──
この件は、前にも述べた。(理由の説明。)
→ 簡易検査はやめよ
詳しい話は上記にある。要するに、簡易検査をすれば、それだけ薬の処方が遅れる。そのせいで、重症化して、死者が出やすくなる。だから、インフルエンザの患者には、簡易検査をするべきではない、ということだ。
そもそも、タミフル・リレンザは、発症後 48時間以内の処方が推奨されている。なのに、簡易検査をして、わざわざ時間を遅らせるのでは、とんでもない。
──
これで話は片付いたと思ったのだが、現状では、簡易検査が延々と続けられている。朝日新聞・投書欄 2009-10-27 にも、困った患者の例があった。
子供に高熱が出て、受診したが、診察拒否みたいな状態になってしまった。というのは、発熱直後では、簡易検査の信頼度が低い。そこで、もっと熱が出てから来い、と追い返された。しかし、翌日は休日で、翌々日も休日だ。(連休だ。)仕方なく連休でも働いている救急病院に行ったが、患者は既往歴があるので、救急医療の対象とはならない。ここでも追い返された。というわけで、三日ぐらい診察を受けられなかった。
この患者は、三日もたったのだから、たぶん、解熱しかかっていて、もはや治療の必要はなくなっているはずだ。ただし、もし重症化している場合だと、手遅れになる危険がある。
つまり、こういう状況が、いまだに延々と続いているわけだ。簡易検査を名分とした治療拒否。(やっている医者はそれが正当な医療だと思い込んでいるが。)
──
そもそも、簡易検査というのは、まったく必要性がない。
・ 発熱直後には、陽性の反応が出ない。(無効)
・ たとえ陰性でも、本当は感染している可能性が、かなりある。
・ A型か否かを判定する必要はない。(B型でも話は同じ。)
・ A型だとしても、季節性インフルエンザ(タミフル耐性)かもしれない。
・ 検査をすることで、余分なコストが大幅に上昇する。
要するに、簡易検査をする意味は、何もない。
・ 検査で陽性ならば → 抗インフルエンザ薬の投与
・ 検査で陰性ならば → 抗インフルエンザ薬の投与
(様子見、は間違い。)
つまり、どっちみち、「抗インフルエンザ薬の投与」である。投与するか否かは、患者の症状によってのみ決まり、簡易検査の結果には左右されない。
したがって、簡易検査をしてもしなくても、結果は同じなのだ。簡易検査をすることには、まったく意味がないのだ。
( ※ ただ一つ意味があるのは、医者が余計な検査をして、診療報酬を稼ぐことだけだ。……これが本音かな。)
──
とにかく、簡易検査には、メリットが何もない。それでいて、「治療が遅れて重症化の危険」というデメリットは、確実にある。だから、簡易検査をするべきではないのだ。
この件は、アメリカではすでに周知されているようだ。NHKの番組のまとめ記事を紹介しよう。
番組では、そのきっかけとなったアメリカの症例が紹介されていました。──
その患者さんは1週間ほど高熱が続いたため病院を受診したけれど、このときの検査では新型インフルエンザは陰性という結果が出たそうです。エックス線では軽い肺炎の症状が見られたものの、命にかかわるものではないと診断されていました。
が、その後急激に肺の機能が低下。エックス線でも肺のほとんどが肺炎の状態になっていたので、再度詳しく検査したところ、肺の奥の組織に新型インフルエンザが発見されたそうです。
このことから、「検査の結果を待っていたのでは手遅れになるケースがある」ということで、対応マニュアルが修正されたそうです。
これは今回の新型インフルエンザに特徴的なことと言えるようです。
通常の季節性インフルエンザでは気管支で増殖して症状が出ることが多いのですが、新型インフルエンザは肺の中まで到達し、そこで増殖するケースがあるため重症化することがあり、その分、診断も難しくなるということのようです。
( → 紹介 )
このことが理解されているので、アメリカではまともになっている。一方、日本ではダメだ……と書こうとしたのだが、実は、日本でも、政府は正しい方針を(一応)示している。9月10日付の事務連絡には、こうある。
簡易迅速検査やPCR検査の実施は必要でなく、つまり、厚労省は、「簡易検査は必要ない」とはっきり明示しているのだ。なのに、一般の病院は、それを無視している。どうなっているのか?
……
医師が抗インフルエンザ薬による治療の開始が必要と認める場合には、治療にあたって簡易迅速検査やPCR検査の実施は必須でないこと。
( → 転載ブログ )
( ※ ただし、上記の事務連絡は「保健所」宛てであり、「一般の病院」向けではない。だから病院が知らなくても不思議ではない。……とするとやはり、厚労省に責任があるのかも。)
実を言うと、厚労省は、「簡易検査をするべし」という方針を前に示したことがある。
→ 豚インフルエンザの診断手順公表/厚労省
しかしこれは、4月の話だ。しかも話題は、「豚インフルエンザの診断手順」である。「豚インフルエンザかどうかを診断する」ための手順であって、最終的には PCR 検査による確認を必要とする。
これはあくまで、豚インフルエンザを確認・調査するための手順だ。以前は「調査」が目的だったから、それでいい。(簡易検査と PCR 検査をしてもいい。)
しかし、「調査」が目的の手順を、「治療」のための手順にまで持ち込んでしまったのが、誤りだ。
また、手順の前半だけをつまみ食いする、というのも、誤りだ。どうせ検査ならば、きちんと PCR 検査まで持ち込むべきだ。(ただしその間、治療をしなくてもいい、ということにはならない。)
──
まとめ。
簡易検査は必要ない。というか、してはならない。簡易検査をするせいで、処置が遅れて、患者が重症化して、命が奪われる可能性がある。ワクチン接種によって救われる命の数よりは、簡易検査によって重症化する命の数の方が多くなりそうだ。
実際、これまで報道された死者の例では、簡易検査をされたせいで治療が遅れたことが、死亡の要因だ、と思える例が多い。(後述。)
医者が間違った診療方針を取っていることが、死者増加の最大の理由だ。政府・マスコミは、この件をきちんと広報するべきだ。
マスコミは、「豚インフルエンザは怖い、怖い」と報道しているが、本当は、怖いのは、豚インフルエンザじゃなくて、医者の無知なのだ。医者の無知(および誤った治療)が人を殺す。
[ 付記1 ]
日本における死者の大半は、簡易検査をしたことで治療が遅れたことが、理由であるようだ。実例としての死亡の例は、次に記してある。(「簡易検査」という語句で検索するとわかる。)
→ 9月以降の死者の死亡経緯
→ 10月の死者の例(21人目)
→ 39度7分でも抗インフルエンザ薬を与えられずに死んだ例
→ 3回も簡易検査をして薬を与えられずに死んだ例
※ 早期に治療しても死んだ例も、もちろん多いが、治療を受けなかった
例も、とにかく多い。本当は、そういうことはあってはならないのだが。
[ 付記2 ]
感染症学会は、緊急提言で、「早期治療が重要」と述べた。
→ 日本感染症学会緊急提言
しかし、ここでは、肝心の言葉が抜けている。
「簡易検査は不要である」
という一文が。……この一文がなくては、提言はまったくの尻抜けだ。いくら早期治療をしたくても、簡易検査をしていたのでは、簡易検査が有効になるまで(つまりウイルスが増殖するまで)治療はできないことになる。だから、正しくは、
「簡易検査をしないですぐさま治療せよ」
ということだった。しかし、感染症学会は、単に「早期治療を」とだけ唱えた。かくて、その言葉は、有名無実と化した。尻抜けの提言。(抜けているのは、尻でなく、間かも。 (^^); )
[ 付記3 ]
厚労省の事務連絡を引用する形で、簡易迅速検査を「必要なし」「必須でない」と書く関係者もいる。
→ 和歌山市感染症情報センター
しかし、「必要なし」でなく、「してはならない」というのが、私の見解だ。関係者も、その旨を周知徹底してもらいたいものだ。
[ 付記4 ]
高熱を発した子供にタミフルの処方を頼んだら、医者に断固拒否された体験談がある。
「そういう決まりなのでだめです。とかく規則をやぶると、あとでいけないことがおこるんですよね〜」
ありもしない規則を盾に、断固、治療拒否する話。なかなか面白い。
→ 体験談
被害を受けたすえの結論は、こうだ。
「みなさんも今後に備えて、プリントアウトしておいたほうがいいですよ」
なるほど。馬鹿な医者から身を守るために、理論武装するわけだ。
→ 厚労省の事務連絡(PDF。 1頁)
昔、「ベンチがアホやから、野球がでけへん」と言った投手がいた。今や患者は、「医者がアホやから……」と思っているのだろう。ともあれ、アホな医者に対抗して、正しい治療法を教えてあげましょう。
[ 補足 ]
「もし患者が(インフルエンザでなく)普通感冒だったら?」
という疑問が湧くかもしれないが、別に問題ない。
( ※ 以下の説明は、細かな話なので、特に読まなくてもよい。)
第1に、もし普通感冒にタミフルが有効であるなら、ちゃんと有効な薬を処方した(治癒効果が出た)のだから、それは正当な医療行為である。(別に目的外使用ということにもならない。検査していない以上、普通感冒かどうか判明していないのだから。)
第2に、もし普通感冒にタミフルが無効であるなら、メリットはないが、デメリットも生じない。つまり、「乱用しすぎたせいで、普通感冒のウイルスがタミフルに耐性をもち、危険化する」という、乱用の弊害は起こらない。なぜなら、もともと薬剤が無効であるのだから、もともとウイルスは薬剤に耐性があるからだ。
第3に、(簡易検査を受けないせいで)誤診があっても、別に問題はない。誤診があるということは、普通感冒をインフルエンザだと誤診したということだが、この場合は、「重い病気を軽い病気だと誤診した」のではなく、「軽い病気を重い病気だと誤診した」ことになるので、有害性はない。普通感冒ならば、特に処置をしないで、そのまま帰宅させるのが普通だ。そのかわりに、タミフルを誤って処方したとしても、特に問題はない。(せいぜい薬の副作用があるぐらいで、生命にかかわるような有害性はない。)
つまり、有効または無効であることはあっても、有害であることはない。ゆえに、普通感冒かもしれない患者に、タミフルを誤って処方しても、特に問題はない。
一方、普通感冒だかインフルエンザだかわからない患者に、簡易検査をすることは、明白な有害性がある。「処置が遅れて重症化させる」という有害性が。それは人の命にかかわる有害性だ。最悪の有害性。
医者が「間違いのない処置をしよう」と心がける結果、処置が遅れて、患者が死んでいく。だから、はっきり言っておこう。「簡易検査をする医者は、ヤブ医者だ」と。
彼らの方針は、こうだ。── 「検査は成功しました、患者は死にました」。
( ※ 本サイトをずっと読んでいる医者ならば、そんな馬鹿なことはしないでしょう。)
※ 以下は、はてなから飛んできた読者向け。
【 追記 】
> そんな馬鹿なことはしないでしょう。
と上で書いたが、さっそく、馬鹿なことを主張する医者が現れた。(出典は Google で)
簡易検査は必要ないのではなく、感度・特異度を理解の上に使うべき、というのが正しい。南堂氏には理解できないだろうが。そういう主張はあってもいいが、それはあくまで厚労省や米国医学界の方針に反する、個人的な独自の見解だ、ということをわきまえるべきだ。
だいたい、批判する相手を、間違えている。批判をするなら、同じこと(簡易検査は必要ないこと)を言っている厚労省や米国医学界に向かって批判するべきだ。「厚労省や米国医学界はトンデモだ」と語ることで、自分自身のトンデモ性を明らかにするといい。
まったく、自分が何を言っているのか、わかっているんですかね? 例によって誤読ばかりしているのか?
