【2008年6月】

6月25日(水)  韓国政治がうらやましい  (^o^) まあまあ
 トンでもないバカ野郎一家がいる。

 とにかくガキが学校にも行かないで仕事もロクにしないクセに、その一家の実権をすっかり握っちゃっているらしいのだ。
 仕方がないのである、家族の中でこのガキがテストの成績だけは良いという、一番始末の悪いバカだから、こいつに財産を預けておいた方がまだマシということらしい。

 だが、問題なのはその一家のカネというのが「生活保護」にすべて頼っている事が悲劇なのだ。

 バイトもろくすっぽするわけでもなく、ただの金食い虫。すぐに疲れたつかれたと抜かして「あいつは怠け者だ」とご近所でも知らぬ者はないほど(笑)。

 それ、靴だスーツだクルマだと買い与えられても、年がら年中いくらでも使える物をおっぽり出す浪費三昧だけは一人前ときている。

 それに輪を掛けて海外旅行だの、温泉行けばコンパニオンと野球拳やるわ、やたらと外へ出ると気前ばかり良くニヤニヤしてばかりで、外面ばかり気にしては悪い仲間もいるらしく金を持ち出しては大盤振る舞い。

 どこぞの女にも手を出しているのだろう、あちこちカネをばら撒いて年中ピーピーしては嘆いてばかり。

 さらに救いようがないのは、このオヤジをはじめ親戚の連中一族郎党が無能らしく、このガキの言いなり…ときてるから、始末が悪いのだ。
 その理由も情けない事に、なんでもこのガキの小遣いから、幾ばくか叔父連中もおごってもらったり、どうやら金も回してもらっているためか、すっかり丸め込まれどこの誰も真っ当に意見がこいつに云えないというカラクリらしいのだ。

 さすがに近年の不景気でご多分にもれず多重債務。
 最近では町内一の借金かかえるようになったそうだ。

 一家の首も回らなくなってきてついこないだ、オヤジがやった事がいい。

 このバカ、なんとガキの放蕩ぶりを正したり、節約をしろと叱るわけでもなく、誰あろう社会福祉事務所に駆け込んだのである。
 『これじゃ、やっていけないからもっと補助を増額してくれ』

 保護司らは舌を巻いた。
 『あなたね、そんな増額云う前に少しは息子の無駄遣いどうにかする方が先じゃない。少しはお金の有り難味を教えたらどうなの。あたし達だってずっと前から云ってきたわよね。それをあんたのところの一族ときたら、みんなあの子に意見云うどころか、何も逆らえないじゃないの。』

 『あんたんとこの家計簿だってナニ?あれ。「節約する努力をする」「来年はもっと良くなるだろう」って頭だけは下げてるけど、いつだってそんなのホゴにしてきているじゃない。どうしても必要だからって引っ張っていった出費だって、調べてみたらデタラメばっかりじゃないの。もう誰が信用すると思ってんの?』

 『あんたさ、いつだってすべて「他人事」みたいに云ってるけど、あんたは家族の長なのよ、しっかりしなさいよ。そんな「金食い虫のその子」なんていっそ外へおっぽり出す…くらいの覚悟してくれないようじゃ、「今までの金額も減らさなきゃならない」って皆で相談してるとこなんだから』

 ボクはこの日記の1・31付け「きっとある『福田首相の一発変換』」で、
 「彼はきっと起死回生、このままでは自民党が存立基盤から危なくなるのを恐れて、さすがに何か大きな手に踏み切るだろう。「ガソリン税を凍結して、産業界を活性化する」などの人気取り手術で逆転打を打ち、みずから延命措置を図らなければならなくなるだろう」と、4月暫定税率の攻防につき予測した。

 そうしたら、ビックリを通り越した。何にもしなかったできなかったまま、今日まで混迷を引っ張ってきてしまったのである。
 おかげで支持率は低くなり過ぎて「ホフク前進状態」。
 それがパニックとなって、現在福田も自民党も揃って「解散も辞職もできない」。それしか永らえる方途はないというまでの奈落の底グランドキャニオンの底にまで落ちて落ちぬいてしまった。

 あきれたものである。見下げ果てるということはこういうことを云うのだろう。
 ここまで東大という学校がバカで状況判断ができないデクの棒を創出するところとは思わなかった。

 冒頭の「家族物語」の題名は『福田ヤスオさんち』で、オヤジは福田首相、取り巻きの親戚叔父さんたちは自民党。主役のどうしようもない反省のないガキは官僚諸氏のことである。

 そして福祉事務所の保護司らは国民という配役だ。

 ストーリーは、出費がかさんで節約する能力のない親子が、何を思ったか「消費税増税」を当たり前のように頼みに行きドヤされ、追ん出されるというホームドラマだ(笑)。

 ボクはああした連中が追い詰められついでに、かえって目先の欲に目がくらむあまり
「ガソリン税は要りません」とか「福祉だったら大盤振る舞いしますよ」とか、支持率を金で買うような安易な方向に流れるのを正直心配していたが、その心配も杞憂に終わった。
 それほどのワル知恵も働かないほど、危機管理ができていない性格だったのだろう。

 だったら連中って、アンガイ良い人だったのかというとその真逆で、官僚の算出した数字を一歩も越えることもせず、官界の無駄を糾すというのに、そのターミネイター役に官僚自身を指名してはばからない感覚なのだ。これを世には「判断停止状態」と呼ぶ。

 掃除が嫌いな者に掃除を任せても、どだい無理な話というのは昔から自明の理。ウソだと思ったらボクの部屋を見てもらえれば明らかな事である(笑)。
 これは、ネコに鰹節の番をさせたらいいだろうとか、ドロボウにカネの番をさせるのが適役と考えるような理屈というのだろう。

 そもそも官僚に「霞ヶ関の整理をしろ」といって、連中にそうした才能があると思う人など日本の国には住んでいないだろう。

 福田自民党はどこまでいってもダメな党である。(それが麻生版だって谷垣版だって何も変わらないと思うが)
『選挙をやったら絶対負けるに決まっている、取り返しがつかなくなるから解散をしない。』、国民に信を問えない…から「選挙をやれ」という声から逃げ回る…などといった政権が、有史以来先進国のどこにあっただろうか。あ、あったあった、『ミャンマー』が(笑)

 可哀相に中学生の諸君は、社会化の教科書にはまだ載っていないが「福田ヤスオの解散逃避」といった政治経済の科目に、この新しい現象が今の日本で現実に進行中である事を学んでもらわなければならないのである。

 福田に町村、そして党幹事長のぬらりひょん(伊吹だっけ 笑)。
 伊吹なんか京都駅前のビルにある自陣営事務所への事務所費が2億を超える事実が出てきていたのである(=過去形)。
 だから、松岡某が『ダム並の水道料』を政治資金への経費に繰り入れたのを追及され、その挙句たまりかねて首をくくったけれど、その騒動で追及側が事務所費問題から「兵を引いた」ことで一番助かったのは誰あろう、この大蔵省金食い虫官僚出身の伊吹である。

 松岡の自殺のおかげで、京都駅前繁華街の家賃だけでそれだけの巨額という、超一等地事務所費の内側にメスを入れられる寸前で助かった。
 だから今ではこの伊吹、松岡サンに毎日お線香をたいて感謝しているという話を耳に挟んでいない(笑)。

 その伊吹を先頭に上記3人がもっぱら『歳出そのまま、消費税増税推進』のお題目を唱える中心人物。

 対するに若い愛人に愛犬を抱かせ、自宅寝室のベッドサイドで(夫人の留守中に)記念写真を撮るという趣味の中川秀直サンが意外にも『歳出見直し削減、消費税増税尚早論』。
 イヤだなあこんなのと意見が同じなんて…という御仁は多かろう。

 ともあれ、与党政治家は冒頭ホームドラマのように、どいつもこいつも『霞ヶ関官僚の既得権益を確保すればいい』、あとの足りない分は増税しかないと、連中はここへ来てはっきりと態度で示しているのである。

 われわれ国民がどれだけ怒っていても、彼らは長いタームの(道路特定財源への暫定税率のような)法案を、今のうちに片っ端から「参院反対・衆院賛成」の確信犯方式で次々と成立させて、延命のための時間かせぎに走っているのである。

 国敗れて山河ありとはいうが、仮に将来この国が敗れ国民が死に絶えるような事態となったら、いったい誰が「あり」なのか。
 そんなの国交省と道路族に建設族だけが山河もなくなって生き延びるのだろう。
 
 今、夜間にタクシーに乗っていると次から次へと道路工事のオンパレードでメーターもかさむ、運転手も済まなそうに「渋滞する時間帯でもない」のに車外をにらんでつぶやく。
 車内の我々は、国交省によって”人工的に作られる深夜の行列”によって、運転席と客席でフツフツと怒りを醸成させているのである。

 『次の選挙を楽しみにしてろよ』

 ガソリン代から、ガソリン税の分が凍結され、「リッターあたり130円前半」で済んでいたというなら今の(工事車輌以外は)閑散とした都内の道路夜の光景はなかっただろう。
(閑散としていても道路に渋滞ができるほどなのである!)

