「『支那』の語源についての考察」についての考察 |
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=> ホーム > 日本を護ろう >「『支那』の語源についての考察」についての考察 「『支那』の語源についての考察」という一文があります。 これは1999年5月7日付けの『人民日報』に掲載されたもので、 シナを「支那」と呼ぶことは相応しくないということを述べたものです。 その中には有用な情報も含まれており、突っ込み所も満載なので、 逐一引用してコメントを付けたいと思います。 引用部分には一貫して、 という形式の枠を使用致しました。 また引用文は姜波氏が記事を日本語に翻訳してくださったものを使用致しました。 まずここに書かれた都知事の発言は明らかに間違っています。 世界中がシナを「中国(チューゴク)」と呼んでいるというのは完全な間違いです。 シナを「中国」と呼ぶのは朝鮮(チュングク)とベトナム(トゥルンコック)と戦後の日本くらいです。 下記に示す通り、世界のほとんどの国はシナを「シナ」もしくはその変形で呼んでいます。
「China を『中国』と呼ぶ重大な過ち」中嶋嶺雄(WiLL 2006年9月号)より引用 末尾の太字部分の説明の中で、「支那」と「震旦」を巧みに使い分けて ミスリードを誘っています。 まず「中国と日本に伝入すると『支那』、『脂那』、『震旦』などに漢訳された」 という言い方は、実際にはシナで行われたこれらの漢訳が、シナと日本のどちらで 行われたか分からないようにわざとぼかしています。 さらにこの後「震旦」についてはシナ国内で漢訳されたとわざわざ断わっているので、 まるで「支那」はそうではなく、日本人が漢訳したかのように読めてしまいます。 実際は「支那」も「震旦」もシナ人自身が当てた表記です。 「大字林 第二版」には「支那」について次のように書かれています。 しな 【支那】シナで「支那」という表記が生まれたのははるか昔の事で、 日本でその表記が使われた始めたのはつい最近(江戸時代)のことです。 だから日本人は既にあった「支那」「震旦」という表記を受け入れただけであることは 明らかです。 またシナ人は「震旦」を自国の呼称として使わないと言っていますが、 この文の流れでは、「支那」もそうであるように勘違いする人もいるでしょう。 これもミスリードを狙った文です。 「支那」という言葉は清国下のシナ人が自国の呼称として盛んに使っています。 国父・孫文も文豪・魯迅も使っていたことはよく知られています。 「『支那』は日本人だけが使った差別語である」というデマが流れたことがあるので、 あえてそのデマを否定しないような言い回しをしたのでしょうか。 ですからこの文は、 「サンスクリットのCinaが東方に伝わり、古代シナに伝入すると 「支那」、「脂那」、「震旦」などに漢訳された。Cinaは外国人(最初はインド人)による 古代シナの呼称として用いられ、今日においても世界中で広く用いられている。 「支那」の語は辛亥革命当時、シナ人がシナをさす言葉として盛んに用いられた。」と直すべきです。 さて今になって一部のシナ人は「『支那』は悪い字である」と言います。 「本流から枝分かれした支流を意味するから悪い」というのですが、 「支流が悪い」という理屈も、「だから使うな」となる理由もよく分かりません。 そもそもシナ人が自分で字を当て、国父・孫文も文豪・魯迅も使っていた「支那」の表記を、 いまさら「悪い字だから日本人は使うな」と言われても、日本人は困惑するばかりです。 何か裏があると思うのも当然でしょう。 また元々外国人による呼称であるというのはその通りで、日本で言えば「ジャパン」 のようなものだと思いますが、「だから日本人は使えない」ということにはなりません。 むしろ他の外国人も使っているのですから、日本人も大いに使っていいはずです。 さてここで、根本的な間違いを指摘しておきます。 