【2006年11月】

11月28日(火)  丸の内に「祈る」 (未校正)  (^o^) まあまあ
 祈ったからってどうなるのか判らんが、このところ繰り返し、
 『プゥレイッ 丸の内』とキャッチフレーズを日本人(に違いない)に叫ばせているので不思議に思っているのである。

 文字にすれば【Play Marunouchi】とCF画面にはそう書いてあって、ここで「発音がヘンだ」とか不思議に思ってはいけないらしいので、素直に「丸の内で遊びたい」と頑張って目をつぶらねばならないらしいCFなのである。

 普通に田舎のじいさんあたりが草野球のグラウンドで叫ぶ
 『プレーボールっ』、あの高らかなカタカナ発音の『プレー』それでいいのである「PLAY」なんて。

 ところが、よしゃあいいのに、そのフレーズを高らかに、ガイジンっぽく発音かますから《PLAY》とシャウトするうち、《「L」が「R」の》発音に転化してしまっているように聴こえる”意地悪な耳をした視聴者”が現れるのである。

 英会話教師とか国際結婚夫とか、このところあちこちで薄ら笑ってはいないだろうか、このCM?

 この『プゥレイッ ・・・』、せっかくの《Play》が【Pray】となって=「祈る」「祈れ」と云う意味に転んじゃったもんだから、ボクが70年代に何度も犯したミス=アメリカで幾度となくネイティヴの連中に『おめぇ、これから”何を祈ろう”ってんだ』と、野球グラウンドやロックのツァー最中に(ドキュメント撮っている頃に)からかわれたものである。

 あの日本人特有の『RとL』発音について、ノーチェックのままこうして堂々と、《丸の内に祈れば》みたいなヘミングウェイ調のスローガンとなってしまう笑い話が現在進行形でここに存在している(おそらく同CFは関東ローカルOAなのだろう)。

 いずれにせよ、祈るも遊ぶもクライアントの【三菱地所】と求めんとするところの真意がさっぱり判らんのは困ったことだ。

 内容は、根拠の無いバカ騒ぎを、それこそロックのヘヴィメタ風エレキのかき鳴らし「うるせえな、リードギター走らせすぎだろバ〜カ」みたいなギター騒音をテーマBGMにして、そもそもこのCFはOA中何をしていてもうるさく、迷惑なのである。

 そして画面は、セコいCGの丸の内夜景をやたら賑やかにやってますよ〜風スポットとかサーチライト右往左往みたいな人工的着色脚色をケバカせて見せ、オフィス街ではほらこうして、若い男女のサラリーマン・OLらがやたら白い歯を見せ笑いあってスクラム組んで仲良くしていますから、そういうモンなんですよ丸の内って、というコンセプト。

 そこにいる弁当屋青年なんかも、メジャー球場よろしく《ホットドッグ投げ》なんかを披露するほどにシャウトして見せ(そんなのエラーしたらどうしてくれるんだよ、おい)たり、ニワカ作りの可愛くもない馬の着ぐるみなんかが暴れ踊っているという、どこも付いていけないこれぞ《取り付く島のない》コンセプトなきコンセプトCFなのでいやがる(笑)。

 それで最後に、前述のスローガン(笑)が画面に現れ
 《「祈れ」マルノウチッ》とやるのだから、キチガイである。
 
 そこで丸の内をある晩探索してみたら、これがセントラルパーク(笑)。
 夜は「猫の子一匹」いない。もし「いたら」可哀そうだから拾っていかなきゃ・・・って考えるほどに誰もいない。

 今は、こうした勝ち組の巣窟も無駄な人件費=残業手当てを絞っているせいか、空タクシーが列を作って待つでもない。

 そうすうるうち、ビルの一角、一階部分がオープンテラス風に開かれて、中にいる人々の目の白い部分がチラッチラと見える、なんだバーじゃないか。周囲がヤケに淋しいのでなんだか「闇の一族」みたいな店である。

 ま、中に入ってみると絨毯がきちんと敷いてありホテルのバーといった階級の造りなのだが、バーの「中と外」の従業員らはヨソヨソしいだけで、まるで観光地の季節バイト要員程度の人的グレード、これじゃあ酒呑んでいてもクソつまりもしない。

 また、隣近所で一杯やっている酔っ払い諸氏も内向的なお方ばかりと見えて(かといって、旨そうに一人グラスを傾ける・・・といった者も見当たらず)、ボクが好むバーとしてはちょっとお呼びじゃないもので、そもそもちっとも《Playしていないず、丸の内》なのである(笑)。

 で、意地悪ながらに考えてハタと気が付いた。
 そうか、この辺りの大地主=三菱地所としては、ここ丸の内に夜も人々が寄り集まって欲しいから、ああした無駄なCFをうるさく垂れ流しているんか。

 つまり、自分を「テナントの経営者」としてみて考えたらすぐ判る。
 食い物屋をあの街で開いていたとしたら、ランチは客数を計算できるが、利益を稼げる肝心のディナーが夜のセントラルパーク(笑)じゃあ困るのである。
 ここまで《夜はさっぱり》であっては、高い家賃なんて払っていられないのは道理である。

 いきおい、三菱地所が設定した家賃やレントは低いベースで抑えなければ、オフィス以外のテナントは入っては来ない。丸の内警察署裏にまで来れば【アピシウス】などの名店などもようやく一息つくのだろうが、丸の内中心街辺りの夜はゴーストタウン。

 「昼だけの商売」が妥協できるような家賃を提示するにも、こうした日本の看板みたいな場所ではおのずと限界もあろう。
 それでも僅かに、頭を使ったのか《客の滞留時間が長い》「ネットカフェ」などはさすがに頑張って電気を点けているが、一等地としての家賃とのにらめっこを続けなければとてもやっていけまい。

 下げまくっても、《オフィスのテナント》とのバランスを考慮すると限界だらけ。
 [メシ食い]に困るビルと云うのも考えもので、大家が仕方なく「福利厚生施設」的に食い物屋への家賃を減免しないことにはエリートのリーマンたちは次々と餓死してしまうのである(しねーよ)。

 「こうした丸の内」一帯の事情をかかえて、それを象徴するビルとして、《困る》から【まるビル】と呼ぶようになったんだよ。

 やれやれお気の毒に、このCFの前バージョンが【丸の内 What's Happnin' 】といったキャッチフレーズで、秘かに夜が変わりつつある・・・といった期待を込めた願望で、ウィンドウショッピングも夜には出来ると、「無人街の利用法」みたいなコンセプトをカモし出していたのを思い出す。

 《昼だけじゃ商売になんねぇ》・・・だから、ミニヴァンにあれこれ趣向こらした弁当や、サンドウィッチやら(それもクォリティが素晴らしい!)を満載した「自動車行商」が、朝から午後まで一帯の歩道沿いを占拠しているのが、この街では今や「なくてはならない」存在となった。

 いや、むしろ「食では街の主役」へとのし上がろうとしているのではなかろうか。

 注目すべきは彼らの多くが、脱サラだったり店舗を一度つぶして再起を図っている最中だったり、また「将来自分の店を」と夢見る若者であったりするのが特徴的だ。

 日本人は強い、ここエリートの総本山=丸の内では《「負け組」と「勝ち組」》一見共存しているかのようでいて、その実したたかに前者が「勝ち組」から栄養を吸い取っている構図が街角を彩っているのはシニカルな光景ではなかろうか。

 ある意味、このCFの誤謬「Pray」を未だに差し替えずに流している怠慢は、まんざらでもないかもしれない。ボクも彼らの将来を《祈り》を捧げ続けていたい気持ちに変わりはないからだ。

 (オレは善人か! 笑)

11月26日(日) / 「ディープ」なインパクト情報  (^o^) まあまあ
 約束どおり、《ディープインパクト》について禁を破り、書くことにする。

 じつは、あのフランス【凱旋門賞】への挑戦が決まり、あの馬が渡仏を前にした9月はじめJRA白井研修馬場に入り検疫や調教を開始する前にそのウワサは日高の馬産地を駆け巡っていた。

 いわく《ディープはもう日本には帰ってこない》というショッキングなものだった。
 金子真人オーナーは新横浜のビルで、パソコンソフトウェア開発を請け負う会社の社長。

 にわか成功者のように云われるがそれは違う。
 氏を悪く言うような生産者などはいないだろう。

 というのも、「カネよりも、馬が好き」(金も嫌いではないだろう 笑)だから、好感される馬主なのである。

 競走馬の取り引きというと、通常は「馬喰(ばくろう)」というクラシックな呼び方をする馬ブローカーや、調教師など推薦などのしがらみ優先で受けて購入するものだ。
 しかし、氏は千歳空港の近隣に別荘を建て、奥さんと二人で東京からやってくると4WDを運転し、日高地方を二人でめぐり、馬と出逢って二人が気に入ったら買うという方式でクロフネなどの名馬を発掘してきた馬主なのである。

 あのディープも「売れ残っている馬格(体格)の小さいサンデー(サイレンス)の仔がいる」と聞き、牧場へ行ってみるとたしかに貧弱な大きさの馬がいるが、小じんまりながらしっかりした骨格と引き締まった筋肉に目が行って、それを(サンデー産駒としては)安い7000万円で手を打った。

 こうした金子さん流の目利きは《金よりも、モノが好き》というコレクターこそが福をつかむもの、といった骨董の世界の常識をしっかりと証明している好例だ。

 それにしても『あなた買えますか?』と訊ねられたって、メス馬でもあるまいし、いかなサンデーの仔とはいえ(ジャパンカップ勝った今でも)450キロを越えないチビちゃんなのである。

 しかし面白いもので、いくら競馬の世界に長くいた者でも、彼の第一印象を《小さい馬だ》という者に会ったことがない。
 『あれは450そこそこだよ』というと、”え〜、まっさかあ”とキマリ文句が返ってくるものだ。

 それだけ、《強い者のみぞ持つオーラ》は存在感を膨らませて見せる・・・という法則の典型がディープインパクトなのである。

 彼が疾駆するゴール前などを指して
 『ディープが翔んでいる』と武豊騎手も好んで表現するが、スピードが乗ってくるとディープはたしかに4本の脚がボディに格納されて”宙に浮く時間”が他の馬よりも長い(「4本すべて浮くわけではない走法」の馬も珍しくない)。 

 ところが、その《伝説》にはアナがある(後述)。

 ディープは有馬記念での2着以外、すべてゴール前「驚異的な翔び方」で連戦1着をかせぎ出し、見事に国内ではこれ以上必要とする栄冠はもうなくなった。
 すなわち、「取りこぼしさえ出来ない競馬」というものは辛い。

 見方を替えれば、この「頂上」に達したディープは、そうしたネガティヴな面をも同時に背負う宿命となったのである。

 そこでヨーロッパ大陸最高の栄誉である、仏【凱旋門賞】を獲りにゆく運びとなったのだが、このあたりから不透明な部分が漂ってきた。

 レアなままのウワサを披瀝しよう。

 《(競馬王で有名な)ドバイのアハメド殿下が、ディープを30億円で購入したい意向で話は進んでいる。凱旋門賞は金子オーナーの名前のままで出走させる。殿下は「凱旋門賞を勝った馬」としての名誉を背負ったディープを買い受ける。その後は殿下のもとで欧州と米国で走らせて種牡馬生活を送らせる。》といったもの。

 ウワサというものは便利なもので、これを《本当》と結び付けるための周辺情報は数多くあった。
 むしろ、心配だったのは《打ち消す》ための情報が少なかったことだった。

 このウワサが本当になったら、日本のファンがだまっていないだろう。
 それにもフォローがあって『JRA主催のエキシビジョンなどでお披露目もするが、それだけの帰国にしかならない』といったもの。

 あの【凱旋門賞】でのディープは、《翔んでいなかった》。
 VTRを幾度観ても『右前脚を頼りに多めに体重を載せ、馬場を蹴っていた』(競馬用語での「右手前」とか「右利き」)。

 蹴っているうちにスピードが乗り、440kgが宙を浮くのだが最後まで”利き腕(?)”の右側でもがくように、「ひづめをかっ掃いて」ゴール板を迎えた。

 ビックリした。
 この時に勝った1着馬レイルリンク、2着馬ともにそれらはディープのように《見事に翔んで》いたのである。馬場を「かっ掃いていた」ディープを初めてボクは見た。

 馬には野球投手のように「右利きと左利き」があって、右利きの馬は一般には左(時計逆)回りコースを旋回するのに有利とされている。(だから、彼は左回りの東京の方が得意のはずだ)

 だが、人間のように極端な利き腕とは違うし、《翔べる馬》のように「両脚バランス取れた走法の馬」は馬の世界には多いので、「総ての決め手とする」のは早計だ。
 しかし、これに気付いて意外な不人気馬から”感謝される”ことがあるので、馬券買いなら見分けられなくてはならないだろう。(驚愕的なのはそれに無頓着な調教師も現存することだ)

 【凱旋門賞】ではなぜ、翔べなかったのかミステリアスである。
 あのロンシャン競馬場の馬場に足を踏み入れた者の靴は深々と芝生の中に埋まる。

 300年の歴史があるあの競馬場にJRA関係者が驚嘆し、その芝の手入れ法を訊いた、すると
 『300年間を何もしないことそれだけです』とあっさりと答えたそうである。

 浅い砂浜、深い砂浜、海パンひとつなら気付きようもないが、スクーバダイビングなどで「タンク2つ」も背負って歩けばどれほど、深い砂浜横切るのがきつい所業かたちどころに理解できよう。

 ロンシャン競馬場は日本とはまるで「異質の馬場」なのである。
 日本の競馬場は「深い」と云われる馬場でも、芝の質が全然違う。
 葉っぱの幅が広く、強く硬い。そして何より密度が濃い。

 ”足抜き”がいい日本の馬場で生まれ育ち戦った競走馬と、あれだけ深い”足抜きが悪いなんてモンじゃない”フランスの馬場などで待ち構えていた連中とはまったく違ったレースだったのである。

 おまけにディープは当日「5歳=59,5kg」を背負い、1・2着馬らは「3歳=56kg」といった3,5kgものバカなハンディ差を、440kgの馬にあの深さの馬場で凌駕させよう、やってみたらやっぱりツラかった・・・などと泣き言をヌカしたり、こんなはずじゃなかったと「犯人探し」までやっているのが今にちの「ディープ騒動」なのだから、底が浅いし程度も低い。

