きょうのコラム「時鐘」 2010年11月11日

 加賀藩祖の正室まつが建立した京都の寺で長谷川等伯に絵を描かせた、と記す文書が見つかった。歴史のかなたに消えた名作である

絵はその後、幕府の御用絵師・狩野派の作に替えられた。幕府を意識して三代藩主利常がそうさせた、とある。間抜けを装った「鼻毛の殿様」のことだから、ひと芝居打ったか、と想像したくなってくる

表向き幕府好みの絵に替えておいて、こっそり等伯の絵を運び出させ、後世に伝えてはいないか。国元の寺か神社に今も「幻の名画」が眠っていないか。そんな夢が膨らむ

ビデオ流出騒ぎも、政府の自作自演だったとしたら、まことに頼もしい。中国にへつらう振りをしながら、裏では映像を漏らし、内外に横暴さを訴える。支持率低下よりも、政治家の誇りを重んじる。これぞ「柳腰外交」であろうが、予想は大外れの雲行きになった

京都の寺には、まつと長男利長の霊廟(れいびょう)がある。傍らには、次男利政の供養塔。利政は徳川に敵対した男である。反逆の子も抱き寄せるようにして、家族は眠る。幕府に対する遠慮や警戒など、どこ吹く風。だから大藩が繁栄したのだろう。