シナ人が国名として「中国」と言い始めたのは中華民国建国以降のことであって、 それより前の歴史に国名として「中国」という言葉を使うのは誤りです。 これは漢字の歴史とは関係がなく、国名としての中国は中華民国建国から数えても 高々100年の歴史しかありません。 それ以前に「中国」と言っていたのは、自国の尊称(一般名詞)としてであって、 国名(固有名詞)としてではありません。シナを「中国」と呼んでいたのは シナ人とシナかぶれの儒者を除けば、朝鮮・ベトナムなど、シナの属国の人達だけです。 逆に言うと、他国を「中国」と呼ぶ国は、その国の臣下の国に他ならないという事です。 日本が隣国を「唐国」、「大宋」、「大明」、「清国」と呼んでいたのは事実です。 これはとても正確な表記ですが、その隣国とは必ずしもシナの事ではありません。 もともとシナ人は、自国を「中国」と尊称で呼び、満州族などを「夷狄」(野蛮な異民族)と 呼んで見下していたのですが、清国とはその「夷狄」たる満州族の国家です。 満州族に国を奪われ、満州族の支配者を「天子」「皇帝」と呼ばされていたのが 清国下のシナ人の実態です。 江戸時代の学者・本居宣長は『古事記伝』第一巻の 『直毘霊』 の中で、当時のシナの置かれた状況を次のように述べています。 「漢國などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、もとよりみだりなるが、 世々にますます亂れみだれて、終には傍の國人に、國はことごとくうばはれはてぬ、 其は夷狄といひて卑めつつ、人のごともおもへらざりしものなれども、 いきほひつよくして、うばひ取つれば、せむすべなく天子といひて、仰ぎ居るなるは、 いともいともあさましきありさまならずや、かくても儒者はなほよき國とやおもふらむ」「漢國」とはシナの事で、「傍の國」とは清国の事です。 江戸時代の学者は今日の学者とは違い、シナの歴史を正確に 認識していた事が良く分かります。 この方は日本人がシナを「支那」と呼んでいた事実と、 日本人がシナ人を軽蔑していた事実を示しながら、 「支那」という呼称と軽蔑とは結び付いていない事を認めています。 これはとても重要な事ですので、後で再びふれます。 ここで日本人が「支那」という言葉に軽蔑を込めたという事があたかも事実であるかのように 述べられていますが、根拠はまったく挙げられておりません。 一方、「国が恥辱をこうむる馬関条約」「近代中国のこうむった恥辱は極点に達した」 と清国が恥辱を受けたことが感情的に語られています。要するにこの記者は 日清戦争が清国あるいはシナ人にとって恥辱であったということ以外、何も言っておりません。 日清戦争がシナ人にとって恥辱であったことは間違いありません。 既に述べた通り、もともとシナ人は自国を「中国」と尊称で呼び、周辺の異民族を「夷狄」 と呼んで見下していたのですが、その「夷狄」に国を奪われ、その支配者を「天子」「皇帝」 と呼ばされていたのが清国下のシナ人の実態です。 そしてその「夷狄」の国家が事もあろうに「中国」と名乗っていた訳です。 この時点でシナ人にとっては十分屈辱的だったところに、その「中国王朝」たる清国が、 こんどはもう一つの中国である日本に屈伏し、古くからの属国の朝鮮を独立させられて しまったわけですから、二重に恥辱な訳です。日清戦争とは朝鮮を属国のままにしようと する清と、朝鮮を独立国にしようとする日本の戦いで、下関条約の第一条では朝鮮の 独立が宣言されています。 シナ人による古い中華秩序は跡形もなく破壊され、もう一つの中国である日本が、 名実共に真の中国になってしまった訳です。 古来自国を「中国」だと考えていたシナ人にとってはとてつもない恥辱だったことは明らかです。 その後日本が大東亜戦争に破れ、満州国が滅亡した後、シナ人は二つの事をしました。 一つは満州を「中国東北部」と呼び、満州国の頭に必ず「偽」という文字を付けて呼ぶことでした。 もうひとつは、日本人にシナを「中国」と呼ばせる事でした。 これは私には壮大な復讐のように思えます。 