 これは方法論なのである。
 政治のリーダーシップを明らかにしておきながら、政治的決断によってガソリンを安くして、まずは国民の気持ちを高揚させることは今すぐにできる効果的な景気浮揚策ではなかろうか。

 その結果、流通を活発にして経済を元気にすれば、税収は法人税など他の方から自然とアップしてくるはずではないのか。
 それを不透明なことこの上ない。論議も積み残したまま、ドカンと法案成立と共に160円170円と上がってしまっては極力エンジンに火を入れないにきまっている。
 ボクら庶民のそうしたレベルに下がって、どうして情勢を見きわめようといった努力が霞ヶ関や永田町の連中には皆無なのか。

 じつに政治センスのない脳みそのかたまりである。

 いっぽう韓国は、そうした民主国家としてはるかにウチらより健全である。
 政治学上、少なくとも日本よりもずっと成熟度は上である。
 支持率や世論の動向といったものを先に読んで、責任を追及される前にまず己を糾して辞表を書いているではないか。これを別にポピュラリズムという落とし方で、本質を誤魔化してはいけない。

 ガソリン価格を下げないとやっていけない…と悲鳴を上がれば、賛同した市民が100万人のデモを行い、その無策を恥じて大統領の側近らが総辞職をして詫びる。

 「アメリカ産牛肉100%再開」を韓国政府が打ち出した時などは、思わずボクもやったーばんざ〜いと叫んでしまった(ほどアメリカ牛が好きな)のだが、韓国民は「狂牛病検閲対策が不十分」だと怒り、それがデモなどの具体的な形になるのが立派だと思う。

 ガソリンへの施策に抗議して、韓国ばかりでなくフランスやスペイン、カナダでもこうした大規模な対国家への大衆運動が開始されている。

 仮に市街戦となったら、警察は何もせず退却しておいて貰いたい。それがもっとも穏やかに終わる形なのであるし、そもそも警察の手落ちでそんな悪政になっているわけでもない。
 警察官とはいえ、彼らも国民の一人であるかぎり被害者であることには変わりはないのだから。
 こんな出動で怪我でもさせられたらそれこそ泣いても泣ききれない。

 それにしてもいつから日本国民って政治的にここまでおバカになったのか。

 それにしても右翼だのヲタクだのが、日常的に朝鮮半島の人びとをやたらと侮蔑するけれど、ここまで政治的に成熟した選挙民らの意識を見せ付けられてしまうと、もう勝負あった…であって、ボクなどは
『未開国にいる負け犬の遠吠え』と冷笑されないか、そちらの方がむしろ心配だ。

 『それでも何の意思表示ができない日本人』。
 これって服従からさらに耐えて、忍従というのか、いや盲従とすべきなのだろうか。
 それがどういった『日本人の美徳なのだから…』と、負け惜しみにごまかして、未だに無言で見過ごしている自分らの情けなさを言い訳したらよろしいのか、正直ちっとも判らないのである。 

6月23日(月) / むしろ『死刑執行員制度』こそ必要(改訂版)  (^o^) まあまあ
 秋葉原無差別の加藤と、サバイバルナイフ対鉄パイプ警棒で一騎打ち演じ(結局はピストルを抜き制圧)たお巡りさんの着ていた『防刃ベスト』に向け、野郎は3度も突き刺したようだ。

 それがすべて効果的にはじき返せたおかげで、加藤を押し返すことができたわけだ。
(それにしても逮捕直後の加藤の左側頭部にできた警棒の形にミミズ腫れした痕を見るたび、もっとズッシリした「中空でない棒」にした方がいいのに、と老婆心は心配してしまう)

 こうして「バカの非道ぶり」が報道され、それを制圧した警察官とその装備に理解がおよび、これで初めて予算も増額される下地ができて、生命の危険から遠ざけて挙げるための世論が形成されてゆくはずである。

 そこにはもちろん亡くなられた尊い命の数々があって、それでこそ下支えになっているとの事実も忘れてはなるまい。

 そこへ『見せしめではないか』と、さっそく宮崎勤に行われた死刑執行命令書にサインをした、鳩山法相をめぐり論議が起こっている。
 朝日新聞のコラム「素粒子氏」が『就任以来13人の執行をした法相を「死神」』と書いたことだ。

 それに対して法相は机を叩いて猛反論の激怒ぶり、今までこの人物はあまり利口では無さそうなことをしてきたから(フィリピンに渡り、趣味の珍蝶を捕獲中、同行ガイドも手にしていた捕虫網が高圧線に触れ感電死した。それにもめげず、彼は捕蝶ツァーを続け、秘書に任せたまま自身はロクな見舞いもしなかった等など、)、こんないかにも不遜そうな野郎など、「ツメの垢」くらいの人物としか思っていなかった(笑)。

 だが、さすがに朝日もヤキが回ったのか。
 こんなにバカな断じ方があるものだろうか、まるで産経新聞と変わらないではないか(笑)。
 さすがに現在の空気は「光市母子強姦殺人事件」の広島高裁判決以降、厳罰、そしてその早期執行を求める世論が高まっていたところへ、この「秋葉原」の事件である。

 まさに「この場合のKYは朝日新聞」ということになるのだろうか、でもまあ、「世論が一色に塗りつぶされる」というのも恐ろしいから、それはそれで『朝日っぽい』のかもしれないが。

 昨年初め、日本国内で『死刑が確定した囚人』は100人を超えた。
 細かい数字は誤差があろうが、およそ男性103人、女性4人…。

 そして近年起きた犯罪によって、さらにその人数にプラスして男女計62人もの被告が、「自分への死刑判決」をめぐり控訴や上告中なのである。
 
 今年初めのデータでは、アメリカでも死刑確定囚が4000人前後収監されていると、アメリカ保険会社機構が算出している。
 不謹慎だが、死刑につき論議が一進一退なものだから、判決はバンバン出てくるというのに執行もロクにしないものだから、死刑囚は溜まるばかりで「多重債務」みたいな現象を日米は抱えているのである(笑)。
 
 で、この驚くべき数の確定囚=『ウォーキングデッドマン(米俗語・歩く死人)』の処遇なのだが、日本では一般服役囚とは隔離され、精神の安寧を図るため、特別な処遇を受けており、それがとかく「税金の無駄遣い」とかかまびすしい。
 だけど、ボクはそれもそうおもうけれども、彼ら死刑確定囚らの面倒を見る立場の法務省職員諸氏にばかり目を向けてしまうのである。

 そう、ボクが心配しているのは「死刑囚」ではなく、「死刑を執行する職員たち」のほうなのである。
 彼らほど気の毒な立場といったらない。

 考えてみよう、彼らはその死刑囚によって直接被害を受けたわけではない(当然だが)。
 「殺したろか」くらいの執念によって、警察・検察によって確保された犯人が、裁判官の判断で「死んで詫びなさい」と、ベルトコンベアに乗ってこれら職員の下へやってきて一方的に押し付けられるのである。

 それら上記、100人以上の犯した(…と司法に認定された)犯行の数々といったら、連合赤軍リンチやら地下鉄サリン…連続殺人、連続強盗殺人等など、どうしようもない言語道断モノばっかりで、「リベラル」を自称するボクをして『ぶっ殺しても足りない』ような連中だと、生命を奪われた被害者の魂の数々がボクをたきつけてそう云わしめるほどだ。

 だが、かの法相の怒りの会見で、こんな言葉を法相は付け加えていたのに報ずるメディアは少なかった。
『私に対する侮辱は一向に構わないが、執行された人への侮辱でもあると思う。軽率な文章が世の中を悪くしていると思う』と結んでいたのである。(文中「執行された人」はクビに縄を掛けられた確定囚でなく、それを「掛けた側の執行人」の意味だろう)

 そう、その言葉の重みに誰も気が付いてくれないことがボクは悔しくてならない。

 拘置所の中で、そうした職員らが毎日顔を合わせる『罪を背負った者たち』。
 ある日、どこのバカかも知らぬ法務大臣から一片の指令書が着たら最後、逆らうこともできずに、それら看守諸兄はリング状になったロープを、毎日顔を見知った者の首に掛け、”人工的な最期”を仕掛ける側になる。
 ガタンと床板が落ち、ロープの先に囚人の身体が伸び切る…そして30秒ほどの間を見るそうだ。
 そして脈を取り、死をしっかり看取ってやったばかりでなく、失禁の始末に安置までしてやるのである。
 そうして『超超非日常的』な作業へ支払われる特別手当も5千円内外なのだそうだ。

 当然金の多寡など問題にする職員らはいないだろう。
 気の毒なのは、そうした『当然の職務遂行』を家族に顔を合わせて今日あった事を話ができるのだろうか?
 特に息子や娘がいる場合など、どのようにして彼らは「仕事のウサ」を晴らせるというのだろうか?