 たかだか「『競馬』に勝って、『ホースレース』に負けた」ただそれだけのことのではないか。

 どうも売買話も【凱旋門賞を負けた】ディープには「30億円」の鑑定価値はなくなったったのか、はてまた、【負けたら白紙】と決まっていたのか、何ごともなかったかのように今度は帰国早々に「引退させて種牡馬生活させる」と、金子オーナーサイドから池江康郎調教師に通告された。

 確かにあれだけの名馬であったなら、《どんな調教師が管理しても強かった》かも知れないが、師としたら納得できない敗戦の汚名をそそごうと(「騎乗ミス」と指弾された)武豊氏と巻き返しを誓ったその水面下では着々と、「引退させ【51億円】シンジケート結成計画」が進められていたのである。

 「寝耳に水」の現場サイドは引退発表の記者会見の席で、人情家の池江師は涙を隠さなかった。
 ただ、オーナーサイドの気持ちも解る。

 上記のように得られる栄冠はすべて手に入れた、有馬記念にしても、「昨年の2着」を雪辱したからといって喜ぶのはスポーツ新聞くらいのもの。
 今さらこのディープについての評価のどこも変わらないし、なんの《鑑定価格》も変わらない。

 それがもし、骨折でもしたら【51億円】はそれこそ吹っ翔ぶ!
 無い話ではない。
 血統に血統を検討し、犠牲を払いそのハイブリッドともいえる(残酷な)真骨頂こそ、あのサラブレッドの細い「直径5センチほどの脚の骨」。
 ディープの場合、その一本に(加速度を加えずとも)450キロもの衝撃がかかるのである。
 それが「骨折」ならそれで済むのが”競馬以外の”常識だが、【あいにく細く無駄を省きすぎたため、】《3本足では立っていられない動物》それが馬であり、重量があるだけにそれまで「4本で支えていた体重」が、新たに「3本だけ」となってしまうと、その重みから「蹄葉炎(ていようえん)」といった病気になって死に至る宿命なのである。

 かつて、(欧州への挑戦を前にした)引退レースで骨折し「どれだけ金がかかってもいい」と獣医学の全力投球あおいでも亡くなった悲劇の名馬、それが【テンポイント】という馬なのだ。

 それが競馬という、過酷で非情なスポーツなのである。

 だから、金子さんにしろ馬好きであればなおさら、「有馬記念」たかだか3億円の1着賞金など拾いに行きたくもないのも道理ではなかろうか(ちなみに調教師は、賞金の10%を手にする。騎手は5%)。

 それにしても、その【30億売却話】が、オーナーにとっての「世界的ステイタス」となる(?)「凱旋門賞」の戦前で立ちのぼった・・・かと思うと、《・・・敗戦》と共に消え、その直後にこの【引退51億種牡馬】決定・・・という流れは、なんとなく脈絡も整っており、まんざら根拠が無かったヨタ話とも思えない。

 「人の噂も75日」というが、「75日経ってから」それを背後から解析する・・・というこうした意地悪も、あんがいマト外れではなかったりする(?)から興味深い。

 あの《禁止投薬・失格》にしろおかしい。この【売却話】とのリンクも推理してよい事件だけれども、別の傍証として「あの気管拡張剤投与」は、第三者が馬房にわずかな量をディープのカイバや周囲に落とせば何の問題も無く、レース後の薬物検査に引っかかったはずで、その犯行へのハードルは驚くほど低いことだ。

 あの「凱旋門賞」めぐり、ヨーロッパ全域で【私的馬券】がブックメーカーの公認非公認ごちゃ混ぜで大規模に売られる。単発だが「サッカーワールドカップの決勝戦の勝敗」にも匹敵する、彼らにとっての書き入れ時、それが【凱旋門賞】なのである。

 これに比較するのもごく小規模で恥ずかしいのだが、かつてボクの親が所有していた競走馬にまつわり、60年代初めに大井競馬史最大の八百長事件が起きたことがある。

 その馬が実に強く、同馬場で連戦連勝であったため、当時神奈川県最大のI組(後に「会」)の下部団体が《騎手を買収し、手綱を引っ張らせよう指示》したのである。
 組織は当然、ウチの馬を”消して”他の馬から馬券を買いまくった・・・が、何度やってもこの馬は1着を外さなかったため(偉いっ!!)、ついにはキレて《騎手を軟禁》したことから警察が察知し大規模な摘発となったもの。

 あの凱旋門賞では、日本人中年男性が一人で1700万円も単勝式=《ディープ1着》に突っ込んだのを皮切りに、オッズも《「8倍」から「1,8倍」前後にまで》落下するほどに下がりまくり、それは同時に《買いまくった日本人》が居たという意味でもあった。

 イギリスたフランスのブックメーカーにとって、要は「何らかのアクシデントでディープが消えても、《ジャパンマネー》というウラ組織から報復を受けることのない”超良質のお客さん”を相手に胴元が稼げる絶好の機会だった」、それが2006年の【凱旋門賞】だったのである。

 つまり、ディープを『1着から外して買う』だけでも儲かる仕組みなのだ。

 結果「ディープは勝手にコケてくれた」し、別に「薬物工作も要らなかった」かもしれない。
 どれだけこの「3着」のおかげで、《「ディープは負けるもの」とした前提》による金がヨーロッパ全土に落ちたか知れないのである。

 そもそも、成田からフランスまでの空路14時間、ディープは人間と同じように、旅客機特有の気圧を調整された《湿度ゼロ%》のエアコンディショニング完備のなか、空輸されたのは見逃せない。

 馬は人間と同じように気管支が「強くない動物」なのである。
 最初、フランスに到着して獣医が診たら、【気管拡張剤】を投与したという説明も処方もまったく正しいと思う(ボクもノドの調子が悪い際の搭乗には、湿らせたマスクをして対策するほどだ。)。
 ディープもいつに増して機内では水を呑んだ事だろう。

 そして馬房の「寝ワラ」などが舞って、内部はきわめてホコリっぽいために余計にノド鳴りなどの症状を招くなど、海外遠征に長けていたという自称と陣営は頼りなかったとボクは思う。

 むしろ「さもありなん」、そんな場所へ連れてゆく人間らがバカなのである。
 また見えっ張りなのである。馬は何も喜ばない。
 
 何億円のレースに勝ったところで、「主役の馬へのご褒美」といったらナンなのだ?!
 せいぜいがニンジンとか青草ではないか、ここが大事なのだ。

 被害者はいつも「馬」、それが競馬なのである。はずれ馬券を握り締めた人間でないことだけは確かである。

 《51億円に傷を付けたくない》ムキにとって、この引退前2レースとはファンの手前、調教師や騎手の手前、断り切れない【お礼奉公】みたいなものである。
 《オーナー側に逆らって》51億円のリスクを意識しながら”強行出場”させている人間たち=「池江師と武氏」の背負った十字架とはどれだけ重いものか、想像がつくだろうか?

 今日、ハラハラして【ジャパンカップ】を見守った。
 馬体重は「438kg」にまで絞られていた。
 馬の世界での話で行けば、【氷川きよしの肉付きの出川哲郎】といっても誤差は少なかろう(なんか、イヤだな〜 笑)。

 ああした《凱旋門賞のような完敗》でメンタル面でダメージを受けていないかボクはそれだけが心配だった。ほんのわずかな差で二着になっても、賢い馬には負けた事が理解できる。
 《負けたらしい様子》をどういうわけか察知するのである。

 だから賢い一部の騎手は「勝った時、負けた時」の馬へ報せる合図をそれぞれが持っている。

 《凱旋門賞の3着は負けるらしく負けた》それだけにボクには心配だった。
 これを競馬の世界では《負け癖》といい、年がら年中「強いはずの馬」なのに惜しい負け方をする専門の馬が一定程度存在しているのだ。
 ディープには現役の騎手たちにも広くファンが多く、ほぼ全員が彼の走りっぷりを見守っている。こうした「心の傷を背負っていないか」そう心配していたのはボクだけではないはずだ。

 結果、1着となった。
 彼の大得意な「府中の馬場2400m」(もっと得意なのは「京都競馬場外回り」)にしてはちょっと気になった。
 ジャパンカップでのディープインパクトはもう《翔ばなかった》。
 ここ一番のダッシュにはもっぱら「右利き」に頼って馬場をかっ掃いていた。

 でも「ゴール板通過寸前」になって、ようやくそれらしく翔んだ?瞬間があったがトップスピードに達していなかったのだろう。
 他馬と比較すればそれは「強い勝ち方」だったかもしれないが、ディープはこんなマシンではなかった。あれでは武氏は《ソツ無く乗った》《大事に乗った》と、騎手仲間からは表現されたことだろう。

 暴力的なまでの、いつものディープらしい「ドラッグレーサー」思わせる加速力を発揮するほどのレース展開ではなかったのかもしれない。
 だとしたらあまりに”他がふがいなかっただけのレース”ということになる。

 ディープという馬は、アクセルを踏んですぐにトップスピードになる《ターボを積んだような》爆発的な加速力で仰天させてきたそんな馬なのだ。

 11月26日、今日は「別の馬」となっていた、おかしい。
 馬の左側前後とも1ヶ月前の【凱旋門賞】の時のようにどこか「力が落ちていた」ようにボクには見える。「衰え」なのか?。

 こうして「右側のパワー」と左側がシンクロしていないから、いい時のように「左右前脚が同時に着地し、かっ掃く」ような翔び方をしなくなっているのだ。
 クロール水泳で、右エンジンが左よりも強いと左側にターンして行ってしまう・・・のと同様で、それを気にせず左右とも同じ力で全力で泳ぎ切れたらそれは速いのと同じ理屈だ。

 旅客機にしろツインエンジンの場合、片方の推力がスロットルの開度(=アクセルの踏み具合)を同じにしても、そこは機械。どうしてもパワーが「まったく同じという事はない」ものだ。
 そこで、調節してパワーのある側のジェットエンジンの出力を抑え、「パワーの劣る側」に適わせるようエンジニアはセットするのである。

 このディープという馬の非凡さは、そのマックスパワーで左右ともシンクロするから「真っ直ぐ前進する」ことにロスが無い、だから瞬発力があってそれが早いし持続力もあるという理屈だ。
 《翔ばなくなった》という事はこうしてどちらかのエンジンに問題があって、弱い側のエンジンをディプがカバーしているから絶対的な性能が落ちていると云われるてしまうのである。

 ノーラン・ライアンがスライダーで打者を討ち取って「試合に勝った」、そんな勝利にバン万歳する気にはなれなかった。
 こんなフクザツな心理状態はない、取りあえずあんな馬券を獲れなくて本当に良かったと思う。
 喜んでいる場合ではないような気がするからだ。

 武氏が人間たちには終始「表情を硬くしたまま言葉少なに、顔を向けていた」けれども、ディープに再度ウィナーズサークルでまたがって、彼の背中に自分の身体を張り付けるように無言で抱擁しているシーンを二面見開きで割いて見せた日刊スポーツ紙のロマンにボクは泣けた(写真部長の内山さん?のナイスプレイか)。

 そして池江師は『身体の中は涙が体液になって駆け巡っている』と名文句を残し、
 『ディープのおかげで』とゴールイン後、その言葉を「5度も」繰り返して滂沱の涙を流していたと、CXは名リポートを付け加えた。

 金子さんは極度の緊張から解放され『ファンの期待に応えられて安堵しています』とコメントだけ残し、JRAの要請を断わり「記者会見」を拒否し帰宅したという。

 この晩の雨はいつになく、冷たく寒かった。

 ボクはディープは強いと今でも信じている。
 だけど、負けるのも当然あっていいと思っている、偏狭なファンは負けるといきなり冷ややかになるのがいけない。

 今日はディープの勝ちに条件が揃いすぎていた。

 だが、来月24日の「有馬記念」ではディープは負ける。

 彼の走法では、いかにシンクロしていても中山の馬場には適さないからだ。
 現実に彼は《翔んでいたけれど、ハーツクライ》に昨年同レースで後塵を拝したのだ。
 それはたまたま、とか「展開のアヤ」というものではない。

 3連単でボクは今年最後の勝負をかけてみる。
 「金額」の問題ではない。
 好きなものをウォッチングしてきたこの眼を問うてみたいのだ。

 【彼を「2着・3着ながし」で1着から消える・・・】として、引退レースを今から占っておく。
 ツキますよこれは・・・

 こんなところで負けたからと、評価を下げるような薄情な者に競馬のような、こんなはかない馬たちの命をやり取りするような場所には、ハナっから顔を突っ込んで欲しくない。

*写真 文中のその八百長をはね返しゴールインする「コウライ」号と、鞍上は八百長していた平山久騎手(笑いごとではない)’61大井競馬場 筆者撮   

11月25日(土)  「罪を作った」のは誰か  (^o^) まあまあ
 ウチからほんの1キロも行けば隅田川に突き当たる。

 そこの下流、浅草方向にゆくと切り立ったコンクリート製堤防の両岸はコンクリの白とブルーの二色に彩られる。

 そう、ホームレスの作った段ボールハウスを、そっくりそのまま包装するようにスカイブルーのビニールシートが両岸を色どっているわけだ。白とブルーまるでギリシャと地中海のようである(笑)。

 さいわい、台風でもやってこない限り彼らの家が”床上浸水”になることはない「安心の地」なのである。

 奇遇なことにこの先、上陸してまた1キロも行くと、このビニールシートの生産では圧倒的に日本一のシェア誇るメーカー本社(地味な会社)があることはあまり知られていない(どーでもいいが)。
 この会社は明治以来の産業革命のまっただ中で「麻袋」を編み、そのノウハウからビニール糸をサンドウィッチにして堅牢性持たせあのビニールシートの大ヒットに結び付けた賢い会社。

 余談になるが、95年の阪神大震災では倒壊した家屋の屋根代わり、つぶれた天井の代理として全国からあのシートが集められて活躍することになった。

 当時のボクはイチローさんとのコンビでグッズを浄財に替え、被災者に贈るという、チャリティの初体験をせめて頑張った忘れられない体験だった。

 震災から5年もたった頃だろうか、宿の「新神戸オリエンタル」の最上階で飯を食おうと、神戸市内のパノラマを楽しむうち、「このブルーの色」の点在が視界の中に数多く飛び込んでくることに気が付いた。

 その青色だけをピックアップするように、網膜の受け止め方を替えると、それは驚くほど広範に、また言葉を失うほどに密度高く視界の届くすべての全域にわたっていた。

 その下では《修理の順番を待っているのだろうか?》、こんなに広い領域で《ビニール製屋根》に未だ泣いているだろう人々の莫大な数を”ブルーの色で”目の当たりにし、その一方で行政が「復興の窓口」を早々と閉めてしまっていたことにも怒りを新たにした。