しかし「中国」というのは元々彼らの勝手な思い込みであって、 彼らの恥辱もその勝手な思い込みに基づいたものです。 我々日本人が気を使ってあげる必要はありません。 これは不正確な表現です。 こういう言い方をさりげなく混ぜるところがシナ人のいやらしいところです。 シナのことを「上国」とか「中国」とか呼んで尊んだ日本人がいたことは事実ですが、 日本人が皆そう呼んでいた訳ではありません。 日本では元々シナのことを「から」「もろこし」と呼んでいました。 江戸時代中期からは、世界標準に習って「支那」と呼ぶ人もでてきました。 さて、江戸時代の日本では儒学が官学であったこともあり、シナかぶれの儒者も多く いました。彼らはシナの本を読んで勉強し、そこに書かれていた通り シナの事を「上国」とか「中国」とか呼びました。 一方、国学者らは「日本こそが中国である」と考えていましたから、シナかぶれの 儒者達を手厳しく批判していました。もっとも儒者が皆シナかぶれだった訳ではありません。 山鹿素行という儒者は、日本がシナより優越していると言っています。 シナでは昔も今も、中央政府がすべての発言を指導・検閲するのが当たり前ですが、 日本では昔も今もいろんな意見の人達がいろんな主張をするのが当たり前です。 この記事を書いたシナ人は、日本もシナと同じように中央政府による 指導・検閲があると思っていたのでしょうか。 これはあまりに漫画的な物の見方です。 そもそも戦勝国の国民が大喜びするのは古今東西を問いません。 オリンピックやサッカーのワールドカップでも、 勝った国の国民は、叫んだり、踊ったり、ビールをかけあったりして 思いきり喜びを表現します。 「狂気のように叫んだ」という表現はその当たり前の光景を 敗けた側の立場で悪く言っているだけです。 またこんな風に騒ぐ人達は実際はほんの一部で、 国民の多くはお茶を飲みながら報道を通じて知るというのが本当のところです。 それは日本に限った話ではなく、どこの国でもそうです。 一部の人達の当たり前の行動を元に、恣意的な全体のイメージを作り上げるというやり方は 詭弁の最も初歩的なもので、こういう言い回しに惑わされる人はさすがに 少ないとは思いますが、念のため指摘しておきます。 新聞の論説くらいではだまされない人も、歴史学者が論文で同じことをするとだまされることが あります。 これもきわめて漫画的な表現です。 この作者は先に、日清戦争前に日本人がシナを「支那」と呼んでいた事実と、 日本人がシナ人を軽蔑していた事実を共に認めていながら、 「支那」という呼称と軽蔑とは結び付いていなかったと言っています。 日清戦争前もそうだったのですから、日清戦争後も事実関係としては何も変わっておりません。 日清戦争で変わったというなら、その根拠を示すべきです。 日本人が清国に対して「戦勝者の軽蔑的感情」を抱いていたかどうかは知りませんが、 少なくとも日本と清国の間に後を引くような悪い関係はなかったと思います。 日本は満州の地にインフラを築き、学校を作り、軍隊を送って秩序を守りました。 満州は驚くような発展を遂げ、人口も急増しました。 清国は日本の明治維新に習って強力な国家になろうとし、日本に大量の留学生を 送りました。 この方は「支那」が差別語であると強調したいがあまりに、世界中がシナのことを シナと呼び、しかも軽蔑していたことを言ってしまっています。 世界中がそうであったと認めてしまっては、日本だけを責める理由がないでしょう。 シナ人に対する軽蔑は今も昔も世界中で変わることはありません。 これは呼び方を改めたところでどうなるものでもなく、 軽蔑の原因を正すしかありません。 今日多くの日本人は、シナ人のことを「チューゴク人」と呼んでいますが、 このチューゴク人の日本国内での犯罪発生率は、外国人の中で長年断トツのトップです。 日本人は皆、日本にやってくるチューゴク人の犯罪率の高さにうんざりしています。 また不法滞在のために偽装結婚をしたり、形ばかりの結婚をしてすぐ家を飛び出して 風俗業で金を稼いだりなど、やり方が本当に汚らしいです。 