 死刑の是非を問う場において、一定程度こうした立場の者が参加する指定席が、その一角には必ず設けられていなければならないというのに、どういうわけかその肝心の当事者がツンボ桟敷なのではないか。

 このように気の毒な立場の人びとがいるだろうか?
 あなた、毎日の業務でそんなのが混じってきたらどうします?
 いっそ葬儀場の社員ならまだマシだ。
 いや、葬儀屋と同じにしたらぶん殴られるかもしれない。

 それへの思いやりもすっ飛ばして、ただひたすら、お涙頂戴の売らんかな主義メディアの報道に踊らされ、安易な死刑賛成への行列に並び、いっちょ前にボクらはいつの間にか天を衝くような気勢を上げているのではないだろうか。

 数年前から、4月末頃から5月はじめ、つまり憲法記念日をからめ、「人権を考えてもらおう」と、せめてもの抵抗をしている者たちが現れる。
 その人権とはここでは、「吊るされる者」ではなくもっぱら『吊るす者』の人権回復についてである。
 彼らは心あるメディアの担当者へ、録音テープを渡して視聴者に聞かせて欲しいと名も告げず去ってゆく。

 そのテープの中には死刑執行を直前にひかえ、残された親族と拘置所内で最後となった面会で、永遠の別れを惜しむ肉親との会話テープがコンテンツの中心部を占め、そして最後は死刑台の上での教誨師とのやりとりがあって、『ガタ〜ンッ』との大音響で吊るされた瞬間まで衝撃的に収められている。

 今年もボクは5月6日ののんびりとした振り替え休日の雑踏を横目に、運転するマイカーに流れるAM放送でまっ昼間、これを「特別番組」枠で聴いた。
 罪は憎い、しかし別れを告げ、肉親の姉に詫びる歳の行った弟の朴訥な後悔の言葉には涙をそそられた。

 そして、『ガタッン・・・・』という絶対的な最後を告げる、人工的な死を告げる物音である。
 教誨師のブツブツ述べる念仏…。
 これほどの重いナマリのようなドキュメントはちょっと他にない。言葉もむなしい。

 この獄中からのスクープは明白な犯罪行為である。
 あの草薙厚子というド厚かましい(元拘置所職員の)公務員法違反常習女流ライターと同様に、誰が聴いても明らかに拘置所の内部における事情を、公務員でなくては知り得ぬ事実を持ち出して漏洩しているのだから、レッキとした刑法違反である。

 なのに、クサナギサンとは違って、さすがにこればっかりは告発したり、違法だと目くじらを立てる者は、幸いにしていない。つまり、「金儲けに使っていない」のは一目(聴?)瞭然であるからだ。

 これらテープを持ち出して公開し、静かながら「死刑制度反対」というお題目ではなく、悲鳴のように『死刑執行はやりたくないんだ』と、職員らが死刑囚からも同意を得て録音し、彼ら職員ら全体が意を通じ「半公然と」持ち出しているという背景が、この内部告発テープには秘められている。

 そりゃあ「冤罪」といった、人権もへったくれもない、まことに気の毒なケースは確実にまだあるだろう。

 鹿児島県議会選挙での「志布志選挙違反容疑12名全員無罪」事件などはその典型である。
 少なくなった方だともボクは思う。

 今やOBが眉をひそめるほど、警察官のサラリーマン化は急速に進み、トンでもない土壇場のタイミングで、人権擁護といったカベを畏れて捜査を断念する…などという「事なかれ主義」などは、むしろ昔より蔓延していると思っている。

 ただ云える事は、選挙違反はともかく『”死刑判決が出されるような事件”での冤罪』(=違法捜査)というとさすがにそれは発生しにくくなっているのではないか(昔の三崎事件・袴田事件などは除く)。

 そこに至るまでには早くからメディアや世論の関心を呼ぶため、少なからずイヤというほど外野からの監視の目があるし、念には念を入れないと検察の方もかなり動きが悪く、そして腰も重いため、証拠もよほどの自信がないと、近年では公判廷にまで持ち込まれなくなっている。

 ともあれ、そうした法務省の矯正局の公務員(=「刑務所」や「拘置所」の職員)がさらされている立場は、立法が決めた法律を破った者を、行政が捕らえ、司法が裁き、彼らの働く職場に送られ、そして死刑など法の名の下に『処分を下す』という、上から下へのシステム末端なのであって、いわば「伝達ゲーム」の最終着駅みたいなものなのである。

 言葉を伝えるだけで上から落ちて順々にやってきたことが、ここで初めて「力ずく」で処分が下される唯一の局面であるわけだ。(イスラム圏内だったら服役中に体罰があるけれど)

 だから死刑廃止も存続も、はてまた「保釈なき終身刑」にせよ、聞こえはいいが、どこか他で勝手にやってろと云いたい。

 だが、結局は彼らに結局はツケを回すだけじゃないかといった、残酷な上下関係というものに預託しなくちゃならないという、損な立場の受け入れ先について、ボクらは自覚してモノを云っているのだろうか。

 あんな鳩山ごときに(笑)、負けた。

 確かあのお坊っちゃまたまたまが、田中角栄の秘書団の端っこに、お飾りとして加えて貰ったのがアレの24・5歳の時だったと思う。
 それでさっそく婚約、その相手が当時17歳の高見エミリーというタレントで翌年結婚。
 「高見山親方の娘(というのはウソ)」当時の世間や当の角栄サンを唖然とさせたのを憶えている。

 で、間髪入れずに出産だったのだからイヤらしい。モロに不純異性交遊なのであって、世が世であれば『児童買春・児童ポルノ処罰法』で…あ、金払ってなかったからいいのか。

 なんだか、ウラヤマシがっているのではなく、あくまで「それだけ大人げない人物である」と強調したいだけなのだから誤解のなきよう(笑)。
 それを今回だけは『執行された人への侮辱…』と会見で彼らの代わりに怒って見せた鳩山には、一本取られたとボクは思う。

 このあたりまで及ぶ、職員らへの細かな思いやりが最初にありき…でなかったら、「死刑論議」など結局はいつものように『集団リンチが好きな日本国世論』が勝つという回答にしかたどり着かないのではなかろうか。

 ともあれ、たとえばあの「光市の母子強殺事件」の被告である。
 世間が本当に死刑の重みをどう実感し受け止めるのか、判決直後、世論の多くは「死刑」の判断にごもっともと、納得して胸をなでおろしたムキが圧倒的だったと思う。

 だが、どうせならこうした死刑にまつわる論議について、さらに国民が死刑を体感(?)するためにも、ボクは一刻も早くあの男への死刑執行をするべきだと思う。

 そうして、あのように『死刑にさえならなければいい』とばかりにドラえもんまで持ち出し生に連綿として醜く逃げ回っていたあの被告が、判決後はパッタリと動きを止めてしまう…。
 「動態」を見させられた後に、むしろこうした『静態』をもボクらは見つめて論議を深めるべきだろう。

 これが「人の死」なのだと、これが『死刑による法の下での殺人』なのだと、「死刑」宣告の声の響きが新鮮なうちにそれを実行に移してこそ、真の重みに少しでも近付くことができるのだと思う。
 これではじめて妻子を惨殺された本村さんが判決後に述べた
 『彼が死刑になって、これでこの国から3人の尊い命が奪われたことになります。これは折角の命の損失なんです・・・・・死刑の論議はそこから始めなければならないのではないかと、遺された私たちはそうした全体像を考えなければならないと思います』

 あらためてこの本村さんという20歳も年下の男性の冷静で穏やかな心根に、ボクは今回もまた尊敬しぬいてしまうのである。

 われわれが自覚しなければならないのは、「死刑賛成」にせよ、どうせ他人に執行させればよい…に逃げ込んで良いものだろうかと、問い直さなければフェアとはいえない。
 けして軽く考えてはならない問題なのである、現場の抱える宿命のような暗く重い感触を、賛成派である以上は「執行に携わる職員」諸氏と、シェアしようとしてこそなのではないのか。
 
 来年の今頃になるとついに『裁判員制度』が始まる。

 それを思うと、そうして無作為に選出した有権者らにボクは今、「裁判官もどき」を国民に担当させるくらいなら、「死刑執行の職務」を見学させたり、いっそ担当させるべきだと思う。

 存続派の根拠に、『日本国憲法は残酷な刑罰を禁じている』という条文を錦の御旗にしている以上は、果たして残酷かどうか裁判官諸氏も見学したり手伝ったりする実習経験があって当然で、ないほうが不思議ではないのか。

 「死刑」という、刑法の裁判における究極の刑罰。これとしっかり向き合ってはじめて、正しく民主主義的に「刑法」が存立するための「背骨にミが入る」のではないか、それが道理というものだろう。

 死刑にする、させない…そうしたエモウショナルな論議なんてもう充分だし、まっぴらだ。
 今度は「執行させられる者」の意見をも呼び込んでその是非論を、どこかのTV討論会は考えてはくれまいか。
 これら三者が揃ってなければ、国民を巻き込んだコンセンサスなど生まれないとボクはこの際うったえたいのである。

 ホントよ。

6月13日(金)  語るに落ちた、経歴詐称?  (^o^) まあまあ
 一本電話を霞ヶ関にして確認すればよいことなのだが、そうしてウラを取るまでもなく、この北芝健という人物のウソを告発しておきたい。

 この名前を語る人物が元刑事を自称して、そのキャリアを真に受けたマスコミらが、まことに好都合とこの肩書きを信頼して、あれやこれや事件のリポーターやらコメンテイターとして彼を活用し、彼は彼でそこで得た知名度を利用して、警察の裏話のような書物を発行し続けて印税を稼ぐ稼業のようだ。

 それが多少なりとも警察官の世界をご存知の方ならば、食べている飯を噴き出すほどに荒唐無稽な警察官遍歴を経てきた…と自称する己が舞台監督までつとめた上で、この元刑事とやらはとても現職では語れない、いわば「曲芸」で名を売っている。

 そのキャリアをめぐって、矛盾する点を問われると、肝心な部分を常にボカシているため、今まで週刊朝日や週刊現代誌上で、彼の実像を疑問視する本物の元刑事らによる追求記事も、幾度か組まれたのをご記憶の毒者諸兄も多かろう。

 a)やれ自分は公安畑で所轄の築地署から応援を頼まれて丸の内署の捜査本部(註:三菱重工ビル爆破事件?)で爆弾犯を追っていた。
 だから、詳しく経歴に触れると残党らによって、未だに生命の危険にさらされる、だけど顔は出しても問題はなかろう(????)
 b)イギリス?に警官時代に留学し、FBIやLAPDなどとも自分を窓口にして交流がある。
 c)公安から警視庁本庁の(刑事畑の)捜査一課へ応援で行っていた事がある(笑)
 d)マル暴担当刑事(当事:防犯畑?)をやっていた時、管内の暴力団事務所に先輩刑事に連れられていき、そこでナメられちゃならないと、ヤクザ相手にメンチを切ったものだ。
 e)(吉原の?)ソープへ勤務中に行った際には、裸になっても拳銃を忘れないよう隠すのに苦労をした。
 f)自分の退職時の階級は警視正
 g)(秋田県の若い母による幼児連続殺人事件で)私の独自の捜査によれば、加害者女性と殺された隣家の豪健君、その実父と男女の関係にあった。
 h)自分は早大大学院卒、商社マン経験あり(笑)

