そこでマスコミ不要論はいいのだが、こんどはネット界のほうから自ら価値をさげ、相対的にマスコミを「信頼できる」という幻想を抱かせる行為が見られるようになった。残念だ。
それは海保に3名殉教者がおり氏名まで特定されたという「誤報」である。枝葉のついた噺が膨らみ拡散してここまできている。呆れるしかない。
いろんな陰謀があることは認めるが、それが即イルミナティやら宇宙人の陰謀にまで拡がるネット社会の本質的闇は深刻である。そしてそれはマスコミの腐った既得権を生き延びさせ、権力にとって誠に都合がいいことになるのだ。
今回もビデオ流失まではマスコミに頼らない新しいメディアの実力を示したかに見えたものの、「落ちた船員(海保)を銛で突いた」ということの検証に向かうのではなく、ネット自身が根も葉もない噂を伝言ゲーム化させ、ついに死亡者のフルネームまで「捏造」するようになった。これではせっかく真実を追究しようとする真面目なネット・ジャーナリストを萎えさせてしまい、結局政府広報の既存マスコミしか信用できないということになってしまうのである。
これがネトウヨだとか欲求不満のフリーターとかだったら、社会現象の一つだと看過できるが、意図的な政府の息のかかったプロの仕掛けだとすると、反社会的抵抗勢力が意識するとしないにかかわらず、いつのまにか権力に加担していることになるのだ。
実は財界から資金をもらっていたプロの運動家は右、左をとわず数多くいたし、いまもいるだろう。それは仕方がない。
問題はネット住民がカネも貰っていないのに彼らの仕掛けに乗り、自分でことの本質を薄めていることにある。馬鹿であることはDNAではあるとしても、すこしは「考えて」欲しいものである。無理かもしれないが。
銛で突いた話だけを一点に絞り、仮説を立てると、仙谷の不可解な言動も、菅の「十年後二十年後、あのときの政府判断はただしかった」という言葉の意味も分かるはずなのに。
柳腰という不可解さで誤魔化しているが、実はビデオにはこれでは開戦しかないと国民(人民)が思わざるを得ないシーンが含まれているかも知れないのだ。
もしそうでない、ただの「柳腰」外交といったのなら、仙谷もただの精神薄弱患者であり官房長官はおろか弁護士も辞めさせて早く施設にいれたほうがいい。それが本人のため、社会のためである。
ネットは、とどのつまり口コミが壮大に広く早くなっただけのものです。それを使う人間の心理は、20世紀半ばのオルレアンの人々と大して変わってはいないのですから。
海保の隊員が銛で突かれた云々のことも、譬え事実であったとしても、拿捕される側が必死で抵抗するのは当たり前、街中で外国人強盗が逮捕時に凶器を持って暴れたからといって、一々その国と戦争にはならないのと同じことだと思います。
これが、冬のオホーツク海であったなら、落水は即ち死を意味します。拿捕時に隊員が落水する事実があったなら、それは海保の技術に未熟な部分があるということです。
今回のビデオからも拿捕技術が習熟のレベルに達していないことが見て取れます。だからといって海保を非難する必要もありませんが。