得られて僕も嬉しい」
「そもそも何だよ、その髪と肌の色は。イメージチェンジか?」
 シルバのツッコミを受け、ネイトはふむ、と葉で出来た自分の髪を掻いた。
 そして、倒れている霊樹を見下ろす。
「触媒の問題だろう。こんなモノを使えば、そりゃ姿も変わるとも」
「ちょっとちょっと!」
 耐えきれなくなったのか、ヴィクターに抱えられたままノワが叫んだ。
 シルバ達もノワに注目する。
「ノワ達を置き去りにしないでよ!? 誰が呼んだと思ってるの!?」
 ネイトは腕組みをし、不思議そうに首を傾げた。
「シルバじゃないか」
「俺だろ」
 実際、ネイトの召喚を行ったのはシルバなので、間違いではない。
「そ、そそそ、そうだけど! 望みを叶えてもらいたいのはノワ達なの! 道具を揃えたのもノワ達だし、シルバ君達は関係ないんだから!」
 ノワが大きく両手を振り回す。
 ネイトは軽く息を吐いて、シルバ達に背を向けた。
「何だつまらん。帰る」
「おおおい!?」
「シルバが引き留めてくれたから、帰るのはやめよう」
 本気なのか冗談なのか、ネイトは再び振り返った。
 シルバの隣にいたカナリーが、小さく呟く。
「……シルバ。帰ってもらった方がある意味では、正しかったんじゃないか?」
「……いや、分かってるんだ。分かっているんだが、ついツッコミが」
 自分のツッコミ体質を恨む、シルバであった。
「シルバ君とはどういう関係?」
「ああ、婚約者だ」
 ノワの質問にネイトが平然と答え、シルバのパーティーに動揺が広がった。
「嘘だ!!」
 ネイトは肩を竦め、シルバを見た。
「つれないなシルバ。将来を誓い合った仲じゃないか」
「海に向かって、『シルバの嫁に僕はなる!』って叫ぶのは、誓い合ったとは絶対言わないだろ、常識で考えて……」
「っていうか、やっぱり女の人なんだ……」
 引きつった笑いを浮かべるヒイロに、ネイトはえへんとささやかな胸を張った。
「幼馴染みだ」
「何で胸を張るんだよ!?」
「最強属性の一つだぞ?」
「だから、属性って何だよ!? キキョウも汗を拭いながら『手強い……』とか表情作るなよ!?」
 シルバのツッコミが止まらない。
 構わず、ネイトはシルバのパーティーを値踏みするように眺める。
「それで、その中の誰がシルバの嫁なんだ? 全員か? 僕は社会的な立場に拘らないから、愛人でも雌奴隷でも全然構わないが、身を固めるならちゃんとケジメは付けておいた方がいいぞ?」
「……頭が痛くなってきたから、そっちの話に戻れ」
 シッシッとシルバは手を振った。
「それが君の望みか」
 ネイトの問いに、シルバは頷く。
「そうだよ」
「よし。では、残る望みは二つだな」
「ちょっとシルバ君!?」
 ノワがたまらず絶叫する。
「という訳にはさすがにいかないか。大丈夫だ。『高位の魂』を用いた三つの願いはまだ全部残っている」
 無表情なネイトに、ノワは真面目な顔を向けた。
 もっともヴィクターの小脇に抱えられたままなので、今一つ格好がつかないが。
「ネイト……さんとか言ったよね。貴方、シルバ君の味方?」
「その前に一つ」
 ネイトは、指を一本立てた。
「何よ」
「君、シルバの敵だな。だったら僕の名前を気安く呼ぶな。僕の名前を呼んでいいのは、シルバの身内だけだ」
 それを言うと、ネイトは腕を下ろした。
「それとシルバの味方かという質問に対する答えが、君の望みか」
「う……」
 ノワが言葉に詰まる。
 しかしノワが言う前に、再びネイトが口を開いた。
「いい。世間話として受け取っておこう。シルバの味方かという問いに対しては、基本的にはイエスだ。ただし公私の区別は付けるから、もしもシルバの死を望むなら正式にそれを叶えよう。これでいいかな?」
「ノ、ノワの望みは、そんなのじゃないもん。もっと重要な事だし……ノワが気にしてるのは、曲解して変な形で叶えたりしないかって事だよ」
「それはないな。人の願望を叶えるという一点においては、僕は不公平な事は何一つしない。例えば君が、抱えきれないほどの財宝を欲するというのなら、僕はここで即座にそれを叶えよう」
 それを聞き知る場は眼を細めたが、気付いたのは肩にちょこんと座っていたタイランだけだった。
「財宝!?」
 一方ノワは目を輝かせた。が、さすがにクロスがたしなめた。
「……ノワさん、落ち着いて下さい。ここですべてを台無しにする訳にはいきません。初心貫徹でいきましょう。財宝なんて、その気になれば後でどうとでもなるでしょう? 人の身に叶えられない望みでいくべきです」
「う、う、ううう、そ、そうだね」
 残念そうに、ノワは頷いた。
 それを見届け、今度はクロスがネイトに話しかける。
「望みを叶えてもらうのは僕とノワさん、そしてそっちで倒れている黒髪の青年です。問題ありませんね?」
 クロスはロンを指差し、尋ねた。
 ネイトは壁にもたれかかりながら座っているロンを見て、頷いた。
「三人分の願い、確かに承った。では聞こう。君達の望みは何だ。プライバシーを守りたいなら、別にこっちでもいいぞ」
 ネイトの緑色の瞳が輝く。
 直後、ノワ、クロス、ロンの身体が一瞬痙攣したかと思うと、そのまま硬直した。
 ノワ達は意識を取り込まれたらしく、部屋の中央でネイトだけが頷いていた。
 形こそ違うが、ネイトのやっている事が何か、一番最初に察したのはカナリーだった。
「精神共有か……!?」
「まあな」
 シルバが返事を返した。
「か、彼女は元、聖職者か何かだったのかい」
 精神共有は、聖職者が長い修業を経て得られる技能の一つだ。
 なら、その疑問も当然の帰結だった。
 しかし、シルバは首を振った。
「いや、種族特性。アイツは元は、獏っていう種族でな」
「ば、ばく?」
 聞き慣れない種族名だった。
 それに答えたのはリフだ。
「に……悪夢をたべる霊獣の一種。夢魔のてんてき」
「……どっちかっつーと、アイツそのモノが夢魔だったような気がするけどな」
 ボソリと、シルバは呟いた。
 しばらくすると、話が終わったのか、ネイトが動きを止めた。
「なるほど……」
 軽く息を吐き、指を三本立てる。
「『永遠の若さと美貌』、『純血の吸血鬼になりたい』、『狼男になる前の身体に戻りたい』だな。分かった。叶えよう。ただし、『永遠の若さと美貌』は駄目だ」


「な、何でノワだけ駄目なの!? ずるいじゃない! ヴィクター、下ろして!」
「おう」
 詰め寄ろうとするノワを、ネイトは手で制した。
「慌てるな。別にずるくはない。永遠の『若さ』と『美貌』じゃあ要求が二つになっているじゃないか。何気に欲張りだね、君」
「つ、つまり、どっちかを選べって事?」
「もしくは両方を叶える一つを作るかだね」
「ん、んー……」
 ノワは、腕を組んで悩んだ。
 そして呟く。
「永遠の『若さ』と『美貌』……」
 どちらを選べばよいのか。
 しばし考え込み、不意に顔を持ち上げる。
「あ!」
 どうやら、答えを思いついたようだ。
 ポンと手を打ち、微笑んだ。
「何だー! 永遠の美貌って事は、若さもちゃんと保たれてるよね。じゃあ、望みは『永遠の美貌』にする! 世界一の美人ね!」
 ノワの望みを、ネイトは聞き届けた。
「分かった。望みは『永遠の美貌』だ」
「うん。世界一の美人なら、お金持ちにも取り入りやすいし、今後ずっと楽な生活を送れるもんね! もう危険な冒険者稼業も廃業出来るし!」
「……お前、ホント欲望に忠実だな」
 呆れ、思わずシルバは呟いた。
 それを見て、ノワは口元を押さえて笑った。
「くぷぷ、シルバ君、悔しい? 今だったら許してあげるよ? ノワがどこかに嫁いだら、そこの下男にしてあげようか?」
「いらねえよ」
 うんざりと、シルバは返した。
 ふと見ると、キキョウも呆れているようだった。
「彼女は傾国の美女を地でいくつもりか……」
「そう上手く行けばいいがな」
 そんなやり取りをするシルバ達に構わず、ノワはネイトに言った。
「さあ! 悪魔さん、早くやっちゃって! それこそ抱えきれないぐらいの財宝だって、どっかの国の王様に嫁げばノワの思うがままだよね! 天国の生活、こんにちわ!」
「うん。その願い、承った」
 ネイトは手を掲げると、指を鳴らした。


 天井があるにも関わらず、頭上から眩い光が差し、ノワを包んだ。
「やっと、この冒険者稼業が終わる……」
 ノワの身体が変質していく。
 手の甲がささくれ立ち、白かった肌が徐々に茶色く硬いモノに変わっていく。
「……って、え?」
 ノワは戸惑い、両手を見た。
 細かった指はまるで木の枝のようになり、前髪がネイトと同じような葉に変化していく。
「な、何この手……この肌……え、髪の毛が緑色……えええええっ!?」


 悲鳴を上げるノワを眺めながら、シルバの肩に乗ったちっちゃいタイランが、彼を見上げた。
「こ、これって、そういう……事ですか? ……シルバさん?」
「……ああ。タイランも気付いたか」
「は、はい……つまり、美意識の違い、ですよね?」


 やがて光が失せ、ノワの身体は樹木のモノとなっていた。
 その顔にノワの面影はない……が、人間から見ても、まあ美人と言えない事もない。
「うん、上出来」
 満足げに、ネイトは頷いた。
 だが、もちろんノワは納得していない。
「何で何で何で!? どういう事!?」
「だから、世界一の美女だろう? ちゃんと願いは叶えたよ。ほら、鏡」
 ネイトが手を振ると、小さな手鏡が出現した。
 それをノワに放り投げる。
 ノワは自分の顔を見て、驚愕する。
「こ、こんなの違うよ! この葉っぱの髪の毛と茶色の肌のどこが美女なの!?」
 どうやらまだ、ノワは分かっていないようだった。
 シルバはノワの動揺振りを眺めるのにも飽き、リフの頭を撫でた。
「リフ、言ってやれ」
「え?」
 ノワがこちらを見るのを認め、リフは頷いた。
「に……紛れもなく美人。葉のおいしげり方とか樹皮のあざやかさとか最高。ただし、木人として」
「言われてみれば、巨大な盆栽としてみれば、なかなかのモノかも知れぬな……」
 むむ、とキキョウが唸っていた。
「つまりな、ノワ」
 シルバが、言葉を引き継ぐ。
「今のネイトは、霊樹の魂を触媒にした為、木人として顕現した。そいつに『永遠の美貌』って頼んだら、そりゃ木人の美意識での美人さんにするさ」
「さすがシルバだ。相変わらず男前だな。僕にとっては世界一格好いいぞ」
「あの『美貌』の直後に言われても嬉しくねえよ!?」
 シルバはノワを指差して叫んだ。
「僕は例えシルバが人間だろうがスライムだろうが、その愛を貫くつもりだが」
「……スライムになる予定も今の所ねえよ」
「ああ、僕としても現状維持が望ましい。それで、願いは叶えた。満足したかい」
 ネイトはノワの方を振り返り、尋ねた。
「そ、そんな訳ないじゃない! 曲解しないって言ったよね!?」
「心外だな。何一つしてないじゃないか。美に対する価値観なんて人それぞれだ。僕は僕の美意識で判断したに過ぎない。そこに間違いは何一つない」
「や、やり直しー! やり直しを要求する! こんなのノーカンだよ! 契約違反だよっ!」
 ノワは絶叫し、ネイトに詰め寄ろうとする。
 しかし、魔力障壁が張られているのか、彼女はネイトに近付く事が出来ない。
「残念だが、そういう訳にはいかない。願いは一つずつだ」
「じゃ、じゃあクロス君」
 縋るようにノワは、クロスを見た。
 だが、彼は困ったような微笑みを浮かべたまま、首を振った。
「残念ですがノワさん。それは駄目でしょう。僕達は共通の目的の為に手を組んだんです。そしてそれが今、目の前で叶えられようとしている。僕もさすがにこれは譲れません」
「ノワの頼みでも……?」
 涙目になりながら言うが、くっくっ、とクロスは肩で笑った。
「すみませんね、ノワさん。その姿では、もう『女神の微笑』も使えなくなっているんですよ?」
「……!」
 ノワは自分の固い皮に覆われた顔に、両手を当てた。
 そして、座り込んだままのロンを見た。
「残念だが、俺も断る……」
「ぬう、のわさまごめん。おれ、ちからになれない」
 唯一の味方であるヴィクターは、そもそも今回の悪魔とのやり取りに絡んでいない。申し訳なさそうに項垂れた。
 つまり、現状もう、この姿から戻る術はないのだ。
「じゃ、じゃあノワはずっとこのままなの? 何だかよく分からない木のモンスターになったまま!?」
「それが君の望みだろう、ノワ・ヘイゼル? 自分で望んだんじゃないか。『永遠』の美貌を。おめでとう」
 特に笑みを浮かべる事もなく、ネイトは悲嘆に暮れる舞台女優のようなノワに拍手を送った。
「で……」
 深く息を吐くシルバを、ノワが見た。
「俺を下男に何だって?」
「に……木のモンスターじゃなくて、木人。美人なのはリフが保証する。木人なら骨ぬき」
 リフが細かく修正を入れたが、それがノワの耳に届いたかどうか。
「彼女の言葉に嘘はないよ。木人ならみんな、君にメロメロだ。ポジティブに考えれば、木人社会の中で君の本来の望みは叶えられるかもしれない。……もっとも、木人の大半は水と太陽あればいいという、仙人みたいな生活を送っているのだが」
「うわああああん! 全然嬉しくないよう!」
 その場にうずくまり、泣き出した。
 巨漢のヴィクターがその横に正座し、背中を撫で続ける。


「これで、ノワも終わりか……」
 さすがにあの姿では、少なくとも人間の男に取り入る事は難しいだろう。
 商人としても、木人となってしまっては人間の時とは勝手が異なる。……それ以前に、牢獄行きなのは間違いないので、そもそも商人としてやり直せるかは難しいところだが。
 とにかくしばらくは立ち直れないだろう、とシルバは思った。
「せめて、花でも咲けばまだ綺麗なのにね」
「に……」
 ボソリと同情するように言ったヒイロに、リフが俯き、微かに赤くなる。
「ん? どうしたのリフちゃん」
「それはちょっと恥ずかしい……」
「へ?」
 よく分かっていないヒイロに、シルバが引きつった笑みを浮かべた。
「……あー、ヒイロ、あのな。花が咲くってのはつまり木人にとっては発情期で、生殖器丸出し状態って事なんだ」
 そりゃ、リフも恥じらうというモノだ。
「ぜ、前言撤回! うう、種族の価値観って難しいよう」
 ヒイロはバタバタと手を振った。
 一方カナリーは冷ややかだ。
「まったく哀れ極まるね」
「……だからやめろって言ったんだ」
 肩を震わせるノワを眺め、シルバは何とも言えない表情をした。
 警告はした。
 しかし、自業自得とはいえ、気持ちのいいモノではない。その一方でざまあみろとも思ってしまうのは、修行が足りないのか人として正しいのか。
「こうなる事が分かっていたのかい、シルバ」
 カナリーの問いに、シルバは頷いた。
「結末までは分からなかったさ。……ロクでもない事になるのは分かってたけどな」
「しかしもしも、ノワの望みが永遠の若さだったらどうなっていたんだろう」
 カナリーの疑問に答えるのは、それほど難しい事じゃなかった。
「そりゃそのまま願いが叶えられるさ。永遠に若いままだ」
「大したモノじゃないか」
 シルバはカナリーの紅い目を見た。
「吸血鬼のお前が言うのもどうかと思うけどな」
「ああ、それは確かに」
 吸血鬼の寿命は人間より遥かに長い。
 否、アンデッドという種族だけに、ほぼ永遠と言ってもいい。それを望み、人間の中には自分から吸血鬼に自分の身を捧げるモノだって存在する。
 もっともそれは、人間をやめる事も意味するのだが。
「でも、永遠の若さっていうのは死なない訳じゃない。若いまま、年を取らないってだけだ」
「あ」
 吸血鬼だからこそ、カナリーは気がついた。
「え? どう違うの?」
 ヒイロは首を傾げた。
「永遠に若い……つまり、寿命じゃ死ななくなる。って事は、ベッドの上じゃ絶対死ねないって事だよ。という事は、死因は老衰以外に限られるんだ」
「え……」
 まだピンと来ない風のヒイロに、シルバが補足する。
「例えば病死とか、事故死とか、自殺とか……誰かに殺されるとかな」
「うわぁ……」
 やっとヒイロも理解したようだ。ついでとばかりに、他の疑問も口に出してくる。
「じゃ、じゃあ、抱えきれない財宝って言うのは……」
 それか、とシルバは唸った。
 そして、指を一本立てるとクルクルと回す。
「この部屋いっぱいに財宝が出されたとしてさヒイロ、どうやってそれを全部運び出すのさ」
「え、それは……」
 考え、ヒイロは首を傾げた。
「うん?」
 分からないらしい。
「多ければ多いほど、隠すのにも限界がある。まず手にいっぱいの財宝を抱えて、鈍った動きでモンスター達を相手にしながら、地上まで出られるかどうか。急いで戻っても、その時には多分、他の冒険者に財宝の大半を奪われている事になるだろう。財宝の場所を別の場所に指定しても、その辺は大差ないだろうさ。人がいる場所なら奪われやすいし、そうでない場所なら財宝そのモノが足枷になる」
 そしてシルバは、葉の髪を持つ黒服の悪魔・ネイトを見た。
「悪魔に望みを叶えてもらうっていうのは、そういう事。契約はちゃんと果たす。ただし、それで契約者が納得するかは別問題だ」
「……シルバ、以前に他の召喚に立ち会った事があるだろう。詳しい話を聞きたいんだが」
 カナリーの問いに、シルバは微妙な表情をした。
「不老不死を望んだ人間を知ってる。けどその話をする前に、次の契約者を見よう」
 ネイトは、銀髪紅瞳の青年、クロス・フェリーを見つめていた。
「怖じ気づいたかい?」
「まさか、ね。ノワさんは残念な事になりましたが、問題ありません」
 柔和な笑みを崩さないまま、クロスは両腕を広げた。
「次は、僕の番です」


 ネイトは、クロスと向き合った。
「願いは確か『純血の吸血鬼になりたい』だね」
「一応確認しておきたいんだけど、変な落とし穴はないでしょうね。ノワさんにしたような」
 にこやかな表情を崩さないまま、クロスがうずくまるノワをチラッと見た。
「それは心外だな。これは当然の因果だ。僕が願いを叶えた事に、間違いはないだろう?」
 ネイトは首を傾げた。
「その質問に答えるのを、新しい願いにしたのか?」
 まさか、とクロスは肩で笑ってみせる。
「世間話ですよ。ただ、確認は、しておきたいんです。僕は、ちゃんと純血の吸血鬼になれるんですね。つまり今の混ざり物状態ではない完全な吸血鬼です」
「それが願いだからね」
「魔王領に存在するような理性を失った吸血鬼や、どこの馬の骨ともつかないような弱い血はいりません。あくまで、ホルスティン家の血を引いた僕です」
「贅沢だな。だが、いいだろう」
 よし、とクロスは内心安堵した。
 さっきのノワの願いを見ても分かる通り、この悪魔は一筋縄ではいかない。
 念押しをしておかなければ自分の身がどうなるか、分かったモノではなかった。
 純血の吸血鬼といっても、今の自分の血脈を失うのは論外なのだ。
「力が減ると言う事はないでしょうね?」
「特定の家柄の血を継承したままならば、それに準じる。そして吸血鬼としてのメリット、デメリットを考えてくれとしか言いようがない。常識で考えれば、物理的な力も魔力も相当に高まるだろう」
 これも問題ない。
 ホルスティン家は名門だけに、相当な魔力量を誇る。
 半吸血鬼である自分でも、余所の吸血鬼よりも強いという自負が、クロスにはある。
 弱点は、承知の上だ。だからこそ、ホルスティン家にクロスは拘っている。
 人との共存に生きるこの家門は、その多くの弱点を克服してきているのだ。
 平気という訳ではないが、太陽の下でも歩けるほどに、ホルスティン家の血脈は強い。
「デメリットというのは、弱点の強化ですね。まあいいでしょう。ここには流れる水もなければ、太陽もありません。太い木の杭ならありますけどね」
 言って、クロスは床に横倒しになったままの霊樹を見た。
 木の杭で刺されたら、どんな生物だってタダでは済まないし、吸血鬼でもそれは変わらない。弱点である分、刺さりやすくもあるだろう。……もちろん試した事はないが。
「さすがにあれは太すぎて刺せないだろう。なるほど、現在の半吸血鬼ではよほど不満という訳か」
 ネイトの問いに、クロスは肩を竦めた。
「ええ。社会的にも性能的にもね。ただ、半分人間の血を引いているだけというだけで、半端者と蔑まれるのも懲り懲りですし、彼らを見返す為にも、より大きな力も欲しいのですよ」


 シルバは眼鏡を掛け直し、右の袖を整えた。
「……見返すんだったら、その半端者の身体のままやるべきなんじゃないのか」
「部外者は黙っていて下さい。君に僕の何が分かるというのですか?」
 相変わらず笑みを浮かべたまま、クロスは慇懃無礼に返してくる。
「そう言われると、返す言葉もないけどな」
 シルバは吸血鬼じゃない。
 子供の頃に、そんな理由で迫害された経験などないのだ。
 もっともシルバの生まれ故郷は、種族云々で揉めていたらキリがないほどの種族の坩堝だったのだが。
 代わりに前に踏み出したのは、厳しい表情のカナリーだった。
「だからといって、これまでの罪が消えるという訳じゃないぞ、クロス。君が行った事は著しくモラルを欠く。人間達と共存していく僕達にとって、あまりに不利益な行動を取った。君を捕らえ、これらはすべて一族の決まりと併せ、法に照らし合わせてしっかりと糾弾させてもらう」
「どうぞご自由に。出来るモノなら、ですが」
 ふふ、と笑うクロスに、シルバは悟った。
「……逃げる気だ」
「……はい、逃げる気ですよね」
 肩の上のタイランも頷く。
 しかし、シルバ達に構わず、クロスはネイトに向き直った。
「他の事ならともかく、この願いだけは悪魔にでも頼まないとどうにもなりませんからね。さあ、悪魔さん僕を早く、完全な吸血鬼にして下さい!」
「その願い、承った」
 ネイトは手を掲げると、指を鳴らした。


 頭上からの光がクロスを包み、銀髪が輝きを増した。
 髪の色の変化に、カナリーが紅い目を剥く。
「金髪に……!」
 カナリーの指摘通り、クロスの髪の色は鮮やかな金髪に変わっていた。その髪の色は、ホルスティン家の直系の証でもあった。
 そして、途方もない魔力がクロスを中心に溢れ出す。その魔力は大量の稲光となって、クロスを包み込んでいた。
 クロスは両手を広げ、高らかに笑った。
「は、はは……これ! これですよ! この力が欲しかったんです! この膨大な魔力! いえ、想像以上です! 今の僕に勝てる者はここには誰もいない!」
「……えらく、狭い範囲で勝ち誇ってるな」
 離れた場所で眺めていたシルバが、どことなく呆れた表情をしていた。
「ほう、僕を敵に回す気か」
 同じく、ネイトもポケットに手を突っ込み、一歩踏み出してくる。なるほど、ここに勝てる者がいない、という言葉には、悪魔も含まれる。
 誤解を生んでしまったようですね、とクロスは思った。
「いいえ、貴方ではありませんよ。ただ、ロン君の願いを叶える前に、少し待って欲しいだけです。これだけの力があれば、逃げる必要もなさそうですし……」
 クロスの狙いは、最初からカナリーだ。
 ネイトの張った魔力障壁がクロスとカナリーの間を阻むが、彼は指先から紫電を迸らせて、それを破壊した。
「そんなあっさり……!?」
 ヒイロの目を両手で覆った状態で、キキョウが叫ぶ。そのキキョウ自身も、目を逸らしていた。
 今のクロスはあまりにも危険だ。
 ネイトはどちらに味方するでもなく、表情を崩さないまま、彼らを眺めていた。
「あくまで常識の範囲内の障壁だからな。規格外の魔力をぶつければ割れるとも」
「いや、お前そんな落ち着いて……」
 シルバが突っ込むが、構わずネイトはカナリーを見た。その手にはいつの間にか、小さな手帳があった。
「ちなみにそこの金髪の君……カナリー・ホルスティン君か。どうやら彼と因縁があるようだが、今の彼は君を圧倒しているぞ」
「守ってくれる気は、ないよね」
「ああ」
 それからシルバを見て、少しだけ表情を和らげた。
「シルバが命令するなら、今の立場を投げ打って、全力で守るが」
「必要ねーよ。こっちはこっちで、何とかなるから」
 ぼやくシルバに、クロスは目もくれなかった。
「たかが人間に何が出来るというのですか? 雑魚に構っているほど、僕も暇ではないんですよ」
 後はもう、カナリーを奪うだけだ。意識を保ったままでは難しそうなので、まずは気絶させる必要がある。
 それから外に出て、どこか人気のない場所を探そう。
「その傲慢さが、命取りだ」
 カナリーは喋っていない。
 シルバだった。ただの強がりだろう。
 そう思い、一歩踏み出した瞬間、胸にサクッと何かが刺さった。
「――え」
 左胸に、細い木の串が突き立っていた。
「あ……」
 吸血鬼の弱点。
 白木の杭を心臓に刺す事。
 痛みが訪れるほんの数瞬に、そんな言葉が頭をよぎった。
 直後、クロスの左胸から大量の血が迸り、彼は激痛に絶叫した。
「いあああああああぁぁぁぁっ!?」


「なるほど、半吸血鬼の時は確証がなかったから使えなかったけど、弱点もちゃんと吸血鬼らしいんだ。杭って言えるほど太くもないけど、効果は絶大みたいだな」
 篭手を嵌めた右手を下ろしながら、シルバは息を吐いた。
 クロスは血の海の中でのたうち回っている。
 それを尻目に、カナリーが少し呆れた様子で尋ねた。
「……シルバ。君、どこであんな串、用意してたんだい」
「出掛ける前の串焼き屋台」
 そういえば、とカナリーはシルバが木の串をポケットに入れていたのを思い出す。
 そして、心底頭を抱えた。
「そ、そんなモノに負けるのか……僕達吸血鬼は……」
 吸血貴族、串焼き肉の串に敗れる。
 そんなカナリーを余所に、シルバはクロスから視線を離さなかった。
「カナリー……奴の様子が変だぞ」
「うん?」


 全身を血と埃で汚れながら、クロスは自分の手がどんどん希薄になっていくのに気がついていた。
 うっすらと手の平を空かして、カナリーやその仲間が見える。
 現象は手だけではなく、全身に及んでいた。
「うあ……ああ……消える……身体が消える……な、何が、一体、どうして……?」
 狼狽え、クロスはカナリーを見上げた。
「僕に聞かれても困る」
 シルバが、ネイトの方を向いた。
「……ネイト」
 クロスもそちらを向く。
 悪魔は相変わらず、そこにいた。
「ああ、因果律の問題だよ。彼は純血の吸血鬼である事を願った。しかし、クロス・フェリーという人物は……」
 ネイトは指を二本立てた。
「ダンディリオン・ホルスティンとマール・フェリーの間に生まれた子だ。しかしこの二人から生まれるのは、半吸血鬼のクロス・フェリーであり――」
 そのまま、ネイトはクロスを見下ろした。
 憐憫も軽蔑もない、ただ、興味のない通りすがりを見るような目つきだった。
「――純血種のクロス・フェリーが誕生する為には、マール・フェリーとは結ばれない歴史でないとならない。もしくは、マール・フェリーを吸血鬼にするかだ。だが、彼女を吸血鬼にするという望みは受けていない」
 となると前者しかない、とネイトは言う。
「吸血鬼と人間の間に生まれるのは半吸血鬼。しかしここに二人の間から生まれた純血の吸血鬼が存在する。矛盾が生じるんだ。だから、世界の方で辻褄を合わせたのだろう」
「つ、つまり僕は……」
 クロスが、ネイトを見上げる。
 声までかすれ始めていた。
「消えると言う事は、リセットの方向だろう。この歴史から、クロス・フェリーという存在が消滅する。何故なら、この世界で、純血の吸血鬼であるクロス・フェリーなんて生まれるはずがないのだから」
「よく分からないな」
 シルバは、いまいち納得しきれていないようだった。
「木人になったそこの奴とか、向こうで倒れてる魔人とどう違うんだよ。ただ、『変わる』だけだろ?」
 だがその問いにも、ネイトは首を振る。
「血筋に拘った結果だ。彼と彼女達との決定的な違いは、彼はホルスティン家の、吸血貴族としての血を望んだままでの変化を望んだ。つまり、他者の『歴史』が関わってくるんだよ」
「そうか……」
 カナリーが、クロスを見下ろす。
 僕を見下ろすな、と叫びたかったが、その気力さえ薄れつつあった。
 彼のそんな心境に構わず、カナリーは自分なりの解釈をシルバに説明する。
「条件付加だ。クロスは、ダンディリオン・ホルスティンの血筋の継承も、言外に望んでいた。他者の人生や歴史の左右が絡んでいる分、ノワ・ヘイゼル達とは異なるんだ」
 カナリーの視線がクロスから逸れ、シルバに向く。
 クロスは悔しげに、血を吸った床石の割れ目を握りしめた。
「……おそらく、『ただの』純血の吸血鬼や、まったく異なる何かへの変身だったら、クロス・フェリーはああはならなかった。『ダンディリオン・ホルスティンとマール・フェリーの間から生まれる純血の吸血鬼』という矛盾。悪魔はそれを叶えたけれど、世界が許さなかったんだ」
「そういう事だ。解説ありがとう」
 ネイトが、カナリーの説明に、軽く拍手で応えた。
 それとほぼ同時に、部屋が軽く揺れ始めた。
「に、地震……」
 リフがシルバの裾を小さな手で掴んだ。
「時空震の発生だね。世界が辻褄を合わせているって所だろう。何、シルバ。心配しなくてもすぐに終わるよ。ところで僕もしがみついていいかな?」
 ネイトもシルバに近付こうとする。
「ちょ、ちょっと待てネイト。リセットされるって事は……」
「原因の中心地点にいる僕達は、影響を受けないだろう。せいぜいこの部屋の範囲だけど……残念だ。終わってしまったじゃないか」
 少し唇を尖らせながら、ネイトは足を止めた。
「そ、そういう事じゃなくて……な、なかった事になるっていう事はつまり、アイツに魅了されて、吸血鬼にされた女の子達とかは」
 ネイトは再び手帳を開くと、茶色い頬を掻いた。
「なかった事になるだろう。マルテンス村とかいう所も、女性冒険者達のコミュニティになっているんじゃないだろうか」
「……カナリー。俺達の与り知らないところで、解決したみたいだぞ、お前んちの問題」
「問題そのモノが消滅したらしいけどね……」
 だが、それで誰よりも納得しないクロスが立ち上がった。
 赤黒い血と埃で全身が汚れていた。先程までの自信に満ちた表情はどこにもない。
 その身体は今にも消えそうな程、薄れていた。
「ふ、ふざけないで、下さい……そんな結末……僕は認めない! 断じて認められない!」
 手から雷撃を放とうとする。
 しかし、指先が微かに電光を放っただけで、もはや魔力そのモノも消滅しつつあるようだった。
 ネイトがポケットに両手を突っ込み、彼を見据える。
「世界が優しければ、マール・フェリーが吸血鬼である世界に行く事になるだろう。もっとも向こ……いる純血種のクロス・フェリーと二重存在……り、争い合う事……る可能性もあるけれど……」
 少しずつ、その声すらもクロスに届かなくなってきていた。
 ふと視線を感じ、そちらを見ると着物姿の狐獣人が、何とも言えない表情をしていた。
「…………」
「ま、キキョウにとっては、複雑な心境だろうな」
 シルバの言葉に、キキョウは頷く。
「……うむ」
「え、何で?」
 不思議そうに尋ねるヒイロに、シルバは曖昧に笑った。
「ちょっとな」
 その光景も、次第にぼやけてくる。
「僕は……きらめない! 必……ってきます……!」
 それがクロス・フェリーのこの世での最期の言葉となった。


「終わった……」
 クロスの立っていた場所を見つめ、シルバは呟いた。
 それからふとした疑問が頭に生じた。
「なあ、ネイト」
「婚姻届なら、出てからもらいに行こう」
「誰がそんな話をしてるんだよ!? そうじゃなくて、まさかこの世界の別の場所に、カナリーの父親とクロスの母親から生まれた『違うクロス・フェリー』が生じたりしていないだろうなって聞きたかったんだよ。この世界とやらが変に気を利かせて、あのクロスの代替として用意したみたいな」
「ないよ。そのケースもある事はあるけど、今回はない。クロス・フェリーはもうこの世界には存在しない。そして……」
 ネイトは、入り口の方を向いた。
「最後の一人、ロン・タルボルト。君はどうする」
 ネイトの声に、ハッと我に返る。
 残った望みは一つ、ライカンスロープであるロンの望みだけだ。
 全員が注目する中、壁にもたれて座り込んでいたロンが口を開いた。
「……決まっている。願いを叶えてもらおうか」
 そして、ゆっくりと立ち上がる。
 その瞳の決意は、恐ろしく硬い。
「この身で朽ち果てるぐらいならば、人として消える方を俺は選ぶ」


「先の二人を見て、なお願いを変えないとは、大したモノだね」
 ネイトの問いに、ロン・タルボルトは首を振った。
「今更だ。他に望みなどない」
「了解。なら、願いを叶えよう」
 ネイトが黒袖の腕を掲げる。
 それを見ながら、シルバは印を切った。
「シ、シルバさん……?」
「いいから」
 肩の上のタイランに構わず、シルバは呪文を唱える。
 ロンの頭上から光が降り注ぎ、光柱が彼を包み込む。
 そして。
「がっ、はぁ……っ!?」
 突然、喉笛から大量の血を噴き出した。
 目を剥き、ロンは首筋を押さえながら、床に倒れ込む。
「{回復/ヒルタン}!」
 すかさず、シルバは回復魔法をロンに飛ばした。
 俯せに倒れたロン・タルボルトは身体を痙攣させ、かろうじて死んでいない事を示していた。
「ふぅ……あ、危なかった」
 シルバは、額の汗を拭った。
 何が起こったか分からないのは、周りの人間だ。
 ネイトは無表情に血の海に沈むロンを見つめ、カナリーも腕を組んで難しい顔をしている。
 他の皆は一様に、戸惑っているようだった。
「な、何が起こったのだ……? それにシルバ殿も、何故……」
 キキョウの問いに、シルバは頭を掻いた。
「……アイツの望みは、『狼男になる前の身体に戻りたい』だったからな。俺も色々と考えたけど、『狼男になる直前』に戻る可能性は高いって思ってたんだ」
 うん、とカナリーが頷く。
「まあ、前の二人を見ていたら、大いにありえたね」
「後天的なライカンスロープは、大抵が別のライカンスロープに傷つけられて、生じる。今の出血は喉笛だったな。傷は瞬間的に塞いだけど、それでも命に別状がないか、確かめないと」
 シルバはパーティーの輪から離れて、倒れているロンに近付こうとする。
「あ、危ないよ先輩。ボクが……」
 付いてこようとしたヒイロが足下をふらつかせて、後ろに倒れようとする。
「とと」
「に」
 その背中を、リフが支える。
「お前だって出血多くてきついんだから無理するな。キキョウ、いけるか」
「うむ、ヒイロよりはマシなつもりだ」
 代わりにキキョウが、シルバに付き従った。
「むー」
「ヒイロ、拗ねちゃだめ」
 ぷくーっと頬を膨らませるヒイロの背中を、リフがポンポンと叩いた。


 床は血を吸い、それなりに乾きつつあった。
 シルバは、倒れているロンを見下ろした。
 もう一度確認してみるが、やはりもう傷は塞がっている。
 無理をしなければ、死ぬ事はないだろう。
 ただ、一抹の不安を感じ、念のためネイトに尋ねてみる事にした。
「……おい、ネイト。一応聞くけど、この後コイツまた狼男になるとかないだろうな?」
「それはないよ。狼男になる直前、だ。傷から原因となる体液が入り込む寸前で、止まっている。だから、彼はもう狼男になる事はない。もう一度噛まれれば、別だが」
「勘弁してくれ」
 あんな物騒な相手ともう一戦交えるなんて、冗談じゃないと思うシルバだった。
 いや、実際に戦ったのはキキョウとヒイロだったが、それを考えると胃が痛くなる。
「う……」
 俯せのロンの肩が震え、呻き声が漏れる。
 どうやら、意識が戻ったようだ。
 シルバの前に、キキョウが庇うように立った。油断なく、刀の柄に手をやる。
「シルバ殿、気を付けられよ。この男、今更奇襲を仕掛けてこないとは思うが、それでも敵である事に変わりはない」
「だから、お前を付けた訳だが。……お、気がついたか」
 ロンはゴロリと身体を転がし、仰向けになった。
 血と埃にまみれた顔で天井を見上げ、そしてシルバに視線を向けた。
「……ここは、どこだ?」
 妙な問いに、シルバは目を瞬かせた。
「どこだって、{墜落殿/フォーリウム}の第三層だろ?」
「何故、俺はそんなところにいる?」
 疑問が、シルバの中で確信に変わりつつあった。
「……俺の名前を覚えているか?」
 感情に乏しいロンの眉が、微かに寄る。
「初対面だろう。知っているはずがない」
 シルバは、ネイトに振り返った。
「……おい、ネイト」
「言っただろう。狼男になる直前に戻したって? ならば、記憶もそこまで戻るのは、当然の帰結じゃないか」
「やっぱりか!?」
 一同驚愕する中、カナリーだけは「やれやれ」と首を振っていた。
 シルバの代わりに、今度はキキョウがロンに質問する。
「お、お主、名前は、ロン・タルボルトで間違いないな?」
「ああ……何だ、ここは、どこかの迷宮か? 何故、俺はこんな所にいる。いや、あの親娘は無事なのか?」
「ぬぅ……狼男になった経緯は今ので大体分かったような気がするぞ」
 唸るキキョウに代わり、再びシルバが口を挟む。
「ここは、大陸の辺境アーミゼストの迷宮の中だ。詳しい話を聞きたいんだが……一回、迷宮を出てからの方が良さそうだな」
「アーミゼスト……だと? 何だって俺は、サフィーンからそんな所まで移動しているんだ。あの狼連中にそんな力があるとも思えなかったが……」
 理解出来ん、とロンは不思議そうに天井を見上げていた。
「あ、あの、シルバさん……」
 ちょんちょん、とシルバの耳たぶを、小さいタイランが引っ張った。
「何だよ、タイラン。こそばゆいんだけど」
「この人、その……狼男になった後の記憶が、なくなっているんですよね?」
「……そうみたいだな」
 囁くようなタイランの声に、シルバも自然、小声になってしまう。
「これまでの記憶がなくなるって……それも残酷ですけど、じゃあ、ノワさんのパーティーに入ってから行なった事に関しては、どうなるんでしょう?」
 それは大きな問題だ。
 シルバは腕を組んで唸った。
「分からん。だが、最悪の場合はノワ達と一緒に牢獄行きだ。肉体が逆行しようと記憶がなくなろうと、ロン・タルボルトがノワ達の仲間だった事実は覆らない。キモは、コイツの言葉が信用されるかどうかだろうな。先生にはちゃんと説明するけど……」
「よく分からんが……」
 ロンはキキョウを見上げると、身体を起こした。
 しかし、痛みが残るのか、首筋を押さえて顔をしかめてしまう。
「ぐっ!」
「お、おい、回復魔法は掛けたって言っても、溢れた血が補充された訳じゃないんだぞ。それにさっきのは相当な重傷だったから、完治って訳でもない。無理するな」
「ああ、俺もそう思う。思うが、しかし……」
 シルバの忠告を無視して、ロンは立ち上がった。
 おぼつかない足下を何とか踏みとどまり、キキョウを見据える。
「サムライだな。一手お手合わせ願いたい」
 キキョウは武器を抜くでもなく、ロンと相対する。
「某か」
「そうだ」
 青ざめた顔と、血に汚れたボロボロの黒衣装のまま、ロンは腰を落とす。
「俺が今、どういう状況にあるのかはよく分からない。だが、アンタとは戦わなければならない気がする」
「そうだな。そういえば、パーティーとしてはともかく某個人としては、ちゃんと決着がついていなかった」
 同じように、キキョウも腰を落とし、刀の柄に手をやった。
「よいだろう。お相手いたす」
 二人に挟まれ、シルバは戸惑ったように左右を交互に見た。
「おいおい、お前ら二人とも、一応普通に動くのも難儀なんだぞ?」
「シルバ殿、それは違う」
「ああ」
 ロンが右手を突き出し、構える。
 どうやら使うのは、拳法のようだ。
「腕がもげようが足が折れようが、戦士にとっては相手に向き合った時が常にベストコンディション」
 微かに笑うロンに、キキョウもニヤリと口元を歪めていた。
「うむ。たかが、足下がふらつく程度でやめる訳にはいかぬのだ。何、それほど時間は掛からぬよ。よいな、ロン・タルボルト」
「不満はない。やろう」
 ロンとキキョウが動き、ぶつかり合う。
 再び、高速での戦闘が開始される。
 それを眺めながらシルバは距離を取り、頭を抱えてパーティーの輪に戻った。
 すると、骨剣を杖にしながら、ヒイロが笑っていた。
「ま、先輩には理解出来ないよー、これは」
 そしてヒイロはネイトの方を向いた。
「魂に刻まれた戦いの記憶までは、リセット出来なかったみたいだね」
 ネイトは肩を竦めるだけだった。
「そこは僕にも理解出来ないね」
「ボクももう一戦やり合いたいところだけど……ま、やめとこ。お腹が空いてしょうがないし、戦う理由がないからね」
 残った体力と気力を惜しげもなく注ぎ込み、戦いに没頭する剣士と拳士を、ヒイロは羨ましげに見つめていた。


 キキョウの刀の腹をロンの拳が弾く。
 どちらもスピードを活かす戦術が得意だが、それでもロンの方が手数は多い。
「なかなかやるな……」
「お主もな!」
 二人が近付いては風を切る音と共に火花が散り、そしてまた離れる。
「どちらもよくやるね……」
 接近戦に関しては素人同然のカナリーとしては、もはや何が何だか分からないレベルだ。
 そういう意味では、ヒイロの方がよっぽど目が利いている。
「そんなに長い勝負にはならないよ。どっちも体力が限界に近いからね」
「回復されててもかい」
「血とか精神力とかまでは、ちょっと先輩の回復魔法でもどうにもならないからねー」
「なるほど。……しかし、ロン・タルボルトはもう、ライカンスロープとしての力を失っている。勝ち負けは明白だろう」
 肉体面では、例え変身していなくてもライカンスロープの時の方が相当に高かったはずだ。(本人には自覚がなくても)それが失われた今では、キキョウの方が有利なはずではないのだろうか。
 だがそれに応えたのはリフだった。
「に……そうでもない」
 リフは、へたり込んだままのノワを注意深く見張りながら、首を振った。
「うん?」
 カナリーも危うく忘れかけていた彼女の存在に再び注意を払いつつ、首を傾げる。
「そこなんだよねー……どうも、前よりいい動きをしてるって言うか」
 ヒイロもリフに同意していた。どうやら小さい二人組は、カナリーには分からない何かをロンに感じているようだった。
 実際、スピードという点に関しては、前のロンの方が早い。
 だが、今のロン・タルボルトの動きには、野生が失われた代わりに奇妙な歩方が使われ、かつての獰猛さをカバーしていた。
 いや、無駄がない分、下手をすれば以前よりも速い。
 しかしそれは、カナリーの知識にはない動きだった。
「にぃ……あれはサフィール拳法。それも形意拳のひとつ」
「ケーイケン?」
 聞いた事のない単語だった。
「動物をまねる拳法」
「あー。言われてみれば……」
 ヒイロが納得したように声を上げる。
 だが、そのまま「?」と首を傾げてしまった。
「でもリフちゃん。あれ、何の動物?」
「に……牙と爪。長いしっぽ……ほのお、それに空中からの急降下こうげき――」
 リフは、眉根を寄せた。


 手強い、とキキョウは思った。
 体力は限界に来ている。
 人狼の力も失われた。
 なのに、前よりもずっと、ロン・タルボルトは強かった。
「それがお主本来の戦い方か、ロン・タルボルト……」
「ああ」
「なるほど……理性を失う人狼となってからは、封じていたのだな――」
 その動きをする動物と、キキョウは直接戦った事はない。
 しかし、絵と知識では知っている。
 奇しくも、彼と同じ名前を持つ生物であり、サフィールではこう呼ばれている。


「「――{龍/ロン}・タルボルト」」
 リフと、キキョウの声がハモった。


 シルバもキキョウの戦いを見守りたいが、こちらはこちらでやる事があった。
「さて、仕事も済んだし僕はそろそろ消えようと思う。名残惜しいけどね」
 ネイトは少しずつ、身体の一部が粒子となって崩れていっていた。
 そのまま、キキョウとロンの戦いに視線をやった。
「ふむ、別れのハグやキスの一つもしたいところだけど、向こうの集中力が途切れそうだな。戦いを台無しにする訳にもいかないか」
「……向こうが戦ってなかったら、やってたのかよ」
 シルバの突っ込みに、ネイトは特に大きくもない胸を張った。
「当然だ。いや、もちろんシルバからしてくれるなら、僕はいくらでも受け身になるが、君はシャイだからね」
「……そういうのはシャイとは言わん。単なる見境なしだ。大体、いつまでお前、悪魔をするつもりなんだよ」
「……え?」
 シルバの問いに目を瞬かせたのは、肩に乗っていた水色に透ける人工精霊タイランだった。
 シルバはタイランの方を向き、ネイトを指差した。
「あー、コイツは元々は獏って言う霊獣だったんだがな、今回の霊樹みたいな形で生贄にされて悪魔になったんだよ」
「生贄……」
 恐ろしく重そうな話を、シルバは平然と言い、言われた方も特に何とも思っていないようだった。
「何、昔の話だ。気にしなくていい」
 ぶるぶるぶると、タイランが首を振る。
「い、いえ、普通そこはすごく気にするところだと思いますけど」
「あー、うん。その当時はシルバも必死になってくれたけどね。なっちゃった物はしょうがない」
 もっとも笑っていられるのも、本人が無事(?)なお陰だ。
 シルバはボリボリと頭を掻いた。
「本来は召喚された悪魔の方が主で捧げられた魂はその悪魔に回収されるんだが、コイツの場合は……ちょっと特殊なケースというか」
「シルバのお陰で逆に乗っ取る事が出来たんだ。もっとも本来の身体そのモノは失われたがね。それからは悪魔として、人々の願いを叶える素敵な仕事に就いているという訳さ」
「……素敵か?」
 さっきの三つの願いを見た身としては、疑問を抱かざるを得ない。
 ネイトは、小さく首を振った。
「残念ながら仕事に私情を入れる訳にはいかない。例えシルバといえども、新しい願いを叶える訳にはいかないんだ」
「誰もそんな事は言ってないし、叶えてもらおうとも思わねえよ!?」
「そうか、残念だ。ところでシルバ。君のパーティーに僕を入れてくれないかい」
「お前、本当に話がポンポン飛ぶなぁ……」
 つくづく、ペースを保つのに困る相手であった。
「……そういう話は、みんなと相談してからだ。今は忙しい。第一、悪魔ってのはそんな簡単にやめられる物なのか?」
「そこは僕の方で何とかするとして……ああ、どちらにしろもう一度会わなきゃならないのか」
「言っとくけど、お前を召喚するつもりはもうないぞ!?」
 自身の召喚を、さりげなく司祭に振る悪魔であった。
「冷たいなシルバ。愛が不足している」
「いちいち他の生き物の魂を捧げる訳にもいかないだろうが!? 俺の仕事を何だと思ってやがる!?」
「別にシルバの魂でもいいぞ? 一生大切にしよう」
「断固断る!」
「そうなると、現界にまだ留まってる状態で依代が必要な訳だが……うん」
 ネイトは、シルバの胸元に視線をやった。
「何だよ」
 何だか嫌な予感がして、シルバは後ずさる。
 だが、その分ネイトは距離を詰め、シルバの胸を細い指で指した。
「シルバ、君、いい物を持ってるじゃないか」
「あ?」
 何の事か、シルバには分からない。
 が、それに構わずネイトは話を進めた。
「よし、これを借りる礼として、一回だけ君を助けよう」
「何の話だ?」
 うんうん、とネイトは一人納得する。そして小さく呟いた。
「……後は、返却とゴドー氏への挨拶か。ルベラントにも回らなきゃならないな。うんよし、シルバ。精液を寄越すんだ」
「いきなり何を言い出すんだお前は!?」
「契約に必要なのだよ。別に血液でも髪の毛でもいいんだが」
「だったら最初から髪の毛って言えよ!?」
「陰毛でも別に構わない」
「ほれ、これでいいか!」
 シルバは自分の頭から、髪の毛を数本引きちぎって突き出した。
「何も引きちぎらなくてもいいだろうに……うん、ありがとう。しばしの別れだ」
 ネイトの身体の崩壊はいよいよ本格的になり、どんどんとその存在が薄れていく。
「本気で戻ってくる気か?」
「特にこの仕事にも執着はないし、僕一人いなくなったところで誰かが困るって訳でもないからね。君の所有物になれるなら、僕としても望む所だ」
「しょ、所有物……?」
「では、また会おうシルバ」
 戸惑うシルバを無視して、ネイトはそのまま消滅してしまった。
「待て! 最後の台詞が不穏すぎる! お前一体何をするつもりだ!?」
 シルバは抗議するが、ネイトはもうそこにはいなかった。
「……マ、マイペースな人でしたね」
「……ああ。全っ然、変わってないというか成長してねえ……」
 部屋が静まり返る。
 霊樹は静かに萎れつつあった。魂が奪われたのだから、当然だろう。
 地面に何だか粒のようなモノが落ちていたので、何となく拾ってみる。木の実か種か分からないが、リフに聞けば分かるだろう。
 ふと、キキョウの方を見ると、二人は刀と拳を構えたまま、対峙していた。
「あっちはそろそろ大詰めみたいだな。見守ってやりたいが、こっちはこっちの仕事がある」
「は、はい」
 シルバは、へたり込み俯いている木人の少女に近付いていった。


 キキョウとロンは同時に動き出した。
 だが、キキョウの方が遥かにその動きは速かった。
 ロンの目が、キキョウの背後に集中する。
「尾が三本に……!?」
「これが某の全力だ!!」
 持って三十秒。その後は完全に動けなくなる、諸刃の剣の攻撃でもある。
 赤光を纏いながら、キキョウは超高速の斬撃をロンに繰り出していく。
「ぐ、う……」
 必死に回避するロンだが、その肌には見る見るうちに切り傷が増えていく。
 だが、このままでは押し切られる。
「龍爪指!」
 そう判断したロンは、敢えてキキョウの一撃を指と指の間で受け止めた。
 白刃取りだ。
「な……」
 一瞬動きを止めてしまったキキョウの顎をロンの足が蹴り上げる。
「が……っ!?」
 そのまま跳躍し、ロンは天井に両足をついた。
「ならば、こちらも絶招で返そう! 龍顎双掌!!」
 揃えた両手を前に突き出し、紅蓮の炎を纏ったロンが頭上から襲撃する。
 高速回転しながら迫る絶技に、キキョウは刀を杖にして、かろうじて立っていた。
「失敗したな……某が力尽きる前に反撃したお主の負けだ」
「何……?」
 ロンが一瞬戸惑い、キキョウは最後の気力を振り絞った。
「四本目!!」
 キキョウの尾が四本に増え、その姿が霞む。
 否、その場で回転したのだ。遠心力を利用した大振りの強烈な一撃が、突進してきたロンの土手っ腹に斬りつける。
「げは……っ!?」
 血を撒き散らしながら、それでもその両手はキキョウの肩に突き刺さり、二人はそのままもつれ合ったまま、派手に地面に倒れた。


 埃が舞い上がり、カナリーは目を懲らした。
「……で、どっちの勝ちなんだ?」
「相打ち」
「に」
 土埃が晴れると、そこには目を回した血まみれの二人が横たわっていた。


 一方、シルバとタイランは、木人となったノワを見下ろしていた。
「さて、ノワ。これでもう終わりだ。いい加減、諦めてお縄につけ」
 ノワは肩を震わせていた。
 泣いているのか……?
 一瞬シルバは思ったが、すぐに思い違いに気がついた。
 ノワは、笑っていたのだ。
「うふふふ……戦力が一人減ったね、シルバ君?」
 もちろんそれは、キキョウの事に他ならない。
 今のロンが、ノワの味方につくとは思えなかったが、何にしろ彼はシルバの仲間の一人を討ち取ったのだ。
 これまで静かだったのは、情勢を見守っていたから……?
 つまり、ノワはまだ諦めていない。
 危機感を抱くシルバに、タイランが驚きの声を上げた。
「シ、シルバさん……この人、手が……」
「手?」
 言われ、シルバはノワの両手を見た。
 茶色の手の先が、床に埋まっている。いや、突き刺さっているのだ。
「準備完了……!」
 にぃっと笑顔のノワが顔を上げると同時に、床から大量の木の根が飛び出し、シルバ達に襲いかかってきた。


 床から出現した木の根達は、あっという間にシルバ達の身体に巻き付いた。
 特にリフの仲間になったモンスターの一匹、フレイムオーネットはノワの葉で出来た髪の間から出現した蔓で、真っ先にはたき落とされてしまっていた。
 木人となったノワにとって、炎は何よりの弱点だからだ。
「雷……もが!?」
 そして雷撃の呪文を唱えようとしたカナリーには、口の周りに蔓が巻き付いてしまう。
「くそっ……! なんて頑丈な木の根なんだ」
「と、解けません……!」
 小さな精霊状態のタイランも手助けしてくれたが、自分を縛る木の根はビクともしなかった。
 舌打ちしながら、シルバは考えた。
 振り返ると、皆、木の根に身体を縛られ、宙吊りにされていた。
 それにしたって、いくら何でもこんな短時間で、ここまで木人としての能力を使いこなせるモノなのか。
 だが、すぐに思い直す。
 人間に二本の手や足が備わっており、それを使うのはもはや本能。
 ならば、枝や木の根を伸ばすのもまた、木人の本能でありさして難しいモノではない。
 というのは、冒険者になる前、魔王討伐軍の補給部隊で先輩だった木人・ユグドの言葉だ。
 もっとも、この木の根の数は充分非凡と言えるんじゃないだろうか。
 それに精霊眼鏡でも見抜けなかったのは腑に落ちない。
 何らかの動きがあれば、シルバにも気づけたはずだ。
 視線を床に落としてみる。見えるのは長く伸びた緑色の霊脈だ。しかしそれは徐々に細くなってきている。萎れているのだ。
 それの正体にシルバはようやく気づいた。
「そうか……霊樹の根の裏……!」
 ノワは、そこを使って自分の木の根を伸ばしていたのだ。
 やはり一筋縄ではいかない相手だ。
 精霊眼鏡の事を、ノワが詳しく知っているはずがないから、本来は霊獣であるリフを警戒しての事だったのだろう。
 逆に言えば、ノワは霊獣であるという事を知っている。
 そのノワはといえば、勝ち誇りながらシルバ達を見上げていた。
「ぎゃっくてーん♪ ふっふーん、油断したねシルバ君。みんなもいい気味だよ。くぷぷ」
「むー!」
 ヒイロが顔を真っ赤にしながら、身体に巻き付いた木の根を引きちぎろうとする。
「無理無理。今のノワの木の根は、鬼でも千切れないよ」
「ぬうううう」
 だが、少しずつ軋みを上げながら、幾重にも巻かれた木の根の輪は開き始めていた。
「ちょ、うわっ……!?」
 余裕のなくしたノワは、慌ててヒイロを締め付けた。
「はううぅぅ……お腹空いて力が出ない……」
 ガクリ、と項垂れるヒイロだった。
「あー、ビックリした」
 安堵の吐息を漏らすノワを、シルバは宙吊りにされたまま見下ろした。
「……たった二人で、俺達相手に勝つつもりか?」
「そんな事言ったってシルバ君、現に負けてるじゃない」
 わっさわっさと葉になった髪を揺らしながら、ノワが笑う。
「ちょっと油断しただけだ。第一お前、ウチにはお前の属性に強い奴が一人いてだな……」
 そういえば、リフはどうしているんだろう。
 そう思い、改めて振り返ると。
「にゃう~……」
「よ、酔っぱらってるーーーーーっ!?」
 何だか真っ赤な顔をして、リフはポ~ッとしていた。
 その足下には、何やら木の実らしきモノが落ちていた。
「やっぱりその子が霊獣だったんだね~。効果覿面」
 同じモノを、ノワは枝となった手の中でも弄んでいた。
 シルバにもそれは見覚えがあった。
「そ、それはマタツア……!」
 猫系の霊獣を強烈に酔わせる木の実だ。当然、リフにも有効であり、ご覧の有様という訳だ。
「あれ、知ってるの?」
「ああ。以前、剣牙虎の霊獣の仔らが、罠に掛かった事があってな。その父親から詳しく話を聞いた事がある。……何で、霊獣だって分かった?」
「分かるよ、そんなの。クロス君が言ってたもん。モース霊山って、剣牙虎の霊獣が治める有名な山なんでしょ? それにリフ……ちゃん? 猫の獣人だし、精霊砲も使ってたっぽいもん。教えてもらってたの」
 あんにゃろう、とシルバは既にいなくなった半吸血鬼を呪った。
「だからね、もう一回悪魔を呼び出せると思うんだ~。霊獣の魂なら、三つ分使えるよね? しかも全部自分だけに!」
「どれだけ強欲なんだよ、お前!? さっきの失敗で何一つ学ばなかったのか!?」
「さっきの願いは、失敗としていい教訓だったと思うよ? だから、願い事はしっかり考えないとね。『元の身体に戻りたい』……だと、どの時期まで戻されるか分からないし……ま、とにかくリフちゃんは確保!」
「にうー……」
 木の根の触手に巻かれたまま、目を回したリフはノワの手元まで引き寄せられた。
 根の拘束が解け、代わりにノワは片腕でリフの細い首を固める。
「それからカードも返してもらうからねー」
 ノワはもう一法の手から蔓を伸ばし、シルバの懐を探っていく。
 シルバは抵抗するが、身体に木の根が巻き付かれてはどうにもならない。
 しかし、何が不満なのか、ノワは唇を尖らせた。
「ちょっと、何で『女帝』のカードがなくなってるの!?」
「え?」
 それは、シルバも予想していなかった事だ。
 確かに、カードは自分の懐に入れていたはずなのだが。


「よし、これを借りる礼として、一回だけ君を助けよう」


「あ……」
 頭の中に、悪魔となった幼馴染みの姿がよぎった。
「アイツかー……」
 そういえば、別れる前に胸を指していたっけ。
 とにかく『女帝』のカードをシルバが今、持っていない事は確かだった。
「まあいいよ。下僕にしようと思ったけど、そういう事ならシルバ君達はもう用済み。ここでまとめて全滅してもらうよ」
 諦めたノワはリフを抱えたまま、隣に控えていたヴィクターを見上げた。
「たった二人だけど、みんな動けないんじゃしょうがないよねえ。さあ、ヴィクター、やっちゃって!」
「おう」
 ヴィクターが、ずん、と重い足を一歩踏み出す。
「ちょっと待った」
 シルバが声を上げる。
「何よう。今更命乞い? こっちには人質もいるんだよ?」
「いや、そうじゃなくて。そうじゃないんだ」
 シルバも、命乞いをするつもりはない。
 確かに今はピンチだが、実はそれほど危機感を抱いていないのだ。
「……あのな、お前、二つミスってるぞ」
「何よぉ」
「一つ。その、マタツアの実での無力化ってのは、以前そのリフとその兄弟が経験してる。うん、そいつは霊獣だ。否定しない」
「だから?」
「……だからさ、同じ失敗を、二度すると思うか?」
 ましてや、とシルバは思う。
 あの過保護な父親が、何の対策を打たなかったはずがないのだ。
 いざという時、自力で危難を乗り切る力を、リフは有しているのである。
「にぅ……」
 脱力したリフがしゃがみ込み、するり、とノワの腕の拘束から抜け出る。
「え?」
 戸惑いの声を上げるノワ。
「にゃっ」
 まだ酔ったままのリフはふらりと立ち上がり、その顔面を後頭部で叩いた。
「きゃうっ!?」
 顔を押さえるノワ。
 しかしリフはそれに構わず、とろんとした眼で宙づりにされているシルバを見上げて小さく微笑んだ。
「にー……お兄、たのしそう」
「……いや、別に楽しくないぞ。それよりみんなを解放してくれないか」
「にぅ……」
 酔眼のリフは、少し首を傾げた。
「したら、だっことなでなで」
「……いくらでもしてやるから」
「にゃー」
 リフが両手を挙げると同時に、仲間達を縛っていた木の根が大暴れした。
「わーーーーーっ!?」
 石巨人が天井に叩き付けられ、ヒイロは頭から床に埋まってしまった。地面に倒れまだ目を回していたフレイムホーネットが、落とし穴に落とされてしまう。
「ちょっとちょっと何何何!? 何が起こってるのー!?」
 木の根の主であるノワも、突然の暴走に戸惑っていた。
 つまり、リフの霊獣としての力――木属性への強さ――をノワは把握していないという事なのだが、さすがに今は、シルバもそれを考える余裕がなかった。
「い、いや、うん、やっぱりいい! とにかく、ノワをやっつけろ」
 ピタッと、暴れまくっていた木の根が停止する。
「にー……だっこは?」
 リフは、それが気がかりらしい。
「ちゃんとするから!」
「にゃー……やたっ」
 くるんと振り返り、ノワと相対する。
「そ、そんな、千鳥足で、ノワに勝てると思ってるの!?」
 ノワは傍らに落ちていた斧を、指先から蔓を伸ばして拾い上げ、大きく横薙ぎに振り回した。
「にゃ」
 リフはぺたんと尻餅をついて、斧の刃を頭上にやり過ごす。
「……にうー」
 そのままごろんと前回りし、両足の踵でノワの太股を強く蹴った。
「ひきゃっ!?」
「なう……ひっく」
 しゃっくりをしながら立ち上がり、弛緩させた身体で拳を振ろうとするリフにノワは戸惑う。
 どれが本物の攻撃か予測が出来ないのだ。
 と思ったら、ハイキックが側頭部に来た。
「い、痛ーあっ!?」
 その後も、リフの膝蹴りや肘打ちが面白いようにノワに命中する。
 それを見下ろしながら、シルバはノワに言った。
「やめとけ。何か東の方に伝わる、酔っ払いの拳法らしいぞ」
「と、と、とにかくヴィクター!」
 予測不能な酔拳を操るリフに何とか抵抗しながら、ノワは命令を聞くべきかリフを止めるべきか戸惑っているヴィクターに叫んだ。
「おう? のわさま、やっていいんだな」
「そ、そう! とにかくリーダーのシルバ君を最優先で叩きのめして!」
「わかった」
 大きな足取りで、ヴィクターが迫ってくる。
 しかし、シルバは怯まなかった。
「もう一つ。お前は全員を拘束できたと思っているが、実は違うんだな、これが」
「で、です……!」
 水の人工精霊、タイランも頷く。
「その状態で何言ってもただの強がりなんだから! あーもう、何この変な動きー!?」
「なうー」
 ノワは、酔っぱらったリフの相手で手一杯のようだ。
 もっとも原因はノワ自身だ。自業自得と言うべきだろう。
 ヴィクターは拳を振り上げ、シルバの顔面を狙う。
 大きな拳が振り抜かれ――それが途中で停止した。
「ぬう……?」
 ヴィクターの拳を、鉄の掌が制していた。
「ガ」
 掌の主が小さく声を上げる。
 シルバを守るように、ヴィクターにも負けない大きな鎧が立ちはだかった。
 タイランを守る外装、パル帝国製の重甲冑だ。
 彼は掌に力を込め、ヴィクターを押し返した。
「うお……っ」
「ヴィクター!?」
 パワー負けしてたたらを踏むヴィクターに、ノワが悲鳴を上げた。
 金髪が揺れる。
 さっきのリフの大暴れで、口を覆っていた蔓が解けたカナリーだった。
「どうにも決まらない姿で失礼するけど、紹介しよう」
 紅い瞳が、ヴィクターを見据える。
「人造人間ヴィクター。まあ、いわば君の年の離れた弟だよ。名前をテュポン・クロップ老製自動鎧、モンブラン十二号という」
 ズン、と重い足音と共に、重甲冑が一歩踏み込む。
「ガオオオオン!!」
 重甲冑――モンブラン十二号は両腕を上げ、雄叫びを響かせた。
「僕の、最後の隠し球だ」


 モンブランの雄叫びに、一瞬気圧されたノワだったがすぐに立ち直った。
「ハ、ハッタリよ! ヴィクターやっつけて!」
「わかった。おれ、のわさま、まもる。せんとうもーどのきどうこーどをくれ、のわさま」
「え……? で、でも、あれって確か、戦闘モードから戻れないんじゃ……」
「つうじょうもーどでは、かてない。ぼうはつのしんぱいはないはず。せんとうもーどのきどうこーどをくれ、のわさま」
「『バトロン』! いっちゃえ、ヴィクター!」
「せんとうもーどにいこう。――おまえ、やっつける!!」
 主に命じられたヴィクターの肉体が、戦闘モード用なのか赤銅色に変化する。
 そのままモンブランに突進しながら、大きく拳を振りかぶった。
「ぬうんっ」
 振り抜かれた拳を、モンブランは揃えた太い鋼の両腕でガードする。
「ガ!」
 しかしヴィクターの拳の重さは尋常ではなく、モンブランはそのまま3メルトほど後ろに引きずられてしまう。
 すかさずヴィクターは拳を開き、赤い光を収束させる。
「せいれいほう!」
 だがそれはモンブランも予測していたのか、ほぼ同時に手の甲の射出口から放った青い精霊砲で迎撃する。
「ガガガ!!」
 赤い精霊光と青い精霊光が激突する。
 古代の人造人間VS自動鎧。
 新旧の人に造られたモノ同士の熾烈な戦いが始まった。


「カナリー!」
 シルバはこの中で唯一、特に何の制約もなく脱出できるはずのカナリーに呼びかけた。
「うん?」
 だが、当の本人はまるで分かっていない様子だった。
「いや、いい加減脱出しろよ!?」
「見ての通り、僕も君と同じ条件だが」
 確かに、カナリーはシルバと同じように木の根でグルグル巻きにされ、宙づりにされている。
 だが、条件は同じでも種族が違えば、この拘束はまるで意味がないのだ。
「ってお前、自分の種族把握しようよ!? 吸血鬼だろ!?」
「もちろん、僕はれっきとした吸血鬼だとも。それがどうかしたのかい?」
「霧化! 出来るだろ!?」
 あ、とようやくカナリーも思い出したらしい。
「ああ、これは迂闊……やはり、さっきの戦いで使った吸精の影響が少々残っているようだね」
 そしてスッとカナリーの姿が薄れたかと思うと、白いマント姿の彼女は床に降りていた。
 それを見下ろしながら、シルバは呆れて溜め息をついた。
「……時々、すごい抜けるよな、お前。ノワは霊樹じゃないから、{雷閃/エレダン}で焼き切ってもスモークレディとか出たりしないはずだ。俺なら木のパワースポットを見て、他の連中も解放出来るから魔力も使わなくて済むから最優先で頼む」
「なるほどね。では……」
 カナリーは、シルバに向かって指を突きつけた。
 指先が紫色に眩く輝き、さすがのシルバも少々怯んでしまう。
「頼むから、的を外すなよ。直撃したら俺死ぬからな」
 幸いな事にカナリーの狙いは確かで、シルバとタイランを縛っていた木の根は焼け焦げて、崩れ落ちる。
 ようやく拘束から解放されたシルバは、腕を軽く回した。
「リビングマッドの滑りを使うっていう手もあったけど、すごい服が汚れそうでなぁ。さて、それじゃみんなを解放しよう」
 眼鏡を直しながら、シルバは袖から針を取り出す。
 まだ戦っているリフ達に目もくれないシルバが心配になったのか、タイランが軽く彼の肩を引っ張った。
「あ、あの、シルバさん。リフちゃんやモンブランさんはいいんですか?」
「いや、ノワに関しては、俺達がこうやって仲間を助け出す事自体が、充分牽制になってんだよ」
「え?」
 シルバは、ノワ達の方を向いた。
 リフに翻弄されていた彼女も、シルバ達が脱出した事に気付いていた。
「あー! 勝手に脱出しちゃ駄目ー!」
 何しろ自分達を拘束していた木の根はいわば、ノワの身体の一部。気付かない方が不思議なぐらいだ。
 そしてシルバの足下から、新たな木の根が出現する。
 が、精霊眼鏡の効果で、土の中の不自然な動きをする緑の{線/ライン}がシルバにはちゃんと見えていた。跳躍して、回避する。
「同じ轍を二度踏むかよ! それに余所見してていいのか?」
「にぁー……」
 おぼつかない足取りで放たれたリフの裏拳が、ノワの側頭部を襲う。
「きゃうっ!? ええいもう鬱陶しいなぁもおっ! 集中出来ないじゃない!」
 指先から無数の蔓を出してリフを縛ろうとするが、ふらふらと千鳥足のリフを捕らえる事は中々出来ない。
「いいぞ、リフ! これ終わったら、魚タップリやるからな」
「にゃうー……」
 赤ら顔で、リフは嬉しそうに尻尾を振った。
 それを眺め、ようやくタイランは得心がいったようだ。
「……ああ、つまりシルバさんが動く事で、リフちゃんに集中出来なくなるって事、ですか?」
「そういう事。モンブランの方はクロップ老から精霊炉安定の方法を教えてもらう代償が、ヴィクターとの戦闘データ採取だったから、正直そもそも手出しがしにくい。……おおい、カナリー、ヒイロを地面から引っこ抜くのを手伝ってくれ!」
 シルバは地面に真っ逆さまに突き立った、ヒイロの片足を抱え持った。
「分かった。しかし、力仕事が専門じゃないのが二人でやるってのもどうかと思うね」
 もう一方の足を、ふわりと着地したカナリーが抱え持つ。
 そしてシルバは、印を切った。
「{豪拳/コングル}×2」
 シルバとカナリーの全身に力が漲り始める。
「……相変わらず、ひねた使い方をするね、シルバ」
「楽でいいだろ。せーの……」
「よいしょ!」
 シルバとカナリーが力を込めると、強化魔法の効果で思ったよりあっさりとヒイロは床から引き抜けた。
 ……ヒイロは、完全に目を回しているようだった。
「{覚醒/ウェイカ}がいるな。っていうかタイランは俺達に構わず、モンブランしっかり見といた方がいい。戦い方や身体の使い方がすごく参考になるはずだから」
「は、はい」
 シルバがヒイロの手当をしているのも気になったが、タイランはモンブラン達に意識を集中させた。


 モンブランの足の裏に装備された無限軌道が、ギャリリッと床を噛み締める。
「うお……!?」
 ヴィクターの巨大な拳を回避し、信じられないスピードで相手の側面に回り込む。
「ガ!」
 ロケットナックルが放たれ、ヴィクターの頬を直撃した。
「おお……っ」
 そのまま無限軌道をフル回転させ、一気に間合いを詰めたモンブランは胴部分の回転機巧を駆動し、上半身を高速回転させる。
 大きく広げられた両腕の連続パンチが、ヴィクターを追い詰めていく。
 遠慮がない分、普段のタイランとはまるで比べモノにならないぐらい、動きがいい。いや、この力強さは、中の人格が変わっただけでは説明がつかない。


「は、速いです……」
「無限軌道か。上手い事使ってくれる」
 シルバも手を休め、モンブランとヴィクターの戦いを見ていた。
 そこに、リフの相手をしていたノワが文句をつけてくる。
「ちょっとシルバ君、あれ、最初の時と全然動きが違うじゃない!」
「そりゃそうだ。今搭載してるアイツの精霊炉はいつものモノと違う、純度の高い精霊石を用いる大容量式でな。タイランが入っていた時に本調子じゃなくて、当然だったんだよ」
 そしてその精霊炉こそ、かつてクロップ老と戦った後、クスノハ遺跡で回収した設計図から作られた、結果的に対ヴィクター戦用に用意された事になった新型の炉でもある。


「ぬうん!」
 大きく仰け反ったヴィクターだったが、すぐに体勢を立て直し、足を払ってくる。
「ガァ!?」
 回転攻撃の弱点を突かれ、モンブランがバランスを崩してしまう。
 手を床につこうとするモンブランを、ヴィクターは両腕でがっぷり四つに組んだ。
「はんげき、する」
 ヴィクターの両目が、好戦的に輝いた。
「ガ! ガガ……!?」
 踏ん張りながらも、どことなく戸惑った声をモンブランは上げていた。
 重量級であるはずのモンブランの足が宙に浮いていた。何とか体勢を優位に立て直そうとするモンブランだったが、ヴィクターはそれを許さない。
「あまい」
 ググッとモンブランの身体を、さらに自分に寄せていく。
「ガ!?」
「むううぅぅ!!」
 足に力を溜めたヴィクターは、モンブランと組んだまま、大きく天井目がけて跳躍した。


「と、跳んだ!?」
「跳びました!」
 これにはシルバとタイランも目を剥いた。
 天井ギリギリまで高らかに舞い上がったヴィクターは、グルンと身体を回転させた。
「だい――」
 大きく腕を振るい、そのままモンブランの巨体を真下の床目がけて放り投げる。
「ガ!」
 石造りの床を破壊しながら、モンブランが地面にめり込む。
 それを追うように、両手両足を広げたヴィクターが頭上から追い打ちを掛けるようにボディプレスを仕掛けてくる。
「――ばくふおとし!!」
 真上から落ちて来たヴィクターの肉体が、モンブランを床に押しつぶす。
 衝撃波が、部屋にいる全員に伝わるほどの凄まじい威力だった。
「ガガガ!?」


「シ、シルバさん、私の身体……モ、モンブランさんが……!」
 声を震わせるタイランに、シルバは首を振った。
「まだ大丈夫」
 そう言いながらも、シルバ自身も汗をかいているのは否めない。
 しかし、まだ勝負が決まった訳ではないのだ。
「え」
「ちゃんと見とけよ。アレと同じ動きが、タイランにも出来るんだから。それにモンブランのやる気は落ちてない」


 ググッとヴィクターの身体が持ち上がり、そのまま跳ね上がる。
 そしてその下から、土埃にまみれたモンブランが起き上がってきた。
「ガ!」
 元気を証明するように、両腕を上げてガッツポーズを作る。
「ぬう……おまえ、がんじょう」
「ガガ……」
「でも、すぐにはうごけない。おれ、わかる」
 モンブランは、がダメージが抜け切れていないのは、明らかだ。
 容赦なくヴィクターは突っ込み、ラリアットをモンブランに仕掛ける。
「ガガガガガガ」
 引きずられるモンブランだったが、身を屈めてヴィクターをやり過ごした。
「おまえ、しぶとい」
 振り返ったヴィクターは、腕を振り上げると、霊樹に悲鳴を上げさせたあの拳の猛攻を繰り出した。
「ガ! ガガ! ガァ!」
 拳の形に甲冑を歪めながら、それでもモンブランは両腕でヴィクターをつかみに掛かる。
 それを見過ごすヴィクターではない。
 逆に腕を伸ばし、さっきと同じパターンで四つに組んだ。
「とどめ、さす」
 ヴィクターはモンブランと組んだまま、再び天井目がけて跳躍する。
 その時、モンブランの両目が強く輝いた。
「ガ……!」
 天井近くまで到達したところで、突然背後に衝撃が走った。
 直後、ヴィクターは浮遊感がなくなったのを感じた。自由落下に入った訳ではない。
「むう……!?」
 ふと横を見るとワイヤーが伸びていた。
 モンブランのロケットナックルが、天井にめり込んでいた。それが、空中で急停止した理由。
 それをヴィクターが悟るより早く、
「ガァッ!!」
 モンブランの膝蹴りが腹に入った。
「うお……」
 支えのないヴィクターはそのまま自由落下に突入する。ほんのわずかな時間差を置いて、モンブランが天井から己の拳を引き抜き、敵の背中を追った。
「ぐあ……っ!?」
「ガガガ……!!」
 そして、さっきとは逆の立場で、同じ技が炸裂する。
 大瀑布落とし。
 凄まじい衝撃が部屋を駆け抜け、ヴィクターが潰れたカエルのように横たわる。
「ガ」
 モンブランは起き上がると、痙攣するヴィクターの両足を掴んだ。
 そして、先刻と同じように腰部回転機巧を駆動させ、猛スピードで回転する。否、それに加えて今度は足下の無限軌道が左右逆に回転し、超信地旋回を行なっていた。
 二倍の速度で回転するその様はまさしく台風。


「竜巻大回転投げ!!」
 シルバがグッと握り拳を作った。
 タイランが目を瞬かせる。
「え、あれ技名あるんですか?」
「いや、俺が今適当につけた」
「……私が使う時、憶えておきます」


 大部屋に巨大な風を巻き起こしながら、モンブランは加速のついたその勢いを利用して、ヴィクターを壁目がけて放り投げた。
 肉の砲弾と化したヴィクターは、猛スピードで壁に激突し、そのまま身体を三分の二ほど瓦礫に埋めたまま、動かなくなった。
 ヴィクターの戦闘不能を確かめ、モンブランは両腕を上げて咆哮を上げた。
「ガオオオオン!!」


「あの……シルバさん」
 タイランの問いかけに、シルバは頬から一筋の汗を流しながら頷いた。
「……うん、言いたい事は分かってる」
 タイランは、雄叫びを続けるモンブラン=自分の外装を、ちょっと困った顔で見つめていた。
「……あれ、あまり私の戦い方の参考には、なりませんよね?」
「……だな」


 壁に向かってヴィクターが吹っ飛び、背後からものすごい衝撃が伝わってきた。
 ノワもヴィクターが心配だったが、今は自分の事で精一杯だった。
「にゃー」
 おぼつかない足取りの不思議な体術で攻めてくる、赤ら顔の獣人の相手で大変だったのだ。
 だが、いい加減ノワも、彼女の狙いが何か分かってきた。
 しきりに、ノワが握りしめている右手を狙っているのだ。
「も、もしかして、マタツア狙ってるの……!? なら……」
 ノワは木の枝となった手を開くと、マタツアをリフの背後に投げ捨てた。
「にぅ……!?」
 即座にリフは反応し、クルッと背後を向く。
「い、今の内に」
 反撃をするのは容易だ。
 けれど、一人倒した程度ではもはや事態はどうにもならない。
 ここは撤退しよう……。


 投げ捨てられたマタツアの実を、シルバが受け止めていた。
「……どうやって奪おうかと思ってたら、自分から捨ててくれるとはありがたいな」
「シルバ君!?」
 バラバラに散らばった他の実は、せっせとタイランが回収している。
「にゃー」
 眠たそうな目で飛びかかってくるリフに、シルバは印を切った指をかざした。
「我に返れ、リフ。{覚醒/ウェイカ}」
 青白い聖光がリフを包み、直後彼女の中から酔いは消失していた。
「……にぅ?」
 キョトンとした眼で、リフはシルバを見上げる。その後ろでは、尻尾が緩やかに揺れていた。
「……危ない危ない。お前の酔拳は、敵味方の区別がつかないのが難点だな」

「に……ごめん」
 リフの頭をクシャクシャにしながら、シルバはもう一方の手でマタツアを懐に隠した。
 そしてリフを、ノワの方に向かせる。
「とにかくこれで終わりだ、ノワ」
「む! ノワは負けないもん! こうなったら……」
 ざわ……と、ノワの緑色の葉で出来た髪がざわめく。
 嫌な予感がして、シルバはリフの頭をポンと叩いた。
「リフ」
「にゃあっ!」
 強烈なリフの咆哮と共に、ノワの動きが硬直する。
「っ……!? か、身体が……」
 どうやら金縛りにあったらしい。
 霊樹ですら一瞬強張らせるリフの咆哮だ。どれだけ優れていようと、普通の木人であるノワなどひとたまりもない。
 シルバはノワから目を離さないまま、リフの頭を撫で直した。くすぐったいのか、リフの耳がピクピクと痙攣する。
「……リフ、今、何しようとしたんだ、コイツ」
「にぅ……たぶん花粉。目くらましとか……くしゃみさせたりとか……この部屋いっぱいにして火をつけるとか。そすると爆発するから……にぃ……自分は落とし穴に逃げる」
 リフはシルバにもたれかかりながら、解説した。
「お、おっそろしい事考えるな、おい。……さっき勝負がついた時、先にお前に頼むべきだったか」
 そうすりゃ反撃されずに済んだのにな、とシルバはぼやいた。
「にぅ……」
「キムさん!」
 金縛りにあったまま、ノワは突然叫んだ。
「!?」
 部屋にいる全員が緊張する。
「キムさん、いるんでしょ!? ノワ、危ないの! 助けてよ!」
 ノワの視線は、奥の部屋……ヴィクターが眠っていた研究室の方を向いていた。
「……誰か、隣にいるのか?」
 シルバの呟きに答えたのは、まだかろうじて元気なカナリーだった。
 彼女は、倒れている仲間や従者、リフの味方になったモンスター達を見渡した。
「見てこよう。リフ……は、駄目だな。キキョウも戦闘不能か。参ったな。獣人の鼻が欲しかったんだけど」
「に。ちょっと待って。お兄、だっこ」
 リフはシルバに背中を向けたまま、両腕を上げた。
「待て、リフ。この状況でその報酬を口に出すか」
「シ、シルバさん、真面目な話みたいですよ?」
「に」
 タイランのフォローに、リフは腕を上げたまま頭だけ振り返る。
 この体勢でだっこという事は……。
「……脇を持てってか?」
「に」
 リフに言われたまま、彼女を両手で持ち上げる。
 そして、ノワに近付くよう指示されたので、これも従う。
 すると、リフはノワの葉っぱで出来た頭を掻き回し始めた。
「ちょ、ちょっとノワに何してるの!? 頭まさぐらないでよ!?」
 リフは何かを探しているようだった。
 やがて、動きを止めるとその手を引き抜いた。
 その手には、金色の葉があった。
「あった。ヒイロとキキョウに半分ずつ飲ませる」
「分かった。ヴァーミィ、セルシア頼む」
 カナリーの指示で、ヴァーミィとセルシアが、半分に破られた金色の葉をそれぞれ、ヒイロとキキョウに持っていく。
 それを食べさせられた二人は、即座に身体を起こした。
「はうー……頭痛いー……クッキー、もっとほしいー……あれ? ボク、どうしてたの?」
「身体の痛みが完全になくなっている……一体、どうなっているのだ……?」
 キョトンとする二人の様子に、シルバはしぱたんしぱたんと尻尾を揺らすリフをだっこしながらノワから一メルト程距離を取る。
「リフ」
「ハゼルの樹。レア種。はっぱは長生きの効果」
「ホント!? それって高く売れるの!?」
 身体を硬直させたまま、目を輝かせるノワ。
 だがリフはノワの問いを無視した。
「に……キキョウおねがい」
「む?」
 事情がよく分かっていないキキョウは、戸惑ったようにシルバを見た。
「あ、わ、私が説明しておきます。シルバさん達は、ノワさん達の相手をお願いします」
 シルバの身体から、タイランが離れる。
「大丈夫か、タイラン?」
「ず、ずいぶんと、シルバさんの傍で休ませてもらいましたから」
 言って、タイランはカナリーの元へ飛んでいく。
 事情を聞いたキキョウは頷き、タイラン・カナリーと研究室の方に向かっていった。
 それを見届け、シルバはノワに向き直る。
「なあノワ。誰だ、そのキムさんって何者だ?」
「ノワ知らない」
 つーん、と顔を背ける……事は出来なかったので、目だけ逸らした。
「……お前な」
「べー! シルバ君は敵だもん。教えないもんねーだ!」
 表情は自由が利くらしく、ノワは舌を出してアッカンベーをする。
「……どうしてくれよう、コイツ。ん? リフ?」
 袖を引っ張られ、シルバはリフを床に下ろした。
 リフが、ノワと相対する。
「しゃべって」
「キムさん……キムリック・ウェルズは、ノワ達が追われた始めた頃に近付いてきたの……って、何でノワ、喋ってるの!?」
 モース霊山の木々を治める剣牙虎の長の娘は、表情を変えず口を開く。
「続ける」
 それだけ言うと、ノワの舌は本人の意思とは別に動いてしまう。
「な、な、南方の商人で、レアな商品とか情報をいっぱい持ってて、手を貸してくれたの。『女帝』のカードとか『魂の座』はキムさんから買ったの……って、言わせないでよ!?」
「続きは?」
「ほ、本来ならこんな手を使わずにもっとお金を貯めて、キムさんから『龍卵』を手に入れるはずだったのよ」
「商人いがいの素性は?」
 リフは淡々と、ノワを問い詰めていく。
「二十代の男。丸い黒眼鏡で糸目。ゆったりした狐色の衣服。笠と大きいリュック……ううう……背景はぜ、全然知らないけど、シトラン共和国出身って言ってた」
「ほんと?」
「キムさんの自称……」
 つまり、これに関しては、ノワも本当かどうかは分からないんだな、とシルバは考える。
「にぅ……他に手掛がかり」
「こ、これぐらい……取引用にもらったの……」
 ギギギ……とノワの手が動き、腰に下げた布袋から一つのコインを取り出した。
 リフはノワに近付くと、それを回収してシルバの元に戻る。
 コインの表面には、開かれた書物のレリーフが刻まれていた。
「トゥスケル!」
 『知的好奇心の集団』が絡んでいる事を知り、シルバは思わず叫んでいた。
 ノワは言葉を続けた。
「霊獣の事を教えてくれたのもキムさん……シルバ君と一緒にいた白い仔猫に見覚えがあるって……それで、マタツアを……」
「……リフの親父さんが聞いたら、すごい笑顔になりそうな情報だな」
「に……」
 シルバの言葉に、リフはコクンと頷いた。


 研究室の方から、カナリー達が戻ってきた。
「向こうにはもう誰もいないようだよ」
「……もう?」
 という事はやはり、そのキムリックという人物がいたという事か。
 主に臭いで捜索を担当したキキョウが、頷く。
「うむ。人がいた痕跡はあった。天井の方に隠し通路への抜け道があって、おそらくそこから逃げたモノと思われる」
「……何で、そんなモノが研究室にあるんだよ」
 シルバの突っ込みに、カナリーは親指で後ろを指した。
「ちなみに機能は死んでるけど、自爆装置らしきモノもあるよ、あの部屋」
「あー」
 そういえば、クロップ老の先祖もマッドサイエンティストっぽかったっけと、シルバは思い出した。
 なら、それぐらいあってもないかと納得する事にした。
「それでシルバ殿、そっちは大丈夫なのか?」
 キキョウが刀の柄に手をやりながら、ノワを警戒する。
「あー、うん、リフがちゃんと見張ってるから」
「にぃ」
 リフがコクンと頷いた。
 しかし、キキョウと同じくカナリーも心配のようだ。
「念のため、縛り上げておいた方がいいと思うけどな。さっきのように、どんな反撃をされるか分からないぞ?」
「ねーねー、縛れそうなモノならいっぱいあるけどどうするの? それとも、リフちゃんの用意してくれてた奴、使う?」
 いつの間にか立ち上がっていたヒイロが、リフに近付いていた。その指は、枯れた霊樹から垂れている蔓を指差していた。
「に、普通の蔓だと木人に操られるからだめ。あの霊樹の蔓にリフの霊力を込める。それならだいじょうぶ」
「おっけー。あ、こっちの人はどうしよ」
 蔓を回収しようと向かい、ヒイロはそのままロンの所で足を止めた。
「……せめて、事情ぐらいは説明してくれると助かるんだがな」
 気絶から立ち直っていたロンはまだノワの木の根に縛られたままだが、特に抵抗する気はないようだ。
「こういうややこしい事態の説明に向いているのは……」
 シルバは考え、カナリーと目が合った。
「やっぱり僕だろうね。あと彼女には猿ぐつわもしておいた方がいいかもしれないね。横から変に吹き込んで、彼が主犯にされかねない」
 カナリーのジト目が、憮然としているノワに向けられていた。
 その視線を受け、ノワがそっぽを向くのを、シルバは見逃さなかった。
「……今、目を逸らしたな、お前」
「そ、そんな事ないもん!」
 もっとも、もうちょっとノワには話を聞きたい。精神共有でも充分対処は出来るが、やはり直接話す方が、色々分かるというモノだ。
 その前に、出来れば他の雑事は全部、片付けておきたい所だが。
「……となると」
 ふわふわと宙に浮いた小さいタイランが、キョロキョロと壁に身体を半分埋めた巨人と、大の字に倒れた魔人を交互に見ていた。
「残るはヴィクターさんと、ま、魔人さんですね。動かすだけでも、一苦労そうですけど」
「やはり縛っておくか、シルバ殿。下手に復活されても敵わぬ」
 キキョウの申し出に、シルバは頷いた。
 一応ヴィクターを無力化した時用の準備だけはしてある。
「だな。ヴィクターの方は予定通りに。リフ、予備はあったか」
「にぅ」
 リフはポケットから豆を出した。
 小さな掌の中で萌芽したかと思うと、何本もの極太の蔓がにょろりにょろりと触手のように育成して、床を這っていく。
 足下を埋め尽くそうとする木の蔓に、シルバは大いに慌てた。
「って、そんなにいらねーって!? 四本でいい、四本で」
「いや、せっかくだし、それぞれ念のため、二本ずつ重ねて縛っておこう。それならさしもの巨人達も、動けはしないだろう。タイラン……ではなかった。モンブラン、手伝ってもらおうか」
 キキョウは太い蔓を両脇に抱え、大きな重甲冑を見上げた。
「ガ……?」
 重甲冑――モンブランは困ったように周囲を見、カナリーがロンとの会話に忙しいと見るや、タイランの方を見た。
「よ、よろしくお願いします」
 ペコペコとタイランが頭を下げると、モンブランは「が」と一声上げた。カナリーの従者二人と共に、蔓の束を抱え持ってそれぞれ魔人とヴィクターの方に向かう。
 その背を見送り、シルバはタイランに尋ねた。
「……タイラン、モンブランの言葉分かるのか?」
「あ、か、感覚で、ですけど……それなりに。一緒に中にいた間に、ちょっとお話しまして……こー、何だかピリピリ来る波みたいな言葉なんです」
「……よく分からないけど、念波みたいなもんか。ウチ預かりになるんなら、言葉が話せた方が便利だよなあ。っていうか、精神共有は使えるのかね」
 後で試してみようと考える、シルバだった。
 一方ロンへの説明も終わったのか、カナリーが戻ってきた。
「翻訳機能か。そういうのは作ったことがないから、学習院で老人達から色々と聞かなきゃならないね」
「で、でも、お話が出来ると、もっと、仲良くなれるんじゃないかと思います……」
「了解。検討しよう」
「ねー、この子達はどうするのー? せっかく手伝ってくれたのにー」
「ちょ、きついきついきついって、ヒイロちゃん! ノワ、その趣味はないんだから!」
「その趣味って?」
 よく分かっていないヒイロは、霊樹の蔓で、しっかりとノワを縛り上げていた。
 シルバはそれに構わず、部屋の隅に固まるカニやイガグリのモンスターを見た。
「あ-、そいつらの問題もあったな。確かに、このまま礼だけ言って別れるってのも、不義理だし……」
「にぅ……」
 どうするかなーと考え、この辺は専門家に任せるべきかと結論づけた。
「モンスター使いの連中か、召喚師の所に話をつけに行った方がいいな。確か、ギルドにモンスターの登録とか出来る制度があったはずだ」
「に。リフがする」
 シルバにもたれかかったまま、リフが見上げてきた。
「お、珍しくやる気じゃないかリフ。えらいえらい」
 シルバは頭を撫でると、リフはくすぐったそうに眼を細めた。
「に、にぃ……リフが呼んだから、リフが世話する。山の掟」


 魔人を縛り上げながらその様子を見ていたキキョウが、緩く尻尾を揺らしていた。
「……むー、うらやましい」
「ガ?」


「じゃあ、後は地上への運搬だけか」
 シルバは天井を見上げ、真上で待機しているはずの男に思念を飛ばした。
(ういっす、終わったか)
 第二層を飛ばし、第一層で待っていたカートンが、念波で返事を返してくる。
(まーな。クロエと一緒に、こっちに来てくれ。大きいのが二人に増えたから、二回往復になる)
(力仕事は面倒だな……当然、お前んとこのデカイの借りるぞ)
 デカイの、とはタイランのことだろう。
(当然。お前らの仕事は、俺達の護衛だっつーの)
 それからふと、シルバは思いついて、カートンとの精神共有を部屋のみんなにもオープンにした。
 これで、全員にカートンとのやり取りが伝わるはずだ。
「……あ、それと温泉郷の方だけどさ、シンジュの調子はどうだ?」
(あ? 何でそんなこと聞くんだよ)
 不思議そうなカートンの思念が響く。
「いーから」
 クロス・フェリーが消えた今、吸血鬼の被害にあった女性冒険者の安否は、特にカナリーも気にしているはずだ。
(まー、例の百眠草の後遺症はもうほとんどないっぽいな。ピンピンしてるはずだぜ)
「百眠草……」
 強力な睡眠効果のある薬草だ。
 口にすると、飲み食いせず年も取らずに100日間眠り続けてしまう。解毒剤はあるが、それを服用してもしばらくは睡眠不足に悩まされてしまうのだ。
(で、人身売買組織に売っ払おうとした主犯はちゃーんとそこにいるんだろうな)
「……まーな」
 シルバは天井から、ノワに視線を戻した。
「という事になってるらしいぞ、ノワ」
「人身売買組織となんて、繋がり持ってないよ!?」
「ホントに?」
「……な、ないってば」
 ノワの目が泳いだ。
「に。ホントのこと言う」
 リフの『強制』に、ノワは切れたように告白した。
「知り合いにはいるけど、取引はないってば! まだ!」
 シルバはボリボリと頭を掻いた。
「まだって辺りが終わってるっぽいなぁ……」
「人材派遣組織の裏って事になってるから、繋がりはあってもおかしくないの!」
「その辺で、キムリックと繋がった訳か」
「……それに関しては、ノーコメント」
 これに関しては、もうちょっと問い詰める必要があるかな、とシルバは思った。もしかすると、トゥスケルと繋がりがあったクロップ老人からも何か分かるかも知れない。
 ともあれ、吸血の問題はそのまま、人身売買事件にスライドしてしまったらしい。
「ま、この辺がクロスが消えた分、吸血騒動の辻褄合わせになってるんだろうな」
「アレは、クロス君の趣味だもん! ノワは悪くないし!」
「その辺のことは、俺に言われても困る。詳しくは教会の方で釈明してくれ」
 多分無駄だと思うけどなーと、シルバは思う。
 何しろ、クロス・フェリーという存在を憶えているのは、この部屋の中にいた者達だけなのだ。彼が罪を犯したという証拠も何もかも、消えているに違いない。
「むー……絶対に仕返ししてやるんだからぁ」
 ノワは蔓のロープでグルグル巻きにされたまま、恨みがましくシルバを見上げていた。
 カナリーは、肩を竦めて苦笑する。
「はは……全然反省してないね」
「に」
 ピンとリフが尻尾を立てた。
「ん、どうしたリフ」
「おこった」
 尻尾の先端を揺らしながら、リフが表情を変えずに言う。
「ちょ、ぼ、暴力は駄目だぞ、リフ」
「に。しない」
 リフが指先を、ノワに向けた。
「な、何?」
「お兄にあやまる」
 リフが言い、ノワの身体が傾いた。
「やだ……って、う……ちょ、ちょっと……きゃうっ!?」
 ノワは芋虫状態のまま、前のめりになった。
 完全な俯せにはならず、どちらかといえば中途半端な土下座の形に近い。
 しかも、手が後ろ手に縛られているため、額がそのまま石床に叩きつけられていた。
 この構図は正に、シルバ達が最初にこの部屋に入ってきた時と立場を逆転しての再現であった。
 リフは土下座するノワの前に、正座した。
「ごめんなさいは」
「い、言わないもん」
 頭を床に付けたまま、ノワが強がる。
「言わなかったら、ずっとその体勢」
「……!」
 ビクッとノワの肩が震えるが、リフは言葉を続けた。
「光合成してる時も寝る時もずっとその体勢のまま。ずっとそのまま」
「お、脅しだよね?」
「人間社会だと、迷惑かけたらお金はらうって父上から聞いた」
 リフの手が、何かを探すようにノワの葉になった髪を探り始める。
「黄金の葉っぱとか実とか花とか高く売れる。育ったらぜんぶ回収してもらう。で、ギルド行き」
「えぇっ!? や、やだよ。これ全部ノワのだもん!」
「だめ。はらい終わるまで、ぜんぶ収穫」
 恐ろしいことを口にするリフに、ふとシルバの頭に浮かんだのは悪魔の笑みを浮かべる幼馴染みだった。
「……その辺見越して、アイツ、ノワを木人にしたのかもなぁ」
 ちなみにリフに後で聞いた話によると、黄金の葉は滅多に生えないのだという。
「早く罪をつぐなえば、奪われつづけることもない。どれだけの時間がかかるか分からないけど、それは無限じゃない」
 リフが言い、手が葉を掻き分ける音が響く。
 やがて、土下座するノワが、振り絞るような声を上げた。
「……す」
 数秒後、その言葉はシルバの耳にもちゃんと届いた。
「すみませんでした……」
「に」
 リフの短い鳴き声に、ガクリ、とノワの身体から力が抜ける。
「……リフは、あまり怒らせない方が良さそうだね」
「……まったくだ」
 カナリーの言葉に、シルバは心底同意するしかなかった。


 夕方。
 酒場『弥勒亭』の個室ルームにいたのは、キキョウ一人だけだった。
「いよう」
 真新しい儀式用の司祭服のシルバは軽く手を上げて、荷物を下ろしいつもの席に座った。
「おお、シルバ殿。ずいぶんとよい格好ではないか」
 一人、杯を傾けていたキキョウは尻尾を軽く揺らして微笑む。
「からかうな。仕事だ仕事」
「はは、嘘ではないぞ。……む? リフはどうしたのか?」
 ノワ達との戦いから、一ヶ月ほどが経過していた。
 地上にいるほとんどの期間、リフは迷宮で約束した『報酬』として、白い仔猫の姿で『だっこ』と『なでなで』をシルバに履行してもらっていた。
 だから、リフがいつものようにシルバの頭に乗っていないのは、珍しい事だった。
「俺がパル帝国の役人と会食だろ。だからリフは今日、別行動でエトビ村の方」
 パル帝国の国立博物館から盗み出された『魂の座』を取り戻した礼として、アーミゼストにあるパル帝国の大使館から会食に招待されたシルバは、パーティーを代表して赴いたのだ。
 襟を緩めながら言うシルバに、キキョウは納得した。
「リフは朝から出たけどまー、戻るのはもうちょっと掛かりそうだな」
「ああ、例の件であるか」
 リフの仲間というか友達になったモンスター達に関わる話である。
「そ。いや、その話は後にしよう。とりあえず飯だ飯。どうも食った気がしねー」
 テーブルの上は、キキョウの米酒以外には、何も載っておらず、シルバは呼び鈴を叩いた。甲高い金属音が鳴り響く。
「飯ならじきにヒイロが戻ってくるので、先に多めに注文をしておいた。飲み物だけの注文にしておくべきであろう。しかし、会食の食事はそんなにまずかったのか?」
「美味い事は美味かったけど、どーも堅苦しいのは駄目だっていうか、だから代わってくれって言ったんだよキキョウの薄情者め」
 テーブルに突っ伏しながらの恨み節に、キキョウはぶんぶんと首を振った。
「そ、そそ、某とて、そのような場は好まぬ。ジェントの礼儀作法が通じるかも怪しいモノだ。第一、リーダーであるシルバ殿が赴くのは妥当な筋であろう。それに、某は某で前々から予定があったのは知っているはずだ。でなければ、同行はしていたぞ」
 その時、ノックの音がしてウェイトレスがやってきたので、シルバはリンゴジュースを注文した。
 ウェイトレスが去り、シルバはボリボリと頭を掻く。そのせいで、せっかく整えた髪も台無しになってしまっていた。
「うー……大体『魂の座』の返却なんて、単なる偶然なんだから礼を言われる程じゃねーんだよなー。リーダーじゃなきゃ、カナリーに丸投げだったっつーのもー」
 そしてそのカナリーは現在、里帰りである。
 皮肉な事に、彼女の実家はパル帝国にある。
「しかし、せっかく頂けるという報酬をみすみす見逃す訳にもいくまい」
「まーな」
 そしてその報酬も冒険者ギルド預かりなので、感謝状やら勲章やらだけがシルバの荷物の中にある。
「何か、面白い話題はなかったのであろうか。さすがにずっと、緊張しっぱなしだったという訳ではあるまい」
「土産話になるような話は……んー、強いて言えば何か、えらい学者や錬金術師が総動員して、空飛ぶ実験をしてるとかそんなのか」
「ほう、空を。魔法であるか?」
 魔法で空を飛ぶ事は出来るのは、シルバも知っている。
 もっとも、魔力に限界がある為、長時間の航空は難しいというのが現状だ。
 だが、パル帝国の大使の話は、そんな常識を二、三段軽く跳び越えたモノだった。
「んにゃ。高出力の魔高炉を使用して、船を浮かせたらしい」
「……は?」
 キキョウの目が点になった。
 うん、普通そういう反応するよなーと、シルバは思う。シルバもそうだった。
「いや、だから、船」
「船が空を飛ぶと申すか」
 眉の間に皺を寄せながら、キキョウが問い返す。
「俺も、眉唾と思うんだが、その天空艦とやらで軍を運び、空から魔王領を攻めるらしい。まー、確かに面白い試みだとは思うけどな。あとは同じ機関を使って東西を横断する列車を作るとか」
「ホラではないのか?」
 キキョウはまだ、半信半疑のようだった。
 無理もない、とシルバは思った。
「……いやあ、シトランのプレスも入ったって言うし、公表がまだここまで来てないだけで、既に機密じゃないらしい。むしろ広めてくれって感じだったなぁ」
「ふむぅ……空を飛ぶ船か。浪漫であるな」
 難しい顔をしながら、キキョウは唸った。
「だな。さすが鋼鉄の国だけの事はある。ついでに言えば、軍事の話でしか盛り上がれないってのは、聖職者としてどうなんだ俺」
「シルバ殿も男子という事であろう。ああいう格式張った場では、本来カナリーが一番強い。ああ、そういえばそのカナリーの里帰りからの帰還も、今日辺りだったはずであったな」
 瓶の中身が減ってきたな……と呟きながら、キキョウは杯に残りの米酒を注いだ。
「という事は久しぶりに全員揃うか」
「うむ。こちらは、フィリオ殿とシンジュについて牢獄の視察の方、無事に終えた」
「元気にしてたか、アレ」
「……元気すぎるぐらいであった」
 キキョウは、この日の昼の事を話し始めた。


 アーミゼスト南部にある、周囲を堀で囲まれた要塞のような建物。
 それがアーミゼストの刑務所、アンロック牢獄である。
 広い中庭の一角がさらに茨の垣根で隔離され、そこはさながらちょっとした庭園か植物園のようになっていた。
 同業者への強盗や誘拐に多く関わり、現状何十年かはここから出られる見込みがない。
 光合成と時折降る雨で充分な上、ヴィクターが身の回りの世話をする為、看守は訪れない。
 面会も、極度に制限されている。
 ほぼ陸の孤島と化している日当たりのいいそこと小さな小屋が、木人となったノワ・ヘイゼルの牢獄でもあった。
「やーもー、返してよう! ノワが育てたんだからー!」
 金縛りにあったノワの頭を、ボーイッシュな軽装の盗賊娘がまさぐっていた。
「駄目駄目駄目ー。まだまだノワっちの被害にあった人達への全賠償金には程遠いし、サクサク取り立てるよー。はい葉っぱゲット、果実ゲット。花はまだ七分咲きかな勘弁してあげよう!」
 言って、取り立て屋でもある盗賊娘、シンジュ・フヤノは大きな籠に金色の葉や赤い木の実を入れていく。
 その他の作物は、この庭園で育った果実や木の実であった。
「うぬー! よくもよくもよくもノワの成果をっ!」
 質素な上下だけという服装のノワは、棒立ち状態のまま動く事が出来ない。
 が、念を込めて木の枝となった指先を伸ばし、シンジュを襲おうとする。
「おっと、やめておいた方が……」
 シンジュは慌てず騒がず、ノワから離れた。
 そのノワの頭に嵌められた、茨のリングがギュウッと締まる。
「にゃあああああ!? 痛い痛い痛いーっ!?」
 金縛りが解け、ゴロゴロゴロとノワは転げ回る。
 シンジュの収穫を黙って見ていた巨漢、フィリオ・モースがゆっくりとした足取りで近付き、ノワを見下ろした。
 もちろん、それまでノワを金縛りに遭わせていたのは、彼である。
「馬鹿者が……。頭に巻いた茨の冠は悪意や敵意に反応して締め付ける。もう先日言った事を忘れたか」
 その茨の冠は、この空間の収穫物に手を出した場合も同様に締め付けるように、細工が施されている。ヴィクターに命じた場合も同様だ。
 フィリオはノワの襟首を掴み、自分の目の前に吊り上げた。
「ううぅー! ノワ負けないもん! 必ず脱走してやるんだから!」
 涙目になりながら、ノワはフィリオに挑戦的に指を突きつける。
「……我がまだ未熟な獣であったなら、ほだされていたであろうが、生憎とその涙に心は揺らぐ事はないぞ、ノワ・ヘイゼル。牢獄の周りには蔦の結界を張ってある。貴様が動けば、即座に気付くぞ。それに……」
 フィリオの両目が、強い緑色の光を放つ。
「貴様が女であるから、精霊砲五発で済ませてやったが、まだ喰らいたいか……? 本来ならば我が姫を拐かそうとした者、この程度では済まさぬのだぞ……!」
「ひぅっ……い、いらない! も、もう粉微塵に吹っ飛ぶのはいらないもん!」
 全財産の没収。
 そして自身の身体から育った作物を片っ端から収穫されるのは、強欲なノワにはとてつもなく苦痛らしかった。
 特にそれらの作物が高価である事が分かっていれば、尚更であった。


「……と、まあ、こんな感じであった」
 キキョウは、ノワの様子を話し終えた。
「……超元気だな。いつか脱走しかねねー勢いだ。っていうかキキョウは何してたんだよ」
「うむ。一通りその作業を眺めた後、せっかくなのであそこにもリフの屋敷と同じ、ジェント産の稲を植えさせてもらった」
 キキョウは、杯を掲げた。
 常日頃から、キキョウが米酒の出来にうるさかったのを、シルバは思い出した。こちらの米酒は今一つなのだそうだ。
「……田んぼまであるのか?」
「本当に小さいモノであるがな。あそこの土壌はなかなかと、フィリオ殿も言っておった」
「でも、ノワが壊したりしないか?」
「作物に害を与えれば茨の冠の締め付けが増すのは、変わらぬよ。私物であるし、本人には食う分は少量分けてやるという事で交渉は成立もしてある。基本、水と太陽の光以外、今のノワは口出しが出来ぬのでな。飴と鞭で言えば、これが飴に当たるか。世話係はヴィクターに任せる事にしてある。……ああ、それと、ついでにロン殿に面会を申し込んだら先客がいたぞ」
「知り合いか?」
 シルバの問いに、は、とキキョウは笑った。
「知り合いも何も、ヒイロであった」
 その時、扉が勢いよく開いて、話題の当人であるヒイロが飛び込んできた。
「ご飯ー! あれ、まだ二人だけ?」
 大きく手を上げたヒイロは、キョトンと部屋を見渡した。
 額に手を上げながら、シルバは、はぁ……と吐息をついた。
「……どういう挨拶だ」


「ふはー、落ち着いたー」
 大量の皿が、満足げなヒイロの前に積み重ねられる。
 シルバ達はまだ、食べ始めて半分といった所だった。
 うん、とヒイロは自分の少しだけ大きくなったお腹を撫でた。
「とりあえず、腹五分目って所だね」
 ガタ、とシルバとキキョウが椅子からずり落ちかける。
「まだ食う気かよ!?」
 何とか立ち直り、シルバはヒイロに突っ込みを入れる。
「あ、うん、適当につまむから先輩達は気にしないで食べてていーよ」
「そうさせてもらうけどな。んで何、お前今日、牢の方に行ってたんだって?」
「あれ、何で先輩がその事……あ、キキョウさんか」
「左様。別に隠すような事でもないであろう?」
「うん。ロンさんに気の扱い方を教わってたの」
 扱い方と言っても……と、シルバは考えた。
「確か、面会しか出来ないはずだよな? どう教わったんだよ」
「だから、コツだけね。自力で回復する方法とか、肉体強化とか。出来れば実践で教わりたかったんだけど、後はスオウ姉ちゃんに教わったり独学だねー」
「相変わらず、技の吸収に貪欲だな、お前」
 一度戦った相手から、必ず何かを持ち帰っているような気がする。
「うん。鬼族の中じゃボク、かなり弱い方だしね。そういうの、どんどん取り込んでいかないと」
「……あれで弱いとか。戦闘種族の強さって、どれだけなんだよ」
 シルバとしては呆れるしかない。
「それに、どんどん強くなって、俺の仕事がなくなってきそうだなぁ……」
 自力回復に強化までされたら、自分は何をすればいいのだろう。
 そんな事をシルバは考えるが、何故かヒイロは慌てて首を振った。
「や、そそ、そんな事ないよ!? 先輩がいるといないとじゃ、戦闘全然違うもん!」
 ヒイロに、キキョウも深く同意する。
「うむ、背後に回復してくれる人がいる安心感は、某にもよく分かるぞ」
「そういうモンか。で、ロン・タルボルトはどうしてた?」
「ん、んー、特に何かあったって訳じゃなくて、元気にやってたみたい。牢の中でも鍛錬は積んでたみたいだけど」
「……精進しているようで、何より」
 俺の知ってる前衛職の人間は、こんなのばかりだな……と、シルバは内心思った。
「ま、狭い牢獄の中でも修業は出来るし、狭いからこそ出来る稽古もあるって言ってたね。ただ、記憶がないから反省できないのが難だって」
「そりゃしょうがないな。そういう意味だと、本来牢獄にいちゃいけない人になってるんだが……」
「……さすがにそういう訳にもいかなかったであるな」
 悪魔召喚に関しては、教会から口外してはならないよう命令が下されていた。
 それに関して一番危険なノワは牢に封じられ、隣の部屋にいたと思われるキムリック・ウェルズという男は現在も追っ手が掛かっている。
 ライカンスロープという事もあり、外見はほとんど変化のなかったロンなので、若返ったと言っても周囲の人間には分からない。今のロンが、ライカンスロープになる前のロン・タルボルトである事を立証するのは、難しかった。
 だが『今の』ロン・タルボルトは記憶がなくても『かつての』自分が罪を犯したのは事実であるし、それで丸く収まるのなら、と牢獄に入る事を承知したのだった。
「看守さんの話だと、模範囚で通ってるし、それほど長く掛からず出られるかもだって」
「ま、それが救いといえば救いか。牢獄と言えばもう一人――」
 その時、ノックの音がして大きな甲冑が入ってきた。
 タイランだ。
「あ……こ、こんばんは」
 巨躯に見合わない、腰の低い物腰でタイランは部屋の端に立った。
 シルバは樽型のジョッキをタイランの前に滑らせる。
「ようタイラン来たか。今日は学習院の方に行ってたんだっけ? 今、ノワとかロンの話をしてたんだ。ある意味、丁度よかったかもな」
 重甲冑の胸部が開き、タイランの本体、青白い燐光を纏う人工精霊が姿を現わした。
「……あ、ヴィクターの話、ですか?」
「うん」
 席に着き、ジョッキを両手で抱み込みながら、タイランは昼間の事を思い出しているようだった。
「んん……大人しくは、しています。カナリーさんの所属する研究室が中心になって、古代人造人間の研究は、少しずつ進んでいるみたいです。詳しい話は、カナリーさんの方が出来ると思うんですけど……留守なので……」
「研究かぁ。一時期は大変だったからなぁ……」
「ですねぇ……」
 ノワが牢獄に入れられた直後、当然のように彼女はヴィクターを焚きつけて脱走を試みようとしたのだ。
 もちろんその時点で、既に彼女を牢に封じる茨の冠は施されていた。その上で、ヴィクターに暴れさせたのだ。
 そしてその阻止をしたのは、その時、クロップ老に面会に来ていたシルバとタイラン(モンブラン)だった。
 もっとも、本気で茨の呪詛がノワの命を危ぶむ事をヴィクターが察し、破壊活動は停止したのだが。以後、ヴィクターは大人しくしている。
 少なくともノワが、茨の冠を何とかしない限り、彼がノワの脱走を手伝う事はないだろう、とカナリーや学習院の古老達は保証している。
「今はノワさんが釈放されるまでは、囚人とノワさんの世話係と研究サンプルを全部兼ねるみたいです」
「その辺は、モンブランちんと違うよねー。同じ造られたモノなのに」
 また腹が減ってきたのか、ヒイロは大皿のチキンソテーをぱくつき始めた。
「……その辺の定義付けはなかなか、難しいみたいですね」
 タイランはジョッキを傾けながら、困ったような笑みを浮かべる。
 『人に造られたモノ』という意味ではタイランも同じなので、複雑な思いなのかも知れないな、とシルバは考える。
「だな。もっと分かりやすい礼で言う人形族なら逮捕され、自動鎧はそもそも裁く法がない」
「そのモンブランは今も、中に組み込んでいるのか、タイラン?」
 キキョウは自作の箸で、せっせと焼き魚の骨を取り除いていた。
「あ、い、いえ。モンブランの頭脳部分だけ、やっぱりカナリーさんの研究室に、預けてあります」
 そう言って、タイランは思案顔をする。
「これからどうするかは未定でして……私にまた組み込むか、カナリーさんに仮の身体を用意してもらうか……どちらにしても、クロップ氏の意思もありますから」
「ああ、あの老人か。今日ついでに見たが、嬉々として先日の戦闘のログデータの分析をしておったな」
「ねーねー。仮の身体って多分、人形族のだよね」
 自分の皿に、フォークでグルグル巻きにした大量のパスタを載せながら、ヒイロはタイランに尋ねた。
「は、はい、おそらくは」
「……もしその身体で悪さしたら、どうなるの? 捕まるの? それとも分解?」
 心底不思議そうなヒイロの疑問に、タイランは困惑し、助けを求めるようにシルバを見た。
「ど、どうなんでしょう、シルバさん……?」
「あんまり不吉な事は考えたくねーなぁ……」
 出来れば敵は増えて欲しくないシルバだった。
 そんな事を考えていると、再びノックの音がした。続けて二人が入ってきた。
「さすがにこの辺りは暑いな」
「に……カナリー、厚着しすぎ」
 フード付きの白い冬用マントを羽織ったカナリーと、いつもの帽子にコート姿というリフだった。


 カナリーとリフは、それぞれコートとマントを壁のフックに引っかけた。
 そして空いていたシルバの両隣の席に座る。
 その間に、シルバはカナリーのワイングラスとリフの水を用意していた。
「お疲れさん。やっぱりパル帝国ってのは、寒いのか?」
「そうだね。人間はよく痛いって表現するけど。火酒と防寒着は必須の土地だよ。これからもっと寒くなる」
 言って、カナリーは赤ワインを傾ける。
 その彼女の裾を、骨付き肉を囓りながらヒイロが引っ張っていた。
「ねーねー、カナリーさん、お土産は?」
「悪いが、今ここにはないよ。運送屋に任せてあるから、明日にはウチに届くだろう」
 そして思いついたように、笑った。
「心配しなくても、食べ物もちゃんとある。熊肉とか鮭とか」
「やたっ!」
「にぅ!」
 ヒイロとリフは互いに手を打ち合わせようとしたが、席が遠くて適わなかったので、揃って両手を挙げた。
 それを眺めながら、カナリーは深く席に座り直した。
「何というか色々大変だった。何しろ、僕は今回の事件を全部知っている事になっているからね。もう一回学び直すのに苦労したよ」
「今回のって、吸血事件?」
 ヒイロが眼をぱちくりさせる。
「違う。クロスがいなくなって、それがパル帝国に流れる人身売買事件になっちゃっただろう? 温泉郷の事件経由でノワ・ヘイゼルがそれに関わり、僕もそれを知っている事になってるんだ。辻褄を合わせるのに、必死だったんだよこっちは」
 そして、かつてのクロスの件はすべて、カナリーが担当する事になった。
「わ、私達だと、すぐにボロが出てしまいますからね」
「うむぅ……もう少し、某達も駆け引きなどを憶えるべきであろうか」
 『守護神』は、嘘をつくのが苦手なパーティーであった。
 シルバは野菜スープに千切ったパンを浸しながら、手を振った。
「いーよいーよ。そういう面倒事は俺達の仕事。その間に、キキョウ達は存分に強くなってくれ。……しかも外交問題にまでなったら、俺の手にも余るっつーの。その辺はマジでカナリー、すまなかったな」
「ふ……適材適所という奴さ」
 軽く微笑み、カナリーも食事に手をつけ始める。
 一方で、耳をへにゃりと倒してしまうのは、リフだった。
「……に」
「リフは場数を踏んで、もっと盗賊スキルを磨く事だなぁ」
「にぅ……」
 シルバに頭を撫でられ、リフはコクンと頷く。
 偵察や解錠と言った冒険者としての盗賊スキルはともかく、リフの人見知りはまだ残っている。交渉事は、あまり得意ではないのだ。
 リフの髪を引っ掻き回しながら、シルバは話の続きを促す。
「そういえばカナリー。クロスの件って、どうなってるんだ? 大雑把な所は今聞いたので分かってるけどさ、別荘とか愛人とか何か色々あっただろ」
「その辺も全部、変わってたね。余所の貴族の妾用邸宅になってたりしていた。……お陰様で、妙な所で有力者達の趣味性癖を色々と知る事になったよ」
「……嬉しそうだなぁ、おい」
 くっくっく、と邪悪に笑うカナリーに、シルバ以外の仲間もやや引き気味になっていた。
「その中には、軍の幹部もいてね。せっかくだから帝国軍基地も視察させてもらった」
 お、と反応したのはシルバとキキョウだった。
「まさかあの天空艦にも乗ったのか!?」
「あれ、何でキキョウがもう知っているんだい? まだこっちには情報が流れていないから、驚かせようと思ったのに」
「てんくうかん?」
 それまで頭をいじられ気持ちよさそうにしていたリフが、首を傾げる。
 それに対しては、シルバが答えてやる事にした。
「……パル帝国では、船が空を飛ぶんだ」
「またまたー」
 ヒイロはまるで信じていないのか、笑いながらまたモリモリとタルタルソースの揚げ物を中心に食べ始める。
 カナリーの土産話は続く。
「しかし天空艦よりも、むしろタイランの装備の方がなかなか興味深かったよ」
「わ、私ですか?」
 カナリーは頷き、壁に立てられた重甲冑を指差した。
「うん。あの重甲冑は、元々パル帝国で正式採用されている物を、君のお父上が改造した物だろう? なら、それに合う装備が色々あるに違いないと思ってね。ふふふ」
 そして再び、悪人のような笑みを浮かべた。
「カ、カナリー、悪い顔になってるというか狂錬金術師的な何かになってるぞ!」
 何だかまるで、クロップ老のようだな、とシルバは思った。
「ついでにさっき、クロップ老と話して来たよ」
 まるでシルバの感想が伝わったかのように、カナリーは話を変えた。
「ほう、某やヒイロとすれ違いであったようだ。しかして、如何な用事だったのだ?」
「決まってる。モンブランの件だよ。前の事件では助かったけど、今後どうするかって問題でね。あると大変助かる」
「そもそも、爺さんはどう思ってるんだよ」
 シルバの問いに、カナリーは短く「は」と笑って見せた。
「牢獄の中じゃモンブランの研究や改造もままならんし、データが取れるなら貸してもいいとさ。良くも悪くもあの爺さんは研究命だからね。そういう意味ではモンブランが裏切る事もないだろうと思う。それにタイランが甲冑から出てシルバと融合した場合、あの甲冑のほったらかしも勿体ないだろう?」
「という事は、使うとして普段は眠らせとくのか」
「……そこが迷う所でね。やはり人形族の身体を使うべきかなぁと。これに関しては僕一人の一存では決められないし、全員の意見が必要だろう。という訳でこれに関しては保留だね」
「その辺の話はちょうどさっきしてた所だ」
 シルバの言葉に、タイランはコクンと頷いた。
「残る土産話と言えばそうだね。実家に帰った折、父上を一発殴ってやろうと思ったんだが、よく考えれば『今の』父上には殴られる心当たりがない。僕のこのやり場のない怒りはどこにぶつければいいんだろう」
「あー、クロスの件の続きね……」
 確かにノワの事件の半分は、クロスの問題だったと言ってもいい。
 カナリーにしてみれば、回り回ると自分の父親に原因がある、という事なのだろう。
「もっとも、その父上は何やらまた、家を抜け出したようでね。会う事は出来なかったが」
 不満げに、カナリーは赤ワインをグラスに足した。
「またて」
「……放浪癖があるんだ。そして、その先で女を作る。困った人なんだ」
「へー、吸血鬼の貴族って、なんかすごい椅子に座ってワイングラスとか膝に猫とか、そんな感じなんだけど。服はもちろん真っ黒なの」
 ヒイロのイメージでは、そういうのがカナリーの父親のイメージであるらしい。
「……いやいや、あの父上に、そんなポーズは似合わないさ。まったくね」
「というかそれって、悪の首領じゃねえか……」
 シルバの突っ込みに、海老やホタテの蒸し料理を頬張っていたリフが顔を上げる。
「に?」
 そして仔猫状態に戻るベルトに視線を落とす。
「いやいや、真似しねーから。カナリーも俺の分のワイングラスを用意しようとするんじゃないっ!」
「残念だ。意外に似合うと思うのだがね」
 引っ込めた分のグラスは、ヒイロが有り難く頂いていた。
「……お前は司祭を何だと思ってるんだ」
 シルバの問い詰めに、ふ、と神を信奉しないカナリーは笑う。
「神にだって色々いるだろう?」
「……生真面目な聖職者なら、ぶち切れてもおかしくない発言だなぁ、おい」
 髪を掻きながら、シルバは特に怒りもせず、反対の席を向いた。
「で、リフの方は村の方どうだった?」
「に。みんなで温泉入った」
 海老に海鮮ソースを塗りながら、リフが答える。
「あ、リフちゃんいいなー。ボクも行きたかったかも」
「に……スオウ、ヒイロが元気にしてるか気にしてた」
「んんー、そっかぁ。じゃ、また今度稽古をつけてもらいにいかなくちゃね」
 試したい技もあるし、とヒイロはリフから海老を分けてもらいながら言う。
「肝要なモンスター達の扱いはどうだったのだ?」
 オムレツをライスで食べつつ、キキョウが問う。
「に。だいじょぶ。みんな、療養地の建設てつだってる。世話係はウェノ」
 シルバの頭の中に、黒い軽装鎧を着た色白の女の子の姿が甦る。
 ウェノ・サイゴ。吸血事件(だった)の被害者だ。
「動物使いの子だっけか。確かキキョウ派の」
「……シルバ殿。その表現はやめて下され」
 キキョウが情けない顔をしながら、尻尾を萎れさせる。
「にぃ……キキョウによろしくって言ってた」
「よろしくと言われてもな……」
 キキョウは困るしかないようだ。
 それとは別に、シルバには別の問題があった。
「モンスター使いの登録も済ませた訳だけど、あんまり大きいモンスターは難しいよなぁ、リフ。連れて歩くなら、どんなモンスターがいいんだろうな」
 一応六人パーティーとはいえ、カナリーの従者が二名、それにもしモンブランを足すとすればこれでもう八人。結構な大所帯だ。
 迷宮の通路の広さを考えると、一パーティーの人数は基本六人が理想とされている。大きいモンスターはかえって動きを妨げる可能性が高いのだ。
「に……それは、リビングマッドのダンから聞いてる。同族にリビングメタルいる」
「リビングメタル? ……動く金属?」
「に。リフよりお兄の為になる。ただ、数がすくないらしい」
 何だか分からないが、リフには考えがあるようだ。
「ふぅん……じゃあそれを手に入れるのが、リフの次の目標かな」
「に。あとこれ」
 リフは、壁に掛けたコートから細い銀管と小さな箱を取り出した。
 シルバは、銀管の方を受け取った。
「煙管?」
「いざという時用。霊樹の葉を使う」
 リフは、シルバの前に小さい箱の方も置いた。
 霊樹の葉を煙管で燃やす……となると、シルバの頭に浮かんだのは、 窒息や煙幕、誘惑の煙、稀に風系の魔法を使う一体のモンスターの名だった。
「……スモークレディ?」
「に」
「あ、そういえば、霊樹の件はどうなったんだい。僕が帰省している間に、第五層の件は進展あったのかな」
 トマトスープをスプーンで掬いながら、カナリーがシルバに尋ねてきた。
「第五層は先日突破されたよ。表彰式が明日で、しばらくはお祭騒ぎじゃないのかな」
「霊樹の苗は、先輩の幼馴染みが魂吸い取っちゃったけど、その前に種だけいくらか残してたんだよ。それを回収して、育てたの」
 霊樹が枯れた時、シルバが拾った粒がそれだった。
「が、学習院で、フィリオさんとリフちゃんが……その、ある程度再生を……」
 タイランが説明を付け加え、カナリーは納得したようだ。
 ノワとの決戦前、第五層の冒険者ティム達から苗を頼まれた場には、カナリーもいたのだ。
「なるほどね。一応の義理は果たせてた訳か。しかし、そういう事なら僕も帰省を見合わせて、みんなで第五層突破戦に参加すればよかったかな」
 残念そうなカナリーに、シルバは腕を組んで天井を見上げた。
「んんー、どうだろうなあ。何だかんだでノワ戦で結構疲れてたし、やめといて正解だったと思うぞ」
「けれど、様々な特典もあるんだろう? もったいないとは思わなかったのかい?」
「そりゃあるけどなー。ただ、歴代の突破者見てると、後々動きづらいんだよ」
「ふむ?」
 カナリーの疑問には、アーミゼストにいる時間の長いキキョウが、答えた。
「階層突破ホルダーは、名が高くなる為、注目されやすい。よろしくない者に狙われる事も多くなるというのだ。これまでの突破パーティーの中には、プレッシャーに負けて引退された者もいるという」
「なるほどね。確かに目立つのは……僕もこれ以上は、ねぇ?」
 カナリーに同意を求められ、キキョウも渋い顔で「うむ」と頷いた。
 それに、人造精霊であるタイランと霊獣のリフも、出来れば注目を浴びて欲しくないんだよなーというのが、シルバの考えだった。
「そ、それに色々と事情が複雑だったみたいなんです。私達が霊樹と戦った事自体、悪魔の問題と関わりがあるので、口外も出来ませんし」
 ジョッキの水を飲みながら言うタイランに、カナリーは眉を寄せた。
「難儀な話だ……あと残ってる問題は、魔人にされた冒険者と、トゥスケルか」
「に。トゥスケルは教会と父上が追ってる」
「……無茶苦茶怒ってたよな」
 笑いながら激怒するフィリオを思い出す、シルバだった。
「にぅ……父上、都市中の野良猫と野良犬つかってた」
「で、分かった事と言えば、キムリック・ウェルズっていう行商人は存在しないって事さ」
「偽名かね、シルバ」
「おそらくね。魔人に関しては、教会担当。俺達じゃ現状どうしようもない」
 と、そこまで言った所で、ノックの音がした。
「ん?」
 シルバが立ち上がり、タイランはスッと大テーブルの下に潜んだ。
「サウンザー運送っすがー。よろしいっすかー?」
 シルバが扉を開くと、帽子に作業着の男が小包を持っていた。
「場所間違えてるんじゃないすか? ホントにウチに?」
「えーまー。ほらここに『守護神』シルバ・ロックール様宛ってなってるんですが、ここで間違いないっすよね」
 間違いなかったので、シルバはサインをして受け取るしかなかった。
 荷物は平たく薄かった。
「うわ」
 送り主を見て、思わず声を上げてしまう。
「誰からだい、シルバ」
 カナリーの問いに、シルバは扉を閉め、自分の席に戻りながら答える事にした。
「ネイト・メイヤー」
「げ」
 呻いたのは、席にいた全員だった。
「しかも、住所がルベラント聖王国の王都大聖堂。アイツ一体何やりやがった」
「何やりやがったとはずいぶんだな、シルバ」
 まだ梱包も解かれていないその荷物から、声がした。
「うわ!?」
「やあ、暗くて狭いから開けてくれると助かる」
「お、おま、お前、その声は……まさか」
「出来れば脱がすのは、シルバにして欲しいモノだ」
「ただの包装紙だろうが!?」
「なら、そんなに遠慮する事はない。さあ、ビリビリと力任せに破いてくれていいぞ」
 この台詞だけを抽出すると、大いに誤解されかねない発言であった。
「シルバ、僕に任せてくれてもいいぞ」
「某でも構わん」
「待て! その爪と刀を引っ込めろ二人とも!」
 カナリーとキキョウが身を乗り出すのを、シルバは慌てて制した。


「で」
 開いた荷物の中には、一枚のカードが入っていた。
 悪魔の絵が記されたそのカードから、幻影のように半透明な黒服金ボタンの麗人が手の平サイズで浮き上がっている。
 だが以前のような葉の髪に茶色の肌の木人ではなく、黒髪に色白の肌となっていた。
「やあ、みんなも久しぶりだね」
「……何でまた、そんな姿になってるんだ。いやいい。やった人の検討はついている」
「教皇……猊下とやらか、シルバ殿?」
 カナリーの推理は、送り先を考えれば妥当な所だろう。
 だが、シルバは首を振った。
「その、もう一段階えらい人だろ」
「うん。前に話していた通り、やり残していた事があってね。それを果たしに来たんだ」
「……某達のパーティーに入れろという話か? まだ、話し合っていないぞ?」
 キキョウは、難しい顔でネイトを見ていた。
「そもそも、やり残していた事とは何だい、悪魔」
 問うカナリーに、ネイトは無表情な微笑みという、複雑な顔で応えた。
「ネイトでいいよ。ほら、身体を造り変えられた冒険者がいただろう? 彼を元に戻しに来たんだ」
 靄によって、魔人にされてしまった冒険者、グースという戦士の事だ。
 まさしくつい今し方、この集まりで話していた人物である。
「出来るのか」
 シルバが尋ねると、ネイトは無表情なまま答える。
「やるのは君だよ、シルバ。僕はもう、自分ではほとんど何も出来ないのだ。完全にこの札に封じられているからね。契約者である君の魔力を借りなければ、獏としての能力・心術も使えない」
 シルバは契約した記憶はなかったが、そういえば第三層で別れ際、髪の毛を渡したのを思い出した。
 あれが契約か。
 一方、荷物の中に入っていた手紙を、シルバから預かったカナリーが目を通し、頭を抱えていた。
「……その手紙には、何と書いてあるのだ、カナリー」
「譲渡契約書だ。そのカードは、シルバが管理するようにという任命書でもある。ゴドー聖教総本山直々のな」
「つまり僕はシルバの所有物という訳だ。好きにしていいぞ」
 えへん、とささやかな胸を張るネイトである。
「……お前に一体何をしろって言うんだ」
「それは君次第だ、シルバ・ロックール。そうだな。いい加減、僕の説明が必要か」
 ネイトは、ここに運ばれるに到った経緯を話し始めた。
「僕がシルバから奪った『女帝』のカードを本来の所有者の元に戻しておいた。サフォイア連合の有力国の一つギブスにね。……もちろんタダでじゃあない」
 言って、ネイトはフッと微笑んだ。
 ギブスは連合内でもかなり発言力のある国であり、コランダムやカコクセンを始めとしたいくつかの国との繋がりも強くして派閥を成している。
 ネイトはチラッとタイランを見たが、ほんの一瞬だったので、気付いたのはシルバぐらいだった。
「……お前、何か、さっきのカナリーの顔そっくりになってるぞ」
「ちょっと待つんだ、シルバ。それは一体どういう意味かな?」
 カナリーが身を乗り出したが、シルバは完全に無視した。
「あとは、サフィーンの砂漠を歩いていたゴドー氏に頼んで、この札に封じてもらった。そこから先は東サフィールから海路宅配便でルベラント経由だったから、結構時間が掛かったようだな。一ヶ月ぐらいか」
 ゴドー? とキキョウが首を傾げる。
 説明するとややこしい事になりそうだったので、シルバはすっとぼけた。
「それでわざわざ戻ってきて、後始末をしに来たって訳か」
「ゴドー氏からの言伝もあるんでね。『お前に出来るんなら面倒くせーから、そっちに任す』だそうだ。うん、頭を抱えたくなる気持ちはよく分かるが、あの男らしいと言えよう」
「に」
「あー、ありがとう、リフ……」
 シルバは、リフから受け取った水の入ったグラスを、一気に煽った。
「ふむー、やはり君は強力なライバルのようだな。対抗意識がメラメラと燃えてきたぞ」
「にぅ……」
 相変わらずの表情をするネイトと、尻尾をゆらゆらと揺らすリフが見つめ合う。
「うわ、何か火花が。えと、でもネイトさんって何が出来るの?」
 ちょっと怯みながらもヒイロが手を挙げると、あっさりとネイトはリフとのにらめっこをやめてしまった。
「さっきも言った通り、今の僕は何も出来ない。やるのは、シルバだが――つまり『女帝』のカードと似たような使い方が出来る」
「い……っ!?」
 シルバが、ノワの『強制』を受けるのを目の当たりにしたヒイロは、明らかに怯んでしまった。
 それを宥めるように、シルバが言い添える。
「ヒイロは『魔術師』のカードも知ってるだろ。あれのバリエーションだ」
「悪魔と聞いて、君は何をイメージする?」
 ネイトの問いに、ヒイロは少しだけ考えながら答えた。
「えっと『悪』?」
「では、君」
 ネイトは、リフにも質問する。
「にぃ……『黒』?」
「タイラン君とカナリー君はどうだ」
「こ、『混沌』でしょうか」
「決まっている。『魔』だ」
「サムライの君だと、どういう解釈をする」
「某の国には悪魔というのは馴染みがない。だが、お主のした事を考えれば、『誘惑』ではないか?」
 ネイトは一通り聞き終えると、満足げに腕を組んだ。
「そう。それらはどれも間違いではなく、つまり『悪魔』という概念を現象として発揮する。それがカードの力なのだ」
「うぅ? 何だかよく分かんないよ」
 難しい話はとても苦手なヒイロだった。
 一応カードの知識のあるシルバが、説明を付け加える。
「持ち主によって使い方も消費魔力も異なるからな。ストレートに使うなら『混乱』の意味で敵を惑わせられるし、同じ『魔』であるカナリーの力を強める事が出来る」
「……僕としては大変複雑な気分なんだけどね、それ」
 悪魔と一括りにされてしまったカナリーは、苦笑いするしかない。
 シルバは、カードの使用法のバリエーションを、頭の中で考える。
「悪魔ってのは確か、蛇の化身とも聞くし……操れるのか?」
「だから、それは所有者次第だシルバ。古代の魔法と同じで、系統立っていない。君だって、知っているはずだ。家事を専門にした魔術師に知り合いがいるんだから」
 魔王討伐軍の補給部隊にいる、コウ・マーロウの事をシルバは思い出した。
「……つまり、それの『悪魔』版か。いや、分かる。分かるし便利なのも理解はする……しかし……」
「教会の司祭である自分が悪魔使いとは、と」
 シルバが悩んでいるのは、モラルと言うより自分の立ち位置だった。
「そうだよ。何だこの展開。こんなの有りか?」
 悪魔と一緒にいるのが周囲にバレたらちょっとシャレにならないよなあと思う、シルバだった。
「議論なら後でしよう。それに使い方は実践の方が手っ取り早いんじゃないか?」
「……それもそうだな」
 食事もあとはデザートを残すのみ。
 それを食べ終えたら、礼拝堂に行こうと考えるシルバだった。


 墜落殿第五層突破の煽りを受けてか、夜も始まったばかりの大通りは、まだまだ明るかった。
 シルバ達一行は、その大通りを歩く。
 ネイトは、以前のちびタイランのように、シルバの肩に乗っていた。もし誰かに問われたら、黒妖精の一種だと誤魔化すつもりだ。
 ちなみに黒妖精というのがどういう種類なのかは、シルバも知らない。
 そして十分もしない内に、ゴドー聖教大聖堂に到着した。
「いらっしゃいませ~、ロッ君と皆さん。それにネイトちゃんも~」
 山羊の角と槍のような尻尾を持つ白い大司教、ストア・カプリスが出迎えてくれた。
「……えらい眠そうですね、先生。昼間、あれだけ眠っておいて」
 しかもまだ、宵の時間なのに、とシルバは思う。
「だって、こんな時間まで起きているんです……ノイン君達の授業の準備もありますし……ふああぁぁ……とにかく、こちらです~」
「ったく……」
 大あくびをするストアに案内され、シルバ達は奥に進んだ。


 魔人は、いくつかの燭台が灯る大部屋の石祭壇の上に寝かされていた。
 四方と天井に、何やら呪文の刻まれた札が貼られている。
「今は{強眠/オヤスマ}で、動きを封じています。この世界の変身術ではないので、教会でも治せないんですよ。唯一どうにか出来そうな人は、今、大陸の正反対の場所にいますしね」
「そしてその彼は、シルバに丸投げだ」
「という訳でロッ君、よろしくね」
 ストアとネイトの言葉に、シルバは懐から『悪魔』のカードを取り出し、溜め息をついた。
 だが、キキョウやカナリーには、このカードの使い道が分からないようだ。
「しかしシルバ殿。『悪魔』のカードでは、これを治癒する事など出来ぬのではないか?」
「もしくは、この悪魔を脅すのか」
「脅された所で、今の僕は力を発揮出来ないさ」
 ネイトが答え、やはり他の皆は困惑する。
「じゃあ、力ずくなの?」
「きょ、教会で戦闘ですか?」
「に、それならお兄、前に言う。多分ちがう」
「まー、戦闘にはならないよ。多分、俺の考え方で合ってるはずだから」
 シルバはネイトを連れて、祭壇に近付いていく。
「改めて見ると、大きいねー」
「にぃ……大変だった」
「だねぇ、リフ」
「某達は、ひとまず見ているだけか」
「そ、そうなりますね……シルバさん、どうするんでしょう」
「まあ、黙ってロッ君を見守っていましょう」
 他のメンバーは、後ろで待機している。
「さあ、始めようかシルバ」
「ったく……こうでいいんだろう?」
 シルバは魔人の枕元に立つと、カードをかざした。
 そして、悪魔の図柄を反転させる。
 逆さまになったカードを見て、シルバの意図に最初に気付いたのはカナリーだった。
「そうか……逆位置! 悪魔の所業を『ひっくり返す』!」
 うん、とシルバの肩の上で、ネイトが頷く。
「そう、それが正解だ。悪魔によって変えられた身体を、逆行させる。これが今回のこのカードの正しい使い方となる」
 シルバを中心に、膨大な魔力の渦が発生する。
 髪をなびかせながら、シルバは魔人に向けて宣言した。
「異界の法に染められし哀れな子羊よ。『悪魔』の札の契約者、シルバ・ロックールが命じる。元有る姿に還るがよい。――解放!!」
 直後、カードが黒い光を放ち、部屋を闇に染め上げた。


 大聖堂の礼拝堂。
「今日はもう遅いけど、他の犠牲者も治さないと駄目なんだよな」
 あれから五分後、長椅子に座り魔力ポーションを飲みながら、シルバはぼやいていた。
 周囲には、心配そうにパーティーのメンバーも椅子に腰掛けている。
「別にシルバが治したくないなら、いいんじゃないか?」
 実に悪魔らしい事を言うネイトであった。
「そういう訳にもいかねーだろが」
 そして、シルバは大きく息を吐いた。
「ひとまずこれでようやく一区切り、か」
「そろそろ、探索再開であるな」
「ねーねー、トゥスケルとかいうのはいいの? 放っておくとまた厄介そうだけど」
 ヒイロの疑問に、シルバが応える。
「追うより追わせる。このパーティーは、あの連中の好奇心を刺激するには充分だからな」
 ふむ、とカナリーは得心いったようだ。
「そうか……悪魔召喚に居合わせたパーティーなんて、稀だ。奴らが再び近付いてくる可能性は高いのか」
「に。追う方は父上がやってるし」
「で、では本日はお疲れ様……でしょうか?」
「だな。ま、明日は祭みたいだし、それを楽しんでからという事で」
 そう言って、シルバは締めくくった。


 アパートへの帰り道。
「……それで、僕の扱いはどうなるんだい?」
「あ」
 すっかり忘れていた、シルバだった。



[11810] カーヴ・ハマーと第六層探索
Name: かおらて◆6028f421 ID:7cac5459
Date: 2010/05/25 01:21
「……バ様……シルバ様!」
 身体を揺さぶられ、シルバは意識が少しずつ甦ってきた。
「んぁ……?」
 どうやら、気を失っていたらしい。
 目が覚めると同時に、後頭部に激痛が走った。
「っ……!?」
 触れては見るが、血は出ていないようだ。しかし、大きな瘤が出来ている。
「シルバ様、大丈夫ですか?」
 言って、自分を起こした助祭の少女は、シルバの後頭部に{回復/ヒルタン}を掛けてくれた。
「チ、チシャ……? え? あれ、ここどこ? 迷宮……か?」
 地面は雑草の生えた土で出来ていて、周囲は魔法光なのか外のように明るかった。
 10メルトほどの高さの天井は石製で、遠くには何故か逆さまになった四角い建物が幾つも地面に埋まっていた。
 そして自分は緩い傾斜になっている、すり鉢状の地面の上に座っている。
 ……いや、とシルバは気がついた。
 空にあるのは、天井ではない。
 床だ。
 自分達は、逆さまになった居住区にいるのだ。
 逆さま、という単語から、シルバの頭に一つの迷宮の名が浮かび上がる。
「そ、それがその……言いますけど、落ち着いて下さいね?」
 チシャは、小さく震えながらシルバの手を握りしめた。
「こ、ここは……第……六層です。{墜落殿/フォーリウム}の」
「何……だと?」
 絶句するシルバの背後に、誰かが立った。
 振り返ると、二十代前半だろうか、短く刈り込んだ金髪の男がギョロリとした目でシルバを見下ろしていた。
 精悍な鍛え抜かれた身体と長大な両手剣は、戦士職以外には考えられない。
 宝石をちりばめたピアスや首飾り、金色の腕輪など、ジャラジャラとアクセサリーは多いが、日焼けした肌には防具はおろか衣服すら身につけていない。
「おう、起きたか。なら行くぞ」
「え、誰……?」
 困惑するシルバと男の間に立つように、チシャが割り込んだ。
「ま、待って下さい! シ、シルバ様にはまだ、記憶に混乱があるみたいで……」
「あ~?」
 男は眉をしかめると、チシャの胸ぐらを掴んだ。
 そのまま持ち上げられ、小柄なチシャの両足は地面から浮き上がってしまう。
「う、ああ……!?」
 苦しそうな声を上げるチシャに、男は顔を寄せて笑った。
「知るかカス」
 言い切った。
「お前らの事情なんてどうでもいいんだよ。適当に様子見たら、ちゃんと戻してやるつってんだろうが。グダグダ文句言ってねーで、ついてこい」
 嘲笑う男の太い手首を、立ち上がったシルバの手が掴んだ。
「あ?」
「チシャを離せよ」
 考える間もなく、シルバも動いていた。
 その直後、顔面に衝撃が来た。
「が……っ!?」
 鼻血が吹き出て、5メルト以上吹き飛ばされた。
「……うるせえなぁ」
 男の空いていた手が、煩わしそうに振るわれ、シルバの顔面をその巨大な拳で殴り飛ばしたのだ。
「弱え弱え。貧弱すぎらぁ。お前ら、それでも冒険者か? 仕事間違ってんじゃねえか? 弱い奴は大人しく強い奴についてくりゃいいんだよ! 俺様が前に進んでやる! 文句を言うな! 黙って手伝え! 弱者が俺様に意見するんじゃねえ!」
 そしてチシャを掴んだまま、彼はシルバを見下すように笑う。
「第一、貧弱なお前ら二人だけでここから戻れると思ってんのか? 分かったら、さっさと支度しな。すぐに動くぜ」
 言って、男はチシャを地面に放り捨てた。
「――{小盾/リシルド}」
「……っ!」
 チシャが、驚いたように自分の尻を見た。
 シルバの放った魔力障壁が、真下に敷かれていた。
「おいこら」
 不愉快そうに、男はシルバの顎を蹴り上げた。
「うぶ……っ!」
「魔力の無駄遣いしてんじゃねーよ。お前の仕事は、俺様の回復だ。それ以外一切使うんじゃねえ。今度やったら、殺すぞ」
「だったら……」
 シルバは口の端から滴る血を拭いながら立ち上がった。
「俺を殴るな。チシャもだ。お前がなんと言おうと、俺達は自分の回復はする。その分の魔力を無駄だと思うなら、やめておけ」
「……口の減らねえガキだな」
 シルバは、男を睨んだままチシャに精神共有を繋げた。
(チシャ……何が何だか分からねーけど、説明はおいおい頼む。第六層が事実だって言うんなら、まず無事に戻るのが第一だ)
 念話にチシャは一瞬ビックリしたようだが、シルバと目が合うと小さく頷いた。
(は、はい……)
 そしてシルバは、自分の装備を確かめた。
 司祭服はいつも通り。
 武器はない。
 眼鏡、篭手、針もない。
 魔力ポーション充填済みの聖印。
 レベルを現わすブラック・ブレスレット。
 懐にある、何故か沈黙を守っている『悪魔』のカードと、煙管と小箱が切り札か。
 そうか、表彰式の準備だったから、ほとんどないんだった、とシルバは悔やんだ。
(チシャの装備は?)
(わ、私も、似たような物です。武器も、防具もありません。シルバ様が拉致されて、見捨てる訳にもいかず……)
 むしろ、逃げてキキョウやカナリーらに助けを求めてくれた方がよかったのに……と、シルバは思ったが、いざそんな状況に追い詰められたら、選択肢は限られる。
 仲間がどこかに連れ去られようとしていて、敢えて背を向けるという決断は、中々に難しいだろう。
「……分かった。協力すればいいんだな」
「やれやれ、やっとかよ。物わかりの悪い糞ガキだ。行くぜ」
 言って、男は剣を肩に担ぎ、建物の方に向かい始めた。
 シルバに駆け寄り、チシャはハンカチで血まみれになった顔を拭いてくれる。
「物事はポジティブに考えよう。あの男が満足さえすれば、俺達は無事に帰れる。今の所は、そう信じよう」
「は、はい」
 二人で男の背中を追いながら、シルバは呟く。
「……もちろん、戻ったら訴える方向でいくがな」
「そう、ですね……」
 これは立派な拉致事件だ。
 こんな無法が許されるはずがないし、地上に戻れば事件としてギルドに訴える事が出来る。
 いくら何でもそれが分からないほど、男が馬鹿だとは思えないのだが……。
 ……ふと、シルバはもうこの世からいなくなった男と、それに巻き込まれた冒険者達の事を思い出した。
 彼女達も、今の俺と同じような悔しい思いだったのか。
 仲間達はどうしているだろう。
 もう動き出しているだろうか。
 などと考えていると、男は不機嫌そうにシルバ達に振り返ってきた。
「おいおいおい、何イチャついてんだあ~? 修羅場だってのに、ラブいてんじゃねーぞ、コラ?」
 男と1メルトほど距離を取ったまま、シルバは足を止めた。
「シルバだ」
「あ?」
「シルバ・ロックール。こっちはチシャ・ハリー。冒険者なら、名乗るぐらいは最低限の礼儀ってモンじゃねーのか?」
 シルバの強気に、くっく、と男は肩を震わせ笑った。
「表彰式の準備してたんだから、主役の名前ぐらい知ってんだろ。雑魚に名乗る名前はねー」
 そうだ、とシルバは混濁していた記憶が甦りつつあった。
 今がいつかは分からないが、空腹具合から考えると一日は経っていないはずだ。
 気絶する前、シルバはチシャや他の教会関係者達と一緒に、墜落殿第五層突破記念の祭の準備をしていた。
 そして第一突破パーティーの表彰式の準備中……。
 男がふてぶてしい表情のまま指を突きつけてきて、シルバは我に返った。
「お前らの仕事は、補給タンク。それ以外の事は望んでねーんだ。そっちはちょっと別だけどな」
「ひ……っ」
 べろり、と好色そうに舌なめずりする男に、チシャは怯えてシルバの腕を抱えた。
 俺の後輩をそういう目で見るか、とシルバの堪忍袋の緒は切れる寸前だった。
「おい」
「何だザコ。お前ら低レベルが俺様に意見するなんざ、百年早えー。文句があるんなら、もっと強くなってからにしな」
「だったら――」
 もうお前一人で行けよ、と言いかけて、シルバは自分の二の腕を掴んで震えるチシャを考える。
 自分一人なら、誇りを取る。
 こんな男とは即座に袂を分かち、生存の可能性は低いがそれでも一人で出口を探す。
 けれど、チシャは。
 ここまで自分を心配してついてきてくれた彼女は、絶対に地上に戻さなければならない。
 だから、言葉が出なかった。
 生き残る確率が高いのは、どちらか明白だったからだ。
 歯を食いしばるシルバを、男はせせら笑う。
「だったら何だ? 一人で行けってか? いいよいいともよ。金は勿体ねえが、俺はポーションも幾つか用意してあるからな。だけど俺が見捨てたら、お前らは死ぬぞ? 新しく開かれた第六層。未知の層でお前ら上に戻れんの?」
 シルバが無言でいると、それまで皮肉っぽく笑っていた笑顔を引っ込め、不愉快そうに舌打ちした。
「けっ」
 そして鋭い蹴りが、シルバの腹に入った。
「が……っ!」
 呼気と一緒に血反吐まで口から溢れ、シルバはその場にうずくまった。
「シ、シルバ様っ!」
「ザコがいっちょ前に意見吐くなっつーの! お前らは黙ってついてきて、俺様を回復させてりゃいーんだっつってんだろうが!」
 なおも怒鳴りつけようとする男が、不意に口を閉ざした。
 そして上機嫌になったかと思うと、凶暴な殺気を纏いながら肩に担いだ両手剣を鞘から抜き放つ。
「ようやっとお出ましか……」
 直後、真上から羽音が響き渡った。
 シルバが見上げると、天井から何匹もの巨大な蛾、グレートモスが襲いかかってきた。
 が、男の剣の一振りで、二匹の蛾が両断されてしまう。
 突進してきた一匹の頭部を、男の手が掴んだかと思うと、そのまま握りつぶしてしまう。
 そして建物の中からは、手に剣や槍を持ち甲冑を着た骸骨達、ボーンファイターが次から次へと出現する。
 しかしそれらを意に介する事なく、男は単身、動物じみた野生の動きで、モンスター達を嬉々として蹴散らしていく。
 大きな口を叩くが、実力が間違いなくあるのは確かだった。
「はっ、チョロいチョロい!! こんなじゃ食い足りねーぞ、こらぁ!」
 地面が揺れたかと思うと、男の真下から巨木のような棍棒を持つ腕が突き出て、5メルトはあろうかというでっぷりと太った禿頭のモンスターが姿を現わした。
 禿鬼だ。
「ブモォォォ……!」
「よーしよし、それなりに歯ごたえの有る奴が出てきたじゃねーか……! オラ、行くぜえええぇぇぇ!!」
 大きく振り回される棍棒を両手剣で受け止めながら、獰猛な笑みを浮かべた男は禿鬼に立ち向かう。
「腕は確かなようだけど……くそっ! こっちの事はお構いなしかよ!」
 シルバは、{鉄壁/ウオウル}を自分とチシャに掛けながら、ボヤいた。
「カーヴ・ハマー……! あんな奴が、第五層突破の主役だったなんて、最低だ……!」

 シルバの『大盾』とチシャの『小盾』に、ボーンマジシャンの放った火球がぶつかり、熱気が二人を灼く。
 チシャを庇い、衝撃に顔をしかめるシルバの頭に、他者の意識が流れ込んできた。
(よし、今の内だな)
(ネイト!?)
 ネイトの、精神共有だ。
 カーヴや周囲の敵に気を配りながら、シルバは無言のまま、懐に潜むカードに手を当てる。今まで何をしていたのか。
(悪い、シルバ。どうも彼の勘の良さは尋常じゃなくてな。迂闊に君と接触を取ると、感づかれる恐れがあった。それに今の僕は、指示を受けなければせいぜいが周囲の状況を伝えるぐらいしか出来なくてね)
(ど、どなたですか、シルバ様?)
 驚きの反応が、チシャから伝わってくる。
 どうやらネイトは、チシャとも回線を繋いでいたらしい。
(僕の名前はネイト。奴に悟られては厄介だ。顔は正面を向いたままで頼む。姿を現せずにすまないな、チシャ君。正体はややこしいので今は伏せさせてもらうが、シルバの所有物だ)
(所有物!?)
 ネイトの言う通り、少なくとも見た目は戦闘状態を維持したまま、チシャの表情がヒクッと引きつっていた。
(充分ややこしくしてるじゃねーかテメエ!?)
(しかしここは譲れない)
(胸張って言ってるんじゃねえよ!?)
(まあ、とにかくチシャ君、君の味方だ)
(は、はぁ……)
(あの男はしばらく放っておいてもいい。というか何もしないのが一番だろう。下手に手伝うと余計な事をするなと怒鳴られるぞ。それと、まだシルバの記憶は、若干混乱しているようだな)
 カーヴの周囲に四つの魔力球が発生し、モンスター達に向かって放たれる。重い足音を立てて、建物の奥から出現した石像モンスター達が、粉々に砕けていく。
(言ってくれれば、心術で思い出させる事も出来るが……)
(必要ない。大体、思い出してきてる)
 シルバは自分が意識を失う前の事を、思い返した。


 魔人にされた冒険者を治療した翌日、シルバはいつも通りに早朝から、教会でのお務めに出ていた。
 靄によって性別や能力を改編されていた冒険者達を、前日と同じように『悪魔』のカードで治療し終えたシルバを待っていたのは、第五層を突破した記念式典の準備であった。
 時刻は九時。
 開催まで三時間を切ろうとしていたギルド本部内は、シルバやチシャのような裏方が、慌ただしく動き回っていた。
「どーもさー、元気ないよなぁ」
 道具の入った木箱を抱えながら、シルバはついさっき見たモノの感想を漏らした。
「何がですか、シルバさん」
 同じく木箱を抱えたチシャが、シルバと並ぶ。
「ん、いや、さっき控え室でチラッと見た、表彰式に出るパーティー。『グレート・ハマー』だっけ? せっかく第五層突破したってのに、何だか景気悪そうに見えねーか?」
 リストを見せてもらった所、メンバーは六人だ。
 司祭の男が前の戦いで負傷し入院、とあったので表彰式典に参加するのは五人という事になっている。
 おそらくトイレか何かで一人抜けていたようだが、見た所はごく平均的な編成だったと記憶する。
 まあリーダーの名前がそのままパーティー名になっている辺り、ワンマンそうだなというぐらいにしか、シルバの印象には残っていなかった。
「ん、んー、そう言われてみると、ちょっと覇気もなさそうでしたけど……それよりも、私達は準備を進めないと」
 道具置き場に、二人は木箱を置いた。
「だな。時間もあんまりない事だし。あー、力仕事はこっちに任せて、チシャはゲストの応対頼む。っていっても飲み物渡しに行くだけだけど」
「あ、はい。ありがとうございます!」
 勢いよく頭を下げ、チシャは調理場の方へ駆けていった。


 それからしばらくして。
 木箱の整理を終え、次の仕事に向かう途中、シルバはチシャから連絡担当である司教を中継しての精神共有で助けを求められた。
 何かトラブルらしい。
 駆けつけると、お盆を持ったチシャが途方に暮れていた。
「どうしたんだよ? 何でここで立ち止まってるんだ?」
 困ったような顔で、チシャがシルバを見上げた。
 少し涙目になっている。
「その……何だか、揉めているみたいで……」
「ふむ」
 静かにしておいて欲しいという主賓の意向か何かなのだろう、石造りの通路には人気がない。
 聞耳を立てるのは容易だった。


「やっぱり俺はいいわ。面倒くせーし、待つのに飽きた。表彰式はお前らやっといてくれや」
 野太い声がと共に、椅子から立ち上がる音が響く。
 次に若い声が続いた。
「ちょ、ちょっと待てよ!?」
「あ? 待てよ?」
「……う」
 最初の男の声に、若い声は怯んだようだ。
「待って下さい、だろ? クソザコが。誰のお陰で、トップ取れたと思ってんだ? あぁ? 言ってみろよ」
「そ、それは……カーヴさんの、お陰だが……」
「だろうが。分かってるんなら、俺様のやる事に指図するんじゃねーよ」
「で、でも、名誉な事だろう!? この都市の住民がみんな注目するんだぞ?」
 苛立つ男の声に、若い声が何とか反論を試みる。
「あー、そりゃその通り。俺様は目立つのも嫌いじゃねー」
「だったら」
 バンと肉を叩く勢いのいい音が響いた。
 多分、両肩か何かだろう。
「だ・か・ら、お前が壇上で言うんだよ。ウチのリーダーは、名誉よりも実を取った。こうしている今も、墜落殿の第六層に突入したってよ。大きく宣伝しといてくれよ」
「で、でも、せめて斥候班が戻ってからの方が……」


 そこまで聞いて、チシャがシルバに尋ねてきた。
「……せ、斥候班って何ですか?」
「知らないのか? 冒険者ギルドの組織した、新階層調査チームだよ。新しい層になったら、色んなパーティの盗賊やらレンジャーを募って、何日か掛けて、その層の基本的な情報の収集をするんだ。未知の罠はないかとか、どういう種類のモンスターがいるかとかな。ま、あくまでも探りなんだけど」
 シルバは小さく吐息をついた。
「……それにしても、ずいぶんと荒っぽいリーダーだな」
「や、やっぱりシルバ様もそう思いますか?」
「ああ。こりゃ、給仕は俺がやった方が良さそうだな。盆貸して」
「そ、そんな。悪いです……」
 首を振るチシャから、シルバは盆を取り上げる。
 中のやり取りはまだ続いていた。
 どうやら、斥候班の事は、リーダーであるカーヴという男も知らなかったらしい。……余所から来た新参の冒険者なのかな、とシルバはそんな事を考えていた。
 そして、更に中は荒れていた。


「だからテメーは馬鹿だって言ってんだよ! 常識で考えろよ! 斥候!? っざっけんな! そいつらがお宝をぶんどっちまうじゃねーか! 手つかずの遺跡の奥だぞ!? 俺に! 最初にあそこに入った俺様に、潜る権利がある! 第一にお宝を手に入れる権利があるんだよ! 名前を売るのなんて、後で出来らぁ! ちょっとはない頭を使えよこのカス!」
「うぐ……」
 鈍い音と共に、呻き声が聞こえてくる。どうやら殴られたようだ。
「俺様は稼げるから、冒険者になったんだ! 力があれば、何でも手に入る! それが冒険者だろうが!」
「け、けど、いくら何でも一人ってのは……」
 苦しげな声で、別の若い声がした。
 どうやら、別のメンバーのようだ。
 少し冷静になったのか、カーヴの声は多少の冷静さを取り戻していた。
「今回の仕事は、調査が主だ。フットワークは軽い方がいい。お前らゾロゾロ連れて歩くなんて、時間の無駄だ。せいぜいが一人か二人ってトコだが、回復のボルゼンが入院中だし……おい、ポーション寄越せ」
 しばらくゴソゴソと物音がしたかと思うと、勢いよく扉が開いた。


「よし、お前らでいいや」
 シルバとチシャを、いかにも戦士然とした男がふてぶてしい顔で見下ろしていた。
「え……?」
 直後、頭に衝撃が走り、シルバは意識を失った。


(……っていうか、どうやって俺達ここまで来たんだ?)
 式典の準備で、ギルドの建物は中も外も人だらけだ。
 中ならまだしも、通りをシルバを担いで歩いていたら、いくら何でも不審に思われるだろうに。
(それは……)
 チシャが言いよどみ、ネイトが言葉を引き継いだ。
(シルバとチシャ君を担ぎ、屋上から屋上を飛び渡って、特に苦もなく郊外に出た)
(猿かよ!? 装備にプラス人二人担いで、どういう筋力してるんだアイツ!?)
 だが、少なくとも通りよりは格段に人気がないのは確かだ。
 洗濯物を干す主婦や煙突掃除人にぐらい目撃はされるだろうが……シルバは頭を振った。
(……いや、そんなデタラメな未確認飛行生物、白昼夢か何かと思われるのがオチか)
 人二人を担いで屋上から屋上を跳び駆ける、筋肉男。
 あまりにシュールすぎる光景だ。
(……でも、目撃情報はある。それに、突然俺とチシャの連絡が絶たれた訳だから、先生なら異常に気付いてくれるはず)
 司教でありシルバの師匠でもあるストア・カプリスは、おっとりはしているがいざという時には頼りになる。
 忙しくて手が離せなくても、シルバの仲間であるキキョウやリフに、連絡ぐらいは入れてくれる……と思う。
 ……それだけをアテにするのもどうかと思うが、斥候班がまだ残っているなら、それが発見してくれる可能性だってある。
 ……自力での脱出以外にも、まだこれだけ希望があるのだ。
(その希望に縋るか、シルバ)
 ネイトの問いに、シルバは小さく笑った。
(まさか。他力本願は趣味じゃない)
(だろうね。さすが僕のシルバだ)
(お、お二人は、そういう関係なんですか……?)
(違う)(そうだ)
 チシャが動揺し、シルバとネイトは正反対の答えを返した。
 ……シルバはまだまだ、諦めていない。


 逆さまになった建物の入り口の一つに侵入する。
 中には、新たなモンスターが複数潜んでいた。
 小柄な四足歩行の龍族、ベビードラゴンが炎のブレスを吐き出した。
 シルバは、チシャを庇うように前に出て、自身は{大盾/ラシルド}で防御する。
 だが、カーヴは火傷にも構わず、前に突進した。
「かっ! さすがに第六層は、上より歯ごたえがあらぁな!」
 上機嫌に笑いながら跳躍し、ベビードラゴンの脳天に鱗を貫く剣の一撃を突き下ろした。
 着地と同時に、両手を左右に広げる。
「だが! 俺様の方がもっと強い!! ――{空刃/カザキリ}二連!!」
 両の手から勢いよく放たれた小型の竜巻が、カーブを挟み撃ちにしようとした二体のスモークレディを吹き飛ばした。複数同時攻撃も使いこなすらしい。
「戦士、ですよね、シルバ様?」
 シルバの背後で、チシャが呆れたような声を出していた。
「戦士が魔法を使っちゃいけない理屈はないよ。俺が前にいたパーティーにも、回復魔法を使う戦士がいた――っていうか実際きついっつーの第六層、{大盾/ラシルド}!!」
 カーヴの手を逃れた石像番人が、シルバ達に大きな拳を振り下ろす。
 しかし、その攻撃はシルバが展開した魔力障壁で、阻まれてしまう。
「シルバ様、逆から――{小盾/リシルド}!!」
 チシャが、シルバと逆に小さな魔力障壁を発動する。
 けれども、その魔法では、骸骨の魔法使い――ボーンマジシャンが放った巨大な火球を完全に防ぎきる事は出来ない。
「ひゃうっ!」
「チシャ!」
 衝撃に吹き飛ばされそうになるチシャを、シルバが身体を張って支えた。
 シルバは石像番人とボーンマジシャン、どちらを取るか迷った。
「ちぃ……っ!!」
 舌打ちしたカーヴが、腰から抜いた短剣を二本投げ放った。
 ボーンマジシャンの頭は砕かれ、乾いた音を立てて崩れ落ちる。
 シルバ達の目前で、石像番人の頭部も同じように砕け散った。シルバの目前で、ガラガラと瓦礫に成り果てる。
「うおっ!?」
「足引っ張ってんじゃねーよ、ボケが! 自分の身ぐらい自分で守りやがれ」
 次々と現れるモンスターを、剣と魔法で相手取りながら、カーヴがシルバ達を罵倒する。回復だけと言いながらも、『大盾』などの魔法をシルバ達が使っている事は、スルーらしい。
 シルバにしても、それどころではない。
「装備も何もなしで、無茶言うな! こっちはアンタのような規格外とは違うんだよ!」
 生命の危機にテンションが高まり、そのままカーヴを怒鳴りつける。
「シ、シルバ様!」
「おっと、そういやそうだった」
 本気で忘れてたという風に、カーヴは足下のモンスターから衣服を二つはぎ取った。
 シルバ達の前に投げ捨てられたそれは、骸骨の僧侶、ボーンプリーストの鎖帷子だった。続いて盾と兜。
「それを使え。防具としては問題ねーだろ」
「ちょ、え? い、いいのか?」
 シルバが驚いたのは、厚意そのものに対してではない。
 てっきり、すべての成果は俺様のモノ、という感じのカーヴがあっさりと、装備類をシルバ達に提供した事に対してだ。
「そりゃ第五層で散々拾った。多少、質がよくても大して売れねーし、装備類はかさばんだよ。ほれ、武器もあった」
 メイスが二本、さらに追加される。
 シルバは鑑定に関してそれほど自信がある訳じゃないが、これらの装備が第三層の時のモノより遥かにいい事ぐらいは分かる。
 鎖帷子を手に取りながら、チシャは戸惑っているようだった。
「じ、実はいい人……なんでしょうか……?」
「んな訳ないだろう」
(飴と鞭の飴の方だな。少なくともケチではないらしい)
 シルバとネイトが、同時に一蹴する。
 モンスター達は、カーヴが最大の脅威と判断したのか、彼に集中し始めていた。ネイトと話すなら、今の内だった。
(……なあ、ネイト。狙ってやってるのかアイツ?)
(半分正解、半分ハズレ。アレは計算じゃない。経験則だ)
(チシャ、お前だって教会で生活してるんだったら、多少、理不尽な上下関係ぐらい覚えがあるだろ。アイツ程じゃなくても、子供時代、我が侭な奴とかいなかったか? ガキ大将みたいなのが)
(は、はい、いました。けど……)
 唐突な話題の転換に、チシャが首を傾げる。
(俺達は、いじめられっ子。そのガキ大将の横暴に耐えかねて、反抗しようとする訳だ。でも、そういう時に限って、何故かタイミング悪く、相手は妙に機嫌と気前がよかったり、いい笑顔をしたりして、こっちのやる気が削がれる。……っつー事に、実体験がなくてもイメージぐらいは出来るだろ。それと同じパターンだ。相手の気まぐれにこっちまでぶれちゃ駄目だ。基本的に、信頼しちゃ駄目な相手だからな)
 シルバの言葉に、ネイトも続く。
(一番美味い蜜は自分が吸う。だが、格が落ちても充分上等な蜜が吸える……となれば、従う奴はいるだろう? たとえば『グレート・ハマー』の連中とか)
(忘れるな。俺達は、自由意志でここに来たんじゃない。連れてこられたんだ)
(誘拐犯に好意を抱く人質ってのは、よくあるパターンだ。冷静になれ。ああ、そうか。向こうの狙いがもう一つあるぞ。シルバと君がこの装備を着れば、共犯者だ)
(!?)
 鎖帷子を手にしていたチシャが、驚きに目を見開く。
 どうやら気付いていなかったらしいチシャに、ネイトが言葉を続けた。
(迷宮を出る時、シルバや君もそれなりの成果が与えられる。掠われたと主張しても、信じてもらうのはなかなか難しいだろう。何しろ証明が難しく、逆にカーヴが『協力してくれた』と主張すればその証拠だけは充分にある。彼のパーティーの連中は、間違いなく口裏を合わせるだろうし。……もちろん、これも深く考えての行動じゃない。これまでこういうやり方で、それなりに上手くやってきたんだろう)
(わ、分かるんですか?)
(何となくね)
 実際はシルバが、カーヴの心の中をネイトに心術で読ませていたのだが、ネイトの素性は知られるとまずいのでそこは黙っていた。
 もっとも、ネイトに言わせれば、カーヴの周囲の魔力が妙に乱れていて、かなり曖昧にしか読めないらしいのだが。
 それはともかく、と、シルバは司祭服を脱ぎ、鎖帷子を着込んだ。
「俺達に選択の余地はない。……生き残りたければ、着なきゃならない」
「シ、シルバ様……」
 少し失望したようなチシャに構わず、鎖帷子の上に再び司祭服を着る。
 普段なら視界の広さを優先して兜は着けないのだが、今は防御力優先とそれと盾も装備した。メイスはシルバの場合、むしろただの荷物にしかならないので、放っておく事にした。
 そんなシルバの様子を見て、カーヴは目論見通りと笑っていた。
「くく、それでいい」
 そして再び、敵の只中に飛び込んでいく。


 シルバを見るチシャの意識に、ネイトの念話が入ってきた。
(……今の戦闘の事だけじゃないんだ、チシャ君。終わった後の話だ)
(え?)
 シルバの様子はまったく変わらない。
 どうやら、シルバにはネイトの声は聞こえていないようだった。
 チシャにだけ、この『声』は聞こえているらしい。
(シルバが防具を着なかったら、この後、あの男はまたシルバに暴力を振るうだろう。それはどちらにとっても、不毛な行いだ。逃げるにはまだ、あの男の力を見切れていない。こちらには煙幕の用意があるが、魔法まで使いこなせる相手となると逃げ切れるかどうか分からない。それに、これまでは今回の探索が終わった後、殺される可能性が高かったが、防具を着せるという事は、しばらく、もしくはさっき話した理由で迷宮を出ても生かしておいてくれるという可能性も高まった)
(生き残る為には、誇りも捨てると……?)
(一時的に、だがね。このままだと、君がただでは済まないから、探索が終わるまでに、シルバは必ず奴を裏切るだろう)
(え?)
 自分の為……? とチシャは分からない事をネイトに伝えた。
(二人とも『共犯者』として、生きて帰れるかも知れない。けど君の場合は彼に辱めを受けるだろうから)
(あ……)
 さっきの好色そうなカーヴの眼差しに、チシャの身体に悪寒が走った。
(一番最悪なのは、彼がその行為での『共犯者』も、シルバに強要する可能性があるって事だ)
(…………)
(無理だな。そんな事を、シルバが許すはずがない)
 絶句するチシャに、ネイトは断言した。
(今は雌伏の時。逃亡を実行するまでは、どんな泥だってシルバは被るだろう)
 二人の話にまるで気付く様子はなく、シルバはチシャの盾となるべく、あらたな防御呪文の準備に取りかかろうとしていた。
 ネイトの姿はチシャには見えない。
 が、その気配はそれまでの真面目なモノから一点、苦笑するようなモノに変わった。
(ま、シルバはシルバで別の目的もある。無理矢理とはいえ、第六層に来たんだ。だったら、生の情報を出来るだけ多く持ち帰りたい。そういう欲もあるから、君が気に病む必要は全然ないんだ)
 それに、とまるでチシャがシルバの横顔を見つめているのが見えているかのように、困ったような意識が流れてきた。
(……本気で惚れられると、ライバルが増えるな)
(ネ、ネ、ネイトさん!?)


