ドリーム小説
Day.2----スピナーズ・エンド
首相執務室の窓に垂れ込めていた冷たい霧は、そこから何キロも離れた場所の、汚れた川面に漂っていた。
草が無造作に伸び尽くしたゴミの散らかった土手の間を縫うように、川が流れている。
廃墟になった製糸工場の名残の巨大な煙突が、黒々と不吉にそそり立っていた。
暗い川の囁くような流れの他には物音もせず、あわよくば丈高の草に埋もれたフィッシュ・アンド・チップスの
おこぼれでも嗅ぎ当てたいと、足音を忍ばせて土手を下って行く痩せた狐の他は、生き物気配も無い。
その時、ポンと軽い音がして、フードを被ったスラリとした姿が、忽然と川辺に現れた。
狐はその場に凍りつき、この不思議な現象をジッと油断なく見つめた。
そのフード姿は、しばらくの間方向を確かめている様子だったが、
やがて軽やかに素早い足取りで、草むらに長いマントを滑らせながら歩き出した。
2度目の、少し大きいポンという音と共に、またしてもフードを被った姿が現れた。
「お待ち!」
鋭い声に驚いて、それまで下草にピッタリと身を伏せていた狐は、隠れ場所から飛び出し、土手を駆け上がった。
緑の閃光が走った。
キャンという鳴き声。
狐は川辺に落ち、絶命していた。
2人の人影が狐の骸を爪先で引っくり返した。
「ただの狐か」
フードの下で、軽蔑したような女の声がした。
「闇祓いかと思えば―――――シシー、お待ち!」
しかし、2人目の女が追う獲物は、一瞬立ち止まり、振り返って閃光を見はしたが、
たったいま狐が転がり落ちたばかりの土手を既に登り出していた。
「シシー―――――ナルシッサ―――――話を聞きなさい―――――」
2人目の女が追いついて、もう一人の腕を掴んだが、一人目はそれを振り解いた。
「帰って、ベラ!」
「私の話を聞きなさい!」
「もう聞いたわ もう決めたんだから ほっといてちょうだい!」
ナルシッサと呼ばれた女は、土手を登り切った。
古い鉄柵が、川と狭い石畳の道とを仕切っていた。
2人目の女、ベラトリックスもすぐに追いついた。
2人は並んで、通りの向こう側を見た。
荒れ果てたレンガ建ての家が、闇の中にどんよりと暗い窓を見せて、何列も並んで建っていた。
「あいつは、ここに住んでいるのかい?」
ベラトリックスは蔑むような声で聞いた。
「ここに? マグルの掃き溜めに? 我々のような身分の者で
こんなところに足を踏み入れるのは、私たちが最初だろうよ」
しかし、ナルシッサは聞いていなかった。
錆びた鉄柵の間をくぐり抜け、もう通りへと急いでいた。
「シシー、お待ちったら!」
ベラトリックスはマントを靡かせて後を追い、
ナルシッサが家並みの間の路地を駆け抜けて、どれも同じような通りの2つ目に入り込むのを目撃した。
街灯が何本か壊れている・・・・2人の女は、灯りと闇のモザイクの中を走った。
獲物を追う追っ手のように、ベラトリックスは角を曲がろうとしているナルシッサに追いついた。
今度は首尾よく腕を捕まえて後ろを振り向かせ、2人は向き合った。
「シシー、やってはいけないよ あいつは信用できない―――――」
「闇の帝王は信用していらっしゃるわ 違う?」
「闇も帝王は・・・・きっと・・・・間違っていらっしゃる」
ベラトリックスが喘いだ。
フードの下でベラトリックスの眼が一瞬ギラリと光り、2人きかどうか辺りを見回した。
「いずれにせよ、この計画は誰にも漏らすなと言われているじゃないか こんなことをすれば、闇の帝王への裏切りに―――――」
「放してよ、ベラ」
ナルシッサが凄んだ。
そしてマントの下から杖を取り出し、脅すようにベラトリックスの顔に突きつけた。
ベラトリックスが笑った。
「シシー、自分の姉に? あんたはできやしない―――――」
「できないことなんか、もう何も無いわ!」
ナルシッサが押し殺したような声で言った。
声にヒステリックな響きがあった。
そして杖をナイフのように振り下ろした。
閃光が走り、ベラトリックスは火傷したように妹の腕を話した。
「ナルシッサ!」
しかしナルシッサはもう突進していた。
追跡者は手を摩りながら、今度は少し距離を置いて、再び後を追った。
レンガ建ての家の間の人気の無い迷路を、2人はさらに奥へと入り込んだ。
ナルシッサは、スピナーズ・エンドという名の袋小路に入り、先を急いだ。
あの聳え立つような製糸工場の煙突が、巨大な人差し指が警告しているかのように、通りの上に浮かんで見える。
