海鳴市。
そこは特に変わったような部分は見られない、いわば二十一世紀の日本をそのまま具現化したような感じのその街に、
「ここ……どこ?」
上条当麻は迷い込んでいた。
そもそもこの場所にいるはずのない上条だったが、先ほどの魔術師との戦いの結果、こうしてこの場所に来てしまったというわけである。
つまりここは、上条当麻から見てみれば異世界ということになる。
「マジで異世界に来ちまったぜ、俺……」
街中にいきなり現れた、上条当麻(イレギュラー)。
出現時、彼はものすごく黒い光に包まれながらこの世界に出現した。
もしそんな場面を誰かに見られていたとしたら、結構まずいことになっていたことだろう。
しかし、幸いにもここは路地裏だ。
こんな場所に来ることなどそんなにないはずなので、特に不審がられることもなかったのであった。
「とりあえず……まずは街の中を探索して、ここがどういう場所なのかを調べなきゃな」
ここに来たばかりである上条にとって、鳴海市という場所は未開の土地。
おまけに、今の上条はこの街の名前すら知らないのだ。
せめて街の中を……出来ることならこの街のことについても調べたいところでもある。
「そうなると一番手っ取り早いのは……図書館だな」
図書館に行けば、この街の歴史とかが載っている本がある。
街の名前だけでなく、歴史についても調べられるという、今の上条にとってありがたい場所なのだ。
とりあえず、その為にもまずは路地裏から出て街の中へと戻る。
まだ朝というだけあって、通学・通勤している人達がポツポツといた。
そんな中で上条は図書館に行こうとして、ここで一つ問題が発生。
「………………………………図書館、何処だ?」
先ほども述べた通り、上条はこの街に来たばかりである。
もちろん、この街の名前だって知らない。
そんな人物が、果たしてこの街にある建造物を知っているだろうか?
「……不幸だ」
思わず頭を抱えながら、そんなことを呟いてしまう上条。
まぁ異世界に来てしまったこともあるので、そんな彼が当惑するのも、当然と言えばそこまでだろう。
もっとも、事情を知らない人達から見れば、単なる変人でしかないのだが。
そんな上条(へんじん)に話しかける、物好きな……いや、心優しい人物がいた。
「あの……どうかしたんですか?」
「へ?」
背後から声が聞こえてきたので、上条は咄嗟に後ろを振り向く。
だが、目線の先にそれらしき人物はいなかった。
だが、間違いなく人の気配はする。
だというのに、目線の先には自分に話しかけてきただろう声の主はいない。
ここまで来て、上条はある一つの答えを導き出した。
「(まさか……)」
そしてその答えを確かめる為に、上条は顔を下に向ける。
するとそこには、心配そうな表情で上条のことを見つめている、茶色のツインテールの少女がいた。
少女は赤いランドセルを背負っており、白い服を着ていた。
恐らくその服は学校指定の制服なのだろう。
そして上条は、見た目小学校中学生位の少女に話しかけられたのだ。
しかもその理由は、上条が頭を抱えていたからだというもの。
どうやらこの少女、上条が悶絶している姿を見て、何処かが痛いのかもしれないと思ったようで、
「大丈夫ですか? 頭が痛いんですか?」
なんてことを、しきりに上条に尋ねていた。
だが、当の本人は至って健康体である。
夏休み以前の記憶が吹っ飛んでいることを除けば、だが。
今は記憶喪失の話は関係ないとして、とりあえず上条は怪我や病気を負っているわけではない。
これから自分がどうするべきなのかについて悩んでいただけなのだ。
だから上条は、自分を労ってくれる少女の目線に合うようにしゃがみ込むと、右手で少女の頭を優しく撫でながら、こう言ったのだった。
「いや、特にそういうわけじゃないから大丈夫だ。ありがとな、心配してくれて。優しいんだな」
「にゃはは……そう言われると、少し照れますね」
少し顔を赤らめて、少女はそう答える。
どうやら褒められたことが嬉しかったようだ。
そして上条は、何かを思い付いたかのような表情を浮かべると、少女にこう尋ねた。
「君はこの街の子? もしそうなんだとしたら、図書館が何処にあるか教えてくれないか?」
「図書館ですか? それなら場所知ってますけど……」
