きょうの社説 2010年11月10日

◎加越国境城郭群 国史跡へ県境越えた連携を
 金沢市が富山県境付近の松根(まつね)城跡と切山(きりやま)城跡、2つの遺跡を結 ぶ古道「小原越(おはらごえ)」を「加越国境城郭群」と位置づけ、国史跡の指定を目指すことになった。単独では価値が見えにくくても、周辺遺跡も含めて群としてとらえれば、歴史が一層鮮明になり、文化財的な価値が高まる場合がある。「国境城郭群」というくくりもその一つであろう。

 佐々成政が松根城、前田利家が切山城を拠点に対峙したとも伝えられる。中世の山城は 文献で裏付けられない伝承も多いが、「国境」という軍事的にも極めて重要な空間が勢力争いの前線になってきたことは疑いない。山城の攻防を経て加賀藩の時代が続くことを思えば、県境付近の遺跡群は、石川、富山共通の貴重な財産といえる。

 小原越は北国街道に次ぐ加賀、越中間の要路であり、二つの城は小原越を取り込む形で 築造されている。街道を城内に通す形式が、加越国境の山城の大きな特徴とされる。

 松根城跡は金沢市史跡だが、格上げを目指すなら、さらに幅広い調査が必要になる。城 跡の一部は小矢部市であり、研究の蓄積がある富山県との連携も重要である。金沢、小矢部市、両県が協力して着実に準備を進めたい。

 天守閣や櫓など建築物の多い近世城郭と違い、中世の城は土塁や堀などで構成されるも のが多く、軍事的な緊張が解けると廃絶になった。松根城や切山城も江戸期にはその機能を失ったが、小原越は加賀藩の重要なルートになってきた。

 松根城跡は金沢、小矢部市の歴史愛好者らが調査し、地道な活動を続けてきた。金沢市 は2001年に芝生広場や遊歩道などを整備し、小矢部市も樹木伐採などで眺望確保に協力した。国史跡という新たな目標は、両市がきずなをさらに深めるきっかけになる。

 県境付近では金沢、小矢部市以外でも山城の遺跡が存在する。広い意味では、これらも 「国境城郭群」といえる。「国境」に埋もれた歴史ロマンを掘り起こし、文化財として磨きをかけることは、それが地域の人たちの心の拠り所になり、県境を越えた連携強化にもつながる点で大きな意義がある。

◎小沢氏国会招致 首相自ら説得に当たれ
 民主党の小沢一郎元代表の政治資金問題で、野党側が求めている国会招致について、菅 直人首相は「最終的な判断を党代表が求められる場面があった場合、最終責任者として私が判断する」と述べた。その覚悟が本当にあるなら、すぐにでも首相自ら小沢氏の説得に乗り出してほしい。

 小沢氏は、岡田克也幹事長が求めた衆院政治倫理審査会への出席要請を断った。岡田幹 事長は現在、再会談を模索しているが、これが実現しても小沢氏が同意するとは思えない。菅首相は人任せではなく、小沢氏とサシで説得に当たるべきだ。出席を強制できる証人喚問の実現を突き付ける覚悟を持って説得に臨んでもらいたい。

 小沢氏が岡田幹事長の要請を断った理由は、一時代を築いた有力政治家の言葉とは思え ないほど身勝手で、お粗末だった。例えば小沢氏がインターネット番組で語った「三権分立から言えば、司法で取り上げられているものを立法府で議論するのは妥当でない」という理屈は、著しく説得力を欠いており、説明になっていない。

 立法府の責任として「政治とカネ」をめぐる問題にメスを入れることが、なぜ憲法上の 問題に抵触するのか。刑事責任と政治的、道義的責任はまったく別問題だろう。司法手続きを理由に国会での説明を好ましくないとする論法には大きな無理がある。

 いつまでも幹事長任せで、矢面に立つのを避けていたら「ねじれ国会」を乗り切れない 。党代表として今動かねば手遅れになる。小沢氏があくまで要請に応じないなら、党として離党勧告などの処分も検討すべきではないか。

 菅内閣の支持率は、共同通信社の最新の調査で32・7%と、10月上旬の前回調査4 7・6%を大幅に下回った。相次ぐ外交上の不手際と失態とともに、小沢氏の国会招致問題での迷走が影響し、下落に歯止めが掛からない。民主党の政権担当能力そのものに疑問符が付けられているのであり、ここまで国民の信を失ってしまうと、立て直しは難しいだろう。小沢氏の国会招致拒否で、あらためて菅首相の指導力が問われている。