受験勉強で頑張る僕

人生の分岐路、「高校受験」。僕はこのとき人の期待いうプレッシャーを感じたのです。

田布施町に引越した僕ですが、やっぱり根は「徳山人」の都会っ子なのでした。徳山には「セガハイテクランド」もあり「近鉄松下百貨店」もあります。あの都会の象徴「マクドナルド」(なんと!ドライブスルー付きなんですよ!!!¥(^^)¥)

そんな都会で過ごした僕はやっぱり都会に帰りたいのでした。だから僕は徳山高校を受験するつもりで頑張っていたのですが、山口県には校区制というものがあり、僕のいる田布施から徳山高校は受験できないのでした。5%枠入学という手段もあったのですが、僕はそんなに成績が良くない(というより悪い)ので、徳山工業高校土木建築科を目指して勉強を始めました。

担任の先生は僕になぜか同じ徳山市内にあった「職業訓練校」を薦めるのですが、鋭い先生だったので、僕の家庭の事情を察していたのかもしれません。でもちょっと「何故?」って気持ちは禁じ得ませんでした。

僕はお母さんに希望進学校を打ち明けました。

「お母さん、わしねー、徳山工業受けようと思っちょるんじゃけど、ええじゃろ?」

「春君。お母さんね、もうあんまり徳山好きじゃないんよ。見たじゃろ、都会にゃいろんな事があるんじゃけぇ。」

そんなお母さんは徳山の流町というところで夜のお仕事を頑張っていたのです。この時期はバブル崩壊もはじまりかけた頃でしたが、夜の町も大繁盛でしたが、いろいろな都会にしかない鬱積したものを肌で感じている分、やっぱり僕を止まされたかったのかもしれません。でも僕も母の血を引いた信念の人なのです。金村の父の血も信念の血なのです。そして池田先生もおっしゃいました。「自分を信じて正義をもって闘えば必ず勝利する」と。でうすから僕は、一度決めた事は曲げず忘れず、まっすぐにいくのです。僕はお母さんに強くお願いしました。

「お母さん、わし、学校出たら絶対に成功するけぇ、じゃけえ徳山工業受けさせてーや」

お母さんは何も語らず、ただ一言「がんばりいね」と言ってくれました。

でも一言、「でも私立は徳山はいけんよ」と言いました。

それから僕の猛勉強が始まりました!1日一冊のノートに教科書の英語の単語を書きまくったり、教科書にマーカーを入れたり、大好きなファミコンもやめて猛勉強したのです。お母さんは仕事でいつも帰りが夜の2時頃になっていましたが、僕もお母さんの帰ってくるまでは起きていましたから、それは凄い勉強量だったのです。

しかし僕はそんな母を裏切ることとなってしまいました。

徳山工業を落ちてしまったのです。

春、僕は聖光高校普通科に入学しました。


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