赤屍さんと聖杯戦争
◇序章◇
漆黒の闇夜が蔓延る柳洞寺に佇む一人の影。
この暗黒の世界と同様の色をしたローブを目深に被り、近代科学を行使する現代において、その格好は次代錯誤の極みと万人は見るだろう。
そして、次に見るのは、彼女のその美貌だろう。何せ美人だ、絶世の美女、異性だけでなく、同姓すら虜にしてしまえる美を持ち合わしている。
全体的にうっすらと、ローブ越しに浮かび上がる体の線は細く、女性特有の丸みを備えていた。
一見すると、奇抜な格好をした女と判断できるが、そう判断した者は、確実に八つ裂きにされるだろう。
何せ、彼女の持つ力は強大かつ凶大。仮に現代の魔術師が、何十、何百と集まろうと、彼女に叶う道理はない。
生前は“裏切りの魔女”などと悪名を付けられた彼女であるが、ギリシャ神話で最も名高い魔女の一人、キルケの秘蔵っ子だったのだ。
神話上で最も知恵と才能に恵まれた彼女は、それに見合うだけの力を持ち合わしていた。
その英雄の名は―――メディア。彼女の真名である。
――――そして彼女のクラスは“キャスター”
歴史上でも類見える魔力を持つ彼女にとって、キャスターのクラスは妥当と言える。
今回で五度目となる聖杯戦争であるが、キャスターのクラスに関しては、正当な英雄が呼び出されたと言える。
魔法と同等の魔術を行使する魔術使い。強力な英霊である事に違いはない。
そんな西洋の過去の英雄が今いる場所は、彼女が生きた遥か未来。
さらに場所は、東の最果ての地でもある日本という国の一つの寺の境内である。
和風と洋風の入り混じった、何ともミスマッチな組み合わせであるが、不思議と違和感なく、彼女は境内の風景に溶け込んでいた。
夜空に浮かぶ宝石のように煌く無数の星、そして満月の賛嘆たる姿を彼女は眺めていた。
時刻は真夜中の0時前。“日”という概念が新たな“日”に変わる刻限。
地面に書き記した巨大な魔法陣の中心に彼女は立つ。今から行うのは―――召喚の儀。
“サーヴァントがサーヴァントを召喚する”という、何ともこの戦争の常識を度外視した事を、彼女はこれから行うのだ。
何せ、この闘いは熾烈極まる展開になることは、この闘いに身を投じる者ならば、誰でも容易に想像できる。
いくら彼女の魔術が強大であっても、この闘いを勝ち抜く事は、正直厳しい。
それにキャスターのクラスは、七つあるクラスの中でも下の位置に値する。
何故なら、サーヴァントは基本的に高い対魔力を持っている。魔術を行使するキャスターにとっては、それは無視できない事柄だ。
なので、自ずとキャスターのサーヴァントは、計略を練り、策を講じる事で対抗する事が多い。
こういった禁じ手に手を染めるのは、何も驚きに値する事ではない。勝つ為に必要なら、やるべきであると彼女は結論を下したのだ。
「すぅ……」
空気を吸う、呼吸をする。それに釣られて彼女は魔力を高めていく。
つい先日まで、枯渇しかかっていた魔力だったが、この数日で驚くべき速度で回復した。
その一番の理由は、この冬木の地に漂う魔力(マナ)が、霊地であるここ柳洞寺に集中してくれている事に他ならない。
魔術師でないマスターから、魔力供給を期待できない彼女にとって、ここに陣地を構える事ができたのは、幸運としか言いようが無かった。
(あの日……もはや消えてなくなるだけしかなかった私を……あの方は助けて下さいました)
――――葛木 宗一郎。それが彼女の今のマスターの名。
以前の臆病で馬鹿なマスターを裏切った私は、魔力供給を断たれ、この世界の現界することが叶わなくなった。
身も心も力のなくなった彼女を、男は救った。それがどんな理由であろうと、彼女は救われたのだ。
その彼女の救世主は言った―――「困った事があれば、手を貸す」
どこぞの知れぬ女の戯言ともとれる話、それを葛木は疑いの余地もなく、心から信じ、力を貸してくれる。
キャスター―――メディアにとって、葛木 宗一郎のような人間を他に知らない。
あれほど表と裏もない人間、まるで、一切の不純物を取り除いた水の如き心の主を見たことが無かった。
それは逆に何も持ち得ない虚空の心の持ち主。だが、だからこそ彼は彼女を信じ、全力で彼女の目的を果たしてくれる。
仮にキャスター自身が敗れ去っても、葛木は闘い続けるだろう。あの男はそういう男、そういう生き物なのだ。
(そう、だから……だからこそ、負けられないッ)
魔力が満ちる、満ちる、満ちる。