 黒い染みのようなモノが天井に浮かんだかと思うと、霧状のモンスターがゆるりと出現する。その身体のあちこちに、苦悶の表情が浮かび上がっていた。
「悪霊系か。見た所、新種だな……!!」
 未知の敵を前に、カーヴが獰猛な笑みを浮かべる。
 さしずめ、グラッジフォッグ(祟霧)とでも呼ぶべきか。
 悪霊系のモンスターには、物理攻撃は通じない。
 だがその分、魔法には抵抗力が低いモノが多い。
 そしてその中でも特に効果が高いのが、聖職者の扱う祝福魔法だ。
「あ、あれなら私達でも……」
「必要ねえ!」
 印を切ろうとするチシャをカーヴは背を向けたまま手で制止し、そのまま印を切った。
 握りしめたカーヴの拳が光り、それをグラッジフォッグ目がけて振り放った。。
「{神拳/パニシャ}三連!!」
 三つの黄金色の拳が、グラッジフォッグを瞬時に霧散させた。
「祝福魔法……!?」
 シルバが愕然とする。
「ゴドー聖教の信者!? で、でも聖印が……」
 うっすらと汗をかき始めたカーヴの首には、信者の証である聖印は掛けられていなかった。
「あ~? んなもん、自分んちの中だよ。邪魔じゃねーか。テメエらはそこで大人しくしてろ。そして敵がいたら知らせろ。手ぇ抜いたら殺す」
「コイツ……」
 シルバは呻いた。
 カーヴは剣の腕も尋常ではなく、おまけに魔法使いと聖職者、両方の魔法を使いこなしていた。
 その力でいい加減、敵の勢いもなくなりつつあったが、不意にシルバの視界の端で何やら動いた。
 それに、先に気付いたのはチシャだった。
「み、右の部屋の奥に、オーガスパイダーです!」
 そのモンスターは第五層にも出現していたらしく、シルバも情報だけは知っていた。体力はそれほどでもないが、素早い動きと放たれる粘糸、それに麻痺効果のある毒針が脅威とされている。
「何だと……!?」
 部屋にいた最後のモンスター、石像番人を相手にしていたカーヴは、どこか焦った様子で剣を振るうのを止め、右を見た。
 そしてそのまま、魔力球でオーガスパイダーを最優先で破壊した。
 直後、ゴ……と鈍い音がし、カーヴの頬に石像番人の拳がめり込んでいた。
「…………」
 一瞬、部屋が静寂に包まれる。
「イテエな、コラ……」
 カーヴの手が、石像番人の手首を握り、そのまま力任せに粉砕した。
「死ね」
 振りかぶった両手剣が、切ると言うより叩き壊すといった勢いで、石像番人を脳天から破壊した。


「はー……」
 大きく息を吐き、カーヴは首をコキコキと鳴らした。
「っし、スッキリした」
 両手剣を地面に突き刺すと、彼はシルバ達に振り向いた。
「おい、仕事だ。補給タンク。さっさと回復掛けろ」
「……そもそも、必要ないんじゃないか? アンタ、回復魔法も使えるだろ」
 言いながらも、シルバは{回復/ヒルタン}をカーヴに掛ける。
 もっとも、目立つ傷でもほとんど皮一枚程度の浅手だ。魔力の無駄じゃないかとすら思えるシルバだった。
「くくく……馬鹿かテメエ。いくら俺様でも、魔力は有限だ。お前らがいるなら、その分、他に回せるだろうが」
 なるほど、とシルバは思った。
 カーヴの性格は明らかに攻めにある。
 自分やチシャが回復を担当するならば、それだけ攻撃魔法に重点を置く事が出来る。そういう事なのだろう。
 だが、それでもシルバは納得いかなかった。
 上機嫌な今の内がチャンスと、シルバは質問を試みる事にした。殴られたり蹴られたりするなら、その時はその時だ。
「それにしたって、デメリットが多すぎる。誘拐は重罪だ。この防具で俺が、恩に着ると思うのか?」
 シルバは、自分の持つ盾をかざした。
 だが、カーヴはそれを一笑に付した。
「それならそれで、別に構いやしねーのさ。どっちにしても無駄な事だからな」
「?」
 どうやらシルバの知らない何かを、まだカーヴは隠し持っているらしい。
 モンスターの死体や残骸の転がる部屋の隅に、両手剣を引き抜き、カーヴは近付いた。
「さて、と。お宝発見だ」
 四角い宝箱を見下ろすカーヴの背後に、シルバとチシャも近付く。
「まさか、盗賊技能まであるのか……」
「忍び足や気配消しは憶えたが、解錠はねーよ」
 それだけでも充分破格だ、とシルバは思った。
 となると、あと考えられる可能性があるのは、シルバかチシャに試させるか……もしくはこの男らしく豪快に、剣で破壊する可能性もあるか。
「第一ありゃ失敗の可能性があるから、信用出来ねー――{解鍵/ヒラゴマ}」
 印を切ったカーヴは、シルバの予想を裏切って解錠の魔法を使った。
 ……それから、部屋の中や死亡したモンスターを漁る作業を開始する。
 ネコババしたら殺すと脅されながら、シルバとチシャもカーヴを手伝った。
 ちょっとした小山と化した成果が部屋の中央に積まれ、その前にカーヴは胡座をかいた。
 そして無造作に掴んでは、それの選定を開始する。
「ふん……コイツは俺様、これも俺様、これとこれとこれとこれとこれも俺様。よし、コイツはくれてやる。こっちは呪われてるがいるか?」
「いらねえよ」
 その大半はカーヴが自分の手元に、それでも十数ある宝石や護符、アイテム類がシルバとチシャの前に放り投げられる。
 それらはシルバ達の装備を一新するのに充分な量と質だった。
 身体を強化する効能のある木の実や種は、その場で全部、カーヴが一人で食べてしまう。
 装備類は後で回収するつもりなのだろう。
 おそらく本来は天井裏だったはずの床下に、特に良いモノだけを隠してしまう。残った分は、シルバ達の好きにして良いという事になった。
「さて、と……」
 カーヴは軽く息を吐くと、暗くなっている奥の通路を見た。
「……もう少し奥までいけるな。テメエら、ちゃんとついて来いよ。後、お前は死んでも、そっちの女だけはしっかり守っとけ」
 ……シルバの背後で、チシャは小さく震えていた。


 ――時間は半日ほど遡る。


 シルバを迎えにアパートを訪れたキキョウとリフは、既に彼が部屋を出た事を知り、精神共有での連絡を試みた。
 だが、それも通じず、シルバの師匠である白い司教、ストア・カプリスを尋ねる事にした。
 ギルド本部は記念式典の準備で忙しく、職員を始め、教会関係者や工務を職にしているガタイのいい男達が忙しなく行き来している。
 そんな建物の中にある、連絡用金管だらけの放送室。
 本当に手が離せないようならすぐにでも退散するつもりだったが、割とあっさりお目通りが適い、二人は応接用のソファでストアと向き合った。
「突然、念話が途切れてしまったんですよ……困りました」
 珍しく困った顔で、ストアは小さく溜め息をついていた。
「それから、行方不明と」
 キキョウの問いに、ストアは頷いた。
「そうなんです。それで、ナツメさん達にロッ君とハリーちゃんを捜して欲しいんですけど……こちらは今、とても忙しい状況なので、お願い出来ますか?」
 当然、とばかりにキキョウとリフは立ち上がった。
「無論、その依頼引き受けましょう!」
「に!」
「お願いしますね。」
 にっこりと微笑むストアから、シルバとチシャの捜索を頼まれた二人であった。


 廊下を足早に駆け歩きながら、キキョウとリフは相談する。
 時々すれ違う職員が、疾風のように駆け抜けていく二人を何事かと振り返っていた。
「……という訳で、探す事になったのだが」
「にぅ……二人はちょっと厳しい」
「であるな。もうちょっと人手が欲しい。そちらは某が担当しよう。リフは誰か目撃者はいなかったか、情報収集を頼む」
「に!」
 廊下が分かれ道になり、二人は二手に分かれた。


 ものの数分もしない内に、キキョウは仲間の一人と合流する羽目になった。
「タイラン!?」
 大きな甲冑姿の彼女は、式典の舞台設営の手伝いをしていた。
 設営自体は終了しており、大工達は舞台の裏手で不必要になった資材の片付けを行なっている。
「あ、キキョウさん……お、おはようございます」
 長く太い木材を抱えたまま、ぺこりとお辞儀をする。
「うむ。……しかし、何故にこのような場所で働いておるのだ?」
「その……何だか、ヒイロが、表彰される第五層突破パーティーに興味があるみたいで、一緒に式典を見ようという話になりまして……朝一で観覧席のチケットを取りに並んでいたんです」
「そのヒイロは見あたらぬが……?」
 周囲にいるのは、汗の光るマッチョな大工ばかりである。
「何だか、そこのパーティーのリーダーが欠席という話を聞いて、やけ食いに走りました」
「…………」
 相変わらず自由奔放な奴だなあ、というのがキキョウの感想であった。
「わ、私の方は、何だか準備に教会の人がいるみたいですし……もしかしたら、シルバさんも手伝ってるかなと思って……気がついたら、ここの現場監督さんに、仕事を振られてました」
 タイランはタイランで、流されすぎる。
「……そのシルバ殿が失踪しているのだ。現場監督とやらには某が話をつけておくので、探すのを手伝ってくれ」
「し、失踪……!? わ、分かりました。お手伝いします」
「某は、ヒイロを捜してくる」
「多分、屋台通りの方にいると思います」
「うむ、某もそんな気がしていた所だ」


 青空に、パンパンと小さな花火の音が鳴り響く。
 ギルド本部の前には、何十もの屋台が並び、既に人でごった返していた。
 そんな中でも、キキョウは仲間を見つけるのはそれほど難しくなかった。
「……ヒイロ、何だその量は」
 何故なら、ヒイロは両手に大量の食べ物を抱えていたからだ。
「んぅー……残念無念だほへー」
 浮かない顔で、イカ焼を囓るヒイロであった。
「モノを食べながら喋るんじゃない。歩くんじゃない。行儀が悪いぞ」
 ヒイロは、口の中のモノを呑み込んだ。
「やけ食いだよう。せっかくさー、カーヴ・ハマーを生で拝めると思ったのにー。朝一で並んで一般席確保したのにー」
 つまり、ヒイロは『グレート・ハマー』というパーティーではなく、カーヴ・ハマーに拘りがあるようだった。
 何だかキキョウはそれが気になった。
「某はそれほど階層突破に思い入れがないので、よく分からぬ。そんなにそのカーヴという男はすごいのか?」
「階層突破云々は、ボクもよく分からないよ。キキョウさんよりも、この都市の滞在時間は長くないもん。カーヴ・ハマーはね、闘技場のチャンピオンなんだよ」
「チャンピオン?」
「うん。大陸南東部に小さい国があってね。クリスブレイズっていう基本的にマイナーな国なんだけど、一部では有名。観光業っていうか、その国の主な収入が闘技場での見せ物なんだよ」
「かのパーティーのリーダーが、そこのチャンピオンだと言うのか」
「うん。クリスブレイズには闘技場は複数あって、年がら年中、剣闘士やら拳闘士がやり合ってるんだけどね、その中でも一番大きいイベントが四年に一度ある、王城『ケインカッツェ決闘城』でのトーナメント御前試合。その前回優勝者だよ」
「……詳しいな、ヒイロ。まさかお主も参加していたというのではないだろうな」
 ありえそうな話である。
「いやいや、大会には出てないよ」
「『には』か……つまり、滞在はしていたという事か」
「うん。ここに来る前には、そっちで稼いでたからねー」
「初耳だぞ?」
「うん、聞かれてないから」
「……それよりも、シルバ殿とチシャの捜索だ」
「ん? どゆ事?」
 キキョウはヒイロに、事情を説明した。
「ヒイロはチシャの仲間達に声を掛けてくれ」
「あいあいさっ!」
 そしてキキョウはギルド本部を離れ、人気の少ない高級住宅地を目指した。


 カナリーの屋敷。
 執事に案内され、キキョウは身支度を整えたカナリーと対面した。
 ソファに身体を沈めたカナリーは、眠たげにしながらもキキョウの話を聞き終えた。
「……シルバが職場放棄するとは考えにくいね」
「であろう?」
「しかし祭の陽気に当てられ、チシャとデートに出ているかも」
「な、ななな、そのような事はないと、某は信じている!」
 立ち上がるキキョウに、カナリーは眼を細めながら、金髪をくるくると指で弄ぶ。
「ま、その辺は僕もね。……やれやれ。吸血鬼にとってはとっくに就寝時間なんだが……んー……」
 しばし考え、カナリーは紅眼を開いた。
「シルバの最後の連絡は、倉庫の整理を終えての移動中。チシャは第五層突破パーティーである『グレート・ハマー』に飲み物を出しに行っていた。前者はタイランが調べているだろうから、僕は後者の聞き込みに当たった方がいいね」
「『グレート・ハマー』は、何やら緊張しているので、面会お断りとか言われたのだが……」
 ふ、とカナリーは笑った。
「貴族の挨拶ってのは、冒険者は割と断らないモノだろう? そういうコネは大事にするものさ。何、世間話がてら、聞いてみるよ」
「うむ、よろしく頼む」


 最後にキキョウは、大通りに戻ると、『シュテルン便利事務所』と看板の掛かった建物に入った。
 だが、所長であるクロエ・シュテルンは留守のようだった。
 代わりにいたのは、金髪の生意気そうな子供と、ボーイッシュな軽装の盗賊娘である。
「っちゃー、間が悪いなぁ」
 子供――カートンは、小さな手で自分の額を叩いた。
 それに対して盗賊娘、シンジュ・フヤノも残念そうに頷いた。
「だぁね。所長なら大きい仕事が入ってて、留守なのさー」
「大きい仕事とは?」
「ないしょ♪ 今晩か明日には戻るっぽいスケジュールみたいだけどね」
「ま、いないモンはしょうがねーよ。とにかくシルバを探しゃいいんだな?」
 椅子から身軽に飛び下り、テーストは子供用コートを羽織った。
 一方のシンジュは、懐から竹製の計算機を取り出した。
「それでキキョウ、報酬は?」
 ジェント製、算盤である。
「ぬ、う……か、金が要るのか」
 慌てて、カートンは二人の間に割り込んだ。
「待て待て待て。コイツの言う事を真に受けるな」
「えー、だってこれ一応依頼じゃん? 報酬は正当な対価だと思うし!」
「やっかましい。んじゃ今度、飯奢ってくれ」
「分かった。それぐらいなら、文句はない」
「食べまくるよ!」
「ヒイロが二人に増えるのか……」
 頭を抱えるキキョウに、カートンは肩を竦めてみせた。
「ま、何か分かったら、教会の司教様にでも伝えておくよ」


 そしてキキョウはリフと合流する為、盗賊ギルドがある酒場……の横の空き地に入った。
 猫に囲まれているリフを、発見したからだ。
 仔猫もいれば大人の猫もいる。野良猫も飼い猫も区別なしだ。
「……リフ、その、お前のファンのような猫達は、一体何だ」
「に。きょうりょくしゃ」
 リフから提供されたらしい焼き魚を一心不乱に頬張っていた猫たちが、一斉に顔を上げた。
「にゃー」「みー」「なー」
「……それで、何か分かったか?」
「に。墜落殿のほうがくに屋上を跳び駆ける巨漢のもくげき証言」
「にぅ!」
 報告者(?)らしき猫が、威勢よく鳴いた。
「……シルバ殿達ではないのか」
「にぅ……二人かかえてたっぽい」
「にゃ!」
「その二人というのは、この二人か!」
 キキョウは、ここに来る途中、クロエの事務所で描かせてもらったシルバとチシャの人相書きを猫達に見せた。
「…………」
 リフもジッと、その人相書きを見、猫達に視線を向けた。
「にぅー」「なう」「みゃー」
 鳴き声がやむと、リフはチシャの人相書きを指差した。
「こっちはいた」
 そしてシルバの人相書きに、微妙に眉を下げた。
「……こんなに美形じゃないけど、よく似た人だったって言ってる」
「……に、似てないだろうか?」
「にぅ……」
 リフは、自信なさげに耳を倒した。


 キキョウとリフは、パーティーの仲間と合流し、教会の屋上へと続く階段を駆け上がっていた。
 『グレート・ハマー』の面々は、カナリーの印象ではどうも何かを隠しているようだったという。
「もう少し、問い詰めた方がよかったのではないか?」
「今はもう式典の真っ最中だ。あれをぶち壊す訳にはいかないだろう。……ああ、もう少しゆっくり頼む。……日が昇っている間の運動は辛いんだ」
 カナリーの足のペースは、パーティーの中で最も遅い。
 吸血鬼に昼間から、長い階段を登れと言うのも酷な話である。
「某は別に式典を壊しても構わぬが」
「警備の者に、追い出されるのが関の山だよ。それなら、掠った者を追った方が良い」
 情報を集めた結果、キキョウ達は、カーヴ・ハマーという男がシルバとチシャを連れ去ったという結論に達している。
 彼が式典に出ない理由は、第六層の調査に一足先に出向いたからだという。という事は、二人もそこにいるという事だ。
 もしやと思って、リフにシルバのアパートの鍵を開けさせてみると、装備一式は部屋に置いたままになっていた。
 つまり装備も無しに、未知の階層に彼らは連れて行かれた事になる。
 全員探索の準備を整え、シルバの装備もタイランが荷物入れに預かっていた。
「分からないなぁ。何で、カーヴ・ハマーは二人を掠ったのかなぁ」
「そ、そりゃ、一人で突入なんて、危険だからじゃないでしょうか……?」
 腑に落ちない、というヒイロに、後ろから追いかけるタイランが答える。
「はぁ……『グレート・ハマー』の回復役は……ふぅ……現在入院中らしいしね。回復要員として連れて行ったのか……?」
 カナリーは、壁に手を突きながら、自分の考えを述べた。
 ヒイロは振り返ると、後ろ歩きで階段を登っていく。
「でも、カーヴ・ハマー、回復使えるよ?」
「ぜは……はぁ……そう、……なのか? やはり詳しいね、ヒイロ……」
「えへん。みんなよりは多少ね」
「なら……ひぃ……ふぅ……もうちょっと詳しく……教えてくれないかい? もしかしたら……相手取る可能性がある。敵になるなら……はぁ……情報は多い方が良い」
「むぅ……アレを相手にするのかぁ……」
 うーん、とヒイロは難しい顔をして、腕を組んだ。
 そしてそのまま、カナリーを見下ろす。
「カナリー、そろそろ担いだ方が良い?」
「……いや、結構。もうちょっとの……辛抱だし……」
「闘技場時代で分かってる範囲なら、カーヴ・ハマーは元々は剣奴隷でね。彼を買った貴族の、お気に入りだったらしいよ」
「貴族の……名前は?」
「んと、ルシ……るしたるの? ごめん、そういうのはよく憶えてないよ」
「ルシ……タルノ? ふぅ……聞かない名前だ……。はぁ……少なくとも……パル帝国の貴族じゃないね……」
「あ、あの……」
 重い足音を響かせながら、タイランが変わらぬペースで階段を登る。
 そのまま、遠慮がちに手を挙げた。
「……今は、その辺の背景よりはむしろ、実力の方が重要なんじゃないでしょうか」
「確かにな。そっちも、ヒイロが詳しいだろう」
 キキョウが促すと、ヒイロは石造りの天井を見上げ、思い出しながら口を開いた。
「得意武器は両手剣。でも、槍や槌も使いこなすよ。攻撃性格は野性的な攻めの一辺倒で肉を切らせて骨を断つ事もザラ。得意なのは乱戦かな。動きが速くて、一度に二、三人まとめて倒しちゃう勢いなもんだから、危なすぎてむしろ味方も近付かないぐらい。で、厄介な事に、魔法も使いこなす。攻撃系と回復系の両方ね」
「回復術を持っているなら、シルバ殿やチシャは必要ないのではないか……?」
「それはどっかなー。自分回復させるぐらいなら攻撃魔法を一発でも多くってタイプだし」
「はぁ……だが……それにしたって……はぁ……人二人掠うのは……ふぅ……リスクが高すぎるだろうに……」
「何か、考えがあるのだろうか」
「もしくは……何も考えていない可能性もあるね……イケイケで攻めの一辺倒、ね……」
 カナリーが顔を上げる。
 ふと何か思い至ったモノでもあるのか、タイランも。
 そして上からはリフがキキョウと一緒に、ヒイロを見ていた。
「え? 何でみんなボク見て、納得してるの?」
「あ、いえ、その……」
 タイランが目を逸らし、どこかみんな気まずそうに顔を伏せた。
「……深い意味はないんだ」
 ヒイロは特に気がついた様子はない。
「そっか。ところで何でボク達、鐘楼に向かってるのかな?」
 答えたのはリフだ。
「に……通りはお祭りでヒト、多い」
「なるほど。ボク達も、屋上を跳び駆けるって事か」
「む、無理ですよ!? 私、そんなアクロバティックな真似……」
 重甲冑を着込んだタイランは、ぶんぶんと首を振った。
「僕も……昼間は……ちょっと無理かな」
 体力の限界に来つつあるカナリーであった。
「に。大丈夫」
 リフは、屋上の扉を開いた。


 教会の屋上にいたのは、5メルトを超える巨大な白い獣だった。
 長い二本の牙が特徴的な、剣牙虎だ。
「来たか」
「フィリオさん!?」
 タイランが目を剥く。
 リフの父親、フィリオであった。
 彼は身を屈めた。
「乗るがよい。人同士の諍いに絡む気はないが、姫の頼みだ。迷宮への運搬ぐらいはしてやろう」
「にぅ……父上、ありがと」
「うむ、よいのだよいのだ。だが、気を付けるのだぞ、姫。何かあればすぐに我を呼ぶがよい」
「に」
「フィリオ殿、よろしくお願いいたす」
 深く頭を下げると、キキョウは身軽に跳躍し、フィリオの背に乗った。リフもそれに続く。
「よいしょっと」
 キキョウやリフほどではないが、ヒイロも骨剣を背負い、フィリオの身体をよじ登る。
 一方タイランは途方に暮れていた。
「わ、私はどうすれば……」
「ふむ」
 フィリオは首を傾けると、タイランの胴を囓った。
 そしてそのまま勢いよく首を持ち上げる。
「わひゃ……っ!?」
 軽く宙に浮いたタイランが、そのままフィリオの背中に落っこちた。
 残ったのは、息を整えているカナリーだ。
「に、カナリー早く」
「う、うん。どうにもこういう運動は苦手だな……」
「お前も、鎧の者と同じように持ち上げられたいか」
「け、結構……!」
 無様にならない程度の身のこなしで、カナリーもヒイロを真似て、フィリオの身体をよじ登る。
「……猫はあまり好きではないんだけどなぁ」
「我を猫と一緒にするな、吸血鬼。では、ゆくぞ……っ!」
 グワ、とフィリオの身体が持ち上がったかと思うと、大きく跳躍した。
 疾風の勢いで、墜落殿のある方角へと突き進んでいく。
 大通りでは、パレードが行なわれ、左右を観客が見物に連なっている。その内の何人かが、あんぐりと口を開いて、フィリオを目撃していた。


 後に都市伝説となる、『祭の日になると、巨大な白き獣がアーミゼストの屋上を駆け抜ける』の元ネタがこれであった。


 墜落殿は基本、地下である。
 その事実は変わらない。
 だが、これまでの階層のように、ほぼ全部が石造りではなく、三割ぐらい土の地面なのは、シルバにとって新鮮だった。
 それもあるが、今のシルバの興味を引いているのは、別の事だった。
 立ち止まると、専攻しているカーヴが岩を投げてくるので足は休めないが、幸いこの辺りにはモンスターもおらず、情報収集にシルバの頭脳は忙しい。
「どっかで見た事あるんだよなぁ……」
 メモをした文字を眺めながら、シルバは首を傾げていた。
 通りすがりに、ふと目についた文字だ。それほど長くはなかったので、とっさにメモに書き記しておいた。
「今の表札ですか?」
 チシャの質問に、シルバは唸る。
「ああ。でも、どこだか思い出せない。っていうか古代文字なんて目にする機会なんてそうそうないはずだから、憶えてても良さそうなものなんだけどな」
 むー、とシルバはそのメモを睨んだ。
 出来れば、建物の中に入って調べたかったが、今のシルバには自由がない。
「あの、あんまりそちらに集中ばかりしていると」
 また、カーヴか? と思ったら、不意に身体がつんのめった。
「うわっ」
 かろうじて、転倒は避ける事が出来た。
 土の地面に、足を取られたらしい。
「あ、危ないって言おうとした矢先だったんです。この辺りは、地面が荒れていますから。でも……荒れている所とそうでない所の差が激しいですね」
 チシャは左右に目をやった。
「ああ。この層から多分、外になってたんだろうな」
「外?」
「墜落殿は、古代の天空都市が墜落して出来た遺跡だ。ひっくり返った形でな。でまあ造りとしては深い二枚の皿を互いに重ね合わせたような感じと思えばいい」
「はぁ……」
 そうすると、円盤状になる。実際はもう少し上下に幅があったかもしれない。
「上の表層部が剥き出しの居住区で、当然上には空と太陽があった……と思う」
 あ、とチシャも気がついたようだ。
「それがひっくり返ると……家の中の方は整備された通路になって、この剥き出しの土の部分は……」
「本来は、外になっていた部分なんだろうな。それよりチシャ、荷物大丈夫か」
「へ、平気です」
 カーヴから与えられている、宝箱やモンスターからの奪った財宝は二人ともかなりの量になっていた。もっともマジックアイテムの類はほとんど配分されない辺り、カーヴも計算していると見える。
 大半はカーヴが持って行くとはいえ、この探索一回でチシャがこれまで潜ってきた探索の総回数よりも多くの成果ではないだろうか。
 荷物が増えれば増えるほど、足が重くなるのは事実だ。かと言って、これだけの額の財を捨てるのにも、相当な覚悟がいるだろう。
「惜しいのは分かるけど、逃げる時は軽い方が良いから」
「は、はい」
「どっかに隠せればいいんだけどなぁ……」
 シルバはボヤきながら、天井を仰いだ。
「それにしても……ある意味、壮観だな」
 ここは大通りなのだろうか。
 廊下の幅は広く、天井もこれまでになく高い。
 大型のモンスターが暴れても、不自由はしないだろう。
「……ですね。こんな広くて高い通路、初めてです」
「おい! モタモタしてんじゃねーよ!」
 怒鳴り声を上げるカーヴは、地面から突如出現した大ミミズ・ブラッドワームを両手剣で切断していた。
 その頭部が、シルバ達の目の前に転がってくる。
「……そして、あの男の暴れっぷりも、尋常じゃない」
「そ、そうですね」
 血の臭いに釣られたか、空から左右の建物から、モンスターが出現する。
 シルバ達も走り、カーヴと距離を詰めた。何だかんだで、現状一番安全なのは、彼の傍なのだ。
「今の所、使えそうなのは三体ぐらいか」
 シルバは、増えつつあるモンスターの被害を眺め、呟いた。
 そのほとんどがもう、カーヴに仕留められているが、一部のモンスターはまだ息がある。
「え?」
 キョトンとするチシャに構わず、シルバは思考に没頭していた。
「つってもなー、戦闘力にいまいち不安が残るし、もうちょっと苦戦してくれるような相手じゃねーとなぁ……」
「な、何の話ですか?」
「ん? あー」
 説明しようとして顔を上げたシルバの正面に、巨大な石造りの壁があった。
「つか何だこれ!?」
 その壁はやや婉曲していた。
 天井まで届いているので行き止まりかと思ったら、所々に窓らしきものが見受けられる。
 カーヴを先頭としたこの臨時パーティーの前にも、人が通れるほどの四角い穴が空いていた。
「な、何かの入り口……でしょうか?」
「ハッ、どうだろうな。だが、こうして立ち止まっててもしょうがねえ。今日の探索はここを調べたら終了だ。入るぜ」
 恐れる様子もなく、カーヴは暗い穴に入っていく。
「……妙に懐かしい気配がしやがる」
 何だか妙に嬉しそうだった。
 シルバとチシャも顔を見合わせ、彼についていった。
 しばらくまっすぐに進むと、魔法光によるものか、明るい空間に出た。
 一見すると、円形の広場だ。
 天井はドーム状になっており、シルバ達はちょうど天井と地面の中間ぐらいの穴からそれを覗き込んでいる。地面――底まではかなりの深さがある。
 その中央にも円形の広場がある。その周囲は座席だったらしく、長椅子の形になった石壁が無数に連なっていた。
 それを上下ひっくり返してみると、すぐにこの建物の正体が分かった。
「コイツは……闘技場?」
「だな」
 鈎付きロープをシルバの足下に放り投げると、ひょい、と無造作にカーヴは飛び下りた。
「っておい!?」
 建物にして、五階分はあろうかという高さを落ちたにも関わらず、カーヴはダメージを受けた様子もなく、スタスタと先に進んでしまう。
「わ、私達も飛び下りるべきでしょうか?」
 チシャが困ったように言い、シルバは首を振った。
「普通に死ぬから。あと、ネイト。この距離なら出ても大丈夫だぞ」
 スッと、シルバの方にネイトが出現する。
「やれやれ、あの男は僕とシルバの間を妨げる。実に厄介だな」
「俺とお前の間はともかく、だ」
「ともかくではないぞ、とても重要な事だ。シルバとコミュニケーションが取れない人生など、出汁のないスープも同然」
「飲めない事もないな」
「このスープは出来損ないだよ。シェフを呼べ。僕は断じて認めない」
 そんな二人のやり取りに、口元をチシャが綻ばせる。
「くすっ……」
「何だよ、チシャ」
「い、いえ、仲がいいんですね、二人とも」
「そんな事はない」「らぶらぶだ」
「そ、それよりそろそろ降りた方がいいんじゃないでしょうか」
「もしくは逃げるか」
 ネイトが、背後の通路を振り返る。
「……逃げられると思う距離まで、アイツが俺達を放っておくと思うか」
「ないね。それとは別に、シルバやチシャ君が放っておけない事情が生じている」
 ネイトが広場の先をスッと指差した。
 そこには、ポツンと一人の女性が立っていた。その周囲にも、倒れている冒険者が四人ほど。
「……! 人がいます!」
「うお、マジだ!?」
 シルバはロープを拾うと、下りる準備をした。


 苦労しながら不安定なロープを降り、シルバは周囲を見渡した。
 自分達が来た方角に、やはり同じような四角い穴があった。
「通路はある……」
「……が、通れるとは限らないね」
 そう、中がどうなっているか分からない。
 墜落殿が落下した時に、廊下が潰されている可能性も高いのだ。だが、そうでないかもしれない。
「くそ。いや、それよりも」
 チシャが降りるのを手伝い、シルバはカーヴを追った。
 ネイトは完全に気配を断つ。
 広場のあちこちに、古びた剣や槍、盾が散らばっている。もっとも、古すぎてどれもほとんど使い物にならないが。
 カーヴは、両手剣を抜き、既に臨戦態勢に入っていた。
「いい女じゃねーか……」
 彼らの前にいたのは、胸と腰に粗末な布を巻いているだけの女性だった。
 いや、少女と言ってもいい若さだ。
 腰程まである黒い髪に、無機質だが黒目の大きな瞳。
 透けるように白い肌には、赤い滴が滴っている。
 それを見たチシャが一歩踏み出そうとするのを、シルバは手で制する。
「チシャ、それ以上近付くな」
「え?」
「あれは、返り血だ」
 周りの冒険者達が、苦悶の声を上げている。
 おそらく、少女の浴びた血は、彼らのものだろう。
 ……そういえば、斥候がどうとか、言っていたような気がする。という事は偵察に先行していた彼らなのだろうか。
 それとは別に、シルバはここに来る途中、気になっていた表札を思い出していた。
 見覚えがあったのは、石板に刻まれた文字だ。
 文字の刻み手は、人造の奴隷を造っていた。
 その目的は日常の世話と娯楽用として造られたモノだ。
「……俺はこの気配を知ってる。畜生、そうだよ娯楽用――闘技場だ。アレは、アイツと同種の奴だ」
 少女が手をスッと手をカーヴ達に向けた。
 その手から低い音が鳴っているのに気づき、シルバは印を切った。
「{大盾/ラシルド}!」
 直後、カーヴは凄まじい速度で右に回避、シルバ達は魔力障壁で少女の右手から放たれた目に見えない『何か』を受け止めた。
「衝撃波っ!?」
 突風に暴れる髪を押さえながら、チシャは何とか足を踏ん張った。
 かろうじて、シルバも立っていられるが、かなりきつい。
 ともあれ、目の前の彼女がシルバの考えている通りの相手なら、相当にまずい。
「ヤバイぞ、戦闘用人造人間だ!!」
 シルバは叫んでいた。


 黒髪の人造人間は、この中で誰が一番戦力が高いかを即座に見抜いたようだ。
 持ち上げた腕を、回り込んだカーヴに向ける。
 衝撃波の渦が生じ、手の平から肘までを包み込む。
 何らの躊躇もなく破壊の衝撃が、カーヴに放たれた。
 だが。
「威力が弱ぇっ!!」
 カーヴは衝撃波そのモノを両断し、人造人間に迫る。
「んな攻撃、初見で見切れんだよ!」
 放射状に放出される衝撃波は、見た目より遥かに威力が弱い。
 それは、{大盾/ラシルド}で攻撃を受け止めた司祭の具合を見て、カーヴも大体理解出来ていた。
 ならば、とカーヴはその腕そのモノに狙いを定めた。
 勢いよく、カーブの剣が振り下ろされる。
「っ!?」
 鈍い音がして、カーヴの刃は腕に食い込んでいた。
 骨が強いのか……いや、それ以前に皮膚だ。皮膚そのモノも強化されていて、刃を通さないようにしているのだ。
 そして岩をも持ち上げるカーヴの腕力を考えれば、骨もまともなモノではないだろう。
「刃が、通らねえ……っ!」
 一旦退こうとしたカーヴだったが、それよりも人造人間の細い指が太い刃を握る方が早かった。
 低い音がし、刃が粉微塵に砕け散る。
 チッと舌打ちして、カーヴは距離を取った。
 手の中にある両手剣はもう既に武器の体を成していない。
「……それなりに、高かったんだがな-、この剣」
 それを捨て去り、印を切る。
 刃が刺さったはずの人造人間の腕には、うっすらと線のような痣が残っただけで、それもすぐに消えてしまった。
「なら、コイツでどうだ!」
 カーヴの周囲に四つの魔力光が出現したかと思うと、それが特大の弾丸となって人造人間に襲いかかる。
 人造人間は防御――すらせずに、カーヴとの間合いを詰めてきた。
「な――」
 魔法を放ったばかりのカーヴはさすがに無防備だ。
 伸ばされた細い腕を回避するので、精一杯だった。
「こっちの攻撃、おかまいなしかよ!」
 人造人間は、ただ無表情に、カーヴと相対する。


 互いの魔法と衝撃波が炸裂し、瓦礫が嵐のように乱舞する。
 シルバとチシャは、そんな彼らの戦いを間近に見ながら、何とか倒れている冒険者達に近付いていた。
「……後退を知らない豆戦車。ヒイロのアッパーバージョンだな、ありゃ。名前は色白だし、とりあえずシーラ(白)とでもしとくか」
「あ、あのシルバ様、そんなのんきな。……それに髪は黒いですけど?」
「クロだと、クロエと被るんだ」
 『クロ』が付く名前の人間が、これ以上増えても困るのだ。
 と言っても、心当たりのもう一人はもうこの世界にはいないはずだが。
 まあ、白だと先生と被るんだけどな、と内心ぼやく。
「……気を利かせてくれるのは有り難いですけど……起こしてくれると助かります」
 俯せになった全身黒尽めの冒険者が、呻き声を上げた。
 シーラにやられたのだろう、他の冒険者達と同様、ボロボロになっている。
 血の滲んだ身体をシルバが抱き起こすと、何だか見知った顔の美少女だった。
「ってクロエかよ!? 精神共有で繋いでくれたらよかったのに! いや、そもそも、どうしてこっちの念波が反応しなかったんだ!?」
「……そもそも……シルバがこんな所にいるなんて、思いませんでしたから。それにこちらも……それどころでは……」
 かろうじて声は出せるが、動けるほどの体力があるようには思えない。
 それでも、ピクリとも動かない他の連中よりはマシかもしれない。
 なんて考えていたら、カーヴとシーラの戦闘が近付いてきていた。
「邪魔だ、どけ糞ガキ!」
 このままだと、二人の足がシルバやチシャ、冒険者達を蹴り飛ばしてしまう。
 シルバは息を吸い込んだ。
「お前らこそ邪魔だ! どけっ!」
 肺活量をフルに使ったシルバの一喝が、至近に迫ったカーヴとシーラを左右に分かつ。
「ひぅっ!?」
 シルバの傍らにいたチシャも、ぺたんと尻餅をついてしまっていた。
 衝撃波にも劣らないその声量は、シルバを中心とした円状に瓦礫を吹き飛ばしていた。
「こ、この糞ガキ……!」
 自分が動揺したのが許せないのだろう、カーヴはシルバをにらみ付けながら、ブルブルと拳を振るわせていた。
 だがシルバは動じる様子もなく、印を切った。
「余所見してて良いのか。――{大盾/ラシルド}」
 その途端、カーヴの前面に透明な魔力障壁が生じる。
 直後、シーラの衝撃波がカーヴを襲う。
「う、お……っ」
 当然ながら、カーヴは無傷だ。
 衝撃波を放ったシーラは、戦っている相手、カーヴではなくシルバを見ていた。
 だがすぐにカーヴに標的を戻すと距離を詰め、衝撃波を纏った拳で彼を殴りつけようとする。その速度は、カーヴにも些かも劣っていない。
 どんどんと攻めるシーラのお陰で、二人は次第にシルバ達から遠ざかっていく。
「向こうの方が冷静じゃねーか、タコ」
 戦闘を再開したカーヴ達を見届けながら、シルバは毒づいた。
「ど、どうして襲われなかったんでしょう」
 チシャが首を傾げる。
「多分、戦力外って見做されたんじゃないか? 今一番の脅威は、何だかんだであの男だからな。俺達を襲おうとしたら、アイツが横から攻撃してくるのは分かりきってる。とにかく、倒れてる冒険者の治療だ」
「は、はい」
「まずはクロエに{回復/ヒルタン}」
 印を切り、クロエの胸に当てた手が青い聖光を生じる。
 脂汗をかいていたクロエの表情が、少しずつ和らいでいく。
 シルバはそのまま、チシャが身体を仰向けにしていく冒険者達を見た。
「つかクロエ以外は、{復活/ヤリナス}がいるな……」
 そして動けない状態にある戦闘不能者の意識と活力を引き上げるこの魔法は、複数を同時には使えない。
「わ、私はまだ使えません」
「俺がもう一人やるからクロエ、二人頼む。チシャは起きた人の体力の底上げをしてくれ」
「分かりました」
「は、はい」
 闘技場のやや離れた場所で、破壊音と共に濛々とした埃が巻き起こる。
 そしてその破壊跡から、全身に浅傷を作ったカーヴといまだに無傷のシーラが飛び出てきた。
「衝撃波の威力が弱いのが難点か……でも、それなら」
 シルバは周囲を見渡し、地面に突き立った金属製のやや太い棒に視線をやった。


 地面に転がっていた武器をいつの間にか拾ったのだろう、カーヴは鉄塊のような棍棒を振るっていた。
「こいつで、どうだ!」
 その棍棒が、シーラの膝を直撃する。
 狙いは関節だ。
 しかしそれすらも特に効いた様子もなく、同じペースで距離を詰めてくる。
「これでも動くかよ。いい加減、鬱陶しくなってきたな」
 印を切り、常時体力を回復し続ける祝福魔法{再生/リライフ}を唱える。魔力は消耗するが、マジックポーションぐらいは持っている。
 それよりも、とカーヴは額の汗を握った。
 とにかくシーラの表情が変わらないのが不気味だった。
 どれだけ自分の攻撃が聞いているのか、分からないのだ。
 人間なら苦しげな顔をするし、獣でも咆哮を上げる。無生物系のモンスターでも、それなりの感触が分かるというモノだ。
 それが、目の前の女には一切ない。
 こんな相手は、戦中でも闘技場時代でも冒険者になってからも、出遭った事がなかった。
 シーラとの距離はもう少し、しかし防御は性に合わない。
 迎撃しようと拳を固めるカーヴの前で、シーラが急加速した。
「っ……!?」
 裸足からの衝撃波。
 噴射のように噴き出したそれが、シーラに超加速を可能とさせたのだ。
 それまでのスピードに慣れていたカーヴの目は、一瞬、その動きについていけなかった。
 直後、カーヴは腹部から強烈な痛みと衝撃を感じ、喀血した。
「がふぁ……っ!!」
 なるほど、遠距離なら分散される衝撃波も、相手に直に触れれば関係ない。その強力な破壊の衝撃が、ダイレクトに身体に叩き込まれてしまう。
 ――だが、これで勝機が見えた。
 唇の端から血を滴らせながらも不敵に笑うカーヴの顔面を、シーラの手が掴んでいた。
 カーヴの両足が浮き、衝撃波が直接顔面に叩き込まれる。
「がああああああ!!」
 カーヴは、初めて悲鳴を上げた。


 カーヴの不利に、チシャが慌てた声を上げる。
「シ、シルバさん! あ、でも武器ないですし……」
「おりゃ!」
 あたふたとするチシャの頭上を、何かが二つ飛んだ。
 続いて、重い物が落ちる音がする。
 チシャが振り返ると、カーヴはシーラの手から脱出していた。
 人造人間シーラの足下には、大きめの石ころと短剣が落ちていた。
「もうちょっとマシなモノを投げられないんですか、シルバ」
 呆れたように、クロエが言う。彼女が短剣を投げたのだろう。
「武器自体持ってないんだよ、俺は!?」
「そうでした」


 やれやれ、とシルバは、揃って立ち上がった冒険者達に尋ねた。
 揃いも揃って身軽な服装、クロエも含めて男女ともに二名ずつと言った所か。
 控え室でカーヴの仲間が言っていた、この階層を調査しに来た斥候班の連中なのだろう。
「で、アンタら、もう自力で動けるよな?」
「あ、ああ、礼を言う。カーヴ・ハマーとその仲間か。助かったよ」
 非常に不本意な解釈だった。
「……いや、仲間って訳じゃないんだが……まあ、いいや。それよりも――」
 ここが危険な場所なのはどんな阿呆でも分かるので、説明する時間も惜しい。
 むしろ、彼らが奥を見て、どこか焦った様子でいる方が気になった。こういう態度を取る理由でまず考えられるのは、一つだ。
「もしかして、まだ、仲間がいるのか?」
 答えたのは、クロエだ。
「いました。けど、後回しです。今は情報を持ち帰るのが最優先になります」
「み、見殺しですか!?」
 チシャが驚く。
「いえ、そうじゃないんです。しかし、説明している余裕は私達にはありません。それに」
 同じように動揺している仲間達を、クロエは見渡す。
「死んでいないのは、皆も分かっているでしょう? まだ、そちらには猶予はあるんです。なら、この階層の事を、上に伝える事が第一です。この戦力で進んでも、犬死にですからね」
「……厳しいんですね」
 途方に暮れたように呟くチシャに、クロエは苦笑する。
「階層が下になればなるほど、天秤の計算が早くなければならないんですよ」
 よし、とシルバは決断した。
「なら、三人はこの子を連れて逃げてくれ」
 チシャを、斥候達の前に出す。
「え?」
 ここでカーヴと自分達の事を、長々と説明もしていられない。
 まずは、彼女を逃がすのが、最優先だ。
「俺の方は、まだやり残した事があるんで。クロエだけ残ってくれると助かる」
「もちろんです」
 こういう時、阿吽の呼吸の分かる幼馴染みというのは有り難かった。
「で、ですけど……」
 困惑しているチシャに、シルバは精神共有を繋いだ。
(この連中と一緒なら、カーヴも迂闊な真似は出来ない。やろうとしても、俺が足止めする)
(しかし、それだとシルバ様が……)
(いや、勝算はあるから、大丈夫。それに、正直議論している余裕もないだろ)
 出来るだけ軽い調子で念話を飛ばし、シルバは斥候達に視線を向けた。
「斥候なら、煙玉みたいなの持ってないか?」
「あ、ああ、それなら俺のをやろう」
「あと、マジックポーションがあると助かる」
「それなら、アタシのと」
「オレので」
 シルバは、煙玉とマジックポーションを受け取った。
「わ、私のも使って下さい」
 チシャの差し出した聖印を、シルバは有り難く受け取った。
「助かる」
 そのまま中身を飲み干し、器だった聖印をチシャに返す。
 ひとまず、魔力の補充は出来た。
「それじゃ、気を付けて帰ってくれ」
 カーヴから手に入れた財宝は、シルバの分も合わせて四人に分けて運んでもらう事にした(分配などはチシャに任せる)。
 一番力のありそうな冒険者が、チシャを担ぐ。
 チシャに走らせるより、そっちの方がまだ早いのだろう。
 頭を下げる斥候や心配そうな顔のチシャに別れを告げ、シルバはクロエと一緒に、破壊の渦へと身を投じていった。
「……チシャを逃がしたから、すげえ怒ってるだろうなあ」
 はは、とシルバは引きつった笑いを浮かべた。


「テメエ、何勝手な事してやがる!?」
 相手から目を離さず、衝撃波を棍棒で弾きながら、カーヴが怒鳴る。
 シルバは平然としたモノだ。
「アンタにチシャを差し出す義理なんてないだろ。知人の貞操が危ないのが分かってるのに、見過ごせって方がどうかしてる」
「シルバ、私は良いのですか。野獣に身を捧げろと?」
 どうやらクロエも、カーヴにいい感情は持っていないようだった。
「いや、お前なら、まだ自力で逃げられそうだし。チシャには絶対無理なのは分かるだろう」
「……とりあえず、彼とシルバが味方同士じゃないのはよく分かりました」
 理解が早くて助かる、とシルバは思った。
 こういう時、幼馴染みというのはいいモノだ。
「まあいい」
 シーラと激しい打ち合いを繰り広げながら、カーヴは歯を剥いた。
「これが終わったら、二人で楽しませてもらう」
「……男も守備範囲ですか」
「違う!」
「勘弁してくれよ!?」
 クロエの言葉に、カーヴとシルバが同時に突っ込んだ。
「コイツと!」
 カーヴの回し蹴りが、シーラの側頭部に炸裂する。
 構わず衝撃波を纏った拳を振るおうとするシーラに、鉄塊のような棍棒が横振りの追い打ちを掛ける。
「お前だ女!」
 シーラは踏ん張った足を引きずりながら、1メルト程左に弾かれる。
 だが、汗もかかずシーラは再び、同じペースでカーヴに衝撃波を放った。狙いは本人ではなく、武器の方だ。
 虚を突かれ、危うくカーヴは武器を弾き飛ばされそうになった。
「……勝手な真似をした、テメエは殺す」
 荒い息を吐きながら棍棒を握り直す。誰の事を言っているのかは、考えるまでもない。
「そいつに勝てたらな。苦戦してるみたいじゃないか」
「手伝いは必要――」
 カーヴの突き出した手の平から巨大な火球が出現し、シーラに向かって放たれる。
 直後、カーヴは跳躍した。
「――ねえ!」
 火勢に一時的に視界を防がれたシーラは、頭上からの攻撃に対応出来ない。
 振り下ろされた棍棒を、脳天から食らった。
「どっちもタフですね」
「……うん、そこは認めざるを得ない」
 一瞬動きを止めたシーラだったが、すぐに復帰した。
 しかし、カーヴはその一瞬で充分だったようだ。
「オラ」
 カーヴの巨大な手の平が、シーラの剥き出しになっているお腹を掴んだ。
 次の瞬間。
「お返しだ!!」
 ズン……ッ、と恐ろしく鈍い音がした。
 カーヴの両足が地面にめり込み、放射線状の亀裂を作っていた。
 手の平から煙が生じ、何やら攻撃を食らったらしいシーラは、動きを止めていた。
 表情をそのままに、ガクンと力尽きる。
 何が起こったのか分からないシルバの横で、クロエが呟く。
「内功で攻めましたか」
「ナイコウ?」
「身体の内側。皮膚や骨にダメージを与えられなかったので、体内の気脈を刺激したんですよ。なまじ、外の殻が厚い分、ダメージも相当だったでしょう」
「ヒイロが使う気みたいなモンか」
「そう、そんな感じです」
 そういえばさっき、同じような攻撃をカーヴ自身が食らっていた。
 鍛え上げられた肉体でも、ダイレクトに衝撃波を与えられて相当に苦しかったはずだ。
 やり返した、という訳か。
「さすがにテメエも内臓までは、鍛え切れてなかったようだな……」
 肩で息をしながら、カーヴは倒れ込んだシーラを、脇に抱え込んだ。
 ……棍棒を肩に担ぐその姿は、何だかそのまま蛮族の山賊頭領のようだった。


 となると、次のターゲットは自分達だ。
(それにしても、お前がやられるなんてな……)
 精神共有で、シルバはクロエに念話を飛ばす。
(私一人ならまあ、何とかなったんですけどね)
(他の連中が足手まといだった、と。確かに、手強そうな相手ではあったけど、何人もいたんなら、分散するとかなかったのかよ。さっきの話だと、逃げた三人以外にもまだ奥に捕まってるのがいるんだろう?)
(分散はしたんですよ。ただ……)


 スイ……と巨大な棍棒が、シルバに突きつけられて、精神共有は切断されてしまう。
「相談は終わったか?」
「まだ、途中なんで待ってくれないか」
 シルバが言うと、にい、とカーヴは獣のような白い歯を剥き出しにした。
「嫌だね。テメエの言う事を聞く理由がねえ」
「奥に、まだ捕らわれている奴が何人もいるって話なんだがな」
「へえ……」
 カーヴは、奥を振り返った。
 闘技場の向こうには、やはり黒い穴が開いている。
 その先に、捕らわれた人々がいるのだろう。
 だが彼は、シルバに視線を戻した。
「……それで、お前を殺るのと、どういう関係が? いいんだよ、そんな事は今はどうでも。こっちは滾ってんだ」
 そして無造作に、シルバの脳天目がけて、棍棒を振り下ろした。
 だが、その時にはもうシルバも準備は出来ている。
「{大盾/ラシルド}!!」
 魔力障壁が出現し、それが砕かれるよりも早く、シルバは素早く後退していた。
「本気のようですね」
 カーヴの脇に回り込みながら、クロエは腰の後ろから双剣を抜く。
 ふん、と脇にシーラを抱えたまま、カーヴは傲慢な笑いを浮かべる。
「たった二人で、俺に勝てるとでも思ってんのか?」
 シルバに追い打ちを掛けない所を見ると、どうやらカーヴにはまだ余裕があるようだ。なるほど、シーラならともかく、自分達になら全力でなくても勝てるという訳か。
「私達だけでも勝てない事はないですけど、決め手に欠けますね。前衛職……シルバと私で組むなら、フィーが欲しい所です」
 修業時代の懐かしい名前が出て、シルバは思わず苦笑いをした。
「……はっはー。無いモノはしょうがないだろ。別の前衛ならいるけどな」
 呟き、シルバは胸に手を当てた。
 それまでずっと沈黙を守ってきたネイトに、ある『命令』を施す。
 直後、ガクンと自分の中で魔力が消費されたのを自覚した。
 目眩を起こすシルバの前に、鬼の顔をして笑うカーヴが立っていた。
「いいから、死ね」
「シルバ!?」
 慌ててクロエが、横からカーヴを襲おうと距離を詰めてくる。
 しかしそれよりも早く。
「……死ぬのは君だよ」
 カーヴの背後から声が響き、衝撃波が彼の全身を貫いた。
「げはぁっ!?」
 大瀑布のような激しい音を立てながら、五秒ほど経過しただろうか。
 白目を剥き、口から煙を吐いて、カーヴの脇からシーラが解放される。
 立ったまま気絶するカーヴに一切構わず、シルバは彼女を引きずってクロエと合流した。
「シルバ。回復を頼む。動けない」
「あいよ」
 カーヴと距離を取ると、俯せのままそう要請するシーラに、シルバは印を切った。
 青白い聖光が生じ、彼女の体力を癒していく。
「……何だかどこかで覚えのある台詞回しですね。カナリーさんですか?」
「ふふふ、幼馴染みを忘れるなんて冷たいじゃないか、クロエ」
 ムクリ、と起き上がったシーラは、それまでの無表情とは異なり、どこか楽しそうな笑みを浮かべていた。
「…………」
 クロエは眉をひそめ、それから何かに気がつくと、シルバに黒い笑顔を向けた。
「シルバ、どういう事か説明してもらえますか? ど う し て こ こ に 、 ネ イ ト が 出 現 し て い る の で す か ?」
「待て、クロエ。笑顔が怖い。そ、それに今は争っている場合じゃないだろう」
 今にも双剣を突きつけてきそうな雰囲気に、シルバは慌てて弁解した。
「うん。シルバに当たるのはやめてくれるかな。まだ、力加減が分からないんだ。クロエを殺したくない」
「ってお前も不穏な事を言うなよ!?」
 と、それどころじゃないのを、シルバは思いだした。
「漫才をやっている場合じゃないな。すぐに復活してくるぞ」
 もちろんそれは、仁王立ちしたまま動けないでいるカーヴの事だ。
 今、カーヴに手を出さないのは別に騎士道精神からではない。単純に気絶している振りをしている危険性があるからだ。
「この戦力なら、逃げるよりもここで迎撃するべきだな」
 立ち上がり、シーラ=ネイトは自分の身体の具合を確かめる。
「短期決戦にしないと、まずいですよ。援軍が来ますから」
「敵の?」
 シルバの問いに、チラッとクロエは奥の出入り口を見た。
「味方が来る可能性は望み薄です。それより今回は、一体どんなイカサマを使ったんですか?」
 ちょい、と右の剣で、胸の大きさを確認しているネイトを指す。
「説明するとややこしいんだが」
 シルバは、自分の懐にあるカードに手を当てた。
「……つまりアレは『悪魔憑き』だ」
 シルバの持つ『悪魔』のカードは、悪魔という概念を具現化する。その応用だ。
 シルバの目論見は単純で、まずはカーヴを限界まで疲労させる。
 苦戦するほどの相手が出現してくれるなら、ベストだ。
 そして、その相手にネイトを憑依させる。そしてシルバとチシャで彼女を後方支援。弱ったカーヴを叩く。そう考えていた。
 ここに来るまでに何体かの候補はいたが、少なくともシルバの見た所、シーラ以上の強さを持つモンスターは今までの所いない。
 それに加え、クロエが参戦してくれたのは、僥倖だったと言える。
 ただ、この悪魔憑きの難点は、かつてノワが『女帝』のカードで用いた『強制』と同じく、魔力を馬鹿みたいに食う点だ。ネイトの獏としての特性『心術』を使ってもよかったのだが、気絶している相手には憑依の方が安全だという事で、そちらを採用した。
「ググ……」
 歯を食いしばり、カーヴが殺気を放出する。
 自分で回復を行なったのだろう。
 すぐに動きを取り戻し、カーヴはシルバ達に向かって突進してくる。
「この三人で組むのは久しぶりですね」
「前は、二人と一匹だった訳だが」
「さあ、第二ラウンドといこうか、カーヴ・ハマー。3対1だが卑怯とは思わない」
 マジックポーションの用意をしながら、シルバは言った。


 挨拶代わりに放たれたネイトの衝撃波を、カーブは太い棍棒で弾き飛ばす。
「効かねえっつってんだろが!」
 そしてそのままの勢いを利用して、大振りの一撃をネイトに叩き込む。
 いや、叩き込もうとした。
「――ふふふ、驚いたようだね」
 カーヴの攻撃は、盛大に空振っていた。
 大きく海老ぞりになったネイトの頭上を、通過していく。
 驚愕するカーヴに、ネイトはシーラの無表情とはまるで異なる微笑みを浮かべていた。
「これまでほぼすべての攻撃を受け止めてきたから、まさか避けるとは思わなかったと見える」
 そのままブリッジ状態に移行したネイトは両腕をバネにし、衝撃波を纏った両足でカーヴの顎を蹴り上げる。
「がふぁ……っ!?」
 血と唾液を飛ばしながら、カーヴが仰け反る。
 ネイトはそのまま腕を軸に回転しながら立ち上がると、カーヴに肘打ちを叩き込もうとする。
 しかしカーヴの目はまだ死んでいない。
 右腕が跳ね上がり、大きな手がネイトの顔面を包み込む。
 握力だけで握りつぶすつもりか。
 その彼女の全身を、虹色の光が包んでいた。
 シルバが放った祝福魔法、物理防御力を高める『鉄壁』だ。
「そんなモノ、通じやしないよ」
 カーヴの手などおかまいなしに、ただでさえ防御力の高い肉体を持っていたネイトは、そのまま肘打ちを彼の胸板に叩き込んだ。
 たまらずネイトの顔から、手が離れてしまう。
「カハッ……! く、糞ガキぃ……!!」
 咳き込むカーヴの視界の端で、シルバは何やらチョロチョロと動いていた。
 それがまた、カーヴの癇に障る。
「ネイト、受け取れ!」
「うん、助かる」
 何が投げ込まれたのかと思ったら、握りのついた丸い金棒だった。
「そんな棒っ切れで何が出来るってんだよ!」
 そもそも、ネイト=シーラの肉体の頑丈さは、拳も例外ではない。
 金棒など持った所で、むしろ攻撃力が落ちるのではないだろうか。
「シルバを侮ってもらっちゃ困るな。僕のご主人様は、こういう時に無駄な行動を取る男じゃあない」
「誰がご主人様だ!」
 即座にシルバが突っ込んだ。
「組織のトップ公認で、君は{札/カード}の主だろう?」
「ううう……そりゃそうだが」
 そんな二人の隙を見逃すカーヴではない。
 彼は油断するネイトと一気に距離を詰め、重量級の棍棒を振るった。
 だが、それがネイトに届く事はない。
「っ……!?」
 防御、どころではなくさして重くもなさそうな金棒に、カーヴの攻撃はあっさりと弾かれていた。
 よく見ると、ネイトの金棒には衝撃波が纏わり付いていた。それは拳とは違い、長く伸びた先端に向かって加速するように回転を続けている。
「驚いているようだね。さしずめ『{纏}/まとい』といった所か。そして――」
 すい、と金棒の先端がカーヴの胸元に当てられた。
 寒気を感じ、慌てて回避する。
「『{砲/カノン}』」
 重い音が響き渡る。
「があっ!?」
 棍棒の先端に集束した衝撃波を完全には避けきれず、カーヴの左肩が貫かれていた。
 肩から血を流しながら、カーヴはそれでも回復を唱え、そのまま棍棒で反撃を試みる。
 その嵐のような猛攻を、さして苦にする様子もなく、ネイトはひょいひょいと避け続ける。
「……攻撃範囲は狭いが、手の平で拡散されない分、威力は段違いだ。なるほど、さしずめ魔法の指揮棒って所だね」
「この……っ」
 人を舐めているかのようなネイトの態度に、カーヴの頭に血が上っていく。
 その頭上が不意に翳った。
「休んでいる暇はありませんよ」
 高らかに跳躍した黒髪の美少女、クロエが双剣を両手に躍りかかってくる。
「そんな短い剣……!」
 効くか、と言いかけて、カーヴは気がついた。
 双剣の刀身が毒々しい緑色に輝いていた。
 一撃目は棍棒で受け止め、二撃目を回避――失敗。
 浅い傷が、カーヴの胸元に赤い線を作った。
 その線が次第に紫色に変化し、しゅうしゅうと煙を吐き始めた。
「顔色が変わりましたね。そうですよ、貴方の苦手な猛毒攻撃です」
「俺が、そんなチャチい攻撃にビビるとでも思ってんのか!」
 即座に、カーヴは{解毒/カイドゥ}の印を切ろうとする。
 しかしおそらく{豪拳/コングル}と{加速/スパーダ}で地力を高めているのだろう、クロエの双剣が繰り出す凄まじい連撃が解毒を許さない。
 腕を休めないまま、クロエが黒髪を揺らしながらカーヴに言う。
「別に恐れてもらわなくても結構です。でも、治癒にその分、時間が掛かりますよね。そう、シルバに聞きました」
「また、あのガキか!」
 それにクロエは答えず、指を鳴らした。
「ネイト」
「うん」
 ネイトの持つ金棒が、黒い光に包まれる。{盲目/クロゾメ}の効果だ。
「知った事かぁ!!」
 危機感を憶え、カーヴは棍棒を地面に突き立てた。
 大きく足下が揺れ、ネイトがバランスを崩す。
 間髪入れず、カーヴはネイトに二撃目を叩き込んだ。しかし毒が回っている分、反対側にいるクロエに三撃目を与える余裕がわずかに足りない。
「暴れると、余計に毒が身体に回りますよ。そして、解毒に時間を費やす余地を――」
「僕達が許すと思うかい?」
 吹き飛んだネイトがあっさりと立ち直り、両足に纏った衝撃波で加速する。
 そうだった、とカーヴは思い出した。ネイト=シーラは外見に反して恐ろしく頑丈で、この程度のダメージでは動きを止める事は出来ないのだ。
 そして直接彼女の身体に気を叩き込もうにも、この女はさっきまでとはまるで動きが違う。まさしく人が違っている。
 黒い方も素早く、回避に重点を置かれては捕らえるのは至難の業だ。
 白と黒の、息があったコンビネーションが続く。
 攻めあぐねるカーヴの背中を、灼熱が走った。
 クロエの猛毒の刃が、背中を切りつけたのだ。
「状態異常系に弱い事はもう、判明しているんですよ。カーヴ・ハマーさん」
 その言葉に、カーヴの背筋を寒気が走った。


 時間は少し遡る。
 ネイトがカーヴを相手取っている間に、シルバはクロエに敵の弱点を説明していた。
「……どういう事ですか?」
 シルバは指を二本立てた。
「ここまでの道程で、分かった事が二つある。一つは、あの男を不思議な魔力の乱れが包んでいる事。お陰でネイトの心術が使えなかったんだが……」
 シルバは中指を折る。
「もう一つは、オーガスパイダーを相手にした時。目の前にモンスターがいるにも関わらず、アイツは遠くのそいつを優先した。そうすると、ちょっと見えてきた」
 その時、カーヴが至近で相手をしていたモンスターは、石像系。
 基本的に物理攻撃がメインで、驚異的な体力と攻撃力が売りのタイプだ。その分、動きが鈍いという欠点があり、また特殊な攻撃はほとんどない。
 一方でオーガスパイダーは、機動力に優れ、蜘蛛の糸による捕縛や麻痺毒といった特殊攻撃を多く有する。
 シルバは、二つの種族の違いを考えた。
 スピードはカーヴにはいざとなれば魔法もあるし、本人自身の動きの速さを考えれば、さして問題ではない。
 ならば、特殊攻撃か。
 そこで、ふと『プラチナ・クロス』に属していた頃行なった、全滅したパーティーの救出仕事を思い出した。
 その時救出したのは、たった一人だった。
 迷宮探索のパーティーは基本六人が理想とされるが、別に一人での探索が許されていない訳でもない。
 ただ、危険度は格段に跳ね上がる。
 何より、複数人のパーティーならさほどでもないトラブルでも、あっさりと全滅してしまう。
 この時の冒険者も、そのパターンだった。
 ただでさえ中堅パーティーにとって脅威となる、敵モンスターのスキル、麻痺だ。
 少なくとも数時間、動けなくなってしまうこの攻撃は、単独で行動する冒険者にとっての鬼門であり……これはカーヴだって例外ではない。
「思えば、何で俺とチシャなんだって話なんだ」
 司祭と助祭。
 回復の為、というカーヴの言い分は一見もっともらしく聞こえる。
 しかし実際それだけだろうか。
 カーヴの性格が攻めに傾倒しているのは明らかだが、それでも自分達のような足手まといを連れて行くのをよしとするだろうか。
 むしろ、自分のペースでひたすら前に突き進み、気が済んだら戻ってくる。
 その方が彼らしく、実際、自分やチシャを苛立たしげに見ていたのはシルバ自身も感じていた。
 そもそも、回復はカーヴ自身使っていた。
 ……自分達は本当は、必要ないではないか?
 無理矢理連れてこられたシルバ達が、分け前を与えられたとしても、協力的になるとは限らないし、実際そうだった。
 とすると、何故?
 シルバ達を連れて来なければならない理由があったのではないか?
 そしてジャラジャラとした装飾品。
 シルバも、全部のアクセサリー類を憶えている訳ではない。けれど、シルバだって冒険者の端くれ。道具屋にだって頻繁に出入りする。
 魔力が付与されたアクセサリーの買い物である。
 特にカナリーの買い物では、装飾品類が顕著だ(逆にヒイロの場合は、むしろシルバが気を付けなければまず身につけない)。
 だからカーヴが身につけている物の一つ、ピアスには見覚えがあった。確か、石化防止の効果がある魔力装飾品だ。
 更に首飾りは、即死防止の効果がある種類の物だ。
 ……魔力アクセサリー類は、多くは装備出来ない。せいぜい二つが限度。甲冑や盾も込みで、四つがせいぜいとされている。
 何故なら互いの魔力が干渉し合い、思いも寄らない効果が生じるからだ。最悪、互いの効果を打ち消す場合だって存在する。抗魔や絶魔のコーティングは、この技術の応用でもある。
 カーヴの身につけているジャラジャラと派手な装飾品と、彼の纏う不自然な魔力の流れが無関係でないとすれば。
 シルバの頭の中に、状態異常の症例が駆け巡る。
 即死、石化、混乱、暴走、魅了、麻痺、睡眠。
 パッと思いつく、自力では回復出来ない状態異常でも、これだけある。
 毒や盲目は、おそらく自前での対策を有している……と思う。これらは一人で解決出来るのだから。
 しかし、単体では治す事の出来ない、この手の状態異常はどうする事も出来ない。一度掛かってしまったら、身体が言う事を聞かないのだから。
 だからこそ、彼は麻痺毒を持つオーガスパイダーを真っ先に倒したのだ。目の前の脅威を無視してでも。
 カーヴが他の冒険者とパーティーを組んでいるのも、そういう理由じゃないのだろうか? おそらく他の前衛や盗賊、魔法使いも実際はほとんど必要としていない。
 彼に必要なのは、状態異常を治癒する係だけだ。
 ならば、聖職者や治癒師だけを連れて探索を……いや、これもない。
 それを知られる事は、弱みになる。
 傲慢で、実際に強さを売りにしているカーヴが、それを許すはずがない。
 今回のシルバ達のような、気まぐれを装ってでもいない限りは。
 ならば、即死と石化以外の、自身での行動を不能にする状態異常は、どれが効果的か。混乱、暴走、魅了、麻痺、睡眠……。
 麻痺……はオーガスパイダーの件を考えると、相当に可能性が高いが、もしかしたらシルバやチシャが行動不能になってしまう事を考えての事かも知れない。
 いや、とシルバは考えを逆転させる。
 その系統のバッドステータスに神経質になっているという事は……。


「アンタの弱点は、一人では治す事の出来ない魔法! そしてそれらを最も警戒している為、転じてそれ以外の状態異常系は物理攻撃に付与する事で、ほぼ間違いなく効果がある!」
 シルバの宣言は、正にカーヴの核心を突いていた。
 毒や盲目など、自力で治癒出来るカーヴには本来脅威でも何でもない。沈黙を治す喉薬も常備してある。
 がしかし、それを攻撃の副次的効果ではなく、メインとして狙われるとなると、話は別だ。
 かろうじて視界は保っているが、ネイトの攻撃には当たれば盲目効果があり、既に毒は回ってきている。
 カーヴの肌から、嫌な汗が噴き出る。
 この上、シルバが体力を減らし続けるスリップ効果や、鈍化まで使えるとしたら……まずい。魔力アクセサリー類の過剰装飾には、ある種の魔法を無効化する副作用があるが、それだって全部という訳ではない(回復が使えるのがその証拠だ)。
 炎や氷の魔法など、カーヴには恐るるに足りない。
 物理攻撃も怖くない。むしろ殴り合いは望む所だ。
 だが、状態異常だけは駄目なのだ。
 かつて魔王討伐軍に属していた頃、戦場で味わった屈辱……モンスターにやられた事ではない!
 通り掛かった補給部隊に、麻痺で動けなくなっていた身体を解いてもらった時の、恥ずかしさと来たら(麻痺は魔力装飾品の腕輪で完全に防げるにも関わらず、以来完全なトラウマとなっている)! それも、ほんの小さなガキの聖職者に!
 だから、カーヴは自分の身動きが取れなくなる事を恐れる。自由を、単独行動を好むのは、その裏返しでもある。
 冒険者になったのも、パトロンの目的とは別に、自分自身の目論見もあるのだ。古代王朝に存在したという、王族の護身用装飾品、あらゆるバッドステータスを無効化する指輪を手に入れる事。
 その、カーヴの恐れを見抜くように、シルバがいやらしく笑った。
「デカイ図体の割には臆病だな、カーヴ・ハマー」
 カーヴの頭にカッと、血が上った。
 普段のカーヴなら、これはない。
 もっと余裕を持って、一人一殺で片付けていた。
 一度目とはまるで戦い方の異なる人造人間、全身に回りつつある毒、自分の弱さを完全に見抜かれている事、何よりその起源となった精神的外傷の子供にシルバがそっくりな事が、カーヴに我を見失わせていた。
「調子に乗ってんじゃ――」
 カーヴが両手を掲げる。
 彼の頭上に特大の魔力球が出現した。
「――ねえぞ、この雑魚がぁっ!!」
 顔を真っ赤にしながら、カーヴはそれをシルバに放った。
「……!!」
 魔力球は盾を持ったシルバに直撃し、そのまま闘技場の壁まで突き進んだ。
 地響きを上げて、闘技場が揺れる。
「はぁ……はぁ……やった」
 肩で息をしながら、カーヴは笑った。
 その直後。
「馬鹿だ」
「馬鹿ですね」
 しまった、と思った時にはもう遅かった。
 ズズン、とクロエの二本の刀身がカーヴの胸に深い×印を作った。
 猛毒が一気に全身を犯し、喀血するカーヴの身体を紫色に染め上げる。
 さらに衝撃波を纏ったネイトの金棒が、口に突き込まれる。
「……っ!?」
 そのまま仰向けに押し倒され、カーヴは脳天にダイレクトに衝撃波を叩き込まれた。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっっ!!??」


 ネイトは三十秒ほど、たっぷりとカーヴに衝撃波を流し込んだ。
 ズルリ……とネイトが血と涎に塗れた金棒を口から引きずり出すと、カーヴは全身を痙攣させ、穴という穴から白い煙を吐き出していた。
 崩壊した壁がガラガラと崩れ、そこから服をボロボロにしたシルバが姿を現わした。
「結局今回、シルバが使った魔法は『鉄壁』と、魔力球を防いだ最後の『大盾』、たった二回ですか」
「……魔力は節約しないとな。何より、アイツが提供した、この鎖帷子と盾の防御力が高かったのも大きかったってのもあるけど」
 服の埃を叩きながら、シルバはシーラの身体に憑依したネイトを見た。
「そろそろ『悪魔憑き』を解くぞ、ネイト。いい加減きつい」
「何だ勿体ない。せっかく生身の身体を手に入れたのだから、アパートでもう一勝負といきたかったのに」
「何の勝負をするつもりだお前は!?」
「そりゃもちろんセッ――」
「言うな!」
 慌てて手でネイトの口を塞ぐと、ペロッと舐められた。
 嫌な顔をしながら手を離すシルバに、ふふふと笑うネイト。
 その間に、クロエが割り込んできた。
「でも、大丈夫なんですか、ネイト? その子、再起動したらマズイんじゃ……」
「その点は問題ないよ。入ってみて分かった事だけど、どうやら心術はちゃんと効くようだし、帰りの護衛に使えると思う。戦闘中に切り替えられればシルバの負担はもっと減っただろうけど、その暇がね」
「何だかんだで、難敵でしたからね……」
 余裕があったように見えても、カーヴの攻撃力と体力は、やはり脅威だった。
 シルバの挑発に乗らなければ、危なかっただろう。
「でまあ、ネイトの事だけどな、クロエ」
「その話は後ですよ、シルバ。まだ脅威は過ぎ去っていません」
「え」
 シルバは、白目を剥いて気を失っているカーヴを見た。
「いえ、そっちの彼ではなく」
 クロエは、闘技場の奥に視線をやった。
「……遅かったようですね。追いつかれてしまいましたか」
 逆さまになった闘技場に、幾つもある観覧席の出入り口。
 そこから、何十人ものシルエットがシルバ達を伺っていた。
 鍛え上げられた身体を持つ者、太った者、痩せた者、女性等々……冒険者ではない。どうやら、シーラの同類のようだった。
「……おいおい」
「一難去ってまた一難だね、シルバ」
 いつの間にかカードに戻っていたネイトが、小さな幻影となって肩に乗っていた。


 幸いな事に、相手もこちらの出方を伺っているようだった。
 しかし、動けば向こうも対応してくるのは明らかだ。
「……新手か」
「ええ、人造人間です。斥候班は彼らによって壊滅させられました。あの連中に、捕まっちゃ駄目です」
 シルバの呟きに、クロエも動かないまま応える。
「手短に、どういう事だ?」
 敵に捕まってマズイのは、言うまでもない事だ。
 口にするという事は、何かシルバの知らない何かがあるという事なのだろう。
「精神共有で、映像を送ります」


 シルバは小さく頷き、クロエと精神共有を繋いだ。
 直後、脳裏にクロエの意識下のイメージが浮かび上がってくる。


 この闘技場にも劣らない、古い様式の巨大ホール。
 動き回る、人造人間達。
 その中央にそびえ立つ、太く光る柱が唸りを上げている。
 周囲には、花弁のように並ぶ、幾つもの楕円形のカプセル。
 中には一人ずつ、冒険者が眠るように入れられていた。


「……何、これ?」
 精神共有を解き、シルバはクロエに尋ねた。
「捕らえられた斥候の内、精神共有が使える人が最後に送ってくれたイメージです。この奥にある施設ですよ。最初は、人造人間の数もあんなには多くありませんでした。仲間が捕らえられるたびに、増えてきているような気がします」
 ふむ、とシルバの肩に乗ったちびネイトが腕を組んだ。
「僕の見た所、今のは何かの動力機関だね」
「魔高炉か? それとも精霊炉?」
「いや、人を使っていただろう。魔高炉なら魔力、精霊炉なら精霊。僕と台詞回しが被っている子の、専攻しているのは?」
「生命力……って、人を使ってるって事は、魂魄炉!? 実用化されてるのか……!?」
 ちなみに、カナリーの研究室ではまだ、実験段階の技術だ。
 そもそも、古代の文明に魂魄炉が使用されていたという記録はない。
「古代に使われていたメインのエネルギーとは違うね。墜落殿が宙に浮いていた頃は、精霊とは異なる『気』を主に用いていたはず。動きが止まった時用の、予備の動力機関と考えるのが妥当か。この階層が開かれた時点で、最低限の動力だけは用意していたって事だろうか……」
「気? おい、ネイト……」
 何で、そんな話を知ってるんだ。
 そう問おうとするシルバを、ちびネイトは手で制した。
「その話はひとまず置いておいて、人造人間に捕まるとマズイというのは、シルバもよく分かったと思う」
「あ、ああ。要するにあのカプセルに入れられると、動力のエネルギーにされるって事だろう。んじゃ、逃走の作戦だけど……」
 シルバは簡単に、二人に作戦を伝えた。
 クロエは、自分達を見守っている人造人間達との距離を目測し、軽く眉をしかめた。
「手数は三つですか。厄介ですね」
「距離があるから、ギリギリ何とかなるだろ。こっちも負担は似たようなモンだ。……いくぞ」
「了解!」
 クロエはその場で呪文を唱え、シルバはカーヴに向かって駆け出した。
 そのまま二人同時に煙玉を地面に叩き付ける。


「!?」
 突然動き出した標的と発生した黒煙に、彼らを見守っていた人造人間達も動き出す。
 四十人弱の人形が、ホール目がけて殺到する。
 その煙の中から、女の声が響く。
「{火槍/エンヤ}!!」
 その直後、無数の炎の矢が黒煙を突き破って出現する。
 何人かがその矢に貫かれるが、さしたるダメージを受けた様子はない。


 ……人造人間に向けた分、こちら側の煙の濃度は、かろうじて視界を保っている。
 火炎魔法を放ったクロエは、そのまま新たな印を切った。
「{回復/ヒルタン}!!」
 倒れていたシーラを青い聖光が包み込み、その指先がぴくりと反応する。
 マジックポーションを飲みながら、シルバはネイトに指示を送った。
「心術でシーラを操作!」
「承知した。ただし、憑依と違って難しい操作はできないから気を付けるんだ」
「ほとんど防御か逃げるだけだし、問題ないだろ――{豪拳/コングル}!」
 印を切り、指を鳴らす。
 途端、シルバは自分の身体に活力が漲り、腕力が強まるのを感じた。
 ネイトが何やら腕を動かすと、煙の中、ゆっくりとネイトが起き上がる。
「やっぱりシーラは放っておけないかい、シルバ」
「そりゃ、見逃すにはあまりに惜しいサンプルだからな。ともあれシーラの指示は任せる」
「ああ、任せられた。命に代えても守り抜こう」
「それは勘弁。やばくなったら逃げろ」
 そしてシルバは、まだ気絶しているカーヴを起こし、その背中に担いだ。
 ズッシリとした重量が背中から伝わってくるが、魔法の力で何とか動く事は可能だ。
「思うにその男は、シーラに背負わせた方がいいんじゃないかい?」
 まったくだ、とシルバは肩の上の小さなネイトに同意する。
「俺だって、汗臭い男を背負いたくなんてねーよ。だけど、この場で俺が一番役立たずなんだからしょうがねーだろ」
「僕としては、そんな奴は助ける必要すらないんだがな。やられた事を忘れたのかい、シルバ」
「忘れてねーよ。かと言って現実問題として、放っておく訳にもいかないだろ」
 言って、シルバはネイトの操るシーラと共に、クロエと合流する。人造人間なんていなければ、コイツなら自力で何とかなるだろうし、このまま放って帰ろうと思ったのだが、この状況ではそうも言っていられない。
 黒い煙はまだ晴れない。
「エネルギーが増えても厄介ですしね」
「それもあるけど、俺の職業忘れんなっつー話だ」
「……あー」
 シルバが聖職者である事を、ようやく思い出したようだ。
「って仮にもお前だって修道院にいた身だろ!?」
 だが、漫才をやっている暇はない。
「雑談の余裕はありませんね。来ますよ、ネイト!」
 クロエは身を翻した。
「はいはい。シルバ、あと一つだ。いけるか」
「もちろん!」
 人造人間の内、魔法の得意な者が放ったのだろう。煙の中に、光や火の矢が突き進んでくる。
 しかし、それらはネイトの操るシーラの身体が阻む。
 その間に唱えたシルバの呪文の方が、効果を発揮する。
「{加速/スパーダ}!! そして――」
 走る速度を魔法で上げながら、シルバは懐から煙管を取り出した。
 煙草は既に、カーヴから逃れる事を考えていた時に、詰め終えている。
 地面に生えた草を燃やしている炎――クロエが最初に唱えた魔法の火の矢の一本を、後ろに放っていた――で、煙草に火を点ける。
 それを一吹きすると、口から漏れた煙は美しい女性の姿を取った。
「――出でよスモークレディ! 煙幕拡張! 攻撃は必要ない、逃げに徹する!」
 シルバの言葉に従い、スモークレディは周囲の煙の量を更に増やした。
「ですね。いちいち相手をしていたらキリがありませんし――」
 並走するクロエとシーラの背後に、黒い影が出現する。
 移動速度の速い人造人間が追いついてきたのだろう。
「二人とも! ――「{大盾/ラシルド}!!」
 襲ってきた二体の人造人間の手を、シルバの魔力衝撃がほんのわずかに阻む。
 わずかに速度を落としたクロエの双剣が、その手を切り裂く。
「すみません!」
「いいから、足を休めるなって!」
 黒煙を抜け、闘技場の広場を駆け抜ける。
 息を乱しながら走りつつ、どうやら人造人間といっても色々いるようだな、とシルバは考える。シーラやヴィクターには物理攻撃は効きにくかったが、その分、動きはそれほど速くなかった。
「シルバ! 後ろに新手だ!」
 ネイトの言葉に振り返る。
「く……っ!」
 つい今し方、{大盾/ラシルド}を使ったばかりで防御は間に合わない。
 妙に小柄な人造人間が放った光を、かろうじて左腕で受け止める。
 わずかに痺れを感じたが、それ以外のダメージはないようだった。
「無事かい、シルバ」
「痛みはない……が……」
 腕を見ると、複雑な文様の刺青が腕輪のように巻き付いていた。同じように、プラプラと揺れるカーヴの腕にも同じような文様が生じている。
 ……この時点で、シルバは自分の中で、大事な物が失われた事を悟っていた。
「が?」
「今までで一番ヤバイかもしれない」
「何がだ?」
 肩の上のちびネイトを、シルバは青ざめた顔で見た。
「……俺、祝福魔法が、封じられたっぽい」


 闘技場の通路を駆け抜ける。
 シルバ達が通ってきたモノではなく、クロエ達斥候班が拓いた通路だ。
「……急に、攻撃がやんだな」
 静かになった通路を走りながら、シルバが呟く。
「闘技場の中じゃないからじゃないでしょうか。私達が追われていた時も、なるべく建物は壊さないように追い詰められましたから、飛び道具の類は減っていました」
 足を休めないまま、クロエが言う。
「……もっとも、安心していたところをシーラに回り込まれていた訳ですが」
「なるほどな」
 薄暗い通路が、いきなり足下から明るくなった。
 慌ててクロエが飛び退く。
「明かりが……」
 本来は天井だったはずの床に設定された照明が、作動したのだ。
 シルバの肩に乗っかったちびネイトが、床を見下ろす。
「多分、魂魄炉が本格的に稼働し始めたんだろうな」
「シルバ、足下に気を付けて下さい」
 クロエの声とほぼ同時に、グラッと床が揺れた。
 重量のあるカーヴを背負ったシルバは、危うくバランスを崩しかける。
「っと……! じ、地震か……」
「それにしては、変な感じでしたけど」
 釈然としない顔で、クロエは首を捻った。
 その疑問に答えたのは、ちびネイトだった。
「正確には、地震じゃないからだろう」
「どういう事だよ、ネイト」
「シルバ。この遺跡はかつて天空にあったという」
「んな事は知ってるよ」
 この墜落殿は、古代は空に浮かんでいた天空都市だ。そんな事は、子供でも知っている事実である。
「なら、そこで動力が切れたなら、どうなる?」
「そりゃ落下するに決まってる。というかそれで、この遺跡になったんだからな」
 そこで、クロエが口を挟んできた。
「……待って下さい、シルバ。だとすると、矛盾します」
「矛盾?」
「うん。魂魄炉は規模から考えても、本来、天空都市を浮かせている機関の予備動力だったはずなんだ。ならば、落下する時に作動するモノだ。おかしいじゃないか。何故、今作動するんだ、シルバ?」
「そりゃあ……」
 ネイトに答えようとしたが、シルバには思いつかなかった。
「魂魄炉はエネルギーが切れた時、作動しなかった。まあ稼働が間に合わなかったのか不具合なのかは知らないが、とにかく駄目だったんだろう。それが今、侵入者達の存在によって動き始めた。さて何の為に動き始めたのだろう?」
「何の為にって……」
 そんなのは決まっている。
 遺跡=天空都市を浮かせる為だ。
 あっさりと答えが出て、シルバは青ざめた。
 だとすると、この揺れは……。
「この遺跡を持ち上げるつもりかよ!?」
「今の所、成功してないけどね。出力が足りないのかも知れないけど、何にしろこれからも当分は成功しないだろうと思う」
「何でお前は、そんなに楽観的なんだよ」
 ネイトは床を指差した。
「空に浮かせる為の物がひっくり返って稼働したら、普通下に向かって力が働くだろう? 自明のことじゃないか。このままだと、ひたすら揺れ続けるだけだよ」
 それを聞いてシルバがイメージしたのは、逆さまになった亀だった。
「……格好つかねえなぁ」


 通路を抜け、闘技場を出ると、既に先回りしていた人造人間が三体、建物の屋上から飛びかかってきた。
「この遺跡の事はともかく、だ――スモークレディ、煙幕!」
 カーヴを背負ったまま走るシルバは、汗だくになりながら煙管を吸い、息を吐き出す。
 煙は再び美しい女性の形を作り、腕を振るって膨大な白煙を生み出した。シルバ達を襲撃した人造人間達の攻撃が、揃って空振ってしまう。
 それを、ちびネイトは指を咥えて眺めていた。
「スモークレディか……羨ましいなあ」
「……相変わらずですね、ネイト」
「だってクロエ、あの子はシルバの肺の中まで潜り込んでいるんだぞ。僕だって出来るモノならしたいに決まっている」
「冗談じゃねえぞ、おい!?」
 白煙を抜け、クロエは後ろを振り返った。
「このままだと、上の階に上る前に確実に追いつかれますね。シルバ、何か策はありますか」
「それに関しては一つだけ、アテがあるんだ」


 そしてシルバ達は、一軒の家屋に飛び込んだ。
 カーヴ、チシャと共に通り掛かった時、シルバが目に止めた家だ。
 逆さまになっている為、当然のように家具は散乱し、足場も悪い。
 それでも、家の中というのは安心するのか、わずかながら緊張は緩んでしまう。
「ここですか? モンスターがいる気配はないようですが……」
 クロエは、古びて埃だらけの玄関を見渡した。全体的に石造りっぽいが、妙にツルツルとしている不思議な素材だ。
「ああ、扉を閉めてくれ」
 カーヴを床に下ろすと、シルバは自分の肩を揉んだ。
「その、扉自体がありませんよ」
「この家には、防犯意識がまるでないのか!?」
 シルバは突っ込み、慌てて自分の口を塞いだ。
「って、大きい声を出しちゃまずいな。気付かれる」
 そしてまるでシルバの言葉に応えたかのように、スライドした扉が出口を塞いだ。
 そして、玄関全体を柔らかい光が満たした。
「……あ」
 まさか、本当に声に反応したのかと、シルバは周囲を見渡した。
「ふむ、居住区にまでエネルギーが回り始めたか」
「勝手に扉が閉まったぞ。どうなってるんだ?」
 釈然とせず、シルバはネイトに尋ねた。
「自動ドアなんだろう。よかったじゃないか。これでしばらくは大丈夫だ」
「じ、自動ドア? ……なんて言うか、探索で荒らすのが勿体なくなってきたかもしれない」
「ですね。生きた古代の文明なんて、そうはお目に掛かれません」
 床に大の字になったカーヴは、まだ白目を剥いて気絶しているようだ。
 けれどいつ目覚めるか分からない。
 何か縛るモノはないかと、シルバとクロエは家の中を探り始めた。


 当たり前だがリビングも家具が散らかっている。
 金属的な細工物は多いが、基本的な造りは現代のモノとそう大差はなさそうだ。
 クロエは、窓から外を観察していた。
 人造人間が一体、通りを歩いていた。時々立ち止まり、キョロキョロと首を動かしているのは、シルバ達を探しているのだろう。
「どうやら、人造人間達は、私達には気付いていないようですね」
 ふよふよと浮かんだネイトが、クロエの肩に乗る。
「人造人間の目的は主に、人間に奉仕する為の存在だったって言う話だからね。人間の財産である家屋を壊していいなんて命令が出されてるって事は、ちょっと考えにくいんじゃないか」
「人捜しが仕事とも思えないしな」
 ここが想像通りの家なら、多分カーヴを縛るモノも見つかるだろう。
 そうシルバは考えるが、少しぐらい休憩してもいいだろうと考え、横倒しになったソファを起こした。
 そして、それに腰を下ろす。
「……しばらくは、安心か」
 シルバは自分の左手首を見た。
 腕に巻き付いた刺青じみた文様は、消える様子がない。祝福魔法は封じられたままだ。
 クロエも足の低いテーブルと丸いクッション椅子を立てて、それに座った。
「食料もそれほど多い訳ではありませんし、長居は出来ませんけどね。使える物を何か探して、脱出の糸口を掴みましょう」
「いや、探すなら物じゃなくて出口だ」
「出口?」
「多分、ある。あと、この家が『生きている』なら、下手に何かに触れるのはマズイと思う。自爆装置なんて触れたら、目も当てられねー」
 シルバの疲れたような言葉に、クロエは微かに身を乗り出した。
「何を知っているんですか、シルバ。そういえば、ここに迷いなく入りましたし」
「確証がある訳じゃないが……」
 足下を触る軽い感触に手を伸ばすと、それはクシャクシャになった紙切れだった。まったく劣化していない上、鉱物じみた手触りから考えると、現代の紙とは異なるモノなのかもしれない。
 開くと、そこには人間の三面図が描かれていた。
 頑丈そうな肉体を持つ、男性だ。シルバの知っている者に、とてもよく似ていた。
「あー、やっぱりあったか」
「人の図面……ですか?」
「人造人間のな」
 紙の端っこに、表札と同じサインが記されていた。
「学習院の古代語専門家、ブルース先生に見せてもらった文字に見覚えがあったんだ。ここは錬金術師、ナクリー・クロップの家だ。何があるか、分からないぞ」


 テュポン・クロップの一件は、クロエにも話してあった。
「……あの、クロップ氏の血縁なら用心しないといけませんね。時にシルバ、新しく盗賊の技能を身につけたという事は」
「あると思うか?」
「期待してませんでした。せめて、文字だけでも読める人がいると助かるんですけどね」
「……それなら一人、いるだろ」
「いましたっけ?」
「そこに」
 言って、シルバは玄関近くにぽつねんと立ち尽くしているシーラを、親指で指し示した。
 すると、シルバの肩に腰掛けていたネイトが立ち上がった。
「ふむ、やらせてみようか」
「あー、それだけどな、ネイト」
 クロエは後の事をネイトに任せると、椅子から立ち上がり、部屋の周りの家具を調べ始める。早速スイッチのようなモノを見つけて、押すのは危険と判断したのか、部屋の隅に押しのけた。
「何だい、シルバ。彼女を犬のように這いつくばらせたいのかい」
「させるか! つーか正直非常時とはいえ、心を操るってのはあんまりいい気がしないんだよ。何とかならないか?」
「それを命じたのは君だよ、シルバ」
「分かってるよ。その上で聞いているんだ」
 確かにネイトにさせたのは自分だが、あの時は他に思いつく手がなかった。
 今は、少しだけだが時間に猶予がある。その猶予が、シルバの心に良くも悪くも余裕を生んでいた。
「彼女は人に造られた、人造人間だぞ」
「作られた、人造人間でもだ。……まあ、直接俺の敵に回らなかったってのも、大きいんだけどな」
 ボリボリと、気まずくシルバは頭を掻いた。
「相変わらず、女の子には優しいな、シルバは」
「男に優しくしてもしょうがないだろう」
 むん、とシルバは胸を張った。
「僕も生えてないんだが」
 言って、ネイトは黒ズボンのベルトに手を掛ける。
「脱ごうとするな!」
「確かめてもらおうと」
「しなくていいから!」
「残念だ。それで、彼女を自由にすると言うんだね」
「術を解いた途端、暴れるようならちょっと問題があるけど……暴力を振るえないようにだけ、暗示を掛ける事は出来るか?」
「それなら余裕だ。しかし残念だな。今なら、シルバの愛人にも簡単に出来るのだが」
「聖職者になんて提案をするんだお前は!?」
「ふふふ、『悪魔』のカードを甘く見てもらっちゃ困る」
 まさしく、悪魔の誘惑であった。
「冗談はさておき……いや待てよ。ネイトよ、そもそもこの子、喋れるのか? くそ、精神共有が使えれば、楽なのに」
 精神共有は、相手の意識に直接訴えるので、言語の違う相手でも普通に交流を図る事が出来る。
 つくづく厄介な術を掛けられたモノだ、とシルバは自分の左腕の文様を、忌々しげに睨んだ。
「言葉も問題ない。こちらの話している事が分かっているようだし、どうやら言語解析能力は高いようだ」
 言って、ちびネイトはシルバの肩の上で指を鳴らした。
 ぼぉっと立っていたシーラの瞳に光が宿る。
「国外での活動も想定している為、言語には不便しない」
「うお」
 思ったより可愛い声に、シルバはソファの上で思わず仰け反った。片言だったヴィクターよりも、この方面では優れているようだ。
 シーラは、シルバに近付いた。
 クロエは腰の双剣を抜こうかと身構えたが、シーラに攻撃の意思がないのを感じたのか、再び部屋の探索作業に戻った。今度は何やら唸りを上げる小箱を発見したが、開けるのが怖くなり、そのまま部屋の隅に置いた。
「驚く事はない。ニューワット族の言語は導入済み」
「ニューワット?」
「シルバ達の遠い先祖だろう」
 眉をしかめるシルバに、ネイトが言う。
「と、とにかく無害なんだよな」
「大丈夫。今のわたしには貴方達を襲う力はない」
「襲う力があれば?」
「魂魄炉へ連れて行っていた。仮定は無意味」
「……そ、そもそも、何でそんな事をするんだ?」
「必要だから」
 何故必要なのか、と質問しかけて、シルバは考えた。
 この調子で、話を続けていいモノか。
 もっと重要な事から聞くべきじゃないだろうか。
「……色々質問したけど、優先順位を考えた方が良さそうだな」
「だね。あとで出来そうな質問は、後回しにした方がいい」
 ネイトが同意し、シルバは荒れた部屋を見渡した。
「ここにある、家具の事は分かるか。あと文字とか」
 シーラも無表情なまま、同じように部屋を見回す。
「問題ない。文字は読む事が出来る」
「よし」
 頷き、シルバは自分の左腕を見せた。
「この腕についた刺青みたいな文様なんだけど……シーラ、これが何か分かるか?」
「分かる。天空都市ライズフォート武道会の第四位、ボルドウの使う封印術『ランダムシール』による、能力封印」
「その、『ランダムシール』ってのについて詳しく。解き方とか」
「その名の通り、相手の技能を封じる力。欠点は、使い手自身もどういう技能を封じる事が出来るか不明な点。全くのランダム。ただしその分、気力の消耗は押さえられるコストパフォーマンスに優れた能力。手首に記されている文字の意味は『神の御業の全てを封じる』」
 なるほど、とシルバは納得した。
 神の御業……つまりそれは、祝福魔法そのモノだ。
「……よりにもよって、一番重要なモノが封じられた訳だ」
「対処法は、ボルドウの主である呪術師による解呪」
 対処法があるのは有り難いが、そうすると別の問題が出て来る。
「主って生きているのか?」
「不明」
 だろうな、とシルバは思った。更に、ネイトが追い打ちを掛けてくる。
「普通は死んでるだろうねえ」
「……だよなあ」
 古代の人間である。不死者か亜神でもない限り、生きてはいないだろう。
 リビングを探し終え、違う部屋を漁り始めていたクロエが、ひょいと顔を出した。虹色に揺らめく丸い発光体のようなモノを指でつまんでいたが、危なそうなので部屋の隅によけておく。
「でも、人造人間を作った人なら、資料が残っているかもしれないですよ」
「この廃墟の中から探し出すのは、相当困難だ。少なくとも今の戦力で出来る事じゃない。……やってみなくちゃ分からないけど、そもそも、その資料が残っているかどうかも怪しいモノだ。シーラ、他の解決策はないか? 時間が経てば消えるとか」
「わたしの知る限り、それはない。故に、ボルドウは恐れられている」
「そのボルドウってのを倒せば、治るとか」
「ある意味では、それも解決策の一つ。ボルドウを倒した者は、主に無料で解呪してもらう事が出来る」
「……それじゃ、意味がないんだ」
 ボルドウを倒せば、治るという保証が欲しかったシルバであった。
 落ち込むシルバの肩の上で、ちびネイトが手を挙げた。
「僕からも、質問いいかな」
「拒否」
 あっさりとシーラは断った。
「何故に」
「犬のように這いつくばらせようとする人のいう事を聞く気はないから」
「シルバならいいのか」
「いい」
「何故に」
「わたしには名前がなかった。登録番号はライズフォート410号。名前には、特別な意味がある」
 シルバは何だか嫌な予感がした。
 前にもあったぞ、こんな事。
 脂汗を流すシルバに構わず、ネイトはシーラに質問を続けた。
「つまりシーラという名前を付けたシルバを」
「主と認める」
「またこの展開かよおいっ!!」
 溜まらずシルバは突っ込みを入れた。入れざるを得なかった。
「質問が以上なら、クロエの手伝いに入る」
 シーラはそのまま直立不動で、シルバの言葉を待っているようだった。
「さ、参考までに一つ。俺の力を封じたのが第四位だって話だけど、お前は何位だったんだ、シーラ」
「十六位」
 あっさりとシーラは答えた。
「アレで十六位!?」
「……上を侮らない方がいい」
「ん?」
 無表情もイントネーションも変わらないが、どこか不機嫌そうな空気をシルバはシーラから感じ取った。
 そして、その理由に気付いた。
 さっきのシルバの言葉は「あの程度の実力で十六位?」という風に、取れなくもない。
「ち、違う! 逆だ! お前、あの強さで十六位って事は、上はもっとデタラメなのか!?」
「そう」
「……何てこった」
 単独だったとはいえ、カーヴは第五層突破パーティーのリーダーである。
 それが辛勝した相手が、まだ十六位と来ている。上には上がいるのだ。
 シーラは、シルバの肩の上に視線を移した。
「ネイト。わたしの力を解放してくれるのならば、これからボルドウを討ちに出る」
「と言っているけど、シルバ」
「駄目だ。ボルドウ一人ならともかく、何十体もの人造人間がいる。それに、そいつを倒したところで、これが治るっていう保証はないんだろう」
 言って、シルバは文様のある左手を振った。
「他に手はない」
「お前になくても、俺にはあるんだよ。アテなら三つほど」
 深く息を吐き、シルバは天井を見上げた。
「……どっちにしろ、地上に出てからだな」


 隣室を調べていたクロエが、急ぎ足で戻ってきた。手に持っていた爆薬っぽい丸い黒玉は部屋の隅に投げ捨てられた。
「シルバ、まずい事態です」
「何だよ」
「人造人間が家捜しを始めています」
 その言葉に、シルバは窓の外を見た。
 なるほど、遠くで人造人間が家の扉を開き、中に入っていっているのが見えた。
 まだこの家までは時間が掛かりそうだが、それも時間の問題だろう。人造人間が「ここはいいだろう」と見過ごす理由がない。
「って、そういうのはないんじゃなかったのか!?」
「あくまで、想定でしたからね」
 はぁ、とクロエも溜め息をつく。足下にケーブルが絡んできたかと思うと、それが足首を登り始めたので、双剣で斬って捨て、部屋の隅に放り投げた。
「一部の人造人間は、家宅捜索の許可を得ている。魂魄炉の起動エネルギーの確保が重要」
 誰から得ているのかとか気になったが、それよりもこの件に関して第一に聞きたい事をシルバは優先した。
「そ、それなんだけどシーラ、中の人間は無事なのか。クロエが一緒に活動していた斥候班の連中って、捕らえられたんだろう?」
「危険はない。仮死状態にした人間の魂から、エネルギーを抽出しているだけにすぎない」
「……おい。メチャクチャ危険そうだぞ」
 仮死とか魂とかエネルギー抽出とか、何か物騒な単語が並んだような気がする。
 だが、シーラは平然としたモノだ。
「生きている状態なら、動いている分、生命力が消耗され衰弱死の危険性がある。しかし仮死状態ならば、減った分の魂は次第に回復する」
「……よくは分からんが、信じるしかなさそうだな。つまり、捕らえられた斥候班の連中の身柄は、大丈夫という訳か」
「カプセルに入れられた人間は、どれだけ仮死状態にされるのですか」
「予定では、五年」
 クロエの問いに、これまたあっさりとシーラは答えた。
「長っ!?」
 思わずシルバは突っ込んでしまう。
「お務めが終われば、報酬が出る」
「……ここが、まだ宙に浮いていた時代ならな」
 当然、報酬を払ってくれる人は、この時代には存在しないのである。
 それにはクロエも同意見らしい。壁の模様が蠢き、催眠作用を引き起こそうとしていたので、クロエは壁紙を切り刻んだ。散り散りになった壁紙は、床の隅に集めておいた。
「とにかく、そんな長い間、私達も閉じ込められる訳にはいきません。捕らえられる前に、脱出しないと」
「だな。……カーヴにもいい加減起きてもらわないと困るけど、大丈夫かな」
「問題ない」
 言って、シルバは玄関に向かった。
「え、お、おいおい、シーラ」
 シルバも腰を上げ、慌ててシーラを追いかける。
 玄関では相変わらず、カーヴが白目を剥いていた。
 それを、シーラは表情を変えないまま、見下ろしていた。
「気絶している」
「そりゃ、あれだけやりゃあな」
 シーラは顔を上げ、真っ直ぐにシルバを見つめた。
「殴って起こすべき?」
「待て待て待て! {復活/ヤリナス}は……って、俺は使えないんだった! クロエ!」
 シルバはリビングの方に声を掛けた。
「はいはい。ちょっと待ってて下さいね」
 そう言って、戻ってきたクロエは太いワイヤーロープを持っていた。シルバの目には何だか蠢いているようだったが、多分気のせいだろう。
「そのワイヤーは、どうしたんだ?」
「奥の倉庫で見つけてきました。興味深いモノがあったので、あとで一緒に見て下さい。そして……」
 シルバがカーヴの身体を起こす。
 すると、クロエは慣れた手つきで、カーヴの身体をあっという間に太いワイヤーロープでグルグル巻きにしてしまった。
「これだけ縛れば大丈夫でしょう。では、{復活/ヤリナス}」
 クロエは呪文を唱え、印を切る。
 青白い聖光がカーヴを包んだかと思うと、彼はゆっくりと目を開いた。
「……う……お……」
 頭を振り、現状に気がつくと、一気に目が覚めたようだ。
「おお、何だこりゃ!?」
「落ち着いて」
 シーラが言うと、カーヴは自分を見下ろしているシルバ達に気がついたらしい。
「テメエ!? 糞ガキも! それに、ここはどこだ!?」
「帰り道だよ。あの後、山のように人造人間が出てきて、逃げてる途中だ。身体を強化したとはいえ、ここまで背負ってくるの、大変だったんだぞ」
「背負って……だと?」
「そ、そうだけど……?」
「…………」
「お、おい?」
「屈辱だ……これ以上ない、屈辱だ……こんな生き恥を二度も味わうとは……」
 何だかマズイ気配に、シルバはクロエとシーラを後ろに下げさせる。
「よくも……俺様を辱めやがったな……!」
 カーヴは両腕を縛られたまま、器用に立ち上がった。
「糞野郎共……この程度のワイヤーで、俺を動けなく出来たと思っているのか……甘くみてんじゃ……」
 ググッと幾重にも身体に巻き付けられたワイヤーロープが引き伸ばされ。
「ねえぞゴラァっ!!」
 ブチッとカーヴの筋力だけで千切られてしまった。
「うおっ」
 解放されたカーヴの怒気は、もはや熱となってシルバの肌に感じられていた。
 それでも、この状況にシーラは表情を動かす様子がない。
「問題ない」
「も、問題ないって、おい」
 カーヴは手近に武器がない事を悟ると、自分の大きな拳を握りしめた。
 そして、一番近くにいたシルバをぶん殴ろうとする。
「うおらぁっ!!」
 ポン、とシルバの背をシーラが押した。
「え」
 シルバの顔面を、カーヴの巨大な拳が捉えた。
「シルバ!?」
 目を剥くクロエ。
 そして、静まり返る玄関。
「……どうだ、糞ガキ」
「いや、その……え?」
 勝ち誇るカーヴに、シルバはむしろ戸惑っていた。
 何しろ、全然痛くない。
 子供の張り手の方が、まだ効くんじゃないかと思うほど、全くのノーダメージだったからだ。
「な……そ、そんな馬鹿な……」
 それをカーヴも悟ったのか、再び拳を振り上げた。
「この野郎!」
 一撃二撃、拳が効かないと分かると今度は蹴りを入れてきた。
 けれどその攻撃は、まるで綿かスポンジのようだ。道具ならどうだと、手近にあった靴で殴りつけられたが、その靴はまるで弾力に富んだこんにゃくのように、シルバに当たった途端、ぼよよんと弾き飛ばされてしまう。
 汗だくになって攻撃するカーヴを、もはや相手にする必要なしと、シルバはシーラを振り返った。
「シーラ、もしかして……これって」
「そう」
 シーラは頷いた。
「彼が封じられたのは、攻撃力。手首に掛かれている文字の意味は『他者を傷つける行為の全てを封じる』。拳も蹴りも、魔法も道具も、貴方を傷つける事は出来ない」


 カーヴの全然効かない攻撃を食らいながら、シルバは首を傾げた。
「……物理的に殴るとか、魔法が使えなくなるってのなら分かるけど、攻撃力ってのは、スキルじゃないんじゃないか?」
 その疑問にも、シーラは答える。
「呪いが届くまでに歪められている可能性が高い。装備類に呪力が付加されている場合、本来の『ランダム・シール』と異なる現象が発生するケースが複数確認されている」
 思い当たる節があり、ネイトはポンと手を打った。
「ああ、そういえば状態異常防止のアクセサリーを、やたらゴテゴテと身体に装備していたっけ」
「という事らしいんだが……」
 さすがに疲れて肩で息をしているカーヴに、シルバは振り向いた。
「っざけんじゃねえぞ!」
 その大声に、シルバは玄関の扉を指差し、声を潜めた。
「……って馬鹿! 外の連中に気付かれるだろう!?」
「そんな事知るか! 誰がこんな所に連れてきてくれって頼んだ! 勝手な事するんじゃねえ!」
 大音量に耳を塞ぎながら(これは充分に攻撃になってるんじゃないかとシルバは思い、精神系の攻撃はどうなんだろうと疑問にも思った。もちろんカーヴに教えてやる義理はない)、シルバは顔をしかめた。
「……その台詞はまんまこっちが返させてもらうっつーの。何で俺は、こんな所にいるんだ?」
 カーヴが無理矢理に連れてきたのだ。文句を言いたいのは、むしろシルバの方だった。
「大体ヤケになるのは勝手だけどさ、まだアンタは救いがあるだろ。補助系や回復魔法は使えるんだからさ。そっちで頑張ればいいじゃねえか」
 しかしそれは、カーヴには受け入れがたい提案だったようだ。
「冗談じゃねえ! 俺に! 人の為に働けだと!? 違う、そうじゃねえ! 俺が、奉仕される側なんだよ! 奉仕する側じゃねえ!」
「……これはもう、気絶させた方がいいような気がしてきた」
 話にならない、とシルバは首を振った。
「同感だね」
「臆病者に用はない」
 シーラの冷厳な一言に、カーヴは彼女の胸ぐら……はないので、首に手をかけた。
「んだとこらぁ……!?」
「事実」
 表情一つ変えず、彼女はカーヴを見上げる。
「今の貴方は、相手を倒す力を有しない。わたしの同胞を前に、逃げるしか術はない」
 そしてシーラはシルバを見た。
「我が主は闘技場で勇気を示した。蛮勇を振るっていた貴方に真の勇気はあるか」
 再びシーラは、カーヴに問いかけた。
 それはそれとして、とシルバはネイトに尋ねた。
「……なあ、ネイト。そんな事したっけ、俺?」
「彼とシーラが戦っている最中に、戦闘不能になっていた冒険者達を助けただろう」
「あ? あ、ああ。そりゃ、それが仕事だからな」
「……なかなか出来ないのだよ、普通はね」
 そういうモノかな、とシルバは首を傾げる。
 あの程度の修羅場は、よくある事じゃないかと思うのだが。
 やれやれ、と面倒くさそうに、クロエが息を吐いた。
「とりあえず死ぬなら一人で死んで下さいよ」
「あぁ?」
 シーラの首に手をかけていたカーヴが、血走った目を今度はクロエに向けた。
 だが、彼に自分をどうこうする力がない事を知っているクロエは、構わずシーラに目配せした。
「私達を巻き込まないで欲しいんです。正直余裕がないので、シーラさん、手伝って下さい」
「主」
 許可を求めるように見るシーラに、シルバは軽く手を振った。
「シルバでいいって。とにかく、脱出口を探すんだ」
「テ、テメエら、俺を無視するんじゃねえ!」
 シルバもいい加減、うんざりしてきた。
 力がなければ、これではただの子供ではないか。
「うるさいなあ、もう。相手にしてくれる奴なら表に沢山いるから、好きにしろよ。クロエもさっきからそう言ってるだろう? ちなみに負けたら、この遺跡のエネルギーにされちゃうからな。それが嫌なら、せめて静かにしててくれ」
 言って、シルバはクロエ達を追ってリビングに向かった。
「こ、この……」
 後ろから今にも爆発しそうな声がしたが、本当にどうでもよくなってきた。
「無視が一番効くみたいだね」
 肩の上のネイトも言う。
「正直、もう知らん。クロエ、俺は何をすればいい。奥の倉庫がどうとか言ってたよな」
「ええ。ついてきて下さい」


 おそらく、この家の裏手に続くのだろう。
 倉庫の奥には大きな門があり、埃っぽい倉庫には乱雑に様々な機材が散らばっていた。四隅に穴の開いた二メルト四方はあろうかという大きな板は、何だろうか。中央にある、壊れた半球状の装置が設置されていたらしい。
 それよりもシルバの気を惹いたのは、部屋の中央に横たわる異様なモノだった。
 例えるなら、ひっくり返った鋼鉄製の巨大甲虫だろうか。
 腹の部分にはやはり半球状の装置があり、左右の足に当たる部分は太いU字状の金具になっている。板と違うのは、その装置が無事という点だ。
 シルバが頭の中でひっくり返してみると、つまり半球状の装置が潰れないように、二つのU字状の金具がスタンドとなっているのではないかと思う。
「コイツは……」
 下を覗き込んでみると、どうやら人が乗れるらしい。
 前方に二つ座席があり、右側にハンドルがある。
 後方は荷台だろうか。
「変わった……乗り物でしょう?」
「乗り物……だよな?」
 顔を見合わせるクロエとシルバ。
「乗り物だね。宙に浮くタイプだ」
「そう」
 うん、と頷くネイトとシーラ。
 クロエとシルバは、何とも言えない表情になった。
「宙に浮く?」
「そうだよ。これは空飛ぶ乗り物さ。いやいや二人とも、そんな信じられないような顔をされても。ちょっと考えてみるといい。この遺跡は元は天空にあったモノだ。ならば、地上に降りる為の道具があるのは当然だとは思わないか? それとも何か。人間が羽を生やして飛んでいたとでも言う気かね?」
「いや……しかし……この素材だぞ?」
 シルバは、ゴンゴンと虫じみた、その乗り物を叩いた。
「鉄の塊が飛ぶか?」
「今は、その話をしている場合じゃないと思うが」
 クロエはしゃがみ、運転席を覗き込んだ。
「確かに。まずは、これが使い物になるかどうか。それが問題です」
「動かせたとしても、どっちにしろ使うのは無理そうだね」
 ネイトはシルバの肩から離れると、宙に浮いて大きなゲートに近付いた。
 そして、そのまま透り抜けて、すぐに戻ってきた。
「このゲートの向こうは土で埋まっているようだ」
「……そうですか」
 となると、このマシンを起こしても、ここから出る事は出来ないという訳だ。
 それまで動かなかったシーラが、不意に背後を振り返った。
「主。我が同胞が、近付いてきている気配がする」
「げ」
「おそらく、先程の騒ぎで気付かれたのだと思う。鍵はオートロックなので、少しだけ持つ」
 なら、どうする、とシルバは考えた。
 考える。
 この装置は使い物にならない。
 ただ、ここで様々なモノを作っていた事は分かる。
 地面に散らばっているモノの中には、様々な設計図がクシャクシャに丸められていたりもした。
 そこでふと、シルバは気がついた。
 この部屋には図面を引く道具がない。床に散らばるガラクタの中にも、それらしきモノは見つけられない。
「クロエ。この家に設計室はあったか。あるいは書斎のような部屋」
「ええ。でも、部屋はほとんどくまなく調べましたよ」
「天井もか?」
「天井も、一応は」
 だが、さすがにクロエも自信なさげだった。
 うん、とシルバは頷く。
「お前の仕事を疑う訳じゃないけど、床程じゃないよな。上を調べるのは、普通に骨だし」
「え、ええ。そりゃまあ」
「なら調べるなら、そこだ」


 クロエに案内されて、シルバは書斎に入った。同時に設計室でもあったのだろう、逆さまになって荒れ果てた部屋には、逆立ちした大きなデスクや、図面引きの装置らしきモノの残骸が、横たわっていた。
 部屋の隅には、倉庫にあったような板が立てかけられていた。ただし、大きさは一メルト四方程度。中央には半球状の装置があり、U字状の金具が左右に取り付けられている。
「シルバ。この部屋を選んだ根拠は何だい?」
 ネイトが尋ねるが、シルバは天井をジッと見上げていた。
 ボロボロのカーペットがはがされているのは元からか、それともクロエがやったのか。
「単純明快。研究者にとって、書斎ってのは最後の砦だ。リビングや乗り物用の倉庫に普通、研究資料はまとめていたりしないだろう?」
 天井を眺めながら歩くシルバに、クロエが声を掛ける。
「その転がっている椅子には、触れない方がいいですよ、シルバ」
 シルバは足を止めて、椅子を見た。
「……自爆装置?」
 うん、とクロエは頷いた。
「っぽい、ボタンが肘掛けに」
 なるほど、とシルバは考え、しかし動力がなければ、どうにもならないだろうとも考える。
 いや、待て。魂魄炉によって家屋の明かりがついたのだから、その辺りもどうにかなるんじゃないだろうか。
 いやいや、それよりもまずは脱出路の確保だろう。好奇心は二の次だ。
 ヴィクターの保管されていた隠し部屋を思い出す。
 同じ人間が作ったモノなら、共通点はあるはずだ。
 シルバはクロエを肩車した。
 クロエは天井を直に触り、隠された何かがないか、探り始める。
「第三層の実験室の奥にも、隠し通路があったんだ。運がよければ……」
「そこに直接通じる通路があるかも?」
「そこまで望むのは高望み過ぎかな。とにかくネイト、さっきと同じ壁抜けをやってくれ。クロエの手間が省ける」
「らじゃ」
 言って、ネイトは天井を透り抜けた。
「主」
 使えそうなモノが何かないか探すように命じていたシーラが、シルバに声を掛けてきた。
「何だよ、シーラ」
「この家屋と、自分の命。どちらを選ぶ」
「そんなモノ、自分達の命に決まってるだろ。ただ資料は勿体ないけどな。何とか持って帰りたい所だ」
 欲を言えばの話だ。
 頭上のクロエとネイトが同時に何かを探り出したのか、シルバに動くのを止めるよう言ってくる。
 しばらくすると、大量の埃と共に、天井にポッカリと穴が開いた。
「……通路が床なら、ありったけ落とせるんだがなぁ」
 それよりも悩みどころがあるとすれば、どうやってこの穴を這い上がるかだ。
 クロエを肩車から下ろし、シルバは腕を組んで唸った。
 クロエはと言うと、そのまま書斎の入り口に立っていた、活力が九割ほど減退した風情なカーヴに声を掛けていた。
「貴方はどうするんですか。見栄と自分の命ですが」
「……畜生っ!」
 カーヴは、部屋の壁を拳で殴りつけてヒビを入れた。


 {墜落殿/フォーリウム}第三層。
 ナクリー・クロップの隠し部屋。
 かつて、シルバ達がノワ達と決戦を行なった部屋の、その更に奥に、キキョウ達『守護神』の五人はいた。
 ポッカリと二メルト四方程度の四角い穴を、彼女達は取り囲んでいた。
 この穴自体は、それほど発見するのに苦労はなかった。おそらくは、最初にこの部屋に踏み込んだ、ノワ達も見つけただろう。何の為の穴かは分からない。
 ダストシュート用という事も考えられる真っ黒い闇を孕んだその穴の深さは、どれほどのモノか計り知れない。
 何しろ、石を投げ入れても反響がほとんどしないのだ。
 獣の耳を持つ、キキョウとリフがかろうじて聞き取れたが、分かった事と言えば相当に深い、という事だけだ。
「穴の大きさだけは、タイランが入るのに困らぬな」
「ですね……」
 キキョウの独り言じみた台詞に、タイランが頷く。
「ちなみに覚悟しておいて欲しい。この穴は相当に深い。おそらく第四層は軽く突破出来る深さだ」
 カナリーの言葉に、ヒイロは顔を上げた。
「でも、一層分ショートカット出来るんでしょ?」
「うん。でも最悪、第六層を突き抜けて、それ以上の深度になるかもしれない」
「もしくは、途中で穴が潰れてて行き止まりという可能性もあり得る」
「にぅ……」
 キキョウの悲観的な推測に、リフがしょんぼりと耳を垂らす。
 しかし、ヒイロは一人、まるでめげていなかった。
「今更、深く考えててもしょうがないでしょ? リーダーである先輩のいない今のボク達じゃ、持久戦は難しい。それなら、第六層辺りに一気に到達して、道が塞がれてたら壊して進む。全力で先輩を助けて脱出。はい、任務完了」
 その恐ろしいほどの楽観的な物の見方に、キキョウもカナリーも苦笑していた。
「……単純だな、ヒイロは」
「だけど、この場合は正しい。こんな所で足止めをしている場合じゃない。とにかく進むしかないんだ。始めよう」
 うん、と全員が頷き掛けたその時、キキョウとリフの表情が引き締まった。
「に……!」
「む……っ!」
 音源は、この穴ではない。
 左右を見渡した。
「どうした、リフ、キキョウ」
 困惑するカナリーだが、二人はそれどころではない。
「にぃ……」
「……誰か、登ってくる」
 そして、ヒイロの背後、少し離れた場所に一メルト四方程度の四角い穴が開いた。
 そして、ゆっくりと黒い服装の女性が姿を現わした。
「……古代人の技術って、すごいですねぇ」
 彼女は、呆れたように自分を乗せた板を見下ろしていた。
 そして顔を上げ、キキョウ達の存在に目を瞬かせた。
「あれ、こんにちは」
「クロエ!?」


 カーヴ・ハマーを乗せた浮遊板(仮)はどうやら無事に到着したらしく、また、第六層であるこの書斎に沈んできた。
 クロエの手紙によると、上にはシルバのパーティーのメンバーもいるという。
 どうやら追いかけてきてくれたようだ。
 すれ違いにならずに済んでよかったと、ホッとするシルバであった。何しろ精神共有が使えず、連絡手段が一気に制限されている現状なのだ。
 とにかく後は、この書斎のお宝を出来るだけ積んで、シーラと脱出するだけだ。
「さようなら」
「え?」
 シーラの言葉に、シルバはキョトンとした。
「わたしはここで同胞を足止めする。元々その予定だった。その間に、主には上に行ってもらう」
 扉の向こうで物音がする。
 どうやら、既に人造人間達は、この家屋に入り込んでいるようだ。
「いや、それじゃお前どうなるんだよ」
「おそらくは戦闘不能」
「なら却下だ」
「まあ、シルバならそう言うと思ったよ」
 肩の上で頷くネイトをそのままに、シルバはひっくり返っている書斎机を押し始めた。どういう素材なのか、結構な重量だ。
「何をしているの」
「……バリケードを張るんだよ。それで少しだけ持つだろ。お前も手伝え」
「分かった」
 シーラが加わると、一気に負荷が減った。
 扉の前に、書斎机が置かれる。
 シルバは汗を拭い、部屋を振り返った。必要なのは、重くて大きそうな物だ。
「机の次は本棚だ。とにかく重い物を扉の前へ……って、俺が手伝うまでもないな」
 シーラは何をするのか把握したらしく、軽々と家具を扉の前に積んでいく。
「それよりも、シルバは資料を集めた方が良さそうだね。ここはシルバ達にとっては宝の宝庫なのだろう?」
「だな」
 シルバは、床に散らばる書類をかき集めた。その書類の素材、そのモノが未知の物質だ。文章は何が書いてあるのかよく分からないが、とにかく手当たり次第に手元に引き寄せ、転がっていた鞄に詰め込んだ。
 時計(らしき物)やペン(らしき物)も、掴んでいく。まるで火事場泥棒だなと、シルバは思った。
「もう終わる。でも、もって数秒」
 よし、とシルバは鞄と共に浮遊板に乗った。その途端、ゆっくりと浮遊板は上昇を開始する。
「それじゃ脱出だ。二人……乗れるか?」
 シルバが手を差し伸べると、シーラはその手を取り、同じく板に乗る。
「問題ない。さっきの男よりも重いが、積載量にはまだ余裕」
「よし、なら逃げるぞ」
 浮遊板が天井の穴を潜り、その直後、真下で破壊音が響いた。
「……間一髪か」
 複数人の足音がし、しばらく部屋を探し回っているようだ。
 残念ながら、真下の様子はよく分からない。シルバ達が上昇している穴の幅は、浮遊板の大きさとほぼ一緒なのだ。
 しばらくして。
 爆発音と共に、下から衝撃が伝わってきた。
「ぬおっ!? な、何だ!?」
「おそらく、同胞が肘掛け椅子に取り付けられていた自爆スイッチを押した」
「ちなみにシルバ、爆風って主に上へと噴き上がるんだよ。知ってたかい」
「……それって、俺達まずくないか?」
 顔を見合わせたシルバとネイトは、シーラを見た。
「そう。危険」
 浮遊板がその衝撃に煽られ、凄まじい急上昇を開始する。
「って落ち着き払ってる場合じゃねー! リフ! あーもーくそ! 精神共有使えねーのがこんなに不便とは!」


 第三層。
「に」
「むう!」
 座り込んだクロエから経緯を聞いていた『守護神』のメンバーだったが、不意にリフとキキョウが立ち上がった。
「どうしたんだい、二人とも」
 しかしカナリーの言葉も聞こえていないのか、リフはとてとてと四角い穴に近付くと、そこを覗き込んだ。
 手を広げ、ぶわっと蔦で出来たネットを出現させる。
「お兄、きけん。タイラン、てつだって」
「は、はい」
「カナリー、ヒイロ。某達は網を押さえるぞ」
「何が何だかよく分からないが……」
「まあ、大事な事なんだろうね」


 穴を抜け出る、その直前に緑色の網が穴を塞いだ。
 弾力のあるそれが、シルバとシーラを受け止め、大きく伸び上がる。
「おおうっ!?」
 かろうじて天井に激突するのは防げたが、爆風の影響かそれとも浮遊板のエネルギーが切れたのか、今度は自由落下に移行する。
「受け止めますっ!」
 その穴を、今度こそ防ぐようにタイランが仰向けになって蓋になり、シルバ達の墜落を防いだ。
「っと……だ、大丈夫ですか、シルバさん」
「な、ナイスキャッチ、タイラン……あと、助かった、リフ」
「に、おかえり」
 タイランから降りると、シルバは自分達に巻き付く網を取った。
「シルバ殿!」
「ああ、キキョウただいま……って待て! 敵じゃない!」
 低い音を唸らせ、衝撃波を纏った金棒を突きつけようとするシーラを、シルバは慌てて止めた。
「シルバ殿、そちらの者は?」
「あ、ああ、シーラ自己紹介を頼む」
 シーラは無表情にシルバを見ると、立ち上がった『守護神』のメンバーに向き直った。
「天空都市ライズフォート闘技場所属、人造剣奴隷410号。主シルバの命名により奴隷登録された。登録名はシーラ」
 ざわ……、と部屋がどよめく。
「奴隷……?」
 このままでは間違いなく、誤解が生じる。
 そう、シルバは確信した。
「説明をさせてくれ!」
 ふ、とシルバの肩の上で、ネイトがポーズを作った。
「そして僕は愛の奴隷」
「混ぜっ返すなーっ!」


 大雑把にシーラの事情を説明し終えると、カナリーは頭痛を堪えるような表情で、こめかみを揉んでいた。
「……シルバ、君はいい加減、学習した方がいい。前にも似たような事があっただろう」「そ、そんな事言われたって、他に呼びようがなかったしさぁ……」
「に、仮でも名前はたいせつ」
 言うと、リフはシーラの前に立った。
 ちょっとだけ、胸を張っているように見える。
「リフの方がおねえさん」
「……よく、分からない」
「お兄に名前を付けられたのは、リフが先」
「了解。わたしは妹」
「に」
 二人は、手を合わせた。
「……仲良くなっちゃった」
 何だかなーという顔で、ヒイロはそれを眺めていた。
「ともあれ無事でよかったシルバ殿。術が使えなくなった経緯はクロエ殿から聞いているが、そもそもどうしてこんな事になったのか、よく分からぬのだ」
 言うと、キキョウはシルバが飛び出てきた四角い穴を覗き込んだ。
「こちらとしても推測で動くしかなかったが、大体当たりのようで何よりだ」
「うん、その説明を今から……」
 ぐぅ。
 シルバの腹が鳴った。
 そういえば、最後の休憩でカーヴからもらった非常食を食べてから、一体どれぐらいの時間が経っているのだろう。
 一度空腹を自覚すると、途端に力が抜けそうになる。
「まずは地上に戻るのが先決だね、先輩」
 ヒイロはシルバの腰をポンポンと叩くと、溜め息をついた。そして、カーヴを見る。
「……あーあ、お祭りの屋台制覇が出来なかったよ。カーヴ・ハマーは何かオーラが出てないし」
「それは無理からぬ所ですよ、ヒイロ君。何せ……ねえ?」
 クロエは既に、カーヴが力を失った事も、皆に話し終えていた。
「チッ……!」
 言われたカーヴは、難しい顔をしたまま舌打ちするしかない。
 そちらには構わず、シルバはタイランの方を向いた。
「タイラン」
 呼ばれたタイランは、ビクッと跳ね上がり、太い鉄の指をモジモジとさせた。
「は、はい。担いで帰りますか?」
「ああ、頼む」
「は、はい。それじゃ、私の背に」
 しゃがみ込んで背を向けるタイランと移動板を、交互に見た。
「一人じゃちょっと担ぐのは骨だな。ヒイロとシーラ、これ頼む」
「え」
 ヒイロとシーラが持ち上げる板を見て、タイランは少しションボリとした。
「……板でしたか」
「うん、これ多分すごい金になるから」
 何故落ち込んでいるのか、普段のシルバなら何となく察せたのだろうが、今の彼は空腹でそれどころではなかった。
 だから、激怒したカーヴをまともに相手にする気にもなれなかった。
「っざけんな! 誰のお陰でこれを手に入れられたと思ってんだ!」
「俺」
「シルバですよ」
「シルバがあの家に飛び込んだんじゃないか」
 シルバ、クロエ、ネイトに畳み掛けるように言われ、カーヴは一瞬言葉に詰まる。
 しかし彼が反論するより早く、シルバは面倒くさげに続きを言った。
「辿り辿ればアンタだろうけどさ、悪いけどまったく恩義は感じない。むしろこれは迷惑料としてもらってくよ、カーヴ・ハマー。アンタの手に入れたアイテム類も全部、と言いたいところだけど、俺は文明人なんだ。そんな追い剥ぎみたいな真似はしない。だから、くれてやるよ。有り難く思うんだな」
 後半はわざと、嫌味っぽく言うシルバだった。これぐらいは許されてもいいだろう。
 そして肩の上のちびネイトも、シルバに続くように言う。
「力尽くで奪いたいならば、いいだろう。……ここにいる全員を、相手にしてもらう事になるがね。君には攻撃する力がないんだ。地上まで、大人しくしていてもらおうか」
「誰がお前らの世話になるか!」
 顔を真っ赤にしたカーヴは周囲の白い目を見回し、そのまま部屋を出て行った。
「残念、挑発には乗ってくれなかったか」
「これでお宝も置いてってくれたら、御の字だったんだけどねえ」
「あ……い、いいんですか、シルバさん、ネイトさん」
 一人、タイランだけは心配そうだったが、シルバは特に問題には思っていなかった。
「んー、放っておいていいと思う。どうせ都市に戻るだろうし、どうせその時に追い込みかけるからな」
 いっそ、恥ずかしくて都市を出て行ってくれると一番いいんだけどなーと思うぐらいである。
「あの、いえ、そうではなくて……あの人、攻撃力がないという話で……」
「あの男なら、第三層クラスの敵は戦わなくても、脱出出来ると思う」
 短い間だったが、カーヴの戦い振りを目の当たりにしたシルバは、そう断言した。
 闘技場で彼の相手をしたクロエも、うんうんと頷く。
「ですねー。ちょっと信じられないような運動性能ですし」
「えー、見たかったなー、それ」
 ヒイロは、カーヴを目の当たりにした時以上に、残念そうだった。
 ふふふ、とネイトが笑う。
「僕の見た分でよければ、あとで見せて上げよう。自慢じゃないが、記憶の投影は得意中の得意なんだ」
「やった!」


 後は戻るだけか、とシルバは息を吐いた。
 そして、煙を吐く穴を見る。
「ただ、部屋は惜しかったな……もう使えないか」
 ……大昔の自爆装置が作動したという事それ自体にも驚きだが、ご家庭に普通、そんなモノがあるかとも思わないでもない。
 そして、あの大爆発。第六層にあったあの家は無事では済まないだろう。瓦礫の山と化したに違いない。
 貴重な古代の遺産が、塵となったのだ。
 シルバとしては残念でならない。
 そんなシルバを見て、シーラは口を開いた。
「部屋は破壊された。でも、穴は塞がっていない」
「という事は、通路としてはまだ使えるのか」
「そう」
 リフが、シーラを見上げた。
「のぼってこない?」
「同胞達の使命は、居住区の侵入者の確保と、魂魄炉へのエネルギー供給。登る力のある者はいるけど、登っては来ない」
「そうか……」
 それからふと、シルバは他にも穴がある事に気がついた。
「そっちは、某達が侵入を試みようとしていた穴だ」
 キキョウの言葉を耳にしながら、シルバは第六層での家の間取りを頭に描いていた。
「とするとそっちの大きい穴は……位置からすると、倉庫の真上だな。なるほど、あっちにも上に通じる穴があったのか」
「その辺は読み違えでしたね」
 クロエに言われ、確かにな、とシルバは頷くしかない。
 そんなシルバを庇うように、シーラが口を開いた。
「どちらにしろ、あちらにあった浮遊台は壊れていて、使用出来なかった」
「そういえば、そんなモノもあったな」
 確かに、装置の壊れた大きめの板があったのを、シルバも思いだしていた。
 ただ一人、ネイトは違う方向を見ていた。
「シルバ。もう一つ穴があるんだが」
「なぬ?」
 肩の上のちびネイトが指差す方向を、シルバは見た。
 自分達が登ってきた穴からはそれほど離れていない場所に、細長い穴が開いていた。
 幅自体はシルバ達の使ったモノとほぼ同じ1メルト程だが、縦は30セントメルト程度、とても人が潜れる大きさではない。
「本当だ。いつから出来ていたのだろう」
 キキョウを始め、他の皆も気付かなかったらしい。
「ん、んー……大きさから考えると、人は通れないよなあ」
 覗き込んでも、暗い穴が広がるだけである。
「あ、あの、でしたら私が……」
 タイランが申し出た。
 確かに甲冑を脱ぎ、精霊状態になったタイランなら可能だろう。
 しかしシルバは首を振った。
「いや、気持ちは嬉しいけど……」
 まずクロエがいる。彼女を信用していない訳ではないが、特にタイランの件は出来るだけ秘密にしておきたい所だった。
 それに、何かの気まぐれを起こしてカーヴが戻ってくる可能性もゼロではない。
「なるほど、それはそうですね……でも、だったらどうしましょう」
「そうだな……」
 シルバは考えた。煙管から出現していたスモークレディはとっくに効力を失っている。再び使う手もあるが……と、カナリーを見た。
「カナリー、いけるか?」
「任せたまえ」
 地上の時刻は、既に夜。
 霧化の出来るカナリーの出番であった。


 細長い穴から白い霧が出現し、それは穴の奥を調べ終えたカナリーの姿を取った。
「……相当に深い所に何か箱のような物があるね。シルバ達がいたという部屋にまでは通じていないようだ」
「……本来の都市の状態なら、自然落下してたんだな」
 ただ、霧の状態では、カナリーもそれを掴む事は出来ないらしい。
 だったら、とシルバは今度はリフを見た。
「に」
 心得てる、という風にリフも頷く。
「底までいけるか?」
「にぃ……分からないけど、やってみる」
 二人のやり取りに、ヒイロが目を見開いた。
「え、リフちゃん落としちゃうの?」
「にゃっ!?」
 リフがシルバの背中に隠れる。
「違うわ!? 蔓を出して、伸ばしてもらうんだよ!?」
「おおっ!」
 ポン、と手を打つヒイロであった。


 そして、先端を鈎状にした蔓のロープで、『それ』を穴の底から引っ張り出す事に成功する。
 『それ』は箱ではなく、やや大振りの長方形の鞄だった。トランクという奴だ。
 クロエにも一応分け前を聞いて見た所、本来自分の仕事は情報を持ち帰る事(そしてそれは充分収穫を得た)なので、必要ないという事だった。
「お宝?」
「……どうだろな」
 ヒイロの言葉に、シルバは唸る。
「クロップ爺さんのだよね?」
「その先祖だ。爺さんだったかも知れないし、婆さんだったかも知れない」
「意外に美形のまま死んだ説とか」
 冗談のような二人のやり取りに、カナリーが口を挟んできた。
「それよりも、迂闊に開けない方がいいと思うんだ」
「まったくだ」
 何しろ、クロップ家の代物である。
 下手に弄ると、トランクが爆発する恐れがあった。
「……リフ、もう一回、頼まれてくれるか。蔓での解錠。出来れば、全員避難した上での遠隔操作で」
「に」


 幸いな事に、トランクに爆発物は仕掛けられていなかった。
「コイツは……」
 シルバ達は開かれたトランクを恐る恐る、覗き込んだ。
 そして、シーラを除く全員が、微妙な表情をした。
「……何だ?」
 トランクの中はクッションのような柔らかい素材が敷き詰められていた。
 右半分には赤ん坊の拳ぐらいの大きさの装置が縦に三つ、並んでおり、左半分をノートぐらいの大きさの白い石板が占めていた。
 ふむ、とネイトが頷く。
「石板と装置が三つか」
「誰が見たまんまを言えっつった。これらが一体何なのかって話だよ。一つは分かるけど」
 装置の真ん中にあるのは、浮遊板に取り付けられている半球状のモノだ。小型だが、同じモノだろう。
「装置は皆、{独楽/コマ}のようであるな」
 キキョウの言葉になるほど、とシルバは思う。言われてみれば三つとも多少の違いはあれど、よく似ているような気がする。
「装置は上から順番に、スタンダードな練気炉、小型浮遊装置、もう一つは不明。その形状から、おそらくはクロップ氏による独自の機関炉と思われる」
 この中で唯一分かりそうなシーラが、説明した。
「分かるのか」
「分かるだけ」
「練気炉って何?」
「練気炉としか言いようがない」
 ……詳しい事は、よく分からないらしい。
 シーラの答えに、カナリーは少し残念そうだった。
「この一番下のは、魂魄炉じゃないのか」
「魂魄炉じゃない」
「……となると、精霊炉でしょうか」
 ちょっと遠慮気味に、タイランが口を挟んできた。
 うーん、とカナリーは首を捻った。
「それともちょっと違うように見えるけどねぇ。ま、大昔のモノだから、形状云々言ってもしょうがないのかもしれないね」
「オーケー。装置の方は分かったよ。でも、この石板は何だ。何も書かれていないぞ?」
 シルバは石板を持ち上げた。
 思ったより薄く軽い。縦は二十セントメルト、横はそれよりやや短い長方形となっている。厚さは一セントメルト程度か。
「エネルギーがない。供給が必要」
 下の方に丸いボタンらしきモノがあり、それを横からシーラが押したが、何の反応もなかった。
「そもそもこりゃ一体何だ?」
「これは、情報端末。起動すれば、中に保存された情報を読み取れるはず」
「……ああ、なるほど」
 肩の上に乗っていたちびネイトが、得心行ったように自分達が脱出した穴を見ていた。
「何だよネイト」
「そりゃ、家屋が爆発したら、それまでの研究資料は持ち出したいだろう。つまりそういう事だ」
 つまり、このトランクの中身は、クロップ氏の研究資料なのだろう。
 これだけコンパクトに収められていると言う事は、おそらくはかの人物の研究の核となるモノで間違いない。
 古代の学者の研究成果であり、それはおそらく現代では失われた技術の粋である。
「……無茶苦茶、大事な物じゃねーか」
「私はパスしときますね」
 それまで黙っていたクロエが、ひょいと手を上げた。
「おい、クロエ」
「そういうのは手に余りますから。私は平凡な小市民でいたいんです。協力するのは構いませんけど、こういうのは全部、シルバにお任せしときますよ」
「でも間違いなく金になるぞ? いいのか?」
 やれやれ、とクロエは肩を竦めた。
「分けられるモノでもないでしょう、これは。金以上に、これは間違いなくトラブルの種ですよ。私の勘が告げています。一番分かりやすい例だと、カーヴ・ハマーでしょうか。彼がここにいなくてよかったです」
「あー……」
 クロエに言われ、シルバも頷かざるを得ない。
 もしも彼がここにいたら、奪い合いになっていた事は必至だろう。戦闘能力がなくても、例えば煙幕などで目眩ましをし、盗むという手はある。
 戦う、という事にさえ固執しなければ、おそらくはカーヴは手強い。
 彼でなくても、このトランクの中身は良からぬ者の欲望を呼び起こすには十分な魅力がある。
 それだけではない、冒険者ギルドの魔術師や学習院の学者達……考えれば考えるほど、シルバは頭が痛くなってきた。
 シルバの苦悩を察したのか、クロエは苦笑いを浮かべた。
「むしろ地上に出てからが厄介ですね。これは、隠しておいた方がいいと私は思います。ただでさえ、浮遊板とシーラさん、この二つでお釣りが来てますよ。シーラさんも隠した方がいいとは思いますが」
「いや、それはどうだろう。カーヴが言うだろ」
「言わないと思いますよ?」
「何で」
「一度勝ったとは言え、その後負けましたよね。あの人が言うと思いますか?」
「……俺達次第、かな?」
「でしょうね」
 シーラを見る。
 自分達が古代の人造人間だと言わなければなるほど、カーヴも黙っているような気がする。
 そうなると、シルバの成果はカーヴから分け与えられたいくらかの貴金属類と、浮遊板という事になるが。
「でも、そうなるとお前、収穫ないじゃん」
「そうでもないですよ……となると、ちょっと急がないといけませんね」
 クロエは出口を振り返り、屈伸運動を開始する。
「急ぐ?」
「カーヴ・ハマーは逃げる事には慣れていないと思いますから追い抜くのは難しくないとして、多分斥候班やチシャさん達よりも、私の方が先にこの層に到着しているでしょう」
「ああ、そりゃ一気にショートカットしたからな」
 斥候班がどれだけ腕利きでも、チシャも抱えているし、せいぜいが第四層といった所だろう。
 んー、とクロエは両手を指を絡めて、身体を伸ばす。
「ま、タイム的に微妙な所ですけど、運がよければなかなか愉快な事になるかも知れません。という訳で、お先に失礼」
 ストレッチを終えると、クロエは軽くその場で一跳びし、そのまま幻のように消え去った。
 広い実験室の方からクロエの足音が響く。
「ってもう行っちまったよ……」
「どうしたんだろうねー」
 ポリポリと、ヒイロは頭を掻いていた。
「さて、な。とにかく腹も減ったし、一旦地上に戻ろう。回復が使えないから……ポーションを持ってる人がいたら、分けてくれ。回復役だけでも担当するよ」
「に」
 リフがスッと差し出してきたのは、針と眼鏡、それに篭手だった。
「そうか、これもあったな。これで一応の防御役も務まるか」
「私が盾になってもいい」
 金棒を持ったシーラが、シルバの前に立つ。
「……まあ、人造人間の性能を見てもらうのには、いい機会かな」


 そしてシルバ達は、墜落殿を脱出した。
 通信に関して思いつく事があったので、フィリオに聞きたい事があったのだが、疲労と空腹は思っていたよりもシルバを弱らせており、霊獣の背中に乗った途端、彼は気絶していた。
 遅れて都市に戻ったチシャも似たり寄ったりであり、充分な休息を取った二人が冒険者ギルド本部を訪れたのは、三日後の朝一であった。
 目的は、カーヴの拉致行為への抗議である。
 が。


「「どういう事!?」」
 シルバとチシャは、カウンターから身を乗り出した。
 その勢いに、冒険者ギルド職員の女性はたまらず仰け反っていた。
「いえ、ですから今言った通りです。シルバ・ロックールさん、チシャ・ハリーさんですよね。はい、臨時パーティー登録にちゃんとされていましたよ。これがその書類です」
 そして差し出された書類はなるほど、臨時用のパーティー登録書類である。
 リーダーは前衛のカーヴ・ハマー。
 後衛で補佐を務めるシルバ・ロックールとチシャ・ハリーの名前も手書きで記されていた。
 二人はその書類を睨み、唸った。
「……筆跡まで本物そっくりだ」
「……私のもです」
 ふむ、とシルバの後ろでカナリーが顎を撫でた。こういう場所での交渉なら、リフよりも自分の方が向いていると、付き添いで来ていたのだった。
 書類を覗き込み、二人に代わってカウンターに立つ。
「この日付……記念式典のあった日だね。質問いいかな」
 カナリーに微笑まれ、職員の女性は頬を赤らめながら、眼鏡のズレを直した。
「ど、どうぞ」
「その、臨時パーティー登録書を受け付けたのも、貴方なのですか?」
「い、いえ、私じゃありませんよ。その日の職員は……ああ、ジョンさんですね。ジョン・シェフネッケルさん」
 カナリーの目が鋭く光る。
「その人は今、どこに?」
「あ、その、せ、先日、退職されました。何でも親戚が仕事をしているサフィーンに向かうとか急に……」
 ガクッと、三人は項垂れた。
「……やられた」
「……やられましたね」
「くそ……っ!」


 冒険者ギルド本部を出て、シルバとカナリーは教会に向かうチシャと別れた。
 二人が向かう先は学習院のストア研究室。
 そこで今後の話をする事になっていた。
 寝坊がなければ、もうみんな集まっているはずだ。
「チシャの話だと、カーヴは墜落殿に直行だったらしい。気絶してた俺は憶えてないけどな」
 ふむ、とカナリーは屋台で買ったトマトジュースを飲みながら、鍔広の帽子を被り直した。
「となると、やっぱり貴族のパトロンがいるね。ジョンという男はおそらく金で動いたのだろう。あの職員の言う通りなら、もうとっくにこの都市を出ているだろう。おまけに文書の偽造。冒険者であるカーヴの手下達に、ギルドの中にまで働きかけるこの手の小細工は難しい」
「くそ、スッキリしねえな」
 チィッ……とシルバは舌打ちする。
「文書で残されているとなるとねぇ……こっちがいくら正当性を訴えても、勝つのは厄介だ。こっちも何か証拠を突きつけないとね」
「証拠か……」
「もしくは、偽造した張本人に、自白させるか」
 ふぅ……とカナリーは息を吐いた。
「ま、シルバをあんな事件に巻き込んだ張本人は、痛い目に遭ったんだ。それで一応の溜飲は下げてくれ」
 スゥッとシルバの肩に出現したネイトも、うむ、と頷く。
「街の噂だと、英雄さんはずいぶんと飲んだくれているらしいな。当分は冒険者稼業は『休業』らしいが、いつまで通じるか」
「パトロンの機嫌もあるしね。おまけに第六層の新情報の提供も、クロエに出し抜かれたと聞く」
「そうなのか?」
 この数日、ほとんど自分のアパートで過ごしていたシルバには、その辺りの事はよく分からない。
 カナリーの説明によると、クロエは途中でいつものようにモンスターを相手にしようとして手こずっているカーブを追い抜き、第四層に向かった。
 斥候班と合流した彼女は彼らの無事を確認後、そのまま先行して地上に戻り、一足先に冒険者ギルドに第六層の報告を行なったのだという。
 現れたモンスターや迷宮の構造は何より貴重なモノだし、奥にあった魂魄炉が活動している事、そのエネルギーに捕らえられた斥候班の残りがいる事や、戦闘用人造人間に関しては、今も対策が練られているという。
「……なるほど」
「カーヴの背後関係は僕の方で何とかしよう。それよりも、僕らには他にする事が多すぎる」
「だな」
 シルバは頷く。
 そして、自分の左手首に巻き付く、呪いをジッと見つめた。
 まずはこれが、最優先だ。



[11810] シルバの封印と今後の話
Name: かおらて◆6028f421 ID:8cb17698
Date: 2010/05/25 01:22
「何でメイド服っ!!」
 ここはストア研究室。
 書類の山の通路を潜ったシルバは、シーラの姿を見てすかさず突っ込んだ。
 言われた当の本人は、伸ばしっぱなしだった長い黒髪を後ろで一本に纏め、フリルのついた紺色のエプロンドレスを着用し、一見すると立派なメイドの姿になっていた。
「先生から、ここの制服と聞いた」
「よく似合うでしょう、ロッ君……痛いでふよ、ロッ君。頬っぺたふねらないれくらはい」
 師匠である白い司教ストア・カプリスの両頬を指で引き延ばしながら、シルバは師弟の上下関係をかなぐり捨てて彼女を問い詰めた。
「……いつの間に、メイド服がこの研究室の制服になったんですか? 何時何分何十秒に!? これまで、そんなモノ全くなかったでしょうが……っ!」
「分はりまひた」
「諦めてくれましたか」
 シルバは、ストアの頬から指を離した。
 ストアは相変わらず、柔らかい笑みを浮かべながら、人差し指を立てる。
「ロッ君の分も用意します」
「そっち方向に理解を求めてくれなんて頼んでませんよ!?」
「大丈夫ですよ。ちゃんと燕尾服を買ってきますから」
「執事になるとかそういう話でなくて!」
「でもロッ君、元々、そういう感じの仕事ですよね?」
「先生、燕尾服でしたら僕の家にありますよ?」
 シーラから香茶を受け取り、カナリーが言う。
「まあ、助かります、カナリーさん」
「助かりません!」
 シルバのツッコミは休まる事を知らない。
 一方、キキョウは顔の下半分を押さえていた。
「わあっ! キキョウさんが鼻血を! えっと、タオルタオル……」
「だ、大丈夫だ。ちょっとシルバ殿の執事姿を想像しただけで……」
 慌てるヒイロをキキョウは、手で制する。
「阿鼻叫喚だなまったく!?」
 何とか静かなのは、ソファに縮こまっているタイランと、ふーふーと香茶を冷ましているリフぐらいのモノだった。
「そ、そろそろ真面目な話に移りませんか、皆さん」
「に」
 二人の言葉に、ようやく場の空気が鎮まっていく。
「……よかった、まともに纏めようとしてくれる奴がいてくれて」


 そしてシルバは、テーブルに突っ伏しながら冒険者ギルドであった事を話した。
「……ま、道理で道中もあんにゃろめ余裕だった訳ですよ」
「に……お兄、元気だす」
 シルバの背中を、ポンポンとリフが叩いた。
「おー……」
「大丈夫ですよ。冒険者ギルドの方でもちゃんと調査するって言ってくれていたんですよね」
 ストアはそう言いながら、香茶のおかわりをシーラに注文した。
「とても、ちゃんとやってくれそうには見えなかったけどなー」
 事務方は、訪れる冒険者達の対応に追われていたようだし、とシルバは思い返す。
「見えては困りますよ。ギルド事務でのこういう作業はロッ君のお仕事と同じで、裏でやるのが常ですからね。それにロッ君だって今日明日に結果が出るような問題じゃないって、分かっていますよね」
 シーラから、ストアはティーカップを受け取る。
「ま、そーなんですけどね」
 要するに八つ当たりなのだ、という事は自覚しているシルバであった。
「私の方からも、ギルドマスターに言っておきますよ」
「よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いされました」


 さて、とシルバは身を起こして、パーティーのメンバーを見回した。
 ここからは、自分の話となる。
「……んじゃま、気を取り直して今後の話。この呪いの件だ」
 シルバは、自分の左手首を見せた。
 複雑な文様の刺青が腕に巻き付いたままだ。これによって、シルバは今、祝福魔法を使えないでいる。
 アーミゼストに戻り、真っ先にストアに解呪を頼んでみたが、古代の呪術であり、よく分からないというのが結論だった。
 だが、それでもシルバは諦めていない。
「ぶっちゃけた話、治す方法はいくつかある。その最たるモノは、術者であるボルドウという人造人間を倒す事だが……」
 シーラを見ると、彼女は小さく頷き、皆に言った。
「正確には、ボルドウの主の力が必要。そしてその主はおそらく死んでいる」
 ちびネイトが同意する。
「ふむ、大昔の人間なら、無理はないな。資料も望み薄と来ている」
 やれやれ、とカナリーは天井を仰いだ。
「駄目元で、その第六層に望みを賭けてみるのもありといえばありか。しかし、その為にはシルバの戦力が必須。そのシルバの戦力を取り戻す為に第六層に向かう訳だから、本末転倒ここに極まれりと言った所だね。他に手はないのかい、シルバ」
「ある」
 あっさりと、シルバは断言した。
「どんな?」
「ルベラント聖王国の教皇猊下に、直々に呪いを解いてもらう。解呪出来る可能性としては、かなり高い手だと思う。その類の資料に関してなら、ここよりもずっと豊富だしな」
「ここでも結構、沢山あるんですよ?」
「いや、先生対抗意識燃やさなくてもいいですから。向こう、大図書館クラスだし、研究室や教会の書庫の広さと比較されても」
 シルバとストアが揉めていると、タイランが口を挟んだ。
「で、でも、そんな簡単に、会える人なんですか? とても偉い人なんですよね?」
 当然の疑問だ。
「もちろん、そこが問題と言えば問題なんだけど……」
「私が紹介状を書きますよ」
 ストアが言い、さらにシルバの肩の上で、むん、とネイトがあまりあるとは言えない胸を張った。
「それに、僕が暴れるぞって脅すという手もある」
「やめい」
 指で弾こうとするシルバから、ネイトは軽快なステップで逃れる。
 ふぅむ、とキキョウは腕を組んで、唸った。
「そういえばネイトが教皇……猊下とやらに会ったと、先日話をしていたな。なるほど、悪魔であるお主をその札に封じるほどの力の持ち主ならばあるいは、か」
「そういう事。もっとも先生の紹介状を持ってても、忙しい人だからなぁ。平の司祭の解呪の依頼なんて、どれぐらい待たされるのやら」
 そこが、シルバにとっても悩ましい所である。
 だが、それよりももっと重要な点があった。
「それとは別に、単純に距離の問題もあるんだ。このアーミゼストからだと、馬車を乗り継いでも相当に時間が掛かる。一週間二週間どころじゃない」
「……数ヶ月単位であるな」
「とすると、その間、このパーティーでの墜落殿探索は休業と言う事になる訳だよ。それで、リフ以外のみんなはどうするかっていう話になる」
「ちょ、ちょっと待ったシルバ殿! 何故にリフが除かれるのか!?」
 身を乗り出すキキョウに、シルバとようやく冷めた香茶を飲んでいたリフは顔を見合わせた。
「や、だって……なぁ?」
 リフは、首を傾げた。
「にぃ。リフはお兄のためにこのパーティーに入った。だからついてく」
「そ、それは某とて同じだ!」
「ちなみに僕はシルバの所有物なので、議論するのも馬鹿馬鹿しいという」
 ふふふー、とシルバの肩の上で、ネイトが威張る。
「勝ち誇られたーっ!?」


 続いて、ヒイロも手を上げる。
「ボクも全然オッケーだよ。古代王の剣ってのには興味があるけど、自分が強くなってナンボだからねー。他の国の強者と会うのも、これはこれで!」
 言って、グッと拳を握りしめる。
 その後ろで給仕をしていたシーラが動きを止め、微かに首を傾げた。
「古代王の剣……?」
「うん?」
「…………」
 不思議そうに見上げるヒイロに構わず、シーラはしばらく無言で停止していた。
 しかし、考える事ではないと判断したのか、再び活動を再開する。
 シルバもちょっと気にはなったが、それより今は、皆の意思を聞くのを優先した。
「わ、私はこんな身体ですし……今の所は、皆さんと行動を共にするのが、その……ベストかなと」
 というのが、タイランの主張であった。
 彼女が言うと、ほんわかとした笑みで皆を見守っていたストアが、思い出したように両手を合わせた。
「あ、そうそうタイランさん。うっかり忘れるところでした」
「は、はい。何でしょうか?」
「お父さんからお手紙です」
 言って、ポケットから一通の手紙を出す。
「はい!?」
 思わずタイランは、身を乗り出していた。
 人工精霊タイランを作り上げた錬金術師であるコラン・ハーベスタは、{彼女/タイラン}を軍から守る為、国から逃げ出した。
 バラバラに逃亡した二人は離ればなれになっており、以来、行方は分からなかったのだが……。
「懐かしいですねえ。以前お会いした時は、偽名を使ってましたし、憶えていらっしゃらないかもしれませんけど」
 懐かしそうに言う、ストアであった。
「今、ルベラント聖王国の大聖堂に匿われているみたいですよ。あ、それならその用件の時に、ロッ君も教皇猊下に頼んでみては如何でしょう」
「ねーねー、タイラン。お父さん何て?」
 ヒイロが身を乗り出して、タイランの手元を覗き込もうとする。
「あ、えっと、その……こちらで元気にやっているっていうのと……それはいいんですけど……」
 何故かタイランは、チラチラとシルバの様子を伺っていた。
「何だよ、タイラン」
「一ヶ月ほど前に、シトラン共和国で、シルバさんに、助けられたそうなんですけど……」
「……悪いけど、心当たり皆無だ」
 ずいぶんと以前、シトラン共和国を訪れた事はあるが、いくら何でも一ヶ月前はない。
 不思議に思っていると、ストアは少し楽しそうに、ポケットに手を入れた。
「そのロッ君にもお手紙です」
「誰から?」
「何と、シルバ・ロックール氏からです」
 うふふ、と笑いながら、ストアはシルバに手紙を渡した。
「……何となく、誰の事か見当がついたような気がする」
 自分の名前を騙って人助けをするような人間、シルバの知っている知人にもそう多くはなかった。
「誰?」
 不思議そうなヒイロが顔を上げる。
「この呪いを解いてくれるアテの一つ。正直教皇猊下よりも頼りになるけど、どこにいるのか分からないのがネックでな……って、そういえばネイト。お前、会いに行ってたんじゃなかったっけか?」
 手紙の封を切りながら、シルバは肩の上の悪魔を見た。
「ああ、東サフィーンで会った。とすると、東に向かっているのか」
「シトラン、サフィーンと考えると妥当だな。もし会えるとするならば、ジェントかモース霊山方面になるか」
 とはいえ、この大陸のほぼ反対側だ。
 さすがにその旅路はちょっと、時間的にも経済的にもきついし、シルバにも実行するつもりはない。
 ともかく、手紙に目を通すシルバだった。
 簡単な近況と、コラン・ハーヴェスタを助けた件、そしてそれによって今後起こる可能性のある事件について記されていた。
「もしかすると、命を狙われるかも知れないから……って、何だこりゃ」
「あ、その……部下だった人に父が追われていた時、シルバさんの名前を騙っちゃったからじゃないでしょうか」
 タイランの言葉に、シルバは頭を抱えた。
「……俺の与り知らないところで、俺をトラブルに巻き込まないで欲しいんだが」
 めげている場合じゃない、とシルバは無理矢理立ち直った。
「残るはカナリーだな」
「いや、もちろん付いていくよ?」
 何を当たり前の事を、とカナリーは平然と香茶を口にしていた。
 もちろんシルバとしては心強いが、それでも疑問は残る。
「でもお前、第六層で入手した情報の中には、魂魄炉の話もあっただろう。今はまだ情報だけとはいえ、第三層から第六層へのショートカットの道も拓かれた。研究室にとっては重要じゃないか?」
「重要さ。だからこそ、僕は君についていくんだよシルバ」
「どうしてそうなる」
 普通は残る、という結論になると思うのだが。
「浮遊板の事は冒険者ギルドに報告したけど、シーラの事はまだ、話していないだろう?」
「正確には、ギルドマスターには私の方から話しておきましたけどね」
 口を挟んだのは、ストアだ。
「そうですね。それでも、彼女の件はほぼ最高機密だ。自我を持った古代の人造人間なんて、今後、第六層で得られるかどうか分からない。違うかい」
 シルバは、シーラを見た。
「難しいと思う。わたしの場合は、ネイトの干渉があって初めて、自分の意思で動けるようになった」
 だろうね、とカナリーは肩を竦めた。
「第六層奥の魂魄炉の事は、僕以外でも出来る。けれど、シーラから得られる情報は僕にしか入手出来ない。というか、君について回るともれなくその悪運と共に、他にも色々貴重な知識が得られそうだしね。同行させてもらうよ、シルバ。もっとも、目的地であるルベラント聖王国じゃ、吸血鬼である僕はそもそも入る事すら難しいけれど」
「あー」
 言われてみれば、そのまま退治されてもおかしくないような気がしないでもない。
 中には物わかりのいい人もいるにはいるが、基本的に彼の国は魔族には厳しい。更に厄介な、人間至上主義者という者もいて、そういう手合いの場合は、キキョウやリフのような(厳密には違うが)獣人ですら忌避したりする。
 シルバは、シーラを再び見た。
「シーラは、出来れば残って欲しい。例の石板の内容、ブルース先生なら言葉は分かるけど、意味の理解となるとやっぱり君の方が向いている。先生の指示に従ってもらえると助かる」
「了解した。なるべく急ぐ」
「頼む」
 シルバが頷くと、リフが勢いよく手を上げた。
「に!」
「うん、リフ。何だ」
「せんせえの転送装置を使えばあっという間に着く!」
「転送装置?」
 シルバを始め、全員の視線がストアに集中する。
 ああ、とストアは手を打った。
「そういえば、それがありましたね。アレを使えば、ルベラントの大聖堂まで一瞬で送る事が可能です」
「今までの会話、全部ひっくり返したよこの人は!?」


「転送装置のある場所は都市郊外のなんかちっさい森で、モンスターもほとんどいない。距離は徒歩で二時間程度。向こうで泊まるとしてもまあ一日って所……こりゃスケジュール組むほどのモンじゃないなぁ」
 という訳で研究室でのやり取りの翌日、シルバ達一行は、なだらかな丘陵を越え、その森を見下ろす位置に来ていた。
 丘の上からでも、森の全容が見渡せる。
 通り抜けるのに十分も掛からないだろう、そんな大きさだ。
 メンバーはというと、今回の主役であるシルバとタイラン、何となく予定が空いていたストアが付き添いとなり、後は仔猫状態のリフとネイトという構成であった。
 キキョウやカナリーにはそれぞれ、訓練や研究の方に回ってもらう事となった。
 シーラも研究室で石板の内容を整理しており、何故かヒイロが手伝っている。仕事が終わってから、訓練してもらうつもりでいるのは明らかだ。
「……完全に冒険って雰囲気じゃないし」
「ピクニック……ですよねぇ」
 ガションガションと、重い足音を鳴らすタイランはいつもの甲冑姿だが、他は揃って軽装だ。……まあ、{札/カード}であるネイトや仔猫状態のリフに、装備も何もないのだが。
 ストアに到っては、手に大きなバスケットを持ち、鼻歌を歌っていた。
「そういえば、そろそろお昼ご飯の時間ですね。シートを広げましょうか」
「……少なくとも、先生は完全に、そのつもりでいるな」
「にぅ……」
 シルバの懐から顔だけ出したリフが、小さく声を上げた。


 丘の上にシートが広げられ、昼食を取る事となった。
 ストアのバスケットの中身は案の定、サンドウィッチだった。
 タイランは甲冑を脱ぎ、精霊状態でシートにちょこんと座る。
「こうなってくると、考えていたシルバのスキル代用案も無駄になるか」
 シルバの頭の上にふよふよと浮かびながら、いつも通り金ボタンの黒詰め襟服を着ているネイトが言う。
「完全に上手くいけばな」
 香茶の入ったコップを皆に配りながら、シルバが返す。
 ふむ、とネイトがシルバの頭に乗った。
「教皇さんが、解呪出来なかった場合の事も考えないといけない訳だ」
「当然だろう」
「……あ、あの、司祭様と司教様が揃ってる状況で、その発言はちょっと、どうかと思うんですけど」
 遠慮がちに、タイランがシルバとストアを交互に見ていた。
「んんー、タイランの意見はもっともだけど、冒険者的には別ってトコかなぁ。最悪の事を考えとくのは当然というか」
「つまり、ご飯とデザートは別腹、という事ですね、ロッ君」
「全然違います」
 飲み物が全員に行き渡り、各々サンドウィッチを取り始めた。
「代用スキルって、どういうのがあったんですか?」
 タイランの問いに、シルバは指を三本立てた。
「俺が戦闘時に主に使うのは、精神共有、{回復/ヒルタン}、{防御/ラシルド}の三つ。他にも色々とあるけど、頻用するのはこれらな訳だ」
 はむ、と野菜サンドを口にするシルバ。
「んでまずは精神共有の話。代用出来るモノは、俺の思いつくので二つあって、一つはコイツを使う」
 懐から『悪魔』のカードを取り出し、そこに魔力を込める。
「頼りにしてくれるとは嬉しいぞ、シルバ」
『にぅ……お魚サンドウィッチおいしい』
 仔猫状態で尻尾をパタパタと揺らすリフの声が、脳裏に響いた。
 それは、タイランにもちゃんと届いたようだ。
「あ、い、今、リフちゃんの声が聞こえました!」
『に?』
「心術の一種だ。っていうか元々、霊獣・獏はゴドー聖教の修練場で、精神共有や他、精神面での修業を手伝ってくれたりしてるんだよ」
「具体的には、悪夢や淫夢を見せて修行者の精神力を乱したりするんだ」
 香茶を飲みながらシルバが解説し、それをネイトが補足する。
「昼夜問わずにな」
 ふぅ……と、シルバは溜め息をついた。
 その頭の上で、ネイトはストアから香茶を湛えた水筒の蓋を受け取る。
「未熟な者だと、朝方、とっても恥ずかしい事になる」
『に?』
「そういう事は言わなくてもいいんだよ。っていうか何でカードが飲み物を飲めるんだよ!?」
「細かい事を言うな」
 騒ぐシルバとネイトを余所に、ストアがのんびりとビフテキサンドを頬張っていた。
「教会が、夢魔さんや淫魔さんにお手伝いを頼む訳にもいきませんからねぇ」
「あの、でもそれで通用するのなら、ひとまずは充分なんじゃないですか?」
 タイランの疑問は、妥当なモノだった。
 ひとまずネイトを押さえ、シルバはその疑問に答える事にした。
「んんー、そうなんだけど、やっぱり魔力の消費が俺自身が使うモノより激しいってのが一つ」
 うん、とネイトも頷く。
「{札/カード}を媒介にしているからな。僕が何とかしてやりたい所だが、それも適わない身だ」
「もう一つはやっぱりその辺、ダイレクトにやれないとどうも勝手が違うというかな。基本、戦闘時にはみんなのポジションもイメージとして送ってるんだけど、それも現状、あまり上手くいかない」
「ああ……そこは重要ですね」
 前線に立つ身であるタイランにも、理解出来たようだ。
 後方からの、カナリーの雷撃支援やリフの精霊砲などは、シルバのパーティーでは合図なしで行なわれている。
 射線上にいる前線の者は、シルバや撃ち手からの意識を直に受け取り、避難が可能なのだ。それが出来るのと出来ないのとでは、差が大きい。
「その辺は慣れの問題だろうな。僕を使っても、出来ない事じゃない」
 そして、とシルバは指を一本立てた。
「もう一つは種。イルミっていう樹から取れる種にも、一定時間だが、精神共有と同じ効果がある」
『にぅ……でもそれ、うちの山じゃないと手に入らない』
 リフの耳がションボリと下がった。それは、第六層から出た時、墜落殿の出口で待っていたリフの父・フィリオにも聞いた事だ。
 リフの頭を指でわしゃわしゃと撫でながら、シルバは言葉を続けた。
「昔世話になってた木人の人が使ってたんだけどなー。っていうかむしろそれがあんまり便利だったから、俺も精神共有を取ったんだけど」
「そうなんですか……」
「でも、無いモノはしょうがないよなぁ」
『に。転送装置が使えるなら、お山にも行けばいい』
 言いながら、リフはシルバの膝の上に乗ってきた。
「解呪が駄目だった場合な。あ、でもリフの里帰りにはいいかもしれないけど」
『にぃ……』
 太陽の熱が心地いいのか、リフは膝の上で丸まり始めた。


「で回復方面は、薬の調合が最優先。材料に関しては、ウチは心配要らないのが強みだな」
「……にぅ」
 頭を指でくすぐられながら、丸まっているリフは小さく声を上げる。
「ポーションの精製は、薬剤師ギルドじゃ基本中の基本って聞いてる。状態異常の治癒とかも、習っておいて損はないと思うんだ」
「そう、ですね。カナリーさんには、祝福魔法が逆に毒になりますから……」
「あと、タイランにもな。……針の方を真剣に学ぶとかなー。治療のツボとかあるらしいから」
 甲冑に効果があるのかどうか自信がないが、治療術の幅が広がるのは悪い事ではないと、シルバは思う。現状のように、何かが封じられても他の何かで凌ぐ事が出来るからだ。
 なんて事を考えていると、シルバの隣でストアが首を傾げた。
「それで、誰が針治療の実験台になるんですか?」
「唐突に黒い発言をしないで下さいよ、先生!? せめて練習に付き合ってくれる相手とか、もうちょっと言葉を濁しましょうよ!?」
「じゃあ、いけにぇ……」
 シルバは片手で、師匠の口を塞いだ。
「ストップ! そ、それにした所で、杞憂になるかもしれない問題ですから……!」
「の、残っているのは防御面ですよね!」
「そ、そう、それだ。タイラン、ナイスフォロー」
「ど、どういたしまして」
 ふむ、と何やらネイトが思いついたようだ。
「防御か。ならばシーラを前面に出して、動く壁にするというのはどうだろう」
「お前も酷いな!?」
「だが有効だとは思うぞ? 彼女の肉体は相当に頑健だ」
「迷宮での戦闘効率とかもあるけど、人数が多すぎても、管理に困るんだよ」
「シ、シルバさんの頭は一つしかないですから」
「そう、まさしくそれだ。精神共有でのやり取りにしたって万能じゃないんだから。まあ、これも針を使うのが現状では一番妥当なんだが」
 シルバは分厚いサンドウィッチを固定する為の、小さい木串を摘んだ。
「あ、地面を持ち上げたりする奴ですね」
「うん。ただアレには一つ欠点があってだな。何か分かるか、タイラン」
 うーん、とタイランは香茶を飲みながら、首を傾げた。
「……邪魔になりそう、ですか?」
「そ。勝手に消えてくれる訳じゃないし、視界も遮られる。そこら辺が、{大盾/ラシルド}と違う点なんだよ」
 地面、すなわち土が持ち上がるのは、物理的な障壁としては申し分ない。
 だがそれは味方の視線も塞がれ、さらにその後の行動の妨げにもなってしまう。
 そこのところが厄介なのだ。
「一応、それを解消する手はあるんだけどな。んー、ちょっと立ってみようか、タイラン」
「は、はい」
 シルバは、タイランに甲冑を装着してもらう事にした。
 重い音を鳴らしながら、タイランは膝の上にリフを乗せたままのシルバの前に立つ。
 大きな影が、シルバを包み込んでいた。
「それじゃ一発、俺を殴ってみようか」
 精霊眼鏡を掛けたシルバは、タイランを見下ろした。
「で、出来ませんよ、そんな事!?」
「いや、大丈夫だから。責任は俺が取るし」
「ほ、本当に……大丈夫、なんですよね? そ、それならしますけど……」
 拳を握りしめながら、タイランは遠慮がちに尋ねてきた。
「心配ないって。一応実験はしてあるし」
「そ、それじゃいきます……」
 鋼の拳を、タイランは振り上げた。
「いつでもどうぞー」
「え、え、えいやぁ」
 えらく気の抜けた声と共に、恐ろしくゆっくりとしたパンチが繰り出された。
 この速度なら、正直子供でも避ける事は容易だろう。
「……はは、まあいいや」
 シルバは指で摘んでいた木串で、霊穴を貫いた。
 途端、シルバとタイランの間に波紋のような障壁が生じる。本来不可視のそれは、気を見る事の出来る者にしか、見えないモノだ。
「え、あ、あの、シルバさん、これは一体……?」
 タイランは戸惑ったように拳に力を込めた。
 しかし、拳はその障壁に遮られ、シルバに届く事はない。
「空気を固めて作った壁。個人的にはまずまずだと思う」
「充分なんじゃないですか?」
 腕を引きながら、タイランは尋ねた。
 防御力で言うなら、悪くはない。それに土と違って味方の行動の妨げにはならない。
「でも、欠点がありますね、ロッ君」
 残っていたフライドポテトを摘みつつ、ストアが言う。
「……そうなんですよ」
「え? ど、どこにですか?」
 バカン、と甲冑の胸部が開き、精霊体のタイランが現れた。
「はい。そこで、先生からタイランさんに問題です」
「は、はい」
「今のやり方の、どこに問題があるでしょうか。ヒントとして、本来の戦闘での、それぞれのポジションを考えてみて下さい」
「え、えっと……」
 タイランはふわふわと宙に浮かびながら、悩み始めた。
 しかし、ストアに言われた事を考えると、すぐに答えは出たようだ。
「あ……! わ、私の身体が邪魔になります!」
「はい、よく出来ました」
 小さくストアが拍手を送る。
 一方、シルバには頭の痛い悩みだった。
 針を刺す為には、霊脈を刺激する必要がある。
 地面ならまだ足の隙間を狙う事が出来るのだが、空気の壁を作るとなると、味方の正面に向かって針を刺さなければならない。しかし針は、その味方の身体自体が遮ってしまうのだ。
 寝息を立てるリフの頭を指で撫でながら、考え込む。
「そうなんだよなぁ……針を飛ばすにしても、守る対象が邪魔になる。先生、何かいい案ありませんか?」
「ありますけど、内緒です」
「ちょっ!?」
 危うくツッコミ掛け、膝の上の存在をシルバは思いだした。
「それほど難しい事ではありませんよ。ロッ君がこれを思い出したキッカケを考えれば、いいんじゃないでしょうか」
「……キッカケ?」
「それはさておき、そろそろ行きましょうか」
「って、こっちは考えている最中なのに!?」
 シルバは両手でリフを持ち上げながら、師匠に文句を言った。


 丘から見た通り、森は本当に小さなモノだった。
 頭上の太陽も明るく、とても古代の遺産が眠っている不思議な雰囲気はない。
 このまままっすぐ進めば、すぐに抜けてしまうだろう。
 ストアの先導で先に進みながら、シルバはふと思いついた事を、タイランに言ってみた。
「考えてみれば、霊道使ってルベラントまで行くって手もあったんじゃないか?」
「そ、それはちょっと難しいと思います」
 鋼の足音を鳴らしながら、タイランは言う。
「に……長い時間、精霊といっしょだと、お兄の身体に負担ある」
 シルバの懐から顔を出したリフも、眠たそうに言った。
「……難しいモノだなぁ」
 森の中程で、ストアは足を止め、振り返った。
「それじゃ結界を解きますね。すぐに戻っちゃいますから、早めに入って下さいね」
 小さく呪文を唱えると、認識偽装を応用した結界なのだろう、ストアの前の空間がゆるりと歪んだ。
 先に空間の向こうに潜り込んだストアに続き、シルバ達も後を追った。


 森の中心に、開けた広場が出来ていた。
 そしてその中心に、二階建ての建物ぐらいの大きさはあろうかという黒い石碑が建っている。
 足下には円形の台座があり、これが転送される{場/フィールド}なのだろう。
「大きい……ですね」
「だな」
 タイランとシルバは、そびえ立つそれを見上げていた。
「に……うちの近くにも通じてる」
 シルバの懐から、リフも同じように首を上げている。
「……あら?」
 石碑の足下、台座の奥にある四角い文字盤に手を当てていたストアが、首を傾げた。
「あの、先生。そういう人が不安になる発言は出来れば控えてもらいたいんですが」
 しかしストアはシルバに構わず、しばらくキョロキョロと周囲を見渡していた。
「うーん……」
 やがてシルバ達の方に振り返ると、ペコリと頭を下げた。
「ごめんなさい。墜落殿の方から何だか変な力が流れ込んできて、使えなくなっちゃってるみたいです」
「そ、そんなぁ……」
 タイランは、ガクリとその場にへたり込んだ。


 シルバ達が落胆しながら研究室に戻ると、部屋には誰もいなかった。
「シーラ……はいないか」
「ヒイロ君もいないな。となると、考えられるのは――」
 ふむ、とネイトも唸る。
 昼下がりのこの時間、ちょっと遅い昼食かもしれない。
 何て事を考えていると、ドゥン! と背後で盛大な衝撃波が発生した。
「な、何だぁ!?」
 慌てて振り返る。
 タイランは、濛々と土煙が巻き上がる、グラウンドを眺めていた。
「……あ、どこだか分かりました」


 昼寝の時間に入ったストアとリフをタイランに預けて、シルバ達はグラウンドに飛び込んだ。
 メイド服のシーラの金棒とヴィクターの太い腕がぶつかり合う。
 速度では圧倒的にシーラの方が上回るようで、衝撃波を纏った金棒の攻撃を、ヴィクターは腕で受け止めるので精一杯のようだ。
「って、何でヴィクターと戦ってんの!?」
「データ採取の為だと、聞いている。それにしても人造人間と渡り合えるとは、彼女は一体何者だい?」
 シルバの隣に立ったのは、浅黒い肌のダンディ中年だった。
 フェンス脇でデータを取っているらしい白衣の青年達は、忙しげに筆を動かしている。
「あ、ブルース先生」
「どうも。ほう、妖精とは珍しいな」
 顎に手を当てながら、ブルースはシルバの肩の上にいる、ちびネイトに視線を向けた。
「こんにちはだ、先生。僕はネイトという。シルバの所有物だ」
「そうかい。シルバ君にもそういう性癖があったとは新しい発見だ」
「ありません。それよりも、ヒイロは? てっきり、シーラと戦りあってるのかと思ってたんですけど」
「わあああん!」
 噂をすれば何とやら、ヒイロが泣き声を上げながらシルバ達に駆け寄ってきた。
「さあ、ヒイロ君! 俺の胸に飛び込んでおいで!」
 大きく両腕を広げるブルース。
 その脇を抜け、ヒイロはシルバに飛びついた。
「先輩~!!」
「ってどうしたヒイロ!? 何に追いかけられているんだ!?」
 そして戦闘中のシーラの動きが止まる。
「…………」
「お爺ちゃん達がしつこくて~!」
 ちなみにシルバの肋骨は、ヒイロの鯖折りで今にも砕けそうである。
「……ま、またか。えとそれで、先生は何してるんですか?」
「いや」
 何でもないように、ブルースは振り返った。ちょっと落胆しているように見えるが、多分シルバの気のせいだ。というか気のせいという事にしておきたい。
 一方、棒立ちになってこちらを見ていたシーラは、ヴィクター渾身のパンチを受け、派手に吹っ飛んだ。
「ゆだん、たいてき」
「シーラ!?」
 グラウンドの地面を大きく抉り、フェンスにぶつかって、ようやく停止する。
 そのフェンスも、相当にひしゃげていたが、シーラはさしたるダメージを受けた様子もなく、立ち上がった。
「大丈夫」
 土まみれになったメイド服を叩き、追い打ちを掛けようと近付いてくるヴィクターを待ち受ける。
「すぐに、終わる」
 かと思うと、ヒイロがささっとシルバの背後に隠れた。
 反対側から、眼鏡を掛けた白衣の老人が三人、シルバに近付いてきた。学習院の名物学者、シッフル三兄弟だ。
「やれやれ。久しぶりに会ったら、ずいぶんと強うなってるみたいなので、データが欲しかっただけなのじゃが」
「年寄りに追いかけっこさせるでない」
「それにしても、若いモンの肌のハリは大したモンじゃのう」
「ううう~! せくはら~!」
 シルバの背中から、ヒイロは唸り声を上げる。
 普段なら自分から前に出て戦うタイプのヒイロでも、年寄り相手では勝手が違うらしい。
 シルバも、老人達を宥めるように、ヒイロを庇う。
「まあヒイロはここの生徒じゃないから、アカハラとかじゃないわな。というか爺様達も研究熱心なのはいいですけど、あんまりヒイロを困らせないで下さい」


 大きく振りかぶったヴィクターの拳が、シーラの立っていた位置を抉る。
 跳躍したシーラは、金棒に纏わせた衝撃波を後方に噴射、猛スピードのタックルをヴィクターの腹部に斜め上から叩き込む。
「がぼ」
 さすがのヴィクターもたまらず、仰向けに倒れてしまった。
「筋はいい。でも経験不足。それではまだ、わたしには勝てない」
 ヴィクターの顔のすぐ横に、シーラは金棒を突き出した。


「ふむぅ……ではあっちのメイド娘でもよいぞ?」
 古老の一人が言うのに対し、シルバは首を振った。
「……却下です」
 そして、ブルースは手を叩いた。
「タイムアップだ。ヴィクターは治療を。そちらの娘さんは……必要なさそうだな」
「そう」
 シーラは服こそ、ずいぶんとボロボロだが、身体自体にダメージを負っているようには見えない。
「ううう……」
 ヴィクターも起き上がり、腹に大きな手を当てる。
 手の平から光が生じ、ヴィクターの活力を甦らせていく。
「変わった回復」
 言いながら、シーラはシルバに歩み寄る。
 シルバは、老人達やブルースと距離を置いて尋ねた。
「古代の技術って奴か」
「それともちょっと違う。星のエネルギーを使っている」
「星の力?」
 ストアが以前、話していた研究の一つだ。
「わたしの世界では、まだ実用段階に至っていなかった研究。……三つ目の装置も、おそらく、それ」
「あのトランクの中身か」
 シルバはトランクの中にあった装置を思い出す。
「そう」
「ヴィクターのあの回復と、同じ事が出来る?」
「加工次第。エンジンだけで、何かを行う事は出来ない。それに関しても、話がある」


 シルバ達は、場所を研究室に移した。
 ストアとリフはまだ眠っており、タイランはシーラの頼みで地図を探している。
 ヒイロは運動したらお腹が空いたと主張した為、食堂から料理を持ち込んでいた。
 シルバは豆茶、シーラは水で充分という事で食事は取っていない。
 メイド服が使い物にならなくなったので、今は研究室で拝借したローブ姿でいる。
「転送装置が駄目になった原因は、おそらくはライズフォートにある転送装置の影響」
「……やっぱり、あるのか」
「ある」
 そこはシルバの想定通りだった。
 空に浮いていた都市なのだから、地上に下りる手段の一つとして、転送装置は妥当なモノだろう。
「新たな転送装置の起動により、誤作動を起こしている可能性がある。もしくは魂魄炉そのモノが、転送装置に干渉している可能性も考えられる。アレは、都市を動かしていた本来のエネルギーとは別物だから」
「とにかく、現状ではどうしようもないんだな」
「ライズフォート――墜落殿の奥に入れるなら別」
「それだと、本末転倒だ」
 もりもりと食べるヒイロの横で、シーラは石板をへこんでいるシルバに見せた。
「話というのは石板の記述に関して」
 エネルギーが充填された石板は、長い文字の羅列を映していた。
「もう読み終えたのか」
「まだ一割。研究資料の多くは、主達の役には立たない。専門用語が多く、理解が追いつかない。また、主達もそれらを望んでいないと判断し、実益の可能性が高い情報を優先した」
「さすが。分かってるなあ」
「…………」
 シーラの動きが停止する。
「? どうした?」
 すると、面白そうにちびネイトがシルバの肩の上で笑った。
「くくく、照れているようだ」
「そうなのか?」
「実験データについて、興味深いモノがあった。浮遊車『ガトー』の墜落データ」
 シーラはシルバの疑問を無視して、説明する。
「ふゆうしゃって、何?」
 骨付き肉を頬張りながら、ヒイロが首を傾げた。
 シルバは、第六層の倉庫にあった、ひっくり返った乗り物を思い出していた。
「……大昔には、鉄の塊が空を飛んでいたらしいんだ」
「あはははは。そんなのありえないよ」
「そうでもない」
 シーラは否定する。ちょうどその時、タイランが丸まった紙束を持ってきた。
「あ、あの、地図持ってきました」
「お、タイランご苦労さん。なあシーラ。それなら、タイランも飛べたりするのか?」
「無理。タイランの甲冑は、表面に複雑な刻印が施されていて、浮遊装置を搭載しても、力場が中和されてしまう」
「ああ、絶魔コーティングか」
 シルバは、飲み物やヒイロの食べ物をテーブルの端に追いやると、地図を広げた。
「……え? あ、あの、私が、どうかしましたか?」
「ちょっと実物を見てないとちょっと信じがたい……いや、実物見た俺も眉唾物なんだが……つまり、タイランがその姿で空を飛べないかという話をしていたんだ」
「む、むむ、無理ですよ、そんなの!?」
 ぶんぶんと、タイランは重い頭部を左右に振る。
「……まあ、その鎧じゃ無理って話なんだけどな」
「『ガトー』とやらについては、どうだ、シーラ」
 ネイトが問い、シーラは石板を操作した。
 すると石板にも地図が出現し、二重丸のポイントが小さく二つ、地図上に現れた。
 それと比較しながら、シーラは紙の地図の上を指差した。
 このアーミゼストからは、西南に位置する距離にある。距離だけで言うなら、馬車で三日といった所か。
「現代の地形と少し違うけど、地図なら墜落した浮遊車があるのはこの辺りになる」
 そこは、大きくギザギザの刻まれた場所だった。
 その意味を理解したシルバは、小さく唸った。
「ウェスレフト峡谷か……結構な難所だぞ、こりゃ」
「天然の迷宮とも言われてるよね」
 ヒイロの言葉に、シルバは頷く。
「そしてその割には、実入りも少ないから嫌われてるという」
「大昔の、その、遺産なんですよね。動くかどうか……それ以前に、埋まっている可能性もありますよね?」
 遠慮がちに、タイランが言う。
 当然の事だ。
「普通なら、そう。この石板の目印も、本来なら作動するはずがない。ありえない事」
「……でも、してるよね?」
 ヒイロは、不思議そうにシーラの持つ石板を見た。
「判断は主に任せる」
「んー……」
 シルバは、石板上の地図を指で小突いた。
「もう一つ、目印があるんだけど、こりゃ何だ?」
 二重丸の目印は、二つあり、その内の一つが『ガトー』なのは分かった。
 けれどもう一つは一体何を意味しているのだろう。
「『フォンダン』は不明な目印。まだ情報が不足していて、正体は分からない。ただ、『ガトー』よりもかなり大型のモノだという事は分かる」
 なるほど、とシルバは頷き、考えた。
「個人的には、行ってみたいかな」
「でも先輩、呪いを解くのが最優先なんじゃないの?」
「……だから、ですか、シルバさん?」
「うん? どゆ事、タイラン?」
 ヒイロの疑問に、タイランが答える。
「確かに遠回りになりますけど……空を飛べる乗り物があったら、馬車よりずっと早く、ルベラントまで行く事が出来ます」
「そゆ事。ま、キキョウとカナリーにも相談してからだけどな」



[11810] 長い旅の始まり
Name: かおらて◆6028f421 ID:8cb17698
Date: 2010/05/25 01:24
 峡谷に向かう事には、割とあっさり全員に賛成され、それぞれ準備を行う事になった。


 大通りの雑貨店。
 カナリーにつく二人の従者、ヴァーミィとセルシアが大きなテントを抱えて表に出てきた。
「おおー、助かるなこりゃ。しかし用意したリヤカーならともかく、馬車に載るかな」
 この日、シルバはカナリーと共に、野営用の準備の買い出しを行っていた。
 峡谷まで数日が掛かり、かつシーラの示したポイントまでの探索も結構な時間が費やされる事は、充分に考えられる為である。
「心配は無用。夜になってから、僕の影の中に入れておけばいい。最近容量を増やしたから、この程度なら楽勝で持ち込めるさ」
 ふふ、と純白の鍔広帽にマント姿で、カナリーが微笑む。
「……そこって、人も入れたりするのか?」
「ああ。ただし、僕自身は扉の役割を果たすから、無理だけどね」
「そうか。いざって時の避難場所に使えるかなって思ったけど……ん? その時はカナリーが霧化してしまえばいいのか」
 やれやれ、とカナリーは小さく溜め息をついた。
「……シルバ。一応今日はオフなんだから、戦術を考えるのはその辺にしておかないかい?」
「ああ、つい悪い癖でな。それはさておき」
 シルバは、チラッと振り返った。
「あの、後ろの、偵察部隊は一体何なんだ」
 看板の上や雑踏の中に紛れ込んでいる(つもりらしい)黒尽めに覆面をした女性達が、チラホラとこちらの様子を伺っていた。
「……僕のファンクラブだ。気にしないでくれ」
 なお、遠巻きに若い女性がカナリーを眺めているのは、いつもの事なのでもう、シルバは諦めている。
「気にしないのはいいんだが、以前のキキョウの時みたいな事にはならないだろうな」
「月のない夜には気をつける事だ、シルバ」
 ひょい、とシルバの肩に乗ったちびネイトが、太陽を仰ぎ見た。
 カナリーも考え込む。
「もしくは夜はずっと僕が、シルバを護衛するという手もあるね」
「俺が寝る暇ねーじゃねえか!?」
「添い寝をして欲しいと言っているぞ、カナリー君」
「おお!」
 ネイトの言葉に、ポンと手を打つカナリー。
「頼んでねーし、耳のいい黒尽めが何かナイフ抜いてるぞおい!?」
 シルバは身の危険を感じていた。
「何、実際心配は要らないよ。一応、彼女達は不戦条約を結んでいるからね」
「……なあカナリー、でもそれ、お前のファンクラブに入ってない俺には意味ないんじゃないか?」
「会員番号00000番でどうだろう」
「会員証が死神の名刺に見えるからやめてくれ!」
 そんな阿呆なやり取りをしている間も、ヴァーミィとセルシアは黙々と、リヤカーに荷物を運び入れていた。


 リヤカーを貸倉庫に預け、三人は大通りを歩く。
 後ろをゾロゾロとついて来る女性達はもう、気にしない事にした。
「何にしろ、テントや寝具はいいモノを揃えておくに越した事はない。翌日に響くからね」
「だな」
 カナリーの意見に、シルバも賛成した。
 だが、カナリーには不満があるようだ。
「……しかし、シルバだけテント一つあるというのも、どうかと思うんだが」
「いや、むしろ全員一緒の方がマズイだろ。常識で考えて」
「正確には二人だがな」
 うむ、とネイトは慎ましい胸を張った。
「……いや、お前も、カナリー達のテントで寝るんだよ、ネイト」
「何っ!? それじゃシルバに淫夢を見せられないじゃないか!」
「普段から散々見せておいて、何言ってやがるんだお前は!?」
「……ああ、なるほど。シルバが妙に枯れている原因の一端が分かったような気がする」
 得心行った、とカナリーが肩を竦める。
 ともあれ、今日やるべき事はほぼ済ませた、シルバとカナリーである。
「えーと、鍼のセーラ先生からも話は聞いたし、あとは『ビッグベア』に刀受け取りに行ったキキョウと合流か。大丈夫かな」
「そういえば、尻尾を二本に増やしたせいで、バランスがとか言っていたね」
 キキョウの話によると、尻尾を出せる数が増えれば増えるほど、自身の力が増すのだという(最大で九本となり、その上となると今度は再びそれらをまとめた一本になるらしい)。ただし、制御出来ない数を出すと、すぐにガス欠が起こってしまう。
 キキョウは尻尾の数を普段から二本に増やす事によって、安定したパワーアップを行なうのだと言っていた。
「問題はそこじゃないだろう二人とも」
「え?」
 ネイトが何を言っているのか、シルバにはよく分からなかった。
「ま、すぐに分かる。今も、キキョウ君から助けを求める声が僕に届いているし」
「って、教えろよ!?」
「いや、もうすぐそこに来ているんだ」
 ネイトは、通りの角を指差した。
 すると、そこから弱り切った顔のキキョウが現れた。


 シルバが振り返ると、後ろに三十人ほどの女の子達(&黒尽め)。
 そしてキキョウは、五十人ほどの女の子(&黒尽め)や何故か男性を引き連れていた。
「……これはまた、すごいプレッシャーだ」
 当事者でないシルバも、冷や汗を拭った。
「ああ、大規模な模擬戦前みたいだな」
 ネイトが言う事も、何となく的を射ているような気がする。
 妙な緊張感が漂う中、シルバとカナリーは、キキョウと合流した。
「で、一体どういう事なんだ、キキョウ」
「そ、某にもサッパリで。否、変わった点が一つあるならば、それが妥当と言う事なのだろうが」
 キキョウは、自分の二本に増えた尻尾を指で撫でた。
 ふむ、とネイトがそれを見て言う。
「霊力が溢れ出て、人々が反応しているんだ。魅了の暴走状態といった所だな」
「男も女も見境無しか。このまま連れ歩く事も出来ないぞ、キキョウ」
「そ、そういうカナリーだって、似たようなモノではないか」
「僕には女性しかついて来ていない!」
「……自分で言ってて悲しくならないか」
 シルバのツッコミに、カナリーとキキョウは同時に落ち込んだ。
「……ああ、ちょっと悲しい」
「肝心のシルバ殿に反応がないのなら、某もまったく嬉しくない……!」
「ま、これぐらいなら、俺がどうにか出来るか。ネイト、やるぞ」
 シルバは懐からカードを取り出した。
「うむ、任せろ――{否認/バドルク}」
 カードが、眩い光を放ち、直後周囲でざわめきが起こる。


「カナリー様!?」
「キキョウ様がいらっしゃらないわ。どこに消えたのかしら?」
「あの冴えない男が何かやったのかしら」


 発動した心術により、周囲の人間には急にシルバ達の姿が消え失せたように見えたらしい。
 もちろんそれは錯覚で、彼女達の目の前にシルバ達はちゃんといる。ただ、認識出来ないだけだ。
「……冴えない男で悪かったな」
 む、とシルバが顔をしかめる。ネイトも不満のようだ。
「今言った彼女を催眠術で素っ裸にしてやろうか、シルバ」
「やめんか!」
「し、心配しなくても、シルバ殿はいい男だと、某は思うぞ?」
 尻尾を揺らしながら、キキョウが力説する。
「……認識偽装か」
 感心したようにカナリーが言い、ネイトが得意げになる。
「その一種だ。自慢じゃないが、僕はこの手の術が得意でね」
 それからふと、ネイトは考え込んだ。
「……ますます、キャラクターが被っているような気がする」
「身の危険がデンジャラス!?」
 カナリーは身構えた。
「落ち着けカナリー。とにかく今の内に逃げるぞ」
「あ、ああ」
「それならば、某が良い場所を知っている」
 キキョウの案内で、シルバ達はその場を後にした。


「……で」
 案内された先は、小綺麗な軽飲食店だった。
 客層は、そのほとんどが若い女性である。
「何でパーラー」
 シルバは、水を飲みながらキキョウに尋ねた。
「そ、某一人では、こういう場所には入り辛いのだ」
「あー、それ僕も分かるよ。どうにも視線が集中して、駄目なんだよね。僕達だって、甘いモノは食べたいのに」
 キキョウは耳まで真っ赤にしながらメニューに顔を伏せ、カナリーも横から覗き込む。
 確かにこの二人が、こんな店に入ったら、ただでは済まないな、とシルバも思わないでもない。
 ちなみにここで使った心術は、シルバ達を『普通のお客様』に見せる術であって、ただ食いするつもりはない。
「という訳で、今後もシルバ殿、こういう店に入る時は、是非よろしくお願いしたい」
「あ、僕も。これからしばらく甘いモノから遠ざかりそうだし、食い溜めておかないとね」
「うむうむ」
 すっかり食べる気満々の、乙女二人であった。
「しょうがねー……じゃあ俺、そこに張られてる『モース霊山パフェ』で」
 シルバは店の壁に貼られている、巨大パフェを指差した。


 ――翌日、ヒイロとリフにこの件を知られたシルバは、タイランも伴い、同じ店に赴く事になったが、それはまた別のお話。


 薄靄の煙る早朝。
 シルバ・ロックールは寝惚け眼を擦りながら、アーミゼストの西大門に向かっていた。徹夜のせいで、足下はフラフラだ。
「うう……眠い……」
「旅のスタートだというのに、ずいぶんと景気の悪い事だな。襲ってもいいか?」
 ひょい、と肩に乗った小型悪魔のネイト・メイヤーが言う。
「襲うな」
 シルバは無愛想に却下した。
「じゃあ淫夢でどうだ。おかずは私だ」
「……眠っている時まで疲れさせるな」
「よし、なら夢の中でも眠らせてやろう」
「んー……それならまだ有りかもな。……っておい、今さっき、一人称がおかしくなかったか」
 確か、ネイトの一人称は『僕』だったと記憶する。微妙に語尾もおかしい。
「ああ。僕を私に変えてみたのだ。この程度なら、さして違和感もないだろう」
「……ま、いいけどさ」
「つれないぞ、シルバ。もっと構ってくれないと寂しくて死ぬぞ」
「ウサギか。ギリギリまで、薬学学んでたから、眠いんだって……ふああぁぁ……でもこれで、回復薬の精製だけは……ま、何とか」
「ご苦労な事だ」
 眠気がピークに達し、ツッコミの切れもないシルバであった。一応それを気遣っているのか、ネイトもそれ以上、シルバをからかったりしなかった。
 やがて、二人は西大門に辿り着いた。
 停車場には一台、大きな馬車が待っていた。
 その馬車の腹にもたれるように、金髪赤眼の美青年が待っていた。
「……おはよう、シルバ」
 カナリー・ホルスティンもまた、ウトウトとしていた。
「よう、カナリー。お前も眠たそうだな」
「……シルバとは昼夜が逆転するけどね。こっちは本来、これからが就寝時間な訳で」
「馬車の中で寝よう」
「……だね。棺桶も一応用意はしてあるけど間違いなく揺れるし、まだ馬車の方がマシそうだ……」
 馬車の天井と背中に、荷物を積む事が出来るようになっている。
 そこに棺桶がないという事は、多分カナリーの影に入っているのだろうと、シルバは推測した。
「……それにしても、立派な遠出用馬車だな、おい」
 一般の乗合馬車ではない。
 茶色の馬車の胴体には、彫刻を押しつぶしたような装飾が施され、赤を基調とした内装も凝っており、座席も柔らかそうだ。というか今のシルバの評価は「とても気持ちよく眠れそう」の一言に尽きる。
「テントと同じで、こういうのに金を出し惜しみしちゃいけない」
「それはいいが……」
 シルバは、馬車の前の方に首を傾けた。
「俺の目が大分ぼやけているのか、牽いてる馬が二頭とも、角を二本生やしているように見えるんだが」
 合わせて四本。
 通常のそれよりかなり大きく、妙に禍々しい二頭の馬が、シルバを睨んでいた。
「目の錯覚じゃないよ。ウチで飼ってるバイコーンだ。右がゼンキン、左がゴーキンという」
「……魔獣じゃねえか。一応、司祭なんだがなー、俺。あと、ユニコーンの『純潔』とは逆の意味でこれ、女の敵だったんじゃなかったっけ……?」
「ああ、バイコーンの意味は『不純』。家の者にしか馴れていないし、まあ、このパーティーの人間は、近付かない方がいいね」
「注意しとこう」
 危険そうな馬だが、馬力はとてもありそうだ。
「御者は、基本的にはヴァーミィとセルシアに任せる事にする」
 シルバが御者台を見ると、そこには赤と青のドレスの美女が座っていた。
 目が合うと会釈をしてきたので、シルバも頭を下げる。
「……よろしく二人とも」
 カナリーは眠気がもう限界、と先に馬車に乗り込んでしまった。
 それじゃ俺も乗って待つかな、と考えたその時、背後から腰に誰かがタックルしてきた。
「おっはよー、先輩!」
「ぎゃふっ!?」
 勢い余り、シルバは馬車の腹で頭を打った。
「君はいつも元気だな、ヒイロ君」
 シルバに代わり、呆れたようにネイトが言う。
「や、おはよう、ネイトさん。カナリーさん達もおはよう。だってボク、狩りの為に、いつもこれぐらいの時間には起きてるし」
「ううう……こっちは徹夜で寝不足だってのに。あと腰に刺さる角が痛ぇよヒイロ」
 鼻面を押さえながら、シルバは振り返った。
「え!? そりゃよくないよ先輩。馬車でゆっくり休んだ方がいいって」
「……それを阻止したのはお前なんだがな」
 だが、ヒイロは聞いていなかった。
 彼女の興味は、馬車を牽く馬の方に移っていた。
「……ん? 何この子。ボクの仲間?」
「ブルルルル……」
 左のバイコーン、ゴーキンが唸り声を上げながら、こちらに振り返っていた。
 なるほど、二本の角は確かにヒイロと共通している。逆に言えば、それぐらいしかないのだが。
「やる気?」
 スチャッとヒイロは骨剣を構えた。
「……待て待て待て。馬車を牽く馬と戦ってどうする」
「機嫌悪そう」
 しかも、目つきがヒイロに向かって「相手になるぞ」と言っていた。
「そういう馬なんだよ」
「好敵手と見た」
 ヒイロはザッシュザッシュと地面を蹴るバイコーンから目を逸らさず、骨剣を構え続ける。
「……何でそこで、戦闘意欲が燃え上がるんだ。いいから、先に乗って大人しくしてろ」 シルバはヒイロの首根っこを掴むと、馬車に突っ込んだ。
「うはぁっ」
「……ふああぁぁ……」
 大あくびをしていると、靄の向こうから重い甲冑の音が響いてきた。
 現れたのは、二メルト程もある重甲冑、タイラン・ハーヴェスタだった。
「お、おはようございます、シルバさん」
「……うす、タイラン」
「大きい、ですねぇ」
 タイランは、感動したような声を上げながら馬車を見上げる。
「まあ、この大きさならタイランでも余裕だろ。で、ちゃんとモンブラン搭載されてるか?」
「あ、はい。それは昨日、カナリーさんに」
「抜かりはないよ……あの男には、貸しを作っておいて損はないしね」
 馬車の奥で目を閉じたまま、カナリーが手を振った。
「となると、いざとなれば御者の交代要員はもう一人増やしても、大丈夫かな」
 カナリーの従者達なら、相当にタフなので、あくまで予備だが、勘定に入れても良さそうだ。
「……一応私、荷台に載せられるように、身体の方も分割出来るようにはしてあったんですけど……ひゃあっ!?」
 ぬうっと振り返った二本角の馬に、タイランはガシャンと尻餅をついた。
「あー、やっぱりビックリするよな、馬」
「……これなら、馬車泥棒も近付かないだろう?」
 眠たげに言うカナリーであった。
「それも狙いか」
 それ以前に、旅の途中の村とかで怯えられたら困るなぁと、シルバはちょっと思わないでもない。
 そんな事を考えていると、不意にシルバの身体を影が差した。
 日は昇りつつあるようだが……と振り返ると、脇に小さな娘を担いだ髭の巨漢が立っていた。
 フィリオ・モース。人間の姿をしているが、その正体は遠く東方の地にあるモース霊山を治める、剣牙虎の霊獣である。
 ちなみに娘であるリフは、フィリオに抱えられたまま、まだウトウトとしていた。
 唸りを上げながら、バイコーンが「やんのかコラ」とフィリオを睨む。
「ほう……我に挑むか、馬。喰うぞ」
 フィリオが、獰猛な笑みを浮かべる。
「フィ、フィリオさん……!?」
 ここで馬を喰われても困るので、シルバは間に割って入った。
 しかしその必要もなく、バイコーンは耳を倒し、及び腰になる。さすがの魔獣も、高位の霊獣には敵わないようだ。
「うむ」
 相手の敵意が失せた事を確認し、フィリオは満足したようだ。
 父親と馬の戦意に当てられたのか、リフもようやく目を覚ましたようだ。
「に……おはよ」
「お、おはようございます、リフちゃん」
 タイランが金属音を鳴らしながら立ち上がる。
 一方シルバは、逃げ場を探しているようなゴーキンを指差した。
「あ、あの、フィリオさん、えらい馬が怯えているんですけど……」
「喧嘩を売ってきたのは相手の方だ。よいぞ。我と戦り合いたいのなら、相手になってやる」
「いやいやいや、貴方一応モース霊山を治める超偉い方なんですから、馬の挑発に乗ってどうするんですか」
 メチャクチャ大人げなかった。
「ふん……小僧」
 フィリオはシルバを見下ろすと、ずいと顔を近づけてきた。
「よいか。お前に姫を預けるが、不埒な考えは起こすなよ」
「ちゃんとテントも分けてますって」
「当たり前だ。それは最低限のルールだろうが、小僧。よいな、姫に万が一の事があれば、お前を頭から喰ろうてやるぞ」
「き、肝に銘じておきます」
「にぅー……」
 リフはフィリオの腕から抜け出すと、そのまま眠たそうにシルバにもたれかかった。
「っ!? ひ、姫! そのように無防備に男にもたれてはならん! 男は獣だぞ! やるなら我にしろ!」
「……えーと」
「我は実際獣だからよいのだ!」
「まだ何も言ってないじゃないですか!?」
 実際、そこ”も”突っ込もうと思ったシルバである。というか自分にしろってのもどうかと思ったりする。
 キシシシと、バイコーン達もフィリオを笑っていた。
「馬共も笑うな!」
「ひぅんっ!?」
 クワッと目を光らせるフィリオに、バイコーンが暴れる。
 御者台に座っているヴァーミィは、無表情に手綱を操り、馬車の暴走を防ぐ。
 眠たげに目を擦りながら馬車に乗り込むタイランを見送り、あと二人か、とシルバは心の中で数えた。
 そして一分もしない内に、風呂敷包みを持ったキキョウ・ナツメが現れる。
「ぬうっ!? そ、某が最後か!?」
 馬車の中に仲間がいる事を確かめ、キキョウは動揺する。
「お、キキョウおはよう。もう一人いるし、遅刻じゃないだろ」
「うむ、おはようシルバ殿。ぬう……ついつい忘れ物がないか確認していたら、ギリギリになってしまったようだ。先に馬車に入ってよいのか」
「にぅー……」
 頭をシルバに撫でられていたリフを、キキョウは無言で回収した。
「よろしく頼むぞ、狐娘!」
「うむ、よろしく頼まれた!」
 何故かガシッと拳をぶつけ合う、フィリオとキキョウであった。
「それでシルバ殿、これで全員ではないのか?」
 馬車のタラップに足を掛けながら、キキョウは振り返る。
「いや、昨日話しただろ? もう一人案内係と……いや、遅刻している原因は明らかなんだが」
「待たせた」
 噂をすれば影、というべきか。
 山羊のような角と槍のような尻尾を生やした白い司教、ストア・カプリスを担いだシーラが、駆け寄ってきた。
 メイド服を着、手には大きなトランクを持っている。
「……ご苦労さん、シーラ。ここまで担いでくるの、大変だっただろ」
「そうでもない。着替えの方が問題」
「……なるほど、そりゃそうだ」
 眠っている人物の着替えなんて、考えただけで大変だ。
 シルバはシーラに背負われたままのストアを揺さぶった。
「先生起きて下さい。居眠りしたまま、見送りは無理ですよ」
「んん~……」
「まあ、いいか。シーラ、下ろしていい。それと頼んでおいた件はどうだ?」
「問題ない。小型浮遊装置に関しては、二人が限界」
 シーラはストアを背中から下ろした。
 起きているのか眠っているのか分からないまま、何とか二本の足でストアは立っている。
 シーラはシルバから、空に昇りつつある太陽に視線を移した。
 そして再び、シルバに顔を戻した。
「…………」
「どうした?」
「時間が遅れている。馬車に乗ってからだと駄目なのか」
「言われてみればそうだな。それじゃこれで全員、と」
 石板だけを取り出し、トランクを後部に積んだシーラを先に馬車に乗せ、シルバはタラップに足を掛けた。
「小僧」
「何すか?」
 フィリオに呼び止められ、振り返る。
「お前の師匠が馬車に乗り込もうとしているが、いいのか」
 シルバの後ろに、ストアがくっついてきていた。
「いや、止めて下さいよ!?」
 などと一悶着があり、五分後。
 ようやく出発となった。
「行ってらっしゃ~い」
 何とか目を覚ましたストアが、馬車の向こうで手を振る。
「行ってきます、先生」
「お土産は木刀とペナントで~」
「俺達の行くところに、そんなモノ売ってませんよ!?」
 そんなツッコミをしながら、シルバ達はストアやフィリオに見送られ、出発する。
 西大門を抜け、馬車はいよいよ本格的に走り始めた。
「えーと……」
 シルバは、今回の旅の人数を数えた。
 自分、シルバ・ロックール。
 既に眠りに入っている、カナリーとリフ。
 やはり忘れ物はなかっただろうかと、不安そうに思い返している様子のキキョウ。
 窓の外の景色を物珍しげに眺めているヒイロ。
 甲冑の胸部装甲を開き、精霊体として姿を現わすタイラン。
 これで六人。
 それに加え、石板を起動させているシーラ。その手元を覗き込む悪魔、ネイト。タイランの重甲冑に搭載された、テュポン・クロップの作り上げた疑似人格・モンブラン十六号。
 そして御者台にいる、カナリーの従者が二人。
 合わせて十一人。
「……結構な大所帯だなぁ、おい」
 まとめきれるのか、とちょっと不安になるシルバであった。


 馬車に乗ってすぐに、シルバは気を失うように眠りに就いていた。
 そういえば……と、シルバは眠りの中で思い出したのは、シーラからまだ、調べてもらっている事の報告を聞いていないという事だった。
「んん……」
 目を開いて左を見ると、シーラは変わらず石板を指で操作していた。
 その向こう、窓の外はすっかり青天が広がっている。
 馬車の調子はずいぶんといいのか、かなりの速度で平原風景が流れていた。それでも揺れがさほど大きくないのは、馬車がいいモノだからなのだろう。
「起きたかシルバ」
 そう声を掛けてきたのは、膝の上に寝転んだちびネイトだった。
「何してるんだよ、お前は」
「うむ、見ての通りの膝枕だ。いささか大きいが寝心地は最高だな。やはり惚れた男の膝は最高だ」
「っていうかお前、その身体だと睡眠要らないだろが」
 というかシルバの懐にある『悪魔』の{札/カード}が本体である。カードに睡眠がいるとは思えない。
「気分の問題だ。あと、対抗意識もある」
「対抗?」
「右肩が、重くないか?」
「そういえば……うおっ!?」
 右を見ると、キキョウが寝息を立てて、シルバにもたれかかっていた。
「寝かせておけ。どうせ彼女の事だ。昨日は緊張してロクに眠れなかったに決まっている」
「う、動けない」
 下手に動くとバランスを崩し、キキョウを起こしてしまいそうだった。
「それぐらい、役得と思って我慢するんだな」
「どれぐらい眠っていたんだ?」
「時計がないからハッキリとは言えないな」
 代わりに答えたのは、左に座っていたシーラだった。
「この時代の時間計算では、3時間46分52秒」
「シーラも起きていたのか」
「報告の為、資料をまとめていた」
 石板から目を離し、シルバに向き直る。
「出発前の話が途中だったよな」
「そう」
「あと起きてるのは……」
 シルバは馬車の中を見渡した。
 シルバ達の座席は、馬車の進行方向に向いている。キキョウの更に奥、右端の席にはカナリーが眠っていた。
 カナリーと向き合う形で、タイランの甲冑が座り、精霊体のタイランは向かい合う座席の間で、ぷかぷかと宙に浮いたまま、器用に睡眠を取っていた。
 胸部装甲が開かれたままの重甲冑が二人分の席を取り、その左横で小柄なヒイロとリフも仲良く寝ている。
 となると今起きているので全員か。
「我ダ」
 タイランの甲冑が、反響音のような声を上げた。
「…………」
 シルバは一瞬考え込み、尋ねてみる事にした。
「……え、ええと、モンブランさん?」
「モンブラン十六号ダ。正式名称デ呼ベ」
「しゃ、喋れるようになったんだ……」
「主殿ガ音声出力機能ヲ搭載シタ」
「そ、そうか。あの、みんな寝てるから、静かにな」
「……ガ」
 承知したのか、返事は小さなものだった。それなりに言う事は聞いてくれるようだった。


「それじゃまシーラ、報告を聞こうか」
 シルバは姿勢を崩さないまま、シーラに頼んだ。
 シーラは小さく頷くと、石板に目を移した。
「『フォンダン』に関してはいまだ不明。ただし要回収と記述がある為、重要度は高いと思われる。サイズは相当な大型。墜落時期はライズフォート墜落より十日ほど前」
「……回収する時間がなかったのかな。『ガトー』と『フォンダン』。地図にあったこの二点の距離はどれぐらい離れているんだ?」
「直線距離にして約5ケイル」
「……微妙な距離だな」
 平坦な道ならさほどの距離ではない。が、場所は峡谷だ。遠いとも言えるし、近いとも言える。
「そう」
 シーラは頷くと、次の話題に移った。
「ヴィクターの使っていた回復術に関して」
「ああ、そうそう。それもあった」
 ヴィクターのそれは、パーティーの仲間であるクロス・フェリーにも使われていた。
 つまりそれは、祝福魔法と異なり、カナリーにも有効である可能性が高い。
「この石板の中には、ナクリー・クロップの最終的な研究資料が全て詰め込まれている。だが『ヴィクター』という名の記述はない」
「ああ、それはそうだ。その名前はノワって奴が付けたからな」
「プロトタイプの人造人間の研究資料からまずは調査中。開発名が分かれば、あとは容易。炉と組み合わせる事で発動する開発の仕組みを、最優先としている」
「よろしく頼む」
 シルバが言うと、シーラは顔を上げた。
 そして、無表情な目でシルバを見つめる。
「主の頼み。命令を聞くのは当然」
「そ、そうか」
「ただし、情報の入手で必ずしも、現代の技術で再現出来るとは限らない。今の時代では手に入らない材料、また知識を理解出来る学者が存在しない可能性も当然ある」
「……ま、その時はその時だ。少なくとも学者の心当たりはないでもないし」
「我ガ主殿!」
 モンブラン十六号は、座った姿勢のまま、主張した。
「……ちょっと人格に問題あるけどな」
「否定ハシナイ」
「……ああ、創造物にまでそういう認識されてるんだ、あの爺さん」
 膝の上で寝転んでいたネイトが口を挟んでくる。
「あとは、タイランの父上も確か科学者という話だったな、シルバ」
「ガ。登録名:こらん・はーヴぇすた。精霊研究ノ錬金術師。優レテイルトイウでーたガアル」
 モンブランに補足され、シルバは頷く。
「炉の中の研究って話らしいけどなー」
「主殿カラ、彼ノ者ニハ必ズ会ウヨウニ伝エラレテイル。我ガ使命、必ズ果タス」
 堅苦しい言い回しからして、どうもモンブランは、キキョウに似た性格のようだ。
「……その為のこの旅なんだけど、それでも結構、時間食うぞ。爺さんかなり歳だし、それまでに死ななきゃいいけど」
「主殿ハ目的ノ為ナラ、寿命グライ平気デ延バス」
「あながち間違ってない辺り、性質が悪いな」
 あの爺様ならやりかねん、とシルバは思った。


 あとは細々とした情報をシーラと打ち合わせ、シーラは石板から文字を消した。
「情報はここまで。主、何か質問は」
「そうだな……お前、ずっと起きてたみたいだけど、休憩は要らないの?」
「…………」
 シーラがわずかに揺れる。
「何、その反応」
「予想外の質問」
「そうか」
 純粋な疑問だったのだが。
「問題はない。耐久力には自信がある。二、三日の徹夜は平気」
「……問題あるから寝ろ」
 放っておくと、限界まで起きていそうな気がして、シルバは命令した。
「了解した。スリープモードに移行する」
「我モ同ジク」
 シーラが目を瞑り、モンブランも似たような事を言う。
 すぐに眠りに落ちたのか、やがてゆっくりとシーラの身体がシルバにもたれかかってきた。
「って、こっちもかよ!?」
「静かにしないと、目を覚ますぞシルバ。いいじゃないか。両手に花だぞ」
「……言いながら、お前はそこから離れる気はないのか」
「ない」
 ニヤリ、とネイトは笑うのだった。



[11810] 野菜の村の冒険
Name: かおらて◆6028f421 ID:8cb17698
Date: 2010/05/25 01:25
 三時間ほど馬車を進め、一行は朝食を取る為、とある小さな村に着いた。
 村の外れにあった大木に馬車を留め、シルバ達は農道を歩む。
 左右にのどかな田園風景が広がる……と言いたいところだったが。
「荒れてるなあ」
 シルバは感想を漏らした。もちろん畑の全ては荒れている訳ではない。
 しかし、農作物のいくつかが乱暴に踏みにじられていたり、土がグチャグチャにされていたりする場所が目についてしまう。
 畑全体を眺め回すと、何だか結構なダメージがあるようだ。
「にぅ……畑がかわいそう」
 リフが悲しそうに帽子を目深に被り、目を伏せていた。
 しかし、これは……と、シルバは思う。
 この荒れ方は、覚えがあった。
「先輩、これ、荒れてるんじゃなくて、荒らされてるね」
 シルバの内心を代弁するように、ヒイロが言った。
 そして、荒れている地面に残っている、小さな足跡を指差した。
「ほら、ここ足跡。雑鬼のだよね」
「……ああ」
 雑鬼退治は、冒険者の基本中の基本とも言われる依頼だ。
 シルバも、初心者の頃、この手の依頼を受けた事があった。
「もしかして、仕事になるのかな?」
「んんー」
 シルバは、考えた。
 雑鬼は弱いとは言え、危険なモンスターだ。
 他の冒険者に既に依頼をしているという事は充分に考えられる。あるいは腕っ節に自信がある若い衆が自警団を結成して、自力で何とかしようとしているかも知れない。
 ただ、そうでない場合。
 村を訪れた冒険者(つまりシルバ達)が依頼される可能性はある。
 その時が問題だ。今のシルバ達にはやるべき事があり、その主役はといえばシルバともう一人……。
 後ろを歩いているタイランに振り返った。
「わ、私は、困っている人がいるなら……助けるのは当然かと」
 視線を受け、シルバの言いたい事が分かったのか、遠慮がちにタイランは言った。
 思わずシルバは苦笑してしまう。
「……お前の方が、聖職者っぽいなぁ、タイラン」
「あ、い、いえ、そんなつもりじゃなかったんですけど……」
「ま、見過ごすのもアレだし、酒場で話だけ聞いてみよう。もう冒険者を雇っている可能性は普通にあるだろし、それならそれで俺達は用無しだ」
「で、ですね」
 村はもうすぐそこだ。
 先に進みながら、シルバはふと隣を見る。
「……それと、キキョウは何で凹んでるんだ?」
 キキョウはどんよりと暗く落ち込んでいた。その方をポンポンとカナリーは叩き、同情の笑みを浮かべていた。
「いやぁ、意識がなくなるぐらいグッスリ眠ってたからねぇ」
「記憶が……全然、隣に座った記憶がないのだ……」
「はいはい、よしよし」


 幸い、その酒場は開いていた。
 どうやら、村の人間達の食堂も兼ねているらしく、朝の支度を終えた住民達で、それなりに席は埋まっていた。
 ただ、どこか沈んだ空気が酒場全体を包み込んでいた。
 そんな中、シルバ達は大きなテーブルで、遅い朝食を食べる事にした。パンとシチューの簡素なモノだ。
「主、わたし達に酒場の人間全ての視線が集中している」
 パンをちぎりながら、シーラが言う。
 なるほど、村の人間達は声少なげに何やら囁きあいながら、こちらの様子を伺っているようだった。
 ……シルバは彼らに対しどこか違和感を感じたが、それが何かは分からなかった。
「ま、俺達よそ者だからな。何より目立つし」
「むぅ……」
 パンを熱いシチューに浸して食べるシルバの視線を受け、キキョウが唸る。
 もっとも、目立つのは彼女だけに限らない。いつもと同じ赤金の刺繍の織り込まれた白いマントを羽織ったカナリーや、メイド服のシーラも充分に人目を引く。
 何より、2メルトほどある背丈で肩身狭そうに水を飲んでいる重甲冑モードのタイランは、ほとんど『私達は冒険者です』と宣伝の看板を掲げているようなものだ。
 不安そうな村人達の視線は、よそ者に対するモノとしては妥当なモノだろう、とシルバは思った。
 もっとも、その程度で食欲を失う、このパーティーではなかったが。
「ああ、ちなみにキキョウ。馬車の座席、次は僕の番なのでお忘れなく」
「ううぅ……」
 カナリーの非情な宣言に、再びキキョウは落ち込んでいた。
 そしてヒイロは元気いっぱいに、空になった皿を給仕のオバサンに向けて掲げていた。
「おかわり!」
「ヒイロ、あんまり食い過ぎると馬車の中で気分悪くなるぞ」
「大丈夫だよ先輩! 満腹になるまでは食べないから!」
「……相変わらずよく食うなぁ」
「に。お野菜おいしい」
 リフはシチューに集中しているようだった。
 このまま何事もなく、村を出る事になればいいけど……とシルバは思っていたが。
「……おいでなすったか」
 勢いよく酒場の扉が開かれ、口ひげを生やした恰幅のいい初老の男が息せき切って飛び込んできた。
 シルバ達を見て、安堵の吐息を漏らす。
 何となくその雰囲気から、村長さんかな、とシルバは思った。