「本当か?」
「はい。ここを真っ直ぐ行って……」
少女は上条に丁寧に行き方を教える。
行き方自体はそんなに難しくはなかったので、上条はすぐに理解することが出来た。
そして説明を聞き終えたところで、
「ありがとう。えっと……」
名前を言おうとして、上条は少女の名前を知らないことに気付く。
少女はそんな上条の様子に気付いたのか、
「あ、高町なのはって言います」
「なのはか……俺は上条当麻。教えてくれてありがとう。それじゃあ俺は行くから。通学途中のところ、わざわざ教えてくれてありがとな!」
そう言うと、上条はもう一度なのはの頭を優しく撫でると、立ち上がって、なのはとは反対方向へと歩いていく。
ちょっと歩いた後で、上条はなのはに言った。
「また何処かで会った時には、よろしくな!」
「は、はい!」
そして上条は、その場から立ち去っていった。
この時、上条はまだ気付いていなかった。
この出会いこそ、今後訪れる自らの不幸を更に拡大させていることに……。
*
なのはに言われた通りの道を辿ってみると、そこにはきちんと図書館があった。
ここに来るまでに様々な不幸に巡りあっていたりするのだが、それはいつものことというわけで、ここでは省略することにしよう。
「はぁ……不幸だ」
ポツリと呟くと、上条は図書館の中へと入っていった。
「へぇ……思ってたよりは広いのな」
ただ、いくら広いと言っても、学校都市にある図書館と比べてしまうと少し狭く感じてしまう。
まぁそこら辺は仕方ないとはいえ、これでようやっと上条はこの街について調べられる。
「にしても、どの本から読めばいいことやら……」
まず上条は、どの本から読めばいいのかについて考える必要があった。
そんなわけで上条は、まずは街の歴史について書かれていると思われる本を探すことにする。
そうして本棚を漁っている内に、上条は何かを見つけた。
「ん?」
そこには、少女がいた。
自分よりも上にある本を取ろうと、必死に手を伸ばしている様子だった。
だが、どう頑張ってもその少女がその本を取ることは出来ない。
何故ならその少女は……車椅子に座っているからだ。
どうやらその少女は足が不自由なようで、上条はそれを悟ると、その少女の所まで歩み寄って、
「えっと……どの本が欲しいんだ?」
「へ?」
自然と、そう尋ねていた。
突然そんなことを言われた少女は、一瞬ポカンとしてしまう。
無理もないだろう……いきなり知らない男の人に、『どの本が欲しいんだ?』なんて尋ねられたのだ。
何か裏があるのではないかと、一瞬でも疑いたくなりそうだ。
とはいっても、上条はただの親切心から話しかけたようなものだ。
そして少女もまた、そんな上条のことをまったく疑うことがなく、笑顔で答えた。
「ちょうど一番上の棚の二番目のその本や」
「OK、これだな?」
上条程の背なら難なく届いたその本を、少女に手渡す。
すると、少女は嬉しそうにこう言った。
「おおきに!」
どうやら少女か関西地方の生まれらしく、関西弁を使用していた。
関西弁を聞いている上条の頭の中に、一瞬クラスメイトの青髪ピアスの姿が浮かんできたが、それを軽く振り払い、そしてふと疑問に思ったことを尋ねた。
「今って学校に行く時間じゃないのか? さっきランドセルを背負った女の子とかいたし……」
見た目小学三年生くらいのこの少女。
本来なら今の時間なら学校に行っていてもおかしくはない時間の筈なのに、どうしてこの少女はこんな時間から図書館なんかにいるのだろうか。
若干疑問に思いつつも、しかし上条は逆に質問を返された。
「それ兄ちゃんにも言えることやん」
「まぁ確かにそうなんだけど……学校へ行くに行けない状況で……」
現在上条は白いワイシャツに学生ズボンという格好でいる。
どう考えても世間一般の高校生の格好をしているのだが、上条が通う学校はこの世界とは別の場所に存在している為、行きたくても行けない状況なのだ。
「わたしもちょっとした事情があって、今は休学中なんや。せやから今はこうして図書館に来て、本を読んでんねん」
「そっか……」
上条は、少女の足を一瞬眺めて、視線を元に戻した。
恐らく少女の足は何らかの病気のせいで動かなくなってしまっていて、それが原因で休学中なのだろう。
