妙な響きの言葉である。本欄2回目(2006年7月号)で塚谷裕一さんが解説した「エボデボ」の流行に刺激された生態学者が,二匹目の泥鰌を狙って使い始めた言葉である,と思う。Evo-Devo(エコデボ)がEvolutionary developmental biology(進化学的発生生物学)であるのに対して,Eco-Devo(エボデボ)は,Ecological developmental biology(生態学的発生生物学)である。Ecologyは,「個体発生は系統発生をくり返す」で有名な発生学者E. ヘッケル(Ernest Haeckel)の造語である。これを最初に訳して「生計学」としたのが理学部動物学教室の五島清太郎。「生態学」は植物学教室の三好学がBiologieの訳語として使ったものに由来する。なお,南方熊楠は「棲態学」と書いた。Ecoの語源がギリシア語oikosで,「家,棲みか」を意味することを表現する優れた訳語だと思うが,文科省用語は生態学。
生物は良くできた器械だが,はじめから良くできていたのではない。生物とは,さまざまな環境における自然選択によって,その環境でもっとも子を残しやすい形態,機能,発生プログラムをもつように変化してきたし,現在も自然選択されつつある存在である。したがって,生物が「良くできている度合い」は,生物をその「棲みか」において調べることによって明らかになる。生物の発生プログラムや環境に応じた発生の可塑性を自然環境条件下で捉え,それらのもつ意味を,残す子の数(適応度)への効果として評価する総合的な学問がエコデボといえよう。過去の環境を考慮するとエボデボとも融合する。適応や進化のメカニズムの大筋が明らかになってからは,生物学者は,生物の形態や機能を「よくできた器械が見せてくれる面白いこと」としてだけではなく,エボデボ・エコデボの精神で研究して来たはずである。しかし,生物情報の蓄積にともない,生物の類縁関係,発生の基本プログラムなどが凄まじい勢いで明らかになりつつある今,「環境」あるいは「棲みか」に注目した総合的研究が必須であることも強調すべきであろう。そのお題目がエコデボ。なんだかボコボコと沈みそうな・・・。
日光植物園、生物科学専攻の植物生態研で,植物の光合成系や呼吸系に注目したエコデボ研究をやっている。神経系のない植物が,植物体のいろいろな部分の 環境情報を統合してその状況で最適な葉を作りだす仕組みが明らかになってきている。