 シルバの見立て通り、初老の男はこの村の村長で、名をハンクスと名乗った。
 冒険者の皆さんに話がある、という事で、ハンクスはほぼ食事の終えた(約一名除く。誰の事かは言うまでもない)シルバ達のテーブルに入ってきた。
 給仕のオバサンが水を置き、彼は話し始めた。
「……この村は雑鬼どもに悩まされております」
 ハンクスは最初、キキョウとカナリー、どちらに話をすべきか迷っていたようだが、結局キキョウに落ち着いたようだった。
 いつもの事なので、本来のリーダーであるシルバは黙っている事にした。
 こういう場合、キキョウも必要がない限り、敢えて訂正しないようにしていた。
 ハンクスは気付かず、頷くキキョウに話を続ける。
「もっともこの村は、元はここから歩いて一時間ほどの距離にある遺跡を探索する冒険者達と、彼らと商売をする商人達で作ったものなのです。遺跡が枯れて冒険者達が去っても、何人かはこの村に残りました。腕に覚えのある者もおりまして、これまでは雑鬼相手もどうにかなっておりました」
「……これまでは、か」
 シルバの肩の上で、ボソッとちびネイトが呟く。
 シルバ以外に聞こえた様子はなく、キキョウは村長の話に耳を傾けていた。
「ふぅむ、なるほど。しかし、あの荒れた畑を見た限り、そうは見えぬようだが」
「……それなのです」
 ハンクスの話ではこうだ。
 雑鬼達は毎年、この収穫の時期になるとどこからともかくちょくちょく出現する。
 大抵、もう何も出なくなった遺跡に棲み着いており、元冒険者や彼らに訓練された若い者達で結成された十人ほどの自警団が彼らを退治しに行く。
 今年もいつものように出発したのだが、もう二日経っても戻ってきていない。
 雑鬼達はその間も、夜を狙って野菜を奪っていく。
 何人かが遺跡に様子を見に行こうと村会議で提案したが、残っている村人の中に戦える者はほとんどおらず、危険だという事で却下された。
 なるほど、とシルバは納得した。
 酒場の客達に抱いていた違和感の正体は、年齢層だ。若い男がいないのだ。
「都市の方に、急ぎ冒険者を雇うよう人をやっているのですが……」
 沈み込む村長に、キキョウも得心がいったようだ。
「事態の解決は、多少金が掛かってもとにかく早い方がよい。そこで某達を雇いたいと」
「はい。依頼料の方は、使いにやった者にほとんど預けてしまった為、あまりありませんが……」
 申し訳なさそうに村長が言い、シルバ達は顔を見合わせた。
 すると、客の一人がシルバ達のテーブルに近付いてきた。それを皮切りに、あちこちの客が立ち上がる。
「俺の倅がいるんだ」
「うちの孫娘の婿もじゃ……」
「自警団の団長は、あたしの旦那なんだよ。頼むよ」
 片腕のない中年男、ヨボヨボの老人、農作業を終えたばかりらしい中年の女……。
 小さな革袋が、次々にテーブルに積まれていく。中には、自分のお小遣いを置いていった子供までいた。
「むぅ……」
 キキョウが唸る。
 村人達に囲まれ、とても断れる雰囲気ではなかった。いや、元々事前の打ち合わせ通り、こういう事になったら受けるつもりではあったが、ちょっと怖いシルバである。
「家族の無事が確認出来れば、それでいいのです。どうかお願い出来ませんでしょうか」
 ハンクスが、ガバッと頭を下げる。
 ちょっと考え、シルバは手を挙げた。
「村長さん、質問があるんですけど、いいですか」
「あ、はい。司祭様、何でしょうか」
「これまでは、その雑鬼対策で特に問題はなかったんですよね」
「ええ……数もせいぜいが数体、多い時でも十数体程度。武器も持っている奴はいましたが、錆びてたり脆かったりと、ほとんどロクなモノではありませんでしたし……」
「でもそれが今回は、戻って来ない」
「……そうなのです」
「じゃあ、これまでと何か違ってた事とかありますか? 雑鬼とは関係なくても、いいんですけど」
 シルバの問いに、ハンクスは意表を突かれたようだ。
「関係なくても?」
「はい。こういうのは、一見無関係のように見えて、実は繋がってるなんて事はよくありますから」
 村長は戸惑いながら、後ろにいた客達に振り返った。
「おい、みんな、そんなの何かあったか?」
 酒場のマスターも含め、村人達がざわざわと話し込む。
「あ。そういえば、一つだけある」
 その中で一人、思いついたように片腕の中年男が手を挙げた。
「何だ、マイル。言ってくれ」
 村長が促すと、マイルと呼ばれた男は話し始めた。
「十日ほど前の、地震だよ。割と大きくって、みんなパニックになったじゃないか。トム爺さんちの屋根が落っこちたとか、村長んちの壺が割れたとか。もしかしたら……遺跡の方で脆くなった部分に巻き込まれたとか、そういうトラブルがあったのかもしれない」
 最後は少し言いにくそうにしていた男に、シルバは頷いた。
 遺跡の構造は、地上部分と地下に一層という形になっているらしい。
「なるほど。ありがとうございます」
 冒険者を雇いに都市の方へ既に使いを出した件に関しては、村長達が自分達で何とかするという事だった。
 ひとまず報酬は後払い、という事にしてもらい、シルバ達は立ち上がった。ヒイロも、腹拵えに満足したようだ。
 偽りのリーダー、キキョウが村長に問う。
「それでは早速、これから遺跡の方に確認に行こうと思う。最優先は村民の安否の確認。雑鬼退治はもし出来れば。それでよろしいか」
「あ、はい。なにとぞ、よろしくお願いします」
 村長他、村人達が一斉にシルバ達に頭を下げた。


 馬車に乗って遺跡に向かうと、物の十分ほどで到着した。
 古ぼけた石造りの遺跡である。
 畑を調べた時点では、雑鬼以外のモンスターはおらず、一応はその線で進める事となっていた。
 もっとも、『雑鬼退治』という依頼は、『常に迷宮の奥で「実は○○でした(例:魔法使いが雑鬼達を使役していました、ボスに大鬼が控えてました等)がある』、という都市伝説があるほどだ。
 油断は出来ない。


 地上部分の探索は、それほど難しい事ではなかった。
 タイランに重甲冑から出てもらい、シルバと同化して、軽く上空を飛んで全景を確認したのだ。
 時刻はまだ、昼にも達しておらず、残念ながら夜の眷属であるカナリーは飛ぶ事出来ない。浮遊装置はベクトルを下向きに固定する為、平たい板があれば理想的だったのだが、なかったのである。
(地上には雑鬼も村人もいる様子はありませんね……)
「……だな。そろそろ降りよう。魔力が尽きる」
(は、はい)
 スウッと青白い燐光に身を包んだシルバが、地上に下降する。
 {飛翔/フライン}が使えれば一番楽だったのだが、シルバが祝福魔法を封じられていて、それも適わない。
 地味に、封印が効いているシルバであった。
 現在、シルバ達のパーティーは、遺跡の入り口で待機状態を取っていた。車座になってそれぞれ、探索の準備を始めている。
 シルバはタイランとの同化を解除すると、頭を掻いた。
「やっぱ敵は地下か。雑鬼連中は暗いところが好きだし、屋根付きの方が住みやすいから予想はしてたけどな」
「それはいいけどさ、シルバ。この迷宮、かなり広いぞ」
 カナリーは、村長からもらった遺跡の地図を広げていた。
 さすがに探索し尽くした遺跡だけに、地上部分も地下部分も、ちゃんと地図が村長の屋敷の蔵に残っていたのだ。
 シルバも、その地図を覗き込む。
「まがりなりにも小さい村が拠点になるぐらいだしな」
「手分けをした方がいいかな」
「だな」
 カナリーの意見にシルバも賛成だった。
「ふむ……全員分かれて、村人を捜すという事か」
 刀を鞘に戻しながら、キキョウが言う。
「いやいや、いくら雑鬼だからって、侮っちゃ駄目だ。自慢じゃないが、俺はやられる自信があるぞ」
「……シルバ殿、そんな自信はいらぬよ。な、何なら某が護衛するから安心して欲しい」
「に!」
 ちょっと恥ずかしそうに言うキキョウに続き、リフも勢いよく手を挙げる。
「気持ちは有り難いけど、人数的には基本2パーティーってトコだな。村で聞いた地震の件は気になるけど、地下迷宮をこの大所帯が固まって動いても、味方同士の動きの妨げになる。で、耳と鼻の利くキキョウとリフは、どちらかに分かれて欲しい」
 当たり前だがシルバは一人しかおらず、二手に分かれた内の一つを指揮する事になるだろう。
 つまり、キキョウとリフ、どちらか一人しか、シルバと一緒には行動出来ないという事になる。
「む……」
「にぅ……」
 無言の牽制をしあう、二人であった。
「ボクはー?」
「保留」
 ヒイロの問いを、シルバは一言で片付けた。
「保留!?」
「戦力的にバランス取らなきゃならないから難しいんだよ。ウチはほら、前衛が多いから」
 シルバは、自分の背後に控えるシーラや、遺跡の石壁にもたれて座り込んでいるタイランの重甲冑を指差した。
「僕はその気になれば単独でも可能だが」
「うん、カナリーと、ヴァーミィ、セルシアはセットだな」
 シーラに対抗するように、従者二人もカナリーの背後に控え、会釈をした。
「私の方は……鎧と分かれてモンブランちゃんに使ってもらえば、二人分になれますけど」
 精霊体のタイランは、重甲冑に戻らず、そのまま考えを述べた。
 なるほど、とシルバは頷いた。
 それから少し考え込み、タイランを見た。
「……ちゃん?」
「はい?」
 タイランは小首を傾げる。
 シルバは眉に指を当て、しかめっ面を作った。
「……いや、いい。深く考えない事にするとして、タイランは俺と組んでもらう」
「わ、私でいいんですか?」
 透明に近い青の頬を、少し赤く染めるタイラン。
「というか、出発する前に練習したの、実戦でもやってみたいからさ。相手を侮る訳じゃないけど、雑鬼相手ならちょうどいいだろう」
「あ、あれですか……分かりました」
 タイランは、グッと両手で握り拳を作った。
 そんな二人のやり取りを聞き咎め、キキョウは身を乗り出してきた。
「……! シ、シルバ殿、タイランと何かやっていたのか?」
「ふっふっふー、それはまだ秘密。んで、ネイトはアイテム扱いだから俺と一緒だとして――」
「所有物だから当然だな」
 うんうん、とシルバの肩の上で、ちびネイトは満足そうだ。
 シルバは後ろに控えていたシーラを振り返った。
「……わたしは、主以外の命令に従うつもりはない」
「もう一つのパーティーの前衛として戦ってもらうって、俺が命令した場合は?」
「その命令に従う」
 そう言うも、ジッとシーラは、シルバを見下ろしていた。
「……微妙に不満そうに見えるんだが」
「わたしは命令に従うだけ」
 うーむ、とシルバは自分の頭をボリボリと掻いた。
「もうちょっと自分ってモンを持て……とか偉そうに説教したいところだけど、多分それがお前の『自分』なんだろなぁ」
「そう」
「それで……パーティーの方は、結局どう組むんですか?」
 タイランの質問に、シルバは再び考え込んだ。
 ヒイロにも言った通り、なるべくバランスよく行きたい所だ。
「それなんだなぁ……とりあえず俺の方は、俺、タイラン、それにシーラで確定だとして。モンブランはどうなんだ?」
 すると、座り込んでいた重甲冑から声が響いた。
「ドコデモイイ。ソコノ人造物ト違イ、我ハ独立シテイル」
「…………」
 シーラが、首を向けると、重甲冑――モンブラン十六号は立ち上がった。
「ヤルカ」
「命令があるなら」
 シーラが許可を、とシルバを見る。
「やめいっ!」
「わ、分けた方が良さそうですね」
「だな」
 慌てた様子のタイランの意見を、全面的に採用する事にしたシルバだった。
 はいはい、とヒイロがまたしても、手を元気よく挙げる。
「じゃあボクも先輩のパーティー希望! 空きはまだ全然余裕でしょ?」
「ま、そうだな。んじゃ前衛はひとまずシーラとヒイロの二人確定、と。……で、こっちはこっちで」
 シルバは、チラッとキキョウとリフの方を見た。
「ぬううぅぅ……」
「にぅ……」
 二人はまだ、にらみ合いを続けていた。どちらの尻尾も、緊張感でゆらゆらと揺れている。シルバの目には、背景に狐と仔猫がにらみ合う姿が見えたような気がした。
「どうしたものかなぁ……」
 ほとほと弱るシルバであった。
「……あの、シルバさんが決めた方がいいと思いますよ、これ。喧嘩になられても困りますし」
 タイランの言葉は、ごく真っ当な物だった。
 ただ、シルバとしても悩んでしまう。
 前衛に一番付き合いの長いキキョウを配置しても心強いし、後衛にリフが参戦してくれると回復薬などの材料に困らない。
 どちらも捨てがたいのである。
「そうだねぇ」
 うん、とカナリーも頷いている。
「いや、他人事みたいに言ってんなよ、カナリー。お前かキキョウのどっちかに、もう一つのパーティーのリーダーやってもらうんだから」
「!!」
 自分を指差しながら、赤い目を剥くカナリーであった。
 この瞬間、カナリーも静かな修羅場に参戦する事となった。


 そして数分後。
「……今度から、ジャンケンも鍛えよう」
「にぃ……お兄、がんばって……」
 ガックリと崩れ落ちるカナリーとリフの姿がそこにあった。
「では参ろうか、シルバ殿!!」
 対照的にキキョウは、非常にテンションが上がっていた。
 シルバパーティーは、前衛にヒイロ、キキョウ、シーラ。後衛にシルバ(&ネイト)とタイラン。
 カナリーパーティーは、前衛にヴァーミィ、セルシア、モンブラン十六号。後衛にカナリー、リフ。
 このような構成で、彼らは迷宮に潜る事になった。


 迷宮の中に入って十五分ほど経過しただろうか。
 ネイトの心術を通して、カナリーからの念波がシルバ達のパーティーに伝わってきた。
(……こちらカナリー。雑鬼が出た。現在交戦中)
 どこかだるそうなその声に、シルバ達の間に緊張が走る。
「合流した方がいいか」
(いや、その必要はないよ……こっちに雑鬼が現れたからって、そっちに出ないとは限らないし。あ、もう戦闘終わった)
「早いな、おい!?」
 一分も掛からない内に片付いてしまったようだ。
(そりゃ雑鬼だからねぇ……ウチの前衛三体が袋叩きにした上に、リフの精霊砲と僕の雷撃だ。ひとたまりもないよ)
 確かに言われてみれば、向こうも相当にえげつないパーティーである。
 圧倒的な火力の前に、おそらく雑鬼達も為す術がなかったのだろう。
「そうか。けどカナリー」
 シルバは、自分達のいる通路を見渡した。
 地下の迷宮だというのに、地面には青々とした雑草が生い茂っており、通路全体がどこかボンヤリと明るい。
 何より、相当に気温が高かった。不快な湿気はほとんどないが、まるで直射日光の下にでもいるかのような感覚を、シルバは受けていた。
 そして、シルバのパーティーには太陽を弱点とする者が一人いる訳で。
「お前、大丈夫か?」
(……あんまり、大丈夫じゃないかも)
 うんざりとした深い溜め息のような念波が、伝わってきていた。


 大きな部屋に入り、シルバは天井を見上げる。敵も村人もいなさそうだ。
「それにしても、何だってこんなに暑いんだ? まるで真夏じゃないか」
 呟き、手で顔を扇いだ。
 これならまだ、外の方が涼しいのではないだろうか。
 それぐらいに暑く、シルバの額にも汗が滲んでいた。
「暑さの原因は分かりません。でもこれは……」
(にぅ……強いおひさまの感じ)
「やっぱりそうですよねぇ……初夏ぐらいでしょうか」
(に……)
 タイランとリフ、精霊系の二人の意見は一致していた。
「某達はまだしも、カナリーには実にきついであろうな」
 襟一つ乱さず、キキョウが言う。
 しかしそれでも暑い事には変わりないのか、キキョウの尻尾はどこか元気がなく垂れていた。
「ボクもきついし脱ぐー」
 ヒイロはブレストアーマーの金具を外すと、下のシャツを脱ぎ始めた。
 その下は肌着のみだ。
「ってヒイロ! はしたない真似はやめるのだ! シルバ殿が見ているであろう!」
 キキョウが慌てて、ヒイロを制する。
「むむ、これは凝視するべきなのか?」
「シルバ殿がボケたら、ツッコミが困るので、やめていただきたい!」
「先輩のエッチー♪」
 迷宮の中だというのに、場はどんどん混沌と化しつつあった。
「よし、私も脱ぐ!」
「ネイト、明らかに対抗意識だよな、それ」
「うむ。私の裸体なら、言ってくれればいくらでも見放題だぞ、シルバ。何なら下も脱ぐか」
「仕事中だ。ふざけるのは、その辺にしとけ」
「分かった。仕事が終わってからにしよう。それにしても……」
 ネイトは、シルバの後ろに控える、精霊体のタイランを見る。
 キキョウ、ヒイロ、シルバ、さらにシーラまでも、彼女の『とある一点』に視線を集中させていた。
「あ、あ、あの!? どうして私の胸に、みんな集中しているんですか……!?」
 自身の構成物質で作った薄衣を纏ったタイランは、恥ずかしそうに自分の胸元を両腕で隠した。
「何となくだ」
 キキョウの言葉に、女性陣は一斉に頷いた。
 シルバはグッと、タイランに親指を立てて見せた。
「ま、大きいのも小さいのも胸は胸だ!」
「いい笑顔で親指立てないで下さいよ!?」
(……そっちは楽しそうだねぇ)
(にぅ……うらやましい)
 カナリーとリフ、二人の羨望混じりの念波が、シルバの意識に流れ込んで来る。
(リ、リフも僕の胸に集中しない! こ、このマントと肌着を着けている限り、僕の胸はぺたんこなんだから! 見るのなら、ウチの従者達のを見たまえ!)
「……そっちはそっちで、よく分からん事になってるな。本当に大丈夫か、カナリー? 暑さで倒れたとかなったら、シャレにならないぞ」
(あー……その点は心配無用さ、シルバ。若干不愉快ではあるが、雑鬼やこの程度の暑さに遅れは取らないよ。それに、僕の分までリフが元気になっているようだし……)
(に。何匹か奥ににげたの、追う)
「了解。無理するなよ」
(承知。シルバもね)
 次第に、念波が遠ざかっていく。ネイトの心術も、シルバの精神共有と同じく、距離が開くと感度が悪くなるのだ。
「けどこー暑いと、しゅーちゅーりょくも切れそうになるよねー」
 ポーションをドリンク代わりにし、瓶の中身を飲むヒイロ。
「あ、まさかこれが敵の攻撃!?」
 衝撃の新事実に気付いた、という感じのヒイロに、シルバはないないと手を振った。
「……雑鬼が原因じゃなくて、単純に何らかの異常現象だろ。アイツらが、こんな大規模な術を使えるなんて、聞いた事がない」
 言いはしたものの、シルバは直後に頭を振って、自分の台詞を否定する。
「ま、聞いた事がないだけで使うのかもしれないけどな」
 それから少し考えた。
 これまで無言で迷宮を眺めていたシーラを見ると、彼女は壁に刻まれている文様だか文字だかを撫でていた。
「何か分かるか、シーラ」
「分かる。ここは、祭壇」
「祭壇? 古代の宗教施設か?」
「正しいが、少し違う。わたしも詳しい事は知らない」
「知っている限りでいいんで教えてくれ。情報があるのとないのとでは大違いだ。カナリー達にも伝える」
 みんなの視線もシーラに集中する。カナリー達と心術で繋がっているネイトが言う。
「もうじき、届かなくなるぞ、シルバ。早めにしてくれ」
「了解」
 シーラは迷宮の天井を見上げた。
「二十二種類ある大祭壇の一つ。ここは太陽の祭壇。その効果でここは温かく、明るい。農作物がおいしいのにも影響している」
「二十二種類の大祭壇に……太陽……?」
 何だかシルバは自分の記憶に、妙に引っ掛かるモノを感じた。そして何となくヒイロを見た。
「そりゃ、カナリーさんが弱る訳だ」
「その分、森の姫であるリフは強まる訳だな」
 ヒイロとキキョウも納得顔だ。
「村の人間はこの遺跡を枯れていると言った。しかし、遺跡は稼働している。矛盾」
「……そうだな。明らかにこの遺跡は『生きて』いる。冒険者なら調べないはずはない」
 シルバは壁に手をついた。
 ほんのりと熱を帯びていた。
「つまり、まだ何かあるな、この遺跡」


 20メルト四方もあろうかというその大部屋に入った瞬間、カナリーとリフはホッとした。
「……助かった」
「にぅ……涼しい」
 ここまでの暑い通路と異なり、その部屋は涼しかったのだ。
 外の気温とも違う、まるで何かに管理されているかのような温度に、カナリーは違和感を抱いた。
 見ると、亀裂の入った石造りの壁がボォッと強く光っていた。
 その、部屋を一周する太い線のような古代文字の羅列。
 何となくそれが、この適温の元なのではないかとカナリーは感じた。
 根拠はない。
 いわゆる魔術師の勘だ。
 部屋の明るさも、これまでとは段違いであり、これはもしかすると人が住んでいた場所なのではないか……と、カナリーは考える。その証拠に部屋の奥には家具の名残と思われる残骸が、積まれている。
 ザッと部屋を見回したカナリーの思考は、そこまででほんの数秒。
 ヒュッと風を切る音と、自分の視界の端で何かが動いたのに感づいたのは、その直後だった。
「っ……!?」
 部屋の奥から何か丸いモノが飛んできた。
「ガガ……ッ!!」
 それはモンブラン十六号にぶつかり、砕け散った。
「にゃ……モンブラン!」
 リフが悲鳴を上げる。
 地面にぶち巻かれたその残骸に、カナリーは見覚えがあった。
 緑色の分厚い皮に黄色い中身。かぼちゃである。
「ぶつけられたのは、かぼちゃのようだね」
 キシシシといやらしい笑い声に視線を向けると、部屋の奥のガラクタの上に、雑鬼達が数匹立っていた。
 どうやら、そのガラクタで原始的な遠投器のようなモノを造り、それを使ってかぼちゃをぶつけてきたらしい。
 二投目のかぼちゃが風を切って飛来してくるが、今度は狙いを外して、地面に砕け散った。
「にぅ……許さない。かぼちゃさん、かわいそう」
 ピーンと尻尾を立てて、リフが殺気立つ。
「リフ、落ち着け」
 リフを抑えるカナリーに、ヴァーミィとセルシアが振り返った。
 もっと気を付けるべき相手がいる、と主に伝える。
「何?」
「ガ……ヨクモヤッテクレタナ。全員ヤッツケル!」
 見ると、重甲冑の胸部を黄色に染めたモンブラン十六号が怒りに震えていた。
 足の無限軌道が起動し、斧槍を構えて、重甲冑は突進を開始する。
「ま、待て、モンブラン! 勝手に動いちゃ駄目だ!」
 ヴァーミィとセルシアの腕が突き出るが、構わず前進するモンブラン。
 その戦闘力は、カナリーもこの迷宮に入って一度見ている。単体でも、雑鬼程度なら軽く蹴散らせるだろう。
 しかし、カナリーは雑鬼達に違和感を感じていた。敵が激怒しているというのに、あの落ち着き具合は何なのか。
「モンブランだめ! おとしあな!」
「ガ――!?」
 ズボッとモンブランの身体が床にめり込んだかと思うと、そのまま何かを引きずるようにしながら、カナリー達の視界から消えてしまった。
 それに続くようにして、ガチャゴチャンと鈍い音がする。
「……遅かったか」
「にぃ……土の気がないからおかしいと思ってた」
 引きずるような音の正体は、床に偽装した布であり、土埃をばらまいて、本来の地面との境目を偽装したのだろう。
 落とし穴そのモノは、部屋中央に大きく出来ていた。
 その出来から見て、おそらくは村の人が言っていた地震で出来た、崩落ではないかとカナリーは考える。
 カナリー達は、モンブランを心配して穴を覗き込んだ。
 穴の深さは5メルトほどだろうか。
 カナリー達のいる埃っぽい迷宮とは比べモノにならないぐらい、綺麗な素材で出来た広い通路がそこにあった。
「ウウウ……油断シタ」
 重甲冑が起き上がる。
 ……どうやら、故障はないようだ。
 もしかすると。
 雑鬼退治にこの遺跡に潜った村人達も、モンブランと同じ手に掛かったと考えられる事は、充分に考えられる。
 ならばまずは、雑鬼達を倒すのが先決だ。そうでないと、下の調査もままならない。
「君達」
 調子に乗って、かぼちゃ以外にニンジンやら茄子やらまで投げつけ始めた雑鬼達にカナリーは言う。ガラクタの影から現れたその数は全部で十三匹なのも、確認する。
「楽しそうに笑っているが、分かっているのかな?」
「?」
 ピタッと、雑鬼達の動きが止まる。
「こちらはまだ四人残っているんだが」
 言って、カナリーは雷撃を放った。
 ガラクタが破壊され、巻き添えを食った雑鬼が悲鳴を上げる。
 同時にそのガラクタによって、奥への通路は塞がれてしまった。
 残った雑鬼達が慌て、困ったような悲鳴を上げる。
「逃がさないよ。そこまでお人好しじゃない」
「村の人達、どこ?」
 身構えるリフの問いが理解出来たのか、雑鬼達の視線が穴の方に向けられる。
「なるほど、やはりか。ではまず君達を片付けてから、ゆっくりと下を調べるとしよう。ヴァーミィ、セルシア、左右に展開。挟撃しろ」
 カナリーが指を鳴らすと、二人の従者は素早く左右に分かれた。
 逃げ場はないと悟った雑鬼達もガラクタを乗り越え、錆だらけの武器や角材やかぼちゃを手に、左右に散る。
 内一匹はガラクタを乗り越える時に勢いがつきすぎたのか、そのまま短い悲鳴を上げながら、大穴に落ちた。
 左のヴァーミィ、右のセルシアが、雑鬼を次々と叩き倒していく。
 しばらくはその様子を伺っていたカナリーだったが、軽く息を吐いて手に持っていた回復薬を、懐にしまった。
「……回復の必要はないな。リフ、掩護射撃に移ろう。僕はヴァーミィを手伝うから、君はセルシアの方に精霊砲で頼む」
「に!」
 雷撃と精霊砲が、それぞれ雑鬼達を吹き飛ばした。


 戦闘はモノの数分で片がついた。
 従者達がガラクタを撤去し、奥の部屋を調べたところ、どうやらそこは雑鬼達の食料庫だったらしい。野菜や酒類が貯蔵されていたという。
「リフ、回復は必要かい」
「だいじょうぶ。それよりモンブランが心配」
「うん。壊れてはなかったみたいだけど、一応後で身体の方は調べた方がいいだろうね」
「にぅ……なにか聞こえる」
 なるほど、リフの言う通り、穴の底から激しい打ち合いの音が響いていた。
 嫌な予感がして、カナリーは再び穴を覗き込んだ。
 下の層で、モンブラン十六号は、水晶体で出来た石人形――クリスタルゴーレムと交戦の真っ最中だった。
「ガガ……! 厄介! 強イ!」
 クリスタルゴーレムはモンブランよりもさらに大きく、3メルト程の背丈があり、その拳の一撃は、モンブランが防御しても押し負けるほどに威力があるようだ。
「ずいぶん派手だな」
 敢えて声に出してみる。
 虹色に輝くクリスタルゴーレムはほぼ、カナリー達の真下。
 気付いてもおかしくないのに、一瞥すらしないのは、おそらく下に踏み込んだ者にだけ反応するタイプなのだろうと、カナリーは推測する。
 とはいえ、このままモンブランを放っておく訳にもいかない。
 引き上げるのは、この状況では無理だろう。
「……リフ、行こうか」
「に。お兄呼ばなくていい?」
「呼びたいけどその前に、モンブランが潰されるかも知れない。こういう時、シルバなら迷いなく助けに入るだろう?」
「に」
 カナリーの問いに、リフはコクンと頷いた。
「何、勝てればそれに越した事はないが、いざとなれば逃げてもいい。僕達への依頼は村人達の捜索だからね」
 軽く言いながら、カナリーは大穴に飛び込んだ。


「む……」
 ピクリ、と先頭を歩いていたキキョウの耳が動いた。
「どうしたキキョウ」
「人の声がする」
 シルバの問いにキキョウは振り返らず、足早に進み始める。
 他の面々もやや駆け足になりながら、キキョウを追った。
 前から順番に、キキョウ、ヒイロ・シーラ、シルバ、タイランという編成だ。
 タイランは激しい運動が出来ないので、シルバの両肩にしがみつく形となっている。
「ホント? でもボクには、全然聞こえないよ?」
「わ、私もです」
 戸惑うヒイロやタイランに構わず、キキョウは曲がり角を折れる。
「ふ、獣の耳を侮るな。どうやら敵の存在でも恐れているのか、小声で話しているようだ。こちらのようだな」
「さすがキキョウ。連れてきて正解だったな」
 シルバが褒めると、キキョウの二本の尾がぶわっと膨らんだ。ほぼ真後ろにくっついていたヒイロが驚いて、思わず飛び退く。
「や、やや! 某はただ、命じられた役割を果たしているのみだ。そのように褒められるほどの事はしておらぬぞ、シルバ殿」
 さらに早足になりながら、尻尾がぶわさぶわさと嬉しげに左右に揺れる。ヒイロはその尻尾を興味深げに指でつついていた。
「照れるな照れるな。んで、人の声ってのは遠いのか?」
「否。割と近い」
 そして、着いた先は行き止まりだった。
「ここだ」
「ここ?」
 シルバ達も周囲を見た。
 やはりどこからどう見ても行き止まりだ。
 しかしキキョウは動じず、足元を見た。
 床には細い亀裂が伸びていた。
「うむ、この下から話し声が聞こえた。複数の人の臭いもする」
「わ、私、入りましょうか?」
 精霊体であるタイランが、おずおずと手を上げる。
「そんな必要はないよ。それならボクが――」
「わたしも」
 ヒイロの骨剣とシーラの金棒が、亀裂の入った床を粉砕した。
 ガラガラガラと石の床が崩れ、落下していく。
「うわぁっ!?」
 真下から、短い悲鳴が聞こえた。
「……お前ら、下に人がいるんだから、もうちょっと気を付けろ」
 シルバは「しまった」という表情をするヒイロとシーラの後頭部にチョップを入れた。
「ごめんなさい」
「反省」
 シルバの肩に上に乗っている、ちびネイトが下を覗き込む。
「シルバ、どうやら何人かは怪我を負っているようだぞ」
 いたのは、剣や槍と持ってへたり込んでいる男達だ。
 といっても、装備はそれほどよろしくない。
 雑鬼程度にならば充分だろうが、農民なのは明らかだ。
「村の人?」
 シルバが尋ねると、見上げていた男の一人が頷いた。
「あ、ああ、アンタ達は?」
「村で雇われた冒険者です。今、そっちに降りますから」


 高さは5メルト程。
 ロープを使って下りた小部屋は、それまでシルバ達がいた迷宮とは異なり、ずいぶんと綺麗な材質で出来ていた。
 うっかりすると、滑ってしまいそうだ。
 壁には古代文字のような文様が光るラインとなって、部屋を一周している。
 不思議と上の迷宮よりも、ずいぶんと涼しかった。
「ネイト」
「この壁の文字を、憶えるんだな」
 肩の上のちびネイトが、シルバに応える
「よく分かるな」
「ふふふ、シルバの考える事など、私にはお見通しだ。任せておけ」
 そちらをネイトに任せ、シルバは村人に向き直った。
「怪我をしている人には回復薬を。非常食も村の人達から預かってます。後は、適当な板があれば浮遊装置で昇れるんだけど……」
「……すまない。感謝する」
 シルバは預かっていた回復薬と非常食を村人の一人に渡し、天井を見上げた。
 腕や足に怪我を負った者もおり、ロープで登るのは難しそうだ。
 考え込むシルバに代わり、キキョウが村人に問う。
「お主達は上から墜落したのか?」
「いや、違う。水晶の化物が向こうにいて、襲われたんだ」
「落ち着けよ、事実は正確に伝えないと。上から墜落したのは確かだけど、ここじゃない。向こうの方で雑鬼の落とし穴に掛かっちまって……」
「水晶の化物に襲われたのも事実だろう?」
「でもとっさに攻撃したのは俺達だ。何もしなければ、襲ってこなかったかも知れない」
「とにかく、この暑さもしのげる小部屋に逃れたんだ。どうやらアイツ、ここまでは来られないようだし」
「それより腹減った……早く飯を……」
 好き勝手に話し出す村人達に、キキョウは慌てて手を振った。
「ああ、け、喧嘩はならぬ! もしも敵がいるのならば、ここで大声を出すのは得策ではない! 小声であったのも、そういう事情ではなかったのか?」
「そ、そうだった」
 村人達は慌てて、自分の口を手で塞いだ。
 シルバは床に落ちていた大きな盾を手に取りながら、肩の上のネイトに尋ねた。
「ネイト、カナリー達に連絡を取れるか?」
「ああ、それなら――」
 直後、勢いよく扉が開いた。
「ぬ、曲者か!」
 キキョウが一気に扉との距離を詰め、抜刀する。
 侵入者に向けて刃を放つが――。
「……ご、ご挨拶だね、キキョウ」
「カ、カナリーであったか。すまぬ」
 カナリーの眼前で止まった刃を、キキョウは慌てて鞘に納めた。
「――すぐそこにいる」
 ネイトの指摘に、シルバは渋い顔をした。
「見りゃ分かるよ。っていうかキキョウも、耳や鼻がいいんだから、カナリーの臭いぐらい見分けつけてやれよ」
「うぅ、面目ない」
 しょんぼりと、尻尾を垂らすキキョウであった。
「ま、そっちも無事で何よりだ。……いや、あまり無事でない奴もいるか」
 カナリーに続いて、リフ、ヴァーミィとセルシア、そして身体のあちこちを凹ませたモンブラン十六号が部屋に入ってくる。
「にぅ……涼しい……」
 ペタンとその場に横たわり、床の冷たさを味わうリフであった。
「モ、モンブランちゃん、大丈夫ですか……!?」
 宙を浮いていた精霊体のタイランが、モンブラン十六号に近付く。
「ガガ……次ハ勝ツ!」
「外装は派手にやられたが、中身は無事だよ。多少無茶をしたから後で診ないと駄目だけど。その時はよろしく頼む、シルバ」
 そう言うカナリーも、かなり疲れているようだ。
「ああ。何か水晶の化物が現れたって村の人から聞いたけど」
「まさしくそれだ。クリスタルゴーレムだよ。物理攻撃も魔法攻撃も効きやしない。反則だね、あれは」
「ありゃ、先輩いつの間に錬金術習ったの?」
「正式には習ってないけど、こういうのは出来る人間が多い方がいいだろ。前衛は戦闘。後方はこういう裏方のお仕事」
「よ、よろしくお願いします」
「あいよう」
 ヒイロやタイランに答えながら、シルバは大きい盾を壁に立てかけた。
 シーラを呼び、荷物袋から浮遊装置を取り出させる。
「後は、村人を上げる方法だけど、これでいこうか」
 シルバは、浮遊装置を盾の裏に取り付けた。


 足を折った青年が、浮遊台となった盾に乗って上昇する。
 怪我人は、既に上に登った村人が回収すればいい。
「さすがに二人乗るにはサイズに無理があるから一人ずつだけど、充分だろう」
「面白そー」
 ヒイロは上昇していく盾を見上げ、目を輝かせていた。
「後で乗りゃいいだろ」
「いいの、先輩!?」
「駄目な理由も特にない。ひとまず仕事が先だけど……」
「よし、さっさと片付けちゃおう!」
 俄然張り切るヒイロであった。
 が、シルバは考える。
「受けた依頼は村人の捜索と雑鬼退治……よく考えたら、仕事自体は終わってるんだよなぁ」
 カナリーから雑鬼戦の顛末も聞いているので、後は村人達を村まで送れば終了である。
 すると、まだ残っていた村人の一人が、シルバに近付いてきた。
 確か、村の自警団のリーダーの男だ。特に手足に怪我を負っている様子もない。
「それなんだが……」
「はい」
「奥の方も調べてもらえないだろうか。流れてきた雑鬼達がまた棲み着いたら、再び同じような事になりかねない。もちろん、報酬は払う……あまり多いとは言えないが」
 シルバは再び考え込み、キキョウ達を見た。
「……そりゃま、さすがにここで帰るって手はないか」
 シルバの言葉に、皆も頷いた。


 小部屋の中心で、シルバ達は車座になった。
 ネイトだけは一人、壁の文字をゆっくりと眺め記憶している。
 そして、改めてクリスタルゴーレムと遭遇したカナリー達の話を纏めた。
 ・物理攻撃無効
 ・魔法攻撃無効(少なくともカナリーの雷撃とリフの精霊砲は効かなかった)
 ・動きはそれほど速くないが、かと言って遅くもない
 ・パワーは相当にある
 ・距離を詰めると拳で攻撃、離れるとレーザービーム攻撃
 ・頭はそれほどよくなさそう(命令に忠実に従っている様子)
 ふぅむ、とシルバは首を傾げ、隣に控えるキキョウに尋ねた。
「聞いた限りだと、倒す事自体はそれほど難しくなさそうだなぁ」
「であるな」
 頷き合う二人に、カナリーは慌てた様子で詰め寄った。
「いや、ちょっと待って二人とも。一体何を言っているんだい? 僕の話聞いてた?」
「言ったそのままだよ。倒すだけなら、簡単だって話」
 シルバは、滑らかな床を撫でた。明らかに上とは違う素材で出来ている。
「うむ。もっとも勝つとなると、話は変わってくるが」
「んー、そこはキキョウの言う通りだなぁ。その辺はやっぱり実際にやってみないと分からないか」
「勝つと倒すのとでは、違うのかい?」
 カナリーの問いに、シルバは頷いた。
「うん、勝つとなると相手を壊さなきゃならないからなぁ。でも、目的を達する為だけなら」
「倒すだけで充分」
 キキョウが、シルバの言葉を引き継ぐ。
 そしてカナリーは頭を悩ませていた。
「……聞いても、違いがよく分からない」
「キキョウ、相手の攻略法は?」
「おそらくシルバ殿と同じ考えだと思う」
「ま、状況から考えると多分、それだよな」
「うむ。キモはここの環境だと某は推測する。陸の生き物は海には棲めぬ。逆もまた然り」
「ええい、ツーと言えばカーな仲が羨ましいぞ君達! さっさとネタを割るんだ」
「ぶーぶー。カナリーさんと同じく! ボク達は説明をよーきゅーする!」
 カナリーやヒイロが抗議の声を上げた。
「いや、そんな大層な話じゃないんだけど……」
 シルバは皆に作戦を話した。


 話を聞き終え、カナリーは疲れたように溜め息をついた。
「倒すって、そういう意味か……」
「んで今話した理由で、勝てない時はそれはそれで別にオッケーなんだよ。モンブランは不満だろうけどな」
「ガガ……! 不満不満!」
 散々やられて、その仕返しも出来ないとなると、モンブランとしては納得がいかないのだろう。
 ……まあ、話を聞く限り、先に手を出したのは、モンブランの方なのだが。
 ひとまずシルバは説得を試みる事にした。
「でもさ、モンブラン。冒険者ってのはただ敵をやっつけりゃいいってだけじゃないんだよ。最終的な目的をこなせるかどうかって事だ」
「納得イカナイゾ!」
「じゃあ、言い方を変える。これは、アイツを出し抜くやり方なんだ。向こうの勝利条件は俺達の殲滅じゃなくて撤退だろ? その理屈でなら、俺達は今回充分『勝ち』な訳だ」
「ムム……」
 ともあれ、現状モンブラン十六号には無理はさせられないのが現状だ。
 何しろ身体はモンブラン一体だけの物ではなく、タイラン用の外装でもあるのだから。
「ま、相手が追ってくるとは限らないしな。奥に進むのは俺と文字が読めるシーラが最低限必要。うまく行くならそれだけでオッケーなんだけど、駄目な場合はキキョウが指揮」
「心得た。カナリーの班だった者で、疲れている者はいるか」
「疲れているって意味だと、みんなそれなりだけどね。今の話だと、僕は外れる訳にはいかないだろう。せっかくの、新しい術を使う機会だし」
 マジックポーションを飲みながら、カナリーは言う。その後ろに控えている従者二人も、小さく頷いていた。
 ふーむ、とキキョウはカナリーを見た。
「前に試しておいてくれれば、データが取れたのだがな」
「僕も動揺してたんだよ。とっさには出ないって」
「我モヤル! りべんじりべんじ!」
 ぶんぶんぶんと、モンブランは大きく手を振った。
 それを見て、シルバはヒイロに浮遊装置を設置した盾を渡した。
「じゃあま、モンブランはこれ持ったヒイロと一緒に別行動の方向で」
「やっほい!」
 盾を抱きかかえて喜ぶヒイロであった。
「で、リフは大丈夫か」
「に。復帰」
 もうすっかり暑さでダレた身体は、カナリーが新しく学んだ氷結魔法で冷やした回復薬を飲み、治ったようだ。以前のノワ達との戦いで、雷撃以外の魔法をと習ったのだが、今の所はこういう使い方しかしていないカナリーである。
「ひとまずリフも、牽制役よろしく」
「に」
 コクコクと頷くリフ。
 シルバは頭上を見上げた。
 村人達が心配そうに、シルバ達を穴の縁から見ていた。
「手持ちの装備じゃちょっと心許ないし、あの人達にも一つ頼んどこうかな」


 そしてシルバ達は小部屋を出た。
 先頭にシルバ(とネイト)とタイラン、それにシーラ。中盤にキキョウ、ヴァーミィとセルシア。後衛にカナリーとリフという編成になっている。
 そして通路の奥、20メルトほど向こうにクリスタルゴーレムは……二体いた。
「増えた!?」
 カナリーが叫ぶ。
 おまけに直線的な通路は狭いと言うほどではないが、それでも巨大なクリスタルゴーレム二体が並ぶと、ほぼ壁となって彼らの行く手を阻む形になっていた。
「ま、そもそも、一体だけとは誰も言ってないからなぁ。でも、やる事は変わらねーや。タイラン、いくぞ」
「は、はいっ! 精霊憑依、いきます!」
 シルバとタイランの手が合わさり、青白い光が迸る。
 次の瞬間、シルバは半精霊となっていた。
「うらやましいな。私もシルバと合体したいぞ」
 肩の上に乗っているちびネイトが言う。
「……聖職者に悪魔憑きさせんなっつってんだろが」
「残念だ」
「ま、本当に追い詰められた時には、なりふり構ってられないだろうけど」
「そういう聖職者らしからぬ所が、シルバのよい所だと私は思う」
「……褒められてるのか、それ?」
(あ、あの、そんな話をしている場合じゃないんじゃないでしょうか……)
 アホ話をしているシルバ達に構わず、ゆっくりとした足取りで距離を詰めていたクリスタルゴーレム達が足を止め、全身から虹色の光を生じさせる。
 やがて口に当たる部分が強い白光を集束し始める。
「シルバ、話していた遠距離攻撃が来るぞ!」
「さっそくか!」
 シルバは腰に手をやり、二つの水袋を両手に持った。
 そしてそれを勢いよく目の前にぶちまける。シーラとキキョウ、二人の従者も同じように水袋の口を切り、中身を放った。
 水は金属質な床には零れ落ちず、宙に浮いたまま巨大な水球と化していた。
 しかしクリスタルゴーレム達は意に介することなくさらに光を強め、それが極限まで達したところで一気に吐き出した。
 レーザービームの殺到より数瞬早く、シルバとタイランの術は完成していた。
(や、やります……{水盾/ウォルド}!!)
 水球が蠢いたかと思うと、円錐状に変化した。
 二つのレーザービームが直撃する……が、それらの光は水盾の効果によって屈折させられてしまっていた。
 左右に分かたれたレーザーは、通路に吸収されてしまう。
 なるほど、通路でまで反射してしまっては、本来ここに居たはずの、クリスタルゴーレムを使役する立場の人間にまで害が及んでしまう。
 そういう事なのだろう、とシルバは推測した。
 それとは別に、シルバは後ろにいた連中に尋ねた。
「……なあ、あの攻撃のエネルギー源は?」
「に……多分、おひさま」
「某も同じ意見だ」
(……で、ですね)
 リフ、キキョウ、タイランといった精霊組が同じ見解を示す。
「ならやっぱり」
 うん、とシルバは頷く。
「水との相性は割といい」
 クリスタルゴーレム達は、もう一度と同じ攻撃を行なってきた。
 しかし、水の盾に守られたシルバ達にまでは及ばない。このままだと、次は近接攻撃に移ってくるだろう。
 マジックポーションを飲みながら、シルバはしゃがみ込んでゴーレムの股間を覗き込み、通路の奥を見た。このタイランとの合体は、やたら魔力を食うのが悩みの種だ。
「太陽の光がエネルギーとなると、今のアイツらじゃ勝ち目は薄いな」
「この地下に通常陽光は届かない。この神殿の中心にあるエネルギーがその源と推測するのが妥当。それを操作すれば、彼らもおそらく機能を停止する」
「問題はあの壁のような連中を突破出来るかどうかだが……」
 んー、とシルバはしゃがみ込んだまま、少し唸った。
 ま、やるしかないだろうと立ち上がる。
「……念押しするけど、本気でやるのかい、シルバ?」
 心配そうな声を掛けてくるカナリーに、シルバはヒラヒラと手を振った。
「割と勝算は高い方だと思ってるよ。言っただろ。倒すのはそれほど難しくないって」
 そして、新たな水袋に手を伸ばした。


(き、霧化いきます)
 シルバの中で、タイランが囁く。
「あいよう!」
(やります……!)
 シルバ達の前にあった巨大な円錐状の水塊が先端から半ばまでで分離し、文字通り霧散した。
 白い霧が、シルバ達の前に展開する。
 底部だった水塊はそのまま、再び水球の形に還ってしまう。
 敵は諦めずに二度目のレーザービーム攻撃を放ってきたが、タイランの作った霧が、それを阻んでしまう。
「に……光線よわくなった」
 後ろでそれを眺めていたリフが、尻尾をピコピコと揺らす。
「なるほど、大気中の微粒子にレーザーがぶつかって、威力を弱めているんだな。それにこの霧は、いざとなれば敵を惑わすことも出来る。……でも、問題もある」
 カナリーの指摘は、当然ながら術師であるタイランも気付いていた。
(あ、あの、シルバさん……ここ暑いですから、この術、それほど持ちませんよ?)
「うん、分かってる。これはただの目眩ましだ。次行くぞ。シーラも足下に気を付けて、ついてこいよ」
「了解」
 シルバと、それに続いてメイド服のシーラが霧に向かって突撃する。
 その時にはもう、クリスタルゴーレム達は動き始めていた。
 いよいよ遠距離攻撃は埒が明かないと踏んだのだろう、接近戦に挑んでくる気だ。
 だが、シルバ達の動きにはまだ、気付いた様子はない。
「やれ、タイラン!」
(は、はい!)
 シルバの身体が一瞬青白く輝いたかと思うと、宙に浮いていた水球が泳ぐように動いて、前方の床で破裂する。
 シルバの視線は最初から一点に固定されている。
 二体の巨大なクリスタルゴーレム。
 だが、それでも穴はある。二足歩行のゴーレム達。ならば、移動中の股の間は開いている。
 シルバの狙いはそこだった。
「シーラ、一気に潜り抜けるぞ!」
(分かった)
 スピードを殺さず、シルバ達はそのまま足からクリスタルゴーレムに突っ込んだ。
 すっかり水浸しになった滑らかな床は、そのまま臨時のスケートリンクと化していた。
 クリスタルゴーレムも、シルバ達を捕まえようとするが、わずかに遅かった。
 シルバとシーラは水飛沫を上げながら、クリスタルゴーレムの股の間を潜り抜けることに成功していた。
 そしてゴーレムはといえば、急いで腕を伸ばした為、バランスを崩して足を滑らせ、そのまま重い音を響かせ、倒れ込んでしまっていた。
 もう一体が急いで振り返るが、こちらも水に足を取られ、硬い音を立てながら転んでしまう。
 水の撒かれたツルツルとした床に、水晶製の胴体の相性は最悪だ。容易に起き上がることは出来ないだろう。
「な、倒すのは簡単だったろ?」
(そ、そうですね)
 シルバは振り返りながら、立ち上がる。
 一方、シーラは、水の滴るスカートの端を摘んでいた。
「主、ずぶ濡れになった」
 スカートどころか髪の毛もメイド服も水浸しである。無表情だが、どこか不満そうだった。
「……ま、濡れた床をスライディングだからな。心配しなくても、この熱ならすぐに乾く」
 くい、とネイトがシルバの耳を引っ張った。
「シルバ。彼ら、後ろから追ってくるぞ」
 クリスタルゴーレムは床に這いつくばったまま、腕を使ってシルバ達に迫ろうとする。
「その点は予想してた。これでも食らえ、油玉!」
 自分達の装備や村人から譲ってもらったランタンの油を寄せ集めた水袋を、クリスタルゴーレム達目がけて投げつける。
 水の精霊の力で、油がまんべんなく床へと広がっていく。
 ゴーレム達はいっそ気の毒なほど見事に手を滑らせ、頭を床に打ち付けた。
 それを見送り、シルバとシーラは奥に向かって駆け出した。
「これでよし、と。タイラン、ご苦労さん。アイツらが遠距離攻撃をまた始めないうちに、急いで逃げよう」
「ど、どういたしましてです。でも……こんなのでよかったんでしょうか」
 タイランが憑依を解除し、スゥッとシルバの中から抜け出る。
「実戦投入としては充分だろ。あの水球はポーションでも使えるし。まとめて回復したり、まだまだ応用が効く」
「もっとも、シルバの魔力の底値を上げるのが必須条件となるがな」
 肩の上のちびネイトが言う事は間違っていない、とシルバは思った。
「……ま、そうだな。今のままじゃ、コストが掛かりすぎる。戦闘一回で息切れじゃ、使い所が難しい。とにかくスピード上げるぞ。タイラン、しっかりつかまってろ」
「は、はい……!」
 マジックポーションの栓を抜きながら、シルバはさらに足を速める。
 既に服は乾き始め、足下も滑ることはない。
 そのシルバの肩に、タイランは身体の大半を浮かせたまま、掴まった。
「タイラン君、遠慮はいらない。しっかり当てるぐらいの気合いでしがみついてもいいだろう」
「お前はこの状況で、何を言っているんだ、ネイト!?」
「そしてシーラは抱きつくことは難しいだろうから、手を握るぐらいで我慢をしておくように」
「了解。前方の敵の気配は無し。このまま進行可能」
 シーラはシルバと並走すると、左手を握ってきた。
「いや、了解じゃなくて何お前もネイトの言う事聞いちゃってるの? タイランもホント、ネイトの言う事を無理に聞く必要ないからな!? 第一、二人とも、それで戦闘ちゃんと出来るの!?」
「戦意30パーセントアップ。問題なし」
「あ、あの、ネイトさん、しがみつくのは……その、恥ずかしいんですけど……」
「はっはっは、実に羨ましいな、シルバ」
 ネイトはシルバの肩の上で胡座を掻き、どこで用意したのか扇子を仰いでいた。
「こ、この呪いの装備がーーーーーっ!!」


 もちろんそんな会話は、後方にいたキキョウにも聞こえていた。
「むぅ……微妙に納得いかない展開になっているが、どうやら無事に行ってくれたようだな。時にカナリー。お主、闇属性の魔法などは使えるか」
「残念ながら習得していない。いきなり何の話だい?」
 クリスタルゴーレムはもはや、キキョウやカナリーには興味を失ったようで、何とかシルバ達を追おうと立ち上がろうとしては転ぶを繰り返している。
 今ならどんな攻撃でも当て放題だ。もっともそれが通じるかどうかは別問題なのだが。
 キキョウは言葉を続ける。
「ここは太陽の神殿と、シーラは言っていたのだ。そしてかのクリスタルゴーレム達は、そのガーディアンであろう。ならば、日の光とは逆の、闇の属性に弱いと某は踏んだ」
「……なるほど、それは一理あるね」
「火山地帯や砂漠の敵には冷気を、氷山や雪原地帯の敵には熱を、川や海の敵には雷を。冒険者の定石だ。ここはある意味、灼熱の環境でもある。ならば彼らは冷気にも弱いのではないかな、というのが某とシルバ殿との一致した見解なのだ。確か、氷結魔法は先日、憶えたと聞く」
「効かなかったらどうするんだ」
 カナリーの指摘に、キキョウは腕を組んだまま肩を竦めた。
「その時は、シルバ殿を待てばよい。先程の戦いを見て分かる通り、タイランの『水』はかのクリスタルゴーレムとの相性がすこぶるいい。もはやこの戦、仮に勝ちはなくとも、負けもせぬよ」
「了解。ならば、やってみよう」
 言ってカナリーは呪文を紡いだ。
「氷結魔法――」
 すい、と突き出した細い指先を、クリスタルゴーレムの片割れに突きつける。
「――{氷波/アイザド}」
 指先に一瞬、銀色の光が灯ったかと思うと、直後、冷気の波が迸った。
 それまで高い熱の籠もっていた通路が、数度気温を下げる。
 直後、強烈な冷気の直撃を食らったクリスタルゴーレムの片腕が、白い霜に覆われた。
「……本当に効いた」
 術を使ったカナリー自身が、一番驚いているようだった。
「にぅ……でも凍っただけ。それにここだと長くは持たない」
 リフの指摘はもっともで、少しだけ下がった通路の熱もすぐに元に戻ってしまう。このままだと、すぐにゴーレムの腕を凍らせた冷気も融けてしまうだろう。
「そこで、次の攻撃だ。ヒイロ!」
 キキョウは、前に向かって声を放った。
 正確には、クリスタルゴーレムの真上に開いた大きな穴に向かってだ。


「そこで、次の攻撃だ。ヒイロ!」
 カナリー達が雑鬼達と戦い、降下した穴からキキョウの声が響いてきた。
 浮遊装置を搭載した、動く盾に乗ったヒイロは、クリスタルゴーレムの頭上に浮いていた。
「あいあい! 行っちゃえモンブラン!!」
「ガ!」
 穴の縁に立っていたモンブランが、斧槍をぶん回しながら5メルトの高さからクリスタルゴーレム目がけて飛び下りる。
 大上段から振り下ろしたモンブランの一撃が、凍った腕を両断した。分断された腕が飛び、通路に転がる。
「ガガ……ヨシ!!」
 そして着地、と同時にモンブランも転んだ。
「ヌウッ!?」
「あー、油で滑りやすいからね。気を付けて」
 見下ろしていたヒイロが、クリスタルゴーレムのレーザー攻撃に気を付けながら、ゆっくりと降下する。もっとも相手も今は、それどころではないようだが。
 そしてヌルヌルの床で、モンブランもまた立ち上がることすらおぼつかない状態になっていた。
「ガガ! 戻ッテキタラしるばヤッツケル!」
 重甲冑を油まみれにしながら、素っ転ぶモンブラン十六号は叫んだ。
「……これは、後でタイランが戻ってきたら泣くかも」
 テカテカになったモンブランを眺めながら、ヒイロは呟いた。さすがにこれを見て、油の広がった床に降りる勇気は彼女にもなかった。
「な、ならぬぞ、モンブラン! シルバ殿に八つ当たりはならぬ! 再び、お主とやり合う羽目になってしまうではないか!?」
 膝立ちになったモンブランは、遠くでキキョウが叫ぶのを無視していた。片腕を失ったクリスタルゴーレムに、ビシッと指を突きつける。
「ト、トニカク借リハ返シタゾ!!」
「二体いるから、どっちと戦ったのか分からないけどね」
「…………」
 ヒイロの指摘に、モンブランは沈黙する。
 そして、カナリーの方を向いた。
「モウ片方モ凍ラセルベキ」
「いやいやいや、もう充分だろう!?」
「にぃ……モンブラン掴まって」
 リフは手に豆を握ると、太い蔓を出現させた。
 投げ放たれたそれに、モンブランは掴まった。
「ガガガ……りふ、イイ奴ダ」
 油の滑りもあり、モンブランは重量の割にあっさりと、リフやキキョウの手によって、パーティーに戻ることが出来た。
「ねーねー、もう戦わなくていいの? ボク何もしなくていい?」
 ふわふわと浮遊板に乗ったまま、ヒイロが言う。
「うむ。この戦、既にシルバ殿が奥に進めた時点で目的は達している。これ以上の戦いは無用」
「だね。あ、リフちゃんもこれ乗る?」
「に。のる」
 リフも浮遊板によじ登る。
 小柄なリフのサイズなら、ギリギリで二人分、盾製の浮遊板に乗ることが出来るようだ。
 乗ると同時に、リフは何かに気付いたようだった。
「に……通路の熱さがってく」
「どうやら、シルバがやってくれたみたいだね」
 リフとカナリーが同じようにピコピコと耳を揺らしていた。
 ヒイロは後ろにリフを乗せたまま、板を反転させ、ゴーレム達の方を向く。
「んー、ゴーレムちゃん達も動き止まっちゃったっぽいねー」
「ヨシ、トドメ刺ス」
 油まみれのまま、モンブランは斧槍を構えようとしていた。
 それを見て、ヒラヒラとヒイロは手を振った。
「いやいやモンブラン、それウチのパーティーのノリじゃないからねー。大人しく先輩を待とうねー」


 おそらくクリスタルゴーレムにやられたのだろう、口から黒煙を吐いて気絶している一匹の雑鬼をやり過ごす。
「…………」
 ふと足を止めて振り返ると、ちびネイトが耳を軽く引っ張った。
「どうした、シルバ」
「いや、あの雑鬼、どっかで見たような……」
「知り合いか」
「……雑鬼に知り合いはいねーよ」
 気のせいだな、と放置して奥に向かう事にした。
 やがて、シルバ達は奥にあった大きな両開きの扉を開け、広間に到達した。
 四方の壁に文字のような金色に光る刻印が刻まれ、部屋の大きさは20メルト四方ほどだろうか。
 その部屋の大半が、中央に据え置かれた高さ3メルトほどの天蓋付きの祭壇に占められていた。
 それは一見すると、八角形のずんぐりした柱のような形をしており、祭壇の中心には、光の柱がそそり立っている。
 そして光の柱の中、天蓋近くで『太陽』の{札/ふだ}がゆっくりと回転しながら浮いている。
 村人が言っていた地震の影響か、天井の一部が崩落し、祭壇の一部を破壊していた。
「コイツが祭壇か……ま、何がこの暑さの原因かは一目瞭然だけど」
 シルバは、回転する札を見上げた。
 とはいえ、さすがに古い神の祭壇だ。土足で踏み込むのは躊躇してしまう。
「と、取りに行きましょうか……?」
 タイランが提案した。なるほど、宙に浮けるタイランならば、あの札にも手が届くだろう。
 しかし、それをシーラが制止した。
「やめておいた方がいい」
「え」
「直接触ると危険」
「は、はい」
「最悪、消滅する」
「き、気を付けます……!」
 タイランはシルバの後ろに戻った。
「っつってもアレをどうにかしなきゃ、多分クリスタルゴーレム連中も止まらないだろ。いや、そもそも何でコレが稼働してるんだか……」
 ボリボリと頭を掻きながら、シルバは唸る。
 その肩の上でちびネイトが、床に落ちた岩を眺めていた。
「ふむ、崩れた天井の瓦礫がぶつかっての誤作動ではないだろうか」
「起動そのものは、地震の影響と思われる。墜落殿の魂魄炉とのリンクも可能性としては高い。季節設定に異常。冬から初秋に変更する」
 シーラは八角柱の一端に近付くと、横置きに埋め込まれている太い円柱のようなモノを回転させた。何やら文字らしきモノが刻まれているところを見ると、操作に関係するモノなのだろう。
「分かるのか」
「分かる範囲で修正する。分からない所を触ると危険」
 そう言われると、シルバ達には何も触れることが出来ない。
 何しろ、何が危険かすら分からないのだから。
 仕方なく、シルバはシーラに尋ねた。
「俺達に出来る事は?」
「部屋の捜索。ただし、なるべく触らず」
「……難しい注文だな、おい」


 シルバとタイランは左右に分かれて部屋を半周した。
「こっちは{札/カード}みたいなモノ見つけた」
「私の方は、シルバさんの聖印……みたいな感じの首飾りを幾つかです」
 ふむ、とネイトは部屋を見回していた。
「他に金目の物はなさそうだな」
 一番のお宝である祭壇は、大きすぎて持ち帰れそうにない。
「超人聞き悪いな、お前」
「シルバは冒険者なのだから、まずお宝を求めるのは当然だろう。もっとも、とんでもないお宝を発見したようだが」
 言いながら、シルバはタイランを連れて、反時計回りにシーラの元へと戻ろうとする。
 途中、天蓋を支える柱の一つに、首飾りが幾つかぶら下がっているのを発見した。これが、タイランが見つけたという首飾りだろう。
 首飾りには金色のメダルがついていた。
「こりゃあどう見ても……」
 シルバは少し後退し、壁に背を預ける。
 天蓋の頂上に、丸く輝く金色の印があった。
 首飾りにある金メダルをそのまま大きくしたような感じだ。
「通行証だろうな。天井の紋章とも一致する。クリスタルゴーレムは、アレを所持しているモノは通す。違うか、シーラ」
 右を見ると、シーラが歩いてきていた。
「違わない。こちらも終わった」
 部屋の明るさが徐々に落ち、部屋中央の光の柱も光量を減らしていく。
「お……気温も下がった」
「一度、停止させた」
「おい、大丈夫なのかこれ」
 幸い、目が利かないほど暗い訳じゃないが、それでもさっきまでの明るさに比べれば、日が沈む直前ぐらいの暗さになっている。
 しかし、シーラは平然としていた。
「今回の起動開始から十日が経過していた。逆に言えばそれまではこの神殿は機能していなかった。本来の状態に戻しただけ」
「それでも、微妙に熱が伝わってくるのは、一体何なんだ……」
「札そのモノの力」
 光の柱は消滅し、その札は今は祭壇の中央に絵柄を上にして、倒れていた。
 それを見つめながら、ネイトが言う。
「札だけなら、何の力もないだろう。私がシルバの愛があってこそ動くのと同じだ」
「別にそんなモノ、俺は与えた憶えはないんだが」
「シルバはツンデレだな」
「誰がツンデレか!?」
 言い争う二人に遠慮するように、タイランが考えを述べた。
「え、えっと……た、例えば、村の人達のお祈りとか。ほら、農民の人って、太陽と大地をよく崇めるって聞きますし」
「おそらく、それ」
「ずいぶんとアバウトだな、おい!?」
 コクンと頷くシーラに、シルバが突っ込む。
「あくまで仮定の話。けれど、信仰が力になるという原理は、間違っていない」
「とりあえず今再起動させるのはまだやめとこう。まだ、キキョウ達がゴーレムと戦ってるかもしれないし」
「……ですね」
 タイランも同意する。
「そもそもこの土地に長居するつもりはないし、通行証とやらは村長に渡した方がいいだろ。シーラ、これの扱い方は、難しいのか?」
「わたしでも分かる」
「……難しくないって解釈でいい?」
「いい」
「なら、ネイトに説明してくれ。あとは村長の頭ん中にネイトが叩き込めばいい」
「ずいぶんと乱暴だな、シルバ」
 シルバは溜め息を掴み、腕を組んだ。
「マニュアル作ってたら、いつまで経っても出発できねーっつの」
 シーラは表情を変えないまま、祭壇上の札を見つめていた。
「この太陽の札は、持って行けばかなりの助けになると思う」
 だが、シルバは手をヒラヒラと振った。
「却下だ。今の話だと何だ、この土地にはその札のお陰で、太陽の恩恵があるんだろう? もしかしたら、その札がなくなったら村の作物の収穫が悪くなるかも知れないじゃないか。そういうのは、ちょっと気分が悪い」
「了解した」
 となると、残っているのはシルバが発見した、札だけだ。
 首飾りを回収したシルバ達は八角柱をグルリと回り、その縁にある浅いくぼみに置かれた透明な札の元に辿り着いた。
「……あの、この何も絵の入っていない札は、何なんでしょう?」
「不明。わたしの知識にはない。どこかに説明があるはず」
 そして、その説明は部屋に刻まれた文字の中にあるらしい。
 が。
「だけど、この中から探すのもなぁ……ま、いいや。これは手にとっても大丈夫だよな、シーラ」
「問題ないと思われる」
 という事は、安全かどうかはシーラも保証しないという事だ。
「特に力も感じないし、ただ触っただけで何か起こると言う事はないだろう」
 ネイトも言い、シルバはその札を手に取った。
 形や軽さ、弾力のある素材なのはネイトの『悪魔』の札とそっくりだ。
 けれど、完全に透明である点、そして中に何の絵柄がないのが、違いと言える。
 この祭壇の核があの札である事を考えると、おそらくは予備の札ではないだろうか。
「なら、村長と交渉して、もらえるようにしよう」
「不思議な素材ですね……」
 タイランが、シルバの背後から札を覗き込む。
「触ってみるか、タイラン?」
「え? あ、い、いいんですか?」
「危険もなさそうだし、いいんじゃないか?」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」
 タイランがシルバから札を預か……ろうとした時、札を持ったシルバの手に、何か力が流れ込んできた。
「え……」
 札の端を持ったタイランの姿が消失する。
「タイラン!?」
 そして。


 杯を持った女性の絵札の上に、小さくなったタイランが驚いた表情で正座していた。
「……あ、あれ?」
「ほう」
「…………」
 呆気にとられるシルバ、その肩の上で面白そうに経緯を見守るちびネイト、無表情なシーラは、手乗りタイランと化した彼女を見下ろしていた。


 太陽はほぼ中天に達していた。
 迷宮に潜っていた時間は、長かったようで短かったらしい。
 畑で収穫の作業をしている村人達は、戻ってきたシルバ達に気付くと皆揃って頭を下げてきた。
 迷宮に潜っていた自警団の者達は、カナリーが馬車を往復させて既に帰還済みだ。バイコーンに思いっきりビビッていたようだが、ともあれ無事に全員が戻る事が出来た。
「……で、迷宮ん時からずっと気になってたんだが」
 シルバは懐を覗き込んだ。
「何でお前、小さくなってんの?」
「に」
 仔猫状態になったリフが、シルバの懐から頭だけを出していた。
 リフの代わりに応えたのは、右肩に乗ったちびネイトである。
「ふふふ……決まっているじゃないか」
「あ、もういい。話さなくていい」
 シルバは耳を塞いだ。
『『守護神』マスコットキャラクター対決頂上決戦だ!』
「わざわざ念話を使ってまで、叫ぶんじゃない! リフも煽られんなー!」
「にぅ」
 シルバのツッコミにも、ネイトもリフは、一向に堪えた様子はなかった。
「……まあ、なっちまったもんはしょうがないが」
 シルバは諦め、懐からリフを出すと、自分の頭に乗せた。
「に」
「……シルバ殿は、その形態のリフに甘すぎる」
「……同意見だよ、キキョウ」
 納得いかない顔をする、年長組二人であった。
「しょうがないだろ! じゃあキキョウは抗えるのか、この状態のリフに!?」
 ずい、とシルバは頭の上のリフを持つと、そのままずい、とキキョウの前に突き出した。
「にぁ」
 短く鳴くリフ(仔猫形態)に、キキョウは怯んだ。
「う、うぅ……シルバ殿、その攻撃は防御が難しいぞ……」
 シルバの左肩で休んでいたちびタイランが、ふわっと浮かび上がる。
「あ、あの、私は、その気になれば札から出られますよ? シルバさんの許可が必要ですけど……」
「いや、タイラン君はその状態をもっと続けるべきだ。とっても可愛いから! シルバの心をガッチリとハートキャッチ!」
 ググッと拳を握りしめて力説するネイトに、シルバは白い目を向けていた。
「……心をハートキャッチって何かおかしくないか? いや、これはこれでそりゃタイラン可愛いけどさ」
「え? あ、う、あ、ありがとうございます……」
 精霊体の頬を赤くするちびタイラン。
「……シルバ殿は、また、そうやって聞いている方が照れるような事を平然と言う」
「……頑張ろう、キキョウ。僕達も言われるように頑張ろう」
 そして、暗い顔をするキキョウとカナリーであった。
 後ろからどす黒いオーラを感じ、シルバは額の冷や汗を拭った。
「と、とにかく、しばらくはタイランこのままな。他にも色々面白い事が出来そうな札だけど、ひとまずは仕事が終わってからだ。それに……」
 チラッと横を見る。
 重い足音を立てて歩く重甲冑――モンブランの身体は、前のクリスタルゴーレム戦のまま、油にまみれていた。身体のあちこちから糸を引いている状態である。
「……この状態の身体に戻る訳にもいかないだろ」
「は、はい、そうですね」
 本人も、戻る事を躊躇っているようだった。
「ガガ……気持チ悪イ」
 その一方で、重甲冑の関節部分から駆動系に油が回り、動き自体は以前よりやけにスムーズになっていたりする。
「完全に油でヌトヌトだよね、モンブラン。馬車も大変だったし」
「うん、さすがにこの状態で座席に座らせる訳にもいかなかったし、完全に荷物扱いにせざるを得なかったからね」
 ヒイロとカナリーは、頷き合う。
「ガガガ! 早ク洗ウ! オ湯使ウ!」
 モンブラン十六号は、大声で己の不満を主張していた。
「ねーねー、先輩。そういえばこの鎧ってどうなるの?」
 シルバの横に並び、ヒイロが見上げてきた。
「どうなるって何が」
 シルバの疑問に応えたのは、今度はキキョウだった。
「ふむ、確かに戦力的には分けた方がよいし、タイランもその札の状態ならばより、シルバ殿の力にはなれる。モンブラン専用にしてもよいのかもしれぬが……」
「あ……」
 一理ある意見に、タイランは小さく口を開き、何かを躊躇っているようだった。
「えっと……その……」
「駄目」
 困っているタイランを見もせず、シルバは一蹴した。
「や、にべもない返事だな、シルバ殿」
「先輩、何でー?」
 シルバは前を向いたまま、答える。
「何でも何も、この甲冑はタイランがお父さんから預かった物だ」
 そして、ゴンと重甲冑の腕部分を軽く叩いた。
「そんな大切な物の扱い、俺達が決めていいモンじゃないだろ。うわ、油ついた」
 ねとーっと糸を引く手に、シルバは何とも言えない嫌な顔をする。
「ぬ……そ、そうであった。すまぬな、タイラン。重要な事実を失念していたようだ」
「んんー、そだねー。ボクもウッカリだったよ。ごめんね」
 頭を下げる二人に、逆にタイランはフルフルと首を振った。
「あ、い、いえ、いいんです。お役に立っているようですし……分かってもらえているようですから」
 宙に浮いていたタイランは嬉しそうにシルバに追いつき、その左肩の上に着地した。
 一方で、シルバは懐に手を伸ばしていた。
「……むぅ」
 取り出したのは、迷宮で手に入れた新たな札だ。
 絵柄は変わらず、杯を持った女性のままである。
「ど、どうかしたましたか、シルバさん」
 心配そうなタイランの声に、シルバは首を傾げて、札を撫でた。
「いや、何か札が熱持ってるみたいでな。今使ったら、ちょうどお湯が出せるんじゃないかと」
「……!?」
 シュボッとタイランの青く輝く肌が、赤く変化する。
「おい、大丈夫かタイラン」
「へ、へへへ、平気です!」
「そうか。あ、また熱が高くなった。燃えたりしないだろうな、この札」
「さ、さすがにそこまでには、ならないと思います」
「ガガ! 我ニ使エしるば! 早ク使エ!」
「ほう、タイランの感情と、直接リンクしているな、これは。出回っている札とは違う。いや、それともこちらがオリジナルなのか。どちらにしても実に興味深い」
 空気を読まずシルバに要請するモンブラン十六号に、ネイトも手元を覗き込んでくる。
「ネ、ネイトさん!」
「ええい、油まみれの身体で迫ってくるんじゃない! ちゃんと後で洗ってやるから!」
 阿呆なやり取りをしながらも、一行は一応、村へと近付きつつあった。


 酒場に戻ると、村長であるハンクスが出迎えた。
 キキョウをリーダーにし、全員がテーブルにつく。
「村の者を助けて頂き、本当にありがとうございました」
「いや、某達は依頼をこなしたにすぎぬ。彼らはゆっくりと休ませるとよい」
「はい、分かっております。ああ、皆無事で本当によかった。そうだ、礼と言っては何ですが、村の広場に皆さんの石像でも」
「また、ご冗談を」
「建てるのはいいけど、出来るだけ格好良く――」
「それより、遺跡のさらに下の層での話なのだが……」
 キキョウはカナリーの発言を受け流し、遺跡のさらに地下であった出来事を話した。
 シルバ達が奥の部屋で見た事に関しては、既に彼女に話してあるので、そちらも村長に伝える。
 報酬に関しては、積まれた金額では多すぎたので、本来ギルドで受けると思われる依頼料だけ受け取ることにした。
「件の祭壇を用いれば、来年からの収穫はさらに豊かになると思われる。貴重な遺跡故、ギルドへの報告を行なうかどうかは、そちらにお任せしたい」
「その辺は、村の会議で相談させて頂きたいと思います。しかし、報酬の方は本当によろしいのですか」
「うむ。この額で結構。残りは先に雇った冒険者のキャンセル料に使って頂きたい。ただ、この札はもらってゆきたいのだが、よろしいか」
 言って、キキョウは懐から出した札を、テーブルに置いた。
 タイランは酒場に入る前に抜け出ており、絵柄はない。今は一見、ただの透明な板にすぎないように見える。
 そして当のタイランは、こっそりとシルバの水袋の中に潜んでいたりする。
「ああ、はい。話を聞いた限りでは、予備のようですし。……しかし、黙って持っていけば、私どもには分からなかったのでは?」
 怪訝そうなハンクスに、キキョウは首を振った。
「そうすると、天罰が下りそうなのでな。それに欲をかくと、ロクな事にはならぬ」
 ハンクスの了承も得て、キキョウは再び札を手に取った。
「……それに、この一枚でおそらく、今回の危険手当としては充分お釣りが来ると思うしな。もう少しだけ図々しい事を言わせてもらえれば、消費したポーションの補充などが出来れば、ありがたい」
 テーブルに半ば突っ伏した状態で、ヒイロが手を上げた。
「あとお昼ご飯ー。ボク、お腹ぺこぺこー」
「そうですか! それぐらいでしたらお安いご用です! ウィリス、飯の用意を頼む!」

 昼食を終え、シルバ達は早速出発する事にした。
 一足先に昼食を食べ終えたヒイロが、腹ごなしに散歩してくると飛び出したので、それと合流しなければならない。まあ、シーラがお供をしているので、何も問題は起こらないと思うが。
 頭に微睡んでいる仔猫状態のリフを乗せ、手には村から礼としてもらった、かぼちゃや茄子といった野菜の入った籠を持って、のんびりと村の外れに向かうシルバ達に、ハンクスも同行する。
 一応、馬がただの馬ではない事は伝えているのだが、実際見て腰を抜かしたりしないかと、シルバはちょっと心配だったりする。
「そうですか……ウェスレフト峡谷とは、また遠いところへ向かわれるのですな」
 シルバから行き先を聞き、ハンクスは感心したようにしきりに頷いていた。
「何か、情報はありますか?」
「そうですな。西からの旅人の話では、野生の生物が多く危険とか」
「なるほど」
 ただでさえ辺境であるアーミゼストのさらに辺境なのだから、まだ分類すらされていないモンスターがいてもおかしくはない。
 それぐらいは、覚悟の上なので、シルバもさして驚きはしない。
「特に、三匹のモンスターが、あの辺りを支配しているのだとか言う話も聞きますな」
「それは初耳ですね」
「名前はそう……大空を支配する怪鳥イタルラ、地上を統べる変幻自在の螺旋獣ヤパン、水辺を治める砲撃の巨人ディッツ。これがウェスレフト渓谷の三魔獣。近くに住む者達は、そう呼んでいるそうですね」
 ずいぶんと記憶力に優れた村長である。
「……聞いただけで物騒っぽいですね。ま、モンスター退治が目的じゃないですから、いざとなれば尻尾を巻いて逃げますけど」
「はは、それも一つの方法ですな」
「ところでこの村の司祭はどこに?」
 ふと気になってシルバは聞いてみた。
 村には一応教会があったので、そこを管理している人間はいるはずである。
「は。都市の方に冒険者を雇いに赴かれたのが、この村の司祭様でして……」
「そうですか。それは残念」
 去る前に思いついた事を試してみたかったのだが、いないのではしょうがない。
「何かお話が?」
「話って程の事じゃないんですけどね。まあ、駄目なら駄目で……」
 この先にもまだ幾つか村はあるはずだ。その道中で、頼めばいい。
 シルバは背後を振り返った。
「しかし……」
「何ですかな、司祭様」
「いいんですか、あんなにもらっちゃって」
 ガションガションと重い足音を鳴らしながら、重甲冑モンブラン十六号は背中に野菜の詰まった巨大な籠を背負っていた。
 油もすっかり洗い落とし、鍛冶屋でメンテナンスを受けたその身体はピカピカだ。
「ガガ、モット持テル。我、頑丈ナリ」
「あんまり無茶しちゃ駄目だよー。モンブラン一人の身体じゃないんだから」
 野菜畑から聞き覚えのある声がしたと思ったら、ヒイロだった。
 甲冑を脱ぎ、代わりに頭に麦藁帽子、首にタオルを巻いていたので、一瞬誰だか分からなかった。
 そしてシーラもヒイロと同じ格好をしていた。
 しかも骨剣や金棒の代わりに、鍬を持っている。
「……ヒイロ、その台詞は。っていうか何をしているんだ、君達は」
「腹ごなしの運動!」
「その手伝い」
「……まあいいけど、そろそろ出発するから、着替えた方がいいよ」
「はーい。行こ、シーラ」
「了解」
 カナリーは、武器と甲冑を取りに向かう二人を見送った。
「……ともあれ、僕としても大量のトマトは実に嬉しいかな」
「にぅー……」
 そして仔猫状態のリフは、シルバの頭の上で少し悲しそうな声を上げていた。
「どうしたリフ? ああ、お前も畑が気になってるのか」
 見るとまだ、砕けた野菜や踏みにじられた土の場所が残っている。
「まあ、荒らされたと言っても、また耕せばいいだけですから」
 村長であるハンクスが宥めるように言うが、リフはすっくと立ち上がった。
「に!」
「どうやらリフ君はやる気になってるみたいだが、どうするシルバ? ただの仔猫ではない事がバレてしまうが」
 ネイトの囁きに、シルバも小声で応じる。
「……ま、いいんじゃないか? やる気を削ぐのもなんだし」
「という事だ。シルバの許可が出たぞ、リフ君」
「にゃ!」
 リフの鳴き声と共に、砕けた野菜達が地面に埋まっていく。
 それがエネルギーとなったのか、それまで荒れていた畑は見る見るうちに修復されていく。
「おお……畑が……」
「じゃ、ついでに俺もいいところを見せようかね」
 精霊眼鏡と篭手を装備したシルバは、地面を走る霊脈を見切ると、力の集中している箇所に針を投げ打ち込んだ。
 すると、リフのそれと同じように、畑は本来あるべき姿を取り戻しつつあった。
「か、変わった技をお使いになられる。いや、それもあるが、その小さな剣牙虎はもしや、霊獣なのですか?」
 その質問は予想していたので、とりあえずシルバ達は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すことにした。
「さあ」
「うむ、秘密だ」
「内緒でよろしく」
 同じようにキキョウとカナリーも、シレッとした顔で頷いた。
「……分かりました」
 ハンクスも、どうやら察してくれたらしい。
「ですが、せめてお祈りだけでも」
 そう言って、ハンクスは印を切った。


 ……なお数ヶ月後、石像は本当に村に建てられてしまい、村の恩人達として崇められるようになる事を、今のシルバ達はもちろん知る由もない。
 さらに、仔猫のマスコットフィギュアは、ツーカ雑貨商隊なる冒険者兼商人家族を経由して都市にまで広まり財政も潤ったりする事も。
 豊穣と幸運を呼ぶ招き猫として、村の新たな名産品となったそれを聞きつけた、やたら大柄な壮年の男が買い付けに訪れたりするのだが、それはまた別のお話。



[11810] 札(カード)のある生活
Name: かおらて◆6028f421 ID:8cb17698
Date: 2010/05/28 08:00
 シルバ達を乗せた馬車は午後いっぱいを南西に向かって駆け、湖畔で休む事となった。
「今日はここで野宿か」
「本当なら、もう少し先にある大きめの村の宿を取るつもりだったんだけど、昼間にあんな事があったからな」
 カナリーの独り言に、シルバは夕日を水面に浮かべる大きな湖を眺めながら応えた。
 人の気配はない。どうやらこの辺りにいるのは、自分達だけのようだ。
「よいのではないか? こういう湖畔も悪くない」
 尻尾を揺らしながら、うむうむと頷くキキョウ。
 シルバの肩の上で、ちびネイトは大きく両腕を広げた。
「よしデートをしよう、シルバ。夕日を眺めながらロマンチックが止まらない」
「待て待て待て! まずは野営の準備だろ!? カナリー、テントはもう出せるのか?」「まだ時間には早いが……ああ、もう月は出ているな。なら、大丈夫だ」
 言って、カナリーは大きく伸びた自分の影から、野営道具を出現させた。
「……ほ、本当に便利ですね、カナリーさんの影って」
「夜限定だけどね」
 甲冑姿に戻ったタイランの言葉に、カナリーは肩を竦める。
 一方張り切っているのは、ヒイロだった。
「んじゃまー、やりますか、シーラちゃん」
「了解」
 力仕事の得意な二人は、まとめられていたテント用具を解くと、布と鉄棒のそれを手際よく組み立てていく。
 それを眺めながら、シルバの自分用のテントを作り始める。
「さすが、手慣れたモンだな」
「得意中の得意だからねー。あれ、先輩のは小さいね」
「一人分だから、これで充分なんだよ。……で、何やってるんだ、キキョウとカナリー」
 見ると、何故かキキョウとカナリーは、ロープでがんじがらめに絡み合っていた。
「……や、テ、テントを張ろうとロープを解いていたのだが」
「何故か絡んでしまったんだ」
 たった二人でこれだけ不器用な真似が出来るのも、ある意味才能なのかもしれない。
「千切る?」
 リフが見上げてくるのに、シルバは首を振った。
「ロープが勿体ないからやめて」


 三十分も掛からず、二つのテントは出来上がった。
 日はあっという間に沈み、既に月が浮かび上がっている。
 星の明るさもあり、それほど暗くはない。
「ひとまずテントは出来たか。晩飯はまあ、野菜シチューで決まりだけど」
 もちろん材料は昼、村でもらった野菜類である。おまけに水ならば、すぐ傍の湖に豊富にある。
 一部の野菜は馬車を牽いていたバイコーン達が、既に食べ始めている。従者二人は、テント用具を入れ替わるように影に潜り、休憩を取っていた。
「あ、ボクちょっとお肉調達してくる!」
 元気よくヒイロが手を上げた。
「調達って」
「そこの森から、動物の気配がする!」
 ヒイロはビシッと、少し離れたところにある大きそうな森を指差した。
「に、する!」
 さらにリフも同意する。
 野生の勘が鋭い二人が言うのなら、おそらくいるのだろう。
「ならば、某達も……」
 キキョウやカナリーも申し出ようとしたが、ヒイロはヒラヒラと手を振った。
「あ、いーよいーよ。そんな大勢じゃなくて、ボクとリフちゃんだけで充分だから。よし、行こう!」
「にぃ」
「あ、ならついでに木の枝も拾っておいてくれ。たき火の足しに使うから」
「あいあいさー」
 シルバに返事をし、ヒイロとリフは連れ立って森に向かった。
「張り切ってんなー」
 シルバ達は小さくなっていくその背を見送る。
 夜の森など本来は危険なはずだが、あの二人なら心配は要らないだろう。
「得意分野だからだろうな。君達はあれだ、旅の疲れもあるだろうし、水浴びでもしてきたらどうだ」
 ネイトはキキョウ達を振り返り、湖を指差した。
 遠くに岩場で遮られた場所があるので、そこならば誰か(というかこの場合はシルバ一人に限られるのだが)に見られる心配もない。
「お主とシルバ殿はどうするのだ?」
「俺達はま、飯の準備でもしてるよ。混浴の温泉じゃあるまいし、一緒に入るってのもちょっとな」
「そ、そうですね……」
「なら僕は、お言葉に甘えさせてもらおう。キキョウ、タイラン行こう」
「……うむ」
「あ、は、はい」
 カナリーはキキョウとタイランを連れて、湖に向かった。


 残ったのは、シルバとちびネイトだけとなった。
「さて」
「二人っきりだな、シルバ」
「やかましい」
 ネイトの言葉を一刀両断にし、シルバは懐から札を取り出した。
 今は、何も絵柄のない、ただの透明な板にすぎない。
「早速実験か。熱心だな」
「そりゃ、命に関わる事だからな。熱心にもなるさ。……何より、こういうのは男の浪漫だ」
 シルバも男であり、新しい技術には、どうしても心躍ってしまうのだ。
「まずは水と火を何とかしてみよう」
 シルバは札を湖にかざした。
 そして封印の言葉を紡ぐ。
「{封鎖/シーリン}!!」
 本来こうした単語は必要ないのだが、呪文などと同じようにシルバは自分なりのスイッチを作っていた。いわゆる習慣だ。
 鍵の言葉と共に札に力が流れ込んだのを感じ――次の瞬間には水を暗示する『杯』の絵柄が浮かび上がった。
 直接触れる必要がないのは、最初にタイランを取り込んだ時から何となく分かっていた。……第一、触れなければならないのなら、『太陽』の札なんてどうやって作ればよいのだ。
 魔力を込めた『杯』の札を鉄鍋に向けると、その直後、鍋の中を水が満たしていた。
 シルバはふと思い付き、今度は札から『杯』の力を解き放つ。
「{解放/リリース}」
 ザバリ、と桶一杯分ほどの水球が虚空から出現し、地面に落下して破裂した。
 そのまま再び透明になった札を、ランタンに向けた。
 札に浮かんだ絵柄は火を司る『杖』だった。何で杖が火を現わすのかは、シルバにはよく分からなかったりするのだが。
 そのまま魔力を込めるだけで、火打ち石を使うことなくランタンに灯がついた。
「……便利だ」
「圧倒的効率……!」
 自分でやっておきながら呟くシルバと、グッと拳を作るネイトであった。
 それから二人は色んなモノで試してみた。
 金袋はそのまま地を司る『コイン』となり、星空は『星』となった。
「テントは『塔』になるか」
「妥当なところだろう。不吉ではあるけどな」
 シルバが言うと、うむ、とネイトは頷いた。
 絵にある『塔』は空から稲妻が落ち、あちこちから火を吹いて亀裂を作っていた。
「『塔』か……」
「何を考えているんだい、シルバ」
「いや、墜落殿の攻略法。幾つか問題はあるけど、いけるかもしれない。……もっとも、真面目に探索やってる人達は絶対怒るやり方だけどな」
 そんな事を二人で試していると、背後に人の気配がした。
「便利だねー」
 振り返ると、そこには肩に担いだ太い枝に小動物をぶら下げたヒイロがいた。
「帰ってきたのか。思ったより早かったな」
「に、ただいま」
「本日の獲物はウサギと雉!」


 戻ってきたヒイロとリフも、シルバの持っている札に興味津々の様子だった。
「ねーねー先輩、その札って、ボク達も封じたり出来るの?」
「やってみるか? 出来るはずだけど、基本的に札に入った人間は何も出来ないぞ?」
「うん、それでもいーよ!」
 シルバが差し出した札の端を、ヒイロは笑顔でつまむ。
「…………」
「どしたの先輩?」
 キョトンとするヒイロに、シルバはボリボリと頭を掻く。
「……いや、普通ちょっとビビるとかさ。仮にも、ある意味封印なんだぞ?」
「でも、タイランもやったし、先輩が危ないって思うこと、する訳ないもん。だいじょぶだいじょぶ」
 ニパッと笑うヒイロに、リフもコクコクと頷いていた。
「に、信頼。リフもやってみたい」
「ふふふ、妬けるねぇ」
 そんな二人を、肩の上のちびネイトは微笑ましそうに眺めている。
「……うっさい。そんじゃやるぞ。――{封鎖/シーリン}!!」
「う、わ」
 シルバの声と共に、ヒイロの姿が掻き消える。
 次の瞬間には、札の上に小さくなったヒイロが立っていた。
「ひゃあ!」
 落ちつかなげに周囲を見渡すヒイロに、リフが顔を寄せた。
「に、ヒイロちっさい」
「リフちゃんおっきい! 先輩も大きい! すごいすごい! 耳たぶぷにぷに!」
 右肩に跳び乗ったちびヒイロは、シルバの耳に両腕で抱きついた。
「って何で耳たぶに抱きつくんだよ!?」
「柔らかーい!」
 ヒイロは聞いちゃいなかった。
 そして、それを少し羨ましそうにリフが見ていた。
「にぅ……ヒイロ、次リフの番……」
「うん! あ、でもその前に先輩質問。絵札はどーなってんの?」
 テンション高めのヒイロに諦めたシルバは、自分の札を見た。チャンピオンベルトの中央で、獅子娘が吠える絵札になっていた。
「……『力』、なんだろうなこれ」
「んんー。って事は先輩力持ちになる?」
「っていうか多分、{豪拳/コングル}をみんなにまとめて掛けるような感じに出来たり、逆位置にして敵の力を弱めたり出来るんじゃないかな」
 『力』、で思いつく術を、シルバは言ってみる。
「おぉー」
 何だかヒイロは嬉しそうだ。
「それじゃ、元に戻すぞ」
「うん! でも面白いからまたやってみたいかも!」
「ま、暇な時にな――{解放/リリース}」
 札が一瞬輝いたかと思うと、勢いよく飛び出した光の塊が、近くにあった大岩を轟音を立てて派手に砕いた。
「とうっ」
 岩を粉砕した光が、ヒイロの姿になる。
「……シルバ。もう少し穏やかに出せないのか」
 珍しくネイトが、何とも言えない表情になった。
「まだ力加減がうまく出来ないんだよ。それに『力』の解放だからな。らしいっちゃらしいかも」
「新必殺技ヒイロボンバーの誕生であった!」
「作るな」
 大きく腕を突き上げるヒイロに、シルバは突っ込むのだった。


 岩の破砕音は相当に派手だったらしく、湖の方からキキョウとタイランが駆けつけてきた。
「シルバ殿、何の騒ぎだ!?」
「す、すごい音がしてましたけど……」
「うん、驚かせて悪い。ちょっと札の使い道で色々実験してたんだ」
「な、何だ。そうであったか」
 ホッと安心するキキョウ。
「キキョウはひとまずちゃんと服を着ような」
「!?」
 キキョウの顔が真っ赤になり、二本の尻尾が大きく逆立った。
 タイランはともかく、キキョウはよほど慌てて来たのか、着衣がメチャクチャだった。着崩れた着物から除くサラシは解けかけているし、袴もずり落ちそうになっている。
 おまけにまだ身体も拭ききっていなかったせいか、髪も濡れたままだ。
「やれやれ……相変わらず慌てん坊だな、キキョウは」
 のんびりと夜空から完璧に身だしなみを整えたカナリーが下降し、ガションガションと重い足音を立てて、重甲冑が駆け寄ってくる。
「ガガ……たいらん、我、置キ去リ。忘レ物。身体大事」
「す、すみません……」
 ペコペコとタイランは頭を下げる。
「もうじきシーラが残った荷物を持ってくるよ」


 たき火を囲んで、夕食の時間となった。
 ウサギ肉と野菜のポタージュとパン、それに塩で味付けした焼き鳥である。
「リ、リフ、つ、次は某の番だからな!」
「にぅ……分かった」
 キキョウに言われたリフは、約束通り、小型化してシルバの肩に座っている。
 もっとも、仔猫状態と視点はほとんど変わらない為か、ヒイロほどにはテンションは高くない。
 シルバの手にある札の絵柄は、明かりを灯したランタンと杖を持って、目深にフードをかぶったローブ姿の幼女である。ちょっとしたオバケのようだが『隠者』の札だ。
「その札は、実に興味深いね。触れた状態と映した状態では、何か変わるのかな。テントで出来るんなら、馬車もいけると楽なんだけど。いい馬車だから、狙われそうだろう?」
 札は別に相手に持ってもらう必要はなく、相手の身体に押しつけても有効だ。
 カナリーの馬車に繋げられている二頭のバイコーンは、食欲も満たされたのか、今は大人しく眠っている。
「……札に換える俺も、馬車を狙う奴の命もなさそうだけどな。ま、そもそも無理なんだ。札使ってて感じたけど、自分の体重が限界っぽい。テントでも割とズシッときた」
「札そのモノが重くなったりは?」
 カナリーが洗ったトマトに塩を振りかけながら問う。
 シルバは持っている『隠者』の札の重みを確かめた。
「それはないな。一回封じたら、ただの札の重さだ」
「そうか。馬車とか封じる事が出来るなら、一発逆転の必殺技が出来そうだったのに」
 シルバはその光景を想像した。
 小さな札から出現する、二頭のバイコーンが牽く馬車の突撃攻撃。
 不意打ちのインパクトとしてはこれ以上のモノはなかなかないだろう。
「……確かにすごいな。絵札は『戦車』だったし」
「に」
 ふわっと宙に浮いた小さなリフが、手を上げた。
「何だ、リフ。いい案でもあるのか」
「お兄が、いっぱい体重をふやす」
 理論上は、より重い物を札に取り込むことが出来る、と言いたいらしい。
「……悪くないけど、動きが鈍りそうな案だ」
「……に。お兄がぶたさんになるのは、リフもちょっとや」


 札から戻ったリフも、夕食を食べ始める。
 キキョウの札化は、食事の後という事になった。
 ガジガジと手羽先を囓るリフを眺めながら、シルバもポタージュを口に運んだ。
「直接取り込んだ方が、若干パワーが増してるかな。あと、俺の魔力消費が半分ぐらい軽減されてるっぽい」
 ふむ、と肩の上で腕組みをしたネイトが言う。
「吸収する場合は、敵を札に封じたり出来るな」
「それも、悪くないアイデアだと思う」
「よし、褒められた!」
「お前はそれがなければなあ……」
 シルバは微妙な表情をした。
 おずおずと、精霊体のタイランが手を上げる。
「あ、あの、シルバさん。シーラさんの話では、聖職者の札があるそうですけど……」
「『女教皇』か『教皇』、もしくは『杯』」
 水の入ったコップを傾けつつ、シーラが答える。
「その力を使えば、シルバさん、祝福魔法を使えるようになるんじゃないでしょうか?」
「うん、それを考えて、昼間の村で司祭さんいないか聞いてみたんだけどな」
「必要ない。この中の誰かが、主に向かって札をかざせばいい」
「……やってみるか」
 シーラに言われ、シルバはやる気になった。


 数分後。
 自分に札を当てる事によって『教皇』の札を作る事に成功したシルバだった(というか、シルバより体重が重いと自分から立候補する者がいなかった)が、祝福魔法を使おうとしても、うんともすんとも言わなかった。
「……駄目だー」
「件の呪いは、よほど根が深いと見える」
 試してみた結果、吸血鬼であるカナリーも使えない。
 その一方でキキョウやヒイロは『教皇』の札で、{回復/ヒルタン}が使えていた。これは同時に、絵札を作った所有者でなくても、札が使えることを意味している。
「……ま、期待は半分ぐらいだったから、落胆もそれほどじゃないけどな。それに、『杯』である程度代用は利くし」
 溜め息をつきながら、シルバは赤ワインを煽った。
 酒が入りながらも、シルバとカナリーを中心とした魔法談義は続く。
「他にも遊べるだろう。ヒイロの『力』による強化とか、リフの『隠者』による隠形術とか」
「もちろんそれはそれでアリだけど、戦闘中は実はあんまり自由が利かないんだよ、この札」
「っていうと?」
「基本的にこの札は、シングルタスクなんだ。一つの絵札が表示されている間、他の力を用いることは出来ない。戦闘中、俺が考えることはみんなのサポートであって、札の使い方じゃない。……そうだな、メイン『杯』だとして、他に『力』や『戦車』を使うとする。いちいち札の柄を切り替える作業ってのは、こりゃ想像するだけでもなかなか手間なのは分かってもらえると思う」
 札にヒイロを経由して『力』の力を封鎖して、強化の術を発動。
 その後、札から『力』を解放し、次にタイランから『戦車』の絵札を作り……。
 一つの術を行使するのに、最低でも2アクションが必要になる。これが異なる絵札まで用いるとなると、随分と面倒くさい話だ。
「うーん……確かに言われてみると、そうだね」
 カナリーが唸る。戦闘において、スピードが重要な要素なのは、カナリーにも分かるようだ。
「なら、最初から一つに絞った方がいい。ま、あくまで戦闘に限った話だけどな。カナリーが大技の魔法を使う時『節制』があったらすごく便利だと思うし。……これの問題は、何をこの札に映せば『節制』の札が出来るかだけど」
「他のみんなは、シルバにはどう映ってるんだい?」
 言われ、シルバは透明になった札をカナリーにかざした。
 ボンヤリと、札に絵柄が浮かび上がる。
 弧を描いた月に乗った女性の絵柄。
 それに冠を被った、豪奢な衣装を羽織った女性の姿も映し出される。
 二つの絵柄は揺らぐように交互に表示されていた。
「んー、まずカナリーは『月』。もしくは『女帝』」
「そりゃボクは貴族だけど、女帝は言いすぎだと思うね」
 カナリーは苦笑し、肩を竦める。
「イメージの問題だからなぁ」
「シ、シルバ殿、某は?」
 身を乗り出してきたキキョウに札を当てると、剣を掲げた女騎士と、やはり剣と天秤を手に持った法衣姿の女性が浮かび上がった。
「『剣』かな。あと『正義』も出る」
「う、うむ! 割と格好良くてよかった」
 ちょっとホッとするキキョウであった。
 三杯目のポタージュを食べ終えたヒイロが、皿から顔を上げる。
「ボクは『力』でリフちゃんは『隠者』だったでしょ。んでタイランが『杯』で」
「あ、でも重甲冑の方は『戦車』だけどな。多分それは、タイランが入ってても変わらない」
「……分かるんですけど、とても複雑な気持ちです」
「確かに、女の子に『戦車』はちょっとなぁ」
「ガガ! 戦車強イ! 我、納得!」
 精霊炉に水を注ぎながら、モンブラン十六号はご満悦の様子であった。
 シルバは、シーラにも札を向けてみた。
 身の丈より長い杖を持った女性の絵柄と、ヒイロの時と同じくチャンピオンに獅子娘の絵柄が浮かび上がる。
「シーラは『杖』。金棒のイメージから何だろうな。あと『力』も使えるか」
「シーラちゃん、ボクとお仲間ー♪」
「仲間」
 ヒイロとシーラが、両手を合わせあう。
「ふふ、私は何になるのだろう」
「言わせるのか。それを俺に言わせるのか、ネイト」
 やってみたが、やはり『悪魔』以外の何者でもなかった。
「でも、不思議ですね……一人に対して、複数の絵札が使えるなんて」
 タイランが首を傾げ、それにネイトが応えた。
「人には様々な側面があるという事だ。そしてそれを決めるのは、札の所有者の主観となる」
「は。まるで旧約魔術だね」
「言えてる」
 皮肉っぽく笑うカナリーに、シルバは頷いた。
「ん? 何それ」
 キョトンとするヒイロに、カナリーは赤ワインの入ったカップを掲げて見せた。
「ずーっと大昔、系統立ってない頃の魔法さ。使い手の主観が全てだから、ほぼ完全なスタンドアロンな魔法であり、他の人間が使うのは難しいって言われてる」
「うぅ~~~~~、頭から熱が出て来そうだよう」
 実際、ヒイロの頭から湯気の上がりつつあった。
 もうちょっと分かりやすい方がいいかな、とカナリーは考えたようだ。
 しばし悩み、やがて顔を上げて、シルバの持つ札を指差した。
「ま、例を挙げるとこの札で『月』の絵札を作るとしよう。ヒイロが『月』の魔法を使えるとしたら、どんな魔法を編み出す?」
「何でもいいの?」
「うん、何でもいい」
「じゃあ、狼男になる魔法! ロンさんになる!」
「む、それはつまり狼娘に変身するという事かね」
「うん!」
 二人の話を聞きながら、シルバは角の生えた狼娘を想像した。……何か、すごくややこしくないだろうか、これ?
 しかしシルバの苦悩に気付くことなく、カナリーは話を続けていた。
「ちなみに僕の場合は、相手を発狂させる魔法を編み出す。月は狂気の象徴でもあるからね」
「怖っ!?」
 シルバが突っ込む。こっちはこっちで物騒であった。
「考えてみれば、あのノワが『女帝』のカードで男性に強制力を働かせていたのも、一種の旧約魔術だね。とまあ、一つのモチーフでも魔術師によって、異なる魔法が編み出される訳だ。弟子に継承される事はあるだろうけど、基本的にはバラバラで、決まった術の名称もない。これが、古い時代の旧約魔術。反対に、今の魔法は新約魔術とも呼ばれている」
「ぬー、奥が深いねー」
 やっぱりヒイロには難しかったらしい。
 雉の骨をバリバリとスナック菓子のようにかみ砕きながら唸る。
「今じゃ、旧約魔術なんて、ほとんど使い手もいないって聞くよ」
「某の国では、細々と受け継いでいる所もあると聞くがな」
 二人の会話にそれまで黙ってポタージュを啜っていたキキョウが、口を挟んできた。
「へぇ……それはまた、機会があれば、行ってみたいねぇ」
「ま、俺は札の種類云々よりまず、『杯』の旧約魔術を幾つかストックする必要があるなぁ」
 シルバは指の上で札を回した。
 生憎とシルバはそれほど自分が器用とは思っていない。
 ひたすら自分の持っている手札を考え、最悪の展開にまで備えておくのが、どちらかといえばシルバのスタンスだ。
 ノワの時もカーヴの時も、それで切り抜けてきたシルバである。
 ただそれも、逆に選択肢が多いと迷いが生まれてしまう。
 こういうのは絞った方がいい、とシルバは考える。
「そりゃ、札の種類は多い方がいいんだろうけどさ」
 それはそれで、別に悩みの種だ。
 シーラの話では、札の種類は26種類。
 しかし作りやすい絵札とそうでない絵札があるのは、札を使い始めてまだ半日のシルバでも理解していた。
 シルバは、ボリボリと頭を掻く。
「『運命の輪』はまだ作れるとしてだぞ? 『節制』だの『審判』だの、どうしろっつーの」
 途方に暮れるシルバだった。
「ふふふ、私に札を預けてくれれば『恋人』の札は、即座に作れるぞ、シルバ」
「……幼馴染みってのは、札にするとどういう分類になるんだ? あとお前ら、いきなり身を乗り出してくるんじゃない」
 ネイトに突っ込み、無言でプレッシャーを掛けてくる仲間達に、シルバは思わずたじろいだ。


「たまにはお前も、女子同士で親睦を深めてこい」


「――とシルバに言われて、追い出されてしまったんだ。誠に残念だ」
 『悪魔』の札をクッション代わりに座りながら、ネイトはやれやれと首を振った。
 女子の円筒形テントはかなり大きく、中央の二本の柱で支えられている。
 『悪魔』の札が置かれているのは、その間に置かれているストーブの脇だった。ストーブから天井に向かって伸びているのは、換気用の筒である。
 その周囲に、カナリー達は寝間着で車座になっていた。
「そうは言うけど君、いつもシルバと同じ部屋で寝ているじゃないか。残念というのは、贅沢すぎるぞ」
 部屋の魔法明かりを調整しながら、カナリーが言う。
「せっかく今日も、シルバ好みの淫夢を見せようと思ったのに」
「……『も』って言ったな。今、君、『も』って言ったな」
「修業の一環でもある。聖職者はあらゆる誘惑に耐えなければならない」
「な、なるほど……そんな立派な理由があったんですね」
 普段と変わらない服装のタイランが、感心したように頷くのを、カナリーが制する。ちなみにタイランの寝床は、部屋の隅に置かれた水瓶である。
「騙されるな、タイラン。ネイトは単に面白がっているだけだ」
「でも先輩一人で寝ちゃうなんてかわいそう。一人だけ仲間はずれみたいじゃない?」
 床に敷かれた布団の上に胡座を掻き、ごく素朴な疑問を呟くヒイロだった。ちなみにもう一つの布団はシーラ用だ。
「いや、普通、この中で寝る方がよほど落ち着かないと思うぞ、ヒイロ。一応は、シルバも男の子な訳で」
「もっとも、シルバは昔、姉妹と同室だったから、その辺の免疫はあるけどな」
 カナリーの反論に、ネイトが口を挟む。
「にぅ……」
 仔猫状態のリフは、既に半分眠りの中にあるようだが、今のネイトの話にノロノロと顔を上げていた。
「リ、リフ、興味あるようだな。某もその話、もう少し聞きたいぞ」
 加えて、キキョウも参戦する。
 キキョウとリフは二つある壁際のベッドを一緒に利用する事になっている……といっても、リフは枕元で丸まるだけだが。
 ふむ、とネイトは考え込んだ。
「シルバの昔話か……分類的には『旅立ちの村編』『修道院編』『戦火逃亡編』『邪教と悪魔編』『神と魔王の邂逅編』『補給部隊編』『新たなる出発編』などがあるが」
「何だその壮大な昔話は!?」
「主の人生が波瀾万丈すぎる」
 カナリーとシーラが同時に突っ込んだ。
「……このプロローグ、半年でも語りきれるかどうか」
「長っ!? プロローグ長っ!?」
 本来ツッコミ役のシルバが不在な為、これはもうカナリーの独壇場だった。もちろん本人は望んでいない事だが。
「ボク的には『戦火逃亡編』かなー」
「いいだろう、ヒイロ君。主役はもちろん男子修道院に入っていた修業時代のシルバ・ロックール。ヒロインはクロエ・シュテルンとフィオレンティーナ・ストラデルラ。物語は悪しき女子修道院の長を悪知恵と小細工と暴力で倒し、20名のシスターを率いて三人は修道院の焼け跡からルベラントへ向かおうという所から始まる」
「落ち着くんだヒイロ! 間違いなく夜更かしどころか最悪徹夜コースだし、しかも何か微妙に詐欺臭いぞこの話!?」
「……カナリー、元気であるな」
「夜行性だからだし、キキョウももう少し頑張りたまえよ!? 僕一人にツッコミ役をさせるんじゃない!」
「つくづく……シルバさんの存在が偉大だと思います」
 しみじみと、タイランは感想を述べるのだった。
「まったく同意だけど、こういう時に思われてもシルバは不本意だと思う!」
 カナリーは、頭痛を堪えるように自分の額を抑えていた。
「っていうかええい、ストラデルラってアレだ! また貴族だ! いや、貴族の娘が修道女になるなんて、珍しくないけど!」
「あれ、カナリーさんも、貴族だよね?」
「吸血鬼がシスターになれるかーっ!!」
 ヒイロの本気かボケか分からない発言に、カナリーは半ばキレ気味に突っ込んでいた。
 やがて息が切れたカナリーは、自分が座っていた寝床の蓋を開けた。
「……疲れた。僕は一足先に寝る」
「敢えて某がツッコミを入れるとするならば、お主の寝床も大概だと思うぞ。しかもベッドの上に置かれる意味が分からぬ」
「吸血鬼は棺桶に寝るものだ。天蓋付きのベッドでもよかったけど、残念ながらテントに入らなかった」
「……入ったら入ったで、某達の寝る場所が狭められていたであろうよ。ともあれ、明日も馬車の旅だ。早い目に寝るに越した事はないだろう」
 キキョウの言う事ももっともだという事で、女子はそれぞれ寝床に入っていく。
 カナリーが魔法光球の光量を少しずつ抑えていく中、ヒイロがまだネイトと話を続けていた。
「ところでネイトさんは、あくまで獏なんだよね」
「ああ」
「って事は好きな夢とか見れるの?」
「シルバとデートする夢とかなら、全然楽勝だ」
 魔法光球がいきなり明るくなり、全員が再び起きた。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか」
「うむ!」
「うわ、みんな寝たんじゃなかったの!?」
 ヒイロが仰天する。
「で、でも、興味はありますよね」
 タイランすら、水瓶から少し、身を乗り出していた。
「要求があるなら先に言ってくれると、私も作りやすいぞ」
 テントの中に再び、活気が戻ってきていた。
「ボク、お昼が食べ放題のデートがいい!」
「わ、私は別にそこの湖でも……」
「僕の実家の古城でのパーティーというのもあるいは……」
「いやいや、シルバ殿は以前、大使館のお呼ばれでも疲れた風であったぞ? しかし、故郷というのは悪くない……」
「闘技場の観戦で。相手の戦力を計る事も重要」
「にぅ……」
 既に睡魔に両足を突っ込みつつあるリフだけは、ベッドの上で丸くなっていた。
「ガガ……りふモウオ眠。我モ寝ル」
 壁際に、調度品のように立てられていた重甲冑――モンブラン十六号も、機能をスリープモードに移行させるのだった。


 女子テントから少し離れた場所に設置された小さなテントで、シルバは半ば夢現の状態にいた。
「……ずいぶんと賑やかだなぁ」
 呟き、寝返りを打つ。
「ま、女子は女子同士、仲良くて結構結構」
 こうして、ウェスレフト峡谷への旅の一日目の夜は更けていくのだった……。



[11810] スターレイのとある館にて
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/08/26 20:55
 二日目の朝も快晴だった。
「んー……」
 朝の澄んだ空気を吸い込み、シルバは大きく身体を伸ばす。
 すると、女子テントからも『悪魔』の札を持ったリフが姿を現わした。その肩には、ちびネイトも乗っている。
「に、お兄おはよ」
「今日もいい朝だな、シルバ」
「おう、二人ともおはよ。それに……タイラン?」
 ゆっくりとテントから出て来た重甲冑に、シルバはそれがタイランかモンブランか区別がつかなかった。
「ガガ……我、違ウ。たいらんニアラズ」
「モンブランか。おはようさん」
「ガ。オハヨウゴザイマス」
 ペコリ、とお辞儀をするモンブラン十六号。
 その動作に、逆にシルバが怯んでしまう。
「れ、礼儀正しいな、おい」
「挨拶ハ大事。主殿カラソウ学ンダ。コレハ東洋ノ作法」
「……教えた本人は、礼儀とかどーなんだって気もするけどなぁ。それでリフ、他のみんなは?」
「みんな、まだグッスリおねむ」
 そう言えば昨日は遅くまで騒いでいたようだし、そういう事もあるのだろう。
「そうか。ま、いいや。それじゃとりあえず、俺達だけで朝飯の用意をしよう」
「に」
「時に君ら、料理の心得は?」
 シルバは、リフ達を見渡した。
「簡単なのなら」
「料理方法ハ学ンデイナイ」
「出来ると思うか?」
 リフ、モンブラン、ネイトの順の答えに、シルバは頷いた。
「よし、基本的な戦力は分かった。簡単なモノで済まそう。リフは昨日のポタージュを温める係。モンブランはこの桶で湖から水を汲んでくる。そして俺はサンドウィッチを作る」
「ガ……我モ働クノカ」
 木桶を渡されたモンブラン十六号は、自分を指差した。
「飯食わないっつっても動力が精霊炉なんだから、美味しい水とか飲めた方がいいだろ。働かない奴は食っちゃいけないって、ウチの国の法律にもある」
「……そんな法、あったか?」
 ネイトが首を傾げる。
 シルバはリフから『悪魔』の札を受け取りながら、モンブランと話を続ける。
「少なくとも、我が家ではそうだった。後で濾過のやり方を教えるし、飯の作り方は憶えておいて損はないはずだ」
「ガガ、我ハ食ベナイゾ」
「爺さんの差し入れとか世話とか。戦闘スキルばっか上げても味気ないだろ?」
「ガ! しるばイイ奴! 水、汲ンデクル」
 いきなり張り切りだしたモンブランは、重い足音を響かせながら湖の方に走っていった。
 それを眺めながら、シルバの肩に移ったちびネイトが言う。
「モンブランの好感度が5ポイント上がった」
「上げんな」
「モンブランルートのフラグが立った」
「立ててねえし、そもそも何だそのフラグって!?」
 うん、とネイトは頷いた。
「ああ、安心する。カナリーも悪くなかったが、やはりシルバのツッコミが一番しっくり来る」
「に……ちょっと同感」
 リフまで、コクコクと首を縦に振っている。
「……お前ら、テントの中でどんな会話してたんだよ」


 朝食も済ませ、再び馬車は出発した。
「……僕にはシルバが必要だと言う事が、よく分かったよ」
 窓際の席に座ったカナリーは、疲れたような顔で呟いた。
「プロポーズか何かかそれは」
「ああ、打てば響く……シルバ、君は実にいい芸人になれるよ」
「俺の未来をどこに向かわせる気なんだ、お前は」
「ともあれ、これは返しておくよ、シルバ。お陰で助かった」
 言って、カナリーは『月』の札を返した。
 シルバが寝る前に、『月』を札に映して作ったモノだ。
 そしてその力を借りて、カナリーは夜でないにも関わらず、荷物を影の中に戻す事が出来たのだった。
「その札があれば、カナリーが寝過ごしても大丈夫であるな」
 小さな短刀で木片を削りながら、キキョウが言う。木屑は膝の上に布を敷いているので、そこに落ちていた。
「それもあるけど、昼間でも夜と同じ力で動けるってのが何より大きいね。もっとも、その間、シルバが札を使えなくなるけど。……で、さっきから君は一体何を作っているんだ」
「馬車の長旅ではする事がほとんどないであろう? せめて手ぐらいは動かそうと思ってな。馬車が揺れる時はやらぬから、安心してくれ」
 言って、キキョウは小さな木片をカナリーに渡した。
 興味深げに、カナリーがそれを眺める。
「五角形にしてはいびつだけど……何かのお守りかい?」
「我が国に伝わるショーギという盤上遊戯の駒だ。こちらでいうチェスにあたる」
「へえ」
「駒と盤が揃った暁には勝負だぞ、カナリー。チェスで後れを取った分、取り戻すつもりでいるのでな」
 どうやら、シルバの知らないところで、何やら大人げない勝負が行なわれていたらしい。
 そもそも東方出身のキキョウは、チェスのルールを憶えるだけでも大変だろうに。
「……カナリー」
 何とも言えない表情をするシルバに、カナリーは怯む。
「ル、ルールはやりながら憶えるのが一番なんだよ、シルバ」
「うむ、その通りだ。今度、実戦で憶えてもらうので覚悟しておいてくれ」
 笑顔でキキョウが言う。目は笑っていなかったが。
「ううう……了解」
 カナリーが俯く……かと思ったら、不意に何かを思い出したらしく、急に顔を上げた。
「あ、そうだ、忘れるところだった。ヒイロ」
「ん、何?」
 向かいの席で、窓の外の風景を眺めていたヒイロが振り返る。
 カナリーは懐から、宝石のついた首飾りを出した。
「この護符を身につけておいてくれ。角が隠れる」
「はぇ?」
「旅の前に調べてみたところ、この先はゴドー聖教の影響が強くて、魔族に対しての風当たりが強いらしいんだ。というか、人間以外の全般かな。それでも獣人ぐらいならまだ問題なさそうだけど、僕みたいな吸血鬼は特にね」
「ボクは?」
 首飾りを受け取りながら、ヒイロは首を傾げる。
「鬼族は微妙な所だから、念のために用意しておいたんだ。行って、問題ないようなら外せばいいし、なんかやばそうなら着けたままで」
「んー、らじゃ」
 生返事を返しながら、ヒイロは首飾りをつけた。
 すると、スゥッとヒイロの額にあった二本の角が消失した。
「あ、ヒイロ、角が消えましたよ。それに、髪と目の色も変わりました」
 隣に座っていたタイランが、驚いて報告する。
「え、ホント!? ボクには見えないんだけど!」
 髪の色は栗色の髪から、透き通るような赤毛に変化していた。髪の毛の量も少し増えているようだ。
 瞳の色は茶色から青紫になっている。
「髪の毛は綺麗なルビー色になってます」
「鏡」
 スッと、シーラが手鏡をヒイロに差し出した。
「あ、ありがと、シーラ。おおー! 誰これ一体!」
「髪と目だけでも印象が変わるもんだなぁ」
 シルバも感心したように、ヒイロを見ていた。
「ありがと、カナリーさん!」
 さっきまでの気のない様子とは打って変わって、えらくテンションの上がったヒイロだった。
「どういたしまして。タイランは、本来と変わらず自動鎧という事にしておいてくれ」
「わ、分かりました」
 そしてカナリーは、大人しくしているシーラを見た。
「シーラはそのままで問題なさそうだな」
「そう」
「馬車は途中で札を『戦車』に変えて、ブーストしてもらう事になってるし。これなら本来の二日目の目的地であるスターレイにも到着出来ると思う。けど、その前に、着替えもしておきたい」
「変装までするのか」
 少し呆れるシルバに、カナリーはニヤリと笑顔を浮かべた。
「ふふふ、何となくお忍びの旅っぽくていいじゃないか。髪留めや眼鏡も用意してあるんだ」
「……楽しんでるなぁ、カナリー」


 街道を少し外れた草原で昼食を取り、その後、カナリーとヒイロは背の高い茂みで着替えを行う事になった。
 そして、草を掻き分けて先に現れたのは、カナリーだった。
「さて、どんなものだろう」
 カナリーの声を発したのは、杖を持ち眼鏡を掛けたローブ姿の女性だった。ひっつめにした長い黒髪は、肩から前に垂らしている。
「……えらくスタンダードな魔法使い」
 とキキョウ。
「冒険者ギルドのひしょさん」
 リフが率直な感想を言う。
「確かに。貴族というよりは誰かに仕えるような感じではあるな」
「別人」
 ネイトの言葉に、シーラが頷く。
「えっと……バサンズ女版? うん、別人って意味ではまったく、その通りなんだけど」
 シルバも迷ったが、見たままの感想を述べた。
 シルバ達の感想に、変装したカナリーは満足そうだった。
「よし、変装は成功のようだね。これで行こう」
「いや、いいのか!? 今のあんまり褒め言葉になってないぞ!? や、悪口でもないけどさ!」
「普段が目立つ服装だからね。変装の基本は、正反対にある事だ。そういう意味では、僕のこの格好は正しいと言える」
 どことなく楽しそうに、カナリーはおそらく伊達と思われる眼鏡を整える。
「……や、まあ、本人が納得してるならいいけどさ。リフの言う通り、何かお堅い秘書官って感じで、新鮮ではある」
「そうですか。それでは、上司に付き添わなくてはなりませんね」
「口調まで変えてきた!?」
 ふふ、と微笑み、シーラと同じくシルバの背後に控えるカナリーであった。
 どうにも落ち着かないシルバだったが、まだ変装が終わっていない仲間がもう一人いる。
 ヒイロ一人だと大雑把と言う事で、着替えにはタイランが付き添っていた。
「ヒ、ヒイロ、髪はこうやって後ろでまとめて……」
「えー、面倒くさいよう」
 茂みの向こうから、二人のやり取りが聞こえてくる。
「あ、これいいです! バ、バッチリです! シルバさんに見せに行きましょう」
「何か、スカートってヒラヒラして落ち着かないなぁ……」
「ロングスカートもありますけど、そっちがいいですか?」
「ぬうっ! そんなの動きにくいよ! それならまだ、こっちの方がマシ!」
「基本的に一泊するだけですし、甲冑はいいですよね。上の服はこれでいきましょう」
「あ、でも剣はダメだよ! 大事なボクの相棒なんだから!」
 何だか揉めているようだった。
「ずいぶんとまた、タイランがテンション高いな」
「だね。実際、ヒイロがどんな風になっているか……」
 口調を戻したカナリーが、シルバの背後で同意する。
 やがて、恥ずかしそうにヒイロらしき少女が草むらから現れた。
「ほぉ……」
 思わずそんな感嘆の声を漏らしていたのは、キキョウだ。
 ルビー色の髪は、短いポニーテールにされている。
 どことなく軍の制服をイメージさせる赤地のジャケットを身に着け、いつもの半ズボンではなく短い黒スカートを履いている。靴はいつものブーツより更に長く、膝当てと一体になったロングブーツとなっている。
 いつもと変わらないのは、ゴツゴツとした骨剣ぐらいだ。
 普段が野戦向きのヒイロとすれば、何だかこれは都市防衛の新兵のような印象をシルバは受けた。
「それはそれであり何じゃないか? 似合ってるぞ、ヒイロ」
「そ、そう!?」
 シルバの評価を受け、珍しくオドオドとしていたヒイロの表情がパァッと明るくなる。
「ほ、ほら、シルバさんの受けもバッチリです! よかったじゃないですか!」
 ヒイロの背後から現れた重甲冑タイランも、ヒイロにグッと拳を作って見せた。
「う、うん! じゃ、じゃあこれのまま、街に入ってみる……」
 シルバはグルッと、みんなを見渡した。
 いつもの格好のキキョウとリフ、それにタイラン、ネイト。
 青ローブのやり手秘書風魔術師カナリーに、赤い新兵少女ヒイロ。
「ふーむ、二人変わっただけでもずいぶん、パーティーの印象が変わるもんだな」
「メンバーの男女バランス的には、悪くない」
「だな」
 キキョウと頷き合う。
「でも、いいのかな。基本このパーティーって女人禁制だったはずなんだけど」
 ヒイロが困ったように首を傾げるのに対し、シルバは苦笑しながら手を振った。
「はは、言っちゃ何だけど、こんな遠くにまで、俺達の名前は売れてないって。それに次の街じゃ、冒険者としての仕事を受けるつもりもないし、素性がバレる心配は多分ないと思う」
「ま、僕は立場上、念のために偽名を使うけどね」
 眼鏡をクイッと持ち上げながら、カナリーが言った。


 そして馬車は再び、走り出す。
 馬車に揺られながら、シルバは軽く手を上げた。
「さて、街に入る前に何か質問ある人ー」
「えっと、多分街そのモノとかと関係ないけど、いいのかな」
 遠慮がちに、ヒイロが言う。
 いつもなら元気いっぱいに手を上げるところなのに、どうやら服装は若干性格にも影響を与えるらしかった。
「そりゃ、聞いてみないと何とも言えないな」
「んと、辺境の方だと亜人に対して風当たりが強いのって、何でなのかなって思って」
 それか、とシルバは腕を組んで、どう説明しようかと唸った。
 簡単に頭の中でまとめると、ヒイロを見た。
「一番大きいのはまず、この辺境のさらに田舎を拓いていったのが、主に人間だって事。同じ種族が集まれば、結束は強くなるだろ? その反面、異種族に対して排他的になるっていう問題も出て来る。問題といっても、それは排他される側の視点であって、本人達は特に困ってないってのも困るんだが……」
 シルバは指を一本立てた。
「そしてもう一つの要素は信仰だ。辺境ってのは基本的に物資が少ない。そういう豊かでない所では、精神的な支えってのが強まるんだ。んで、ゴドー聖教の主神ゴドーは人間の神を崇める宗教な訳で」
「亜人は駄目なんだ」
 ヒイロの言葉に、シルバは小さく首を振る。
「正確には、神々の戦いの際、獣人とかも味方についてたから、排他する事はないんだけどな。ただ、その辺が自分達の都合のいいように変えられてる事がままあるんだよ。ルベラントの総本山ですら、人間至上主義者っているんだから」
「先輩は?」
 ちょっと心配そうなヒイロに対し、シルバは肩を竦めた。
「多種族国家ドラマリン森林領の多種族コロニー出身の俺に聞くのは、ナンセンスってモンだろ」
「そっかぁ、よかった」
 ホッとヒイロは自分の胸に手を当てた。
「ん?」
「何でもない!」
「そうか」


「あ、あと、魔族は……その……」
 タイランが、カナリーを気遣いながら質問する。
 しかし、そのカナリー本人は一向に気にしている様子はなかった。
「どうしてゴドーに嫌われてるかっていうと、その神様戦争の時に最後まで敵対してたからさ。魔族っていうのは大別して、悪魔族、吸血鬼族、淫魔・夢魔族の三つになる」
「淫魔と夢魔は一緒なのか……よく分からぬ」
 キキョウが唸り、カナリーは肩を竦める。こうしていると、姿は変われどカナリーの態度は普段と同じだから、不思議な感じがするシルバだった。
「厳密には、中で違うらしいんだけど、基本同じ。例えるなら猛禽っていう空飛ぶグループとしては同じだけど、種族としては鷹もいればフクロウもいるだろう? かなり乱暴だけど、そんな感じさ」
「で、カナリーさんは吸血鬼族で、ネイトさんは悪魔さん族?」
 ヒイロはキョロキョロと、カナリーとシルバの肩の上にいるネイトを交互に見ていた。
「私の場合は一般に言われる悪魔と、実は違うのだが」
「え、そうなの?」
「ああ、悪魔には実は二種類あるんだ。一つは迷宮に現れるモンスターや、その上級の高い知性と魔力を持った悪魔。魔王を筆頭とし、魔王領で強い勢力を持ついわゆる『魔族』と呼ばれて真っ先にイメージされるのが、これだ」
「山羊の角が生えてたり、槍とか矢の先みたいな尻尾が生えてるのだね」
「あ、あれ……? それって色が白いと……」
 うんうん、とヒイロが頷き、タイランが何かに気が付いたようだった。
 それを遮るように、シルバも話に参加する。
「ヒイロのイメージで大体合ってる。その、魔力や生物の負の感情を主なエネルギーとしている彼らが、ゴドー聖教の聖書に書かれている、敵対した魔族――の一種、{悪魔/デーモン}族だ」
 シルバは指を二本立てた。
「で、すごくややこしい事に、悪魔ってのはもう一種類あって、それがコイツみたいな奴。いわゆる世界そのモノの敵。前者の悪魔が動物や人間の魔物版だとすると、コイツは災害みたいなもんだ」
「ちょ、せ、先輩、その言い方はあんまりすぎると思うんだけど。災厄って……」
 ヒイロはすまなそうにネイトを見るが、言われた当人はまったく表情を変えなかった。
「いや、これは事実だからしょうがない。シルバの言い方はこれでもまだ、控えめな方だ。正直なところ、私が顕現する前の靄の状態、アレを倒す方法は人類には存在しない」
「あー、あれ」
 ヒイロも思い出したようだ。
 ノワとの戦いの歳に第三勢力として出現したモンスター(?)、冒険者を別の存在に作り替え、迷宮そのモノの構造すら変えてしまった靄である。
 その靄の話をネイトは続ける。
「そして悪魔は顕現し、願いを叶える。その間、人々は私達をどうする事も出来ない」
「で、でも、魔力障壁は壊せたよね」
 抵抗する術はあるんじゃないかと、ヒイロは問う。
 それに対し、ネイトは小さく首を振るだけだった。
「ああ、あれはこの世界のルール内だからだ。しかし、本体はどうしようもない。後者の悪魔は本当に手の打ちようがなく、何とか出来るとすればまさしく神ぐらいのものだろう。かろうじて人間が抵抗出来るとするならば、神が対悪魔用に作った神器でも持ち出せば話は別だが」
「ん、んー……でも、そのお話聞いてると、災厄の方はどうしようもないけど、何となく魔物の方の悪魔って、神様なら割と倒すの難しくない感じがする。本当に神様ってのがいればの話だけど。神様の敵なんでしょ? 何で魔王やっつけないのかな?」
 不思議そうに、ヒイロは首を傾げた。
「これはシルバに答えてもらおう」
「……まあ、神のみぞ知るだな」
 ネイトに水を向けられたシルバは、そう苦笑しながら誤魔化すしかなかった。
 本当の事は知っているがあまりに荒唐無稽であり、それを話すにはまだ早いのだ。
 パン、とカナリーが手を打った。
「何にしろ、吸血鬼である僕はあまり自分の素性を知られたくないという訳です。という訳で、この先の街では、私の事はエクリュ・ヘレフォードと呼ぶように」
 口調を変えて言うカナリーに、シルバは目を瞬かせた。
「……誰?」
「姓はウチの末端の末端に名を連ねる家柄。エクリュは従姉妹の名前です」
「はー。そ、それじゃボクも何か考える!」
 どうやらヒイロは対抗意識を燃やしたらしい。いや、単純に面白がっているだけか、とシルバは思った。
「別に無理しなくてもいいんだぞ?」
「むむ……どうしようかな。ヒイロ……エイユ……カナリーさんの偽名と微妙に被るし……」
 シルバの忠告もまるで聞こえちゃいないようだった。
 やがて、ヒイロは元気よく顔を上げた。
「ユシア! これで行く! 名字は考えてないけど!」
「……忘れちゃいそうだな。えーと、エクリュとユシアね。了解了解。ヴァーミィとセルシアもちょっとやばそうだし、馬車を降りたら引っ込めとこう」
 メモを取りながらシルバが言うと、カナリーは困ったように頬に手を当てた。
「『月』の札がありませんが……」
「『太陽』の札を逆位置で使えばいい。月の力は得られなくても、太陽を無効化する事は出来る。出来れば馬達には、一日分だけ認識偽装を掛けられるといいんだが。町外れに留めるにしても、バイコーンは間違いなく人目を引く」
「太陽が無力ならば、おそらく可能です。それでは、司祭様の提案の通りで行きましょう」
「……なーんか妙にムズ痒いんですけど」
 カナリーの言葉に、シルバはどうにも落ち着かない。
「ふふふ……私としては、こういうのも新鮮でよろしいかと」
 同時に、キキョウの視線もやけに痛くなってきていた。
「……何だかシルバ殿とカナリーが、微妙に息が合っているような気がするのだが」
「秘書的ポジションは、本来わたしにある」
 何気に自己主張するシーラであった。
「にぅ……」
 難しい話に退屈していたのか、いつの間にかリフは居眠りをしていた。


 日は傾き、もうしばらくすると夕方になるだろうという時刻。
 馬車を街の外れの木に繋ぎ、シルバ達一行は辺境の街スターレイに入った。
 道路は舗装されていないが、建物は時々高いものもある。仕事帰りや夕飯の買い出しらしい人々の行き来は、アーミゼストほど賑やかではないが、決して少なくはないようだ。
「結構大きいな」
 シルバは街の感想を述べると、ひときわ高い建物に目を向けた。
 その建物、教会の鐘楼から鐘の音が響いてきた。
 何となく、街の中心はあそこか、という気がする。
「とりあえず、俺は仕事柄、教会の方に挨拶に行くつもりだけど……」
「……某はやめておいた方が良さそうだな。なるほど、少々居心地が悪い」
「で、ですね……」
 固まって話をするシルバ達に、行き交う人々は好奇の視線を向けてくる。
 なるほど、そのほとんどは人間族だし、キキョウ達がそちらを見ると、そそくさと去ってしまう。
 こういう注目のされ方が苦手なタイランが、肩身を狭そうにしているのも、当然だろう。
「ただでさえ、キキョウは人目を引くからなぁ。って事は、教会組と、自由行動組の二手に分かれるか。ま、こっちも用事済んだらそのままぶらつくつもりだけど」
「じゃ、ボクは先輩の方についてく!」
 ビシッと手を上げたのは、ヒイロだった。
 反対に、ササッとキキョウの方に寄るのはタイラン。
「わ、私は遠慮しておきますね……」
「に……」
 仔猫状態になったリフも、タイランの頭の上で返事をする。まだ眠り足りないらしい。
「ふむ、タイランとリフは某側。カナリーも当然……」
「司祭様についていきますね」
「なぬ!?」
 青いローブの女魔術師は微笑み、キキョウは仰天する
「せっかくの機会ですから」
 どうやら、本気らしい。
「……いや、変な結界とか張られてないとは思うけど、うっかり清めの儀式とか受けるなよ」
「承知しました」
「わたしも主についていく」
 シーラもシルバに同行となり、ちびネイトがシルバの肩の上で腕を組んだ。
「となると、人数的にちょっと不公平だな。私もキキョウ君の側についていこう。シルバ、札をキキョウ君に渡すんだ」
「……今日は色々珍しい事が起きすぎる」
 キキョウは寄った自分の眉根を揉んでいた。
「シルバの傍にいたいのが本音だが、教会でちょっかいを掛けて困らせるわけにもいかないからな。それに悪魔が教会を避けるのは、正しいだろう?」
 キキョウの肩の上に乗ったネイトが言う。
「ふむ、なるほど……では、某達は散策と、宿を探しておくとしよう」
「待ち合わせは、私が念波で連絡を入れる事にしよう」
「ああ。それじゃまた後でな」
 シルバは手を振って、キキョウ達と別れた。
「さて、それじゃ教会に行きますか」


 キキョウらと別れたシルバ達は、教会を目指す事にした。
 幸い、目印になる鐘楼はアホみたいに高いので、迷う事はなさそうだ。
 そんな事を考えながら歩いていると、ススッとシルバの横に並んできたヒイロが、袖を引っ張ってきた。
「ねえ先輩、何かいつもと違う感じの視線を感じるんだけど」
 通りを歩くシルバ達を、相変わらず皆が振り返っていた。
 いつもと違う感じ、というヒイロの言葉の意味も、シルバには何となく分かっていた。
 だが、カナリーは不思議そうに、シルバの背後で呟いていた。
「おかしいですね。地味な格好をしているのに」
「……いや、格好は地味でもな。目立つって点では、いつもと変わらないっつーか」
 カナリーが歩くたびに、青いローブの胸元で、二つの大きな塊がゆさゆさと揺れていた。
 視線の多くは、主にそこに集中していたりする。
「特にカナリ……エクリュさんの胸がすごいよねぇ」
「そこに注目されてるんですか!?」
「「自覚がなかったの!?」」
 心底驚くカナリーに、むしろシルバとヒイロも仰天する。
「でも、あっちの子もありだよなー」
「うんうん、可愛い」
 何だか、後ろからそんな声も聞こえていた。どうやら街の男達が何人か、ついてきているようだ。
「ま、ヒイロも言われてるっぽいけどな」
「え!?」
 シルバは振り返らず、ヒイロに後ろを指してみせた。
「はぅ……」
 振り返ったヒイロは真っ赤な顔をして、シルバの袖を握りしめる。
 その間も、背後の男達の声は続いていた。
 ヒソヒソ声のつもりだろうが、シルバの耳には充分届いていた。
「しかしよく分からんグループだな。司祭様に衛兵に魔術師に……メイド?」
「あのメイドも、司祭様の連れなのかな……」
「多分な」
 などという声が聞こえ、シルバは小さく後ろに控えるシーラに囁いた。
「揃いも揃って注目の的だな」
「そう」
 シーラは相変わらずの無表情で応える。
「……で、あの冴えない司祭様は一体どこのドイツなんだ?」
「やっちまうか」
「待て、まだ日が出ている」
 男達の言葉と共に、シルバの背中に嫉妬と羨望の視線が突き刺さる。
「……俺に対する視線は、性別が変わっただけで大差ないな」
「ああっ、先輩がものすごく遠い目をしてる!」
 なるべく早く、宿を決めよう。
 そう考えるシルバの視界に、自分を見る男の子の姿が入った。
「……ん?」
 青っぽい黒髪に銀縁眼鏡を掛けた、年齢はリフと同じぐらいの少年だ。
 身なりからして、どうやらかなり裕福な家庭の子のようだった。
 男の子はシルバと目が合うと、ニコッと笑って手を振った。
「どうかしましたか、司祭様」
 カナリーの声に、シルバはハッと我に返った。
「いや、あの子……」
「あの子って?」
「え」
 シルバが指差した先には、もう誰もいなくなっていた。
「いや……いい。何でもない」


 教会は、遠くから見た通り、立派な造りだった。
 両開きの扉を開き、中に入る。
 シルバ達は、長椅子の並ぶ礼拝堂を進んだ。
 壇上では司祭らしき男が何やら書類を片付けている様だが、説法の時間ではなさそうだ。
 長椅子に座り、祈りを捧げている街の人間は十人ぐらいだろうか、チラホラと見受けられる。
「それにしてもカナリーがついて来るとは意外だったな。前に誘った時は、入りたくなさそうだったのに」
 小声で、シルバは後ろをついて来るカナリーに囁く。
「気分の問題でしょうね。今はこれを預かったままですから」
 言って、カナリーが胸元から取り出したのは『太陽』の札だった。
「あー」
 なるほど、夜の魔力を維持したままのカナリーならば、多少の聖性などモノともしないだろう。
「でも、どんな感じにやな感じなの? その……吸血鬼的に」
 ヒイロも小声で尋ねる。
「そうですね……人間で例えるなら、現役で使っている拷問部屋を歩いているような感じでしょうか」
「怖……っ!」
「ま、これはこれで一興ですけれど」
 鼻歌でも歌いそうな足取りで、カナリーはシルバについて来る。
 ヒイロはキョロキョロと落ち着きなく、礼拝堂を眺めていた。
「でも、田舎なのにずいぶんと立派な教会だよね、先輩。それとも、こういう所でもこれぐらい、普通なの?」
「この辺りの中心で、きっと寄付金が多いんだろうな。こういう土地だと、よくある事だ」
 信仰が盛んなら、それだけ金が集まる。
 立派な教会は悪いわけではない。それは街の人間達の信仰の象徴であり、敬虔な信者の拠り所となるからだ。
 度が過ぎれば悪徳に傾くだろうが、これぐらいの建物なら悪くないんじゃないかとシルバは思う。
「しかし、ちょっと気になりますね」
「っていうと?」
 カナリーは何やら考え込んでいるようだ。
「街の人口と、周辺の村の数を考えると……実際、もうちょっと大きくても良さそうなんですけど。それとも、他に何かお金を使っているのか……」
「施しの為の積み立てとかも必要だろうし、建物ばかりには……って、どうしたシーラ」
「同業者」
 シーラの視線の先には、最前列の席に座るメイドがいた。
「お、本当だ。休憩時間か何かかな」
 彼女は両手を合わせ、祭壇上にある神の像に祈りを捧げていた。


 壇上で書類を片付けた男に、シルバは声を掛けた。
 自分の聖印を見せ、ゴドー聖教の司祭である事を証明する。
「スターレイへようこそ」
 小太りの中年司祭はにこやかに微笑み、祈りを切った。
「シルバ・ロックールです。よろしくお願いします」
 同じようにシルバも、祈りを切る。
 その時、後ろでパタパタと足音が鳴った。
「うん?」
 振り返ると、先程のメイドが急いで礼拝堂を出て行くところだった。
「これ、アニー。教会の中は静かに歩きなさい」
「す、すみません!」
 司祭の男がメイドを優しく窘めると、メイドはペコリと頭を下げて出て行った。
 彼は、シルバに向き直った。
「司祭長が現在、少し離れた場所にある村に向かっており、不在なので、私が代理を務めさせてもらっております」
「そうですか。それは残念です」
 まあ、単に挨拶だけだから、本音を言えば残念でも何でもないのだが。
 シルバは微笑みを絶やさず、後ろのカナリー達を紹介する事にした。
「私は都市の方で遺跡の探索を行なっていて、後ろの者達はその旅の仲間です」
「それは立派なお仕事ですね。しばらくは、この街に滞在を?」
「あ、いや、目的があって、明日にはもう出発します」
「それは残念……」
 中年司祭の方は、シルバとは逆に心底残念そうだった。
「何かあるんですか?」
「もうじき町長選挙が行なわれる予定でして、出来れば司祭長の為に、一人でも多くの人に応援して欲しかったのですよ」
「なるほど、選挙ですか」
 別に、シルバ達に選挙権がある訳でもないだろうが、応援や雑用はそりゃ多いに越した事はないだろうな、とシルバは考える。
 それからふと、気がついた。
「選挙という事は、対抗馬がいるんですね」
「ええ、結構強敵が」
 大真面目に、司祭は頷いた。
 少し興味深かったが、どうせ明日には去る身だし、深く追求するのもよそう。
 そんなシルバの考えをまるで見抜いたかの様にタイミングよく、司祭も首を振った。
「と、長くお引き留めするのも、よくありませんな。ともあれ、よい旅になる事をお祈りいたしております」
「はい。ありがとうございます」
 互いに笑顔のまま、二人は握手をして別れた。


「ぶふっ」
 教会を出た途端、ヒイロは身体を丸めて噴き出した。
「ど、どうしたヒイロ?」
「い、いや……だって先輩、自分の事、私って……笑い堪えるのに必死でもう……」
 ヒイロの肩がぷるぷると震えていた。
 その背中を、カナリーの手が撫でていく。
「こちらは我慢させるので、必死でした」
「……そんなにおかしかったか?」
「それは何とも」
 判断に困る答えをする、笑顔のカナリーだった。
「普通」
「……ありがとよ、シーラ」
 普通って評価もどうなんだろう、とシルバはちょっと悩んでしまう。
 これからどうするべきか。
 宿をとるのはキキョウの仕事だったので、集合時間まで適当に街を見て回るか。
 そんな事を考えていると。
「あ、あの……っ」
 息せき切った声に、シルバは振り返った。
「ん?」
 そこには、髪を三つ編みにしたメイドがいた。
 さっきまで教会でお祈りを捧げていた娘である。
「失礼ですが、シルバ・ロックール様……でしょうか?」
「あ、はい? 何でしょう?」
「ちょっとシルバ。君、こんな所まで名前は売れてないとか言ってなかったか?」
 返事をするシルバの背中に近付いたカナリーが、素の台詞回しで囁いてきた。
 胸が背中に当たっているのだが、それについて突っ込んでいる場合ではなさそうだ。
「わたし、アニー・キャラビィと申します。ロックール様……お間違えでなければ、その……」
 ちょっと自信なさげに、アニーは言う。
「カナリー・ホルスティン様とご縁のあるお方と存じますが」
「……おい、カナリー」
 小声でカナリーを責めたが、彼女はスッと目を逸らした。
 こんにゃろう、とシルバは思ったが、アニーは合わせた両手をモジモジさせながら、話を続けていた。
「我が主、マール・フェリーが家に招きたいと仰っているのですが、今日の宿泊先などもうお決まりでしょうか……?」
 あれ、どっかで聞いた様な名前が出て来たぞ、とシルバの頬を一筋の汗が流れていた。

 『獣人他、亜人お断りしております』


 酒場の前に置かれている、その立て看板にキキョウは唸った。
「むぅ……獣人お断りとは中々に心が狭い」
 どうやら人間専門の店らしい。
 となると、キキョウはこの店に入る事は出来ない。タイランにしても、表向きは{動く鎧/リビングメイル}という事になっているので、無理だ。……本体である精霊体ならどうかという話もあるが、どちらにしてもキキョウを置き去りには出来ない。
「なかなか見つかりませんね……」
「にぅ……」
 そんな訳で、キキョウとタイランは、トボトボと街の通りを歩いていた。札であるネイトはキキョウの懐だし、仔猫状態のリフはタイランの頭の上で半ば眠っているので、実質足を使って移動しているのはこの二人だけだ。
 街でほとんど見ない獣人と言うだけでも目立つのに、キキョウの凛々しい顔立ちとジェントの着物は嫌でも人目を引く。それに加えて、二メルト近い背丈のタイランが一緒に歩いているのである。
 行き来する人々は皆、キキョウやタイランを見ると、ギョッと目を見開き、自然と距離を取っていた。
 こんな調子なので、適当な街見物も宿探しもさほど芳しいモノではなく、とりあえずは一旦、どこかで休憩をしようという事になったのだが、そもそも入れる店がないという状況だった。
「まあ、シルバ殿達の用事もそれほど長くは掛からぬであろうし、もうしばらくブラブラとしていてもよいのだが」
「ですね……っと」
「ひゃうっ!?」
 タイランの身体が軽く揺れたかと思うと、後ろから短い悲鳴が聞こえた。
 そこには鼻を押さえて尻餅をついた、三つ編みのメイドがいた。
 どうやら急いで走っていて、タイランにぶつかったらしい。
「す、すみません、大丈夫ですか!?」
 慌てるタイランを制し、キキョウはメイドの少女に手を差し伸べた。
「ふむ……もう少し前に注意した方がよいぞ。この時間、それなりに人もいるだろう」
「あ、す、すす、すみません! ありがとうございます!」
 顔を真っ赤にしながら、少女はキキョウの手を握った。
「何の。急ぎの用のようだな」
 少女を引き起こし、キキョウはふと思いついた。
「すまぬ。亜人でも休める宿か茶屋など一つ、教えてもらえると助かるのだが」
 地元の人間なら知ってるかもしれない、というキキョウの考えは功を奏し、少女は通りの向こうにある十字路を指差した。
「……宿の方は申し訳ありませんが、存じておりません。ですが茶店でしたら、向こうの角に都市のチェーン店がございます。えと、案内したい所なのですけど……」
 少女の首が、キキョウと通りの向こうをしきりに行き来していた。
 どうやら本当に急いでいるらしい。
「よいよ。教えてもらえただけで充分だ。礼を言う。気を付けて帰られよ」
「は、はい! それでは失礼します! あの人が教会を出る前に、主様にお伝えしないと……っ!」
 言って、メイドの少女は深々と一礼すると、すごいスピードで駆け去っていった。なるほど、あの調子ではタイランにぶつかっても無理はない。
「何だか酷く焦っていたみたいですね」
 豆粒のように小さくなっていく少女の後ろ姿を、タイランは呆気にとられながら見送っていた。
「ふむ……ともあれ、茶屋の場所は分かった事だし、ゆくとするか」
「そ、そうですね」


 その茶店の名前は『青龍亭』といった。
 幸いな事に、キキョウ達がいつも使用している酒場『弥勒亭』や食堂『朝務亭』と同じ系列の店だ。
 店員や客層はやはりその多くが人間族だったが、なるほど、ところどころに獣人や妖精族が見受けられる。
 店に入る前に、通りすがりの人に聞いた話では、亜人の受け入れを推進しているこの街の有力者が誘致したのだという。
 その人には感謝しなければならないな、とキキョウは思った。
「ご、ご注文の緑茶と桃蜜水とぬるめのホットミルクとなります」
「うむ、ありがとう」
 チェーン店の強みで勝手を分かっているキキョウは、札であるネイト以外の注文を聞き、カウンターで品物を受け取った。
 女性店員が顔を赤らめるのはいつもの事なので、キキョウも特に気にしていない。
「ポイントカードはお持ちでしょうか」
 店員の質問に、キキョウは首を振った。
「すまぬ。ここのカードは連れが預かっており、某は持っておらぬ」
「じゃ、じゃあお作りします! 次にお越しになった時に、二枚とも出して頂ければ、スタンプ押しますから」
「そうか、助かる」
「スタンプカードがありますので、二割引となります!」
「はて? そんなに割引だったかな……?」
 キキョウは首を傾げた。そんなに割り引いていて、商売は成り立つのだろうか。
「きょ、今日だけの特別サービスとなってます! カードの方、お預かりしますね」
「うむ、ありがとう。よい店だ」
「あ、あ、ありがとうございます!」
 深いお辞儀をする店員や、並んでいる女性客のウットリとした視線を意に介さず、キキョウは店の真ん中辺りにあった、空いていた席に戻った。
「実に親切な店だな」
「……多分、キキョウさんにだけ、特別サービスの日だったんだと思いますよ」
「に……」
 タイランの意見に、コクコクと仔猫状態のリフも同意する。
「ふむ、なるほど。カナリー君と組めば、五割引ぐらいはいけたかもな」
「……いや、さすがに、それはないだろう」
 懐から現れたネイトが感想を述べるが、キキョウは首を振る。
 しかしキキョウの味方は、このテーブルにはいなかった。
「……ありえそうです」
「にぅ」
 タイランはストローで桃蜜水を吸い、リフは皿に満たされたミルクを舐め始める。
「お主達まで……大体、女性にモテても、某は別に嬉しくない」
 茶を啜りながら憮然とするキキョウを、愉快そうにテーブルに尻を下ろしたちびネイトが見上げる。
「一人だけで充分と」
「その通り!」
 ネイトの言葉に、キキョウは身を乗り出した。
「しかしその一人は、酷い朴念仁なのかそれともわざとスルーしているのか、中々に手強い相手であると」
「そ、そ、それもその通り……!」
「あ、キ、キキョウさん、後ろに人がいるので、あまりに身を乗り出しちゃ駄目ですよ? 椅子がぶつかっちゃいます」
「何?」
 振り返るとなるほど、後ろを通ろうとしていた美女二人が、キキョウの椅子を避けたところだった。
 手にトレイを持った金髪に金色のドレスと、銀髪に銀色のドレスの女性二人組だ。
 彼女達はキキョウに微笑と共に会釈をすると、そのまま奥の席に向かっていった。
「…………」
 キキョウはその二人の背を、呆然と見送った。
 そして席に座り直す。
「どうかしましたか?」
「まるで気配を感じなかった。何者だ、あの女達……」
 少なくとも、人間や獣人ならば、何らかの気配をキキョウは感じられるはずなのに。
「さ、さあ? すごい美人さんだとは思いますけど……」
「……にぅ」
「なるほど。こういう店に入っている以上、普通の人間とは限らないか」
 分からないという風の二人に対し、ネイトはキキョウの不審を見抜いたようだった。
「カナリーさんの従者さんによく似てましたね……」
「ぬ……!?」
 タイランの何気ない言葉に、キキョウはハッとした。
 なるほど、言われてみればその通り。
 服装もどことなく、ヴァーミィとセルシアに似ていたような気がした。
 もう一度確かめようと、キキョウは振り返る。
「キキョウ君、忠告だ。振り向いても決して相手と目を合わせちゃいけない――遅かったか」
「ぬ、う……?」
 ネイトの言う通り、手遅れだった。
 奥の席、金と銀の美女を左右に侍らせた少年と、キキョウは目が合ってしまった。
 年齢は、リフの人間形態と同じぐらいだろうか、銀縁眼鏡をテーブルに置いた育ちの良さそうな青っぽい黒髪の少年は、ニコニコとキキョウを見つめていた。
 その瞳に、キキョウの心は吸い込まれそうになる。
「キ、キキョウさん……?」
 怪訝そうなタイランの言葉も、キキョウの耳には遠く響いていた。
「タイラン君も、見ちゃいけない。キキョウ君の二の舞になるぞ」
「え? い、一体どういう事ですか、ネイトさん……?」
「くぅ……っ!」
 精神を振り絞り、キキョウは目を逸らした。
 テーブルに向き直ると、ドッと疲労感が押し寄せる。
「ほう、自力で脱したか。普通ならとっくに虜になっているだろうに、大したモノだ」
「……危ないところであった」
 感心したようなネイトの呟きにも、キキョウはそう答えるしかなかった。
「心配しなくても、もういなくなっているぞ」
「う、嘘ではないだろうな?」
「安心していい。シルバが本気で嫌がる事は、私はしない事にしているんだ」
「そ、そうか」
 振り返るとなるほど、もう奥の席にいた三人は消えていた。
 飲み物もトレイもなくなり、そこには最初から誰もいなかったようだ。
 しかも店を出るには、キキョウ達の背後を通らなければならないのに、その様子もなかった。
「一体、何者だったのだ……?」
 くたり、とキキョウはテーブルに突っ伏した。
「に……」
 リフが顔を上げ、店の外を向いた。
 開いた扉の向こうを、三つ編みのメイドがさっきとは逆方向に駆けていくところだった。
「あ、さ、さっきのメイドさんですね……」
「とまれ、今晩の宿の事は、シルバ殿に相談せねばならぬな……最悪、某達は街の外で野営となるか」


 なお、件のメイドであるアニー・キャラビィと再会するのは、それから十分後。
 シルバ達との待ち合わせの時となる。
 全員揃ったところで、彼らはマール・フェリーの屋敷へと向かう事になった。


 街の外れにある広大な敷地の屋敷が、マール・フェリーの住居だった。
 大きなシャンデリアの吊り下げられた大広間の奥で、シルバは彼女と握手した。
「はじめまして、シルバ・ロックールです。お誕生日、おめでとうございます」
「ふふ、ありがとうございます。当主のマール・フェリーです。この歳になると、少し複雑な気分ですけど、祝ってもらえるのは嬉しいですわ」
 銀髪に胸元の大きく開いた紫のドレスを着たマール・フェリーは艶やかに微笑む。
 今年、三十五歳だという。
 しかし、その美貌も豊満な肢体の張りも、どう見ても二十代の後半ぐらいだろう。やはり吸血鬼に血を吸われている効果なのだろうか、とシルバは考えてしまう。
 ホールには優雅な曲が流れ、街の人間達がダンスを踊っている。
 獣人が五割、妖精族のような他種族の亜人が三割、人間族が二割と言った所か。
 皆それなりの服装をしているが、別に正装である必要はないようだ。
「結構な人数ですね」
「そうですわね……街の亜人のほとんどは来て下さってるみたいで。ありがたいお話です」
「人間も結構入っていますね」
 ダンスに慣れている人はあまりいないらしく、たどたどしい足取りの人間が多いのが中々に微笑ましい。
「去年よりも増えてきてますわ。もっと理解頂けると嬉しいのですけれど」
 笑顔を絶やさないまま、マールは言う。
「失礼ですが、私が招待された理由というのを知りたいのですが……」
 シルバが気になっていた事を問うと、マールはポンと手を打ち合わせた。
「ああ、それは単純な理由ですわ。私、カナリー様のお父上、ダンディリオン・ホルスティン様に大変お世話になっておりますの。この地に居を構える際の資金援助も、彼にして頂いたのです。恩人のご子息という事もありますし、そのまま素通りしてもらうのも薄情というもの。ご招待させて頂いた次第ですわ」
「なるほど……残念ながら、カナリー本人は不在ですけどね」
 実際はいるのだが、彼女は今、偽名を使っているので存在しない事になっていた。
 メイドのアニーから話は聞いているのだろう、マールも眉を八の字に下げていた。
「それは本当に残念な話ですわ。何でも都市の方で、別の仕事をこなしているとか。もし差し障りがなければ伺ってもよろしいですか?」
「そこはちょっと、秘密と言う事で」
 シルバは愛想笑いを崩さないまま、そう答えた。
「ともあれ、町長選挙の方、頑張って下さい」
「うふふ……ゴドー聖教の司祭様のお言葉がついていると、心強いですわ」
 握手をし直し、シルバは印を切った。
「神は差別はしませんよ。祈る者ならば平等に愛します」
「だとよろしいのですが……」
 マールの美貌が愁いを帯びる。
「この辺りはまだまだ偏見が厳しく、亜人種にとっては居心地が悪い場所です。私としては、それを払拭していきたいんですの」
「素晴らしい事だと思います」
 マールの思惑が言葉通りなのか、それとも裏に何かあるのかは分からないが、少なくともその台詞に対しては、シルバは素直に感想を述べた。
「ふふ……中にはパル帝国の侵略と、心無い事をおっしゃる方もいますけどね。まあ、百の言葉よりも一の行動ですわ。少しずつ、この土地の人間と亜人との理解を深められればと思っておりますのよ」
 ちなみに彼女が吸血貴族・ダンディリオン・ホルスティン様の寵愛を受けていた事は、どうやら街の人間も知っているらしい。
 世界が改編されても、彼女がカナリーの父親と繋がりがあった事には変わりはないらしいようだ。
 この件は隠していてもいずれ知られるだろうし、黙っていたらそれはやましい事がある証拠だと教会から言われてもおかしくない。公言はしなくても、公にはしているのはその辺りの予防線なのだろう。
 しかし……と、そこまで考えて、シルバの思考は停止してしまう。何か重要な事を忘れたような気がするのだが、今はマールとの会話中だ。
 いずれ思い出すだろうと、考えを振り切った。
「ウチのパーティーも、半数が亜人です。是非頑張って下さい」
「ありがとうございます」


 マールと別れ、呟く。
「……いい人っぽいな、おい」
 ひょいと肩の上にちびネイトが出現した。
「うむ。シルバは大きな胸がやはり好きか」
「話が繋がってねーぞ。大体、あんだけ目立つ胸してりゃ嫌でも目に入るっつーの」
 そして、踊っている人達から視線を外し、立ち食い形式の食事の方を見た。
「……それにしても、ウチの面子は放っておいても目立つな」


 一番大きな皿には、料理が山盛りになっていた。
 その更に上に、制服姿のヒイロが海老フライを載せようと努力をしている。
 通り過ぎる人達が皆、例外なく驚くその様に、付き添っていたタイランの方がむしろ、居心地が悪そうだ。
「ヒ、ヒイロ……じゃなかった、ユシア。お皿に盛りすぎですよ……! もっと少しずつにしてはどうですか?」
「むう、だって何往復もするのめんどくさいもん。よし、出来たー」
「な、なら、端っこの方に行きましょう。出来れば、急いで」


 一方リフは、慎ましく魚のフライを食べていた。
 さすがに帽子とコートという姿で入る訳にはいかず、閉店間際の仕立屋で急遽手に入れた緑色の子供服を着ている。
 ついでにリフも素性を隠す事にし、シルバにねだって付けてもらったミルという偽名を名乗っている。
「あら、可愛らしいお嬢ちゃん。お父さんかお母さんは?」
 親切そうな狐獣人の老婦人の声に、顔を上げる。
「にぅ……今、おはなし中。ミル、まいごじゃない。シーラと一緒」
「そう、一緒」
 壁の端にヒッソリと立っていた赤いドレスのシーラが頷く。
 メイド服だと、この家の使用人と間違われそうだと言う事で、カナリーからヴァーミィの着替えを借りたのだ。
「あら、それは失礼。お嬢ちゃん、お魚料理好きなのかしら? だったら、向こうにもあるわよ」
「に……ありがと」
「ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
 シーラと一緒に礼を述べると、老婦人はニコニコと笑いながら、去っていった。
 リフは皿の料理を平らげると、シーラを見上げた。
「シーラ、行こ」
「了解」


 ダンスの輪から少し離れた場所には、人垣が出来ていた。
 紺のドレスを着た黒髪の眼鏡美女に、人間亜人問わず、男性客が集まっているのだ。
「お嬢さん、よければ僕と踊って頂けませんか」
「ありがとう。ですが、連れがいますので」
 微笑みを崩さない彼女――カナリーを守るように、着物姿の美青年が間に割って入る。
「すまないな。エクリュは某と踊る事になっているのだ」
 その言葉に、彼――キキョウに群れていた女性達が残念そうな声を上げる。
 二人は早足でその場を離れながら、互いにだけ聞こえる声量で囁きあった。
「キキョウも大変だな」
「……お互いに、不本意すぎるよね、これは。別に僕は、君と踊りたい訳じゃない」
 肩をすくめるカナリーより、キキョウはさらに不機嫌だった。
「ええい、それでもお主はまだ、シルバ殿と踊れる可能性があるではないか。某にはゼロだぞ、ゼロ!」


 リフはまだしも、ヒイロやらカナリーやらが大変な事になっているようだった。
「もうちょっと、何とかならないものかね……」
「……合流するには楽でいいと思うが。ああ、しかし残念だ。私もドレスを着て、シルバを魅了したかった」
 そういうネイトは、何故か燕尾服であった。
「俺がお前に魅了されるかどうかはともかく、ドレスコードじゃないのな。……やっぱ敷居を下げる為だろうか」
「だろうね。タキシードやドレスを持っている街の人間は、そんなに多くないだろうし」
「考えてはいる訳だ」
 シルバ本人も、馬車の中にしまっていた、使っていない予備の軽装法衣だ。
 対立候補がこの街の司祭長という話なのでまずいかなとちょっと思わないでもなかったが、どうせ明日には離れる身だし、やましい事はないとシルバは割り切った。
「ところで、キキョウから話は聞いた。で、お前に質問があるんだが」
「彼女の息子の事か」
「ああ、消失したクロス・フェリーの件だ」
 シルバは頷いた。
 キキョウが茶店で出会ったという少年が使ったのは、ほぼ間違いなく魅了の術だろう。
 その容姿は、シルバが見た少年とも一致する。
 魅了の術を使うのは、その多くが魔族である。
 そして、この地に住んでいるという、吸血鬼族の妾だったマール・フェリーという女性。
 ……無関係と言うには、さすがに少々苦しいモノがある。
「俺が以前聞いたよな。この世界の別の場所に、カナリーの父親と彼女から生まれた『違うクロス・フェリー』が生じたりしていないだろうなって」
「言ったな」
「その時ネイト、お前はこう言った。そのケースもある事はあるけど、今回はない。クロス・フェリーはもうこの世界には存在しないって」
「それも言った。今も翻す気はないし、私は君にホラは吹いても嘘は言わない」
「いや、ホラも吹くなよ」
「それは愛情表現だから、やめるわけには譲れない」
「えらく歪んでるな、お前の愛情表現は!?」
 突っ込んでから、シルバは頭を振った。
「つーか……じゃあ、あの子供は一体何者なんだ?」
 どうせ明日になれば、この街を出て行くのだから、それほど気にする事じゃないかもしれない。
 しかしこれまでの経験から言って、何も起こらないで済むだろうと考えられるほど、シルバは楽観的な性格ではなかった。
「あの」
 不意に声を掛けられ、シルバは思考を脱した。
 振り返ると、そこにはグラスを乗せたお盆を乗せた、三つ編みのメイドがいた。
 アニー・キャラビィだ。
「お? ああ、アニー。楽しませてもらってるよ」
「そ、それはよかったです! あ、い、いえ、そうじゃなくて!」
 アニーは微笑み、その直後慌てて手を振った。
「ん?」
「シルバ様は、冒険者なのですよね?」
「そうだけど?」
「依頼料って、どれぐらいが相場なんでしょう」
「内容にもよると思う」
「内密には、していただけるんでしょうか」
 アニーは、小声で尋ねてきた。
「そういう約束なら、守るのが筋だろうね」
「オバケ退治とか」
「オバケ」
「はい。この館に出没する、子供のオバケなんですけど」
 シルバは少しアニーから視線を外して考え、それからまた彼女を見た。
「……例えば、眼鏡を掛けた、あの子と同じぐらいの少年の?」
「どうして、存じておられるのですか!?」


「実際は、退治しなくてもいいらしい。目的はやっつける事じゃなくて、その正体を突き止める事だからな」
 リフの手を取りながら、シルバは前にステップを踏んだ。それに合わせて、リフも後ろに下がる。
「に……でも、時間ない」
「ああ、明日にはもう出発するからな。っつってもオバケさんもこの時期にしか出現しないらしいけどっとっと」
 前に踏み出しすぎて、思わずシルバはたたらを踏んだ。
 身長差がありすぎるのも、考え物だと思う。
「だいじょぶ?」
「大丈夫。にしてもリフ踊り上手だな、おい。やった事あるのか?」
 シルバの問いに、リフはフルフルと首を振った。
「にぅ……みようみまね」
「そうか」
 なるほど、手本はそこら中にいる。
 しかしそれでも、初めてにしては上等なステップだとシルバは思った。ちなみにシルバも、村や軍でのノリ重視な踊りを除けば、数えるほどしかこういうダンスはした事がないのだが。
「アニーはこの館に務めて今年で三年目。この時期恒例のオバケさん、らしい」
「変なの」
「ああ、変だな。時期はずれもいいところだ。ともあれ、やるにしても数時間の調査。そもそも受けるかどうか、みんなで話し合わないとな。疲れているようならやめとくし」
 といった所で、音楽が一旦休憩に入った。
 名残惜しそうなリフと離れ、シルバは腰を大きく伸ばした。


「踊りはよく分からない」
 せっかくだからという事で、タイランが強引に推したのがシーラだった。
「適当に周りに調子を合わせておけばいいと思う。多分、他の連中もそうだろうし」
「分かった」
 危なげない足取りで、シーラはシルバに合わせてステップを踏む。
 踊りながら、シルバは話を続けた。
「ちなみに依頼に関しては、みんなが休みたいってなら俺だけ動く事になる。さすがに聖職者がオバケ退治依頼されちゃ、引っ込む訳にはいかないんでなぁ……」
「主がするなら、わたしもついていく。何か手掛かりは」
「強いて言えば、大体の出現ポイントは分かっているって事か。もうちょっと詳しく、アニーに聞きたい所だけど……何だありゃ」
 ちょうどシーラの向こう、出入り口の大扉の向こうを三つほど重ねた大きな深皿を持って、アニーが駆けていく所だった。
 シーラも振り返り、それを見た。
「器の形状、名前の表示から、犬の餌皿と推測される」
「なるほど。こんな大きな屋敷なら、番犬がいてもおかしくはないか。庭の方は下手に調べられないな」
 侵入者と間違われて襲われては、目も当てられない。
「わたしの人工皮膚やタイランの甲冑は噛まれても平気。リフ、キキョウといった獣人の場合はそれすら不要」
「……やるな、シーラ」
 もしもの時は、その四人だなとシルバは頭の端に留めておく。
「パーティーの特性を考えれば難しい事ではない」
「なら、ヒイロは?」
 シーラの足が少し止まった。しかしすぐに、動き始める。
「肌は鉄の身の方が優れる。耳と鼻は獣が優れる。鬼がそれらに上回るのは戦いの感覚。主と共に、動く方がいい」
「なるほど、参考になる」


 三人目のパートナーは、ヒイロだった。
「ボク的には今日ほとんど馬車の中だったし、いい運動になるかなーって思うよ?」
 とにかくヒイロとの踊りはパワフルだ。
 リフがシルバのステップに合わせてくれていたのが、今ならよく分かる。
「運動になるかどうかはともかく、ヒイロは賛成、と待て待て待てぶつかる危ない避けろ」
 横の人にぶつかりそうになり、シルバが慌てて叫ぶ。
 ポニーテールを揺らすヒイロにグイッと手を引っ張られ、シルバの両足は一瞬、宙に浮いた。
「っと。でもその子供=先輩やキキョウさんが見た子でほぼ一致でしょ? ん、んー、マリーさんの子供の可能性が一番高いんだけどー?」
「そ、そそ、それはない。クロス・フェリーは」
 何とか床に着地し、転ばないようにヒイロについていくのでシルバは精一杯だ。
 周りの人達との間隔がそれほど狭くないのが、せめてもの救いだった。
「クロス・フェリーじゃない、マリーさんの子供説とかっ」
「…………」
 ヒイロの指摘は、シルバの想定外だった。なるほど、ネイトもクロスの別存在は否定したが、マリーが新しく子供をもうけたという可能性はあって然るべきだ。
「お、いートコついたっぽい♪」
「だな。いい発想だった。でもやっぱり多分ないぞ」
「えー、何でー?」
 ぶぶーと、ヒイロが唇を尖らせる。
 しかし、シルバは首を振り、ホールを見渡した。
「母親の誕生日パーティーに出ない子供は、まずいないだろ。隠し子の可能性だってあるけど、さすがに館に三年も住み込みで働いているアニーが、勘付かないはずがないと思うんだ」
「なるほど、難しいねー」
 そこでちょうど、音楽が止んだ。
「んじゃ先輩、お疲れ様ー」
 ヒイロは汗一つかかず、手を振って壁際で待つタイラン達の下へ戻っていった。


「……何か、重要な事を忘れているような気がするんですよ」
「……奇遇だな。俺もそうなんだよ」
 気がつけば、いつの間にか自分達が踊りの中心にいた。
 周囲を見渡すと、多くの男性客の羨望の視線が自分に突き刺さるのを、シルバは感じていた。
「あとこっちは素人だから、お手柔らかに頼む」
「かしこまりました」
 さすがにカナリーはこういう場に離れているのか、足取りが危なげない。
 ただ、シルバはどうも、自分が女性の立ち位置にいるような気がしてならないのだが。ともあれ、カナリーの足手まといにならないので必死であり、そこまで気が回る余裕も待たなかったりする。
「仮に受けるとして、調査には当然館の主の許可が必要だと思いますが」
「うん、その心配は俺もした。実は去年も同じ依頼を受けた人達がいたらしいんだが、マリーさんは笑って許可したそうだ。つってもプライベートな部屋は、鍵開けてもらえなかったらしいけど」
「それじゃ、意味がないんじゃないでしょうか」
 カナリーの不安はもっともだ。
 もしもそのオバケというのがいるとして、出入り禁止の部屋に入られてしまえば、おしまいである。
 が、それに関してはシルバには解決策があった。
「そうでもないさ。ウチには扉なんて無関係なのが二人いるだろ。霧化出来るのと、精霊が」
「ああ……」
 もっとも、不法侵入には違いないのだが。
「本物のオバケなら、扉を無視してどこか別の部屋に逃れる事が出来るだろう。けど、それはこちらも同条件。そしてもしも生物なら、臭いを追跡出来るのも二人いる。出没時間は大体決まってるみたいだし、やるとしても、その数時間っていう話で落ち着いてる」
「何もなくても恨みっこ無しですか」
「実際、現状では特に害があるわけではないらしいからなぁ……とにかく……」
 音楽が止み、ようやくダンスに一段落がついた。


 シルバは長椅子に座り、大きく息を吐いた。
 さすがに、連続でのダンスはきつかった。
 ドッと噴き出た汗が、床に滴り落ちていく。
「……踊りながら説明するのは無理あると思うんだ、俺」
「お、お疲れ様です、シルバさん」
 メイドから借りたのか、タイランがタオルを持ってくる。
 そのタオルで汗を拭いていると、シーラがジュースのグラスを持ってきた。
「飲んで」
「……おう」
 至れり尽くせりだな、と考えながら、シルバは冷たいジュースを喉に流し込む。


 その後ろで、憮然とした表情のキキョウがネイトと話をしていた。
「……次の機会がある時は、某も変装する。必ずだ」
「ああ、あるといいな。さすがに、私も不憫すぎると思った」


 パーティーも終わり、招待客達は自分達の家へと帰っていった。
「すっかり静かになったな」
 照明も夜用ランプのみとなった、薄暗いフェリー邸の一階ホールにいるのは、シルバとネイトにヒイロ、それに雇い主のメイドであるアニーの四人だった。
「オバケが現れるまで、あと、どれぐらいかなぁ?」
 ヒイロの問いに、アニーはチラッと壁に立てかけられている大時計を目にした。時刻は、日が変わろうとしていた。
「そ、そろそろのはずです。大体は、私達が夜の見回りの番をしている時間ですから……」
「それなら、そこはいつも通りに。って言っても今晩は、執事の人に代わってもらってるんだっけ」
 ホールから吹き抜けに通じる階段に腰掛けていたシルバが言うと、アニーは三つ編みを揺らしながら、深々と頭を下げた。
「は、はい。ではどうか、よろしくお願いします」


 アニーが去り、シルバは階段に並べていた装備品を確認した。
「さてま、そういう訳で仕事な訳ですが。装備の方も問題なし、と」
「ねー先輩、どうしてわざわざ盾まで持ってきたの?」
 シルバが持つラージシールドは、浮遊装置を裏に取り付けてある。
「魔族の多くは飛行能力を持ってるからな。いざって時の用心だ。もっとも使うのは俺じゃないが」
「ボク?」
 シルバの視線に、ヒイロは自分を指差した。
「俺が空飛んだって、ほとんど戦力にならないからな。ま、ヒイロには魔族対策も打ってある事だし、そん時はよろしく」
「へへー、らじゃ!」
 敬礼するヒイロであった。
 そしてシルバは改めた装備を、装着していく。
「あとは眼鏡と針と篭手……ま、こっちは今回あんまり役に立ちそうにないけど。それに煙管と札か。改めて確認すると、結構持ってるな俺」
 透明な札を手に取り、ホールを歩く。
 天井や壁を透かして映るのは、『塔』の絵だ。
 そのまま使うと、この邸宅が壊れそうなので気を付けないといけないな、とシルバは考える。
 大時計は車輪に似ているからか、『運命の輪』が投影されていた。
「きれーだねー」
 そんな感想を漏らすヒイロと一緒に階段の裏に回った。
 大きな窓の向こうに、まだ起きている番犬たちの姿が見えていた。
 それらにも、札を映してみる。
「番犬は『戦車』と『力』か。ま、妥当な所だな」
 うん、と頷き、ふとヒイロを見る。
「…………」
 シルバは札をかざしてみた。
「な、何で先輩、ボクの方に札当てるの?」
「いや、うん、『力』と『戦車』だな」
「それはボクを犬ッぽいって言ってるのかな? かな?」
 ヒイロは笑顔のまま、グルグルと右腕を回し始めた。
「待て、ヒイロ。お前に殴られたら、ちょっとシャレにならない」
 早足でホールに逃げながら、シルバは言う。
 すると、ヒイロの肩にちびネイトが出現した。
「仲がよくて結構だ。じゃれ合うなら、寝室でやるべきではないかな。そこの部屋にベッドがあるはずだ」
「え? ベ、ベベ、ベッド!?」
 真っ赤になりながら、ヒイロはネイトが指差した先とシルバを交互に見る。
「煽るな馬鹿者」
 シルバはネイトの額にデコピンを叩き込んだ。
「うお、シルバ、君、時々物理法則を無視したツッコミをするね」
「ツッコミ要員が少ない分、一人の力が上がらざるを得ないんだよってそんな話はどうでもいいんだ。それよりも、全員配置についたのか」
「問題ない。何なら全員の声を聞いてみるか?」
 直後、シルバの視界が切り替わった。
 『精神共有』のバリエーション『精神同調』だ。


 フェリー邸は上から見ると太いH型をしており、シルバ達がいるのはちょうど横棒の中央に位置している。
 右の縦棒の一階に、キキョウはいた。
「む。こちらキキョウ。現状、異常はない」
 そのキキョウの視界を共有し、シルバは周囲を見ていた。
 点々とナイトランプが明かりを灯す廊下は、静寂に包まれている。
『ういっす、了解。退屈だろうけど、しばらく辛抱しててくれ』
「仕事故、シルバ殿が気にする事ではないと思うぞ」
 ふぅ……と溜め息をつき、キキョウは首を振った。
「ただ、一人では少々寂しいモノがあるのは確かだが……」
 それは他の皆も同じだろう、とキキョウは我慢する。
『つーかキキョウ、さっきのヒイロとの話とか聞いてた?』
「話とは?」
 よく分からないキキョウは、目を瞬かせた。
『……いや、いいんだ。それならいい』


 次に視点が切り替わっても、景色は似たような廊下だった。
 ただ、左の窓から見える風景の高さが違う。
 ここは、右棟の二階、タイランの待機場所だった。
「わ、私の方も大丈夫です……けど、あの……さっき、執事の人にご苦労様ですって言ったら、その……ビックリして逃げちゃいました」
 甲冑であるタイランは、ただ立っているだけならばまったく疲労を覚えない。
 その利点を活かして、美術品のように壁に直立不動していたのだ。
 その報告に、シルバとヒイロは小声で囁き合う。
『……まるっきり、置物にカモフラージュしてるもんなぁ』
『新たな幽霊伝説の始まりかも』
「……あの、聞こえてます」


 再び視点が切り替わり、今度は左の棟一階を見張っているリフになった。
「にぅ……気配なし。犬さんとお話しててもいい?」
 退屈なのか、リフの視点は廊下と中庭に通じる窓をキョロキョロと行き来していた。
『……廊下の方に気を付けてくれれば』
「に」
 シルバの許可に、リフは窓を開けた。
 尻尾を振って、番犬達がリフに近付いてくる。


 そこで視点は変化し、カナリーのものとなった。
「こちらカナリー。見回りの人間以外の気配は無し。それもさっき通り過ぎた」
 通路はひたすら単調な直線で、動くモノの様子はまるでない。
『お、口調戻したのか』
「仕事モードだからね。ここは真面目にやるさ」
 シルバの指摘に、カナリーは肩を竦めた。
 もっとも、変装自体は解いてはいないが。
 彼女の背後には、ヴァーミィとセルシアも控えていた。


 最後に切り替わったのは、これまでの通路とはやや異なっていた。
 目の前には、大きな扉があり、左右に通路が広がっている。
 ここは、中央棟の二階、マール・フェリーの寝室の目の前だった。
「問題ない」
 見張っているのはシーラであった。
 実際、何一つ異常はないので、シーラはそうとしか、シルバに答えようがなかった。
『……率直な意見、どうも』
「館の主人の寝室前なので、静かにせざるを得ない」
『分かった。もうしばらく監視を頼む』
「了解」


 そして視点は、元に戻った。
「んでヒイロ、大丈夫か?」
 見ると、ヒイロは目を回していた。
「……うう、目がクラクラする」
「多重視点の連発だからな。慣れていないと、かなりクる」
 あー、分かる分かると、シルバはネイトの言葉に同意する。
 やり過ぎると、酔ってしまうのだ。
「う~~~~~」
 不可抗力なのだろうが、前のめりになったヒイロを必然的にシルバが正面から抱き留める形になる。
「……いや、これから一仕事するかもしれないんだから、しっかりしてくれ」
「りょーかーい……あー、でもこの体勢楽でいーなー」


 ちなみにネイトはしっかり、他の皆にこのやり取りを送っていた。
『……ヒイロ、ずるいぞ』
『……で、ですね』
『配置を代わってもらうべきだったかな』
『予定終了時刻まで、後一時間五十七分三十四秒……三十三秒……』


 そんな念波が、頭に送られてきていた。
 が、一人足りない。 
「あれ、リフは?」
 それに対するリフの返事はシンプルだった。
『……出た』


 ……時間は少し遡る。
 それまで、まったく何の気配もなかった。
 不意に感じられた気配に、リフは振り返った。
 中庭とは反対の窓がいつの間にか開かれ、そこに黒髪の少年が足を組んでいた。
「……に」
「こんばんは。いい夜だね」
「誰」
「分かっているだろう? 件のオバケさんだよ」
「……実体ある」
「まあ、正体はオバケじゃないんだけど、それを素直に話すとつまらないからね。君達が僕を捜しているのは知っている。……おっとっと、連絡は待ってくれないかな。お話があるんだよ」
 笑顔のまま制され、今は情報を集めるのが先決と判断したリフは、ネイトに思念を送るのを中止する。
「にぅ……」
 けれど油断はしない。
 尻尾を逆立てたまま、いつでも飛びかかれるように腰を落とす。
 けれど、相手の少年は相変わらずのリラックスムードだ。
「まあまあ、そう警戒しないで。僕が君の前に現れたのは、ゲームを申し込む為なんだ」
「に……げーむ?」
「そう! ただ、僕が自分の正体を明かすだけじゃ面白くないからね。僕を捕まえたら――って君、割と容赦ないね?」
 重力を感じさせない跳躍力で、少年は反対側の窓に飛び移る。
 ついさっきまで彼が座っていた位置を、リフの手が薙いでいた。
「つかまえたらって、いま言った」
「待って待って。まだルール説明の途中だよ」
 両手で制しながら、少年は余裕の笑みを崩さない。
「に……そういうお話はお兄にする。リフに言われても困る」
「うん、僕もそう思うんだけどさ。けど彼とか眼鏡の彼女とか何気に容赦なさそうだし、一見して歳の近そうな君が一番話が通じるかなって思ってね」
 少年は館の中央と、この棟の二階を指差した。
「にぅ……いちおう聞く」
「うん、それでこそだ。勝負は単純、僕を捕まえられたら君達の勝ち。制限時間は一時間。逃げる範囲は、この建物の敷地四方内だ。つまり門や塀から出たら、僕の負けだね」
「…………」
 リフは頭の中で、作戦を組み立てる。リングアウトを狙えるという事だ。
「うん、追い込むのもありかな」
「に!?」
 自分の考えを読まれ、リフは飛び退く。
 彼女の様子に、少年は楽しそうに手を叩いた。
「あっはっはっ、分かりやすいね、君は! そういう素直な子は好みだよ」
「……お兄に言われたら嬉しいけど……困る」
 それからふと、リフは相手の名前を知らない事を思いだした。
「リフはリフ」
「ん?」
「なまえは自分から名乗るモノ」
「ん、んー……困ったな。本名を名乗る訳にもいかないしなー。どうしよう」
 少年はあっけらかんとした様子で、腕組みをする。
 それから何か思い出したらしく、指を一本立てた。
「んじゃま、とりあえずクロスって名前で」
 その名前は、リフもよく知るものだった。
「!? この家の人の子供!?」
「へえ、すごいな! 今思いついた名前の元ネタを一発で当てるなんて、大したモノだ。でもハズレ。僕は彼女の息子じゃないよ」
「にぅ……」
 あくまで印象だが、どうやら嘘ではないようだ。
 窓枠に腰掛けたまま、少年――クロスは微笑みを絶やさない。
「ふふふぅ……説明を続けるよ? この館の女主人から禁じられてる場所、つまりプライベートな場所には僕は入らない。それは不公平だからね」
「にぃ……それは助かる。不法侵入よくない」
 リフ達が入れる範囲は、自分達用に用意された客室や、あとはマールが許可したキッチンや食堂、地下の酒蔵と言った場所だ。
 それだけでも結構な広さなのに、本来入ってはならない場所まで範囲に入ると、非常に厄介だ。
「だよねぇ。それをやったら興醒めだしね。だから、僕の移動範囲は君達が入れる場所に限る。……もっとも、全員が入れる場所とは限らないけどね」
「に?」
 ずいぶんと思わせぶりな台詞に、リフは思わず尻尾を『?』の字に曲げた。
「どういう意味かは、みんなで考えてね」
「に……今のは、じゅうよう。おぼえた」
「さて、君達が勝負に勝てば探っているらしい僕の正体も、素直に教えるよ。それと素敵かどうかは使い方次第な賞品も一つ」
「……おさかな?」
 リフが真っ先に思いついたのは、それだった。
「……お魚、欲しいの?」
「前の村ではお野菜だったから。美味しいおさかな、みんなで食べる」
「えーと……ちょっと、そういう賞品は想定してなかった」
 困ったように、クロスは頭を掻いた。
 さすがの彼にも、ちょっと予想外だったらしい。
「にぃ……ざんねん」
「オ、オーケー、その方向も考えておこう……その時は、朝市に寄らなきゃ駄目だな」
 朝は苦手なんだけどなー、と呟くクロスであった。
 気を取り直して、話を続ける。
「とにかく用意してある賞品だけど、持つ人によっては何の価値もないけど、人によってはとっても役に立つかもしれないモノだよ。で、時間以内に僕を捕まえられなかった場合は、君達は任務失敗。来年も正体不明のまま現れるから、一つよろしくって所かな」
「に……それ、困る」
 よく分からないオバケさんが来年も現れると言うのでは、メイドのアニー達も困るというモノだ。
 それに、依頼に失敗というのも、格好がつかない。
「困るよね。なら、捕まえないと」
「に、がんばる」
 コクコク、とリフは頷いた。
「じゃ、この鬼ごっこのルールは分かったかな」
「……にぅ。でもこれ、鬼ごっこじゃなくて、かくれんぼ」
「どっちも込みだよ。僕は隠れるけど、それを見つけて捕まえなきゃいけないからね。ちなみに色々抵抗させてもらうからね-。はい、それじゃゲームスタート」
 パチンとクロスは指を鳴らした。
「に……!?」
 一瞬、リフの視界が目眩を感じたかのように揺れる。
 頭を振って顔を上げると、そこにはもう、クロスの姿はなかった。
『じゃ、がんばってねー』
 そんな声だけが、頭に響いた。
「に……きえた」
 周囲を見渡し、臭いを嗅ぐ。
 クロスの臭いは残っていたが、どこに逃げたかは分からなかった。
 臭いは、その場から動いていないのだ。
 廊下にも、窓の向こう――中庭にも逃げていない。
 この場から、煙のように消えたかのようだった。
 リフが混乱する……その時だった。
『あれ、リフは?』
 シルバの念波が、リフに届いた。どうやら、反応がないリフを心配しているようだ。
 だからリフは、周囲に気を配りながら、短くこう答えたのだった。
「……出た」


 リフの元に最初に辿り着いたのは、カナリーだった。
「……消えた?」
「に……よく分からない。気配も臭いも、動かないまま消えた」
 リフは戸惑い、周囲を見渡す。
 その様子に、カナリーは推測してみる。
「霧になった……とかかい?」
「ちがうと思う。白いのなかった」
 空に逃れた……いや、天井があるからそれもない。
「窓じゃないんだね?」
「に。だったら臭いが遠ざかる」
 そもそも、そんな中庭に逃げているなら、リフだってこんなに困りはしないだろう。
「まさしく一瞬って訳か……」
『……影の中とかじゃないのかね、カナリー?』
 どうしたモノかと迷っているカナリー達に、ネイトを中継点としたシルバの念波が飛んできた。
「シルバ?」
『リフの話だと、相手はこの建物の敷地四方内からは出ないって言ったんだよな。もし、その推測が当たってたら、確かに門や塀からは出てねーよ』
 そして、シルバは話を続ける。
『お前が使う影の世界。そっちに沈んだんなら、その場で気配が消えた事も納得がいく。何しろこんな夜中だ。影なら作り放題だからな』
「なるほど、それは有り得るね。ヴァーミィ、セルシア、調査だ!」
 カナリーは、背後に控えていた赤と青の従者に命じる。
 直後、二人の美女は黒い影の中に沈み込んでいった。
 それを見届け、カナリーは念波を飛ばした。
「タイラン、急いでこっちに来てくれ。そこだとボクの術の範囲外だ」
『は、はい?』
 戸惑ったような返事が返ってきた。
「こっちの世界だと君の動きはかなり鈍いが、影の世界なら問題ない。館の中でも派手に無限軌道を使える。さすがにこっちの世界でアレを使うと、床が大変な事になるからね」
『あ、そ、それはそうですね』
「ヴァーミィ達と一緒に、相手を追い立てて欲しい。彼を、影の世界から追い出す」
『わ、分かりました。急いでそちらに向かいます』
 タイランとの会話を終えると、カナリーはリフを見た。
「リフも入ってくれ。足の速い人間がいた方がいい」
「に、分かった」
 承知するリフを、そのまま影の中に沈める。
 すると今度はキキョウが念波を飛ばしてきた。
『某はよいのか?』
「もし、影の中に潜んでいたとして、ヴァーミィ達が追い立てれば、相手は再びこっちに出て来る可能性も高い。機動力のある人間は二手に分けた方がいいと思うんだ」
『なるほど、もっともであるな』
 カナリーの意見に、シーラの声も賛意を示した。
『それに、通常の捜索も必要。私は二階を見て回る』
『心得た。よろしく頼むぞ、シーラ』
 カナリーは、頭の中で今のパーティーの状況を考える。
 こちらに残っているのは、自分、キキョウとシーラ、それにシルバとヒイロ、中継の要であるネイト。
 影の世界に潜るのは、ヴァーミィとセルシア、つい今し方潜ったリフと、こちらに向かっているタイランという事になる。
『……厄介な話だな』
 シルバが唸る。
『影の世界が存在する事で、この邸宅の敷地は事実上二倍あるって事になる。それと今更な話だけど、もしも標的が本当に影の中に潜んでいるのなら、相手を吸血鬼と俺は断定するぞ』
「家の主の事も考えると、妥当だろうね」
『……となると、指揮するのは俺よりも吸血鬼であるカナリーの方がいい。俺も探す方に回る』
「了解。さて、ターゲットは――」
 シルバが動く気配を感じながら、カナリーは影に潜った自分の従者に意識を向けた。
 カナリー自身は精神共有など使えないが、自分の従者にだけは似たような真似が出来るのだ。
 ヴァーミィの意識と同調し、カナリーは眉根を寄せた。
「――何?」


「抵抗しないとは、一言も言っていないからね。……それにしても二人とも、なかなかいい動きをするようになったねぇ」
 少年の声が、ホールに響く。
 館の構造自体はまったく、本来の建物と変わらない。
 だが、影の世界は元の世界よりも相当に、薄暗い。影の世界だから、当然といえば当然なのだが。
 そして、ヴァーミィ達は館の正面ホール、元の世界ならシルバ達がいるはずの場所で、深くフードを被ったローブ姿の女性と既に戦闘に突入していた。
 ローヴもフードの中から漏れるウェーブがかった長髪も、全て金色の女性だ。
 そして彼女はたった一人で、ヴァーミィ、セルシア、更にリフを相手にしていた。
「にぅ……速い……」
 ヴァーミィの蹴りを身体を反らして避け、続くセルシアの手刀を払い、リフに向かって回し蹴りを放つ。
 蹴りは一度では終わらず、二回三回とリフを追い詰めていく。
 従者達が距離を詰めると、それをすばやく悟り、金色の美女は華麗なステップで距離を取る。
 それはさながら、3対1のダンスのようであった。
「新手も迫っているようだし、僕達は逃げるとしようか、○○○○○○。じゃあ、よろしく頼むよ、○○○」
 金色の女性の後ろで少年の声が響き、二つの足音が遠ざかっていく。
 ヴァーミィが追いかけようとするが、その進路を塞ぐように、金の従者が立ちはだかった。


「金色の女か……」
 壁にもたれかかりながら、カナリーは思考する。
 逃げる足音は二つ。
 うち一つはクロスと名乗る少年のモノ、もう一つはおそらくもう一人の連れだろう。キキョウの話では、銀色の美女を従えているはずだ。
 金と銀の従者と言えば――と連想が働くが、そこから先の思考が靄に包まれる。
 この先に、思い出さなければならない、とても重要な事があると分かっているのに、辿り着く事が出来ないもどかしさ。自覚を覚えたのは、この邸宅に来てからだろうか。
「……何だ? くそ、しっかりしろ、僕」
 苛立ちに、カナリーは軽く、自分の頬を張った。
 せめて、○○か○だけでも分かれば、思い出せるのに。
『カナリー、大丈夫か?』
「ありがとう、シルバ。僕は心配ない。それよりも、タイランは逃げた二人を追ってくれ。夜と月の力で魔力が増しているとは言え、二つの世界を行ったり来たりする事を考えると、その管理と魔力の維持で手一杯だ。もうちょっと――のようにデタラメな経験と魔力があれば……ん?」
 言葉が止まる。
 自分は一体、誰の事を指しているのか。
「くそ、本格的に、僕はどこかおかしくなっているらしいな」
 カナリーは、自分の髪を掻き上げた。
 そもそも、今はこんな風に迷っている場合じゃない。相手に集中しなければ――。
『ちょっといいか、カナリー君、それにシルバ』
 カナリーの混乱する思考に割り込んできたのは、ネイトだった。
「何だい、ネイト?」
『何か気がついたのかよ』
『認識偽装だ』
「え?」
『あ?』
 ネイトの言葉に、二人は戸惑う。
 しかし構わず、ネイトは話を続けた。
『範囲はこの邸宅の全域だ。二人を惑わせる、何らかの力が働いているのは間違いない。ただ、もう一つ同じレベルの魔術が何やら施されているようで、何を隠しているのかが分からない』
「確かなのかい?」
『……ネイトはこういう時は嘘は言わない』
 カナリーの念押しに応えたのは、シルバだった。
『おお、抱きついていいか、シルバ』
『珍しく褒めたら、それか!?』
『あ、じゃーボクもー』
 何故か、ヒイロも割り込んできた。
『何でそうなる!?』
「とにかく」
 カナリーは、強引に話を戻そうと試みた。
「この邸宅には、二つの魔術が働いている。どちらかを見破る事が、勝負の鍵という事か」
『そうなる』
 魔術師であるカナリーは、言いながらゾッとした。
 敷地全体を包む大規模魔術、というだけならまだ分かるが、二種類の重ね掛けなんて、ほとんど聞いた事がない。
 相手の力量と魔力が、デタラメすぎる。
『カナリー君、もう一つ私見を述べてよいだろうか』
「どうぞ」
『この追いかけっこ、その魔術とは別に、酷いペテンの予感がする。まるで詐欺師でも相手をしているような印象を今、私は覚えている。根拠はないが、単純な体力勝負じゃなく、頭を使わないとおそらく勝てないだろう』
「……参考にさせてもらうよ」


 夜目の利く剣牙虎の仔であるリフには、多少の薄暗さなど、さしたる問題ではない。
 だが、それでも目の前の金色の女性は、一筋縄ではいかなかった。
 1対3という数の不利をモノともしないのは、身体的な能力や戦闘技術の差もあるのだろう。
 だが、それ以上に厄介なのは、この世界そのモノに対する認識にあるような気がする。
 距離が離れているはずなのに、金色の攻撃はこちらに当たる。
 目を離していないのに、いつの間にか後ろに回り込まれている。
 何か、リフの知らないルールでもあるかのようだ。
「にぅにぅ……」
 困ったリフがワシャワシャと小さな両手で頭を掻いていると、呆れたようなカナリーの念波が届いてきた。
『……何をしてるんだい、リフ』
「にぃ……困った時の、お兄の真似」
『あー』
 カナリーは納得したようだった。
 もっとも、シルバは片手でやるが。
『ともあれ、連絡が遅れてすまない。リフも戸惑っているようだし、今からアドバイスをする』
「に?」
『そっち、つまり影の世界は物質よりも精神が物を言う世界だ。僕が加護をしているから今は平気だけど、下手に迷うと一生そこから出られなくなる。基本的に、距離なんかも割と無意味だったりする。分かるかい?』
「にぅ……リフには分からないけど、金色の方は分かってるみたい」
 相手は距離を無視して攻撃してくる。
 だから、リフも困っているのだ。
『今、リフは敵との距離が空いているから、攻撃が届かないだろう?』
「に」
『その世界では発想を変えてくれ。君の攻撃は当たる。当たるという事は、君は金色のすぐ傍にいる。そんな風に考えるんだ』
 難しい事はよく分からない。
 ただ、素直にカナリーの言う事に従ってみた。
 距離は無関係。
 ただ、自分の腕から生えた刃を当てる、当たるイメージだけを強める。
 その意思を込めて振るった刃の先に、微かに手応えが生じた。
 金色の女性は一瞬早く飛び退いていたが、二の腕部分のローブが裂け、身体に亀裂が走っていた。
「にぁ……当たった」
 当てた本人も、目を瞬かせて驚いていた。
『こういうのは、精霊系の方が向いているからね。タイランを呼んだのは、そういう理由もある。まずは、金色を無力化しよう』
『え……? あ、そ、そういう事だったんですか……!?』
 何故か、タイランが動揺していた。
『うん?』
『す、すみません……二手に分かれた方が、捜索には向いているかと思ったので……』
 怪訝そうなカナリーに、ペコペコと頭を下げるタイランの姿が、リフの脳裏に浮かんだ。
 とほぼ同時に、背後から無限軌道の回転する音を響かせながら、重甲冑が迫ってきていた。
「ガ! 敵、ヤッツケル!」
 現れたのは、大張り切りなモンブラン十六号であった。
『……あー……まあ、モンブランはモンブランで、迷いがないしいいよ。タイランは気にせず、ターゲット追跡に移って欲しい』
『わ、分かりました』
「にぅ……モンブラン、てつだう」
「ガ!」