 などなど、こんなにまで警察組織の隅々まで縦横無尽に駆け巡って、さすがにその超人&天才的存在からなのだろう、滅多にノンキャリアではたどり着くことのできないような高官=警視正にまで、なんとたった8年間で登り詰めている…という事なのか(笑)。

 逆に捉えれば、この人たった一人に、ここまで頼らなくてはならない警視庁という組織とは、庁内にまるでバカか白痴だけしかいなかったようなものということになる。

 そのため、ボクは警察署などで挨拶をするとき、
 『私は北芝健と申します』というツカミでまず一座の笑いをとることにしている。

 だが、それに素直に笑ってくれる職員に混じって、その名前を耳にしたとたん、ボクへの視線とは別にムッとした反応を示す方々もこれまた確実に目立っている。

 以前にも当『…日記』で警視庁全職員の名誉のために、彼の自称するバカバカしき経歴を衝いた事があったが、今日ははらわたが煮えくり返っている。

 警視庁も、この人物の語るトンでも話には少なからず無関心ではいられないはずで、あちこち照会しているようだ。だが、マスコミにせよこれ以上追及するとなれば、かならず「個人情報保護法」という名の、法律施行以来一度も善人のためになったことがない法律の壁が立ちはだかり、両者とも距離を縮められないでいるようだ。

 だがそれも今回で彼は墓穴を掘ったようだ。
 事もあろうに、ほかならぬ『警視庁特殊犯捜査員』を名乗ったようなのだ。

 いうまでもなく、立てこもりや人質解放などといった事犯に立ち向かうSITこと、捜査一課特殊犯(あえて「班」ではない)の人びと。
 警視庁の中でも、もっとも『殉職に近い任務』を担う人びとである。
 繰り返し云うが、己れを捨て、凶銃に身をさらす、彼らの貴重な義侠心にボクは触れ、商売なんて度外視にして幾年もかかりボクは「世界最強のSIT用防弾ベスト」をメッセージとして彼ら部隊に納入させてもらった。

 ボクはこの人生の中でそうはロクなことができなかったけれども、この一点だけでも世間のために貢献できていると誇りに思っている、坊主にはそう経を上げてもらいたいくらいだ(笑)。

 云うに事欠いて北芝健は、先月のスポーツ報知(08年5月23日付け)で「自称か、他称」なのか、記者をして紙面に「己が略歴」につき『「捜査一課特殊犯捜査係特別捜査本部の捜査員」』であったと、新しい履歴が経歴として掲載させている。(以下はウェブ版スポーツ報知HP)
 http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/topics/20070615-345185/news/20080523-OHT1T00042.htm

 その記者もバカなもので、話題を呼んでいる公職だというのにその裏を取ることもなくそのまま掲載するといったジャーナリスト感覚のようだ。

 たしか、このスポーツ報知という編集部内には氏の特定の知己でもいるのか(デスクか?)、他のメディアで氏自身にまつわる『経歴詐称疑惑』を騒いでいても、ここだけは世情など気にかける様子もなく、本人の単行本出版の告知やら、事件へのコメント起用などで順風満帆、蜜月を続けている不思議な”カンケイ”にあり、経歴自体を疑問視する世情などどこ吹く風なのである。

 今まで彼は上記のように経歴の疑問を暴かれそうになると、決まってこうした言い分で危機を脱してきた
『それは私がいった事ではなく、相手(出版社や取材者ら)が勝手にそう書いただけ』

 考えてもらいたい。自分自身が著者となった単行本にある「筆者紹介」で誤記や、錯誤などがあった場合、毒者がもしその著者だったとしたら、本文はともかくまずそこだけは真っ先に『校正してくれ』と申し出るものではなかろうか。
 ましてや「北芝サンの見識」というよりもこれらの著作物のウリは、まさに『元刑事某の…』といった公職の経歴こそが読者層への説得力であり、買う側からのお目当てではないのか。
 そこでは「北芝某」だって仮に「ブタオザル」という名だって、それよりも『元刑事』という経歴がキャッチであり、切り札のはずである。

 つまり例えば『(仮名だが)鈴木幸子の語る銀座の夜』というよりも、『元銀座ホステスの語る…』とやった方がはるかに説得力があると思うし、購買意欲もわくと判断するものではないのか。

 同じ『経歴における誤記』を毎度まいど、各出版物にされてもこの著作者は「訂正してくれ」と申し入れてこなかったから(繰り返されてきた)という言い訳など、どこの国でも通用しないとボクは考える。

 それくらいの俗世間的常識程度の判断力くらい、自身の云う、早稲田の大学院やイギリスの大学とか警察学校では教わってはこなかったのか(笑)。
 あ、そうか北芝警視正はヒミツソーサインだったからきっとトクベツなんだろう。

 警察官という、浮世ばなれした『絶対的上下関係階級組織』に身を置いた者は、とにかくこのあたり「現職時代の経歴」といった出自については厳格きわまりない。

 たしかに云ってみれば仲間や同僚OBに対しても、『それだけが逃げようのない自分の存在した標高』を示す事が出来るナヴィゲイターみたいなものだから非常に明確で合理的な尺度なのだ。
 それは「軍人」の社会となぞらえることができる。

 それを、そういった心臓部分をアヤフヤしておいて、「元警察官」を公然と自称しながらネタで商売しているようなゲイノー人といったら、過去にいただろうか。
 せいぜいが、『小柳トム』(現在のブラザー・トム)くらいである(笑)、あ、あれは単に「警察コント」だったのか。

 そんなに肝心な事柄さえも、(疑惑の指摘受けても)校正せよと指定もせず、いたずらに繰り返し発行させてしまう…そんなズサンなライターと、業界人としたらプライドを疑われても仕方ないだろう。
 ボクだったらそうした書き手の提示した事実など、まずは眉にツバをしてからしか読む事は出来ないし、そもそも読まない。

 そして、その『経歴誤記』を糺される事もなく、毎回の間違えられてもこの作者は指摘しないため、放送局に新聞社に、その事実誤認を繰り返させ、恥をかかせておきながら平然としていられる書き手…という事なのだ。

 あいにく、今までの”盟友、スポーツ報知”紙上でも、その新しい経歴=「捜査一課特殊犯捜査係特別捜査本部の捜査員」は明記された事がなく初登場で、これは今までのこの(自称)元刑事のキャリアの中では最高峰の名誉職ではないか。

 個人的な意見だが、彼はそもそも警察官だったのかさえ信じがたいが、きっとご存知ないのだろう。

 もとより警視庁全職員にとって、SITとはアイドル的存在なのだ。
 捨て身のお手柄で一件落着…の朝ともなると、刑事課捜査一課フロアの隅っこにある(看板も出ていない)SITの部屋には、カップラーメンやインスタント食品の箱から清酒、各地の珍味などまで他のあらゆる部や課からの「寸志」が、ひっきりなしに届けられるのである。

 それもこれも、思いを寄せる捜査員たちのポケットマネーからの届けものなのである。

 それだけに、昼食時などで本庁内のエレベーターにボクと同班員が乗り合わせていたら、搬機に乗り降りする職員らがパッとまぶしいものを相手にするように語りかけ、口々に労をねぎらうので、一緒にいるこちらまでも晴れがましくハナが高い気分にさせられるほどだ。
 こんな自己犠牲の人々にまで、自分を勝手に並べてしまうなどは到底許されるべきではない。

 「言うに事欠いて」と怒り始める表現がある。
 SITは「ある意味、『聖域』である」
 ボクよりも先に、これを許さないとする人々らがきっと動き始めるだろう。

 この感覚が理解できなかっただけでも、現在の桜田門について無知であることを自ら自白したに等しい。

『自らを特殊犯捜査員であると名乗って、記者をして公表に至らせた「官名詐称のマル被(疑者)」』を今度ばかりは許しておかないだろう。
 警察組織の中の警察機構=監察官もすでに関心を示していることだろう。

 ここでは「(スポーツ報知の)記者が勝手に書いた…」なるいつものパターンはもう通用するまい。

 それにSITの肩書きをここまでもっともらしく長々と書いて、信憑性でも匂わせようとしたのだろうが、正式名称でも覚えておくがいい。

 正しくは『刑事部捜査第一課特殊犯捜査第○係』であって、特に「捜査係」って何の事なのだろう。
 この大きくはない班なら、誰だって『捜査をする捜査員』なのであって、それをわざわざ「捜査係」と区別する必要がいったいどこにあるのか。

 それとも『特殊犯お茶くみ係』『特殊犯経理係』でもいるという想像の産物なのだろうか(笑)。

 また報知の並べた肩書き名称の通り…となると、こうなる意味になってしまうから、門外漢はお気をつけあそばせ。
 つまり『「捜査一課特殊犯捜査係」が何かの犯罪の容疑者とする事件』が起きた、そして『その事件を捜査する特別捜査本部の(北芝)捜査員…』という、なんとも気の狂ったような事件を追う捜査員を、この場合、彼はヒミツソーサしていたらしい事になってしまうのである(爆笑)
 こちらの方がむしろ彼には不名誉と感じて恥じてほしい。

