仙台市の住宅街にある木造アパートに男性(31)はいた。路上生活を抜け出し08年初め、ここに保護された。短髪で年齢より若く見える。
刑務所には3度入った。「戻るのはもう嫌です」。アパートは、ホームレスを支援する非営利組織(NPO)「ワンファミリー仙台」の事務所でもある。
漁師の父親は酒を飲み暴力をふるった。小中学校は特別支援学級で、中卒後に4歳上の兄と一緒に家出する。神社のさい銭箱をひっくり返して暮らした。2人は相次いで逮捕され、男性は19歳のころ、初めて服役した。
父親のいる実家には帰れない。身元引受先がないため仮釈放は認められず、3度の刑は満期まで務めた。刑期を終えた人に、国がかかわることは原則的にできない。
2度目の出所。受刑者らの社会復帰を支援する国の機関・保護観察所を頼った。しかし「入れる施設が満員で紹介できない」と断られ、緊急援助金として3000円を手渡された。インターネットカフェで1泊すると使い切った。求人広告に応募しても、住居がないと決まらない。さい銭に手を出し、逮捕された。
07年9月。3度目の出所だった。路上生活をしながら週1度、仙台駅前の街頭清掃に参加し、おにぎりをもらって飢えをしのいだ。ある日、ワンファミリーの職員に「雑木林を伐採する仕事をしませんか」と声をかけられた。ようやく福祉に救われた。
「押しの弱い子だなあ」。男性を初めて見た時、ワンファミリー理事長の立岡学さん(36)はそう感じた。知的障害があると分かり、福祉サービスを受けられる療育手帳を取得させた。職業訓練も始めた。立岡さんは「彼はここで初めて人とのつながりができた。仲間がいる、という思いを持って、人生を歩んでほしい」と願う。
父親に暴力を振るわれた少年時代、こっそりご飯を作ってくれた母親が1月に亡くなった。今も服役中の兄からの手紙で知らされた。「会いたかったですか」と尋ねると、男性はか細い声で「はい」と言った。
◇ ◇
「刑務所を出たらフーテンですから」。19歳から万引きや自転車盗で13回の刑務所生活を送った男性(72)は、関東地方の更生保護施設で人生を振り返った。
その大半は満期で出所。帰る家はない。鉄くずなどの廃品を集めて売り、公園や橋の下で暮らした。自治体に相談に行ったことはない。「字が読めないし、口べただから」。刑務所にいた時も、福祉施設の利用を教えられなかったという。
「もう年だし、いつ死ぬか分からない。落ち着きたい……」。そう漏らした男性に再び取材しようとしたが、9月には既に退所し、会えないままだった。
身寄りのない高齢受刑者の増加を背景として昨年、満期出所者が初めて仮釈放者を上回った。法務省は8月、満期出所者に国が積極的にかかわることが必要とする方針を示したが、具体的な対策は打ち出せていない。【石川淳一】=つづく
==============
■ことば
受刑者に更生が認められ、引受先が確保されれば、刑期途中でも仮釈放が許される。保護司らの指導・援助を受ける保護観察下に置かれ、罰金以上の刑を受けるなどすれば刑務所などに戻される。満期出所は出所後の支援はない。更生保護施設の緊急保護を受けることは制度上可能だが、現実には断られるケースが多い。毎日新聞が実施した知的障害者・高齢者20人へのインタビューでは、満期出所後に保護観察所を訪問した人も7人いたが、3人が更生保護施設の緊急保護を断られていた。
毎日新聞 2010年10月17日 東京朝刊