 いま日本には「未解決事件」は多いけれど、これだけは一刻も早く下手人らをひっ捕らえて思い切りひどい目に合せて欲しいと思う事件がある。

 この20日、愛知県岡崎市板屋町の河川敷で69歳のホームレス女性がなぶり殺しにされた遺体が放置されていた事件である。

 アルミ缶やスチール缶を拾い、彼らホームレスはいつの間にか「明日も次世代も考えない」ボクら現代日本人の生み出すゴミをリサイクルして、《原始的》だけど確実に社会貢献しているといった側面をボクらは「頭の外に」して考えようともしていない。

 「食物連鎖」という生物の相関図があるが、云ってみれば「廃棄物連鎖」への彼らのサポートは驚くほどに成果を上げている事にボクらは無頓着なのだ。

 遊んでいるヤクザが生活保護を受けているケース、払えるゆとりがありながら「他者もそうしているから・・・」と小学生に給食費の不払い運動をさせてはばからないバカどもも数多く棲息する。

 それにひきかえ職を探しながら、街の空き缶などのゴミを拾い集めてわずかばかりの金に替え、結果的に街頭の清掃にも役に立っている、そうしたお婆ちゃんが殺されたのである。

 そうした老人らはどこにでもいるというのに、彼女は殺された。
 何がいけなかったのだろうか、というと、ただ単に《身寄りもなく、橋の下で野外生活を送っていた》それだけなのだ。

 被害者の花岡さんは、橋の下にブルーのシートに包まれた仮住まいで独り身。
 もともと生活保護とは《与えられる税金》だ、「年金」はいわば「国に預けておいた自分のカネだ」。

 彼女は「保護されていた」のではなく、「自活していた人」ではなかろうか。
 月あたり”約7万円の年金”を手にして、そうしたアルミ回収(相場は1キロ集めても100円内外)で小銭をかせぐと、目の前の川へ釣り糸をたれる人々に缶コーヒーなどを買ってやったりするという、気持ちにゆとりのある方だった。

 それが『内臓破裂→失血死』、今後どのように手口が明らかになるかは知れないが、犯行グループはおそらく、立たせたままのこんな老女の腹に幾度もバディをぶち込んだ、か、羽交い絞めにしておいてのキック、または倒れた花岡さんをジャンプして腹の上に飛びおりて、内臓をつぶしたという犯行態様だろう。

 そこには”ただ倒して目的を達する”というだけではない、どこか”遊び”思わせる犯人らの非道さが表れている、相手は69歳の女性だというのに。

 そしてそれらの内臓から溢れた血を「穴という穴」からあふれ出て絶命したのである。
 そして現場に残されていた財布からは「金だけが消えていた」というから、これはもうレッキとした強盗殺人事件である。

 事件現場近くでは、中高生らしき4人が自転車でうろつくところが目撃されている。
 もし本当にそれが中高生だったら、確実に数日を待たず「特定→逮捕」となることだろう。

 だから「事件解決」自体にはボクは楽観しているのだが、今回どうしても許せないのが警察だ。

 というのも、ホームレスが確認されているだけでも「わずか23人」というこんな小さな街で、警察発表によれば「半径1,5キロ」の狭い範囲の中で、17、18、19、20日と連続して8件とも同様の《若い男によるカネ目当ての強盗・強盗未遂致傷事件》が起きているのである。

 通常、こんな事件が始まったら警察では指令をながすものだ・・・
 《同一犯と思われる者による、強盗傷害事犯が管内では多発しており、XX署内に捜査本部を設置、管内の各移動(パトカー)各PM(警官)は不審と思われる若い者グループへの徹底的な職務質問を励行されたい。またマル被らは、マル害らに鉄パイプなどの凶器を使用しており、職質などに当たっては身体捜検のうえ、各人「受傷事故」防止に配慮されたい。》

 こんな重要警戒態勢を告げる命令が、朝礼はおろか、定時の無線連絡でも訓令として通信指令から流されるのが通例であるのに、これを行っていないらしい。

 さらに重要なのは、殺人現場最寄りの「北岡崎駅」では、「6日」に最初のホームレス暴行傷害事件が「3〜4人組の若い男」によって発生しているのである(これはどうも意図的にボかされているようにみえる)。

 だったら、ここで警察はなぜ腰を上げなかったのか。被害者は77歳駅構内での犯行で、肋骨骨折の重傷、ただ横になっていただけ・・・の無抵抗でこれだけの年齢の老人に対しての殴る蹴る。
 これでは殺人未遂といってよい。こんなに小さな街で罪名でいえば《強盗・傷害》《強盗未遂》が無抵抗の人間たちに深夜突然襲いかかったのである、これは大変な凶悪事件ではないか。

 今どきの警察官とは、駅前の放置自転車をたまたま乗っていたような者を捕まえて、一丁あがりの「窃盗犯」くらいしか逮捕(した)歴のない警察官ばかりなのだ(笑)。
 ここに重要事件に発展してゆく先行きを”予見せるこんな事件”を、みすみす見逃してはばかる事のない体質が如実にここに出ている。

 だからホンモノの泥棒の例に戻れば、指紋や手袋痕などを採取したらそこはそれで終わり(笑)。
 その被害届だけ受理して”逮捕のための捜査などされない”から、泥棒のほうは好都合にも一人で次々と犯行を重ねるものだ。

 そのうち侵入課程などで不運にも捕まったら、そこで現代警察の出番である(笑)。
 取り調べによって「あそこも、ここも」と複数件の自供を得て、空き巣の被害者にある日突然、警察がやってきて
 『お宅の犯人を捕まえました』とのお手柄の報告が入るけれども、じつはそれは単に《(供述の)ウラ取り》に来ているのであって、時すでに遅く「盗品」などはとっくに換金済み(現金はまず取り返せない)。

 正確な云い回しでは『泥棒が捕まって、「お宅にも入った」事を本人も認めてくれました』と報せるのが本当なのだ。
 また上記「実害」などを取返してくれるべくもないから、
 ボクらの側は、せいぜい『あの泥棒が捕まってよかったね』と溜飲を下げるだけで、本来の被害者救済とはほど遠くなってしまったのが昨今の現実というものだ。

 従来の警察が「犯人の後を追って逮捕してくれる」攻撃型警察だったのに対して、今は定置網型(笑)で「引っかかるのをじっと待ってから料理をする」といった守備型警察へと体質がすっかり変わりつつあるのを、ボクらは発想転換しなくてはならない。

 また長くなりそうなので(笑)、結論から述べてゆこう。

 今回の事件で6日の事件で、署轄の警察が動いていたら、いや、17・18日同じようなプロファイリングできるような「加害者」「被害者」の両方、そして犯行態様(=底辺にある無抵抗の者から夜間襲って金を奪う)まで輪郭がクッキリしているというのに、動かなかった。

 だから、花岡さんは惨殺されなければならなかったのである。

 わずかでも動く気配でもあれば、せめてパトロールやら職質の強化でも行っていれば、犯人らは警察の影に警戒し犯行そのものに手を染めにくいわけだし、また犯行があってもグループの割り出しに効果を発揮するだろう。

 ではなぜやらなかったのか、わずかな金とはいえ《強盗傷害》なのである。なのに、なぜ・・・
 それは「ホームレスだから」なのだろう。
 はっきり云う、《帰宅途中のOLや、サラリーマン》が襲われていたのであれば警察はただちに動いたであろう・・・と。

 また彼らは、何よりも「苦情が来たところで痛くもかゆくもない相手」にちがいない。
 固定資産税も払っていない者には痛みや苦しみをうったえても、それほどまでに相手にしない世の中になっているのか。
 「その先頭が、今回は愛知県警」というわけだ。

 愛知にかぎらず、日常的に警察の彼らホームレスへの接遇振りを見ていると(同情出来る面もあるが)しばしば「社会の落伍者」としてしか彼らを見ていないように思える時がある。

 また、襲っているのが「未成年らしいから」なのである。
 それならば、なぜ早いうちにキツいお灸をすえてやらなかったのか。
 ”「被害者意識」しか知らないバカな親”をも、ヒヤヒヤしながら相手にしなきゃならない・・・。
 《少年犯罪》は逮捕後が厄介である。

 何か間違えれば、ソクこうしたバカ親は”人権問題!”とのブランドをみずから標榜し、メディアも《未成年はすべて保護すべき》との金科玉条だけは、どんなことがあっても変えない。

 だから少々異議はあっても、紙面に載る、電波にも流れる大事件となって、ダーティヒーローはいつも警察側となる・・・こんな千年一日不変の法則が日本にはある。

 《風が吹けば・・・桶屋が》ではないが、「マル被(疑者)は未成年」となると、どうしてもゲートの出が悪くなるのはこうした【民主的背景】によるものだ。

 こんなガキどもを死刑台に送れない国情などは残念でならないが、花岡さんを殺した彼らの「共犯」は間違いなく警察の差別意識である。

 それも「ホームレス」という差別と、「マル被は未成年者」といった逆差別のダブルネームに違いない。彼女はそうした《偏見》の犠牲者にちがいない。

 ボクはそうした濁った目でこの【岡崎ホームレス女性強盗殺人事件】にそっと包み隠されようとしている情報操作には意地悪く注目している。

 それにしてもほんのわずかな金との引き換えに、あと先を考えずにここまでやってしまうほどに、我が日本人は浅ましくなってしまったのか。

 遺体は小屋の目の前を流れる川の流れに身体差しのべるように横たわっていたという。
 69歳、さぞかし無念だったことだろう 合掌

11月16日(木)  マル対?、北芝サン  (^o^) まあまあ
 あるメディアが、あの《元警察官》であり売文業者である「北芝 健」なる人物に
『コメントを頼もうかと考えが及ぼうか・・・という時、フと、ここ(当『日記』)での短文が思い浮かび、そうした構成自体をやめた』とその友人は連絡してきた。

 『考えてみたら、警視庁捜査一課と公安部のデカがリンクしてるなんて、バッカバカしいもんねぇ』と、TV局のその友人はケラケラと笑った。

 「週刊現代」と「週刊朝日」が先月、前者は2度、後者は1度直接本人と会って取材して書いている。
 前者はかなり足を使って自称していた経歴をつぶさに当たり、また面会のうえ本人から出た言い分をまた足で当たってウラを取ったり取れなかったり、この週刊誌にしては珍しく実証主義をやって見せてくれた(笑)。

 また後者などは後追いだっただけに趣向を凝らし、同じく警察官OBコメンテイターライバルの黒木和雄さんと”直接対決”させていたのが興味深かった。

 そこでは北芝サン、『やるのか?やるんなら相手になるぞこのやろう』みたいな言葉まで吐いて黒木さんを威嚇していて、とっても面白かった、やるなあ”週朝”。
 この本は、最近あまり”親会社の金看板”を振りかざさないで、精一杯ぶつかってみようといった現場のバイタリティをみせているようで(もっと「興味本位」でもいいぞ)新しい面を見る想いだ、頑張って欲しい。(もっと三流週刊誌っぽくてもいいと思う)

 ともあれ、その対決でどうしてホントにケンカさせなかったのか残念である。
 空手も某流派(=寡聞にして初耳)で6段で、日本舞踊までやっちゃうのだからただ者ではない(笑)。そこで暴行罪、空手ウンヌンがホントで有段者であるならば、不幸にして「傷害罪」がつくわけだ。

 そうしたホントの意味での「カウンターメディア」が今欲しいんだけど。

 北芝サン、《本名を出すのはかつての公安事件で隠密捜査やっていたから、差支えがある。だから仮名”》なのであるならば、テレビに出まくってバラエティ特化まで始めちゃうその素顔はもしかして特殊整形でもしたというのだろうか?(笑)。

 ボクは最初から、氏の肩書きに『警視庁捜査一課元刑事』からスタートして『元警視庁公安刑事』が入ったところでクビかしげた。

 そのうち、それらが合体して『警視庁捜査一課、公安捜査も担当・・・』となってきて、どんどんエスカレート(笑)ついには、FBIと親交があったりLAPDとの関係までちらつかせ、さらには「射撃の腕前はオリンピック選手級」だと紹介されるまでにいたっては、開いた口がふさがらない。日本舞踊だってできるんだから(笑)

 そもそも、警察官の世界というものは退職後のメシの喰い方について、決して再就職の足はお互い引っ張るまい・・・との美徳の不文律が全国警察にある。

 決してこの人の同僚たちや、「オリンピック日本代表」を争ったかつてのライバル(笑)が出てきて
 『北芝さんってホント、マジ凄いんっすから、踊りちんとんしゃんと踊りながら百発百中っすから』と、援護射撃してくれる人(笑)もいないのがまずは不思議なのである。
 深川の射撃場でそうした「誉れをかけた選手」なら厚い付き合いが一生続くのが今までの例である。

 また、反対に『バカな経歴詐称してるんじゃねえよ、お前はオレんとこのXXだったじゃねえか』と内部告発する現職も元ホンカンも現れない不思議。
 そんなに「天涯孤独でいいのかよ」とツッコミたくもなるし、それはそれで不思議な世界といえるのだ。

 こんなにスーパーマンでよくぞ、《特殊班》に選抜されなかった、その一点だけでもボクは首を傾げてしまうのである。(逆算すれば彼の年齢ならが「深川で川又軍司」をパクっていたか、少なからず臨場していたもしれないけど)

 わが北芝サンは、そうしたメディアの追求にいちいち反論だけはしてみせる。(以下文中「《》」内は氏の振りかざす自称・・・だ)
 いわく、《警視正でなく「巡査」。なのに2ちゃんねるに勝手にそう書かれたのが一人歩きした》
 《(47歳自称もホントは60歳疑惑に)生年月日を語らないのは担当していた公安事件での経歴が判ってしまうから秘匿している》

 材料はこれだけでたくさんだ。

 そもそも、ボクは『ホンチョウの捜査一課刑事』でまず??、そいつが『公安事件も』となったらもう充分なのだ。
 現職ホンカンのみなさんも(OB諸氏も)最初は『おぉ、「警察学校何期の出」なのかなあ?こいつ』くらいに親しみを込めてTV画面を見ていただろう。

 それがテレビ出演での【芸の幅】を増やしたかったからなのか(笑)、そのうちに大広間みたいな座敷を拡げたこの『一課&公安』と夢の掛け持ちワザで、もうトゥーマッチだったろう。

 この人の年齢が47でも60でも、「全共闘」「爆弾」「内ゲバ戦争」「成田」、そのいずれかの案件に必ず《「公安」だった》ならば、間違いなくそれらの捜査に関わっていたはずである(他にもおとなしい右翼や共産党担当だったんだよ、と逃げるテもなくはないが)間違いなく。

