幻の左翼
Chris Hedges
2010年11月2日
"Truthdig"
アメリカの左翼というものは幻だ。バラク・オバマに、社会主義者というレッテルを貼るために右翼が捻り出し、自分たちの自己満足と不活発さを正当化するのに、リベラル層が利用しているのだ。この幻が、大企業権力に対する注意を逸らせてしまう。この幻が、国民の投票で、影響を与えることができる民主的な制度、政治綱領や国会議員の仕事という神話を永続させてしまう。これが、世界を巧妙に、左右に分裂したままに保つのだ。幻の左翼が、都合のよいスケープゴートとして機能している。右派は、モラルの低下と経済的混乱を、幻の左翼のせいにする。リベラル層は、“中庸”を呼びかけるのに、これを活用している。我々が馬鹿げたことを語って無為に過ごしている間も、大企業権力の機関は、本性を隠し、非情に、吟味もされずに、楽しく、国家をむさぼっている。
アメリカ政治における先鋭的左翼の消滅は、破滅的だ。左翼は、かつては戦闘的な無政府主義や共産主義の労働組合、独立した、反体制的な新聞雑誌、社会運動や企業の後援者の紐付きではない政治家達を擁していた。だが、共産主義者に対する長期にわたる魔女狩り、脱工業化と、グローバリゼーションなるもののユートピア的展望に支持を表明しなかった人々の沈黙の結果として、左翼が消滅したことは、大企業による新封建主義へと、我々が次第に落ち込むのを押しとどめる反対勢力が皆無であることを意味している。この厳しい現実は、とはいえ、心地よいものとは言えない。そこで、マスコミを支配する大企業は、幻の左翼をひねりだしたのだ。連中は、アメリカの瓦解を、この幻のせいにしている。そして、連中は我々に、ばかげたことを語らせるようにしているのだ。
幻の左翼が、今週末、ワシントンのモールで、中心的な役割を担った。幻の左翼は、自身のラリーで、怒りと恐怖を吹き込む避雷針として活用したグレン・ベックのために、立派に活躍した。そして、幻の左翼は、米国国旗色の衣装を着た群衆に語りかけたコメディアンのジョン・スチュワートやスティーヴン・コルベアにとっても、同様に有用であることが証明された。二人のコメディアンは、むしろ無気力と表現する方が適切な「中庸」を擁護するため、リベラル層がいつもしているように、幻の左翼を喚起した。右翼が狂っていて、左翼が狂っているなら、と議論は進む。我々中庸派が妥当なのだ。我々は愛想よくしよう。エクソンやゴールドマン・サックスが、略奪的な銀行や軍需産業と共に、国のはらわたを食いちぎり、人身保護法を含む我々の権利は破棄されてしまったかも知れないが、怒ってはいけない。辛辣になってはいけない。左翼のいかれポンチのようになってはいけない。
“アメリカの憲法を積極的に打倒しようとしているマルクス主義者やら、自分たち自身以外の、他人の人間性は決して認めない人種差別主義者や同性愛恐怖症の人々と、一体どうして協力などするでしょう?”スチュワートは尋ねた。“わが国がどれだけ脆弱か? 破滅の瀬戸際にあるか?対立する憎悪によって分裂させられ、物事をなし遂げるために協力しあえないのは、なんとも残念だ、我々は日々聞かされている。だが本当のところ、我々はそうしているのだ。我々は、物事をなし遂げるために、日々協力をしている。ここ[ワシントン]、あるいは、ケーブルTVそのものに、我々が存在していないのにすぎない。”
集会は、現実味や中味の欠けた政治的メッセージを打ち出した。選挙による政治は、企業献金とロビイストによって買収されてしまっていることや、投票を通して、何とかアメリカをデモクラシーに戻すことができるのだという素朴な信仰は、情緒的カタルシス優先で、無視されてしまった。右翼は憎悪する。リベラル派は笑う。そして国は人質になっている。
ワシントンのナショナル・モールで開催された、Rally to Restore Sanity(健全さを取り戻す集会)は、リベラル層終焉に対する悲しい脚注の一つだった。催しは、ボーイスカウトのジャンボリーと同じくらい人畜無害のものだった。ティー・パーティ運動を支持した人々が表現した痛みや苦悩が、現実であるばかりでなく、正当なものでもあることを認めずに、ティー・パーティ支持者をからかった。支持者達が、リベラル層、特に、企業から金を貰って、労働者階級に背を向けた民主党によって、売り払われてしまったことを受け入れず、共和党を占拠すべく、道徳の沼地から立ち上がった連中を、物笑いの種にした。
憎むのに十分な理由を持った何千万人ものアメリカ人がいるので、フォックス・ニューズのベックと、彼の極右仲間は、憎悪を動員用のエネルギーとして活用できる。そうした人々は、法人国家を運営するエリート達、二大政党、テレビという公的な場を与えられている連中を含め、職が消滅し、賃金が低下し、失業保険が底を突く中、中庸を説き続けるリベラル派擁護者に裏切られている。リベラル層は、中庸という効能の無いセリフを言い続ける限り、右翼の反発に油を注ぎ続けるのだ。リベラル層が、この怒りを自らのものとした時、民主党を含め、権力の確固たる制度に対して、立ち上がった時にのみ初めて、我々は共和党の過激派を阻止するという希望が抱けるだろう。