 つい最近になって、警視庁広報のポリシーが大転換して『SITの勇姿を公然化していった』ため、彼もテレビの視聴者目線と同じように、SITがあこがれの対象と映ってきたのだろう(笑)。

 そして、「だったらコレもオレの経歴に入れちゃっとこう」と思い付いて、支援者の報知記者に
 『オレもじつはSITにいたんだよ』と語った…いや「騙った(かたった)」のだろうか。

 警察機構の中にいたものならば一般人をして、ここまで毎回経歴を誤解させるような愚は繰り返さないことである。

 いずれにせよ、語るなら相手を選び、またもっと節度を持つべきだ。
 現職の警察官だった者が「民間人に還った」なら、そりゃいくらでも逃げ場はあろう。

 それを彼のように、言い訳を毎回繰り返すような、逃げ回る姿をメディア通じて万人にさらしながら、それでも次々と新たな虚構(に結び付く誤解?)を振りまき、最近では『自民党のさる大物から同党公認候補での衆院選挙出馬の打診を受けたが断った』なる最新作(笑)まで登場させている。
 現職の警察官までが笑われるかもしれない…といった蓋然性にまでOBは気を配るべきであろう。

 それもひたすら、文を売るという私利私欲しか視界にない娯楽作家(の自覚を持つべきだ)が、世情に眉をしかめて見せ、SITのような『無欲の戦士ら』を自分と同じ出身だと、騙ってはばらからない。

 SITやSATの諸兄(諸嬢)を一般人にももっと理解を深めて貰いたい。
 彼らは、どのような状況であれ、国民の身体を守るためにわが身を挺する覚悟を抱きながら、あの本庁に今も待機しているのである。(どのような酒席でも祝宴でも、緊急の呼集がかかったらほろ酔い気分では済まないから、常にボクと一緒でも”酒に酔う”事はできない身の上なのだ)

 そのような(”それ”さえ疑わしいが)かつての同僚(?)の存在を前にして、ただただ我が身可愛さだけの『警察官の代弁者』として、後足で砂をかけるような行為をどうして繰り返すのか。その行動原理は何なのか。また社会もそれを許すのか。

 そうした者がまかり間違っても、そうした「公共への奉仕」の心あふれる得がたい人々に、自分をなぞらえまんまと同じ器にもぐり込もうなど、絶対にあってはならぬことではないか。

 仮にワルだとしても、ワルにはワルらしく振る舞ってこそ、正しいワルなのではないか(ヘンだけど)。

 最後に訊いておくが、その『SIT捜査係捜査本部の捜査員』なる特殊なキャリアの時代はいつなのか教えてくれまいか?
 ボクが出入りをさせてもらっていた足掛け3年(その後ももう10有余年になる)というもの、部屋にも訓練の場でこの顔など見かけたことはなかったし、またその後も続く酒席での話題にも彼の名前、伝え聞く「本名」のカケラさえもまったくのゼロ。

 だいたいあのようなスペシャル戦闘的な体躯の部隊員などボクにはまったくの記憶がない(笑)。

 そもそもあまりに威圧的な北芝警視正ドノのような体躯など、SITには選抜されにくいだろう。
 SITに必要なのは『闘う筋肉』なのであり、あのような『見せ筋』など無用の長物でしかないからである。

 SITのモットーとはまず、「なだめる」ところから始まり、相手を精神的にクールダウンさせるところから始まる。それから平和裏に時間をかけた交渉を継続することがまず第一に考える。

 そうしたSITのポリシーからいくと、彼のような外見では、極限状態にある被疑者(ら)をいたずらに刺激し緊張させるおそれがまず憂慮され、さらには戦闘的に興奮させかねないために不向きなのである。
 だから対極にある『威圧的に制圧する=機動隊員』の典型・・・のような体格は、SITへの第一次試験から失格となる可能性が高いのである。

 それはアメリカの「交渉人ユニット」と、「SWAT」に従事する捜査員の体格では対照的なのと同様である。

 あれぇ、全米随一といわれるLAPDやFBIのタクティカル講座では、”そんなもの常識”と教えられてなかったのかなあ…、ヘンだなあ(笑)。 

 それにさ〜、実感だが、だいたい『警視正にまで登りつめるような人なのに、かつてあの人はSITで命を捧げていた』なんていったら、全警視庁、現役もOBも、後世まで語り継がれるスターになっちゃうっての(爆笑)  
 ただ二人だけ、貴兄と同じ『警視正』になったSIT出身者がいる。
 北芝サンを除く二人とはだれか、特殊班では退役した部隊出身者には昇進の報せも洩れなく(退官後も)送っているから知らないとはいわせないからね。

6月12日(木) / マリンスタジアム往復記  (^o^) まあまあ
 今、セパ交流戦たけなわ。
 ボクは古巣(?)千葉ロッテに招かれ、その根拠地幕張マリンスタジアムでの毎カード、セの6球団を相手とするホームゲーム(二試合のうち)一試合でゲーム前のイベントをさせてもらっている。

 これもボランティアの一種、少しでも日本のプロ野球を支えてくれるファンを喜ばせたい。だから交通費だけ頂戴しもう5回東京から通ってきた。
 いきなり余談だけれども、東京上野と千葉の成田を結ぶ京成線の車内は「くたい」。昼乗っても深夜に乗り込んだって、しっかりくたい(笑)。

 昔、農道に置いてあった人糞を熟成させた桶の匂いというか、それ系(笑)のフレイグランスであって、多分そうしたものを粉末状にした合成肥料のかほりが京成線特有のかほりなのであろう。
 匂わないのは朝夕のラッシュで乗客の衣服によってそれらが吸い込まれて車内に漂っていないというだけのことなのである。

 亡くなった東洋一の気ムズかな男、私の父は千葉出身だったし(笑)、ボクも青春時代、あの三里塚の闘争真っ盛りの部落へ「少年カメラマン」として毎週のように潜入(?)しては、撮影もそっちのけ。現地の各部落反対同盟の小中学生らで結成された「少年行動隊」の連中と遊んだ。

 良いも悪いもない。子供らが自分らの意思で放課後、村の集会場に集まっては鬼ごっこやらかくれんぼをしながら、身を引き裂かれるように自分らと机並べる級友らが次第にこの地から自分らを置いて去って行く現実…。
「一緒にたたかうって約束してたっぺや」と、突然朝があけるのと同時にやってくるこんな不条理な別れが容赦なく小中学生の純な心を襲うのである。

 ここにどうしていっしょにしゃがみ込んで、彼らの心の痛みを考えてくれる大人がいないのか、支援の反戦教師らはじめ、両派の農民、マスコミも空港公団もボクはとても許せなかった。
 結局はお前ら大人じゃねえか…といつも反発して彼らとスクラムを組んでいた。

 成田空港強行建設問題を背負わされたとてつもなく大規模な社会的ひずみが、この子らにもムリヤリ背負わされている。だけど右も左もそしてマスコミのマイクさえもが、彼らの身長と向き合って意見を汲み上げる思想とボクらは出会わなかった。

 そうした大人の最たるもの、それは彼ら彼女ら自身の親たち…だったのかもしれない。「立ち退き」交渉も「絶対反対」もたった一晩で大人達は180度ひっくり返る。
 翌日には夜逃げのように、補償金そしてこの子らの手を引いて跡形もなく転校、彼らにしてみれば何本もの後ろ髪引かれ去って行かざるを得なかった哀しい涙や血の上に、あの滑走路は作られている。

 だから16才だったボクが責任を負いたかった。その視点でこの子らを撮りたかったし、意見をそのまま書かせてくれる発表の場をボクは探してやった。ともかくこの子らの活動を「好奇の目」でしか捉えられぬ報道陣には絶対に負けるわけには行かなかった。

 そうした中、強力な援軍が『ジャンプ』だった。
 思えば縁もゆかりもない雑誌の大代表の電話番号から、デスクや編集長に『どうか載せて下さい見てみて下さい』と片っ端から電話するのである。

 まず少年サンデーにしてみたら門前払いで、マガジンは当時『紀元節問題』を扱って抗議を受け、ただでさえガタガタになっているので残念ですが…と惜しんでくれた。

『おうオメェ、それでよー、お前あっちへずっと通って取材してんのか…ふうんっ。面白いっ。見てやるから持って来いっ』ヤクザっぽい口調の声に感激した。話を聞いてくれようとしてくれただけで感激した。

 少年ジャンプの二代目編集長で、当時は副編だったこの電話の主、中野さんがまず水門を開け、三代目の西村主任が検討したうえで「巻頭にこのグラビアを突っ込んで報じ」てみたら…と、初代の長野編集長に提言し『よし、責任はオレが取る』と云ってくれて取材が決まった。
 ここからは交通費も宿泊費も、そして何よりフィルムや現像代も集英社持ちとなるのが何よりの救いだった。

 そして後藤広喜さんという新入社員の編集者がボクのサポートについた。
 後の四代目編集長となる方で、なんとこの「巻頭カラー8ページ」という異例の編集体制にはあの週刊少年ジャンプというビッグユニットを20年間支えた錚々たるメンバーが勢ぞろいして放った良心だったと感謝している。

 こうした型破りのヴァイタリティが「男一匹ガキ大将・ハレンチ学園・ど根性ガエル」の人気を生み出してきたのだろう。
 この頃の事は一冊の本ではまとまらないほどの余談となってしまうのでいい加減にここでやめる。