それは光速の速度で体に満ち溢れ、地に敷いた陣もキャスターの魔力呼応し、円に満ちた赤い光は線を通り、また円の中を通る。
赤い光は遂に、キャスターの立つ位置、彼女の真下の小さな円まで満ちると、次に発生したのは暴風。
荒れ狂う風は、樹齢幾百を超える木々を軋ませ、周囲の建造物に衝突し、暴れまわる。
雄叫びにも似た風の咆哮が満天の夜空の下、柳洞寺の境内に木霊する。
この時、既にキャスターの全身には魔力が行き渡り、いつでも召喚を行える
――――あと数秒。
あと数秒で日が変わる。
新たな歴史、新たな事象、新たな始まりを告げる時刻。
“0”とは、全てがそこにあり、何も無い。魔術を極めんとする者は、皆全て“0”への到達を目指す。
何も無いから、全てがあり、全てがあるから、何もない。この言葉遊びを発したのは一体誰であったのだろうか。
それは決められた定義。この世界がこの世界であるために必要な決められた定義なのだ。
だから、望むべき物は全て“0”の内にある。彼女はそう確信していた。
そして、もちろん彼女が望む者は―――
(最強の英霊―――なら、いいのだけれど……)
だが、彼女とて己が力と現実の非情さ、叶わぬ運命というモノが存在する事は知っている。
高望みをするなら最強の英霊だが、最低でも、せめて陣地構成したこの柳洞寺を、確実に守護できうる者なら合格と踏んでいた。
ちなみに依り代は何もない。彼女の持つ魔術の腕と、この霊地に満ちた強大な魔力のみでの召喚だ。
最初はあの山門を依り代にしようかと思ったが―――止めた。
何故かは分からないが、彼女の第六感が、それを中止させたのだ。理由などないに等しい。
それが吉と出るか、凶と出るかは分からないが、少なくとも、キャスターは自分の感に賭けてみたくなった。
「……ふふ」
我ながら、何とも無計画なものだと、キャスターは自身を鼻で笑った。
こういった不確かな事で物事を行う事は嫌いであったのに、何故今はそれに縋るのか、彼女は分からなかった。
だが、今回の闘いはその不確かなモノすら御しえる必要すらありそうだと彼女は思った。
過去と未来、数多の英霊が互いに競い合い、殺しあうこの闘いを勝ち抜くには、力と知恵だけでなく、天運すら味方に付ける必要があると、彼女は考えていた。
だから、例え、ここで天運に見放されても、それならそれで戦うと、彼女は心に誓っていた。
どんな卑劣で畜生にすら劣る所業を行おうと、例え無関係な者の命を奪う事になろうと、聖杯は手に入れる。
力強く閉じていた瞳を、力強い意志で抉じ開ける。
その瞬間、日付は変わり、新たな日が始まり―――彼女は0時ジャストで召喚の儀を行った。
◇
世界を真っ白に浄化してしまうか如く放たれた召喚の光はほんの一瞬。
しかし、自身の内部―――魔術回路で暴れまわる魔力を制御するのに、彼女は必死だった。
ほんの数秒の召喚の儀が、キャスターにとっては何十分、何時間と呼ぶに相応しい長い時間を体感させていた。
額にうっすらと浮かぶ汗、絶大な魔力を誇るキャスターにとって、サーヴァントの召喚など朝飯前かとも思えたが、予想を遥かに超える体への付加、大半の魔力の消費を鑑みるに、どうやら彼女が呼び出したのはかなり強力な英霊のようだった。
砂塵が舞う境内に描かれた魔法陣は光を失い、その中心に佇む疲労困憊のキャスター。
崩れ落ちそうになる足を何とか堪えつつ、乱れる呼吸を整えようとする。
しかし――――
「おやおや、これはこれは………また奇怪な場所に飛ばされましたね」
聞こえてきた音は、若い男の声。
淡々とした言葉であったが、しかし、その声からは、とてつもない冷酷さと残酷さを滲み出していた。
まるで、子供の悪戯を受けたクールな大人のような台詞を放つ男の声は、何故か活き活きとしていた。
砂塵が消え去り、ようやく男の姿が、月明かりの境内に晒され、キャスターの前にそれは現れた。
――――漆黒の男、第一印象はそれだった。
偉く縁の長くて、丸い黒い帽子に、黒のスーツに黒ネクタイ、その上からさらに黒のロングコートと、全身黒尽くめであった。
肩まで伸びた、これまた黒の髪を風に遊ばせ、彼は「クスッ」と小さな笑みを浮かべてキャスターに歩み寄る。
目深に被った黒の帽子のせいで、顔全体は伺えないが、唯一見える口元は常に端を吊り上げている。笑っているのだ。
「さて、一つお尋ねしたいのですが」
「な、何?」
「貴方が私のマスターであるとお見受けしますが、相違ないですか?」