『……で、シルバ、大丈夫かい?』
 右棟二階。
 クロスの追跡に移っていたシルバは、ヘロヘロになっていた。
「大丈夫じゃ……ねえ……つーか何だアイツ、くそ。おちょくられてるのか、俺……?」
 もう何度目になるのか、まるで誘うように通路の角に、夜でもよく映える銀のローブが翻るのが見えた。
 シルバが駆け出すと、角の向こうの足音も遠ざかっていく。
 ――急いで角を曲がると、相手は消えていた。
 廊下の先は長く、だが相手の背中は見えない。
 窓は閉じているし、開ければ多少は音がする。そこから逃げたのでない事は明らかだ。かといって、この辺りの部屋はマールに出入りを禁じられている。
 クロスや銀の従者がルールを破ったのなら、話は別だが。
 一体、どこに消えたのか。
 そんな事を考えていると、後ろで足音がし、振り返ると、銀色の女が駆け去っていく所だった。
 ちなみに、回り込めるような建物の造りにはなっていない。
「銀色があっちに出たかと思うと、こっちから現れるし……突然消えるのは、不定期に影にでも潜ってるのかも……」
 手が届くようで、全然届かない。
 まるで蜃気楼でも相手にしているような気分だった。
 汗だくになったシルバは、その場にへたり込む。
『先輩、浮く板いる? 持ってくよ?』
「……今度合流出来たら、頼む」
 ヒイロもシルバと同じ棟にいるが、一階にいる。もしかしたら相手が降りるかもしれないし、こちらに向かってもらうのは得策ではない。
「とにかく、ことごとく、動きを読まれているようだ」
 シルバの報告に、カナリーとネイトが念話で囁き合う。
『読心術の類かな、ネイト……?』
『その気配ないな。けれど、動きを把握させられているのは間違いないようだ』
『僕も同感だ。シルバは消耗させられているし、キキョウやシーラも似たような状況にある』
『うむ』
『捕まえられない』
 追いかけっこの舞台はほぼ、右棟に集中しているようだった。
 建物は太く、基本は左右に一本ずつの広い廊下が走り、突き当たりの横通路で繋がっている。
 分かりやすく言えば、縦に長い『回』の字だ。
 ただし、廊下の途中途中にも細い廊下が走ったり、階段ホールが存在していたりするので、単純な一直線でないのが事を厄介にしていた。
「ヒイロはどうだい?」


「いや、それが……うわぁっ!?」
 青っぽい黒髪が揺れる。
 廊下の曲がり角でバッタリ、少年と出くわした。
 ヒイロが驚いたのは出くわした事そのものよりも、彼が二本の角と大きな牙を生やした鬼のお面を被っていたからだ。
 キキョウならば、それがジェント産の『鬼面』である事を見抜いただろう。鬼ごっこだから、わざわざ被ったのだろうか。
「な、何で――!?」
 ヒイロの足下を確かめた小柄な少年クロス(?)はしかし、即座に身を翻す。
「ちぇっ……! 君も面白そうなモノ持ってるじゃない! 後で貸してね!」
「い、いた! 今、追跡中!」
 ヒイロも、盾で作られた浮遊板を傾けて、クロスを追う。
 しかし相手も足が速く、そう簡単には追いつけない。


「…………」
 ヒイロの様子を聞いたシルバは、ボリボリと頭を掻いた。
『シルバ殿、何か気がついたのか?』
「いや、まだだ。思いついた事はあるけど、とにかく俺もヒイロに合流する!」
 キキョウに答えたシルバは、階段に向かった。
『承知! 某もゆく!』


「もうちょっとで、追いつく……逃がさないっ!」
 角を曲がると、細い廊下の先は十字路になっていた。
 背後の通路の先には、大きな窓がある。
 だが、鬼面を側頭部にずらしたクロスは何故か、十字路の中央でヒイロを待っていた。
 その後ろには、フードを目深に被り、銀のローブを羽織った女性が待機している。
「ふふふ……」
「あ、諦めてくれたの!?」
 浮遊板を止め、ヒイロはクロスと間合いを詰めていく。
「違うよ。ちょっと予想外だっただけさ。そして今度は、こっちが驚かせる番だよ」
「え……」
 スッと、クロスは右腕を上げた。
「ニンポウ分身の術!!」
 パチンと指を鳴らすと、後ろにいた銀の女性が動いた。
 いや、動いていない。
 一人は動かないまま、もう一人が横に並んだ。
 まったく同じ服装の、銀髪銀ローヴの女性だ。
「二人に分裂した!?」
「ふふふ、捕らえられるかな?」
 クロスと二人の女性は、それぞれバラバラに駆け出した。
「わ、わ、どれを捕まえればいいの?」
「って決まってるだろヒイロ! クロスだよ!」
 狼狽えるヒイロの背後から、シルバが声を掛けた。
「そうでした!」
 そのクロスは、窓を開けると外に飛び出した。
「くそ、中庭に出たか……!」
「ボクが追うよ」
「否、ここは某に任せてもらおうか」
 二人の間を風のように駆け抜けたのは、キキョウだった。


「キキョウさん!」
 夜の庭を駆け抜けるキキョウの背中に、ヒイロの声が掛かる。
 一方シルバは、念話を飛ばしてきていた。
『番犬がいるはずだ。いけるか』
「うむ。まずは説得を試みる」
 早速、不審者の侵入に、しなやかな肉体を持った番犬達が一頭、二頭と出現する。
『駄目だった場合は?』
「力尽くで押し通る」
『了解。任せた』
「うむ」
 キキョウは足を止めた。
 どうやら番犬達は理性的らしく、獣人であるキキョウならば話し合いが通じそうだった。
 ただ、それとは別に、彼女には気になる事があった。
 くん、と鼻を嗅ぐと、きつい臭いがする。
「……臭うな」
「新手か?」
「いや、これは香水のようであるな。おそらく、某やリフに対しての臭い対策なのであろう……ん? 何やら別の臭いもするが、何だこれは……薬品か?」
 二種類の臭いが混じり合っていて、その正体が分からない。
『……また、複数の要素か』
 うんざりとしたシルバの思念が伝わってくる。
「ぬ?」
『こっちの話。それより、上はどうだ?』
 言われ、キキョウは夜空を仰ぎ見た。
「空にもおらぬな。某も、一番有り得ると思ったのだが」
 月が大きく出ていて、空を飛んでいれば一目瞭然だっただろう。
 もしや屋根の上かとも思ったが、少なくともキキョウに見える範囲では、見あたらない。
 ここは、番犬達を相手に情報を収集するべきだろうと、キキョウは判断した。
「幸い友好的に話は進みそうなので、パーティーの残飯を交渉材料にさせてもらう。四方に配置させられているようなので、見かけたら声を上げてもらう事にした。某は臭いを追う……といいたい所だが、香水を撒かれてしまったので鼻が利かぬ。仕方がないので、とにかく足を使って探す事とする」
 言って、キキョウは駆けだした。
 次に響いたのは、カナリーの念波だった。
『じゃあ外はキキョウに任せるとして、まずは捜索の邪魔をする金と銀を何とかしようか。時間的に厳しいけど、人数が増えれば探すのも楽になるはずだし。金は影の中として――』


「いた」
 銀色の女性と相対したのは、シーラだった。
 この廊下は一直線で、逃げ場所はない。
『よくやった、シーラ!』
 シルバが叫ぶ。
「主やヒイロとちょうど挟み撃ちの形だった。逃がさない」
 シーラがスカートをなびかせ、駆け出す。
 銀色の女性もその事実に気付いたのだろう、二人掛かりを相手にするよりはマシと判断したのか、シーラを退けようと距離を詰めてきた。
『いけるか?』
「問題ない」
 先に手刀を放ったのは、銀色の女の方だった。
 正確には、シーラがわざと遅れた。
 カーヴ・ハマーの大剣の一撃すら受けきるシーラの皮膚は、この程度の攻撃では大した痛痒を感じない。
 それよりも攻撃した瞬間に生じる決定的な隙を彼女は狙ったのだ。
 右手で女性の顔面を捕らえ、左腕で相手の手首を握る。
 そして、両手から衝撃波を放った。
 そのたった一撃で、女性のローブは派手に裂け、全身を痙攣させながら倒れ込んだ。
「捕まえた」
 特に嬉しそうにもせず、シーラは答える。
『……さすが、第六層の闘技者』
「……褒められた」
 小さく呟きながら、シーラは銀色の女性を担ぎ上げた。


 左棟二階。
 派手に動き回っているシルバやヒイロ達とは別に、精霊体のタイランは一人、静かな廊下をふよふよと移動していた。
 こうしてると、まるで自分の方が幽霊みたいですね……。
 なんて事を考えていると、後ろでドアが開く音がした。
 何気なく振り返ってみると、そこには銀色のローブを羽織った女性が立っていた。
「ひゃうっ!?」
「……っ!?」
 向こうも驚いたらしく、声にならない悲鳴を上げた後、一目散に逃げ出した。
 ああ、驚きました……と、胸を撫で下ろしてから気がつく。安心している場合じゃない。
『ど、どうした、タイラン!?』
「あ、い、いえ、今、銀色の方を見つけまして……そ、その、お互い出会い頭で驚いてしまったって言うか……と、とにかく追跡中です! 現在、左の棟の二階です!」
 とはいえ、タイランは速くは追えない。
「ヒイロ、お願いします!」
『あいあいさー! 今行くよー!』
 その声に、ホッと安堵するタイランだった。


 一方、シルバとカナリーの頭脳班は念波で相談をしていた。
『……さっきの聞いたか、カナリー』
『……ああ、タイランの報告は実にナイスだったよ』
 二人は、ほぼ同時に、自分の考えを相手に伝えた。
『どうやって、向こうがこっちの動きを察知してるのか、何となく推測出来たかも』
『お陰で、銀色の分身トリックが分かったね』
 一瞬の間が生じる。
『『ん?』』
 もしも二人が同じ場所にいたならば、顔を見合わせていただろう。
 そこに、ネイトが割り込んできた。
『……後はクロス君の居場所だけど、これも大体察しがついている。問題はどうやって、判別するかだが……』
『考えている心当たりはどうやら俺と同じのようだな。それに関しては、俺に考えがある』
『ほう?』
『さっき、カナリーが言ってたのを参考にさせてもらおうと思う』
『僕の発言?』
『発想の逆転だ。まあ、まずは邪魔者の排除が先決だけどな。その前に――』


「――まずは、状況の再確認といこうか」
 中央のホールに、シルバ達は集まった。
 ただし、キキョウとリフの獣人(正確には両方違うのだが)組は、外の捜索に当たっているので別行動だ。
 壁の大時計は、残り十五分を示していた。
 影世界の法則を、カナリーのアドバイスで取っ掛かり程度とは言え掴んだリフと、赤と青の従者、それにモンブラン十六号。
 四人掛かりでは、さすがに金色の女性も長くは持たなかった。
 今はシーラが倒した銀色の女性と共に、ロープで縛られていた。
 シルバは幅の広い階段に腰を下ろし、指を一本立てた。
「一つ目。まず俺達は何だかよく分からない魔術に掛けられているらしい。うち一つは何らかの認識偽装。加えて正体不明のもう一つ」
「それの正体が分からなきゃ、駄目なんだよね?」
 ヒイロの問いに、シルバは頷いた。
「ああ、俺達は、認識偽装によって何を隠されているのか。もしくは、何の魔術を掛けられているのか。いわゆる魔術指定って奴だ。認識偽装の厄介な点は、掛けられているのが分かっても、それが何なのかを解くのが難しいって点にある。という訳で、後者。正体不明の魔術の方なんだが、幸い、ヒイロとタイランのお陰で見当がついた」
 戸惑った顔をする、ヒイロとタイラン。
「ボク達?」
「な、何かしましたっけ……?」
「ヒントは、二人と俺達の違いにある」
 シルバは、みんなを見渡した。
 続いて、カナリーが発言する。
「二つ目は、消えたり現れたりする銀色の、分身の術について。そもそも、今回のゲームが始まった時から、不自然だった点がある」
『に……不自然?』
 ちゃんと話だけは聞いていたリフが、念波を飛ばしてくる。
「何故、金色と銀色は頭からフードなんて被ってたのかって話だよ」
 皆の視線が、捕らえられている二人に集中する。
 金色はともかく、銀色の方はローヴもボロボロで、顔も明らかだ。
 感情のない瞳が、カナリー達を見据えていた。
 ふわっと、ちびネイトが空中に浮かび上がる。
「三つ目。クロス君はどこに消えたのか? 現在、影世界には存在していない」
「こっちの世界とは違って、あっちなら誰かが入り込めば、大体の位置は掴めるからね。現状は空っぽだよ」
 カナリーが言い、ふとネイトは何かを思いついたようだ。
「おまけでもう一つ。クロスが最初、影世界に逃れた理由は何か。別に最初から中庭の方に出てもよかっただろうに」
『単なる気まぐれではないのか?』
 キキョウの問いに、ネイトは何故かカナリーを見た。
「もちろん、ただそれだけという可能性もある。がしかし、影の中に逃れる事で、彼には一つメリットが生じる。ヒントは鬼面。それに認識偽装にも、私は見当がついた」
「まずは、残る銀色の女性だ。そこでシーラに聞きたい事がある」
 カナリーは、シーラを見た。
「何?」
 シーラが小さく首を傾げる。
「確か君の初期配置は、この建物の二階。マール・フェリーの寝室の前だったはずだ」
「そう」
「……僕が聞きたい事はただ一つ。彼女が、部屋に入ったのを見届けたかって事さ」


「――やっぱりか」
 シーラの答えに、カナリーは眉をしかめながら、天井を見上げた。
「これで二つ目の問題は解けた」
「一つ目は? ボクとタイラン、何か悪い事したの?」
 不安そうに、ヒイロがシルバを見上げてきた。
「いや、逆だ。ファインプレーだよ。俺達と二人の違いは、足だ」
「足?」
「あ……う、浮いてます。ヒイロも」
 タイランは、パンと両手を合わせた。
「そう。だから、相手は二人には気付けずバッタリ出くわした。つまり、足音を感知する術が使われていたって事だ。という事はネイト」
 ふわふわと浮いていたネイトが、空中で身体を回転させる。
「ああ、片方が分かったなら、問題ない。認識偽装の正体も割れる」
「足音探知の方も破る方法はあるけど、これは後回しでいい」
「え、何で?」
 目を瞬かせるヒイロに、シルバは首を振った。
「それに関しては後で説明するよ。んでヒイロ、認識偽装の方をまず片付けたいから、札をちょっと返してくれ」
「あ、うん」
 ヒイロは服の懐から、『悪魔』の札を取り出した。
 それをシルバは受け取り、高くかざす。
「一応魔力がいるんでなー」
 ヒイロも魔力があるにはあるが、やや心許ない。
 シルバは札に魔力を込め、ネイトに力を供給していく。
「漲ってきたぞ、シルバ」
「いいから、早くやってくれ」
「いいとも」
 ネイトは高く上げた腕の先で、指を鳴らした。
 直後、シルバは自分の頭を一陣の風が通過したような感覚に襲われた。そして思い出す。館に招待された時からずっと感じていた違和感、その正体が何だったのか。
 ……思い出して、カナリーと一緒に深いため息を漏らしたのだった。
「って、何で二人とも凹んでるのー!?」
「いわゆる、鬱状態」
 ヒイロが突っ込み、シーラが冷静に二人の様子を評した。
 とはいえ、本当に自分達が間抜けとしか思えない、シルバ達だった。
「こんな単純な事を言えなかったのか……」
 顔に手を当てながら、再び深い息を吐く。
 カナリーも同様で、疲れたような表情のまま頭を振っていた。
「同感だ……認識偽装は、解けた時がある意味、一番効果が高いのかもしれない」
「俺さ、カナリーに聞きたい事があったんだよ」
 一拍おいて、シルバはカナリーを見た。
「この館にお前の父親がいる可能性。それと、父親の容姿」
「シルバの考えている通りだよ。僕も、キキョウの茶店での話とこの屋敷の主、二つを結びついてはいたんだ」
 まだ分かっていないヒイロ達に、シルバとカナリーは顔を向けた。
「つまり」
「例の子供、クロス・フェリーは本名をダンディリオン・ホルスティンって言って、つまり僕の父だ」
「えーーーーーっ!?」
 一番大きな声を上げたのはヒイロだった。タイランは驚きに小さく口を開き、シーラはよく分かっていないのか小首を傾げていた。
「で、でも、人間の子供……だったよね?」
 おずおずと、ヒイロが切り出す。
 そう、シルバやキキョウが街で見たのも、リフが出会ったのも人間の子供の姿をしていた。
 だがカナリーは、自分の丸くなっている耳を指差した。
「今の僕だって、同じだろう。そういう事さ」
「あ……変装だったんですね」
「じゃあ、本当は大人の人なんだ」
「…………」
 カナリーは気まずそうに、ヒイロから目を逸らした。
「あ、そこはそのまんまなんだ」
「わ、若作りでいいじゃないですか」
 タイランのフォローも、カナリーには大した慰めにはなっていないようだった。
「……モノには限度ってモノがあるだろう。そりゃ、クロスなんて偽名を思いついてもおかしくないさ。おそらく、消えた彼の名付け親は、僕の父だったんだろうから」
『あー……』
 どこか納得したような、キキョウの念波がシルバ達に届いてきた。
「どうした、キキョウ」
『ジェントで言う、{○/マル}と{×/バツ}なのだな。こちらの国ではバツはクロスとも呼ばれるのだ。元ネタ、というのはそういう意味だったのだろう』
「……父は、ジェントかぶれでね」
『分身の術や鬼面は、それか』
「うん、間違いなく」
 そしてカナリーは、ホールの隅に座らされている、ロープで縛られた金と銀の従者達を見た。
「君達を見た時点で、思い出すべきだったよ。オーア、アージェント。君達がフードで顔を隠していたのは、その為か。認識偽装は、隠しているモノの手掛かりが多くなると解けやすくなる」
 もっとも、二人はそれには答えない。
 代わりに、シルバとネイトが口を開いた。
「同時に、カナリーのお父さんが鬼面で顔を隠していたのもな」
「そもそも、最初にシルバが見かけた時以外、カナリーの前には現れていないだろう? 影世界に潜ったのは、カナリー君をそちらに集中させて足を止める為。鬼面も念入りに顔を隠す為だったという所だな」
「……本当に、無駄な所に全力を注ぎ込む人だ」
 これまでで一番深い溜め息を、カナリーは吐いた。
 一方、ヒイロは焦った様子で、大時計を指差していた。
 ダンディリオン・ホルスティンが指定した制限時間の残りは、あと十分を示していた。
「そ、それよりも、そろそろ動かないと間に合わないよ? 時間もうないんでしょ?」
「ん、まあそうだな。まずは移動と」
 シルバは左の棟に向かって歩き始める。
 そして、そのままネイトを経由して、キキョウ達に念波を送った。
『キキョウ、リフ、犬を一カ所に集めておいてくれ』
『む?』
『りょうかい』
「どゆ事?」
 浮遊板に乗ったまま横に並んだヒイロが、シルバを不思議そうに見上げる。
「キキョウが外に飛び出た時、四方に番犬を配置して見張りに立てたって言っただろう?」
「うん」
「でも、パーティーの時、メイドのアニーが運んでた餌皿は三つだったんだ」
「持ち運べなくて、もう一つ運んでたんじゃないの? それに、ボク達が探してるのは、カナリーさんのお父さんでしょ?」
「もちろん、ヒイロの言い分は大いにありえる。けど、上位の吸血鬼なら、変身能力があるんだ。蝙蝠とか狼とか。こっそり犬に化けてるかもしれないって話」
「はー、先輩、よく知ってるねそういうの」
 感心したような顔をするヒイロに、シルバは何とも言えない表情をした。
「……お前、俺が聖職者だって事、時々忘れるだろ」
「えへへ、たまに」
「んで、もう一人の銀色に関しては――」
「分かってる。僕達の仕事だね」
 カナリーが言いながら、ヒイロの腕を取った。
「え?」
「シルバについていきたい気持ちは分かるけど、ヒイロとタイランは、僕と一緒に別行動だ」
「何で何で? 何かアテがあるの?」
 手をばたつかせるヒイロに、シルバが答える。
「あるというか、作るんだよ。足音感知の魔術を封じなかったのは、そういう理由だし。それと、ヴァーミィとセルシアは、俺と一緒でも魔力が届くのか、カナリー?」
「ちょっと距離的に厳しいね。二人はここに置いて、モンブランの方がいいと思う」
「ガ?」
 金と銀の従者、オーアとアージェントを見張っていた重甲冑、モンブラン十六号が振り返る。
「お前も、見張りより動いている方がいいだろう?」
「ガガ! 運動不足ヨクナイ! 肥満ノ元!」
 やはり身体を動かす方が好きなのか、モンブランが喜びの声を上げる。
「……あの、その身体は太りませんよね?」
 控えめにタイランが突っ込むが、モンブランには届いていないようであった。


『足跡感知』の術は、正確に司祭達が反対の棟に向かったのを知らせていた。
 ならば、しばらくは安心出来る。
 そう、マール・フェリーは考えた。
 もちろん、足音の鳴らない存在――例えば、奇妙な板に乗った女の子や、恋人の話にはなかった精霊など、動きの予想が出来ない相手はいるが、彼らは気配を消す事にはまだ、慣れていないようだし何とかなるだろう。
 ――そう踏んだのが、命取りだった。
「こんな夜分遅くに、散歩ですか。マール・フェリーさん」
 音もなく、背後を取られた。
 振り返ると、そこには足をわずかに宙に浮かせた、青いローブの女魔術師が立っていた。
 しかし、彼女の本名は、エクリュ・ヘレフォードなどではない事を、マールは知っていた。
「あら、カナリーさんこそ、お疲れ様です」
 頭のフードを取りながら、マールは答えた。
「やっぱり、父は気付いていましたか」
「ええ、最初は本当に、カナリー様のお仲間のお顔を見てみたいだけだったようですけれど、貴方も変装して紛れていたのを見て、いつもの稚気がもたげてしまったようですわ」
「……あの人は、本当にこういうのが好きだな」
 うんざりと溜め息を吐く、カナリーであった。
「……カナリーさんも、人の事言えないけどね」
「う」
 カナリーが言葉に詰まる。
「うふふ……とてもよく似ていらっしゃいますわ、その女装」
「……どうも」
 困った顔をするカナリーに対して笑みを崩さないまま、誘い込まれたのね、とマールは悟った。
 ほとんどの人間が逆方向に移動したのだからこそ、マールはこの棟に潜む事を選んだ。それを逆手に取り、彼らはこの棟に狙いを絞って、足音の立たないチームを派遣したのだろう。
「あーいたいた」
 マールの想像を裏付けるように、後ろから浮遊する板に乗ったポニーテールの女の子と、青い燐光を放つ精霊の娘が近付いてきた。
 これはもう、逃げられないと判断するべきだろう。
「それにしても、よく出来ていますわね。特にその胸とか」
「パル帝国の最新技術ですよ。あの国では諜報活動にも力を入れていましてね。そ、それよりその衣装はわざわざ、用意されたのですか」
 何だか無理矢理話を変えようとしている風なカナリーだったが、マールは特に反対はしなかった。
 自分の羽織る銀色のローブを、摘んでみせる。
「ええ、いい仕立て屋が知人におりますの。急仕立てにしては、割とよく出来ているでしょう?」
「ええ、素敵な寝間着だと思いますよ。確かにルールには反していない。あの人は、自分はプライベートな部屋には入らないとは言ったけど、貴方は違いますしね……なるほど、ネイトが言っていた通り、これは酷いペテンのゲームだ」
 ネイトという名もマールは知らないが、おそらくはカナリーの仲間なのだろうと推測は出来た。
「ええ、私の家ですもの。それにこの服も結構気に入ってますのよ。……それにしても、よく私が二人目と、分かりましたわね」
「声を上げかけたのは、失敗だったと思いますよ。アレで、ウチのリーダーは何の術が使われているかを確信したそうです」
「ふふ……まさか、本当にオバケが出るとは思いませんでしたもの」
 マールはチラッと、後ろにいる少女型の精霊を振り返った。
「わ、私、オバケじゃないんですけど……」
「……まー、霊の類ではあるよね」
 板に乗った少女、確かユシアと言ったか、彼女の言葉に、精霊は身体を縮こませる。
「はじめまして……というべきかしら?」
「え、あ、その……」
「そうですね。モンブランと言います」
 サラッとカナリーが言うと、何故か、言われた精霊の方が驚いていた。
「モンブラもが!?」
 その口を、ユシアの手が塞ぐ。


 ちなみにこの時、カナリーはタイランに念波を飛ばしていた。
『……出来れば、中身は割られたくないだろう? ヒイロが乗っている浮遊板といい、どちらもウチの父のデータになかったのが、トリックを看破出来たキッカケでもあったんだし。この辺は、マールさんには悪いがシラを切り通そう。……父は見抜きそうな気がするけど』
『は、はい』


「ともあれ、そろそろ眠りの精が訪れた頃だと思いますが?」
 カナリーの提案に、マールも異存はない。
 見つかってしまえば、自分のゲームはここで終了、とダンディリオンにも言われている。大人しく、部屋に戻るべきだろう。
「言われてみれば、少しウトウトしてきましたわ。寝室までエスコートして下さる?」
「喜んで。頼もしい護衛もいますし」
「どーもー」
 ユシアが元気よく手を上げる。
「ああ、マールさん。ついでに一つ聞いておきたいんですけど、この家の番犬って、何匹いるんですか?」
「番犬の数ですか? 普段は三匹ですけど……」
 マールの口元が綻ぶ。


「何……だと……!?」
 中庭に出たシルバは絶句した。
 キキョウの話では四匹だったはずの犬が、そこら中にいた。
 明らかに番犬とは思えない、でっぷりとした大型犬や子犬も混じっている。
 とにかく、夜の中庭に何故か、大量の犬が動き回っているのだ。
「ガガガ……多イ! 犬、多イ!」
「目算で三十匹。吠える声から、見えない範囲にその数倍と推測される」
 シルバの後ろで、モンブラン十六号とシーラも、とりあえず様子を見ている。
 芝生を踏む音と共に、こちらに向かってくる二つの人影は、キキョウとリフだった。
「シルバ殿!」
「にぅ……」
「キキョウ、リフ、お疲れ。それはともかくどうなってんだ、これ!?」
「う、うむ。ついさっきまでは、数匹しかいなかったのだ。数分前、突然数が増えた。某の想像では、おそらくはこの臭い……何らかの薬品を嗅がされて眠らされていたのであろう」
「……種類、ばらばら」
「年齢も性別もバラバラである」
「うん、その辺は俺にはよく分からないけどな」
 まあ、子犬か成犬かとか、大雑把な種類ぐらいならまだしも、具体的な年齢だの性別になるとお手上げなシルバであった。
「割と個性的だと思うのだが……」
「にぅ……人間にはむずかしいかも」
 獣系の二人には、ごく普通に分かる事らしい。
「全部で、何匹ぐらいいるんだ?」
「ふぅむ、軽く、一〇〇を越えると見てよいと思われる。幸いな事にほとんど皆従順な性格故、集める事自体は難しくないが……」
「に……この中に、あの子が化けてる?」
 うん、とシルバはリフに頷いた。
「こういう小細工をしてくるって事は、ほぼ間違いないと思う。これ自体がハッタリで実は全然別の場所に隠れてました……ってのも可能性としてはあるけど」
『――父の性格からして、これは挑戦だと思う』
 突然放たれてきた念波に、シルバは思わず建物を振り返った。
「カナリー?」
『こういう仕込みをしておいて、それを無駄にするような人じゃない。見つけられるモノならやってみろ。それは、そういうメッセージと受け取っていいと思う。あと、足跡感知の魔術はこちらで解除しておいた』
「ありがたい話だけど、この中からかぁ……」
 シルバは、途方に暮れた顔で犬達を見やった。
 人懐っこい何匹かが、シルバや他の皆の足にすり寄ってきている。
「……ま、他に探す当てもないし、やるしかなさそうであるな」
「にぅ……でも、手分けしても大変」
「……んー」
 シルバは少し考え、懐に手をやった。
「出来るかどうか分からないけど、一つ手がないこともないかな。とにかく二人はここに犬達を集めてくれ」
「承知」
「に」
 キキョウとリフは頷くと、あっという間に彼方へ去っていった。
 建物広いもんなぁ……と考えていると、肩を太い鉄の指がつついてきた。
 モンブランだ。
「ガ! 我ハ何ヲスレバイイ!」
 何だか、やる気だけは充分のようだ。
「……んじゃ、牧羊犬の真似事でもするか? 追い込むのも犬なんだけど」
「ヤル!」
 言うが早いか、無限軌道を回転させ、モンブラン十六号も犬を集めに走っていった。
「やれやれ」
 シルバは頭を掻き、残ったシーラに振り返った。
「シーラは待機モードで」
「分かった」


 シルバ達の状況を聞き、カナリーは難しい顔をマールに向けた。
「……やってくれましたね、マールさん」
「ふふふ、夕方からの大急ぎな仕込みで大変でしたわ。知り合い中に声を掛けましたの」
「……うわぁ、何かすごく見覚えのある笑顔」
「……で、ですね」
 ヒイロとタイランが評するマールのその表情は、もうこの世界にはいない青年のものに、とてもよく似ていた。


 月が出ているとは言え、中庭はそれなりに薄暗い。
 そんな中、大勢の犬が集まった様は、一種異様な雰囲気だった。
 何せ、そんな薄暗がりに、無数の瞳が爛々と輝いているのである。
 ……一斉に襲われたらひとたまりもねーな、と思うシルバであった。
「これで全部?」
 シルバの確認に、キキョウとリフが頷く。
「左様。隠れている者はいないはずである」
「に……いっぱい」
「目算で百二十匹いる」
 シーラのカウントは一見大雑把なようで、実は正確なのをシルバは知っている。
 それはそうと、リフが少し怯えるようにシルバの背後に隠れたのが気になった。
「ん? リフ犬苦手か?」
 だとしたら、酷な命令だったかも知れないが、頼んだ時にはそんな様子もなかったのに。
「にぅ……苦手じゃないけど……みんな話しかけてくるの、困る」
 そういうリフの足下には、何匹かの子犬がじゃれていた。
 シルバはキキョウの方を向いた。
「もてもて?」
「……うむ」
 そして、そのキキョウの足下にも、お預けを食らっているような犬達が、何匹か尻尾をパタパタさせていた。
「犬と猫の禁断の愛か。……深いな」
「ガガガ! 時間ナイ! げーむ負ケルノハ嫌ダゾ、我!」
 モンブランが騒ぎ、シルバは目的を思いだした。
「おう、そうだったそうだった。それじゃ、判別と行きますか、カナリーのお父さん!」
 シルバは、犬達に声を掛けた。
「ぬ、シルバ殿、どうするつもりだ?」
「影世界でカナリーがリフに言っただろ。発想を変えてくれって。これもまあ、その応用というかだ」
 その為にはまず、犬達に話を聞いてもらわなければならないのだが……。
 さすがにこの数である。
 何十匹もの犬達が好き勝手に吠え、かなり騒々しかった。
 まずはこれを宥めなければならない。
「まあ、騒がず聞いてくれ……って、キキョウ、通訳頼めるか?」
「う、うむ……出来ぬ事はないが……」
「ん?」
 何だかキキョウは恥ずかしそうにしていた。
「いや、普通に喋るよりも、犬語の方が伝わりやすいのだ。そしてそれは某もそこそこ使える。だがしかし、シルバ殿。決して笑わぬように」
 念押しされてしまった。
「はぁ……まあ、とにかく静かに聞いてくれるよう伝わるなら、なら何でもいいけど」
「よ、よし。では始める」
 コホン、と小さく咳払いをして、キキョウは大きく声を上げた。
「わんっ!」
「ぬおっ……!?」
 その響きは、まるっきり犬の鳴き声であった。
 しかし一回吠えるともう吹っ切れたのか、キキョウは顔を真っ赤にしながら犬達に語り続ける。
 すると、それに応えるように犬達も吠え始める。
「わわわん、わん、わぉん! わぅ、わん、わぅん!」
「にぅ!?」
 犬達が何を言ったのか、シルバの後ろでリフがビクッと震えた。
「わん! わぉん、わん!」
 犬達はなおもリフに向かって吠え続ける。
「え、何? リフが何で慌てる訳!?」
 リフは、シルバの腰にしがみついてきた。
「に、しずかにしてやるからリフと散歩させろって言ってる……今、キキョウがみんなを説得中……」
「……もてもてだ」
「もてもて」
 シルバの呟きに、シーラも同調する。
「にぅ……困る」
「わうっ!」
 ともあれ、キキョウの説得が効いたのか、最後の一鳴きで犬達は一斉に沈黙した。
「お、静かになった」
「うむ……パーティーの残飯で手を打った。もっとも、餌をやるやらないの飼い主との交渉は、マール殿にお任せする事になるが」
「……とにかく、静かになったならいいや。キキョウ、ご苦労さん」
「う、うむ! お安いご用である」
 誇らしげに、鼻息を挙げるキキョウであった。しかし凛とした態度とは裏腹に、尻尾は思いっきり左右に振れていた。
「んでまー、あれだ。この中に一匹だけ、本物の犬じゃない奴がいる!」
 シルバは、犬達に向かって大きく宣言した。
 犬達に人の言葉は一応分かるようだが、特に反応はない。
「シ、シルバ殿。その台詞で、相手が反応してくれるとよいが……」
「いいんだよ。――名前はダンディリオン・ホルスティン!」
 構わず、シルバは言葉を続けた。
 そして袖から出した透明な札をかざすと、犬達を透かしてみせた。
 まずはリフの足下でじゃれる子犬達、キキョウの前で整列する成犬、そして待機状態にある百数頭の犬達……。
 札の絵柄は基本的に、大きく二種類に変化を繰り返していた。
 発想の逆転だ。
「『戦車』、『力』、『戦車』、『力』、『力』、『力』、『戦車』、『力』……吸血貴族であり、この館の主、マール・フェリーの『恋人』は……!?」
 シルバの大きな声が、夜の中庭に響く。
 シルバの試みは、発想の逆転だ。
 相手を見て札の絵柄を変化させるのではない。
 相手の変化で札を変化させるのだ。
 犬達には一見何の動きの変化もない。
 だが、その中のたった一匹、彼のほんのわずかな心の揺れはシルバの無意識に呼応し、絵柄を変化させていた。
 男女の描かれた――『恋人』の札だ。
 シルバはかざしていた手を止め、叫んだ。
「――いた、キキョウ、リフ走れ!」
 ほぼ同時に、キキョウとリフは飛び出していた。
「わんっ! ……ではない、しょ、承知!」
「にぅ!」
 犬の一匹が、身を翻して逃げ始める。
 色が闇に溶けて見失いそうになるのを、シルバは目を凝らして追いかける。
「真っ直ぐその先の……黒い子犬! 逃がすな!」
「に、回り込む!」
「逃がさぬ!」
 リフがグルッと迂回し、直線的に追うキキョウと挟み撃ちにする。
「ガガ! 我モ追ウ!」
 立ったままなのに我慢しきれなくなったのか、モンブラン十六号も追撃を開始した。
 キキョウとリフも相手を確定出来たようだし、もう札での判別も必要ないだろう。
 となると、シルバが打つのは次の手だった。
「シーラ、準備。相手が吸血鬼だって事を考えると、このままだと逃げ切られる可能性がある。手伝ってくれ」
「――了解」


 一方小さな黒の子犬は絶体絶命だった。
「よし、捉えた!」
 後ろから追ってきた狐獣人――キキョウはもう、手を伸ばせば届く距離まで来ていた。
「なかなかやるね! だけど――」
 突如子犬は人語を喋り出し、その手をすり抜けた。
「なぬ!?」
「――霧化さ。そして、これならどうかな!」
 一瞬黒い霧に化けた子犬はそのまま空へ舞い上がり、黒い燕尾服を着た金髪紅瞳の美少年に変化していた。
 一気に10メルトほどの高さまで昇り、足下のキキョウらを見下ろす。
「ぬうっ! 空に逃げるとは卑怯千万!」
「あっはっは! でもルール違反じゃないよ! この通り、敷地の外には逃げてない!」
 そのまま楽しそうに手を叩く、クロス・フェリー否、ダンディリオン・ホルスティンであった。
「それにしても見事だよ、少年。あんな見破り方が……って、あれ? どこに消えた?」
 司祭の少年、シルバが立っていた位置には誰もいない。
 ただ、シーラと言ったか、シルバの傍らに控えていた、赤いドレスを着た色白の美少女はダンディリオンを見上げていた。
 実家経由でカナリーから聞いた話には、存在しなかった少女だ。
 警戒すべき相手かな、と思ったが、その思考は横から迸った紫電によって断ち切られた。
「おっと」
 間一髪、空中で一回転して回避したダンディリオンは、屋敷の屋根に立つ白いマントを羽織った金髪紅瞳の美青年の姿を認めた。
「やあ、カナリー。久しぶりだね」
「久しぶりに会った子供に対する仕打ちとはとても思えないけどね――とにかく、話は捕まえてからにさせてもらうよ」
 指先から紫色の雷光を奔らせながら、憮然とした表情のカナリーは屋根の縁を蹴った。


 二つの雷光がぶつかり合い、派手な音と共に夜空に紫色の火花が飛び散った。
 直後、宙に浮いていた二つの人影は互いに弧を描くように旋回し、位置を入れ替える。
「へえ、ずいぶんと腕を上げたようじゃないか、カナリー」
「全部回避しながら言われても、嬉しくないね!」
 カナリーは再び指先から、雷撃を放った。
 しかしダンディリオンは、今度は術すら使わず、手で受け止めた。
「術の精度が上がった所で、意外性がないからね。君の使っている術は、以前僕が見たモノばかりだ」
「だったら――」
 ニィッとカナリーは笑った。
 それを怪訝に思ったダンディリオンは、眉を寄せる。
 その背後に、音もなく太い武器を持った何者かが浮かび上がった。
「これでどーだ!」
 浮遊板に乗ったヒイロが、大上段からの骨剣攻撃をダンディリオンの脳天目がけて振り下ろす。
「おおっとぉ!?」
 しかしその攻撃の手応えはなく、ダンディリオンはいなかった。
 ヒイロは左右を見渡す。
「避けられた!?」
「霧化だ、ヒイロ。普通の攻撃はあの男には通じない」
 その言葉通り、カナリーとヒイロのちょうど中間辺りに細かい無数の粒子が集い、再びダンディリオンの形を取った。
「ちょっとカナリー! 実の父親をあの男呼ばわりは酷いんじゃないかな!?」
「うっさい! 僕だけならともかく、友人まで巻き込んで寝不足に追い込む人なんて、あの男で充分だ!」
 拗ねた表情で抗議する父親に、娘は連続した雷撃魔術で返事を返した。
「おっ、とっ、たわっ!? っていうか二人がかりって言うのはちょっと卑怯じゃないかなぁ?」
 蝙蝠にも似た素早い旋回で、ダンディリオンは娘の紫電を器用に避けていく。
「それを承知でゲームを提案したのはそちらだろう」
「カナリーちゃん冷たい!」
「ちゃん付けで呼ぶな!」
 一際太い雷撃が、ダンディリオンを直撃する。
「ま、カナリー以外はどうにかなるから――ね!」
 カナリーの魔術を受け止めた手から白煙を立ち上らせながら、ダンディリオンは後ろを振り返る。
 そしてその紅瞳を輝かせながら、ヒイロと目を合わせた。
 異性を魅了する瞳を直接受けたヒイロは――
「むんやぁっ!!」
 ――構わず、骨剣を横薙ぎにぶん回した。
「って何で魅了が効かないのーーーーーっ!?」
 胴体を骨剣に分断され、上半身と下半身、二つに分かたれながら、ダンディリオンは動揺した。
 自慢じゃないが、魅了の術は自分の得意技の一つなのである。
「データにない攻撃には弱いようだな、ダンディリオン・ホルスティン」
 これまでに聞いた事のない鈴のような響きの声に、彼はハッと我に返った。
 そして、ヒイロの肩に乗る、黒い男装の娘に気がついた。
「む……! 美人!」
「ありがとう。しかしシルバ以外に言われても、特に私の心には響かないな。ともあれ、魅了の類は現状、私が全て無効化している為、今のヒイロには一切無駄だ。諦めてくれ」
「こんな人、僕は聞いてないよ、カナリー!?」
「教えてないからね」
 シラッと答えるカナリーであった。


 空中での激しい戦いを、中庭のキキョウらは犬達と一緒にただ見上げるしかなかった。
 そこに、館の中からタイランが出現した。
「や、やっと追いつきました」
「ぬう、タイランも加勢はしてくれぬか? あの高みでは某達ではどうにもならぬ」
「にぅ……跳べるけど、飛べない」
 尾を増やしたり霊道を用いる事で、頭上の戦いに一瞬だけ参戦する事は出来る。
 しかし、その後は落下するだけであり、カナリーのように自在に空を飛ぶ事も、ヒイロのような浮遊アイテムも彼女らは有していないのである。
「わ、私も飛ぶ事は出来ますけど……激しい運動はちょっと」
 タイランの問題点は、そこだった。
 その気になれば普通に戦う事だって、タイランには出来る。
 だが、それは力の波動を母国に知られる可能性が高く、追われる身である彼女にとっては望まぬ結果を生んでしまうのだ。
「シルバ殿との合体は?」
「あの……その、シルバさんが見あたらないんですけど……」
 困ったように周囲を見渡し、タイランはシルバの留守を指摘した。
「う、うむ。どこに行ったのか、シーラ、知らぬか?」
 実は、キキョウやリフも知らないうちに、シルバは消えたのだった。
 そして、シーラは無表情に答える。
「知っているけど、教えちゃ駄目と主から言われている」
「何!?」
『キキョウは割と顔に出るからなー』
「シルバ殿!?」
 シルバの念波が届き、キキョウは慌てて周囲を見た。
「に……スカートの中にはいない」
「いない」
 リフに赤いスカートの中を覗かれ、シーラは裾を直した。
『んなトコに隠れてないっての。それより、タイランにも出来る加勢の仕方があるんだけど、ちょっと手伝ってくれるか?』
「は、はぁ……」
 困惑しながらも、タイランは了承するのだった。


 一方カナリーは、新たな術を口の中で唱え始めた。
「霧になって逃れるのならば……!」
 ダンディリオンに突きつけた指の先が、白く輝く。
 冷気が集い、一気に解き放たれる。
「氷結系か! これはちょっと意外だった!」
 煌めく吹雪を、ダンディリオンは紫電を纏う手の一振りで一蹴した。
「……!?」
「ふふふ、データにないって言っても、行動の予測が出来ない訳じゃないよ。霧化対策の、更に対策ぐらいは積んでるさ。もっと僕の意表を突いてくれなきゃ。さあ、残り一分って所だけど、他に僕を楽しませてくれる面白い手はあるかな?」
 懐から取り出した懐中時計を確かめ、ダンディリオンは空中で楽しそうに一回転する。
「――ないでもないさ」
 そう答え、カナリーは自分の胸元に魔力を集中させる。
 紫色の雷球がそこに生じ、連続した高い音が発生する。
「ふむ、正攻法かい。それはちょっとどうかなぁ。そっちの子も――」
 ちょっと残念そうな表情のダンディリオンは、ヒイロを見た。
 彼女の方も先刻と同じ、大振りの一撃をダンディリオンに食らわせようとしていた。
 もちろん、その攻撃は霧化の可能なダンディリオンには――
「――だはぁっ!?」
 思いっきり効いて、彼は吹っ飛ばされた。
 キリモミしながら墜落しそうになるのを、何とか空中で制御する。
「うーっし、効いた効いた♪ もういっちょいくよ、タイラン!」
「は、はい!」
 ヒイロの骨剣に青い燐光を纏わせたちびタイランは、ネイトとは反対の肩に乗った。
 水属性を得た骨剣は、霧状になったダンディリオンにも、それなりに効果があったようだ。
 だが。
「ってこらヒイロ! せっかく偽名を使ったのに本名呼んでどうするんだ!」
「あ、ご、ごめん!?」
 カナリーに叱られる、ヒイロであった。
 一応、タイランが重甲冑の中身である事は、この館の主であるマール・フェリーにも秘密にしていたのに、これでは意味がない。
 もっとも相手もそれどころではなかったようだ。
「せ、精霊体! なるほど、それなら霧になっても……」
 初のダメージに動転し、だがそれでもダンディリオンは別方向からの敵意に勘付いたのは、さすがは長年の勘と言うべきか。
 それは、ダンディリオンの真上から来ていた。
「しまった、牽制……!」
 赤いドレスの少女が、いつの間にかそこにいた。
 そう、派手なカナリーの魔術演出と、ヒイロの攻撃に注意を奪われ、さすがの彼も気付けなかったのだ。
「――予想よりコンマ二秒反応速度が速い」
 手の平から低い音を立て、赤いドレスの少女、シーラは衝撃波を放った。
「ちぃっ!」
 ダンディリオンは全力でその嵐のような波動を回避する。
 燕尾服の裾はボロボロにしながらも、かろうじて無事に衝撃波を逃れ、彼は深く息を吐いた。
「あーもうビックリした。けど、さすがにもう――」
 ダンディリオンに同じ攻撃はほぼ、通用しない。
 彼女の攻撃も次来ても、と見上げると。
「…………」
 シーラは、何かを呟いた。
「え?」
 その声は、ダンディリオンのみ身を以てしても聞き取れなかったが、彼女は「{解放/リリース}」と呟いたのだった。
 そして、いつの間にかシーラが手に持っていた札――『教皇』の絵札から、司祭服の少年が出現した。
「――な」
 完全に、予想外の出来事に、一瞬ダンディリオンの頭が真っ白になった。
 何故札の中から出現とか、そもそも少年――シルバ・ロックールは人間であり、このまま避けられたら自由落下で死ぬんじゃないかとか。
 そんな事にお構いなしにシルバは身体を反転させ、自分が出て来た札をシーラから受け取り、さらに回転。
「{封鎖/シーリン}」
 札を、ダンディリオンに押し当てようとする。
 とっさに霧化で逃れようとしたダンディリオンだったが、遅かった。
「…………」
 霧化した身体ごと札に吸い込まれたダンディリオンは、『皇帝』の絵札の上に小さく出現したのだった。
「封印、完了」
 呟き、シルバは地面に向かって落下していく。
 その身体に、軽い衝撃が走った。
 もちろん、地面はまだ遥か下方だ。
 彼をキャッチしたのは、先に回り込んでいたヒイロだった。
「お姫様だっこ~♪」
 シルバを抱え上げながら、浮遊板に乗ったヒイロはクルクルと回った。
「……俺が姫かよ」
 抗議はするものの、シルバもこの状態では下手に暴れる訳にもいかない。
「例の像を使えば、僕は割と絵になると思うけどねぇ」
 なんて事を呑気に言いながら、カナリーもヒイロに近付くのだった。


「すまぬな。こんな時間に連れ出して」
 深夜の廊下を、キキョウは寝間着姿のアニーを連れて歩いていた。
「うぅ……いえ、お気遣いなく……依頼したのはわたしですし……」
 まだ眠たげなアニーは枕を抱いたまま、軽くアクビをしながら目を擦っている。
「うむ。ほぼ完全に決着がつきそうであるし、直に見た方がより納得するであろうと思ってな」
「お気遣いありがとうございます。あの、でもその正体って……」
 声に不安そうな響きを感じ、キキョウは振り返って微笑んだ。
「心配いらぬよ。化生であれど無害である。何かあれば、某が守る故、ご安心下され」
「は、はい……!」
 枕を強く抱きしめ、アニーは顔を赤らめる。
 キキョウは前に向き直すと、ブツブツと不満そうに呟いた。
「むぅ……こういう役回りは、どうにも納得がいかぬぞ、シルバ殿……」


 T字路の中央に、青白い燐光を纏った少年が立っていた。
 その前に、司祭姿の少年――シルバ・ロックールがしゃがみ込んでいる。
「――それで、どうして毎年、この時期に現れるんだい?」
「ここは、僕とママが住んでたんだ。でも、いつの間にか新しいおうちが建っちゃった……」
 シルバの優しげな声に、少年は涙目を擦りながら応じた。
「なるほど……そういえば、この辺は古戦場だったと聞く。戦災に巻き込まれたんだね」
「よく分かんない……ママに会いたい。ママの誕生日なんだ……ママ……」
 悲しげな幼い声が廊下に響く。
「ああ、それでこの時期なのか……」
「迷惑掛けてゴメンなさい……もう出ないよ……」


 と言うようなやり取りを、キキョウとアニー、それに館の主であるマール・フェリーはこっそりと覗き込んでいた。
「と言っているが、どうする、アニー嬢」
「ううう……そ、そういう事情だったんですかぁ……」
 涙をボロボロ流しながら、アニーは鼻声を上げていた。
「ぬぅ……」
 あまりの絶大な効果に、むしろ仕掛けたキキョウやマールの方が怯んでしまう。
「マ、マール様……この子、可哀想すぎます……! 少しぐらい、彷徨うぐらい許してあげましょうよう……!」
「別に私は反対した覚えはないんだけど……」
 頬に手を当て、少し困ったようにマールも微笑んでいた。


 涙の止まらないアニーを連れて、キキョウらが去っていくのを確かめ、シルバとダンディリオンは演技をやめた。
「……っていうか、こんな三文芝居が何で通じるんだ」
 シルバは頭痛を堪えるように手を額に当て、首を振った。
 ちなみにカナリーやヒイロらは、犬の世話で大忙しでいる。
「涙もろいからねぇ、アニーちゃん♪」
「うう、良心の呵責が……」
 そもそも、今日初めてこの地を訪れたシルバが、この土地が以前古戦場だったとか、そんなの知ってる筈がないのである。もちろん、そこは完全にでっち上げだ。
 だが、ダンディリオンはあっけらかんとしたモノだ。
「ともあれ、これで一応は依頼は解決でしょ? 正体はちゃんと突き止めたんだから」
「……大嘘ですけどね」
「ん、んー。まあ普通に退治される演技でもよかったんだけど、来年以降の事も考えるとねー」
 という事は、来年も変わらずこの館を訪れるつもりでいるらしい。
「そこを自重するのが大人だと思うんですけど……?」
「愛に子供も大人もないよ、将来の娘婿君」
「誰が婿ですか」
 真面目に考えれば、一応知られているとは言え、今のマールの立場で吸血鬼が出入りするのはあまり喜ばしいモノではないだろう。
 騙す形になるとはいえ、ここは関係者全員にとって、黙っておいた方がいいだろうとシルバも思う。
「っていうか、性別バレてるの前提ですか」
「うん。君達の様子を見てれば、分かるよ。自慢じゃないけど、伊達に何人も愛人を作っていないしね」
 えへん、と胸を張る、ダンディリオンだった。
「本当に自慢になりません……!」
 どうして俺の周りにはツッコミが必要な人ばかりなんだ、とシルバは内心叫ばざるを得ない。
 まあ、そんな事をしたって事態は進まない。
 とりあえず、みんなリビングに集まる事には決まっているのだが、歩きながらふと思い出した事を、ダンディリオンに聞いてみる事にした。
「あ、そうだ。一つ確かめたい事があるんですが」
「何かな。カナリーのスリーサイズ?」
「……命知らずですね」
 むしろ娘のそれを知っているのか、とシルバは内心で突っ込む。
「ん? 実際、ノーライフキングだよ?」
「……そういう意味じゃないんですが。とにかくですね、俺はともかく茶店でキキョウを試したみたいな真似をしたのは、一体何だったのかなと。アレは別に必要ないでしょう? いや、素性を謎にしたかったなら、むしろ余計な事だったと思うんですけど」
「あー、そうだねえ。君とは別の意味で興味があったからかなぁ。怖い顔になってるよ、婿君」
「婿君じゃないですから」
 ギギギ……と無理矢理笑顔を作りながら、シルバは小柄な年長者に義理堅くツッコミを入れた。
「ま、ぶっちゃけると、君に次いで、実家から伝え聞いた話の中で登場してたからね。うん、娘のライバルは見定めておかないとと思いまして♪ いやぁ、軽いモノとは言え、まさかあんなにあっさり魅了を解かれるとは思わなかった。精神の支えとなる対象への想いが強いというか、確かに強敵だよねぇ」
「何でそこで俺を見るんですか」
「何でだろうね?」
 ニコッと天使のような微笑みを浮かべるダンディリオンであった。
「で? カナリーはお気に召さないかな? 親の目から見ても、かなりイケてる方だと思うけど」
「……どういう答えを期待しているんですか」
 無邪気にとんでもない事を訊ねる少年(?)に対し、シルバは明確な答えを避けた。
「ふふふ、どういう答えを期待していると思う?」
「というか答えに困る質問ばかりしないで下さい」
「ま、あの子を泣かせるような事がなけりゃ、僕は細かい事は気にしないけどね」

「……僕を一番泣かせているのは父さんだろう」

 静かな怒りを秘めた声が、二人の背後から聞こえた。
 そして紫色の光が、廊下を明るく照らす。
 直後、ダンディリオンは素早くシルバの前に回り込んだ。一瞬前まで彼の立っていた場所を、紫電が貫く。
「うひゃあっ!? ちょ、お、屋内で雷撃はどうかと思うなぁ、僕!」
「……妙な事を、シルバに吹き込まないでくれるかな?」
 全身から紫電を迸らせながら、金髪紅瞳の貴公子は父親と距離を詰めてくる。
 だが、自分が悪い訳でもないのに脂汗がダラダラと流れるシルバとは逆に、ダンディリオンはまるでお気楽だ。
「いや、親としては娘の幸福を一歩リードしてもらいたいというか、あの元気な鬼ッ娘とか小さな猫の子とかみんな、手強そうじゃないか」
「それが余計な事だって言っているんだ!!」
 カナリーが横薙ぎに手を振ると、紫の雷光もカーブを描いて父親を狙う。
「ひゃー、怖い怖い♪」
 むしろ楽しげに、ダンディリオンは必殺の雷撃を跳躍して避けた。
 そのまま軽快なステップで、一足先にリビングに向かっていった。
 ……シルバとカナリーは顔を見合わせると、同時に大きく息を吐き出した。
「……ゴメン、ウチの親が妙な事口走って。気にしないでくれると助かる」
「分かった。全ての一切を忘れよう」
 シルバは苦笑しながら、カナリーと一緒にリビングへ向かう事にした。
 並んで歩くカナリーも、苦笑いを浮かべる。
「……それはそれで、寂しいモノがあるなぁ」
「ややこしいっつーか、複雑だわな、そこは……」


 それからシルバ達は、広いリビングで話をする事になった。
 キキョウ達はまだ戻って来ないので、シルバとカナリーの相手をするのは、ダンディリオンとマールである。
 シルバ達は、旅の目的を、ダンディリオンに話した。
「へえ、乗り物をねえ。実に興味深い」
「……付いて来る気じゃないだろうね、父さん」
 愛人であるマール・フェリーの膝の上に座る父親を見る目は、もはや氷点下の域に達しているカナリーであった。
「駄目?」
「可愛く言ったって駄目だ!」
 目を潤ませ、小首を傾げるダンディリオンをカナリーは一蹴した。
「よし、こうなったら多数決で」
「シルバ、目を逸らすんだ。魅了の術を使う気だぞ。この人が本気になったら、男でもヤバイ」
「やるね、カナリー」
「それぐらい、お見通しさ。さあ、それよりも言っていた賞品を渡して寝るんだ。夜更かしは身体に悪い」
「吸血鬼の父親に言う台詞じゃないよねぇ、それ。あ、その前にその封印についてだけどさ、一つ何とかする方法知ってるよ?」
「マジで!?」
 それまで黙って親娘のやり取りに入れずにいたシルバは、身を乗り出した。
「うん、マジ。まあ、問題点があるとすれば……視力を失ったり、喋れなくなったり、腕力が赤子並になったり、子供産めなくなったりするんだけど」
「……いや、やっぱいいです。ありがとうございます」
 ソファに座り直すシルバだった。
「ま、その辺はリスク高いからねえ。やっぱ餅は餅屋って言うの? 呪いの類なら、そりゃルベラントの教皇さんが一番確かだよね」
 うんうん、と頷くダンディリオン。
 そこに扉がノックする音が響き、キキョウ達が入ってきた。
「シルバ殿、こちらの仕事は終了した。後はマール殿、よろしくお願いいたす」
 キキョウが頭を下げると、マールは頷いた。
「分かりましたわ。あら、そちらの二人はもうおねむのようね」
「むー……まだ起きれるよう」
「に……もう眠い。寝る」
 ヒイロとリフは、ウトウトしながら目を擦っていた。
 リフはそのまま眠たげにシルバに近付いたかと思うと、そのまま膝の上に倒れ込んだ。ついでにキキョウの尻尾がザワリと逆立った。
「……何で俺の膝で寝る」
 いや、分かってはいるのだ。
 つまり、猫の時の癖が出ている訳で。
「あああ、ね、寝ぼけちゃ駄目ですよぅ。えっと……ユシアとミル」
 取り繕うように、重甲冑のタイランがシルバの膝からリフを持ち上げる。
 ダンディリオンをソファに座らせ、マールも立ち上がった。
「ふふふ、お部屋にご案内いたしますわ。どうぞこちらへ」
「あ、ありがとうございます」
 マールに廊下に出るよう促され、タイランはペコペコと頭を下げる。
「二人はわたしが運ぶ」
 既に眠りに突入したヒイロとリフは、シーラが両脇に抱えた。
「あ、た、助かります」
 その光景に、シルバは何か死体を担いでいるみたいだな、などと不謹慎な事を考えたりしていた。
 そのヒイロの尻の辺りに、ヒョコッとちびネイトが出現する。
「ま、そういう訳でシルバ、おやすみだ。私もこの子らに付き添う」
「おう、よろしく頼む」
 そしてどうしたものかと迷うキキョウを、シルバは手招きした。
「ま、キキョウはサブリーダーでもある事だし、同席してもらう方向で」
「う、うむ」
 キキョウはそのまま、シルバの隣、カナリーの反対側に腰を下ろした。
「そ、それじゃ、私達は一足先にお休みなさい」
 タイランが律儀に頭を下げ、シルバは頷いた。
「うん、おやすみタイラン。明日は……んんー……寝るのがこんな時間だし、少し遅めに八時ぐらいにホール集合でいいかな」
「わ、分かりました。もう寝ている二人にも伝えておきますね」
 そして、扉が閉まった。
「さて」
 真面目な表情になったダンディリオンの仕切りで、話は戻る。
 と思われたが。
「時にキキョウさんだったっけ」
「ぬ?」
 いきなり、話が逸れそうだった。
「カナリーから聞いているよ。話によると君……」
「な、何であろうか……?」
「ジェント出身なんだってね! あの国の事をもっと詳しく教えてくれないかい!?」
 グッと、ダンディリオンはソファから身を乗り出した。
「は?」
「いや、僕も十回ぐらい通ってるんだけど、行けば行くほど奥の深い国じゃないか。ワビサビ神のごった煮カタナ鍛冶スシ浮世絵! ジェントは美人も多いね! 黒髪サイコー!」
「カ、カナリー……某はどうすればよいのだ?」
 呆気にとられるシルバとキキョウの視線に、カナリーは渋い表情を父親に向けた。
「……あのねえ父さん、僕達はこれでも忙しい身でね? 明日にはもう出発するんだよ。キキョウに徹夜をさせる気かい?」
「何なら交換日記からでも!」
「人の話を聞こうよ!?」
 懐から本当に手帳サイズのノートを取り出すダンディリオンに、カナリーがツッコミを入れる。
 なるほど、ジェントかぶれか、とシルバは納得した。
 そういえばさっきまでのゲームの間にも、鬼面やら分身の術やら、それっぽい言動があったような気がする。
「んー……キキョウ、とりあえずアレ出そう」
 それで、キキョウには通じた。
「ぬ、承知。貸すだけであるぞ?」
 キキョウが袖から取り出したのは、狐面であった。
「ほう! これは見事な狐面! 被ってみていいかな?」
「それは構わぬが……」
 もう既に、ダンディリオンは狐面を被っていた。
「この封印も解いていい!?」
「絶対駄目だ!」
 即座に、カナリーが父親から狐面を引っぺがした。
「ああ! カナリーの意地悪!」
「渡すから、もうちょっと大人しくしてくれ、父さん」
 カナリーは、ダンディリオンに狐面を返した。
「了解了解。それで賞品だけど、これ」
 言って、テーブルに置いたのは先程出した手帳であった。
「まさか、本気でキキョウと交換日記をする気ですか!?」
 しかし、ダンディリオンはシルバの問いに手を振った。
「あ、それでもいいけど違う違う。それは縮緬問屋の隠居として諸国を漫遊してた、僕の旅行記」
「……やっぱり日記じゃないですか」
 っていうかチリメンドンヤって何だ。
「色んな地方の情報が載ってるよ。それに、モンスターの事とか、魔法のアイデアとか、料理のレシピとか」
「料理、するんですか」
 とりあえず、手帳の中身を検めながら、シルバは訊ねる。
 なるほど、手帳は分厚く、かなりの読み応えがあった。
 間には付箋やら、シトラン共和国の劇団のチケットやら、思いついた物が片っ端から挟まれてもいるようだ。
「料理ぐらいするでしょう、普通?」
「…………」
 何となくカナリーを見ると、スッと目を逸らされた。
「どうしたのかなぁ、カナリー。怖い顔になっちゃってるよ?」
「何でもない」
 ニヤニヤと笑うダンディリオンに、カナリーは憮然とした表情で答える。
 手帳の内容をシルバの横から覗き込んでいたキキョウが、顔を上げる。
「しかしこれはかなり貴重なモノだと思うのですが、よろしいのか?」
「あ、いーのいーの。同じのもう三冊あるから」
 言って、ダンディリオンはシルバが持っている手帳とまったく同じ手帳を、懐から取り出した。
「何と!?」
「同じ霊樹から生成した紙を使ってる特製でね。書いた内容を自動的に他の手帳に複写する同調機能があるんだ。だからキキョウさん、交換日記――」
「結局そこにいくのか父さん!?」
「ま、これはこれでもらっておきます。旅の役にはなってくれそうですし」
 シルバは手帳を閉じた。
 強引にゲームに参加させられたが、勝った賞品という事は、間違いなく自分達のモノだ。遠慮はいらないと考える事にした。
「うんうん、役に立ってくれると、書いている僕も嬉しいかな。あ、これオウレンとの連絡にも使ってるから、そこはじっくり読まないでね?」
「誰?」
 知らない名前が出て、シルバはダンディリオンからカナリーに視線を移した。
「……うちの母さん。サフィール出身の吸血鬼なんだ。とにかく父さんは、もうちょっと自重するべきだ。キキョウは僕の友人でもあるんだし、変な事をしでかしたらタダじゃおかないよ?」
「なるほどなるほど、厚い友情だ。シルバ君はどうかな」
「え? ああ、とりあえずこの封印が解けてからですよね。後は回復術を高めないと、今のままだとやっつけられませんし」
「や、やる気充分だね」
 サラッとシルバに言われ、さすがにダンディリオンもその童顔を引きつらせる。
「ウチの者に手を出すからには、全員を相手にすると思って下さい。さ、時間ももう遅いですし、そろそろ休みませんか」
 シルバはアクビを噛み殺しながら、立ち上がった。
 それに釣られるように、キキョウも腰を上げる。
「うむ。カナリー達は平気であろうが、某達はさすがにな」
「いや、僕も寝るよ。昨日から起きっぱなしだしね」
「えー、もっと遊ぼうよー」
「はいはい、明日ね」
 一人元気なダンディリオンを、カナリーは軽くあしらう。
「明日にはもう出発しちゃうじゃないかぁ!」
 こうしていると、どちらが親か分からないな、と思うシルバだった。
「……カナリーも、大変そうであるな」
 どうやら、キキョウも同感だったらしい。
 それに対して、カナリーはやれやれと頭を振るのだった。
「……分かってくれて嬉しいよ、キキョウ」


 普段の習慣で、シルバはついいつもの時間に目が覚めてしまった。
 体操でもするかとまだ肌寒い中庭に出ると、そこには刀で素振りをするキキョウの姿があった。
「うぃーっす、キキョウ早いな」
「うむ、シルバ殿おはよう。何となく目が覚めてしまった。……ま、ほぼ間違いなく、馬車で眠る羽目になると思うが」
 手拭いで汗を拭いながら、キキョウは尻尾を揺らした。
「同じくだ」
 シルバも笑う。
「シルバ殿はこれからどうされるのだ? 某はもう少し朝の稽古をするつもりだが」
「よし、それじゃ俺が相手になってやるとするか」
「何と!? それは是非! ぬ、木刀があればよいのだが……」
「って冗談だ冗談! 本職相手に相手になる訳ないだろ」
「ぬ、別に某は構わぬぞ。何ならこれからでも、剣の腕を上げるもよしと思うが」
 シルバによほど剣を振らせたいのか、キキョウの尻尾はこれまでになく大きく左右に振れている。
「いやいや、大人しく体操でもしとくって」
 シルバは両手を振りながら、軽く退いた。
「ふむぅ、それは残念……」
「じゃー、僕と遊ぼう!」
 横からテンションの高い声が響き、シルバはそちらを見下ろした。
 ニッコリと天使の微笑みを浮かべるダンディリオン・ホルスティンがそこにいた。
「出た」
「出たとはご挨拶だなぁ。将来の義父に向かって」
「いや、いやいやいや。あの、気ぃ早すぎ。あとキキョウも落ち着け」
 何やら尻尾の毛を逆立て赤いオーラを放ち始めるキキョウを、シルバは抑える。
「ぬう、某の妖力が有頂天でとどまる事を知らぬ……」
「まーまー、軽いジョークじゃないか。真面目に体操には付き合いたいかなーと思ってね」
「吸血鬼はそろそろ眠る時刻では?」
 キキョウの問いに、ダンディリオンは気まずそうに笑みを浮かべた。
「そうしたい所だけど、朝市で魚買いに行かないと駄目なのでねぇ……」
「あー」
「ま、自業自得であろうな」
 リフとの約束をしたのは、ダンディリオン自身である。
 今日にはもうこの街を発つ予定なので、後回しにする訳にもいかない。
「あ、そうそう、ダンディリオンさん。一つ聞いときたい事があるんですよ。昨日話してた、この腕の封印を解く術の件」
「ああ、やっぱりシルバ君、興味はあるんだ」
「少なくとも聞いたような副作用がある事を考えると、実行するつもりはないですけどね。でも、何かの手掛かりになるかも知れないと思って」
「んー、サフィーンの方に伝わる刺青の術でね。要するにその腕の模様に刺青を上書きしちゃう訳だ。ただ、呪いの効果自体は殺せない。だから、君の場合、祝福魔術を使えるようにしたら、それと同じ分だけの何かが封じられるって訳さ」
「そ、それが何らかの感覚を失ったりに繋がるという訳であるか」
 キキョウはその場に居合わせていなかったはずだが、シルバ達の話から大体の内容は察したようだ。
「そゆ事。新約魔術の類が代償だったら一番手っ取り早いんだけど、シルバ君の場合は祝福魔術の伸び率がハンパないからねぇ。封印をずらすとして、何になるか分からないってのも割とネックだね」
「なるほど、ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして。さあキキョウさん! 僕にジェントの事を話すんだ!」
 パン、と手を叩いて、目を輝かせるダンディリオンに、キキョウは怯んでしまっていた。
「ぬ、それはやぶさかでないが、何というか某の話がダンディリオン殿の期待に応えられるとは思えぬのだがな」
「それを決めるのは僕さ。向こうにも何人か知人はいるけどねー、遠いからこれまでの滞在時間を全部足しても半年にも満たないんだよ。立場って辛いよね」
 はぁ、とダンディリオンは、悲しそうに溜め息をつく。
 確かにこんなナリをしているが、ダンディリオンはホルスティン家の当主なのである。そうそう他国に長居もしていられないのだろう。
 ……いや、正に今、諸国漫遊を楽しんでいる真っ最中ではあるのだけれど。
「って言ってもキキョウも、何から話せばいいやらって所か」
「う、うむ。某は武術一辺倒な生活を送っていた故、文化的な内容となると自信がないのだ」
「武術……武術か……んー、じゃあさ、一年半ぐらい前にあった大騒ぎ知ってる? 王都に大妖が現れたっていう」
「…………」
「…………」
 ダンディリオンの話に、シルバとキキョウは目を泳がせた。
「あれ、何で二人揃って目を逸らすの? 何か知ってるの?」
「いや……ごほん、げほん」
 キキョウは嘘が苦手なのか、わざとらしい咳払いをする。
「なーんか怪しいなぁ」
 しょうがなしに、シルバが代わりに話す事にした。
「ないですって。キキョウが俺と知り合ったのがちょうどその頃なんすよ。何となくその辺の話は聞いてるけど、ジェントからの距離を考えると関わってたとかあり得ないでしょう?」
「んー、そっかぁ、残念。シルバ君、どの辺まで知ってるの?」
「何か、あの国の女王や大将軍が、秘術だか古代の技術だかを使って異界に送り出したっていう話……ですよね?」
 一応、アーミゼストまで伝わってきていた情報だ。
 間違ってはいないはずである。
「そうそう。ジェントのミコト女王が死んでない遺跡の力で、この世界から大妖を追い出したっていう話。キキョウさん狐面持ってたでしょ? その戦いで活躍したっていうアキヤマ藩狐面衆じゃないの?」
 ギクリ、とキキョウが怯む。
「……じゅ、充分詳しいではないですか」
「第一、そんな事に興味を持ってどうするんですか?」
「そ、そうであるな。シルバ殿の言う通り」
 シルバの軌道修正に、キキョウも乗った。
「や、事件そのものより、僕が気になってるのは二つ。一つはその、転送技術のある遺跡の事。これは僕も魔術師、錬金術師であるから当然だよね。もう一つはミーハーな理由だけど、その戦いで男を上げたっていう勇者の話が聞きたくてね」
「勇者……? そのような活躍をした者の話ならば大将軍のムラサキ殿や『千翼』のハトバ殿ではないであろうか?」
 これは本当に心当たりがないのか、キキョウは首を傾げた。
「あ、その辺のレポートはもうある程度手帳に書いてあってね。そうそう、シルバ君、足りない部分は自分なりに考察してあるから、何か書き足してくれると嬉しいな」
「だから、俺は知りませんって。キキョウも同じですよ。なあ?」
「うむ……まったく覚えがない」
「そっかぁ。あ、ちょっと長話になっちゃったな。体操よりも、朝市に付き合ってくれないかな。そっちもいい運動になると思うから」
 何でこんな話になったのかな、とシルバは頭を掻きながら、二人と一緒にリフを迎えに行く事にした。


 リフを連れて、シルバ達は朝の魚市場を訪れた。
 海はまだ遠いが、近くに大きな湖と海に繋がる広い川があるようで、左右にずらりと並ぶ天幕の下、結構な量の木箱や樽が並んで生臭い臭いが鼻につく。
 威勢のいい声が響き、エプロン姿の男女が行き来していた。
「にぅ、迷う……」
 リフは尻尾を揺らし、市場を眺め回した。
 そりゃ前後左右魚だらけだ。
 どれを選べばいいかとなると、困るだろう。
 という訳で、シルバは開いた手帳の文字を追いながら、アドバイスを与える事にした。
「全部」
「に!?」
「シルバ君、割と容赦ないね」
 少しだけ表情を引きつらせる、ダンディリオンだった。
「いや、財力的には可能かなと」
「可能だけど、やらないよ。この街で下手に目立つつもりはないんだ」
 街に住む男の子に化けた吸血貴族は、肩を竦める。
 シルバは手帳から顔を上げると、キキョウに視線を向けた。
「それに関しては、キキョウがいる時点で手遅れな訳ですが」
「むぅ……すまぬ」
 魚市場の労働者達の中に突然現れた、美形のサムライは嫌でも人目を引くというモノだった。
 司祭服のシルバも多少怪訝そうな顔はされるが、それでもキキョウよりはマシだ。コート姿のリフは、小さいナリとはいえもっと市場に溶け込んでいる。
「で、リフ、もう少し迷ってもいいぞ。出発まではまだ時間あるし」
「にっ、にっ、にっ」
 シルバに帽子を叩かれたリフは、短くスキップしながら濡れた石畳を進んでいく。
「テンション高いなぁ」
 呟き、シルバは手帳に視線を戻した。
「……シルバ殿、本を読みながら歩くと危険だと思うのだが」
「んーじゃ、キキョウが手でも引いて歩いてくれるか」
「なぅっ!? や、や、そ、それは」
「冗談だ。ま、確かに危ないな……と読み終わった」
 軽く目を通しただけだが、さすがに今はマズイだろう、と手帳を閉じる。
 顔を上げると、キキョウが耳をペタンと倒して残念そうな顔をしていた。
「何と……もう少しゆっくり読んでくれても……」
「……つーか、お前も読んだ方がいいぞ、キキョウ。地味にえらい事になってる」
「ぬ?」
「ん? えらい事って何かな何かな?」
「ま、個人的な事に関わるんで、その辺は秘密にさせてもらいます」
 ダンディリオンの問いを軽く流して、よく分からないという表情をするキキョウに、シルバは開いたままの手帳を渡した。
 首を傾げながら、キキョウはそれに目を通していく。


 ……なるほど、確かに割と詳しく、ジェントでの大妖事件はダンディリオンの手で調べられていた。
 手帳に記されていたのは、その出来事を目撃したり直接関与した人達の証言を集めたモノだった。
 どうして大妖が出現したかとかは、割とどうでもいいというか、力を求めた術者が何百年もの封印を破ったというありふれたモノだ。
 ただその妖怪はべらぼうに強く、ミコト女王やムラサキ大将軍率いるジェントの軍でもどうにもならなかった。
 女王も戦いで傷つき、最終的には生きている遺跡の転送機能を使って、異なる世界へその大妖をジェントから追い出す計画を立てたという。
 まあ、その計画は無事上手く行き、ジェントに平和が戻った訳だが。


 実はこれに裏話があるという。
 この転送装置で送られる先の世界というのは、異なる世界などではなく、星の位置を見る限りこの世界のどこかだったようだ、という偵察兵の証言が記されている。
 向こうの世界には近くに都市もあり当然人も生活を営んでいた。それは女王にも報告が伝えられていたと。
 その事実は一部の者にしか伝えられていなかったらしい。
 だが女王の命令は絶対であり、逆らう事は許されない。
 最終段階でこの計画の秘密を知った、狐面衆のとある武士がこれをよしとせず、女王に直訴した。
「余所の国にアレを送り込み、某達は知らぬ振りを決め込むというのであるか!? それはあまりに卑劣というモノではないですか!」
「口を慎むがよい○○○○。自国を守る事が妾の使命。妾に逆らうのならば、死刑に処するぞ」
 と、もちろん聞き入れられず、反逆者の烙印を押される事となった……というのは、地下牢に入っていた老人の証言。
 牢から脱獄したその武士は、宝物殿に押し入り、封印されていた強力だが危険な武器や法具の類を持てるだけ奪うと、自国の不手際の落とし前を付ける為に単身、まだ作動していた転送遺跡の門を潜ったという。
 その後、大妖が二度と現れぬよう、女王の命令でその遺跡――クズハ遺跡は破壊された。
 女王に逆らう武士など恥以外の何物でもない、という事でその名は完全に抹消された……が、その名もない武士の話は決して表にこそ流れ出はしないモノの、彼の者こそ真のモノノフであろうと伝えられている。
 ……という話が複数の証言から纏められていた。


「……ぬおおぉぉ」
 キキョウはその場にうずくまり、頭を押さえながらゴロゴロと転がり始めた。
 幸い乾いている場所だったが、濡れた地面だったら酷い事になる所だ。
「身悶えてるね」
「まあ、気持ちは分からないでもないかなと」
 やがて力尽きたのか、キキョウは羞恥に狐耳まで真っ赤にし、尻尾の毛を逆立てながら、地面に突っ伏した。
 うん、まあ、気持ちは分からないでもないシルバであった。
「に?」
 戻ってきたリフが、キキョウの奇行に首を傾げる。
「何買うか決まったか」
「にぅ……なるべくおっきいのがよさそう」
 言って、リフは少し困った顔で振り返った。
 そこには、何十匹もの猫が列を作って、リフの後ろに付いてきていた。
「……相変わらず、人気者だな、リフ」
「に……困る」
 だが、困る者ばかりではない。
「や、嬢ちゃんのお陰で今日は猫追い払わないで済むから楽でいいや。ウチで買うならサービスするよ!」
 市場で働く気の良さそうな髭面の親父が、大きな声をリフにぶつけてくる。
「に……にぅ」
 リフは尻尾をピンと立てながら、怯えたようにシルバの後ろに隠れようとしていた。相変わらず、人見知りはするらしい。
「リフ、ここは値切る交渉のチャンスだぞ。盗賊らしく、活躍してみたらどうだ?」
「に、が、がんばる」
「うん」
 ぐ、と小さな拳を作るリフに、シルバは頷いた。
「ま、保存の方は心配いらないよ。昼に食べるなら凍結の魔術でいいし、もっと遅くならカナリーの影世界に入れておけばよしだからね」
「にぅ」
 さて、それじゃ俺はそろそろあっちを立ち直らせるか。
 そう考え、シルバは頭を掻きながら、頭からシュウシュウと湯気を立てているキキョウに近付くのだった。


 朝食を済ませ、シルバ達はマール・フェリーの邸宅の正門前に出た。
 もちろんカナリーやヒイロは変装を済ませている。
 見送りは屋敷の女主人、マール・フェリーと人間の男の子に化けたダンディリオン・ホルスティン、それにアニーら館の使用人達も並んでいる。
「お世話になりました」
「いえ、私も楽しかったですわ」
「……あと、ダンディリオンさんは、普通に出歩いてていいんですか? アニーとかいるんですけど」
「認識偽装って便利だよね♪」
 なるほど、彼女達には認識出来ていないらしい。
 しかし、こんな事に術を使ってていいのだろうか、とシルバは思わないでもない。どうやらそれはカナリーも同じだったようだ。
「父さん、あまり無茶な事はしないように」
「うんうん、分かってるって。さて、僕の方も用事は済んだし、次はどこに行こうかなぁ」
「別にいつまでもここにいて下さってもよろしいのよ?」
 マールの言葉に、ダンディリオンはニッコリと微笑む。
「そうしたい所だけど、僕は愛を伝える流離いの旅人だからね。ウチの地位や財産を狙う兄弟の事も考えると、実家の方もたまには寄らないと駄目だし。カナリー達について行きたい所なんだけど……」
「駄目」
 カナリーが一蹴した。
「ちぇー。ジェントの方は最近不穏な感じだし、サフィーンの宙華料理でも食べに行くかなぁ」
「頼むから大人しく家に帰ってよ、父さん」
「そ、それよりジェントが不穏とは?」
 何気ないダンディリオンの言葉に食い付いたのは、ジェントが故郷のキキョウだ。
「んー、だからさっき話してた大妖の件だろね。お陰で中々入国しにくいのさ。もう一年以上経つのに、まだピリピリしてるのかなぁ……」
「むむ」
「気になる? ねえ気になる?」
 何だかやけに嬉しそうに、ダンディリオンは下からキキョウの顔を覗き込む。
 一方、ヒイロやタイランは、マールにお礼を述べていた。
「朝御飯もおいしかったです!」
「あ、油まで差してもらって、ありがとうございます……」
 そして、ひょいとシルバの肩にちびネイトが出現する。
「シルバ、私には一つ不満があるんだ」
「何だよネイト」
「出掛けるなら私も呼ぶべきだ。君と私は一心同体だったはず」
「アイテムという意味で」
 シルバの後ろに控えていたシーラが、付け加えた。
「うん、その通り。所有物という意味では間違いじゃないな。今度から首輪でも用意してもらうか」
「待て。シーラまで何故俺を見る」
「に」
「リフまで!?」
「君のパーティーは楽しそうだなぁ……」
 羨ましそうに、ダンディリオンはシルバを見ていた。
 それで言い忘れていたことを思い出した。
「あ、ダンディリオンさんは多分、東に向かうと思うんですけど、その時、ウチの上司に会って、俺達の近況を伝えてもらえると助かります。手帳にも書いていきますんで」
「吸血鬼に、聖職者に会えって言うのもどうかと思うんだけど」
「そんなの気にする人ですか?」
「あはは、そりゃそうだ。で、男? 女?」
「女性です」
「よし、なら会おう」
 即答だった。
 そしてダンディリオンはポンと手を打った。
「そうそう。この街からウェスレフト峡谷までなら、多分手前の村を挟んでギリギリ今晩到着って所だけど、その村は入らない方がいいなぁ」
「何でまた」
「この街の司祭長らが留守なのは知っているでしょ? 近くの森に何かモンスターが出没したとかで、そっちに護衛兵士達と向かってるんだよ。村はその討伐拠点になってるはずだし、カナリーが入ると……ねぇ?」
 確かに、そう言った連中と鉢合わせするのは、あまりよろしくないかもしれない。
 一応人間に変装しているとは言え、カナリーも吸血鬼。もし素性が明らかになると、あまり好ましい事態にはなりそうにない。
「ふむ。しかし、下手をするとシルバ殿も手伝わされる可能性もありそうですな」
「高いね。シルバ君は人が良さそうだし」
「……そこの判断は難しい所ですね、仕事柄」
 キキョウやダンディリオンの言葉を、明確には否定出来ないシルバであった。
 確かに話を聞く限り、入らない方が良さそうだが。入ったら絶対首を突っ込みそうだし。
 と、そこに教会の鐘の音が響いた。
「おっと、そろそろ出発の時間じゃないかな」
「そうですね。それじゃ、お世話になりました」
 シルバ達が言うと、ダンディリオンはニッコリ微笑んだ。
「また寄ってくれると嬉しいな」
「それは、館の主の台詞ですよね」
 とにかく、シルバ達はスターレイの街を発つ事にした。


 街の外れ、人目の付かない場所でバイコーンの馬車に乗り込む。
 御者は変わらずヴァーミィとセルシアの二人だ。
 微かに揺れる馬車の中で、カナリーは不安そうな顔をシルバに向けた。
「……それにしても大丈夫なのかい、シルバ? 娘の僕が言うのもどうかと思うけど、父さんは相当な『タラシ』だよ? ストア先生の身が危険かも知れない」
「娘にここまで言われる父親というのも、そうはいないであろうな……」
 キキョウが呟き、シルバも首を振った。
「心配いらないと思う。ウチの先生は、魅了の術に引っ掛かるようなタマじゃないって。例えお前の父さんでもな。それに、転送遺跡だの何だのの話なら、ダンディリオンさんは絶対食い付く。運がよければ手帳の方、都市の方においてもらえるかも知れないだろ?」
「あ……あの森にあったアレですか」
 タイランが思い出したように言い、シルバは頷く。
「そ。どこまで先生が喋るかは分からないけど、多分うまくやるだろ」
「……シルバ、思ったより策士だね」
「カナリーに褒められた」
「そりゃ、僕だって褒める時は褒めるさ。半分は皮肉だけど」
 カナリーとのやり取りに、キキョウが口を挟む。
「それでシルバ殿。村には寄るつもりであるか」
 それは、屋敷を出た時から考えていたことだった。
「ひとまずは挨拶。手が足りているようなら、そのまま一気に峡谷を目指す……ってトコかな」
 大変なようなら手は貸すけど、そうでないならこっちの都合を優先する、と言うのがシルバの考えだった。
 馬車の中を見渡しても、得に不満そうな顔をする者はいなかった。
「ふぁ……ともあれ、昨日遅かったし、少し眠らせてもらうぞ」
 馬車の揺れに眠気を誘われ、シルバは目を瞑った。


※伏線らしいものを一応出しときながら、次は峡谷の手前となります。
 ……思ったより長くなったなぁ、ダンディリオン編。



[11810] ロメロとアリエッタ
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/09/20 14:10
「どうせあと一時間もすれば、村に着くんだけどなぁ」
 と、シルバがボヤいたのは、ちょうど山と山の間にあった木々に囲まれた、川の流れる岩場での休憩時の事だった。
 もっとも、この先で、もう一山越えるので、馬達の体力も蓄える必要があるのは、シルバだって分かってはいるのだ。
 ただ、件の山を越えれば酒場で飯が食えるのに、ここで昼食を取る事になるのも何だかなぁ、と思わないでもない。
「まあ、よいではないか、シルバ殿。特に不足はしておらぬが、路銀も浮くことであるし」
「言われてみりゃ、キキョウの言う通りだな。んじゃあま、飯の支度を」
 と振り返るシルバとキキョウの脇を、人間の変装を解いた下着姿のヒイロが通り抜けていく。
「きゃっほーっ!」
「ってお前は何してる!?」
 振り返って突っ込んだ時にはもう、川に水柱が出来ていた。
 どうやら目の前の川は、割と深い場所もあるようだ。
「……もう遅い、シルバ殿」
 ポン、とシルバの肩に手を置く、諦めたような口調のキキョウであった。
 ちなみに、いくら気温が温かいとは言え、一応泳ぐ季節はとうにすぎている。
「お、追いかけるべきでしょうか……?」
 遠慮がちに鉄の手を軽く挙げながら、タイランが申し出た。
「……いや、お前沈むだろ」
「で、でもカナリーさんが言うには、防水はされているそうですよ?」
「マジか?」
 シルバはまだ馬車の中でのんびりと父親の手帳に目を通している、カナリーに振り向いた。
 くい、と持ち上げたカナリーの眼鏡が陽光を反射する。
「マジです。足裏にスクリューも付いてますから、潜行活動も可能です」
 人間に変装しているせいか、いつの間にか秘書っぽい口調に戻っているカナリーであった。
「……お前は、タイランをどういう方向に持って行きたいのか、時々分からなくなるぞ」
 その内、空も飛べるようになるんじゃないかと、シルバは心配になる。
「とまれ、ここは一つ朝にもらった魚以外に、新鮮なモノを手に入れるのも悪くはないと、某は思う」
 言いながら、キキョウは釣り竿をしならせた。
「ってお前、その竿どこで用意してたんだ!?」
「ふふふ、このような事もあろうかと都市を発つ時点で用意はしていたのだ。こう見えても某、川釣りはそれなりの得意なのだぞ、シルバ殿」
 ヒイロが釣れなきゃいいけど、とシルバは思わず考えてしまう。
 そんなキキョウを、リフは不思議そうに見上げていた。
「に……しっぽ、使わないの?」
「む?」
「こうやってると、釣れる」
 リフは、尻尾を川に垂らす真似をした。
 ……モース霊山式漁業か、と内心シルバは突っ込む。
「ぬ、リフ、そのやり方は危険だと、かつて兄弟から聞いた事があるぞ! 凍った時に、尻尾が取れてしまうのだ!」
「……いや、この程度の気温じゃ、それはないだろ。ってキキョウ、お前兄弟いたっけ?」
「む、話してなかったか。一応、兄と弟が一人ずついる。もっとも今はどうしているか知らぬが」
「……ま、戻りにくいのはよく分かる。どういう兄弟だったんだ?」
「兄はいい意味でも悪い意味でも真面目であった。弟の方はとにかく泣き虫であったな。どちらも釣りは上手かった」
 懐かしむように、キキョウは言う。
 兄妹揃って釣りに行くぐらいだから、仲は悪くなかったんだろうな、とシルバは推測した。
 その肩に、ひょいと現れたのはネイトだ。
「ふむ、私も肉体があれば、魚ぐらい捕れるのだが」
「その身体じゃ、無理だわな」
「そして私は釣り自体、した事がありません」
 馬車の中で、カナリーが軽く手を挙げる。
「一度も?」
「一度も」
 真顔で答えるカナリーだった。
 もっとも、シルバのイメージでもあまりカナリーと釣りは結びつかない。貴族の趣味ならむしろ、狩猟の方がまだピンと来るような気もする。
 一方川の方では、何かポンポンと水中から魚が飛び出ては、岩場の方に揚げられているのを、いつの間にか縁まできていたリフが回収していた。
 どうやらヒイロが川の底の魚を、手で捕まえては投げているようだった。
「シルバ殿の釣りの腕は如何ほどなのだ?」
 キキョウの問いかけに、シルバは自分の釣り経験を思い出してみる。
 ここ最近はめっきり減ったが、子供の頃は生活の一部だった記憶がある。
「ま、人並みって所だな。ウチの村は基本自給自足だったから、普通にやってたし」
「ほう……」
「たまに、上流から流れてくる人間が釣れる事もある」
「……本気か冗句かよく分からぬよ、シルバ殿」
 困ったような顔をするキキョウに、ネイトがシルバを援護するように言う。
「人間ではないが、魚追いかけてた鬼族の子供が釣れる事はよくあったな、シルバ」
「あー、あったあった。どんだけ無茶してんだよみたいなのが。毎回、兄弟が降りてきて、お礼の肉と一緒に謝られるんだよ。っておーい、ヒイロ。んな魚追いかけるような捕り方してると下流に流されるぞぅ」
「はー……っとっとっと」
 本気で流されそうになっていたヒイロを、川の底から二本の鉄の腕が伸びて支えた。
 どうやらタイランが助けたらしい。
「危なっかしいねぇ。……ま、この川なら浅い所で手づかみでもいけそうか」
 川の縁にいるリフの様子を見る限り、足首や膝の高さの水位の場所も多いようだ。
 シルバも靴を脱ぎ、浅瀬に踏み込む。
 ヒンヤリと冷たいが、身震いするほどではない。
 腰を屈め、ジッと動き回る魚達の動きを確認する。
「……ヒイロと言いシルバ殿と言い、森林領の人間は素手が基本なのか」
「そういう訳でもないんだけどな。川に棲む魚人族とかの種族もいて、そいつらから魚獲りのコツとかも教わったりするんだ。よし、捕れた。とりあえず一匹捌いて、その骨で針を作る。竿はまあ、その辺の枝でよしだし」
 あっさりと一匹、ピチピチと跳ねる魚を掴んだシルバは、それをリフに投げた。
「糸と餌はどうするのだ?」
「糸はリフがトラップ用のワイヤー持ってるから借りるとして、餌は岩の下に適当にいるだろ。待てシーラ。その捕り方は反則だから」
 手から低く重い音を鳴らしながら川に近付くシーラを、シルバは急いで押しとどめた。
 何をするつもりだったのかは、シルバも分かる。
 川に衝撃波を叩き込み、気絶した魚を一網打尽にするつもりだったのだろう。
「一番手っ取り早い」
「うん、同時にヒイロとタイランにもダメージ行くからな」
「そうだった」
 諦めてくれたようだ。
 さて、とシルバは考えた。
 食材自体は実は結構豊富にあるのだ。
 故に、食べるという事だけで考えれば、ほとんど釣る必要はなく、人手は足りていると言ってもいい。
「えーと……まあ、全員で釣りするより、その間に何人かは炊き出しとかの準備もした方がよさそうだな」
 そう考え、シルバは二本作った釣り竿を、カナリーとシーラに渡した。
「はい?」
「…………」
「やった事のない人は、やってみる方向で。レクチャーはキキョウに任せる」
「ぬ、しょ、承知した」
 とりあえず、薪でも取ってくるかな、とシルバは森を見た。
 すると、ヒイロが勢いよく川から上がってきた。後ろから、タイランもついてくる。
「バーベキューならボクも得意だからするするー!」
「とりあえず身体拭いてからな」
「らじゃ!」
「ふむ、となると――」
 ちびネイトがタイランと、馬車に駆けていくヒイロを交互に見やる。
「んじゃまあ、この四人で行きますかね」
「は、はい」
 そういう事になった。


「きのこーゲットー! 山菜ーゲットー!」
 森の中に入ったヒイロは、次から次へと新たな食材を入手していた。もちろん、ちゃんと服は着ている。
 一応、薪になる枝を拾うのが本来の目的なのだが、まあタイランと二人で充分かと思うシルバだった。
「……山で遭難しても、お前は一人無事、生き残れそうだな」
「大丈夫! みんなの分もちゃんとあるよ!」
「そういう意味じゃないんだが……ま、いいや。付け合わせまで手に入るとはね。タイラン、こんなモンでいいんじゃないか?」
 シルバは両手に枝を抱え、タイランを見た。
「あ、は、はい。そうですね」
 大型な甲冑であるタイランは、シルバと比べモノにならないほどの量の木の枝を抱えていた。
「んじゃま、戻るか」
「先輩ストップ」
「ん?」
 ヒイロの言葉に、シルバは素直に従った。
「うん、タイランも止まった方がいいな」
 シルバの肩の上に乗ったちびネイトも、似たような事を言う。
「え?」
「……どっちだろ……」
 ヒイロの台詞に、シルバは緊張した。
 敵かは分からないが、何かが潜んでいるらしい。
 現状、武器を持っている者はおらず、ヒイロも防具は着けていない。
 そういえば、ダンディリオンから、司祭長がこちらの方角へモンスター討伐に向かっているという話を聞いていた。
 それを耳にしていながら、装備を忘れるなんて、油断にも程がある。
 顔をしかめながら、シルバは腰を落として、石を拾った。
 とその時、強烈な視線を感じた。シルバのすぐ傍の茂みが、激しく音を立てて揺れる。
「こっちぃっ!」
 飛び出してきた何者かは、ヒイロの跳び蹴りを見事、顎に食らった。
「がっ!?」
 木の棒を落とし、そのまま地面に倒れ込む。
「……仕留めたりっ!」
「見事にカウンターが決まりましたね……」
「死んでなければいいのだが」
 襲ってきた相手は……どうやら人間だったようだ。
 しかも、追い剥ぎにしては着ているモノが不自然だった。
「ん? この服、ゴドー聖教の見習用だ。同業者か?」
「そのようだ。完全に気絶しているようだな」
 ネイトの言う通り、相手は見事に目を回していた。
 少年と言ってもいいだろう、年齢は十代後半といったところか。
 短く刈り込んだ赤髪に、薄汚れた修業服。
 それにしても、どうして自分が襲われたのだろう。
「ヒイロを狙ったんでしょうか」
「ん? ボクじゃなかったよ? 襲いかかられたのは、先輩」
「だったよなぁ。そういやあれだ。スターレイの街で、モンスターがどうとか言ってたし、それと間違われたのかもな」
 いや、それもないか、とシルバは思う。
 この中でモンスターと間違われるとしたら、変装を解いて角も隠していないヒイロか、巨大な甲冑姿のタイランの方がまだ、納得がいく。
 少なくとも、司祭の服を羽織っている自分をモンスターと見られる可能性よりは高いと思う。
「ふーむ、私ならともかく、シルバをモンスターと間違えるとは失礼な話だな。よし、ここは放って戻ろうか」
「いやいや! 事情も聞きたいし、そういう訳にもいかないだろ! ……つーか、こういう時こそ{覚醒/ウェイカ}が使えればなぁ」
 祝福魔術を封じられた事が、つくづく痛いと感じるシルバだった。
「なら、私が何とかしよう。一応、心術で何とかなると思う」
「って、ストップネイトさん。また誰か来る……それも複数」
 シルバ達の間に、再び緊張が走る。
 なるほど、周囲の木々がさざめいている。
「新手か」
 それも、四方から聞こえてくるという事は。
「も、もしかして、囲まれました……?」
「うん」
 平然と答えるヒイロの手には、少年が持っていた木の棒が握られていた。しかし、いつものヒイロの武器に比べて、それはいかにも貧弱だ。
「骨剣があればなぁ……」
「うん。でもないのはしょうがないよ。先輩、札は?」
「影世界への収納の都合上『太陽』状態で、カナリーに預けてある。という訳でタイラン、がんば」
 シルバは、ポンとタイランの腰部を叩いた。
「わ、私ですか!?」
「ヒイロは防具身に着けてないし、装備面で言えば武器持っていない事を除けば、タイランが一番の戦力なんだよ」
「じゃ、じゃあ、私が殿になって、皆さんは馬車まで戻る方向でしょうか」
「それが妥当だろうな」
「敵の数は七人。しかも全員、人間」
 小さく、ネイトが呟く。
「なら、話し合う余地はありそうだな」
 だが、シルバが声を掛けるより早く、相手の方が動いた。
「くたばれ、モンスター!」
 助祭の服を着た男が、ヒイロに躍りかかる。
 その手には、戦棍が握られていた。
「って今度はボク!?」
 シルバは手に持っていた石を、男の顔目がけて投げつけた。
「何者だ!」
 首の動きだけでかろうじて石を回避した男が、シルバの姿に驚愕する。
「っ……味方!?」
 その様子から、さっきの少年とは違い、相手は今までシルバの存在に気付かなかったようだ。
 その顔面に、ヒイロの回し蹴りが綺麗に入った。
「あ」
 助祭服の男は白目を剥き、鼻血を出して倒れた。
「やっちゃった。ごめん、先輩」
「気にするな。襲ってきたのは向こうが先だ。タイランももうよさそうだぞ」
「は、はい」
 周りの茂みがざわめき、一人、また一人と武装した聖職者達が姿を現わす。
 青年から中年の年頃で、皆、どこか野暮ったい雰囲気を纏っている。
 一様に戸惑った様子だったが、もう襲ってくる様子はなさそうだ。
「地面に落ちてたただの石も結構助けにゃなるもんだ。眼鏡と篭手の補正なくても、命中率にはそこそこ自信あったし」
「ナイスアシスト♪」
「俺はそれが仕事」
 シルバはヒイロと手を打ち合わせた。
 そして、自分達を襲った連中はと言えば。
「おい、モンスターだって言ったじゃないか!」
「いやだって、俺から見えたそっちのガキには、実際角が――」
「とにかく村長の息子を確保してだな!」
 何だか揉めていた。
「で、何なのコレ?」
 そう聞かれても、シルバも困る。
「何だろな。放っておいて、戻りたい気分なんだけど」
 本気でもう、知らんぷりしてキキョウ達と合流しようかなと思っていたら、森の奥から怒声が響いてきた。
「どうした! 見つけたのではないのか!?」
「そ、それが司祭長」
 現れたのは、何というか、全体的に小太りで四角い印象を受ける、眼鏡を掛けた壮年の男だった。
 身体も大柄だが、態度も大きそうだ。
 男は怪訝そうな顔をヒイロに向けると、彼女を指差した。
「ん? 鬼がいるじゃないか。何をやっている。早く倒しなさいよ」
「し、しかし……あちらに、司祭様が」
「んん?」
 そこでようやく、シルバに気がついたようだ。
 この場合は、気付かなかったのは無理もないかな、とシルバは考える。
 どうやら、周りの聖職者達の中に、自分も埋もれていたようだ。襲われる前の連中の行動は論外だが。
「……ウチの仲間に、何か用ですか?」
「仲間? モンスターが?」
 男は怪訝そうな表情を、シルバに向けた。
「何だ、子供じゃないか。君、名前は何と言うんだ? 責任者はどこにいるのかね?」
 シルバはムッとした。
 名前を尋ねるならまず、自分から名乗るべきだろうと言い返してやろうかと思ったが、子供っぽいのでやめた。
「アーミゼスト管区の司祭シルバ・ロックール。司教、ストア・カプリスに師事しています。この二人の責任者は私自身で、こちらは問答無用で襲われたんですよ。ヒイロはモンスターじゃありません。鬼族が仲間で、何か問題でもあるんでしょうか。昨日泊まったスターレイの街の司祭長さんですよね?」
 当てずっぽうで言ってみたが、効果は覿面だったようだ。
「ほう! これは失礼した。私の名前はサイレン。部下の者達が失礼をしたね」
 司祭長、サイレンは途端に人懐っこそうな笑みを浮かべて、握手を求めてきた。
「もちろん、君に非はないよ。部下の者達が失礼した。みんな何をしている。早く、彼らに詫びんか!」
 サイレンに怒鳴りつけられ、部下達は慌てて頭を下げた。
 努力をして作り笑いをしながら、シルバはサイレンの手を握った。


「う、うわ、うわわ、近づけるな……!」
 竿を握ったまま、秘書風魔術師姿のカナリーはどんどんと後ずさる。
 それに対し、キキョウはやれやれと首を振りながら、彼女に迫った。手に持っているのは地面を掘って手に入れた、釣り用の餌のミミズである。
「心配せずとも、噛んだりせぬ。第一、これの数百倍はある同種のモンスターを相手にする事も珍しくないであろうに、何故、たかがミミズ程度で腰を引く」
「あ、あれはモンスターだ! これはそうじゃない!」
「そんな理由は要らぬ。そら、シーラは既に餌を付け終え、初釣りを始めようとしているぞ」
 シーラに、ミミズに対する嫌悪感はないらしく、川の縁でリフから釣りのレクチャーを受けている所だった。
「ううう~~~~~」
 だが、カナリーがキキョウに近付く気配はない。
 無理矢理押しつけてもいいが、遊びでそこまで追い詰めるのもよろしくないと、キキョウは思う。
 溜め息をつきながら、キキョウは近くにあった岩をひっくり返した。
「仕方がない。もう一つの餌を用意しよう」
「そ、そんなのがあるなら、先に出してくれ!」
 とりあえずキキョウは、岩の裏や地面に潜んでいた虫を適当に捕まえた。
「で、どの虫がいい?」
「わーーーーーっ!!」
 カナリーは逃げ出した。


 そんなやり取りを、リフとシーラは距離を置いて眺めていた。
「に……騒々しい」
「そう」


 それから数分して、ようやくカナリーの釣り竿に餌が取り付けられた。
 というか、キキョウが付けた。
「……やれやれ、餌一つでこんなに大騒ぎとは」
「き、君達が大雑把すぎるんだ!」
「言葉遣いも忘れるほど、狼狽える事もないだろうに……まあよい。餌を付けるのは某がするので、カナリーは心ゆくまで釣りを楽しむがよいよ」
 ぐぬぬ、とカナリーは悔しそうな顔をしていた。
「……と、都市に帰ったら、疑似餌を作ってやる。本物でさえなければ、怖くないんだから」
「うむ、楽しみにしているぞ」
「に……シーラも」
「分かった」
 そして、初心者二人の釣り針が、川に投げ込まれる事になった。
 小さく水音を立て、水面に糸が立つ。
「……このまま、待っていればいいんだね?」
 身体をカチンコチンに硬直させた状態で、カナリーが言う。
「ま、脈がなければ場所を変えるべきであろうが、始まったばかりであるし、しばらく待てばよい。……というか、そんなに身構える必要はどこにもないのであるが」
「にぅ……つかれる」
 キキョウの言葉に、リフが同意する。
「待つのは得意」
「シーラも、完全に微動だにしないでいる必要もないのだぞ!?」
 石像のように動かないシーラである。
「静かに」
「む、それはもっともだ」
 自分達も始めるか、とキキョウはリフと顔を見合わせた。
 だが、モノの一分もしない内に、カナリーの釣り糸が揺れ始めた。
「おっ」
 竿の手応えに、カナリーが思わず声を上げる。
「来たか」
「うん、来た」
 嬉しそうな顔で、カナリーがキキョウに頷く。
 一方シーラの釣り竿もしなり始めていた。
「こっちも来た」
「に! 何かおおきい」
 カナリーもシーラも、釣り竿が大きなアーチを描いていた。
「ほう、これはいわゆるビギナーズラックであるな。踏ん張るのだ、カナリー!」
「わ、分かってるけど、下手に力入れると、竿が折れる……!」
 なるほど、実際、釣り竿は既に軋みを上げ始めていた。
 しかし、ここで逃がすのも勿体ない、とキキョウは活を入れる。
「気合いだ!」
「に!」
 キキョウとリフの声援に、釣っている二人は決意を固めたようだ。
「く、うう……い、行くよ、このまま……釣り上げる!」
「こっちも」
 グッと力を込め、カナリーとシーラが同時に釣り竿を持ち上げる。
 恐ろしく大物の気配を感じていたキキョウだったが、予感は的中。
 徐々に浮かび上がってきた魚影は、人間ぐらいの大きさがあった。なるほど、どうやらカナリーらは一匹を二人で釣り上げているようだ。
「おお……っ!?」
「これで……っ、どうだ!!」
「っ!!」
 ザバリと大きな音を立て、二人の獲物が浮かび上がった。
 頭部には、水の滴る青紫がかったショートヘアがワカメのように生え、胴体には村娘の衣服、尻尾がない代わりに靴を履いていた。
 というか、魚じゃない。
「って……人!?」
「に、人」
 とにかく四人は慌てて、その女性を岸に寝かせた。


 上流のどこかで転落し、川に落ちたのだろうか。
 年齢は十代半ばか、いやそれよりももっと若いかも知れないが、ずいぶんと愛らしい顔立ちだった。
 しかし、小柄な割にはずいぶんとでている所は出ているというか、思わずキキョウは自分の少し残念な胸に手をやった。
 いや、それどころではない。
「し、死んでいるのだろうか?」
「にぅ、指先うごいた。しんでない」
 不思議な事に、川底に沈んだまま流されたにしては、こうして陸に上がってみたら、人工呼吸の必要もなく、微かに呼吸も再開していた。
 リフによると水も飲んでいないようで、ようするに単なる気絶状態であるという事らしい。
 思わずキキョウは、首筋を確かめてしまう。もしや、人魚の類ではないだろうかと、思わず疑ってしまったのだ。
 ともあれ、眠ったように気絶している少女から、カナリーは視線を外した。
「……これは、シルバに知らせた方がいい、よね?」
「うむ……む!?」
「に!」
 耳をピクリと反応させたキキョウとリフが立ち上がり、森を見る。
「どうしたんだい、二人とも」
「何やら森の方で、荒事が起きているようだ」
「シルバとヒイロが喧嘩!?」
「それは主が死ぬ」
 カナリーの仰天に、シーラが冷静に突っ込んだ。
「まさか、タイランが」
 どちらと喧嘩しているのだろう、と悩み始めるカナリーに、キキョウは違う違うと手を振ってみせた。
「そうではなくて、シルバ殿達が、何者かに襲われたようだ。こうしてはおれぬ。カナリーとシーラ、その女性の看病を頼む。ここは、音と臭いを辿れる某達が行く!」
 駆け出すキキョウとリフ。
 その頭に、何者かの念波が飛んできた。
『その必要はないな』
「ネイトか」
『ああ。というより、来ない方がいいんだ。今必死に相手を牽制している最中なんで、念のため馬車を移動させてくれると助かる』
 キキョウは、二頭のバイコーンの御者席で待機している、ヴァーミィとセルシアを見た。
 何か、問題があるのだろうか。
「よく分からぬが……シルバ殿達は無事なのだな?」
『うん、無事だ。不幸な行き違いというか、いわゆる誤解だな。戻ってシルバが説明するので、それまではそちらで待機を頼む』
「承知」
 援軍は、中止になった。
 となると、ここはネイトの注文と、気絶している女性の世話が優先される。
 それにしても、とキキョウは短く息を吐いた。
「やれやれ……シルバ殿はまた、何やらトラブルに巻き込まれたようだな」
「……いや、今回に関しては、僕らも人の事を言えないって言うか」
 キキョウは、カナリーが指差す少女を見下ろした。
「う、うむ……確かに」


「彼から何か話を聞いたかね」
 サイレン司祭長は、赤毛の少年に首をしゃくった。
 おや、とシルバは同じように倒れている助祭の男を見たが、疑問を口にするのはやめておいた。
「話も何も、いきなり襲いかかられたんですって。気絶させてしまったのは申し訳ないですけど、やらなきゃやられる状況でしたから。こちらも何が何だか」
「そうか」
 どこかホッとしたように、サイレンは息をついた。
 そこで、今度はシルバが聞いてみる事にした。
「村長の息子というのは? 何か、確保とか言ってましたけど」
「ん? ……いや、この辺りで遭難したようでね。モンスターも出没すると言う事で急いで保護しようと、我々で探しているのだよ。誰か見かけなかったかね」
 確保と保護は微妙に違うようなぁ……と、シルバは内心首を傾げる。
 周りの、助祭達も不安そうに顔を見合わせ、サイレン司祭長の背中を見守っていた。
「息子……いや、見ませんでしたね。何歳ぐらいですか?」
「うん、君と同じぐらいの年頃だろう」
「やはり、知りませんね。ついさっき、この辺りに着いたものですから。あと、モンスターというのは、どんな相手なんでしょうか?」
「危険なモンスターだが、君は知らなくていい。これは私達の仕事だからだ。さ、ここは本当に危ないんだ。もう早く帰りなさい。……いや待て、君、どこを目指しているのかね?」
「この先にある峡谷ですけど? 私は冒険者、やってるんですよ」
 シルバは、自分達が目指す方向を指差した。
「ふむ……これは大人からの忠告だが」
 サイレン司祭長は一度深く頷くと、難しい顔でシルバを見下ろした。
「そんな仕事はよくないと思う。山師と変わらない、ヤクザな商売じゃないか。よく若い内は冒険しろなんて言うが、もっと安全でまともな職に就くべきだ。出来る事なら、ここからすぐ都市の方に引き返す事をお勧めする。……ああ、誤解されては困るが、これは親切で言っているんだ。分かるね?」
 分かる、とシルバは心の中で返事をした。
 シルバの頭に浮かんだのは、「小さな親切大きなお世話」であった。
 もっとも、それを口に出すほど、シルバは無神経ではない。
「……忠告、どうもありがとうございます。けど、こっちも目的がありますんで。この先にある村に寄ってから、峡谷を目指そうと思います」
「そうか……村に」
 サイレン司祭長は、チラッと村の方角を見、それからシルバに向き直った。
「ならば、君達のような子供だけでは危ないな。何人か、護衛をつけよう」
「あ、いや、それはいいです。ウチの二人も、結構腕いいんですよ」
「……その二ひ……二人が?」
 胡散臭そうに、サイレン司祭長はヒイロとタイランを見る。
「そちらの二人を倒したのは、この子です」
「どーも」
 シルバが親指で指し示すと、珍しくぶすっとした表情になったヒイロが、小さく手を挙げた。もちろん、その表情が向けられているのは、司祭長の方だ。
 ふん、とサイレン司祭長も不愉快を隠そうともしない。
「そんな小さな子供にやられるとは、どうにもウチの者はだらしがないな。もっと鍛える必要があるようだ」
 怒るなよーとシルバはヒイロを見たが、幸い自重してくれているようだ。
 これはまずいな、と考え、シルバは早々に切り上げる事にした。
「という訳でお構いなく」
「そうか……」
 サイレン司祭長は左右を視線で見回し、ポンと手を打った。
「そういえば怪我人がいたな」
 その発言に、部下の助祭達が戸惑ったように目を瞬かせる。
「え? 今の所は特に……」
 だが司祭長は構わず、気絶した赤毛の少年に肩を貸していた、部下の一人を指差した。
「君だ。確か捻挫をしたとか言っていたはずだ。{回復/ヒルタン}で治してあげよう。もっともこれはあくまで応急処置だ。大事を取って村の医師に診せてあげたい。一足先に肩に担いでいる彼と一緒に、村に戻ってくれ」
「へ、へい」
 ポン、と空いている方の肩を司祭長に叩かれ、部下の男は首を傾げながらも頷いた。
 司祭長が指示を与えている合間を縫って、タイランがシルバに耳打ちする。
「……あの、シルバさん。捻挫って、{回復/ヒルタン}で治りましたっけ?」
「しっ」
 どうにも胡散臭い司祭長だと感じているのは、どうやらシルバだけではないようだ。
 だが、手からはちゃんと回復の青白い光が淡く輝いているし、少なくとも身分を偽っているとか、そういう事はないらしい。
 ただ、亜人に対していい印象を持っていない事は、よく分かった。
 キキョウ達との合流についてこられても困る。
「えーと、私達はそろそろ失礼させてもらいます」
「そうか。どうしても行くというのならしょうがない。おい、誰か食料と水を持っていただろう。施してあげなさい」
「いや、そこまでしてくれなくても」
 手を振ってシルバが断るが、サイレンは食べ物の入った袋と水筒を押しつけてきた。
「いいから持って行きなさい。それから、君の上の人にも、サイレンがくれぐれもよろしく言っていたと伝えておいてくれたまえ」
「はぁ」
 強引に握手され、シルバはそう答えるしかなかった。


 ともあれ、三人はサイレン司祭長達と別れ、山菜や薪を抱えて川に戻る事にした。
 さりげなくネイトが後ろを確認するが、尾行の気配はない。
 後ろを歩くヒイロが、シルバの裾を引っ張った。
「ねーねー先輩先輩、モンスターの事聞かなくてよかったの?」
「ありゃ、駄目。言わない。言わせる事は出来るけど、時間が掛かる。それより、みんなと合流した方が安全だ。……第一、これ以上話してたら、俺の胃に穴が空く」
「そうですね……ちょっと、私も……」
 腹を押さえて顔をしかめるシルバに、前を歩くタイランも遠慮がちに頷いた。
「ま、何より話を打ち切りたかったのは、深入りすると、ウチの仲間の事まで詮索されかねないからだよ。ヒイロとタイランを見ただけであの態度じゃ、ウチの面々見たら、どんな顔をするか。特に馬車」
「あー」
 あの司祭長がバイコーンの馬車などを見たら、特に害はないとはいえ、どんなカチンと来る台詞を吐かれるか、分かったモノじゃない。
 ヒイロとタイランも、揃って納得する。
 そこで、ネイトも口を挟む事にした。
「ちなみにモンスターというのはどうやら、魔族のようだな」
「ネイト」
 ちょっと驚いて、シルバは肩の上のちびネイトを見た。
「心を読むのはシルバが嫌がりそうだったから、あの集団からイメージを読み取ってみた。彼ら自身は実物を見ていないが、頭にあるのはこんな感じ」
 ネイトは言い、暗い闇の中、紅い瞳と同色の黒い爬虫類めいた肌を持つ悪魔の姿の姿を、シルバ達の意識に送り込んだ。
「うわぁ」
「こ、これは……」
 ヒイロとタイランは怯むが、シルバはむしろ考え込んだ。
「……妙だよなぁ」
 木々の隙間から覗き込む陽光を眩しそうに見上げながら、頭を掻く。
「何がだ、シルバ?」
「いや、バレットボアとかならまだ分かるんだけどさ、何でこんなトコに魔族がいんのさと思ってな。古代遺跡とかでもない限り、基本的にあの手の種族は、人のいる所に現れるのさ」
「この辺に古代遺跡は……」
「ない」
 タイランの言葉を、一言で片付ける。
 よく分からない、とヒイロはシルバの横に並んで、その顔を下から覗き込んだ。
「じゃあ、どういう事?」
「だから、俺も分からないんだって。こういうのは、同種族に聞くのが一番か」
 そしてその顔を、ネイトに向ける。
「!!」
 心底驚いたのは、ネイトであった。
「おい何だその反応」
「シルバが私を頼ってくれた! 今晩はセキハンだ! シルバよろしく頼む」
「何かよく分からないけど、頼み事しているのは俺の方なんだが」
「よし、張り切ろう。……確かにシルバの指摘通り、若干不自然ではある。まあ、村に通う行商人が、どこかで買い取った古い壺を割ったとかいうケースも考えられるが……ああ、うん、そうだな」
 心術を使う必要もない。
 ネイトは、シルバが何を考えているのか、あっさりと分かった。
「シルバも何となく考えている通り、人為的な臭いがする」
「やっぱりか」
「もしくは、村の人達が魔族と勘違いした、何かまったく違うモンスターか。さっき覗き見たのは、あくまで彼らのイメージだから」
「つまり、よく分からないんだね」
「簡潔に言うと、そういう事になる。で、どうするんだ、シルバ。彼らを手伝うのか?」
「んー」
 腕を組んでシルバは悩むが、多分間違いなく首を突っ込むだろうな、とネイトは考える。
 サイレン氏はシルバとは合わないようだが、それと村長の息子の行方不明は別問題だ。困っている人がいればシルバが動くのは、ネイトにしてみれば当然の事だった。
「あの人、いい人なのか悪い人なのかよく分かんないよ」
 ヒイロは唇を尖らせた。
 善悪はともかく、好きにはなれないらしい。
「そうだなぁ……どっちかって言えば、悪い人なんだけど」
「え?」
「な、何か、気がついたんですか?」
 歩きながら答えるシルバに、ヒイロとタイランは同時に驚いた。
「いや、単に俺がそう思うだけ」
 台詞だけ聞けば、完全に第一印象での評価だった。
「……あの、シルバさん、それはちょっとどうかと」
 タイランが突っ込むが、ネイトは驚かなかった。
「ただ、シルバのこういう勘は当たる」
「ネイトさんまで……」
「シルバだからって、贔屓してる訳じゃないがね」
 言い、念波をヒイロ達に送り込む。
『あと、嫉妬してしまうな』
「うん?」
「何だ? どうした?」
「え? あ、その……」
 怪訝そうな表情をするシルバに、タイランが戸惑う。
『シルバには聞こえていない。こういう根拠のない人の評価なんかは、以前なら私かクロエぐらいにしか言わなかったんだが。その辺が、私としては悔しくもあり嬉しくもあるな』
 うむうむ、と肩の上で頷くネイトを、シルバが怪訝そうな顔で見ていた。


「で」
 シルバ達はようやく、川辺に戻る事が出来た。
「こっちはこっちで大変というか、何か釣り上げたらしいしな」
「おお、シルバ殿。何やらそちらも大変だったようであるな。一応、ネイトから簡単に話は聞いてはいたが」
 少女を取り囲んでいた中から、キキョウが立ち上がる。
 カナリーやリフの間から、座り込んだふわふわした髪の女の子の姿が見えた。
 水を含んだ彼女の服は木と木で繋がれたロープに吊され、シーラのモノだろうメイド服に着替えていた。
「これはこれは溺れている所を助けて頂き感謝します本当にありがとうございます。恋人と離れ離れになり足を滑らせて川に転落あのまま溺れ死んだら死んでも死にきれませんでした。こうして命があるのも皆さんのお礼なんですがすみません私持ち合わせも何もなく多分お昼ご飯を作るぐらいしか出来る事がありませんけどよろしいでしょうか」
 彼女は嬉しそうにガバッと顔を上げると、シルバを見て大きく目を見開いた。
「し、司祭さんですか!?」
 その言葉に、カナリーが「またか」という視線をシルバに向けた。
 どうやら、勘違いさせてしまったようだ。
「いや、初対面……だよな?」
 いまいち自信のないシルバの問いに、少女はコクコクコクと錬金術で使われる水飲み鳥のように何度もせわしなく頷いた。
「は、ははは、はいはいそうです! 恋人とか連れ合いとかじゃなくて顔馴染みでもなくて今日初めて顔を合わせました知らない顔です私好きな人いますし。ってあれこの中の誰かが彼女だったりするんでしょうかあいや、そんな事言っている場合じゃないですね」
 そしてハッと何かに気がついたようだ。
「お名前……あ、失礼私アリエッタと言います改めてお礼申し上げます助けて下さいましてありがとうございます」
 また、さっきの司祭長とは違うベクトルで、妙に濃い人だなというのがシルバの感想だった。


 やや予定外の事態があったが、ともあれ昼食となった。
 もっとも、塩焼きなのでほとんど料理の手間は掛かっていない。
 ただ、その量が尋常ではなかった。
 いや、運動したヒイロがよく食べるのはシルバの予想通りだったのだが、それ以外にもう一名。
 肉を食み骨まで噛む音が二つ響く。
 それを、シルバ達は呆気にとられながら眺めていた。
 音の元はヒイロと――アリエッタだった。
「……よく食うな」
 シルバはかろうじて、そう口にした。
「や、す、すみません。超お腹が空いてたモノで。あと栄養がとても必要というかですね」
 そういう彼女の前にはまだ、大量の塩焼きが重ねられている。
 シルバ達のように食べ終えた骨が残っていないのは、骨ごと食べているからだ。
「……ヒイロと同じぐらい食べる人、私、初めて見ました」
「むぐ?」
 呆然とタイランが呟き、ヒイロが顔を上げる。
「こりゃあ、作った分だけじゃちょっと足りないかもしれないな」
 困ったようにシルバが呟くと、リフとキキョウが立ち上がった。
「に。リフ獲ってくる」
「某も参ろう。結局某は釣りが出来なかったし、一匹ぐらいは欲しい所だ。ではシルバ殿、行って参る」
「おう」
 川に向かうリフとキキョウの背を見送ると、シルバはアリエッタに向き直った。
「んじゃまあ、飯食いながらでも話進めるとして。そもそも何で俺に驚いたの?」
「あ、や、そのすみません。森の中でモンスター討伐に武装した聖職者の皆さんに剣を突きつけられまして、神経ささくれ立ってますねあの人達。とにかくそういう事情で怖かったのですよ」
「そもそも、モンスターがいるって分かってる森に、何でアリエッタはいたのさ。村にいたなら、話は聞いてただろう?」
「あ、うー……それはそのですね、私には好きな人がおりまして、その恋人というのはこの先の村のパルチェに住んでる人なんですけど」
「ああ、森に入ったのはそういう……」
 何故か、カナリーが納得した。
 しかしヒイロはよく分からなかったようだ。
「ん? そういうってどういう事、カナリ……エクリュさん?」
「や、な、ななな、何でもありません」
「お、お、大人の事情ですよね!」
「そうですとも、タイラン!」
 顔を真っ赤にさせたカナリーと、タイランが揃って頷き合う。
「でも、大人って言うけど、アリエッタちゃん、ボクよりちょっとだけ上ぐらいに見えるよ?」
「…………」
 ヒイロが不思議そうに首を傾げると、二人は気まずそうに顔を背けた。
 そのままヒイロは、アリエッタに訊ねた。
「で、その森で司祭長さん達に脅かされて、川に落ちたの? それともモンスターに襲われたの?」
「あ、そう、それです! モンスターモンスター! それに襲われたという事にじゃない襲われたんです!」
「どんなモンスター?」
 シルバが口を挟むと、アリエッタの目が点になった。
「え」
「いや、だからどんなモンスターに襲われたのかなって。この付近にいるなら、まだ危険だろ。前情報があると、もし現れたとしても対処が楽だし、教えてもらえると助かるかなと」
 アリエッタは困ったように目を泳がせると、パンと手を打ち合わせた。
「あ、えと、そ、そそそ、そうですね。すごかったです熊みたいに大きくて角と長い牙が生えてて目が四つで牙がギザギザで腕が六本足が八本の化物です」
 それを聞いたシルバとカナリーは、顔を見合わせた。
「……それは、興味深いですね?」
「聞いた事もない、モンスターだ」
「もう一つ、質問よろしいですか」
 カナリーが手を挙げると、アリエッタは頷いた。
「あはいどうぞ」
「アリエッタさんは、そのパルチェ村の出身なんですか?」
「え、いえ違いますよ余所から来ました、そ、そそ、そのスターレイから歩いて」
「ああ、あそこはいい所ですね」
 カナリーは、変装用の眼鏡越しに柔らかく微笑む。
「ですよねはい」
 アリエッタもホッとしたようだ。
 だが、カナリーの次の質問で彼女の表情はピキッと強張った。
「……私達馬車で来たんですけど、かなり遠いですよ?」
「あ、足! かなり丈夫なんです鍛えてますから。で見ませんでしたか私の彼氏」
 慌てて取り繕う彼女に首を傾げながらも、シルバは困惑する。
「……いや彼氏って言われても、そもそもどんな格好かも分からないんですけど。俺達が遭遇したのって、サイレンって言う司祭長とその部下だけだし」
 シルバの疑問にも一理あると思ったのか、アリエッタは思い返すように青空を見上げた。
「そうですね彼の容姿ですかとても格好良くてですね、あ、背丈はちょっと足りないんですけどそんなのは大したマイナスじゃないです指摘すると怒りますけど。名前はロメロって言って、年齢は十八で引き締まった身体してますあと素敵な赤毛なんですよ。村長さんの息子で、立派な聖職者になる為修行中だったんですけど、あ、服もそんな感じでした」
「あれ?」「ぶっ……」「シ、シルバさん、それって……」
 疑問を口にするヒイロ、思わず飲んでいた香茶を噴き出すシルバ、そのシルバを見つめるタイラン。
「おやおや。これはこれは」
 それまでのなりゆきを眺めていたネイトが、愉快そうに笑う。
 一方アリエッタはそれどころではないようだ。
「ご、ごごご、ご存じなんですか彼今どこにいるんでしょう無事ですよね!?」
「あー……ちょ、ちょっと考えさせてくれ」
 シルバは弱り、頭を掻いた。


 川から戻ってきたキキョウとリフは焼き魚を食みながら、それまでの話をシルバから聞き終えた。
「つまり、シルバ殿達を襲ったという少年が、アリエッタ嬢の恋人だったと」
「そういう事になるな。あ、果物いる?」
 既にデザートに移っていたシルバは、果物の入った籠をキキョウに差し出す。
「うむ、頂こう。リフもどうだ」
「に。そのまま食べるとすっぱい」
 キキョウがぶどうを選び、桃を手にしたリフは、アリエッタの手元にあるグレープフルーツに気がついた。
「あ、いいんですいいんです私、こういうの好きなので」
「じゃあボクも食べてみる!」
 塩焼きを囓りつつ、ヒイロも大きなグレープフルーツを手に取る。
「いや、お前もわざわざ対抗しなくても。なるほど、そのロメロが俺を襲ったのは司祭長の仲間だと思われてたんだな。……それにしても、そうなると分からない。あの場に彼はいたんだ。あの司祭長は嘘をついてた事になる」
 シルバは栗の皮を剥きながら、考える。
「何でだ?」


「その辺について、アリエッタさん、心当たりはありますか?」
 カナリーの質問に、アリエッタは困った顔をした。
「え、えー……な、ないですよそんなの、きっと司祭長様の方に何か都合があるんじゃないでしょうか」
「……そもそも、どうして教会の人達に追われているんですか?」
「あ、えと、その、私とロメロでは立場が違うというかですね……まあ、向こうは村長の息子ですし……」
「村長の息子と……アリエッタさんは?」
「私はただの一町民でしてお義父さんもいい顔をしてくれなかったって言うかいえ本人が直接言った訳じゃないんですけど態度とか言葉の端々で分かるっていうか」
 ションボリするアリエッタに、カナリーはつまらなそうに肩を竦めた。
「……はぁ、何とも馬鹿馬鹿しい話ですね。自分達が貴族だとか言うのならともかく、村長が身分がどうとか言えるほど大層なモノとは思えませんよ」
 しばらく黙っていたシルバは、それに口を挟む事にした。
「だがしかし、それが障害になっているというのなら、そこに問題はあるって事だろ」
「うむうむ、エクリュのお父上はアレは特殊なタイプだと、某は思う」
 からかうように言うキキョウに、カナリーは突っ込む。
「いや、キキョウ、そういう話じゃないでしょう!?」
「え、貴族なんですか?」
 アリエッタが目を瞬かせ、カナリーは慌てて首を振った。
「いや、わ、私はただの、学者の家系ですよ?」
「はぁ」
「と、とにかくそれって……つまり、駆け落ちですか」
「は、はい、そんな所です。でもすぐに追われちゃいまして、村の皆さんなら撒く自信があったんですけど、街の方から来た司祭長様達の足が速くて追いつかれてしまってそのままはぐれてしまい……」
「あ、そ、それなんじゃないでしょうか、シルバさん」
 タイランは何かに気付いたらしく、太く大きな鉄の手を合わせた。
「何が?」
「司祭長さん達が、私達に色々隠してたみたいだったのは、村長の息子さん、ええとロメロさんでしたっけ、彼が駆け落ちしたのを知られたくなかったから、とか……教会の人、なんですよね?」
「……なるほど。教会の子供がそういう事なら、確かに表沙汰にはしたくない、か。一方で、この服を着てる俺をロメロって奴が襲ったのは、俺の事をサイレン司祭長の身内だと勘違いしたから……辻褄は一応合うな」
「で、ですよね」
 とはいえ、とシルバは内心考える。
 タイランのその考えは、半分は彼女の話を全面的に信じる事が前提での話になるのだが。残る半分は、森の中であったロメロと思われる少年に襲われた事や、サイレン司祭長とのやり取りからの推測となる。
「それであの一つお願いがあるんですが」
 キキョウの短刀でグレープフルーツの皮を剥いてもらい、アリエッタは申し訳なさそうに頭を下げる。
「心配しなくても、この昼飯なら別に料金は取らないぞ」
「相手によっては、危うく食い逃げ犯になる所でした!? 世の中は油断出来ません人間社会超怖い! シルバさん達いい人です!」
「冗談はさておき、頼みってのは?」
 何となく察しはつくけどな、とシルバは頭の中で考える。
 そしてアリエッタの話は、案の定だった。
「た、多分ですねロメロは村に戻されていると思うんです。説得は多分無理ですし私が戻った所で捕まって……えーと多分街の方に強制的に戻されてしまいます。なので誰にも知られずにこっそり彼を村から逃がしてもらえませんでしょうか」
「……捕まったって事は見張られてるよな? 彼が、監視されてそうな場所の心当たりは?」
「多分教会地下の納骨堂だと思いますロメロが言ってました悪い事をした人は反省を促す為にみんなここに一晩とか何日とか閉じ込められるって。それに他にそういう事が出来る場所が村にありません」
「誰にも知られずに……かぁ」
 場所まで分かっているなら、仕事としては楽な方だろう。
 後は、誰が行くかだが……そこでリフと目が合った。
「に!」
「……夜なら、もう一人いけるな」
「ですね」
 霧化が出来るカナリーが頷く。
 その気になれば他のみんなも動けるだろうが、ここは少数の方が動きやすいだろう、とシルバは思う。
 後は、自分が入っての三人である。いや、ネイトがついて来るから四人か。
「や、やってくれるのですか」
「やるとしたら、二つ条件がある」
 パァッと顔を明るくするアリエッタに、シルバは髪を掻きながら指を二本立てた。
「はい?」
「一つは、納骨堂に入った後、ロメロと話をさせる事。ここまでの話は全部、君の口から出てる。失礼な話、君とロメロが駆け落ちしたという裏付けを本人から取りたい。向こうの合意があったら、連れてくる」
「そ、それで構いません全然大丈夫ですそれでもう一つは?」
「依頼料」
 ピシッとアリエッタの笑顔が固まった。
 直後、思いっきり狼狽え始める。
「ひぁっ!? そそそそれがありました!」
 とはいえ、シルバもここは引く事が出来ない。
 基本的に、アリエッタが何か隠しているっぽい部分も引っ掛かっているのだ。だが、それ自体は言うつもりはなく、別の理由をシルバは説明する。
「うん、この件は俺達もそれなりのリスクを負う事になるからね。何せ相手は教会関係者だし、下手をすれば俺達は誘拐犯扱いされかねない。けど確か金がないんだよなぁ……」
 あくまで印象だが、やはり彼女には何か言えない事情があるようなのだ。
 その一方で、もしもこれが真ならば、助けてあげたいと思うのも確かである。
 彼女自身のリスク、自分達への担保になるモノがあるのなら、話は早いのだが……とシルバも困っていると。
「じゃあこれで」
 言って、アリエッタが襟元から引っ張り出したのは、ネックレス……ではなく、細い鎖に繋がれた指輪だった。
 鎖から外されたそれを、シルバは受け取り、太陽に透かしてみせる。
 シンプルだが、値打ちはありそうだ。
「指輪? 結構いいモノっぽいな……刻印がある」
「ロメロがスターレイで細工師に彫ってもらったそうです結構値が張ったとか言ってましたし依頼料にはなるんじゃないかと思います」
 刻印を読み上げると、そこにはゴドー聖教の婚姻祝福の言葉が刻まれていた。
「っていうかこれ婚約指輪じゃねーか!?」
「彼が戻って来なきゃ意味がないじゃないですから! あ、あくまで担保なんで後でお金払って取り返しますんで一つよろしくお願いします!」
 頭を下げるアリエッタに、シルバは弱り切った。
 こんな重い物を預けられては、断りようがない。


 依頼を受ける前に、アリエッタを抜いた全員で、相談をする事にした。
 彼女から少し離れた所で、車座になる。
 もっとも、受ける事は全員、ほぼ一致しているようだった。
 相談の内容は、つまるところ依頼の中身自体の問題である。
「で、どう思うみんな」
 キキョウが小さく手を挙げた。
「某は怪しいと思う。どう見ても、何か隠しているとしか思えぬ」
「だよなぁ……」
「その一方で、手助けしたいとも思うのだ。某も、困る」
「ま、その点はキキョウと一緒だな。けど、その上で俺はこの話に乗ろうと思う」
 実はみんなにはまだ話していないが、シルバが引き受ける気になったのには、もう一つ別の理由があった。
「……ですよねぇ」
 カナリーはどうやら気付いているらしく、小さく溜め息をつく。
 心配そうに自分達を見守っているアリエッタに、タイランが首を向ける。
「婚約指輪を担保にしてまで依頼されるんですから、相当でしょうしね……」
「いや、そこじゃないんだタイラン」
「え?」
「んー……」
 シルバの場合はあくまで勘なのだが、ほぼ間違いないと思う。
 そしてカナリーは確か処女非処女の臭いが分かるとかいう話を以前していたし、『そういう事』もおそらく察知出来るのだろう。
 だから、シルバも自分の推測には自信があった。
「カナリーは、分かってるんだろう? 川で溺れてずいぶんと長く沈んでたっぽいけど、大丈夫なのか、アレ?」
「ええ、幸い異常ないようでした。活力も相当ですね」
 ヒイロがシルバの裾を引っ張ってきた。
「先輩も、気付いてたの?」
「まーな。田舎だと、こういうのは一大イベントだったし何となく気配で」
「ボクんとこも」
 どうやら村育ちというのはどこも似たようなモノらしい。
 シルバもお湯の準備とか、小さな雑用は手伝ったりしたモノだ。
 しかし、通じているのはこの二人だけのようだ。
「に……よく分からない」
 自信なさげに、リフは耳を倒す。
 その様子に、ふむ、と宙に浮いたちびネイトがパーティーの面子を見渡した。
「なかなか興味深いな。分かるのが三人、分からないのが四人か」
「シルバ殿、そういう焦らし方は良くないと思うのだ」
 拗ねるように言うキキョウに、リフとタイラン、おまけにシーラまでジッとシルバを見つめてきた。
 何というか、こういう事を言うのは何故か酷く抵抗を感じてしまうのは何故だろう。
 小さく息を吐き、シルバはこの依頼に乗る気になった一番の理由を、一言で片付けた。
「……いや、子供いんだよ、彼女のお腹ん中」
 色々重すぎて、さすがに断れないシルバであった。


 村の入り口には、煌々と篝火が炊かれていた。
 そして、槍と鎧で武装した二人の聖職者が見張りに立っている。
『ずいぶんと物々しいねぇ』
 夜闇に紛れて空を飛ぶカナリーが、シルバの胸ポケットにいるネイトを経由して思考を飛ばしてきた。
 一方リュックを下げたシルバは、懐に仔猫状態のリフを入れ、平然と村の入り口に歩いて進んでいく。
 既に見張りの視界圏内だが、彼らが気付く様子はない。
 そのまま、シルバは村の中に入っていった。
 もちろんこれにはカラクリがあり、その種はネイトの『悪魔』の札と一緒に胸ポケットにある『隠者』の札だ。
 媒介には、カナリーが着用していたローヴを利用させてもらった。
 その札の効果のお陰で、シルバは今、普通に村に潜入出来ていた。もっとも、魔力は順調に消費されているので、時々魔力ポーションで回復が必要だが。
「モンスターが現れているから、この物々しさなんだろうな。夜の方が、モンスターの活動は活発だろうし」
『モンスター……ねぇ。僕達を、こんなあっさりと通すのに?』
 シルバは夜空を仰ぐ。
 さすがに金髪紅瞳に白のマントというカナリーの出で立ちでは目立ちすぎるので、帽子や服装を変えて、目立たなくしている。
 だがそれでも、カナリーの言う通り、警戒はしていても、警備自体はザルなのに変わりはない。
 広場に出て、足を止める。
 篝火があっても、さすがにシルバは人間であり、目的の建物をすぐに探し当てる事は難しい。
「うーん……リフ。教会の場所は分かるか」
「にぅー……」
「シルバ、向こうだぞ」
 一番に気付いたのは、シルバの肩に乗ったちびネイトだった。
「あっちに建物の屋根が見える。それに村人や教会関係者の思考の方向が面白い。三百六十度、これはモンスターへの警戒心。それともう一つがロメロという少年への怖れのようだ」
「怖れねえ」
 シルバはボリボリと髪を掻きながら、ネイトの指した方角に向かう。
「ま、とにかくカナリーはなるべく空を移動で一つよろしく」
『了解』


 当然な話、その教会は、都市でシルバが務めている大聖堂とは比べモノにならないぐらいこぢんまりとした造りになっている。
 しかし、両開きの扉の前にはやはり二人、武装した聖職者が二人立っている。
「……ここにも見張り?」
 シルバは拳程度の石を二つ拾うと、左右に投げた。
 見張り達は即座に反応し、二手に分かれて入口から離れる。
 シルバ達は、扉をゆっくりと開くと中に入り込んだ。
『に……お兄やけに慣れてる』
「シルバはかくれんぼや鬼ごっこは得意でね。それにしても、教会は二十四時間営業という事か」
「……ウチの親父なら、寝てる時間だ」
 呟きながら、左右を見渡す。
 礼拝堂の中は明かりもほとんどなく、しんと静まり返っていた。
「ああ、お義父様は肝が据わっているからな」
「ちょっと待てネイト、今イントネーションが微妙におかしくなかったか」
「そうか? 何、どうせ将来はこの呼び方だから問題はない」
「ありすぎるわっ!」
 さすがにシルバも突っ込んだ。
「シルバ、静かに」
「……おう、反省」
『とりあえず僕はここで待機。誰か来たら、報告するよ』
 どうやらカナリーは、ガーゴイルよろしく教会の屋根で待つようだ。
「んじゃよろしく」
 シルバ達は教会の奥に踏み込んだ。


「あれは……」
 礼拝堂の先、神像の足下にうずくまっている男がいた。
 一心に祈りを捧げているのは、枯れ木のような中年の司祭だ。
「多分、ロメロ君のお父さんだろうね」
「……やっぱりイントネーション違うじゃねえか」
「に」
 シルバと一緒にリフも、ネイトに突っ込む。
 もっとも、彼に構っている暇はない。
 まずは、ロメロに会わなければならない。
「ま、造りは実家と大して変わらないな。って事はこっちか」
 納骨堂のある場所に、シルバは向かう。
「にぅ」
 その懐で、リフが小さく鳴いた。
「どうした、リフ」
「彼の様子がおかしいと言っている。なるほど、確かに息子が駆け落ちしただけにしては、妙な印象だな」
「に」
 司祭の苦悩は相当な様子で、祈りはずいぶんと必死だった。
「駆け落ちでも、親にしてみりゃ大ごとだろうけど……」
 アリエッタに子供が出来ている事を知っているなら、まあ分からないでもないか、とシルバは考えた。
 もっとも、アリエッタ自身は何だか隠そうとしていたようなので、シルバも追求はしなかったが。
「んー、でもあの人に声掛ける訳にもいかないしな。まずは、ロメロに会おう」
「なんなら私が尋問しても良いのだが」
 心術に精通しているネイトの提案に、シルバは首を振った。
「やめとけ。なるべく魔力は節約しときたいんだ」


 地下への幅広く緩やかな石段は、降りるだけで音が響いた。
「気を付けろ、シルバ。声も響く」
「……だな。リフも気を付けろ」
「にぃ」
 降りた先には、入り口と同じく大きな両開きの扉があった。
 取っ手を握って引いてみるが開かない。押しても駄目だ。
「ふむ、鍵が掛かっているな。シルバ、君のグレートなパンチで破壊するんだ」
「するか。この為のリフだっつーの」
 シルバは腰の袋から、豆を一つつまんだ。
「にぅ」
 リフの一鳴きで伸びた蔓が、鍵穴に潜り込んでいく。


 納骨堂に入るなり、棺桶の一つに腰掛けた赤毛の少年が立ち上がった。
「話す事は何もねえって言ってるだろ!」
「……ってアンタが大声出しちゃ駄目だろ」
 赤毛の少年、ロメロの声は大きく反響した。
 もっとも、彼にはシルバ達の姿は見えない。
 突然開いた扉に、どう対処していいか分からないようだ。
 しかし彼が動くより前に、カナリーの念波が飛んできた。
『シルバ、何かあったのか。見張りが動き出した』
「ロメロが大声を出した。すぐに静かにさせる」
「私が何とかしよう」
 ちびネイトが、指先をロメロに向ける。
 その途端、ビクッとロメロの身体が痙攣した。
「……! ……っ!?」
 口をパクパクとさせるが、声は出ていない。
「……何をした?」
「問題ない。身体が動かない、声が出せないっていう暗示を掛けただけだよ」
 シルバ達の背後で、慌ただしい物音が響いてくる。
「来たようだな」
『入っていった太っているのは、シルバが言ってたサイレン司祭長のようだな』
「なるほど、よくも悪くも響くな。で、ロメロ。大声を出すなよ? 敵じゃない。ネイト、金縛りを解いてくれ」
 近付いてくる足音に焦りながらも、シルバは一旦『隠者』の力を解くと、扉を閉めてロメロに声を掛けた。
「ア、アンタ、今どこから現れた!?」
「秘密。それより俺はアリエッタの使いで来たんだが」
「アリエッタの!? ア、アイツ、無事なのか!?」
「ずいぶんとせっかちだな。いいから少し黙ってろ。すぐ人が来る。誰が来ても、俺達の事は無視するんだ」
「わ、分かった」
 頷くロメロを見、シルバは再び『隠者』の札を発動させた。
 すぐに扉が開き、部下を二人連れたサイレン司祭長達が追いついてきた。


「何かあったのかね、ロメロ君」
「虫が出たんで、ビックリしただけだ。こんな大きくて黒いのが三匹」
 ロメロは棺桶に腰掛け直しながら、指で虫の大きさを表現してみせた。
 しかし、サイレンが気になっているのはそこではないらしい。
 自分が入ってきた扉を振り返る。
「鍵が開いているようだが……」
「外から鍵を掛けたのは、司祭長様の部下だろう。俺が知るはずないじゃないか」
「確かに……」
 ロメロが開けたのなら、普通逃げるだろうと考えたのだろう。
 サイレン司祭長は厳しい目を部下に向けた。
「一体誰だね、戸締まりをしなかった者は!」
「し、司祭長様、声が響くのであまり大きな声は……」
「む、そうか。だがこの事は、後でしっかり追求するから、いいね?」
「お言葉ですが……確か最後に彼と話したのは、サイレン司祭長だったと記憶するのですが……」
 サイレンは部下の言葉を無視し、胸を反らしながらロメロを見下ろした。
「ともあれ衛生面に問題があるようだな。掃除をしっかりしていないから、そういう事になる。死者が眠る場所なのだから、もっと清潔にしたまえよ、君」
「…………」
「それで、君がアリエッタと呼ぶ魔物。あの女の居場所を言う気にはなったかね」
「……!!」
 ロメロの顔が険しさを増す。
 それは、サイレン司祭長の言葉そのものよりも、シルバ達に聞かれた事自体を気にしているようだった。


 もっとも、シルバ達はさして驚いていなかった。
「……やっぱりそういう事だったのか」
 司祭の息子が魔物の娘と駆け落ちなんて、そりゃあ表沙汰には出来ないだろうな、とシルバは感想を抱く。
 それに、アリエッタのしてみても、自分が魔物だと知られればシルバ達が敵に回る可能性があると考えたのだろう。
 黙っていたのは、そういう事なのだろう。
「シルバも気が早い」
 ボソッとネイトが呟く。
「ん?」
「もうちょっと黙って聞いていよう」


「彼女を捕まえなければ、被害は増えるばかりなのだよ」
 ……被害?
 サイレンの言葉に、シルバは肩の上で話を聞いているちびネイトに視線を向けた。
 けれど、その間も司祭長とロメロの話は続く。
「だから何かの間違いだって! アイツは人を襲ったりなんかしない! 第一、一人目の時も二人目の時も、アイツは俺と一緒にいたんだから!」
 見下されるのが気に入らなかったのか、ロメロは立ち上がり、サイレンに詰め寄る。
 だが部下に守られ、サイレン司祭長は落ち着いていた。
「前にも言っただろう? 彼女は人を惑わす魔物なんだ。君の記憶を操るぐらい訳はないさ」
「アリエッタは、そんな事はしない!」
 激昂するロメロに、サイレン司祭長はやれやれと溜め息をついた。
「……君ね、これ以上黙っていると、私もこの件を村の中だけで隠し通す事が出来なくなるんだ。いずれ外部に知られる事になるぞ」
『シルバ、また一人教会に入った。何か焦った様子だ』
 カナリーの念波が届き、シルバは階段に意識を移した。
 駆け足で助祭が一人、納骨堂に飛び込んできた。
 汗だくの彼の様子に、サイレンやその部下達が怪訝そうな表情を向ける。
「どうした?」
 助祭は息を整えると、サイレン司祭長に小声で耳打ちした。
「ふむ……」
 サイレンは、無表情なその顔を、ロメロに向けた。
「今晩、また一人、新たな犠牲者が出た。私の部下だ。君が、隠したから。君が、逃がしたから。大きな事件になっている。責任がないとは言わさないぞ」
「!!」
 ロメロが大きく動揺する。


「……!?」
 動揺したのは、シルバも一緒であった。
 アリエッタは現在、キキョウ達と共にいるのだ。


「みんな気を付けてねー」
「さて、某達はここで待機。何かあっても某は動けぬのでヒイロ、頼むぞ」
 キキョウ達は村に向かうシルバ、カナリー、リフ、ネイトを見送った。
「らじゃ!」
「あと、シーラも」
「分かった」
 敬礼をするヒイロ、シーラも頷く。
 おずおずと、タイランが大きな鉄の手を挙げた。
「わ、私はいいんでしょうか……?」
「タイランは守る方が得意であろうからな。彼女の盾になってもらう」
「ごごごご迷惑をおかけしてますあ、でもいざとなったら私は放っておいて頂いても」
 ペコペコと頭を下げるアリエッタに、キキョウは首を振った。
「依頼主を放っておく訳にはいかぬよ。せいぜい、シルバ殿が其方の思い人を連れ帰るまで、何も起こらない事を共に祈ろうではないか」
「そ、そうですね」
 そんな訳で、残留組は車座になって待機する事になった。
「ま、誰か近付いてきたら、キキョウさんの耳があるから」
 ヒイロは楽天的だ。
「完全に気配を消されたら、分からぬがな……とはいえ、ただの村人や、ヒイロ達から聞いている司祭達ぐらいならば大丈夫であろう」
 戻ってくるまで、特にする事はない。
 何となく無言でいると、アリエッタは流れる川の方を懐かしむように見た。
「ちょうど、この辺りなんですよ。ロメロと出会ったのは」
「む……ただの川だぞ? 釣りでもしにきたのか?」
「いえいえ道に迷っていた所を助けてもらったんです。ウロウロしてたら足を滑らせて今回みたいに川に落ちて流されてしまい、そこを釣りをしていたロメロに拾ってもらったというかですね」
「……その、何だ。其方は、川に落ちるのが趣味なのか?」
 いくら何でも落ちすぎではないかと思うキキョウである。
「そういう訳ではないのですが、よく転んだりはしますねそのせいでお姉ちゃん達にはよくからかわれたりしてましたけどあ、私末っ子なんですよ」
「ほう、家族は街に?」
 どこかアリエッタを怪しいと思っているキキョウは、鎌を掛けてみた。
「あいえ、ちょっと遠い所にいるんです海辺の方に両親はもういないんですけど姉三人可愛いペット一匹で」
 そこにヒイロが首を突っ込んできた。
「それでお付き合いが始まったんだね!」
「ええまあ村に入れられてお世話になっていたんですけど、やっぱり教会の跡取りという事でその、素性の知れない娘では釣り合わないとかそういう事情でこっそりとロメロとは付き合っていたんですもっとも、先日知られてしまいまして猛反対を受けましたが」
「あー子供の事バレちゃったんだ」
 サラッと言うヒイロに、アリエッタは大いに動揺したようだった。
「ななななな何で分かるんですか!?」
「ってこらヒイロ!? そういう事をあまり大っぴらに言うんじゃない!」
 慌てて手で口を塞ごうとするキキョウだったが、もはや手遅れ。口に出した事はもう戻らないのだった。
「あ、ごめん、つい」
「……とまれ、お義父さんがやはり司祭様だけに厳格でしてあれ? どうしてそんな顔をするんですか?」
 気を取り直して、というか早く話題を流したかったのか、話を再開するアリエッタだったが、皆の表情に目を瞬かせる。
 フォローを入れるように、タイランが口を挟んだ。
「あ……いえ、きっとみんな、司祭様という単語と、厳格という単語が結びつかないだけなんだと思います……私も、ちょっと気持ち分かりますから」
「はぁ」
 よく分からないという風なアリエッタだった。
 シルバがこの場にいれば意味合いは違えどやはり「何でそんな微妙な表情になるんだよ!?」とツッコミを入れていただろう。
 話は続く。
 結局、ロメロの父親であるジョージアは二人の交際を許してくれなかったので、ロメロとアリエッタは村を逃げ出した。
 だが、森の中を追われるうちに、ロメロとは途中ではぐれてしまった。
「それで今、こうしてここにいるという訳か」
 キキョウの問いに、アリエッタは頷く。
「そうなります。もうちょっと説得を続けたかったんですけど、力尽くで引き離されそうだったので……どうすればよかったんでしょうね?」
「ふぅむ……」
 力なく笑うアリエッタに、キキョウは自分の身に置き換えて考えてみた。
 とりあえず、シルバの実家に関してはよく分からないので、自分の国の住んでいた郷で想像してみる。
 剣鬼と言ってもいい、養父が頭に浮かんだ。
 交際の善し悪しは別にして、郷から抜けるとするならば……間違いなく道場の高弟達を始めとした、狐面衆が総力を挙げて追ってくるだろう。
「……某の実家なら、死を覚悟せねばならぬな」
「死!?」
「うむ、両親はおらぬが育ての師匠が厳しくてな……まあ、今ではもはや意味のない想像であるが」
 結局の所、現状でもそれに似たような事をして、この国に来たキキョウである。
 一方ヒイロも唸っていた。
「うちだと腕力がなぁ。男女交際はまず拳からっていうのが、ルールだもん」
 独特すぎる家庭であった。
「全部腕っ節で片付けちゃうんですね、ヒイロの家って……」
「私は主の所有物だから、問題はクリアしている」
 父子家庭のタイランと天涯孤独なシーラは、気楽なモノだった。
「皆さんの彼氏になる人も大変ですねぇ」
「あれ……?」
 ふと、タイランは首を傾げた。
 その様子に気付いたキキョウが、小声で囁いた。
「……どうした、タイラン」
「いえ、その……アリエッタさん、私達が全員女性である事前提で、話してますよね……?」
 言われてみれば、と思うキキョウだった。
 それを問い詰めてみようかと思ったが、ふとその耳に小さな悲鳴が届いた。
「ぬ」
 立ち上がり、森の方を向く。
「キ、キキョウさん?」
「森の中で誰か争ってるね、キキョウさん」
 少し遅れて、ヒイロも立ち上がる。
「うむ、複数だ」
 許可を待たず、ヒイロが飛び出した。
「偵察行こう、シーラ!」
「了解」
 シーラがヒイロを追いかける。
「無理に戦おうとするな! 偵察だけだからな! すぐに戻るのだぞ!」
「りょーかーい!」
 ぶんぶんと大きく手を振るヒイロとシーラは、闇の中に消えていった。
「……ここに残ったのが全員戦士というのも、悩みどころであるな。偵察に向く人選に困る」
「ですね……」
 残ったキキョウらは、再び腰を下ろした。


 一方森の中を駆け抜けるヒイロらは、五分ほどして目的の場所に辿り着いた。
 争乱の声や松明の火、それに闇の中で蠢くモンスターの影で、一目瞭然だった。
「あれだね」
 少し高い場所で、聖職者達の戦いをヒイロ達は見守る。
 モンスターは5メルト程度の背丈の、軟体モンスターだ。丸い頭に、太い触手が何本も伸びている。その一本に助祭が一人、捕まっていた。
 どうやら彼らは、捕まった仲間を助ける為に奮闘しているようだ。
「多少訓練された人間が五人。戦っているのは中型モンスター。俗称ハッポンアシ」
「げ。アレあんまり好きじゃないんだよね、手応えがよくなくて。食べると美味しいんだけど」
 シーラの分析に、ヒイロは顔をしかめた。
「最も相性がいいのはキキョウ。斬撃系の武器が有効とされる」
 ハッポンアシは突如、触手で捕らえていた助祭の一人を地面に落とすと、そのまま森の闇の中に身を潜めようとスルスル後退を開始する。
「あれれ、逃げちゃうよ?」
「こちらの気配に気付いたから。未知の敵相手に、ハッポンアシの警戒心は強い」
「思ったよりも早いなぁ……追いかける?」
「偵察が任務」
 もう既に、ハッポンアシの気配は遠くへ消えつつあった。
 聖職者達は、捕まった仲間を介抱するが、どうやら意識がないようだ。
 触手の攻撃の一つ、精気吸収を受けたらしい。……幸い、命に別状はないらしく、彼を仲間が担いでこちらも撤退を始めた。
「……しょうがない。向こうも精気吸われたのが一人だけみたいだし、戻ろっか」
「そうする」
「にしても、ハッポンアシって確か海辺に住むモンスターだよね? 何で山の中にいるの?」
「不明。けれど短時間のうちに、同じ単語を二度聞いている点は興味深い」
「え、何の話?」


 新たな被害が出たと言う事で、サイレン司祭長は慌てて部下と共にいなくなり、納骨堂には薄暗い闇が戻った。
 ごくわずかな明かりは魔法光のようだ。
「……話は聞いてたか」
 棺桶の一つに腰掛け、ロメロが呟く。
「そりゃ、この場にいるからな」
 シルバは『隠者』の札の力を解き、答える。
 ロメロは気まずそうに、シルバを見た。
「それで……アリエッタの依頼は破棄されるのか?」
「いや? 一度受けた仕事だし、ある程度予想はしてたからな」
「いいのか? アイツは魔物だってのに」
「大した問題じゃないな、そりゃ。どうもあのおっちゃんの話は一方的に聞くのは危険な気がするし。それより脱出だ脱出。何かアテがあるんだろ?」
 シルバの問いに、ロメロは驚いたように目を見張った。
「何でそう思う」
「そうじゃなかったら、昼間みたいに扉が開いた途端、殴りかかってるはずだろ。そうしなかったのは、何かここにあるんじゃないかって思ったんだ。相手が誰かも見極めずに殴るのはやめた方がいいぞ」
「ああ、アンタ、あの時の……!」
 ようやくロメロは、思い至ったようだ。
 その間に、シルバは床に規則正しく並んだ棺桶を見渡した。
「納骨堂だから……そうだな、どこかに抜け穴とか、そんな所かね」
「に?」
「古い建物にはよくあるんだよ。もっとも、こんな田舎の教会じゃ珍しいけどな」
 懐から見上げてくるリフに、シルバは答えた。
 感心したように、ロメロはため息を漏らした。
「……アンタがあの司祭長の部下じゃなくてよかったぜ。そうさ、ガキの頃に見つけた秘密の通路が奥にある。そろそろ脱出しようと思ってた所なんだ」
「なら、話は早い。さっさと抜け出そう。んで、アリエッタの所に送れば、依頼は終了だ」
「ところで一つ聞きたい事があるんだ」
「何?」
「……明かり、持ってないか? 通路が暗くて……」
「……迂闊すぎるだろ、おい」
 どうにもせっかちな性格らしい。
 シルバはやれやれと、持ってきていた松明を差し出した。


 ロメロの先導で、地下にあった黴臭い土の通路を進む。
 何となく間が持たないと思ったのか、ロメロが語り始めた。
「……アリエッタとは、魚を釣ってた時に出会ったんだ。どこかで足を滑らせたらしくて、川を流れてきて」
「……なあ、あの子が川で溺れるのは、趣味か何かなのか?」
「知らねーよ。とにかくそれが半年前。それまでは言葉も分からなかったし、大体何でこんな遠くまで……あ、今はもう分かってるけど、アイツの実家すごく遠いんだ。パル帝国の東、サフィーンの近くにある内海の漁村だって言ってた」
 パル帝国の東側でサフィーンの近く。
 ふと、シルバの頭に閃くモノがあった。
「へえ、そりゃ奇遇」
「に」
 応えるように、リフも鳴く。
 キョトンとした顔で、ロメロが振り返る。
「何が?」
「コイツの故郷もその辺なんだよ。なぁ、リフ」
「にぅ」
 頭を撫でられ、リフは嬉しそうに小さく声を上げた。
「とはいえ、いくら迷子でも、そんな遠くからここまで放浪はしないだろ」
 歩いて彷徨い歩いたら、年単位になってしまう。
 それはロメロも疑問に思っていたのだろう、歩みを進めながら困ったように頭を振った。
「そこがよく分からないんだな。何か妙な遺跡にでも触れたのか……冒険者なら、そういう事もよくあるんだろ?」
「よくあるかって聞かれると、ちょっと微妙だけどな……それにしても何だろう。妙に既視感を覚えるぞ、この内容」
 どうにも何か引っ掛かるシルバであった。
「うん?」
「いや、こっちの話」
 シルバは首を振り、ロメロの話を促した。
「とにかく金はない。身よりはない。言葉も通じないじゃどうにもならないってんで、うちで世話する事になったのさ」
「ふむ……その辺は俺達が聞いてたのと違うな。彼女は、街に住んでるって言ってた」
「ああ、そりゃ俺が考えたんだよ。もし誰かに出会って村に住んでるっつったら、こっちに連れ戻される可能性があるだろ?」
「……なるほど、一応考えてたんだな」
 シルバは頷き、アリエッタが魔物って事に気付いたのはいつか聞こうとしたが、思い直した。
 何となくタイミングがよくないし、単なる好奇心で変に警戒されても困る。
 シルバ達の仕事は、アリエッタにロメロを引き合わせる事なのだ。


 通路を抜け、森の中に出た。
 いつの間にか少し坂道を登っていたらしく、見下ろすと篝火の焚かれた村が少し離れた場所にあった。
 ロメロに気付いた様子がないので、シルバは急いで松明を消した。
「あ、ああ、悪い……それにしても、よく金があったなアイツ」
 ふと、ロメロは首を傾げた。
 それに対するシルバの答えは明確だ。
「ないよ。君の渡した婚約指輪が担保になってる」
「何考えてるんだよアイツは!?」
 さすがに、ロメロも突っ込んだ。シルバも気持ちは分からないでもない。
「うん、まあその怒りは割と的を射てるけど、一緒になれなきゃ意味がないって言うのもまた確かだよな。あと、静かに頼む」
「金は俺が働いて、必ず返す。とりあえず手持ちはこれだけしかないけど……」
 言って、ロメロは腰から金袋を引き抜いた。
 手に出したのは、幾分かの金貨や銀貨だった。
「非常に失礼だが、足りないぞ」
 ひょい、とシルバの肩から、ちびネイトが覗き込んだ。
「うお、何だこれ!? 妖精か?」
 初めて気付いたらしく、ロメロは驚いた声を上げた。
 どうやら納骨堂では、ネイトの声だけが聞こえていたらしい。
 しょうがなしに、シルバは答える事にした。
「悪魔」
「何?」
「悪魔だよ。色々あって一緒に行動してる」
「……せ、聖職者だろ、アンタ。それに司祭じゃないか。俺よりもガキの癖に」
 なるほど、体格を見ればロメロの方が立派だろう。
 外見も、ロメロは少年というより青年に近い。
 がしかし、人間外見だけでは分からない。
「……年上だ。多分」
 小さく吐息を漏らしながら、シルバは言った。
「何歳」
「二十歳」
「嘘だ!!」
「嘘じゃないぞ。シルバは君より年上だ。教会に問い合わせてみれば分かる。あと、静かにしろとシルバが言っているだろう。気付かれてもいいのなら、ともかく」
 やれやれ、とネイトは首を振った。
 しかし、ロメロもそれどころじゃないようだ。
「……ああくそ、世の中は広いぜ。とにかく今あるだけは払う。残りは後日、ちゃんと働いて返すから」
「つーか、当座の生活費とか必要だろうに……」
 とりあえず今、受け取る受け取らないで揉めてもしょうがないので、ロメロから硬貨を受け取る事にした。
 金額を数えていると、ふと書物のレリーフの刻まれた一枚のコインに気がついた。
 ……あれ?
「……えーと、ロメロ君」
「何だよ」
「この硬貨は一体、どこで受け取った?」
「に!」
 シルバが指で摘んだコインを見て、リフの毛が逆立つ。
「おやおや、これはこれは久しぶりに見るね」
 そんな声が頭上から響き、シルバは木を見上げた。
 闇夜の中に紅い眼が輝いている。
 どうやら、カナリーが追いついたようだ。
 シルバ達は驚きはしなかったが、ロメロはギョッとした顔でカナリーに向かって聖印を突きつけた。
「!? きゅ、吸血鬼!?」
「声が大きいよ、君。気付かれてもいいのかい?」
 カナリーは音もなく地面に着地し、黒かった髪とマントを本来の鮮やかな金と白に戻す。
「心配しなくてもいい。俺の仲間だ」
「カナリー・ホルスティンだ。よろしく」
 差し出したカナリーの手を、ロメロは恐る恐る握った。
 それから半ば畏れるように、シルバを見た。
「……あ、悪魔に吸血鬼って……アンタ、本当に司祭か?」
「都市の方じゃ割と珍しくないぞ」
 平然と嘘をつくシルバであった。
「さて、あとはこのコインの入手先だな……それが問題だ」


 とりあえずコインはシルバが預かる事にした。
 ここにトゥスケルのコインがあるのは、どういう事か。
 誰かが、あの組織の一員なのか。
 状況から考えると、アリエッタがこの地に現れたのには、連中が関わっていると見ていいだろうが、それは確定でいいのか。
 ……今は移動するのが第一、と分かってはいるが、ついシルバは思考に没頭していた。
「シルバ、何やら難しい事を考えているな。だが実は、それほど難しい事はないぞ」
 ひょい、と肩の上からちびネイトが顔を覗き込んでくる。
「お前、人の心の中を勝手に読むな」
「ふ、術を使うまでもなく、シルバの心の内など私には手に取るように分かる。出来れば式は、実家の教会で挙げたいな」
「何でこの状況で、ウェディングプランを考えなきゃならんのだ!? ……っていかんいかん」
 夜の山道を歩きながら、シルバは慌てて自分の口を押さえた。
 大声を出していい状況ではない。
 それは、ネイトも分かっているらしい。
「将来の事はともかく――」
「……そこは、冗句はともかく、と流す所じゃないか?」
「出来れば言質が欲しかった」
「死んでもやらん」
 そんなシルバ達と並び歩き、やれやれとカナリーが肩を竦めていた。
「それはいいから二人とも、話を進めてくれると助かるんだけど」
「うむ。要は、誰がこの件で得をするかを考えればいいだけの話だ、シルバ。彼女がこの地に現れる事で、何が起き、誰が得をする?」
「…………」
 シルバとカナリーは、揃って後ろを振り返った。
「待て!? 何でそこでみんな俺を見るんだよ!?」
 ロメロが焦りながら後ずさる。
「ま、半分冗談だ」
「半分本気だったって事だなテメエ?」
「騒ぐなよ。……まあ、大体察しはつく訳なんだが、確信がなー」
 ふと思い付き、シルバは手帳を取り出した。
 そして、中に疑問に思った事を星明りの下で書き込む。
 もしダンディリオンがこの記述に気付けば、何らかの答えをくれるかも知れない。
「ムカつくのは理解するが、優先順位が違う。まずは、皆との合流が先決だ」
 ネイトの意見には、シルバも賛成だった。
「ごもっともで。んじゃ、とりあえず戦力増やすか」
「に」
 懐のリフを引っ張り出し、地面に下ろす。
 そしてシルバは背中に背負っていた小さなリュックを、草むらに投げ入れた。
「おいおい、何してるんだよ?」
 ロメロはリュックの投げ込まれた暗闇を見るが、どうしていいか分からないようだ。
「ま、ちょっと待ってろ」
「にぅ」
 リフは一声鳴いて、茂みの中に潜っていった。
「に!」
 直後、小さな鳴き声と共に、森の奥が緑色に発光した。
 待つ事一分。
 衣擦れの音がやんだかと思うと、帽子を目深に被ったコート姿のリフが茂みの中から現れた。
「戻った」
「……おい、もしかして」
 ロメロの疑問に、シルバは頷いた。
「もしかしなくても、今の猫だ」
「……アンタの仲間はどうなってるんだ、一体」
「森の中では、鬼と鎧も見たはずだぞ。後もう二人いる」
 キキョウとシーラを指折りカウントするシルバ。
「正確にはさらに三人追加だけどね」
 ヴァーミィ、セルシア、モンブラン十六号を、カナリーが付け加える。
 シルバは、自分達が来た道を振り返った。
「まあ、何にしても無事に脱出出来て良かったよな。万が一捕まって荷物検査されたら、大変だったからな」
「……帽子やコートはともかく、女性用下着はねぇ」
 カナリーが苦笑する。
「仕事に必要です、っていう説明もちょっとな」
「けど、こんな小さいのが頼りになるのか?」
 ロメロは、リフの実力に半信半疑のようだ。
 まあ、外見だけで見れば、確かに強そうには見えないだろう。
 シルバは考えながら、髪を掻く。
「この中で戦ったら……んー、カナリーとリフで二強か。俺じゃ話にならねー」
「格闘戦じゃ、一番強いだろうね」
 うんうん、と頷くカナリーに、リフは帽子を押さえて顔を隠した。
「にぅ……照れる」


 少しだけ広い所に出た。
 村と、自分達が出発した川との位置を考えると、そう遠くはないはずなのだが、夜闇の中では、いまいち人間であるシルバとしては距離の感覚が掴めない。
「距離的には、どんなもんだ?」
 ふむ、とちびネイトが軽く宙に浮く。
「もう少し進まないと、念波も届かないな。間に、司祭長やその部下達が動き回っているから、遠回りをした方がいい……と言いたい所だが」
「……お前、そこで止めたら、大抵ロクでもない答えが続きに来るだろ」
「さすがだな、シルバ。その通り」
「に!」
「……シルバ、僕はとても嫌な予感がする。というかまたか。またなのか、シルバ」
「俺のせいじゃないだろ!? そんな恨めしそうな目で見るな、カナリー! 毎度毎度、トラブルを俺のせいにするんじゃない!?」
 だが、相手はどうやら待ってはくれないようだった。
 正面の暗闇から、ズルズルと地面を這う音と、水の滴る音が次第に大きくなってくる。
 そして現れたのは、見上げるほどの大きさの生物だった。
 いわゆるハッポンアシと呼ばれる中型モンスターだ。
 ヌルヌルとした触手をぬめらせるその軟体生物の頭には、詰襟でスリットの深い、身体のラインがクッキリ浮き出た赤のワンピースを来た少女が立っていた。
 耳の上と腰の辺りから大小の蝙蝠のような羽が生えている所から察するに、明らかに人間ではない。
 年齢はロメロと同じぐらいだろうか、その表情は怒りに燃えていたが、それでもなお月を背にした彼女の姿は可憐であった。
「貴様共、我妹拐敵衆! 推測服装、汝敵確実絶対! 是! 我相手、貴様共打殺全滅! 我妹何処、痛撃与居場所必白状!」
「何か言ってるぞ」
 捲し立てるその台詞が不穏な事は、何となく分かるシルバだった。
「に……あれ、サフィーンの民族衣装」
「敵か、敵なのか? いや、敵だよねこれどう見ても……」
 力なく笑いながら、カナリーは既に指先で雷撃の印を切り始めていた。
「何だ!? 何を言ってやがる! けど何か妙に親近感を覚える台詞だ! ……っていうか、アリエッタと同種族!? サキュバス!? え、あれ、もしかしてアリエッタのお姉さん!?」
 どうも問答無用で襲いかかってきそうな気配に、混乱するロメロ。
「よし、ならば翻訳してやろう」
「……精神共有ホント便利だよなあ」
 ネイトの術は、今は祝福魔術が使えないシルバには、とても羨ましかった。
 そして。
『くたばれーーーーーっ!!』
 頭に少女の声が響くと同時に、彼女の手の先から問答無視の光弾が放たれた。


 だが、飛来してきた光弾は、シルバ達に届く前に発せられた紫電によって打ち消された。
『む!?』
「いきなりとはご挨拶だね」
 指先から、煙を立ち上らせながら、雷撃を放ったカナリーが言う。
 サキュバスはそのカナリーに、訝しげな視線を向けてくる。
『……吸血鬼? 人間に味方するなんて酔狂なのもいたもんだ』
「別に人間に味方している訳じゃないさ。シルバに味方しているんだ」
『その人間か!』
 シルバを見下すサキュバスの瞳が、眩い金色に輝く。
 その視線から、シルバは目を離さないでいたが、不可視のその術は金属質な音を立てて、阻まれた。
「効かない効かない。残念だったな」
「ふ……私の愛で包まれたシルバに、魅了の術はまるで無効!」
 シルバの肩の上で、むん、とささやかな胸を張るちびネイトであった。
「って嘘つくなよネイト!?」
「いや、理屈的には合ってるんだが」
「……だとしてお前、後ろのロメロもちゃんと守れよ?」
 ネイトは後ろを振り返り、やる気無さげに首を振った。
「気が進まないなぁ」
「うぉい!?」
 ロメロが叫ぶが、ネイトは完全に黙殺した。
「ま、仕事のえり好みをしている場合じゃないな。……近くに他に敵はなし。サキュバスの方はカナリーに集中するようだ」
 既にカナリーは臨戦態勢に入っており、高みにいるサキュバスと同じ高さに昇っていく。
 シルバは、そのカナリーを警戒するサキュバスを指差した。
「心術で直接説得出来ないか、アレ」
「魔族は魔力抵抗が高いし、沈静化は私ではなくシルバの精神力依存だ。賭けになるが、それでもいいならやろう。後はサフィーンの言語とこちらの言葉の二重音声のカットぐらいか」
 そう言われると、シルバも困ってしまう。
「失敗したら、ハッポンアシが暴走する可能性があるな。もう一つ方法があるけど、こりゃ最後だ……しょうがない」
 とりあえずは、腕っ節で黙らせるしかないな、と決心を固めた。


 それに応えるように、ハッポンアシの頭から離れ、空中浮遊を開始したサキュバスも叫ぶ。
「そいつらやっちゃって、ハッちゃん!」
 八本の太い触手をうねらせ、ハッポンアシも動き始めた。
「ロメロ、下がっててくれ」
「ば、馬鹿にするんじゃねえ! 俺だって戦えるっつーの!!」
 ファイティングポーズを取るロメロだったが、シルバの目にはその戦闘経験は明らかだった。
「モンスター相手の経験はほとんど無いだろ」
「う」
 無理をせずに……とか言うと余計に突っかかってきそうだったので、必要最低限な事だけ言い、シルバは視線を正面に戻した。
「依頼の対象を守るのも、俺達の仕事。リフ、速攻戦だ」
「に!」
 リフが駆け出し、シルバは精霊眼鏡を掛けた。
 袖から針を滑り下ろし、地面に突き刺す。
「うわ!?」
 地鳴りと共に盛り上がる大地に、ロメロが悲鳴を上げた。
「その陰なら、しばらく持つ! すぐに終わらせる!」
 半ドーム状になった土の上に立ち、シルバは腰の金袋に入れていた札を取り出した。
 土属性である『金貨』の表示された札が輝き、浮かび上がった周囲の土塊が無数の硬貨に変化する。
 生物のように蠢いたそれらが、リフを守るように取り囲む。
「防御は任せろ、リフ! そのまま突き進め!」
「にぅ!」
 ハッポンアシの速度はそれほど速くなく、リフの機動力ならばおそらくは問題はないが、それでも万が一という事もある。
「今回は水属性の『杯』じゃなくて『金貨』なのかい、シルバ」
「ちょっと訳ありでね」
 はて、と首を傾げるネイトに、シルバは小さく笑った。
 触手の中に突撃するリフの両腕から、二枚の鋭い刃が出現する。


 一方、低い夜空で高速空中戦を繰り広げる、カナリーとサキュバス。
 紫電と光弾が激しくぶつかり合い、何度も二人の身体が交差する。
 そのサキュバスは、リフの腕から生えた刃にギョッとした。
「!? あの子、ただの獣人じゃないの!?」
「ちょっと特殊でね。軟体生物は打撃には強いけど斬撃には弱いはず! ――{雷閃/エレダン}!」
 相手の脇見の隙を突いて、カナリーは強烈な一撃を叩き込む。
 しかし、サキュバスは不敵に笑いながら間一髪、身を翻してそれを回避する。
「斬撃? そんな甘い目論見で、ハッちゃんに立ち向かうっていうの?」
「うん……?」


 ハッポンアシは、おそらく近くの水辺を通ってきたのだろう、触手からは粘液が滴っていた。
「にぅ……ヌルヌルする」
 そしてそれが何を意味するか、リフには刃を立てるまでもなく分かった。
 この粘液が刃の鋭さを阻んでしまうのだ。
「問題なし!」
 リフの背後から、シルバの声が轟く。
 その途端、リフの周囲を囲んでいた硬貨が勢いよく弾けた。
 土煙と化したそれが、ハッポンアシの身体に付着していく。
 茶色になった触手を見つめ、リフは腕を引き絞る。
「に、これならいける……」
 直後、凄まじい斬撃音と共に、太い触手が一本、空中に刎ね飛んだ。


「ハッちゃんっ!?」
 相棒を傷つけられたサキュバスは、悲鳴を上げた。
「どうやら、うちのリーダーの方が一枚上手のようだね」
「よくも、やってくれたなぁっ!!」
 カナリーの言葉にサキュバスは怒りに顔を赤く染めた。
 その周囲にまとめてぶつける気だろう、無数の光球が生じる。
「やれやれ……頭に血がのぼるとね」
 カナリーは雷撃を止めると、速度を上げてサキュバスの懐に飛び込んだ。
「攻撃が単調になるから気をつけた方がいい」
 突然の近接戦闘に動揺しつつも、サキュバスは何とか腕でガードする。
 だが、集中力が途切れたせいだろう、せっかく作った光球達は消滅してしまった。
 これでいい、とカナリーは考える。
 目の前の彼女は、おそらくはアリエッタの身内。
 ならば、必要以上に傷つけるのは得策ではない。
 下が片付くまでの時間稼ぎが、カナリーの仕事である。


「……ぜんぶ、刈っちゃう?」
 うねる触手を易々と避けながら、リフがシルバに振り返る。
「必要なし。懐に潜れたな」
「に」
 シルバがパンと手を叩くと、ハッポンアシの目がギョロリとシルバの方を向いた。
「……うっし、それじゃいくぞ、ハッポンアシ」
 肉体労働はあまり得意じゃないんだけどな、とシルバは内心ぼやきながら、ハッポンアシの側面目指して駆け出した。
 それを追いかけるように、触手が数本、追いかけてくる。
 リフには及ばないモノの、シルバの足よりは触手の動きの方が速い。
 もっとも、それは何も妨害がなければだ。
「リフはそっち!」
「に、りょかい!」
 リフが動くと、手の空いている触手が蠢き、彼女を追いかけ始める。
 どれだけ触手があろうと、ハッポンアシの胴体は一つであり、幸いな事に目も二つだけしかない。
 ならば、リフを追う分、シルバへの追跡も鈍ってしまう。
「んで、こう動いて……」
 目論見通りにいった事に喜んでいる場合ではなく、シルバは踵を返した。
 慌てて触手達がシルバを追い、ウチの何本かはリフを追いかけている触手の間に潜り込む。
「に、次こっち」
 シルバの意図に気付いたのだろう、リフは跳躍してこちらに向かってきた。
 内と外でグルグルと動き回る二人の動きに翻弄され、ハッポンアシは混乱する。
 気がつくと、ハッポンアシのバランスは崩れ、尻餅をついたかのように胴体が後ろに傾いた。
「まず二本!」
 複雑な動きを繰り返した弊害で、ハッポンアシの触手が二本、絡まり合っていた。
 結び目のようになっており、容易には解けそうにない。
 そして、リフの動きは休まらない。
「もう二本、する!」
 それほど知能が高くないハッポンアシの触手が全てこんがらがるのに、それほどの時間は必要としなかった。
 ジタバタともがくも、もうほとんど身動きは取れないでいた。
「はぁ……はぁ……ま、片付いた、と……」
 リフほどに体力無いシルバは、汗だくになりながら頭上の空中戦を見上げた。
「私の出番だな」
 ちびネイトも、シルバの汗をハンカチで拭いながら同じように、カナリーとサキュバスの戦いを見守っている。
「魔力は俺持ちな訳だがな」
 札に魔力を込め、サキュバスに視線の標準を固定する。
 シルバは『悪魔』の札を逆さにかざした。
「魔族よ……弱まれ!」


 空を舞っていたサキュバスは、自分の身体から急激に気力が失われていくのを感じた。
「……な!?」
 その原因が、地上にいる司祭によるモノだとは気付けないまま、ふらふらと頼りない動きで失速していく。
 それを見送りながら、カナリーは大きく息を吐いた。
「やれやれ、終わったようだね」
 ゆっくりと着地すると、シルバはその場にへたり込んでいた。
「シルバ、無事かい?」
「ま、何とか。……けど、一体動きを止めるだけでこんだけ魔力使うんじゃ、この術の濫用は無理だろな」
 言って、シルバは懐から取り出した魔力ポーションを呷った。
 サキュバスも全身に力が入らないのだろう、跪いたままこちらをにらみ返すのが精一杯のようだった。


 戦闘自体は五分程度だっただろう。
 リフに促され、ロメロが呆気にとられた顔で、土のドームの向う側から姿を現わした。
「ほ、本当にあっという間に終わっちまった……」
「とりあえず、話を聞いてもらおうか」
 回復したシルバはそのまま、サキュバスに近付いた。
「{有得/ありえた}はどこにやった!」
「やっぱりあの子の身内か。いや、俺達は敵じゃないんだって。そもそも、そのアリエッタと今から合流しようとしてたんだし……」
「あ、まずいぞシルバ」
 事情を説明しようとしていたシルバを、ネイトが遮った。
「何?」
「新手が来る。この波動は司祭長の部下達だな。どうやらここの騒動に気付いたらしい」
「に。まだ遠くだけど、足音聞こえる。人数は三人ぐらい」
 耳のいいリフも言うのだから、間違いないだろう。
「そうか。移動した方がいいな」
 ならば、ここで争っている場合じゃない。
「シルバ、それだけど」
 へたり込んでいるサキュバスにポーションを与えようとしていたシルバの肩を、カナリーがトントンと叩いた。
 何だ、とシルバはカナリーの指差す方向を追った。
 そこには、まだもがいているハッポンアシの姿があった。
「い、急いで解こう!」
 回復したサキュバスまで協力し、何とかシルバ達はその場を離れる事に成功した。


 司祭達の追跡を避け、シルバ達は大回りでキキョウ達の待つ川辺へと辿り着いた。
 一見すると、亜人達の冒険者パーティーが、キャンプの火を取り囲んでいるように見えるその中で、こちらに気がついた女の子が勢いよく立ち上がった。
「ロメロ!」
「アリエッタ!」
「だから、大声出すなっつーのっ」
「あだっ!?」
 シルバは駆け出そうとしたロメロの後頭部を勢いよくはたいた。
「そなたもだっ」
「ひぃ痛いです!?」
 アリエッタの方も、シルバほどではないが同じようにキキョウに突っ込まれていた。
 そんな訳で二人の再会は、ごく大人しく手を取り合うモノになっていた。
 それを眺め、シルバは小さく息を吐き、後ろを振り返る。
「ともかく、依頼は完了。そっちも言った通りだろ? 俺達は敵じゃないって」
「むうぅ……まあいいや。とにかくアリエッタ、心配したんだよ!」
 まだ、シルバの『魔族封じ』の効果で身体が弱まっていたサキュバス、アリエッタの二番目の姉であるノインは、ハッポンアシの頭上から、妹を見下ろした。
 その姿にギョッと目を見開き、慌ててロメロの背中に隠れるアリエッタ。
「ノノノノインお姉ちゃん!? どどどうしてここに!?」
「どうしてもこうしても、悪い奴らに掠われて行方不明になってたアンタを探してたの! そしたら大陸のほとんど反対側にいるじゃないか! ったく、ハッちゃんの鼻がなかったら、どうなってた事か……」
「……鼻?」
 シルバは、ハッポンアシの顔を覗き込んだ。
「ちゃんとあるの!」
 ようやく回復したのかノインは羽をはためかせて、地上に降りてきた。
「……で、何で代わりに登っちゃってんの、リフさんや」
「に、なかよし」
 ハッポンアシの頭に代わりの乗っかるリフであった。
 ハッポンアシは嬉しそうに七本の触手を蠢かせている。ちなみに切断された足は、しばらくしたら生えてくるのだという。
「……相変わらず、モンスターに絶大な支持を誇るな」
「ハッちゃん、人見知りする子なんだけどねぇ。いや、それはいいや。とにかく帰るよ、アリエッタ! そんな男の陰に隠れてないで、ちゃんと話をする!」
 シルバと同じように、呆れるようにハッポンアシを眺めていたノインだったが、振り返ってアリエッタ達に向き直った。
「いや、その、帰るって……サフィーンまで?」
 義姉の矢面に立つ羽目になったロメロが、遠慮がちに問う。
「そうだけど……そういえばアンタ、アリエッタの何な訳? 襲ってきた連中と、同じ服装してるけど」
「お、俺は」
 一瞬躊躇ったが、アリエッタを庇うように立ちはだかりながら、ロメロが宣言する。
「アリエッタのお腹の中の子の父親だ!」
「…………」
 ノインは無言でロメロを見つめ、それから小首を傾げた。
「ごめん、もう一回言ってくれる?」
「だから、コイツの腹ん中には、俺の子がいるんだよ」
「オッケー」
 ノインの頭上に光球が出現した。
「死ね♪」
 その脇を、シルバが駆け抜けて、二人を押し倒した。
「うぉわっ!?」
「ひゃうっ!?」
 直後、シルバ達の真上を、光球が通過した。
 川に巨大な水柱が生じたのは、そのすぐ後の事だった。
「あ、危ねー……っていうか、妹巻き込んでたっつーの……」
「た、助かったぜ……」
「いいから、お前らは少し引っ込んでろ」
 ロメロに言い、シルバは立ち上がった。
 ノインは笑顔だったが、アリエッタに向けられたその目は据わっていた。
「ふふふふふ、人間? 人間が、アリエッタの夫になるっての? カモ姉が出戻ってきたりナイアルが振られたりした理由を知らないアンタじゃないでしょうに……!」
「だだだ大丈夫! だってロメロ私の正体知っても一緒になってくれるって言ってくれてるしちゃんと栄養くれるしすごく活きがいいし!」
「まあ、それはともかくとして、シルバ殿の身にまで害が及ぶというのなら、某が相手にならねばならぬな」
「同意する」
 刀の柄に手をやったキキョウと、金棒を持ったシーラがシルバを庇うように立った。
「何よ、アンタら? ソイツの何なの?」
「シルバ殿の仲間だ」
「個人的所有物」
「同じく」
 キキョウに続いてシーラが言い、さらにシルバの肩の上でちびネイトが胸を張った。
「おい」
「……うう、羨ましい」
 少しヘコむキキョウであった。
「なるほど、人間だけどこちら側に近いって訳か」
 そして納得するノイン。
「いや! その基準で判断するのはちょっとどうかと思うぞ!?」
 やれやれ……と、それまでなりゆきを見守っていたカナリーが、首を振った。
「何にしても、だ。とりあえず落ち着いて話をしようじゃないか。ここで騒ぐのはあまり得策じゃないのは、そちらも分かっているはずだよ? 帰る帰らないの話もあるけど、シルバの話じゃどうにも一筋縄ではいかない様子」
「だな。村の人間だけならまー、とにかく振り切ればいいだけの話なんだけどさ。それにしたって、ちょっとスッキリしないよなー……ってのは、第三者の感想なんだけど、その辺どうよ、当事者二人」
 コインの事もあるし、誰が村人達を襲っていたのかも、実はまだハッキリとは分かっていない。
 その辺りは、ノインにも聞いてハッキリさせておきたかったシルバである。
 シルバの問い掛けに、ロメロとアリエッタは顔を見合わせた。
 そして、シルバに向き直る。
「そりゃ俺だって、村の人間に分かってもらいてーよ。アリエッタが人を傷つけるような奴じゃないってのは、俺が保証するし、魔族だからって追い出されていいとは思わない。けど、今はアリエッタの身体が一番大事なんだよ」
「わわわ私もロメロの意見に賛成です正体を知られるまでは仲良くして頂きましたし時間を掛けて理解してもらえればとか思ったりもしますけどもうちょっと時間が掛かると申しましょうか」
 一方、苛立つノインには、ヒイロとタイランが近付いていた。
「まーまー、そっちの人もカリカリしないで、ご飯食べれば落ち着くよ。はい、焼き魚♪」
「そ、そういうモノでもないと思うんですけどね……」
「……ふん。こんなモンで懐柔なんてされないからね」
 そう言いながらも、ノインは木の枝に刺さった焼き魚を受け取ると、その腹を囓った。

 水柱を上げた川から少し離れ、森の奥でシルバ達はたき火を囲んだ。
 シルバは自分達がウェスレフト峡谷を目指している事を話し、ロメロとサキュバスであるアリエッタから改めて自己紹介を受けた。
 そして、アリエッタの姉であるノインも、不承不承ながら自分の事を話し始めた。
「ノイン・カノセ。種族はサキュバスでカノセ家の次女。半年前に失踪した末娘のアリエッタを追って、ここまで来た。……って言っても、追跡はほとんどハッちゃんのお陰だけど。ちなみに長女のカモ姉と三女のナイアルは留守番。あの二人は性格的に外向きじゃないしね」
 ちなみに長女は正しくはカモネというらしい。
 そこまで聞いて、シルバはパンと手を打ち合わせた。
「はい、それぞれ簡単に自己紹介を終えた所で、改めて状況の整理をしたいと思います」
「何でアンタが進行役になってんのよ」
 ノインは不満そうだ。
「いや、それなら交代する?」
「い、いいよそんなの。さっさと進めて」
「はいはい。とりあえずこの土地で起こった事を話すな。ロメロとアリエッタは半年前、この地で出会った」
「あ、あれ……? 同じ半年前?」
「それがどしたの? タイラン?」
 タイランが首を傾げ、それをヒイロは不思議そうに見上げていた。
 けれどシルバは構わず話を進める事にした。
「ん、疑問は後回しね。この辺りだと魔族に対する目は割と厳しい事もあって、アリエッタは魔族である事を隠して、ロメロ達村人の世話になった。んで同年代であるロメロと親密な関係になった、と」
「そうなりますロメロにはある日サキュバスである事はバレたんですけど黙っていた方がいいという事になってそのまま。それで言葉と文字を覚えて何とか故郷の村にも手紙を出したんですけどまだ届いてなかったみたいですね」
 コクコクと頷くアリエッタに、姉であるノインは唸る。
「そうなるかな……仮に届いてたとして、アタシにまでは伝わってなかった」
「どうやってアリエッタがこの土地に来たのかは不明、と……」
 シルバはノートに、整理した内容を書き込んでいく。
「はいいつの間に迷い込んだみたいで。あ、でも風景が変わる直前に人の気配と気が遠くなるような感じはしました」
「うん、方向音痴っていうレベルじゃないね」
 カナリーに言われ、アリエッタはしょぼくれる。
「うう……申し訳ない」
「迷い込んだとかそういうレベルの距離ではないのだがな。しかし、話を聞く限りではやはり神隠しの類ではなく、人攫いであるか」
 キキョウも自分の考えを述べた。
 それが、今から半年前から今に至る出来事だ。
「とはいえひとまずこの半年は平穏な日々が続いた。がしかし、ロメロの話ではこの辺りで事件が発生。数日前から、村人が何人か精気を吸われるという被害が出た」
 そこで、小さくノインが手を挙げた。
「ま、そりゃアタシとハッちゃんの仕業だね。さすがに動物の精だけじゃどーにもならなくてさ、行き倒れてた所を発見されて問答無用で襲われ掛けて、返り討ち。あ、死ぬほどの量はもらってないはずなんだけど。言っとくけど、正当防衛だかんね」
 そのハッちゃん、ことハッポンアシは、たき火の輪から少し離れた場所で、リフに遊んでもらっている。
 何故か一人と一匹はお手玉で競い合っていた。
 シルバはそれをしばらく眺め、再び皆に顔を戻した。
「…… まあ、理由はともかくこの報告を受けて、北東の方にある大きな街、スターレイから司祭長達がやって来た。村を訪れた司祭長はアリエッタを即座にサキュバスと見抜いて尋問に掛けようとしたが、ロメロはアリエッタと一緒に逃げ出した。追いかけられた所に、俺達が遭遇。この服のせいで敵と認識されて、襲われた、と」
「ああ、悪い。まさか山狩りの最中に、たまたま冒険者の司祭が森の中にいるとか、思わなかったんで」
 すまなそうに頭を下げるロメロ。
 そして、シルバは難しそうな顔をしながら、腕組みした。
「……俺の運ってどうなってんだろなー。時々自問しちまうんだけど。ともあれ、その後俺達が川からアリエッタを釣り上げ、現在に至る、と。ま、色々疑問はあらーね」
「で、ですね」
 コクコクと、タイランが頷く。
 一方ヒイロは、苛つきながら魚を頬張るノインが気になってしょうがないらしい。
「ねーねー、怒りながらご飯食べると、消化によくないよ?」
「分かってるよそんな事!」
「それよりもこれからどうするかも、問題だ。出来ればこの夜闇に紛れて逃げたい所だけど、向こうも多分もう、主なルートは封じてるだろうな」
「川は?」
「それは俺も最初考えたんだ。けどこの川は西に流れてる。俺達は東に行きたいんだよ。都市に潜り込めば、多分何とかなるんじゃないかと思う」
 ロメロの懸念はもっともだ。
「んー……それについては俺にもちょっと考えがあるんだけど」
 方位磁石で方角を確かめて、シルバは首を振った。
 船でもあればいいんだけどなーと考えるが、ないモノはしょうがない。
 一方、タイランは別の心配をしているようだった。
「ま、まさか、こっちについてこさせる気じゃないですよね?」
「いや、それはないない。お互いにリスク高すぎるって。ま、何にしても途中まではそっちのお姉ちゃんも一緒だろ。そっちが回復するまでは、待とう」
「アタシは今でも充分動ける!」
「だったらちょっと飛んでみてくれる?」
「……今はそう言う気分じゃない」
「という訳で小休止せざるを得ない。んでリフ」
「に?」
 お手玉の手を休めて、リフが駆け寄ってきた。
 その後ろから、ノロノロとハッポンアシもついて来る。
「モース霊山からこっちまで運ばれる時って、何回ぐらい飯食ったか覚えてる?」
「にぅ……数は覚えてないけど、いっぱい」
「うん、まあそうだよな。けど、その答えで充分だ。普通、サフィーンからここまでは、距離がありすぎる。ロメロ、この辺りに古代遺跡とかもしかしてあったりしないか?」
「そんなのやたらにあるぞ? うちの村の収入源は、そんな遺跡を調べに来た学者とかの宿泊費がメインだからな。もっとも、財宝とかはもうとっくに掘り尽くされてないって聞いてるけど」
「その内の一つに、別の場所への転送機能のあるモノがあるんじゃないかなー……っていうのが、考えられる。ま、可能性の一つだけど。んで、それを使って彼女を掠ったのが、コイツじゃないかと俺はにらんでるんだ」
 シルバは書物のレリーフが刻まれたコインを、指で弾いた。
「リフの時も同じような手が使われたのであろうか?」
 キキョウの問いに、シルバは慎重だった。
「トゥ……いや、連中の中にも色々いるらしいからなぁ。誘拐したのが同一人物とは限らないだろう。そもそも、何故、彼女がこの地に置き去りにされたのかが分からない。売られるのならともかく」
「ひぃっ!?」
 シルバの発想に、アリエッタは怯えたようにロメロに身を寄せた。
「考えられるのは、何かの事故で彼女がこの土地に放り出された。もしくはそうする事で何らかのメリットがあった」
「彼女がここに来て、誰にメリットがあったかって話だよな」
 ちびネイトとシルバが頷き合い、皆は一斉に同じ人物を見た。
「何でみんな俺を見るんだよ!? アリエッタまで!」
 視線を一斉に浴びたロメロが、たまらず絶叫する。
 シルバはもう一度、手を打ち合わせた。
「……ま、冗談はともかくとしてこの件で一人、実際利益を得られる人がいる訳で」
「誰だよ?」
 ロメロの問いを無視して、シルバは手帳をめくった。
「んんー、証明したいんだけど、証拠がなくてなぁ。だからちょっと言えない。んでさ、そっち二人」
 シルバは手帳を閉じると、ロメロとアリエッタを指差した。
「俺達か?」
「うん、むしろこの件は二人が主役な訳で。どうする? 証明したい?」
「……そりゃ、してえよ。アリエッタはこんな異国の土地に置き去りにしたってんなら、その犯人をぶん殴ってやりてえ」
 うん、まーそう言うだろうなと、シルバの予想通りだった。
「でも、そうすると相手と向き合う事になるから、彼女を危険にさらす事になる」
「くそっ……それじゃ駄目だ!」
「それじゃ、やっぱり逃げる方優先にしとこう。俺も残念だけどな……ま、でも」
 少し考え、用心はしておくかとシルバは考えた。
「念のためみんな、ちょっと財布出してくれるか? そっちの姉さんも」
「アタシまで!? 何するのさ!?」
 シルバの唐突な提案に、皆は一斉に驚いた。
「もしも追い詰められたら、その時に役に立つお守りみたいなモン。何、別れる時にはちゃんと返すって」
 シルバ自身も含めて、それぞれ金袋を開け始める。
 そんな中、ノインはロメロをジロッと睨み付けていた。
「言っておくけどアンタ、アタシはまだ妹との交際を認めている訳じゃないからね。あくまで今は、休戦状態だって事を忘れないで」
「お、おう」
 さすがにロメロもアリエッタの姉には、強気には出られないようだ。
 一方シルバは必要な硬貨を十数枚、得る事が出来ていた。
「っ!?」
「ぬう、馬鹿な……!?」
 唐突にリフとキキョウが、ある方向を見つめ、臨戦態勢に入る。
「敵か、二人とも!?」
「う、うむ。警戒していたのだが……その、まるで突然に現れたようだ。それなりに訓練された……うむ、これはおそらくシルバ殿の言う、ゴドー聖教の手の者であろう」
「……ある意味、手間が省けた、かな」
 シルバも硬貨をポケットに突っ込み、戦闘準備を整えた。