板が打ちつけられた窓や、壊れた窓を通り過ぎるナルシッサの足音が、石畳に木霊した。
ナルシッサは一番奥の家に辿り着いた。
1階の部屋のカーテンを通してチラチラと仄暗い灯りが見える。
ベラトリックスが小声で悪態を付きながら追いついた時には、ナルシッサはもう戸を叩いていた。
少し息を切らし、夜風に乗って運ばれてくるドブ川の臭気を吸い込みながら、2人は佇んで待っていた。
「っ・・ぁぁっ・・・んっ・・・」
男の指が彼女の胸を撫でた時、彼女は身体をしならせて啼いた。
闇の帝王によって開発された身体は、どんな男が触れても素直に反応を返した。
シンと鎮まり返った部屋に響く卑猥な音は、男の興奮を高める要素に過ぎなかった。
自分の身体の中に別の物が入っていると思うと、自分の身体のはずが、自分のものではないような気がしてならない。
男は快感を求めるために、彼女の中に埋め込んだ自身を奥へ奥へと何度も突いた。
は頭がボンヤリしていた。
彼は彼女にピッタリと寄り添い、彼女の身体を触っていた。
彼の顔が近付いてくる・・・・首に息がかかっているのを感じた。
2人の胸がピッタリとくっつき、心臓の鼓動が聞こえた。
私は・・・・まだ・・・・生きている・・・・。
は自分を見下ろしている男を見上げた。
黒い長髪が、土気色の顔と暗い目の周りでカーテンのように分かれていた。
ドアをノックする音が聞こえた。
はスネイプの胸を押し、ベッドから起き上がった。
「誰か、いらしたようです・・・・」
が言った。
はシーツを手繰り寄せ、裸の上に羽織った。
ゆっくりとベッドから立ち上がったが、身体が気だるく、グラリと身体が傾いた。
しかし、誰かに身体を受け止められ、は縋るように手を彼の胸に付いた。
「・・・・まだ横になっていろ」
スネイプが言った。
しっかりとを抱き締め、気遣うような声だった。
「セブルス・・・・」
はスネイプを見上げた。
スネイプもを見下ろした。
彼女の流れるような長い髪が美しかった。
「私は大丈夫 ご心配なさらないでください」
は柔らかく微笑んだ。
「着替えを済ませてから、何か飲み物をお持ちしましょう」
「そのようなこと、お前がする必要はない」
スネイプが言った。
「いいえ させてください 何かしていないと、悪い事ばかり考えてしまうのです・・・・」
「・・・・」
「さあ、行って 客人がお待ちですよ?」
スネイプは後ろ髪引かれる思いで、から離れて服を着た。
それから玄関に向い、僅かに戸を開けた。
フード姿の女が、フードを脱いだ。
蒼白な顔が、暗闇の中で輝くほど白い。
長いブロンドの髪が背中に流れる様子が、まるで溺死した人のように見えた。
「ナルシッサ!」
スネイプはドアを僅かに広く開けた。
明かりがナルシッサと姉の2人を照らした。
「これはなんと驚きましたな!」
「セブルス」
ナルシッサは声を殺して言った。
「お話できるかしら? とても急ぐの」
「いや、もちろん」
スネイプは一歩下がって、ナルシッサを招じ入れた。
まだフードを被ったままの姉は、許しも請わずに後に続いた。
「スネイプ」
男の前を通りながら、女がぶっきらぼうに言った。
「ベラトリックス」
男が答えた。
2人の背後でピシャリとドアを閉めながら、唇の薄いスネイプの口元に、嘲るような笑いが浮かんだ。
入ったところがすぐに小さな居間になっていた(暗い独房のような部屋だ)
壁は、クッションではなく、ビッシリと本で覆われている(黒か茶色の革の背表紙の本が多い)
擦り切れたソファ、古い肱掛椅子、グラグラするテーブルが、
天井からぶら下がった蝋燭ランプの薄暗い灯りの下に、一塊になって置かれていた。
普段は人が住んでいないような、ほったらかしの雰囲気が漂っている。
スネイプは、ナルシッサにソファを勧めた。
ナルシッサはマントをハラリと脱いで打ち捨て、座り込んで、膝の上で組んだ震える白い手を見つめた。
ベラトリックスはもっとゆっくりとフードを下ろした。
妹の白さと対照的な黒髪、厚ぼったい瞼、ガッチリした顎。
ナルシッサの背後に回ってそこに立つまでの間、ベラトリックスはスネイプを凝視したまま目を離さなかった。
「それで、どういうご用件ですかな?」
スネイプは2人の前にある肱掛椅子に腰掛けた。
「ここには・・・・ここには私たちだけですよね?」
ナルシッサが小声で聞いた。