( ※ なお、この医者は内科医だという。あなたが患者としてこの医者にかかったら、「簡易検査が必要だ。簡易検査ができるように、ひどく高熱が出るまで待ちなさい」と言われて、処置されることなく、追い返されるだろう。先の投書欄の被害者のように。……だから、あなたが死にたくなければ、この医者にはかからない方がいい。というのは、この医者は遅かれ早かれ、患者を簡易検査によって死なせるからだ。)
【 参考 】
英文へのリンクを示しておこう。米国での公的見解がある。「簡易検査は不必要だ」という趣旨。
→ Testing For H1N1 Influenza Unnecessary
→ What to Expect From H1N1 Swine Flu Testing
→ 他のサイト(検索)
《 オマケ 》
上で米国の公的見解を紹介したのだから、さすがにわかるだろうと思ったが、上記の医者はわからないようだ。いまだに自説は正しいと言い張っている。もしかして、英語が読めないのかな? (^^);
どうしても自説にこだわりたいのであれば、「簡易検査は必要だ」と述べることの根拠を示せばいいのだが、それもできない。また、米国や厚労省を批判すればいいのだが、それもできない。単に個人の悪口を言うだけだ。悪口だけがあって、論拠ゼロ。
ま、論拠も示さずに悪口だけを言う、というのが、トンデモ医者の特徴だから、それも仕方ないのかも。自説を守るために患者を殺すトンデモ医者なんか、相手にするべきではないのかもね。
《 解説 》
実は、上記のトンデモ医者がどうして勘違いしているかは、私は前からわかっている。教科書の誤読だ。一般に、教科書にはこう書いてある。
「検査薬は、感度・特異度を理解の上に使うべきです」
これは、
「使うときには感度・特異度を理解するべきです」
という意味に解釈するのが正しい。ただし、これを、
「検査薬は、使う必要がなくても、感度・特異度を理解の上で使うべきです」
と誤読する人がいる。例のトンデモ医者は、そういう誤読をしているわけだ。「理解するべき」と解釈するべきところを、「使うべき」と誤読しているわけ。かくて「使うべき」というトンデモな結論を出す。
《 一般論 》
なお、一般論で言えば、次のように言える。
「特異度の低い検査薬は、それなりに使い道があるが、感度が著しく低い検査薬は、使い道がない」
インフルエンザで言えば、発症初期には感度が著しく低い。感染していても、陰性になるのが普通だ。このような検査薬は、ほとんど意味がないのだ。
なお、感度が低くても使い道があるという例外は、次の場合だ。
「症状がない場合」
つまり、外から見て感染しているかどうかわからなければ、(いくら感度が低くても)検査薬に頼るしかない。しかし、インフルエンザの場合には、初期のうちからかなりはっきりと症状が出ている。ここでは、「明白な症状があるのに、検査薬は陰性になる」というほど、著しく感度が低い。
症状の方が検査薬よりもよほど明白な識別法となる。感度も特異度も、はるかに上だ。とすれば、症状という明白な識別法を取るべきであり、感度の低い検査薬を取るべきではないのだ。
「感度も特異度もはるかに優れた方法(症状からの判断)よりも、感度の著しく劣る簡易検査の方を取る」
というような医者は、殺人医師といわれても仕方ないのだ。何しろ、その方針ゆえに、患者を死なせるのだから。
( ※ 現在の簡易検査薬は、あまりにも精度が低いので、発症初期ではほとんど「迷信」の域にある。とうてい近代科学のレベルにはなっていない。これは科学の装いをした迷信にすぎない。「ニセ科学」と言ってもいい。こういう「ニセ科学」を信じるような医者は、トンデモ医者と言えるだろう。)
( ※ ついでだが、ヤマカンで判断すれば、的中率は 50%である。しかし簡易検査薬で初期の患者を検査すると、的中率は 30%ぐらいだ。ヤマカンよりも低い。何もわからないよりも、もっと悪い。簡易検査薬は嘘をつく。)
《 余談 》
ついでだが、医者が簡易検査をしてもいい場合が、一つだけある。それは、ヤブ医者の場合だ。ヤブ医者は、患者を診ても、正しく診断できない。患者が高熱を出して、扁桃腺が腫れて、鼻がつまっていて、ゴホゴホと咳をしても、そういう症状から「インフルエンザの疑いが強い」と判断できない。それほど判断力のないヤブ医者であれば、検査薬に頼るしかないだろう。……その意味で、ヤブ医者にとっては、
「簡易検査は必要だ」
というのは正しい。少なくとも、ヤブ医者にとっては。
というわけで、上記のトンデモ医者は、「簡易検査は必要だ」と語ることによって、自分の能力がどのレベルであるかを、告白したことになる。
【 関連項目 】
→ サイト内検索 「簡易検査」
ただし当面、研究者向けの販売のみ。一般向け販売は来春。
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20091027AT1D2707H27102009.html
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20101109
読むのが大変なので、論評はあとですることにして。……
言ってもいないことを「言った」と書くのは勘弁してほしい。
> 医療ミスだ。医者による殺人だ
私は「医療ミスだ」なんて書いていません。
また、「殺人だ」というのは、あくまでも比喩的な表現であることに注意。強調して述べているだけであり、本気で殺人行為だと見なしているわけではありません。当り前だけど。
あえて読者の誤読を招くような形で、誤った引用をしないでほしいものだ。
ただし、「トンデモだ」というふうにヒステリックに書かなかったことは、高く評価できる。まともな話も書くことができるのか、と感心した。
「当たりとハズレで、+10点と -10点 という、同じ点数を与えている」
実際は?
インフルエンザでない人に抗インフルエンザ薬を与えても、損失は軽微である。
インフルエンザである人に、抗インフルエンザ薬を与えない場合、死亡する確率がかなりある。
ここで、死亡した場合、利得はマイナス無限大となる。
したがって、死亡する確率がかなりある場合(虚弱者の場合)には、たとえはずれる可能性が高くても、抗インフルエンザ薬を処方した方がいい。
これが私の結論だ。(虚弱者に特化している。下記を参照。)
http://openblog.meblog.biz/article/3532515.html
NATROM 氏のページには、上記ページへのリンクが欠けているが、このページへのリンクも付けておいてほしいものだ。そこには「対象者は虚弱者だ」とはっきり明示してある。
※ 虚弱者 = 幼児・妊婦・基礎疾患患者。
(インフルエンザで死亡の確率が高い人。)
> 仮に感度が60%
という仮定もあるが、これも妥当ではない。
このように一定の感度が決まるわけではない。
「感染初期には、ウイルスの数が少ないので、感度は著しく低い」(60%よりも大幅に低い。)
ということが知られている。感度を高くするには、様子見をするしかない。
しかし様子見をするということは、ウイルスを増加させるということだから、治療とは正反対だ。
この件も、
http://openblog.meblog.biz/article/3532515.html
述べてある。このページへのリンクもきちんと付けておいてほしいものだ。まとめとなる重要なページは、このページなのだから。
> 「一般論で言えば特異度の低い検査薬は、それなりに使い道があるが、感度が著しく低い検査薬は、使い道がない*14」という主張も誤りである。
これを批判するときに、
「感度が低い検査も有益である」
というふうに反論している。(感度が 60% )
勝手に誤読しないでほしい。私が述べたのは「感度が低い検査」ではなくて、「感度が著しく低い検査」である。感度が 60% ぐらいではなくて、感度が 10% か 20% ぐらいの検査だ。(感染初期の簡易検査がそれに該当する。)
> 流行の把握に有用
それはそうだが、そういうのは揚げ足取りという。
私が論じているのは、「統計のために役立つか」ではなくて、「治療のために役立つか」である。
「統計のために無意味な簡易検査をして、調査をしていたら、治療が遅れて、患者が死んでしまった」
というのでは、本末転倒でしょう。
あえて話の該当しない範囲外の場合を取り上げないでほしい。ただの揚げ足取りだ。
なるほど、もともと健康な大人であれば、どうせ死ぬわけじゃないから、「利得を最大化する」という論法を取ってもいい。
しかし、私が論じたのは、主として虚弱者の場合である。その場合には、目的は「利得を最大化する」ことではなくて、「利得をマイナス無限大にしないこと」つまり「死を避けること」だけだ。
医者にとって最大の目的は、患者の利益を最大化するように期待値を高めることではない。最悪の事態(死)を避けるために全力を尽くすことだ。そして、「死を避ける」という前提が満たされた場合にのみ、「患者の利益を最大化する」という方針が成立する。
NATROM 氏は、理系人間らしく、しきりに数値ばかりをいじっている。しかし、「患者の死を免れるようにする」という医師としての最大目的を見失ってしまっている。治療をコンピュータゲームのような得点稼ぎだと思い込んでいて、生命の大切さをすっかり見失ってしまっている。
やたらと点数や利益を稼ぐことよりも、生命の大切さを常に感じてほしいものだ。
ともあれ、繰り返すが、下記ページを読んでほしいものだ。
http://openblog.meblog.biz/article/3532515.html
> 一般論で言えば「感度・特異度を理解の上に使う」が常に正しい。
理屈で言えばそうだが、そんなことをやっている医者は皆無に等しい。NATROM 氏の今回の話を理解して簡易検査を行なっている医者など、皆無に等しい。
現実にはどうか?
