現在位置は
です

本文です

大人になった虫捕り少年

昆虫の森から遺伝子の森へ分け入って〜福岡伸一さん編(1)

コメント投稿受付中!

チョウを殺(あや)めた指先の痛みが今も

アオスジアゲハの版画(広田日出樹氏作)を手にご満悦の福岡伸一さん(青山学院大学相模原キャンパスの研究室で)

 青山学院大学相模原キャンパスは米国の大学のような広々とした敷地で、建物も洗練されていた。福岡伸一さんの研究室に向かっていると、礼拝堂の鐘の音が聞こえてきた。

 「新種の昆虫を発見するという、少年時代に抱いていた夢はついえたんですが、新しい遺伝子を捕まえることはできるはず。それで分子生物学という分野に取り組むことになりました」。福岡さんはにこやかな表情で、虫とのかかわりを話し始めた。

 「少年は、虫とか魚とかカエルとか“ウェット系”にいくか、鉄道とかロボットとかモデルガンとか“メカ系”にいくか、早い時期に分化すると思うのですが、私は気がついたら虫好きだった。理由はよく分からないのですが、おそらく、ほかの昆虫少年と同じように『チョウチョってきれいだなぁ』と単純に感じたのが最初だったでしょうね」

 福岡さんは小学校に上がって間もなく、昆虫採集に熱中した。捕虫網を持って野原を駆け回り、捕まえたチョウを展翅(てんし)板で展翅し、標本箱に並べてコレクションするという、昆虫少年の典型的なスタートを切った。

 「ただ、どうしても野外で採集すると、羽のどっかが欠けているとか、鱗粉(りんぷん)が取れているとか、完全な標本にはならないわけですね」と福岡さん。「ちょっと残酷なんですけど、完品(かんぴん)を作ることを目的にアゲハチョウの飼育を始めたんです。小学1、2年生頃からだと思いますが、卵を採取しまして、家のベランダで飼って、サナギにして、翅脈(しみゃく)が伸びて、完全なチョウになったとき、胸を“ぴっと”押して殺し、完全な標本をつくり――」

 飼育個体を標本にすることは昆虫少年や大人のチョウ屋の世界では珍しくない。単に美しい標本を作って観賞するためでなく、例えば地理変異を調べたりする時は、羽の模様や体色が羽化した頃と変わらぬまま保たれていることが必要だ。福岡さんも述べたように、野外で採集したチョウの場合、風雨に打たれたり、鳥につつかれたりして羽が傷んでいるケースが多く、模様が不明瞭になって変異を見分けにくいことがある。それにしても小学校低学年から、飼育個体の標本作りを始めたのは早熟なほうだ。

 「こんなわけで私の指にはチョウを殺した痛みが宿っておりまして。それがいまも、生物学者として、生命に対するある種の申し訳ない、という気持ちにつながっているのかも知れません」(福岡さん)

分子生物学の研究で実験用のマウスは欠かせない。研究の進行とともに、小さな生き物の死は累々と積み重なる。1人の研究者が生涯で数万匹のマウスを使うことも珍しくない。そこでマウスは1個の材料と化している。だが、少年時代に自分の指でチョウを殺(あや)めた体験を持つ福岡さんは、数十年の研究生活を続けていてもいまだ、罪責の念と無縁ではいられないのだ。

ファーブルや今西錦司にあこがれて

新刊のタイトルにもなったルリボシカミキリ(版画、広田日出樹氏作)。福岡伸一さんが子どもの頃にあこがれた日本を代表する美麗種のカミキリムシだ

 福岡少年は、『昆虫記』のジャン・アンリ・ファーブルや、カゲロウの観察を通じて棲み分け理論を提唱した京都大学名誉教授の今西錦司氏(1902〜1992)など、ナチュラリスト的な研究者にあこがれた。そうした生き方を実現できそうな場所であると信じて、京都大学農学部に進む。当時、1970年代後半は東京周辺から京都に行く人はまだ少なくて珍しがられた。が、大学に入ってみると、ファーブルも今西氏もいなかった。