 司祭長達と会っていないキキョウ達には、簡単に作戦を伝えてから隠れてもらう事にした。
 残ったのはシルバ、ヒイロ、タイラン、ネイト。
 そしてロメロとアリエッタに、ノインだった。
「ひとまずロメロとアリエッタも逃げて――」
「却下ね」
 シルバの提案を、ノインが遮った。
「おう?」
「あの手の輩は、逃げた所で追いかけてくるでしょ。そしてどこかに落ち着いても、常にその追っ手の影に怯える事になる。ここは迎撃して、完膚無きまでに叩きつぶすべきだよ」
「……言ってる事はもっともだけど、別にそこに二人が居合わせる必要はないんじゃないか?」
「こういうのは、目の前で見なきゃ、安心出来ないわよ。経験で言ってるんだから、間違いないね」
「……って言ってるけど?」
 シルバは、当事者であるロメロとアリエッタの方を向く。
「俺は一理、有ると思う」
「ななら私もご一緒します一人で逃げるのも嫌ですし」
 どうやら二人も、ノインに賛成のようだ。
「……オーケー。まずは追っ手と話をさせてくれ。俺達がいれば、問答無用って事にはならないと思う。どっかの誰かさんみたいにはな」
 昼間、シルバを奇襲したロメロが真っ赤になった。
「う、うるせー!」
「んで司祭長とその仲間ってロメロ、どれぐらい強いか知ってるか?」
「かなり強い……と思う。もっともアンタの目から見た基準ってのが分からないんだけど……この付近にモンスターが出れば、駆除するのが神官兵の役割になってる」
「人間相手は?」
「……その経験は、ほとんど無いと思う。ただ、司祭長だけは別格だ。奇跡を使うし、メチャクチャ強いぞ」
 奇跡、という単語に、思わずシルバは顔をしかめてしまう。
「……いやしくも神の僕が簡単に奇跡なんて言葉使うなって。具体的には? 空を飛んだりとか、問題の答えを常に四択にしてくれるとか、前後上下だけで左右からの攻撃を無効化するとか?」
「何だそりゃ」
「……俺の知ってる奇跡の使い手が、そういう事やれるんだ」
 シルバは、適当に言葉をぼかした。
「サイレン司祭長の力はそう言うのとは違う。神への祈りなしで術を使える」
「ほう」
 ロメロの説明に、ちょっとシルバは考える。
 そういう使い手も、いない事はない。
「それよりも厄介なのは、ああ見えてあの人は、ゴドー聖教格闘術の達人なんだ」
「へえ、肉体派か。流派は? 色々あるだろ。ユーロック式とかコラル式とか」
「そ、そうなのか?」
 ロメロは、知らないようだった。
「……了解。直に確かめるしかなさそうだな」
「先輩先輩、その司祭長の相手はボク? ユーロック式格闘術なら、ボク少し知ってるよ。集落に時々来てた司祭の女の人が、体操代わりに教えてくれてたし」
 はいはい、とヒイロが大きく手を上げる。
「まあ、体操の一面もあるけどな。……場合によっては俺が相手でいけるかも」
「先輩が!?」
「あ、危ないですよ……? だって、シルバさん、格闘技の心得なんて、ないでしょう?」
 仰天するヒイロに、タイランもシルバを止めようとする。
 しかし、覚えのあるネイトは笑うだけだった。
「ふ、なるほど。久しぶりにシルバのアレが見られるのか」
「アレって何!?」
「ま、それもハマればの話だけどな。んじゃま、交渉といきますか」


 やがて、森の奥からサイレン司祭長とその部下の一団が現れた。
 ザッと見た所で十数人。
 もっとも、奥にはまだいるかも知れない。
「おお、これはこれは。……誰だったかな」
 サイレン司祭長はシルバの姿を認め、少し考え込む。
「そう、シルバ・ロックール君だったか。その後ろにいる少女は危険な魔物だ。これから始末するので、巻き込まれない内に早く離れなさい」
「魔物?」
 アリエッタは元から、ノインも今は人間の姿を取っている。
 人を魅了しその精気を糧にするサキュバスは、特にアイテムも必要とせず、人の身に変化する事が出来るのだという。
「ああ、君は知らないかも知れないが、サキュバスという人の精気を吸うモンスターなんだ。少年の方は少女に魅了されてしまってね。村に連れ戻して浄化しなければならない」
「……昼間、襲ってきた奴ですよね?」
 シルバは、ロメロを指差した。
 すると、サイレンは大仰に首を振った。
「君を巻き込みたくなかったのだよ。気遣いだ。いいからどいていなさい。これは、冒険ごっことは訳が違うんだ。親御さんや師事する司教に迷惑を掛けるつもりかね?」
「生憎と、おおよその話は聞いてるんですよ。どちらの話を信じるかは、俺が決めます」
 シルバが言うと、サイレン司祭長は大きく胸を張った。
「私はこの教区を治める司祭長だ!」
 だが、その説得力はシルバには通じず、平然と応じた。
「後ろの少年も、聖職者の見習いです」
「ならば、どちらを信じるかなど、瞭然ではないか」
「ロメロ、俺に話した内容に嘘偽りは?」
「ない」
「神に誓って?」
 ロメロは右手を挙げて、宣誓した。
「誓う」
 頷いたシルバは、サイレン司祭長に向き直った。
「司祭長もゴドー聖教の信徒なら承知の上だと思いますが、神に誓った上での虚言は大罪です。神への反逆にも等しいですからね。手順は褒められたもんじゃないですが、身重になった彼女を処罰されると分かってるなら、そりゃ逃がすでしょう」
 肩を竦めて言うシルバ。
 負けじとサイレンは、ロメロを指差した。
「その少年は錯乱している! サキュバスの瞳には魅了という、異性を虜にする恐ろしい力があるのだ! まだ未熟なその少年が快楽によって堕落させられた事は残念だが……ジョージア!」
「……は、はい」
 司祭長の呼び出しに、森の中から痩せた一人の中年司祭が現れた。
 それを見て、後ろのロメロとアリエッタが強張るのが分かった。
「親父……!」
「お、お義父さん……」
 ロメロの父、ジョージアは組んだ手の中でしきりに親指同士を擦り合わせながら、済まなさそうに息子を見た。
「ロ、ロメロ……その、何だ。戻って来なさい。今ならまだ間に合うと、司祭長も仰っている。そりゃ、多少の懲罰は必要になるだろうが、このままだと、立派な聖職者への道も閉ざされてしまうんだぞ?」
「でも、そうしたらアリエッタが犠牲になるだろ。俺は、そんなの嫌だぞ!」
 ロメロの叫びを、サイレン司祭長は嘲笑った。
「残念ながら、父上は君達の子供に祝福を与えられないと言っている。もちろん、我々もだ」
 さらに、ノインもちょっと困った風に手を上げた。
「ま、その辺はアタシも同意見なんだけどね」
「ちょ!?」
 アリエッタの身内から裏切られた事に、ロメロが思いっきり動揺する。
「安心して。別に敵に回る訳じゃないよ。ただ、人間とサキュバスのハーフとなると、うちの故郷でも受け入れるのは難しいかな……っていう現実的な話をしてるだけなんだ。出来ちゃったものを産むなとは言わないけど、結構辛い人生になると思うし。そもそもアタシ自身、人間好きじゃないしね」
 言って、ノインは背中から四本の蝙蝠に似た羽を出現させる。
「……俺達に味方は無しか」
 ロメロとアリエッタは司祭長や武装した神官兵達、ジョージア、ノインと見渡し、項垂れた。
 話は終わりか、と判断した司祭長がスッと手を上げ、神官兵達が武器を構える。
 そこで、シルバも手を上げた。
「祝福しよう」
 ザワ……と、シルバの仲間を除いた全員がざわめき立つ。
「何……?」
 サイレン司祭長が、シルバに問い返した。
「俺が祝福するっつってんの。何か問題が?」
 もちろん、サイレンは激昂した。
「あるに決まっている! 君はまがりなりにも司祭の身でありながら、魔族の誕生を祝福するというのか!? 魔族は神に対する裏切り者だ! その教義を何と心得る!」
「まがりなりも何も、ちゃんと総本山の正式な許しを得て、司祭の身ですよ俺は。あと、その解釈はちょっと違います。魔族は、主神ゴドーと敵対した古き神と行動を共にしたに過ぎず、帰依すればその恩恵はちゃんと得られる事になっている。そうでなくても、ゴドー神は敵でない者には寛容のはず――」
 そこまで言って、シルバは困ったように頭を掻いた。
 言いたい事はそういう事ではないのだ。
 ぶっちゃけた話、誰も二人の味方にならないなら自分がなろう、というそれだけの動機だったりする。
「ご託はいーや。生まれだの育ちだので邪悪と断じるのは、そりゃ差別ってもんでしょ。彼女がこれまで何をし、これから何をするのかがその判断の基準ってモンでしょうが」
「村人に害を与えたではないか! その為に、我々は村に出向いたのだぞ!?」
「あ、それアタシ。アリエッタは一人も襲ってないわよ」
 ノインが言うと、ぐ、と一瞬サイレンが言葉に詰まる。
「そんな話が信じられるか! 大体、お前は何者だ!」
「この子の身内だよ。文句があるなら掛かってきなさい。こっちもいい加減、イライラしてるんだから」
「とにかく、この二人を害するなら、俺がその盾になろう」
 シルバは一歩前に出た。
「あ、じゃあボクも祝福するー」
「わ、私もしますね?」
「ふふ……言わずもがなという奴だな」
「あ、あああありがとうございます」
 ヒイロ達の言葉に、アリエッタがペコペコと頭を下げた。
「……どうやらもはや、説法は通じぬようだな。皆、構え!」
「は!」
 武器を構えた神官兵達も、シルバ達に一歩進み出る。
「たったそれだけの人員で何が出来る! 行くぞ! 神官兵の力を思い知らせるのだ!」
「おお!」
 サイレン司祭長のかけ声と共に、神官兵達が一斉に動き始めた。
 シルバはその場を動かず、大きく手を上げた。
「やれやれ……それじゃ、こっちも行くぜ? カナリー、出番だ!」
「了解だよ、シルバ」
 シルバの指が鳴ると同時に、暗い森に眩い閃光が広がった。


 シルバが目を開くと、まだカナリーが放った閃光は完全に力を失っておらず、夜だというのに敵の神官兵達の姿は丸見えだった。
 彼らは目を覆い、呻き声を上げている。
 袖から札を取り出し、シルバは駆け出した。
「うし、リフ行くぞ」
「に!」
 木の上から下りてきたリフが、シルバと並走する。
「出来るだけ多く盗むんだ。そうすりゃ後でグッと楽になる」
「にぅ……りょうかい。盗賊がんばる」


『シルバ殿、某達はどうすればよいのだ? 細かい部分まで作戦を聞けなかったが、いつも通りでよいのだろうか』
 シルバの頭に、ネイトを通してキキョウの念波が響いてきた。
「そうだな。キキョウとシーラはとにかく手数重視。重い一撃は要らないから、とにかく出来るだけ多くの敵を叩いてくれ」
『承知』
『了解した』
『杯』の札に魔力を送り込み続けながら、シルバは敵の隙間をすり抜けていく。
「相手が術を使ってくるけど、それも織り込み済みだから動揺しないように。カナリーが対応策を持ってるから、その時を待ってくれ」
『対応策とは?』
「すぐに分かるさ」


「目が、目がぁぁああ……!」
 喚き続ける神官兵の中、いち早く我を取り戻したのは、サイレン司祭長だった。
 彼はわずかに早く目を閉じ、カナリーの閃光の影響を受けずに済んでいた。
「皆、落ち着け! {明眼/リライト}を使うのだ!」
 堂々と響くその声に、部下達は皆、落ち着きを取り戻し始める。
 そして一斉に印を結んだ。
「{明眼/リライト}!!」
 盲目効果を無効化するその術で、彼らはようやく視力を取り戻した。
 だが、それだけではまだ足りない。
「続いていつも通りに防御を固める! {鉄壁/ウオウル}!」
「{鉄壁/ウオウル}!」
 神官兵達の声が、夜の森に響き渡る。
「よろしい! では――」
「よいしょおっ!!」
 大上段から襲いかかってきたその攻撃を、サイレン司祭長は両腕をクロスさせて防いだ。
「くっ……! モンスターが!」
 後退し、間合いを取る。
 しかし、鬼族の戦士は骨剣を振りかぶり、お構いなしに距離を詰めてくる。
「モンスターじゃないよ。オッチャンの相手は鬼族のこのボクだよっと!」
 骨剣の攻撃自体は、サイレンにとってはさほど脅威ではない。
 しかし、妙にこちらの動きに対応してくる所を見ると、もしかするとユーロック式格闘術との戦闘経験があるのかもしれない。
 それ以上に厄介なのは、剣攻撃の合間に放たれる蹴りだ。
 どういう力が働いているのか、その威力は酷く重い。
「ええい、ちょこざいな! 皆の者、やる事はいつもと変わらない! 落ち着いて戦えば勝てる相手だ!」
 部下を鼓舞すると、サイレンは目の前の敵に専念する事にした。
 肉弾戦も苦手ではないが、本来自分は指揮官である。
 だが、鬼族のコイツを倒さねば、そちらに集中出来そうにない。


「司祭長様の仰る通りだ! 落ち着いて戦えば、取るに足りぬ数! 行くぞ、皆の者!」
「おう!」
 司祭長の言葉に、神官兵達の士気も上がる。
 その彼らに、正面からメイド服を着た少女が躍りかかった。
「手数で勝負」
 シーラの繰り出す金棒の無数の突きが、一番前の神官兵を捉える――が、虹色の見えざる障壁が、身体への到達を拒んでしまう。
「むぅっ……? だが、神の見えざる鎧で身を固めた俺達に」
 構わず放った次の突きが、勝ち誇る神官兵の顎を捉えた。
「がっ!?」
「手数で勝負」
 {鉄壁/ウオウル}の効果は強力だ。
 弱い攻撃ならば無効化する事も出来る。
 だがしかし、その効果を上回る攻撃力で攻められた場合はどうか。
「き、効かないだと……げ、ご、がはっ!?」
 否、{鉄壁/ウオウル}が効いていないのではない。
 嵐のような乱打が、{鉄壁/ウオウル}分のマイナスを差し引いても、彼に尋常ではないダメージを与えているのだ。
「スピードアップ」
 シーラの攻めの形が変化する。
 頭を振った反動と高速の体重移動から繰り出される、凄まじい金棒の打撃が最前列の神官兵をぶちのめしていく。
「がっ、あぶっ、げぼっ、ぐへあっ!?」
 見る見るうちに顔が血まみれになり、その甲冑もひしゃげていく。
 シーラの攻撃は休まらず、徐々に彼は後退していく、いや、させられていく。
「お、おい、下がるな! 陣形が崩れ、げふっ、ぎゃっ、うごぇっ!?」
 血の嵐は他の神官兵まで巻き込み、徐々に拡大していく。
「誰か、誰か、小盾でも大盾でもいい! 奴の攻撃を止めるんだ」
「だ、駄目です、防ぎきれません! 隊が、げはっ、ぐはぁ……っ!」


 シルバの指示通り、一撃の重さよりも得意の速さで神官兵達を翻弄していたキキョウは、シーラの容赦ない高速爆撃攻撃に溜め息をついてしまう。
「……もしかすると、シーラに術は必要ないのではなかろうか」
 シルバの意図は明白だ。
 神官兵達になるべく多くの魔力を消耗させ、防御を丸裸にさせようというのだろう。
 ただ{大盾/ラシルド}などに比べ、{鉄壁/ウオウル}の効果は持続時間が長い。
 それを何とかするのが、カナリーの役割なのだが。
「まあ、基礎攻撃力が規格外だからねぇ。ともあれ、雷属性を刀に付与したよ。これで魔法攻撃扱い、鉄壁を打ち消せる」
「ありがたい!」
 紫電を刃に走らせ、キキョウは神官兵の一人に斬りかかる。
「さて、と……次はシーラに掛けるとしようか」
 カナリーは、そのシーラの背を見て、ホント、彼女に必要かねえと苦笑した。


 別の神官兵グループは、手の平を夜空目がけて構えていたが、その狙いを定める事が出来ないでいた。
「{神拳/パニシャ}だ! {神拳/パニシャ}を当てろ! 魔族ならそれで落ちる!」
「し、しかし相手が速すぎます! 目で追い切れな――あ」
 夜の闇の中、獣の速さで舞っていたサキュバス、ノインが彼らの前に着地する。
 そして彼女の目を、神官兵達は直視してしまった。
 その途端、自分達の身体が動かなくなった事を彼らは自覚する。
「か、身体が……っ!」
「悪いけど、まだまだ食べ足りないんでね。遠慮無く、精気をもらってくよ」
 ノインは微笑むと、一番近くにいた神官兵の首筋に、細い指先を当てた。


 部下達の阿鼻叫喚の声を聞き、やはり自分が指揮を執らなければならないと考えているのか、サイレン司祭長の顔にも焦りの顔が浮かび始める。
「小僧、舐めるな!」
「ほっ!」
 だが、焦りのせいか攻撃は単調になり、その動きはヒイロに見切られてしまう。
「むぅ……!? ならばこれでどうだ!」
 サイレン司祭長は袖からコインを一枚滑り落とした。
 指で弾こうとするその動作に、ヒイロは骨剣を構える。
「そんな攻撃、打ち返せば――」
「避けろ、ヒイロ!」
「え?」
 シルバの声に、一瞬ヒイロは無防備になった。
「遅い!」
 直後、サイレン司祭長の指先から風を切り裂くような音と共に白い光線が迸った。
「にゃぁ!?」
 間一髪、誰かがヒイロに覆い被さり、サイレン司祭長の攻撃は彼らの頭上を通り過ぎていく。
 そしてその攻撃の先――ロメロとアリエッタを守っていたタイランに直撃した。
「ひゃあっ!?」
 爆発音が大きく響き、その場にいた全員が一瞬、動きを止める。
「……ギ、ギリギリセーフ」
 ヒイロに覆い被さったシルバが呟く。
 危ない所であった。
「せ、先輩、ありがと」
「気を付けろ。弾いたり投げたりしたモノに驚異的な破壊力を込める、ゴドー聖教『砲術』の使い手だ。コインの一撃が致命傷になるぞ」
「それはいいがシルバ、いつまでヒイロ君を押し倒している。何という羨ましい」
「うむ、同感だ!」
「そう」
 シルバの目の前にふよふよと浮いていたネイトが言い、キキョウやシーラも同意する。
「いや、手をとめずに働けよお前ら!?」
 シルバがすかさず突っ込んだ。
 そんな彼らの妙に余裕のある様子を奇異に思いながらも、サイレン司祭長は冷笑した。
「ふ……っ。だが、私の目的は達した。あの一撃を食らえば……」
 派手に上がった土煙で、ロメロ達の様子は分からない。
 とはいえ、鉄扉でも一撃で破壊しかねないあの攻撃を食らって、ロメロ達が無事とは思えない。
 例えあの重甲冑が盾になっていたとしても纏めて吹き飛ばされているはず……。
「あ、あ、危なかったです……」
「何だと!?」
 土煙の向こうから聞こえるその声に、サイレン司祭長はギョッとした。
「生憎とタイランには、その手の攻撃は効かない体質でね」
 シルバは立ち上がり、自分の服の土を払う。
 精霊眼鏡を掛け、右手に針、左手に『杯』の絵札を持つ。
 周囲には、厚い水の膜がカーテンのようにユラユラと揺れていた。
「何処までも邪魔をする気かね、ロックール君」
「……ヒイロ、選手交代。こっちの仕事は済んだから、カナリーに術を掛けてもらって敵を減らしてくれ」
「だ、大丈夫なの、先輩?」
「いやあ、多分勝てないと思う」
「それじゃ駄目じゃん!?」
「でも、負けもしないと思う。何、その間にお前らが、どんどんあの人の部下達を無力化していきゃいいんだよ。さあ、始めようか司祭長」
 肩の上にちびネイトを乗せ、シルバは腰を落とした。
 その構えを見て、サイレンは失笑する。
「舐められたものだな。そんな無茶苦茶な構えで……」
 だが、その言葉は途中で止まる。
 どうやら理解したようだ。
 素人同然のその構えが、妙に様になっており、攻め難いという事実に。
「……だがユーロック式格闘術を修めたこの私の拳、その程度の構えで止められるとは思わない事だな!」


 そして森の中央で、シルバとサイレン司祭長の戦いは始まった。
 全力で行き、そして速攻で叩きつぶす――!!
 その司祭長の目論見は、目の前の少年によってあっさりと阻まれてしまっていた。
「次は右」
「……っ!?」
 繰り出した右の拳は『またしても』回避されてしまう。
 既に上着は脱いでいる。
 汗だくになりながら、サイレンは身体を沈め、シルバの足を払いに掛かる――が、一瞬早く、シルバは後ろにステップしていた。
「足払い、肘打ち、もう一回肘打ち、ストレート」
 その拳のことごとくが受け、弾き、避けられる。
 見てからの回避ではない。
 決してシルバの動きは速くない。
 あらかじめ、サイレンの動きを『予測』しているのだ。
「何故、分かる……! 読心術の使い手か」
 砲術も交えて空振りは、スタミナを極端に消耗させる。
 息を荒げるサイレンに、シルバは肩の上のちびネイトと共に苦笑していた。
「それが出来ればいいんだけどねぇ」
「お手本通りの洗練された見事な攻撃。だが、それ故に読むのも容易い」
「どうやら我が流派の心得があるようだな」
 サイレンは顎の汗をぐいと拭い、構え直す。
 一方シルバも、ゆらりゆらりと揺れる水の膜を後ろに背負いながら、その場で軽快にステップを踏んでいた。
「少し。ほとんど我流ですがね」
「我流でここまで出来るモノか!!」
 サイレンがコインで新たな砲術を放ち直後、一瞬で間合いを詰める。
 爆音が響く。
 やはり当たらない。
 至近距離での攻防は、明らかにシルバが上、ダメージこそサイレンにほとんど与えていないが、防御は全て間に合っている。
「嘘じゃないんだよなぁ」
「うむ、嘘はついてないな。ユーロック流、体操レベルでは習得しているが」
 汗を掻いているのはサイレンだけではない。シルバも同様だ。
 防御にだって、体力は使うし、サイレンは最初の時点で『鉄壁』で防御を固め、『豪拳』で己の力を強化している。腕や足も痛くないはずはない。
 なのに、この違いは何だ。精神的余裕の差だろうか。
『加速』を使わなかったのは失敗だったか、と今更ながらにサイレンは後悔する。だが、『回復』と同様、今更印を切る余裕はない。そんな所を狙われたら、それこそ何をされるか分かったモノではないだろう。
 それにサイレンは、シルバだけを相手にしている訳にはいかなかった。
 獣人やメイドに、鬼族まで加わり、明らかにサイレンの部下達は劣勢だ。
「くっ、このままではまずい」
 態勢を立て直す必要があるが、その指揮はサイレンが担っている。
 一旦、シルバと距離を取る必要があった。
 が。
 足下にシルバの投擲した針が刺さったかと思うと、背後に突然、土の分厚い壁が出現して、サイレンを逃がさない。
 そしてシルバはしつこく、食い下がってくる。
「余所見は困るぜ、司祭長! 今は俺の相手だろう!」
 素人同然のその拳を、サイレンは苛立たしげに払った。
「そんな攻撃が効くと思っているのかね!」
「別に効かなくてもいいんだー」
 挑発するようにいやらしく、シルバは笑う。
「何?」
「指揮官であるアンタの妨害が俺の仕事だから、役目は果たしてるって事さ」
「くう……っ!」
 まったくその通りだった。
 シルバはおそらく予め、前衛職の誰かに指示を送っていたのだろう。
 だから、こうまで余裕があるのだ。
 それにしても、サイレンには分からない。
 シルバの言葉を全て信じる訳ではないが、その動きはお世辞にも洗練されているとは言い難い。
 しかし、ユーロック式格闘術には心得がある。
 間違いなく、その動き、型、連携を知っている。
 それも、おそらくはサイレンと同レベル……いや、もしくはそれ以上か。
 となると、道場の師範か高弟しかいない訳だが……。
「そうか……見過ごしていた。聖職者の親が同じ職業である可能性! 君の父親の名前は何という」
 肉親より、幼い頃から手解きを受けているならば、どれほど格闘の才能が無くても、それなりの対応が出来るだろう。時間稼ぎの為、ほとんど防御に専念しているのならば、なおさらだ。
 しかし、サイレンの問いに、シルバはどこか呆れ顔だった。その肩の上にいる、妖精らしき者も、似たような表情をしている。
「…………」
「どうした、言えないのか!」
「……いや、すごいなと思って。ここに来て、こっちが何の得にもならないそれを素直に教えると思える神経が」
「目上の人間に対して、そういう口に利き方は感心せんぞ、ロックール君! これは懲罰会議に掛ける必要がある!」
「いやいやいや、司祭長の教区に俺、属してませんし。まあ、教えてもいいけどさ。アイアン・ロックール。知らないだろ?」
「ふ、聞いた事もない! ユーロックの門下生の中でも、未熟だったのだろうな」
「親父を馬鹿に――」
 挑発するようにサイレンが言うと、シルバの表情が怒りに歪んだ。
 好機と見たサイレンは、じゃらりと十二のコインを目の前に浮かせた。それが地に落ちる前に、十二の高速の突きで『砲撃』を放つ。
 巨大な爆風が生じ、サイレンは手応えを――感じなかった。
「う」
 代わりに、背筋に寒気が走った。
「何てな!」
 足下に、またしても針が刺さっていた。
 急激に足場が持ち上がり、小さな山が生じる。
 踏ん張りが利かず、たまらずサイレンは後ろに転げ落ちる。
 その無様な姿を、シルバが見下ろしていた。
「……ま、知らなくて当然さ。まったく、ウチの親父は自称『正真正銘無名の一司祭』だからな」
「うむ。別にお義父様に、格闘技の心得はないし」
「だから、その微妙なイントネーションは何なんだと」
「将来を見越しての発言だ」


 シルバの父親、アイアン・ロックールは実際、家事全般と妙に用意がいいのが取り柄なだけの、平凡な司祭である。
 ただ、母親であるルビィ・ロックールについては聞かれなかったし、わざわざ教えてやる事もないと判断した。
 旧姓を、ルビィ・ユーロックという、同じく司祭である。
 姓からも分かる通り、父親であるスティール・ユーロック(シルバにとっては母方の祖父に当たる)は、ゴドー聖教格闘術、ユーロック流派の伝承者であり、ルビィも「もしも男ならば」家を継いでいたであろうと言われている。
 もっとも現在、ルベラントにある道場はシルバの伯父が継いでおり、ルビィはドラマリン森林領にあるスイカ村で分派の道場を中心に、周囲の異種族の村にもゴドー聖教とユーロック流格闘術の布教に勤しんでいる。
 ……そしてシルバ自身はまるで格闘術の才能はないが、七人の姉妹にはやたら素質があり、じゃれ合いも含めた兄弟喧嘩でシルバは勝った試しがない。
 女性に手を上げる事に抵抗があったというシルバの性格もあり、ロックール家での最弱は父親と一、二を争っていたと言ってもいい。
 本来、シルバは喧嘩がからきし弱い。そこらのチンピラにも後れを取るかもしれない。
 ……だが、ほぼ毎日彼女らの相手や年少組の門下生の世話をしていたシルバは、こと『ユーロック式格闘術の回避』という一点に関してだけなら、自信があった。
 何しろ日常では1対多数が基本、最悪1対7での戦いだ(姉妹の中では特に次女サファイア、踊り子でもある三女エメラルド、双子の妹クォツ&ルリの連携が厄介だった)。しかも、下手をすれば命に関わる(特に年少組は手加減を知らなかった)。
 相手が一人ぐらいならば、何とかなると踏んだシルバであった。
 そして、それは今の所成功している。


 そうこうしている内にも、神官兵はどんどん減っていっていた。
 指揮官が足止めされているというのも大きいだろうが、いくら何でもこれは酷い。
 大盾や回復といった、戦闘時に放たれる祝福魔術の声すら、ほとんど聞こえないのだ。
 慌てて、サイレンは立ち上がった。
「ぬうっ、皆、何をしている! 魔力ポーションの用意を忘れた者はいないはず! 早く回復して、巻き返すのだ」
「し、司祭長、それが……!」
 部下の一人の言葉に、サイレンは絶句した。
「何!?」
 曰く回復薬がない。
 魔力ポーションもいつの間にか無くなっていた。
 獣人やメイドの相手をしている内に、元々の魔力はどんどんと消耗し、だが回復しようにもそれらがなければどうしようもない。
 近接戦闘に持っていったが、そちらは本職である戦士達には敵わない。
 おまけに最後方、邪悪なサキュバスを守っている重甲冑が随時、回復薬で前衛戦士達を回復するのだから、こちらが負けるのも道理の話である。
「ふぅ……」
 ふと、サイレンは小山の上に立つシルバを見上げた。
 汗こそかいているモノの、疲労の具合は息の荒い自分とは大違いだ。
「……君、何故回復している」
「いや、ポーションが大量にあるから」
 そう、シルバが指差したのは、自分の後ろにある水のカーテンだった。
「……その、大量のポーションは、自前かね」
「だから、教える義理はないんだって」
「ならば、力尽くでそれをもらう」
 跳躍し、サイレンは水膜に手を伸ばす。
「却下!」
 シルバの叫びと共に、それはまるで自分の意思でもあるかのようにヌルリと蠢き、逆にサイレンの足を払った。
 空中で体勢を崩しながらも、一回転してサイレンは無事に着地する。
「面妖な……どうやら君も、邪悪に魅入られているようだな!」
「自分の理解出来ないモノを、そうやって全部異端だの邪悪だので断じるのはどうかと思うぜ。ともあれ、不思議な事に部下の方々のポーション類は、いつの間にか失われていて回復もおぼつかない。戦いにおける補給の重要性を知らない訳ないですよね」
『杯』の札を手にしながら、シルバが言う。
 なるほど、明らかにサイレン達の方が、状況は悪い。
 しかしそれでも、サイレンは笑っていた。
「くく……詰んだ、と思うのはまだ早い。君には経験が足りん」
 小さく口の中で必要な言葉を紡ぐ。
 視界が一転し、シルバの後頭部が視界に入る。
 だが、肩の上の小人と目が合った。
「シルバしゃがめ!」
「空間跳躍っ!?」
 サイレン必殺の蹴りは、ギリギリの所でシルバに避けられてしまった。
 ならば、と次の方法をサイレンは練る。
 そして再び、サイレンは空間を跳んだ。


 ドッと全身から汗が噴き出るのを自覚しながら、シルバは身体を起こした。
 その視界に一人の男が呪文を唱えているのが、目に入った。
「キキョウ君、ノインさんを離脱させろ!」
「カナリー逃げろ!」
 ネイトとシルバの叫びはほぼ同時だった。
「承知!」
「りょ、了解!」
 キキョウが跳ね跳び、カナリーが勢いよく飛翔する。
 ほぼ同時にその男――ジョージアの呪文が完成していた。
「{回復/ヒルグン}!!」
 青白い聖光が森を包み、疲弊してはいるもののまだ戦う力の残っている神官兵達が、身体を起こす。
「ぐ……っ! た、助かった……」
 しかしやばいな、とシルバは思った。
「ロメロの親父さん……ずっと後方に下がっていたのか……」
 これまで沈黙していたのは、魔力を節約する為、ギリギリまで回復の機会を待っていたのだろう。
「どうやら、シルバと同タイプのようだな。ある意味では、一番厄介な男だ」
「俺、そんなに性質悪い?」
 ネイトの言葉に、シルバは周囲を見渡した。
 回復でダメージを受けるノインを押し倒したキキョウや、宙を舞うカナリーが、明後日の方角を向いた。
「ってみんな目を逸らすなよ!?」
「そんな余裕を見せていられるのも今の内だぞ、ロックール君。ここから――」
 いつの間にか距離を取っていたサイレンが、両手で印を組んでいた。
 そして。
「――形勢逆転だ」
 森のあちこちから、光の柱が生じる。
 そして聖獣、異界からの来訪者である光人、燐光を放つ精神生命体等が、その光の柱から次々に出現する。
「召喚陣も描かずに……!?」
「なるほど、これがロメロ君の言っていた奇跡の類か……空間跳躍と言い、ただ者ではないな」
「いや、落ち着いてる場合じゃないだろ、ネイト!? 瞬間移動て」
 そんな術、先生でもほとんど使えないというのに。


 炎に包まれた獅子、冷気を振りまく鷹、知性を宿した瞳を持つ巨猿……彼ら聖獣達はゆっくりと、一点に集まりつつあった。
「に……?」
 聖獣らに恭しく囲まれたリフは、少し戸惑ったように首を傾げた。
「あ」
「あー」
 その光景にシルバやカナリーが納得したような声を上げる。
「ど、どうした? どうして戦わない!?」
 逆に勝ち誇っていたサイレン司祭長や、形勢の逆転を確信していた神官兵達は呆気にとられてしまう。
 一方、全身から光を放つ人型――天人や、燐光を放つ糸や球の形をした精神生命体は、ユラユラと揺れながら、リフに近付くべきか迷っているかのようだった。
「ネイト、天人や精神生命体は何で戸惑っているか、分かるか」
「言葉が通じないからだ。しかしリフの霊格を本能的に察し、その攻撃を阻んでいる。もう少し人間のように霊格が低かったり、下手に知能が低ければ、それを感じる力すらなく攻撃していただろう。逆に高くても、私達は力不足で問答無用でやられていただろう。ふ……何、そういう事なら私の出番だ。――精神なら、私の専門分野だからな」
 ちびネイトはシルバから離れると、揺らいでいる彼らに近付いた。
 天人や精神生命体達の明滅は激しく繰り返され、やがて聖獣達と同じようにリフの周囲に集まった。
 慌てたのは、サイレン司祭長だ。
「何だ……一体、何が起こっている? その薄汚れた獣人は何者だというのだ!?」
「あの服は薄汚れてるんじゃなくて、そういう色なんだよ!?」
 すかさずツッコミを入れ、シルバは困った顔をした。
「それと、その台詞はちょっとマズかったな」
「な、何……!?」
 サイレン司祭長は動揺する。
 シルバの言葉にではない、自分が召喚した者達が敵意と共に一斉に自分に振り返ったからだ。
 うん、とネイトが頷く。
「言葉が通じない天人や精神生命体達にも、しっかり通訳しておいた」
「よ、余計な真似を!? っていうかお前も一体何者だ! タダの妖精ではあるまい!」
「答える義理はないな。全ての疑問を、誰かが親切に教えてくれるとは思わない事だ。ともあれ……」
「自分が召喚した援軍が、全部敵に回った気分はどうだ?」
 リフの包囲を解き、ジリ……と動き始める聖獣達。
「ぬ、う……っ!?」
 その様子に、サイレン司祭長も神官兵達も怯む。
 何とか召喚を打ち切ろうとサイレンは印を切るが、何故か彼らには戻る気配がない。
「言っておくけど、今更引っ込めるのは無理だぞ。本人達が拒否している。これまでの経緯をリフ君が説明している最中だ」
「部下の人達も困っているみたいだな。……まあ、無理もないと思うけど」
 ネイトを肩に乗せ、シルバは状況を確認する。
 自分達のいる位置はほぼ中央だが、戦線からはやや離れている。
 左に自分達のパーティー。
 最前線がキキョウ達戦士組。
 中盤にリフと、聖獣達。空にカナリーとノイン。
 後方でタイランがロメロとアリエッタを守っている。
 一方右に、態勢を立て直そうとしているサイレン司祭長を筆頭に、神官兵達。
 後方支援に、ロメロの父であるジョージアが辛そうな顔をしている。
「怯むな! 私達も回復しているぞ! 状況はまだ互角だ!」
 しかし、サイレン司祭長の言葉にも、神官兵達は躊躇していた。
「聖なる獣や他、神の僕だぞ? アンタはともかく、他の神官兵達は畏怖の念があるに決まってるだろ。それはそのまま、リフに対する聖獣達の態度と構図は変わらない」
 言って、シルバはリフに声を掛けた。
「という訳で、思う存分やれ、リフ。そっちは任せる」
「に!」
 キキョウ達戦士組とリフ率いる聖獣達が動き始める。
 神官兵達も、畏れながらも攻撃には対応しなければならない。
 再び激しい剣撃の音が森に響き始めた。
 サイレン司祭長は、指揮を執るべく後方に下がる。
 ふむ、とその状況をネイトも確認していた。
「残るは司祭長。それに後方に控えているロメロの父上殿達か。シルバの実力ならば二人同時は余裕だな」
「どれだけすごいんだよ、俺!? 司祭長一人でメチャクチャ体力削られてただろ!? 見ろよこの腕の痣!」
「あれは敵を油断させる為の、シルバの巧妙な罠であり」
「ないから。俺は自分の分を弁えてるから」
 そしてシルバは、頭を掻いた。
「……俺の仕事は、敵の嫌がる事の実行。まずは司祭長を何とか無力化しなきゃならない」
「動きの定まらない相手をどうするか。……そう、例えばシルバの裸を見せる」
「それは確かに止まるだろうけど、俺は嫌だぞ!?」
「シルバ殿の裸だと!?」
「お前も戦闘中に反応するなよキキョウ!? 大体んなもん、温泉で見た事有るだろうが!」
「シルバは分かっていない。風呂で裸になるのは当然だが、こういうあり得ない場所で脱ぐという行為はそれとは異なる劣情を醸し出すのだ」
「拳を握りしめて力説するんじゃねーよネイト!? こっちはまだ、ピンチなんだぞ! ……早く、あの司祭長をどうにかしないと!」
 一見してシルバ達の方が有利に見えるが、実はそうでもないのだ。
 神官兵達はよく戦っているし、ジョージアの後方支援はダメージを受けた味方を随時回復している。
 そして司祭長は部下達に指示を送ると、そのまま空間を跳躍。
 キキョウやヒイロ達の攻撃リズムを乱していた。
「くっ」
「もお! 当たらないよう!」
「くそ……っ!」
 シルバは神官兵達から盗んだポーションで、彼女達を回復するが、これでは埒があかない。
 方法がない訳ではない。
 要は、司祭長をどうにか止めればいいのだ。
 もっともあまり気の進む方法ではない。
「賭けになるな。問答無用で始めたら、ノインに殺されかねないし、タイミングが重要だ。……ネイト、精神共有で前衛以外に連絡頼む。キキョウ達は戦闘に集中させておきたい」
「お安いご用だ」
 シルバは必要な事を仲間に伝えると、今度はサイレン司祭長の持つ不思議な力についてネイトと考えてみた。
「それからあの特殊な能力だ。キキョウですら目で追いきれない動き。速いとかそういうレベルじゃなくて、まさしく瞬間移動。それに呪文無しでの召喚術……ついでにあの身体の硬さ」
「硬さは祝福魔術の『鉄壁』じゃないのか?」
「そういうのとはちょっと違う。何というか、もっと異質な……」
 シルバは自分の拳を見た。
 あの硬さは肉と言うより、まるで金属そのものだった。
「実は、司祭長はゴーレムだった、とか」
「だったら面白いんだけど、汗かいてるだろ」
「……汗まみれの中年男とか、美しくないな」
「それに関しては全力で同意する。そしてそれを相手にするのも大概きつい」
「シルバの汗なら、全身に塗ってもいい」
「気持ち悪い発想するんじゃねえよ!? ……ま、妥当に考えれば九の御使いの一人ヴィナシスの加護だろうな。聖職者だし」
 そしてシルバは思い至る。
「いや、だとすると……」
 リフ達と行動を共にする聖獣達が呼び出されたのには、もう一つの理由があるのではないか。
「……有り得るか。もう一段階上の召喚」
 だが、それはむしろこちらに有利な訳だが。
 詰まる所、おそらく今回の再現になるのだから。
 いや、その方がいいのか。
 今回の一件がもしもシルバの考えている通りならば、判定してもらうにはこれ以上の相手はない。
「シルバ、あの不可思議な術だが、私は一つ疑問に思った事がある」
「ん、何だ?」
 ネイトの言葉に、シルバは思考を切り替える。
「あんな援軍を呼べるなら最初から呼べばよかった。瞬間移動にしても同様だ。何故、そうしなかった。……今だって、あんな便利な術があるのならば、タイラン君の裏を取ればいい。それで詰む。何故しない。戦闘前と今で、何が違う」
 なるほど、言われてみればその通り。
 司祭長達の目的が、ロメロの確保とアリエッタの討伐にあるのならば、転移して攻撃するのが一番楽だ。
 タイランの絶魔コーティングの効果……ではないだろう。
 あれは接触しなければ意味がない。
 ネイトの言葉の最後を思い出す。
 戦闘前と今で、何が違う……?
 考え、星空を見上げる。
 地上に視線を戻すと、地面にも無数に煌めくモノを見つけた。
『それ』を一枚拾い上げて、シルバは確信した。
「……なるほど、そういう事か」


 ――ネイト経由による、念波会話。
『えええええ、え、えん、演技力ですか!?』
『……まあ、学芸会レベルででも、どーにかなると思うから、そんなに大仰に考えなくてもいいぞ、タイラン。そもそも向こうはこっちを見下してる節があるし、罠とは思われないんじゃないかな』
『や、やれるでしょうか、私に……』
『というか、そこにいるのがお前である以上、他に役者がいない。あと、後ろの二人も危険な賭けだけど、よろしく頼む』
『これぐらい何でもねーよ。アリエッタは俺が身体張って守るし!』
『ななな何とかやってみますですよあまり激しい動きとか出来ませんけど!』
『頼もしい限りだ』
 タイランやロメロらと話をしている間も、シルバはポーションによる前衛の回復に忙しい。
 前線はほぼ膠着状態となっており、しばらく動きはなさそうだ。
 もっとも、互いの後衛の回復補助がなければ、すぐにでもどちらかに傾きそうではあるが。
 そして、シルバは意図的に今の状態を崩そうとしていた。
『計画を聞いた限り、タイミングが重要なのは、むしろシルバの方だと思うんだけど』
 雷撃を放ちながら、宙に浮くカナリーがジリジリと後ろに下がる。
『おうよ。超忙しいぞ。一人で三人分ぐらいの活躍しなきゃならねーしな』
『……しかし、本当にいいのかい? 前衛に連絡を取らなくても』
『誰にも勘付かれない事が一番重要だからな。キキョウが上手くやるだろうし、心配ないさ』
『……むぅ』
 ヒイロらと、最前線で奮戦するキキョウを見、カナリーは眉を寄せる。
『……何で、そこで不機嫌になる』
『別に。それと、頼まれてた錬金術の知識だけど、一体何に使うんだい?』
『……用心さ。使わずに済むなら、次のターンで決着はつくんだけどな。それじゃ、作戦スタートだ。リフとノイン、その間の回復は頼む』
『に、分かった』
『しょうがないなぁ。ま、これも勝つ為だ。ここは言う事聞いておいてやるよ』
 まず、シルバは『杯』の札に魔力を込めると、自分の背後にあったポーションの膜を畳んだ。
 タイランがリュックから出したいくつかの空の瓶が、ポーションで満たされていく。


 タイランはその瓶を聖獣達に預け、それらはリフや空中のノインに渡っていく。


 カナリーは、不安そうに自分を見る、ロメロとアリエッタを見下ろした。
 星明りで出来た影が彼らを覆うのを確認する。


 そして、次の出来事が、ほんの数秒の内に起こった。


「あ……っ!?」
 タイランの最後の一瓶を聖獣に渡し損ね、ポーションは地面に落下する。
 瓶は割れこそしなかったものの、タイランの動きが一瞬、停止してしまう。


 それを見過ごす、サイレン司祭長ではない。
「好機――!! ジョージア、しばしここは任せたぞ!」
「は、はい……!」
 {回復/ヒルタン}を唱え続けるジョージアにそう言うと、サイレン司祭長は動きを止めた重甲冑の前に一瞬にして『跳んだ』。


 その瞬間、シルバは札の力を解いた。
「『杯』を{解放/リリース}」
 そして、親指で重ね合わせていたコインを、札に押しつける。
「――{封鎖/シーリン}『金貨』!!」
 無地の札に『金貨』の絵柄が浮かび上がる。
 サイレン司祭長が砲術で放ち、そのまま放置されていた『無数の硬貨』が、転んだり跳ねたりしながら固い綺麗な音を静かに奏でつつ、集まり始める。
 もう一方の手で目前の地面に針を打ち込むと、ポッカリと暗く深い大穴が生まれた。


「行くぞ……?」
 キキョウは敵の目前で高く跳躍し、その頭上を跳び越え、そのまま前衛と後衛の間に割り込む。
 当然、神官兵達は大慌てになった。
「ぼ、防御! 皆、{大盾/ラシルド}を用意!」
「後ろに回り込まれた! やばいぞ!」
「やばいぞって言われても、こっちも振り返る余裕なんか……!?」
 キキョウが前後の敵を斬っている間に、残ったヒイロ達も勢いづく。
「みんな突撃ぃっ!!」
「了解」
 骨剣と衝撃波を纏った金棒のパワーファイター二名が、浮き足立つ神官兵達を追い込んでいく。
「に! みんな右に回り込んで逃がしちゃだめ!」
 シルバの側に近寄らせないように、リフと、司祭長に召喚された聖獣や天人達が動く壁となって行く手を遮った。
「……で、アタシが回復役とはね」
 時々飛んでくる{神拳/パニシャ}が当たらないように避けながら、ノインはキキョウやヒイロにポーションを投擲していく。
「心配は要りません!」
 ジョージアが味方に向かって叫ぶ。
「すぐに司祭長様が戻られます! それまでの辛抱です!」
「そ、そうだ! 皆、持ちこたえろ!」
 危うく総崩れになりかけた神官兵達は、何とか持ちこたえる。
「もっとも……」
 キキョウは敵の一人を斬りつけながら、ボソリと呟く。
「……司祭長が本当に戻ってこれればの話だがな」


 背後で何やら状況に変化があったようだが、サイレンは構わなかった。
 ポーションの瓶を落とした巨大な重甲冑は、まるで無防備な状態だ。
「喰らえ!!」
「う、わぁ……っ!?」
 相手の体勢を崩そうと放ったサイレンの回し蹴りは、だがしかし当たらなかった。
 その前に、相手は自分から倒れたのだ。
「ぬぅっ……!?」
 一瞬怪訝に思いながらも、サイレン司祭長は即座に思考を切り替える。
 それならそれで、さらなる好機なのだ。
 要は、自分を睨んでいるジョージアの息子と、彼が庇う魔物の娘を倒せばよいのだから。
 それで目的は達成される。
 護衛の役にも立たないとは、立派なのは大きな図体だけか。
 嘲るように笑うサイレン司祭長だった。
 が。


 その真上で、カナリーがサイレンを見下ろしていた。
「ヴァーミィ! セルシア!」
 彼女が指を鳴らすと、ロメロ達とサイレン司祭長の間の影から、赤と青の従者が勢いよく出現した。
「おのれ! まだ、伏兵がいたのか!?」
 既に攻勢に出ようとしていたサイレンは、両腕でガードを固められただけでも充分非凡だったと言えよう。


 サイレンも、さすがにそのままロメロ達にその拳を伸ばす事は出来ない。
 一歩引いて、地面に転がっているコインを踏む。
 サイレンの『砲術』によって、そこに飛ばされた――精緻な魔方陣と呪文、転移する為の番号が刻まれている――コインだ。
 サイレンは頭の中に、ジョージアの手前のに置いてあるコインの数字を浮かべた。
 足に魔力を込めると共に生じる、わずかな浮遊感。
 次の瞬間には風景が変わり……。
「やあ、ご苦労さん」
 目の前にはシルバ・ロックールがいた。
「な――」
 絶句する。
 そしてサイレン司祭長は気付く。
 足下に、大きく深い穴がある事に。
「何いいいぃぃぃっ!?」
 当然、その穴にサイレンは落下していった。


 シルバが地面の針を引き抜くと、周りの土砂が穴を埋めていく。
 モノの数秒もしない内に、穴があった場所は元の地面に戻ってしまっていた。
「徹底してるねえ、シルバ」
「これでも甘いぐらいだっつーのっ!! 下手すりゃすぐに出て来るぞ!」
 札を口に咥えると、シルバは大急ぎで針を両手に持った。
 そしてそれを、地面に幾つも打ち込んでいく。
 土砂がさらに積まれ、シルバの背丈と同じぐらいの高さの小山が出来上がった。


 もちろん、それを見てジョージア達を始めとした神官兵達は大いに混乱していた。
「し、し、司祭長様あああぁぁぁっ!?」
 何しろ、攻めに行ったと思った司祭長がいきなり見当違いの場所に『跳躍』し、そのまま穴に落っこちてしまったのだ。
 慌てない方がどうかしている。
 もっともキキョウにしてみれば、黙ってシルバの元へ送らせる気はさらさら無い。
「余所見は禁物であるぞ、司祭殿!!」
「だ、誰か、司祭長様を助けなさい!」
「駄目です! 既に獣人と聖獣達に回り込まれています!」
 司祭長不在の神官兵達は、少しずつその戦力を減らしつつあった。


 シルバは、まだ地面に残っていた何枚かのコインを、『金貨』の札の力で引き寄せた。
 表には召喚陣、裏には獣の絵が刻まれている。
 これが、サイレン司祭長の瞬間移動、それに大量の聖獣らの召喚の仕掛けの種だ。
 コインに刻まれた紋と文字の種類によって、発動する魔術は異なるのだろう。
 魔術を予め込めておく事で、簡単な祝福の言葉だけで力を発揮するようになるし、魔力の大幅な節約にもなる。
 そのままバラまけばこれが何らかの力を秘めたアイテムである事は丸わかりだ。だからこそ『砲術』での遠距離攻撃。まさかあのど派手な攻撃自体が目眩ましだなんて、今のシルバのように一歩離れた位置でなければ、まず分からない。
 なるほど、よく出来ている……とシルバは考え、札に込められた力を別の方向に向ける。
 おそらく自分は難しい顔をしているのだろう、ちびネイトが顔を覗き込んできた。
「どうした、シルバ?」
「ちっ……。他にコインの持ち手は無しか。どっか近くで観察してると思ってたんだけどな」
 シルバは諦め、神官兵達の懐の気配を確かめるのをやめた。
 自分と同じ、トゥスケルのコインを持つ者がいないか。いればソイツが結社の者なのだろうが、残念な事にその気配の期待は裏切られていた。
「いないならいないでヨシとするべきだろう。何故なら――」
 グラリ、と地面が揺れた。
 一瞬地震かと思ったが、どうやら違う。
 グラグラと地響きは長く続き、目の前の土の山から金色の光が幾筋も漏れ溢れ始めていた。
「ほら、案の定だ。むしろ、これ以上余計なトラブルが増えない事を、むしろ喜ぶべきだろう」
「見方によっちゃ、問題を先送りしてるだけなんだけど……ま、贅沢は言えないか」
 地面の中から、サイレン司祭長が何やら術を行なっている。
 シルバが地面に彼を封じた事で、ほぼ神官兵達の動きも制する事が出来た。
 しかし、これには問題が一つあって、つまり地の底でサイレン司祭長がどのような術を行なおうと、シルバには止める方法がないのだった。
 一応地面には圧力を掛けているのだが、どうやらそれも無駄のようだった。
「……これだけやってもまだ元気じゃねーか、司祭長さん」
 出て来た時が最後の勝負だな、とシルバは考える。


「にぅ……?」
 最初にその異変を感じたのは、リフだった。
「みんな……?」
 行動を共にしている聖獣や天人、精神生命体達が減ってきていた。
 神官兵達に何かをされた訳ではない。
 微かに呻き声を上げると、そのまま消滅する。
 聖なる気を幾ばくか失い、強制的に元の世界に戻されているようだった。
 死んではいないようなので、そこはホッとするが……確実に聖獣達の数は減っていき、それに伴い、聖気を吸った小山から金色の光が強まっていく。


「全員集合! ヤバイのが来る!」
 シルバは小山を回り込み、急いでタイランの方に駆け出した。
 その背後で小山が崩れ、夜空を貫く太い光の柱が生じた。
「タイランお疲れ! いい演技だった!」
「あ、ありがとうございます……上手く、いった……んですか?」
「うん、疑問はもっともだ。まあ相手は減らせたから、その点では成功したんだけどな」
 キキョウやヒイロも集まり、その一方神官兵達も呆然と眩い光柱を見上げていた。
「……問題は、こっからが本番だって事だ」
 やがて、地面からゆっくりと浮かび上がって来たのは司祭長……ではなく、神々しい光とメタリックな衣を纏い、同色の髪と肌を持つ美女だった。
 背中からは立派な羽が生えている。
 弱った司祭長自身は、気力を使い果たしたのか、彼女の両腕に抱えられていた。
「シルバ、頼まれていたモノだ。精密機器だから大事に使ってくれよ」
「ああ、ちょっと借りるぞ、カナリー」
 シルバはカナリーから懐中時計を借りると、それを懐に入れた。
「あれは一体何だ、シルバ殿!」
 シルバは『金貨』の札を{解放/リリース}し、腰の水袋に浸して再び『杯』に戻す。
 一連の作業を続けながら、キキョウに答えた。
「……ゴドー聖教の九の御使いの一人『金』のヴィナシスだ。見ての通りの天使だよ」


 最初は恐る恐るだったが、思い切って神官兵達の中から飛び出したのはジョージア司祭だった。
「サイレン司祭長!」
 御使いヴィナシスは彼を認めると、地面にサイレン司祭長を下ろした。
 ジョージアから回復と魔力ポーションを与えられ、ようやくサイレン司祭長は復活した。
「お、おお……よくやった、ジョージア。ヴィナシス様、どうかよろしくお願いします」
 そして、サイレン司祭長を始め、ジョージア司祭や神官兵達は、揃ってヴィナシスに跪いた。


 一方、シルバは油断しないまま、それでも一応天使に対して印は切った。
「全員気を付けろ! ここからが本番だと思った方がいい!」
 やる気満々なシルバに対して、むしろサイレン司祭長の方が慌てていた。
「こ、こら! ロックール君、天使様に何という口を利く! 仮にも聖職者である君が、何故敬意を払わない!」
「払ってるから印を切ったんすよ。敵を前にして跪くとか馬鹿じゃないすか」
 というか多分それも司祭長の狙いだったんじゃないかな、とシルバは思わないでもない。
 ちなみにシルバのパーティーで、天使に跪いている者は誰もいなかった。
「んー、ボク、特に跪く理由がないし」
「む、う……? 某はゴドー聖教は特に信仰しておらぬし……」
「アタシ達はもう、言わずもがなだしな」
 そう言うのは、サキュバスのノイン。
 例外は一人だけだった。
「……問題はお前だよ、ロメロ。嫁と天使、どっちが大事なんだよ」
「い、いや、でも」
 膝を屈したまま、ロメロが困り顔を上げた。
 しかしアリエッタを見ると意を決したのか、畏れながらも立ち上がった。
「ま、聖職者見習いとしちゃ正しいのかもしれないけどな」
 シルバはボリボリと頭を掻きながら、全身から淡い光を放つ御使いヴィナシスに向き直った。
「ロックール……? あの、シルバ・ロックールですか」
「ええ、まあ、多分そのシルバ・ロックールです」
 ヴィナシスとは初対面だが、どのルートで話を聞いているかは大体見当の付いているシルバである。
 ふと、呆れたような顔をしているカナリーと目が合った。
「……シルバ。君の交友関係は、変に広いね」
「……お前のお父さんも含めてな」
「うっ」
 地味にダメージを食らったようである。
 駄目出しをしたのは、肩の上のちびネイトだ。
「違うぞ、シルバ。そこは『お義父さん』のイントネーションだ」
「真面目な話の最中なのに、緊張感ねえな、おい!?」
「に、まじめ……?」
「……そう、真剣に返されると、ちょっと困るぞ、リフ」
「にぅ」
 一方、サイレン司祭長の方も大慌てだった。
「か、かか、彼をご存じなのですか、ヴィナシス様!?」
「はい。かつて彼は神と戦った男ですから。お目に掛かれて光栄です」
 ヴィナシスは軽く微笑み、シルバに向き直る。
「何ぃ!? 貴様、やはり邪教の徒か!」
「違うわ!」
「……アンタ、人間だと思ってたけどアタシ達の眷属だったの?」
「こっちにも色々事情ってもんがあったんだよ! 正確には、神と一緒に、戦った事があるだけだっつーの! ヴィナシス様ももうちょっとだけ言葉を足しましょうよ!」
 正面のサイレン司祭長、背後のノインと大忙しで突っ込むシルバである。
「その事情をここですると、多分一ヶ月ぐらい掛かる」
 混乱に、さらにネイトが拍車を掛ける。
「そこまで長くねえよ!?」
「いや、この時間軸とは別の意味でだな」
 静かにシルバを見守りながら、ヴィナシスはサイレンに問うた。
「とにかく彼らが敵だというのですね、サイレン司祭長」
「そ、そうです! 見ての通り、魔族に与しているのは明らかです。彼女は人の世に、混乱をもたらした罪人です!」
「わわわ私何もしてないんですけどっ!?」
「だから、アリエッタは無実だっつってんだろが!」
 指を突きつけられたアリエッタが首を振り、ロメロが激昂する。
「……主犯はアタシだってーの。アタシが襲われるならまだ分かるけど、何でアリエッタなのさ」
 ノインは髪を掻き上げ、溜め息をついていた。
「二人は、平和に暮らしたいだけだっていう話なんですけど」
 シルバも自分に正当性を訴えると、御使いヴィナシスは軽く手を上げた。
「皆、静かに」
 その一言で、森の広場に静けさが戻った。
 そして、ヴィナシスは改めてシルバを見据えた。
「よろしい。私は、務めを果たしましょう。あの二人を捕まえます。貴方達は危険ですから、手出しは無用です」
「おお……」
 サイレン司祭長は手を組み直し、ヴィナシスに祈りを捧げる。
 神官兵達も同様だった。
 ジョージアだけは他の皆より少しだけ遅れて、同じように祈りを捧げる。
 シルバはといえば、最初から話し合いでの解決は期待していなかった。
 相手は、サイレン司祭長が召喚した天使なのだから。
「……でしょうね。さすが『金』を司る天使、お堅い」
「にぅ……お兄じょうず」
「うむ!」
「……君達二人は、シルバに対して甘すぎる」
 カナリーはリフとキキョウを見て、溜め息をついた。
 勝ち目があるならば、とシルバは考える。
 相手の特性が『金』であると分かっている事。『黄金』ではなく『金属』の『金』だ。
 それとサイレン司祭長が呼び出したという事。その力は召喚者の力量に左右される。……というか、素の状態なら多分、シルバ達はひとたまりもないと思うし、正直あまり考えたくなかった。
 救いと言えばそれぐらいだ、と内心呟きながら、一歩進み出る。
「御使いヴィナシス。貴方に慈悲の心があるなら聞いて欲しい事がある」
「いいでしょう。お話しなさい」
「二つの頼みだ」
 シルバは口調を戦うべき相手へのモノにし、後ろのアリエッタ達を親指で指し示す。
「俺達が勝てば、後ろの三人に追っ手を差し向けないで、逃がして欲しい」
 といっても、ノインに関しては実際、人的被害が出ているらしいので、彼女の罪はそれはそれで追求されるべきモノなのかもしれないが。
「もう一つは――この呪いを解いて欲しい」
 言って、シルバは自分の左の袖を引き上げた。
 二の腕には、複雑な文様が浮かんでいる。
「なるほど、いい考えだ、シルバ。天使ならその呪いも難しくないかも知れないね」
 カナリーが頷く。
「私は後ろの司祭長に呼び出された身。二つは欲が深いというモノです。どちらか一つだけなら認めましょう」
 ヴィナシスは静かに告げた。
「なら、アリエッタ達を逃がす方だ」
 あっさり即答するシルバに、ロメロやアリエッタ、ノインが驚きに目を見張る。
 サイレン司祭長側では、ジョージアが愕然としていた。
 だがシルバを知る仲間達は苦笑いするだけだ。
「……ですよねぇ。シルバさんらしいというか」
「……うむ、シルバ殿なら某もそう言うと思った」
「にしても、即答過ぎるだろう、常識で考えて。まあ僕もそう答えるだろうなと予想したけどさ」
 やれやれ、と皆、首を振る。
「理解出来ん!」
 何故か叫んだのは、サイレン司祭長であった。
 彼は震える指を、シルバに突きつける。
「君達は今日初めて知り合ったばかりだろう! 何か、深い義理や恩があるのか!? 何故、そこまでする!」
「いやだって……仮にも、司祭っすから俺。他人に奉仕するのは当然っしょ。あと人に指を突きつけるのは、無礼ですよ司祭長」
 そこで区切ると、シルバ達は動き出す。
「先頭はわたし」
 シーラが最前に立ち、その後ろにキキョウとヒイロが立つ。
 カナリーとノインが宙に浮かび上がり、『杯』の札を持つシルバを守るようにリフが並ぶ。
 最後衛にタイランがロメロとアリエッタをガードしている。
 ヴァーミィとセルシアは、カナリーが魔力を温存する為、影の世界に引っ込めてある。
「私と話している間に、既に相談は済んでいたようですね。よいでしょう……では、始めましょうか」
「ああ」
「参ります!」
 宣言の直後、御使いヴィナシスの頭上にあった天使の輪が光り輝き、その身体が膨張し始めた。
「お、おお……!」
 サイレン司祭長達は、急いで後ずさる。
 なるほど、彼女の言う『危険』がどういうモノか理解したようだ。
 美貌はそのままに、身の丈が5メルト程の高さになる。いわば、天使の形をしたアイアンゴーレムだ。
 一方シルバも負けてはいない。
「行くぞ、御使い――」
 シルバが『杯』の札に魔力を込めると、うっすらと白い霧が森に漂い始める。
 あっという間にその霧は、敵も味方もその白い世界に覆い隠してしまう。
「――秘技、『霧隠れ』」


 御使いヴィナシスの視界も、白い靄で覆われていた。
「なるほど、まずは視界を奪うという訳ですか……悪くない手ですが」
 若干猫背気味だったヴィナシスは背筋を伸ばした。
 しかし、この高さならばと思ったのだが目論見は外れ、その景色は変わらなかった。
「……ここまで立ち込めてきますか」
 背中の羽で一応払ってはみたモノの、魔術要素があるのか、霧が晴れる様子はまるでない。
 そして足下では、金属音が鳴り始めていた。


「硬っ! 先輩、この人超硬いよ!?」
 骨剣をヴィナシスの足首に叩き付けたヒイロは、返ってきた衝撃に手を痺れさせていた。
『当たり前だ! っていうか武器が痛むから、攻撃には気を付けろって言ってんだろ!?』
 シルバは念波で返事を返す。
 シルバの頭上に浮いているカナリーも、うんざりとした顔をしていた。
『……まー、太い鉄の棒を全力で殴りつけるようなモノだもんねぇ』
『確かにストレス溜まるけど、それも錬金術師であるカナリーの特性分析が済むまでの我慢だ』
「分析が済んでからも今回、さらにストレスが溜まると思うが」
 ちびネイトが冷静に言うと、全員が暗澹たる表情をしていた。
 一通りの作戦は既に皆、念波を通して聞いているのだ。
 勝算がない訳ではないのだが、どうしても下準備に時間が掛かる。今回はそう言う作戦だ。
「……言うなよもー」


 ボヤキながらもシルバは水の力を持つ『杯』の札で、霧の術を使用し続ける。
 予想通り、金属の性質を持つヴィナイスの動きは思ったより早くない。
 とはいっても、ゴーレム系のモンスターなどの鈍重さとは比較にならないし、何より手も足もでかい。
 当たればダメージが甚大なのは明らかである以上、ヴィナシスの命中率の低下は必須であった。
 成功する公算は高いと見ているが、この霧のもう一つの目論見が成功するかどうかは、ヴィナシスの特性を見抜こうとしているカナリーの結論に掛かっていると言ってもいい。
 それまでは、何としてでも現状を維持する必要があった。
 シルバ自身が霧の術者である為、味方の現在位置は分かっている。
 もちろん、シルバ達は防御だけに徹するつもりはなかった。
 霧の向こうから再び、金属を叩く甲高い音が響いてきた。


「シーラ、大丈夫か!」
「問題ない。……出力、さらに上昇」
 シーラは自分の金棒に衝撃波を纏わせ、武器自体のダメージを軽減している。
 同時に、ヴィナシスの内部にまで衝撃を伝達させる事から、実質彼女がメインのアタッカーの役割を果たしていると言ってもよかった。
 シーラが金棒を振るう度に、鐘の音のような響きが森に木霊していた。
「な、何だか楽器を奏でているみたいですね……」
「そんな優雅な状況ならいいんだけどな」
 タイランの感想に、シルバは弱ったような顔をした。
 もちろん、キキョウやヒイロも手は休めておらず、また中距離からはリフが精霊砲、ノインが魔力弾を叩き込んでいる。
「にぅ……てごたえはあるけど」
「ほとんど効いてないね、こりゃ」
 ヴィナシスのメタルボディは表面が滑らかで、気の類のダメージも望み薄のようであった。
『とはいえ攻めなければそれはそれで、こちらの意図が見抜かれる可能性がある故、厄介であるな。……うう、某の愛刀が悲鳴を上げている』
 ヴィナシスの蹴りを避けつつ、キキョウが悲しげな声を伝えてくる。
 直後、白い頭上から鈍色をした巨大な手の平が降りてきて、キキョウを掴もうとする。これも、何とかキキョウは回避した。
『キ、キキョウもあまり無理するなよ?』
『うむ……手がない訳ではないが、その方法は魔力の消耗が激しい。なるべく、早く反撃の糸口を掴んでくれ、カナリー』
「出来れば、実物に触れられると一番確実なんだけどね……」
 宙に浮いたまま、カナリーは唸っていた。
「さすがに見ての判断は難しいか」
「うん。かといって相手が黙って、身体の一部を分けてくれるとは思えないし……」
 すると、意外な所から返事が来た。

「聞こえていますよ。いいでしょう、お望みならこの身体、分けてあげましょう」

「え」
 声の主は、ヴィナシス本人だった。
 呆気にとられたのはシルバの頭の中で、警報が鳴り響く。
「来るぞみんな、回避!」
「は、はい!」
 タイランは、浮遊板代わりにしている大きな盾を構えた。
 タイランの巨体は隠しきれないが、無いよりはマシだ。
 その後ろに、シルバや空中のカナリー、ノイン、リフも急いで隠れ、その直後に攻撃が来た。
「――{鉄羽豪雨/メタルスコール}」
 無数の羽の形をした鉄片が、乳白色の空から降り注ぐ。
ヒイロよりも少し小さい程度の羽毛が、ザクザクザクと地面に突き刺さっていく。
「モード――『盾』」
 シーラは腕を天に向け、金棒を円を描くように手の中で振り回した。
 衝撃波が平らな円状に発生し、鉄の羽を弾き返していく。
「さ、刺さったら死ぬ! これは死んでしまう!」
 キキョウは獣の動きと勘に従い、素早く頭上からの攻撃から逃れていく。とはいえ一枚でも当たれば重大なダメージになる事は間違いなく、キキョウとしても必死であった。
「うっはぁ、ヤバイヤバイ!」
 そしてヒイロはといえば、大きく跳躍してヴィナシスの攻撃範囲外に逃れた。
 すなわち、神官兵達のいる、ヴィナシスの背後だ。


 体感時間では永遠に近かったが、実質数秒程度の攻撃だったようだ。
 それでもシルバは生きた心地がしなかった。
「あ、あ、危なかった」
「は、はい……私の身体も、あれじゃ貫かれていたかと」
 タイランの大きな盾には一枚、大きな羽が突き立っていた。
 その裏側まで十数セントメルトほど、羽の先は貫いていた。


「あー、死ぬかと思った」
 ヒイロは大きく息を吐いた。
 そして、空に星空がある事に気がついた。
 いつの間にか、霧の中から出ていたらしい。
「あ、やば。早く戻らないと……」
 呟き、霧の中に飛び込もうとした時、後ろから声がした。
「……隙ありだ、小僧」
「はへ?」
 振り返る間もなく、ヒイロの背中を強烈な衝撃が駆け抜ける。
「食らえ、我が正義の一撃!」
 司祭長、サイレンの重い拳が叩き込まれ、ヒイロの身体が弓なりに反り上がる。
「ひゃっ――」
 自分が悲鳴を上げている事を自覚するよりも前に、ヒイロは浮遊感と共に意識を失っていた。


 不幸な事に、鬼の戦士の身体が軽量級だったせいで、その身を貫く事は出来ず、空の彼方へと吹き飛ばされた。
 魔力を上乗せしたサイレンの拳の一撃は、角度的に見て目前の戦地を越えたようだ。
 自然落下の高さだけでも下手をすれば瀕死だが、悪運がよければ川に落下するかも知れない。
「はっはっはっ! まずは一人!」
 地面に残された敵の骨剣を踏みにじり、上半身をはだけたサイレン司祭長はガッツポーズを作った。
 続いて神官兵達も快哉を叫ぶ。
 しかしさすがに卑怯に思ったのか、後ろに控えていたジョージア司祭は、おずおずと抗議した。
「サ、サイレン司祭長! い、今の不意打ちはあまりにもどうかと思います……!」
「何を言うか、ジョージア。邪悪を討ち倒すのに、手段を選んでいられるか。これも正義の為だ。そうではないか、皆?」
 自分に非がない事を確信しているサイレンは、むしろ誇らしげに鍛えられた胸を反らした。
 部下の神官兵達も「そうだ!」と声を上げる。
「……サイレン司祭長」
「は!」
 ヴィナシスの静かな声が霧の中から響き、サイレンはほくそ笑みながら跪いた。
「手出しは無用と言ったはずです。今度同じ真似をしたら、許しませんよ」
 思いも掛けない言葉にサイレンは愕然とし、顔を上げた。
「な、なな、何故ですか、ヴィナシス様!? 敵を倒せたのですぞ!?」
「静かになさい。そして、今は魔力の回復に努めるのです」
「は、はい……」
「それから、その足をどけなさい」
「はい?」
 サイレンは足元を見た。
 自分が踏んでいるのは、骨で出来た太い剣だ。
 これがどうしたというのだろう。
「貴方が踏んでいるのは、戦士の命ですよ」
「はぁ、ですが鬼の武器ですぞ?」
「……いいから、早くどけるのです」
「何故、お助けしたのに、私が叱られるのだ?」
 骨剣から足をどけ、心底不思議がるサイレン司祭長。
「…………」
 彼に気付かれないよう溜め息をつきながら、ジョージアは魔力ポーションの用意をするのだった。


 霧が少しずつ晴れていく。
 しかし、霧にうっすらと濡れて輝くヴィナシスの巨体は何故か、動く様子がなかった。
「私一人での応戦という約束を違えてしまいました。鬼の子が戻るまで、休戦しませんか」
 うっすらとした霧の中、5メルトの高みからヴィナシスは提案する。
 鉄の羽が無数に突き立った森の中の広場は、さながら金属で出来た麦畑だ。
 その鉄片の一つを蹴り倒しながら、キキョウは首を振った。
「無用だ。戦ならば、こういう事もある」
 完全には避けきれなかったのか、着物のあちこちが刻まれ、そのいくつかからは血が滲んでいる。
「必死とは言え、敵陣側へ回避したヒイロにも落ち度はある。そちらの者が、このような動きに出る事はある程度は予想出来た」
 キキョウの言葉に、ヴィナシスは少しだけ傷ついた顔をした。
 その反応に、キキョウの溜飲が少しだけ下がる。
 シルバはヒイロを助けに動き、今は不在。
 今はキキョウがリーダーだ。
 計画の第一段階は成功している。
 チラッと後ろを見ると、鉄の羽を調べていたカナリーが、小さく頷いた。
 シルバのここでの戦線離脱は、ある意味では好都合とも言える。
 ならば、このまま続けよう。
「続行だ、天使。これより某も容赦はせぬ」
「……分かりました。戦いに水を差されましたが、改めて」


 懐かしいなぁ……。
 川の水の中を緩やかに流されながら、ヒイロはおぼろげな意識でそんな事を考えていた。
 故郷を出る前はよく、川の主である大角魚と戦っては負けて、川流しにあったモノだ。
 ……こういう時は、へたに呼吸をしようと考えない方が、意外に息は持つ。
 その内、下流で釣りをしている兄ちゃんに、いつものように回収してもらえばいい。

「ってヒイロ起きろーっ!!」

 水の中から引っ張り出される浮遊感。
 ほら、助けてくれた。


「あー……兄……ちゃん……久し、ぶり?」
「誰が兄ちゃんか。寝ぼけてる場合じゃないぞコラ」
 川の中に沈んでいたヒイロを河原まで運んだシルバは、彼女の額を軽くはたいた。
 当たり前だが二人ともびしょ濡れだ。
「……んあ、先輩おはよう」
 どうやらまだ、夢現の状態にあるらしい。
「おはようじゃねーんだよ。早く目を覚ませ。……ポーション飲んでも無理か?」
「うー、ちょっと時間掛かるかも。思ったよりダメージでかいー」
 そう言いつつも、ヒイロはシルバが傾けたポーション瓶の中身を嚥下していく。
「それにしても、よくもまあ息が持ったもんだ。ウチの近所のガキじゃあるまいし、普通、溺死しててもおかしくなかったぞ」
「川で溺れるのには、慣れてるんで」
「……そういう問題でもないと思うんだが」
 どんな慣れ方だ、とシルバは心の中で突っ込んだ。
「息がなければ、シルバによる人工呼吸が待っていたのだが」
「うぉい!?」
 余計な事を言うちびネイトを、シルバは制する。
 一方、ヒイロはひょいと上体を起こした。
「そうなの?」
「お前もいきなり元気になるなよ!?」
「別に慌てる事はないだろうに。帰省中にはよくあった事じゃないか」
「男はノーカンとする」
 シルバは力強く断言した。
 坊主頭の見習い時代にあった、黒歴史である。
 だが、何故かネイトはニヤニヤと笑っていた。
「男なら、か。なるほどなるほど」
「ええい、思わせぶりな話はいいんだ! 今はそれどころじゃないだろが! 早く戻らないと!」
 言って、シルバは懐から札を取り出した。
 札の中にある『運命の輪』の車輪は、右回りに緩やかに回り続けている。
 森の向こうではまだ、仲間が戦っているのだ。
「あ、そだ。ボクどれぐらい気絶してたのかな?」
「不意打ち食らって数分って所だ。あんにゃろう、後で絶対仕返ししてやる」
 もちろんあんにゃろうとは、サイレン司祭長の事だ。
 しかし、個人的な憤りは置いておいて、今はまず御使いヴィナシスをどう倒すかも大切だった。
「作戦の方は計画通り。ここからが本当の地獄だし、主戦力が一人離脱したのは、それが首尾よく行っている事を考えれば、ある意味不幸中の幸いとも言える」
 ちびネイトは、シルバの札を指差した。
「だな」
 シルバも同感だった。
 作戦はうまく行っているが、同時にそれは味方を危地に立たせている、諸刃の剣でもあるのだ。
 故に、最悪の場合、戻った時に皆が戦闘不能になっている可能性もある。
 だが、それもヒイロが無事戻れたならば、まだ勝ち目がある。
「……でも、ボクの攻撃なかなか通じないよ?」
 今は身体を回復する時間、とヒイロは再び身体を河原に横たえる。
 同時に、元気がないのも事実だ。
 ヒイロには、シーラのような衝撃波を使う力はない。
 ふむ、とシルバは考える。
「それだ。さっきは霧の中でみんなに位置伝えるのに必死だったから言う暇無かったんだけど。シーラの攻撃を見てて思ったんだが――」
 シルバは自分の考えを、ヒイロに述べた。
「――ってのは、可能か?」
 驚きに目を丸くするヒイロに、ネイトは愉快そうに苦笑いを浮かべた。
「シルバもなかなかに鬼だな。可能かどうかと、実行するかどうかはまた別問題だぞ」
「ま、確かにヤバイちゃーヤバイけど」
 何しろこの案は、ゼロ距離でないと成立しない。
 ヴィナシスに近付くと言う事は、それだけ危険と言う事だ。
 しかしヒイロの返事は早かった。
「やる!」
「決断早いな、おい!?」
「やられっぱなしは性に合わないしね。確かにそれなら、上手くやれるかも!」
「もっとも、相手はさっきよりも手強いぞ。何しろ霧は晴れてる上、動きが速くなってるはずだ。俺の助力は……」
 実際、祝福魔術は使えないし、札は使用中。
 針で何か出来るか……と言えば、多分、魔力の消費でそれどころではない。
「……まあ、『{加速/スパーダ}』は使えないけど、今、助言ぐらいなら出来るか」
「何かあるの!?」
 再びヒイロが身体を起こす。
「こんな時に腹筋するな。出来るかどうかはお前次第だけど、お前の戦った事のある中で一番速い人間は誰だ?」
「え? そりゃキキョウさんだけど」
「獣人が速いのは当たり前だ。人間だよ。別に鬼でもいいけど」
 ヒイロは少し考え、何か思いついたのか、目を輝かせた。
「心当たりがあるみたいだな」
「うん」
「なら、急ごう。つーかこうしてる今も、俺の魔力はガシガシ削られていってるんでな。ポーションも切れたし、そろそろヤバイ。何より今回の作戦、出力的に最低でもカナリーに加わってもらわないと、俺一人じゃどうにもならん」
「そして、それがますますパーティーを危地に陥らせると言う訳だ。ジレンマだな」
「言うな」
 ネイトに言い、シルバはヒイロを背中に背負った。
 少しでもヒイロの体力は温存しておく必要があった。
 それから振り返り、ふと足を止めた。
「ところで、この粘膜は何だ? 俺達が走ってきたのとは違うルートみたいだけど」
 足下の滑りに、眉をしかめる。
 何やら巨大なナメクジでも這ったような跡が、森の奥に続いていた。何かのモンスターだろうか、茂みや細い木をなぎ倒して、直進している。
 振り返ると、それはどうやら川の中から続いているようだった。
「ほとんど乾いているみたいだし、道も広い。そして向かう先は、私達の目的地と同じ。何らかのイレギュラーのようだが、私はこの道を薦めよう」
「よし」
 早く着く事に越した事はないし、何よりそのイレギュラーの正体を確かめる必要がある。
 ヒイロを背負ったシルバは、その滑る道を駆け出した。
「何か、妙に懐かしい気がするねぇ」
「同感だ。まさかまた雑鬼とか出て来ないだろうな」
 ヒイロの呟きに、シルバは頷く。
「もっと昔にも、こんなのあったような気がするけど……」
 言うヒイロ自身、首を傾げているようだった。


 森の中では無数の鉄羽が舞っていた。
 先刻まで、地面に突き刺さっていた御使いの羽だ。御使いヴィナシスは、それらの羽を自由に操る事が出来るらしい。
 そしてその羽の一つ一つが、必殺の一撃となる鋭さを持っていた。
 凄まじい数のその刃をさらに上回るスピードで、キキョウはその全てを懸命に回避する。
「くっ……」
 とはいえ、反撃に転じるほどの余裕はない。
 霧は晴れ、かつ御使いの動きは先刻までより格段に良くなっている。
 じわりじわりと鉄羽の結界は範囲を狭め、キキョウの動きを封じていく。その上頭上からは御使いヴィナシスの巨大な手が迫り、キキョウの身体を黒い影が覆ってくる。
 このままでは、圧殺だ。
 着物のあちこちが裂け、肌にも幾筋か赤い血の線が浮かんでいる。
 休まず動き回っているせいで、息も上がっている。
 しかし、それでもこの程度は、キキョウにとっては危機ではない。
 納刀した刀の柄に気を込め、一気に抜き払う。
「はあっ!!」
 白銀と赤の細い光が天に昇る。
 直後、彼女に迫っていた鉄の羽は全て両断され、ヴィナシスの鉄の指も細切れになっていた。
「ぬうっ!」
 赤いオーラを纏ったキキョウはヴィナシスの首の高さまで跳躍すると、空間を蹴り、その首に迫る。
 銀光が再び疾走るが、御使いの首はほんの数セントメルトしか、裂く事が出来なかった。
 一回転し、地面に着地する。
「はぁっ……はぁっ……」
 尻尾は二本に戻り、キキョウの全身に疲労がドッとのしかかってきた。
 全力でこれなのだ。
 やはり、シルバの策に乗るしかない。
 今も、その効果は休みなく働いているはずだが、機はまだ訪れていないらしい。
 御使いヴィナシスは、何とか呼吸を整えようとするキキョウを見下す。その表情には、わずかながら憐憫の色があった。
「どうやらその攻撃は『溜め』も少々いるようですね。それに、太い部分は切断出来ない様子。それもそうでしょう……出来るようなら、最初で決着がついていたでしょうから」
 鈍色をした鉄羽が、キキョウの四方天井を包む。
 その厚さはさっきまでの非ではない。
 さながら刃の壁だ。
 これらが一気に迫ってきたら、さすがのキキョウもひとたまりもない。
「力の出し惜しみをするつもりはありません。一撃で決めます」
「って、これは一撃とは言わぬ!」
 ツッコミながらもキキョウは頭の隅で考える。
 ……もう一度、三尾いけるか?
 手持ちのポーションは、体力魔力共にさっき切れた。
 一番いいのは、タイランかカナリーがポーションを投げてくれる事だが、向こうは向こうで鉄の羽の相手で一杯一杯のようだ。
 もっとも、この状況では、ポーションを投げても届かない可能性の方が髙いが。
 と、その危機に気付いてくれたのか、不意に包囲網が緩んだ。その隙を逃さず、キキョウは身体のあちこちに傷が付くのに構わず、鉄羽の結界を脱出する。
 同時に、巨大な鐘の音のような響きが木霊した。
「礼を言う、シーラ!」
「いい」
 シーラは表情を変えず、ヴィナシスの足を衝撃波を纏った金棒で攻撃し続けていた。
 キキョウの攻撃よりも遥かに凄まじく、御使いのメタリックな足は歪な形に変わっていた。
「……まずは、こちらを終わらせるのが先ですね」
 鉄の羽が訓練された兵士のように動くと、シーラを取り囲んだ。
「シーラ、逃げよ! その位置は危険だ!」
「断る。主の命は、この天使の打倒。ようやく、破壊の為の加減を掴めた所」
 キキョウの声に答えつつ、シーラは攻撃の手を休めない。
「危なくなったら逃げろと、シルバ殿も言っていたはずだ!」
「危険には当たらない」
 何十もの鉄の羽がシーラを襲うが、彼女は顔色一つ変えなかった。
「この程度の攻撃で、私の肌は傷つかない」
 そう言いつつも攻撃が激しさを増すのは、メイド服をボロボロにされているせいだろうか。
「ならば――」
 ぐ、と御使いヴィナシスは巨大な拳を固める。
「――動けないようになるまで、埋めるだけです」
 危険を感じたシーラは頭上を見上げた。
 が、遅かった。
 ヴィナシスの拳は深々と地面を貫き、シーラはその下敷きとなった。
 二の腕まで埋まった拳を引き抜くと、周囲の土でシーラを埋めてしまう。
 まるで、先刻シルバと戦ったサイレン司祭長の再現だ。
 ……シーラの事だから死んではいないだろうが、これでは衝撃波を用いても地上に戻るまでが一苦労だろう。


 そのヴィナシスの後ろでは、拍手喝采だった。
「おおおおお、さすがヴィナシス様素晴らしい!」
 サイレン司祭長を始めとした神官兵達が、声援を送ってきていた。
「サイレン司祭長、一つ質問があります」
「は、何でしょうか」
「……私に見えない所で、何か術を使っていますか」
 もしかしたら、誰かがこっそりと『{加速/スパーダ}』を使ってくれたのかもしれない。
 妙に、自分の身体の具合がいいのが気になり、ヴィナシスは訊ねてみた。
「は? してもよろしいのでしたら、いくらでも支援いたしますが!」
「……いえ、必要ありません」
 元より、自分と彼らでは、戦力差が違いすぎるのだ。
 動きこそ、御使いの中では最も遅いが、その分物理耐久力では、御使い随一と断言出来る。
 時間さえ掛ければ、自分が負ける要素はない。
 一番の脅威であったメイドは地面に埋め、しばらくは出て来ないだろう。
 素早い連中は、その分パワーが劣る。
 そうした連中には、大振りの一撃よりも自分の操る鉄の羽の方が効果的だ。
「にぅ!?」
「くそっ、また来た!」
 精霊砲を放ち続けていたリフや、空から魔力弾を放っていたノインが悲鳴を上げて逃げ回る。
「さすがに獣人や空飛ぶ魔族相手に素早さでは敵いませんか……」
 御使いヴィナシスは、手を彼らにかざした。
「ならば獣よりも速き稲妻で!」
 その手の平から、青白い雷光が迸る。
「に――!?」
 運動エネルギーから転化された電気エネルギーが御使いヴィナシスの手から放たれ、それは周囲の鉄羽を伝って縦横無尽に駆け巡る。
「うああっ!」
「にぁうっ!?」
 キキョウ、リフが雷を浴びて、バネのように弾かれて地面に転がる。


「ひうっ!!」
 空を飛ぶノインも同様だった。
 斜め下から飛んできた雷撃を浴びて、ノインの全身に痺れが駆け巡る。
 が。
「あ、あれ……アタシ、無事?」
 確かに身体に痺れはあるが、動けないほどではない。
 雷が飛んできた方向を見ると、小さな円形のエネルギーシールドが張られていた。
「……リ、{小盾/リシルド}?」


 カナリーとタイランは、思わず背後を振り返った。
 シルバが帰ってきたと思ったのだ。
 どうやって術を使えるようになったのかは分からないが、とにかくシルバがやったのだと考えた。
 しかし、シルバはいなかった。
 代わりに、手帳を広げて仁王立ちになっていたのは、赤毛の少年だった。
「ま、ま、間に合った……ぶっつけ本番」
 聖職者見習いのロメロは、自分が一番驚いているようだった。


「……た、助けてくれるのはありがたいんだけどロメロ、君、使える術は何かな?」
「{回復/ヒルタン}と{小盾/リシルド}」
 カナリーの問いに、ロメロは御使いから視線を外さず答える。
「他は?」
「ない!」
 断言され、カナリーは頭を抱えた。
 一方、ロメロは手帳を懐に戻し、改めて印を切る。
「これまでメモ見ながらじゃないと難しかったけど……人間やる気になれば出来るもんだな。何とか憶えた」
「……うぅ、手伝ってくれるのは嬉しいんだけどね」
 だが、戦力としてはあまりに心許ない。
 せめて、『{豪拳/コングル}』があれば、とカナリーは思うが、それは無い物ねだりというモノだ。
 そしてカナリーの思いは、戦っている相手も同じだったらしい。
「やめておきなさい、ロメロ。貴方では力不足です。私も加減する自信がありません」
 忠告するヴィナシスを、ロメロは見上げて叫んだ。
「だからといって、何もしないって訳にもいかないだろが! みんな俺達の為に頑張ってくれてるのに、一番奥でブルブル震えてろってのか!?」
 それを聞いて、黙っていられないのが、後方の司祭長・サイレンだった。
「貴様! ヴィナシス様に何という口の利き方だ! それでも聖職者の端くれか!」
 サイレン司祭長はロメロに指を突きつけ叫ぶと、次に隣にいたジョージア司祭を睨んだ。
「ジョージア司祭! お前は息子にどういう教育をしている!」
「やかましい! 親は関係ないだろ親は!」
 ロメロが怒鳴り、さらにサイレン司祭長は激昂する。
「見習い風情が司祭長である私に、何という口の利き方だ! ヴィナシス様! 私にも協力させて下さい!」
「駄目です」
 ヴィナシスはにべもなく告げた。
 不毛なやり取りに呆れながらも、カナリーは少しだけ安堵する。
 こういう無駄な時間が、今は多い方がいい。
 相手に気付かれないように、投擲用のポーションの準備を行なうカナリーだった。
「とにかく! 俺も参戦する! やれる事は微々たるもんだけど……それでも、ゼロよりマシだろ」
「ななななら私も手伝います魔力の補給ぐらいなら何とかって言っても私の場合は接触しないと駄目なんですけど」
 ロメロの後ろで、アリエッタもおずおずと立候補する。
「……アリエッタの出番はもう少し後だ。ロックール司祭の話だと、まだ温存する必要があるって話だからな」
「わ分かりました」
 ヴィナシスは頑固な彼らに説得を諦めたのか、小さく首を振った。
「そこまでの覚悟があるのならばいいでしょう。もっとも……まともに戦える者は、もうほとんどいなさそうですが」
 言われ、カナリーも現状を改めて認識する。
 電撃を食らったキキョウ、リフは半ば黒焦げになり、相当に消耗している。まともに動けるかどうかも怪しいモノだ。
 ノインも一応ロメロに庇われはしたモノの、ダメージを受けた事に変わりはない。
 まずは彼女らの回復が先決だろう。
「いくぜ、{回復/ヒルタン}」
「リフも回復だ。……ポーションも残り少なくなってきたな」
「で、ですね。えと、ノインさん、どうぞ」
 ロメロ、カナリー、タイランが次々と術やポーションを放つ。
「うむ……」
「にぅ……」
「遠慮なくもらっとく」
 ひとまず、瀕死の状態は脱した。
(……とはいえ、戦力的に厳しい事には違いない。せめてもう一人、前衛がいれば)
 そんな事をいつの間にか口に出して呟いていたのだろう。
 タイランが小さく囁いてきた。
(モ、モンブランにも出てもらいましょうか)
(いや、君の身体自体が盾みたいなモノだから、動かれちゃ困る。まだなのか、シルバ……)
 ここが我慢のしどころだというのは分かっている。
 シルバが、相手の攻撃範囲外に逃れられたのは、ある意味僥倖ではある。
 あとは、効果が出るまでの辛抱だ。
 ……それは分かっているのだが、あまりにきつい。
「言っておきますが――」
 ヴィナシスは、カナリーを見据えた。
 まるで、自分の考えが漏れたような錯覚に陥り、カナリーはわずかに動揺する。
 そんな彼女に、ヴィナシスは告げる。
「――貴方達の策は無駄に終わります」
「!!」
 表情に出ないように苦労する。
「……何の、事かな?」
「狙いは、おそらく『錆』」
「……っ!!」
 見抜かれていた。
「そう、『金』の属性である私を、錆びさせる事にあるのでしょう。確かに『金属』である私には特性として『硬く重い』というモノがあり、同時に『金属は錆びる』という欠点もあります。もちろん金のような錆に強い金属、というのもありますが、あれは柔らかいという問題点があります。何より私は、『金属』の一般的なイメージとして顕現しているので、その性質は極めて鉄に近い。そういう意味では、狙いは間違っていませんでした。……最初に発生した濃霧は目眩ましではなく、水滴を私に付着させるのが真の目的。『{加速/スパーダ}』に近い術で、腐食を早めようとしているのではないですか?」
 御使いの推察はほぼ完璧だ。
『{加速/スパーダ}』の代用は、カナリーがシルバに貸した懐中時計を用いて作り出した『運命の輪』の札にある。
 その札で、ヴィナシスの腐食を早めていたのだ。
 ……同時に欠点として、ヴィナシス自身の動きが早まってしまうのだが。
 効果がハッキリと現れるまで、気付かれてはならなかった。
 それに気付けば、間違いなくヴィナシスは前衛の攻撃を無視して、後衛への攻撃に集中させていただろうから。
 だがもう遅い。
 御使いヴィナシスは、シルバの狙いをほぼ、看破してしまっていた。
「もっとも、多少腐食の進行を早めた所で、私が貴方達を倒す方がもっと早いのです」
 素早く身を屈めて振るったヴィナシスの鉄の巨腕が、キキョウに殺到する。
「うあっ!?」
 防御はしたモノの、そのままキキョウは吹き飛ばされ、森の木々をへし折りながら、奥に消えてしまった。
 正に羽毛の軽さを思わせる動きで、鉄の羽が舞い上がる。
「この速度にも大分、慣れてきましたしね。……少々気は引けますが、これも人の子の願いにより顕われた私の務め。もう終わらせます」
 そして宙に浮いた羽が雨のように地面に降り注いだ。
 懸命に避けていたリフだったが、ついに鉄片の一つが彼女の身体を切り裂いた。
「にぅっ!」
 小さく悲鳴を上げて、リフは地面に突っ伏す。
「遅いですよ」
「カ、カナリーさん、隠れて下さい!」
「分かってる! こんなの一つでも食らったら、僕なんてひとたまりもない!」
 カナリーは、盾を構えるタイランの陰に身を寄せる。
 そのタイランも、防御に必死だ。
 勝ち目がない場合、もしくは狙いを見抜かれた場合は、まだポーションが残っている内に、防御に専念しろというのがシルバの命令だった。
 もっとも、それも長くは持ちそうにない。
 ノインもこちらに何とか近付こうとしていたが、空中を舞う鉄の羽にそれもままならない。
「ちっ、あのでかさで何て速さだ! これじゃ……」
「逃がしませんよ――蓄雷放電」
 ヴィナシスが手をかざし、青白い電撃が空間を奔る。
「{小盾/リシルド}!」
 タイランの後ろでロメロが術を唱えた。
「うああっ……!?」
 しかし、『小盾』ではダメージを受けきれず、雷撃がノインに襲いかかる。
 そして細い黒煙と共に、ノインは地面に落下した。
「く、そぉ……っ!!」
 ロメロはタイランの後ろから飛び出すと、いまだ放電の続く空間に駆け出した。
「ちょっと待て、ロメロ! 今出るのはまずい!」
 カナリーが叫ぶが、ロメロは止まらない。
「だからってこのままにしておけるかよ! アリエッタの姉ちゃんなんだぞ!」
「……残念です」
 本当に残念そうに言い、ヴィナシスは振り上げた拳をロメロとノインに向かって振り下ろした。


 誰もが、ロメロがノインもろとも押し潰されたと思った。
 だが、誰よりも最初に驚いたのは、拳を振り下ろした張本人だった。
「そんな、馬鹿な……」
 拳が震え、徐々に持ち上がっていく。
 その下から、両腕でガードをしたロメロの姿が、徐々に姿を現わした。
「おおっ!」
 大喝一声、ロメロはヴィナシスの腕を弾き上げた。
「くぅ……っ!」
 信じられない事に、超重量級の御使いはたたらを踏んだ。
 ロメロは大きく息を吐くと、顎から滴る自分の汗を腕で拭った。
「思ったより……重くねーなっ!」
「ってロメロだけの力じゃないですよ!」
 声を張り上げたのは、タイランの後ろに控えていたアリエッタだ。
「あん? 何言ってるんだよ、アリエッタ? 俺の中に宿っていた秘めたる力が、追い詰められて初めて発揮をしてだな」
「……礼は言うけど、勘違いはよしなよ」
 ロメロの傍にいたノインも同じ事を言う。
「お、おいおい」
 若干ロメロが引きつるが、実際、その身体は赤と青の魔法光が明滅していた。
 そしてその効果を、カナリーは知っていた。
「これは……『豪拳』、それに『鉄壁』……っ!」
 だが、ロメロは『回復』と『小盾』しか使えないはず。
 まさか本当に秘められた力なんていうモノが……とカナリーは一瞬動揺したが、その視界の端に、印を切る細身の司祭を認めて安心した。
「――{回復/ヒルグン}」
 いつの間にか戦の場に立っていた司祭、ジョージアはそのままキキョウやリフの傷を癒していく。
「……おお、助かった」
「に……ありがと」
 二人が立ち上がり、ジョージア司祭の後ろではサイレン司祭長が拳を震わせていた。
「貴様……」
「お叱りは後でいくらでも受けましょう」
 すまなさそうにジョージア司祭は頭を下げる。
「……ですが、今は息子を助けたいので。申し訳ございません」
「私を裏切るのか、ジョージア! そして神に逆らうというのか!」
「サイレン司祭長。別に、主を裏切っている訳ではないと思いますが」
「ぐ……」
 まさかの御使いからのツッコミに、サイレンは言葉に詰まる。
 もっとも、そのまま黙っている司祭長ではなかった。
「と、とにかく敵方に付くのですから、裏切りには変わりありません!」
「それはそうですね。向こうに付くという事は、私を相手にするという事です。よろしいのですか」
「……はい」
 頷き、ジョージアはロメロを見た。
「……息子が嫁と子供の為に身体を張っているのを見ていると、いてもたってもいられなくなりまして」
「相手は魔族だぞ!?」
 ジョージアの背中に、サイレンが怒声をぶつける。
「それを承知の上で守っているからですよ……ここまでの覚悟があるのなら、親として私も力添えせざるをえないじゃないですか。遅すぎるぐらいですが」
「親父……」
 呆然とロメロは呟き、ジョージアはヴィナシスと向き合った。
「そういう事ならば、しょうがありませんね。ですが、負け戦になりますよ?」
「望む所です」
 言って、ジョージアは印を構えた。
「って余所見している場合かよ、御使い!」
 ハッと我に返ったロメロがヴィナシスの足下に駆け寄り、強化された拳をぶつけた。
「む……それもそうですね。まずは貴方達から倒しましょう」
「おおよ! 手伝え姉さん!」
「あんたの姉になった覚えはないっての!」
 皮膜を羽ばたかせ、空から魔力弾を放ちながら、ノインが叫ぶ。
 一方、ジョージアに向かって、サイレン司祭長は指を突きつけていた。
「という事は貴様、私の敵だな! よし分かった! 今すぐに、眠らせてやる!」
 ヴィナシスが止める間もなく、取り巻きの神官兵達が武器を構えて、ジョージア司祭に殺到する。
「させぬ!」
「にぅ、てつだう!」
 それを守ったのは、キキョウとリフだった。
 突き出された五本の槍の穂先がまとめて切断され、神官兵達の足が止まる。
「ぬうっ!?」
「先刻の回復、礼を言う。さ、早く向こうへ」
「に。タイランの背中ならあんぜん」
「あ、ありがとうございます」
 頭を下げ、ジョージアはカナリー達の下へと駆け出した。
 その背中に向けて、キキョウが言う。
「あと、移動しながらでいいので、『{崩壁/シルダン}』を使えるようなら頼みまする」
「誰にですか?」
「それは、どこに、というのが正確であるな」
「はい?」


 ノインは空中を高速で乱舞しながら、自分を切り刻もうとする鉄羽を回避していく。
「さって、そろそろ追いついてきたかな」
「何の話だよ」
 鉄の足を拳で殴るという暴挙を繰り返しながら、ロメロが空のノインに訊ねる。
 もっともそれが気に入らないのか、ノインは顔をしかめていた。
「話しかけてくんな。避けるのに集中出来ないだろ」
「そっちが聞こえるように呟くのが悪いんだよ!」
「聞かなきゃいいじゃん! いちいち返事しないでよ!?」
 一見仲が悪い二人だが、ヴィナシスの拳や蹴りをロメロが対応し、鉄の羽はノインが相手をしており、それなりに息は合っていたりする。
「しかし、これは避けられないはず――蓄雷放電!」
 言って、御使いヴィナシスは手を掲げて、体内からの電撃を再び放つ。
「くっ……大丈夫か、姉さん!」
「だから姉じゃないって言ってるでしょ!」
 防御はするものの、こればかりはどうにもならない二人だった。
 そして、それとは別の意味で危機を抱いている人物がもう一人いた。
「うぅ……ロメロとノインお姉ちゃんの仲が良くなってきていますうらやましいです」
 指を咥えて羨ましげなアリエッタに、ロメロとノインは同時に振り返った。
「仲良くなんてなってない!」
「どういう目をしてるのさ!?」
「息ピッタリじゃないか……」
 カナリーは、やれやれと首を振った。
 だが、そんな呑気なやり取りも、ほんのわずかな時間でしかない。
「遊んでいる場合ですか?」
 頭上からの声に視線を向けると、新たな電光が鉄羽の間を駆け抜けていた。
「うあっ!?」
 今回、地上にこそ被害はほとんど及ばなかったモノの、空中にいたノインはたまらない。
 短い悲鳴を上げて墜落するノインに、ヴィナシスの巨大な鉄の足が追い打ちを掛けようとする。
「このっ!」
 その足を、ロメロの蹴りが妨害した。
「お前は退いてポーション回復受けてろ! つーかこの電撃さえどうにか出来れば……」
「それより、あの刃物が厄介なんだよなー……それさえなきゃハッちゃんがどうにか出来るのに」
 ロメロは、弱々しく言うノインと顔を見合わせた。
「……ほんっと、かみ合わなねーな、アンタ」
「それはこっちの台詞だっての!」


「ううううう」
 背中から来るプレッシャーに、タイランは甲冑だというのに汗をダラダラと流していた。
「あ、あの、二人ともその辺にしておいてくれると助かります……後ろから何か黒いオーラが出て来てますので……」


「遊んでいる場合ではありませんよ。戦力が増えたのでしたら……」
 ヴィナシスは手を拳から手刀へと切り替えた。
 いや、比喩ではなく、手の腹の部分が鋭利な刃物に変化している。
 超巨大な包丁のようなそれを振り下ろされ、ロメロは目を見開いた。
「うわあっ!? 死ぬ死ぬ死ぬ!」
 避ける余裕もなく、追い詰められたロメロはそれを両手で挟み込んだ。
 重量級の攻撃に、ずん、と足が地面に埋まってしまう。
 ヴィナシスはさらに力を加えようとして……腕と足に軋みを感じた。
「……っ!?」
 見ると、身体のあちこちに赤茶色の斑点が浮かんでいた。
 錆だ。
 馬鹿な、と御使いは動揺する。
 濃霧に見せかけた水分による腐食という、相手の狙いは看破していた。
 だが、これはあまりに早すぎる。
 ただの水ではなかったというのか……?


 ちょうど、その時だった。
「よかった! 終わってなかったー!」
「つ、疲れた……」
 元気と疲労、二種類の声に、カナリーは振り返った。
「ヒイロ! それにシルバ!」
「……よう、カナリー待たせたな。何とか間に合ったらしい。途中で変な奴と会って、相談してたんだ。……魔力は温存してあるな?」
「うん。それじゃ始めようか」


「ぐう……っ!」
 ヴィナシスが膝を屈する。
「うおっ!?」
 足下にいたロメロが慌てて退いた。
 それを眺めながら、シルバは『運命の輪』の札を懐から取り出した。
「一体自分の身に何が起こっているのか分からない……そんな顔をしているな」
「シルバ。錆の件は看破されてたぞ」
 カナリーの言葉にも、シルバは指して驚かない。
「ま、そりゃされるだろ。仮にも『金』の御使いヴィナシスだ。……自分の弱点ぐらい把握はしているさ」
 呟き、キキョウと交戦中のサイレン司祭長の方を見た。
「俺が怖かったのは、例えば金みたいな錆びない素材だったり、魔を退ける銀、あるいは性質そのものを変化させられたりだったんだが、それもない。この世界への顕現時点での力の限界って奴だな」
「先輩先輩、むずかしいよ」
「召喚者の魔力と実力不足で、天使の力が制限されてんだよ」
「あ、それなら分かる」
 シルバがぶっちゃけると、パンとヒイロは手を打ち合わせた。
 実際その通りだったらしく、ヴィナシスは否定しなかった。
「……あの濃霧は、ただの霧ではなかったという事ですか」
 御使いヴィナシスの肌に浮かび上がった、赤茶色の斑点は面積をさらに広めていく。
「ああ……まあ、その……何だ。アンタが顕現する前にも一戦あったんで、それを利用させてもらったというか……」
 すまなさそうに、シルバはキキョウ達とサイレン司祭長らの戦いを指差した。
「つまり、あの霧の主成分は、ここにいる連中から出た塩水――つまり汗なんだ」
 その言葉に、仲間達は心底嫌そうな顔をした。
「……シルバ。この戦いが終わったら、僕達は身体を清めさせてもらう。絶対にだ」
「あ、あんまり気持ちのいいモノじゃないですよね……」
「まだ、後衛にいたお前らはマシな方だろ……前衛なんて、もっと悲惨だぞ」
 シルバが言うと、うむ、と戦闘中のキキョウも頷いていた。
「聞こえているぞ、シルバ殿……放っておくと、着物が恐ろしい臭いを発する事になるのだ。夏場の道着のすえた臭いと同じモノであり、つまり地獄だ」
「にぅ……くちゃいの、や」
 作戦は大不評であった。
「とにかく、このまま腐食を進めさせてもらう」
 シルバが札に魔力を込めると、『運命の輪』の絵札の中の輪が高速で回転する。
 その力は時間操作。
 時間を『巻き戻す』よりは消耗が少ないとはいえ、錆の侵食を継続する為の魔力消費はこれまでにないほどきつい。
 余裕ぶってはいるが、実はシルバも結構きつきつであった。
「シルバ、交代しよう」
「頼む、カナリー」
「わ、私もお手伝い出来ればいいんですけど……」
 タイランが済まなさそうに差し出した魔力ポーションを飲んで、シルバはようやく回復した。
 カナリーの魔力を温存していたのは、この為でもある。シルバとカナリーは、交互に札に魔力を注ぐ作業を行なう事になっていた。
「タイランはタイランで、盾としての仕事があるだろ。それで充分だって」
「甘いですよ、ロックール司祭!」
 ヴィナシスの身体が青白く輝き、錆の侵食が緩やかになる。
「電撃による防錆効果か……! ってロメロ拳ストップ! 感電して死ぬぞ!?」
「おおっと!?」
 シルバとヴィナシスのやり取りに構わず拳を足にぶつけていたロメロが、慌てて腕を引っ込める。
 その頭上で、ノインが小さく舌打ちをした。
「ちっ!」
「今お前、舌打ちしただろ!? おい、俺が死んでもいいって思っただろ!?」
「っさいな! 今はそれどころじゃないだろ!」
「あと、そっちの魔力弾も効いてないから、撃つだけ勿体ないぞ」
 シルバの助言を受け、ノインも魔力弾の撃ち込みをやめる。
「そ、そういう事は早くいいなよ!?」
「……だから今、言ったんだよ。大体いつの間にロメロとその父さんが協力してるんだ。カナリー、きついだろうけど雷撃付与をロメロとヒイロに頼む」
「了解」
「させません!」
 ロメロやノインを無視して、雷光を放つ鉄の天使、ヴィナシスがシルバに襲いかかる。
「タイラン!」
「は、はい!」
 シルバは後ろに下がり、入れ替わりにタイランが前に出た。
 もっとも、タイランが盾役になる必要はなかった。
「{崩壁/シルダン}!!」
 ジョージアの祝福魔術が発動し、ヴィナシスの身体が腰まで地面に沈む。
「な――っ!?」
「さすが超重量級、効果は抜群だ。……それと、術掛けた本人が驚くのはどうかと思うんですが」
 隣で呆然としているジョージア司祭を、シルバは見た。
「……いえ、その、こういう効果があるとは思わなかったので」
「出来れば次は{飛翔/フライン}をお願いします。息子さんみたいに、味方まで沈むんで」
「あ、は、はい! ロ、ロメロ、しっかりしなさい!」
「お、おう!」
 ジョージアが『浮遊』を掛けると、膝下まで地面に埋まっていたロメロの身体が浮き上がる。
 ちなみに、キキョウ達の方では、神官兵達が何人か同じように巻き込まれていた。
「んじゃ、行くよーっ!!」
 十数セントメルト、空中に浮遊した状態で、ヒイロは甲冑とブーツを脱いだ。
 身軽になったヒイロが、いつもの数割増しの速度でヴィナシスに突進する。
「硬いぞ、コイツ!」
「しょーちの、うえっ!!」
 ロメロに応えて、拳を握る。
「させません!」
 ヴィナシスは身体を地面に沈めたまま、夜空に向かって手をかざした。
 夜空に舞う鉄の羽達が、ヒイロに向かって殺到する。
 例え赤錆に侵されていても、ヴィナシス本体とは違い単純な造りだからだろう、その速度はほとんど鈍っていない。
 だが。
「遅いよ!!」
 ヒイロはそれらを次々に、獣のような素早い動きで回避していく。赤錆に覆われた鉄片は地面に突き刺さったかと思うと、そのまま全部沈んでしまっていた。
「犬……いや、狼……?」
 横を通り抜けていくヒイロに、ロメロが呟く。
 そんな彼に構わず、ヒイロは雷撃と強風を纏った拳を振りかぶった。
「これでもくらえ――烈風拳っ!!」
 重い一撃がヴィナシスの腹部に打ち込まれ、森の木々全体が揺らぎ、地面が震えた。同時に、大きな鐘を突くような音が森に響き渡る。
「ぐうっ……!?」
 ヴィナシスはこの戦いで初めて受けた、強烈な痛みに苦悶に歪めた。
 たまらず両手を地面に突き、その手も土の中に沈んでしまう。
 ヒイロが腕を引くと、拳を打ち込んだ部分が粉末状になって散っていく。
 逆にヴィナシスの拳は、動きも鈍り、ヒイロは難なく回避してしまう。
「……シルバ、ヒイロは何をしたんだい?」
「シーラの攻撃と原理的には同じ事。ただし、打ち込んだのは衝撃波じゃなくて気って奴だけど」
 ヒイロが姉であるスオウから習得した、気の放出の応用だ。
 あれをゼロ距離から打ち込む事で、対象の内部にダメージを与えたのだ。
「しかしそれだけで、あのダメージは説明が付かないと思うんだけど……」
「……それは戦いながら出力を調整してた、シーラの成果。何でも物質は、特定の震動に弱いって話があるらしいじゃないか。造ったばかりの吊り橋が上を歩く軍隊の歩調が原因で落ちたり、建物が風が原因で崩壊したりっつー……後半は、ネイトの受け売りだけど」
 カナリーがパチンと指を鳴らす。
「そうか、共鳴現象」
 ちなみに当のネイトは、地の底にいるシーラに状況を聞きに行っており、不在状態にある。
 その間も、ヒイロの拳は次々にヴィナシスに叩き込まれ、ダメージを蓄積していった。
 徐々にヴィナシスの力は弱まりつつあるのか、再びその身体や羽からは赤い錆が広がり始めていた。
 さて、とシルバは考える。
 このまま終わらせると、おそらくヴィナシスは消滅する。
 しかしそうすると、残ったサイレン司祭長は御使いと交わした『約束』を無視して攻撃してくる可能性が高い。
 それでは困るのだ。
 ベストなのは、ヴィナシス自らに敗北を認めさせる事。
 飛び交う羽は、今の速度ならノインの魔力弾で撃墜出来る。
 電撃の方は……。
「……この身体では……どうやら勝てそうにありませんね……」
 御使いヴィナシスの呟きに、シルバはハッと己の思考から抜け出した。
 やっぱり来るか。
「ヒイロ、ロメロ、距離を取れ! 縮むぞ!」
 シルバの予想通り、錆で赤茶けた御使いの姿は徐々に縮まり、最初に顕われた時と同じ、人の大きさへと変化していく。


 キキョウは刀と短刀を茂みの中に投げ捨てた。
「どうした獣人。勝負を諦めたのかね」
「まさか。必要があって、行なったまで」
 言って、腰を落とし、右手を前に構えた。
「それに某、素手での心得もそれなりにあるのでな」
 その言葉に、槍と鎧で武装した神官兵達も、改めて身構える。


 突然地面が小さく爆発したかと思うと、夜空に向かって金棒が勢いよく舞い上がっていった。
 くるくると回転しながらその金棒もまた、森の茂みに突き刺さる。
 黒く変色した金棒には、瘤のような幾つもの石がへばりついていた。
 土まみれになったシーラがモグラよろしく地面から現れたのは、それから少し経ってからの事だった。
 周囲をゆっくりと見渡し、シルバの姿を認めると口を開く。
「主の読み通りだった」
「ご苦労。あったか?」
「充分すぎるほど」


「シルバ、魔力ポーションこれが最後だ」
「了解。アリエッタ、質問がある」
 シルバは札に魔力を注ぎつつ、魔力ポーションで喉を潤した。
「ななな何でしょうか」
「森でロメロとはぐれたっていう話だけど、やっぱりこれが原因か?」
 懐から出した『それ』を見て、アリエッタはぶんぶんと首を縦に振った。
「そそそそうですこれが全然役に立たなくていやロメロから聞いてはいたんですけどまさか飛んで探す訳にもいかず」
 ふむ、とカナリーは弱い雷撃呪文を唱えると、小さな火花を指先に集めた。
 微量の粉が指先に集束する。
 術を解くと、その粉はヴィナシスの方へと漂っていく。
「……やろうか、シルバ」
「よし」
 シルバは腰の荷物袋から地図を取り出した。
「シーラはロメロと交代。ジョージア司祭とノインは、こっちへ来てくれ。決着をつける」


 御使いヴィナシスの姿が変化する。
 人の大きさに戻ったそれは、恐るべき力を発揮する。
 膂力は巨体のままでありながら速度は数倍増しとなっている。それでいながら、身が硬く物理的な攻撃は酷く通じにくいのは変わらない。
 否、それ以前に戦士達を遠ざける不可視の力が発動される。
 身が縮んだ分、雷撃は範囲こそ狭まったモノの、鋭さは逆に増し、威力も高まっている。
 更に巨体の時には使えなかった、空中への飛翔が可能となるのが大きい。
 唯一の問題があるとするならば、酷く魔力を食う為、召喚者の負担が大きく長時間の顕現が出来ない点にあった。


「申し訳ありませんが、最終手段を出させて頂きます」
 地面から浮き上がった御使いヴィナシスの赤錆びた身体は、青白い火花を放出する。
「うぉ……っ!?」
 その眩しさに、シルバ・ロックールが一瞬目を逸らした。
 ヴィナシスは、低い唸り声にも似た音が放った。
 途端、地面に落ちていた神官兵達の槍が勢いよく森の方へと吹き飛ばされてしまう。
「――『封鉄領域』。金属の防具武器を持った者は全て弾き飛ばしま……」
 そのヴィナシス目がけて、何かが飛んでくる。
 巨大な二つの塊――鋼の手であった。
「!?」
「ロケットナックル!!」
 それは、いつの間にかシルバの前に立っていた重甲冑の両手だった。
 ワイヤーで繋がれたそれが、ヴィナシスの身体をガッシリと捕らえる。
「ど、どうして!?」
「ぜ、絶魔コーティングです!!」
 その名は、ヴィナシスも聞いた事があった。
 あらゆる魔術効果を打ち消す、人が作った魔力遮断の技術。
 もちろんヴィナシスの『封鉄領域』もその例外ではない。
 本来ならば、あらゆる武器防具を近づけさせないその術は、目前の重甲冑にはまったく効き目がないようだった。
「……あと、味方の方が巻き込まれてるぞ?」
 そう、シルバ・ロックールが言い、ヴィナシスの背後を指差した。
 首を向けると、森の茂みに神官兵のほとんどが吹き飛ばされていた。
「うぅ……御使い様、どうして……」
 彼らは鉄の槍と防具で身を固めていたので、吹き飛ばされるのは当たり前の話である。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……まあ、手出し無用って話なのにどさくさ紛れに戦闘に入ったから自業自得っちゃー、そうなんだけど」


 もちろん無事だった者もいる。
 後方支援の術者達はほとんど金属製品を身に着けていなかったので、吹き飛ばされてはいない。
 もっとも、まともに戦える者はほとんどいない。『神拳』にしても、魔力ポーションを盗まれている時点で、後数発撃てるかどうか怪しいモノだった。
 激昂したのはその内の一人、サイレン司祭長であった。
「おのれ、邪悪なる者め! よくも狡猾な罠を仕掛けてくれたな!」
「術を発動させた天使に言ってんのか、それは?」
 よくもまあ、これだけ悪びれずに人のせいに出来るなと半ば呆れながら、シルバは訊ねた。
「そんな訳があるか!」
「そして、一気に手駒は減ったようであるな」
 サイレン司祭長を、キキョウらが取り囲む。
 先にシルバから、金属類の武装を外すよう言われていたので、彼女達も無事だったのだ。
「一人を相手に多勢で掛かってくるとは卑怯な!」
 それでもほとんど怯まないのは、大したモノなのかもしれない。
「に……さっきまで、リフ達の方が数、すくなかった」
「勝負に卑怯はない。素手での戦闘は元々、わたしの分野」
「じゃあ、こっちはこっちで始めよっか。手を出したのはそっちが先なんだよね?」
 キキョウらは一斉に、サイレン司祭長に襲いかかった。


 後方の戦闘も気になったが、とにかくヴィナシスは自分の脱出を優先しなければならなかった。
「くっ……こ、この程度の拘束……すぐに抜け出して……」
 膂力は維持されているのだ。
 その気になれば脱出など……と考えているヴィナシスに、何やら滑るモノが横から纏わり付いてきた。
「あ……っ!?」
 見ると、それは赤く太い触手だった。
「キュル……」
 ヴィナシスが触手の伸びてきた方向に顔をやると、森の奥に丸い頭をした軟体の中型モンスター・ハッポンアシが潜んでいた。
「来たねハッちゃん。いいよ、そのまま捕まえてて!」
 シルバの傍にいたノインがハッポンアシに命じると、モンスターは小さく鳴いてヴィナシスの身体を締め付けてくる。
「あ、あれは……我々を襲ったモンスター……」
 倒れていた神官兵の一人が声を上げた。
「は、離しなさい!!」
 ヴィナシスは暴れるが、ただでさえ重甲冑の手で捕まえられ、おまけにヌルヌルとした触手は金属の肌とはすこぶる相性が悪い。とにかく滑るのだ。
「無駄無駄。その子に電撃の類は通用しないよ。全部吸収しちまうから」
「……っ!!」
 ノインの言葉通り、魔力が吸収されてしまっている。
 電撃を放とうにも、それすら吸われてしまう。
 まだ残っていた羽を放ってみたが、赤茶けたそれの切れ味は恐ろしく鈍っていた。
 ハッポンアシの身体に突き刺さったが、ゴムのようなその身体はあっさりと羽を弾き飛ばしている。
 軟体モンスターは、斬撃ならともかく、打撃の攻撃効果は薄いのだ。
 魔力を吸い取られ、ヴィナシスの身体は明滅を繰り返しながら、更に錆びていく。


「大詰めだ……」
 シルバが札に魔力を込めると、宙に浮いていた御使いヴィナシスの身体がググッと地面に下がっていく。
「その札は……うあぁっ!?」
 シルバは地図から作り出した『世界』の札に魔力を注ぎ込み続ける。
 シルバだけではない。
 ロメロやジョージアといった、魔力を持つ者全員が、その札に同じように『世界』の札に力を与えていた。
 そして、その『世界』の効果とはこの場合。
「――磁界操作。その金属の身体で空を飛ぶ理屈は分かっているつもりだ。電流を応用して、磁力で浮いているんだろ」
「……っ!?」
 見抜かれていた事に、ヴィナシスは動揺する。
 シルバの横で、カナリーが少し呆れた顔をしていた。
「シルバ、よくそんな技術知ってたね」
「……軍って、色々変な人がいるんだよ。あとクロップの爺さん」
 この地面の下には、磁力を帯びた鉱石が大量に埋まっている。
 それが原因で、アリエッタは方位磁石が役に立たず、道に迷ったのだ。
 もっとも、シルバがこれに気付いたのは、まったく違う出来事にあった。
「そもそも最初に地面から御使いが登場した時、浮いてきただろ。背中の羽を羽ばたかせもせず、どうやって浮いたんだろって疑問に思ってたんだ」
 もしかすると、自分自身と地下の鉱石の磁力を操って、浮いたのでは……。
 その時点ではあくまで推測だったが、地下に潜ったシーラが自身の武器である金棒で、磁力を帯びた鉱石が存在する事を確認をした。
「……アレは僕、何かの演出かと思ってたんだけど。それと、僕が宙に浮く事には何の疑問も持たないのかい?」
「うん? 吸血鬼が空を飛ぶのは普通じゃないか」
 カナリーは少し困った顔をし、話を変えた。
「……とにかく、この磁力の維持は結構きついモノがあるね。『力』の札じゃ駄目だったのか?」
「多分、狙ってる効果は一緒だし、ついでに新しい札の力も確認したかったんだ」
 酷い動機であった。
「ちょっとシルバ、君この状況でよくそんなチャレンジ精神が発揮出来るね!?」
「はっはっは、褒めるなよ」
「別に褒めた覚えは一度もない!」
「まあ実際……! 御使いを動けなくするぐらい強力な磁力の発揮には、これぐらいの人数が必要なんだよ。実際今やってるんだから、分かるだろ……!」
「それは同感だけど……今回一番の被害者は、間違いなく彼らだろうね」
 うん、とシルバは地面に横たわる神官兵達を見た。
 金属の武器と防具で武装した彼らは地面下の磁力によって、横たわるというより最早埋没していると言ってもいい。
「ぐ、う……!」
 そして、ヴィナシスにも限界が来た。
 地面の防御力を下げる『崩壁』は、同じ術者であるジョージア司祭の『鉄壁』によって元の固さに戻されている。
 にも関わらず、タイランとハッポンアシに拘束された御使いの身体は、徐々に地面に埋まりつつあった。
「ヴィナシス様!!」
 キキョウ達を相手取っていたサイレン司祭長が、悲鳴にも似た声を上げる。
「余所見をしている場合か、司祭長!」
「ぐう……っ! わ、私にもっと力があれば……!」
 その司祭長ももはや魔力の限界なのか、キキョウの貫手を胸に受けて、その場に膝を屈する。
「勝負あり……ですね」
 同時に、ヴィナシスの身体も、その存在が薄れつつあった。
 シルバ達の操る磁力に抵抗すればするほど司祭長の魔力は大きく消費され、その身体の維持が不可能になっていたのだ。
 その宣言を聞き、シルバは『世界』の札から魔力を切った。
 カナリーらは元より、キキョウや神官兵達といった、その場にいたほぼ全員がホッと安堵する。


 ――膝をついていたサイレン司祭長が、足のバネを使ってシルバに向かって大きく跳躍したのは、その直後の事だった。


 それまでジッと待機していたちびネイトが、ひょいとシルバの肩に出現する。
「シルバ来たぞ!」
「やっぱりな!」
 ネイトに警戒させていたお陰で、シルバは動揺しなかった。
 手に持っていた『世界』の札を腰に吊していた金袋に突っ込むと、開いた口から大量のコインが噴水のように溢れ出した。
「がふっ!?」
 コインの奔流を顎に喰らい、サイレン司祭長は派手に吹っ飛ぶ。
 やがて、コインの放出も収まり、周囲に硬貨をばらまいた中で、サイレン司祭長は大の字になって倒れてしまった。
 目を回す司祭長を、ネイトはつまらなそうに見た。
「……何という読み通りの展開。仕事のし甲斐がなくて困る。もうちょっと意外性が欲しい所だ」
「そんなモノ求めてどーする」
「例えば求愛行動に走るとか」
「全力でお断りする」
「うむ、やはり私の抱擁を求めているのだな」
 言って、ネイトはシルバの耳にしがみついた。
「いつ求めたか!?」
「……そ、それより拾わなくてもいいんですか、コイン?」
 おずおずとタイランに言われ、シルバは我に返った。
「あー……そういや、結構散らばっちまったな。とりあえず皆さん、近くにあるコインは回収。あとこれはこっちに預けとく」
 仲間達が地面に落ちた硬貨を拾う中、シルバは何枚かのコインを御使いヴィナシスに渡した。
「何ですか、これは?」
 ヴィナシスは不思議そうに、精緻な刻印が施されたそのコインを眺めた。
「司祭長が使ってたコイン。召喚やら転移の術が使えるらしいんだけど、『砲術』とかにまた使われても困るし」
「……それなら、彼の傍に散らばっているコインも回収する必要があると思うのですが」
「しまった!?」
 言われてみれば、そうである。
 別に普通の硬貨でもそこらの小石でも、『砲術』は可能なのだ。
「……心配しなくても、これ以上の無法は私が許しませんよ。その手の攻撃はしばらく、一切を禁止します」
「助かります。んで、ノインとやら」
 ホッと安堵したシルバは、退屈そうにシルバの様子を眺めていた魔族の方を向いた。
「何さ?」
「そっちのハッちゃんに頼んで、司祭長の魔力回復頼める?」
 中型モンスターは自分が呼ばれたのに気付いたのか、何故か頭にリフを乗せながら「きゅ?」と短く鳴いた。
「やだよ!? 何であんな奴を助けなきゃならないのさ!?」
 当然、ノインは反対した。
 シルバは頭を掻きながら、恋人の身を案じるロメロを見る。
 そして、声を潜めた。
「ロメロ……は、どうでもいいんだっけか。でもアリエッタの為でもある」
「本当か?」
「神に誓って本当だ。つーかあっちの魔力が完全に枯れると、御使いがこの世界で姿を維持出来なくなるんだよ。そうするとこれからする事が色々面倒くさくてな」
「アンタの信仰する神なんてどうでもいいけど、まあいいや。……借りが出来てるし、一応は協力しとく」
「おう」
 ノインはハッポンアシに近づき、触手を伸ばすよう命じる。
 その背中を眺めてから、自分と同じようにロメロとアリエッタを眺める痩せた司祭に気がついた。
 向こうも、こちらに気がついたようだ。
 目が合うと、ぺこりと頭を下げてきた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。ジョージア司祭も、ご苦労様です」
「いえ……それからロメロ」
 ジョージアが声を掛けると、ロメロは父親の方を向いた。
「何だよ、親父」
「私はこの土地から離れる事は出来ません……が、場所が定まりましたら、便りの一つぐらいは送って下さい。貴方とその妻、そして生まれてくる子に、神の祝福を」
 ジョージアは、息子とその隣にいる嫁に印を切った。
「お義父さん……」
「アリエッタさん。乱暴な所もある息子ですが、どうぞよろしくお願いします」
「は、はいありがとうございますこちらこそこれまで色々お世話になりましたロクにその恩も返せず去る事をお許し下さいお便り必ず書きますから」
 すごい勢いで、アリエッタは頭を下げまくっていた。
「うむうむ、良い光景だ。しかしてシルバ殿、サフィーンは少し遠いと思うのだが」
 キキョウが、拾ったコインを持ってきた。
「うん。だから南の方を紹介しようと思う」
 シルバは金袋の口を開け、そのコインを受け取った。
 もっとも地面にはまだまだ、硬貨が落ちている。土剥き出しの所はまだしも、草むらに落ちたのを拾うのは厄介そうだ。
 ジョージアが『回復』を神官兵達にもまとめて掛けたお陰で、彼らも拾うのに協力していた。
 さすがに天使の前で、これ以上戦うつもりはないらしい。
「南……というと、ドラマリン森林領か?」
 キキョウの問いに、シルバは頭の中で地図を描いた。
 このまま南下すれば、数日で国境に到着する。
「ん。国境抜けて……アリエッタが身重だし、徒歩だとちょっときついか。使うなら馬車か飛鳥便だな。ウチの村ならまーまず産むのも大丈夫だろうと思う。サフィーンに比べりゃ、まだずっと近いし」
「なるほど……」
「てな訳で、約束は守ってもらうよ、御使い」
「当然です」
 御使いが頷く。
 その直後、後ろから怒声が響いた。
「納得いきません!」
 緩みつつあった森の空気が、しんと静まり返る。
 神官兵達も、どうしていいか困っているようだった。
 その中で、上半身裸のサイレン司祭長だけが鼻息荒かった。
 幸い、ハッポンアシとノインは司祭長から離れた後だったようで、いきなりの戦闘にはならないで済んでいるようだった。もっとも、ノインは既に殺気むき出しのようだが。
「……ま、そうくると思ったけどね」
 シルバは溜め息をつき、やれやれと首を振った。
 その後ろにいる御使いに向かって、サイレン司祭長は訴える。
「彼らは邪悪なるモノです! 長らく村に素性を隠して潜み、前途ある若者を堕落に導いたその罪は大きい!」
 シルバはサイレン司祭長から、彼を警戒するロメロとジョージア、その背中に守られるアリエッタに視線を移し、再び司祭長の方を向いた。
「合意の上だよ? 本人らが納得してるんだし、親だって理解してる。大体、あの娘が何をしたって言うのさ。他に実害は?」
「あの軟体生物やそこの魔族により、私の部下が何人も被害にあった!」
 すると、神官兵達の視線を浴びたノインは、憮然とした表情で言い返す。
「そりゃ、問答無用で襲われて話し合いも通じないんじゃ、こっちだってやるしかないでしょ。それに、誰も死んでないはずだよ。こっちゃ手加減したんだから」
 言葉自体はサフィーンのモノだが、例によってネイトが『通訳』を行なっているお陰で、その場にいる全員にノインの話している事は伝わっていた。
「というかさ――」
 シルバは懐から手帳を取り出し、それを開いた。
 あるページに目を通すと、サイレン司祭長を見据えた。
「――実害が出ないと色々困るのかな、司祭長?」


「……それはどういう事かな、ロックール司祭」
 サイレン司祭長も、ジッとシルバを見つめ返す。
 シルバは怯まず、話を続けた。
「スターレイの街で四年前にモンスターが現れたそうじゃないですか。異国の言葉を使う手負いのライカンスロープ……いわゆる人狼ですね。人の世に潜んでいたソイツは、しばらくして無事、サイレン司祭長とその部下の手によって退治された」
 そこで「ん?」と首を傾げた二人がいた。
「……あのー先輩、その話、妙に引っ掛かるんだけど」
「……うむ、偶然だな。某もだ。退治されたという事は、おそらく『彼』を人狼に変えた加害者の方なのだろうな」
「とりあえず今は、シルバに任せておいてくれないか、ヒイロ君もキキョウ君も」
 ちびネイトがふわふわと漂い、二人の言葉を止める。
 その間も、シルバは話を休めない。
「――結果、当時選挙で不利だったサイレン司祭長は、圧倒的票数を得て町長の地位を得た」
「それで話は終わりかな?」
「そして今、同じ選挙期間中に魔物が出現した。奇しくも人の中に紛れ込むタイプのモンスターだ」
 今度反応したのは、ロメロとノインだった。
「アリエッタがモンスターだとう!?」
「それはアタシに対する挑戦と見た!」
 シルバに掴みかかろうとする二人の首に、グッと両腕を絡めたのはカナリーだった。
「はいはい、とりあえず便宜上そう呼んでるだけだから。今、真面目な話の最中だからしばらく静かにしてようねー」
「こ、子供扱いするな!」
「一発殴らせろー!」
「はいはいはいはい」
 ロメロとノインは、ズルズルと後ろへと引きずられていく。
 シルバは手帳をめくった。
 ダンディリオンの記した内容を読み上げていく。
「スターレイの現状での票数は、マール・フェリーとほぼ五分と五分。ここで魔族を倒せば、相当な票の見込みがあるでしょうね」
「自分が何を言っているか、分かっているのかな、ロックール司祭。それではまるで、私がこの土地に魔族を放ったような物言いだぞ?」
 口調こそ冷静なモノの、サイレン司祭長の額には明らかに怒りの血管が浮かび上がっていた。
 シルバは振り返り、アリエッタを見た。
「アリエッタは、サフィーンから掠われたと聞く。その話を信じるなら、動機があるって話ですよ」
「魔族の言葉に耳を傾けるのか、君は?」
「魔族だって人間っすよ、広義の意味で。まつろわぬ者は全て敵、なんて教義はゴドー聖教にはないですよ」
「証言が本当だという証拠は!」
「証言が嘘だという証拠もない! そして証人もいる!」
 シルバはノインを指差した。
 これ以上は無駄だと思ったのか、サイレンは首を振る。
「なるほど、理由にはなっているようだ。で、仮にそうだとして」
 周囲の神官兵達の不安そうな瞳に囲まれながら、サイレンは肩を竦めた。
「私がどうやって、それを行なうというのだ? 彼女がこの地に現れたのは半年ほど前という話だが、サフィーンは相当な遠方。ここ数年、私はこの地から離れた事はない。私が、彼女を使って、そのような事をしたと、どうやって証明する」
「それなんですがね――」
 うん、とシルバは真面目な顔で頷いた。
「――出来ません」
「「うぉいっ!?」」
「お、落ち着きなさい、ロメロ、ええとノインさん」
 今度二人を止めたのは、ジョージア司祭だった。
 一方、シルバは困ったような笑みを浮かべて、髪を掻き上げた。
「いやぁ、どうやったのか皆目検討もつかないんですよ」
「で、でもシルバさんって戦う前……」
「にぅ……」
 タイランとリフが顔を見合わせ、シーラは頭を振った。
「静かに。まだ話は終わっていない」
 そしてサイレン司祭長は、短く笑っていた。
「……つまり、君は根も葉もない主張で、私をただ侮辱したという事かな? それも御使いの前で」
「ああ、そうなりますね」
 司祭長は笑いを引っ込めると、声を張り上げた。
「全身整列! 話は終わりだ!」
 神官兵達の訓練は行き届いているらしく、彼らは一斉にシルバ達を取り囲んだ。
 それを見て、『金』の御使いヴィナシスが制止の声を上げる。
「いけません。約束ですから手出しはさせません」
「ええ、そちらの魔族は退散させます。しかし彼は逃がしません。魔物を逃がした罪で捕らえます」
 言って、サイレン司祭長も拳を構えた。
 呼応するように、シルバを中心にキキョウらも集まり始めた。
「まあ、そりゃ確かに約束には入ってないな」
 十数本の槍に囲まれながらも、シルバはさして慌てていなかった。
「オーケー。捕まる事には異存はない。ただその前に一つだけ頼みがある」
「何だ」
「落ちたコインの回収。財を放置しておく事は出来ないんで」
 仲間達が拾い集めたものの、地面にはまだ何枚か、星の光を反射して輝く硬貨が残っていた。
「……よろしい。ただし、妙な真似をしたら、すぐに拘束する」
 わずかに構えを緩めて、サイレン司祭長は許可を出した。
「しないって」
 シルバは『金貨』の札を構えた。
 サイレン司祭長の注意は、その札に向けられる。
「その札……どこで手に入れた?」
「さて、どこだったかな」
 シルバはすっとぼけ、札に魔力を込めた。
 地面に落ちた硬貨が浮き上がり、シルバの周囲に集まった。
 それを数え、シルバは眉をしかめる。
「……少ない」
「何?」
 怪訝な顔をするサイレン司祭長に、シルバは答える。
「確実に、硬貨が足りない。地面に落ちているモノは全て回収済みなのに」
「それは、つまり?」
 考えられる事は一つだった。
 シルバは、周りを見渡した。
「この中に、落ちた硬貨を拾った人がいて……誰かが懐に収めてる?」
 振り返ると、ノインが大きく首を振っていた。
 もちろん容疑者は彼女だけではない。
 正面では、神官兵達が互いの顔を見合わせ、ざわめきが徐々に大きくなっていく。
「馬鹿な! そんな不届き者が、この中にいるはずがない!」
 サイレン司祭長が、胸を張って断言した。
「待て待て待て! そんな事言ったら、名乗り出ようって人も出て来ないだろ! 出来心ってのは誰にだってある!」
 シルバは周囲の動揺を押しとどめながら、高らかに宣言した。
「今なら誰も責めません! 名乗り出て下さい!」
 森がしんと静まり返る。
 だが、名乗り出るモノはいない。
 互いが互いを監視し合い、まさしく出るに出られなくなっているかのようだ。
 しょうがなく、シルバは切り札を出した。
「……神に誓えますか?」
 効果は絶大だった。
 何人かの神官兵が畏れるように懐に手をやり、おずおずと隠し持っていた硬貨を取り出した。
「お、お前達……」
 サイレン司祭長は愕然としていたが、シルバはさして驚かなかった。
「無理もないっすよ。聖職者って言っても、人間なんだから欲だってある。水晶通信局開局記念クリスタル硬貨、パル帝国現皇帝陛下在位50年記念金貨、第一次魔王戦役戦勝記念銀貨、モース霊山保護基金銀貨等々、レア物ですからね……おや、まだ足りない」
 コインを回収したシルバは、不思議そうに呟いた。
 さすがに司祭長も我慢の限界だった。
「まだなのか!? 貴様! 時間稼ぎのつもりではないだろうな!」
「神に誓って嘘偽りは言ってませんよ。確実にあと一枚足りない」
 右手を挙げて断言するシルバに、後ろにいた御使いヴィナシスが名乗り出た。
「……ロックール司祭。よければ私が力を貸しましょう。『金』の御使いであるこの私ならば、失せ物探しは難しくありません」
「そう言ってもらえると助かります」
 そしてシルバは、穏やかに声を張り上げた。
「これが最終通告です。今ならまだ恥をかかないで済みます。素直に、名乗り出て下さい」
 だが、出て来る者はいなかった。
「これが済めば、大人しく捕まるのだな」
「そうっすね。それじゃヴィナシス様、やっちゃって下さい」
 シルバは振り返り、ヴィナシスに頷いた。
「はい――『占探金脈』」
 ヴィナシスの右手が持ち上がり、二本揃えた指先が光輝く。
 直後、シルバの周囲の硬貨も虹色に輝いた。
 そしてもう一点。
「ば」
 その光の点を見下ろして、サイレン司祭長が絶句する。
「馬鹿な! これは、何かの罠だ!」
 光は、司祭長のズボンのポケットから放たれていた。
 信じられないといった顔をする神官兵達の視線を浴びながら、サイレン司祭長は慌ててポケットの中の『それ』を取り出す。
「どういう事だ……」
 手の中にある硬貨。
 それは書物の刻印がされた硬貨だった。
 だが、いや、そんなはずはない。
 だってこのコインは……。
「これは一体どういう事だ、ロックール司祭!!」
 混乱し、サイレン司祭長が顔を上げて叫ぶ。
 ボリボリと頭を掻いていたシルバは、不敵な笑みを浮かべた。
「……そりゃむしろ、こっちの台詞なんだけどな。どういう事なんだ、サイレン司祭長?」


「どうして俺のコインを貴方が隠し持っていたのか、説明を求めたい」
 シルバの詰問に、サイレン司祭長は必死に頭を回転させた。
 そう、私は落ちていたトゥスケルのコインを拾った。
 何故なら自分のモノだからだ。
 これの存在を知られる訳にはいかなかった。
 四年前の人狼事件は、本当に私の与り知る事ではなかった。ただ純粋に、人を害する魔物を退治しようと動いたに過ぎない。
 そしてその結果、街の人間の圧倒的な支持を得て、自分は今、この地位にいる。
 今回の選挙は、正直不利だった。
 四年間の、人間族に対する優遇政策の推進に、何故か亜人種族が不満を持っていたからだ。
 マール・フェリー。そもそもあの女が悪い。
 吸血鬼の情婦風情が政治に口出しをし、人気取りの為に人間と亜人は手を取り合って協力していきましょうなどと綺麗事を言う。
 あの笑顔と言葉に愚民共はコロッと騙されたのだ。
 人間が最も優れているのだから、人間を優遇するのは当たり前の話ではないか。それが何故分からないのか。
 それでも、私を支持してくれる者は多かった。当然だ。スターレイは人間の街なのだから。
 しかし、支持率で不利になりつつある現実は認めざるを得ない。
 何か、大きな成果を上げて、人気を回復するしかない。
 四年前のような事が起こってくれれば……などという、不謹慎な考えがあったのは確かだ。
 だが、実行に移そうなどとは考えもしなかった。
 何故なら私は為政者としてこの土地を動けない。いや、動けるなら実行したという意味ではないが。
 そう、私は清廉潔白であり、そんな事をしようなどとは思わなかった。
 しかしこのままでは、この街は亜人種に乗っ取られてしまう。神は彼らの存在をお許しになったが、導くのは人間でなければならない。神は自分の姿に似せて我々を作った。という事は我々が最も優れているのは道理ではないか。
 そんな危機感を持っていた時に、トゥスケルの者が現れた。
 ラグドール・ベイカー。
 己の知的好奇心を満たすというその一点で協力し合っているという、変わり者の集団だ。
 そうだ。彼女が悪いのだ。
 四年前の再現。
 彼女のその時の目的は『人々の疑心暗鬼の様子の観測』であり、人の中に潜む魔族を街に放ってみたいという申し出だった。
 時期が来てそれを私が直々に倒せば、私の支持率は大幅に上がるのは間違いないと彼女は囁いた。
 もちろん私は断った。
 街の人間は私の財産だからだ。
 だから、少し離れた村で行なう事を許可した。
 出来るだけ弱い魔族で、人々の被害も少なくて済むように。そう注文を付けて。
 お陰で、安いとは言えない額の報酬を、裏金から払う事になったが、今後四年間の街の安定の為には仕方のない犠牲と言えた。
 転送機能のある遺跡が近くにあるといい、その応用でラグドールは遠くサフィーンの方から魔族を連れてきた。
 加えてトゥスケルの研究成果という、その転送装置の力を応用したコインをもらったのも、その時だ。なるほど、術式をコインに刻み、先に魔力を込めておくという方法は考えもしなかった。モニターというのが少々気に入らなかったが、有効なのでもらっておいた。見様見真似で召喚用のコインも作成させてもらった。
 計算違いがあったとすれば、ラグドールが村の近くに放った、アリエッタというその魔族が弱すぎたという点にあった。
 村に潜んでからも被害者は一向に現れる気配がなかったのだ。
 それでも、時々森の中で本性を解放する事があったらしく、その目撃例で村人達は充分に怯えていたようだ。ラグドールも一応成果に満足はしてるようだった。
 彼女が去り、私は討伐に乗り出した。
 例え限りなく無害だったとしても、相手は危険な魔族である。
 万全の態勢で、アリエッタを倒しに乗り出したのだが……。
 ロメロという若者が堕落し、聖職者の端くれであるにも関わらず、魔族を逃がしたのだ。
 そして私は今、こうして危地に立たされている。
 あの生意気な司祭の小細工によって。
 よく考えればおかしかったのだ。
 少なくともこんな場所でコインを落としたはずはない。
 ありえるとすれば、スターレイから村までの道程のどこかなのだ。
 だが、拾わない訳にはいかなかった。
 だって、もしもあの少年司祭の持つ得体の知れない札で、トゥスケルのコインまで集められてしまったら困る。
 彼の見覚えのないコインの素性を突き詰められたら、自分と秘密結社の繋がりにまで辿り着いてしまうかもしれないではないか。
 御使いが私を欺き、彼のモノではないコインにまで光を照らしたというのか。
 否、それはない。
 御使いが私を欺くはずがない。
 となれば、この手の中のコインは間違いなく、あの生意気な司祭のモノなのだ。そして彼はトゥスケルを知っている。
 ……彼は、私のコインを握っている! どこかで拾ったのだ!
 だからこそ、私の前に、同じコインを置いた。
 毒を、盛る為に……っ!
 事ここに至れば、もはやトゥスケルの事を隠し通す事も難しい。私が言わなければ、彼が話すだろう。
 ならば、話の主導権を私が握り、彼に罪を押しつけるしかない。


「は……」
 サイレン司祭長は、短く笑い声を上げた。
「なるほどなるほど、そういう事か」
 そして、シルバに指を突きつけた。
「何という卑劣な罠! ロックール司祭! 君は自分のコインを私のポケットに仕込んだのだ! あの、硬貨を操る札で!」
「…………」
 シルバが口を開きかけると、司祭長は手でそれを遮った。
「待て! 私の話はまだ終わっていない。皆聞きたまえ。彼が私を罠に嵌めようとした、この書物のレリーフの刻まれたコイン! これはトゥスケルという秘密結社のモノだ! そう! その組織の事は私も聞いた事がある! 知的好奇心を満たす事が目的という奇妙な集まりであり、場合によっては犯罪行為にも手を染めるのだ! 例えば……魔族を掠い、適当な人里に放ち、どういう反応が発生するかを観測したり……」
 神官兵の一人が、おずおずと疑問を口にした。
「し、司祭長。その輩共は、そんな事をして、どうするのですか?」
「まさしく、その、行った行為の結果を知りたいというそれだけなのだ。言っただろう? 己の知的好奇心を満たすのが、目的の集団なのだと」
 そしてサイレン司祭長は、シルバを指差した。
「そしてロックール司祭は、その集団と接触がある。このコインが何よりの証拠! このコインは、トゥスケルとの取引の用いられる符丁なのだ」
「……よく、知ってるな」
 どこか抑揚のない声で、シルバが言う。
「私も色々伝手や情報網を持っていてね。何か言い分はあるかね?」
「あるよ」
 小さく溜め息をつき、シルバは頭を掻いた。
「……実は、色々パターンは考えてたんだ。トゥスケルの事を完全にすっとぼけられるケースとかも。けど、まあ、先に全部言われちまったから説明は不要だな」
 向こうが言わなければ、こちらが話すだけの事だ。
 おそらく主導権を握りたかったのだろうが、無駄な事だ。
 何よりトゥスケルの件は、自分が話すよりも、司祭長が語った方が説得力がある。
 知的好奇心を満たす為の集団なんて与太話をいきなりしても、神官兵達に信じてもらえるかどうか怪しいモノだ。
 司祭長自身の口から出る事で、それを部下達に信じさせる事が出来る。
 すっとぼけられたときの為、念のためトゥスケルという単語を極力封じていたが、どうやらこれは無駄に終わったらしい。
 まだ司祭長は混乱しているのだろう。
 墓穴を掘ったその事に、司祭長は気付いていないようだった。その勝ち誇った顔が何よりの証拠だ。
「言い逃れをするつもりはないと」
「違うよ。今の司祭長の話には大きな見落としが一つあるんだ」
「何?」
「もしも、俺が司祭長を陥れたいんなら、この場合、御使いの助力は借りないでしょ。明らかに俺のコインだって、御使いによって証明されているんだから。全然罠になってないじゃん」
「む……?」
「本気で、『そういう事』にしたいんなら、御使いの力は借りず、身体検査にしてるって話。んで、手の中にこっそり仕込んでたコインを、司祭長のポケットから出す……とかにするだろ?」
「何を……言っている?」
 司祭長の顔に、戸惑いが浮かぶ。
「前提が間違っているんだよ。俺は、札の力を使ってポケットにコインを入れたりなんてしていない。それは、司祭長自身が一番分かっているはずだろ?」
 ざわ……と、神官兵達の間にどよめきが生まれる。
「皆、静粛に!」
 額から汗をかいたサイレン司祭長が、部下達を鎮める。
 その彼に、今度はシルバが指を突きつけた。
「見てたよ。アンタ、自分で拾ってた。そのコインをこっそり手に握り、ポケットに入れてた」
「は……」
 サイレン司祭長は、顔を引きつらせた。
「はははは、何を言い出すかと思えば! ロックール司祭! 見苦しいぞ! そのような戯言を、誰が信じるというのだ!」
 もちろん、シルバがそう主張した所で、誰も納得させる事は出来ない。
 平等な第三者の目、それも説得力のある人物の証言が必要だった。
「……サイレン司祭長」
 静かに、御使いヴィナシスが口を挟んだ。
 キョトンとした顔で、司祭長は彼女を見た。
「は、何でしょうか」
「嘘はいけません」
「は、は、はい!?」
「私も、ロックール司祭と同じモノを見ていました。貴方はコインを慌てた様子で一枚拾い、それをポケットに隠しました。……自分から名乗り出るまで待っていたのですが、残念です」
 神官兵達のどよめきが大きくなる。
「え? って事は……」
「嘘をついているのは、司祭長様の方……?」
 ざわざわと周囲が騒ぐ中、司祭長の顔は青ざめていた。
「ど、どうしてそのような事……を……」
「貴方の周囲には、幾つものコインが散らばっていました。貴方が『砲術』を使う可能性があるとロックール司祭と話し合い、撃たせない為に見張っていたのですよ」
 御使いの証言となると、神官兵達は信じるしかない。
 サイレン司祭長に、不信の視線が集中し始めていた。
「み、皆、聞きなさい! このコインがロックール司祭のモノである事は、紛れもない事実! それは御使い自身が証明されています! そしてこれがトゥスケルとの符丁である事も事実なのです!」
「うん、そこは間違いない」
 シルバも否定しなかった。
 確かにそれは……と、司祭長の部下達の中からも、声が上がり始める。
「ならば、やはり君がトゥスケルと手を組んで、悪事を働いたのだ!」
 得意げな顔を作り、司祭長はシルバを糾弾した。
「それに関しては異論大ありなんだけど、とりあえず後回しにしよう。一つだけ聞きたいんだ。コインを握り込んだ事は認めるんだな」
「ぐ……そ、それは認めざるを得ない。だが! それは君の罪を暴く為であり……」
「だからさ、そこがおかしいんだって。トゥスケルの事を知っているんだろ? そして俺がそいつらと手を組んだとして……何で拾った直後に言わなかったんだ?」
 一瞬、森の中が静まり返った。
「え?」
 司祭長が訊ね返す。
「だってそうじゃないか。さっきの話で俺は貴方に、アリエッタを掠ったのは貴方じゃないかという疑いを掛けた。それを皆の前で晴らす絶好の機会だったのに、拾った時点でどうして言わなかったんだ? 何でコインを隠してたんだ?」
 その場にいた全員の強い視線が、サイレン司祭長に集中する。
 司祭長は全身から脂汗をかきながら、弁明を試みた。
「そ、それは、その時に話すべきではないと思ったからだ。タイミングなど、人それぞれではないか! 問題なのは、あの魔族を逃がそうとしている君の処遇。トゥスケルの事は、後回しでいいと判断したのだ」
「だったら今度は別の疑問が。何で、自分のポケットにコインがあった事にあんなに驚いたのさ」
「私は驚いてなどいなかった!」
 耐えきれなくなって、司祭長は叫んだ。
「……いくら何でも、そりゃ苦しいって司祭長。部下達も、不安になってる」
 苦笑するシルバ。
 司祭長は、周りの神官兵達を見渡した。
 最早その視線のほとんどが、冷ややかになっていた。
「わ、私を信じたまえ! 私は神の僕であり、この周辺の教会の長という立場もある! あのような若輩者の戯言に耳を傾けてはならない!」
 司祭長の大きな声を、シルバが遮る。
「みんな聞いてくれ。この、どうにも辻褄が合わない司祭長の話を、俺は説明する事が出来るんだ」
「君は黙りたまえ!」
 司祭長がシルバに迫ろうとする。
 おそらく、自分が司祭長のコインを持っている事にも気付いているのだろう。
 このドサクサに、奪うつもりか。
 シルバがわずかに後ろに下がると、御使いヴィナシスが二人の間に割って入った。
「待つのです、サイレン司祭長」
「ヴィナシス様……!」
 御使いの前には、さすがにサイレンの足も止まってしまう。
 ヴィナシスは、シルバの方を向いた。
「私も知りたいのです。これは一体、どういう事なのですか?」
 シルバも、彼女に詳しい話はしていなかった。
 そこで、種明かしをする事にした。
「だから、すごく簡単な事なんだ。司祭長は地面にあのコインが落ちているのを見つけた時、それは自分のモノだと思ったんだよ」
「待て……!」
 サイレン司祭長が遮ろうとするが、シルバは言葉を続けた。
「だから、ポケットに入れても堂々としてたんだ。だって自分のコインなんだ。俺がコインが足りないって言っても、まさか自分がポケットに入れたそれだなんて、思いもしなかったって訳。だから、全然慌てなかった。ところがどっこい、そのコインは実はまったく同じ種類の俺のモノだった。結果、コインは御使いの力で光輝き、サイレン司祭長は驚いた、とこういう事なんだ」
「な、なるほど……」
 ヴィナシスは納得したようだった。
 シルバは金袋から、トゥスケルのコインを一枚取り出した。
「ちなみにそのコインはね、俺達がアーミゼストで手に入れたモノで二枚持ってる。トゥスケルから密輸した霊獣を、高出力魔高炉の燃料にしようとしていた錬金術師から一枚、盗み出された『魂の座』っていうアイテムで悪魔の召喚を行い、自分達の願いを叶えようとした冒険者達から一枚、手に入れた。都市に行けば、司教と冒険者ギルドでそれはちゃんと確認出来る。俺に、後ろ暗い事は何もない」
 ちなみに司祭長のコインは用心の為、カナリーに預けていた。シルバを襲っても、取り戻す事は出来ない。
 神官兵の一人が、おずおずと手を上げた。
「でも……それで、結局、何がどうなるんです? これで何が証明されたって言うんですかい?」
 うん、とシルバは頷いた。
「サイレン司祭長は、件のトゥスケルと繋がってるって事。だってそうだろ。もし本当にそいつらと無関係なら、司祭長の性格から考えると、やっぱり拾ってすぐ俺を糾弾すると思うんだ。違う? 俺よりあの人と付き合いの長いみんななら、分かると思うけど」
 ああ……とどこか納得した声が、神官兵達の間から漏れる。
「本当なら司祭長、トゥスケルの事も言いたくなかったはずなんだよ。でも、コインは御使いの力で俺のモノだって証明されている。俺の口からトゥスケルの事を話すよりはと、司祭長は先に全部ぶちまけたんだろう」
「ぜ」
 司祭長はブルブルと拳を振るわせていた。
「全部、デタラメだ! 皆、この者の戯言を聞いてはならない! 第一、これ見よがしに目の前にコインを落として拾わせるなど、卑怯ではないか!」
「そうは言うけど、他にもいっぱいコインは落ちてたはずだよ? 何でアレだけ拾ったのさ」
「だ、だから目立つから……」
 司祭長が怯む。
 シルバは小さく首を振った。
「……司祭長。言いたくなかった事なんだが、実は俺、一つだけ嘘ついたんだ」
「は、やはりな! このような虚言使いの言う事など!」
「アンタがショックを受けるからさ……でもしょうがないや。そこまで言われちゃ、こっちも黙っちゃいられない。俺がついた嘘って言うのはな、実は足りないコインは一枚じゃなくて二枚だったって事なんだ」
 二枚?
 ヴィナシスも驚いて、シルバを振り返る。
 サイレン司祭長も分からないようだ。
「? そ、それがどうしたというのかね? 第一、他のどこからも光は――」
「もう一枚は、そこにある」
 シルバは、サイレン司祭長――の足下を指差した。
「司祭長の足の下。俺は気付いてたけど、靴の下敷きになってて光が漏れなかったんだ」
 司祭長が右足をゆっくり持ち上げる。
 虹色の光が、そこから漏れていた。
 そのコインの正体がよく分からず、サイレン司祭長はそれをつまみ上げた。
 眩い光が消え、代わりに星の光がそのコインを照らし出した。
「……っ!?」
 司祭長が、愕然とする。
 青ざめ、その場に跪いた。
「ルベラントのゴドー神再臨記念銀貨。……分かるよな、それ。ゴドー神のレリーフが刻まれてる」
 司祭長に聞こえているのかいないのか、構わずシルバは言葉を続けた。
「それだけ輝いてたら、アホでも分かる。聖職者なら真っ先に回収すべき硬貨であり、踏みつけるなんてもっての他。すぐ傍にそれがあったのに、司祭長にはトゥスケルのコインしか目に入ってなかったんだよな」
「わ、私は何という事を……」
 銀貨を握りしめたまま、司祭長は身体を丸めた。
 シルバは彼に近付き、見下ろした。
「地面に落ちていたコインが自分のモノと確信して拾ったのなら、それは貴方がトゥスケルと関わりがあるという証拠となる」
 そして、と言葉を繋ぐ。
「俺のコインだと思って拾ったのなら、コインが足りなかった時に名乗り出なかった事、その後驚いた事の説明がつかない」
 シルバは小さく息を吐いた。
「最後に聞く」
 軽く右手を上げ、尋ねた。
「貴方はトゥスケル、そして魔族アリエッタの拐かしと何一つ関わりがないと、神に誓って宣言出来るか。神に対して胸を張ってそう言えるのなら、俺はもう何も言う事はない」
 丸まり、身体を震わせていた司祭長が自白したのは、それから一分後の事だった。


 翌日早朝、シルバ達一行はロメロらを連れ、森を抜けた丘陵を南下していた。
「ぬぅー、やっぱりよく分かんない。どうしてコインをすり替えたら、あのオッチャン自白しちゃったの?」
 頭を抱えるヒイロに、カナリーは眠たげに目を擦りながら、辛抱強く説明を試みていた。
「……もう何度目の説明になるんだ。だからねヒイロ、あれでシルバは司祭長の行動の裏を取ったんだよ。普通に本人のコインを渡しただけじゃ、言い逃れられるからさ……」
「むううぅぅ……」
「と言うか僕も、詳しく説明する気力がないというか……ああ、太陽が眩しい眠い……いや、その前にこの服も何とかしなくては……」
 わずかな休憩しかしていない為、身体も清めていないのであった。
 それでもカナリーは後方からの支援だったので、マントや服の一部が焦げただけで、比較的マシな方だ。
「確かに服はボロボロだもんねぇ」
「ヒイロはそうでもない」
 ボロボロのメイド服を着たシーラが言う。
 なるほど、同じくらい激戦を繰り広げていた割に、ヒイロの服は多少ほつれているだけにしか見えない。
「うん、とりあえず休憩中に縫っといたからね」
「…………」
 ヒイロの言葉に、シーラは自分の手を見つめて、ワキワキさせた。
 カナリーが小さく溜め息をつく。
「……つくづく、ウチのパーティーには家庭的な技能の持ち主がいないな」
「他に裁縫が出来る人は」
 シーラの問いに、カナリーは前を歩くシルバを見た。
「……多分、シルバだけだ」
「要勉強」


 その少し前をリフは歩いていた。
 リスやウサギ、狸に小鳥、大きいモノでは鹿など、この辺りの小動物がチラホラと姿を現わしたかと思うと、リフについて来る。
「にぅ……みんなは連れていけない」
 一人アニマルランドと化したリフは、困った顔で言う。
「これだけで一大パーティーというか、動物軍が作れそうであるなぁ」
 ノロノロと歩きながら、キキョウはただそれを眺めていた。
 というか、自分の眠気と戦うのでいっぱいいっぱいだったのだ。
「ううむ、確かにカナリーの言う通り、眠たくなりそうだ……」


「ま、寝るとしたら、見送りが終わってからだな……ふああぁぁ」
 大きなアクビをし、シルバは目を擦った。
「ごごごご迷惑おかけします」
 ペコペコと、アリエッタが頭を下げる。
「何、すぐそこまでだからさ」
 このまま行けば、街道にたどり着ける。
 そこで、シルバ達は彼女らと別れるつもりだった。
 そのまま更に南下すれば、国境の村ギブスにつくはずである。
「わざわざ、世話してもらえる場所まで用意してくれるとは、感謝しきれねえぜ」
「別にタダって訳じゃないぞ。出世払いだからな」
 一応礼を言うロメロに、シルバは釘をさす。
「分ぁってるよ」
「それにこっちも成果がなかった訳じゃないしな」
 シルバの手の中で硬い音を鳴らすのは、サイレン司祭長の転移術コインだった。
 全部で7枚。
 司祭長が持っていたのはこれより更に多いのだが、ひとまずパーティーの人数分だけジョージア司祭が「旅の助けにして下さい」と分けてくれたのだ。
「二度あることは三度あります。いずれトゥスケルとまた関わりになった時、役に立つかもしれません」
 そう言って、手渡された。
「私には使えませんけど……」
 おずおずと、隣を歩いていたタイランが言う。
 確かに、絶魔コーティングされた甲冑自体は、転移は出来ないかもしれない。
 けれど、少し考え方を変えれば、充分役に立つのだ。
「タイラン、そりゃ違う。タイランが使えなくても、例えば『中』だけ飛ばすとか、逆にそっちに送るとかやりようはあるだろ」
「あ……そ、そういう使い方もあるんですね」
「それに、色んな場所への侵入にも役に立つしな……くくく」
「シ、シルバさん、何か悪い顔になってます! 何だか司祭長さんみたいです」
「おっと……」
 シルバは邪悪な笑顔を元に戻した。
「そ、そういえば、司祭長さんはどうされたんですか?」
「うん、まー、あれから完全に抜け殻になったし、そのまま全部自白した。アリエッタを掠ったのはトゥスケルだけど、完全に共犯だからな。さすがに司祭長なんて地位にいられるはずがない」
 おそらく精神的なモノが原因だろう。
 司祭長は祝福魔術を完全に使えなくなっているらしい。
「で、でもそうすると、スターレイの街も大変ですよね」
「……うん。だから教会の方はジョージア司祭がとりあえず管理する事になるっぽい」
「あ、だから、見送りに来られなかったんですか」
「そゆ事。サイレン司さ……サイレン氏はとりあえず、司教である先生んトコに送られると思う。総本山に移送になるか文書で通達になるかは知らないけど、ま、何らかの処分はそっからだろ」
「となるとスターレイの街の町長は……」
「対立候補が立たなきゃ、多分マールさん」
 そういう事になる。
 なるのだが……しばし、二人は無言で歩いた。
「……それはそれで、不安ですね」
「……ああ。条例にお茶目な文書混ぜそうで怖い」
 もっとも、硬貨の類はこれで全部だ。
「結局聖獣の召喚コインは無しか」
 ひょい、とシルバの肩に、ちびネイトが出現する。
「あれは、サイレン司祭長のモノだからなぁ。もらったって召喚出来るかどうか。ま、こっちを手に入れたしいいさ」
 シルバの右の人差し指には、複雑な刻印が施された銀色の指輪がはめられていた。
 御使いヴィナシスが消滅する前にくれたモノだ。
 初歩的な『金』の属性魔術……つまり、物質の金属化と雷撃を放つ事が出来るという。
「ふむ。私の左の薬指にも一つ欲しいのだが」
「いや、何でだよ」
「それを聞くのか。シルバはとことん野暮だな。まあいい。自前で何とか調達しよう」
「どうやって調達するのかも気になるけど、そもそも俺がはめてるのは右の人差し指だよな? お前が意図するモノと全然違うよな?」
「指輪は確か天使の数と神を合わせて10種類。全部集めればいつかは」
 グッと、拳を作るネイトであった。
「全部の指輪を集めるとかどれだけ壮大なんだよ!?」
 ちなみにそれらを得る為には、九人の天使と神と縁を結ばなければならない。
 ぶっちゃけ魔王討伐軍の英雄達ですら、成し遂げた者などいない。
「同じ指に二つはめるのなら、話は別だが」
「話を聞けよ!? 既に集める事を既定事項にするな!!」
 などとやりとりをしていると、隣から小さく溜め息が聞こえた。
 のそのそと進むハッポンアシの頭上に仰向けになっているサキュバス、ノインであった。
「騒々しいね。アンタら、いつもそうなの?」
「……だ、大体、こんな感じです」
 タイランが見上げ、肯定する。
「そいやー、アンタはどうするんだ? このままアリエッタらについていくのか?」
 シルバの素朴な疑問に、ノインは東の方を指差した。
「そうしたい所だけど、カモ姉やナイアルが心配してるだろうからね。ハッちゃんと一緒に、そっちの報告が先決だね」
「なるほど……ん?」
 丘陵を下った先は広い草原だ。
 その薄緑の中にポツンと一台の馬車と、帽子を被った作業着服の若者が立っていた。
「おいおい、用意がいいな」
 ロメロが驚き、シルバを見る。
「いや、俺が用意した訳じゃないんだが……敵意はなさそうだけど、タイラン、念のため警戒」
「は、はい」
 タイランが武器を握りしめる。
 二十歳そこそこのその青年は、シルバと目が合うと、営業スマイルを浮かべて近付いてきた。
「その司祭服。シルバ・ロックールさんですか?」
「俺?」
「はい。サウンザー運送っす。馬車とお手紙お届けに参りました。こちらにサインお願いしやす」
 言って、運送業者の青年は、ペンとサイン帳を差し出した。
「は、はぁ……どちらから?」
 サインを書きながら、シルバは尋ねる。
「ドラマリン森林領のオパル村、クォツ・ロックールさんっす。いやー、本当に来るとはビックリっすよ。こんな届け先がこんな草原のど真ん中なんて、滅多にないっすからねー」
「ロックール? そ、それってシルバさんの……」
 驚くタイランに、シルバは答えた。
「……妹だ」
 ああなるほど、アイツならありえるなと考えながら。


「それは興味があるな」
「奇遇だね、キキョウ。僕もだ」
 封を解いた巻き手紙を開こうとするシルバに、ズズイとキキョウとカナリーが迫る。
「いやいや、そんな寄ってくるな! とりあえず目を通させろ!」
 そのシルバの肩から、ネイトも手紙を覗き込もうとする。
「ふむ、向こうも空気を読んだようだな。あの妹御達なら大量の手紙の束を送ってくるかとも思ったのだが」
「……旅の途中にそれはすごい迷惑だよな」
「にしても、どうしてそのシルバの妹御は、このような場所に馬車を用意出来るのだ?」
 キキョウがごく真っ当な疑問を口にした。
「妹の一人、差出人のクォツは占い師なんだよ。芸名は何かあったような気がするけど忘れた。多分、アイツの知覚範囲内に入ってたんだろうな」
 シルバは南の空を眺めた。
「クォツ……?」
 はて、とヒイロが首を捻るのを尻目に、シルバは開いた手紙に目を通した。

 ――その通り、私の知覚範囲内です。

「手紙で返事を返すなよ!?」
 一文目から、シルバはツッコミを入れざるを得なかった。

 ――気にしないで下さい。元気なのは分かっていますので、それも尋ねません。

「……ことごとく、手紙のセオリーを無視しやがる」
 震える手で、もうこの手紙破いてやろうか、とシルバは考えそうになっていた。

 ――そんな事よりも、そちらにいる二人の世話はこちらで行ないますので、送った馬車を使って下さい。

 この場合の二人とは、もちろんロメロとアリエッタの事だろう。
「という訳でその馬車は、ウチの家の者が用意してくれたモノらしい。使ってくれていいぞ」
「お、おう……」
「あああありがとうございます」
 馬車の荷台にあった一抱えはありそうな積み荷はシルバ達用らしいので、それは降ろした。
 クォツからの手紙の文章は、まだ続いていた。
「『――もちろん、馬車台は働いて返してもらうつもりでいますので、別に感謝してもらう必要はありません』ってあるぞ」
「……すごいな、アンタの妹」
 しっかり者という意味では、ロメロの評価はまったく正しい。
「うん、俺もそう思う。オモチャにされないように気を付けてくれ」
「オモチャ?」
 女系家族だからなぁ……とシルバは自分の家族に思いを馳せた。
「思いっきりこき使われると思うんだ。覚悟しとけ」
「わ、分かった」
 頷き、ロメロは御者台に、アリエッタは馬車の中に乗り込んだ。
「そそそ、それじゃお世話になりました」
 窓から、アリエッタが何度も頭を下げる。
 ロメロが手綱を捌くと、馬車はゆっくりと走り始めた。
「うむ、達者でな」
「カモ姉達に知らせたら、アタシもすぐそっちに行くからな! 大人しく、待ってるんだよ!」
 キキョウが頷き、ノインは両手を口に当てて叫ぶ。
「う、うん、分かった待ってるノインお姉ちゃんもハッちゃんも帰り道気を付けて」
「きゅるきゅる♪」
 ハッポンアシは小さく鳴いて、触手を振った。
「それじゃ、アタシらもいこうか、ハッちゃん」
「きゅる……」
 ノイン達は東の方に向かう。
「それじゃアッシはこれで! 失礼しやっす!」
 帽子の鍔に指を添え、運送業者も馬車の走り去った方向へ歩き始めた。


 そして残ったのは、シルバ達だけとなった。
「静かになったな」
「静かになりましたね……」
 シルバの感想に、タイランが同意を示した。
「では、手紙の続きといこうではないか、シルバ殿」
「キキョウの言う通りだ。ささ、早く読もう」
 迫るキキョウとカナリーに、シルバは思わず一歩退く。
「何でそんなにやる気なんだよ、みんな!? 眠気は一体どこに行ったんだ!?」
「……ま、まあ、興味がないと言えば嘘になるんじゃないかと思います」
 割と控えめなタイランですら、そんな意見であった。
「睡眠欲にはもう少しだけ我慢してもらう事にした。あと、内容が気になって眠れそうにない」
「んー……まあいいや。主目的は達したし、えーと……?」
 シルバは積み荷を解いた。
 中には、大きなトランクケースがあった。
 開き、最初に目についたのは、白を基調としたメイド服だった。
 手紙の続きに目を通す。

 ――兄さんの着替えです。

「うぉい!?」
 危うく、投げ捨てそうになった。

 ――冗談ですよ。書き手交代して、わたし、ルチルからの贈り物です。何でもメイドさんがいるとかいう話なので、作ってみました。

「……ま、そうだろうな。シーラ、お前にだって」
 一安心して、シルバはそれをシーラに手渡した。
「……わたし?」

 ――それにしても、メイドさんと一緒なんてお兄ちゃんは一体どういう冒険をしているのでしょう。興味津々なので、帰ってきたら是非お話しして下さい。

「……説明に困る」
 元々、シーラはメイドではなかったはずだ。
 どうしてこんな事になったのだったか、何とかシルバは思い出そうとする。
「シルバ殿。出来れば、手紙の書き手がどういう妹御なのかも説明が欲しいのだが……」
 なるほど、シルバだけ分かっていても、みんなは戸惑うだけか。
 そう思い、シルバはルチルの説明を頭の中でまとめた。
「んー、ルチルは俺と一番近い歳の妹で、ウチの四女。もう結婚してるはず。森妖精の家に嫁いでるんだけど、多分ウチん中じゃ三本の指に入る家庭的な奴だ」
「……してる、はず?」
 カナリーが首を傾げた。
「ちょっとこっちが手離せなくて、結婚式には出られなかったんだ。まあ、祝福の手紙は送っといたけど」
「というか三本の指という表現も珍しいと思うのだが」
 キキョウの疑問も、分からないでもない。
 普通は五本の指だろう。
「じゃあ、トップスリー。ちなみに親父、俺、ルチルな訳だが」
「は、母上殿は?」
「……親父は、家事が得意なんだ」
 それ以上聞くな、と暗に仄めかすと、キキョウは首を縦に振った。
「……分かった。聞くまい」
「お針子の仕事もしててなぁ……こっちのコートと帽子はリフにだと」
 トランクケースから取り出した、緑色をした軽い布地のそれをリフに渡す。
「にぅ……妖精族の素材。けはい消しやすい」
 前の戦いでボロボロになっていた帽子とコートを脱ぎ、いそいそと新しいコートを着た。どうやら尻尾用の穴も既に開いているようだった。
「そ、そ、某達には何か無いのであろうか!?」
 草原の小動物達とクルクル踊るリフを見て、キキョウが不安げにシルバを振り返る。


 ――慌てないで下さい。物事には順序があります。

「だから手紙で返事するなと。えーと次、五女のジェットか。これをカナリーにだと」
 シルバはトランクの中にあった巻物を、カナリーに渡した。
「うん?」

 ――高回復薬と魔力ハイポーションの精製法よ。クォツから錬金術師がいるって聞いて。既に知ってるなら捨てていい。

「いや、捨てないし! 僕は他の魔術やタイランの調整とか、色々やってるからこっち方面はまだ習得してないから助かる!」

 ――直接薬を送ってもよかったけどかさばるし、峡谷までの途中に薬草の生えてる山があるので、そっちで直接作って。繁殖場所なんかはそっちに詳しい子がいるって聞いてるから、そっちに任せるわ。以上。

「……相変わらず素っ気ない」
 無愛想な文章に、シルバは溜め息をついた。詳しい子というのはリフの事だろう。
「に。でもいい人」
「うむ、文章は淡々としているが、親切ではないか」
 踊るリフとキキョウが、シルバを慰めた。
 ジェットの文章はまだ続いていた。

 ――追記。同梱したバクハツダケの胞子は、甲冑の人に錬金術師さんが組み込んで。やり方は任せる。

 見るとトランクに、ベルトで固定された瓶があった。
 バクハツダケ――そのキノコと、中に詰められている黒い胞子は、炎で爆発する性質がある。
 引火性のそれは採取が非常に危険であり、貴重とされている。
「……いい人だ」
 カナリーはありがたく、それを受け取った。
「……いい人ですね。でも、バクハツダケとか、プラントハンターさんとかなんでしょうか? そういう仕事があるって聞いた事はありますけど」
 タイランの質問に、シルバは首を振った。
「いや、錬金術師で、本業は花火職人」
「花火職人!?」
「ジェントの職人が近くの大きな街に住んでてな。そっちで弟子になってるんだ」
「おおおお、ジェントの花火とは懐かしい。アレはよいモノだ」

 ――それと、鎧の人には防水加工をしっかり施しておく事推奨。

「っていう話だ、カナリー」
「防水加工? よく分からないけど、了解。……うーん、キノコも薬室に組み込めば、砲弾を自動精製に出来るかな……?」
「先が色々分かってるのなら、教えてくれてもいいのに」
 ヒイロが至極もっともな事を呟くのに対し、シルバは小さく首を振った。
「運命っていうのは、先が見えるのはあまりよくないらしいんだ。例えばヒイロに悪い運命が先にあるって分かってたら、抗おうとするだろ。それはそれで個人として正しいんだけど、大きな流れで言えば本来の運命を歪ませる事になる」
「んんー……何となく、分かるような」
「まあ、だから占いとかも、必要な時だけにしとけって事なんだと」
 自分でも難しい事を言っているなと自覚のあるシルバは、要約して締めくくった。
「ま、まだ手紙は続くのか、シルバ殿」
「んー、これがキキョウにルリから」
 七女のルリは、六女であるクォツの双子の妹である。
 木彫りのそれをキキョウに手渡した。
「おお! 某にもあるのか! ……ぬ、う……こ、これは?」
「お面だな」
「……うむ、それは分かるのだが」
 キキョウの手にあるのは、木製のやや立体的なお面だった。
 黒地に白の複雑な縁取りがされ、一見するとカブキの隈取りのように見える。
 ただ、そのお面は魚を模していた。
 どことなくユーモラスな表情を持つそれは、丸い瞳とその下に二本の長く伸びた髭、顎下部にも短い髭が二本垂れている。
「変わった魚だね、キキョウ」
「ナマズだ」
 覗き込むカナリーに、キキョウは応えた。
 そして戸惑いながら、シルバの方を見た。
「こ、これは、この仮面を被って、敵の笑いを誘えという事であろうか?」
「妙なギミックが仕込まれているような……何だろう、これ」
 カナリーは目敏く、仮面の切れ目に気がついた。
 何らかの変形機巧があるようだ。
「組木細工のようであるな。下手に弄らない方がいいと思うのだ。壊れても困る」
「気を付けろよ。呪いのアイテムの可能性がある」
「は?」
 シルバの注意に、キキョウハは目を丸くした。
「いや、クォツの双子の妹で呪術師見習いでな。変なマジックアイテムを作る事があるんで」
「マ、マッドサイエンティストの類か!?」
「……ああ、近いかも知れない」
 シルバは遠い目をした。
 ふむ、とカナリーが感心した唸り声を上げる。
「占い師と呪術師の双子か。大したモノだ……」
「な、何かこのアイテムについて説明はないのか?」
「アイツ、リフやシーラより無口だからなぁ」
 キキョウにせがまれ、シルバは手紙の続きに目を通した。

 ――代筆、クォツ。面の使い方は任せる。兄さんの持つ札と同じように使えばいいとのこと。

 札、と言うのは、野菜の村で手に入れたカードの事に相違ない。
「旧約魔術とな?」
 しかし、ナマズのお面がどう旧約魔術と繋がるのか分からないのだろう、キキョウはお面をジッと見つめていた。
 もちろん、答えが返ってくるはずもない。
「……相変わらず、よく分からないモノを作るなアイツ。このタイミングで何でこんなモン、送ってくるんだよ」
「い、いや、せっかくの妹御からの贈り物だ。ありがたく使わせてもらう」
 やや困ったような笑顔を浮かべ、キキョウは仮面を顔に着けた。
 なるほど、確かに少し笑いを誘えるお面である。
 しばらく動きを止めていたキキョウだったが、おもむろに自分の顔からその面を外した。
「ぶはっ!?」
「ど、どうしたキキョウ!? 大丈夫か!?」
「こ、この面は何故か呼吸が出来ぬようになっている……」
 キキョウは赤い顔をして、荒い息を吐いた。
 カナリーが、その疑問について推測する。
「魚のお面だから、水の中で使えるって事じゃないかな?」
「な、なるほど、よく見ればエラっぽいモノもあるし、試してみよう。……なんにせよ、これは着けるのに勇気がいる」
 確かに、この仮面を着けての戦闘は、相当にシュールと言えよう。
「しかしシルバ、妹さんが呪術師なら、その腕の呪いを解く手掛かりも掴めるんじゃないかい?」
 カナリーの問いに、シルバは手を軽く振って否定した。
「まだまだ見習いだって。アーミゼストで見てもらった呪術師達だって、それなりに腕は立ってたんだぞ」
「なるほど」
「……どっちかっていうとアイツの場合、もう一つの能力の方が問題なんだけどな」
 ぼやくシルバに、仮面を側頭部にはめたキキョウが尋ねる。
「そう言えばシルバ殿には、姉君も三人いたはずだが」
「んー。姉ちゃんらはバラバラに郷を出たからなぁ。ガー姉ちゃんは司祭やってて今はルベラント。サフィ姉は軍人で内海近くの戦地のどっか、エミ姉は旅芸人の座長やってるそもそもどこにいるのか分からない、と」
「ワ、ワールドワイドなお姉さん達だね……」
 ヒクッと、カナリーの顔が引きつる。
「……俺もそう思う。おっと、お袋がヒイロにだって」
「ふみ? ボクに?」
 退屈していたヒイロに、シルバは丸まったベルト状のモノをトランクから取り出して、投げ渡した。
「らしい。あれ、知り合いだったっけ?」
「先輩のお母さんの名前は?」
「ルビィ・ロックール」
 シルバが言うも、ヒイロには心当たりがないらしい。
「んんー? 巡回司祭のルビィ・ユーロック先生なら知ってるけど、名字が違うよね? ウチの郷の私塾の先生」
 シルバは、たはぁ、と深く溜め息をついた。
「……それ、仕事用に使ってるお袋の旧姓」
「え!?」
「そっちの名字の方が、武術教えるのに好都合だからだって前言ってた」
 ポン、と聞いていたキキョウが手を打つ。
「なるほど、高名な道場と同じ名字ならば、門下生も増やしやすいという事であるな。よくある手である」
 シルバは、手紙の続きに目を通した。

 ――うちの息子を婿に欲しければ、あたしに勝てるぐらい強くなってかえってきな。

「……お袋ぉ」
 何て事を書きやがる。
「そ、そそ、それはつまり、シルバ殿のご母堂に勝てばシルバ殿をもらえるという事なのか!?」
「落ち着くんだキキョウ。この文章にはシルバの自由意志がない。ところで急に、魔導書で猛勉強したくなってきたんだが、そろそろ戻らないかシルバ」
「お前も落ち着けカナリー!?」
「に。お兄のママ、つよい?」
 いつの間にか、リフまで近くに来ていた。
「……強いぞー。以前、地震を拳骨一発で鎮めた事がある」
「ウチの父ちゃんと互角に殴り合えるって時点で、割と規格外だと思う」
 ヒイロが腕組みしながら深く言うと、タイランがおずおずと口を挟んだ。
「えっと、確か以前聞いた話だと、すごく大きい人でしたよね、ヒイロのお父さん」
「若い頃、ドラゴンと相撲を取ったという話も聞くな」
 ついでとばかりにネイトも、話に参加した。
「…………」
 シーラは無言で、自分の拳を見つめていた。
「シーラ、興味があるのか!? 今、少しだけ反応しただろ!?」

 ――ともあれ精進するように。骨剣のグリップ用テープを送っておきます。シルバもたまにはこっちに戻ってくるように。

 どうやら、丸まったベルト状のそれはテープだったらしい。
「あー、ちょうどボロボロだったんだよね。さすが先生。お見通しだぁ」
「戻れって言われてもなぁ」
 確かに近くではあるが、今戻る訳にはいかない。
 ただでさえ、寄り道が多いのだ。
「やれやれ、私には何も無しか」
 ネイトが少し残念そうに肩を竦める。
「カード状態のお前に何を送れと。さすがにクォツも困るだろ」
 言って、シルバはトランクの中を改める。
「大体それ言ったら俺だって……っと、これで最後か」
 タオルが数枚、それに大きめの箱と銀色の筒がまだ残っていた。

 ――タオルを用意してある。それと保存箱と魔法瓶に食べ物と飲み物を用意しておいた。何やらあまりよろしくない戦いをしたようだが、身体を清めた後で食べるように。父より。

「相変わらず周到すぎる」
 確かに徹夜明けな上、ほとんど何も食べていなかったので皆、空腹だ。
「執事か何かなのか、シルバ殿のお父上殿は?」
「いや、一介の司祭のはずなんだけどな……うん。こういう所を見習わないと駄目なんだよな、俺……」
 ふぅ、と短く息を吐き、シルバは森の方を振り返った。
「ま、とにかく川の方に戻ってから、飯にするか」


※キキョウのお面はもう一種類考えたけど、迷った末にこっち。
 結局どっちにしても、魚系なのには変わりません。

 父親:アイアン  司祭、家事技能持ち、気が利く
 母親:ルビィ   司祭、格闘術の使い手

 長女:ガーネット 司祭、現在ルベラント
 次女:サファイア 軍人、変な手の持ち主
 三女:エメラルド 旅芸人の座長、金持ち
 長男:シルバ   司祭
 四女:ルチル   主婦、お針子
 五女:ジェット  花火職人兼錬金術師
 六女:クォツ   占い師、千里眼
 七女:ルリ    呪い師、クォツと双子、もう一つ能力アリ



[11810] 七女の力
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/07/28 23:53
 川の流れに、魚達が身を任せて泳いでいる。
 それとは不釣り合いな大きさの、着物姿の人物が泳いでいた。
 ナマズの面を着けた、キキョウである。
 水面までの高さはおよそ2メルト、やや深い場所だ。
「どうですか、キキョウさん?」
 一緒に水に沈んでいたタイランが、キキョウに尋ねる。
 甲冑の方は陸の方でカナリーとヒイロが洗ってくれている為、今は本来の精霊の姿だ。
「うむ、まったく苦にならぬ。それどころか地上よりも快適と言ってもよい」
「呼吸の方は?」
「鼻からしないというのは新鮮であるな。ふむ、地上と動きも変えずに済むか。有り難い話だ」
 川底に足を着け、刀を振るう。
 魔力は消費するモノの、水流や浮力はまったく感じない。
「でも……甲冑の防水加工といい、この先で水中戦があるという事なんでしょうかね?」
 タイランの心配はもっともだった。
「おそらくはな。その為にこの仮面を預かった……と見て良いだろう。さて、面の能力も分かった事だし、そろそろ戻ろうかタイラン。腹も空いてきた事であるし」
「はい」


「お、戻ってきたか」
 リフと一緒に作業をしていたシルバは、川から上がってきた二人に気がついて顔を上げた。
「うむ。ぬ、シルバ殿は洗濯か」
「見ての通り。着替えは多いに越した事はないしな」
 木桶で洗い終わった衣服を籠に入れながら、シルバは答える。
 そこに、シーラが戻ってきた。
「主、物干し台が出来た」
 シーラの背後には、木の枝で造られた物干し台が建てられていた。
「おう、ご苦労ご苦労。リフ、そっち洗うの終わったか」
「に、おわった」
 水を吸った衣服が、籠を満杯にした。
「それじゃ後は干してから、朝食だな」
 背筋を伸ばし、籠を持ち上げる。
「そ、某も手伝おう」
「あ、わ、私もお手伝いします」


 30分後。
 洗濯物のはためく河原にシートを敷き、朝食を取るシルバ達だった。
 シルバの父、アイアン・ロックールが用意した保存箱の中身は大量のサンドウィッチであった。
 そして、そのサンドウィッチを遠慮無く、一番食べているのはヒイロである。
「労働の後のご飯は美味しいねぇ」
「……なるほど、それでこの量か。腕を上げたな、クォツめ」
 野菜サンドを囓りながら、シルバは箱の中身を改める。
 野菜サンド、タマゴサンド、カツサンド、ツナサンドなど種類は様々で、ヒイロが大量に食べても、全員分はありそうだ。
「というと、この朝食にも関わっているのかな」
 カナリーの疑問に、シルバは首を振る。
「んにゃ、辛いモノ以外にアイツは関わらないよ。手紙にある通り、親父の手製」
 シルバがクォツを評価したのは、人数の把握である。
 言われたカナリーも、シルバと同じ野菜サンドをもぐつき、唸っていた。
「むぅ……見事なモノだな。この技量、ただ者ではない。ウチの実家に雇われる気はないかい、シルバ?」
「……親父本人に聞いてくれよ。間違いなく断られると思うけど」
「でも、本当に美味しいですねぇ」
 食の細いタイランだったが、その分、湯気の立つ香茶の感想を呟いていた。
 一方、リフはしきりにコップの中身に、ふーふーと息を吹き付ける作業に余念がない。
「に……もうちょっとぬるい方がいい」
「ま、その辺はしょうがないだろ。温めるより、さます方が楽だし」
「それにしても、この仮面はルックスさえどうにかなってくれれば、最高なのだが……」
 薄着になったキキョウは、ツナサンドを食べながら、膝上のお面を撫でた。
「確かに、相手に笑いを誘う仮面なのは確かだな。マジにやればやるほどに」
「でも、こんなすごい仮面を作れるのに、見習いって言うのは……」
 タイランが首を傾げるのは、もっともだった。
 それについては、キキョウから仮面の感想を聞いたシルバには、何となく分かったような気がしている。
「多分、この四本の髭がアイツの髪を結ったモノなんだろう。アイツの能力を考えると、隈取りの塗料に血も混ぜたかも知れないな」
「ひぅ……ち、血ですか!?」
 タイランが、ビクッと身体を震わせる。
 一方、仮面の主となったキキョウは平然としていた。
「呪い師ならば、それぐらいはするであろう。しかし、七女殿の能力とは? 仮面の事を考えると、水の中を自由に行き来出来るというモノか?」
「まあ、そんな感じ。アイツの場合は空も飛べるし、地面も潜れるけど。壁とか全然意味がないんでプライベートを保つのに苦労した」
 ズズ……と香茶を啜るシルバに、カナリーは胡乱な目を向けた。
「待つんだシルバ。それは、全然違う能力だと思うぞ」
「親父曰く、位相が違うとかかんとかで、武器とかまず効かん。魔術も確か効果なかったな。もちろん幽霊じゃないから銀製品とかも」
 つまり、透過能力である。
 他の姉妹も変わっているが、クォツとルリの双子はその中でも頭一つ飛び抜けている。どうしてこんな力があるのかは、両親はシルバに教えてくれなかった。
「無敵の能力じゃないか!? 僕の霧化とは比べモノにならない!」
「んー、そうでもないんじゃないかな。幽霊じゃないなら、攻撃する時は物質化する必要があるでしょ。それを狙ってカウンターとか」
 ヒイロが首を傾げ、シルバは頷く。
「カナリーなら、触れた瞬間を狙って、先に弱い雷を纏っておくとかも手。それ以前に、ウチのパーティーなら天敵がいるしな」
 香茶を啜りながら話を聞いていたタイランが、視線を受けてギョッとする。
「わ、私ですか!?」
「絶魔コーティングの甲冑じゃ、透過も出来ない。タイランの攻撃が効くかどうかは微妙だけど、アイツは性質上、衣服と軽い装備しか同化出来ねーのよ。あの鎧なら、まず傷つかずに済む」
「な、なるほど……」
 そういう重甲冑は、現在洗濯物と一緒に、分解されて河原に放置されていた。
 ……中にいたモンブランが不満の声を漏らし、それを宥めるのにカナリーが苦労をしたとか。
「ウチは家族みんなで朝、体操とかトレーニングとかやってたんだけどさ、まー、俺や親父みたいな一般人はついていけない訳だ。いや待てお前ら、その目はなんだ」
 明らかに『一般人』という部分に疑い深げな視線を受け、シルバは皆を見渡す。
「先輩を一般人って呼ぶのはちょっとどうかと思う」
 ヒイロの言葉に、皆は一斉に頷いていた。
「こっちは、力がない分、知恵を絞るしかねーんだよ」
 そこに、余計な口を挟むのが、ネイトであった。
「ちなみに二人も、模擬戦でルリに勝った事はあるぞ」
「え!?」
 皆が驚く中、シルバだけは渋い顔をしていた。
「……あのな、ネイト。ずっと年下の妹に勝負で勝ったとか、そういうのは何の自慢にもならないから言いふらすな」
「だけど、興味がある」
「某もだ」
「に」
 結局プレッシャーに負け、シルバは渋々話し始めた。
 大体模擬戦といっても、装備はありなのだ。
 長女のガーネットは棍を使うし、クォツだって親指ぐらいの水晶玉を用意する。
 そこで、毎回巧みにそういったトレーニングを避けていた父親・アイアンが用意したのはというと。
「……親父が使ったのは音響閃光玉。透過能力っつっても、視覚と聴覚はノーマルだからな。もちろん弱い奴で『実戦だったらアウト』の奴だけど」
 皆の顔に「ああ、そういう戦い方なんだ」という表情がありありと浮かぶ。
 そして、それはシルバも似たようなモノだ。
「俺の場合は自分ちに誘い込んで、自分の部屋に罠を仕掛けただけ。前の日に森で捕まえたガスリスを5匹ほど放し飼いにしといた」
 ガスリスは、驚くと猛獣でも気絶するような強烈な屁を放つ習性がある、小動物だ。
「そしてシルバの部屋は一ヶ月ほど、部屋は使い物にならなくなったという」
「言うな」
 しかも、実行した後は母親に拳骨で殴られたというおまけ付きである。
 一応、他の姉妹にも勝った事はあるが、こんな自慢にもならない戦い方ばかりなので、シルバとしては語る気にもなれなかった。
「む、娘や妹御相手にも、容赦がないのであるな、シルバ殿の家は」
 キキョウの感想も分からないでもないが、シルバにだって言い分はあった。
「模擬戦っつっても、半端にやったら怪我するしな。大体、勝ったエピソードだけなら景気がいいかもしれないけど、その十倍はこっち負けてんだぞ」
「い、妹御にか」
「正確には母親と姉と妹な。俺と親父で、どっちが家ん中で一番弱いか競争してる状態だからなぁ」
「大変なのだな、シルバ殿も」
「ま、補給はこっちが握ってるから、五分五分なんだけどな」
「補給?」
 よく分からないという顔をする皆に、シルバはサンドウィッチを指差した。
「これ」


 食事を終え、シートを畳む。
 後は出発の準備を残すのみとなった。
「次の補給、ポーションの材料集めの場所は、ここから馬車で少し行った所だな。飯を消化したら行くとしようか」
 シルバは地図を折り、懐に入れた。
 その裾を、リフが引っ張る。
「に……せんたくもの」
 ふぅむ、とシルバは唸る。
「馬車に引っかけて行くか」
「さ、さすがにそれはちょっと」
 タイランが慌てる
「冗談だよ。熱風で乾燥させよう。……『太陽』だと焦げるかな」
 シルバは袖から札を出すと、天にかざした。
 そよ風を受けた札は、風を表す『剣』の絵柄に変化する。
 カナリーに、火の魔術でたき火を作ってもらうと、そちらに札を向けた。
 熱を纏った風が生じ、洗濯物を乾かし始めた。
「……こんな事思いつく人より上なのか、シルバの家族は」
 ボソリと呟くカナリーであった。


※この世界にサンドウィッチ伯爵がいるのかどうかは、全力スルーでお願いします。



[11810] 薬草の採取
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/07/30 19:45
「おおおおお!!」
 森の深くに踏み込んだカナリーは、興奮に大きな声を上げた。
 一方、シルバは昂るカナリーの分だけ、冷静だった。
「カナリー、静かに」
「い、いやだがシルバ! これが興奮せずにいられようか! 宝! 宝の山だぞここは!」
 ここは、クォツからの手紙にあった、薬草が採れる山の中。
 シルバ、カナリー、リフ、それにネイト、カナリーの二人の従者といった面々は、必要な野草や地衣類の採取に訪れていた(前衛はいつものように狩猟に向かった)。
 薄い靄としっとりとした空気に満たされたその土地は、大声を上げるのも憚られる気がした。
「……落ち着けって。カナリー、モース霊山の逸話を知らない訳じゃねーだろ」
 山を訪れた欲深き狩人は、剣牙虎に取って喰われると言われている。
「に。必要いじょうのモノ取るの、よくない」
 その剣牙虎の娘が頷くと、説得力も増すというモノだ。
 リフの先導で、シルバ達は目当ての材料を求めて前に進む。
「山と森の恵みに感謝して、ポーションの材料だけもらっていくぞ」
「ぬううぅぅ……シルバ、君、欲がないね」
「あのね、俺の職業を何だと思ってんだよ? 欲望を制御出来なくて、何が聖職者か」
「前回、欲望全開の司祭長を見た気がするんだけど」
 それを言われると、なかなかにきついシルバである。
「……人間だからな、うん」
 難しい顔をするシルバの肩に、ひょいとちびネイトが出現した。
「下手に欲をかくと、ああいう風になるぞ、カナリー」
「うん?」
 ネイトが指差した先には、ボロボロの狩猟服を着た白骨死体が転がっていた。
 右足には蔓が巻き付いており、左足はありえない角度に折れていた。
 視界を凝らすと、そうした死体は他にもあちこちに見受けられた。
「なるほど。しかし誰がこんな目に遭わせたんだ?」
「さて。ただ、ここでは心の乱れが大きくなっているのは確かだな」
 視線を前に戻すと、いつの間にかリフがいない。
 と思ったら、脇から姿を現わし、手に持ったザルには苔の類を積んでいた。
「に。お兄、これ」
「おお、よくやった。ってか一番働いているのが一番の年少者ってどういう事よ、おい!?」
 シルバも慌てて、目的の薬草類を探し始める。
「はいはい、働きますとも。ヴァーミィは薬草、セルシアは鉱物の採取よろしく」
 カナリーがパンパンと手を叩くと、赤と青の二人の従者が動いた。
「って、手抜くなよ!?」
「搾取側の人間としては、効率を重んじるのさ」
「……ま、そういうのも有りちゃー有りか」
 ヴァーミィとセルシアにしても、タダで動いている訳ではない。カナリーの魔力供給を活動の源にしている以上、文字通りカナリーの手足である。
「しかし、実に勿体ない。これだけあれば、新しい薬も沢山作れるというのに」
 二人の主であるカナリーは、まだボヤいていた。
「未練だ、カナリー。俺達は前失った分の補充に来たんだから、それだけにしとけ。俺だって、欲しいモノがない訳じゃないけど、我慢してるんだし」
「と言うと?」
 シルバは、白い靄に遮られた空を見上げた。
「出来れば飛び道具かねぇ。ま、どっちにしても扱える奴がいないんだけど」
「飛び道具? 何でまた」
「野菜もらった村で、峡谷に魔獣がいるって言ってたろ。その内の一体が空を飛ぶっぽいし、それ対策かなってネイト何してる」
 何やらチョロチョロしているかと思ったら、彼女は土に半ば下半身を埋もれてさせている、白骨死体を調べていた。
「飛び道具だろう? 探しているのだよ」
 ちびネイトが魔力で葉っぱを払うと、そこには弓筒があった。
「おい、白骨死体からか」
「森の恵みとは別だし、問題はないと思われる。むしろ、鉄の類を持ち去るのは、悪い事じゃないと思うんだ。どうだろう、リフ君」
「に。いいと思う」
 採取の手を休めないまま、リフも返事をした。
 そう言われると、シルバとしても本業を思い出さざるを得ない。
「ふぅむ。それじゃ、俺は司祭らしく埋葬の用意でもしとくかな。目についた範囲だけだけど」
 幸い、土を掘るのは霊穴に針で打てば事足りる。
「……僕ら、薬草の採取に来たんだよね、確か」