そのことは口にせず、ここで上条は、自分がここに来た本来の理由を思い出し、
「あのさ……この街の歴史が書かれているような本って知らないか?」
「この街の歴史? せやったら、あそこの本なんかがちょうどええと思うけど……」
「あれか?」
少女が指差す方向には、確かに様々な歴史書が収められていた。
これだけあれば、きっと十分な資料を得られることだろう。
「ありがとな、親切に教えてくれて」
「何言うてんの。困った時はお互い様や。それに、わたしも本を取ってもろたしな」
「そっか。ギブアンドテイクって奴だな」
そう言い合った後に、二人は互いの顔を見て、思わず笑ってしまう。
だが、すぐにここが図書館だということを思い出して、それを止めた。
「俺、上条当麻」
「わたしは八神はやて。これからもよろしゅうな」
「こちらこそ」
そして少女―――八神はやてと上条は、互いの手を握り合う。
年齢差はけっこうありそうだが、これでこの二人は友達同士となったようだ。
「んじゃ、俺は調べ物に入るから。今日はこの辺で」
「それにしても、どうして今日になってこの街の歴史を?」
「……ちょっとした事情があってな」
実はこの街に来たのは今日が初めてで、しかも魔術師によって勝手に連れて来られました……などとは言えず、曖昧な返事しか返せなかった。
そんな上条を若干不審がるはやてだったが、特にそのことについて言及する気はないよいだ。
「それじゃ、わたしは別の棚に行くからこの辺で」
「おう。また何処かで会おうな」
「そんな曖昧なこと言わんでも、ここに来ればいつでもわたしに会えるで? この可愛い女の子に」
「自分で可愛い言うなよ……」
「突っ込まんといて。今こんなこと言うてしもうた自分に後悔してるところやから……」
身体が満足に動かせていたら、恐らく『OTL』 ←こんな格好をとっていたことだろう。
ツッコミを入れてしまったことに多少後悔する上条だったが、はやてがすぐに笑顔に戻った為、それに合わせて上条も笑った。
「んじゃ、また今度ここで」
「ああ、またな!」
今まで図書館なんて頻繁に通うことなんてなかった上条だったが、これなら時々なら通ってもいいかなと思えるような、そんな出会いだった。
だが、ここで忘れてはならないのは、上条の不幸スキルについてだ。
「んぎゃっ!」
はやてに言われた本棚まで行こうとして、何故か床にに落ちていたバナナの皮を踏んで、その場でこけてしまった。
……何故こんなところにバナナの皮が落ちていたのか等のツッコミは無視して、とりあえずそんな上条を見て、はやてが一言。
「……不幸やな」
「それは言わんといて……」
何故か方言で言葉を返す、上条なのだった。
*
ある程度街のことについて把握した上条は、昼過ぎになってようやっと図書館から出た。
分かったことと言っても、この街の名前とか、歴史とか、そう言ったことなのだが。
それでも、最低限の知識を得られただけでも随分マシになったと言うべきなのだろうか。
ともかく上条は、続けて散策を続けることにする。
だが、ここで一つ問題が発生。
「……………………飯、どうしよう?」
人間なので、上条も食事をとらなければならない。
だから何回か上条を襲ってきた空腹感も、決して幻覚なんかではなく、まさしく上条当麻が腹を空かせている証拠なのだ。
ここは学園都市ではない為、もちろん家に帰ることも出来ない。
それ以前に、ここは上条当麻が本来いるべき世界ではない為、例えコンビニで何かを買うにしても、通貨単位が合うのかどうかがまったくもって分からない。
更に突き詰めてしまえば、上条のズボンのポケットの中に、財布と呼べるものが存在しなかった。
「……不幸だ」
飯抜き。
それどころか、服を変えることも出来なければ、風呂にも入れない。
清潔さも保てないし、それ以前に自らの命がもつのかどうか分からない。
下手したら餓死する危険さえありそうだ。
「……ヤバい、考えるだけで腹が減ってきた」
すでに周りは暗くなっていて、そんな状態のまま身体をユラユラと揺らしながら、街の中を歩く。
その姿は見ていて痛々しく、とてもじゃないが、助けてあげたくなるような印象を与えた。
やがて住宅街の中を歩き回っている内に、
「あがっ!」
ドテッ!