「簡易検査で陰性だから、抗インフルエンザ薬を処方しません」
という医者ばかりだ。
そして、翌日になって重症化したら、
「あ、今度は陽性になりました。それでは抗インフルエンザ薬を処方しましょう」
というふうにするだけだ。
ただし、そのときにも生きている人だけだ。そのときにはすでに重症化して動けなくなり、受診できなくなって、そのまま死んでしまう、という可能性がかなりある。
こういう危険を放置してまで簡易検査にこだわる必要はない、というのが私の見解だ。特別に利口な一部の医者に向かって「簡易検査を使ってはいけない」という趣旨ではない。「簡易検査に頼りきって病気を見逃す無知な医者が大部分なので、そういうことでは困る」という趣旨だ。
話の方向が根本的に狂っている。
馬鹿とハサミは使いよう、と言う。馬鹿みたいな簡易検査や、非常に危険なモルヒネでさえ、利口が使えば、何らかの使い道はある。それは否定できない。
しかし、だからといって、普通の人に対して、「モルヒネは使い方しだいで有益ですから、どんどん使いましょう」ということにはならない。
同様に、簡易検査だって、普通の医者に「どんどん使って役立てましょう」とは言えない。そんなことをすれば、モルヒネの乱用と同じで、簡易検査の乱用が起こり、単に「陰性だ」というだけで治療を受けられないで死んでしまう患者が続出する。(たいていの医者は統計学の専門知識などはない。)
建前論ばかりを論じても仕方ないのだ。
だいたい、話の方向が、完全に狂っている。
・ 私の主張 …… いかにして死者を減らすか
・ NATROM氏 …… いかにして南堂の論理の穴を見つけるか
私の目的は、国民の生命を守ることだ。
NATROM氏 の目的は、誰かを「トンデモだ」とか何とか攻撃することだ。そのために、あえて物事の例外みたいな特別な例を持ち上げて、論理の穴を突つこうとする。しかし、そんなことをすればするほど、話の本筋から逸れてしまうのだ。
「感度というものを一定の数値であると仮定していること」
この仮定が根本的に狂っている。しかも、かなり高い値( 60% )に設定している。ご都合主義に過ぎる。
わざとそういうふうにゴマ化しているのだとしたら論理のペテンだし、本気でそう信じているのだとしたら医学的に無知だということになる。
そこで医学的な真実を示そう。こうだ。
・ 簡易検査の感度は、発症初期にはごく低い。( 10〜20% )
・ 簡易検査の感度が高くなるころには、もはや軽症ではない。
簡易検査の感度は変わる。
発症初期の患者を対象に検査すれば、一部の患者しか陽性にならない。
発症中期の患者を対象に検査すれば、大半の患者が陽性になるが、そのときにはもはや早期治療の時期を脱している。(タミフルやリレンザが明白に有効なのは、発症後 48時間以内である。)
発症の時期によって感度は変わるのだから、感度を一定と見なすべきではない。
では、どうするべきか? このことは、下記に示してある。
http://openblog.meblog.biz/article/3532515.html
つまり、こうだ。
発症の初期の患者に対しては、検査の感度は著しく低いので、検査不要。
発症中期の患者ならば、すでに症状は高いので、検査前確率が十分に高くなっている。(高熱や呼吸器の症状がひどく出ているので、診断が容易。)
ここでは、検査前確率というものを一定の値と見なすこともまた、間違いだとわかる。
──
要するに、感度や検査前確率というものを一定の値と見なす発想そのものが、医学的にはまったく間違っている。
もしかして、NATROM 氏は、医学的知識のない統計学者なのだろうか? 医学的知識があれば、感度や検査前確率というものを一定の値と見なす仮定そのものが間違いだとわかるはずなのだが。
今回の NATROM 氏の話は、数値の話ばかりで、医学的な視点がまるきり欠落している。数字をオモチャにして、数字ごっこををしている。
( ※ 現実から遊離した、統計の練習問題みたいですね。)
「検査なんかに頼らずとも、名医であれば、
この患者には抗インフルエンザ薬を投与すべきである とか
この患者は普通の風邪である
とかをてきぱき判断でき、
それが出来ないダメ医者があふれているので
必要な患者には検査などせずさっさとタミフルを処方することができず、
必要のない患者にまでタミフルを出すので耐性ウイルスができるんじゃないか、(貴ブログ次エントリ)
という風に読めるのですが。。。
そんなに、患者がインフルエンザかどうかを診断するのって簡単じゃないです。
冬の季節に高熱で来た人にタミフルを全部だしていたら、それこそ中外はぼろもうけです。
ただ、貴方の言う「乱用」で処方量の多いわが国で、重症化例や死亡例が他の国より少なかったのも事実ではあります。それがなぜなのか(タミフル以外の要素が考えられるかも含め)は、今後の議論を待つところとも思います。
> 「検査なんかに頼らずとも、名医であれば、
> とかをてきぱき判断でき、
> そんなに、患者がインフルエンザかどうかを診断するのって簡単じゃないです。
そういう感想が来そうだという気はしていましたが、私の趣旨はそうではありません。医師が判断に迷う場合があることは存じています。
それでも、「感度が 10%程度の簡易検査に頼るよりは、医師の判断の方を信頼せよ」という立場です。簡易検査の感度が 60%以上あるのであれば、使う価値はあると思うんですけどね。現実は 10%程度ですから。
それとも、現実の医師は、10%程度の正解率も得られないのですか? それだったら、コインをトスして、裏表で決めればいいでしょう。それだったらせめて 50%の確率で当たりますから。
( ※ もちろん皮肉です。)
> 必要のない患者にまでタミフルを出すので耐性ウイルスができるんじゃないか、
> 冬の季節に高熱で来た人にタミフルを全部だしていたら、それこそ中外はぼろもうけです。
コメントでも述べたとおり、必要のない患者とは、もともと健康な人です。それについては「薬は不要だ」と述べています。下記項目を参照。
http://openblog.meblog.biz/article/3532515.html
> ただ、貴方の言う「乱用」で処方量の多いわが国で、重症化例や死亡例が他の国より少なかったのも事実ではあります。それがなぜなのか(タミフル以外の要素が考えられるかも含め)は、今後の議論を待つところとも思います。
私はこの件についてもどこかで述べたはずです。不要な人に乱用したからじゃなくて、必要な人に処方したからです。特に、妊婦と幼児。
外国では、基礎疾患患者には処方しましたが、妊婦や幼児には処方しない例が多かった。特に米国では、医療保険がないせいで、薬を処方されなかった人がとても多かったし、当然死者も多かった。
そうですね、妊婦とか小児の患者さんの場合もそうですが、まず大体、患者さんが簡易検査を希望していらっしゃることが多いです。
と、いうのも、感染していると他の人にうつるから、ということで
妊婦さんなら、他の子、家族にうつるかもということと、小児であれば、保育園や幼稚園などで簡易検査を求められることが多いからです。
発熱初期では、検査をしても信頼できる結果にならないですよ、とか、検査陰性でも必ずしも感染してないとはいえないですよ、という説明をしても、なかなか受け入れてもらえずです。
「陰性証明書をもらってこい」という話しをされてくるかたもいます。
「とにかく検査を」という感じで、検査陰性でもインフルエンザぽい方にいくら話をしても、気をつけず、結果家族内感染(のち、その陰性の方も高熱になった)となった苦い経験もあります。
当院でも、抗インフルエンザ薬よりも、迅速キットのほうが在庫がやばくなってました。
なので、自分の外来では、小児や妊婦のハイリスク群、あるいは家族や物理的距離が近い人がインフルエンザと診断(キットも陽性)されていた場合などは、相談の上、発熱初期に来た患者さんでも抗インフルエンザ薬を処方していました。他の医師も似たような感じだったと思います。
(ただ、タミフルはいろいろな報道があり、嫌がられるので、吸うのがちょっと難しいけどリレンザを出す例もありました。)
簡易検査乱発をどのように減らすか、患者さんの意識の問題をどうするかということも、必要だと考えています。
あと、余談の余談ですが、この症状からインフルエンザを診断するのは非常に厳しいと思います。
高熱+扁桃腺の腫れ では、溶連菌感染や伝染性単核球症、など(まれには白血病とか)
鼻が詰まっていて 高熱+咳 では
急性(細菌性)副鼻腔炎 の可能性もあります。
全然マネジメントの違う疾患がでてきます。
ここで迷うのを「ヤブ」といわれるのであれば、多分自分もヤブの仲間入りだと思います。
心配なら 抗インフルエンザ薬+別の疾患の薬 とすることもできると思いますが、、、
それこそ「ヤブ」のすることのような気がします。
症状はこのうちの二つではなくて、四つ全部の場合です。二つだけなら、診断は難しいでしょうね。それは存じています。
また、結論は「疑いが強い」であり、断定ではありません。症状だけで断定できたら、それこそ名医( or 迷医)でしょう。
> なので、自分の外来では、〜
いいお医者さんですね。
患者は幸運です。どこかの N 医師にかかって、簡易検査ばかり受けて抗インフルエンザ薬をもらえない、というようなハメにならないで、よかったです。おかげで死なずに済んだ、という例もあるでしょう。
こういういいお医者さんがいるから、日本では死者が少なかったのでしょう。逆に、どこかの N 医師みたいな医者ばかりだと、日本でも死者が大幅に増えたはずです。
「簡易検査は不要である」
という本項の主張は、実は、誇張表現である。物事をわかりやすくするために、過度に強調している。現実には、「簡易検査をした方がいい」という例外的な場面はある。( NATROM 氏の好きな「揚げ足取り」としての「例外」の指摘。)
そのような例外を示そう。
( ※ 物事を白黒でしか考えられない人ならともかく、普通の頭の持主ならば白黒では決まらない例外があるということは誰でもわかるはずだ。文章が「白だ」「黒だ」と表現していても、それが一種の単純化された表現にすぎないことはわかるはずだ。いちいち例外を示す必要はないと思ったが、揚げ足取りをする見本として、例外を示そう。)
「簡易検査は不要である」
という主張に対しては、次の例外がある。
・ 発症初期ではなくて、中期の受診。
・ 症状が風邪の典型的症状ではない。
たとえば、高熱ではない程度の発熱があり、鼻づまりと咳があり、喉(扁桃腺)の症状がない。この患者は、インフルエンザか?
これはちょっと判定しにくい。インフルエンザかもしれないし、副鼻腔炎かもしれない。確率的に言えばインフルエンザである確率が高い(そういう患者が多いから)と言えそうだが、この患者に限っては副鼻腔炎かもしれない。インフルエンザにしては発熱の程度が低いからだ。
そこで念のために、簡易検査で調べたら、「陽性」と判明した。この場合には、「インフルエンザだろう」と推断できる。
一方、「陰性」の場合には、まだ迷うことになるだろう。
それでも、この場合には、簡易検査をしたことの意義があったことになる。 ……(★)
こういう例外を持ち出せば、「医学知識によって南堂の論理の穴を突く」ことができるので、「俺様は頭がいいんだぞ」と鼻高々になることができるだろう。だから、そういう指摘をすれば良かったのだ。
( ※ ただし、そういう指摘は、もともと私の想定内であるが。お釈迦様の手の上の孫悟空みたいなものか。 (^^); )
私の主張は、
「簡易検査は不要である」
ということではない。先にも述べたように、それは誇張表現だ。そう書いてはいるが、それをそのまま受け取るべきではない。
私が言いたいことは、
「感度の低すぎる簡易検査に頼りすぎて、治療を遅らせて、患者を死なせる、ということがあってはならない」
ということだ。それが正確な表現である。ただし、それだと長くなりすぎるから、文章を単純化して、
「簡易検査は不要である」
というふうに書いただけだ。本項全体を読めば、そのことがわかるはずだ。頭の悪い人でなければ、本項全体のなかの単純化された短い一文だけを取り上げる、ということはないはずだ。
NATROM 氏は
「簡易検査は不要である」
という一文を真に受けて、それをしきりに否定しようとしたが、その趣旨そのものが見当はずれである。誇張した表現をいくら否定しても、話の全体がピンボケとなる。
批判するならば、次の一文を批判するべきだった。
「感度の低すぎる簡易検査に頼りすぎて、治療を遅らせて、患者を死なせる、ということがあってはならない」 ……(¶)
これを批判するのならば、本項に対する批判になる。一方、
「簡易検査は不要である」
「簡易検査というのは、まったく必要性がない。」
という一文(誇張表現)を真に受けて、それをしきりに否定しても、
「あんた、何を読んでいるの?」
と呆れることしかできないね。
どうせ批判するのならば、(★)のように批判するべきだった。しかし、(★)のように批判しても、(¶)のことを批判したことにはならないから、話の全体がピンボケとなる。
NATROM 氏の目的は、「患者の命を救うにはどうすればいいか?」ということにはなく、「南堂の論理の穴をどうすれば指摘できるか?」ということにあるのだから、もともと狙いが狂っているのだ。
そして、そのために、「感度や検査前確率を一定だと仮定する」というひどいインチキ論理を構築することになる。目的が歪んでいるから、論理まで歪む。
とすると、発症初期には簡易検査の感度が 10〜20%しかない、ということを理解できないまま、NATROM 氏のように「簡易検査の感度は常に一定で、60%よりも高い」というふうに思い込んでいることになる。とすると、発症初期の患者に検査をして、「陰性だから、感染していない確率が 60%」というふうに推断していることになる。
「この患者は、発熱もしているし、鼻も出るし、喉も少し腫れているが、程度は低いし、検査では陰性だから、たぶんインフルエンザじゃないな」
というふうに判定しているわけだ。感度が著しく低いということを理解できないまま。
困ったことだ。NATROM 氏のような見解が広まれば広まるほど、「発症初期の感度は低い」という事実が隠蔽されて、死者が増えてしまう。
NATROM 氏は今回の主張の誤りを全面的に認めるべきだ。さもないと、死者が多大に出てしまう。虚偽を書くことで人を死なせる医者となる。
それにしても、感染症学会や厚労省などが「簡易検査の感度は低いから信頼するな」という方針を明示しているのに、それを真っ向から否定して、「感度 60%」なんていう虚偽の数値を出すなんて、それこそ ○○○○ であろう。
クイズ。
この冬に NATROM 氏の主張のせいで死ぬ患者数は、どのくらいの数になるでしょうか?
