原点に回帰すべし
テロは運動ではありません
先日会長は「行動する」という言葉は「敵を殺す」ことだと言われ、覚悟のほどを語られました。あれは覚悟と受け取るべきでありましょう。
私は前に先輩に大真面目に聞いたことがあります。
「例えば、私が逮捕されたりする場合があるとします。その場合、恥ずかしくない逮捕でありたいと思います。恥ずかしくない逮捕とはどのようなものだと思いますか??」
「きっちりとした思想性に裏付けられてれば、恥ずかしくないと思います。」
思想性のないテロはテロとは言わず、単なる人殺しといいます。朝鮮人が悪い、中国人を殺せというアンチの場合は言うまでもありません。
私が思うに、正しい目的のための正しい行動でなければ、後世が評価してくれるはずがありません。伝統精神が豊かであれば、その状況判断に道理がなんとか貫かれるでありましょう。道理とは時代を超えて揺るがぬ価値のことです。 伝統精神や道理や正義や価値について何一つ触れぬままのテロ肯定は、軽卒、残忍の評価を免れません。
思想がきっちりしていれば、覚悟などは簡単にできるのです。説得なき決断、思想なき覚悟は、正気の沙汰ではありません。
私が言いたいのは、行動しなかった従来の保守が行動しだした今、行動する保守の存在理由を示すためには、もう一度、行動する保守運動なら行動する保守運動の、在特会なら在特会の、創業の理念、原点に回帰すべしということであります。やり方は時には過激であろうと過激でなかろうと良いのですが、過激そのものを追いかけるのはよろしくない。
在日特権を許さないということに対して9800人の会員が集まったのです。私もその一人です。その部分で共闘できると思ったのです。共闘の延長線上に逮捕や死があるかもしれないというのは織り込み済みでしたが、一人一殺という思想性を露にするような会であれば、生死を共にできるかもっと吟味しているはずです。私は師匠に言われたなら、明日にもできるとこのブログで言明しています。これには変わりがない。
昨今の行動系全体を鑑みるに、自分に酔いしれて満悦してしまっているようにみえます。「理性なき闘争こそ日本のための○○」などと、おバカがバレるようなことを言っている人もいますが、理性と情念、両方なくては滑稽にしかみえないでしょう。
たしかに、国家の防衛は国民の情念、情熱です。パッションです。しかし、パッションと理性は同時に持つべきです。
チェスタトンの言葉です
「正統は何かしら鈍重で、単調で、安全なものだという俗信がある。こういう愚かな言説に陥ってきた人は少なくない。だが実は、正統ほど危険に満ち、興奮に満ちたものは他にかつてあったためしがない。正統とは正気であった。そして正気であることとは、狂気であるよりもはるかにドラマチックなものである。正統は、いわば荒れ狂って疾走する馬を御す人の平衡だったのだ。」
狂気になるのなんか簡単なことなのです。私からの警笛です。
原点への回帰、伝統への回帰、これが保守です。歴史を失った者は未来をも失うのです。
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コメント
初投稿です。
ブログ主様のことは、桜井天国3の動画を見て
初めて知りました。
一通りブログを読ませてもらいました。
名古屋にこんな立派な保守の女性が居るとは
知りませんでした。私は電話やメールでロビー活動している程度の者です。ブログコメントでは、せと弘幸さんの
ブログにちょこちょこ登場します。
桜井さんのブログにもコメントさせて頂いたことも
あります。主に保守系の方のブログでは、ガエモンの名で
登場しています。長々と無駄な説明になりましたが
今後バカモヤスミヤスミイエブログも応援します。
よろしくです。
投稿: ガエモン | 2010年11月12日 (金) 00時35分
ロビー活動もなくてはいけません。頑張ってください^^
投稿: オオヤマレンゲ | 2010年11月12日 (金) 00時44分