何もないような場所で足を縺れさせて、その場に倒れ込んだ。
なんとか気合いを入れて立ち上がろうとするのだが………朝食&昼食抜きに加えて、こっちの世界に来るまでの魔術師との戦闘、更には街中を歩き回っていた結果、上条の体力はとうとう底を尽きかけてしまっていた。
「ああ……腹減った」
その言葉を最後に、上条は意識を失った。
その最中、
「だ……だい……です……!?」
薄れゆく意識の中、聞き覚えのある少女の声を聞いたような気がした。
そして、上条はやっとの思いで、一言だけ述べた
「腹……減った……」
そして上条の意識は、途絶えた。
*
高町なのはは、いつも通りに小学校に通い、そしていつも通りに家まで帰ってきた。
なのはの家はケーキ屋で、名前を翠屋という。
そんな彼女は、本日謎の声を聞いて森の中へ向かったところ、謎の声が聞こえてきた。
クラスメイトである二人の少女にはその声は聞こえていなかったみたいだが、曖昧にしか聞こえなかったその声は、次第に大きくなっていく。
その声が『助けて』と言っていることに気付いたなのはは、急いで森の中を走った。
そして、見つけたのだ。
傷だらけになっているフェレットを。
急いで近くの動物病院まで連れて行って、そこの院長に任せて、自分達は塾と向かった。
その帰り道。
「お父さん達に話して、どうするか決めないと……」
なのはは、傷ついたフェレットを家で飼う為に、本日は家族と話し合わなくてはならないのだ。
優しい少女故に、フェレットをそのままにしておくのは可哀想だと思ったのだろう。
友人二人は家の都合で無理だと言ったので、後はなのはの家だけとなったのだ。
そんなわけで本日、なのははある意味大勝負をしなければならなくなったのだ。
そんな決意を秘めた後の、出来事だった。
「……ん?」
家の近くまで辿り着いたところで、なのははなにかに気付く。
それは、謎の黒い影。
今なのはがいる市場からだとよくは見えないが、間違いなく何かがいる。
それだけは紛れもない真実であり、なのはは少しだけ身構える。
「(ふ、不審者さんとかだったらどうしよう……)」
なのはは身体を動かすのが苦手であり、体育の成績はいつも下の方。
もし不審者に襲われたとしても、逃げられない危険性があるのだ。
だが、誰かを呼ぼうにも周りに人はおらず、あの影を横切らなければ家の中には入れない。
……なのは、二回目の大勝負。
まさか一日で二回もこういった大勝負をしなければならなくなるとは、果たして誰が想像していただろうか?
「……うん、気付かれなければ大丈夫だよね……」
ボソッと呟くなのは。
……しかしそれは明らかに実現不可のようにも思えるが、この際細かいことは気にするべきではないのだろう。
なのはは忍び足で我が家へと近づく。
そうして家に近付いていく内に、次第に黒い影の正体がはっきりしてきた。
「……え?」
そして、一旦立ち止まった。
視界に写ってきたのは、白いワイシャツに黒い学生ズボン。
ツンツンした黒い髪の毛の……どう見たって何処かの学生だろう。
そして、なのはにとっては本日二度目の出会い。
「あれは……上条さん?」
そう。
朝なのはが登校途中に図書館までの道のりを教えてあげた男子学生こと、上条当麻だった。
だが、どう考えても様子がおかしい。
何だか、身体をフラフラとさせているようにも見える。
「……どうしたんだろう?」
そんな様子を不思議そうに眺めるなのは。
そして、事件は起きた。
「あっ!」
何もないところで上条が足を縺れさせたかと思うと、その場に転倒。
なんとそこから、上条は立ち上がらなくなったのだ。
早い話、倒れたままになったのだ。
「か、上条さん!」
すぐに危険を察知したなのはは、慌てて上条のところまで駆け寄る。
そして身体を揺らしながら、
「上条さん! 大丈夫ですか!?」
と、声をかける。
だが、何が原因なのかどうかは不明だが、とりあえず上条は立ち上がることが出来ないようだ。
そんな上条だったが、やっとの思いで開いたらしい口で、ある言葉を伝える。
それこそ、こんな状態で一番似合わないような言葉だった。
「腹……減った……」
「…………へ?」
そのまま上条は、次の言葉を告げなかった。
