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秘密保護法 議論があまりに軽すぎる2010年11月10日 
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 仙谷由人官房長官が衆院予算委員会で、尖閣沖漁船衝突事件の映像流出に関連して「(秘密保護法)成立へ努力したい」と述べた。
 憲法違反の疑いも濃い法制の導入を、何ら本格的議論もなく、いとも簡単に口にしてしまう。この政権はあまりに軽すぎる。
 そもそもこの映像のどこが国家機密なのだろうか。聞けば海上保安庁の研修用に作成したものだという。それなら国民の目から遠ざける理屈は成り立つまい。
 中央大学法学部長の橋本基弘教授が「(映像を)秘密として保護する実益があるのか」と疑問を呈したのもうなずける。
 本来問われるべきは漁船の船長を釈放した判断の是非であろう。政治判断だったのは間違いない。立件すべき事案だったかどうか、映像に照らして精査すべきだ。
 それなのに、情報の中身でなく、情報流出それ自体を問題にするのは、すり替えに近い。政権の失態を隠す意図とすら思える。筋が違う、と言わざるを得ない。
 今回の映像は機密とは言い難いが、よしんば政府が秘密指定したものだとしても、流出に過剰な罰を与えるのが適切だろうか。
 政府が非公開としてきたもので、秘密にしてはいけなかった事案は数多くある。沖縄返還密約の数々、非核三原則に関する密約、米兵事件の捜査権放棄をめぐる密約などを想起すればよい。
 それらを秘密にするとき、政府がいつも持ち出すのが「国益」だが、言葉のまやかしだ。実態は「政権益」「官僚益」にすぎない。公開する方がむしろ「国民益」に合致しよう。
 秘密指定は国民の目の届かない密室で行われる。政権の判断ミスの証拠を国民の目から隠すことさえ、容易になされるだろう。今回の映像がまさにそれに当たる。
 そんな国のどこが「国民主権」と言えようか。国民の知る権利より政権のメンツを優先するかのごとき仕組みは容認できない。
 秘密保護法は自公政権時代にも検討された。2007年に日米両政府が結んだ「日米軍事情報包括保護協定」を受けた国内法との位置付けだ。
 米国の望むがまま、米軍基地の近くにいる国民をスパイ扱いしかねない法制度だ。今、政府が検討するとすればこうした法案になりかねない。混乱に紛れてあたふたと法制化すべき話ではない。


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