>実際には、検査前確率や利得は大雑把にしか推定できませんので、現場での意思決定も大雑把です。まあでも、「熱が一定以上なら自動的に簡易検査」は、さすがに大雑把過ぎるだろうとは思いますが。私は、十分にインフルエンザっぽくて(検査前確率が高くて)、患者さんがタミフル処方を希望したら、簡易検査なしで処方していました。
と、書かれています。
おそらく外来やっていて一番難しいのは、検査前確率をどのくらいと見積もるか(周囲の感染状況や診察所見などから)ということと、
検査前確率に加えて、治療をした場合の方が患者さんにとってベネフィットが大きいかどうかを見積もることかと思います。
この2つが大きくて、治療介入そのものにものすごい副作用があったり、薬が全然不足している状況があったり、治療そのものが患者さんに負担(入院とか、金銭面とか、痛いとか)でなければ、医者は検査が陰性でも治療をすすめたりするのが結構普通に行われていると思います。
NATROM先生があのグラフで言いたいのは
「検査陰性で、検査後確率が治療閾値より低いのであれば、治療をしない」という硬直した態度ではなく、
「検査が陽性であっても、検査が陰性であっても、結局は患者さんの状況(検査前確率など)がかなり多くを決める。検査はまったく意味がないことも無いが、検査前確率としてグレーの時には意味があることもある」
ということだと思います。
これは主観なのですが
> 「簡易検査というのは、まったく必要性がない。」
という一文(誇張表現)を真に受けて、それをしきりに否定しても、
本文を読むと、誇張ではなく「本気」と思えます。多分、いろんな人が「本気」と思っているので、そこを突かれるのだと思います。
文章がどう読まれるかはなかなか難しいですが。
また、「必要ない」ということは、「してはいけない」「メリットが皆無だ」という意味ではありません。(文字通り。must, may, can などの違い。)
例。
学校のクラスで男女を判定するときに、性染色体の検査をする必要はまったくない。
→ オリンピックなどでは例外的に、性染色体の検査をする必要があることもある。
→ 学校でも性染色体の検査をすることにメリットがあることもある。必要性はないとしても、してもいい。
もうちょっと日本語を正しく理解してもらいたいものです。
──
> 検査はまったく意味がないことも無いが、検査前確率としてグレーの時には意味があることもある」 ということだと思います。
そんなことは当り前のことであって、いちいち偉そうにグラフなどを使って説明する必要はありません。あれで私に説明しているつもりだとしたら、「そんなわかりきったことをいちいち言うな。釈迦に説法」と言いたいですね。自分ばかりが利口だと思い込んでいる。思い上がりも甚だしい。
私が本項で主張したいのは、「正しい理論とは何か」ではありません。「簡易検査を無意味に乱用しているせいで死者が増加している」という状況を改善したい、ということです。理論の正誤ではなくて、誤った情報が広まっている現実を改善することです。(何が正しいかということなら、感染症学会などがちゃんと示しています。)
簡易検査の使い方をろくに知らないで「陰性だから薬を処方しない」という方針を取っている医者がかなり多く見られる。そういう現実があるので、「正しい薬の処方をせよ」というふうに狙っているのが、本項です。論理を述べているのではない。既知の知識に関して、情報伝達を狙っている。
要するに、本項の主張は、感染症学会や厚労省が示した指針と同じです。ただし、感染症学会や厚労省が示した指針は、広く周知していません。Google で「簡易検査」という項目を検索しても、その情報はなかなか見つかりません。
だから、私が「検索すればすぐに見つかる」という形で情報公開しているのです。私が述べたことは、特に私だけの特別な見解ではありません。感染症学会や厚労省やCDCの示した内容と同等です。
ただし、単に情報を公開するだけでは穏健すぎて、注意を喚起しないでしょう。そこで、「患者を死なせるな」とか「必要ない」とかいうふうに、強調して注意を喚起しているのです。……たとえば、次のように。
> 簡易検査は必要ない。というか、してはならない。簡易検査をするせいで、処置が遅れて、患者が重症化して、命が奪われる可能性がある。
ここでは「絶対にしてはならない」という意味ではなく、「通常の場合はしてはならない」という意味であり、「簡易検査に頼りすぎるな」という意味です。
何が正しいかどうかならば、私も、感染症学会や厚労省やCDCも、見解は同じです。ただ、私は耳目を引く形で、強調している。大半の場合について「必要ない」と強調している。
ところがそれを誤読して、
・ あらゆる場合に
・ してはならない
というふうに誤読している人がいる。そして、
・ 例外もあるぞ
・ していいこともあるぞ
というふうに主張している。(そんなことはわかりきったことなのに。)
結局、当り前のことをいちいち指摘することで、元の文章が間違っているかのように歪めて評価している。そうして、正しい主張が間違っているかのように非難する。
つまり、彼のせいで、感染症学会や厚労省やCDCの方針が否定され、「簡易検査は信頼できる」という誤った情報が修正されないままでいる。
せっかく私が「正しい情報の公開・伝達」という目的で努力しているのに、それを見当違いの方向で誤読し、「それは間違いだ。なぜなら例外があるから」というふうに批判している。
結局は、他人を攻撃することしか目的としていないから、誤読のせいで無意味な批判をすることになる。
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/influenza09/0002367412.shtml
新型インフル簡易検査 神戸の2病院原則中止
神戸市立医療センター中央市民病院(同市中央区)と西市民病院(同市長田区)は19日までに、新型インフルエンザの簡易検査について、原則として取りやめることを決めた。
発症後24時間以内や、72時間以降は簡易検査での判定は難しい。しかし、中央市民の24時間体制の救急外来では、患者から強く要望されて検査するケースが増えていた。「勤め先に検査結果の報告が必要」などと訴える人が目立つという。
患者の待ち時間が長くなり、感染拡大の恐れがあるという。
両病院とも入院が必要とみられる患者などには、これまで通り検査する。
──
NATROM 氏は、誤読して私に文句を言うより、誤読して神戸市立医療センター中央市民病院に文句を言えばいいのだ。
──
なお、この記事でもわかるし、foobirds 氏の報告からもわかるが、現状では、簡易検査が乱用されている。まったく不要な状況でも、やたらと乱用されている。
ということは、簡易検査について、正しい情報伝達がなされていない、ということ。神戸の病院が正しい方針を取ったということがニュースになるということは、他の大部分の病院では正しい方針が取られていないことになる。
だからこそ、病院や患者に向けて、「正しい方針とは何か」を示すのが、本項の狙いだ。
とにかく、
「簡易検査は原則、不要だ」
というのは、私の独自の理論じゃない。「その理論には論理の穴があります」というふうに指摘しても、全然見当違いだ。
私の目的は死者を減らすための情報伝達である。NATROM 氏と喧嘩して勝つことではない。NATROM 氏とは、狙っているものが全然違っている。
私は重症な薬の副作用の症例を多数扱っていますが,タミフルでスティーブンス=ジョンソン症候群やTENの報告があります.これらの場合死亡することもあるし,重い後遺症が残ることがあります.すべての薬にこういった副作用がありますので,『デメリットも生じない』なんてことは絶対ありません.処方した医師,患者,家族にとっては利得はマイナス無限大になります.
我々医師は,ビタミン剤を処方するだけでも医師免許を賭けています.処方の適応も,検査の適応もいろいろなファクターを鑑みて決めているので,あなたが極論をワザとおっしゃっているのだとしても,一律な医療処置はできません(クリティカルパスを作ればバリアンスが多発します.).もちろん,感度や有効率などと言う数字も,一定条件でしか意味がないことも,1通でも医学論文を書いたものならわかっているわけです.
さらに,厚労省がどんな通達を出したとしても,最終的な責任は当該医師が負うものです.
あーあ。あなたも NATROM さんと同じで、日本語を読めないんですね。
『デメリットも生じない』というのは、「デメリットは絶対的に皆無である」ということではなく、「ほとんどの場合にはデメリットも生じない」という意味です。もちろん例外は含意されています。「例外が皆無である」「副作用で問題が生じることが皆無である」という意味ではありません。
当り前でしょうが。
いちいち日本語の注記をして、「これについては例外があることもあります。例外はこれこれです」というふうに、本文に百回ぐらい脚注を付けないと、理解できないのでしょうか? つまり、
> すべての薬にこういった副作用があります
というような常識を、1行ごとに示さないと、まともに理解できないのでしょうか?
あなたみたいな人は、「カラスは黒い」という表現を見るたびに、「いや、きわめて例外的にアルビノの白いカラスも存在する」というふうに難癖を付けて、それで自分が利口だと思って得意になるのでしょうね。人々から嫌われるタイプ。
あなたに最も不適切な職業は、客と話をする接客業です。たとえば、患者と会話をする医師業。患者にとっては迷惑なだけ。(あなたみたいな医者はいますよ。患者のいうことをいちいち曲解するタイプ。)
下記ページで「揚げ足取り」という語を検索してみてください。あなたのことが書いてありますよ。
→ http://openblog.meblog.biz/article/1391280.html
> 一律な医療処置はできません
これも同様。誰もそんなことを言っていないんですけど。NATROM 氏も顔負けの誤読をしないでください。私が基本原則を述べたからといって、それを勝手に一律で適用しないでください。当り前でしょ。(いちいち言わないとわからないのかな?)
それに対して医師がなすべきことは、
「副作用が重くなりがちな飲み薬のタミフルよりも、呼吸器だけに作用する吸入薬であるリレンザやイナビルの方が安全性が高い」
と示すことでしょう。つまり、「タミフルよりはリレンザ」ということです。
> 第2に、もし普通感冒にタミフルが無効であるなら、
という箇所で、「タミフル」というのは、タミフルというよりは、抗インフルエンザ薬のことです。読めばわかるとおり。
特にタミフルの副作用を取り上げても仕方ない。指摘するのならば、「タミフルよりもリレンザ」と指摘すればいい。
そして、そのことを強く主張しているのは、私です。Google で「タミフルよりはリレンザ」という用語を検索してみてください。
副作用をなるべく減らそうとしている私を批判するなんて、方向が正反対でしょうが。
副作用を重視するなら、私を批判するかわりに、「タミフルよりはリレンザ」という方針を述べる私の主張を支持してください。
私が「医師の判断に任せよ」と述べたのは、「医師の判断は完全だ(間違いなく診断できる)」という意味ではない。「簡易検査のような精度の低い診断よりは、医師の診断の方が信頼できる」ということだ。
仮に、これが他の検査であれば、検査の必要性は高くなる。たいていの検査は、かなり精度が高いから、当然、検査をした方がいい。
しかしながらインフルエンザの簡易検査は、定性的な方法ではなく、定量的な方法である。ウイルスの数がある程度以上多くないと、「陽性」という結果が出ない。したがって感染直後には感度が著しく低い。
→ http://www.asahi.com/special/09015/TKY200905210164.html
このような状況があるから、「簡易検査を信頼するな」と述べているわけだ。また、発症直後でなくて、発症中期になると、簡易検査の精度は高くなるが、医師の診断の精度も高くなる。その場合も、簡易検査に頼るべきではない。「簡易検査で陽性」ならば信頼してもいいが、「簡易検査で陰性」というのは信頼できない。……それが私の主張だ。
簡易検査が役立つ場合が例外的にある、ということまで否定するわけではない。このことは、先に述べたとおり。
http://twitter.com/#!/tsammy610
──
結局最後の最後の(後者の彼のブログの別エントリーの)コメントを読まなければ,「検査なんかいらない!」というのが「誇張表現」であったなどということは一般の患者さんはわからないのでは…?
──
新型インフルエンザの死亡率を考えると,むしろその記事を読んで「検査なんかいらないからリレンザを出せ!」とかいって帰って行った発熱のみが症状の患者さんが実は重症尿路感染だったとか,胆道感染症だったとか,そっちの方が冷静に考えてみるとよっぼど怖いです…
──
むろん,これで両者の記事の価値を否定するものではありません.…が,いくら正しいことでも表現方法はきちんと考えないと,「誇張表現」を筆者さんが思った以上に「誇張解釈」する医者も患者もいくらでもいます.
