「いじめ」をテーマにしたワークショップが「フリースペースえん」で開かれた。小学校3年生から20歳を超えた若者まで14人が集まり、車座になる。スタッフも参加者として加わった。
一人一人に白い紙2枚と鉛筆を配り、「自分がいじめた体験といじめられた体験を絵に描いてみよう」とファシリテーター(水先案内人)が提案。沈黙のときが流れる。すらすらと描き始める子。じっとうつむく子。
やがて、描きあがった絵を見せながら、分かち合う時間がきた。最初に指名されたのはわたしだった。中学生のころ、男子の間ではやったのが「サラシ」というゲーム。一人の子を集団で襲って、パンツまで脱がせる。たいていターゲットになる子は決まっていた。そこに、はやしたてながら、自分も加担していたのだ。思春期の男子が下半身を裸にされる屈辱。40年近くたった今でも、思い返すと胸がズキンと痛む。
語りながら、わたしは流れる汗を何度もふく。こんな話をして軽蔑(けいべつ)されはしないだろうか。サイテーなやつ!とののしられたらどうしようと、内心ビクビクしていた。
子どもたちは何もいわず、じっと聞いていた。いつもはオチャラケて、すぐに騒ぎだす子も、身動きひとつしなかった。
続いてスタッフが、自分のいじめられ体験を語る。中学時代に数々の武勇伝をもつ彼の意外な発言に、みんなは一瞬驚きつつ、聞き耳を立てる。それに触発されてか、何人かの子が、涙を浮かべたり、笑いで取りつくろったりしながら、自分のつらかった体験を口々に語った。絵は描けていたけれど、人前で話すことにはちゅうちょして、パスをした子どもたちもいる。
気がつくと、あっという間に3時間がたっていた。話し終わって、いくつか気づいたことがある。人はつらい体験やかっこ悪い姿を一生懸命語ってくれたとき、むしろその人がぐっと身近に感じられ、いとおしくさえなるものだということ。そして、弱さをさらけ出しても、攻撃されたり批判されることもなく、受けとめてもらえたとき、自分自身の問題に向き合える力がわいてくるものなのだと。
「いじめはいけない」と立派な標語を作っても、なくなりはしない。自分の弱さにふたをし、つらい感情を外に出せない環境では暴力が生まれやすくなる。弱さを安心して出せる体験の積み重ねがあって、初めていじめが減っていくのではないかと思う。(NPO法人フリースペースたまりば理事長)=次回は24日
毎日新聞 2010年10月10日 東京朝刊
PR