「―――――いや、今は―――――」
スネイプの背後の壁の本棚が動き、隠し扉が開いて狭い階段が現れた。
そこにはきちんと身なりを整え、漆黒のローブに身を包んでいるが立っていた。
瓶を1つと、グラス4個を盆に載せていた。
「!!」
ナルシッサが悲鳴のような声を上げた。
は微笑み、グラグラするテーブルにそれを置いた。
「昨年振りでしょうか? ナルシッサ」
が言った。
「どうして、あなたがここに・・・・館を離れるなんて、滅多にないのに」
ナルシッサが絶望的な声で言った。
どう見ても、ナルシッサにとっては、会えて嬉しい人物ではなかったらしい。
はワインを4つのグラスに注ぎ、姉妹にその2つを、もう2つをスネイプと自分の前に置いた。
「ドイツで人気の赤ワインです お口に合うと良いのですが」
が言った。
ナルシッサはワインを警戒していた。
「毒など入っておりませんよ? もとより、私にはあなたを殺害する理由はありませんが」
「・・・・」
「あなたがどういった理由でここへいらしたのかは存じませんが、安心なさい 私は他言するような真似は致しません」
はニッコリ微笑んだ。
ナルシッサは呟くように礼を言って、グラスを受け取った。
ベラトリックスは何も言わずに、スネイプを睨み続けていた。
スネイプは意に介するふうもなく、むしろ面白がっているように見えた。
「闇の帝王に」
スネイプはグラスを掲げ飲み干した。
姉妹ももそれに倣った。
スネイプはみんなに2杯目を注いだ。
「セブルス、こんなふうにお訪ねしてすみません でも、お目にかからなければなりませんでした
あなたしか私を助けられる方はいないと思って─────」
ナルシッサは身を震わせて大きく息を吸い、もう一度話し始めた。
「セブルス、ここに来てはいけないことはわかっていますわ 誰にも、何も言うなと言われています でも─────」
「それなら黙ってるべきだろう!」
ベラトリックスが凄んだ。
「特に今の相手の前では!」
「今の相手?」
スネイプが皮肉たっぷりに繰り返した。
「それで、ベラトリックス、それはどう解釈すればよいのかね?」
「お前を信用していないってことさ、スネイプ、お前もよく知っての通り! そうだろう、!」
は肩を竦めた。
ナルシッサはすすり泣くような声を漏らし、両手で顔を覆った。
スネイプはグラスをテーブルに置き、椅子に深く座り直して両手を肘掛に置き、睨みつけているベラトリックスに笑いかけた。
「ナルシッサ、ベラトリックスが言いたくてうずうずしている事を聞いた方がよろしいようですな
さすれば、何度もこちらの話を中断される煩わしさも無いだろう─────
さあ、ベラトリックス、続けたまえ 我輩を信用しないと言うのは、如何なる理由かね?」
「理由は山ほどある!」
ベラトリックスはソファの後ろからズカズカと進み出て、テーブルの上にグラスを叩きつけた。
「どこから始めようか! 闇の帝王が倒れた時、お前はどこにいた? 帝王が消え去った時、どうして一度も探そうとしなかった?
ダンブルドアの懐で暮らしていたこの歳月、お前は一体何をしていた? 闇の帝王が『賢者の石』を手に入れようとした時、
お前はどうして邪魔をした? 闇の帝王が甦った時、お前は何故すぐに戻らなかった?
数週間前、闇の帝王のために予言を取り戻そうと我々が戦っていた時、お前はどこいにいた?
それに、スネイプ、ハリー・ポッターは何故まだ生きているのだ? 5年間もお前の手中にあったというのに」
ベラトリックスは言葉を切った。
胸を激しく波打たせ、頬に血が上っている。
その背後で、ナルシッサはまだ両手で顔を覆ったまま、身動きもせずに座っていた。
スネイプが笑みを浮かべた。
「答える前に─────ああ、いかにも、ベラトリックス、これから答えるとも! 我輩の言葉を、陰口を叩いて
我輩が闇の帝王を裏切っているなどと、でっち上げ話をする連中に持ち帰るがよい─────答える前に、そうそう、
逆に一つ質問するとしよう 君の質問のどれ一つを取ってみても、闇の帝王が、我輩に質問しなかったものがあると思うかね?
それに対して満足のいく答えをしていなかったら、我輩は今こうしてここに座り、君と話をしていられると思うかね?」
ベラトリックスはたじろいだ。
「あの方がお前を信じておられるのは知っている しかし・・・・」
「あの方が間違っていると思うのか? それとも我輩がうまく騙したとでも?