──
ネットで何かを表現する人はすべからくそうだと思いますが,自分が何を表現したいかと同じくらい,「記事がどう解釈されるか」「その結果何が起こるか」ということにも責任を負うべきと思います.まあ,マスコミすらその責任を果たせてないので,それを一般ブロガーに求めるのもどうかとは思いますが…
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
以上の話は、言っていることはもっともなのだが、一番肝心の話(要となる点)が抜けている。
それは、本項の冒頭に書いてあることだ。次の一文だ。
> この件は、前にも述べた。(理由の説明。)
> → 簡易検査はやめよ
> 詳しい話は上記にある。
要するに、話の主文は、「簡易検査はやめよ」というページに書いてある。本項(このコメントの書いてあるページ)は、ただの補足ページにすぎない。なのに、補足ページの誇張表現だけを読んで、「誇張表現だけでは誤解されるぞ」と評価しているわけだ。
比喩的に言うと、村上春樹の「ノルウェイの森」の評価を尋ねられて、「 100%恋愛小説」という帯のキャッチフレーズについてのみ評価して、「これは誇張だ」と評価するようなものだ。本文の内容は読まないで、本文を評価するわけだ。
どうも、NATROM 氏や賛同者も、その気配がある。「簡易検査はやめよ」というページをまともに読んでいないようだ。まともに読めば、そこの最後の結論部を読むはずだ。つまり、こうだ。
> なすべきことは、
> 「簡易検査には頼らず、症状だけで判断する」
> ということだ。つまり、医者は、患者がインフルエンザふうの症状(急激な発熱など)であるかどうかを判断する。イエスと判断した時点で、さっさとタミフルやリレンザを投与すればいい。
ここでは、医師の判断だけがある。患者の判断が入り込む余地はない。
したがって、
> 実は重症尿路感染だったとか,
というような議論は関係ない。「実は重症尿路感染だった」というのは、医者がヤブかどうかという問題であり、簡易検査とは何ら関係ない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今回の議論で一番肝心なのは、次の流れだ。
(1) 患者にはどんどん簡易検査をしよう。 (現実)
(2) 簡易検査は原則として不要だ。 (私の主張)
(3) 簡易検査が役立つこともある。 ( NATROM )
今、真実は白でもなく黒でもなく、わずかに灰色っぽい白だと仮定しよう。
ここで、世間では「黒だ」という常識がまかり通っている。
そこで私は「黒じゃない。白だ」と述べる。それでも聞く人がいないので、「まったく白だ」と誇張して、警告を鳴らす。わかっていてあえて誇張表現を取る。(補足的に。)
すると、「完全な白だというのは誤りだ」と難癖を付けて、「白じゃないぞ、白じゃないぞ」と喚き立てて、黒の現状を是認する。そのことで、死者が続出している現状を維持しようとする。……それが N 氏だ。
N 氏の言っていることは、理屈としては成立するが、そんなこと(誇張表現は誇張にすぎないこと)は初めからわかっていることだし、いちいちあげつらう必要はない。まともに論じるならば、誇張した補足ではなく、本文の方を読むべきだ。なのに、本文を読まずに、キャッチフレーズだけで本文を評価する。
やっていることが無益な徒労にすぎない。
上記の人(Twitter)は、次のようにも述べている。
> どうも,「富士山は山だ!」「いいや,富士山は川ではないんだ!」という言い合いをしているように見えたのは私だけ…?
その認識は正しい。
私「富士山は山だ」
N「だったら富士山はどこからどこまでか、範囲を正確に指定せよ。範囲を正確に指定しなければ、そばの川が含まれてしまうぞ。富士山は山だという表現はあまりにも不正確だ。また、富士山には、洞穴もあるし、雪もある。洞穴や雪は、山ではない。このような例外があるのだから、富士山は山だという主張は間違っている!」
日本語の読み方というものを、誰か教えてあげてください。
http://openblog.meblog.biz/article/1783308.html
の最初に出されている症例は、インフルエンザによる脳症や心筋炎を起こして死亡したと考えられています。
インフルエンザが重症化する背景には、インフルエンザに対する生体の免疫反応の異常活性化が原因のひとつとしてあげられています。
生体は異物や外敵に対して免疫系をもって排除しようとします。そのとき、免疫系の細胞同士で連絡をとりあうために「サイトカイン」という物質が放出されますが、これがなにかの原因で過剰になってしまう状態です。
あえてここでブログ主さまに説明する必要もないのですが、細かい間違いを恐れずたとえていうなら、「泥棒1,2人を捕まえるのに、戒厳令を発令し、自衛隊の出動がかかっている」ような状態です。
サイトカインの過剰な状態が免疫系細胞の暴走を引き起こし、生体そのものを傷害します。
脳の細胞を壊せば脳症
心臓の細胞を壊せば 心筋炎
また、血管の細胞を壊して、体中で血栓ができたり、そのことでむやみやたらに血液を固める成分が消費されて、必要なとき血が止まらなくなったりします。(DICと呼ばれる状態です)
このような状況では、まず、そのサイトカイン過剰の状態や、免疫系の細胞の暴走を止めることが必要です。
これにはステロイドや免疫抑制剤(シクロスポリンAなど)の炎症を抑える薬を使います。
ここまでいたると、抗インフルエンザ薬を投与するかどうかは、治療の過程において必須ではないと考えられています。それよりは、炎症を抑える薬を使い、なんとか体を平静の状態に戻すようにすることが先決です。
なので、治療としては間違ってはいないのかな、と思います。
簡易検査はあんまり儲かりません。
http://www.urban.ne.jp/home/kugahosp/2002kit.html
検査キットの値段が大体1200−1300円/回
検査1回の保険点数は160点(=1600円)です。
鼻の奥に綿棒を突っ込んで粘液をとるのですが、結構苦しくて、痛いです。子供は結構泣きますし、大人でも嫌がる人多いです。
しかも、感度特異度ともに、微妙で、確定診断に至らないことも多く、検査をした後の説明(陰性でも感染が完全に否定できないことなど)や、検査の結果がでるまでの10分間を外来で待たせて、再度呼び入れて説明したりの手間を考えると、ほとんど医者側に得はないです。
自分も、出来ればやりたくないです。うちはその手間の人件費を考えると赤に近いので。
簡易検査が多くやられているのは、患者さん側のニーズがあるから、という側面もあると思います。
検査があることで生じる苦悩(陰性だがインフルエンザの疑い濃厚の人に、説明し納得してもらわなくてはいけない、発熱初期は感度が低いことを説明しなくてはいけない)もあり、自分はそんなに好きな検査ではないです。
という話を書き込ませていただきましたが、やはり医師として一番興味があるのは
「目の前にいるこの発熱患者さんに抗インフルエンザ薬を投与したら、重症化→死の危険性をどのくらい減らせるか」
ということだと思います。
誰が重症化して、誰がそうならないのか、それこそがもしわかるのであれば、検査で知りたいところです。でもそのような検査は今のところ無いようです。
目の前の患者さんの、どの方が「普通のインフルエンザ=高熱でたり節々痛くなったりするが、大体数日でおさまる」で、
どの方が「重症化=脳症、心筋炎を起こしたり、続発する肺炎をおこしたり」
するのか。これはまだ全部が明らかになっていません。
重症化の高リスク群として、WHOやCDCが小児や妊婦、高齢者などを挙げていますが、これにあがってこない、基本的には健康と思われる成人からも、重症化→死亡例 があります。
厚生労働省のHP
http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/houdou/index.html
をみると、新型インフルエンザの死亡例の報道発表資料がみれます。タミフルを結構早期に投与されている例もあります
http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/houdou/2010/02/dl/infuh0224-02.pdf
なので、タミフル(その他の抗インフルエンザ薬)を早期に投与すれば、重症化が防げるかどうかはまだ結論がでないところと思います。
http://openblog.meblog.biz/article/1596921.html
──
検査も何もしないでちっとも儲からない町医者の話は、漫画の「ブラックジャックによろしく」という話にあります。下記ページで漫画を無料で読めます。(著者による無料公開。)
http://mangaonweb.com/creatorOnlineComicTop.do?cn=1
──
重症者については、次のページ。
「重症者にはペラミビルを」
http://openblog.meblog.biz/article/1759254.html
http://openblog.meblog.biz/article/1872112.html
誰が重症化するかを知る必要はない。また、知ることができるとも思えない。(遺伝子検査はずっと将来の話。)
現時点で重要なのは、重症化した人について、死を避けることです。それだけ。そのための第1選択薬はペラミビルです。(すでにタミフルやリレンザを使って無効の場合。)
可能であれば、ファビピラビルを治験扱いで使いたい。
ファビピラビル …… 鳥インフルに有効
鳥インフル …… サイトカイン・ストームを起こしやすく、致死性が高い。
──
インフルエンザで何か気になることがあったら、ぐぐればいいし、あるいは、本サイトでサイト内検索してもいい。あるいは、「医学 ・統計」カテゴリの目次に目を通してもいい。
簡易検査が原則として不要だという説明は、定型的ですから、同じことを何十回も説明する必要はありません。
待合室にポスターの形で掲示しておきましょう。また、パンフレットを用意して、読んでもらうようにしましょう。さらに、要旨のみをチラシにして、各人に渡して読んでもらうようにしましょう。(待っている間に。)
できれば、リレンザやイナビルの吸引方法のビデオなどもやるといいですね。
医者はもっと IT機器を上手に使うべきだ、という気がします。やっていることがすごく原始的すぎる。
>サイトカイン・ストームを起こさない薬を使えばいい
サイトカインストームがなぜ起こるかはいまだ解明されていませんが、薬が起こす場合は、それこそTENはスティーブンス・ジョンソン症候群などに近い状態かと。
リウマチの薬に確かに近いですが、シクロスポリンAは腎機能障害などがでること、あと大量ステロイド(ステロイド・パルス療法)もありますが、サイトカインを強力に抑制する薬=免疫抑制剤はその名のとおり免疫を抑制するので、他の病原体の感染を招きやすくなります。
抗ヒスタミン薬は比較的無害ですが、ほぼ無効です。
自分は一例、慢性活動性EBウイルス感染の方の急性増悪でサイトカインストーム状態を経験しましたが、抗ヒスタミン薬の投与など考えられないくらいあっという間に状態が悪くなりました。
シクロスポリンA(商品名サンディミュン)の投与も考えましたが、高齢で投与できず。ステロイドパルスでなんとか救命し得ました。
人工呼吸器管理中に真菌感染を併発(免疫を抑制したため)し、何日もとまりこみましたが、その場はなんとか救命できたというような症例です。
ペラミビル=ラピアクタは、点滴で投与できるところがメリットです。
大体重症化した人は、人工呼吸器につながっていたりして、口から薬を飲んだり、吸入したりが出来なくなっています。
そんな人でも、ペラミビルの点滴なら投与できます。
ペラミビル=重症にも効く では必ずしもなく、インフルエンザの重症例で、ペラミビルを投与するのは、 口から人工呼吸器の管などが入っていて、タミフル・リレンザを投与するのが無理な方が中心です。
薬害という意味ではないのですが、そう読まれてしまいやすいですね。表現がまずいので、訂正しておきます。正しくは、
> サイトカイン・ストームを止める薬を使えばいい
です。
これを金儲けでやっているというところだけでも、訂正してほしいです。
実際儲からないです。
医者は金儲けで検査をやってるわけではありません。
そういう性格のある検査があるのかもしれませんが、インフルエンザの迅速キットは、儲からないのです。原価設定がそうなっています。
大量仕入れで安く買い叩くのも無理です。
いまはどこでも足りないので、それを安く売る人はいません。
ここだけは、前提が間違っています。
下記で注釈の形で修正しておきました。文中にも脚注が付いています。
http://openblog.meblog.biz/article/3532515.html#ano