男は片手で帽子の縁を摘み、目深に被っていた帽子を少しだけ上に引き上げる。
それで、ようやく男の顔が見えるようになった。
一言で言えば、綺麗な顔つきだった。
男にしては少し白みがかった肌の色、そして、細く閉じられた口は絶えず笑みを浮かべ、瞼を閉じているのか開いているのか定かでない目。
パッと見では無邪気な笑みを浮かべる好青年と取られるかもしれないが、この男の放つ気は尋常の域ではなかった。
喋りかけるだけで殺されそうな…………
触れるだけで殺されそうな…………
まるで、剣のような、いや、それ以上に危険な存在。
キャスターは、先程まで掻いていた汗が全て、冷や汗に変わるのを自覚しながらではあるが、その問いに答える。
「ええ、私が貴方を呼び出しました。貴方が私のサーヴァントですね?」
「そのようですね。私としても、このような出来事は初めての事ですから、少し胸が踊っていますよ」
男は吊り上げた笑みをさらに吊り上げて、本当に喜んでいるようだった。
彼女はその笑みに押されながらも、依然として毅然とした態度は崩さない。主である自分が使い魔に舐められては、沽券に係わるからだ。
胸に抱いた恐れを押し殺しながら、あくまで命令口調で言葉を紡ぎ出す。
「では、まず貴方のクラスは?」
「私のクラスは“アサシン”、マスターの呼びかけに従い、召喚に馳せ参じました―――と、これで宜しいので?」
「アサシン…………ですか」
その言葉でキャスターは少しばかり肩を落とす。それも無理ない事だった。
アレだけの魔力を消費して、呼んで出てきたクラスが、キャスターと同じく下級クラスのアサシンであったのだ。
せめて三騎士のうちのどれかが当たってくれれば良かったのにと、キャスターは内心悔やんだ。
こんな事なら、あの山門を依り代にでもすれば、もう少しマシなクラスを呼び出せたかもしれないと、今さらながら後悔を感じていた。
「何かご不満でも?」
そんな彼女の様子に、やはり笑みを崩さずに問い掛けるアサシン。
彼女としては、そんな様子など微塵も見せた気はないのだが、それを気取られるとは思いもしなかった。
隠しても無駄と知り、開き直って素直にその問いに答えるキャスター。
「ええ、不満です。あれだけの魔力を行使して引き当てたのがアサシンでは……ね」
「ほう、では何を当てたかったのですか?」
「もちろん、最優と誉れ高いセイバーに決まっています」
聖杯戦争で最も優れたサーヴァントととして名高いセイバー。
そう言われる所以は、今まで行われた聖杯戦争のほとんどを最後まで勝ち残る所にある。
さらにセイバーのクラスは、最も高い対魔力を備えているので、魔術を駆使するキャスターな彼女にとっては、是が非でも欲しい駒だった。何せ、彼女の天敵と呼べる存在だからだ。
「最優……ですか。それは非常に興味深いですね……」
男はそのまま肩を震わせて佇んでいる。笑っているのだ。
「では、私もそれに負けない働きぶりをしませんと、ね……そうでしょう、マスター?」
「ええ、貴方には馬車馬のように働いてもらいます。覚悟はよろしくて?」
「構いませんよ。私は“結果”よりも“過程”が楽しめれば良いのですから……」
そう言って、境内の出口、山門に向かって歩み始めるアサシン。
その背中に―――
「待ちなさいッ! まだ契約は完了していませんよ」
アサシンは立ち止まる。しかしこちらに振り向かない。
そのままゆっくりとした口調で―――
「赤屍 蔵人」
「それが私の真名です」
そう言った瞬間、キャスターの右腕が熱く光る。
光が治まると、そこには三つの線で描かれた模様が浮かび上がっていた。
――――令呪
これで、キャスターとアサシンの契約は完了した。
それを察し、再びアサシン―――赤屍 蔵人は歩み始める。
「ちょ、ちょっとお待ちなさいッ! どこに行くのです!?」
「少し町を見物してきます」
そう言って、アサシンは山門の階段を降りていった。
追うことも止めることも出来ずに、ただキャスターはその場に佇んだ。
夜風がローブと頭巾の裾をはためかせ、キャスターはただそのまま夜空を見上げた。
「はあ……これから先、大丈夫かしら……」
キャスターの溜息混じりの言葉がそのまま境内にポツリと零れ落ちた。
続く
・あとがき
キャス子はとんでもないのを召喚していきました☆
赤屍さんが降臨した聖杯戦争、どうなることやら。
あ、更新はかなり不定期です。なので、次の更新は未定です。