「けど、空を飛ぶ相手なら、順当に考えて僕とヒイロだと思うんだけど、その辺どう思ってるんだい?」
 簡易埋葬を済ませたシルバの背に、カナリーが声を掛けてきた。
 首だけ振り返り、シルバは彼女を見る。
「今、飛べるかカナリー?」
「あはは、今は昼間だよ、シルバ。それはちょっと……難し……」
 笑っていたカナリーの言葉が尻すぼみになった。
 昼間のカナリーの力は、相当に制約されている。
 魔術はまあ使えるにしても、吸血鬼としての能力はほぼ封じられていると言ってもいい。日の当たらない屋内ならシルバの血を飲む事で一時的な底上げも可能かもしれないが、相手が鳥となると、当然空の下である。
「そういう事。ヒイロだって、あの浮遊板があるって言っても、本来の使い方とは明らかに違うだろうし、充分に力を発揮出来るって訳じゃないだろ。さてどうするかって所でね」
「なるほどね。夜目が利かない鳥目に期待して、夜に行動するっていうのは? 僕達の今回の目的は、モンスターの討伐じゃないはずだ」
 戦いを避けるというのも一つの手、とカナリーは案を提示する。
「うん、確かに闇夜に紛れてってのは手か。俺が一番足手まといになりそうだけど。ま、昼間戦力になってくれそうなのも、一人いる事はいるが……っと、結構集まったな」
 野草、地衣類、鉱物の他、ついでにかき集めた武器類もかなりの量になっていた。
「にぅ……弓矢がほとんど。あと杖と……長い銃?」
「……まあ、戦士よりも、魔術師や狩猟者が多いのは当然だろ。けど、ちょっと多すぎるな」
 持って戻るのも、一苦労になりそうだ。
 こういう時、タイランがいればな、と思うシルバだった。
「心配無用。ヴァーミィ、セルシア運搬だ」
 カナリーが指を鳴らすと、二人の従者は無表情にそれらを抱え上げた。
「ま、全部は持たなくていい。いくらかは俺が持とう」
 とりあえず重そうな武器の方を、シルバが半分受け持った。
 ヴァーミィとセルシアは、小さく頭を下げる。
「……君は、天然でそういう事をするから」
 重そうに銃器を抱えるシルバに、カナリーは軽く溜め息をついた。
「に。リフもてつだう」
「はいはい、僕もやるよやりますよ」
 リフとカナリーも、材料を抱える。
「ならば、私も……と言いたいところだが、ほとんど持てないのが残念な身体だ」
 札に封じ込められ、霊体に近い身体となっているネイトでは、シルバの掌に握れる程度の量が精一杯だった。
「ま、その辺はやる気の問題だから、いいんじゃねーの」
「おお、シルバに褒められた。やはり尽くす女が受けがいいな」
「……お前はそれさえ言わなきゃ、大分マシなんだがな」


 一行はそのままUターンせず、リフの勧めで奥に進む事になった。
「どこに行くんだい、リフ」
「木々に感謝のおいのり」
 言って立ち止まったそこには、他の木々より二回りも太い大樹があった。
 シルバもそれを見上げる。
「ここのボスか」
 ただの大樹じゃないのは、気配で分かった。
 こちらが見上げているのを、向こうは穏やかに見下ろしている。
「……前に、敵対した身としては、実に複雑な気分だ」
 第三層での戦いを思い出したのか、カナリーは肩を竦めながら苦笑した。
「よくない魔力に染まってないから、こりゃいい霊樹だよ」
 シルバはそのまま、ゴドー聖教式の印を切った。
「で、僕はどういう祈り方をすればいいんだろう。ゴドー式はちょっと」
「に。こうやって、手を合わせる」
 荷物を地面に下ろしたリフは、手を二回叩いて黙祷した。
「父が喜びそうなやり方だね」
 特に反対する理由もなかったので、カナリーと従者達もそれに倣った。


※次回、ポーション精製。
 引き続き、後衛メインなお話です。
 今回のエピソードは、これで終了予定。



[11810] 魔弾の射手
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/08/01 01:20
 女子用テントの中は熱気に包まれていた。
 六人分の寝床となるそこは決して狭くはない――が、カナリーが用意していたポーション精製用の機材を広げたとなると、どうしても手様になる。
 中で作業出来るのは、せいぜいが三人が限界だ。
 それ以上の人数となると、何らかの機材を引っ繰り返したり、壊したりしかねない。
 という訳で、中で作業しているのは、カナリー、シルバ、リフの三人であった。
 フラスコの液体に、ビーカーの中身を混ぜ合わせ終えたカナリーは振り返った。
「シルバ、そっち砕けたかい?」
「完全に粉末にしちゃ駄目だったんだな」
 ゴリゴリと乳鉢の中身をすり潰していたシルバは、顔を上げないまま答える。
「うん。こっちのフィルターでろ過するんだけど、細かすぎると効果が強すぎるんだ。さて、リフの方はあと一分煮込んだら、薬草を湯から出すように」
「にぅ……暑い」
 帽子もコートも脱ぎ、シャツ一枚に短パンという姿になったリフは、耳をペタンと倒していた。
 彼女の前には、グツグツと沸騰する薬草の入った手鍋があった。
「……ま、しょーがないんじゃないか。テントん中だし」
 かくいうシルバも、司祭服を脱いで薄着である。
 カナリーの場合は、マントは脱いでいるのは当然として、それ以上脱ぐ訳にもいかなかった(おそらくシルバは脱いでも気にしないだろうが、それはそれでカナリーなりのプライドというモノがある)ので、シャツの袖をまくるのに留めていた。
「かといって、外だと風で作業がやりにくいしねぇ」
 カナリーは顔を手で扇いだ。
 そんな様子を天井近くで眺めていたちびネイトは、うむ、と頷いた。
「何という新婚家庭」
 危うく、カナリーがフラスコの中身をぶちまけそうになる。
「な!? ぼ、ぼぼぼ、僕は真面目に薬品作りをしているだけであってだね!」
「シルバ。二人のエプロンを作るんだ。なるべく早急に」
「……ネイト、お前は何をさせたいんだ」
 シルバは作業の手を休めて、頭上のネイトをうんざりと見上げた。
「まずは、形からと言うのが大切だと、私は思う。このように布きれ一枚で、ほら新妻の出来上がり!」
 黒服の上から、ネイトはひよこマークの入ったエプロンを装着した。
「って、人の魔力をわざわざ消費して、そういう演出をするなよ!?」
「……惜しむらくは、リフ君が新妻というより二人の娘という感じが否めないという点か」
「リフ、精霊砲ぶっ放していいぞ。俺が許可する」
 反射的に手を掲げようとするリフを、カナリーは慌てて下ろした。
「うぉい!? テントの中だ、シルバ! 落ち着こう!」
「に。えぷろん、自分で作る」
 ぐ、と小さい拳を作るリフに、ネイトは嬉しそうに唇の端を釣り上げた。
「うむうむ、向上心があるのは真に結構」
 そして、そんなテントの入り口が少しだけ開き、覗く者がいた。


 女子テントには、何故か一本矢が突き立っていた。
「ううううう……うらやましい」
 こっそりと、テントの中を身を屈めて眺めていたキキョウは、しょんぼりと尻尾を垂らしていた。
 その尻尾の先をつまみ、軽く上下に振りながら、ヒイロが苦笑いを浮かべる。
「キキョウさん、作業の盗み見は、ちょっとどうかと思うよ?」
「うむぅ、しかしあれではポーション作りと言うよりも、ほのぼの新婚さん家庭だ。某も参加したい」
 立ち上がり、キキョウが答える。
「お父さんポジションで?」
「何気に失礼だぞ、ヒイロ!? しかもシルバ殿とダブルお父さんか!?」
「んんー、一妻多夫制とかも、地域によってはあるよ? 女戦士の村とか」
「ま、まあまあ、それより私達も飛び道具の方、確認しないと駄目じゃないですか」
 間に割って入ったタイランが、木の幹に立てられた的を指差した。
 何本か矢の突き立っているそれを、キキョウは睨んだ。
「ぬうぅー……仕方あるまい」
 軽く唸り、何本か立てかけていたヒイロ作の弓を手に取る。
 シルバ達が手に入れた弓は、弓幹はともかく弦がほとんど使い物にならなかったので、それはキキョウらが狩った鹿の腱を利用している。
 長銃の方は、無事な部品をカナリーが寄せ集めて、組み立て直したモノが一挺、同じように立てかけられていた。
 キキョウは矢をつがえると、的目がけて弓を引き絞った。
「とはいえ、某弓術はともかく、鉛玉を飛ばす鉄砲術はどうにも好かぬ。……もっとも、鉄砲自体、故郷ではほとんどなかったが」
 矢が放たれ、的の中心近くに命中する。
「お、お見事です」
 鈍い鉄の音を立てて、タイランが拍手した。
「……うむ。腕はまあ、鈍ってはおらぬか。タイランはどうだ?」
 タイランは、弦の切れた弓を申し訳なさそうに見せた。
「……ご覧の通りです」
「……う、うむ」
 タイランの膂力では、弦を絞るには加減が難しいのだ。
「かと言って、鉄砲の方は引き金を引くには指が太すぎますし……」
 そもそも、それなら甲冑に銃器を仕込む方を、調整係のカナリーは選ぶだろう。
 中の人工精霊状態でも試してみたが、弓を引くには思ったよりも強い力がいる事が分かった上、精霊はあまり鉄を好まない。
 乾いた音がした。
 そちらを二人が向くと、的にあったキキョウが当てた矢の近くにもう一本、矢が刺さっていた。
 射たのはヒイロだ。
「ヒイロも、なかなかの腕ではないか」
「狩猟はしてるからね。でも、ボクもキキョウさんと同じで剣がメインだからなぁ」
 こっちをぶん回す方が楽だなあ、とヒイロは自分の骨剣をぶんと振るった。
「……狩猟って、弓の方が便利じゃないですか? その、相手に気取られない位置から射たり出来ますし……」
 タイランの疑問はもっともだ、とキキョウは頷く。
「食用の草食動物などは、すばしっこくてそちらの方が有用であろう。しかし、体力のある獣などを狩る時は、弓よりも重い武器の方がよい場合があるのだ。前に相手をしたバレットボアなどは、よい例であろう?」
「あー……」
 確かにあれは、弓の一本や二本程度で倒れるとは思えない。
 急所を狙えば話は別だが、それには専門の知識と熟練した腕が必要だ。
「ああいう相手には威力のある銃などもよいのであろうが、なにぶん高価であるし、某達のような場合は修業も兼ねる故、慣れた武器がよいのだよ」
「な、なるほど……」
 テントの中の三人は既に、腕試しは終わっている。
 残っているのは、メイド服のシーラ、それに赤と青の従者二人である。
「シーラもやってみるか」
 キキョウの勧めに、シーラは軽く首を振った。
「不要」
 そして、右手に持った金棒をスッと的に向けた。
「『――{砲/カノン}』」
 金棒の先端に集束した衝撃波が一気に解き放たれ、一直線に木の的へと迸る。
 的どころか木の幹そのモノを粉砕し、ギギギ……と音を立てて、その木はゆっくりと倒れてしまった。
 地響きに驚いたのだろう、テントからシルバが顔を出した。
 金棒を構えたシーラと、その先に倒れた木を見て、一発で状況は分かったようだ。
「お、おい、シーラ、あまり揺らすな! ポーションがこぼれる」
「ごめん」
 返事を聞くと、シルバは「よし」と頷き、テントの中に戻った。
「うっし、あと一息ー!!」
「冷却なんかは馬車に乗ってる時でも可能だから、この作業が終わったら片付けよう」
「に!」
「そしてここに仕込みを済ませた素材Aが先に用意されており」
「ねーよ!?」
 テントの中からは騒々しい声が聞こえてきた。
「楽しそうであるなぁ……」
 尻尾を弱々しく垂らし、指を咥えるキキョウであった。
「ま、まあまあキキョウさん。こっちはこっちで頑張ろうよ」
「あの、ヴァーミィさんとセルシアさんに装備してもらうというのはどうでしょう?」
 テントの入り口左右に、警備よろしく立っている赤と青の二人を、タイランは見る。
「んんー、どうであろうな。悪くない案とは思うのだが、元来彼女らは魔術師であるカナリーの盾としての役割が大きいのではないだろうか」
「ですねぇ……」
 タイランも一応提案はしてみたものの、同意見だったらしい。
「まあでも、シーラちゃんがいるなら、それで事足りるような気がする」
 ぶんぶんと骨剣を振るいながら、ヒイロが言う。デタラメのようでどことなく様になっているのは、これはこれで型の一つなのだろう。
「主の助けになるのなら」
 ヒイロに倣い、シーラも金棒を降り始める。
「なるよー。頑張ろうね、シーラちゃん」
「了解」
 がつん、と骨剣と金棒がぶつかり合う。
 カナリーやリフは元々、雷撃魔術や精霊砲があるし結局の所、弓と長銃を用意はしてみたモノの、あまり使い手がいないパーティーであった。
「それにしても、シルバ殿の弓の腕前は驚きであった……」
「ええ、あれには私もビックリでした……」
「……ああ、あれかぁ。まさか、真後ろに矢が飛ぶなんてね。あれはあれで一つの才能だと思う」
 皆は振り返り、テントに刺さった矢を眺めた。


※ある意味、跳弾狙いならシルバはすごい事が出来そうですが、「半分ぐらいの確率で味方に当たる」という事で不採用になりました。
 次回、ようやく峡谷。
 ここまでくるのに……えーと、約二ヶ月。おいおい。



[11810] ウェスレフト峡谷
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/08/03 12:34
 ウェスレフト峡谷は、さながら茶色の巨大迷路だった。
 オレンジ色の夕焼けに照らされた風景は見渡す限り、ゴツゴツとした岩の崖と土で構成されている。
 岩壁と地面にはまばらな緑が茂り、崖っぷちに立ったシルバ達一行の眼下には緩やかな川が流れていた。
「でかー」
 馬車を降りて、最初に口にしたヒイロの感想がこれだった。
「やっぱ、地図で見るのと実際見るのとでは大違いだなぁ、こりゃ」
 地図を広げたシルバも、途方に暮れる。
 目的の浮遊車『ガトー』を見つけるのは、一苦労しそうだ。
「もうすぐ僕の時間な訳だけど、どうする? このまま進む?」
「待て待て待て。何つーかこりゃ思ったより大変だぞ、カナリー。これ以上は馬車じゃ進めそうにないし、想像以上に高低差があるっぽい。まずは地図と照らし合わせて……」
 地図とにらめっこを開始するシルバの隣で、「ふむ」とキキョウは自分の顎を撫でた。
「シルバ殿。これは強行軍で行くよりは、どこかに拠点を用意して、段階を踏んで探索するべきではなかろうか? 幸い、食料には余裕がある事だし」
「魚は捕れそうだね」
 しゃがみ込んで、ヒイロは崖下の川を見下ろしていた。
「わ、私は慌てませんから……無理して、危ない目に遭うよりは、安全な方が……」
 どうやら、タイランもキキョウの意見には賛成のようだ。
 カナリーも、どちらかと言えば消極的か。
「自分で夜の探索を主張しといて何だけど、これ、人間には本気できつそうだね」
「それは否定出来ないな。この中で、夜目利く人ー」
 シルバが問うと、キキョウ、リフ、カナリー、タイランが手を上げた。
「むぅ」
 ヒイロは何だか、半分だけ手を上げていた。
「……まあ、先輩よりはマシな方かなぁ」
「わたしは、暗闇でも気配の探知は可能。いざとなれば、目をつぶる」
「夜の間、私の視覚をシルバに投影してもいいが、おそらく歩くのに難儀するだろう」
 シーラ、ネイトと続き、シルバは決断した。
「よし」
 左手がなだらかな下り坂になっているのを見て、それを指差す。その先は広い荒野になっており、大きな湖と滝があった。
「ひとまず今日はここから下りて、あそこで野営にしとこう。午後は馬車に乗りっぱなしで、身体も硬いし。明日から、そこを拠点に探索開始だ」
「承知」
「に……偵察いく」
 リフが手を上げた。
「ああ、リフ頼む。気を付けてな」
「に」
 リフは小さく手と尻尾を振ると、そのまま駆け足で坂道を下りていった。
「基本方針として、戦闘はなるべく避ける。あと、カナリーは悪いけど今晩、空から地形を確認して欲しい。この地図じゃ、いまいち細かいところまで分からないし」
「そりゃもっともだ。だが、別に目的のモノを発見しても構わないのだろう?」
 ふふふ、と笑いながらカナリーが言う。
「……無茶すんなよ、いや本当に。夜飛ぶモンスターだっているんだからよ」
「了解了解」
「んで、みんなにはこれ」
 シルバは金袋からコインを取り出すと、それを皆に配る。
 精緻な門のレリーフが刻まれたそれは、キキョウらも忘れていないようだ。
「む、司祭長の転移コインであるな」
「距離にすると約100メルト範囲なら、魔力で互いのコイン間の跳躍が可能。一応チャージはしてあるから、一回だけなら魔力消費なしで跳べる」
「あ、あの、でも私は……」
 おずおずと、タイランが手を上げる。
「うん、跳べない」
「……ですよねぇ」
 絶魔コーティングの重甲冑を身に着けているタイランは、そのままの状態では転移出来ないのだ。
 本来の人工精霊状態なら大丈夫だろうが、そうなると今度は甲冑だけが置き去りになってしまう。
「でも、それとは別の意味で、役に立つ事もあるから、一応タイランも持っとくように」
「わ、分かりました」


 しばらくすると、リフが駆け戻ってきた。
「に。ただいま」
「お疲れ。問題なかったか?」
「ない、と思う」
 シルバに頭をくすぐったそうに撫でられながら、リフの返事はやけに曖昧だった。
「妙に歯切れが悪いな」
「にぅ……敵はいない。けど、視線感じる」
 直後、パーティーの面々の気が引き締まる。
 ――一分ほどの沈黙の後、目を瞑って気配を探っていたキキョウが口を開いた。
「……なるほど。敵意はないようだが」
「に、今消えた」
「某達が気付いた事に、向こうも気付いたようであるな」
 その辺はシルバにはサッパリ分からなかったが、とにかく危機は去ったらしい。
「動いても、問題なし?」
「うむ。今は、大丈夫だと思われる」
「んじゃ行くか」
「に」
 一行は馬車を連れて、坂を下った。


 坂を下りた先のロケーションはこれが、探索でなければ悪くないと言えた。
 水場は至近だし、日暮れ近い今でこそ日陰になっているが、昼間は明るいだろう。
 強いて難を言えば、広すぎるという点だった。
 仮にモンスターが現れた場合、戦い易くもあるが、同時に逃げ辛くもある。何より隠れようがない。
 そんなシルバの心を読んだかのように、リフは裾を引っ張った。
「に。こっちに洞窟ある」
 岩壁には、ポッカリと大きな穴が開いていた。
「お、おいおい。モンスターとかいたら、どうするんだよ」
「ここはだいじょぶ」
 リフに案内されて、シルバは洞窟に入った。といっても、たった1メルトで終点に辿り着いてしまったが、
 タイランでも余裕で潜れる広さの穴の先は、岩壁に囲まれた円筒状の空間になっていた。
 空間の広さは、テントを二つと多少のスペースに余裕があるといった所か。
 見上げると遥か頭上に、岩に囲まれた円状のオレンジ色の空が覗いていた。
「……へえ、こりゃいい場所じゃないか。ここならば、モンスターも攻め込みにくそうだ」
「に!」
 リフは小さく胸を張り、尻尾の先を揺らした。
「確かに広い場所で野営するよりはいいかもしれぬな」
 ついてきたキキョウも、そんな感想を漏らす。
 空を見上げていたシルバは、少しずつ暗くなってきた空に、何か浮かんでいるのが見えた。
 鳥……? いや、それよりも小さい。虫か?
 と思ったら、いつの間にか表に出ていたちびネイトだった。
「……シルバ。洞窟は、他にもあるようだぞ。岩壁のあちこちに穴がある。多分ここだけじゃないだろう」
 なるほど、言われてみれば黒い穴のようなモノがチラホラ見えない事もない。
「偵察してたのか」
「ああ。といっても、飛べる範囲だけだが。……目的の浮遊車だが、大昔とは地形が変わっていてもおかしくない。地面に埋もれてない事を祈ろう」
 後半は小声で囁いてきた。
 確かにそれは考えたくない。
「……ま、動いてみないと何ともな。んじゃま、荷物下ろしますか」
 ふと、頭上から視線を感じて、シルバは空を見上げた。
「ん?」
 けれど、何もなかった。
 キキョウらも気付いていないので、やはり気のせいだろう。

 ――さすがのシルバも、まさか今見上げたばかりの岩壁にあった黒い穴が一つ、減っていたなんて事は想定外である。

 シルバは首を傾げ、洞窟を出た。

 ――しばらくして、その頭上の穴を鳥が一羽、横切った。

 湖を覗き込んでいたヒイロとタイランは、後ろからカナリーに声を掛けられた。
「ヒイロ、ここで野営の準備だ。手伝ってくれ」
「はーい」
「わ、分かりました」


 ――駆け去っていくヒイロ達の後ろの湖に、一瞬巨大な黒い影が映りこんだかと思うと、すぐにそれは消失した。


※という訳で、峡谷編。
 イメージ的にはモンハンの峡谷ステージ、もしくは砂漠マップの左側。
 バック・トゥ・ザ・フュー○ャーのクレイトン峡谷は、映画見直したら思ったより緑が多かったという。



[11810] 夜間飛行
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/08/06 02:05
 月の出ている夜空を、金髪紅眼に白いマントをはためかせた魔族が飛んでいた。
 もちろん、カナリーである。
「……最近、この組み合わせが多いような気がする」
 カナリーのマントのポケットに入っている『法皇』の札と化したシルバは、小さくなった幻影状態で彼女の右肩に乗っていた。
「後衛だからねぇ。その辺はしょうがないんじゃないかな?」
「にぅ」
 仔猫状態となったリフは、カナリーの懐に潜り込み、顔だけを外に出している。
 シルバは、眼下の峡谷を見下ろした。
 空を飛んでいるので障害物はなく、目的の場所『ガトー』の在処までは一直線だ。
「それにしても、これなら目的地まで、あっという間かもしれないな」
「何なら、僕達だけで目的地に先行して、『ガトー』を手に入れるという手のもあるな」
 うん、とカナリーが地図を眺めながら頷くと、シルバも同意した。
「悪くない。行こう」
「……冗談だったんだけど?」
「それが出来るのなら、一番効率的だろ。幸い、カナリーは一番カラクリ関係に強い訳だし、浮遊車が動くのかどうか、確認したい。欲を言えば、俺じゃなくて石板を持ってるシーラを連れてくるべきだったけど」
 そういうシルバとカナリーの顔を挟んで反対側、左肩に乗ったちびネイトが首を振った。
「リーダーが同行するのは悪い事ではないだろう。さあ、カナリー君、もっと飛ばすんだ」
「僕は、馬車じゃないぞ」
「大丈夫だ。馬車は飛ばない」
「……何が大丈夫なんだか」
 小さく溜め息をつきながら、それでもカナリーは速度を上げた。
 そうしながらも、真下の道の確認は忘れない。
 カナリーは飛べるが、テントに置いてきたキキョウやタイランは陸路を進むしかない。道が塞がれていないかの確認も、今のカナリーの仕事だった。
 岩や川で道が塞がれているという事は今の所はないが、ところどころ断崖となっていて、危険な場所もあるようだ。
「せっかくの高度だけど、暗いのが残念だな」
 人間であるシルバの目は、吸血鬼であるカナリーや剣牙虎の霊獣であるリフと違い、夜目が利かない。
「月と星明りで、充分だと思うよ。曇りでなくて良かった。さて、もっと飛ばそうか」
 足下の道が一本道になっているのを確かめ、カナリーの飛行速度がさらに上がる。
「それはいいけど、落とすなよ。札状態だから多分大丈夫だとは思うけど、川に落下なんてしたら目も当てらねぇ」
「それは楽しそ……おや?」
 不意に、空を飛ぶカナリーの身体がふらついた。
「お、おい、何か高度が下がってないか?」
 シルバは、少し顔を引きつらせながら、カナリーに尋ねた。
 速度も何だか落ちて来ているようだ。
「シルバ、一つ聞きたい事がある」
 カナリーも焦っているのか、滑らかな頬に一筋の汗が流れていた。
「な、何だ」
「この辺りでは何故か、魔力が徐々に封じられてきているというか、このままだと墜落しそうなんだ。どうすればいいと思う」
「死んじゃう前に、さっさと着陸しろよ!?」


 結局、道程の三分の二ほどで、シルバ達は地上に降りた。
「まあ、一筋縄ではいかないと思ってたけどね」
 やれやれ、とカナリーは金髪を揺らしながら頭を振る。
 そして、マントに入れていた札に魔力を込める。
「……まさか、ここから戻れないって事はないよな?」
 元の大きさに戻ったシルバは、心配になった。
「いや、それはないと思う。少し離れれば、また飛べるようだ」
「……よし、安心した。つーかこりゃあれだ。魔法封じのフロアと一緒だな」
 こういうギミックは墜落殿にもあったので、シルバも驚かない。
 この辺りはまだ、完全には魔法は封じられていないのが、シルバには分かる。使いづらいというレベルだ。とはいえ、空を飛ぶような大きな魔力を必要とする術は、ここでももう難しいようだ。
 このまま先に進めば、完全に封じられてしまうのは、シルバ以外も感覚で分かったらしい。
「ここからは、僕らが足手まといという訳か」
「にぅ……」
「だなー……と言いたいところだけど、そもそも何が使えないのかぐらい確認しとこう。うん、何も見えない」
 精霊眼鏡を掛けながら、シルバは先に進む。
 明るい星空と岩山の黒いシルエットの違いぐらいは、かろうじて分かるが、道と岩壁の区別もロクにつかなくなっていた。
「……そのまま進むと、崖に落ちるよシルバ」
「分かってるんなら、止めてくれよ!?」
 慌てて、シルバは足を止めた。
「に! に!」
 足下を見ると、仔猫状態のリフが、必死に足にしがみついていた。どうやら止めようとしてくれていたようだ。
「つーか精霊は見えるんだな」
 シルバは意識のスイッチを入れ替え、土属性の精霊を見る。
 そうすると、峡谷の輪郭が無数のボンヤリとした光線で、形を作り始めた。
「リフ、精霊砲は?」
「にぅ……」
 小さく口を開けたリフだが、そこから光が漏れる事はなかった。
「駄目か」
 シルバの代わりに、ネイトが言う。
「そのくせ、お前とは話せたりするんだよな」
「札は使えるか、シルバ。無理なんじゃないか?」
 なるほど、ネイトの指摘通り、札も使えなくなっている。
 試しに自分も絵柄の無くなった空の札に入ろうとしたが、それも出来なくなっていた。
 霊穴はちゃんと見え、そこに針を刺してみたが、何も作用はしなかった。
「針も駄目。……ちっ、俺達はここらじゃ、回復役に専念する事になりそうだな……って、そうだ! それならカナリー、森で手に入れた長銃使う事になるんじゃないか?」
 カナリーは雷撃魔術があるからと、ロクに銃を撃たなかったのをシルバは思いだした。
 カナリーは微笑み、自分の金髪を掻き上げた。
「ふ、自慢じゃないが、僕はノーコンだ」
「本当に自慢じゃないな」
「に!」
 リフが、小さい手を挙げる。
 盗賊ギルドで弓の練習はしているのだ。
「こっちは頼りになりそ……う……だ……?」
 視界の端で、何かが揺れるのに気付き、シルバは顔を上げた。
 カナリーと肩の上のちびネイトの後ろに、透明な何かがいた。
 いや、誰か、と呼ぶのが正確だろう。
 眼鏡を掛け、大きな石板を抱えた学者風の幼女が、興味深そうにシルバ達を眺めていた。
 足は宙に浮いている。
 彼女はシルバと目が合うと、笑ったのだろう、猫のように眼を細め、そのまま消失した。
 その間、一秒にも満たなかっただろう。
「にぅ?」
 リフの鳴き声に、シルバはハッと我に返った。
「どうしたシルバ。幽霊でも見たような顔だよ?」
 カナリーがキョトンとした顔で、シルバを見る。
「……ああ、近いかも知れない」
「何?」
「今、そこに女の子の幽霊が見えた」
 シルバは、カナリーの背後を指差した。
「……いないよ?」
 後ろを確かめたカナリーが言う。
 そりゃそうだ、もういないのはシルバにだって分かる。
「すぐ消えたんだよ」
「……まあ、シルバがこういう場でその手のジョークを言うキャラじゃないとは、分かってるつもりだけど」
 うむ、とネイトもカナリーの意見に同意した。
「女性を脅かし、きゃーと抱きつかせる定番の手ではある」
「そ、そんな狙いが」
 カナリーはどうしたモノかと迷いながら、両腕を広げてシルバに抱きつく準備をする。
「ねーよ!? ここは冷静に分析しろよ!?」
「ど、どんな幽霊だったんだい?」
 問われて、シルバは今見た幽霊(?)の容姿を思い出す。
「んんー、デカイ石板抱えてて、リフと同じぐらいの年齢だったかなぁ。髪の毛はこうボブヘアーで。あと、眼鏡」
 それに加えて、服装がどこか古めかしかったような気も、思い返してみるとした。ボタンのない帯で止めるタイプの、いわゆるゆったりとした法衣に近いが……いや、あれはやはりイメージとしては学者か。
「美人か」
 ネイトの問いに、シルバは頷く。
「可愛かったのは、認める」
「ならば、問題ない」
「何が」
「それはフラグという奴だ。いずれ、また再会する」
「おいおいおい!?」
「……シルバだし、ありえるね」
 小さく溜め息をつき、カナリーも首肯する。
「そこで納得すんのかよ、お前も!?」
「に……」
 シルバの足に、ポンとリフは右前足を乗せた。
「リフまで、諦めたような顔すんの!?」


 一応気配は探ってみたが、カナリーやネイトの知覚を持ってしても、幽霊の姿を見出す事は出来なかった。
 そちらは諦め、シルバ達は戻る事にした。
 これ以上先は、後衛だけでは危険すぎると判断したのだ。
「一応『フォンダン』の方も確認しておくべきじゃないか? このまま真っ直ぐではなく、南下だろう?」
「……だな。魔力は大丈夫か?」
 なるほど、ここから離れれば魔法は使えるのだ。
 ネイトの提案を受け、シルバはカナリーを見た。
「飛ぶのは問題ないけど、上手く行く気がしないなぁ」
 確かにここで足止めを食ったように、向こうでも同じような目に遭いそうな気が、シルバもする。
「まったく同感だけど、そっちに楽に行けるなら、チェックしとくべきだろ」
 駄目で元々と、シルバ達は正体不明の『フォンダン』の在処に向かってみる事にした。


「……で?」
 キキョウの問いに、テントに帰還したシルバは身体についた大量の砂を手で払った。
「駄目だった。砂嵐で全然先が進めやしない」
 ちなみにカナリーとリフは、表の泉で身体を洗っている。
 うんうん、とシルバの報告を聞き、ヒイロは納得したように頷いていた。
「ああ、つまり先輩が新たな出会いをしただけなんだ」
「だーかーらー、そこに注目するんじゃねーっ!!」
「それはともかくシルバ殿。こちらでもちょっと、変事があったのだ」
「うん? 男の子の幽霊が出たとかか?」
「いやいや、シルバ殿ではあるまいし」
「…………」
 地味に傷ついたシルバである。
「トラブルと言うほどではないのだが……」
 そう前置きして、キキョウは話し始めた。


※という訳で次回、シルバ達が留守の間にキキョウ達にあったイベント。



[11810] 闇の中の会話
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/08/06 01:56
 連続した機関砲の発射の音と共に、岩が砕け散る。
 重甲冑の手首に仕込まれた砲口から煙を上らせながら、砲手であるタイランは浮かない顔(?)をしていた。
 湖の畔には篝火が設けられ、夜の稽古をするにはそれなりの光量になっている。
 一方、タイランの砲撃を眺めていたヒイロのテンションは、逆に高い。
「おおおおお、すごい威力だね、タイラン」
「……ええ、そうなんですけど」
「ん? 何か不満?」
「その、私のこの身体は、カナリーさんに、一体どういう方向に導かれていってしまうのかと……」
 元々、あまり好戦的ではないタイランである。
 それはヒイロも知っているので、苦笑するしかない。
「まー、確かにね。カナリーさん、タイランが空飛べないの本気で残念がってたし」
「あと、もう一つ用意してもらったアレは、さすがにここでは……」
 タイランは、背中に背負った二つの大きな楕円状の塊を、軽く指でつついた。
「二回こっきりの大技だからねぇ。あとキキョウさんも、稽古参加しようよー」
 一人黙々と素振りをするシーラと対照的に、キキョウはボーッと夜空を眺めていた。
「ぬうぅ……最近、このパターンが多いような気がする……」
「多分、向こうもそう思ってるんじゃないかなぁ」
「早く戻って来ぬモノか……」
 ヒイロの他人事みたいな言葉は耳に入っているのかいないのか。
 その方角は西、カナリーが飛び去った方向だ。もちろん、キキョウは別に、カナリーの帰りを待っている訳ではない。
 小さく溜め息をついていると、岩の陰に見覚えのある服が翻ったように見えた。
 司祭服だ。
「……ぬ、あまりの待ち遠しさに幻影が見え始めたか?」
 頭を振り、もう一度同じ場所を見る。
 消えてない。
「…………」
 シルバが、岩陰に隠れながらキキョウ達を見つめていた。
 キキョウの視線に気付くと、彼は身を翻して岩陰の向こうに姿を消した。
「いやいやいやいや、幻影ではないぞ、アレは!」
 慌てて、キキョウはシルバの背中を追った。
「キ、キキョウさん、どしたの!?」
 ヒイロの声が背中にかけられるが、キキョウは構わなかった。
「シルバ殿、そんなところで何をしているのだ!」
 荒野を駆け、シルバを追う。
 だが、不思議と臭いはなかった。
 乾いた土を踏む音もやがて途切れ、キキョウは狭い谷間で足を止めた。
 その先はもう、行き止まりだ。
 ちょうどコの字になった場所で、キキョウは呆然と周囲を見渡す。
「……消え、た?」
 正面も左右も、人間が登れる高さの岩壁ではない。
 いや、キキョウでも難しいだろう。
 今のシルバは、本当に幽霊だったのか。もしくはキキョウの見た幻影だったのか。
 首を捻りながらも、手掛かりを失った彼女は、自分達のキャンプに戻ろうとした。
 ……耳に、微かに声が届き、その足を止める。
「……から、ウチの仕事の邪魔は……いて欲しい……すよ」
「それはそ……の都合だ。あた……って、段階……んで仕事……ていたんだ。ここでやめる……はいかない」
 声はキキョウの獣の耳でかろうじて届くレベルであり、相手の居場所は恐ろしく遠いようだ。
 場所は崖の上。それ故に、あいてもこちらに気付いていないようだった。
 キキョウは目を瞑り、その会話に意識を集中する。
 逆方向からヒイロが探しに来ているようだが、そちらは意識から追い出す。
(……何の話だ?)
 相手は二人、どちらも若いようだ。
 片方は男、もう一方はよく分からない。
「そないな……わはっても、ウ……頼ん……霊炉はちゃ……完成したし出力上々……ワはんらとの戦いで確かめ……作も安定……るどす。ラグはん……はアレ……しゃろ? 第六層……索は首尾よう行っと……う話、聞いとらんのですけど? あの雇った立派な剣士……の具合は如何しとりますか?」
(……霊炉……精霊炉!?)
 息を殺し、キキョウは耳を更にそばだてる。
「余計な心配……だが、確かにあ……誤算だったのは認めざ……得ないが……ちゃんと腕……い呪術……雇う予定だ」
「知っとります。因果っちゅ……は巡るも……すなぁ」
「何?」
「その呪……のセンセ、あんさんト……剣奴隷をそないな目に遭わ……司祭は……妹……の師匠……」
「……世間は狭い……う事か。ともか……治療が……次第、カー……は再び第六……潜ってもらう」
「さいどすか。ともあ……アレはウチ……物どす。邪魔はせんと……下……な」
「そ……言うなら、あの人造人間……っちのモノ……第六……彼が手に入れたのは……ーヴから……告で聞……いる」
 頭の中で、キキョウは分かる範囲で話を整理しようとした。
 精霊炉、司祭、第六層の人造人間。
 ……三つもあれば充分だ。偶然ではない。相手は、自分達に何らかの目的がある。それもあまり、よくない予感がする。
 その時、峡谷に大きな声が響いた。
「キキョウさーん? 何処行っちゃったのー?」
「!!」
 ヒイロの大声に、キキョウは飛び上がりそうになった。
 向こうもどうやら同じらしく、声は途切れてしまった。だが、どうやら立ち去ってしまったらしい。
「ちっ……!」
 舌打ちをするが、それは情報が中断された事に対してだ。
 ヒイロは純粋にキキョウを心配して、駆けつけてくれた事は分かっているので、そちらに対しては、感謝しておく事にした。


 話を聞き終えたシルバは、難しい顔をせざるを得なかった。
「……キキョウ、それは充分すぎるほどトラブルだと思うんだが」
「僕も、そう思う」
 途中で水浴びから戻ってきたカナリーも、同意する。
「そ、そうであろうか?」
 シルバは、頭の中で整理する。
「精霊炉、ノワ、それにあの珍妙な方言から察するに、片方はノワから聞いてたキムリック・ウェルズだろうな」
「シルバ殿、もう一人は誰だと思う?」
「……そこなんだよな。妥当な所だと、貴族のルシタルノ氏。カーヴ・ハマーの雇い主な。第六層の剣士、呪術師、治療って単語からの推測だけど……」
 ガシガシと頭を掻きながら、シルバは考え続ける。
 司祭が絡んでて、呪術師、妹、とくればもう何というか、自分達と無関係とは思えない。
「けど……んー、何でその二人が一緒にここにいるのかが、よく分からない」
 そこが、悩みの種だった。
 キムリック・ウェルズ一人ならまだ分からないでもなかったが、何故、こんな辺境の更に辺境のような土地に貴族が訪れているのだろう。
「ヒイロ、無理に考えるな。頭から煙が出ているよ」
 カナリーの言葉に視線を動かすと、ヒイロが目を回していた。
「う~~~~~。ボクはもうダウン~」
 そういえば、眠気もそろそろ強くなってきている。
 これ以上考えても、ロクな答えが出そうにないとシルバは判断した。
「何らかの手は打ちたいけど、向こうの出方を待つしかないなこれは。強いて言えば、タイランとシーラは気をつけた方がいいって事だ」
「は、はい」
「了解」
 それと忘れそうだったもう一点も、付け加える。
「あと、そもそも俺の幻影ってのもよく分からないな」
「キキョウ君の幻影である説に一票」
 シルバの頭に乗ったちびネイトが、生真面目な顔で手を挙げた。
 それを見て、キキョウが動揺する。
「い、いやいや! た、確かに某は見たのだ! アレは見間違いではない!」
「行き止まりで消えた事の説明はどうなるのだ? 私ならば、いつでもシルバの幻影など、脳裏に浮かべる事は可能だが」
「そ、某だって負けてはおらぬ!」
「……そこで張り合うな」
 しかも俺を挟んで、と内心思いながら、ふと自分に寄りかかるリフに気がつく。
「にぅ……ねむい」
「確かにもう夜も遅い。交代で見張りを立てて、本日はおしまいにしよう」
 パン、と手を叩いて、臨時の会議はお開きとなった。


※思わせぶりな一日目終了で、次回から峡谷行です。



[11810] 洞窟1
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/08/07 16:37
 翌日、シルバ達はテントをそのままに晴れた空の下、峡谷を進み始めた。
 全員が空を飛べるならば、昨晩と同じ所まで進めるが、そうもいかない。
 切り立った岩壁に挟まれた崖下を、一行は進む。
 空からの襲撃を警戒していたが、幸い魔獣と呼ばれるようなモンスターは現れなかった。
 時折、野生のモンスターを相手にしながら、彼らは最初の難関に辿り着いた。
「ここまでは問題なし、と……」
 全員の傷の具合を確かめ、シルバは小さく息を吐いた。
 そして、正面にある、ポッカリと大きな口を開けた洞窟を見上げた。
「ふむ……シルバ殿、ここは調べておらぬのだな?」
「……昨日の偵察でも、この辺だけが不安点だったんだよねぇ」
 キキョウが首を傾げ、カナリーがやれやれと頭を振った。
「でも、ここを通り抜けなきゃ駄目なんでしょ?」
 ヒイロは左右を見渡した。
 少なくとも、ここまでは一本道だった。
 崖の上を歩けばまた違うのかもしれないが、向こうは向こうで崖で道を塞がれる可能性があるのだ。こちらなら少なくとも落下の危険性はないし、どちらを選ぶかは好みによる。
「に……出口っぽい穴はむかい側にある」
 リフが、洞窟の奥を指差す。
 もっとも、向こうの出口はまるで見えない。
 それが残念なのか、タイランが軽く肩を落とした。
「でも、それが、まっすぐ通じているとは限らない……ですか」
「ま、とにかく進もうか。松明は必要なさそうだ」
 踏み込んでみると、天井にいくつか穴が開いており、中は太陽の光が差し込んでおり予想外に明るかった。
 もっとも足下は完全に岩場となっていて、うっかり転ぶと手や足が傷だらけになってしまいそうだ。
 洞窟は広く、全員が並んで歩けるほどの幅があったが、一応前衛と後衛に分かれる事にした。
 墜落殿でのいつもの順列に加え、シーラは殿を務める事となる。
 しばらく進むと、不意にキキョウの手がシルバの行く手を阻んだ。
「ストップだ、シルバ殿……何か、いる」
「……了解」
 素直に足を止める。
 そして前衛に立ったキキョウやヒイロが、武器を構えた。
 敵の気配をシルバも探るが、サッパリ分からなかった。
「にぅ……敵の数がわからない」
「う、うむ……こういうケースは珍しい」
 獣の感性を持つリフやキキョウでも探れないとは珍しい。
 そんな事を考えていると、タイランが声を上げた。
「さ、左右です!」
 気配を探るよりも、落ち着きなく周囲を見回していたのが逆に良かったらしい。
 なるほど、岩肌をヌルリとした緑色をしたゼリー状の何かが何十体も蠢き、こちらと距離を詰めようとしていた。
 グリーンゼリーと呼ばれるモンスターだ。下位モンスターであるブルーゼリーよりは体力や溶解力があるが、それでもシルバ達ならばさほど強敵と言うほどではない。
「不定形生物か……こういうのなら、僕の得意分野だね」
 最初に攻撃を仕掛けたのは、カナリーだ。
 指先に雷光が瞬き、それが迸ったかと思うと、グリーンゼリーの一体が煙を上げて消滅する。
「に!」
「僕も!」
 リフの精霊砲やヒイロの気が放たれ、次々にグリーンゼリーを倒していく。
 本来、この手の不定形生物には物理攻撃は通じにくい。
 だが、キキョウの妖刀は、それを苦にせず、ゼリー達を切り裂いていった。
「ウチは、飛び道具の得意なのが多いなぁ……」
「で、ですね」
 術が使えないシルバと、特に魔力を持たない斧槍を武器とするタイランは、する事がない。
「タイラン、通常の武器が利かないああいう相手には、油ぶっかけて火で退散させるのが定石だ。憶えておくといい」
「は、はい」
 もっとも、シルバにしても本当に『何もしていない』訳ではなかった。
 グリーンゼリーの一体が不気味に明滅を繰り返し、魔力が高まるのを察知する。
「っ……! みんな気を付けろ! 呪文使うぞコイツら! ただのグリーンゼリーじゃない!」
「む! 了解!」
 クルッとUターンをして、武器を振り上げたヒイロがこっちに向かってくる。
 その目が、グルグルと回っていた。
「って、敵はあっちだヒイロ! ええい、相変わらず精神攻撃には弱いなお前!」
 シルバが懐を叩くと、肩の上に半透明のちびネイトが現れた。
「うむ、任せろ」
 悪魔であり、同時に霊獣・獏でもあるネイトが、ヒイロの催眠状態を一気に解く。
「ふぁ!?」
 ハッと我に返ったヒイロが、目を瞬かせた。
「気がついたか? 攻撃対象向こうだから。催眠系の攻撃には注意しろよ」
「ら、らじゃ!」
 今のはちょっと危なかったな、とシルバは軽く息を吐いた。
 グリーンゼリーは、溶解液での攻撃、もしくは身体を固めての殴打が基本攻撃だ。
 呪文を使うタイプなんて聞いた事がない。
 モンスターを倒しながら、洞窟を前進する。
 やがて、先に出口とおぼしきモノが見え始めた時だった。
 行く手を阻んだのは、七人の人影だった。
 鮮やかな緑色の身体で構成された、シルバ達そっくりのグリーンゼリー達だった。
 彼らの前衛がまず、飛びかかってきた。
「……次は物真似。なかなか芸達者な相手だね」
「まったくだ!」
 カナリーに同意しながら、キキョウは自分そっくりのグリーンゼリーと刃を交わらせる。
 一瞬の激突後、表情のない偽キキョウは即座にカナリーと距離を取った。
 その速度は、本物と寸分違わぬモノであった。
「スピードでも対抗するのか……」
 それはヒイロやタイランの偽者も、ほぼ変わらない。
 シルバは少し考え、そして判断した。
「自分と同じ相手とやり合うな! キキョウなら偽のヒイロやタイランを相手にしてくれ!」
「承知!」
 キキョウは即座に相手を切り替えた。
 そして本物のヒイロとタイランが、偽者のキキョウを相手にする。
 敵の後衛はといえば、問題外だった。
「あっちの偽リフは、カナリーが広範囲魔法で攻撃。姿は真似てるけど、魔法を使えるほどの知力はないようだ。それに何だかんだで体力も低いから、それでいける」
「了解。それで、向こうの僕の相手は誰になるのかな?」
「にぅ!」
 カナリーの雷撃が偽のリフを融かし、リフが放った精霊砲は呪文を唱える真似をしていた偽カナリーを粉砕した。
「……自分そっくりの敵がやられるって言うのも、複雑な心境だね」
 ヒクッと顔を引きつらせるカナリーであった。
 向こうは殿にいた偽のシーラが飛び出したが、既にゼリー達の前衛を倒し終えた本物のキキョウら三人がかりでの攻撃に、あっさりと斬り伏せられてしまっていた。
「残るは『俺』だけか」
 偽シルバは印を切っているが、その力が発揮される事はない。
「……向こうもすごく困っているみたいだね」
 カナリーが何とも言えない、苦笑を浮かべる。
「ああ。まともな攻撃と言えば、多分針ぐらいしかないと思うしな。それも外見だけの物真似じゃ、使えるかどうか。回復が本当に使えるなら、話は別なんだけど」
「印や呪文の真似事をしているって事は、服装や戦い方で判断しているって事かな?」
「……だとしても、色々悲しすぎるだろ、あれ」
 しかも自分と同じ姿ならば尚更だ。
「主」
 後ろにいたシーラが、声を出した。
「何だ?」
「主の偽者を倒す許可を」
 そう言えば今回、ほとんど出番のないシーラである。
「許可する」
「了解」
 両足から放った衝撃波で加速したシーラは一気にキキョウらを抜き去ると、そのまま金棒で偽シルバを頭から粉砕した。
「うおっ!?」
 な、なるほど、カナリーの言う通り、これは結構衝撃的なモノがあった。
「……その、シーラ、もう少し遠慮というか加減というモノをせぬか?」
 キキョウも顔を引きつらせながら、遠慮がちに言った。


 洞窟から出て、うーん、とヒイロは伸びをした。
「ちょっとビックリしたけど、何とか出れたね」
 もっとも、シルバは楽観視出来ないのを知っていた。
「そうなんだが……あと二つもあるんだよな、こういう洞窟」
「さっきのスライムみたいなの?」
「……だけならいいんだけどな」


 ――そして、シルバのその予感は的中する。


※そして次回も洞窟のターンです。



[11810] 洞窟2
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/08/10 15:56
 最初の洞窟を抜けて30分ほどで、次の洞窟の入り口前に辿り着く事が出来た。
 ふとシルバは足を止め、振り返った。
「ん? どうしたみんな?」
「あ、いや、何でもない……のだが」
「……何だろ。微妙に入りたくないって言うか」
 何故か、キキョウらは巨大な口を開ける洞窟の入り口に躊躇をしているようだった。
「おいおい。ここに来て、何で……」
「なるほど、これはある種の心理障壁だな」
 シルバの肩の上に腰掛けたちびネイトが、洞窟を振り返る。
「何?」
「ここに、彼女達に入りたくないと思わせる力場が働いているのだ、シルバ。実はさっきの洞窟にも微弱なモノだがあったんだが、ここはそれより強い。亜人や魔族である彼女達にはそれなりに効果があるようだ」
「特に何ともない人ー」
「あ、はい」
「問題ない」
 シルバの問いに、その手の精神攻撃がまるで通じない重甲冑を身に着けたタイランと、人造人間のシーラだけが手を挙げていた。
「……まあ、入れない事はないんだけどね」
 カナリーはいかにも気乗りしない風に肩を竦め、こちらに近付いてくる。
 しかしこれでは、入った時の士気に関わるような気がするシルバだった。
「俺にはピンと来ないな」
 困り髪を掻くシルバに、ネイトは例えを持ち出した。
「イメージ的には、不潔な台所で黒い油虫を発見したような感覚だ」
 ゾワワワワ、とシルバの背筋に寒気が走った。
「や、やめろ!?」
「調理中に、背中にポトンと――待つのだシルバ。いくらこの札が頑丈と言っても、火は熱い」
 火打ち石を持ち出したシルバを、ネイトは慌てず制する。
「ぬ、も、もしかしてシルバ殿は、虫が苦手か」
「ああ、昔からシルバはアレだけは駄目なのだ。だからリフ君、何かのお礼に鳥や葉っぱは持ってきてもいいが、虫はやめておくのだ」
「に……」
「く、蜘蛛は嫌いじゃないぞアイツらは益虫だしそれに蝶も問題ない芋虫だって掴めしでかいのだって相手に出来るともだがあの黒い悪魔は駄目だ」
 グルグルと目を回しながら、シルバは錯乱したように口走る。
「落ち着くんだ、シルバ。喋り方がアリエッタになっている」
 カナリーのツッコミに、かろうじてシルバは落ち着いた。
「お、おおおう」
「……非常に不謹慎なんですけど、こういうシルバさんは新鮮かもしれません」
「ま、まあね……」
 ボソリと言うタイランに、ヒイロも同意していた。
「心配ないぞ、シルバ殿。某に言ってくれれば、我が草履で叩き潰してくれる」
「た、頼りにしてる」
 コクコクと頷くが、現実の問題は何一つ解決していなかったりする。
「ともあれ、この程度なら私がどうにか出来るのだが」
 ちびネイトが指を鳴らすと、空間そのモノが弾けるような感覚がシルバに伝わってきた。
「お」
「ぬ?」
 どうやらキキョウらも同様だったようだ。
 うん、とネイトは頷いた。
「今の状態ならば、全長10メルトの巨大黒油虫が相手でも平気だ」
「だからやーめーろーよーそれっ!? イメージさせるなぁっ!」
 頭を抱えるシルバであった。


 やや下り坂になっている洞窟の奥へと進む。
 この辺りは敵の気配はないようだ。
 シルバの肩の上で、ちびネイトは手を閉じたり開いたりを繰り返していた。
「私の力も大分、馴染んできたようだ。悪魔としての力はまだまだだが。アレが使えれば、非常に便利なのだがな」
「だからそれを、聖職者の俺に使わせようとするな」
 そして、洞窟の奥に到達した。
 そこは、巨大な空洞になっていた。
 天井までの高さは10メルトを越えているのではないだろうか。
 シルバは第六層を思い出していた。
 幅も広く、まるで広場のようだ。
 他の特徴はと言えば、地面にポツリポツリと青白い光の円が浮かんでいる事、そして壁には大きな穴が幾つも開いている事だろうか。
「……大きいねぇ」
 ヒイロも、感心したように大口を開けている。
「洞窟と言うよりはドームみたいですね……あの光、何でしょうか?」
「分からないけど、それは罠の可能性があるから迂闊に触らない方がよさそうだな。それにこの壁に空いた穴……」
 タイランに答えながら、シルバは壁の穴を観察した。
 穴の直径は50セントメルト程度。
 タイランの腕を突っ込めば、こんな感じになるだろうか。
 円錐状になっており、奥に行くほど狭まっている。
 少し考え、この特徴的な穴に、シルバは覚えがあった。
 荒い鼻息と、こちらの戦力を計りながら少しずつ近付いてくる複数の足音。
 分厚い皮に守られたサイのようなモンスターだ。ただし、その鼻先の角は螺旋状になっており、緩やかに回転している。
 それが五頭。
 距離が詰まると、彼らは足を止め、荒れた岩の地面を蹴り上げ、角の回転数を上げてくる。
「……やっぱりドリルホーンか! 来るぞ!」
 シルバのかけ声とほぼ同時に、ドリルホーン達は突進してきた。
「らじゃ!」
「は、はい!」
 まずはヒイロとタイランが前に出た。
 ヒイロは骨剣で受けたかと思うと、そのままそれを支点にして側面に転がり込む。
 一方タイランは斧槍で正面から受け止めた。
「ぐ、ううっ……!」
 タイランのパワーも、ドリルホーンに負けてはいない。
 だがドリルが間近に迫り、彼女の焦りがシルバにも伝わってきていた。
「タイラン、相手はパワーがある。真っ直ぐ防御するんじゃなくて、力をずらせ。ヒイロみたいに受け流すんだ」
「わ、分かりました!」
 斧槍の角度を変えて、ドリルホーンの突進角度を変える。
 そのままドリルホーンはシルバ達に突っ込んできた。
「うおっ!?」
 慌ててシルバはそれを回避した。
 ドリルホーンの角が、洞窟の岩壁に突き刺さり、削り取る音が響き渡る。
「ずいぶんと直線的な攻撃だ。これならば――」
 キキョウはといえば刀を抜かず、両手を前に出した。
 ドリルホーンの鼻先が彼女に触れたかと思うと、ふわっとその身体が浮き上がり、そのまま半回転して背中から地面に倒れ落ちた。
「にぅ!?」
 その地響きに、リフは尻尾を逆立ててビックリした。
「ざっとこの程度である。リフもやってみるか」
「に」
 リフは両手でギュッと拳を作った。
 敵の突進力はパワーがあるが、それでもそのスピードはついていけないほどではない。
 キキョウやリフならば、充分対応出来る速度だった。
「基本は教えるが、後は実戦で憶えた方がよいな。ヒイロとタイランにも以前、同じ教え方をした事であるし」
「にぅ、りょうかい」
 この程度の相手ならば、まだ彼女達だけで何とかなる状況だった。
 しかし、シルバの知覚は頭上からの羽ばたき気付いていた。
「上からも来るぞ!」
 大きな黒い羽をバサバサと広げながら、巨大なコウモリ達が何匹も急降下を始めていた。
「バッドバットだ!」
「よし!」
 カナリーが指を鳴らし、雷撃を放つ。
「空中戦ならボクも!」
 ヒイロはドリルホーンの相手をやめると、背中に背負った浮遊装置のついた大盾を下ろした。
 ヒイロの気を通じて浮遊装置が作動し、大盾――浮遊板が浮かび上がる。
 骨剣を振るい、バッドバットに立ち向かう。
 まずい、とシルバは思った。
「ヒイロ、真っ直ぐ向かっちゃ駄目だ!」
 シルバの叫びは一手遅かった。
 バッドバットの一匹が口を大きく開くと、不可視の超音波を発した。
 その直撃を食らい、ヒイロの身体がグラリと揺れる。
「にゃわ!? と、ととと……!?」
 そのまま、ヒイロはヨロヨロと高度を下げていく。
 超音波自体の攻撃ダメージは低いはずだ。
 しかしドリルホーンは、まだ奥に沢山いる。このまま落ちたら、踏み潰されかねない。
 何より、ヒイロの落下地点にはあの、青白く光る得体の知れない円があった。
「ヒイロ!」
 他の皆は、モンスターを相手にしていて、空いている手はない。
 シルバは、ドリルホーンの間を駆け抜けた。
「シルバ!?」
 驚くカナリーの声を背中に受けながら、シルバは円を踏む直前にジャンプした。
 ヒイロを空中で受け止め、しかし同時に真下の青白い光が強まったのを感じていた。空中でも、円の効果はあったらしい。
「う、お……おおっと!?」
 そして真下からの浮遊感を感じた。


 次の瞬間には景色が変わっていた。
「せ、先輩ゴメン」
「いや、それはいい。それよりも、ここは……」
 いや、洞窟である事には変わりない。
 高い高い天井、バッドバットのキイキイという悲鳴、遙か向こうでの騒乱。微かにキキョウやカナリーの声が響いてきている。
 ――テレポーターか!?
 どうやら青白い光の円は、同じ洞窟内の別地点に転送するモノだったらしい。
 そんな風に冷静に考えられたのは、そこまでだった。
 荒い鼻息の音に、シルバは周囲を見渡した。
 シルバとヒイロは、ドリルホーンの群れに取り囲まれていた。
「うひゃあっ!?」
「おおおい!?」


※虫話が思ったより長くて、2つめの洞窟が終わらず。
 タイランが微妙にSに目覚めそうとか思われるのは、多分気のせいです。
 あとヒイロは攻撃は強いけど、初見の相手に弱いという。



[11810] 洞窟3
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/08/26 21:11
「くっ、先輩ごめん! 失敗しちゃった」
 敵は正面だけではない。
 360度、すべてにドリルホーンがいる上、頭上からもバッドバットが迫っていた。
 ヒイロは立ち上がると、骨剣を正眼に構えた。
 その殺気に、ドリルホーンや頭上のバッドバット達がわずかに後ずさる。
 シルバもゆっくりと立ち上がると、懐に手をやった。
「……いいんじゃないか? それも経験の一つだし、別にまだ死んだ訳でもない。それに、みんなを死なさないのは、俺の仕事。回復が使えりゃもっといい仕事が出来るんだが……」
 言って、大きく息を吐き出す。
「先輩、何するの?」
「前にも、地下温泉でこのパターンあっただろ」
 呟き、シルバはゆっくりと深呼吸を繰り返す。
 ドリルホーン達は相手が襲いかかってこないと踏んだのか、逆に包囲網を縮めてくる。
「いぁ……ま、まさか」
 洞窟の中、声の反射にヒイロも思いだしたようだ。
 そう、『アレ』だ。
「そのまさかだ。ネイト、少しだけ溜め時間が欲しい。入り口にあった奴、出来るか?」
 シルバの肩の上で、ちびネイトが頷く。
「問題ない。まあ、皆の元に戻るまででも可能だが、継続効果は魔力が勿体ないだろう」
「だな」
 ドリルホーンらは後ろ足でゴツゴツとした岩の地面を蹴り始め、角の回転を速めてくる。

 あと数秒もしない内に、彼らはシルバ達に突進してくるだろう。
 シルバは大きく息を吐き、そして吸い込んだ。
 ヒイロが叫ぶ。
「み、みんな、耳塞いでっ!!」
 その声に反応して、ドリルホーン達も走り始めた。
 高速回転する角が、八方から襲いかかってくる。
「――『心理障壁』」
 直後、ネイトの声が響いたかと、ドリルホーン達はまるで感電したかのように一斉に後ずさった。
 最前列の仲間の急ブレーキに、後ろにいたドリルホーン達も団子状態になる。何匹かは、前の同胞の尻に、己の角を刺していたりする。
 そして、シルバの肺も準備を終えた。
「喝っ!!!!」
 大音声が洞窟に響き渡り、周囲のモンスター達はもろにその衝撃を食らった。
 頭上を飛翔していたバッドバット達がまとめて落下し、ドリルホーン達は目を回して気絶をする。
 天井の鍾乳石がいくつか落下して、青白い円に吸い込まれるようにして消滅する。
 かと思うと、背後で岩が砕ける音がして、シルバはそっちを振り返った。
「……ちょっと洞窟が脆いな」
 少し離れたところに、砕けた鍾乳石があった。
 どうやら、青白い円は転移の性質があると見て間違いないようだ。
「こ、今度から、もうちょっと加減をしてくれると助かるかな」
 耳を塞いでも効いたのだろう、ヒイロが少しクラクラしながら言った。
「主」
 ひっくり返ったドリルホーンを踏みつけ、シーラが近付いてくる。
「お、おう、シーラは無事だったのか」
「鼓膜も頑丈」
「……なるほど」
 どうやって鍛えているのだろう。
 シーラは周囲を見渡した。
 遠くのドリルホーンやバッドバットはまだ無事のようだ。
 金棒を振るう。
「戦闘の許可を」
「許可する。ただし、あの青白い円達には気を付けろ。別の位置に転移されるぞ」
「了解」
 シーラは足から衝撃波を放ち、残っていたモンスター達を蹴散らしていく。
 この辺りのモンスター達はほぼ全滅と見てもいいだろう。
 まだ耳を押さえて悶えているキキョウらの元に歩きながら、ふとシルバは倒れているバッドバットに目を止めた。
 ――ふと、思いついた。
 しゃがみ込み、柔らかな皮膜を摘む。
「やっぱ、実戦に踏み込んでみないと分からない事ってあるな」
「うん?」
 同じように屈み込み、ヒイロが首を傾げた。
「いや、一匹ぐらいなら俺でも倒せる手があるなと思っただけだ。問題は着地方法が博打だけど……」
 考え込むシルバの耳たぶを、ちびネイトが引っ張った。
「思案にふけっているところを悪いがシルバ。そろそろ戻らないと向こうの無事な奴らに襲われるぞ。心理障壁は持続で使っている訳ではないし、シーラ君も全部を相手に仕切れている訳ではない」
「だな」
 話は後だな。
 そう判断して、シルバはキキョウらに近付いた。
「シルバ殿、無事であったか」
「ああ、問題ない。ヒイロも大丈夫だった。それよりシーラの援護に行くぞ」
 言って、シルバは今来た道をUターンした。
 その横にキキョウが並ぶ。
「承知。気を付けるのだぞ、ヒイロ。相手の方が素早い場合は特に注意が必要だ」
「う、うん、分かった」
 シルバの横をリフが追い抜き、先頭に立つ。
 後ろに少し遅れて、タイランとカナリーが続いた。
「シルバ、どうする? どうも奥から新手が増えてきたようだけど」
「向こうの外から来てるんだろうな。とりあえずここを突破して、三つ目の洞窟を確認しよう。それから撤退」
 カナリーへの答えに、タイランが怪訝そうな声を上げる。
「え……? て、撤退って、その、突破しないんですか……?」
「んー……」
 シルバは金袋からコインを取り出すと、青白い円と見比べた。
 青白く輝く円は、よく見るとボォッと門の絵と何やら古代文字が浮かんでいる。
「次の洞窟の見た目次第、かな」
 シルバは小さく頷き、コインを金袋に仕舞った。
「多分、次は水が関わると思う」


 そして第二の洞窟を抜け、シルバ達は第三の洞窟に到達した。
 シルバは半ば予想していたが、入り口に掛けられていた心理障壁は第二の洞窟のモノよりも強いようだった。
 ネイトの手により無効化されたそこを潜り抜け、下り坂を降りていくと、そこは第二の洞窟と同じように幅の広い洞窟になっていた。
 天井が低い(それでも5メルトはあっただろう)代わりに、十数メルト先から洞窟は水に浸かっていた。
 地底湖……だろうか?
 敵の気配はなさそうだ。
「に!」
 リフが尻尾を立て、目を輝かせる。
「……うん、川と違う魚がいるかどうかは微妙だぞ、リフ」
「にぅ……お兄、おみとおし」
「さすがに分からいでか」
 リフの頭を帽子ごと掻きながら、シルバは左右を見渡した。
 ぱっと見、迂回して奥に進む事は出来なさそうだ。
 だろうな、とシルバは考える。
 おそらく、この湖を渡る時が、本番となるだろう。
 本当に岸にも、何もない。
 となると、あそこを渡るには船を漕ぐか、泳ぐしかない。いや、ヒイロに預けている浮遊板を応用すれば、もっと楽かも知れないが……そうなると一度に全員は難しそうだ。
 振り返ると、羨ましそうにキキョウがリフを見下ろしていた。
「……シルバ。何か気付いているだろ」
 カナリーがジロッとシルバを見る。
「まーな。っていうかカナリーだって、似たようなモンじゃないのか?」
「まあね」
「よし。ひとまず今日はここまでだ。引き返しながら、話そうか」
 シルバが踵を返すと、ヒイロが横に並んできた。
「先輩、あの地底湖は調べなくていーの?」
「それは明日から。傷の手当てが先決だ。それにあそこを渡るとしても、船を造る必要があるだろ? ……タオルも用意しないと駄目っぽいし」
 言って、何となくヒイロの髪もガシガシと掻くシルバだった。


※次回、ちょっと説明回。
 まあ、シルバとカナリーの考え的な。



[11810] 洞窟4
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/08/26 21:12
 夕食用のモンスターも狩ってからテントに戻ると、もう日も傾きつつあった。
 たき火を囲んで、シルバは手に木の枝を持ち、皆に話し始めた。
「まず、この峡谷にいる現状の勢力に関して整理しよう」
「僕らと、僕らの敵と言うことか。整理と言うからにはまず、僕達自身だね」
「ああ。それに村や街で聞いた、三魔獣」
 カナリーに頷きながら、シルバは足元の地面に枝で文章を書き始める。
「別に戦わなくてもいいんだよね?」
「うん、その予定なんだけどな……だったというべきか」
「だった?」
 ヒイロが首をかしげる。
「それはまあ、後回し。野生のモンスター達もまあ、三魔獣の勢力に入れておこうか」
 シルバは、新たに文章を地面に記す。
「そ、某が聞いた声の二人」
 忘れられては困ると、キキョウも言った。
「うん。内容から察するにトゥスケルだな」
 それを聞き、カナリーは顔をしかめた。
「……厄介だねぇ。何仕掛けてくるか分からないと言う意味で」
「に……あと、お兄が見たっていうゆうれい」
 しっぽを揺らしながら、リフも言う。
「そう、それ! 別にフラグは立ってないはず!」
 うんうん、と頷きながら、シルバはそれも地面に書いた。

「…………」
「……何故そこでみんな、無言になってる?」
「それはともかくとしてだ」
 神妙な顔をしたカナリーが、パンと手を叩いた。
「流された!?」
「続けてもいいけど、シルバが泥沼になるだけだよ?」
「……よし、続き」

1.守護神
2.三魔獣+野生モンスター
3.トゥスケル×2
4.幽霊幼女

 ここまで書いたシルバは、最後に一行書き加える。

・洞窟に心理障壁を施した人物

 ふむ、と給仕をするシーラから受け取ったカップの香茶を飲みながら、カナリーはシルバの方に腰掛けるちびネイトに顔を向ける。
「ネイト、念のために聞くけど、あの術は自然に出来るモノじゃないよね。つまり現象として発生するという意味で」
「死者の強い憎しみといったような念が残っている場所では、そういうケースもある。だが、今回のは明らかに人為的な『術』であろう。きれいに段階を踏んで作られている事もあるし、違いないと思われる」
 一方シルバは、金袋から取り出したコインを指で天に弾いた。
「二つ目の洞窟には転移術の文様があった。青白い円の中にあった紋様な、あれはこれと同じモノだった。まあ任意転移か強制転移かの違いはあるけどな」
 落ちてきたそれをつかみ、皆に見せる。
 『門』のレリーフが刻まれたコインを見て、ヒイロが仰天した。
「司祭長の!?」
「トゥスケルの、でもある」
「じゃあ、あの洞窟はトゥスケルの罠?」
 ヒイロの思考は実にストレートだった。
「それもちょっと引っかかるんだよな。……リフ」
「に?」
 香茶をふーふーと一生懸命さましていたリフが、顔を上げる。
「罠ってのは普通、どう言うもんだ? 仕掛ける時にまず、何に気をつける?」
「にぅ……罠にかける相手。気づかれないようにするのが大切って、カートン言ってた」
 それを聞き、タイランが身じろぎする。
「あ……だ、だとしたら確かに不自然ですね? あんなに分かりやすく、光っているはずがありません。普通、そんなの危ないと思って引っかかりませんから」
「まあ、引っかかったケースもあるけどな」
 力なく苦笑するシルバに、ヒイロがガクンと肩を落とした。
「うぅ……それは言わないでよ、先輩」
「とにかくあれは、気付いてくれと言っているようなものだ。罠と呼べるモノじゃない。第一本気で仕掛けるなら、転移先に落とし穴なりなんなり用意しておくだろ。やり方が中途半端すぎる」

 ……どっかの誰かさんみたいに。
 と、シルバ以外の全員が思ったのは言うまでもない。

 最初に納得したのはカナリーだったようだ。
「大体、シルバが言いたいことが分かってきたよ。洞窟に『門』を仕掛けた人間は、僕達に注意を促している」
「ああ。空を飛ぶ敵、地面を走る敵、そして水の中に潜む敵、変化するモンスター、催眠に転移術、……三魔獣を想定して、設置された『訓練場』。それがあの洞窟なんじゃないかと思う。あの先に強敵がいるから気をつけろ。ここで鍛えておけ。この性質に注意しろ。そう言ってる気がするんだ」
「でも、それならグリーンゼリーとドリルホーンは一緒の洞窟の方が正しいんじゃない? どっちも陸上系だし」
 もっともな疑問だ、とシルバはヒイロに頷いた。
「催眠系や変身と言ったいやらしい攻撃をするグリーンゼリーと、基本ほとんど何も考えずに叩きのめせるドリルホーン。多分性質の違いで分けられたんじゃないかと思う」
「もしくは三魔獣に次ぐモンスターがいる。あるいはそのどれかが変身能力を持つ、とか」
 カナリーの嫌な予想に、シルバはうんざりとした顔をした。
「三匹ともって可能性もあるよな、それ」
「ちょっ……!? 不吉すぎる!?」
 ヒィッとヒイロも悲鳴を上げる。そういう搦め手っぽい戦い方は、あまり好きではないのだ。
 騒ぐ三人を見ながら、おずおずとタイランが手を挙げた。
「あ、あの……だとすれば、洞窟から先に進まなければ、三魔獣と遭遇しないって事なんでしょうか」
「あくまで、俺の推測通りならな。かといって、ここまで来て引き返すわけにもいかないだろ?」
「それは……そうですね」
「強いモンスターがそこに留まるには、それなりの理由がある。例えば子供がいるとか、そこに何らかの力場があって離れると力が弱まる、ナワバリの性質で一定の距離まで近づかなければ無害、とか」
 一方リフはようやく香茶が飲める熱さになったらしい。
 小さく息を吐くと、勢いよく手を挙げた。
「に!」
「お、珍しい。言ってみろよ、リフ」
「けっきょく、誰が洞窟造ったのかまだよくわからない」
「……だな」
 実はそれは、シルバも同じである。
「少なくとも俺達じゃないのは間違いない。そしてモンスター達がわざわざ造るとも思えない。可能性があるとすれば、トゥスケルか幽霊のどちらか……」
「もしくはそれ以外の第三者か」
 ただ、シルバとしてはトゥスケルは違うような気がする。
 あの連中は、もうちょっとねちっこいと言うか『凝った』モノを作りそうなのだ。トゥスケルは自分たちの興味を持ったモノには恐ろしく執念深いので、造る物は総じてマニアックだ。
 例の転移術が使えるコインの精緻さなどが、そのいい例である。
 とはいえ、それは根拠にはなれど証拠ではない。
 結局、洞窟に細工を加えたのが誰か、は推測で語るしかない。
 そして今は、その『誰か』よりも、『何を』するかの方が重要だ。
「……とにかく、せっかく鍛えられる場所まで用意してくれている事だし、目標が消極的戦闘にしても予習として訓練しとくのは悪くないと思うんだ」
「あの洞窟自体が何らかの罠という可能性は否定しきれてないぞ、シルバ」
 カナリーに諌められ、それももっともだなーとシルバは考える。
 ただ、その一方でそれはないなと、どこか確信があった。
 腕を組み、軽く唸る。
「んー、さっきの話と似た事になるんだけど、罠ならもうちょっと親切というかそれっぽいと思うんだ。あの洞窟には、罠の餌……そんな風に甘く誘ってくるものがねーのがねぇ。っていうかさっきから個人的な感想ばっかりで何なんだが、どうも相手の方が挑戦的というか」

「どういうつもりか知らないけど、せっかく造ったんだから楽しんでくれってな感じがするんだよな、これが……」


※次は地底湖になります。
 キキョウが恐ろしく影が薄い分、次回挽回です。
 +シルバ、タイランの組み合わせでお送りします。



[11810] 洞窟5
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/08/26 21:12
 翌日。
 『杯』の札を持ったシルバ、ナマズの仮面を装着したキキョウ、カナリーによって防水処理を施されたタイランの三人は、三番目の洞窟の地底湖の湖底を歩いていた。
 見上げると、十数メルト頭上にゆらゆらと揺れる水面と、群れになって泳ぐ魚達が目に入る。
「水着とかだと、またイメージが違うんだけどな」
 シルバは小さく吐息を漏らした。
 残念ながら、今回は遊びではなく偵察の仕事である。
「むぅ……某は、刀を差す場所がなくて困ってしまう。だ、第一、某は身体にあまり自信がない」
「そうか? 割と自信持っていいと思うけどなぁ」
「そ、そそ、そうであろうか?」
 尻尾を揺らすキキョウは、普段の着物姿だ。
 仮面はある程度、自分の身に着けているものも保護する力場が働いているらしい。
 そうでなければ、服が身体にまとわりつき、動きにくいことこの上ないだろう。
「……ただ、そのお面が割と台無しだと思うけどな」
 どれだけ照れても、厳ついナマズのお面を着けていては、かなり不気味であった。
「……うぅ。便利ではあるが、見た目が本当に残念なのだ」
 キキョウは耳と尻尾をへにゃりと垂らした。
「……それを言ったら、私の立場は……」
 タイランも、ガクンと肩を落とす。
 うーむ、とシルバはタイランの巨躯を上から下まで眺め回した。
「その甲冑に合う水着は難しそうだな」
「い、いえ、鎧の上からなんて着ませんよ!?」
「結局、タイランはその甲冑に、足底スクリューを付けなかったのか」
「き、機動力はこの無限軌道で充分です……カナリーさんの話を聞いた限りだと、足に穴を開けたりしたら、荒れた地面で岩とか噛みそうでしたし」
「……まあ、しょうがないか。出力もかなり必要になりそうなイメージだもんな」
「は、はい」
「ま、その辺のデメリットを無視できれば、船のように進むタイランってのも見たくはあったけど」
「そ、そういうモノですか?」
「うん、その辺はこう、男の浪漫的な感じだ」
 両足のスクリューを激しく回転させながら、水面や水中を驀進する重甲冑。
 想像するとちょっとワクワクしてしまうシルバであった。
 それからふと、全然関係ないことを思い出した。
「あ、そうそう、キキョウ。そもそもそのナマズってのは、どういう魚なんだ? タイラン、知ってる?」
「いえ、私もよくは……」
 困ったようにタイランは首を傾げる。
「む……そういえば、こちらにはあまり伝わっておらぬ種類であったか。まあ、某も生態自体はそれほど詳しくは知らぬ。だが、東方にはこの魚に伝わる有名な俗説があってな……」
 キキョウが説明をしようとし、ふと言葉を切った。
 同時に足を止め、刀の柄に手をやりながら腰を落とす。
「……その話は、後になりそうであるな」
 キキョウの気配に、シルバ達も警戒する。
「敵か」
「うむ。それも複数……」
 すぐに、地面を振動が伝わってきた。
 遠く、水の向こうにゆっくりとこちらに近づいてくる厳ついゴーレムの姿を、全員が認めた。
 なるほど、シルバの見た限りでも三体はいる。
「……普通は、こういう場所だと魚系の敵なんだけどな」
「……水底でゴーレム戦って、シュールですよね」
 斧槍よりも拳の方が効率的と考えたのだろう、タイランは自分の武器を背中に背負った。
「キキョウも、刀が傷むから困るだろう」
「…………」
 シルバの問いに、キキョウは何か考え事をしているのか、答えなかった。
「キキョウ?」
 もう一度問いかけると、ようやくキキョウは我に返ったようだ。
「ぬ……そ、そうであるな。とはいえ、ただでさえゴーレムの重い身体が、この水の中では……」
 ゴーレム達が足を止める。
 三体が両手を前に揃える。
 指先、肩部、胸部、腹部が開き、何やら細い円柱状のモノがいくつも出現した。
 そして、空気を吐き出す音と共に、それらが一斉に発射された。
「なんか飛んできたーーーーー!?」
 いわゆる魚雷であった。


 湖の手前でシルバ達の帰りを待っていたヒイロ達は、突然発生した水柱に、当然ながら仰天した。
「わひゃあっ!?」
 かなり遠くだというのに音が響いてくるということは、それだけ大きな何かが発生したということだ。
「な、何だ!? 三人とも大丈夫なのか!?」
 カナリーも身を乗り出し、心配する。
「心配はない。動揺は伝わってきているが、全員無事だ」
 カナリーの肩の上でちびネイトが言うと、リフは尻尾を逆立て、いつでも飛び出せるように腰を落としていた。
「にぅ……見えないの不安」
「…………」
 少し距離を置いて、シーラも金棒を軽く振るっていた。


 そしてシルバ達はといえば――三人とも無事だった。
 通常の水中活動だったら、おそらく回避は間に合わなかっただろう。
 だが、『杯』の札の加護を持つシルバは地上と変わらず走れたし、タイランは無限軌道を起動させて、魚雷を回避。
 キキョウに到っては、まさに魚同然の動きで余裕を持って敵の攻撃から逃れることが出来ていた。
 だからといって、シルバ達が落ち着いていたわけでもない。
「いやいや、ビックリした! 二人とも、ちょっと水流乱すぞ」
 シルバは『杯』の札に魔力を込め、目の前の水の流れに干渉する。
 魚雷の影響で既に充分に荒れているその流れを、ゴーレム達の方へ送り込むと、彼らの重そうな身体もさすがにグラリとバランスを崩す。
 それを見逃さず、タイランも自分の右腕を前に突き出した。
「は、はい、私も――ロケットナックル!」
 ワイヤーアームが射出され、ゴーレムの一体の頭部を粉々に破壊した。
 重い音と共に、湖底に土砂を巻き上げながら崩れ落ちる。
「動きが鈍いのが救いであるな。ゆくぞ――斬鉄っ!!」
 滑るような走りで水中を駆け抜け、違うゴーレムに迫ったキキョウの刀が一閃する。
 ゴーレムの首に一本の筋が走ったかと思うと、ゴトリ、と頭が水底に落下した。
 残るは一体……と言いたい所だったが、新たなゴーレム達が土煙を上げながら起き上がり始めていた。
 どうやら今まで湖底に眠っていたらしいそれらは、キキョウが認めただけでも六体はいる。
 そして、キキョウの感覚は、まだそれ以上の数がいる事を伝えていた。


 こうなっては敵わない。
 いくら今のシルバ達の動きが、通常の水中活動より幾分素早いと言っても、モノには限度がある。
 大量の魚雷に加え、中には自分の巨体ごと飛来してくるゴーレムまでいた。
 どうやらカナリーがタイランの改造を断念した水中スクリューのような原理で、突進してきているようだった。
「い、一体誰がこんなに造ったんでしょうね……」
「よっぽどこういうのが好きな奴なんだろうな。それに、いちいちまともに相手にしてたら、キリがなさそうだ」
 シルバの判断は早かった。
「今回は偵察だし、一旦引くか二人とも」
「いや……」
 珍しく、キキョウが異論を述べた。
「うむ、意外にいけるかもしれぬ」
「キキョウ?」
「……全員が足をついていないときついが……いや、水にもアレは伝わるか。おそらく問題ない」
 何やらぶつぶつと考えているようだが、その表情はナマズの仮面に隠されていて、シルバには分からなかった。
 キキョウは、シルバの方を向いた。
「シルバ殿の十八番を、今回は某が使わせてもらうとしよう」
 そして、簡潔に自分の考えをシルバに伝えた。


 湖面が荒れているのは、地上待機班から見ても明らかだった。
 気が気でなかった彼女らの前に、シルバとタイランが飛び出してきた。
「シルバ!?」
「あ、あれ、タイラン、キキョウさんは?」
 戸惑うカナリーやヒイロに構わず、シルバは天井を見上げた。
「それは後! ええと、やっぱり針よりも直接の方がいいなこりゃ。ヒイロ、盾貸してくれ」
「え、何?」
 疑問に思いながらも、ヒイロはシルバに盾を渡した。
「ちょっと待っててくれ」
 言って、シルバは盾に乗った。
 盾に組み込んでいた浮遊装置が作動し、シルバの身体が地上から離れる。
 高い天井に手をつけたかと思うと、そのまますぐに戻ってきた。
「せ、先輩、一体何してたの?」
「……その、何してるって言うか……これから起こるはずというかですね」
 タイランは陸に上がる前に聞いていたので知っていた。
 洞窟の天井は意外に脆く、ちょっとした振動で鍾乳石が落ちてくる。
 だから、シルバは天井を御使いヴィナシスから受け取った『金』の指輪で、鉄に強化したのだ。
「全員、何があってもここから動くなよ? ここが一番安全なんだからな」
 何が……とカナリーが質問するより早く『それ』は訪れた。
 ぐらり、と地面が突然大きく揺れたのだ。
「来た……!」
 揺れは次第に大きく、踏ん張っていないと足が浮かんでしまいそうだ。
「な、な、何!? 何が起こってるのシルバ!?」
 地震には不慣れなのだろう、怯えたカナリーがシルバの腕にしがみついて怯えた声を上げた。
「に。あわてない。ただの地震」
「れ、冷静ですね、リフちゃん……」
 タイランは素直に四つんばいなって、揺れに耐えていた。
 鉄製の天井に換えられたこの辺りは大丈夫だが、湖の方は大変な事になっていた。
 天井の鍾乳石が次々と湖面に落ちては、派手な水飛沫を上げていた。
「うひゃあああ。揺れる揺れる! すごいすごい!」
 一人、やたらテンションが高いのが、ヒイロであった。
「君は君で楽しそうだねえ、ヒイロ君」
「この震度にこの強度ならば、崩落の心配はないと思われる」
 ネイトとシーラは、割と冷静だった。


 揺れは数分続いて、ようやく収まった。
「お、終わった……?」
「みたいだな」
 目をつぶりまだ自分の腕にしがみついているカナリーに、シルバが頷き返した。
「うむ……」
 足元からそんな声が聞こえ、二人がそこに視線をやると、地面からナマズのお面をかぶったキキョウの頭が上半分だけ出現していた。
「ひゃあっ!?」
 カナリーが再び、腕に力を込める。
「むぅ……カナリー。ドサクサにまぎれて、そのスキンシップはどうかと思うのだ」
 地面のキキョウが、不機嫌な声を上げる。
 が、さすがにこれはカナリーを責めるのは酷というモノだろう。
「キ、キ、キキョウ、君、一体どこから」
「……うむ。というかこのお面をつけたままでは、地上では呼吸が困難故、しばし待たれよ」
 ズルリ、と地面から全身抜け出したキキョウは、ナマズのお面を外した。
 人心地ついたのか、大きく息を吐き出す。
 最初に察したのは、同じ東方出身のリフだった。
「に……ナマズのお面。そゆ事」
「うむ」
 と言っても、シルバらにはピンと来ない。
 納得しているのは、仮面を撫でるキキョウとリフぐらいのモノだった。
「ナマズは我が国の方では、地震の源とも呼ばれているのだ。……つまり、この呪力を帯びた面は、水と共に地を泳ぐ力が使えるようだ」
「……地面透過……ああ、ルリの能力そのままだ……」
 七番目の妹の能力を思い出し、シルバが納得した声を漏らす。
「なかなかに興味深いお面であるな。シルバ殿の妹御に感謝である」
「……開眼しやがった」
「うむうむ。シルバ殿も、うまくやってくれたようで何より。……それはともかく、いつまでシルバ殿に抱きついているのだ、カナリー」
 キキョウの白い目に、ようやくカナリーは自分の体勢に気がついたようだ。
「や、こ、これは……」
 慌てて、カナリーはシルバから離れた。
「今の地震と、上からの鍾乳石の落下で、ゴーレムたちはあらかた片付いた。何やら推進力のあったゴーレムを捕獲すれば、向こうに渡れるのではないかな」
「なら、船を作る必要はなさそうだな」


※水着も考えたのですがーがー、結局こういう方向に落ち着きました。
 まだ仮面には色々あるのですが、それはまた別の機会。
 ……それにしても、キキョウが活躍しているのに、一番おいしいめにあってるのがカナリーってのはどういうことだこれ。



[11810] 洞窟6
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/08/26 21:13
 峡谷の大きな湖の畔に、金棒を持ったメイド――シーラは立っていた。
 緩やかな風が吹き、水面とシーラの髪をわずかに揺らす。
 葉が一枚舞い、周囲の鳥の囀りが――不意にやんだ。
 足下の小石が微かに揺れる。
 直後、間髪入れずにシーラは金棒を振り上げ、その先端を両手で地面に叩き付けた。
 その先端を中心に放射線状の亀裂が走り、反射された衝撃波が大空目がけて噴き上がる。
 屈み込んだシーラの首筋に、背後から刃が滑り込んだ。
「――見事」
 呟き、シーラはそのまま立ち上がった。
 刃を突きつけた人物、キキョウはナマズの仮面を外すと、刀を納めた。
「いや、間一髪であった。さすがだ、シーラ。新しい力といっても、使いこなせねば危険な遊具と変わらぬ。シルバ殿の言葉ももっともだ」
 新しく得た力――地面の潜行と移動。
 それに慣れるのが、キキョウの今の課題だった。
 一見、恐ろしく便利な能力だったが、その弱点はすぐにシルバに看破されていた(というか、シルバ曰く「妹と同じ」らしい)。
 つまり、地面に伝わる衝撃も、ダイレクトに土中のキキョウに伝わってしまうのだ。これは水中でも同じ事が言える。
 能力の特性上、この弱点自体はどうしようもない。
 だから、敵が同じ事を仕掛けてきた場合に備えて、地中移動と同時にシーラに手伝ってもらい、回避の練習もしていたのだった。
「……大分いい感じになってきたんじゃないか?」
 岩壁に出来ていた穴から、眠たそうなシルバが出て来た。
「シ、シルバ殿!? 見ておられたのか!?」
「んー、新しい空気を吸いに出たついでにな……こっちもやっと、終わった……」
 大きなアクビをしながら、シルバは目を擦る。
 シルバの仕事は、三つ目の洞窟を潜る前に使用したポーション類の補充である。
 今はもう、冷却を待つだけだという。
 ……というか、瓶に注入などなら、地面に震動を与えるような修業は止めさせている。
 ともあれ、シルバの仕事の方は終了であった。
 ほぼ完徹状態(夜はテントの外で、薬草を切り刻んだり煮込んだりしていた)で、明らかに寝不足状態であった。
「だ、大丈夫であるか? 眠いのならば、テントで休んだ方が良いと思うぞ?」
「――寝具の用意は主にテントに完了している」
「よ、よし。ナイスアシストである、シーラ」
「――それが、メイドの務め」
 だが、シルバはまだ眠る気はないようだ。
「んー……寝たいのは山々だけど、みんなの状況も万全かどうか確認しときたいしなぁ。とりあえず明日、奥に出発って事で……」
 つまり、洞窟の中で各々、自分達の力を磨いている仲間達を確認したいのだろう。
「ぬぅ……シルバ殿の意思は尊重したいが……まあ、某とシーラが護衛を務めよう」
「――了解。お茶、苦い目」
「うい、あんがと」
 シーラが差し出した香茶を、シルバは受け取った。


 そして、最初の洞窟にシルバ達は踏み込んだ。
「歩いてたら、大分眠気も覚めてきた」
 シーラが渡してくれた香茶(確かに苦かった)も効いているようだ。
「何よりである――シルバ殿」
 不意にキキョウがシルバを腕で制した。
 同時に、シーラが前に出る。
「――迎撃する」
 金棒の一振りと共に、飛来してきた緑色をした粘液状の物質が弾け飛ぶ。
 衝撃波で四散させられたそれは、シーラ達には届かず、壁のあちこちに付着する。
 そしてすぐに、遠くから快活な声が響いてきた。
「おおっと、大丈夫だった先輩!? ごめんねー!」
 骨剣を肩に担ぎ、元気いっぱいに駆けてきたのはヒイロだった。
「いや、こっちが急に来た訳だから、別に謝る必要はないんだけど」
「ヒイロ君、私を早くシルバに投げるんだ。長らくシルバのぬくもりから離れて、私は凍死する所なのだ」
 ヒイロの肩の上で、ちびネイトが騒いでいた。
 それを見て、シルバは白い目を向ける。
「……せいぜい一日程度離れたぐらいで、お前は氷漬けになるのか」
「それだけシルバの懐は温かいという事だ。ああ眠い……気が遠くなってきた……せめて死ぬ前に惚れた男に抱かれて死にたいものだ……」
 パタリ、とヒイロの肩で力尽きるネイトであった。
「札が死ぬか!?」
「そうは思わないか、キキョウ君?」
 起き上がり、ネイトが真顔で問うと、キキョウは顔を真っ赤にして慌てた。
「ぬ!? や、いや、そ、そそそ、そのような話題を某に振るというのはどうかと思うぞ!?」
「ちなみにシルバの札は、私ともう一枚ある訳だが」
 ふふふ、とネイトは悪魔そのモノの不敵な笑みを浮かべる。
 その途端、周囲の皆の視線が揃ってシルバの懐に集中した。
「……視線で刺殺されそうな気分なんだが。ヒイロの調子の方はどうなんだ、ネイト」
 シルバは額の汗を拭いながら、話をそらした。
 ヒイロの課題は、催眠系攻撃への対応。
 『ある手段』を用いて対抗策を実践していたのだが、今までシルバはそれを直には見ていない。
 代わりに、目付役になっていたのがネイトだった。最悪、失敗してヒイロが『混乱』などに追い込まれても、ネイトならばそれを解除出来るからである。
「悪くないぞ。暗示が掛かりやすい鬼族だけに、それを逆に利用するとはさすがシルバは悪辣だ」
「人聞きの悪い事を言うな! ……ま、周りを見た限り、少なくとも、催眠の類に掛かる心配はなさそうだな」
「うん。問題は攻撃以外出来なくなるという点だが、敵に回られるよりはマシだろう」
「元々ボクは、それが仕事だからねー。ところでお水ない? すごく喉渇いちゃった」
 どうやら、自前の水袋は既に空になっているらしい。
「あー、んじゃ俺のやる。飲みかけだけど――」
「――水の準備なら出来ている」
 銃使いの早撃ちも真っ青な速度で、水袋を持ったシーラの手が突き出た。
「早いな、おい!?」
「メイドの務め」
 その視線はシルバではなく、何故か『飲みかけの水袋』に向けられていた。
「あんがと。別に先輩のでも良かったんだけど。えと、それで迎えに来たって事は、先輩のお仕事終了?」
 水を飲みながら。ヒイロが尋ねた。
「……まーな。後はみんなの出来具合を見て、出発ってトコだ。二つ目の洞窟は確か、リフだっけ。一人で大丈夫かなぁ」
「あ、うん、だいじょぶだいじょぶ。ボクも時々様子見てたけど元気だった。ね、ネイトさん」
「うん。もっとも、数時間単位なので、行ってみたら倒れている可能性もなきにしもあらずだが」
「不吉な事言うなよ!?」


※数日おいただけで書き方忘れそうになっててヤバイです。
 とりあえず次、2と3の洞窟書いたら、その先に進みます。



[11810] 洞窟7
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/08/26 21:14
 二つ目の洞窟に、リフの姿はなかった。
 代わりに、広い洞窟内には目を回して気絶しているドリルホーンとバッドバットで満たされていた。
「いない……?」
「もしかしてやられちゃった?」
 ヒイロが特に危機感なく呟く。
「怖い事言うなよ!? っつっても、こんな惨状じゃ……」
 下手すれば、下敷きになっている可能性がある。
 そんな事を考えていると、不意にシーラが動いた。
 壁の隅に移動すると、そこに屈み込む。
「主、ここにリフの書き置きらしきモノがある」
 シーラの手元を覗き込むと、そこには小石を並べて作られた、メッセージがあった。
 主に盗賊が使う、連絡用暗号だ。
「んん? 全部やっつけたから、先に進む……全部!?」
 ふむ、と気絶しているモンスターを検分していたキキョウが、唸った。
「決め技は全て、某が伝授した投げ技のようであるな。見渡す限り、まともに動ける敵の気配はないようだ」
 洞窟のモンスターは、どうやら全滅らしい。
「ほうリフ君、投げを極めたか。これで昼の寝技を憶えれば万全と言う訳だ。よし、あとは私が夜の寝技の伝授を――」
「札をへし折るぞ、ネイト」
「おお、SMとはちょっとレベルが高いな、シルバ」
「死んでいない。しばらくすれば、復活する。――主、トドメを刺す?」
 シーラの振るう金棒が、風を切る。
「い、いや、いい。これ全部やるのも、それはそれで大変そうだし」
「では先に進もうか、皆の衆」


 そして三つ目の洞窟。
 湖の畔で眼鏡を掛けたカナリーが、ゴーレムの残骸に囲まれていた。
 どこで用意したのか、木製の椅子に座り、ペンで図面を確かめている。
 さながら、臨時の工房である。
 赤と青の従者と共にリフも大きな部品の運搬を手伝っていたが、シルバ達の気配に気付き、足を止めた。
「に」
「やあ、来たようだね、シルバ」
「こっちはこっちで妙な事になってるなぁ。リフは身体の方、大丈夫なのか?」
 見た所、怪我はないようだ。
「平気。がんばった。カナリーのお陰」
「カナリーの?」
「ふふふ、ちょっとしたアドバイスさ。シンプルだが、実に効果的だったようだ」
 キラリ、とカナリーの眼鏡がハイライトになっていた。
「……変な事、教えてないだろな」
 妙に不安になるシルバであった。
「大した事じゃない。ちょっと野性に返れと教えただけだよ」
「……そこはかとなく、不吉なモノを感じるんだが」
「だいじょぶ」
 ぐ、と両手で拳を作るリフを、信用する事にした。
「よし、リフが言うんなら、大丈夫」
「……シルバ、それはちょっと贔屓という奴じゃないかなぁ」
「その辺はこう、色々な積み重ねだと思う」
 こういう時のカナリーにはどこか、クロップ一族と同じ臭いを感じるシルバであった。
 そうそう、クロップ一族と言えば……。
「み、皆さん、お揃いでどうしたんですか?」
 ザバリ、と湖から重甲冑が出現した。
「ゴーレム!? ……違った、タイランか。おお、またずいぶんと女の子らしくなっちゃって」
「そ、そうですか……?」
 タイランとフォルムが違うので、思わずシルバは身構えたが――よく見ると、やはりタイランだった。
 両腕にリフのブレードに似たようなモノが生え、下半身が鉄のスカートになっているので、見間違えたのだ。
「シルバ、君ね、スカート履いてりゃ誰でも女の子扱いなのかい?」
 ちょっと呆れた風にカナリーに言われ、シルバはキキョウの履く袴に視線を向けた。
「よく似合ってるぞ、キキョウ」
「そ、そそそ、そうであろうか!? い、いつもと変わらぬ袴なのだが……」
「君はシルバに褒められるなら何でもいいのかキキョウ!? あとシルバがボケに回ったら僕が正直辛いから、その辺にしておくんだ!」
 カナリーをからかうのは面白いが、話が進まないので、シルバは気を取り直した。
「だな。それであれが、水中仕様のタイラン装備?」
「あ、ああ、うん、ゴーレムから回収した部品で作り上げてみた。中に推進装置を組み込んである」
「こ、股間がモゾモゾしますけどね」
 タイランは、足をモゾつかせる。
 推進装置がどうなってるのか気になったが、まさか見せてくれとは頼みにくい。
 カナリーは湖畔にある大きな筏を指差した。
「これで筏も向こうまで引っ張れるよ。代わりに陸戦じゃ、かなり動きが鈍るけどね。まあ、その辺は無限軌道で代用だ」
 なるほど、陸の動きで歩くには少々重たそうな装備である。
「腕にも何か付いてるな。ありゃ何だ?」
 タイランの両腕にある刃状のモノだが、リフの生やすモノと違うのは、尖っている部分は手首の方に伸びている。
 それに刃自体もそれほど鋭くはなく、どちらかと言えば叩き付ける事に主を置いた『剣』的なイメージを、シルバは受けた。
「まあ、ヒレみたいなモノだよ。もう一つ役割があるけど、使わないに越した事はないだろうね」
「あの、そういう風に言われると、大抵あとで本当に使う羽目になるんですけど……これ、とても重いですし……」
 いわゆるフラグという奴である。
「ならば、用意しておいて正解だったという事だね。やあ、熱したり冷やしたり、僕の術も何気に力が上がって有意義な改造だった」
 カナリーに追従するように、赤と青の従者二人も小さく頷いていた。
「……しかし、一回外したら運搬は難しいだろうなぁ、それ」
 タイランの装備を眺め、シルバは唸った。
 腕もスカートも、とても重そうだ。
「せっかく作ったのに勿体ない……が、まあ僕の影の中に入れるぐらいしか、手はないだろうね。ひとまず慣らし運転は終わったよ」
 ヴァーミィが用意した赤ワインを飲みながら、カナリーが言う。
「ちゃ、ちゃんと動きます」
 タイランも頷く。
 いつでも本番はいけるようだ。
「それじゃ準備はいいんだな。とりあえずまた一旦戻って作戦会議、そろそろ先に進もうか」


 そして態勢を整えて翌日。
 第三の洞窟を抜けて、シルバ達は新たな荒野に立った。
「……夜に来るのとは、やっぱり印象が違うな」
 洞窟を抜ける時、随分な坂道を登ったと思ったら、出た先はやはり右側が切り立った崖になっていた。
 恐る恐る覗き込んでみると、遥か下を川が流れている。
 もっとも、下が水だからと言って落ちて助かる可能性は、かなり低いと見ていいだろう。
 小さく息を吐き、背後の岩壁に背中を預ける。
「ふむ、足下注意といった所か。まずは、安定した場所に降りるべきではないかと思うのだが……っ!?」
 キキョウの声が変わる。
 リフも、キッと頭上を見上げた。
「にぅ、何か来る!」
 シルバもその視線の先を追った。
 太陽を背に、一羽の鳥が弧を描いて緩やかに飛んでいた。
「……鳥?」
 その鳥が徐々に高度を下げてくる……のだが……。
「……にしては、ちょっと大きすぎないかな、先輩?」
「え、ええ、その……遠近感が……」
 その姿はどんどんと大きくなってきて、しかしいまだにその姿は高みにいた。
 バサリ、と大きな羽ばたきと共に、その巨大な鳥はようやく空中で停止する。
 目測で全長は……30メルトを優に超えるのではないだろうか。
 あまりの巨大さ、そしてその巨体が空を飛んでいるという事実に、皆ポカンと口を開けて絶句する。
 そんな中、かろうじて、カナリーが呟いた。
「……どうやら間違いないな。アレが、ウェスレフト峡谷の三魔獣の1、怪鳥イタルラだ」
 シルバも、まったく同感だった。
 これに比べれば、第二の洞窟にいたバッドバット達など、蚊とんぼも同然だ。
 そして、そのカナリーの呟きが聞こえたのか、怪鳥――イタルラは首をこちらに向けた。
 そのクチバシが開き、息が吸い込まれる。
「来るぞ、みんな分散して――」

 ――ひゅう、と風が吹いた。

 直後、景色が一変し、シルバは一人、湖の真ん前にいた。
「――え?」
 後ろを見ると、ここ数日で見慣れた、人が一人通れるサイズの穴。
 シルバがいたのは、自分達の拠点――スタート地点だった。


※いわゆる一つのバシルーラ。
 他の皆さんは何処に? というのが次になります。
 イタルラの大きさは、大体小型ジェット機クラスです。
 エアフォースワンとか調べたら、でかすぎた。



[11810] ふりだしに戻る
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/08/26 21:14
 シルバは大きく息を吐き、頭を掻いた。
 おそらく、魔法の類で飛ばされたのだろう。
 ならば今、シルバがすべき事は闇雲に動く事ではなく、仲間の状況の確認だ。
 ひょい、とシルバの肩に、ちびネイトが出現する。
「どうやら二人きりのようだぞ、シルバ」
「そうか。ならまずはスモークレディを呼び出そうと思う」
 シルバは懐から、煙管を取り出した。
「堂々と浮気宣言とは、さすがシルバだ。いいぞ。男の甲斐性だ」
「……誰が何と浮気してるって言うんだよ。狼煙代わりだ狼煙代わり。分散した時、一番気になるのはやっぱり仲間の行方だからな。次に自分の居場所。それが分かれば、みんなも落ち着いて行動出来ると思うし」
 火打ち石で火を点けると、うっすらと煙が浮かび上がる。
 細い煙が徐々に空中に塊だし、それはやがて若い女性の姿を取った。
 スモークレディの出現だ。
 彼女が細い腕を上げると、ゆるゆると高く煙が昇り始めた。
「皆が、見えるところにいればな」
「……ま、確かにどこに飛ばされたのか分からないからそれもあるだろうけど、やれる範囲の事はやっとくべきだろ」
 煙を見上げながら、シルバは言う。
 みんな、これに気付いてくれると、いいのだが。
「肉の臭いとか混ぜておくと、ヒイロ君辺りは何処にいても飛んできそうだが」
「さすがに場所によるだろ!? それに今、スモークレディがすごい嫌そうな顔したぞ!?」
「なるほど、せめて香水とかにして欲しいと」
 納得したようにポンと手を打つネイトに、煙体であるはずのスモークレディが目を輝かせた。
「そんな事、スモークレディが――って、そこで嬉しそうな顔するの!? 煙が香水の匂いさせて嬉しいの!?」
 コクコクと頷く。
 嬉しいらしい。
 ふむぅ、とネイトが唸る。
「これは都市に戻ったら一つ、買ってやらなければならないな」
「えぇ~~~~~? って何そのやる気のない煙。脅迫? 俺、脅迫されてんの?」
 シルバが渋ると、スモークレディから出現する煙があからさまに細く、ヘタレ始めていた。
「ポプリというのも悪くないと思うのだ。どうだ、君。うむ、どうやらやる気になってくれたようだ」
 ネイトに乗せられ、再びスモークレディの狼煙は勢いを取り戻した。
「召喚のモンスターが、んなキャラクター性出さんでも……」
「今なら、サービスで暗号信号も付けるってさ」
「サービスとかそういう問題じゃなくて、普通に出そうよ!? ええい、とにかく他のみんなの居場所も知らせないと」
 呟き、シルバは地面にウェスレフト峡谷の地図を広げた。
 その地図を利用して札に、『世界』の絵柄を出現させる。
 続いて、金袋から硬貨を取り出す。
 書物のレリーフのコインを、地図の端へ。
 そして小さな硬貨を七枚ばらまくと、倒れたそれらは自動的に地図の方々へとスライドしていく。
 内の一枚は、シルバとネイトのいる場所で停止した。
 コインの位置は、そのままシルバとその仲間の位置を表しているのだ。
「ふむ、おそらく第三洞窟を抜けた先のこれは、魔法の効かないタイラン君だな。しかしシルバ、他の皆は区別が付くのか?」
 さすがに、コイン単体ではシルバも分からない。
 が、ある程度、その動きでキャラクターを掴む事が出来ないでもない。
「……この落ち着きなく動き回っているのは、おそらくヒイロ。逆に、全然動いていないのは多分リフかシーラだな」
 タイランは崖で孤立しているようだ。
 そこから少しだけ離れた場所に、動かないコインが一枚。
 北方、かなり離れた川の近くに二枚。
 南方と南東の岩山のある場所に二枚。
 それを見て、ネイトは十字を切った。
「二人ほど、残念な事になっているようだな。南無」
「土に埋まっているんじゃなくて、岩山の上だろこれは!? もしくは洞窟かだ。俺達が通った洞窟以外にも、そういう空洞があってもおかしくないからな」
「なるほど、名推理だ、シルバ」
「推理って程じゃないし、お前だって本当は勘付いてただろうが。とにかくばらけているのは、なるべく合流させた方がいい。外にいるなら煙に気付いてもらえると思うけど、もし本当に洞窟にいるならまずいな」
 スモークレディに指示を送り、信号を昇らせる。
 シルバの無事と、(おそらくは)タイランの孤立、それぞれの立ち位置は、各々に推測してもらうしかない。
「ちなみに精神共有による通信は距離があって無理だ。さすがに遠い」
 皆の合流を待つべきか、それとも自分から動くべきか。
 少し考え、シルバは決断した。
「ここで待機して、連絡に専念って訳にもいかないな……スモークレディは煙を出し続けてくれ。火種は置いておくから、自分で足せるな? 魔力が尽きたら休んでくれていい。俺達は……まずはタイランか?」
 たき火と薪代わりの枝、書き置きを用意して、シルバは洞窟のある方角を向いた。
「間に合えばいいがな。正直、あの怪鳥相手に、タイラン君一人ではきつかろう」
 シルバは頷いた。
 第一、今のタイランの装備は水陸両用仕様だ。
 普段の身体よりも、動きが鈍いのは目に見えている。
 疑問があるとすれば、何故タイランは三つ目の洞窟に引っ込まないのかという点だ。怪鳥イタルラの大きさを考えれば、あそこに逃れるのが一番妥当だし、タイランだって馬鹿じゃないはずだ。
 ……それが出来ない理由があるのだろうか。
 とにかく、現地に言って確かめるのが一番か。そう考えるシルバだった。
「っていうか、あそこまで俺が一人で行けるかどうかも疑問だけどな……」
 最初の洞窟のグリーンゼリーですら、まともに戦えば苦戦する自信がシルバにはあった。
 まともに戦えば、だが。
 実はもう一つ、一気にタイランの元にたどり着ける方法があるにはある……が、着陸方法に難があるのだ。
「ま、その辺は私の心理障壁か、『隠者』の札で何とかするしかあるまい。それにしても忙しないデートになりそうだな、シルバ」
「デートじゃねえだろ!?」
「しかもショッピングも演劇鑑賞もないと来ている。殺伐だ。実に殺伐だ」
「お前は戦いに一体何を求めているんだ」
「萌え」
「あるかんなもん!!」
「ならば、圧倒的優位からの超爽快な殲滅戦」
「そういうのは、カーヴ・ハマーにでも頼め! ウチは無理だ!」
「シルバは苦労人だなぁ」
「今更過ぎるだろ……」


※という訳で、シルバ視点でした。
 次は他のヒロインの視点で。



[11810] 川辺のたき火
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/09/07 23:42
 風が吹き抜けるのを感じ、直後、キキョウは川の中にいた。
 一瞬動転したが、慌てて水面に出て、息を吐く。
「ぬう、何という不幸……」
 川は底が見えないほどに深かったが、流れはそれほど速くなかった。
 ずぶ濡れになりながら、キキョウは川辺に上がった。
 川は相当に大きく向こう岸まで200メルトはあるだろうか、渡るのも一苦労しそうだった。
 周囲はゴツゴツした岩で出来た断崖絶壁で、今の所、前後にしか進めそうになさそうでもある。
「どうやら、飛ばされてしまったようだな……シルバ殿はどこだ」
 水を吸った着物の端を、ギュッと絞る。
 周囲を見渡すが、どうやらここにいるのは自分だけのようだ。
「――やれやれ、薄情だねキキョウ。君は他の仲間は心配しないのかい?」
 気配一つ感じさせず、そんな声が背後から掛けられた。
 振り返ると、カナリーが大きな岩に腰掛けていた。
 暑いのか、白い羽根付き帽子を扇子代わりにして扇いでいる。
「ぬ!? カ、カナリー!? いつの間に……!?」
「転移コインの存在を、忘れたのかい?」
「ぬ……」
 即座に切り返され、キキョウは言葉に詰まった。
 なるほど、それがあったか。
「うん、まあ特に期待はしていなかったけど。ちなみにコインを使っちゃったから、後で要回収だ。残念ながら、僕ら以外はどうやら遠くに飛ばされたようだよ。ここから考えられる事は、例の怪鳥の『吹き飛ばし』は、対象をランダムにどこかへやってしまうようだね」
「カナリー、魔術の原理は後回しにしてもらいたい。まずは位置の確認と、現状の把握が重要なのではないか?」
「場所なら太陽の位置で把握出来るよ。そもそもそれなら、とっくにシルバがやってくれている」
 カナリーは、遠くを指差した。
 キキョウがそれを追うと、青空にうっすらと一筋の煙が昇っているのが見えた。
「ぬぅ……? あ、あれはシルバ殿の狼煙……!」
 カナリーは狼煙の暗号を読み解くと、足下の砂利を退け、土の上に地図を書き始めた。
 キキョウも、それを見下ろす。
「一番ヤバイのはタイランが単独で怪鳥を相手にしている可能性が高い事だけど……うん、僕らの距離じゃ間に合わないな」
「み、見捨てるというのか!? 仲間の危機であるぞ!?」
 しかし、カナリーは冷静だった。
「いや。タイランの傍に一人いるらしいから、逃げるのに専念すれば何とかなると思う。距離が離れていても、リフ、ヒイロなら精霊砲や気を飛ばせるし、シーラなら直接支援が出来るだろう。シルバも駆けつけるようだし。ならば、僕達はまず、自分達の態勢を万全に整えるべきだ」
「む、むうぅ……理屈では分かっているのだが……」
 唸るキキョウに、カナリーは苦笑する。
「ま、割り切れないだろうね」
「……分かっていて、それを強いるカナリーはかなり鬼畜ではないであろうか」
「性格が悪いからね、僕は。さて僕達も移動前に、一応狼煙を昇らせておくべきかな。さあキキョウ、薪を集めてくれ」
 どうやらカナリー自身は、動くつもりがないらしい。
「カナリーはどうするのだ?」
「僕は頭脳労働専門さ。それに、既に手足なら人の倍、使ってるよ」
 カナリーが背後を指差す。
 向こうから、ヴァーミィとセルシアが近付いてきているのが、見えた。
「む、むぅ……ならば仕方ない。某も、急ぎ手伝うとしよう」
 キキョウは、カナリーの従者達と共に、薪を集める事にした。


 木の枝を集め、それをカナリーの火炎魔術で燃やす。
 強烈と言うほどではないが熱い風が、キキョウを温めてくれた。
 カナリーの分の転移コインを回収してきたヴァーミィとセルシアを左右に侍らせ、カナリーはキキョウの姿に眉を寄せた。
「それにしても酷いずぶ濡れだな。服も乾かした方がいいと思うよ。いくらまだ暖かいと言っても、そのままじゃ身体が冷えてしまうだろう?」
「ぬ、脱げと申すのか?」
「いや、別に脱がなくてもいいけど困るのはそっちだし。第一、今更だろう?」
 別に女同士なのはもう分かっているので、それはその通りなのだが……。
「ひ、一人だけ脱ぐのに抵抗があるだけである……が、とやかく言っている場合ではなさそうであるな」
 実際、身体が冷えて、動きが鈍るのは今後の事を考えるとよろしくない、というのはキキョウも賛成だった。
 とりあえず着物を乾かそうと、キキョウは帯を緩め始めた。
「何なら、火炎魔術で温めてもいいけど」
 ボウッとカナリーの指先で、拳大の火炎球が出現した。
「その火力では、服が焼けるであろう!?」
「ではもうちょっと弱火で」
 火炎球が縮み、コインぐらいの大きさになる。
「いやいやいや! 弱火とか強火の問題ではなく、炎を布に当てれば普通は燃えるのだ! ええい、何故某が突っ込まねばならぬ! 普通逆ではないか!」
「それは疲れるから、嫌だな」
 火炎球を手の中で握りつぶしながら言うカナリーに対して、キキョウは白い目を向けた。
「某がやるのはいいのか?」
「僕は疲れないからね」
 多分、女性なら惚れるであろう爽やかな笑顔で、カナリーは答えた。
「……何という我が侭な奴だ」
「元々、こういう性格だよ僕は。……キキョウ、服を脱ぐのはストップだ」
 カナリーの気配が切り替わり、キキョウも即座に意識を戦闘モードに変えた。
「む……おぉ!?」
 振り返ると、波のうねる川からぬぅっと鉄巨人の上半身が出現していた。
 大きさは、見えている部分だけで7メルト以上はあるだろうか。
 青い塗装で、両腕、肘から掌にかけてが巨大な造りになっていた。
 キキョウらからは20メルトほどの距離があったが、それでも見上げる大きさに圧倒されてしまう。
「で、でかいな、コイツは……って待つんだ、キキョウ!」
 カナリーの声が背後に掛かる。
 しかしその時にはもう、キキョウは駆け出していた。
「否、先手必勝!」
 刀の柄に手を掛け、川の縁を目指す。
 目標は、全力跳躍からの巨人の首の一刀両断。
 相手が腕を振るう前に、それを成し遂げる。
 もし失敗をしても、ナマズの仮面がある。水に落ちても問題はない!
「ええい、ヴァーミィ、セルシア、キキョウのサポートだ! キキョウ、君のその素早さは長所だが、今回は悪手だぞ!」
「何?」
 後ろから赤と青の従者が追ってくるのを感じながら、キキョウはカナリーに問い返した。
「三魔獣の前情報を聞いてなかったのか!? 大空を支配する怪鳥イタルラ、地上を統べる変幻自在の螺旋獣ヤパン、水辺を治める砲撃の巨人ディッツ。いいかい、『砲撃』の巨人だ!」
 キキョウが最後に地面を踏むのと、巨人の耳部分や口や肩や胸や腹部からニュッと大小の砲口が出現したのは、ほぼ同時だった。
「ぬおおぅ!?」
 キキョウは慌てて、跳躍を正面から真右に変えた。
 ヴァーミィとセルシアも左右に散り、カナリーも後ろの大岩を盾にしようと駆け出していた。
「ぜ、全員散開!!」
 直後、川辺を爆撃が襲いかかってきた。


※巨人ディッツの身長はだいたい15メートルぐらい。
 イメージとしては斬撃のREGINLEIVの巨人族(中)レベル、川の中では潜行モード。
 川の広さはウチの近所がモデルです(正確には内港ですが)。



[11810] タイランと助っ人
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/08/26 21:15
 怪鳥が口を開き、次の瞬間、奇妙な音波と共に仲間達は消失した。
 それが如何なる現象か、タイランにはよく分からなかった。
 ただ、強いて思いつくとすれば魔術的な何かだろう、という事だった。絶魔コーティングを施された重甲冑に身を包んでいる自分だけが無事なのが、その証左だ。
 仲間がどこに消えたのか、そして無事なのかは、今のタイランには分からない。
 探しに行きたいが、それ以前に自分が一番大ピンチであった。
 何しろ、自分の目の前で、巨大な怪鳥イタルラは緩やかに羽ばたきながら、ジッと自分を見つめているのだ。
 ごくわずかな均衡が破れる事で、相手は自分を襲ってくるだろう事は間違いない。
 ……タイランは、背負っている斧槍にゆっくりと手を伸ばす。
 その時だった。
「その子を襲われたら、敵いまへんなぁ」
 そんな呑気な声が、横から聞こえてきたのは。
「え……?」
 敵の目前であるにもかかわらず、思わずタイランはそちらを向いた。
 そこには、丸い笠に狐色の商人風上下を羽織った男がいた。
「どーも」
 くい、と男が笠を持ち上げると、年齢は20代半ばぐらいだろうか、黒眼鏡を掛けた軽薄そうな顔が現れる。
「ど、どなたですか」
「まいど、お初にお目に掛かります。ウチはキムリック・ウェルズ言います」
 男――キムリックの挨拶に、タイランは思わず後ずさった。
「っ!? トゥスケルの!」
「はいな。その辺はご存じですわな。やあ、出来れば楽したかったんですが、せっかく高い金払て作ってもらったもん壊されたら意味ありまへんからなぁ。ちょいとお助けしましょ思いまして」
「け、結構です!」
 タイランは拒絶する。
『高い金を払って作った』という部分が引っ掛かったが、それが何の事かまではまだ、頭が回らない。
「まあ、そない冷たい事言わんと。敵の敵は味方言いますやろ? ……まあ、あれは純粋に敵か言うと微妙なトコどすが……!」
 言って、キムリックは怪鳥イタルラを指差した。
 そのイタルラは既に臨戦態勢に入っており、口を大きく開けていた。
 さっきと同じ、転移術――ではない――のが、口の中に宿る灼熱の炎で分かるタイランだった。
 その横っ面を、巨大な岩の礫が張り飛ばす。
 グラリ、とバランスを崩すイタルラ。
「油断をするな、キムリック」
 新たに現れた、赤い少年――いや、少女が魔法を飛ばしたのだ。
 羽根付き帽子に、赤いマントを羽織った、貴族風の服装の少女だ。
 気の強そうな顔立ちで、一瞬、タイランは性別がどちらか見誤りそうになった。
 ……何だか、色を変えるとカナリーさんみたい。
 そんな事を考えてしまう。
 一方、少女は小さく鼻を鳴らすと、手に持った細身の剣を杖のように振るい、新たな岩礫をイタルラ目がけて放っていく。
 何しろ、岩ならば掃いて捨てるほどあるのだ。
 イタルラは小さく鳴くと、高度を取った。
 そして大きく羽ばたき、巨大な竜巻を作り上げる。その竜巻に巻き込まれ、岩礫は高みへと舞い上がってしまう。
 崖の上にも突風が吹き荒れているにも関わらず、キムリックと少女は平然としていた。
「やあやあ、まいど助かりますわラグはん。ほな、その子守ったって下さいな」
 キムリックは腰の後ろに両手をやると、奇妙な意匠の短剣を引き抜いた。儀式用っぽい印象をタイランは受けた。
「……いいだろう。その代わり一つ貸しだぞ」
「まあ、見物料はロハにするちゅー事……でっ!!」
 キムリックは軽い身のこなしで、怪鳥イタルラ目がけて崖から跳躍した。
「お、落ちちゃいますよ!?」
 決して味方とは言い難い相手だったが、それでもタイランは心配した。
「{飛翔/フライン}を掛けてあるから、落下の心配はない。それよりも、そこは危険だ。こっちに来るんだタイラン・ハーヴェスタ」
 キムリックにラグと呼ばれていた少女が、岩壁に身を寄せてながら手招きをする。
 どういう短剣なのか、キムリックの短剣は竜巻を切り裂き、怪鳥イタルラに直に迫る。異様な鳴き声を上げながら、クチバシと鉤爪で怪鳥はキムリックを迎え撃った。
「あ、貴方も……お仲間ですね?」
 崖の向こうから、刃と爪のぶつかり合う音が響く。
 同じように岩壁に背をつけながら、タイランは尋ねた。
「ふむ、あたしの事を知っているのか」
「か、勘です」
 ただ、ラグという名前には覚えがあった。
 スターレイの街の司祭長・サイレンと結託した、トゥスケルの女性の名前が、確かラグドール・ベイカー。
 ここで、トゥスケルのキムリックと一緒にいて、ラグという名前は偶然ではないだろう。
 ――という事を、タイランは彼女に告げた。
 どうやら、当たりだったらしい。
「いい勘をしている。そう、アタシがラグドール・ベイカーだ。だが、そんな事はどうでもいい。まず君には重要な役割を果たしてもらわなければならない。他の仲間が散り散りになったのは僥倖と言える。大人しく従ってもらおう」
 そして表情を変えないまま、いきなり細剣を突きつけてきた。
「い、嫌……だと言ったら、どうなるんでしょう?」
「無理だ。こう言っては何だけど、あたし達はそれなりに強い。特にスピードなら、君のその鈍重な身体では、逃げ切る事はまず不可能だろう。用事があるのはその身体だから、別に中だけ逃げてくれても構わないがね」
「か、身体って……」
 タイランは自分の身体を見下ろした。
 この重甲冑に何か重要な要素が……。
 いや、と思い返す。
 もう一つ、この身体には外装以外にも重要なモノがあった。
 それを裏付けるように、ラグドールは言う。
「正確には、精霊炉さえあればいい。中にいるという疑似人格、そう、モンブランとか言ったか。あれも特にはいらないので、持って行ってくれても構わない」
「だ、駄目です……!」
 タイランは即座に断った。
「む?」
「こ、この甲冑は一応、父のモノですし、無断で預ける訳にはいきません。……そ、それに……精霊炉を何に、使うつもりなんですか? これまでの、貴方達のやり方を考えると、渡す訳にはいきません」
 すい、とラグドールは細剣で自分の後ろを指し示した。
「この奥にいる……」
 二人の間に、足が割り込んできた。
 一旦、イタルラと距離を取った、キムリックの足だ。
「ちょっとラグはん、あきまへんよ。あんさん、喋りすぎですわ」
 怪鳥は羽ばたくとタイラン達と距離を取り、大きく息を吸い込んだ。
 次の瞬間、イタルラの口中から巨大な火炎弾が吐き出された。
「ちょっ、あ、危ない……!」
「問題ない」
 ラグドールは小さく呪文を唱えると、細剣から冷気が漏れ出した。
 優雅な剣捌きで、迫ってきた火炎弾を細切れにしてしまう。
 とんでもない腕前だった。
「キムリック、そいつをさっさと活動不能に追い込め。あたし達にはまだ、やるべき事がある。彼女の仲間に合流されても面倒くさい」
「そない言うんやったら、もうちょっと協力してくれてもええと思うんどすけどなぁ」
 ボヤきながら、キムリックは再びイタルラと距離を詰めんと、岩壁を蹴った。
「いいだろ……ん?」
 新たな呪文を唱えようとしたラグドールが、数メルト背後に跳び退る。
「っとぉっ!?」
 空中にいたキムリックも、大慌てで身体を捻った。
 その直後、タイランとラグドールの間で、爆発音が響き渡った。
 濛々と立ち込める土煙の中から現れたのは、低い唸り声を上げる金棒を持った、黒髪のメイドだった。
「シ、シーラさん!!」
 シーラはタイランを認めると、小さく頷いた。
「――助けに来た」
 そして、背後を金棒で指し示す。
 タイランが振り返ると、遠くに狼煙が上がっているのが見えた。
 シルバの上げた狼煙であり、他の仲間達の無事や、今、こちらに向かっているという暗号も読み取れた。
 ホッと安心するタイランだったが、現状はいまだ混沌としていた。
 断崖絶壁の向こうでは、キムリック・ウェルズと怪鳥イタルラが空中戦を繰り広げ、こちらはこちらでラグドールという少女と敵対している。
 その、ラグドールは表情を変えず、シーラを見て何かを思い出したようだ。
「ああ、第六層の戦闘用人造人間か。カーヴから聞いてる」
「――カーヴ・ハマーとの関係は」
「雇い主とその手下だ」
 あれ? とタイランは思った。
 確か、カーヴ・ハマーはルシタルノとかいう貴族に雇われていたのではなかったか?
 しかし、それを尋ねる暇は、タイランにはなかった。
 シーラが、タイランの腰を両手で抱えたのだ。
「――タイラン」
「は、はい?」
 シーラの怪力は恐るべきモノだった。
 超重量級のタイランの足が浮き上がる。
「――しっかり掴まって」
「え?」
 浮遊感と共に、タイランは崖目がけて投げ飛ばされていた。
 強烈に何かにぶつかった、と思ったらそれは怪鳥イタルラのゴツゴツとした脚だった。
「わわわわわ……!」
 慌てて、しがみつく。
 もちろん、怪鳥イタルラも落ち着いていられるはずもなく、高く鳴きながら、空中を無軌道に暴れ回った。
 タイランは何とか振り落とされないようにするのに必死で、自分がどこに飛んでいくのか、見当もつかなかった。


 小さくなっていく怪鳥イタルラ(とタイラン)を眺め、キムリックは小さく息を吐いた。
「あー、逃げられてもうたかぁ……」
 さすがにあの不規則な動きには追いつけないし、何より{飛翔/フライン}の効果が持たないと判断し、彼は崖に戻った。
 既に、シーラの姿はない。
 第三洞窟の入り口が、瓦礫の山に埋まっていた。
 どうやら、そちらに逃れたようだ。シーラを追うには当然、瓦礫を排除しなければならない。
「お前がしっかりしないからだ」
 ラグドールは責めるような視線を、キムリックに向けてきた。
「……そこで、ウチのせいにされますか。洞窟の方を追うのはまずそうやし、どうしたもんかねぇ……」


※えらい混沌としてしまいましたが、タイラン(&シーラ)のターン終了。



[11810] 螺旋獣
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/08/26 21:17
 巨大な怪鳥が吠えたかと思うと、ヒイロの景色は一変していた。
 ここ数日でずいぶんと馴染んだ感のある、空気の冷えた洞窟だ。
 広いドーム状の造りは、二番目の洞窟によく似ているが、ドリルホーンやバッドバットの姿はない。
 幸い、ヒカリゴケのお陰か、暗くはなかった。
 周りに仲間はいない……と思ったら。
「ヒイロ、無事か!」
 聞き慣れた声がした方を向くと、シルバがこちらに駆け寄ってくるところだった。
「あ、先輩! よかったぁ、ボクだけかと思ったよ」
 シルバは息を整えると、ヒイロを見て、心底ホッとしたようだった。
「どうやらみんな、飛ばされたようだな。怪我はないか? お前が無事で良かった……心配したんだぞ?」
「う、うん? あ、あの、先輩どしたの?」
「どうしたって、何が?」
 キョトンとするシルバに、逆にヒイロが戸惑ってしまう。
「いや、何がって……」
「お前を心配するのは、当然だろう?」
「そ、そうかもしれないけど……」
 何かがおかしい。
 そう考えるも、それが何か思いつかないヒイロだった。
「うん、外傷もないようだな。足とか挫いてないか? 何なら背負って行くけど」
「いやいやいや、いいよ歩けるよ!? だ、第一、出来るだけボクが前の方がいいでしょ?」
 実際、敵の気配もないし、本当に足を挫いていたならそうしてもらうのも有りかなと思うヒイロだったが、残念な事に捻挫はしていない。
 ならば、本来の仕事を全うするのが筋であると考えるヒイロだった。
「そうか、それもそうだな……それじゃ、前は任せた。俺は後ろを警戒しておく」
「う、うん……」
 妙に心強い事を言うシルバに、ヒイロの戸惑いはますます大きくなる。
(何か変だなぁ、先輩……)
 ともあれ、出発する事にした。
 方角はどっちか分からないので、とりあえずそのまま真っ直ぐ進む事にした。


 ――その為、ヒイロは気付かなかった。
 真後ろで、シルバの牙だらけの口が非常識なほどに大きく裂け、ヒイロを丸呑みしようとしている事に。


「にぅっ!」
 短い鳴き声と共に、緑色の光が横から放たれた。
 直撃したシルバの頭の上半分が、蒸発して溶けてしまう。
「がっ!?」
 慌てて横に飛び退くシルバだった存在。
 振り向いたヒイロも、慌てて跳び退った。
「せ、先輩の頭がすごい事に!? え、リフちゃん!?」
 少し離れたところで、右手を掲げるリフに、ヒイロは気付いた。
「に……ヒイロ、はなれる。それ、偽もの」
「……よく、分かりましたね。リフさん、でしたか」
 欠けていた頭が液体のように蠢き、若い女性のモノに変化する。
 黒髪が自動的に後ろで束ねられ、服装も司祭服から白を基調とした古めかしい神に仕える巫女のような装束になった。
「話、途中からきいてた。お兄はあんな甘い言い方しない。もっと素っ気ないし、最低限の無事がわかったらまず他のみんなの心配する」
 相手は苦笑いを浮かべた。
「……随分な評価ですねぇ」
「……その通りなんだけど、それはそれで悲しいけどね」
「にぅ……リフも」
 何とも言えない空気になってしまった。
 が、本分を思い出したのか、ヒイロは大慌てで骨剣を構えた。
「と、とと、とにかく、よくも騙してくれたな! よりにもよって、先輩の姿を真似て!」
「一番効果的な姿に変化しただけですよ。こう見えても、貴方達のキャンプはそれなりに観察していましたから」
 全然気がつかなかった事に、ヒイロは驚愕する。
 だが、リフは驚きとは別に、何か引っかかりを憶えたようだった。
「に……?」
「疑問があるようですね、リフさん」
「にぅ。だったら何で、キャンプでおそわなかったの?」
「答えると思いますか?」
「気になるけど、答えないなら、いい」
「別に損にはならないからいいですよ。あの距離なら襲わない、というルールがあるんです」
「に……」
 一応の答えはもらったが、どういう事かヒイロにはサッパリだった。
 でも今は、こうやって襲われている。
 という事は、距離が問題なんだろうか。
 そんな事を考えているヒイロに、女性は顔を向けた。
「……ともあれ、もう少しで上手く行くところだったのですが。実際、ヒイロさんは騙され掛かったでしょう?」
「ひ、卑怯だよ!」
「そこは策と呼んで欲しいですね……いい仲だと思ったのですが、もうちょっと調査するべきでした」
 ほう、と残念そうに、女性は小さなため息を漏らした。
「だったらいいなあとは思うけど、残念ながらそうじゃないからね! みんなをどこにやったの!?」
「今頃、別の場所で私の同胞、イタルラ、ディッツと戦闘中でしょう。貴方達の相手は、私、螺旋獣のヤパンがお相手させて頂きます」
 小さくお辞儀をすると、女性は再びドロリと液体っぽく姿を変えた。
 一見すると、白銀色の大型の肉食獣だ。
 だが、首から先の頭部が普通ではない。
「にぅ……ドリル」
 なるほど、これが『螺旋獣』の謂われか。
 そう、鋭く尖った円錐状のそれは、高速で回転していた。ドリルホーンは『角』だったが、この獣は頭そのモノがドリル状なのだ。
「男の浪漫!」
 グッとヒイロが拳を握る。
「にぅ?」
「って、先輩が言ってた! ボクも何となく分かる」
「格好いいでしょう」
 どこが声帯になっているのか、異形の獣になっても彼女――ヤパンは落ち着いた女性の声音を使っていた。
「うん!」
「……に。ヒイロ、話術にのせられちゃ、ダメ」
「う、うう、相手が巧みなの!」
「序の口以前の問題なんですけど……ともあれ、ここから先に通す訳にはいきません。お引き取り――願います!」
 低い回転音を鳴らしながら、獣が駆ける。
 あっという間に距離を詰めてきたそれに、ヒイロは目を剥いた。
(速い――!!)
「に!」
 何か手を出す余裕もない。
 ヒイロとリフは左右に分かれて跳んだ。
 背後から、岩盤を削るドリルの音が鳴り響く。
 ヒイロが振り返ると、螺旋獣ヤパンはそのまま穴を開けて奥へと消えてしまった。
「逃げた?」
 リフは足下に視線をやっていた。
「にぅ……にげてない。まだいる」
「……だよねぇ」
 どこからか、岩を削る音が響き、微かに洞窟は揺れていた。
(さて、どこから来るか)
 骨剣を構え直し、ヒイロはリフと背中合せで敵の襲撃に備える。
 そして、来た。
 前後、上下、左右。
 大小様々な鋭いドリルが、全方位から襲ってきたのだ。
「うわあっ!?」
「にぁっ!?」


※螺旋獣の回。
 何かリフが毒吐いてるッぽいですがシルバへの評価は多分、間違ってないと思います。



[11810] 水上を駆け抜ける者
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/08/27 07:42
 拠点で狼煙を上げたシルバは、二つの洞窟を潜り抜けて今、三つ目の洞窟に突入していた。
「問題はこの地底湖をどうするかだよなぁ……」
 ここまでの敵は、ネイトの心理障壁で退けてきたシルバである。
 まあ、ここも札や針など、幾つか手がないでもないが……。
「シルバ、それならば私に妙案がある」
 肩の上のちびネイトが、小さな手を挙げた。
「何だ?」
「右足が沈む前に左足を前に出し――」
「聞いた俺が馬鹿だった!」
 大昔の錬金術師が語った、古典的な手法である。
 ちなみに実行出来る心当たりに何人かいないでもないのだが、残念ながらシルバは自称・普通の人間である。
「最後まで聞いてくれないのか?」
「一般人の俺に、何を期待してるんだよお前は!?」
「逸般人?」
「響きが微妙だ!」
「そもそも、シルバが一般人というのは、私でなくても異議があると思うぞ? カナリー君辺りに言ってみるといい。確実に首を傾げるだろう」
 本当にされそうなので、聞かない事にしよう。
 そう、シルバは決めた。
「……肉体面で、一般人だ。これでいいか?」
「ならばしょうがない。私がどうにかしよう」
「どうにかって?」
「こうする」
 ネイトの開いた手が前に突き出ると、正面の湖面が左右に分かれ始める。
「……おい、何か水が割れ始めたぞ」
「うん、心術で水の精霊が私達を嫌うようにしたのだ」
「一応理屈は通ってるけどさぁ、お前これもう心術とか関係なくね? あと、何か俺、すげえ疲れてきてるんだけど」
「当然だ。魔力を消耗するからな」
「今すぐやめろ! 俺が干物になる前に!」
 ネイトは渋々と、手を閉じた。
 それに連れて、水面はあっという間に閉じてしまった。
「残念だ。なら、そこらに倒れているゴーレムを利用させてもらおう。憑依はお手の物だ」
「……最初からそっちにしてくれ」
 ふわりと浮かび始めるちびネイトを、シルバは恨めしそうに見た。
 何だか無駄に時間を費やしたような気がする。
 が、ネイトはゴーレムに取り憑くのをやめ、湖に再び視線を向けた。
「む、いやそれどころではないか。向こうから、誰か来る」
「新手か!?」
 シルバは身構えた。
 もっとも、武器になりそうなモノと言えば、篭手に仕込んだ針ぐらいしかないが。
 その前に、ネイトが盾になる。
「ここは私に任せて、シルバは先に」
「俺の懐に札が入ってる時点で不可能だろそれは!?」
「まあ、味方だから問題はないのだがな」
 スッと、ネイトは肩の力を抜いた。
「分かってるんなら、先に言え!」
「――主のツッコミはよく響く」
 洞窟の奥から、声が響く。
 湖の上を 走 っ て き た のは、シーラだった。
「…………」
「左足が沈む前に、右足を――」
「見れば分かるよ!」
 ネイトの言葉を遮って、シルバは突っ込んだ。
 そうこうする内に、シーラはシルバ達の目の前で急ブレーキを掛けた。
 背後からの突風と水気が、シルバに吹き付けてくる。
「シーラか。……って事は、やっぱりタイランの近くにいたのは、お前だったんだな」
 シーラは小さく頷いた。
「――タイランは逃がした。別の新手が存在している。詳しい話は必要?」
「当然だ」


 ……シーラから話を聞き、シルバはタイランの現状を把握した。
「……なるほど、ご苦労さんだったなぁ」
「――他に、方法がなかった」
「ん?」
 微妙に申し訳なさそうなシーラに、シルバは首を傾げた。
 それから、何をシーラが問題にしているのか、すぐに思い当たった。
「あ、タイランを鳥に預けた件か? いやいや、シーラが方法がなかったって言うんなら、実際他に手がなかったんだろ。トゥスケルの連中はどう考えてもきな臭いし、介入して正解だったと思う。先に行けないんなら、ひとまず戻って、タイランが無事かどうかを確かめよう。コインと地図で、分かるはずだし」
 洞窟をUターンしながらシルバが提案すると、シーラが駆け出した。
「――今ならまだ、肉眼で確かめられる可能性がある」
 言って、あっという間に先に行ってしまった。
 もう姿も見えなくなったシーラに、シルバは呆れと感心が入り交じった溜め息をついた。
「おお、張り切ってるなあ」
「シルバが叱らなかったからだろう」
「? 俺は当たり前の事を言っただけだぞ? 俺がシーラの立場だったら、そもそも介入すら出来なかったし」
 シルバには正直、叱る理由がなかった。
「……うん、シルバそれは素敵な朴念仁っぷりだ。私はいいんだけどな、別に」
 ネイトは読めない表情で、深々と頷いていた。


 洞窟から出ると、頭上から低い唸り声のような音が響いていた。
 見上げると、青空を背景にシーラが宙に浮いていた。
 足の衝撃波の出力を緩め、シーラが着陸する。
 そして北を指差した。
「――鳥が飛んでいったのは、向こうの方。狼煙が上がっている」
 なるほど、遙か彼方からうっすらと白煙が上がっていた。
 シルバはジッと目を凝らし、狼煙のメッセージを読み解いた。
 シルバが上げた狼煙にも、気付いてもらえたようだ。
「……あっちに飛ばされたのはカナリーとキキョウか。あの二人の組み合わせなら、心配ないな」
「逆に言えば、南の一組が心配となる。ヒイロとリフとは、珍しい」
「うん。戦闘力は俺より全然上だからいいんだけど、心情的に年下コンビだからなぁ……」
「保護者的な心配という所だな」
 否定出来ないシルバだった。
 まあカナリーなら、夜になれば飛行能力も目覚めるだろうし、帰還は難しくないだろう。シルバが札を貸してUターンしてもらえば、キキョウとも合流出来る。
 後は、その二人にどうやって、怪鳥に乗った(引っ掛かったとも言う)タイランを回収してもらうかだ。
「…………」
 悩んでいたシルバは、シーラがいまだ北の方角から視線を外していないのに気がついた。
「シーラ、どうした? ぅおっ、じ、地震か?」
 唐突に地面が揺れ、シルバは周囲を見渡す。
「――爆撃音」
 シーラが指差した先は、狼煙の上がった所だった。
 うっすらと、黒煙が上がり始めていた。
「何が起こってるんだよ!?」
 シルバの問いに答えず、シーラの眉がほんのわずかだけ、寄った。
「――そして、タイランが落下した。爆撃のあった辺り」
「うおおぉい!?」


※次回は、その爆撃のあった辺りとなります。
 そもそも、タイランが自主的に落ちたのか、事故で落ちたのかとか。



[11810] 空の上から
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/08/28 05:07
 さすがの巨鳥といえど、重量級であるタイランの重甲冑に脚にしがみつかれては、上手く飛ぶ事が出来ない。
 それでもふらふらと不安定に揺れながら羽ばたいているのは、この峡谷の三魔獣としての矜持であろうか。
 怪鳥イタルラはかろうじて高度を保ち、北に向かって飛行を続けていた。
 そしてタイランはと言えば。
「ガガ落チル落チル落チタラ壊レルガガガガガ怖イ怖イ怖イ」
 ガタガタと震えているのは、もっぱらタイランに内蔵された疑似人格モンブランであった。
 どうやら、高所恐怖症であるらしい。
 タイラン本人は、彼を宥めるのに必死で、恐怖を覚える暇もなかったりする。
 どちらも重甲冑の中での会話である。
「お、落ち着いて下さい。大丈夫ですから。いざとなれば、ショックを和らげる方法もありますし」
「ガガガガガ本能的ナ恐怖動物的直感危険ガ危ナイ下ロシテ誰カ下ロシテ」
「そ、その内、着陸しますから。それに、本当に危ない時は私が何とかしますから」
 ……そもそも、クロップ老に造られたモンブランに、動物的本能があるんでしょうか、とタイランは思うのだが、それを突っ込みきれないところに彼女の控えめな性格が顕われていた。
 ともあれ、タイランの気休めも、一応の効果はあったようで、モンブランは少し落ち着いてくれた。
「ガガ……本当ニ?」
「ほ、本当です。一応手段は持ってますから。っていうか暴れると、逆にもっと危険ですし」
「な、な、なら我慢する……ガ、怖いけど我慢する」
 ……イタルラの脚にギュッとしがみつきながら、モンブランが言う。
「あ、ありがとうございます……」
 脚がへし折れなきゃいいんですけど……と、タイランは心配になった。
「ガガ、デモコレ、ドコマデ飛ブ……?」
「さ、さあ……? 鳥さんに聞いてみたいところですけど……」
 タイランは、首を怪鳥イタルラの頭部に向けた。
 相手は我関せずといった様子で、羽ばたきを休めない。
「……無理っぽそうですね」
「ガガガガガァ~~~~~」
「だ、大丈夫ですよ! 私がホラ、ついてますから! ちょっと頼りないかもしれませんけど、その身体は私にとっても大事ですし!」
「ガ、ア……サッサト降リロ馬鹿鳥……」
 ボソッと、モンブランが暴言を吐いた。
 その途端、イタルラは翼の動きを強めた。
「ちょっ、挑発しちゃダメですよモンブランちゃん! ほら、何か人語理解してるみたいですし! ひゃああああああああああ!?」
 風が強まり、急角度で降下が始まる。
 かと思うと急上昇、一回転してからランダムな軌道で脚にしがみついているタイラン達を振り回した。
「ガガガ! ガガガガガ!?」
 地獄のような飛行時間はどれだけ続いただろう……実際は一分も掛かっていないはずだが、二人には永遠にも感じられた。
「ガガ……シ、シ、死ヌカト思ッタ……」
「わ、私もです……」
「ガ、人間ナラ、オシッコチビッテル所ダ……」
「その身体にそんな機能がなくてよかったです……うん?」
 タイランは、正面先の峡谷に何やら細い煙が立ち上っているのを認めた。
「ガ、ガ、火事カ?」
「……ほ、本当に冷静な判断が出来なくなってるんですね。アレは仲間内で使われる狼煙ですよ。……えっと、どうも、カナリーさんとキキョウさんがあそこにいるみたいですね」
 狼煙のメッセージをタイランは正確に読み取った。
 つまりこの先に、二人がいるのだ。
「ガ! タ、タ、助ケテモラオウ! ココワ地獄ダ!」
「ど、どうやって助けてもらうんですか!? 撃墜ですか!?」
 これが夜ならば、カナリーの飛行能力で何とかなったかも知れないが、残念ながら今は真っ昼間である。
 となると、残る考えられる手と言えば雷撃による攻撃だが……。
「ガガ! コノ際ソレデモイイ!」
「私達まで墜落しちゃいますよ!? ――ひゃあっ!?」
 その、狼煙の上がった辺りで爆音が生じた。
 黒煙と共に、大地が揺れる。
「ガガ、ガガガ、爆撃!?」
「戦闘ですよ! 何か川から出現してます!」
 イタルラはいよいよその地に近付き、タイランの視界からも、地上の様子が分かるようになった。
 大きな川に、鉄の巨人が出現していた。
 彼の上半身から放たれた無数の砲撃が、川辺を焼け野原に変えていた。
 濃い煙の中、転がり現れたのは煤だらけのキキョウだ。
 赤と青の服が揺れているのは、おそらくカナリーの従者、ヴァーミィとセルシアであろう。
 肝心の主、カナリーは……姿は見えないが、煙の一部が放電しているところを見ると、相手の攻撃を雷撃で迎撃したようだ。となると、術師は当然カナリーだろう。
「ガガ、タ、助ケル!!」
 モンブランが叫ぶ。
 今回の場合、どちらかといえば義侠心よりも現状からの逃避である事は、タイランにもよく分かった。
「ここからじゃ無理――」
 タイランの言葉を待たず、モンブランは重甲冑の左腕をイタルラの頭に伸ばした。
 そして、ロケットナックルが勢いよく射出される。
「って、ええ!?」
 鈍い音がして、イタルラの首がくきりと折れ曲がった。
「ガガッ、落チロ馬鹿鳥!」
 モンブランが鼻息荒く言う。
 ワイヤーが巻き戻りに掛かり、左腕がガシャコン、と元に戻った。
「ちょ、だ、駄目ですよ、そんな事したら! 落ちる! 本当に落ちちゃいます!」
 イタルラの飛行が、これまでになく不安定なモノになりつつあった。ふらふらと揺れながら、高度が下がっていく。
 よく見ると、イタルラの目がグルグルと回っている。どうやら軽い失神状態にあるようだった。
 ぶん、とタイラン達がしがみついていた脚が前に跳ね、その勢いで重甲冑がイタルラから離れてしまう。
「ガ……?」
「あ……」
 つまり、空中に投げ出された。
「ガガガ! シ、シマッタ!」
 モンブランが重甲冑の手足をばたつかせる。
 しかし、そんな事で重力に逆らう事など、出来はしない。
 相当なスピードで、二人を搭載した重甲冑は自由落下を開始していた。
 しかも、進行方向である斜め下にあるのは――。
「し、しまったじゃないですよ、モンブランちゃん! おち、落ちてます……しかも、戦闘のど真ん中に……っ!!」
「ガ! ソ、ソレナラセメテ一撃……ッ!!」
 モンブランが、今度は右手を突き出した。
 再びのロケットナックルが、鉄巨人の頭部がくきりと角度を変えた。
 が、モンブランの活躍もそこまで。
 二人はそのまま、水面に着水した。


 派手な水飛沫の発生に、キキョウは呆然としていた。
 何か空から降ってきたように見えたが……見上げると、巨大な鳥がよろめきながら遠ざかっていくのが見えた。
「な、な、何が起こったのだ……?」
「援軍……にしては、中々に過激だね……」
 援軍?
 キキョウが首を傾げていると、水面が盛り上がり、目を回した精霊体のタイランと、モンブランが動かしているのだろう重甲冑がふらつきながら現れた。
「ご、ご無事ですか……カナリーさんも……キキョウさんも……」
「い、いやいや」
「君が一番、大丈夫じゃないって、タイラン……」
 何しろ、空から降ってきたのだ。
 キキョウとカナリーが同時に突っ込んだのも、無理ない事だった。


※「ココ『ワ』地獄ダ!」はわざとです。
 念のため。
 次回は引き続き、ディッツ戦となります。
 さて、イタルラはどう出るか……。



[11810] 堅牢なる鉄巨人
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/08/31 17:31
「と、とにかく援軍って事で……いいのかな?」
 念のため、カナリーは尋ねた。
「は、はい……結果的にはそういう事で」
 タイランは頷いた。
「ガガ! 地面! 地面! 安定スルノハ素晴ラシイ! 地面大好キ!」
 一方、胸部ハッチを閉じた重甲冑――モンブラン十六号は、両腕を大きく天に掲げて、叫んでいた。
「……妙にモンブラン十六号のテンションが高いのは、何で?」
「ガ!?」
 カナリーの問いに、ギクリと振り返るモンブラン。
 何だかどう答えたモノか悩んだ様子を見せていたタイランだったが、困ったような笑みを浮かべて首を振った。
「あ、あー……そ、それは、本人の名誉の為に伏せさせて頂きます」
「ガガ! たいらんイイ奴!」
「み、皆、そのような雑談をしている場合ではないぞ!? 巨人が復活してきている! 先にゆくぞ、ええと、この場合はモンブランであるな!」
 なるほど、川に飛び込んだキキョウの言う通り、それまで動きを止めていた青い鉄巨人が、ゆっくりと動き始めていた。
 いや、青というのは正確ではなくなっていた。
「あ、は、はい! ……あれ、さっきまで青くなかったですか、あの巨人さん」
「うん? そういえば……」
 一部の塗装が剥げたのか、青いボディのあちこちが削れ、黄色っぽい金属の身体が下から現れていた。
 ふわり……と漂ってきた埃の様なモノを、カナリーは手に取った。
 その青い粉は、カナリーの手の熱であっさりと溶け、粘りのある液体に変化する。
 周囲の大気も青っぽくなっていた。
 砲撃の巨人、ディッツの腹部砲口が唸りを上げ始める。
 それらに気がついた瞬間、カナリーの背筋に寒いモノが駆け抜けた。
「!? ……全員、川に飛び込め!!」
 根拠も何もない、カナリーの直感だった。
 自分の本能に従い、カナリーは川に飛び込む。左右から自分の従者、ヴァーミィとセルシアが飛び込んだのが見えた。
 背後で一際大きな飛び込み音が響いたのは、モンブラン十六号だろう。
 水の精霊であるタイランは、水中でよく分からないと言った顔をしているのが見えた。
 そして、それはすぐに訪れた。
 水上で発生した巨大爆発。
 水面を見上げると、紅蓮が視界を覆い尽くしていた。
 火元は鉄巨人ディッツの腹部から射出された砲弾。
 大爆発の触媒となったのは、大気中にバラ撒かれた青い埃だろう。
 爆発の衝撃も伝わってきたが、陸の上よりは遥かにマシだ。
 しばらく待って、川面に出ると酷い熱気がカナリーの身体に纏わり付いてきた。
「ぶは……っ! 嫌な予感大当たりだ」
 巨人を見ると、青い塗装はすっかり融け、黄色く輝く鋼のボディが完全に姿を露わにしていた。
 つまり、あの青かった塗装は……。
「バクハツダケの亜種というか……バクハツゴケとでも呼ぶべきかな」
 幸いな事に、鉄巨人ディッツの動きは非常に鈍い。
 ザブザブと水を足で掻き分け、キキョウは岸辺に戻って振り返った。追うようにヴァーミィとセルシアも、川から出て来る。
「タイラン!」
「は、はい!? 何でしょう!」
 水の中から青い身体半分だけを出現させ、タイランが問う。
「……水の中にいると危ないよ?」
 砲撃の巨人ディッツに向けた、カナリーの細い指先で紫色の火花が踊っていた。
 それを見て、タイランが慌てて水面から飛び上がる。
「――今度はこっちの番だ、『{雷閃/エレダン}』!!」
 指先に集束した紫電の極太ビームが迸り、轟音と共に鉄巨人の胴体に直撃する。
 衝撃に耐えきれなかったのか、ディッツはグラリと巨体を揺らがせ、川の中に倒れ込んだ。
 川の水が派手にバチバチと音を立て、火花を散らしている。
「っ……!?」
 一番驚いたのは術を放ったカナリー本人だった。指先を突きつけたポーズのママ、固まっていた。
「い、威力が強すぎませんか、カナリーさん! い、いえ、私はいいんですけど!」
「ぼ、僕もビックリだ。力が地面から沸いてくる……土に何か秘密があるのか……?」
 足下から流れてくる雷気に、カナリーはしゃがみ込み、砂利を撫でてみた。
「考えるのはあとにしてもらえると、助かるのだがな。カナリーはバンバンさっきの雷術を放ってくれてよいぞ。某の事は気にするな」
 大きく波打つ川を見つめ、キキョウが言う。
「え? そりゃありがたいけど、本当にいいのかい?」
「うむ、問題ない。某に思いついた秘策がある」
 キキョウはそう言うと、ナマズの仮面を着けて川に飛び込んだ。
「……それは、秘策じゃなくて単に思い付きって言うんだと思うよキキョウ……ってもう川に入っちゃってるし」
「と、とにかくキキョウさんの事を信じましょう。私も……いえ、私は回復役に専念しますから、モンブランちゃん、キキョウさんと一緒によろしくお願いします!」
 川に入ったままのモンブランが、ゴツンと自分の拳同士を打ち合わせた。
「ガ! 任セロ!」
 そして、モンブランも水の中に潜っていく。
「タイランが後方支援をやってくれるのなら、助かるよ。ヴァーミィとセルシアも基本近接戦だから、今回は支援に回ってくれ。タイランは――いざという時の為に、魔力を温存」
「は、はい……!」
 ヴァーミィからポーションを預かり、タイランはいつでも投擲出来るように準備する。
 それを見届け、カナリーは天に向かって右手を掲げた。
 川の中に倒れていた鉄巨人ディッツは、ようやく身体を起こしたところだ。
 その頭上に、紫電の迸る黒雲が生じる。
「さて、もう一発――今度は『{雷雨/エレイン}』だ!!」
 カナリーの腕が下がると同時に、雷の豪雨がディッツに降り注いだ。
 同時に川が眩く輝き、油が跳ねるような鋭い音が生じた。
「ひゃっ!?」
 ディッツの黄色い巨体が、激しく痙攣する。
 雷気は頭上と同時に、水中からも放たれているようだった。


 その水中――。
「……ナマズには電気を放つ種類もいてな」
 ナマズの仮面を被ったキキョウが、己が全身から雷気を迸らせながら呟く。
 その視線は、自分の胴回りより遥かに太いディッツの足に向けられていた。
 ガクガクと震えているその足が崩れ落ちるのも、時間の問題だろう。


「モンブランちゃんは……」
「大丈夫。絶魔コーティングの力を信じればいい」
「ガ!」
 カナリーの声に応えるように、水面に重甲冑の上半身が元気に出現する。
「ほら」
「ガガガガガ! 喰ラエじゃいあんとみさいる!」
 背中に背負っていた二本の巨大ミサイルの内一本が、搭載装置の駆動で肩に載る。
 モンブランは噴射口から炎が噴き上がるそれを両手で抱えると、そのまま黒煙をあちこちから漏らしながら痙攣する鉄巨人ディッツ目掛けて投げつけた。
 投擲されたそれは狙い違わず、ディッツの頭部に直撃した。
 激しい轟音と衝撃が生じ、ディッツは再び川の中に倒れ込む。
「……いや、射出装置とか無視かモンブラン」
 せっかく用意した仕掛けを台無しにされ、カナリーは顔をしかめた。
 が、モンブラン十六号は平然と、ガッツポーズを作って見せた。
「ガ! コッチノ方ガ威力ガアル! 我、腕力強イ!」
「さすがに沈んだかな……」
「いえ……! ま、まだです!」
 カナリーの呟きを、タイランが否定した。
「何!?」
 ズズズ……と水を掻き分けながら、黄色の巨体が平然と起き上がってくる。
 煙が漏れ、身体のあちこちが黒く煤けているが、鉄巨人ディッツの肉体自体に破損は見あたらない。
 それを見て、カナリーの顔が険しくなった。
「あっちも絶魔コーティング……いや、異常にタフなだけか。くそ、あのミサイルは、僕の自信作だったのに……!」
 ディッツの放った拳が、モンブランの身体を直撃する。
「ガガ!」
 両腕をクロスさせて防御はしたモノの、勢いを殺しきれず、そのまま岸辺にまで弾き飛ばされてきた。
「モ、モンブランちゃん、大丈夫ですか!?」
「ガ! ヘ、平気! モンブランハ強イ!」
 ポーションを胸に抱いたタイランが駆け寄ると、大の字に倒れていたモンブランは自分のタフさを示すように起き上がる。
 だが、ガクン、と急に地面が大きく下がり、モンブランはバランスを崩した。
 カナリーや従者達も例外ではない。
 半気体状である水精のタイランだけは、かろうじて無事だった。
 上へ下へ左右へと、大地を掻き混ぜるような激しい揺れは更に続く。
 これが自然のモノと考えるほど、カナリーは気楽ではなかった。では、誰が発信源か?
「っ!? こ、この揺れは、キキョウの仕業か!?」
 そう、雷撃とモンブランのミサイルでも足りないと判断したキキョウが、仮面の力を借りて大地に干渉したのだ。
 第三の洞窟にいた石巨人なら、三回壊れてもお釣りが来る連携の破壊力だっただろう。
「で、ですけど……向こうがタフすぎます」
 地面の揺れが徐々に収まると、懲りずにディッツは起き上がってきた。
 何とまあ、頑丈な奴だろう。
 もう呆れるしかないカナリーであった。
 が、呑気に呆れている場合ではなかった。
 遥か空の向こうから、大きく羽ばたく鳥が近付いてきているのが見えていたのだ。
「一難も去っていない内にもう一難が来たよ……」
「あ……」
 遠近感が狂いそうなその巨大な鳥の名を、『怪鳥』イタルラという。
 イタルラは川の真上に来ると、大きな弧を描くように旋回しながら、口を開いた。
 低い唸り声のような鳴き声が、峡谷に響き渡る。
「ガガ! 鳥来タ! ヤッツケル! 変ナ術ナンテ怖クナイゾ!」
 モンブランが強気な声を張り上げる。
 が、イタルラの狙いは、カナリー達ではなかった。
 奇妙な鳴き声がやむと、鉄巨人ディッツの身体が赤く輝き始めたのだ。
 その気配に、カナリーは覚えがあった。
「{豪拳/コングル}!? ぜ、全員、退避!」
 カナリーは叫び、ディッツに背を向けて逃げ出した。
 格好なんて気にしていられず、射程範囲外と思われる距離の岩陰に身を潜める。仲間達も、似たり寄ったりだ。
 モンブラン十六号だけは、逆に川に潜り、ディッツと距離を詰めた。遠くに逃れるほど動きが速くなく、むしろ敵の真下の方が被害が少ないと判断したのだ。おそらくキキョウもそうしているだろう。
 再び全身の砲身が解放され、ディッツの怒濤の砲撃が始まった。
 その威力は先刻の比ではない。
 河原の砂利や岩が砕け、大地が激しく揺さぶられる。
「はぁ……はぁ……くそっ、鳥のくせに厄介な術を使ってくれるよまったく!」
 岩陰に隠れたまま、カナリーは荒い息を吐き、空を舞う怪鳥を恨めしく睨み上げる。
「きょ、巨人さんの動きが鈍いのが、せめてもの救いですけど……」
 同じように岩陰に隠れていたタイランが呟いた。
 カナリーだけではない。砲撃の直撃こそ食らってはいないモノの、皆、スタミナと精神力をかなり消耗していた。
「ところが、そこに素早い奴が加わった。そして僕らには空中戦に対する備えがほとんどない」
「カナリーさんの雷撃は?」
「手札自体はあるんだ。今言った、僕の雷撃。タイランの重甲冑に仕込んだミサイルとかね。ただ、あの鳥の巨体ではカードが弱すぎる。距離を取られて術を使われたり、ヒット&アウェイの手を取られると、こっちからの手出しが難しいんだ。もっと強い手……直接攻撃が出来るシーラか浮遊板を持ってるヒイロがいてくれれば……!」
 ようやく砲撃がやみつつあった。
「……つまり、誰かがあの鳥の足止めに専念すればよいのだな?」
 頭上からの声にカナリーが視線を向けると、岩の上にずぶ濡れになったキキョウが腰掛けていた。
 岩の上に跳躍したセルシアが、キキョウにマジックポーションを手渡す。キキョウも水の中で雷撃や地震などを発生させ、かなりの魔力を消費していたはずだ。
「……まあ、少なくとも、正面の鉄巨人に専念は出来ると思う」
 キキョウの問いに、カナリーが自信なげに答える。
 ふむ、とキキョウは空を見上げた。
「それならば、アレは某が相手しよう。少しの間がいるが、おそらく可能のはず」
「……何か手があるのかい?」
「なければ言わぬよ。ま、倒せるかどうかは分からぬが、ディッツとか言ったか。あの鉄巨人よりは某も、相性がよいと思うし」
「な、何、する気ですか、キキョウさん……?」
「いやぁ……」
 キキョウは膝の上に置いた、ナマズの仮面を撫でた。
「……シルバ殿の妹御は大したモノだと、某は思うのだ」


※ぬう、ボケもツッコミも入る余裕がないという。
 いつもの倍になってしまい、分割したかったのですが、切りようがなかったのでこのまま掲載。
 あ、モンブランの呼称が一部間違ってたので、修正しました。



[11810] 子虎と鬼の反撃準備
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/08/31 17:30
 天井や壁、地面から出現した無数の円錐はちょうど空中でぶつかり合った。
 白銀色の歪なそれは即座に球体となり、徐々に人型へと変化しようとしていた。
 そして、ヒイロとリフはと言うと。
「ビ、ビックリしたなぁ、もう」
「に……危なかった」
 正面突破を計ったヒイロの持つ大盾は、棘だらけになっていた。それもすぐに溶け、地面に落ちる。
 反射神経を限界まで駆使してドリルを回避したモノの、せっかく新しくしたリフのコートは、いきなりあちこちほつれていた。
 その肩からは、血が滲んでいた。
「って、リフちゃん怪我してるし!」
「問題ない。肩。ヒイロも足」
 リフは、ヒイロの足を指差した。
 右のふくらはぎが、大きく裂けていた。
「唾つけてたら治るよ、こんなの」
「……時間かかると思う」
「それより敵! あの尖ったのを何とかしないと!」
「に!」
 まだ、螺旋獣ヤパンは完全な姿に戻りきっていない。
 距離の開いた状態で有効な攻撃――と考え、リフは精霊砲を放った。
 いつものように出したつもりのそれは、極太の緑光線となってヤパンを直撃した。
 そして、攻撃をした方の二人も爆風で吹き飛ばされた。
「うぉう!?」
「にぁっ!?」
 ごろごろごろーっと地面を転がり、土煙の中、ヒイロとリフは立ち上がる。
「けほ、えほっ……リ、リフちゃん、ちょっとやり過ぎ」
「に、さっきと同じようにしたはずなのに……」
「やったかな?」
「……その台詞は駄目だって、お兄言ってた」
「そんなモノでは、倒せませんよ」
 濛々と巻き起こる土煙の向こうから、女性の声が聞こえてきて、リフはああやっぱりと思った。
 が、ヒイロは驚愕しているようだった。
「効いてない!?」
「いえ、充分効きましたとも」
 視界が晴れ、そこには白銀色の装束を纏った女性が立っていた。
 外傷は、見た所まるでない。
「とてもそうは見えないけど……」
「外見では分かりづらいですから。それではこちらの番です」
 女性はドリルの頭部を持つ猛獣へと即座に変化し、突進してきた。
 ヤパンは一気に距離を詰め、リフ達に迫る。
「っ……! さっきより速い!」
「にぃ……!」
 反撃の余裕はなく、二人は左右に分かれた。
 だが、危機がそれで去った訳ではなかった。
「正面だけとは限りませんよ」
 二人の脇をすり抜け際、ヤパンが囁く。
 そして、ピンチは即座に二人を襲った。
 低い唸り音と羽ばたきが、リフの耳に届く。
 振り返ると、白銀色をした小さな生物が何匹も宙を漂っていた。
「む、虫型!?」
「こっちは鳥さん!」
「変幻自在が私の売りですので」
 それら小生物達は不意に動きを止めると、鋭い円錐形に変化し、回転しながらリフとヒイロに迫ってきた。
「ヒイロ、そっち行った!」
「うん! ……くっ!」
 跳び退ろうとしたヒイロの動きが、急に鈍った。
「に!」
 リフは精霊砲を放ち、ドリルの何本かを消滅させる。
 だが、始末し損ねた一本が、ヒイロの背中に刺さっていた。
「うう、油断した。あ、足が……」
「だいじょぶ、ヒイロ?」
「と、とりあえずは……でも、リフちゃん、ボクを庇ったままだと……」
 リフはヒイロを強引に引きずり、ヤパンから距離を取った。
 背中からドリルを引き抜き、直にポーションを掛ける。
 そして、ヤパンの襲撃に備える……が。
「……?」
「あ、あれ? 攻撃が、ない?」
 岩壁から鋭い頭部を引き抜いた螺旋獣ヤパンは、こちらに向き直っていた。
 が、何故か攻めあぐねているようだった。
「に……」
 精霊砲を放とうとして、リフは手の力を緩めた。さっきと比べ、力が出ない。
 一方、ヤパンは再び人の姿に変化した。
 だが、それはあの巫女のような女性ではない。
「そちらの、君?」
 キキョウの声に、思わずヒイロが注意を惹かれてしまう。
「え?」
「見ちゃ駄目」
 リフが注意するが、遅かった。
 ヤパンは今度は、キキョウに姿を変えていた。
「あ……」
 偽のキキョウの瞳が妖しく輝き、ヒイロはそれに取り込まれてしまっていた。
「こっちに来るのだ、ヒイロ! 急げ!」
「あ、う、うん!」
 リフの手を振り払い、ヒイロはヤパンの元へと駆け出した。
 その脇を追い越し、リフは腕に刃を出現させる。
「に! 同じ手だめ!」
 跳躍し、キキョウの姿を取ったヤパンに躍りかかった。
「ふっ……」
 腰の刀――一角獣の角のような螺旋剣を引き抜き、ヤパンがリフの刃を迎撃する。
「にぅっ!? お兄じゃないのは、この為!?」
 とんぼを切り、リフは着地する。
「ふふふ、左様。技とスピード……戦闘力のバランスならば、この者が一番なのでな。――気をつけるのだ、ヒイロ。あのリフこそ偽者。騙されてはならぬぞ」
「わ、分かった! やっつける!」
 ヤパンの側についたヒイロが、目を回したまま骨剣を構えて突進してきた。
「にぅ……ヒイロ、だまされすぎ……」
「さて、お主に味方を倒せるかな?」
「…………」
 リフは、腕の刃を引っ込め、ヒイロに向かって右手を掲げた。
「あやつられてるから、動きが直線すぎ」
 そして、精霊砲を放った。
 それには、偽のキキョウ――ヤパンも驚いた。
「な……!?」
「あ……」
 普段よりも遥かに弱い精霊砲を食らい、ヒイロはあっさりと我に返った。
 戸惑ったように左右を見、リフを見つめる。
「え、あれ、リフちゃん偽者?」
 リフは、偽のキキョウを指差した。
「ちがう。あっちの催眠術」
「嘘!? ボク掛かっちゃってたの!?」
「にぅ……そろそろヒイロも反撃する。このままだと、ヒイロ、あっちとこっちを行ったり来たりで大変」
「そりゃもちろんだけど……ボク、歯止めが利かなくなるよ? それに、グリーンゼリーと違って耐久力が半端じゃないし、勝ち目があるかどうか」
「に……ある」
「え?」
 戸惑うヒイロとは別に、リフには勝算があった。
 螺旋獣ヤパンは高い知能を持ち、不定形であり、人に化け、その技能を操り、その本性は強い貫通力があるドリルを持つ獣……それは明らかに普通の生物ではない――魔法生物だろう。
 なら、その弱点を突けばいい。
「タイミングは、リフが計る。それまで待って」
「リフちゃん、何か策があるみたいだね。らじゃった!」
 相談する二人は、そのまま左右に分かれた。
 直後、数瞬前まで二人が立っていた位置を、雷撃が落ちた。
「何をする気か知らないけど、ぼやぼやしてたらやられちゃうよ?」
 金色の髪を掻き分けながら、カナリーに化けたヤパンが微笑む。
「……雷も使う」
「魔術は得意なのでね。さあ、そろそろ大人しくしてもらおうか! ……何を笑っているんだい?」
 指先をリフに突きつけたまま、偽カナリーは怪訝そうな顔をした。
「に、まだ全然勝負は着いてない」
「そーそー。ボク達の奥の手も見せてないしね。全部出し切って、それでも駄目だったら負けを認めるよ」
「……そうかい。なら、やってもらいましょうか! ――{雷雨/エレイン}!!」
 偽カナリー――ヤパンは洞窟の屋上に向けて手を掲げた。
 低い唸り声が鳴り響いた直後、無数の紫電の雨が降り注いだ。
「ヒイロ、いく!」
「りょーかいっ!」
 ヒイロは大盾を傘のように頭上に掲げたまま、敵の死角に回り込むように走り出す。
 一方リフは、帽子を掴むとポケットに突っ込んだ。
「にぅっ」
 そのまま、雷の豪雨の間をすり抜けるように真っ直ぐ走り始めた。
 その動きに、偽カナリーが驚愕する。
「速い――!?」
 否、動きが速いのではなく、攻撃の予測が速いのだ。
 敵意に関する感度がいきなり跳ね上がった――そう、考えるしかない。
 本来不定形であるヤパンは防御を固める必要はない。
 ヒイロに化け、反撃に転じようとしたヤパンは、リフの頭部にピンと一本、髪が跳ね上がっているのが見えた。
「アンテナ!?」
「にぅ、ひげ!!」
 偽ヒイロの蹴りを避けながら、リフは叫ぶ。
「ヒイロ、今!」
 背後に立っていたリフは、もう準備を終えていた。
 腰の袋から取り出した赤く乾燥した果実を囓る。
「うん――『狂化』!!」
 ヒイロの瞳が赤く変化したのは、その直後だった。


※お待たせしました。
 そして次回は再びシルバ視点。
 ちょっとずつ合流していきます。



[11810] 空と水の中
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/09/01 20:33
「バランスを考えれば、ヒイロとリフの元に急ぐべきなんだろうけど」
『教皇』の札となったちびシルバは、シーラの左肩の上で胡座をかいていた。
 そのシーラは両足から衝撃波を連続噴出する事で、高速飛行を行なっていた。
 もちろん目指す先は、タイランが墜落したと思われる、爆発が起こった場所だ。
 シーラの右肩に乗っているちびネイトが頷く。
「さすがにあの爆発は心情的に見逃せないな、うむ」
「――最悪の事態にはなっていない。爆発は、敵の攻撃の効果。タイラン自身の爆砕ではない」
 異常に視力のいいシーラの説明だったが、シルバは楽観視しなかった。
「……っても、んな攻撃食らっちゃ、みんなもタダじゃ済まないだろうに」
「――ちゃんと全員生きてる」
「オーケー。ネイト、みんなと精神共有は?」
「まだ遠い。代わりにシーラの視界を共有させよう」
 ネイトが言うと、途端にシルバの視界がグッと広くなった。
 黒煙の上がる戦闘地域から、巨大な鳥が遠ざかっていくのが見える。
 タイランが掴まっていた怪鳥――イタルラだ。
「鳥が逃げていくな」
「――旋回しているだけ。すぐに戻ってくる」
 地上では、カナリーやキキョウが何とか踏ん張っているようだ。
 しかし、あの怪鳥イタルラが戻ってくると戦力を割かなければならない。展開は少々厄介になるだろう。
「……なら、俺達はあの鳥をやろう。倒す方法はある」
「あの手を使うか、シルバ」
「分かってるのか?」
 ネイトの言葉は、今一つ信用出来ないシルバだった。
「ふふふ、シルバの考える事など、私には全てお見通しだ。分かっているぞ。シルバナックルは鋼の強さ」
「やるかんな事! 近い事はするけど、全然逆の効果だし!」
 素手で殴る、という点では当たっているが、どこをどうやっても自分の拳であの巨大な鳥を撃墜出来るはずがない。
 もっとも、普通の拳でないなら、相手を地面に叩き落とす事は可能だ。
「ふむ。まさか、シルバが姉上殿と同じような事をする羽目になるとはな」
「……あーゆーのは、ホント怖いからやりたくねーんだけどな」
 今になって、実の姉サファイアのやっている事の恐ろしさを実感するシルバであった。
 何より、あの巨大な敵に触れられる距離まで近付くという行為が、本来は至難の業だ。
 ドラゴンの炎や魔神の鉄槌に、素手で挑む姉の、何と異常な事か。
「だが、確かに一番手っ取り早い。飛ばない鳥は……ニワトリに失礼だな。しかし一つだけ問題がある」
「分かってる。……高速で動いている相手にどうやって接近するかだよな。シーラ、もっと高く。頭上から攻めよう」
「――了解」
「それなら、精神共有がギリギリ届くかもしれないな」
 要はタイミングだ。
 下の誰かと連絡を取り、ほんのわずかでもイタルラの動きを止めてくれれば、それでいい。
 ……そして、それまでは、相手に自分達の存在を勘付かれてはならない。


(――という訳だけど、キキョウ、何か手があるって?)
 地上……否、川の中で、ナマズの面を被ったキキョウはシルバの作戦を聞いていた。
「うむ。ちょうどよいタイミングであった……なるほど、シルバ殿の狙いはよいと思う。某が何とかするので、合わせて欲しい」
(何するつもりか知らないけど、了解した。じゃあ、後で会おう)
「うむ」
 シルバの意識が離れるのを感じ、浮遊感を感じながらキキョウは腕を組んだ。
「ふむー」
 そして満足げに、大きく息を吐き出す。
「やはり、見ている者がいてくれていると、やる気が違うな、うむうむ」
(って、そんな呑気な事を言ってる場合じゃないぞ、キキョウ! 早く何とかしてくれ!)
 途端、カナリーの絶叫が頭に響いてきた。
 陸の方では怪鳥イタルラが突風を放ち、カナリーらを苦戦させているようだ。
「承知。では某が、そろそろあの怪鳥を止めるとしよう」
 川底に手を付けると、キキョウは小さな地震を起こした。
 正面のやや離れたところにある砲撃の巨人、ディッツの足がバランスを崩して揺らぐ。
 しかし倒れず、川面を通して彼の目は、地震の源であるキキョウを見つけていた。
「さあ、来るがよい巨人よ。お主の全力、某にぶつけてみよ」
 それが聞こえたのか、ディッツの股間、両太股、両膝、両ふくらはぎが展開し、幾つもの砲口が出現した。
 そして間を置かず、その全ての砲口から水中用のミサイルが飛び出してきた。
 その圧倒的な量からは、どう考えても回避は不可能。
 キキョウは表情を変えず(といっても面を被ったままなので当然だが)、両腕を交差させて防御の構えを取った。
 そして、水中でとてつもない爆発が巻き起こった。


 巨大な水柱が、巨人とタイラン達の間に発生した。
「キ、キキョウさん!!」
 岸辺にいた精霊体のタイランが、悲鳴を上げる。


 それは怪鳥イタルラの舞う遥か上空、シーラの視界を共有していた、ちびシルバも同じだった。
 だが、その表情はタイランの悲痛なモノとはまるで違う。
「――よし!」
 話を聞いていたシルバは、グッと拳を固めた。


 巨人ディッツの砲撃を受けた川底は、膨大な衝撃と熱量と乱流を生んでいた。
 そしてそれらが、次第に一点に集中していく。
 川の底を見下ろすディッツの視覚センサーは、その異常を確認していた。
 だが、何が原因なのかが分からない。
 その聴覚センサーに、小さく聞き取れる呟きが混じっていた。
 ディッツは聴力の感度を上げてみた。
「大ナマズ……某も聞いた事がある。地震の原因という伝説のアヤカシ。そして同じ言い伝えを持つもう一つの生物が存在する。その名を『龍』という」
 川の水の中で、大きな渦が生じていた。
 そしてその渦に、ディッツのミサイルで作り出した破壊の力が、徐々に呑み込まれていく。
 中心にいるのは、両腕で顔を防御している着物の剣士だ。
 その、顔に当たる部分から、組木を動かすような、カシャリ、カシャリという音が響き渡る。
「ジェント全土を取り囲む長き胴を持つ巨大なアヤカシとも呼ばれるそれと大鯰は、元は一つ。鯉が滝に昇りその身を変えるが如く、大鯰も我が意思により等しく龍となる事は可能」
 剣士の腕がゆっくりと下がり、そこから出現した仮面は、ナマズのモノではなかった。
 鹿のような角、駱駝の頭部、鬼の瞳を持つそれを、東方では竜と呼ぶ。
「巨人よ、その膨大な力と量、我が変化の贄とさせてもらうぞ!」
 竜面を被った剣士が腕を振るうと、荒れていた水流が一気に中心の渦に取り込まれた。
 身体の半ばを水に浸けているディッツはたまらず、膝を屈してしまう。


「な、何だ……!?」
 水面に生じた大きな渦に、カナリーは動揺していた。
 いや、キキョウが何かをしたのは分かるが、その何かが分からないのだ。
 そして、渦の中心から巨大な蛇のような水の尾が飛び出したかと思うと、徐々に水面は穏やかさを取り戻していった。
「ガガ……何カ昇ッテイッタ」
 モンブラン十六号がそれを呑気に見送っているのを見て、カナリーもハッと我に返った。
「って、いや、それどころじゃない! こっちはチャンスだチャンス! 相手は動きを止めている! タイラン、モンブラン、タイミングを合わせてもらうよ!」
「は、はい!」
「ガガ! アイツヤッツケル!」


※次回は引き続き、川辺での戦い。
 そろそろ決着予定です、はい。



[11810] 墜ちる怪鳥
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/09/02 22:26
 川から昇ってきた竜面の剣士に、怪鳥イタルラはギョッとした。
 自身は頭部、長い胴と尾も水で作られたその姿は、正に東方の『竜』であり、大きさもイタルラに引けを取らない。
 イタルラは反射的に翼を羽ばたかせた。
 途端、二本の竜巻が生じ、竜に躍り掛かる。
 しかし、竜の咆哮が轟くと、その竜巻は消滅してしまった。
 だが、イタルラの攻撃はまだ終わっていない。
 口を開き、灼熱の火炎弾が喉元から迫り上がってくる。
 それらが眼下の竜に降り注いだかと思うと、竜はその巨大な水の胴体を踊らせた。
 幾つもの炎の球は、水蒸気と共に消え去ってしまう。
 ならば、とイタルラは天空を見上げる。
 何やら小さな点が見えたような気がするが、それに構う余裕は今の彼にはない。
 黒雲を集め、雷撃を落とそうと試みたのだ。
『竜』はそれを許さず、再びの咆哮。
 空気の塊が空目がけて放たれ、黒雲が霧散してしまっていた。
 もはや術は通じない。
 さすがに悟ったイタルラは、改めて翼をはためかせ、その爪で『竜』を切り刻もうと試みた。
「……効かぬよ」
 竜の頭の中で、キキョウが呟く。
 怪鳥の爪よりも『竜』の水と風の刃の方が、遥かに速かった。
 胴体や翼を飛ぶ刃で切り裂かれ、イタルラは痛苦の悲鳴を高らかに上げた。
 勝ち目がない。
 そう悟ったのだろう、イタルラは一度大きく鳴くと、旋回を試みた。
 逃げるつもりだ。
 それを追いながら、キキョウはシルバに声を掛ける。
 この距離なら、充分ネイトの精神共有の届く距離だ。
「シルバ殿」
(何だ?)
「この姿、長くは持たぬ。一つ行動を起こすごとに、ゴソリと力が奪われる……何より某がいまだ使いこなせておらぬ故、無駄が多い。先程の刃も、無駄撃ちが多かった。よって、動きを制した後はシルバ殿の話していた通り、そちらで片をつけてもらいたい」
(了解)
 この『竜』も万能ではない。
 力は強いが、それを使う為には膨大なエネルギー――おそらくキキョウ単体では無理だろう――が必要となるし、シルバに語った通り、あまりに消耗が激しい。
 圧倒的優勢に見える『竜』だが、イタルラもさすがに体力があり、一筋縄ではいかないのだ。
 短期決戦を狙う為、キキョウは自分の仕事をこなす事にした。
 逃走しよう旋回する分、イタルラには無駄が多い。
 その背に追いつき、キキョウは『竜』の身体を使って、イタルラに巻き付いた。
『竜』の持続時間が切れればイタルラは再び空を飛べるだろう。
 だが、そうさせない存在が今、大空高くから降ってこようとしていた。


「いくぞ、シーラ」
「――了解」
 シーラが自由落下の姿勢を取った。
 絡み合う水竜と怪鳥目掛けて、真っ逆さまに墜落する。
 両足から衝撃波を放ち、その速度をさらに速める。
 そしてイタルラの右翼にぶつかる直前に足の衝撃波を切り、今度は前に突き出した手から同じ衝撃波を放った。
 もろにそれを喰らったイタルラが、再び大きな鳴き声を上げた。
 無表情のまま、シーラは片膝をつく。
 イタルラの転移術で飛ばされ、タイランの救出、シルバとの合流、そしてここまで衝撃波を放ち続けたのだ。
 さすがのシーラも、ここら辺が限界だった。
「大丈夫か、シーラ」
「――問題ない」
 大きな翼に降り立ったシーラは、懐から札を取り出して呟く。
「――{解放/リリース}」
「後は任せろ」
 シルバは右手を翼に付け、キーとなる言葉を呟く。
「{金剛/メタリカ}」
 途端、シルバの人差し指に嵌められた指輪――物質を金属にする天使の力を秘めたそれ――が輝き、イタルラの翼が鈍色に塗り変わった。
 羽毛の一つ一つが、鉛へと変わったのだ。
 グラリ、と空中でバランスを崩すイタルラと『竜』。
 けれど、まだ足りない。
 鉛となったのは、翼のせいぜい半分程度だ。
「シーラ、回復!」
「――準備は終えている」
 シーラは腰の荷物入れから取り出した魔力ポーションの中身を、シルバに降り注いだ。
「っし、充分」
 もう一度、指輪が光を放ち、イタルラの片翼は完全に鉛と化した。
 その直後、イタルラに巻き付いていた『竜』が消滅する。
『竜』の力だろうか、周囲にあった見えない圧力のようなモノがフッと消えたかと思うと、中空にキキョウが出現した。
 シルバから少し前に離れた上空である。
「シ、シルバ殿……!」
「うおおっ!?」
 シルバは大慌てでスライディングし、キキョウを両手で受け止めた。
「キ、キキョウ、お疲れ。大丈夫だったか?」
「う、う、うむ! シルバ殿こそ、よく無事であられた。いや、た、助けてくれて感謝する!」
 シルバの両腕を背中と尻に敷いている事を自覚したキキョウは、器用にもその姿勢のまま跳びはね、シルバの前に正座した。
「ああ、もったいない」
 二人を見守るシーラの肩の上で、ちびネイトが嘆いていた。
「も、もったいないといえば、そうであるが! 某には刺激が強すぎる!」
 からかわれ、真っ赤になったキキョウに、シーラが首を傾げる。
「――代わる?」
「いや、その必要もないであろう!?」
「そもそも、まだ全部終わった訳じゃないしな……今の状況分かってるか?」
 鉛の翼に座り込んだシルバは、正面のキキョウと背後のシーラを交互に見た。
 そうこうしている間にも、強い風が下から吹き上げてきていた。
「自由落下中だ」
 そう、ネイトの言う通り、景色は緩やかに下がってきていた。
 このままだと、地面に激突してしまう。
 幸いにも、イタルラがこの空中でバランスを崩していないのがせめてもの救いだった。いや、正確にはイタルラは必死に無事な左翼をばたつかせていたが、鉛の翼が重すぎてどうにもならないだけのようだったが。
 とにかく、ピンチには違いなかった。
「た、大変ではないか!? 某の面は……」
 キキョウは、自分の側頭部に回していたナマズの面を手に取ってみた。
 その仮面は、まるで火にくべたかのように真っ赤に、そして熱くなっていた。
「……しばらく使えぬようだ。だがしかし、シーラが確か飛べるはずではなかったか?」
 シーラは、掌から衝撃波を放った。
 が、すぐにエネルギー切れなのか、ぷすんと情けない音と共に消えてしまう。
「――力の使いすぎ。しばらくは噴射が難しい」
「だ、だ、駄目ではないか!? シ、シルバ殿、某達も墜落してしまうぞ!?」
「いや、心配いらないって。忘れたのか、これ?」
 胡座をかいたシルバは、金袋からコインを取り出した。
 そう、転移術のコインである。
「そ、そうか、それがあった! 忘れていた!」
 おそらくイタルラも、例の転移術を使うなりして激突前に川に着水を狙うのではないかと思うが、そこまでシルバ達が付き合う義理もない。
「目標座標は、カナリーのコイン! まあ、カナリーにはちょっと迷惑を掛けるけど……この際我慢してもらおう、うん」
 シルバ、キキョウ、シーラの三人は、地上にいるカナリーを念じた。
 鉛の翼の上にいたシルバ達が消失したのは、その直後だった。


「……とても迷惑だ」
 シルバ達三人の下敷きになり、カナリーはボヤいた。
「いや、ホント悪い、カナリー」
 だがカナリーはそれ以上文句も言わず、そのままガバリと起き上がった。
 それほど慌てていたのだろう。
「そ、そ、それどころじゃない! モンブランが大変なんだ!」
「大変?」
「アレを見てくれ!」
 カナリーが指差した先では川岸近くの水面に、砲撃の巨人ディッツが仰向けに倒れていた。胸部を大破し、活動を停止している。
 それはいい。
 だが、河原にも、重甲冑が大の字になって倒れていたのだ。
 その傍に、精霊体のタイランも突っ伏していた。


※次回、少し時間を巻き戻して、ディッツ戦といきます。
 倒れている訳が語れるかどうかは、文章量次第。



[11810] 崩れる巨人、暗躍する享楽者達(上)
Name: かおらて◆6028f421 ID:6c912443
Date: 2010/09/07 23:40
 ――シルバ達が、怪鳥イタルラを倒した時点から、少し時間は遡る。


 巨大な水柱の正体がキキョウである事を確かめたカナリーは、正面の敵――砲撃の巨人ディッツ――に意識を戻した。
 キキョウが水中から飛び出る際の大波に、敵はバランスを崩していた。
 今が好機だ。
「いいかい、タイラン、モンブラン、奴の身体は硬い。だが、弱点はある。それはアイツが攻撃をする直前、砲台を出現させた時だ。その時を狙う」
「ガガ!」
「は、はい!」
 外が駄目なら中から攻める、という作戦だ。
 何しろ砲撃直前の砲台を叩くのだ。危険が大きいのは、充分に把握している。
 だからこそ、タイミングが重要だった。
「この連携で決める……!」
 彼女は、相手が攻めるのを待つ気など、さらさらなかった。
 むしろ、こちらから動き、都合のいい時間を図る目論見でいた。
「{紫電/エレクト}!!」
 紫色の雷がカナリーの手から迸り、何とかバランスを保とうとしていたディッツの胴体に直撃する。
 微かにその巨体は揺れるものの、ダメージを受けた様子はない。
 その代わり、首が傾き、その視線がカナリーを捉えた。
「今だ!」
 殺気を感じながら、カナリーが叫ぶ。
 岸辺に立っていた重甲冑――モンブラン十六号の背に残っていたもう一発のミサイルが、駆動音と共に持ち上がり、肩の上の発射台に載る。
 それをモンブランは、大きな両手で抱え上げた。
「ガ! コレデモ喰ラエ!! じゃいあんとみさいる!!」
 モンブランの投擲とほぼ同時に、カナリーの攻撃を受けたディッツの上半身からは反射的に無数の砲台が出現した。
 放物線を描いた巨大ミサイルが、胸部の大きな砲台に吸い込まれたかと思うと、轟音と共に爆発する。
 その衝撃にたまらず、ディッツは後ろに倒れていく。
 だが、水に沈むその直前、身体に出現した砲台全てからミサイルが放たれた。
 細い煙が尾を引き、それらがカナリーらへと迫る。
 モンブランは決して早いとは言えぬ駆け足で、カナリーらの下へ戻ろうとする。
 だが、ディッツの着弾の方が間違いなく速い上、もはや逃れる事は不可能だ。二人の従者、ヴァーミィとセルシアがカナリーの前を守るが、このままでは彼女らの守りごと破壊されてしまうだろう。
 否、そもそもカナリーは、今回に関しては逃げる気がなかった。
「タイラン頼む!」
「い、いきます、{水盾/ウォルド}!!」
 川の水が大きく持ち上がったかと思うと、平たい太板のような形に変化し、ディッツの砲撃とカナリーらの間に斜めに割り込んだ。
 それはさながら、水のバリヤーのようであった。
 水の壁にぶつかったミサイル達は威力を殺され、壁を滑り落ちるか、そのまま爆発してしまう。
「ガ!? たいらん力使ッテイイノカ!?」
「……モンブラン。君、今朝の出発間際、寝てただろう」
 カナリーは、驚くモンブランに白い目を向けた。
「ガガ! 身体ノいにしあちぶハたいらん! 我ハ寝テテ問題ナシ!」
「優雅だな、うらやましい!」
「二人デ身体ヲ共有シテイル強ミ。エヘン!」
「えへんじゃない! とにかく、いいんだ。そもそも、タイランが力を制限しているのは、追っ手が来る可能性が怖いからだ。逆に言えば、来ない場合、もしくは来ても問題ないのなら、タイランが全力を使っても全く困らない」
「ガ?」
「この峡谷にこれ以上長居をするつもりはないし、ルベラントに着いたら、そこでも少し力を使うといい。もしも追っ手がいるならいい攪乱になって、勝手に混乱してくれるだろうさ」
「ガ! 我モ暴レル!」
「君が暴れる必要はないんだ! どうせなら、ここで力を振るってくれ!」
「ガガ! 任セロ!」
 もっとも、モンブランの役目はさっきの投擲ミサイルでほぼ終わっていると言ってもいい。
 嵐のようなディッツの砲撃が終了すると、タイランの青く輝く手がすいと滑るように動き、水の壁が今度は円柱状に変化する。
 正確には先端が尖っているので、その形はむしろ柱というより槍に近い。
 川と繋がっていた尾の部分が浮き上がり、水滴を滴らせる巨大な水の槍はゆっくりと起き上がろうとするディッツに向けられる。
「そ、そのまま{水槍/アクピア}――!!」
 タイランが掲げていた両手を振り落とすと、水の槍は大きく開いたディッツの胸の穴――さきほど、モンブランの投擲ミサイルで破壊された砲身部分――に突き刺さる。
 その途端、ディッツの全身から火花と黒煙が噴き出した。
 ガクガクと起き上がろうとした斜めの姿勢のまま震えるディッツに、それでもまだカナリーは攻撃の手を緩めなかった。
「いいぞ、それじゃトドメの――{雷閃/エレダン}!!」
 カナリーの指先に、紫電の小さな球が収束する。
 高密度の光線が空間を迸り、ディッツの身体に直撃する。
 その巨体の隅々にまで、水を伝って電気が駆け巡り、ディッツは一度大きく痙攣したかと思うと、その活動を停止した。
「さすがに、内部から水と電気を流されちゃ、たまらないだろう」
 カナリーは小さく息を吐いた。
 そしてほぼ同時に、空から悲痛な鳥の鳴き声が響き渡ってきた。
「上もどうやら、終わったようだな」
 何をどうしたのかは知らないが、怪鳥イタルラはカナリー達のいる場所から少し離れた所に真っ逆さまに墜落しようとしていた。
 ……まあ、このままだと川のどこかに落ちそうだし、大丈夫かなとカナリーは思う。

 ギギ……。

 何だかとても嫌な音を聞き、ぶわっとカナリーは総毛立った。
「馬鹿な!?」
 気のせいではなかった。
 ゆっくりと、だが確実に、黒焦げになった砲撃の巨人、ディッツは動き始めていた。
 おそらく内蔵されていた火器は、ほぼ全て全滅だろう。
 けれど、カナリーは、嫌な予感がした。
 そしてこの場合、大抵最悪の想像というのは、現実と直結している事が多い。
 見ると、タイランも顔を引きつらせていた。
「カ、カナリーさん、もしかして彼……」
「……うん、僕も同じ事を考えていた」
 目に当たる部分が、不吉な赤い光を点滅させている。
 そして、その頭部からピコン、ピコン、と奇妙な音が鳴っている。

 自爆。

 そんな単語が、カナリーの頭を駆け巡った。


※ごめん、やっぱり最後までいけず中途半端なところで切ることになりました。
 まあ、そんな訳で次回も、ここの続きと言う事で一つ、よろしくお願いします。



[11810] 崩れる巨人、暗躍する享楽者達(下)
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033
Date: 2010/09/07 23:28
 ディッツのその巨体は、当然歩幅も大きいことを意味している。
 一見鈍重に見えるその身体からは想像も付かない速度で、彼は川を渡り、カナリーらに迫りつつあった。
 ここは逃げるしかない。
 けれど、間に合うだろうか。
 爆発の規模がどれぐらいのものか分からないのが、恐ろしい。
 いや、そんな事を考える暇すら惜しかった。
 まずは逃げるのが先決――と考えるカナリーらの前に、何者かの背中が立ちはだかった。
「ガガ……サセナイ!! 我、皆ヲ守ル!」
 モンブラン十六号は勇敢を突き抜けて、蛮勇であった。
 ハッキリ言って、思いっきりやる気である。
「ちょ、や、やめるんだ、モンブラン! ここは退いた方がいい!」
「ガガガ……何故カ我ニハ分カル……奴ハ逃ゲテモ追イカケテクル!! ココデ倒サナケレバ、全員ヤラレル!!」
 スカートの下から蒸気を吐き出すその姿を見て、カナリーはふと思い出した。
「まさか、モンブラン、アレをやる気かい?」
「ア、アレってもしかして……」
 恐る恐る尋ねるタイランに、カナリーは自分の腕を指差してみせた。
「ああ、切り札として組み込んでおいた、アレだ。しかしそれでも、一か八かだぞ……」
「ガガ、勝機ガアルダケ充分……」
 モンブランは、刃状のモノが付いた太くなった腕を振り回す。
「しかし、壊れたらどうするんだ」
「ガ……修理頼ム」
 そして、モンブラン十六号は川に向かって走り出した。
「いや、僕にも技術的限界があってだね……って、聞いていきたまえよ!?」
「ガ! 議論ノ余地無シ! 我ガ名ハ、もんぶらん十六号! 偉大ナル錬金術師てゅぽん・くろっぷニ造ラレシ強キ自動鎧ナリ!!」
 重い足音を響かせながら、モンブランは目前の川を目指す。
 今のモンブランがその本領を発揮するのは、水中である。
 川岸に辿り着こうとする半壊状態のディッツに、巨大な雷撃が直撃した。


 ディッツがわずかに怯むのを確認し、指先から紫色の火花を散らしたカナリーは小さく息を吐いた。
「ま、やらないよりはマシだろうね。むしろ、頼みの綱はタイランの方だ」
「す、水流を操ってみます」
 精霊体のタイランが細い両腕を突き出す。
「うん、悪くないアイデアだと思う。ここは倒すよりも、足を止めることが大切だからね」
「は、はい」
 タイランの川に宿る水の精霊への干渉で、川の水が揺らぎ始める。
 流れが次第に早くなり、ダメージの大きい巨人は倒れこそしないモノの、それ以上進む事が出来ないでいた。


 そしてモンブラン十六号は、川の中に飛び込んでいた。
 下半身に装備されたスカートの中でスクリューが動き、潜水泳のような動きでディッツの足下まで泳ぎ着く。
 そして、左膝に拳を叩き付けた。
 ガクリ、と膝を屈するディッツは、頭まで水中に沈む。
 そしてモンブランは相手から距離を置き、水底に踏ん張った。
「ガガ……ユクゾ! かなりーノ組ミ込ンダ必殺技!」
 両腕を合わせると、尖っていた二つの刃状の装備が内蔵されていた発条仕掛で繋がり、一つに合わさる。
 鋭利な突起のような武装。
 それは、巨大な角――衝角だった。
 この武装の為、重甲冑の鈍重さは増したが、その分当たった時の威力は通常時の数倍となる。
 モンブラン十六号の狙いは、膝をついた事で水中に没したディッツの胸部。ミサイルと雷撃で大破した部分だ。
 スクリューを稼働させ、モンブラン十六号は水底から勢いよく飛び出した。
 その様は、さながら水中を突き進む一本の槍のようであった。
「コレデモ喰ラエ!!」
 そしてその槍の先端は、確実にディッツの胸を貫いた。
 徐々に仰向けに傾きつつ、一瞬、ディッツの瞳が赤く輝いたかと思うと、巨大な爆発が巻き起こった。


 水柱と共に空中に跳ね上げられたモンブラン十六号は、そのまま川岸に墜落した。
 瓦礫の地面に少なからぬダメージを追ったが、勝利を誇るモンブランは気にしなかった。
「ガガ、ヤッタ! 我、デカイ敵ヲ倒シタ! 快挙!」
 大の字に倒れたまま、快哉を上げる。
 青空からは、豪雨のような大量の水滴が降り注ぐ。
 そしてその中から、軽い感じの声が聞こえた。
「いやぁ、それはおめでとさんです」
「ガ? 誰ダ?」
 そちらを向こうとしたが、首が動かない。
 モンブランのダメージは深刻だ。
 そして雨……いや、もはや霧と言ってもいいだろう。
 一時的だったはずのそれがいまだに続いているのは、何者かの魔術によるモノか。
 絶魔コーティングの施された重甲冑の周囲だけがわずかに明るかったが、声の人物はまだ姿を現わさない。
「ええタイミングやったみたいですなぁ、ラグはん」
「いいから早く済ませろ。この煙幕、長くは持たん」
 砂利を踏む音と共に、丸い笠を被った黒眼鏡の青年と赤い羽根付き帽子の女がモンブランの顔を覗き込んだ。
 そう、確かキムリック・ウェルズとラグドール・ベイカーという名前だったか。
「はいはいっと。ほな、大人しくしといてくんなはれな。痛うせんから」
 しゃがみ込む青年――キムリックの手には、工具が握られていた。
 それを見て、モンブランは絡繰仕掛の身体だというのに、寒気のようなモノを覚えていた。
「ガガ! ヤ、ヤメロ! 我ノ身体ヲ弄ルナ!」
「やー、お願い事聞いたげたいんはやまやまなんどすが、ウチらにも事情ありましてな。それにそもそも、精霊炉開発の調達資金やら実験用動物のお取り寄せやら、それなりの投資をさせて頂いとりましたから、そろそろ回収させてもらお思うんどす」
「ガ! ガ! ヤメ、ヤメロ! ブッ飛バスゾ!」
 声を張り上げるが、今のモンブランは指一本動かす事が出来ない。
 遠くで、タイランやカナリーが、モンブランを探す声が響いていた。
「あっはっは、その身体では無理でおます」
 バカン、と胸部装甲を広げながら笑うキムリック。
 彼は胸の中に手を入れると、重い塊を引っこ抜いた。
 この重甲冑の心臓たる部分、精霊炉である。
 それを無理矢理奪われ、モンブランの意識が徐々に暗くなっていく。
「ガ、ガガ……助ケテ、たいらん……かなりー……」
 か細い声を上げながら、モンブラン十六号は動きを停止した。
 赤ん坊の拳ぐらいの精霊炉を持ったキムリックは立ち上がり、もう動かなくなった重甲冑に軽く会釈をする。
「ほな、回収完了どす。これまでご苦労さんでした」
「おい……本当に死なないんだろうな、それ」
 赤い羽根付き帽の女、ラグドール・ベイカーは表情を変えないまま、キムリックに尋ねた。
「大丈夫どす。この通り、予備の精霊炉も組み込んどりますんで」
 キムリックが指差した先には、やや錆び付いてはいるものの、同じようなモノがはまり込んでいた。
「ならばいい」
 ただ、ならばどうして動かないのだろうとも思ったが。
 ……まあ、再起動に時間がいるのかもしれない、とラグドールは納得する事にした。
 ふと、キムリックと目が合った。いや、向こうは黒眼鏡越しだけれど。
「情け深い事どすなぁ」
「無益な殺生を好まないだけだ。目的は達した。行くぞ」
「はいはい」
 そして、乳白色の霧の中、トゥスケルの二人はその場を去った。
 残ったのは、動かなくなった重甲冑だけであった。