南堂氏の主張を馬鹿にも分かる形で教えてください。具体的にこんな条件で、患者が目の前に1人いるとします。
●健康な若い成人が、発熱・関節痛・咳を主訴に、外来にやってきた。
●医師が、簡易検査以外のあらゆる情報(症状、診察、病歴、周囲の流行状況等)を総合的に勘案し、50%の確率でインフルエンザだろう、と思っている(事前確率)。後やれるのは簡易検査だけ。
●発症数時間しか経過していないため、インフルエンザ簡易検査の感度は所詮20%だろう、と思っている。
●インフルエンザ簡易検査の特異度は95%である。
(A)もし簡易検査をして「陽性」と出た場合、この患者が実際にインフルエンザである事後確率は幾らですか? (単なる計算問題ですが念のため)
(B)もし簡易検査をして「陰性」と出た場合、この患者が実際にインフルエンザである事後確率は幾らですか? (同上)
(C)この状況で諸々の事情を勘案し、抗ウイルス薬の処方方針は「検査せずに処方する」「検査せず処方しない」「検査の結果を見てそれに従う」のいずれにすべきですか? 患者の希望等は考慮せずに決めて良いです。理由もお願いします。
(D)この患者が来院したのが発症40時間経過後で、簡易検査で感度は70%あるだろうと思える状況で、他は(C)と同じ条件なら、方針は上記3つのうちどれですか? 理由もお願いします。
(E)この患者の症状がインフルエンザらしくなく、インフルエンザの可能性は3%だと思える状況で、他は(C)と同じ条件なら、方針はどうですか? 理由もお願いします。
http://openblog.meblog.biz/article/3532515.html
「もともと健康な大人であれば、抗インフルエンザ薬を服用する必要はない。むしろ、服用しない方が好ましい。(本人にとってではなく、社会的に。ウイルスに薬剤耐性が付くと困るから。)」
事前確率 50%のときには、インフルエンザよりも、他の病気の方を疑ってください。そちらのチェックの方が重要です。
> (A)もし簡易検査をして「陽性」と出た場合、この患者が実際にインフルエンザである事後確率は幾らですか? (単なる計算問題ですが念のため)
実際にインフルエンザである事後確率は、知る必要はありません。健康な若い成人ならば、何も処方しなければいい。「自宅で寝ていなさい」と語るだけ。
> (B)もし簡易検査をして「陰性」と出た場合、この患者が実際にインフルエンザである事後確率は幾らですか? (同上)
同じ。
> (C)この状況で諸々の事情を勘案し、抗ウイルス薬の処方方針は「検査せずに処方する」「検査せず処方しない」「検査の結果を見てそれに従う」のいずれにすべきですか? 患者の希望等は考慮せずに決めて良いです。理由もお願いします。
「検査せず処方しない」
(D)この患者が来院したのが発症40時間経過後で、簡易検査で感度は70%あるだろうと思える状況で、他は(C)と同じ条件なら、方針は上記3つのうちどれですか? 理由もお願いします。
「検査せず処方しない」
(E)この患者の症状がインフルエンザらしくなく、インフルエンザの可能性は3%だと思える状況で、他は(C)と同じ条件なら、方針はどうですか? 理由もお願いします。
他の病気の可能性について徹底的に調べる。
──
ところで、以上のことは、医療ですよ。本当は、正解ではありません。
正解は
「医師ではない南堂の見解なんかは聞かないで、医師の見解を聞く」
です。
何度も言ったように、私の主張は「医師の判断で」です。「南堂の判断で」ではありません。私が医療をしたら、医師法違反です。
私は「こうするべき」というふうに思想を公言することはありますが、それに実際に従うかどうかは、あくまで医師の決定権によります。私が述べるのは一般論だけです。個別の場合については医師に従ってください。
──
なお、そちらの意図は、
「判断を迷う場合を提出して、どうしたらいいかを、私に尋ねる」
ということでしょう。それだったら、次の例があります。
「患者が妊婦で、インフルエンザの可能性が 20%で、もしインフルエンザだった重症化して死ぬ可能性がいくらかある。発症後 10時間後で、感度は 40%ぐらいだ。ここで、頼れるものは簡易検査しかない」
これだと迷うでしょうねえ。しかし、このような場合については、先に論じたとおりにすればいい。
・ 例外に当てはまると見なして、簡易検査を実施する。
・ 簡易検査で陽性ならば、それを信じる。
・ 簡易検査で陰性ならば、それを信じない。
陰性だったら、どうするか? 私のお勧めは、一応、こうかな。(自信なし。)
・ 薬剤がタミフルならば、処方しない。
・ 薬剤がリレンザまたはイナビルならば、処方する。
理由は下記。
「タミフルよりはリレンザ」
http://openblog.meblog.biz/article/1571127.html
ただしこれが最適解だとは限りません。グレー状態のときには、どの処置を取っても、それは医師の裁量権に任されるでしょう。うまく当たらなかったからといって、「医療ミスだ」と批判するには当たりません。医療というものは常に唯一の正解が決まっているわけではありませんから。
ま、一番賢明な策は、「他の病気である可能性を調べる」でしょう。可能性が 20% なら、他の病気である可能性が高い。そこで、たとえば、副鼻腔炎である可能性を調べる。そこで「副鼻腔炎だ」と判明すれば、インフルエンザである可能性は大幅に低下する。
こういう発想の方が名医だと思いますけどね。とはいえ、それは、医療の問題だ。私に聞くのは、お門違いです。
(A)(B)については、南堂さんは理系で統計が得意だということですから、是非具体的な数字でお答え願えませんか。「健康な若い成人」だと計算のやる気が出ないということなら、「喘息持ちの妊婦」等、検査したくなるような状況に患者背景は変えても良いですから。
あと(C)や(D)や(E)や妊婦の例において、本文記事で非常に強調されている「どっちみち、抗インフルエンザ薬の投与である」の例が1個も出てこなかったのに驚きました。本文の主張が「実は誇張表現である」としても、これだけ該当例が少ないようでは流石に誇張し過ぎだろうと言いたくなるのですが、その辺どうお考えなのでしょう。
ベイズ検定をテーマに論じているのは、私ではなく、NATROM さんです。質問するなら、NATROM さんに質問してください。
NATROM さんのテーマにどうして私が答える必要があるのか? 私は NATROM さんの記事の解説担当者じゃありません。
> 是非具体的な数字でお答え願えませんか。
まったく無縁な他人に、まったく無関係のテーマで質問する、という厚顔無恥は、どこから来るのでしょうか?
比喩的に言えば、あなたのところに、あなたの専門外の患者が来て、関係のない病気について、「是非無料で治療してくれ」と要求するようなものです。
もうちょっと常識を働かせてください。
> これだけ該当例が少ないようでは
場合分けで、該当しない場合ばかりを恣意的にピックアップしたからです。
現実には、受診者のうち、「発症直後で、症状を見てもインフルエンザだ」という患者が大多数でしょう。「私はインフルエンザだ」と思って新規に受診した患者の大半がインフルエンザであるはずです。そのような場合は、場合分けでは1つの場合に過ぎませんが、事例数では大半を占めるはずです。
>流石に誇張し過ぎだろうと言いたくなるのですが、
場合の数と事例数(標本数)の区別を付けてください。
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標本数(患者数)で言うなら、簡易検査をした方がいいと言えるのは、
・ 妊婦または幼児
・ 発症後、十数時間以上の時間がたっている
・ インフルエンザの症状とは言い切れない
というすべての条件を満たす人です。そのような人は数%(1桁)であり、他の90%以上は「簡易検査は不要」です。したがって主張は原則論として成立します。特に誇張というほどではなくて、当り前の表現(例外があるだけ)です。
「誇張した」というのもちょっと誇張気味で、「まったく不要だ」というふうに「強調した」程度です。ここでは程度について強調しています。場合分けについては誇張していません。例外が含意されているのをいちいち明言しなかっただけです。
あと、健康な成人に薬を処方するか否かは、議論の余地があります。私は公衆衛生的な立場から「処方するべきでない」と考えますが、「処方するべきだ」という医学的な立場があることも認識しています。公衆衛生と医学とは方針が異なります。公衆衛生は国全体の患者を減らすことが目的であり、医学は目前の一人を救うことが目的です。
インフルエンザの疑いのある健康な成人に薬を処方することは、「医学的に間違い」ではありません。「するべきではない」と私は思いますが。
私が質問した(A)(B)は、『感度や特異度といった数値を用いて特定の検査の要・不要を判定する』という、この記事の趣旨を語る上でダイレクトに必要な要素であり、かつ計算できないと医学部進級も医師国家試験合格もできない程の初歩的知識、のはずです。
南堂さんは意外にもこれを、この記事に「まったく無関係なテーマ」と仰いましたが、その真意が分かりません。
・(A)(B)の計算は必要だし計算もできるしその意味も良く知っているが、厚顔無恥な他人に問われたから答えたくなくて「無関係」と言った
・実は南堂さんは(A)(B)を計算できず、それが意味するところも知らないから、本当に無関係だと思ってしまった
・(A)(B)の計算は出来るし意味も知っているが、やはりそれでもこの記事の趣旨と無関係で不要な知識だから、無関係だと言った
のいずれかだと思っているのですが、どうでしょう。私はこの記事の趣旨と(A)(B)は当然に関係する重要知識と思っていますから、3番目のお答えの場合には、「無関係である」とする理由を伺いたいです。
---
また後半の話題でもちょっと続けさせてください。
(*再掲)健康な若い成人が外来にやってきた。医師が、簡易検査以外のあらゆる情報(症状、診察、病歴、周囲の流行状況等)を総合的に勘案し、☆%の確率でインフルエンザだろう、と思っている。後やれるのは簡易検査だけ。発症数時間しか経過していないため、インフルエンザ簡易検査の感度は所詮20%だろう、と思っている。インフルエンザ簡易検査の特異度は95%である。
この条件で、☆の部分が「50%」なら、検査もせず処方もしない、と、南堂さんはお答えいただきましたね。また、☆の部分が十分高ければ「検査せず処方する」になるし、むしろ実際の現場ではほとんど全員が「検査せず処方する」に入るのですね。ここまでで読み間違いがあれば指摘して下さい。
(F) 南堂さんにとって、「検査せず、処方しない」から「検査せず、処方する」に移行するのは、☆の部分が何パーセントの所からですか?
(G) 「検査せず、処方しない」と「検査せず、処方する」以外に、☆の値によっては「検査してそれに従う」という方針をとる場合がありますか?
ですよ。
> 3番目のお答えの場合には、「無関係である」とする理由を伺いたいです。
本文を読めばわかるでしょう。正確な数値は必要ないんです。正確な数値は、必要なときには医師が判断すればいいだけ。医師の判断の問題にはなるが、本項の趣旨とは関係ない。個別の処置は本項とは関係ない。「医師の判断に任せるべき」とは書いたが、「医師はこう判断するべき」とは書いていない。
「医師はこう判断するべき」というテーマは NATROM さんのテーマです。私のテーマではない。そこを勘違いするな、と何遍言ったらわかるの?
> ☆の部分が十分高ければ「検査せず処方する」になる
完全に正反対に誤読していますね。私の返事を読めないのか? ちゃんと読み直してください。あなたは人の返事を頭のなかで勝手に脳内変換していますよ。私が「白」と書くとそれを勝手に「黒」と読み替えている。
あなたのコメントは、以後、お断り。文盲は相手にしません。
──
だいたい、あなたの目的は、ただの揚げ足取りとイヤミだけでしょう。医学的な治療なんて、何の関心もないのでしょう。はっきり認めたらどうです?
NATROM さんの言うベイズ検定は、話としては面白いが、こんなベイズ検定を使って患者の治療する医者なんか、ほとんどいないでしょう。
あなたはどうなんです? いちいち計算して判定しますか? 違うでしょう。数値なんか使わないで、おおざっぱに「こうらしいな」という判断をしているだけでしょう。そして、それが正しい。
「事前確率」というのは、どんな数値を出しても、正確な根拠などはない。「事前確率 30%」というのは、「100回のうちの 30回」という意味ではなくて、「気持ちが 30%程度」という心理を表すものにすぎない。20%だって 40%だって、どっちだっていいんです。それは数学的な確率ではない。だから数値による計算なんか、ろくに意味はないのです。
馬鹿げた数字ごっこが役立つのは、患者の医療のためではなくて、他人の揚げ足取りをするときだけです。そのことをはっきり認めたらどうです?