不世出の開心術の達人である、最も偉大なる魔法使い、闇の帝王に一杯食わせたとでも?」
ベラトリックスは何も言わなかった。
しかし、初めてぐら付いた様子を見せた。
スネイプはそれ以上追及しなかった。
再びグラスを取り上げ、一口すすり、言葉を続けた。
「闇の帝王が倒れた時我輩が何処にいたかと、そう訊かれましたな? 我輩はあの方に命じられた場所にいた
ホグワーツ魔法魔術学校に なんとなれば、我輩がアルバス・ダンブルドアをスパイする事を、
あの方がお望みだったからだ 闇の帝王の命令で我輩があの職に就いた事は、ご承知だと拝察するが?」
ベラトリックスはほとんど見えないほど僅かに頷いた。
そして口を開こうとしたが、スネイプが機先を制した
「あの方が消え去った時、何故お探ししようとしなかったかと、君はそうお尋ねだ
理由は他の者と同じだ エイブリー、ヤックスリー、カローたち、グレイバック、ルシウス─────」
スネイプはナルシッサに軽く頭を下げた。
「その他あの方をお探ししようとしなかった者は数多いる 我輩は、あの方はもう滅したと思った
自慢できる事ではない 我輩は間違っていた しかし、いまさら詮ないことだ・・・・
あの時に信念を失った者たちを、あの方がお許しになっていなかったら、あの方の配下はのみだっただろう」
「私が残った!」
ベラトリックスが熱っぽく叫んだ。
「あの方のために何年もアズカバンで過ごした、この私が!」
「なるほど、見上げたものだ」
スネイプは気の無い声で言った。
「もちろん、牢屋の中では大してあの方のお役には立たなかったが、しかし、その素振りはまさにご立派─────」
「素振り!」
ベラトリックスが甲高く叫んだ。
怒りで狂気じみた表情だった。
「私が吸魂鬼に耐えている間、お前はホグワーツに居残って、ぬくぬくとダンブルドアに寵愛されていた!」
「少し違いますな」
スネイプが冷静に言った。
「ダンブルドアは我輩に、『闇の魔術に対する防衛術』の仕事を与えようとしなかった
そう どうやら、それが、あー、ぶり返しに繋がるかもしれないと思ったらしく・・・・我輩が昔に引き戻されると」
「闇の帝王へのおまえの犠牲はそれか? 好きな科目が教えられなかった事なのか?」
ベラトリックスが嘲った。
「スネイプ、ではなぜ、それからずっとあそこに居残っていたのだ?
死んだと思ったご主人様のために、ダンブルドアのスパイを続けたとでも?」
「いいや ただし、我輩が職を離れなかった事を、闇の帝王はお喜びだ
あの方が戻られた時、我輩はダンブルドアに関する16年分の情報を持ってた
ご帰還祝いの贈り物としては、アズカバンの不快な思い出の垂れ流しより、かなり役に立つものだが・・・・」
「しかし、お前は居残った・・・・」
「そうだ、ベラトリックス、居残った」
スネイプの声に、初めて苛立ちの色が覗いた。
「我輩には、アズカバンのお勤めより好ましい、居心地のよい仕事があった
知っての通り、死喰い人狩りが行なわれていた ダンブルドアの庇護で、我輩は監獄に入らずにすんだ
好都合だったし、我輩はそれを利用した 我々はほど力は無いのでね、大勢の闇祓いに囲まれたら終わりだ」
がスネイプを見てニッコリ微笑んだ。
「重ねて言うが、闇の帝王は、我輩が居残った事をとやかく仰らない
それなのに、何故君がとやかく言うのかわからんね─────次に君が知りたいのは」
スネイプはどんどん先に進めた。
ベラトリックスが今にも口を挟みたがっている様子だったので、スネイプは少し声を大きくした。
「我輩が何故、闇の帝王と『賢者の石』の間に立ちはだかったか、でしたな?
これは容易くお答えできる あの方は我輩を信用すべきかどうか、判断がつかないでおられた
君のように、あの方も、我輩が忠実な死喰い人からダンブルドアの犬に成り下がったのではないかと思われた
あの方は哀れな状態だった 非常に弱って、凡庸な魔法使いの体に入り込んでおられた
昔の味方が、あの方をダンブルドアか魔法省に引き渡すかもしれないとのご懸念から、あの方はどうしでも
かつての味方の前に姿を現わそうとはなさらなかった 我輩を信用してくださらなかったのは残念でならない
もう3年早く、権力を回復できたものを・・・・我輩が現実に眼にしたのは、強欲で『賢者の石』に値しない
クィレルめが石を盗もうとしているところだった 認めよう 我輩は確かに全力でクィレルめを挫こうとしたのだ」
ベラトリックスは苦い薬を飲んだかのように口を歪めた。
「しかし、お前は、あの方がお戻りになった時、参上しなかった
闇の印が熱くなったのを感じても、すぐにあの方の下に馳せ参じはしなかった─────」
「左様 我輩は2時間後に参上した ダンブルドアの命を受けて戻った」
「ダンブルドアの─────?」
ベラトリックスは逆上したように口を開いた。
「頭を使え!」
スネイプが再び苛立ちを見せた。
「考えるが良い! 2時間待つことで、たった2時間の事で、我輩は、確実にホグワーツにスパイとして留まれるようにした!