 そうした場合、たしかに顔はストレートに出せまい。
 《初のTV登場時はサングラスかけて、だったが2度目は忘れた(のか?な)ので、そのまま今日まで素顔》

 なのに《1000件は捜査に当たってきた》のだから、こりゃあタイヘンだ。
 公安事件などが、そんなコソ泥や万引きのように毎日毎日起きていた日にゃ、日本のそこら中がボッコボコの穴だらけで、爆弾の炸裂しない日なんてはないはずだ。

 それに「共産党」担当だって、集会のビラや「講演会のテープ」をスパイから金と引き換えに捜査資料として買ったところで、それも「事件1件1件」とカウントするルールはどこにもない。

 そもそも「公安」畑は警察組織の中でも際立って特殊な分野である。
 秘匿すべき人脈やら情報提供者との関わりの保護などもあって、他の「捜査」畑とはOBになっても、現場同士の交流などはまずないと云って良い。

 ボクも桜田門の本庁に行き、一課の特殊班(彼らは庁内のアイドル的存在)と一緒にさせてもらい、彼らの視線で人物往来の現実はずっと見せてもらってきた。

 それが、デカ同士エレベーターに乗り合せても、誰かれなく「この前(の事件解決)はお疲れさま」とか「あのヤロー(=犯人)トンでもない奴だったね」などと親しげに、警視庁も最も厄介な事件の実力行使部隊である、この「捜一」の花形SIT隊員には話しかけてくるものだ。

 しかし、あるフロア(公安部署のある)から乗り込んでくる同乗者たちは決して、自分ら以外とは話しもしないし、たまに話すのは自分らとの間だけでしかも小声で済ます。
 たとえば、セクトの爆弾工場と活動家を上げて社会面に載せるほどの事件となったところで、彼ら公安(や警備)畑はそうしたお手柄について会話を交わすわけでもないし、他の畑から称揚されることもない。

 それにしても一般人としては見当がつかないかもしれないが、とりわけ「警視正」という雲の上のような階級に、この人物はどうしてなれたというのか、荒唐無稽にもほどがありはしないか?この人は本当に警察社会にいたのだろうか?
 この経歴には明らかに社会的に、そして警察社会的に氏は説明責任を問われてしかるべきだろう。
 そもそも、指摘されるまで「元警官」であるならば、そうした階級にまつわる自称経歴は絶対に高い方に誤ってはならないはずだ。黙って放置していたこと自体、大問題なのである。

 ボクの知識だが、今現在、【警視庁の警視正】といったら、「警視総監・警視監、警視長、警視正、警視・・・」という機構ではなんと第4位の高官に位置して、現在警視庁職員の合計でも30人前後であろう。

 そして「課長」は警視庁内部ではそこらの企業の「課長」とはかなり上の階級の者のみが就くぽすとで、捜査一課や公安一課とか、北芝サンがどちらにいたとしても、「元刑事」なんてケチらずに、どうせならいっそ「一課長」「公安二課長」とか自称すればいいのである(笑)。

 現実の世界では、じっさいに警視庁で刑事らを束ねる各課(本庁?)の「課長はおしなべて《警視や警視正》が就くポスト」なのだから、どうせ詐称するならばかえってその方がリアルなのである。

 「署長になる警視正」にしたって、そこらの警察署ではなく各方面本部の核を成すようなエリアを署轄とする、「新宿署」「渋谷署」「浅草署」みたいな規模の大きい警察の署長、それがもっぱら警視正が就くポストなのである。その他の署は「警視」がほとんどすべてと考えてよい。

 ちなみに、退官すると1階級上げてくれて《正》が付いたりするけれど、その”稀少価値”の度合いといったら、直接面識はないものの全職員、《ああ、XXのOOさんね、「OO事件をやった方」「XX署の署長さん」?》とまで、『警視正』にはソラで語れるほどの雲上人なのである。

 それを、北芝さんって《早稲田大学院を出て、商社の「ジャスコ」で一時期勤めた後に警察官になった》とカタっているが、それも(「イオングループではない【ジャスコ】」なる会社を週刊現代が探すも実体はなかったそうだ)・・・すると「キャリア組」ではないだろうから、ノンキャリアでそれらの職に就いているホンカン達というと、50歳を超えているのが通り相場の社会かなりの叩き上げ成功者(で伝説的警官として語られるほど)の到達点だろう。

 現職の警視庁OBも含め、それだけの苦労して出世を遂げた方ならば、もはやカリスマ的に支持者を抱えて、「警視庁伝説の功労者」とでもならないかぎり、あのような縦軸優先の社会にはあり得ないほどのステージが「警視正」なのである。

 すると、北芝サンは(60歳実年齢とするなら)ほんのつい最近の10年以内まで《それらの要職》に就いていたといった計算になり、それこそ「前後左右・上下」と、警察社会の友人知人で溢れかえるのが本当なのである。これだけで職員間で呑み会といわず、忘年会といわず大の人気者でない方がおかしい。

 ところが、一転「現代」に攻められる側に回るとかなり話は違ってくる。
 経歴に訂正が入り始めるのである、《それは自分自身が語ったことではない》と、一貫して(笑)「他人のせい」という大盾を使い、矢継ぎ早に投げかけられる矛盾点への防壁とするのはなぜなのか。
 経歴を紹介されてそこに誤りがあれば直ちに訂正をするのが主役としての責務である。

 《警察に籍を置いていたのは足掛け8年。築地署で公安刑事をやっていた》
 《「連続企業爆破事件」の捜査書類に自分の名前があるから、捜査を担当した僕は処刑にされる危険がある、個人情報はださないようにしている》いずれも「週刊現代」記者への言い分。

 この説明でもさらにボクは不思議世界に放り込まれる。
 『足掛け8年で中途採用の者』が「警視正」にまで登り詰められる警察社会とは、こりゃあ朗報だ。
 なかなかの実力社会らしい、こんなに開かれたジャパニーズドリームに君もチャレンジしてみないか?(笑)

 彼も武道家を名乗るはしくれであるならば、せめてこうした階級社会、今もそこでの絶対的上下関係に苦しんでいる者(巡査?)ら同僚のためにも、『警視正』のようなトンでもない高官であるかのような”(他動形とはいえ)経歴披瀝”を、赤面しつつも必死になって打ち消そうと努力しているあなたの姿を期待しているはずなのである。いや、本当は「8年で登りつめられるような縦型社会にして欲しい」のが理想なのである。

 後者だが、74年の三菱重工ビル爆破事件などを指して、捜査本部のあった丸の内署の近所=築地署をイメージさせようとしているのだろうが、犯行グループはとっくに壊滅している…なんて当時なら公然の事実。

 そんな、初歩的な知識が「隣接署の公安」たる役目の者だったら知らないはずはない。
 そんな亡霊たちに末端の刑事ごときまで、処刑し尽くす能力も資金も今さらどこにあるというのか。グループの共闘組織だってわずかな跡形もない。実際には公然部隊としての裁判(「死刑反対」)支援グループの数名ではないか。

 おまけに事件は最高裁判決でとっくに確定しており、そもそも彼ら被告らは《第三者を無差別に巻き込んだ》として自己批判しているという者、それがなぜ捜査資料に名前があるだけの下っ端を探し出してまで手にかけなければならないのか、論理も道理もそれでは通らない。

 この北芝サンがことさらに、そうおびえて見せることでイカニモを演出してみせるのはいったい何をしたい狙いからなのか?真意を疑う。
 
 犯人グループ、【東アジア反日武装戦線】のたどったてん末・・・なんて公安畑での初歩的知識を知らない彼を、ボクはかつて公安事件について雑誌記者をしていたころに担当していたキャリアから、かえって「北芝さんは警察官ではなかったのでは…」といった別次元の疑惑さえ覚えている。

 おそらく警察社会の人々にとって、不思議でならないとしているのは当然ながらボク以上であるはずだ。

 こんな程度の捜査官(?)までが処刑されるくらいに追っ手が執拗なら、検察やら判事、警視総監まで真っ先に連中から処刑の対象となっていて、とっくに死に絶えているだろう(笑)。

 《(そうした事実と違った経歴も)テレビ局のほうで勝手に肩書きを間違えたりして、結果的にこうなってしまった。》
 《「私は公安事件をやっていて、本名も年齢も明らかにしていない。自分から何歳だと言ったこともないし、階級もヒラの巡査で辞めました。ネットで偽情報が流されて、それが転載されて広がってしまった」》

 「問題」なのは、だったら、どうして今までそうした北芝健なる者は、自分の登場するシーンで流される「肩書き」についての誤りや杜撰を糺さないまま、テレビ局に改善を具申しようとしなかったのか。

 ボク程度の者の場合でも、例を述べれば、そうしたテロップ作成に当たりほぼ毎回必ず、ADやDが確認をボクに求めてくるものなのだ。
 そうでない「事項」とか、誤った「呼称」とかあった場合にはノー文句にボクは指摘するし、即座に彼らは快く訂正してくれる。

 むしろ北芝サンのように、《間違っているのをそのままにして・・・》しまっているような出演者がいたら、困るのはむしろテレビ局のほう…なのであるから、彼のような「警察がらみ」、「人権がらみ」となりやすい立場の人物には制作側も格段に気を遣って臨むものである。

 ましてや《官名や階級などを「2ちゃんねる」などで、勝手に書き込まれ》たようなトクベツなものだというなら、この絶好の機会である。訂正をさせる権利を今こそ行使して、下らぬウワサなど全否定したっておかしくないと私見だがそう思う。
 なのにどうしてこの人は放置しておいたのか。
 だいたい「不名誉」とは感じないのか。

 ”話半分”としても彼が二つの週刊誌に申し開いたことを要約すれば
 『テレビ局の間違いをほっといたら、勝手に肩書きもエスカレートして来たがそれでもほっといた。そしてそれを信用して皆が本を買ってくれる。だけど、オレは関係ない、だってオレがそうしたんじゃないもの』

 20年も前に「実話と信じた日本中」を泣かせた【一杯のかけソバ】栗良平なる者の言い訳と、全く同じ論法である(笑)。
 
 警視庁や警察庁でもFBIや、LAPDなどアメリカ地方警察と直接コンタクトできている者・・・と、北芝サン(の自称する)のようなセクションやら、特別待遇の捜査官らは実際にどれくらい居るのだろうか。

 ここでもボクは眉にツバを付けざるを得ない。
 ボクの知り得た範囲では絶望的にそのパイプはなきに等しく、したがって「銃器犯罪対策」について、”銃社会の本場”からの貴重な生命に関わるノウハウや、ハウトゥは日本警察の担当最前線には、もたらされていなかったのである(「今だから云える事柄」です)。
 それはかつて自分が捜査一課に防弾装備を設計して、耐弾について『あさま山荘』事件以来の防弾装備改革をさせてもらった当時、「FBI」や「米都市各市警」らのノウハウやハウトゥをボク自身が現場に資料やらアドバイスを”輸入”することも、担った立場の者として言えることである。

 むしろそうした「卓越した英会話力」を行使して自主的に交流をしているような捜査官の出現を追い求めていたくらいなのだ。

 ともあれ、この北芝サンを週刊現代が「北芝の経歴は丸ウソ」とまで報道していたのに、その後もコメンテータで使っていた勉強不足のマスコミは、観察したところ【スポーツ報知】が最後だった。
 以後は本人も《テレビはやめて今後は出版界だ》そうで、顔を見せず「北芝 健」との著者名で勝負した単行本がそこそこに売れているらしい。

 《テレビはやめて…》だったら出版業界と、随分と出版界も読者も下に見られたものである。
 本が「売れりゃあいい」ということか?。それでは最低の商道徳と反撃されたっておかしくない。

 その内容も本物の警察官に取材したエピソード集ならばいいのだが、それがその殆んどが北芝スーパーマグナム刑事大暴れの【自称実話】(笑)は笑いあり涙ありの大活劇ロマン(笑)。

 ただいかんせん、これだけの”お飾り”を最後まで外さなかった道徳観のお方である。果たして何冊も書けるほどの実体験があったのかどうか、疑問ではある。

 当然、それらの「刊行物が増刷する際」には、付属の【著者紹介】の部分を”正しい履歴”に書き換えるよう出版社に校正の指示を出すことを期待してやみません。北芝健さん。

 でも、「2ちゃんねる」に書き込まれたよう(?)な経歴を、週刊誌にツッコマれた後の今日でも、貴兄(や鈴木士郎や露木茂ら)が所属する【潟Nリエイティブ・メディア】は、今もHPに掲げているコレに詐称の部分はないと、北芝ケイジは”「マル確」なのか*”?どうぞ。

  経歴
 元警視庁刑事。
 刑事警察や公安警察に所属し、殺人、強盗、傷害、詐欺、暴力犯、強姦、麻薬、
 外国人犯罪などあらゆる事件を扱い、FBIなどとも交流する。
 警視庁総監賞、刑事部長賞、警務部長賞、署長賞複数回受賞。
 現在は犯罪学者として教壇にたつ。
 日本社会病理研究所主任研究員、助教授。日本犯罪社会学 (犯罪社会学担当)

 *マル確なのか=警察用語で「確認はとれた情報なのか?」の意(笑)

 
 こうした人物を、かつてなら「官名詐称」スキャンダルとして、結果はどう出ようとメディアはとことんまで追い詰めてゆけたものだ。
 だが北芝さんのこれに留まらず、こと「経歴詐称」となると、どうしてどうしてこのような「寸止め」で停まったままなのかというと、【個人情報保護法】のカベに守られているからなのだ。

 この人はすでに民間人。早稲田大学の同窓生を調べても、築地署OBに当たっても、すべて《個人情報》は守られなければならない・・・との障壁にはばまれてしまう。

 だが、秋田県児童連続殺害事件(畠山鈴香被疑者事犯)ではテレビから引っ張りだことなった北芝サン、その彼から《公安的手法で周辺を捜査した結果・・・》と、鈴香との「デッチ上げ不倫疑惑」を根拠にして「怪しい」とバカな指摘をされた「故米山豪憲君のお父さん(や能代署現職警官)」のような方々が実害を訴え出たならば、いっぺんに今まで『見逃してきてやった、ハラ据えかねている現職警察社会』がギリギリで維持してきた、北芝経歴への障壁など吹っ飛んでしまうだろう。