 ともあれ、三里塚の農家の片隅には必ずこうしたフレイグランスが漂っている場所があった(笑)。さすがにそれを「大地の香り」とまではシャレたくはないが、京成線は今でも『そうしたほのぼの』を運び続けているのでどうぞよろしくという事だ(ヘンだろ)。

 すっかり長くなってしまった。
 マリンスタジアムでの鑑定大会のかたわら、毎回グラウンドへボクは懐かしい顔との挨拶に忙しい。
『交流戦での成果がペナントを左右する』という潮の流れを厳しく見詰めたせいか、今年は二戦すれば「1勝1敗」が多発している。
 これは(ある程度読める相手の先発を読み)『まず連敗をしないよう』守りのマネジメントをしているとボクはにらんでいる。

 その日はヤクルト戦だった。
『一塁側』などは川崎球場時代からの縁で、ヤァヤァってなもんだけれども「三塁(ビジター)側」にはかしこまって「ご無沙汰しております」とお邪魔する。
 ベンチの中は高田監督ひとりを番記者ら20名ほどが取り囲んでの雑談取材。
 これではモロに「KY」と、ベンチ脇で鳥かご打撃に目を凝らしていた。

 しかしいつからなのだろう『ぱっつ〜ん』『ぱっつ〜ん』と、バットの木質が軟らかいためもあるのだろう、打球音がどうしても『カッキーン』とは聴こえてはこないのがさみしい(拙書「球界遺産」でもそのナゾを書いた)。

 ホントに、今の野球マンガではこの打球音を一体どのような文字をつづって表現しているのだろうか。まさか『プワッツ〜ン』?リアルだというのに、そりゃギャグ漫画になっちゃう。でも『カッキーン』ではその作者はウソつきとか、表現力が希薄な御仁なのだろう。

 すると、ふと気付けばボクの片手を握ろうと?脇から手が伸びてきた。
 高田さんだった。
『いやあ、お久しぶりでしたねぇ』高田さんはあの穏やかな目に深くシワを寄せてにこやかに紺の帽子を片手でひょいと上げて、握手の手を差し伸べてを下さる。いいなあいつまでも爽やかな紳士でおられて。

 思えば1996年の真夏、稲城市のジャイアンツ球場での邂逅以来だった。
 ファームに落ちた清原をたずね、ボクは当時まだ珍しかったデジカメ動画+ノートPCで、室内フリー打撃中の彼を撮り、即再生して見せたかったのである。打撃投手以外、誰がコンサルトするわけでもなく、我がパリーグからやって来た大砲は、室内練習場の中でそれこそ真っ黒な胴体に真っ白な歯をギラつかせてボールをやみ雲に叩いていたものだ。

 その鬼気身に迫るような印象は忘れない。報道陣はすべて『期待ハズレ』と(6月)早くも見切り付け、『首位と11ゲーム差』に失望させられた元凶と、ジャイアンツファンのみならずこのチームの監督までが「清原のせい」と公言していたし、清原はそれらの眼の届かぬ疎開地のようなこの場所で真っ黒になっていたのである。

 一軍選手は意外にも肌は色白であるのが一般的だ。
 この薄暗い練習場の照明の下、屈辱のファームから必死に見返そうと日中走り込み、踏ん張る巨漢はここまで黒く自分を染め替えていた。
 その身体がこちらを向き、笑いかけた歯と白目の部分が光るコントラストが鬼気身に迫るほどだった。
 パリーグ時代を知る者同士の安堵感が通った瞬間だった。

 ボクはパリーグでの清原とは異なった
『何がなんでもレフトへのホームランを狙うキャラ』はおかしいと思っていた。
 彼の凄さは落合の全盛期のように「追い込んで外角で勝負するボール」を苦もなくセンターからライト線へと打ち返す(前の大きい)バッティングをなぜ封印してしまったのか疑問だった。それでついにはここまでやって来たのである。
『ジャイアンツのお客さんは「引っ張ったホームラン」じゃないと納得せんのです』ポツリとキヨさんは云った。
 すべて納得がいった。
 道理で相手バッテリーがいとも簡単に清原を料理するわけだ。

 巨人軍を取り巻くマスコミやファンはじめとする環境をこれだけ短く表わした言葉はない。他球団での『大物が巨人では活躍しない』といわれる七不思議のひとつの原因をここに見た気がする。

 それにしても今日の清原は、良い当たりと芯を外す当たりが交互している。
 ノートパソコンでの再生画面を覗き込み、そのスゥイングの違いのボクらは程なく気がついた。

 背後からの映像でボクは彼のビテイ骨を指した。彼が好打する時はきまってその骨の先っぽが「地面を指す」のだが、逆に凡打の際にはそれが「三塁側ベンチ方向」を指すクセ…が出る。力むほどその傾向は現れた。

『あの(西武時代の)バッティングやって嫌うファンなら要らないでしょう』とボクは云った。
 室内を出て高田さんへと初対面の挨拶をしに向かったボクの背中に、バットの芯が乾いた快音を立てて思い切りボールを泣かせている悲鳴が気持ち良く連発している。(ちなみにその年、巨人はあの「メイクミラクル」を実現させ優勝を果たす)

 よみうりランド球場でのファームの試合を終えたばかりの高田さんは、ボクをベンチに座らせて語りかけた。
『ボクはお宝なんてひとっつもないんですよねぇ。そういうものをちゃんと貰っておけば良かったなあと、今になってから後悔してるんです(笑)』

「だって、高田さん自体が価値ある方じゃないですか。全然出ないんですよ、『高田さんのモノを売りたい』っていう人が」。
 氏のグラブを作り続けてきたミズノの坪田さんでさえ『高田君に渡したグラブは滅多に帰ってこない』と嘆いていた。

 無理もない。高田さんは『メーカーのくれたものとはいえ、粗末に扱ってはいけない』と、何年も自分で手入れして使い続けていたからなのだ。
 ロッテの首位打者、高沢も同じ言葉を現役当時語ってくれたものだ。
 こうしたグラブが最も(誰の物であれ)価値があるのだと思う。

 6月の青い空を見ると、この時のキヨさんと高田さんとの爽やかな一日をハッキリと思い出す。
 あの時、清原は直後に一軍同道開始の札幌円山球場で大爆発。この即席クリニック(?)の結果を豪快に見せてくれたのをボクは一生忘れない。

 ちょうど良かった、ボクは高田さんにお礼が云いたかった本題を思い出した。

 高田さんが昨年秋、ハムのGM職を離れる直前にボクの友人を救ってくれたのである。
『おかげ様で来季から日本ハムのニ軍コーチにして頂きました』こう電話で挨拶をしてきてくれたのは現監督の水上善雄氏だった。声もはずんでいた。
「(えっ?どうして高田さんが?)」その理由がきょう、幕張で判った。

『ああ、友達なのミズカミ?あれはいい指導者になるよ〜。』高田さんはさらに嬉しそうな顔をした。
『ある日ね、息子の野球教室をあの男がやってくれたんだけどね、子供らへの教え方を見ていてね、感心したんですよ。これはいいなと。』
「はぁはあ、そうですか、有り難うございます」なんだかこちらは「父兄会のオヤジ」みたいなもんである、歳も違わないのに(笑)。

『あの男はね、現役辞めてから今まで(浪人時代を)苦労してきたでしょ。それが若い育ち盛りの選手らに信頼されるとてもいいものになってきたんだろうね。だからチームに来てもらったの。中田翔とか、ファイターズの若いのも大分勉強になってるんじゃないかな。「アニキ」的なカンジでね』

 ボクには息子のチームメイトで近所のガキだった、「04年ドラフト1位入団の須永投手」の獲得にもまたお礼を云っておかねばならなかった。

 すると驚いた事に須永君だけでなくその同窓やら、幾人もの選手の消息や現況(処方まで!)がスラスラと、氏の口から飛び出してくる。
 それも一軍主力ではなく、鎌ヶ谷のファームから這い上がろうと黙々と頑張っている名も無き若者達の名前なのである。
 こうして高田さんが「ヤクルトのユニフォーム」を今ここで着ておられるのがボクは不思議でならないほどだった。

 メジャーリーグの辣腕ともてはやされるGM連中に爪のアカを無理やり呑ませたい心境だ。
 連中ときたら気が狂ったような金額を振り回し、その馬鹿げたギャンブルがスベれば明日から収入ゼロで放逐覚悟…といった浮き草稼業のような、ひと皮剥けば薄っぺら人生の若手青年実業家(ヤ軍キャッシュマンは別にしといてね)ども。

 東京ドームでこの春、レッドソックス・巨人戦で最前列にやって来たGMと招待関係外人ら。直後の列ボクの横で観戦していた腰の曲がった老婆が「あら、見えなくなっちゃった」と、いきなり完成した「肩の山脈」を前に指差しながらボクに苦笑いしている。

 こうした状況でアメリカなら老婆と列を変わってやっただろう。
 また周囲もそれを許さない空気であろう。
 それが背後にこれだけ小柄な者がいるというのに、チームにリーグのエラいさん軍団の誰一人振り返っても、一顧だにしないのである。

 ボクもこうした時にこそ云ってやらなければ、と腰を上げかけたが、見ればすぐ横に移動するだけで空席があり、『そこに座って観てればいいですよ』、とアドバイスして引き下がった。

 勧進元の癖に、こんな「最低限のエチケット」も読めずに最前列でふんぞり返るようなバカ者が、現在のMLBを支配している…そんな象徴的な光景だった。
 ここにはMLBに対して、卑屈なまでにイエスマンに徹するだけの日本側関係者の姿勢がすっかりナメられ、補完するだけに堕ちている事は見逃せない。