またシナの漁民は平気で日本の領海を侵犯して違法操業を繰り返しています。 うんざりしているのは犯罪だけではありません。 つい先日、日本に住み着いた二人のシナ人をたよりに、 その親族と称するシナ人達が大挙して来日し、 来日後すぐに48人分の生活保護を申請して大問題になりました。 米国でも、毎年5000人以上のシナ人の妊婦が米国国籍取得のためだけに 渡米出産をして問題になっています。 このように他国の福祉制度を貪ろうという強欲さが世界中で嫌われています。 また毒入り食品を大量に輸出し、他国の知的財産や商標を無断で使いまくり、 気に入らない事があるとすぐ他国の国旗を破いたり燃やしたり、 大使館や外国人学校に物を投げつけたりすると言う民度の低さにも 世界の人達はつきあい切れないと感じています。 北米のスーパーマーケットで「チャイナフリー」と宣伝して物を売っているのは シナ人の製品の恐ろしさをみんなが知っているからです。さらにろくに調べもせずに 「我が国の側に落度はない」とするシナ政府の傲慢な態度がその恐ろしさを倍化させています。 シナ人を「チューゴク人」と呼び替えたところで、「チャイナフリー」が「チューゴクフリー」 に変わるだけで、軽蔑が尊敬に変わるはずもありませんからこれは呼称問題とは関係がありません。 また何と言っても、常に周辺国の領土・領海を窺い、領有を宣言をしては侵略を繰り返す シナ政府の恐ろしさ、執念深さを世界の人々は知っています。 そういう事を繰り返しておいて軽蔑されないほうがおかしいです。 それなのにシナ人は、自分達が世界中で軽蔑されていることを棚に上げて、 まるで軽蔑する方が悪いかのように「差別」という言い方をしますが、 これも一種の詭弁であり、いよいよ世界中から嫌われる理由となっています。 ここでシナ人が「支那」という言葉を嫌がったという事ばかり主張されていますが、 実際は孫文を始めとして、シナ人自身が「支那」という言い方をしています。 「平凡社世界大百科事典」には「支那」について次のように書かれています。 【支那】この事典も他の書物と同じく、シナを「中国」と呼ぶという基本的な過ちを犯しているために、 何を言っているのか分かりにくくなっていますが、「中国」をシナに置き換えれば 意味が明らかになるはずです。 彼らは独立した民族であることを主張するために、清国人と呼ばれる事を嫌い、 自ら漢民族の領土を支那と呼び、漢民族を支那人と呼んだのでした。 つまりシナ人にとって「支那」とは、侮蔑語どころか、 独立の精神を表現した崇高な言葉だった訳です。 もちろんすべてのシナ人がそのように考えていたと主張するつもりはありません。 シナ人が「支那」という呼び方をしなくなったのは辛亥革命の後です。 辛亥革命によって清から独立したシナ人達は、それまでの清の領土すべてを「中国」 と呼んですべて自分の領土であるということにしてしまいました。 ところが日本人はシナの歴史をよく知っていますから、チベット、ウイグル、モンゴル、 満州の各民族の領土はシナではない事をよく知っています。 その日本人から「支那」と呼ばれると、シナ人がそれらの民族の領土を侵略している ことが明白な事実として誰の目にも明らかになってしまいます。一方「中国」という括りにしてしまえば、 すべてが国内の話になり、そこで何をしても「内政問題」にできます。 シナ人がチベット、ウイグル、モンゴル、満州の各民族の領土を侵略しているという事実は、 彼らの言い方では「古来『中国』という名の多民族国家が存在する」になる訳です。 逆に日本が協力した満州国の建国は、「日本による中国への侵略」ということになる訳です。 先年行われた北京オリンピックの開会式の時、シナ政府は大勢の子供達を引っ張り出して、 「中国 56民族の子供達」などとさかんに言っていました。いつのまにか 5民族が 10倍以上にふくれ上がっている訳ですが、 一般に侵略が行われた地域では、多民族国家ということが ことさらに吹聴され、民族数の多さが宣伝されます。 そうすることで侵略地域の先住民の存在を希薄化できるからです。 