東京都港区で09年、耳かきエステ店員の江尻美保さん(当時21歳)と祖母の鈴木芳江さん(同78歳)を殺害したとして殺人罪などに問われた無職、林貢二(こうじ)被告(42)の裁判員裁判の初公判は、東京地裁(若園敦雄裁判長)で19日午後も続き、検察側が死刑を求める遺族の調書を読み上げた。鈴木さんの随筆集も朗読、裁判員や林被告が涙する場面もあった。【伊藤直孝】
午後は検察側提出証拠が説明・朗読された。江尻さんの父と兄、鈴木さんの長男の調書は「絶対に許せない」「同じ苦痛を味わってほしい」と厳しい処罰感情を示していた。
江尻さんの母が林被告と鉢合わせし、ショックで外出できなくなり葬儀にも出られなかったことも明かされた。事件直後、自宅を飛び出す母が映った防犯カメラ映像も裁判員の手元モニターで再生され、法廷には「助けて」「早く110番を」と泣き叫ぶ声が流れた。
検察側は鈴木さんが05年に出版した随筆集「新橋日和」を朗読。江尻さんとの思い出が紹介されると、裁判員や林被告は涙を見せた。
閉廷後、江尻さんの父(57)は「防犯カメラで妻の音声を聞いた時は涙が出た。裁判官、裁判員の皆様には今後もしっかり見届けていただきたい」とコメントを出した。
東京都港区の耳かきエステ店員ら2人殺害事件で、殺人罪などに問われた林貢二被告(42)の裁判員裁判の初公判(19日、東京地裁)で検察側、弁護側が読み上げた冒頭陳述の要旨は次の通り。
■検察側
被告は配電設備設計会社で働き、独身で1人暮らし。女性との真剣な交際経験はない。江尻美保さん(当時21歳)は両親、兄、祖母の鈴木芳江さん(同78歳)と暮らし、08年1月から耳かきエステ店で働いていた。
被告は08年2月ごろインターネットで店を知り、初めて行った時に江尻さんの派手でなく普通っぽい感じが気に入った。プライベートなことを聞くなどして自分は特別な客と思うようになり、08年秋以降は週に3~4回訪れ、長い時は1日7~8時間過ごした。
09年4月3日、江尻さんを食事に誘った。江尻さんは店の規則で客と店外で会えないと断ったが、被告は誘い続け、店長は来店禁止にした。被告は江尻さんに直接謝れば店への出入りを許してもらえると考え同5月初旬、後をつけ自宅近くで呼び止めた。江尻さんは恐怖を感じ、防犯ブザーや催涙スプレーを持ち歩くようになった。
同7月19日夜、被告は江尻さん宅近くで待ち伏せし眠れないほど悩んでいると伝えたが、江尻さんは警察に通報。携帯メールも届かず、被告は絶望感と憎しみを抱いた。
同8月3日朝、被告は江尻さんの殺害を決めた。ペティナイフと果物ナイフ、ハンマーをバッグに入れて電車で江尻さん宅に向かい、午前8時50分ごろ、玄関から押し入った。
1階和室にいた鈴木さんに見つかり声を上げられたため、馬乗りになってハンマーで頭を5回殴り、果物ナイフで首や顔などを16回以上刺し殺害。2階に上がり「やめて」と叫び抵抗する江尻さんに覆いかぶさり、「この野郎」と怒鳴りながら首をペティナイフで少なくとも5~6回刺した。被告は駆け付けた警察官に現行犯逮捕された。江尻さんは同9月7日に死亡した。
■弁護側
被告は事件直後から後悔し深く反省している。毎日、被害者2人を思い出し、遺族あての手紙を書いている。
被告は20年間、一つの職場で地道にまじめに仕事を続け、人間関係のトラブルもなかった。江尻さんに誘われ店の利用時間が増え、安らげる場所と感じていた。指名を拒否され、その理由も分からず心の中で葛藤(かっとう)し、睡眠不足、食欲不振、集中力の欠如が極限に達した結果、事件を起こした。
事件時の精神状態は冷静でなく本来の人格と違う。心神耗弱ではないが100%の責任を問えるものでない。鈴木さんを襲ったのはパニック状態になったからで、江尻さんへの殺意も強固でない。
毎日新聞 2010年10月19日 21時00分(最終更新 10月19日 21時58分)