つまり……気を失ってしまったのだ。
「上条さん? ……上条さん!」
なのはは必死に身体を揺するが、それでも上条は起きる気配を見せない。
そんな時に、扉がガチャッと開く音がして……。
「どうしたなのは? 外で騒いだりなんかして……って、人!?」
父親らしき男―――いや、なのはの父親である高町士郎が家の中から現れる。
その人物は、何やら上条の姿を見るなりかなり驚いていた。
……まぁ無理もないだろう。
自分の家の前に、謎の人物が倒れているのだから。
「お、お父さん! この人、お腹空いてるみたいなんだけど……」
「腹が減ってる? 倒れる程腹が減ってるのか?」
事情を知らない士郎は、少しだけ戸惑ったような態度を見せる。
それでも、困った人を見逃せないのか、
「とりあえず、中に入れよう。話はそれからだな」
「う、うん!」
なのはと士郎は、急いで上条を家の中へと入れる。
そして、母親である桃子に指示を出して、とりあえずは客間に布団を敷いて、その上に寝かせることとなったのだった。
*
「哀れですね……」
建物の影から、上条となのはのやりとり(上条気絶Ver)を眺めていた、黒い服に身を包んだ人物。
上条の姿を見るなり、そんな一言を洩らしてしまっていた。
「まったく……私を説得しようと意気込んでいた上条当麻が、あの様ですか……やる気、あるんでしょうかねぇ……」
ボソッと呟くその言葉は、上条が聞いていたら怒りを見せるだろうと思われるような言葉ばかりだった。
しかし、第三者視点から見たとしても、空腹+過労で倒れるなんて、滑稽以外の何物でもないだろう。
「まぁ、計画はこれから始めるとしても、やっかいなのは上条当麻の右手でしょうか……もっとも、少し認識を改めなくてはいけないみたいですが」
その言葉には、何処か呆れも感じられた。
実際に呆れているのだからその通りなのだが……。
「せいぜいこの世界を満喫しているといいでしょう……私はその内に、役者を揃えなくてはなりませんからね」
呟いて、何もない空間に右手を差し伸べる。
瞬間、そこだけが黒く染まり……やがてそこには、大きな穴が広がっていた。
恐らく……いや、それはまさしく上条をこの世界に連れてきたものと同様の物。
「まずは……そうですね、身近な人と戦って頂きましょうか。だとすれば、あの人がちょうどいいですね……」
これからどうするかについて考えた後に、魔術師は黒き空間の中へと歩みを進める。
やがて魔術師の身体が完全に空間の中に入っていった時、謎の空間への入り口は段々と小さくなり、やがて完全に消滅した。
その場からは誰もいなくなり、そして魔術師が黒き空間の中に入っていく姿を見た者は、誰もいなかった。
*
「ん……」
目が覚めた。
目が覚めたと同時に上条の目に写ってきたのは、何処かの家の天井。
「知らない天井だ……」
なんだかそんな一言を呟かなくてはならないという勝手な思考が働き、思わずそんな一言を呟いてしまう上条。
もちろんその言葉に対して返答する声はなく、それが今の一言があまりにも虚しいものだということを示していた。
意味のない敗北感に襲われていた上条は、その後ですぐに急激なまでの空間感を感じた。
「腹減った……」
朝から何も食べていない上条にとって、そろそろ飯が欲しくなる時間帯だった。
だからといって、上条は財布を持っていないので、コンビニでおにぎり一つ食べるのも不可。
異世界から来たので家もないし、着替えもこの一着しかない。
……この世界においての上条は、衣食住すべてが揃っていないという、生存権が明らかに侵害されているような印象を受けた。
「それにしても……ここは何処だ?」
まず上条は、現在自分が何処にいるのかを知りたかった。
自分をここまで運んできてくれた人に対して、お礼を言いたいのだ。
そう考えていた、その時だった。
「あ、起こしちゃいましたか?」
「へ?」
誰かが部屋に入ってきたようで、上条に話しかける少女の声が聞こえてきた。
その声は何処かで聞いた覚えのある声で、確かめる為に身を起こしてみると、視線の先にはご飯と味噌汁、そしてその他のオカズを乗せたトレイを持っている、なのはの姿があった。
上条は即座に理解する……この家は、なのはの家なのだということを。