ウオール街による国庫の略奪、我々の市民的自由の抑圧、何百万件もの詐欺的な差し押さえ、長期的失業、医療費による破産、中東での果てしない戦争と、決して返済など不可能な、数兆ドルに上る債務が、内部崩壊というホッブズ的世界へと我々を押しやりつつある。愛想よく、中庸でいても、役にはたたない。アメリカ合州国を、新封建主義という制度に作り替えることに専心している企業勢力が存在しているのだ。こうした大企業勢力は、おかしなプラカードや、米国旗色服装をした漫画のヒーロー、キャプテン・アメリカのような格好をしたコメディアンやら愛想の良い言葉で押しとどめられることはない。
リベラル層は、道徳的、政治的に束縛されずにい続けるために、政治の中心で暮らしたいと願っているのだ。右翼同様に馬鹿げていて、矮小化された幻の左翼が存在している限り、リベラル層は関与せずにいられるのだ。もしもリベラル層が、我々国民から権力が奪い取られてしまった敗北を認めれば、そして、もしも行動する意思があれば、政治制度の外側で、運動を立ち上げることを強いられるだろう。わが沈滞した民主国家にかろうじて残されたものを救い出そうという試みとしては、リベラル層が、市民的不服従を含む抵抗行動をすることが必要になろう。しかし、この種の政治活動は、莫大な金がかかり、困難で、魂を企業権益に売り渡してしまって、破綻した体制派リベラルにとっては、到底受け入れがたい。そこで幻の左翼が、長らくアメリカに生き続けるというわけだ。
アメリカの政治は見世物に堕している。芸能産業のもう一つの形態なのだ。テレビによってしっかり教え込まれた、ワシントンの集会の群衆は、カメラの前で、それなりの演技するよう仕込まれていた。“家賃は余りに高すぎる(The Rent is Too Damn High)”“本当の愛国者は、意見の違いを乗り越えられる”あるいは“俺は自慰し、投票する”といった類のポスターは、現在の政治論議の空虚さと、テレビのねじけた認識論を反映していた。集会では、もっぱらテレビの不毛な図像と言語で語られていた。集会は、無意味な政治的敬けんさ、音楽とジョークに満ちていた。あらゆるテレビのバラエティ番組と変わらなかった。政治綱領ではなく、有名人連中が売り込まれていた。そしてこれこそが見世物社会の本質だ。
理論家のギー・ドゥボールが指摘したように、現代の見世物は、宣撫工作と非政治化のための強力な手段だ。見ている連中を麻痺させ、自分たちの生活を支配している勢力と、彼等の関係を断ち切ってしまう“永久アヘン戦争”だ。見世物は、怒りを幻に向けて、搾取と不正の犯人どもから、そらせてしまう。見世物は高揚感を作り出す。見世物は、参加者達が、見世物そのものと政治行動とを混同するのを可能にする。
ケーブルテレビ局のコメディー・セントラルの有名人や、フォックス・テレビのくずのような対談番組の司会者連中は、皆ご同業だ。連中はエンタテイナーだ。連中は、想像上の左翼や右翼に関するテレビ番組で、行きつ戻りつの果てしないおしゃべりを推進する空虚で、感情満載の話題を提供する。これは全国規模のパンチとジュディのドタバタ人形劇だ。だが騙されてはならない。政治番組ではないのだ。娯楽番組だ。見世物だ。放送されている、あらゆる国民的論争は、同じ空虚なゴシップ、同じ馬鹿げた些事、同じ有名人達の一巻の終わりやら、同じ奇妙な振る舞いによって動かされている。見せ方こそ、色々とひねってはある。しかし、そういうものは、いずれも理想や真実とは無縁だ。そういうものは、いずれも参考になりはしない。感情を満足させるだけだ。我々が、知識を得て、物事について意見を持つ方向を混乱させるのだ。結局は、このたわごとを提供する連中にとって、視聴率と広告という形での金を巡るゲームに過ぎない。ベックもコルベアもスチュアートも皆同じご主人に使えているのだ。そして、その主人というのは私たちではない。
毎週月曜日にTruthdigに寄稿しているChris Hedgesは、新刊“Death of Liberal Class”の著者である。
記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/the_phantom_left_20101031/
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話題の集会、素人が遠くから眺めていると、さっぱりわからない。
「幻の左翼」の効用と、最後の結論部分、つまり、宗主国も属国も、等しく同じ空虚なテレビ番組ばかりが大活躍していることは良くわかる。
小生、国会の「論戦」やら「事業仕分け」も、娯楽・洗脳番組だと思って眺め、洗脳されている。
「日教組」、というより日本の「労働組合」を連想した。
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