闇の帝王の側に戻るよう命を受けたから戻るに過ぎないのだと、ダンブルドアに思わせることで、以来ずっと、
ダンブルドアや不死鳥の騎士団についての情報を流す事ができた! いいかね、ベラトリックス
闇の印が何ヶ月にも渡ってますます強力になってきていた 我輩はあの方が間もなくお戻りになるに違いないと分かっていたし、
死喰い人は全員知っていた! 我輩が何をすべきか、次の行動をどうするか、カルカロフのように逃げ出すか、
考える時間は十分にあった そうではないか? 我輩が遅れた事で、初めは闇の帝王のご不興を買った
しかし我輩の忠誠は変わらないと ご説明申し上げた時、いいかな、そのご立腹は完全に消え去ったのだ 尤もダンブルドアは
我輩が味方だと思っていたがね 左様 闇の帝王は、我輩が永久にお側を去ったとお考えになったが、帝王が間違っておられた」
「しかし、お前が何の役に立った?」
ベラトリックスが冷笑した。
「我々はお前からどんな有用な情報を貰ったというのだ?」
「我輩の情報は闇の帝王に直接お伝えしてきた あの方がそれを君に教えないとしても─────」
「あの方は私に全て話してくださる!」
ベラトリックスはたちまち激昂した。
「私の事を、忠実な者、信頼できる者とお呼びになる─────」
「なるほど?」
スネイプの声が微妙に屈折し、信じていないことを匂わせた。
「今でもそうかね? 魔法省での大失敗の後でも?」
「あれは私のせいではない!」
ベラトリックスの顔がさっと赤くなった。
「過去において、闇の帝王は、もっとも大切なものを常に私に託された─────ルシウスがあんなことをしな─────」
「よくもそんな─────夫を責めるなんて、よくも!」
ナルシッサが姉を見上げ、低い、凄みの効いた声で言った。
見かねたがベラトリックスを宥めるように右手で制した。
「罪を擦り合っていても、何も変わりはしません」
がスラリと言った。
「既に起こってしまったこと そうでしょう? ベラ」
「だが、スネイプは何もしなかった!」
ベラトリックスがカンカンになった。
「何もだ 我らが危険に身を晒している時に、お前はまたしても不在だった スネイプ、違うか?」
「我輩は残っていよとの命を受けた 君は闇の帝王と意見を事にするのかもしれんがね
我輩が死喰い人と供に不死鳥の騎士団と戦っても、ダンブルドアはそれに気付かなかっただろうと、そうお考えなのかな?
それに、失礼ながら─────危険とか言われたようだが・・・・10代の子供6人を相手にしたのではなかったのかね?」
「加勢が来たんだ 知っての通り、まもなく不死鳥の騎士団の半数が来た!」
ベラトリックスが唸った。
「ところで、騎士団の話が出たついでに聞くが、本部がどこにあるか明かせないと、お前はまだ言い張っているな?」
「『秘密の守人』は我輩ではないのだからして、我輩がその場所の名前を言う事はできない
その呪文がどういう効き方をするか、ご存知でしょうな? 闇の帝王は、騎士団について我輩がお伝えした情報で
満足していらっしゃる ご明察のことと思うが、その情報が過日エメリーン・バンスを捉えて殺害する事に結びついたし、
さらにシリウス・ブラックを始末するにも当然役立ったはずだ もっとも、やつを片付けた功績は全て君のものだが」
スネイプは頭を下げ、ベラトリックスに杯を上げた。
ベラトリックスは硬い表情を変えなかった。
「私の最後の質問を避けているぞ、スネイプ ハリー・ポッターだ
この5年間、いつでも殺せたはずだ─────お前はまだ殺っていない 何故だ?」
「この件を、闇の帝王と話し合ったのかね?」
「あの方は・・・・最近私たちは・・・・お前に聞いているのだ、スネイプ!」
「もし我輩がハリー・ポッターを殺していたら、闇の帝王は、
あやつの血を使って甦る事ができず、無敵の存在となる事も─────」
「あの方が小僧を使うことを見越していた、とでも言うつもりか!」
ベラトリックスが嘲った。
「そうは言わぬ あの方のご計画を知る由もなかった 既に白状した通り、
我輩は闇の帝王が死んだと思っていた ただ我輩は、闇の帝王が、ポッターの生存を
残念に思っておられない理由を説明しようとしているだけだ 少なくとも1年前まではだが・・・・」
「それならなぜ、小僧を生かしておいた?」
「我輩の話がわかっていないようだな? 我輩がアズカバン行きにならずにすんだのは、ダンブルドアの庇護があったればこそだ
そのお気に入りの生徒を殺せば、ダンブルドアが我輩を敵視することになったかもしれない 違うかな?
