神戸海猿の欺瞞 - 田岡俊次のシビリアン･コントロール逸脱の正論
昨日（11/10）の午後から夕刻のテレビでは、海保の保安官について「今日中に逮捕の方針」と報道されていたが、一夜明けても逮捕されていない。朝日の朝刊１面を見ると、「近く逮捕する方針を固めた」とあり、「近く」という表現に微妙なニュアンスを感じる。逮捕が遅れ、引き延ばしされている。その理由として考えられる最も大きなものは、国家公務員法の守秘義務違反の要件に該当するかどうかの判断に不安があり、逮捕しても起訴できるかどうかについて検察の内部で意見が割れているからだろう。逮捕しても起訴できなければ意味がない。だが、ここで保安官を放免すれば、必ずマスコミに出て自分の口で映像流出の正当性を言い始め、国民に非公開にした政権批判を始める。虎を野に放つ事態となる。しかも、それはAPECの日中首脳会談の政治にタイミングが重なる。保安官とその背後に蠢く謀略集団は、時機を周到に計算した上で名乗り出たのだろうし、法律上の争点も熟知した上で、つまり無罪主張の自信を固めた上で挙動に出たのだろう。逮捕ならマスコミが世論を沸騰させ、轟々たる政権非難の嵐を巻き起こす。放免なら自分が英雄としてテレビに登板し、反中国反仙谷の国民感情を噴火させる。どちらに転んでも、この男の政治目的は達成される。朝日の記事からは、逮捕して不起訴の方向に窺えるが、そうすれば、政治的には両方の効果がダブルパンチで出る。
この海保職員が、警視庁の捜査員の聴取に対して曖昧な供述をし、映像入手の時期や方法や経路を供述しないのは、逮捕と起訴を免れようとしているからだ。容疑が固まらないようにしているのであり、つまり駆け引きが行われている。この男は捜査側が証拠を収集していない弱点を承知していて、自分からは何も進んで喋らないのである。昨日（11/10）、「神戸から投稿」の一報と同時に名乗り出たのは、捜査側に十分な捜査の時間を与えないまま聴取に及ばせる狙いがあったのではないか。神戸の聴取室での捜査員と保安官との駆け引きは、どうやら検察上層部の断罪派と放免派の暗闘と繋がっている。ビデオ流出の一報（11/5）に続き、神戸のネットカフェの情報が異常に早く読売から出た点を怪訝に思っていたが、何と、投稿犯の海保職員は数日前に読売テレビの記者と面会し、投稿の動機を語って取材させていた。昨夕、日テレのニュース番組はこの記者を出演させ、海保職員を代弁するように記者が義憤の心情を語っていた。また、日テレだけが、昨日の午前11時頃に職員が巡視艇「うらなみ」から下船する場面を撮影、顔はボカす処理を施していたが、警視庁の捜査員に付き添われて車に乗り込むまでの、桟橋上を歩く映像を夕方に放送した。小太りの体型で腹がでっぷり出ている。名乗り出る前に読売の記者が単独で取材していた点も不審だし、読売テレビだけが独占的にカメラを入れている点も怪しい。
この読売テレビの記者は、海保職員に接触するまでの経緯について、「映像を投稿した人物がいるという情報がある筋からもたらされた」と説明している。「ある筋」とは何者なのか。つまり、この海保職員本人が読売テレビに直接にコンタクトしたのではなく、別の誰かが介在している。要するに組織で動いていて、この海保職員は一部なのだ。おそらく、読売テレビの記者も「組織」の一員であり、同じ政治目的を持った同志だろう。彼らの作戦は用意周到で、警視庁の聴取には何も動機は語らないくせに、読売テレビには予め取材させ、この瞬間に合わせて全国放送でメッセージを発信している。「このままでは闇から闇に葬られる」とか、「このままでは国民が映像を見る機会を失ってしまう」と言い、「義士」たるところを存分に言い上げている。スタジオには手回しよく堀部政男が座っていて、国家公務員法の守秘義務違反についての最高裁判例を解説し、本件の映像は「秘密」には該当せず、逮捕しても起訴は難しく、起訴しても公判の維持は不可能だろうと言っていた。同時間帯の他局のニュースでは、これほど念入りに海保職員の行為の法的正当性を言う報道はなく、読売の胡散臭さに呆れていたが、何と、ＮＨＫの７時のニュースで同じ「守秘義務」の要件について説明が始まり、映像で堀部政男が登場して、法律の専門家として投稿と公開の合法性を保障するのである。これには驚いた。ＮＨＫの７時のニュースの中身が日テレと全く同じになっている。
