松村先輩の出会いと真実を知った僕

ちょっとワルだけど正義の人「松村先輩」。先輩はいつも輝いていました!!


高校に入学してからの僕は、毎日片道12Kmの道のりを自転車で通っていました。田布施町から光市までは峠を越えなければいけません。いつも通学中に光高校が見えてきましたが、僕の高校はこれよりずっと先にありました。

僕は高校に入った時に「写真部」に入部したのですが、(すぐにやめましたが)その時に「松村先輩」とあったのです。松村先輩はちょっとニヒルなワルでしたが、「進学コース」というエリート集団のクラスにいた人なのです。なによりあの、「任用試験」に合格した素晴らしい日蓮大聖人の教えを実践する正義の人だったのです。

僕も、任用試験を目指していましたので、同じ価値観を持つモノ同士、すぐに仲良くなりました。

松村先輩は僕より2歳年上で、もう3年生でした。高校卒業後は、「東京に出てビッグになる」といっていました。松村先輩は兄の愛車「レパード」を無免許運転するワルだったのですが、運転テクニックはまるで「サーキットの狼」のようでした。いつも国道188号線を爆走し、暴走族をビビらせていたのです。

僕は松村先輩に車でいろいろな所に連れていってもらえました。夜の大都会「徳山市」には、レパードやソアラ、クレスタなどカッコイイ「ハイソカー」が集結し集会をやっていました。松村先輩のレパードも一目置かれる車でした。しらない間に僕もそのグループに入っていました。このグループのリーダーは地元の東ソーという会社に勤める熊毛町出身のカズさんっていう人で、この人は喧嘩に負けたことは1回だけという武道の男でした。この1年間は140勝無敗だそうです。せまりくるヤンキー達を正義の鉄拳で成敗する人でした。その正義をぜひ日蓮大聖人の教えのもとにやってほしかったです。

でも、僕も松村先輩も暴力だけは行使しませんでした。

僕は松村先輩に今まであった事を全て告白しました。母が学会を辞めた事。いろいろ嫌がらせを受けたこと。そして片岡君の事。でも、松村先輩は任用試験に受かって、そのあたりの正しい教えから、真実の解答をくれたのです。

僕は、ここで松村先輩の口から、衝撃の事実を知ったのでした。

「春樹、お母さんが学会を辞めたのは、宗門から手紙が届いたからじゃろう。あいつらは、こうやって正しい教えを実践する俺等を妨害するんじゃ。あいつらも俺等も、同じ日蓮大聖人の教えを実践する人なのに、あいつらは学会を見下しちょうるじゃろう。じゃけど、学会が素晴らしく、人がよーけ集まったけー、宗門は嫉妬しちょんじゃ。じゃけぇ、学会を破門にしたんじゃ。でも破門にしたら宗門もお金儲け出来んけーのう。じゃけえ、どんどん学会員を勧誘して宗門側につかそうとしちょんじゃ。お前んちに「地獄に落ちろ」とか「石や犬の死体を投げ込んだ連中」は、お前は学会員と勘違いしちょるじゃろうけど、全部、宗門側の、学会員がお前ん所の家に嫌がらせをやってるように見せかける為の裏工作なんよ。そうやって、あいつらは学会の印象を悪くさせるようにしちょるんじゃ。嫉妬は恐いけーのう。」


これで全て今までのつじつまが合いました。お母さんは騙されていたのです。松村先輩は正義の実践をする人だし、青年部の上の人なんかともよく話しをする機会もあるから真実を全て把握しています。僕と違って毎日、聖教新聞に目を通しているから、正しい正義の真実を知っています。

僕はお母さんに真実を伝えるべきか迷いました。

でも出来ませんでした。今更、波風をたてたくなかったのです。今更、お母さんも後戻り出来ないでしょうし。

僕は将来、お母さんにこの事を伝えようと思います。でも、兄の事もあるし。、これ以上、お母さんの精神負担をかけたくなかったのでした。

そんな尊敬する松村先輩との間も1年間で終ってしまいました。松村先輩は大阪の専門学校に入る為に大阪に旅立ってしまったのです。でも、僕はまた、松村先輩と再開するのです。Amwayという素晴らしい世界と共に。


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