 まぁ、こちらの秋田の舌禍の件は「名誉毀損の時効」成立まで、しばらくは公安時代に取ったキネづかの隠密捜査でいきますか(笑)。

 (しかし、笑止なのは自身を褒める言葉の中で、あの事件が発覚直後のテレビで「犯人は隣近所に居る顔見知りの犯行と断定しており、さすがと感心させた」と公的に掲示している。

 それが、実際は上記のようにまるで誤爆だったくせに、こうしてお手柄のように転化してしまった記述法をどこも不謹慎だとも思わないらしい。
 マスコミだって無責任である。そもそもあの事件を「鈴香の犯行」と当初から睨んでいたのは一人や二人ではなかったのではないか、”被害者の母”だから最後まで手を付けられなかっただけ…の事を、気付かなかった事じたいを恥とするべきで、周知の史実ネジ曲げてまでどうしたいのだろうか、彼らは。)

 それにしても、最近《警察官OBからの圧力でテレビの出演の仕事がなくなった》という(週刊新潮10/18)が、それこそ問題とすべきなのではないか?
 貴兄のような国際的スーパー公安刑事ドノをもってすれば、そうした不心得者の氏名などを著書で堂々とバラせばいいことで、これこそ彼が”告発”(笑)を続ける「警察官僚による言論弾圧」の何ものでもない。

 ただ、簡単に《テレビ界に圧力をかけて特定の出演者の出演をやめさせる》というのは、素人が考えるほどTVなどの現場は『右へならえ』するものではない。
 各社各部、各キャスティング担当、一様にひねくれており、組織だって正社員・制作会社と、圧力をかける方だって相当に骨が折れることだろう。

 それが、全社全番組担当者らが「同じベクトルに向かって足並みをそろえる」などという事ができるわけはない。
 ちなみに冒頭の某TV局のPのような方は、
 ひとっつもそうした警察方向からの『北芝忌避』圧力に屈したものではなく、単にあそこまで【「経歴」に短期間に変遷が生じ】で元警察官を名乗る人間の”信用度”に、局として体重を預けるのはいかがなもの・・・と考えたから、別の企画に思考はめぐっていっただけ…なのだ。

 残ったのは『出演機会がなくなったのは、オレが悪いのではなく、警察の圧力に負けたマスコミの弱腰によるものなのだ』といった、北芝健サンが掲げた「独自の主張」が取り残される格好にボクは見える。

 ともあれ「元警察官を名乗る以上」は、
 「せめて正義にのっとり」、また「いさぎよくしてくれる」もの・・・と、視聴者・読者である我々は”期待するだけ”で、こうも簡単に裏切られてしまうなんて、なんと雑多な庶民は不幸なのだろうか。

11月14日(火)  あっぱれだった「コソ泥事件」  (^o^) まあまあ
 あの「エリザベス女王杯」で繰り上げ1着となった、フサイチパンドラの馬主、関口サンは単勝に「100万」突っ込んでいたそうだ。
 そして、見事に《2700万円》となって、京都で夜の総決起集会を開き、おかげで関係者各位は「風邪」で今週がダウンしまくっているとの最新情報を頂戴した(笑)。

 日テレの深夜ニュース《きょう出来》こと【きょうの出来事】が終了してから2ヶ月か。

 具体的にはいえない身内のお方が頭を抱えていた、日テレ絶不調を象徴するような新番組だと。
 そういう嘆きに乗って、実はボクもこの時間枠ニュースから日テレは撤退したものばかりだと思っていたので、ちっとも日テレにチャンネルを合わせることもしていなかった。やっぱここはTBSでしょ。

 そこで《ニュースみたいな》23時台の番組にチャンネルを合わせていたら。
 やっぱし、笑顔じゃないと小林真央はダメなもんだ。
 どこの誰だか判らなく埋没しちゃってる。

 長澤まさみだってそうだけれど、笑顔の質が彼女らは卓越しているからこん日の人々が支持が集まっているのであって、笑顔が綺麗だけだったら芸能人(やモデル)はいくらでも変わりはいるけれど、彼女らの場合にはちょっと長年見なかった《笑顔の質》に超えたものがある。

 長澤を発掘したのが中山ゴンの奥さん、生田智子というのもなんだか笑顔つながりで東宝にまで入れちゃうんだから凄い。ギャラの三割は長澤さん終生払う価値があるスカウトだね。

 ともあれ、あのナウな小林姉妹はご近所に生家があるらしく、お姉さんがTBSの女子アナ麻耶、千代田線の町屋駅に両雄が姿あらわすなんてことがあるんだろうが、豪勢である(笑)。
 これでようやく、わが荒川区町屋女性軍の「至宝」。
 春がやってきたように、ようやく苦節50年、外に向かって《美人の郷》と、自慢が出来る毎日だ(笑)。

 だけど、あの日テレのニュースみたいな番組【ZERO】はいただけない。
 こうも連日、殺人・いじめ・拉致・自殺・教育基本法・幼児虐待みたいな、気が滅入る話題ばかりじゃあ、逆に真央ちゃんは笑顔など見せられるはずもない(長澤さんがやったところで、光は放たないだろう)。

 そうしたら、出ましたバケモノ!
 安っぽい運動会でありがちの、障害物競走で《メリケン粉の中にあるアメ玉を手を使わずに探す》と、顔が真っ白になって、目だけが黒々とポツンとある・・・・ああした顔がブラウン管(古ッ)いっぱいに出ているのである。

 しかも”寄り”である(笑)、バケモノ以外の何者でもない。
 毎回登場するわけじゃないようなのだけれど、なんだこいつは!?

 いい加減それらメリケン粉を掻き分けて出てきた思い出したぞ、かつてニュースステーションでやってた「お天気屋」じゃなかった「おねいさん」やってた【大石 恵】じゃん、もしかして(笑)。

 「ブ厚〜〜っ」!
 どうしてこんなに白く塗っているんだ、この人は顔にモルタルを(笑)。
 これからの季節、乾燥した風が吹いたら《モルタル層》にヒビが入るぜこれじゃ、巨大なクレバス(笑)
 これは笑える、ホントに。この人ほんとにこれで33なの?

 この「木造モルタル築33年」(笑)
 古くなったんでリフォームでもしたんだろう、ペイントハウス呼んで外装吹き付け直しとか(笑)。

 今でもこの人付き合っているんだろうか、巨人軍の元木大介と。
 ボクはブスな人が好きである(汗)。

 化粧、それもあそこまで仮装行列みたいな化粧までして、「他人の審美眼をごまかす」ような根性が女・男関係なく許せないだけなのだ(皆さんちがう?)
 そんなの一種のだまし、とか詐欺師の心に相当すると思っている。

 いやーまいった、そして不思議だった。どうしてこの人?
 どこが、このヒトでなければならない特殊なタレントがあっての抜擢なのだろう。

 メチャクチャ不思議に思っていた。
 テレ朝系でよくレポーターとして登場する「長野智子」のタレントとは、@英語が解る@元CX局アナだけに喋りができる@古舘事務所所属である・・・このうちのどれが、「レポーターとしての抜擢基準」なのか、判断は別れるかもしれないが、案外、「所属事務所」というのはプライオリティ占めてたりする。

 そしてきょう14日付の新聞芸能欄で彼女のブッキングの事情が乗っていた、小さく。

 昨日未明、ある芸能プロ事務所に空き巣が入ってほとんど被害はなく、現金6000円などが無くなったらしいといった、良かったよかったというモノ。

 だけど、その事務所は・・・が続いていた。
 「(事件現場の)セント・フォースは、タレントの小林真央・大石恵さんらが所属している。」と締めていた。

 ダメだろう、そんなホントのこといっちゃ、このコソ泥のおかげで報道され、どうしてこの番組のキャスターに大石サンがブッキングされているのか、”大抜擢のカラクリ”が鮮明になっちゃったじゃないか。

 なあんだ、『人気絶頂の真央ちゃん欲しさに、「一緒にウチの大石も・・・」と、セット販売が条件だった』んだね、この商売上手。

 日テレ側も『好きでブッキングしたんとちゃうわい』と晴れて公言したかっただろうなあこの人事、オー人事(笑)。報道局もどうしてこのコソ泥ニュースをこの【ZERO】に突っ込まなかったのかフシギでならない。

 『Xさん、どっどうしてオオイシなんですか?』って番組開始以来、あちこちで突っ込まれているだろうからなあ。

 そして「視聴率大スベリ」、俎上のプロデューサー氏にとってはこうして、人気タレント抱える昨今の事務所常套手段=「抱き合わせ商法」を露呈し、局P名誉挽回の絶好機となった「コソ泥事件」なのであった。

 めでたしめでたし

11月13日(月)  M1グランプリ予選を眺めてきて  (^o^) まあまあ
 「どうしてあんなにアタマを叩くのだろう・・・」

 今年の『M1グランプリ』第一次予選が近所で行われたので眺めに行った。
 ボクはとても安上がりな人間で、「寄席」に行ったら誰よりも笑い、泣けという物語だったら「吉本新喜劇」の劇中の人情話にだって、(不覚にも)ホロリと泣かされてしまう。

 関西人のように、「せっかく木戸銭を払うてるんやさかい、笑わにゃ損やろ」という精神に100%異議ナシの状態なのだ。
 だから、日本で最高の舞台はどこかといわれれば間違いなくボクは「なんばグランド花月」と答える。

 とにかく、この《NGK》は隣近所の客がなんとも嬉しい。
 ここでは周囲が”ボク以上に”笑い上戸であり、ボク以上に泣き上戸なのである、これは驚異的なことだ(笑)。
 客席の隅々までが身を乗り出して、舞台から送られる笑いのきっかけをウズウズしながら、《笑いてえよー》という構えで皆がウズウズしながら待っているのである、あれほどの連帯感が他にあるだろうか。

 関東に棲息する、ある種のアタマの良い層に支持された、またある種の「シニカルさ」がウリというひとり芝居みたいなものが昔から一定程度存在するが、アレとは対極をなすのだろう。

 たとえば、舞台上で役者(or芸人)が何かちょこっと演じる、すると客席は競って”笑いの先陣争そい”を繰り広げる現象を起こす。

 『あたしはXXさんの今の芸がワカるのよ、だから笑えるのみててよ、クスクスっ』ってな最低の笑いである。
 こんなのには全く入ってゆけない、それが舞台が進むうち見る見る、《ごっつクソ面白くないネタ》にでも、『ワタシが一番先だったかしら』、いや『あたしが先だわ』といった具合に客席が勝手にエスカレートして行き、それこそ「箸が転んでもおかしい」・・・という、ほとんどカルト教信者の祭典みたいな「笑いの先陣争い」繰り広げる空間となっているのに誰も気が付かない。

 ホントにそんな、舞台の「上」と「下」が共存して成り立っている世界が一定程度現存している。
 世の中って、広いんだな。
 そんなカンジでいくと、たとえばボクは「小倉久寛」あたりでクスリとも笑ったことが一度もない。
 これは幸福というべきが、不幸なのか、でも取りあえずあのヒトは身に余る幸福な境遇にあることはたしかだ。
 ついでに云うと、「柄本明」という人もどこが面白いのかどこが《ソコハカ》なのか、小倉さんと同じ匂いのする人々から笑いによって支えられているようで、どうやら彼らというタレントとは観客にとって、《笑いながら教養あるワタシを振りまく事ができる》といった特殊ジャンルでは存在感がある・・・方々のかもしれない。

 いずれにせよ、《面白そうな顔》の方が、じっさいに面白いのかどうかは別問題である。

 脱線してしまったが、そんなボクの【モトは獲るぞ】という性格だけに、だからもし「怒らせる」といった設定の集まりでもあったら・・・自分でもコワいのだ(笑)。

 今年の「M1」にエントリー希望にはなんと約4000組!
 出場は2700組というから、予選の会場確保だけでも主催者は大変だったろう。
 
 近所のホールであった「1次予選会場」に行くと、11:00開演と同時くらいに入ったのだがもう何組か消化している。
 持ち時間は「たった2分」。『全部終わって結果発表は19時くらいでしょうか』と係りの人。

 なるほど「2700組÷26」という図式がはっきりした。
 それにしても《2分》じゃあ可哀そうだ、審査員も可哀そうだけど。

 会場は200人ほどのキャパだが、8割がたは「これから舞台に上がる出演者」たちで、ライバルたちの勝負を観察している、彼らをタバねているらしい事務所カンケイ者みたいなオヤジが客席で、ことさら《エコな身内びいき笑い》を送っているのが低劣だった。

 こんな《M1世代みたいな子たち》をこれだけ身近で観察していて、ふと気が付いたのは、誰一人「笑顔の者がいない」こと。
 これはまあ出番を前に緊張しているからなのだろうけれど、時々舞台上からのギャグには(観たところ)正しく反応して、可笑しいものは笑い、詰まらぬギャグには失笑で応える、フツーっぽい若者たちばかりだった。

 学芸会の域をまったく出ずに、《先生の説教の真似などを中心に級友と「あの時はアレだったよなあ」風》全国どこの教室でも”ありがちな出しモノ”をかける者。
 早口で最後まで何を言っているか会場に伝わらないまま
 「ありがとうございました」だけ響かせていった(何組もの)タイプ(笑)。

 途中でセリフ忘れて黙り込む者、それを前にオロオロするだけの相方。 
 舞台の二人だけは大ウケで、会場の空気を読もうとできない(=かなりの)幾多の組。

 「どうしたって放送できるわけないネタやオチだろ!バカ」を無神経に使いまくり挑戦している者ども。
 彼らなど《オウム真理教》ネタなどを、どうして使うべきではないのか、少しはテレビのニュース番組などを観ていれば解ろうというもの。なのに、彼らのような《社会的温度》がヨメない方々がこれも一定程度いるものだ。

 なんとまあオチを『ショーコーショーコー、あっさはらショーコー』とやったり、「空中浮遊」フワフワ〜とか、さらにはホリエモンの「想定外」とか、今さら笑えるネタでもないのにこんな短い貴重な2分間に、わざわざキモとして起用すれば笑うだろうと思える若者の感覚。
 ボクらは「予想ガイ」の孫正義とはちがう、そんなものもうちっとも可笑しくないのである。

 だがこの子らにツミはないみんなマジメそうで、ちょうど『コンビニでバイトしているような』若者たちばかり。
 そうした安易な論外のシロモノを除いては、なるべく声を立てて笑って上げた。

 こうしたところへ来たら、そうした笑い声が「客の側からの合いの手」なのであって、それによりリズムというものが変わってくるものだ。それに何より、一緒に呑んだらこの子達だってきっとカナリ面白いポテンシャルを秘めているのだろう。

