応援クリック宜しくお願いします。
排外主義への批難に徹底反駁!
「名誉の称号」としてこの悪名を甘受せよ!
反支那(中国)機運の隆盛が凄まじい。
尖閣諸島沖における支那工作船と海上保安庁巡視船の衝突は、支那工作船からの一方的且つ故意の衝突であることを立証するビデオ映像がインターネット上に流出したことが話題騒然となっているが、このほど神戸海上保安部に属する40歳代の航海士が自らの行ないであるとして名乗り出た。
これを受け、海上保安庁では「まさか…組織の人間が!」「英雄視されるかも知れないが、個人の判断で国の命運を左右するような情報を流すべきじゃない」と憤り、またある職員は涙を流したとマスコミで伝えられているが、ここは政権与党が国民生活の安全を守る義務・責務を忘却または放棄している危機的な状況にあって、最前線の職員が自身の判断に基づいて適切な措置を講じたとして大いに讃えられるべきだろう。
何でもインターネット・カフェから問題とされるビデオ映像を流出させたようだが、民間人による「仕事」ではないかとも思われていただけに、最前線の勇士が直接行動に及んだことはなおのこと喜ばしい。
この期におよんで国家機密の保持だの組織の論理を云々している者は、旧態依然とした「戦後の日本社会」を保守し続けることに汲々とする発想に囚われているのであり、首相・菅直人や官房長官・仙谷由人をはじめ民主党政権は情報を漏えいさせた事実のみを問題視する狭小且つ近視眼的なものの見方でビデオ流出事件を拡大解釈させようとしているだけである。
この非常時にあっては前首相・鳩山由紀夫が言うような「クーデター的な動き」こそが「正常」なのであり、これが危機というものに誰が有用に動けるのかが問われた試金石でもあった。
すっかり前置きが長くなってしまったが、こうした事実の露呈を受けて日本の国民世論の支那に対する反発は凄まじい。
各国首脳が集うAPEC開幕という時期とも重なって、来たる11月13日(土曜日)には都内および関東圏でチャンネル桜系の『頑張れ日本!全国行動委員会』や『在特会(在日特権を許さない市民の会)』また『主権回復を目指す会』といった各保守・市民団体によるデモ行動が開催されるようで、私はいずれの行動にも不参加の予定だが、おのおの関係先でそれぞれの行程をご確認頂きたい。
何が言いたいかといって、支那による日本侵略は今以って言われる情報戦争や人口輸出による侵略といった段階を既に通り越し実際的な「軍事的な侵略」が開始されているというのに、保守・右派または右翼民族派の中で「排外主義」を公然と主張する勢力があまりにも極少であるということだ。
先ごろ行なわれた頑張れ日本!全国行動委員会の反中国デモには2名ほどの左翼分子が「排外主義に反対!」との横断幕を掲げて妨害行動におよんだようだが、排外主義を標榜しているわけでもない全国行動委員会が排外主義者呼ばわりされていることは同委員会の会長・田母神俊雄氏にとっても同幹事長・水島総氏その他の関係者らにとってもさぞ不本意であったことだろう。
この水島氏、先ごろ自身の放送局にて排外主義を批判し、自らは「大らかである」旨を述べたとの情報が同放送を視聴した方々から寄せられたものだが(私はチャンネル桜という放送を視聴していないため)、これまで左翼や人権派と称される者らが排外主義をバッシングする時に述べていたことを、表現の違いはあれど先頭に立って保守運動を自認する者の口をついて出ようとは、ここまで保守というものは退行してしまったのかと思わざるを得ない。
いきなり支那で起きている反日暴動並に大使館に投石せよとまでは言わないが、せめて公然と排外主義を主張出来るくらいの強靭さとそのようなバッシングは意にも介さない大らかさは兼ね備えてもらいたいものだ。
右翼民族派勢力こそ凛たる排外勢力足り得るか!?
件の水島氏らの発言は「排害運動」を自認する勢力と自らの運動体を対比する上で発せられたものではないかと思うが、排外主義に対するバッシングは各方面から飛び交っている。
ここへ来て右翼民族派からの排外主義へのバッシング・キャンペーンも凄まじい。
誰もが思っていながら口憚っているのか、日本で微かな火を燈し始めた排外主義は「支那流の思想・行動手段でありわが国で明治維新を成し遂げた尊皇攘夷とは相容れない」「皇道とは相容れない」というものである。
しかし、支那的であって何が悪いのか?
かつて国内を氾濫する麻薬で汚染されたアヘン戦争に敗れ、自国領土を土足で踏み躙られ各地に欧米各国の租界をつくられた支那がその後、排外主義によって現在のような極東アジアにおける覇権主義を唱える大国にまで成長した好例があるなら、現在同じような状況(かつての日中関係とは真逆)に置かれた日本がそれに倣わないとする手はない。
だいたいが武家政治末期の幕末にせよ欧米各国の支配下に置かれる脅威から、攘夷の意義を云々する前に抜刀して、ただ外国人であるという理由だけで斬り捨てる行動が起こされた。
藩主の行列に入り乱れた外国人らを斬り捨てた薩摩藩士による「生麦事件」は広く知られるところだが、こうした機運こそが日の本の国を統治するサムライの恐ろしさを知らしめ、むしろ外国から認められる結果を生んだのではなかったか。
そのような外国人排斥運動の源流とも言うべき機運こそが後の攘夷に繋がり、やがて新時代をもたらしたのである。
古今東西、これが侵略に抗うということであり、危機に際しては高尚な精神性や高貴な思想を説いている間もない。
最後に、排外主義と「皇道とは相容れない」とは天皇陛下の御心にそぐわない、皇国・日本を中心としたアジア新秩序と世界平和を理念とした「八紘一宇」の精神に反するということだろうか。
しかし、陛下の御心を慮(おもんぱか)るあまり、国民一人ひとりが何を為すべきかを考えず、行動しなくなった世こそ悲劇である。
およそ人民解放軍の将兵一人ひとりが来日していると言っても過言ではない支那人(中国人)の凄まじい日本侵出を目の当たりに、やがて尖閣列島への軍事行動が日本国そのものへおよばんとしている中、臣民とも言うべき日本人が蹂躙され虐げられ、共産主義軍事独裁国家の支配・統治下に組み込まれる事態は陛下としてもお慶びになられることではあるまい。
何より、その時、親王殿下の御后が支那共産党首脳部の子女になるなどという驚愕の事態も荒唐無稽ではないのである。
日本人が確かな方向を見定めて日々の行動に邁進する、眼前の侵略に対しては果然とこれに立ち向かう、それでこそ帝(みかど)を戴く今なお帝国の日本は未来永劫その連続性を保つのである。
この時代に微かに灯る排外主義の狼煙が皇道に相容れるか否か、その評価は後世にこそ決められるべきものだ。
応援クリック宜しくお願いします。