 高田さんはこんなボクのような者にも腰が低い。
「やっぱり日本のプロ野球が大好きだ」梅雨入り前の千葉の青空はきょうも爽やかだった。

 ボクはいいけど、日本のあらゆる人々はあの京成電車は「くたい」と顔をしかめるだろう。『国際的な電車』なのだから、ちょっとは京成さん「対策」したらよい。

 この週末、阪神戦でボクの出演分はすべて終わる。

6月5日(木) / 水平にぶち抜いていった銃弾  (^o^) まあまあ
 書かなければいけない事ばかり。
 タクシーの運転手さんが話好きだったりすると、あれこれと、気ムズか男の血が騒ぎ、お互いのコブシは幾つも振りあがってしまう。
 こんな事ばっかりだけは、実に景気良く気勢は上がる。

 それにしても火曜日早朝に決着がついた『川越市パチンコ店強盗車内立てこもり』にはあらためて瞠目させられた。
 少し専門的になるけれど、あの銃弾の飛び方は脅威的だった。

 TVニュース画像を見るかぎりでは、トカレフの7,62mm弾は野郎のコメカミから発射され、頭蓋骨を割り脳を破壊し、また反対側の骨を貫通し、助手席側の自動車ガラスを破壊した。
 「そんなのは当たり前じゃないか」と思われるだろう。
 だが、肝心なのはここだ。

 運転席の背もたれに置かれた野郎の銃口と、着弾した貫通弾は『ほぼ真っ直ぐ』だったのは、凄まじいトカレフ弾の貫通力と直進性を物語っている。

 あの拳銃の弾が仮に別の銃(マグナム弾でもいい)からのものなら、人体を貫通したらあのように一直線に貫徹するかというと、そうではなく、かならず銃弾は頭部の対角線から射出される事などまずないものだ。
 つまり、銃弾は何かの物体を貫通した場合、何らかの影響を必ず受けて、撃った銃口とは別の目的地に着弾してしまうといった、銃弾学の基本をひっくり返すような結果だったと言う事だ。

 たとえば、50口径という見たこともないようなライフル銃から発射された弾が、途中で枯れ葉一枚に触れただけでも着弾は狂う。
 だから、マグナム45にしろ胸には親指大の穴を開け、体内で大暴れののち、背中にコーヒーソーサー大のデカい穴を開けて出て行く…、だがその際にも今回のように、「射入角度」と「射出角度」がほぼ同じ(に見える)なんてめったにないことだ。

 このまっすぐ進む、直進性が凶銃トカレフといわれるゆえんなのである。 

 何をヘンな事をと思われようが、この掟破りの法則をしっかり抑えておかない者どもが、人命尊重なんて立派な言葉を言ってもらっては困るからである。

 その「守るべき人命」こそ名もなき捜査員の命である。そしてそれを約束してやるのは「政治」の側の義務なのである。
 トカレフはまぎれもなく「軍用銃」であって、銃弾のコンセプトが相手の身体を(破壊するのが主目的ではなく)貫通銃創を開け、戦闘能力を奪うといった陰湿で凶悪なものだ(臓器は当然破壊するが)。

 これだけ恐ろしいものが横行しているというのに、それへの対抗策は大丈夫なのだろうかというと、90年代中ごろ、ボクはそこの渦中でモロに現実の断面と向き合っていた。

 当然あってよい研究や製品開発が、おろそか(というか「やっていなかった」)になり、そうした『専門家不在』の体制だというのに、メクラ判に等しいいい加減な予算の執行が当たり前に繰り返されていたために、肝心の捜査員の人権は危機にさらされて来たのが過去(?)のニッポンだった現状には正直絶句した。

 かつて幾人かの捜査員の信頼した【和製ケブラー防弾チョッキ】をトカレフ弾は、まるでそれをトウフのようにやすやすと貫き生命を奪っていった前科がある。
 「貫通する製品」など、防弾ベストなどではなく、単なるTシャツでしかない。

 そんなバチ物に信頼を託しながら貫かれ、実際に亡くなった者が出て、初めて警察機構というものは下部(現場)からその窮状をうったえられ、ようやく組織をのったりと動かしたのがほんの12・3年前の昨日である。そしてまともな予算化にはそこから数年の時間を要したのである。

 今云われているような『官民癒着』でいえば、数十億規模でぬるま湯に浸かってきた「防弾装備納入業界」は何をしてきたかというと、地方警察(=現場)の上部団体、警察庁エラいさんとの『ゴルフや接待』だった。

 「トカレフ」について、その横行ぶりに眉をひそめることもなく、あれだけ全国でドンパチやった【山口組・一和会戦争】で使われた安っぽい外見のトカレフ銃が、捜査員のベストや、民間人に向けられたら…などといったシミュレイション。
 こんな製品作りで代金を貰っている商人だったら誰だってやっている、初歩的な企業努力につき「すべき努力」はまったくのゼロだったというあきれるほど、情勢に無知な連中がライバルだった。

 前回のバブルが崩壊し、民間人にヤクザからトカレフが売り飛ばされて、それが安易に民間人同士のトラブルに使用されるようになったのを見越して、日本の警察をはじめ国民の側の誰もが、そうした危険に恐怖心さえ抱くことなく、あまりに無警戒だったため「トカレフ弾対策済み」の防弾ベストを米に特注して、ボクはイヤで仕方がなかったけれど、日本で販売を開始したのである。

 そうした途端(の今から14・5年前)、ある医師が駅の改札口で、尾行してきた患者の男に背後から撃たれた事件では医師の人体を貫通したトカレフ弾がタイルの床に跳ね、それがさらに活き活きと、2メートル頭上の案内板電飾看板の金属フレームを破壊してポトリと落ち、ようやく停止した。
 
 マスコミにそうしたこの銃弾の怖さや異常性を報じたところは一切ゼロ。
 ボクは胸を撫で下ろす、なぜならここで無責任に威力を報じられたりしたら、それこそヤクザやらトカレフ所有者らが増長し、警察官装備品のモロさを見切った上であの銃を向けることになれば、それこそ日本の警察全体がパニックになっただろうからだ。

 誤解を恐れずに云うが、それを宣伝広告に使えば利益も何も稼ぎ放題だっただろう。
 ただそれはある意味、「死の商人」のやることにほかならない。

 当時は不良債権やら地上げトラブルなど、いくらでも悪い連中がカネに目がくらみ、実力行使にうって出ていた時代だ。おまけに上記のヤクザ戦争が収束し、余った武器弾薬でもっともダブついていたため、当時のトカレフ一丁にタマ20発つきでたった5万円の鑑定価格だった(笑)頃だ。

 そんなタイミングで、そのような広告は最大限のアッピールにはなるだろう。
 だが、それだけはやったら人間おしまいだ。まさに悪魔の心でしかない。

 これを以って「沈黙は金」と呼ぶべきなのだろうと、今もそう考えている(それがこんにちでは先物市場や企業株買占めやらのハゲタカ連中によって、平然と行なわれているのである)。

 話を戻せば、その「医師射殺事件」の前後からパトカー警ら警官はじめ、支給されている和製防弾ベストではどうやらアブないのではないか…と、(正しい理解だった)職務執行の意識が高い現職警官らが次々と小社を訪れて、トカレフ対策済みを買って行ってくれるようになったのである。
 当然自腹である、だからウチでは以来【現職割引き】をして格安で提供申し上げる事にしたほどだった。
 ブラックユーモアのようだけれど、困った時はお互い様である。

 これを警察庁長官がご覧になったらどう思うのか。

 このような小さな店だって、そうした意味での社会貢献はできる。
 ところが驚いたことに、そうした警官諸氏に混じり、直接的な危機感あふれる抗争中の暴力団員らが背後を気にしながらウチの入り口を入ってきたものだった。

 そうした者たち相手であっても、「人助け」を二面で行える崇高な業務だと思った。
 ある幹部などは走行中の車を挟み撃ちされ、後部座席に腰掛けたままじつに8発、刺客からトカレフ弾をボディにぶち込まれたものの、命を落とすこともなかった。
 そいつは重傷だった…、わが防弾ベストを外した太ももをぶち抜かれて単なる貫通銃創を負っただけで済み、この某会大幹部は死なずに済んだ。

 回収したベストの「アタり」にやってきた刑事さんも、その報告をしながら苦笑してしまうほど、当方のコンセプトが実証された瞬間だった。
 誰であれ、一人の人間の命を救ったばかりでなく、刺客らさえをもこのベスト一枚は「殺人罪」でなく、殺人未遂ないしは殺人予備罪で食い止めてやる偉業を成し遂げてみせたわけである。

 これなら、まぁ、死刑の求刑など(殺しても)当然なかろうが、やり直しが十分に可能な短期間の刑期で更正の可能性に期待することができる。

 ボクはここで得意になりたくて秘話を打ち明けているわけではなく、そうした防弾ベストのユーザーたちが次々と訪れるなか、店にやって来たのはスーツを身にまとったハイエナたちだった。
 そう、先述の「税金ドロボウ」の【防弾装備納入業者】らの一群だった。

 警察諸氏から小社の防弾ベストについて、遅ればせながら『おたくの社の製品の実効性』につき疑問を呈されたのであろう、あちこちの会社、もっぱら一部上場クラスの繊維メーカーらの社員らがやって来ては「見本」を買い込んでそそくさと引き上げて行った。