 ひょんなきっかけが才能を伸ばしたり、思わぬジブンを引っ張り出せたりするものだ。

 ラッキーだったのは【ハリセンボン】や【Bコース】、【ゾンビちゃん】がLIVEで眺められたこと。
 さすがに出色の出来、他とはちがった(だが、2/3は観ていません、店が開店中だもの 笑)。

 今回気付いたのはこれだけ沢山の「出と引っ込み」を眺めていると、自然に「マイクスタンドを中心にした2人(or3人)の立ち方」それだけで、舞台に慣れているor慣れていないかが、話し始める前に判ってしまうこと、これは大発見だった。

 それは身体の開き具合とか両足の角度から始まって、客席をゆっくりと熱線を放つように胸板を回わすとか、自分にとって大いに参考になった。

 だが、今回特にいただけなかったのは、何かにつけてボケ役のアタマをパシッと叩くあの【タカ&トシ】のスタイルである。これが多かった、イヤになるほど。

 おそらく、こんな(オチのキメ方に頼る)芸風の者が予選を勝ち抜き、TV放映までこぎつけることはないだろうが、ボケをこんな風に誤魔化し、オチの質の甘さをこの《パシッ》ですべてチャラにウヤムヤにして、それで流して「ハイ次っ」と移ってゆく輩が安易にやるスリカエである。(それを発展的に自虐的に落とす=アンガールズのジャカジャカジャン)

 タカ&トシの場合、あのトシが叩きをやる”直前でいい角度のギャグ”をポイと投じており、そこがボケ役としてタカの優れたところなのだ。

 かえって、トシに比重を置いていた頃はそれほどでウケもしなかったのが、この初夏以降《欧米か!パシン》で火が着いた。

 その寸前、《いかにも欧米》らしい語句をポイと投げるその質が高い!、それをタカがシレッとやればやるほど面白い。「欧米についての考察」が高いだけに笑え、《欧米か!》というだけで落とす落差の幅がデカくていい。
 彼らは《つまらないギャグの誤魔化し》として叩いていた・・・からはじまって、明らかにギャグの質を高めてから、パシッとゆく、なんでもかんでもパシッとやればいい、そこから明らかに進化を遂げているのである。

 【「叩かれる者の境遇」という特殊性】に免じて第三者が、「同情がてら笑ってしまう」のを、その当事者が相槌の言葉もそっちのけで、ひたすら「手のひらで」相槌を打っているだけなんて、流行でもなんでもない。

 そんなものなんざ”テレかくし”としての「パシッ」が安易にいちいちいちいち・・・この日は徹頭徹尾登場しまくり、結果、そのギアを使うコンビの漫才の質を下げるだけに機能していた。

 いっそのこと、「それを芸にしてしまう」という逆転の発想もあっていいと思う。
 つまり、「叩いて多少は笑いが取れる」なら、いっそ客が真剣に心配するほどに『強烈なパンチ』をくれてやるならば、もっと面白くなるだろう。

 たとえば16オンスくらいのデカいボクシンググラブならば、ダメージは見かけほど強くない。
 これを思いっ切りボケ役に叩き込むのである、それを「何ごともなかったのように、軽く受け流して続ける」。
 カナリいけそうではないか。

 どうしてこういう図々しい(?)発想が持てないのか。もっと遊んでみたらどうだといいたい。

 漫才というもの、所詮は「話芸」。
 有名無名のコンビも、それぞれの長い暮らしの中で殴り合いのけんかをした経験は誰にでもあるそうだ。

 そのケンカの理由を訊くと、そのほぼ全てが『舞台で叩かれたのがいつになく強かった』か、「いや、強くしていない」をめぐって・・・のものだったと聞いたことがある。

 「話芸で笑いを取れている」うちは、平手の出番など最初からないのである。

 会場の表へ出たら、「『審査結果を聞いている時間』などない、コンビニのバイト君ら」がそそくさと後ろも振り向かずに、駅で切符を買って一目散に飛び去ってゆく後ろ姿を何人もみた。

 人生はいたるところに青山あり ではないか
    

11月12日(日) / ボルテージの高い24時間(改)  (^o^) まあまあ
 昨日の晩から学校時代の旧友との酒宴のため水上温泉入り。

 思えば昨日、西日暮里から土曜の夕方、山手線に飛び乗ったら、ドアが閉まりはじめたというのに、背後から考えてもいない闖入者のガッツンガツンと、尻への体当たり攻撃に遭った。
 そいつの持つスポーツバッグも加わってぐいぐいと押されまくった。

 そのままの勢いを前方の先客らへと伝えては、ボクの直前に立つ幼な子と手をつないだ母子を圧縮するカタチになるので、つま先立ちで後方からの無法に抵抗する。

 ドアに挟まれながら「怒涛の侵入」遂げたのは振り向けば20そこそこのブサ女、「すみません」でもない。
 思わず《子供が可哀そうだろうが》こうたしなめると、そんなボクを見る周囲の表情が緩んだ。

 この圧縮がボクではなく、わが背後に隠れた身長の女の仕業であることが理解できたかららしい。

 それにしても、車内でクローズ型のヘッドフォンしてまで音楽を聴いてないとならない生業のお方らしいから、さぞかし高名なミュージシャンなのだろう(笑)。

 すると、沈黙の小さな空間にこんな音が流れた・・・”チッ”・・・。
 その女が音を立ててそっぽを向き舌打ちをしたのである。

 相手は女、これ以上続く攻撃的意思があるかどうか、こちらも視線をえぐるようにして固定させて戴く、だがテキは車外に向けたままだ。たかがブサ女、それだけで止める、次の駅が来た、出て行った、終わった。

 気分は暗いままだ。だけど、手を引かれていた女の子がドア付近の混雑がながれ出て、顔を上げたら顔見を知ったダウン症の子(お母さんは知らない)だった、ボクも一緒に安堵の笑み交わしたら、ブサ女のイヤな事などスパッとすっ飛んで行った。

 上越新幹線で上毛高原駅へ。
 ここから水上駅へリレーバスとやらで戻る格好。

 在来線で水上へ直接行けばよいのだが、驚いたことに上越線は1時間にたった2本。
 しかも、午後は特急が2本のみ。夜間の1本は「別荘族」特化なのか。

 なにしろ「14時以降から夜半まで」は水上着の在来線は全て鈍行となる、おかしなダイヤ。
 イヤならすべて「上越新幹線に乗れ」との意図が有りアリだ。
 晩メシまでに着けばよいとの”接待旅行””乾杯温泉旅行”の凡人らとなるとかなり困る、そもそも各駅停車で3時間もかける距離ではない。

 かつては上越線でも水上は要衝だった。
 谷川岳・天神平・水上温泉郷と、手付かずの自然を愛でる観光の名所というのに、この過疎は《新幹線崇拝主義による仕打ち》以外の何ものでもない。
 高崎を出て、奥利根川のせせらぎを右に左に谷川岳に向かうこの上越在来線、越後湯沢までの鉄路は本当に失いたくない情緒がある。

 秋の紅葉、春遅いの新緑、停車してドアが開くと一斉に車内に飛び込んでくる全山からのセミの混声大合唱。そして何より厳冬期の湯檜曽駅などはぜひ停車する列車に乗っておきたい。

 雪がシンシンと舞い降りるすべてが雪に包まれて丸くなった駅舎に、駅名掲示板そして無人のベンチ、傘までが雪帽子をかぶったホームの電灯だけが雪明りにさからう。

 そして冬でも清冽な利根川の源流の音は吸音されながらも、辺りの無言のままの雪景色に唯一音を添える。この辺りのホームに停車するだけでも越後湯沢までの往復普通列車には価値があるとまで思う。

 版画の川瀬把水が存命ならばこの景色を一度作品にして欲しいとお願いしたい、そんな『国鉄自然遺産』のひとつだといえる。

 それが、きょう日ヘタすれば「絶滅危惧路線」である。

 それもこれも、もとをただせば新潟の田中角栄が始めた【日本列島改造計画】の骨格となった《全国新幹線網整備》という元凶によって、テメエの選挙区「新潟と東京」とを直結することを最優先にしたために、こうした「政敵=福田・中曽根」の選挙区に花を贈る必要などはなかったという当時運輸&建設畑をつかんで離さなかった田中軍団のドス黒い意図が透けて見える現象だ。

 時刻表を見て厄介な旅程に愚痴をこぼしていると、老母が
 『そうやって、自然が守られているっていう良さもあるんだろ』と、コペルニクスみたいな言葉を吐いてボクは感心した。そんな風情など理解していない家風だったからだ。

 そんなこんなでたどり着いた「上毛高原駅」の周辺なんて、なんだか『ここに新幹線の駅なんて、できちゃいましたポカ〜ン』と、戸惑って口開けているだけで未だに何もない。
 ずい分と身勝手な鉄道計画だったんだなあと、感慨も新た。

 学生時代の昔から、谷川岳にやってくると「遭難者が多いのに、いい人が多い」といった好印象の土地(笑)、それは今も変わっていなかった。
 路線バスだというのに、このミニバスの運転手さん。
 「ヒマだから、いいよ」と、20人ばかりの客の行くホテルや旅館にまで横付けしてくれるのである。

 時刻表を見ても、このバスは「上毛高原→水上駅」とされていて、つまりこの運転手さんは水上の駅に乗客を降ろせばそれでお役ごめんなのである。

 折りからの氷雨、大いに感謝してしまった。おまけにバラバラに乗り込んでいた小グループにボクは混じって乗ったので、もうちょいで「ただ乗り」に成功するところだったのだ(惜しいっ!訊ねなければ良かった 笑)。
 まぁ、おじさんの写真を撮ってくれば良かった。

 途中、街道の片側に『手打ち蕎麦XX』との看板が出ていた、腹がグゥーと呼んでいる・・・がその駐車場には人影はない、18時前だというのに。

 ところが、その先のコンビニ駐車場では「順番待ち」、冷気でできた曇りガラスの向こう側では弁当の何食も重ねて買う観光客らが並ぶ。
 日本全国どこでだって同じ(ような)飲み物食い物でいい・・・・・・・のだろう。

 こうした画一化に馴らされる人々がいつの間にか増殖して、いまや多数派になってきている。
 こんな”民族移動”の動きにはいちいち気が付くセンサーを錆び付かせないよう、そしてそんな流れには逆らいながら生きてゆきたい。

 大粒の雪が雨に混じっていたが、紅葉がひとつ前の段階で谷川の源流からの渓谷は美しかった。
 おそらく、来週末か再来週になると、もっと素晴らしい紅葉に包まれることだろう。
 京都の紅葉狩りめざす客で、再来週まで京都大阪のホテルはすべて満員御礼だそうだ。

 紅葉が先か雪に閉ざされるのが先か、行楽客もそれをアテにしている観光業者もこの水上のような厳しい自然をウリにしている土地で商売する人々にとって、勝負時などほんの一瞬でしかない事を知る。

 なんともはかない生活条件だというのに、それでも喰らいついてゆく人々をあらためて見直す。
 
 『今晩は雪になるでしょうね』と、この温泉街のど真ん中で開業60周年になるという喫茶店【ヨネモト】の2代目ママさんがミゾレを見上げながらつぶやいていた。
 屋根をとがらせた、いかにも谷川連峰の山ふところにふさわしい、白しっくいに、黒縁どりの山小舎風の店が街角にあった。

 ここは行楽地にありがちな《「一見サン」狙いその場限りの店》でないところが(昨晩からのハシゴで)気に入った。
 なるほど、そこが気に入られて近隣にあるバブル時代に建ったリゾートマンションの住民である引退後の画家さんや理学博士氏などが通ってくる、街にとっての「リビングルーム」ならぬ、《リビングティールーム》というわけか。

 このミゾレ交じりの悪天候の中、「タクシーがなかなか来ないだろうから」と、なんとお嬢さんの運転する4WDで駅まで送ってくださることに・・・。
 戴いたコーヒーは¥400である、というのにである。

 おかげで二日酔いの頭には晴れ間が差し(笑)、在来線走る”超レアな特急”(笑)に乗り込めた。

 「水上は雪、東京は晴れ、京都は昨晩雷雨で晴れか」・・・となると。
 「逃げ、か追い込みか」頭の中はスッパリ競馬に切り替わる(笑)。仕事場に14時には着く。

 いま、近々お目見えするネット上のオンライン競馬予想を前に「語り口」とか、「予想のシミュレイション」を始めているのである。有料とさせて頂くサイトでの仕事だけに、《プロ》らしさを出さなければならぬ。

 まずは関わってくれる周囲をトリコにしなくちゃ、と儲かる予想をどうにか工夫して切り口を模索しているところ。

 でなんとなく、無理しなくて済みそうな(東京11、12Rと京都の11Rエリザベス女王杯)の3レースをピックアップ。
 これで昨日の3レースと、合計6レースの予想をスタートし、仲間らの前で勝負してみせていることになる。
 やはり《本命と対抗》が来て「的中」なんて低配当を手に威張ることだけはしたくない。

 ここで気持ちのいい予想と、的中とがめぐり会った。
 それも『今日はこの東京12Rが狙い・・・』と力点を置いた万馬券狙いを宣言したものがそのまま的中しただけに気分は最高だった。

 送稿原文のまま引用する

 【12R
本日の勝負レースはここで回収目指す。

まず三連単ボックスでCEH 。

ここ府中ダート千六では5枠から内側を重点に、差し・追い込み馬を狙う。

重や不良ならIやKの逃げ馬から買うのがマイデータ。
昨日の雨が残っていなそうで、彼らを消す。

人気馬もKから外側なので、直線ズルズル・・・を希望的観測。

人気薄Hの武器は差し、好時計でこの馬場で1戦2着、それ以来の出走、枠も絶好。
これが絡めば大きい。人気がないのが不思議なくらい。
でもCEの三連複で流し目はADFGLと保険がけ】

 本当に上記3頭のゼッケンがゴール前に揃った、快感!。
 配当は

 東京2006年 5回 4日12R(11月 12日)
3歳以上1000万下[指定]
1600m ダ左 出走頭数:15頭 天候:晴 馬場状態 ダート:良 競走成績
着順 枠 馬番 馬名 タイム/着差
1 4 6 スウォードキャット 1:37.0
2 3 4 フィールドオアシス 2
3 5 9 レコンパンス 1/2
4 7 13 アポロイレヴン 3.1/2
5 4 7 ノースベアハート クビ

払戻情報
単勝 6  590円
複勝
1着 6  220円
2着 4  130円
3着 9  730円
枠連 3−4  630円
ワイド 4− 6  330円  6− 9  3,170円 4− 9 1,450円
馬連 4− 6 690円  馬単 6→ 4 1,990円 三連複 4− 6− 9  7,510円
★★★三連単 6→ 4→ 9  41,610円