しかし、単にそれだけでのことではなかった ポッターが初めてホグワーツにやって来た時、
ポッターに関するさまざまな憶測が流れていた事を思い出していただこう 彼自身が偉大なる闇の魔法使いではないか、
だからこそ闇の帝王に攻撃されても生き残ったのだという噂だ 事実、闇の帝王のかつての部下の多くが、
ポッターこそ、我々全員がもう一度集結し、擁立すべき旗頭ではないかと考えた─────勿論は例外だ」
の顔を見てスネイプが言った。
「確かに我輩は興味があった だからして、ポッターが城に足を踏み入れた瞬間に殺してしまおうという気には到底なれなかった
勿論、あいつには特別な能力など全く無い事が、我輩にはすぐ読めた やつは何度かピンチに陥ったが、
単なる幸運と、より優れた才能を持った友人との組み合わせだけで乗り切ってきた 徹底的に平凡なやつだ
尤も、父親同様、独り善がりの癇に障る奴ではあるが 我輩は手を尽くして奴をホグワーツから放り出そうとした
学校に相応しからぬ奴だからだ しかし、奴を殺したり、我輩の目の前で殺されるのを放置するのはどうかな?
ダンブルドアがすぐそばにいるからには、そのような危険を冒すのは愚かというものだ」
「それで、これだけあれこれあったのに、ダンブルドアが一度もお前を疑わなかったと信じろというわけか?」
ベラトリックスが聞いた。
「お前の忠誠心の本性を、ダンブルドアは知らずに、未だにお前を心底信用しているというのか?」
「我輩は役割を上手に演じてきた それに、君はダンブルドアの大きな弱点を見逃している
あの人は、人の善なる性を信じずにいられないという弱みだ 我輩が、まだ死喰い人時代のほとぼりも冷めやらぬころに
ダンブルドアのスタッフに加わった時、心からの悔悟の念を縷々語って聞かせた するとダンブルドアは両手を挙げて
我輩を迎え入れた―――――ただし、先刻も言ったとおり、出来うる限り、我輩を闇の魔術に近づけまいとした
ダンブルドアは偉大な魔法使いだ―――――ああ、確かにそうだとも 闇の帝王も認めている ただ、喜ばしい事に、
ダンブルドアは年老いてきた 闇の帝王との先月の決闘は、ダンブルドアを動揺させた その後も、
動きにかつての切れが無くなり、ダンブルドアは深手を負った しかしながら、長年に渡って一度も、
このセブルス・スネイプへの信頼は途切れた事が無い それこそが闇の帝王にとっての我輩の大きな価値なのだ」
ベラトリックスはまだ不満そうだったが、どうやってスネイプに次の攻撃を仕掛けるべきか迷っているようだった。
その沈黙に乗じて、スネイプはナルシッサの方に水を向けた。
「さて・・・・我輩に助けを求めにおいででしたな、ナルシッサ?」
ナルシッサがスネイプを見上げた。
絶望がハッキリとその顔に書いてある。
「ええ、セブルス わ―――――私を助けてくださるのは、あなたしかいないと思います
他には誰も頼る人がいません ルシウスは牢獄で、そして・・・・」
ナルシッサは目を閉じた。
2粒の大きな涙が瞼の下から溢れ出した。
にはそれがあまりにも憐れに思えた。
「闇の帝王は、私がその話をする事を禁じました」
ナルシッサは目を閉じたまま言葉を続けた。
「誰にもこの計画を知られたくないとお望みです とても・・・・厳重な秘密なのです でも―――――」
「あの方が禁じたのなら、話してはなりませんな」
スネイプが即座に言った。
「闇の帝王の言葉は法律ですぞ」
ナルシッサは、スネイプに冷水を浴びせられたかのように息を呑んだ。
ベラトリックスはこの家に入ってから初めて満足げな顔をした。
「ほら!」
ベラトリックスが勝ち誇ったように妹に言った。
「スネイプでさえそう言ってるんだ しゃべるなと言われたんだから、黙っていなさい!」
しかしスネイプは、立ち上がって小さな窓の方にカツカツと歩いて行き、
カーテンの隙間から人気のない通りをじっと覗くと、再びカーテンをグイッと閉めた。
そしてナルシッサを振り返り、顔を顰めてこう言った。
「たまたまではあるが、我輩はあの方の計画を知っている」
スネイプが低い声で言った。
「闇の帝王が打ち明けた数少ない者の一人なのだ それはそうだが、ナルシッサ、
我輩が秘密を知る者でなかったら、あなたは闇の帝王に対する重大な裏切りの罪を犯す事になったのですぞ」
「あなたはきっと知っていると思っていましたわ!」
ナルシッサの息遣いが少し楽になった。
「あの方は、セブルス、あなたの事をとてもご信頼で・・・・」
「お前が計画を知っている?」
ベラトリックスが一瞬浮かべた満足げな表情は、怒りに変わっていた。
「お前が知っている?」
「いかにも しかし、ナルシッサ、我輩にどう助けて欲しいのかな? 闇の帝王のお気持ちが変わるよう、