 ――そして現在に至る。
「ど、ど、どうしましょう、シルバさん!」
 タイランは突っ伏していた訳ではなかった。
 胸部装甲の開かれた部分に両手を当てている。その手は、ゆっくりと柔らかい光の明滅を繰り返していた。
「お、落ち着け。中に古いタイプの精霊炉あるんだろ?」
 シルバは、胸の中にある古びた精霊炉らしきモノを指差した。
「そ、それがこれ、ダミーなんです!」
「何!?」
「これを嵌め込んだ誰かですけど……そこらのガラクタをかき集めて、それっぽく見せただけの偽物なんです。当然、精霊炉の機能なんてなくて……く、う……!」
 タイランの淡い青の身体がわずかに揺らいだかと思うと、不意に透明度が増した。
「タイラン!?」
「モ、モンブランの意識が消えかけているんです……それを、維持する為に……その、どう説明すればいいのか……」
 割り込んだのは、カナリーだ。
「僕が言おう。つまりタイラン自身が、臨時の精霊炉になってるって訳」
「出来るのか、そんな事!?」
「精霊の力を増幅し、純粋なエネルギーに変換するのが精霊炉なんだ。だから、モンブランの頭脳部分を素のままで維持してるタイランも、相当無理してる」
「停止しただけなら、大丈夫なんじゃないのか? 活動停止状態って、今のモンブランは眠ってるような物とは違うのか?」
 けれど、カナリーは頭を振った。
「……それは、手順を踏めばの話だよ。稼働中だったモノを無理矢理止めるとどうなるかなんて、ちょっと想像すれば分かるだろう?」
 黙って聞いていたキキョウが、それを聞き顔を引きつらせた。
「つ、つまり、このままではモンブランは……」
 カナリーは頷いた。
「うん、最悪存在が消滅する。このまま続けてたら、タイランもね」


※そして、こんな状況で次回、久しぶりにヒイロとリフのいる洞窟になります。



[11810] 暴食の戦い
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/12 02:12
「やっつける!」
 目に炎の赤を宿し、ヒイロが突進する。
 螺旋獣ヤパンは全身からあやしい紫の光を明滅させるが、ヒイロの爆走は止まらない。
「催眠は効かないようですね……が」
 ヤパンは頭部のドリルの回転を休める。
 その先端が大きく二つに分かれ、ハサミ状に変化した。
「どりゃああああっ!!」
 ヒイロの跳躍からの振り下ろしが、ヤパンの頭部を捉える。
 固い金属質の音が響き、火花が散ったかと思うと骨剣はヤパンの頭に食い込んだ。
 骨剣の刃はそのままヤパンの身体に柔らかく呑み込まれ、ヒイロの身体が頭部のハサミに挟み込まれてしまう。
「こちらも、物理攻撃はあまり効かないのですよ」
 液体状魔法生物の面目躍如であった。
「ぬううううぅぅっ!!」
 だが、顔を真っ赤にしたヒイロは、そのハサミを両腕の力だけで開こうとする。
 そして、ギギギ……と軋む音と共に、少しずつハサミが開いていく。恐るべき怪力であった。
 今のヒイロは、敵の殲滅しか頭にない状態だった。
「っ……!? ですが、それならば……」
 今度はヤパンの全体が軟体状に変化したかと思うと、ヒイロの頭部をまるごと呑み込んだ。
「むぐっ!?」
 ヒイロの上半身が、鈍色の球体に包み込まれる。
「窒息させるまでです!」
「がうっ!!」
 真っ暗の視界の中で、ヒイロは大きく口を開けたかと思うと、ヤパンの身体に噛みついた。肉を引き千切り、そのままヤパンを食べ始める。
「っ!? ちょっ、お、お腹壊しちゃいますよ!?」
「ボクの胃袋は頑丈なんだい! 全部消化してやるんだから!」
 構わず、ヒイロはヤパンに齧り付き続ける。
 これまでの長い年月、それなりの数の相手と戦ってきたヤパンであったが、自分を食おうとした敵は今回が初めてであった。
「くっ、は、離して下さい!」
「そっちから口に飛び込んできたんじゃないか!」
「口には飛び込んでませんよ!?」
 上半身が球の人間が、ふらふらと足下をふらつかせながら怒鳴りあっている。
 傍から見ていると、大変異様な光景であった。
「に! ヒイロ前進!」
「わんっ!!」
「犬ですか!? くっ……このままでは……」
 リフの声に、ヒイロは足を動かした。
 前に何があるのかは分からない。
 が、頭を使うのは自分の仕事ではないと割り切り、とにかく前に進み続ける。
 そして、その先にあるモノが何か、ヤパンは分かったらしく、ヒイロの身体から自分の一部を千切って獣形態で脱出した。
「あ、逃げるなぁ!」
 ヒンヤリとした空気を吸い込みながら、距離を取ったヤパンをヒイロは追いかける。
 武器は遠くに落ちていて、拾っている暇はない。
 ならば、素手で殴り倒すだけだ。
「まずは態勢を整えて……!?」
 跳び退ったヤパンは、思わず目を見張った。
 跳躍先に、リフがいたのだ。
 足を大きく開き、右手を天に、左手を地に構え、待ち構えていた。
「に。こっちに逃げると思ってた」
「しまっ……」
 頭部を再びドリル状態に変えてヤパンは反撃を試みるが、その回転はリフの左手によって払われ、勢いはそのまま右手で投げ飛ばされる。
 口から放たれた精霊砲が、ヤパンを洞窟のさらに奥へと誘う。
 数回のバウンドの後、ヤパンは動かなくなった。
「ヒイロ、もういい」
 リフはポケットから取り出した匂い袋を、ヒイロに投げつける。
「にゅわっ!? く、臭っ……!? あ、えと、勝負は?」
 粉末がヒイロの顔に広がり、彼女は正気に戻った。
「着いた」
 リフは、水たまりのようになったヤパンを指差した。
「え……終わってるの、これ?」
 小さく蠢いてはいるが、攻撃してくる気配はない。いや、出来ないのか。
「にぅ……相手は魔力でうごいてる生物。魔法無効化されるところだと、力出ない」
 リフはヤパンに近付き、手から精霊砲を放ってみせた。
 しかし、緑色の光はわずかに輝いただけで、とても攻撃の体は成していなかった。
「……よく、分かりましたね」
「に……たたかってる最中、力出ない事あった。下見のときとおなじ。そっちに放りこめたら、リフたちの勝ちだと思った」
 そう、この先は徐々に魔法が無効化される領域。
 戦いの最中、リフは自分の力が弱まる理由を考え、そちらが自分達の目指す峡谷の『奥』である事に気付いたのだ。
「駄目だった時は?」
「に……」
 一応は、手は幾つか考えていた。
 例えば精霊砲を、ヤパンが完全に蒸発させるまで叩き付けるとか。
 もしくは尻尾を巻いて逃げる。
 とりあえず一番有効な手段を考え、ヒイロを見た。
「ヒイロに食べさせる?」
「お腹壊しちゃうよ!?」
 自分から食べようとしていた事は、忘れているようだ。
 微妙に、狂化時の記憶はないようだった。
「にぅ……やっぱり、あのお薬はきけん」
「何の事?」
「……こっちの話」
「でも、そんな弱点のある場所で戦うなんて、おかしくない?」
「に……言われてみると……」
 ヒイロのいう事ももっともだった。
 戦うならば、別の場所……例えば、リフ達が拠点のキャンプを張った場所辺りならば、ちょうどよかったのではないだろうか。
 いや、それを言うなら、リフやヒイロらが訓練していた洞窟で、一人ずつ倒していけばよかったのだ。
 何故、それをしなかったのか。
「……ここから離れられない理由が、あるのかも」
「理由?」
「に……リフには分からないけど、お兄かカナリーなら何か分かるかも」
 しかし、ここには二人はいない。
 少し考え、リフは水たまり状になったヤパンにしゃがみ込んだ。
「……おしえてくれる?」
「リフちゃん、敵がそんな簡単に情報をくれるはずが……」
「いいでしょう」
 反応が返ってきた、
 この状態でも、ヤパンは喋られるらしい。
「えぇっ!?」
「ヒイロがツッコミ役は珍しい」
「させてる人の台詞じゃないよそれ!?」
「もしかしたら……貴方達が、私達を救ってくれるかもしれませんから……」
 ヤパンが意味深な事を言う。
「に?」
「私達はある方に命じられて、この地に踏み込む者達を排除しています」
「に……」
「その方の力が強く伝わるのは、地下にあるとある鉱石のある場所のみ……」
「に。精霊砲が強くなったばしょ……」
 根拠はない。
 が、他の場所とこの土地で違う点で思いつくモノがあるとすれば、それぐらいしかなかった。
 そして、それは間違っていなかったようだ。
「……そういう、事です。そして力の及ばない距離ならば、私達は無力です」
「ん、んんー、あんまりその仕事、乗り気じゃないみたいに見えるんだけど、やめられなかったの? 助けを求めるとか……」
 ヒイロは腕組みをし、頭から知恵の湯気を立てていた。
「『排除』の命令は有効ですから。そして、その方の下までも、私達は辿り着く事が出来ないのです。私はこの魔力が……失われる力のせいで……残る二人は、先の狭い土地柄、その巨体のせいで……」
 リフは頭の中で整理した。
 命令を与える者がいて、その支配下に三魔獣がいる。
 だが、同時に魔法の無効化が働き、ヤパンらは近づけない。
 動ける距離は、特定の鉱石が埋まっている場所まで。
「にぅ……檻の中みたい」
「ふむぅ……どうする、リフちゃん」
 リフは、洞窟の奥を指差した。
「に、先にすすむ。みんなも先に進むなら、そのうち合流する。だめだったら、戻ればいい」
 引き返すというのも手だが、そうすると上の命令があるヤパンが復活して、追ってくる可能性が高い。
 本人の意思とは別に再び戦うとなると、厄介だった。
「なるほど。それじゃ、行こっか」
「に」
 リフは水たまり状になったヤパンをつまんだ。
 ゴムのように伸びたヤパンの身体が、一つまみ分だけ千切れてしまう。
 ちょうど一口サイズのそれを、口に入れる。
「ちょ、何してるのリフちゃん!?」
「口の中ならだいじょぶ?」
「……はぁ、何とか」
 リフの口の中から、ヤパンの声が響いた。
 平然と、リフはヒイロの方を向いた。
「案内、いた方がいい」
「な、なるほど」
「また敵になったらのみ込む」
 恐ろしい脅迫であった。
「……ホントにお腹壊すよ、リフちゃん?」


※……川の方の深刻度とは何か全然空気が違う二人でした。



[11810] 練気炉
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/12 02:13
 倒れるモンブラン十六号を前に、突然ちびネイトが声を発した。
「シルバ、アレを出すんだ」
「アレ?」
「練気炉だ」
「れ、練気炉って、アレか?」
「他に、何があるというのだね?」
 言われ、シルバは懐からそれを取りだした。
 赤ん坊の拳ぐらいの大きさの、独楽のような装置である。
 元々は第六層で手に入れたそれは、この峡谷に着くまではトランクに入れていたモノだ。
 持ち主であるナクリー・クロップの発明品という事もあり、奥に向かうと決めた時点でトランクから取り出して持ってきていたのだった。
「繋げられるかどうかは、カナリー次第だろうが、とりあえず見てみないと分からないだろう」
「あ、ああ。どうだ、カナリー?」
 シルバは練気炉を、カナリーに手渡した。
「……基本的な接続は変わらない。うん、多少は専門的な知識がいるだろうが、何とかなるレベルだと思う。幸い、部品が足りなければ、そこらから調達出来そうだし」
 言って、カナリーは川に沈みかけているディッツを指差した。
「ネ、ネイトさん、モンブランちゃん、助かるんですか?」
「まだ分からないな。シルバ、次は聖印だ」
 タイランの質問に即答はせず、ネイトは更に注文を付けた。
「へ?」
 首を傾げながらも、シルバは自分の首から聖印を外した。
「聖印を出して、練気炉と繋ぐ。鎖を巻き付けてもいいし、聖印の上に練気炉を乗せてもいい。とにかく早く」
「わ、分かった。これでいいか?」
 シルバはカナリーから練気炉を返してもらうと、地面に置いた聖印の上に練気炉を重ねた。
「よし、祈るんだシルバ」
「へ? いや、俺今、祝福魔術は使えないんだけど……」
「祝福魔術は関係ない。助けたいって言う気持ちが重要なんだ」
「ど、どういう事?」
 さすがによく分からなくなってきたシルバは、ネイトに質問する。
「だから、練『気』炉なのだよ。この機関は人の『気持ち』――想いをエネルギーに変えるんだ」
「ず、ずいぶんとロマンチックな動力炉であるな……」
 キキョウが赤面し、シルバは眉間を指で押さえた。
「俺、てっきりヒイロの扱う『気』だと思ってたんだけど」
「一度方向付けられれば――まあ、スイッチだな――後は放っておいてもある程度は安定する。強いエネルギーを欲するなら、強い気持ちが必要になる。というか、ここまでの旅路で一度皆、見ているはずだ」
 その言葉にシルバ達は、顔を見合わせた。
「ぬ? あ、あったか、そのようなモノ……?」
「太陽の神殿か?」
 ふと思い付き、シルバは言ってみた。
 どうやら正解だったらしい。
「そう。人の想いを一定の方向に導く為、あそこはあんな大きな施設が必要だった。太陽への信仰だ。もっとも、エネルギー効率の問題もあったのだろうな。それを、個人サイズにまでコンパクトにしたモノが、この練気炉だ」
 そして、ちびネイトはシーラを見た。
「シーラも実物は見た事はあっても、使い道までは知らなかったようだが。まあ、使う必要がない生活だったのだろうな」
「――今、覚えた」
「祈りは、方向付けに必要なんだ。人、というかモンブラン十六号を助けたいという気持ち。司祭であるシルバの祈りほど、これにうってつけのモノはない。キキョウ君の剣気やシーラの闘気は少々方向性が違う。ヒイロ君ならば、活気や元気があって大変よろしかったのだが、いないモノはしょうがない」
 シルバの考えていたヒイロの気、という意味ではあながち的は外していなかったようだ。
「た、助けたいって言う気持ちでしたら、私も同じですけど……」
 おずおずと、タイランが手を挙げる。
「それなら、シルバと一緒に祈るといい」
「そ、某も助力しよう」
「――わたしもする」
 練気炉に手を当てるシルバに、タイラン達が手を重ねる。
 シルバの手の下で、少しずつ白い光が発され、その力を増してきていた。
「ううううう……こっちは頭がショートしそうだよ……」
 一方カナリーは一人、自身の金髪を掻きむしっていた。
 技術的には可能と言ったモノの、それでも精霊炉と練気炉は別物であり、接続には調整が必要だった。
 それもあるがモンブランの入った重甲冑は、ディッツとの戦いでかなりガタが来ているというのもあるのだ。
 動けるようにするのは、かなりの骨だろう。
「ああ、カナリー君は練気炉を受け取る時、気をつけた方がいいな。聖印に触れたら火傷するだろうから」
「ぶ、物騒な!?」
「事実だ。ふむ、シルバ達の方は準備が出来たようだ」
「こ、これでいいのか?」
 シルバは低い唸り音を上げながら光を発する練気炉を、持ち上げた。
「よし、充分だろう。後は、カナリー君次第といったところだな」
「……プレッシャーの掛かる事を言ってくれるね」
 カナリーは、シルバから練気炉を受け取り、重甲冑の胸に押し込める。
 心配そうなタイランが、カナリーとは反対方向から覗き込んでいた。
「ともあれ助かった、ネイト」
「ふふふ……何、当たり前の事をしたまでだ。私もこのパーティーの仲間なのでな」
 練気炉の接続と言った技術的な事に関しては、下手に口を挟むと逆にカナリーの妨げになりかねない。
 シルバらのやれる事は、ひとまず終わったと言ったところだった。
 ただし、それもこの件に関しては、である。
「シルバ殿。ひとまずは、一安心といったところか」
 安堵するキキョウに、シルバは首を振った。
「そうでもない。まだ、ヒイロとリフの行方が心配だ」
 そして荷物袋から地図を取り出し、地面に広げる。
 まずは居場所を探らなくてはならない。
「そ、そうであった! 二人は今、どこに!?」
「ここに来る前に、ある程度の居場所は掴んでたけど、結構時間が経ってるからな」
 そしてシルバは地図上に金貨を七枚散らす。
 すると二枚の金貨が、ゆっくりと移動を開始していた。
 向かう先は、キャンプのあった方角とは逆、峡谷の奥の方だ。
 それを見て、キキョウが唸る。
「……動いているという事は、無事という事か」
「敵に拉致されてなけりゃな」
「え、縁起でもないぞシルバ殿!?」
「想定はして然るべきだろ? まあ、そうでない事を望んでるのは当然として、このまま先に進めば合流出来そうだ。で、ここに残るのは……」
「某は当然、ヒイロ達を追う。ここにいても、あまり役に立てそうにないという理由もある故」
 キキョウに続いて、シーラも手を挙げる。
「――任務の条件から、わたしかネイトのどちらかはいた方がいいと判断する」
「ならば、私が残ろう。シルバと離れるのは辛いが、カナリー君に助言は出来る」
「わ、私は……」
 しばし躊躇した後、タイランはモンブランの方を見た。
「……モンブランちゃんが心配ですから、こっちに」
「そうだな。タイランは、そっちに付いててくれ」
「はい」
 それもあるが、この先、精霊体のタイランが素のままで行くのは危険かも知れない、とシルバは考えていた。
 魔法無効化の力が、どう働くか不安だからだ。
 いざとなれば水袋に潜んでおいてもらう、という手も考えてはいたが、タイランの心情を重んじる事にした。
 ちなみに別の場所で、リフがほぼ似たような思考の末、三魔獣の一体を倒した事を、当然ながらシルバはまだ知らない。


 そして、シルバ達は先を急いだ。
 ……否、正確には急ごうとした。
 魔法の使えない領域に入り、時折野生のモンスターを相手にしながら登りと下りの勾配が続く道を走り続け、真っ先に息切れしたのはシルバであった。
「だ、大丈夫か、シルバ殿!?」
「――少しペースを落とすべき」
 前衛の二人は、わずかに息を上げているだけだったが、シルバは呼吸すら困難であった。
「……ふ、二人とも、体力ありすぎ」


※という訳で練気炉の回。
 あともう一つ未出の機関炉がある訳ですが、それはまだという事で。



[11810] 浮遊車
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/16 06:55
 峡谷の奥、薄い白い霧に包まれた狭い荒地に、トゥスケルの二人はいた。
 ひんやりと肌寒いそこにはまばらな植物以外に、生命の気配はない。
 否、荒地の真ん中にポツンと、無数の蔦が巻き付いたずんぐりとした物体が横たわっていた。
 大きさは大型獣ほどはあるだろうが、道をふさぐほどでもない。
「ここも、久しぶりどすなぁ。……もうちょっと感傷に浸らせてくれてもようおましませんか?」
 スタスタとその物質に近付くラグドール・ベイカーに、キムリック・ウェルズは弱り顔を見せた。
「感傷でこれが動くのなら、いくらでも待つ」
「よろしゅうお願いします」
「分かればいい」
「それにしても、しばらく見ぃへん内にえろう蔦伸びましたなぁ……」
「問題ない」
 ラグドール・ベイカーは腰の細剣を引き抜くと、それを一閃させた。
 物体を覆っていた蔦の一部が、刃によって切断される。
 ラグドールの剣が瞬くたびに、蔦は次々と物体から剥がれ落ちていく。
 やがて蔦のドームから姿を現わしたのは、横倒しになった荷台付きの浮遊車だった。
 古び、あちこちに亀裂の入っているそれは、驚いた事に中で何かが稼働しているらしく、低い唸り声のようなモノが微かに響いていた。
「上手くいきますやろか?」
「ここに来て、今更か」
 ラグドールは車体の前部に回り込むと、ハッチを開いた。
 中心には、微かに脈打つように光る練気炉があった。
 もっともそれはひび割れ、そこからうっすらとした煙のようなモノが漏れている。
 それでも車自体は死んでいないのだろう、内部のあちこちが微かな音を立てていた。
 一方、キムリックは懐から取り出した図面を広げていた。
 以前、ここを訪れた時に書き写した、この車の内部構造である。
「んんー、写した図面、専門家に見せたところでは、技術的には問題ないゆー話は聞いとるんですが……」
「その通りだ。少々専門知識が必要だが、この壊れた練気炉と例の精霊炉は互換が可能だ。あくまで接続時点での話に限るが」
 ラグドールはキムリックに振り返らず、腰の工具を手に取って、練気炉の停止と分解を開始する。
「まあ、繋がるんでしたら、問題ないでっしゃろ。それよりちょっと急いだ方がええと思いますえ」
「何故だ」
 ラグドールは手を止め、初めてキムリックを振り返る。
「彼らが追ってきます」
 言って、キムリックは後ろを指差した。
 もちろん彼らとは、シルバ達の事である。
 しかしそれはどうだろう、とラグドールは首を傾げていた。
「弱った仲間を見捨ててか」
 彼らの結束は強そうだったが、と内心思うのだ。
 だが、キムリックは口元だけ笑いを浮かべていた。
「そこんトコはちょいと認識の違いどすなぁ。倒れたからこそ追ってくるいう可能性もありますし」
「報復か」
 それもあるか、とラグドールは納得する。
 半分は巨人のせいだとしても、結果的に動く鎧を一時停止させたのはラグドール達である。
 ならば、仲間の仇を討つのは当然だろう。
 性能が落ちたとは言え、精霊炉は組み込まれてあるのだ。早期に復活してもおかしくはない。もっとも、それならばそれで、迎え撃てばいいだけの事だ。
「あとは、まだ行方の知れてない仲間を捜しに、こちらに来るいう可能性もありますな」
「それならば、普通に考えてホームに戻るだろう。例のキャンプ地点だ」
「さいですな。せやけど、方角が分からん状況の場合もあります。こちらに来るいう可能性に関しては、否定出来まへんやろ」
「違いない。こんな事なら、寝込みを襲えばよかったのではないか」
 ラグドールは修理作業にも取る事にした。
 工具を扱うラグドールの背に、キムリックの声が届く。
「難しいどすなぁ。第一にあちらのメイドさんが一番厄介。戦力としては破格どす。第二に夜はあの吸血貴族はんの独壇場どす」
「それが反対していた理由か」
 なるほど、その時点でラグドール達は2対2。
 それに他の仲間が加われば、作戦が成功する可能性は低い。
「さいで。一回失敗したら、その時点で精霊炉の奪取の難易度は跳ね上がりますからな」
「……面倒な事だ」
「作業の方は、どないな案配で?」
 ふと、キムリックの声が近くなっていた。
 いつの間にか、ラグドールと距離を詰めていたのだ。
 浮遊車の内部を覗く視線が、すぐ後ろにあるのが分かる。
「もう少しだ。触れるな。得体の知れない装置が、まだ稼働中だ」
 浮遊車内部の端っこに、鈍く赤色に点滅する装置があった。
 墜落した際の衝撃か、わずかにひしゃげている。
 車体から発せられる低い唸り音は、ここが発信源だった。
「……えらい大昔から、よう動いてはるわなぁ」
「保存するにはここは環境が非常にいい。力の供給は、地下から汲み上げているのだろう。動けない分、エネルギーはその装置と自己修復装置によるメンテナンスにだけ費やされている」
 ラグドールがその装置に手をかざすと、微かに波動が伝わってきた。
 これが魔法無効化の原因だ。
 もちろん、それが本来の機能ではないのだろう。
 ラグドールの見立てでは、おそらくは何らかの防犯装置の役割を果たしていたのではないだろうか。例えば、車体に触れたモノに雷撃を与えるような。
 同時に、この低い音だ。
 定期的なリズムを刻むそれは、まるで何かの信号のようだ。
 ウェスレフト峡谷の三魔獣を始めとしたモンスター達がこの付近に近付かない理由は、これにあるのではないか。
 メッセージは『この車に近付くな』、もしくは『この車を守れ』。
 犬笛のような印象を受けるそれから、ラグドールはそんな推測を立てていた。もっともあくまで推測だ。正しいかどうかは本人達に聞かなければ分からないし、聞くつもりもない。
 ラグドールは装置に伸びるコードをニッパーで切断し、機能を停止させた。
「……それも今、切った」
 そして装置を車体から外すと、慎重に地面に置いた。
 もっとも、装置の赤い点滅は続いている。
「魔法の無効化がまだ、続いてるみたいどすけど? 完全に壊した方がええんちゃいますか?」
 キムリックの意見に、ラグドールは首を振った。
 そして、精霊炉の組み込みに取りかかる。
「自動的に力を失うまで待った方がいい。迂闊に衝撃を与えると爆発する可能性がある」
「やめときましょ」
「ああ。それが賢明だ」
「防犯装置を切ったとなると……彼ら――あの三魔獣も、ここに来る可能性があるいう事どすな」
「巨人と鳥はあのやられ方では、当分は動けないだろう。自己修復と言っても、限界がある」
「まあ、あれだけスクラップにされては」
「ああ、一年はかかるだろう」
 何故か、後ろでキムリックの言葉が一瞬途切れた。
「……一年で直るんどすか?」
 何かから復活するのに、少し時間が掛かったようだ。
「早くてな」
「……早いとか言うレベルの壊れっぷりやかなった思うんどすけど」
 ラグドールはそれに答えず、工具を腰に戻した。
 接続は終えた。
 駆動系の異常は見あたらない……ように思える。
 あとは燃料タンクに精霊石を入れれば、動くはずである。


 そんな彼らのやり取りを、少し離れた岩陰から覗く小柄な二つの影があった。
「……て、敵かな、あれ?」
「に……キムリックって名前、おぼえある。敵」
「そ、そっか。じゃあ、やっつけるしかないね。今なら2対2だし」
 ヒイロとリフであった。


※次回、引き続きリフとヒイロとなります。



[11810] 気配のない男
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/16 06:56
「聞こえとりますぇ」
 不意に、そんな声が後ろから掛かった。
「うわぁっ!?」
「に!?」
 二人が跳び退り、振り返ると、いつの間にかそこには黒眼鏡の青年、キムリック・ウェルズが回り込んでいた。
 ほんの一瞬目を離しただけでこの距離を詰める速さ、そして何より動く気配がカケラほどもなかった事に、リフは寒気を覚える。
 横に並ぶヒイロも青ざめているところを見ると、同じ心境のようだ。
 一方、二人を驚かせたキムリックは、ゆったりとした両袖に手を突っ込んだまま、口元に笑みを浮かべている。
「おっとっと、そない慌てんでも。お久しゅうですな、猫はん。えらい美人さんにならはりましたなぁ」
「にぅ……ほめられてもうれしくない」
 いつでも攻撃出来るように、リフは足に力を込める。
 魔法の類の無効化の効果がまだ続いているのだろう、精霊砲はまだ使えない。
「えらい警戒されとりますなぁ……心配せんでも、今回はマタツアとか持ってまへんて」
 キムリックは愉快そうに笑いながら、ぽいっと小さな実のようなモノを投げつけてきた。
 それが何か見極めるより速く、ヒイロが骨剣を振るった。
「言いながら、サラッと投げるなぁっ!!」
「ふむぅ、魔法が使われへんのは案外不便どすな。まあ、ええです」
 剣風で吹き飛ばされたマタツアの実に、キムリックは残念そうに眉を下げた。
 小さく首を振ると、リフ達の背後、浮遊車を修理しているラグドール・ベイカーに声を掛ける。
「ラグはん、ここはしばしウチが足止めしときますさかいに、そちらは作業を終わらせとくんなはれ」
「最初からそのつもりだ」
「あらら」
 仲間の連れない返事に、キムリックは肩を竦める。
 リフ達も振り返って、ラグドールを攻撃すればいいのだが、理屈で分かっていても、現実にはそれが難しい。
 目の前の敵は、少し目を離すとそれが致命傷に繋がりかねない危険な相手だ。
 何が恐ろしいと言って、これだけ至近距離にも関わらず、このキムリック・ウェルズという男、ほとんど気配を感じないのだ。
「2対1でやり合う気?」
 骨剣を構えたまま、ヒイロが言う。
「はいな。ええ、足止めぐらいなら、まあ、何とかなるかと思いますわ」
 キムリックは、腰の後ろに差していた二本の儀式用短剣を引き抜いた。
「言ったな!」
「にぅ……」
 ヒイロは勇猛に、リフはいささか警戒心を強めて、キムリックに立ち向かう。


 ――そしてその攻撃のことごとくが、当たらない。
 ヒイロの骨剣はまず、振ろうとする挙動の時点から察知されているのか、攻撃の軌道を完全に見切られている。
 その隙間を縫うように出されるリフの手刀や蹴りも、いいところまでは届くが、それでもせいぜい相手の着物を裂く程度が限界だ。
 むしろ、相手の反撃を避けるのに集中してしまい、自然リフの手数は減ってしまう。
 それも見切っているのか、キムリックは余裕の笑みを崩さないまま、のらりくらりと二人の攻撃を避け続ける。
 そしてこの、敵の攻撃も気配……というか殺気が感じられず、回避に苦労する。
 殺気がないと言っても、首筋や手首を狙うそれは、食らえば間違いなく重傷を負うだろう。感じないだけで、存在しない訳ではないのだ。


 数合の打ち合いの後、二人はキムリックから距離を取った。
(どしたの、リフちゃん。何か変だよ?)
 ヒイロに囁かれ、リフは額の汗を拭った。
 帽子はとっくに脱ぎ、頭からピンと飛び出た毛――ヒゲの鋭敏な感度は相当に高められている。
 それでも駄目なのだ。
 相手の気配が、希薄すぎる。
 まるで煙か幽霊を相手にしているようだった。
(に……変なのは、相手の方。すごく変。やりにくい)
(言われてみれば……でも何で?)
(それが分からない……)
 ヒイロに怯えが見えないのは、良くも悪くも{単純/シンプル}だからだろう。
 気配云々ではなく、今のヒイロはとにかく見える攻撃は避け、相手を叩きのめす事だけを考えている。
 だから、他の余計な事を考えずに済んでいる。
 骨剣が当たるかどうかは別にして、それがリフには羨ましかった。
(見極めましょうか?)
 不意に、そんな声が身体の中から軽い振動と共に響いた。
(!?)
 誰、と一瞬考えるが、思い出した。
 口の中に入れていた三魔獣の欠片、粘体となっているヤパンだ。
(私達にこの地に踏み入る者を『排除』するよう命令を送っていた『声』が聞こえなくなりましたし、もしかすると自由になれるチャンスかもしれませんから。……ここで、貴方達に恩を売っておくのも悪くないと思いまして)
(に……おねがい。リフ達、あの相手をするのでいっぱいいっぱい)
 ヤパンとの信頼関係が築けている訳ではない。
 が、それでもリフは信じる事にした。
 というか、そうしないと、キムリック相手に勝ち目がなさそうなのだ。
(承知しました。少々時間が掛かるかもしれませんがやってみましょう……それから私の事はまだ、伏せておいた方がいいでしょうね。切り札的に)
(に)


「ふふふ、ほな今度はウチから行きますえ」
 そういうキムリックの身体が、いきなり大きくなった。
 違う、一瞬にして数メルトの距離を詰めてきたのだ。
 その双剣が、ヒイロの首筋に迫る。
「っ!?」
「ヒイロあぶない!」
 目を見張り硬直したヒイロを突き飛ばし、そのままリフの両手がキムリックの二刀流を捌く。
 キムリックは無理に攻めずに後ろにステップし、再び距離をとる。
「っとっとっと。ずいぶん速い」
「にぅ!」
 一方リフはそのままキムリックを追い、爪を相手の胸元に振るう。
 しかし当たったかと思われたその爪は、キムリックの残像を貫いただけだった。
「そない雑な攻撃、当たりまへんよ」
「にぃ……距離がつかめない」
 リフも後退し、キムリックとの間は再び距離が開いた。
「リフちゃん、アイツ何か変。気持ち悪いよ」
「に、リフもさっきそう言った」
 ヒイロの意見に、リフは頷く。
「えらい言われようどすなあ」
「何か、トリックがある」
「ほほう」
 そして、その正体を突き止めないと、おそらくリフ達に勝機はない。
 少し考え、リフは直接相手に聞く事にした。
「どんなトリック?」
「……それを、ウチが教えると思いますか?」
 少し呆れられてしまった。
「だめもと」
「残念ながら――」
 次の瞬間。
「――あきまへん!!」
 再び、キムリックが二人の間合いに滑り込んできた。
「何で何で何で!? 何でこんなスルッと入られちゃうの!?」
 ヒイロは骨剣の柄で、双剣の一本を弾く。
「それがウチの得意技やからどす」
 だがもう一本の短剣が、ヒイロの左の二の腕を切り裂いた。
「くうっ!!」
 顔をしかめるヒイロに、キムリックは微笑みを絶やさないまま、双剣を振るい続ける。
「だらしのおおますな。そないな事では、仇うてまへんよ?」
「仇?」
 ダメージを追ったヒイロに代わり、リフが前に出た。
 けれど、キムリックの口は止まらない。
「ほら、何て言いましたかいな、あの重甲冑の中の子。そうそうモンブラン、でしたっけ? 今頃、必死に手当てしてる最中どす。まあ原因はほれ、今修理中のアレに組み込んでる精霊炉に見覚えあらしまへんか?」
 グルッとキムリックが回り込み、視界が入れ替わる。
 キムリックの背後に、浮遊車に精霊炉を組み込んでいるラグドールの姿が見えた。
 そしてその手には、精霊炉があった。
 それが本当に、重甲冑に仕込まれていたモノなのかどうかはリフには分からない。
「まあ、この距離やと見えまへんやろけどね」
 が、ヒイロには今の言葉で充分だったようだ。
「があっ!!」
『狂化』はしていないはずなのに、それに匹敵する強撃がリフの背後から放たれる。
「おおっと」
 ニヤニヤと笑うキムリックの笑みは変わらない。
 狙い通り、という事なのだろう。
(挑発です。止めて下さい)
 内から響くヤパンの声も、敵の狙いに気付いたようだ。
「に! ヒイロだめ!」
 けれど、ヒイロは止まらない。
 そのまま突進し、キムリックに迫る。
 鬼気迫るその攻めは猛攻ではあったが、その反面単調なパターンの攻撃でもあった。
「あきまへんなぁ。そない分かりやすい動きされたら、こっちもやりやすうてしゃあないですわ」
 ひらりひらり、とキムリックはヒイロの荒れる太刀筋を見切り、手の中の短剣を瞬かせた。
 その刃がヒイロの首筋に迫る。
 リフが間に割って入ろうとしたが、それよりも速くヒイロの後頭部にキムリックの剣の柄が叩き込まれていた。
「が……!!」
 その一撃で、ヒイロは気を失い倒れる。
「まずは一人」
 ニヤニヤと笑うキムリックはふと、低い唸り声が鳴り響き始めているのに気がついたようだ。
 彼の背後で、傾いていた浮遊車が起こされていた。
 中に乗ったラグドールの手で、エンジンが始動されたようだ。
「どうやら、出発には間に合いそうどすなぁ」
 手の中の二本の短剣を弄びながら、キムリックは呟いた。
 リフは、口の中のヤパンに囁く。
(……まだ?)
(気配を感じない理由は大体掴めました。なるほど厄介ですね。まず臭いがありません)
(におい?)
(あなたも獣人なら、相手の気配を探るのに臭いが重要なのは分かると思います)
(に……)
 言われてみれば、確かにそれは普段、リフが頼りにしているモノの一つだ。
 無意識にそれがない事に気づき、相手に危険を感じていたのかもしれない。
 だが、ヤパンの言葉はまだ続いていた。
(それよりも危険なのは)
(に、まだある?)
(はい。音ですね)
(おと……)
(……呼吸音や衣擦れ、足音も聞こえません。無音。単純ながら、恐ろしい能力です)


※ちなみにヒイロがキムリックにやられる場面で「あれ?」と思う人がいるかもしれませんが、間違ってません。



[11810] 研究者現る
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/17 18:34
 左右を高い崖に挟まれた細い荒地を、シルバ達は走っていた。
 というのも、ついさっきまでの事。
「急いでるって時に……」
 渋い顔をする彼らの前には、堅い殻で全身を覆った大型のトカゲ『カッチュウリザード』や、二足歩行の飛べない怪鳥『キックトリス』が行く手を阻んでいた。
 その数はおよそ五体。
 天然の回廊と化した荒地に広がり、やり過ごす事は出来そうにない。
 ぶん、と衝撃波を纏った金棒を振るうシーラと、柄に手をかけたキキョウが前に出る。
「――すぐに終わらせる」
「シーラに同意だ。シルバ殿は下がってもらえるか」
「そうしたい所だけど……後ろからも出て来たぞ?」
 シルバは、後方を指差した。
 そちらにも、キックトリスが二体、シュッシュッと蹴りを見せながら、待ち構えていた。
 完全に挟み撃ちだ。
「まったくこの峡谷のモンスター共は、狡猾だな!?」
 前後を交互に見て、キキョウが叫ぶ。
 一方、シルバは身体の中から感じるある感覚がなくなったのに気づき、袖から針を滑り落とした。
「ま、捕食者としちゃ真面目なんだろう……な!」
 放った針が地面に突き刺さると、そこが盛り上がり、高い岩壁へと変化した。
 それを見、シーラが呟く。
「――魔法、復帰」
「ああ。使えるようになったみたいだ……が」
 小さく溜め息をつき、シルバは上を指差した。
 キキョウが崖を見上げると、そこには数十ものカッチュウリザードが、彼らを見下ろしていた。
「本当に真面目なモンスター共であるな!?」
「やれやれ、こんなに数割いちゃ、俺達だけじゃ全然肉が足りないだろうに……」
「というか、こんな所で足止めを食らっていては、いつになったらヒイロ達に合流出来るか分からぬぞ……!」
 敵に負けるとは思わない。
 しかし、ここでの勝利が全体の目的の達成の障害になっている事は確かだった。
「やばいな……精霊炉を奪った奴らと鉢合わせしてる可能性が高いってのに……」
 キキョウの仮面はまだ使用不能なままだ。
 シーラも消耗し、飛べるほどの衝撃波は難しいという。
 転移コインはまだ、有効な範囲に届いていないっぽいし……。
 考えられる作策があるとすれば正面突破か針、もしくは札を使って何か出来ないか。
 そうシルバが考えていると、背後で笑い声がした。
「ククク……」
 振り返ると、作った岩壁の前に一人の幼女がいた。
 眼鏡を掛け、古い法衣のような衣装を羽織り、手には石板を持っている。
 実体ではないのだろう、身体が透けていた。
「何者!?」
「何者、か……ふむ、それを語るには少々、邪魔者が多いのう。……まずはそれを片付けるとするか」
 警戒するキキョウに構わず、幼女は不敵に笑った。
 そして、大きく右手を上げた。
「砲撃開始じゃ、フォンダン!!」
 彼女の叫びに応え、遥か遠くから風を切り何かが飛来してくる音がした。
 それも複数。
 シーラはシルバとキキョウの前に立つと、掲げた金棒を柄を中心に円を描くように振るった。
「モード――『盾』」
 不可視の衝撃波が円形の盾となり、シルバ達の頭上に展開される。
 直後、彼方から飛来したミサイル群が雨のように荒地に降り注ぎ、モンスター達を爆撃した。
 カッチュウリザードの堅い殻もキックトリスの早足も関係ない。
 モノの数十秒で、モンスターは綺麗に一掃された。
 周囲は濛々と煙が立ち込め、あちこちに破壊の跡となる穴が開いている。
 そして倒れ伏す、モンスター達。
 崖崩れが起きなかったのが、奇跡であった。
「よーしよしよし、よくやった。テスト運用にしては、的確じゃったぞ」
 そして、爆撃を命じた主犯である幼女は得意満面であった。
 そりゃあ、彼女は幻影なので、仮にミサイルの直撃を食らっても平気だっただろうが……。
「い、い、今、シーラが防御してくれなきゃ、俺達にも当たってなかったか?」
「避けられたじゃろ?」
「避けなきゃ死んでたっつーの!?」
「細かい事を気にする男じゃのう。そんな事では、女にもてぬぞ?」
「こ、こ、これ以上競争相手が増えては困る!」
「お前も何を言い出してるんだキキョウ!?」
「まあ、そんな些細な事はどうでもよいわ」
 ふん、と幼女は鼻を鳴らした。
 そして、小さな手をシルバに差し出した。
「何だよ、この手」
「儂に、お主が持っておるモノを渡してもらおう。それは元々儂のモノじゃ」
「そ、そもそも、そなたは何者だ! 敵ではないようだが……」
 キキョウは、刀に手を掛けたまま尋ねる。
 テスト運用とやらのせいで死にかければ、油断出来ないのも無理はないだろう。
 幼女はあどけない見かけによらず、不敵な笑いでシルバを見上げる。
「ククク……そっちの御仁は分かっておろう」
「いや、誰だよ」
「何と!?」
「……いや、姿は知ってるけど、誰か知らないのは本当だろう、ナクリー・クロップ」
「知っておるではないか!」
 ああ、やっぱり、とシルバは思った。
 服装とかで大体の推測は付いていたし、何よりこの実験の為なら他のモノが見えなくなる性格とか、まったく血筋というのは争えない。
 何より、彼女の求めている『モノ』に、シルバは心当たりがあった。
「……何か、色々残念な奴だな」
「……聞こえておるぞ、小童。そもそもお主ら、無駄話をしている場合か? 急いでおるのじゃろう?」
「そ、そうであった! シルバ殿!」
 そう、シルバ達はヒイロとリフと合流する為、急いでいるのだった。
 そして今、モンスター達は全滅し、正面は開いている。
 が、いつの間にかそちらに回り込んでいた幼女――ナクリー・クロップが、彼らを制した。
「慌てるでない。よいか、あの二人は今、トゥスケルとかいう別の侵入者と既に戦闘に入っておる。今更駆けつけたところで距離を考えれば、間に合わぬわ。そこの人造人間が飛んだとしてもの」
「ぬ、う……や、やってみなくては分からぬではないか」
「やってみてから間に合いませんでした、では笑えぬわ。そこで交渉じゃ。儂のモノを渡せば、今から儂があの二人を助けてやろう」
「二つ持ってるんだけど」
 シルバは懐から、いまだ正体不明の装置を取り出した。
 そして、シーラを指差す。石板は彼女の荷物袋に入っているのだ。
「両方じゃ」
「ちなみに浮遊装置は、俺達が合流する予定の仲間が持っている」
「ならば三つ共じゃ」
「一つのお願い事に三つってのは、がめつくない?」
「い、いや、シルバ殿!? 値切っている場合ではないであろう!?」
「――主は冷静沈着」
「それとはちょっと違うと思うぞ、シーラ!?」
 選択肢は増やしておいた方がいい。
 そう考え、キキョウとシーラのやり取りをとりあえず無視するシルバであった。
 ナクリーはどうやら悩んでいるようだった。
「むむむ……ならば、まずはゾディアックスじゃ。アレがあれば、儂の館も動く故、色々何とかなるはず! 後の二つはそっちで何か考えておくのじゃ!」
 強気で押されれば、シルバ達は従うしかなかったのだが、どうやら交渉ごとには弱いらしい。
「了解。で、ゾディアックスって?」
「お主が持っておる装置じゃ。どちらにしても、今の儂はモノを持てぬ。預けておくので無くすでないぞ」
「はぁ……ま、いいけど最後に一つだけ」
「何じゃ」
「何で俺達の味方をしてくれるんだ? あの攻撃力があるなら、俺達から強引に奪うって手もあっただろうに」
 他に、何故今ここに現れたのかとか、逆に今まで現れなかった理由も気にはなったが、それこそ今はどうでもいい話だった。
 ふぅむ、とナクリーは顎に指を当て、小さく首を傾げた。
「そうじゃのう。トゥスケルとかいう連中が、交渉相手としては油断出来んというのもあった。それもあったが、まあ、あれじゃ」
 結論が出たのか、ポンと掌に拳を当てる。
「そこの人造人間と、今は動けなくなっているモンブランとかいう自動鎧を人格ある仲間と認めておる所が気に入った。まあ、そんな所じゃ」
 そう言って、ヒイロらを助けに向かったのだろう。そのままナクリーは姿を消した。


※ナクリー・クロップ登場。
 ……何か書いてて、自分の設定と違う部分(主に残念な性格)があるんですが、まあいいや。



[11810] 甦る重き戦士
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/18 11:35
 砲撃の巨人ディッツは、半ば沈没したような形で川に浸かっている。
 河原では、カナリーが停止したモンブランと接続した練気炉の調整に余念がなかった……が、今はその手を止めている。
 というのも、幼女の幻影が突然現れたからだ。
 そのサイズは、シルバ達の前に現れたモノより更に小さく、頭身も低くデフォルメされていた。
「――という訳で、峡谷奥での戦いは、もうすぐ決着がつくじゃろう。儂が味方につくのじゃから間違いないわ」
 掌サイズの幼女――ナクリー・クロップは、ヒイロとリフらの戦い、シルバ達の位置をカナリー、タイラン、ネイトに伝えた。
「……とりあえず、おおよその状況は把握した」
 どこも大変だな、と小さくカナリーは吐息を漏らした。
「あ、あの……でも、ここにいて、大丈夫なんですか? ヒイロ達の所にもいるって事は、違う場所に同時に存在出来る……とかって、そういう事になるんでしょうか?」
 ヒイロ達に助太刀し、なおかつここにもいるという事は、理屈からいけばそうなる。
「うむ、そういう事じゃ」
 タイランの問いに、小型ナクリーは満足げに頷いた。
 それを更にカナリーが補足する。
「理屈としては、彼女のメイン人格がどこか拠点になる部分にいて、サブが行動しているって事になる。僕達の前に存在している彼女も、サブだ」
「うむうむ、飲み込みが早くて助かるぞ。正確には、彼女『達』じゃがな」
 ナクリーは、川の方を指差した。
 そこには、五、六人のミニナクリーがディッツの身体を眺めたり、触ったりしていた。


「ふぅむ、ディッツは八割破損と言ったところか……埋め込んである修復装置分では、少々時間が掛かるの」
「フォンダンから飛ばすか」
「そうしよう」
「イタルラは興味深いぞ。翼が別の素材に変質しておる」
「これは切り取って治療した方が早いの。切った部分は研究材料として、あとで回収じゃ!」
「高速培養とその間の痛み止めとなると、ちょっとした手術じゃのう」


「……ちょっとした悪夢だね、これは」
「な、な、なな……」
 引きつった表情でカナリーが呟き、タイランは絶句していた。
 それまで黙っていたちびネイトが、不意にそのタイランの肩をつついた。
「タイラン君は、複数の事を同時に考える事は出来るかね」
「は、はい? えと、計算しながら今晩の献立を考えたり……とかですか?」
「うむ、まあそんな感じだ。それの超高度な処理が、目の前で起こっているこれだ」
 ネイトは、浮いたり飛んだりしながらディッツを観察しているナクリーの分身を指差した。
「これとはご挨拶じゃのう」
 ネイトらと話をしている方のナクリーが、渋い顔をする。
 だが、ネイトは気にした様子もない。
 心だの意識だのは、ネイトの専門分野なのだ。
「思考の並列作業という奴だろう。もっとも、分身を作り出して行なうパターンは珍しいが」
 興味深げにディッツの周囲を飛び回る幻影を眺めるネイトを余所に、今度はナクリーがタイランに近付いた。
「それよりも娘、気になっておったのじゃが」
「な、な、何でしょうか」
 ジッと真面目な目で見つめられ、思わずタイランは怯んだ。
 だが、ナクリーの表情は一転、年相応の笑顔で瞳を輝かせた。
「お主も誰かに造られた者じゃな! 何となく分かるぞ!」
「あ、は、はい。父に生み出されまして……」
「おおおおお、興味深いのう。精霊を人の手で造り出すとは大したモノじゃ! 父上殿はまだご存命か?」
「お、おそらく。父に会う為に、その、浮遊車を求めて、ここを訪れてたんですけど……」
「うむうむ、それならば問題ない」
 何が問題ないのか、大変気になるカナリーだった。
 が、気になる事は他にもあった。
「しかし、どうして今まで現れなかった貴方が、急に出現したのかな?」
「仕方あるまい。今まで、ガトーの防犯装置の故障の影響で、峡谷の最奥に封じられておったのじゃ」
 タイランを見る目とは一転、ムスッとした顔になるナクリー。
「この姿で現れる事が出来るのも、本来の儂のフィールドと、電界石というエネルギーを蓄える力を持った石が埋まっているところだけじゃ。同時にディッツらの行動範囲でもある」
 それに関しては、カナリーにも心当たりがあった。
「ああ、魔力がアップしている場所か」
「然り。……ふむ、そろそろじゃの。下がるのじゃ」
「うん……?」
 疑問に想いながらも、カナリーは素直に下がった。
 タイランとネイトもそれに倣う。
 するとすぐに、横たわった重甲冑から白い煙のようなモノが噴き出した。
「な、何ですか、これ……!?」
「練気炉に組み込んでおった、儂の造った自動修復装置じゃよ。超小型の作業用機械じゃな」
 見ると、破損した甲冑の部分が少しずつ、元に戻り始めていた。
「で、でも、絶魔コーティングなんですけど、この甲冑」
「ふん、儂のこの子らには魔力など関係ないわい。強いて言えばそう、『科学』という奴じゃからの。……とはいえ、これだけでは少々不足しておるので補充を呼んでおいた」
「呼んだ?」
 何だか不吉な予感を覚え、カナリーが尋ね返す。
 空の彼方から、何かが風を切って飛んでくるような音がしたのは、その直後だった。
「カ、カナリーさん、何か飛んできます!」
 タイランの言葉に青空を見上げると、円柱形の何かがこちら目掛けて飛来している所だった。
「ミサイル!?」
 仰天するカナリーに、ナクリーは全く動じた風もない。
「今話しておった、補充じゃ。心配せずとも爆発したりはせぬ」
「そ、そうかい」
「当たれば死ぬが」
「ちょっとっ!? 退避! みんな退避! ヴァーミィ、セルシア、タイランの身体急いで運んで!」


 重い音と振動が響き、一抱えほどもある極太の円柱が河原に突き刺さった。
 長さは3メルトほどもあるだろうか。
「ビ、ビ、ビックリしました……」
 それを見上げながら、タイランが言う。
「まあ、精霊体のタイランは無事だっただろうけどね……」
 おそらく、直撃を受けてダメージを受けたのは、カナリーと従者達だけだろう。
 だが、相変わらずナクリーは気にした様子もない。
「よしよし、これでウチの子らの修理も出来るぞえ」
「……は、傍迷惑なところは子孫にしっかり受け継がれてるな」
「……ま、まったくです」
 カナリーとタイランは頷き合った。
 それからふと、カナリーは重要な事に気がついた。
「っと、そうだ! ここで、あの巨人とか直して大丈夫なのかい!? こっちを襲ったりとかないんだろうね!?」
「その心配は無用じゃ。原因であるガトーの防犯装置が停止したのでな」
「……どういう防犯装置だ」
「墜落のショックで論理回路に不具合が生じたのじゃ。そういう事もある。とにかく、あれが停止した以上、儂の命令なら絶対遵守するから大丈夫じゃよ。そこに関しては、あの赤い女に感謝じゃな」
「赤いって、貴族風の服装をした?」
 崖で出会った女性を思い出し、タイランが尋ね返す。
「僕?」
「違います」
 言われてみれば、確かに色以外はカナリーと被っているような気もしないではないが。
 パン、とナクリーは小さな手を叩いた。
「ま、その辺の話はやるべき事を終わらせた後でよいじゃろう。この子、モンブランじゃったか。この子を動けるようにするのが第一じゃ。急ぐぞ」
「何か、新しい危機とかが迫っているのかい?」
「違う違う」
 カナリーに手を振り、エネルギーが満ちてきたのか身体を震わせるモンブラン十六号を、ナクリーは見下ろす。
 そしてニヤリと笑った。
「仇は自分の手で討ちたいじゃろう? そういう事じゃよ」


※ミサイル飛ばされて慌てるのは、前回と同じパターンな訳ですが、もしかしたらまたやるかもしれません。
 ……カナリーとナクリーで名前の韻ががが。
 思考の並列作業とか、どこのアトラスの錬金術師だ。(汗



[11810] 謎の魔女(?)
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/20 19:15
 ウェスレフト峡谷奥。
「困っているようじゃな」
 リフが気配のないキムリックを相手に攻めあぐねていると、突然、そんな声と共に掌サイズの小人が現れた。
 何らかの幻影なのか半透明の姿をした、古い装束を羽織った幼女……なのだろうか?
 疑問符がつくのは、彼女が目、鼻、口以外をすっぽりと覆う覆面をしていたからだ。青をベースに、黄色や赤で隈取りがされた派手な覆面だ。
「……む? どなたさんどすぇ?」
 得体の知れない相手に、キムリックは素早く距離を取った。
「とりあえず今は、お主の敵じゃ。ああ無駄無駄。お主と違って、儂は本当の幻影じゃ。物理攻撃は効かぬよ」
 自分の身体を素通りしていったキムリックの投げ放ったナイフに、覆面幼女は手をヒラヒラと振った。
 そのナイフを掴んだリフが、首を傾げる。
「……だれ?」
 今の内にと気絶したヒイロを介抱するリフを背にし、覆面幼女は振り返らない。
「彼奴の敵という事はすなわち、お主らの味方という事じゃ」
「変な人がいる……何で覆面……」
 頭を振りながら問うヒイロの疑問はもっともであった。
「くっくっく、これはの、儂の正体を隠す為と同時に、格好いいからじゃ。嵐を呼ぶ覆面の魔女! 人呼んで仮面ウィッチ・トルネード!」
「おおっ! な、何か格好いい!」
「に! ヒーロー登場!」
 むん、と無い胸を張る覆面魔女、トルネードに守護神の年少組二人は拍手を送った。
「くっくっく、もっと褒めるがよい!」
「……いや、誰が呼んでるんとか、覆面やのに仮面ウィッチとかツッコミどころはようさんあると思うんやけど……」
 だが、常識的なキムリックのツッコミは、ブーイングを呼ぶだけであった。
「ヒーローを分かってない!」
「に! 分かってない!」
「無粋な奴じゃのう……そんな事ではモテぬぞ?」
 三人に駄目出しを食らい、キムリックは助けを求めるように後ろを振り返った。
 唯一の味方であるはずのラグドールは、我関せずと、浮遊車のチェックに専念していた。
 諦めて、三人の相手をすることにする。
「非難囂々になる意味が分かりまへん。それに、そこな二人の腕前は大体分かりましたし、そろそろ決着をつけさせてもらいますえ」
 双剣を構え、キムリックの姿が音もなく消える。
 いや、消えるような動きで、リフ達に右から回り込む。
「にぅ、来た!」
「リフちゃん後衛! ボクの方が頑丈だから前に出る!」
「にっ!」
 骨剣を構えたヒイロがリフの前に立ち、キムリックを迎え撃つ。
 トルネードは宙に浮かんだまま、手を出すでもなく戦局を観察する。
 ただし、口は出した。
「ふむ、では儂はアドバイスをするとしよう。これはそこの二人の仲間である、司祭のコメントなのじゃが……」
「お兄?」
「お兄と呼ばれているのか知らぬが、とにかく其奴が言うには魔法が使えない今の内に決着を着けた方がいいという事じゃ」
 ヒイロとキムリックがぶつかり合う。
 ヒイロの骨剣と蹴りは何とか致命傷を避けているが、キムリックは手数の多さで、少しずつ彼女に浅い傷を増やしていく。
 何より、気配がないので、どこから攻めてくるのか分からない。
 ヒイロは見てから迎撃するので、防御が遅れてしまうのは無理もないのだ。
「奴は『{隠蓑/ハイドン}』『{封声/チャック}』『{加速/スパーダ}』辺りの呪文を使う故、厄介らしい」
「……!?」
 ズバリ、自分の持ち魔術を言い当てられ、一瞬キムリックの動きが止まる。
 そしてそれを見逃すヒイロではない。
「隙あり!」
 ぶん回した横殴りの骨剣が、キムリックにぶち込まれる。
「くっ……!?」
 キムリックはかろうじて防御し、吹っ飛ばされた身体を回転させて、ダメージを軽減させる。
 しかし、黒眼鏡の中の視線は、自分を攻撃した者よりも余計な口出しをした覆面魔女に向けられていた。
 ヒイロが追い打ちをかけようと迫るが、得意の回避で事なきを得、距離を取った。
「ククク……どうやら図星らしいの。態度に出過ぎじゃ。甘い。隠すのなら、もっと上手く、心に鉄の壁をつくって隠し通すべきじゃよ」
 覆面魔女トルネードは、まず自分の法衣のような服を指差し、キムリックの足下を指差した。
 キムリックの肩には、避けきれなかった攻撃で出来た服の綻びがあった。
 そして空に浮かぶ太陽が地面を照らし、足下には彼の影を作っている。
「幻影や幽鬼の類ならば、服も斬れまい影もなかろう。実体がありなおかつ、幻のような存在。キキョウとか言うサムライが言うには、お主、もしやシノビというモノではないのかえ?」
「何のことでしょう」
 頬を伝う汗を無視するも、わずかに後ずさってしまう。
 それも図星だった。
 東方のシノビの術をベースに自分なりにアレンジした隠密術。
 それが、キムリックの得意とする術だ。
 服は水の精霊が纏う衣を解いて織り直した逸品で、衣擦れの音は絹よりもしない。
 体臭は数十種類の薬草を煎じた汁を定期的に飲み、仕事前に水で念入りに清めることで消し去っている。
 気配や足音を断つのは、当然ながら尋常ではない訓練の賜物である。
 ……が、動揺した心が乾いた土を、ジャリ……と音を立ててしまう。
 それを見て、リフの目が光った。
「音、出た!」
 すかさず、さっきキムリックが投擲した投げナイフを投げ返す。
「う……くうっ……!?」
 直撃こそしないモノの、キムリックは避けきれず、左の二の腕を刃で傷つけてしまう。
 覆面魔女の言葉はまだ続く。
「そして、あの司祭、シルバと言ったか。彼奴が言うには、臭いがないのならば、付ければよい。音がないならば、出させればよいという事じゃよ。それは何も、動揺を誘うだけに限らぬ……」
 言って、彼女は青空に向かって手を掲げた。
 すると、遙か彼方から、何かが風を切って飛んでくるような音が聞こえ始めた。
 それは最初、小さな黒い点だった。
「……おう、来た来た。フォンダンで精製しておいたモノじゃ。この荒野では割と貴重じゃが、まあ今の儂には必要ないモノじゃ」
 しかしその点が次第に大きくなり、円柱状の何かだと、その場にいた皆、気づき始めた。
 真っ先に気付いたのは、その中でももっとも視力の高いリフだった。
「に!? ミサイル!?」
 飛んでくるそれに、飛び上がる。
 間違いなく、狙いはここだ。
「じっくりと味わってくれるとよい」
 覆面魔女が指を鳴らすと、ミサイルは地面に落下する前に破裂した。
 爆発ではない。
 いや、ある意味爆発だったが、それは熱くなかった。
 むしろ逆。
 ミサイルの中身は大量の水だったのだ。
 屋根も何もない荒野では、避けようがない。
 当然、リフやヒイロ、キムリックもずぶ濡れになってしまう。
 車内に入っていたラグドールと、幻影の覆面魔女は無事だったが。
「み、水……!? うっ……!」
 呆けていたキムリックに、ヒイロから何かがぶつけられる。
 地面に転がったそれは、骨付き肉だった。
 服に、油分がついてしまった。
「おやつ用のお肉だよ! リフちゃん、臭い追えるよね!」
「に、任せて!」
 そしてリフが前に出て、キムリックに迫る。
「こ、この程度の足場でウチの動きは……」
 キムリックもさすが、ぬかるみと化した地面で足を滑らせるような下手を打つような真似はしない。
 だが、それでもリフの方が速かった。
「に……自然の荒れ地でのうごくの、リフとくい……っ!」
「しもうた……野生の剣牙虎!!」
 まるで、慣れた地面を駆けるように、リフはキムリックの懐に潜り込む。
 そして、両腕から生やした刃が、キムリックの身体を切り裂く。
 彼はたまらず傷ついた胸を押さえ、跪いた。
「勝負有りじゃな。お主に勝ち目はないぞ」
 とりあえず口を挟んでいた覆面魔女が、一番えらそうであった。
 が、キムリックの笑みは崩れない。
「ふふふ……それはどないでっしゃろかな。ウチの勝利条件は、そこな二人を倒す事やおまへん……」
「ぬ?」
 覆面魔女は首を傾げた。


※このまま続きます。
 覆面魔女、本当はプリキュアっぽい名乗りにしたかったのですが、あんまりだったのでやめました。
 ちなみに彼女の正体が何者なのかは、彼らにはまだ不明です(という事になってます)。



[11810] 死なない女
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/22 22:05
 キムリック・ウェルズの勝利条件は、ヒイロとリフを倒す事ではない。
「――と言うておるが、どういう事じゃ?」
 そう、ミニナクリーに伝えられ、シルバは小さく頷いた。
 確かに、別に二人を倒す必要はない。
 最初、シルバが仲間達に三魔獣を倒す事はないと言った(結果的に倒してしまったが)のと、理由は同じだ。
「そりゃ浮遊車――ガトーが目的だからな。別に勝てなくても、あれで逃げれば、トゥスケルの二人の勝利って訳だろ?」
「なるほど……。乗る為に造ったのじゃし、別にくれてやってもよいが、負けるのは気に食わぬなぁ」
「とりあえず俺からまた伝言。向こうさんにも聞こえるように頼めるかな」
「ふむ?」
 少し興味深げに、ナクリーは首を傾げた。


「――ふむ、逃げるが勝ちと言う訳じゃな」
「さいでおます」
 キムリックが頷く。
 覆面魔女トルネードは、グルッと周囲を見渡した。
 そして、ヒイロとリフを見る。
「ところでそこな二人の子らに、仲間の状況を伝えてやろう。基本的に皆無事じゃ」
「そうなの!?」
「に……よかった」
「ただ、重甲冑の子が少々重傷を負ってしまっての。今、吸血鬼が修理中じゃ」
「タイランが!?」
「…………」
 驚くヒイロに、何故かキムリックがわずかに表情を動かした。それは胸元の傷の痛みでは決してない。
 だが、トルネードはそれを無視した。
 シルバの読み通りの反応だったからだ。
「それは精霊の子の名前じゃな。違うぞ。甲冑の中にいた子じゃ」
「にぅ……モンブラン十六号」
「おお、とてもナイスなセンスの名前じゃ! 誰じゃ、その名を考えたのは!」
「と、とにかくモンブランは大丈夫なの?」
 心配そうなヒイロに、覆面魔女は頷く。
「うむ。シルバとやらが練気炉を持っておったからの。それを代わりに組み込んだ。――そこ、逃げるでない。聞きたい事があるのじゃ」
「ウチにはありません。ささ、ラグはん、そろそろ逃げましょか」
 ラグドールを運転席に押し込み、キムリックも浮遊車ガトーに乗り込もうとする。
 その背中に、トルネードは問いかけた。
「件の重甲冑の中に仕込まれた、炉を模したガラクタ。アレを入れたのはお主じゃろ?」
「――ガラクタ?」
 よく分からない、と目を瞬かせるヒイロに、トルネードは意地の悪い笑みを浮かべながら説明する。
「左様、見せかけだけで、何の機能もないガラクタじゃ。しかし分からぬのじゃ。そんな事をする必要がどこにあるのか? 炉が欲しいならただ奪えばよいだけではないか。もっとも、奪えば彼の者は既に機能停止の上、おそらく思考回路部分も長時間エネルギーが通わず復旧不可能になっておったじゃろうが……」
 本当は全て分かっているのが分かる、実にいやらしい口調である。
「……考えられるとすれば、例えば不殺をモットーとしている同行者がいて、その者に殺したことを悟られたくない、とかな」
 うむうむ、と小さく頷き、小さな魔女はキムリックの背中に再び問いを投げかけた。
「で、一体誰を騙そうとしたのか、聞きたいのじゃが、どうじゃろう?」
 金属の鳴る音がした。
 と思ったら、ラグドールが腰から短銃を引き抜いた音だった。
 車中で細剣は振り回せない、そう判断したのだろう。銃口は流血しているキムリックの胸元に突きつけられている。
「……どういう事か、あたしも聞きたい。無用な殺生は控えろとあらかじめ約束していたはずだ」
 キムリックは両手を挙げ、やれやれと首を振る。
「はぁ……ラグはんは甘すぎますわ。敵の数はこっちよりもかなり多いんどすえ? 削げる戦力を削ぐのは当然ですわな」
「足止めをさせるのならば、治療や修理の方が人員を割くことが出来る。……いや、そんな事はどうでもいい。正直な話、単純にアタシは殺しが好きではなく、そしてお前はそれを知っていたはず。騙したな」
「はいな、騙しました。んでラグはん、ウチを殺しますか?」
 特に切羽詰まった緊張感もなくキムリックが尋ねると、ラグドールは表情を変えないまま、首を横に振った。
「いや、殺しはしない。今も言った通り、私は殺しは嫌いだ」
「ほな」
「だから、アタシを騙した罰としてここに置き去りにする」
「そら殺生な」
 パチン、とキムリックの右の指が鳴った。
 その直後、キムリックの胸元の血が不自然に広がったかと思うと、浮遊車を中心とした数メルトを赤い霧が覆い始めた。
 東方のニンポウ『血煙の術』である。
 慌てて、リフが後方に下がる。
 が、ラグドールは逃げようがない。
「くっ……!?」
 視界を真っ赤に染められ、とっさに正面をガードした。
「残念どす。ここまで仲良うやってこれたのに」
 その声は、背後からした。
 運転席の扉を開き、回り込んだのだ。
 そして、キムリックの短剣を持った手が瞬くと、ラグドールの首は胴体と切り離された。
 身体がくの字に倒れ、頭部はゴロリと車中から落下し、荒地に転がる。
「にぅ……!?」
「く、首が……」
 思いがけない仲間割れと、血煙の中から現れた生首に、リフとヒイロの表情が引きつった。
「ウチの方が一枚上手でしたな。正面から戦う思て、防御したんが間違いどすえ」
 そして、脱力した胴体も、キムリックは車から滑り落とした。
「夜討ち不意討ち騙し討ち。それがウチの戦い方どす。ほな、さいなら――」
 半ば勘での操作だろうが、浮遊車は無事に地上を離れ、浮かび上がる。
 血煙がうっすらと晴れる中、ゆっくりと地面に倒れたラグドールの胴体が起き上がる。
 もちろん、首がない胴体である。
 そして。
「――逃がすか」
 声は、相変わらず表情を表さない生首が発した。
「…………」
 さすがに一瞬、絶句するキムリックだった。
 キムリックの能力をラグドールが全て知っている訳ではないのと同様、逆も然りなのだ。
 トゥスケルの同胞とは言え、切り札を互いに明かすほどの信頼関係はないのだった。
 とはいえ、今更和解をする状況でもない。
「ほな、これならどないどす」
 助手席に転がっていた拳大の装置を、ラグドールの胴体目掛けて投げつける。
 装置をぶつけられ、ラグドールの胴体は再び地面に倒れた。
 装置は、赤く点滅しているのが、何だか不吉だった。
 そして、作り手である者にはそれが何なのか、一目瞭然であった。
 仮面ウィッチ・トルネードが飛び上がる。
「自爆装置じゃ! さてはあの娘、さっきの作業で解体しておったな!」
「にぅっ!?」
「何でそんなモノがあるの!?」
 当然ながら、リフとヒイロも仰天した。
 赤い点滅はスイッチが入ったのか、少しずつその明滅を早め始めている。
「馬車に車輪があるように! 船に舵があるように! カラクリに自爆装置が積まれているのは常識じゃ! 爆発範囲が広い故、急いで下がるがよい!」
 色々と突っ込みたい所も多かったが、それどころではなさそうだ。
 浮遊車ガトーは既に空高くに舞い上がり、おそらく爆発範囲からは逃れているだろう。
「に、でもこの人……」
 リフは、転がっている生首が心配だった。
 どうするか迷ったのは一瞬、すぐに飛び出し、ラグドールの頭部を抱えると、今度こそ一目散に逃げ出した。
 その生首が、口を開く。
「問題は、ない」
「生きてるの!?」
 一緒に逃げ始めたヒイロが、ビックリした顔をした。
 爆発が起こったのはその直後。
「やば……」
「に、間にあわない!」
(ならば、私の出番ですね)
 リフの口の中で、それまで潜んでいたヤパンの一部が呟く。
 そして口の中から飛び出すと、二人を丸い玉で包み込んだ。
 背後からの爆風に、鈍色の球に包まれた二人は吹き飛ばされた。


 遠くで爆発音が響き、しばらくして黒煙が立ち上った。
 それを河原から見上げる、カナリーやタイランである。
 現場で何が起こっているのかは、ナクリーから聞いていた。
「ヒイロ達、無事だといいんですけど……」
「ガガ! ひいろ頑丈! りふスバシッコイ! 心配イラナイ!」
「で、ですよね……」
 タイランを励ますモンブラン十六号も、あちこちの破損はまだ目立つが動けるレベルに修理されていた。
 その肩には、砲撃の巨人ディッツから回収した中型のミサイルを一基担いでいる。
 再起不能と思われていた当のディッツも鋼の骨格が見えるような半壊状態ながら復帰し、空には一度、片翼を切断したせいかやや羽を薄くしたイタルラが、旋回を繰り返している。
 そして、地面の亀裂から鈍色の液体が溢れ出たかと思うと、頭部を螺旋状にした獣がそこから出現した。
「ほう、これは珍しい。動く金属じゃないか」
 感心したようにネイトが呟く。
 ナクリーは、現れた生きた液体金属――ヤパンに向かってコクンと頷いてみせた。
「さて、ヤパンは今働いたばかりで悪いが、頑張ってもらうぞ。そろそろ標的が来るのじゃ。二人とも、準備はよいか」
「は、はい」
「ガガガ! 復讐ノ時!!」
 さっきまでモンブラン十六号の修理に追われていたカナリーは、ヴァーミィにマントを平たい大石に敷かせ、セルシアに膝枕をしてもらい、疲れた表情で寝転んだ。
「……やれやれ、僕はしばらく休むよ。なるべく、静かにしててくれたまえ……おやすみ……」


※ちなみに河原での戦闘ははしょります。
 いや、今更ですがこれはファンタジーモノであって、変形ロボットモノではないので。(汗



[11810] 拓かれる道
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/22 22:06
 見上げた青空では、激しい空中戦が繰り広げられていた。
 小さな浮遊車が、その小回りを活かして相手の攻撃を回避する。
 その浮遊車ガトーが微かに黒煙を噴き上げるのは、最初に地上から放たれた大量のミサイルの一基を食らったからだ。他の直線的なミサイルに比べ、その一本だけが妙に放物線を描いていたので避け損ねたのだろう。
 今は、背中から翼を広く伸ばし赤く変色したディッツが、ガトーを追いかけ回していた。イタルラと合体しているらしい。
 その光景に、シルバとキキョウは、口を開いて呆気にとられるしかなかった。
「……えらい事になってるな、おい」
「う、うむ……助太刀するべきであろうか……」
「やめておくのじゃ。返って邪魔になる」
 ナクリーが間に割って入る。
 そうこうする内にも、ディッツとイタルラは分裂。
 いやもう一つ、鈍色の物質も分離したところを見ると、どうやら三位一体だったらしい。
 再び合体したディッツは、細身の鈍色に変化し、左腕に螺旋状の槍を生やしていた。
 先刻の数倍速い動きでガトーの背後に回り込むと、そのドリルで車体を貫こうとする。
 ガトーは間一髪で回避するが、完全には避けきれなかったのか、車体の腹が大きく削り取られてしまっていた。
「おおっ、ドリルアタック!」
 鼻息荒く、シルバが拳を握りしめるのを見て、ナクリーも嬉しそうにした。
「ぬ、分かるか小僧!」
「男の浪漫!」
「乙女の浪漫でもあるぞ!」
 幻影のナクリーと、ガシッと握手を交わすシルバであった。
「む、う……り、理解出来ぬ……」
 尻尾を項垂れるキキョウの肩を、シーラがポンと叩いた。


 とはいえ、空中戦を眺めてばかりもいられない。
「すげーなぁ。合体変形ドリルつきかよ……」
「見惚れるのもよいが、それよりもそろそろあの子供らと合流の場所じゃぞ」
 名残惜しくも、ナクリーの先導で左右が絶壁で狭くなりつつある荒野の道を進むシルバ達一行であった。
「お、おう。けど、本当に浮遊車の代車、ちゃんとあるんだろうな」
「代車とは少々違うが、心配はいらぬ。持ってきた浮遊装置とゾディアックスさえあれば……くっくっく、儂の発明に仰天するがよい」
「何かそこはかとなく、不安なモノを感じるんだが……」
 邪悪な笑みを浮かべるナクリーに、ちょっと間違えたような気がしないでもないシルバである。
「ところでお主、確か治療が出来ぬのであったな。ランダム・シールに罹ったとか」
「あ、ああ。それを治すのも、この旅の目的の一つなんだけど……まさか」
「うむ、治療法なら知っておるぞ?」
「本当か!?」
 考えてみれば、彼女もまた{墜落殿/フォーリウム}の住人だったのだ。
 そして、ヴィクターの創造主でもある。
 ならば、対戦相手の力への対策は当然持っていておかしくない。
「うむ。まずは腕を切り落とすのじゃが……」
「やっぱりいらねえ!」
「痛みはないぞ。ちゃんと麻酔は掛けておく」
「そういう問題じゃねえよ!?」
「人造人間ならば、それが普通の治療法なのじゃが」
「……親から授かった身体の部品は大事に扱いたいんだよ」
「そうか。久しぶりの手術じゃと思って、楽しみじゃったのに」
 すごく残念そうな、ナクリーだった。
「とりあえず、今の時代で一番アテになりそうな所に行くから。腕の交換とかはやめとく」
「ふむー……ちょうどよさそうな部品ならあったのじゃがのう」
「何?」


 部品、の意味は、すぐに分かった。
「な、な、な、なんじゃこりゃあっ!?」
 先程感じた大きな揺れと噴き上がった黒煙の現場は酷いモノだった。
 そこだけ、狭かったはずの峡谷が大きく広がり、左右の絶壁の一部が崩落していた。
 黒っぽくなったその地のあちこちに、赤の目立つ肉片が転がっている。
 唖然としていると、少し離れた場所にあった、やけにこの場に不釣り合いな鈍色の球が破裂した。
「に! お兄!」
「先輩、無事だったんだ!」
 球の中にいたらしいリフとヒイロがシルバ達に気付き、駆け寄ってきた。
「お、おう、二人も無事で何より。っていうか何だ、この猟奇殺人現場は……」
「誰も死んではいない」
「うぉっ、生首が喋った!」
 声は、リフの抱える女の子の生首が発したモノだった。
「お、おのれ、物の怪!」
 シルバを庇い、キキョウが刀の柄に手を掛ける。
「落ち着けキキョウ! お前も物の怪だ!」
「は! そ、そうであった!」
「愉快な奴らじゃのう……」
 宙に浮いたちっちゃい版ナクリーが、呆れた顔で呟いた。何故か、覆面をつけていた。
「……って、何覆面してるの、ナク――」
 覆面ナクリーが、シルバの台詞を遮る。
「――儂の名は嵐を呼ぶ覆面の魔女! 人呼んで仮面ウィッチ・トルネード! ナクリー・クロップとは断じて違うのじゃ! 第一、ナクリーならお主の後ろにおるではないか! むむ、相変わらずの美人さんじゃのう」
「おお、これは仮面ウィッチ、久しぶりじゃ」
 二体のナクリーが、手を合わせ合う。
「え、え、知り合いなの!?」
「にぅ……世界はせまい」
「「うむ!」」
 驚くヒイロとリフに、自信満々に頷くナクリー×2であった。
「……超騙されてるぞ、二人とも」
「それよりも、そろそろあたしの身体を戻して欲しいのだが」
 そう主張するのは、生首少女だった。
「……えっと……聞いてた状況から察すると、アンタ、ラグドール・ベイカー?」
「そうだ」
「サキュバスのアリエッタを掠った」
「何の話だ」
 ラグドールは真顔で否定した。
「いや、全部司祭長から聞いているから」
「どこの司祭長の話だ」
「…………」
 とぼけているのか、本当に知らないのか、シルバにはいまいち判断がつかない。
「ぬぅ……正直に言わぬと、身体を戻さぬぞ?」
 ずずい、と迫るキキョウにも、ラグドールは動じた様子はない。
「知らないモノを知らないと言っているだけだ」
「キキョウ」
「む?」
 とりあえず、シルバはキキョウを制した。
「とりあえず何だ、こんな形で話をしてても埒があかないし、バラバラになった身体を集めよう。それによく見たら、多分これ、爆発でばらけたんじゃないと思う」
 赤の色は血かと思っていたが、どうやら布の切れ端がほとんどのようだった。
 肉片にもかすり傷のようなモノこそあれ、爆発を食らったにしては驚くほど出血が見あたらない。
「言われてみれば、切断面も滑らかであるな……」
「自分でばらけた。身体を軽くした分、ダメージはゼロとまではいかないまでも、少なくて済んだ。そしてこの状況ではあたしに勝ち目はないので、降伏する」
「……んー」
 ラグドールの言葉に、シルバは考える。
 どうやら、普通の人間とは言い難い身体の持ち主らしい。まともな人間は『自分の身体をばらす』などという真似は出来ない。
 もちろん、彼女の言い分が全て本当ならばの話だが。
 すると、リフとヒイロが顔を見合わせた。
「に……信じてもいいと思う」
「だねぇ」
「何かあったのか?」
「んんー、悪い人だけど悪い人じゃないって言うか……」
「にぅ……多分だいじょぶ」
 ちょっと自信なげに、二人は頷く。
「……ま、そういうなら戻そう」
 幸い、ラグドールの身体は細切れというほど細かくはばらけていないようだ。
 一パーツも、それなりの大きさだ。このやけに柔らかいお椀型の肉は乳房だろうか。
 などと考えていると、キキョウが慌ててそれを奪い取った。
「あ、シ、シルバ殿! 胸や腰の部分は某達が拾うので、シルバ殿は腕や足を頼む!」
「お、おう」
 肉片はある程度は自力で集められるらしく、幾つもの肉が空を舞い、一カ所に集っていく。
 瓦礫の下敷きになったようなパーツを拾い集め、何とか人の形になった。
 繋がった胴体はゆっくりと起き上がり、リフの持つ頭部を首に乗せると、やっと五体満足な姿になった。
「つーか……こりゃどういう体質だ。アンタ、アンデッドか?」
「よく勘違いされるが、違う。種族的には妖精族に分類される」
「妖精族……ああ、あれか。ならアンタ、馬とかも出せたりするだろう」
「ああ」
 首が離れた姿と、アンデッドに間違えられる妖精族。
 それに、剣もそれなりに使う事を考え……シルバは、彼女の種族に何となく見当がついた。
 パンパン、とナクリーが小さな手を叩く音が響き、そちらを向く。
「さて、向こうもどうやら決着がついたようじゃし、立ち話も何じゃ。そろそろゆくか」
「え、どこに?」
 ナクリーは、スッと峡谷の奥を指差した。
 向こうには、砂嵐の壁が見えた。
 この距離からこの高さだと、相当大きな砂嵐である。
「この更に奥じゃ。そこな娘も興味があるじゃろう?」
「ある」
「うむ、ならば来るがよい。ただし、他言は無用じゃ」
「あ、で、でもタイラン達置き去りだよ」
 ヒイロの心配は、ナクリーにとっては無用のモノだったようだ。
「心配せずともヤディルラで合流するわい」
「ヤ、ヤディルラ?」
「三魔獣の本来の姿じゃ」
 あれか……と、シルバはさっき見た、空飛ぶ巨人を思い出した。
「合体変形、しかもドリルつきのすごい巨人」
「おおっ!」
 ヒイロが目を輝かせた。
「おお、小僧も分かるか!」
「うん!」
 ナクリーの幻影の手と、ガチリと握手を交わし合うヒイロであった。
「……お、男と乙女の浪漫回路が、某にはサッパリ分からぬ」
「にぅ……」
 そしてキキョウとリフは、尻尾を項垂れるのであった。


 そしてしばらくして。
 砂嵐の風が強まり始めた辺りで、ナクリーの言葉通り、空飛ぶディッツに乗った眠たそうなカナリーやタイランらと合流する事が出来た。
 浮遊車ガトーは、撃墜こそ出来なかったモノの、フラフラになりながら彼方へ飛んでいったという。大分痛めつけたようで、モンブランは満足げだった。
 暇っぽかったリフは、荒野の端に生えていた樹木で何やら遊んでいた。
「結構な大人数になったな……」
 気分は引率の先生である。
「ガガ! 団体サンゴ一行! オヤツハ3かっどマデ!」
「モンブランも元気になってよかったなあ」
「ガガガ! 絶好調!」
 シルバの言葉に、モンブラン十六号は両腕を上げて主張する。
「あ、あの……シルバさん……ちょっといいでしょうか」
 ススッと寄ってきたタイランが、小声で囁いてきた。
 あまり人には聞かせたくない話のようだ。
「……何だ? 空気が乾燥してるから、水分が少しずつ減ってきて困ってるとかか?」
「そ、それはまだ大丈夫ですけど……大丈夫なんでしょうか。ナクリーさん……親切なんですけど……親切すぎるというか……」
 タイランの視線の先では、ナクリーの指示でシーラが荷物袋から出した石板を操っているところだった。
「あー、その心配は少し分からないでもないけど……」
 ヤケに明るい魔女に、シルバは少し思うところがあった。
「……多分、大丈夫。これはこれでギブアンドテイクになってると思うんだ」
「それは……こっちが得られるモノは大きいですけど……」
「まあ、それに関しては、俺とカナリーが相手になると思うから、心配いらないって」
 俺もちょっと仮眠を取らなきゃなあと考えるシルバだった。
「結界を開くぞえ」
 ナクリーの言葉と共にシーラが石板をタッチすると、砂嵐の一部が左右に開けた。
 砂漠に一筋の道が出来る。
「やれやれ、鍵があって助かったわい」
 砂嵐の通路を潜り抜けると、そこは炎天下の砂漠だった。
 リフが手に持っていた大きな葉で傘を作り、ヴァーミィとセルシアに左右を抱えられたカナリーの頭上に影を作る。
「ああ、助かるよリフ……」
「に」
 どうやら、合流前に樹で遊んでいたのは、これを作る為だったらしい。
 一方シルバは、陽炎の向こうに緑色の何かがあるのを見つけていた。
「ありゃあ……オアシス?」
 目を凝らすも、よく分からない。
 ヴァーミィに傘を預けたリフも、同じように目を凝らした。
「にぅ……それに、塔……おしろ?」
「うむうむ、あそこにあるのが我が住処、フォンダンじゃ!」
 嬉しそうに、ナクリーは陽炎の向こうを指差した。


※三魔獣の真のモデルはまあ、分かって頂けたと思います。
 ……ここまで辿り着くのは長かった。
 ラグドールの正体は……明らかに人外ですが、拡大解釈もいいところです。このままだとCVが千○繁氏になってしまいます。
 それはともかく次回から、フォンダンの探索となります。戦闘は多分無いはず。



[11810] 砂漠の宮殿フォンダン
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/24 21:49
 砂漠のオアシスに、巨大な池に囲まれた石造りの宮殿が建っていた。
 宮殿の周囲に建物はなく、代わりに豊かな緑と水の庭園になっている。その敷地の広さは宮殿の大きさを考えると、アーミゼストの一区画分はありそうだ。
 砂漠の中の暑さもなく、それが水の効果か何らかの魔法なのか、ずいぶんと快適な温度が保たれている。
 滑らかに舗装された大通りに立ったシルバ達一行は、ポカンと口を開ける事となった。
 古代様式のそれらを見て、カナリーが興奮に頬を紅潮させていた。
「……すごい、生きた古代遺跡だ」
「考古学者や歴史学者が見たら、卒倒しそうだな」
 シルバも同意せざるを得ない。
「建築学者もね。これは実に興味深い……」
「建物に継ぎ目とか全然無いぞ。一枚岩で作られた壁とか、どうやって作ったんだよあれ……」
 本来の大きさに戻った幻影のナクリーの先導で、シルバ達は宮殿に向かって歩く。


「ひろーい」
 大通りを外れ、ヒイロが庭園に向かって駆け出した。
 その背に、シルバが声を掛ける。
「おい、ヒイロ。あんまり動き回るな。迷子になるぞ?」
「だいじょぶだいじょぶ! 見える範囲だけだからー」
 ぶんぶんと手を振り、ヒイロは子犬のように物珍しげに庭園の石床や石柱を眺めていく。
「にぅ……ヒイロげんき」
 同じ戦いを経験したはずなのに、リフは疲れた声を出した。
 いや、こちらが普通なのだろう。むしろ、ヒイロの体力が尋常ではないのだ。
「……普通、疲れるよなぁ」
 周囲を見渡すと、他の皆の表情も、疲労の色が濃い。
 だがその一方で、砂漠の中では直射日光と熱でダウン気味だったカナリーは、多少復活したようだ。
「一応聞いておくけど、防犯装置の類とか、こっそり設置してあったりとかしてないよね?」
「心配ははいらぬよ。ずいぶん昔はあったが、今はもう無い」
「手入れしてるのは……あれは、ゴーレムか?」
 ところどころで見かける、細身の人形をシルバは指差した。
 茶色を基調に金色の模様が彫られており、一応人間と同じ五体を持っているが、顔はない。
 シルバの視線を追い、ナクリーは頷いた。
「左様。サイズを縮め、体型も人間に近づけた人形達じゃ。さすがにこの庭園も、放っておくと荒れ放題になってしまうからのう」
「……もしかしたら、お前らの先祖かもしれないな」
 シルバは、カナリーを左右から支える、赤と青の従者を見た。
 彼女達は、相変わらず微笑みに似た無表情だ。
 そしてその主人がまた、別の疑問を発した。
「貴方は人造人間の製作にも携わっていたはずだろう? そういうのはいないのか?」
「ほう、それも知っておるのか」
「知っているも何も、目覚めたそれは今、現役で活動中だよ」
「何と!? お主らアレを目覚めさせたのか!」
「いや、俺達じゃないんだが――」
 シルバは、ヴィクターの事をナクリーに話した。
 ヴィクターが目覚めた状況は、今の主人であるノワの証言を元に、不完全だった精霊炉を安定させた事、今は牢獄の中で彼女の世話をしている事まで伝えると、ナクリーは感慨深げに青空を見上げた。
「ふむぅ、凍結しておいた人造人間がのう。そういう事になっておるのか……まあ、儂の実験炉が安定して生きておるなら何よりじゃ。放っておいたらアレは木端微塵じゃったからのう」
「回収しなくていいのか? まあ、するとなれば色々面倒くさい事になるだろうけど」
 だが、ナクリーの幻影は、笑ってヒラヒラと手を振った。
「よいよい。本人は、そのノワとかいう娘を主と認めておるのじゃろう? 造ったモノが幸せならば、放っておいてもよいわ」
「そうか」
「ちなみに先程の問いじゃが、ここには人造人間はおらぬ。あの研究自体、もうずいぶん昔に凍結してしもうた。いつでも造る事は出来るが何分、寿命が短くてのう」
「短いの!?」
 ヴィクターの説明をしている間に、庭園探索から戻ってきたヒイロが驚いた。
「うむ、せいぜい人間並しかない」
「……あ、あの、充分長いと思うんですけど」
 精霊体のタイランが、そっと手を挙げた。
「――わたしの寿命もそれぐらい」
 次いで、シーラが言う。
 ナクリーはそれを見ると、パンと手を合わせた。
「ま、ともあれ、炉や浮遊装置の調整は後回しじゃ。儂のような身体ならともかく、お主らにはまず休息が先じゃろ」
「食事やベッドもあるのか?」
 シルバは尋ね、少し考え込んだ。
「くっくっく、その辺に抜かりはない。風呂もあるぞ」
 すると、どこからか『ぐぅ~~~』と腹の鳴る音がした。
「おいおい、ヒイロ。飯って聞いただけでお腹鳴らすなよ」
「? ボクじゃないよ?」
「へ?」
 シルバが周りを見た。
 タイラン、カナリー、リフも首を振る。
 三魔獣の一体であるヤパンも、獣の姿のまま同じように否定した。
 ならば、とトゥスケルの一員だるラグドール・ベイカーを見るが。
「あたしでもない」
「す、すまぬ……某だ」
 申し訳なさそうに赤い顔で手を挙げたのは、キキョウだった。
 全員の視線が集中し、彼女は慌てて弁解を開始した。
「いや! こう、戦闘になると踏んでおったので、必要最低限しか入れていなかったのだ! 決して、某がいやしんぼうという訳では……」
「よかろう。まずは飯が先じゃな」
 ナクリーの断定に、キキョウは涙目になった。
「某に釈明の機会を!」
「ガガ! 我もお腹空いた!」
 モンブラン十六号が、両腕を大きく上げた。
「うむ、精霊石もあるぞ。人造人間試作時に、精製の研究もしておったのじゃ!」
「ガガ! いっぱい食べる!」


 宮殿の門を潜り、中に入る。
 茶色いゴーレムに案内され、一行は石造りの食堂に入った。
 掃除が行き届いているのか、建物の中も塵一つ無かった。
「……ふわぁ、建物自体大きかったけど、ここも大きいねえ」
 テーブルクロスの敷かれた長方形の大きなテーブルには、おそらく壁際に立つ何体ものゴーレム達の手によるモノだろう、既に食器が並べられている。
「後は、ご飯さえあれば完璧なんだけど!」
 身体がすっぽり収まるような椅子に、ヒイロは真っ先に腰掛けた。
 他の面々も、それぞれ適当に席に着く。
「家の主人がまだ来てないんだから、せめてそれぐらいは待てよヒイロ」
「ぬぅー、待つのって苦手ー」
 おそらく厨房からと思われる、いい匂いが漂ってきていた。
 そのせいもあるのだろう、ヒイロは顎をテーブルに載せ、身悶える。
「――主」
 シーラは何故か席に座らず、シルバの背後に立っていた。
「ん?」
「――わたしもメイド」
「つまり?」
「――仕事を手伝う」
「……そういう事なら、ウチの二人も該当するね」
 カナリーの後ろに、同じようにヴァーミィとセルシアも立っていた。
「ならば、この城の主に聞いてみるといい。召使いのゴーレムに聞いてみよう。キキョウ君、留守は預かっていてくれ」
「承知した」
 それまでシルバの頭の上に座っていたちびネイトがふわりと浮かび上がり、壁際のゴーレムに近付く。
「じゃ、行くか」
 シルバとカナリーは、席を立った。


 茶色ゴーレムの案内で、シルバ達は大きな扉の前に案内された。
「ここか」
 この先が、ナクリーの資質なのだろう。
 ゴーレムが先に入り、シルバ達は廊下で待つ事となった。
 この廊下も、また広く長い。
「迂闊に開けたりしては駄目だよ、シルバ」
 カナリーに釘を刺されてしまった。
「ああ、それで着替え中の現場に遭遇したりする訳だ――ってそんなベタなネタをするか!?」
「あるいは、ゴーレムが気を利かせて勝手に開いたりな」
 ネイトが追い打ちを掛ける。
「ネイト、すぐに止めろ!」
「心配しなくても、ちゃんと注意している。任せろ」
「よし」
 それ以上は特に喋る事もなく、シルバもカナリーも壁にもたれかかって、ナクリーを待つ事となった。
 すると、扉の向こうから小さく声が聞こえてきた。
「……声が聞こえるね」
「盗み聞きはよくないぞ、カナリー」
「聞こえるモノはしょうがないだろう? 耳を塞ぐ方がわざとらしいさ」
「ま、そうかもしれないが」
 何とはなしに、シルバの耳にも声が届いていた。
「ぬうぅ、こちらの正装にしておくべきか。いや、本来の白衣にしておくべきじゃろうか……むう、肉体は久しぶりじゃのう」
 そして、バタバタと慌てた音が室内から響く。
「主賓も大変だ」
「…………」
 カナリーは苦笑するが、シルバはむしろ、何とも言えない気分になっていた。
 手入れの行き届いた庭園に綺麗な宮殿、美味そうな食事の用意に風呂、それに寝床……。
「シルバ?」
「あー……」
 シルバは髪をボリボリと掻き、頭を振った。
「……とにかく、もうちょっと待とう」


※何だか敷地内の説明だけで、ほとんど終わってしまった感が。
 シルバが浮かない顔をしている理由は、次回明らかになります。



[11810] 施設の理由
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/28 18:11
 そして食事の時間となった。
 給仕ゴーレム達が様々な料理を並べ、その中で最も食欲を発揮したのは……。
「すごいね、キキョウさん……」
「……お前が言うんだから、相当だよな」
 呆れた顔をしながら骨付き肉を囓るヒイロではなく、10枚目の皿を平らげたキキョウであった。
「ぬ、うぅ……いや、皆すまぬ。何というか、いくらでも入ってしまうのだ……」
 口元をナプキンで拭いながらも、キキョウの箸は休まらない。
 ドレッシングの掛かった生ハムサラダを、取り皿に盛っていく。
 ふむ、とカナリーは赤ワインのグラスを揺らしながら、頷く。
「竜面の副作用と考えるのが妥当だろうね。エネルギー消費がいかにも、激しそうな力だった事だし」
「……あの力は、自重しようと思う」
「食費が大変だもんね!」
「だから、お前が」
 とはいえ、本当にテーブルの上の料理が全部無くなりそうな勢いなのは、確かであった。
「くっくっく、心配はいらぬ。肉は土中の動物共から造った人工肉じゃ。いくらでもあるぞ」
 結局、白衣を羽織った(本人曰くこれが正装らしい)ナクリーが、鶏の唐揚げをぱくつきながら笑う。
「に、このおさかなは?」
 リフは、フォークに刺した白身魚の切り身を持ち上げた。
「それも同じ材料の人工肉じゃ。歯ごたえや味は魚風味じゃがの。野菜や果物も材料は違うが、人工である事には変わりない」
「にぅ……ふしぎ」
 シルバも食べてみたが、味覚も歯ごたえも魚そのモノだ。
「お、お酒とかも造られてるんですか?」
 今度はタイランが、グラスの水を飲みながらナクリーに質問する。
「昔、何となく造ってみての。一時期ハマって、酒蔵も外にあるのじゃ」
「実に興味深い」
 シルバ達とはわずかに距離を置いて、同じように食事をしていたラグドール・ベイカーが、表情を変えないまま陶器製のワインボトルを眺めていた。
 シルバは、彼女に視線をやった。
「ま、アンタの処遇は食事の後にさせてもらう。と言うか俺もアンタも、それどころじゃないだろう」
「確かに」
 どちらも腹が減っていたのである。


 そして食事が済み、ひとまず休憩を取る事となった。
 外は既に暗く、翌日からの、今後について話し合う事になったのだ。
「一人ずつ個室なのは分かるが……」
 シルバはあてがわれた部屋を眺めた。
 自分のアパートよりも遥かに広く、家具も高そうだ。
 ベッドにテーブル、クローゼットは分かるが、ソファに暖炉、簡易キッチン、トイレに風呂まで備え付けてある。
 もっとも、風呂に関しては大きな浴場が別の場所にあるそうで、シルバ以外の『守護神』メンバーは皆、そちらに入っているらしい。
 ただ、部屋の造りとは別に、シルバが最も気になる点があった。
「……何故、お前らがここにいる」
 ちびネイトとシーラである。
「私はシルバの所有物だからだ」
「――同じく」
「ずいぶんと気を利かせてくれるな。ダブルベッドとか」
 うむ、とネイトはやる気満々だった。何をだ。
「変な気を回しすぎだ! 一つのベッドで寝ろってのか!?」
 シルバが部屋の中で、一つだけ納得のいかない点だった。
「――わたしは別に、床でも構わない」
「そう言う訳にいくか!」
 それなら、自分がまだソファで寝た方がマシだと思うシルバだった。
「シーラ、夜伽もメイドも仕事の一つだ。私の代わりに頑張ってくれ」
「――頑張る」
「頑張らなくていいし、お前も間違った知識を与えるな!」
「あながち間違ってないと思うが。貴族の屋敷では、使用人へのお手つきはよくある事だぞ」
「俺は一般人だし、それを常識だと思わせるな! っていうかツッコミばかりで疲れるからそろそろ本当に休ませろ!」
「分かった。シーラ、添い寝の準備を――」
「分かってねーっ!!」
 ネイトに促され、ベッドに向かうシーラをシルバは食い止めた。
 ……ともかく落ち着き、シルバはベッドに腰掛けた。
「はぁ……」
 自然ため息が出る。
 原因は、今のやり取りで疲れたせいだけではない。
「――水」
「いや、シーラ、別にシルバは調子が悪い訳じゃない」
 キッチンに向かおうとするシーラを、ネイトは留めた。
「まるで全部分かっているような言い方だな」
「夫婦とは以心伝心」
「誰が夫婦だ」
「何? 言わせたいのか?」
「言わなくていい! シーラも考え込むな!」
「ま、とにかく健気である事は確かだな」
 シルバと二人だけしか分からないであろう発言に、シーラが首を傾げていた。
 そんな彼女に、ネイトは説明する。
「幻影は、食事を取らない。風呂に入らない。何よりこんな客室も必要ない。なら、何故そんな準備が出来ていたのか」
 シーラは答えない。
「誰が来ても出迎えられるようにだ。いつ来るか分からない客人を待って、万全の準備を整えていたのだよ」
「一体、どれぐらい待ってたのやら」
 シルバが、再び溜め息をつく。
 だが、シーラは違う考えがあったようだ。
「――意識を睡眠状態にして待機していた可能性がある」
 なるほど、意識がこのフォンダンにあるとして、ずっと目覚めっぱなしでいる理由はない。
 が、シルバはそれに反論する。
「人造人間が人間並の寿命しかないから開発やめたって言ってたろ。って事は最低でも、その時間分は起きてたって考えられる。それでも何十年レベル。開発をやめたのは、仲良くなっても先に逝くってのもあったんじゃないかなーって思うんだ。……まあ、この辺全部推測だけどな。で、そう考えると、俺達が来るまでアイツ、三魔獣とも切り離されてずーっと一人だったんじゃないかと」
 ボリボリと、シルバは頭を掻いた。
「つまりシルバが気が重い理由は、こういう歓待を受けると、ここを非常に去りづらいという事だ。去った後、あの外見幼子が寂しがるんじゃないかと。お人好しだからな」
「悪かったな。俺自身、大きなお世話だとは思ってるんだよ。今回の件で、まあ、ナクリーも動けるようになったはずだし、別に俺達がいなくなった所でどうって事ないかもしれない。こんなのは本人に聞いてみないと分からないし、まさか『一人で寂しかったのか?』とか実際、聞ける訳ないだろ。だから単に俺が一人でモヤモヤしてるだけなんだよ」
「私も含めて、二人だ」
「別にお前はモヤモヤしてないだろが」
「いやいや、態度に出ないだけで、私はずっと気に病んでいたぞ。もっとも私が心配していたのはシルバであって、あのロリババアではないが」
 などと、話し合っていると、扉の向こうから声が響いた。
「……どちらにしても、貴方方の目的の為、しばらくは同行する事になると思いますが」
「待て、シーラ! 敵じゃないって!」
 手から衝撃波を生み出そうとするシーラを、シルバは慌てて押さえた。
「盗み聞きをするつもりはなかったのですが、ノック前に聞こえてしまいましたので」
 スルリ、と扉の下から潜り込み、若い巫女のような姿を取ったのは、三魔獣の一体、ヤパンであった。


※同行せざるをえない理由とは。
 次回……と行きたい所ですが、多分これ、話すよりも実際見せた方が早いし、そう考えると次回はラグさんの処遇になります。



[11810] ラグドールへの尋問
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/01 01:42
「口で説明するよりも、見て頂いた方が早いですね。明日の話し合いで、分かると思います」
 ナクリーがシルバ達に同行せざるを得ない理由は、ヤパンのその一言で保留となった。
 という訳で、シルバ達はもう一つの目的、ラグドール・ベイカーの尋問に入る事にした。


 ラグドールの部屋の造りも、シルバの部屋と変わりはなかった。
「来たか」
 彼女はベッドに腰掛け、シルバ達を待っていたようだ。
 さすがに帽子とマントは外している。
「逃げなかったんだな」
「宝の山の上から逃げる奴などいない。それに、そうでなくても監視下にある」
「罠か」
「ある意味では罠ですね」
 ついてきたヤパンが微笑むと、窓枠から鈍色の液体が溢れ出してきた。
 ヤパンの身体の一部だ。
 おそらくは、扉にも滲んでいるのだろう。
 これでは、逃げようとしたらすぐに、ヤパンに知られてしまう。
「……便利な身体だな」
 ちょっと呆れ、シルバは頭を掻いた。
 どこから話を切り出すか……と迷い、そう言えば忘れていた事を思い出した。
「ま、風呂に関してはウチの連中が終わったあとって事で一つよろしく」
「あたしはそこの風呂で充分だ」
 ラグドールは、浴室に通じる扉を指差した。
 それに対して、ネイトが言う。
「大浴場もなかなかに興味深いぞ」
「そうか」
「ま、ダラダラと話をしてると、朝になっちまいそうだし、本題に入ろうか」
 シルバは椅子を引くと、背もたれを前にして腰掛けた。
「いいだろう。夜更かしはお肌の大敵だ」
「名前はラグドール・ベイカーで間違いない?」
「ない」
「そしてトゥスケルの構成員」
「そうだ」
「……そっちの事を聞くのは後回しにするとして、カーヴ・ハマーと関係があるようだな。シーラから聞いた」
 シルバがシーラの方を向くと、彼女は小さく頷いた。
「主従関係にある。私が雇った」
「アイツとは縁がある。彼の第六層探索の後押しをしているのが、アンタって事でOK?」
「そうなるな」
「……何か、カーヴの雇い主の名前と違うけど。確か、『るしたるの』とか言う人物が、奴を雇っていたはずだ」
「レグフォルン・ルシタルノが貴族として、表の本名になる。ラグドールは偽名だ。自分で動く時のコードネームと思ってくれていい。ベイカーは母方の姓だな」
「貴族?」
「そうだ」
「どこの? パル帝国の貴族、カナリーも知らないっていう事は別の国だよな」
「ドラマリン森林領」
「ってウチの国かよ!?」
「ドラマリンの貴族でも、相当な数がある。お前があたしの領民ならともかく、そうでないなら覚えていなくても不思議はないだろう」
「ううう……カーヴの支援をしていたって事は、アンタ、アーミゼストに住んでたんじゃないのか?」
「そうだが、何か不思議か?」
「実家の方は大丈夫なのかよ」
「家はまだ、父が当主だ。あたしは留学という形で、学院に在籍している」
「後継者が女性でもオッケーなんだ……」
「それが何か、問題か?」
 カナリーの所はそれで苦労してるのだが、それはラグドールの知らない事だ。
「それが問題の奴もいるってだけの話。種族は……デュラハンだよな」
「よく分かったな」
 デュラハン。
 コシュタ・バワーという首無し馬に乗る、妖精族の首無し騎士である。
 死を予言する妖精とも呼ばれ、その為によくアンデッドと勘違いされるという。
「首が取れて、馬を呼び出せる種族なんて、そうはいないだろ。……首以外もバラバラになるとは初耳だけど」
「首が取れるのだから、他の場所も出来てもおかしくはないだろう。聞きたいのは、そういう事なのか?」
「……いや、単に種族を確認しただけだ」
「くくく……拡大解釈にも程があるな」
 空中で、ちびネイトが腹を抱えて笑い転げていた。
 それを放って、シルバは次の質問に移った。
「でさ、これが一番聞きたいんだけど、行動の目的は何だ? 浮遊車でいいのか?」
「浮遊車はあたしにとっては、手段に過ぎない。あたしの目的は、魔王領の探索にある」
「……魔王領?」
 シルバの後ろで聞いていたヤパンが、首を傾げる。知らないらしい。
「この大陸の中央にある島だ。魔王領は魔力が満ち、亜人を含めた人間達は本能が強く刺激されてしまい、理性を保てない。長時間の滞在は肉体的変質も引き起こすという報告が出ている」
「なのに、そこに行きたい? って事は、魔王領の探索自体も目的じゃなくて手段じゃないのか?」
 つまり、魔王領に何かがあり、それを求めて彼女はトゥスケルに入った、と考えるのが妥当だろう。
「双子の妹――クレムが超越者だ」
「……超越者」
 呟くシーラに、シルバは説明してやる事にした。
「クロエやコイツみたいな万能タイプでな。まあ、俺も一人しか知らないんだけど……」
 シルバは少し口ごもる。
 信じてもらえるかどうか微妙だが、実際自分の知っている知識の通りに話す事にした。
「魔力に耐性があって、特殊な呪文を使えたり、専用の装備があったり……要するにメチャクチャ強い。非常識なぐらい強い」
「カーヴ・ハマー?」
「近いが、もっと酷い。単独で軍隊とやり合ったり、巨人を単独で倒したり、城を落としたり出来る。確実に一つは、何らかの必殺技を持っていて、普通に空を飛べたり、一定時間無敵になったり、目からビームを出したりするっていう話だ」
「クレムは、目からビームは出さない」
「空飛べるのと一定時間無敵は認めるのかよ!?」
「妹の愛馬、ロッサは飛べる。私の馬、テッサは無理だが」
「……まあ、とにかく超越者ってのは大体、ルベラントのゴドー聖教総本山や他宗教の元締めで認定されるのが普通だ。んで、魔王討伐軍の精鋭部隊に組み込まれるのが常でもある。つまり……」
「二年前、魔王領で行方不明になった妹の捜索だ」
「そりゃ確かに難しいな。魔王領への無断侵入は、七カ国条約で禁止されている」
 何しろ迂闊に入れば、その侵入者がそのまま敵になるかも知れないのだ。
 いわゆる魔人という奴である。
 現状、許可されているのは、絶魔コーティングを施された全身鎧を着込んだ戦士か、超越者やこちらに与する魔族のような魔力に耐性のある者がほとんどだ。
「天空艦の同乗を望んだが、あたしはパル帝国の国民ではないし、何より軍人ではないという理由で拒まれた」
「普通はそこで諦めるが」
「あたしは諦めない」
「それで、トゥスケルか」
「そうだ」
 なるほど、トゥスケルならば、魔王討伐軍とは別のルートで魔王領に侵入する方法があるかもしれない。
 そこを頼ったのは妥当だろう。
「んじゃ、そのトゥスケルのシステムに関して」
「それを話す訳にはいかない」
「秘密結社だから?」
「そうだ」
「魔王領に入れるコネを、俺が提供したら?」
「話そう」
 ガクッと、シルバの身体が傾く。
「早い」
 シーラですら突っ込んだ。
「貴様がルベラントに向かう事は分かっている。だが、だからといって教皇に特別扱いはされまい」
「ん、んー……」
 シルバは少し考える。
 これに関して説明しようとすると込み入った事になりそうなので、別方向からのアプローチを試みる事にした。
「そういう方面で頼りになる奴が一人いる」
 言って、シルバは肩の上に腰掛けた、ちびネイトを指差した。
「何と、この私だ」
 えへん、と薄い胸を張るネイトである。
「貴様か」
「良くも悪くも、私は向こうでは顔が利くのだ」
「それにもう二人いる。魔王領の調査、とかなら多分難しいけど、勝手に入って調べる分には融通が利かせられると思う」
「二人もいるんですか」
 ヤパンが驚く。
「内の一人は、ナクリーなんだが。ルベラントはこの大陸でかなり古い歴史を持ってる国だし、これまでの流れを知るにはいい場所だと思う」
「本人のおらぬ所で了承するのはよくないの」
 そんな声が空中から響いた。
「うぉっ!?」
 見上げると、幻影のナクリーが浮かんでいた。
「本体は風呂で騒いでおる故、ダミーの儂が代理を務めよう。と言う訳で儂も参加させい。何、話に横槍を入れるだけじゃ」
「それが既に問題だと思うんだけど」
「細かい事を言うでないわ。第一、今の話ならば、儂も当事者ではないか。魔王領とやらも興味があるぞ」
 そう言うと、ナクリーは机に腰掛けた。
「なるほど。……ただ、魔王領に入るにはまだ装備が整っていない」
 珍しく、ラグドールは気まずそうな顔をした。
 それに対して、シルバはムッとした。
「ふざけんなよ。そんな基本的な点も整ってないまま、中に入るとか言ってたのか。そりゃ誰だって止めるに決まってるだろ。その程度の覚悟で、魔王領に飛び込む気だったのか?」
「準備をしていないとは言っていない。整っていないだけだ」
「同じだ!」
「落ち着け、シルバとやら。ヤパン、茶を持ってくるのじゃ」
「かしこまりました」
 ヤパンの姿がスッと沈み、鈍色の水たまりが扉の下から出ていった。


※ちょっと長丁場になったので、一回分割。
 次でトゥスケルに関して説明おしまい予定です。
 ちなみにシルバの心当たりのもう一人は当然、白い先生です。



[11810] 討伐軍の秘密
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/01 14:35
 シルバ、ラグドールの前に、香茶が置かれた。
 宙に浮いた幻影のナクリーが、パンと手を叩く。
「さて、落ち着いたところで、再開といくのじゃ」
「何で議長になってんだよ」
 シルバの素朴な疑問に、むんとナクリーは胸を張った。
「一番年長者者からじゃ」
「…………」
「無言で生暖かい目を向けるでないっ!」
 空中でジタバタと暴れるナクリーを無視し、ヤパンが手を合わせる。
「とにかく、進めましょうか」
「だな」
「ぬうっ! ヤパンと儂で態度が違う! そやつのデザインは儂なのじゃぞ! その気になれば顔面円錐形なのじゃぞ!」
「はいはい、ナクリー様落ち着きましょう」
 駄々をこねるナクリーをヤパンに任せ、シルバはラグドールに向き直った。
「……えーと、とにかくこっちのカードは切った。次はそっちの番だ。トゥスケルについて分かっている範囲で答えてくれ」
「どこから話せばいい」
「ならまず、本拠地は」
「キムリックからは、シトラン共和国と聞いている」
「聞いている?」
「あたしは本部に行った事がない。アーミゼストの支部だ。グラスポートのとある旅館が根城となっている」
 グラスポートはアーミゼスト北部にある温泉街だ。
 シルバも、何度も訪れた事がある。
 世間は狭いな、と思いつつ、本拠地の在処を更に突き詰める事にする。
「……シトラン共和国のどこが本部なんだ?」
「旧王城だ」
「王城!?」
「旧という事は、空き家であろう? 何を驚いておる」
 ようやく落ち着いたらしいナクリーが、キョトンとしていた。
「共和制になって使わなくなったとは言え、それでも王城だ。警備はいるし観光名所にも指定されていなかったはずだ。一般人が入られる場所じゃない」
「それなりの力はあるという事じゃな」
「だな。構成員は何人ぐらい?」
 改めて、ラグドールに質問する。
「不明だ。知らないし、知らなくてもいい事だ。キムリックを始めとする数人とは接触していて、ボスというか元締めらしき人物は存在する」
「支部にしか出向いた事がないのに、そこは知ってるのか」
「元締めとは支部で会った事がある。フォルトという赤毛赤目の森妖精だ」
「赤毛の森妖精? そりゃまた珍しい」
 森妖精は、その名の通り、森に住む妖精達だ。
 長い耳が特徴で、細身の美形が多い。
 弓と魔法が得意な種族でもあるが、髪の色は多くは金髪だ。
 赤い髪というのはそういない。
「風呂上がりは冷たい牛乳だそうだ」
「同意するけど、今はどうでもいい情報だな」
「混浴、湯煙のせいで、性別は不明だった」
 ラグドールの言葉に、ちびネイトとシーラが頷き合った。
「ああ、フラグだ」
「――そう、フラグ」
 そして、揃ってシルバを見た。
「何でお前らそんな目で俺を見るんだよ!?」
「見境がないな、シルバ。大丈夫だ。そんなシルバも私は大好きだぞ」
「俺は何もしてない! シーラ、優しく肩を叩くな!」
「む、どういう事じゃ?」
 よく分かっていないナクリーに、ネイトは大真面目な顔をした。
「深遠なる世界の理の一つだ」
 シーラもそれに同意する。
「――女殺し」
「性別不明だってコイツ、今言ってたよね!?」
 シルバは、ラグドールを指差した。
 それに対し、ネイトはやれやれと首を振る。
「その時点でフラグだというに」
「あの、私も性別ある意味不明なのですが」
 ヤパンが小さく手を上げると、やはりちびネイトとシーラは頷いた。
「フラグだ」
「――そう、フラグ」
 息ピッタリであった。
 シルバは顔を手で覆い、深く溜め息をついた。
「なあ、本気で俺が見境ない奴みたいに思われるから、そろそろやめにしないかこの話題」
「話は終わりか」
 黙って香茶を飲んで、こちらを見守っていたラグドールが尋ねてきた。
「い、いや、脇道に逸れた話を終わりにしようって言ってるんだ。アンタに聞きたい話はまだある」
「そうか。早くしてくれ。そろそろ眠くなってきた」
「どうやって、そのトゥスケルと接触したんだ」
「あたしが魔王領に関する知識を集めていると、キムリックが接触してきた。奴が言うには、求める者とは引き寄せ合う運命にあるという」
「まあ、実際は単純にトゥスケルの事を知りたがっていたアンタに、向こうが興味を抱いたって所だろうな」
「だが、運命という方がロマンチックではある」
「別に運命はいらねえよ」
 うんうん、と首を縦に振るちびネイトに対し、シルバがツッコミを入れる。
 ラグドールの話は続いていた。
「元々、この組織は互助会のようなモノであり、それぞれ好き勝手に行動している。『好奇心』などというモノは、人それぞれだからだ。あたしが求めていた、魔王領に関する知識だが、王族貴族と軍の繋がりや絶魔コーティングは、トゥスケルの興味を引いたようだ。あたしは、クレムの事以外、どうでもよかったのだが。その繋がりで、今回はキムリックと共同作戦を取る事となった」
「……スターレイの事は、本当に知らないんだな」
「前にも言ったが、何の事だ」
 シルバは、改めてロメロやアリエッタ、司祭長との一件を詳しく説明した。
 だが、ラグドールは無表情に、首を振るだけだった。
「悪いが本当に心当たりがない。誰かがあたしの名前を騙ったのだろう」
「転移コインの事も考えると、まあ、キムリックが妥当なんだろうな」
 今の所、一番容疑が深いのは、彼である。
 すると、そこで空中を漂っていたナクリーが反応した。
「おう、それよそれ。儂の時代の転移式をあのようにコンパクトにするとは、なかなかに見所があるの。誰が考えた」
「トゥスケルの目的は、謎と知識と技術の共有と占有。システムとして、結社に入ったモノは書物のレリーフの刻まれたコインを渡される。この石板に嵌める事で、結社のデフォルトの知識を得る事が出来る」
 言って、ラグドールは手帳サイズの石板を、懐から出した。
 表面は硝子にも似ているが、かなり厚く、白い背中部分にコインを嵌める丸い穴があった。
 シルバはそれを預かり、手の中で眺めた。
「白い部分の材質は、アンタの持ってる石板と似ているな、ナクリー」
「ふむぅ、面白いのう」
「そう。謎、知識、技術、そういったモノを提供する事により、トゥスケルから新たなそれを手に入れる事が出来る。希少価値のあるモノほど、当然交換出来る技術は高等になり数も増える。中には、この転移コインのように、知識を用いて新しい技術を生み出す者もいるのだろう」
「……知識や技術は稀少だからこそ価値がある。外に漏らした場合、更なる未知の情報は手に入らない。トップクラスの奴が裏切れば別だろうが……」
 ラグドールの話に、シルバは頭をボリボリと掻いて、 トゥスケルの人間の立場になって考えてみる。
 情報を漏らした人間を処分するかどうかよりも……。
「……何か、その時はその時で、新しい謎を求めそうだなぁ」
 何だか、トゥスケルという組織は、そういう切り替えが早そうな気がするシルバであった。
「結社の人間と何人か会ったと言ったが、あたしのように、強い目的を持っているモノは稀のような気がする。多くのモノは享楽的で、好奇心と興味の赴くまま、知識を求めている。そして、それが目的なのだろう」
 すると、ヤパンがまた小さく手を上げた。
 そしてシルバの方を向く。
「ラグドールさん。彼らにそこまで話しても、よかったのですか?」
「核となる部分は話していない。そもそも、核となる部分――フォルトの素性などについては、あたしも知らない」
「本拠地も教えましたよね」
「誰かが侵入を試みたら、逃げるだろう。そもそも、本拠地というのもキムリックやフォルトが言っていただけだし、こんな風にあからさまならば、むしろ本当かどうか怪しいと思う」
 シルバも、それに同意だった。
「第一、今の話を聞いても、公には出来ないな。転移コインや石板で、トゥスケルの持つ知識や技術が高いのは分かったけど、どこまで高みに達しているのかサッパリ分からん」
「全てを知りたければ、トップに登り詰めるのが一番の近道だろう。だが、元締めが全てを知っているかどうかも、不明だ。フォルト曰く、あくまで元締めは結社の管理であって、個々の情報を全部握っている訳ではないという」
「んで、それが本当かどうかも分からない、と」
「そうだ。だが、信憑性はある」
「というと?」
「あたしも、トゥスケルには提供していない情報がある。会合や遺跡などで得た情報を、全て教えなければならないというルールはないのだから。他のメンバーも、それぞれ『切り札』を持っていて、おかしくはない」
「なるほどね……ちなみに提供していない情報って言うのは?」
「教えて欲しければ、対価を払う事だ。内容次第で話してもいいが、あたしが駄目と判断したならば話さない」
「ふむ。魔王領関連がいいか……」
 世間一般であまり知られていない情報で、魔王領に関する情報。
 シルバは少し考え、まあこれなら話しても大丈夫かというモノを、思い出した。
「じゃあ、魔王ってのが実は複数いるってのは、知ってるか? それも大小数百レベルで」
「…………」
 表情は変えないが、ラグドールの目がわずかに見開かれた。
 どうやらそれは、知らなかったらしい。
「後払いになるが、情報の根拠は俺達と同行すれば、確実に分かる話だ」
 シルバが言うと、ラグドールは小さく唸った。
「いいだろう。そちらに見合う情報かどうかは分からないが――魔王討伐軍は本気で魔王を倒そうとは思っていない」
「…………」
「正確には、一部の軍は、むしろそれを阻止しようとしている」
 真顔で言うラグドールに、シルバは何と返答するべきか迷った。すごく困る内容だった。
「ははは」
 代わりに、ネイトが腹を抱えて笑っていた。
「信じられないか。だろうな」
「いやいやいや、信じるともラグドール君。興味深い話だ。なあ、シルバ」
「……だな。その内容については検討させてもらうよ。信憑性は高いと思ってる」
 まさか、ここでこんな話を聞けるとは思っていなかったシルバであった。
 笑われたラグドールは、ネイトの態度に特に不快感は持っていないようだった。
 彼女は、ヤパンに首を向けた。
「そもそも、トゥスケル内部の裏切りを懸念したようだが、これまでに、それが一度もなかったと思うか」
「対策は打ってあるという事じゃな。口封じか、逃げの手かは分からぬが」
 ヤパンに代わって答えたのは、ナクリーだった。
「そういう事だ」
「ま、ともあれ、協力関係は結べそうではあるな」
 シルバは、手を差し出した。
「そうか」
 ラグドールが、それを握り返す。
 そのまま、シルバは思いだした事を言う事にした。
「ただ、カーヴはやめた方がいいぞ」
「何故だ。奴は信頼に足る男だ。腕もいい」
「……信頼」
 シルバは、微妙な顔になるのを自覚する。
 その頭上に乗ったちびネイトが、ラグドールを見下ろした。
「ラグ君、奴と1対1で対面した事はないだろう」
「そんな事はない」
「周囲に警備は?」
「家の警備は当然あるに決まっている。それなりの手練れだが、数に入るのか」
「それは1対1とは言わない。貞操と実家の危機が、何気に回避されてる事に気付いていない君は、幸せ者だ」
 はぁ……と、シルバは今日何度目かの溜め息をついた。
「……キムリックといい、男を見る目がないなぁ」


※という訳で次回、大浴場回。
 シルバが色々隠してるのは、もうじき明らかになります。



[11810] 大浴場の雑談
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/02 19:06
 シルバやネイトが部屋で話をしていた頃、カナリーらは宮殿内の大浴場に案内されていた。
 白を基調とした滑らかな床の浴場だ。
 大きな柱が並び、プールのような湯船が広がっている。
 壁の高い場所からも、湯が溢れ出ていた。


「おおぉ~、広い大きい格好いい!」
「にぅ……金獅子のお湯口」
 ヒイロが駆け出し、リフがその後を追う。
 そして順番に湯船に飛び込んだ。
「……元気だねぇ、ちびっ子勢は」
「ご飯食べたからじゃないでしょうか」
 長い金髪をまとめ、身体にタオルを巻いたカナリーと、全裸(といっても普段からほとんど変わらない)精霊体のタイランが、のんびりとその後に続く。
 キキョウは一人、眠たそうに彼女らの後をついてきていた。
 カナリーは興味深げに、壁から流れる大量の湯を眺めた。
「しかし、周辺が砂漠だというのに、この水の量は大したモノだな。どういうシステムなんだろう」
「表面上は少ないとは言え、大気中にはそれなりに水分はある」
 キキョウよりも更に後ろ、低い位置から声がした。
 カナリーと同じようにタオルを身体に巻いた、ナクリーであった。
 眼鏡を外し、代わりに洗面器の中にゴーレムのオモチャを入れている。
「っと、貴方も入るのか」
「久しぶりに、生身での入浴というのも悪くはない。それに色々知りたい事もあるしの。ちなみに、それらの水分の他、地中の地下水を汲み上げたりもしておる。ま、無駄遣いは禁物じゃがの」
「……これは、無駄遣いにはならないのかい?」
「お主、女子がの風呂を無駄遣いというのか?」
「む……そう言われると、反論しにくいけど……」
 あるととても有り難い施設ではある。
「ともあれ、突っ立っとらんと、湯に浸かるがよい。怪我や病にもよく効く成分も入れておるのじゃ」


 湯を浴びると、一行は湯船に浸かった。
 カナリーは小さく吐息を漏らした。
「それで今後の予定じゃが、儂の方は当面、世界の情勢の見聞に回ろうと思っておる。ま、時間は幾らでもあるし、のんびりとじゃがな」
 ぶーん、とゴーレムのオモチャを水面スレスレに飛ばしながら、ナクリーが言う。
「世界の情勢……まあ、大雑把に言えば、世界規模の戦争みたいな感じになってるけど」
 カナリーの言葉に、ナクリーは仰天した。
「何と!? お主らを見ている限りでは、えらく呑気な感じがしておったのじゃが!?」
「せ、戦争と言っても、魔王軍と魔王討伐軍の戦いが主で、他はそれほどでもありませんから……」
 タイランがフォローを入れる。
「魔王軍……?」
「ああ、魔王軍というのはだね……」
 眼をぱちくりさせるナクリーに、カナリーは大陸の中心にいる魔王と、それに対抗する人類勢力について説明した。
 ナクリーは、特に魔王領に興味を示したようだった。
「……ふむ、やっぱり儂の読み通りになったか。だから言うたのに……」
「何か知っているのかい?」
 だが、ナクリーは答えなかった。
「ここには小僧がおらぬし……何、近い内に話す事になろう。同じ話を二度するのは手間というモノ。今はやめておこう」
「焦らすね」
「クックック、焦れるじゃろう……にしても国を回るで思い出したがお主ら、聞いたところ国がバラバラとかいう話ではないか。そういうのが、この時代では普通なのかえ?」
 カナリーは、周りを見渡した。
 遠くでバタ足で泳ぐヒイロは、ドラマリン森林領。確かシルバも同じだ。
 そのヒイロを、犬掻きならぬ猫掻きで追うリフは、サフィーン北部にあるモース霊山出身。
 泡風呂で思いっきり緩んでいるキキョウは、ジェントの出。
 タイランは、サフォイア連合国を父親と共に追われた身。
 そしてカナリーは、パル帝国の貴族である。
「……いや、ここまでバラけるのは、割と珍しいかな」
 タイランが同意する。
「ですね……ウチでいないのは、ルベラントとシトランの人だけ、ですよね……?」
「うん。ルベラントにしても、シルバのお母さんはそっちの人みたいだし」
「ならば、ついでに里帰りも兼ねてみてはどうかのう。どうせ、そんなに時間は掛からぬし、迷宮探索の方は、まだまだ最後まで遠いのじゃろう?」
 手に持ったゴーレムを水中からザブッと出現させながら、ナクリーは言う。
「うーん、それはどうだろう。確かに第六層の突破すら、まだ先が見えないけど、全部回るとなると、一年近くなるんじゃないか?」
 カナリーが首を捻る。
 浮遊車ガトーに代わる乗り物について、実はまだ明かされていないのだ。
 空を飛ぶ、という事だけはナクリーから聞いているのだが、それがどういうモノかはもったいぶって、教えてくれないでいた。
「大陸の大きさが変わっておらぬのなら、一カ所一泊としても一週間で足りると思うが?」
「たった、一週間!?」
「通り過ぎるだけなら、二日程度じゃな」
「二日!?」
 それは、カナリーの常識を越えていた。
 アーミゼストからこのウェスレフト峡谷まで三日(その割にやたら長かったような気がする)、更にこのフォンダンまでもかなり日数を費やした記憶がある。
 と言うか全部合わせると、一週間を余裕で超える。
 その時間で、世界を回るというのか。
「うむ。空には障害がないからのぅ」
「や、しかし某は故郷に帰る訳にはいかぬ……」
「む?」
 泡風呂に全身浸かり、極楽の心地といった顔だけ水面から浮かせたキキョウが、呟くように言う。
なお、熱を持っていたナマズのお面は冷水を満たした洗面器に浸けられている。
「某は故郷ではお尋ね者となっている故、皆に迷惑が掛かる……ぬぅ……この心地は、このまま寝てしまいそうだ……」
「風邪を引くから、寝る前には出た方がいいよ、キキョウ」
 カナリーは、冷静に突っ込んだ。
「にぅ……つかれた……」
「疲れた~……」
 リフとヒイロが、平泳ぎでカナリーらの下に戻ってきた。
「……食べた分の体力まで消耗してどうするんですか、二人とも」
「ふぅむ、それにしても男1に女5……いや、あの召使いと使い魔を足すと7、従者2人にあの甲冑がとなると……」
 ナクリーは、指折り数え、難しい顔をした。
「あのシルバという少年は、異常性欲者か何かなのか」
 とんでもない結論に、カナリーは尻餅をついたままずっこけた。
 勢いよく、水の中から顔を上げる。
「ど、どうしてそういう結論に達する!?」
「違うのか」
「違う! 多分!」
「あ、あの、カナリーさん、そこは、断言しておきましょうよ……」
 この中では唯一、まともな会話が期待出来そうなタイランが、遠慮がちに口を挟む。
 しかし、ナクリーは納得しないようだった。
「いやしかし、これだけの華を一つも落とさぬとは……となると、さては不能者か」
「違う!」
「何と! 確かめたのか!?」
「た、たた! 確かめてはいないけど!」
「試してもみずに、それでは分からぬじゃろう」
「試せるか!」
 声を荒げるキキョウに、ナクリーは両耳を指で塞いだ。
「さすがに声が響くのう……試すのは難しいか」
「当たり前だ! 僕にだって恥じらいがある!」
 む、とナクリーは、目の前にあるカナリーの豊かな二つの乳房を指差した。
「そのでかい乳は飾りではあるまいに。男なら大概イチコロじゃぞ」
「…………」
 タイランが、自分の両胸に手を当て、カナリーのそれと見比べた。
 ちょっと、タイランが沈んだ。
「……タイラン、ウチのパーティーの中だと、君が羨むのはちょっとどうかと思うんだ」
「よし、では儂も恥じらいがあるが、お主の代わりに確かめてやろう」
 力一杯立候補するナクリーを、カナリーとタイランが同時に制した。
「却下!」
「だ、駄目です!」
「ん~? 確かめるって何を~……?」
 何だかキキョウと同じように、ほとんど寝そべるように湯に浸かりながら、ヒイロが口を挟む。
「うう、ヒイロ。君の無邪気さが、今は羨ましい」
「クックック、あの小僧を夜襲うと言っておるのじゃ。主に性的な意味で」
「にぅ……だめ……」
 ヒイロと並んで仰向けに寝転びながら、リフが言う。
「駄目か」
「駄目だ」
 さして落胆もしていない風なナクリーに、カナリーがキッパリ言う。
「それは、儂だから駄目という事か」
「あの液体生物でも駄目だ」
 カナリーは、ナクリーの言いそうな事を先回りした。
「ならば、やはりお主がやればよい。それで問題は解決じゃ」
「だ、だから、その試すっていう発想がまず問題なんだって言っているんだ!」
「そ、そそ、そうです! 本人の意思も確認せずにそんな事……」
「大丈夫じゃ」
 湯船から立ち上がるカナリーとタイランに、ナクリーは動じない。
「な、何がですか……?」
「儂の読みでは、押し切ればあの小僧は拒み切れん。ヤッタモン勝ちじゃ」
「大問題じゃないですか!」
 珍しく、タイランのツッコミがカナリーより早かった。
「ぬ~……のぼせそうなので、そろそろ某は上がるぞ」
「このタイミングで上がるのは何だか取っても危険な香りがするんですけどっ!?」
 ゆっくりと泡風呂から出るキキョウを、タイランが止めようとする。
「では、公平に参加者を募るとしよう。小僧が不能かどうか、確かめたい者~」
 ナクリーが煽ると、キキョウは足を止め、少し考えて手を挙げた。
「って、頭のぼせた状態で手を挙げちゃ駄目だ、キキョウ! 冷静になれ!」


 ……その後、カナリーとタイランの必死の説得により、シルバ本人の与り知らぬ所で、彼の貞操は守られたのであった。


※という訳で、残念ながら成人指定なお話はスルーされる事になりました。
 太陽が昇って、翌日から次はスタートとなります。
 何というか色々酷い話でした。



[11810] ゾディアックス
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/06 13:42
 翌日早朝。
 食事の席は、昨日の食堂ではなく、宮殿の屋上になっていた。
 建物正面付近に例の長いテーブルが用意され、料理が並んでいる。
 そして、茶色のゴーレムやシーラらは、その周囲に待機していた。
「変なところでご飯食べるんだね?」
 まあ、ご飯が美味しければいいけど、とヒイロはソーセージに齧り付いた。
「普段は食べぬよ。もっとも、肉体なぞ長らく眠らせておったから、この言い回しも不適当なのじゃが」
 牛乳を飲みつつ、ナクリーが答える。
「じゃあ、今日は特別?」
「うむ。元々は、食事を済ませてから、空を飛ぶ装置の案内をし、その動力の説明と共に出発と生きたかったのじゃが、お主らのリーダーが渋った」
 ヒイロの視線がシルバに向けられた。
「そのやり方だと、ヒイロが寝る」
「ああ……確かに」
 キキョウや他の皆も、納得したように頷いた。
「うわ! みんなして酷っ!?」
「でも、絶対退屈するだろ?」
「……するね、うん」
 反論しようにも、自覚があるヒイロだった。
「ま、それと、演出的な問題じゃな」
「演出……?」
 ナクリーの言葉に、ヒイロは首を傾げる。
「ああ、なるほど、そういう事か。確かに、こういうのは実際に見た方がいい」
「うむ」
 カナリー、キキョウは得心がいったようで、それが尚更、ヒイロの不満を募らせる。
「む~~~~~、よく分からない」
「に。怒りながら食べるの、よくない」
「だね。ボクは食べる方に集中する」
 隣に座るリフに窘められ、ヒイロは宣言通り、朝食に専念し始めた。
「っていうか、朝からとはちょっと驚いた。もうちょっと時間が掛かるモノかと思ってたし」
 濃いめのスープを飲むシルバの読みでは、昼ぐらいだと踏んでいたのだが。
「ゾディアックスの調整ならば、昨日の内に済ませておったわ。それに組み込みや力仕事など、ゴーレムにやらせておったからの」
 えへん、と胸を張るナクリーである。
「あんな小さいモノで、動力大丈夫なのか?」
「儂は天才じゃからな」


「そもそも、ゾディアックスって、どういうモノなのですか?」
 サラダを食べながら、精霊体のタイランが、おずおずと手を挙げた。
「星の力を用いるのじゃ」
 ナクリーの説明に、タイランは少し考え、シルバを見る。
「スターフォース……?」
「む、この時代ではそう呼ぶのか?」
 タイランの代わりに、今度はナイフとフォークで目玉焼きを食べてたカナリーが口を挟んだ。
「この世界が丸く、夜空に瞬く星々の一つという事は既に知っている。つまり、この世界――この星の力を使うという事かい?」
「はっ!」
 ナクリーは、一笑に付した。
「そんなしょぼい力ではないわ。儂の扱う力は、じゃから星の力じゃと言うておるじゃろが。第一、夜、空に光っておる星々は儂らの住まう星ではない。足下がピカピカ光っておったら、儂ら落ち着いて眠れぬであろうが。光っておるのはそら、そこにある」
「太陽かい」
 カナリーの目は、まだ完全に昇りきっていない太陽に向けられる。
 吸血鬼だけに、渋い顔になるのはしょうがない。
「そう、輝いているのは太陽の光じゃ」
「つまり、太陽エネルギー?」
 そうしたカナリーの当然の解釈に、何故かナクリーは首を傾げた。
「むぅ、どこで間違えたのじゃ……そういうのとも違う。言うならば、そう、森羅万象の力じゃ。さっき否定はしたが、この星のエネルギーも取り入れておるから、完全な誤りではない」
 千切ったパンをスープに浸し、それを食べながらナクリーはその手を太陽に向けた。
「つまりじゃな、あの太陽、それに夜昇る月、この大地、空の星、あらゆるモノの力を微量、受け入れてそれをエネルギーとするのがゾディアックスじゃ。星の数がどれほどあるか、お主ら数えた事があるか?」
 シルバも、口を休めず考える。
 無数の星々から少しずつ力を吸収するのが、例のゾディアックスという炉というのならば……。
「つまり、塵も積もれば何とやら?」
 シルバの解釈は、ナクリーには不満のようだった。
「……例えとしては最悪じゃが、まあ、そういう言い方もあるの。頂く力は星にとっては、刹那の内に回復する程度じゃ。この星で使う程度のエネルギーなら、全然余裕じゃて」
 後半はふふん、と笑うナクリーを見て、タイランはカナリーに耳打ちした。
「……あの、これって、もしかしてものすごいんですか、カナリーさん?」
「……現状、眉唾物だけど、事実なら間違いなくエネルギー革命」
 小声で囁き合う二人の声は、ナクリーには届かなかったようだ。
「ま、色々と研究したのじゃぞ? 精霊炉も例の人造人間に試してみたし、機会があれば魂魄炉も試してみたかったがのぅ」
「……貴方が住んでいた所は地面に落下し、{墜落殿/フォーリウム}と呼ばれているが、そこが今正に、予備動力と思われる魂魄炉で復活しようとしてるよ」
「ふむ……誰が用意したのかの。興味あるわい」
「やめておいた方がいいね。中はダンジョンと化してて、危険なモンスターや制御の聞かなくなった人造人間がいるし」
「難儀な話じゃのう。……うむ、話が逸れた。ともあれ、前回失敗したゾディアックスの不具合も墜落時に判明したし、持ってきてくれた予備の調整は済んだ。ひとまず炉の簡単な原理を説明したところで、その出力の威力を見せるのじゃ」
 何だか、シルバは嫌な予感がした。
「ぶっつけ本番?」
「うむ、そうとも言う」
「ちなみに以前の失敗の原因は?」
「星の力を吸収しすぎた。取り込んだ分を全力で使い切ろうとしてしまっての、そのまま暴走したのじゃ。今回はちゃんと排出出来るようにしておる」
 ようやくヒイロが骨付きチキンを食べ終えたヒイロが、顔を上げた。
「で、乗り物はどこにあるの?」
「…………」
 絶句するナクリーに、ヒイロは目を瞬かせた。
「ん?」
「……お主、どうも勘違いしておるようじゃが、この宮殿はここに来て建てたモノではないぞ?」
「違うの?」
「違う。第一、使うのは乗り物ではない」
「広義では、乗り物でしょう?」
 カナリーの力ない笑いに、ナクリーはふむ、と肯定を示す。
「言われてみれば、そうじゃのう。ま、よいわ。小僧の言う通り、口で言うよりも実際見せた方が早い。長々と話したが……」
 ナクリーは手を挙げた。
 直後、シルバらを弱い浮遊感が包み込み、それはすぐに収まった。
 やがて、ゆっくりと周囲の視界が変化する。
 砂漠が、遠くの山が地面に沈んでいく。
 いや、違う。
 動いているのは、周囲ではない。
 浮いているのだ、この宮殿が。
 察していたシルバやカナリーですら、言葉を失っていた。
 ヒイロなど、何が起こっているのかサッパリだろう。
 その表情を見、ようやくナクリーは満足したようだった。
「つまり、これがお主らの求めた空を飛ぶ乗り物――浮遊城『フォンダン』じゃ」


※やっと、Uターンです。
 たった数日のはずの話なのに、やたら長かったような気がします。
 なんかラ○ュタとか元○玉とか、色々混じった今回でした。



[11810] 初心者訓練場の怪鳥
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/06 13:43
「こ、これ全部飛んでるの? 宮殿丸ごと!?」
 ヒイロは席を立つと、宮殿の屋根の縁から身を乗り出した。
 そうしている間にも、フォンダンはどんどんと高度を上げ、雲と同じ高さへと達しようとしている。
 シルバ達も、気がつけばヒイロと同じように小さくなっていく地面を見下ろしていた。
「見ての通りじゃよ」
 落ち着き払っているのは、ナクリーだけであった。
「……なあ、宮殿どころか、庭園と周りの砂漠の一部まで浮いてるぞ」
 そう、宮殿と共に、敷地も一緒に浮いているのだ。
 それに対し、ナクリーは不思議そうな顔をした。
「庭園がなければ、ガーデニングが出来ぬではないか」
「に、それ重要」
 リフが全面的に同意を示す。
「であろう。うむうむ、分かっておるな、お主」
「に!」
「……まあ、森を守護する剣牙虎の霊獣ですからねぇ」
 タイランが、力ない笑いを浮かべた。
 一方、ナクリーも席を立ち、シルバ達の横に並んだ。
「うむうむ、前回よりも調整が上手くいっておる。思った以上にコンパクトにまとまりおったわ」
「この規模で!? これでコンパクト!?」
 シルバが叫び、ヒイロは庭園を見渡す。
「初心者用訓練場ぐらいの広さはあるよねー……」
「城下町とか造れそうだ」
 ソーセージをモシャモシャと食べながら、ラグドールも感想を漏らす。
「却下じゃ。それでは、せっかくの景観が台無しになる」
「にぅ!」
「……すっかりナクリーの味方な、リフ」
 シルバは、ナクリーに同意するリフの頭を撫でた。
「ま、実際、本来は人が住む事を考慮した上での、この規模だったのじゃがな」
「さっきと言ってる事、違うじゃねーか」
「天空都市ライズフォートの代用地、もしくは避難用空間をイメージしておったのじゃ。そのライズフォートが既に墜落してしまっては、意味がないのじゃよ」
「……つーか、地形変わってんじゃねーか……」
 フォンダンがあった砂漠は、その一部が浮かび上がった為、当然その部分にポッカリと黒い穴が空いている。
 ここからフォンダンの下部は見えないが、穿たれた穴はかなり深いようだ。
「本来の地形に戻っただけではないか」
「何千年前の話をしてるんだよ!?」
「でもこれって、地上から見てすごく目立たない?」
 浮遊城フォンダンの規模を考えると、ヒイロの懸念は当然だった。
「クックック、抜かりはないぞ。今頃、下からカモフラージュ用の雲が噴出しておるはずじゃ。しばらくすれば、フォンダン全体がそれに覆われ、周りからは見えぬようになるのじゃ」
「おぉー」
 ヒイロと一緒に、リフも拍手を送った。
 ナクリーはすっかりご満悦である。
「クックック! もっと驚くがよい!」
「……子供に受けいいな、ナクリー」
「造るモノ全部が、秘密兵器みたいな人だからな」
 シルバの呟きに、肩の上に寝転んでいたちびネイトが小さく頷いていた。


 フォンダンは、空中で停止した。
 ナクリーは、太陽の方角を見る。
「それで、向かう先は南東でよいのかの? ルベラントとか言ったか」
「あ、あの、でもその前に、ストア先生にも報告した方がいいと思うんですけど……」
 タイランに視線を向けられ、シルバは頷いた。
「んん、タイランが言うのなら、俺に異存はないよ」
「ガガ! 我モダ!」
 ガション、と音がし、女性型ヤパンを付き添いに階段を登って現れたのは、モンブラン十六号だった。
「と、モンブランも言っている事だし、まずは東に飛んでもらおうか」
「よし、分かった」


 浮遊城フォンダンは、東――アーミゼストへと向かう。
 周囲に何らかのフィールドでも張られているのか、空を移動しているにも関わらず、強い風は吹かない。
「思ったよりもゆっくりだねぇ……」
 食事を取って眠気が襲ってきているのか、ヒイロの瞼は落ちそうになっていた。
 それに対して、ナクリーが解説する。
「目に入るモノが、地上から離れている分、小さくなっておるからじゃよ。……ふむ、太陽の大祭壇は今も健在か」
 割と大きな石造りの遺跡を見て、ナクリーはそんな事を呟く。
 太陽の大祭壇、という名にはシルバも覚えがあった。
 ヒイロも忘れていなかったようだ。
「ってもうそんなところまで飛んでるの、これ!? 一時間経ってないよ!?」
「じゃから、言ったじゃろ? 見た目ほど遅くはないのじゃよ。さてさて、墜ちたというライズフォートも見ておきたいが、まずは着陸場所を定めねばの。どこか広い場所はあるかえ?」
 ナクリーの質問に、ふとシルバは不安になった。
「……おい、これ、このまま地面に下ろすつもりじゃないだろうな」
「む、駄目か」
「……考えておくべきだった」
 まさかやるまい、と思ったが、考え直す。
 ナクリー・『クロップ』である。
 あれの先祖ならば、本当にこれをそのまま、アーミゼストに降ろしかねない。
「心配せずとも、これを空に置いたまま、地上に戻る方法はいくつかある。近くに転送装置があれば、一番話は早いのじゃが」
「あー……」
 シルバは、アーミゼスト最寄りの転送装置が壊れている事を説明した。
 というか、だからこそ、遠回りしてこのフォンダン(正確にはガトー)を求めたのだが。
 とにかく、ナクリーは驚いた。
「何と! 修理は出来るが、部品があるかどうかが問題じゃな」
「他に方法は?」
「フォンダン搭載のミサイルに皆、入ってじゃな」
「却下!」
「ちゃんとクッションを入れておるから、ショックは少ないはずじゃぞ?」
「そういう問題じゃねえ!」
 どう考えても、心臓に優しい着陸方法とは思えない。
「ふむー、贅沢じゃのう。ま、ガトーがあれば一番手っ取り早かったのじゃが、もう一つ方法がないでもない」
 ナクリーの言葉に応えるように、大きな鳥の鳴き声が響き渡った。
「うむ」


 アーミゼスト郊外にある草原、初心者用訓練場。
 ゴドー聖教の助祭である少女、チシャ・ハリーは、信者の人々を率いてボランティアの炊き出しの準備を行なっていた。
 アーミゼストの主たる産業、冒険者の支援活動の一環である。
「皆さん、お疲れ様ですー。朝食の用意が出来てますので、順番に並んで下さいねー」
 チシャの声に、主に若い男衆の歓声が草原に響き、深皿を持った列が形成され始める。
 ボランティアの人達がパンを配り、深皿にスープを注いでいく。
 チシャの担当は、列の形成と最後尾の案内だ。
 あまり力は必要ないが、時々声を張り上げる必要があるし、たまに荒くれ者が混じっているのでトラブル担当でもある。
 今日は大きな混乱はなさそうだ。
 青空を見上げると白い雲を突き抜け、大きな鳥が一羽、平和そうに飛んでいた。
「……うん?」
 まずチシャが最初に抱いたのは、鳥って雲の高さまで飛ぶんだっけ、という事だった。いや、絶対いないと確信がないからこその疑問だったのだが。
 第二に、妙に遠近感が狂っているような気がした。
 この距離からあの大きさだとすると……。
「鳥さん……? ……にしては……ちょっと、あれ……え、サイズが……」
 鳥の大きさは、鳩やカラスの比ではない。
 あれは巨鳥、怪鳥、モンスターの類だ!
 それに気付けたのは、彼女が助祭であると同時に、冒険者だったからという事もあるだろう。
 それに、この辺りの初心者よりは、多少経験を踏んでいる。
 だからこそ、この中で誰よりも早く気付けたし、警告を発する事が出来た。
「み、皆さん退避! 退避して下さい! ここは危険です!」
 そうしている間にも、地面を黒い影が覆い始める。
 鳥がいよいよ地面に近付いてきたのだ。
 強風が吹き荒び、チシャは地面を踏みしめながら、印を切る準備を始めた。
 だが、30メルトはあろうかと思われる赤い巨鳥は、冒険者達を襲わなかった。
 少し離れた場所でホバリングし、足に下げていた大きな籠のようなモノを地面に下ろす。
 それからようやく地面に下り、羽を休め始めた。
「か、籠?」
 籠、もしくは釣り鐘だろうか。
 スマートな半円球のそれは、周囲を複雑な金の文様が刻まれた茶色い器のような造りになっている。
 その一角が不意に長方形に割れたかと思うと、壁が倒れてタラップとなった。
「むぅ、乗心地に検討の余地ありじゃの」
 下りてきたのは、白衣を着た妙に古めかしい衣装の眼鏡の子供だった。
 手には石板を抱えている。
 それに続いて出て来たのは、チシャも見覚えのある人物だった。
「言っちゃ何だが、最悪だ! 何でお前は平気なんだよ!?」
 司祭服を着ており、年齢はチシャより少し年上ぐらいの少年だ。
「乗り物に耐性がなければ、立派な学者にはなれんのじゃ」
「騎士にもなれんな」
 後ろに赤いマントを羽織った人物を連れて下りてきた少年は……。
「シルバ様!?」
 たまらずチシャは声を上げていた。
 向こうも、自分に気がついたらしく、軽く手を振ってくる。
「お、おー、チシャ久しぶり。っていうかああ、そうか。炊き出しやってたのか」
「は、はい。あの……これは一体、どういう……?」
「ああ、それは――」
 次々と、色んな人が籠から下りてくる。
 鬼族のヒイロや、動く鎧のタイラン、獣人のリフに……。
「やれやれ、酷い目に遭った」
「……うぅ、某……吐きそうだ」
 吸血貴族のカナリーと狐獣人のキキョウが現れると、周囲の女性冒険者達が歓声を上げた。
「キャー! カナリー様だわ!」
「キキョウ様もいらっしゃるわ! ちょっとアンタどきなさいよ!」
「ぬぉわっ!?」
 女性冒険者の集団に突き飛ばされ、シルバは素っ転んだ。
「シ、シルバ様、大丈夫ですか!?」
 チシャは慌てて駆け寄り、シルバを助け起こした。
「こ、この展開も久しぶりのような気がする……」
「ずいぶんと、大騒ぎですねぇ」
 最初に現れた子供と同じく、古めかしい神官のような装束を身に纏った人物に、女性冒険者達の黄色い悲鳴が再び上がる。
「また新たな美形だわ! ああ、私卒倒してしまいそう!」
「こら、お前達! 儂のモノに手出しするでない! シッ! シッ!」
「な、何よこの子! 邪魔しないでよ!」
 白衣の子供が追い払おうとするのに対し、女性冒険者達が険しい目を向けた。
「タイラン、出番だ」
 ふよふよと宙を漂っていたネイトが、タイランに囁く。
「で、ですね……あ、ええとその、通行の邪魔はしないようにお願いします。押さないように、み、皆さん、冷静になって下さい」
 ゆっくりと、タイランはカナリーらと女性冒険者達の間に立ち、防御壁となる。
 巨大な重甲冑の威圧感は相当で、まだまだヒヨッコの冒険者達は、それ以上彼らに近づけない。


 そんな騒ぎから少し離れた場所で、シルバは小さく息をついた。
 赤い帽子を目深に被り、顔の下半分をマフラーで隠したラグドール・ベイカーが、その肩をつつく。
 顔を隠しているのは、素性をあまり知られたくないからだという。
「あたし……私は一旦、自分の館に帰る。待ち合わせ場所は、ここでいいんだな」
「ああ。ただし、カー……アイツは連れて来るなよ」
 カーヴ・ハマーが同行となると、間違いなくトラブルの種になる。
「フォンダンを乗っ取る事も考えないではないが、やめておこう」
「考えるなよ!? しかもそれを、奪う対象に言うなよ!?」
「心配するな。今はお前達を利用させてもらう。では、さらばだ」
 地面がズルリと盛り上がると、それは馬に形となった。
 首から上の部分は霊気に包まれた馬――コシュタ・バワーに跨ると、そのまま去って行った。
「……やれやれ」
 シルバは頭を掻き、振り返った。
 相変わらず、カナリーやキキョウらの周囲は騒々しい。
 なるべく手早く用事を片付けて出発する予定なのに、大丈夫かなと心配になるシルバであった。


※久しぶりにチシャ登場。
 アーミゼストを書くと、何か自分まで帰ってきたって妙な気分になります。
 寄り道なので、さっさと済ませたいところですが、さて……。



[11810] アーミゼストへの帰還
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/08 04:12
 初心者用訓練場でひとまずシルバ達は解散した。
 それぞれ、自分の宿に戻ったり、用事を片付け、昼過ぎに再合流という事になったのだ。


「この時間だとこっちだよな……」
 そしてシルバとシーラは、大聖堂に来ていた。
 時折、通路をすれ違う助祭やボランティアに頭を下げながら、向かう先は師匠であるストア・カプリスの私室である。
「普通は、礼拝堂や研究室だと思うがね」
 シルバの肩に腰を下ろしながら、ちびネイトが言う。
「あの人は普通じゃないからな。そして問題は、俺が留守の間に、部屋がどれだけ荒れているかだ。覚悟する必要がある」
 部屋の前に到着し、ノックをしてみるが案の定返事はない。
 とはいえ、留守ではない証拠に壁に掛かったプレートには『休息中』の文字が出ているので、やはり寝ているのだろう。
 扉の左右に出前の皿が重なっていないのは、シルバにとっては意外であった。
 合鍵を使い、部屋に入ってみるとこれまた予想外。
 シルバはてっきり、前よりも書物が積み重なっている酷い私室を想像していたのだが、それらはまったくない。
 つまり、普通の部屋だ。
 司教の部屋は、部下のモノよりも多少広いとは言え、基本ワンルームなのに変わりはない。
 手前にテーブルと姿見、奥にクローゼットとベッド。
 他は部屋の主のデザイン次第であり、ストアの部屋の場合は大きめの本棚が空いている壁に並べられている。
 驚いた事に、部屋の床が見える。
 丸められた失敗原稿がない。
 脱ぎ散らかされた法衣や下着もない。
 本棚にはちゃんと書物が並んでいる。しかも巻順に。
 テーブルの上に飲みかけの豆茶カップや食べ終わった皿がない。
「思ったよりも、片付いているね」
「まさか、何か悪いモノでも食って具合でも悪くなったか……」
 シルバは本気で心配した。
 それとも、自分がいなくなった事で、自立心に目覚めたか。
「んぅ……」
 ベッドの上に丸まった毛布が蠢き、小さな呻き声を上げた。
 今の声は間違いなく、ストアのモノである。
「……怠惰なのは、相変わらずのようだけど」
「ん~……」
「先生、起きて下さい。説法の時間や、学院での講義はどうするんですか」
「休む~……って、あら、ロッ君……?」
 寝癖だらけの白い髪と、ややへたれた山羊のような二本の角、そして寝惚け眼をこすりながら、ストア・カプリスは身体を起こした。
「戻りました。と言っても、すぐに出発の予定ですけど」
「お土産は~?」
 パタン、と身体を前に突っ伏すストア。
 シルバは小さく溜め息をついた。
「……第一声がそれですか。あんな峡谷に土産になるようなモノを買えるような施設は……」
 ふと、頭に浮遊城フォンダンが浮かんだ。
 買い物はともかく、土産っぽいモノぐらいは何かナクリーに頼めば、持ち帰れたかも知れない。
 がまあ、無いモノはしょうがない。
「とにかく! さっさと起きる! 俺がいないと、何にも出来ないって訳じゃないんでしょう!?」
「むうぅ……」
 上半身を突っ伏したまま、ストアは小さく呻き声を上げた。
 眠いらしい。
「――主、誰か来る」
 不意に、後ろに控えていたシーラが呟いた。
「うん?」
「――この足音は、以前遭遇した事がある」
 が、攻撃態勢に入らないところを見ると、どうやら敵とは認識していないらしい。
「チシャか?」
「いや」
 答えたのは、ネイトだ。
 そして、扉が開き入ってきたのは、金髪と銀髪のメイド美女二人であった。
 金髪の方が朝食のトレーを持ち、銀髪の方が取り込んだ洗濯物の入った籠を抱えている。
「あ、ご苦労様です。……どうしたの、ロッ君。何か躓くモノでもありましたか?」
「……いや、誰が暗躍してるか把握しただけです」
 念の入った事に、二人はメイド服まで金色と銀色であった。
 確か、オーアとアージェントと言ったか。
 微笑みに近い無表情の人形族の従者で、その{主/マスター}は――。
「ちょっと前に知り合ったんですよ? カナリーさんのお父さんだそうですねぇ。西のスターレイで、ロッ君達とも会ったとかいう話ですけど」
「……ええ、とっても忘れられないインパクトと共にね」
「他にも、世話になったという人がいたはずなんですけど……今は、訓練場の方でしょうか」
「……?」
 まさか、愛人まで連れてきたんじゃないだろうな、と一瞬心配になるシルバだったが、もう面倒くさくなってきた。
 というか、その辺は全部カナリーに投げよう、と本人が聞いたら間違いなく怒りそうな事を考えていたりする。
「とにかく、旅であった事の概略だけでも話しますよ」
「今、話されても、忘れる自信がありますよ?」
「さっさと顔を洗って、目を覚まして下さい!」
 いつの間にか、ストアの傍らに立ったオーアが、湯気の立つおしぼりをストアに差し出す。
「そもそも、概略だけ話されても困りますし」
 おしぼりで顔を拭き、少しだけ声に張りの出て来たストアだった。
「……詰めた話となると、乗り物の持ち主と話すべきだと思うんですが……」
 当のナクリーは、タイランの案内で刑務所に向かっているはずだ。
 自分の子孫に興味を示したのと、造った人造人間の動きを見たいという話である。
 アレと、この先生の『素性』を考えると、話は大いに盛り上がるに違いないだろうが……。
「それは、一日じゃ、終わりそうにない」
「だよなぁ」
 ちびネイトの言葉に、全面的に賛成するシルバだった。
「では、報告書の形で随時、送って下さいな」
「了解です」
「これから、ルベラントですか?」
「ええ」
「じゃあ、おみやげにルベラント饅頭をお願いしますね」
「……そんな土産、あったかな」


 一方、カナリーは二人の従者と共に自分の屋敷に戻り、余計な荷物を整理した。
 留守を預かる執事に再び出掛ける事を伝え、郊外から市内に入って、大通りを学習院の研究室に向かう。
 今回の旅はやはり色々有意義であり、レポートの量も半端ではなくなるだろう。
 などと考えながらも、少し引っ掛かる点があった。
「どうも、執事の様子が変だったような気がする」
「に……?」
 同行するリフが、カナリーを見上げる。
 父親であるフィリオも、この時間ならもう学習院にいるだろう、という事で、一緒に向かう事にしたのだ。
「いや、何か隠しているというか……言いたい事があるのに、まるで察してくれと言わんばかりなあの態度は、妙に気になる……」
「にぅ……このままだと、柱に頭ぶつける」
 考えながら歩くカナリーのマントを、リフは引っ張った。
「おっと、危ない危ない。考え事をしながら歩くと、どうも注意力が散漫になってしまう」
 立ち止まり、大通りを見渡す。
 午前の通りは昼ほどではないにしても、それなりに人の行き気は多い。
 洗練されているとは言えないが、一般市民の中に冒険者が混じり、種族も様々、雑多な活気に満ちていた。
「人、いっぱい」
「ああ、何というかこういう喧噪も久しぶりだねぇ。ずっと人のいない環境だったから、こういうのも悪くない」
「に」
 のんびりと歩きながら、カナリーの呟きにリフも同意を示す。
 学習院の正門を抜けたところで、女生徒達がカナリーの存在に気がついた。
「あ、カナリー様だわ!」
「本当! みんな、カナリー様よ!」
 黄色い声と共に、次々と女生徒がカナリー達の周囲に集まってくる。
 かろうじて正面は、赤と青の従者に防いでもらっている為、進む事は出来るが……やはり笑顔は引きつってしまう。
「……こういうのは、出来れば味わいたくないんだけど」
「にぅ……」
 リフはすっかり人混みに呑み込まれ、かろうじて猫耳と帽子だけがカナリーの視界から外れないで済んでいた。
 そんな中、女生徒の一人が声を上げる。
「弟様が食堂でお待ちですよ!」
「……は?」


 食堂端のテーブルに、二人の男が座っていた。
 一人は髭を生やした壮年の偉丈夫。
 それでいて、瞳には理知的な光が宿っている、学者風の男だ。
 リフの父親であり、モース霊山に棲む剣牙虎の霊獣、フィリオである。
「だが、リフはまだまだ幼い。過保護なのは認めるが、父親として、心配するのは当たり前ではないか。見るがよい。このような幼子が、危険なモンスター達と相対するのだ」
 彼の言葉に応えるのは、足をブラブラとさせている端整な顔立ちをした小柄な燕尾服の少年。
 金髪に紅い瞳は高貴な吸血貴族の証だ。
 後ろには、目をハートマークにした女生徒達が何人も待機していた。
「だからね、子供と言っても一人の人間なんだから、そこまで心配する事はないと思うんだよ。やり過ぎると、逆に避けられてしまうよ? ああ、でもリフ君は確かに可愛いねえ。ところで僕のカナリーお兄様もなかなか……」

「――{雷閃/エレダン}」

 カナリーが指先から放った収束された雷撃が、二人のテーブルを木端微塵に粉砕した。
 もっとも、フィリオの方は反撃どころではない。
 立ち上がり、攻撃してきた相手をロックオン……した直後に、その斜め下にいた愛娘に気がついたのだ。
「リフ! 帰ってきていたのか!」
 ほとんど瞬間移動のような速度で、リフを抱きしめようとするフィリオ。
 突風が生じ、傍らにいたカナリーの金髪が大きく揺れる。
「に!」
 間一髪、リフは大きく後ろに飛び退き、とんぼを切って着地した。
「避ける事はなかろう! 冷たいぞ!」
「にぅ……骨がくだける」
 ジリ、ジリと互いに間合いを計る獣人親娘。
「大丈夫だ。優しく再会の抱擁をしよう。父を信じるのだ」
「に……人が見てるからダメ」
「ならば、人気のないところへ行こう」
 言ってる事はまるっきり変質者な父親であった。
 これで、霊山の気高き霊獣である。


 一方、飛びかかってきたのはフィリオだけではない。
 椅子から降り、可憐な笑顔で両腕を開き、金髪美少年がカナリーの胸に飛び込もうとする。
「カナリーお兄様!」
「誰がお兄様だっ!!」
 カナリーが再び放った紫電を、美少年――ダンディリオン・ホルスティンはひらりと回避する。
「ああっ、冷たいなぁ、お兄様ったら」
「……それ以上、その言葉を口にしたら、本気でやらせてもらう」
 実の父親に向けて、カナリーは氷点下の視線と共に、指先に最大級の魔力雷を溜め始める。
 もっとも、その程度でプレッシャーを感じるダンディリオンではなかった。
「おやおや、久しぶりに会う肉親に、ずいぶんと冷たい仕打ちじゃないか。人気が落ちるよ?」
「元々僕は、そんなモノは気にしていない」
「むしろ、一人気に掛けてくれる人がいればそれでいいと。うんうん、それもまた愛の形の一つだね☆」
 右手の三本指を目元にかざしながらポーズを取る、ダンディリオン。
 ……二組の親子再会は、実に波乱に満ちたモノであった。


※次回、キキョウ、ヒイロ、タイラン。
 タイランの目的地は、今回書いた通りです。
 まあ、あっさり終わらせて出発と行きたい所です。



[11810] 鍼灸院にて
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/10 01:41
 特にする事の無かったヒイロは、訓練場に留守番待機しているキキョウの許可をもらい、鍼灸院を訪れる事にした。
 再出発までの時間を考えると、まあ、マッサージとその他雑用で時間が潰れると判断したのだ。


 訓練場への出前の注文も終え、大きな紙袋を抱えたヒイロは小さな整体兼鍼灸院を訪れた。
 衝立で区分けされた三つのベッドは、全て埋まっているようだった。
 俯せになった傷だらけの戦士の広い背中にお灸を据えていた、黒髪白衣の女医が振り返る。
 セーラ・ムワン。
 この鍼灸院の院長だ。
「おや、坊主帰ってたのか」
「うん。あ、でもまたすぐ出発するんだけどね」
 満杯と判断したヒイロは、壁際の丸椅子に腰を下ろした。
「ふぅむ。マッサージなら一時間待ちって所だな。助手やるならバイト代出すぞ」
「やる!」
 荷物を下ろし、立ち上がる。
 やった事は何度もあるのだ。助手と言っても、タオルやバケツの水を交換する簡単な仕事である。
「うむ」
 セーラの指示で、中央のベッドに向かう。
 そこでは、丸いゴーグルにローヴを羽織った小さな鬼族の魔術師が、杖を手に呪文を唱えていた。
 ヒイロの顔見知りだった。
「あれ、アク兄ちゃんじゃん」
「おう」
 鬼族の魔術師、アクミカベが目を開き、顔を上げる。
 鬼族にしては貧相なその身体を、ヒイロは上から下まで眺める。
「……アク兄、マッサージする筋肉、あったっけ?」
「何気に失礼な奴だなお前!? 違ぇよ! 俺もボルケノ老師の手伝いだよ!」
 短い杖で、横たわった戦士の背中のツボをグリグリと押さえながら、アクミカベは叫ぶ。
「おい、静かにしろ。仕事中だ」
 隣の衝立から、セーラの声と共にスリッパが二つが飛んできた。
「へ、へい!」
「らじゃ」
 頭にスリッパを食らった二人は、肩を竦める。
 すると、一番左端のベッドから、ヨタヨタと鬼族の老人が近付いてきた。
 ふさふさの眉毛と髭で、顔のほとんどが毛で覆われている。
 代わりに角の生えた頭部は、毛が全くない禿頭だ。
 アクミカベよりも更に小柄な老鬼の名を、ボルケノという。ヒイロの住んでいた集落の、呪術師である。
「久しいのう、ヒイロ……相変わらずちんまいのう……」
「爺ちゃんに言われたくないよ!? この中でボクが一番大きいじゃん!」
「「お前は戦士職だ(じゃ)ろ」」
 アクミカベとボルケノに揃って言われ、ヒイロはたじろぐ。
「うぐっ……! こ、小回りが利くって、パーティーの中じゃ定評があるんだい!」
「おい、うるせえっつってんだろが! 殴り殺すぞ!」
 ボルケノが診ていた患者が、荒々しい怒鳴り声を上げた。
 ヒイロが、どこかで聞き覚えのある声だな、と思っていたら、相手はそのまま衝立をグイッと横にずらして、赤銅色の鍛えられた上半身を起こした姿を現わした。
「っと、ごめんなさい――ってあれ、カーヴ・ハマー?」
「あぁ……? テメエは……あのガキの仲間の小鬼!!」
 一瞬記憶を探り、カーヴはヒイロに指を突きつける。
「小鬼じゃないやい! ちゃんとした鬼族だよっ!」
「るせえっ! あの野郎、今、どこにいやがる!」
 カーヴはベッドから降り、ヒイロに掴みかかろうとする。
「治療せんでええのかのう……」
「う……」
 ボルケノの一言に、ヒイロに腕を伸ばしたまま、カーヴが固まる。
「治療せんでええんなら、儂はもう帰るがのう……」
「ウチで喧嘩は御法度だよ」
 衝立の向こうから、セーラが追い打ちを掛けてきた。
「ちぃっ……! さっさと治しやがれ!」
 乱暴にベッドに腰掛け、カーヴは叫ぶ。
「定期的に診んと、元に戻ってしまうからのう……」
 ふと、ヒイロは思い出す。
 カーヴ・ハマー不調の原因は、シルバと同じで、力を封じられた事にある。
 シルバが祝福魔法を使えなくなったのと同様、カーヴは敵を傷つける事が出来なくなってしまったという。
 その治療に、ボルケノ老師が呼ばれたという事なのだろう。
 老いてはいるが、これでボルケノは優秀な呪術師なのである。
 その老師は、カーヴの左腕に杖の先をかざし、呪文を唱えている。そのたびに、腕に巻き付いていた複雑な文様のような刺青が、薄れていっていた。
 ついでに思い出した。
 ボルケノを雇ったのは、カーヴの雇用主、ラグドール・ベイカーだ。
「あ、そうそう。そろそろ上の方から呼び出し掛かるよ」
「何でお前がそんな事、分かるんだよ」
 カーヴは仏頂面で、ボルケノの治療を受け続けている。
「れ……れぐふぉるん・るし、るしたるの、だっけ? ああもう呼びにくいなあ。帰ってきてるから」
 ラグドールの表の名前(二つも名前があるからややこしい)に、ヒイロは頭を掻きむしった。
 一方カーヴはその名を聞くと、いきなり立ち上がった。
「あぁん!? あんにゃろう、こっちに連絡も無しに出掛けやがって! おいジジイ! ソイツをさっさと寄越しやがれ!」
 カーヴが指差したのは、古ぼけた荷物袋の傍らに置かれた藁人形だった。
「まだじゃのう……これは未完成じゃ……。また一週間後には来るようになあ……」
「ちっ、くそ、分かったよ! 次来た時には、ちゃんと作っとけよ! おい、姉ちゃん! 姿見はどこだ!」
 ジャラリ、と自分の装具品をまとめて掴み、カーヴは出口に向かう。
「本当に騒々しいな。出口前にあるよ。治療費はちゃんともらってるから、そのまま行っていい」
「分かってらぁっ!」
 セーラに言われ、カーヴは出口の脇にあった姿見の前に立った。
 ヒイロは髪をセットするカーヴを眺めながら、濡れたタオルを絞った。
「治療ねぇ……どういう治療なの、爺ちゃん?」
「そりゃあ……言えんのう……。守秘義務ちゅー奴じゃ……」
 駄目っぽい。
「アク兄ちゃん」
「言えねーって」
 アクミカベにも断られてしまう。
「もっとも、カーヴ・ハマーと言やあ、第六層の最前線でバリバリ大活躍だっつー話は聞こえてるぜ」
「……そっか。ま、いーや。先輩とかカナリーさんなら、今のでも何か気付くかもしんないし」
 諦め、ヒイロはバケツの水を取り替える事にした。
「んで、お前どこ行ってたんだよ。俺ぁ、てっきり里帰りして、奉納祭に参加してるのかと思ってたんだが」
「あー、そっか。そういう時期だね。アク兄ちゃんは出ないの?」
「今から行って間に合う距離じゃねえだろ。第一、魔術師が出られる舞台じゃねえ」
「死ぬね」
「だろ」
 ヒイロ達の集落、アグニ族が信仰するのは三女神の一柱、戦神ピンフであり、その奉納祭の形式は推して知るべしだ。
「今回は、何人ぐらい参加するかなぁ」
「いつもと同じなら、三十数人ってトコだろ。お前とは行き違いになったみたいだが、スオウも戻るっつってたぞ。族長や巡回司祭だのが出なきゃ、まあ、平穏だろう」
「出たら出たで、楽しそうなんだけど」
「祭壇が木端微塵になるっつーの。ま、どっちにしたって、見物出来ねーだろ。今回の俺らは」
「はっはー」
 それが間に合ってしまうヒイロである。
「何だよ、その笑いは」
「いやいやいや、何でもナイヨー?」
 怪鳥イタルラはともかく、浮遊城の事は内緒、とシルバに釘を刺されているヒイロであった。


※あー、ロメロ関係とかまで届かなかった。
 次回、キキョウのターンでその辺書きます。
 セーラは精霊事件のラスト付近、アクミカベはノワを追う冒険者の一人です。
 今章のコンセプトは「何となく懐かしい人達」です。
 ボルケノ老師は初出ですが、某妹の師匠さんでもあります。
 あと、戦神は同時に賭博神の一面もあります。非常にどうでもいい。名前の由来は、麻雀やってる人ならすぐ分かるかと。



[11810] 三匹の蝙蝠と、一匹の蛸
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/14 09:13
 アーミゼスト郊外、初心者訓練場。
 怪鳥の足下に、狐獣人のサムライ・キキョウは突っ伏していた。
「あああああ……某はどうしていつもこうなのだ……」
 そんな気分の沈んだ彼女を、冒険者達は遠巻きに眺めている。
 もっとも、そんな事を気にするキキョウではない。
 正直、それどころではないからだ。
「機会はあったのだ、機会は……それを自分からフイにするなぞ……うう……自分が情けない……」
 シルバに同行するチャンスだったのに。
 シーラに交代してもらったところで、特に誰が困るという訳でもない。
 サブリーダーという責任が思わず頭をよぎり、つい居残りを決めてしまった。
 そして大絶賛、後悔中なのだった。
 女性冒険者達は特に心配そうにキキョウを見ているが、不幸のどん底みたいな表情に、近付く事のを躊躇しているようだった。
 いや、一人近付いてきた。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
 キキョウの前にしゃがみ込んだのは、若い助祭の女の子だった。
「ぬぅ……? おお、これはチシャ殿……」
「ずいぶんと元気がないようですから……こ、これでも聖職者ですから、お悩みごとでしたら!」
 ぐ、と両拳を作り、チシャが言う。
「うぅ、いい子であるなぁ……何、ちょっとした自己嫌悪に陥っていただけの事。気にしなくてよいのだ」
 二人は向かい合って、正座した。
「そ、そうですか……それにしても、大きな鳥さんですね」
 チシャは、巨大な影を作る鳥を見上げる。
「う、うむ……前の旅で手に入れたモノだ。見ての通り、空輸に使える」
「最初、大型のモンスターが現れたのかと思ってビックリしました」
「それも無理からぬ事。実際、一度やり合った」
「この鳥さんを相手にですか!?」
 その視線に気付いたのか、鳥は視線だけをチシャに向けてきた。その瞳に殺意があれば、経験不足のチシャはそれだけで震え上がるだろうが、今の怪鳥イタルラにその気はないらしく、すぐに興味を失ったようにその目を逸らした。
「うむ。無論、某だけでは手に負える相手ではなかった。トドメを刺したのは、シルバ殿でな……」
「是非、その話を!」
「うむ!」
 俄然乗り気になったチシャに、キキョウはウェスレフト峡谷での出来事を話し始めた。

 キキョウがシルバの活躍を五割増しぐらいに増やした戦いの顛末を語り出した後、ふとチシャは何かを思い出したようだ。
「そうそう、こちらの方ほどではないんですが、最近になってアーミゼストにも中型のモンスターを使うパーティーが現れまして」
「ほう」
 いわゆるビーストマスターという奴であるな、とキキョウは頷く。
「水棲生物タイプは珍しいっていう事で、結構な注目株なんですよ」
「水棲生物……それはもしや?」
 ふと、キキョウの脳裏に軟体生物のシルエットが浮かび上がる。
 となると、使い手は――。
「獲物発見ーーーっ!!」
 頭上からの声と殺気に、キキョウは即座に刀を抜いた。
「ぬぅっ!?」
 金属質な音が響き、相手の鉤爪をキキョウの刃が弾き飛ばす。
 腰の辺りから蝙蝠のような羽を生やした、ボディにフィットした赤ワンピースの美女は空中で一回転すると、キキョウとチシャから少し離れた場所に着地した。
 ロメロとアリエッタの事件で出会ったサキュバス、ノインだ。
「感嘆。初心者訓練場在中者癖腕見事剣士……阿?」
 その言葉はサフィーンのモノであり、キキョウにはサッパリ分からなかった。
 なので、もう構わず自分のペースで話す事にした。
「久しぶりであるな」
「貴様、司祭長一件遭遇剣士……?」
「よく分からぬが、某が敵でない事は憶えているであろう。後ろのこれも敵ではない。某達が味方に付けた鳥である。分かるか。この鳥と某はフレンドである」
「驚異。我酒場在中、大物怪鳥登場噂耳聞、即此処迄飛翔。冒険者内怪鳥討伐先着順決定、大変不具合我愚考也?」
 何とかノインの身振りで、意味を把握する。
 なるほど、怪鳥イタルラは討伐対象になっているようだ。
「大いにマズイ。タイランに頼んで、ギルド本部の方には話は通したはずなのだが、どうやら噂の方が早かったようであるな」
「唸……」
 何らかの行き違いがあったのだろう、とキキョウは考える。
「だ、大丈夫ですよ。キキョウさんは割と有名人ですから、冒険者のみんなもまず、話し合いに応じてくれると思います。それに、ギルドに話を通したのでしたら、おそらく役人が派遣されると思いますし」
「ふむぅ……やはり某が残っていて正解であったようだな」
 シーラは無口だし、ヒイロも交渉ごとはあまり得意ではない。
 キキョウ自身もそれほど慣れているという訳ではないが、それでも年長な分だけ、マシである。
「ですね」
 チシャと頷き合っていると、人垣の向こうから重い物を引きずる音が響いてきた。
 やがて、中型の軟体モンスターハッポンアシが現れた。
 その頭上には、二人の女性が乗っている。
 二人とも、ワンピースなのはノインと同じだ。
 青いワンピースのおっとりした感じの黒髪美女と、白いワンピースの無表情な黒髪少女。
 耳の辺りと腰の辺りにある羽から考えても、ノインの姉妹であろう。
「もオ~、ノインったら早すぎるわヨ~。こっちの言葉駄目なのニ、すぐ飛び出しちゃうんだかラ~」
 青いワンピースの女性が言う。
「…………」
「ほラ、ナイアルも言ってるワ。先走りし過ぎだっテ」
「お主の姉妹か?」
 キキョウが尋ねると、ノインは頷いた。
「是。彼二人、我此処滞在理由」
「むぅ……」
 何となくは分かるが、やはり言葉の壁というのは厚い。
 あいにくと、精神共有を使えるネイトもここにはいないのだ。
「ノインちゃんのお知り合いですカ~?」
 ハッポンアシの頭から、青いドレスの女性が話しかけてくる。
「左様。出来れば、通訳をお願いしたいのだが」
「いいですヨ~。お話しましょウ~」


 青いドレスの美女の方は、カモネといい、ノインの姉。
 白い無表情な少女の方は、ナイアルといい、ノインの妹だという。
 アリエッタを連れ戻しに故郷を出ていったノインを心配し、二人とも追いかけてきたのだという。
 幸い、行き違いになる事はなく、このアーミゼストで合流する事が出来たらしい。
 そして彼女達の目的は、いなくなったアリエッタとの再会だった訳で……。
「なるほど……つまり、資金が貯まり次第、ドラマリン森林領に向かうという事か」
「そうなりますネ」
 カモネはニコニコと頷いた。
「……となると、シルバ殿の生まれ故郷に寄る、という事であるな」
「シルバ?」
 首を傾げるカモネに、ノインが口添えする。
「なるほど、貴方の所のリーダーですカ。そこにアリエッタがいるというのなラ、そうなりますネ」
「ふむ……む?」
「…………」
 考え込むキキョウの顔を、ジッとナイアルが見上げていた。
 それに、カモネも気がついたようだ。
「あら、貴方、そんな格好していますけド……」
 キキョウの顔を改めて見て、カモネはにこやかに両手を合わせた。
「何やら訳ありのようネ~」
 一方、ノインは退屈そうに周囲を見渡し、ハッと奇妙な複数の視線に勘付いた。
 そう、キキョウを取り囲む自分達への、女性冒険者達の嫉妬の視線だ。
 それを眺め、ノインは何かを思いつく。
「周囲連中、翻弄我愉快面白予想、実験!」
 叫び、キキョウに抱きついてみた。
「ぬ、な、何をする!?」
 もちろん、同性であるキキョウは動じない。
 動揺したのは、周りの冒険者達である。
 初心者用訓練場に、怒号と羨望の悲鳴が巻き起こった。
「あらあラ、いい情欲の炎があちこちから漂ってきているワ。ナイアル、しっかい吸収しておきましょうネ♪」
「…………」
 サキュバスの姉妹達は動じず、頷き合うのだった。


※ええ、書いてる途中でそう言えばノインは、こちらの言葉を使えない事を思い出しました。危ない危ない。
 あと作者が言うのも何ですが、キキョウはそろそろこの自爆癖を何とかした方がいい。



[11810] 2人はクロップ
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/14 10:38
 ギルド本部で、初心者訓練場に置いてきた怪鳥イタルラについて説明を終えたタイランは、そのままアーミゼストの刑務所、アンロック牢獄を訪れた。
 同行者はウェスレフト峡谷で知り合ったナクリー・クロップと、そのお供であるヤパン(性別不明の人間形態)である。
 ナクリーに、血の繋がりがある(と思われる)子孫を紹介しようという目論見であった。


 面会室で呼び出してもらったテュポン・クロップは相変わらずの壮健であるようだった。
 爆発したような白髪頭、鷲鼻の老人である。
 そして、その姓からも分かる通り、ナクリーの子孫でもあった。
 ナクリーとクロップ老はどちらもふてぶてしく、足のつかない椅子(椅子が高いのではなく、二人の背が低い)に座って網越しに向き合った
「あ、あの、こちらの方は……」
「説明せずとも分かるぞい、モンブラン十六号」
 タイランの控えめな紹介を、クロップ老は遮った。
「い、いえ、タイランなんですけど……」
「これが、儂の子孫か、タイラン。しわしわのジジイではないか」
 タイランの訂正は、完全に無視された。
 ふん、とナクリーが鼻を鳴らす。
「ふん、ちびっ子に言われたくないわい。その言いようではお主、儂の先祖のような口ぶりじゃぞ」
「じゃから、そう言うとる」
 まだ一言も言ってません。
 そう、タイランは突っ込みたかったが、睨み合う二人の空気の前に、口出しが出来ない。
 ヤパンはタイランの後ろに控え、ニコニコしているだけで、まるで頼りにならない。
「…………」
「…………」
 しばし、無言で見つめ合う二人だったが、やがてクロップ老が口火を切った。
「儂のモンブラン十六号は強いぞ」
 ナクリーも負けてはいない。
「儂のヤパンじゃって強いわい。後ろにいる、此奴じゃ」
 クロップ老の目が、微笑みを絶やさないヤパンに向けられる。
 そして怪訝な顔をした。
「ふん、タダの小僧……ん? 小娘……? いや、魔法生物か」
「一発で見抜くとはまあ、褒めてやろう。じゃが、性能面での優秀さまでは見抜けぬようじゃな」
 ふふん、と椅子に座ったまま、ナクリーは自慢げに胸を反らせた。
 それに対し、クロップ老は鼻息を荒くした。
「何を言っておる。どれだけ頭で計算しようが、そんなモノは無数の不確定要素が混在する現実の前には到底敵わぬ。勝つ負けるなぞ、実際戦わせてみねば分からぬわい」
「ほう、さすが我が子孫。よい事を言う」
「理に対しては素直に納得するか。さすが我が祖先と言う事にしておいてやろう」
 ナクリーの方はともかく、クロップ老は普通、親戚とかじゃないかと疑うんじゃないかなぁ、と思うタイランである。
 それよりも、血も汗も通わないはずの重甲冑の中で、何故かタイランはダラダラと脂汗が流れるような錯覚を覚えていた。
「あ、あの……何だか取っても話が不穏な方向に進んでいるような気がするんですけど……」
 特に、クロップ老の『実際戦わせてみねば』の下りを否定しないナクリーが、何だか怖い。
「ですね」
「い、いえあの、落ち着いてないで止めて下さいよ、ヤパンさん……何だか二人の周囲に火花と一緒にどす黒い情念みたいなのが溢れ出してるみたいですし……」
「練気炉に吸収させると、いいエネルギーになりそうですね」
 相変わらず和やかな、ヤパンである。
 が、だからこそ、このギスギスした空気の中で彼(もしくは彼女)は異様であった。
「……このままだと私達、戦わされそうな流れなんですけど……」
 タイランの呟きに、間が生じる。
 そして、ヤパンはマジマジとタイランを見つめた。
「手強そうですね?」
「……そういう事じゃないんですよう」
 タイランは泣きたくなった。
 その一方、クロップ老とナクリーのやり取りはヒートアップしていた。
「第一聞いておるぞ。お主の造った人造人間は一度、儂のモンブラン十六号に負けておるではないか」
「ふん、調整すら済んでおらなんだ未完成に勝ったぐらいで自慢するでないわ。完成版ならば、此奴に遅れなぞ取らぬのじゃ」
「あ、あのー……その、前の戦いは半分、モンブランちゃんが頑張った訳で、私が倒した訳じゃ……」
 タイランのささやかな抗議も、残念ながら二人には届かなかった。
「ここで言い合っても埒が明かぬのう」
「まったくじゃ。さっきも似たような事を言うたが、理屈では話は進まぬ。実際にやってみればよいのじゃ」
 身を乗り出し睨み合う、二人のクロップ。
「こ、困ります!」
 慌てて、タイランは二人の間に割り込もうとした。
 その時、後ろの扉が開き、銀髪に浅黒い肌の巨漢が入ってきた。
「おれ、よばれた?」
 古代の人造人間、ヴィクターだ。
 目覚めさせたのはノワという女商人だが、制作者はナクリーである。
「最悪のタイミングで登場ですか!?」
「これは懐かしいですね」
 ヤパンは、頬に手を当てて、ヴィクターを見上げる。
「ぬぅ……おい、こいつだれ?」
 ヴィクターは、この中で唯一の知り合いといってもいいタイランに、尋ねてきた。
 が、代わりに答えたのはヤパン自身だ。
「貴方の生みの親の助手ですよ。そう言えば、あの時の精霊炉はまだ試作モデルで、戦闘モードは危険だったはずですが……」
「あ、それは安定しました」
 タイランが答える。
 そう、戦い続けると、爆発する危険性のある精霊炉だったのだが、それは解消されたのだ。
「儂の手柄じゃ!」
 自慢げに、クロップ老が手を挙げた。
 もっとも、それを見てナクリーは不機嫌になる。
「威張るななのじゃ。知っておるぞ。この時代の精霊炉は既に完成されたモデルが存在しておる。儂は一から造ったのじゃぞ」
「どうせ造るなら、未完成ではなくちゃんと完成させんかい!」
「完成させる前に起動されたんじゃあっ!!」
 互いに指を突き付け合い、怒鳴り声を上げるクロップ老とナクリー。
「あ、あ、あの、面接室ではお静かにお願いします……」
 そろそろ、見張りの人も厳しい顔をし始めているので、タイランは抑えるように頼んだ。
「……おれ、なんでよばれた?」
「面白いので、もう少し観察していましょう」
 一方、ヴィクターとヤパンは、完全に他人事だ。
「お、面白くないですから、ヤパンさんも二人を止めて下さいよう!」
「というか調整という意味なら、まだ終わっとらんのじゃ!」
「よし、いいじゃろう! ならば完全調整したそこな人造人間とモンブラン十六号、それにそこの液体生物、どれが一番優れているか勝負しようではないか! 場所はこの牢獄の中央広場でどうじゃ!」
「上等なのじゃ!」
 ナクリーとクロップ老は、椅子から飛び下りた。もうすっかりやる気でいるようだ。
「ま、巻き込まれてますよ、二人とも……!」
「なかなか面白い試みですね」
「……また、たたかうのか? おれは、いいぞ」
「どうしてやる気になってるんですか!?」


 ナクリーに、子孫を紹介するという目論見自体は大成功だったが、クロップ一族の有り余る元気を諫めるのに苦労したタイランであった。


※タイランは牢獄担当。
 危うくもう一話、ここの分書く羽目になる所でしたが、タイランが頑張ったお陰で戦闘回避、次の話に移れます。



[11810] ルシタルノ邸の留守番
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/15 03:31
 アーミゼスト郊外にある、大きな屋敷。
 カーヴ・ハマーはレグフォルン・ルシタルノの邸宅の門を潜った。


「うーっす、帰ったぜ」
 両開きの扉を開くと、応接室にはもう全員が揃っていた。
 長方形の長いテーブルの上座、香茶を飲んでいるのは雇い主である、真っ赤な男性用貴族服に身を包んだレグフォルン・ルシタルノ。
 その脇には、この屋敷の老執事長が控えている。
 カーヴの仲間(彼本人は手下と認識している)、『グレート・ハマー』のメンバーの五人は、彼女らから離れた、一番出入り口に近い席に座っている。
「遅い。呼び出したらすぐに来い」
「これでも急いで帰ったんだっつーの。ずいぶんと久しぶりじゃねえか」
 カーヴは、レグフォルンの横の席に座った。
 席次とかはどうでもよく、単にここが一番話しやすいからである。
 レグフォルンも、特にそれを窘めたりはしない。
「第六層での、状況の進展は」
 表情を変えないまま、カーヴに尋ねてくる。
「あぁ? おい、お前らまだ話してなかったのか?」
 カーヴが振り返ると、端っこの席に座っていた彼の手下達は慌てて首を振った。
「あたしが待たせた。リーダーが報告するのは当然だろう。お前はリーダーではないのか」
「ちっ……んなもん、誰がしたって一緒じゃねえか」
「しないのか」
「すりゃあいいんだろ? おい、俺様にも同じモノをくれよ」
 カーヴは執事長に命じ、レグフォルンに向き直る。
「あー、現状ほとんど前と変わってねえ。人造人間は倒しても倒しても、奥から沸いて来やがる。ほとんどの連中は大した事ぁねえが、時々厄介なのが混じってる。それに、テレポーターやら隠し扉も増えてきてるしな」
「……なるほど。一筋縄ではいかないようだな」
「魂魄炉とかいう奴に、冒険者がまた何人も捕らえられてる。弱い奴は大人しく下がってろってんだ」
 舌打ちするカーヴの前に、湯気の立つ香茶が置かれる。
 それを、彼はグイと飲み干した。
「他には」
「特にはねえよ。アンタの取り分は、ここの倉庫に預けてある」
「そうか。ならば引き続き、第六層の探索を継続してもらう。冒険者に対する略奪、女性への暴行は変わらず禁止」
「んな事ぁ分かってるよ。ただし、相手が刃向かってきた場合は」
「それも変わらずだ」
「へへ……了解」
 カーヴは白い歯を剥き出しにして、笑った。
 レグフォルンは、空になったカップを受け皿に置いた。
 老執事長のおかわりを、手で制する。
「自分は再び留守にする。報告はまた戻ってからだ」
「あぁ?」
「聞こえなかったのか」
「いや、聞こえたけどよ、アンタ俺様の主人な訳だし、護衛とかしなくていいのかい?」
「必要ない。自分の身ぐらい、自分で守る事は出来る。それに、一人の方が気が楽だ」

 言ってから、ふとレグフォルンは考え込む仕草をした。
「……いや、一人ではないか」
 その言葉に、カーヴの頭には、にやけた笑いを浮かべる黒眼鏡の商人の顔が浮かんだ。思わず、顔をしかめてしまう。
「あぁ? またあの黒眼鏡と一緒かよ」
 すると、レグフォルンは冷めた目をカーヴに向けた。
「お前に言うのを忘れていた。その黒眼鏡――キムリックがもしここを訪ねてきたら、屋敷に招き入れ、それから捕らえろ」
「捕らえる?」
 意外な話だった。
 仲間ではなかったのか。
「奴はあたしを裏切った。敵だ」
「生け捕りか?」
「その方が望ましいが、基本的に生死は問わない」
 その事は、既に屋敷の他の者には通達済みであるらしかった。
 自分がいない時は、彼らが対応するのだろう。
 まあ、その時はその時だ。
「了解りょーかい。そういうのは大得意だ。任せとけ」
 少し機嫌が戻り、カーヴは愛想よく答えた。
「それじゃあ――」
 彼女は、立ち上がった。
 話は終わりのようだ。
 その時、ノックの音が響き、若い執事が姿を現わした。
「レグフォルン様」
「何だ」
「お客様がおいでになっております。迎えだとか」
「司祭か」
「あぁ?」
 不意に、嫌な事を思い出してしまい、カーヴは思わず声を荒げていた。
「どうし……どういう人間だ」
 レグフォルンはカーヴに聞くのをやめ、入り口に立つ執事に問い質す。
 一方、カーヴはそのまま、首を振った。
 いやまさか、それはない。
 冒険者の集う都市、聖職者は数多く、司祭という階級の者も一人ではない。
 彼女の同行者が、自分に煮え湯を飲ませた、『あの司祭』であるなど、いくら何でも出来すぎだろう。
「十にも満たないお子様のようですが」
 執事の言葉に、レグフォルンは頷いた。
「分かった。通していい」
 やがて現れたのは、本当に幼い、眼鏡を掛けた妙に古めかしい民族服の子供だった。
 その上に、白衣を羽織っている。
「迎えに来たぞ。でかい屋敷じゃのう」
 好奇心剥き出しの表情で、幼女は応接室を見渡している。
「すぐに、合流する予定だったのだが」
「訓練場に向かうついでじゃ。他の連れは皆、先に行かせた」
「そうか」
 レグフォルンはそのまま幼女に近付き、その背中をカーヴも追い掛ける。
「おいおいおい、本当にガキじゃねえか。こんなのと一緒の旅で、大丈夫なのか主さんよ?」
 あまりにも小さな同行者に、カーヴは思わずからかいの言葉を投げつけていた。
 すると、幼女の方はムッとした顔で、カーヴを見上げた。
「…………」
「何だ、糞ガキ。一丁前にガン飛ばして」
「ガキにガキと呼ばれるのは、腹が立つのう。娘、この屋敷、壊していいか?」
「やめろ」
「残念じゃ。一撃で粉砕してやるのに」
「はぁ?」
 幼女の風体から察するに、おそらく魔術師か錬金術師の類なのだろう。
 にしても、子供らしく、大人と自分の力の差も分からないらしい。
 ちょっと魔術を囓った程度の腕で、万能になった気にでもいるのだろうか。
 こういう生意気なガキは、一度鼻っ柱を追ってやるのが一番なのだが、雇い主の前だ。勘弁してやろう。
 と思っていたら。
「頭の悪い返事じゃのう」
 相手の方が挑発してきた。
 妙に老獪な嘲るような(いや、実際に嘲った)幼女の笑いに、カーヴの頭にカッと血が上る。
「……おい主さんよ、喧嘩売られた分は買ってもいいよな。俺様は、相手が女だろうとガキだろうと、容赦しねえ主義なんだが」
「ほほう」
 ニヤニヤ笑いのまま、幼女の視線が彼の顔から左腕に移動した。
「手を出してもよいのかのう」
「あ?」
「くっくっく……今のお主が、力の無駄遣いをしてよいのかと聞いておるのじゃ。それなりの苦労があるじゃろうに」
「……!?」
 カーヴは、自分の顔が引きつるのを自覚する。
 後ろで、事情を知らない手下達が、動揺しているのが伝わっていた。
「無駄な金を使うつもりはない。退け、カーヴ」
 険悪な雰囲気の中、言葉を発したのはレグフォルンだった。
「おいおいおい」
「お前は、命拾いをしている……それとも、治療費と呪術師の手配費用、全部自前で払うのか」
 後半は、囁き声だった。
「ちぃっ……!」
 それを言われると、退かざるをえない。
「さ、ゆくぞ」
「ああ」


 赤い羽根付き帽子にマフラー、そして赤いマントを羽織ったレグフォルン・ルシタルノ――またの名をラグドール・ベイカーは、邸宅が見えなくなった辺りの平原で、落ち着かなげに左右を行き来している、銀色の重甲冑を見つけた。
 もう一人(?)、古めかしい民族衣装に身を包んだ性別不明の麗人に化けている魔法生物、ヤパンは落ち着いている。
 二人とも、ラグドールと幼女――ナクリーを待っていたらしい。
「お前もいたのか」
「は、はい……も、もう、見えませんよね?」
 重甲冑――タイランは、不安そうにラグドール達が来た方向を眺めている。
「カーヴは尾行も出来るが、無駄な事はしない主義だ。追っても来ないだろう」
「私は顔が割れてますから……一安心です」
 タイランはホッとしたようだった。
「そうか」
 呟き、ラグドールは三人と共に、初心者訓練場に向かうのだった。


※ううむ、普通に留守中の相談話になってしまった。
 まあ、そんな訳でカーヴは残留、というかあんな危険キャラ連れていけません。



[11810] 再集合
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/19 14:15
 シルバがシーラ、上司である司教のストア・カプリス、吸血鬼の金銀従者と共に初心者訓練場に戻ると、そこは数時間前より遥かに人が増えていた。
 基本的に、ほぼ全員が野次馬である。
 絵心のある冒険者や、職業絵師達は、怪鳥イタルラの勇姿を炭や筆で紙に描き写している。
 その人混みを掻き分け、まずシルバの目に入ったのは、ぶつかり合う紫色の雷光だった。