 これで同サイトのスタッフも喜んでくれるだろう。

 勝利の余韻にひたっているとうち、電話が鳴った。

 水上善雄さんからだった。今日本で一番面白く野球を語ってくれる解説者である。

 またウチの【軟式革命】をそっくりそのまま、マスターズリーグに持ち込み、セカンドで守って下さる名手である。
 氏の解説は《過去形》でなく『近未来予想』であるところがいい。
 川崎球場でショートを守っていた時のように、打席に入った打者へのサインや、バッターの狙い球まで推理するし、また、二塁塁上にランナーが居る時にミズさんはその『ランナーの視線』で分析し、バッテリーの考えそうな事、どう捕手がリードするか先読みしてくれるのでスリリングな中継が楽しめ、見逃せない。

 あれでも、《もっと云いたいけれど、出しゃばり過ぎないよう、ガマンしている》と遠慮しているのである(笑)。

 TXの中継した今回の(プレイオフや)日本シリーズの4戦でも放送席に座って実に適確、局面局面での駆け引きの推理がなんとも面白く、球趣を盛り上げてくれた。

 いきおい、いつも一緒のセットとなる=元ヤクルト川崎投手などのコメントなど、うすらバカとしか聞えてこないから「コンビとしては気の毒だな」と思っているほど。
 人気だけで商売になるセリーグの選手と、頭を使って勝たなければ客が着てくれなかった頃のパリーグの選手、ベテランでもこうも違う。

 突然の電話の用件は、ホントに嬉しいものだった。
 『おかげ様で、XXの二軍ですがコーチ就任を打診されました』との吉報。

 あの村田兆治さんが監督になる暁には、必ずベンチコーチか守備走塁コーチへの就任が確実と思っていた人物だけに、指導者としての”プロ入り”その第一歩と云えよう、遅すぎたくらいだ。
 大物GM直々のお話だそうで、これでまずキマリだろう。

 ミズさんとしては、愛妻のお母さんを失くされた直後の朗報。

 ボクの【球界遺産】にも書いたが、ほかならぬ村田兆治さんが「サンデー兆治ミラクル復帰劇」のあの真っ最中、尊敬していた義父をやはり亡くされ、ひとり胸にしまっていた際に、ボクにしたためて下さった《一喜一憂》とサインに添えたエピソードを思い出した。

 何か「やたらボルテージの高い一日」だった。

 それにしても、「ミナカミに始まって、ミズカミに終わる」。
 これも何かの奇縁とでもいうのだろうか。

写真↓この日の水上温泉郷、あと一週間?が紅葉も最高潮だろう。眼下は利根川の源流

11月5日(日) / 沈黙しちゃった某国のイージス(笑)  (^o^) まあまあ
 先週、TVのゴールデンタイム枠で(テレ朝)映画【亡国のイージス】が放映されていた。
 惰性のまま眺めていたら、あまりの事に、1週間以上、開いた口がふさがらなかった。

 どうしてこれほどの「盗作」「不正」がまかり通っているのか、なぜ誰も文句を云わないのか。

 こうした「図々しいバカな恥」はなるべく意地悪に、目立つ場所に置いて遺しておいてやるべきだと、ここに書くことにした(笑)。
 この映画については、上映とソフト販売で邦画としてはそこそこのヒット作品となっただけに、もっとマトモなものだとしか思っていなかった。

 当時、この映画をヒットさせるためにどんなヒトやメディアが、どんな風にボクらをワナにかけるような工作をしていたかをも含め、検証してみせよう。

 この【亡国のイージス】なる映画は、”昨年の夏休み興行”として日本ヘラルド映画など、かなりの数のスポンサー各社からの出費を得て、「防衛庁全面協力」…といったサスガの電通によるお膳立てで各方向にムリが通ったもののようだ。

 もしかして「防衛庁」や「内閣総理府」の国民向け広報としての《情報操作》を日常請け負っている、その大広告代理店が座長となって、映画化した《国策映画》なのかも知れないようなのだ。

 ウリは「あの最新鋭イージス艦での撮影」を若年層ターゲットに作られた。(こうしたバックグラウンドは今となってナルホド〜という状況になっている場合が多い。) 

 マナ板の上は「週刊文春」2005年7・15号掲載【見もの聞きもの】という連載ページである。

 (同ページより……おそらく「ヘラルドの宣伝材料」の文言をそのまま使ったのだろう、原文ママ)

 <あらすじ>海上自衛隊の最新鋭イージス艦『いそかぜ』の副艦長である宮津二等海佐(寺尾聡)は、東京湾沖で訓練中、某国対日工作員のヨンファ(中井貴一)と共謀し、艦長を殺害して「いそかぜ」を乗っ取った。

 彼らは乗組員を強制退艦させ、日本政府に対して、「現在、本艦のミサイルの照準は、東京・首都圏内に設定されている。その弾頭は通常にあらず」と宣言する。
 彼らの手にはわずか1リットルで東京を壊滅させる特殊兵器GUSOH(グソー)があった。

 先任伍長の仙石(真田広之)は一人でひそかに艦に引き返す。防衛庁では渥美(佐藤浩市)が事態収拾に当たる」

 <解説>福井晴敏が一九九九年に発表した「亡国のイージス」(日本推理作家協会賞、大藪春彦賞受賞)の映画化で、日本の中枢が危機にさらされる。監督は「この世の外へクラブ進駐軍」の坂本順治。127分……以下上映館案内(は略す。)

****ここでもう一本の「あらすじ(by筆者)」とを比較して頂きたい。**********

<あらすじ>トマホークミサイルや電子戦に対応する最新式兵装をこらしたものの、第二次大戦から現役の寿命を延命してきた戦艦ミズーリも退役目前最後の航海に出た。

 そして水兵たちへの慰問として《艦長の誕生日サプライズパーティのため》が企画されており、セクシープレイメイトやバンドを載せたヘリが艦上に降り立つ。

 その晩、全乗組員がホールに集められ、いざパーティが始まるとなんとヘリでやって来た彼らは訓練されたテロリストグループで、同道したプレイメイト(エリカ・エリニヤック)はカモフラージュだけの役目だった。

 そのリーダーとは電子戦に精通した元電子工兵で、CIAの工作にもかつて加わった経歴を持つストラニクス(トミー・リー・ジョーンズ)、政府に恨みを持ち、またミズーリ号も隅々まで知り尽くした男だった。

 武装を解除して無礼講へ集まっていた丸腰の乗組員らは無力だった。
 艦長は見せしめに射殺され、副艦長は最初から裏切っており今はグループの手先だった。

 航行に必要な要員を残し乗員はすべて船倉に押し込められ、まんまとミズーリは乗っ取られた。
 ストラニクスは米大統領と衛星回線で直接交渉を開始し、積載されている核兵器を我が物にし売り飛ばそうと企んでいた、そして”パーティの手始めに…”と「核を積んだトマホーク」をホノルルに撃ち込むと通告する。

 艦に近付く航空機はすべてレーダーで捕捉され、急遽展開しようとしたSEAL部隊を載せた大型ヘリも接近しただけで、艦対空ミサイルにより撃墜される。

 ところが、艦内厨房の大型冷蔵庫には一人の男が閉じ込められていた。
 彼は艦長専用の料理人ライベック(スティーヴン・セガール)、元海軍特殊部隊SEALの精鋭部隊長。作戦の失敗を咎められ除隊後、一水兵として偶然このミズーリに乗り組んでいたのだった。
 
 副艦長が、ふと思い出した。 ライベックがトンでもない経歴を持つ邪魔者だったことを。
 そこでストラニクスは完全武装の2隊員を送り殺害を図るのだが……、この二人を倒し、あらゆる知恵を動員したライベックの反撃が「厨房から中央戦闘司令室」めざし開始されてゆく。

***これはTVでも幾度となく放映された1992年米作品、【沈黙の戦艦】である。*****

 《ほかでもない》と云って良いほど日本人に親しまれたヒット作品である。
 私見では、セガールの出演作品の中でも最もポピュラーなものではないか。

 原題では《「戒厳下」》というものだが、この作品の邦題『沈黙の…』は、息を潜めながら敵リーダーにまで迫ってゆくといった、この作品のプロットに沿ったもの。
 ところがこれ以降、日本で放映されるセガールの別の作品で”ちょっと違うだろ”という筋書き作品まで、「Sセガール出演」ただそれだけで、イコール『沈黙の〜』と、セガール出演作専用接頭語となって邦題が付けられるほど。

 この事からも、いかにこの『沈黙の戦艦』がヒット作だったのかがよく証明されている。
そっくりなのはこれだけではない、

@一人で反撃を開始しなくてはならない主人公に、もう一人協力者(イージス=海自特殊部隊員・戦艦=プレイメイト)が現れる。
@中枢の戦闘指揮所は、まさか本物のイージス艦の機器が撮影できたはずもなく、「戦艦」で作られた大道具に「イージス」はそっくりウリふたつ。
@副艦長という高官が、「乗っ取り側に取り込まれていた」というちょっとカナリ冒険的なトンデモ設定を「イージス」は当ったり前にパクっている。
 そのため、物語は日米の最高機密である「イージス」をいとも簡単に「無血で乗っ取ってしまう」という、地球規模的無理難題(笑)をシレッとやれちゃうところから始まる……なんて、そもそも唾棄すべき子供だましなのである。
@犯人側と、脅迫される日米両首脳は、同じように両作品とも円形テーブルでズラリ居並び、交わされる無理難題に悩んだり困ったりするキャラを精一杯演ずる場となる。
 そこへ乗っ取り宣言から次々と「絶望的な要求」やら「深刻な艦内の状況」が舞い込み、観客もろとも頭を悩ます場にもなる。云うまでもなくこのセットもセリフもそっくりなのである(笑)。

 ここまでそっくりそのまま盗んだもの(着想)を商品に、カネを取ってみせる映画なんてあって良いものか。
 また、観客やら批評家たちに《怒って席を立ったりする者》などは居なかったのだろうか。

 その「文春」名物企画では、おなじみのレギュラー専門家らによる《シネマチャート》が☆印によってこの《ドロボウ映画》が採点されている。

 映画評論家 品田雄吉  テンポよく見せるが、意外に緊張が盛り上がらない。どう展開するかという「ハラハラ感」に乏しいのが弱い。惜しい。[☆☆☆]

 コラムニスト 中野翠 登場人物(制服制帽)を識別しやすく、筋を判り易くする工夫が欲しい。全体にタメ利かしすぎ。反乱の動機も弱いのでは?[☆☆☆]

 翻訳家 芝山幹郎 感傷過多で因果物めいた着地に腰がくだけた。空間に対する嗅覚の鋭い監督だけに、語りが舌足らずなのはもどかしい。[☆☆☆]

 作家 斎藤綾子 マッチョ臭さプンプンの中に男の包容力と優しさが切なく織り込まれている。実物のイージス艦を使うというのが凄い。[☆☆☆☆]

 映画評論家 おすぎ 最近の邦画の中ではピカイチであります。肩肘張らずエンターテイメントとして”今”そこにある危機、を学べる。[☆☆☆☆☆] ☆5つ=満点

****************************************

 このメンバー中では最も頭が冴えているはずのわが中野女史をしてさえ、相手がさしもの《電通》相手となると切れ味がこうも落ちるのか。
 そもそもの、こんなイケ図々しいドロボウ作品を相手に「同じ土俵」に登って制作手法などをウンヌンすべきシロモノではなかろうに。

 斎藤某とやらなど、サカリでも付いているのではなかろうか(笑)。
 あんな安っぽい格闘シーンで臭さがプンプンして見えるのなら、「ブラッシーが力道山の額に噛み付いて出血したら、こんなバカ(しかも作家)は《ショック死老人》の2人目となるのだろう。 

 それからあの映画のシーンで《実物のイージス艦》はいったいどこで登場人物とカラんだのだろうか。あの船のウリは間違いなく「電子機器」。
 それも艦橋にシップ膏を貼り付けたような【AN/SPY−1D】レーダーを4基備え(後日詳述)、《船の形をしたコンピュータ》と云ったほうが早い艦船だ。

 そもそも、【艦内への出入り口】自体撮影はNGとなる。
 何故かというと、装甲板の厚みや素材が見えてしまうと、イージスへの攻撃にはどんな砲弾(で間に合うか)をセレクトすれば良いかが敵国には判ってしまう。
 だからNGなのであって、レーダーディスプレイにしても「撮影厳禁」なのは説明不要だろう。

 そもそも、あの米陸軍主力戦車エイブラハムM1でさえ、あれだけアフガンやらイラクでごっそり展開しているというのに、砲塔からの出入り含め内部の撮影が許可になったのはつい昨年初めのことである(出入りで、そこの厚みが判明するからだ)。

 おそらく、イージスの出番といったら洋上航行中に、ヘリからの並走シーンしか撮れていない(そこに黒煙を吹き上げる=CGを合成していた)し、どうやらその洋上暴走シーンも広報資料用に撮られたモノでしかなさそうだ。
 
 結局、「男の匂いプンプンも優しさ」も、グレーに塗られたベニア製のブリッジやら、同様に角材とベニア板で組まれた艦内セットとか「大道具の範囲」としかボクの目には見えない(笑)。
 それにクライマックスで真田と中井が格闘繰り広げた鉄製の小タワー、あれはイージス艦いそかぜのどこにあるモノなのか(笑)。

 どこかのビルの電波塔とか、中継回線をグレーに塗って仕立てたのだろうがバカなセットをデッチ上げたものである。日本の映画というものはこれだからチャッチいのである。

 また芝山さんに申し上げたい、いかに「字幕邦訳」の仕事でも頂戴したい弱いお立場の方なのかもしれないが、まさか、ヒット作【沈黙の戦艦】をご存知ないとは思えない。

 この「監督の語りが舌足らずだった」のが気付かないような嗅覚だったのを嘆くよりも、「パクリ映画」の制作依頼の段階で、こんなナサケない原作本を渡された途端に《他人の表現物を盗む事》が善か悪か、嗅ぎ別けられなかった程度のご自分の嗅覚をこそ嘆くほうが先であろう。

 そして貴殿の嗅覚が不全であるがために、子供でも知っている【…戦艦】を嗅ぎ落とし、☆を3つも付けて《☆☆☆…料金の価値はあり。(同欄基準 ママ)》と、同誌の読者に安っぽく保証してしまった不明を恥ずべきではないか。

 おすぎさんなどは「問題外」である。
 ヘラルドからお金でも貰っているか、真田さんから特別のケアでも受けているのだろう。

 たけしさんの『映画会社からカネ貰って、映画広告で「泣かされました」だのヨイショやってるヤツが、(本来中立であるべき)映画評を原稿料貰って、そこでももっともらしく語ってやがるなんておかしい』

 これが☆5つ、《☆☆☆☆☆…もう最高!ぜひ見て!!》なのだから、映画評論家を名乗る限り「確信犯」と断ずるほかはない。

 相方のピーコさんにしても、コメントから最近とんと《なるほど》と思えるものとはお目にかからなくなった。
 TVなど有料出演の引き換えとは、「才能(=タレント)の披露」でなく”番組の流れに逆らわない”、たったこれだけの「珍獣」ということなのか。

 【おピ】と、デヴュー時騒がれていた際の彼らは、いい意味で「女として現役」だったと思う。
 ”色気”をムキだしにするというタレントもあって、女性視聴者からはキモチ悪いけど「似たような視線」と親しみを招き、男性らからは「女側からの鋭い視線」突き付けられ、ナルホドと首肯させられる、そういったキャラで珍重されていたのである。

 それが今ではどうなのか…、彼らが”遺産”で喰っていけるほどの蓄えなど、ボクらは彼らから享受していないけれど。番組をマワシやすい…とは、誰にとってそれほどに貴重なことなのか。

 さてお待ちかね、【福井晴敏が一九九九年に発表した「亡国のイージス」(日本推理作家協会賞、大藪春彦賞受賞)の映画化】した……というが、この福井なるドロボウに、これら作家協会や春彦賞選考の連中はまんまとしてやられたわけだ。

 これら2賞については「担当出版社の編集者」が手分けして応募作品を絞り込み、選考委のセンセイ方に最終選考数点を託し「受賞」の運びとなるわけだが、ここの場のどこの部署にも”これだけ有名な【92年公開映画作品】”と比較できて、「オリジナル性」につき疑義など指摘する者はいなかったのか?