「ここ……なのはの家なのか」
「はい、そうですけど……」
「俺……なのはの家の前に倒れてたのか?」
「は、はい……」
確かめるようになのはに尋ねる。
そして、把握。
「悪い、なのは……運んできてもらった挙げ句に食事まで用意してもらって……」
「困った時にはお互い様ですから。にゃはは」
最後に照れたように笑顔を浮かばせて、上条にそう告げるなのは。
『困った時にはお互い様』。
そのセリフを聞くのは本日二度目のことだったので、少しだけおかしく感じてしまった。
「け、けど……いいのか?」
「何がですか?」
「俺なんかの為に食事まで用意してくれて……なのは達から見れば、詳しいことが何も分からない不審者でしかないだろうし……」
「上条さんが悪人であるはずがないってお父さんも言ってたし、それに、私も上条さんは悪い人じゃないって思ってますから」
「……そっか。優しい家族なんだな。なのはも含めて」
「にゃはは……そんなことないですよ。でも、私の自慢の家族です」
そう言った時のなのはは、明るい笑顔だった。
上条は素直にいい笑顔だと思い、その後で申し訳ないと言ったような表情を浮かべて、一言。
「とりあえず……食べていいかな?」
「あ、ごめんなさい! まだトレイを置いてませんでした……」
上条に指摘されて、少し慌てた様子でトレイを上条の前に置いたなのは。
上条は箸を手に取ると、即座に食事を開始した。
そして、味噌汁を飲んで、一言。
「美味しい……」
最近誰かの手料理を食べていなかった上条にとって、これはなかなかにうれしいことだった。
ここ最近は自分で作った料理ばかりを食べていたので、誰かが……特にこう言った感じで誰かの母親から作ってもらった食事というのは温かいものだった。
「そうですか? それならお母さんもうれしいと思います」
笑顔でそう答えるなのは。
と、ここで上条はあることに気づく。
「そう言えば、今から何処かにいくのか?」
「ふぇ?」
「いや、だって何だか外出するような格好をしてるし……」
現在、夕方を過ぎてもう夜。
外は街灯と月の光を頼りにしなければならないような、そんな暗さだった。
だというのに、まだ小学校中学年のなのはは、今から何処かへ向かおうとしていた。
上条としては、それが放っておけなかったのだ。
なのはは、少し困ったような表情を浮かべた後、こう答える。
「えっと……今から塾に……」
「時計だともう九時近くは回ってるけど……そんな時間から塾ってのはあるのか?」
「うっ……」
苦しい言い訳も、上条が時計を見たことで看破される。
もとより優しい少女なのだ。
嘘をつくのもきっと下手なのだろう。
「何か理由があるのか? あるんだったら、俺にも教えてくれないか?」
「…………だけど、まだ知り合ったばっかりですし……」
「あー、そういうのはなしにしないか? さっきも言っただろ、困った時にはお互いさまって。これは色々してくれたなのはに対するお返しということで」
上条としては、困っている人がいるのを放っておけないだけ。
何処に行っても、やはり上条当麻は困っている人を放っておけない性格のようだ。
そんな上条の優しさを信用して、やがてなのはは話し始めた。
「……実はさっき、『聞こえますか! 僕の声が、聞こえますか!?』って言うような声が響いてきて……」
それから、なのはは上条にすべてを話した。
頭の中に響いてきた『助けて』という言葉。
そしてその言葉を聞いた後に、森の中で傷ついたフェレットを見つけたこと。
そのフェレットは今、近くの動物病院に置いてもらっていること。
そして再び森の中で聞いた声が聞こえてきたこと。
「……」
聞いた後で、上条は一旦黙り込んでしまった。
なのはは、そんな上条を見て少し不安になった。
しかし、そんななのはの不安をかき消すように、上条は言った。
「もしかしたら、そのフェレットとやらが出したSOS信号かもしれない。だったら、その動物病院に行ってみた方がいいかもな……」
「え? 信用してくれるんですか?」
なのはは、自分の話をすべて信じてくれた上条に、驚きの表情を向ける。
そんななのはの頭に、上条は右手をポンと乗せた。
「ふぇ?」
「信じるさ。なのはは嘘をつくような女の子じゃなさそうだしな。なにより、信憑性もあるしな」