 ザッ……と土煙を上げて、カナリーは相手と距離を取った。
 そして、指先から三連発の紫電を飛ばす。
「どうしても、どうしてもついてくる気か、父さん」
 その相手、カナリーの実父である金髪赤目の美少年ダンディリオン・ホルスティンは、襲いかかる紫色の雷撃を、軽快なステップで回避していた。
「やあ、古代の超技術とか男の浪漫じゃないか。こんなのを見過ごすようじゃ、錬金術師として恥だよ恥」
 うんうん、と頷き、今度は反撃に転じる。
 もっとも本気ではない証拠に、彼の雷撃はいかにも気合いの入っていない風に放物線を描いていた。
「それに、ストアさんやフィリオ氏の代理も兼ねているしね。あの人達ホラ、立場上なかなかアーミゼストを離れられないらしいし、僕がこう、保護者代表にならざるをえないというか」
「……ねえ、自分が貴族の当主だって自覚ある? どれだけフリーダムに振る舞ってるか、理解してる?」
 カナリーは今にも脱力しそうな雰囲気だ。
「あっはっは、かわいい子には旅をさせよって言うじゃないか」
「それは普通、子供に対して言うのであって、自分に言うもんじゃない!」
「僕、かわいくない?」
「――よし、焼こう」
 カナリーは右腕を掲げた。
 その掌に、激しく音を立てながら紫色の雷球が発生する。
 さすがにそれには、ちょっとダンディリオンも慌てたようだ。
「いやいやいや! ほら、久しぶりにルベラントの観光もしたいし、寄り道してもまだ、実家に着くのは君らの乗り物の方が速いっていうじゃないか!」
「本音は?」
「こっちの方が面白そうだから♪」
 カナリーの雷球が、父親目掛けて飛んだ。


 よし、あれは無視していいモノだ。
 シルバはそう判断して、乗り物となる大籠の前に集まっている仲間に近付いた。
 キキョウは、何やらファンらしき女性冒険者達に辟易しながらも、相手をしているようだ。
 ラグドール・ベイカーは巻き込まれたくないと思っているのか、野次馬の中に紛れ込んでいたが、赤い帽子にマントのせいですぐに分かった。
 ヒイロとリフはまだ来ていないらしく、見あたらない。
 ナクリーはイタルラに指示を与え、タイランとヤパンが籠の中に市内で買い付けたらしい荷物を運び入れている。
 そして、ハッポンアシと共にいる、サキュバス三姉妹に目を剥いた。
「って何でアンタいんの!?」
「我言語不明解。実姉、此処言葉、喋可能。我姉、説明要求」
 唯一知り合いであるノインに声を掛けるが、彼女は遥か東方にあるサフィーンの言語で面倒くさそうに、姉に説明を頼んでいるようだった。
「はいはイ。任せテ」
「いや、必要ないぞ。私がいる」
 ひょい、とシルバの肩に現れた、ちびネイトが言うと、ノインらの言葉が翻訳され始める。
「お、便利だな」
 ちょっと驚きながらも、ノインは自分達がアーミゼストにいる事情を、シルバに教えてくれた。
「狐のオサムライさんが教えてくれたんですけド、南下するとカ。厚かましいお願いですガ、途中まで送ってもらえませんカ?」
 長女であるカモネの言葉に、シルバは少し考え込んだ。
 そして、浮遊城の主である幼女、ナクリー・クロップと目が合った。
「ナクリー、人数増えるけどいいか?」
「予想していなかった訳ではないからよいぞ。人が多いのは歓迎じゃ。そっちのでかいのが一回、それに籠で二回と行った所か」
 あっさりとナクリーは承諾し、ハッポンアシにサキュバスの姉妹達で指折り数え始める。
 それから気がついたように、周りの野次馬達を眺め回した。
「それにしてもギャラリーも増えてきたのう」
「……色々派手だからな」
「何なら、ここら辺一帯に、認識偽装を掛けてもいいんですけど」
 それまで黙っていた、白い司教、ストア・カプリスが、軽く手を上げて提案する。
「ほほう、結構大規模になるが、大丈夫なのかえ」
「はい。多分何とかなるでしょう」
 おっとりとした口調でストアが頷き、そこにひょいとダンディリオンが割り込んできた。
「ふっふっふー、この先生ならそれぐらいは朝飯前でしょう」
 そしてすぐに、カナリーとのじゃれ合い(カナリー本人はかなり本気)に戻っていく。
「むむ? どういう事じゃ」
「それはまあ、落ち着いてから、ダンディリオンさんに話してもらうという事で」
 首を捻るナクリーに、ストアは相変わらずのんびりと言う。
 説明を全部、他人に委ねる気でいる師匠に、さすがにシルバは焦った。
「いや、先生いいんすか、それで」
「ロッ君も、フォローお願いしますね」
「いやいや」
 一介の冒険者には、荷の重すぎる内容なのだが。
「私が同行してもいいんですけど、そうなると学院の講義の都合で居残るフィリオさんを、誰が抑えるかという問題が生じるんですよね。ロッ君、代わってくれます?」
「……頑張って、説明します」
「はい」
 命は惜しいシルバであった。
 そこに、後ろから声が掛かった。
「あ、先輩ヤッホー!」
 ヒイロは大量の荷物を積んだ荷車を引いていた。
「ってお前はお前で何だその荷物!?」
「えへへ、主に食べ物。やー、だってこっちのご飯とかお菓子、久しぶりだからさー。ついついみんなの分まで買っちゃった!」
「おお、この時代の食べ物か。興味深いのう」
 ナクリーは興味津々のようだ。
「……二回じゃ全然無理っぽいな」
「シ、シルバ殿、助けてくれぬか?」
 溜め息をつくシルバに、とうとうキキョウが泣きついてきた。
「あ?」
 眉を顰めるシルバの前に、贈答用の菓子折や紙袋が突きつけられる。
「あ、荷物持ちの人? これ! キキョウ様にウチのパーティー有志からの餞別です!」
「私達も!」
「ご武運をお祈りしてます!」
 女性冒険者達は問答無用で、それらをシルバに押しつけてきた。
 受け取らないと、地面に落ちるので、シルバも受け取らざるをえない。
「だ、だから、そういう仕事は某が行なうと」
「そんな! こんな重い物、キキョウ様に持たせられません! いえ、本音を言えばこう、お手に触れられるチャンスじゃないかなーとか思ったりもするんですけど」
「ちょっと抜け駆けは駄目だって協定結んだでしょ!」
「そーよそーよ!」
 情けない顔で困惑するキキョウと、大量の荷物を抱え込む羽目になったシルバは立ち尽くす。
「……俺ならいいんだ」
「……断っても断っても、埒が明かぬのだ。毅然と断ってみたら、泣き喚かれてしまうし……女性というのは面倒であるなぁ」
「……お前が言うか」
 隠してはいるが、一応嘆いているキキョウ自身も女性である。
「何と。言われてみれば」
「と、と、とにかく運びますね」
 荷物運びをしていたタイランが、餞別を持てあましていたシルバからそれらを取り上げた。
「おお、悪いタイラン。助かる」
 よく見るといつの間にか、吸血親子の従者達やシーラも荷物運びを始めていた。
「い、いえ、どうせ手持ち無沙汰でしたし……あ、そういえば助祭のチシャさんも手伝ってくれてたんですけど……どこ行っちゃったんでしょう」
 タイランは周囲を見渡す。
 チシャが何も言わず帰るというのも、性格的に考えにくい。
「どっかに巻き込まれてるのかもな。動きながら探してみよう」
「はい」
 大籠の中はもう荷物で一杯で、これだけで一回、フォンダンに積み込みに行く必要があるかもしれない。
 バランスが悪いのか、荷物は小さく揺れていた。
 だが一つ一つの重量がそれなりにあるらしく、荷崩れするには到らない。
「と、とにかくキキョウは、我慢しててくれ……正直、タダで色々もらえるのは、有り難い」
 キキョウにそう言い、シルバは自分も荷物の運搬を開始する。
 しかしその行く手を、別の女性冒険者達が遮った。
「あの、カナリー様が忙しいみたいなので……申し訳ありませんが、預かってもらえますか?」
「ちょっと、ホルスティン派がどうしてキキョウ様に話しかけてるのよ!?」
「ああ、あんな風に怒るカナリー様も素敵……」
 何故か、シルバの目の前で、カナリー派とキキョウ派が小競り合いを始めた。
 慌てて、キキョウが割り込んでくる。
「いやいやいや、皆、喧嘩はよくない。預かるぐらい、某は構わぬし」
「さすがキキョウ様、お優しい」
 小さく溜め息をつき、シルバは横のタイランを見上げた。
「……向こうはキキョウに任せて、行こう、タイラン」
「……ある意味、私達の方が、まだ楽ですよね、精神的に」
「だよなぁ」


※……人数増えすぎた。(汗
 収拾つくのか、これ。
 リフとフィリオは次回、やっと出発です。



[11810] 異物
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/20 14:12
 シルバらが、鳥籠に荷物を積んでいると、ようやくリフとフィリオが現れた。
 待ち合わせ時間から、少し遅刻している。
 リフが半ば駆け足なのに対し、追ってくる大柄な壮年の男、フィリオは歩幅の差かゆっくりとした足取りだ。
「前にも言ったが、ルベラントの聖職者達には気を付けなければならない。奴らの中には人間至上主義者が潜んでいて、亜人を敵視している。スターレイという街で出会った司祭長とやらも、その一人だろう。だから、我が安全の為についていこう」
「……にぅ、さいごの台詞とぜんぜんつながってない」
 おそらく、ずっと父親の非論理的な説得の相手をしていたのだろう、どこか疲れたようなリフの台詞だった。
「我は姫の安全を第一に考えている。それだけだ」
「おしごと」
「う」
 リフが言うと、フィリオは目に見えて怯んだ。
 リフは続ける。
「学院のこうぎ」
「うぅ……」
「じゅこうしぇ……うまく言えない。時期的に、受講生のしけんに、さしさわり」
「むうぅ……ますます妻に似てきたぞ、姫」
 などと、仲がいいのか一方的に父親の方が困惑しているのかよく分からない話をしながら、ようやく二人はシルバの前に到着した。
「やっと来たか」
「に。父上、ついてきたいって言ってる」
「……いや、リフも言ってる通り、講義途中でしょ、フィリオさん」
「ぬうぅ……人間社会のしがらみという奴はこれだから嫌いなのだ……!」
 自覚はあるのか、フィリオは天を仰いだ。
 それからふと、何かに気付いたらしく真顔になり、視線を脇に向けた。
「む?」
「ん?」
 フィリオと目が合ったのは、ふよふよと漂いながら荷物の運搬を手伝っていたサキュバスの、ノインだった。
 いや、ノインとその姉妹、というべきか。
 長女のカモネはリンゴの詰められた袋を抱え、三女のナイアルは軟体生物ハッポンアシの触手を操って木箱を持ち上げている。
「ずいぶんと、懐かしい顔がいるな」
 フィリオが話し掛けたのは、サキュバスの長女、カモネであった。
「カモ姉、知り合い?」
「いエ、存じないけド……どちら様でしょウ」
 おっとりとした笑顔を崩さないまま、カモネは袋を胸元に抱いたまま首を傾げる。
「我はフィリオ。モース霊山の霊獣。剣牙虎フィリオである」
 フィリオの宣言に、ノインは空中で転がりながら爆笑した。
「はっはっは、ナイスジョーク! 本人が聞いたら精霊砲でぶち殺される騙りだぞ、オッサン! ……カモ姉?」
 長女のノーリアクションに、次女はキョトンとする。
 カモネは微笑みを顔にへばりつかせたまま、蒼白になっていた。
 そのまま、ノインの足を掴むと、地面に引きずり下ろす。
「妹ガ、大変失礼な口を利きましタ。お許し下さイ」
「うあっ!?」
 ノインは姉に強引に後頭部を掴まれ、そのまま土下座に近い形を取らされる。
「……よい。そうか、我が姫が旅路で世話になったのはお前の血族であったか。礼を言うぞ、娘」
「いえいえいエ! こちらこソ、アリエッタちゃんがお世話になったと聞きまス! あの……いつかラ、こちらの土地ニ?」
 ダラダラダラと汗を流しながら、カモネはフィリオに尋ねた。
 ふむ、とフィリオは隣にいたシルバを見下ろした。
「言われてみれば、ずいぶんと経つな?」
「ですね」
 なるほど、知っている人(?)から見れば、やはり剣牙虎の霊獣フィリオは相当な権威であるらしい。
 シルバは時々忘れそうになるが……などと考えていると、じろりと当人から睨まれた。
「……小僧、今失礼な事を考えただろう」
「い、いやいや」
 一方、鳥打ち帽を目深に被ったリフと、ハッポンアシの頭上から色白のサキュバス少女ナイアルは、無言で見つめ合っていた。
「に」
「…………」
 それで通じたのか、ナイアルは小さく頷いた。
 リフはハッポンアシの足と胴体を伝って、頭に登る。
 そしてリフが差し出した両手の平と、ナイアルの両手の平が合わさった。
「……な、何か、通じ合ってるのか?」
「初対面のはずだけど……ナイアルが、人見知りをしないなんて、珍しいぞ」
「そうなのか」
 まあ、血の繋がった姉が言うのだから間違いないのだろう。
「きゅるきゅる」
 ハッポンアシのハッちゃんは嬉しそうだった。


「で、だ。小僧」
 ポン、とフィリオの大きな手の平が、シルバの肩に置かれた。
「は、はいな」
 地味に痛い。
 そして、その痛みは少しずつ増してきていた。
 真顔のまま、フィリオはプレッシャーを掛けてくる。
「……例によって、姫に何かあったら、即座に報復の精霊砲が飛ぶという事は、しっかりと肝に銘じておくのだ」
「はぁ……まあ、憶えてはおくし、パーティーの責任者として出来る限りの事はしますけど」
「何が言いたい」
「いや、アイツも自分で判断出来ると思うんでと。それよりちょっと荷物運び、手伝ってもらえます?」
 雑談しすぎて、作業が止まっている事の方が、シルバにとっては大事だった。
「我を顎で使うのか!?」
「霊獣の長ですヨ!?」
 怒鳴るフィリオに、愕然とするサキュバス長女のカモネ。
 ただ、シルバにしてみれば、要するにリフの父親である。
「いや、別にしてくれなくてもいいですけど。とりあえずこれが片付かないと、出発も出来ないんで」
「ぬぅ……手伝え、カモネ」
「は、はイ」
 渋々木箱を抱えるフィリオに付き従い、カモネも改めてリンゴの入った籠を抱え直す。
 先頭に立ち、大きな鳥籠に荷物を積んでいくシルバの肩に、ちびネイトが腰掛けた。
「シルバも、大分、霊獣の扱いになれてきたな」
「いや、人間とか霊獣とか普通に無視して話してるだけだから」
 さて、こうなってくると荷物運搬をしていない、仲間二人が気になってくる。
 というか、当の本人達、取り巻きに囲まれているキキョウと父親の相手をしているカナリーも何か言いたげな顔を時折、シルバに向けているのだった。
「そろそろ、三人も遊んでないで手伝ってくれないか」
「べ、別に遊んでいる訳ではないのであるが」
 キキョウはこちらに近付こうとしているのだが、女性冒険者達がシルバに対抗意識を向けているのか、さりげなく連携を組んで間を阻んでいるようだった。
「特に、そっちの小さい保護者の方」
「やあ、それは僕に言ってるのかな」
 付かず離れずの距離でカナリーをからかっていた父親、ダンディリオン・ホルスティンは娘から飛んできた紫電を難なく手の平で受け止め、ようやく動きを止めた。
「他に誰がいますか。大人しくしてたら、飴を上げます」
「なら、大人しくせざるをえないね!」
 あっさりと娘に構うのをやめ、ヒイロの荷車から小さな酒樽を抱え上げた。
 あっけなく小競り合いを止められ、カナリーが何とも言えない表情になっていた。
 そして、父親に続いて、丸いチーズの塊を抱える。
「……シルバ、君、僕より父さんの扱い、上手くなってないか」
「単に、ダンディリオンさんが合わせてくれてるだけだから、それはない」
「将来の婿殿……息子のパートナーとは、良好な仲を築いておきたいんだよ」
 うんうん、とダンディリオンはシルバの横に並んだ。
「わざわざ言い直さなくてもいいです。んで、カナリーとキキョウは、自分の取り巻きの人らにも手伝わせてくれよ。そっちの方が作業が早く済む」
「嫌です!」
 反対したのは、女性冒険者達だった。
「積み込みが終わったら、カナリー様とお別れなんでしょう!?」
 そーよそーよ、とあちこちから非難の声が響いてきた。
 シルバは荷物を抱え直すと、小首を傾げた。
「……二人とも、残留する?」
「いや、それはないな」
「うむ。何を今更であるぞ、シルバ殿」
 カナリーとキキョウは即答する。
「まあ、パーティーの問題なんだけど、本人達の意思も固い。仕事が早く済めば、こっち戻ってくるのも早くなるんだ」
 シルバの言葉に、女性冒険者達はハッと気付いたようだった。
 それから、彼女達は競い合うように、自分達の差し入れや荷台の荷物を抱えて、鳥籠に殺到した。
 それを、呆れた目でカナリーが追っていた。
「……まるっきり、扇動者のやり方だね、シルバ」
「いやむしろ、お前らにやってもらった方が手っ取り早かったんだけど。俺より、二人の方がよっぽどカリスマがあるんだから。――ええと、野次馬も見てないで手伝え」
 いきなり指名され、それまでまるっきり他人事だった野次馬達がざわめいた。
 別にシルバは、彼らを驚かせるつもりで言った訳ではなかった。
 ただ、目の前に『使えるモノ』があったから、呼びかけただけだった。
「やるやらないは自由だし、俺はコイツが何かを説明する気はない。けど、観察してるだけより、得られる情報量は多いと思うぞ。ただし、持ち逃げとかしようとしたら、怖いオッサンが見逃さないので気をつけた方がいいけど」
 シルバの言葉に乗せられ、何人かが野次馬から出始める。
 情報の重要性を知っている盗賊系の冒険者が多いようだ。
 自分の荷物を鳥籠に積み終えたフィリオは、野次馬に後方に移動して持ち逃げの防止に睨みを利かせ始めていた。
 何故か、一緒にダンディリオンもついてきていた。
「よし、楽になった」


 上空約2000メルト。
 周囲の雲と同化するようカモフラージュされた浮遊城フォンダンに、怪鳥の羽ばたきが轟き渡る。
 待機していた幻影のちびナクリー達の案内で、氷か硝子のような石畳にイタルラは足に引っかけていた大きな鳥籠を下ろした。
 重い音を立てて、鳥籠を床に下ろすと、イタルラ自身も着陸し、羽を休めた。
「ご苦労ご苦労じゃ」
 幻影ナクリーの労いに、怪鳥は一声鳴いた。
 ふむ、とナクリーはまだ開いていない鳥籠を見上げた。
「いちいち出し入れを待っておっては、日が暮れてしまう。新しい籠を持って、地上に降りるがよい。終わったら、旨い飯をやるのじゃ」
 2メルトクラスのゴーレムが四体で、イタルラが運んできたのと同じ大鳥籠を運んできた。
 イタルラは、もう一声鳴いた。
「ぬ? 飯はともかく{番/つがい}も欲しいとな? うむ、考えておこう」
 巨大な鳥は歓喜の声を上げると、空の籠を足に引っかけ、再び地上に向かっていった。
「現金な奴じゃのう。……さ、ゴーレム共、この籠はひとまず倉庫に運ぶのじゃ」


 宮殿の裏手に、荷物の積まれた鳥籠は運搬された。
 そこにあった平たい長方形の『倉庫』の内部には左右に三重の棚があり、鳥籠はそのまま一番下の層の端に置かれた。
 ゴーレム達が去ってしばらく。
 ――本当にほんの少しだけ籠が揺れたが、すぐにまた元に戻った。


※異物が混入しているようですが、次から保留にしてたゾディアックスとか魔王領とかその辺の話にしたいと思ってます。



[11810] 出発進行
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/21 16:10
 浮遊城フォンダンに到着したサキュバス三姉妹は、宮殿の建つ広い敷地と敷地の向こうにある白い雲霞に呆然としていた。
「おいおいおい……聞いてないぞ」
「大きな乗り物だとは聞いてましたけド……まさカ、空に浮くお城なんテ……」
「…………」
「に、ナイアルも驚いてる」
 リフの通訳に頷きながら、シルバは苦笑する。
「まあ、普通にビックリするわな」
 ストアには話しておいたが、飛び入り参加に近いノイン達には話していなかったのだ。
「へぇ……なかなかいいお城じゃないか。おお、アレは古式ゴーレム」
 一方、子供っぽく興奮しているダンディリオンは、庭園の手入れをしている茶色のゴーレムに近付こうとしていた。
「これこれ、ホルスティン殿。迂闊に駆け寄っては危険じゃぞ」
「おっとっと」
 ナクリーの分厚い本で行く手を遮られ、ダンディリオンは足を止める。
 それを見て、ヒイロが素朴な疑問を抱いたようだ。
「ん? 攻撃されるの?」
「うむ、まだ防犯登録を済ませておらぬ。そこなサキュバス姉妹も同様じゃ。それが済むまで、下手に動き回ると不審者として扱われ、ゴーレムが捕まえようとするのじゃ」
「俺達、そんなの受けてないぞ?」
 いつの間に、そんな登録を受けたんだろうと、シルバは首を傾げた。
「儂がお主らに接触してから、フォンダンに到着するまでにこちらで済ませておったのじゃ。ま、すぐに済むからそれまでの辛抱じゃよ」
「あのゴーレムって、強いの?」
 ヒイロの質問に、ナクリーは得意げに胸を張った。
「むふぅ……この辺におるのは、環境管理用じゃからまあまあじゃ。警備専門には及ばぬが、戦闘ならば小僧一人に遅れは取らぬのじゃ。ビームも出すぞ」
「おい、環境管理用」
「ゴーレムには必須の装備じゃ」
「そうだよ、シルバ君」
 当たり前じゃないか、とダンディリオンが同意していた。
「いやいやいや!」
「父さんも、間違った知識だから」
 カナリーも、頭痛を堪えていた。
「え、自爆装置と一緒で、ゴーレム作りの基本だよ?」
「ふむ、良きモノは古から変わらぬという事か」
 知己を得たり、と邪悪なちびっ子学者二人が握手をしていた。
「……おい、ヤバイのが二人に増えたぞ、カナリー」
「……うん、ここに連れてきたのは、失敗だったかも知れない」
「まあ、何はともあれ立ち話も何であるし、ひとまず中に入っては如何であろうか」
 キキョウが促し、一行は宮殿に入る事になった。


「ゴーレムが警備をしているっていうけど……」
 つまり、召使いゴーレムもすべて、そういう要素があるという事なのだろうか。
「うん、統括はディッツじゃ。脳味噌が筋肉で出来ている上、融通も利かぬが、優秀じゃぞ」
「悪口にしか聞こえないんだが……」
 屋内でぶっ放されたら嫌だなぁ、と思うシルバであった。
「にぅ……ゴーレムだけじゃない」
「ほう、分かるか、猫」
「に、罠」
 さすが盗賊らしく、リフは気付いたようだった。
「防犯用トラップだね。落とし穴は基本だ」
 うんうん、とダンディリオンも頷く。
「……カナリー、お前んちにもあるのか?」
 カナリーは、気まずげにシルバから目を逸らした。
「……父さんが休日大工で作ったのが、わんさと……」
「……何て傍迷惑な趣味だ」
「大丈夫。君がもし来る事になったら、僕の名誉にかけて全部撤去させるから」
 断言する娘に、父親が抗議した。
「あ! カナリー、君、僕の趣味に対して理解がなさ過ぎる! 鉄球トラップや吊天井、催眠ガスに電撃床! アレは罠であると同時に、芸術でもあるんだよ!?」
「お主とはいい酒が飲めそうじゃ……」
「うん!」
 ナクリーとダンディリオンが、再び固い握手を交わした。
 それを見て、カナリーは疲れたようなため息を漏らしていた。
「気をつけた方がいいよ、ナクリー。その人と下手に付き合うと、妊娠させられるからね」
「お、お前、アレでも一応、実の父親だろ……」
 シルバもドン引く、酷い言いようであった。
「罠など、馬で駆け抜ければ問題ないだろうに……」
「それはそれで男前すぎるだろう、おい!?」
 ボソリと呟くラグドールに、シルバはツッコミを入れた。


 応接間の大テーブルに、ナクリーはアーミゼストで購入した世界地図を広げた。
「さて、これからまず南下して、このドラマリン森林領に南下し、それからルベラントに向かうのじゃ。そして帰りまでに、魔王領に潜り込む何らかの手立てが用意出来れば、そちらにも寄る。よいな」
「文句はない」
 ラグドールが頷く。
「うむ。シルバ達は時間に余裕があるので、休むなり談話を楽しむなりするとよいのじゃ」
 そして、ノイン達サキュバス組の方を向く。
「サキュバス達は、ドラマリンには数時間で到着するので、寝たりはしないように。一応、目覚し時計ならあるが」
「時間通りに起きなかったら、爆発したりするんじゃないだろうな」
 シルバの冗談に、ナクリーはキョトンとした。
「ぬ? この時代の時計はせぬのか」
「古代怖ぇ!?」
「真に受けちゃ駄目だ、シルバ! 多分、クロップ一族だけの特殊な時計だ!」
「――全部が、そうではない」
 ボソリと呟いたのは、シルバの後ろに控えていたシーラだった。
「たまにあるのかよ!?」


 そして、ある意味自由時間となった訳だが、何をするかの相談となった。
 別に何をしてもいいのだが、建物の中が広いので、一応全員の意思を確認しておいた方がいい、という事になったのだ。
 その中で、ダンディリオンが真っ先に手を挙げた。
「ま、僕としてはまず、動力部を見学したいかな。ゾディアックスなるモノには興味がある。これにはカナリーも、当然ついて来てもらうよ」
「それに関しては、反対する理由がないね」
「なら、俺も行きますよ。無関係って訳じゃないし」
 シルバもカナリーに続く。
「ぬ、う……な、ならば、某も」
「あたしも興味がある」
 特に何をする事もないキキョウ、純粋に好奇心からラグドールもついてくる事にしたようだ。
「あ、ボクはパス。えへへ、そういう説明されても、どうせ眠っちゃうだろうしね」
「割り切ってるなぁ」
 ヒイロは建物の中を見て回るらしい。
 タイランはしばらく迷っていたようだが、やがて決断したようだ。
「……え、ええと、でしたら私もヒイロについておきます。その、危ない所に踏み込まないように、見ておかないと」
「むー、大丈夫だってば」
「で、でもヒイロ、面白そうなモノには普通に突っ込んでいくじゃないですか」
「もちろん!」
「やっぱり不安です……」
 考えてみれば、ヒイロと一番付き合いの長いタイランである。
 ここは彼女に任せておくのがいいだろう、とシルバは思った。
 残るは……と周りを見渡し、一人足りない事に気がついた。
「あれ、リフは?」
「あの子なラ、ナイアルと一緒にもう探検に出掛けましたヨ? 多分、ハッちゃんに会いニ、倉庫の方だと思いまス」
「早っ!?」


※何気にカモ姉の喋りの変換が面倒くさかったり。
 次回、フォンダン中枢部。



[11810] 中枢
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/26 20:41
「ようこそ。これが我が城の中枢じゃ」
 宮廷の大階段の裏にあったエレベーターで下る事しばし、鉄板と蒸気の噴き出すパイプに包まれた球状の空間、そこが浮遊城フォンダンの心臓だった。
 頭上には半球状のドームが逆さまに設置され、星が浮かんでいる。
 実際の時間はまだ昼下がりなので、おそらくは記録された天体の投影なのだろう。
 そして部屋の中央には、大小様々な管に繋がれ、肥え太った樽のような装置があった。
 樽の頂上からは白い輝きが放たれている。
 ナクリーの話では、シルバが持ってきたゾディアックスの核があの大樽の中に組み込まれているのだという。
「こんな簡単に連れてきて、大丈夫なのか?」
 壁際のキャットウォークからそれを見下ろしながら、シルバは得意げにしているナクリーに尋ねた。
「ぬ?」
「いや、俺達がもし裏切って、この城乗っ取ろうとしたらどうするんだと」
「するのか?」
「しないけど」
 シルバも命は惜しい。
「ならば問題あるまい。それにもしそういう事があっても、大丈夫じゃ。基本、この城は儂とリンクしておる」
 ちなみに頭脳部分は、この更に地下にあるらしい。
 おそらく幻影のナクリーを見せたりしたのも、そこなのだろう。
「ああ、防衛装置が働くのか」
「うむ。自爆装置がな」
「もうちょっと段階を踏め! なんでお前らの一族は、そんなに自爆が好きなんだよ」
「ウチだって負けてないよ、シルバ君!」
 ダンディリオンが、えへんと胸を張った。
「一緒にしないでくれ、シルバ!」
 そして娘が否定する。
 キキョウは物珍しいのかあちこち見渡し、デュラハンのラグドールは冷めた目でゾディアックスを眺めていた。
 いや、彼女の場合はこれが素の表情なのだろう。
「馬鹿話はどうでもいい。星の力を使うという話は聞いたが、この天井を見る限り、それだけではなさそうだな」
「うむ。星の位置による強化術式も組み込んでおるのじゃ。例えば魚座の力を借りて水中活動をしたり、楯座の力を借りて魔力障壁を張ったり出来るのじゃ」
「昼間は? 星が見えないだろう」
 ラグドールが、天井の逆ドームを見上げるのに気づき、シルバもその視線を追った。
 あの天体を投影しているのが、代用という事なのだろうか。
「見えないだけで、ちゃんとそこにはある。それで充分じゃ」
 つまり、星座を徴にして、力を発揮するというシステムでもある訳か。
「……まるで、札と同じ力みたいだな」
 すると、肩に座っていたちびネイトが、耳を引っ張った。
「シルバ、『星』の札なら君の後ろにあるぞ?」
「ぬおっ!?」
 振り返ると、そこには確かに『星』の札が壁に貼られていた。
「あと、『戦車』じゃの。本当は『吊された男』、もしくは『節制』が欲しかったのじゃが」
 言われてみるとなるほど、少し離れた壁に、同じように『戦車』の札が貼られていた。『星』はナクリーの言うゾディアックスの機能強化、『戦車』はフォンダンに大砲や装甲の力を与える為なのだろう。
 それにしたって、大盤振る舞い過ぎる。
「……古代ってのは、札の叩き売りだったのか?」
「そんな訳無かろう。儂の時代なら、一枚で小さな街なら丸ごと買えておったのじゃ」
 それは、今の時代だって大差ない。
 ふむ、とダンディリオンが腕組みしながら首を傾げた。
「……もしかすると、墜落殿には、黒市場があったりしてたのかな?」
「ほう、何故そう思うのじゃ」
 楽しそうに、ナクリーがほくそ笑む。
 黒市場、というのは通常の市場には出ない、密輸品や売買の禁止されている商品を販売している裏の市場の事だ。
 当然、公に出来ない市場である為、一般の人間は在処を知る事は出来ないとされている。
 また、管理をする人間も『その筋』である事がほとんどだ。
「聞いた話によると、第六層には闘技場があったそうじゃないか。となると、賭博は付きものだ。賭博があるという事は、それにまつわる色々なモノも付随しているんじゃないかなと思ってね」
「ふむ、よい推理じゃ。儂があの地に居を構えた理由の一つはまさしくそれなのじゃ。非合法な品が沢山入るのでの。研究に使う材料の調達には、不便しなかったのじゃ」
 そして、そこで、この札も手に入れたという事なのだろう。
 すると、ラグドールと目が合った。
「興味があるのか」
「ちょっと」
「聖職者はやめておいた方がいい」
「うん?」
「お前の仲間にリフという奴がいるだろう。テュポン・クロップがどうやってアレを手に入れたか、忘れたか」
「黒市場の商品はそれだけじゃないが、そちらの需要も確かにあるな」
 シルバの肩の上で、ちびネイトも同意した。
「そして、シルバに新たなフラグが――」
「立たない」
 ネイトの言葉を、シルバは一言で断った。
「というか、これ以上立てられても困る」
 カナリーが、眉を寄せて呟く。
「ぬう……」
 同じようにキキョウが……と思ったら、どうも様子がおかしい。
 微かに息が荒く、頬も紅潮している。
「お、ど、どうしたキキョウ」
「わ、分からぬが……むう」
 どことなく、熱っぽいらしく、目が潤んでいる。
 とてとてとナクリーが近付き、キキョウを見上げる。
「ふむ、お主精霊系の力が混じっておるの」
「あたしもだ。妙に昂るモノを感じているが、これは一体何だ」
 ラグドールは普段と変わらず……いや、こちらも少しだけ、頬が赤いか。
「ゾディアックスから漏れる力に当てられておるの」
 ん? とシルバは首を傾げた。
 魔高炉の魔力に当てられ、魔術師がその周辺にいれば力を増すケースというのは存在する。
 だが、だとするとちょっと腑に落ちない。
「精霊炉でも何ともないんだけど」
 精霊の力が当てられる、というのならばむしろ、そちらでも異常があるべきだろう。
「その精霊炉とはあの甲冑に組み込んでいたアレか。規模が違うのじゃ。工業用のこの大きさの精霊炉ならば、同じように、いやもっと当てられておったじゃろう」
「このまま放っておくと、どうなるんだ? 命に異常とかあったりするのか?」
「心配いらんのじゃ。そういう事はない」
「そうか、よかった」
「ただ、発情するだけじゃ」
「へえ……あれ?」
 普通に感心していたダンディリオンから、シルバはキキョウを遠ざけた。ラグドールは単なるついでである。
「戻るぞ、キキョウ。何か貞操の危機だ」
 キキョウの背を押し、エレベーターに詰め込む。
 入れ替わるように、カナリーが父親とシルバの間に割り込んだ。小さな両肩を押さえ込み、ダンディリオンを動けないようにする。
 見事なコンビネーションであった。
「シルバ、これは僕が抑えておく! 急いで地上へ二人を連れて行くんだ!」
「あたしもか」
「そこの子供父さんに犯られたくなかったらな!」
 シルバはラグドールの首根っこを引っ込むと、同じようにエレベーターに引きずり込んだ。
 そのまま、上昇ボタンを押した。


 残ったナクリーは、ちょっと残念だった。
「ふむぅ、まだ自慢話はあったのじゃがな。呼び戻す前に、ちょっと放出量を調整しておくとするかの」
 壁に立てかけていた大きめの浮遊板を倒すと、そこに乗る。
「出来るの?」
 頼んでもいないのに、ダンディリオンは同じように浮遊板に乗ってきた。
 おそるおそる、カナリーも乗ってみるが、どうやら三人は定員内のようだ。
「天才じゃからの」


※次はここの人以外の人に視点が移ります。



[11810] 不審者の動き
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/11/01 07:34
 浮遊城フォンダン、宮殿裏手に保管倉庫は存在する。
 一番近い例えとしては、シトラン共和国に存在する国立大図書館だろうか。
 通路の幅も高さも数十メルトはあり、左右は段差状の多層構造となっている。
 正面と最奥が広い門となっており、大抵の荷物は特に不便もなく出し入れが出来るようになっているようだ。
 それは、怪鳥イタルラが空輸した巨大な『籠』も例外ではなく、ゴーレムが運び入れた幾つもの籠が壁にずらりと並べられていた。
 食料、土産、差し入れの類の詰まった鳥籠はゴーレム達が宮殿に運び入れる為、開けっ放しになっており――内の一つが不自然に揺れていた。
「よいしょ、よいしょ……」
 鳥籠の内壁と木箱の間から、汗だくになった助祭の少女が姿を現わす。
「ふぅ……非力な身体はきついですね」
 チシャ・ハリーという名を持つ少女の身体は、地上での荷物の運搬の際、大量の積み込みに巻き込まれて、そのまま籠に押し込められてしまっていたのだ。
 そして、そのまま誰にも気付かれないまま、この倉庫まで送られてしまった。
 周りの気配を探るが、どうやらさっきまでこの辺りにいたゴーレム達は、戻ってくる様子はないようだ。
「身体の具合は問題なし。これより任務に移るとして……」
 非常用ポーションの類も入れる事の出来る聖印の蓋を確かめると、彼女はそれを壊れた木箱の中に押し込んだ。
 重要なのは、ここにシルバ・ロックールという人物がいるという事だ。
 それが事実だとして、その姿を確認する必要がある。
 そして、アーミゼストの冒険者ギルドの登録が事実なら、訓練場では確認出来なかったが自分達にとっての最重要人物もここにいる可能性が高い。
 彼の地を離れたのは創造主の命令に反するが、それを差し引いても行動に移す価値はある、と彼女は踏んだ。
「……とはいえ、ここでは力が出せません」
 少女は籠から出ると、倉庫の高い天井と梁を見上げた。
 自分の真価は、広大な空の下でこそ発揮されるのだ。


 周囲に気を付け、倉庫を出る。
 幸いな事に、空はまだ充分に青く、夜には程遠いようだ。
 まず目に入ったのは、正面にある大きな宮殿――の背中。
 ならば、一番上が自分の目指す場所だ。
 倉庫と宮殿の間には、滑らかな石畳と緑の芝生が広がっており、誰かが通りすがれば、どれだけ遠くても、無防備な自分の姿はすぐに見つかってしまうだろう。
 がまあ、構うモノか。
 そう考え、彼女は倉庫から一歩踏み出た。
 その途端、頭上から声が響いた。
「――不審者じゃの」
「っ!?」
 顔を上げると、そこには自分と同じ精神体なのか、それとも幽体なのか、ともかく半透明状の幼女が浮かんでいた。
 彼女はくい、と眼鏡を上げると、自分の顔を見つめてきた。
「おや、お主は確かチシャとか言ったか。小僧を追ってきたのかの?」
「こ、小僧と言いますと?」
「シルバとか言う小僧じゃが? 違うのか?」
「え、あ、はい。そ、そうなんですけど……案内してもらえますか?」
「んー……」
 幼女の眉間に皺が寄る。
「な、何か?」
「お主、本当に地上で見た、あの娘か? 何か変なのじゃ」
「そ、そうでしょうか」
 バレてはいけない。
 焦りを表情に出さないように心がけながら、彼女は愛想笑いを浮かべ続けた。
 すると、宙に浮いた幼女はパチンと指を鳴らした。
「うむ。少し、話を聞かせてもらってからにするのじゃ」
「え……」
 遠くから、地鳴りが響いてくる。
 この音は、さっきまで聞いていた音だ。
 すなわち、ゴーレム達の近付く音。
「何、大人しく質問に答えてくれれば――」
 幼女の答えを待たず、彼女は宮殿目掛けて駆け出した。
「――なぬ!?」
 その速度は、尋常ではない。
 もしも、シルバが見ていたら、目を剥いただろう。
 キキョウやリフにも劣らない、風を切る速さであっという間に裏庭を駆け抜けると、そのまま垂直にジャンプした。
 宮殿2階の縁に足がついたかと思うと、再び跳躍。
 あれよあれよという内に、宮殿の頂上近くに辿り着いていた。
 その背を追いながら、幼女は叫ぶ。
「ぬう、人の業にあらずじゃ! 皆の者、出合うのじゃ出合うのじゃ!」
 少女の眼下では、宮殿の四方から茶色のゴーレムが溢れ出ていく光景が広がっていた。
「こんなにあっさり、発見されるとは予想外でした……我ながら、迂闊です」
「クックック、ここは儂の腹の中も同然じゃからの。この程度、造作もないのじゃ」
「普通の人は、お腹の中を自在に動き回れません」
「何と、言われてみれば」
 逃亡者と追跡者のやり取りにしてはどこか呑気なやり取りを繰り広げつつ、彼女は宮殿の屋上――の更に高みにある尖塔に到達していた。
 ここからならば地上が一望出来る、そんな場所だ。
 幼女は、彼女の狙いは分からないモノの、どうやら地の利を取られた事は理解したようだ。
「しかし弱ったの。ここまで潜り込まれては、排除にミサイルも撃ち込めぬ。よし、ここは一つ自爆装置で――ぬ、カナリー、駄目か。そうか」
 どこか別の場所でも、何やらやり取りをしているらしい。
「ではやはり、ゴーレム隊に任せるのが良策じゃの」
 屋上にも、茶色ゴーレム達がわらわらと現れ始める。
「大人しく捕まると思いますか?」
「小娘一人でどこまでやれるか、見物なのじゃ」
「では、お見せしましょう」
「む?」
 少女は、尖塔の頂上にある槍を左手で掴むと、右手を天に掲げた。
 そして、声を上げる。
「――{天滅/セフォル}」
 掲げた手の平に、眩い光が生じたかと思うと、茶色ゴーレム達は次々と力を失い、倒れてしまう。
 そして、それは幼女も例外ではなかった。
「なうっ!?」
 短い悲鳴を上げると、そのまま消滅する。
 頭上に、小型の太陽のような光球が輝かせたまま、少女は眼下の戦力を確認する。
「……無事なゴーレムは52体」
 とはいえ、光を浴びると、その数は更に減っていく。
 宮殿右手にある鳥小屋で、怪鳥イタルラはのびていた。
「巨大な鳥が一体。――戦闘不能」
 あれは無視していい類の存在だ。
 一方左手、池の方でも軟体モンスターがグッタリとしていた。
「中型モンスターが一体。――同じく活動不能」
 建物の影から、小さな人影が現れる。
 ハンチング帽にコートを着た、獣人だ。
 しかし、疑問が残る。
「……獣人、が一人?」
 ただの獣人ならば、『{天滅/セフォル}』の光を浴びて無事でいられるはずがない。
 精霊に対して何らかの強い耐性を持っているという事か。
 その獣人は、ジッと彼女を見つめていた。
 その池と、巨大倉庫の丁度間ぐらいに、地上より一段低い長方形のプールのような場所があった。
 そこには、一際大きな鉄の巨人が横たわっていた。
「巨人が一体。活動可能かは不明」
 そして、その胴体の上に、二人、いた。
 重甲冑の戦士が、グッタリとしているもう一人を心配そうに揺さぶっている。
「……活動不能の鬼と、重甲冑。重甲冑の特徴がターゲットの家にあったモノと近似。一致はせず。――判断は保留。最優先事項を、シルバ・ロックールとの接触から重甲冑確保に変更する。状況、開始」


※ぐぐぐ……台詞が少ないと、しんどいです。
 今回の視点は、チシャの姿をした何か、です。
 何かちょっとシリアス入ってますが、次からはいつも通りのノリで。



[11810] 逆転の提案
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/11/04 00:56
 外にいたリフは、全身から少しずつ何かが消耗されていっているのを感じていた。
「にぅ……ちから、ぬける」
 このままだと、長時間は過ごせそうにない。
 相手の狙いは直感で分かったので、それさえ封じれば……と考えていると、頭に誰かの声が流れてきた。
(大丈夫か、リフ)
 声の主は、シルバだった。
「少しなら、だいじょうぶ。チシャのねらいはリフじゃない」
(って言うと?)
「に……たぶん、タイラン」
 宮殿の頂上に立つチシャの視線の先を想定して、リフは答えた。
 そのチシャは、普段の豊かな表情を欠片も見せず、右手を下方に向けた。
 聖職者が扱う攻撃用祝福魔術『{神拳/パニシャ}』が放たれ、直後、半地下になった格納庫から悲鳴が聞こえた。
「ひぁっ!?」
 タイランのモノだ。
「な、な、何ですか!?」
 タイランに、正確にはタイランの装備している重甲冑に、魔法は効かない。
 にも関わらず、『{神拳/パニシャ}』を打ち込んだという事は、その事実を知らないという事か。
 とにかく狙いが向こうならば、自分はその間に割り込もう。
 駆け出しながら、リフはグッタリしながらも意識を保っている、サキュバスの女の子を振り返った。
 宮殿の窓から、怒ったその姉が飛び出していた。
「ナイアルはだいじょぶだけど、ノインが怒ってる」


 宮殿、エレベーター前の大通路。
「オッケー。大体把握した」
 シルバ、キキョウ、ラグドールの三人は、その場で臨時の作戦会議を開いていた。
「どうする気だ」
 ラグドールの問いに、シルバは自分の考えを述べる。
「まずチシャ……上で暴れてる助祭だけど――が本物かどうかが気になる所だけど、それに関しては確かめる術がある。けど一番優先すべきなのは、相手の狙いと思われる、タイランの無事を確保する事だ。それと……えーと、そろそろ戻って来い、キキョウ」
 壁に額を当て、ドンヨリと沈んでいるキキョウに、シルバは手招きした。
「うぅ……炉のせいとはいえ、某は何というふしだらな事をしてしまったのだ」
「俺は別に気にしてないから」
「それはそれでショックであるぞシルバ殿!?」
 キキョウは涙目で振り返った。
「一種の生理現象のようなモノだ。割り切れブシドー。不幸な事故だろう」
「お主はもう少し慎みを持つべきだ! せめて上は羽織るべきだと某は思う!」
 ちなみにラグドールは、上は下着姿であった。
「今着ようとしていたところだ」
「とにかく今は、手早く作戦を練って、動くのが最優先だ。リフが頑張ってる」
 シャツを着るラグドールを尻目に、シルバはキキョウと共に本題に戻る。
「う、うむ……承知。しかし、だとすると某達は動かなくてよいのか?」
「焦る気持ちは分かるけど、相手の事が分からないと返り討ちに遭う」
「シルバ、あれは間違いなくチシャだ。少なくとも、身体はな」
 リフの『目』を借りたのか、それまで黙っていたちびネイトが言う。
「という事は?」
「中身は別物という事だ。本人の意識が眠らされている気配もないな。消滅させられた、という事はなさそうだ。そうならば、何らかの後遺症が見えるはずだ。追い出されたとみるべきだろう……だとすると、敵は精神生命体の類という事になる」
「ゴーストとか?」
「そう思ってくれて差し支えない。タイランを狙っている事を考えると、精霊と考えるのが一番妥当だろう。となると、その属性が重要だ」
 シルバは頷いた。
「光かな」
「さすがだ、シルバ。聖職者であるチシャとの相性も悪くなく、影に入っていたナイアル、ヒイロも比較的無事という事を考えると、悪くない。ただ、光の精霊にあんな術はない」
「少なくとも、俺達が知っている限りはな。――まあ、でも光じゃないかもしれないけど」
「うん?」
 シルバの頭に浮かんだのは、天候を自在に操る暴力的な巫女だった。
「光系なら、もうちょっと攻めるだろ。アイツらの最大の売りは雷系と同様スピードなんだし」
「確かに。戦術を変えるか?」
 ネイトの提案に、シルバは首を振った。
「いや、とにかくキーワードが光である事に変わりはない。なら、相手を倒すのはそれほど難しくないんだ。影に隠れればいいんだから、建物の中に入ればいい。もしくは夜になるのを待つか」
 そこで、ラグドールが口を挟んだ。
「あたしとしてはもう一つ気になる点があるが……」
「何だよ」
「ここから奴はどうやって脱出する気だったのだ?」
「……いや、うん、その模索をする前に、ナクリーに気付かれたっぽいからな。多分、向こうも予定外の行動になってるはずだ」
 シルバの推測では、おそらく敵の本来の目的は偵察。こちらの戦力を測るのが第一だったのではないだろうか。あわよくば、タイランを掠う事も考えただろうが、普通に考えて、彼女と魔法の相性は最悪だ。
 チシャの身体を使ったのも、こちらがやりにくくする為というより、純粋な変装の意味合いが強いような気がする。
 戦闘が主の相手とは思えなかった。
 それなりに考えてはいたのだろうが……そもそも、この建物全体がナクリーの管理下にあるという所までは読み切れなかったらしい。
「それでは儂が悪いみたいではないか!」
 シルバ達の頭上に、ナクリーの幻影が出現した。
「悪いとは言ってないぞ。侵入者がいる事が早く分かったのは、むしろいい事だ」
「であろう」
 ふん、とナクリーはない胸を張った。
「しかしシルバ殿。襲撃している本人自身、行き当たりばったりでは、なかなか手を打ちにくいのではないか? 実際、我々は脅威にさらされているのだし」
 キキョウの心配はもっともだが、シルバとしてはそこはあまり大したモノとは思っていなかった。
 敵の、地上を制した力は圧倒的だ。
 だが、完全無欠の存在など、そうはいない。
 カーヴ・ハマーでも、『一人である事』が弱点だったのだ。
 敵の属性がある程度推測出来るのなら、反する属性をぶち当てればいいのである。
「ん、んー……光系の敵、となると一番手っ取り早いのは、頑丈な箱に詰める事なんだよな」
「火の精霊ならば水、のようにな」
 うん、とナクリーが頷く。
「ディッツの格納庫に誘い込むのは……」
「それは難しいな」


 ググ……と、砲撃の巨人ディッツが上体を起こし始める。
 その瞳に光はない。
 宮殿の頂上にいるチシャが、操っているのだ。
 おそらく、意識を失わせた相手を自在にする力があるのだろう。
「ひ、ひゃああああっ!?」
 タイランは、ヒイロを担いで地上に逃げ出した。
 格納庫内の地下通路がベストだと分かってはいたのだが、そこは真っ先にディッツの足で塞がれてしまった。
 もっとも、タイラン自身も分かっている。
 ディッツを操る力があるという事は、抱えているヒイロもまた利用される可能性がある。


 シルバの背後のエレベーターが、開いた。
「――こちらに降りてきたらどうじゃ? 分散するより、まとまって話し合った方が効率的なのじゃ。地上からでなく、地下からも通路はある事だし」
「…………」
 そうだな、とシルバは考え、直後ふと閃いた。
 座ったまま、宙に浮くナクリーを見上げる。
「なあ、ゾディアックスの出力って、アレで全力か?」
「馬鹿な事を言うでないわ。あの程度、まだまだ序の口じゃ」
「とすると――」
 シルバは、自分の考えを述べた。
「――ってのは、出来るか?」
「…………」
 ナクリーは無表情になった。
 キキョウは信じられないものを見るような目でシルバを見ていた。
 ラグドールは相変わらず読めない表情だったが、眉をひそめていた。
 ちびネイトは、楽しそうに含み笑いをしていた。
「無理か?」
 もう一度、シルバは確認した。
「お主、アホじゃろ」
 ナクリーは呆れた顔をし、おずおずとキキョウも口を挟んでくる。
「あの、シルバ殿。それは某も、いくら何でもどうかと思う。第一、某達も無事には済まぬような気がするのだが……?」
「ああ、食器とか?」
 どうやらその答えは、相当ずれていたらしい。
「いや、そうではなく……ううぅ」
「ともあれ、試みとしては面白い。儂ですら、考えもせんかったぞ、それは」
「とにかく出来るのか、出来ないのか。上じゃ、仲間が頑張ってるんだ。答えによって、俺達の行動も変わってくる」
「可能じゃ。よかろう。今すぐ始めるから、お主はその二人から急いで離れるとよいのじゃ」
「分かった。それじゃ……サキュバスの二人の場所まで誘導してくれ。足場がなくなると考えると、空飛べる奴の方がこの後の行動は向いてる」
 シルバが立ち上がると、キキョウもついて来たがった。
「そ、某もお供を……」
「この後、淫らになるから駄目」
「う、うぅ……シ、シルバ殿がいじめっ子になられた」
 ともあれ、作戦はスタートした。


※次で決着。
 実際、圧倒的と言うほどの敵ではないので、酷い方法を使います。



[11810] 太陽に背を背けて
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/11/05 07:51
 先頭に立っていたチシャ――の身体を借りる何者かは、自分の身体の異変に気がついた。
「ん……?」
 いや、違う。
 身体ではなく、自分を覆う衣服が問題なのだ。
 僧服のボタンや、袖のカフス。
 そうした金具が下に引っ張られているのだ。
 おそらく、その正体は磁力。
 この空飛ぶ土地の持ち主が、何らかの干渉を行なっているのだろう。
 そして、それへの彼女の対応は、単純だった。
 上着のボタンとカフスを引きちぎった。
 当然、はだけた白い胸元と下着が露わになるが、彼女は気にしない。
「……この程度の小細工で、私を制する事が出来ると思っているのでしょうか」
「思っておらぬのじゃ」
「っ……!?」
 突然、目の前に逆さま状態で現れた、半透明の幼女に、一瞬彼女の顔は強張った。
「二度目じゃ。そんなに驚く事もあるまい。ああ、無駄じゃ。儂の本体は中にある。お主の力は通じぬのじゃ」
 光線が身体を貫くが、幼女――ナクリーはまったく気にした様子はなかった。
 もっとも、それはこちらも同じ事だ。
「貴方には、何も出来ません」
「出来るぞ」
「え」
 あっさり否定され、彼女は少しだけ間の抜けた声を上げた。
「お主を驚かせる事が出来るのじゃ。発案小僧、実行儂でな――!」
 途端、グラリと建物が揺れた。


「おっと、始まったな」
 廊下の急激な傾き――床が壁に、壁が床に――に、シルバは足を滑らせる。
 が、その直後、自分を含めた周囲の風景がスローモーションのような感覚に襲われる。
 その隙に、足下のバランスを取り直した。
 この感覚の原因は――。
「シルバ、精神を高めておいた」
 肩の上で、ちびネイトが言った。
「おう」
「後ろのキキョウ君達の熱っぽい喘ぎ声も聞こえてくるはずだ」
 聞こえていた。
「そんな力はいらねえよ!」
「この状態でエッチをすると、快感が数倍に膨れあがる。すごいだろう」
「すごいけど、使わねえっての! いばるな!」
「まあ、今回の目的は、転倒を防ぐ為だ――おや」
 廊下の向こうから、黒い油っぽい薄い何かが近付いてきていた。
「ちょ、な、何だこれ!?」
 あっという間にシルバの立つ床(元は壁)も含めた廊下全体を侵食したそれの一部が、女性の形に盛り上がる。
 この館の主、ナクリー・クロップの従者の一体、魔法生物のヤパンだった。
「ああ、すみません。急いでいるモノで」
 そのまま、黒い皮膜は廊下の彼方に伸びていった。
 そして次に現れたのは、メイド服を着たシーラだった。
「――主、無事だった」
「……ヤパンだったのか、あれ」
「――家具とか調度品を固定している最中」
 確かに、ここから更に起こる事を考えると、壊れそうなモノを保護する必要はある。その対策なのだろう。
「なるほど、大変だな」
「シルバ、それを君がいうか」
 宮殿は、更に傾いていく。
 壁となった床は、やがて天井となるだろう。
 すなわり、天井だった場所はいずれ、シルバ達の足場となる。
 もちろんその現象箱の宮殿だけではない。
 この浮遊城フォンダン全体が傾いて――そして、180度回転しようとしていた。


 もはや尖塔は足場の役割を果たしていなかった。
 槍の部分にかろうじて立ちながら、チシャの姿を持つ何者かは、ナクリーから受けた説明に愕然としていた。
「まさか、そんな馬鹿な事を……」
「そのまさかじゃ。クックック、あの小僧、トンデモナイ事を思いつくわい。さあ、これから光のない世界に行く訳じゃが……」
 ここから逃れる方法は一つある。
 それは今すぐにでも浮遊し、空の見える場所に逃れる事だ。
『天』の属性を持つ自分なら、それは可能である。
 普段ならば。
「く、う……!?」
 身体の奥から沸き上がってくる、何やら甘美な熱に、膝が砕けそうになる。
 下腹部に蜜が広がるような感覚を覚え、彼女は戸惑った。
 それを見、ナクリーは愉快そうに、含み笑いを漏らしていた。
「そうじゃろうそうじゃろう。飛ぶ事も出来ぬほど、力が出ぬじゃろう。やはり精霊系じゃな、お主」
 からかわれても、今の彼女に腹を立てる余裕はない。
 自分を保つので、精一杯なのだ。
「さあ、いよいよここからが本番じゃ……!!」
 グラリ、とさらに浮遊城は傾き、地面だった場所はいよいよ空を覆う巨大な天蓋と化していた。
「ひ……っ!?」
 槍に立っていた足が滑り、チシャの身体を持つ少女はそのまま真下へと落下する。


 シルバからの念波で、こうなる事は分かっていた。
 かろうじてリフは地面に爪を立てる事が出来ていたが、それも今にも抜けそうになっていた。
 足場は既になく、下を見ると、白い雲の向こうに緑色の森が見えていた。
 運がよければ、死なずに済むかも知れないが、まあ落ちたら普通に死ぬだろう。
「にうぅ……」
 指で、土を握りしめる。
 しかし、霊獣のリフもゾディアックスの大出力による影響は免れる事が出来ず、力が少しずつ抜けていた。
「手、離しても大丈夫だよ」
「に?」
 声は、真下から聞こえた。
 リフがもう一度見下ろそうとしたその時、彼女の身体は誰かの手に支えられた。
「この暗さなら、アンタぐらいなら楽勝で支えられるからね」
 リフを助けたのは、サキュバス姉妹の次女、ノインだった。
 そのまま、逆さまになった宮殿の窓に向かう。
「むしろ、あっちの方が大変だし。アタシもアンタを家に入れたら、向こう手伝わないと」
 サキュバス姉妹の長女であるカモネと、ノインの妹ナイアルは必死に、落ちそうになっているハッポンアシのハッちゃんを支えていた。
「ううぅ~、ノインちゃん早く~」
「…………」
 なるほど、これは大変そうだ。
 そう思うリフだったが、遠くから小さな鳴き声と羽ばたきが聞こえるのに気付いた。
「に。だいじょぶ」
「うん?」
「たすけが、くる」
 おそらく浮遊城から落下したが、墜落前に復帰したのだろう。
 怪鳥イタルラの姿が徐々に大きくなってきた。


 不意に目眩を覚え、意識を失っていたヒイロは目を覚ました。
「ん……あれ?」
 何だか妙に、足場が頼りないような気がする。
「き、気がつきましたか、ヒイロ……」
 目の前に、タイランの顔(兜)があった。
 しかも、何故かタイランは天井に背中からへばりついているみたいだ。
「えっと、え、何これ?」
 あまりに妙な目覚めに、ヒイロは戸惑った。
「あ、わ、だ、だだ、駄目です! そこで身体を捻らないで下さい!」
 タイランが止めたが、遅かった。
「うひゃあっ!?」
 眼下に広がる白と緑の絶景に、ヒイロは悲鳴を上げた。


 チシャの姿を借りた少女は、墜落を免れた。
 シルバ曰く、完全に落ちるとリフの身体が無事では済まないのに加え、太陽だか空だかが見えるようになると、彼女が復帰する可能性があるからだ。
「そう、このぐらいの暗さならね――」
 彼女を助けたのは、小柄な少年だった。
「――僕ぐらいの吸血鬼になると、本気になれば昼間でも飛べる」
 ダンディリオン・ホルスティンは少女の身体をお姫様だっこ状態で支えたまま、宙に浮いていた。
「さて、どうしてくれようか。僕の47番目の愛人になってみる?」
「やめろって、娘が言っているのじゃ」
 ダンディリオンにナクリーが並ぶ。
「ありゃ残念。それじゃ、シルバ君の愛人になってもらおう。彼も喜ぶ」
「……戻ってきたら覚悟しろと言うておるぞ?」


※ガチエロ小説なら、次は精霊系全員とえらい事になるのですが、健全系なのでそんな事はないんだぜ。
 まあ、次回は半分再起不能状態の精霊系(チシャの中の人以外)を除いての会話となります。



[11810] 尋問開始
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/11/09 08:15
 ゆっくりと建物は傾き、やがて元の浮遊城フォンダンの形に戻った。
「やれやれ。やっぱり普通の状態が一番だな」
「逆さまだと落ち着かないよねー」
「だな。たまになら新鮮な気分かもしれないけど」
 シルバは、ヒイロと同意しあう。
 殺風景な部屋の一室。
 あるのはデスクと椅子、それにスタンドライトだけ。
 ナクリーの話では、『尋問室』なのだという。
「ふむぅ。無重力状態も作れるようにしておこうかのう」
「無重力?」
「言葉の通り、重さのない状態じゃ。分かりやすく言えば、下に落ちる力を失うから磁力やヤパンを用いずとも、食器や調度品の心配をせずに済むのじゃ。ついでにいえば、皆、ふわふわ浮く事が出来るのじゃよ」
「おおぉー、実用化したらすぐに試したいかも!」
 ナクリーの提案に、ヒイロが即座に食い付いた。
「ただし、領域からうっかり出てしまうと、地上に真っ逆さまなのじゃ」
「……何て物騒な」
 案の定、そんな事だと思ったシルバだった。
 ちなみにキキョウやリフ、ラグドールと言った面々は、ゾディアックスの力の放出に当てられ、今はベッドで休んでいる。タイランだけは、重甲冑の絶魔コーティング効果で無事だった為、この場にはいるが。
 同じく先の攻撃でダメージを受けたナイアルを看病する為、サキュバスの姉妹達も席を外している。
 ノインからは「とりあえず一発殴っといて」と頼まれたものの、相手がチシャの身体を使っている以上、それも難しそうだ。
「ひとまずそれは置いておいて、まずは捕らえた者の尋問ではないかの」
「んー……」
 シルバは、拘束されているチシャに目をやった。
「破廉恥です」
 半裸状態で縄に縛られたチシャは、シルバをにらみ付ける。ちなみに額に張ってあるお札は、ダンディリオンがジェントで手に入れた魔封じの札なのだという。
「心配するな。俺は気にしない」
「私が気にします」
「でも精霊体の時は……」
 シルバは、後ろに控えていたタイランを振り返った。
「わ、私を見ないで下さいよ!?」
 そして、重甲冑の太い指をゴニョゴニョさせる。
「そ、それは確かに裸に近いですが……」
「まあ、下手に全裸よりも扇情的ではあるか」
「いいね。実にいい」
 うんうん、とダンディリオンはとても喜んでいた。
 同時にシルバの背筋に、チリチリと焦げるような殺気が伝わってくる。
「あの、ダンディリオンさん。お子さんが超睨んでます」
「可憐な少女の肢体に欲情するのは、男の子として自然な事だ!」
 ダンディリオンは清々しく胸を張った。
「オッケー、シルバ。しばらく僕達親子は席をはずすから、その間に尋問頼む」
 ダンディリオンが霧になって姿を消したかと思うと、後ろで激しい雷光と稲光が続き、扉の閉まる音と共にそれらが遠ざかっていく。
「……元気だなぁ、あの親娘は」
「シルバの枯れっぷりも、かなりおかしいと思うが。元気にならないか、普通」
 ちびネイトはシルバの肩の上から、彼の腰の辺りを覗き込んだ。
「確かめようとするな! このセクハラ悪魔!」
「しかし、このままでは生殖機能に不安が出て来るのも確かだ。私だけならともかく、将来後宮を作るのなら、ここはしっかりとしておかなければならないぞ」
 ちびネイトは大真面目に、タイランを振り返る。
「……そういえば今更だが、精霊は人間との間で子を宿す事は出来るのだったか。人魚族はなかなかユーモアのある生殖活動だったと記憶するが」
「だから、そこで私を見ないで下さいってば!」
 身体を抱くタイラン。
 そして、ネイトは拘束されたままのチシャを指差した。
「こっちで試そうか、シルバ」
「貞操の危機を感じます!?」
「お前は俺が聖職者だって事を、時々本気で忘れてる節があるだろ!?」
 はい、と元気よく手を挙げたのはヒイロだ。
「ちなみに鬼族は大丈夫だよ、先輩」
「ああ、一安心だな」
 うんうん、とネイトも納得する。
「何がだ!? っていうか話が進まねえ!」
「貴方がシルバ・ロックール……」
 チシャの姿を持つ者は、シルバをジッと見つめてきた。
「何故、俺のフルネームを知っている?」
「創造主が会われたことがあると聞きます。そして、何よりそれが今回、ここに侵入した理由の一つでもあります。『守護神』というパーティーについては、後からの情報ですが」
「どういう事だ?」
「教えません」
 彼女はつれなく、そっぽを向いた。
「そこまで話しておいて焦らすってのもどうかと思うなぁ……」
「どれだけ隠した所で無駄だというのに」
 ボリボリと頭を掻くシルバに、ちびネイトが続く。
「?」
 しかし、チシャは意味が分からず首を傾げる。
「まあ、そりゃそうだ。で、創造主の名前は?」
「ですから――」
「――リュウ・リッチー」
 相手の心をある程度読むことが出来るちびネイトが答え、タイランが動揺する。
「っ……!? ち、父の第一助手です!」
「これがか」
 ネイトは、チシャの頭の中からイメージを拾い上げた。
 二十代半ばの、コートを羽織った糸目の青年だ。
 タイランは頷く。
「そして、彼から聞いているシルバ・ロックール像がこれだ」
 シルバの頭に投影されたそれは、長い髪に目元の隠れた、長身の青年だった。
「…………」
「何か、どこにでもいるあんちゃんだね」
 シルバは頭を抱え、同じようにネイトからイメージを送られたヒイロも感想を述べる。「何て傍迷惑な……」
「あ、あの、シルバさん、ご存じなんですか?」
「えー……一言で語る事も出来るけど、それを言うとすごくややこしいというか」
「創造主の言う『シルバ・ロックール』と貴方は別人ですね?」
 チシャの問いに、シルバは肯定しつつも微妙な表情になる。
「別『人』どころの違いじゃねーんだがな……」
 説明はしたいが、どうやって知り合ったかなど、説明がとても長くなりそうな予感がしたので、シルバは黙っておくことにした。
 代わりにちびネイトが、『シルバ・ロックール』とリュウ・リッチーの因縁について、チシャの中に宿る存在から引き出した情報を説明する。
「コラン・ハーヴェスタを追い詰めた所で、妨害されたらしい」
「シルバさんの知り合いが父を……すごい縁ですね」
「……多分、タイランやコランさんが想像してる以上に、ものすごい縁を結んでるぞ、それ」
 シルバは頭を振った。
「とにかく、隠し事は無駄だって事は分かったと思う。まず、チシャの行方を教えてもらおうか」
「…………」
 けれど、彼女は黙りを決め込んだ。
 ならば、と情報を提供したのは、ナクリーだ。
「確か、お主は倉庫に潜んでおったのじゃ」
 それだけで、ちびネイトには充分だったらしい。
 相手の連想するイメージから、本来のチシャの居場所を探り当てる。
「なるほど、聖印か」
 どうやら、木箱に押し込まれた聖印に意識体の状態で、封印されているらしい。
「んん、どうするかな……俺が行ってもいいけど、尋問も続けたいし」
「人並みに性欲が出て来たようだな」
「だから、そっちに持っていくんじゃねえよ!?」
「この展開ならば、むしろこっちに持っていくのが自然な流れだと思うのだが」
「不自然でもいいから、違う方向に持っていけ!」
「――主、わたしが行く」
 阿呆なやり取りをネイトとしていると、それまでずっと壁際で黙っていたシーラが立候補した。
「お、そうか?」
「――聖印」
「そう、これと同じ物だ」
 シルバは、自分の胸元から聖印を引きだしてみせた。
「――了解した」
 そして、シーラは部屋を出て行った。
「自分から動くとはいい傾向だ」
「だな」
「おそらく、後宮での立場を固める為でもあるのだろう」
「違うから。というか違うと思いたいから」


※久しぶりにネイトさん活躍。
 生きる嘘発見器みたいな。



[11810] 彼女に足りないモノ
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/11/11 02:36
「時に聞くが、君は女の子か」
 ちびネイトの問いに、チシャは首を傾げた。
「本来精霊に性別の概念はありません。しかし、敢えてどちらかと問われれば、女性型です。創造主は、精霊には美の概念も必須という考えの持ち主でした」
 むぅ、とヒイロが唸る。
「……タイランのお父さんも、そうだったの?」
「わ、わ、私は、生まれた時からこうだったんですけど……」
「ともあれ、安心した」
「あ、ああ、それは僕もだ」
 ちびネイトが頷き、扉が開いたかと思うとカナリーが飛び込んできた。ダンディリオンは逃がしてしまったようだ。
「お帰りカナリー。……で、何で?」
「これはフラグだからだ」
「ああ……うん。シルバなら、余裕だと僕も思う」
「だからその一言で全部片付けるんじゃねえよ!?」
「フラグとは何ですか」
 チシャは不思議そうだ。
「ふふふ、落としのシルバに抗う術はない。諦めるんだ」
「何と……貴方を越える尋問術の持ち主だというのですか」
 ちびネイトの脅しに、彼女は素直に驚いていた。
「ああ、何と君は自分から望んで話すようになってしまうという……」
「いい加減にしろ」
 ちびネイトの頭を、シルバは指先で弾いた。
「あいた」
「何という羨ましいスキル……」
 にゅるり、と影から現れたダンディリオンが、羨望の眼差しでシルバを見上げていた。
「ダンディリオンさんも、本気で羨まないで下さい! と、とにかく、尋問を再開する! 出来れば、自分から話してもらえると助かるんだけど」
「何度も言いますが、協力する気はありません」
 チシャの中にいる精霊は、頑なだ。
「ならば、私が出張るしかないな。まずは名前から聞こうか」
「う……」
 ちびネイトに見つめられ、彼女は目を逸らした。
 しかし、その程度でネイトの読心を免れることは出来ない。シルバの頭の中にも、彼女の思考が流れ込んで来る。
「カイワンね……どこか、タイランと韻を踏んでいるな」
「で、そのカイワンさんは、一体どういう手順を踏んで、ここに潜入したんだ? いや、それより重要なのは、何故アーミゼストにタイランがいることが分かった?」
「わ、私がやっぱり、力を使いすぎたんでしょうか」
 タイランは、自分の不備を恐れているようだった。
 けれど、それが原因ではないようだ。
「違うな。……なるほど、各国首都に精霊達を配置したらしい」
「私が何も話していないまま、全部進めないでもらえますか?」
 チシャは不満そうな顔をした。
「いやだって、喋らないんだもん」
「うん」
 仲間と相談していたシルバがシレッと答え、その横でヒイロも同意する。
「という訳で君は、情報を貯め込んでるデータベースとして扱うことにする。会話に参加したければ、自分から語る事だ」
「ふむー、儂にはよく分からぬが、参加してもよいかの。これでも施設に損害を被った被害者なのじゃ」
 ナクリーも、小さく手を挙げて会話に参戦してくる。
「いいんじゃないか? ……とにかく、各国配置とはものすごい力業だな」
「単純な、人海戦術じゃな。それにしても人工精霊とやら、そんなに簡単に造れるものかの?」
「……言われてみれば、そうだな」
 ナクリーの疑問はもっともだった。
 さすが、技術屋らしい意見だ。
 シルバは、タイランを見た。
「第一、それが出来るなら、タイランやそのお父さんを追う動機は薄い」
「そういう時の理由は単純だよ。タイラン君にあって、彼女に足りない物があるという事さ。そうだね、例えば現界での精霊としての身体を維持する時間に限界があるとか。はい、カナリーならどう思うかな?」
 父親の促しに、カナリーも思案顔で応じる。
「出力……とか? タイランの本気を何度か見た事があるけど、あのレベルまで到っていない……とかかな」
「人工精霊というのはよく分からぬが、やはりコスト的な問題が気になるの。一体作るのに、どれほどのエネルギーが必要なのじゃろうかの?」
「え、えっと……属性の切り替えが出来ないとか?」
「いや、普通それは出来ない。それに関しては、確かにタイランの特異性じゃないかと思う。シルバは何か意見があるかな?」
「んんー……」
 カナリーに聞かれ、シルバは少し考えた。
 技術的な方面は他の人に任せて、シルバは別方向からアプローチしてみることにした。
「……カイワンさんさ」
「何ですか」
「タイランをアンタの創造主とやらが捕らえて、どうするか分かる?」
「それは、私の考える事ではありません」
「一応、タイランってアンタの姉に当たるんだけど」
「それが、どうかしましたか?」
「特に思うことは」
「ありません」
「優しさが足りない」
「精霊には必要ありません」
 シルバは小さく息を吐くと、肩を竦めて皆を振り返った。
「タイランを欲しがってるのは、つまりこういうのもあるんじゃないのか?」
「……理解、出来ません」
「実際の所、製造過程で試行錯誤しているみたいだね。何度か装置を動かして、やっと一体、みたいな。精霊の出現に法則性を見出せないようだ。コスト面や出力の不安定もあるようだし、やはりコラン氏とタイラン君は重要なキーになっているのだろうね」
 納得のいかなそうなチシャの心を、ちびネイトはさらに読んだ。
「問題点としては、彼女は既に私達の居場所を知らせている。元々、彼女はそういう役割を与えられていた訳だから、その任務は達成出来たようだが」
「ねーねー先輩、そもそも『天』って属性って何なの? 精霊って『火』とか『水』とか以外にもあるの?」
 ヒイロの疑問に、シルバは答える。
「こっち方面だと地水火風の四大精霊がメジャーなんだけど、例えば『雷』『氷』とかの精霊がいるのは分かるな? リフは『木』だし」
「あー、うん」
「前に戦った天使は『金』だし、東方だとあらゆるモノに精霊が宿っているっていう教えがある。『光』や『冥』といったモノの他に空そのモノである『天』っていうのもあるんだよ。つーか、それを信仰してる巫女さんの知り合いがいてだな、実際以前、猪集団と戦った時に、俺も使っただろ?」
「そういえば、タイランのお父さんってサフィーン出身だっけ」
「は、はい。……リュウさんも、確かそっちの血が入ってたと思います」
 その時、後ろの扉が開いて、聖印を持ったシーラが部屋に入ってきた。
「――主、持ってきた」


※カイワンの名前は天空神から取りました。
 ヒイロの台詞が少ない……。
 とりあえず、この尋問は次回で終了。
 そろそろキキョウとかリフとか出したいし、チシャも復活させて上げたい所なので。



[11810] (番外編)シルバ達の平和な日常
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/22 22:11
 無数の本が積まれたアパートの一室。
「んー……」
 ベッドの上で、大きく両腕が上がる。
 体内時計は今日も正確。
 カーテンを開くと空はまだ暗く、窓の向こうの大通りには馬車一台通る気配はない。
 シルバ・ロックールの一日は、早すぎる朝からスタートする。


 司祭の服に着替え、アパートから出るとまだどことなく肌寒い。
 務め先である教会までは徒歩五分。
 教会の中にも部屋はあるのだが、あまり本が置けないし、何より冒険稼業は時々血生臭い。その為、シルバは外に部屋を借りているのだ。
 まだ夜明けまでは遠い星空の下、シルバは教会に向けて歩き始める。
 すると、左の通りの方から元気のいい駆け足が響いてきた。
 はて、どこかで聞き覚えのある足音だなと思ったら、背中に大きな骨剣を背負ったショートカットの鬼っ子が飛び出してきた。
 向こうが先に気がついた。
「ありゃ、先輩。おはよです!」
 パーティーの前衛戦士、ヒイロだった。
「おう、ヒイロ。おはようさん。ずいぶん早いな」
「狩猟は早朝に限るからね。今日は一日お肉食べ放題。お土産持って帰ってくるからね」
 そういえば、とシルバは思い出した。
 初心者訓練場の一件で、質の悪いパーティーから奪った資金は、巻き上げられた初心者連中に分配してもまだ相当に残っていた。
 しかし、金は使えば当然減るモノで、放っておいても増えるモノではない。
 という訳で、パーティーのメンバーは各自、依頼がない時は自力で稼ぐ事にしたのだ。ヒイロは狩りで生活費を賄う気なのだろう。
「ああ、期待してる。けど、売る分は残しとけよ」
「当然」
「にしてもさ、ソロで狩りって出来るモノなのか?」
 シルバの疑問に、ヒイロはニッと親指を立てた。
「だいじょびだいじょび。{鬼/ウチ}の部族は元々狩猟民族だし、もー本能でいけちゃう。普通に食費が浮くし、余ったらお肉屋さんに卸せるし、トレーニングにもなるし、一石三鳥ってなモンだよ。あ、でも先輩がいると飛翔の呪文とか、移動が楽になるかも」
「んんー、そうしたいのは山々だが、俺も教会のお務めがあるんでなぁ」
「ま、その時はパーティーのみんなで行こ。カナリーとかからかうと、面白そうだし」
「あー……」
 ワイングラスを優雅に傾ける吸血鬼族の美少年を思い出し、確かになと思う。シルバのパーティーで最も狩りというイメージから無縁なのは、彼だろう。
「あんまり苛めるなよ。アイツ、昼間はまるで駄目駄目なんだから」
「ん。それじゃそろそろ」
「だな。しっかり狩ってこい。あと、これも持ってけ」
 シルバは、袖から体力回復薬を二本取り出し、ヒイロに渡した。
「うん、あんがと! お礼として先輩には一番いいお肉あげるからね♪」
「ほどほどでいいぞ。お前と同じ量食ったら、確実に胸焼け起こすからな」
「あいあい。んじゃ、行って来ます!」
 言ってヒイロは、都市郊外へ駆けていく。
「オラが村の勇者さっまー、でけえ棍棒でみっな殺しー♪」
 やたら響く、いい声だった。
「にしても……すげえ歌詞だな、おい」
 それが難と言えば難だった。


 教会に入ったシルバは、司教の執務室に合鍵を使って入り、仕事の資料をまとめた。
 それを短時間で終えると、次は食堂だ。
 調理場で、髪を後ろで束ねた顔なじみの助祭と鉢合わせた。
「ういっす、チシャ」
「あ、おはようございます、シルバ様。本日はよろしくお願いします」
「って、単に野菜の皮むきなんだから、そんな固くなりなさんな。さっさと終わらせて、調理係に渡しちまおう」
「は、はい」
 二人はジャガイモの皮むきを開始した。
 それが終わると、今度は司教の寝室だ。
 カーテンを開けると、もう太陽は昇り始めていた。
「先生起きて下さい」
 シーツをめくりあげる。
「ふみ……?」
 髪も白なら寝間着も白の司教、ストア・カプリスは大きな黒山羊のぬいぐるみを抱いたまま、寝惚け眼を擦った。二十代半ばほどの、おっとりした感じの美女だ。亜人の血を引いているのか、山羊のような角や長い両耳、先端が槍の穂先のような細い尻尾を生やしている。
「『ふみ……?』じゃなくて。さっさと起きないと朝食なくなりますよ」
「……んー、先生の分も、ロッ君が食べて下さい……お任せします……」
 ストアは、よろしくと器用に尻尾で扉を指差した。
「ウチの前衛なら喜んでやる奴一人知ってますけど、俺の胃袋は先生の代用品にゃならないんです」
「ご飯でしたら、学習院に行く途中に寄り道で……」
「司教がそれじゃ、示しがつかんでしょうが。先生がいなきゃ、みんなも飯が食えないんですし!」
「う~~~~~」
「ちゃんと起きて下さいよ。こっちはまだ、他にもやる事あるんですから」
 そう言って、シルバは部屋を出た。
 他にも、お祈りの準備やピアノの調律など、やる事はいっぱいあるのだ。


 朝礼や朝食を済ませ、昼近くになると、シルバはストアに同行して学習院に入った。
 さすがにこの時間だと、生徒の数もかなり多い。
 人間多数、たまに亜人、そんな中でやはり真っ白い亜人であるストアはとてもよく目立っていた。
 が。
「はぁ……やっぱり外の空気はいいですねぇ」
 本人はまったく気にすることなく、小さく微笑みながら伸びをしていた。
 うっかり目的地である研究室とは全然違う方角に行こうとする上司を、何とか軌道修正するのもシルバの仕事の一つだ。
「……ですから、先生は司教なんですから、そういう台詞はですね」
「はい。あ、先にお昼を買っておきましょうか。今日は部屋に籠もる事になりそうですし」
「はい」
 そして二人は食堂に入った。
 すると、部屋の隅で、何やら書類の積まれたテーブルに突っ伏している貴族がいるのを発見した。壁際にはいつものように赤と青のドレスの美女が控えている。
「……ぬ……シルバ、おはよう」
 ものすごく眠たそうな顔をしたカナリーが、寝惚け眼を擦った。
「何だろう。つい数時間前に似たような光景を見たような気がする。っていうか大丈夫か?」
「……気にするな。僕の朝がいつもこうなのは、知っているだろう」
 気怠そうに、カナリーはワイングラスを傾ける。
「{覚醒/ウェイカ}を使ってやりたい所だけど」
「ロッ君、自然な眠気に術を行使するのは、あんまりよくないですよ?」
 優しく微笑みながらもたしなめる、ストアの言葉は実に深い。
「ええ。毎朝苦労してますから、よっく分かります」
「ここは、王子様のキスでですね」
 何故か揺れる、ストアの尻尾の先もハート形になっていた。
「すみません。立場忘れて殴りそうになりました」
「心の中でだけでしたら、いくらでもどうぞ」
「そうします」
 そんなやり取りを、半ば微睡みながら眺めるカナリーだった。
「……相変わらず、仲がいいねぇ」
「ありがとうございます。ホルスティンさんも、ロッ君をよろしくお願いしますね」
「ああ、はい……うう、それにしても、どうしてこの世界は昼中心なんだ……」
 人間社会だからなぁと思うシルバである。
「まあ、昼を過ぎたら大分マシになるんだろ? それまでの辛抱だ。……で、その積まれた書類は何」
「……叔母が送ってきた見合い相手の姿絵」
 ストアの目がキラーン☆と輝き、シルバがギョッとした。
「拝見してもよろしいですか?」
「好きなだけ持って行って下さい」
 カナリーはどうせ興味ないしとテーブルに突っ伏したまま、手をヒラヒラと振った。
「まあ、綺麗な人達ですね。さすが、吸血鬼の方々。美形揃いです。ロッ君も、二、三枚如何ですか」
「何に使う気ですか、そんなモン。いいから返しておいて下さい。これはカナリーのモノです」
「いらないって、もー……面倒くさいなぁ、返事書くの」
 眠気とは別に、相当うんざりしているようだった。
 貴族は貴族で、色々悩みがあるんだなぁとシルバは思う。
「今日は店、どうする?」
「僕の方は遅くなりそうだから、一人で行ってくれ。実家から仕送りが来るから、そっちを受け取らないと」
 パーティーの中で唯一労働しないのが、カナリーだ。
 実家からの仕送りで、この地での生活程度なら、どうにでもなってしまうらしい。
「分かった。じゃ、また夜にな」
「んー……」
 カナリーは再び眠りの世界に沈んでいった。


 半ば書籍に埋もれたような研究室に入ると、シルバは未処理分の書類の横に、教会から持ってきた書類も積んだ。
「また、ずいぶん仕事がありますね」
「ええ、教会の分も持ってきてますからね」
 しかしこの程度で動じる、ストアではない。
 おっとりしているように見えて、不思議と仕事は進んでいるのが、シルバにはいつも不思議でならない。しかも自分が見ている時は、怠けているのだ。
 シルバは資料を集め、ここにないモノは図書館に行って探し出す。
 ストアの仕事を手伝っていると、時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。
 夕方近くになると、ストアの筆もようやく動きが止まった。
「それじゃ、ロッ君はここまででいいですよ」
 ストアの出した給金の袋を、シルバは受け取った。
「ありがとうございます」
 一礼して、ふとシルバは思い出した。
「頼むから今日は、ここで寝泊まりやめて下さいよ。ちゃんと、教会の自分の部屋で眠って下さい。学習院の正門まで出られたら、馬車使ってもいいですから」
 言っておかないと、また泊まり込みになりそうだ。……いや、言ってもたまにやるのだが。
「はい。それじゃロッ君も気をつけて下さいね」
「はい」


 学習院を出たシルバは、パーティーのメンバーが集まる食堂『朝務亭』に向かう事にした。
 大通りを歩きながらふと、思い出した。
「そういや、この近くだったか」
 パーティーメンバーの一人、キキョウの新しい仕事先(前に勤めていた酒場はストーカー事件の件もあり、契約更新しなかった)に寄ってみる事にした。
 脇の道に入り、坂道を上る。
 門を潜って掃除をしていた道場主に挨拶し、広い芝生の敷地を抜けると、その道場はあった。
 建物の一辺は壁が取り払われ、外からでも稽古の様子がよく見えた。
 動きやすい服に身を包んだ子供達の相手をしている黒髪の剣士、キキョウが、板張りの道場の中央で剣を構える。
「それでは皆、一人ずつ打ち込んでくるがいい。十往復!」
「はい!」
 道場の端に並んだ生徒達が、威勢のいい声と共にキキョウに剣を振りかぶっていく。
「おー、やってるやってる」
 シルバの声が聞こえたらしく、ヒクン、とキキョウの耳が揺れた。
「シ、シルバ殿!?」
 パタパタと尻尾を揺らしながら、こっちを向く。
「いや、よそ見すんな」
「ぬ、何のこの程度! 予定変更、全員まとめてくるがいい!」
「おいおい」
 しかも本当に一斉に掛かってきた子供達を、キキョウは順番に捌いていった。

 子供達の稽古終了後、道場主から十分ほど説教を食らうキキョウであった。

 シルバは待っている間暇だったので、壁に立てかけていた刃の潰された練習用の剣を手に取ってみた。
 大人用のモノらしく、それなりに重い。こんなモノを振り続ける前衛職は、本当に大変だなと思うシルバだった。
「待たせたな、シルバ殿」
 タオルを首から下げたキキョウが、道場から出てきた。手には何やら鞄を持っている。
「いやいや。しかしわざわざ、シャワーまで浴びてきたのか?」
「う、うむ。少々汗臭かったのでな」
 大丈夫だろうか、とキキョウは自分の腕を嗅いだ。
「大丈夫だって。冒険に出たら、もっと酷いだろ」
「ま、まあ、それはそうだが……」
 それから、シルバが剣を持っている事に気づき、ピンと耳を立てた。
「む、シルバ殿もいよいよ剣を取るか? ならば某が僭越ながら指導の方買って出るが……」
「それはないって。こんなの振ってもすっぽ抜けるのがオチだしな」
「うーむ、それは否定出来ぬ話」
「だろ?」
 シルバの白兵戦音痴は筋金入りなのである。
 それはさすがにキキョウも否定出来ない。
「しかし某としては、せめて自衛の道具ぐらいは何がしか欲しいのだが」
「あー、ヒイロにも同じ事言われたな」
「さもあらん」
 初心者訓練場で絡まれて以来、時々言われるのだ。
「つーか俺に合う武器なんて、そうそうないと思うけどなー」
「いやいや、そこは粘りとしぶとさに定評のあるシルバ殿。必ず見つけられると、某は愚考している」
「用意するにしてもあんまり技術とか必要ないモノにしときたいなぁ……」
 シンプルな武器としては、やはり棒とかになるのだろうか。
 そこまで考え、シルバは頭を振った。
「うんまあ、俺の話はいいや。それより新しい仕事、順調みたいじゃないか」
「うむ。子供相手はこれはこれで楽しいぞ。相手が子供なので、レベル1でもまあ、大丈夫だろうと何とか務めさせてもらっている」
「レベルか。筆記試験さえ何とかなればなぁ」
「ううむ、もういい加減、試験を受けてもよかったのだが、特に困った事もなかったのでな」
「かつてのトラウマもあるしな」
 ヒヒヒとシルバは笑った。
 この都市にやって来て間もない頃、冒険者のレベル試験に筆記試験がある事を知らなかったキキョウは、字が読めずに零点を取った過去があるのだ。
「……それは言わんでくれ、シルバ殿」
 キキョウは恥ずかしそうに顔を俯ける。それにつれて、尻尾もへにゃりと垂れ下がった。
 だが、すぐにぶるぶると頭を振った。
「しかし、パーティーを組み始めたからには、そろそろ何とかせねばならん」
「だな」
「ところで食堂に集まるのは、もう少し待って欲しい」
「何か用事でもあんのか?」
「うむ。非常に私事なのだが……む、始まったな」
 キキョウは顔を上げる。
 シルバの耳にも、何やら笛の音が聞こえていた。この流れる水のような音色は、フルートだろうか。
「何この音楽」
「最近、近くの酒場でどこかの楽士が演奏を始めたようでな」
 ふふふ、と不敵な笑いを浮かべ、キキョウは鞄を開いた。
「あまり見事なので、某も対抗してみる事にした」
 鞄から出したのは、琵琶だった。
「歌競べか」
「うむうむ。某も多少、楽器の心得があるのでな」
 キキョウはその場に座り込むと、軽く弦を確かめる。シルバは立ったまま、耳を澄ませた。
「しかしまあ、ずいぶん綺麗な音色だな。一体、どんな人が吹いているのやら」
「某は、さぞや美しい貴婦人ではないかと想像する」
「……そう聞くと、是非現物をお目に掛かりたくなってきたぞ、おい」
 ひくん、とキキョウの尻尾の毛が逆立った。
「い、いや! あくまで某の想像だ! 絶対とは限らん」
「ふむー……しかしま、腕の良さと雑念がない事ぐらいは俺にだって分かるぞ、こりゃ」
「うむ。ではそろそろ某も……」
 ベン、とキキョウらしく勇ましくも凛とした響きがキキョウの手元から響き始める。
 フルートの奏者も気付いたのか、互いの音色が次第に溶け合っていっているように、シルバは感じた。
 協奏は五分ほど続き、やがてどちらからともなく曲は静まった。
「……やはり、大したモノだ」
 呟き息を吐くキキョウに、シルバは手を叩いた。
「お見事」
「い、いやいや。では時間もいい頃だ。シルバ殿、ゆこうか」
 顔を赤らめ、キキョウは慌てて楽器を片付けた。
「ああ」


 日はそろそろ沈もうとしており、建物の灯りが目立ち始める。
 何やら上機嫌になったのか尻尾を大きく揺らすキキョウと大通りを歩いていると、見慣れた大型の甲冑が酒場から出てきた。
 タイランの方も、シルバ達に気付いたようで会釈してきた。
「あ……シ、シルバさん、キキョウさん、こんばんは」
「うん、タイランも仕事の帰り?」
「は、はい。思ったよりもいい給金頂いてます……でも私、水とか太陽以外はあまり必要ないんですけど……」
 困ったように俯きながら、タイランは給金の入った皮袋を胸元に納める。
「まあ、もらえる金は多い方がいいんじゃないか。あって困るモノじゃないだろ」
「うむ。それに腕も磨けるよい仕事ではないか」
「そ、そうですね……ただ、練習場所に少し困るので、郊外に出なきゃなりませんけど……」
 ん? とシルバは首を傾げた。どうやら、キキョウも同じ思いだったようだ。
「何故だ? 修練場があるだろう」
「しゅ、修練場でなんて、出来ませんよ……」
「む?」
 どうも、話がずれているような気がした。
「待て。そういえばタイラン、お前の今やってる仕事って何なんだ?」
「あ、はい。酒場で演奏やってまして……」
 モジモジと恥ずかしそうに言うタイランだった。
 意外すぎる。
「……用心棒ではなかったのか」
「……いや、それよりも、今度吹いてみてくれ。もしかすると、聞き覚えのある音色かも知れない」
 シルバは、タイランが腰の後ろに装着しているやけに細長い鞄を見た。
「あれーっ、三人仲良くおそろいでっ!」
 元気いっぱいな声に振り返ると、猪と鳥竜と鹿を、木を組んで作った背負いに乗せたヒイロがいた。
 正直、ヒイロの背丈を遙かに上回る上、道行く人々がギョッとしていた。シルバ達も同様だったが。
「……またずいぶん狩ったんだな、ヒイロ」
「うん、これから、お肉屋さんに卸しに行く途中だよ。少しだけ残して、店の親父さんに晩ご飯に調理してもらおうと思ってるんだ!」
「僕としてはもう少し、上品な料理が好みなんだがな……」
 途中でヒイロと合流したのだろう、ヒイロの後ろからフラッとカナリーが現れた。
「そこはこう、ソテーとかにしてもらう方向で。あ、なんだタイランは結局そっちの仕事にしたんだ」
 ヒイロも、タイランの背中の鞄に気付いたらしい。
「は、はい……警備の仕事もあったのですが、ちょうどこちらの募集の張り紙を見てしまったので……」
「ヒイロは知ってたのか?」
「フルートの事? うん。そりゃこの都市に来るまで、一緒に旅してたもん。当然でしょ?」
「ヒ、ヒイロの歌も素晴らしいんですよ?」
「何と!?」
 タイランの言葉に、キキョウが飛び上がった。
「あー。そういえばいい声出してたもんな」
 シルバはふと、朝のヒイロの歌声を思い出した。
「え!? あ、いやぁ、そんな風に褒められるほどのモノじゃあないんだけどなぁ……」
 ヒイロは照れくさそうに頭を掻いた。
「しかもシルバ殿は知っているとな!?」
「いいだろう。ならば、勝負だな。僕の奏でる凄絶ヴァイオリンに魅了されるといい」
 影から現れた赤い従者が、革張りの鞄をカナリーに手渡した。
「いや、競うモノでもないだろに」
 シルバは突っ込むが、誰も聞いちゃいない。
「あと、太鼓も得意だよ!」
「ふふふ、よし! いよいよそれは僕への挑戦状と受け取った!」
「いや、どっちかっていうと、先輩に聞いてもらおうと思っていったんだけど」
「という事だ、シルバ。君がジャッジとして白黒付ける事になりそうだ」
「話を聞けよ、お前は!?」


 往来で騒ぐのも何なので、という事になり、全員いつもの食堂に集まった。
 夕食のメインは、ヒイロの狩った獣の肉だ。
「ま、ともあれ、飯にだけは困らないな」
 ヒイロだけではなく、全員それぞれに何かしらの生計は立てられるようだ。まあ、冒険者としてこれを本業にする訳にはいかないのだが。
「正確には肉にだけどね。野菜がな……僕の実家から送ってもらってもいいが、領地の畑がトマトしかないんだ……」
「それはそれで、問題だな、おい……」
 ホルスティン家すげえと思うシルバであった。
「まあ、普通にサラダを注文すればいいんだけどな」
「ふーむ、某は穀物がなぁ。やはりジェントの民は米が恋しい。あとは味噌」
 モソモソと、ピラフを食べながらキキョウは憂鬱そうだった。
「米なら今食ってるだろ?」
「いやいやいやいや、シルバ殿。これも確かに米なのだが、故郷の米はやはりひと味違う。ここの米も悪くはないが、もう少し水気がありなおかつ粒の一つ一つが立つような米はなかなか」
 食にこだわりがあるらしい。
 しかしキキョウに言わせれば、そうした性癖はジェントの人間に共通したモノなのなのだそうだ。
「難しいもんだな。ジェントはかなり遠いから、輸入も難しいだろうし」
「ふぅむ……自力で稲から育てるのも考えたのだが……土と水が違えば味が異なるし、悩ましい話だ。カナリー、植物系の魔法使いに知り合いはおらぬか」
「植物か。……むしろ精霊系の分野のような気もするな。調べておくよ」
「うむ、頼む。ジェントの酒も恋しくてなぁ。いや、麦酒も悪くはないのだが」
 キキョウはジョッキの酒をチビチビ飲みながら、不満を漏らした。
「キキョウさん、ほーむしっく?」
 ヒイロの問いに、首を傾げる。
「いや……故郷の飯が恋しくなるのは誰にでもあるのではないか?」
「僕は普段通りのご飯だから、特に気にしないけどね」
「……お前は生でも焼いてでも、とにかく肉だもんな」
 お裾分けの肉を囓りながら、シルバが言う。
「うん! やっぱり自分で獲った肉は格別だね!」
「骨まで食うなよ」
「食べないよ。加工して土産物屋に卸すから」
「……この中で、一番逞しいかも知れないな、お前」
「鬼だからね! ほら、先輩ももっと食べる!」
 皿の上に、どんどん肉が積まれていった。
 というか肉しかない。このままでは確実に、胸焼けが起こりそうだ。
「食うけどサラダも寄越せ。栄養のバランスが悪すぎる。つーかアレか。鬼ってのはみんな、肉しか食べないのか?」
「んー……雑草、とか?」
「……逞しすぎるぞ、おい」
 オーガの胃袋は鋼鉄で出来ているらしい。とにかくよく食べ、よく飲む種族だ。
 それと対極にあるのが、鎧のタイランだった。
「あ、あの、シルバさん……お酒注文しても、いいでしょうか……」
「お前は遠慮しすぎだ、タイラン! 酒ぐらい好きなだけ飲め! それでもヒイロの半分以下だろ!?」
「で、でも私、別に水でも問題はなくて……確かにお酒は美味しいですけど……」
「おっけ。んじゃ次俺の奢りな。カナリー、メニューの中で一番旨い酒を教えろ。タイランはもうちょっと、食の喜びを知らなきゃ駄目だと思うんだ」
 シルバの提案に、カナリーも身を乗り出した。
「ほう、意見が合うね、シルバ。いいだろう、ワインの選び方も仕込んでやる」
「では某は何とかして、ジェントの酒を仕入れるルートを確立するとしよう。米の酒というのも悪くないモノだぞ、タイラン」
「んじゃー、ボクんトコはドブロクかなー」
 メニューを眺めながら、とりあえず適当に良さそうな酒を幾つか注文して、タイランに飲ませる事になった。
「しかしまあ、シルバ殿。今の生活も悪くないが、とにかく早くいい盗賊が見つかるとよいな」
「それが一番の悩み所だなぁ」
 それに武器がどうとかいうのもあるし、とシルバは串焼き肉を食べながら考える。
「…………」
 肉のなくなった金串を、眺める。
「どうかしたか、シルバ殿」
「……いや」
 首を振って、シルバは串を皿に置いた。
「ボクとしては肉好きの人ぼしゅー。肉同好会作ろ、にくどーこーかい」
「何だそれは、ヒイロ。それなら僕は赤ワイン党を結成するぞ」
「ど、どんな人になるんでしょうねぇ……」

 ちなみに、魚派の盗賊が参入するのは、もうちょっとだけ先の話。


※感想掲示板の]ironさんの質問拾って作成しました。
 5kb程度にしようと思ったのに何故20kb近くになってやがりますか。
 カナリーの好感度チェックをしてみたところ、まだ赤らむような程じゃないらしいです。
 萌え要素は、やはりこー、もう一人ぐらい好感度高めが参加してナンボのような気がしますですな。
 あと、盗賊絡まない仕事なら、現状でもこなせておりますよ。配達とか警護とか。ああでもそれは、本編で描写しないといけない内容ですね。



[11810] (番外編)補給部隊がいく
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/22 22:11
 ――魔王の城を中心とした魔王領とは、ただの国境ではない。
 膨大な魔力は、そこにいる生物たちの生態系を乱し、人間なら魔人に、獣なら魔獣に作り替えてしまう。
 そして魔物と呼ばれるモンスター達は、魔力の満たされたこの空間で、より強力な力を得る事が出来るのだ。
 故に、人間達はこれより先に近づけない。聖なる力を以てジワジワとその魔力を中和するが、当然それらは魔物達によって邪魔をされてしまう。
 かといって、人間がそれをやめれば、さらに魔王領は範囲を広げていく。
 不可侵な領域の境目で、人間達と魔物達はもう何年もにらみ合いを続けていた。


 そんな魔王領との境目にある基地の一つ。
 司令部のある大天幕を、サファイア・ロックールとイオ・フォルテの二人は出た。
 年齢はどちらも二十代の半ばといったところか。
「あんの糞タヌキ親父! 何つー無茶な命令出すのよ!」
 栗色のポニーテールの軍服娘、サファイアの足取りは怒りに満ちていた。
 空は晴天だというのに、彼女の気分は大荒れ空模様であった。
「ね、ね、サッちゃん、今回のお仕事ってそんなに大変なの?」
 やや遅れて、おっとりとしたイオがサファイアについてくる。
 野営地には不釣り合いな、白地に青の軽装ドレス。ウェーブの掛かった金髪も、いかにもお姫様だ。
 実際、ルベラント聖王国の王位継承権をもった、れっきとしたお姫様である。もっともその順位は軽く二桁台なのだが。
「あー、やる事はいつもと変わらないわよ。補給物資を目的地である前線基地まで運んで、ご飯作って怪我人いたら治療する」
 サファイアは、イオの護衛騎士という事になっているが、口調はまるで親友同士のそれであった。
「同じだね?」
「……問題はその経路よ。アンタも聞いてたでしょ」
「んー、森を通るってのは分かったよ?」
「はい、正解。その森が厄介でね……」

 自分たちの天幕に戻ったサファイアは、今回の作戦を補給部隊の仲間であるみんなに伝えた。
 答えは一斉に返ってきた。
「無茶です」
「{故郷/くに}に帰っていいか?」
「ありえませんね」
「ははっ、面白ぇ。殺すぞ」

「……はい。これがみんなの答え」
 うんざりと、サファイアは隣に立つイオの方を向いた。
「はぇー……」
 ローブ服の痩せた青年が、やれやれと首を振った。
 ウィル・スーダ。医療担当。本来の職業は錬金術師である。
「どうやら姫は知らないようだな。ロスタルド樹海。ここには、多くの魔獣が巣くっているという危険地帯だ。遭難者多数。何よりドラゴンが森の主というのが、一番厄介な点だ」
 それに頷くのはタキシードを着て髪を後ろに一束ねにした眼鏡の青年、コウ・マーロウ。担当はコック。本来の職業は見たまま、執事だ。
「確かに、樹海を突っ切れば最短ルートですよ? ですが無謀としか言いようがありません。僕らに死ねと言っているようなモンです」
 コウが気弱そうな表情で肩を竦めるその隣で水を飲んでいるのは、葉で出来た緑色の髪に木の皮で出来た茶色の肌を持つ木人のユグドだ。服装は腰に織布を巻いただけの、医薬品補給担当。本来の職業は魔術師である。
「というか上層部の狙いは明らかですね。私達に補給物資運搬の名目で、樹海の開拓を要求しているのです。あの森を拓ければ、軍の移動が格段に楽になります」
「失敗すれば?」
 イオの問いに、ユグドは即答した。
「私達が死にます。それはそれで、喜ぶ人がいるという事でしょう」
「本当に故郷に帰りたくなってきた」
「……あたしも同感」
 サファイアは、ウィルと一緒に溜息をついた。
 そして、いかにも好戦的な面構えの赤毛の魔術師、サリカ・ウィンディンがイオを見据えた。補給物資運搬担当。本業は巫女らしいが、とてもそうは見えない。
「でもよそれ、どうせ断れねーんだろ?」
「……うん。命令だからね」
 イオは言い、ぐっと両手で拳を作った。
「でも、やらないと! 前線で、わたし達を待っている人がいるのは、確かなんですから!」
 拳を突き上げ主張するイオに、ウィルとサファイアは何度目になるか分からない溜息を吐いた。
「……いい子だ」
「いい子なんだけどねぇ……」


 荷物をまとめると、木箱の上に乗ったイオは、魔物達との戦いから帰還したばかりの兵士達の前で大きく頭を下げた。
「という訳で皆さん、短い間でしたがお世話になりましたっ」
 すると、兵士達は一斉にわき上がった。
「そんな、水くさい! 俺達こそ姫様に散々世話になったんだ! 礼を言うのはこっちの方だぜ!」
「そーだそーだ!」
「くそー、上層部め! せっかくの綺麗どころを!」
 別れを惜しむ声と恨みがましい声が、野営地に響き渡る。
 その様子を脇で眺めていたサファイアが、ボソッと呟く。
「あー、あたしはそれ、カウントされてないんだ」
「いや、お前はどっちかっつーと、こっち寄りなキャラだから」
「それはそれで失礼な!?」
 兵士の一人に言われ、すかさず突っ込んだ。
 だが確かにサファイアは、どちらかといえばみんなと酒を飲んでいる方が向いているので、否定できないのであった。
 その兵士は調子に乗って、赤毛の魔術師にも言った。
「ちなみに、姉御は論外な」
「……ちょっと、そこのテントの裏に行こうか」
 強引に首根っこを引っ張られたその兵士はテントの裏に強引に連れ込まれると、鈍い音と共に殴り飛ばされた。
 その間も、安っぽい壇に乗ったイオの話は続く。
「それじゃ、ここでの最後のお務めになりますので、怪我されている方は周囲にお願いします」
「いえっさ!」
 イオを中心に、兵達が円を描いて取り囲む。
 すると、兵達を青白い聖光が満たし、彼らの身体に活力を満たしていく。
 ルベラント聖王国の王族の中でもごく一部の者が持つ特異領域『聖域』だ。イオを中心とした数十メルトは、ただ彼女がいるだけで癒しの性質を持つ領域と化す。


 一方痩せた錬金術師、ウィル・スーダも負けてはいない。
「余った連中はこっちへ。さっさと終わらせてやる」
「へーい」
 ウィルの袖から、無数の黒い霧が出現したかと思うと、兵士達にまとわりついた。霧の正体は、ウィルが改良に改良を加えたごく微細な蟲の群れであり、兵士達に回復物質を注入していっていた。


 少し離れた野外厨房では、無数の調理器具が誰の手も触れていないまま踊っていた。
 操っているのは、執事魔術師のコウ・マーロウである。
 いくつものフライパンが炎の上で舞い、一度に何十ものオムレツを作っていく。
「コーさんの美味しいご飯も食べ納めかぁ……」
 スープにパンを浸しながら、兵士の一人が名残惜しげに呟いた。
 コウは、お世辞にも豪華とは言えない食材で、相当な料理を作り上げる事で有名だ。そしてその技量は料理だけに終わらない。
「一応レシピは残しておきますので、後は料理長に頼んで下さい。あと、ベッドメイキングと装備一色ワックス掛けも全員分、終了してます。これからお休みの方は、ごゆっくりおくつろぎ下さい」
「さすがコーさん、完璧すぎる!」
 一礼するコウに、兵士達は拍手を送った。


 補給部隊の六人は、名残惜しげな兵士達に見送られた。
「生きて返ってこいよー」
「……え、縁起でもない」
 サファイアが頬を引きつらせ、イオは困ったような笑みを浮かべた。
「心配してくれてるんだよ」
「分かってるけどさーもー、洒落になってないっつーのもー」
「もーもーもーもーうるせえなぁ……牛かお前は」
「牛おっぱいに言われたくないやい!」
 空を優雅に舞うサリカ・ウィンディンに言われ、サファイアは鋭く突っ込んだ。


 数日後。
 サファイア達、補給部隊の一行はロスタルド樹海の真っ直中にいた。
 そして、樹海のモンスター達に取り囲まれていた。
 アサシンラビット、ダブルホーンウルフ、ジャイアントホーク、レスラーベア。
 そうそうたる面々である。
 おまけに、その後方には十数メルトはあろうかというドラゴンが控えていた。
「つーか無理無茶無謀! 帰ろう! 今からでも遅くないから、もう軍やめて家に帰ろう!」
 ちなみにサファイアは、護衛騎士と言ってもごく一般な戦闘技能しかない。
 おまけに諸事情により、武器が使えないのだ。
 つまり、素手で戦うしかない。
「ここまで来たら、もう手遅れだと思うよサッちゃん」
 一応仲間の戦闘力を信じているイオは、それほど焦ってはいなかった。
 とはいっても、彼女も『聖域』を持っているとはいえ、生身の人間だ。モンスターに襲われればひとたまりもない。
「あーもー! 分かってるわようコンチクショー! 言ってみただけだしーっ!」
 袖から、黒い蟲を吐き出しながら、ウィルが言う。
「愚痴ってないで、働け。死ぬぞ」
「らじゃってるわよ、もー!」
 その時、サファイアの頭に、木人のユグドの声が響いた。
 事前に飲まされていたユグドの種。それが、彼女や仲間達に精神念波と同じ効果を与えているのだ。
『雑魚は、ウィルさんとサリカさんが担当して下さい。ドラゴンの相手は、コウさんとサファイアさんでお願いします』
 サファイアは、ドラゴンを見上げた。
 目があった。
「死ぬ……絶対、死ぬ……」
「サッちゃん、ふぁいと!」
 グッと、イオが握り拳を作った。
『倒す必要はありません。突破口さえ開けば、一気に駆け抜けます』
「ユグドさんの仕事は?」
 ユグドの姿は見えない。
 おそらく、取り囲むモンスター達の範囲の外にいるのだろう。木人の彼は、森の中に潜むと他の樹木とまるで区別がつかないのだ。
『ウィルさんらと一緒に雑魚担当ですね。あのドラゴンは火属性。木人の私は炎の息吹を浴びると、即死です』
「あたしだって死んじゃうわよ!?」
『サファイアさんの能力があれば、大丈夫です。それでは作戦スタート』
「もー! やってやるわよくそうっ!」
 声と同時に、敵と味方が同時に散った。


「俺の本職は錬金術なのだが……」
 ウィルの飼う黒い無数の蟲達が唸りを上げて、モンスター達に殺到する。
 鋭い牙がモンスター達に食い込み、あっという間に彼らを血まみれにした。
 それを眺めるウィルのローブが、吹き始めた突風に大きく揺れる。
「まあいい。使い方が増えるのは、悪い事ではない。だがしかし台風娘。これはたまらん。もう少し、力を弱めろ。味方ごと吹き飛ばすつもりか」
 ウィルは天候を操る巫女、サリカ・ウィンディンに抗議した。
「はっはーっ! 吹き飛べ屑共! テメエらの力はその程度かよ!」
 風の渦の中心で、サリカは高らかに吠えていた。
「……聞こえていないようだな」
 ウィルはその様子を見上げながら、不満げに息を吐いた。


「うぅー……やだよー。こんなのあたしの仕事じゃないよーもー」
 軍服のポニーテール娘と執事は、巨大なドラゴン目指して、敵と敵の間を高速で駆け抜けていく。
「我が侭言っていないで、動いて下さい。一回攻撃を防ぐだけで、充分ですから」
「その一回が命懸けだってのにー!」
 コウの言葉に、サファイアは走りながら大きく両手を広げた。
 ドラゴンは、自分に迫ってくる二つの小さな存在に気がついた。
 喉から唸り声を上げながら、首をもたげる。
 微かに開いた口からは、炎が漏れていた。
「はぁ……」
 炎の息吹の前触れにも、サファイアの全力疾走の勢いは衰えない。
「ったくもー!」
 ドラゴンが大きく口を開いた。
 無数の牙が並ぶ巨大な口腔から、膨大な量の火炎が一斉に吐き出される。
 迫る炎に、サファイアの髪が舞い上がる。
 サファイアは開いた両手を前に突き出した。
「えび――」
 手のひらが、炎に触れる。
 その途端。
「せんべい!」
 炎は無数の桜色のスナック菓子に変化した。
「!?」
 ドラゴンは異常に気がついたが、今更炎の息吹を止める事は出来ない。
 そしてその炎は片っ端から、やたら軽い米菓へと変化し、空に舞い上がる。
 一方、足を止めたコウの手は、黒いフライパンを握りしめていた。
「フライ――」
 水平に持ったフライパンの柄を、もう一方の手が叩きつけた。
「{返し/ターン}」
 もしもフライパンの中にオムレツがあったなら、それは華麗に宙返りをしていただろう。
 しかしフライパンの中身が空であった代わりに、宙返りをした(させられた)のは炎を吐き終えようとしていたドラゴンであった。
 問答無用で高らかに空へと舞い上げられたドラゴンは、受け身も取れずに頭から地面に落下した。
 大きな地響きと共に、ドラゴンは目を回して気絶してしまう。
「さて、ドラゴンが気絶している内に通りましょう」
 森の中からユグドは姿を現した。
 ウィルとサリカの活躍もあり、森のモンスター達も大分、減っている。
「サッちゃん、おつかれー」
 イオがサファイアに追いつき、首根っこにしがみつく。
「あああああ、もー、毎回毎回死ぬほど怖いってばもー……! あー、まだ心臓バクバク言ってるわ」
「海老煎餅は正解だったねー」
「うん。前に何も考えずに防いだ時は、カレースープになって、ヤケドしながら溺れ死ぬかと思った」

 手に触れたモノを食べ物に換える。
 それが、ゴドーという神から与えられた、サファイア・ロックールの能力だ。
 ただし、自分で意識しない限り、何に変化するかはランダムという厄介な癖がある。
 ついでに言えば、生物には通用しない。

「んじゃ、この大量の海老煎餅は、オレが回収して天に捧げとく、とー……」
 サリカがくい、と指を持ち上げると、大量の海老煎餅は空の彼方へと飛んでいってしまった。
 全員が揃った所で、先を進む。
「それにしても、本当に倒さなくてよかったんでしょうか?」
 コウがその気になれば、倒す事も出来たはずだ。
 彼の扱う家事魔術は、フライパンを使う『フライ・ターン』だけではない。
 魚料理に用いる魔術『三枚下ろし』ならば、たとえ相手がドラゴンであろうと絶死は免れない。
 しかし、ユグドは首を振った。
「わざわざ上層部の目論見に乗る必要はないでしょう。この樹海のドラゴンは、瘴気に犯されていません。ここを通れないのは軍としては痛いです。しかしあのドラゴンを殺してしまっては、今後他のドラゴン達から睨まれてしまう事の方が問題です」
「――って話を上にしても、聞かない?」
 しがみつくイオをそのままにしたサファイアの言葉に、ユグドは頷いた。
「残念ながら、私達の言葉では重みが足りません。たとえ事実だとしても、死ぬのは上ではなく兵隊ですしね。一度部隊が全滅でもしない限り、理解はしないでしょう」
「でも、殺しはしないまでも結局敵に回してない? あんな事して大丈夫?」
「今回の作戦が終わったら、私が謝りに行きます。私なら、最悪死んでも苗として残る事は出来ますから」
「……馬ー鹿」
 サファイアの呆れた声に、ユグドは目を瞬かせた。
「何か?」
「アンタがそういう物言いをするとね」
 いつの間にかイオはサファイアから離れ、ユグドに迫っていた。
「死んでも、とか言っちゃ駄目です!」
 強い意志のこもった目で、訴えてくる。
 その様子に、サファイアは肩を竦めた。
「――こういう事言う娘なんだから、いい加減理解しなさい。この話はまたいずれね。とにかく今は樹海を抜けるのが先。それと……」
「はっはっは! はーっはっはーっ!」
 遙か先、風を共に空を舞うサリカ・ウィンディンが、高笑いをしながら一人突き進んでいた。
「悪役みたいな笑い声出しながら突き進むなーっ! 味方まで吹っ飛ばす気かっつってんでしょうが!! 走りにくいのよ馬鹿ーっ!!」
 髪の毛を抑えながら、サファイアは大きな声で抗議した。


 目的の前線基地に到着したサリカが最初にしたのは、空から補給物資を降らせる事だった。
「おら、補給物資待たせたなっ!」
 何重にも厳重に梱包された箱が、空の彼方からいくつも飛来してくる。
 それらは前線基地――より少し先、モンスター達目掛けて、落下していった。
「うおおぉぉーーーーーっ!!」
 唐突に現れた天災に、兵士達が喝采をあげた。
「あと、いらないガラクタとかありますかー。全部食べ物に換えますんでー」
 少し遅れて到着したサファイアが、特にやる気もなさげに主張してみる。
 質のいい土壌を見つけたユグドはそこに足を埋め、周囲に種をまいた。
 根を張ったユグドの肩や背から枝が生え、花が咲き始める。
 周囲の種からも芽が出始めた。
「薬の材料の精製は、もうしばらくお待ち下さい」
 相変わらず抑揚のない声で、ユグドは集まり始めた医術師達に言うのだった。


 補給作業が一段落し、サファイアは岩の一つに腰を下ろした。
 そして遙か彼方、薄い紫色の霧の漂う魔王領を眺める。
「シルバ、どうしてるかなー」
 その横の岩にイオも腰掛けた。
「便りがないのは元気な証拠だよ。きっと元気にやってるよ」
「だといいけど……何だっけ、{墜落殿/フォーリウム}? 今更だけど、心配よねぇ……」
「こっちの仕事よりは、幾分マシだと思うよ?」
 それは同感、とサファイアは思った。
 毎回毎回、死にそうな目に遭っているのだ。こんな所に弟を置いておくよりは、迷宮探索の方が遙かにマシだろう。
「厄介よねえ、魔力って」
 弟が今、行っている(はずの)探索を思い、サファイアは何とはなしに呟いていた。
「うん。これ以上は進めないモンね」
「かといって、なくなっても困る」
「だよねぇ」
 紫色の霧のずっと彼方には、魔王の棲む城があるはずだ。
「……あそこにいる魔王が死んだらどうなるか。言っても、絶対誰も信じてくれないモンねー」
 それを知っているのは、サファイア達ほんのごく一握りの人間と、ゴドーやストアのような人間じゃないこれまたごく一部のモノ達だけだ。
「そりゃそうだよ。何でそんな事が分かるって言われてもおしまいだもの」
「魔王本人から聞きましたって言いたいなぁもー。歯がゆいったらありゃしない」
「シルバ君には頑張ってもらわないとねぇ」
 などと二人でのんびりしていると、果実や薬草を実らせ終えたユグドが近づいてきた。
「サファイアさん、姫ここにいましたか」
「……何?」
 すごく嫌な予感がするサファイアだった。
「次の任務です。東の山を越えた部隊から、補給要請だそうです」
「……確かあの山って、サンダーウルフの群れがいるって有名じゃなかったっけ」
「突破しろという事でしょうね」
 サファイアは、後ろ向きに倒れる。
「もー! 帰る-! 絶対故郷に帰るんだからもー!」
 大の字のまま、絶叫するサファイアであった。


※……地の文足してたら、何かいつもの三倍の文章量になってましたとさ。
 かなり勢いのまま書いたので、読みにくかったらすみません。
 魔王討伐軍のごく一部の人達のお話。補給部隊です。
 膨大な魔力の沈殿の為、現在、戦線は停滞状態にあります。
 あと、リフのアレの元ネタは、ここの木人が参考になってます。
 あと、サファイアの服も当然、能力の性質上、食べ物です。ビーフジャーキー辺り。

■簡単なプロフィール■
サファイア・ロックール:護衛騎士、シルバの姉、姫の友人、愚痴り屋、もー
イオ・フォルテ:歩くフィールド効果、慰安アイドル、ルベラントの姫君(部隊のリーダー)、聖女様、頑張り屋、サファイアの親友
ウィル・スーダ:蟲使い、錬金術師(ナノマシンによる治療。あまりに異端、前衛)
コウ・マーロウ:執事、家事魔術師、穏和な眼鏡青年
ユグド:木人の魔法使い、性別不明、常に冷静、裏のリーダー、モース霊山出身
サリカ・ウィンディン:天候使い、旅の巫女、天候の再現条件はその土地を一度訪れること、嵐を呼ぶ女、万能兵器、性格は一方通行さん+堂嶋



[11810] (番外編)ストア先生の世界講義
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/22 22:14
 多くの学生や魔法使いが通うアーミゼスト学習院の小さな教室。
 そこは本当に小さな教室で、入れる生徒の数もせいぜい十人が限界だ。
 しかもそこで授業を受けるのはたった二人だった。

 一人は小柄な新米冒険者。
 といっても、戦士の装備はほとんど宿に置いているが。
 年齢は十代半ばぐらいだろうか、くすんだ金髪の大人しそうな少年だ。
 名前をノイン・クークという。
 本来ならここで勉強などせず、仲間を集めて冒険に出ているはずなのだが……。

 もう一人は更に小さい、というか幼女である。
 年齢はせいぜい三歳ぐらいだろうか。
 人目を引く珍しいルビー色の長い髪と瞳を持つ女の子だ。
 名前をアルミナ・クークというが、ノインと血の繋がりはない。
 ただ、諸事情によりノインの保護下にある。
 彼女はノインの膝に乗り、ご機嫌の様子だ。

 ノインがこの教室にいるのは、アルミナ、通称ルミィの付き添いであった。
 彼女はノインがいないと(比喩表現でなく)火を吹いて暴れる為、どうしても彼が同伴する必要があった。

 そして、授業を受け持つのは、この学習院の中でも変わり者と評判の女性であった。
 一言で言えば真っ白い女性である。
 髪の毛も法衣も純白で、強いて言えば目だけは金色をしている。
 年齢は二十代半ばぐらいの、おっとりした感じの美人だ。
 亜人の血を引いているのか、耳が長く伸びており、山羊のような丸い角、先端が槍のような細い尻尾を生やしている。もちろんその角も尻尾も白かった。
 その教師の名を、ストア・カプリスという。
 例によって学習院の中で迷子になり、授業が始まったのはのんびり十分遅れであった。


「さて、それでは授業を始めますねー。お二人の授業は私、ストア・カプリスが担当する事になりました。よろしくお願いしますね」
 にこやかに、ストアが頭を下げ、ノイン達もそれに倣う。
「お願いします」
「がー」
「はい、いいお返事ですね」
 ストアがニッコリと笑う。
 今のルミィは、まだ言葉が話せない。しかし言葉は分かるし文字を読む事だって出来るという、ちぐはぐな状態にあった。
「……あの、先生」
 おずおずと、ノインが手を挙げる。
 人見知りする性格なのだ。おかげで仲間集めもはかどらないのだが……それは別の話となる。
「はい、何でしょうノイン君」
「他に生徒はいないんですか? 効率的に考えて」
 ノインは後ろを振り返った。
 いくら狭い教室とはいえ、さすがに二人は寂しいし、落ち着かない気分にさせられる。
「そうですねぇ。お友達も作りたいでしょうけど、それはもう少し後になります。ルミィちゃんがもうちょっと、成長してからですね」
 ストアは両手を合わせて、笑顔のまま首を傾げた。
「うっかり、お友達を消し炭にする可能性もありますし」
「……頑張ろうね、ルミィ」
「がおー!」
 元気に腕を上げたルミィの口から、炎の息吹が放たれる。
 いつの間にか、後頭部から何やら竜の角と、尻からも尻尾っぽいモノも生えていた。
 ストアは軽く手を出し、その火を遮断する。
「だから、火を吹いちゃ駄目だってば!?」
「がおぅ」
 落ち着くようにノインがルミィの頭を撫でる。
 しばらくするとルミィも落ち着いたのか、大人しくなった。
 一歩間違えれば大惨事だったにも関わらず、恐ろしい事にストア先生のペースはまったく変わらない。
「はい。それじゃそろそろよろしいですか? 今日のお勉強は簡単に、この世界にある国についていくつかお話したいと思います」
「あ、はい」
「が」
「ノイン君はどこ出身ですか?」
「あ、サフォイア連合国です。その中のカコクセンっていう小さな国で……それも片田舎出身です」
 一番近くの町まで、歩いて三日は掛かるという山奥の村だ。
 その村の子供達の中でも、ノインは最下層の存在だった……が、それを意識から振り払う。
 そもそもそういうマイナスの意識から脱却する為に、ノインは村を出たのだから。
 ストアはノインの様子に気付かず、話を進める。
「そうですか。私は一応、ルベラント聖王国出身という事になってます」
「な、なってます……?」
 妙に引っかかる言い方だった。
「ああ、これは気にしない方向で行きましょう。それじゃルミィちゃんに、お父さんの故郷を教えましょうね」
「がー!」
「……こ、この歳でお父さんって」
 何度呼ばれても、凹むノインだった。
 しかし事実である。
 ノインとルミィは、書類上では親子という関係になっているのだ。
「この世界の国ですが……」
 ストアは黒板に大きくいびつな三重円を描いた。
 そして、その左上部分を教鞭で指す。
「まず西北西の端、この少し出っ張ったところが私達のいる辺境の、アーミゼストです。古代遺跡である{墜落殿/フォーリウム}を探索する為に冒険者が集って興した都市で、ここを中心に辺境全体をまとめています」
「が?」
 よく分からないルミィが首を傾げる。
「はい。墜落殿というのは、大昔にオルドグラムというえらい王様の時代に造られた、天空都市です。それが真っ逆さまに落下して、今の迷宮になっているんですね。この辺境は、これまで高い山脈と深い森が人の行き来を阻んでいました。しかし魔王の復活に伴い、それに対抗する古代の技術や武具を求め、世界中の国が協力して、あちこちの遺跡の発掘をする事にしたのです」
「それで、この辺境も道が通ったって訳だよ」
「があ」
 やはり頭は相当にいいらしく、ルミィはストアの説明を理解出来たようだ。
 ストアは、三重円の中心を、チョークで塗りつぶした。
 その外が内海。
 そして更に外が、大陸という事になる。
 海峡があって大陸同士が繋がっていない場所も存在するが、子供相手に教えるのには、この三重円が最も分かりやすい単純な地図とされている。
 ストアはチョークで塗りつぶした中心を、教鞭で指した。
「世界の中心に、この魔王領があります。そしてその周辺に、各国があると考えて下さい。本当はもっと沢山の国があるんですけど、このアーミゼストを除くと、大きな国は七つあります。存在感という意味での大きな国ですね」

 北方全体を有する巨大国家パル帝国。
 西方に広がるドラマリン森林領。
 南西で発展し続ける魔術大国サフォイア連合国。
 南方、ゴドー聖教の総本山であり、最強の聖騎士団を有するルベラント聖王国。
 北東にある、小さいながらも世界最大のクリスタルで最新の情報と水晶通信技術を握るシトラン共和国。
 東方の大砂漠を支配する東西サフィーン。
 極東のジェントは、精霊信仰が強くサムライやニンジャといった変わった戦士達が存在する。

 ストアは、三重円の上部を指した。
「まず広大な北方を支配する軍事国家、パル帝国。鉄鋼業が盛んで、この国といえば絶魔コーティングを施した黒色の重装兵団が代表的な存在ですね。国を治めているのは……」
 ストアは不意に説明を止め、ルミィに微笑む。
「ここは、国だけのお話にしておきましょう。詰め込みすぎはよくないですからね」
「がー」
 賛成らしく、ルミィは両手を上げる。
「このアーミゼストのすぐ南を、広大な山と森が広がっています。通行を阻んでいたのもある意味、このドラマリン森林領にあると言ってもいいかもしれません」
「……確かに、ここまで来るのは大変でした。それに異種族が多くて……」
 ノインは、このアーミゼストまでの道程の苦労を思い出す。
 舗装されていない道が多く、とにかくやたら馬車が揺れる。吐く人間も少なくはなかった。
 しかもやたら熱く、体調不良になる同行者も数知れずといった有様だった。
 しかし、ノインにとって興味深かったのは、自分達の村や国ではほとんど見る事の出来なかった、異種族の多くだった。
「はい。ドラマリン森林領は特に亜人種の多い土地です。人間の他、獣人や鬼族もよく見られますね。他妖精族やリザードマン等も多く、魔族もまた、土地柄狩猟が得意で身体能力の高い人も多いようです。もちろん、全員という訳ではありませんが」


「その次が、僕の故郷だよ、ルミィ」
「がう!」
 父親の故郷と聞き、ルミィは嬉しそうに両手を上げた。
 ストアは、地図上の南西を教鞭で指した。
「はい。サフォイア連合国ですね。ここは小さな国々が集まって成立していて、それぞれの王様が集まって国全体の運営を行っています。国力は相当に高く、魔術大国としても有名です。エネルギー関係の研究が盛んな国でもありますね。ただ……五年前に一度、精霊炉の実験で、国の全精霊石が失われるという事件がありましたが」
 あ、とノインは思い至った。
 サフォイアの人間ならば、誰でも知っている事件だ。
「テュポン・クロップ事件ですね」
「が?」
 首を傾げるルミィ。
 彼女は生まればかりで、そんな知識はないのだ。
「そういう名前の老学者が、五年前に自作の精霊炉に精霊石を全部ぶちこんだっていう事件があったんだよ。精霊石っていうのは燃料ね。国が持ってた精霊石を全部使ったもんだから、当然大騒ぎ。国際指名手配犯にされていたんだよ。もっともつい最近、捕まったっていう話だけど」
「はい。今はこのアーミゼストの牢獄に収監されています。引き渡しの交渉などで揉めているようですが、その辺は政治に関わる事ですので割愛しますね」
 その後、一時は混乱したサフォイアだったが、クロップ老の蛮行から得られたデータで、より高効率な精霊炉の開発に成功した。
 どのレベルに絞れば精霊石の消耗を抑えられ、逆にどこまで炉の力を上げれば暴発するか、それらが測定出来たのは、テュポン・クロップ事件があったからこそだ。
 さらに高性能精霊炉が出来るまでの間、旅の白い亜人が魔法使いや錬金術師達を集め、魔高炉の技術も高めたという。
「結果的には精霊炉の発展に貢献した訳ですが……」
「……巻き込まれた側は、そんな理由で納得なんて出来ないですよ」
「ですよねぇ」
 目論見的には大成功だったが、しばらくサフォイアの国力は著しく衰えたという。
 そういえば、この先生も白いよなあと思う、ノインであった。


 白い教師ストアは、三重円の下部分を教鞭で指し示す。
「さて、その更に南にあるのがルベラント聖王国です。ちょうど北方のパル帝国と魔王領を挟んで向き合う形にある、ゴドー聖教の総本山ですね。国の大きさは中程度ですが、魔王討伐軍の中心でもあるルベラント聖騎士団の名は高く、また西方諸国に多くの信者を抱えるゴドー聖教のトップが存在するだけに、発言力は大きいです。ノイン君も確か、ゴドー聖教の信者でしたよね。ここを訪れた事はありますか?」
「い、いえ、まだないです。けど、一度は訪れようと思ってます」
「そうですか。いいところですよ?」
「がぁ……」
「はいはい、ルミィもね」
 ルミィが寂しそうに袖を引っ張るので頭を撫でると、紅毛の幼女はすぐに機嫌を直した。
「がおー」


 ストア先生の授業は続き、南東の位置を教鞭の先端が叩いた。
「さて、時計にしてみると大体五時ぐらいの位置にある小国が、シトラン共和国。この国は独特で、主産業は実体を持ちません。では、ここで取引をされるのは何でしょうか、ノイン君」
「え、ええと……確か情報……だったんじゃないかと」
 故郷の教会で学んだ事を口にするノイン。
 どうやら正解だったらしい。
「はい、そうですね。このシトランは、情報発信基地として有名です。世界で最も優れた情報力を持ち、印刷技術と様々な通信手段も有しています。中でも有名なのは中心にある大水晶。水晶通信の核とも言える存在です」
「がー?」
 例によって知識のないルミィに、ノインは補足した。
「水晶通信というのはね、まあそのまま水晶を通して連絡を取り合う技術なんだ。元々は一つの水晶をいくつかに分かつ。その欠片に信号を送ると、他の水晶も共鳴して同じように信号を放つんだ。この仕組みを利用したのが水晶通信っていうんだよ」
「がぁ……」
 ルミィは困ったような顔で、首を傾げた。
「あはは、よく分からないみたいだね」
「使ってみるのが一番なんですが、基本的に高価ですから、一個人が所有するケースはあまりありませんね。小さいモノでも村に一つとか。このアーミゼストですと、実力のある冒険者のパーティーがたまに持っていたりもしますね。水晶通信と言えば、陽水晶と呼ばれる、独特の光を放つ水晶が存在します。これは、神との通信が可能と言われる珍しい水晶です」
 その話は、ノインも噂で聞いた事があった。
 アーミゼストは冒険者の都市であり、この手の情報には事欠かない。
「……でもそれ、実在するんでしょうか。言い伝えでありますよね。発見した者には、神様が願いを叶えてくれるっていう……」
「はい、ちゃんと存在しますよ。少なくとも一つはルベラント聖王国のゴドー聖教総本山に存在します。シトラン共和国も、情報基地としてのプライドがあり、それを求めているようですね」


 ストアは三重円の左部分を、教鞭の先で指し示す。
「そして東方、大砂漠の最西端にサフィーンが存在します。同じ名前の国は砂漠を挟んだ最東端にもあり、これはそれぞれ西サフィーンと東サフィーンと呼ばれています。昔、兄弟が別れて両端を治めるようになったんですね。西サフィーンの民の多くは、ナグルという聖者によって広められた、死生観を主に伝えられるウメ教の信者です。砂漠の民だけに、暑さに強いそうですね。もっとも北方となると寒さも増し、パル帝国との国境には長大な山脈がそびえています」
 ストアはチョークを取り、その辺りに三角の記号と一緒に『モース』と書き込んだ。
 モース霊山。
 ノインも聞いた事がある、白と緑の秘境だ。神を目指す者達にとっての聖地とも言われているらしい。
 そしてこの神霊山の滝の水は、万病に効くとも言われている。
 ストアは教鞭の先を三重円の左端に持ってくる。
「一方、東サフィーンは一言で言えば大きいです」
「大きい?」
「がぁ?」
「巨人の国という意味ではありませんよ?」
「……ちょっと思いました」
 どうやらルミィも同じ事を持ったらしい。
 父親と同じだったのが嬉しいのか、にぱっと笑った。
「広くて大きな国ですね。このアーミゼストほどではありませんが、様々な異種族が行き来をし、各国の商品の交易が盛んです。いわば商人の国です」
「人が多い、ですか……」
 ノインは自分の指を握るルミィの小さな手を振りながら、巨大な繁華街を想像し、難しい顔になった。
「ノイン君は苦手そうですね」
「え、あ、はい……ちょっとそういう所は……」
 基本的に人見知りをする性格なのだ。
「サフィーン全体で言えばやはり中央に広がる広大な砂漠と、そこに眠っていた莫大な古代遺産でしょうか。かつてこの世界を制したオルドグラム王の墓も、ここにあります。……もっともそのほとんどが盗掘されてしまっていますけれど。歴史が古い事もあり、強国の中では知恵袋的な存在ですね」


 ストアは、サフィーンの右隣に小さく丸を描いた。
 その丸の下に、ジェントと書き込まれる。
「最後にサフィーンから更に東にある小国のジェント。何十年か前までは東サフィーンとしか交流がありませんでしたが、精霊信仰が盛んな国です」
「あ、あの……」
 疑問に思い、遠慮がちにノインは手を挙げた。
「はい、ノイン君どうぞ」
「他の国が強いのは分かりますけど、どうしてこの国が挙げられるのでしょう? 小さな国なら、他にもありますよね?」
 つまらない質問だっただろうか。
 不安に思うノインだったが、ストアは相変わらずほんわかとした笑顔のままだった。
 その笑みを浮かべたまま、ストアはノインに応える。
「それはですね、単純に強いからです」
「はい?」
「魔王討伐軍は様々な国の軍で編成されています。そしてパル帝国でしたら重装兵団、サフォイア連合国でしたら様々な魔導の知識、サフィーンの知恵と経済力など、各国はそれぞれ自国の力を提供しています」
 それはノインも承知の上だ。
 濃厚な魔力に満ちた魔王領は、今や海を越えて大陸を浸食しようとしている。
 国同士の確執もあるだろうが、それを一時形だけでも収めて、各国が一丸となって魔王の討伐に動いている。
 世界の平和の為に。
「戦いが終わった後の発言力を増す為もあるでしょうけれど」
 笑顔のまま、ストアは身も蓋もない事を言った。
「せ、政治的ですね……」
 ノインだって、無邪気な子供ではない。
 そりゃ実際、純粋に世界の為に戦う人だっているだろうけれど、国単位ともなれば話は変わってくる。
 もしも魔王領を制し、魔王を倒したのが自分達の国の軍ならば、今後の力関係にも大きな影響があるのは明らかだ。
「まあ、世界滅亡の危機の為に必死というのもありますけど、自国の利益も当然求めますよ? 皆さん大人ですから」
「は、はぁ……」
 ちなみにノインは一度、魔王討伐軍の募集試験を受けた事がある。
 だが、サフォイア連合国の正規軍は採用の基準が高く、ノインは体力不足で落とされたのだ。
 そんな訳で、ノインは特に資格の必要のない、冒険者を志す事となった。
 もっともここ、アーミゼストでも高みを目指すなら、それぞれの専門職ギルドで試験を受ける必要があるのだが……それはまだまだ先の話だ。
 ストアはジェントの話を戻した。
「ジェントは要するに戦争に強いんです。おそらく独自の文化の中で育ったサムライやシノビと言った{戦人/いくさびと}達は少数にも関わらず、魔王軍との戦果でいえば他国を圧倒していると言ってもいいでしょう」
 それだけ強いのには訳があるのですよ、とストアは微笑む。
「彼らが強い要因のもう一つに、半魔半精霊であるアヤカシと手を組んでいるというのもありますね。他国なら魔人や魔族は怖がられる事が多いですけど、この国は人とアヤカシが共に暮らしていますので、それだけ魔に対して耐性があるのです」
 もっともその分国内でのトラブルも多いのですけどねぇ……と、ストアは付け加えた。


 ストアは大陸の周辺に、豆程度の小さな丸を描いていく。
 そこに、世界樹や龍神の寝床と言われる赤島、虐殺女帝ティティリエの住む竜宮殿などを記していったが、これはノインはストア先生の何かの冗談だと思った。
 地理の授業でおとぎ話の固有名詞を出してどうするのか。
「さて、大きな国は大体こんな所です。理解出来ましたでしょうか」
 手を休めたストアの問いに、ノインはおずおずと頷いた。
「僕は、まあ……」
「がおー」
 元気よく、ルミィも両手を上げた。
「……ルミィも出来たみたいです」
「それは何よりです。これからしばらくは、ルミィちゃんにはこの世界の事を知ってもらいますからね」
「がー」
 元々この講義は、この世界の事をまだよく知らないルミィの為のモノだ。
 一緒にいないとルミィが不安がるという事でノインも同席しているが、特に不満はない。故郷の村でも勉強は嫌いな方ではなかったのだ。
 ただ、魔力が少ないと評価された為、魔法使いや聖職者も難しく、二本の腕さえあれば何とかなる戦士職に就くしかなかったのだが。
「言葉も覚えましょうね。そうすると、お父さんともっと仲良くなれますから」
「がぁ!」
 ストアの言葉に、ルミィは喜びの火球を放った。
「うわぁっ!?」
 たまらずノインは、膝上のルミィもろともひっくり返った。
「それと、教室では火は吐かないようにしましょうね。私は平気ですけど、お父さんが消し炭になっちゃうと困りますから」
 火の玉は、ストアが施した魔力障壁に阻まれ、黒板の手前で静止していた。力が拮抗しているのか、バチバチと火花が飛んでいる。
 がやがて火球が力を失い、床に落ちる前に崩れ散った。
「がぉ……」
 ルミィはしょんぼりと頭を垂れる。
 興奮すると、つい火を吐いてしまうのだ。頭の角や尻尾も同様である。
「っていうか教室だけじゃなくて、他の場所でも駄目ですよ!?」
 さすがにノインは気付いたのか、突っ込んだ。街中でぶっ放されては大事である。
「そうですねぇ……ですけど、龍族にもストレス解消は必要ですよ?」
「ど、どうすれば……」
 ルミィの頭を撫で、落ち着かせながらノインは尋ねる。こうしていると、少しずつ角がや尻尾が引っ込み始めるのだ。
「鍛冶屋さんでアルバイトとか、どうでしょうか? そこなら火も吹き放題ですし、きっと喜ばれますよ?」
 なるほど、とノインは頷いた。
 確かに鍛冶工房なら、火は重宝される。強力な火力なら尚更だ。
「は、はい。じゃ、じゃあ授業が終わったら早速、工房街に行ってみます」
「大丈夫ですか? ノイン君、そういう飛び込みで人に頼むのは、あまり得意ではないようですけど」
「う……」
 ノインは想像してみて、ちょっと躊躇した。
 店の前で、どう中の職人に声を掛けていいのかと、ウロウロする自分の姿が容易に想像出来てしまう。
 ノインは頭をぶるぶると振った。
「で、でも……この子には必要な事みたいですから」
「がぁ……」
 大丈夫? とルミィが心配そうにノインを見上げていた。
 不安がらせないように、ノインはルミィに微笑み返す。
「そうですねぇ……他にも空を飛ばせたり爪研ぎさせたり、子育てには必要ですからねぇ」
「……普通の赤ちゃんの子育てじゃ、絶対ないですよねそれ」
「ですけど、ルミィちゃんを育てると決めたのは、ノイン君ですから」
「がぁ」
「だ、だって……研究材料とか、そういうのにされるのは……やっぱり嫌ですから」
 実際、そういう話もあったのだという。
 ノインがルミィと知り合った経緯を考えれば、それは当然とも言える。
「では、鍛冶屋さんは山妖精が経営している私のお知り合いを紹介しておきますね。この授業が終わった後は、取り調べになりますから」
「ま、またですか?」
 これまで朝から晩まで、ほぼ教会で軟禁状態になりながら続けられた、質問攻めを思い返し、ノインの声は自然うんざりとしたモノになってしまう。
 一方ストアは胸元から、ゴドー聖教の聖印を取り出した。
「といっても、担当は私ですから、ほとんど変わらないんですけどね。これはもう、諦めて下さい。知らないとはいえ、密輸を手伝っちゃいましたからね、ノイン君」
「うう……自業自得なんですけどね、ホント」

 冒険者になったはいいが、ノインは生来の人見知りで、仲間を集める事も参加する事も出来ずにいた。
 右往左往する新米冒険者に声を掛けた、一件爽やかな胡散臭い人物が一人でも出来る依頼。
 それが配達業だった。
 中身をあらためないという条件で、ノインは特に疑問に思う事なく、様々な品を運ぶ依頼をこなしていった。
 それが密輸だと知ったのは、禁制品を狙う悪党に命を狙われた時の事。
 彼はその時運んでいた品『龍卵』と共に逃走した。
 結果逃走中に『龍卵』は孵化し、商品は使い物にならなくなってしまった。ノインがいわゆる『刷り込み』で、龍の娘アルミナの父親となってしまった事もおまけについて。
 教会に保護され、前科者となる代わりに今、ノインは龍の娘ルミィの子育てをしている。
 ……いずれ、ノインはアルミナと共に、彼女の親の下へと赴かなければならないのだが、新米冒険者にはとてつもなく荷の重い仕事であった。
 一通り、ルミィの勉強が終わったら、ノイン達はとある小国に向かう事になっている。何でもそこの宮廷魔術師、通称『山の王』が龍達との交渉権を持っているのだという。

「世の中には悪い人がいるモノですねぇ。それじゃあ、昼食が終わったらまた、お話を聞かせてもらいますね。その『トゥスケル』という集まりの人の事」


※戦人と書いてバトラと読みそうになったのは、私だけではないはずです。
 あと、フィリオら親娘と違って、ルミィは自力で人間型になってます。
 それと変なモノが混じってすみません。
 龍神様はヒイロに近いちびっ子です。武人妹系。
 3の下半分は無視して、基本的には設定補足な番外編でした。



[11810] (番外編)鬼が来たりて
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/01 14:34
 窓からは、月が覗いていた。
 明かりもない暗く古い洋館の廊下を、タイランの重い駆け足の音が響き渡る。
 曲がり角を曲がるが、そこに目当ての人物はいなかった。
「見失った……?」
 相手の背中は見えていたのだ。
 すぐ近くにいるはずだ。
 そう考え、タイランは両手の平に仕込まれている砲口をいつでも放てるように準備しながら、警戒して前を歩く。
「いや――」
 声が響き、タイランは足を止めた。
「っ!?」
 前にはいない。右か左か。
 それとも上か。
「――道は間違ってなかったんだけどね」
 背後の扉の隙間からうっすらと霧が溢れ出たかと思うと、それは金髪紅眼の鬼の姿を取った……。
 タイランの悲鳴が響いたのはその直後だった。


 同時刻別地点。
 キキョウは長身銃を手に、廊下を走っていた。
 臭いをたどると案の定、目当ての人物が逃げようと背を向けているのを発見した。
 骨剣を肩に担いだ栗毛の鬼。
 見間違えようがない。
 標的だ。
「いた……!」
 廊下を駆け抜けながら、キキョウは長身銃を構えた。
「覚悟……っ!!」
 鬼の背に向けて、引き金を引く。
 慣れない武器だが、その狙いは正確に、相手の正面を捉えていた。
 ――正面?
「烈――」
 いつの間にか、鬼は身を翻し、大きく骨剣を振りかぶっていた。
 そのまま力任せのスウィングで、骨剣に纏った大量の気を迸らせる。
「――風剣っ!!」
 その衝撃波に、キキョウの放った弾丸――豆は吹き飛ばされてしまう。
 そしてキキョウ自身も、罠にはまっていた。
「しまった――」
 急ブレーキを駆けるが、数瞬速く立ち止まり足を溜めていたヒイロが間合いを詰めていた。
「遅いっ!!」
 ぶぅん、と振るった鬼の骨剣の先端が、キキョウの胸を突く。
「銃なんて使いなれないモノを使うと、ロクな事がないよね……まったく」


 薄暗い洋館のホールで、シルバとリフは合流した。
「リフ」
「に!」
 お互いの無事に安堵するのも束の間、二人は再び緊張に表情を強張らせる。
「タイランは?」
「にぃ……タイランの悲鳴は聞こえた」
「やっぱり、やられたか……キキョウもやられてたよ。って事は残ったのは俺とお前だけか」
「に……」
 シルバは、ボリボリと頭を掻いた。
「せめて、精神共有が使えれば、やりようはあるってのに……術もスキルもアウトなんて、こりゃあんまりすぎるだろ」
「にぅ……」
「今更だけど、こうなったら分散はやめた方がいいな。こっちが飛び道具でも、一対一じゃまず勝ち目はない。二対一なら何とか」
 勝ち目はある、とシルバが続けようとした時だった。
「二対――」
「――一ならね」
 ホールに、鬼達の声が響いたのだ。
 ほぼ同時に、頭上のシャンデリアから小柄な鬼が。
 足下の影から、白い手が。
 シルバとリフに襲いかかった。
「な……!?」
「にぃ……!」


 という訳で、ヒトVS鬼の戦いは、鬼の完勝で幕を閉じた。
 ホールに集まったのは、シルバ達に加え、家主であるフィリオの七名。
 ホールは今は、シャンデリア精霊光によって明るく照らされている。
「勝ったー」
 鬼チームであるヒイロとカナリーは、手を打ち合わせた。
「鬼チームの勝利。ふふふ、即席チームもなかなか悪くないね、ヒイロ」
「だね♪」
 一方で、悄然としているのはヒトチーム、つまりシルバ、キキョウ、タイラン、リフだ。
「……いくら何でも、ハンデありすぎだったと思う」
「某も同感だ。再戦を考慮願いたい」
「ううう……せめて、無限軌道だけでも使わせて欲しかったです」
「にぃ……」
 ヒトチームの武器は飛び道具である豆をぶつければ勝利。
 対する鬼チームは、直接のタッチが勝利の条件。
 というハンデはあるが、それ以上にヒトチームは一切のスキルと術を禁じるというのが痛かった。
 精神共有はおろか、祝福魔術すら使わせてもらえないのでは、シルバは足手まとい以外の何物でもない。せいぜいが眼鏡と篭手で命中率を上げるのがせいぜいだったが、そもそもその威力を発揮する前に、負けてしまうというていたらくであった。
 まあ、それにしても妙な風習もあるモノだな、とシルバは思う。
 リフの家族、というかモース霊山に伝わる伝統行事で、節分と言うらしい。
 同じ行事はキキョウの国、ジェントでもあるらしいが、本来は『福は内、鬼は外』というかけ声と共に豆をまく風習なのだという。
 そんなキキョウは、腕を組んで難しく唸っていた。
「ううむ、これでは福は内鬼も内になってしまうな。節分にならないではないか」
「それよりフィリオさん、お寿司お寿司」
 運動後の食欲に取り憑かれているヒイロが、フィリオを急かす。
「む、分かっている。食堂に既に用意してあるので思う存分食うがよい」
「わぁい!」
 駆け出すヒイロを追って、シルバ達も食堂に移動することになった。


 食堂のテーブルには、太巻きと緑茶、それに豆が積まれていた。
 給仕はカナリーの、赤と青の従者が行っている。
「まさか、このような異国で恵方巻を食えるとは思わなかった」
 太巻きを食べ終え、感慨深げにキキョウは緑茶を啜る。
「に。ウチでは毎年やってる」
「我が山で修業を積む者の中には、ジェントの者も多いのでな」
 リフとフィリオの言葉に、シルバは頭の中で地図を描いた。
「……そういえば、近いもんなぁ」
 キキョウの故郷であるジェントは極東にあり、リフ達の故郷モース霊山はその隣国であるサフィーンの北方に存在する。
 ある程度は風習が被っていてもおかしくはないか、とシルバは思った。
「某的には、稲荷寿司が恋しいのだが……」
 豆を食べながらキキョウが言うと、フィリオもバリボリと豆を囓る。
「作ればよいだろう、娘」
「しかし、材料が……」
「油揚げの原材料は豆であり、大豆ならばここの庭にある。菜種も米もある。油揚げの作り方ぐらいは自分で調べるがよい」
「寛大なお心に感謝する! よろしくお願いいたしまする!」
 ものすごい勢いで、キキョウはフィリオに頭を下げた。
「おお……キキョウの尻尾がものすごい勢いで揺れている」
 何か残像になっている尻尾に、シルバも驚く。
「に……すごい、気合い」
「これならば、我が野望のきつねうどんも夢ではない……!」
 ふふふふふ、と笑うキキョウであった。
 もっともフィリオは、キキョウの歓喜はどうでもいいらしい。
「その辺りは好きにすればいい。さて、我は少し山に戻るが……姫に妙なことはするなよ、小僧」
「……妙なことってのはともかく、妙な時期に里帰りですね」
 豆をつまみながらシルバが問うと、フィリオは腕組みをし、大きく息を吐き出した。
「うむ、この時期になると女性の冒険者がカコー豆を求めて、我が山に潜り込むのでな」
 シルバには聞き覚えのない種類の豆だった。
 が、これに反応したのはまたしても、キキョウだった。
「カコー豆! ま、まさか、あの風習まであるのですか、フィリオ殿!?」
 どうやら東方にはシルバの知らない特異な文化風習があるらしい。
 それはともかく何故、キキョウが尻尾を大きく揺らしながらフィリオと自分を交互に見ているのか、よく分からない。
「うむ……我が山のカコー豆は、かつて妻を獣罠から救ったマギウス製菓の者としか取引せぬ決まりとなっているのだ。おいそれとくれてやる訳にはいかぬ」
「……カコー豆って?」
 ヒイロの問いに、カナリーが答える。
「確かチョコレートの原材料だ。マギウス製菓といえば、有名なお菓子のメーカーだね」
「じゅるり」
「ヒ、ヒイロ、涎を拭いて下さい……!」
 タイランが、慌ててナプキンを用意する。
「倅どもや山の仲間だけではどうも心許ないのでな。もっともすぐに戻ってくるが……」
 フィリオは、チラッと娘を見た。
 リフはお茶をふーふー冷ましつつ、頷く。
「に。父上と三人の分は作っとく」
「うむ、うむうむうむ」
「今年は、お兄の分もあるから頑張る」
「むぅ……!?」
 ギン! とフィリオの鋭い視線が、シルバを居竦ませる。
「え!? な、何で俺、睨まれてるの!?」
「あー、リフ。もしよければ某の分も少々分けてもらえると……ついでに作り方も」
 頬を赤くしながら、キキョウがリフに申し出る。
「に」
 やはり頷くリフに、カナリーは首を傾げていた。
「……む、何やら僕達の知らない文化で、ポイント稼ごうとしていないかい、二人とも。これはちょっと調べる必要があるのかな?」
「と、時にシルバ殿は、甘いモノは好きかな?」
「き、嫌いじゃないけど」
 シルバの答えに、キキョウとリフが勢いづく。
「うむ! リフ、気合いを入れて作ろう」
「に!」
「むううぅぅ……小僧……!」
 そして強まるフィリオの眼光。
「だから何で俺、そんな目で睨まれてるのーっ!?」
 そんなこんなで、モース家の節分の夜は更けていくのだった。


※リフ成分が不足してきたので、即興作品。
 吸血鬼で洋館で鬼ごっことか、全員何か賞品持って来なきゃ駄目とかそんな話にしたくなったけど、そういうのは型月板でやれと。
 他候補として、モース霊山でガチにカコー豆争奪戦(フィリオ+リフ、キキョウ、タイランVS女冒険者)とかも考えましたが、さすがに遠すぎるし話が長くなりそうだったので没りました。
 とかどうでもいい話題でしたが、次は普通の更新となります。2010年2月1日。



[11810] (場外乱闘編)六田柴と名無しの手紙
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/09/22 22:17
「ふあぁ……」
 {六田/ろくだ}{柴/しば}は大きくアクビをした。
 彼の登校は、早くもなく遅くもなく、だからこそ駅から学園までの道程は、最も通学する生徒の数が多い時間となる。
 校門前にはいつものように、風紀委員が服装や髪型の乱れのある生徒がいないかとチェックをしていた。
「おはようございまーす」
「うむ」
 などというやり取りが繰り返される校門を、柴は潜った。
 すると、そこには腕章を巻いた学ランの生徒が立っていた。竹刀を杖のように持ち、長い黒髪をポニーテールにした美青年だ。その竹刀は伊達ではなく、剣道部の部長でもあり、また街の剣術道場『詠静流道場』では師範代まで務めている腕前だ。
 風紀委員長の{夏目/なつめ}{桔梗/ききょう}は、多数の生徒の中から柴の姿を認めて、微かに顔を綻ばせた。
「おはよう柴殿」
「はよっす、桔梗先輩。今日もご苦労さんです」
 柴の挨拶に、桔梗はクルッと背後を向いた。

「……何故……っ! 某は三年生の役割……!」

 グッと拳を握りしめ、悔しげな顔をする。
「何か言ったッスか、先輩」
 柴の問いに、再び桔梗は彼の方に向き直った。
 小さく咳払いをする。
「う、うむ。いや何でもない。それよりも早く通るがよい。まだ時間の余裕がると言っても、もうしばらくすると門が閉まってしまう」
「うっす。……ま、あんまり長く喋ってると、後ろの女子連中の視線が怖いですしね」
 何だかものすごい殺意のオーラを持つ女子生徒の一団が、桔梗と談笑する柴を睨んでいた。
 はぁ……と桔梗は溜め息をついた。
「某としても、何とかしたいのだが」
「そして更に、騒がしい人が増えた、と」
 静かなエンジンの音に気がつき、柴は親指で指し示した。
 黒く長い車が校門を抜け、柴のほぼ真後ろで止まった。
 大輪の花を背景にして、白い学ランを着た生徒会長である{牛島/うしじま}{華也/かなり}が車から降りると、周囲から女子生徒達の黄色い歓声が沸き起こった。
 牛島コンツェルンの次期総帥候補筆頭であり、輝く金色の長髪と赤い瞳は嫌でも目を引く美貌だ。
 金髪を掻き分けながら、華也は柴と桔梗に近付いた。
「やあおはよう、風紀委員長。それと柴」
「ちゃっす、華也先輩」
 華也は柴に会釈すると、桔梗の肩を抱いた。
 そして、背後を向く。

「……納得がいかないのは僕も同じだ。何故、シルバと同じ教室じゃないんだ……!」
「うむ。直訴するべきだ。これは断固として、神に直訴するべきだ」

 二人は小さな囁きを終えると、何事もなかったように距離を取った。
 桔梗は華也の服装に、何とも言えない難しい顔をした。
「……生徒会長」
「何かな、風紀委員長」
 パチン、と扇子を鳴らす生徒会長。
「前から何度も言っているが、その白い学ランは校則違反だ。改めるように言ったはずだが」
「問題ない。もうじき、校則の改正法が審議を通過する。そうすれば、この白学ランも晴れて、正式な制服となる」
「それは権力の濫用ではないか?」
「正当な行使さ。権力など、使ってナンボだろう。第一……」
 その時、ズン、と重い足音が響いた。
 柴が振り向くと、身長二メートルはあろうかという青い甲冑が近付いてきていた。
 柴が暮らす教会の近くにある病院で長い入院生活を送っていた、{北条/ほうじょう}{平良/たいら}である。
 入学式から既に一ヶ月、生徒達も彼女の異様にももうすっかり慣れていた
「お、おはようございます……柴さん。そ、それに生徒会長さんと、風紀委員長さんも……」
 ぺこり、と青甲冑が頭を下げる。
「ういっす、{平良/たいら}。今日も頑張ろうぜ。やばくなったらすぐ保健室に行くんだぞ」
「は、はい」
 そして、平良はズンズンと足を進めて、一年生の校舎に向かっていった。
 華也は、服装に厳しい風紀委員長を見た。
「……アレはいいのか?」
「移動式医療機械ではないか。問題ない」
「どうしてアレはよくて、僕が駄目なんだ!?」
「病弱な身体を押して学問に励む! 実に健気ではないか! 生徒会長殿の、その戯けた服装とは事情が違うのだ!」
 どうやら長くなりそうだ。
 このままチャイムまで待つのも不毛だな、と柴は判断した。
「……あー、そろそろ俺、行くっすね」
 途端に、華也も話を切り上げてしまう。
「あ、ま、待つんだ柴。僕も一緒にゆこう」
「そ、某も」
 桔梗もついてこようとしたが、ビシッと華也はそれを扇子で制した。
「君はまだ、仕事が残っているだろう風紀委員長」
 そう言われると、桔梗はどうしようもない。
「う、うう……! し、柴殿! またあとで!」
 ああ、と返事をしようとした時、柴の背後で爆音じみた足音が響いてきた。
 ヤバイ、と思ったが遅かった。
「ちゃーっす先輩っ!!」
「ぐぼあっ!?」
 後ろから腰目がけて弾丸のようなタックルを食らい、柴は相手と共に吹っ飛んだ。
「柴殿!?」
「柴!?」
 青空を仰ぐ柴の腰に、ちょこんと栗色の髪の少年(?)が乗っかっていた。
「あははー、先輩ったらもー、相変わらず身体弱いよね。もっと牛乳とか煮干しとか取り込まないと」
 ニパッと微笑む彼(?)の名前を、{阿国/あぐに}{比呂/ひろ}という。
「お、お、お前のタックルを背後から食らったら、大抵の男はこうなるっつーの……」
「大丈夫だよ。こんな真似をするのは先輩にだけだから」
「そ、それは光栄至極というか傍迷惑というか……」
 ペシッと比呂の頭を、華也が扇子で叩いた。
「もうちょっと、大人しく登校は出来ないのかね、比呂」
「あはは、ごめんねカイチョー。ってやば! 早弁する時間がなくなるかも!」
 比呂は立ち上がると、ダブッとした学ランの土埃を急いで払った。
 そして鞄を抱えて、一年生の校舎に向かって再びロケットダッシュを開始する。周囲の生徒達は慌てて、彼(?)の進路を回避する。
「ってお前は来たそうそう飯食うのかよ!?」
「道場で朝練して、それっきりだったからー」
 ドップラー効果を発生させながら、比呂は校舎に突っ込んでいった。何人かの生徒が吹き飛んだが、まあいつもの事だ。
「……相変わらず、ロケットみたいな奴」
「だね」


 三年生の校舎が近付き、柴は華也と別れる。
「んじゃ、華也先輩、また」
「うん。君も勉学に励み給え」
 そして柴は、中庭を抜け、二年生の校舎に向かう。
 牛島コンツェルンから多額の寄付を受けているこの学園は、規模が相当に大きく、校舎も各学年に一つずつという仕様になっている。
「やれやれ」
 朝から騒々しかったな、と柴は自分の肩を揉んだ。
 園芸部の花壇に、一人の男子生徒(?)が植木鉢を手に腰を屈めていた。
 銀髪のショートカットの彼(?)は柴に気がつくと、立ち上がった。
「に。おはよ」
 {森須/もりす}{葉/よう}。
 一年生の、園芸部員だ。実家は花屋で、とても怖いお父さんとやんちゃな三つ子&大人しい末っ子が経営していると評判だ。
「うっす、園芸部員。そろそろ教室に戻らないと、駄目だぞ」
「にぅ……昨日より、芽が出てる」
 言って、葉はちょっと誇らしげに、芽が出ている植木鉢を持ち上げた。
「ん? おお、そうみたいだな」
 そして背後の花壇を振り返る。
「おいもさん、トマト、ナスビ」
「……食べ物ばっかりだな」
「に。できたら、おすそ分け。手伝ってもらってるお礼」
 中庭が見える位置に保健室があり、保健委員である柴は暇そうな時、この園芸部を手伝っているのだ。
 もっとも花壇は、まだ芽がちらほらと見える程度でしかない。
「ふーむ。まだまだ先は長いが、楽しみに待つとしよう」
「……にぅ、待ってて」
 などと話をしながら、柴は葉と別れた。


 二年生の校舎に入り、下駄箱に自分の靴を入れる。
「さてさて、と」
 正確に入れようとした。
 上履きの上に、白い封筒が乗っていたのだ。
「……おぅ?」
 差出人はなし。
 中には一言だけ。


 放課後五時、校舎裏にてお待ちしております。



 チャイムが鳴った。
 柴は幼馴染みであり、クラスメイトの{星/ほし}{黒江/くろえ}にとってもあやしい件の手紙の相談をしていた。
「……黒江、一体、誰が出したか分かるか?」
 鴉の濡れ羽色をした艶やかな長髪に冬服のセーラー服がよく似合う、美少女だ。
 このクラスの二大美少女の一人とも言われている。
 そんな彼女は、軽く首を傾げ、時計を確認した。
「何とかやってみますけど、もうちょっと時間が欲しいですね。待ち合わせまで、あと数時間じゃないですか」
「だねー。いくら何でも柴っち無茶言いすぎー」
 グテーッと机にもたれて言うのは、{早野/はやの}{真珠/しんじゅ}。柴の悪友であり、暴力団早野組の一人娘である。
「ともあれ、受けた依頼を果たすのが、私達学園探偵のお仕事ですから」
「やるしかないかー」
 そんな二人に柴は頭を下げた。
「よろしく頼む。……んで、後ろでやさぐれながら呪詛をひたすら撒き散らしている、お前は一体何なんだ」
 金髪の子供が、隣の席からジト目で柴を睨んでいた。真珠と同じく悪友の一人、{寺下/てらした}{勝斗/かっと}である。
 小学生のように見えるが、れっきとした柴達の同級生だ。
「ま・た・フラグ立てやがりましたよこの男はまったくどうしてこーいつもいつもお前ばかり……」
「羨ましがるのは結構だけど、毎度毎度事件に巻き込まれる俺の身にもなれ」
 うんうん、と真珠が頷く。
「そだねー。何か柴っちってどこかの不幸の星にでも見込まれたみたいに、変なトラブルがくっついてくるよねー」
 黒江は手紙を柴に返すと、窓の外を指差した。
「柴。そろそろ北斗七星の横に小さな星とか見えません?」
「死兆星!?」
「何だよー。その分巡り合わせは多いんだから、いいじゃねーかよー。大体お前、住んでる教会でも、一年生の{千紗/ちさ}ちゃんとか、最近新しく入ってきた{白/しろ}ちゃんとか囲まれて、ウハウハじゃねーかよう」
「アイツらは別にそんなんじゃねーっつーの」
 恨み言を続ける勝斗を、柴は否定した。
「あ、そろそろホームルーム始まるかも」
 教室の生徒達が慌ただしげに席に座るのを眺め、黒江は教科書とノートを机から取り出す。
「はい。皆さん席に着いて下さいね」
 入ってきたのは、真っ白い髪に真っ白い法衣。頭に山羊のような角を生やし、槍のような尻尾を生やした優しそうな女性だった。
「って、先生角っ! 尻尾!」
「はい? どうかしましたか、ロッ君」
 ぱちくり、と目を瞬かせるストア・カプリス――ではなく、{雁笛/かりぶえ}{幸弥/さちや}。
「その呼び方も駄目ですから! 空気読みましょうよ、先生!」
「細かい事は言いっ子無しですよ、ロッ君。この世界を構築する主が、厳密な事に拘る性格だと思いますか?」
「ううう……アバウトすぎる」
「ちなみにその神様はこの世界では、理事長やってますけど、今上級生二人の直訴の対応中です。それはさておき、今日は転校生を紹介したいと思います」
「はい?」
 初耳だった。
 耳の早い黒江や勝斗を見るが、彼らも知らなかったようだ。
「新しいお友達を、拍手でお迎えしましょうね」
 すかさず勝斗が手を挙げた。
「先生、男ですか女ですかーっ!」
「それは見てからのお楽しみです。それじゃ、どうぞ」
「うん」
 そんな声が聞こえ、柴は嫌な予感がした。
 入ってきたのは学ランを着た、美少年(?)だった。
「{明屋/めいや}{那智/なち}です。よろしく」
 男子と女子、両方から一斉に拍手がわき起こった。
 違うリアクションをしているのは、クラスで二人だけだった。
「あらあら、ロッ君、星さん。座りながらずっこけちゃ、駄目ですよ?」
「そうだぞ、柴」
 言って、勝斗は再び手を挙げた。
「質問!」
「いいぞ。何でも聞いてくれ」
 むん、と胸を張る那智に、勝斗は真剣な顔で尋ねた。
「男なのか女なのか、そこが重要」
「他に聞く事がないのかお前は!?」
 ようやく立ち直った柴は、そのままツッコミにスライドした。
「馬鹿野郎! スリーサイズとかを聞くのは女の子と確定してからだ! マナーを弁えろ!」
「残念な事に、柴と同じ教室で体育の着替えは出来ないんだ」
「「「「「おおおおおおおおお!!」」」」」
 那智の言葉に、男子が一斉に盛り上がる。
「って男子連中、何でそんなに盛り上がれるんだよ!?」
 那智は構わず、白い先生に尋ねた。
「先生。僕は柴を婿に取るつもりでいるので、隣の席にして欲しい」
「お前は何を言い出すんだ!?」
「そういう事ならしょうがないですね。勝斗君、どいてもらえますか?」
 先生の要求に、勝斗は魚が死んだような目で、席を立った。
「あ、いいっすよー。俺今日早退して、近所の神社にお百度参りに行きますから。柴死ねって呪い掛けてきます」
「あ、俺も」「俺も俺も」
 男子が続々と立ち上がる。
「あらあら、ロッ君以外の男子全員ですか。困りましたね」
「困ってないで止めましょうよ!? もろに学級崩壊じゃないですか!?」
「僕としては、出来れば二人きりがいいんだが」
 勝斗の席に座りながら、那智はそんな事を言った。
「お前はもっと空気を読めっ!」
 ふと思いたち、柴は那智に尋ねてみる事にした。
「あ! まさかあの手紙は、お前が犯人じゃないだろうな!」
「手紙?」
 ハズレ。
 しまった、という顔をする柴に、那智は楽しそうな顔を向けた。
「詳しく聞きたいね」
 そのタイミングを見計らったように、校内放送用のスピーカーが鳴り響いた。
『生徒会長だ。これより臨時の生徒会会議を行なう。各委員の委員長と2年1組の六田柴は至急、会議室に集まるように。繰り返す。これより臨時の生徒会会議を行なう』
「華也先輩ーっ!?」


 授業はどうしたとか、細かい事を言ってはいけない。
 とにかく会議室に、生徒会の役員や各委員長、そして柴は集められた。
 生徒会長である、牛島華也はドン、と机に拳を叩き付けながら、身を乗り出した。
「不純異性交遊は許すべきではないと思う!」
「まったく同意見だ!」
 力強く主張する風紀委員長、夏目桔梗である。
 そして、室内のほぼ全員から、「またお前か」と白い目を向けられる柴であった。
 おずおずと、手を挙げ、主張する事にする。
「えっと、あの……何か俺、ものすごく視線が痛いんですけど……そもそも、こんな会議を開く必要がないですし……」
 深く息を吐き、後ろの入り口からこっそりと覗いている(つもりの)比呂を睨んだ。
「お前は何野次馬してるんだ」
「や、面白そうだから」
「主役らしい俺は、別に面白くない」
 よし、と柴は立ち上がった。こうなったら、後は度胸だけである。
「そもそも、一体どうするつもりですか、先輩方! 受け入れるにしろ断るにしろ、その手紙の差出人には会いに行くつもりですよ、俺は!」
「「な、何だってーーーーーっ!?」」
 柴の発言は、少なくとも生徒会長と風気委員長には衝撃だったらしい。
「当たり前でしょう。単純に名前を書き忘れただけかも知れませんし、一応は出向かないと。あと、野次馬禁止でお願いしますからね!」
 二人は、何やら考え込んでいるようだった。
「……秘密部隊を使うか」
「隠形の技を習っていてよかった……」
「不穏な事を言わない!」
「やれやれ。柴も大変だね」
 いつの間に入り込んでいたのか、那智は柴の背後からもたれかかるように身体を預けてきた。
「って、その態度はふしだらであろう!」
「ほとんど当たるモノはないですが、そういう問題じゃないですね」
「うむ!」
 柴のコメントに、頬を真っ赤にしながら頷く桔梗。
 しかし那智は平然としている。
「やはり校内ではマズイか」
「あ、当たり前だ」
「なら柴。家に帰って子作りだ」
「不純異性交遊は禁止だ!」
「不純ではないぞ、風気委員長殿。純粋な恋愛だ」
「……お前、俺の意思完全に無視しながら言うなよなぁ」
 柴は、もう何度目になるか分からない溜め息をついた。
「意思を尊重してもいいぞ。柴なら多分、全裸で夜這いを掛ければイチコロだと思う」
「チョロいな俺!?」
 ふむ、と那智は考える。
「……半裸の方が好みか」
「そういう問題じゃねえ!」
「ソックスはちゃんと残しておくから安心するんだ」
「何一つ安心出来る要素がねえよ!?」
「そうだな。バリバリの危険日だ」
「むしろ俺の今夜の方がデンジャラスになってきたよ!?」
「ひとまず、転校生だったかな明屋那智」
 新しい敵が出てきた、と言わんばかりの華也である。
「ああ。どうでもいいけど、キャラクターが微妙に被っていないかい、会長殿」
「……僕は君ほど軽くはない。あともうちょっと自重したまえ」
「ふうむ、ある種の停戦協定のようなモノが結ばれているのかな。しかしそんなモノはぶっちゃけ、抜け駆けした者の勝ちだよ?」
「……!」
 ハッと目を見開く、桔梗であった。
「風紀委員長も、何開眼したような顔になってるんだよ!?」


 そんなよく分からない会議も終わり、いつの間にか昼休みになっていた。
 保健委員の当番だった柴は、保健室で昼食を取っていた。
「あーもー……」
「た、大変ですね、先輩も」
「……いやまったくだ。ひとまずはここが一番落ち着くかも」
 小さなお弁当箱を広げ、ベッドに腰掛けているのは、妖精のように美しい少女だった。
 ほとんど知られてはいないが、北条平良の甲冑を脱いだ姿である。もちろんちゃんと制服は着用しているのは、言うまでもない。
 抜け殻となった巨大な青い甲冑は、力尽きたように壁際に座り込んでいる。
「わ、私、退散しましょうか?」
「いや、いいから。平良はそこがホームグラウンドみたいなもんだし」
「それも、どうかと思いますけど」
 などと話しながら二人で弁当を食べていると、爆発音と共に校舎が揺れた。
「きゃっ!?」
 ベッドから落ちそうになる平良を、柴は慌てて抱き留めた。
「爆発音!? 科学準備室の方……って事は、あの人か」
「……あ、あ、あの人ですね」
 柴に抱きすくめられ、顔を真っ赤にしながら、平良は言う。
「やれやれ、ちょっと怪我人が出てないか、確認してくるよ」
 柴は平良をベッドに座り直させると、救急箱を手に取った。
「あ、わ、私もお供します。これが、お役に立てるかも知れませんし」
「……悪い。頼むわ」


 校舎の壁を突き破り、平良の青甲冑を凌ぐ、巨大な甲冑が中庭に現れていた。
 そしてそれを見上げ、爆発したような白髪に白衣を着た老人が、誇らしげに高笑いを続けていた。
「カカカカカ! 大・復・活! ゆくぞいモンブラン二五六号!! まずは試運転じゃ!」
「ガ!」
「待て、黒部老!」
 地響きを上げながら進む一人と一体の行く手を阻んだのは、竹刀を持つ美青年(?)だった。
 校舎の窓から見下ろしている女生徒達が、黄色い悲鳴を上げる。
 風紀委員長、夏目桔梗その人だ。
「む! またしてもお前か、風紀委員長!」
「いい加減、科学部の私物化はやめるべきだと、某は忠告したはず。一ヶ月の停学でも、何も学ばなかったのか」
「カカカ……! 留年六十年のこの{黒部/くろべ}{坪人/つぼひと}、貴様のような小童の戯言で、信念を曲げると思うてか!」
「本当に、懲りねー爺さんだなぁ……」
 追いついた柴と平良は呆れたようにモンブランを見上げた。
「ぬう! 貴様もか、小僧!」
「柴殿! それに平良も!」
「お、お手伝いします……」
 おずおずと、青甲冑が桔梗に頭を下げる。
「……またでかくなってるけど、これ、竹刀で相手になるのか、桔梗先輩」
「ふ……柴殿、案ずるな。詠静流に斬れぬモノなど、ない! では参る!」
 桔梗は軽く竹刀を振るい、モンブラン二五六号に躍りかかる。
「カッカッカ! 掛かってこい、小童共! ゆくぞ、モンブラン! 始動テストには手頃な相手じゃあ!」
「ガオン!」


 などという騒動を片付け、柴が教室に戻る頃には、昼休みはほぼ終わろうとしていた。
「ふへぇ……」
 疲れ果て、自分の席に戻ろうとする柴を、那智が出迎えた。
「お帰り柴。ところで教室に面白い人が入ってきたのだが、アレも生徒か?」
「面白い? あー……」
 そんな表現が似合う生徒がこのクラスには多いが、それでも朝にいなかった人物となると大体の心当たりがある。
 やけに暗い教室に入ると、スポットライトが机の上に立ったツインテールの可愛らしい女生徒を照らしていた。
「あ、戻ってきたね、転校生!」
 彼女は那智に気がつくと、ビシッと指を差した。
「ただいま」
 そしてその後ろにいる柴に気がつくと、むーと難しい顔をする。
「柴君! また貴方の関係者なの?」
 黒江と並ぶこのクラスの二大美少女の一人、{平瀬/ひらせ}{乃亜/のあ}だ。現役の芸能人でもある。
 やれやれ、と柴は頭を振った。
「……違うと言いたい所なんだが、残念な事に関係者だ」
「妻です」
「違う!」
 ガガーンと乃亜は衝撃を受けていた。
「つ、妻!? 芝君ってばもう妻帯者なの!?」
「俺の否定の声は完全にスルーですか!?」
「とにかく! この教室の主役は乃亜なんだから! 転校生ごときに負けたりしないの!」
「……お前は一体何と戦っているんだ。ついでに言えば男子連中。お前らお百度参りに行ったんじゃねーのかよ」
 ようやく教室の暗さになれると、男子生徒の大半が乃亜を崇めていた。まるで宗教である。
 勝斗は耳をほじりながら、ざるを手にクラスメイト達に声を掛けていく。
「こっちの方が面白そうだから、戻ってきたんだよ。さー、今んとこ柴が不利、柴が不利だよ! まだ賭ける人はいないかっ!」
 男子生徒も女生徒も、皆それぞれに賭けながら、金をざるに放り込んでいた。ちなみに集計をとっているのは真珠である。
 柴はうんざりをした顔で、やたら突っかかってくるクラスメイトを見上げた。
「俺は別にお前と揉める気はないし、やるんなら好きにしてくれ」
「あ! もー、柴君ってばまた乃亜をスルーする! この! 国民的アイドル平瀬☆乃亜が相手にしてるんだから、構うのが礼儀だよ!」
「悪いが、そんな礼儀の国は俺は知らん。学生は学業が本分であって、目立つ事が仕事じゃないだろ」
 そう言って、すっかり疲れた柴は、自分の席に座った。
「もー、そうやって柴君はまたすぐ正論ぶる!」
「乃亜さん、スケジュールが押していますよ」
 それまで黙っていた銀髪のマネージャー、{渡船/とせん}{十司/じゅうじ}は時計を確かめていた。
「そんなの後後!」
「大体俺、家でテレビ見ねーし、芸能人とか興味ないって」
「そもそも、今時アイドルというのは如何なものなのか」
 柴に続くように、那智も言う。
「乃亜の存在全否定されちゃったぁ! こうなったら……」
 乃亜が指を鳴らすと、スポットライトが消え、カーテンが開く。
 教室は昼の明るさを取り戻した。
「{龍/りゅう}君、引田さん、よろしくお願いします」
 マネージャー、十司の言葉に、スポットライトを持っていた黒服の青年と巨漢が頷いた。
「今日こそ芝君に、乃亜の魅力を徹底的に知らしめてやるんだから! ウチの地下室に閉じ込めて、一週間ぐらい叩き込んであげる!」
「それは犯罪だ!」
「そもそもそれは、ヤンデレのテンプレートじゃないか。しかし二人相手か。なかなかに厄介だな」
 柴が喧嘩がからっきしなのを知っている那智が、ポケットに手を突っ込みながら前に出る。
「ぶじゅつをつかうようにはみえないが」
 ぬん、とポーズをとる巨漢、{引田/ひきた}{仁蔵/じんぞう}。
 そして彼を諫めながら、ネクタイを緩める青年は、{樽本/たるもと}{龍/りゅう}。
「引田。目を見るな。怪しげな術を使う」
「おっと、なかなかやるね」
「ちょ、超能力バトルに突入!?」
 今回そういうのは無しだったはずだよな、と柴は思う。
 その柴の背後、窓から木刀を持った比呂が飛び込んできた。
「先輩、助太刀お待たせ!」
「ってどっから来るんだよお前は!?」
 ここは四階である。
「や、階段登るのが面倒くさくて」
「だからって壁をよじ登ってくる奴があるか!」
「に……駄目なの?」
 入っていいのか迷っているのは、葉だった。
「……お前まで、付き合う事ないだろ。いや、危ないから入っていいって」
「に」
 柴を守るように、那智、比呂、葉が並ぶ。
 それを見て、乃亜は唇を尖らせた。
「むー! 芝君、守られたばっかりで恥ずかしくないの! それでも男!」
「って一番後ろから偉そうに説教垂れてるお前に言われたくねーよ!」
「あ、そ。十司君」
「はい」
 十司が鞄から取り出したのは、二本の小さな斧だった。
「じゃ、乃亜も出よっか」
 ニッコリと天使の笑顔を浮かべる乃亜に、柴の表情は引きずった。
「銃刀法違反だろそれは!?」
 だが、乃亜はお構いなしに、机の上で身体を捻る。
「だぼーとまほーく……」
 やば、と柴は身を屈めた。
「ぶーめらん!!」
 直後、勢いよく窓の外に、二本の斧が飛んでいった。
 それを見送り、葉は首を傾げた。
「げったー合体とか、する?」
「されても困る!」
 慌てて、葉の頭を下げる柴。
 彼方に去ったはずの二つの斧が、鮮やかに乃亜の手元に戻った。
「やれやれ、それじゃ私もお手伝いしましょうか」
「だねー。そっちの人見覚えあるし」
 今まで見物に徹していた黒江と真珠が、席を立つ。
「ギクッ」
 真珠の笑みに、何故か十司が後ずさった。
「何か知ってるのか、真珠」
「日曜日にねー、街でスカウトされそうになったの。モデルにならないかって。何か胡散臭いから逃げたけど」
「……おいおい」
 柴を始め、みんなの視線が十司に集中する。
 十司は笑みを崩さないまま、弁明を試みた。
「嘘じゃないですよ? 僕のコネで、芸能人の仲間入りはそれほど難しくはありません。ただその後は、実力ですが」
 柴は携帯電話を取り出すと、生徒会長に繋げた。
「あ、華也先輩? 従兄弟の十司さん、また妙な事やってるみたいっすよ」
「それは卑怯じゃないか、芝君!? 学校では携帯電話の使用は控えるように!」
「こんな騒ぎを起こしてる連中が何言っても、説得力皆無だろうが!?」


 馬鹿騒ぎと午後の授業が終わると、柴はもう疲労困憊であった。
「お、終わった……やっと放課後だ……」
 机に突っ伏す柴の背を、ポンポンと那智が叩いた。
「お疲れ、柴」
「もう一つ、やる事が残ってるんでな」
 よっこいせ、と柴は立ち上がる。
「ああ、例のラブレターの件かい」
「そ。相手が誰であれ、すっぽかす訳にはいかないだろう」
「名前も書かないような手紙なんて、僕は無視してもいいと思うけどね」
「書き忘れの可能性もあるし、ズルズルと引っ張るのも厄介だ。……いや、もしちゃんとした相手なら、厄介というのも失礼な話だけど」
「それで黒江は、相手を掴めたのかな」
 その黒江は今は教室にいない。
 夕暮れの放課後、ほぼ生徒は残っていなかった。
 約束の時間までもうすぐだ。
 鞄はこのままでいいだろうと、柴は教室を出ようとする。
「さすがに、時間がなかったし、途中で変な妨害も入った。今回は分からなくても、しょうがないだろ」
「どちらにしろ、あと十分後には分かる事だしね」
「そうそう……って、おい」
 柴は足を止め、振り返った。
「何かな、柴」
「……どこまでついて来るつもりだ、那智」
「地獄の果てまでお供するぞ?」
「いや、来るなよ!?」


 そして校舎裏。
 柴は、不良達に取り囲まれていた。
 そしてそのボス、着崩した学ランを着た褐色の大男を見上げ、汗を拭う。
 ジャラリ、とピアスやネックレスが音を立てる。
「よく来たな糞ガキ」
 三年生の{浜/はま}{勇治/ゆうじ}。
 この学園の番長であり、暴走族グループ『グレート・ハマー』の族長でもある。
「……一応、一年しか違わない設定ッスよね。つーか字、きれいっすね」
 柴は、手紙を開くと、字を確認した。
 細いペンで書かれたそれは、とても目の前の粗野な男のモノとは思えない。
「褒めたところで、何も出ねーぞ。ちなみに書道一級」
「そもそも、何で名前を書いてないんっすか」
「テメエに名乗る名前なんてねえ」
 ああ、あれ伏線だったんだ、と柴は変なところで納得した。
 つい先日の日曜日、繁華街で彼に絡まれていた女生徒を助けた柴である。何とか勇治の手から逃れる事は出来たが、顔は見られていた。
 つまり、呼び出した理由というのはそれだろう。
「今時番長ってのも、どうかと思うんっすけど」
「大きなお世話だ。……おい」
 勇治が顎をしゃくると、彼の手下が二人、柴の両腕を固めた。
「げ」
 獰猛な笑みを浮かべ、勇治は腕をボキボキボキッと鳴らした。
「俺も、舐められたままじゃ、下のモンに示しがつかねーんでな。ま、全治三ヶ月ぐらいで勘弁してやるよ」
「ひ、卑怯とは思わねーの?」
「悪いな。俺様は効率重視なんだ。お前らしっかり固めとけよ?」
「は、はい!」
 勇治が、拳を大きく振りかぶる。
 それを見ながら、柴は呟いた。
「なら、こっちも遠慮はいらないな」
「何?」
「父上!」
 勇治の背後で声がした。
 様子を伺っていた葉の声に、勇治に劣らない壮年の巨漢が建物の影から現れた。
「やれやれ……倅共に店を任せて何をさせるのかと思えば」
 顎髭を扱きながら、不愉快そうに息を吐く。ワンポイントの花と『森須フラワーショップ』と刺繍されたエプロンが何とも似合わない。
「小僧、一つ貸しだぞ」
 げえ、と不良の一人が呻き声を上げた。
「ア、アンタは町内一怖い花屋さんで知られる、森須フラワーショップの店長!」
 やけに説明的な台詞で紹介された葉の父親、{森須/もりす}{張男/はりお}であった。
 さらに塀の上から声が響く。
「父ちゃん!」
「……ん」
 塀の上に立つ阿国比呂の隣で、鍛え抜かれた上半身を露わにした巨人が、ギョロリとした目で勇治を見下ろしている。
 ズザザ……とわざとらしく不良の一人が後ずさる。
「照れ屋で有名なプロ格闘家! {阿国/あぐに}{紅蓮/ぐれん}!」
「っていうかまだ未出ですよね、ヒイロの父さん!?」
「……うむ」
 柴のツッコミに、紅蓮は頷いた。
「学園の秩序を守る為、とー」
 のんびりした口調で柴の背後から現れたのは、麦藁帽子に作業着と用務員の格好をした目元まで伸びた長髪の青年だ。
 不良達が一斉に動揺する。
「学園長、{護堂/ごどー}{仁/じん}だと!?」
 さらに校舎の影から、次々と生徒達が現れる。
「そして、生徒会役員と――」
「風紀委員会」
 パチンと扇子を鳴らす華也と、竹刀の先で地面を突く桔梗。
「わ、私も、そのお邪魔してます……」
 青い甲冑の平良が現れたかと思うと、バットやボクシンググローブで武装した一年生達が続く。
「え、えっと……お兄ちゃん、助けに来ました! 一年の、皆さんです」
 その先頭にいる髪を後ろで一本に束ねた可愛らしい女生徒は、{春井/はるい}{千紗/ちさ}。
 教会で暮らす柴とは、長い付き合いになる。
 という紹介を知り、現れた那智がうーむ、と唸る。
「僕としては、千紗君はポジションが美味しすぎると思うんだ」
「元凶はわたし。わたしが始末を付ける」
 さらに金属バットを持った黒髪に色白の少女――{雁笛/かりぶえ}{白/しろ}。日曜日に勇治に絡まれた女生徒であり、現在は柴や千紗と同じ教会で暮らしている。
 それらを見渡し、柴は突っ込んだ。
「お前ら、全員覗いてやがったな!?」
「相手は分かったんですけどね。伝えるよりこれは、助太刀を頼んだ方がいいと思いまして」
 塀に腰掛けながら、黒江が笑った。
 圧倒的な人数に、勇治はともかく不良達はもうすっかり及び腰だ。
「て、テメエ……」
「まさか、卑怯とは言わないよな」
 柴が言うと、勇治は歯をギリ、と鳴らした。
「野郎共! やっちまえ!」
「やれるもんならやってみろ!」


 日も暮れ、下校途中にあるお好み焼き屋『弥勒亭』に、柴達はいつものように集まっていた。
「……毎日毎日、これじゃ身が持たねーっての」
「よくよく災難に巻き込まれるな、柴殿は」
「業が深いんだろう。自分から首を突っ込む事も多いし」
「喧嘩は弱いのにねー。あ、今晩のパーティーのセコンド、よろしくね先輩」
「……あの、比呂、ストリートファイトもいいですけど、あんまり危ない真似はしない方がいいですよ」
「にぅ……お好み焼き、美味しい」
 みんな、好き勝手な事を言いながら、ソースの香ばしい匂いが立つお好み焼きを頬張っていた。
「つーかお前、外国に何しに行ってたんだよ、那智。何も言わずに出て行ったモンだから、黒江も俺も心配したんだぞ」
「ああ、ちょっと余所の国の国籍を取りに」
「うん?」
 柴には、よく分からない。
「東欧にね、一夫多妻制有りの小国があって、そこの国籍を取得した。これで柴にどれだけ女性が増えても大丈夫だぞ」
 グッと親指を立てる、那智。
「って、変な方向に気を利かせてるんだよ!?」
「でかした、那智」
「大したモノだ」
 いつの間にか、華也会長と桔梗が、ガッシリと那智と手を取り合っていた。
「いやいやいや、先輩方何握手してるの!? 葉も万歳しない! お前のお父さんが――」
 ガラッと店の扉が開き、エプロン姿の張男が姿を現わした。
「許さんっ!!」
「出たーーーーーっ!?」


 六田柴の日常は、今日も平和です。


※最後のフィリオさんはアグ○スのイメージでも可。
 ……『手紙が届いて、それを何とかする』って以外、特にノープロットでした。
 あーもー、エイプリルフールには間に合わなかったなぁ、残念。
 もったいないので、こっそり掲載。
 というかすごく普通のラブコメにするはずだったのに、何故にこんな事(いわゆる大惨事)になってしまったのでしょう。
 なお今回登場のキャストは以下の通り。名前の元ネタ公開です。

六田 柴(ろくだ しば):二年生、保健委員、教会で生活している
シルバ(柴)・ロックール(ロック=六)で。
他に銀なので、銀太という名前の案もありました。

夏目 桔梗(なつめ ききょう):三年生、風紀委員長、剣道部員
キキョウの場合は、ほぼ漢字を当てるだけでした。

牛島 華也(うしじま かなり):三年生、生徒会長、牛島コンツェルン次期総帥候補
カナリー(華也)・ホルスティン(ホルスタイン=牛→牛島)です。

阿国 比呂(あぐに ひろ):一年生の剣道部員
阿国 紅蓮(あぐに ぐれん):比呂の父親、プロ格闘家
ヒイロ。阿国は、裏設定でのヒイロの一族、アグニ一族から。
グレン。アグニ族の戦士であちこち放浪しては、強い奴と戦っている。

北条 平良(ほうじょう たいら):一年生の甲冑娘、病弱
タイラン(平良)・ハーベスタ(ハーベスト=豊穣(ほうじょう)→北条)。
適当な当て字がなくて、苦しんだキャラの一人。

森須 葉(もりす よう):一年生の園芸部員
森須 張男(もりす はりお):葉の父親、超怖い花屋さん
リフ(リーフ=葉)・モース(=森須)。
あんまり名前が可愛くなくて、ちょっと残念。
タイランにも共通するのですが、コンセプトは男でも女でも通用する名前なのですよ。
フィリオ(=張男)。

明屋 那智(めいや なち):二年生、柴の幼馴染みで転校してきた
ネイト(=那智)・メイヤー(=明屋)
ほぼ当て字。ネイトで那智はちょっと苦しかったかも。


雁笛 幸弥(かりぶえ さちや):世界史の担任教師
ストア・カプリス。
雁笛 白(しろ):幸弥の養女
シーラ。
春井 千紗(はるい ちさ):一年生
チシャ・ハリー。この子の名前が正直一番楽でした。
教会で共同生活を送る三人です。

星 黒江(ほし くろえ):柴の幼馴染み、便利屋
クロエ・シュテルン。シュテルンはドイツ語で星を意味します。
寺下 勝斗(てらした かっと):柴の悪友、超童顔
カートン(orテースト)。カートン=勝斗です。
早野 真珠(はやの しんじゅ):柴の悪友、ヤクザの娘
シンジュ・フヤノ。
柴の悪友三人。

平瀬 乃亜(ひらせ のあ):芸能人、二年生
渡船 十司(とせん じゅうじ):乃亜のマネージャー
樽本 龍(たるもと りゅう):乃亜のボディーガード
引田 仁蔵(ひきた じんぞう):乃亜のボディーガード
それぞれ、ノワ(乃亜)、クロス(=十字→十司)、ロン(龍)、ヴィクター(引田)。

黒部 坪人(くろべ つぼひと):留年六十年の生徒
モンブラン二五六号:黒部の作った巨大マシン
浜 勇治(はま ゆうじ):番長
それぞれテュポン・クロップ、モンブラン、カーヴ(カーブ=U字→勇治)・ハマー(浜)。

追記。
護堂 仁(ごどう じん):学園長、外見は用務員
ゴドー(=護堂)。神(じん)を変換して仁。



[11810] キャラクター紹介(超簡易・ネタバレ有) 101020更新
Name: かおらて◆6028f421 ID:4d825c64
Date: 2010/10/20 14:16
■守護神(パーティー名)■
シルバ・ロックール
 主人公の司祭。シルバー(銀)。人間。ドラマリン森林領出身。モゲロ。

キキョウ・ナツメ
 妖狐のサムライ。桔梗(紫)。極東のジェント出身。

ヒイロ
 鬼族の戦士。緋色(赤)。骨剣使い。シルバと同郷。

タイラン・ハーヴェスタ
 重甲冑を纏った戦士。藍色(中国名・黛藍(タイラン))。本体は人工精霊。魔術大国サフォイア連合国出身。

カナリー・ホルスティン
 雷を使う吸血貴族の魔術師・錬金術師。カナリヤ(黄色)。北方のパル帝国出身。

リフ・モース
 剣牙虎の霊獣で、一応盗賊。リーフ(緑)。サフィーン北部にあるモース霊山出身。


ネイト・メイヤー
 獏の霊獣であり悪魔。ナット(茶)。現在は札に封じられている。

ヴァーミィ
 カナリーの従者で人形族。赤いドレスの美女。

セルシア
 カナリーの従者で人形族。青いドレスの美女。

モンブラン十六号
 錬金術師テュポン・クロップが造った人造兵器。モンブラン(茶色)。現在は頭脳部分だけタイランの甲冑内に納められている。

シーラ
 墜落殿第六層に潜んでいた、戦闘用人造人間。白。衝撃波使い。


■古代人■
ナクリー・クロップ
 古代の錬金術師。ロリババア。ナクリーはカンボジアの台風の名。もしくは肉桂色(茶色)。

ヤパン
 ナクリーが造った鈍色の液体生物。人型にもなれる。語源はジャパン。もしくはシャンペン。

イタルラ
 ナクリーが造った怪鳥。語源はイタリア。

ディッツ
 ナクリーが造った砲撃の巨人。語源はドイツ。


■アーミゼストの住人■
ストア・カプリス
 シルバの上司で得体の知れない白い司教。種族不明。色ではなくとある種族のもじり。

チシャ・ハリー
 助祭。作中数少ない人間の、『普通』のヒロイン。

クロエ・シュテルン
 シルバの幼馴染み。黒。何でもそつなくこなす美少女。

テュポン・クロップ
 マッド錬金術師で、モンブランを造った。ナクリーの子孫。現在牢獄入り。

ノワ・ヘイゼル
 商人。愛くるしいが腹黒。シルバを前パーティーから追い出した張本人。現在牢獄入り。

ロン・タルボルト
 元人狼。龍拳の使い手。現在牢獄入り。

ヴィクター
 人造人間。命名はノワ。創造主はナクリー・クロップ。

カーヴ・ハマー
 墜落殿第五層突破者で元剣奴隷。強い。現在はレグフォルン・ルシタルノに仕えている。


■トゥスケル(知的好奇心の集団)■
キムリック・ウェルズ
 黒眼鏡の商人風青年。無音のニンジュツを使う。

ラグドール・ベイカー
 デュラハンという妖精族。また貴族としてレグフォルン・ルシタルノという名も持つ。レグホーン(黄色)。

フォルト・スコティッシュ
 トゥスケルのトップ。赤毛赤目の森妖精。性別不明。ボルドー(『赤』ワイン)。


■関係者家族■
サファイア・ロックール
 シルバの姉(次女)で、魔王討伐軍補給部隊所属。モーモー。

フィリオ・モース
 リフの父親で、娘を溺愛しているとってもえらいはずの霊獣。

ダンディリオン・ホルスティン
 カナリーの父親で美少年。悪戯好き。

コラン・ハーヴェスタ
 タイランを造った錬金術師。国を追われ、現在逃亡中。


■その他■
ゴドー
 豊穣と医の神。自称魔法使い。現在人の世を放浪中。

クロス・フェリー
 ノワの仲間で半吸血鬼。世界の修正で、この世から消滅した。

リュウ・リッチー
 コラン・ハーヴェスタの元一番弟子。

クレム・ルシタルノ
 魔王討伐軍所属の超越者。ラグドールの妹。クリーム(クリーム色)。現在魔王領で行方不明。

カモネ
 サキュバス四姉妹の長女。おっとりさん。

ノイン
 サキュバス四姉妹の次女。短気で好戦的。

ナイアル
 サキュバス四姉妹の三女。無口で大人しい。

アリエッタ
 サキュバス四姉妹の末っ子。ドジっ子。現在ロメロの子供を妊娠中。

ロメロ
 助祭。アリエッタと付き合っている。


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