唯一、テレ朝のニュース番組に田岡俊次が生出演し、この問題について正論を言っていた。それはシビリアン・コントロールの視点である。海保は国境警備隊であり、準軍であるから、現場で任務に就く者は必ず上官の命令に従って行動しなければならず、もしも上官や政府の指令を無視して現場の判断で隊を動かせば、それは満州事変と同様の軍事暴走となり、重大な国際問題を起こして国益を侵害すると言うのである。私は、この田岡俊次の主張が、この問題についての議論で最も本質を衝いていると思う。ガバナンスという言葉を使った批判では、どうも言い足りなく、正鵠を射た感じがしない。眼前で行われているのは、まさに満州事変の暴発であり、５・15事件の軍人のクーデターなのである。問題は国家公務員法の守秘義務ではないのだ。そこに落とし込むと、謀略側の主張の正当性が浮かび上がるだけの意味しかない。ＮＨＫの報道を押さえている謀略側は、「守秘義務」の法律論議を報道と関心の焦点にクローズアップし、この「義士」の行為には違法性はないとする宣伝を流し、海保と検察に対する国民の世論圧力を扇動しているのである。海保側（神戸の５管）が、国民から寄せられている電話やＦＡＸについて詳細を言うのもおかしくて、情報漏洩で捜査を受けている身なのだから、本当なら恐縮して静粛にしていなければいけないはずだ。国民が自分たちを支持している「状況」をマスコミに流す対応をしてよいのか。この態度は開き直っているのと同じだ。
上官命令を無視し、国民に直接依拠して軍の行動を起こそうとしている。シビリアン・コントロールの逸脱。それがこの問題の最も重要なポイントだが、田岡俊次と同じ解説をする人間は、その後の報道番組では一人も登場しない。朝のワイドショーでも、鳥越俊太郎は国民の知る権利の立場に徹した主張で、情報公開のためなら何でも許されるが如き議論を展開していた。それによって何が失われるかに関心がない。「知る権利」の正当性を前面に押し出し、国民多数の支持と共感を調達しながら、右翼の謀略勢力が何を動いているかを正確に捕捉していない。木を見て森を見ていない。法的な視点ではなく政治的な視点で問題を俯瞰しなくてはならないのに、田岡俊次以外はそれができていない。一直線に戦争に向かっている恐ろしい事態に警告を発しない。戦前のアナロジーを言わない。報ステでは、またしても延々と「街の声」を流し、この海保職員を英雄として称賛する市民の映像を見せつけていた。こうした映像を流せば流すほど、右翼のクーデターは成功裏に進むのであり、国民の中国に対する敵意が熱く煽られて、戦争（改憲・核武装・軍事衝突）への準備が敷き固められるのである。中国に対する憎悪と攻撃心が国民の常識になり、戦争を当然視する心理に変わるのだ。この問題についても、週末のタイミングでマスコミは世論調査をするだろう。読売とフジは必ずする。ＮＨＫもやるかもしれない。その世論結果に勢いを得て、謀略側は次の仕掛けを打ってくる。もう何が起きてもおかしくない。
この海保の情報漏洩の問題について、言いたいことは山ほどあるはずなのに、その衝動が内側に充満しているはずなのに、憂苦に悶えるまま言葉がよく出て来ない。戦争になるとか、そういうプリミティブな結論的断片しか言葉になって出ない。分析や解説の言葉を出せない。それは、テレビであのように「街の声」を見せられると、国民の圧倒的多数が自分とは異次元にある事実が客観的に突きつけられたようで、そのため、抵抗や批判の言葉を発して人に届く自信を失い、無力感と敗北感に苛まれて塞ぎ沈むからだ。こんな言論の離島のような辺鄙な片隅で、何を言っても無駄だと思い挫けるからだ。国民一般が右翼勢力に共感している現実を認めざるを得ないからだ。そして次々と事件が起こり、謀略右翼側が陣地を奪って拡大し、右翼が国民化し、国民が右翼化して行くのを呆然と見守ることしかできない。去年の今頃は、鳩山由紀夫が「東アジア共同体」の構想を言い、小沢一郎の大訪中団が北京に詣でていたではないか。わずか１年でこの変わりようは何なのだろう。このイデオロギー環境の激変に、戸惑いを感じて絶叫する者が一人も出ない不思議は何なのだろう。１年前、日本の安保と外交を語る報道からは、岡本行夫も森本敏も消えていて、彼らは官職を追われて浪人になっていた。在野の評論家に成り果てていた。まさに政権交代があり、日本人の世界観が一変した感があった。今や、青山繁晴がＴＢＳで解説を垂れる時局となり、中国を「原則重視の国」と認める森本敏は「穏健派」の風情すら漂う状況になっている。こういうとき、辺見庸が何かを言ってくれたらと思う。