 さらに図々しいことには『すみません、領収書ください』ときたものだ。

 そのトカレフ弾を防ぐ、キラー素材のスペクトラシールドというアラミッド繊維をフィルム上に密封した素材はアメリカ特許だった。
 長年世界各地で、主に西側軍隊が使ってきた【ケブラー繊維製防弾ベスト】を前にして、東側が『それに穴を開けるために研究開発したのが、AK−47や、トカレフに使われている銃弾』なのである。

 このタマは云ってみたら『細い弾頭の内側に鋼鉄製の鋼球が仕込まれており、それを太い容量の薬きょうに詰められた大量の火薬で発射する』もの。

 そのため、直進性がきわめて高く、ケブラーのような繊維のカベにいったん衝突すると、弾頭が突き刺さった状態から内部の鋼球が前進し、『弾頭の内側から頭突きをして貫通力を高め、』繊維内部に貫徹するといった仕組みの、悪巧みあふれる『考える銃弾』と呼んでいい。

 それを西側は、ソビエト崩壊もありそんな連中が発射する銃器自体、「第二次大戦直後デヴュー」みたいなものだから、近年すっかりナメてかかっていたウラをかかれたのである。
 ベトナム戦では通用していたケブラーがいつの間にか無力化していたのである。
 パレスチナが暴れ始めたあたりから、急速に貫通銃創を負う兵士が増加していった。

 そこへ開発されたのが【スペクトラ】だった。
 最初の実戦使用が、パナマの麻薬元首ノリエガ将軍を急襲、アメリカ国内に拉致していった作戦での海軍「SEAL」ユニットに装備された。彼らはアクアラングの上にそれを着たままひそかに海中に降下し、海岸から上陸していったのである。

 ここでスペクトラは、【ケブラー製】の持つ「水にもろい」など、いくつもの決定的な欠点をひっくり返し、一瞬で過去のものへと葬り去った。
 しかし、日本の警察官らはこのニュースを目撃はしても、全幅の信頼をこのケブラー素材にかけ夢を見ていたままだった。
 無理もない、自衛隊までがその同じ寝床でケブラー無敵神話という名の異なった夢を見ていた、いわばお仲間に過ぎなかったわけなのだから。

 政官癒着だの、官民癒着だの最近かまびすしいが、この防弾ベストという題材を前にすると一目瞭然。
 とっくの昔からボクは政治も官界も(癒着して禄を食むクズどもも)不信以外の何ものでもなかった。

 日常的な犯罪を前にして国民が危機にさらされる。
 そこへ警察官や自衛隊員が身を挺して身体財産の安全を守ってくれる。

 そういった人びとへの安全を左右する資材が、じつは、そこまでいい加減で勉強不足な輩どもによって納入されたバチ物にすぎず、そうした怠慢から生まれた欠陥により、仮に犠牲者を生み出したとしても、その総括から誰一人処分されたこともないし、「納入禁止」とされた企業すらない。
 
 蒸し返すけれども、昨年の愛知長久手で起きたSAT隊員が射殺された事件など、ボクの中では何にも決着がついていない。
 立って透明フェイスシールド越しに、自動小銃の照準定めていた姿勢で、上半身をSAT用の防弾ベストで包んでいながら、たった一発、至近距離でもなく、クソつまりもしない通常拳銃弾で絶命するなんて何ごとだろう。

 それでいながら、ベストの納入に関わった警察機構の担当係官が処分されたり、納入企業が責任の追及が一度でもあっただろうか。
 そんなものは聞いた事がない、なぜそうした肝心な心臓部に触れようともせず、愛知県警本部長がマイクの前で陳謝するだけでチョン。

 ナンにも事故原因の追究や改善もされないで処理され終わる事が出来るのか、まったくの理解不能である。ひょっとしたら、検察庁にボクあたりが事故の原因解明と、死亡事故を招いた注意義務違反などを挙げて刑事告発でもすればいいのかもしれない。

 かつて、業界から刑事用の防弾ベストを登場させた初期、ケブラー製とはいえその防弾パネルを胸側&背中側とクビからかける形という、「世界共通の形」にして納入見積もりを出した業者に、警視庁の当時装備課担当官は
 『パネルは胸側だけで背中は要らない。だから半額にしろ』と云って、当時の警察機構はその担当官の弁をコペルニクス的と歓迎し、以来ずっとその『前掛け型』という、【地球でも日本だけ】の防弾ベストと呼んではいけないものが通用してきた…警察行政史なんて、今どきソマリアあたりでも通用しない人命軽視だろう。

 たまりかねた業者や一線の警官が疑問を投げると『我々に退却は許されない』と、驚くべき言葉がはね返ってきたという伝説を知らぬ者など桜田門では居ないはずだ。

 そうして近年神奈川県内で、その前掛けをした捜査員2名が、1名貫通で死亡、後ろのもう一人が重傷を負うといった事件が起きる、「たった1発のトカレフ弾」が致命傷を負わせた犯行だった。
 こんなのは明らかに『不勉強という名の人災』以外の何ものでもない。

 気の毒(?)なのはこの犯人で、検察官は横浜地裁で開かれた公判で、この捜査員への拳銃発砲による殺傷事件につき、こんな珍妙な論理展開をしてみせる
 『後ろにいた捜査員をも、拳銃弾で防弾チョッキを貫通させれば死ぬと判断し、殺意を持って撃ったはずだ』と、『後方の捜査員への殺人未遂』でも争ったのである、そりゃあないでしょ(笑)。
 
 上記、愛知SAT射殺やこの2名殺傷も、アメリカなら間違いなく警察側はほぼ争う言葉も発せず、勝ち目は100%なかろう。そして気が遠くなるほどの損害賠償金を遺族に支払わなければならないだろう。

 こうした国民の側から、官の不誠実や放置されてきた不備への責任は厳しく問わなければならないだろう。

 あらためて提言するが、当時も存在しなかったが「銃弾学」の専門ポストを一刻も早く作り、間髪いれずそこの主導のもと、納入業者らに『人の生命を預けても良いだけの』まともな研究を民間にさせるべきである。
 そうした商人として(笑)、最低の品質管理ができていないような業者などに税金をくれてやる道理がどこにあるだろうか。

 防衛事務次官の守屋がどれだけ悪かったかは関心がないが、防衛省とて似たような、いやもっと大規模な額の税金の捨てられ方をしていると思って間違いはなかろう。

 冒頭に戻るが、それにしても悪名高きあの凶銃の健在ぶりに今さらながら、もっと日本国は警戒をしなくてはならないと鐘を鳴らしてくれた『公開実験』だった。

 あの駐車場内の自決シーンで、説得を無視してコメカミを撃った弾がほぼ水平に飛び、助手席のガラスにヒビを入れた瞬間…を、全国の担当警察各部署は注目しただろうし、またある意味、得がたいデータをあの被疑者は身をもって提供したわけである。

 自殺した被疑者は3年前の仮釈放に際し、躁状態で高揚していたのだろう、言葉に酔ったようなセリフをしたためていた。
 『(シャバに出たら)…介護などをして、人様の役に立ちたい』と、かつて手をかけた被害者に詫び状を出していた。

 ああして衆人見守る中で頭を貫通させ、拳銃のすさまじい威力につき、身を以って見せてくれたことを無駄にするかしないかは、まさしく今後の警察機構にかかっている。

6月1日(日)  ダービーで見付けた意外な…  (^o^) まあまあ
 今15:10分、ダービーは40分発だ。

 「結果論」であれこれ云うのは卑怯。ダンディズムとは無縁なので、急いで云う。

 ボクの同級生が馬を育て、血統のコンセプトどおりに日本ダービーを制したとき、鞍上は武豊だった。

 新馬戦でその馬を見て、武は「この馬でダービーに行かせてください」と申し出てきたそうだ。

 やはり、競馬馬の王道は【府中の2400メートル芝】という条件でダービーを制することである。
 そして、その馬は順調に勝ち上がり、本当にダービーを制してしまった。

 スペシャルウィークという黒い精悍な馬を同級生は狙ってダービー馬にしたわけである。
 武も、狙ってダービージョッキーになったわけである。

 その秘話を聞いて、それなら前哨戦を武さんが乗って僅差で負けても逃げて勝ったって、すべてがダービーを勝つための布石にすぎないのかと考えるようになった。

 昨日から、Bの武が今回は乗る、ブラックシェル(ディープインパクトの同オーナー)は本番でどうなのだろうか…と迷った挙句、1・2着には来ないと馬券を削った。
 せいぜい3着候補というわけである。

 その根拠は前走のNHKマイル戦出走で、武ではなく後藤騎手を乗せたことですっきり片付いた。

 こんなに消耗の激しい【府中芝1600メートル】という条件に将来(ダービー制覇)があるこの馬を出走させるだろうか、しかも他の騎手で…、オーナーの金子さんはそんなに馬を金のためにいじめるタイプの馬主ではない。

 したがって、路線を誤った馬、そこにたまたま今回は武が乗って挑む…といった意味合いへとトーンダウンしたとにらんで軽視することが出来た。

 それから大発見かもしれないが、よく「連対率」というものがあるが、ダービーの今まで10年の経歴をさかのぼると、たしかに連対=「1・2着」でまとめれば、4枠5枠、7枠に入った馬はそれぞれ、1度しか連対していない。

 だが、惜しくも3着に終わった馬の枠は…と拡げると、なんと、いきなりプラス6度、つまり7回も3着圏内に入って圧倒的有利な枠なのである。
 だから今回は、この複勝率を重視して、7枠の不人気馬にも票を投じてみることにする。

 取り急ぎ…、現在25分