 「それは先生としてもう教壇にいないというのは当然なんですけど、単に新種を記載したり、見つけたりすることが学問としてなかなか成立しなくなっていたわけです。害虫を駆除するにはどうしたらいいかとか、ゴキブリのフェロモン物質を抽出して構造を決めるとか、実学的な応用研究としての昆虫学みたいなものがあったわけなんです。私としては新種の虫を捕まえるために、パプアニューギニアやボルネオに行くという様なことを考えていたので、ちょっとがっかりしたんです」

新たなバイオテクノロジーの波に乗り

 その一方、福岡さんが京都でキャンパス生活を送っていた時期、別の新しいトレンドがアメリカからやってきた。それはもはや個体として生物を見る時代は終わり、細胞や遺伝子、あるいはたんぱく質のレベルで生命をより統一的に理解することを目指す潮流だった。研究者を目指していた福岡さんもおのずと、その影響を受けた。

 「バイオテクノロジーが新たな手法として次々と導入され、遺伝子をミクロな外科手術のような方法で切り貼(は)りして増やすような方法が現れました。ヒトの全DNA配列を読み取って、その働きを明らかにしたヒトゲノム計画のような巨大サイエンスはまだなく、研究者が自分の興味に基づいてコツコツと遺伝子を“採集”していた時代だったのです」と福岡さん。「そういうわけで、研究者を目指していた私は捕虫網をミクロな実験器具に持ち替え、細胞の森の中を分け入る方向に宗旨替えしたわけなんですよ」

 (読売新聞地方部・宮沢輝夫)

福岡伸一(ふくおか・しんいち)氏

 1959年東京生まれ。京都大学農学部卒。ロックフェラー大学およびハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学理工学部教授。分子生物学専攻。科学書の翻訳や著書も手がけ、卓越した文章に魅了されたファンも多い。「プリオン説はほんとうか?」(2006年)で講談社出版文化賞科学出版賞、「生物と無生物のあいだ」(07年)でサントリー学芸賞、新書大賞受賞。06年、第1回科学ジャーナリスト賞受賞。他に「もう牛を食べても安心か」「ロハスの思考」「できそこないの男たち」「動的平衡」「世界は分けてもわからない」など著書多数。虫の話も満載の最新エッセー集「ルリボシカミキリの青」(文芸春秋)を4月25日刊行。

 
 
2010年04月19日  読売新聞)
この記事へのコメント
  • Nikon
    2010年04月20日 22:37

    福岡さんの著書は、生物学と無縁の私にも分かりやすくて面白く、以前からファンでした。少年時代の経験から、未だに小さな生き物の命に罪責の念をお持ちであるなど、福岡さんの素顔が垣間見られて嬉しいです。今後の展開も楽しみです。

  • 諏訪部 啓子
    2010年04月30日 22:22

    私も、Nikonさんと同じで分かりやすく楽しい福岡ハカセの著書のファンの一人です。
    命を奪った虫たちへの贖罪の気持ちをお持ちでいらっしゃるというのは生命に対しての真摯な姿勢や畏敬の念のあらわれだと思います。
    今、「ルリボシカミキリの青」をゲラゲラ笑いながら読んでいるところです。
    大好きな福岡ハカセの記事、この先がとてもとても楽しみです。

  • 宮沢輝夫
    2010年05月17日 22:17

    Nikonさん、諏訪部 啓子さん
    感想を寄せていただき、ありがとうございます。
    おふたりとも、以前からの福岡伸一さんのファンとのことで、この連載を読み進めれば、、ますます福岡ハカセのファンになること間違いなしですよ。

この記事にコメントする

※コメントはリアルタイムでは掲載されません。<コメントに関する編集方針はこちら>

名前

コメント

▲この画面の上へ

現在位置は
です