「あ……」
そして上条は、乗せた右手でなのはの頭を撫でた。
なのはは、自分の顔がどんどん赤くなっているのを感じた。
「よし、そうと決まれば、さっそく行動開始だな、なのは!」
「……はい!」
外はすでに暗くなっている為、親からの了承をとるのは難しいだろう。
なので二人は、家族にバレないように、こっそりと家を出ていったのであった。
*
そして二人は、件の動物病院の前までやってきた。
当たり前だが、辺りはすでに暗くなっていて、動物病院もすでに電気は消えていた。
「!!」
「どうした? なのは」
ここに来て、なのはが耳を抑えるような素振りを見せた。
しかし、なのはがそれに答える前に。
「「!?」」
自分達の横を、何かが通り過ぎる。
影の数は二つ。
一つは、なのはにとっては見覚えのある影だった。
「ふぇ、フェレット?」
上条がそう呟くが、しかし次の影を見た瞬間に。
「な、なんだよあれ!?」
叫んでいた。
いや、この場合叫ばざるを得なかったというべきだろうか。
何故ならもう一つの影は、身体に包帯を巻いているフェレットに向けて明らかなる殺意を放っていたからだ。
その殺意は、もはや動物の本能とかのレベルではない。
それに、上条の身体は察していた。
目の前にいる敵は……何か只ならぬ気配を帯びている、と。
「……!!」
敵はフェレットを追って木に激突した。
瞬間、その木は簡単にへし折れて、その上に登っていたフェレットは空中に身を投げ出される。
なのはと上条は、そこでフェレットにかけられている小さな赤い玉が、かすかに光ったのを見た。
そのフェレットの落下地点に、なのはがいた。
「なのはぁ! キャッチだ!!」
「は、はい!」
上条の言葉に答えるように、なのはは両手を広げてフェレットを迎え入れる準備をした。
そしてフェレットは、その胸の中に飛び込んできた。
「キャッ!」
ドスン!
少し勢いを殺し切れていなかったのが原因か、なのははその場に尻もちをつく。
そしてもう一度、折れた木の近くにいる影を見た。
「なになに……なんなの?」
「分からない……あれは、一体……」
正体不明の謎の影。
身体の周りには、何やら触手みたいのがうねっているのが見える。
はっきり言って、奇妙な生物としか形容出来ない。
その姿は、見る者に恐怖を植え付け、嫌悪感を抱かせるものだった。
そんな中、突如声が聞こえた。
「来て……くれたの?」
「ふぇ?」
「は?」
その声は、10代近くの少年のような声だった。
だが、この動物病院の前には、上条となのは、フェレットに謎の影しかいない。
謎の影が話すとは到底思えない。
残るは……このフェレットだけ。
以上のことから総計すると。
「「しゃ、喋った!?」」
なのはの胸の中にいるフェレットが、言葉を発したという結果に繋がった。
だが、驚いている場合ではない。
「なのは、危ない!!」
「!?」
喋るフェレットに夢中になっていたなのはの頭上に、影が迫ってきた。
なのはは目を瞑った。
恐怖から……現実を逸らすという意味から……。
しかし、いつまでたっても、痛みは訪れない。
かと思ったら、突然バキン! という悲鳴にも近い音が鳴り響く。
「……バキン?」
その音に疑問を感じたなのはは、目を開けた。
目の前には……上条当麻(せいぎのみかた)が、立っていた。
「上条……さん?」
上条は右手拳を前に突き出した状態で立っていた。
そして、謎の影は元いた場所まで吹き飛ばされていた。
つまり、上条が影を殴ったのだ。
「なのは! この場にいるのは危ない……どこか安全な場所へ!」
「は、はい!」
上条は、フェレットを抱えているなのはの手を左手で引いて、動物病院から抜け出す。
そして、夜の街を疾走する間、二人は喋るフェレットに色々と疑問をぶつけていた。
「一体何が起こってるんだよ!?」
「何が何だかよくわからないんだけど……」
そして、それらの疑問に答えるように、フェレットは言った。
「君には、素質がある……お願い、僕に少しだけ……力を貸して!」
だが、その言葉は彼らの疑問を解決するに値しない。
どころか、余計に疑問を増やすだけだった。
「資質?」
「一体、なのはになんの資質があるって言うんだよ!!」
