いきなりの祖母の死。久留米の金村(父方)もやってきましたが、僕はここで人間の悲しい姿を目の当たりにしたのです。
高校2年の冬。徳山の祖母が他界しました。お母さんは実は祖母から勘当状態にされていたのですが、僕はちょくちょく祖母の所を訪れていました。祖母は僕の顔を見るたびに
「娘(母の事)が不憫でのう、へんな奴等に惑わさちょるだけなんじゃ。学会を捨てると不幸になること分かっちょらんのんじゃろうか」
と言っていました。僕も松村先輩から衝撃の事実を聞かされていたので、祖母の言う事も痛いほどわかりました。でも、もめごとはもう嫌だったんです。祖母は母を勘当と言いましたが、やっぱり母なんです。ずっと気にやんでいました。母をなんとか救いたいとずっと思っていました。が、僕には「お母さんに言っちゃぁいけんよ」と言ってました。
祖母の葬式は友人葬というもので近所の池田記念会館で行われました。僕と母は葬儀に参列したのですが、ここで親戚の連中が母に罵声をあてたのです。その中には母の兄弟である「遠見のおじさん」と「下上のおばさん」もいたのです。
「なんで、あんたがくるんよ。春君はいいとして、あんたはもう他人なんよ!帰りんさい!
あんたのくるところじゃないんよ!!」
母は親戚にそう罵声をあてられても耐えていました。でも他の親族でない学会員の人たちも「帰れ!帰れ!」と言い出したのです。僕は耐える母に何もしてあげられませんでした。たしかに宗門にたぶらかされたのは母の方なのですが、ここまでして一個人を責めることが許されるのでしょうか!!僕は悔しくて悔しくてどうしようもなくなりました。でも母は大人でした。
「あたしがここにおったら、葬式のじゃまになるけぇ、春君。先に帰るね。春君。おばあちゃんに、よろしく言ってね。」
といって一人、母は涙を浮かべながら去っていったのでうす。
葬式は終りました。
葬式が終ったとき、僕は知らないおばさんに呼び止められました。
「春君?春君でしょ?大きくなっちょったとね。覚えてなかろうけど、分かる?久留米の金村のおばさんとよ」
久留米の金村のおばさん。この人は、僕の父の妹で、幼少の頃に一度だけ会ったことがありました。金村のおばさんはちょっと日本語が不自由なところがありますが、久留米では有名な焼き肉料理のお店を経営していました。でも最近は事業がうまくいかず、母国に帰るような事もいってました。
僕は父の顔をあまり覚えてなく(離婚後、すぐに死んだのですが、それはあまりにも昔の事であまり記憶にありません。母も父の事をあまり語ろうとしませんでした)久留米のおばさんの顔を見てもよくわからなかったのです。
「はるくんも、おとうさんにソックリになったんやね。おばさんも応援しとるけん、挫けずがんばるんよ」
といっておばさんは自慢の本場のキムチを僕にくれました。おばさんは父と母の結婚の際に最も協力的にやってくれた人で、祖母にも迷惑をかけたと言っていました。だから祖母には一言挨拶をしたかったとの事でした。
でも、どうして人は憎しみあったり争ったりしなくてはいけないのだろう。と、僕は母を追って家に帰ったのでした。