 これは「盗作」である。
 どうしようも論議の対象にすらならない程度の低いパクリ絵物語である。
 おそらくこれが、少年ジャンプの【手塚賞】やあたりの主催する漫画や漫画原作だったら開封と同時に、「あらすじ」読まれた段階でゴミ箱行きだったことだろう。

 それが、今どき「推理」だの「ハードボイルド」だのを、しかも「小説で」…などという暗〜い世界の業界だからこそ、《初見》としてゆるいアミの目を通過してしまった可能性もなくはない(?)。
 いや、版元の講談社もろともこうした《国策小説》を積極的に押し出していった確信犯と考えた方が適当なのかもしれない。

 そしてこうしてすべてを頬っかぶりしたまま、強力な後ろ盾をバックに大手を振ってまかり通っていかれるのだから、むしろこの本(版元)や映画の制作者らが”別の意図”を以って、各方面と連携しての登場だったというシナリオと捉えたほうが正しかろう。

 ボクの云い過ぎ、思い過ごし…「盗作ではない」と片付けたいのならば、これだけのもっともらしい「二つの賞」を頂戴している珠玉作品(笑)ではないか、”きょう日”のこと、あらゆる連中が先争ってこの映画の《英訳版》や《英語翻訳版出版》を追求し、ドルを稼ごうとするのがむしろ自然。

 はたしてそれをアメリカで売る自信(度胸?)が福井サン側にはおありだろうか。

 (Sセガールは、韓国にもファンが多いと聞くけれど、)いっそテーマがテーマだけに【…イージス】こそ韓国で公開しないほうがおかしいのに、どうしてそうしないのか、大損ではないか?ああもったいない(笑)。日本国内ではあれだけ商売熱心だったのがまるで”ウソ”のようである(台湾では上映したらしいが、大不評だったそうだ)。

 まぁ、「まったく別の作品」だから、映画館が隣り合わせたりする偶然もあるだろう。
 どこかの酔狂な映画館主ドノ、やってみませんか【沈黙の戦艦】と【亡国のイージス】の二本立てを。
 人間の脳の中で空想する規模は無限である、偶然の一致はあり得る。
 しかし、こうした安易なパクリといった不正には「おすぎさん」やら品田さんら、”文化の目”が監視してくれてこそ卑怯な表現者らは駆逐される。

 そうした自浄作用が働かず、こうした「イージスの不正」が全国民的にノーチェックでのさばっていたなどという、我が国のチェック能力のなさ、批評家業界のレベルの低さは度し難い、恥を知れ。

 「一隻あたり約16000」の素子から高性能レーダー波を発する…といったハイテクレーダーで周囲240キロの範囲で空中にある、「すべての飛行物体」を捕捉し、その中から100あまりの対象に対し”マンツーマン”の攻撃誘導が可能というのが《イージス艦の機能》である。

 ところが今回、まんまと不正のまま生き抜いたのが他でもない【亡国のイージス】とはこれほどの笑えぬ皮肉はちょっとないだろう。

 百歩譲ってみよう。
 だがこれだけは云える 《この小説が、【沈黙の戦艦】の公開前に発表される可能性だけはあり得なかっただろう》と。

11月3日(金)  孫してトク取れ  (^o^) まあまあ
 どうしてこうも、孫正義という人はアヤしいのか。
 また、TVCFのセンスがサイテーなのか見当も付かない。

 また公取委からも《O円》広告めぐり、事情聴取を受けたらしい。

 そもそも4年前のADSL騒動が記憶に新しい。
 あの当時は《つなぎっ放し》、《(インターネットと)つなぎ放題で¥4400》とかなんとか、当方もこりゃあ凄いとばかり、9月から始まったヤフーBBとやらに申し込んでみたものの、工事の「コ」の字も聞かされないまま年が明けた。

 それは、あまりにバカ安好条件に躍ったボクら利用者が先争って、孫さんの主宰する接続会社に申し込み殺到したからだった。
 頭にきて下請け工事業者に穏便裡に話を訊いた。すると

 『そんなの(設置約束)守れるワケありませんよ。なんっつったって(接続用)機械が全然ないんだからダメに決まってますよ(笑)。さあ、いつになるのかなあ』

 内部の方々に聞くと、孫さんの手下は謝り通しで頭を抱えているとのことで、
 『急ぐなら、解約して他の会社の方がいいですよ(苦笑)。パソコン初心者のような方とか専業主婦みたいなヒマのあるお金にしっかり者のお客さんが忍耐強く残ってるってカンジですね』と、猛然たる申し込みの後の年末にやってきた「解約の嵐」を退社後振り返って説明した。

 いかにその「解約数」が多かったかというと、その後しばらくの間、東京の駅頭などでバイトを動員し
 『ヤフーBBいかがですか〜。機材もこうして無料ですよ〜』と、ショッピングバッグに詰めたルーターなどをタダで配っていたのは記憶に新しいだろう。

 あれは、《解約してダブついてしまった数量》なのだそうだ(笑)。

 要は孫さんという人は今回でもそうだけど、シェアのトップを狙う野望のため、まず「ショッキングなキャッチから考える」。
 それによって人々は踊る。

 後は機材などのインフラを間に合わせるようにする…というもの。
 つまり、”騒がしいドロナワ式”という商法なのである。
 
 このかんに、NTTやらなんやらの既存業者との形勢を逆転し、シャアを稼ぐための方便だった。
 ところが、それらのヤフーBB回線をつなぐ業者が頼るのはほかでもないNTT回線(笑)。

 NTTの回線があってこその「回線また貸し業者」にすぎないのだから、本来ならばまずはNTTに都合を付けてから、それの「また売り」を始めるのがスジというものだろう。
 それを『何にも聞いてませんよ、うちの局では(笑)。回線の工事もまだ出来てないっつうのに、出来るんだったらまずは自分のトコ=NTTから始めるのがホントでしょ』といった、業務のスタートでソコまで云って宣伝始めちゃうのである。

 つまり始発駅で切符を買う前から、いつ着くか分からないような「終着駅」で売っている「弁当の注文」を取り始めるようなもの、それが孫正義商法なのだ。

 『超高速接続でつなぎ放題』を売り文句にしていながら、ちっとも工事開始予定の接続は遅れ、NTTとの連携もつながるメドも立たず遅れ放題…といった体たらくでありながら、ちっともこれを失態と考えず、申込者の忍耐が切れそうになるのをただ社員らが謝罪してつなぎ止めようとするだけ(のソフトウェアが用意されているだけ)。

 こんな「語るに”堕ちる”ような」キャッチフレーズなど、普通の神経では恥ずかしくて設定できまい。

 寓話に『オオカミ少年』というのがあって、ご案内だろうが
「ヒツジ飼いの少年が、『オオカミが来るぞ』とやって、関心を惹き村人を大混乱させる」というアレである。

孫さんというオオカミ少年はちょと違うあるね。
 孫さんは『オオカミが来るぞ、オレだけが知っている』といかにももっともらしい騒ぎ方をする。
 すると、普通の脅し以上に村人たちの広範な範囲はわれ先にと耳を傾ける効果を呼ぶ、そこでおもむろにわが孫さんは
 『恐ろしいでしょ、だからワタシにお金を出しなさい。護ってあげるから』
 こう切り出してふるえる村人たちからカネを出させ、町へ出かけて行って「鉄砲」を購入し、余ったカネは銀行に預けておいて、その後は来るわけもないオオカミなどすっかり忘れて鉄砲を枕に毎日昼寝をして過ごしました……とさ(笑)。

 これが「時代の寵児」、「IT革命の申し子」が幾度もわれわれ無知な村人に仕掛けてきた手口…、いや「ビジネススタイル」なのである。(「反論」のしようがないでしょう)

 整理すれば『一番大事なのは需要だ、欲さえ与えておけば需要は待ってくれる、その間を利用して足らないものを間に合わせればいい』これが彼の商法であって、そこにあるのは《人間は欲に弱い。待つし、(業者も)間に合わせるし、雇えば頭も下げさせられる》こうした人間蔑視の思想は一貫しているため、また今回も『つなぎ放題騒動』に引き続き同じテツを踏んではばからない。

 それにしても文化度はカナリ低い御仁なのだろう、バカの一つ覚え『予想外』なるキャッチもあのホリエモンの『想定外』から派生したパクリだし、CFのストーリーまで御大がチェックしているらしいが、いったいどこに知性やらエスプリを見付けられようか。

 先月から腹が立って仕方がないのがこいつらのCFだった。
 あの登場人物=「予想GUY」という黒人の彼が、児童公園の砂場に座っている。

 そして砂場ではチビガキ男女が「SOFTBANKのケータイはどうの」「予想外らしいよ」と品遊びをしながらヌカしていると、その中の幼女(幼稚園児)がその黒人に「ねぇ、聞いてんの?」と訊くと、GUYは「聞いてませんでした」と謝る。
 すると、どういう脈絡か、そのガキ女が砂遊びをやめ、走り寄って黒人に抱きつき、愛人のように耳元でこう云う
 『でもそんなトコが好き』と。

 それは決して《微笑ましい》タイプの抱擁ではなく、お互いに笑顔のない《愛人同士》のそれなのである。

 なんという日本の社会性について非常識なCFか。
 広告代理店はいったいどこなのだろう(調べておく)。

 心ならずも《放送倫理規定》というものがマスコミにはある。
 その第一、『公序良俗に反しない』という「言わずもがなの倫理」がうたわれている。

 こんな毎日のように年端も行かない子供たちが殺されたり、虐待されたりしているのが孫さんやこの会社の人間の目には入らないものか。活字の文字も読めないというのか。

 悲しい事に昨年、下校途中で殺され暴行の末、段ボール箱の中に入れられ捨てられていた広島の小学1年生木下あいりちゃんの公判で、犯人のカルロス・ヤギ容疑者に《無期懲役》の判決が下りてまだ間もない時期でのこの意味不明な「幼女と黒人成人男性」とのカラミ。
 多くの日本人は「死刑」ではなかった判決にやり場のない怒りを数ヶ月抑えていたところだった。

 それでも日本人なのか孫さんは。

 あいりちゃんの遺族が同様性犯罪の予防とその悲惨さを知って欲しいと、あえて遺体に遺された性的暴行の様子を報道陣に《配慮も要らず、はっきりと事実を書いて欲しい》と要請した矢先。
 それでキチガイじみた放映本数を流しまくった、このバカなリーダーを擁する「売らんかな会社」CFの低劣な設定観ていったいどこの誰が喜ぶというのか。

 実業人といいながら結局は彼もおタクなのだろう。
 ひょっとすると、”そうした対象”に造詣が深いシュミの御仁か?と考えた方が真相には近そうだ。

 『幼児を襲うことしかできないような性癖の者』にしたら、普段はTVで観たこともないこうした異常なアングルに小躍りして喜んだことだろう。

 それともSOFTBANKにしてみたら、携帯電話の愛好者なんてどうせこうしたおタク。
 どうせならいっそ「異常性愛者」をターゲットにした方が親近感を持ってくれて、顧客としてごっそり加入してくれるとでも思っての確信犯か。

 先日、ヤフオクの発展を4年前に予測して買ったヤフージャパンの株を処分した。
 大化けしてくれたのに感謝しながら、《今売り時なのか》と訊かれた人にこう答えた。

 『だって、「筆頭株主が孫さん」では、いつ株が暴落するか判らないもの』

11月1日(水) / 日ごろの罪滅ぼし  (^o^) まあまあ
 すいません、以下のページにワケありアイテムを寄付してあります。
 一人のプロ野球選手が、「9年の年月をかけてたった一個」しか”作れない”ような偉大な品なのです。
 野球を「人間ドラマ」、とか「演歌」としてご覧になっているお方なら必見です。

『 http://page3.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c135038833?u=akai47hane 』

 野球が日本でそしてアメリカでも終わってしまってすっかり毎日、老け込んだように意気消沈しております。
こんなシーンで背景に、「鉄のヤカンが沸騰してシュッシュッチンチン」と音だけが部屋に響いて……なんていうと、すっごく、暗〜いですよね(笑)。

ところでこのたび、九州地方をこの秋に襲った集中豪雨の被害がまだあちこちに爪あとが残っており、現地でなければ伝わってこない被害が甚大だそうで、現在手持ちの品をチャリティに出展し、浄財を募っております。

いつものように、上記被災者へ「全額」を寄付という運びになっております。
お知らせしましたのも、「この品はちょっとまたいいなあ」と、ホントならば手元に残しておきたかった逸品(と思います)ので、お目で楽しんで頂くだけでも……と存じます。