我輩が説得できると思っているのなら、気の毒だが望みはない 全く無い そういう事はに頼むと良いだろう」
「セブルス」
ナルシッサが囁くように言った。
青白い頬を涙が滑り落ちた。
「私の息子・・・・たった一人の息子・・・・」
「ドラコは誇りに思うべきだ」
ベラトリックスが非情に言い放った。
「闇の帝王はあの子に大きな名誉をお与えになった それに、ドラコのためにハッキリ言っておきたいが、
あの子は任務に尻込みしていない 自分の力を証明するチャンスを喜び、期待に心を躍らせて―――――」
ナルシッサは縋るようにスネイプを見つめたまま、本当に泣き出した。
「それはあの子が16歳で、何が待ち受けているのかを知らないからだわ!」
「は生まれた時から狙われていた それに5歳で闇祓いを滅しているのだぞ、16歳の頃には既に戦闘のプロだった」
スネイプがスラリと言った。
「あの子とを一緒にしないで! セブルス、どうしてなの? どうして私の息子が? 危険過ぎるわ!
これはルシウスが間違いを犯した事への復讐なんだわ、ええそうなのよ! だって、本来なら様がやるはずだわ」
スネイプは何も言わず、まるで涙が見苦しいものであるかのように、ナルシッサの泣き顔から目を背けていた。
しかし聞こえないふりは出来なかった。
「だからあの方はドラコを選んだのよ そうでしょう?」
ナルシッサは詰め寄った。
「ルシウスを罰するためでしょう? どうして、どうしてなの、・・・・」
「が私たちに見切りをつけたのであれば、それはあの子が選んだ道です
たとえ母であろうと、私に口を出す権利はありません ですが、ナルシッサ ドラコが成功すれば―――――」
「でも、あの子は成功しないわ!」
ナルシッサがすすり上げた。
「あの子にどうしてできましょう? 闇の帝王ご自身でさえ―――――」
ベラトリックスが息を呑んだ。
ナルシッサはそれで気が挫けてしまったようだった。
「いえ、つまり・・・・まだ誰も成功したことがないのですし・・・・セブルス・・・・お願い・・・・
あなたは初めから、そして今でもドラコの好きな先生だわ・・・・ルシウスの昔からの友人で・・・・」
「そういう事は、闇の帝王のお気に入りのに頼んでは如何かな? ドラコも彼女を好いているようですぞ?」
スネイプが言った。
しかし、は悲しそうに首を横に振った。
「残念ですが、ヴォルデモート様は説得される方ではありません」
が言った。
「あの方はきっと、見せしめのためにドラコを選んだのよ!」
ナルシッサは声を詰らせた。
「あの子を成功させるおつもりではなく、途中で殺される事がお望みなのよ!」
が黙っていると、ナルシッサは最後にわずかに残った自制心さえ失ったかのようだった。
立ち上がってヨロヨロとに近づき、ローブの胸元んだ。
顔をの顔に近づけ、涙を彼女の胸元に零しながら、ナルシッサは喘いだ。
「あなたなら出来るわ ドラコの代わりに、・・・・アッシュフォード家当主の
再来とも言われる あなたになら・・・・あなたは成功するわ きっと成功するわ」
はナルシッサの両手首を掴み、しがみ付いている両手を外した。
涙で汚れた顔を見つめ、はゆっくりと言った。
「ナルシッサ、確かにヴォルデモート様は、最後には私にやらせるおつもりでしょう
ですが、まずはドラコに行動させると固く決められております―――――私は、それに従う立場です」
「それじゃ、あの方は、ドラコが殺されても構わないと!」
「こう言ってしまえば残念ですが、力ない子供一人の命、ヴォルデモート様にとってはなんの痛手にもなりません
そして、ヴォルデモート様は予言をお聞きになられなかった・・・・ヴォルデモート様は、非常にお怒りです・・・・」
ナルシッサはの足元に崩れ、床の上で啜り泣き、呻いた。
「私の一人息子・・・・たった一人の息子・・・・」
「おまえは誇りに思うべきだよ!」
ベラトリックスが情け容赦なく言った。
「私に息子があれば、闇の帝王のお役に立つよう、喜んで差し出すだろう
それに、ドラコは様の代わりを仰せ付かったんだ 様ができないことを、ドラコはやるんだよ」
ナルシッサは小さく絶望の叫びを上げ、長いブロンドの髪を鷲掴みにした。
スネイプはナルシッサの下へ歩み寄り、屈んで、彼女の腕を掴んで立たせ、ソファに誘った。
それからナルシッサのグラスにワインを注ぎ、無理やり手に持たせた。
「ナルシッサ、もう止めなさい これを飲んで、我輩の言うことを聞くんだ」
ナルシッサは少し静かになり、ワインを撥ね零しながら、震える手で一口飲んだ。
「可能性だが・・・・我輩がドラコを手助けできるかもしれん」
ナルシッサが体を起こし、蝋のように白い顔で眼を見開いた。
「セブルス―――――ああ、セブルス―――――あなたがあの子を助けてくださる?
