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【オピニオン】 臨床試験を考える
〜 福島雅典・臨床研究情報センター長インタビュー 〜

2010年11月10日付 朝日新聞東京本社朝刊から

 朝日新聞は10月15日付朝刊1面で、東京大学医科学研究所が、付属病院でのがんペプチドワクチンの臨床試験で発生した「重篤な有害事象」(消化管出血)に関する情報を、ペプチドを提供した他施設に伝えていなかったことを報道した。報道に対して、東大医科研は「法的、医学的にも倫理上も問題ない」として反論、患者や家族からは不安の声も寄せられた。臨床試験制度に詳しい先端医療振興財団(神戸市)の福島雅典・臨床研究情報センター長(京都大学名誉教授)へのインタビューを通して、論点を整理した。
(聞き手・大牟田透科学医療エディター)

福島雅典・臨床研究情報センター長福島雅典・先端医療振興財団臨床研究情報センター長

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◇ 国際ルールにそわない日本の「二重基準」 安全と信頼性確保を ◇


 ――臨床試験の基本原則はどういうものですか。

 「臨床試験は人類共有の財産をつくり出す科学事業で、法律に基づいて行われるべきものです。医薬品開発のために効果や安全性がはっきりしない候補物質を人間に対して用いるので、被験者の人権と安全を守ることが最優先であり、そのための国際法とも言うべきものがあります。それが人類の誓い、世界医師会の『ヘルシンキ宣言』=キーワード=です」

 ――宣言の目的は何でしょうか。

 「被験者の保護と臨床試験データの信頼性の保証です。それを可能とするため、欧米はすべての臨床試験を厳格な法律によって公的な管理体制の下に置き、その成果を一般診療に還元できるようにしています。それに、日本では未整備ですが、欧米では被験者の安全と人権を守るよう、法律で定められています」

 ――日本では薬の製造販売承認申請のデータ収集を目的とした臨床試験(治験)とそれ以外の臨床試験に対する規制が異なり、いわば二重基準=キーワード=になっています。

 「そうです。ただし、後者は国際的に通用しません。治験は、薬の品質や安全性、有効性を規制する薬事法と、それに基づくGCP(医薬品の臨床試験の実施基準=厚生労働省令)で国への届け出を義務づけるなど国際ルールに基づいて管理しています。しかし、それ以外の臨床試験は法律に基づかない『臨床研究に関する倫理指針』で対応しているため、事実上、野放しの状態です。その結果、国際競争に耐えられないのです」

 ――どのような不利益があるのですか。

 「薬事法に基づかない臨床試験のデータは薬事承認申請に使えないので、一から治験をしなければならない。そのうち特許(20年)が切れてしまいます。製薬会社の手で最終的に製品化してもらおうと思っても、市場に出る時点で5年以内に特許が切れるような薬に企業は手を出しません。薬事法に基づかない臨床試験をするから開発が遅れるのです。ところが、日本の研究者の中には、面倒な規則のせいだと考える人がいます。そんな人は臨床試験の土俵に上がる資格はないのです」

 ――なぜでしょうか。

 「国際的に合意されている臨床試験ルールに従わないことを野球に例えれば、『審判なしでやろう』『三塁と本塁の距離を短くすればやりやすくなる』と言っているのと同じです。もし野球で日本がそんなことをしてきたら、イチローのように国際舞台で活躍できる選手が輩出しなかったはずです」

 「薬事法の適用を受けない臨床試験を可能にしているのは研究者、医師の無理解と厚生労働省の怠慢です。国際的に通用するように、すべての臨床試験に薬事法を適用すべきです」

 ――臨床試験は実地医療とどう違うのでしょうか。

 「実地医療と違い、安全性、有効性が確認されていない薬の候補となる物質を使います。だから、臨床試験は厳格な管理が必要です。そのデータを規制当局が審査、承認して初めて薬になるのであって、それまでは薬でも何でもありません。朝日新聞の報道に対して日本癌学会などが出した声明に『ワクチン治療』とありますが、そのような治療はまだ確立しておらず、研究段階なのです。医療者が臨床試験と実地医療の違いを認識しないと、患者さんをミスリードします」

 ――倫理指針は「共同で研究する場合」の他施設への重篤な有害事象の報告義務を定めていますが、東大医科研は「単一施設で行った臨床試験だから有害事象の報告義務は負わない」と言っています。

 「米国政府の臨床試験登録サイトには日本国内の多くの施設で行われているがんペプチドワクチンの臨床試験の情報が登録されています。東大医科研ヒトゲノム解析センターが『コラボレーター』と記載されています。これは『共同研究者』と翻訳する以外にないでしょう。医科研提供のペプチドなくして他施設で臨床試験はできないわけですから、常識的には共同研究施設です。付属病院での有害事象を医科研が他施設に伝えるのは試験物の提供者として当然ではないでしょうか。さらに、製造物責任法による責任がどこにあるのか問題になります」