下らない揚げ足取りに熱中するより、患者の命を救おうという気持ちはもてないのですか? 私だったら、病気になっても、あなたにだけは診てもらいたくない。あなたみたいな性格をしていると、患者がどんどん減りますよ。自分は患者をよく見ているつもりなのだろうが、患者だってあなたをよく見ています。あなたがどういう人間かは、ちゃんとわかります。患者を馬鹿にしない方がいいですよ。
あなたが本当に医学的な興味から数値を知りたいのであれば、このことをテーマにした NATROM さんに訊けばいい。そうしないことからも、本心が見え見えなんですよ。
あなたの人生の目的は、人を救うことではなく、人を傷つけることです。あなたに向いていない職業は医師であり、あなたに向いている職業は死刑執行人です。職業を間違えましたね。さっさと転職しましょう。その方が世の中のためになる。
なお、より詳しい話は、下記で。あなたのことが書いてあります。
→ http://openblog.meblog.biz/article/105967.html
──
南堂氏は面白いな。
×(1) 患者にはどんどん簡易検査をしよう。(現実)→
○「いわゆる迅速診断キットの性能は病原診断として完璧なものではないという認識を持って使用すべきものである」
http://twitter.com/#!/NATROM/status/2320073326858240
──
現実と理論(基準)との区別ができていないようだ。理論(基準)があれば、それを現実だと思い込んでしまっている。「簡易検査のせいで人が死ぬ」という現実が起こっていることを認識できない。ひどいものだ。
現実はこれだ。
> 9日に死亡した1人は10月28日の簡易検査で陽性となったが、7日の検査で陰性となったため、インフルエンザの治療をやめたという。
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/11/20101111t43020.htm
去年も同じことが起こったことを、本項で指摘している。そしてそれと同じことが、今年も起こった。
なのに、そういう現実を理解できず、建前と現実とを混同してしまっている。
記事中には、次の文句もある。
> 感染症に詳しい秋田大病院の茆原順一院長は「入院患者や高齢者が多い病院は感染症が広まりやすい。簡易検査では感染当初と治りつつある時期に陰性と出やすい」と指摘。「問題は、鷹巣病院が最初の感染者が出た時点でどういう対応を取ったのか。対応が難しければ、専門家がいるほかの病院に協力を要請してもよかった」と話した。
私を批判する NATROM 氏に忠告しておこう。私の言っていることが理解できないようなら、あなたのところに患者が来たとき、専門家がいるほかの病院に協力を要請するべきだ。上記の記事に書いてあることとが、そっくり当てはまる。
ついでに、感染症に詳しい秋田大病院の茆原順一院長にも、文句を言ったらどうですか? 同じことを言っている人は他にもいる。感染症学会もそうだし、厚労省もそうだ。私ばかりに文句を言う必要はない。
【 注記 】
あとで思い直したが、これはまたもや NATROM 氏の誤読かもしれない。
「患者にはどんどん簡易検査をしよう。(現実)」
というのは、現実の傾向を述べたものだ。たとえば、神戸の病院では、簡易検査キットが不足するほど大量に使用したと述べている。秋田の病院もそうだろう。そういう現実を述べている。
ところが、これを現実ではなくて、現実の標語だと解釈しているのかもしれない。「患者にはどんどん簡易検査をしよう」という標語がある、というふうに。
なるほど。そういうふうに「ありえないものがあると勘違いする」というのは、NATROM 氏のいつもの誤読だから、またもやそういう誤読をしているのかもしれない。あえて曲解するのが好きな人ですからね。
──
ま。それはさておき。
「陰性となったため、インフルエンザの治療をやめた」というせいで患者が死んでしまった、という例が頻出するのが現実だ。去年もそれで多くの死者が出た。今年も、ごく小さなサンプル数なのに、早くも同様にして死者が出た。
こういう現実に警鐘を鳴らすのが私だ。
その私を批判することで、NATROM 氏は得意になっているようだが、どのくらい死者が出れば、彼は現実を認識するのか?
「簡易検査で陰性だから治療をやめた」ということの死者が十人出れば、私の警告がわかりますか? それとも、千人死んでも、わかりませんか?
人の揚げ足取りをするのが目的であって、人の命を救おうという意識はこれっぽっちもない、……という人が上にいたが、それと同じなのかもしれない。
人の命を救おうとしている私とは、正反対だ。
基礎医学の研究者や厚労省の役人と話をするときもそうですが,最後は「医師の判断に任せよ」と逃げられてしまうので,気楽でいいなと思ってしまうわけです.我々は「医師の判断」で簡易検査を行ったり,タミフルとリレンザの選択をしているのです.
>私が言いたいことは、
> 「感度の低すぎる簡易検査に頼りすぎて、治療を遅らせて、患者を死なせる、ということがあってはならない」
> ということだ。それが正確な表現である。ただし、それだと長くなりすぎるから、文章を単純化して、
> 「簡易検査は不要である」
> というふうに書いただけだ。
いくぶん論調が変わっているように感じます.私の頭が悪いのかもしれませんが.たた,患者さんはしばしば「揚げ足取り」をするので,「簡易検査はやめよ」なんて表現はとてもじゃないけどできません.
管理人様も重々承知とは思いますが,典型的な症例は全体の95%かもしれないし,たった5%かもしれません.それが確定できないので,リサーチをしたりこういったディスカッションをして精度を上げるわけです.「揚げ足取り」は患者を簡易検査で殺さないようにする為には重要なのです.
> あなたみたいな人は、「カラスは黒い」という表現を見るたびに、「いや、きわめて例外的にアルビノの白いカラスも存在する」というふうに難癖を付けて、それで自分が利口だと思って得意になるのでしょうね。人々から嫌われるタイプ。
> あなたに最も不適切な職業は、客と話をする接客業です。たとえば、患者と会話をする医師業。患者にとっては迷惑なだけ。
患者さんに好かれることが必要な医師のポジションもありますが,幸い私の職務は嫌われることも必要なものなので,ご心配なく.
今のところリレンザでのスティーブンス=ジョンソン症候群やTENの国内報告はないようですが,単に使用例が少ないからかもしれませんので,万が一投与を受ける場合はご注意ください.もちろん,後遺症が残っても不可抗力なのは十分ご理解いただいているはずなので,訴えたりしないでしょうが.
変わってきているといえば変わってきています。1年前には核心だけを述べて、その後、何度か補充情報を述べて、誇張したり、だんだん詳しくしたり、いろいろ別のことも述べてきています。何度も書くのは、そのたびに別の情報を加えるからです。同じことの繰り返しならば、新しい項目を書くことはありません。
また、論調がいくらか変わるとしても、別にどうってことはないでしょう。少し修正するぐらいのことはあります。
他人と喧嘩して勝つことが私の目的ではなくて、世間に情報提供することが目的なのですから、新しい情報を得て、論調が変わることはあります。
ある言説に5%の難点があったとしましょう。その難点を指摘して、言説全体を修正し、正確度を 95%から 100%に近づけようとするのであれば、その指摘は有益です。社会全体が知識を増すことになるからです。
一方、間違った言説が流布しているときに、それを正す説の5%の難点を指摘することで、言説全体を否定すれば、間違った説が流布し続けることになり、社会全体の知識は減ってしまいます。
「5%の難点があるから、トンデモだ! ゆえに、残りの 95%も間違っている!」と
いうような攻撃は、社会の知識を歪め、有害なだけです。
5%の難点を指摘するのであれば、その前に、95%の正しい点を是認する必要があります。それもできず、全否定で攻撃するようでは、死者が増えるのを助長するだけです。
たとえば、秋田の病院では、次の弁明が考えられます。
「ネットで簡易検査について ぐぐったら、Openブログのページがトップに来た。その情報を読んで、簡易検査の信頼性は低い、とわかった。しかし、Twitter を見たら、NATROM という専門家と他の専門家が、Openブログはトンデモだと攻撃していた。ゆえに、簡易検査の信頼性は低い、という説は間違いだとわかった。だから、簡易検査で陰性になったとき、治療をやめたのだ。私は医療専門家の NATROM 氏の言葉に従ったのだ。患者を死なせたとしても、私は間違っていない。治療をやめて患者を死なせた私は正しい」
ありえますね。今回はともかく、将来的には、そういう可能性はあります。
→ http://openblog.meblog.biz/article/3558755.html
「簡易検査で死者が続々と」
──
> 1ビット思考ですね。「症状のある人」と「症状のない人」しかいないと思っているようです。さまざまなリスクの程度、さまざまな検査前確率の患者さんがいることを思えば、簡易検査が有用である範囲があることが理解できるはずです。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20101109
──
あのね。今は「黒か白か」という基本の話をしているんです。「黒じゃない、白だ」というふうに主張している。そこでは「中間のグレー状態がある」ということは論じていないが、そんな細かなことは話の大枠とは関係ないからだ。
まずは「白だ」という情報を広めるのが大事であり、「例外的にグレーもあるぞ」というような話をする段階じゃないのだ。「簡易検査の基本的な使い方を理解しましょう」(発症初期には無意味です)という基本を教えるべきだ、と述べているときに、「高級な使い方もありますよ」と述べるのは、反論にはなっていない。
なのに、「グレーの状態について記述していないから、トンデモだ。ゆえに、白だと述べている主張は全部間違いだ」
というふうに1ビットの判断しかできないのは、誰でしょう?
「白だという説はおおむね正しいが、部分的には該当しない例外もある」
というふうに正確に(修正・補足して)表現することができず、「全部間違いだ」としか表現できないのは、頭が1ビットになりすぎている。
自分自身の主張が自己矛盾しているんですよ。応用編・補足編のつもりならばまだわかるが、反論として書いているのが狂っている。自分で何を書いて何を批判しているのか、わかっていないのだろう。
現状:高齢者の場合、アクセルとブレーキを踏み間違えて、異常発進をすることの死者が多い。
私:「アクセルとブレーキの使い方を正しく覚えましょう。アクセルはゴー、ブレーキはストップ。きちんと区別して、間違えないようにしましょう」
N「高度なテクニックで、ヒール・アンド・トゥという中間的な方法もある。そういうことも知らないのか。ゴーとストップしか述べないのは、頭が1ビットしかない阿呆だよ。グレーに当たるヒール・アンド・トゥも知らない素人は、トンデモだ!」
こうして、彼は高齢者にヒール・アンド・トゥを教えて、高齢者を混乱させ、かえって事故による死者を多発させてしまう。死者が増えようが減ろうが、関係ないのだ。他人の粗探しをすることだけが生きがいなのだから。
そこで、わからないひとのために、説明しておこう。
ベイズ検定については、NATROM 氏がうまく説明していると思っている人が多いようだが、ホメオパシーのスズメバチの場合と同様で、先に紹介したのは私である。次のように書いている。
──
[ 付記1 ]
一般論で言おう。
病気の簡易検出の「スクリーニング」というのは、「感染」を見逃さないことが大事なのであって、「非感染」を「感染」と誤認識すること(偽陽性)は差し支えない。なのに、簡易検査を使う医者たちは、そのことを理解できないようだ。
簡易検査で感染を見逃すことが3〜6割もあるということは、もはやそれは検査の体をなしていないのだ。
なお、スクリーニングについては、数学的(統計的)に、興味深い研究がある。下記を参照。
→ wikipedia ベイズ推定 「臨床検査における偽陽性」
[ 付記2 ]
もう少しわかりやすく言おう。
「偽陽性はあっても(陰性を陽性と誤認することはあっても)、陽性を見逃すことは(ほとんど)ない」
というのが、一次検査の条件だ。しかるに、現状の簡易検査は、その条件を満たしていない。つまり、簡易検査は、検査になっていないのだ。それは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」みたいなものである。そして、その信頼度は、「症状を見た医者による判断」よりも、はるかに劣る。
とすれば、そんな「検査にならない検査」など、やるだけ無駄なのである。
http://openblog.meblog.biz/article/1783308.html
──
これを読めばわかるように、簡易検査は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という五分五分(つまり無意味)であることよりも、信頼度がずっと低い。(感染初期には感度がとても低い。)
にもかかわらず、NATROM 氏の項目では、感度が 60%に仮定されている。
つまり、私の主張は、
「感度が低いから → 無効である」
なのに、NATROM 氏の項目では、
「感度が高いとすれば → 有効である」
というふうに論理をすり替えている。
それでも、次のことは成立する。
「感度が低いとしても、特異度が高ければ、陽性だと出た場合に限っては、検査を信頼できる」
このような使い方をするのであれば、間違った使い方をしていることにはならない。仮に彼が「そのような使い方もありますよ」と指摘するのであれば、彼の指摘は有益であった。(私が言及していなかったことを指摘したから。)
しかしながら彼の指摘は、そうではなかった。「南堂の主張は全面的に間違いだ。その理由は彼が専門家ではなく素人だから」というものであった。比喩的に言えば、「相対性理論は間違っている。アインシュタインは大学の専門家ではなく特許局の役人(素人)にすぎないから」と(当時の人が)述べるのと同様だ。
ともあれ、「簡易検査の使い方をろくに知らず、誤った使い方をしているせいで、死者が出る」という私の指摘に対して、NATROM 氏はそれを全否定することによって、誤った情報を世間に垂れ流していることになる。
私以外の医師もおそらく同じことを思っているのだと考えていますが,「簡易検査はやめよ」が間違っているといっているわけです.