あの子を見守って、危害が及ばないようにしてくださる?」
「やってみることは出来る」
ナルシッサはグラスを放り出した。
グラスがテーブルの上を滑ると同時に、ナルシッサはソファを降りて、
スネイプの足元に跪き、スネイプの手を両の手で掻き抱いて唇を押し当てた。
「あなたがあの子を護って下さるのなら・・・・セブルス、誓ってくださる? 『破れぬ誓い』を結んでくださる?」
「『破れぬ誓い』?」
スネイプの無表情な顔からは、何も読み取れなかった。
しかし、ベラトリックスは勝ち誇ったように高笑いした。
「ナルシッサ、聞いていなかったのかい? ああ、こいつは確かに、やってみるだろうよ・・・・いつもの虚しい言葉だ
行動を起こす時になると上手くすり抜ける・・・・ああ、もちろん闇の帝王の命令だろうともさ!」
スネイプはベラトリックスを見なかった。
その暗い目は、自分の手を掴んだままのナルシッサの涙に濡れた青い目を見据えていた。
「いかにも、ナルシッサ、『破れぬ誓い』を結ぼう」
スネイプが静かに言った。
「、『結び手』が必要だ」
「本気なのですか?」
が悲痛そうな顔で言った。
それは、滅多に見せないの動揺だった。
「ああ」
スネイプが言った。
「『破れぬ誓い』がどういうものか、あなたはご存知なのですね?」
「そうだ」
「それでも、誓いを結ぶのですね?」
「そうだ」
「ですが・・・・それでは、あなたが・・・・」
「我輩を、おまえが心配してくれるというのかね? 」
は言葉を呑み込んで押し黙った。
とても辛そうな顔だ。
スネイプはナルシッサと向き合って跪くように座った。
ベラトリックスの驚愕の眼差しの下で、2人は右手を握り合った。
「本当に、よろしいのですか?」
が聞いた。
「二言は無い」
「・・・・わかりました」
は杖を取り出すと、2人の頭上に立ち、結ばれた両手の上に杖の先を置いた。
ナルシッサが言葉を発した。
「セブルス、あなたは、闇の帝王の望みを叶えようとする私の息子、ドラコを見守ってくださいますか?」
「そうしよう」
スネイプが言った。
眩しい炎が、細い舌のように杖から飛び出し、灼熱の赤い紐のように2人の手の周りに巻きついた。
「そしてあなたは、息子に危害が及ばぬよう、力の限り護ってくださいますか?」
「そうしよう」
スネイプが言った。
2つ目の炎の舌が杖から噴き出し、最初の炎と絡み合い、輝く細い鎖を形作った。
「そして、もし必要になれば・・・・ドラコが失敗しそうな場合は・・・・」
ナルシッサが囁くように言った。
スネイプの手がナルシッサの手の中でピクリと動いたが、手を引っ込めはしなかった。
「闇の帝王がドラコに遂行を命じた行為を、あなたが実行してくださいますか?」
一瞬の沈黙が流れた。
は眉を寄せ、握り合った2人の手に杖を置いて見つめていた。
「そうしよう」
スネイプが言った。
溜息をつくの顔が、3つ目の細い炎の閃光で赤く照り輝いた。
舌のような炎が杖から飛び出し、他の炎と絡み合い、握り合わされた2人の手にガッシリと捲きついた。
縄のように―――――炎の蛇のように―――――