 ――厚労省は共同研究を「同一の実施計画で行う場合」と解釈しています。

 「他施設に試験物を提供するなど、共同研究には様々な形があり、多施設共同研究に限ることには無理があります。そんな解釈が恣意的(しいてき)になされることは問題です」


◇ 患者に開示されてこそ情報は意義を持つ ◇


 ――医科研は出血とペプチドワクチンとの因果関係について「誤解を与える表現をしている」と主張しています。

 「被験者の日常生活を害するものはすべて有害事象になりますが、薬との因果関係の有無を議論してもその時点ではわからないこともあります。だから因果関係を簡単に断定してはいけない。データを蓄積してから最終的に薬に起因するかどうかを結論づける。それが副作用被害の拡大を防止するための鉄則です」

 ――具体例はありますか。

 「肝炎などの治療薬のインターフェロンには抑うつや自殺しようとする副作用がありますが、市販後に自殺者が出た当初は個人的な事情が原因と思われていた。人類はこのような苦い経験をしてきたのです」

 ――医科研病院より前に別の大学病院での別種のペプチドを用いた臨床試験で消化管出血例があり、医科研はそれが臨床試験に参加する研究者間で共有されていたと言っています。

 「有害事象や副作用に関する情報は、研究者間で共有していればよいわけではありません。患者さんの利益のために臨床試験をしているわけで、患者さんの不利益になる可能性は患者さんに開示されて初めて意義を持ちます。予想されるリスクの説明義務はヘルシンキ宣言にも規定されています」

 ――医科研は、人に使われる前提で未承認薬のペプチドを他施設に提供しました。薬事法は治験以外での未承認薬の提供を禁じていますが、厚労省が今回、倫理指針に反しないと判断すれば、例外扱いされる可能性があります。

 「医薬品の安全性を確保するための唯一の法律は薬事法です。未承認薬が法律に基づかず、すなわち管理されないで配布、提供、使用されると極めて重大な結果を招きます。今回の問題は薬事法に照らして、それを所管する医薬食品局が調査すべきです」

 ――医科研からペプチドを提供された全国の施設はペプチドを一つもしくは複数組み合わせたり、抗がん剤と併用したりしています。この試験をどう評価しますか。

 「臨床試験の初期の段階は、人での安全性確認が目的です。複数の試験物を用いたり、抗がん剤を併用したりすれば、どちらの副作用なのか、二つを合わせたから起こる新たな副作用なのか、抗がん剤の副作用なのかがわからなくなる恐れがあります」

 ――治験以外の臨床試験も公的管理下に置くとなると、審査体制の充実が必要ですね。

 「薬や医療機器の審査をする独立行政法人医薬品医療機器総合機構を強化し、現在約390人の審査担当者を少なくとも数倍には増やす必要があります」

 ――文部科学省の「橋渡し研究支援推進プログラム」にかかわっておられますね。

 「橋渡し研究は、基礎研究の成果を医療として実用化するまでの過程の最初の段階で人を対象に行う臨床試験のことです。国内の大学など七つの拠点が対象ですが、各拠点に、期間内に二つずつ治験に入るよう求めています。大学でも自ら治験ができるように生物統計家やデータ管理責任者、薬事の専門家を雇用することを求め、綿密な進捗(しんちょく)管理を行っていることが、従来の科学研究と異なる点です」

 ――なぜ大学が医薬品開発を行う必要があるのですか。

 「市場規模の小さい薬や、再生医療のように商品化が困難な場合は製薬会社が開発したがらないからです」

 ――「治験は医者には不可能」という声もありますが。

 「それは事実ではありません。橋渡しプログラムではすでに4件の治験がスタートしています。このプログラムは医薬品開発で激烈な国際競争から脱落しかけている日本の起死回生策なのです」

ふくしま・まさのり 京都大学名誉教授。1973年名古屋大学医学部卒。愛知県がんセンター内科医長などを経て、2000年に京都大学大学院教授(薬剤疫学)。昨年4月から現職。専門は腫瘍(しゅよう)内科学と臨床試験のデザイン・管理・評価。インフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)の考え方を日本に定着させることに長年尽力した。基礎研究の成果を医療として実用化するための拠点整備を目的に文部科学省が2007年度から始めた「橋渡し研究支援推進プログラム」で、サポート室長として拠点となる大学などへの助言・指導を行っている。61歳。
《キーワード》 ヘルシンキ宣言
 世界医師会が1964年にフィンランドの首都ヘルシンキで開いた総会で採択した「人を対象とする医学研究の倫理規範」。被験者への十分な説明の必要性や被験者の自由意思による同意などが盛り込まれている。
《キーワード》 臨床試験の二重基準
 治験は薬事法で実施前の国への届け出義務が課され、同法に基づくGCP(医薬品の臨床試験の実施基準=厚生労働省令)が実施方法を詳細に定めている。
 一方、治験以外の臨床試験を対象とした厚生労働省の「臨床研究に関する倫理指針」は届け出義務を課しておらず、データの信頼性を保証するための監視規定もない。

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