沖縄・尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件は、衝突時の記録映像が流出するという新たな局面を迎えた。国の情報管理のあり方が問われる事態であり、関係当局に真相解明を求めることはもちろんのことだ。だが、流出した映像をもとに「日本と中国のどちらが悪い」という議論を蒸し返すのは賢明ではない。両国による非難の応酬が再発して事態は泥沼化し、関係修復の機運が失われるからだ。この際、日本政府は「どちらが悪い」式の議論は棚上げし、まず国際情勢をしっかり分析したうえで、将来像を明確に描いた外交戦略を打ち立てることを優先すべきだ。
中国漁船の悪質な行為は断じて許せない--。流出映像を見た日本人の大半がこう考えただろう。映像を見る限り、漁船が意図的に体当たりしているのは明白であり、中国に対する嫌悪感を募らせるのは自然なことだと思う。
一方、中国では既に「漁船の動きは日本側の攻撃に対する自衛行為」などの反論が出ている。中国人の思考方法から推察すれば、彼らが自分たちの違法行為を認めるはずはなく、責任のすべてを日本側に転嫁するだろう。
日本も中国も内政に不安要素を抱え、ともに国内世論を無視できない。双方がこの問題にこだわって相手への非難を続ければ、全面対決となりかねない。政治、経済、人的交流のあらゆる仕組みが致命的な打撃を受け、修復に膨大な労力が必要になるだろう。そんな事態は絶対に避けなければならない。
そもそも衝突事件直後の対応で、日本政府は筋を通すことにとらわれ過ぎなかったか。「日本領海で罪を犯した中国人船長を国内法で粛々と裁く」は論理的に間違いはない。だが、それが日中関係にどのような影響を及ぼすかまで見通せていなかった。
刑事手続きに持ち込めば、双方が譲れない領土問題で白黒を迫る形になる。こうした解決を目指すべきではなかった。中国当局と事実関係を確認しつつ、中国漁船に「日本領海で操業すれば大変なことになる」と徹底的に知らしめることで自制を促す。こんな手立てはなかったのか。
逆に、中国の対応を読み誤ったため、船長を中途半端に釈放することになり、領土問題で譲歩したとの印象を国内外に与えてしまった。中国の急成長に圧倒され、卑屈になっているようにも見える。
衝突事件の対応にいつまでも神経を注ぐより、日本は今こそ「中国とどう向き合うべきか」を、国を挙げて議論しなければいけないと思う。
私は05年から今年春まで北京に駐在し、中国の変化を目の当たりにしてきた。都市部では伝統的建築物が次々に近代的ビルに置き換わった。違法コピーの格安DVDよりも、高額を支払って最新設備の映画館で名作を楽しむ若者も増えた。08年の北京五輪成功で国民は確実に自信をつけ、日本を「発展国家」と呼んでいた中国の友人から、その言い回しは消えた。
経済発展を背景に、国際社会での中国の発言力は増す。それに連動するかのように、友好関係重視の立場から抑制してきた領土に関する立場も転換した。自国の主張を堂々と訴え、領土問題で譲歩しない立場を取り始めた。
だが、もはや中国抜きで日本の将来は展望できないし、中国経済も、日本なしには立ちゆかない。軍事や核の問題で最も重視すべきは日米関係だが、経済面では紛れもなく日中関係だ。中国との敵対関係は日本の利益にならない。
政権交代後の混乱を狙いすましたかのように外交の試練が続く。だが、原因を専ら民主党政権に求めては問題の本質を見失ってしまわないか。長期的な視点で過去の外交政策を点検し、日本が今後、国際社会でどう生きるか、そのためにどんな戦略が必要なのか幅広く議論すべきだ。外交とは本来、目指すべき国家像から導き出されるものだが、今の日本にそれが全く見えないことを私は心配している。
2年後の12年は国際社会の潮目が変わる年だ。米中露韓で大統領選挙や指導者交代があり、次世代に向けた動きが加速する。北朝鮮でさえ「強盛大国の大門を開く」と変化を予告する。この節目に日本はどう臨むのか。急がなければいけないのは、強い信頼関係に裏付けられた首脳間のパイプづくりだ。国家間がこじれた時こそ、首脳が会って解決策を話し合うのが筋だ。間もなくアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開かれる横浜を、そのスタート地点としたい。
毎日新聞 2010年11月10日 0時15分