ちなみにこの時の子供達のほとんどは、実は様々な民族衣裳を着せただけの漢民族の子供達 であることが後日明らかになっています。 この作者は、「日本がシナを『支那』と呼んではならない」ことの根拠を主張したいが余りに、 「支那」と呼ぶなと力づくで強要した歴史を 「命令」という言葉を使って自ら語ってしまっています。 今日の多くの日本人は、この手の野蛮な強要を不快に感じるでしょう。 「シナ人は嫌がっている」とだけ言っておけば、多くの日本人は「嫌がっているのなら使うのはよそう」 と考えるものですが、ここで語られている真相はそれとはかなり違う話です。 今日の私達がこのような馬鹿げた命令に従う必要がどこにあるのでしょうか? シナを「中国」と呼ぶことをいますぐやめましょう。 自分のためだけではなく、将来生まれて来る子孫のためにもいますぐやめるべきです。 今でも当たり前に「支那」が使われていることをわざわざひっぱりだして説明してくれて いますが、他にも「支那竹」などもそうです。戦前は誰もがシナを「支那」と呼んで いたんですから、いまだに「支那」と呼ぶ人達もいて当然です。 支那の「中国」への置き換えは、「太陽」を無理矢理「蛍光灯」と呼ばせるようなもの だったのですから、皆が完璧にそれに従うということはあり得ません。 敗戦という歴史的な背景があるからと言って、子供の頃に教わって使い慣れた言葉を そんなに簡単に捨てられるはずがありません。お年寄りの中にいまだにシナを正しく 「支那」と呼ぶ人がいるのも、また彼らが「中国」と言う時、 正しく山陽・山陰を合わせた地域を思い浮かべている事があるのも、共に不思議ではありません。 彼らは普通の人であって、「ごく少数の右翼分子」などではありません。 実際彼らが「中国」と言う時、それが何を差しているかは前後の脈絡から判断するしか ありません。 シナ人は、自分の意に反する人達に対してすぐ、「ごく少数の右翼分子」などという レッテルを張りますが、それは日本においては「我々の主張とは異なる主張をする人達」 というくらいの意味でしかありません。 むしろかたくなにシナを「中国」と呼び、中国を「中国地方」と呼び続けている マスコミや学者こそが、正しい意味で「ごく少数の反日分子」と呼ばれるべきでしょう。 マスコミの中で用語を決定しているのは、実は「ごく少数」の人達で、残りの人は ロボットのように従っているだけです。 「中国」は古くから伝わる日本の地名です。また日本人はシナのことを江戸時代から「シナ」と 呼び続けてきました。 古くから伝わる言葉を権力によって分断するのはシナの伝統です。 日本はシナとはまったく違った伝統を持つ国なのですから、 日本にシナの伝統を持ち込む事は拒否しましょう。 こういう話を聞くと日本人は、「このような思いの人がシナ人の大多数なのだろう」と うかつにも思い込みます。そして懸命さに打たれ、「支那と呼ぶのはやめよう」と 考えてしまいがちです。しかし冷静に考えると、ここに書かれているのは一人のシナ人が 嫌がっているという事実だけです。 これだけの事実から、シナ人の大多数が嫌がっていると考えるのはあまりに早計です。 また「支那」をいやがるシナ人というのは大体決まって 日本にいるシナ人か、留学等で日本にいたことのあるシナ人です。 こういう人達は日本人と同じように、「支那は差別語である」と根拠もなく教えこまれている はずです。 この華僑の言い分をおかしいと思わない人はおめでたい人です。 なぜかと言うと、仮にこの言い分を受け入れると、たった一人のシナ人が 何の根拠も示すことなく、「差別と感じる」と言いさえすれば、 すべての日本人のすべての言動を規制できることになってしまうからです。 これを制度化しようとするのが 「人権擁護法」 という恐ろしい法律です。 正当な要求であるというならば、「支那」が差別語である客観的な証拠を示すべきです。 またシナ人が「支那」という言葉を嫌がっていると主張したいなら、フェアーな方法で 統計を取ってみるべきです。 