焦りからか、上条は叫ぶように尋ねてしまう。
だが、それに対して驚く様子もなく、フェレットは言葉を紡いだ。
「僕は、ある探し物の為に、ここではない世界からやってきました」
「ここではない、世界……異世界からか?」
その言葉に、上条は少しだけだが何かを感じていた。
異世界からやってきた……その点において、今回の自分とまったく同じ状況だったからだ。
「しかし、僕一人の力では想いを遂げられないかもしれない……だから、迷惑だとは分かっているのですが、資質を持った人に協力してほしくて……!!」
「だからなんの資質なんだよ!!」
再び、上条は叫ぶ。
フェレットは、ある程度まで来たところで、なのはから降りる。
そして、なのはと上条の顔を見て、言った。
「お礼はします、必ずします! 僕の持ってる力を、貴女に使って欲しいんです! 僕の力を……『魔法』の力を!」
「「……魔法?」」
上条となのはは、声を合わせて呆れ果てたように呟く。
なのはは、そんなものなんてあるわけないという意味を込めて。
上条は、『魔法』ではなく『魔術』ではないのかという意味を込めて。
だが、魔術にしろ魔法にしろ、先ほどの謎の影に、上条の右手は反応した。
つまり、相手には何らかの異能の力が働いているということになる。
それだけは、紛れもない事実であった。
「!? またか!!」
またしても頭上より、敵が迫り来る。
その先には……なのはとフェレットがいた。
「くそっ!」
上条はなのはの前に立ち、咄嗟に右手を差し出した。
最初こそ、パァン! という音が鳴り響いたが、そこで上条はある違和感を感じる。
「(な……なんだこれ……右手で打ち消しきれない!?)」
完全に消滅出来ていない。
いや、打ち消した瞬間に再生しているのだ。
つまり……この謎の影を形成している、核みたいなものをどうにかしない限り、この影を消すことは不可能だということになる。
「上条さん!」
上条の後ろには、心配そうな表情で見つめてくるなのはの姿があった。
そんななのはに、上条は言った。
「俺がこうして時間を稼いでいる間に、なのははそのフェレットから力を借りろ!」
「で、でも……一体どうやって……」
「それはソイツに聞いてくれ!」
必死な表情を浮かべて叫ぶ上条。
やがてそんな上条の後を引き継ぐように、フェレットは言った。
「これを!」
そう言って、なのはに赤い玉を渡した。
それを手にしたなのはは、
「温かい……」
その玉が持つ温かさを、確かに感じた。
だが、いつまでもその温かさを体感しているわけにもいかなかった。
「それを手に、目を閉じて、心を澄ませて……僕の言う通りに繰り返して」
「……(コクリ)」
なのはは無言で頷く。
「いい? ……いくよ!」
そして、言葉が奏でられる。
「我、使命を受けし者なり」
「『我、使命を受けし者なり』」「契約の元、その力を解き放て」
「えっと……『契約の元、その力を解き放て』」
「風は空に、星は天に」
「『風は空に、星は天に』」
「そして、不屈の心は」
「『そして、不屈の心は』」
「「『この胸に』!!」」
瞬間。
なのはの周りが、強い光に包まれる。
その光は、赤い玉から発せられているものであり、色は桃色。
影を抑えている上条にも、その光の眩しさは感じられた。
そんな中、二人は締めの言葉を紡いだ。
「「『この手に魔法を、レイジングハート、セットアップ』!!」」
その言葉が告げられた瞬間。
辺りは先程よりも強い光に包まれる。
その光、前に立つ黒い影を打ち消さんばかりの強烈さ。
そして、その光の中で、何かがこう告げた。
『Stand by Leady,Set up!』
そしてその光が収まった後、上条に襲いかかっていた影は、急に距離を取っていた。
光が収まったのを確認して、上条が後ろを振り向いてみると。
「………………………………え?」
そこに立っていたのは、紛れもなくなのはだった。
ただし、ここまで来た時とは違って、白を基本とした服に身を包んで、大きな杖を持った、それこそまさしく、何かのアニメに登場するような、魔法少女そのものであった。
「よし、成功だ!」
そんななのはの姿を見て、フェレットは嬉しそうにそう言ったのだった。