管理人様が挙げられた症例は簡易検査の解釈やその後の処置が適切ではなかった可能性はありますが,それはそこの医者が悪いのであって簡易検査が悪いわけではありません.ここのブログがどれだけ影響力があるのかはわかりませんが,(あなたの基準では患者さんの多くは頭が悪い方に入るので)ここを読まれた方は誤解をされると思うのです.他のエントリーに書いてあるとか,すべてだとは言ってないとか,最後は医者の判断だ,と言っても「簡易検査はやめよ」しか頭に残らないと思うのです.
インフルエンザを中心に考えると管理人様の考えが全くおかしいいうわけではないのですが,「他の病気である可能性を調べる」ときにはやはり簡易検査をやりたいわけです.陽性であれば他の病期の可能性は低くなるので.
検査や治療の有効性を治験で評価するときは,一定の条件にそろえないといけないので,「黒か白か」と言うことを論じれば良いのかもしれません.そういう意味では臨床の現場では「例外的にグレーもあるぞ」でなくて「ほとんどすべてグレー」として考えなくてはいけないわけです.簡易検査を否定すると,永遠に「インフルエンザ様の患者」で終わってしまいます.
このブログでは代替案を出さないといけないようなので,こういうふうに言うのはどうでしょう.
「簡易検査はしばしば偽陰性のことがある.したがって,陰性であっても抗ウイルス剤を投与した方がいいことがある.それを十分理解していない医師がいる可能性があるので注意しましょう.」
インパクトがある一言でいうのは無理ですね.
それから,症例の引用は報道からのものが多いようですが,産科領域の事件や割りばし事件などを見てもわかる通り,全く当てになりません.それぞれ,バックグラウンドがあるので,カルテを見るなり当事者による論文等によらなければ全くの憶測にしか過ぎません.それは医師として共通の認識をもっています.気をつけないと素人扱いされるわけです.
ついでに,PCRは感度が上がりますが,偽陰性の問題はやはりついて回ります.後から検査しているので,後だしジャンケンでしかないのです.
そうですよ。私は「簡易検査が悪い」とは述べていません。
> 患者さんの多くは頭が悪い方に入るので)ここを読まれた方は
患者向けに述べているわけじゃありません。患者が何を思おうが、関係ありません。患者は医師に従えばいいのであって、患者が医療を決定するわけじゃありません。イヤならよその医者に行けばいいだけのこと。
私は医者向けに「患者を死なせるな」と言っているだけです。
> 「簡易検査はやめよ」しか頭に残らないと思うのです.
患者はともかく医者ならば、そのくらい馬鹿な医者は、簡易検査を一切しない方がいいです。馬鹿医者が簡易検査を信じるから、次々と死者が出る。
> 「他の病気である可能性を調べる」ときにはやはり簡易検査をやりたいわけです.陽性であれば他の病期の可能性は低くなるので.
だからそれは私の言っていることでしょ。私が言っていることを、私に対して言わないでください。レコーダーじゃあるまいし。
「簡易検査を一切やるな」と勝手に誤読するのは、タイトルしか読まない馬鹿です。本文を読まずにタイトルだけ読んで難癖を付ける馬鹿が多いので、本当に辟易する。
「本文を読みもしないで(タイトルだけ読んで)勝手に誤読するな」
というのが私の繰り返して言っていることだ。
本文に書いてあるのは
「簡易検査は必要ない」
つまり「過度に信用するな」ということ。 not have to は must not とは違う。「必要ない」は「してはならない」とは違う。
この区別もできないほど識字力がそれほど低い人は、どうしようもないので、簡易検査をする以前に、医師を廃業するのがベストです。日本語も読めない人に医師ができるとは思えない。まずは小学校に入り直して、日本語の勉強をすることをお勧めします。
なお、該当の本文は「結論」としてはっきり明示されています。抜き書きすると、次の通り。
──
結論。
「簡易検査で陰性だとしても、その陰性というのを信用するべきではない」
と言える。ただし、これは不十分だ。これだけでは、何をなすべきかを示していない。なすべきことは、
「簡易検査には頼らず、症状だけで判断する」
ということだ。
簡易検査の「陰性」という判断を信頼してはならない。(陽性ならば信頼していいが、陰性ならば信頼してはいけない。)
──
これほどはっきりと明示してあるのに、タイトルの「簡易検査はやめよ」しか頭に残らないような医者は、さっさと医師を廃業してほしい。社会にとって有害です。
私の話は、最低限、高校生レベルの識字力のある医者を対象にしている。小学生レベルの識字力もない医者は、さっさと廃業してほしいですね。(誤読してばかりいるトンデモマニアが典型だ。)
> 全く当てになりません.それぞれ,バックグラウンドがあるので,カルテを見るなり当事者による論文等によらなければ全くの憶測にしか過ぎません.
ご自分も誇張表現をしていますね。「全く当てになりません」「全くの憶測にしか過ぎません」というのは、誇張表現でしょう。「あまり当てにならない」「かなり有益なデータであり、公開する価値は十分あるが、あまり信用してはならない」というのが正確な表現でしょう。
ま、それが誇張表現だということは、誰にでもわかります。「何の意味もないから公開をやめよ」とか「政府の発表した情報はすべて嘘八百のフィクションにすぎない」とか、そう思っている人はいないはずです。
あなたの語った表現が誇張にすぎないということは、まともな日本語理解力がある人ならば、誰にもわかります。そういうときに、
「全く当てになりません」「全くの憶測にしか過ぎません」
というのは、間違いだ! トンデモだ!
なんて騒いでも、滑稽なだけでしょう。誇張表現を理解できず、日本語理解力が低いだけ。
誇張表現なんて、誰だって普通に使うんです。それを、文字通りにしか読めず、さらには「必要ない」を「してはならない」だと勘違いして誤読する……というふうに曲解する人は、本人の精神がねじまがっているだけだ。そういう医者は、医師をやるより、精神科を受診するべきです。
【 注記 】
私は「してはならない」と書いてある箇所もあるが、次のような形でのみだ。
> 簡易検査は必要ない。というか、してはならない。
つまり、「簡易検査は一切してはならない」というふうに述べているのではなく、「必要ない」と述べてから、それを強調しているだけだ。
その強調は、「通常は、してはならない」という意味。(陽性でも陰性でも結果が同じときには、してはならない、ということ。)
「どんな場合もしてはならない」というふうには述べていない。勝手に誤読しないでほしい。そんなことは一切書いていない。単に原則論を述べているだけだ。(陽性のときには役立つこともある、という例外について言及した箇所を思い出してほしい。)
要するに、あなたの言っていることは、私の見解に対しては反対しないが、誇張されたタイトルだけが気に食わない、というだけのことでしょう。その程度のことでいちいち騒がないでほしい。騒ぐのが生きがいであるトンデモマニアならば仕方ないが。
そもそも、本項のテーマが何であるかを理解してください。
「簡易検査を課題に信頼することにより、死者が続々と出ている。医療ミスのせいで、どんどん死者が出ている」
という現状を是正したい、というのが私の方針です。それに対して、その問題をまるきりすっぽかして、「簡易検査を使った方がいいこともあるぞ」というのでは、反論になっていないでしょう。ただの揚げ足取りにしかならない。
「簡易検査を課題に信頼することにより、死者が続々と出ている。医療ミスのせいで、どんどん死者が出ている」
という状況をどうしたいというのです? 死者が出るのを放置すればいい、と言いたいのですか? 話の核心からズレたところで足を引っ張ろうとすればするほど、死者が出ます。
たとえば、あなたが治療して、患者を救おうとするとき、誰かが口を出して、「この治療法には例外があるので、今回とは違う患者には適用できません。ゆえに、この患者にも適用してはいけません」と言って、あなたの治療の足を引っ張ったら、どうします。「治療の妨害をしてくださって、ありがとうございます。おかげで患者を死なせることができました」と言うのですか? あるいは、「カルテのタイトルが単純すぎて不正確なので、治療そのものをやめろ」という圧力がかかったら、「そうですね」と納得するのですか?
あなたやN氏の言っていることは、治療妨害と同じです。患者を殺すことに役立つだけ。
──
次のページを見てください。あなたや N 氏のことが書いてあります。
http://openblog.meblog.biz/article/105967.html
仮にあなたがまともな医者であるなら、次のように語るはずです。
「原則としてはそちらの言うとおりですが、例外的な場合もあります。簡易検査をして陽性になることを利用して、診断率を上げることができます。ただしそれは、本論のテーマである、陰性であることの誤診で患者を死なせることの解決には役立ちません。本項のテーマとは別ですね。揚げ足取りみたいな指摘ですみません」
あなたがこういうふうに指摘すれば、あなたはまともな医者として尊敬されるでしょう。逆に、揚げ足取りをして、一部を否定することで、話の本筋から大幅に逸れてしまって、「死者を減らす」という本来の目的を見失うようでは、尊敬されることはないでしょう。
──
上記でも誰かが言っていたが、NATROM さんの指摘は話が食い違っている。
「富士山は山だ」
「いや、富士山は川じゃない」
これが本質です。(つまり反論になっていない。)
このような食い違いを見抜くということが、物事の本質を知るということです。
細かな字面にこだわっている限り、話の本質が何であるかを理解することはできません。
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なお、あなたがどうしても自説にこだわるのなら、次の記事を見てください。
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/influenza09/0002367412.shtml
> 新型インフル簡易検査 神戸の2病院原則中止
> 神戸市立医療センター中央市民病院(同市中央区)と西市民病院(同市長田区)は19日までに、新型インフルエンザの簡易検査について、原則として取りやめることを決めた。
> 両病院とも入院が必要とみられる患者などには、これまで通り検査する。
この病院に行って、「原則中止は間違いだ」と主張するといいでしょう。私は主張しているだけだが、上の病院は実行しています。そこに行って、「間違いだ、トンデモだ」と大騒ぎすればいいんですよ。(鼻つまみになりそうだが。)
私のブログのコメント欄なんかで書かないで、神戸に行って語るべし。あるいは、自分のブログかホームページで、「原則中止は間違いだ」と主張するべし。
N氏ならば、私の意見に悪口を言うことだけが生きがいなのだから仕方ないが、あなたは別にそうでもないようだから、私よりも神戸の病院を非難するといいでしょう。
(まともな会話能力のある人がろくにいないので。f 氏は別として。)