加えて、シナもしくはシナと類似の発音でシナを呼んでいるすべての国にも等しく 抗議をするべきです。「過去の暗い記憶を思い出すからやめて欲しい」と言うのであれば、 せめてもっと礼儀正しくお願いするべきです。言うことを聞かなければすぐに 「差別だ」などといって脅すようでは、暴力団の言いがかりと変わりません。 客観的な事実は、シナは世界中からシナもしくはシナの変形で呼ばれている ということです。「支那」も「シナ」も決して差別語ではありません。 国父・孫文も文豪・魯人も自国の事を「支那」と言っています。 「孫文は革命者として、『支那』は清王朝と等しいと考え」というのは大嘘です。 革命とは清国下のシナ人の民族独立運動の事で、 清国の中の漢民族の領土を「支那」と呼んでいました。 支那(シナ)と清国の関係は下記の地図の通りです。 この地図全体が清国です。 そして一般に支那とは、「漢族」と書かれた領域のことです。 清の領土とほぼ等しいのは清国を乗っ取った中華民国の方です。 革命勢力が辛亥革命後に「支那」という呼称を使わなくなったのは、 革命の目的が民族の独立から、清国の乗っ取りに移行したからでしょう。 支那が漢民族の領土だけを表していることが不都合になったのです。 既に述べた通り、「支那」という言葉はシナの民族独立の精神を表現した崇高な言葉です。 「日本人がさげすむ意味で使ったから」という理由だけで使わなくなったというのは、 相当説明に無理があり、とうてい真実とは思えません。
『「日本と中国」歴史の真実』拳骨拓史著 より引用 「中国」が元々一般名詞であったこと、そして国名として使われたのは辛亥革命後であることが、 他でもないシナ人によって正確に説明されています。 「国家概念としてあらわれ」の部分は清国が中国王朝を名乗ったことをさしていると思います。 しかしその清国に関して、重要な事実が外されています。その事実とは、
つまり清国はシナではありません。 シナ人は辛亥革命によって清国からの独立を果たし、清国が「中国」と名乗ったことを逆手にとって、 新たに作った国家を「中国」と呼びました。それは清国の乗っ取りを意味し、 シナ人にとって完全な外国であったチベット、ウイグル、モンゴル、満州の各民族の領土の 領有を勝手に宣言するものでした。だからそれらの地域への侵略はその時に始まりました。 彼らは今になって「中国という名の多民族国家」という言い方をしますが、 これは自らの侵略行為を正当化するものです。 古くから切れ目なく続く国家「中国」などというのは幻想に過ぎません。 「○○は古来中国の領土」という言い回しは、彼らが侵略を行う際の常套句です。
さて、ではこれらの地域を私達は「中国」と呼ばずに何と呼べば良いのでしょうか。
簡単です。私達には彼らの侵略行為の正当化に加担する義務はないのですから、
昔のまま、シナの事はシナ、満州は満州、チベットはチベットというふうに呼べばいいと思います。
さて終わりに、「中国」を解体させることがシナ人にとっても良いことであることを 述べたいと思います。 「中国」を解体しなければどうなるのか。 それはいつかまた、かつて「夷狄」とさげすんだ民族によって国を奪われる事になるからです。 今一番危険なのはウイグル人です。 かつてモンゴルによる中国(元)、満州による中国(清)が存在したように、 国外のイスラム勢力と力を合わせ、 史上初の「イスラムによる中国」ができる可能性がおおいにあります。 このように国を奪い合って、新たな王朝が生まれ、 また消え去るというのが、変わることのない長い「中国」の歴史です。 [2010/8/19]
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国籍法違憲判決の問題点 | 田母神氏講演会事件の深層 | シナを「中国」と呼んではいけない三つの理由 |「『支那』の語源についての考察」についての考察| 民主党売国日誌 |
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